あのさ、夢ってあるじゃない
そうそう、”将来の”とかじゃなくて、寝てるときに見るやつ
最近、どんな夢見た?ふーん、空を飛ぶ夢ねぇ
あれって、欲求不満のときにみるんだってさ。
えっ、心当たりがある?・・・きみって正直だねぇ
まあ、いい夢や悪い夢、いろいろあるわけだよね
さっきみたいに、夢にもちゃんと理由があるんだってさ。
その日の出来事とか、いつも考えていることが影響してるんだって
でね、夜明け前に見る夢は、その人の心の底で願っていることなんだって
本当の気持ちが夢になるんだってさ
ホントかウソかは知らないけどね
「うーん・・・」
すでに何度目かの寝返り。
薄手のタオルケットは、とっくに蹴り飛ばされている。
セカンドインパクト以来、常夏となったこの国だが、今夜は特に寝苦しかった。
開け放った窓からは、生ぬるい風がわずかに入ってくるばかりだ。
横になっているだけで、体に汗がにじんでくる。
淡い黄色のタンクトップと赤いホットパンツが、張り付くようで気持ちが悪い。
「まったく、これだから日本は嫌いよ。マグマの熱さのほうがよっぽどマシだわ」
寝苦しさに、アスカはうんざりしていた。
冬に生まれた彼女は、もともと暑いのは苦手なのだ。
床の上で寝るのは慣れてきたが、この熱帯夜ばかりは我慢ができない。
かといって、エアコンを入れる気にもなれない。万が一、体調を崩すようなことがあれば、エヴァパイロット失格である。
もちろん、寝不足も大敵なのだが。
喉の渇きを感じたアスカはキッチンへと向かった。
麦茶を冷蔵庫から取り出し、コップにそそぐ。
冷蔵庫のランプだけが、部屋の中をぼんやりと照らしている。
その時、窓辺のカーテンが揺れ、一陣の風が部屋に舞い込んだ。先ほどの風とはより、少しは涼しげだった。
「こっちの部屋だと風向きが違うのね」
アスカはそのままリビングからベランダに出た。
山の斜面を下りてくる風が、ちょうど通り抜けていく場所になっているようだ。
汗が少しずつ引き始めたのを、アスカは感じた。
夜の第3新東京市が一望できた。昼間の喧騒が嘘であるかのように静かだ。
繁華街の飲み屋もそろそろ店じまいの時刻である。明かりこそ点いているが、街から人気は感じられなかった。
世界中で起きているのは自分だけなんじゃないか、とも思える。
もっとも、ネルフ本部は別だ。職員たちがあれやこれやと働いていることだろう。ミサトも今日は、例によって泊まり込みだ。
汗をかき始めたコップから、まず一口飲んだ。よく冷えた麦茶が、喉を滑りぬけていく。
「おいしい!やっぱ、夏は麦茶よねぇ」
うんうんとアスカはうなずいた。
「まるでミサトさんみたいなことを言うね」
背後から声がかけられた。
「もっとも、ミサトさんの場合は麦茶じゃなくてビールだけど」
ウチワをパタパタあおぎながら、シンジがベランダに出てきた。”平常心”と書かれたシャツがお茶目である。
「ふわぁぁ」
シンジが大きなあくびをしながら、脇をポリポリと掻いた。
だらしないわね、とアスカは思った。
しかし、だらしない男を見たときの嫌悪感は感じない。
そういえば、加持にも嫌悪感を感じなかった。なぜなのだろう、とちょっと不思議に思ったことがある。
「誰がミサトみたいなのよ、あんなうわばきと一緒にしないでよ」
「???それって、”うわばみ”のこと?」
「そうとも言うわね。それより、どうしたのよこんな時間に」
「暑いんで寝付けなくてさぁ、ここならちょっとは涼しいかなぁって。先客がいるとは思わなかったけど。アスカも眠れないの」
「そ。なんだってこの国はこんなに暑苦しいのよ」
「まあまあ、そう熱くなんないなんない」
シンジはウチワでアスカのことをパタパタとあおいだ。
ふうっ、とアスカは気持ちよさそうに風を受ける。山から吹くそれよりもさらに心地よい。
「ん・・・ありがと。あんたも飲む」
まだ麦茶が半分ほど残ったコップを差し出した。
シンジがそれを受け取った。軽く二人の指先が触れる。
その指先がなぜか熱くなった。
――ふん、暑苦しい熱帯夜のせいね。そうに決まってるわ
指先を気にしながら、アスカはシンジから視線を外し、街の夜景を眺めた。
さっきよりも奇麗にみえるのも熱帯夜のせいなのだろう。
「世界中で、起きてるのはぼくたちだけみたいだね・・・」
シンジがぼんやりとつぶやきながら、麦茶をゴクリと一口飲んだ。
「なーにしょうもないこといってんのよ。それより、全部飲んじゃっていいわよ。わたしはもういらないから」
「うん、ありがと。・・・でもさあ」
コップを見ながらシンジが言った。
「これって、間接キス・・・なのかな」
バシャッッ!!
アスカは間髪を入れずにコップを奪い取ると、その中身をシンジの頭からブッかけた。
「ひ、ひどい・・・」
「変なことを考えるからよ。これでカボチャ頭も少しは冷えたでしょ」
アスカがわめいた。
「あんまり大きな声を出すと、近所に迷惑だよ」
カボチャ頭ってなんだろうと思いながら、シンジがどうどうとなだめた。
「それにほら、麦茶もしたたるいい男。なんちゃって」
ぷっ。
あまりのくだらなさに、アスカは不覚にも吹き出してしまった。
「誰がいい男ですって。そんなことを自分で言ってもいいのは加持さんぐらいだわ。
夜更かしは美容の大敵だから、もう寝るわよ。これ、片づけといて」
アスカはコップをシンジに押し付けると、さっさと自分の部屋に戻った。
「なにが間接キスよ。シンジなんかペンペンとキスしてりゃいいのよ、まったく」
ブツブツ言いながらフトンにもぐり込んだ。不思議と今度は、心地よく眠れそうな気がした。
ただ一人、ベランダに取り残されたシンジは、人差し指でほほをポリポリと掻いた。
「間接キスかぁ・・・」
コップを見つめる目に、ちょっと愛おしさがこめられていた。
「世界中で、起きてるのはぼくたちだけみたいだね・・・」
シンジがぼんやりとつぶやきながら、麦茶をゴクリと一口飲んだ。
「ねえ、もし世界中の人が全部いなくなって、あんたともう一人だけしかいなくなったとしたら、もう一人は誰がいい?
ファースト?それともミサト?・・・司令ってのはやめてよね」
冗談めいた口調で、アスカが尋ねた。しかし、その目には真剣さがうかがえる。
「みんないなくなっちゃうなんて考えたくないけど・・・もし二人きりになってしまうんなら・・・ぼくはアスカがいいな」
それだけ言うと、シンジは顔を赤らめた。
「ありがと、シンジ。ほんとはね、わたしもあんたと一緒がいいなぁって・・・」
アスカはシンジにそっと寄り添った。
シンジの顔がさらに赤くなる。
照れ隠しにか、残りの麦茶を一気に飲み干す。
コップを見ながらシンジが言った。
「これって、間接キス・・・なのかな」
クスッとアスカが微笑んだ。
「間接キス・・・だけでいいの?」
そう言いながら、シンジの腕に自分の腕をからめた。
ギュッとしがみつくようにくっつく。
「いや、こう見えてもぼくは欲張りなんだ。ほんとの唇じゃないとね・・・」
シンジがアスカのほほを優しく撫でた。
二人の唇が、ゆっくりと近づいた。
15センチ、10センチ、5センチ・・・・・・そして・・・・・・
「だあぁぁぁぁぁっっっっ!!」
悲鳴をあげながら、アスカは飛び起きた。
ゼイゼイと息が荒い。
枕元の目覚まし時計は5時過ぎを示している。まだ外はうっすらと明るくなっているだけだ。
「なによ、まだこんな時間じゃない。バカシンジのせいで・・・」
とたん、先ほどまで自分が見ていた夢を思い出した。
「だあっーっ、なんでわたしがこんな夢を見なきゃいけないのよっ!!」
腹立ち紛れに、枕を壁に叩き付ける。ボスッと間の抜けた音を立てて、枕は床に落ちた。
「どーしてわたしがあのバカとキスしなきゃいけないわけ!!冗談じゃないわよ」
腹を立てながらも、さっきの夢にちょっとドキドキしている自分に気づく。
いやな感じではなかった。それどころか、うれしくすらある。
自分の気持ちに、アスカは混乱した。
「もしかして・・・わたしってバカシンジのとこが・・・」
ブルブルブル
アスカは頭を振った。
「そんなはずないわよね。あんな冴えなくて情けない上に弱っちいファザコン男なんて・・・
そりゃ、少しはいいとこもあるけどさぁ。優柔不断で女の子に弱くて、ってちっともいいとこじゃないわね」
うーむとアスカは考え込んだ。
「わたしはあのバカのことを、どう思ってるんだろ。同級生で同僚で同居人、それだけなのかしら?」
アスカは、シンジの部屋の方に目をやった。
こんなアスカの気持ちなど知らずに、シンジはぐっすりと眠っているのだろう。
「ふわぁぁ」
あくびがこぼれた。
考えてみれば、あまり睡眠時間をとっていないので、まだまだ眠い。
「まっ、いいわ。明日も授業後は訓練だし、しっかり寝とかないと」
考えてもわからないことは、今のところどうしようもない。
気持ちを切り替えると、枕を戻し横になった。今からなら、もうしばらくは眠れるだろう。
目を閉じると、数分で睡魔が現れた。
再び眠りに落ちていきながら、アスカはぼんやりと思った。
「もしかして、わたしはシンジが好きなのかな・・・よくわかんないな・・・」
朝までにアスカは、もう一度夢を見た。
それが、さっきの続きだったかどうかは、秘密だそうだが。
夜明け前に見る夢は、その人の心の底で願っていることなんだって
本当の気持ちが夢になるんだってさ
ホントかウソかは、知らないけどね
次回予告
「メン・アット・ワーク」
人類の運命を握るチルドレンを、人知れず陰から守る男たちがいた。
そんな彼らの命懸けの活躍を描く、ハードボイルド巨編。っていうか短編