「いよいよやな」
「うん、いよいよだね」
厠から出てきたところで、トウジはシンジに話し掛けた。
午前中で準決勝までの試合が終了し、昼食の休憩となっている。
午後の部には、まず剣術教師によるエキシビジョンが行われ、その後にはいよいよ決勝戦である。
番狂わせともいっていい対戦カードに、いまや全校の注目を集めていた。
「まさか、シンジが決勝まで勝ち残るとわな。こいつは大穴どころ話やないで。
あーあ、賭けでもやっとったらなぁ、大もうけできたんやけどなぁ」
水がめの水で手を洗いながら、トウジはボヤいた。そして、ひしゃくをシンジへと渡す。
「中学生が賭けなんかやっちゃダメだよ。先生に怒られるよ」
「あははは、冗談や冗談。ほんま、オヤジはんに似て堅苦しいのう、シンジは。
・・・そやけど、シンジやったら50倍、いや80倍はいけたかも知れへんなぁ。
ケンスケとシンジちゅう連勝複式やったら、万馬券どころやないで・・・」
ブチブチと独り言をはじめるトウジである。どうも、あまり冗談ではないようだった。
「ま、それはそれとして。なぁ、シンジ、お前に一つ頼みがあるんやけどな」
シンジに視線を向けないまま、トウジは言葉を切り出した。
いつになく真剣なその雰囲気に、シンジは少しばかり戸惑った。
自分のことは自分でやる性格のトウジが、人に物を頼むのは珍しいことだ。
しかも、いつもはズバズバ物を言うのに、今回はどうも言いにくそうにしている。
――もっ、もしやトウジのやつ・・・お金を貸してくれって言うんじゃ?!
すっかりズレた心配をしているシンジをよそに、トウジは頼みの内容を話し始めた。
昼の休憩はまだしばらく時間を残している。
音流布は今日も五月晴れである。
第拾五話
”姫さま いよいよ出番です”
「担任している生徒が決勝まで勝ち残った割には、浮かない顔をしてるじゃないか。
なにか気になることでもあるのかい、葛城」
職員席で珍しく黙り込んでいたミサトは、問いかけに対し静かにうなずいた。
「ん・・・まぁ、ちょっちね。シンジ君が勝ち残ったのは意外だったけど、それはいいのよ。
気になるのは相田君よ。前から何を考えているのは分からないところがあったけど、
今日の彼は異常よ。なんていうか・・・ヤバい感じがするわね」
「確かに、中学生にしては迫力のある太刀筋だな。それなりに修行も積んでいるみたいだ。
でも、けっきょくは剣術大会だからね、あまり気にするほどじゃないんじゃないか」
「だといいんだけど。相田君がシンジ君を見るときの目つきが、とても醒めているの。
仲のいい子達だったのに、仇でも相手にしてるみたいで・・・」
「ずいぶんと心配性になったな、葛城は。でも、生徒のことを気にするってのはいいことだ。
実は俺もちょっと気にかかる。あの相田って少年はあっちに足を踏み入れつつあるのかもしれない・・・」
「ちょっといいかしら?」
横からリツコがミサトに呼びかけた。
せっかく医療道具を一式持ってきたというのに、せいぜい打ち身ぐらいのケガ人しか出ていないので、
先ほどからいたく退屈している様子である。
もっとも、いつもと変わらぬ冷静な表情なので、それに気づいているのはミサトぐらいだが。
「うっさいわねぇ。もうじき決勝戦なんだから、あと少しぐらい我慢しなさいよ。
あんたは仮にも校医でしょ。救急箱抱えておとなしく座ってなさい」
「いえ、それはもういいのよ」
リツコはあっさりとかぶりを振った。
「試合は相変わらず退屈そうだけど、面白いことを見つけたから。それより、ほら」
今まで自分が話していた相手を、リツコに指差されて改めてシゲシゲと眺めるミサトであった。
「んっ・・・んんっーっ、あーっ、あんたはっっ!!」
「おいおい、そんなに熱い視線で見つめるなよ。照れるじゃないか」
加持が、不精ヒゲを生やしたあごをさすった。
そんな言葉には耳も貸さずに、ミサトは加持の胸倉を掴み、そしてどなった。
「なんであんたがここにいるのよっ!!」
突然の大声に、武道館中の視線が、2人に集中した。
適齢期をちょいと過ぎた美人教師が、どこか軽薄な感じのする遊び人風の男に、血相を変えてつめよっている。
それはどう見たって、
「痴話ゲンカ?」
「ほら、三角関係よ、三角関係っ!!」
「別れ話がこじれたんじゃないのか?」
「ミサト先生って、あの男に貯金を持ち逃げされたんだって。可哀想ねぇ」
「なんでも手首に包丁を突き付けて結婚を迫ったんだって」
「実は先代将軍の嫡子で、継承問題を巡って隠密から命を狙われているんだ。
その逃亡生活の中で、偶然に出会った葛城先生と恋に落ちて、2人は愛を育んだんだ。
しかし、非情なる運命の歯車は2人に幸せな時間を決して与えてはくれなかった。
ひっそりと隠れ住んでいた小さな家を襲われ、ついには離れ離れに・・・」
さまざまな噂話が飛び交ったが、当の2人はまるで気づいていないようだ。
「うっーっ!」とミサトは唸り声を上げてにらみつけ、加持は掴み所のない笑顔でそれを真正面から受け止めている。
ミサトと加持。2人の8年ぶりの再会は、色んな意味でドラマチックであった。
リツコはとっくに席を離れ、他人のふりを決め込んでいる。
その瞳には、さきほどまでは見られなかった輝きがあった。
「ほんと、面白い二人ね。これで、当分は退屈しないですみそうだわ」
そして、リツコは軽く微笑んだ。
本人は否定するだろうが、それには友人を見守る暖かさが感じられた。
ほんの少しだけだったが。
「ほら、この間から産休を取ってる先生がいるんだろう。その代わりの講師として、オレが採用されたってわけさ。
これからは同僚だな。よろしく頼むよ、葛城センセイ」
加持は親しげに笑いかけたが、ミサトはフンッと鼻息一つで無視した。
大会運営担当の教師に、きつい皮肉を言われたところなので、どうにか自制心を働かせている。
もっとも、いつまでもつかは怪しいところだ。
加持、ミサト、リツコの順に座っているが、ミサトは少しでも遠ざかろうと椅子をずらす。
「まったく、どうしてこんなヤツを雇うのかしら?ほんとうちの校長ときたら、人を見る目がないんだから」
「まぁ、そいつはそうかもしれないな。葛城を採用したぐらいだし」
「なんか言った」
「いや、別に。よっ、リっちゃん、久しぶり」
ミサトの一瞥を、加持はヌラリクラリとかわす。
昔からよく見たやり取りそのままだわ、とリツコは内心苦笑した。
「まさか君までこの藩にいたとはな、驚いたよ。これでまた、長崎の頃みたいに3人でつるめるな」
「こっちも驚いたわよ。噂では、堺にいるって聞いたけど」
「ああ、去年までは。そろそろ、海にも飽きたから、次は山もいいかなと思ってね。
期待していた通り、ここはいいところみたいだ。美人もいるし」
そう言いながら、加持はリツコの手を握ろうとしたが、伸ばした腕をあえなくミサトに払いのけられた。
2度目を邪魔されてどうやら諦めたらしい加持は、今度はミサトの手を握る。
まるで、初めて手をつないだ中学生のように、ミサトの身体がこわばった。
「フフ・・・相変わらずね」
「相変わらずバカなのよ。ちょっと、気安くさわんないでよ」
手の甲をギリギリとつねられて、ようやく加持は手を引っ込めた。どうにも残念そうな表情だ。
それをまるっきり無視して、ミサトは話を続けた。
「それより、さっき言いかけてた『あっちに足を踏み入れてる』って、どういう意味なのよ」
「ああ、あれか・・・さて、どう言えばいいかな」
問われて、加持は一瞬考え込んだ。
「いいかい、一口に剣の道っていうけれど、その行く先は大きく二つに分かれている。
自己の成長のために鍛錬し鍛え上げて、世の中で活かすことの出来る剣。
そしてもう一つは、戦う相手を倒し殺すために、ただ強くなるためだけの剣。
あの相田君は、相手を倒すための剣に心を引かれているようだ。剣の道における“暗黒面”に足を踏み入れつつある」
「暗黒面・・・」
「そう、暗黒面だ。過去にも、多くの剣士がその暗い魅力に取りつかれ、暗殺剣に墜ちていったそうだ」
「どっかで聞いたような話ね。そっちの方が強いの?」
「いや、強いんじゃない。ただ、容易いんだ。短期間で力を得ることが出来るので近道に見えるが、そいつは罠にすぎない」
加持は、そこで一旦言葉を切った。まるで、何かを思い出しているようにも見えた。
「後に残るのは、刀に取りつかれた悲しい亡霊だけさ。ただそれだけだよ」
つづく
「いい湯だな、はぁ〜ビバノンノ。うーっ、風呂は生き返るなぁ」
「確かに、風呂は人に明日への活力を与えてくれる。それが、仮初めであったにしろね」
「うわっ、誰かと思ったら加持さんじゃないですか。音も立てずに入ってこないでくださいよ」
「おいおい、歌に夢中で気がつかなかったのはそっちじゃないか。
それにしても、のんびり温泉につかっていていいのかい」
「後書きの中ぐらいいいじゃないですか。あーっ、温泉旅行に行きたいっ!」
「なるほど、ということは次は温泉の話だね」
「なんでそうなるんですか?次回はお待ちかねの決勝戦ですよ」
「ふむ、まあそういうことにしておこうか」
「誤解を招くような言い方をせんでください。てっきり風呂だから、カヲルが出てくるのかと思ったんだが、うーむ意外性をついてきたか」