「初戦から2年生が相手たぁ、ついてるじゃないか」
「ああ、しかも聞いて驚けよ、あの冬月だぜ」
「なに?へなちょこ青びょうたんかよ。かーっ、いいねぇ楽勝じゃんか」
「あったりまえよぉ。しかもあいつは"あの"アスカちゃんにいつもまとわりついてて目障りだろ。
このチャンスに俺様がバシッとやっつけてやるさ。それでアスカちゃんのハートも俺のもんだね」
「そりゃむしがよすぎるってもんだ」
わはははは
対戦表が張り出された壁の前で、3年生の間から笑い声が上がった。
ひどい言われようである。
まあ、ファンの多いアスカといつも一緒にいるために、本人の知らないところでいろいろ羨ましがられたり、あるいは恨まれたりしているようだ。
熱狂的な男子生徒で構成された闇のアスカ親衛隊では冬月シンジの助抹殺計画が真面目に語られているとも聞く。
ま、なにはともあれ、場所は武道場。開会式も終わり、いよいよ試合開始が近い。
音流布は今日も五月晴れである。
第拾参話
”姫さま 試合開始です”
戦いへの予感が、若人たちのアドレナリンを呼び起こす。
武者震いしている者、最後の調整にと素振りをする者、対戦表をじっと見詰めたまま何事か策を練っている者。
それぞれに盛り上がりつつある武道場の片隅で、一人しゃがみ込んでいる少年の姿があった。
「ううっ、どーしよー、やっぱ自信がない・・・」
壁に向かってブツブツつぶやいているのは、もちろんシンジである。
苦しい特訓を積みんで多少は自信がついていたのだが、もともとが本番に弱いタイプ。
闇討ちの刺客と戦った時は、アスカを守るために必死だったので怖さは後になるまで忘れていたが、今日は精神的な後ろ押しがない。
第一試合の相手が、ちょっと悪ぶった3年生だというのもシンジの闘志を削いでいた。
「ほら、しゃんとしなさいよ。もうすぐ試合開始なんだから」
うつむいたままのシンジの頭をアスカがポンポンと叩いた。
「アスカぁぁぁ」
シンジは情けない声をあげた。
「実はね、さっきからお腹が痛くて・・・」
「ふーん、それで?」
それがどうしたの?といった様子でアスカが尋ねた。
「だからね、ちょっと試合は無理じゃないかな〜と。棄権してもいいかな〜と・・・?」
「あっそぉぉぉぉ、お腹が痛いのぉ。それは大変ねぇ〜。確かに試合どころじゃないわよねぇ」
口調は一見優しかったが、眼がまったく笑っていなかった。
その迫力に圧され、シンジはあいまいに微笑んだ。
「今すぐ保健室に行ったほうがいいわよ。さあ、わたしが連れていってあげる」
「いや、別に保健室まで行かなくても・・・ちょっと休めば大丈夫だから」
「ダメよ、もしかすると盲腸や胃潰瘍かもしれないじゃない。そうだ、今日は万一のケガ人に備えてリツコが来てるのよ。
ちょうどいいわ、あんた見てもらえば。きっとリツコならパパパッと手術してくれるわよ、よかったわね」
「げっ、げげっっ!」
遠くからでもよく目立つ金色の髪を、職員席に見つけたシンジは言葉を失った。
藩医のリツコだった。
診療所が学校の近くであるので、校医も兼ねているのだ。
ちょっと冷たい印象はあるものの、大人びた美しさと理知的な雰囲気のため、一部の男子生徒および女生徒の間に熱烈なファンを持つ。
リツコに治療してもらいたいがために、わざわざケガをする生徒までいるのだ。
しかし、古くからリツコを知っているシンジにとって、彼女は恐怖の対象であった。
「そうそう、この間リツコが実験材料が見つからなくて困ってるって言ってたわね。
あっ、気にしないでね。ただの独り言だから」
そんなもの、気にするなという方が無理だ。
――どっ、どうしよう?
アスカの一言に震え上がったシンジは対戦相手の3年生を見た。
相変わらず"がははは"と笑っている。それなりに強そうであるが、しょせん試合で使うのは革刀なので叩かれてもたいしたケガにはならない。
続いてリツコに視線を移す。
あまり大会自体に興味がなさそうな様子だ。隣にいる校長と二言三言言葉を交わしているが、その表情はクールなままだ。
医者として腕はいい。と言うより、良すぎるのが問題だった。
噂にすぎないのだが『人体実験が大好きな、女華岡青洲』と言われているらしい。
そしてこれも噂にすぎないのだが『メスを持つとついつい切り刻みたくなる』らしい。
さらに、『あの金髪は実は染めている』らしい。
最後のは、噂ではなく単なる事実であった。
以上のことからも、彼女の恐ろしさはよくよくわかっていただけたと思う。
さて、シンジはこの二人を頭の中で天秤にかけた。
天秤は勢いよく傾いて、そのまま思いっきりひっくり返った。
どちらに倒れたのかは、言うまでもないだろう。
「どうしたのよリツコ?苦虫を口いっぱいに頬張ったような顔して」
「どんな比喩表現よ、それは」
校長をようやくとあしらったリツコは、声をかけてきたミサトに呆れたように応えた。
「まったく、こんなのが国語の教師をやってるなんて信じられないわね。あんたの生徒に同情するわ」
「それはお互い様でしょ。あんたの患者にも同情するわよ、怪しげな新薬や治療法の実験台にされてさ」
「失礼ね。怪しげじゃなくて、まだ効果が未確認なだけよ」
「そーゆーのを、怪しげっていうのよっ。言っとくけどね、うちの生徒には効果が確認されている治療だけにしてよ。
あーーっっ、なによこれわっ!?なんで剣術大会の医務係にメスやらカンシが1ダースも必要なのよっ」
リツコのカバンを覗き込んだミサトが大声をあげた。
「あら、少なかったかしら?」
リツコは白々しく肩をすくめ、メスと一緒に持ち込んだ珈琲を美味しそうに一口すすった。
アスカはシンジの襟元をぐいっと掴んだ。
「さっ、とっととそのジステンバーを治してもらいましょ」
「あのぉ、ジステンバーは犬の病気じゃぁ…」
「うるさいわね、あんた口答えする元気があるっての?」
「あっ、あれ?そう言えばアスカと話しているうちに痛みが治まったよ。不思議だなぁ、あはははは」
「ふーん、本当に不・思・議よねぇ」
「ほっ、ほら僕にとってアスカが一番の薬なんだよ、きっと」
「えっ!?そっ、そんなこと言ってごまかそうったって、だっ、駄目なんだから…」
シンジの口からでまかせの一言であったが、アスカは悪い気がしなかった。
というより、はっきりいってうれしかった。うれしかったのだが、
「そうか、良薬口に苦しってやつだな」
「…あんた、ケンカ売ってるわけ?」
「まっ、まさか」
ブルブルブル
シンジは首を激しく左右に振った。
アスカは疑わしそうに眺めていたが、
「まあいいわ。じゃあ、そろそろ行ってきなさい。わかってるでしょうけど!」
!と同時にジロッと視線で圧力をかけた。
「いいこと、必ず勝つのよ」
「あははははは・・・」
シンジは乾いた笑い声をたてた。
「ほら、しゃきっとしなさいよ。なんなら、お得意の『逃げちゃダメだ』をやってみたら?」
「う、うん。でも、それってなんか今更だから・・・」
ぶつぶつつぶやきながら、シンジは次試合の控え場所へと向かった。
その足取りは鉛のように重かった。
――やっぱ、アスカが一番恐い…
誰にも聞こえないため息が一つ、武道場の喧燥にむなしく吸い込まれた。
つづく
「ずいぶんと勝手なことを書いてくれたわね」
「ぎくくくくぅぅぅぅぅ!その理知的で涼しげで美しい声はリツコさんじゃないですかぁ。
お仕事ごくろうさまですぅ。よっ、音流布の健康を背負って立つ美人医師、金髪のブラックジャック」
「誉めてないわよ、それ」
「そうですか?なんかかっこいいじゃないですか」
「そもそも、私に対する認識が甘いわ。あれではただのマッドサイエンティストみたいね」
「違うんですか?」
「違うわよ。私はね、藩医としてちゃんと報酬をもらっているのよ」
「???だから???」
「だから、只じゃないわ。時給換算2,738円。この不景気には高給ね」
「あー、はいはい。参加賞のお風呂掃除3点セットもらって、とっとと帰ってください。
それに何ですか、時代劇なのに“円”ってのは」
「ちゃんと資料を調べずに書いている人がいるからよ。両、朱、分、文なんかが単位であるはずだけど、
いくらぐらいかが分からないので、使うにも使えず凍結中よ」
「あー、困ったやつもいるもんだ。いい加減ですね、それは」
「・・・あなたのことよ、言っとくけど」