新月であった。
夜空には、月のない分だけ星がより一層輝いている。
その星明かりだけが、夜道では頼りである。

「こんな夜は、足元に気をつけねばな」

南町奉行である洞木キンシロウは、誰にともなく呟いた。
仕事を終え、帰路の途中である。
立ち並ぶ家々から、わずかに灯かりがもれている。
そろそろ夕ご飯を終え、家族そろって団欒している、そんな時刻であった。

――平和、だな。この世はすべてこともなしか

洞木は、我が家のことを思った。
三人の娘たちが、洞木の帰りを待っているのだ。
ヒカリの作った晩御飯を前に、空腹を抱えていることだろう。
早く帰ってやろうと、音流布の『池中玄太80キロ』こと洞木キンシロウは足を速めた。

ヒュッと一筋の流れ星が夜空をかすめた。

音流布は明日も五月晴れになりそうである。



第八話

  ”姫さま 降るような星ですね”



ぬるり、と闇の中から一人の男が抜け出してきた。

目の前にその男が現れた時、まさにそんな風に思えた。
着物も黒ならば、腰に差した刀の鞘も柄も黒。
全身黒ずくめの男が、ほとんど足音を立てぬまま歩いていた。
洞木のもつ提灯が、わずかにその顔を照らしだした。
妙に青白く病的な何かを感じさせる顔だった。

男と道の反対側を歩いたまま、二人はすれ違った。
かすかに放つ気配に、洞木は立ち止まった。

――こやつ、何者だ?

名奉行と呼ばれているのは伊達ではない、洞木は男が単なる通行人ではないことを察した。
――血のにおい・・・なのか?
洞木は振り返った。
先ほどすれ違ったばかりだと言うのに、すでに男の姿は闇に溶け込み始めていた。

「闇夜に黒ずくめの男か、あまり縁起のよさそうな組み合わせではないな」

洞木はきびすを返すと、男の後を追いはじめた。
ちらっと、ヒカリたちの顔が胸に浮かんだ。

「すまんな、ちょっとばかり遅れそうだ」

洞木は、心の中でわびた。

距離を開かぬまま、男の後をつける。
洞木のことを知ってか知らずか、男は歩調を変えずに歩きつづける。
どれほど歩いたころだろう、物影より一人の男が現れた。
黒い男だった。

「ぬっっ・・・」

すんでのところで、洞木は刀を抜くところであった。
一瞬、男が二つに分かれたのかとも思った。
しかし、落ち着いて見ると別人である。ただ、黒い着物が同じと言うだけだ。
そして、洞木はこちらの服装には、見覚えがあった。
安物の生地ではないが、かといって高級でもない。
仕上がりも、これといって特徴がないのが特徴といったものだ。
どこにいても目立つことのない格好である。
ひとつ目に付くところと言えば、襟元の紋だった。
半分になった木の葉、無花果の葉の紋である。
音流布の紋であった。

「お城の方か・・・」

刀に手をかけたままの洞木の問いに、男は無言でうなずいた。

「何かご用かな?そうでなければ、先を急いでいるので失礼する」

「洞木キンシロウ様・・・ですね」

ほとんど口を動かさないまま、男はそう言った。

「ああ、そうだが・・・」

ゆっくりと、洞木は刀から手を下ろした。
しかし、警戒を解いてはいない。

「先ほどの男は、洞木様のお役目とは無関係でございます。
なにとぞ、お引き取りいただきますよう、お願い申し上げます」

「ほおぅ、ではあなた達が捕らえるというのか。
それとも、ひょっとしてそちらの手のものということかな」

洞木は目を細めて、男をジロッとにらんだ。

「それに答える権限は、わたしにはありませぬゆえ」

「なるほどな。この件は、殿もご存知かな」

「あいにくと、それも申し上げられません。
ですが、この件で洞木様にご迷惑をおかけしないことだけは、約束できます」 

――ふむ・・・

洞木は考え込んだ。

――また、殿がなにやら始めたのだろうか。まったく、あのお方にはいつも振り回されるな。
 何をお考えなのか?・・・掴みどころがない方だ。

「あの男が、町の者に危害を加えるということはない、ということですかな?」

「そのようにお考えいただいてよろしいかと」

男は、洞木の目をじっと見詰めたまま、そう言った。

――ふむ・・・

再び考え込んだ後、洞木は、

「あなたの言葉を信じることにしよう。
ただし、もし嘘であったその時には・・・」

カタリ

洞木の刀が、小さく鍔鳴った。

「その時には、どうぞご随意に」

男は小さくうなずくと、一礼と共に路地へと姿を消した。

しばらくの間、立ち尽くしていた洞木は、ふと夜空を見上げた。
満天の星空であった。

「降るような星だな」

そう一言つぶやくと、洞木は家へと足を向けた。

 

-----------------------------------------

 

「ああ、おいしかった。ユイさまの料理って最高だなぁ」

結局、晩御飯をごちそうになったシンジである。
ユイの手料理に、大満足のようすだ。

食事の後、父親であるコウゾウ左エ門に会ったのだが、
「仕事がまだあるから」
と言われ、先に一人で帰ることにしたところである。

「ぼくも明日のお弁当、がんばらなきゃ」

シンジは懐の中から卵を取り出した。
特訓での戦利品である。

「ちょっと工夫してみたいけど、アスカは普通の卵焼きが好きだからなぁ」

アスカが好きなのは、”普通の”ではなく”シンジの作った”卵焼きなのだが、
そうとは知らぬシンジは、調理法を考えこんでいた。

――擂った山芋を混ぜると、ふっくらと仕上げるっていうから、やってみようかな?うーむ

「おや、シンジの助ではないか。いま帰るところか?」

出口に向かって廊下を歩くシンジを、呼び止めるものがあった。
ゲンドウの守である。

「はっ、はい、これから帰ります。殿、今日はごちそうさまでした」

緊張した面持ちでシンジが答えた。
シンジは、小さい頃からゲンドウがどうにも苦手だった。
これといった理由があるわけではない。
しいていうならば、自分の心を見透かしているような、色眼鏡の奥の目がどうしても馴染めなかった。
そのくせ、自分の感情は他人には悟らせない。そこも、苦手である。

もっとも、ゲンドウはそんなシンジの態度など気にかける様子もない。

「なに、礼ならばユイに言うといい。で、美味だったか?」

「はい、もちろんです。とってもおいしくて、大感激です。
毎日あのご飯が食べられるなんて、殿と姫さまがうらやましいです」

「そうであろうな。
ユイの料理の右に出るものは、音流布広しといえども、まずいないからな」

ゲンドウが、にこりともしないまま軽くうなずいた。
もっとも、愛する妻を誉められて、内心はご機嫌なのである。
シンジは知るよしもなかったが。

「おぬしの腕前もなかなかだと聞いているぞ。
アスカがお弁当のことを、喜んで話している。きょうのおかずがどうだったとかな」

「えっ、本当ですか?いつも文句ばかり言われてるんですが・・・」

はてな、とシンジは首をかしげた。

――でも、本当だったら嬉しいな。アスカが喜んでいてくれたなんて・・・

こちらも、内心ご機嫌であった。

「今宵は月も出ていない。気を付けて帰るのだぞ。
門番に言って、灯かりを貸してもらうといい」

「はい、ありがとうございます。では、失礼します」

ゲンドウの言葉に、シンジはペコリと頭を下げた。

――ふうっ、なんか疲れたな

そんなことを考えながら去って行くシンジの後ろ姿を、ゲンドウはじっと眺めた。

「気をつけるのだぞ。月のない夜だからな」

そして、にやりと笑った。

 

------------------------------

――そうか、アスカがぼくのお弁当を気に入っていてくれたんだ

そう思うと、シンジは笑みがこぼれてきた。
お城の内堀沿いを歩く。夜風が心地よかった。

「なーに、ニヤニヤしてんのよ。バカシンジが」

暗闇からの声に、シンジは驚いてピョコンと飛び上がった。
よくよく知っている声だった。

「変なこと考えてたんじゃないでしょうね、まったくいやらしいわね」

アスカがシンジの前に立ちはだかっていた。
腰に手を当てて、疑わしい目つきでシンジをにらみつけている。

「ちっ違うよぉ、そんなんじゃないってば」

「じゃあ何なのよ、言ってみなさいよ?」

――どうせ、お母さまのことでも考えていたんでしょ。
 晩御飯のときも、お母さまとばっかり話しててさ・・・
 どーせ、わたしは料理が出来ないわよ。なにさっ、フンッだ

シンジが、しきりに『おいしい、おいしい』と喜んでいたのが、気に入らないようだ。
せっかくの一緒の晩御飯だったのに、シンジの心が自分の方を向いてないようで、さみしかったのかもしれない。

「さっきから考えていたのは、アスカのことなんだけど・・・」

「ええっ!!」

アスカがパッと破顔した。

「帰り際に殿と話していたら、アスカがぼくの作ったお弁当を誉めてたって、教えてくれたんだ。
ねぇアスカ、本当なの?」

「えーとぉ、悪くないっ・・そうよ悪くないって言っただけよ。
購買で売っているお弁当よりはましだけど、豪華さが足りないわ。
わたしを満足させたいんなら、もっと腕を上げてもらわなくちゃね」

――ああもう、なんでいつも憎まれ口をたたいちゃうんだろ。
 素直に、大好きっていえばいいだけなのに・・・
 あっ、もちろん『お弁当』が大好きなのよ。
 変な勘違いしないでよね

誰に向かってか、慌てて言い訳をするアスカであった。

「そっかぁ、まだまだか・・・よーし、明日を期待しててよね。がんばるから」

アスカの言葉は、逆にシンジの料理への情熱を燃え立たせたようである。
剣術の特訓以上に力が入っている。
やはり、刀より包丁を握っているほうが、しっくりくるらしい。

「じゃあまた明日ね、アスカ」

「ちょっと待ちなさいよ」

立ち去ろうとするシンジを、アスカが呼び止めた。

「今夜は月も出てなくて足元が危ないから、わたしが送っていってあげるわよ」

「うっ、うん。でも、送ってくれるのはうれしいけど、ぼくの家に着いてからアスカはどうするのさ?」

「もちろん、あんたがお城まで送っていくのよ。まさか、わたし一人で帰らせる気じゃないでしょうね」

アスカは当然といった顔つきだ。

「そりゃ、送っていくけどさ。でも、その後ぼくはどうすればいいの?」

「さあ?男なんだから一人で帰れば」

「・・・なんか、わかったようなわからないような・・・」

理屈が通っているんだかいないんだか、よくわからないような会話に、シンジは首をひねった。

「さぁ、もう夜も遅いんだからとっとと行くわよ。ボーッとしてると、置いてくからね」

アスカが、シンジのそでを引っ張った。
せっかく一日一緒にいたのだから、もうしばらくシンジのそばにいたい。
シンジを送り、そしてシンジに送らせれば、一緒にいる時間はなんと通常の2倍(当社比)!!

――あたしって、あったまいい〜!!

心の中で、Vサインを掲げるアスカだった。

「わかったよ、アスカ。じゃあ、帰ろうか」

門番に借りた提灯を右手に持ち、シンジは家へと歩き始めた。
音流布の紋が入ったその提灯が、夜道を照らし出す。
そして、空いている左腕に、アスカがそっと自分の右腕を絡める。

「アッ・・アスカ!?」

突然のことに、シンジは驚きの声をあげた。

「なにビビってんのよ。大丈夫よ、噛みつきゃしないから」

「だって、アスカがいきなり腕を組んでくるから」

「言っとくけどね、灯かりを持っているのがあんたで、暗くて歩きにくいからよ。
わかったぁ、それだけの理由なんだからね」

「はいはい、わかってるよぉ」

クスクスと笑うシンジである。

「なーに笑ってんのよ、文句あんの?」

「ないよ。でも、知ってるんだ、本当の理由は歩きにくいからじゃないってことを」

ドキッ

アスカは、自分の顔が一瞬にして熱くなったのを感じた。
提灯の灯かりに照らされたその顔は、おそらく真っ赤であることだろう。

「アスカが腕を組んできた、本当の理由は・・・」

「本当の理由は・・・?」

シンジに絡めたアスカの腕に、ギュッと力が入る。

「本当の理由は、オバケが恐いからだろ。
アスカは小さい頃から、オバケが苦手だったもんね。
まさか、いまだに苦手だとは思わなかったけど」

「あたしは、幼稚園児かいっっっっ!!」

アスカは、思いっきりわめいた。

「あんたってまるっきりのバカね。よくもそんな下らないことを考え付くもんだわ。
ほんとっ感心しちゃうわよ」

「いやぁ、それほどでも」

あーはーはー

シンジはお気楽そうに笑った。

「誉めてないわよっ!!」

アスカはプイッとふくれた。

――まったく、何を言い出すかと思えば・・・
 期待して損しちゃったじゃない

自分が勝手に勘違いしたことは棚に上げて、むくれているアスカである。
腹立ち紛れか、シンジと組んでいるアスカの腕に、ギュッと力が入った。

――ほーら、アスカったら口では強がっているくせに、意外に怖がりなんだよな。
 人間相手には強いけど、オバケとかの理屈に合わないものは、ほんと苦手なんだから

アスカがしがみついてくるのはオバケが恐いからだと、シンジはすっかり勘違いしている。
大丈夫だよ、とばかりにシンジの腕に、心持ち力が入る。
そしてさりげなく、もう半歩アスカに近づいた。
シンジの行動にちょっと驚いたアスカだったが、ごく自然にシンジに身を寄せた。

しばらくの間、二人は無言のまま歩きつづけた。

――アスカも、こうして静かにしてるとかわいいなぁ。
 学校の男連中が騒ぐのも、無理はないか

ぼんやりと、シンジはそんなことを考えた。
アスカの横顔を、チラッと見詰める。
美しい横顔だった。

――でも、勝ち気で口うるさい方が、やっぱアスカらしいや。
 ぼくは、いつものアスカの方が、好きだな
 そういえば、いつも怒鳴られたり叩かれたりしているのに、
 どうして、一緒にいるとこんなに心が落ち着くんだろう・・・

今日のぼくはどうかしているのかな、とシンジは思った。
ほんのちょっとだけど、アスカのことが妙に気になる。
アスカに触れている腕が、とても暖かかった。
どうしてなのだろう?

「きっと、星がきれいだからだな」

シンジは、空を見上げて言った。

「えっ、なんのことよ?」

つられて同じように空を見上げたアスカは、言葉を失った。
満天の星空であった。
光の点が夜空を埋め尽くすかのようだった。

「わー、すっごーい」

久しぶりに見上げた星空に、アスカは感激していた。

「今日はいい天気だったからね、空気も澄んでるんだと思うよ」

「ほんとキラキラしてる。明るくてきれいね」

「でも、もっときれいなものがあるよ」

「えっ?・・・・・・・」

どういう意味だろうかと、アスカはシンジの顔をのぞき込んだ。
シンジは、微妙にその視線をずらす。
ほんの少し恥ずかしそうな顔だった。

アスカはそれ以上何も聞かなかった。

――世界中に、自分たち二人しかいないみたいだな

静かな夜道の中、シンジはふと思った。

「ねぇ、アスカ」

「なぁに、シンジ」

「うん、呼んでみただけ」

「そう・・・・・・」

優しく微笑むアスカだった。

「ねぇシンジ」

「なんだい、アスカ」

「わたしも、呼んでみただけ」

――このまま時間が止まってしまえばいいのに

アスカは、もうじきシンジの家に着いてしまうのが、残念だった。

しかし、彼女の願いを星が聞いていてくれたのだろうか。

時間は、止まらないまでも、とてもゆっくりと流れていた。

「そこの少年。冬月シンジの助・・・だな」

二人に、いやシンジに声がかけられた。
暗闇から、一人の男が抜け出してきた。
全身黒ずくめの中、青白い顔だけが不気味に浮かびあがっていた。

驚きのあまり、返事を忘れたシンジに、男はもう一度問い掛けた。

「冬月シンジの助・・・だな?」 と。

 

つづく       

 

第七話へ    第九話へ    図書室へ戻る

  jion@jion-net.com


「いいわよね、アスカは。いつも冬月君と一緒だし、出番は多いしさぁ」

「うわっ、ヒカリじゃないか。どうしたの突然?」

「だって、ひどいじゃない。わたしは第壱話にちらっと登場してそれっきりなのよ。
殿やユイさまならまだしも、相田君やオリジナルキャラのわたしのお父様より出番が少ないなんて・・・」

「まあ、話しの流れってやつがあるから。もうじき学校に舞台を戻すので、それまで我慢してよ」

「ほんとうですか、それ?」

「うん・・・まあ善処するよ」

「またそんな小役人みたいなことを・・・信用していいのかしら?」

「あーっ、その目は疑ってるな。いいよ別に、そんな態度を取るんなら、ヒカリだけ出してあいつは出さないから」

「だっ、誰ですか、そのあいつっていうのは?」

「ふふーん、わかってるくせに。トウジだよ、トウジ」

「なんで鈴原の名前がここで出てくるんですかっ!?
それに、鈴原が登場しない方が、静かですから、わたしはかまいませんっ・・・」

「ふーん、そうなんだ。ヒカリは寂しくないんだ、トウジが出てこなくても」

「当たり前ですっ。へんなこと言わないでください」

「まーたまた照れちゃって。ヒカリとトウジにも、そのうちいいシーンを用意してあげるからさ」

「そんなの必要ありませんっ!不潔よっ!」

バタバタバタ

「あーあ、帰っちゃった。ちょっとからかいすぎたかなぁ」

ヒョイッ

「わっ、なんだドアから顔をのぞかせて。帰ったんじゃなかったの?」

「あ・・・・あの、やっぱりちょっとだけお願いできますか?」

「へっ??なにを」

「・・・・・・・あの・・・・・・いいシーン・・・きゃー、言っちゃった〜!!」

バタバタバタ

「うーむ、ときどき分からん娘だ・・・
最後になりますが、KENさんから「山芋を混ぜると、卵焼きがふっくらするよ」と教えてもらい、
さっそく書き直しました。KENさん、ありがとうございます。
ちなみに、KENさんのページには他施設への案内板よりリンクがあります。
『エヴァンゲリオンファンタジア』など楽しい小説がいっぱいあるので、ぜひどうぞ!!」

 

  jion@jion-net.com

 ●第九話に行く
 図書室へ戻る
 TOPページに戻る