「お疲れさま。シンジにしてはよくがんばったわね」
「あー疲れた。当分の間、ニワトリは見るのも御免だよ」
この二日間、放課後の戦いを繰り広げていた小屋を振り返りながら、シンジはうんざりした顔になった。
ニワトリの攻撃をほぼ避けることが出来るようになり、ようやく小屋から出ることを許されたのである。
よく見ると、その手には卵を一つ握りしめている。戦いの最中に手に入れたのだろう。
意外に、生活力のあるシンジであった。
「成果はあったんだからいいじゃない。でも、苦戦しただけあって、散々な格好ね。
お化け屋敷に面接でもいってみたら?きっと一発で採用よ」
激しい特訓でズタボロになったシンジを、アスカがからかった。
たしかに、シンジの姿はちょっとした見物であった。
ニワトリのクチバシで元結いがちぎれ、髪はざんばらになっている。
髪の間から見える頬や腕には、引っ掻かれたり突つかれた跡が残り痛々しい。
地面を転げまわったので、着物は汚れ所々破れていたりもする。
なるほど。季節外れの幽霊もかくやである。
「ちぇっ、ひどいんだから。それに、お化け屋敷にはまだ季節が早いよ」
「あら、わたしは一年中やってたっていいと思うけど。五月の幽霊も風流じゃない」
「風流じゃなくても、お化け屋敷は夏に限ると思うよ」
「ふーんだ。つまんない男」
そんなことを言いながら、実はシンジを改めて見直しているアスカであった。
まさか、たった二日でニワトリの攻撃を読み切れるようになるとは、思ってはいなかった。
今まで知らなかったシンジの才能、それが少し見えたような気がした。
――けっこうやるじゃない。それに、最後のあたりは、”ちょっと”だけカッコよかったかな。
もっとも、他人から見ると、今のシンジはただのボロボロだったが。
傾き始めた日差しが、二人を優しく照らしていた。
音流布は今日も五月晴れである
第伍話
”姫さま 次の特訓は?”
アスカは用意しておいた手ぬぐいを手桶に浸けた。
「さあ、ここに座りなさいよ。泥だらけになった顔を拭いてあげる」
「えっ、いいよ自分でやるから」
シンジはアスカの手から手ぬぐいを取ろうとした。
「ダメよ、自分じゃよく見えないでしょう!ちゃんときれいにしないと、あとで傷が腫れても知らないわよ。
ウダウダ言ってないで、さっさとこっちを向いて座んなさい!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るアスカの迫力に押され、シンジはさっと腰を下ろした。
――まったく、アスカときたら短気なんだから・・・
しかし、シンジは知らなかったのである。
アスカの顔が赤いのは、怒っているからではないのだ。
柄にもなく、照れているんである。
傷口を拭くためには、シンジの顔や手に触れなければいけない。
普段、平気で引っ叩いているその頬だったが、改めて手当てするとなると、どうにも勝手が違う。
――意識しすぎよね。ばかシンジの顔を拭くぐらい、なんだっていうのよ。
がんばるのよ、アスカ!!ファイト!!
気合の入ったアスカを見て、シンジはまだ怒っているなと勘違いしていた。
相変わらず、鈍い男であった。
まあ、ああも頭ごなしに怒鳴られては、分からないのも無理はないが。
「あーあ、ここ引っ掻かれたのね、ミミズバレになってる、痛そー!ねえシンジ、痛い?」
口調こそ乱暴であったが、アスカは傷口を痛めないように、シンジの右頬を優しく拭った。
大切なものにふれるような、ゆっくりとした動きである。
「うん、さっきまではちょっとね。でも今はそんなでもないかな」
「そう、よかった。もし、拭いていて痛かったら、ちゃんと言うのよ」
「うん、ありがとう・・・・・・・・・イタっ!アスカ、そこ痛いよ」
傷口を擦ったのか、シンジが悲鳴をあげた。
「あーもう、あんたが動くからじゃない、じっとしてなさいよ。
だいたいね、男なんだから、ちょっとぐらい痛いのは我慢しなさいよ」
「さっきと言ってることが違う・・・」
「ガタガタぶーたれてると、塩でもなすり込むわよっ」
「うっ・・・シンジ負けない!」
ぐっとこぶしを握り、アスカの理不尽に耐えるシンジであった。
右頬を拭き終えたアスカは、シンジの正面に回った。
髪の毛を左手で持ち上げ、シンジのおでこに取り掛かった。
ちょうどシンジの顔を、覗き込むような体勢だった。
さすがのシンジも、アスカの顔が間近にあるのにはどうも落ち着かない。
しかし、変に視線をずらすのもわざとらしく思えて、結局はアスカを見つめる形になる。
――アスカの瞳って、奇麗だな
小さい頃から見慣れている青い瞳だったが、それでもなお引き付けられてしまうシンジであった。
――ミサト先生が言ってた南蛮の宝石”さふぁいあ”って、きっとこんな奇麗な色なんだろうな
そう、彼女の瞳は、まさしく宝石の輝きを秘めていた。
シンジにしては、気の利いたことを思いついたものである。
今のその一言を実際に言っていれば、どんなにアスカは喜ぶことだろう。
・・・もちろん、表面上はいつものように憎まれ口を叩くだろうが。
シンジの視線を感じたアスカは、ひょいっと視線を落とした。
そして、アスカの眼とシンジの眼が合った。
ドキッ
アスカの胸が、唐突に高鳴った。
一瞬、呼吸が止まった。
額に触れている右手から、シンジの体温が伝わってくる。
自分がシンジのぬくもりを感じていることに気付き、アスカの鼓動は一層早くなった。
(自分の心臓の音が、シンジに聞こえてしまうのではないか)
アスカは、どういうわけか、そのことだけが心配だった。
「アスカ、どうしたの?」
自分と眼が合ったまま、固まってしまったアスカを不審に思い、シンジは尋ねた。
「・・!あわわわわ」
シンジの問いかけに、アスカはようやく我に返った。
「ぼくの顔に何かついてる?」
「つっ、ついてるわよ、鼻が一つに目が二つ、おまけに口が一つ」
「・・・ついてなかったら、のっぺらぼうだよ。じゃなくて、どうしたのぼーっとして」
「ん・・ちょっとね。考え事をね、してたの」
「ふーん、何を考えてたのさ」
――あんたのことよ
その一言が、アスカには言えなかった。
代わりに口から出たのは
「決まってるじゃない、明日の特訓の計画よ。
覚悟しときなさいよ、今日みたいに楽な内容じゃないわよ」
「げげっ、冗談だろう。もう合格だって言ってたじゃないか」
「ニワトリの分はね。まさか、あれだけで勝てるなんて甘いことを考えているんじゃないでしょうね」
「考えてないけどさぁ。でも、もともとそんなに勝ちたいって思ってないんだけど」
シンジのぼやきは、後半はささやきになった。
「なーんですって、シーンジー。いま何か言ったー?」
妙にドスのきいた声で、アスカがシンジに迫る。
「うううん、言ってない、言ってない」
ブルブルと首を横に振るシンジであった。
泣く子とアスカには逆らわない。それがシンジの処世術のようだ。
まあ、無難であろう。
「たしかに動きは早くなったし、敵の攻撃も避けれるようになったけど、それだけじゃダメよ。
わたしの分析によると、勝つためには相手を倒さなくっちゃいけないのよ」
「そりゃそうだ」
「さらには、攻撃は最大の防御なりってね。相手を先に倒してしまえば、自分の受けるダメージも減るわ。
大会は、勝ち抜き試合だから、一試合ごとのダメージは少ないほうが、後半戦で有利よ」
「そりゃそうだ」
「体力の浪費も抑えることを考慮すると、一撃必殺が効率いいわね。
戦いは常に無駄無く、美しくよ。で、一撃必殺となると、必殺技が必要になるわけよ。
必殺技を編み出すとなると、血と汗の特訓と相場が決まってるわ」
「そりゃそうーーーじゃないだろ。どうして学校の剣術大会に必殺技が必要なのさ」
「あら、古来から剣豪には必殺技が付き物よ。佐々木小次郎のつばめ返しに義経の八艇飛び、
雷電の稲妻張手、そして児雷也の四六のガマを見なさい」
「後半ムチャクチャだと思うよ」
「うっさいわね。細かいことはどうでもいいの。あと二日で必殺技を身につける。
いいこと、これは決定事項なのよ」
キッパリ!! とアスカは言い放った。
四倍角の太ゴシックで書かれたような”キッパリ”であった。
画面上で言えば、36ポイントぐらいの大きさであった。
しかも、トゥルータイプフォントなので、ギザギザなしの高品位。
このキッパリに逆らえるものがいるとは思えなかった。
ところが、
「アスカがどう言おうと、ぼくはもう特訓を続ける気はないよ。
毎日これじゃ家のことが出来ないし、父上の晩ご飯も作らなくちゃいけないから」
珍しいことに、シンジが言い返してきた。
もはや、家事をしないではいられない身体になっているシンジにとって、
家のことをほったらかしているのが、苦痛のようである。
「別にいいじゃない、金曜日までのことなんだしさぁ。
コウゾウのご飯ならお城で用意してあげるわよ。
なんなら、シンジも食べていってもいいわよ」
思いがけないシンジの反撃にあっけにとられ、怒ることを思いつかないアスカだった。
「駄目だよ。四日の間に、洗い物は溜まるわ、洗濯物は山になるわ、ホコリは積もるわ、
生物は痛むわ、半鐘は鳴るわ、火消しは飛んで来るわ」
「シンジ、後半が落語になってるわよ」
「細かいことはどうでもいいんだよ。ともかく、絶対に特訓はやらない。
いくらアスカの命令でも、絶対にやらないからね!」
キッパリ!!
シンジは言い切った。
48ポイント相当のキッパリであった。
ただ、ビットマップフォントなので、ギザギザが目立つのが残念であったが。
「絶対に特訓はやらないっ!!」
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「さーて、特訓に先立って、必殺技を決めとかなきゃね」
場所は音流布城内の会議室。
普段は、国の政策が論ぜられるこの会議室も、いまはアスカたちの貸し切りだった。
「どっ、どうしてこうなったんだー」
シンジは、がっくりと肩を落としていた。
その左頬に、ニワトリの引っ掻き傷より遥かに目立つ赤い跡。
その赤い跡は どういうわけか人の手の形をしていた。
まあ、どういうわけかもなにも、説明不要であろう。
いつものごとく、である。
「ほらそこ、うるさいわよ。他の人の迷惑じゃない」
「他の人もなにも、ぼくら二人しかいないんだけど」
シンジの訴えは、当然のごとく無視された。
「じゃあ、必殺技開発会議を始めるわよ」
黒板を背にしたアスカが、そう高らかに宣言した。
教訓:やっぱり泣く子とアスカには勝てない。
つづく
おおっ、前回の出番の無さを埋め合わすかのように、全編アスカ姫とシンジのみ。
しかも、前半ではアスカが暴走気味。
まあ、後半は相変わらずですが。
アスカ姫の、シンジラブラブはもう少し先になるはずだったんですが・・・
さーて、どうしよう。
まあ、書いちゃったものはしょうがないか。
「これでいいのだ」
――どこからか、ハチマキを締めた鼻毛の異様に長い男の声が聞こえてきた。
そうだ、これでいいんだ。
これも「姫さま」シリーズの一つの可能性なんだ。
ぼくのやっていることは、これでいいんだー。
「いいわけあるかい、ほんまトロ臭いこと書きおってからに」
「おっと、このインチキな関西弁は、鈴原トウジ君じゃないか」
「誰の関西弁がインチキやと。しょーもないことゆーとったら、いわせてまうで」
「・・・まあ、さっきの発言は取り消すよ。(でもインチキくさいけど)
ところで、シンジやケンスケは剣術大会に向けて特訓中だけど、
トウジは何もやっていないの。話には一切出てこないけど」
「ふん、あんな一文にもならんこと、しょーもなくてやってられるかい。
だいたいわしはな、家の商売の手伝いで毎日忙しいんじゃい。
のんびり特訓なんぞしとる暇はないんや」
「ふーん、トウジの家は商売をやってるんだ」
「そうや。うちのお父んはもともと浪速でも腕利きのアキンドやったんや。
そこへゲンドウの殿はんから、音流布の経済発展に協力して欲しいとかなんとか
頼まれたらしくてな。わしが小さい頃にこっちに引っ越してきたっちゅうわけや」
「なるほど、それでいい加減な関西弁なんだ」
「まだゆーとるんか。しつこいやっちゃのう。
まあたしかに、こっちに来てから生まれた妹はすっかりこっちの言葉やけどな」
「トウジの親の仕事を聞いたから、ついでに他のみんなについても聞きたいんだけど」
「うん?そうやな、ええやろ。
まずは惣流や。正直、わしも詳しゅうは知らん。両親ともお城に住み込みで働いとるらしいけどな。
イインチョやったらもうちょっとしっとるやろ。
惣流ときたら、次はシンジやな。シンジのお父んは家老の冬月さまや。なんでもえらい厳しい人らしいで」
「うん、そうらしいね」
「ケンスケの父親は、これもしっとるかもな。相田シュウサクちゅうて、この国で一番の剣豪や。
町で剣術の道場を開いとる。余所の国からも弟子入りしてくるぐらい繁盛しとるらしいで。
うらやましいこっちゃ」
「剣術の道場でも、繁盛って言うんかいな。まあ、ええけど・・って移ってまったがな」
「ハハハ、アホくさ。
で、最後がイインチョやけど、お父んはなんと南町奉行のお奉行さまや。
まあ、イインチョが規則に口やかましいのはきっと血筋やろ。
でも洞木さまは、人情味のあるお裁きをする、評判のええお方やけどな。
そこらへんが、大きな違いや」
「ヒカリもいい娘だと思うけど」
「まあ、料理は上手いわな。でも、ああ口うるさいとかなわんわ」
「はいはいはい。(まったく・・・)
今日はどうもありがとうございました」
「いえいえ、なんのお構いもしませんと。
まったく、この家はお客にお茶の一杯も出さんのかいな」
「うーっ、今度くる時は用意しておくよう善処するよ」
「なんや役人みたいやなぁ」
「そりゃ、文化会館の館長だからね、こんなもんさ」
「まあ期待せんと、待っとるわ。ほな、さいなら」
「はい、さいなら。
あー、やかましい奴やった。ようやくと静かになったわ・・・ってまだ移ったままやーーー」