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2005年03月01日

『悪い奴ほどよく眠る』 課長補佐の復讐(最近は“帰還”だっけ)

『悪い奴ほどよく眠る』(1960) 日本 150分

監督:黒澤明 製作:黒澤明、田中友幸 脚本:小国英雄、久板栄二郎、黒澤明、菊島隆三、橋本忍 撮影:逢沢譲 美術:村木与四郎 音楽:佐藤勝
出演:三船敏郎、森雅之、香川京子、三橋達也、志村喬、西村晃、藤原釜足、笠智衆、宮口精二、菅井きん、田中邦衛

 先日、西武鉄道前社長小柳氏が首吊り自殺をした。
西武グループといえば大量の株売却や有価証券報告書への虚偽記載など会社ぐるみでの悪事に検察特捜部のメスが入っているところだ。当然、その西武事件における多くの事実を小柳氏は知っていたはずだ。氏が自ら命を絶ったことによって捜査のいくつかはそこで行き詰まってしまうのだろうか。
だとしたら、小柳氏は命を投げ打ってコクド会長の堤氏などを守ろうとしたのか。一種の生け贄にされたのか。もちろん、精神的に追いつめられて発作的に自殺したこともありえるが。
 企業や政治家などが悪事を働いた場合、そのトップに近い人物、例えば会長に対する社長とか代議士に対する秘書などが自殺し、そこで捜査が事実上ストップして事件がうやむやになってしまうことが時々ある。実に日本的構図で、しかも命を絶った人物を組織への忠義心が強かった様な表現をすることすらある。そんな馬鹿なことがあるはずがない。たかが会社、たかが政治家のために自殺するぐらいなら記者会見でも開いてすべてをしゃべりまくって必要なら刑務所にでも入る方がずっとましだ。

 土地開発公団が不正入札汚職で揺れ動く渦中に、ある課長補佐が飛び降り自殺をした。その死によって捜査はうやむやに終わってしまった。
それから数年後、一人の青年が公団副総裁の娘婿となり秘書として公団に潜り込む。青年の正体は自殺した課長補佐の息子で公団における汚職の全貌を調べ上げ世間にぶちまける腹づもりなのだ。
地道な調査で少しづつ明らかになっていく汚職の構造や公団と建設会社などのつながり。しかし、何者かが事件を調べていることに気付いた公団側も行動を起こし・・・

 社会派作品と思われているが実質的にはアクション映画だろう。分かりやすいストーリーに分かりやすい登場人物。志村喬や西村晃など公団側の悪党連中が会すると、現代劇というより時代劇の悪代官と廻船問屋の密会のようである。
青年(三船敏郎)の行動理由が社会正義ではなく父親の復讐であり、“仇討ち”という古典的テーマに則っている。これで、全ての証拠を手に「お前が父を殺したな」と公団副総裁の森雅之に詰め寄ったら、黒装束の森が「違う、わたしがお前の父だ(I am your father.)。コーホーコーホー」と言い出してラストのどんでん返しになったら大笑いだったのだがなぁ。
でもって実は今作のサブタイトルが『公団の逆襲』で次回作の『課長補佐の復讐(最近は“帰還”になったんだっけ?まあどうでもいいが)』へと続く。

 実際のラストは作品を観てもらうとして、結局何が言いたいのやら。実際の社会は活劇のように分かりやすくはなく複雑で理不尽だとでも言いたかったのか。しかし、逆にいかにもありがちなラストになっており、わたしとしては好みではない。1960年当時は衝撃的だったのだろうか。
ただ、『悪い奴こそよく眠る』につながっていく最後の締め方は上手い。
ふう、今夜も悪い奴らはよく眠っているのだろう。こちとら不眠症だというのに。コーホーコーホー、あー『スター・ウォーズ ダース・ベイダー ボイスチェンジャー』欲しいなぁ。

2007年01月18日

『笑う大天使(ミカエル)』 駄目な脇役が映画を殺す

B000JMJU7S.jpg『笑う大天使(ミカエル)』(2005) 92分 日本

監督:小田一生 アクション監督:谷垣健治 プロデューサー:宮崎大、柴田一成 原作(?):川原泉 脚本:吉村元希、小田一生 撮影監督:岡田博文 美術:花谷秀文 衣裳:北村道子 VFX:小田一生 VFXスーパーバイザー:木村俊幸
出演:上野樹里、伊勢谷友介、関めぐみ、平愛梨、松尾敏伸、菊地凛子、加藤啓、村木仁、伊藤修子、佐津川愛美、谷村美月、キタキマユ、宮下ともみ、松岡璃奈子、広川太一郎

 白泉社文庫で刊行されている川原泉作品はそれなりに持っているし、最近は『レナード現象には理由がある』を買った。その程度の川原泉ファンだ。
 その川原泉原作『笑うミカエル』の映画化である。といっても、前々から言っているように原作は原作、映画は映画。媒体も違うし別物になって当たり前。原作と違うじゃないかとかイメージが狂いすぎなんて野暮なことは言わない。
 オレが気にするのはただ一つ。その映画が面白いかどうかだ。

 自慢じゃないがオレは日本の芸能界にてんでうとい。テレビを見ない生活なので若手の俳優や歌手なんかはさっぱりだ。
 だから、この作品の主役である三人の女性俳優の顔も名前も知らない。上野樹里、関めぐみ、平愛梨って言われても本気で欠片も知らない。だから、彼女たちのことを観客が知っているのが前提のギャグが寒い、つらい、笑えない。それ以外のギャグもこれは笑ってあげるべき何だろうかと思わず助けの手を伸ばしたくなるほどだ。ひどい。
 アクションもひどい。あそこまで派手にやってくれること自体は嬉しいのだが、いちいち決めのポーズが多すぎる。ちょっとやっちゃ決め。ちょっとやっちゃ決め。歌舞伎じゃねーんだからさ。格闘アクションというのはリズムが命の、いわば情熱的ダンスなのだ。
 アクションに入るまでのテンションの持って行き方は悪くないので、そこから動きの流れを途切れさせずにリズムを大切にして欲しかった。製作期間の問題もあるのかもしれないが、アクション部の編集がちょっと雑で、もっと練り込む余地があるようだ。せっかく主人公たちがそれなりにがんばっているので残念。

 一番の問題は、脇役がまったくもって冴えないと言うことだ。
 まず、この物語は名門お嬢様女子高校に3人の猫をかぶった偽お嬢様がいるという話である。ということは、その3人以外は本物のお嬢様であるはず。ナレーションや登場人物のセリフではお金持ちの娘=お嬢様ではない。気品と知性に溢れ、優雅さと慎ましやかさを兼ね備えた精神面が重要なのだ。
 だというのに、そのお嬢様たちが渋谷か原宿にいるそこらの女の子を連れてきてだけにしか見えない。それっぽい服を着せてナチュラルメイクにしただけ。立っているだけ、座っているだけでもきついが、歩いたり話したりの動作が加わると、もう全然駄目。特に歩くシーンが駄目だった。ドタバタ歩きたいのを抑えてなんとか静かに歩いている振りをしているだけ。これでは単なるコスプレにしか見えない。
 もちろん、現実のお嬢様なんてのはUMA的存在だ。だから監督は「ファンタジーだよ」とでも言い訳するかもしれない。だがスクリーンに映し出されたのは「お嬢様」のグロテスクなパロディだ。
 もっとも男たちは男たちで、お前らそろいも揃ってホストか!と言いたくなるような顔と口調と動作。
 名門お坊ちゃま男子高校生映画なんて撮ったら「お前ら、ホスト予備軍か!」ってな映画になるんだろうな。どうせ、主役はジャニーズだろうし。

 これはオレが日本人だから日本映画により点が辛くなってしまうというのもあるかもしれないが、日本映画の脇役を演ずる俳優層の薄さというのはかなりつらいものがある。
 イギリスの名門校を舞台にした映画だと脇役たちもちゃんと上流階級の子息に見えるんだか、これはオレが日本人だからか?
 脇役というのは、ストーリーに直接関わらない背景的な小さな役でも必要だからそこにいるのだ。この作品では記号的にそこにお嬢様という属性を持ったコマや教師という属性を持ったコマを配置しているに過ぎない。
 日本映画には良い脇役が足りない。それは映画を殺す。