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2004年06月12日

『あずみ』

『あずみ』(2003) 監督:北村龍平 出演:上戸彩/原田芳雄/北村一輝/松本実/オダギリジョー/岡本綾/榊英雄/伊武雅刀/佐藤慶/竹中直人

あの超ウルトラスーパーデラックス駄作な『VERSUS』から考えると、それなにましになっていた『あずみ』
『RED SHADOW』や『梟の城』よりはとりあえず面白かった。比較する相手がアレだって気もするが。

ただ、全体的にダラダラ長い。
衝撃のラスト50分って、おいおい普通10分とか15分だろ。そもそも142分ってのが長い。もっと切って2時間以内に収めるべき。
話題(問題)の200人斬りもどうにか形にはなっていたが間延びした印象ではっきりいってだれる。それに敵の数は200人ぐらいだが、実際に斬っているのはその半分もいない。映画『ジパング』の50人斬りよりはましだが、松竹版『座頭市』のラストの殺陣のアイディアの豊富さには足元にも及ばない。あれは数十人相手だったが、一人で戦うにはそれぐらいまでじゃないと劇画的とはいえリアリティがないだろう。
でも、まぁアクションはそれなりに楽しめるかなぁ・・・

もっと宿場の造りなどを活かして人を動かし、工夫したアクションシーンを見せて欲しかったものだ。
カットを細かくしたり、移動撮影でカメラを動かしたり、役者が素早く動くことが、速いアクションであると勘違いしているのでは?
全体的に工夫が足りない感じだ。

爺役の原田芳雄がかなり映画を引き締めてくれる。さすがは名古屋を舞台にしたハリウッド映画『ハンテッド』で主演のクリストファー・ランバートに剣の道を教え、襲い来る悪人どもをぶった斬ってただけある。
若手もがんばってはいるが、どうもフラフラした感じでち様になっていない。
あずみの心理面の演出はかなりいい加減ですが、原作のあずみ自体がつかみどころのないキャラクターですのでまぁいいのだろう。 北村に人物描写の演出が出来る出来ないはまた別問題だが。

ともあれ、この作品でハリウッド進出は無理だろ。

『おもひでぽろぽろ』

『おもひでぽろぽろ』
(1991)  監督:高畑勲 脚本:高畑勲 声の出演:今井美樹/柳葉敏郎/本名陽子/寺田路恵/伊藤正博/北川智絵/山下容里枝/三野輪有紀/飯塚雅弓/増田裕生

(*以下は公開当時に書いた文章である)
思い出として語られる昭和41年のパートは話としては特に意味はない。ヘタをすれば、ただ懐かしいとしか観客は思わない。 懐かしいは懐かしいと言うだけの事なので、それだけは面白くも何ともない。
だが、昭和57年のタエ子が現在の自分について語り始めるとき、昭和41年は彼女の持つ背景であり、血であり肉であることが分かる。
昭和41年、彼女は肉体的な転換を目前に控えていた少女だった。
そして昭和57年、一人の女性の精神的な転換のお話が始まる。
割と裕福であろう家庭に生まれ育ち、ごく普通のOLになったタエ子という女性がいる。自分という人間はいったいどういう人間なのか、自分は何のために生きているのか?彼女は自分の仕事や自分の将来に、漠然とした疑問を抱えたまま都会で生きている。
その疑問が彼女を農村へと導く。
彼女は紅花を摘む。
そして、農業賛歌、田舎賛歌が始まる。
うーん、田舎はいい。

農業はいい、田舎はいいといっても、それは都会の人間だから言えるのである。実際にそこに暮らしている人間には、苦しいことも悲しいこともあるというのが現実である。
田舎の暮しを楽しんでいた彼女に、突然その現実が突きつけられる。お客として田舎にいるのではなく、そこで暮らす者として田舎にいることもできるという現実だ。
彼女だって農業の苦しさとかつらさは、理屈では分かっている。ただそれは、彼女にとってリアルではなかった。それは、彼女の問題ではなかった。

夢が現実たりうることに直面時に、彼女は今までの自分を責め、恥じるのである。自分の甘さや弱さを、正面から突きつけられたからだ。
これは、彼女だけの物語ではない。
これは昭和が終わり平成になった、という物語でもあるのだ。
そのためにも昭和41年は語られる。
その年に代表される昭和というものが彼女の世界である。
そして彼女は、その世界に疑問を持ち始めた。 昭和というものが積み上げてきた物に、彼女は疑問を持った。
そして昭和は終わった。
平成という時代が始まり、今までの自分ではない自分、別の生き方をしている自分という存在に、彼女は気付いた。
だから彼女は農村へ行く。
戦後の日本が作り出してきた物に対して、「それって、なんかヤダ。」と言うために。
そして平成が始まる。
この映画は、昭和という戦後日本が過ごしてきた時間が終わり、平成という新しい時代になったということを、初めて明確に打ち出した映画である。
とにかく、私はそう思うのである。

この映画では、恋愛も描かれる。
話としては、手を握ることも、「好きだ。」と口に出して言うこともない。
だが、立派に恋や愛を描いている。純愛と言うものを連想する人もあるかもしれない。しかし似て異なるものである。
ここでは、ゲームとしての恋愛や、幻想としての恋愛は描かれない。
一言「好きだ。」と言ってしまえば、そこからの人生が変わってしまうのだ。
それがいいと言っているのではない。
この映画の中で描かれているのは、そういう事だと言っているのだ。
彼は車の中で、彼女の手を握ろうとする。だが握らないのだ。決して”握れない”のではない。”握れない”では、一人よがりの恋愛映画にしかならない。
この映画は、日本について語っている映画でもある。それは何よりも、人々の顔の描き方に現れている。日本人の顔と言うものが描かれているのだ。
「おもひでぽろぽろ」では日本人の顔の優しさに重点を置いている。頬の下の線が印象的だが、これは人々が笑っている時に特に強調される。つまり、微笑みと言うものが描かれているということだ。
実際、登場人物はみんなよく笑う。 笑顔が、一番素敵な表情だ。たぶんそう言っているのだろう。
新しい現実を受け止めたタエ子は、今までの自分に別れを告げ、再び転換の時を迎える。
「さなぎ」は孵り、列車の中に小学5年生のタエ子達が現れる。
こうして、タエ子は農村で暮らすことになった。百姓として大地と共に生きることを選んだのだ。
これからの彼女達の人生には、いろいろと苦しいこともあるだろう、悲しいこともあるだろう。
だけど僕らはくじけない、なんである。
泣くのはいやだ笑っちゃおう、なんである。

2004年09月29日

『伊勢湾台風物語』 台風が来る、ものスゴイ奴

『伊勢湾台風物語』(1989) 88分 1989/11鑑賞

監督:神山征二郎 演出:岩本保雄 製作:瀬戸義昭/山田昭男/伊藤叡 企画:加藤潤一 原作:神山征二郎 脚本:神山征二郎 撮影:藤田正明 美術:門野真理子 編集:尾形治敏 音楽:針生正男 作画監督:北崎正浩
声の出演:小山茉美/戸田恵子/戸谷公次/堀秀行/杉山佳寿子

まーた台風だ。
2004年9月29日20:00現在、愛知県は台風21号が直撃中で猛烈な風雨である。本当に今年は台風のビンテージイヤーだ。こんなビンテージははっきりいっていらない。
台風と映画といえばアニメ『伊勢湾台風物語』(1989)だろうか。
東海地方で風雨と高潮によって5000人を超える死者・行方不明者を出した伊勢湾台風。その伊勢湾台風が襲ってきましたよ大変でしたよ、と要約すればそれだけ。監督だけでなく原作や脚本まで神山征二郎なので、良心的である事は認めるが例によってそれ以上の物はない。
伊勢湾台風の記憶を無くすな、その恐怖を語り継げという意図は分かるが、映画には画がある分だけスペクタクルの傾向が強くなり媒体として向いていないだろう。しかもアニメだ。小説や児童書を使った方が訴える力は強いだろう。
わたしは多くの死者を出した半田市で育っており、海に近い地区では所々に伊勢湾台風での浸水位を示す標識が建っている。大人の身長よりも高かったりするので、子供心に「これは確かにただ事ではなかっただろうな」とその恐ろしさを実感した。そのときの思いの方が『伊勢湾台風物語』を観たそれよりも強かったりもする。もっとも、子供向けに作った映画を二十歳にもなって観てるからかも知れないが。何で観たんだろうな~俺。
小山茉美や戸田恵子など声優が結構豪華だが、実は二人とも伊勢湾台風の被害地である愛知県出身。戸田恵子は名古屋市、ナレーション担当だった小山茉美は確か西尾市。
しかし、この作品は名古屋では確かヘラルド系でやったような気がするが、愛知県以外でも上映されたのだろうか。小学校などの学内上映中心かもしれない。DVDはおろかビデオ化すらされてるか怪しい。

2004年11月07日

『エノケンの孫悟空』 DVDソフトが出ないのはディズニーのせいだろうか

『エノケンの孫悟空』(1940) 140分

監督・脚本:山本嘉次郎 製作:滝村和男 原作:山形雄策 撮影:三村明 編集:岩下広一 音楽:鈴木静一、栗原重一 特殊技術撮影:円谷英二、奥野四郎
出演:榎本健一、岸井明、金井俊夫、柳田貞一、北村武夫、清川虹子、高峰秀子、中村メイ子、徳川夢声、李香蘭

日本が太平洋戦争前年である昭和15年(1940年)に製作された作品である。面白いと噂には聞いていた作品だが、なかなか観る機会を得られず、NHKBS2で先日放送されたのでやっと観ることができた。なるほど、歌あり踊りありで実に楽しい。
対象は子供向けで、『西遊記』をベースにはしているものの主要登場人物と天竺を目指すという目的以外はかなりアレンジが加えてある。すでに大陸では日中戦争が始まっている時勢もあってか孫悟空が乗るのは筋斗雲ではなく如意棒を「イー、リャン、サンッ」のかけ声で変化させた戦闘機になっている。ラスト近くには敵の戦闘機とのドッグファイトまで用意されている。
他にもSF的要素が満載で、はぐれてしまった猪八戒を捜すために三蔵法師が手鏡にえいっと念を送るとそこに捕らえられ縛られた猪八戒の姿が映し出され、孫悟空が「こりゃあ大した術ですね」と感心すると、沙悟浄は「兄貴、遅れてるなぁ。これはよぉテレビジョンっていうんだぜ」とからかう。1939年にNHKがテレビの実験放送公開を始めたそうだから、最先端のネタを盛り込んだようである。映画を観た子供のほとんどが実際のテレビを見たことはなかっただろうから、遠くの出来事をリアルタイムで見ることのできる“テレビジョン”というのは未来的に映ったことだろう。
後半の、スズメが化けた妖怪たちのお城には40インチクラスのモニターまで設置されており、城内の映像が映し出され監視に使われていた。もちろん当時そんなサイズのブラウン管があろうはずもなく、単なる合成なのだがその特撮を担当したのが後に日本特撮の大家となる円谷英二だけあって様々なアイディアが見て取れる。

エノケンこと榎本健一は歌劇出身のボードビリアンで、映画出演も多いが本来の活躍の場は舞台だった。自ら主催するエノケン一座での歌と踊りをふんだんに盛り込んだレビューで有名だった。
『エノケンの孫悟空』でもちょいとしわがれた感じの得意ののどを鳴らし、他の出演者も歌って踊る。セットや衣装も豪華で面白い。それと同時にこういった面白さはやはり過去の物だよなとも思う。いまだにこういった具合のをやっているのは『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995)のインド映画ぐらいではないだろうか。
歌われる歌には、『星に願いを』(ピノキオ)、『ハイホーハイホー 七人の小人の歌』(白雪姫)、『狼なんかこわくない』(三匹のこぶた)などディズニー映画の替え歌が何曲か登場する。『エノケン孫悟空』がこれまでDVDはおろかLDでもビデオでも出ていないようなのはこのせいだろうか。なんってったって著作権にはうるさいディズニーだ。当時は敵対国ということで著作権も何も関係なかったんだろう。1940年まだ真珠湾攻撃の一年前で敵性語の排斥などが行われておらず、ハリウッド映画も一般的に観られていたということでもあるだろう。
この作品は1940年に作られた過去のモノクロコメディー作品というスタンスで観て楽しめたが、劇中に替え歌が出てくるようにディズニーの『白雪姫』(1937)や『ピノキオ』(1940)は同時代の作品である。それを考えるとその国力の差が実感でき、そりゃ太平洋戦争は勝てなかったはずだ。
戦争中に国揚映画を撮るためにシンガポールに行った小津安二郎が当地で『風と共に去りぬ』(1939)を観て、そこに投入された物資や人の数そして膨大であろう予算から「この戦争は勝てないな」と感じたという話がある。もちろんこれは映画として『風と共に去りぬ』が優れているといった話ではないのだが。

作中には中国でロケしたと思われる広大な平原や巨大な断崖などが登場する。
そういえば、後に堺正章(孫悟空)・夏目雅子(三蔵法師)で1978~1979年にテレビドラマ化された『西遊記』でも日中国交回後ということで特別に許可されての中国ロケシーンがあった。
この二つの中国ロケの性質の差は時代の差でもある。

2004年11月21日

『エスパイ』 戦う超能力者

『エスパイ』(1974) ESPY 94分 2004/11/20レンタルDVDにて鑑賞

監督:福田純 製作:田中友幸、田中文雄 原作:小松左京 脚本:小川英 撮影:上田正治 美術:村木忍 音楽:平尾昌晃、京建輔 特技・光学:宮西武史 特技・撮影:富岡素敬 特技・美術:井上泰幸 特技監督:中野昭慶
出演:藤岡弘、由美かおる、草刈正雄、加山雄三、若山富三郎

東宝特撮映画が相次いでレンタル化されているので、片っ端から借りてきては観ている。セルソフトとしては前から出ていたが、ほとんどはすでに観たことのある作品だし1枚5000円をさすがに買ってまで観ようとは思わない。それにしても邦画、特に東宝のDVDは高い。コアなファンしか手を出さないような値段で出してくる。逆に言えばコアなファンならこの金額でも買うだろうというあこぎな価格設定だ。安くすればいいというものではないが、購買層を広げるにはもう少し抑えるか、洋画DVDのように発売後しばらくしてから廉価版を出すなどは出来ないのだろうか。それでも最近はレンタルもしてくれるようになっただけましか。

エスパイとはエスパーによるスパイ組織の名称である。エスパー+スパイ=エスパイ。・・・怒るな、文句なら小松左京氏に言ってくれ。当時流行していた007シリーズを始めとするスパイ映画(同じ1974年には『007 黄金銃を持つ男』が製作されている)に、これまた当時流行していた超能力(ユリ・ゲラーの初来日がこれまた1974年)を盛り込んだというわけである。
こうした単純な足し算で面白い物を作ることが出来れば制作者は何の苦労もいらないわけだが、もちろん例えば美少女+メイドは必ず売れるといった具合に簡単な物ではなく、この映画もスパイと超能力という要素が上手く噛み合わないまま終わっている。
海外ロケや特撮もがんばっているのは感じるのだが、それが映画の中で浮いているし予算の少なさも随所で感じられる。同じ小松左京原作でも『復活の日』(1980)の海外ロケは有効に生かされており、なんだかんだいって当時の角川春樹は製作者として有能だったのだろう。日本を舞台にした映画と世界を舞台にした映画では作り方からして違ってくるということで、もちろん田中友幸氏の悪口を言っているわけではない。

子供の頃にテレビ放映で観た時にはわりと面白かった記憶があるのだが、今改めて観直すとかなりトホホではある。
それでも髪の毛フサフサでひたすら熱い芝居の藤岡弘や胸を露わにするお色気シーンのある由美かおると、年を取らん人たちだな~と感じる。テレキネシスを操る草刈正雄はいいとして、エスパイのボスが加山雄三ってのはどんなものだろうか。息を詰める緊張したシーンでいきなりギターを手に窓辺に腰掛けて「君が~うんたら、海の~からんたら」と歌い出しそうな様子だ。
主人公たちが超能力者ならば敵ももちろん超能力者。その名も“逆エスパイ”!・・・怒るな、文句なら小松左京氏に言ってくれ。

2004年11月22日

『エノケンの近藤勇』 闇夜の斬り合い

『エノケンの近藤勇』(1935) 81分

監督:山本嘉次郎 原作・脚本:ピエル・ブリヤント、P.C.L.文芸部 撮影:唐沢弘光 編集:岩下広一 音楽:伊藤昇
出演:榎本健一、二村定二、中村是好、柳田貞一、如月寛多

「ワタナベのぉぉジュースの素です、もう一杯」のCMでお馴染みの榎本健一主演作。
と言ったところでエノケンこと榎本健一のことなどもはや知らない人の方が多いだろう。わたしだって、さすがに上記のCMをリアルタイムで知っている年齢ではないし、主演映画もあまりソフト化やテレビ放映がされなかったので、小林信彦の著作などでその姿をかろうじて知っているぐらいだった。
うれしいことにNHKBS2が『エノケンの孫悟空』など戦前に主演した作品を連続放映してくれた。最近なにかと叩かれがちなNHKだが、民放ではなかなかこういう企画は通らない。受信料を払っている甲斐があるってものだ。民放だって「タダで見られる」と思っている人が多いが、あれは普段の生活で買う様々な商品のうちに広告料として含まれているだけの話だ。自分で意識して支払うことが出来るだけNHKの方が理にかなっているかもしれない。それに、まったくテレビを見ない、テレビを持っていない人からも広告料は徴収されているのだ。

話を戻して、榎本健一の第一回主演作(多分)がこの『エノケンの近藤勇』。監督が喜劇映画を中心に日本映画に大きな役割を果たした山本嘉次郎とはうれしい。タイトルは『エノケンの近藤勇』と現在と同じく左から右に文字が並ぶ。戦前でも子供向けの本などでは左から右に書かれている物もあったと聞くが、なるほど本当らしい。
京の都でにらみ合う新撰組と勤王派の侍たち。さあチャンバラが始まるぞというところで、近藤勇(榎本健一)に高下駄が投げ渡される。榎本健一が演ずるのでずいぶんとチビな近藤勇だが、この男高下駄を履くとめっぽう強くなるという設定。ポパイのホウレン草といったところか。
「近藤が下駄を履いたぞ」「近藤が下駄を履くと強くなるからな」「うぬ、下駄を履かれてはちと具合が悪い」と勤王派たちの間で声が交わされる。そんなことを言ってる間に下駄を履いてる最中の近藤勇を斬っちゃえと思うのだが、変身中の仮面ライダーは攻撃しないの原則は1935年の時点ですでに登場していたのか。
そんな争いを町人たちは将棋など指しながら「今日はどっちが勝ちますかねぇ」などとすでに斬り合いなど慣れっこの様子。それどころか、「ちょっとそこ掃きますのでどいていただけませんか」などと新撰組たちを空き地へ追いやる始末。
そんな感じに序盤は「呑気にのほほん」と展開していく。近藤勇の他にも、ド近眼なため丸眼鏡をかけた坂本龍馬(榎本健一二役)、桂小五郎、山岡鉄舟など歴史上の人物が何人も登場してくる。幾たびかのチャンバラを経て話は時に深刻にもなっていく。
チャンバラのシーンの多くは少し離れたところに据えたカメラで画面を固定したまま撮るという古いスタイルだが、龍馬暗殺のシーンはカットが割られている分だけスピード感が出ていて迫力がある。
中でも一番素晴らしいのが、近藤勇が数十人の黒装束に闇討ちされそれを返り討ちにするシーンだ。近藤勇が刀を抜くと、アニメによってベティー・ブープばりに女性として擬人化された月がこれから起こる惨劇を恐れて顔背け雲に隠れる。途端、画面を闇が支配して背景にある建物からの明かり以外は真っ暗になる。そこへ刀のぶつかり合う火花だけが飛び散る。
う~む、素晴らしい!北野武は『ソナチネ』(1993)においてビル内で繰り広げられる銃撃戦を窓から漏れる銃の閃光で描写していて、観た時に「すごいな、これは」と思ったものだが、それとほぼ同じアイディアをその60年近く前にすでにやっていたわけだ。
ギリギリまで絞った描写を投げかけて後は観客の頭の中で大立ち回りを展開させている。もちろん、これは観客の想像力を信用しているからだ。『新撰組!』でのマトリックスばりのブレットタイムと『エノケンの近藤勇』における闇討ちのシーンでどちらがより演出として優れているかは言うまでもないだろう。

2005年03月06日

『お引越し』 かく言うわたしも引っ越しだ

『お引越し』(1993) 日本 124分 1993/4/23鑑賞

監督:相米慎二 製作:伊地智啓、安田匡裕 プロデューサー:椋樹弘尚、藤門浩之 原作:ひこ・田中 脚本:奥寺佐渡子、小此木聡 撮影:栗田豊通 美術:下石坂成典 編集:奥原好幸 音楽:三枝成章 照明:黒田紀彦
出演:田畑智子、中井貴一、桜田淳子、須藤真理子、田中太郎、茂山逸平

 ここ数日手抜き気味な映画バカ黙示録であるがそれには理由がある。3月9日・10日に引っ越しを控えているのだ。役所関係の手続きをしたり荷物を梱包したり、急に決まったわけではないのでスケジュールを組んで余裕を見てやっているのだが、やはりこれでなかなか忙しい。

 これまで8畳間で生活してそこに物がちゃんと収まっていたというのに、ダンボールに梱包すると部屋に収まり切らなくなるのは何故だろう?デジカメで撮ったjpeg画像を一ファイルにまとめようとzipにまとめた時に設定を、圧縮率0ではなく“圧縮する”にすると逆に元のファイルサイズ合計より大きくなってしまうのと同じ理屈か。・・・違うか。

 引っ越しというとそのまんま『お引越し』というタイトルの作品がある。1993年の故・相米慎二監督作品だ。
いい人ではあるのだがちょっと心のバランスを欠きつつある母親が桜田淳子で、これまたいい人ではあるのだがそんな妻や一人娘の存在を重荷に感じ“引越し”して家を出ていった責任感の薄い父親が中井喜一。その夫婦の間で何とかよりを戻そうと奮闘する少女レンコが田畑智子。
という粗筋を書くとなにやらコメディっぽいが、もちろん相米のことそういう娯楽映画にはしないわけで、例によってうだうだと自分の世界を展開するのである。
それでも、相米慎二作品としてはストーリーや観客を無視して突っ走ることもなく、比較的脚本を大事にして人の動きや感情のもつれなどを描いている。
しかし、ラスト近くの夏祭りのシーンでレンコが急にお腹を抱えてうずくまってからがいつもの相米になってしまって、わたしの方としてはお腹ではなくただ頭を抱えるだけである。どうやらお腹が痛くなったのは初潮を迎えたらしいからなのだが、そこから映画は唐突に現実を離れてしまいレンコは何故か山や草原をさまよい始める。これはもちろん実際に山で遭難したとかではなく心理描写としての幻想的シーンなのだが、はっきりきっぱり言って冒頭から細かく積み重ねてきた事柄をすべてぶち壊して監督の自己満足に走っているとしか思えない。
湖に腰までつかりながら「おめでとうございます。おめでとうございます」と連呼されちゃった日にはどうしようかと思った。だからお前は何が言いたいんだ、やりたいんだと隣に相米がいたら詰め寄りたいところだ。
もちろん、わたしだってこれらが自分の幼い少女期への決別・別れのシーンだということぐらいは分かる。というかいくらなんでも分かり易すぎ。幻想的なシーンを使うならもうちょっと捻れよというか、結局真っ正面からの演出をせずに逃げたって事だろう。

 死者の悪口を言ってはいけないということになっているようだが、わたしは相米慎二は嫌いだ。傑作だと言われている『台風クラブ』も見た時はどうしようかと思ってしまった。つまらんというか底が浅くないか、これはと。
相米慎二はおそらくロリータコンプレックスである。児童買春で逮捕された今関あきよしは少女を神格化するタイプのロリコンだとすれば、相米は少女の欲望など生臭いところに興奮するタイプ。どっちもどっちだ。

 相米と言えば長回しで知られている。『お引越し』でも坂を駈け降りていくレンコ(だったかな)をカメラをクレーンで上にグワッっと持ち上げての長回しなどがある。
しかし、この人の長回しは本当にすごいのだろうかと疑問に思っている。長回しというのは一つの技法で、そのシーン、そのカットで長回しを使うことで何を表現するか、何を観客に伝えるかというのが重要だと思うのだが、相米の長回しは自分が長回しが好きだからと長回しのために長回しを使っているようである。技法自体が目的になってしまうのは明らかに間違いだろう。
映画史に残る長回しの一つにオーソン・ウェルズの『黒い罠』(1958)の冒頭のシーンがある。町の中を自由に縦横無尽に駆け回ったカメラが様々な人を写し出し、そして一台の車に近づいていくとそれが突然爆発する。そこから始まっていくサスペンスへの期待を観客に存分に持たせるし、人物紹介や後の伏線も含まれている。もちろん、これに迫るような長回しを撮れといっても無理だろうが、もう少し工夫があっても良かっただろうにと思う。

2005年10月12日

『生きる』 オレだってたまには泣く、その24

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『生きる』 (1952) 143分 日本
監督:黒澤明 製作:本木荘二郎 脚本:黒澤明、橋本忍、小国英雄 撮影:中井朝一 美術:松山崇 編集:岩下広一 音楽:早坂文雄
出演:志村喬、日守新一、田中春男、千秋実、小田切みき、左卜全、山田巳之助、藤原釜足

 中学時代に学校の講堂で『影武者』(1980)を観せられたオレにとって黒澤明とは予算や人は多く使っているが単に退屈な映画を撮る監督でしかなかった。
 高校時代にテレビで『生きる』が放映されているのをなんとなく観ていた。夜9時から映画劇場ではなく昼間の放映だった記憶がある。その日は家にいたのがオレ一人だったはず。でもって泣いた。

 志村喬演ずる市役所の課長が胃ガンに冒され余命わずかと宣告される。妻はすでに亡くしており同居している息子夫婦からも軽んじられている。色々あったあげくに課長は自らが生きた証として街の子供たちのために公園を作るべく尽力し、そして死ぬ。
 こういうことを言うと怒られるかも知れないが陳腐なストーリーだ。個人的には「だから?」という印象がぬぐえない。
 課長が雪の降る夜の公園でブランコに座りながら「いのち短し恋せよ乙女」を歌っているシーンは名シーンとして知られているが、なんというかオレとしてはシラけた。

 じゃあどこで泣いたのかというと、喫茶店の二階で課長が自分にはまだ出来ることがある、やるべきことがあると悟るシーンだ。席を立って駆け足気味で階段を下りていく課長と入れ違いで若い女性が入ってくる。彼女の誕生会なのだろう、先に席にいた友人たちが「ハッピーバースデー」の歌を歌い出す。この歌が死を間際にして課長が新しく生まれ変わったことを象徴していてつい泣いてしまった。
 このシーンの存在だけでオレは『生きる』を認める。というか、このシーンぐらいしか認めていない。いっそのことそのまま終わって欲しかったぐらいだ。続いて課長の通夜に場面は移って、訪れた弔問客の会話から課長が公園建設のために一心不乱に働いたことが語られるが、そんなことは喫茶店を出て行った時点で観客には分かっているはずだから蛇足と言ってしまってもいいだろう。
 もっとも、この時観たっきりで10数年前の記憶だから間違いもあるかも知れない。
 この「オレだってたまには泣く」シリーズでは各作品とも観返しや読み返しをしているが、『生きる』は観返してみたら泣けなかったになりそうな予感がちょっとしたのであえてしなかった。このまま高校時代の思い出のままとしておくことにする。

 その後、大学に入ってから『用心棒』(1961)や『椿三十郎』(1962)、『七人の侍』(1954)、『隠し砦の三悪人』(1958)などをリバイバルで観て面白がったり楽しんだりして、『夢』(1990)や『八月の狂詩曲』(1991)、『まあだだよ』(1993)を観て怒ったりした。
 『影武者』や『乱』(1985)も観直したが、やはり退屈なだけだった。
 前にもちょっと書いたが、黒澤明はB級映画監督として非凡な才能を持ちながら、A級映画監督になってしまったのが悲劇なのだろう。

2005年12月18日

『網走番外地』 トロッコは雪原を疾走する

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『網走番外地』 (1965) 92分 日本

監督:石井輝男 企画:大賀義文 原作:伊藤一 脚色:石井輝男 撮影:山沢義一 美術:藤田博 音楽:八木正生
出演:高倉健、丹波哲郎、嵐寛寿郎、南原宏治、田中邦衛、潮健児

-オレはいつでも燃えている その35-
 世間では豪雪地帯と呼ばれる地域に引っ越して最初の冬。ここ数日の雪には「なんじゃこりゃぁぁぁ」と叫んでいる。つか、初めての雪国体験がいきなり近年稀な大寒波で、地元の人も「今年はすごいね~」って言ってるほど。今年はまずは雪に慣れることから、と暖冬になるように神様にお願いしたのに。地球温暖化のために京都議定書はこのまま無視して、どっさりと二酸化炭素を排出してくれってブッシュにも頼んどいたのに。
 庭に出て物差しを突き刺したら55cmも積もっていた。ここはスキー場か?オレの人生経験では、日常生活の場でこれだけ雪が降ったことはない。
 いろいろ訳ありで、アパートなどの集合住宅ではなく一軒家に住んでいる。となると、道路の雪かきをやらずに知らん顔というわけにもいかない。表通りに面している前面がおよそ12m。朝起きると簡単に食事を済ませ、雪かき用スコップと手押し車の車輪をなくした“ママさんダンプ”などで装備して外へ出る。まず踏み出した一歩目でボッっと長靴が雪に埋まる。
 まぁ、これも名古屋育ちだとあまり味わえない貴重な体験だよな。幅広い経験は人を豊かにするというからなと雪かき開始・・・ああっつまんねー、もう飽きた。その時間わずか5分。最初の2~3日ぐらいは興味が続けよ、オレ。でも、人生経験が乏しくて薄っぺらな人格で良いから雪はいやだぁぁ。
 歩道の下を水路が流れていて、ところどころにある鉄の蓋を開ける。水が勢いよく流れているのでそこに片っ端から雪を放り込んでいくのだが、単調で生産性の欠片もなくつまらない。道路での作業で、すぐ脇を自動車が走っていくので、iPodなどを使って音楽を聴くことは危険なので出来ない。(まぁ持ってないけど)ひたすらざっくらざっくら。かいている間にも雪は降ってくるのでもう雪が身体まみれ。もとい、身体が雪まみれ。
 名古屋育ちで雪は年に1、2度ちらっと降るだけだった生活のオレには、この雪国での暮らしはすでに苦痛を覚える。これからの約3ヶ月間を乗り切ることが出来るのだろうか。あー、晴れないから洗濯物がたまるたまる。
 雪道での車の運転は怖いし、こちらの車は夏や秋でも運転が荒かったが、雪が降ったからといってそれが改まるわけでもなく、相変わらず荒っぽい。曲がるときはウインカー出せよ。一時停止の標識は「徐行しろ」って意味じゃないの、止まれって言ってるの!

 とまぁ、雪と戦い初めて数日。ここは一つ、「雪の中、熱く闘う映画で燃えようじゃないか」と取り上げるのが『網走番外地』だ。
 網走番外地とは網走にあるが地図に番地が載っていないある収容施設のこと。そう、網走刑務所だ。でも、実際には網走刑務所にもちゃんと番地ある。住所は北海道網走市字三眺だそうだ。
『網走番外地』はヤクザ者が出てくる暴力映画と思われている向きもあるが、それはシリーズ途中の高倉健が全国各地を訪ね歩くようになってから。一作目は、まるで受刑者の更正を目的にして作られたかのような、「一度は道を踏み外しても、真面目にやればちゃんと社会復帰できるんだ」といった教育的内容。
 刑務所の外から精神的に支える妹と母と、言葉は厳しいが人情味溢れる看守、そして囚人仲間が高倉健のひねくれた心を次第に洗い流していく。
 と、ここまでは刑務所映画なのだが、母が危篤に陥ったことを知った高倉健は他の囚人の脱走計画に乗って刑務所外での作業中に手錠で相手とつながれたまま脱走してしまう。時期は冬。網走の冬ときたらそれはもう、詳しくは知らないがめちゃめちゃ寒い、ただの寒いじゃなくて極寒のはず。そんな中を防寒面ではあまり期待できない囚人服でいかに逃げ延びるか。そして保護司の妻木(丹波哲郎)の執拗な襲撃をいかに振り切るかという、雪原での追跡劇が見事。迫力もあってハリソン・フォードの『逃亡者』なんて目じゃない。猟銃を持ってしぶとく追跡を続ける丹波哲郎が格好いい!単なる霊界オヤジじゃないぞ。

 東映幹部が「これは当たらないだろう」と予算がカットされモノクロ映画になってしまったが、映画の雰囲気にはその白黒の画面が似合っている。これが大ヒットして都合18作も作られる人気シリーズになるとはまさか思ってもみなかっただろう。
 続編はどれも同じようなストーリーなんで全部を見る必要はないが、一作目は必見。

2006年11月04日

『姑獲鳥の夏』 面白い映画になるとは思っていなかった

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『姑獲鳥の夏』(2005) 123分 日本

監督:実相寺昭雄 製作:荒井善清、森隆一 プロデューサー:小椋悟、神田裕司 企画:遠谷信幸 原作:京極夏彦 脚本:猪爪慎一 脚本協力:阿部能丸 撮影:中堀正夫 美術:池谷仙克 編集:矢船陽介 音楽:池辺晋一郎 衣裳デザイン:おおさわ千春
出演:堤真一、永瀬正敏、阿部寛、宮迫博之、原田知世、清水美砂、篠原涼子、松尾スズキ、恵俊彰、すまけい、いしだあゆみ、京極夏彦

『姑獲鳥の夏』映画化の話を聞いたときは、駄作になるのではと危惧した。
 あの文字がびっしり詰まった原作の厚さもそうだが、謎の答えが文章としては面白いが映像には向いてないと考えたのである。
 映像化するならば、むしろ2作目の『魍魎の匣』をやるべきではないだろうか。今さら監督に実相寺を持ってくるところからして疑問だし、あの人に観念的な作品を撮らせると自己満足的に終わってしまう可能性がある。SF的雰囲気のある『魍魎の匣』の方が題材として向いているだろう。
 だがそれは杞憂に終わった。
 ストーリーは原作を読んでいないと完全に把握するのは難しい点があるだろう。確かに説明不足だし、ラストの京極堂の怒濤のごときセリフによる謎解きというか御祓いが長すぎて、おいてけぼりになる観客もいるだろう。
 しかし、この映画はミステリーとして謎が解決することが重要なのではなく、語るべき点はそこに至るまでの語り口や魅力的な登場人物の描写にある。細かな説明など必要ないのだ。ストーリーなど分からなくてもいいのである。
 ストーリーやオチがイクォール映画の価値ではない。瑣末な説明などいらぬ、ただもうこの『姑獲鳥の夏』の世界に浸っているだけで満足だ。
 そもそもオレは、原作をミステリーだとあまり思ってない。というかミステリーじゃない。

 原作と映画は別物であるというのはオレの持論だ。
 だが、この『姑獲鳥の夏』に関しては原作を読んでおくべきだろう。
 否、この映画は原作を読んだ人向けのファンムービーなのである。
 オレが読んだときのイメエジでは京極堂はもう少し貧相な人物を思い描いていて、堤真一では二枚目過ぎるが、終盤のセリフの嵐と目つきはさすが舞台出身だけの実力というか凄みがある。アイドルでの俳優なんかじゃ絶対無理だ。
 原作では「猿に似ている」と評される関口役の永瀬正敏は確かに猿顔だし、猫背でおどおどとした物腰がぴったりだ。
 だが、原作でのイメエジにぴったりという点では榎木津役の阿部寛をおいて他にないであろう。阿部ちゃんは榎木津を演じるために生まれてきたのではないだろうか。絶世の美男子で、常識外れの言動。原作を読んでいた時に阿部ちゃんを思い浮かべなかったオレはキャスティング能力に欠けるようだ。オートバイを運転してきたライダースーツにライダー帽で登場するときの格好良さ。阿部ちゃんの榎木津だけでオレはこの映画を擁護する。
 今、シリーズの『陰摩羅鬼の瑕』を読んでいるが、前半から榎木津が傍若無人ぶりで関口を振り回しているが、もはや阿部ちゃんの姿、阿部ちゃんの声しか頭に浮かばない。
 ヒロイン?役の原田知世は、彼女の持つどこか現実離れした雰囲気を上手く活かしている。幻想的と言えばいいのだろうか、汚れや汚れを知らなさそうな「守ってあげたい」になりそうな所が、ラストにおける衝撃への鍵となる。
 ちょっと違うなと感じたのは木場役の宮迫博之だ。顔は確かに四角いが、背が低すぎる。演技は悪くないと思うのだが、原作では大男として語られることが多く、180cmある無骨で強面な役者にして欲しかったところだ。
 松尾スズキと恵俊彰はいかにもな怪しさが薄っぺらくて逆につまらなかった。

 過去の東京を舞台にした映画ということで、『帝都物語』を思い浮かべてしまったのも観る前に不安だった要因なのだが、今回はあまり予算がなかったせいか、特撮や大規模なセットを使えなかったのも実相寺の手に負えなくなることもなくよかったのかもしれない。
 ジッソー君らしく、時折相変わらずのみょうちくりんな構図が登場するが、これはもう伝統芸だろう。
 だが、続編を作るならば、というか『魍魎の匣』はぜひとも実現して欲しいが、その時は若手監督の起用を期待する。若手と言っても日本映画の場合は30代40代になるだろうが、そこら辺の年が一番充実した作品を撮る。

 しかし、京極夏彦って太ったなぁ・・・

2007年11月26日

『江戸川乱歩の陰獣』 あなただっ!

sb0949_1.jpg『江戸川乱歩の陰獣』(1977) 118分 日本

監督:加藤泰 製作:白木慶二 原作:江戸川乱歩 脚本:加藤泰、仲倉重郎 撮影:丸山恵司 美術:梅田千代夫 音楽:鏑木創 助監督:三村晴彦
出演:あおい輝彦、香山美子、若山富三郎、大友柳太朗、川津祐介、加賀まりこ、倍賞美津子、田口久美、中山仁、仲谷昇、野際陽子、尾藤イサオ、藤岡琢也、菅井きん

 なんでもバルベ・シュロデールが江戸川乱歩の『陰獣』をリメイクするそうだ。
 『陰獣』といえば、天知茂が明智小五郎を演じたTV版も有名だが、なんといっても加藤泰の『江戸川乱歩の陰獣』が頭に浮かぶ。

 加藤泰は監督が映画会社の専属に近かった時代に、東映、松竹などいくつかの映画会社で作品を手がけている。
 加藤泰と聞いてまず頭に浮かぶのは東映の任侠映画だろう。
 だが、昨日紹介した山田洋次の『馬鹿三部作』の一つ『馬鹿まるだし』(1964)では脚本を書いている。この『江戸川乱歩の陰獣』も松竹映画だ。

 主人公の寒川は探偵小説作家。その彼が、別の怪奇幻想探偵小説作家である大江春泥に付きまとわれている女性と知り合ったところから物語は始まる。
 女性は小山田という実業家の妻である。そして、そのえり首から見える背中には一筋の傷痕があった。
 正統派探偵小説を書く寒川と、怪奇幻想小説を書く大江春泥は対照的だが、これはどちらも江戸川乱歩が持っていたもので、乱歩対乱歩という構図でもある。
 背中に鞭で打たれたような傷がある女性が、実業家の妻だから物語はより深まっているのだが、バルベ・シュロデールが撮る『陰獣』では芸者に変更されるそうだ。お金持ちの奥さまが、人には言えない秘密を持っているから面白いんで、その辺りをバルベ・シュロデールは全然分かってない。
 江戸川乱歩物を得意とした石井輝男が撮ると、もっとグロテスクで怪奇趣味になって良い意味で破綻してくるのだが、加藤泰は映画をコントロールしている。
 トリック自体はどうということはないが、屋根裏に作られた赤い部屋で寒川が謎解きをしていくシーンはぞっとくる。
「それを知っていたのは、そうあなただ! それを行うことが出来たのはたった一人、あなただ!」
 白人女性が、碁石を打つ音を聞いて、鞭の音を連想するシーンの見事さ。
 うって変わって、箸休め的な、船乗り場での藤岡琢也と菅井きんのやり取りが楽しい。

 原作の中編は20年ぐらい前に読んだきりなので、細かいところは忘れてしまった。
 未だにDVD化されず、観る機会も少ない一本。
 松竹カラーが薄いので、後回しにされているのかも知れない。ともあれ、とっとと出せ。