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2004年05月16日

『座頭市(2003)』 叩っ斬るぜ

『座頭市』(2003) 監督:北野武 出演:ビートたけし、浅野忠信

 『座頭市』と言えば勝新太郎である。勝新太郎と言えば座頭市なぐらいの当たり役だ。
 『座頭市』 (1962~1973、1989)は子母沢寛の原作ということになっているが、実際には随筆集『ふところ手帖』に「天保のころ、座頭の市という盲目の居合い抜きの達人がいた」とたった数行書かれているだけらしい。
 より重要なのは勝新太郎が極悪な盲目の按摩氏を演じた『不知火檢校』(1960)だろう。そのキャラクターに居合い抜きを合わせて生み出されたのが名匠三隅研次の『座頭市物語』(1962)だと思われる。
 なにせ1989年の松竹版を合わせて26本も作られたシリーズであり、座頭市と勝新太郎というのは切っても切れない関係である。その座頭市を北野武はいかに映画化するのか?それが不安ではあった。
 結局武がどうしたかというと、『座頭市』のリメイクしたのではなく主人公の名前と居合い抜きの達人という設定だけを持ってきて、これまでのシリーズとは関係のないまったく新しい映画を作ってしまったのである。つまり過去の作品の延長線上に存在するわけではないのだ。
 だからこそ金髪なのである。「時代劇なのに金髪なんて」と文句を言っていた人もいるが、あの金髪はもちろん意図があってのものなので文句を言う方がアレである。
 勝新太郎の座頭市が坊主頭であったが故にビートたけしの座頭市は金髪でなければならなかったのだ。
「これは『座頭市』のリメイクではなく、まったく別の映画である」という制作側のメッセージを象徴したのがあの金髪なのだ。多分。
 観る前ならともかく映画を観た後でも金髪をあーだこーだと言っている映画評論家はまったくもって“頭が悪い”の一言である。

 『座頭市血煙り街道』(1967)はルトガー・ハウアー主演で『ブラインド・フューリー』(1989)として忠実にリメイクされた。このリメイクは『座頭市』を“現代”の“アメリカ”に連れてくるという大技をもって可能だった。
 だが北野武の『座頭市』はリメイクではない。勝新太郎版とは違う、まったく新しい座頭市なのだ。

2004年06月14日

『さくや 妖怪伝』

『さくや 妖怪伝』 (2000) 監督:原口智生 脚本:光益公映  特技監督:樋口真嗣  出演: 安藤希 榊/嶋田久作/逆木圭一郎/黒田勇樹/塚本晋也/山内秀一/丹波哲郎/藤岡弘/松坂慶子

 予告を観た限りでは割と期待していたのですが・・・
 霊山富士が噴火、地の底から妖怪たちが湧き出てくる。その妖怪たちと妖怪討伐士さくやとの戦いが繰り広げられると思っていたのですが、戦い以外のドラマの部分の比重が大きく、それがまたチープ。
 さくやと、その義理の弟である河童の太郎との種族の違う姉弟の絆がテーマなのかも知れませんが、それには 脚本の練りが足りないんじゃないの?と思わせる出来でした。
 あと、妖怪がいつ襲ってくるのか分からないのに旅の道中がまるで水戸黄門の一行のようなのん気さです。
 「腕の立つ連中だ」とお供になった忍者はほとんど役に立たないし、せっかく出演した塚本晋也も上手く使われていない。
 『妖怪ハンターヒルコ』を撮った実績があるんだから(好きな映画です)、いっそのこと塚本晋也が監督すればよかったのに。
 巨大松坂慶子には思わずスクリーンに物を投げそうになってしまった。

 あと、主人公さくやを演じる安藤希の刀の構えが決まっておらず、殺陣がかっこよくない。
 冒頭にさくやの父親として藤岡弘氏が特別出演しており、藤岡氏の殺陣を観てしまった分、余計と差を感じてしまいます。
 藤岡氏は刀道、柔道、空手など各種武芸の有段者ですから格は違うのは分かっています。
 しかし、ねぇ。
 『マトリックス』でキアヌ・リーブスたちがクンフーを披露していますが、あれはVFXだけによる物ではなく、2~3ヶ月の集中トレーニングがあってこそのものです。
 安藤希も数ヶ月ぐらいは刀の特訓し、殺陣の出来る女優になってからにして欲しかったですね。

 ワーナーと組んで、この映画は世界進出を狙ってるらしいですが、海外版はかなり編集で切らないと通用しないのではないでしょうか?ってゆーか、通用しないよぉ。
 特技監督を樋口真嗣がやっているので、ミニュチュアの破壊シーンはいいですけどね。
 でも、途中でおまけ的に出てくる『三つ目入道』や『から傘』は30年前の特撮並み。大映の『妖怪大戦争』かと思ってしまった。おいおい・・・

 『ジュブナイル』、『さくや妖怪伝』と、この夏の日本の特撮映画は特撮技術の向上は見られるものの、それだけに終わっています。
  まず、映画としての技術を持ちましょう。
 ってゆーか、つまんないっす。

『ジュブナイル』

『ジュブナイル』 (2000) 監督・脚本:山崎貴 出演:香取慎吾/ 酒井美紀/鈴木杏/遠藤雄弥/清水京太郎/YUKI

 SFX出身だけあって、SFXの使いどころは上手いといっていいでしょう。他のシーンとSFXの出るシーンの落差が無く、自然でしたねぇ。
 ただし、誉めれるのはそこまで。
 ストーリーはありきたり、子役が下手というか演出が不自然、オチ読める。はっきりいって、どーちゅーことのない作品です。凡庸です。
 子供がこれを観て面白いかというんでしょうか?自分が子供になったつもりで観てみましたが、つまりませんでした。
 あんまりつまらないんで頭に来たぐらいつまらない。

「ある一夏の冒険。
大人には秘密の僕たちだけの冒険。
そこには未来から来た友達がいて、地球を狙う宇宙人との戦いが待っていた。」

 これだけだと、心を惹かれるかも。
 でも、映画を観ていても胸がすこしもワクワクしません。
 なぜでしょう?

 子供部屋の押入れにこっそりテトラ(謎の小型ロボット)をかくまうことになりますが、その子供たちの日常が見えてこない。 画面に描かれているのは表層的部分だけで、作り物のセットの中で子供たちが作り物の演技をしているようにしか感じられないんですわ。子供の息吹が全然感じられない。
 かえって、香取慎吾演ずる変人にして天才の神埼やヒロイン岬の従姉の大学生の出てくるパートのほうが、まだ多少は人物を描けています。 香取慎吾に関しては監督の演出というより、 香取慎吾自身の力の方が多分大きいでしょうね。
 結局、子供のための子供が主役の映画といいながら、 致命的なことにその子供を描くことができていない。SFXがいかに上手でも、映画というものは突き詰めれば人間を描くものです。そういった点で考えれば明らかにダメダメな駄作でしょう。
 観客の子供たちは、自分たちが主役になったように感じられる作品を待っていたはず。 残念ながら、悪い意味で『子供だまし』の作品で終わってしまっています。
 せめて脚本は他の人の手を通すべきでした。これでは監督による監督のための映画、つまり自主映画です。 自分だけ満足してどうするんですか。 観客を満足させましょう。

 あと、ラストシーンですが、映画冒頭のセリフである意味ネタわれしているシーンなのに無駄に長い。
 監督兼脚本家としてはあっと言わせるつもりなんでしょうが、 そもそもバレバレなんだから、ダラダラいかずにサラッと粋に終わらせましょうよ。
 あんなラスト、これまでのSF小説やSF映画でさんざん使われたオチじゃないですか。それを、あんな自信満々にやらなくても。恥ずかしくないのかな。

 ガンゲリオン(テトラの作った人が搭乗するロボット。サイズ的には高さが家の2階の窓ぐらい。ボトムズぐらいの大きさかな、例えれば)と宇宙人の侵略艇が戦いになるような展開になってきたので、期待していたのですが、単にガッコンガッコンぶつかるだけ。カタルシスがなかったですね。

結論
 お金と暇があって、現在の日本のSFX技術に興味のある人ならば観に行ってもいいかも。
 『漂流教室』ぐらいには楽しめるかもしれません。『漂流教室』?っつーことはつまらんってこと?そのとーり!

『新宿鮫』(眠らない街 新宿鮫)

『新宿鮫』(眠らない街 新宿鮫) 監督:滝田洋二郎 原作:大沢在昌 脚本:荒井晴彦 出演:真田広之/ 田中美奈子/室田日出男 /奥田瑛二 /松尾貴史

  最近の携帯電話は小さくなりましたね。
 思い起こせば小説『新宿鮫』の一作目は改造拳銃による連続殺人というストーリーでした。
 一見拳銃には見えないものに偽装してあるのですが、これが携帯電話なのです。
 小説が発表された1990年当時は携帯電話といってもショルダーバックのような形状・大きさで電話というよりお前は戦争映画の通信兵かっ!みたいな感じでしたので小説を読んで「うむ、なるほどっ」とうなったものです。
 しかし、1993年に映画化された頃にはすでに携帯電話はムーバが発売されており(92年にはブルース・ウィリスによる『ダイハード』そのままなムーバのCMがありました)大きさも小さめのトランシーバーぐらい。そのため、ショルダーバック型携帯電話を持った男が登場した瞬間に 「今時そんな携帯電話使ってるやついねーよ。っつーかお前が犯人だろ」ってんでダメダメでした。
 ロックミュージシャンの晶がクスリをやっていて鮫島に叱られるシーンは原作ファンにとって噴飯物の出来。晶は時に危ないぐらい真っ直ぐな娘で、クスリをやったりしないっつーのに。ロックをやってるやつはクスリもやってるだろという安易な造りだから、原作のトリックがすでに通用しなくなっているのにそのまま使ってしまうという愚行を許したんでしょうな。でも脚本は荒井晴彦なんだよなぁ。
 真田広之は嫌いじゃないけど絶対に鮫島警部のイメージではないし、晶役の田中美奈子にいたっては論外。監督は滝田洋二郎なんでこれもイマイチ。
 原作は人気シリーズとなってその後も続きましたが、映画は一作目で終わってしまいました。まぁ、それも無理ないことでしょう。

『その男、凶暴につき』

『その男、凶暴につき』(1989) 監督:北野武 製作:奥山和由 製作協力:森昌行 脚本:野沢尚 出演:ビートたけし/白竜/川上麻衣子/佐野史郎/芦川誠/吉澤健/寺島進/石田太郎/岸部一徳

(公開時執筆)
「あっ、ひいちゃう、ひいちゃう!」 そして本当にひいてしまう。
しかも二度もひいてしまう。
部屋に入ってくるなり、岸部一徳を撃ち殺す。突然だ。
何もかもが突発的だ。計算とか思惑とか言った物で構成された映画ではないのだ。
そもそも暴力とか凶暴とか言った物は、血がドバドバ出るとか頭が吹き飛ぶといった即物的なものではなくて、人間の内側にある闇の部分から生み出される物だ。
北野武はそういった人間のダークサイドを淡々とした描写の積み重ねて描き出した。
カメラは事実のみを追いかける。我妻を追いかける。追い続けた先には、結局死しかなかった。

『その男、凶暴につき』だ。
単純なようで、いや単純だからこそ言葉にするのが難しい映画だ。
さきに述べた車のシーンも、トイレでビンタするシーンも映画の中の一つの出来事であって、それが起きたことよりも、それがなぜ起きたのかの方が重要なのだ。
では、なぜ起きたのか、何が根底に流れているのか。
それは「狂気」ではないだろうか。
そう、この映画は「狂気」の映画なのだ。
我妻が麻薬組織を追い続けるのは、刑事としての正義感からでも義務感からでもない。彼の中の狂気がそうさせたのである。
相手はなんであっても構わなかった。たまたま目の前に清弘達がいただけのことだ。

だいたいこの映画の主要登場人物は皆気違いだ。
清弘は当然気違いであるし、灯にいたっては精神病院出の医者の保証付きの気違いだ。
ラスト近くのおっさんのセリフ「こいつらみんな気違いだ」は、そのまま事実なのだ。
まあ、この映画の場合いろいろとブラックユーモアと言われそうなものが出てきたが、どれが一番ブラックかというと、やっぱりこの「こいつらみんな気違いだ」だろう。
TVで放送するときには、「こいつらみんなピーだ」になるんだろうか、やっぱり。

カメラはひたすら我妻の歩く姿を撮り続ける。
我妻は歩いていく。どこに向かって?
破滅に向かってだ。

ラスト、菊池も歩いていく。どこに向かって?
我妻とは違う形だが、彼も破滅に向かって歩き出したのだ。

しかし、たけしもいきなりスゴい映画を撮ったものだ。観る前からある程度スゴいだろうとは思っていたが予想をはるかに上回っていた。
2作目を撮らせてもらえるかは少々疑問だが、ぜひとも撮ってもらいたいものだ。個人的に期待している。

2004年07月05日

『ザ・サムライ』 ハリァァヤー!

『ザ・サムライ』(1986)

監督:鈴木則文 製作:鈴木則文 原作:春日光広 脚本:志村正浩/鈴木則文 撮影:苧野昇 特殊メイク:原口智生
出演:中村繁之/松本典子/大沢樹生/朝丘雪路/堀江しのぶ/相田寿美緒/宍戸錠/渡辺裕之/菅原文太

いやー、この作品は傑作だと思うわけですよ。マジでマジで。
前半は割と普通の学園コメディなのですが(常に日本刀を携えたアナクロ男子が主人公で、女体アレルギーを治すためにレオタード姿の同級生たちが踊るのを間近で見て耐えるというのが“普通”なのかは疑問が残りますが)、中盤に主人公のライバルでハイテク好き外国好きな転校生南藩都来が垂直離着陸戦闘機ハリヤーに乗って登場する辺りから良い意味でどんどん道を踏み外していきます。
このハリアー、フルスケールで作られていて合成無しで校庭に着陸します。『トゥルーライズ』(1994)の8年先を行ってます。絶対この映画を観てるなジェームズ・キャメロン。と誰だ、クレーンで吊っているワイヤーがバレバレだとか言ってるのは。そういうときは脳にフィルターをかけて、目には見えてるけど頭の中に映った映像では取り除かれていることにするべきです。ワイヤーが見えるという重箱の隅など、実物大のハリヤーという非日常が高校の校庭という日常に、いかにも当然といった顔で着陸するインパクトの前ではどうでもいいことです。それに『ブレード・ランナー』(1982)のスピナーだって、ハリソン・フォードを乗せて発進するシーンでは雨で上手く隠しているもののワイヤーが丸見えです。まだCG処理でワイヤーを消すといった技術がなかった時代なのですから、文句を言っても意味がありません。
他にも、文化祭で作ることになった映画に全長3メートルはある茶坊主人形が出てきたり(もっとも主人公の妄想としてですが)、原作で主人公の顔が変形するのと特殊メイクで再現していたりと、プログラムピクチャーで低予算であったろうにも関わらず色々工夫が凝らされています。
オープニングで主人公血祭武士が剣豪荒木又右衛門になった夢を見ており、鍵屋の辻での32人斬りが再現されます。わたしの記憶だとこのシーンは1カット長回しだったんですが、10数年ぶり観直したら違ってました。長回しのカットはあるんですけどね。ストーリーには関係しないおまけ的シーンであるのに、中村繁之が町中を走りながら敵をばっさばっさ斬り倒していく様はなかなかにかっこよく、『あずみ』なんかよりはるかに上です。
なに気に豪華キャストでして、主人公の母親が朝丘雪路(好演)、その母親に惚れて結婚を申し込むのが宍戸錠(任侠)、チンピラに絡まれている主人公を助ける流れ者が菅原文太(トラック野郎)、そして主人公のグラマーな姉が堀江しのぶ(合掌)。
血祭武士の中村繁之と南藩都来の大沢樹生は当時ジャニーズ事務所なので、ジャニーズ映画でもあったりします。セーラー服を着て「クセになっちゃう」とか言ってる大沢樹生が後に光GENJIの一員として一大アイドルになるとは誰が思ったでしょうか。
かなりごちゃ混ぜでところどころ破綻もしていますが、それを補ってなお余りある魅力を持ったバカ映画。さすが鈴木則文です。

2004年09月11日

『スウィングガールズ』 谷啓が唯一の良心

『スウィングガールズ』(2004)

監督:矢口史靖 製作:亀山千広/島谷能成/森隆一 プロデューサー:関口大輔/堀川慎太郎 エグゼクティブプロデューサー:桝井省志 企画:関一由/藤原正道/千野毅彦 脚本:矢口史靖 脚本協力:矢口純子 撮影:柴主高秀 美術:磯田典宏 編集:宮島竜治 音楽:ミッキー吉野/岸本ひろし 録音:郡弘道 照明:長田達也 助監督:片島章三
出演:上野樹里/貫地谷しほり/本仮屋ユイカ/豊島由佳梨/平岡祐太/あすか/中村知世/根本直枝/竹中直人/白石美帆/谷啓

『ウォーターボーイズ』(2001)はいわば周防正行の『シコふんじゃった。』のコピーである。
『シコふんじゃった。』の学生相撲を男子シンクロナイズドスイミングに置き換え、そこから“隅々にまでちりばめられた豊富なアイディア”と“魅力的な出演者”と“テンポのよいギャグによる笑い”などなどを引いた劣化コピーが『ウォーターボーイズ』の正体に他ならない。
もとより『シコふんじゃった。』が『がんばれベアーズ』をはじめとするハリウッド映画をオリジナルに持つことは百も承知しているが、それを取り込み咀嚼吸収して自らの物としてしまうところが周防正行のすごさである。
だが矢口史靖は新作『スウィングガールズ』(2004)で“男子シンクロナイズドスイミング”を“女子高生によるジャズバンド”に置き換え自らの作品を劣化コピーする。撮れば撮るほど悪くなっていく様は、アナログVHSビデオテープのダビングコピーで画質が加速度的に落ちていくかのようだ。
矢口には「ひょっとしたら傑作を撮ってやろうという野心」を見え見えにして持っている。だが、悲しいかな傑作を撮れるだけの才覚も度量も持ちあわせていない。
そして「娯楽作品として面白い映画・楽しい映画を作るために全力を尽くそう」という良心が徹底して欠けている。
どのみち、日本映画史の残るような作品を撮れる人物ではないのである。せめて矢口が才能のなさを自覚し「自分には傑作を撮ることなと到底かなわないのだ」という挫折感があればまだ映画の撮りようはあるのだが、この御仁は何を勘違いしたのだが自分には才能があると強く思いこんでいるものだから始末が悪い。
“自主映画”という閉鎖的な世界で監督として一度完結してしまい、商業用映画を撮ることになっても精神的にはその居心地の良い場所から出てこようとしないのだ。オリジナルを何一つ生み出すことなく、かといって優れた模倣も出来ず、深い自己満足の中で繰り返すのはただ劣化コピーのみ。

わたしがもっとも嫌悪する二流監督の一人がここにいる。

2005年01月06日

『シンガポール・スリング』 外国のガソリンスタンドでは窓を拭いてくれない

『シンガポール・スリング』(1993) 104分 1993/09/18鑑賞

監督:若松孝二 製作:山科誠 プロデューサー:鍋島壽夫、小嶋敏治、川越和実 企画・原案:徳永英明 脚本:丸山敏治、上野火山、若松孝二 撮影:鈴木達夫 美術:デビット・コッピィング 編集:鈴木歓 音楽:徳永英明
出演:加藤雅也、秋吉満ちる、白竜、原田芳雄、デビッド・ハドソン、レイフ・チャールトン

近所にセルフ式ガソリンスタンドがオープンしたとのチラシが入っていた。
愛車のFUELメーターも半分を切っていたので様子見がてらガソリンを入れに出かけた。
地図に書かれた所在地にはただだだっぴろい更地があるだけで、「いらっしゃいませ」と出迎えた店員がわたしにツルハシとヘルメットを渡してきた。
「スタンドを建てるところからセルフでやれってか」
むっとしたわたしの問いに店員は笑顔のまま応えた。
「いいえ、油田を掘り当てるところからですよ」

・・・セルフ式ガソリンスタンドも軒数が増えかなり普及してきたようである。
だが1993年頃にはセルフ式ガソリンスタンドはまだ日本にはなく外国映画の中などでしか見かけない馴染みの薄い物だった。
加藤雅也と秋吉満ちるが演ずる若い男女は新婚旅行でオーストラリアを旅行中で、二人もまたセルフ式ガソリンスタンドなど知らなかった。
レンタカーでドライブ中にガソリンスタンドに入った二人は店員に窓を拭いてくれるよう「ウィンドウ、クリーン、クリーン」などと片言の英語で話しかけ窓を拭くジェスチャーをするが、店員からは「自分でやれ」と雑巾を投げ渡されるだけだった。
「なんだよ」「サービス悪いね」などと文句を言い合う二人だが、外国では窓を拭く無料サービスは一般的ではない。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』における1955年のシーンでは、ガソリンスタンドに入ってきた車に店員が4~5人がかりでよってたかってボンネットを開けて点検したり窓を拭いたりのサービスづくしをしているが、あれも景気の良い時代の象徴であって1985年から訪れたマイケル・J・フォックスには時代のギャップを感じされる物の一つだ。
このガソリンスタンドのシーンに象徴されるように主人公の二人はごく普通の日本人だった。その危機感の無さからボディガードに囲まれリムジンに乗った男を「あれ、有名人かな?」などとカメラを向けパシャパシャと写真を撮ってしまう。ところがその男が有名人どころか犯罪組織の幹部でオーストラリア政府高官との密談中の光景だったために、二人は犯罪組織に目を付けられることになる。
犯罪組織は当然カメラを奪いに来るが、そのカメラがあるトラブルでオーストラリア暮らしをしている原田芳雄に持ち去られていたために、代わりにホテルの部屋にコカインを置いて警察に密告し、結果加藤雅也は刑務所に入れられてしまう。そして秋吉満ちるは夫を助けるため日本大使館や弁護士などへと奔走する・・・

とりあえず監督が若松孝二なので劇場に行ったが、なんで『壊れかけのRADIO』の徳永英明が原案・企画の映画なんか観なきゃいかんのよと思っていた。だが、外国の生活習慣などを知らない平和慣れした日本人がそれゆえに事件に巻き込まれているとく導入部はなかなか面白い。
若松孝二とは縁の深い原田芳雄が過去を背負い放浪の果て異国で暮らす男を演じていて、日本映画ではなかなか描きにくいタイプのキャラクターに説得力を感じさせるのはさすがだ。
オープニングでは片言の英語しかしゃべれなかった二人が、いざ刑務所に放り込まれ片やオーストラリアで一人暮らしをして事件に挑んでいくととたんに英語がペラペラになるというのは事件の発端から考えると違和感があるが、英語をしゃべれないままだと話が進まないし、日常会話レベルで英語を話せても外国での危険な行動を知っているいないはまた別なので、二人とも実地レベルでの英語の上達がものすごく早かったということで納得しておこう。
オーストラリア原住民アボリジニの男やその仲間が関わってくるがこれは取って付けたようで少々蛇足だった。もう少し突っ込んで描くか、いっそのことない方が良かった。
脱獄から終盤にいたるアクションシーンは想像される製作予算から考えると悪くはない。
しかし、なんでオーストラリアを舞台にした映画のタイトルが『シンガポール・スリング』なのかは未だに謎のままだが。

2005年01月12日

『勝利者たち』 戦え、ゲートボーラーズ!

『勝利者たち』(1992) 日本 105分 1992/10/17鑑賞

監督:松林宗恵 製作:円谷皐 プロデューサー:鈴木清 原作・脚本:長坂秀佳 撮影:加藤雄大 美術:岩崎憲彦 編集:黒岩義民 音楽:渡辺俊幸
出演:三國連太郎、大原麗子、ハナ肇、佐藤允、大滝秀治、長門勇、宍戸錠、司葉子、財津一郎、丹波哲郎、天本英世 、円谷浩

倒産寸前の造り酒屋の社長が食通の大富豪から融資を受けるために腕利きの仲間を集めてゲートボール大会に出るという、“ゲートボール”+『がんばれ!ベアーズ』+『七人の侍』的映画。
メジャー作品としてゲートボールが題材になったのはこれが初めてで、ついでに現在までの所これが最後となっている。しかも劇場公開はされた物の、ビデオ化もされておらずテレビで放映されたことがあるかも怪しいという、一種の『幻の映画』となっている。知り合いに映画好きは結構いるが、『勝利者たち』を観ているのはどうやらわたしだけらしい。喜んで良いのやら。

南伸坊が描いたイラストの登場人物がくるくる回転しながら入れ替わっていくオープニングクレジットは割と好き。
企画には円谷プロが関わっていて、ハナ肇が放つ名前は忘れたがクルクルッと円を描きながら進んで最後にジャンプをしてからゲートをくぐる秘打などゲートボーラーたちの技が特撮で描かれる。「なんやねん、それ」とスクリーンにツッコミをメチャメチャ入れたかったが周りの観客に迷惑をかけちゃいけないと我慢した。
公開2週目の土曜日にしては閑散とした人の入りなのだが、なにせ“ゲートボール協会協賛だか協力だか”作品でそちら経由にて前売り券が出回ったらしく観客席に座っている人の年齢がずいぶんと高い。四字熟語で言えば『老老男女』といったところで、20歳ぐらいの客と言えばわたしだけ。そんな状況下でツッコミを入れたら「おい大阪のお兄ちゃん、ゲーテベーレを馬鹿にするんじゃない!」と怒られかねん。東京の映画館(確か有楽町か銀座だった)なので江戸っ子ジイさんのお説教が怖い。「いや、大阪弁なのはツッコミという性質から便宜上そうしただけなんです」と言っても聞く耳も持ってくれなさそうだ。あ、ゲーテベーレはゲートボールの江戸訛りね。山下洋輔が『糸井重里の萬流コピー塾』(古いね)でそう呼んでた気がする。
出演者を見てもらえば分かるが豪華キャストで、造り酒屋の社長が三國連太郎で『美味しんぼ』の海原雄山を思わせる食通が丹波哲郎。ハナ肇や宍戸錠はゲートボーラーで、『独立愚連隊』(1959)などの佐藤允が久しぶりに元気な姿を見せてくれたのが嬉しかった。ラストにいる円谷浩は名字から分かる通り円谷一族で円谷英二の孫に当たる。『宇宙刑事シャイダー』で主人公を演じたほかに昼メロなどで見かけたことがある。
最初に小学生チームと対戦するが大敗を喫っし、それが逆に団結や踏ん張りに結びついていくというシチュエーションは前年の『シコふんじゃった。』(1991)にほぼ同じシチュエーションがあったり、ヘビメタがチームを組んで出場していたりと、何度もおいおいと出かかるツッコミを抑えている内に予定調和で勝利やある人物の死が描かれ映画は終了。ええーい、ジイさんバアさん泣くな、こっちまでなんだか泣けてくらぁ。

2005年02月19日

『ジャズ大名』 最強の反戦映画とタラリタラリラタラッタ~

『ジャズ大名』(1986) 85分 1986/04鑑賞

監督:岡本喜八 製作:山本洋、小林正夫 原作:筒井康隆 脚本:岡本喜八、石堂淑朗 撮影:加藤雄大 美術:竹中和雄 編集:黒岩義民 音楽:筒井康隆、山下洋輔
出演:古谷一行、財津一郎、神崎愛、岡本真実、殿山泰司、本田博太郎、唐十郎、利重剛

 写真は『ジャズ大名』のパンフレットである。わたしの宝物の一つだ。
 1970年代から80年代の映画館やテレビで放送されていたハリウッド映画で育ったわたしにとって、日本映画とはあか抜けず古くさくテンポが悪いという「イカさない・野暮ったい」存在だった。そんな中、高校三年生になった時に筒井康隆の短編小説が映画化されたというので名古屋まで観に出かけた。住んでいた半田市から名古屋までは名鉄電車の急行で片道30分、往復の交通費で約1,000円かかり映画館の入場料を含めると結構大きな出費だった。だが、そこで出費を嫌がって観に行かなかったとしたらその後のわたしの人生は違っていた物になったかも知れない。

 時はまさに幕末、幕府側と倒幕側がなにやらきな臭い動きを繰り広げている中、駿河の小藩である庵原藩の藩主(古谷一行)は口うるさい家老(財津一郎)の目を盗んでは篳篥(ヒチリキ、小さめな笛)を吹いているだけで天下大事の出来事にはまるで興味を示さない。
 そこへ奴隷解放によってアメリカから貨物船でアフリカに帰ろうとした3人の黒人が、嵐の最中に船から逃げ出し庵原藩に流れ着く。面倒事を怖れた家老によって城の座敷牢に放り込まれた黒人たちだったが、こいつらは根っからの音楽好き。牢屋だからと大人しくしているはずもなく、船から持ち出した命の次に大切な楽器でさっそくアメリカ南部で流行中のリズムで演奏を始める。
 これを聞きつけた藩主は地下牢へと行き、彼らから借りたクラリネットで演奏に加わる。そして地下牢では一大セッションが始まる。その間に、街道代わりにされた城内をええじゃないか騒動や幕府軍、官軍が通り過ぎ、ついにはラーメンの屋台を引いたタモリまでが通り過ぎ、いつしか徳川の世は終わり明治になっていたのであった。

 ストーリーの無茶苦茶ぶりも嬉しいが、なにより「日本でもこんな映画が撮れるんだ」というのがわたしには衝撃的だった。それ以降、これまで観てこなかった過去の日本映画も積極的に観るようになり、そこで数多くの魅力的な作品に出会った。もしも『ジャズ大名』を観ていなければその出会いがあったとしても遅くなり、ひいては今の私のそれとは映画の見方が違っていたかもしれない。
 音楽・ジャズについての知識はほとんどないが、「タラリタラリラタラッタ~」で始まるメロディが映画の全てを支配して、テーマや主張などがあるにしてもそれを吹き飛ばしている。
ジャズは実は日本で誕生していたとか、テキサスやルイジアナが舞台のシーンをどうしたって日本にしか見えないところで撮影してしまう太々しさ。細かい辻褄の穴を変に隠し立てせず勢いで押し通してしまう強引さ。これらパワー主体の演出が後半のジャズセッションで見事に爆発する。
まったく、日本という国が二つに割れての明治維新という戦争を、ジャズセッションで乗り切ってしまうとは反戦映画にもほどがある。

 パンフレットの序文で岡本喜八監督の言葉として
「なにしろ/五年ぶりに撮る映画です/五年も間があくと/いま六十二歳ですが/二十六歳の新人監督の気分になります(以下略)」とある。
五年ぶりに映画を撮った六十二歳の監督はその後『大誘拐』(1991)、『EAST MEETS WEST』(1995)などを撮り、『助太刀屋助六』(2001)を遺作にこの19日午後0時半、食道ガンのため亡くなった。
新作の企画も進行中だったそうだ。『EAST MEETS WEST』以降は正直ちょっと・・・という作品だったが、最後まで現役であり続けた岡本喜八氏に敬意を表すると共につつしんでご冥福をお祈りする。

 ともあれ、東宝にはとっとと『独立愚連隊、西へ』と『殺人狂時代』などをDVDで出してもらいたいものだ。若い人たちにとってこれらの作品を観る機会がほとんどないというのは日本映画にとってマイナスだと思う。

2005年03月24日

『下妻物語』 ビバ、ジャスコ!

『下妻物語』(2004) 102分

監督:中島哲也 プロデューサー:石田雄治、平野隆、小椋悟 企画:宮下昌幸、濱名一哉 原作:嶽本野ばら 脚本:中島哲也 撮影:阿藤正一 美術:桑島十和子 編集:遠山千秋 音楽:菅野よう子 照明:木村太朗
出演:深田恭子、土屋アンナ、宮迫博之、篠原涼子、阿部サダヲ、岡田義徳、本田博太郎、樹木希林

 わたしの知人が「人から面白いよと勧められたんだけど、一人で観てもしクソだったら対処に困るんで一緒に観てくれ」と持ってきたのがこの『下妻物語』である。
えー?マジっすかー、じゃあこっちも『キューティーハニー』(2004)が怖くて観れないままになっているんで、交換条件としてそっちも一緒に観てくれってことでOKした。

 結論から言うと面白かった。
僕はCM出身ですと言わんばかりのいかにもな映像にはひたすらうんざりしたが、それを割り引いても主人公の二人の少女やその周りのちょっと奇妙な人々が繰り広げる物語が楽しい。セリフが多い映画だが、基本的に登場人物の行動によって進んでいくところが良い。日本映画はぐだぐだとセリフを並べ立てるだけでなかなか話が広がっていかない傾向があるが、人の行動(アクション)で展開させるというのはやはり重要である。。
だがしかし、ラスト近くでさてどうなるのかと思っていたら、自分という世界に篭もっていた少女桃子が他人に自らをさらけ出すことでお互いに理解し合い危機を乗り切ってしまった。これは観客の大多数が最も望む結末ではあるのだろうけれども、あまりにもこれまでのいわゆるスポコン的ドラマ作りの枠内に収まってはいまいか。
雨の中絶叫して抱き合ったり、殴り合ったあげくに「お前もなかなかやるな」と友情で結ばれるなどという汗くさい世界はあまりオタク的ではない。そして桃子はアニメやコミックこそ見ていないがゴシックロリータファッションが好きなオタクな少女だったはずだ。それがラストになっていきなり「ヤンキー的側面も持ってるんだぞ、おらおら~」と言われても、確かにヤクザを父に持つ関西生まれという設定はあるが少々しらけてしまう。オタクがオタクのままでヤンキーと友達になったり、他の人と楽しい人間関係を築くといった展開にはできなかったのだろうか。
 詰まるところ、オタク否定映画の域を脱していなかったなというのが感想である。別の肯定しろとも思わないが、世界に名だたるオタク大国日本でいまだにちゃんとオタクをエンターテインメントにした作品があまりないのは何故だろうか。『七人のおたく』じゃあなあ。『ギャラクシー・クエスト』(1999)とまでは言わないが物語はいかようにも作れると思う。
ロリータファッションブランドの社長や桃子の祖母である樹木希林など脇役も良かったので残念。
劇中でジャスコが何度も「田舎、ださい」の代名詞として登場するが、ちゃんとその名がエンドロールの協力企業に含まれている。これにOKを出したジャスコ側はなかなか洒落が分かってるじゃないか。

 そうそう、『キューティーハニー』は下着姿で街中を走り回るハニーがコンビニで飯を調達して変身するところまでは見ましたが、そこでお互いに「これは耐えられない」ということになって電源をオフにしました。始まっておよそ3分ほど。
もしかしたらそこを我慢すればメチャメチャ面白くなるのかも知れませんが、まあどうでもいいや。というか、どう考えても面白くなるとは考えられない。わたしはてっきり『月曜ドラマランド』かと思ったよ。

2005年10月14日

『シコふんじゃった。』 オレだってたまには泣く、その26

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『シコふんじゃった。』 (1991) 103分 日本 1992/2/14鑑賞

監督:周防正行 製作:平明暘、山本洋 プロデューサー:桝井省志 脚本:周防正行 撮影:栢野直樹 美術:部谷京子 編集:菊池純一 音楽:周防義和
出演:本木雅弘、清水美砂、竹中直人、水島かおり、田口浩正、宝井誠明、梅本律子、柄本明

 三部リーグのビリッケツ。教立大学の相撲部は部員一人の貧弱で激弱な学生相撲最底辺のチームだ。
 部員不足で試合に出られないところを、相撲部の顧問で元学生相撲の学生横綱だった穴山教授(柄本明)が、卒業に必要な単位を餌にして主人公・秋平(本木雅弘)を「一試合限り」の約束で相撲部に入部させる。春秋テニス、夏サーフィン、冬はスキーの遊びサークル「シーズンスポーツ愛好会」所属の秋平にとって、ふんどし(ま・わ・し)を締めて人前に出るなど恥以外の何物でもないが、一流企業に内定も決まっており卒業のためにと我慢する。
 そして秋平の弟で貧弱な体付きの美少年春雄、肥満児で緊張すると右手と右足が一緒に出る田中、イギリスから来たラガーマン留学生スマイリー、そして唯一の正式部員で根っからの相撲好きだが極度の上がり症のため一度も勝ったことのない青木を合わせた5人の部員が取りあえず揃い、慣れないふんどし(ま・わ・し)を締めて土俵に上がる。しかし、見るからに弱そうなチームと対戦してもボロ負け。残念会の席でOBにボロクソにけなされてカッとなった秋平は
「勝ちゃいいんだ ろ!勝ちゃ!勝ってやろうじゃねぇか!勝ってやるよ!絶対に勝ってやる! なぁみんな!」
 と啖呵を切ってしまい、珍相撲部の珍スポ根が始まるのであった。

 というのが『シコふんじゃった。』について一般的に語られる物語だが、少し角度を変えてみると春雄に憧れてマネージャーとして入部した恋する肥満少女の正子と、穴山の助手で相撲部名誉マネージャー(自称)の夏子の二人が主役をつとめるもう一つの物語が見えてくる。

 大相撲の大阪場所で女性大阪知事が表彰式のためなのに土俵に上がらせてもらえないという出来事が続いている。
「女性は土俵に上がっちゃいけない。神聖なる土俵が汚れる」とかいったしきたりが理由らしい。
 大相撲協会側の言い分も理解できる。うん、しきたりじゃしょうがないよね。断固として拒み続けるわな。だって、一度でも土俵に女性を上がらせてしまったら、「しきたりなんて何の意味もない」というのがばれてしまうものな。
 しきたりに意味がないのがばれたら、ふんどし姿(まわしなんだけど・・・)に意味がないのも、ちょんまげに意味がないのもばれてしまい、大相撲そのものが崩壊するおそれがある。
 他の伝統芸能において一つのしきたりを破ることを許したために、結果ボロボロになって地に落ちてしまった例は幾つもあるから、それを知っている大相撲は決して女性が土俵に上がることは許さないだろう。
 でもね、女性本人にその気があったら実は土俵に上がるぐらいのことはひょいっとやってしまうのだ。その気っていうのは恋する想いと言い換えても良い。
 『シコふんじゃった。』とはそんなしきたりとかを平気で破ってしまう、実はパンクでアナーキーで過激な映画なのだ。

 正子を演ずる梅本律子は、明星かなにかの誌上で募集した「極度の肥満」が条件という異例なオーディションで、見事選ばれた素人だそうだ。当然セリフ回しも上手くない。選考基準通りの極度の肥満で愛嬌のある顔つきだがはっきりいってブスだ。そして、この正子こそ『シコふんじゃった。』のもう一人の主役である。
 春雄に心の底から惚れている正子は春雄のことしか見えていない。春雄のためならなんでもするぐらい一途でまっすぐな想いだ。
 春雄が強豪校相手の試合で負傷したときに、正子は「女性は土俵に上がってはいけない」という「しきたり」などまったく気にもせずドスドスと春雄の元に駆け寄る。口うるさい審判や関係者が文句を言ってくる暇も隙も与えないほどの本当にまっすぐな想い。
 そしてその翌日に待っていたのは二部リーグへの昇格を決める試合だった。春雄が腕を骨折して出場できないために人数不足で出場は辞退するしかないかと思われた。だが、正子は強い意志を秘めた眼で皆にこう告げる。

「あたし、出ます。春雄の代わりにあたしが戦う」

 部員たちの制止もふんどし姿になる(まわしだっつってんだろ!)ということも、正子の決意をくつがえすことは出来なかった。
 そして正子は土俵に上がった。長い髪はちょんまげに結ってごまかし、胸は肩を痛めたということにしてさらしで隠してはいるが、まわし姿の正子が土俵に立っている。
 このシーンの美しさに泣いた。
 単に絵だけを見ればブクブクに太った女の子がまわしを締めて土俵の上にいるだけだ。だがそのシーンに存在する正子の思いが圧倒的なまでに美しいではないか。恋する乙女という称号は美少女だけに与えられる物ではない。不細工な女の子だって恋する乙女になるのだ。でもって、恋する人間は普通なら無理だろということを、時に躊躇もなく軽々とやってしまうのだ。
 そして周防正行という監督の残酷さにも驚いてしまう。「太った」「醜い」「素人」の「女の子」をまわし姿でスクリーンに映し出す。よくもこんなシーンを思いついた。よくもこんなシーンを実際に撮った。いくら本人が納得しているとはいえ、鬼だこの人は。NHKBS2の小津安二郎特集で作品案内に登場して白髪混じりの頭で人の良さそうな口調で話していたが、本当はきっと嫌なヤツだ。そして嫌なヤツで鬼だからこんな美しいシーンが撮れるのだろう。そもそも良い映画を撮る監督ってのはたいがいひねくれ者で嫌なヤツなのだ、多分。
 映画のラストで正子と春雄はつきあい始めて一緒にロンドンに留学するべく旅立つが、脚本と同じく周防正行自身が書いた小説版のラストは大きく違う。春雄は正子の想いに心は打たれるものの、「正子もボクには向いていないと思うんだ」とその正子を受け入れることなくあっさり振ってしまうのだ。
 おそらく周防は映画では観客が望み歓迎するハッピーエンドを選んだが、本当にやりたかったのは小説版のラストだったに違いない。美しいまでに一途な想い、だがそれが相手に通じるか、通じたから結ばれるかは分からない。すごく残酷だよな。
 しかも小説版だと最後の試合で秋平負けてるし。

 そして、正子と対照的な存在の夏子。細身で美しく、おそらくは穴山に憧れており、ひょっとしたら男女の関係であるのかもしれない。だが、その点はあまり描写されないし、そもそも夏子自身の意見というか感情があまり表現されていない。ひたすら一途な想いが描かれていた正子と違い、どうにも何を考えているのか分からない。
 相撲部の名誉マネージャー的立場ではあるが、相撲に愛着がある様子でもなく、穴山が顧問を務めているという理由だけで消極的に相撲部と関わっている。
 自らの強い意志で土俵に上がった正子が対戦相手に負けて打ち倒されたときに、夏子は思わず土俵に駆け上がりそうになるが寸前で気付いて立ち止まる。そしてきちんと土俵を迂回して正子の元へと行く。やはり対照的だ。
 そんな相撲と距離を取っていた夏子が映画のラストでようやく土俵に上がる。土俵の手前で足を揃えて、一瞬止まった後で土俵に上がる。そして、たった一人の相撲部員となってしまった秋平と一緒にシコをふむのだ。
そして一言。
「ついにわたしも、シコふんじゃった。」

 穴山には妻がいて、夏子とは愛人関係。夏子はそれでもかまわないと思っていて、いわゆる日陰の女としてひっそりと暮らしてきた。それが正子や秋平たちの影響を受けて、自分の意志で動き始めた、と考えることも出来るが、そこら辺の描写は映画にないのでオレの憶測。

 とりあえず周防正行にはとっとと次回作を撮ってほしい。『Shall we ダンス?』のアメリカ公開やハリウッドリメイクなどで忙しかったようだがそちらの仕事ももう終わったはず。待たせすぎだぞ。体を悪くしたとかじゃないかと心配したんだから。何で親戚でもない人の健康を気遣わなきゃならんのだ。
 親戚といえば音楽を担当した周防義和とは従兄弟だそうだ。ちなみにオレは最初この「周防(すおう)」という苗字が読めませんでした。「しゅうぼう?すぼう?」てな感じで。

2006年11月17日

『戦国自衛隊1549』 精製する石油はどっから持ってきたんだ?

B000BVMD2Q.jpg『戦国自衛隊1549』(2005) 119分 日本

監督:手塚昌明 製作:黒井和男 プロデューサー:鍋島壽夫、土川勉、貝原正行 原作:福井晴敏 原案:半村良 脚本:竹内清人、松浦靖 撮影:藤石修 美術:清水剛 編集:普嶋信一 音楽プロデューサー:岸健二郎 VFXプロデューサー:大屋哲男 音響効果:柴崎憲治 特技監督:尾上克郎
出演:江口洋介、鈴木京香、鹿賀丈史、北村一輝、綾瀬はるか、生瀬勝久、嶋大輔、的場浩司、宅麻伸、伊武雅刀

 そもそも福井晴敏原作作品を観始めたのは、スカパーで『戦国自衛隊1549』をやっていたからだ。
 つまらないんだろうな~と思ってみたが、これが意外に笑えた。
 もうハチャメチャのシッチャカメッチャカ。何ですかこれは?といった具合に楽しめたのだ。というか、心が勝手に回避行動をとって、真面目に見ることを拒否したのだ。

 磁気バリヤーの実験中に戦国時代に飛ばされた陸上自衛隊。装甲車や戦車、そしてアパッチ攻撃ヘリまで一緒だ。
 そして、2年後。太陽の活動が1回目の事故と同じような状況になったため、こちらも重装備の救援隊が過去、1549年の日本に行く。
 ところが、救出を待っていたはずの自衛隊員が戦国時代を生き抜く、いや勝ち抜くために現代兵器の圧倒的威力で戦国地図を塗り替えていた。そして、その隊長は織田信長となっていたのである。

 なんでやね~ん!

 磁気バリヤー用の燃料電池だかが、核兵器並みの爆発力を持っているというのも意味が分からん。そんなもん危なくて使えんわ。

 戦国時代と言えば中部から関西が主な舞台と戦場である。長篠の戦い(愛知)も桶狭間の戦い(愛知)も本能寺の変(京都)も、戦国時代を終わらせた関ヶ原の戦い(岐阜)も、どれもこれも愛知以西で行われている。
 それなのに、織田信長になりすました自衛官(鹿賀丈史)は富士の裾野近くに城を建てて何をしようと言うんだろうか。
 どうやらこのタイムスリップでは時間を移動するだけで、場所は同じままの様子。ということは、タイムスリップの場所は陸上自衛隊の訓練地内だからおそらくは御殿場だろう。戦国合戦映画のロケ地として有名な御殿場だが、戦国地図から大きく離れた外だ。
 どうやら燃料電池を地下に撃ち込んで富士山を噴火させ、それによって関東を壊滅させるつもりらしい。そして現代の東京はなくなり、誇りを失った日本人が消え去ってより素晴らしい日本が誕生する。相変わらずよく分からない理屈だ。
 でもね、戦国時代の関東なんて人もあまり住んでないド田舎。壊滅させてもあまり意味がないだろうに。京都を目指せよ、本物の織田信長と同じにさ。

 ある人物が豊臣秀吉だと分かるシーンなどはなかなか面白くて、ちょっとゾクゾクした。好きだな、こいうの。
 戦いのシーンが、戦国時代の武士対自衛隊ではなく、自衛隊対自衛隊になっているので、自衛隊を戦国時代に送り込むというコンセプト自体が無駄になっている。
 人の死が記号化されているので、オリジナル版よりも娯楽向きではあろう。
 それにしても、何で防弾着で命が助かった人物は、服をはだけて防弾着を観客に見せて、「あー助かった」というのであろうか。どの映画でもそう。

 主人公の江口洋介が懐かしい。生きてたのか。それなりの大作の主役に今さら江口洋介を使う意味が分からない。
 鈴木京香の女性自衛官も似合ってない。ハリウッド映画ならば、戦国時代の知識や文化風俗に詳しいを持った女性学者を同行させるところだろう。

 福井晴敏原作作品では一番評価が低いようだが、ここまでハチャメチャだと逆に笑える。ここまでひどいともう笑うしかない。
 もうね、何も考えてないよ、この映画。
 かなりクズ映画に近いが、ぎりぎりなところでバカ映画になっている。
 楽しめたといっても、及第点には達していない。スカパーで観たから金額的にはかなり安かったが、これが劇場で観ていたら怒っていただろう。
 それにしても、主人公も敵役も、やたら自己主張というか説教を大声でわめき立てるのにはうんざり。

 三作作ってどれも及第点には達していなかったので、福井晴敏作品の映像化はこれで終わりそうだ。
 良いことである。この人の小説はつまらんので嫌いだ。

2008年04月09日

『士魂魔道 大龍巻』 これぞ娯楽特撮時代劇

B000BN9AE8.jpg『士魂魔道 大龍巻』(1964) 108分 日本

監督:稲垣浩 製作:田中友幸 原作:南条範夫 脚本:木村武、稲垣浩 撮影:山田一夫 美術:植田寛 編集:岩下広一 音楽:石井歓 特殊技術:円谷英二
出演:市川染五郎、佐藤允、夏木陽介、三船敏郎、星由里子、久我美子、水野久美、草笛光子、平田昭彦

 不勉強にしてこの作品のことは知らなかったが、NHKのBS2で観てその面白さに驚いた。
 大阪城夏の陣から物語が始まり、豊臣側残党が豊臣の隠し財産を狙うという娯楽時代劇。殺陣は大立ち回りのチャンバラ系で、当時の東映時代劇に劣る面もあるが、それをカバーするのが東宝自慢の特撮陣。なんたって特技監督が特撮の神様円谷英二だ。ファーストショットからして大阪城のミニチュアセット。これが良くできている。そこへ徳川軍勢が大砲を撃ち込む。ドッカンドッカン爆発する大阪城。こんなオープニングの時代劇は観たことがない。
 主人公は豊臣軍勢の侍深見重兵衛(市川染五郎)。大阪城落城を前に潔く切腹して果てようとするが、豊臣秀吉の孫である男の子を連れて逃げようとする小里という女性と出会ったことから運命の歯車が動き出す。そこへ襲いかかる二人組の伊賀忍者。いきなり忍者かよ!身は軽いし煙玉を投げまくると、さすが忍者。重兵衛は一人を切り捨てるが残りの一人には逃げられる。この生き残った忍者はくのいちで、殺された忍者は彼女の父親だった。こうして、重兵衛は父の敵として狙われることにもなる。
 守るべき人、仇討ち、そして宝物と、娯楽作品の王道とも言えるストーリー。だが、一本道のストーリーではなく、同じく豊臣方で生き残ってしまった侍(佐藤允)や、侍から町人になって商人として成功した重兵衛の友人、豊臣を裏切ってのし上がろうとする悪党どもなど、様々な視点を用いて描かれている。重兵衛の友人が商人として成功する方法が、ひさしを貸して母屋を取られるを地で行っていて笑った。
 主人公を演ずる市川染五郎が松本幸四郎に似てるなぁ。歌舞伎界はいろんなところで血が繋がっているから、親戚なんだろうかと思って調べてみたら、後に九代目松本幸四郎を襲名していた。似てて当たり前、つか本人じゃん。でも、本人と言われると目元とか違ってないかと思うがまあ知らん。パッケージ写真の一番左端にいるのがその市川染五郎。
 オープニングクレジットで他の出演者が連名で表示されるのに、一番最後にただ一人一枚看板で書かれているのが三船敏郎。でも、出演シーンは少なく、しかも元豊臣側の大名で賞金首として逃亡中なため虚無僧に変装しているので、前半では素顔が写るシーンは少ない。ゲスト出演だな。そのくせ、終盤では美味しいところをあらかた持っていってしまう。最後は「善も悪も、この大自然の前では無に等しい」とテーマを一言で語る。でも、三船敏郎ならば許してしまう不思議。
 えっ、タイトルの大龍巻はどうしたんだって?それはちょっと待ちねぇ。とにかく、登場する女優さんのキレイなこと。星由里子、久我美子、水野久美と東宝のスター女優が勢揃いだ。星由里子は加山雄三の『若大将』シリーズの印象が強いが、時代劇姿も似合う。可憐でいて心が強いといった感じ。出番は少ないが草笛光子の尼さんも凛々しくてさすが。
 監督の稲垣浩は『血煙高田馬場』(1937)をマキノ正博と共同監督したり、板東妻三郎版、三船敏郎版両方の『無法松の一生』を監督した名監督。時代劇を中心に活躍した人だ。
 そして映画のラスト。小判を輸送中の徳川の一行を豊臣側残党が襲い、小判を奪い取る。そして、アジトである山中の小屋に戻るが、内輪もめを始め醜い争いとなる。そこへ襲いかかるのが大龍巻。最初は強風とその風音が鳴る中で物語は進行し、徐々に緊張感が強まっていく。そして、大地の彼方から全てを吹き飛ばし舞い上げてしまう大龍巻が画面に登場する。人や馬はもちろん、小屋も樹木もあらかた舞い上げていく様子はさすが円谷特撮の見せ所。『空の大怪獣 ラドン』(1956)のラドン襲来のシーンではその巨大な翼が巻き起こす強風で民家の瓦が一枚一枚はがれて飛んでいくミニチュアシーンなどが有名だが、この大龍巻も負けてはいない。シーンとしては短いが、ただ単に風で吹き飛ばされるのではなく、ちゃんと宙に巻き上げられているように見えるのだが、一体どうやって撮影したのだろうか。見事。当時の特撮技術を考えれば、観客に与えたインパクトは『ツイスター』(1996)にだって負けていない。
 三船敏郎にセリフで言われてしまったが、「善も悪も、人も金も大自然の前では無に等しい」。生き残った三人は荒野を前に歩き始める。そして徳川三百年の新たなる時代が始まったのだ。