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洋画 マ行 アーカイブ

2004年04月19日

『ミート・ザ・フィーブルズ 怒りのヒポポタマス』 ピンクの河馬

『ミート・ザ・フィーブルズ 怒りのヒポポタマス』(1989) 監督:ピーター・ジャクソン

史上初のパペットスプラッタームービー。もっとも、これが最初にして最後というたぐいの“史上初”ではあるが。
「マペットショーやセサミストリートみたいな人形達の劇団で怒ったカバが大虐殺する」と覚えておけばほぼ間違いない。

それは人形達が暮らしている世界。人気劇団フィーブルズに夢を抱えたハリネズミが入団してくる。しかし、ショービジネスの舞台裏は汚く堕落しきっていた。そんな中でハリネズミはプードルと恋に落ちるが、いろいろあったあげくにスター歌手のカバがオーナーに騙されていたことに気付きブチ切れて大爆発。マシンガンを手に片っ端から殺しまくる。飛び散る血、吹き飛ぶ肉片。でもパペット(人形)。
ほとんどギャグの領域のスプラッターシーンよりも、人形が演じてる分だけ逆にリアルな舞台裏の方がヘビーで生々しい。
「『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの監督が撮った人形劇」だからって、間違ってもお子様に観せないように。
個人的レイティングとしてはR-15(15歳未満お断り)である。

2004年04月27日

『ミステリー・メン』 早くヒーローになりたい

『ミステリー・メン』(1999) 監督:キンカ・ユーシャー 主演:ベン・スティラー

以前、「ヒヨコの雄雌を区別できる能力」などあまり役に立たない能力ばかりもった『ダメX-メン』というネタを思いついたことがあったが、やはりわたしが思いつくようなアイディアはすでに使われているわけで、この『ミステリー・メン』はそのまんま『ダメX-メン』だった。

それは実際にヒーローが活躍している世界。
明日のヒーローを夢見て戦う3人の男達がいた。それぞれ持っている能力は、食器のフォークを投げる、シャベルでぶっ叩く、なんか怒りっぽい。前の二つはともかく“怒りっぽい”ってのは能力か?どちらかというと単に性格だろそれは。
事件が発生するたびに現場に飛び込んでいっては失敗ばかりの3人。
そんなある日、彼らが憧れるヒーロー、キャプテン・アメージングが悪の帝王カサノバに誘拐されてしまった。これは一大事と、キャプテン救出計画のために更に仲間を集めるが、これがボーリングのボールで敵をなぎ倒す女、気絶するぐらい屁の臭い男、誰にも見られていない時だけ透明になれる少年と、頼りになるんだかならないんだか。
ともあれ、彼らミステリー・メンの一世一代の戦いが始まるのであった・・・

あらすじを読んだ時に、これは面白そうだと期待していたのだが、実際の映画の方はコメディとしてもヒーローモノと中途半端な出来でちょっと期待はずれ。
ダメ呼ばわりされてきたヤツらが、奮起して大活躍するといった話は大好きなんだが。変にひねりすぎで屈折しすぎの気がする。中途半端な毒気も笑いに結びついていないし。
もっとも、原作のアメリカン・コミックはさらに屈折しているそうで、これでも映画向けにかなりアレンジしているそうだ。
屁の臭い男役でピーウィー・ハーマンことポール・ルーベンスが出演しているのは収穫だった。

2004年04月29日

『身代金』 覚えてません

『身代金』(1993) 監督:ロン・ハワード 主演:メル・ギブソン、レネ・ルッソ

2、3回は観てるんだがまるっきり覚えてません。
メル・ギブソンとレネ・ルッソが大金持ちの夫婦で、子供が誘拐されて、それからどうなるんだっけか?
つまらない作品ならつまらないと記憶に残っているものですが、それすらもはっきりしません。
わたしもボケたかな。
とにかく印象の薄い作品です。

それでも、監督は『アポロ13』などのロン・ハワード。『リーサル・ウェポン3、4』と同じ組み合わせのメル・ギブソンとレネ・ルッソ。ゲイリー・シニーズなんかも出てる。こうしてみると顔ぶれは揃ってます。
必死に記憶をたどりましたが、息子が誘拐された父親であるメル・ギブソンが勝手な行動ばかりで共感できなかったような・・・うーん。
やっぱボケたかな。

2004年05月17日

『Mr.マグー』 無敵のド近眼

『Mr.マグー』(1997) 監督:スタンリー・トン 出演:レスリー・ニールセン、マルコム・マクダウェル

『裸の~』でお馴染みのレスリー・ニールセン作品のほとんどは“つまらない・面白くない”のだが、この『Mr.マグー』は例外である。
缶詰会社社長マグーはド近眼。そのため見間違い・勘違いばかりしているのだが、本人はそれに気づいておらず危険な目にあっても平気の平左。これは『裸の銃を持つ男』のドレビン警部などと同じ、本人はいたって真面目にハチャメチャなことを繰り広げるタイプの主人公なのだが、他の作品の多くが野暮ったくテンポが悪いのに対しマグーのフットワークは軽快だ。
一つには監督スタンリー・トンの技量だろう。『ポリス・ストーリー3』(1992)、『レッドブロンクス』(1995)などのジャッキー・チェン作品を手がけており、ちゃんとしたアクションを撮れる監督なので作中のリズム作りに成功しているのだ。
マグーの甥を登場させて、ストーリーをそちらにも分散させたのもポイントだろう。

このMR.マグーはもともとはカトゥーンとのことで、映画のオープニングはカトゥーンから始まる。そういえば『リプレイスメント・キラー』(1998)でマイケル・ルーカーが息子と映画館で観ていたのが『Mr.マグー』だった。

レスリー・ニールセン作品と言うことで敬遠しているならば、この作品に関してはあまり気にしなくてもいいだろう。
他には『スパイ・ハード』(1996)も割と好きな作品だ。もっとも、アル・ヤンコビックの歌う主題歌「スパイハァァァーーード!」がその理由の9割ぐらいを占めてるが。

2004年05月20日

『メガフォース』 1、2、3で舞い上がれ

『メガフォース』(1982) 監督:ハル・ニーダム 主演:バリー・ボストウィック、ヘンリー・シルヴァ

「自由諸国の首脳陣は否定しますが、メガフォースの存在が確認されました」
メガフォース、それは自由諸国を守るため国の枠を超えて結成された精鋭特殊部隊だ。
最新鋭の武器・戦闘車両を駆使し、テロリストを撃滅するのがその使命だ。

わたしは初めて予告を観て血湧き肉躍って以来『メガフォース』のファンだ大ファンだ。もちろん公開されるや観に行ったし写真のパンフレットもずっと大事に持っている。もちろんDVDも買ったぞ。
メガフォースの一番の魅力は特殊部隊物で派手なドンパチがあるにも関わらず人が死なないという能天気っぷりにあるだろう。これはもう、戦争ゴッコなのだ。

ラストは主人公を残したまま離陸しようとする輸送機。果たしてそれに間に合うかという『ワイルド・ギース』や『デルタ・フォース』などでもお馴染みのシチュエーション。
主人公をどんな危機に陥れ、そしていかにそこから脱出させるかというのは脚本家を始めとする制作陣が頭をひねるところだが、この映画は凡百の脚本家が思いもがけない荒技でその危機を乗り切る。
主人公が「1、2、そして3」だと乗っている戦闘バイクのボタンを押すと、後部に翼が生えロケット噴射でバイクが宙に舞い上がるのだ。とっ、飛ぶんすかぁぁ!
もう、これには一生ついて行きますっ!との衝撃を受けてしまった。それでいいのか中学時代のわたし、とも思うがそれが正直な感想なんだからしょうがない。

全身タイツの制服がどう考えても実戦には向かないだろうとか、戦闘車両の白・黒・赤の塗装が目立ってしょうがないだろとか(光に反応して夜は黒くなるカメレオン塗装なのだが、ずっと黒でもいいんじゃないかとも思う)、パンフレットの写真中央に写っている山のような大きさの指令車タック=コムが劇中ではせいぜいハイ・エースぐらいの大きさしかなかったりするところも好きだ。

珍しくヒゲ面のヘンリー・シルヴァの悪役が生かし切れていないのが残念なところか。相変わらずのテンションの高さで悪くはないのだが。

パンフレットの中で製作のアルバート・S・ラディはこう語っている。
「私は責任を持って『メガフォース』を私のライフ・ワークと宣言する」
・・・い、いいのかアルバートそれで。他の制作作品には『ゴッドファーザー』や『ロンゲスト・ヤード』があるじゃないか。
もしもアルバートに会う機会があったら、この発言について今の思いを聞いてみたい。もし、「うん、『メガフォース』がライフワークだね」と言われたら、こりゃもう一生ついて行くしかないね。

監督のハル・ニーダムなんだが、まだ元気にしているんだろうか?亡くなったとの話も聞かないがいいかげん年だろう。
とりあえず、『トランザム7000VSパトカー軍団』と『ストローカーエース』のDVDはとっとと出して欲しい。

2004年06月11日

『マジェスティック』

『マジェスティック』(2001)  THE MAJESTIC  監督:フランク・ダラボン 製作:フランク・ダラボン 脚本:マイケル・スローン 出演:ジム・キャリー/マーティン・ランドー/ローリー・ホールデン/アレン・ガーフィールド/アマンダ・デトマー/ボブ・バラバン/ブレント・ブリスコー/ジェフリー・デマン/ハル・ホルブルック/ロン・リフキン/デヴィッド・オグデン・スタイアーズ/ジェームズ・ホイットモア/ジェリー・ブラック/キャサリン・デント

 わたしぁねぇ、絶対に許しませんよ。ええ、誰がなんと言おうと許すもんですか。
 世の中、やっていいことと悪いことがあります。この作品では一つ、とても大きなやってはいけないことをこれ見よがしにやっています。
 わたしぁねぇ、それがどうしても許せんのですよ。

 ハリウッド最大の汚点であるレッド・パージいわゆる“赤狩り”を扱っておきながら、なんのことはない甘ったるいファンファジーにすぎない。なら、赤狩り持ち出す必要ねーじゃん。映画の中に題材として赤狩りを持ち出したんなら、もっと腹くくって正味を描けよ、正味を。描けないってんなら、はなから持ち出すなっつーの。別に主人公は若手の脚本家じゃなくて普通の犯罪者でもいいじゃん。

 先日亡くなったエリア・カザンだが、赤狩りの最中に自分及び数名の映画人が共産党員であることを告白することでハリウッドに生き残った。エリア・カザンは紛れもなくゲス野郎だが、誰も好きこのんでゲス野郎になったわけでもなかろう。ヤツなりに映画を取るか捨てるかにおいて苦渋の選択による告白ではあったのだ。もちろん、そのとばっちりで映画界から追放された相手はたまったもんじゃないが。
 主人公はエリア・カザンと同じ選択を迫られる。
 で、悩むか?苦しむか?
 んにゃ。独りよがりな演説で万事解決。
 と思わせておいて一ひねりしたが、結局『幸せの黄色いハンカチ』で終わる。映画を捨てて女の待つ田舎に逃げましたか。なんじゃそりゃ。ラストで薄っぺらな感動に逃げても、誰の痛みも消えないっつーの。
 あー、もう『ニューシネマ・パラダイス』と(1989)並ぶ“嫌悪すべき作品”だな、こりゃ。

 いっそのこと、こういうストーリーにしちゃえ。
「ある日、海辺に一人の男が倒れていた。男は以前の記憶をすっかり失っていた。一人の老人が男を指さして叫ぶ。「彼は“若人あきら”だ!」・・・しかし、彼は次第に記憶を取り戻す。そう、彼の本当の名は“我修院達也”・・・」

 同じような傾向の作品として、アメリカ球史最大の汚点『ブラックソックス事件』を扱いながら、「それを作れば彼がやってくる」てな具合にファンタジーにしてしまった『フィールド・オブ・ドリームス』(1989)があるけど、こっちはありだと思う。作品としての出来がってことじゃなく、題材はあくまで“野球”だから観るにたえるってことで。
 “映画”を題材にした“映画”をちゃんと撮るにはキレ者でかつヒネクレ者にやらせないと。
 ダラボンじゃとてもじゃないがその器じゃない。

 やっぱ、わたしはフランク・ダラボンって駄目だわ。
 「ふーん」の『ショーシャンクの空に』(1994)、「あーな」の『グリーンマイル』(1999)だもんなぁ。
 この人ってひたすら二流の監督なんだと思う。でもって、この二流の監督ってのが一番始末に負えないんだわ。面白い映画撮るのは一流か三流の監督。二流は生真面目なのが取り柄の凡庸な監督。
 まぁ、WOWOWにて初見なのでせめて被害が少なかったか。劇場で観てたら憤死だぞ。

『マトリックス』

『マトリックス』(1999) 監督・脚本:アンディ・ウォシャウスキー/ラリー・ウォシャウスキー 出演:キアヌ・リーヴス/ローレンス・フィッシュバーン/キャリー・アン・モス

はっきり言って、オリジナルな部分はないです。
ジョン・ウー作品、ブルース・リーなどのクンフー映画、サイバーパンク、アメコミ、日本のアニメーション。それら監督のウォシャウスキー兄弟が好きなものを集めに集めまくって、まとめあげた作品です。つまり、全てはすでに存在していた物の集まりです。
ただ、本来ならまとめるのに難しい作品類を1本の作品にまとめたこと、そして、アニメーションやアメコミ的映像表現で実写では実現が難しいものを新規技術を開発してまで作り出したその根性。それにつきるんじゃないでしょうか。ほんと、細かいところまでこだわっています。ちょっとやそっと時間をかけたぐらいじゃこれは作れないでしょう。
根性、根性、ド根性。

話しとしては大した事はありません。
現実と思っていたものが仮想現実だったなんていうのは、サイバーパンク小説としてはありふれたネタだし。サイバーパンクに触れていない人には新鮮だったかもしれないけど。
重要なのは、画面。力技で見事に描ききっています。テレビ画面サイズの作品じゃないですね。大スクリーンで観てこそ華。

どーでもいいですが、警官とか警備員は本人たちが仮想現実の世界と知らないだけで普通の人間なんでしょ。あんなに殺しまくっていいのかな?

『マルコヴィッチの穴』

『マルコヴィッチの穴』(1999) 監督:スパイク・ジョーンズ 出演:ジョン・キューザック/キャメロン・ディアス/キャサリン・キーナー/ジョン・マルコビッチ/チャーリー・シーン

興味深いというか、いろんな観方ができる作品だね。哲学的に難解な映画ととらえることもできるし、ラブストーリーでもある。
わたしにとっては爆笑ギャグ映画だったけどさ。

ジョン・キューザック演じる主人公は、世間はおろか奥さんにも才能を認めてもらえない人形使い。本当は才能があるんだが、やるネタが一般的ではない。道端で性的な人形劇を演じていて、小さな女の子のいる父親からぶん殴られたりしてる。
奥さんの薦めで気が進まないながらもファイル管理会社に就職するが、そのオフィスが7と1/2階という7階と8階の間にある天井のやたら低いフロアにある。
そこで働く彼は、ある日壁に奇妙な扉を見つける。その扉を入っていくと、なんと実在の俳優ジョン・マルコビッチの頭の中に入ってしまう。
彼は同じフロアで働く女性とその穴をつかって変身願望を叶える商売を始めるが・・・

設定からして珍妙だ。
7と1/2階というセットがまずいい。遠近感がおかしくなって、なんかテリー・ギリアムの美術を思い起こさせた。みんなが中腰になって歩き回っているのは笑える。

主人公の奥さん役がキャメロン・ディアスだ。
夫よりもペットのチンパンジーを心配する妻で、あげくにはマルコビッチに入っている時にある女性に惚れてしまう。
本編の前に『チャーリーズエンジェルズ』の予告をやっていたが、ずいぶんと印象が違うね。

好きなのはマルコビッチ自身が自分の頭の中に入ってしまったシーン。
レストランにいる全員がマルコビッチその人。ピアノの上に寝そべっている女性シンガーも子供もウェイターも全部マルコビッチ。
気持ち悪いながらも笑えた。
あと、二人の女性がマルコビッチの深層心理の中をおっかけっこするシーン。
少年時代に「おしっこタレビッチ」といじめられてたり、パンティの匂いをかいでいたりと笑えたな。
マルコビッチの頭の中から出てくる時は、ハイウェイの横に落っこちてくるってのもいい。
ラストのオチも、設定はちょっと強引だが皮肉が効いていていいね。
女性は強し。ジョン・キューザックは永遠の片思いで終わる。
男は悲しいわな。

チャーリー・シーンはマルコビッチの友人役として出てくる。
7年後ということで再登場するときはカトちゃんズラをつけてハゲオヤジになって出てきてるので必見だ。
他にもテレビの中でショーン・ペンがインタビューに答えていたり、テレビの画面が切り替わるときにちらっとブラッド・ピッドが映ったりもするな。
パンフレットによると、『セブン』などの監督のデビット・フィンチャーも出演しているらしいが、さすがに顔までは知らないので見つけられなかった。そう言えば、パンフレットを買うなんて久しぶりだ。

監督のスパイク・ジョーンズはまだ30歳ぐらい。
これまではミュージックビデオやCMを撮ってきた人らしい。『スリーキングス』では準主役を演じていたりと才人だね。今回が初監督作品でこの出来だから、今後がさらに期待できる人だ。
スパイク・ジョーンズは芸名だそうで、冗談音楽の元祖スパイク・ジョーンズと関連があるんじゃないかと
にらんでいるんだが、つづりが違うかもしれないので関係ないかもしれない。

『ミスター・ベースボール』

『ミスター・ベースボール』(1992) 監督:フレッド・スケピシ 出演:トム・セレック/高倉健/高梨亜矢/デニス・ヘイスバート

 わたし、この映画に出演しています。
 そうです、クールな口ひげ野郎私立探偵マグナムことトム・セレック主演のハリウッド映画に出演しているのです。どーだ、まいったか!
 とは言っても、映画を観てもどこに映っているのか自分でもまるで分かりません。出演しているのはナゴヤ球場の観客エキストラとしてですから。でも、あの彼女のアリバイのトム・セレックの映画に出たというのは一生のメモリアルです。

 落ち目のメジャーリーガーが不本意ながら中日ドラゴンズに助っ人“ガイジン”としてやって来る。頭にくるとベンチを蹴ったりする頑固者の監督(星野仙一がモデルでしょうね)と衝突したり日本文化にとまどったりと四苦八苦。しかし監督の娘と恋に落ちたりして・・・
 製作には名古屋のテレビ局などが協力しているのですが、製作発表で「『ローマの休日』のような映画にしてほしい。名古屋の魅力を世界にアピールしたい」などと訳の分からぬことを言っており、実際製作に入ってからもアメリカ側と日本側とでもめたりもしたそうです。
 名古屋の魅力ったってローマと違ってこれという名所があるわけじゃなし、変に欲張らないで素直に単に映画の舞台として扱ってもらえば良いと思うんですけどね。
 当時完成したばかりの金山総合駅が、無理矢理登場したりしますが、地元民としては噴飯モノの恥ずかしい限り。こういう点が「名古屋は田舎だ」といわれる理由なんですが、分かってないんでしょうね。

 日本の野球に馴染めなかった主人公ですが、最後の試合ではここ一番の勝負時にバンドという日本野球的なプレーをやることによって勝ちます。アメリカ映画的にはホームランを打って勝つとこですよね。こういった、衝突するだけではなくお互いを認め理解し合うことが大切という点は良いんですが、ヒロイン(監督の娘)が「わたしにはわたしのやりたい仕事がある。野球場で夫の試合を観ているだけの女には成りたくない」と言っていたのに、最後にはメジャーリーグに戻った主人公についてアメリカに行って野球場で試合を観ているだけの女になってしまうのです。
 彼女は確かデザイナーかなにかをやっていたので、なんでアメリカに行ってもその仕事を続けているという風にしなかったんでしょうか?男に黙ってついて行く大和撫子にしたかったんでしょうかね?大和撫子なんてものは数十年は前にすでに絶滅してるんですが。
 ともあれ、トム・セレックだけでわたしは満足。
 「ミスター・ベースボール」とは日本の新聞に付けられた主人公のあだ名。黒人選手は「俺のあだ名はハマーだよ。理由は聞くなよ」とか言ってました。いたなーMCハマー。
 監督はぬるま湯のような腑抜けた作品ばかり撮っているフレッド・スケピシ。主役はトム・セレック。ドラゴンズの監督は高倉健さん。おおっ、わたしは健さんとも共演してるのか。

2004年06月12日

『ミッション・トゥ・マーズ』

『ミッション・トゥ・マーズ』(2000) MISSION TO MARS
監督:ブライアン・デ・パルマ 出演:ゲイリー・シニーズ/ティム・ロビンス/ドン・チードル

うーん、どこをどう書いてもネタバレになってしまう。
個人的にはネタバレは気にしないし、もう公開も終わっているからいいと思うけど、、まあここはひとつよろしく、と日本人的にすませよ~かな。
とりあえず、開始後30分ぐらいでアレが出てきた時に、おおよそのラストの見当が付き、実際その通りでした。でも、ラストが読めたからつまらなくなるというのは違うと思う。もしそうならば、一度読んだ本や映画は二度と楽しめなくなってしまう。特に推理小説なんか一度しか読めないことになる。
しかし実際にわたしは、アガサ・クリスティーあたり何度も読み返しています。これこそ一発ネタの『アクロイド殺し』ですら。
良いものは何度観ても良いのである。
あっ、別に『ミッショントゥマーズ』が良かったというわけではないです。

なんつーかねー
ブライアン・デ・パルマらしくないところが、デ・パルマらしいという変わった映画ですね。
オープニングの長回し(お前は相米かっ)がスネーク・アイズを思わせますが、スネークアイズの長間わしのねちっこさはなく あっさりと終わって肩透かしをくらいます。その後、ずっと肩透かしをくらい続けた感じです。
あえて表現するならば、デ・パルマ版『2001年宇宙の旅』。
これで、どんなオチか想像つく人も多いかも。
とりあえず、何しに出てきたんだティム・ロビンス。

デ・パルマよ、また『レイジング・ケイン』みたいな作品を作ってくれい。
興行的に成功するかはしらないけど、わたしは観に行くから。

(『レイジング・ケイン』:ジョン・リスゴーの女装が楽しい映画)
(ジョン・リスゴー:馬面の役者。『クリフハンガー』の悪役が一番メジャーか? とりあえず『ハリーとヘンダスン一家』ではないと思う)
(『ハリーとヘンダスン一家』:知らなくても、人生で困ることは一度くらいしかないと思う)
(しかし:『ハリーとヘンダスン一家』を知らなくて困る状況ってどんなだ?)

『ムーラン・ルージュ』

『ムーラン・ルージュ』(2001) MOULIN ROUGE!
監督・脚本:バズ・ラーマン 出演:ニコール・キッドマン/ユアン・マクレガー/ジョン・レグイザモ/ジム・ブロードベント/リチャード・ロクスボロウ

面白かった。
予告編を観たときには辛気臭い悲恋物だと思い大して興味も引きかれなかったのだが、監督はバズ・ラーマン(『ダンシング・ヒーロー』『ロミオ&ジュリエット』)だし、主演はユアン・マクレガーだからと、一応おさえで観にいった。
そしたらこれが大当たり。辛気臭いなんてとんでもない。実際にかなりおバカなところもあるミュージカル映画だったのだ。
たしかに悲恋な話なんだけど、とにかくみんな歌う!踊る!
舞台は1899年~1900年のパリなんだが、歌にはヒットポップスなどが平気な顔で混ざっている。エルトン・ジョンの『Your song』やマドンナの『マテリアルガール』『ライクアヴァージン』などなど。ほかには『テキサス1の赤いバラ』でドリー・バートンが自ら作り歌った名曲『I will always love you』(『ボディ・ガード』でホイットニー・ヒューストンがカバーした歌)とか『サウンド・オブ・ミュージック』などなど。
そしてQUEENの『Show must go on』
わたしは洋楽に疎いので気づかないままの曲も多かったと思うが、洋楽ファンならもっと楽しめるでしょう。
さらに過去のミュージカルへのオマージュ。『紳士は金髪がお好き』などがありました。
クリスティン(ユアン)が公爵に見つからないように部屋の中をあちこち隠れるのは、古典的コメディ映画の匂いがしますし、そのあとは即興での芝居説明。ここらへんは大笑いです。
元トム・クルーズ妻の二コール・キッドマンもピョンピョン跳んだりとコメディしてます。
ただ、テンションの高さや、難しいことを考えずにとりあえず映画の流れに乗らないといけないなど、人を選ぶ映画ではありますね。
わたしとしてはオープニングと「The end」の出し方が大好きです。

もしこれから観にいかれる方がいましたら、ぜひとも場内が明るくなるまで席はお立ちになりませんように。
エンドクレジットの終わりにちょっとしたお楽しみがあります。
つーか、他の映画でもクレジットが終わるまで席を立つんじゃねぇっつーの。

2004年06月30日

『真夜中の虹』 北欧のキャデラック

『真夜中の虹』(1988) ARIEL 1990/12/10鑑賞

監督・脚本・製作:アキ・カウリスマキ 撮影:ティモ・サルミネン 音楽:ヨウコ・ルッメ 出演:トゥロ・パヤラ/スサンナ・ハーヴィスト/マッティ・ペロンパー/エートゥ・ヒルカモ

フィンランドの鉱山が閉鎖され職を失った男が、コンパーチブルのキャデラックで南へとあてのない旅に出る。その道中で出会った人々や事件が淡々と描かれる。登場人物は感情を露わにせず、静かに日々を暮らし時に死んでいく。
男は強盗に有り金を奪われ、また自らも銀行強盗となる。犯罪の被害者・加害者両方の立場が出てくるが、そこに善悪の区別はなくただ行動のみが描かれる。
閉め方が分からずに雪の降る中でもずっと開けっ放しだったキャデラックの幌は、ナイフで刺され死ぬ間際の相棒が押したスイッチでようやくと閉まっていく。まるで棺桶の蓋が閉まるように。
アキ・カウリスマキは普通ならばことさらにドラマチックに盛り上げようとするシーンを実にあっさりと描く。だが、いやだからこそわたしの様なひねくれ者の心を動かすこともある。アキ・カウリスマキ作品は“味の薄い料理”ではあるが、“味のない料理”では決してない。日頃、塩コショウの効いた“味の濃い料理”に慣れすぎているてすぐには舌がついて行かないが、じっくりと噛みしめればその味わい深さが伝わってくる。
刑務所の旋盤でプロポーズのために指輪を作るシーンなど、アキ・カウリスマキは斜に構えたニヒリストでいながら、どこかロマンチシストでもある。

2004年07月12日

マルクス兄弟主義者は今日も行く

ワーナーから出た『マルクス・ブラザーズ コレクターズ・ボックス』を購入。
マルクス兄弟主演6作品が5枚組で9,500円は暴れ出したくなるほどお買い得。収録されているのは『オペラは踊る』(1935)、『マルクス一番乗り』(1937)、『マルクス兄弟珍サーカス』(1939)、『マルクスの二挺拳銃』(1940)、『マルクス兄弟デパート騒動』(1941)、『マルクス捕物帖』(1946)。中期以降のMGM時代作品だ。
初期であるパラマウント時代の5作品の内『けだもの組合』(1930)、『御冗談でショ』(1932)、『我が輩はカモである』(1933)はユニバーサルから『マルクスブラザース コレクションBOX』として9,800円で発売済み。
どうにもBOXの名が似ていてややこしい。それから、ワーナーは『ブラザー“ズ”』、ユニバーサルは『ブラザー“ス”』と表記に食い違いがある。ではどちらが正解かというと、もちろん『マルクス“兄弟”』に決まっている。
値段はほとんど同じだが、収録数は6作品と3作品。ぱっと見ワーナーの方がお得だが、ユニバーサルの方にはコメディ映画史に燦然と輝く『我が輩はカモである』が入っている。答えはもちろん「どっちも買え」なのだが、マルクス兄弟作品を観たことがない人が「どんなのだろうか?」と買うにはセット売り9,000円台はちょっときつい。レンタルDVDにはなっていないようだが、出来ればレンタルもして欲しい。まずは借りてきてマルクス兄弟初体験をし、そこからはまってマルクス兄弟主義者が増えていくのではないだろうか。

そもそも、わたしがマルクス兄弟と出会ったのは1987年の夏。地元の古い映画館だった。
ジャッキー・チェンの『プロジェクトA2』(1987)と『漂流教室』(1987)の二本立てを観に行ったところ、夏休み企画としてだったのだろうか更に一本増えて三本目として上映されたのが『マルクスの二挺拳銃』だったのだ。
あらかじめマルクス兄弟作品の上映があると知っていたならまだしも、予想しておらずすっかり油断しているところへ突然あのけたたましくイカれたバカ騒ぎに襲いかかられ、ガツンと良いパンチをもらってしまった。『漂流教室』の大きな失点も、『二挺拳銃』ラストの機関車大暴走で帳消しの上に大逆転となった。
それから、「マルクス観たい、マルクス観たい」とぶつぶつ唱えるようになった。これが東京に住んでいたなら名画座などで観る機会もあったろうが、出来ることといったら品揃えの多いレンタルビデオ屋の話を聞いては探しに行くぐらいで、当時ポニーキャニオンから出ていたMGM作品をようやくいくつか観ることは出来た。

未だに『ココナッツ』『いんちき商売』『ルーム・サービス』は観ていないが、どこかがソフト化ないし放映して欲しいものだ。
・・・と思っていたら2005/03/25に『ザ・ベスト・オブ・マルクスブラザース』の発売が決定。だからマルクス兄弟だっつーてんのに。もうどれがどのBOXだかさっぱりわかりゃしない。
『ココナッツ』『けだもの組合』『いんちき商売』『御冗談でショ』『我輩はカモである』の5作品収録で「おいおい、マルクスブラザース コレクションBOXと3作品もかぶってんぞ。どうせ同一マスターだろうから、せめてばら売りしてくれよ。そしたら『ココナッツ』と『いんちき商売』だけ買うから」と思うんだがどうせセット売りのみなんだろう。前2BOXが結構売れたのだろうか。ちなみに8,379円。
ともあれ2005年3月末のマルキシストは今夜も眠れないぞ。

2004年07月15日

水野晴郎シネマ館 どっちがオマケだ?

「ガムのオマケに映画のDVDが付いてくる。価格は税込み315円!」という情報がちょっと前にニュースサイトなどで飛び交った。
そんなに興味は覚えなかったのだが、コンビニで現物を見かけたら「『バリ島珍道中』は絶対欲しい。おっ、ロジャー・コーマンの『古城の亡霊』がある。恐怖映画俳優ボリス・カーロフが出てるのか、これは買いだな。アンドリュー・V・マクラグレン&ジョン・ウェインの『マクリントック』も良いし。うわー、うわー」と物欲中枢にアドレナリンが流れ込み、気が付いたら単品ではなく箱ごとレジに持って行っていた。ひょっとしてこの行為は“大人買い”ってやつか?うーむ、大人買い初体験。
幸いだったのは“買って開封しないと何が入っているか分からない”というシステムじゃなかったことだ。そうだったらダブリとやらで頭を悩ましていただろう。交換するといっても、『二人の女』を引き取ってくれそうな相手が思いつかない。ともあれ10枚で3,150円と、普通のDVD1枚かせいぜい2枚分の金額だ。しかも、ガムも付いてるしな。いや、逆か?でもガムったって一つに小さいのが一枚だしな。こちらがメインというのもかなり無理がある。
タイトルごとにほぼハガキサイズの水野晴郎氏によるリーフレットが付いている。400文字程度だが作品の見所や情報が記載されていてなかなかうれしい。ワーナーなんか通常タイトルでもチャプターリストすらついてないものな。

とりあえず『マクリントック』を鑑賞した。
まずは水野晴郎氏の解説から始まる。金曜ロードショーを思い出させて懐かしい。このスタイルが残っているのは今や木曜洋画劇場の「あなたのハートにはなにが残りましたか?」木村奈保子氏ぐらいなものだ。時折「なんにも残ってないよ!」と言い返したくなる作品もあるが、それはそれでテレビ東京の味だろう。
フィルムの傷が目立ち画質も良いとは言えないが、観るに堪えないという程ではない。近所のレンタルビデオ屋GEOで台湾プレスの今ひとつ謎なクラッシック作品群を見かけるが、それと同程度の画質だ。チャプターも打ってあり、字幕のON・OFFもできる。字幕の翻訳もそれなり丁寧で、ユニバーサル作品に時々あるような“明らかにおかしい字幕”ではない。全体的に値段を考えれば充分すぎる作りだ。
「1作品315円ならレンタルの方が安いじゃん」と言う人もいるかも知れないが、どのタイトルもレンタル用にはソフト化されていないか、ひょっとしたら『黄金の腕』あたりはなっているかも知れないが、かなり品揃えのしっかりした店じゃないと置いていないだろう。
画質に少しばかり難があっても、観れるだけでもありがたや。ぜひとも第2弾、第3弾を出してもらいたい。

2004年07月16日

『メダリオン』 ミツビーシ

『メダリオン』(2003) THE MEDALLION 飛龍再生 2004/06/26鑑賞

監督:ゴードン・チャン アクション監督:サモ・ハン・キンポー 製作:アルフレッド・チョン 製作総指揮:ジャッキー・チェン/ウィリー・チャン/アルバート・ヤン 原案:アルフレッド・チョン 脚本:アルフレッド・チョン/ゴードン・チャン/ポール・ホイーラー/ベネット・ジョシュア・ダヴリン/ベイ・ローガン 撮影:アーサー・ウォン 音楽:エイドリアン・リー
出演:ジャッキー・チェン/クレア・フォーラニ/リー・エヴァンス/ジュリアン・サンズ/ジョン・リス=デイヴィス/アレクサンダー・バオ

中学生の頃『プロジェクトA』を観て以来、数えてみると35本のジャッキー映画を映画館で観ていました。『メダリオン』が36本目。
『ラッシュアワー2』や『タキシード』が今ひとつだったので、さすがのジャッキーも年には勝てんかと思っていましたが、昨年末の『シャンハイ・ナイツ』がなかなかイイ。
ロンドンは下町での追い駆けっこが市場の屋台などセット・小道具を上手く活かしたスピード感のある物で、やはりジャッキーはバスター・キートンの正当なる後継者です。ただし悪人面ドニー・イェンとの格闘シーンは、ハイキックのヒットポイントの高さやスピードが明らかにドニーに劣っていました。まぁ一対一の格闘に関しては『スパルタンX』の対ベニー・ユキーデ戦などを除くとそんなにすごいのはなかったですから。

アクション刑事映画『メダリオン』ではダブリンで黒人を追いかけるシーンが良かったですね。壁の幅の狭い段差をトトトッと走り抜けるところや鉄格子の門をよじ登るところは見事。しかしもう50歳でしょう。若いというか落ち着かんというか。
病院での乱闘シーンはもう少し状況を活かしたアクションが欲しかったところ。

メダルの力でジャッキーが不死身になり、相棒がそれを確かめるためにナイフで刺してみる。ところが大丈夫。試しにもう一回、もう一回とやっているうちについ夢中になってプツプツと連続刺しをする。
子供がヘリコプターにさらわれ、ヘリに向かってビルの屋上からスーパージャンプをするがあとわずかのところで届かず、真っ逆さまに落下する。
などは笑わせてもらいました。

CGは使ってそうでカット数にすると案外使ってないんじゃないですかね。
少年がメダルを二つに分けるカットは、妙な動きで一旦服の袖元に持って行きますが、ひょっとして手品か?

ジャッキーと言えば三菱。
今作でも香港での自家用車、ダブリン空港でのレンタカーがそれぞれミツビシパジェロでした。
大丈夫か、タイヤ外れないか、クラッチ火を吹かないか。
えっ、不死身だから大丈夫?

2004年07月28日

『マッハ!』 仏像の頭を返せっ!

『マッハ!』(2003) ONG-BAK 2004/7/28鑑賞

監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ 製作:プラッチャヤー・ピンゲーオ/スカンヤー・ウォンサターバット 製作総指揮:ソムサック・デーチャラタナプラスート 脚本:スパチャイ・シティアンポーンパン 撮影:ナタウット・キティクン 美術:アッカデート・ゲーオコート 編集:タナット・スンシン/タナパット・タウィースック
出演:トニー・ジャー/ペットターイ・ウォンカムラオ/プマワーリー・ヨートガモン/スチャオ・ポンウィライ/チェータウット・ワチャラクン/ルンラウィー・バリジンダークン

予告編を観たときにはさして興味を引かなかった。いやそれどころか「CGを使いません。ワイヤーを使いません。スタントを使いません。早回しを使いません。最強の格闘技ムエタイを使います」というコピーには反感すら覚えた。
CGを使うか使わないか、スタントマンを使うか使わないかなどは、あくまでも作り手の都合といったようなもので、観客にとっては撮影現場がどうだろうとそれはまったく関係なく映し出された画面だけが全てだ。
例えば「このシーンは主役の俳優自身がスタントマンやSFXのサポート無しで実際に飛び降りた。だから凄いシーンだ」という感想は本質的に的外れである。スタントマンがサポートのワイヤーで支持されて飛び降り、CG処理でそのワイヤーを消したシーンであったとしても、観客に感じさせるインパクトがあれば何の問題もない。危険なアクションに体当たりで挑んでいることを変に持ち上げすぎるのは疑問である。
映画の黎明期ならともかく、現代映画におけるスタントマンとは、高度な肉体訓練を受け、車やバイクの運転技術に長けており、必要ならば爆発物に関する知識も習得したプロフェッショナルであるべきだ。だからこそ危険を含んだスタントシーンが実現できる。スタントマンが単なる命知らずの冒険野郎だとしたらスタントシーンは単に運任せになってしまい、死傷者が続出することだろう。
突き詰めるところ映画は“娯楽”だ。しょせん娯楽に人が命をかけたり大怪我する必要があるとはとうてい思えない。

それはそれとして、確かに『マッハ!』には身体を張ったアクションが連発するが、安全基準法を無視したような無茶なアクションは実のところ出てこない。ちゃんとしたスタントチームが参加していたようで、それなりに安全対策が取られている。主人公がトゥクトゥク(三輪タクシー)を飛び越えるシーンでは下にマットレスがちらっと映っていたりする。
一番の見所は主人公と相棒がチンピラに追いかけられるマンチェイスシーンだ。屋台の並ぶ路地裏を若き日のジャッキー・チェンを思わせる身軽さで跳んだり跳ねたりしながら逃げまくる。直径40センチもないような有刺鉄線の輪をくぐり抜けたり、運んでいる最中の大判ガラスの間をすり抜けたりとフットワークがとても軽い。大判ガラスが登場した時には、「ああ、これはその後で悪人が突っ込み割れるんだな」と思ったのだが、残念ながらそれはなかった。並んでいる人の肩の上をトトトトッと駆け抜けるシーンも良い。
一つのアクションを違うカットから二度、三度と繰り返すのもジャッキー風味。といっても別にジャッキー・チェンのコピーなわけではないが、まだ観ていない人には一番分かりやすい比喩だろうか。
相棒(南伸坊似)が追いつめられ、屋台のオヤジからから小さな包丁を奪ってそれで脅す。しかし、悪人たちはせせら笑ってぜんぜん気にしない。そこで大振りの中華包丁に取り替える。今度はおおっとビビる悪人たち。にらみ合う両者。緊張した瞬間が流れる・・・そしてその間を「えー包丁、包丁はいらんかね~」と山ほど刃物を背負ったオバさんの物売りが通り過ぎていく。このタイミングの絶妙なこと!

主人公のトニー・ジャーが「まるで体操選手みたいな動きだな」と思ったら、なんでもスタントマン出身なんだそうだ。なるほど、動きにキレがあるわけだ。代わりに格闘技は専門でないようで、売りであるムエタイのシーンはそれほど迫力がない。スピードはあるのだが、肘打ち・膝蹴りに破壊力が感じられず軽い打撃な印象だ。賭け闘技場を訪れ誤解からリングに上げられたときに、相手の頭部にハイキックを決めて一瞬で倒すのだが、その説得力としての衝撃の強さが伝わってこない。
技が決まっても「ペシッ」というスリッパで頭をはたいたような音しかしないのも迫力が不足している理由の一つだろう。もちろん、実際に人間が殴り合っても「バキッ!」とか「ドカッ!」などという音はしないのでリアルではあるのだが。
学生服を着た日本人(なんで学生服なんだ)とも戦うが、この日本人は負けるとさっさと降参し主人公が後ろを向いたところに襲いかかる分かりやすい卑怯者ぶりだ。グレート東郷か、お前は。
終盤になり主人公たちは古美術窃盗団のアジトに乗り込んでいく。山腹の洞窟というのがいかにも悪役っぽい。

タイの映画というので観る前に若干の偏見があったのだが、これがどうして(これも失礼な言い方だが)なかなかちゃんと映画になっている。
村から奪われた仏像の頭を取り返しに主人公が都会に出てくるという脚本はシンプルだが、アクションを楽しむ映画なので問題はない。画面的にも構図やカット割りがちゃんとしている。役者の演技については外国映画なのでちょっと分かりにくいが、南伸坊や人工声帯でしゃべるボスなどなかなか良かった。主人公は確かに大根だが。
タイ映画の今後には期待していいだろう。

2004年08月05日

『ムトゥ踊るマハラジャ』 近代の映画

『ムトゥ踊るマハラジャ』(1995) MUTHU

監督:K・S・ラヴィクマール 脚本:K・S・ラヴィクマール 音楽:A・R・ラフマーン
出演:ラジニカーント/ミーナ/サラットバーブ

『ムトゥ 踊るマハラジャ』をきっかけにインドの娯楽映画がマサラ・ムービーの名で流行したことがあった。わたしもいくつかの作品は観たのだが、どれも今ひとつ受け入れにくかった。歌や踊りなど様々な娯楽要素が詰め込まれているのはわかるが、ひたすら山場ばかりのストーリーと演出には“急”ばかりで“緩”が存在しておらず疲労を覚えた。そして無駄なカットとシーンが多いため上映時間も166分と作品のカラーにしてはずいぶんと長目だ。本来ならばカットすべきところそのままに、綿密な編集を行わずに完成させてしまった感がある。
これは“近代”映画であって、“現代”映画ではないなというのが感想だ。
確かに勢いは感じるが、勢いだけでしゃべる芸人は得てしてつまらないもの。それと同じような一種の空回りを感じた。
もっともインドは映画人口が多く、製作本数も世界のトップクラスなので、別に『ムトゥ 踊るマハラジャ』の様な映画ばかりでもない。『ムトゥ 踊るマハラジャ』だけを観てインド映画を語ることは『踊る大捜査線2』だけ観た外国人が日本映画を語ることに等しいだろう。
『サラーム・ボンベイ!』(1988)のような社会派作品や、『ストーミー・ナイト』(1999)などのサスペンス作品もあり、あまり日本では公開されることがないので現在の詳細は分からないが、進化をし続けているはずである。製作本数が多いだけに、どんな傑作が飛び出してくるかも分からない。そういった意味では楽しみである。

2004年10月26日

『ミッドナイト・ラン』 See ya in the next life. - 来世で会おう

『ミッドナイト・ラン』(1988) MIDNIGHT RUN 126分 1988/12/30鑑賞

監督・製作:マーティン・ブレスト 製作総指揮:ウィリアム・S・ギルモア 脚本:ジョージ・ギャロ 撮影:ドナルド・ソーリン 音楽:ダニー・エルフマン
出演:ロバート・デ・ニーロ、チャールズ・グローディン、ヤフェット・コットー、ジョン・アシュトン、デニス・ファリナ

ロバート・デ・ニーロというと「演技が上手い名優だ」といった評価をよく聞くが、わたしは本当にそうなんだろうかと疑問に思っている。
『レイジング・ブル』(1980)ではボクサーの現役時代と引退後と太ったり痩せたりして演じわけたり、『アンタッチャブル』(1987)ではアル・カポネ役のために太った上に生え際の髪の毛を抜いてハゲにしている。確かに根性がいるし肉体的にも大変だと思うが、それと演技力はまた別物ではないだろうか。
おそらく、ロバート・デ・ニーロは役者としてすごく不器用かつ真面目な人なのだと思う。その彼がメソッド演技と出会うことで、役になりきるためその外見やスクリーンには映らない内面を作り上げるといった行為に徹底してのめり込んでいったのだろう。
だが、わたしには感心するよりもむしろ「うっとおしい」「暑苦しい」といった印象が先に立ってしまう。ロバート・デ・ニーロだけではなくメリル・ストープやアル・パチーンなど他のメソッド演技を学んだ俳優からも同じような物を感じるので、メソッド演技というスタイル自体が好きではないのだろう。そもそも、役者が勝手にその役柄を固定してしまって、監督がそのシーンで要求する演技と異なりもめるという話を聞くことがあるが、こうなると本末転倒だ。役者は自分の役だけを考えればいいが、監督や脚本家は映画全体の流れを考えなければならない。当然、監督の演出が優先されるべきだ。
そんなロバート・デ・ニーロも最近は肩の力を抜いた演技の作品が多くなっている。いいことだと思う。これまた暑苦しいロビン・ウィリアムスと共演し、監督はペニー・マーシャルの『レナードの朝』(1990)なんて二度と見たくない。

ロバート・デ・ニーロ作品の中で一番好きなのが『ミッドナイト・ラン』だ。
いつもの「これでもかぁあ」という入れ込んだ演技ではなく、ロバート・デ・ニーロ本人の素顔に近いのではないかと思わせる等身大の姿だ。演ずるのはマフィアからの賄賂を受け取ることを拒んだばかりに罠にはめられ首になった元警官のジャック。現在は賞金稼ぎとして保釈金金融業者から依頼を受け、借りた保釈金を踏み倒して逃げた人物を連れ戻す仕事をしている。
今回の依頼は、マフィアの金を横領しそこから大金を慈善団体に寄付した会計士ジョナサンを捕まえてくること。金融業者は「ミッドナイト・ラン(日帰りでできる簡単な仕事:深夜にトラックを走らせるのは道がすいていて楽な仕事だという意味だそうだ)だ。」と言うが、ジャックと過去に因縁のあるマフィアやFBI、そして別の賞金稼ぎが同じくジョナサンを狙っている。こうして、ニューヨークからロスまで大陸を横断しての騒動が始まる。
『ビバリーヒルズ・コップ』の監督マーチン・ブレストらしく軽快なテンポで映画が展開されるが、ジャックがとうの昔に別れた妻と娘に未だに未練を持っていることを、古くなった腕時計を時折耳に当て動いているかどうかを確認する癖で表現するなど、なかなかどうしてあなどれない。
『スティング』(1973)にも似た胸のすく大逆転に続くラストの別れのシーンがまた良い。下手な映画だとここぞとばかりに盛り上げようとして逆に観客は冷めてしまうのだが、この作品では抑えた演出を崩さない。立ち去る途中のジャックが数歩行ったところでふと振り返ると、公衆電話の横にはもうジョナサンの姿がなく、そしてその後二人は二度と会うことはなかったのだろうなと感じさせる。うむむ、泣けるぜ。
これで『ミッドナイト・ラン2』とかいって再びジャックとジョナサンが組んだりするとこのラストも台無しなのだが、幸いなことにそれはなかった。
短気で怒りっぽいジャックに対し、常に冷静なジョナサンを演ずるのはチャールズ・グローディン。この人は他には『ベートーベン』(1992)ぐらいしかぱっと思いつかないのだが、ひょうひょうとしてつかみ所のない感じが良く出ている。
目立とうとする派手さはないが、噛めば噛むほど味が出てくるきっちりした娯楽映画だ。傑作である。

2004年12月11日

『メリー・ポピンズ』 メリーかメアリーか

『メリーポピンズ』(1964) MARY POPPINS 140分

監督:ロバート・スティーヴンソン 製作:ウォルト・ディズニー、ビル・ウォルシュ 原作:パメラ・L・トラヴァース 脚本:ビル・ウォルシュ、ドン・ダグラディ 撮影:エドワード・コールマン 作曲:アーウィン・コスタル 音楽:ロバート・B・シャーマン、リチャード・M・シャーマン
出演:ジュリー・アンドリュース、ディック・ヴァン・ダイク、デヴィッド・トムリンソン、グリニス・ジョンズ、ハーマイアニ・バドリー

久々に観た『メリー・ポピンズ』だが、こいつはディズニー実写映画のベスト作品だと思う。
『チム・チム・チェリー』や『一さじのお砂糖』そして『スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス』など名曲で彩られた愉快なミュージカル映画だ。

時と場所は1910年代の古き良きロンドン。建物の上には煙突が立ち並び道には馬車が走っている、そんな時代の話だ。
銀行で働くバンクス氏には女の子と男の子の姉弟である二人の子供がいる。その子供たちがわんぱくで今日も乳母(字幕では乳母となっているがむしろ住み込みの家庭教師といったところ)が「もうやってられません」と辞めて出て行ってしまう。
子供たちは「明るくて優しい乳母を捜しています」という募集広告を作ってバンクス氏に見せる。ところがバンクス氏はそれを破って暖炉にくべてしまい、自分で文を書いた「厳格でしっかりした乳母を求める」という募集広告を新聞に出す。そんな時、風が東の風に変わり、その風に乗ってコウモリ傘を差した一人の女性が空から舞い降りてくる。メリー・ポピンズと名乗るその女性は募集広告を手にバンクス家を訪れる。だが、彼女が差し出したその募集広告はバンクス氏が昨夜確かに破って捨てたはずの子供たちの書いた物だった。どうにも不思議なこの女性は乳母として採用され、そして奇妙で楽しい出来事が次々と始まるのであった。

映画の随所にディズニーらしい特撮が使われている。
メリー・ポピンズが風に乗って舞い降りてくるシーンはジュリー・アンドリュースをケーブルで吊った合成無しのフライング効果によるもの。ワイヤーがかすかに判別できるがそんなことよりもふわりふわりと浮き沈みする風の流れを感じさせてくれる優れた効果だ。ジュリー・アンドリュースはにこやかな笑顔を浮かべているが実際にはかなり苦しい撮影だったはず。
大道芸人・煙突掃除人のディック・ヴァン・ダイクが描いた絵の中にみんなで入り込むシーンでは実写の人物がアニメの背景と合成され、ペンギンやキツネなどアニメのキャラクターと触れ合い一騒動になる。
メリー・ポピンズが鏡の中の自分とデュエットするシーンなど合成も多用されている。
1964年という製作年度から考えるとかなり高度な技術だったことが分かるが、それよりもそのシーンをどうやって面白い物にするか、原作や脚本にあるイメージをいかに魅力的な映像化するかに工夫が施されているところが重要だ。

もちろん『ミュージカル映画』としてもにぎやかかつ愉快だ。
ジュリー・アンドリュースはブロードウェイの舞台ミュージカルだった舞台版『マイ・フェア・レディ』で主演をつとめ上げていた人なので歌はもちろん上手い。顔は美人と可愛いの中間ぐらいでなかなか好み(わたしの好みはどうでもいいか)。今回調べてみたところこの『メリー・ポピンズ』が映画デビュー作だが新人とは思えぬ堂々たる主演ぶりで、さすがブロードウェイで鍛えられた人は違う。唯一の欠点といえば夫が映画監督のブレイク・エドワーズということぐらいか。いや、『ピンク・パンサー』シリーズなどのファンには悪いんだが、わたしはブレイク・エドワーズって嫌いなんだ。どうにも野暮ったくって。1981年に『S.O.B.』(日本未公開・ビデオリリースのみ)なんてのをジュリー・アンドリュース主演で監督しているが、これがもうひどくて・・・ジュリー・アンドリュースも夫が監督・製作なんでしょうがなく出演したんだろうなぁ。

バンクス氏の近所には元英国海軍の提督が船型の家を建てて住んでいる。その屋根にマストや操舵輪を据えているのはまだしも、大砲まで設置してあり毎日定刻になると部下に命じて時報として空砲をぶっ放す。すると近所の家にはその轟音と衝撃で揺れ動き家具が動いたり花瓶が落ちたりするのだが、隣人もそこら辺は心得た物でちゃんと落ちては困る物のそばで控えてドッカーンとくるとタンスを押さえたりつま先でコップを受け止めたりする。実はここが一番好きなシーンだったりする。次は煙突掃除人集団のダンスだろうか。

笑い出すと宙に浮かんでしまうおじさんというのが出てきて、そこを訪れたメリー・ポピンズと子供たちまでついには笑って浮かびだしそのままお茶の時間になるというシーンがある。ここがどうもよく分からないのだがイギリスには「あんまり笑ってると空に飛んじゃうぞ」とかいう笑うのを戒めることわざがあるのだろうか。
そういえば「スミスという名の義足の男」のギャグも日本語に翻訳するとほとんどギャグになっていない。

映画のタイトルは『メリー・ポピンズ』だが原作の翻訳本だと『メアリー・ポピンズ』となっている。これはやはりMARYの発音がイギリス式とアメリカ式で違ったりするのだろうか。わたしは子供の頃に本の『メアリー・ポピンズ』を読んでいたのでどうも『メリー・ポピンズ』という呼び方には違和感があってしょうがない。
そうそう、ディック・ヴァン・ダイクは実は二役をこなしている。大道芸人・煙突掃除人以外のさて誰を演じているでしょうか?

2004年12月20日

『マイ・ブルー・ヘブン』 証人保護プログラム

『マイ・ブルー・ヘブン』(1990) MY BLUE HEAVEN 95分 2004/12/19レンタルDVDにて鑑賞

監督:ハーバート・ロス 製作:ハーバート・ロス、シンシア・シルバート 製作総指揮:ゴールディ・ホーン、ノーラ・エフロン、アンドリュー・ストーン 脚本:ノーラ・エフロン 撮影:ジョン・ベイリー 音楽:アイラ・ニューボーン
出演:スティーヴ・マーティン、リック・モラニス、キャロル・ケイン、ジョーン・キューザック、メラニー・メイロン

FBIの捜査官ニック・モラリスに連れられ裁判まで身を隠すために証人保護プログラムで田舎町に連れてこられたイタリアンマフィアの一員スティーヴ・マーティン。髪の毛をツンと逆立てた伊達男のスティーヴ・マーティンは身を隠すどころかトラックの積み荷を奪ったりスピード違反でパトカーに捕まったりと好き勝手し放題。そんなスティーヴ・マーティンに、パンケーキに塗る蜂蜜の量まできっちり決めているという杓子定規で野暮ったいニック・モラリスは振り回されてばかり。
しかし、段々とスティーヴ・マーティンの影響を受けてパリッとしたスーツを新調したりジョークを飛ばすようになっていく。
だが、スティーヴ・マーティンの証言を食い止めるため殺し屋が差し向けられてきて・・・

朴念仁が洒落者に振り回されるが、トラブルを乗り越えていく次第に打ち解け合っていく定番コメディ。だがどうにもつまらない。
ニック・モラリスの“急変”とも言える変わりぶりが「何で?」としか思えない。95分という尺の短さのせいかも知れないが、もう少し心の動きをちゃんと描いて欲しかったものだ。
スティーヴ・マーティンの暴れぶりも妙に良心的なところがあって弾け切れていないのが残念だ。
その田舎町には証人保護プログラムで死んだことになってその後新生活を送っている元マフィアたちが大勢いるのだが、その設定を少しは有効に利用できなかったものか。隠居したジジイたちが昔取った杵柄と現在の職業を活かして殺し屋相手に立ち向かうなんてのは面白そうなんだが。

製作総指揮に名を連ねているゴールディ・ホーンはあの女優のゴールディ・ホーンだ。製作だけで出演はなし。
『ハウスシッター 結婚願望』(1992)でスティーヴ・マーティンと共演しているからその縁か?

2005年02月15日

『ミッションX』 お子様怪盗団、銀行を襲撃!

『ミッションX』(2004) CATCH THAT KID アメリカ/ドイツ 92分 2005/02/13レンタルDVDにて鑑賞

監督:バート・フレインドリッチ 製作:アンドリュー・ラザー、ウーヴェ・ショット 製作総指揮:ジェームズ・ドッドソン 脚本:マイケル・ブラント、デレク・ハース 撮影:ジュリオ・マカット 音楽:ジョージ・S・クリントン
出演:クリステン・スチュワート、コービン・ブルー、ジェニファー・ビールス、サム・ロバーズ、ジョン・キャロル・リンチ

 レンタルDVDのパッケージは普通のアクション映画っぽいが、実際には徹底したお子様ムービー。『スパイキッズ』の類だと思ってもらえば間違いない。
アクション映画だと思って借りてしまったわたしだが、フットワークは軽いので冒頭で子供向けと分かった時点でそのように見方を変えたところ、案外楽しく観ることができた。パッケージは詐欺だと思うし、アクションコーナーじゃなくてキッズ向けコーナーに置くべきだと思うけど。

 主人公の少女はロッククライミングが趣味で今日も工場の建物に登って記録を更新したばかり。演ずるのは『パニック・ルーム』(2002)でジョディ・フォスターの娘役だったクリステン・スチュワート。『パニック・ルーム』では若年性糖尿病だったが、今作では元気いっぱいな、少々元気すぎる健康少女だ。
彼女の父親はエベレストに登ったこともある元登山家。フリークライミングでの事故で背中に大きな怪我を負っており、それが元で突然倒れこのままでは下半身不随になってしまう。手術をすれば回復するかも知れないのだが、それには25万ドルの費用が必要だ。困り果てた少女は、親友であるゴーカート整備が得意な少年と、ビデオの撮影とコンピュータが趣味の少年と共に、母親が警備システム開発をしている銀行ビルの大金庫に25万ドルを盗むために忍び込むことにするが・・・

 二人の男の子は少女に恋していて三角関係の恋のさや当ても見所の一つだ。主人公は時に自分への恋心を巧みに利用して少年を操る。オタクっぽい少年二人は、クリステン・スチュワートの甘い言葉や頬へのキスに振り回されてもうメロメロだ。考えてみれば末恐ろしい娘だ。
いくら母親のコンピュータなどから情報を引き出したにしても銀行ビルへの侵入が簡単すぎる気もするが、防犯のため大金庫が宙づりになった金庫室はセットも大きく一番の見せ場である。フリークライミングの要領で金庫まで登っていくシーンは、泥棒映画の名シーンの一つに加えても良いのではないだろうか。
他にも、コンピュータのハッキングや防犯ビデオへの偽画像、ゴーカートでの逃走劇など主人公たちそれぞれの特技がちゃんと活かされている。ただどうせなら、主人公のまだ幼い弟も盗みに付いてくることになるのだから、小さな子でしか入っていけないところに行って鍵などを取ってくるとか、あるいはスイッチを押してくるなどして、単なるお荷物ではなく活躍シーンが欲しかったところだ。

 主人公の母親はジェニファー・ビールス。『フラッシュ・ダンス』(1983)から22年が経っておりすでに単なるオバサン。
銀行の支店長はギャグが多く、ラストには頭取に啖呵を切るなどおいしい役どころ。あのカツラは反則だよな。

 お金を盗んでめでたしめでたしと終わるわけにはいかないが、さてどうやって終わらせるかと思っていたらちゃんとオチを付けてくれた。ほとんど全員がハッピーハッピー。
 で、恋の結末は?

2005年02月16日

『Mr.インクレディブル』 やっぱヒーロー稼業はやめられない!

『Mr.インクレディブル』(2004) THE INCREDIBLES アメリカ 115分 2005/01/23鑑賞

監督:ブラッド・バード 製作:ジョン・ウォーカー 製作総指揮:ジョン・ラセター 脚本:ブラッド・バード 音楽:マイケル・ジアッキノ
声の出演:クレイグ・T・ネルソン、ホリー・ハンター、サラ・ヴォーウェル、スペンサー・フォックス、エリザベス・ペーニャ、ブラッド・バード、サミュエル・L・ジャクソン、ジェイソン・リー

 ピクサームービー第6弾はついに人間が主人公になった。人形や動物と比べると人間をCGで表現するのはずっと難しい。だが賢明なるピクサーのこと、どこぞの『FINAL FANTASY』の凡庸なる制作陣とは違い人間を緻密かつリアリティを持って描写しようなどとは決して思わず、適度にデフォルメ、適度にリアルな登場人物たちを作り上げている。CGなのだが、質感としては『ウォレスとグルミット』などのクレイ・アニメーションに近い。デジタルなCGでアナログなクレイ・アニメーションを再現するとは面白い。

 主人公のMr.インクレディブルはタイツ姿のコスチュームを着たスーパーヒーロー。正確には元スーパーヒーローで現在は保険会社のサラリーマンとして日陰の人生を歩んでいる。飛び降り自殺した人を受け止めて助けたところ、「自殺する権利を侵害された。しかも首がむち打ち症になった」と訴えられ、他の件でも訴えられてついにアメリカではスーパーヒーロー禁止法が制定されてしまったからだ。
スーパーヒーローがテレビのニュースや新聞で弾劾されていくところやその後の落ちぶれた様子は、『キャプテン・ザ・ヒーロー 悪人は許さない』(1983)を思い出させる。考えてみれば警察や消防でもないのに悪人を捕まえたり災害を防いだり、スーパーヒーローは何の権利があってやっているのだろうか。キャプテン・アメリカは第二次大戦中のドイツ軍と戦っていたが、あれは軍人扱いなのだろうか、それともゲリラかパルチザンなのだろうか。前者ならばドイツ軍に捕まっても捕虜収容所行きですむが、後者ならば問答無用で銃殺だ。ずいぶんとした違いである。
そう、司法・行政・立法がちゃんと機能していて人心が穏やかならば、実のところスーパーヒーローは必要ではないのだ。理想とされる現代社会にスーパーヒーローは必要ではない、必要とするならばそれはその社会がまだ近代にとどまっている証拠である。もちろん、スーパーヒーローの不在=理想的現代社会ではない。そのことは今の日本を見れば分かる。
 そんなMr.インクレディブルに政府の謎の組織からヒーロー復帰の依頼が来る。少々太ってしまったMr.インクレディブルがダイエットや鉄道貨物置き場でトレーニングして鍛え直すシーンが笑える。そういえば、あまりアメリカンコミックのヒーローが日常のトレーニングや特訓しているのを見たことがない。スーパーマンなんかクリプトン星生まれの異星人だから強いという理屈で、腕立てや腹筋の必要はないのだ。日本のコミックやアニメのヒーローは何かというと特訓や修行だが、ここら辺大きな違いである。今年公開予定の『バットマン ビギンズ』では若き日のバットマンがチベットかどこかでリーアム・ニーソンから武術の指導を受け修行するシーンに重点が置かれているそうでちょっと珍しい。
 邦題では『Mr.インクレディブル』となっているが、原題は『THE INCREDIBLES』で『インクレディブル一家』とでもいったところか。実際、父親であるMr.インクレディブルの特殊能力は怪力だがあまり頭の回転は速くないようで、悪党シンドロームとその部下の美女にころっと騙されて捕まっておりあまり頼りにならない。それを助け支えるのが身体がゴムのように伸び縮みする奥さんのインクレディブル夫人(元イラスティ・ガール、子供が二人もいるのでさすがに“ガール”と名乗るのは止めたようだ)、透明になったりバリアを張ることの出来る娘のヴァイオレット、走ったりするスピードが超高速な息子のダッシュ、そしてまだ産まれたばかりの赤ん坊ジャック・ジャック。ジャック・ジャックの特殊能力は観てのお楽しみ。
 スーパーヒーローシステムが崩壊したのは社会の変革だけでなくその敵である悪玉がいなくなってしまったことが大きい。ジャンルは違うが、ソビエト連邦の崩壊で007シリーズの最大の的KGBがいなくなってしまい、それ以降停滞しいまだ迷走中なのと似通っている。今作の敵はスーパーヒーローに憧れそしてついになれなかった一人の悲しい男。インクレディブル一家がやっつけた爽快感の中でどこか悲しい。

 スーパーヒーロー御用達のコスチュームデザイナーの登場には笑った。そういえば、スーパーヒーローたちのあの衣装はどこから調達してくるのか案外謎だった。『スパイダーマン』のピーター・パーカーは器用にも手作りしていたようだが、その友人である『デアデビル』は目が見えないのにどうしているんだ?教会の神父に手伝ってもらってるんだっけか?
昔デザインした紺色のコスチュームを「嫌ね、古くさくて見たくもない」と焼き捨て、ポスターなどに登場する赤いコスチュームを作る。
「マントは?」と聞かれると「マントなんて駄目よ。格好良くないしそれに危険でしょ」と答える。
そう、これまでに何人ものスーパーヒーローがマントが絡まったり引っかかったり巻き込まれたりして非業の死を遂げているのだ。これえはひょっとしたら大物スーパーヒーロー“スーパーマン”へのくすぐりかも知れないし、それ以上にマントを付けてスーパーヒーローごっこをしたがる子供へのメッセージでもあるだろう。自分も子供の頃に風呂敷などの大きな布をマントにして遊んだが、よく考えるとあれは枝や手すりに引っかかって首つりになったりといかにも危なそうだ。
というわけで、小さなお子様よマントを付けてのヒーローごっこは禁止だ。もちろん大きなお子様もな。

2005年03月20日

『マッスルモンク』 お前の前世は見切ったぜ

『マッスルモンク』 (2003) RUNNING ON KARMA 93分 香港 2005/03/20鑑賞

監督:ジョニー・トゥ、ワイ・カーファイ アクション監督:ユエン・ブン 脚本:ワイ・カーファイ、ヤウ・ナイホイ 音楽:キャシーヌ・ウォン
出演:アンディ・ラウ、セシリア・チャン、チョン・シウファイ、カレン・トン、ユエン・ブン

 鋼の筋肉を持った少林寺の坊主がクンフーで大活躍するか、身体を鍛え上げても煩悩を振り払えなかったボディビルダーが仏門にはいるのか、どちらにしてもアクションコメディだろうと思っていた。
なんと言ってもアンディ・ラウの着ぐるみ式筋肉肉襦袢が見るからに大笑いで、どう考えてもシリアスな映画だという印象を持つはずがない。
ところが、この映画はシリアスでしかも重い。アクションシーンはあるが、ほとんど爽快感を感じさせないまま“カルマ(業)”をテーマにして映画は進んでいく。

 主人公のアンディ・ラウは相手の背負ったカルマが見える特殊能力を持った坊主。撃ち殺された警察犬は前世で犬を打ち殺した子供だったためにそのカルマで死んだ、といったことが見えてしまう。ヒロインである女性刑事の前世は戦争中に中国人を日本刀などで虐殺した日本兵で、そのカルマによって何度も死の危険にあう。カルマを背負った人を助けても、いずれはまたそのカルマが死を呼び寄せてしまう。人はそのカルマから解き放たれることはないのか?坊主は苦悩する。
男の日本兵が女性中国人に生まれ変わるなど、前世は性別・国籍が関係ないようだ。ナチスドイツの将校が前世のユダヤ人とかもいるのだろう。あー、ユダヤ教やキリスト教には前世という考え方がないか。警察犬の前世は人間の子供だったが、ということは犬が前世の人間もいるのだろうか。わたしとしては前世ではなく来世は猫に生まれ変わりたい。もちろん飼い猫。あいつらぐらい将来の不安とか行く末を考えずに暮らしている連中はいないだろう。
映画のストーリーに筋肉はほとんど関係していない。あえていうなら男性ストリップとボディビルダーコンテストのシーンぐらいだが、なければないでかまわないシーンだ。何故アンディ・ラウを筋肉だるまにしなければならなかったのか、謎である。

香港アカデミー賞で作品賞ほかを受賞しているそうだがこれまた謎だ。仏教的観点から観ないとこの作品の良さが分からないのだろうか。うむむ、寺に入って修行するか。

2005年05月12日

『マリリンとアインシュタイン』 マリリンっぽい人とアインシュタインっぽい人&その他

『マリリンとアインシュタイン』(1985) INSIGNIFICANCE 109分 イギリス

監督:ニコラス・ローグ 製作:ジェレミー・トーマス 脚本:テリー・ジョンソン 撮影:ピーター・ハナン 編集:トニー・ローソン 音楽:スタンリー・マイヤーズ
出演:テレサ・ラッセル、マイケル・エミル、ゲイリー・ビューシイ、トニー・カーティス

 限りなく「それアインシュタインだろ」という科学者や限りなく「それマリリン・モンロー」だろという女優が「無意味」な議論や会話を繰り広げる奇妙な映画。他には「それジョー・ディマジオだろ」な野球選手と「それマッカーシーだろ」という上院議員などが登場する。無意味というのはその議論や会話が役に立たないという意味ではなく、哲学的な不条理さゆえに実用的な意味が無く無意味ということ。
 科学者が練り上げた画期的な理論も、女優の世界的な人気も、名野球選手の輝かしい功績も、共産主義を駆逐しようと赤狩り先頭に立つ上院議員の意見も、それぞれ等しく意味がない。考えようによってはかなりヤバい思想に基づく映画だ。
 危ないなと思っていたら、やはりハリウッド映画ではなくイギリス映画だった。ハリウッド作品ではまだ赤狩りのことをちゃんと描いた映画はないしな。えっ?『マジェスティック』(2001)?なにを寝ぼけたこといってやがりますか。
監督が『地球に落ちてきた男』(1976)、『トラック29』(1987)だけあって幻想的なシーンも目立つが、個人的には“女優”が列車の模型と風船、そして懐中電灯の明かりを使って“科学者”に特殊相対性理論を解き明かすシーンが印象に残っている。
 野球選手役のゲイリー・ビューシイは割と好きな俳優の一人。ゲイリー・ビジーと記載される場合もある。『サンダー・ブラスト 地上最強の戦車』の主役とか『沈黙の戦艦』の悪海兵士官とかを演じている。あんまり出演する作品を選んでなさそうな無造作振りが良い。一時はドラッグ中毒で廃人寸前との噂も聞いたが、見事立ち直ったようだ。もっとも、最初っからドラッグ中毒にならない人の方が偉いんだが。
 上院議員役のトニー・カーティスは『チキチキマシーン猛レース』の元ネタである『グレートレース』(1965)や『パリで一緒に』(1963)の頃は笑うと歯がキラーンと光るタイプの二枚目だったのだが、年を取ると顔の造作が崩れたような不細工になってしまった。てっきり事故にでもあったのかと思ったがどうやらそうではなさそう。
 女優役のテレサ・ラッセルはニコラス・ローグの奥さんだそうな。

2005年05月14日

『ミーン・マシーン』 観客なしのサッカー試合

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『ミーン・マシーン』
(2001) MEAN MACHINE 98分 アメリカ
監督:バリー・スコルニック 製作総指揮:アルバート・S・ラディ、マシュー・ヴォーン、シンシア・ペット=ダンテ 原案:トレイシー・キーナン・ウィン 脚本:チャーリー・フレッチャー、クリス・ベイカー、アンドリュー・デイ 撮影:アレックス・バーバー 音楽:ジョン・マーフィ
出演:ヴィニー・ジョーンズ、ジェイソン・ステイサム、デヴィッド・ヘミングス、ラルフ・ブラウン、ヴァス・ブラックウッド

 日本対北朝鮮のワールドカップ予選は第三国のグラウンドで観客を入れず関係者のみで行われるそうだ。サッカーにはほとんど興味がないが、観客なしのサッカー試合ということで思い出したのがこの『ミーン・マシーン』だ。
人によっては『ミーン・マシーン』でピンときただろう。ロバート・アルドリッチ監督、バート・レイノルズ主演による傑作『ロンゲスト・ヤード』(1974)の変化球的リメイクになる。
『ロンゲスト・ヤード』は刑務所に収容された元名アメリカン・フットボール選手が囚人達のアメフトのチームを作り上げ、ついには看守チームと対戦する、男たちのプライドとしぶとさを痛快に描いた作品だ。
『ミーン・マシーン』では舞台をイギリスに移し、アメフトからサッカーに変更するなどいくつも違いがあって、オリジナルを観た人も観ていない人も楽しめる刑務所サッカー映画になっている。
主人公は八百長のためサッカー界を追放された元名プレイヤー。イギリスではサッカーが盛んだそうだから、社会的にも居場所をなくしてしまったのだろうか、飲酒運転と警官への暴行で刑務所行きになってしまう。
刑務所の中は当然のごとく犯罪者ばかり。成り行きで囚人チームを結成し、地元では強豪な看守チームと対戦することになってしまう。最初は適当にやっている囚人達だったが、厳しい練習を積むうちに次第にプライドを取り戻していく。
そしてついに試合の日が訪れた・・・

 『ロンゲスト・ヤード』では観客や応援団を入れたにぎやかな試合だったが、刑務所のグラウンドで行われる『ミーン・マシーン』の試合は観客はなくただラジオの実況中継だけが行われる。
確かに、囚人と観客の試合を刑務所ではない一般のグラウンドでやるはずはないのだが、これではにぎやかさに欠けちょっと寂しい。
さほど予算の多い映画ではなさそうなので、手間や金のかかるエキストラは使えなかったということだろうか。しかしそれでは『ロンゲスト・ヤード』のあのラストシーンは成立しない。そのためラストは別の物となっているが、これは『ロンゲスト・ヤード』の方が絶対に良い。
主人公のヴィニー・ジョーンズは『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』などに出演している俳優だが、元はプロサッカー選手だそうだ。さすが足技や動きが上手い。
例によってジェイソン・ステイサムが無駄に暑苦しくて良い。
看守側に『ロンゲスト・ヤード』のエド・ローターのような魅力的な人物がいないことが残念だ。それで何割か個人的な評価は落ちてしまった。

 『ロンゲスト・ヤード』は最近アメリカで再リメイクされたそうだ。なんでもバート・レイノルズも出ているとか。
でもメイン・キャストがアダム・サンドラーとクリス・ロックってのはどういうことだ?負け犬という泥沼からはい上がる男たちの映画ではなく呑気なコメディになっているのだろうか。

2005年05月25日

『マジェスティック』 俺のスイカに手を出す奴は生かしちゃおかねえ!

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『マジェスティック』(1974) MR. MAJESTYK 103分 アメリカ

監督:リチャード・フライシャー 製作:ウォルター・ミリッシュ 原作・脚本:エルモア・レナード 撮影:リチャード・H・クライン 音楽:チャールズ・バーンスタイン
出演:チャールズ・ブロンソン、アル・レッティエリ、リンダ・クリスタル、リー・パーセル、ポール・コスロ

 今日も夕食後にメロンを食べる。がんばって食べたがまだ半分残っている。
 さて、メロンが出てくる映画ってなにがあったかなと記憶を探るが、情けないことに何も思いつかない。途中でちょっと食べてるだけでいいんだが、観る端から忘れていってしまうわたしの記憶力はあまり役に立たない。
 ようやくと思い出したのがこの『マジェスティック』(1974)だ。ジム・キャリーが主演した同タイトルの映画もあるが、あんな駄作と比べちゃいけない。映画ファンなら『マジェスティック』といえばチャールズ・ブロンソンで決まりである。
 この映画に登場するのはスイカなので厳密にはメロンではなくウォーター・メロンだ。だが、まあ似たようなものだろう。原語のセリフでは「MELON」「MELON」って言ってるし。

 チャールズ・ブロンソンは軍のレンジャー部隊やベトナム戦争経験もあるタフな男。いろいろあって妻に離婚され一人娘とも何年も会っておらず、昨年からは160エーカーもあるスイカ農場を経営し始めた。軍人経験がまるっきり活かされていないちょっと微妙な転職だ。子供の頃からスイカ作りに興味があったとか、スイカが大好きで大人になったら腹一杯食べたいとか、そういうバックボーンはまるっきりないようで、なぜにスイカ牧場を経営しようと思ったのか謎だ。

 チャールズ・ブロンソンと言えば戦う男であった。妻と娘を襲われた復讐で街のダニどもを殺し始めたり、トップ・レディ(大統領夫人)を守るために戦ったり、白いバファローを執拗に追いつめ対決したり、メキシコ人の村と子供達を守るために盗賊団と戦う。生涯を戦いに捧げた男であった。
 だがさすがに「スイカを守るため」というのはこの作品ぐらいなものだ。悪徳労働者口入れ業者に脅されたり、留置所を逃げ出した大物殺し屋に命を狙われても、主人公マジェスティックは眉毛を軽く動かすだけで常に冷静に対処していた。だが、殺し屋とその仲間達が留守中の農場を襲い、収穫して積み上げられたスイカの山を拳銃やサブマシンガンの標的にして打ち砕いていったのを見つけたとき、マジェスティックの拳は初めて固く握られるのであった。彼にとってこの収穫が最後のチャンスだったとはいえ、スイカのために激しい怒りを燃え上がらせる主人公というのも初めてであろう。

 監督はリチャード・フライシャー。昔はリチャード・O・フライシャーと呼ばれていたが、いつの間にかOが消えてしまった。この作品でも娯楽映画として見事な手腕が発揮されている。
 悪徳口入れ業者に訴えられたために逮捕され留置所に放り込まれたマジェスティック。そして留置所には有名な殺し屋も収容されていた。その容疑者達が護送バスで他所へと運ばれるシーンが素晴らしい。場所は昼日向のメインストリート。道の両サイドにはビルが建て並んでいて、通行人が平和そうに行き交っている。そこを通り抜けようとした護送バスの前に、ストッキングで覆面をした男が立ちふさがり拳銃で運転手を射殺する。そこから殺し屋の仲間達が護送バスやパトカーを襲い始め、見事な銃撃戦が始まる。
 日常的な街並みの中で、銃声が鳴り響き車が炎上する。次々と撃ち殺される警官や悪党達。迫力満載かつリアルな銃撃戦だ。街中での銃撃戦ではマイケル・マンの『ヒート』(1995)などが有名だが、わたしは『ヒート』よりも『マジェスティック』を支持する。
 終盤の山荘での対決シーンも少人数だが緊張感があり最高。

 人気作家エルモア・レナードが脚本を担当しており、本人の手によって小説化もされた。文春文庫で刊行された『ミスター・マジェスティック』がそれだ。
 基本ストーリーや登場人物はほぼそのままに、上映時間のためなどもあって映画では省略されてしまう細部や心理描写が書き込まれている。

2005年06月22日

『モーニングアフター』 朝起きて、ふと手を見ると血まみれ

『モーニングアフター』(1986) THE MORNING AFTER 103分(?) アメリカ 1987/04頃鑑賞

監督:シドニー・ルメット 製作:ブルース・ギルバート 脚本:ジェームズ・ヒックス 撮影:アンジェイ・バートコウィアク 音楽:ポール・チハラ
出演:ジェーン・フォンダ、ジェフ・ブリッジス、ラウル・ジュリア、ダイアン・サリンジャー、キャシー・ベイツ

 今朝起きて「ふわぁぁぁ」と大きなあくびをしたところ、口の前を覆った右の手の平が血まみれだった。うぎゃっ!とびっくりして辺りを見渡すと枕にもベットリと血の痕が残り、そしてベッドの隣側には刃物で喉をかっ斬られた若い美女の死体があり、床には血の手形がついた出刃包丁が転がっている。
 あっ、この女性は昨日の飲み屋で知り合った娘ではないか。妙に話があって意気投合し・・・俺の家で飲み直さないかと誘って上手く連れ込んだという記憶がかすかに残っているが、アルコールのため詳しいことを憶えていない。何かの拍子に口論になりカッとなった俺が包丁で刺し殺したのか?まさかそんな馬鹿な。でも記憶がないのも事実だ。
 ピンポーンと呼び鈴が鳴った。出るわけにもいかないのでそのまま無視しておく。すると呼び鈴は何度も何度もしつこく鳴り続ける。宅配便にしてはおかしいと思い始めたころにかわらけ声が響いた。
「東森さん開けてください、いるのはわかってますよ。わたしは○○警察署の吉田です。早く開けないと不利なことになるだけです」
 誰に連絡をしたわけでもないのに、何故こんなに早く警察がやってくるんだ。俺が殺したのか、あるいは誰かに罠に嵌められたのか。
 俺は窓を開けてベランダに出ると下を見渡した。制服姿の警官が玄関側の様子を気にしつつ見張りとして立っている。俺の部屋はアパートの3階なのであまり上は気にしていないようだ。慌てて服を着替えると財布をポケットに入れた。昨日着ていたスーツに入っているクレジットカードも持って行こうと思ったが、カードを使った時点で警察に居場所がばれるのに気づきジャケットはそのまま放り投げた。それはうつろな目を見開いたままの娘の顔に覆い被さった。そうだ、彼女が持っている現金を借りておこうとベッドサイド置かれた彼女のバッグを調べると財布とカード入れが出てきた。現金はさほど入っていなかったが免許証と学生証が見つかった。ようやくと知った彼女の名は日向暁美、なんとお嬢様学校として有名な女子大の2年生だ。住所も高級住宅地のど真ん中で、部屋番号などは書かれていないので一軒家だろう。
 俺は靴を履くとベランダへ出た。隣に立っている二階建ての民家まで距離にしておよそ3メートル。絶頂期のカール・ルイスならともかく、助走なしでこの距離を飛ぶのは難しい。ダイニングの椅子をベランダに置く。そして部屋の端から全力疾走で駆け出すと椅子を踏み切り台にして宙に舞った。10秒にも感じられた滞空時間を経て俺は隣家の瓦屋根に着地した。数枚の瓦が砕け俺も左足を軽く捻った。物音に気付いた警官がこちらを気にしているのが感じられた。1分ほどじっと気配を消してから屋根の反対側へ移り、壁づたいに地面に下りた。
 アパートの方はだんだんと騒がしくなっており、近所の人たちが何事かと様子を窺いに道ばたへと出てきている。俺はこの場から立ち去ることにした。
 まずは飲み屋のマスターに話を聞きに行こう。あまり上等とはいえないあの店にお嬢様学校の学生が来ていたというのはどこか不自然だ。彼女が来たのは始めてか、それとも前にも来たことがあったのか。一人で来たのか、連れと一緒だったのか。
 何かただ事ならぬ感じは受けていたが、俺はこれから4日間の間に警察と組織から執拗に追われ、危険と陰謀が渦巻く一世一代の危機が待ち受けているとはまだ夢にも思っていなかった。

 多少脚色してあるが、上記のようなことが今朝方起きた。どの辺りが脚色部分かといえば美女の死体を見つけたところから飲み屋のマスターに会いに行くところまでかな。
(つまりほとんど嘘ってことだろ)
 だって、わたしは酒をやめっちゃったんで飲み屋にはいかないもんなぁ。お姉ちゃんと意気投合して部屋に連れ込むのはいつものことだけど。
(それが一番の大嘘だろ)
 手の平と枕に血がついていたことは本当。すでに乾いてこすると粉状になった。どうやら寝ている間に鼻血が出たらしい。結構な量が流れたはずだ。
 朝起きたら手に血が付いていて、ベッドには刺し殺された死体があったというシチュエーションで始まるのが『モーニングアフター』だ。映画に話を持って行くまでがやたら長いが、『モーニングアフター』のことなんかこれっぱかしも憶えていないのだからしょうがない。比喩や冗談ではなく本気で憶えていない。かろうじてジェーン・フォンダオバサンの演技がクドかったような気がするぐらい。
 わたしがダメダメ監督シドニーコンビの片割れシドリー・ルメットの映画なんて好きこのんで観に行くはずがない。ちなみにコンビのもう一人はシドニー・ポラック。わたしが勝手にダメダメシドニーコンビと呼んでいるだけなのでそこら辺はちょっと注意。地元の古びた映画館で観ており、公開時期から考えて二本立てだったのは間違いないからもう一本の方を目当てで観に行ったに違いない。
 その頃はなにぶん呑気でお気楽な生活をしていた大学時代で、休日ではなく平日の日中から映画館に行った。その映画館は土・日は9時から上映がスタートし、平日は12時からというスタイルだった。
 休日は9:00~11:00(1本目)、11:00~13:00(2本目)というローテーションだった。映画の長さによって伸び縮みはするがこれが基本。
 すると平日は12:00~14:00(1本目)、14:00~16:00(2本目)というローテーションになると思うでしょ。ところがタイムテーブル(上映時刻表)は休日と同じ。これがどういうことかというと、
 平日の12:00に2本目の映画の途中から始まって時刻通りに13:00で終了、続いて13:00~15:00(1本目)、15:00~17:00(2本目)と続いていく。
 ・・・14時スタート分から入った人は良いが、12時に入ったわたしはいったいどうすればいいの?これがアクションやコメディならまだしも、『モーニングアフター』は一応サスペンス・ミステリな作品だ。上映が始まるなりジェーン・フォンダは逃げ回っているのだがその意味が分からないし、何とか多少は状況が理解できてきたところで真犯人が分かり対決があったりで終了。目当ての映画の方が終わると、ようやくさっきは上映されなかった前半部分を観ることができた。でも、謎とか犯人とか全部分かっちゃってるんだよね。ただでさえつまらない映画なのにおかげで果てしなくつまらねー。

 ただ、最近の映画館は入れ替え式の指定席があたりまえ。途中入場は出来ないことになっている。学生時代にバカのように映画を観ていたころは、名古屋ではまだ二本立てが中心だったのであれも観ておかなきゃこれも観ておかなきゃとかなり無理なスケジュールで映画館を回っていた。新聞の映画広告欄で映画館ごとの上映時間をチェックして、「シアターAの映画が終わった後、10分後のシアターBの上映を観たいが大きな道路をまたいでビルの上階まで移動しなければならない。果たして間に合うのか?この回に予告編が流れるかが鍵になるな」
とか
「うわー、この映画とこの映画とこの映画が観たいんだけど、どれも二本立てで上手く時間が合わないぞ。よし併映の作品Aには興味ないからAの途中から入ってBを見て、そしてAの頭からさっき見たところまでを頭の中でつなげてOKってことにしちゃえ」
なんてことをやっていた。
 途中入場も許されなくなったし、ましてや平気で映画の途中から上映を始める映画館なんてもう存在しないだろう。(映画を見せる場ではなくお客の目的は別という劇場もあるそうだから、そこら辺だとかなり無茶もありそうだが)そう考えるとちょっと懐かしい。
 現在の商業化されマニュアル通りのシネマコンプレックスことシネコンには昔の映画館が持っていた暖かさや人の触れ合いが感じられない。・・・なんてウスラ野郎みたいなことを言うと思ったら大間違いだぁ。

2005年06月30日

『メタル・ブルー』 敵はイスラム某国だ!

『メタル・ブルー』(1988) IRON EAGLE II 105分 カナダ・イスラエル 1989/03鑑賞

監督:シドニー・J・フューリー 製作:ジョン・ケメニー、アンドラス・ハモリ、シャロン・ハレル、ジェイコブ・コッキー 脚本:シドニー・J・フューリー、ケヴィン・エルダーズ 撮影:アラン・ドスティエ 音楽:アミン・バッティア
出演:マーク・ハンフリー、ルイス・ゴセット・Jr、スチュアート・マーゴリン、アラン・スカーフ、シャロン・H・ブランドン

 軍用航空機物第三弾。今度は戦闘機がメインです。
 タイトルは『メタル・ブルー』となっていますが、原題の『IRON EAGLE II』を見れば分かるように、1986年作品の『アイアン・イーグル』の続編です。前作でジェイソン・ゲドリックが演じた主人公ダグも登場します。そして上映開始後数分でソビエト空軍戦闘機に撃墜されて死亡しそのままスクリーンから退場。死んだんでもちろん再登場はしません。一作目で中東イスラム国に操縦していた戦闘機を撃墜されこのままでは死刑になる父親を、高校生のみでありながら短期間で戦闘機の操縦を身につけ、F-16を盗み出して敵地に乗り込み見事父親を奪還するという奇跡的な活躍をしたダグ。それがあっけなく死亡。続編になったら主人公が交代していたというのはそんなに珍しくないので無理にダグを登場させることもなかったろうに。
 ここまで前作の主人公が哀れな目に遭うというのは『マニアックコップ2』のブルース・キャンベルなんかが思い出されます。『死霊のはらわた』シリーズのアッシュは毎回生き残り、それどころか一作ごとに強くなっていくんですけどね。そういえば『死霊のはらわた4』が製作されるって本当?『フレディvsジェイソンvsアッシュ』の映画化って話も聞きましたが、どこまで本当なんだか。

 今回も敵は中東イスラム国。核ミサイル基地を極秘裏に建設中なのでそれを攻撃してぶっ潰そうってのが目的。おそらく1990年クェートに侵攻し1991年の湾岸戦争を引き起こすイラクがモデルなんでしょう。毎回イスラム諸国が悪役というのは製作国が「イスラエル」ですからむしろ必然。一作目の『アイアン・イーグル』はアメリカ製作となっていますが、主人公が乗るF-16を米空軍が貸してくれなかったのでイスラエル空軍から借りたそうですし、実質イスラエル製作だったのではないでしょうか?
 そして、核ミサイル基地攻撃は某国との共同作戦で行うこととなります。その某国こそソ連。このころはまだあったんですね、ソ連。当然、お互いの兵士は反発しあうのですが、次第に理解し合って真の敵であるイスラム某国と戦います。
 映画における絵空事がイラク戦争などで現実の物になるとは、この映画はかなりのイカレポンチだったようで実はリアルに近い将来を見据えていたんですねぇ。感心しますよ。まっ、嘘ですけど。

 アメリカ空軍が使うのはF-16ファルコン。ソ連空軍が使うミグはF-4ファントムにちょっと細工してなんとかそれらしく見せようとしている。今なら本物のミグを借りてこれるんだろうか。イスラム某国が使うのはイスラエル製のクフィルC2。もちろん設定上ではイスラエル機ではなくミグのどれかということになっている。
 戦闘機がガンガンスクリーン上を飛び回ってくれるのは嬉しいが、映画自体はスピード感がなくあまりぱっとしない。人間ドラマ部分が安っぽいのが一番の難点。軍用機マニアなら観ていて楽しい作品かと。
 『アイアン・イーグル』も同じようなものですが、主人公が無茶をする理由がちゃんとあるし、なによりクィーンの楽曲があったからなぁ。
「ねばぁせいだい~あいあんいーごー、ねばぁせいだい~ねばぁせいだ~あ~あ~い~」

2005年07月01日

『メンフィス・ベル』 お前ら、戦争中だってのに呑気だな

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『メンフィス・ベル』(1990) MEMPHIS BELLE 107分 アメリカ 1991/03/07鑑賞

監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ 製作:デヴィッド・パットナム、キャサリン・ワイラー 脚本:モンテ・メリック 撮影:デヴィッド・ワトキン 音楽:ジョージ・フェントン
出演:マシュー・モディーン、エリック・ストルツ、ビリー・ゼイン、テイト・ドノヴァン、D・B・スウィーニー、ハリー・コニック・Jr、ショーン・アスティン、リード・ダイアモンド、コートニー・ゲインズ、ニール・ジュントーリ、デヴィッド・ストラザーン、ジョン・リスゴー、ジェーン・ホロックス

 今日の映画は爆撃機物。といってもジャンル付けでは
1.青春物
2.爆撃機物
3.戦争中だってのに慰問パーティーで酒飲んで呑気に女と踊ってんじゃねーよ物
4.なるほど、エリック・ストルツってマイケル・J・フォックスに似てるわ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』主役交代物
といった順番だろうか。

 主人公はアメリカ空軍爆撃機B-17の乗組員。機長がメンフィスで出会った女性から取った“メンフィス・ベル”というそのまんまな名前の機に乗っているのは
機長、副操縦士、航空士、爆撃手、前方砲手、後方砲手、左砲手、右砲手、上部砲手、下部砲手の計10人。
 戦闘機だと一人かせいぜい二人だから、人数が多い分だけドラマ作りはやりやすい。ただ、この作品でそれが機能しているかはまた別物だ。
 前後左右、そして上下にまで銃座がある爆撃機はまるで針山のようでさぞかし防御力が強そうだが、図体が大きくて小回りが利かない上に、往路は大量の爆弾を搭載しているので重量がありさらに動きが鈍くなる。敵の戦闘機に狙われたら一溜まりもないわけで、そのための重武装なのだ。
 さらに味方戦闘機が護衛として付くのが普通だが、戦闘機は一般的に爆撃機よりも航続距離が短いため目的地までの距離によっては戦闘機は途中で引き返してしまう。そうなると自らの武装だけが頼りになる。
 銃座の担当としては機体下部の旋回銃座が一番嫌そうだ。狭くて身動きが取れないし攻撃にあったら真っ先に吹き飛びそうだ。実際、この作品でも旋回銃座は破壊されて砲手は剥き出しになったままぶら下がってしがみつく羽目になるし、『アメージング・ストーリーズ』でスピルバーグが演出したエピソードでも、爆撃機の車輪が下りなくなって胴体着陸するしかないのだが、下部の旋回銃座のハッチが壊れて砲手が閉じこめられたため、このままでは着陸時に潰されて死んでしまうというのがあった。様々なアイディアが試されては失敗し、ついに燃料も乏しくなり滑走路へと着陸態勢に入るのだが・・・あのオチにはひっくり返ったなぁ。

 主人公たちが空軍基地の原っぱで防具なしのアメフトで遊んでいて、そこに機長マシュー・モディーンのモノローグで一人一人の簡単な生い立ちや性格などが紹介されるオープニングはそこからして青春映画のニオイがする。
 ドイツ側軍事工場への爆撃任務の前夜には慰問パーティーが開かれるのだが、楽隊は陽気な音楽を演奏し、着飾った女性たちとダンスをして楽しむ。もちろんお酒もあり。アメリカ映画の戦争物には時折登場するシーンだが、日本軍人が語る戦争体験談などと比べるとまるで違う世界だ。しかも、メンフィス・ベルの主人公たちは次の任務で任期満了となるので兵役が終わって国に帰国することが出来る。第二次世界大戦中に任期満了があるなんてなんというか余裕だ。日本軍は一度招集されると、戦争が終わるか、負傷して大怪我をするか、戦死するかしないと戦線を離れられなかったはず。これだけ人員・物資の物量に差があってはやっぱ負けるよなぁと思わないでもない。

 メンフィス・ベルが飛び立つのは物語も半ば近くになってから。「青春ドラマはいいからとっとと飛べ」と念じ続けてようやく叶った。だが、飛び立った後も色々な事件が起こるのだがどれも物語に盛り上がりを見せない。これは客観的に主人公たちを突き放して戦争という状況を描こうとした演出なのか、それとも単に下手なのか。監督のマイケル・ケイトン=ジョーンズは後に『ジャッカル』(1997)や『容疑者』(2002)を撮っている人物なので後者の予感が高い。
 だが、B-17の内部やヘッドセットによる通話システム、酸素マスクやパラシュート、防御服などの装備の描写がきっちりされていて、資料的価値は高い。当時の爆撃機は機体の大きさに差はあっても(B-17は22.6mで爆弾搭載量は4.9t、東京大空襲で有名なB-29は全長30.18mで爆弾搭載量は9t。大きさもかなり違うが、爆弾搭載量に至ってはB-29は倍近くになる。)中の様子や装備はさほど違わないだろう。第二次世界大戦を部隊にした小説に爆撃機の描写があった場合、頭の中で絵として思い浮かべやすい。
 皆が着ているのが革のジャンパーの内側に白いボアを貼ったもの。街中でもバイク乗りや普通の人でも着ている革ジャンでボマージャケットと呼ばれる物。ボマーとは当然Bomber=爆撃手なので、本当は爆撃機の乗組員しか着ちゃいけないのだ。まあ、それをいったらMA-1とかも着れないし、トレンチコートだってtrench=塹壕、つまり元は戦争中の塹壕用に開発されたコートなのでビジネスマンが着て歩くようなものじゃない。えっ、ビジネスマンにとって会社は戦場だですって?うむむ。

 ストーリーの結末まで語ってしまうことになるが、
 主人公たち10人のうち一人は被弾して重傷を負い、機体も右側の車輪が電気系統の故障で下りてこず、このままでは胴体着陸しかないのかという危機に陥る。そして、観客の頭にはオープニングの帰還して着陸したもののそのまま爆発して乗員が全滅した他機のことがよぎる。しかし、メンフィス・ベルは無事着陸し、全員とも生きたまま大地を踏むことが出来た。
 これに関しては「ありがちなハッピーエンドだ」というよりも、むしろ「戦争では死んだ奴と生き残った奴の二種類しかいない」と感じた。同じく主要な登場人物が誰一人死なずに第二次大戦の終了を迎えるサミュエル・フラーの『最前線物語』ほどのインパクトはもちろんないが、存外と主人公たちに対して冷静な視点で描かれているとは思う。でもまあ、出来としてはつまらないわけだが。

2005年07月09日

『未来警察』 未来っつーほど未来じゃないが

『未来警察』 (1985) RUNAWAY 101分 アメリカ 1985/07鑑賞

監督:マイケル・クライトン 製作:マイケル・ラックミル 製作総指揮:カート・ヴィラドセン 脚本:マイケル・クライトン 撮影:ジョン・A・アロンゾ 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:トム・セレック、ジーン・シモンズ、シンシア・ローズ、カースティ・アレイ、G・W・ベイリー

「これって刑事映画じゃなくて警官映画じゃないの?制服着てたし」という意見もあろう。わたしもなんとなくそんな気がするが、これは刑事映画だ。根拠はない。だがわたしが刑事映画だと思う以上、この映画バカ黙示録においてはそれが正義だ。

 時は近未来、すでに会社や一般家庭にもロボットが進出していた。ロボットといっても鉄腕アトムやドラえもんのような人型ではなく(ドラえもんは猫型だが)、小型の冷蔵庫や掃除機に適当に手足を付けたような面白みのないデザインだ。ロボットといえば2足歩行だろと思うが、マイケル・クライトンにとっては実用的であれば見た目はどうでもいいらしい。
 主人公のジャック(トム・セレック)は警察のロボット対策班で働いている。万が一ロボットが暴走したりして問題を起こしたときにロボットを停止させ事態を収拾するのが仕事だ。そこへ女性警官カレンが新しく赴任してきてジャックのパートナーになる。
 時を同じくして、家事ロボットが家人を殺害し赤ん坊を人質にして暴れ回るなどロボットの暴走事故が多発する。ロボットを解体し分析を行うと、謎のチップが見つかる。このチップが暴走原因ではと調査に乗り出すジャックたちだったが・・・

 『ジュラシック・パーク』や『アンドロメダ・・・』などヒット作品で原作を手がけたマイケル・クライトンの監督・脚本作。小説家としての能力はともかく、監督としてはトホホな人なんだが7作ほど撮っている。この『未来警察』はそんなクライトン監督作品の中でも面白い方だと思う。
 主人公のトム・セレックがやはり格好いい。タフガイ系の警官だが、妻を失い一人息子と暮らしていて、その息子を心から愛している良き父親の一面も持つ。銃を構えるとピタリと決まるし、元バスケの名プレイヤーなだけに走る姿も絵になる。
 そして、ある意味ではトム・セレックもロボットも食ってしまってこの映画の実質的主役じゃないかと思わせるのがジーン・シモンズ。専業俳優ではなく、メインの職業はミュージシャン。そう、あの顔面全メイクのロックバンド「KISS」のジーン・シモンズだ。「KISS」での楽器担当は「舌出し」でたまにベースも弾いている。ん?逆か?映画には何作か出ているが、ほとんどが悪役ばかり。メイクを落とした顔がこれでもかという悪人顔だからしょうがないか。というか、素顔の方が怖いんじゃないのか?『未来警察』以外では、賞金稼ぎのルトガー・ハウアーと対決する悪役として『ウォンテッド』に登場している。ラストの死に方は圧巻。

 近未来が舞台だがあまり面白い小道具などは登場しない。先ほど書いたようにロボットはメチャメチャデザインを劣化させたR2-D2みたいなものだし、ジーン・シモンズが送り出す毒を注射して相手を殺すクモ型ロボットはデザインにしろ大きさにしろ誰がどう見ても「メカモ」そのままだ。まあ、あれが何体もカシャカシャと小さな音を立てて迫ってくるのは案外不気味ではある。
 最大の未来道具がジーン・シモンズが使う小型誘導ミサイル発射銃だろう。相手をロックオンして発射すると、どれだけ曲がりくねって逃げようが物陰に隠れようが必ず命中する優れ物。相手を追うシーンではロケットの視点から1カット長回しが登場する。曲がり角をキュキュキューとカーブしたり、パイプの中をくぐり抜けたりと、間抜けではあるし劇場内に笑いが飛んだがこの作品の魅力の一つ。

 ジャックの息子を人質に取ったジーン・シモンズと対決して最後にはジャックが勝ってめでたしめでたしなんだが、結局最後までジーン・シモンズがロボット・暴走チップを作って何をしたかったのかよく分からなかった。それに制御チップをつくるとなると半導体工場が必要だろう。それよりもロボットにコンピュータウイルスを送り込むかOSにトロイでも仕込んだ方がずっと楽だったろうに。特定の高周波で暴走するとかさあ。
 もっとも娯楽映画の悪役なんてそんなものである。

2005年09月09日

『マックQ』 重心を保ったままジョン・ウェインはゆっくりと歩く

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『マックQ』(1973) McQ 112分 アメリカ

監督:ジョン・スタージェス 製作:ジュールス・レヴィ、アーサー・ガードナー、ローレンス・ロマン 脚本:ローレンス・ロマン 撮影:ハリー・ストラドリング・Jr 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:ジョン・ウェイン、エディ・アルバート、ダイアナ・マルドア、コリーン・デューハースト、クルー・ギャラガー

『ダーティハリー』(1971)の世界的大ヒットをにある意味では便乗して製作された刑事映画。主演のジョン・ウェインは『静かなる男』(1952)や『ドノバン珊瑚礁』(1963)など現代劇でも活躍しているが、それらと同じくジョン・フォードが監督した映画史に散々と輝く至宝『駅馬車』(1939)など西部劇における保安官やカウボーイ、そしてガンマンを演じている。
 他には『硫黄島の砂』(1949)や『史上最大の作戦』(1962)など戦争物で兵士役もあり決して西部劇専門ではなかったのだが、私たちの印象はやはり『西部劇のジョン・ウェイン』である。
 西部劇が全盛であったことは良かったが、1960年代が終わりに近づき私が嫌いなニューシネマが台頭してくる頃からマカロニウエスタンの登場もあってハリウッドの西部劇は急激に失速していく。
1969年の『ワイルドバンチ』や同じく69年の『明日に向って撃て!』は、西部劇に分類されているものの実際には西部劇ではない。従来の西部劇よりも後になる1900年頃を舞台にしていることもあるが、映画の作り自体が違うのだ。
 自分のルーツである西部劇が消え去っていこうとする中、ジョン・ウェインは「魅力的な正統的西部劇を作る」ということと「自分を現代劇でも活躍させる」という二つの試みを同時に進めた。後者の試みの一つがこの『マックQ』となる。
 だが、刑事を演ずるジョン・ウェインがウィンチェスターライフルやコルトS.A.A.の代わりに小型サブマシンガンMAC10(MAC11だったかな?)を乱射しても刑事物定番のカーチェイスをやってもどうにも様にならない。開拓者の服はあれほど似合っていたのに、ジャケット姿は様にならない。
 監督のジョン・スタージェスは『荒野の七人』(1960)など、どちらかというと西部劇を得意にした人であり、演出が牧歌的というか『ダーティハリー』のドン・シーゲルの様なざらついた荒々しさがないのもまた違和感を強めている原因ではある。

 誰がなんと言おうとジョン・ウェインがハリウッドを代表する映画スターであることは間違いがない。右翼のタカ派であるとか本人の思想や政治的スタンスは本来どうでも良いのだ。そのハリウッドの映画スタージョン・ウェインがハリウッド映画を代表するジャンル「西部劇」から抜け出せずにあがき苦しんでいるのが見て取れて、実は観ていてつらい作品なのだ。

 ジョン・ウェインの遺作『ラスト・シューティスト』(1976)は皮肉にもドン・シーゲル監督作でもある。
 伝説的英雄である腕利きのガンマンがガンに冒され余命幾ばくもないことを知る。そしてそんな彼を倒して名を売ろうという連中と決闘を挑んでくる。決闘に勝とうが負けようがどのみち死はすぐ目の前にある。その主人公を演じたジョン・ウェイン自身がガンに冒されていて病気と闘いながらの撮影だった。

 西部劇スタージョン・ウェインは西部劇と共に死んでいった。
 いや、実はジョン・ウェインが死んだから西部劇は死んだのかも知れない。
 しかしすでに寿命を迎えていた彼はそれでも良かったとしても、まだまだ若くてこれから脂がのってくるという西部劇スターはどうすればいいのか。しかもハリウッドの西部劇ではなくてもともとが一時的なブームにすぎないマカロニウエスタンのスターだ。
 それについては次回の刑事物特集最終回で語ることになる。

 念のために言っておくが、このエントリはジョン・ウェインを貶めるのが目的では断じてない。
『リオ・ブラボー』(1959)で愛用のウインチェスターレバーアクションライフルを手に持ちながら、保安官として守っている街をブラブラと見回っているその歩く姿だけで観客の目を引きつけて放さない。その理由は演技力がどうとか容姿がどうとかいったレベルを超越した“最高の映画スター”が持つ存在感だ。
 ジョン・ウェインの重心を保ったままゆっくりと歩くその歩き方は独特だ。ゆっくりといっても愚鈍さではなく強者が持つ重みを感じされる。まるで最強の肉食獣といわれる虎が歩いているような、下手に手を出したら痛い目に遭うどころじゃすまないだろうという迫力だ。
『レオン』(1994)でマチルダがレオンの心に近づきたくて物真似遊びに誘うシーンがある。マドンナやマリリン・モンロー、それにチャップリンの真似をして見せても、レオンは誰の真似なのかさっぱり分からない。ようやくジーン・ケリーの真似を当てたレオンは、今度はあなたの番よとマチルダに物真似をせがまれる。そして隣の部屋からレオンが物真似をしながら入ってくるシーンで大爆笑してしまった。
 のそっとしたその歩き方、首元に巻いたスカーフと腰のガンベルト。どこをどう見たってジョン・ウェインだ。しかも一言放つセリフが「OK、ピルグリム」ときてる。
 まだ12歳のしかも女の子であるマチルダには誰の真似か分からないが、これが交流を深めていくきっかけとなる。
 他人にの距離を持って極力関わりを持つのを避け、仕事(殺し屋)とトレーニングと一鉢の観葉植物だけの世界で孤独に生きてきたレオン。そんな彼ですら知っている、いやそんな彼だからジョン・ウェインの物真似だったのかもしれない。このシーンはジョン・ウェインでなければ成立しなかったといってもいいだろう。リック・ベッソンの映画への愛も感じられる良いシーンだ。

2005年09月10日

『マンハッタン無宿』 西部(アリゾナ)から来た男

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『マンハッタン無宿』(1968) COOGAN'S BLUFF 94分 アメリカ

監督:ドン・シーゲル 製作:ドン・シーゲル 共同製作:ジェニングス・ラング 製作総指揮:リチャード・E・ライオンズ 原作:ハーマン・ミラー 脚本:ハーマン・ミラー、ディーン・リーズナー、ハワード・ロッドマン 撮影:バッド・サッカリー 音楽:ラロ・シフリン
出演:クリント・イーストウッド、リー・J・コッブ、スーザン・クラーク、ドン・ストラウド、ベティ・フィールド

 単に『ダーティーハリー』(1971)の原型だと思われているだけのことがある『マンハッタン無宿』だが、それで終わらせてしまうのはとんでもない間違いだ。この作品単品ではなくマカロニウエスタンのスターだったクリント・イーストウッドをハリウッド映画で活躍させるための綿密なプロジェクトによって生み出された一連の作品の一つである。

 1960年代半ばから1970年頃にかけて世界中でイタリア産の西部劇“マカロニウエスタン”が大ヒットした。
 その口火を切った『荒野の用心棒』(1964)のクリント・イーストウッドを始めとしてジュリアーノ・ジェンマやフランコ・ネロ、リー・ヴァン・クリーフなどがスターとして人気を集める。しかし、1970年代に入ってマカロニウエスタンが下火になっていくと、彼らはスターの座から消え去っていた。(念のために言っておくと「スターの座から消え去った」が映画界から消え去ったわけではなく、出演作もあり活躍はしている)
『ミリオンダラー・ベイビー』で監督として2度目のオスカーを受賞し、映画スターとしてもいまだ活躍中のクリント・イーストウッドもひょっとしたら彼らと一緒に消え去っていたのかも知れない。
 実際、イーストウッドはハリウッド映画では芽が出ず、TVシリーズの西部劇『ローハイド』で人気が出たものの、TVシリーズと映画とではっきりランクに境界が引かれていたため逆に足かせになりかねなかった。そこでかなり悩み考えたことだと思う。そして「イタリア産西部劇」というキワ物にチャレンジすることになる。出演するのは『荒野の用心棒』。すでにマカロニウエスタンが人気を集めていたのならともかくそれが誕生する時期だったことを考えるとかなりの賭けだ。おそらく、監督のセルジオ・レオーネと話をするなどして「彼ならば」という思いを持ったのではないかと考える。
 そして映画が公開されると大ヒット。その後、『夕陽のガンマン』などマカロニウエスタン続けて出演してさらに人気を高める。
 だが、ブームは長く続かないことを悟っていたのか、イーストウッドはそこに安住せずに再びハリウッドに挑む。そして出演したのがやはり西部劇の『奴らを高く吊るせ!』(1968)だが、本家西部劇としての誇りが感じられず、それどころかマカロニウエスタンにすり寄った作品だった。
 製作年度を考えるとそれと同時並行して進められたのだろうが、西部劇のスターを、それもマカロニウエスタンのスターをハリウッドの現代劇にいかに持ち込んで成功させるかというプロジェクトが進行していた。

 日本では第二次大戦後GHQの指導によってチャンバラ物などの時代劇を製作することが禁止された時期があった。
 そのため、チャンバラ映画のスターたちは現代劇への転向を余儀なくされた。
 片岡千恵蔵もその1人で、「ある時は片目の運転手・・・」のセリフで有名な『多羅尾伴内』シリーズに出演した。人気を集めヒットした作品だが、片岡千恵蔵の演技やセリフ回しがチャンバラ物の時そのままで強い違和感を持った人もいたらしい。
 西部劇のスターが現代劇に出演する場合にも同じような違和感が生じてしまうだろう。テンガロンハットにガンベルトが似合う男がスーツを着て車を乗り回してもどうにもしっくりこない。そんな印象を観客に与えてしまうのではないだろうか。
「ならば、西部劇の男を西部劇の服装や言動のままで現代のニューヨークに登場させてしまえばいいのではないか。そして、次回作では同じような役柄で西部劇色を薄めてみる。そうやって段階を踏んで移行させたらどうだろうか」
 こうして作られたと思われるのが『マンハッタン無宿』だ。

 時代は現代だがいまだ西部であり続けるアリゾナで、人々は現代様式を取り入れながら誇りを持っているその土地アリゾナの西部の心を捨てようとはしない。主人公の保安官補クーガンもその1人で、服こそ黒いスーツを着ているがテンガロンハットとカウボーイブーツは決して手放さない。
 そんなクーガンがニューヨークで逮捕された犯罪者を引きしてもらって連れ帰るためにニューヨークに向かう。近代的な高層ビルが立ち並ぶマンハッタンでは、クーガンの外見も内面も街にとけ込まず浮いていて物笑いの対象にすらなる。だが、自らのライフスタイルと故郷に誇りを持つクーガンはアリゾナにいる時と同じ言動のまま行動する。
 それはニューヨーク市警の面々やニューヨークの人々と対立することになりながらも、クーガンは己を貫いたままミスで取り逃がしてしまった犯人を単身追い続ける。その捜査方法は警官ではなくむしろ西部劇の賞金稼ぎかのようだ。
 ニューヨーク市警の警部だかが何度も「ここはテキサスとは違うんだ」といった具合にテキサスとアリゾナを取り違えるのだが、その度に「アリゾナだ」とクーガンは答える。このやり取りの中にクーガンの西部アリゾナに対する思いが見て取れる。
 ラスト近くで、警部はようやくテキサスではなくアリゾナと言う。これはしつこく訂正されたから覚えたのではなく、テキサスだろうがアリゾナだろうがそんなど田舎とそこから来たカウボーイ野郎のことなどどうでもいいと考えていたが、クーガンの誇りを持った行動などからついには西部と西部の男を認めたのだろう。

 そしてプロジェクト第2弾の『ダーティハリー』ではクーガンからテンガロンハットとカウボーイブーツを取り上げ、しかし行動や考え方自体は西部の男を感じさせるハリー・キャラハンというキャラクターに修正した。
 こうして“マカロニウエスタンのスター、クリント・イーストウッド”は“ハリウッド映画のスター、クリント・イーストウッド”となったのだ。
 このプロジェクトの中心となったのが両作品で監督・製作を務めるドン・シーゲル。『許されざる者』(1992)でセルジオ・レオーネと共にイーストウッドが賛辞を捧げた人物だ。彼なくしては、そして『マンハッタン無宿』なくしてはクリント・イーストウッドもジュリアーノ・ジェンマらと一緒に消え去っていたのかも知れない。イーストウッドがその後のハリウッド映画に与えた影響、それは同時に世界中の映画に与えた影響にもなるが、それがもしも存在しなかったと考えると悲しいどころか怖ろしくすらある。
 だからこう言い切ってしまおう、今のクリント・イーストウッドが存在しているのは『マンハッタン無宿』があったからこそであり、今のイーストウッドがいるからこそ今の映画がある。つまり『マンハッタン無宿』がなければ今の映画はなかった。『マンハッタン無宿』とはそういう意味を持つ映画である。
 ちなみに、このプロジェクトの名は「マンハッタン無宿計画」だったという。

 マンハッタン無宿計画というのは私の推測、ないしは妄想だ。
 2003年5月24日のエントリですでに少し触れている。思いついたのは学生時代なのですでに10数年前になる。
 この説の最大の欠点は『ダーティハリー』がスタート時点ではポール・ニューマン主演だったことだろう。しかし、リベラル派として有名なポール・ニューマン主演はその暴力的かつ法律ではなく力を持った個人が自らを正義としてしまう内容にファシズム的要素を感じ取って降りてしまう。それでは他の誰かをと言うことでクリント・イーストウッドになったのだ。
 イーストウッドが選ばれた理由にはもちろんドン・シーゲルの意見が大きかったとは思うが、最初から『マンハッタン無宿』と『ダーティハリー』が連携して作られたわけではないのだ。
 つまり、西部の男から現代の刑事への流れは偶然である。だがしかし、これはきっとプロジェクトを企画立案および実行したのが映画の神様とその部下たちということなのだろう。

 今回を持って刑事映画特集は一応の終了とする。
 『マンハッタン無宿』は厳密に言うと刑事ではなく保安官補なのだが、人間細かいことはあまり気にしないように。

2006年02月01日

『右側に気をつけろ』 映画を作って持ってこい

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『右側に気をつけろ』(1987) SOIGNE TA DROITE 81分 フランス 1989年鑑賞

監督:ジャン=リュック・ゴダール 脚本:ジャン=リュック・ゴダール 撮影:カロリーヌ・シャンプティエ 音楽:リタ・ミツコ
出演:ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・ペリエ、ジャック・ヴィルレ、ジェーン・バーキン

-いつだって能天気 その5-
 主人公“白痴”(ゴダール)は、とある罪によって田舎に隠遁している。そこへ、「今すぐ映画を作って持ってこい。そうしたらお前の罪は許してやる」との通達が来る。急いで映画を作り上げた白痴は、銀色のフィルム缶をてにパリを目指すのだった。
 映画を作るシーンは省略され、いきなり旅立ちのシーン。まずは車に乗ろうとするのだが、白痴なだけにドアを開けて乗るというごく普通のことが出来ない。そのまま歩いていって車にぶち当たったり、座席の高さに合わせてしゃがんで進むのはいいがそのまま頭をぶつけたり。ついには全開した窓に頭から飛び込むことでなんとか乗り込む。
 そこから始まる白痴やアリさんなど珍妙なキャラクターが繰り広げる珍道中。セリフの洪水など例によって難解なシーンもあるが、そこら辺を無理して理解しようと思わなければ、実体は良質なドタバタスラップスティック映画である。つまりまぁオレとしては「真面目に観るな」と言いたい。
 タイトルの『右側に気をつけろ』はルネ・クレマン監督・ジャック・タチ主演の『左側に気をつけろ』のオマージュだが、右側=右翼でもあるそうだ。確かにゴダールは過激思想の持ち主だし、この作品は表現や言動、その他の自由についての映画でもある。

 ゆっくり浸れる美しい映像と、ゴダールがドルビーステレオに始めて挑んだだけあってクリアーで押しつけがましくないのに耳に残るサウンド。ゴダール入門編に向いてると思うんだが、レンタルDVDにはなっていないんだよな。残念。

2006年11月07日

『マインドハンター』 謎の言葉、クロアトアン

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『マインドハンター』(2004) MINDHUNTERS 101分 アメリカ

監督:レニー・ハーリン 製作:ケイリー・ブロコウ、ロバート・F・ニューマイヤー、ジェフリー・シルヴァー、レベッカ・スピンキングス、スコット・ストラウス 製作総指揮:モリッツ・ボーマン、ガイ・イースト、アキヴァ・ゴールズマン、レニー・ハーリン、ベイジル・イヴァニク、ナイジェル・シンクレア 脚本:ウェイン・クラマー、ケヴィン・ブロドビン 撮影:ロバート・ギャンツ 編集:ニール・ファレル、ポール・マーティン・スミス 音楽:トゥオマス・カンテリネン
出演:LL・クール・J、ジョニー・リー・ミラー、キャスリン・モリス、ヴァル・キルマー、クリスチャン・スレイター、パトリシア・ヴェラスケス、クリフトン・コリンズ・Jr、アイオン・ベイリー、ウィル・ケンプ

 レニー・ハーリンというと『ダイ・ハード2』や『クリフ・ハンガー』などド派手な映画の印象が強いが、実は多少低予算気味のいわゆるB級映画向きの人材だなと思わせる1本。
 そもそも名前が売れたのが『エルム街の悪夢4/ザ・ドリームマスター最後の反撃』(1988)である。
 その後、アクション映画路線に進んだ、あるいは進まされてしまったのが彼の悲劇なのかも知れない。

 FBI分析官になるため、選び抜かれた捜査官が訓練を受けている。その最終テストが外界から閉ざされた孤島で行われた。
 その島は普段海軍が訓練に使っており、模擬戦闘用にアメリカの地方都市中心部が再現されている。実際の街そっくりだが荒れ果てており、人間の代わりのマネキン人形と、そして猫がいるばかりだ。
 架空の連続殺人鬼の捜査をすることになっていたが、実際に街に乗り出した彼らは、一人また一人と本物の殺人鬼の罠によって殺されていく。

 Croaton(劇中ではクロアトアンと呼ばれているが、クロートンと書かれる場合もある)という単語が登場する。アメリカへの移民時代初期、ローアーク島から100名を超える人間が姿を消した事件で、たったひとつ残された手がかりだが、その謎は解けていない。マリーセレスト号事件などと並ぶ集団失踪事件の一つだ。
 犯人はローアーク島に見立てて、その島の住人、つまり捜査官全てを殺そうと企んでいるのだ。
 生き残るために彼らは捜査を始めるが、孤島に彼ら以外の人間はいない。となると仲間の中に犯人がいるはずだ。互いに怖れ疑い、疑心が溢れていく。

 孤島で一人また一人と殺されていくとなると、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』などが思い浮かぶが、この作品はミステリーではないだろう。むしろ、最近では下火になったがサイコスリラー色が強い。
 実際の犯人は姿を現さず、様々な仕掛けで殺人は起きる。
 登場人物の心情や性格が分析されており、その人物ならば必ずこうするはずという読みの元で仕掛けられた罠が必然であったかのように、犯人が時計で指定した時間に発生する。パズルじみたその仕掛けが面白い。事件が起こる前にクロスワードパズルやルービックキューブが登場するが、事件を予感させる布石であろう。


 そして実はもう1本の『ディープ・ブルー』(1999年のレニー・ハーリン作品)でもある。鮫と殺人鬼の違いはあるが、意外な人物の死からラストまでストーリー自体はほとんど一緒。
 終盤の暴走気味な所も含めて、なかなか楽しめた作品だった。

2006年11月22日

『マシニスト』 今夜もまた眠れない

B000A2I7L2.jpg『マシニスト』(2004) THE MACHINIST 102分 スペイン/アメリカ

監督:ブラッド・アンダーソン 製作:フリオ・フェルナンデス 脚本:スコット・コーサー 撮影:シャビ・ヒメネス 音楽:ロケ・バニョス
出演:クリスチャン・ベイル、ジェニファー・ジェイソン・リー、アイタナ・サンチェス=ギヨン、ジョン・シャリアン、マイケル・アイアンサイド、ラリー・ギリアード・Jr、レグ・E・キャシー、アンナ・マッセイ

 役者を特殊メイクで太らせるというのは出来る。
『永遠に美しく・・・』(1992)のゴールディ・ホーンや、『痩せゆく男』(1996)のロバート・ジョン・バークをでっぷりと太らせたのは特殊メイクの力。
 しかし、役者を痩せさせるというのは特殊メイクでは難しい。ごく限られたシーンならばまだしも、普通に動いて芝居をするとなると制約が多すぎる。
 となると、役者にダイエットをしてもらって実際に痩せてもらうしかない。
 この作品で主演のクリスチャン・ベイルは約30キロの減量の後に撮影に挑んだ。
 だが、脚本のどこにそれほどまでの魅力を感じて無茶をしたのか、オレには分からない。

 不眠症でまったく眠れない男。それが1年も続いている。
 そんな生活のため、げっそりと痩せて肋骨も浮き出して、まるで骸骨のような姿だ。
 身の回りで事件が起き始め、謎の男がうろつき始める。
 自宅の冷蔵庫には誰がやったのか「WHO ARE YOU」や首吊り死体に「_ _ _ _ E R」のメモがいつの間にか貼り付けてある。
 謎の男のことを誰に尋ねてもそんなことは知らないと言い、男が運転する車は自分が1年前に廃車にした車だった。
 どこまでが現実で、どこからが幻想なのか。
 機械工(マシニスト)である男は途惑い、さらに焦燥していく。

 幻想シーンと言ってもSFXを使った派手な物ではなく、主人公にとってそれが現実なのかそうでないのか区別がつかないという意味。
 自分があった人物、自分がやったことを他人に聞くと「そんなのはない」と否定される。自分が間違っているとは思わずに、周りの人間が示し合わせて自分を陥れようとしていると思い込む主人公。
 ストーリーとしては決して斬新なわけではない。『カリガリ博士』(1919)とどこか似ている。『マシニスト』の1年間眠れない男と、『カリガリ博士』の23年間眠り続けている眠り男。どことなく対になっている。
 だが、眠れない男が現実の世界で見続けている悪夢と考えるとそれなりに面白い。
 『シックス・センス』のようなオチだけ映画ではなく、そこに至るまでの過程を楽しむ映画だろう。
 だがやはり、30キロの減量をするほどの映画とも思えないのも確かだ。

2007年01月12日

『マイアミ・バイス』(2006) リアルなだけじゃつまらない

B000I6AN3K.jpg『マイアミ・バイス』(2006) MIAMI VICE 132分 アメリカ

監督:マイケル・マン 製作:ピーター・ジャン・ブルージ、マイケル・マン 製作総指揮:アンソニー・ヤーコヴィック 脚本:マイケル・マン オリジナル脚本:アンソニー・ヤーコヴィック 撮影:ディオン・ビーブ プロダクションデザイン:ヴィクター・ケンプスター 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ、ポール・ルベル 音楽:ジョン・マーフィ
出演:コリン・ファレル、ジェイミー・フォックス、コン・リー、ナオミ・ハリス、エリザベス・ロドリゲス、ジョン・オーティス、ルイス・トサル、バリー・シャバカ・ヘンリー、ジャスティン・セロー、ドメニク・ランバルドッツィ、キアラン・ハインズ、ジョン・ホークス、エディ・マーサン

 年末年始に実家に帰っていたわけだが、親が一日中テレビをつけている。
 大晦日、みんなで揃って鍋なんかを食ってるときでもテレビはつけっぱなし。もちろん、そのまま紅白歌合戦へ。
 オレはこの20年ほど紅白歌合戦など見たことがない。というか、見たくない。
 そこで、もう自分の部屋はなくなっているので代わりに客間に引っ込むと、久しぶりに家族が揃った大晦日なんだから、みんなと一緒にいろという。
 クソつまらん上に最低な演出で「はて、まだ昭和だっけか?」と思いたくなるような、よくこれで「受信料は義務だから払え」なんて言えるもんだと思いながら、テレビを消すと親が怒るので、隙を見ては他のチャンネルに変えたりしていた。
 格闘技に興味はないが『K-1 Dynamite』がなかなか面白かった。曙がアンドレ・ザ・ジャイアントの出来損ない相手に十数秒で負けていたり、ボビーがチェ・ホンマンに軽くあしらわれていたり、、桜庭がボコスコにやられて明らかに負けているのに相手にしがみついて、相手の秋山も途中で殴るのにつかれたのか子供のケンカパンチでパコパコやっているし。と思ってたら、後日にクリームを全身に塗っていたことが判明して秋山は失格になるし。あー、試合中になんかレフリーに文句を言っていたが、そのことだったのか。ともあれ、文句を言われる度に紅白に戻してはまたK-1に切り替える。本気の戦いにそれなりに見入ってしまった。
 しかしだ、アクション映画があったとして、その格闘シーンがK-1の中継そのままだったらつまんねぇだろうなぁ。
『マイアミ・バイス』(2006)劇場版を観ながらそんなことを思ったりしてな。

 コリン・ファレルのソニーがオリジナルのドン・ジョンソンの格好良さのかけらもなく、むしろ情けない風貌で、『フォーン・ブース』(2002)のような作品ならともかく、凶悪な事件が蠢く犯罪都市マイアミで活躍する腕利き刑事には見えない。そもそも今さえあなんで『マイアミ・バイス』なんだか。
 ジェイミー・フォックスのリカルドは多少ましだが、この人は臭い芝居やりたがりな人だ。そんな奴に、大切な人を生きるか死ぬかの大けがを負わせてしまった、なんてうっとおしい芝居をやらせるのは止めてほしい。

 で、ラスト近くの銃撃戦では、主人公たちに使わせる銃器もシチュエーションに合わせて狙撃用ライフルやアサルトライフルにショットガンなど様々。
 残弾数もきっちり描写し、その銃の装弾数だけ発射したらちゃんと弾切れになる。
 敵の弾は当たらず、主人公側の弾だけ当たるなんてこともない。銃弾の嵐の中を駆け抜けたら普通に死ぬ。
 射撃ポーズは本格的で、両手それぞれに銃を持って乱射とかはしない。
 ハンドガン?屋外戦ではそんな頼りのならないもの最後までつかわねーよ。
 現実のコンバットシューティングの作法に則って、それから外れないリアルな銃撃戦。
 うーん。どうなんだろ、これ。

 ストーリー自身がリアルな犯罪物だったらまだしも、麻薬密輸に関する潜入捜査と、主人公と敵側の女イザベラ(コン・リー)との愛、というエンターテインメント作品なんだから銃撃戦のところだけ急にマジになられても。
 マイケル・マンは「リアルだからすごいだろ」と思っているのかもしれないが、そもそも映画は作り物。スクリーンで見るとリアルな物が逆に作り物めいて見える場合もある。作り物の方がリアルに見えることだってある。
 仮に本物の銃と弾丸を使って実際の殺し合いを撮ったとして、それはリアルなんだろうか?面白いんだろうか?・・・これがテレビの生中継ならばそれなりに面白いのかもしれないが、これは映画だし・・・
 『ヒート』での銃撃戦の焼き直しという感じで、そこからの進歩がないのがちょっと。さらなる一歩があれば個人的評価はまた変わったはず。丁寧に作っているのはよく分かるが、なんというかそれで満足せずにさらに先に進もうという意欲とアイディアが欠損していた。
 リアリティつったって、実際の銃撃戦を見たことがある訳じゃないしね。本当にリアルなのかもオレには分からん。
 ジョン・ウー的銃撃戦もさすがに流行は終わったので、今は次なる銃撃戦スタイルの登場を待つ時期なのだろう。

 イザベラが銃撃戦の最中にソニーの胸に輝く警官バッジを見て、その正体に気づく。このシーンで、バッジをアップにせずに光を反射してきらきらと輝く小さな物までとしか見せないところなんかは好きだ。出陣前のシーンで武器の用意をしているときに胸元に警官バッジを吊していることはすでに観客に分かっていることである。あそこでアップを入れない方が粋である。
 問題は「えっ、何でイザベラーは突然、「あなた何者なの?」とか言い出したの?」という観客もいるだろうってことだ。

 コリン・ファレルやジェイミー・フォックスが渋く決めたつもりでも、美味しいところは全部コン・リーが持ってっちゃった。

2007年02月09日

『マウス・オブ・マッドネス』 狂気は本から始まった

B00005HYWP.jpg『マウス・オブ・マッドネス』(1994) IN THE MOUTH OF MADNESS 96分 アメリカ

監督:ジョン・カーペンター 製作:サンディ・キング 脚本:マイケル・デ・ルカ 撮影:ゲイリー・B・キッブ 特撮:ILM 特殊メイク:KNB EFX 音楽:ジョン・カーペンター、ジム・ラング
出演:サム・ニール、ジュリー・カーメン、ユルゲン・プロフノウ、ジョン・グローヴァー、チャールトン・ヘストン、デヴィッド・ワーナー、バーニー・ケイシー

 主人公ジョン・トレント(サム・ニール)は保険調査員である。
 最新作『イン・ザ・マウス・オブ・マッドネス』を書きかけのままで失踪してしまった作家サター・ケーンの消息を調べ上げ、原稿が書き上がっているならばそれを手に入れてくること、仮にケーンが死んで原稿が完成していない場合は保険金支払いの手続きをすることが今回の仕事だ。
 ホラー作家の所在を調べるだけの簡単な仕事だと思って取りかかったときには、まさかこれが過去から地の底で眠る悪魔と人類存亡に関わることだとは夢にも思っていなかった。

 サターン・ケーンの小説に登場する「ホブの街」にたどり着いたトレントと女性編集者は、平和そうな田舎町で常軌を逸した出来事に直面する。
 ホラー小説の内容が現実に影響してくる。いや、ホラー小説に書かれていることが現実である。自分という存在も人間として生まれ人間として育ったのではなく、小説のキャラクターとして書かれただけの存在だった。
 ちょっと手の込んだ保険金詐欺事件だと考えていたが、トレントにとって現実の意味合いが崩壊していく。
 ラストでは『イン・ザ・マウス・オブ・マッドネス』が出版され、世界は恐怖と悪夢に支配されていく。
 小説は映画化もされ、その映画(それはこの『マウス・オブ・マッドネス』に他ならない)を観るトレントという一種のメタ映画として映画は終わる。
 劇場を出るときに、その扉の外に何が待っているか、ちょっと怖ろしくもあった。いやまぁ、別に普段の街だったが。

 人気ホラー作家サター・ケーンのモデルはスティーヴン・キングだろう。とすればホブの街はキャッスルロックだ。
 グチャドロ系のモンスターや、地の底で太古から地上を覗っている邪悪な存在は『クトゥルフ神話』のH・P・ラヴクラフトから発想を得ていると言われているが、ラヴクラフトは数冊読んだのと、スチュアート・ゴードン作品で観ただけなので断定はしない。

 ジョン・カーペンター監督作品として一、二を争う出来だと個人的には思っている。モンスターの姿もはっきりとは映らないし、派手な流血シーンもない。だが、悪夢と狂気が次第に世界を満たしていくその様が怖ろしく、同時に美しくもある。精神病院の個室に閉じこめられたトレントが黒のクレヨンで部屋や自分自身の服や体にびっしりと十字を描き込んでいる、冒頭のあのシーンですでに引き込まれた。
 次第にズレ始めていく現実と、雰囲気を積み重ねることで描くというハッタリを抑えた演出なのだが、それでいてちゃんとカーペンターらしさがあふれている。

 現れた悪魔たちが人間を襲い、人びとが惨殺されるのを観たがっていた人には期待はずれだろう。この作品で描かれるのは邪悪な存在が地の底から這い出してくるまでだ。
 邪悪なる物が存在することが判明する『パラダイム』が第一章だとしたら、それが人類の世界に現れるまでの『マウス・オブ・マッドネス』が第二章。
 もしも人類対邪悪な存在が描かれるとしたら第三章だろうが、それはまだ作られていないし、今後も作られるかは不明だ。

2007年03月09日

『ミザリー』 あなたのナンバーワン・ファンなの

B000KGGBS4.jpg『ミザリー』(1990) MISERY 108分 アメリカ

監督:ロブ・ライナー 製作:アンドリュー・シェインマン、ロブ・ライナー 原作:スティーヴン・キング 脚本:ウィリアム・ゴールドマン 撮影:バリー・ソネンフェルド 音楽:マーク・シェイマン
出演:ジェームズ・カーン、キャシー・ベイツ、ローレン・バコール、リチャード・ファーンズワース、フランシス・スターンハーゲン

 スティーヴン・キングがマーク・デービッド・チャップマンによるジョン・レノン殺害事件をヒントに書き上げた小説が原作。チャップマンのメモにキングの名前もあったと聞いた記憶があるが、調べた限りではそのような事実はなかった。

 ロマンス小説で有名なポール・シェルダンという小説家が、そのロマンス小説からの脱皮を目指して山荘で新作を書き上げ、その帰り道で吹雪に遭いくるまが事故を起こしシェルダンは両足の複雑骨折など大怪我を負い意識も失ってしまう。
 再び目を覚ましたときはベッドの上で、傷も手当てされていた。彼を助け出し治療をしたのは肥満気味で中年の元女性看護師で名前をアニーと言った。ここは町から離れた農家で、町までの道は雪で閉ざされ電話も普通になっていると彼に告げる。そして彼のナンバーワン・ファンだとも。彼女はミザリーの熱狂的なファンだったのだ。
 献身的にシェルダンの介護をしてくれるアニーだが、彼女からはどこか不安定な物を感じる。それが明らかになるのはミザリーシリーズの新刊として発売された『ミザリーの子供』を彼女が読み終えたときだった。シェルダンはミザリーシリーズを完結させるために作品の最後でミザリーを殺したのだが、それが彼女の怒りに触れたのだ。
 彼女はすでに熱狂的ファンの仮面を外し狂信的ファンとなっていた。

 助けの来ない孤立した家で狂人に監禁されてしまう。その狂人は時に愛情を示したと思えば、次の瞬間には怒り狂っている。足の骨折のため歩くこともまま成らず、アニーが留守にしている間に車椅子で家の1階部分を調べるのがやっとだ。そしてシェルダンはアニーが心底イカれている証拠を見つける。このままでは自分の命も危ない。
 目を背けたくなるような残酷な描写は一ヶ所だけだが、ほとんど密室劇とも言えるこの映画全体を狂気が支配している。
 タフガイな男性的俳優ジェームズ・カーンが一人の中年女性によって完全に支配権を握られまさに手も足も出ないという皮肉さ。監禁事件は悲しいことに時折発生するが、他人に生命与奪権をを奪われ自由を失ってしまっては、人格を破壊されて洗脳状態になってしまうかもしれない。
 州警察がシェルダンは雪に埋まって死んだ。捜索は雪が溶けてからと結論づけた中、田舎町の保安官だけは地道に捜査を続ける。この老保安官のリチャード・ファーンズワースが実に良い味を出しているのだが、あの最後はないよな。

 監督のロブ・ライナーは同じくキング原作の『スタンド・バイ・ミー』を手がけた男。この作品では自らが主催する映画製作会社『キャッスルロック・エンタテインメント』として製作も手がけている。この『キャッスルロック』はもちろん『スタンド・バイ・ミー』で主人公の少年たちが暮らしていた架空の町キャッスルロックである。
 脚本家はベテランにして実力派のウィリアム・ゴールドマン。ロブ・ライナーとはすでに『プリンセス・ブライド・ストーリー』で一緒に仕事をした仲で、最近では『アトランティスのこころ』や『ドリームキャッチャー』でキング作品の脚本を手がけている。
 原作本のハードカバー版『ミザリー』のカバーを外すとちょっとしたおまけがある。文庫版は知らないが。

2007年03月24日

『黙秘』 最後まで持ちこたえるのは、この世の性悪女たちだよ

B000FQW0DO.jpg『黙秘』(1995) DOLORES CLAIBORNE 131分 アメリカ

監督:テイラー・ハックフォード 製作:テイラー・ハックフォード、チャールズ・マーヴヒル 原作:スティーヴン・キング 脚本:トニー・ギルロイ 撮影:ガブリエル・ベリスタイン 音楽:ダニー・エルフマン
出演:キャシー・ベイツ、ジェニファー・ジェイソン・リー、ジュディ・パーフィット、クリストファー・プラマー、デヴィッド・ストラザーン、エリック・ボゴシアン、ジョン・C・ライリー、エレン・ミュース、ボブ・ガントン

 原作は文藝春秋から発刊されている『ドロレス・クレイボーン』(文庫版もあり)、邦題とはタイトルが違うので注意。原題は『ドロレス・クレイボーン』のままなんだけどね。

 舞台はメイン州の小島。大金持ちの未亡人ヴェラが自宅の階段の下で血を流して倒れており、その側にはのし棒を頭上に構えたメイドのドロレス・クレイボーン(キャシー・ベイツ)が立っていた。それを毎日正午近くにやってくる郵便配達が目撃。そしてヴェラは死亡し、殺人なのか事故なのか、田舎町はめったにない事件に驚くのであった。
 数日後、ニューヨークの新聞社に匿名のFAXが届く。ドロレスの名前の載ったヴェラ死亡事件に「これは君の母さんでは?」の文字が書き込まれていた。それを見たやり手の女性記者セリーナは生まれ育った小島へと向かう。彼女はドロレスの実の娘だった。
 十数年もの間顔を合わさず、ほぼ絶縁状態だった母娘が再び出会うことから、事故か殺人かといったミステリーレベルのことを超えた出来事が始まる。
 それはセリーナがまだ少女の頃から封印してきた記憶と、自分のことを嫌い無視してきたと思っていた母の真の想いを知り、断絶からの快癒だった。

 一件の死亡事故と一件の殺人が関わってきて、映画ではミステリー色が強いが、その解決は謎解きとも言えない物であり、母と娘が失っていた絆を取り戻すまでの物語だ。
 その絆を失わせたのは酒浸りのアル中でセリーナの学資預金まで黙って使ってしまうようなろくでなしの夫だ。その夫から奴隷のようにこき使われ、ぶたれ罵られ、それでも我慢をしてきたドロレスは、ある事件によってついに限界に達する。
 そこへ、メイドとして働いていた先の未亡人主人ヴェラがささやく。
「女は時に悪になることも必要なのよ」と。

 ヴェラの元夫もドロレスの夫も、女性を奴隷のごとき扱いをしその人間性を認めなかった。その償いは命だ。
 自らも男の勝手さに振り回されてきたセリーナは、真実を知ることで自らの心の傷を認め、酒や煙草、精神科の処方薬への依存と向かい合う。

 これは戦う女の、特に男と戦う女の物語である。フェミニズム映画ということで良いのだろうか。フェミニズムに関してはいい加減にしか知らなかったし、今回の文章を書くためにざっと調べただけだが、的はずれではないと思う。
 原作はドロレスがひたすら一人でしゃべり続ける一人称小説で、それはそれでキング的であり面白いのだがそのままでは映画化は難しい。ミステリー映画の手法を取ったり成長した記者になったセリーナを登場させることで映画の形になっている。

 題材はきっちりと揃っているのだが、それを料理する監督のテイラー・ハックホードがあまりにも無粋で洗練されているとは言い難い。監督次第でもっと面白い作品になったであろうことを考えると残念だ。

2007年03月30日

『マングラー』 巨大プレス機の謎

B00005HR4K.jpg『マングラー』(1995) THE MANGLER 107分 アメリカ

監督:トビー・フーパー 製作:アナント・シン 原作:スティーヴン・キング 脚本:トビー・フーパー、スティーヴン・ブルックス 撮影:アムノン・サロモン 音楽:バリントン・フェロング
出演:ロバート・イングランド、テッド・レヴィン、ヴァネッサ・パイク

 古びたクリーニング工場。事故で手の平を切った少女の血が巨大なプレス機(マングラー)に付着したことから、そのプレス機が人を喰らうように飲み込み押しつぶすようになる。一人の刑事とその義弟でオカルトマニアの青年が事件の捜査に当たる内に、16歳の処女とクリーニング工場の繁栄に関する謎が浮かび上がる。

 スティーヴン・キングとトビー・フーパーは初期のテレビ用映画『死霊伝説』以来の顔合わせ。トビー・フーパーは『悪魔のいけにえ』が有名なためカルトホラー作家のイメージが強いが、『スペースインベーダー』や『スポンティニアス・コンバッション/人体自然発火』、『レプティリア』などバカ映画もいくつか取っている。この『マングラー』もバカ映画である。
 クリーニング工場社長のロバート・イングランドがまずバカだ。両足が不自由で歩行器を使ってガチャガチャとロボットのように歩いている。

 マングラーは大型トラック程度の大きさでデカい。何十年も前の古びた機械でチェーンで稼働する様子は不気味だ。
 そのマングラーがラストには暴走して追っかけてくるが、怖いと言うよりもむしろ笑える。無駄なCGがバカ。
 マングラーよりもむしろクリーニング工場の内部が不気味だ。まるで近代の様子で多くの女工たちが上役に怒鳴られながら汗を流しながら働いている。スチームを吐くパイプやホースがホラーの舞台として一役買っている。
 ラストは医者とヒロインの右手薬指にチェックだ。

2007年04月20日

『マングラー2』 クソッ、マングラれちまったぜ

B0001Z30I8.jpg『マングラー2』(2001) THE MANGLER 2 97分 カナダ
監督:マイケル・ハミルトン=ライト 製作:グレン・テッドハム 製作総指揮:バリー・バーンホルツ 原作(?):スティーヴン・キング 脚本:マイケル・ハミルトン=ライト 撮影:ノーバート・カルザ
出演:ランス・ヘンリクセン、チェルシー・スウェイン、フィリップ・バージェロン、デクスター・ベル

『マングラー』(1995)はキングの『人間圧搾機』が原作だったが、この『マングラー2』に原作はない。ストーリーからキャラクターまで独自に作られた映画オリジナルでキングとは限りなく関係ない。
 機械が襲ってくる物系ホラーなのと、そういえば女性教師が洗濯場で髪をしわ伸ばし機に巻き込まれて死ぬことがかろうじて類似点となっている。

 主人公は名門高校の女生徒。彼女はコンピュータシステムを開発している会社のお嬢さんある。彼女は傲慢な父親も堅苦しい学校も嫌っていて、父の会社が開発した学校のセキュリティシステムに、ハッカーサイトからダウンロードした怪しげなウイルス『マングラーウイルス.exe』をインストールする。
 単に父親と校長を困らせるだけのいたづらのつもりだったが、実行されたマングラーウイルスは学校を支配し人間を殺害する一つの機械に変えてしまったのだ。
 そしてその時にディスプレイにはこう表示される。
「YOU'VE BEEN MANGLED」
 日本語字幕だとこうだ。
「君はマングラれた」
 ・・・マングラれた?映画字幕珍訳全集を作るとしたらぜひとも入れたい言葉だ。

 基本ベースは『悪魔の棲む家』なのど館系ホラーだ。古い洋館に集められた人々が、その館に巣くう悪霊によって一人ずつ殺されていくというやつだ。
 この作品では悪霊ではなくコンピュータウイルスというのが新機軸だろうか。それでも、へらへらとしたナンパ学生から真っ先に殺され、ビキニ水着のお姉ちゃんが逃げ回ると定番どころは外さない。コックも味のあるキャラクターだ。
 もったいないのがランス・ヘンリクセン演ずる校長だ。以前と比べると太ったようでちょっと精彩に欠ける。最後にはマングラーに乗っ取られて体中にケーブルが繋げられシステムの端末となってしまう。校長、無駄にサイバー。その割に雑魚キャラのようにあっけなくやられる。弱いぞ、ヘンリクセン。
 全体的に 殺され方に目新しさがないし、主人公の少女にまるで感情移入できない上にぶさいくだ。

 学校中には数多くの監視カメラが取り付けられている。
 暗視カメラになっているようで黄緑色単色の映像が映し出される。主人公たちが逃げまどう様を普通のカメラ映像とこの監視カメラ映像がこまかくカットバックされ無意味にカット数が多い。まるでテレビの視聴者参加スポーツ系ゲーム番組のようだ。『風雲たけし城』とか。

2007年06月08日

『マルクス一番乗り』 競馬場でドタバタだ

31KMVSKNV3L._AA192_.jpg『マルクス一番乗り』(1937) A DAY AT THE RACES 110分 アメリカ

監督:サム・ウッド 脚本:ロバート・ピロッシュ、ジョージ・シートン、ジョージ・オッペンハイマー 音楽:フランツ・ワックスマン、ジョージ・バスマン
出演:グルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス、アラン・ジョーンズ、モーリン・オサリヴァン、マーガレット・デュモント、ダグラス・ダンブリル、シグ・ルーマン、ドロシー・ダンドリッジ、リチャード・ファーンズワース

 ギャグ映画、コメディ映画としては、マルクス兄弟物の中で一番出来が悪いと感じる。
 前作『オペラは踊る』で冴えた手腕を見せたサム・ウッドが監督を務めているのだが、全体的にテンポが悪く、観ていて非常にじれったい。
 音楽のシーンは個々では優れているのだろうが、数が多すぎてバランスを崩している。
 チコが演ずる競馬の予想屋が、競馬好きのグルーチョから、細かく1ドル1ドル巻き上げていくところなど、優れた芸なのだが、二人の姿をただ漫然と捉えたカメラは、鋭さがない。
 獣医がサナトリウムの医長となるハチャメチャな設定も活かされているとはいえない。
 にぎやかに終わるラストは好きだが。

2007年06月09日

『マルクス兄弟珍サーカス』 サーカス一座でドタバタだ

31XMRSWADZL._AA192_.jpg『マルクス兄弟珍サーカス』(1939) AT THE CIRCUS 86分 アメリカ

監督:エドワード・バゼル 製作:マーヴィン・ルロイ 脚本:アーヴィング・ブレッチャー 撮影:レナード・S・スミス 音楽:ハロルド・アーレン、フランツ・ワックスマン
出演:グルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス、マーガレット・デュモント、イヴ・アーデン、ケニー・ベイカー

 この作品辺りから、映画ファンの評価は一気に落ちるのだが、オレとしては『マルクス一番乗り』から盛り返したと感じる一本だ。
 今回は、サーカス一座のオーナーと、そこの花形スターとの恋とその危機を、グルーチョ演ずる弁護士や、座員であるチコとハーポが助けると言った話。
 毎度毎度ワンパターンじゃないの、と言われると確かにワンパターン。『我輩はカモである』を除くと、このパターンばかりだ。でも、いいじゃない。
 サーカス一座がチャーターした列車には、サーカス団員であることを示すバッチがないと乗ることが出来ない。そこへ、チコに呼ばれたグルーチョがやってきて、列車の入り口で番をしていたチコと再会する。そして、チコは「とりあえず、列車に乗ってくれ」と言って乗車口まで連れてきては、「あんた、バッチがないじゃないの」と追い返す。このネタがひたすら繰り返される。
 パターンとしては『マルクス一番乗り』でチコがグルーチョに、競馬の予想関連の品を次々と売りつけていくのと同じなのだが、『一番乗り』があまり笑えなかったのに対し、『珍サーカス』はテンポも良くて、大笑いできた。
 アクション的要素が高まっていくのもこの作品からで、ラストのサーカスのシーンでは空中ブランコでゴリラも交えて大騒ぎになる。
 このゴリラのスーツが、製作年度から考えるとなかなか良くできている。もちろん、リック・ベイカーってわけにはいかないが。
 オーケストラ楽団が、ひたすらプカプカと海面を流れていくラストのギャグも決まって、わははのはだ。

2007年06月12日

『マルクスの二挺拳銃』 西部の荒野でドタバタだ

313XJ4NWCSL._AA192_.jpg『マルクスの二挺拳銃』(1940) GO WEST 81分 アメリカ

監督:エドワード・バゼル 製作:ジャック・カミングス 脚本:アーヴィング・ブレッチャー 撮影:レナード・スミス 音楽:ジョージ・ストール
出演:グルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス、ジョン・キャロル、ダイアナ・ルイス、ロバート・バラット

 前にも書いたことがあるが、『マルクスの二挺拳銃』との出会いは唐突だった。
 今は無き愛知県半田市の東宝系洋画劇場へ『プロジェクトA2』と『漂流教室』の二本立てを観に行ったら、さらに『マルクスの二挺拳銃』が加わった三本立てだったのだ。
 時期としては夏休みだったので、特別企画だったのだろうか。
 その映画館で、他にその様な組み合わせがあった記憶はないので、なんでそんなことをやったのかは、今となっては不明なままだ。
「さーて、マルクス兄弟を観に行くか」と思って出会ったのではない。まったく予期していなかったところで、初めてマルクス兄弟と遭遇したのだ。
 話しには聞いていたが、「これがマルクス兄弟かっ!」と、ギャグの連打とパワーに打ちのめされる結果となった。

 時代は1870年。
 東部からグルーチョ、チコ、ハーポが、成功を夢見て西部へとやって来る。
 チコとハーポは金を掘り当てるため、グルーチョはインチキ臭い商品を売り歩くためだ。
 そして、鉄道が通る予定地となった『死者の谷』の権利書を巡って、悪の西部男を相手に、若くて善良な男女を助けることとなる。
 ストーリー自体は、いつものマルクス兄弟物だが、終盤の疾走する機関車でアクションとギャグが繰り広げられ、スケールの大きな物となっている。
 線路を外れて、農家の敷地内でメリーゴーラウンドのように回って走る機関車や、その屋根の上でのアクション。
 連結器を外された客車の間を、ハーポが手と足で繋いで、その身体がどんどん伸びていくギャグなどが楽しい。
 機関車の燃料である薪が無くなってしまって、代わりに貨物室の荷物から、ついには斧で客車を解体していって燃やしてしまうギャグは、『80日間世界一周』や『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』でも使われているが、オレが観た中で一番古いのは多分この作品。
 マルクス兄弟後期の作品としては、中だるみも少なく、お勧めの一本。
 しかも、DVDは次回作となる『マルクス兄弟デパート騒動』の二本収録でお得だ。両面一層は止めて欲しかったけどね。

2007年06月13日

『マルクス兄弟デパート騒動』 デパートメントストアでドタバタだ

313XJ4NWCSL._AA192_.jpg『マルクス兄弟デパート騒動』(1941) THE BIG STORE 83分 アメリカ

監督:チャールズ・F・ライスナー 製作:ルイス・K・シドニー 原作:ナット・ペリン 脚本:シド・カラー、ハル・フィンバーグ 音楽:ジョージ・ストール
出演:グルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス、トニー・マーティン、ヴァージニア・グレイ、ダグラス・ダンブリル、ヘンリー・アーメッタ、マーガレット・デュモント

 西部劇から一転して、大都会の大型デパートを舞台にしたマルクス兄弟映画。
 グルーチョの歌や、チコのピアノ、ハーポのハープなど、音楽シーンが少々長すぎる感じがするが、ギャグも豊富で、特に終盤のアクションがスゴイ。
 デパート内で、犯行現場を写した写真を巡って、探偵のグルーチョとその助手のハーポ、そしてチコが、悪人に追われて大騒動。
 特に、ハーポのワイヤーアクションが見所で、棚の上をローラースケートで走っていて、隣の棚へと飛び移るとか、電球から電球へと、ターザンのように飛び移っていくシーンなど、ハラハラドキドキ。
 これをヒントに、後にジャッキー・チェンが『ポリス・ストーリー』の終盤が作られた・・・かは知らない。

 ベッド売り場では、カトゥーンアニメに出てくるような、床からせり上がってくる四段式のベッドや、暖炉がスライドして現れるベッド、金庫式ベッドなど面白発明品がいっぱい登場する。
 そこへ、12人の子供を連れたイタリア人夫婦や、これまた子だくさんの中国人家族、インディアン家族などが売り場を訪れ、これまた大混乱。
 全体的にパワー不足は否めないが、いやいややはり面白い。

2007年06月14日

『マルクス捕物帖』 カサブランカでドタバタだ

318STQVSYDL._AA192_.jpg『マルクス捕物帖』(1946) A NIGHT IN CASABLANCA 85分 アメリカ

監督:アーチー・L・メイヨ 音楽:ウェルナー・ジャンセン
出演:グルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス、リゼッテ・ヴィリア、チャールズ・ドレイク、ルイ・コリア、ルース・ローマン

 前作『マルクス兄弟デパート騒動』』(1941)から太平洋戦争を挟んで、5年ぶりの新作。
 チコはすでに60歳、ハーポで59歳、一番若いグルーチョで56歳だから、さすがにみんな老けた。
 全盛期に比べると、動きに鋭さがなく、ドタバタというよりはドタドタと言った感じ。

 第二次大戦後のモロッコを舞台に、ナチスがフランスから奪い、モロッコで行方不明になった隠し財宝を巡って、元ナチの高官とマルクス兄弟が対決する。
 恋する男女の危機を救うのはいつものことだ。

 散りばめられた細かいギャグには笑えるが、これぞという大きなギャグは少ない。
 それでも、ハーポが建物に寄りかかっていて、「お前はそいつを支えているつもりか」と警官に場所を移動させられた途端、建物が崩れ落ちるという、伝説的ギャグが冒頭に登場する。これを見るだけでも価値あり?
 終盤の、ナチ高官の部屋で、マルクス兄弟が見つからないように、クローゼットやトランクへと隠れながら移動していくギャグはやはり面白い。
「ナチの高官、うしろ~」と叫びたくなるのはお約束。

2007年06月25日

『ミスティック・リバー』 不条理で理不尽で残酷で美しい悲劇

41BK22AC76L.jpg『ミスティック・リバー』(2003) 138分 アメリカ

監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、ジュディ・ホイト、ロバート・ロレンツ 製作総指揮:ブルース・バーマン 原作:デニス・ルヘイン 脚本:ブライアン・ヘルゲランド 撮影:トム・スターン 美術:ヘンリー・バムステッド 編集:ジョエル・コックス 音楽:クリント・イーストウッド
出演:ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケヴィン・ベーコン、ローレンス・フィッシュバーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローラ・リニー、エミー・ロッサム、ケヴィン・チャップマン、トム・グイリー、スペンサー・トリート・クラーク、アダム・ネルソン、キャメロン・ボウエン、ジェイソン・ケリー、コナー・パオロ、ケイデン・ボイド、イーライ・ウォラック、ロバート・ウォールバーグ、ジェニー・オハラ、ジョナサン・トーゴ、アリ・グレイノール、ウィル・ライマン

 まず言っておくが、この作品はミステリーでもなければサスペンスでもない。現代社会の闇を暴いた映画でもない。
 だから、トリックや謎もなければ、事件は解決することなく、爽快感もなにも無いままに物語は完結する。
 これは、悲劇についての映画なのだ。

 ティム・ロビンスの最後が理不尽だ、不条理だという声もある。だが、理不尽だから、不条理だから悲劇なのだ。
 シェークスピアの『ロミオとジュリエット』では、無事に逃げ延びるはずだった若き二人が、運命の巡り合わせから二人とも死んでしまう。
 それについて、「不条理だ。理不尽だ」と言うヤツがいるか?

 ガキの頃からの親友を信じられなかった男、過去のトラウマから逃れられなかった男、自分の夫を信じられず密告してしまった妻、誰が殺人を犯したかについて見当が付いているのに捕まえることの出来ない刑事。
 そういった人々が、運命に振り回され、苦痛と苦悩を味わうが、そのきっかけは悪意でも何でもなく、単なる子供のちょっとしたイタズラという残酷さ。
 この作品において、犯人が誰だとか、正義とはなにか、幼児虐待の否定などを語ることは全く意味を持たない。
 ヒーローでもなければ大悪党でもない。血と肉を持った人々の心にある暗部が、肥大化し、人を裏切り、静かに狂っていく。
 そして、、最後にはそれでも今後とも日常が続いていくことを象徴するかのように、パレードのシーンへと繋がる。それはハッピーエンドやバッドエンドといった、定型の終わり方ではない。
 救いの欠片もないまま幕を閉じることによって、『ミスティック・リバー』は観客の甘さにとどめを刺す。

 観終わった後に納得できなかったり、後味が悪くて不快だった人もいるだろう。
 これが、変に難解な映画だとしたら、難解さ故に理解できないと放り出して、それで納得する人も多いのかもしれない。
 しかし、『ミスティック・リバー』は、きわめて単純なストーリーに、腹にズドンと来るストレートな演出だ。そのため、逆に誤解されているのかもしれない。
 観た人がどんな感想を持ったとしても、それがその人の正解だ。
 不快だった=出来の悪い作品、ではない。

 思えば、監督デビュー作である『恐怖のメロディー』や、シリーズで唯一監督を務めた『ダーティーハリー4』なども、根底には理不尽さと悲劇が横たわっている。
 監督クリント・イーストウッドの作品を順に追っていくと、『ミスティック・リバー』や『ミリオンダラー・ベイビー』、『父親たちの星条旗』などを最近のイーストウッドが撮っているのはむしろ必然に違いない。

2007年07月25日

『メル・ブルックス/新サイコ』 新聞だー!新聞だー!

B000P0I606.jpg『メル・ブルックス/新サイコ』(1977) HIGH ANXIETY 98分 アメリカ

監督:メル・ブルックス 製作:メル・ブルックス 脚本:メル・ブルックス、ロン・クラーク、ルディ・デルカ、バリー・レヴィンソン 撮影:ポール・ローマン 特殊効果:アルバート・ホイットロック 音楽:ジョン・モリス
出演:メル・ブルックス、マデリーン・カーン、クロリス・リーチマン、ディック・ヴァン・パタン、ハーヴェイ・コーマン、ロン・ケアリー、ハワード・モリス、マーフィ・ダン、ジャック・ライリー、チャーリー・カラス、バリー・レヴィンソン

 冒頭に「サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコックに捧げる」と表示される。
 この映画が製作されたのは1977年。ヒッチコックが亡くなられたのが1980年。さて、ヒッチコックは『新サイコ』を観たのであろうか?

『サイコ』でのシャワーシーンや、『鳥』でのジャングルジムに群がって、そして人に襲いかかってくるなどおなじみのシーンがパロディに!
 とあるが、今の若い人には元ネタがなかなか通じないかもしれない。
 オレがガキの頃は、時折テレビの洋画劇場でヒッチコックのカラー作品は放送されていたので、ある程度は観ていた。だが、もはや地上波でやることはまずなく、放映されるとしたらスカパー!のクラッシック映画専門チャンネルぐらいだろう。
 そして、それらを観ている人の多くからは、「プッ、メル・ブルックス?」といった感じで相手にされていない感じがする。
 各作品の特徴あるシーンをパロったところはまだ分かりやすそうだが、屋外から晩餐中の室内にカメラが入ってこようとしてガラスをパリーンと割っちゃったり、ベッドに横たわる新婚の二人を捉えたカメラがぐいぐい遠ざかっていって、ついには壁をぶち破って天へと舞い上がり空撮になる、ヒッチコック独特のカメラワークをパロったギャグもあって侮れない。
 悪事に荷担した精神科医が良心の呵責に耐えられなくなり、悪の親玉に「この仕事を降りる。まるでクモの巣にかかったかのようだ」と言うシーンでは、アーチ状をした窓の上部の影がまさしくクモの巣のように精神科医を捕らえている。これもヒッチコック的でナイス。

 車の中で運転手からショッキングな出来事を聞かされ、劇的な音楽がジャーン!と鳴る。
 ところがこの音楽、いつまでたっても止まらない。ふと外を見ると、隣の車線にはバスが走っており、その中でオーケストラが演奏中だった。なんだ、そりゃ。

 ホテルのラウンジでは、メル・ブルックスが、得意のだみ声を聴かせる。なんでも、映画界に入る前は、弾き語りで生計を立てていたこともあるそうだ。
『高所恐怖症』という歌を歌いながら、スタンダップコメディアン風に客いじりをする。
 この歌声が様になっている。劇中登場歌の作詞作曲を手がけることも多く、やはり音楽は得意と見える。

主人公が高所恐怖症という設定や、ラストの高い塔での活劇を合わせても、『新サイコ』よりもむしろ『新めまい』が相応しい内容だが、インパクトはやはり『新サイコ』の方が強い。
 ハチャメチャなギャグがもうちょっと欲しかった気がするが、ストーリーや個性的な出演者(特に看護師と副院長のSMコンビ)など、全体的にバランスが取れていて、メル・ブルックス作品の中で完成度の高い作品に仕上がっている。

2007年07月26日

『メル・ブルックス 珍説世界史PARTⅠ』 なんでパンフまで買ってるかなぁ

B000E42PY6.jpg『メル・ブルックス 珍説世界史PARTⅠ』(1981) MEL BROOKS' HISTORY OF THE WORLD PART I 92分 アメリカ

監督:メル・ブルックス 製作:メル・ブルックス 脚本:メル・ブルックス 撮影:ウディ・オーメンズ 音楽:ジョン・モリス、メル・ブルックス
出演:メル・ブルックス、ドム・デルイーズ、マデリーン・カーン、グレゴリー・ハインズ、ロン・ケアリー

 本棚のどこを探してもこの映画のパンフレットが出てこない。
「あれ~、確かにあったんだけどな」とあちこちを探すが見あたらない。別にパンフレットマニアではないのでせいぜい100冊ぐらいしか持っていないし、サイズからいってパンフ置き場以外には入らないだろう。引っ越しのどさくさで捨ててしまったかな。
データに関してはネットで調べればいいじゃないかとも思うのだが、一度パンフに頭が行ってしまうとあれには貴重な情報が記されていたのではないかと気になってしょうがない。どうせメル・ブルックス作品のパンフだから、製作会社もそう力を入れて作ってはいないとは思うが。
そのパンフが連休中の整理整頓でようやく出てきた。保険の証券などにこれ一冊だけ紛れ込んでいた。何故に?

 人類が二本の足で立った、ついでに余計な物も立った瞬間からフランス革命までの歴史を、メル・ブルックスが一気に描ききる。そこで語られる世界史は「嘘、おおげさ、紛らわしい」などJAROお墨付きのインチキ振りだ。
監督にして主演のメル・ブルックスはローマの哲学者や十戒のモーゼを始め一人五役を演じている。相変わらずの目立ちたがり屋だ。ちなみに最初は石版が三つで十五戒だったのだが、モーゼがうっかり一枚落として割ってしまったので十戒になったんだと。
グレゴリー・ハインズはローマ時代に登場する奴隷役。もちろんローマサンダルで得意のタップを披露する。ラストの意外な(でもないか)再登場も笑える。

 まあ、例によって泥臭くてオヤジ臭くていかにもユダヤジョークだが、都会的で洗練されてオシャレなのをメル・ブルックスに求めるのが間違いだろう。なんといってもエルンスト・ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』を『メル・ブルックスの大脱走』にしてしまう男だ。基本ストーリーは同じながらあれだけオリジナルと違う作品も珍しい。でも、ルビッチもユダヤ人なんだけどね。
歴史を駆けめぐるので大型セットや衣装などがメル・ブルックス作品としてはかなり金がかかっていそうだ。映画がヒットしたかとか資金が回収できたかとかに関係なく、うーむ無駄金だなぁという気がする。
でもね、でも好きなんだよなぁ。このしょうもなさは他になかなかないよね。

 『珍説世界史PARTⅠ』となっているが、『PART Ⅱ』は存在しない。厳密には予告編のみが存在する。この作品のラストにおまけとして付いているのがそれで、アイススケートでフィギアをするアドルフ・ヒットラーとか、ついに人類が宇宙に飛び出し、ユダヤの衣装と帽子を着てヒゲを生やしたユダヤ人が未来の宇宙へ進出していく『スターウォーズ』のパロディなどである。
これで『スターウォーズ』のパロディというネタが気に入ったのか、メル・ブルックスは後に『スペースボール』を撮ってしまう。懲りないオヤジだ。
最近見ないなと思っていたが、CGアニメ映画『ロボッツ』でユアン・マクレガーやハリー・ベリーと一緒に声優をやっていた。とりあえず元気そうでなにより。

2007年07月31日

『メル・ブルックスの大脱走』 俳優-メル・ブルックス

B000P0I61U.jpg『メル・ブルックスの大脱走』(1983) TO BE OR NOT TO BE 108分 アメリカ

監督:アラン・ジョンソン 製作:メル・ブルックス 脚本:トーマス・ミーハン、ロニー・グレアム 撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド 美術:テレンス・マーシュ 音楽:ジョン・モリス
出演:メル・ブルックス、(アン・バンクロフト)、ティム・マシスン、チャールズ・ダーニング、ジョージ・ゲインズ、クリストファー・ロイド、ホセ・ファーラー、ジェームズ・ハーク、ジョージ・ワイナー、ジャック・ライリー、ルイス・J・スタッドレン、ヘンリー・ブランドン

 エルンスト・ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』(1942)のリメイク。
 メル・ブルックスなのに、パロディではなくリメイク。オリジナルにはなかったメル・ブルックス的ギャグも含まれているので、リメイク8に対してパロディ2ぐらいの割合だろうか。
 ストーリーはオリジナルにかなり忠実。そして出来も割と良い。この2点が『メル・ブルックスの大脱走』の最大の弱点とも言える。
 今作ではメル・ブルックスは製作と主演のみで、監督や脚本には携わっておらず、しょーもないギャグは抑えてオリジナルに勝負を挑んでいるのだが、正攻法でいって勝てる相手ではない。
 結果、『メル・ブルックスの大脱走』はメル・ブルックス嫌いな人でも意外と楽しめると思うが、『生きるべきか死ぬべきか』と比較するのはやはり酷というものだ。
 いっそのことパロディ8:オリジナル2ぐらいにハチャメチャにしてくれた方が、個人的には嬉しかった。

 ドイツに占領されたポーランドの首都ワルシャワ。舞台を開いていた劇団が、地下組織メンバーの名前が記載された密書や、仲間の救出などでナチスを相手に大活躍。
 といっても、銃や爆弾が使えるわけでもない。彼らの武器はお芝居だ。
 お得意の演技でドイツ兵やゲシュタポを煙に巻いて、徹底的にコケにする様は痛快である。
 国立大学で演劇を専攻したもののずっと端役に甘んじてきた役者が、ドイツ兵を前に「ユダヤ人だって人間なんだ」と大芝居を打つシーンでは、バックで思わずドイツ兵が涙をこぼしていたりする。

 唄ったり踊ったり、重要人物に変装したりで役者に専念したメル・ブルックスはやはり芸達者。主題歌や劇中歌の作詞や作曲を手がけている場合も多い。
 空軍の若い将校さんが恋に落ちるにはちょっと年増じゃないかなのアン・バンクロフトもさすがの大女優ぶりを魅せる。役柄は実生活と同じくメル・ブルックスの妻の大女優。
 その恋の相手のティム・マシスンは『アニマルハウス』でデルタのリーダー格をやっていた人。
 対するドイツチームは(チームかよ)、ゲシュタポの大佐チャールズ・ダーニングとその部下クリストファー・ロイドの怪演が目立つ。

 ラストは連続オチが見事に決まり、飛行機は着地し映画も着地する。
 メル・ブルックス未体験者はこの作品か『逆転人生』からだと入りやすいだろう。

2007年08月15日

『メル・ブルックス/逆転人生』 「…でも俺の方が金持ちだ」「フンガーッ!」

B000P0I64W.jpg『メル・ブルックス/逆転人生』(1991) LIFE STINKS 95分 アメリカ

監督:メル・ブルックス 製作:メル・ブルックス 製作総指揮:エズラ・スワードロウ 脚本:メル・ブルックス、ルディ・デルカ、スティーヴ・ヘイバーマン 撮影:スティーヴン・ポスター 音楽:ジョン・モリス
出演:メル・ブルックス、レスリー・アン・ウォーレン、ジェフリー・タンバー、スチュアート・パンキン、ハワード・モリス、ルディ・デルカ、テディ・ウィルソン、マイケル・エンサイン、マシュー・フェイゾン

「なんだ、メル・ブルックスも普通の映画が撮れるんじゃんか」というのが真っ先の感想。

 メル・ブルックスは親の遺産を引き継ぎ、それをさらに大きくして、今ではアメリカ一の大富豪となった拝金主義者。生活面では苦労知らずのボンボンだ。
 そんな彼がロサンゼルスの貧困地区をぶっつぶして、巨大な近代都市を造ろうとしている。
『ロボコップ3』で、オムニ社が貧民街から住民を追い出して、デルタシティというのを作ろうとしているが、それと同じような物だ。
 ところが、建設予定地の半分はすでに所有していた物の、もう半分を貧民街から成り上がった別の実業家に買い占められてしまった。どちらも相手の持ち分が欲しいが、譲歩する姿勢を見せない。
 そこで、ある賭をして決着をつけることとする。
 それは、金も物も身分を証明する物も持たないホームレスとして、メル・ブルックスが争点となっている貧民街で30日間生き残ることが出来るか。
 メル・ブルックスの足首にはセンサーが巻き付けられていて、街から30秒以上離れると、そこで負けになってしまう。
 最初は自信満々だったメル・ブルックスだが、悲惨な現実を前に、次第に打ちのめされていく。

 寝る場所を確保するのも一苦労ならば、食べ物を手に入れるのも一苦労。
 ついに、ファーストフード店先に放置された食べ残しに手が伸びるが、店員に追い出されてしまう。
 もちろんお金を稼ぐのも一苦労。黒人の少年が、空き缶を前に「ハットゥハッ、ハットゥハッ」とダンスを披露していると、通行人が次々と小銭を入れていってくれる。
 それに目をつけたメル・ブルックスは、少年が立ち去った後、その場所で「ハットゥハッ、ハットゥハッ」とドタバタダンスを踊るが、通行人からはことごとく無視されてしまう。好きなシーンだ。

 そして、彼にも、昔は水兵になりたかったが病気でテストを撥ねられた愛称セーラーや、悪漢に襲われているところを助けてくれたバッグ・レディなどのホームレス仲間が少しずつ出来ていく。
 もうちょっとメル・ブルックスを追い込んで、価値観の大いなる逆転があり、人間としての深みが出てから事態が好転していく方が面白いかなと思うが、仲間が出来てからの方が話が広がるのでOKだろう。
 恋に落ちたメル・ブルックスとバッグ・レディが廃縫製工場に放置された布きれの中で踊るシーンはファンタスティック。いざ、ラブシーンだというときに、バッグ・レディの服を脱がしても脱がしても下に着込んでいるギャグは笑った。防寒や盗難防止のために、持っている衣装は片っ端から着込んでいるんだよな。
 泣けるシーンもあるし、それを泣きのままではなく最後にはギャグで落としたりと、メル・ブルックス節は満載だが、どぎついギャグや下ネタは少ないので、最初にも言ったがメル・ブルックスにしては普通のコメディ映画。

 メル・ブルックスと、元億万長者だという妄想を持った男が、「俺の方が金持ちだ」「いや、俺の方だ」と叩き合い、ついには妄想男が「それでも俺の方が金持ちだ」と捨て台詞を吐く度に怒りに狂ったメル・ブルックスが襲いかかる。
 この繰り返しのギャグが、ラストにもきっちり活かされて映画は無事着地。

2007年10月14日

『マルホランド・ドライブ』 光の女、闇の女

B000063UPM.jpg『マルホランド・ドライブ』(2001) MULHOLLAND DR. 146分 アメリカ

監督:デヴィッド・リンチ 製作:ニール・エデルスタイン、ジョイス・エライアソン、トニー・クランツ、マイケル・ポレール、アラン・サルド、メアリー・スウィーニー 製作総指揮:ピエール・エデルマン、デヴィッド・リンチ 脚本:デヴィッド・リンチ 撮影:ピーター・デミング 編集:メアリー・スウィーニー 音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:ナオミ・ワッツ、ローラ・エレナ・ハリング、アン・ミラー、ジャスティン・セロー、ダン・ヘダヤ、マーク・ペルグリノ

 物語の前半と後半とで大きく二つに分かれており、その時間軸にも工夫がある。
 女優を夢見てカナダからハリウッドに出てきた若い金髪の女性と、何者かに狙われ事故で記憶を失った黒髪の女性。昼と夜現実と夢。色々と対比的な物が登場する。
 前半と後半がどう繋がっているのかとか、殺し屋達の正体は何者なのか、部屋の真ん中にただ一つ椅子だけ置いて腰掛けている奇妙な男は何なのか。
 そんなことどうでもいいだろう。難しいことを考えるのは嫌いだしな。

2007年12月12日

『ミクロの決死圏』 人体は未知なる宇宙だ

B000VRXIBA.jpg『ミクロの決死圏』(1966) FANTASTIC VOYAGE 100分 アメリカ

監督:リチャード・フライシャー 製作:ソウル・デヴィッド 脚本:ハリー・クライナー 撮影:アーネスト・ラズロ 特殊効果:L・B・アボット 音楽:レナード・ローゼンマン
出演:スティーヴン・ボイド、ラクエル・ウェルチ、アーサー・ケネディ、エドモンド・オブライエン、ドナルド・プレザンス、アーサー・オコンネル、ウィリアム・レッドフィールド、ジェームズ・ブローリン

 脳腫瘍によって意識を失ったままの科学者を治療すべく、超小型に縮小されたプロメテウス号が体内に注入される。そして五人のクルーは原題の『FANTASTIC VOYAGE』が示す通り、実にファンタスティックな光景を眼にすることになる。

 当時のSFXの粋を集めたSF大作。SFと言えば宇宙のイメージが強いが、今回は人体の中にある小宇宙だ。
『インナースペース』(1987)と比べるとSFXが見劣りするのは間違いがないし、もしも現在の技術で体内を表現したら、その『インナースペース』を上回るだろう。だが、それはそれ、これはこれ。1966年当時の人々は、これまでになかった映像を体験したのは事実なのだ。

 治療のために、ミクロサイズに小型化された潜水艇を人体に注入するというSF的アイディア。それを実現させるためにいくつも嘘をついている。縮小は二段階で、二段目は巨大な注射器ごと縮小され、そこに入っていた水(おそらくは生理食塩水)も一緒に縮小される。しかし、縮小は60分で解けて、元の大きさに戻ってしまう。だとしたら、患者の体内に注射された水も巨大化して、人体が破裂してしまうだろうが、そんな事は気にするな。
 あのね、SFってのは嘘だから。つか、映画って嘘だから。ドキュメンタリーじゃないんだからさ。それに、ドキュメンタリーだって嘘はあるぞ、多分。

 クルーの一人としてドナルド・プレザンスが登場した時点で、「あっ、こいつは悪党だ」という予感がしてしまうのは何故だろう。
 プロメテウス号のデザインが60年代していて、曲線が美しい。レーザー砲もレトロで嬉しい。船外活動用スーツのラクエル・ウェルチが美しい。抗体に取り付かれて、ギリギリとその身を締められるラクエル・ウェルチに倒錯美を感じてしまうのは罪だろうか。
 肺胞で青い赤血球が酸素交換で赤に変わるシーンが美しい。単なるビニールホースにしか見えない組織もあるが。
 プロメテウス号を襲い、ついには飲み込んでしまう白血球は怖ろしいが、オレの体内で重要な免疫として働いてくれているのだ。白血球その他に感謝。
『インナースペース』では体内のあちこちを移動していたが、『ミクロの決死圏』では数センチを移動するにも大騒動だ。ミクロ単位に縮小されているのだから当たり前とも言える。内耳にいる時には、オペルームで鉗子を落とした音だけで、艦は嵐にあったように振り回される。ここら辺はSFとコメディの差だ。

 監督は『海底二万哩』(1954)のリチャード・フライシャー。SF専門というわけじゃなくて、戦争映画から西部劇まで手広く手がける人だ。

2008年02月07日

『モータル・コンバット』 解け合わないSFXと格闘アクション

B000WCEGMO.jpg『モータル・コンバット』(1995) MORTAL KOMBAT 101分 アメリカ

監督:ポール・アンダーソン 製作:ローレンス・カザノフ、ローリ・アペリアン 製作総指揮:ボブ・エンゲルマン、ダニー・サイモン 脚本:ケヴィン・ドロニー 撮影:ジョン・R・レオネッティ 音楽:ジョージ・S・クリントン
出演:ロビン・ショウ、クリストファー・ランバート、リンデン・アシュビー、ケイリー=ヒロユキ・タガワ、ブリジット・ウィルソン、タリサ・ソト、トレヴァー・ゴダード

 腕がもげる、血しぶきが舞い頭が吹き飛ぶ。そんな残虐描写てんこ盛りの実写取り込み格闘ゲーム『モータル・コンバット』の映画化。ゲームの方は何度かやったことがある。演出は派手だが、操作感が大味でそれほど面白くなかったように記憶している。
『バイオハザード』シリーズのポール・アンダーソンが初期に手がけた作品で、格闘シーンにSFXをまぶして美味しく仕上げようとしているが、それぞれが混じり合わずにお互いの主張が強すぎてあまり成功しているとは思えない。SFX+格闘アクションというアイディアは面白いと思うんだが。
 主人公のアジア人青年やアクション映画俳優のスター、女性捜査官などの人間界側の戦士が、魔界の戦士たちと試合をして、負けたら人間界は魔神に支配されてしまう。魔界の戦士は冷凍光線を放つ男や、四本腕の巨人、そして親玉のケイリー=ヒロユキ・タガワ。ケイリー=ヒロユキ・タガワの邪悪ぶりは見物だ。オレはこれだけで満足した。
 格闘アクションの出来る人と出来ない人の差が大きいのは仕方ないとして、肝心の格闘シーンがちょっと戦っちゃなんかよそ事やって、またちょっと戦ってはよそ事やってと、展開がぶつ切りななために、観ているこちらのテンションがなかなか上がってこない。主人公以外の人間側の登場人物が何のために戦うのかが見えてこないのも残念だ。
「モータル・コンバット~!!」とタイトルを叫び、デンデンデンデケデケの音楽が流れるオープニングは格好いいんだけどね。第二部へ続くと言わんばかりのぶった切りなラストには大爆笑。
「これからが本当の戦いの始まりだ!」

2008年02月09日

『モータル・コンバット2』 無駄な動きこそ戦闘員のアイデンティティ

B000WCEGMY.jpg『モータル・コンバット2』(1997) MORTAL KOMBAT: ANNIHILATION 95分 アメリカ

監督:ジョン・R・レオネッティ 製作:ローレンス・カザノフ 製作総指揮:カーラ・フライ、アリソン・サヴィッチ 脚本:ブレント・V・フリードマン、ブライス・ゼイベル 撮影:マシュー・F・レオネッティ 音楽:ジョージ・S・クリントン
出演:ロビン・ショウ、タリサ・ソト、ジェームズ・レマー、ブライアン・トンプソン、サンドラ・ヘス、リン・“レッド”・ウィリアムズ、クリス・コンラッド、イリーナ・パンタエヴァ、レイ・パーク

 まさか1のラストからそのまま始まるとは思わなんだ。人間界に魔界の軍勢が退去して押し寄せ、ついに侵略は始まった。前作のボスキャラなどすでにザコ扱い。そして主人公は「お前には力が足りない。修行が必要だ」と言われて、新たなる師匠ナイトウルフの元へと旅立つ。うーむ、……ドラゴンボール?
 よく見ると、主人公は同じ人物だが、脇役のうち何人かは顔が違う。稲妻の神ライデンはクリストファー・ランバートだったはずがいつの間にかジェームズ・レマーになっている。スケジュールとかギャラ問題とか、諸般の事情があったのだろう。
 ひたすら戦いに次ぐ戦いで、ストーリーはあるんだかないんだか。前作で倒したはずの冷凍光線男が出てくるが、「おれはその弟だ」だそうだ。意味ありげに登場しておいて、それっきり。他にも実は意味がなかった設定とか、唐突な裏切り者とか、「思いつきで書いてんじゃねーの」と尋ねたくなる脚本だが、格闘シーンをふんだんに盛り込んでくれているので、これで良し。アクションは前作よりも切れ味が増している。キャストの交代でアクションが出来る人になった様子でもあるし、スタントマンの使い方も上手い。女性同士の戦いは泥の中。そうまるで“泥レス”状態だ。主人公側の美人捜査官の白いタンクトップが泥にまみれていく様はマニアも納得?
 SFXは予算が少なくなったのかあまり良いものではなく、合成はビデオのクロマキー合成かと思うようなちゃちっぷり。だが格闘との組み合わせは前作よりも上手いのではないだろうか。
 敵は下半身が獣のケンタウロスタイプや、四本腕のお姉ちゃん、タキシードのオバさんや黒い覆面で顔を隠した手下などなど。なんかこう、特撮ヒーロー物を観ているような気分になってくる。敵の忍者風あるいはアラビア風の手下が、意味もなく背景でバク転や側転などをしているのは笑える。主人公たちを追ってくるときもくるくる回転している。普通に走った方が速いはずだが、それが彼ら戦闘員のアイデンティティなのだ。
 個性的な(マヌケともいう)敵に対して、主人公たちが地味に見えてくるが、そこは腕をサイボーグにした仲間が参戦することでカバー。昔、『片腕サイボーグ』という作品があったが、この作品では両腕とも機械になっている。と思ったら、人体改造したのではなく、腕にパワーユニットを付けてただけなのか。しかし、そのパワーユニットに頼ることを止めて自ら引きはがしたときから本当の戦いは始まるのだ。気がつきゃ主人公はドラゴンに変身しているし、もう油断も隙もない。
 もちろん主題歌は健在。
「モータル・コンバット~!!」

2008年04月19日

『メッセンジャー・オブ・デス』 復讐の天使

B000XIEH6C.jpg『メッセンジャー・オブ・デス』(1988) MESSENGER OF DEATH 90分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー 製作総指揮:メナハム・ゴーラン、ヨーラン・グローバス 原作:レックス・バーンズ 脚本:ポール・ジャリコ 撮影:ギデオン・ポラス 音楽:ロバート・O・ラグランド
出演:チャールズ・ブロンソン、トリッシュ・ヴァン・ディーヴァー、ダニエル・ベンザリ、マリリン・ハセット、ジョン・アイランド、ローレンス・ラッキンビル、ジェフ・コーリイ

 チャールズ・ブロンソン&J・リー・トンプソンペアによる作品。しかも 製作総指揮がメナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスのキャノンフィルムズときているから、ある意味無敵だ。
 有名新聞記者のブロンソンがなぜか途中で銃を手にするが、撃ちまくって悪党を殺しまくることもないし、ラストの殺し屋との戦いも素手でタコ殴りにするだけで殺さない。てか、ジジイ新聞記者が若い殺し屋に素手で勝つってのがどーよと思うが、それがブロンソンだ。
 コロラド州はデンバーで、モルモン教の一家が住む家にショットガンを持った謎の二人組が押し入り、ご婦人や子供たちの計8人を射殺するシーンから物語は始まる。現場に残されたのは剣を持った天使、“復讐の天使”の絵が一枚。
 ブロンソンが事件の取材を続ける内に、殺された一家の血縁でモルモン教の牧師をやっている男とその兄弟の大農園の地主に行き当たる。対立した兄弟はお互いに相手が犯人だと主張する。モルモン教が多数暮らす血で、異教徒として扱われブロンソンはなかなか真相に近づくことが出来ない。
 おおっ、モルモン教といえばキリスト教系のカルト宗教(反論もあろうが)。それを背景に猟奇殺人を追うサイコサスペンスかとワクワクしている内に、対立した兄弟はそれぞれ部下を率いて西部劇のような撃ち合いを始めるし、ブロンソンが乗った車はタンクローリー車に襲われる。ああっ、前半の緊張感が音を立てて崩壊していくっ!
 いや、悪口じゃないよ。そりゃ同じコンビの『セント・アイブス』(1976)の方が作品としての完成度は格段に高いが、これはこれで楽しい。いつの間にか大企業の陰謀へと展開したストーリーは唐突に終わる。どうでもいいけど、ものすごく遠回りな上に、成功率も低そうな計画だ。

2008年05月07日

『マイホーム・コマンドー』 間借り人は最強の宇宙戦士

B0014F9G28.jpg『マイホーム・コマンドー』(1991) SUBURBAN COMMANDO 90分 アメリカ

監督:バート・ケネディ 製作:ハワード・ゴットフリード 製作総指揮:ハルク・ホーガン、ケヴィン・モアトン、デボラ・ムーア 脚本:フランク・A・カペロ 撮影:ベルント・ハインル 音楽:デヴィッド・マイケル・フランク
出演:ハルク・ホーガン、クリストファー・ロイド、シェリー・デュヴァル、ジャック・イーラム、ラリー・ミラー、ウィリアム・ボール、ジョー・アン・ディアリング、ロイ・ドートリス、トニー・ロンゴ

 一人の男は長年戦争に明け暮れ、暴力で物事を解決する事しか考えられなくなった歩く殺戮マシーン。
 もう一人の男は、才能はある物の上司に昇給を訴えることも出来ない気弱な設計技師。
 そんな二人が出会い、あれこれといったトラブルに巻き込まれたあげく、戦争男は時には暴力を用いずに物事を平和的に解決することを覚え、もう一人の男は自分に自信を持って行動することを覚える。二人の男の変化というか成長はなかなか感動的だ。
 ちょっと普通の映画と違うのは、戦争男が銀河を股にかけ悪党退治のプロフェッショナルの宇宙戦士だったって事だ。

 毎日、ヒッチコック特集というのも疲れるので、多分オレが一番得意とするコメディ映画について書く。しかもB級コメディでやたら出来がよい。
 宇宙戦士を演ずるのはプロレスラーのハルク・ホーガン。リング上でのそのあまりに怪物的な強さに目を付けたスタン・リーがアメコミのキャラクター緑の巨人ハルクを生み出したことで有名。えっ、その逆で超人ハルクにちなんでハルク・ホーガンって名前にしたんだって?まぁ細かいことは良いじゃないの。
 生真面目な男を演ずるのはクリストファー・ロイド。愛妻家で息子と娘を愛する平凡な男が、宇宙戦士との出会いで成長していく様は格好いい。負けるなオヤジ。
 監督は『夕陽に立つ保安官』(1968)や『続・荒野の七人』(1966)を手がけたジョージ・ケネディ。映画史的にはほとんど無視されているような感じだが、コメディ系は非常に上手い人である。『夕陽に立つ保安官』で副主人公を演じたジャック・イーラム(『キャノン・ボール』シリーズで肛門医を演じた人)がちょい役で出ているのがまた嬉しい。オンリー・ザ・ロンリーさんとジェームズ・ガーナーについてメールで話していたのだが、そういえば『夕陽に立つ保安官』の主演はジェームズ・ガーナーだったか。
 それなりの期間、映画を観てきてギャグとは「突然と反復、そして省略だ」というのがオレの結論だが、この作品では繰り返しのギャグが多用されていて、実にツボにはまる。路上でパントマイムをやっている男がハルク・ホーガンに「本当に見えない壁に取り囲まれているのだ」などと勘違いされ、登場する毎にひどい目にあうギャグなど、わはははだ。
 ナンセンスなギャグも多くて、ハルク・ホーガンがセガの『アフター・バーナー』をプレイして敵をコテンパンに叩きのめすとゲーム機の横に小窓が開いて白旗が出てくる。
 スケートボードに失敗したハルク・ホーガンが腹を立ててスケボーを力任せに放り投げて大空の彼方に消えていく。そして宇宙支配を企む悪の帝王がハルク・ホーガン抹殺のため地球に送り込んだ賞金稼ぎの宇宙船が地球に近づいてきた時、窓の外をクルクルと回転しながらスケボーが宇宙空間を飛びさっていく。
 いかにも悪っぽい連中が不法路上駐車していて、その車をハルク・ホーガンが強靱な腕力で動かしたら悪ガキどもが詰めかかってくる。ハルク・ホーガンが「そうか、オレとケンカしようってんだな」と言ったら、「馬鹿な、今は90年代だぞ。裁判所に訴えてやるから覚悟しとけ」だと。
 どんなギャグだ。
 ちなみに、最近では「映画とは突然と反復と省略だ」まで考えが進んでいる。

 黄色信号できっちり車を停めるクリストファー・ロイドがラストには……ってんでそこも上手く活かされていて、上手く映画が終わる。
 昇給を訴えに来たクリストファー・ロイドを社長は上手く口先で丸め込む。そして、クリストファー・ロイドを社長室から送り出す時に、日本人クライアントが入ってくる。
「今ちょうど、日本式雇用方式を実践していたんですよ」
 上手くギャグになっているのだが笑えない。日本企業で昇給を訴えたりしたら不忠義者扱いだよな。いつの時代だよ、不忠義者って。

 劇場公開で観て以来ずいぶんと久しぶり。まさかDVDになるとは思わなかった。他にもっとDVD化すべき作品(『ブロブ』とか)があるんじゃないかとか、誰が買うんだこれ感は強いが、なんにせよ目出度い。もっと色んなのを出してくれ。

2008年05月24日

『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』 『Always Look On The Bright Side Of Life』だってばさ、ちょんちょん。

B001493F1C.jpg『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』(1979) MONTY PYTHON'S LIFE OF BRIAN 93分 イギリス

監督:テリー・ジョーンズ 製作:ジョン・ゴールドストーン 製作総指揮:ジョージ・ハリソン、デニス・オブライエン 脚本:グレアム・チャップマン、ジョン・クリーズ、テリー・ギリアム、エリック・アイドル、マイケル・パリン 撮影:ピーター・ビジウ 音楽:ジェフリー・バーゴン
出演:グレアム・チャップマン、ジョン・クリーズ、テリー・ギリアム、エリック・アイドル、マイケル・パリン

 イエス・キリストと同年同月同日、数件離れた家で生まれたブライアンの数奇な運命を描いた映画。そこはそれモンティ・パイソン作品なのでマトモなはずがない。ユダヤ人も、ローマ人も、そしてキリスト教などの宗教もネタにした世にもヤバイ映画が始まる。
 製作のジョージ・ハリソンはあのビートルズのジョージ・ハリソン本人。主催のハンドメイドフィルムでは『バンデットQ』なども製作された。どうも、本人が映画に出ているようで、ブライアンを救世主ことメシアだと思い込んだ民衆が押しかけてくるシーンでは、「ほら彼がお金を出したジョージ・ハリソン。一番に直してあげてよ」とか言われている。勝手にメシアだと思われて祭り上げられるのって、実は怖いよねぇ。そんなブライアンの悲劇が喜劇にしかならないのがモンティ・パイソン。
 ローマ軍によるイスラエル支配とか、ユダヤ人の歴史、キリスト教の誕生などを知っていた方がより面白いのだろうが、知らなくてもそれなりに面白い。キリスト教絡みなギャグがヤバイのでこれまで発売が遅れた理由でもあるのだろう。でも、パイソンズにとっては何だって笑いになるんだってば、ちょんちょん。
 ラストのトンマと勘違いの連続のあげく、磔になったブライアン。そして同じく磔になった囚人たちが歌い出す『Always Look On The Bright Side Of Life』は名曲名シーンだよね。『人生はいつも能天気で行こう』とオレは意訳している。歌うはもちろんエリック・アイドルさ。
 オレが観たのはTV放映が初めてだが、『空飛ぶモンティパイソン』と同じキャストで吹替放映されていた。今回のDVDは嬉しいことに吹替音声収録版。もちろん往年のキャストだ。主演のブライアン(グレアム・チャップマン)は故山田康雄なのはもちろん、彼と同衾するユダヤ人民戦線、いやユダヤ共同戦線だったか?ユダヤ解放戦線だったか?こんな同一勢力の内部分裂のネタもあるのだが、とりあえずその女性の声が峰不二子の声優増山江威子ってのはうれしいねぇ。
 まぁ、どのみち神ならぬ人間は死ぬんだし、同じ死ぬなら明るく死のうや、ちょんちょん。人生なんて、洒落だよ、洒落。

2008年06月09日

『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』 成長したツバメの飛行速度は?

B001493F12.jpg『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975) MONTY PYTHON AND THE HOLY GRAIL 92分 イギリス

監督:テリー・ギリアム、テリー・ジョーンズ 製作:マーク・フォーステイター 脚本:グレアム・チャップマン、ジョン・クリーズ、テリー・ギリアム、テリー・ジョーンズ、エリック・アイドル、マイケル・パリン 撮影:テリー・ベッドフォード 音楽:ニール・イネス
出演:グレアム・チャップマン(山田康男)、ジョン・クリーズ(納谷吾郎)、テリー・ジョーンズ(飯塚昭三)、テリー・ギリアム(古川登志夫)、エリック・アイドル(広川太一郎)、マイケル・パリン(青野武)、パッツィ・ケンジット
日本語ナレーター:藤村俊二

 先日紹介した『ライフ・オブ・ブライアン』はキリスト誕生期のイスラエルを舞台に宗教をギャグにしたドクっ気の強い作品だったが、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』は西暦932年、イギリス伝説の英雄アーサー王をギャグにして、その部下である円卓の騎士たちが聖杯探求の旅をするシッチャカメッチャカ映画。ドクっ気は相変わらずあるが、『ライフ・オブ・ブライアン』よりは初心者向き。
 主人公のアーサー王を演ずるのはブライアンも演じたグレアム・チャップマン。名門校ケンブリッジで医学を学んでいる最中にコメディにのめり込んでパイソンズ結成時からのメンバーとなった。というか、パイソンズってジョン・クリーズもケンブリッジだし、マイケル・パリンはオックスフォード、この作品で共同監督を務めたテリー・ジョーンズはケンブリッジで中世文学を専攻していてい中世に関する専門書まで出している。この作品ではテリー・ジョーンズの中世趣味が前面に押し出されて実はかなり史実に忠実らしい。ぬかるみだらけの道にボロ切れのような服の人々、大衆は愚昧でそれを率いるのが我らがイギリスの王アーサー……のはずなんだけど。ちょんちょん。ここで時代考証をちゃんとやって衣装や小道具も凝ったりするからただでさえ少ない予算が、さらに足りなくなるんだよな。
 まずはオープニングクレジットから笑わせてくれる。最初は普通にキャストやスタッフの名前が連なって出てくるのだが、そのうち「ヘラジカがさぁ」「うちの妹が噛まれてもうたいへんなわけ」とか言い出して、字幕責任者が首にされる。これでようやくまともなクレジットになるかなと思ったら「でまたヘラジカなんだけどさぁ」。ついにはラマ、ラマづくしでメキシカンににぎやかなクレジットに突入。笑ったけど、ラマんとこでの赤黄の激しい点滅は目が疲れるぞ。
 パカランパカランと馬に乗ったアーサー王が丘を越えてやってくるのだが、姿が見えてくると実は馬に乗った格好だけして、従者にココナツの殻で蹄の音を立てさせているだけ。イギリス各地を旅して、ついに円卓の騎士を揃え、神からイエス・キリストが最後の晩餐で使った杯、“聖杯”を探し出すよう命を下される。いわゆる聖杯探求だ。聖杯探求で今だと一番知られているのは新作も間近なインディ・ジョーンズシリーズの三作目『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』だろうか。
 で、聖杯があるらしいフランス人の城に交渉に行くが、バカにされっぱなしでまるで話にならない。やはりイギリス人とフランス人は仲が悪い。そして最後は牛を丸々一頭投げつけれるなどして撤退。
「この敗北は、アーサー王にとって手痛い物でした」
 と、とつぜん現代の歴史学者がマイクを片手に道ばたで解説を始めるが、通りかかった騎士に「怪しげなヤツ」ってんで斬り殺されてしまう。これが、衝撃のラストへの伏線なのだっ!こんなラスト観たことないっ!!!!
 一人何役もやりながら妙な連中がどんどん出てきて映画は進む。女々しい王子が隙あらば歌い出そうとすると(どこからか音楽も流れ始める)、粗暴な父が出てきて「歌うんじゃない」の繰り返しのギャグなんか大好きだね。この突然歌い出そうとして止められるってギャグはディズニーの新作『魔法にかけられて』の予告でもやってたな。
 地上最強の怪物の正体や、ツバメの種類などの知識や、PCRPGゲーム『ウィザードリィ』に登場した“ホーリーグレネード”という武器は映画に出てきた“聖なる手榴弾(ホーリーグレネード)からパクッたんだろとか色々。『ウィザードリィ』かぁ……20年ほど前に1~3、特に1にはのめり込んだなぁ。
 オレが持っているDVDは2002年のユニバーサル インターナショナル版だが、この5月21日に発売されたソニー・ピクチャーズエンタテインメントは日本語吹替で原語のままの部分が増えているらしい。岩に刻まれたアリマタヤのヨセフの遺言「アア~」は原語だそうだが、ウチのは日本語。原語なのは女ばかりの城でちょっとあるだけだね。でも、昔観たビデオ版だとサー・ロビンの吟遊詩人が歌う詩も日本語だった気がするんだ、不確か。

2008年06月18日

『メガスネーク』 伝説のヘビ・アンテカ現る

B001544MKY.jpg『メガスネーク』(2007)MEGA SNAKE 90分 アメリカ

監督:ティボー・タカクス 製作:ボアズ・デヴィッドソン、イスラエル・リンゲル 製作総指揮:アヴィ・ラーナー 脚本:ロビー・ロビンソン、アレクサンダー・ヴォルツ 撮影:エミール・トプゾフ 音楽:デイヴ・クロッツ、ガイ・ゼラファ
出演:マイケル・シャンクス、トッド・ジェンセン、シリ・バラック、ジョン・T・ウッズ、ニック・ハーヴェイ、ベン・カーディナル、アンドレア・エンライト、テレンス・H・ウィンクレス

 タイトルの『メガスネーク』に、またメガマックとかからパクって適当な邦題を付けちゃってからにと思ったら、原題も『MEGA SNAKE』なのな。メガ驚いた、テラ驚いた、ペタ驚いた。嘘、ちょっとだけ驚いた。
 キリスト教なのだが、ヘビをあがめる宗派があった。本当にそんな物があるならこれまた驚きだが、フィクションならそんなアホな設定を考え出した脚本家に驚きだ。で、少年の父親がヘビに噛まれて死んでしまう。毒ヘビ使うなよ!そして、20年後、成長した少年とその兄。少年は以来教会に入っていないが、兄は熱心な信者。今日も今日とて儀式に使うヘビを仕入れに闇ヘビ屋へ仕入れにいく。そこに、奇妙なビンに入った小さなヘビを見つける。店主のネイティブアメリカン曰く、それは部族を滅ぼした伝説のヘビ・アンテカで、成長すると20メートルもの巨大ヘビになり、ありとあらゆる物を食ってしまうと言う。
 だが、三つの教えを守っている限り、成長はせず安全だ。その教えとは、
1.ビンから出さない
2.生きた餌を与えない
3.決してヘビを怖れない
 なんか、『グレムリン』みたいだ。
 アンテカを譲ってくれと頼む兄だが、店主は断固として断る。そこで、兄は隙を見てアンテカを盗み出してしまう。こうして、ヘビパニックが始まった。

 20メートルの巨大ヘビとは無茶だが、神秘的な存在だから問題なし。都合良くビンは割れ、都合良く子ネコが食われ、アンテカは成長を続ける。母が食われ、兄が食われ、そんなこととは知らない警察は主人公が殺したものだと思い、彼を逮捕する。その間にも被害は広がっていく。
 湖の畔でキャンプをしていた一家が登場する。出現した巨大ヘビに驚き、父親は妻と息子達に車に隠れるように言い、自分はそこらにあったキャンプ道具を手にアンテカへ立ち向かう。オヤジ格好えー。ま、食われるけどな。しかも、命がけで守ろうとした家族も結局……
 ここでようやく警察は巨大ヘビの存在に気づくが、市長が現れ「明日は年に一度のカウンティーフェアだぞ。騒ぎを大きくするな」と命令を下す。ジョーズにも出てきた物わかりの悪い市長。そして大きなイベント。もちろん、そのイベント会場にアンテカが現れ、食って食って食いまくる。ジェットコースターなどのライドの客が頭だけスポポポポッと食われてしまうシーンには笑った。
 神秘的な存在なので、銃などでは殺せない。そこで、主人公はナタを手にゆっくりとアンテカへと足を進める……。
 TVムービーだが、監督はオレの好きな『ハードカバー/黒衣の使者』(1988)のティボー・タカクス、製作と製作総指揮が『ランボー 最後の戦場』のボアズ・デヴィッドソンにアヴィ・ラーナーと以外に豪華な製作陣。映画としての多少の安っぽさはしょうがない。CGの出来はそれなり。ヘビなど爬虫類は体毛がない分表現が比較的簡単なのかね。

2008年08月12日

『もしも昨日が選べたら』 万能過ぎるリモコン

B000WMDZEY.jpg『もしも昨日が選べたら』(2006) CLICK 107分 アメリカ

監督:フランク・コラチ 製作:アダム・サンドラー、スティーヴ・コーレン、マーク・オキーフ、ジャック・ジャラプト、ニール・H・モリッツ 製作総指揮:ダグ・ベルグラッド、バリー・ベルナルディ、ティム・ハーリヒー 脚本:スティーヴ・コーレン、マーク・オキーフ 撮影:ディーン・セムラー 特殊メイク:リック・ベイカー 編集:ジェフ・ガーソン 音楽:ルパート・グレグソン=ウィリアムズ
出演:アダム・サンドラー、ケイト・ベッキンセイル、クリストファー・ウォーケン、デヴィッド・ハッセルホフ、ヘンリー・ウィンクラー、ジュリー・カヴナー、ショーン・アスティン、ジョセフ・キャスタノン、テイタム・マッキャン、キャメロン・モナハン、ジェニファー・クーリッジ、シド・ギャニス、ジャナ・クレイマー、ロブ・シュナイダー、ソフィー・モンク、ジョナ・ヒル

 主人公のマイケル(アダム・サンドラー)は愛する妻と息子、そしてまだ幼い娘がいる。だが、マイケルは建築会社での設計士の仕事に追われ、まだまだ収入も少ないので出世を目指している。そのためには多少は家族を犠牲にしてもやむを得ないと自分を納得させている。
 マイケルの家は、これは現代の家庭はどこもそうだと思うがリモコンだらけ。テレビを付けようとしたら天井の扇風機が回り出したり、車庫のドアが開いたりと混乱の極み。そこでマイケルは一台のリモコンで全てを操作できるユニバーサルリモコンを買いに出かける。あるお店で“BEYOND”と書かれたドアをくぐったマイケルは、マッドサイエンティスト風の男モーティー(クリストファー・ウォーケン)に出会う。「これはどんな物でも操作してしまう万能リモコンさ。君には特別にタダでプレゼントするよ。ただし、返品不可だからね」
 そう言われてユニバーサルリモコンを手に入れたマイケルは無事にテレビを付けることに成功。それどころか、夜になっても吠える愛犬に何となくリモコンを向けて音量を絞ってみたら、犬の吠え声が小さくなる。朝起きてからのシャワーや着替え、通勤などの退屈な部分は早送りして無駄を省くようになる。早送り中のマイケルは最低限の会話の受け答えしかしないが、仕事などはきっちりやっている。味を占めて、風邪をひいたらそれが治るまで早送りをしたりとマイケルはリモコンを使いまくる。
 しかし、リモコンは高度な学習機能が付いていて、一度早送りした状況が次に出たら勝手に早送りしてしまうようになった。最初は数ヶ月の時間を失うぐらいですんだが、その内には年単位で失っていくようになる。モーティーにリモコンを返そうとするが返品不可の約束で受け取ってもらえない。捨てても壊しても次の瞬間にはまた手の中に収まっている。
 次に時間を失ったときに、マイケルは自分の父が死に、その死に際に会えなかったこと。そして、最後にあったときの自分が父にひどい扱いをしたことを知る。リモコンで未来へと早送りすることは出来るが、過去に巻き戻してもすでに起きてしまったことを見ることができるだけで干渉はできない。
 妻には捨てられ、子供も彼から心が離れている。ここまで来てようやくマイケルは本当に大切な物に気づく。

 ラストのハッピーエンドとしてのオチは賛否両論あろうが、これがハリウッド映画というもの。最初に退屈な時間を早送りした時点で最後にどうなってしまうかある程度見えてしまうが、それがなんだというんだ。
 テーマとしては前回紹介した『天使のくれた時間』に近い物がある。主人公に特別な体験をさせるのが天使というのも共通。ただしモーティーは普通の天使ではないが。
 次第に老けていく登場人物たちの特殊メイクはリック・ベイカーが担当。マイケルがファーストフードばかり食べていて超肥満体になってしまった特殊メイクが目立つが、自然に老けたメイクは地味だがかなり難しかったはず。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では中年に特殊メイクしたリー・トンプソンなどが登場したが、当時と比べると格段の進化が見られる。
 マイケルの勤務する建築会社の社長として『ナイトライダー』のマイケル役デヴィッド・ハッセルホフが久々に元気そうな顔を見せてくれる。意外とまだ若々しい。

 学生時代には客観的な映画評を心がけようと思っていたが、年月を重ねる内にそんな物は理想としてしか存在しないことに気がついた。全ての映画評は主観でしかないのだ。
 この作品にしても、観客が10代、30代などの年齢や、家族を持っている男性か独身男性かでまったく変わってくるはずだ。そしてマイケルが父の死にショックを受けるシーン。これは実際に親を亡くした者、特にその死に目に会えなかった人物にとっては心を揺さぶられることだろう。かく言うオレも、今年の1月に母を亡くした。距離のある他県に住んでいたので、死に目には間に合わなかった。だから父の死を後悔するマイケルの姿には泣けた。もしも母がまだ健在だったら、泣くことはなかっただろう。
 その人がどの様に育ち、どのような暮らしをして、どのような価値観を持っているか。同じ映画を観てもそれ次第で感想はまったく変わってくる。完全に同じ人間がいないように、似た感想はあっても完全に同じ感想は存在しない。
 映画とは映画作家が作り出した主観と観客の主観とのぶつかり合いである。ある意味戦いだ。映画の中に答え探しをする人がいるが、それはあまり意味がない。監督が仕込んだ答えを求めるよりも、その映画の中から自分なりの答えをことこそ重要だ。その答えが他人の答えと違うことはよくある。それが当たり前だ。
 つまるところ映画とは全て主観だ。

2009年02月19日

『マキシマム・リスク』 ジャン=ユーグ・アングラード、困る。

B000STC8YE.jpg『マキシマム・リスク』(1996) MAXIMUM RISK 100分 アメリカ

監督:リンゴ・ラム 製作:モシュ・ディアマント 脚本:ラリー・ファーガソン 撮影:アレクサンダー・グラジンスキー 音楽:ロバート・フォーク
出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ナターシャ・ヘンストリッジ、ジャン=ユーグ・アングラード、ザック・グルニエ、ポール・ベン=ヴィクター、フランク・センジャー、ステファノス・ミルトサカキス、ステファーヌ・オードラン

 毎日のようにヴァン・ダム映画を製作年度順に続けて観ているが、とにかく勢いで突っ走ってきたヴァン・ダムがこの辺りで息切れがしてきた感じがする。これ以降、いわゆるヴァン・ダム映画の率が格段と高くなっていく。
 監督のリンゴ・ラムは香港出身でアクション一辺倒ではなく文芸風の作品もこなす俊才。この作品がハリウッドデビュー作となるが、同じくヴァン・ダム映画でハリウッドデビューしたジョン・ウーと比べると、ヴァン・ダムとの息が合っていない感じ。文芸色も上手く活用されておらずちぐはぐだ。

 フランス南部の街で一人の男が何者に追われて逃げまくったあげくに事故死する。その男はフランス警察のある刑事と瓜二つであった。
 刑事は死んだ男が生き別れだった双子の弟だったと母から聞き出し、その足跡を追ってアメリカへと渡り、弟がロシアン・マフィアの一員であったことを知る。そして、裏切り者の弟と間違われてロシアン・マフィアに追われることになる。

 双子というネタはすでに『ダブル・インパクト』で使っているし、しかも今回は二人が顔を合わせた時点で片方はすでに死んでいる。弟に間違われるというのもさほどサスペンスとして役に立っているとも思えない。
 ロシアン・マフィア側の力関係や役割も整理されているとは言い難く、FBIの二人組においてはストーリーを混乱させるために出てきたとしか思えない。とにかく敵の目的意識がはっきりしない。これらのため、さほど複雑ではないはずのストーリーが込み入ってしまっている。
 敵側に怪力の巨漢男が登場するが、それも使いこなせていない。タクシーの運転手ももったいない。
 どうにも粗ばかり見えてきてしまうが、歯車が上手く噛み合っておらず数々の要素が機能していないのだ。アクションはがんばっているので、上手く話しが回れば面白い映画になっていた可能性は大いにある。
 それにしても、カーアクションのシーンではぶつかったり壊れたりする車が見事なまでに全て年季の入った中古車。ヴァン・ダムの車ぐらい新車を使えないものだろうか。

 前作『サドン・デス』では父親役だったので脱ぐシーンがなかったが、その分を取り返すかとばかりにヴァン・ダムは脱ぐ。しかも今回は脱ぐ相手が『スピーシーズ/種の起源』のナターシャ・ヘンストリッジ。ほとんど脱ぎ合戦である。ロシアン・マフィアが集うサウナでは腰にタオル一丁で戦うヴァン・ダムの姿を観ることが出来る。ほんと、脱ぐの好きだな。
 そんな中、ヴァン・ダムの仕事仲間の刑事役のジャン=ユーグ・アングラードが「俺はここで何をしているのだろう」と言わんばかりの困った顔が記憶に残る。
 ちなみにこの作品、DVDだけではなくBlu-rayも出ている。ジャン=ユーグ・アングラードがキャスト面での無駄遣いならば、『マキシマム・リスク』のBlu-rayは技術の無駄遣いと言ったら怒られるだろうか。

2009年04月27日

『マクリントック』 予定調和で何が悪い

B000LXINYG.jpg『マクリントック』(1963) McLINTOCK! 126分 アメリカ

監督:アンドリュー・V・マクラグレン 製作:マイケル・ウェイン 脚本:ジェームズ・E・グラント 撮影:ウィリアム・H・クローシア 音楽:ダナム、フランク・デ・ヴォール
出演:ジョン・ウェイン、モーリン・オハラ、パトリック・ウェイン、チル・ウィルス、ブルース・キャボット、ステファニー・パワーズ、イヴォンヌ・デ・カーロ、ロバート・ロウリー、ハンク・ウォーデン

 主演はジョン・ウェイン。妻役は『静かなる男』などでジョン・ウェインとは共演作が多い燃える赤毛のモーリン・オハラ。監督はジョン・フォードの弟子筋に当たるアンドリュー・V・マクラグレンときている。しかも製作はジョン・ウェインの息子のマイケル・ウェインときている。これはもうジョン・ウェインのためのジョン・ウェインムービーなのだ。

 西部劇だが銃撃戦などはほとんど登場せず、マクリントック一家に関わる出来事を集めたホームコメディ。主人公のジョン・ウェインは奥さんのモーリン・オハラに浮気を疑われて家を出てこられたが、愛娘のレベッカが大学を卒業して地元に戻ってくると言うのでそのためにモーリン・オハラは帰ってくる。そうかやはりレベッカの愛称はベッキーなのか。レッベーじゃないのかなどと思う内に、話しは軽快に進んでいく。
 モーリン・オハラまで巻き込んでのドロンコ喧嘩や牛の半身を丸焼きにしたやたら美味しそうなパーティーなどが繰り広げられるが、どれもこれも予定調和のなかで行われる。昨今では予定調和は不可となっているが、いやいやいいじゃないのこれで。
 1階から2階へと上がる階段からの階段オチはしつこいと言っていいぐらい繰り返される。ほんとしつこい。
 ラストはあまり意味不明なインディアンの反乱をおいておくとして、モーリン・オハラとジョン・ウェインの追いかけっこがそれに付きまとってくる無責任な観客も含めて『静かなる男』の終盤を思い起こさせる。もちろん男対女なので殴る蹴るの暴力は登場しないが。
 ベッキーの婚約相手も予定調和。主人公二人の喧嘩の結果も予定調和。でもその予定調和で良いじゃないの。
 ただ正直、インディアン問題は無かったほうが良かったんじゃないかとも思う。
 取りあえず、ベッキーとモーリン・オハラへのお尻ペンペンは趣味の人には萌えるシチュエーションじゃないかなと思う。

2009年05月05日

『モーテル』 空室あり(※ただし生きて出られません)

B0026R9HRC.jpg『モーテル』(2007) VACANCY 85分 アメリカ

監督:ニムロッド・アーントル 製作:ハル・リーバーマン 製作総指揮:グレン・S・ゲイナー、ステイシー・コルカー・クレイマー、ブライアン・パスカル 脚本:マーク・L・スミス 撮影:アンジェイ・セクラ 編集:アルメン・ミナジャン 音楽:ポール・ハスリンジャー
出演:ケイト・ベッキンセイル、ルーク・ウィルソン、フランク・ホエーリー、イーサン・エンブリー

 主人公は離婚を控えた夫婦。田舎道で飛び出してきたアライグマを避けて車を不調にしてしまう。そこで古びたモーテルに泊まるが汚れた部屋にゴキブリ、無言電話に隣の部屋から奇妙な扉を叩く音がするなど奇妙なことが続く。もちろん携帯電話は圏外。
 テレビはアンテナが故障しているのか映らない。そこでテレビの上にあったビデオテープを観るとそこには殺人シーンが録画されていた。てっきりサスペンスかホラー映画の1シーンだと思っていたら、なんとその舞台は自分達が泊まっているその部屋そのものだった。

 スナッフフィルム(殺人フィルム)集団に目を付けられた夫婦は何とかして生き残るためにドアから逃げだそうとしたり、公衆電話から警察に連絡したりするがすべて奴らの思いのまま。そんな中、秘密の地下通路を見つけ必死に生き残る道を探す。
 登場人物が少ないのですぐに犯人が分かってしまうが、『サイコ』のような犯人捜しが目的ではないので問題なし。それどころか犯人側の視点が加わってからより面白くなる。『悪魔のいけにえ』のような怪人的存在ではなくスナッフフィルムを作るのが目的内外は普通の人間。見た目もしょぼい田舎者。
 殺される人も少なくどんでん返しもないホラーやサスペンスと言うより生き残りをかけたサバイバルムービーで、苦難の末に危機を迎えていた夫婦が愛を取り戻すのは定番。
 昨今は戦う女性ということで終盤は妻がスナッフフィルム集団を相手に大活躍。轢く、潰す、玉を蹴る、撃ち殺す。うむ、一番強いのは妻だったか。
 殺し方、殺され方に独特のアイディアがあればもっと面白くなっただろう。

 オープニングとエンディングクレジットが活字がスライド・回転する形で凝っている。

2009年05月18日

『マラソン マン』 元ナチスの歯医者が怖い

B001E7TRY8.jpg『マラソン マン』(1976) MARATHON MAN 125分 アメリカ

監督:ジョン・シュレシンジャー 製作:ロバート・エヴァンス、シドニー・ベッカーマン 原作:ウィリアム・ゴールドマン 脚本:ウィリアム・ゴールドマン 撮影:コンラッド・L・ホール 音楽:マイケル・スモール
出演:ダスティン・ホフマン、ローレンス・オリヴィエ、ロイ・シャイダー、ウィリアム・ディヴェイン、マルト・ケラー、フリッツ・ウィーヴァー、リチャード・ブライト、マーク・ローレンス、アレン・ジョセフ

『マラソンマン』ではなく正式には『マラソン マン』。
 人間関係が複雑で、役割分担もイマイチよく分からない上に、ニューヨークとパリに行ったり来たりで場面転換するものだからストーリーがすっきりと頭に入ってこない。ある男の裏切りも唐突すぎ。
 ダスティン・ホフマンの兄であるロイ・シャイダー(似てない兄弟だ)が刺された後に必死になってダスティン・ホフマンのアパートまでやって来て死んだのも意味が分からない。ストーリー上の鍵なのか単に最後に弟に会いたかっただけなのか。
 ナチの残党はそれになにか意味があるのだと思い込んで、ダスティン・ホフマンを拷問にかける。有名な歯科医拷問だ。元強制収容所の関係者であるローレンス・オリヴィエは元歯科医ということで、歯科医の道具を使って虫歯の根を攻めたり、電気ドリルで健康な歯の歯根を削ったりする。もっとねちっこい描写だったと記憶していたが意外とシーンとしては短い。だが、歯医者に行くのが改めて怖くなった。子供に観せたらトラウマ物だぞこれ。
「安全かね」「安全かね」とひたすら答えを迫ってくるオリヴィエも怖い。
 ジョギングが趣味の大学生ダスティン・ホフマンはさすがにもう大学生に見える年ではない。1937年生まれだぞ。もう40歳に近い。どれだけ留年しているのだろうか。親泣くぞ。ああ、親は赤狩りで起訴されて自殺しているか。この父のエピソードもそれほど上手く映画の中で機能していたとは思えない。
 図書館で知り合った女性が偶然にも敵の手先だったりといい加減なところもある。映画では省略されていただけで、原作ではロイ・シャイダーの弟と言うことで監視を付けていたのだろうか。しかし、知り合った時点では監視を付ける必要が感じられない。
 ローレンス・オリヴィエがダイヤの価値を知ろうとダイヤ市場を訪れたシーンで、ダイヤ市場はユダヤ人が多いものだから通行人の老婦人や店の男に正体がばれてしまうシーンは秀逸。しかし、ユダヤ人を虐殺した“白い天使”の正体も都会の雑踏の中に消えてしまう。
 ラストの浄水場でのダスティン・ホフマンとローレンス・オリヴィエの対決は見応えがある。殴り合うわけでも銃を撃ち合うわけでもない。ダスティン・ホフマンは執着しているダイヤモンドを食えとオリヴィエに放り投げる。受け損ねるとそこは金属製ネットの上でポロポロと水の中に落ちていく。ついに一粒を思い切って飲み込む。この飲み込む演技がすごい。ダスティン・ホフマンへの憎しみやダイヤへの執着、屈辱などを見事に表現している。さすが名優。
 作品としてはしょせんジョン・シュレシンジャーではこんなところ。

2009年06月03日

『ミミック』 巨大昆虫の襲撃

B00006F1V3.jpg『ミミック』(1997) MIMIC 106分 アメリカ

監督:ギレルモ・デル・トロ 製作:ボブ・ワインスタイン、B・J・ラック、オーレ・ボールネダル 原作:ドナルド・A・ウォルハイム 原案:マシュー・ロビンス、ギレルモ・デル・トロ、ドナルド・A・ウォルハイム 脚本:マシュー・ロビンス、ギレルモ・デル・トロ、ジョン・セイルズ、(レジットなし)、スティーヴン・ソダーバーグ(クレジットなし)、マシュー・グリーンバーグ 撮影:ダン・ローストセン モンスター・デザイン:ロブ・ボッティン 音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ミラ・ソルヴィノ、ジェレミー・ノーサム、アレクサンダー・グッドウィン、ジャンカルロ・ジャンニーニ、チャールズ・S・ダットン、ジョシュ・ブローリン、アリックス・コロムゼイ、F・マーレイ・エイブラハム、ジェームズ・コスタ、ノーマン・リーダス

 ギレルモ・デル・トロのハリウッド進出第一弾。主演は『リプレイスメント・キラー』(1998)のミラ・ソルヴィノ。『エイリアン』シリーズのモンスターと戦うリプリーを少し思わせるような戦うヒロインを演じている。

 その病気にかかった子供の大半を死に至らしめるストリックラー病と呼ばれる死の伝染病がニューヨークで大発生した。感染経路はニューヨークの地下に広がる広大な地下施設に繁殖するゴキブリだと判断した昆虫学者のスーザンは、アリとカマキリの遺伝子を組み合わせることで新種の昆虫“ユダの血統”を作り出す。ユダの血統の作り出す泡でゴキブリは全滅し、役割を果たしたユダの血統は遺伝子操作でメスしか生まれないようにしているため子孫を残せず絶滅するはずだった。
 しかし3年後。スーザンの元に少年たちが奇妙な虫を売りに来る。それは正しくユダの血統の子孫だった。
 同時期、謎の黒いロングコートを着た男たちによる奇妙な誘拐が相次いでいた。
 実は研究所ではメスしか生まれなかったユダの血統がニューヨークの地下ではオスが生まれて繁殖していたのだ。それもただ繁殖していたのではない。人間大の大きさにまで成長し人間に擬態(ミミック)して人間を連れ去っては巣の中で食らっていたのだ。
 巣とはニューヨークの地下鉄網の中にあった。

 最近のギレルモ・デル・トロのようなダークなファンタジーはあまり感じられず、むしろ昆虫の標本と新聞などをコラージュしサブリミナル風な細かいカットで繋げたオープニングなどはどちらかというと『セブン』の頃のデヴィッド・フィンチャーを思わせる。
 昆虫が人間大にまで成長するというのは遺伝子操作をしたにしても大きくなりすぎだろうが、太古の昔には何メートルもある昆虫がいたというからあながち無茶な設定ではないのかも知れない。
 ユダの血統がわずか3年で人間への擬態を身につけたのは進化の脅威という物だろう。スーザンが作品の中で言っているが、重要なのは何年経っているかではなく何世代経っているかなのだ。擬態を意味するミミックはドラクエの宝箱に似たで有名かも知れない。あれも宝箱に擬態しているからミミック。
 科学で全てをコントロールしたつもりでそのしっぺ返しを食らうという定番と言えば定番なストーリー。
 虫を売りに来た子供たちにアリの巣の説明をすることで終盤の地下鉄のシーンでの構造が分かる脚本にはギレルモ・デル・トロだけではなくジョン・セイルズやスティーヴン・ソダーバーグがクレジットなしで参加している。
 ユダの血統のデザインは『遊星からの物体X』(1982)のロブ・ボティン。太ったゴキブリのようにでっぷりしていてそれでいてシャープな嫌悪感を感じさせるデザインに仕上げている。もしこれがギレルモ・デル・トロ自身がデザインしていればまた違った物になっていただろう。それもぜひ観たかった。
 ユダの血統は素早くタフで、昆虫だけあってほ乳類などと違い意思の疎通のしようがない。子供もあっさり殺してしまうところも残酷である。
 終盤、地下鉄に立てこもってからの展開が少しルーチンでまたかという感じの部分も多かったが、それでもやっぱりスリリングで最後は街の人も巻き込んでの大爆発。多少なりとも死者も出たのではないだろうか。
 ミラ・ソルヴィノも汚れて埃やゴミまみれになるのを怖れずに体当たりの演技。この人の顔は言っちゃ悪いがちょっとブスが入っていて逆にそこが好みだ。
 ニューヨークの地下鉄の歴史は古く、すでに使われていない路線や駅などがたくさんあるという。その把握しきれないような地下を舞台にしたのは面白かった。
 ユダの血統に食われた人々、退治のために戦って死んだ人、爆発で死んだ人などどれくらいの数になるのだろうか。それとストリックラー病の被害を天秤にかけると、ユダの血統を生み出した方が良かったのか生み出さなかった方が良かったのか。
 スーザンはこれから世間に対してどのように責任を取るのかと感じさせながら映画は終わる。

 ギレルモ・デル・トロならではという部分はさほど出ていなかったように思うが、昆虫嫌いな人にあえてお勧めしたい昆虫パニック映画である。

2009年06月04日

『ミツバチのささやき』 少女の見た幻想

B001FVXU9Q.jpg『ミツバチのささやき』(1973) EL ESPIRITU DE LA COLMENA 99分 スペイン

監督:ヴィクトル・エリセ 製作:エリアス・ケレヘタ 原案:ヴィクトル・エリセ 脚本:アンヘル・フェルナンデス=サントス、ヴィクトル・エリセ 撮影:ルイス・クアドラド 音楽:ルイス・デ・パブロ
出演:アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス

 正直に言えば、この手の名作と呼ばれるヨーロッパ映画が自分に向いているとは思えない。
 オレが好きなのはドカンバカンズキューンバキューンスッテンコロリンドハハハハな擬音で構成されたようなストーリーの分かりやすい娯楽映画で、地味で静かな『ミツバチのささやき』のような映画を観ていると眠くなってくる。登場人物の動きの少ないこと少ないこと。
 だが、仮にも映画が趣味だと言っている人間がごく一部のジャンルの映画だけで満足していてはいけない。これは教養として観なければならない。そんなことを考えながらある程度の割合で名作系にも挑む。でもって退屈する。作品によっては満足する。『ミツバチのささやき』は退屈したが満足もした。そんな矛盾した自分を自覚させてくれる映画でもある。

 1940年頃のスペインの小さな村。そこに移動映画館がやって来る。映写機やフィルムを運んできた小型トラックを子供たちが追いかけて「映画が来た」「映画が来た」とはしゃいでいる。
 公民館で上映された作品は『フランケンシュタイン』。姉に「途中で出てきた少女は何故殺されたの」としつこく尋ねた主人公の6歳の少女アナはフランケンシュタインも少女も映画の中の出来事で本当は死んでいない。フランケンシュタインは精霊なんだと教えられる。
 父親は養蜂業を営んでおり母親が書いたところによると人間嫌いだ。母親は誰宛なのかはっきりしない手紙を書いている。
 姉からフランケンシュタインの精霊は村はずれの井戸のある廃屋に住んでいると言われたアナはその廃屋へ行き、そこで一人の傷ついた兵士と出会う。この傷ついた兵士はどうもスペイン内乱が関わっているようだ。『パンズラビリンス』の時にある程度調べておいて良かった。作中ではまったく説明がないのでさっぱりだ。アナは彼がフランケンシュタインの精霊だと信じ込み兵士とアナの触れ合いがあり、家から持ってきた父のコートに入っていたオルゴール懐中時計で遊んだりする。
 脱走兵だったのかこの兵士は射殺されてしまう。夜の闇の中廃屋を遠くから捉えたショットで銃の閃光だけが光って見えるシーンは秀逸だ。
 廃屋を訪ねたアナは血痕を見、そしてそこに現れた父親が殺したと思い込んで逃げ出してしまう。そして夜の森の中でフランケンシュタインの幻想を見る。

 現代のハリウッド映画の文法で見れば無駄なカット、無駄なシーン、無駄な長さの部分が数多くある。だがそれらが無くなったとしたらこの作品の魅力もなくなってしまうのだ。考えてみればなんと贅沢な作りであろうか。しかもその1カット1カットが実に美術的に考え抜かれて撮影されている。それでいて事件らしい事件が起きる映画じゃないのだ。
 ハリウッド映画ならばセリフ一つで片付けてしまうところをじっくり1シーン使って撮ったりしている。
 姉妹で汽車が来るのをレールに耳を当てて音を聞いているシーンなど、無駄に思えるが実に美しい。ストーリー上あまり意味はないが、後に脱走兵が走る列車から飛び降りるのを考えるとまったく関係がないわけではないだろう。

 完璧とも言える美しさを魅せるのがアナ役のアナ・トレント。この時期の少女にしか持ちようのない透明感を表現してくれる。なるほど彼女ならば精霊のことも信じるだろう。脱走兵にリンゴを差し出すシーンは同じ言葉の繰り返しになるが実に美しい。大きなカフェオレカップでカフェオレを飲んでいるシーンや、父親のひげ剃り道具でひげ剃り用の石けんを塗って遊んでいるシーン、たき火を飛ぶ少女たちを一人離れてみているシーンも良い。アナが可愛いのはコッポラだけじゃない。あんまりこんなことばかりいってるとロリコン扱いされそうだ。