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洋画 ラ行 アーカイブ

2004年04月09日

『ラン・ローラ・ラン』 真っ赤な髪をなびかせて

『ラン・ローラ・ラン』(1998) 監督・脚本トム・ティクヴァ 出演フランカ・ポテンテ、モーリッツ・ブライブトロイ

 ひょっとしたらこの作品のアイディアは、プレステかなにかでアドベンチャーゲームをプレイ中に思いついたんじゃないだろうか。
 制限時間は20分、クリア条件は10万マルクを手に入れて彼氏の元にたどり着くこと。さあ、ゲームスタート。プレイヤーキャラのローラを操作しベルリンの街を西へ東へ。登場人物と会話したりアイテムをゲットしてゲームを進めるがバン!ローラ死亡。ちくしょう、どこかで選択肢を間違えたな。再スタートだ。2度目のプレイなので最初よりタイムロスを減らせたし10万マルクも手に入れた。ゲームクリアか?ドン!またダメだ。3度目の正直でどうだ。シナリオのトラップには気を付けて、やったついにクリアだっ!・・・という内容ではあるんだよな、ある意味。

 ダメ男の彼氏が犯罪がらみの金10万マルクを紛失してしまった。20分以内に金を用意しないと彼氏の命が危ないとベルリンの街に飛び出してく主人公ローラ。ちょっとした選択肢の選び方次第でまったく違う形で進んでいくストーリーが3度に渡って繰り広げられる。上映時間が81分と短いせいもあるが、とてもテンポが良く観ていて楽しい。
 この作品の大きな魅力の一つがローラの走りっぷりだろう。演ずるフランカ・ポテンテはあまり美しいとも可愛いとも思えないが、水色のタンクトップを身にまとい真っ赤に染めた髪を風になびかせて疾走する姿は実にカッコいい。かなり長いカットもあるのだが息も切らせずに真っ正面を見据えたまま走る。そのくせどこに向かって走っているのか時にはローラ自身にも分かっていないのもいい。
 基本的に娯楽作品なのだが、ローラとぶつかるなどして関わった人のその後が何枚かの写真で語られる場合があり、ある時はLOTOくじで大金を当て次の回では宗教に転んでいたりするのだが、そんな中に、ホームレスになっていたり自ら命を絶っているケースが入っている辺りにドイツ映画を感じる。

「大きなガラスを運んでいるシーンが登場した場合、間違いなく車などが突っ込んでガラスが割れる」の法則がきっちり守られているのもうれしいところだ。

2004年04月11日

『ラスト・ドラゴン』 クンフーを極めろ!

『ラスト・ドラゴン』(1985)のサントラ盤・アナログLPレコード 監督:マイケル・シュルツ 出演:タイマック、ヴァニティ

 サントラ盤なんて10枚も持っていないのだが、その数少ない内の1枚がこれ。ブラック・ミュージックが好きと言うことはなかったから映画自体が気に入ったのだと思う。『ラスト・ドラゴン』に入れ込むとはなかなかやるな、高校時代のわたし。

 青年リーロイ・グリーンはブルース・リーに憧れ、東洋人師匠の元で修行に励む毎日である。そんな彼を物陰から狙う弓矢。背後から飛んできた矢からヒラリと身をかわすリーロイ。そこへ弓を手に持った師匠が現れる。
「よくやったな、リーロイ」
 よくやったなじゃねーっつーの。刺さってたらどーする。
「これでもうお前に教えることはなにもない。後はお前自身で“最後のドラゴン”になるべく道を極めるのじゃ」
 なんて、分かるような分からないようなことを言われて、生まれ育ったニューヨークの街に帰ってくるリーロイ。しかし、そこは悪党の支配する恐怖の街になっていたのだ。ミュージックビデオ産業を牛耳ろうとする悪の親玉や悪の空手使いの手から人気女性タレントを守るべく戦いの火ぶたが切って落とされた。って、なんでミュージックビデオ?
 実は、1985年といえばマイケル・ジャクソンの『スリラー』(1982)の爆発的ヒットなどによるミュージックビデオ最盛期。そこで、モータウンレーベルの会長ベリー・ゴーディJRが映画制作に乗り出して作り出したのがこの『ラスト・ドラゴン』なのだ。
 と言っても、最初に言ったとおり、わたし自身は音楽にはさほど興味がないので、作中に登場するディスコシーンなどはほとんど覚えていない。
 それよりも『ラスト・ドラゴン』と言えば、最後の悪の空手使いとの対決シーンである。
「貴様など一ひねりだぜ、ブルース・リーロイ」と実にふてぶてしい空手使い。
 対するリーロイは様々な人との出会いや戦いを通じて成長し、ドラゴンの悟りが近いことを感じていた。
 そして戦いが始まった。
 戦いの中で、空手使いは怒りによって、そしてリーロイは静かなる心によって悟りを開く。
 すると、パンチが炸裂すると火花が、キックが炸裂すると火花が、バッシンバッシンと緑や赤の火花が光学合成で画面に飛び交うようになるのだ。
 こっ、これはまるで『ストリートファイター2』などの格闘ゲームではないかっ。思いついても普通やらないぞ、こんな演出。でも、カッコいいぞ。
 ついに打ちのめされた空手使い。しかし、卑怯にも隠し持っていた拳銃をリーロイに向けて発射する。倒れるリーロイに駆け寄るヒロイン。正義は負けてしまうのか。最後のドラゴンになっても銃にはかなわないのか。ヒロインが抱き起こす中、にっこり微笑むリーロイ。その歯の間にキラリと光るは受け止められた弾丸・・・丈夫な歯だな~。

 思い出していたら、ぜひもう一度観てみたくなったのだがDVDにはならないだろうなぁ。

2004年04月14日

『ロープ』 80MINUTES

『ロープ』(1948) 監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ジェームズ・スチュアート

 24時間の出来事をリアルタイムに描いたTVムービー『24 TWENTY FOUR』が話題になっている。さすがに24時間というのは映画では無理だが、作中の時間と上映時間がシンクロしている作品には『真昼の決闘』(1952)、『ニック・オブ・タイム』(1995)などがある。
 アルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』(1948)はそれらリアルタイム映画の先駆けであるが、ヒッチコックだけあってただ単にリアルタイムなだけでは終わらせない。

「優れた者は劣った者を殺してもかまわない」という論理(ニーチェの超人思想)で知人を“ロープ”で絞殺した二人の青年。そして、殺人の彩りとして死体を衣装箱に隠したままの部屋に人を招き小さなパーティーを催す。だが、来客者の大学教授(ジェームズ・スチュアート)は二人の言動の小さなほころびから犯罪に気が付いていく。
 殺人の光景から結末までの80分全てがアパートの一室で起こり、しかもそれがたった3カットの長回しで語られる。実際には長回しは機材の関係で最長でも8分までで、カットの変わり目になると人がカメラの前を横切るなどしてレンズを塞ぎ、フィルムを入れ替えると再びそこからスタートする疑似1カットを使っている。その手法を使えば全編1カットも可能だったろうが、ジェームズ・スチュアートが二人の言動に始めて違和感を覚えたシーンと、青年が拳銃を取り出すシーンではクローズアップでカットを割っている。やはり映画を知り尽くしているヒッチコックにとって、そのシーンに最も適した演出としてカットを割るという欲求に耐えかねたのだろう。

 オーソン・ウェルズ以降の近代映画に於いては、作中の時間の進行は制作者の自由になった。カットが変わった途端10年後あるいは10年前になることも当たり前だ。『市民ケーン』(1941)や『パルプ・フィクション』(1994)の自在な時間軸は映画ならではの表現だ。
 そういった意味に於いて、リアルタイム進行や長回しという演出が非映画的でありうるということを逆説的に示したのが『ロープ』なのだろう。

2004年04月28日

『レイジング・ケイン』 ジョン・リスゴー七変化

『レイジング・ケイン』(1992) 監督・脚本:ブライアン・デ・パルマ 主演:ジョン・リスゴー

『アンタッチャブル』(1987)や『ミッション:インポッシブル』(1996)などの大作も監督するブライアン・デ・パルマですが、その真骨頂はむしろB級サスペンス映画において発揮されます。
この『レイジング・ケイン』は多重人格者による二重三重の構造や警察署での長回しなど、デ・パルマのヒッチコックへの傾倒ぶりもうかがえて、そこら辺がわかっていると「あ~デ・パルマだな~」と良い意味で笑えます。目指す物は一流なんだけども根がトンチキ。

サスペンス・ミステリーなんでストーリーにはあまり触れないでおきますが、ジョン・リスゴーの多重人格っぷりはさすがです。小心者人格、不良人格、子供人格、などなど。
でも女性人格って・・・。しかも服装まで女装してますよ。ジョン・リスゴーの女装、うっ・・・。あまり見ることが出来ないという意味では貴重かもしれませんが、貴重だからといって価値が高いとは限らないってとこでしょうか。
「フッ、こんなの考えてみたぜ」というどんでん返しなど楽しいんですが、万事が真面目な人にはイマイチかも。気楽にトンチキ振りを味わうのが吉でしょう。

2004年05月04日

『ロジャー・ラビット』 その名もカトゥーン・ディテクティブ

『ロジャー・ラビット』(1988) 監督:ロバート・ゼメキス 主演:ボブ・ホプキンス、ロジャー・ラビット

カトゥーン(アニメ)と実写を合成したファンタジーでしょ。
と単純に思われているが、いやいやどうして、本格的ハードボイルドなわけですよ、これが。

映画とハードボイルドといえば、2大ハードボイルド探偵のサム・スペードとフィリップ・マーローをハンフリー・ボガードが演じたのがそれぞれ『マルタの鷹』(1941)『三つ数えろ』(1946)。
トレンチコートにソフト帽姿でタバコを唇の端にくわえたニヒルな男が、都会の吹きだまりの中に謎を求めてさすらい、ときには殴りときには殴られ拳銃を突きつけられもしながら、ついに見つけ出した答えは苦くもの悲しげな結末。
ところが、そんな探偵はとっくに絶滅してしまった。今、私立探偵がハンフリー・ボガードの真似をして捜査していたら笑いものになるか警察に通報されてしまう。誤解からそのまま逮捕されてしまった探偵は、留置所の鉄格子越しに夜空の月を眺めて「ボギー、ボギー、あんたの時代はよかった」とでも口ずさみ、管理官から「留置所で歌は禁止だ」と怒られるのだろう。

今の時代、真面目にハードボイルドをやるとギャグにしかならない。それはいしかわじゅん氏の傑作小説『南畑剛三』シリーズを読むとよくわかる。北方健三をモデルにしているはずがない南畑剛三は「男を書く」作家。私生活でもニヒルでハードボイルドを貫いている。ただし、その周りにいるのが広域暴力団組長(死去)の娘美樹、世間知らずのお嬢様編集者万里子、「名前は金山寺」「ぎっくう」の東大卒キャリアハチャメチャ刑事金山寺などばかりだから、剛三がどんなにハードボイルド決めてもギャグなのだ。
だが、いしかわじゅんはそこにこそ現代における真のハードボイルドを見いだす。素のままのハードボイルドがギャグになってしまうのならば、最初っからギャグにしてしまえばいい。ギャグというオブラートを使って、現代のハードボイルドを成立させるのだ。
そしてそれは『東京で会おう』『ロンドンで会おう』『瓶詰めの街』と巻を重ねることに形が確かになり、『瓶詰めの街』収録の短編『瓶詰めの街』では発刊の1994年当時ではまだそんなに一般的ではなかったパソコン通信を題材にし(ここの一般は、秋葉原など以外の普通の道を歩いてる人をとりあえず捕まえてみたサンプル度での一般です)、ネット人格(ネカマ)などが大きな鍵を握る連続爆破事件をあれやこれやのギャグを乗り越えてついに南畑剛三が解決する。するのだが、それは苦くもの悲しい結末だった・・・ハードボイルドだ。

ロジャー・ラビットも基本的には同じだ。
昔ながらのハードボイルド映画がやりたかったロバート・ゼメキスですが、そこは賢い人ですのでそのまま40年代の映画を再現するのではなく、まずはカトゥーンと人間が一緒に暮らしている世界を設定し、探偵役にはズングリムックリとまるで格好良くないボブ・ホプキンスを連れてくる。
カトゥーンならではのドタバタが繰り広げられる中で、実はボブ・ホプキンスの弟がカトゥーンに殺されていたという過去と因縁、そしてその事件以来すっかり落ちぶれてしまっていたことなどが明らかになる。
そして事件の中で再び生きる意味を見いだしたボブ・ホプキンスは最後の敵に立ち向かっていく。
ハードボイルドだ~。衣装やセットも40~50年代風でいい。

アニメとの合成の特撮ばかりに目がいっていると、こういった本質的な部分がおろそかになりますので気をつけよう。

2004年05月07日

『レポマン』 レポマンの人生は緊張の連続だ

『レポマン』(1984) 監督:アレックス・コックス 出演:エミリオ・エステヴェス、ハリー・ディーン・スタントン

レポマンと言っても『バットマン』や『スーパーマン』のようなアメコミヒーローではない。ローンが未払いになっている車の回収業のことだ。“Repossession Man(取り返し屋)”の略である。
 レポマン稼業は、該当者の家を訪ねていっては「あなたの車を回収させていただきます」と鍵をもらって乗って帰ってくるような平和な仕事ではない。見つからないように車に近づき合い鍵を使って勝手に持って帰ってくる。相手によっては暴力に訴えてきたり、時には銃で撃たれることもある。そんなかなりヤバい仕事だ。
この『レポマン』以外でも小説『殴られてもブルース』シリーズの主人公の探偵もレポマンを副業にしており、その仕事内容は映画とほぼ同じだった。どうやら、多少の誇張はあるだろうがかなり本物のレポマンの仕事内容に近いようだ。さすがアメリカ、強引である。と思ったが、日本の消費者金融の取り立てだってかなりのものか。
で、そのレポマンを主人公に、アメリカの現代社会を鋭く描いた問題作・・・などではない。問題作ではあるかもしれないが、かなりブッとんだパンク・ムービーなのである。

主人公のパンク野郎オットー(エミリオ・エステヴェス)は勤務態度の悪さから勤めていたスーパーマーケットを首になり、おまけに彼女を友人に寝取られてしまう。
ふてくされて街を歩いていると、バッドという男(ハリー・ディーン・スタントン)に小遣い銭で車の運転を頼まれる。ところが、バッドはレポマンで車は回収中の物。うやむやのうちにオットーはレポマンの会社で一癖も二癖もある連中と一緒に働くことになる。
ちょっうどその頃、白バイがスピード違反の車を見つけ路肩に停めさせた。運転手の言動が怪しいので警官はトランクを調べることにする。ゆっくりと開くトランク、その中から光があふれ出てそれを浴びた警官は骨になり消え去った。再びトランクは閉まり車はその場を走り去っていく。残されたのは白バイとぶすぶす煙を上げる警官のブーツだけ。
実は、トランクの中身は“宇宙人”の死体で男はそれを政府の施設から盗み出した科学者だったのだ!
だったのだ!じゃねーっつーの。

この宇宙人の死体を乗せた車シェビー・マリブに賞金がかけられたものだから、オットーと仲間や他の同業者もその車を探し始め、例によって黒ずくめの政府の役人や『スチュワーデス物語』に出ていたような銀色の義手の女、宇宙人研究家たちなどが入り乱れての争奪戦になっていく。時折、オットーの元彼女と友人が現れてはコンビニ強盗など悪事をはたらいてるし。
でも、揃いも揃ってバカばかりなので、事態はひたすら混乱していくばかり。
最後には成り行きのままに話は収束し、皆が呆気にとられている中、オットーと整備士を乗せたシェビー・マリブが緑色に輝き始め、ついにはフワリと宙に浮かぶ。そして、街の上を飛び回りついには宇宙へ飛び去っていく・・・
どんなラストだ。うれしいじゃないか。

エミリオ・エステヴェスは父親のマーティン・シーンゆずりの世を拗ねながらもギラギラしている挑発的な目つきが実に良い。
『ブレックファスト・クラブ』(1985)や『セント・エルモス・ファイアー』(1985)などですでにエステヴェスのことは知っていたが、どちらの映画も“かなり”嫌いなばかりにその魅力に気づかなかったのは不覚である。
イギー・ポップによる「ベンベケベケベン」の『レポマンのテーマ』もイカす曲だ。イギー・ポップはその後同じアレックス・コックス監督作の『シド・アンド・ナンシー』に出演している。パンクバンド“セックスピストルズ”のシド・ヴィシャスとその恋人ナンシーを主人公にしたこの破滅的パンク映画を観ると、逆説的にオリバー・ストーンの『ドアーズ』がいかに観るのも語るのも必要がない映画かというのが良く分かる。

DVDの日本語字幕は頭悪いヤツが担当したんじゃないかというデタラメぶり。『サタデー・ナイト・ライブ』が『土曜よるライブ』になっているのには笑えるが、出来ればレンタルビデオ屋を回って昔出ていたビデオ版を借りてきた方がいい。そちらはちゃんとした字幕だ。何故、そのまま使わなかったのか非常に疑問である。今日のタイトルに使っている名セリフ「レポマンの人生は緊張の連続だ」はDVDだともっとしょうもない訳になってるのでほんげぇ~。

監督のアレックス・コックスは超名門オックスフォード大学に籍を置いていたこともある(在学中に映画の道へ進んだため卒業はしてないようだ)パンクな大バカ野郎だ。
特に初期の『レポマン』、『シド・アンド・ナンシー』、『ストレート・トゥ・ヘル』(1987)は独自の作風で非常に刺激的だ。90年代に入ってからは模索し苦しんでる部分もあったようだが、『リベンジャーズ・トラジディ』(2002)で見事復活する。
日本のテレビドラマ版『濱マイク』シリーズ(2002)で1エピソードの演出を担当しているが、『スリー・ビジネスメン』(1997)に永瀬正敏が出演していたのが縁なのだろう。残念なことにそのことを知らなかったので観逃してしまったのが悔やまれる。他のエピソード監督の顔ぶれも豪華だし、林海象はほとんど関わっていなかったようなので、そのうちなんとか観たいものだ。
そういえば『スリー・ビジネスメン』には田口トモロヲも出演していが、田口トモロヲ=ばちかぶり=ボーイズ・ビー・シド・ビシャス!=『シド・アンド・ナンシー』ではないか。これは偶然ではなく必然なのであろう。

2004年05月21日

『ロケッティア』 飛ぶしか能がないとかいうな

『ロケッティア』(1991) 監督:ジョー・ジョンストン 出演:ビル・キャンベル、ジェニファー・コネリー

ハワード・ヒューズ(実在の飛行機王。映画製作なども行った百万長者)の研究所からロケットパックが盗み出された。それを使うと人間が自由自在に空を飛ぶことが出来るのだ。たまたまそれを手に入れてしまったパイロットの青年がナチスドイツのスパイやギャングを相手にヒーロー“ロケッティア”となって大活躍を繰り広げる。

アメリカンコミックが原作のヒーロー物だが、よくよく考えてみるとこのロケッティアは力が強いとか光線を発射するなどは出来なくて特技といったら空を飛ぶことだけ。そりゃまぁ空が飛べたら通勤ラッシュとかも楽々だが、飛ぶだけだったら鳥だって飛ぶしな。
実際、劇中でロケッティアは悪党どもをばったばったとなぎ倒すような活躍はなく、逆に接近戦では苦戦を強いられているようである。
だがスーパーマンのような余裕綽々で戦う超人よりも、必死になって頑張っているロケッティアの方が好感が持てる。

映画女優を目指す主人公の恋人はジェニファー・コネリー。最近だと『ハルク』(2003)などで見かけるがホント老けない人だ。いや、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』出演の12歳の時点ですでに充分に大人びていたと見るべきか。
悪役のハリウッドスターはティモシー・ダルトン。裏ではナチスのスパイであるあたり、スパイであるとの疑惑があったエロール・フリンをモデルにしているのだろう。非常に憎たらしくて、やはりティモシー・ダルトンは悪役向きだ。

ナチスが制作した極秘フィルムが上映されるシーンがあるのだが、その内容はロケットパックを大量生産しそれを装備した兵士たちが次々と大空へ舞い上がり、地図の上のナチスの勢力圏がどんどん広がっていくという、妙に手の込んだアニメーションになっている。
そんなことに手間暇かけていたからナチスドイツは連合軍に敗北したんじゃないだろうか?

悪役だったギャングたちが、ラストでナチスの陰謀に気づき一転して主人公の側につきトミーガンをバリバリ撃ちまくるシーンがお気に入り。

ロケッティアの飛行シーンは結構リアルでスピード感がある。まだCGIが本格的に台頭してくる前だったことを考えるとかなり技術的に高いSFXだ。

アメコミヒーローというとなにかと屈折したヤツらが多いが、ロケッティアは単純・熱血・娯楽。なかなか面白い作品である。何気にディズニー作品なんだよな。

2004年05月26日

『レプスキー危機一発 ロシア皇帝の秘宝』 プログラム・ピクチャーへの記憶

『レプスキー危機一発 ロシア皇帝の秘宝』(1989) 監督:ガイ・ハミルトン 出演:マイケル・ブランドン、デヴィッド・キャラダイン

イギリスの作家ジェームス・ハドリー・チェイス原作の保険調査員レプスキーシリーズとして1989~1990年の間に都合4本映画化されましたが、第一作目であるこの『ロシア皇帝の秘宝』だけ覚えておけばいいと思います。後のはかなりしょうもなくて、映画というよりVシネマクラスですかねぇ。そもそも2年で4本作りますか。プログラム・ピクチャー風味とも言えるんですが。

監督は『007ゴールドフィンガー』(1694)や今度DVDが出る『空軍大戦略』(1969)、そしてなにより『レモ 第一の挑戦』(1985)のガイ・ハミルトン。ガイ・ハミルトン作品としてはかなり低予算ですが、タイトな予算、タイトなスケジュール、タイトな出演陣なりに検討しています。誰ですかこの主役のマイケル・ブランドンって?わたしはこのシリーズでしか観たことありません。
その代わり、節約するところは節約してつぎ込むところにはつぎ込んでます。主人公レプスキーの愛車は赤いプジョーの3ドアハッチバック!イカすぜ・・・でも、絶対タイアップしてますし、フェラーリやポルシェなどが駐まっている高級ホテルの駐車係には思いっきり見下されてましたが。日本じゃ外車でもフランスじゃ国産車ですからね、そんなに高くはないんでしょう。全作に同じ車が登場していますから1作あたりの経費は4分の1ですし。これがボンド・カーだと毎回新車になるんですけどね。
主役はアレでも悪役は『キル・ビル Vol.2』でも有名なデヴィッド・キャラダイン!・・・いや、デヴィッド・キャラダインは思いっきりB級の匂いか。

ま実際、有名なスターが出ていたり派手なアクションがあるわけではありませんが、そこはベテランの手になる物だけあって全体がきっちりまとまっています。ハイエースでのカーチェイスなんてなかなかスクリーンじゃ観られませんよ。ラストの性懲りもないというか懲りないデヴィッド・キャラダインの再登場もよし。

ともあれ、危機一髪、絶体絶命、大胆不敵、最後の挑戦、とレプスキーシリーズ全4作をちゃんと映画館で観ているってのはある意味ちょっと自分を褒めてやりたい。っていうか、自分以外は褒めてくれないでしょうが、これって結構いないかもなと思うんですよ。今のわたしなら1作目はガイ・ハミルトンだから観て、2作目はその余波で観て、でつまらないから3,4作目はビデオ化待ちでしょう。
そもそも劇場公開しないって恐れもありますが。

2004年06月12日

『リトルショップ・オブ・ホラーズ』

『リトルショップ・オブ・ホラーズ』(1986) LITTLE SHOP OF HORRORS
監督:フランク・オズ 出演:リック・モラニス/エレン・グリーン/スティーヴ・マーティン/ヴィンセント・ガーディニア/ビル・マーレー/ジョン・キャンディ/ジム・ベルーシ

観に行ったときは、大して期待していなかったんですよ。
監督はフランク・オズ。彼はマペットマスター(人形使い)で、スターウォーズのヨーダの操作を担当していた人です。
ちなみに、『ブルースブラザーズ』で刑務所でジョン・ベルーシに所持品を返す担当官、そして、『ブルースブラザーズ2000』では刑務所所長で出演もしています。ちゃんと出世してるんですね。
その人の初監督作品。まぁ、そんなに期待はしませんわな。

オープニングで宇宙と思っていたのが汚れた水溜り。そこに酔っ払いが投げた酒瓶が飛び込み、主題歌が始まる。このオープニングだけで、グッときましたね。
後は映画の流れに乗って、楽しんでいるうちに終わっていました。
実に楽しいコメディミュージカルです。
謎の植物が寂れた花屋を盛り立ててくれるが、実は極悪吸血植物だったという話しなんですが、この植物オードリー2が愛嬌があるのに憎たらしい。ここらへんの特撮は、さすがマペットのプロによる仕事です。

主役のシーモアを演ずるニック・モラリスの情けなさもいいですが、なんといっても最高なのがサドの歯医者役のスティーブ・マーティン。
彼が、患者に苦痛を与える治療をしながら「俺は歯医者だ~これこそ天職~」と歌いまくるシーンは大のお気に入り。レビュー的なミュージカルではなく、お芝居としてのミュージカルです。

フランク・オズはその後も監督を続けており、『ペテン師とサギ師 だまされてリビエラ』は必見の傑作コメディ。

『ル・ブレ』

『ル・ブレ』(2002)  LE BOULET  監督:アラン・ベルベリアン/フレデリック・フォレスティア 脚本:トマ・ラングマン/マット・アレクサンダー 出演:ジェラール・ランヴァン/ブノワ・ポールヴールド/ジョセ・ガルシア/ロッシ・デ・パルマ/ジャイモン・フンスー/ゲイリー・ティップレディ/ジェラール・ダルモン/ジャン・ベンギーギ

 あまり期待していなかったのだが、これがなかなか面白い。

 刑務所を脱獄した悪党と看守が、1,500万ユーロのToto当たりくじを持った看守の奥さんを追いかけて一路アフリカに向かう。そして悪党を弟の敵として狙っている奴も後を追う。強面の悪党とどこかピントの外れたおしゃべりな看守によるオーソドックスな珍道中っぷりがうれしい。
 しかし、奥さんの鼻でかいな。鼻が高いと鼻がでかいは別なんだ、納得。
 ところどころには無意味に派手なアクションが繰り広げられる。
 映画前半の、『1941』ばりに支柱から外れて転がっていく巨大な観覧車と、それを挟んでの車とバイクでのチェイスシーンはかなりの迫力。CGとミニチュアと部分的な実物大セットを駆使してかなり強引に映像化しているのだが、映画の勢いで見せてくれる。『少林サッカー』(2001)に近い感じか?
 そして、その派手なシーンがストーリー上ほとんど意味がない点も、個人的には好きだ。これからどんなアクションを展開してくれるのかと思ったら、ひたすら悪党と看守の掛け合い。さっきのは何だったんだっつーの、まったくぅ。
 リチャード・キール(007のジョーズ役)のそっくりさんが、本家にも負けず劣らずの味を出している。ラストのオチにもなっているし。

『レッド・オクトーバーを追え』

『レッド・オクトーバーを追え』(1990) THE HUNT FOR RED OCTOBER
原作:トム・クランシー 監督:ジョン・マクティアナン 出演:ショーン・コネリー/アレック・ボールドウィン/スコット・グレン/サム・ニール

オープニングの潜水艦の艦橋の上からカメラが空撮でグッと引くところで、すでに大作のスケールを感じて意味もなく映像に感じ入ってしまったわけで、これからの展開に思いをはせて期待に胸を踊らされ、「ダイハードのジョン・マクティアナンだぞ!」と唱えてみたりするわけだけど、どっこいなんてこったい「プレデター」のジョン・マクティアナンじゃないかよ、オリーブ!などと心の中で叫ぶはめに(だって、ほんとに叫んだら周りの観客の迷惑になるだろ?)なってしまい、映画「レッド・オクトーバー」は魚雷をそのドテッ腹に喰らって、マリワナ海溝にその巨体を沈め、ついに限界圧力をこえて圧壊して潰れ、海の藻屑と成り果てたのであります。
なぜ、「レッド・オクトーバー」が撃沈されなければならなかったのか?
その最大の原因は人間が面白くないということでありましょう。
魅力のあるキャラクターがほとんど皆無じゃないか!
レッド・オクトーバーの副官(サム・ニール!)にモンタナに住みたいなどと言わせて、無個性化しがちなソ連側の登場人物に人間味をだそうという意図は分かるのだが、余り効果をあげているとはいえないだろう。確かに、原作のただの”ロシアのバカ者”扱いよりは良くなっているが。原作者のトム・クランシーって、小説が書けなきゃただのソ連嫌いだぜ、きっと。
看板たるショーン・コネリーだが、妙に大物ぶって余り良くない。
そしてなお、この映画の中で最も面白味がないのが主人公たるライアン(アレック・ボールドウィン)というんじゃもうどうしようもない。スマートに演じたつもりだろうが、結果として無個性になってしまっている。
飛行機恐怖症という設定(ダイハードのブルース・ウイルスもそうだったね、そりゃ原作でもそうだけどさ。)もサスペンスを盛り上げるといったお義理程度にしか使われておらず、原作においては飛行機が怖いという事だけでなく、任務中に事故にあってその後の人生に狂いが生じた男という描き方をされていたのに、その重みの部分が描かれていない。
とにかく、時間の経過につれてだんだんとボロボロになって頭はボサボサ、ヒゲはボウボウという演出こそが、ありきたりで はあるがこの映画の場合一番ふさわしいだろう。ところがライアン君はあろうことか大騒ぎの真っ最中にノンビリと風呂になど入って、ヒゲまで剃ってやがるのだ。これでは緊張感も何もないではないか。寝る間も惜しいはずだぞ!
レッド・オクトーバーに深海救助艇で乗り込む所でもすっきりピカピカ、制服にアイロンまでかけてある。
このオシャレさんが!
短い時間の間に次々と状況が変わって、数少ない情報をもとに答えを見つけ出す主人公のアナリスト、という構図ではないぞ。
そういった点に関して、この作品はミスが多く、アメリカ側、ソ連側、ダラス、レッド・オクトーバーなどと場面が切り替わってもテンションが上がってこない。

とまあ、さんざんにこけおろしたが、ここまで言うのはやはり期待が大きかったからであろう。
予告編でうかがえたスケール、緊張感、サスペンス!そりゃ、興奮しますよ。ジョン・マクティアナンにも若干の不安こそあれ、やはり期待していたしね。
娯楽サブマリンアクションとしても、軍事ポリティカルフィクションとしても中途半端だったわけだ。
娯楽物としては、見せ場がヘリコプターでのダラスへの乗り移りとラスト近くの銃撃戦と魚雷戦ぐらいで物足りなさを感じるし、軍事物としては余りにもいい加減な状況設定と話の展開でハードさが足りない。
どだい、2時間少々で描ききれる物ではなかったのだろう。ならば、せめて娯楽アクションとして成功して欲しかった。悲しい。あー悲しい。
それにしても、あの潜水艦の妙な広さは何だったんだろう?潜水艦と言うよりは限りなく宇宙船に近いセットであった。船内でのカメラワークには疑問有り。もしかして撮影のためにあすこまで広くなってしまったんだろうか?それとも最近の潜水艦はあんなに居住性がいいのだろうか?息苦しさを感じさせてくれない潜水艦物なんてはじめてだ。
あーもっと面白くなったはずだったのに!とグチを言いながら、私は「深く静かに潜行せよ」と「Uボート」と「緯度ゼロ大作戦」でも観ていようと思います。

2004年07月01日

『ラスキーズ』

『ラスキーズ』(1987) RUSSKIES 1988/9/28鑑賞

監督:リック・ローゼンタール 脚本:アラン・グルックマン/シェルドン・レティック/マイケル・ナンキン
出演:リーフ・フェニックス(ホアキン・フェニックス)/ステファン・エアサール/ピーター・ビリングスレー/ウィップ・ヒューブリー

つい10数年ほど前、まだソビエト連邦が存在し、アメリカとロシアが憎しみ合っていた時代。
ソビエト潜水艦から任務を帯びてある水兵がアメリカに忍び込もうとするが、嵐に遭い南フロリダの浜辺に流れ着く。映画や小説などの影響で「赤いラスキーズ(ロシア人)をやっつけろ」と思いこんでいる三人の少年が水兵を見つけ、妙な成り行きから彼をかくまうこととなる。次第に打ち解けていく水兵と少年たち。だが、警察や軍が浜辺への漂着物からソビエトの侵入者がいるのではと捜索を開始し、少年たちは水兵をキューバへ逃がすことにする。

自転車こそ空を飛ばないが、ほとんど『E.T.』(1982)そのまま。訴えられなかったのだろうか。
アメリカ人にとってロシア人は宇宙人みたいなものだったのだ。

2004年07月24日

『ロボコップ3』 ロボコップ4は海だろうか?

『ロボコップ3』 ROBOCOP 3 1993/5/1鑑賞

監督:フレッド・デッカー 製作:パトリック・クローリー 脚本:フランク・ミラー/フレッド・デッカー 撮影:ゲイリー・キッブ 特殊効果:ロブ・ボッティン 音楽:ベイジル・ポールドゥリス
出演:ロバート・バーク/ナンシー・アレン/レミー・ライアン/ジル・ヘネシー/ブルース・ロック/フェルトン・ペリー/マコ・イワマツ

SFアクション刑事映画の第三弾。
WOWOWの放映で久々に観た。やはり面白い。わたしにとってはシリーズ中ずば抜けてベストの傑作だ。
傑作『ドラキュリアン』を手がけたフレッド・デッカーの演出は軽快で、全二作の抑圧感がすっかりぬぐい去られている。1作目では殉職しロボット警官に改造されて記憶を失いながらも“マーフィー”という自我にこだわり続けていたが、3作目では人間時代のことはすっかり忘れたかのようにヒーロー“ロボコップ”になっている。それを象徴するかのように、中に入っている人もピーター・ウェラーからロバート・バークに変わっている。いや、これはピーター・ウェラーが「もう嫌だ」と断ったんだろうが。
そして重荷から解き放たれ鋼の身体がすっかり軽くなったロボコップは、もはや空を飛んでも違和感がない。中盤で“ロケットパック”がいかにもといった具合に登場し大方予想はつくものの、警察とチンピラを含めたリハッブ隊が戦っているところへロボコップが空の彼方からジェット噴射で弾丸のように飛んでくるシーンには「もうまいった」の一言。かなり無理矢理な合成なのだが、短いシーンなのでそれほど気にならない。というか気にするな。
もう一つの大きな違いが、絶対的な存在であったオムニ社も日本企業に買収されてしまっていることだ。日本人ボスを演ずるマコ・イワマツは、もちろん日本人から見てあまり気持ちの良い役ではないのだが、重みのある存在感を示していて頭一つ分ほども身長が大きいロボコップを前にしてもひるまずに堂々としている。いい役者だと思う。
一番好きなシーンは先ほどもあげたロボコップの飛行シーンだが、ちなみに次に好きなのは街のチンピラたちが悪党から武器を与えられ、その一人がヘルメットを被ろうとするがモヒカン頭なので被れないというバカなシーンだ。

2004年08月09日

『リディック』 カッコつけすぎだろ

『リディック』(2004) THE CHRONICLES OF RIDDICK 2004/8/8鑑賞

監督:デヴィッド・トゥーヒー 製作:ヴィン・ディーゼル/スコット・クルーフ 製作総指揮:テッド・フィールド/デヴィッド・ウォマーク/ジョージ・ザック 脚本:デヴィッド・トゥーヒー 撮影:ヒュー・ジョンソン 音楽:グレーム・レヴェル
出演:ヴィン・ディーゼル/ジュディ・デンチ/コルム・フィオール/タンディ・ニュートン/ニック・チンランド/カール・アーバン/ライナス・ローチ/アレクサ・ダヴァロス/キース・デヴィッド

ヴィン・ディーゼルカッコつけすぎ。『ブレイド』のウェズリー・スナイプスと競演したらさぞかしうっとおしい映画になることだろう。
前作『ピッチブラック』は『グランド・ツアー』や『アライバル』のデヴィッド・トゥーヒーらしい良く出来た低予算SF映画だったが、ヴィン・ディーゼルの俳優としての成功も受けて予算をつぎ込んだ大作として製作された今作は、とにかく大味で派手な画面に始終するだけの作品になってしまっている。これは厳密には“SF”ではなく“スペースオペラ”だ。
そもそも、話がよく分からない。別にストーリーが難解で複雑という訳ではなく、誰がどんな役割で何をしたいのかがさっぱり分からずまとまりがないのだ。まるでトラブル続きで脚本家が何人も交代になり、それぞれが書いた部分部分をパッチワーク状に繋ぎ合わせたかのような脚本だ。クレジットでは脚本は監督のデヴィッド・トゥーヒーだけだが、これまでの脚本作を観ると割と良い本を書く人なのだが。
いきなりリディックが「実は絶滅したなんちゃら族唯一の生き残りだ」とか言われても、風呂敷を広げすぎて収集がつかなくなり破綻した日本のマンガ・アニメじゃないんだから。でもって、取って付けたようなラストには激しく疲れる。
前半には明暗が激しく点滅するシーンが多くて目が疲れる。ピカチュウ発作で倒れる観客とかいなかったんだろうか?これ、このままだと日本のテレビ規定に引っかかり放映出来ないんじゃなかろうか。
戦闘シーンは多いが、音やカット割りによるごまかしばかりで興ざめ。敵側の衣装や建造物など美術ががんばっているのが数少ない見所か。

2004年08月26日

『ルール』 ヒッチコックを百回観ろ

『ルール』(1998) URBAN LEGEND

監督:ジェイミー・ブランクス 製作:ジーナ・マシューズ/マイケル・マクドネル/ニール・H・モリッツ 製作総指揮:ブラッド・ラフ 脚本:シルヴィオ・ホータ 撮影:ジェームズ・クレッサンティス 音楽:クリストファー・ヤング
出演:ジャレッド・レトー/アリシア・ウィット/レベッカ・ゲイハート/ジョシュア・ジャクソン/ナターシャ・グレグソン・ワグナー

様々な都市伝説に基づいた連続殺人が起こるという基本的なアイディアは良いんですが、話が進むにつれ面白味が失われていき、「なんだ、『スクリーム』の亜種か」になってしまうのが残念です。
殺人犯が“見立て殺人”として都市伝説を模倣する点や、連続殺人の理由などアガサ・クリスティ風と言えなくもないですが、ミステリー的要素は期待しない方が良いでしょう。なにしろ、殺人の動機こそ一応あるものの、つまるところ「犯行の理由は犯人が気違いだったから」ですから。
面白いサスペンスには「頭の切れる意地の悪さ」が重要なのですが、この映画の作り手にはそれが欠けているようです。アルフレッド・ヒッチコックを百回観てから出直しましょう。

『スクリーム』シリーズや『ラストサマー』シリーズなどのヤングアダルトホラーが一時期流行しましたが、そのブームの後には何も残らなかったのだなぁ、といったところでしょうか。

2004年11月23日

『ラスト・パトロール』 元気にしてっか?ラングレンよぉ

『ラスト・パトロール』(1999) THE LAST PATOROL 95分 2004/11/23レンタルDVDにて鑑賞

監督:シェルドン・レティック 製作:ジェイコブ・コッキー 製作総指揮:スティーヴン・ブラックリー、パメラ・L・ロング、スティーヴン・メンデルソン 脚本:スティーヴン・ブラックリー、パメラ・L・ロング 撮影:デヴィッド・ガーフィンケル
出演:ドルフ・ラングレン、シェリー・アレクサンダー、ジョー・マイケル・バーク、レベッカ・クロス

始まるなり画面は4:3のスタンダードサイズに明らかにビデオな素材がインサートカットとして使われている。ひょっとしてテレフューチャー(テレビ用映画)か?
うーむ、ドルフ・ラングレンもついにテレフューチャーに出演するようになったか。まぁチャック・ノリスだってテレビシリーズに出てたしな。重要なのは劇場用かテレビ用かということではなく、その作品が面白いかどうかだ。

舞台は近未来のカリフォルニア。世紀末を何事もなく過ごした人類は繁栄という名の堕落を貪っていた。軍人のドルフ・ラングレンはある小さな軍事基地を閉鎖するため赴任したばかり。
そこに地球的規模の大地震が起こり、カリフォルニア半島はアメリカ大陸から引き離され孤島と化す。基地で生き残ったのはドルフ・ラングレンを始めたった3人の軍人だけ。そこに旅行中の夫婦や若い女性などがたどり着き必死のサバイバルを続ける。だが生き残っていたのは彼らだけではなかった。刑務所が地震のどさくさに囚人にのっとられ、ある死刑囚による支配の下恐怖の帝国となっていたのだ。
さらには予知能力などを持つ神の使いの黒人女性や、ドルフ・ラングレンが実は記憶喪失であるなどなど・・・95分にしてはちょっと要素を盛り込みすぎだ。特に、ドルフ・ラングレンの記憶喪失はストーリー上ほとんど意味が無く、なぜそんな設定にしたのか理解に苦しむ。
ジョン・カーペンターの『ニューヨーク1997』と『エスケープ・フロム・L.A.』のリチャード・プリスケン物や、永井豪の『バイオレンス・ジャック』に似た世界観であり、予算のためかスケールは小さいがそれ自体は面白い。
問題は登場人物が精彩を欠き魅力に乏しいことで、敵側のボスである死刑囚など迫力に欠けている。ちょっと頭の回転が鈍いお色気姉ちゃんのあまりにも行き当たりばったりな行動が笑えるぐらいか。
緊張感がない演出は見る側もダラダラするしかない。この作品を借りるのは他によっぽど観たい作品がない時ぐらいか。

2004年12月01日

『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』 ザ・ロックとショーン・ウィリアム・スコットのアマゾン珍道中

『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』(2003) THE RUNDOWN 104分 2004/11/30レンタルDVDにて鑑賞

監督:ピーター・バーグ 製作:マーク・エイブラハム、カレン・グラッサー、ケヴィン・ミッシャー 製作総指揮:アラン・ビーティ、クリス・チェサー、ジョン・コーリイ、リック・キドニー、ヴィンス・マクマホン 原案:R・J・スチュワート 脚本:R・J・スチュワート、ジェームズ・ヴァンダービルト 撮影:トビアス・A・シュリッスラー 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:ザ・ロック、ショーン・ウィリアム・スコット、ロザリオ・ドーソン、クリストファー・ウォーケン

アメリカプロレス団体WWF(現WWE)の人気レスラーザ・ロックの主演作。
ゲスト出演した『ハムナプトラ2』のスピンアウト作『スコーピオン・キング』で主役デビューしたザ・ロックは単にプロレスラーが映画出演しているだけにとどまらず着実に俳優への道も歩んでいるようである。
映画にも出演していた人気プロレスラーとなると日本の力道山やアメリカのハルク・ホーガンなどがいる。メキシコではミル・マスカラスなど人気レスラー主演映画が日常的に公開されているそうだがさすがにそれはちょっと特殊なので横に避けておく。力道山の映画は「まぁ大昔にそんなものもあった」で終わらせておくとして、ハルク・ホーガンはバート・ケネディ監督による傑作『マイホーム・コマンドー』(1991)などに出演しているがお世辞にも演技が上手いとは言えない。棒読みに近いセリフも、名前にハルクとあるように一種怪物じみた人だからそれが味にはなっているものの、固定された役柄しか演ずることが出来なかった。
オーストリア出身のためドイツ語訛りが抜けないシュワルツェネッガーや、出産時の事故のため左顔面に軽いマヒがあるスタローンといった10年ほど前の肉体派スターと比べても、リングでのマイク・パフォーマンスも有名だったというザ・ロックはセリフ回しが上手く、わたしは英語が苦手なのではっきりと判断はできないが滑舌もしっかりしている。
アメリカのプロレスはショー・プロレスで、中でもWWEは娯楽要素が強いそうなので、ザ・ロックは自分をいかに見せるかということを理解しているようだ。人々が自分に強いスター像を求めていることを察しているようだし、今後も分かりやすいエンターテインメント作品に出演するだろう。
最近の肉体派スターにはヴィン・ディーゼルがいるが、ディーゼルは少年時代から舞台に立っていたり自ら監督・製作・脚本もつとめた作品をサンダンス映画祭に出品するなどクリエイター指向が強い。そのためか、最近は『ブルドッグ』(2003)や『リディック』(2004)などストレートな娯楽映画は避けるようになっている。個人的には素直に『トリプルX』(2002)をやってりゃいいのに、と思う。
少々、ザ・ロックのことを褒めすぎな気もするがまぁいいだろ。

映画のストーリーは単純。
高利貸しの取立屋屋である主人公ザ・ロックは、足を洗ってレストランを開くための最後の仕事として組織のボスを連れ戻しにアマゾンの奥地に向かう。その地には金鉱があり、クリストファー・ウォーケン演ずるボスが現地人を奴隷のようにこき使って金を掘らせている。息子はそこで伝説のお宝探しをしていたのだ。何故息子がトレジャー・ハンターをやっているのか、何故アマゾンなのか、いちいち考えちゃ駄目だ。
あれやこれやとあった挙げ句、最後には主人公がクリストファー・ウォーケンとその部下たちと戦い、もちろん勝利し現地人を圧政から解き放つ。良くある話だ、言われなくても分かっている。でも、それでいいじゃないか。最後にザ・ロックがあっさり殺され悪人がのさばったままという話よりましだろ。それに悪が栄える現実の世界、映画の中でぐらい悪党が倒されて欲しい。
悪党のボスであるクリストファー・ウォーケンが例によっていい。この映画の成功にウォーケンの存在は大きなウェイトを占めている。かなり痩せたのではないかという感じで最初は「クリストファー・ウォーケンに良く似た奴だなぁ」と思っていた。そういえばオープニング・クレジットにウォーケンの名前があったで、ではやはりウォーケンなのかと気付いた次第。神経質さを感じさせる顔つきの中にギラギラとぎらつく感じの眼が実に迫力を持っている。喋らなくても画面を圧倒させてしまうのはさすがだ。悪役が良いと映画が締まる。なんとなく『用心棒』の仲代達矢を思わせるラストの格好悪い死に方も良い。
息子役のショーン・ウィリアム・スコットはあまり活躍せず存在感も薄い。映画を観て学んだというカンフーで敵をやっつけろよ。ああ、あれは『バレット・モンク』(2003)での役柄だったか。
そういえばシュワルツェネッガーが冒頭に一瞬だけ出てた。

「俺は銃は使わない」と素手で敵と戦うザ・ロックだが、ラストの銃撃戦では2丁拳銃ならぬ2丁ショットガンを操って敵に挑む。ただしそのショットガンがポンプアクション式ショットガンなので、腕力があれば右手・左手それぞれで構えることはできるだろうが、排莢・装填にもう一方の手が必要になる。そこでなかなか面白い方法を駆使して排莢・装填をやってくれる。こういったガンアクションは始めて観た。なかなか面白い。

2005年01月21日

『リーサル・ウェポン3』 恋人は内務監査官

『リーサル・ウェポン3』(1992) LETHAL WEAPON 3 アメリカ 1992/10/23鑑賞

監督:リチャード・ドナー 製作:ジョエル・シルヴァー、リチャード・ドナー 原案:ジェフリー・ボーム 脚本:ジェフリー・ボーム、ロバート・マーク・ケイメン 撮影:ヤン・デ・ボン 音楽:マイケル・ケイメン、エリック・クラプトン、デヴィッド・サンボーン
出演:メル・ギブソン、ダニー・グローヴァー、ジョー・ペシ、レネ・ルッソ、スチュアート・ウィルソン


警察内部の不正や警官による犯罪を監視調査するための内務監査局というものがある。『交渉人』(1988)でサミュエル・L・ジャクソンの相棒殺し・年金基金を捜査したり、『NYPD15分署』(1999)で中国系刑事チョウ・ユンファによる不正捜査を疑ったりなどときおり警察映画に登場する。『インソムニア』(2002)ではアル・パチーノが不眠症(インソムニア)で苦しんでいるが、その理由の一つが自らに迫る内務監査の網だった。
警官・刑事が主役の映画が多いためどちらかというと内務監査局は嫌な連中として描かれがちだが、外部から干渉されることが少なく結束し独立した集団である警察を、第三者的な立場からクリーンな組織にするために内務監査局の存在は重要なのだろう。どのような組織でもそうだが、外部からどのように見られているかを意識していないと、倫理観がねじ曲げられ不正行為がまかり通ったり、組織を守ることが優先され公共の利益が無視されかねない。しかもその組織の権力が強ければ問題はより重要になる。

『リーサル・ウェポン3』にも内務監査官が登場するが、珍しく主人公側の人間として登場する。しかも美人で気が強く、腕っ節まで立つときてる。レオ・ルッソはまさにはまり役で、『リーサル・ウェポン2』で妻の仇を取り心の傷も癒えてきたリッグス(メル・ギブソン)が惚れてしまうのも納得だ。リッグスの傷を手当てをしているうちに、二人とも銃で撃たれたりナイフで刺された傷跡自慢を始めて、そのままお互いへの想いに気づきベッドインしてしまうシーンは笑えるし実に上手いラブシーンへの導入である。『リーサル・ウェポン』シリーズなどのパロディ映画である『ローデッド・ウェポン1』(1993)でエミリオ・エステヴェスとヒロインがこのシーンをパロっているが、こちらは本家と違いトホホな情けない傷ばかり。ちなみに『ローデッド・ウェポン1』とあるものの『2』や『3』はない。
『リーサル・ウェポン1』や『2』にあったヘビーな部分はほとんどなくなっている。その点で評価が分かれるかも知れないが、傷つき孤独な男が友を得、そして恋人を得てついには家族という存在と人生を取り戻す『リーサル・ウェポン・サーガ』において苦しみよりも喜びの方が多くなった重要なターニングポイントである。
実際のビル爆破解体現場を巧みに使った事件爆弾騒ぎから始まるオープニングでどっと沸かされる。主人公が事件爆弾を解除する場合、ほとんどが1秒前や7秒前で止めることが出来るのだが、いきなりその法則をぶち壊わす。しかし、事件爆弾の解除ではなぜ最後に赤と青の2本の電線の内どちらかを切るというシチュエーションになるのだろうか。爆弾魔も2分の1で解除されてしまうようなヤワな仕組みではなく、「白・黒・抹茶・あずき・コーヒー・ゆず・桜の7本の内どれか1本を切ると止まる」にしておけば解除される可能性もぐっと低くなると思うのだが。いっそのこと「100本ぐらい線がある」というのはどうだろうか。
『2』に引き続いてジョー・ペシが笑わせ役で出演しレギュラー陣がすっかり安定してリチャード・ドナー一家と言ったところだ。それに対して悪役側が今一つで、特にボスに迫力がない。建売住宅地を経営しているってのはずいぶん堅実な奴だ。
エンディングクレジット後におまけがあるので見逃さないように。
撮影は後に『スピード』(1994)などを監督するヤン・デ・ボン。『ダイ・ハード』(1988)や『ブラック・レイン』(1989)の撮影も担当しており、監督になるよりもそのまま撮影監督を続けていた方が映画界にとって重要だった気がする。

2005年01月29日

『レッドブル』 「ソビエトのポドブィリン92ミリが破壊力世界一だ」

『レッドブル』(1988) RED HEAT アメリカ 105分 1988/9/21鑑賞

監督:ウォルター・ヒル 製作:ウォルター・ヒル、ゴードン・キャロル 製作総指揮:マリオ・カサール 原案:ウォルター・ヒル 脚本:ハリー・クライナー、ウォルター・ヒル、トロイ・ケネディ・マーティン 撮影:マシュー・F・レオネッティ 音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、ジェームズ・ベルーシ、エド・オロス、ピーター・ボイル、ラリー・フィッシュバーン(ローレンス・フィッシュバーン)

ソビエトから来た警官シュワルツェネッガーが拳銃についてこう述る。「ソビエトのポドブィリン92ミリが破壊力世界一だ」と。
ポドブィリンとは実在しない架空の拳銃で、イスラエルのデザートイーグルをベースに作ったプロップガンだが、もしそんな拳銃があれば確かに破壊力世界一だろう。というか、92ミリ口径ってどんなんだよ。戦車の主砲が100ミリから120ミリぐらいの口径らしいがそれに近い大きさじゃないか。ソビエトだからそんなとんでもない兵器を作ることもあるかも知れないが、撃たれた相手は木っ端微塵になってしまうぞ。というよりそもそも持ち歩けないだろ。携帯できない拳銃なんて、有線式の携帯電話みたいなもんで単なる役立たずだ。
92ミリといえば現在主流である9ミリ弾のおよそその10倍。ダーティーハリーが使って有名になった44口径マグナムは0.44インチのことなので11.18ミリ。コルトガバメントなどの45口径が11.43ミリ、大口径オートマチックのデザートイーグル50AEがその名の通り50口径なので12.7ミリ。どれもとてもじゃないが92ミリにはほど遠い。
もちろんこのDVDにおける字幕は“92ミリ”ではなく“9.2ミリ”の誤植である。シュワルツェネッガーははっきり「ナイン・ポイント・ツゥーミリメートル」と言ってるのでさすがに誤訳ではないだろう。もし誤訳ならば中学校からやりなおしだ。だが、マスターが作成されるまでの間に誰か気が付かなかったのだろうか。
銃の口径というのはインチとミリが混在しており、さらに大砲の場合の口径はサイズ+砲口と砲身長の比率だったりと確かにややこしいが、それは誤訳のいい訳にはならないとはずだ。だが、ちゃんと調べずにいい加減なことを書いてある翻訳小説などがたまにあり、45口径の拳銃を45インチ口径と訳しているのを見たことがある。大艦巨砲の象徴である大和にだってそんな物は積んでないだろうに。
もっともわたしもあまり人のことは言えない。散弾銃の口径を表す「番・ゲージ」のことをインチに由来する物と勘違いしていた。これは重量換算で、12ゲージのショットガンとは1/12ポンド分の散弾を使う銃のことだそうだ。1ゲージが1ポンド分の散弾なのでゲージの数字が大きくなるほど小さな口径となる。弾丸(シェルショット)の直径はおよそ18.5ミリだとか。「津山三十人殺し」の犯人都井睦雄が使ったのはブローニングの12番猟銃だったが、それについて書かれた書物を紹介した時に誤った数値で表示してしまった。すでに訂正済み

『レッドブル』に関して話すべき事は特にない。
脚本家から傑作『ストリートファイター』(1975)で監督デビューしアクション映画を中心にいくつかの優れた作品を世に送り出したウォルター・ヒルだが、『ダブルボーダー』(1987)以降は何がどうしたのかグダグダに腰砕けになり、もはや駄作製造マシーンと化している。
規則ガチガチなソビエト人警官と型破りなアメリカ人警官という立場も違う二人が組むという点では、白人刑事と黒人の犯罪者が組むことになる『48時間』(1982)と似てはいる。だがそれは設定だけで、お互いに反発と影響を与えながら少しずつ理解が進んでいく様子がまるで伝わってこない。シュワルツェネッガーにもうちょっと感情の動きを持たせてもよかったと思うのだが、これでは役柄としてほとんどターミネーターの延長だ。
全体に刑事映画としても相棒映画としても中途半端なまま映画は終わる。
アメリカ映画初の赤の広場ロケも大して意味なし。

2005年01月30日

『ローズ家の戦争』 こうして二人は結婚しました、めでてしめでたし。・・・の17年後

『ローズ家の戦争』(1989) THE WAR OF THE ROSES アメリカ 116分 1999/6/22鑑賞

監督:ダニー・デヴィート 製作:アーノン・ミルチャン、ジェームズ・L・ブルックス 製作総指揮:ポリー・プラット、ダグ・クレイボーン 原作:ウォーレン・アドラー 脚本:マイケル・リーソン 撮影:スティーヴン・H・ブラム 音楽:デヴィッド・ニューマン タイトルデザイン:ソウル・バス
出演:キャスリーン・ターナー、マイケル・ダグラス、ダニー・デヴィート、マリアンネ・ゼーゲブレヒト、ショーン・アスティン

製作ニュースで『バラ戦争』というタイトルと出演者がキャスリーン・ターナー、マイケル・ダグラス、ダニー・デヴィートのトリオだと聞いた時には、てっきりこいつは『ロマンシング・ストーン』シリーズの3作目だとばかり勘違いしてしまった。
チビ・デブ・ハゲの三重苦俳優として有名なダニー・デヴィートだが、監督デビュー作として撮った『鬼ママを殺せ』(1987)で意外にも優れたサスペンス・コメディでの演出力を見せた。監督第二作目となる『バラ戦争』は正式タイトルが『ローズ家の戦争』となり、どうやら一連のジョーン・ワイルダー物ではなく離婚を巡る夫婦間のドタバタだとか。
まあたまにはそういうのもいいか、と気軽な感じで観に行った。そして上映が終わった時、わたしは観客席で硬く凍り付いていて、心の中を乾いた冷たい風がただ吹き抜けていた。

理想的な夫婦だと思っていた結婚17年目の妻(キャスリーン・ターナー)がふとしたことをきっかけに夫への愛が消え去っていることに気付く。夫(マイケル・ダグラス)に離婚を申し出るが、別れる気のない夫は子供の養育権や家の権利などを楯に離婚が成立しないようにごねる。そしてローズ家ではスターリングラード攻防戦も真っ青な泥沼に落ちた戦争が始まるのだ。
これは『ロマンシング・ストーン』のラストで愛によって結ばれた二人のその後を描いた作品とも言える。愛だ恋だのロマンスは最初の内だけで、結婚してしまえば残るのはただリアルな生活のみ。愛という幻想によって成立していた夫婦という“他人との生活”は、その幻想が消失することでもろくも崩れ去ってしまう。そんな、ごく当たり前でみんなが知っているのに知らない顔をすることで社会を成り立たせている事をダニー・デヴィートはスクリーンに容赦なく映し出してみせる。
『ローズ家の戦争』はブラック・コメディ仕立てになっているからまだいいが、小栗康平の『死の棘』(1990)ばりのシリアスさで描いたら観客は途中で全員映画館から逃げ出してしまうだろう。逆に言えば、『死の棘』なんかよりも『ローズ家の戦争』の方が本質的により残酷で無慈悲で救いの欠片もないということだ。
争った挙げ句の相互理解や再び燃え上がる愛など登場しない。それどころか、17年前に出会った時に感じた愛も実在はしなかったんじゃないだろうかというのがこの映画のスタンスで、それはこの二人だけじゃなく誰でもそうなのだ、とまで言う。なんとも怖ろしい考え方ではないか。

映画は白い柔らかそうな布のアップから始まる。ゆっくりと画面を流れていくそれはベッドの高級シーツだろうか?いや、カメラが引いていくとその正体は一枚のハンカチで、持ち主である弁護士(ダニー・デヴィート)はそれでいきなり鼻をかむ。なんとも人を食った上に映画の行く末を暗示する始まり方だ。ダニー・デヴィート、やはりなかなか上手い。
印象に残っているカットはクリスマスツリーのある居間でのボヤ騒ぎだろうか。大騒ぎになったあげくにようやくと消し止められるのだが、「どうだ、俺のおかげでボヤですんだんだぞ」と威張る夫に対して冷淡な妻とどうしていいのか困り顔の子供たち。炎に焼かたツリーの飾り玉に映し出される家族は汚れて歪んでいて、それぞれの心の中と距離を現すかのようだ。
そしてついにラスト。ローズ家の象徴でもあった玄関ロビーのシャンデリアにぶら下がった二人は、命の危機にさらされながらも口論を続ける。そして、二人を救い出そうと表であたふた慌てふためく弁護士と家政婦の努力もむなしくシャンデリアは落下する。
床に叩き付けられたすでに瀕死の状態。夫はゆっくりとその手を妻の手に向かって伸ばす。二人の手が重なる。妻は最後の力を振り絞って夫の手を握る、ああやはり愛はあったんだね・・・と思いきや「冗談じゃないわよ」とばかりに夫の手を振り払って孤高を貫いて一人で死んでいき、夫は未練を抱いたまま寂しく死ぬ。
愛という概念にあぐらをかいてしまい、相手への理解や思いやりを持たないと結婚生活は破綻してしまう。友人への結婚祝いでこの作品のビデオを贈ろうかと思ったことがあるが、意図が理解してもらえないと単なる嫌がらせにしか思われないので止めた。止めて正解だったなと改めて思う。下手をすれば友人を一人減らしているところだった。

2005年05月18日

『ロックアップ』 模範囚は外泊が許可される

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『ロックアップ』
(1989) LOCK UP 109分 アメリカ 1989/12鑑賞

監督:ジョン・フリン 製作:ローレンス・ゴードン、チャールズ・ゴードン 脚本:リチャード・スミス、ジェブ・スチュアート、ヘンリー・ローゼンバウム 撮影:ドナルド・ソーリン 音楽:ビル・コンティ
出演:シルヴェスター・スタローン、ドナルド・サザーランド、ジョン・エイモス、ダーラン・フリューゲル、ソニー・ランダム

 刑事施設受刑者処遇法が参議院で可決・成立したそうだ。
 なんでも受刑者の人権尊重がより重視されるようになり、模範囚は刑務所外への外出・外泊も可能になるとか。他にも外部への電話もかけられるようになり、模範囚にとってはかなり規制がゆるくなるようだ。
 それが良いことなのか悪いことなのか、そして実際にちゃんと運営されるかなどはまた別の話として、この模範囚は外泊が可能という制度はアメリカでは以前からあったようだ。
 シルヴェスター・スタローン主演の刑務所映画『ロックアップ』はスタローンが刑務所から外泊許可が出て、恋人の待つ自宅で一時を過ごしているシーンから始まる。最初は囚人が外泊できるという意味が分からず、「どーなってんだこれは」と首をかしげてしまった。1989年当時の日本人にとって囚人が外泊できるなんて思いもよばなかった。塀の外へ出られるのは刑期を終えた後か、病気や事故などで死んで棺に入って出るか、『塀の中の懲りない面々』シリーズでは確かそう描かれていたはずだ。

 映画と現実とでは違うのだろうが、アメリカの刑務所映画にはいろいろと謎な点が多い。
 休憩時間には中庭のグラウンドでベンチプレスをしていたり、牢屋の中に写真や絵など私物を持ち込んで飾っていたりする。比較的規則は少なく自由に過ごしているようにも見える。この作品でもスタローンは刑務所の工場を利用して車のレストアをやっている。その作業はどうも刑として課せられたものではなく、個人的な趣味でやっているようだ。そんなのありか?
 自由な雰囲気の反面、囚人同士の暴力沙汰や殺傷事件などは日常茶飯事のように描かれている場合が多い。これもかなり無茶な話だと思うのだが、実際にそんなことが多発しているのだろうか。現実は現実、フィクションはフィクションとして観た方が良いのだろうな、やはり。

 刑期もあと数ヶ月で完了するところで、スタローンは別の刑務所に移されてしまう。そこの刑務所長(ドナルド・サザーランド)はスタローンと因縁があり恨みを持っている人物。スタローンを無事に出所させないよう様々な方法で圧力をかけて苦しめ、ついに脱獄しようとしたところを射殺しようという考え。なんかちょっと回りくどいが、これならば大きな問題になることはない。
 ドナルド・サザーランドの悪徳所長は憎たらしさが良く出ている。時々ちらっと顔を見せるだけで、登場シーンとしてはかなり短い。妙に不自然なカットもあり、ひょっとしたら撮影現場に来たのは1日だけで、サザーランドの出演シーンだけぱっぱと撮ってしまったのかもしれない。
 嫌がらせ(?)を受けながらも、スタローンは不幸・負け犬系の顔でじっと耐える。そして耐え抜いた末、仲間の青年が殺されたことで脱獄することを決める。この耐えに耐えて、そしてついに立ち上がるというカタルシスが良い。この辺りはアメリカ人のクセに任侠映画っぽい作品を撮るジョン・フリンだけのことはある。
 でもまあ、どうせ最後には立ち上がるんだから、さっさと立ち上がっておけば本人や周りへの被害も少なかったんじゃないかなとか思ってしまう。「ウルトラマンは変身すると同時にスペシウム光線を放てばいいじゃん」てのと同じ理屈か。・・・違うか。
 何故か嫌いになれない作品だが取り立ててお勧めはしない。刑務所映画ファンとスタローンのファンなら観ておくべきか。

2005年07月06日

『リーサル・ウェポン』 究極・人間・必殺・・・兵器

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