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2004年04月05日

『デルタ・フォース』 人質を救出しろ!

『デルタ・フォース』(1985)のパンフレット 監督メナハム・ゴーラン 主演チャック・ノリス

 1985年のイスラムテロリストによるTWA機ハイジャック事件をヒントにして制作された作品。登場する航空会社が“ATW”という名前なのは実にそのまんま。『エグゼクティブデシジョン』(1996)と同じ今くテレビで放映するにはちょっとやばい内容である。

 チャック・ノリスを始めとする対テロ特殊部隊デルタ・フォースの連中がアラブ人ハイジャッカー達をこてんぱんに叩きのめす。監督のメナハム・ゴーランはパレスチナ生まれのイスラエル人で、そもそも制作会社の今は無きキャノンフィルムは確かイスラエル資本だったはず。そういった点を考えると「UZIをかまえたチャックかっこいい」とか「バズーカをかまえたリー・マービンが渋い」とか「偉いさん役が実に似合うぜロバート・ヴォーン」とか「やっぱ出てたかジョージ・ケネディ」とか単純に言ってちゃいかんのかなぁともちょっと思うがちょっとだけだ。現実世界は現実世界、娯楽映画は娯楽映画という割り切りも一種のバランス感覚だ。

 デルタ・フォースは実在のアメリカ軍特殊部隊。世界最強と言われるイギリスのSASをモデルにしていると言われるが、映画のデルタ・フォースはおそらく本物とはあまり関係がない。UZIサブマシンガンは使ってないと思うし防弾性能0の装甲無しバギーも使っていないだろう(と思ったらバギーは使っているらしい。デルタ・フォースの作戦は相手の虚をついて一気に突入、終了後即退散なので小回りのきくバギーは状況によってかなり便利だそうだ)。
なにより、マシンガンや小型ミサイルを発射し後部にグレネードランチャーまで装備したスーパーバイクは絶対持っていない。あのね、『メガ・フォース』(1982)じゃないんだから。
 ラストでは親玉相手にチャック・ノリスの空手殺法が炸裂するが、いかんせん相手が普通の役者なんで格闘になっておらず、ひたすらにチャックが弱い者をいじめているようで爽快感がない。やはり1対1の格闘アクションはある程度互角じゃないとダメだ。ともあれ、リアルなコマンド物を期待するとかなり裏切られるんで、そこら辺は注意が必要だ。

 良い意味でトンチキな(わたしはそう思う)デルタ・フォース側に比べると、ハイジャック機内は結構シリアスな描写がなされている。ま、ハイジャックされているのに呑気にしてるヤツはいないんでしょうが、ナチのユダヤ人収容所にいたことがあるユダヤ人乗客いたり(ハイジャッカーにパスポートを提出する時の手首の数字の刺青は名シーン)、ソ連から亡命してきたロシア人が名前からユダヤ人に間違えられたりする。ハイジャッカーと乗客の間に挟まれる形となったフライトアテンダントのドイツ人女性が「あなたたちのやっていることはナチと同じよ」と叫ぶ。それなりに人間ドラマが成立しているのだが、アクション部分とあまりにスタイルが違うのでまるで別々の2本の映画をつないでしまったような感もある。

 細かいことを考えると色々ある作品だが、なによりリー・マービンの遺作なので必見ではあろう。一流のB級俳優であった。

2004年04月08日

『テキサスSWAT』 宿敵を撃破しろ!

『テキサスSWAT』(1983) 監督スティーヴ・カーヴァー 出演チャック・ノリス

 邦題には“SWAT”とあるが主人公マッケードは警官ではなくテキサスレンジャー。原題の『Lone Wolf McQuade』にはSWATなんて一言も出てこない。レンジャーはテキサス州独自の組織でおおざっぱに保安官のような物・・・だと思う。アメリカは地方自治が思いっきり強い上に司法制度が複雑で正直細かいところがよく分からない。地方警察にFBI、DIAにNSAとDEAとATFとなにがなにやら。そりゃ縄張りでもめたりするわな。ちなみに一般的に映画だと大規模で全国的な組織になればなるほどイヤな奴等ってことになっている。
テキサスレンジャーだが刑事映画の変種として分類して構わないだろう。

 監督のスティーヴ・カーヴァー(『超高層プロフェッショナル』『サンダー・ブラスト 地上最強の戦車』)らしい豪快かつおおざっぱな演出で「細かいことを考えたら負け」なバカアクション映画に仕上がっている。西部の荒野という舞台もネイティブ・アメリカンの血を引くだけあってかチャック・ノリスによく似合っている。

 西部劇時代のレンジャーは馬だったがマッケードはドッジの四駆を乗り回している。マッケードが悪人に捕らえられ、「愛車と一緒に埋めてやれ」と車ごと大きな穴に埋められてしまう。危機一髪!さぁどう乗り切るか?缶ビールで頭を冷やした後に、おもむろにエンジンを始動させる。劇中何度も活躍してきたスーパー・チャージャーがうなりを上げる。悪人の部下が驚く中、地面に地割れが起こるとそこからドッジが飛び出してくる!ブォォォォン!スーパー・チャージャーはガソリンの燃焼に必要な空気を強引に取り込む過給器なので空気の無い地中では役に立たないだろ!とか考えちゃ負けだ。

 『野獣捜査線』(1985)の回に、「当時まだハリウッド映画では空手・クンフー系のアクションの演出がまだ出来上がっていなかった」と書いたが、それを考えるとこの『テキサスSWAT』のチャック・ノリスとデイヴィッド・キャラダインの対決シーンはなかなかがんばっている。今となっては学生の自主映画の方がレベルが高そうなカット割りなどであるが、個人的に燃えるモノがある。
 どちらかというと小柄なチャックの空手に、身長が高いデイヴィッドの蟷螂拳が迫る。そう、デイヴィッド・キャラダインと言えばブルース・リーからTVドラマ『燃えよ!カンフー』の主役を奪った男。ブルース・リーと親交のあったチャック・ノリス(『ドラゴンへの道』の格闘ゲームでいうところのラスボスがチャック・ノリス)とは因縁の対決である。

 90年代のチャック・ノリスは主にTVドラマ『テキサス・レンジャー』シリーズで活躍する。残念ながらこちらの方が縁がなくて未観だ。

2004年05月09日

『トイ・ストーリー』 ジョブスに任せろ

『トイ・ストーリー』(1995) 制作総指揮:スティーヴ・ジョブス 監督:ジョン・ラセター 出演:トム・ハンクス、ティム・アレン

ハリウッドで一番影響力のある人物としてピクサー社のスティーヴ・ジョブスとジョン・ラセターの二人が選ばれたそうだ。コンピューター界ではapple社のCEOとして知られるジョブスだが、ハリウッド映画界でも大物だったのだ。
そういえば、ジョブスのapple社CEOとしての給与は0ドルかほとんどなしということらしい。株もほとんど持っていないそうだ。つまり、CEOとして働いてもそれによってapple社の株価が上がってもジョブスには目に見える金銭的な得というのはないのだ。
うーむ、なんと献身的なのだろう。立派な人物ではないか。
というより、自らCEOを務めるピクサー社が作る映画がどれも大ヒットと飛ばしており、そちらの方で大もうけのウハウハのガッポガッポなので、別にapple社から給与をもらわなくてもお金には困っていないのだ。
本業:ピクサー社CEO 趣味:apple社CEO なのであろう、きっと。

(ある意味、apple社が潰れてもジョブスとして損はないわけだから、失敗を気にせず他社では出来ないような思い切った積極策を取って、それが上手くいき現在のappleの好調に結びついた、というのは深読みしすぎか)

3DCG映画に関してはピクサー社のほぼ一人勝ち。
これまでは配給をディズニー社に頼ってきたが、かなり不利な条件での契約だったらしい。だが、それもあと数作で終了する。ディズニーとの再契約はないようなので、ワーナー・ブラザーズや20世紀FOXなどの他の会社と配給契約を結ぶことになるだろう。その際の条件は、現在のディズニーとのそれより格段に良くなると思われている。

実際、20世紀FOXは2002年に独自にフル3DCG映画『アイス・エイジ』を制作したが、技術的にはピクサームービーよりかなり見劣りがして、PS2の『ファイナル・ファンタジー』ゲーム中のムービーシーン程度じゃないか?と思えるほど。
もちろん、CG技術=映画の出来でないことは、『ファイナル・ファンタジー劇場版』(2001)を見れば誰の目にも明らかなことであるが。
ピクサー社の本格的デビュー作『トイ・ストーリー』(1995)はすでに9年も前の作品だけあって、今観ると技術的にはもう古い映画だ。人形たちのシーンはまだしも、人間が出てくるとかなり映像的にキツい。だからこそ人間は脇役で人形を主役にして、技術的限界を巧みに回避したわけだ。もともとが単純な線の人形ならば映像のリアリティ面で有利である。
そしてなにより、演出・脚本面で優れているからこそ面白いのだ。CGを売りにしてもそれは1本目としてしか通用しない。CG映画だから人は観に来るわけではなく、面白い映画だから観に来る。
『トイ・ストーリー』は子どもだけではなく大人の鑑賞にも堪える作品になっており、その後のピクサー社の独走も納得である。

2004年05月18日

『ドーン・オブ・ザ・デッド』 今度のは走ります

『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004) 監督:ザック・スナイダー 出演: サラ・ポーリー、ヴィング・レームズ

別にオリジナルの『ゾンビ』(1978)をことさら持ち上げて傑作だと言うつもりはないが、ホラー映画としてもアクション映画としても中途半端なこのリメイク版に個人的に魅力は感じなかった。

78年版の好きなところは、人間がゾンビに食われる流血シーンでもなければ、トレーラーを奪取するアクションシーンでもなくて、立てこもった建物をゾンビに包囲されてしまい主人公4人は動きが取れなくなってしまうがそこはショッピングモールのこと、物資は山のようにあり着飾って食事をしてみたり屋内スポーツやゲームセンターで遊んだりと不自由のない生活を送る。しかし、いったんカメラが屋外に出るとそこにはゾンビの群れがうろつく地上の地獄と化しているという一種不条理を思わせる一連のシーンなのだ。
残念ながらその“異常な日常”っぷりはほとんどなくなっていた。

リメイク版ではショッピングモールに立てこもる人数が10人以上になっており、人種や年齢の幅が増えた分だけ人々の間での愛憎や派閥争いなどが盛り込まれるのかと思ったのだが、実際にはストーリーに意味をなしていない。では、せめて“食われ要員”として活躍してくれるのかと思いきや、残酷描写は控えめになる傾向のためあまり食われてもくれない。結局、ただいるだけのキャラクターが多すぎる。
一番魅力的だった人物が、駐車場を挟んで通りの向かい側にあるビルにただ一人取り残されてしまい、暇つぶしにゾンビを屋上からライフルで撃っては「どーだ、当てたぜ」とスケッチブックに書いて双眼鏡でのぞく主人公たちに見せる銃器店の男だろう。どうでもいいが、バート・レイノルズとはな。
逆に、一番嫌だったのが犬について大騒ぎする女性だ。雲霞のごとくゾンビがあふれている中、一匹の犬が危ないからどうしたというのだ。それで自分はおろか仲間の身も危険にさらす必要がどこにある。スリルを盛り上げるために嫌われ役として描いたのかとも思ったがどうもそうではなさそうだ。しかも、ハリウッド映画のこと、例によって人が怪我したり死んだりしても犬は無事だ。

主人公の女性がショッピングモールにたどり着くまでの、すでにゾンビがうろつき始めた住宅街をカローラで走る冒頭のシーンはなかなか良い。ガラス越しの遠景で人が襲われたり逃げまどっているのは下手にアップにするよりも怖い物がある。だがラストの脱出シーンからはCM界出身のこの監督にアクションの才能は見て取れなかった。

どうでもいいが、『キャスト・アウェイ』(2000)で、無人島に漂着したトム・ハンクスが苦労してイカダを作り脱出して、何日もかかってようやくのことで大陸にたどり着いたら、世の中ゾンビであふれかっていたんだったらさぞ嫌だろうなぁ。

2004年05月22日

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』 取り憑かれたい

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』(1987) 監督:チン・シウトン 製作:ツイ・ハーク 出演:レスリー・チャン、ジョイ・ウォン、ウー・マ

いやー、ジョイ・ウォンはホント美しい。これでは「女性には興味がない」との噂もあるレスリー・チャンですら虜になったのも仕方がない。もともとはスポーツ選手だっただけあって、かなり苦しいはずのワイヤーアクションによるフライングもそんなことは微塵も表情に出さず美しいフォームで画面を飛び回る。
えっ、『北京原人Who are You?』(1997)?なんのことですか、それは。

公開当時、何が驚いたって人間がビュンビュン跳ぶことである。ワイヤーで吊って人を飛ばすというのは昔からあるテクニックだが、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』ではその速度が違う、アクロバティックなその動きが違う。
1970年代のキン・フー作品ですでに武侠な人々がワイヤーワークで空を飛び回っていたが、それをさらに発達させたのがこの映画の製作者ツイ・ハークで、『蜀山奇傅・天空の剣』(1984)辺りから派手なワイヤワークを独自に発展させていき、後に『マトリックス』シリーズなどでハリウッドに技術が輸出されるまでになる。
クルクルと前転状態で回転して飛んできた男がそのまま1カットで地面に着陸するなんて超人的シーンは香港ならではだろう。他には、ガメラ状に横回転しながら空に舞い上がるってのは『蜀山奇傅・天空の剣』だったか。
香港の武侠映画において達人は重力をも支配できるということになっている。念動力も当たり前で、いわゆるファンタジー世界だと思ってもらえば間違いない。

「道(トン)・道・道・道ー!」と歌い踊る導師役のウー・マがかっこいい。普通の映画ではお笑い役を演ずることが多いが、割にクンフーもこなせるらしい。「ハンニャハラミ」と唱えると衝撃弾を発射でき、いざとなったら連射も可能だ。劇場で連射シーンを観たときにはきました。笑いながら熱く燃えてました。
ちなみに、このウー・マ。『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』が記録的なヒットをしたと見るや勝手に姉妹編的作品『画中仙』(1988)を自分が監督して作ってしまった。これがちゃんと ジョイ・ウォンが出演していて他にはユン・ピョウ。もちろんウー・マもほとんど同じ導師役で登場している。
これはちゃんとツイ・ハークの了解を取った物なのか?そこら辺のいい加減さが香港です。

2004年06月09日

『タイタンA.E』

『タイタンA.E』(2000) 監督:ドン・ブルース/ゲイリー・ゴールドマン 声の出演:マット・デイモン/ビル・プルマン/ジョン・レグイザモ/ドリュー・バリモア

人物は昔ながらの手書きアニメ、背景は3DCG。特色によるスタイルですが、最後まで違和感が拭えませんでした。全く違うものの組み合わせって、やはり難しい。
マット・デイモンらが声優をやっていますが、とりわけて特徴がある声というわけでもないので、ピンとこない。
破壊された地球を再生するために箱舟的宇宙船タイタンを探す旅が始まり、スターウォーズばりのアクションが繰り広げられますが、もう一歩燃えてこなかった。
ふと思い出したのが日本のアニメ『レンズマン』
たぶん15年ぐらい前の作品だと思うんですが、あれもCGの導入が話題の一つだった。
『タイタンA.E』はその『レンズマン』ぐらいのレベルかな。(もちろん、CGは飛躍的に進化していますが、映画としての演出レベルのこと)
日本のアニメは1~2世代ぐらい先を行っているように思います。
しかし、何で映画館で観てるんだろう『レンズマン』

『TAXi2』

『TAXi2』(2000) 製作・脚本:リュック・ベッソン 監督:ジェラール・クラヴジック 出演:サミー・ナセリ/フレデリック・ディーファンタル/マリオン・コティヤール/エマ・シェーベルイ/ベルナール・ファルシー

続編が前作を超えるということはあまりないと言われていますが、この作品は例外。 1よりも面白かった~
まぁ、1作目が個人的に期待しすぎて外したというのがありますが。
前作は元レーサーが監督であったせいか全体的に中途半端でありましたが、今回は監督が変わったせいもあってか、カーチェイス、ギャグともに決まっています。
合言葉は『コンニシュワ~』だっっ!

あらすじは、ヤクザに誘拐された日本防衛庁長官を前作からのコンビのスピードマニアのタクシードライバーダニエルと、刑事エミリアンが助けるといったもの。
外国映画に日本人が出てくると、日系人やアジア人だったりして、実に怪しい日本語が飛び交うものですが、今作ではヤクザ、長官ともちゃんとした日本語です。日本から俳優を呼んだのだろうか。
その代わり、マルセイユ警察の署長が『コンニシュワ~』とか『ニンジャ~』など、怪しい日本語を披露してくれます。
最後には全身ギプスになってしまうあたり、『ピンクパンサー』シリーズのドレフュス署長を思い出します。
古いね~

見所は、ラストのプジョー406と三菱ランサーとのカーチェイス。
パリの街をプジョー+黒のランサー3台の計4台が走り回り、街は混乱、銃は乱射されるし、屋台は吹っ飛ぶし、プジョーも飛ぶ。
パリ警察のパトカーが意味なく山のようにクラッシュするシーンは『ブルースブラザーズ』を思い起こしました。というより、リック・ベッソンなりのオマージュだと思いますが。
車のことは詳しくないのですが、プジョー406って速いんですか?まぁ、なんかいろいろ装置が付いていて、ハイスピードタイプに変形したりしますが。スイッチでタイヤのサイズが変わったり、リア・フロントウイングが出てきたりする。
ランサーはランサーエボリューションですかね。

『TATARI(タタリ)』

『TATARI(タタリ)』(1999) 監督:ウィリアム・マローン 出演:ジェフリー・ラッシュ/ファムケ・ヤンセン/テイ・ディグス

昔に大量殺人が行われた精神病院に男女8名が閉じ込められ、一人一人、悪霊に殺されていくというホラー映画。
手術台をビデオカメラの液晶モニター越しに見ると、過去に死んだはずの殺人鬼医師と看護婦が見えるシーンなんかは面白かったですが、全体的にありがちな内容。 まっ、題材自体が古典ですからね。
有名じゃない俳優ばかり出ているので、誰が生き残るのかは最後まで観てのお楽しみ。
題名の『TATARI』は邦題で、原題は『The House of Haunting Hill』。いい加減な訳ですが『たたられた丘の家』ってとこですか?
なぜに邦題が『TATARI』になったのかは謎。
ロバート・ワイズの『たたり』('63)へのオマージュ?でも、古すぎるしなぁ。

彼らが殺される理由はその精神病院の職員たちの子孫だったせいなのですが、最後の最後で追いつめられた男が
「俺は養子なんだぁ~」
と叫ぶと、悪霊は「それじゃ仕方ないか」とばかりに納得して引き下がっていきます。妙に物わかりの良い悪霊です。

外国映画は『スクリーム』や『ラストサマー』のようなヤングアダルトホラー(勝手に命名)が中心、日本映画は『リング』のような作品が中心のなか、懐かしい感じはありましたがそれぐらいでしょうか。彼女を連れてのデートにはお勧めしません。特に怖くないから。

2004年06月10日

『男性の好きなスポーツ』

『男性の好きなスポーツ』(1964) 監督:ハワード・ホークス 出演:ロック・ハドソン/ポーラ・プレンティス

 まず最初に断っておきますが、この作品はテレビで観ました。しかもテレビ愛知(テレビ東京系列)の昼の映画劇場です。オリジナルは120分あるのに番組枠は90分。しかもCMがあるから実質70分ぐらいしかない。つまり、メチャクチャカットされまくっています。
 おかげでストーリーこそ分かるといった程度です。ラスト近くにネイティブアメリカンの男性が出てくるけど、「こいつ誰?」とか、疑問点もいっぱい。果たして「観た」と言ってしまって良いのかどうか?いかんだろーなー。
 しかし、こんな条件でも面白かったんですよこの映画。さすがハワード・ホークス。

 『男性の好きなスポーツ』と聞いて変なこと考えないでくださいよ。釣りのことですからね、釣り。ま、もちろんそういった(どういったかはご想像におまかせしますが)含みをもってつけてるんですけどね。
 主人公はデパートの釣り具売り場を担当している男。この男、接客が上手い。お客さんからの質問にもしっかり答え、「12時、3時、9時」(だったかな?)と時計の針の動きで釣り竿を振って遠くの目標に正確に針も投げ込むことも出来る。そして、釣りのマニュアル本を出してこれが売れちゃったりしてる。ところが、本当は釣りをやったことがないのです。
 そんな彼が釣り大会に出場するはめになってしまったのだが、さてどうする、どーなる?
 そして、デパートの自分専用駐車スペースに車を停めた一人の女性。彼は「ここは僕の場所だからどけてください」と言うのですが、彼女は「それは残念ね。私が先に停めたのよ」とまるで取り合いません。気の強い女性と、紳士的で少し気の弱い男性。この二人はこの調子で衝突を続けていくのですが、だんだんととお互いのことが気になっていって・・・
 う~む、最初はケンカしていた二人がいつの間にか恋に落ちている。わたしの好きなパターンですな。
 主人公を演ずるはロック・ハドソン。ロック・ハドソンというとエイズで死んだというぐらいの印象しかありませんでしたが、ジェームズ・スチュアートかケーリー・グラントあたりがやりそうな役柄を上手く演じています。
 ヒロインはポーラ・プランティス。わたしはこの映画でしか知らないのですが、いかにも気が強くわがままな女性といった感じでナイス。加藤みどり(サザエさんの声優)が吹き替えていたのですが、これまたナイスでした。ロック・ハドソンは広川太一郎だったような記憶があるのですが、こっちはちょっと曖昧。
 ちゃんとフルバージョンで観てみたいんですが、DVDで出ないかな?

『デッドコースター』

『デッドコースター』(2003)  FINAL DESTINATION 2  監督:デヴィッド・リチャード・エリス 脚本:J・マッキー・グルーバー/エリック・ブレス 出演:アリ・ラーター/A・J・クック/マイケル・ランデス/トニー・トッド/テレンス・“T・C”・カーソン/ジョナサン・チェリー/キーガン・コナー・トレイシー/リンダ・ボイド/ジェームズ・カークデヴィッド・パートコー/サラ・カーター

 オープニングで『FINAL DESTINATION 2』とタイトルが出た。おお、何年か前にあった『ファイナル・デスティネーション』の続編だったのか。
 それぐらい調べてから観に行けよって感じですが、邦題にも問題ありでしょう。ストーリー的にも一応つながっていますので、一作目を先に観ておくのが吉かと思われます。

 一作目での冒頭の大事故は飛行機事故でしたが、今回は交通事故になってました。911同時多発テロの影響もあるんですかね。材木を積んだ大型トラックが車10台ぐらいを巻き込んでの大惨事になるんですが、これが衝突爆発とかなりの迫力です。
 そして、今回も予知によって大事故での死を一時はまぬがれた人たちが、死の運命によって一人また一人と死んでいきます。見せ場はその死のシーンで、一つ一つ偶然が重なっていくサスペンスと、首がちぎれたり尖った物が頭を貫いたりの惨死ぶりです。
 お勧めは、爆発で吹き飛んだ鉄条網で身体を三つにブチ斬られてしまう男。ポタポタと上半身、腹部と転がり落ちていくのがなんとも嫌です。こんな死に方はしたくないですな。『CUBE』や『バイオハザード』にも同じようなシーンはありましたけどね。
 落下してきた巨大なガラス板に押しつぶされる人もいます。ただ、せっかく透明なガラスが平らに落ちてくるのだから、個人的には横からだけでなく上からのカットも欲しかったですね。ゴキブリを叩きつぶしたようにペチョっとなるんでしょうか?うわっ、グロっ!
 登場人物達が偶然に見える事故で死んでいくという点では『オーメン』の流れなんでしょう。ただ、ダミアンみたいな明確な“悪”は存在しませんが。悪と言うより命あるものはいつかは必ず死ぬという運命が相手です。

 さらに、実はMacムービーだったりもします。
 宝くじに当たった男は液晶スタンド型iMacのダンボールを抱えて家に帰ってきますし(その直後無惨にも死にますが)、少年の机の上には一世を風靡したディスプレイ一体型のスケルトンiMacが置いてありますし(しばらくしてから悲惨な死に方をしますが)、主人公の女性はPowerBookを使っていてスクリーンにリンゴマークが大写しです(そして最後には・・・)。
 この映画にAppleが協力してたりするんですかね。なんかMacを使ってるとろくな死に方をしないって感じにも取れるんですけど。
 まぁ、シャレの分かる会社だしなぁ。

 ホラー映画では、ラストに「さぁこれで一安心」と思わせた後でまだもう一ひねりと、いうのがよくあります。
 もっとも、もはやあまりに当たり前の手法過ぎて観客にも予測がつき、“一ひねり”でもなんでもない場合がほとんどですけどね。
 この作品の場合は・・・作り手の思惑にはまってしまった。くわっ。わはは。

『天国に行けないパパ』

『天国に行けないパパ』(1990) 監督:グレッグ・チャンピオン 出演:ダブニー・コールマン/マット・フリューワー/テリー・ガー/バリー・コーヴィン/ジョー・パントリアーノ

 主人公はオッさん刑事。結構年なくせにまだ小学生ぐらいの男の子がいます。その子に「将来はハーバード大(だったかな?)に行くんだぞ」と過剰な期待をしていて、ちょっと嫌がられたりもしています。そんな彼が健康診断で血液を採られるのですが、同じく健康診断にきていたバスの運転手が麻薬の使用がバレるのを恐れて自分の血の入れ物を彼のとを入れ替えてしまいます。そして、健康診断の結果はなんと彼の命はあと2週間。
 子供に保険金を残すためには殉職するしかないと思った彼は、危険な任務に無防備なまま飛び込んでいくのですが、死ぬどころか彼の命知らずの行動で事件は見事解決するばかり。これは困った。しかし念願かなって高層ビルからつり下げられこれなら無事殉職出来そう。やったね。ところが、相棒から健康診断の結果が間違っていたことを知らされる。ひぇ~死にたくない。さてどうなるっ?

 なかなか面白いコメディ刑事映画。死にたいのに死ねない。それどころかヒーローになってしまう。ジタバタぶりが結構笑えました。
 主人公の相棒役をやっているのがマット・フリューワー。『マックス・ヘッドルーム』の主役や『ミクロキッズ』の隣人役なんかをやっていて、割と好きなんですがあんまり見ませんね。

『東京暗黒街・竹の家』

『東京暗黒街・竹の家』(1955) 監督・脚本:サミュエル・フラー 出演:ロバート・スタック/ロバート・ライアン/山口淑子/キャメロン・ミッチェル/ブラッド・デクスター/早川雪洲

 この作品を国辱映画という神経が分からないし、それだけの理由で否定してしまうのも分からない。
 作品中で日本がちゃんと描かれているかなんて事はどうでもいい。日本を正確に描くのが目的ではなく、日本的なものを使いたかっただけだし、そういった意味では十分に成功している。
 犯罪組織に潜り込んだ男の活躍といった形だが、そんなことよりも白人男性と日本人女性の関係に全てが集束する。
 風呂桶の中での殺しや、デパートの屋上での銃撃戦などのシーンがいい。緊張した画面の連続が心地いい。傑作である。

 『マイノリティ・リポート』(2002)の眼球移植屋の部家で、壁に映し出されていたのが上記の『東京暗黒街 竹の家』の風呂桶での殺害シーンだ。
 普通の和室の中に檜風呂があるというセットは確かに奇妙ではある。しかし、部屋に入って来るなり入浴中の男をいきなり射殺するという突発的な暴力描写の前にはどうでもいいことだ。わたしが観た1990年においてすら充分衝撃的であったのだから、初公開時の1955年の観客が受けた衝撃はいかほどのものだったのだろう。
 ぜひもう一度観てみたい作品である。

『ドグマ』

『ドグマ』(1999) 監督・脚本:ケヴィン・スミス 出演:ベン・アフレック/マット・デイモン

[ドグマ]
1・教義、教理
2・独断
3.定理

映画版『ドグマ』は1.の教義になるわけだが、キリスト教文明ではないわたしにはピンとこない。
堕天使二人組が、あるカトリック教会の門をくぐると罪が許されて天国に戻れるが、それにより神の教えの破綻部分があらわにあり、この世が否定されて滅びることになる。
なんで?理屈がよーわからん。

キリスト教徒かつひねくれたユーモアセンスがある人には面白かったろうが、知識のないわたしには今ひとつチンプンカンプンでした。
「幼子を殺せと命じた」
「あっ十戒ね」
「何でみんなチャールトン・ヘストンの映画は知ってるのだ」
という天使との掛け合いもあって、死の天使ロキのことなど、それなりにキリスト教への造詣が深くないと面白くない作品なんでしょう。
最初に言った通りに、わたしはそんなの知りませんが。

最後、二人の堕天使は鎧をまといます。
ベンダースの『ベルリン・天使の詩」でも、人間に戻ったブルーノ・ガンツが鎧を持ってうろついてました。
天使と鎧って関係あるのか?

アメリカで上映禁止運動が起こったのもうなずける内容。神はいるが、けっこうバカ、って描き方でした。
マット・デイモンファンなど以外は、聖書を読んでから観ることをお勧めします。
まぁ、そこまでして観る必要のある映画ではないですが。

2004年06月18日

『トロイ』 たった一つの弱点が

『トロイ』(2004) TROY
監督:ウォルフガング・ペーターゼン 脚本:デヴィッド・ベニオフ
出演:ブラッド・ピット/エリック・バナ/オーランド・ブルーム/ダイアン・クルーガー/ショーン・ビーン/ブライアン・コックス/ピーター・オトゥール

歴史大作といえばたいていが大味。
でもって監督のウォルフガング・ペーターゼンがおおざっぱな演出の人。
よって映画もおおざっぱ。
『トロイ』ですけどね。

でも、大作を監督するにはある程度おおざっぱな人がいいでしょう。
1000人ほどエキストラを集めた合戦のシーンで、「雲の形が気に入らないから今日は撮らない」と来た日にはプロデューサーやスタッフはてんやわんやです。
そして、美術・衣装そして役者を完全に自分の管理下とするには、規模が大きすぎてストレスがたまり監督の胃に穴が開くこと間違いなし。

トロイの王子がスパルタ王族の奥さんと不倫した上にトロイへ連れ帰ったことが全ての発端。
それで国を滅ぼされたんじゃ、トロイの民は大迷惑。上がアホだと下は苦労しますね。
アキレス(ブラッド・ピット)と一騎打ちをするヘクトル役はエリック・バナ。この人が実質的主人公です。ハルクの変身前をやってた人なので、ヒゲなど生やしても首の細さがきゃしゃを感じさせて却って良かったですね。
ブラッド・ピットのアキレスは準主役というかゲスト出演に近いですね。大男をすれ違いざまの一太刀で倒してしまう豪傑ぶりです。でも、たった一つだけ弱点があるんですよ。それは足の下の方、そう“弁慶の泣き所(向こうずね)”です。・・・・・・・・・あれ?ちょっと違うか?
他の合戦シーンは大軍と大軍がどっかんどっかんぶつかり合うだけ。芸もなくやはりおおざっぱ。

そもそもトロイア戦争ってのはトロイが城壁の中に引きこもって、もとい立てこもって籠城してしまう。スパルタは何年かかっても攻め落とすことが出来ず、そこで兵士を忍ばせた木馬を策略を持って城内に送り込み内から攻めてようやく陥落したという話。
なんでそれが実質3日間になるのやら。
『ぼくらの七日間戦争』(1988)のガキどもだって7日間も立てこもって戦ったのに、その半分程で敗れてどうしますかトロイ。そんなんだから「あの国はトロいなぁ」と言われるんですよ。
ま、トロイア戦争史は史実というより伝説・神話ですから、問題ないといえば問題ないのかもしれません。関係者もとっくにお亡くなりになられていることですし。

和平に持ち込もうとする者の意見を退け、トロイの城壁の堅固さを信じて開戦へと決断を下す、頑迷なトロイの老いたる王プリアモスを演じたピーター・オトゥールはさすがに上手い。

しかし、大騒ぎで奪い合うほども美女かね、あれが。

2004年07月02日

『ツイ・ハークの霊戦英雄伝』 名前入りの法則

『ツイ・ハークの霊戦英雄伝』(2002) 僵屍大時代

監督:ウェルソン・チン 製作・脚本:ツイ・ハーク
出演:ユー・ロングァン/ケン・チャン/マイケル・チョウ/ラム・シュー/チン・グォクン

「タイトルに役者や監督の名前が入っている作品はイマイチである」という法則があるが、この作品もその一つ。
ツイ・ハークの脚本はまとまりがないことが多いので、それを観客に感じさせない勢いで見せることが重要なのだが、師匠とはぐれた4人の弟子たちが婚礼の準備で忙しい金持ちの館を訪れる辺りからもはや物語は失速していく一方だ。財産目当てで妹を嫁に送る兄やキョンシー使い、使用人の娘などが登場してくるが、どの人物も魅力に欠け物語の牽引力とはならない。

久しぶりのキョンシー映画ということで期待していたのだが、最大の敵キョンシー大王は腐敗していて見た目はルシオ・フルチ作品のゾンビ、赤外線で熱を関知する視力はプレデター、怪力はフランケンシュタインの怪物ときている。これでキョンシーステップがなかったら詐欺で訴えていたところだ。
キョンシー大王の倒し方は「えっ?これで終わり?」というあっけなさ。てっきり、やっつけたと一息ついたところで、バラバラになった死体が再びつなぎ合わさって襲いかかってくると思ったのだが。
本家ともいうべきワイヤーアクションは、目新しいアイディアこそなかったもののさすが。逆を言えばそれぐらいしか見るところがない。
弟子の一人が『少林サッカー』のキーパーだったのは収穫と言えば収穫だが、自分の中でどこに分類したらわからない微妙さだ。

2004年07月08日

『デルタフォース3』 ニック・エリック・マイク

『デルタフォース3』(1991)

監督:サム・ファーステンバーグ 脚本:アンディ・ドイッチ/グレッグ・ラター/ボアズ・デヴィッドソン 撮影:アヴィ・カーピック 音楽:ロバート・トーマス・メイン
出演:ニック・カサヴェテス/エリック・ダグラス/マイク・ノリス

カーク・ダグラスの息子でマイケル・ダグラスの義理の弟であるエリック・ダグラスが7月6日に亡くなった。
エリック・ダグラス、そんなのいたのか?とフィルモグラフィを調べたら80年代に3本、89年に日本のVシネマ『クライムハンター2裏切りの銃弾』、そして91年の『デルタフォース3』があるようだ。
わたしが観ているのは『デルタフォース3』だけだが、どの役だったかすぐに思い当たらなかったが、顔写真を見てわかった。デルタフォースの一員で爆薬の専門家サミーだ。この男、任務に向かう飛行機の中で「軍を退任したら花火会社を設立するんだ」と仲間に話しており、部隊を脱出させるため爆弾を抱えて押し寄せる敵に飛び込んで自爆する。“戦争映画でその手の発言をしたらラストまでに死ぬ”の法則はやはり正しいようだ。
他の出演者は、主演のデルタフォース指揮官役ニック・カサヴェテスはジョン・カサヴェテスの息子。空手アクションを炸裂させるマイク・ノリスはチャック・ノリスの息子。2世揃いの2世ムービーだったのだ。
ただ、マイク・ノリスはぱっと見だとチャック・ノリスの息子ではなく弟ぐらいに見える。何故かというと、額がかなりヤバイ。かなり上の方までM字型に上がってきていて、とても28歳の頭ではないのだ。
それぞれに有名な俳優の息子たちが主演したこの映画だが、あまり面白くはない。当時敵国だったロシアの特殊部隊と組んで敵地へ侵入しアラブ人テロリストのリーダーを拉致し、テロリストによるアメリカでの核爆発を阻止するが、アクションシーンになっても盛り上がってこない。ダラダラと緊張感なく展開していき、やる気のないラストをむかえる。サミーとロシアの爆薬専門家が友情で結ばれていく辺りは良かったが。

2004年07月10日

『タイムトラベラー きのうから来た恋人』 35年を経て、地上へ

『タイムトラベラー きのうから来た恋人』(1999) BLAST FROM THE PAST

監督:ヒュー・ウィルソン 製作:レニー・ハーリン/ヒュー・ウィルソン 脚本:ヒュー・ウィルソン/ビル・ケリー 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ 衣装:マーク・ブリッジス  音楽:スティーヴ・ドーフ/スティーヴ・ティレル
出演:ブレンダン・フレイザー/アリシア・シルヴァーストーン/クリストファー・ウォーケン/シシー・スペイセク/デイヴ・フォリー

 1962年といえば世界が最も核戦争に近づいた年。ソビエト連邦がキューバに核ミサイル配備を配備し、それに対しアメリカ合衆国の大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディは開戦も辞さずの強硬姿勢を取った。いわゆる“キューバ危機”である。
 “キューバ危機”についてはケヴィン・コスナーの『13デイズ』(2000)を退屈さを我慢しながら観ると「ある程度」は解る。つまりある意味でのアメリカ的視点については。ソビエト連邦やキューバの立場はまた別でそれぞれ言い分もあるだろうが、どのみち「映画はすべからくフィクションであるべきだ」なんで『13デイズ』もそもそも事実そのものじゃない。
 ともかく世界は緊張し、人々は核戦争におびえ、ロスアンゼルスのある科学者は妻と共に核シェルターにもぐった。
 そして、核戦争が実際には起きなかったことを知らないまま時は過ぎ、シェルターの中で生まれ育った青年がついに地上に出てくるのである。
 35年の年月を経て。

 60年代の価値観の男が現代に現れて起こる一騒動。
 「I love Sushi.」と寿司(Sushi)を勧められるが、寿司を何だか知らないので思わず「I love Lucy」と返す。60年代のアメリカ人は寿司なんか知らないというのと、スシと1950年代のアメリカのホームコメディ番組『アイ・ラブ・ルーシー』をかけたギャグになっている。ま、いわゆるカルチャーギャップ・コメディである。
 ポール・ホーガンがニューヨークに来る『クロコダイル・ダンディ』(1986)とか、ジャッキー・チェンが香港からロスアンゼルスに来る『ラッシュ・アワー』(1998)とか、マイケル・ダグラスがニューヨークから大阪に来る『ブラック・レイン』(1989)とか。最後のはコメディじゃないだろって気もするが。
 ともあれ、違う文化の場所に行ってそのギャップから笑いを生み出すのがカルチャー・ギャップコメディなんで、それが土地じゃなくて時間でも成立するわけである。逆に現在から過去に行く『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)もコメディという視点からではここに分類される。

 ある意味究極の世間知らずのお坊ちゃんを演ずるのはブレンダン・フレイザー。『ハムナプトラ』(1999)とはだいぶ印象が違う。というか、わたしの初観ブレンダン・フレイザーは『原始のマン』(1992)だったんで、『ハムナプトラ』の時が「印象が違う」だったんだが。

 父親役はクリストファー・ウォーケン。変人の科学者が案外似合っている。ただ、ドクター・ペッパーをホットにして飲むのはどんなもんだろう?変わった味がさらに変わった味になって裏の裏は表で美味しくなるのかも。誰か試してください。えっ、わたし?いやー、うちの方じゃドクター・ペッパーは売ってなくてさぁ。ほんと残念だ、手に入れば絶対やってみるのに。いやー、ほんとどうして売ってないかな~。てなことを書くと誰か送ってこないかな。

 クリストファー・ウォーケンはシェルターに入る前に株を持っていた。それを誕生日に「もう価値はない物だかな」と言いつつ息子に送る。
 その株券を地上の人が見てびっくりする。当時は安値だったのが今では成長して大企業になり、株はすごい価値になっていたのだ。
 「IBM、AT&T、ポラロイド!」
 ポラロイド?ポ、ポラロイド!? ・・・・・・・・・2001年に破産したじゃんか・・・
 なんつーか、1999年の時点ではスピード現像屋などはあったもののまだ大企業ではあったわけだ。それがほんの2~3年で諸行無常の響きありだな。
 うーむ、もう2~3年したら「あっ、IBM!?」とか思ってるのかも知れない。

2004年09月20日

『テルマ&ルイーズ』 ニューシネマの呪縛

『テルマ&ルイーズ』(1991) THELMA & LOUISE 128分 1991/11/9鑑賞

監督:リドリー・スコット 製作:リドリー・スコット/ミミ・ポーク 脚本:カーリー・クーリ 撮影:エイドリアン・ビドル 音楽:ハンス・ジマー
出演:スーザン・サランドン/ジーナ・デイヴィス/マイケル・マドセン/ブラッド・ピット/クリストファー・マクドナルド/ハーヴェイ・カイテル

今回は映画の結末について触れているので、未見の方で「知りたくない」という場合は読まないでください。
「ネタばれは絶対ダメだ」という方もいるが、わたしにとってラストに触れない事には『テルマ&ルイーズ』の一番重要だと思う事について語る事が出来ません。

テルマとルイーズという二人の女性がドライブに出かけ、その途中で犯罪に巻き込まれて護身用に持っていた銃で犯罪者を射殺してしまった事からニコラス・レイの『夜の人々』(1949)やエミリオ・エステヴェスの『ウィズダム』(1987)、そしてオマケで名前を挙げておくと『俺たちに明日はない』(1967)の様な逃避行に走ることになる。
道中、金に困った二人はスーパー強盗を働き、本格的に警察から追われる身になってしまう。
そして、ついに何台ものパトカーに追いつめられた二人は、投降をすすめるスピーカーの声に背を向けて車のアクセルを思いっきり踏み込むと断崖絶壁から飛び出し、遙か下の大地へと落ちていくのであった。

なんだ、せっかく女性を主役に骨太な逃避行物を撮っておきながら、ラストは結局男性的考え方、男性的文法にしてしまったのか。これはいかにももったいなく、納得できない。
公開時のコピーは「男たちよホールド・アップ!すべてが快感。女たちのルネッサンス!」だったそうだが、全然ルネッサンスじゃない。
ラストの二人は格好良かったがそれは男性的格好良さであって、女性映画として作ったのならば安易に死を選択させるのではなく、ケチなプライドやスタイルに縛られることなくしぶとく生き残らせないといけなかったはずだ。それでこそルネッサンスである。
つまるところ『テルマ&ルイーズ』は主役の二人を男にしてもほぼそのまま成立してしまうことと、“アメリカン・ニューシネマ”の呪縛に囚われているところが最大の欠点だ。

2004年10月31日

『デイ・アフター・トゥモロー』 災害映画?父子映画?

『デイ・アフター・トゥモロー』(2004) THE DAY AFTER TOMORROW 124分 2004/6鑑賞

監督:ローランド・エメリッヒ 製作:ローランド・エメリッヒ、マーク・ゴードン 製作総指揮:ウテ・エメリッヒ、ステファニー・ジャーメイン 原作:ローランド・エメリッヒ 脚本:ローランド・エメリッヒ、ジェフリー・ナックマノフ 撮影:ウエリ・スタイガー 編集:デヴィッド・ブレナー 音楽:ハラルド・クローサー
出演:デニス・クエイド、ジェイク・ギレンホール、イアン・ホルム、エミー・ロッサム、ジェイ・O・サンダース、セーラ・ウォード、アージェイ・スミス

愛知県の武豊町では午後9時頃から雷音がドンゴロゴロゴロと時折鳴り響いている。
10月も終わりだというのに雷とは珍しい。記憶をたどってみても憶えがなくやはり異常気象なのだろうか。
と何かに付け「異常気象だ、異常気象だ。人類が傲慢に振る舞ってきたそのお返しが襲ってきたのだ」と騒ぐ人がいるが、地球の歴史を振り返れば酸素がまったくなく数百度の高温の時代もあったし、ほとんどが凍り付いていた氷の時代もあった。それに比べれば最近の気象の変化はまだまだ誤差の範囲。
もちろん、二酸化炭素の放出量を減らす、フロンの撤廃などやらねばならぬことは多いが、それらは「地球を守る」ためではなく「人類を守る」ためだろう。温室効果で人類が壊滅的打撃を受けたとしても、なに1万年もすれば地球はまた元気になっている。

二酸化炭素排出抑制に関する京都議定書への批准を拒むアメリカが『デイ・アフター・トゥモロー』を作るというのも皮肉でよい。冷気嵐に襲われたアメリカ国民がメキシコとの国境に張り巡らされたフェンスを乗り越えて温暖なメキシコへと大群で不法入国していくシーンは、メキシコからアメリカへの不法入国が絶えない現在の姿の裏返しである。
だが、劇場で観た時も「地球温暖化によって冷気嵐が襲ってくる」という理由がよく分からなかったのだが、今回DVDで観直してみてもやはり意味不明だ。大型台風や竜巻が起こるのは分かるんだが。
まあエメリッヒのやることだから深い意味はないのだろう。相変わらずの“何も考えていない”演出とストーリーだが、観客が“何も考えずに観られる”というのと作り手が“何も考えていない”というのは別なんだが。

ディザスター(災害)・ムービーとしては中途半端で、実際は父子物映画である。
ニューヨークの図書館に閉じこめられた息子を助けるために極地装備でワシントンを旅立つ主人公(デニス・クエイド)他二人。しかし、何故主人公が助けに行かなければいけないのかについて説得力に欠ける。
ニューヨークで生き残っているのがもはや息子たちだけならばともかく、どこか他の建物に避難している人たちもいるわけで、この災害を予知していた気象学者の主人公は息子の無事を祈りつつもっと大勢を考えてワシントンで他にやる仕事があるはずだ。大体、行ったはいいがそこからどうするつもりだったのだろうか。
そして、同行する二人は例によって自己犠牲でドラマを盛り上げるためだけに存在する。非常に安易なドラマ作りだ。
これだけの大災害を乗り切ることで、離れていた父と息子の心が結びつきましたよと言われてもそれがどうしたとしか思えない。脇役にもっと魅力があればもう少し面白い映画になったのかもしれないが。
監督の資質としてはまだディザスター・ムービーの方が向いていると思うので、二流の人間ドラマなど排除してしまえば良かったのに。

アメリカのために他国は我慢しろ、アメリカ人さえ助かればいいんだ、世界的災害なのにアメリカのことしかほとんど描かれないなど、全体的にアメリカ万歳な作りである。ひょっとしたらこの作品は壮大な皮肉なのだろうか。監督・原作・脚本のローランド・エメリッヒはドイツ人なのであり得ない話ではない。だが、エメリッヒがそんな難しいことを考えるとも思えず、やはり穿ちすぎた見方だろう。

DVDを日本語吹替版で観るとエンドクレジットに誰やらお姉ちゃんの歌う日本語の歌が流れる。興ざめで笑える。

2004年11月09日

『ドラムライン』 単なるスポ根吹奏楽部

『ドラムライン』(2002) DRUMLINE 119分 2004/11/8レンタルDVDにて鑑賞

監督:チャールズ・ストーン三世 製作:ティモシー・M・バーン、ウェンディ・フィネルマン、ジョディ・ガーソン 製作総指揮:ダラス・オースティン、グレッグ・ムーラディアン 原案:ショーン・シェップス 脚本:ティナ・ゴードン・キスム、ショーン・シェップス 撮影:シェーン・ハールバット 音楽:ジョン・パウエル
出演:ニック・キャノン、ゾーイ・サルダナ、オーランド・ジョーンズ、レナード・ロバーツ、GQ、、ジェイソン・ウィーヴァー、 アール・C・ポインター

アメリカン・フットボールの試合などで演奏をするマーチングバンド(吹奏楽団)。ハーフタイム中にグラウンドに出て演奏する見所はあっても、しょせんフットボールの観客にとって彼らは脇役に過ぎない。そんな彼らを主役にした着目点は面白い。
だが、ストーリー自体はいったってありきたりで「努力・友情・勝利」と一昔前のジャンプ三拍子が揃ったスポ根物にすぎない。観客をまったく興奮させることなく平凡に話は進み予定調和のラストを迎える。題材に期待したのだが中身は古くからある映画のままで正直つまらない。せっかく普段の映画では目立たないマーチングバンドを主役にしたのだから、体育会的な盛り上げ方以外に方法はなかったのだろうか。
名門マーチングバンド部に入部したとたん、早朝に叩き起こされグラウンドに整列させられるなどのシゴキが始まり、「おや、これは軍隊物だったか」と確認してしまったほどだ。他にも罰則としての腕立て伏せ30回、ドラムを抱えての階段の上り下りランニングなど運動部さながらの猛特訓。わたしだったらこんなのにはとてもついていけない。根性なしには定評があるのではっきり自信を持って言える。
吹奏楽部に所属していたことはないが、高校生の時にわたしが所属していた放送部は音楽室の隣に部室があったので多少は練習を見聞きしている。その限りでは体育会的なノリではなかったのだが、大学の名門部だとやはり違うのか。
それなりに楽しめなくもないが、やはり体育会的視点に始終していたのが残念。それ以外に燃えるドラマ作りの方法を思いつかなかったのだろうか。なんでこう体育会系の人は日常的に無駄に熱いのだろうか。普段はのほほんでいざという時に熱くなればいいのではないか。いや、それもありきたりなので、いざという時ものほほんとしたまま解決してしまう非体育会系スタイルの映画も観てみたい。
例えば、これまたつまらない映画だったがVHSビデオ開発についての映画『陽はまた昇る』(2002)というのがある。繰り返しになるが思いっきりつまらないクソ映画であるこの作品は、技術者が主人公でVHSビデオという規格・機械を作り出すのがストーリーの主題であるというのに従来からあるアクション映画の文法で撮られている。そこになんら工夫が見られない点がクソがクソたる所以だ。
文化系的スポ根、文系的アクションの存在と意義についていずれちゃんと考えてみたい。

2004年12月05日

『大災難P.T.A.』 見てるこっちが大迷惑だわ

『大災難P.T.A.』(1987) PLANES, TRAINS & AUTOMOBILES 1988/2/17鑑賞

監督:ジョン・ヒューズ 製作:ジョン・ヒューズ 製作総指揮:ニール・A・マクリス 脚本:ジョン・ヒューズ 撮影:ドナルド・ピーターマン 音楽:アイラ・ニューボーン
出演:スティーヴ・マーティン、ジョン・キャンディ、ライラ・ロビンズ

そもそもジョン・ヒューズという奴が大嫌いなのだ。半端なコメディ、半端な青春モノ、半端なヒューマニズム。どれもこれもいかにもな中途半端さが頭にくる。
その半端野郎のジョン・ヒューズがスティーヴ・マーティンとジョン・キャンディという2大コメディアンを主役に起用しておきながら、例によって半端な映画に仕上がっているのがこの『大災難P.T.A.』だ。P.T.A.とは小学校などにある委員会のことではなく飛行機(PLANE)、列車(TRAIN)そして自動車(AUTOMOBILES)それぞれの頭文字を合わせたもの。
クリスマス休暇を家族と過ごそうとニューヨークからシカゴに向かう広告会社の男(スティーヴ・マーティン)がどういったいきさつか図々しい男(ジョン・キャンディ)と何故か道中を共にすることになり、ジョン・キャンディにはうんざりさせられるし何の因果か次々とトラブルに遭う。果たして無事シカゴにたどり着けるのか。という話なのだがこれが笑えない。どうしようかと言うぐらいつまらない。ギャグがつまらない、演出がつまらない。もうつまらない印のつまらない映画なのだ。
しかも、ラストには取って付けたような人情話になってスティーヴ・マーティンとジョン・キャンディは深い友情で結ばれる。・・・勝手にやっとれ。つーか、なめとんのか。
有能なコメディアン・役者も無能な製作・監督・脚本の下では実力を発揮できないことを示す作品。

エンディングクレジットの後にある1カットのギャグだけは笑った。しかし、そのためには約90分を無駄に過ごさなければならないのであった。

2004年12月14日

『タワーリング・インフェルノ』 オレに触ると火傷するぜっ!

『タワーリング・インフェルノ』(1974) THE TOWERING INFERNO 165分

監督: ジョン・ギラーミン、アーウィン・アレン 製作:アーウィン・アレン 原作:トーマス・N・スコーシア、フランク・M・ロビンソン、リチャード・マーティン・スターン 脚本:スターリング・シリファント 撮影:フレッド・コーネカンプ、ジョセフ・バイロック 特撮:L・B・アボット 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:スティーヴ・マックィーン、ポール・ニューマン、ウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、フレッド・アステア、O・J・シンプソン、リチャード・チェンバレン、ロバート・ヴォーン、ロバート・ワグナー

冬は乾燥して火災の多い季節だ。火事には気をつけよう。
ということで今日は火事の映画『タワーリング・インフェルノ』だ。

一流の設計士ポール・ニューマンが見事な高層ビルの設計をした。しかし、ビル会社の社長の娘婿リチャード・チェンバレンが建築費をピンハネして安い建築材で作らせてしまう。案の定、O・J・シンプソンが警備をするそのビルは火災を起こす。
大火災の中、折しも開催されていたオープニングセレモニーのため最上階にフレッド・アステアら数百名が取り残されてしまう。彼らを救うためスティーヴ・マックィーンを始めとする消防士たちが決死の救出活動を行う。エレベーターは階下の火で使えないため、向かいのビルにロープを張りゴンドラで渡すなどの手段を取るが、火の勢いは治まらずこのままでは大勢が焼け死ぬことになる。そして、最後には一か八かのアイディアで火は消し止められるが犠牲者の数は多く、黒こげになったビルは怪物のように人々を見下ろしているのだった。

要約すればこんなところだろうか。
リチャード・チェンバレンが悪いと言ってしまえばそれまでだが、これが映画だけではなく実際の建築建造物の工事などでも行われていそうなところが怖い。地震多発国である日本の建築基準は厳しいそうだが、それがちゃんと守られていないと意味がない。もちろん消防法もだ。
『タワーリング・インフェルノ』でも初期段階での発見、速やかな避難が行われていれば犠牲者の数はかなり少なくてすんだのだが、偉い人が「まだ火事かどうかははっきりしないんだろ」「たかがボヤだろ」と利益を気にして危険についての情報を伏せたままにするのはこの手のパニック映画の定石通り。

スティーヴ・マックイーンとポール・ニューマンの二枚看板を始めとする豪華キャストで、映画監督のジョン・ランディスも出演している。もっともジョン・ランディスは役者としてではなくガラスを突き破って落ちていくスタントマンとしてである。1974年当時のジョン・ランディスは自主制作映画の『シュロック』(1971)を撮ってはいたものの、『ケンタッキー・フライド・ムービー』(1977)や『アニマル・ハウス』(1978)はまだ先のことで、映画監督を夢見つつスタントマンや端役で生計を立てる一青年にすぎなかったのだ。

オハラハン消防隊長を演ずるスティーヴ・マックイーンはMcQueenの姓から分かる通りもちろんアイルランド系。Mcってのは“~の息子”を意味するアイルランド語だそうだ。だからMc~という姓は基本的にアイルランド人。メジャー・リーグのマーク・マグワイヤ(Mark McGwire)やハンバーガーのマクドナルドの創立者であるMcDonald兄弟もアイルランド系。それとMcで始まってるからM・C・ハマーもひょっとしたらアイルランド系かもしれない。いたなぁM・C・ハマー。ちなみにM・C・ハマー本当はアイルランド系ではないと思う。
同じく消防士の登場する『バックドラフト』の主人公マクフライ兄弟(カート・ラッセル他、ってアレック・ボールドウィンは他扱いかよ)もアイルランド系だった。
偶然の一致?
いやいや、昔から色々と差別されてきたアイルランド人は新大陸アメリカに移住してきても、危険で過酷な職業である警官や消防士といった職にしか就けなかったという過去があるのだ。現在でも警官や消防士に占めるアイルランド系の割合は人口比率のおけるそれよりも高いらしい。ちゃんと数字で知ったデータじゃないのであくまでも「らしい」ってことでひとつ。

監督がジョン・ギラーミンなんで例によっておおざっぱ。大味な映画を撮らせたら一流な人だ。だけれども重箱の隅をつつくような観方をする映画じゃないからかまわないでしょ。

上院議員役でナポレオン・ソロことロバート・ヴォーンが出ている。この人は本当に政治家役が似合う。思えば日本映画『アナザーウェイ D機関情報』(1988)はロバート・ヴォーンだけを目当てで観に行った。海外ロケをメインにして海外の俳優を多数起用した日本映画としてはそんなに悪くない、とは思う。今にして思えば監督は山下耕作だし。
しかし、音楽がジョルジオ・モロダーなど痛いところはちゃんと痛い。日本軍の伊号潜水艦などが特撮で再現されるが特撮監督が川北絋一だもんなぁ・・・『ガンヘッド』に『さよならジュピター』の人だからなぁ・・・

2005年01月02日

『チキン・パーク』 酉年だからニワトリの映画。でも観るなよ。

『チキン・パーク』(1994) CHICKEN PARK 90分 

監督:ジェリー・カーラ 製作:ガリアーノ・ファソ 脚本:ジーノ・カポーネ 撮影:ブラスコ・ジュラート 特撮:アントニオ・マルゲリティ
出演:デメトラ・ハンプトン、ジェリー・カーラ、R・デ・パルマ

新年である。酉年である。
酉年を言うことで今日は鶏にちなんだ映画にしよう。
そうだ、ここはやはり『チキン・パーク 』(1994)がいいだろう。この映画は(ボカッ)・・・



はっ、今なにかあったか。後頭部がまるで殴られたかのように痛いのだが。
えーでは改めて、鶏にちなんだ映画『チキン・パーク』(1994)を(ドゲシッ)・・・



はっ?うー頭が割れるように痛い。どういうことだこれは。それになにやら記憶の欠落があるような。今日のお題にする映画は何だったっけ?
むーーーーむーーー、そうだ『チキン・パーク』(1994)だ。っと振り向きざまに襲いかかる金属バットを鍋の蓋で受け止める。ふはははは、この塚原ト伝まだまだうぬがごとき未熟者には遅れをとらんぞ。えっ、もう二回とられてるって。こりゃまた失礼致しましたっと。

ともあれ『チキン・パーク』である。
タイトルからもわかるように『ジュラシック・パーク』(1993)の大ヒットに当て込んで作られたパロディ映画で、孤島を買い取った大富豪がそこで秘密の実験を行い巨大化したニワトリが暴れ回る基本ストーリーに、あれやこれやの笑えないパロディが満載されている。満載せんでいいのに。かなりトホホ度が高くやはりイタリアC級映画は侮りがたし。
これは“おバカ映画”ではあるが“バカ映画”ではない。観た人の反応はへっっと冷笑するか怒りに駆られるかのどちらかだろう。
ビデオ化されてから年月が経っているのでもう置いていないビデオレンタル屋がほとんどだろうが、大型ビデオレンタル店だとごくたまに目撃することもある。あなたがレンタル料金と90分という時間を無駄にしてもかまわない人でなければパッケージに伸ばしたその手を引っ込めるのが吉だろう。

2005年01月03日

『チキンラン』 酉年だからニワトリの映画。チキンと、いやキチンと観ろよな。

『チキンラン』(2000) CHICKEN RUN 84分 2001/04鑑賞

監督: ピーター・ロード、ニック・パーク 製作:ピーター・ロード、ニック・パーク、デヴィッド・スプロクストン 製作総指揮:ジェイク・エバーツ、ジェフリー・カッツェンバーグ、マイケル・ローズ、スティーヴン・スピルバーグ 原案:ピーター・ロード、ニック・パーク 脚本:カレイ・カークパトリック 撮影:トリスタン・オリヴァー、フランク・パッシンガム 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ、ジョン・パウエル、ジェームズ・マッキー・スミス、ジェフ・ザネリ
声の出演:メル・ギブソン、ジュリア・サワラ、ジェーン・ホロックス、イメルダ・スタウントン、ベンジャミン・ホイットロー

『第十七捕虜収容所』(1953)や『大脱走』(1963)に関する記憶が随所に見られることについて今回は語らない。
『オズ(RETURN TO OZ)』(1985)でわたしが初めて観た粘土によるアニメーションであるクレイアニメーションについても語らない。

イギリスにあるその養鶏場は捕虜収容所そのものだった。ナチさながらの冷淡な女所長と愚鈍だが任務に忠実な看守が支配する中、雌鶏たちの中に一羽そこからの脱出を試みる者がいた。しかし、その度に捕まっては地下室に放り込まれる始末。諦めの漂う中、一羽の雄鳥が空から落ちてくる。彼こそ「空飛ぶニワトリ」としてサーカスに出演している人気者ロッキーで、彼は自由を求めてサーカスを抜け出してきたのだ。
ロッキーの指導の元、空を飛んで脱獄するため筋肉トレーニングに始まってリズム感やバランス感覚などの特訓に励む雌鶏たち。だが、その間に女所長が密かにチキンパイ製造機計画を進める。これまでは卵の生産が目的だったのをチキンパイ製造業に乗り出そうというのだ。もちろんその原料のチキンは養鶏場の雌鶏たち。危機はすぐそばまで迫る。果たして彼女たちは見事飛べるようになって無事に養鶏場を逃げ出すことが出来るのだろうか?

スポ根において努力こそ絶対である。産まれ持った才能が劣っていても、努力と根性で自分より恵まれた者を倒すことが出来る。汗と涙を振り絞ぼって困難に立ち向かえば必ず勝利が待っている。それがスポ根の基本的価値観だ。
では、雌鶏たちは努力の結果飛べるようになったのであろうか?いや、血と汗をどれだけ流してもニワトリはニワトリ。しょせん空を飛べるわけがないのだ。(実際の世の中にはまれに「飛ぶニワトリ」がいるが、それは無視する)
「空飛ぶニワトリ・ロッキー」だって、自分の羽ばたきで飛んでいたのではなく、千切れたポスターの下半分が示すように大砲の力で空に向かって打ち出されていただけなのだ。
ニワトリはどれだけがんばっても彼女たちがニワトリである以上決して飛べはしない。冷酷だけど当たり前の事実。努力や根性では乗り越えられない壁が立ちふさがる。

そこで諦めてしまってはただの挫折したニワトリだ。努力と根性で駄目でも、まだ知恵と勇気がある。自分の羽で飛んで逃げ出すことが出来なくても、別の方法で逃げ出せばいい。柔軟たる発想の転換と勢い任せで突き進み彼女らが取った方法は、おおこれぞバカだ。こうして壁はその横をそしらぬ顔で通り抜けることによってあっけなく無力化する。
世の中、努力と根性で乗り切れるとこばかりではない。出来ない物はどうやったって出来ないという状況は必ずやあるのだ。そんな時こそバカである。わたしたち人間だって空を飛ぶことは出来ないが、代わりに飛行機やヘリコプターで空を飛ぶ。それらを作り出したのは「努力と根性の人」や「知恵と勇気の人」よりもむしろ「バカ」だ。
レオナルド・ダ・ヴィンチは当時の製作技術では到底不可能だというのに、実際に飛行可能な飛行機械の設計図やスケッチをバカだから何枚も何枚も描いた。オットー・リリエンタールは木組みに布を張った不格好にも見えるグライダーでバカだから何度も何度も2000回以上も滑空してついには墜落して死んだ。ライト兄弟は「空飛ぶ乗り物なんてありえねぇよ」という世間の声に負けずに本業で稼いだ金をせっせとエンジンの改良や風洞実験につぎ込んだバカだった。1947年10月14日に人類で初めてベルX-1で音速の壁を越えたチャック・イェーガーはアメリカの有人宇宙飛行黎明期を描いた『ライト・スタッフ』(1983)を観れば分かる通りバカだ。
そして雌鶏たちもバカだった。後は本編を観ろっ!

2005年01月13日

『追跡者』 銃はグロックにしろ。

『追跡者』(1998) U.S. MARSHALS アメリカ 131分 1998/06/18鑑賞

監督:スチュアート・ベアード 製作:アーノルド・コペルソン、アン・コペルソン 製作総指揮:キース・バリッシュ、ロイ・ハギンズ 脚本:ジョン・ポーグ 撮影:アンジェイ・バートコウィアク 編集:テリー・ローリングス 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:トミー・リー・ジョーンズ、ウェズリー・スナイプス、ロバート・ダウニー・Jr、ジョー・パントリアーノ、ダニエル・ローバック

『逃亡者』(1993)で主人公リチャード・キンブルを執拗に追いつめたサミュエル・ジェラード捜査官。そのジェラード捜査官とその部下たちを主人公にしたスピンオフ作品がこの『追跡者』だ。どうにも野暮ったい印象のぬぐえない『逃亡者』よりも『追跡者』の方がシャープで好みだ。
元CIA工作員のウェズリー・スナイプスが逃亡し姿を隠していた理由や黒幕の正体などストーリーの核となる部分に幾分の無理があるがそれは『逃亡者』も同じだし、何よりもウェズリー・スナイプス側のことは案外どうでも良くて重要なのはジェラード捜査官の格好良さだ。しぶとくタフで、食らいついたら逃がさない。しびれるねぇ。登場シーンはビッグバードもどきなチキンの着ぐるみだが。

アメリカの司法制度はとにかくややこしくて、ジェラード捜査官のことは最初FBIだと思っていたのだがそうではない。タイトルにもある“U.S. MARSHAL”とは連邦執行官のこと。所属は連邦裁判所になるそうだ。裁判所の職員に捜査権があるというのは日本人から見るとおかしな感じだが郡保安官と同じ権限があるんだそうな。それでシェリフ(Sheriff)もマーシャル(Marshal)も訳すと保安官なのか。地元警察にFBIにDEAにATFにNSAにMIB、さらには連邦執行官か。それぞれ微妙に管轄範囲が重なってるから縄張り争いが映画や小説のネタになるのもわかる。『イレイザー』(1996)のシュワルツェネッガーも連邦執行官だったな、そういえば。
ちなみにFBIが連邦捜査局、DEAは麻薬取締局、ATFがアルコール・たばこ・火器取締局、NSAが国家安全保障局。MIBはメン・イン・ブラックなので実在はしていない、多分。

ジェラード捜査官と共に主演を張っていると言って良いのが携帯している拳銃の“グロック”
オーストリアの新興銃器メーカーが発売したこのセミオートマチックピストルは、フレームなど主要部品に樹脂(ポリマー)を使用しており、またマニュアルセイフティを廃した画期的セイフティシステムなどで一躍人気モデルになったもの。
しかし、直線で構成された実用一点張りな角張ったデザインが、『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンや『リーサル・ウェポン』のマーティン・リッグスが持つベレッタM92Fなどと比べて面白味に欠けるためか主人公の持つ銃としてはなかなかスクリーンに登場しなかった。わたしは常時携帯して必要になったらすぐ撃てる拳銃としてグロックはかなり良さそうだと思うんだが。確かに、壁に飾ってインテリア代わりにする銃ではないが、あの飾りっ気の無さが好きだ。
『追跡者』ではそのグロックが大活躍をする。
まずは、一緒に捜査をすることになったロバート・ダウニー・Jrが所持していたクロームメッキの拳銃(おそらくタウルス)を、「銀ピカは駄目だ。黒いのにしろ、グロックが良いぞ」とけなし、映画のラスト近くでは「グロックは良いぞ。水や砂まみれになっても使える」とベタ褒め。
宣伝のためにグロック社が金を出したという噂を聞いたことがあるが、『逃亡者』(1993)ですでにジェラード捜査官はグロックを使っておりちょっと勘ぐりすぎだろう。脚本家が大のグロックファンだった辺りが正解じゃないだろうか。
『ダイ・ハード2』ではワシントン空港に忍び込んだテロリストが所持しており、マクレーンが「この銃はX線にも映らないし、あんたの給料じゃ買えないぐらいの代物だ」とか言ってるが、スライドなど金属部分も多いのでX線にちゃんと映るし、15連発程度の同クラスの拳銃の中では安い方らしいので、あの映画で言ってることは信じちゃ駄目だ。もっとも“グロック7”と存在しない型番で呼んでいたのでグロックをモデルにした架空の銃という設定なのかも知れないが。
保安官ではあるが分類は刑事映画でいいだろう。

2005年01月25日

『ダウン』 このエレベーター危険につき階段を使うべし

『ダウン』(2001) DOWN オランダ・アメリカ 111分

監督:ディック・マース 製作:ローレンス・ギールス、ディック・マース 製作総指揮:ウィリアム・S・ギルモア 脚本:ディック・マース 撮影:マーク・フェルペルラン
出演:ジェームズ・マーシャル、ナオミ・ワッツ、エリック・タール、マイケル・アイアンサイド、エドワード・ハーマン

インディペンデンス映画の『悪魔のいけにえ』(1974)が人々に与えたショックの一つは映画において保護されているべき車椅子の身体障害者まで惨殺されてしまうことだった。だが、メジャー系列で製作されている作品はホラー映画であろうと、ある程度の制約は存在する。『13日の金曜日』シリーズのジェイソンには慈悲も情けもないし、ついでに知能もなさそうだがそんな奴でも子供やペットの犬などは殺さない。
この『ダウン』ではそれらのタブーが次から次へと破られる。エンパイヤステートビルディングをモデルにしたとおぼしきマンハッタンの歴史あるビルが舞台となり、そこに設置された高層エレベーターが狂って暴走し次々と人を殺害していく。深いエレベーターシャフトに落ちていったり扉で首を切り落とされる犠牲者の中には、10歳ほどの子供や盲目の障害者、そして実はこれがメジャー系列の映画としては最大のタブーなのかも知れないのだが“盲導犬”まで含まれている。『ダウン』とは比べものにならない程の人数が犠牲になる『アルマゲドン』や『ダンテズ・ピーク』でも犬だけは決して死ぬことがなかったというのに。おそらくアメリカの劇場では悲鳴と非難の声、そしてホラー映画ファンから少しばかりの歓声が上がったことだろう。
これを可能にしたのは製作がオランダとアメリカという純粋なハリウッド映画ではないからだろう。脚本・監督のディック・マースはオランダ出身で、初期の作品『悪魔の密室』(1983)でアヴォリアッツ映画祭でグランプリを受賞した人だそうだ。アヴォリアッツといえSFやホラーなどのファンタスティック映画専門の映画祭で、第一回のグランプリがスティーブン・スピルバーグの『激突!』、そして『ターミネーター』(1984)、『ヒドゥン』(1987)、『ブレインデッド』(1992)などうれしくなる作品に賞をあたえている。
その『悪魔の密室』の規模をより大きくしてリメイクしたのが『ダウン』になる。『悪魔の密室』は観ていないので確かなことは言えないが、タブーとされがちな人物をも惨殺するのは非メジャー・非ハリウッド作品が原点となっているからだろうか。
エレベーターが人を殺す理由が“人が作り出したある物”が原因という合理的説明を付けてしまったところはさてどうだろう。エレベーターがおかしくなった理由にはなるが、それだけではあそこまで様々な手段を繰り出してくる説明にはなっていない。悪意の存在が怨念や悪魔など超自然的な物だった方が個人的には理解しやすい。唐突にかかってくる電話一本で「そうだったの!」と言われてもな。
ちょこちょことギャグが入っていて案外と笑える。エレベーターシャフトに潜り込んだ主人公に伸びてくる“腕”の正体には笑った。閉鎖されたビルには特殊部隊が乗り込みアクション映画の様相を呈しているシーンでなにをやっとるんだ。
『エイリアン4』の軍人役ダン・ヘダヤや同じく『エイリアン4』の馬面な宇宙海賊ロン・パールマン、そしてマイケル・アイアンサイドなど警察側のメンツが濃くてうれしい。ナオミ・ワッツは可愛らしい人で、『マルホランド・ドライブ』(2001)を観れば分かるようにかなりの演技派。『リング』の主役も松嶋菜々子よりナオミ・ワッツの方が良い。まあ映画自体、日本オリジナル版はアメリカリメイク版の方を評価しているしな。というか中田秀夫って駄目すぎ。
ところどころ面白いシーンはあるが、全体を通してみると今一つ退屈だった。エレベーターのシーンとしては『オーメン2』でのそれを超える物がなかったのが残念。あれは登場人物と観客にいったん「ほっ」とさせたところへどっかーんと驚かせる名惨殺シーンだった。

2005年01月26日

『チャイルド・プレイ』 迫り来るチャッキー人形の恐怖

『チャイルド・プレイ』(1988) CHILD'S PLAY アメリカ 88分 1989/05鑑賞

監督:トム・ホランド 製作:デヴィッド・カーシュナー 製作総指揮:バリー・M・オズボーン 原案:ドン・マンシーニ 脚本:ドン・マンシーニ、ジョン・ラフィア、トム・ホランド 撮影:ビル・バトラー 音楽:ジョー・レンゼッティ
出演:キャサリン・ヒックス、クリス・サランドン、アレックス・ヴィンセント、ブラッド・ドゥーリフ、ダイナ・マノフ

物系ホラー映画についてはここ数日語ってきたが、そのラストは殺人人形チャッキーに飾ってもらうことにする。
それにしてもアメリカ映画に登場する人形というのはどうしてどれもこれも可愛くないのだろうか。チャッキーは殺人鬼人形だからワンパクそうというか憎々しげなのは分かるが、1980年代にアメリカで流行したという“キャベツ畑人形”やスティーヴン・キング原作の『トミーノッカーズ』(1993)などに登場するボタンを目の代わりに縫いつけたオーソドックスな赤毛人形、そしてこれは人形というより置物なのかもしれないが庭先に飾ってあるノーム人形などどれもこれも可愛くない。というよりむしろ不気味である。
日本のリカちゃん人形にあたるのがバービー人形なのだろうが、頭が大きく幼児体型なリカちゃんに対してすらっと八頭身ボディなバービーは妙にリアルで、夜になって明かりを消した部屋にあれがずらっと並んでいたらと思うとちょっと怖い。そもそも人形にはどこか恐怖を呼びおこすところがあるが、アメリカの人形はもろにそれを直撃してくれる。『スモール・ソルジャーズ』ではキルステン・ダンストがコレクションしているバービー人形(?)が改造されフランケンシュタインの様相で襲ってくるがあれは怖かった。女の子が遊ぶ人形だというのに日本とアメリカでかなりデザインが違うのは何故だろう。日本の女の子は、リカちゃんに今の自分を投影して自分が様々な服装や職業に変身することを想像し、アメリカの女の子は自分が成長し様々な姿になっている将来の姿を想像しているのではと憶測してみる。もっとも、バービー人形には子供以上に熱心な大人のマニアがコレクションしているとも聞く。

『チャイルド・プレイ』では射殺された殺人鬼の魂がブードゥーの呪いによってグッドガイ人形と呼ばれる3歳児ぐらいの大きさの人形に乗り移ってしまう。見た目は可愛いが中身は邪悪というギャップが肝なのだが、何度も言うがどう見ても可愛くない。部屋に置いてあったら東京マルイの電動ハンドガン『グロック18C』の的にしてフルオート連射を食らわせてやりたいぐらいだ。この銃がまた面白いぐらいによく当たるのはまた次の機会にするとして、これがもしキティちゃんやクマのプーさんの特大ぬいぐるみだったらと想像してみる。キティちゃんが牙を剥きだして襲いかかってきたら・・・いや、キティちゃんには口がないか。ニコニコ笑顔のプーさんが包丁片手に迫ってきたら・・・うむ怖い。やはりチャッキーの場合、最初から憎たらしいので怖さが薄らいでしまう。映画自体がホラーと言うよりもむしろ不死身な敵が襲ってくるアクション映画色が強いので設定として間違っているわけではないが、しつこいようだがアメリカ人にはすました顔をした状態のチャッキーは可愛いのだろうか?2作目ではグッドガイ人形ばかり製造する工場まで登場するが、あんなもんを大量生産してどうする。売れ残るぞ、きっと。
まだCGでチャッキーを表現する程の技術がなかった時代なので、動き回るチャッキーにはメカニカル人形や着ぐるみが使用されている。中に入っているのは小人症の俳優か子供だろう。登場人物との配置を上手くやってカメラからの視点でなるべく小さく見せるように工夫してある。スタントシーンもあるが、あれは大きめのセットを作ってスタントマンを中に入れた人間大のチャッキー着ぐるみでも使ったのだろうか。
シリーズが進むほどコメディ色が強くなり、1998年に製作された4作目は『チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁』は『フランケンシュタインの花嫁』をパロディにしたタイトルからしてウケを狙っているとしか思えない。実際コメディとして作っているシーンが多く結構笑える。例によって次回作を予感させる終わり方なのだが、果たしてシリーズ5作目の『チャッキーの息子(SON OF THE CHUCKY)』は製作されるのだろうか。

2005年01月27日

『ドールズ』 童心を失ってはいけない・・・さもないと殺される

『ドールズ』(1986) DOLLS アメリカ 78分

監督:スチュアート・ゴードン 製作:ブライアン・ユズナ 製作総指揮:チャールズ・バンド 脚本:エド・ナーハ 撮影:マック・アールバーグ 特撮:デイヴ・アレン 音楽:ファズビー・モース
出演:イアン・パトリック・ウィリアムズ、キャロリン・パーディ=ゴードン、キャリー・ロレイン、ヒラリー・メイソン、スティーヴン・リー

物系ホラーは昨日で最後と言ったが、『チャイルド・プレイ』から人形物ということで『ドールズ』を思い出した。監督は低予算に強いスチュアート・ゴードンで、この作品も多分お金があまりかかっていないのだろうが、何体もの人形たちが動き回る様はどうしてなかなか面白く仕上がっている。
とある老館に嵐を逃れてやってきた人々が主である老夫婦の作った人形に殺されていくストーリーはホラーと言うよりも現代版おとぎ話といった感じでさほど怖くはない。ファンタジーを信じる心を失い汚れてしまった者は人形に殺されてしまうのだが、それだとわたしなんか最初の方に殺される役だろう。しかも人形と戦うどころか気付かないうちにグサッとやられてしまうちょい役だ。
動き回る人形は『チャイルド・プレイ』(1988)と比べてもアナクロなSFXで、それを許せるか許せないかで評価は変わってくるかも知れない。だが、CGによる表現技術がまだなければ、予算も撮影日数もなかったであろう撮影現場を考えるとかなりがんばっている方だろう。個人的にはスチュアート・ゴードンはかなり見せ方を分かっている人だなと思う。巨大ロボットによる格闘戦を実写化した『ロボ・ジョックス』(1986)なんてのも撮っている。そりゃまあトホホなSFXだが、イマジネーションにおいては『マトリックス レボリューションズ』(2003)のAPUなど足下にもおよばない。ましてや、『ガンヘッド』(1989)においておやである。最近、何を勘違いしたのかでかい面をしている原田眞人だが、わたしはリアルタイムで金を払ってみた『おニャン子・ザ・ムービー 危機イッパツ!』(1986)のことも『さらば愛しき人よ』(1987)のことも『ペインテッド・デザート』(1994)のことも忘れてないからな。

DVDは他のエンパイヤ・ピクチャーズ作品と組み合わせた『FANTASTIC ! BOX』としてのみ発売されている。『ドールズ』『プリズン』『ハードカバー黒衣の使者』『ナイト・オブ・ザ・コメット』、そして藤岡弘、の『SFソードキル』と5作品収録で19,950円(税込)という金額はちょっと高すぎるが、それよりも単品発売なしというのが納得いかない。B級映画マニアなら“買い”のBOXなのだろうが、わたしはB級映画にもいろいろと好きな作品があるだけで別にB級映画という“ジャンル”のファンというわけじゃないのだ。
出演者のキャロリン・パーディ=ゴードンは『ZOMBIO 死霊のしたたり』や『フォートレス』など他のスチュアート・ゴードン作品のも出演している。名前のゴードンから察するに監督の身内なのだろうか。

2005年02月09日

『Dr.ギグルス』 気違い医者の襲撃

『Dr.ギグルス』(1993) DR. GIGGLES アメリカ 1993/10/24鑑賞

監督:マニー・コト 製作:スチュアート・M・ベッサー 脚本:マニー・コト、グレイム・ウィフラー 撮影:ロバート・ドレイパー 音楽: ブライアン・メイ
出演:ラリー・ドレイク、ホリー・マリー・コムズ、クリフ・デ・ヤング、リチャード・ブラッドフォード、ミシェル・ジョンソン、グレン・クイン

昨日(8日)から体調が悪い。悪寒が走り胸がむかむかするして吐き気があるし、体温は37度後半から下手をすると38度台である。
取りあえず、飯食って寝ていたが今日になっても状態が改善されないので諦めて医者に行った。

「こりゃ、多分“胃腸風邪だね”インフルエンザではないと思うよ」
と医師からの診断を下される。風邪ということで少しほっとする。
点滴を打ってもらい3種類の薬を出してもらった。家に帰って、薬を飲んで昼間っから布団に入っていたら大夫と楽になった。
しかし、「相手が医者だから」となると出された薬を疑いもせずに服用したり様々な治療を受けたり、場合によっては手術で身体を切り裂かれてしまうのが医療の現場である。
もしここで、その医者がまるっきりのイカれた精神異常者だったらどうなるだろうか、というのがこの『Dr.ギグルス』である。
ギグルスというのは医者の名前ではなく“GIGGLES”=くすくす笑いなのでくすくす笑いをする医者と言った意味だろうか。『ダークマン』のラリー・ドレイクが冷静かつ論理的なようでいて根本から破綻した気違い医者エヴァンを演じている。真夜中にストレスからアイスクリームの巨大カップをやけ食いしているような奴は胃を取り出しての強制胃洗浄だ。
ヒロインは心臓疾患の持ち主で、エヴァンはこの娘を手術して治療してやろうと思っている。しかし、正規の医療知識などないのでそんなことをされては命の危機。不気味に迫り来るエヴァンが怖い。
ちなみに、この気違い医者は医者だと強く思いこんでいるだけで、実際には医者の免許などは持っていない。だからこの映画の中で繰り広げられる惨劇は実際には起こりえないはずだ。はずだが、医者だって人間だ。疲れたり精神が不安定になることもあるだろう。ミリ単位での細かさが要求される脳神経外科の手術中に「あーもう、なんかこの脳やだな。そこら辺の神経4~5本切っちゃおうかな」なんてことは本当にないのだろうか。
気に入らない患者の虫歯の治療をしていて「こいつ嫌な奴だから必要以上に痛くしちゃお」なんて考える歯科医は案外いるんじゃないだろうか。
それに、時折医療免許を持っていないのに医療行為をして捕まっているやからもいる。ブラックジャックなら話は別だが、大概はインチキくさい連中だろう。

・・・ん?なにやら背後で気配が・・・
(振り返る)
はっ!おっ、お前は!!
エヴァン「君は熱があるようだね。熱を冷ますには身体を冷やすのが良いよ」
そしてエヴァンは金属バットを振り上げた・・・ゴインっ!
・・・
・・・
・・・
うっ・・・ううう・・・頭が割れるように痛い。いったいどうしたんだ。そうが、エヴァンに殴られたんだった。
って、なんで身体が縛られているんだ。それにとても寒い。吐く息が白いがここはどこだ?
どうにか縄がほどけないかなともがいている内に足の先が冷凍マグロの堅い身に当たる。
身体が一刻一刻冷えてくる。確かにこれならば体温は下がるが、ついでに死にかねない。
『ジェイコブス・ラダー』(1990)で高熱に陥ったティム・ロビンスを氷をガンガンに放り込んだバスタブに入れて治療するというシーンがあったが、あれはかえって病状が悪化して死んだりするんじゃないかと思う。たまに洋画で登場するが、あんな治療法は本当に行われているのだろうか?

2005年03月22日

『トルク』 全員揃って免停だ

『トルク』(2003) TORQUE 84分 アメリカ 2005/03/21レンタルDVDにて鑑賞

監督:ジョセフ・カーン 製作:ブラッド・ラフ、ニール・H・モリッツ 製作総指揮:ブルース・バーマン、マイケル・I・ラックミル 脚本:マット・ジョンソン 撮影:ピーター・レヴィ 音楽:トレヴァー・ラビン
出演:マーティン・ヘンダーソン、アイス・キューブ、モネット・メイザー、ジェイ・ヘルナンデス、マックス・ビースレイ

 自動車によるカースタントがメインの映画は数多くあるが、バイクスタントは案外と珍しい。
あまり登場しない理由はフルフェイスヘルメットで運転するとあまりにもスタントだと丸分かりだし、だからといって『ペイ・チェック』のベン・アフレックみたいにジェットタイプヘルメットだと「オバさんが原付乗ってんのか?」てなことになってしまうからだろう。じゃあノーヘルで行くかというと今度は撮影時のスタントの安全性や観客への悪影響が心配だ。・・・ハーフヘルメットぉ?あんなものは論外だ、田舎のヤンキーじゃないんだから。

 予告編が面白そうだったのでわりと期待してみたのだが、なんというか頭の悪そうな連中が頭の悪そうな事件を起こすといった内容で、麻薬取引の冤罪を着せられる主人公やバイクの整備工場を経営するヒロイン、悪党に弟を殺されてしまうアイス・キューブなどの登場人物の誰にも感情移入することができなかった。そろいも揃って交通ルールを無視しまくっているのは映画の展開上仕方ないのだが、こいつらどう見ても30歳過ぎだろうに未だに暴走族をやっていてどうしようというのだろうか?さすがのわたしも「お前ら、少しは将来のこと考えろよ」と言いたくなってしまう。事件が終わった後、こいつらはちゃんと免停になったのだろうか。いや、そもそも運転免許を持っているかが怪しい。
アメリカの暴走族だとロジャー・コーマンの映画などでヘルズ・エンジェルが有名だが、あちらはアメリカンタイプのバイクで集団で群れて走る暴走族で、この映画のはヨーロピアンタイプのバイクで突っ走る走りやタイプの暴走族だ。ただ、舞台はカリフォルニア近辺のようなので、真っ直ぐな道がひたすら続くだけでカーブなどは少なく、あまりドライビングテクニックは必要ないんじゃないだろうか。
 FBIの捜査官が出てきた途端に「あっ、こいつは裏で悪投と通じてるな」と一瞬で分かるなどストーリー的に面白みは少ないが、バイクのスタントは売りにするだけのことはある。自動車同士のゼロヨンを後方からバイクが猛スピードで追い越していくオープニングが笑える。
わたしが一番燃えたのが、ヒロインと敵の女性によるバイクの格闘戦。それぞれペプシとマウンテンデューの看板を背負って登場し、巧みにバイクを操ってタイヤなどで相手を攻撃する。無茶だが格好いい。
それに比べると、ただスピードを競うだけの主人公と敵役の対決は工夫がないし、あまりにも映像がビデオゲームそのままだ。ナムコのリッジレーサー部門に発注した方がリアリティのある映像が出来たのではないだろうか。化け物バイクも、なんだそりゃというのが感想。いかにもミュージックビデオ出身という作風だがまあそれはいいや。

 アイス・キューブの愛銃としてまだまだスクリーンでは珍しいイスラエル製の拳銃“ジェリコ”が登場する。これでもかぁと言わんばかりのアップで、同じIMIのデザート・イーグルに似たフォルムが印象的だ。
うむむ、『ワイルドスピード』の車をバイクに置き換えただけかと思ったら製作が同じニール・H・モリッツだった。四輪、二輪と来たから次回作は一輪車だろうか?

2005年04月04日

『ティアーズ・オブ・ザ・サン』 in the Jungle

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『ティアーズ・オブ・ザ・サン』(2003) TEARS OF THE SUN 118分 アメリカ 2003/10/28鑑賞

監督:アントワーン・フークア 製作:イアン・ブライス、マイク・ロベル、アーノルド・リフキン 製作総指揮:ジョー・ロス 脚本:アレックス・ラスカー、パトリック・シリロ 撮影:マウロ・フィオーレ 編集:コンラッド・バフ 音楽:ハンス・ジマー、リサ・ジェラード
出演:ブルース・ウィリス、モニカ・ベルッチ、コール・ハウザー、イーモン・ウォーカー、ジョニー・メスナー

 海軍特殊部隊シールズによるジャングル戦は面白かった。間隔を開けて斜め一列に並んだ兵士たちが、前の者から順繰りに後ろに下がっていってまた戦列を組むという敵に隙を見せない後退の仕方などがリアルっぽくていい。
だがストーリーとしては妙にストレスの溜まる物で面白くない上に爽快感もない。

ナイジェリアの内紛でアメリカ人をはじめとする外国人やキリスト教徒の虐殺が始まった。当地で医療活動を行っているアメリカ人女性医師を救出するためシールズが送り込まれる。だが、医師は他の人も連れて行かなきゃ駄目だと同行を拒否する。
もうね、この時点で医師を縛り上げて無理矢理引っ張ってきゃ良かったんだよ。他のナイジェリア人達はどうするのつったって、そんなもん連れて行けるわけないだろうに。ナイジェリアにアメリカの軍隊が乗り込んでアメリカ人を救出こと自体が本来はかなりヤバいというか国際的には問題もあるわけで、そんなのが平気でまかり通るならば日本だって自衛隊を北朝鮮に送り込んで拉致された日本人を救出していいってことになる。でも、そんなことやったら泥沼だわなぁ。まあ現状もある意味泥沼だが。

ナイジェリア人を置き去りにして医師だけを乗せてヘリコプターが飛び立とうとするときに、この医師は隊長(ブルース・ウィリス)のことを散々罵倒し唾まで吐きかける。
あのね、特殊部隊の連中は命がけであんたの救出活動をしてるんだっつーの。任務内容はアメリカ人を救出することで命令にないことは出来ないし、ナイジェリア人を国外に連れ出したら内政干渉になるんじゃないのか。
わがままも大概にしろというか、この医師にはまるで同情できないしそれから隠していることがあるならとっとと言えよ。あーもう、イライラするなぁ。「もう30時間も歩いてるのよ」って休憩している場合か。国境を越えればいくらでも休めるんだからとっとと歩け。
ブルース・ウィリスたちもプロの軍人ならばプロの軍人を貫いてくれればいいのだが、途中から妙なヒューマニズムに目覚めてくるし。でも結局はアメリカの立場でのヒューマニズムなんだよな。だいたい、ブルース・ウィリスは部下の兵士に対する責任もあるわけだがそこら辺はどうなのよ。軍人だから危険は覚悟の上だろうが、任務外の不必要な行動で部下を命の危機にさらすってのはまずいだろ。部下達は「隊長は間違っていません」と従ってるが、一人ぐらい不平を唱えたり反旗を翻しても良いだろうに。それとも任務外の行動でも上官は絶対なのか。

アフリカにおけるアメリカ軍特殊部隊の活動というと他には『ブラックホーク・ダウン』がある。
徹底したアメリカのエゴに基づいて作られている『ブラックホーク・ダウン』に対して、『ティアーズ・オブ・サン』は中途半端にアフリカ人に対する同情の視点がある。それだって上辺だけの通り一辺倒な同情で深く問題に踏み込んだものではない。娯楽としても社会派としても中途半端。
ストーリーなど無視してジャングルでの戦闘シーンを楽しむのが吉かも知れない。

2005年04月09日

『遠い空の向こうに』 そのロケットはどこまでも高く高く飛んでいった

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『遠い空の向こうに』(1999) OCTOBER SKY 108分 アメリカ

監督:ジョー・ジョンストン 製作:チャールズ・ゴードン、ラリー・フランコ 製作総指揮:ピーター・クレイマー、マーク・スターンバーグ 原作:ホーマー・ヒッカム 脚本:ルイス・コリック、ホーマー・ヒッカム・Jr 撮影:フレッド・マーフィ 編集:ロバート・ダルヴァ 音楽:マーク・アイシャム
出演:ジェイク・ギレンホール、クリス・クーパー、ローラ・ダーン、クリス・オーウェン、ウィリアム・リー・スコット

 以前からレンタルビデオ屋で見かけてはいたんだが、いかにも感動青春モノ風なパッケージのため手に取ることがなかった。
だがある日、ひょいと裏の解説を読んでみると4人の高校生達がロケットを自作して打ち上げる物語らしい。うーん、面白いかもというので借りてみた。
そしたらもう、当たりも当たり、大当たりだった。監督としてジョー・ヒューストン(『ミクロ・キッズ』『ロケッティア』など)のクレジットが出たところでひょっとしたらと思ったが、こりゃ面白いわ。

 1957年、アメリカはウエストバージニア州の炭坑町。すでに石炭は斜陽産業だったが、この町で生まれた男の子は炭坑夫になることを運命づけられていて、唯一町から抜け出す方法はアメリカンフットボールの選手として活躍して、スポーツ推薦で大学に行くことだけだった。
主人公の少年ホーマー・ヒッカムは身体も貧弱で、フットボール部の入部テストにも落第してしまう。自分はこのままこの小さな炭坑で生きてそして一生を終えるんだろうな、なんてことを考えているある日、ソビエトが人類初の人工衛星スプートニクスの打ち上げに成功したニュースを耳にする。夜空を見上げると小さな光点が星の間を横切っていく。
そして少年は宇宙を夢見た。
 夢を見るだけならば誰でもできるが、ホーマーは仲の良い2人の友達と一緒に実際にロケットを作り始める。最初のロケットはロケット花火を何本もばらしてそれを詰め込んだだけの代物で、空に打ち上がるどころか母親が大事にしていた庭の柵を一部吹き飛ばしてしまう。だがまるで懲りていない3人は、数学の天才で変わり者の眼鏡(今でいうオタク)を仲間に加え、ロケット・ボーイズとして本格的にペンシルロケットの製作に取り組んでいく。
 生徒達に学問の道を進んでもらいたいと思っている科学の女性教師(ローラ・ダーン)や炭坑の工場で溶接作業をしている男の協力も得るが、作るロケットはどれもまともに飛ばないか爆発する始末。それでも、どこが悪いんだろうか、どこを改良すればいいのだろうかと工夫を加える内に、ロケットは少しずつ形になっていく。
 以前、『ドラムライン』について書いたときに、文化系的スポ根というのは作れないのだろうかと思ったのだが、『遠い空の向こうに』の前半ではかなりその文化系的スポ根が成立している。

 後半ではロケット作りは進められるが、物語は主人公とその父親による父子物が全面に押し出される。
テーマ性とかをしつこく打ち出さずにじっくり静かに描いていてそれ故に感動的である。だが、前半のバカ4人組が他人から馬鹿にされたりしながらも懸命にロケットを作り続け、ついにはちゃんと飛ぶロケットを作り出すというのが大好きなわたしには、そのままラストまで疾走し続けて欲しかったのでほんの少し残念だ。
 炭坑長である父親は息子ホーマーを半人前だと考えていて、まだまだ自分の監視下で鍛え育て上げるつもりである。おそらくは息子は独立した人格ではなく自分の一部だと思っているのだろう。そして炭坑夫という仕事に誇りを持っている。
そんな息子が自分と同じ炭坑夫の道を選ばずに町を出て行きたいと考えているのが分かったときに、それを父親という権力で押さえつけようとする。もちろん、この父親は単なる暴君ではなくて息子のことを真剣に考えているから故の行動ではある。
 しかしホーマーはそんなプレッシャーに負けずに素晴らしいロケットを作り上げ、科学コンテストでグランプリを取って大学への奨学金を手に入れる。
コンテスト会場で展示品などを盗まれる。その危機を、抜け出そう抜け出そうと思っていた炭坑の人々、そして母親と父親が彼のために立ち上がるシーンも感動的。
ラストの初めてロケットの打ち上げに来た父親にその発射ボタンを押してもらうシーンは、和解というよりはむしろ父親との決別を表しているのだろう。もう父親の一部ではなく一人の自立した人間で、自分で自分の道を行くということ。父親もそれを受け入れてホーマーを一人前の男として認め、男同士としてある意味対等な関係になったのだ。

 母親が科学教師について町である噂を耳にする。その噂の詳細は観客には知らされないがおよその見当はつく。そして、ベッドに横たわるすっかりやつれ果てた教師の姿を見てその予想が当たっていたのに気付く。これについても、「えっ、先生が不治の病だって!」などと騒ぎ立てない慎ましさがこの映画にはある。

 一筋の煙を引きながらロケットはどこまでも高く高くそらに上がっていく。
そんなラストシーンの後、古い8ミリフィルムや写真によって彼らロケット・ボーイズたちのその後が紹介される。ホーマーはその後NASAのエンジニアになったそうだ。
それ自体はよくある手法なのだが、そこに登場する人物達が映画のそれと違う。というか、加工して古く見せているのではなく本当に古い写真だ。
あれれと思っていると、base on the book "Rocket Boys" by Homer H. Hickam,Jr. 原作“Rocket Boys”ホーマー・H・ヒッカムJr著とクレジットが出る。
ホーマー・ヒッカムって主人公と同じ名前じゃ・・・はっ!?まさかこれって実話ベースなのか?
慌てて調べたら本当に実話だった。知っている人には当たり前なんだろうが、映画雑誌を買わなくなって長いことになるし、映画のサイトも特に見ない上に作品を観る前の下調べもしないのでまるで知らなかった。
実話だから感動する、フィクションって結局は嘘ってことだろとは全く思わないが、1950年代末というロケットに関する情報もほとんどない時代の田舎町で、なんといっても図書館でロケット関係の本を探してもジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』ぐらいしかない中で高校生が本当に自分たちでロケットを作ってしまったというのは驚きだ。
そしてそのロケットは単なる憧れや夢だけではなく、自分の現実の将来を切り開くためというのがまた良い。
閉鎖的な炭坑町とロケットが飛んでいく大空、そして宇宙との対比が面白い。
原作の小説は『ロケットボーイズ上下』『ロケットボーイズ2上下』として翻訳版が出ているようだが、一冊1,890円とちょっと高い。合わせて7,560円なのでなかなか手が出ない。ハードカバーのようだが文庫本化を期待する。

2005年04月14日

『ダンテズ・ピーク』 大概、予知や警告は無視される

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『ダンテズ・ピーク』(1997) DANTE'S PEAK 109分 アメリカ

監督:ロジャー・ドナルドソン 製作:ゲイル・アン・ハード、ジョセフ・M・シンガー 製作補:ジョフ・マーフィ、製作総指揮:イロナ・ハーツバーグ 脚本:レスリー・ボーエム 撮影:アンジェイ・バートコウィアク 音楽:ジョン・フリッゼル
出演:ピアース・ブロスナン、リンダ・ハミルトン、ジェイミー・レネー・スミス、ジェレミー・フォリイ、エリザベス・ホフマン

 10年ぶりに阿蘇山が噴火したそうだ。小規模な噴火だそうなので大きな騒ぎにはなっていないだろうが、三原山雄山や雲仙普賢岳からも分かるように火山とは強大なエネルギーを持った時に危険な存在である。そんな火山噴火を題材にしているのがこの『ダンテズ・ピーク』だ。
死火山と思われているダンテズ・ピークがわずかな異変を起こす。計測機器の数値から予兆を読み取った火山学者(ピアース・ブロスナン)はさらなる調査のために麓の町を訪れる。
実地での調査を続ける内に噴火の可能性を感じた火山学者は町の人々にその危険性を訴える。しかし、「全米で何番目かに住みよい村」といういまいち微妙な賞をもらったばかりで、町民は学者の警告に耳をかさない。唯一、女性(リンダ・ハミルトン)町長だけが真剣に話を聞いてくれるが、住民の避難には至らなかった。

 住民や町の上層部は主人公や学者、時には少数民族が訴える危険性をまるで理解しようとしないというパニック映画の法則はこの作品でも守られている。
この人たちは『ジョーズ』や『タワーリング・インフェルノ』を観たことがないのだろうか?「大丈夫、大丈夫」とか「そんなことあるはずがない。起こるはずがない」などといっていて結果大惨事を招くのは毎度のことではないか。
 後半ではやはりダンテズ・ピークがドッカーンと大噴火。たまには「騒いだけど噴火しませんでした。何もありませんでした」となって主人公がみんなから怒られるという映画もあっても良さそうなものだが、必ず噴火したり嵐に巻き込まれたりエイリアンに食われてしまう。まあ、何も起こらずそのまま終わったら実際には怒るけどね。
噴火の中、山の中で一人暮らしをする祖母を町長の子供達が迎えに行ってしまう。このままにしてはいけないと、子供達を探しに学者を町長も山に向かう。そして危機また危機のディザスターが始まるのだが、なにせジェームス・ボンド(ピアース・ブロスナン)とサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)のコンビである。ちょっとやそっとのことでは死にそうにないのでハラハラ感はちょっと薄い。
逃げる途中でペットの犬がと離ればなれになってしまう。子供達は泣くが犬よりも人間の命の方が大切だ。そして火や溶岩、火山弾、強酸性水などの恐怖と戦い、ボートで川を下っている途中で祖母の死などがありぼろぼろになってなんとか山を下ると、どっからともなく犬がピンピンして現れる。彼ら人間達の苦労はなんだったんだ。犬について行けば楽勝だったのか?
まったくハリウッド映画は人はどれだけしんでも犬は死なない。
そうそう、リンダ・ハミルトン演ずる町長には二人の子供がいる。その娘の方がリンダ・ハミルトンにそっくり。鼻から頬の下を通る八の字の筋が特に似ている。

 製作にゲイル・アン・ハードの名前があるが、彼女は元ジェームズ・キャメロンの妻。でもって、リンダ・ハミルトンは1997年当時ジェームズ・キャメロンの現妻。なかなか微妙な人間関係だ。
リンダ・ハミルトンとジェームズ・キャメロンは結局1999年に離婚し、キャメロンは現在スージー・エイミスと結婚している。
キャメロンはキャスリン・ビグローと結婚していたこともあるから、都合4回の結婚経験だ。一度や二度ならまだしも四度とは・・・キャメロンって家庭人としてはちょっと問題がある人なんだろうか。それでもエリザベス・テイラーの七回と比べたらまだまだ未熟者だが。

2005年04月21日

『テキサス1の赤いバラ』 う~、踊る時はサイドステップ

『テキサス1の赤いバラ』(1982) THE BEST LITTLE WHOREHOUSE IN TEXAS 114分 アメリカ

監督:コリン・ヒギンズ 製作:トーマス・L・ミラー、エドワード・K・ミルキス、ロバート・L・ボエット 脚本:ラリー・L・キング、ピーター・マスターソン、コリン・ヒギンズ 音楽:パトリック・ウィリアムズ
出演:バート・レイノルズ、ドリー・パートン、チャールズ・ダーニング、ドム・デルイーズ、ジム・ネイバース

 テキサスを舞台にした楽しい上に面白いミュージカルなのだが、どういうわけか日本未公開でビデオ発売のみ。日本では今一つミュージカルは当たらないのと題材が売春宿だからだろうか。
WHOREHOUSEとは売春宿のことなので、原題を直訳すると「テキサスで最高の小さな売春宿」になる。さすがに「売春宿」じゃまずいだろうと邦題で頭を使ったのだろうが、何故に売春宿がバラになったのだろうか。ちょっと意味不明だ・・・「あっもしかしたら」とちょといやらしい考えになってしまったが追求はしない。
 ミュージカルなのだが主役の保安官はバート・レイノルズ。他にはドム・デルイーズやチャールズ・ダーニングにジム・ネイバース、大学アメフト部のイーハウ野郎どもなどおよそミュージカルに似つかわしくないオヤジ面々ばかりだ。唯一、売春宿のオーナーで保安官の恋人でもあるドリー・パートンとその元で働く売春婦たちがミュージカルらしい華やかさをかもしだしている。

 テキサスはヒューストンの郊外に100年以上もの歴史を持つ娼館があった。「チキン牧場」とも呼ばれるその娼館は犯罪の匂いやいかがわしさなどまったくない健全といってもいいぐらいで町の隠れた名所でもある。
ところがテレビで告発番組を司会しているメルビン・ソープ(ドム・デルイーズ)という男がチキン牧場に目を付けた。自分の番組で取り上げて批難糾弾し取りつぶそうというのである。
チキン牧場を守るため、町の保安官(バート・レイノルズ)はソープに直談判するべくテレビ局に乗り込んでいくが・・・

 健全な売春宿などあるはずがない。それはすべからく女性を商品にして搾取しており、女性差別の最たる物である。そんなものを感傷的に扱うべきではなく、むしろ取りつぶされて当然と思う人もいるだろう。確かにそれは正論ではあるのだが、この映画ではチキン牧場が地域社会にとけ込んでいて市民から受け入れられる明るい存在として描かれている。
実際にはそんなことはあるはずがないのかもしれないが、現実は現実であり映画は映画ということで頭を切り換えてそういう設定として受け入れて欲しい。売春宿が舞台というだけで否定してしまうには面白すぎる映画なのだ。

 主役のくせにバート・レイノルズはたった一曲、それもかなりいい加減にしか歌わない。まあ見るからに苦手そうだし無理して歌うこともない。その代わりに荒っぽくてどこか精神的に未成熟なところもあるテキサスの保安官という役柄はぴったりだ。
ドム・デルイーズのソープは名誉欲と顕示欲、出世欲のかたまりで俗物の見本みたいで、憎たらしいことこの上ない。何かというと正義を振りかざす人間はどこかうさんくさいものだが、そのうさんくささが実に良くあらわれている。
出番は少ない物のテキサス州知事を演じたチャールズ・ダーニングは意外なステップの軽さを見せてくれる。「う~踊る時はサイドステップ」と歌って踊るチャールズ・ダーニングなんてこの作品でしか見られないのではないだろうか。
そして色っぽさ抜群のドリー・パートン。本業は歌手だけあって歌が上手い、それに胸が大きい。バート・レイノルズに別れを告げるシーンで“ I Will Always Love You”という歌を歌う。この曲は聴けばわかる人が多いだろうが、後に『ボディーガード』(1992)でホイットニー・ヒューストンが歌った曲だ。一時期、結婚式などでよく使われていたが、『テキサス~』『ボディガード』両作品からわかるように別れの曲なんだがなぁ。

2005年04月28日

『タップ』 至高のタップダンス

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『タップ』(1989) TAP 110分 アメリカ 1989年鑑賞

監督:ニック・キャッスル 製作:ゲイリー・アデルソン、リチャード・ヴェイン 製作総指揮:フランシス・サパースタイン 脚本:ニック・キャッスル 撮影:デヴィッド・グリブル 音楽:ジョエル・シル
出演:グレゴリー・ハインズ、サミー・デイヴィス・Jr、スザンヌ・ダグラス、ジョー・モートン、ディック・アンソニー・ウィリアムズ

 グレゴリー・ハインズお得意のタップダンスが全編を通して披露される「タップ映画」。
一度は犯罪に走ったが刑務所での服役を終え更正を目指す主人公グレゴリー・ハインズに、昔のギャング仲間がつきまとい再び悪の道へと誘惑するなのどエピソードもあるが、まああまり気にする必要はない。
「グレゴリー・ハインズのタップめちゃすげー」という感想を持てればこの映画の94%は楽しめたということになるだろう。
 夜の街で工事や車などが奏でる様々な音の中でタップを踏み始めるシーンは素晴らしい。ここだけ唐突にミュージカル映画なテイストになるが、ありだろうこれは。ひょっとしたら北野武の『座頭市』(2003)終盤の下駄タップ群舞はこれが元ネタかもしれないと勝手に思ったりもする。
 主人公のタップは父親に仕込まれたものだが、その他に恩師的存在としてサミー・デイヴィス・Jrが登場する。亡くなる前年のサミーはすっかり老け込んだ様子で、『キャノンボール』シリーズ(1980、1983)のファンであるわたしには見ていてちょっとつらかった。
 サミーはこれまでにない新しいタップを作り上げようとしていて、その夢を主人公に託す。音楽の伴奏付きでタップをやるとタップの音が伴奏に負けてしまう。それを解決しようというアイディアで、具体的にはタップシューズの踵にマイクを仕込み、無線で飛ばしてアンプで増幅した音をスピーカーから流すというもの。確かにこれならば楽器の音に負けない。ちょっと卑怯じゃないかとも思ったが、アコースティックな楽器だってマイクを使って音を大きくする場合があるので同じようなものだ。
 監督のニック・キャッスルは『ニューヨーク1997』の脚本や青春SFの佳作『スターファイター』、『ミリィ 少年は空を飛んだ』の監督などSF系を得意とする人。『タップ』での監督・脚本としての起用はちょっと意外かも。

2005年05月11日

『天才アカデミー』 天才だってバカ、バカだって天才

『天才アカデミー』(1985) REAL GENIUS 106分 アメリカ

監督:マーサ・クーリッジ 製作:ブライアン・グレイザー 製作総指揮:ロバート・デイリー 脚本:マーサ・クーリッジ、ニール・イズラエル、ピーター・トロクヴェイ、パット・プロフト 撮影:ヴィルモス・ジグモンド 音楽:トーマス・ニューマン
出演:ゲイブ・ジャレット、ヴァル・キルマー、ウィリアム・アザートン、ミシェル・メイリンク、パティ・ダーバンヴィル、ロバート・プレスコット、エド・ローター

 アインシュタインつながりということで今日紹介するのは『天才アカデミー』。原題は『REAL GENIUS』でおそらく『本物の天才達』とでもいったところか。タイトルに無意味にアカデミーが付くのは『ポリスアカデミー』の影響と思われる。
主人公の少年ミッチェは天才児で、15歳にして工科大学に飛び級入学する。
そして寮に入ることになるのだが、そこの住人は天才揃いかつ変人ばかり。その中でも一番イカれているのがクリス(ヴァル・キルマー)だ。例のアインシュタインがアッカンベーをしたTシャツ(トレーナーだったかも)を身につけていて、いつもバカ騒ぎばかりしているクリスだが、実は彼こそが学生一の天才児だった。
クリスと仲良くなったミッチェは次第に寮の雰囲気にも慣れていき、ついには彼女まで作ってしまう。
こんな一種のユートピアだった大学と寮だったが、そこには軍から開発基金の融資を受けてレーザー攻撃衛星を作る悪徳教授がいた。
ミッチェとクリスは教授の悪行を掴むが、こちらはただの学生、相手は高名な大学教授とあっては手の出しようがなかった。考えあぐねた二人はなんとか軍事基地に侵入。そして衛星のコンピューターの高度を書き換える。
そしていよいよ攻撃衛星を使っての試験が行われる。衛星軌道に乗った衛星はターゲットに照準を合わせ始める。しかし、それは予定されていた場所ではなく、なんと悪徳教授が裏金で建てた新築の家だったのだ。
家に降り注ぐレーザー光線。ドッッカーーーん!と爆発するのかと思いきや、どうもなにか様子が変だ。家の中からポンポンッとはじける音がする。
中にはいると、大広間には大量のポップコーンの素が置かれていて、これがレーザーの熱で景気よく弾けている。
そして家中がポップコーンだらけになり、ついには壁も屋根も吹き飛ばしてポップコーンがあふれ出していった・・・

 天才達の無軌道振りは『アニマルハウス』のデルタ・ハウスの連中に似てもいる。片や天才、片やバカでも人並み外れている点では共通している。
ラストの復讐もちゃんと笑いで落としてくれるところがうれしい。
うーん、いいなあ、こんな大学生活、と思ったがそれなりに近い時間を過ごした気がしないでもない。
アインシュタインTシャツ、欲しいんですが売ってないかなぁ。

2005年05月21日

『大列車強盗』 映画史における存在価値は大きい

『大列車強盗』(1903) THE GREAT TRAIN ROBBERY 12分(8分、10分バージョンもある) アメリカ

監督:エドウィン・S・ポーター 脚本:エドウィン・S・ポーター
出演:ギルバート・M・アンダーソン、A・C・エイバディ、マリー・マーレイ、ジョージ・バーンズ

 リュミエール兄弟によって映写機でスクリーンに上映するシネマトグラフ=映画が生み出されたのが1895年。最初は風景や工場から人がぞろぞろと出てくる様子を映しただけの単なる見せ物であった。もしかしたらそのまま消え去っていた可能性もあるが、映画人たちは映画に物語性を持たせることで娯楽性・作品性を高め、映画は人々の心を掴んで離さない娯楽の王様になっていったのである。
 『大列車強盗』は映画誕生から8年、映画がようやくストーリーを語れるようになった頃の作品である。世界初の西部劇と呼ばれ、クロスカッティングで追われる者、追う者のカットを交互に切り返すことで緊張感のある画面を作り出している。
 ラストにはガンマンが観客に向かってバン!と発砲する、といってもまだサイレント映画の時代なので実際には音はしないのだが、その存在しないはずの音が聞こえるかのようなカットで終わる。12分という長さを一気に駆け抜けるスピード感で、当時の観客を魅了し、その後のアメリカ映画、しいてはハリウッド映画の興隆の原点ともなった映画である。

 とまあ、映画史においては重要な一本なのだが、逆に言えば「映画史」に興味がない人があえて観る作品ではない。あまりにもプリミティブであるがゆえに、現代映画に慣れた我々にとってはただ単に古い映画としか映らない可能性が大きい。
 というか、正直な話わたしにとってはそうだった。東京のフィルムシアターだかで観た『大列車強盗』は、「こっ、これがあの伝説のっ!」という出会いと、そこからさらに発展していった映画が辿った道への思いに感激した。だがそういったことを抜きにして、「一本の映画」として『大列車強盗』を観てしまうと、古くさくて素人っぽくて正直なところあまり面白くはない。
 こういうことを言うとまた怒られるかなともしれないが、歴史的存在価値は存在価値、観たときの感想は感想で、それぞれ別物であるはずだ。他にも1900~1910年頃の作品も何本か観ているが、どれもまだ映画としては練り上げられていない、いわば前映画とも言うべき存在だった。
 これが1910~1920年代になると音はないし画面に色は付いていないものの、映画としての形が出来上がってくる。サイレント時代のコメディ映画特集を観に行ったことがあるが、1900~1910年頃のコメディは単にドタバタが続くだけであまり笑えないのだが、ハロルド・ロイドやバスター・キートン(1910~1920年代)などの作品となってくると、起承転結的な展開のあるストーリー、構図を計算されて撮られた映像などが登場するようになり、これらは「一本の映画」として観て面白かった。
 さほど古い映画を観ていないのに断言してしまってなんだが、映画がまとまった形になったのが1910~1920年代なのだろう。

 つまるところ、1903年の『大列車強盗』はあまり面白くない、だが1924年にジョン・フォードが撮ったサイレント西部劇『アイアン・ホース』はかなり面白い。両作の違いは監督の力量の差というよりもむしろ時代の差なのだろう。

2005年06月10日

『チャンピオン鷹』 負けた奴の足を斬れ

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『チャンピオン鷹』(1981) 波牛 THE CHAMPIONS 94分 香港 1985/02鑑賞

監督:ユン・シャンチャン 製作:ユエン・ウーピン 脚本:ユン・シャンチャン
出演:ユン・ピョウ、チャン・ユッキョン、ディック・ウェイ、ムーン・リー

 日本代表がワールドカップ出場を決めたという話をちょっと耳にはさんだ記念第二弾!サッカー映画特集
 というわけで今日は『チャンピオン鷹』(1981)を紹介する。だが、真面目すぎるサッカーファンには怒られるかも知れない。以前、「何か面白い映画はないか」と聞かれたので『少林サッカー』を勧めたところ、どうやらその相手が年に何度も試合を見に行くぐらいのサッカーファンで、「サッカーを馬鹿にしてるのか」と怒られました。
「美しいサッカーとはパスを繋げていくのが基本で、やたらと派手はシュートを出せばいいってもんじゃない」そうで。
 でも少林隊だって、ちゃんと眼鏡やデブがパスを繋いで鉄頭がヘディングを決めるシーンがちゃんとある。そもそも本気で怒ることはないわな。

 昨日も言ったが、香港はイギリス領のためかサッカーが盛んだ。土地が狭いので子供たちが空き地などで遊べるのが野球ではなくサッカーだというのもあるだろう。日本でJリーグが発足するよりもずっと前からプロサッカーが存在している。
 最近では『インファナル・アフェア』三部作で強面なマフィアのボスを演じて役の幅を広げたエリック・ツァンだが、彼は映画界に入る前はプロのサッカー選手だったそうだ。
 以前の作品ではコミカルな役柄中心で、『アクシデンタル・スパイ』の探偵や『ジェネックス・コップ』の上司役といえば分かるだろうか。1980年代には監督としても活躍しており、中でも『悪漢探偵1、2』(1982、1983)は傑作だ。ジャッキー・チェン監督・主演の『サンダーアーム』も元々はエリック・ツァンが監督だった。しかし、冒頭のアフリカの遺跡(撮影はヨーロッパだが)のシーンでジャッキーが頭蓋骨骨折をして撮影が長期中断したためエリック・ツァンは降板し、再開後はジャッキーが監督も務めることになった。なるほど、それを聞いてから観てみるとたしかに冒頭のシーンとそれ以降は演出のタイプが違う。エリック・ツァン担当の部分はギャグも多く演出も軽快だがアクションがちょっと迫力に欠ける。
 爆笑問題の田中の身体に若き日の谷啓の頭をくっつけたようなエリック・ツァンは、背も低い上に太っていてずんぐりむっくりなのだが、さて一体どのポジションを担当していたのだろうか。足も短くあまり速くは走れなそうなので、オフェンスではなくディフェンスだと思うのだが。ゴールキーパーは身体が大きい方が有利だからこれもちがうだろう。
 現役時代の映像や写真は見たことがないが、ジャッキー・チェンやユン・ピョウなどの香港サッカーチームが日本に遠征してきた時にエリック・ツァンもその一員だった。対する日本チームには明石家さんまなどがいた記憶がある。ゲーム中に全然関係ないフィールドの隅で意味なくジャッキー・チェンがバク転していた。あの試合は一体何の企画だったのだろうか?

 だいぶと話がずれたが『チャンピオン鷹』である。監督・製作・脚本とユエン一族で固められている。ユンとユエンが混ざっているが漢字だと全員「袁」だ。製作のユエン・ウーピンはマトリックスのアクションコーディネーターをやった人だ。

 ストーリーとしては、田舎から出てきた青年が得意のカンフーのキックでサッカーボールを蹴ったらすごいシュートになって、それがきっかけで草サッカーチームに入る。そして、プロサッカーチームが入団テストを行うというので友人と一緒に受けに行くが、そのチームのキャプテンであるサッカー王は以前ユン・ピョウがちょっとしたはずみで大恥をかかせてしまった相手。
 手違いで合格してしまったユン・ピョウにサッカー王のイジメが襲いかかる。ついには選手から雑用係に格下げになってしまったユン・ピョウだが、それでもくじけずにサッカーの練習を続ける。選手のロッカーに洗濯したてのタオルと入れる時だって、手ではなくカゴから放り投げたタオルを足でシュートして入れる。
 なんだかんだあったあげく、チームを飛び出したユン・ピョウはライバルチームに移籍し活躍することになる。怒ったサッカー王はユン・ピョウと決着を付けるべく挑戦状を叩き付ける。そこには負けた方は足を斬られるとの条件が書かれていた。
 そしてついに試合がはじまった。

 ユン・ピョウが実際にサッカーが得意なのかは知らないが、練習シーンでのボールさばきを見ていると結構上手いんじゃないかという気がする。肉体的訓練は充分すぎるほどに受けているし、小道具の使い方にも長けているはず。
 ボールを片付けるときにも、コートに散らばったボールを蹴ってはダイレクトにボール入れにシュートする。中にはトリック撮影を使ったシーンもあるが(SFXや特撮とすら呼べない原始的なトリック撮影だ)、ほとんどはユン・ピョウ自身がやっているシーンがほとんど。
「そんなことをいっても、カンフーが得意だからってサッカーはまた別物。本当の試合ではそんなのは通用しない」と怒る人もいるだろうが、まあ細かいことを気にするなとだけ言っておく。

 最後には降ってきた雨でコートがドロドロになり選手たちが足を取られて転ぶ中、野生児ユン・ピョウだけは裸足になって自在に駆け回りゴールを決める。そして試合は終了。同点の場合はユン・ピョウチームが勝ちとの約束なためサッカー王は足を斬られることに。
 いくらなんでも本当には切らんだろうと思って観ていたら、巨大な刃物が登場。切れ味が鈍そうなのがさらに恐怖をそそる。逃げだそうとして取り押さえられるサッカー王。・・・おいおい。
 後日、ユン・ピョウと友人、そして友人の妹が街を歩いている。角を曲がると道ばたに“いざり”の乞食が座っている。
「右や左の旦那様~」と乞食が顔を上げると、これが両足を失った元サッカー王。
 ユン・ピョウと友人が「うひゃぁ」と飛び上がってそのままストップモーションになって「終劇」。ストップモーションで終わるのは香港映画ではありがちだが、どんな終わり方だそれは。後味が悪くて爽快感がないぞ~。香港の人にはこのラストはOKなのだろうか。やはり三国志や水滸伝、西遊記の国の人ってことか。

 ちなみに友人の妹はムーン・リーでかなり可愛い。1980年代のムーン・リーは良いね。しかも『天使行動』(1987)ラストでの女悪玉(香港で活躍する日本人アクション女優の大島由加里)との戦いでわかるけどアクションもかなり出来る。共演の西城秀樹(出てたんだよ)のへなちょこアクションが引き立て役になってよけいと強そうだ。

2005年10月05日

『デッドゾーン』 オレだってたまには泣く、その19

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『デッドゾーン』 (1983) THE DEAD ZONE 103分 カナダ
監督:デヴィッド・クローネンバーグ 製作:デブラ・ヒル 製作総指揮:ディノ・デ・ラウレンティス 原作:スティーヴン・キング 脚本:ジェフリー・ボーム 撮影:マーク・アーウィン 音楽:マイケル・ケイメン
出演:クリストファー・ウォーケン、ブルック・アダムス、マーティン・シーン、ニコラス・キャンベル、トム・スケリット

 スティーヴン・キングの同名原作ももちろん面白いが、キング作品の映像化としてはこのクローネンバーグ監督による『デッドゾーン』がベストだと考えて映画の方を取り上げた。ちなみにキング映像化作品のオレ的次点は『地獄のデビルトラック』だ。

 交通事故により昏睡状態に陥り、医者にも家族にも回復は不可能と思われていた男(クリストファー・ウォーケン)が5年の月日を経て目を覚ます。目覚めた彼は以前は持っていなかったある不思議な力を身につけていた。それは他人や物に触れることによって相手の過去や現在、そして未来が見える千里眼だった。
 彼は事件を解決したり予知で人の命を救うが、その力は人々を感謝させるよりも彼を怖れさせることとなった。
 そして男は家に閉じこもって外出もせず、世捨て人となってしまった。そんな彼がある野心的な政治家と握手したことで、その政治家が将来引き起こす災厄について知ってしまう。だが、そのことが分かるのは彼一人。人に言っても信用されるはずもない。そして男はある決断をするのだった。

 原作では他のキング小説と密接に関わる事件があり、他の小説の主人公が端役で登場したりその事件が語られるいわゆるキングワールドが展開されるが(キングが生み出した最大のキャラクターとも言える架空の街キャッスル・ロックが登場する)、映画ではその辺りをばっさりとカットしている。文庫本で上下巻計700ページ以上を103分の映画にしているのだから使うシーンとカットするシーン、そして使いたいのだが様々な事情によりカットするシーンがあるのが当然だ。原作から映画にふさわしいシーンを選び出す点においてこの映画の脚本は実に優れている。
 映画にとって原案は存在するが原作は存在しないというのが個人的考えだ。どれだけ忠実に映像化しても原作小説とは違う物になってしまうのだから、最初から原作は原作、映画は映画という考えで別物として作った方が良いだろう。

 平凡な国語教師(アメリカが舞台なのでこの場合の国語とは英語のこと。アメリカ文学の古典『スリーピー・ホロウ』について授業で教えているシーンが冒頭にある)が交通事故によって5年という歳月を失ってしまう。男にとってそれ以上に大きいショックは、愛し合っていた恋人が自分の元を離れて他の男と結婚して子供まで産んでいたということ。
 だが、それだけならばまた改めて人生の再スタートを切ることも出来ただろう。しかし、彼が身につけた千里眼の能力はその助けどころかむしろ妨げになってしまう。人を助ければ助けるほど人々から怖れられ疎まれる。そんな彼が、「自分にこの能力があるのは、近い将来に起こるこの災厄を防いで世界を救うためだったのだ」と気付くシーンで泣いてしまった。(『1+1=0 いちたすいちはれい』で主人公の石綿が心霊能力を持って生まれてきたことの意味を悟るシーンと少々似ている)勇壮な音楽が流れて盛り上がるシーンではなく、苦渋を噛みしめるクリストファー・ウォーケンのつらい表情が印象的だ。もしも他の人物が演じていたとしたら泣くほど心は打たれなかっただろう。キャスティングも見事だ。政治家役のマーティン・シーンも誠実そうな顔の裏に強い権力志向がにじみ出る好演をしている。マーティン・シーンはいくつものテレビシリーズで政治家役を演じているそうだ。『ホワイトハウス』(1999~)というシリーズでは大統領を演じて好評だとか。『デッドゾーン』を観た後だとなんかボタンを押しそうでちょっとイヤだ。

2005年10月13日

『天国は待ってくれる』 オレだってたまには泣く、その25

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『天国は待ってくれる』 (1943) HEAVEN CAN WAIT 112分 アメリカ 1992/3/29鑑賞

監督:エルンスト・ルビッチ 製作:エルンスト・ルビッチ 原作:ラズロ・ブッス=フェテケ 脚本:サムソン・ラファエルソン 撮影:エドワード・クロンジャガー 音楽:アルフレッド・ニューマン
出演:ドン・アメチー、ジーン・ティアニー、チャールズ・コバーン、マージョリー・メイン、レアード・クリーガー

 1943年の作品だが日本初公開は遅れに遅れて1990年8月だったようだ。オレが観たのはさらにそれから2年が過ぎた1992年3月29日のこと。池袋にあった名画座というかいわゆる二番館での鑑賞で、同時上映が同じルビッチ監督作品『生きるべきか死ぬべきか』(1942)という豪華二本立てだった。『生きるべきか死ぬべきか』がメインで観に行き、もちろん『生きるべきか死ぬべきか』は「映画を観続ける人生を選んで良かった」と強く思わせる傑作だったが、『天国は待ってくれる』もなかなかに素晴らしかった。入れ替え制ではなかったので結局それぞれ2回ずつ観てそれだけで一日が終わったが、実に有意義な一日の過ごし方だった。

『天国は待ってくれる』でまず一番に語られるべきは、名匠エルンスト・ルビッチ初のカラー作品だということだろう。時代的に考えてテクニカラーで撮影されたのは間違いないと思うがこの色彩の美しさは初めてカラーに挑戦したとは思えず、さすがルビッチとうならせる。
 テクニカラーとは撮影時に一本のフィルムにカラー映像を記録するのではなく、カメラのレンズ後部にセットされたプリズムで同じ映像が三つに分けられ、特殊なフィルターによってそれぞれR(RED:赤)、G(GREEN:緑)、B(BLUE:青)の光線だけが別々に3本のフィルムに記憶される。そして現像したフィルムを処理・加工してカラーのポジフィルムを作成する方法だ。同人誌なので印刷物を作ったことがある人なら、4色印刷の版下作成をイメージしてもらえば近いかも知れない。あれは光の三原色RGBじゃなくて色の三原色+黒のCMYKそれぞれで4枚の版下を作り、それぞれの版下を一枚の紙にそれぞれの色で都合4回印刷することでカラーの図版になる、んだったはず。
 現在のカラー映画フィルムはスチールカメラと同じように1本のフィルムでカラーが撮影できるようになっている。フィルムの使用量は1/3で済むしカメラの構造もより単純になって小型化も容易だ。テクニカラーだとレンズから入った光を三等分するのでどうしても光量不足という問題がついて回るがその点のシビアさも減る。
 では、現在のカラー撮影の方がテクニカラーよりも絶対的に優れているかというと、これがそうでもないから難しい。RGBそれぞれに分けて撮影されたテクニカラーはその色の鮮やかさ、特に原色系の鮮やかさと色の深みでは現行のカラーフィルム以上と言っていいのだ。
 もちろん、テクニカラーというのは技術でしかないからテクニカラー=美しいではなくて、美しい作品もあるし、さして美しくもないのもあるが、極論を言ってしまえばテクニカラーの方がゴージャスで鮮やかな奥行きのある映像になっている。それと比べると現在の映画の映像はやはりくすんでいる。
 テクニカラーの美しさを知りたければ、ビデオレンタル屋に置いてある率が比較的高い『オズの魔法使』(1939)を観てみると良い。魔法の国「オズ」のシーンはテクニカラーで撮影されているが、その美しさには息をのむはずだ。黄色いレンガの道(イエロー・ブリック・ロード)の鮮やかなこと。ジュディ・ガーランドの頬の肌色が瑞々しい若々しさを感じさせてくれる。
『天国は待ってくれる』はその『オズの魔法使』以上の、カラー映画最高の美しさだとオレは思っている。あまり画面の構図だとか光線の具合、そして色の美しさという画像・映像的な部分はまだまだピンとこないオレだが、そんなオレが映画が始まってすぐにその映像の美しさだけでゾゾゾッと来てしまった。二番館での上映だからフィルムの状態もそれなりに劣化していただろがまるで関係なかった。極端なことを言えば映像の美しさだけで感動したのは『天国は待ってくれる』を映画館のスクリーンで観たこの時だけ。
 後にNHKBSかWOWOWで放映されたのを観たが、映写機からの投射と画面自体が発光する映像の表示方法からして違うためかブラウン管で観た『天国は待ってくれる』ではそれほど感動しなかった。だが、東京ですら名画座が壊滅状態で、さらに田舎在住ときては過去の作品をスクリーンで観る機会などほとんどないから、テレビ放映にしろDVDにしろ「観れるだけでもありがたや」なわけだが。

 死後の世界の入り口で死者を天国行きか地獄行きかを決める担当者(閻魔大王みたいなものだ)の元に一人の老人がやってくる。主人公であるその老人を演ずるのはドン・アメチーだ。ジョン・ランディス監督、ダン・エイクロイド、エディ・マーフィー主演の『大逆転』(1983)でダン・エイクロイドたちの立場を入れ替えて賭けをする二人の老富豪のうち丸顔な方がドン・アメチーだ。1908年生まれのドン・アメチーはまだ35歳のため登場時点ではメイクで老人に扮しているのだが、これが見事に後のドン・アメチーそっくりなので笑える。
 担当者からどんな人生だったか話しなさいと言われて主人公は自らの生涯を語り始める。これが清廉潔白とは言えない女好きな好色一代記的な人生だった。しかし、男には妻がいて浮気などで色々と苦労をかけたが、最後には妻に対する愛と妻が自分を愛していることを気付き幸せな時を過ごした。その妻に先立たれた後はまたもや女性遍歴を続けた主人公もついに死んでこうして死後の世界の入り口に立っていた。だから主人公はすでに自分は地獄行きだと覚悟を決めている。
 だが担当者は主人公に意外な言葉をかける。
 ここでようやくタイトルの『天国は待ってくれる(HEAVEN CAN WAIT)』の意味が分かる。

 このラストで感極まって涙がこぼれてしまった。
 たしかに『天国は待ってくれる』はルビッチにとってベストの作品ではない。ルビッチタッチと言われる語り口にも多少精彩を欠いたところがある。
 だがそれがどうしたというのだ。なんと言われようとルビッチだぞ。DVDソフトにすらなっていないのに無理な注文だが、せめてスクリーンで観てから文句を言え。あのテクニカラーの美しさだけで充分おつりがくるぞ。

2006/10/19 追記
2007/02公開で『天国は待ってくれる』という日本映画が公開になるらしい。
「この世で2人が過ごせるのは30日」だとかいうコピーが付いているので、リメイクではないようだ。

人間としてやっていいことと悪いことはある。
そしてこれはやってはいけないことだ。

原作が岡田惠和(幻冬舎刊)という人になっている。調べてみると映画やTVドラマの脚本家なようだ。
amazonで検索したら作品としてはヒットしなかったんで、小説なのかはちょっと不明だがおそらくこれから発売されるのだろう。
ということは原作段階でこのタイトルなのか?小説専門の人ならまだしも、映画の脚本をやってる人間がやっちゃ駄目だろ。恥を知れ、恥を。
映画関係者が『天国は待ってくれる』やルビッチを知らないはずがない。知っててやってるんだからたちが悪い。
マンガ家が未来からネコ型ロボットが来るわけでもない『ドラえもん』というマンガを描いたり、ミュージシャンが落ち込むなよでもなんでもない『ヘイ、ジュード』って曲を作ったりしないだろ。
パロディにもオマージュにもなっていない、単なるパクリなんだろ、こらっ。
それでも、出来た映画が面白ければ許されるのが映画の世界。オレも許す。
監督の土岐善將は新人のようだから判断がつかないが、でもつまんねーんだろうなぁ。馬鹿野郎、あの日のオレは上野の映画館で泣いたんだよ。めったに泣かないオレのその涙を踏みにじって後足で砂をかけやがるんだろうなぁ・・・
 ちなみに『天国から来たチャンピオン』(1978)の原題は同じく『HEAVEN CAN WAIT』なんだが、内容はまったく関係なく、『幽霊紐育を歩く』HERE COMES MR. JORDAN(1941)のリメイク。タイトルもそのままにしとけよ。まっ、しょせんウォーレン・ビーティだしな。嫌いなんだあいつ。

2005年10月23日

『ダイ・ハード』 そう簡単にはくたばらない

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『ダイ・ハード』 (1988) DIE HARD 131分 アメリカ 1989/02鑑賞

監督:ジョン・マクティアナン 製作:ローレンス・ゴードン、ジョエル・シルヴァー 製作総指揮:チャールズ・ゴードン 原作:ロデリック・ソープ 脚本:ジェブ・スチュアート、スティーヴン・E・デ・スーザ 撮影:ヤン・デ・ボン 特撮:リチャード・エドランド 音楽:マイケル・ケイメン
出演:ブルース・ウィリス、アラン・リックマン、ボニー・ベデリア、アレクサンダー・ゴドノフ、レジナルド・ヴェルジョンソン、ポール・グリーソン、ウィリアム・アザートン、ハート・ボックナー、ジェームズ繁田、アル・レオン

-オレはいつでも燃えている その1-
「オレだってたまには泣く」シリーズが終わったので、今回からは「オレはいつでも燃えている」シリーズをやることにした。
 アメリカの観客は映画の最中で大声で笑ったり歓声を上げたりするのが一般的らしい。もっとも、社会的階層の存在が私たちが思う以上にあり、映画館のランクや建っている地区によって差があるのかもしれないが、ともかくにぎやかではあるそうだ。
 大人しいと言われる日本の観客だが、場内全体から拍手が飛ぶこともある。小劇場でマニア向け作品をやる場合はさほど珍しくもないが、大劇場で娯楽大作をやっている場合はまれだ。そんなまれな1本がこの『ダイ・ハード』である。

『ダイ・ハード』というと派手なアクションに目が行ってしまうが、オレはそれ以上に伏線が張り巡らされているきっちりと書き込まれた脚本が素晴らしいと感じる。
 大型ジェット機でロサンゼルスにジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)が降り立ったシーンでの隣の席に座った男とのちょっとした会話の中に、マクレーンの職業や拳銃を持っていること、そして劇中で裸足になってビルの中を駆けずり回ることになる理由まで盛り込まれている。
 そして訪問相手の名前をタッチパネルで指定するシーンでは妻のホリーが職場で旧姓を用いていることが判明するが、「旧姓を使っている」=「ジョンとは姓が違い、名簿を見ただけでは家族だと分からない」というのが大きなポイントとなり、その後の展開で実に有効利用されている。
 ホリーがジョンと口げんかをして、自分のオフィスにある家族4人の集合写真が飾られた写真立てをパタンと倒すことすら重要な伏線なのだ。
 あからさまな物もあれば、後になって伏線だったと分かる巧妙な物もあり、伏線好きなオレにはとても嬉しい。

 脇役も魅力的で、パトカーで見回りに来たばかりに巻き込まれる黒人警官パウエルはジョンと無線で話す窓口になり、その会話の中で互いに理解を深める。二人とも相手の顔を知らないのにビルを出たところで始めて対面して「ああ、こいつだ」と口をきかずともすぐに気付く。その後にある見せ場の格好いいこと。そこでも拍手が上がったのを憶えている。
 ジョンを乗せてきたリムジンの黒人運転手も良い。ビルがテロリストに占拠されて大騒ぎになっているのに、地下駐車場に停めたリムジンの中で途中まで全然気付かずに女に電話してたりする。こちらもラストに見せ場あり。
 ウィリアム・アザートン演ずるソーンバーグというTVレポーターは、徹底して傲慢で嫌なヤツ。徹底しすぎたせいでキャラクターが戯画化されて薄っぺらくなっているのが残念。ラストに見せ場?あり。
 製作された1988年というとバブル経済まっさかり。日本企業がアメリカの企業や建物を買収してはひんしゅくを買っていた頃。日本企業のナカトミがターゲットになったのはそういう背景もあるのだろうが、社長のタカギはテロリストに屈することなく最後まで誇りを貫く人物として描かれている。
「社員のことがどうでもいいから、私だけは助けてくれ」と土下座してテロリストに懇願させることも出来ただろうから、割と好意的な描かれ方ではないだろうか。とにかくロス市警の本部長やFBIよりもよほど好感が持てる。
 テロリスト側にはボスのハンス(アラン・リックマン)や、ステアーAUGをメインウエポンとするアレクサンダー・ゴドノフと共に、我らが長髪ハゲヒゲ東洋人アル・レオンが出演しているのが嬉しい。SWAT突入を待ち受けるシーンでは、売店コーナーに潜んでいてこっそり辺りをうかがいながらチョコバーを盗み食いする見せ場がある。

 ナカトミビルの金庫がついに開くシーンではベートーベンの第九こと「ベートーベン第九交響曲」のフレーズが流れる。
 知人は「なるほど、年末だから第九か」と納得していたが、年末に第九の公演をやるってのは日本の習慣じゃなかったか?確か、日本では一番客が入る第九のコンサートを年末にやって、その興行収入で餅を買って年越しが出来るとか。小松左京監修の雑学本で昔読んだ知識なんだが。

 銃器の描写も『プレデター』のジョン・マクティアナンらしく凝っている。扱い方や、誰がどんな銃を使っているかも設定がちゃんとしている。撃ち合いのシーンではないが、換気ダクトに潜んだジョンを探すために、アレクサンダー・ゴドノフがステアーの銃口でダクトを1ブロックずつベコンベコンと押し上げていくシーンが秀逸だ。
『ダイ・ハード2』はリアリティの無視っぷりや設定の無茶さがレニー・ハーリンらしくてむしろナイス。

 撮影担当はフランス人のヤン・デ・ボン。その腕を買われて後に監督に昇格し、『スピード』などを撮ったが、一部の作品を除くとそのまま名撮影監督のままでいた方が良かった気がする。

2005年10月24日

『天山回廊』 命は大切にしろよ

『天山回廊』 (1987) 海市塵廊 90分 中国/香港 1988/01/22鑑賞

監督:ツイ・シャオミン 原案:ツイ・シャオミン 脚本:イップ・ナン、チャン・キット、ツイ・シャオミン 音楽:ジョセフ・クー
出演:ユー・ヤンクャン、パサ・ロマーニ、コニー・クアン、ツイ・シャオミン

-オレはいつでも燃えている その2-
 無茶。はっきりいって無茶。『○○』のスタントでは死人が出ているといった噂を昔はたまに聞いたが、この作品では絶対に死んでる気がする。中国製作なので撮影中の事故で1人や2人ぐらい死んでもうやむやのまま闇に葬られているんじゃないだろうか?

 舞台は数昔前の中国。ロシア革命の余波で国境近辺が不穏当な状況である。第二次大戦直前か?
 主人公タンは冒険家にしてカメラマン。捨て子だったのを拾われて育ち、自らのルーツを求めて中国大陸を旅している。
 タンがシルクロードを渡るキャラバン隊と一緒に旅をしていると、断崖絶壁からロープを伝わって大量の盗賊たちが襲っている。なんでもこの盗賊たちを演じたのが人民解放軍の特殊部隊だそうだ。爆発がある度にドッカーンと派手に吹っ飛んでくれる。
 爆発で人間が吹き飛ぶシーンは、普通の映画だと見た目は派手だがほとんど威力のない爆薬を使い、トランポリンなどでジャンプしたりワイヤーで引っ張ったりしているのだが、この作品ではまんま火薬の爆発力で吹き飛んでいるようにしか見えない。撮影が巧妙なのか、マジ火薬なのか?答えを知りたいような知りたくないような。
 盗賊を退けた後、唐突に大空に蜃気楼が映し出される。そこに映っていたのは民族衣装を着た美しい女性だった。
 そしてその女性に一目惚れしたタンは情報を集めるために一度上海に戻る。
 上海でサモ・ハン・キンポーを二回り細くしたような相棒マオと、砂漠地方に詳しい若い女性と合流し、天山へと向かう。
 苦労の末ようやく蜃気楼の美女と巡り会うが、彼女は極悪な盗賊団の首領でその美しさからは信じられないほど残虐非道だった。主人公の戦いを挑み、ほぼ互角の腕前だし、砂漠をさ迷うシーンでは、倒れた馬の首に歯を立てると動脈を引きちぎり、血を飲んでのどの渇きを癒やす。外面似菩薩内面如夜叉とはまさにこのこと。
 そんな彼女が主人公の愛で生まれ変わるのが定番だが、この作品ではちょっと心が動くものの最後まで悪女のまま。いっそあっぱれ。

 といった具合にそんなこんながあって、盗賊の砦が襲撃されるラストに突入。
 タンや首領を差し置いて脇役のマオが大活躍。それもそのはず、マオ役のツイ・シャオミンは監督にして原案と脚本も担当する映画の中心人物だったのだ。銃弾の中を駆け回って、小さな爆発で吹っ飛び、中ぐらいの爆発でも吹っ飛び、もちろん大爆発でも吹っ飛ぶ。
 二階の窓から飛び出した瞬間に建物が爆発して炎に包まれるシーンは実にきわどいタイミングでまさに命がけ。しかも地面に5メートルほど下の地面に叩き付けられる。すごいなぁ。でも、お前脇役じゃん。
 結局、美味しいところはほとんど持って行ってラストシーンでは実質的に主役の座におさまっている。監督の職権乱用じゃないのか、これは。

 終盤ではほとんど見せ場がないタンだが、渋めの二枚目でかなりクンフーが達者だ。ほとんど情報がないのではっきりしたことは分からないのだが、京劇出身の役者らしい。レオン・カーフェイにちょっと似てるかな。

 冒頭の空撮から渓谷を進むキャラバン隊までのカットはなかなか素晴らしい。中国政府が全面協力しただけあって、普段では見ることのできない中国奥地の風景が全編を彩っている。これも見所の一つ。
 騎馬民族の踊りや、『ランボー3』にも登場していた馬に乗って羊の死体をボール代わりに使うポロも登場する。ちょっとした観光映画でもある。
 主人公の出生の秘密などは解き明かされないまま映画は終わる。全体的な完成度では「うーん・・・」な点もあるが、とにかく熱く燃えさせてくれる作品なのは間違いない。

2005年10月30日

『突破口!』 銀行強盗 対 殺し屋

『突破口!』(1973) CHARLEY VARRICK 111分 アメリカ

監督:ドン・シーゲル 製作:ドン・シーゲル 原作:ジョン・リーズ 脚本:ハワード・ロッドマン、ディーン・リーズナー 撮影:マイケル・C・バトラー 音楽:ラロ・シフリン
出演:ウォルター・マッソー、ジョン・ヴァーノン、アンディ・ロビンソン、シェリー・ノース、フェリシア・ファー、ジョー・ドン・ベイカー

-オレはいつでも燃えている その8-
 ニューメキシコ州の田舎町にある銀行を4人組の強盗が襲う。パトロール中の保安官と銃撃戦になり2人が死ぬ。小さな銀行だけにさほど大きな金額を狙っていたわけではないが、アジトに戻って現金袋の中味を調べたところなんと76万5180ドルもの大金が入っていた。
 ハーマン(アンディ・ロビンソン)は大喜びするが、主人公のチャーリー・バーリック(ウォルター・マッソー)は浮かぬ顔。田舎銀行にそんな大金があるはずがないのだ。しかもラジオのニュースで被害額は2000ドル以下だと銀行側が発表したと伝える。実はマフィアがマネー・ロンダリングのために一時的に隠しておいた金だったのだ。
 マフィア幹部が差し向けた殺し屋(ジョー・ドン・ベイカー)が執拗に2人を追跡してくる。

『CHARLEY VARRICK』と刺繍が入った布が燃えている印象的なタイトルから、田舎町の平凡で平和な日常が映し出され、そこから一転して銀行での銃撃戦へと展開するオープニングから作品に引き込まれる。
 いかにもタフガイな俳優ではなく、ウォルター・マッソーをハードボイルドな役柄に起用したキャスティングも絶妙だ。カトゥーンのドルーピーにそっくりなウォルター・マッソーが映画を観終えた後には実に格好良く感じられる。
 スーツ姿にカウボーイハット、笑顔が不気味なジョー・ドン・ベイカーは最近よりも痩せていてどことなくアーノルド・シュワルツェエネッガーに似ている。
 同じくドン・シーゲル監督作の『ダーティハリー』で“さそり(スコーピオン)”を演じていたアンディ・ロビンソンは例によってサイコ気味な悪党を演じている。同じような役ばかり回ってくるのに嫌気がさして、一時は俳優を引退し大工をやっていたそうだが、どうしたって異常者に見えるので善人役や普通の役にキャスティングするのはなかなか難しいだろう。
 出番は少しだが売春宿の女将や車椅子に乗った銃砲店のオヤジ、モーテルの老女主人、身分証の偽造屋の女性などの脇役も良い味を出している。
 偽造屋に特急仕上げ料金などで散々巻き上げられたあげく、店から出るときにチャーリーがキャンディを一つもらおうとして、「500ドルよ」と言われうんざりした表情でキャンディーを器に戻すシーンが良い。

 登場人物のほとんどが悪党で、それぞれの思惑がラストに向かって収束していく。廃車置き場での車と複葉機の対決が燃える。チャーリーが敵を罠にかけ知恵で乗り切る終わり方も面白い。そして、タイトル映像の意味が最後になって分かる。
 全体的に抑えられた演出で、最近の派手なアクション映画に慣れていると少し退屈に感じるかもしれないが、ぜひとも腰をどっしり落ち着けて観て欲しい。とはいえ日本ではDVDになっておらずレンタルビデオは大型店でないとなかなか置いていない。とっとと発売して欲しい一本だ。

2005年11月05日

『飛べ!フェニックス』 絶望の砂漠から甦れ

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『飛べ!フェニックス』 (1965) THE FLIGHT OF THE PHOENIX 145分 アメリカ

監督:ロバート・アルドリッチ 製作:ロバート・アルドリッチ 原作:エルストン・トレヴァー 脚本:ルーカス・ヘラー 撮影:ジョセフ・バイロック 音楽:フランク・デ・ヴォール
出演:ジェームズ・スチュワート、リチャード・アッテンボロー、ハーディ・クリューガー、アーネスト・ボーグナイン、ピーター・フィンチ、ジョージ・ケネディ、ウィリアム・アルドリッチ

-オレはいつでも燃えている その14-
 燃える映画となるとロバート・アルドリッチ作品を語らずにはおけないだろう。とはいえ、一言にロバート・アルドリッチ作品といっても数がある。そこで考えた結果、まずは『キッスで殺せ』(1955)、『飛べ!フェニックス』(1965)、『特攻大作戦』(1967)、『北国の帝王』(1973)、『ロンゲスト・ヤード』(1974)、『カリフォルニア・ドールズ』(1981)の6本に絞った。・・・って全然絞れてねー。
 どれにしようか迷ってしまい先へ進まないので、とりあえず6本とも観てみた。120分以上の作品が多いので一日がかり。金曜日の夜と土曜の日中がつぶれてしまった。で、結論としてはどの映画も燃えた。うわー、これまた絞れてねー。
 そこで消去法で行くことにした。『キッスで殺せ』は探偵物特集かハードボイルド特集で、『特攻大作戦』は戦争映画特集をやるときのために取っておこう。やるかどうかは分からんが。『カリフォルニア・ドールズ』は女性映画特集のため、『ロンゲスト・ヤード』は最近リメイクされたそうなので、その作品がレンタルで出たら新旧観比べで書いてみよう。『北国の帝王』は凶悪な車掌特集のため、ってそんな映画他にあるか?まあ、リー・マービン特集のために取っておこう。というわけで今回は『飛べ!フェニックス』と取り上げることにする。
『サハラ 死の砂漠を脱出せよ』(2005)などと一緒に、砂漠から脱出映画特集という線もあるが、そこまで言っていたらいつまでたっても始まらない。

『飛べ!フェニックス』も2004年に『フライト・オブ・フェニックス』というタイトルで再映画化されているが(原作小説があるので『飛べ!フェニックス』のリメイクではなく、再映画化と呼ぶべきだろう)、まだ観てない。予告編を見た限りではつまらなそうだ。スカイパーフェクTVのスターチャンネルあたりで放映されたら観る程度かな。金を払ってレンタルする気はない。そもそも、1965年版には雑誌のグラビア以外に女性がまったく出演していないところが良いのに、2004年版ではキャストに女性が含まれてる時点で駄目だろ、そりゃ。

 まずはキャストが豪華。主演の機長はジェームズ・スチュワート(『フィラデルフィア物語』でアカデミー主演男優賞を受賞)。今作での臑に傷を持つパイロットから『ロープ』の学者まで幅広い役柄を見事に演ずる名優だ。西部劇では『リバティ・バランスを射った男』で東部から来た都会人をやり、『ウィンチェスター銃'73』では一転して父親の仇を追い続けるガンマンをやっている。
 同じアルドリッチ作品の『北国の帝王』で残虐非道冷酷無比な鬼車掌“俺の列車にただ乗りする浮浪者には、自慢の金槌をくらわせるぜ”シャックを演じていたアーネスト・ボーグナインが、今作では精神衰弱によるノイローゼか統合失調症で油田の現場を一時解雇された精神を病んだ男の役だ。アーネスト・ボーグナインも『マーティー』でアカデミー賞を受賞している。しかも主演男優賞。
 飛行助手を演ずるのがリチャード・アッテンボロー。『大脱走』や『そして誰もいなっくなった』などでいい味を出している。最近では『ジュラシック・パーク1、2』に顔を出していた。脇役としてそれなりの役者だったが、後に映画監督にも進出。こちらについては個人的に意味を感じていない。アカデミー賞は受賞しているが、俳優賞ではなく『ガンジー』での監督賞。
 他の映画に出ている時は濃い俳優なのだが、今回は回りが濃すぎてほとんど目立たない単なる脇役になっているのがジョージ・ケネディ。飛行機の上でなにやら作業をしていたところぐらいしか記憶にない。でも、ジョージ・ケネディも『暴力脱獄』でアカデミー助演男優賞を受賞している。
 とまあ、アカデミー賞俳優が何人も揃った錚々たる顔ぶれなのだが、オッサン俳優ファンの人以外には、「だから?」で終わってしまうのが悔しいところだ。チクショー、興奮物のキャスティングなんだぞ。ロバート・アルドリッチの息子ウィリアム・アルドリッチまで出演しているんだぞ。機内で『プレイボーイ』を読んでいて、飛行機の不時着事故であっさり死ぬ、出演シーンも少ないし見せ場もない。親父の映画においてこの扱いだから、俳優として大成するはずもなく、ほどなくして役者業は廃業。ただし映画界には残ってプロデューサーになった。ロバート・アルドリッチの映画もいくつか制作しているし、『フライト・オブ・フェニックス』の制作もウィリアム・アルドリッチ。2004年版はどうにも座りの悪い邦題で、せめて『フライト・オブ・ザ・フェニックス』にならなかったのだろうか。

 墜落した飛行機を元にして小型飛行機を作るとストーリー説明がされていることが多いが、それは映画もかなり終盤に近づいてから。むしろ重要なのは、砂漠のど真ん中に墜落した飛行機の乗員乗客が、救助も見込めず徒歩で脱出できるはずもない絶望的な状況下で、それぞれの思惑や裏切り、憎しみなどが静かに繰り広げられる点だろう。上官に嘘をつき徒歩での砂漠横断から逃れる兵士や、ラクダに乗ったアラブ人の集団が通りがかりこれで助かったと思いきや悪夢に転ずるところなどが良い。
 もちろん、ドイツ人設計士が壊れた飛行機の部品を使って小型機を作ろうと言いだし、このまま涸れて朽ち果てるよりかは失敗しても気が紛れるかと皆が作業に取りかかる終盤も実に面白い。
 エンジンを点火するスターターとして銃弾を使うのだが、この銃弾が数発しかなく、それで点火に失敗したら全てが終わる。もちろん、点火に失敗することなどないだろうというのは分かっているのだが、それでも手に汗握る。したり顔で「ハリウッド映画だから、どうせ成功するんだろ」とか言うのは止めろ。そういうヤツに限って、いざ実際に失敗すると「理不尽だ。爽快感がない」などと言うに決まってるのだ。

 『飛べ!フェニックス』はオレが絶対の自信を持ってお勧めする燃える映画だ。ただ、間違えて日本映画の『マイフェニックス』(1989)を借りてこないように。こちらは悪夢で、映画館まで観に行ってしまった自分を呪いたくなる駄作だ。

2005年11月16日

『デルタフォース2』 チャックさんは麻薬王を倒すためなら他国だろうがお構いなし

『デルタフォース2』 (1990) DELTA FORCE 2:OPERATION STRANGLEHOLD 111分 アメリカ

監督:アーロン・ノリス 製作:ヨーラン・グローバス、クリストファー・ピアース 脚本:リー・レイノルズ 撮影:ホアオ・フェルナンデス 音楽:フレデリック・タルゴーン
出演:チャック・ノリス、ビリー・ドラゴ、ジョン・P・ライアン、ベゴニア・プラザ、リチャード・ジャッケル、ポール・ペリ

-オレはいつでも燃えている その18-
 学生時代、所属していたシネマ研究会の2つ上の先輩に「チャックさん」という人がいた。チャックさんが入部当時、「好きな俳優は?」と聞かれて「チャック・ノリスですね」と答えたばっかりにそんなあだ名になってしまったのだ。I沢という本名があるのだが、そちらで呼ぶ人はほとんどおらず、先輩ないし同期からは「チャック」、後輩からは「チャックさん」。
 チャック・ノリスが好きだと言ったばかりに、在学中の4年間ずっと「チャック」と呼ばれるとは本人も思っていなかっただろう。体毛は濃さげだった以外にチャック・ノリスに似ている部部分もなく、なぜ「チャック」が定着してしまったのだろうか。チャックさんは非常に存在感のある人で、例えて言うならば『アニマルハウス』でのジョン・ベルーシっぽい黙ってそこにいるだけで圧倒させる迫力と「チャック」という名がマッチしていたからかも知れない。

 そんなこんなでチャック・ノリス主演の『デルタフォース2』だ。『デルタフォース』(1985)という同じくチャック・ノリスの映画があるが、主人公チャック・ノリスの役名がマッコイであること。所属が対テロ特殊部隊デルタフォースであることを除けば、ストーリー的な繋がりはない。
 前作ではジェット機をハイジャックしたイスラム系テロリストと戦ったマッコイ(チャック・ノリス)たちが今回相手にするのはコロンビアの麻薬王。って、デルタフォースは対テロ特殊部隊だろ。麻薬組織と戦うのはちょっと違わないか?悪党どもによる犯罪組織ではあるが、テロリストとはちょっと違うだろ。
 この映画が製作された1990年頃といえば、CIAの友人が重傷を負ったことへの復讐のためにジェームズ・ボンドが麻薬組織に乗り込む『007 消されたライセンス』(1989)や、ジャック・ライアンがコロンビアの麻薬組織と戦う『今そこにある危機』(1994)、そしてその原作のトム・クランシー著『Clear and Present Danger』がアメリカで発刊されたのが1989年といった具合で、麻薬組織を敵にするのが流行っていた。ソビエトという敵に魅力がなくなり(ソ連解体は1991年)、ハリウッド映画が次なる敵としてとりあえず選んだのがコロンビアとその国内にある麻薬組織・麻薬王だったのだ。
 最近ではイスラム系などのテロリストに悪役の座を奪われてしまったが、麻薬問題がなくなったわけではない。生産し密輸してくる犯罪組織を糺弾することも必要だが、国内で麻薬を乱用している人々の実体や、麻薬断絶の方針方策なども重要ではないだろうか。

 麻薬王を演ずるのは我らがビリー・ドラゴ。爬虫類のようなぬめっとした雰囲気だが妙な色気があり、そして見る物を威圧する迫力と目つき。まさに悪役になるために生まれてきた男だ。それ以前のチャック・ノリスで端役を演じていたが、ついには影の主役に出世した。
 好きな俳優だったのでその後の活躍を期待したが、もう一つぱっとしないままだ。『トレマーズ4』(2004)で見かけたときはうれしかったが、あれはテレビ映画だよな。まあ、元気そうで何より。

 デルタフォースは麻薬組織壊滅のためにヘリを使って乗り込んでいくが、チャック・ノリスはそれに先だって単身コロンビアにパラシュート降下で侵入している。
 チャック・ノリスの狙いはもちろん麻薬組織壊滅でもあるが、それ以上にビリー・ドラゴに捕らえられガス室で処刑された部下にして友人の仇を討つためだ。ビリー・ドラゴが処刑のシーンをビデオに撮ってデルタフォースに送りつけてきて、それを見て怒りを抑えられなくなったチャック・ノリスが格闘訓練と称して隊員たちをつぎからつぎにボコボコにしていくところは名シーンだ。隊員たちは良い迷惑だが。
 麻薬撲滅といった大義名分よりも、個人的な復讐のために戦っていると感じさせるチャック・ノリスがイカす。

 アメリカはビリー・ドラゴが生産し密輸してくるコカインに苦しめられていたが、主権国家であるコロンビアに乗り込んでいって逮捕するわけにも。そこで、アメリカ上空を飛ぶジェット旅客機からビリー・ドラゴを放り出し、チャック・ノリスが落下中に捕まえるて自分が背負ったパラシュートで海に着水し、アメリカ領海内でビリー・ドラゴを逮捕する。このパラシュート無しでの高空からの落下はラストで再度登場し活かされる。
 それにしても、乗り込んでいって逮捕するのが出来なかったことから発生した事件を、最終的に武装した特殊部隊がヘリで乗り込んでいって、マシンガンやらロケットミサイルを撃ちまくって、爆薬で爆破してはいめでたしってのはどんなものだろうか。コロンビアにはいろいろ問題があるだろうが、独立した主権国家なんだしさぁ。
 例えば、日本で出回っている覚せい剤の中には北朝鮮で製造・密輸された物だという話や説がある。それが事実かどうかはここでは関知しない。ただ、自衛隊のレンジャー部隊がヘリで北朝鮮の覚せい剤工場を襲撃して、そこの人々を殺した上で工場を爆破し、覚せい剤王の金なんとかを空から落とす。といった具合に日本に当てはめてみると、この作品の無茶さがわかる。そこも含めてこの作品は好きなのだが、さすがアメリカというかなんというか。

 チャック・ノリスと敵側の長髪ハゲとの戦いがあるが、ここはさほど燃えない。チャック・ノリス自身はブルース・リーと一対一の対決をした『ドラゴンへの道』(1972)を観ればわかるように「燃える格闘戦」が出来る男。90年当初のハリウッド映画はまだまだクンフーや空手などの撮り方が上手ではない。

 監督のアーロン・ノリスはチャック・ノリスの実の弟。B級アクション映画をきっちりと仕上げてくるなかなか良い監督だと思うのだが、兄関連作品以外ではほとんど活躍しておらず、残念。

2005年11月17日

『ドラゴン怒りの鉄拳』 師匠の仇は俺が討つ

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『ドラゴン怒りの鉄拳』 (1971) 精武門 FIST OF FURY 100分 香港

監督:ロー・ウェイ 製作:レイモンド・チョウ 脚本:ロー・ウェイ 撮影:チェン・チン・チェー  音楽:ジョセフ・クー
出演:ブルース・リー、ノラ・ミヤオ、ロバート・ベイカー、ジェームズ・ティエン、橋本力

-オレはいつでも燃えている その19-
 この作品のことを「日本人が悪役だから嫌い」とか言うな。日本が上海を占領していたのは事実だし、劇中に登場する「犬と中国人の立ち入りを禁ず」という看板も実際にあったそうだ。時として映画にはロシア人やイスラム人、ユダヤ人にコロンビア人が悪役として登場する。それが当たり前ならば、日本人が悪役として登場するのもまた当たり前だろう。
「袴の前後が逆だ」とかいってこの映画を否定するのは止めろ。日本人出演者の橋本力はもちろんそれに気がついて、衣装担当に伝えたそうだが、「そんなの香港の観客は誰も気にしないよ」とそのまま撮影が進められてしまったそうだ。ちゃんとしろを衣装係とは思うが、精武門に潜り込んでいた日本人が、腹巻きを着用していたためにブルース・リーに正体がばれるなど面白いアイディアではないか。

 どうしても日本人が悪役であることが気になって楽しめないならば、映画の上映中は香港人になったつもりで観ろ。そうすれば、せっかくのブルース・リー最高傑作を楽しめると言うものだ。
 アメリカから香港に戻っての主演第一作『ドラゴン危機一発』(1971)ではまだ野暮ったさが感じられたブルース・リーだが、『怒りの鉄拳』では実にシャープで悲しみと怒りを秘めた男を演じている。パンチにしろ蹴りにしろ、より鋭さが増して実に強そうだ。
 ブルース・リーには珍しくノラ・ミヤオとのラブシーンがある。ノラ・ミヤオとはなんか野良猫っぽい名前だが、可愛らしい女優さんで、格闘シーンもがんばっている。
 終盤のロシア人格闘家との対決は、『ドラゴンへの道』でのチャック・ノリスとの対決と並ぶ名シーン。両腕を「ワックスかける、ワックス拭く」の要領でぐるぐる回すのがストロボアクションで描かれるところなど、妙に燃える。確実に倒した相手に、さらにとどめの一撃を加える容赦のなさが格好いい。
 にらみ合うブルース・リーとロシア人、そして悪玉日本人の3人がそれぞれ「ダッダン」という効果音と共に目がズームになるカットが繰り返されるシーンがある。観る度に、「最後の日本人のところは、目じゃなくて鼻にズームしてくれんかなぁ」と思ってしまうのは、オレの体質だ。
 出来れば、ラストの死闘はロシア人ではなくて日本人とやって欲しかったが、ちょうどいい人材がいなかったのだろう。もう数年後だったら倉田保昭が香港で活躍していたので、その対決を見たかった。
 ちなみに倉田保昭はリメイクに当たる『フィスト・オブ・レジェンド/怒りの鉄拳』 (1994)で主人公のジェット・リーと野原で対決していた。倉田保昭は悪役ではないので殺し合いではなく一種の手合わせ試合。後のインタビューで「寸止めしきれずに突きや蹴りが当たるとジェット・リーがびびって腰が引けてしまい、撮影が結構大変だった」と語っていた。ジェット・リーは拳法大会の優勝者だが、これは試合ではなく演武での型や美しさを競う物だったとか。中国拳法は組み手は余りやらないし、対戦による試合もあまりやらないので、格闘技としての強さは疑問視されている点もあるとか。
 チャック・ノリスも「本気で戦ったら多分俺が勝つよ。ブルースは腰が弱いからね」とか言ってた。うむむ、でもブルース・リーは格好いいし、格闘家以前に映画スターだからいいんだい。
 そうそう、格闘シーンだけではなく、丸眼鏡をかけた電話修理工や人力車引きなど、ブルース・リーのへなちょこな変装も楽しめる。

『明日に向って撃て!』(1969)と対比されることが多いラストシーンだが、対比というかまあパクリなんだが、映像はそのままでも意味合いはかなり違う。ブッチとサンダンスは死ぬと分かっていても逃げるために突っ込んでいったが、ブルース・リーは鉄砲隊を前に死ぬと分かっていても戦うために突っ込んでいった。そして流れる主題歌の『FIST OF FURY』が悲しい。『FIST OF FURY』は筋肉少女帯の大槻ケンヂがアルバム『ステーシーの美術』で日本語カバーしているが、燃えるぞ。俺の手は、怒りの鉄拳に変わるのさっ!

『精武門』は実際にあった事件をモデルにしているそうで、香港人お気に入りのストーリーだ。先ほどもいったようにジェット・リーもリメイクしているし、ドニー・イエン版もある。後日談を描いたジャッキー・チェン主演作もあり、何度も映画化されている。日本人にとっての『忠臣蔵』のようなものなんだろうか。
『喜劇王』(1999)の中でチャウ・シンチーが街角の舞台で演じているのも『精武門』だ。まあチャウ・シンチーは熱狂的なブルース・リーファンだから参考にならないか。

2005年11月23日

『超高層プロフェッショナル』 どんな題材だってアクション映画になるのだ

『超高層プロフェッショナル』 (1979) STEEL 102分 アメリカ

監督:スティーヴ・カーヴァー 製作:ピーター・S・デイヴィス、ウィリアム・N・パンザー 製作総指揮:リー・メジャース 脚本:ライ・チャップマン 撮影:ロジャー・シェアーマン 音楽:ミシェル・コロンビエ
出演:リー・メジャース、ジェニファー・オニール、アート・カーニー、リチャード・リンチ、ジョージ・ケネディ

-オレはいつでも燃えている その24-
 アクション映画と言われると、まずは銃撃戦や殴り合い、そしてカーチェイスなどが思い浮かぶ。だがそれらの要素がアクション映画に向いているだけであって、「=アクション映画」ではない。そのことを証明しているのがこの『超高層プロフェッショナル』だ。
 一言で説明すれば、期日までにある高さまでビルを組み上げる映画だ。敵役の建築会社に忍び込んで倉庫から資材を盗み出したりはするが、ほとんどは汗くさい男たちが全力で鉄骨を運び、クレーンを操作し、ボルトとナットを留めていくシーンで構成されている。そして、それがきっちりアクション映画しているのだ。くわー、燃えるぞ。

 街の象徴になるほどの高層ビルを建築中である。その現場を視察に来ていた建築会社の社長は、たまたま発生したガス爆発の事故から作業員を救助している際にビルから落下して死ぬ。叩き上げの社長役はジョージ・ケネディだが序盤で退場とは少々残念。
 社長の弟は堅実実直だった兄に似ず、腹黒い悪徳業者。兄の死に乗じてビル建築を自分の会社で乗っ取ろうとするロクデナシで、こんな業者が耐震強度を偽装したりして、手抜きなビルを造るのだろう。うむ、時事ネタ。
 社長の一人娘キャスは、父の意志を継いでビル建設を続けようとするが、3週間で9階分を組み上げねば、建築作業の権利が敵の会社に移ってしまう。そこで高層ビル建築のプロであるマイク・キャットン(リー・メジャース)に助けを乞う。ある事故をきっかけに建築業から身を引いていたマイクだが、キャスの熱意に動かされ現場に復帰する。昔の仲間である高層ビル建築のプロ、“超高層プロフェッショナル”たちを集めたマイクはビル建築に取りかかる。敵からの妨害を受けながらも作業は進むが、このままではあと一息で期日に間に合わない。そこで、マイクは一発逆転の秘策を思いつく。

 監督は『ビッグ・バッド・ママ』(1974)や『テキサスSWAT』(1983)、そして『サンダー・ブラスト/地上最強の戦車』(1987)など熱い映画を手がけたスティーヴ・カーヴァー。『デス・リバー/失なわれた帝国』(1989)は「なんじゃこりゃ」と叫びたくなる駄作だったが。
 言ったように、この作品には銃撃戦やカーチェイスは登場しない。殴り合いは多少出てくるが、そこが主題ではない。プロフェッショナルたちがひたすらにビルを組み上げていく。そんな題材だってアクション映画になるのだ。アクション映画とは、そこにスタントなどの物理的なアクションの描写が登場することではないことがよく分かる。
 日本ではNHKの『プロジェクトX』から「VHSを作り出した人々」のエピソードが『陽はまた昇る』(2002)として映画化されたが、お涙頂戴物のクソ映画だった。このエピソードだってその気になれば燃えるアクション映画になるぞ。

 主演のリー・メジャースは1970年代のTVシリーズ『600万ドルの男』でスターになった人物。この作品では自ら資金の一部を提供して、製作者としても活躍している。
 おそらく、リー・メジャースなくしてはこの映画は企画段階で終わっていたはず。さすがは元祖サイボーグ。

2005年12月05日

『トリプルX』 蛇は蛇を、悪党には悪党を。そしてバカにはバカを

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『トリプルX』 (2002) XXX 123分 アメリカ/チェコ

監督:ロブ・コーエン 製作:ニール・H・モリッツ 製作総指揮:ヴィン・ディーゼル、トッド・ガーナー、アーン・シュミット、ジョージ・ザック 脚本:リッチ・ウィルクス 撮影:ディーン・セムラー 音楽:ランディ・エデルマン 主題歌:イヴ 挿入歌:オービタル、DMX、カシーム・ディーン、ジェイ=Z、ギャヴィン・マグレガー・ロスデイル
出演:ヴィン・ディーゼル、サミュエル・L・ジャクソン、アーシア・アルジェント、マートン・ソーカス、マイケル・ルーフ

-オレはいつでも燃えている その29-
 黒のタキシードを着た古式ゆかしきタイプのエージェントは悪党どもに正体がばれ射殺された。NSA(国家安全保障局)は前任者の次のエージェントに驚くべき人材を用いる事にした。それは名うての犯罪者。タフだし、裏社会にも通じている。こそで、犯罪者リストの中なら有望そうなのを選び出す。主人公ザンダー・ケイジもそんな一人だった。
 ザンダーはケチな盗みや強盗ではなく、EXスポーツというスケボーやパラシュート、バイクに車を使った過激なスポーツの第一人者だった。今日も、「テレビゲーム規制。スケボーは罪だ」と活動中の嫌みったらしい上院議員の真っ赤なスポーツカーを盗んで、背中にパラシュートを背負って橋桁の高い橋からジャンプ。落下中にパラシュートを開いて無事に着地。これで上院議員に一泡を吹かせてやったというわけだ。
 この成功を祝ってザンダー達はパーティーを開いている。そこへ特殊部隊が窓などを突き破って突撃侵入してくる。ザンダーは麻酔銃で撃たれ気を失い連れ去らる。
 目を覚ますとそこはありきたりなコーヒーショップ。だが、そこは偽物のコーヒーショップでなに者かが自分をテストしようとしていることをザンダーは見抜く。
 とりあえず一次合格したザンダーはコロンビアのコカイン製造地区に降下させられる。てっきりここも偽物の工場だと思ったがどうやら様子が違い、本物のようだ。そこでなんとか監視の隙をついてバイクで脱出する。やたらドカンと爆発するごとにバイクがジャンプする。さらに大きい爆発が起こるとバイクは更に大ジャンプ。どうやらバイクがジャンプすればどんな危機を恐るるに足らずということらしい。
 こうしてエージェントのテストに合格したザンダー。まぁ、犯罪者の無法者兵士を集めて特訓し特殊部隊に仕立て上げた『特攻大作戦』の例もあるし、これからばっちり鍛えれば一流のエージェントになるのかも、と思ったら早速現場の東欧へと送られる。最低限の訓練ぐらいしろよ。それはさすがに無茶なんじゃないの?『特攻大作戦』だって中盤まではひたすら訓練シーンだぞ。
 現場で拳銃を撃って見事に命中させ、怪我で入院していたときにガンシューティングのビデオゲームにのめり込んだからの一言。いいのか?それで。まぁ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』のマイケル・J・フォックスもコンビニのビデオゲームで習得した拳銃の腕前を披露してたしな。オレも『リーサル・エンフォーサーズ』や『バーチャ・コップ』はかなりやりこんだので、時空のゆがみで1800年代の西部にタイムスリップしてもなんとかなるかも。ならないか・・・英語わかんないしな。
理性や知識ではなく、ひたすらに行動力を運で事件を解決していく。悪投どもの組織アナーキー99の目的は全世界の主要都市を毒ガス弾で皆殺しにして、秩序ある世界を破壊することなんだが、もうちょっとNSAには人材がいないのか?

 主役のヴィン・ディーゼルは素直にこういうバカ映画でスターになればいいのに、演劇出身で舞台にも立っていたという誇りからか『ブルドッグ』など不完全燃焼などに出ている。個人的には残念。

2005年12月06日

『対決』 ついに第四次世界大戦勃発!!

『対決』 (1989) THE FOURTH WAR 90分 アメリカ

監督:ジョン・フランケンハイマー 製作:ウォルフ・シュミット、ロバート・L・ローゼン 製作総指揮:ウィリアム・スタート、サム・ピールマッター 原作:スティーヴン・ピータース 脚本:スティーヴン・ピータース、ケネス・ロス 撮影:ジェリー・フィッシャー 音楽:ビル・コンティ
出演:ロイ・シャイダー、ユルゲン・プロフノウ、ハリー・ディーン・スタントン、ティム・リード、ララ・ハリス、デイル・ダイ

-オレはいつでも燃えている その30-
 場所はチェコと西ドイツの国境。東側からの亡命者がチェコ側に射殺されるという事件があった。そしてベトナム戦争の英雄で東側に過剰な敵意を持った駐留米軍のノールズ大佐(ロイ・シャイダー)が、怒りにまかせてソ連軍の将校バラチェフ大佐(ユルゲン・プロフノウ)に雪玉を投げつける。バラチェフ大佐もノールズのことなど放っておけばいいのだが、アフガニスタンを生き抜いた過激な男だったために、仕返しにノールズのジープを爆破する。
 そして2人の意地の張り合いというか嫌がらせの応酬は続き、段々とエスカレートしてついには原題『THE FOURTH WAR』つまり第四次世界大戦の引き金に・・・はならない。
 米軍・ソ連軍はあまり巻き込まれず(武器なんかは持ち出すが)、あくまでもノールズが売りバラチェフが買った2人のケンカ。
 ついには雪の平原でオヤジ2人がマジのド突き合いを延々と繰り広げる。そして本気の雪合戦へ。このままついに殺し合いになるかと思われたその時、ふと我に返って「オレたゃ、いったい何やってんだ?」と素に戻る。ふぅ、良かった。つか、もっと早く我に返れよ。
 他にも事件は起こるが、基本的に無視してOK。オヤジ二人がささいなことから争いを始めそれがエスカレートしていくだけ。その様子を楽しめばいい。ド突き合いがあまり楽しくないのが残念だが、見応えはある。

 敵国への威嚇や示威行為で次々と軍備を拡張していったり、実際に戦争が始まってしまうとどんどんエスカレートして、ついには互いに滅ぼし合うまで戦いが続く、などといったことを風刺しているのかもしれないが、そんなことよりも、最初に雪玉をぶつけたぶつけられたことなどとっくにどうでもよくなってオヤジ2人のド突き合いが燃える。
 本当の第四次世界大戦もこんな具合にやってくれないだろうか。イラク戦争も、フセインが捕まったことだし、どうせアメリカ主導の裁判になるぐらいならば、フセインとブッシュの大統領同士がリングの上で殴り合って勝った方を正義にすりゃ分かりやすくて良い。
 フセインは軍隊出身で格闘技の経験もあるそうだからスキル面ではフセイン有利、だがフセインは勾留生活で身体が弱っている上に1937年生まれと年齢も高い。それに対してブッシュは1946年生まれ。年齢・健康面ではブッシュ有利。さて、どちらに賭けますか。

2006年10月30日

『チャック・ノリス in 地獄の銃弾』 久々にチャック映画を観た

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『チャック・ノリス in 地獄の銃弾』(2005) The Cutter  91分 アメリカ
監督:ウィリアム・タネン 製作:ダニー・ラーナー、ピンチャス・ペリー、トレヴァー・ショート 製作総指揮:アヴィ・ラーナー、アーロン・ノリス、トレヴァー・ショート 撮影:ピーター・モス 音楽:エリア・クミラル
出演:チャック・ノリス、ジョアンナ・パクラ、ダニエル・バーンハード、バーニー・コペル、カート・ローウェンズ、トッド・ジェンセン、トレイシー・スコギンズ、ディーン・コクラン、アーロン・ノリス

 久しぶりにチャック・ノリスの映画を観た。
 いや、『野獣捜査線』や『デルタ・フォース』などはDVDを持っているのでたまに観返しているが、新作を観るのが久しぶりだという意味だ。
 最近はTVシリーズなどの仕事中心のチャックさん。『ドッジボール』(2004)には出ていたが、主演ではない。
 今回は久々の劇場用映画主演。でも、途中でいかにもCMに入るようなフェードアウトがあるが、ひょっとしたらこれもTV用映画?

 ともあれチャック、チャック、お口にチャック・ノリス。オレはチャックさんのファンなのだ。
 チャックさんが演じるのは元警官の私立探偵。主に誘拐事件の人質救出をやっている。
 私立探偵という役柄は意外だが結構珍しい。刑事や特殊部隊、テキサスレンジャーなどは多いが、ひょっとしたら初めてではないだろうか。
 盗掘された聖書的宝石と、ナチの手によって強制収容所にいた過去がある老ユダヤ人ダイア加工職人の誘拐を巡ってチャックさんが活躍する。

 見所はチャックさんの鍛え上げられたその肉体。
 腹筋も割れていて余計な贅肉もなく、とても1940年生まれには見えない。やはりトータル・ジムの効果だろうか?
 格闘戦に関しては、パンチなどの手技は相変わらずの迫力だ。ビシビシ決まる。
 だが、キックがちょっと悲しい。高さが低くて相手の太もも当たりまでしかヒットしない。
 昔から決め技としてよく使っていた回し蹴りも相手の腰まで届かない。
 ある程度は足腰の力がなくなっているのだろう。いくら鍛えていても、年齢による衰えからは逃れられないのだ。
 まぁ1940年生まれということは撮影当時は64か65歳だしな。あれだけの肉体をしてあれだけの動きが出来る65歳はちょっといない。よほど自己鍛錬と自己節制が厳しいのであろう。
 自分の肉体を見下ろしてみて、こちらは自己批判。
 ファンならば観ろ。ファンでないならば他の作品を借りた方がいいかも。作品としてはそれぐらいの出来。
 弟のアーロン・ノリスが制作に名を連ねているが、監督もやって欲しかった。

 スティーヴン・セガールの映画はなにかというと『沈黙の~』といったタイトルになるが、チャックさんの映画はなにかというと『地獄の~』になる。
 タイトルに決め文句がつくのはアクションスターの象徴なのだろうか?チャックさんと死闘を繰り広げたこともあるブルース・リーはなにかというと『ドラゴンなんとか』。ジェリー・ルイスは『底抜けかんとか』、ってジェリー・ルイスはアクションスターじゃないってば。

2006年11月01日

『宝島』 ひげ面のジョン・シルバー

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『宝島』(1950) TREASURE ISLAND 96分 アメリカ
監督:バイロン・ハスキン 製作:パース・ピアース 原作:ロバート・ルイス・スティーヴンソン 脚本:ローレンス・エドワード・ワトキン 撮影:F・A・ヤング 音楽:クリフトン・パーカー 音楽指揮:ミュア・マシースン
出演:ボビー・ドリスコル、ロバート・ニュートン、ベイジル・シドニー、ウォルター・フィッツジェラルド、デニス・オディア、ラルフ・トルーマン、フィンレイ・カリー、ジョン・ローリー、フランシス・デ・ウルフ

 子供の頃に原作を読んだことがあるが、さすがに古くさくてあまり面白くなかった。
 それよりも印象に残っているのは日本のアニメ版。監督は『あしたのジョー』などの出崎統で、独特の止め絵が特徴だ。

 何度も映像化されている『宝島』だが、今回のはディズニー実写版。ディズニー初の実写映画になるそうだ。ある意味、元祖『パイレーツ・オブ・カリビアン』だ。
 この映画、とにかく展開が早い早い。
 主人公の少年ジムが宝島の地図を手に入れたと思ったら、一本足のジョン・シルバーなどと共に船に乗り一路宝島へ。
 宝島に着いたと思ったら、元軍艦船員と詐って乗組員として船に乗っていた海賊たちが叛乱を起こし、戦いがあったりジムが活躍したり人質になったりして、あっという間にエンディング。
 ディズニーだからメインの客層は子供向けで作ってあるから、退屈させずに一気に観せているのだろう。上映時間も96分と短めだ。
 だが、子供向けの割には海賊との戦いが妙にリアルで、残酷なシーンがあるのが気になる。今ほど暴力描写への規制がうるさくなかったのだろう。

 面白かった。面白かったが、ジョン・シルバーがただのひげ面オヤジだ。
 イヤだイヤだ、ジョン・シルバーはもっと渋くて格好良くてアゴが割れてなきゃイヤなんだい。と、アニメ版を観た人なら思うことだろう。
 もちろん、原作のイメージに近いのはこの映画版の方だろうが。
 幼なじみの女の子やグレーなどは確かアニメオリジナルキャラクターだったはずだが(今さら原作で確認する気はちょとない)、ジムの母親が1カットすら登場しないのはちょっとどうかなと感じる。
 ジムの母親は宿屋の主人。ということは、父親はいない。そんな母親が一人息子を危険が待ち受けているかもしれない旅に送り出すシーンはあってもよさそうだ。

 ジムは正直で勇敢で誠実。街に行って留守にしている母親の代わりに、宿屋の店番を文句も言わずに真面目にやっている少年だ。
原作が古いし、映画も1950年の作品ということもあってか、ジムがちょっと良い子すぎる気もする。

2006年11月03日

『ダ・ヴィンチ・コード』 手がかりが手がかりを産むのかよ

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『ダ・ヴィンチ・コード』(2006) THE DA VINCI CODE 150分 アメリカ

監督:ロン・ハワード 製作:ブライアン・グレイザー、ジョン・コーリー 製作総指揮:トッド・ハロウェル、ダン・ブラウン 原作:ダン・ブラウン 脚本:アキヴァ・ゴールズマン 撮影:サルヴァトーレ・トチノ 衣装デザイン:ダニエル・オーランディ 編集:ダニエル・P・ハンリー、マイク・ヒル 音楽:ハンス・ジマー
出演:トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ、イアン・マッケラン、アルフレッド・モリナ、ジャン・レノ、ポール・ベタニー、ユルゲン・プロフノウ、エチエンヌ・シコ、ジャン=ピエール・マリエール

 観ていて思いだしたのが、ニコラス・ケイジ主演の『ナショナル・トレジャー』(2004)だ。
 どちらもつまるところは宝探しの話。まずは主人公が手がかりを手に入れる。
 手がかりによって見出されるのが新たなる手がかり。そして新たなる手がかりによってさらに新たなる手がかりが見つかる。ひたすらこれを繰り返しているだけ。
 確かにこれならば一見だれることなくラストまで観客を引っ張っていける。
 こういう話法はどんなもんだろうかと思う。原作も一気にラストまで読んだし、映画もラストまで一見緊張感はあった。しかし、オレとしては押しつけられている感が強くて好きではない。

 インターネットマンガ喫茶で読んだパタリロにあったと思うのだが、あるミステリー好きの科学者が死に、ある謎が残る。
 手がかりを追っていったパタリロたちは、そこで答えではなく新たなる手がかりらしきものを見つける。
 しかしパタリロは「ミステリーでは手がかりによってもたらされる物は答えでなくてはならない。手がかりによって次の手がかりが見つかるなんてことはない」とか言っていた記憶がある。
 間違っていてはいけないので車でひとっ走りマンガ喫茶へ。祝日とあってかそれなりに混んでいた。
 どの巻に収録された話か分からないので、取りあえず新しい方から調べていく。
 棚の前に立ったままページをめくること5分ほど、第55巻の最後に収録されたエピソード『ジラードの遺産』にそれはあった。

「推理小説マニアは謎の上に謎をかさねたりはしない
隠し場所が謎で見つかった物が
さらに暗号になってるなんて
ことはありえない」
「一つの謎ときには一つの答え
つまりあれはただの○○で
理論の隠し場所は他にあると
いうことだ」

 このパタリロのセリフだけで十分だという気もするが後を続ける。

 いくつかの手がかり、つまりは鍵を集めないと答えに至らないならともかく、手がかりが手がかりを生み出すというストーリー展開は、確かに観客を最後まで引きつけはする。だが、つまるところ一種の手抜きであろう。観客をハラハラさせたりリラックスさせたりする緩急がなく、ひたすら急急だけだ。
 本の場合はまだ読み手が自分のペースで読み進めることが出来るが、映画の場合は展開のペースを一定の物で押しつけられてしまう。その押しつけが疲れる。
 ここで対比としてアルフレッド・ヒッチコックを出してしまうのはあまりにも安易だが、ヒッチコックは作中に登場する答えないし手がかりをマクガフィンと呼び、それ自体には意味がなく、映画を語り展開させる上での小道具でしかないとする。
 彼ならば最初の一つの手がかりと最後の答えだけで、一本の充実した映画を作り上げ、観客を魅了し楽しませることだろう。

 ラストのオチについてはどうとも思わない。
 『シックスセンス』を始めとする最近のオチ至上主義が、映画界に悪い影響を及ぼしていると考えているぐらいだ。
 別段、映画が面白ければオチなんてどうでもいいんだが、シャマラン作品はオチしかないからなぁ・・・

2006年11月08日

『沈黙の脱獄』 どいつもこいつも皆殺し

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『沈黙の脱獄』(2005) TODAY YOU DIE 91分 アメリカ

監督:ドン・E・ファンルロイ 製作:ランダル・エメット、ジョージ・ファーラ、フィリップ・B・ゴールドファイン、ダニー・ラーナー、スティーヴン・セガール、レス・ウェルドン 製作総指揮:マンフレッド・ハイド、グレッド・コーチリン、ジョセフ・ローテンシュレイガー、アヴィ・ラーナー、ダニー・ラーナー、アンドレアス・ティースマイヤー、レス・ウェルドン 脚本:ケヴィン・ムーア、ダニー・ラーナー、レス・ウェルドン 撮影:ドン・E・ファンルロイ 編集:ロバート・A・フェレッティ 音楽:スティーヴン・エドワーズ
出演:スティーヴン・セガール、アンソニー・“トレッチ”・クリス、サラ・バクストン、マリ・モロウ、ニック・マンキューゾ、ロバート・ミアノ、ケヴィン・タイ

 スティーヴン・セガールは盗賊。麻薬売買などで財を成した富める者から奪い、貧しい者へと与える義賊だ。
 その名をデニス・ムーアといい、ルピナスの花を専門とする。・・・ごめん、後半嘘だ。でもこの出来ではついつい嘘も付きたくなってしまう。

 チャック・ノリスの『地獄の銃弾』、ジャン=クロード・ヴァン・ダムの『ザ・コマンダー』、そしてこの『沈黙の脱獄』と3本まとめて借りた。どの作品も、主演は俳優のファンでなければあまり価値のなさそうな作品揃いである。
 スティーヴン・セガールと刑務所の組み合わせだと『奪還 アルカトラズ』(2002)がある。こちらはセガールファン以外でも楽しめる作品だったと思う。
 今回のはファンにしか勧められないだろう。それも最近の勢いのなくなったセガールでも気にならないファンだ。
 そう、セガールの勢いは落ちた。1990年代後半の脂ののった時期が続けば、もっと一般のファンも増えていたんだろう。今ではさっきも書いたがファン層はニッチだ。最近では作品ではなくセガール本人の身体に脂がのっている。

 冒頭近くの街中でのカーチェイスはなかなか良いなと思ってみていたら、現金輸送車やパトカーが大爆発するシーンはミニチュア撮影。しかもちゃちい。あれならば別に爆発なしの方が良かったのではないだろうか。

 盗賊から足を洗い現金輸送車の運転手になったセガール。しかし、それは悪党の罠で、セガールは現金強奪・殺人犯として刑務所送りになる。
 タイトルには『脱獄』とあるが、『アルカトラズからの脱出』や『ショーシャンクの空に』などのような脱獄物ではない。緻密さも執念もなく、チャールズ・ブロンソンの『ブレイクアウト』を思わせるようなアバウトな脱獄である。計画が出てきたなと思ったらあっという間に外の世界へ。早い早い。
 ついでにいうと刑務所映画でもない。では何映画かというと、やはりセガール映画なのであろう。

 あれこれと語られてきた予知能力も黒魔術もストーリーにはまるで関係ない。最後は例によって銃撃戦と格闘。謎などなかったかのように唐突に登場する悪の親玉。
 セガールは陥れられた復讐を果たし、殺すべき連中を全員ぶち殺す。
 そんな残虐な男がラストに、「義賊で貧しき者へと富を分け与える良い人です」ってことになってもちと「?」

2006年11月19日

『テイキング・ライブス』 キャストは豪華

B000HCPUX8.jpg『テイキング・ライブス』(2004) TAKING LIVES  103分 アメリカ

監督:D・J・カルーソー 製作:マーク・キャントン、バーニー・ゴールドマン 製作総指揮:ブルース・バーマン、デヴィッド・ハイマン、デイナ・ゴールドバーグ 原作:マイケル・パイ 脚本:ジョン・ボーケンキャンプ 撮影:アミール・M・モクリ 音楽:フィリップ・グラス
出演:アンジェリーナ・ジョリー、イーサン・ホーク、キーファー・サザーランド、ジーナ・ローランズ、オリヴィエ・マルティネス、チェッキー・カリョ、ジャン=ユーグ・アングラード、ポール・ダノ

 なんってったってキャストが豪華だ。アンジェリーナ・ジョリーにイーサン・ホーク、TVシリーズ『24』で大人気のキーファー・サザーランドにジーナ・ローランズ。そしてジャン=ユーグ・アングラードまで出てる。
 だが、すごいのはキャストだけじゃないぞ。他にも・・・他にも・・・他になにかあったっけ?

 カナダで発生した猟奇殺人捜査のためにFBIの女性捜査官が派遣された。これがアンジェリーナ・ジョリー。
 そして新たなる殺人事件が発生し、目撃者のイーサン・ホークと出会う。
 この目撃者がいかにも怪しくて、「実はこいつが犯人なんじゃ・・・まさかそんな安易なことしないよな」と思っているうちに事件は進み、FBI捜査官は目撃者に惹かれていく。
 突如物語に乱入してきたキーファー・サザーランドが逃走中に死亡し、どうやらこいつが真犯人と言うことで事件は解決する。
 そして結ばれるFBI捜査官と目撃者。
 しかし、本当の真犯人はその目撃者だったのだっ!

 だったのだっ!ってそのまんまじゃないか。

 逃亡先の犯人からFBI捜査官に電話が掛かってくる。
 『羊たちの沈黙』的ラストのまま終わるかと思ったら、FBIを首になり、田舎の一軒家に移り住んだ主人公のシーンになる。
 お腹は大きくどうやら妊娠しているよう。ベビーベッドが二つあることからどうやら双子らしい。
 そしてその父親は・・・

 魅力ある出演者を活かし切れていない演出がまずマイナス。
 困ったときは映像に逃げてごまかすのもマイナス。
 状況描写ができていないことがマイナス。
 ジーナ・ローランズはその存在感だけでプラス。

『羊たちの沈黙』(1990)のヒット以降、数々のサイコサスペンス映画が乱作されたが、水準低い映画も多かった。
 ブームもとうに過ぎ去った2004年に制作されたこの映画はそれらと比べると十分に面白い。殺人事件捜査物ではなく主題は恋愛物なのだが、ロマンスのパートが物語にきちんと融合されていなかったのが痛い。そこが上手くいっていれば個人的評価はもっと高かった。

 しかし、なにしに出てきたんだジャック・バウアー、じゃなかったキーファー・サザーランド。

2006年11月20日

『ダーク・エンジェル』 炸裂、スペースガン

B0002TT0Q4.jpg『ダーク・エンジェル』(1990) DARK ANGEL 92分 アメリカ

監督:クレイグ・R・バクスリー 製作:ジェフ・ヤング 製作総指揮:マーク・ダモン、デヴィッド・サウンダース 脚本:ジョナサン・タイドール、レオナード・マス・Jr 撮影:マーク・アーウィン 音楽:ヤン・ハマー
出演:ドルフ・ラングレン、ブライアン・ベンベン、ベッツィ・ブラントリー、マシアス・ヒューズ、マイケル・J・ポラード、アル・レオン

 1980年代のハリウッドアクション映画の特色としては

・やたら銃撃戦
・やたらカーチェイス
・やたら大爆発

 の三大要素があげられる。
 番外編としては

・やたら麻薬がらみ
・やたらUZI
・やたらアル・レオン

 がある。

 UZIとは『ターミネーター』でシュワルツェネッガーが使っていたイスラエル製のサブマシンガン。80年代にはよくスクリーンで目にしたが、ドイツ製のMP5シリーズに取って代わられ、最近ではほとんど見かけない。
 アル・レオンとはヒゲが特徴の中国人俳優。『リーサルウェポン』でメル・ギブソンを拷問していたり、『ダイハード』でチョコバーを盗み食いしていたり、『ブラックレイン』終盤の襲撃シーンで農夫に化けて潜り込んでいたりした。あとは『ビルとテッドの大冒険』でチンギス・ハン役をやってたりするな。

 これらの要素全てを持ち備えているのがこの『ダーク・エンジェル』だ。1990年作品だが、オレとしては80年代映画に加えたい。
 まず、麻薬がらみといっても普通の敵じゃない。宇宙人の麻薬商人だ。
 麻薬の取引現場からコカインを奪い、それを人間に注射しては脳内麻薬物質エンドルフィンを生成させ、それを抽出して逃げ去っていく。宇宙ではコカインとか覚せい剤よりもエンドルフィンが流行らしい。大麻なんかほんとお子様向けだな。
 そのコカイン取引現場に潜入していた相棒が殺されたことから、ドルフ・ラングレンは事件に巻き込まれていくことになる。
 休暇を取らされるところをなんとか現場に復帰するが、組まされるのはスミスという名のFBI捜査官。グレーのスーツを着たチビなので、スエードの革ジャン姿で長身のドルフ・ラングレンと並ぶとデコボコ振りがこっけいだ。
 悪の宇宙人がいれば善の宇宙人もいる。宇宙麻薬商人を追ってきたのは宇宙麻薬取締官(?)。手に持ったスペースガンはバリバリと連射がきき、しかも着弾点が爆発する派手な武器。
 ベースとなっているのはキャリコピストルという実在する拳銃。100連発のマガジンが銃を構えたときに地面と水平になる形で銃身の後ろにセットされる変わり種な銃だ。弾丸は螺旋状にセットされていて、ゼンマイ式のバネで装填されるそうだ。
 そもそもはライフルタイプのキャリコライフルが元だが、ライフルにしろピストルにしろ他の映画で観た記憶がないのでちょっとレアだ。

 とにかく全編を通してドッカンバッカンと大爆発の連続。
 やりすぎ?これが80年代なんだよ。

 基本ははみだし者の刑事と規則一点張りのFBI捜査官という水と油の二人が、次第に相手を認め合っていくという相棒映画。ここも80年代的だ。
 クレイグ・R・バクスリー(監督)はこの作品の前に『アクション・ジャクソン/大都会最前線』(1987)を撮っていて、個人的には大注目な監督だったのだが、その後あまりぱっとせず、TV用映画の世界に行ってしまった。
 アル・レオンの出番はやたら短く、アクションシーンもないままあっという間に死ぬので残念。
 主演のドルフ・ラングレンは顔は金髪碧眼の二枚目で身長も高く、極真空手の黒帯でアクションシーンもばっちり。しかもMITに在籍していた(卒業したかは知らん)頭脳の持ち主。日本語もしゃべれるそうだ。
 だが、『ロッキー4』の敵役で鮮烈ビューしておきながら、結局ぱっとしないまま。
 声がちょっと高めで妙に可愛らしいのがいけないのか。つまるところ、この人も80年代の人であった。

2006年12月04日

『DOOM ドゥーム』 寿司屋で大将に、サーチ and デストロ一丁(です“とろいっちょう”) なんつったりして。どぅーむすいません(林家三平)

B000FCUY68.jpg『DOOM ドゥーム』(2005) DOOM 104分 アメリカ/チェコ

監督:アンジェイ・バートコウィアク 製作:ジョン・ウェルズ、ロレンツォ・ディボナヴェンチュラ 製作総指揮:ジョン・D・スコフィールド 原案:デヴィッド・キャラハム 脚本:デヴィッド・キャラハム、ウェズリー・ストリック 撮影:トニー・ピアース=ロバーツ プロダクションデザイン:スティーヴン・スコット 編集:デレク・G・ブレッシン 音楽:クリント・マンセル
出演:カール・アーバン、ザ・ロック、ロザムンド・パイク、ラズ・アドティ、デオビア・オパレイ、ベン・ダニエルズ、デクスター・フレッチャー、リチャード・ブレイク、アル・ウィーヴァー、ヤオ・チン

 1993年に発表されたPCゲーム『DOOM』シリーズの実写映画化。FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)と呼ばれる一人称視点シューティングゲームだ。主人公の視点で通路などを進んでいき、銃などで敵を倒していく。NINTENDO64の『007 ゴールデンアイ』なんかがそうだ。って、古いな。
 アメリカでは大人気のジャンルだそうだ。オレも『バトルフィールド・ベトナム』というPCゲームに一時ハマっていたが、マウスとキーボードを駆使する操作方法には苦労した。FPSは難易度も高めの作品が多い気がする。なんでもアメリカ人のコアなゲーマーはスキルを含めていろいろすごいらしいからな。
 webで予告編を観たときは、ゲーム通りに一人称で未来的な建物の中を突き進んでいるシーンがあって、まさか戦闘シーンは全部これじゃないだろうなとある意味期待していたのだが、裏切られてほっとした。

 DOOMとは破滅とか悪い運命とかいった意味。
『ファンタスティック・フォー』の悪役の名が「Mr.ドゥーム」だったし、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』の原題は『INDIANA JONES AND THE TEMPLE OF DOOM』だったな。
 いやいや余計なことばかり書いて、どぅーむすいません、なんつったりして。あたしがこうやったら笑ってくださいよ。体だけは大事にしてください、ほんと大変なんすから。

 林家三平は遥か過去になった近未来。地球上から火星へのワープホールが発見され、そして人類は火星ですでに滅びた文明の遺跡を発見。ワープホールは火星人類が過去に作った物らしい。そして基地を作り研究者などが駐留して遺跡の研究を進めていた。
 ある日、基地から救難信号が発信され、主人公たち海兵隊の小隊はワープホールで救助に向かう。そして基地内を探索している内にモンスターに遭遇し、戦うことになるが、そのモンスターの正体とは・・・

 小隊を率いる軍曹を演じているのがザ・ロック。「忠実たれ」のタトゥーが入った背中からの登場で、どこかで見た絵面だなと思ったら、『ケープフィアー』のロバート・デ・ニーロの登場シーンが確か同じような感じだったはず。終盤になって、軍人としての任務に忠実なあまり邪悪な面が表に出てくるが、なるほどそれをどことなく予感させる。ヒーローではなく最終的には敵になる。『ハムナプトラ2』での特別出演以来の悪役だ。
 サーチandデストロイの指令通り、時にはモンスターと戦いながら基地内を探索していき、次第に謎が解けていく。あえて言うならば『エイリアン2』+『バイオハザード』といった感じ。ゲームの主人公も海兵隊員で、火星基地からの脱出のために戦うと言った内容だとか。ゲームの方はやってないが、設定は比較的忠実なようだ。

 ラスト近く、オリジナルゲームファンお待たせの一人称による戦闘シーンが開始される。
 これが延々とあって、実に5分ほどの長さ。銃に爆薬、ついにはチェーンソーまで振り回す。オレはレンタルDVDで観たが、これが劇場の大スクリーンだったら3D酔いするぞ。
 エンドクレジットの表示も無意味にFPS仕様で、笑ってしまった。
 ラストの肉弾格闘アクションがなかなか燃える出来だ。相手を横にして肩に担ぎ、グルグル振り回してから放り投げる、技の名前は分からないがそんなプロレス技も登場する。

2006年12月07日

『ダンジョン&ドラゴン』 元祖RPGがなっなんと映画化

B0009OATOO.jpg『ダンジョン&ドラゴン』(2000) DUNGEONS & DRAGONS 107分 アメリカ

監督:コートニー・ソロモン 製作:トーマス・M・ハメル、キア・ジャム、コートニー・ソロモン 製作総指揮:ネルソン・レオン、ジョエル・シルヴァー、アラン・ゼマン 脚本:トッパー・リリエン、キャロル・カートライト 撮影:ダグラス・ミルサム SFX:ジョージ・ギブス 音楽:ジャスティン・ケイン・バーネット VFX:ジョアン・コリンズ・カーリー
出演:ジェレミー・アイアンズ、ジャスティン・ホウェリン、マーロン・ウェイアンズ、ゾーラ・バーチ、リチャード・オブライエン、ブルース・ペイン、ゾー・マクラーレン
 古典テーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)である『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の映画化。昔は『ダンジョン&ドラゴンズ』って呼んでなかったか?映画のタイトルでは「s」が全部消えた。まぁいつものことだが、ダンジョン(迷宮)にしろ山のような数のドラゴンにしろ複数だろうに。

 TRPGとはパソコンやゲーム機を使わずに、テーブルの上を舞台にしてダンジョンマスター(いわゆるゲームマスター)が世界とストーリーを作って司会進行役を行う。そこでプレイヤーが人間、エルフ、ドワーフといった種族と戦士、僧侶、魔法使いなどの職業を決めてキャラクターを作り、その役を演じてゲームを進める。役割(ロール)を演ずる(プレイ)からロールプレイング。
 ドラクエやファイナル・ファンタジーだとプレイヤーは1人でパーティー全体を操作するが、TRPGでは自キャラ以外も人間が演じている。アニメにもなった『ロードス島戦記』はもともとパソコンゲーム誌『コンプティーク』の誌上で連載されたTRPGの紹介記事だった。わいわいがやがや楽しんでいる様子が感じられて面白そうだった。そのゲームも『ダンジョンズ&ドラゴンズ』をベースとしていたらしい。
 最近は『ラグナロク・オンライン』や『FFXI』などMMORPGとしてインターネット上で展開されるRPGが人気だ。これだと使うのはパソコンやゲーム機だが、その世界には他人が操作するキャラクターが多数いて、コミュニケーションゲームでもあるようだ。興味はあるのだが、どうにも敷居が高い感じであまりやったことはない。

 映画は『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのスケールを小さくして、ストーリーをお気楽にして、予算を減らしましたって感じ。
『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の世界観には『指輪物語』が大いなる影響を与えているとのことなので、似ているのは当たり前だろう。
 主人公のリドリーは若き盗賊。黒人の相棒と組んで、ちんけな盗みを繰り返している。そんな彼らがある日、魔法大学へと盗みに入る。そこで一枚の地図を盗み出したことから大冒険に巻き込まれることになる。
 盗賊に魔法使い(メイジ)に戦士。種族は人間にドワーフにエルフまで。もちろんドラゴンも空を飛ぶが、こいつらは鼻の穴のでかい豚顔で醜いだけであまり格好良くない。オレがこれまで見た中で、一番デザインが良かったのは『ドラゴンスレイヤー』(1981)のドラゴンだ。あれは凶悪そうで良かった。
 主人公の盗賊は冒険の中で自らが持つ秘められた力と運命に気づくことになる。勇者を捜していたら自分が勇者だった。ドラクエにもあったなぁ、そういうの。
 仲間に加わる女性エルフは黒人が演じている。ダっ、ダークエルフ?!

 ジェレミー・アイアンズが悪の宰相を演じているが、髪を二八分けにしていてあまり邪悪そうには見えない。なんか、真面目でかちっとした人って感じ。背も低そうに見えるんだよな。

 ラストの主人公と敵の行動隊長とによる剣での戦いは、『スターウォーズ 帝国の逆襲』のラストのよう。黒ずくめの格好をした悪の宰相と戦い初めてからは、ジェレミー・アイアンズがリドリーに向かって「私がお前に父だ」と言い出すんじゃないかとハラハラした。
 それをいうと、ドラゴンとドラゴンの空中戦もスターウォーズのドッグファイトにそっくりだけどな。

 比較的予算はかかっていないだろうが、CGIなどのSFXはなかなかがんばっているし、世界観もしっかり作られている。だが、演出がそれを活かすだけの力を持っていない。もったいなし。

2006年12月11日

『007 ドクター・ノオ』 ジェームズ・ボンド登場す

B000IU38J2.jpg『007 ドクター・ノオ』(1962) DR. NO 105分 イギリス

監督:テレンス・ヤング 製作:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:リチャード・メイボーム、バークレイ・マーサー、ジョアンナ・ハーウッド、テレンス・ヤング 撮影:テッド・ムーア 音楽:モンティ・ノーマン、ジョン・バリー
出演:ショーン・コネリー、ウルスラ・アンドレス、ジョセフ・ワイズマン、バーナード・リー、ピーター・バートン、ロイス・マクスウェル、ジャック・ロード、アンソニー・ドーソン

 007シリーズの記念すべき映画化第一作目。
 もう44年も前の作品なんだね。そりゃショーン・コネリーも禿げるわけだ。オレが生まれる前の作品である。
 後に予算をかけた大作化していくシリーズだが、『ドクター・ノオ』は比較的低予算で作られているようだ。派手なアクションもあまりないし、大規模なセットが全編を通して登場するわけでもない。「竜(ドラゴン)」と呼ばれる怪物の正体は火炎放射器を搭載した装甲車。装甲車と言っても本格的なヤツではなく、普通の車にガワを貼り付けただけでちゃちな感じだが、明るいシーンでは使わず暗い闇の場面にしか登場しないのでそのちゃちさがばれない。その辺りはさすがテレンス・ヤングは上手い。

 ジェームズ・ボンドはカジノでバカラ?をやっているシーンで登場。いきなり煙草を吸っている。世界的な嫌煙傾向にあるので、今となっては問題視される映像だろう。2006年版『カジノロワイヤル』では煙草を吸わないんだっけか?実はまだ観ていないのだ。
 Mとジャマイカで起きた情報部員の失踪事件に関する打ち合わせの後、愛用のベレッタを取り上げられ、代わりにワルサーPPKを支給される。このワルサーティモシー・ダルトンボンドで若干の変更が加えられたPPK/Sになるが、「トゥモロー・ネバー・ダイ』でワルサーP99に交代するまで長きにわたってボンドの身を守ることになる。その割に、今作では活躍しないが。

 Qから支給される各種秘密スパイ道具が007シリーズの魅力の一つであるが、今作で登場するのはこのワルサーPPK/Sと特殊機能無しのボンドカー、そしてガイガーカウンターぐらい。この頃はまだ比較的地味な映画だったのだ。

 オープニング前の一大アクションもまだない。銃口から狙われたスーツ姿のジェームズ・ボンドがパッと横向きざまに拳銃を撃つ「ガン・バレル(銃身)」と呼ばれるタイトルバックはすでに今作から登場している。ただし、そこで流れる音楽は「デーデ、デーデ、デーデデッデ」の007のテーマではなく、ピコピコピコの電子音。そこからオープニングクレジットが始まり007のテーマが流れる。
 そして3人の盲人がシルエットで映し出され、レゲエ風の『3匹の盲目ネズミ』に音楽が変わる。その盲人たちが実際に画面に登場して本編がスタート。なかなか凝ったタイトルバックだ。

 ボンドガールがたまたま悪党が支配する島で貝殻を採取していたり、悪の親玉であるドクター・ノオが怪力を放つ鋼鉄の義手を持っていながらほとんど活躍しないままにあっけなく死んでしまうなど、気になる点はいくつかあるが、テンポ良くラストまで進んでいく。
 ドクター・ノオが最終的悪玉ではなく、さらにその裏にスペクターという悪の秘密結社が存在することも分かり、続編を感じさせる終わり方だ。ただし、エンドクレジットにはまだ「JAMES BOND WILL RETURN」の文字は現れない。

 終盤はドクター・ノオの原子炉で二人は死闘を繰り広げる。(そんなに大げさじゃないが)
 ジェームズ・ボンドは防護服を着ているが、原子炉を暴走させているし、炉の真上で格闘を行う。あれは絶対放射線で被曝してると思うんだが、どんなもんだろうか。
 最後は基地が大爆発してるし、カリブ海が放射能で汚染されたのではないだろうか。今ほど放射線や放射能に関する知識が乏しかったに違いない。

2006年12月12日

『007 ロシアより愛をこめて』 オリエント急行の死闘

B000IU38JC.jpg『007 ロシアより愛をこめて』(1963) FROM RUSSIA WITH LOVE  115分 イギリス

監督:テレンス・ヤング 製作:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:リチャード・メイボーム、ジョアンナ・ハーウッド 撮影:テッド・ムーア 音楽:ジョン・バリー、テーマ曲:ライオネル・バート、モンティ・ノーマン 主題歌:マット・モンロー
出演:ショーン・コネリー、ダニエラ・ビアンキ、ロバート・ショウ、ペドロ・アルメンダリス、ロッテ・レーニャ、マルティーヌ・ベズウィック、ヴラデク・シェイバル、ウォルター・ゴテル、バーナード・リー、デスモンド・リュウェリン、ロイス・マクスウェル
 007シリーズ最高傑作との呼び声も高い第2作目。
 世界征服を狙う悪の秘密結社「スペクター」が本格的に姿を現し、ジェームズ・ボンド暗殺に乗り出す。スペクターの首領ブロフェルドは猫を抱いた首から下だけがスクリーンに映し出され顔は不明。キャストクレジットでも「?」となっている。『オースティン・パワーズ』など数々の作品でパロディ化された敵組織のボスのスタイルである。

 スペクターがロシアのイスタンブール領事館から暗号解読機を盗み出す計画を立てる。その計画に007を利用し、ついでに殺害してしまおうという一石二鳥の計画だ。
 殺し屋がジェームズ・ボンドに襲いかかるシーンから映画は始まり、いきなりボンドは殺されてしまう。えっ、マジっすか。
 驚きながらも、そんなはずはないだろと思ったらやはり違った。原作の小説が大人気だというのに、いきなり映画2作目で主人公を殺さないよな。
 Mがジェームズ・ボンドにイスタンブールでの秘密指令を伝えると同時に、Q(デスモンド・リュウェリン)がボンドに特殊なアタッシュケースと組み立て式狙撃銃を渡す。Qはその後シリーズを通してレギュラーになり、同じデスモンド・リュウェリンが『ワールド・イズ・ノット・イナフ』まで演ずることになる。デスモンド・リュウェリンが交通事故で亡くなったため、『モンティ・パイソン』で有名なジョン・クリーズが後を引き継いだ。
 本格的な特殊装備が登場したのは今作からだが、ボンドカーは登場しない。

 映画の看板に主演女優のイラストがあり、その口の部分に窓が開いてそこから逃げだそうとした悪党を狙撃して「口は禍の元」と言ったり、ボードに積んだ燃料ドラム缶を照明弾で爆破して「火のないところに煙は立たず」と言うなど、しょーもないボンドジョークは今作から登場する。ボンドってダジャレ系が好きなようだ。

 オリエント急行の個室でのロバート・ショウとの死闘から、小型ヘリコプターによる追跡、ボートでの逃走劇と終わりそうでなかなか終わらずアクションが続く。
 ついには失敗続きでこのままでは自分がブロフェルドから抹殺されると悟った老女幹部No.3自らが毒薬を塗ったナイフを仕込んだ靴でボンドに挑む。そのキックを防いだボンドは「これで蹴りがついた」とまたダジャレネタ。
 任務に失敗すると首領に殺されるってのはお約束だが、実際にこれをやると人材不足に陥るし、失敗を怖れて思い切った作戦が取れないと思うんだが、労務管理としてスペクターに欠点は多いんじゃないだろうか。

 エンディングには「JAMES BOND WILL RETURN IN "GOLDFINGER"」と書かれている。これまた今作以降のお約束。

2006年12月13日

『007 ゴールドフィンガー』 007シリーズフォーマットの完成

B000IU38JM.jpg『007 ゴールドフィンガー』(1964) GOLDFINGER 109分 イギリス

監督:ガイ・ハミルトン 製作:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:リチャード・メイボーム、ポール・デーン 撮影:テッド・ムーア 作詞:レスリー・ブリッカス 音楽:ジョン・バリー テーマ曲:レスリー・ブリッカス、モンティ・ノーマン 主題歌:シャーリー・バッシー
出演:ショーン・コネリー、ゲルト・フレーベ、オナー・ブラックマン、シャーリー・イートン、セク・リンダー、タニア・マレット、バーナード・リー、ロイス・マクスウェル、デスモンド・リュウェリン、ハロルド坂田

 オープニングタイトル前の派手なアクション、Qの秘密兵器工房、回転するナンバープレートなど特殊装備満載のボンドカー・アストン・マーチンなど、007映画のフォーマットが完成したシリーズ第3作。
 監督がテレンス・ヤングからガイ・ハミルトンへとバトンタッチされ、よりスケールアップされた娯楽映画になった。

 今回の敵はゴールドフィンガー。スペクターとは関係なく、単独の悪党である。
 マイアミのプールサイドで行う累計で10,000ドル程度のカードギャンブルでもいかさまを使って勝ちに行く守銭奴だ。ゴールドフィンガーというのは実在する姓で、映画音楽で有名なジェリー・ゴールドスミスなど、ゴールド何某という姓はユダヤ系に多いそうだ。
 オープニング、頭にカモフラージュ用のカモの模型を付けウェットスーツを着たボンドが闇に紛れて水から上がってくる。敵のアジトに侵入すると、何故か部屋にドラム缶単位で置いてあったニトロにプラスチック爆薬をタイマー付きでセットする。
 そしてアジトを出たところでウェットスーツを脱ぐと、下には白のタキシードを着ていて、その胸元に一輪の赤いバラを飾る。この瞬間である、ある程度リアリズム志向であった007シリーズが、面白いためなら、観客を楽しませるためなら何でもありに変化したのは。
 前2作でのジェームズ・ボンドは任務のためならば眉一つ動かさずに敵を殺すことのできる殺しの許可証00を持つ殺し屋だったが、今作では一時の情事の相手を殺されて、その復讐を胸に誓う男となっている。
 ちなみにその女性は体中に金粉を塗られ、皮膚呼吸ができなくて窒息死したという殺害方法だが、実際には人間の呼吸の内で皮膚呼吸の割合は1%なので皮膚呼吸ができなくてもそれで死ぬことはないそうだ。とまぁこんなことや「ドン・ペリニオンは3.5度以下に冷やして飲まなければならない」といった雑学・うんちくをボンドが言うようになるのも今作から。

 ヒロインのボンドガールが誰なのかなかなかはっきりしないのでちょっと戸惑う。それらしき女性が2人登場するが、あっという間に殺されてしまう。ようやくボンドガールのプッシー・ガロアが登場するが、ちょっとオバさん。色っぽいけどね。
 悪役としてはゴールドフィンガーがふてぶてしいが、それ以上に手下のよろず屋(オッドジョブ)役のハロルド坂田が印象に残る。執事が着るような正装にシルクハット。この帽子のひさしの縁には鋼鉄製の刃が仕込んであって、石像の首だって切断する強力さだ。ハロルド坂田はアメリカで活躍していた日本人レスラー。下駄履きでリングに上がると、正義の味方役の白人レスラーに塩で目つぶしをしたり(相撲の塩をまくところからヒントを得たのだろうか)、負けそうになると土下座をして、相手が振り向いたところを後ろから襲いかかるなど、悪役レスラー(ヒール)だったそうだ。

 ゴールドフィンガーが企んでいるのは「グランド・スラム計画」。
 アメリカ合衆国政府が保有している150億ドルの金塊がフォート・ノックスという所に保管してある。41,000人のアメリカ陸軍が警備し、仮に襲撃したとしても重量がありかさばる金を全て持ち出すことなど不可能だ。
 だが、ゴールドフィンガーの真の狙いは金を盗み出すことではなかった。フォート・ノックスの地下保管庫内で核爆弾を爆発させ、金を放射能汚染させることで利用不可能にし、自分がすでに保有している金の価値を飛躍的に増大させようというのだ。使うのはコバルト爆弾なのでガンマ線放出量が多く、より放射能汚染が強い。
 当時は米ドルは銀行に持ち込むと同価値の金と交換することができ(1971年に廃止)、つまりは流通貨幣分の金をアメリカが保有しているということで、それがアメリカドルの価値を保証していたのだが、それも不可能になりアメリカ経済の破綻、ひいては世界的な恐慌にも繋がる。
 その計画内容を知ったボンドは果たしてグランド・スラム計画を阻止することができるのか。

 フォート・ノックス内でのボンドとよろず屋の戦いはもはや伝説。
 核爆弾のタイマーも普通ならば爆発1秒前で停止させるところを、あえて何秒か早くすることでハッタリの効いたギャグとなっている。このハッタリの醍醐味が007シリーズである。
 悪役側は何度もボンドを殺す機会があったのに、殺せるときに殺しておかないから・・・。オレが犯罪組織のボスになったらボンドの類は真っ先に殺すな。まぁ、ボンドが敵に回るような大成した悪人にはなれないだろうが。
 さぁ終わったなと思わせたところでまだどっきりがある。このタイミングも絶妙だ。

「JAMES BOND WILL BE BACK IN "THUNDERBALL"」

2006年12月14日

『007 サンダーボール作戦』 世界の敵スペクター

B000IU38JW.jpg『007 サンダーボール作戦』(1965) THUNDERBALL 129分 イギリス

監督:テレンス・ヤング 製作:ケヴィン・マクローリー 製作総指揮:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:リチャード・メイボーム、ジョン・ホプキンス、ジャック・ホイッティンガム 撮影:テッド・ムーア 音楽:ジョン・バリー テーマ曲:モンティ・ノーマン 主題歌:トム・ジョーンズ
出演:ショーン・コネリー、クローディーヌ・オージェ、アドルフォ・チェリ、マルティーヌ・ベズウィック、ルチアナ・パルッツィ、リク・ヴァン・ヌッター、バーナード・リー、ロイス・マクスウェル、デスモンド・リュウェリン

 監督が1、2作目を撮ったテレンス・ヤングに戻ったシリーズ第4作。この作品まで007シリーズは毎年制作されていたのだ。企画・脚本段階から考えると、1年という期間は映画制作にとって決して長くはない。むしろ短すぎる。1作毎に大作化、大予算化されたため、次作からおよそ2年ごとの制作ペースとなって現在に至る。上映時間も前3作が2時間以内だったのに、今作は129分と長くなっている。
 この作品の頃からショーン・コネリーはジェームズ・ボンドに俳優としての役柄が固定されるのを嫌って降板を口にするようになっていたそうだ。その後、ジェームズ・ボンド色を拭い去るまでかなり苦労したことを考えると、彼の考えは正しかったようだ。

 恒例になったオープニング前のアクションでは圧縮空気を使ったバックパック型の飛行装置でボンドが空を飛ぶ。飛び立つ前にはちゃんとヘルメットを被り安全対策もばっちり。同じ原理の装置が1984年のロサンゼルスオリンピック開会式で実際に飛んでいた。そもそもは敵地への潜入など軍事用に開発されたそうだが、飛行距離の短さや騒音から実用には至らなかったそうだ。
 計画段階では良くても、実際に作ってみると役に立たないってのはよくあることだ。

 オープニングタイトルは海中をイメージしていて、『サンダーボール作戦』を象徴した素晴らしい出来だ。トム・ジョーンズの主題歌が暑苦しい。

 敵として国際的犯罪組織スペクターが再び登場。律儀に幹部が全員顔を揃えて会議のシーンから始まる。財務報告までしているのだから、こいつら犯罪組織ではなく普通の会社を興していれば十分成功していたんじゃないかとも思える。
 組織に背いた者はその場で抹殺という鉄の規律。前にも書いたが、人的資産がいくらあっても足りないぞ、これは。ちなみに日本人らしき幹部もいる。『007は二度死ぬ』への伏線だったりしてな。
 今回の敵は左目に黒い眼帯を付けたNo.2ことラーゴ。トップのブロフェルドがNo.1だから、その名の通り組織での順位が2番目の腹心の部下と思われる。
 ラーゴは館のプールに鮫を何匹も飼っていて、任務に失敗した部下はそこに放り込まれて哀れ餌に。氷河期が終わりつつあると言われてもまだまだ就職・転職が厳しい昨今だが、幾ら職がなくてもスペクターには就職したくない。そもそもどうやって人材を集めてるんだか。『フロムA』?それじゃバイトか。

 NATOの爆撃機が演習中に消息を絶つ。機体には2発の原子爆弾が搭載されていた。
 もちろんこれはスペクターの仕業。原爆を返して欲しければ大金と引き替えだとイギリス・アメリカなどを脅迫してくる。
 保養所でカイロプラクティックを受けたり、女といちゃついていたりしているジェームズ・ボンドにも緊急呼集がかかる。MI6本部に駆けつけると会議の真っ最中。00要員の座る椅子が9個並んでいて、ジェームズ・ボンドは7番目の椅子に座る。他の00要員の顔ははっきりと映らないが、やはり001から009までの9人がいるようだ。009は加速装置が付いてたりするんだろうか。
 パナマ諸島に謎の答えがあるとにらんだボンドはかの地に向かう。
 何気に出演回数の多いCIAのフィーリックス・ライター(フェリックス・ライター)と合流して共同で捜査に当たる。
 南国の島に合わせていつもはスーツ姿のQがパイナップル柄の青いアロハシャツとショートパンツで登場。腕時計型のガイガーカウンター(もちろん防水)や小型の空気ボンベなどを支給する。手渡すだけだから部下にでも任せれば良さそうな物だが、本人が出張ってくるとは休暇も兼ねていたのだろうか。
 ボンドの助手である女性がラーゴに誘拐される中盤辺りは少々ダレるが、海底に沈んだ爆撃機をボンドが発見した辺りから面白くなってくる。
 終盤のマイアミ沖での水中戦は敵味方みだれての大激戦。ラーゴは当計画のトップなのに自らウェットスーツにアクアラングで前線に立つ。自分は安全な場所にいて口先ばかりの企業のトップは見習って欲しい物だ。
 ラストでソビエトから連れてこられた科学者がラーゴに協力させられていたのを裏切ってボンドたちを助け、岩島に衝突する船から海に飛び込むまでは一緒にいるのだが、救命ボートの上に姿はなく、飛行機によって救助されるのもボンドとボンド・ガールのドミノだけ。明らかに保身のための行動で同情すべき人物ではないとはいえ、博士はどこ行ったんだ?

2006年12月15日

『007 007は二度死ぬ』 笑点の座布団運びの法則

B000IU38K6.jpg『007は二度死ぬ』(1967) YOU ONLY LIVE TWICE 117分 イギリス

監督:ルイス・ギルバート 製作:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:ロアルド・ダール 撮影:フレディ・ヤング 音楽: ジョン・バリー テーマ曲:レスリー・ブリッカス 主題歌:ナンシー・シナトラ
出演:ショーン・コネリー、若林映子、浜美枝、丹波哲郎、ドナルド・プレザンス、バーナード・リー、ロイス・マクスウェル、デスモンド・リュウェリン、カリン・ドール

 世界的大ヒットを飛ばす007シリーズがついに日本上陸。上陸と言っても映画が上映されたのではない、日本ロケである。117分の作品時間のほとんどが日本を舞台にしたシーンになっている。屋内シーンなんかはロンドンのスタジオで撮影された部分が多いようだが。

 まず最初に言っておくが、日本を舞台にしたり題材にした映画について、やたらと「これは間違っている。こんなの日本ではあり得ない。うんぬんかんぬん」と文句を言う人がいるが、制作者たちは正しい日本の姿を海外に知らしめるために映画を撮っているのではない。日本という東洋の国が持つオリエンタリズムに魅力を感じて題材にするのだ。だから、デフォルメされていて当たり前。それを言い出したら日本が撮った外国が舞台の映画やテレビドラマだってかなりいい加減だぞ。
 娯楽作品なんだから肩の力を抜いて楽しみましょうや。

 映画は宇宙から始まる。衛星軌道を飛行中のアメリカの宇宙船を謎の大型宇宙船が飲み込む。後のシーンではソ連の宇宙船が飲み込まれて同じく消息を絶ち、それぞれに相手の国の陰謀だとなじり合い、このままでは米ソの直接戦争は避けられない。
 謎の宇宙船が着陸したのが日本。だが頭に血が上った米ソ両国はそれを信じず、唯一イギリスだけが日本へと捜査に乗り出す。送り込まれたスパイはもちろんジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)。

 番傘のシルエットと噴火する火山、そして髪を結った女性によるオープニングタイトルバック。主題歌を歌うナンシー・シナトラはフランク・シナトラの娘だ。
 日本に向かう潜水艦の中でMの秘書マネーペニーがボンドにインスタント日本語という日本語のアンチョコを渡すが、日本語はケンブリッジで習ったからとボンドは自信ありげだ。その割に、日本語を話すシーンはほとんどないし、発音も何言ってんだか?だったりする。
 東京の夜景は『アサヒビール』を始めとしたネオンサインの山また山。ひょっとしたら『ブレードランナー』に影響を与えているのかも知れない。
 ボンドが真っ先に訪れるのは蔵前国技館。当時の大相撲横綱本人が登場し、ボンドとちょっとばかりやり取りがある。国技館では大相撲の真っ最中で、席は満席だ。よくそれだけエキストラを集めた物だと思うが、今もしも007シリーズの日本ロケがあってエキストラを募集したら、東京までの交通費や滞在費を出しても東京まで行くな、オレ。
 日本の秘密警察地下基地でタイガー・田中が登場。演ずるのは先日亡くなられた丹波哲郎。堂々とした物腰で、当時人気絶頂だったショーン・コネリーと一対一の芝居でも何ら臆した感じはない。
 今作のボンドカーはトヨタ2000GTだ。といってもボンドはハンドルを握らず運転するのは若林映子である。ナンバープレートが2000のこの2000GTは映画用に特別に作られたオープンカーである。本来はコンパーティブルが用意されていない車種なので、トヨタも力を入れて協力したのだろう。たしか格好良くてにこれは良い宣伝になる。
 敵と思われる大里化学に侵入した後は、タイガー・田中宅で田中と一緒に風呂に入るボンド。『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』(1999)で丹波哲郎演ずる温泉の精が「ジェームズ・ボンドと風呂に入ったことがあるんだ」とか言ってるが、それはこのシーンのことだ。
 今でこそ日本でも『007』は『ダブルーオーセブン』と発音されるが、当時は『ゼロゼロセブン』と呼ばれていた。それもあってか、タイガー・田中との無線通信ではボンドのことを『ゼロゼロ』と呼んでいる。
 大里化学を追っている内に、舞台は東京から神戸の港へ。そこで人足たちに襲われるが、その中の1人が笑点の座布団運びだった松崎真。現在の座布団運びである山田隆夫は『太陽の帝国』でトラックを運転する旧日本兵として登場していたが、どうやら笑点の座布団運びは世界的規模の大作映画に出演できるという法則があるようだ。

 そしてもちろんQも登場。組み立て式オートジャイロ「リトル・ネリー」を持って来日する。屋内シーンだけかと思ったら、オートジャイロが飛び立つ屋外シーンでもいるのでちゃんと来日して撮影されたようだ。
 阿蘇山火口(映画内の設定では阿蘇山ではなく架空の山)近く、を飛んでいたボンドはヘリコプターの集団に襲撃されるが、これを撃退する。どうやら敵の秘密はこの火山にありそうだと見当を付ける。そして事実、スペクターの秘密基地はその火山の中にあった。基地には猫を膝に抱いたブロフェルドがいた。ここではまた胸までしか映らず、顔は見えない。
 姫路城ではタイガー・田中の部下である忍者たちが訓練中。壁に立てかけた人型の的に手裏剣を投げるシーンでは、的から外れた手裏剣が壁を傷つけかなり怒られたらしい。そりゃそうだ。
 そしてボンドは日本人の漁師に変装し、島へと潜入するが、どこをどう見ても日本人には見えない。これでは逆に怪しいだろ。
 そして偽装結婚をする相手が浜美枝。英語はあまり得意ではなく撮影では苦労したそうだ。
 新婚という設定で家に着いて、食事に生牡蠣を出されるが「体に毒だ」と食べない。別にこのところ流行っているノロウイルスによる食中毒を怖れてのことではなく、牡蠣は精が付くといわれているので、浜美枝と同衾できないなら「無駄に精力が付いてはかえって毒だ」ってこと。宇宙船消失の謎を解きに来たのか、女性といちゃつきに来たのかどっちだまったく。

 スペクターの火口基地に忍び込んだボンドは発見され、No.1ことブロフェルドとついに対面することになる。ようやくと顔が映ったブロフェルドを演ずるのはドナルド・プレザンス。『大脱走』で偽造屋をやっていた人で、良い役者だと思うが大悪党ブロフェルドのイメージとはちょっと違う気もする。
 そしてアメリカの宇宙船がまた強奪される直前にタイガー・田中と忍者軍団が基地を強襲し激しい戦いに。スペクターのオペレーターをやってるのは『ピンク・パンサー』シリーズでクルーゾー警部の召使いケイトー役だった人だよな?

 かくして阿蘇山は大噴火するが、スペクターの野望は打ち砕かれ米ソ戦争の危機は去った。
 だが、世界はまだ平和ではない。

「JAMES BOND WILL BE BACK "ON HER MAJESTY'S SECRET SERVICE "」

2006年12月16日

『007 女王陛下の007』 スパイの宿命

B000IU38KG.jpg『女王陛下の007』(1969) ON HER MAJESTY'S SECRET SERVICE 142分 イギリス

監督:ピーター・ハント 製作:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:ウォルフ・マンキウィッツ、リチャード・メイボーム、サイモン・レイヴン 撮影:マイケル・リード、エグリ・ウォックスホルト 音楽:ジョン・バリー 主題歌:ルイ・アームストロング
出演:ジョージ・レーゼンビー、ダイアナ・リグ、テリー・サヴァラス、ガブリエル・フェルゼッティ、ベッシー・ラヴ、ジョアンナ・ラムレイ、カトリーヌ・シェル、バーナード・リー、ロイス・マクスウェル、デスモンド・リュウェリン

 ショーン・コネリーが降板し、二代目ジェームズ・ボンドとしてジョージ・レーゼンビーが起用されたシリーズ第6作。1930年生まれのショーン・コネリーに対してジョージ・レーゼンビーは1939年生まれと10歳近く若返った。その差は格闘など肉体を使ったアクションの切れのとして現れている。ただしレーサーそしてモデル出身のジョージ・レーゼンビーはお世辞にも演技力があるとは言えず、過去の作品と比べて今作はドラマ性が強調されているため見劣りがするのは確か。

 車を運転するボンドは、その後ろ姿、あるいは煙草を咥えた口元のアップ、逆光のシルエットとしてまずは登場する。顔がはっきり映るのは1、2分してからで、主演男優交代の違和感をなるべく取り除こうとしている。
 過去の007シリーズの映像を使ったオープニングでは楽曲だけで歌は無し。ルイ・アームストロングによる主題歌は、ボンドと恋人のトレーシーがいちゃつく中盤のシーンで使われている。
 Qの作った秘密兵器はインクジェットプリンターぐらいの大きさをした携帯コピー機。今では数万で手に入りそうな機械だが、Qにしては珍しく実用的な装備品だ。もっとも、Qから支給されたシーンはないので他の人が作ったのかも知れない。だから実用的なのか?
 第1作の『007 ドクター・ノオ』からして007シリーズは海が舞台の作品が多かった。ジェームズ・ボンドは英国海軍中佐なので海が似合うのは確かだが、今回の舞台となるのはスイスはアルプス山脈。山、それも雪山だ。
 前作『007は二度死ぬ』のラストで取り逃がしたスペクターの首領ブロフェルドを追って、致死性ウイルスを開発している山頂の研究所に紋章学者として潜り込む。
 正体がばれてロープウェイの機械室に監禁されてしまうが、ロープを送り出す窓が開いているのでそこからあっという間に脱出。ブロフェルドももう少し考えろよ。ちなみに今作のブロフェルド役はテリー・サヴァラス。もちろんハゲだ。憎たらしくて前作のドナルド・プレザンスよりも悪役度が高い。
 そしてスキーにて麓の村を目指すが、ブロフェルドの手下に発見されスキーチェイスが始まる。確実なことは言えないが、スキーによるアクションシーンの原形として後々の作品の手本になっていると思われる。敵の1人が除雪車に巻き込まれて血染めの雪となるが、嫌な死に方だ。
 国連はブロフェルドのウィルスによる脅迫を受け入れることに決定し、Mはボンドに何もするなと命令するが、ボンドはそれに逆らってトレーシーの父親がボスを務める犯罪組織の力を借りて研究所をヘリコプターで強襲する。Mの指示に従わないという点でもシリーズ異色作である。他にボンドが暴走するのは『007 消されたライセンス』ぐらいか。

 ラストはボンドとトレーシーが結婚し、ボンドはスパイ稼業を引退することになる。だが、ハネムーンに向かう車をブロフェルドが銃撃し、トレーシーは死んでしまう。
 007シリーズはボンドとヒロインが抱き合って終わるのが多く、今回も形はそうだが悲劇として終わる。
 ジェームズ・ボンドは1人の女性と結婚してごく幸せな自分の生活を送ることは許されず、お国のため、女王陛下のためにスパイとして生き続けなければならない宿命なのだろう。タイトルの『女王陛下の007』はそういった意味だと解釈している。
 スパイは孤独だ。

 ジョージ・レーゼンビーは今作限りでジェームズ・ボンド役を降ろされた。観客から不評だったせいもあるが、かなり傲慢な性格でスタッフに嫌われたのが一番大きかったそうだ。
 その後、B級映画などに多少出演しているようだが、オレが観たのは『ケンタッキー・フライド・ムービー』で「先生」「看護婦」「先生」「看護婦」ってやってるのと、その後のナポレオン・ソロとして作られたTV用映画『ナポレオン・ソロ』に「JB」のナンバープレートが付いた白いアストン・マーチンに乗った英国スパイ役としてのゲスト出演ぐらいだ。イリヤ・クリヤキン(デビット・マッカラム)がナポレオン・ソロ(ロバート・ボーン)に「ひょっとして彼か?(ジェームズ・ボンドか?という意味だろう)」「ああ、彼だ」とか言ってて笑った。

「JAMES BOND WILL RETURN IN "DIAMONDS ARE FOREVER"」

2006年12月17日

『007 ダイヤモンドは永遠に』 ラスヴェガスでのカーチェイス

B000IU38KQ.jpg『007 ダイヤモンドは永遠に』(1971) DIAMONDS ARE FOREVER 120分 イギリス

監督:ガイ・ハミルトン 製作:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:トム・マンキウィッツ 撮影:テッド・ムーア 特殊効果:アルバート・ホイットロック 音楽:ジョン・バリー テーマ曲:モンティ・ノーマン 主題歌:シャーリー・バッシー
出演:ショーン・コネリー、ジル・セント・ジョン、チャールズ・グレイ、ラナ・ウッド、ブルース・キャボット、ジミー・ディーン、ノーマン・バートン、バーナード・リー、ロイス・マクスウェル、デスモンド・リュウェリン


 主人公の一人称視点で怒り狂い暴れうジェームズ・ボンド。「ブロフェルドはどこだ?」とスペクター関係者を殴り倒す。『女王陛下の007』のラストで花嫁のトレーシーがブロフェルドによって殺されたため、その復讐に乗り出したのだ。
 途中まで顔が映らないのは、ジョージ・レーゼンビーから再びショーン・コネリーにキャスティングが変更になったため、それを埋める演出である。
 ブロフェルドの居所を突き止めたボンドは、スペクターの基地に侵入してブロフェルドと対決する。またもや顔が変わったブロフェルド。今回演ずるのはチャールズ・グレイだ。この人は『007は二度死ぬ』で味方側として登場してあっという間に死んだ役者じゃないか。昨日の友は今日の敵ということか。ちょっと違うか。色素の薄い青い瞳が残虐っぽくてそれほど悪くないのだが、頭の毛は剃って欲しかった。ハゲじゃなきゃブロフェルドじゃないぞ。
 そしてボンドはブロフェルドの殺害に成功する。したかに見えたのだが・・・

 というわけでシリーズ第7作『007 ダイヤモンドは永遠に』が始まる。まるで婚約指輪の宣伝文句のようなタイトルだ。
 南アフリカのダイヤ採掘現場から原石が盗み出されているらしい。そのダイヤは一旦オランダに持ち込まれていることが判明する。
 ブロフェルドは殺したことだし、地味な任務に就けとMから命令されたボンドだが、深く関わっていく内に地味どころか巨大な陰謀が裏に潜んでいたのである。
 今作のボンドガールはティファニーという名前。母親がティファニー店内で産気づいて彼女を出産したためその名が付けられたという。どうでもいいけど臨月なのに宝飾品店で買い物をしているのはちょっとどうかと思うぞ、お母さん。状況いかんでボンドに協力したり、敵側に付いたりと、あまり好感は持てないヒロインだ。
 全編を通して登場する二人組の殺し屋がボンドと対決することになるが、ブ男と前半分がハゲの組み合わせで、ユーモラスではあるがちっとも怖くはない。ギャグあるいは間抜けそうに見えて残虐という意外性を狙ったのか。とりあえず失敗だとは思う。
 自分が殺した悪党に成りすまして、ボンドはダイヤモンドをアメリカに密輸する。アメリカの空港で待っていたのはもちろんCIAのフェリックス・ライター。この人もまた演ずる役者が変わっている。同じ人を使わないのは何でなんだろうか?
 そして舞台はギャンブルの街ラスヴェガスに。ホワイトハウスという名のホテル・カジノがあり、そこの社長ホワイトは最上階のペントハウスに篭もったきり三年も人前に姿を現していない。どうやらこのホワイトが裏で糸を引いているようなのだが、その正体はボンドが殺したはずのブロフェルドだった。殺したのは同じ顔に整形した影武者だったのだ。
 スペクターの研究所から月面車で脱出したボンドだが、三輪バギーに追われあやわ追い詰められそうになるが、機転で無事に切り抜ける。エンドクレジットにホンダの名前があり、どうやらこの三輪バギーはホンダ製品のようだ。
 そして保安官たちの運転する何台ものパトカーとカーチェイスを繰り広げる。アクションの質が『女王陛下の007』のスキーチェイスから格段に向上しており、ここでのカースタントは以前の物と比べてかなり工夫が凝らされている。車の幅よりも狭い路地を片輪走行で通り抜けるシーンが面白い。『ダイヤモンドは永遠に』ではカットを割って撮影されているが、ジャッキー・チェンの『Who am I』だったと思うが、こちらにもほぼ同様のスタントがあってそちらでは1カットになっていた。007のカースタントチームは『スパルタンX』に参加していたりと、ジャッキー・チェンとは縁があるようだ。昔、いすゞのジェミニのCMでワルツを踊るように走る車が話題になったが、あれを担当したのも007のカースタントチームだったはず。
 ブロフェルドによって人質になっていたホワイトを救出するためにボンドは郊外の別荘を訪れる。ここで白人と黒人の二人の女性にボンドはかなりコテンパンに叩きのめされてしまう。他のシーンでもそうだが、コネリーボンドは射撃の腕は良いが、格闘戦は苦手なようだ。
 ボンドが使うQの秘密兵器は指の腹に貼るニセ指紋と携帯ミサイルぐらいだが、Q自身が指輪型のスロットマシーン操作機でカジノで大勝ちしている。シリーズ中もっとも実用的な秘密兵器かも知れない。オレにくれないだろうか、パチスロに行って一儲けするのだが。まぁ捕まりそうだし、そもそもギャンブルは宝くじすらやらないんだけどね。
 ホテルが隠れ家として役に立たなくなったためブロフェルドは車で逃げ出すのだが、なんと女装している。意味がないというか、逆に目立つだろうに。ただ単に女装したかっただけじゃないのか。「だってしょうがないじゃありませんことですわよ。素顔だとばれてしまいますからオホホホ。あらご免あそばせ」とか言いながらファンデーションをパタパタやってるの。うげげ。
 ダイヤモンドを集めていた理由は、人工衛星に積むレーザー兵器に必要だったから。前作は致死性ウイルスで今作は宇宙兵器。スペクターは多角経営だ。

 全体的にだれた感じが否めない。ショーン・コネリーがもうやりたくないというのに無理矢理引きずり出されてボンド役をやっているというのもその一因だろう。
 イギリス、オランダ、ラスヴェガスと舞台が変わっていくが、そのテンポもあまりスムーズではない。ガイ・ハミルトンは好きな監督なのだが、今作はちょっと・・・と首をかしげずにはいられない。

「JAMES BOND WILL RETURN IN "LIVE AND LET DIE"」

2006年12月18日

『007 死ぬのは奴らだ』 因幡の白ウサギことジェームズ・ボンド

B000IU38L0.jpg『007 死ぬのは奴らだ』(1973) LIVE AND LET DIE 121分 イギリス

監督:ガイ・ハミルトン 製作:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:トム・マンキウィッツ 撮影:テッド・ムーア 特撮:デレク・メディングス 音楽:ジョージ・マーティン テーマ曲:モンティ・ノーマン 主題歌:ポール・マッカートニー&ウィングス
出演:ロジャー・ムーア、ヤフェット・コットー、ジェーン・シーモア、クリフトン・ジェームズ、ジェフリー・ホールダー、デヴィッド・ヘディソン、バーナード・リー、ロイス・マクスウェル、マデリン・スミス、ジュリアス・W・ハリス

 ショーン・コネリーから三代目ジェームズ・ボンドとしてロジャー・ムーアに変わったシリーズ第8作。この作品の銃口越しに狙われるボンドというオープニングからソフト帽がなくなる。時代的に帽子を着用している人が少なくなっていたのだと思うが、キャスト変更で若返りの雰囲気を出したかったのかも知れない。でも、1930年生まれのショーン・コネリーに対してロジャー・ムーアは1927年生まれ。実は年が上になったんだよね。
 映画館で初めて見た007シリーズが『007 私を愛したスパイ』なためか、オレが一番好きなのはロジャー・ムーアが演ずるジェームズ・ボンドだ。野性味や残酷さがあったコネリーボンドに比べて、ムーアボンドは笑顔がデフォルトで茶目っ気も強い。
 今回は登場するなり女性と同衾しているが、そこにM自らボンド宅を尋ねてくる。女性をクローゼットに隠して、そこにMを近づけないようにちょっとしたドタバタが繰り広げられる。コメディかよ。
 Mがオフィスにボンドを呼びつける暇すら惜しんだのは、アメリカで3人の英国諜報部員が殺されたから。その中でもニューヨークのハーレムでの殺人は、黒人の葬式を通りで眺めていた諜報部員(白人)が脇に立っていた男に「あれは誰の葬式だい?」と尋ねると「あんたのだよ」とナイフで殺され、その死体が棺桶に入れられると楽隊がそれまで演奏していた悲しげな音楽から「パラッパ~」とトランペットを鳴らすにぎやかな曲に切り替え、参列者たちは楽しそうに踊りだす。お気に入りのシーンだ。
 オープニングタイトルは髑髏が繰り返し登場する不気味な物。いつもの美しいから路線としてはちょっと外れている。ブードゥーが関わってくるのでそのイメージか。主題歌を歌うのはポール・マッカートニー。コネリーボンドが「ビートルズを聴くときは耳栓をすること」と言っていたことから考えるとやはりボンドは若返ったようだ。実際のロジャー・ムーアがビートルズのファンかは知らないが、なんとなく聴いていても違和感を感じない気がする。ちなみにロジャー・ムーアって元はアニメーターで、そこから演劇を始めて役者になったという一風変わった経歴の持ち主。絵は上手いんだろうな。
 日常生活ではボタンを押すと文字盤が赤く輝くデジタル腕時計を使っていたが、任務に出発する前にMが「これはQからだ」とアナログ式腕時計を手渡される。この腕時計は竜頭を引っ張ると強力な電磁石になり、さらには文字盤外周が回転して丸ノコにもなる。今回、Qは名前が出てくるだけで姿は見せず、ファンにとってはちょっと寂しい。
 パン・ナムの航空機でアメリカに到着したボンドは早速悪党に命を狙われるが、無事に切り抜けてCIAのフィーリックス・ライターと合流。
 映画の中ではタイトルの「LIVE AND LET DIE」についての説明がないが、原作ではボンドとこのフィーリックス(だったと思う)の会話に登場する。「こちらも生きて、あちらも生かす(お互い様)。それが我々の方針だ」というフィーリックスにボンドが、「こちらの方針は違う。こちらは生きて、相手は殺すだよ(LIVE AND LET DIE)」と言うのだ。
 CIAが使っているオープンリールデッキにははっきりと「パナソニック」の文字がある。最新作『007 カジノロワイヤル』からMGC買収により制作にソニーが関わっているそうで、パソコンはVAIOを使うなどソニー製品がいくつも登場しているそうだが、過去の作品まで遡ってCGで「Panasoninc」→「SONY」のように企業ロゴを変更したりしないだろうか?やらないよな。やらないよ。うーん、やらないだろうな。でもソニーだしなぁ・・・

 今作のボンドガールは最初から敵の手の中にある。タロットを用いて百発百中で未来を予言する美人占い師ソリテールだ。彼女は処女で、その処女性が不可思議な力の源であって、処女でなくなるとその魔力も失ってしまう。おそらくはなんらかの神話がベースとなった設定だろう。ザ・ロック主演の『スコーピオン・キング』でも同じ設定の女性占い師が登場していた。日本の神社にいる巫女さんなんかもその一種か?
 悪党のボスである黒人のカナンガは、彼女の力を悪用してジャマイカの島でケシを栽培し、そこから抽出したヘロインをただでばらまこうとしている。そして中毒患者だらけになったところで販売に切り替え大もうけを企んでいるのだ。これまでの悪役であるスペクターやゴールドフィンガーと比べると小粒だが、反麻薬運動が世界的に高まっていた当時の動向を取り入れたのだろう。
 ボンドとソリテールが初めて出会ったシーンで彼女がタロットカードを引くと現れたのは「恋人たち」のカード。その後、1人でボンド占っていて、そこで現れたのもまた「恋人たち」のカード。
 カナンガの屋敷に侵入したボンドがソリテールが占いに使っているテーブルでタロットカードを弄んでいる。そしてソリテールに一枚引かせると、それも「恋人たち」のカードだった。やはり神聖なる魔力は存在するのか・・・
 キスをする二人。ボンドの手から残りのカードがこぼれ落ちる。表面を上に床に落ちたカードは全て・・・っておい。

 ハーレムにある敵のアジトをCIAの諜報部員が見張っているところに、観客にはすでにお目にかかっている黒人の葬式が近づいてくる。今回は殺害シーンは省略されそのままにぎやかな音楽に変わる。この省略が楽しい。

 運動性能の高いスポーツカーではなくあえて動きの鈍い二階建てバスを使ったカーチェイスや、空港内での飛行機と車のカーチェイス。
 ボートチェイスの歴史を変えた、といってもボートチェイス自体があまり映画に登場しないが、スクリューではなく水流を噴射して進むジェットボートによるチェイスが派手で楽しい。アクションに関してはムーアボンドの世代になって明らかにランクアップした。もっとも、派手さを追求するあまりリアリティが薄れたのも確かではある。その後のアクション映画に与えた影響が大きいことを考えると個人的には成功だと思う。
 マシンを使ったアクションばかりではない。クロコダイル牧場で池の中にある小島に置き去りにされてしまったボンドにクロコダイルワニたちが牙を剥き出しにしてジワリジワリと近づいてくる。秘密兵器の電磁石内蔵腕時計で対岸にある手こぎボートを引き寄せようとするがボートはロープでつながれていて無理。
 ボンドはワニの餌となって終わるのかと思った瞬間、そこで何匹か横に並んだワニの上を走って渡り見事脱出。お前は因幡の白ウサギか。ちなみに作り物ではなく本物のワニ。子供の頃にテレビで観たときはボンドの全身が映っていたという記憶があるのだが、後に観直してみると下半身しか登場していなかった。そりゃそうだよな。ボンドのスタントマンを演じたのはワニ牧場の飼育員だとか。
 ボートでの追跡劇ではペッパーという名の太った保安官が登場する。次作『黄金銃を持つ男』のためにもしっかりその顔を覚えておきましょう。こうしたあからさまなお笑いキャラが登場するのも今作から。保安官の他には州警察に自然保護レンジャーまで登場して、アメリカの司法組織の複雑さを感じさせる。どうやら街などの担当自治地域の中では保安官の方が州警察よりも権力があるようだ。だが、街を一歩出れば保安官もただの人。州警察の警官は他州では権限はないが一応警官。州をまたいだ犯罪にはFBIと。レンジャーは国立公園などを警備しているようだ。書いててよく分からん。

 中盤に大きなアクションがいくつもあったせいか、ラストの戦いは案外地味。セットも小さい。
 1970年代に入り、世界情勢も変わり、アクション映画も変わっていった。その中で、いかに007シリーズの方向性を決めていくかについて、若干の迷いがありながらも作り手として手応えは感じていたのではないかと個人的には思う。
 イアン・フレミングとしては望ましい方向性ではなかったと思うが、8作も続き作品規模も大きくなったこの時点で、すでに映画は作者の手を離れたに近い。良い悪いは別にして。
 ふとここ一週間ほどに書いた文章を読み直してみたらああた、007シリーズを『ドクター・ノオ』から順番に書いてるではないですか。うーむ、気がつかなかったなぁ。(嘘付け)
 取りあえず、毎回DVDで該当作を観直してから書いてるんですが、今回の『死ぬのは奴らだ』が一番楽しんで観られた。やはり力が入ったショーン・コネリーよりも肩の力を抜いた感じのするロジャー・ムーアの方が好きなんだろう。

「JAMES BOND WILL RETURN IN "THE MAN WITH THE GOLDEN GUN"」

2006年12月19日

『007 黄金銃を持つ男』 ドジっ娘には向かない職業

B000IU38LA.jpg『007 黄金銃を持つ男』(1974) THE MAN WITH THE GOLDEN GUN 125分 イギリス

監督:ガイ・ハミルトン 製作:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:リチャード・メイボーム、トム・マンキウィッツ 撮影:テッド・ムーア、オズワルド・モリス 音楽:ジョン・バリー テーマ曲:モンティ・ノーマン 主題歌:ルル
出演:ロジャー・ムーア、クリストファー・リー、モード・アダムス、ブリット・エクランド、リチャード・ルー、クリフトン・ジェームズ、マーク・ローレンス、スーン=テック・オー、デスモンド・リュウェリン、バーナード・リー、ロイス・マクスウェル

 前作では登場人物の口から名前が出るだけでQ自身はスクリーンに登場しなかった。その分を取り戻すべくなのか、今回は1度だけではなく何度も登場シーンがある。やはりQあっての007シリーズだなと再確認したシリーズ第9作。
 Qは秘密兵器開発を行っているQ支局の責任者。Q支局の責任者だからQなのか、Qが責任者だからQ支局なのか。おそらくは前者だとは思うのだが、ボンドの上司のMはなんでMなんだろうか?
 開発といえば、今日は2週に一度の通院日。オレが通っているのは市民病院で計算の窓口に書類を出して、しばらくすると名前を呼ばれて会計の窓口で精算をする。市民病院だから窓口にもそれなりの人数が働いている。担当者は胸に名前が記載されたバッチを付けているのだが、今日の計算窓口にいたのは「開発」さんだった。他の人は例えば「鈴木」とか「田中」とか書かれているので、「開・発」ではなく「開発」で苗字なのだろう。これは「かいはつ」と読むのだろうか。書類を出したときはふーんと思っただけなのだが、精算を待っている間にどんどん気になっていった。お金を払い終わった後、そのまま帰ろうとしたが思いとどまり、「開発」さんの計算業務の手がちょっと止まった瞬間を利用して訊いてみた。
「そのお名前、かいはつさんとお読みするんですか?」
「いえ、かいほつです」
「そうですが、どうもお手数かけました」
 尋ねることは尋ねたのでとっとと帆かけて逃げた。
 そうかー、開発と書いて「かいほつ」と読むのか。これは訊かなきゃ分からない。オレは横浜生まれの名古屋育ちだが、今は都合でそのどちらとも関係なく距離もだいぶと離れた土地で暮らしている。ひょっとしたらこの土地では開発という苗字は極端に珍しくはないのかも知れない。この苗字の人が理系に進み、就職して開発部所属になったらいろいろギャグにされるのだろう。
 念のために言っておくと、オレは普段ほとんど通りすがりに過ぎないような相手に苗字の読みを訊いたりはしない。今回は007シリーズで秘密兵器「開発」をしているQのことが頭にあったからだ。その理由もどんなもんかとは思うが。

 ルルの勢いと迫力のあるボーカルによる主題歌がパワフル。「ザ・マン・ウィズ・ザ・ゴールデン・ガン!!」思わず拳を握ってしまう。前作の主題歌『LIVE AND LET DIE』が比較的パンチの弱い曲だったが、この系統の方が好きだ。『ゴールドフィンガー』とかな。
 MI6に007と刻印の入った黄金の銃弾が送られてくる。市場には存在しない4.2mm口径という特殊な口径で23金+白銅で作られた黄金弾だ。
 その弾丸の謎を追ってジェームズ・ボンドはベイルートとマカオを経て香港へ。途中で出会うその弾丸を作った銃職人が「人を殺すのは銃ではなく人だ」という。個人的に好きなセリフだ。役柄からしていかにも殺され役だなと思った銃職人だが、なんてこともなくそのまま物語から退場。
 浮かび上がってきたのはスカラマンガ(クリストファー・リー)という名の殺し屋。サーカスで生まれ育ちそこで射撃の腕を身につけたこと、そして三つ目の乳首があること以外は顔や外見など一切不明の謎の殺し屋だ。仕事には黄金銃を使い、報酬は1人当たり100万ドル。金も欲しているが、それ以上に殺しへの欲求が強い男で、単に殺すのではなく「もっと強いヤツと戦いたい」と『ストリートファイター2』のCMコピーのようなことを考えていて、いずれはボンドと戦いたいと願っている。
 そのスカラマンガの部下というか愛人の女性が、スカラマンガの異常振りに怯えてボンドに接近してくるが、最初は彼女を信用せず腕をねじり上げたり頬を叩いたりとボンド意外に残忍な振る舞いを見せる。コネリーボンドならば違和感がないのだろうが、女性のシャワーシーンに出くわして思わず鼻の下を伸ばしているようなムーアボンドには似合わない。
 香港にいたはずなのに、ボンドが気絶させられて格闘技の道場に連れてこられるとそこはもうタイだったりと、地理関係がちょっといい加減。単に東南アジアという括りで一まとめにされている。『007は二度死ぬ』での日本はそんなに大きく間違っている部分はなかったと思うのだが、今回の香港・タイは映画でしか現地を知らないオレから観ても明らかに間違っているだろ、それ!というシーンが多々ある。
 舞台が東南アジアで、空手などの格闘アクションがあり、ラストのスカラマンガの屋敷では鏡などを使ったトリックルームで主人公対悪漢の戦いがあるなど、この『007 黄金銃を持つ男』(1974)は『燃えよドラゴン』(1973)の影響を明らかに受けている。相撲取りまで出てくるしな。それにしても二人の姪っ子つええええぇぇー!
 その伯父であるヒップを演ずるのはスーン=テック・オーという中国系俳優。どっかで見た顔だと思ったら『ファイナル・カウントダウン』でジェット戦闘機によって撃墜され空母に捕らえられたゼロ戦のパイロットをやってた人だ。

 道場から抜け出したボンドは小型のモーターボートを手に入れ(別名・盗んで)ちょっとしたボートチェイスが始まるが、『007 死ぬのは奴らだ』に比べると規模は極めて小さい。
 楽しいのはその後のカーチェイスだ。スカラマンガが乗った自動車を追いかけるためボンドはカーディーラーで車を調達して(別名・盗んで)、助手席に座っていた客を乗せたまま走り出す。その客というのが『死ぬのは奴らだ』でボンドとカーチェイスを繰り広げたペッパー保安官。奥さんと東南アジアを旅行中だったのだ。007シリーズにはMやQはもちろんとして、CIAのフィーリックス・ライターやKGB(後に退職)の白いスーツを好んで着るエージェントなど何作かに渡って登場する人物はいるが、直接的にストーリーに関係ない人物で再登場したのはペッパー保安官だけだろう。
 カースタントの規模としては他作品に劣る部分もあるが、当時の技術の粋を凝らした名スタントがある。それは壊れて傾き、途中が落ちてなくなっている橋を車でジャンプして飛び越えるシーン。橋が傾いているので車もそれに沿って傾き、ジャンプしてる最中も回転運動が続いて、ぐるっと360度横に回転して通常の向きで着地。何度も計算を繰り返して微妙な調節を行ってようやく成功したそうだ。今観てもすごいシーンなのだが、効果音が「ヒュ~ポ~」ってのはどんなもんだろう。
 そしてとあるガレージにスカラマンガの乗った車を追い詰めるが、その車は飛行機に変形してトランクにMI6の新米女性職員グッドナイトを乗せたまま大空へと飛び去ってしまう。グッドナイトはあっちで大人しくしてろと言われたのに、ボンドの役に立ちたくてスカラマンガの部下である小人を追いかけていて捕まってしまったのだ。んーまったく。
 ちなみに変形すると言ってもスイッチ一つでガシャンガシャンと『超時空要塞マクロス』のバルキリーみたいに変形するわけではなく、飛行機に無理矢理翼とエンジンを載せてくっつける方式。メーターなんかはスイッチでクルッと飛行機用に変わったが、翼やエンジンを車に最初から積んでいるならともかく、置いてあったガレージで取り付け作業を行う手間を考えたら、最初からそこにセスナ機でも置いておけば良かったんじゃなかろうか。まっ、そこらも含めて007シリーズの魅力なんだが。
 スカラマンガの使う黄金銃にしたって、ライター、シガレットケース、そして万年筆を変形・組み立てして拳銃になる。ばらばらの状態だと身体検査をされても銃を持っているとばれないが、そういったシーンは映画には登場せず、普通に銃を持ち込んでも問題なさそうだ。そうなると銃の変形・組み立てには何の意味があるんだってことになるが、それが007シリーズってもんでしょ。

 ラストに悪党との対決はお馴染みだが、今回は背中合わせから始まる古式ゆかしき決闘方法。ちなみにスカラマンガ役のクリストファー・リーは原作者イアン・フレミングの実の従兄弟で(実の従兄弟ってのも妙な表現ですが)、原作の段階でリーをイメージしていたとのこと。
 そのボンドをグッドナイトが助けると思いきや、低温に保たねばならない液体ヘリウムの温度を上げて太陽発電システムは暴走して爆発を始めるし、後ずさったときにうっかりお尻でボタンを押してボンドを反射板で集中させた太陽光線で焼き殺しそうになったりと、見事なドジっ娘ブリを発揮。お前はコミックかアニメの登場人物か。
 顔は綺麗というよりも可愛い感じで、オレとしては嫌いじゃないが、ドジっ娘にスパイは無理だと思った。
 無事に事件は解決したが一つだけ気になることがある。ボンドは土産物売りの少年に2万バーツを払いに行ったんだろうか?

「JAMES BOND WILL RETURN IN "THE SPY WHO LOVED ME"」

2006年12月20日

『007 私を愛したスパイ』 行くぞ~ロータス・エスプリ、海の底~♪

B000IU38LK.jpg『007 私を愛したスパイ』(1977) THE SPY WHO LOVED ME 125分 イギリス
監督:ルイス・ギルバート 製作:アルバート・R・ブロッコリ 原作:イアン・フレミング 脚本:クリストファー・ウッド、リチャード・メイボーム 撮影:クロード・ルノワール 特撮:デレク・メディングス 音楽:マーヴィン・ハムリッシュ テーマ曲:モンティ・ノーマン 主題歌:カーリー・サイモン
出演:ロジャー・ムーア、バーバラ・バック、クルト・ユルゲンス、キャロライン・マンロー、リチャード・キール、バーナード・リー、デスモンド・リュウェリン、ロイス・マクスウェル、ウォルター・ゴテル、ジェフリー・キーン、ショーン・バリー、ニコラス・キャンベル

 世の中、「面白ければなんでも良いじゃん」と無責任に言う人は多い。
 でわってんでその面白ければ何でもありの映画を作って持っていくと、「これはさすがにちょっとやり過ぎだろ」とか抜かす。大衆というのは結局保守的で、極端に突き抜けた作品はなかなか受け入れてくれない。
 シリーズも二桁になり長寿化がはっきりしてきたシリーズ第10作がこの『007 私を愛したスパイ』である。
 ネット上で情報を集めてみたが、どちらかというと「やりすぎだろ」とか「不真面目だ」「リアリティがない」といった否定的な意見の方が多かった。
 中途半端ではなくやりすぎだから面白いんだろ。それにリアリティな作風はは『007 ゴールドフィンガー』の時点で捨てたはずだ。
 まっ、その人たちがどう言おうが、オレは『私を愛したスパイ』が大好きだし、ボンドはムーアボンドに限ると思っている。

 『黄金銃を持つ男』はパワフルで勢いのある主題歌とタイトルバックだったが、『私を愛したスパイ』ではしっとりとした主題歌と優雅なタイトルバックになっていて、ロマンスを感じさせる物になっている。007は凝ったタイトルバックで知られるが、これはシリーズ中でもかなりの出来の良さではないか。
 イギリス、そしてソ連の軍事用原子力潜水艦が相次いで消息を絶つ。
 オーストリアはアルプスの山小屋で休暇中だったジェームズ・ボンド(もちろん美女付き)だがMからの出頭命令が下る。ちなみにそれを受信するのはタイプ印字式受信機能を持つ以外はごく普通の日本製液晶デジタル腕時計。Qの特製秘密兵器だろうが、ぱっと見は今なら500円で買えそうな代物だ。ボンドはスキースーツを着込みナップザックを背負うとスキーを履いて雪山へと出て行く。そこを狙うのはロシア情報部KGBのスパイたち。『女王陛下の007』を思わせるスキーチェイスが繰り広げられる。ただし、オープニング前のアクションなので規模は前作に劣る。
 断崖絶壁に追い詰められたボンドは、さてどうするのかなと思ったらそのまま飛び降りる。地上数百メートルはありそうな高さで、宙に舞ったボンドは落ちる落ちる、そしてまた落ちる。スローモーションとはいえ延々落ちる。どうするんだ?どうやって助かるんだと思っていると背負ったナップサックからパラシュートが開く。なんだパラシュートかと一安心すると、大きく開いたそのパラシュートの模様はイギリス国旗。わははは、これが007だよなと笑う。

 機密だった原潜の航海路がばれたのは、熱で原潜を探し出す追跡システムを誰かが作り上げたから。
 闇市場にその追跡システムが売りに出されているようで、謎はエジプトはカイロにありと睨んだボンドは現地に向かい、そこでアニヤ・アマソヴァというロシア人女性と会う。じつは彼女の正体は同じく追跡システムを追うロシアはKGBのスパイ、コードネーム・トリプルXだ。『トリプルX』はソニーが007シリーズに対抗して作り上げたスパイ映画だが、『トリプルX』の名前の元ネタはやはり今作か?
 ちなみにソニーはこの映画に協力しているようで、悪党が見ているモニターのロゴなどSONYの文字は何度か目にした。
 そして007シリーズもっとも魅力的な悪役と言っても良いジョーズ(リチャード・キール)が登場する。ライトアップされたピラミッドのシーンでは鉄格子を閉めた鉄の鎖を金属製の入れ歯で噛みきってしまう。
 ほかにもエジプトの宮殿か何かの廃墟でのアクションシーンがあるが、えっ?廃墟じゃなくて遺跡?人が住んでいない古い建物という点では廃墟も遺跡も同じような物だが、どこで差を付けるんだろう。でそのアクションシーンだが、どうみてもその遺跡を傷つけてないか?
 車が激突する石の壁なんかはさすがに大道具さんが作ったのだろうが、映画のスタッフってのは壊しても直せばいいんだろと考えているふしがあるからなぁ・・・遺跡内にMI6支局を作ってたりするし。これはさすがに入り口以外はセットだ。
 入っていくなり椅子に座っているのはなんとKGBの偉いサン。それだけではなく、先ほどのシーンで睡眠薬いりの煙草でボンドを眠らせて逃げたアマソヴァもいる。入手した追跡システムのマイクロフィルムを見るために基地の奥へと案内される彼ら。そこはQの開発工房で、リニアモーターカーの原理で宙を飛んでターゲットを首ちょんぱにするお盆とか、座った人間を宙高くはね飛ばすクッションとか、そんな珍発明ばかり。これじゃKGBにバカにされないか?いや、ひょっとしたらQ課の開発力を見くびらせるためにしょーもない発明品だけを目に付くところに用意したとも考えられる。いや、Qの発明はいつもこんなもんか・・・

 拡大したマイクロフィルムからとある海運大企業が関わっているのではと予想され、東西緊張緩和ということでボンドとアマソヴァは協力して事件の解決にあたることになる。
 夫婦と身分を偽り寝台列車で南ヨーロッパに向かう。食堂車での食事から個室に戻ってきてあれこれやり取りがあった後に、隣の個室にボンドは追い出されてしまう。そしてアマソヴァは身支度を寝間着に着替え、着ていた服を物入れに掛けようと扉を開けた途端、中からジョーズが現れ襲いかかってくる。するってーとジョーズはずーっと狭い物入れの中でじっと待ってたのか。もしも物入れを使わなかったらそうするつもりだったんだろ。あの図体に狭い物入れではさぞ窮屈だったことだろう。
 そして隣室からボンドが駆けつけ、ジョーズとの格闘戦になる。だが体格からして肉弾戦は圧倒的に不利で、ジョーズに担ぎ上げられたボンドは何度も何度も天井に叩き付ける。叩き付けるなら普通は床だが、ジョーズはやはり普通じゃない。奇策を用いてジョーズを列車から突き落とすが、その程度でくたばるジョーズではなく、極めて元気そうに立ち上がる。ほんとタフなヤツだ。

 南ヨーロッパに着いた時点で、一足先にやって来ていたQが白いロータス・エスプリを用意して待っている。そのQにアマソヴァは、「こんにちは、ブースロイド少佐」と呼びかける。あーそういえば『ドクター・ノオ』や『ロシアより愛をこめて』のころはQというコードネームではなく「ブースロイド少佐」と本名で呼ばれていた。
 ロータス・エスプリは今回のボンド・カー。最近の作品では特殊装備満載のボンドカーはあまり登場していなかったので、久々の本格的ボンドカーだ。ボンドカーとしてもっとも有名なのは『ゴールドフィンガー』でのアストン・マーチンだろう。回転式ナンバープレートや、油をまいたり、機銃掃射機能があったりと後々のスパイカーに大きな影響を与えた車だ。
 今回のロータスエスプリはそれに継ぐ出来で、人気も高いと思われる。この車、追いかけてくるオートバイやジョーズの乗った車は難なくやり過ごすが、ヘリコプター相手ではさすがに分が悪い。追い詰められたボンドは何を考えたのか桟橋から海へとダイブ。もちろん沈んでいくエスプリ。だが心配めさるな、このエスプリはなんと潜水艦に変形する特殊機能を持っているのだ。エスプリのフラットで車高の低いデザインがなんとなく潜水艦っぽい。でも実際は潜水艦には球体か円柱形が向いているはずだから、本当はワーゲンビートル辺りが強度的にもいいんじゃなかろうか。まぁボンドカーがビートルでは庶民的すぎるが。
 実際にエスプリが変形するのではなく、撮影では何種類ものモデルが使われ、一見シームレスな変形を実現している。
 アマソヴァには同じくKGB諜報部員の恋人がいたが、この任務の寸前にオーストリアはアルプスでイギリス諜報部員に殺された。それがジェームズ・ボンドだったことが分かるシーンで一気にドラマ性が高まる。
 その後の二人の関係にも影響を与え、単に一緒に戦うボンドガールではなく、任務を終えたら真っ先にあなたを殺すとボンドに告げる。そしてボンドは、死ぬのは君かも知れないと冷たい目で言う。

 アメリカ海軍の潜水艦に搭乗したボンドとアマソヴァは、敵の大型タンカーに接近するが、潜水艦の電子装置がおかしくなり浮上する。そこにタンカーが接近し、大きく開いた船首部分から中に飲み込まれてしまう。なかにはドッグがあって、行方不明になったイギリス・ソ連の二隻の潜水艦もそこにあった。他の大型メカに飲み込まれるという意味では『007は二度死ぬ』の米ソの宇宙船を飲み込む大型宇宙船がアイディアの元にあったのではないだろうか。
 悪党はその原潜からワシントン・モスクワに核ミサイルを撃ち込み、現在の堕落しきった文明を一度破壊し、自らがトップとなって新しい世界を作り出すのが木的なのだ。
 悪党の部下はそれなりに数もいて、技術者などのレベルは高そうだ。この部下たちはどのようにして集められたのだろうか。母体は大運送会社なので、そこに就職を希望して配属された部署がなんか妙なところで、気がついたら悪の手下になっていたのだろうか。今回の場合、金目当てではなく新世界設立が目的なので単なる犯罪者ではないのだろう。かれらは赤い制服が目印で、どこかで見た格好だなと思ったら実写版映画『ストリートファイター』(1994)のバイソン軍だった。囚われていた牢獄からボンドが助け出した海兵たちと戦いになるが、海兵は青い制服なので、青と赤で分かりやすい。
 ワシントンとモスクワでの核爆発は防いだボンドだが、公海上で核爆発*2が起きている。海の汚染やらなんやらで「やったー良かったー」と喜んでいる場合ではないと思うのだが。

 作戦実施前に海中都市アトランティスにアマソヴァを連れて避難した悪党。
 そのアトランティスを即刻破壊せよとの命令が下る。
 だがボンドは艦長に「アマソヴァを助けなければならない。1時間くれ、いや40分でいい」と頼み込む。
 艦長は「これは軍法会議物だぞ」と言いながらも「1時間だ」とボンドに告げる。艦長、男だぜ。

「JAMES BOND WILL RETURN IN "FOR YOUR EYES ONLY"」・・・この時点では

2006年12月21日

『007 ムーンレイカー』 ジェームズ・ボンド、宇宙へ

B00005HQTY.jpg『007 ムーンレイカー』 (1979) MOONRAKER 126分 イギリス 1979/12鑑賞

監督:ルイス・ギルバート 製作:アルバート・R・ブロッコリ、マイケル・G・ウィルソン 原作:イアン・フレミング 脚本:クリストファー・ウッド 撮影:ジャン・トゥルニエ 特撮:デレク・メディングス 音楽:ジョン・バリー 主題歌:シャーリー・バッシー
出演:ロジャー・ムーア、ロイス・チャイルズ、ミシェル・ロンズデール、コリンヌ・クレリー、リチャード・キール、バーナード・リー、デスモンド・リュウェリン

 真面目な007映画ファンからは「駄作だ、最低作だ」と罵られることが多い『ムーンレイカー』だが、オレは大好きなんだよ。シリーズ中で一番好きかも知れない。ああっ・・・
『私を愛したスパイ』(1977)で初めて映画館で007シリーズを観たオレにとって、ジェームズ・ボンドとはショーン・コネリーでもなければピアース・ブロズナンでもない。意表を突いてジョージ・レーゼンビーと思わせて、実はロジャー・ムーア。ロジャーボンドこそオレにとっての007なのだ。
『007 ドクター・ノオ』(1962)から始まったハードなタッチの作風が、『007 ゴールドフィンガー』(1964)から娯楽大作へと路線が変わる。その娯楽大作路線の頂点というか終着点がこの『ムーンレイカー』だ。
 この作品はもう、なんでもありあり。原作だと大陸弾道ミサイルの話だったのに、なんでボンドがスペースシャトルで宇宙に行ってんだよとか、そういうややこしこいことを考えちゃダメ。制作陣がノリと勢いだけで作っているんだから、観客もノリと勢いで観ろ。
 それに007の映画が原作からかけ離れているのはいつものこと。『私を愛したスパイ』の原作なんかほとんどソフトポルノだぞ。原作の1作目である『カジノ・ロワイヤル』の映画版なんかハチャメチャギャグだぞ。まぁ、『カジノ・ロワイヤル』(1967)はブロッコリ作品じゃないし、コメディとして作られたパロディ映画だが。次の007作品は原作路線の『カジノロワイヤル』ってのは本当か?(この文章は2005年11月に書いた物。2006年12月現在、その『007 カジノロワイヤル』が新ボンドを起用して公開中)

 コネリーボンドは『ダイヤモンドは永遠に』(1971)で砂漠を月面探索機に乗って走り回っているシーンがあるが、あまりしっくりこなかった。しかし、『ムーンレイカー』のオープニングでパラシュート無しで大空に放り出されても平気なムーアボンドは、スペースシャトルで宇宙に行って、無重力空間を宇宙服で飛び回ってもなんら違和感がない。この良い意味のでリアリティの無さがムーアボンドの魅力だろう。

 Q(デスモンド・リュウェリン)の発明の奇抜さもここに極まれりって感じで、ヴェニスの街を走り回る水陸両用ゴンドラの意味がなく、そしてイカすこと。便利なのは間違いないが、目立ちすぎだろ。広場に居合わせた人たちが唖然としているが、観てるこっちもびっくりだ。
 悪役ドラックスの部下に向井千秋の夫である向井万起男氏にそっくりな日本人がいて、常に着物姿でうろつきまわっている。いや、胡散臭い口ヒゲとか、実に似てるんだこれが。スペースシャトルで宇宙に行く映画にこのキャスティングとは、ひょっとしたら担当者は予知能力者か?東洋人の下っ端というのは『ゴールドフィンガー』のオッド・ジョブ(ハロルド坂田)へのオマージュなんだろうか。
 殺し屋としての正体を現し、時計台の中でボンドを襲うが、その時の姿が剣道の防具に武器は竹刀。竹刀じゃ人は殺せんだろ、せめて真剣にしろよと当時は思ったが、ひょっとしたら宮本武蔵級のものすごい剣の達人で、竹刀で充分なのかも知れない。まあ、あっけなくやられるんで、しょせん端役だ。
 代わりに前作『私を愛したスパイ』で活躍し人気を博したジョーズ(リチャード・キール)が再登場する。昨日の敵は今日の友というか、全力を尽くして死闘を繰り広げてようやく倒した相手が、後になって味方になる少年ジャンプのような展開だ。最後にはジョーズがついに自分の居場所を見つける。ここは泣けるよ。

 棺桶に入った殺し屋や、秘密研究室への入り口にあるロックに暗証番号を入力すると、それがたまたま『未知との遭遇』の例のメロディ「たらたたら~♪」になっているといった細かいギャグも楽しい。
 ラストの地球に向かって落下する毒ガス弾をレーザーで撃ち落とすシーンで、自動照準装置が故障したため、ボンドが手動で狙いを定めるシーンなどはまさに『スター・ウォーズ』だ。そう、明らかに『スター・ウォーズ』(1977)によって引き起こされたSF映画ブームに便乗した作品なのだが、作り手が手を抜かずに真面目に作っているのがうれしい。バカ映画こそ手抜きをせず本気で作るべきなのだ。

 ドラックスの目的は、選ばれた人間だけを宇宙ステーションに移し、その後で毒ガスを使って人類を滅亡させ、無人となった地球に戻ってもう一度文明を始めから作り上げようというもの。ヒットラーのナチス的というか、スケールを小さくすると麻原彰晃のオウム真理教的というか、どのみち本人は素晴らしいことをやっているつもりかもしれないが、単に気がふれてるだけだな。

『ムーンレイカー』に登場するスペースシャトルは現在の物と同じ形。細かな改良は加えられているのだろうが、基本的なデザインは一緒だ。最近ではスペースシャトルの老朽化や設計の古さが指摘されているようだが、『ムーンレイカー』が製作された1979年から26年も経つのにモデルチェンジ無しとは、お前は三菱自動車のデボネアかっつーの。
 んっ?三菱自動車・・・そういえばスペースシャトルも設計ミスや作業ミスなどの人的要因が、見落とされたり放置されることで、人命に関わる事故を引き起こした。ひょっとしてNASAの正体は三菱かっ?いや、単なる独り言。

2006年12月22日

『007 ユア・アイズ・オンリー』 だったら墓穴は二つ掘れ

B000IU38M4.jpg『007 ユア・アイズ・オンリー』(1981) FOR YOUR EYES ONLY 128分 イギリス/アメリカ

監督:ジョン・グレン 製作:アルバート・R・ブロッコリ、マイケル・G・ウィルソン 原作:イアン・フレミング 脚本:リチャード・メイボーム、マイケル・G・ウィルソン 撮影:アラン・ヒューム 特撮:デレク・メディングス 音楽:ビル・コンティ テーマ曲:モンティ・ノーマン 主題歌:シーナ・イーストン
出演:ロジャー・ムーア、キャロル・ブーケ、トポル、リン=ホリー・ジョンソン、ジュリアン・グローヴァー、ジル・ベネット、カサンドラ・ハリス、デスモンド・リュウェリン、ロイス・マクスウェル、ウォルター・ゴテル、チャールズ・ダンス

 ギリシャ沖で魚雷に触れたイギリス漁船が沈没する。しかし漁船というのは偽装で、実態はイギリス海軍の監視船だった。この船にはATACという装置が積まれていた。これは他国の物であろうと発射された核ミサイルを自在に操り、落下点を変更できるという物だった。これがKGBなど東側勢力に渡れば世界のバランスは大きく揺らぐ。
 イギリス政府から沈没船の探査を依頼された海洋考古学者の夫妻が殺され、一人娘メリナだけが生き残る。演ずるキャロル・ブーケはどことなくジェニファー・コネリーに似ていて個人的にすごく好みだ。いやまあそれはどうでもいい。
 そして007ことジェーズム・ボンドが派遣されることにある。事件のあらましについてまとめられた書類のファイルフォルダには「FOR YOUR EYES ONLY」の文字が。これは閲覧のみ、しかも複写は不可という意味で、字幕では「読後焼却」、原作の邦題は「読後焼却すべし」となっていた。そして、この「FOR YOUR EYES ONLY」という単語は映画のラストで今度はロマンチックな言葉として登場する。

 シリーズ12作目となる『ユア・アイズ・オンリー』は『私を愛したスパイ』『ムーンレイカー』と派手な作品が続いた反動か(反省とは思わない。だってどちらもすごく面白かったからだ)、シリーズ中での地味な作品になっている。だが地味だからつまらないということはない。派手・地味と面白い・つまらないに相関関係はない。
 オープニングタイトルは主題歌を歌うシーナ・イーストン本人の映像が前面に出ていて彼女のプロモーションビデオのようだが違和感はない。
『女王陛下の007』でスペクターのブロフェルドによって殺された、たった一日限りの妻トレーシーの墓を参っているボンド。そこに緊急出動命令が入りヘリコプターで空に飛び立つ。そこに登場するのが電動車いすに乗り、猫を膝に抱いたハゲ頭の男。もちろんブロフェルドである。顔ははっきりと映らないが、ヘリの操縦士を電撃で殺した後、リモコンで操作してボンドを殺そうとする。だが、ボンドはリモコンのケーブルを引き抜くことでコントロールを回復し、逆にヘリを使ってブロフェルドを殺す。
 こうしてシリーズ最大の敵スペクターの首領ブロフェルドは死亡した。もちろん、例によって影武者の可能性もあるが、その後スペクターはまったく姿を現さなくなるので、本人だったのだろう。シリーズ前半を支えた敵役ではあったが、世界征服を狙う秘密結社というのが1980年代ともなるとリアリティを失いすぎて戯画にしかならず、制作者としてはとっとと過去の存在にしたかったのであろう。しかし、全編を通しての悪党として登場させるのはもう難しく、ストーリーとは関係ないオープニングの敵=雑魚扱いとなったのだろう。

 映画全体も派手な秘密兵器や特殊装置は登場せず、ボンドが運転するボンドカー・ロータスエスプリも盗難防止の装置が付いているぐらい。その装置はガラスをたたき割ると車が大爆発するというもので、いくらなんでもやりすぎだ。
 代わりにカーチェイスで活躍するのはヒロインの乗ったシトロエン2CVだ。日本では『ルパン三世カリオストロの城』の印象が強すぎてそれなりの性能を持った車と思われているが、実はかなり非力な大衆車。岡本喜八の『殺人狂時代』では主人公の仲代達矢が愛用車として乗り回しているのがこの2CV(かなりオンボロ)。それを盗んだ自動車泥棒の大友ビルが仲代達矢に「フルスピードで30kmとはどういうことだ」と自分の犯罪は棚に上げて食ってかかるというシーンがあった。
 そんな車で悪党の乗った普通の車相手にカーチェイスをしなければならない。走る道路はつづら坂のようなカーブの多い下り坂。なるほど、車の差をドライバーのテクニックでカバーするのだなと思ったらあっという間に追いつかれる。この時運転しているのはボンドで、運転技術は高いはずだが、期待の性能差はいかんともしがたいということか。
 久しぶりのカジノのシーンもあるし、殺し屋の似顔絵を作成するコンピューター式モンタージュマシンで似顔絵の鼻を嘘をついたピノキオみたいにミューンと伸ばしてふざけるQという珍しいシーンも見られる。いつもならボンドが似顔絵にいたずらをしてQに叱られ窘められるところだろう。
 肉体的なアクションが多いのも特徴で、ロジャー・ムーアもがんばったと思うがもっとがんばったのはスタントマン。お疲れ様です。
 殺し屋が乗った車を追いかけ、駆け上がるボンド。走るボンドはそういえば久しぶりか。断崖に追い詰めた殺し屋の車を蹴落とす残酷さに、ムーアボンドには珍しい凄味を感じた。
 意外な手がかりをもたらしてくれるオウムだが、ラストのオチにも使われる。日本でこれをやったら怒られるんだろうなぁ。
 敵だと思っていた相手、そして味方だと思っていた相手がぐるっと逆転する瞬間がなかなかにスリリングで、脚本としても良く出来た作品だ。完成度は高い。地味だけどな。

「JAMES BOND WILL RETURN IN "OCTOPUSSY"」

2006年12月23日

『007 オクトパシー』 それはワシのベッドじゃ!!

B000IU38ME.jpg『007 オクトパシー』(1983) OCTOPUSSY 130分 イギリス

監督:ジョン・グレン 製作:アルバート・R・ブロッコリ、マイケル・G・ウィルソン 原作:イアン・フレミング 脚本:ジョージ・マクドナルド・フレイザー 撮影:アラン・ヒューム 音楽:ジョン・バリー  テーマ曲:モンティ・ノーマン 主題歌:リタ・クーリッジ
出演:ロジャー・ムーア、モード・アダムス、ルイ・ジュールダン、クリスティナ・ウェイボーン、カビール・ベディ、スティーヴン・バーコフ、ヴィジェイ・アムリタラ、ウォルター・ゴテル、ロバート・ブラウン、デスモンド・リュウェリン、ロイス・マクスウェル

 恒例の本編前のアクション。普通の映画ならば終盤の見せ場で使うような力の入ったアクションが真っ先に観られるってのは単純に嬉しい。
 今回、ボンドは某国の空軍基地に士官に変装して潜り込み、戦闘機に事件爆弾を仕掛けるがあえなく捕まり、爆弾も撤去されてしまう。
 オープントラックで護送されるボンドを二人の兵士が見張っている。トラックを追い越そうとした車が横付けになって併走する。運転するのは露出度の高い服を着た美女。あー、これまでに何度も観たシーンだ。そして案の定女に見とれる兵士たち。その隙を突いてボンドは兵士をトラックから突き落とし、併走する車に乗り移る。だから言ったじゃないか、この手のシーンは10割近い確率で罠。引っかかるなよ。
 そして超小型一人乗りジェット機ジェット機で空に舞い上がるボンド。このジェット機はQ特製ではなく(あれこれ手を加えているだろうが)、実在し市販もされていたはずだ。往年のクイズ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』のある回の優勝賞品がジェット機で、よーしと盛り上がった出場者たちだったが、優勝者に手渡されたのはこの小型ジェット機だった(気がする)。しかも組み立てキットなので部品レベルまでバラバラ。どうしろってんだよ!
 格納庫をすり抜けるシーンは最後の閉まりかける扉の間をすり抜けて飛び出すシーン以外は合成を使っていない。ではどうやって小型ジェット機とはいえ危険なシーンを撮影したのか?答えは丸見えだが、ジェット機を下から支える棒。棒の上にジェット機を乗っけて、その棒を走らせたのだ。劇場ではあまり気にならないが、DVDでスロー再生するとモロバレ。だが、やいのやいのと重箱の隅をつつくのではなく、ちょっと笑ってそのままやりすごすのが楽しい映画の見方だ。それからガソリン満タンね。

 シリーズ第13作はレーザー投影が多用されたオープニングタイトル。しっとりとした女性ボーカルで、このころの007シリーズはその傾向が強い。レーザーの使い方はこのころ流行っていて、オレはライブやらコンサートは好きではないが、そちらの方面でもよく使われていたとか。
 ピエロが必死になって逃げている。追いかけてくるのは投げナイフ遣い。後ろにいるはずのナイフ遣いが目の前に現れる。なんとこいつら双子なのだ。合成ではなく実際に双子の役者である。
 ピエロは投げナイフを背中に刺されるがかろうじて逃げることに成功する。そしてベルリンの英国大使館に逃げ込み、そこで息絶える。その手から転がったのは金と宝石の細工で作られた美しい卵。鶏の卵よりは大きく、がちょうのそれぐらいか?それはファベルジュの卵とよばれる、ロマノフ王朝時代の美術品で、ふたを開けると金で出来た皇帝の馬車がある。ただし偽造品。それを運んできたピエロの正体はボンドと同じく英国情報部のエージェントである009。ロシア側が偽造品を本物として西側で売りさばき、資金調達を企んでいるのか?ボンドはその謎の解明に当たる。自分の同僚が殺されたというのにボンドは眉すら動かさず動揺した様子も見せない。自分たちの職業では当たり前のことという考えなのだろう。
 一方、ロシア側。上層部の会議では西側との妥協策を受け入れようとする意見が強い。しかしタカ派のオルロフ将軍(スティーヴン・バーコフ)はドイツへの侵攻と侵略を強く主張する。時代の変化について行けない古い考えの軍人だ。
 本物の卵はサザビーでのオークションに出品される。その会場でボンドは卵を偽造品とすり替える。そして、卵を競り落とした相手を追ってインドへ。
 正直、ちょっとストーリー的に分からないところがある。009が盗み出したのは偽造品。そしてサザビーに出品されたのは本物。ロシアの美術品保管室にあったのは本物だが、それがオルロフ将軍によって持ち出され、悪事に関わった職員が2日後の在庫調査までに本物がないと困りますと騒いでいる。
 まず保管庫から本物が持ち出され、偽造品が作られた。その後、本物は保管庫に戻されるはずだったのだが、偽物が盗まれたため、代わりにオークションには本物を出品した。そして自ら競り落として保管庫に戻す、ということなのか?オークションへの出品取りやめって無理なのか?ちと疑問。まぁどうでもいいが。

インドに到着したボンドを蛇遣いの笛がジェームズ・ボンドのテーマでお出迎え。ここら辺の茶目っ気はムーアボンドならでは。
 カジノのバックギャモンによるギャンブルでは悪党のトリックとも言えないトリックを見破って見事相手を負かし相手を揺さぶり怒らせた。
 そして三輪タクシーでのカーチェイスが始まる。『マッハ!』でもあったね。ボンド自身は運転はしてないが今回はこの三輪タクシーがボンドカーということでいいのだろうか。
 相棒のインド人がテニスラケットで敵の頭をパッカーン、ポッコーンと殴るたびに、通行人が揃って右を見たり左を見たり。テニス観戦かよ。どうもこの俳優はプロテニスプレイヤーだとかいう話も聞いたが確証はない。
 そして人混みで前に進めなくなった車から降りたボンドは、火の上を歩く行者、釘の上で寝る行者、剣を飲む行者などなどを上手く利用して敵を倒していく。そして最後はタクシーで壁に貼られたポスターに突っ込むとそのまま穴になっていて、破れたところ