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2004年02月28日

『丹下左膳餘話 百萬両の壺』 あるいは省略と山中貞雄

 山中貞雄という、28歳の若さで戦場にて病死した天才監督・脚本家がいた。
 26本の映画を撮ったが、現存しているのは『丹下左膳餘話 百萬両の壺』(1935)、『河内山宗俊』(1936)、『人情紙風船』(1937)のたった3本しかない。しかしその3本ともが映画ファンなら、日本映画ファンとか昔の映画のファンとかいった限られたくくりではなく、映画のファンならば必見の、いや基礎知識や基本教養として観ておくべき素晴らしい作品である。
 『丹下左膳』といえば「しぇいは丹下、名はしゃじぇん」でお馴染みの(古すぎか)大河内傳次郎が演じたチャンバラ物のヒーローである。が『丹下左膳餘話 百萬両の壺』では丹下左膳のチャンバラはない。それどころか、本来は片腕隻眼の不具者でニヒリストだった丹下左膳が呑気で気の良いキャラになり、みなしごの安吉と矢場の女将であるお藤との3人によるホームコメディになっているのだ。
 ラストでヤクザ者の集団に向かっていく左膳の後ろ姿が写る。しかし、そこでシーンは後日に飛び観客は左膳が勝ったことを理解する。作品全体のトーンを崩しかねないチャンバラシーンを大胆な省略で回避して、なおかつ活劇を見事に成立させているのだ。作中でその他にも省略によるギャグが繰り返し使われているのでチャンバラの省略は手抜きではなく見事な演出ということがわかる。1992年の名画座でリバイバルを観ていたわたしは、いや同席していた観客全員がスクリーンに向かって惜しみない拍手を贈ったものだ。
 ところがである。後に、「なんでも、あの後のチャンバラシーンは撮影されていたらしいぞ」との話を耳にし、「戦前に観た人がチャンバラシーンがあったと言っていたぞ」ときて「なんでも戦後のGHQによる映画規制でカットされてしまったらしい」さらには「チャンバラシーンのスチール(写真)があった」のである。
 うーむ、本当かな。スチールを見ちゃったもんな、やっぱ本当か。でも、撮影だけして使わなかったとかじゃないかな。戦前に観たってのは昔のことなんで記憶違いとか。なんてことを何年も思ってきた。
 ところが、約20秒ほどではあるが、映画コレクターの遺品から16ミリのフィルムが発掘された。物理的証拠を突きつけられてはぐうの音も出ない。戦前公開版にはチャンバラシーンがあって、戦後カットされたというのが正解だったのだ。

 しかし、だとすると映画館であの省略の演出に感動したわたしの気持ちはなんだったんだろう。
 だまされていたというと聞こえが悪いが、まるで勘違いしていたということなのだろうか?
 いや、やはり『丹下左膳餘話 百萬両の壺』のラストにチャンバラはなかったのだ。時に歴史が起こすちょいとした悪戯が編集者として映画に参加したのだろう。きっと山中貞雄も天国で「そう、あそこはカットすべきだったな」と言っているに違いない。(言わないって)

 ともあれ、この5月7日には『丹下左膳餘話 百萬両の壺』と『河内山宗俊』がセットでDVDになる。『人情紙風船』がないのが何とも残念だが、2作だけでもありがたや。このチャンスにみんな観ろ。

2004年06月14日

『大冒険』

レイジーキャッツの『大冒険』(1965) 監督:古澤憲吾 脚本:笠原良三/田波靖男 特技監督:円谷英二 出演:植木等/谷啓/ハナ肇/犬塚弘/石橋エータロー/桜井センリ/安田伸/団令子/越路吹雪/ザ・ピーナッツ/森繁久彌/由利徹

クレイジーキャッツの結成10周年記念として創られた娯楽大作。
週刊誌の記者である植木等が国際的偽札事件に巻き込まれてしまい、車の屋根に飛び乗るわ、ビルの屋上から落っこちるわ、鉄橋にぶら下がるわ、線路に仰向けになって上を通り過ぎる汽車をやりすごすわ、馬から列車に飛び乗るわと大活躍。
そのほとんどが植木等の顔がちゃんと映っていて、代役を使わずにスタントをこなした事がわかります。
『Mi:2』のトム・クルーズなんて目じゃないですね。
ワイヤーアクションで宙を舞う植木等なんてなかなか見られませんよ。
なんで週刊誌の記者がそんなことができるのかという疑問には、オープニングで古アパートで歌う歌『遺憾に存じます』の中で「学生時代は特待生~♪」の歌詞のところで、壁に貼られた男子体操の写真から、体操特待生で運動神経はいいんだなとちゃんと観てれば1カットで分かる仕組み。
最後は神戸に潜水艦まで出てくるは、黒幕はなんと驚くアドルフ・ヒットラーだったりと大満足。
喜劇と活劇。やっぱ映画の原点ではと。

2004年06月15日

『Dolls』

『Dolls』(2002) 監督:北野武 製作:森昌行/吉田多喜男 脚本:北野武 撮影:柳島克己 美術:磯田典宏 衣裳:山本耀司 編集:北野武/太田義則 音楽:久石譲 出演:菅野美穂/西島秀俊/三橋達也/松原智恵子/深田恭子/武重勉/ホーキング青山

 とにかくつらい。でも圧倒的に美しい。そんな映画です。
 赤い紐で繋がれた男女が満開の桜の下を彷徨っている。二人は寓話的な存在かと思いきや、他の花見客の反応から実在する人間だとわかる。小学生が紐を引っ張り「つながり乞食~」とはやし立てる。そんなところから物語は始まっていく。
 逆玉に乗るために結婚を約束した女性を捨てた男。女性は睡眠薬で自殺を図り一命をとりとめるものの現実から乖離した存在になってしまう。勝手にどこかへ行ってしまおうとする女を男は赤い紐で自らの腰と繋ぐ。そして二人はつながり乞食となり海岸、祭り、楓、そして雪原をさまよい歩く。そして、いろいろな人々とすれ違う。

 アイドルが交通事故で顔面に傷を負って引退する。熱狂的な追っかけだった男は彼女の写真集やポスターを見るのに耐えきれずにカッターで自らの目をくり抜く。盲目になった彼は、白い杖をついて彼女に会いに行く。彼は彼女に受け入れられる。
  ヤクザの親分がふと昔のことを思い出す。若くまだ堅気だったころ毎週土曜日に恋人と公園で待ち合わせて一緒にお弁当を食べていたことを。数十年ぶりにその公園に行ってみる。ベンチにはお弁当を持ったおばさんが座っている。ただ、おばさんは親分のことを昔の恋人とはわからない。わからないままに二人の間に心の触れあいが生まれる。

 しかし、追っかけの男は道ばたで血を流して死ぬ。親分は殺し屋に殺される。
 駄目な男達が女性の母性に暖かく抱えてもらい、しかも幸せなまま死んでいくという、男のガキっぷりと女の奥深さ。

 つながり乞食の男は自らの人生をかけておかしくなってしまった元恋人の面倒を見たように見えて、最後は女から抱擁され受け入れてもらうのだ。

 こうして、人々は歩いていく。その先には死が待ちかまえていた。だが、この死は幸せな甘美なる死かもしれない。

 今回の作品はこれまでとは画面の質が違っていて、幻想的な雰囲気が漂っていた。“赤”の色が際だっていたのも北野作品としては珍しい。しかし、たけしは映像の力というのを根本的なところで信じてはいないのではないだろうか。セリフの力に疑問を持ち『あの夏、いちばん静かな海』では主人公二人からセリフを奪い、音楽の力に疑問を持ち『3-4X10月』からは音楽を奪った。それと同じようなものだ。おそらく、たけしは映画の力を信じてはいないのだろう。自分の作品でありながらそれと距離を持ち続けている。

 ところでホーキング青山には日本アカデミー賞を取ってもらいたかった。

『突入せよ!「あさま山荘」事件』

『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002) 監督:原田眞人 原作:佐々淳行 脚本:原田眞人 
出演:役所広司/宇崎竜童/伊武雅刀/天海祐希/串田和美/山路和弘/矢島健一/もたいまさこ/螢雪次朗

  1980年代も終わろうとしている頃、わたしは名古屋のとある私立大学の学生だった。世間では学生運動などはとっくに過去の物となっていた。しかし、彼らはかろうじて生き延びていて、大学のクラブハウスの壁には『民青粉砕』とか『天皇制反対』などの落書きがされ、新入生入学のシーズンになるとヘルメットにタオルで覆面をした怪しげな人々が白昼堂々とビラを配って歩いていた。中核派や革マル派などの流れでサークルがいくつかの連合に分かれ、すでになぜ闘っているのか理由も分からなくなっているような争いを時代とは関係なく繰り広げていた。
わたしが1年生の時の1987年の大学祭はその中核派か革マル派だかから脅迫状がきて中止になってしまった。まったく、時代錯誤にもほどがあるというものだ。
 ひょっとしてこの『突入せよ!「あさま山荘」事件』の公開に際して『ブラック・サンデー』(1977)のように過激派からのテロなどないだろうかとニュースを眺めていた。しかし、過激は本当に過去になったらしい。テロはおろか脅迫状の話すら聞かなかった。

 この作品は娯楽作としてのスタンスで作られたのだろう。浅間山荘事件を歴史的に浮き彫りにしようと作られたとは思えない。連合赤軍がいかなる思想に基づくどういった集団でどういったテロを行ったかは語られず、唐突にあさま山荘に立て籠もる。そして役所広司演ずる警視庁の男の視点で物語が進む。敵(連合赤軍)の姿はほとんどスクリーンに登場しない。主人公の視点からは籠城している敵の姿は見えないのだから、これでいいといえばいいのだが、いくらなんでも一方的だ。ホラー映画じゃあるまいし、もう少し連合赤軍という敵の存在が見えていた方が活劇としては盛り上がるだろう。
例えばTWA機ハイジャック事件を題材にした『エンテベの勝利』や『特攻サンダーボルト作戦』(おまけで『デルタ・フォース』も入れとこか)ではアラブゲリラ側の行動も描かれ、それによってサスペンスを盛り上げている。『あさま山荘事件』にはそれがない。ひたすら警察官たちがうろうろしているだけで、時に間抜けですらある。
「犯人を殉教者にしてはいけない。だから殺さずに捕まえるのだ」という方針で警察は動いていくのだが、個人的意見としてはこれがまず間抜けだ。犯人は容赦なく殺すべし。いいテロリストは一種類しかない、それは死んだテロリストだ。
 1973年当時、日本にはカウンターテロリズムのスペシャリストはいなかった。もしも当時の日本にSASやGSG9、デルタ・フォースのような特殊部隊が存在していたら10日近くもの長丁場にはならなかったろうし、ひょっとすると殉職者も出なかったかもしれない。
 望遠カメラ、ファイバースコープカメラ、集音マイクなどで可能な限り犯人の人数、所在箇所を調べ、少数精鋭の特殊部隊が窓などを突き破って突入。まずはスタン・グレネードの閃光と轟音で敵を無力化し、MP5あたりのサブマシンガンで射殺。所要時間は1~2分といったところだろうか。
 ここでこんなことを言っても机上の空論に過ぎない。現場のつらさを知らない人間が勝手なことを言っているだけだろう。しかし、プロのカウンターテロリストとはテロリストを迅速かつ的確、そして徹底的に倒すのだ。ところが、この映画の中にプロの男たちの生きざまを観い出すことは出来なかった。素人に毛の生えたような連中がただドタバタしているだけだ。この映画の登場人物たちにわたしは自分の命を預ける気にはなれない。よって、この作品はわたしにとって駄作だ。
 ところで、現在の日本にカウンターテロのスペシャリストはいるのだろうか?警察、自衛隊を問わずだ。ないのならば設立すべきだろう。昨年のアメリカ同時多発テロは沿岸の火事ではない。

 それなりにいい役者が集まっている中で遊人は思いっきり邪魔だ。この男、監督の息子である。『おニャン子・ザ・ムービー 危機イッパツ!』の時から「息子使うのやめっつーの」だったが、あの頃は子役だったのでまだ大目にみることもできた。しかし、すでに青年。親離れ子離れして欲しいものだ。出すな、出るな。

 まとめると「警察万歳!」の一言だ。
 だったら、指揮をする立場の佐々木氏に視点を置くのではなく、前線にいて最後には突入する一警官を主人公にした方がよかったと思うのだが。
 中間管理職は大変だと思うだけで、「ヘラクレスの選択」と言われてもピンとこないぜ、まったく。

2004年07月07日

『ドカベン』 野球?の鬼

『ドカベン』(1977)

監督:鈴木則文 企画:太田浩児 原作:水島新司 脚本:掛札昌祐 撮影:出先哲也 美術:藤田博 編集:田中修 音楽:菊池俊輔
出演:橋本三智弘/高品正広/永島敏行/川谷拓三/マッハ文朱/渡辺麻由美/吉田義夫/水島新太郎/南利明/佐藤蛾次郎/水島新司

ドカベンこと山田太郎がライオンズ入りした『ドカベン プロ野球編』のことは知っていたが、今はさらに進んで「2004年、夢開幕!! 土井率いる東京スーパースターズと小次郎率いる四国アイアンドッグスの新球団同士がいきなり激突!!」の『ドカベン スーパースターズ編』になっているそうだ。それで近鉄の身売り話について水島真司が四国四県で近鉄を買い取りフランチャイズを四国に移せばいいとか言ってたわけか。しかし、21世紀になっても『ドカベン』が連載してるとは思わなんだ。「すでに21世紀」というのもなんだか古くさい言い回しになってしまったが。

70年代に大ブームを巻き起こし、少年たちを野球へ野球へと走らせた『ドカベン』(週刊少年チャンピオンにて'74~'81に連載)は、当然のごとく映画化されている。製作したのは東映、そしてマンガ原作モノと来れば鈴木則文である。
誰もが、ギラギラと太陽の照らす中、白球が飛び交い、ユニフォームを着た選手たちがグラウンドを走り、バットの快音が響く、そんな映画を予想していたはずだ。
だが、85分の映画の中で野球をするシーンが登場するのはラストの数分間だけ。残りは何をやっているかというと柔道だ。太陽がギラギラどころか屋内である。ユニフォームじゃなく道着で、グラウンドじゃなく畳である。何故?何故なんだぁ~?
いや、真面目な話、連載当初の『ドカベン』は確かに柔道マンガなのであった。夏目房之介の『消えた魔球』(双葉社)によると「さよう、誰しも『ドカベン』を野球漫画として記憶している。(中略)が、この『ドカベン』、実は全篇の8分の1までは柔道漫画であった。」とのことで全48巻中最初の6巻の山田太郎や岩鬼は柔道をやっていたのだ。だから話の順番から言えば1作目であるこの映画が柔道モノになるのは間違ってはいない。間違ってはいないが残念なことに2作目はなかったし、そもそも続編を予定していたかも怪しい。主人公山田太郎を演ずるのは公募で選ばれた橋本三智弘。オーディションといえば聞こえは良いが、外見が山田太郎に似ているだけの単なる素人である。寡黙で口数の少ない役だから何とかなっていたものの、脇役ならともかく劇場公開作の主役に普通は素人を持ってこない。この時点ですでに後のことは考えていない、“一発ネタ”なわけだ。
そして、おそらくは野球より柔道のシーンを撮る方が楽だというのがあるだろう。柔道の試合場ならばセットの中に作ることができるが、グラウンドは無理だ。それゆえロケに頼らざるを得ず、天候などに左右されてしまうし、日中しか撮影が出来ない。また、選手にしても野球は両チーム合わせて最低18人。そしになにより、観客席に観客エキストラが必要でこれを集めるのが大変。ジャニーズ事務所のアイドル主演作ならば若いお姉ちゃんやあまり若くないお姉ちゃんが集まってくれだろうが、『ドカベン』の顔ぶれではちょっと難しい。お姉ちゃんたちに受けそうなのは永島敏行ぐらいだが、この作品がデビュー作だから当時はまだ知名度がない。
こんな具合に「おいおい」とツッコみを入れたいネタは多いが、そこをパワフルに突き進む鈴木演出には見せられてしまう。いや、この人はパワフルとかではなく、本当はものすごく上手い人なのかも知れない。タイアップであろうコカコーラの赤い看板をバックにした公園(だったか?)での決闘。柔道大会決勝戦でライバルの心をよぎる今は亡き妹の思い出と、妹の遺影と、山田太郎の妹サチ子のカットバック。笑いものにする点ばかりを探して、これらの胸を打つシーンを見落としたりしてないだろうか。
とはいえ、いきなりみんなで野球部に入部し、原作者水島真司が演ずる監督のノックを受け、
監督「(岩鬼に向かって)なんじゃお前は、不細工な面しおってからに」
岩鬼「おんどれが描いたんやろが」
と来た日にはわたしは降参である。
岩鬼役の高品正広はひょっとして高品格の関係者だろうか?

2004年11月24日

『地球防衛軍』 女よこさないと暴れっぞ

『地球防衛軍』(1957) 東宝 88分 2004/11/23レンタルDVDにて再鑑賞

監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 原案:丘見丈二郎 脚本:木村武 潤色:香山滋 撮影:小泉一 美術:阿部輝明 編集:岩下広一 音楽:伊福部昭 音響効果:三縄一郎 特技・合成:向山宏 特技・撮影:有川貞昌、荒木秀三郎 特技・美術:渡辺明 特技監督:円谷英二
出演:佐原健二、平田昭彦、白川由美、河内桃子、志村喬、土屋嘉男、中村哲

チケチケ、チーケチーケーチケテケテー、ティケチーケーテー、ティケチーケーチケテテ、チーケーテーチケチケーチケケ
の勢いのある脂ののった伊福部節に乗って始まる地球侵略物SF映画。(このチケチケでもJASRACに訴えられたりするのだろうか)
火星と木星の間にあるアステロイドベルト。それは大昔、原水爆戦争で滅んでしまった惑星“ミステロイド”の残骸だった。火星に移住しかろうじて生き延びていたミステロイドの住人ミステリアンは、新たなる繁栄の場所として地球侵略を開始する。巨大なドーム型基地、攻撃用小型宇宙船など科学の粋を凝らしたミステリアンに人類はいかに戦いを挑むのか?
基本的なストーリーや小型宇宙船と戦車との戦闘シーンなどは、明らかにH・G・ウェルズ原作でジョージ・パルがSFXを担当した『宇宙戦争』(1953)の影響が見て取れる。実際、小型宇宙船のデザインやその光線でやられる戦車の描写は『宇宙戦争』のウォー・マシーンに非常に似通っている。
それと同時に、これはもう一つのゴジラでもある。一作目の『ゴジラ』(1954)とスタッフ・キャストがかなり共通しているだけではなく、老科学者の志村喬、世をすねて人前から姿を消した宇宙物理学の科学者が平田昭彦、その友人でおなじく学者の青年、河内桃子が志村喬の娘でないことと恋愛の三角関係がないのが残念だが、人間関係は非常に似通っている。ミステリアンの巨大ロボット“モゲラ”の登場シーンや、人類側が繰り出す作戦を次々と破られていくところ。そして平田昭彦がラスト身を挺して人類を守るところまで同じだ。
では、この『地球防衛軍』が『宇宙戦争』のパクリで『ゴジラ』の焼き直しにすぎないかというとそんなことはない。個人的は変に持ち上げられ神格化された『ゴジラ』よりも『地球防衛軍』の方がずっと面白い。なによりもミステリアンや地球防衛軍が繰り出す様々な兵器が格好いい。ジャンボジェットの翼を取り外したようなロケット型α号とβ号はその巨大さのスケール感が出ていて、ちょっとテレビ版『サンダーバード』(1964~66)を思わせる。
そして巨大パラボラ型兵器その名も“マーカライトファープ”には男なら心をくすぐられるはず。キャタピラで移動するこのマーカライトファープはその駆動部を見る限り高さ100メートルはゆうにありそうな巨大さだ。この兵器のせいで衛星放送のパラボラアンテナを見るたびに「はっ攻撃か?攻撃するのか?」と身構えてしまう人も多いだろう。多くないか。
“スーパーパラボラ”などといういかにもお子様向けではなくマーカライトファープとなにやら意味ありげなネーミングも優れている。ちなみに未だに意味が分からない。
科学力が優れているくせに、「子作りしたいんで女よこせ。若くて綺麗なのな。あらかじめ下見して目を付けといたからそいつらよこせ」やら、巨大ロボットモゲラで女湯を覗いたりとミステリアンのやることがせこい。いや、あれは女性が入浴している風呂場の窓から遠くのモゲラが写り込むカットで覗いてるんではないが。でもミステリアンのことなんで望遠カメラでチェックとかしているのかもしれん。そんなことばかりやってるから滅ぶのではないか。
『ゴジラ』の1954年から3年の間に、映像がカラーになっただけではなく特撮も一気に進歩している。光学合成やホリゾント合成、ミニチュアなど当時の円谷特撮の総力を挙げた映像である。宇宙の描写なども、人類初の人工衛星スプートニクスの打ち上げが同じ1957年だということを考えると、当時としては出来うる限りのリアリティだったのだろう。ドラマと特撮の融合もバランスが取れている。おそらく公開当時は子供よりもむしろ大人の娯楽作として作られたのではないだろうか。
特撮ファン以外からはあまり語られることのない監督の本多猪四郎だが、かなりの技量があった人であるのは間違いない。その本多猪四郎の個人的ベストがこの『地球防衛軍』だ。
『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』(1999)では往年の東宝特撮映画にオマージュが捧げられているが、その中でもメインの一本。

ちなみに『地球防衛軍』と大仰な名前の割に事実上日本国自衛隊である。外国人は学者が2、3人出てくるだけ。ということは自衛隊の新兵器開発能力はかなりの物ということか。
考えてみればミステリアンの侵略もとりあえず富士山麓と日本限定。きっと彼らは大和撫子好みなのだろう。だが、連れて帰って嫁にした後まで大和撫子でいてくれるか分からないぞ。

2005年01月08日

『超能力だよ全員集合!!』 新人の志村けんは精彩に欠ける

『超能力だよ全員集合!!』(1974) 90分 2005/01/08WOWOW放送を録画にて鑑賞

監督:渡辺祐介 製作:沢村国男 原作:渡辺祐介 脚本:渡辺祐介、田坂啓 撮影:荒野諒一 美術:重田重盛 音楽:青山八郎
出演:いかりや長介、加藤茶、仲本工事、高木ブー、志村けん、長山藍子、伴淳三郎、由利徹、東八郎、たこ八郎、玉川良一、夏八木勲、フィンガー5

松竹『全員集合!!』シリーズの第13作目。主演のザ・ドリフターズから荒井注が脱退したため、付き人だった志村けんが今作からメンバーに加わった。
ユリ・ゲラーによる超能力ブームが世界中に吹き荒れる中、そのブームにちゃっかり乗って作られた作品である。ちなみに同年1974年にはユリ・ゲラーは初来日しており、実にどんぴりゃりなタイミングとなっている。
もっとも、“超能力”と映画のタイトルに付いてはいるものの、別段それらしい超能力者が登場するわけではない。記憶喪失の若者(加藤茶)が書いた詩がたまたま予言として的中するが、これは超能力というよりもむしろ前年1973年に発行されこちらも大ブームとなった五島勉の『ノストラダムスの大予言』からのいただきだ。
それにしても、超能力ブームに『ノストラダムスの大予言』とは、1970年代前半はいったいどんな時代だったのだろうか。わたしは幼かったので記憶にないが(もっとも最近のことだって憶えちゃいないが)、皆が心のどこかで不安を感じていたのだろうか。
この青年の予言に驚いたインチキ易者(いかりや長介)が青年のことを宇宙から来た宇宙人だと言い出し、青年を教祖に仕立てて新興宗教を興そうと企て始める。今度は宇宙人に新興宗教ときたものだ。もうあやしげな要素てんこ盛りで、果てさてどうなる物かと思っていたら、そんな話の筋道は途中でどこかへ行ってしまって、結局はいつもの通りのいかりやによる加藤茶イビリに行き着いて逆にホッとしてしまう。ふうっ、このまま『教祖誕生』(1993)になってしまうのかと思った。
不動産屋の社員役の志村けんは精彩に欠けセリフ回しも上手ではない。そしてこの映画はスター映画・アイドル映画の分類になると思うのだが、なによりその主演者としての輝きが焼鳥屋のオヤジ高木ブーよりも劣っている。ザ・ドリフターズの四人と脇役の一人といった具合である。ただ、不動産屋の社長(仲本工事)と一緒に有名易者の用心棒にこてんぱんに叩きのめされた上に玄関から放り出されたシーンでの、「社長、負けた時のポーズはこうするの」でのみょうちくりんな仕草がなかなか良く、その後の活躍の予感が見て取れる。
時折登場する伴淳三郎、由利徹、東八郎などの名人芸が画面をにぎわせる。中には「ハヤシもあるでよ」で有名な南利明の姿もある。比較的低予算な作品だろうが、出演シーンの少ない役を割り振ることで豪華キャストを実現している。特別出演として一大アイドルのフィンガー5まで登場している。今でこそ「あの人は今?」的な番組にしか取り上げられないフィンガー5だが当時の劇場ではさぞかし黄色い声援が飛び交ったことだろう。
やはり一番笑えるのがラストの大混乱と乱闘だ。手前側でメインに映っている役者だけではなく、画面の後ろの方にいる連中もなんとか目立とうと大暴れしながら細かなギャグをやっている。プロだ。
加藤茶の「イックション」のくしゃみで全員がひっくり返るギャグ、懐かしいなぁおい。
結局、予言や占いはインチキだったし、いかりや達は香港から来た奇術団に化けて敵のアジトであるキャバレーに乗り込んでいく。そういえば、ユリ・ゲラーの前職は奇術師だったよな。つまり、「超能力やノストラダムスの大予言なんざ全部嘘だからな」「でもってそれを笑い飛ばすからな」というスタンスで作られた映画なのである。つまり1970年代だろうがなんだろうが信じる奴は信じるし、信じない奴は信じないということらしい。
それとも、これが松竹映画ではなく東宝映画のクレイジーキャッツ主演シリーズ(1963~1970)で作られていたとしたら、円谷特撮で超能力が画面を飛び交ったりしたのかもしれない。

2006年12月03日

『ときめきメモリアル』実写劇場版 青春とはこっぱずかしいもんだ。

B00005NJPN.jpg『ときめきメモリアル』(1997) 91分 日本

監督:菅原浩志 プロデューサー:臼井裕詞、関口大輔、手塚治、河瀬光 企画:重村一、久板順一朗 脚本:岡田恵和 撮影:高間賢治 美術:和田洋
出演:岡田義徳、榎本加奈子、中山エミリ、矢田亜希子、山口紗弥加、池内博之、吹石一恵、井澤健、袴田吉彦、大石恵、岡まゆみ、小柳友貴美

 コナミの青春シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』の映画化作品。
 といっても、ゲームの方はやってないのでオリジナルへの忠実度は知らない。どうやらあまり関係ないようではある。
 いわゆるギャルゲーに分類して良いのかな?ギャルゲーをやらない訳じゃないが、あの絵は受け付けなかった。ちなみに『トゥルー・ラブ・ストーリー』シリーズはやった。いやまあそれは関係ないが。

 学校の人気者美少女4人とお近づきになろうと、主人公の少年が夏休みの期間中同じ海の家でバイトをするというお話。
『ときめきメモリアル』というこっぱずかしいタイトルに相応しく、こっぱずかしい内容だ。
 まぁ、青春ってのはこっぱずかしいもんだ。多くの人は、今となっては顔から火が出るような思い出の一つや二つはあるだろう。オレにだって、「あんなことはもう出来ません。言えません」ってことはいくつかあった。恋愛関係は特にな。
 だが、そこで恥ずかしいとかひねくれだとかを捨てて、本気でその恥ずかしいことをやれるってのが青春時代だ。

 てっきりビデオオリジナル作品かと思ったら、東映系でちゃんと劇場公開された劇映画だった。さすがに劇場では観ておらず、ずいぶん前にビデオ屋で見かけて何となく借りてきた。
 オレは途中で「勘弁してくれ~」だったが、当時の同居人は面白そうに見ていた。普段借りてくるアクションやホラーは不評だったが、「たまには良い作品も借りてくるじゃないの」と言われたような記憶がある。
 女の子たちは当時のアイドルらしいが、中山エミリがどっかで名前を見たぐらいであとの娘たちは知らない。日本の芸能界の知識はほんとからっきしだよ、三級品。

 ゲームのラストに登場するという伝説の樹での告白?はあった。「?」が付いている理由は1対1じゃないからだ。ゲームでもそうらしいが、いよいよ卒業という間際になって告白しても、交際する期間がないんじゃないかなぁと個人的には思ったりもする。

2008年03月10日

『血と砂』 戦場を楽隊がハレルヤと歌いながら進む

B000BVKFTE.jpg『血と砂』(1965) 132分 日本

監督:岡本喜八 製作:田中友幸 原作:伊藤桂一 脚本:佐治乾、岡本喜八 撮影:西垣六郎 美術:阿久根厳 編集:黒岩義民 音楽:佐藤勝
出演:三船敏郎、伊藤雄之助、佐藤允、天本英世、団令子、仲代達矢、伊吹徹、名古屋章、大沢健三郎

 派手な爆発と機関銃の乱射など娯楽戦争映画でありながら、その根底には強い反戦の意志ががっちりと根を張っている。そんな一見相反する二つの要素を見事に融合させている。同じ岡本喜八作品の『独立愚連隊』(1959)『独立愚連隊、西へ』(1960)に似ているが、製作年度が1965年の『血と砂』ではより反戦の思いが強く表れている。岡本喜八自身の考え方に変化が生じたのか、実績を積んだので自分の意志を作品により盛り込めるようになったのだろうか。主演を勤める三船敏郎は岡本喜八の親友で、その三船プロダクションが製作に関わっており自由度が高かったのかもしれない。

 印象を三本の映画で例えるならば、『独立愚連隊』+『ジャズ大名』+『椿三十郎』といったところか。オープニングで銃ならぬトランペットやチューバなどを持って、それでデキシーランドジャズを演奏しながら中国の荒野を行進していく少年兵たち。てっきりイメージシーンかと思いきや、これが本物。実にとぼけた感じで、それでいて映画を観終わると戦場の不条理さ象徴していたように感じる。彼らは音楽学校を卒業したばかりの音楽隊で銃の撃ち方など知らない。そこで楽器だけ持って前線に向かう途中だ。
 彼らと出会い、その隊長となるのが三船敏郎演ずる小杉曹長。上官を殴ったため曹長に格下げになったが金鵄勲章を受勲した強者で、頼りない少年兵たちを二日で鍛え上げ、 彼らを支えそして率いていく頼り強さと正体不明なふてぶてしさは同じく三船敏郎が演じた椿三十郎を思わせる。
 彼らは通称“火葬場(やきば)”と呼ばれる軍事拠点を八路軍から取り戻すための命がけの任務に送り出される。牢に入れられていた平和主義で銃を取ることを拒否した通信兵(天本英世)、元板前の炊事班(佐藤允)、そして戦場に来て五年間ひたすら墓穴を掘り続けた通称葬儀屋が彼らに同行する。
 大隊長(仲代達矢)の計らいで楽器を持っていくことを許された少年兵たちは、曹長の指揮の下で激戦を繰り広げ、ついに火葬場を取り戻す。
 威勢良く楽器をかき鳴らし始める少年兵たち。しかし、その先に待っているのは地獄の戦場だった。

 少年兵たちにも名前はあるのだが、「ピッコロ」「小太鼓」「トロンボーン」など担当楽器名で呼ばれているのが面白い。それに彼らは合計13人なのでそちらの方が分かりやすかったりする。
 実戦を積んだ少年兵たちは、曹長に惚れ抜いて火葬場まで追いかけてきたお春さんという従軍慰安婦によって童貞も卒業し、次第に逞しくなっていく。そして最後まで勝ち抜きましたよならばめでたしめでたしなのだが、敵が全勢力を持って大軍で火葬場に迫ってくる。もはや絶体絶命だ。その時、彼らは銃を取らず、楽器でジャズをかき鳴らす。岡本喜八の『ジャズ大名』ではお城の地下でジャズをやっている内に明治維新の維新戦争が終わってしまった。ボロボロになった兵たちがもはやこれまでとリリー・マルレーンの歌を歌い出したら、敵の攻撃が止み、いつしか敵味方合わせての合唱になるというのもどこかで観た記憶がある。しかし、この作品では迫撃砲も銃撃も止まない。戦争はファンタジーじゃないのだ。そして、一つまた一つと楽器の音が消えていく。

 本部の近くには慰安宿があって、そこには何人も従軍慰安婦がいる。彼女たちは明るそうにしていて、冗談を言ってはケラケラと笑っている。『独立愚連隊』『独立愚連隊、西へ』にもほぼ同様の慰安宿と従軍慰安婦が登場する。このことだけで、岡本喜八のこれら一連の作品を否定する人もいるだろう。オレにはそれについて正直なんとも言えん。好きで慰安婦になる人などいないと思うが、一部分だけでその映画全体を否定するのはどうかとも思うが、その一部分こそがその人にとってどうしても譲れないところかもしれない。ただし、これらの作品の上映禁止とか発売禁止にすることだけは止めて欲しい。
 曹長が少年兵たちにお春さんを「金山春子」と紹介している。「なになにたよ」とか「パカだね」などの発音から朝鮮系慰安婦だと思われる。こうなると強制連行などの現実の問題に関わってくるのは避けて通れないのだが、とりあえず1960年代の東宝という大手映画会社が製作した娯楽映画のいくつかでは以上の様に取り上げられていた資料にはなるだろう。時代が変われば人の問題意識も変わる。

 平和主義の通信兵も今まで一人も殺したことのない葬儀屋も、ついには戦争の狂気に飲み込まれて人を殺し、そして殺される。男たちは次々と死んでいき、最後まで生き残ったのはお春さんただ一人。戦争とは詰まるところ殺し合い。兵隊とは人殺しが仕事だ。戦場には正義も悪もない。敵がいて味方がいるだけ。殺したり殺されたり、痛かったり腹が減ったり。戦争なんてやるもんじゃない。でも、面白い戦争映画を観ると燃えちゃうんだよな。矛盾してんな、オレ。
 火葬場守備隊が全滅した日は昭和二十年八月十五日。日本がポツダム宣言を受諾し、玉音放送が流れた日だった。