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2003年01月29日

『ギブリーズEpisode2』 タダでもいらねぇ。っつーか金返せ

 そしてこの夏ジブリは二本立て、な訳だが「思ってませんよ、一本立てでいいから安くしろなんて」

 『猫の恩返し』を観ると無料で『ギブリーズEpisode2』が付いてくる訳だが、これがなんつーか徹頭徹尾つまらない。
 まずキャラクターのデザインがテキトーだ。あれが味のある絵とか言うヤツはわたしが許さんぞ。唯一カレー屋のオヤジはよかったが、なんのことはないこのオヤジだけいしいひさいちによるものだった。でデザインだけじゃなくて人間的にもこれまたテキトーなんだ。そこらへんにいくらでもいそうなヤツ。そいつらが飯食いに行ったり、電車で隣に座った美人が寝て肩により掛かってきて動けなくなり終点まで行ってしまうとか、小学校の頃の初恋を思い出すとかいった具合で話もこれまたテキトーなんだ。
 普通の人が普通に生活しているその一コマを描き出してみました、とか言うのかもしれないが、んなもんこちとら普通の人間でいっ!普通の生活なんか自分ので見飽きてるわいっ!なにが悲しゅーて金払って大スクリーンでこんなものを見せられねばいかんのよっ!

 日常をやりたいのは勝手だ。だが、日常=何も起こらない、ではない。日常には様々なドラマが詰まっているはずだ。それを描けよそれをっ!
  『ジブリーズ』にはテーマもないストーリーもない笑いもない感動もない動きがない、なにより志しがないっ。ないったらないっ!志とは「こんな話を語りてぇ」、「こんなキャラクターを出してぇ」、「こんな絵を撮りてぇ」、ひいては「こんな映画を作りてぇ」ということである。お金がなくても技術がなくても時間がなくても何とかなる。しかし志しがなければ何も出来ない。
 まったく、ジブリの人間が、仕事の空き時間を利用して趣味で作った作品じゃないだろな?内容は学生の実験映画レベルだぞ、これ。

「ええ、思ってませんよ。『ジブリーズ』付ける代わりに安くしろなんて。だって思ったのは『ジブリーズ』付けるんなら金返せ、ですから」

2004年06月13日

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001) 監督:原恵一 演出:水島努 脚本:原恵一 声の出演:矢島晶子/ならはしみき/藤原啓治/こおろぎさとみ/真柴摩利/林玉緒/一龍斎貞友/佐藤智恵/納谷六朗/高田由美/富沢美智恵/三石琴乃/小林愛/津嘉山正種/関根勤/小堺一機

これまでの作品があくまでも客層の中心が子供でしたが、今回のはかなり大人向けになっている。

春日部市で大阪万博などを集めた20世紀博というのが開催され、しんのすけの両親や他の大人たちは自分の子供時代に夢中になってしまう。そして懐かしさの匂いに誘われて子供にかえってしまい、自分たちの子供であるしんのすけやひまわりのことを忘れていく。正直言って、ここのシーンは怖かった。乱作されている和製ホラーより怖かったくらい。
敵の親玉は『ケンちゃん・チャコちゃん』(子供のは分からんわな~)
ヴァーチャルな過去の空間を作っていて(昭和40年代?)そこには人々が暮らしている。
懐かしさの匂いをタワーからばら撒き世の中を20世紀に戻そうとたくらんでいる。そして大騒動が始まるのだが・・・

結局、しんのすけの妨害で計画に失敗したケン・チャッコは匂いのしない未来を生きるよりかはいっそのこと死を選ぼうとタワーから飛び降りようとする。そこでしんのすけの「ずるいよ」の一言。そして飛ぶ鳩。
くわっ、いいシーンだ。
さらにその「ずるいよ」はちゃんとギャグとして処理されてしまっていいぞ。
鳩が飛び立ったのはその下にあった巣を守るため。巣には母鳩と子鳩という家族がいる。ひょっとしたらチャコのお腹には二人の子供がいるのではと感じたのだがさてどうだろう。チャコが内心でケンと家庭を持ちたいと思っていたのは間違いないのだが。

匂いが重要な過去につながるキーワードになっている。
確かに、匂い=嗅覚は記憶とダイレクトに結びついていて、それを思い出させる。
マルセル・プルーストの大作「うしなわれた時を求めて」は主人公がマドレーヌの香りによって過去を思い出すところから始まり、そして延々全13巻続く。

しんのすけたちが幼稚園の送迎バスをケンの愛車2000GTにぶつけフロントバンパーを壊してしまう。
それに対するケンの台詞が「あいつらは俺の魂を踏みにじりやがった」良いセリフだ。
車はその他にもスバル360の団体やオート三輪などなど。

不況・不景気は続き、倒産する企業やリストラされるサラリーマンは数多い。オウム真理教などのカルト集団が事件を起こしたり、キレた中高生がナイフで人を刺したりする。
そんな時代から目を背け、かといって未来にも希望を持てない。そんな大人たちが、自分たちにとって一番素晴らしかった時代を再び再現してそこに逃げ込む。
その時代は崩壊することがわかっているバブル経済の時代ではなく、町にはまだ人情があり、そして冒頭の大阪万博に象徴されるように未来への夢と希望があふれていた、そんな昭和40年代だった。
過去の思い出に閉じこもって逃避する。それはそれで一つの生き方だろう。
しかし、子供たちはそうはいかない。その時代は、子供たちにとって生まれる以前の単なる過去にしかすぎない。
子供たちは、まだ未来に失望してなどいない。自分たちの今、そして大人になっていく未来を否定されることを拒否する。そしてその未来を奪われることに抵抗(レジスタンス)するのだ。
そして子供たちの戦いが始まる。
戦いの中、過去に逃げていた大人は現在の自分と直面し、青春時代・青年時代・大人時代を思い出し、自分の過ごしてきた時間は無駄ではなかったとそれを受け入れ、そして再び大人に戻る。そのための現在を象徴する匂いが臭い靴という素晴らしさ。
もう逃げ込む過去はない。子供も大人も一緒になって、今をそしてこれからを生きていくのだ。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(2003)  監督:水島努 脚本:水島努/原恵一 出演:矢島晶子/ならはしみき/ 藤原啓治/こおろぎさとみ/林玉緒/真柴摩利/一龍斎貞友/佐藤智恵/石丸博也/華原朋美

 たしかに良い作品だし滅多に泣かないこのわたしが思わず泣いたのだが、しかし同時に「これはすでにクレヨンしんちゃんじゃないっ!」と叫んだ『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(2002)。
 だって本気でマジなんだもん。おふざけの主人公が真剣の悪役(の割にバカなのだが)に勝つというクレヨンしんちゃんの図式から思いっきり逸脱して、これじゃ普通の映画だ。いや、良い映画なんだけどね。
 で、次作の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(2003)はその反動もあってか、どちらかというと原点回帰した作品になっている。
 バラバラになりそれぞれひたすら走り続ける野原一家の姿は感動的である。思えば、正月の駅伝、オリンピックのマラソンなどでわたしたちは走り続ける人の姿を目にするが、彼らはつまるところ学校の名誉であったり国のためという看板を背負って走っている。マラソンの起源であるマラトンからアテネまで走り通した名も無きギリシャの兵士は戦いの勝利を伝えるためだった。太宰治の『走れメロス』のメロスは友人の命をかけて走っている。それに対して野原一家の走る理由が「晩ご飯の美味いヤキニクを食べるため」という実にバカなものであることの美しさ純粋さ。
 そもそも走るという行為は実に映画に合う。机の前に座って悩んでいる人を撮っても絵にはならないが走っている人はそれだけで絵になる。その走るという行為をメインに持ってきただけでこの作品はすでにある程度成功している。

 細かい点を言うと不満がないわけではない。
 マスコミなどを通じて無実の野原一家が天下の極悪人として報じられ、世間の人々から憎まれ追われ密告されるようになっていく様は、なかなかに恐ろしいシーンである。しかし、アクション仮面がテレビで「野原一家を捕まえよう」と呼びかけるのはどうだろうか?アクション仮面としんのすけといえば『嵐を呼ぶジャングル』(2000)などでともに戦った仲間ではないか。せめて、カメラに写らない部分で回りを銃を持った悪人たちに囲まれているアクションの絵が欲しかったところだ。
 デパートの屋上でカメラ小僧相手に媚びを売るゲスト出演の華原朋美は、そもそも彼女にこれっぱかしの興味も持っていなかったわたしにすら哀れである。華原朋美が自虐的なギャグとして理解していればまだ救われるが、わかってるんだろうか?ま、どうでもいいか。
 悪人が何人か出てくるが、あまりぱっとしないのもつらい。やはり悪役が魅力的でないと。

 ともあれ、走れ。そしてヤキニクを食え、腹一杯。

『クロスファイア』

『クロスファイア』 監督:金子修介 原作:宮部みゆき 脚本:山田耕大/横谷昌宏/金子修介 出演:矢田亜希子/伊藤英明/原田龍二/長澤まさみ/吉沢悠/徳山秀典/永島敏行/桃井かおり

 原作は出版時に読んでいたのでストーリーについて行けたが、映画で初めてという人には、ちょいとつらかっただろう。 淳子が少年グループを”パイロキネシス”(発火能力)で焼き殺そうと決意するまでが唐突過ぎて、「何で?」と思うのではなかろうか。 逆に、後半で出てくるガーディアンズといった連中がよく分からないまま、結末を迎えてしまっう。
 原作が上下巻とかなりのボリュームであるのに、それを大きく変えないまま2時間に収めたのだから、無理もあろうというものだ。
 結局はかなり原作とは違う部分もあるのだから、いっそのことガーディアンのパートは削ってしまって、淳子が少年グループと戦うに絞った話に変えてしまったほうがすっきりしたのではないか。
 淳子の正体を感づいている若い刑事も不必要に思えるが、彼がいないと、観客に対して“パイロキネシス”を説明してくれる人がいなくなってしまうか。
 桃井かおりのオバさん刑事はよかった。

 いつのまにか定着してしまったVFXという言葉。
 技術そのものが見せ場なSFXに対し、技術を使っていると観客に悟らせるべきではないのがVFXと考えています。 『平成ガメラ』シリーズを撮っただけあって、金子修介のVFXの使い方はかなり手馴れている。
 淳子と多田がキスをした瞬間、熱気がドーム上に二人を包み込み振りゆく雪が蒸発するシーンなど、背筋がゾッとする美しいシーンであった。
 この映画、さかのぼれば、東宝の『ガス人間第一号』や『透明人間』あたりになるのであろう。
 小説自体は、スティーヴン・キングの『ファイヤー・スターター』へのオマージュであったが。

『五条霊戦記』

『五条霊戦記』 監督:石井聰亙  脚本:石井聰亙/中島吾郎  出演:隆大介/浅野忠信/
永瀬正敏/岸部一徳/國村隼/勅使河原三郎/船木誠勝

平安末期の義経と弁慶の闘いを描いているんだけど、基本設定を持ってきているだけで、話的にはまるで別物。オリジナルストーリーだな。
本来の話ならば、五条橋で武士を襲っては刀を奪っていた弁慶を遮那王(源義経の幼名)が退治するってことになっていたけど、映画ではその逆で、平家武士を夜毎斬る“鬼”遮那王を、不動明王の啓示を受けたもう一人の“鬼”弁慶が斬りにくるといった話になっている。

殺陣は全体的に暗い画面で、アップの上にカメラが動き回る。しかも、カット数がやたらと細かくて多いものだから、迫力はあるものの、はっきりいって何をやってるんだか分からん。
ラストの遮那王と弁慶の殺陣でようやく面白い殺陣になった。
刀がぶつかる度にガッチンガッチンと火花が飛び散る。
かっこいいぞ。

パンクラス代表の格闘家船木誠勝がなかなか良かった。
台詞回しもわりと上手かったし、迫力もあった。ただ、格闘シーンはほとんどない。

山の民や森の妖気のあたりには『もののけ姫』の雰囲気があった。というか、絶対参考にしてると思う。
美術や衣装などもかなり力が入ってる。

とまぁ面白いことは面白いんだけど・・・
浅野忠信や永瀬正敏の起用を見ても分かると思うけど、かなり女性層を意識している。
役者陣が無精ひげを生やしていたり薄汚れていたりとかなり男臭いけど、結局は女性でも受け入れられる男臭さだ。というよりも、女性をターゲットにした男臭さだと思う。
男の色気っていうのかな。
極論を言えば遮那王と弁慶の精神的ホモ映画なんだよね。 そのうちコミケで『五条霊戦記』ヤオイ本が出てても不思議じゃない。メインに考えてる客層は女性と海外なんじゃないかな。
海外では結構受けると思うよ。
まぁ、それはそれでいいと思うんだが・・・
そこら辺が受け入れられるかどうかだね。わたしはダメだったが。
さらにラストのオチにはズルッと引っくり返ってしまった。
石井聰亙監督の新作ということと、予告で期待していた分、ちょっとがっかり。

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』
 監督:金子修介  脚本:長谷川圭一/横谷昌宏/金子修介 出演:新山千春/宇崎竜童/小林正寛/佐野史郎/仁科貴/南果歩/大和田伸也/村井国夫/渡辺裕之

かなり長いタイトルだが、正確にはバラゴンも加えた『ゴジラ モスラ キングギドラ バラゴン 大怪獣総攻撃』になるのだろう。本当は監督の金子はバラゴンも加えたかったそうなのだが、プロデューサーか誰かの反対にあったそうだ。
今回のゴジラはまた悪役に戻るとのことである。
監督は平成ガメラシリーズを手がけた金子修二。ガメラも面白かったし、そもそもちゃんと映画を撮れる人だから期待していた。
しかし、スタッフのガメラと比べて予算は倍だが期間は半分という言葉を聞いて不安も感じていた。
映画ってのはとかく時間がかかるもの。特に特撮を多用した作品となるとなおのことだ。
で、実際に映画を観てどう感じたかというと、「う~ん、本がつまらないからなぁ」である。
まず、ゴジラには太平洋戦争で亡くなった多くの人の残留思念がとりついているそうだ。
だからゴジラにはミサイルも爆弾も効かないとのこと。
なんじゃ、そりゃ~。
で、日本を襲うゴジラを、ヤマトの守護神である三大聖獣が蘇る。それがバラゴン・モスラ・キングギドラである。
ところがこの聖獣たち、けっこう危ないやつらで、バラゴンは暴走族をトンネルごと潰して生き埋めにしてしまうし、モスラは湖の湖畔で悪さをしている若者達を繭にして殺してしまう。一緒にいた犬は無事というのが映画的良心。
悪い若者達を殺していくというのはなんというか、13日の金曜日のジェイソンのようですな。
で、バラゴン、モスラ、キングギドラそして防衛軍によるゴジラ討伐がはじまる。
しかし、今度のゴジラは強い。はっきりいって強すぎる。一方的な戦いで盛り上がらない。
ガメラとレギオンみたいにある程度両方の力が拮抗していないと面白くないですな。
ま、ゴジラの圧倒的な強さというのは今回金子が描きたかったことなんでしょうけどね。
その割りに、ゴジラの死に方は間抜けなんだよなぁ。
今回のヒロインはBSの中小番組プロダクションなのだが、このお姉ちゃん箱根から横浜まで自転車でゴジラを追う。
追いつけんつーの。
しかも、その間、デジタルビデオをパソコン経由で携帯電話につなぎ生中継を配信するのだ。
どんな高速回線の携帯電話やねん。
あと、意味のない特別出演。蛍雪次郎や渡辺裕之、松尾貴志はガメラシリーズからの続きとして、
ゴジラの尻尾で叩き潰される篠原ともえやチューヤン。軍人役の角田信朗。
誰がどこに出てくるか、こりゃウォーリーを探せですな。
最高に意味がなかったのは前田愛と前田亜季姉妹。
二人並んで空を飛んでいくモスラを神秘的な雰囲気で見ているものだから、これは小美人の役なのかと思いましたが、そのまま出てきませんでした。
宇崎竜童は陸軍だと思っていたら戦艦に乗って指示を始め、最後には潜水艦に乗ってゴジラに向かっていくし、いったい陸軍なのか海軍なのか。そもそも防衛軍の組織構成はどうなっているのか?
やはり、ガメラと比べて圧倒的に脚本が弱い。伊藤和典が抜けたのは痛かったな。

2004年07月04日

『コータローまかりとおる!』 JACのJACによるJACの映画

『コータローまかりとおる!』(1984)

監督:鈴木則文 プロデューサー:豊島泉/厨子稔雄/佐藤公彦 企画:佐藤雅夫/千葉真一 原作:蛭田達也 脚本:志村正浩/鈴木則文 撮影:北坂清 美術:佐野義和
出演:黒崎輝/千原麻里/大葉健二/真田広之/志穂美悦子/伊原剛/山口良一/山城新伍/千葉真一

1985年当時、ジャパン・アクション・クラブがジャニーズばりにアイドルとして大人気だったと言っても、若い人にはちょっと想像がつかないかもしれない。
真田広之の存在が大きかったと思うが、ついには「JACのJACによるJACの映画を作ります(千葉真一)」と東映でJACムービーが製作されることとなった。JACの面々が主題歌を歌い、歌番組にも出演していたのだから大した物だ。
第一弾の『伊賀のカバ丸』に続き同じく黒崎輝主演の第二弾が『コータローまかりとおる!』だ。ちなみに『週刊少年マガジン』で1982年から連載されていた『コータローまかりとおる!』だが、2004年7月現在『少年マガジンSPECIAL』にて『コータローまかりとおる!L』が連載中だ。じつに22年、未だにコータローたちは高校生のままである。
監督の鈴木則文は『トラック野郎』シリーズで有名だが、『ドカベン』などの漫画原作モノも得意としている。中でもこの『コータローまかりとおる!』と『ザ・サムライ』(1986)は白眉の出来だ。異論は多いだろうが。

スケベで欲望に忠実、それでいて惚れてる女には弱い野生児コータロー役の黒崎輝は適役。『瀬戸内少年野球団 青春編』(1987)などに出ていたが、その後消息不明。元気にしているのだろうか。
真田広之は日舞の名取でもある風紀委員。真田広之がチントンシャンと踊っているところは、『ラスト・サムライ』などで「真田さま~」とか言っている女性の方々にも見てもらいたい。もっとも、真田広之は実際に日舞の名取なんだそうで。破壊力ということなら『伊賀のカバ丸』での白塗り長髪な沈寝役の方が強いか。実は悪役のこのキャラクターは映画オリジナルだったのだが、原作にも登場してそのままシリーズ最大の悪役になってしまった。原作者蛭田達也氏はなかなかちゃっかりしているようだ。
そしてコータローのライバル、風紀委員特別機動隊隊長天光寺役が大葉健二。常に和服で日本刀を腰に携え、頭はツルツルに剃り上げている。その頭をコータローに「一つ人よりハゲがある~」とからかわれて、怒りのあまり叫んだのが「ハゲじゃない、この頭は剃っているだけだ」の名セリフ。『キル・ビルVolume.1』でも使われていた。コンサート会場での乱闘騒ぎで感電してしまい、電気スタンドのコンセントを鼻に差し込むと光らせることが出来る得意体質に。原作であったこのギャグをまさか実写の映画で見られるとは思わなかった。さすが、鈴木則文。大葉健二も長いこと見ませんでしたが、『キル・ビル』で元気そうなのを確認。

どいつもこいつも高校生には見えません。特にコータローを百人組み手の名でリンチにかける柔術部の主将は、どうみたって30歳越えてるおっさんです。
出演者のほとんどがJACだけにさすがアクションは豊富ですが、個人的にはナンセンスバカコメディに分類します。変にお利口さんぶって始めから馬鹿にしてみるようなことをしなければ、爆笑できる傑作だと思うんですがねぇ。

2004年11月18日

『ガス人間第一号』 八千草薫が美しい

『ガス人間第一号』(1960) 91分 2004/11/17鑑賞

監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 脚本:木村武 撮影:小泉一 美術:清水喜代志 編集:平一二 音楽:宮内国郎 特技・撮影:有川貞昌 特技・美術:渡辺明 特技監督: 円谷英二
出演:土屋嘉男、三橋達也、八千草薫、左卜全、佐多契子、野村浩三、伊藤久哉

『透明人間』『美女と液体人間』とならぶ東宝特撮○○人間物の一本。
ようやくDVDレンタルになったので初めて見ることが出来た。10数年前に『透明人間』は観ていたので、残るは『美女と液体人間』だが、こいつは原爆実験が絡んでいるのでソフト化は難しいかも知れない。『ウルトラセブン』の第12話『遊星より愛をこめて』みたいなものか。
人体実験の犠牲になり感情を操作することでガス状に変身できるようになったガス人間。そのガス人間が思いを寄せる日舞の家元と謎の銀行強盗などによって物語は進むが、ドラマの中心はSFというよりむしろ悲恋である。報われぬ愛はついに死をもって終わる。
ガス人間を追う三橋達也ら刑事たちが、何かというとすぐにピストルを抜いて乱射する。『天才バカボン』のおまわりさんじゃないっての。
ガス人間の特撮も1960年という時代を考えると素晴らしいが、それよりも家元を演ずる八千草薫の人を寄せ付けぬような美しさが勝っている。その下男で女主人に最後まで忠実なじいやを演じた左卜全も味がある。
この頃の東宝映画はどの作品の銃声や爆発音も同じような音だが、あれは同じ音素材を使い回していたのだろうか。

2005年03月17日

『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』 親ってすごい

『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』(1998) 99分 日本

監督:原恵一 演出:水島努 プロデューサー:茂木仁史、太田賢司、堀内孝 原作:臼井儀人 脚本:原恵一 撮影監督:梅田俊之 特殊効果:土井通明 美術監督:川井憲、古賀徹 音楽:荒川敏行、宮崎慎二

出演:矢島晶子、三石琴乃、玄田哲章、石田太郎、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、塩沢兼人、山寺宏一

 面白いと思うし、ラストのぶりぶりざえもんとの別れのシーンではつい泣いてしまったほどだ。ほかの人たちが喜ぶ中、後ろに立つしんのすけの頬をつつーと一筋流れる涙が良い。
だがしかし、『クレヨンしんちゃん』で本格的な銃撃戦をやる必要があるのだろうか。確かにそれで傷ついたりましてや死ぬ人は登場しないが、FA-MASやMP5など銃器の描写が妙にリアルで少々浮いているように感じてならない。
 野原一家としんのすけの友達たちの活躍はいつものことだが、今回は秘密組織のエージェントであるコードネーム『お色気』と『筋肉』の二人が加わる。何かにつけて口ケンカばかりしている二人だが、実は意外な(でもないか)関係だ。この部分は子供よりもむしろ付き添いの親にウケたのではないだろうか。
お色気のセリフ
 「あんた子供産んだことある?・・・わたしが勝つ!」
は凛々しく格好いい。
お色気が命がけで子供たちを守るのも、筋肉がしんのすけを心配する両親を駄目だ連れて行けないと断りながら結局は同行させるのは二人とも親だから。親ってすごいなと未だに子供の立場だけのわたしは思うんである。

 東京湾の屋形船から香港、中国(?)の山岳部とアジアを股にかけての大冒険だが、香港のシーンは少なくあまり意味を持っていないのが残念。
その分、敵の基地での大暴れが派手だしギャグがあって笑える。規模としてはほとんど『007』だ、アニメだけど。
原作は何度か読んだことがあるが、それほど面白い作品ではなかった。臼井儀人は優れたアニメ化で得してるな。

2005年06月21日

『がんばれ!!タブチくん!!』劇場版 「ちょっとそこに座りなさい」 「さっきから座ってるじゃないの」

『がんばれ!!タブチくん!!』(1979) 95分 日本 以前スカパー!で放送されたのを録画で2005/06/19鑑賞

監督:芝山努 製作:藤岡豊、山本又一朗 製作補:片山哲生 原作:いしいひさいち 脚本:辻真先、城山昇、出崎統、金春智子 撮影:高橋宏固 音楽:乾裕樹
出演:西田敏行、二木てるみ、肝付兼太、内海賢二、青野武、羽佐間道夫、富山敬

 子供の頃に大ヒットした映画だ。劇場では観なかったがテレビ放映で観て、当時からプロ野球に興味がなく選手の名前などもほとんど分からなかったが、それでも面白かった。原作は今や朝日新聞朝刊の4コマを手がけるようになった“いしいひさいち”の出世作の『がんばれ!!タブチくん』。原作はタブチがタイガースにいた頃のイメージだが、劇場版はトレードでライオンズに移籍した後になるので当然タブチは青と白のユニフォームを着ている。
 1979年から1980年の2年間に続編の『激闘ペナントレース』『ああツッパリ人生』を含む三本が立て続けに公開された。ヒットしたから続編を作ったというよりおそらくは最初から三部作構成として制作されたのだろう。
 さほど制作費がかかっていなそうな作画・動画ではあるが、スタッフの面子は豪華。監督は『ドラえもん』などの芝山努。そして4コマ漫画とオリジナルのアイディアを上手く繋げ合わせて、いくつかのパートには分かれているが一本のストーリーに仕上げた脚本陣はミステリ作家でもある辻真先、『あしたのジョー』などの演出で知られる出崎統など錚々たる顔ぶれ。金春智子と言う人も見たことがある名前だ。
 原作にしろアニメにしろ、タブチはタブタだの西武デパートのアドバルーンだの「タブラン」(タブチのランニングホームラン)=不可能を表す単語として国語辞典に載ってしまうなど徹底してひどい扱いをされている。田淵選手はこの作品に対してクレームは付けなかったのだろうか?洒落が分かる人だったのか?
 若い人には王、長嶋はともかく熱心なプロ野球ファンでなければ登場人物には知らない名前も多いだろう。だが、実際のモデルに頼り切ることなく映画の登場人物としてキャラクターを完成させているので充分に楽しめるはずだ。
 誘惑に弱くうぬぼれ屋でそれでいてすぐに落ち込むタブチと、しっかりもので愛嬌もあり意外と毒舌でいて実はタブチのことを誰よりも思っているミヨ子夫人とのやり取りが面白い。ミヨ子さんみたいな奥さんを持てたらいいなぁ。

 タブチがミヨ子に説教しようとして
タブチ「ちょっとそこ座りなさい」
ミヨ子「さっきから座ってるじゃないの」
の繰り返しギャクがシリーズを通して何度も使われている。人によっては「しつこい、くどい」とケチをつけるだろうが、わたしにとっては大好きなギャグだ。
 そもそも繰り返しのギャグというのは最低でも三度はやらないとダメだ。一度目は普通のギャグ、二度目で「あれ、繰り返しのギャグかな?」と観客に感じさせ、そして三度目で繰り返しは偶然ではなく意図したギャグであることが判明する。そして、ギャグとは笑わせるだけではなく観客のエモーションに動きをもたらすものなので、「なんだこりゃ、くどいな」とシラケるというエモーションを引き出したことはこれぞギャグの勝利の一つなのである。

 『がんばれ!!タブチくん!!』で生み出されたタブチや広岡などのキャラクターはいしいひさいちが現在発表している『ののちゃん』などの作品で先生や作家などになって登場し続けている。スポーツ4コマを描いている漫画家の中には実在の選手の存在感や知名度を利用しているだけの人もいるが、そういった凡庸な漫画家と天才いしいひさいちの差なのだろう。

2005年10月16日

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』 オレだってたまには泣く、その28

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『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』 (2002) 95分 日本 2002/05/03鑑賞

監督:原恵一 演出:水島努 チーフプロデューサー:茂木仁史、太田賢司、生田英隆 プロデューサー:山川順一、和田泰、福吉健 原作:臼井儀人 脚本:原恵一 音楽:荒川敏行、浜口史郎 絵コンテ:原恵一、水島努
出演:矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、屋良有作、小林愛、羽佐間道夫

 傑作であるのは認める。しかし『クレヨンしんちゃん』として作る意味があるのだろうか。キャラクター設定はきっちり活かしてあるし、『クレヨンしんちゃん』という場を利用して自分の撮りたい物を撮ってしまうというスタイルは好きだ。だが、やはりこれはもはや『クレヨンしんちゃん』じゃないよなぁというのがまず最初の感想だ。
 『ブタのヒヅメ大作戦』や『温泉わくわく大決戦』で人は死なないがリアルな銃撃戦が繰り広げられる。この部分についてどうにも違和感をぬぐいきれなかった。両作とも面白いのは間違いないのだが、『アクション仮面VSハイグレ魔王』から始まる初期の作品群こそ“子供たちが大好きな『クレヨンしんちゃん』”の映画として優れているのではないか。その意味ではシリーズ最高傑作は4作目の『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』だろう。
 9作目の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は傑作として大人からの評価が高いが、果たして子供にとってはどうだったのだろうか。ガキってのは大人が思っている以上に理解力があったりするので、意外とちゃんと理解して楽しんでいるのかもしれないが、同時にガキってのは時に大人が思っている以上に理解力がない。核の部分は分かってねぇだろうなぁ。
 10作目の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(それにしても長いタイトルだ)は『オトナ帝国の逆襲』以上に観客対象を大人へとシフトしている。戦国時代での本気の合戦。槍や鉄砲で人が殺されるシーンは巧みに画面外に押しやられているが、劇中で多くの侍や足軽が死んでいる。『影武者』(1980)や『天と地と』(1990)の合戦シーン以上の迫力に驚いた。
 野原家の自家用車が合戦場を走り回って敵軍を蹴散らすシーンは実にうれしい。ひろしの給料から考えるとカローラクラスだろうが、その大衆車が『戦国自衛隊』(1979)における戦車やヘリコプター以上に有効に使われている。
 だが、果たして『クレヨンしんちゃん』に数多くのリアルな「人の死」が必要なのだろうかと、どこかで違和感を感じていた。その違和感も含めて傑作ではあるわけだが。

 時を超える手段はいくつもある。有名なのはタイムマシンを使った方法だ。H・G・ウェルズが生み出したタイムマシンは映画化され『タイムマシン』(1959)や再映画化の『タイムマシン』(2002)、『タイム・アフター・タイム』(1979)などで何度か時間の旅を行った。
 日本で一番有名なのはやはり『ドラえもん』のタイムマシンだろう。学習机の引き出しが入り口になっているそのタイムマシンは過去や未来へと旅していくつもの物語を生み出した。
 他には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのデロリアン(自動車)型タイムマシン、『ビルとテッドの大冒険』シリーズの電話ボックス型タイムマシン、『オースティン・パワーズ』シリーズの壁で渦巻きがグルグルしている渦巻き型タイムマシン(これは1960年代のTVシリーズ『タイムトンネル』のパロディだろう)、『ターミネーター』シリーズでのマシン自体は画面に登場しないが生身の物体だけを時空転送する転送型タイムマシンなどが有名だ。
 機械を使わない方法では時空転移の超能力を持つ人物が登場する作品や、薬品によって時間跳躍能力を得る『時をかける少女』、頭を殴られた事故で過去に跳ぶマーク・トウェインの『アーサー王宮廷のヤンキー』などがある。
 そして超能力など持たない普通の人間が意志の力だけで時を超える作品もある。クリストファー・リーヴ主演の『ある日どこかで』(1980)がそうだ。主人公は古くからあるホテルの展示室で肖像画に描かれた女性に恋をする。その肖像画が描かれたのはおよそ70年前だった。
 会いたいけれども会うことは出来ない。その女性への想いは強まるばかりで、ついにその想いが主人公に時を跳ばせ70年前の世界に送り込む。
 強い想いは時間の旅すら可能にする。悲しい映画だが美しくなかなかの佳作だ。

 『戦国大合戦』でしんのすけを始めとする野原一家が天正2年(1574年)へと送り込むのも「強い想い」である。
 夢に見た綺麗なお姫様に会いたいというしんのすけの想い、過去に行ってしまったしんのすけを連れ返しに行きたいという両親の想い、そしてなにより春日の国のお姫様の強く美しくそして悲しくつらい恋への想い。
 時を超えるシーンでは異次元をくぐる抜ける描写やだんだんと身体が透けて消えていくなどの演出、現れる前に稲妻や炎が生じるなどの描写はない。ただカットが変わると消えていて違う時代の同じ場所、現代の野原家であり天正2年の美しい池の畔に現れる。あえてシンプルに描いたその理由は、映画のラストで野原一家を乗せた車が現代に帰って行くシーンではっきりする。カメラが切り返すと草原の上に車はなく、お姫様である廉の後ろ姿だけが画面に映っている。しんのすけは「帰ってもおらたちはここにいるよ」と言ったが、それでもやはり想い人を失った廉はもはや一人きりなのだ。

 本来は死ぬはずだった青空侍こと井尻又兵衛は時を超えてきたしんのすけによって命を救われる。だが運命は変えることは出来なかった。又兵衛の死は先送りにされただけで避け得ぬものだったのだ。しんのすけによって与えられた猶予期間によって又兵衛は自分にとって大切な国、大切な人々、そして大切な女性を守った。そのことをしんのすけに語って又兵衛は心安らかに死んでいく。
 だが、死んでいく人間はそれで良いだろうが、生きて残された相手はたまったもんじゃない。その相手とは春日城主の娘である廉だ。又兵衛とは幼なじみで、互いに恋心を抱きながらも、「身分が違うから」と又兵衛がある意味で逃げていたために言葉で確認しあったことはない。
 又兵衛は死んだがその想いは残る。その想いを廉は逃げずに背負うことを選ぶ。
「一生誰のもとへも嫁がぬ」という廉のセリフは美しいが、オレはどこかで又兵衛に腹が立ってしまう。死んだことに腹が立つのではない、それはしょうがない。だが、想いだけを残してその想いによって廉の心と人生を縛ってしまったことに腹が立つ。
 もちろん、『めぞん一刻』でもう誰も愛することがないと思い込んでいた響子さんが延々と色々あった後に五代君の愛を受け入れた様に、廉もいずれはまた誰かを愛するかもしれない。だが響子さんは惣一郎さんと互いに愛し合い、短い間とはいえ結婚生活も送った。言葉で確かめ合ったことも二人だけの生活もなかった分だけ響子さんよりも廉の心にかけられた枷の方が強いのではないだろうか。
 だがそんな考えも青空に浮かんだ小さな雲を見上げながら廉が呟く
「おい、青空侍」
 というセリフとラストカットで「もうどうでもいいや。とりあえず泣こ」と吹き飛んでしまう。

 ちなみに一番好きなシーンは殿様や家老がカレーを食っているシーンだ。このあとに戦が春日に襲いかかることを予感させる、いわゆる嵐の前の静けさが描かれた名シーンだ。

2005年11月25日

『機動警察パトレイバー THE MOVIE』 暴走OSの謎を解け

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『機動警察パトレイバー THE MOVIE』 (1989) 98分 日本

監督:押井守 プロデューサー:鵜之沢伸、真木太郎、久保真 脚本:伊藤和典 美術監督:小倉宏昌 音楽:川井憲次
出演:古川登志夫、冨永みーな、大林隆介、榊原良子、井上瑶、池水通洋、二又一成、郷里大輔、千葉繁、阪脩

-オレはいつでも燃えている その25-
 中学時代に『うる星やつら』のファンだった。週刊サンデーは毎週買って、アニメも観ていた。当然、劇場版も観に行った。そして、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)で『うる星やつら』という要素ではなき「映画」として衝撃を受け、押井守という名前が頭に刻まれた。だが、実写一作目の『紅い眼鏡』(1987)で駄目だこりゃと忘れた。忘れるの早いな、おい。
 だから『機動警察パトレイバー THE MOVIE』は劇場で観てはいない。オレはすでに大学生で、しかも大学のシネマ研究会に所属していた。今の映画研究会ではどうなっているか知らないが、1980年代末はまだ「アニメなんか映画じゃない」という風潮があった。そのせいか、名古屋でも単館上映はされたようだが、他の部員から「観てきた」という話は聞かなかった。
 他の作品を目当てでレンタルビデオ屋に行ったが貸し出し中で、それじゃあまぁと消極的理由で借りてきた。でもって、これでもかぁってぐらいに燃えた。

 他のサイトなどで散々語られているだろうから細かいことは言わない。
 とにかく、細かく張り巡らされた伏線が一気に弾ける後半が良い。シゲさんの下宿先でHOSの暴走について調べているシーンで、低周波の共鳴、箱船、台風がガガガっと繋がるところは背筋がぞくぞくしてくる。
 箱船に乗り込んでからはうだうだとややこしいことを言わずに、アクションで物語を構成しているところも実に良い。なにしろ押井守という人はうだうだ言いたがりだし、それがまたつまらないのだ。個性ではあるんだろうが。
 下宿同士が近かった先輩が遊びに来たときに、「これ、めっちゃ面白いっすよ」と観せた。先輩はサム・ペキンパーなどが好みでアニメと聞いてあからさまに嫌な顔をされたが、そこを無理矢理観てもらった。
 感想は「うん、面白いね」だった。つまらない物を観させられたら正直につまらないと言う人なので、事実面白がってくれたのだろう。こういう時は妙に嬉しい。

『機動警察パトレイバー2 THE MOVIE』(1993)の時はすでに社会人。渋谷の映画館まで観に行った。
 すごく期待して劇場に入っていったのだが、出てくるときはがっくりと肩を落としていた。
「ナンデスカ、コレハ?」
 全編を通してうだうだうだうだ。意味不明と難解とは違う物だろうに。1作目では色々な制約があり、押井守が勝手気ままに王様として振る舞えなかったのだろう。その制約が娯楽性と作家性という時に相反する要素を融合させていたに違いない。おそらく押井守という人は好き勝手にやらせちゃ駄目な人なのだ。多分この人はテリー・ギリアムとタイプが似ているんじゃないかなとも思う。

 まぁなんだ、アニメは実写よりも位置が下だ、アニメだからけなすという姿勢は嫌いだが、アニメだから誉めるという姿勢も嫌い。
 HOSの暴走は悪意の存在の有無は別にしてどことなく2000年問題を思わせる。そう考えるとかなり先進的なストーリーだった。
 ところでHOSの正体はWindowsMeないしMacOS8だったって噂は本当か?そりゃ暴走もするわ。でもほとんど一人で開発した点や操作画面などを見るとむしろLinux?しかし、ビル・ゲイツなりスティーヴ・ジョブズなりが悪意に走って、OSそのものにウイルスなりスパイウェアを仕込んだなどと想像してみると、これは実に怖ろしい。事実、SONYは音楽CD(もどき)にスパイウェアを仕込んでるしな。もはやOSベンダーやソフトベンダーを安易に信用できない時代。うむ、怖ろしい。

2006年11月18日

『逆境ナイン』 男なら逆境においてこそ燃えろっ!

B000CFWRI6.jpg『逆境ナイン』(2005) 115分 日本
監督:羽住英一郎 製作:平井文宏、阿部秀司 プロデューサー:門屋大輔、山際新平 プロデュース:奥田誠治、堀部徹 企画:亀井修、西垣慎一郎、重松修 、椎名保 原作:島本和彦 脚本:福田雄一 撮影:村埜茂樹 美術:北谷岳之 編集:松尾浩 音楽:佐藤直紀 VFXスーパーバイザー:貞原能文
出演:玉山鉄二、堀北真希、田中直樹、藤岡弘、、柴田将士、出口哲也、寺内優作、坂本真、青木崇高、土倉有貴、堺沢隆史、栩原楽人、炎尾燃(島本和彦?)

 マカロニウエスタン風な音楽をバックに風を巻き起こしながら廊下を進む主人公。いきなり全力学園校長(藤岡弘、)から万年一回敗退の野球部廃部を言い渡される。廃部よりも部費を削る方にしてくださいといった主人公不屈闘志(玉山鉄二)は校長に殴り倒される。
「屈辱に満ちた部存続よりも、いっそのこと廃部の方が男らしいだろう」という校長に、不屈は一世一代の大ばくちを打つ。

「校長、オレたちと一緒に甲子園で戦いたいと思いませんか?!」
 男がもう引き返せない一歩を踏み出した瞬間だ。

 こうして不屈闘志をキャプテンとした野球部ナイン一同の逆境との戦いが始まる。

「逆境とは、思うようにならない境遇や不運な境遇のことをいう!!」
 そしてその逆境の中で、全力ナインは己を磨き戦い続けるのだ。

 島本和彦の原作は好きだ。大好きだ。
 だが、これを映画化するという話を聞いて、そりゃちょっと無理じゃないかと思った。
 大ゴマや見開きといった漫画的技法を存分に盛り込んだ原作を映像化できるのだろうか。あの熱さを島本イズムを映像化できるのか。
 観るまではかなり不安だった。
 だが、最初の数分でそのおそれは吹き飛んだ。

 面白れぇぇっ!

 原作は熱さ+ギャグであくまでも熱さがメインだったが、映画はギャグをメインにしている。やはりそうするしか映像化は難しかったのであろう。

 原作は愛蔵版ワイドコミックで全四巻のボリュームで、全力学園野球部が甲子園で優勝するまでを描く。
 一方、映画は地区大会を優勝し、甲子園出場を決めるまで。
 他にも、部員の内何人かが試合に出られないこととなり、代わりの部員を集めるところもカットされている。
 なにより、女子マネージャーは脇役でヒロインが別にいるところを、融合させてマネージャーがヒロインとなることでストーリー展開をスムーズにしている。
 原作は原作、映画は映画ときちんと割り切った良い脚本だ。

 やたらと熱いことを熱く語る島本イズムはマジである。本気なのだ。
 それは島本和彦が書いたコミックの中だから説得力があるのだが、映画にすると少々苦しい。
 かの伝説的名台詞「それはそれ これはこれ」もそのまま叫んだだけではギャグにしかならない。
 ならばいっそのことギャグとしてやろうじゃないか、バックに巨大な石碑をゴゴゴゴッと登場させようじゃないかと企画段階で決まったと考える。
 一々おおげさな描写、『少林サッカー』を思わせるCGの使い方。笑える。CGは要所要所に効果的に使っていて、記憶に残る割に使っている量は少なそうだ。そこら辺も上手い。
 「自業自得」と刻まれた巨大な石版が野球部部室裏に落ちてくるのだが、これがその場限りのギャグかと思いきや、ずっとそのまま存在し続けて、マネージャーがモップで磨いたりしている。なんやねん、それは。わはは。

 不屈闘志が線の細い二枚目になっているのが不安だったが、熱い、こいつは熱いぞ。不屈だ、不屈闘志だ。
 校長役の藤岡弘、は普段から熱い人だが、さらに熱い。でも、本当はサカキバラ監督役をやって欲しかった。
 残念だったのがサカキバラ・ゴウの田中直樹。田中直樹が悪いわけではないが、彼を演じきれるのはそれこそ藤岡弘、クラスの熱い役者じゃないと無理だ。

 ラストは122対0から不可能としか思えない逆転劇。嘘は大きければ大きいほど面白い。夜を越して朝までの長試合。そしてもちろん最後には勝つのだっ!
 122対0なんてマンガだろと思われがちだが、何年か前の甲子園予選で100何対0という試合があった。現実だって負けてない。いや、こちらは0のまま負けたようだが。

「男にはやらなければならない時がある」
「そして今がそのやらなければならない時だ」
「そして俺たちは男なんだ」
 の男の三つの条件が格好良い。

 影の主役が商店街や駄菓子屋に登場する野球少年。
 最初はサッカー少年たちにいじめられているが、駄菓子屋のテレビで三重県大会決勝戦をサッカー少年たちと見て、ついには友達になる。
 それにしても三重県の話だったのか。
 そういえば、愛知県の新聞に三重県の野球場で行われるロケのエキストラ募集について広告が出ていたらしい。
 映画を観る限りではあまり集まらなかったようだ。

 とにかくイカすバカ映画だ。オレも観るから君も観ろ。

2006年12月09日

『GAME KING 高橋名人VS毛利名人激突!大決戦』 スイカクラッシャー高橋名人

『GAME KING 高橋名人VS毛利名人激突!大決戦』(1986) 29分 日本

監督:神澤信一 製作:山本又一郎 プロデューサー:鈴木清 企画:工藤裕司、大里幸夫 構成:岩井田利治、渡辺浩弐 撮影:阪本善尚 美術:松原裕志 音楽:高橋洋一
出演:高橋利幸、毛利公信、志賀正治

 しばらく続いたゲームが原作である作品特集も今回で終わり。
『モータルコンバット』など取り上げなかった作品もいくつかある。『ポケットモンスター』や『デジモンアドベンチャー』などアニメも含めるとさらに数は増える。そちらは多少は観ているがちょっと守備範囲の外だ。

『GAME KING 高橋名人VS毛利名人激突!大決戦』は松竹系で公開されたアニメ『スーパーマリオブラザーズ』の同時上映だった短編映画。厳密にはゲームの映画化ではなく、当時人気のあった高橋・毛利両ゲーム名人がシューティングゲームで対決する様を描いた、ドキュメンタリー風映画である。
 1秒間16連射で有名だったハドソンの高橋名人に主なスポットが当たっており、修行のシーンまである。なんと、親指の連射でスイカを真っ二つだ。すげぇ!でもゲームにどう役に立つのかちと不明だ。

 後半は息詰まるゲーム対決。連射もすごいが、敵の攻撃をすり抜ける自機の操作もすごい。どんな反射神経だ。
 今後ともヴィデオゲームの歴史は続くだろうが、ゲーム対戦の様子を描いた作品はもう登場しないだろう。
 もしも作るとしたらシューティングゲームではなく『ヴァーチャファイター』などの格闘アクションゲームになるのではないだろうか。そこらのゲームセンターでも「あっありえないっ!」技を繰り出すプレイヤーがいるが、全国のトップレベルともなるとさぞやすごいことだろう。オレは観に行かんが。

 当時、いかにファミコンが社会現象として大きな存在だったかがうかがえる作品だ。
 そうか、高橋名人は高橋利幸というフルネームだったのか。オレはてっきり名人が下の名だと思っていた(嘘付け)。毛利名人は毛利公信と戦国武将のような名前で強そうだ。