『丸かじり』シリーズ
東海林さだおの『丸かじり』シリーズを読む。
この人の、自然体な文章にはあこがれますなぁ。
なんだかんだで、全巻読破。
東海林さだおの『丸かじり』シリーズを読む。
この人の、自然体な文章にはあこがれますなぁ。
なんだかんだで、全巻読破。
少年チャンピオンにて高橋葉介氏の新連載『黒布KUROKO』が始まりました。
第1回は都市伝説風なオープニングで始まり、怪事件を解決する黒布の2人も
ボケとツッコミタイプでなかなか面白かったです。
ノリとしては『学校怪談』後期の感じですね。
本日発売号の第2回も、ハイテンションでとばしてます。(始まり方はちょっとグロですが)
高橋葉介氏といえば大昔はエログロな人でしたが、いつの間にかギャグメインに
なっていますねぇ。
夢幻紳士・冒険活劇編の頃から笑えるギャグ作家になって、その道を突っ走ってますな。
たまに、短編で昔のような作品も発表されておりますが。
ふ~む、ふ~む、ギャハハと第2回を読み終え、コンビニを後にする。
って、立ち読みかい。(ビシッ) 雑誌ぐらい買えっーの。
えー、でもでも、他に読むとこないし。
他の作家さんに失礼なやっちゃなー。
まぁ、高橋氏のコミックスは買ってるんですけどね。
なかなか見つからないもんだな。
ある店では全4巻の内の2,3巻だけあったりとかで、
欲しいものを見つけるのに、何件か古本屋を廻ったぞ。
一郎「何の話しですか?」
白泉社中心のマンガ家の桑田乃梨子さんのコミックスを探してたんだが廃版が多くてね、
古本屋廻りをしたんだ。
「おそろしくて言えない」がなかなか全巻揃わなくってね。
結局、5件も廻ってしまった。車の走行メーターは30Kmだよ。
でも、欲しいものは全部揃ったからラッキー。
一郎「どうして突然桑田さんの作品を読もうと思ったんですか?」
いやね、『男の華園』の最終巻を買ってきてね、わたしには珍しく
ジーンとしてしまったものだから、前のも読みたくなってさ。
一郎「『男の華園』・・・ホモのマンガですかぁ?」
違うってば。男子新体操部を舞台にした、ダラダラアンチスポ根マンガだよ。
ラストシーンが、先輩が全部卒業などでいなくなってしまって、
学生生活を振り返って「楽園だった」という感じでさ、
なんか、自分の学生時代を思い出してしまった。
一郎「どれどれ。(ペラペラ)あまり絵の上手い人ではないですね」
いーんだよ、そんなことは。絵なんて見てれば慣れる。
桑田さんの作品は雰囲気がいいんだよ。
『1+1=0』なんてぜひとも映画化してみたいねぇ。
一郎「1+1=2でしょう。それ、計算合ってませんよ」
だから、作品のタイトルだってば。貸したげるから、明日までに読んどきなさい。
わたしはもう、読む度に巻末のおまけマンガでボロ泣きよ。普段ひたすらに固い涙腺の元栓が壊れたんじゃないかというぐらいのボロ泣き。桑田さんは決して泣かそうと思って書いてはいないだろうからこそ心の奥底に届くんだ。読め、笑え、そして泣け!
一郎「読んどきなさいって・・・これも助手の仕事のうちですか?」
もちろん。
一郎「考えてみれば、助手の仕事って給料出るのかな?」
『トランジスタにヴィーナス』第1巻
竹本泉さんは昔っからのファンで、おそらくわたしがコミックスを全部持っている
唯一の作家さんです。
当文化会館のメインコンテンツである 『姫さまお静かに』のタイトルは
竹本さんの初期の作品『魔法使いさんおしずかに!』からいただいていますし、
内容は竹本さん版『あんみつ姫』から多大なるインスパイアを受けています。
人が読むと「どこが?」かもしれませんが。
一郎「メインコンテンツって割には全然更新してないですね」
うぐぅ。でも、話はずいぶん先まで出来てるんだよ。
あとは書くだけなんだが・・・うじゃうじゃ
それはともあれ、最近の竹本さんの作品は露出度が高かったり、入浴シーンが
多かったりします。
一郎「『乙女アトラス』とか『てきぱきワーキンラブ』とかがそうですね。
『トゥインクルスターのんのんじー』にいたっては毎回の入浴シーンがお約束でしたし 」
で、最新刊の『トランジスタにヴィーナス』の主人公イーナスは
竹本作品にしては珍しく20代の女性が主役です。
職業がスパイなんだが、これまでよりさらに露出度が高く色っぽいぞ。
一郎「おまけにキス魔なんですね」
そうそう。
可愛い女の娘や男の子にキスしまくってる印象があるね。
読者サービスっていうより、作者が描いてて楽しいんだろうな。
でも、連載してる雑誌『コミックフラッパー』って誰が買ってるんだろう?
読者層が謎だ。しかも、最近あんまり書店で姿を見なくなってきたし。
一郎「2巻が出るか、微妙なとこですね」
出てほしーぞ。
特に行きたいところもなし、なによりもお金がないっ!
金がないのは首がないのと同じやっ!てなもんで、本棚をあさる。
ジャック・ヒギンズの 『鷲は舞い降りた 完全版』が出てきたので1日かけて読む。
一郎君は『鷲は舞い降りた』は読んだかい?
一郎「いえ、読んだことないですね」
それはいかんなー。ぜひとも読んでシュタイナ中佐たちの男心に触れるんだ。
一郎「そういえば、映画化もされてましたよね」
うん。『大脱走』などのジョン・スタージェス監督で主演はマイケル・ケイン。
他にはドナルド・サザーランドやロバート・デュバルなんかが出演してるな。
一郎「へー、出演者は館長好みのフケ専じゃないですか」
あのね、そういう誤解を招くような用語は使わないでくれる。
映画自体はイマイチだったが、あの傑作の映画化だからしょうがないのかもしれないな。
ジョン・スタージェスも盛りを過ぎてた頃の作品だし。
とにかく、『鷲は舞い降りた』は読みなさい。冒険小説ファンなら読んでいて当然だぞ。
一郎「はーい。 でもわたしは冒険小説ファンってわけじゃないんですが(ぼそっ)」
竹本泉著『てけてけマイハート』第1巻
なんと4コママンガ誌『まんがライフ』にて連載中の作品をまとめたもの。
主人公早坂のぞみは24歳でありながら、見た目は中学生。
補導歴は数知れずの女性なのである。
中学校教師の吉田しげるはどこかで見た顔なので何度も補導をしてしまうが、実は中学時代の陶芸クラブの1年後輩だったのだ。
4コママンガではないものの、これで少女マンガ『なかよし』から始まって、少年誌、マニア誌、青年誌、そしてこの一般誌と幅が広いですなぁ。あとは成年誌か?(でもあの絵柄ではなぁ)
でも、どれを読んでもあきらかに竹本さん。
竹本さんはわたしの一番好きなマンガ家さんかな。
しかし、ないよーはいつもとそんなに変わりません。どれもこれもヘン。
めぐみはデートで映画『悪魔の毒毒シスターズ』(3本立てに誘うし)
吉田は江戸川乱歩原作、美和明宏の『黒蜥蜴』に誘うし。
ヘンでいーでっすな。
買いませう。っていうーか買って。
なんでも東芝が掃除機ロボットを発売するそうで。掃除機ロボットと聞いて思い出したのが『夏への扉』です。ハインラインの傑作SFですね。
読んだのがもう10年は前の話なのでおおざっぱにしか憶えていないのですが、発明家の主人公が最初に作り出したのが掃除機ロボットだったはずです。よし、次は家事全般をやるロボットを作るぞと意気込んだ主人公ですが、恋人と友人に裏切られ冷凍睡眠で数十年後の世界に送られてしまう。そして彼はもう一度過去に戻ろうと考えるが・・・。うーん、懐かしい。SFの中では基本の一作だと思うので、興味を持った方は本屋で探してみるのもよしかなと。SFといってもハードではなく読みやすかったと思います。それに猫好きにはおすすめ。ピートという猫が出てくるのですが、主人公とこのピートとの関係が良いんですよね。うーむ、主人公なんかの名前はすっかり忘れているのにピートだけ憶えている。
で、東芝の掃除機ロボットなんですが、自走式で勝手に掃除をしてくれてバッテリーが弱まると充電台に戻って自ら充電を行うという優れ物。『夏への扉』の掃除機ロボットも確かそんな性能だったはず。ようやく実現するんですね~。でも約八畳間でなおかつ万年床のわたしの部屋では役に立たないだろうな。広々とした大きな部屋のあるお屋敷向きなんでしょう。ま、予価が30万円近くということですから、しばらくはお金持ちしか買えないでしょうが。10年後ぐらいには当たり前の商品になってるのかな。一家に一台メカ沢!・・・ってメカ沢って一台?それとも一人?
で、スティーヴン・キングの『ザ・スタンド』なんですが、これがおもしろーてかなわん。軍事兵器として造られたインフルエンザ・ウイルスが外部に漏れてしまい、罹病した人がどんどん人が死んでいく。しかし、先天的に免疫を持っている人たちがいて、その人たちは生き残っていくのだが、どうも悪魔的な男がいるようで・・・ってあたりまで読みました。なにしろ上巻790ページ、下巻635ページ、それぞれ上下二段組みという鬼のように厚く鬼のように分量のある本でして、読んでも読んでもなかなか残りページが減らない。いや、これまた鬼のように面白いので残りページ数が少なくなっていくのが惜しくてしょうがないといった具合でして。
最近、本を読んでも長続きせず、集中力が落ちたのかなと思っていましたが、なーに面白い本に出会っていなかったせいもあるんでしょうな。『ザ・スタンド』は気がつくと4~5時間経っていたなんてこともあります。
インフルエンザ・ウイルスといえば小松左京の『復活の日』も確か特殊インフルエンザ・ウイルスをスパイが運搬中に漏らしてしまいそれが広まって人類が絶滅寸前までいくんだったと記憶しています。毎年のように流行するインフルエンザですが、実はかなり危険な物に成りうるんですね。事実、毎年変種が出てきて、ワクチン注射といってもなかなか効果がでないとか。うむむ、おそろしい。そろそろ、夜は寒くなってきましたし、暖かくして寝よう。って、そーゆーことじゃない?
本屋の新刊コーナーに竹本泉氏の本があった。やれうれしやと手に取ってみると、なにやらデジャブが。タイトルは『はたらきもの』・・・それって、昔出ていなかったかぁ。
とりあえず買って帰る。そして本棚をあさるとあったあった。主婦と生活社の『はたらきもの』が。両者を比べてみると内容はほとんど同じ。たが、再販(朝日ソノラマ)の方が一回り大きく、カラーの口絵もついている。ついているのだがしかし、旧版が534円で新版が800円と値上がりしているのがちょっと悔しい。まー、旧版を持っているんだから買う必要はないんだけどさぁ。やはりついつい・・・
ちなみに朝日ソノラマの復刻シリーズは『ちまりまわるつ』、『虹色♪爆発娘』、『ばばろあえほん』と続くようだ。どれもすでに持ってるんだけどなぁ・・・竹本氏は嫌だそうだが、せめて文庫で出してくれ文庫で。
SARSウイルス流行で小松左京の『復活の日』を思い出し、本棚の奥にしまってあったのを探し出して10数年ぶりに少しずつ読んでいたのが読了した。
1965年作という40年近くも前に書かれた作品にもかかわらず、非常に生々しく迫力のある作品だった。
もちろん、細菌兵器として開発されたMM-88と、動物から人間に感染したと思われるSARSウイルスを比べるのはある意味ナンセンスなので、それについては触れない。それよりも小松左京という作家のすごさに感心した。
細菌、ウイルス、地質学、社会学などについての知識。それらを組み合わせて一つの作品にする構成力。そしてストーリー上などに多少の無理が生じても、それをねじ伏せて読者に納得させる筆力。つくづく日本人離れした作家である。さすが力技で日本を沈めてしまっただけのことはある。
『さよならジュピター』でトホホな感じになってしまった小松左京だが、あれは映画がトホホなんであって、原作はかなり面白い。地球に衝突してくるブラックホールに木星をぶつけて防ぐというこれまた力技。だけど基本的にはちゃんと科学的根拠があって、それをちゃんと構築した上で大嘘をついているのだ。テロで妨害してくるのがどこかの国とかの政治的集団ではなくて、自然保護を訴える新興宗教というところなど、後のオウム真理教によるテロなどを思わせたりする。思想より宗教の方が危険なのだ。
ま、脚本や総監督として小松左京はクレジットされているので、原作は原作、映画は映画と言い切れない点もあるのだが・・・。でも、実はわたしあの映画って割と好きなんだよね。とかく批判される特撮もあれはあれで一つの味だし。ま、公開時(1984年)に劇場で観たっきりなんで、あんま憶えてないんすけどね。
ともあれ「君は~とっても大きくて~♪」ですよ。うん。
「復活の日」の勢いに乗り「日本沈没」に取りかかっていたのが読了。こちらも面白かった。映画の方はアレだが。
ちなみにこの小説、領土を失った日本民族が世界に散り散りになっていくところで「第一部完」となり終わってしまう。発刊から三十年、いったいいつになったら第二部が始まるのだろうか?それとも、この「第一部完」は打ち切られた連載マンガのそれと同じなのだろうか?
それはそうと、今SF小説というのはどのぐらい人気があるんだろうか。雑誌はSFアドベンチャーも奇想天外もすでになく、残るは老舗のSFマガジンのみ。書籍の方も売り場の片隅に隠れるように置かれているだけだ。ライトノベルズにはSFもどきがうろうろしているようだが・・・。どうでもいいが、『マグマ大使』に出てきた人間モドキってのはまんまなネーミングだな。ほんとどうでもいいな。
桑田乃梨子の『だめっこどうぶつ1』を入手。
白泉社から新刊でないなぁと思っていたら、竹書房のまんがライフで4コマ描いてたのね。なるほど、4コマは月刊の上にページ数少ないから単行本にまとまるまでに時間がかかる。
登場人物っていうか登場動物は、主人公の“うる野”(狼だけどだめだめな奴だぞ)や“うさ原”(兎だけど乱暴な奴だぞ)などなど、4コマになっても桑田節は炸裂だ。『真夜中猫王子』を思わせる着ぐるみっぷりもナイス。
一くせも二くせもある連中がいつの間にか集まって、一種のパラダイス(ダメパラダイス)が形成されているというのが桑田作品には多い。この『だめっこどうぶつ』もそう。ほとんどメインテーマと言ってもいいんじゃないだろうか。作者のダメパラダイスへの愛と怒りという表裏一体の視線がなんとも素敵だ。
1ってことはいずれ2巻も出るのだろうがいつになることやら。
雑誌で追いかければいいじゃんとも思うが、4コマ雑誌のコーナーには『まんがなんとか』『まんがかんとか』がやたらとあって、どれが『まんがライフ』だか訳わからん。表紙も同じようなもんだし。毎号『だめっこどうぶつ』が表紙を飾ってくれれば探しやすいんだが。
古本屋でいしかわじゅんの『だってサルなんだもん』1~7巻(4巻欠け)を入手。
1990年10月から始まった連載だけあって、最初の頃はまだWindows(しかも3.1)ですら名前も出てこず、ひたすらDOSの世界である。
コマンドプロンプトの状態でCOPYを入力やらバッチファイルの書き換えやら、あーあったなーの世界である。ほんの10年ちょっと前の話なのだが、隔月の感がある。
ちなみに1巻の解説は高千穂遙が書いている。
「いしかわさんは未だにバッチフィルが書けない」とか
「いしかわさんは未だにドライバーやTRSをUMBにあげられない」とか
「いしかわさんは未だにEMSを使うことが出来ない」とか
「いしかわさんは未だにハードディスクのパーティションを自在に切ることが出来ない」
とか、いしかわじゅんが出来ないとこが散々列挙されている。
=「わたしには出来るんだもんね」ということなのである。
しかし、上記項目の今や出来なくたってな~んも困らないことばかりである。
唯一HDDのパーティションは切れた方がいいが、これもOS標準のユーティリティでちょちょいのちょいだ。
高千穂氏が技術を苦労して身につけたとこを考えると、わたしは涙を禁じ得ない。
っていうか、Windows3.1は登場したもののあまり使い勝手がいいものではなく、結局Windows95が登場するまでわたしたちはパソコンを使うというただそれだけのことであれやこれやと今となっては無用になってしまった知識を駆使して戦っていたのだ。Windows95登場以降もなんだかいってそれなりにあれやこれやと戦い続けるわたしたちである。
とはいえ未だに「パソコンって難しいから」という人がいる。君らぁDOSでパソコン使ってみろぉ!テープでBASICのロードからやってみろ(MZ-80K)。
まったく苦労せずにパソコンを使いこなせるようになろうってのが甘い。昔の苦労(昔ったってせいぜい10年前だ)と比べれば今の苦労なんてちゃんちゃら楽だぞ、まったくっ!
なにも風邪でダウンしている時に読まなくてもいいじゃないかとも思うが。
『八つ墓村』 横溝正史 角川文庫
推理小説の名探偵は、殺されるべき人間が一通り殺され終わって事件もほぼ終わりになってからようやく真犯人を見つけだす連中である。正直、あまり役に立っているとは思えない。金田一耕助なんてのはその代表格で、ようやく真犯人を推理するが(もっとも、その頃には生き残っている人間はかなり減っているので当てずっぽうでも結構当たるんじゃないかって気がする)たいていの場合犯人に自害されてしまう。探偵駆け出しの頃だけならまだしも、何度も同じ失敗を繰り返す。ちったぁ学習しろ。
八つ墓村では時折主人公である青年の前に現れ、なにやら意味ありげなことを言っては去っていくのだが、その助言(?)はまるっきり役に立たない。
何しに出てきたんじゃお前は。
主人公は幾度も恐怖を味わったり命の危険にさらされ、そしてついに事件は解決する。その解決に金田一はほとんど役にたっていない。
だから、何しに出てきたんじゃお前は。
「名探偵、皆を集めてさてといい」という言葉があるが、この小説にもラストに金田一による謎解きがある。
金田一いわく、
「ところで、それでいて私は最初から、犯人を知っていたのですよ」
知ってたんなら早い内になんとかしろ。被害者、ほぼ殺され損。しかも、金田一に反省の色なし。
やっぱ、何しに出てきたんじゃお前は。
やはり、名探偵は金大事包助か早乙女ボンド之介に限る。
龍臥亭事件(上下) 島田荘司 光文社文庫
17日の『八つ墓村』と同じく、昭和13年に実際におきた『津山三十人殺し』をモチーフにした推理小説である。
この島田荘司氏でわたしが読んでいる作品は、巻末の著作目録を見るに『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』(1984)だけのようだ。なにぶん高校生だった発行当時に読んだきりなのであまり覚えていないのだが、夏目漱石がロンドンでミイラに関わる殺人事件に巻き込まれるという話だった気がする。(そのまんまの感想だな)
その他には御手洗潔という名探偵を登場させたシリーズ物で有名とのこと。『龍臥亭事件』にはその御手洗は登場せず、そのワトソン役であった(らしい)推理作家石岡を語り手に物語は進む。
横浜は馬車道に住む石岡のもとにある日若い女性が突然に訪れる。ま、人気作家の所に読者が突然押しかけてくるというのは実際によくあるのかもしれない。
その女性は自分が悪い霊に取り付かれていると話し始める。ま、突然人のところに押しかけてくるような困った人だから、自称“霊感”タイプの場合もたまにはあるのかもしれない。
霊を祓うために岡山まで行かなければならないと女性は主張し、知り合いでもなければ岡山に詳しいわけでもない石岡に同行して欲しいと頼み込み、石岡はそれを承諾する。ま、女性の頼みを断るようでは男じゃないと思う江戸っ子もひょっとしたらいるかもしれない。
・・・いや、いないだろ。
わたしが住んでいるのは愛知県だから石岡の住む横浜よりかはずいぶん岡山に近い。単純に距離にして半分ぐらい。それでも京都、大阪を通り過ぎて中国地方まではかなりの道のりだ。ちょいと横町のコンビニに弁当を買いに行くのにつきあうのとはわけが違う。だというのに石岡は、知人の紹介でどうしても断れなかったとか、小説家としての好奇心からネタになるのではと思ったとか、そんな理由は一切ないまま見ず知らずの女性と一路岡山へ赴く。主人公の行動原理が理解できない。冒頭の段階でもはやわたしはこの小説について行くので精一杯。いや、完全に置いていかれている。
いや、これは島田氏の小説がどうこうではなく、わたしと推理小説の相性なのだろう。
中高生の頃は翻訳物中心だったが割と推理小説好きで、早川文庫のアガサ・クリスティの赤い背表紙が本棚にずらっと並んでいたりした。だが、だんだんと推理小説に疑問を覚えるようになる。これは以前にも書いたかもしれないが、「なぜわざわざ苦労して密室にしなきゃいけないんだ。その知恵と労力で事故に見せかけた方がずっといいだろうに。それと探偵または刑事も密室のトリックやらアリバイやらに首をひねっている暇があったら動機を調べろよ動機を。たぶんその方が早いぞ」といったようなことだ。推理小説であるからには“謎”がなければ“謎解き”がなければ、というのが好きではないのだ。
『龍臥亭事件』はそういった意味で実に推理小説であって、犯人がその手段をとる理由は推理小説の謎を成立させるためとしか思えない。なおかつそのトリックはわたしにはどう考えても
失敗する。
犯人・トリックをばらすのはタブーだろうからやらない。
だから、「 」内をマウスで範囲選択はしないように。
「・・・・・・反転するなってば。あーもう知らんよ。文句言わないでよ。鏡で光を反射させてるんじゃないんだから、跳弾でミリ単位精度の射撃が出来るわきゃないだろ。お前はロボコップか。それに、ダムダム弾ってのは標的に当たることで大幅に変形するので余計と跳弾の方向は狂うし、そこでエネルギーが消費されるんで威力はがっくり落ちるんで二重に無理。それと、謎解きのトリック明かしで石岡が平気で猟銃を射つなんてのはあるわけがない。刑事もふむふむなんて納得してないで止めれよ」
途中で、事件のバックボーンとして昭和13年に舞台となった地で起きた三十人殺しについて延々と書かれるが、それが平成7年が舞台の本筋にちゃんと結びついているかというと、かなり首をひねらずにはいられない。正直、ほとんど関係なく別物。推理小説の原稿の間に『津山三十人殺し』のノンフィクションが挟まっていた、といった感じである。
だったらノンフィクションの部分だけ読んだ方が良いというのが個人的感想だ。
津山三十人殺し 筑波昭 新潮OH!文庫
このところ『八つ墓村』や『龍臥亭事件』を読んでいたのも、本屋で手に取ったこの一冊がきっかけ。
昭和13年の岡山県の山村で22歳の若者都井睦雄が一夜に行った大量殺人。その被害者たるやなんと30人!後に人はこの事件のことを『津山事件』と呼ぶようになった・・・
映画『八つ墓村』(1977・1996)である程度は知っていたが、この『津山三十人殺し』は小説ではなくドキュメンタリー。関係者のほとんどが睦雄の手にかかって死んでおり、犯人の睦雄自身も犯行後猟銃で胸を撃ち抜いて自殺しているので、インタビューのたぐいはほとんどない。そりゃそうだ、恐山のイタコを連れてくるってわけにもいかないだろうし。
かわりに、当時の新聞、警察・検察・裁判所関係の文書、医者、学校に残っていた記録などなどの膨大な記録から事件を浮き彫りにしている。
単純に殺人事件だけを扱っているのではなく、本の半分以上をついやして、生まれた時から22歳で自害するまでの睦雄の生涯を一種伝記に仕立てている。そのことによって、睦雄がどのような環境で育ったか、回りからどのような扱いを受けてきたかがわかる。もちろん、それは資料をもとに推測したものにすぎないのだけど。
「十で神童、二十歳で只の人」的な若者が、戸数二十三という山間僻地の田舎村で生まれ育った。自分自身についての幻想や村人との関係で心のきしみを大きくし、夜這いの風習の残る中で裏の人間関係にも縛られた。肥大した自我と現実との差に苦しみ、全てが筒抜けの村の中では居場所が無くなっていくのにほかに逃げ出す先もない。悩みを打ち明け分かってくれる相手もいない。グツグツと睦雄の内圧はギリギリまで高まっていく。
そしてついにある日「俺を馬鹿にした奴は皆殺しだぁぁ!」
9連発に改造したブローニング12番口径猟銃、日本刀一振り、短刀で武装した。そして睦雄が電線を切ったため暗闇になった村の中でも明かりに困らぬようハチマキで頭の左右に懐中電灯をくくりつけた。遠目ではまるで鬼のような姿で飛び出し、次から次へと民家に押し入っては殺戮を繰り広げたのだ。
ある老人を「お前はおれの悪口を言わなかったからな」と殺さぬでおいたりと、睦雄の殺しは決して無差別殺人ではなかったようだ。自分を馬鹿にしたり悪口を言った相手だけを血の餌食にしていったのだ。ただ、狭い村だけにほぼ皆殺し状態になってしまった。睦雄の精神状態を考えると、別段普通にしていたのに勘違いさえ殺された人もいたことだろう。
メインの凶器はブローニングの12番。12番という以上1/12ポンドの鉛球を撃つ散弾銃だと思うのだが、どうもそのところどの作品でもはっきり書かれていない。12番で撃つスラッグショット(一発弾)あるがそんなんで撃たれた日にゃ・・・。
もしも散弾銃だとしたら『龍臥亭事件』でキーワードになっているダムダム弾はありえないことになる。ダムダム弾は弾頭の鉛を露出させて削ったり切れ目を入れたものだからね。ま、あの小説はどーでもいいようなんでどーでもいいんですが。
映画『八つ墓村』や山岸涼子の『負の暗示』だと使ってるのは普通のライフルタイプの猟銃のようです。連発式の散弾銃というとポンプアクション式がまず頭に浮かぶんですがどう見てもそれではない。謎です。12番のショットガンといえば、『ターミネーター』でシュワルツェネッガーがぶっ放してたスパスと同じ口径。銃身はライフルよりずいぶんと太いんですけどね。
ま、個人的感想としては、「田舎はイヤ」
『よみきりもの』第6巻 竹本泉 エンターブレイン
例によって“ちょっと変わった人”や“かなり変わった人”による微妙に奇妙なお話を集めた短編集の新刊。
『ふやけるお年頃』の主人公浜美絵は並はずれたお風呂好き。もちろん竹本泉氏のことであるから、当然のごとく入浴シーンがあるわけだ。もっとも、これっぱかしもいやらしくなくて、せいぜい健康的なお色気(古いたとえだな)ぐらい。
で、58ページの1コマ目では美絵が風呂につかりながら本を読んでいる。そのとき、途中までたたんだ風呂のフタを机代わりにし、その上にタオルが一枚置いてある。そうそう、そうなんだよ。それが本来の入浴中の読書の姿なんだよ。もちろん、わたしも風呂で本を読む時はそうしている。
風呂で読書しているというのはマンガなどで時々出てくるが、風呂のフタは完全に除けちゃってる場合が多い。おそらく、その方が画になるからなんだろうが、実際にやると腕が疲れるし、うっかりすると本を湯につけてしまうので具合が悪い。高河ゆんなんか文庫本を片手にシャワーを浴びているシーンを描いていたものな。もう、本ビショビショ。後で乾かしてもブワッとふくれてしまって読みにくくなる。1ページごとに吸い取り紙を挟んで水を吸い取らせると良いとはいうが、面倒だよなぁそれ。
やはり、風呂のフタを机代わりにするというのが正しい入浴中の読書スタイルだろう。おそらく、竹本泉氏も風呂で本を読む人ではないかと推測する。
美絵が読んでいた本のタイトルは竹本文字(*)なので読み取れないが、サイズからして文庫本だろう。
個人的には、風呂で読む本は短編集をお薦めする。星新一のショートショートなんかどうだろうか。逆にディーン・クーンツなんかを持って入ると、この章が終わるまで、あと1ページだけ、とか言っているうちに一晩風呂で過ごすことになりかねない。ま、その場合良い出汁もついでに取れているかもしれないが。
(*)竹本文字:竹本作品に頻出する独自の文字で、背景の看板や登場人物たちの持っている小物に書かれている場合が多い。意味のない単なる模様だと思われるが、ひょっとすると独自の言語体系に基づいているなんてことはないな、うん。思いっきり崩した字の場合もあるなど多様な側面がある。研究者による解読が待たれるところだ。
動物のお医者さん 第5巻 佐々木倫子 白泉社文庫
3月に入ってもう10日になろうというのに寒い。暖かくなれば鳥インフルエンザ騒動も少しは収まるかと思うのだが。
というわけで文庫版「動物のお医者さん」第5巻に収録されている第65話だ。この作品にはサブタイトルがないので65話だけではなんのとこやらだと思うが、要は主人公西根公輝(ハムテル)宅最強の生物ニワトリのヒヨちゃんがインフルエンザにかかるという話だ。
元気がないヒヨちゃんを診た漆原教授は、「インフルエンザかもしらんし伝染性気管支炎か咽頭気管炎ということも考えられる」といい加減にも思える診断を下す。結局は「栄養剤を打っとけ」としか指示しない。抗生物質をやったら食えなくなるし(ヒヨちゃんはペットなんで食わないんだが。どちらかというとハムテルたちがヒヨちゃんに食われそう)そもそもインフルエンザだったら抗生物質は効き目がないのだ。
ハナミズの検査で一週間後にインフルエンザであることが判明したヒヨちゃんだが、その頃にはとっくに完治して暴れ回っているのだった。さすが最強のヒヨちゃんだけのことはある。めでたしめでたし。
これが最近の話だったらヒヨちゃんは処分されてそれっきりである。うーぶるぶる。とてもじゃないがドクトル・コメディにはならない。
インフルエンザにかかったら、栄養をとって暖かくして回復するのを待つしかないってことなんだが、ペットで数羽飼っているだけならともかく、畜産業で何万羽とかいる場合は感染が出た鶏舎のニワトリは全て処分というか皆殺しにするしか手だてはないのだろう。「かわいそう」とかいう中途半端な情で生かしておいて感染がさらに広がりウイルスが人に感染するタイプに変異したらそれこそハザードだ。
それでもやっぱ「かわいそう」&「もったいない」だけどね。
政治家は「鶏インフルエンザは人に感染しないので大丈夫です」とか言ってるが相変わらず重みを持たない言葉だ。
O-157のときのカイワレダイコンやBSEのときに牛肉を食べて安全をアピールしてたよな。今回も処分されて埋められようとしているニワトリの中から一羽取り出して、小泉首相と亀井農水大臣の二人で丸焼きにして食べればいいのに。
まっ、前例と同じくほとんど意味のない行為になるんでしょうが。
『黄金の羅針盤』ライラの冒険シリーズI フィリップ・プルマン 新潮社
『神秘の短剣』『琥珀の望遠鏡』と続く、ライラの冒険シリーズ3部作の記念すべき1作目。
人それぞれに動物の形をした精霊=ダイモンがいる世界。主人公の少女ライラはそのダイモンと子供を引き離しそこからエネルギーを得るという企みに巻き込まれ、その中で鎧を着たクマや魔女、気球乗りなどと出会います。1作目だけを見ると、ま割と良くできたファンタジーかなと。
『神秘の短剣』ではいきなりわたしたちの住むこの世界が舞台になります。パラレルワールドの境目切り開くことが出来る神秘の短剣を手に入れたウィルは別の世界を訪れます。そこは、"スペクター"と呼ばれる亡霊により大人はやられてしまっています。これまた別の世界からやってきたライラと出会ったウィルは共に大いなる謎に挑むのだが・・・だんだんと単なるお子様向けファンタジーではなくなっていきます。
『琥珀の望遠鏡』数々の苦難を経てついに互いが互いををなくてはならないものとなったライラとウィル。しかし異なる世界に生まれ育った二人は・・・もうただつらく悲しい、でも強い。
ファンタジー流行の昨今ですが、『ハリー・ポッター』などよりはずっと奥深く、アイディアも富んでいておもしろい作品です。
映画化の動きもあり、監督はジョン・クリーズがやるだのリドリー・スコットになるだのという噂もあります。とりあえず期待。
『さいごの戦い』ナルニア国ものがたり7 C・S・ルイス 岩波書店
小学校の低学年の頃、父親の背広が掛けてある衣装だんすに入り込むと、扉を閉めて真っ暗な中で「自分は今不思議な世界にいるんだぞ」と空想遊びをしていたことがある。下手をすると“危ない子”って感じだが、もちろん元ネタは『ナルニア国ものがたり』シリーズ。空想の中で一角獣やフォーンたちと遊んだり冒険を繰り広げたりしていた。
ライトノベルズには現実世界の人間がファンタジー世界に飛ばされるという設定の作品がよくあるが、その元祖と言うべき作品で、4人の兄弟が田舎の古屋に置かれていた古い衣装だんすを通じて不思議の国『ナルニア国』を訪れ冒険を繰り広げる。
原作は『ライオンと魔女』~『さいごの戦い』の全7巻で基本的に一巻完結。子供たちは大人になるとナルニア国に行けなくなり、次の世代の子供たちへと主人公が代替わりする。どうも最初からシリーズにすることは考えていなかったのだろうか第6作目の『魔術師のおい』が時代的には一番最初のことだったりする。
翻訳は『指輪物語』の瀬田貞二氏。1960年代後半の出版なので多少古さは感じられるが、対象年齢は小学生3~4年なので『指輪物語』と比べるとはるかに読みやすい。わたしが読んだのは小学1、2年だったと思う。
シリーズ後半になると説教臭さが強くなってストーリー自体も重くなり個人的にはイマイチな感もあるが、ファンタジーの基本としておさえておくべき作品だろう。
で、ファンタジーなら今!ってなわけで『ナルニア国ものがたり』も映画化が決定した。
てがけるのはディズニーで、まずは2作目の『ライオンと魔女』から。ニコール・キッドマンが白い魔女役だとも聞く。監督は『シュレック1、2』のアンドリュー・アダムソンで実写作品は多分始めてだが、『シュレック』を観た限りではけっこういけるんじゃないだろうか。
もし今あの衣装だんすに入ったら底抜けるんだろうな~。
『指輪物語 旅の仲間上』 J・R・R・トールキン 評論社
映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作も大ヒット!アカデミー賞も受賞。で、その原作『指輪物語』 こいつは1972年2月10日発行の初版本である。
現在書店で入手できるのは翻訳に手を加えられ装幀なども変わった新版だが、こいつは翻訳・挿絵など当時のままの正真正銘の初版本だ。
写真は紙ケースでその中に小豆色の布張りの書籍が入っている。別に貴重品扱いしてきたわけではないのでケースは多少傷んでいるが本の方は割といい状態で折り目などもない。もちろん、これ一冊ではなく『王の帰還 下』までちゃんと初版で6冊揃っている。
うーむ、『指輪』マニアの人に高く売れないだろうか?今が売り時でこれから値が下がっていく一方って気もする。ま、子供の頃からの想い出の本なんで売る気はないが。っていうか、わたしのじゃなくて母親の本だし。
『影との戦い』ゲド戦記I アーシュラ・K・ル=グウィン 岩波書店
アースーシーという世界を舞台に魔法使いゲドを主人公としたシリーズで1968~1972年に『影との戦い』『こわれた腕環』『さいはての島へ』の三部作として発表された。真の名前や太古の言葉など、魔法において“言霊”的な要素が強い。観念的・哲学的な側面があり、対象年齢はちょい高めか。
1990年に18年ぶりの新作『帰還 ゲド戦記最後の書』が発表された。『さいはての島へ』のラストでその後のゲドの所在が伝説的に語られていたのにある意味台無しである。出来はイマイチ。
さらに、昨年2003年には『アースシーの風 ゲド戦記V』が登場。4作目で『最後の書』と言っていたのはウソだったのだろうか?あまり面白いという評判も聞かないのでこいつはまだ読んでいない。個人的には『ゲド戦記』は最初の3作で完結しているのだ。
だがまだ安心は出来なかった。この5月には『ゲド戦記外伝』が出版になるそうだ。いったいいつになったら『ゲド戦記』は終わるのだろうか。こうなったら10巻、いや100巻を目標に作者のグウィンには死の床まで書き続けて欲しいものだ。
そういえば、ずいぶん前に映画化の話をちらっと耳にしたがそれっきりになっている。
ちなみに『ガメラ2-レギオン襲来-』で主人公穂波碧(水野美紀)がウイスキーの小ボトルを隠していたのは本棚の『ゲド戦記』の後ろであった。
『タランと黒い魔法の釜』プリデイン物語2 ロイド・アリグザンダー 評論社
1964年から1969年にかけて全5巻で出版さえた『プリデイン物語』シリーズの2作目である。
少年~青年タランを主人公にしたケルト神話に着想を得た物語で、しゃべる豚や死者を甦らせる魔法の釜などが登場する冒険ファンタジーだ。同じくケルト神話をモチーフにした『指輪物語』にやはり雰囲気が似たところがあるが、こちらの方がずっと文章も平易で読みやすい。対象年齢は小学校高学年からだろうか。
この作品はディズニーによって1985年に『コルドロン』(原題The Black Cauldron)というタイトルでアニメ映画化されている。コルドロンは“釜”の意味なんでそのまんま“黒い釜”。当時、劇場で予告は観たのだが本編は観ずじまい。続編が映画化されなかったということはあまりヒットしなかったのではないだろうか。最近DVD化されたらしいのでレンタルで見かけるなど機会があったら観てみたい。
『ケロロ軍曹第1巻』 吉崎観音 角川書店
なんだかんだでアニメは全然見なくなっているのだが、久々にチェックしたい作品が始まった。丁寧な線の可愛らしい絵にマニアックなネタを絡めつつ繰り広げられる地球制服をたくらむ宇宙人との日常生活。そう、『ケロロ軍曹』である。
先日発売された第8巻の帯で今日からのアニメ化を知ったので、下手をすれば危うく見逃してしまうところだった。書店で手に取ったのがおとといの4月1日だったので、「えっ?エイプリル・フール?」と思わず周りを見渡してしまった。すると、書棚の陰から『どっきりカメラ』と書かれたプラカードを持った野呂圭介が現れて目の前を通り過ぎていった。ま、それはウソだがアニメ化は本当だった。テレビを付けて待っていたら(考えてみたらビデオ・DVD以外の映像が映し出されるのも久しぶりだ)ちゃんと放送が始まった。
今日のエピソードではケロロが日向家に現れ個室を手に入れるまでが語られた。うーむ、そうか、原作だとこの頃の夏美はルーズソックスだったのだが、アニメでは普通の白いソックスになっているのだな。そうだよな、ルーズソックスなんて最近はあんまり見かけないもんな。個人的にあれは好きじゃなかったんで良い傾向である。靴下は見えるがパンツは見えないのがやっぱテレビ東京か。
ガンプラを始めとした様々なアイテムをどうするのかちょっと不安だったがちゃんと画面に登場していた。ガンプラを作らない軍曹なんて軍曹じゃないものな。iMacもちゃんと新型になって登場。アップルマークじゃなくて星印になっていたが。その他にも「姉ちゃんがドロドロに。まるでニンゲンモドキかボアジュースに」と手塚・石ノ森両巨頭捧げられたかのようなセリフは出てくるし。ゴックリ、ゴックリコンとボアジュース~♪ってか。
絵はちょっとクセがあって吉崎氏の原作にはあまり似ていない。軍曹はほぼ同じだが(どう描いたって似るって気もするが)冬樹はなんか違ってて、夏美はぱっと見別人。ママにいたっては「誰?」
気になったのは壁紙がペリペリとめくれていってその下のケロロが冬樹と夏美に発見されるシーン。無駄に秒数とカット数が多くてリズムが悪い。いわゆるファーストコンタクトのシーンなので「これでもか~」と見せたいのは分かるが、それをあえてトンチキに描いていたところが魅力だったと思うのだが。
とにかく展開が早いが、ケロロ小隊の面子が揃わないと作品本来のおもしろさが出てこないので、せめてギロロ伍長が登場するぐらいまではある程度飛ばしていってもかまわないだろう。多分、全26話ぐらいなのだろうし。
理科大好きだったわたしは、当然のように『Newton』を0号から定期購読していた。
確か取っておいたはずだと物置の本棚を調べてみたら19号の一冊だけ残っていた。どうやら残りは数年前の引っ越しの時に捨ててしまったようだ。仮に残っていたとしても読み直すかは分からないが、ちょっともったいない。
全ページフルカラーで写真を多用し、文章の分かりやすさに重点を置いていたのだろう、各分野の専門家に執筆を依頼しながらも中学生のわたしでも楽しみながら読むことが出来た。思えば、学研の『○年の科学』から『Newton』へと読み継いだはずだ。
バイオテクノロジー、コンピューターの発達、1981年のスペースシャトル初打ち上げ、1980年代は宇宙からDNAまでと科学の時代だった。その一つの象徴が『Newton』だったように思う。
その『Newton』の第0号からの編集長竹内均氏が4月20日に亡くなられた。
原作・映画ともに科学理論で協力した『日本沈没』(1973)に特別出演した時の“竹内教授役”の誠実そうな姿が今でも目に浮かぶ。映画やテレビへの露出は他の学者からの批判要因だったが、人々への科学についてのアピールの意味が大きかったのだろう。
日本の科学啓蒙において大いなる貢献を果たされた氏の冥福をお祈りする。
『亡国のイージス』上下巻 福井晴敏 講談社文庫
『平成ガメラシリーズ』などで特撮を担当した樋口真嗣が初監督を勤める『ローレライ』
原作があるというのでとりあえず読んでおこうかと思ったが、ハードカバーしか出ておらず上下巻合計で3780円と高い。まだ読んだことのない作家にはちょっと出せないなと、とりあえず文庫になっている『亡国のイージス』上下巻を購入。こちらも合計1760円なんで少々迷い、『川の深さは』(680円)にしようかとも思ったが、日本冒険小説協会大賞作とのことなので『亡国のイージス』にした。
家に帰るとさっそく読み始めた。最初の一ページ目でなにやら違和感を感じた。何故だが読みにくさを感じる。座り心地の悪さを感じながら、ようやくと序章・第一章である221ページをとりあえず読み終えた。
・・・この本って、つまらないんじゃないだろうか?
暗い過去を背負わせれば人物描写に厚みが出ると単純に勘違いしているようだし、単語だけを書き並べて画が浮かんでこない情景描写、そして堅苦しくしただけで実はジュニア小説とさほど変わらない文体。
単に好みではないだけかもしれないが、全体から鈍重さを強く感じさせ、読んでいてとにかく気が重い。
セリフに魅力が無い上に個性もないので、誰がしゃべっているのか分かりにくい。別に“個性”といっても語尾に「にょ」とか「だっちゃ」を付けてキャラを立たせろってわけじゃなく、その人物だったらどうしゃべるかってだけのことなんだが、頻繁に回想シーンを入れて登場人物の過去を語るよりもむしろ重要だと思うのだが。
著者曰く「ハリウッドのアクション映画に憧れ、その醍醐味を表現する手段として小説を選んだ」というが、この粘着・偏執さのどこにハリウッドのエンターテインメントを感じ取れというのだろうか。
スマートさに欠ける点、出来事先行で人物描写に魅力が欠けおろそかな点など、あえて例えるならトム・クランシー風ではあるが、そういえばトム・クランシーは嫌いな作家であった。
今更ながら、『ゲノム 1~4巻』を読む。作者は『ニニンがシノブ伝』の古賀亮一だ。
エロエロなロボット“パクマン”がエロかったり強引だったりあるいはその両方な発言をし、純真なエルフ娘の“エルエル”が主にその被害に遭う。しかしエルエルは強度の天然ボケなキャラクターなのでその被害にあまり気づいていない。
面白い。面白いがしかし『ニニンがシノブ伝』そのままだ。
もっとも、連載開始は『ゲノム』が1997年1月号で、『ニニンがシノブ伝』が2000年8月号からだから、むしろ『ニニンがシノブ伝』が『ゲノム』に似ているってのが正解だろう。
なんでも成年コミック誌連載だそうだが、エロ度はパクマンの発言を除けば別に高くはない。色々な昆虫をテーマに話が進んでいき、虫の生態に関する知識が登場するので、子供が学習マンガとして読んでもいいぐらいだ。18歳以下お断りのマークは付いていないので、10歳の子が読んでも特に問題はない。ただ、その知識にはかなりウソが混ざっており、むしろウソに真実がビールのアルコール度数程度の割合で混ざっているというのが問題か。
一応、ツッコミ役としてメガネをかけた女性所長がいるが、話数が進むごとに登場シーンが減っていく。例えるならば『すすめ!!パイレーツ』のジェロニモ的キャラクターといったところか。所長を描いても作者としてはあまり面白くなかったのだろうか。
その点を考慮して楓は高校生になったのかも知れない。
古本屋でスティーヴン・キングの『トム・ゴードンに恋した少女』を買ってきて読んでいたらページの間からしおりが落ちた。拾ってみるとなにやら文字が書いてある。
“謹呈 訳者”
うむむ、この本は訳者の池田真紀子氏が誰かに贈った物だったのか。
古本と言っても状態は良くせいぜい帯にちょっと切れ目が入っているぐらい。新刊書店に並んでいたっておかしくない美本だ。2002年8月の初版で、そんなに多くの人の手を経てきたとも思えず、ひょっとすると前の持ち主が池田氏と関わりのある人だったのかもしれない。せっかくもらったんだから売るなよ。
『トム・ゴードンに恋した少女』は一般的には長編だが、キング作品としてはむしろ中編にあたるだろう。比較的肩の力を抜いて書かれた印象だ。9歳の少女が自然公園の遊歩道で家族とはぐれてしまい荒野でのサバイバルが描かれる。雨やスズメバチ、空腹などが少女に襲いかかるが、その中に“邪悪な存在”が入っているのが例によってキングである。
星新一のショートショート『きまぐれロボット』が全10話で短編アニメになり、yahoo!JAPANで無料配信されるそうだ。
思えば中学一年生の時、学級文庫にあった『ようこそ地球さん』を放課時間に何の気はなしに手にとって読み始めたらこれがもう止まらない。授業が始まったが文庫本を教科書に挟んでそのまま読み続け、先生にばれて頭を平手で一発パコーンと叩かれた。
後になって「いや平手ではなく拳骨だった」とか「一発ではなく何発もだった」とか先生が泣きながら記者会見を開いたりするわけだが、こんな時事ネタは2週間もすれば寂れてしまうのだろう。
だから基本的に時事ネタは扱わないのだが、それはそれとして、今でもそうだが「本は図書館で借りるよりも買って手元に置いて読む」主義だったので中学生の乏しいお小遣いはどんどん星新一の本に変わっていった。電車で名古屋まで出かけて古本屋巡りをして何冊も買い込んだ。新刊との差額を考えると安くはない名鉄の電車賃を出しても十分元が取れたのだ。特に、星新一の本は比較的古本として出回る率が高いようで、めぼしい本は揃えることができた。
新潮文庫の例の黄緑色の背表紙がずらりと並び、それに講談社文庫の黄色い背表紙が混ざっていたりした。中学時代に星新一の著作と出会わなければその後の読書量はもっと少ない人生になっていたことだろう。感謝である。
『きまぐれロボット』はおそらく読んでいると思うのだが、「ロボット研究者の「博士」と「助手」を中心におこるさまざまな出来事を描いた作品」という説明を読んでもさっぱり思い出せない。星新一にしては珍しい連作のようだ。発行が角川書店というのも星新一としては珍しい。
わたしは1992~1994年にかけて東京都品川区の大崎に住んでいた。その四畳半風呂なしトイレ共同のアパートから歩いて10分ほどのところに日本一長い商店街“戸越銀座”がある、星新一氏はその近くに住居を構えていたそうだ。星氏が父・星一から受け継ぎ倒産処理を行った星製薬の跡地は現在TOC(東京卸売りセンター)となってこれまた徒歩10分ほどの距離だし、星製薬の社内教育部が原点の星薬科大学は戸越銀座の近く。星氏とは縁の深い土地なのであろう。
休みの日などには戸越銀座へと買い物に出かけていたので、ひょっとしたら一度ぐらい氏とすれ違っていたのかも知れない。あの白髪の紳士がそうだったのかも、などと思うとなにやら感慨深い。
アニメでは博士役をお笑い芸人コンビ・インパルスの板倉俊之と、助手をグラビアアイドルのMEGUMIがそれぞれ担当するそうである。
うーむ、誰?MEGUMIという名はまだ聞いた記憶があるが、インパルスって何?何っていやお笑いコンビなんだろうが知らん。有名なのか?ほんと、芸能界にはうとい。まぁ、それでなにが困るわけでもないし別にいいのだが。
少年マガジンで連載されている『魁!!クロマティ高校』の最新第11巻。
マガジンは時折立ち読みする程度だがこの作品の単行本だけは買っている。『課長バカ一代』もそうだが野中英次の作品は面白い。だが噂に聞く実写映画化は本気なのだろうか。メカ沢はロボコン式に着ぐるみでなんとかなっても(CGを使える程予算がなさそうだ)ゴリラはどうするのだ。こっちも着ぐるみ