邦画 カ行の最近のブログ記事

B0026OBVIS.jpg『K-20 怪人二十面相・伝』(2008) 137分 日本

監督:佐藤嗣麻子 アクション監督:横山誠、小池達朗 製作:島田洋一、阿部秀司、平井文宏、島谷能成、島本雄二、亀井修、西垣慎一郎、大月昇、島村達雄、高野力 プロデューサー:安藤親広、倉田貴也、石田和義 エグゼクティブプロデューサー:阿部秀司、奥田誠治 原作:北村想 脚本:佐藤嗣麻子 脚本協力:山崎貴 撮影:柴崎幸三 美術:上條安里 編集:宮島竜治 音楽:佐藤直紀 VFXディレクター:渋谷紀世子 VFX協力:山崎貴
出演:金城武、松たか子、仲村トオル、國村隼、高島礼子、本郷奏多、益岡徹、今井悠貴、斎藤歩、木野花、神戸浩、嶋田久作、大滝秀治、鹿賀丈史

 日本軍がアメリカ軍とイギリス軍と平和条約を交わし第二次世界大戦が起こらなかったもう一つの歴史の1949年の帝都。とはいえ、日本が戦争を起こさなくてもドイツ・イタリアは戦争を起こしてヨーロッパ戦線で世界大戦は起きていたと思うのだがどうだろうか。
 日本は19世紀から続く華族制度のため極端な貧富の格差が生じており、ごく一部の特権階級が富を独占する形になっていた。その富を狙い、怪人二十面相という盗賊が予告状を送りつけるという大胆な手口で盗みを働いていた。
 主人公の遠藤平吉はサーカスのアクロバット芸人である。ある日、カストリ雑誌の記者から怪人二十面相を追う私立探偵明智小五郎と華族羽柴財閥の令嬢羽柴葉子との結納の義を写真撮影するように依頼される。団長が身体を患っていたため医療費を稼ごうとその仕事の報酬につられて引き受けた平吉だったが、渡されたカメラは爆弾の爆破スイッチで、平吉は二十面相と間違われて捕らえられてしまう。

『エコエコアザラク』シリーズが駄作でいたく失望させられまったく興味のなかった佐藤嗣麻子監督作である。
 ところが面白いという声が聞こえてきたので試しにと思って観てみた。うん、なかなか面白い。
 まずいっておくが独自性は薄い。どこかで観たようなストーリー。どこかで観たようなカット。どこかで観たような美術。あちこちからパクってパクってパクりまくって作られたのは間違いない。
 だが、パクリであってもそれによって作られた物が面白いものならばそれでいいのではないだろうか。
 アクションに次ぐアクションの連続で、そのアクションが香港などの外国のスタッフによる物ではなく日本人スタッフによる物であるのは素晴らしい。日本人のアクション監督が育てば今後にも活かされるという物である。
 そのアクションを助けているのがVFX。CGによるワイヤー消しなどかなりやっているに違いない。1949年の日本を再現するのにも使われている。ところどころこれ見よがしなところがあって鼻につく。冒頭のオートジャイロが帝都の上を飛ぶシーンなどだ。確かにスゴイがスゴイだけで映画としてそこから繋がる物がない。
『最低限文化的な日本語の演技』とコミック『さよなら絶望先生』で言われた金城武であるが、以前の不自然さと比べると格段に上達している。セリフ回し一つとってもかなり達者になって他の俳優と比べても劣る事のないものになっている。そしてアクロバット演技はスタントマンも使っているのだろうがかなりがんばっている。
 日本一の財閥の令嬢であるはずの松たか子は個人的にはミスキャストだ。最初からあまりにたくましすぎるし、ドタドタとしている。あのドタドタとした動作のどこが令嬢だ。様々な経験を経て次第に現状の日本社会を認識してたくましくなっていくならともかく、令嬢の割に下品すぎる。パクリ元の一つである『ルパン三世カリオストロの城』のクラリス嬢を見習って欲しいものだ。
 明智小五郎役の仲村トオルはどこか胡散臭くて良い。ただ、小学生の時に子供向け江戸川乱歩シリーズを読んだ身としては、あの明智小五郎はちょっと受け入れがたい物がある。それを言えば怪人というより単に悪人な二十面相もそうなのだが。少年探偵団が出てくるが、出番がほんの1カットなのは寂しい。彼らはもっと活用できたと思うのだが。
 格差社会を扱った社会風刺ネタは寒い。正直この作品は王道娯楽映画なのだから不必要なシーンだろう。ただでさえ娯楽映画なのに137分と無駄に長いのだから格差ネタはカットすべきだった。単純に怪人二十面相と平吉の戦いで引っ張れたはずなのだ。終盤の平吉と仲村トオルの語りもアクションで繋いできたストーリーをセリフで語る事で勢いを止めてしまっている。うっとおしい語りを減らしてラストの大崩壊へと繋げる事も出来たはずなのだ。とにかく120分以内に収めるべき内容である事は確かだ。
 アクションに関してはスタッフの力が大きいのだろう。監督のアクションセンスはあまり高くないと見た。だが、大嫌いな駄作『エコエコアザラク』シリーズから比べると進歩した。進歩したけどやはりあまり上手くない。アクションの比重が高いという作品の内容と傾向から考えるとどうして佐藤監督が選ばれたのかこの監督人選には疑問が残る。山崎貴が自分と縁の深い佐藤監督を推したのではなどと邪推してしまう。
 映画監督をやらせると無能としか言いようのない山崎貴もこの作品のように本職のVFXをやらせると上手い。VFX職人なのだから職人は職人の仕事をしていればいいのに。
 セリフの音がばらばらで、あるシーンではボリュームを下げなければならない絶叫だったと思うと、次のシーンではボリュームを上げて耳をすまさねばならなかったりする。これはこの作品だけではなく日本映画の多くに言える事でボソボソ声でしゃべるシーンは勘弁してもらいたい。日本語の映画なのに字幕を表示してみなければならない。
 ロケの街並みがどこかで見たと思ったら『魍魎の匣』(2007)だった。この作品も『魍魎の匣』も過去の日本の街並みを上海ロケで再現している。

B001OFSH2I.jpg『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』(1974) 84分 日本

監督:黒田義之 製作:若山富三郎、真田正典 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:中村努 撮影:牧浦地志 美術:内藤昭 編集:谷口登司夫 音楽:村井邦彦 助監督:小倉洋二
出演:若山富三郎、大木実、木村功、富川昌宏、瞳順子、睦五郎、宮口二郎、石山律雄、石橋蓮司

 シリーズ最終作と言うこともあってか飛ばしまくってますよ。最初からシリーズ最終作と決めていたのか、客が不入りで終わったのかは分からないが、どのみち大五郎役の富川昌宏が大きくなってきたのでここらで終わってちょうど良かったのだろう。今さら他の大五郎と言われてもイメージがしっくりこないし。

 ラストの見せ場は雪山です。白銀です。スキーです。スっ、スキー!?
 時代劇だというのに裏柳生一門がスキーで襲ってきます。その数ざっと100人。
 対する拝一刀は乳母車の下にソリをつけてシュパーっと滑って行きます。
 そして雪の上での殺陣が繰り広げられます。若山富三郎は疾走する乳母車から空中前回りで飛び降りてるし。やる気まんまんですな。
 裏柳生の首領柳生烈堂はソリに乗って迫撃砲を撃ってきてスキー場と思われるロケ地の雪面にはドッカンドッカン穴が開くし、もちろん乳母車機関銃も冴え渡ります、無茶です。どんな時代劇だ。

 拝一刀対裏柳生の戦いに重点を置いていて、これまでの作品であった拝一刀が刺客の仕事を引き受けるというエピソードがないんですね。やはり最初からシリーズ最終作だったのかな。
 まずは柳生烈堂の息子は全て殺されてしまったため、末の妹を向かわせます。烈堂は「お前は切り札だ」とか言ってますが、それは他にも札がある場合に使うんじゃないでしょうか。最後の一札に切り札も何もあったもんじゃありません。
 二本の短剣でお手玉をするその名も“お手玉の剣”というまんまな名前の剣術の使い手で、対戦相手の頭上に短剣を放り投げ、頭上の剣を払おうとすれば手に持った短剣が襲い、手に持った短剣を払おうとすれば頭上に短剣が突き刺さるといった次第。しかし、拝一刀は大五郎を肩車したまま戦うことで頭上に剣を放ることを躊躇わせて見事討ち取るんですね。鬼です。でも大五郎は恨む様子もありません。親子して冥府魔道を歩んでいるんですね。私だったらこんな父親イヤですが。

 これで柳生烈堂もじり貧だと思ったら、幼い頃に捨てた妾腹の長男の兵衛がいたんですね。まだ切り札ありました、都合良すぎです。しかし、兵衛は自分を捨てた烈堂を父と思っていません。当たり前です。野山に放ったらかしだったんですから、自分がピンチだから助けてくれと言われても、知るかそんなもんですよね。兵衛は柳生には愛着が無く、代わりに自分を育ててくれた土蜘蛛一族の頭領となっています。これからは柳生じゃなくて土蜘蛛の時代だという理由で拝一刀を討ちにいきます。土蜘蛛というだけあって地面のなかを這ったりとこれまた超人的。
 土の中は這えても雪の中では凍えてそうは行くまいと雪山にこもって文章の最初に繋がってくるわけです。土蜘蛛三人衆を倒した拝一刀が乳母車を片手に山を下りようとすると大五郎が「ちゃん」と山の稜線を指さします。そこにずらりとならんだ柳生スキー軍団。

 監督はシリーズ初の黒田義之。主にテレビの時代劇を撮っている人です。脚本から原作者の小池一雄が抜けて『子連れ狼 冥府魔道』で共同脚本だった中村努が独り立ちしているのも注目点ですね。
 シリーズを通してみると、拝一刀が大五郎を猫かわいがりしているシーンはありませんが、跡取り息子としてちゃんと愛情を注いでいる。大五郎もそんな父の愛情を理解しそれに応えているというところが感動的ですね。ただ、まだ大五郎も幼いからいいので、これから反抗期を迎えてティーンエイジャーになったりすると親子の関係はどうなるのかなと心配になったりします。
「冥府魔道なんかしるかよ」と暴れ回る大五郎とかあったりするんでしょうか。「親父はいつも勝手なんだよ」とか。

B001OFSH28.jpg『子連れ狼 冥府魔道』(1973) 89分 日本

監督:三隅研次 製作:若山富三郎、真田正典 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄、中村努 撮影:森田富士郎 美術:下石坂成典 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕 特技:JAC 助監督:南野梅雄
出演:若山富三郎、富川晶宏、安田道代、佐藤友美、石橋蓮司、大木実、大滝秀治、山城新伍、潮健児

 監督がまた三隅に戻った。やはり『子連れ狼』ときたら三隅だろう。
 このシリーズ、さして込み入ったストーリーではないのだが、毎度毎度以外と理解するのに苦労する。それはセリフの問題だ。最近の日本映画と違って出演者の滑舌が悪いなどといった初歩的な理由ではない。はっきりと聴き取れる。ただし、時代劇ならではの専門用語が多くて意味が分からないのだ。
 せめてこのDVDに日本語字幕が収録されていれば助かったのだが、あいにくと未収録。「くろだめんぼうしゅう」と言われても「黒田面頬衆」という漢字が思いつかない。顔の下半分を覆った仮面を着けているから面頬衆なのかと推理するしかないのだ。原作の劇画だと活字があるから分かりやすいのだろうが、映画だとそうはいかない。原作を読めば分かるのかも知れないが、そこまでする気はない。
 今回は比較的普通の時代劇だ。最大の理由は乳母車の機関銃など突拍子もない兵器が登場しないからだろう。裏柳生も登場する物の、拝一刀との戦いはほとんどなく脇役に徹している。その分、次回作で弾けるのだが。

 拝一刀は黒田藩の藩士から刺客の依頼を受ける。ある和尚に化けた公儀探索方に藩の秘密を知られてしまい、それが記載されたお墨付きと呼ばれる文書も奪われてしまった。坊主を殺してお墨付きを奪い返して欲しいというのである。
 この和尚(大滝秀治)が寺で祈りを上げているところを斬りにかかる拝一刀。しかし身体が動かない。坊主は言う。「悟りを開いたわしは無じゃ。仏に会ったら仏を斬るそなたでも無は斬れまい」悪役のクセにずいぶんと偉そうなことを言うのである。
 それでも船で川を渡る機会に、水中からせめて和尚を殺して文書を奪った拝一刀は、黒田藩に馬で乗り込む。馬で乗り込むとなると大五郎の乳母車はどうするのかというと、ソリに乗せて馬に引っ張らせるのであった。無茶だなぁ。
 隠居した元黒田藩藩主の前で拝一刀は言う。「いくら側室を御寵愛のあまりとはいえ、浜千代姫を松丸君と偽り藩主を継がせ、正室の子である真の松丸君を幽閉するとは、黒田武士道の義にあらず!」
 なんと側室の産んだ姫を男の子と詐っていたのだ。お墨付きの文書は元藩主が浜千代を藩主と認めたという内容だったのだ。
 それまで、大五郎とにらめっこをしていた浜千代姫は「切れ」と一言を発する。
 がらがらっとふすまが開くと刀を構えた大勢の侍たちが並んでいるのは時代劇でのお約束。そして戦いが始まる。拝一刀は胴太貫だけではなくドロップキックも繰り出しての大活躍。さすが特技にJACの名前があるだけのことはある。関係ないか。
 戦う足捌きだけを捉えたショットなど謎の映像がありつつも、黒田藩だけあって槍を得物とした黒田面頬衆との戦いに突入する。刀の侍相手ではほとんど一刀両断で切り倒してきた拝一刀もリーチの長い槍を相手では苦戦しながらも最後の一人を倒す。
 そして、元藩主と側室だけではなく、まだたった5歳の浜千代姫の首も落とすと大五郎と共にいずこへと無く立ち去るのであった。

 これだけでは尺が足りなかったのか、女スリのエピソードが挟まれている。相手から掏った女スリが財布を隠す場所が無く道ばたにいた大五郎に預けると「誰にも秘密だよ」と告げる。財布を持っていた大五郎は女スリの仲間だと勘違いされて、仲間の正体を白状しろと叩きの刑にあうががんとして口を割ろうとしない。思わず名乗り出る女スリにも、知らないで通す。「誰にも秘密だよ」の約束を守ろうというのだ。
 疑いが晴れて自由の身になった大五郎はちゃんの元へと駆けていくのであった。さすが拝一刀と冥府魔道を歩むだけあって大五郎は普通の男の子ではない。

 さすがに5歳の女の子を殺してしまうと言うのは後味が悪い。かといって拝一刀が斬らねばもっとひどい目に合うことは分かっているのだが。ここら辺の残酷さから劇画が原作であることを思い知らされる。

B001OFSH1Y.jpg『子連れ狼 親の心子の心』(1972) 108分 日本

監督:斎藤武市 製作:若山富三郎、松原久晴 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄 撮影:宮川一夫 美術:下石坂成典 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕
出演:若山富三郎、林与一、山村聡、東三千、岸田森、富川晶宏、小池朝雄

 1年に4本という無茶なペースで作ってきたせいか、この4作目は明らかに失速している。監督が三隅から大味な作品ばかり撮っている斎藤武市に変更になったのも大きいだろう。製作が弟の勝新太郎から若山富三郎になっており(製作は勝プロダクションのままだが)ターニングポイントとなったのは間違いがない。

 音楽にこれまでになかった電子音が使われるようになっている。この電子音がうるさい。重要なところでやはりかかるのだが耳障りである。ただ、テレビ版の主題歌『しとしとぴっちゃん』が初めて歌詞付きで流れるのは聞き所。
 それからやたらと回想シーンが多い。ちょっとやっちゃ回想シーン。またちょっとやっちゃ回想シーン。回想シーンがないとストーリーが繋がらないのだが、しかし映画の流れがぶった切られるのも事実だ。

 尾張藩で女中達に小太刀を教えていた女性東三千がいた。この東三千が藩士の岸田森との戦いに敗れ手込めにされてしまったため尾張藩を脱藩。尾張藩は藩士を差し向けて東三千を殺そうとするが誰も彼も返り討ちに遭ってしまった。拝一刀は東三千を殺す依頼を受け、その父親に会いに行く。父親は娘が殺されることを知りながらも、藩士達の家族のことを考えて隠れている場所を伝える。娘も父親が自分の居場所を伝えたことを知る。これがタイトルの『親の心子の心』である。
 どうでもいいけど、岸田森は2作目の敵役として出てきてすでに死んでないか。そこら辺を気にしていちゃこのシリーズは観てられないのである。
 東三千は見た者が驚くような刺青を入れているのだが、これは妖刀使い岸田森に対抗するため。とっさにもろ肌を見せて注意を削ぎ隙を作ろうというのだ。

 とはいえ、本格的に拝一刀を狙い始めた柳生軍団との戦いは面白い。拝一刀が古寺に入る。そこには何体もの仏像が並んでいる。と、突然仏像が動き出す。キカイダー01?いや、仏像の中に潜んだ柳生衆が襲ってきたのだ。その柳生の手や足を切り落としていく拝一刀。スタントマンを使わず若山富三郎自身の空中宙返りなどが披露される。重そうな体付きだが案外身が軽いと見える。
 ラストには柳生軍団との対決。鉄砲というより『もののけ姫』に出てきた石火矢のような武器で狙い撃ちにされる。爆発音はお馴染みの東宝爆発音。それを乳母車の機関銃でなぎ倒した後に、総勢100名はいそうな柳生軍団との斬り合い。若山富三郎のスピーディーで鮮やかな殺陣が魅せる。
 ボロボロになって血を流しながらも辛くも敵を全滅させる拝一刀であった。
 だがこれで柳生が滅んだわけではない。大五郎を乗せた乳母車を押しながらよろよろと歩く拝一刀はどこへ行こうというのだろうか。

B001G9EBRC.jpg『子連れ狼 死に風に向う乳母車』(1972) 89分 日本

監督:三隅研次 製作:勝新太郎、松原久晴 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄 撮影:牧浦地志 美術:西岡善信 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕 助監督:鍋井敏宏
出演:若山富三郎、富川晶宏、浜木綿子、山形勲、浜村純、加藤剛

 1972年に始まったシリーズもこれで3本目。でもまだ1972年。1年に何本撮っとんじゃと思うがもう一本あるんだよな。
 破天荒なシリーズで実に楽しいのだが弱点があるとしたら脚本。練り込まれたものというよりも一気に書き上げたといった感じで、勢いはある物の伏線とか登場人物の心の動きなどといった物はあまり描かれていない。そもそも若山富三郎の拝一刀が何を考えているのかよく分からないお方だ。その点、今作では「真の武士道とはなんぞや」と思い悩む若き侍の加藤剛を出すことで心理面へのアプローチが成されているのが興味深い。この頃は若いぞ加藤剛。

 なんでも原作の3エピソードをまとめて一本の映画にしているそうで、事実映画のストーリーの流れも大きく三つに分かれている。
 まずは拝一刀と加藤剛の出会い。加藤剛は藩士だけだと貧弱なので参勤交代の時だけ頭数を揃えるために大名に雇われる渡り徒士(わたりかち)という職業だった。武士とはいうものの浪人とやくざ者の間のような描かれ方だ。しかし、その昔はある藩の藩士だったという。加藤剛は「真の武士道とはなにか」を確かめるため拝一刀に果たし合いを挑むが、「殺すには惜しい」と拒まれる。

 女衒に買われた百姓娘が旅先の宿で女衒に襲われそうになりはずみで殺してしまう。たまたま同じ宿に泊まっていた拝一刀の部屋へ逃げ込むが、そこへ娘を買った忘八者の女元締めが手下を連れてやってくる。忘八者とは“仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの徳目のすべてを失った者”のことで石井輝男監督のハチャメチャ時代劇『ポルノ時代劇 忘八武士道』なんて映画がある。主人公の明日死能(あすしのう)を丹波哲郎がニヒルに演じていた。
 娘が自由になるための折檻を拝一刀は代わりに受ける。まずは水責め。逆さに吊した拝一刀を水で一杯の樽に頭から漬ける。これが美女がやられていると倒錯的な美しさがあるのだろうが、なにぶんむっつり体型の若山富三郎なのでこれといって面白いことはない。そういう趣味の人はいるんだろうけど。続いて行われるのは“ぶりぶり”。クレヨンしんちゃんの“ぶりぶりざえもん”みたいな名前で楽しそうだが、実際は手下達が竹の棒を持って「ぶりぶりぶりぶり」いいながらひたすら拝一刀を叩きまくる。
 これら、常人ならば命を落としかねない責め苦を拝一刀はうめき声一つあげずに成し遂げるのだった。

 忘八者の女首領は実はとある藩でお偉いさんを務めていた人の娘だった。その藩の藩主が気が狂ってしまって何人もの藩士を殺害したことをお取りつぶしを防ぐために彼らは極秘としていた。しかし、御側要人猿渡玄蕃に裏切られ藩はお取りつぶしになり天領となったその地の代官となったのが猿渡だったのだ。猿渡の殺害を依頼された拝一刀は天領へ向かう。
 まずは馬上短筒と呼ばれるリボルバーの二丁拳銃使いを大五郎をおとりにして溺れさせている振りをさせて助けに河に飛び込んだところを叩き切る。ずるいぞ。この時、ちゃっかり馬上短筒を奪っているのにご注目。
 子連れ狼が自分を狙っていると知った猿渡は部下の他に腕の立つ者を集めさせる。その中には「相手はひょっとしたら」と考えている加藤剛もいた。
 決戦の場は荒野。200人もの敵の前に乳母車を押しながら現れる拝一刀。
 弓矢隊が弓を一斉に放つ。すると拝一刀の指示で大五郎が紐を引っ張ると乳母車の前面に板が立って弓をはじき返す。
「えーい、鉄砲隊」との合図に鉄砲隊が発砲しようとすると、乳母車の前面に板が吹き飛び銃口が何本も現れる。ババババババッと機関銃が乱射され、倒れていく鉄砲隊。ロボット物のアニメで装甲が剥がれるとミサイルが並んでいて一斉発射なんてシーンがあるがあんな感じ。どこで機関銃を手に入れてどうやって組み込んだんだか。拝一刀って仕掛けマニア?しかも拝一刀は懐から爆弾を取り出すと2発3発と投げつけてくる。ドカンドカンと吹き飛ぶ敵。
 ここからは割と普通の日本刀や槍を使った殺陣になる。それにしても強い強い。拝一刀相手では刀をろくに交えることなく一刀のもとに手下達は斬り殺されていく。
 短筒使いから護身用にリボルバーを持たされていた猿渡が拝一刀を撃ってくる。手から弾き飛ばされる愛刀胴太貫。2発3発と追い詰められていき、ついに行き場を失ってしまう。すでに勝った気で満面の笑顔の猿渡が引き金を引くが弾が出ない。もう6発撃ってしまっていたのだ。すかさず懐から二丁拳銃を取り出すと猿渡を撃ち抜く拝一刀。もう時代劇じゃねぇよぉ。
 もはや辺りに散らばるのは死体ばかり。だが、大五郎が指さす方向に加藤剛がいた。相変わらず「真の武士道とは」と悩んでいる加藤剛と拝一刀の迫力のある斬り合い。その後、腹に胴太貫が刺さったまま加藤剛は延々と過去の話を語り、「真の武士道とは死を持って生きる」と悟った後に拝一刀に介錯してもらって果てるのだった。この時に、介錯された加藤剛の一人称視点でカメラがゴロゴロと回転しながら地面を転がる。交互に回り映る空と大地。画期的?な映像だ。
 子連れ狼の魅力はハチャメチャな殺陣にあると思うが、加藤剛の存在が格式も高めている。

B001G9EBR2.jpg『子連れ狼 三途の川の乳母車』(1972) 85分 日本

監督:三隅研次 製作:勝新太郎、松原久晴 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄 撮影:牧浦地志 美術:内藤昭 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕 助監督:小林千郎
出演:若山富三郎、富川晶宏、松尾嘉代、岸田森、新田昌玄、鮎川いづみ、大木実、小林昭二

 考えてみると70年代というのはすっかりテレビの時代になってしまって日本映画はかなりじり貧な状況だったのだ。古くからの時代劇をやっても人が入らず、過激な方向へ人気のある劇画の方向へと作り手の目が行ってしまったのだろう。その結果として『子連れ狼』や『御用牙』などのアバンギャルドな作品が作られたのだろう。当時の人がいきなりこれを観させられたらどんな風に感じたのだろうか。シリーズが数年の内に6本も作られたのだからヒットしたのだろうが、このペースも一種のやけくそを感じないでもない。

 基本設定は1作目で説明されたので、今作はなんの説明もなく拝一刀が虚無僧姿の裏柳生と対決するシーンから始まる。荒野の向こうから走ってくる虚無僧。刀を抜いて拝一刀に斬りかかろうとするがあっさりと交わされ虚無僧の被っている駕籠ごと額を胴太貫で割られる。しかし、額に食い込んだ胴太貫を白刃取りする。そこへ虚無僧の後ろから別の虚無僧が現れ前の虚無僧の肩に飛び乗るとジャンプして上空から襲ってくる。ジェ、ジェットストリームアタック!?お前らドムか?だがその奇襲も、乳母車のパーツから槍を取り外すと一突きで決着が付いてしまう。
 世の中、雑魚ほど捨て台詞を残したがる物で「柳生一門は天下六十四州にまたがる。いずれへ行こうとも我らの手から逃れることは出来ぬ」と言い残して死ぬ。どうやら、前作で裏柳生の親玉は「おのれら親子がどこで何をしようがかまわん」とか言っていたが、その言葉をひるがえして命を狙うことに決めたようだ。世の中、偉い人の言うことほど当てにならないものはない。

 ストーリーは二つのストーリーが平行する形になっている。
 まずは裏柳生の命を受けて明石柳生の女頭領とその部下の女性達が拝一刀の命を狙ってくる話し。
 もう一つは、拝一刀が阿波藩から刺客の依頼を受けて、隣の藩に逃げた藍染めの職人を護送する公儀護送役三兄弟ごと抹殺して欲しいと言うもの。依頼料はなんと500両。前作でも刺客の依頼で500両もらっていたから子連れ狼の相場なのだろうが、いったい何に使っているのだろうか。服はヨレヨレで風体は冴えないし贅沢をしている様子もない。拝家再興をはかるために貯金しているのだろうか。

 明石柳生の戦い方はこれまたけったいで、角兵衛獅子に見せかけて襲ってくるのはまだ分かるのだが、川辺で歌を歌いながら大根を洗っていた娘さん達が大根で襲ってくるというのはどんなもんだろうか。この大根、投げつけられると乳母車の板など簡単に破ってしまう。なんと中に刃物が仕込んであるのだ。刃物を仕込むかそりゃ気がつかなかった。もちろん、どちらも拝一刀にあっと言う間に斬り殺されてしまう。
 生き残った女首領は裏柳生の力を借りて大五郎を人質に取ると底なし井戸の上から縄で吊す。ところが呼び出されてやってきた拝一刀は落とすのならば落とせ。親子二人冥府魔道を歩き始めた時から覚悟は出来ていると告げる。若山富三郎のドスの利いた芝居が堪能できる迫力あるシーンだ。

 そういった危機を乗り越えてついに公儀護送役三兄弟と巡り会い、砂丘で対決することとなる。砂丘?阿波藩から隣の藩に逃げた藍染め職人を護送するのだから地理的には四国だろう。砂丘あったか?
 なんてことはどうでもいいんで、拝一刀以外に三兄弟を狙うチンピラどもが大挙して砂丘に穴を掘って上にゴザを被せて隠れている。そして三兄弟との戦いが始まる。三兄弟はそれぞれ手甲鉤、トゲだらけの鉄の棍棒、トゲのある鉄拳を武器として使い、これがまだどれも倒した相手から血が出る出る。隠れていた穴といい血糊といい環境破壊もはなはだしい。ロケ地がどこかは不明だがかなりの規模の砂丘なので鳥取砂丘の可能性が高いだろう。今だったら規制が厳しくて絶対出来ない撮影だ。
 雑魚が片付いた時点で砂丘の頂上にすっくと立つ拝一刀。むすっとした顔がまた頼もしい。「参る」の一言で男たちは動き出す。
 一人は頭を見事にカブト割りにされてしまう。頭が左右に分割されてゆらゆら揺れている。そして血がピューピュー吹き出している。
 一人は拝一刀が投げた刀に腹を刺され絶命。残った一人は首筋を切られて、
「首が、わしの首が泣いているように聞こえる……」と言い残して死んでいく。もちろん首筋からは血がピューピューと噴き出し砂丘の砂を真っ赤に染めていく。だから環境破壊だってば。

 拝一刀と大五郎の入浴シーンや、船が沈没して脱出した後に明石柳生の女頭領を合わせた三人が全裸になって人肌で暖を取るシーンがある。後者では大五郎の可愛らしい局部が映っているが、これっていまとなっては児童ポルノ扱いだよねえ。海外版ではカットだな。入浴シーンなんて追われながら戦い続ける父子にとって数少ないやすらぎのいいシーンなんだけどねえ。

B001G9EBQS.jpg『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』(1972) 95分 日本

監督:三隅研次 製作:勝新太郎、松原久晴 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄 撮影:牧浦地志 美術:内藤昭 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕 助監督:辻光明
出演:若山富三郎、富川晶宏、露口茂、真山知子、藤田佳子、内田朝雄、渡辺文雄、伊藤雄之助、語り:小林昭二

 拝一刀は公儀介錯人である。しかし、その立場を狙った裏柳生の陰謀により我が子大五郎と共に浪人として腕を貸す刺客の流れ者になっている。
 彼の噂を聞いたある大名の家来が拝一刀に依頼をする。そのため、悪党どもが根城としている湯治場へ乗り込んでいく拝一刀であった。
 依頼をした侍には二人の部下がいて、拝一刀の腕試しをするため死を覚悟で後ろから斬りかかり案の定殺されてしまう。その覚悟、武士だなぁ。

 中盤までは、すでに流れ者になった拝一刀と大五郎の様子と、裏柳生の陰謀の様子が交互に描かれる。そのため展開がちょっとゆっくり目だ。
 大五郎以外の一族郎党を全員殺されてしまった拝一刀は裏柳生に復讐を誓い、冥府魔道を選ぶことを決めるが、そこに大五郎を連れて行くかどうかというシーンがある。
 まだ幼い(2歳ぐらい?)大五郎の前に色鮮やかな鞠と胴太貫という名の日本刀を置いて、自分でどちらかを選ばせようというのだ。幼くとも身体に流れる拝家の血が教えてくれるはずだとか強引だ。鞠を選んだらあの世にいった母の元に送ってやる(つまり自分で殺す)、日本刀を選んだら共に冥府魔道を歩もうというのだ。最初は鞠に心をひかれる大五郎だが、ピカピカと輝く日本刀に目を移し結果そっちを選ぶ。まぁ大五郎にしてみれば選んだも何も自覚がないと思うのだが、拝一刀は「亡き母の方に行った方がお前には幸せだったろうに。不憫な奴」とやたら芝居がかって応える。養子に出すとかいった考えはなかったのかね。出しても暗殺されるだけか。自分で守るか殺すしかなかったということか。
 ちなみにこのシーンはB級映画の帝王ロジャー・コーマンの自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画を作りしかも10セントも損をしなかったか』の中で「わたしは心のなかでいった。すばらしいシーンだ。こんなシーンは、一生かかってもわたしには思いつけないだろう。このアイディアを考えた人間は狂気に近い才能を持つ天才にちがいない!」と褒めてるんだか微妙なんだか分からないことを言っている。ひょっとしてバカにしてないか?いや褒められてるんだな小池一雄。ちなみにコーマンは1作目と2作目を合わせて1本の映画に編集し「ショーグン・アサシン」というタイトルでアメリカ公開しヒットさせたそうだ。

 この作品の殺陣の特徴はやたらと派手なこと。斬れば血がバーッと噴き出す。斬られた手が飛ぶ足が飛ぶ、頭だって飛ぶ。これはもうスプラッターのレベル。13日の金曜日が1980年だからはるかに先を行っていますよ。槍が足をなぎはらうと身体だけ倒れて足だけ地面に立ってる、カメラに向かって画面一杯に血を吹き出す敵なんていいセンスだ。楽しくって仕方ない。1作目でこれだが、シリーズが進む毎にパワーアップしていくと言うから期待せざるを得ない。この良い意味での悪趣味さはタランティーノが大ファンだというのもうなずけます。
 若山富三郎の動きのキレが素晴らしくて、それを捕らえるカメラワークもきっちり考え抜かれている。さすが名匠三隅研次だけのことはある。名匠らしくやはりお色気シーンもちゃーんとある。
 裏柳生との一騎打ちでは西日を背にした裏柳生を相手に大五郎を背負った拝一刀。なに洒落てんねんといいたいところだが、西日を背にした相手との戦いは圧倒的に不利なはずが、実は大五郎の頭に鏡を着けてそれで日光をはじき返して隙を作り一刀両断と知恵も回る。ここら辺の発想が原作である劇画を思わせる。原作者の小池一雄は脚本も手がけており、劇画チックな点は他にもいくつもある。
 愛刀同田貫を奪われても、大五郎を乗せている乳母車から短刀や組み立て式の槍、さらに底には鉄板が張られていて鉄砲の弾をはじき返す。

 裏柳生の柳生烈堂役の伊藤雄之助がまた劇画チックで、劇画というよりも特撮物の首領と言った方が良いかも知れません。役作りが入り込みすぎてセリフが聞き取りにくいところまで言っています。それぐらい強烈なキャラクター。

B0012P6C6I.jpg『ゴジラ』(1984) 103分 日本

監督:橋本幸治 製作:田中友幸 原案:田中友幸 脚本:永原秀一 撮影:原一民 美術:桜木晶 編集:黒岩義民 音楽:小六禮次郎 特技監督:中野昭慶
出演:田中健、沢口靖子、宅麻伸、夏木陽介、小林桂樹、内藤武敏、鈴木瑞穂、村井国夫、小沢栄太郎、織本順吉、御木本伸介、森幹太、金子信雄、山本清、武田鉄矢、橋本功、潮哲也、石坂浩二、江本孟紀、かまやつひろし

 当時のSFX映画ファンはねぇ、『ゴジラ』が帰ってくるっていうんで盛り上がっていたんだよ。昭和シリーズもテレビで放映されなくなって記憶から遠ざかり、初代ゴジラが神格化されていて、「『ゴジラ』すごい」「『ゴジラ』最高」、さぁ来るぞ来るぞと待ちかまえていたんだ。
 その頃のオレはSF小説からSF映画に行ったSFX大好き少年で、この作品の新宿ロケでエキストラを募集しているというのを雑誌で読んで、名古屋から東京まで本気で考えたものだよ。
 そして公開初日、第一回目の上映会場で、「ああ、行かなくて良かった」と胸をなで下ろしながら失望したのだ。ハリウッド映画を日常的に観ていた目にはその特撮が明らかに劣って見えて仕方なかった。『ゴジラ』(1984)は宣伝にも力を入れ、東宝はかなり本気で作ったはず。それで出来たのがこれ。日本のレベルはこの段階なのかとがっくりきた。

 今になって観直すと、これはこれで味がある。と言えなくもない。
 巨大フナムシや帰巣本能のためなら命も捨てるゴジラも笑って許せる。
 閣僚達が集まった会議で
「ゴジラの放つ熱戦に自衛隊の兵器は対抗できるのですか?」
「大丈夫です、極秘に開発した秘密兵器があります」
「その名も“スーパーX”!!」
 はさすがに今でも頭を抱える。なんだよ、今時の小学生低学年の子供だってもっとましなネーミングをするぞ。スーパーな上にXだ。いや、Xがスーパーなのか?
“マーカライトファープ”とか“メーサー殺獣光線車”といったかつてのしびれるセンスはどこへいったんだよ。しかも、メスのカブトムシというか、むしろダンゴムシの様なデザイン。とほほほ。
 でも、「ダッダダダ?」という小六禮次郎が作曲したテーマ曲にのって登場するシーンはちょっといいけど。そしてゴジラの熱線が高層ビルを貫通してスーパーXを直撃するところなどゾクッとするんだけど、そこでアクションがストップしてしまうんだよな。畳みかけてラストまで一気に突っ走ってくれよ。全体的にどうも緊張感に欠けるんだよな。
 しかもどう考えても余分な特別出演の武田鉄矢が中途半端な笑いでさらに緊張感をそぎ落とす。いらないいらない、このホームレス役。原発警備員の石坂浩二はまだ意味があるが、ゴジラに掴み上げられる満員の新幹線に乗っていたムッシュかまやつはほんの一瞬で、しかもにやりと笑うのは何故だ。
 東京から逃げ出そうとする車で大渋滞の首都高にゴジラが青白い熱線を放つ。それを浴びた先頭の車が大爆発。そして後続の車へと炎上し、首都高は炎を高々と上げる線となる。後続の車はゴジラの熱線で爆発したわけではないのにドッカンドッカンと数十メートルは上がっていく炎に特技監督の中野昭慶の意気込みが感じられる。ほんと大爆発好きやな?。
 生物科学研究所は意味なく新宿の高層ビルにあって、中は妙に整理されていて研究機器などの備品はほとんどないし、所長の夏目陽介以外の姿はほとんどない。変人の自称科学者が趣味でやっている研究所かと思いきや、政府から直々に重要な研究を任される。ここに任せて本当に大丈夫なのかと小林桂樹演ずる総理に尋ねたい。せめて人員を派遣しろ、バイトの女性が一人いるだけじゃないか。ああ、1シーンだけ「お先に失礼します」と帰って行く二人の所員が出てきたな。ゴジラが日本を襲ってくるという緊急事態なのに定時で上がるなよ。残業しろ泊まり込め、デスマーチだデスマーチ。

 まぁ、あれこれケチを付けたくなる部分は多々あるが、そんなことは主演女優である沢口靖子の存在の前では小さな事。
「どんだけ大根なんだよ!」
 棒読みを遥かに超えた鉄筋読みなセリフに、鉄仮面のように変化しない表情。どうにも鉄が多くて女性に多い貧血には縁がなさそうだ。きっと磁石にくっつくぞ。
 外人女性ボーカルが歌うエンディング曲を聴きながら劇場を後にしたオレは、まだガックリとズッコケが襲いかかってくるゴジラ新シリーズの第一歩に過ぎないことを知らなかった。

 “SFX映画”として期待しすぎたというのもあるし、高校時代のオレは小遣いだけだと月に一回ぐらいしか映画を観に行けないので昼飯を抜いて浮かせたパン代を注ぎ込んでいたから評価は辛くなっていると思う。食べ物のうらみは怖いんだってば。

B0011YNN4Y.jpg『ゴジラ対メカゴジラ』(1974) 84分 日本

監督:福田純 製作:田中友幸 原作:関沢新一、福島正実 脚本:福田純、山浦弘靖 撮影:逢沢譲、美術:薩谷和夫 編集:池田美千子 音楽:佐藤勝 特技監督:中野昭慶
出演:大門正明、青山一也、田島令子、平田昭彦、松下ひろみ、小泉博、今福正雄、ベルベラ・リーン、岸田森

 スカパー!日本映画チャンネルで11月は昭和ゴジラが一挙放送。12月は平成ゴジラ、1月はミレニアム・ゴジラが予定されている。無茶な企画だな。
 録画しておいたのをこのところほぼ毎日一本で観ているのだが、正直そろそろ惰性モード。前作の『ゴジラ対メガロ』(1973)は過去の作品からの映像の使い回しが多くて、自衛隊員が道を走っているところは前に観たカットだし、怪獣が襲ってくるというので逃げる群衆のシーンは人々の衣装が明らかに一昔前。いわるゆバンクってやつだ。
 ところがこの『ゴジラ対メカゴジラ』はゴジラマニアって訳じゃないんで気づいていないだけかも知れないが、過去からの使い回しは見あたらず、しかも特技監督がコミック『宇宙家族カールビンソン』の原住民の一人“ショウちゃん”のモデルである中野昭慶だから、昭慶がドッカンバッカンと盛大に炎を上げる。ほんと、爆発シーンが好きな人なんだろう。

 今回は久しぶりにゴジラが人類に牙を剥く。それを制止しようとしたアンギラスと戦いになり、右上腕部の皮膚がちょっと剥がれ金属のような銀色が見える。実は地球征服を企む宇宙人がスペースチタニウムを素材にして作り上げたロボットのゴジラ、その名もメカゴジラなのだ。子供が名付けるパターンが多いが今回の命名者は科学者の平田昭彦。一作目の1954年版ゴジラで演じた芹沢博士から比べるとさすがに年を取って顔もも丸みを帯びているが理知的な雰囲気でやはり学者役が似合う。それもそのはず、この人は東京大学法学部出身の才人。『ゴジラ ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃』(1969)でコミカルなおもちゃコンサルタント役を演じた“死神博士”で有名な天本英世も東京帝国大学(現東大)法学部に籍を置いていた人だ。中退だそうだけど。
 大部屋などの下積みから力を付けてスターになった俳優や、歌舞伎などの古典芸能出身の俳優など色々な人がいる。日本最大の暴走族“ブラックエンペラー”の総長だったという過去を持つ宇梶剛士や、暴力団組長の安藤昇までいて、そんな人たちが協力して芝居をし映画を作り上げる役者という人生は面白そうだ。
 まぁ、東大出だから才能があるってわけではなく、あの色んな意味で有名な、というかあれな意味で有名な『デビルマン』(2004)の監督である那須博之も東大経済学部卒。『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズの頃はそれなりに面白かったんだけど、人生最後が『デビルマン』だからなぁ。

 ゴジラの皮膚をかぶっていた時は本物そっくりな生き物的な動きをしていたが、その皮膚が全てはがれメカゴジラ完全体になると突然動きがちょっとロボットぽくなる。性能落ちてないか。だが、虹色っぽいビームや手や足の指ミサイルなどでゴジラピーンチ!
 そこへ助けに現れるのが、琉球に伝説として伝わる守護神“キングシーサー”だ。このキングシーサーが妙に可愛い。
 言い忘れていたが、今作は翌年に沖縄海洋博を控えていることもあり沖縄がメインの舞台となっている。オレは沖縄に行ったことはないが、父が一時期単身赴任で行っており、たまに母も遊びに行っていた。料理で出てくる魚がカラフルなんで驚いたが、食ったら美味かったそうだ。父はそこで泡盛を覚えて、今でもたまに飲んでいる。すまん、どうでもいいことだな。
 人間そっくりに変身した宇宙人の正体は顔面が緑色のゴリラ的生命体。死ぬと変身が解けてゴリラに戻るのだが、死に顔がワンカットのまま緑色のスライム状の物で覆われ(合成)、その後ゴリラになる。初歩的なモーフィングと言ってもいいんじゃなかろうか。
 宇宙人の地球征服司令官はブランデーグラスを片手に酒らしき物を飲んでいるシーンが多いのだが、中に入っている液体はよく見ると緑色をしている。
……青汁?
 慣れない地球に来て、しかも司令官の重責もあって健康に気を遣っているのだろうか。
 メカゴジラのデザインはスペースチタニウム板を鋲で留めた辺りは好きなんだが、鼻がブタなんだよな。沖縄の人は豚肉をたくさん食べるそうだから、それに合わせたのか?ないない。
 原作にSF作家の福島正実が名を連ねているのにも注目。東宝は『マタンゴ』(1963)でもこの福島正実や星新一といったSF作家を起用してSF映画作りを目指したこともあった。優れた作品もあったのだが、観客のウケは今一つで日本映画界にSF映画が根付いたとは言えないだろう。大ヒットした小松左京の『日本沈没』や『復活の日』もディザスター映画として受け入れられていた印象がある。
 そもそもSFはあまり日本人好みではないのだろうか?萩尾望都のコミック『ウは宇宙船のウ』を久しぶりに読んで、これまた20数年ぶりにレイ・ブラッドベリを読み返し始めたのだが、三洋堂というここらでは大きな書店に行ってもSFコーナーは小さく、置かれているのもほんの少し。過去の名作なんてポツ、、、、、ポツだけ。80年代前半にSF小説にはまり、そこからSF映画、映画へと進んできたオレにとっては寂しい限り。

 日本のクリストファー・リーこと岸田森が主人公達を助けるインターポールの捜査官として登場するが、どうもサイコな人に見えてしょうがない。怪優だからなぁ。でも好き。というかだから好き。『ダイナマイトどんどん』(1978)のコミカルなインテリヤクザのような役も似合っていた。43歳での死はあまりにも早すぎる。

B0011YNN44.jpg『ゴジラ対ヘドラ』(1971) 85分 日本

監督:坂野義光 製作:田中友幸 脚本:馬淵薫、坂野義光 撮影:真野田陽一 美術:井上泰幸 編集:黒岩義民 音楽:真鍋理一郎 特殊技術:中野昭慶
出演:山内明、木村俊恵、川瀬裕之、柴本俊夫、麻里圭子、吉田義夫、鈴木治夫、勝部義夫、岡部進、渡辺謙太郎

 スカパー!の日本映画専門チャンネルでゴジラ特集をやっており、それで観た。これで二度目だ。最初に観たのは公開時の劇場にて。オレが生まれて始めて映画館で観た映画だ。しかし、これっぽっちも憶えていない。そりゃそうだ、二歳児だったんだから。
 “「東宝チャンピオンまつり」の一作として、『帰ってきたウルトラマン』、アニメ『いなかっぺ大将』『みなしごハッチ 傷だらけのバレリーナ』『日本むかしばなし わらしべ長者』と共に上映された。”んだそうで、3つ上の姉がこのチャンピオンまつりを観たいと言うことで母親に連れられて行ったようだ。オレは途中で泣きだし、母親がロビーに連れ出してあやしたと聞いたことがある。
 で、今回観直して思ったのは、「そりゃ子供泣くわ」であった。

 オープニングは公害で汚れきった海から始まる。ゴミが大量に浮いていて、死んだ魚も混じっている。死体のようなマネキンも浮かんでいる。そこへ「水銀コバルトカドミウム?」と不気味な主題歌『かえせ!太陽を』が流れる。ここからすでに怖い。
 この頃のゴジラシリーズは完全に子供向けだったのだが、『ゴジラ対ヘドラ』は公害に対するメッセージ色が強く、“アングラ”というクラブではボディペインティング(実際にはボディースーツを着ての撮影だが)の女性が踊っており、主要人物の青年はダンサーも客も全員が魚の顔になった幻覚を見る。悪夢の世界だ。
 敵のヘドラは宇宙から落ちてきた小さな生命体が公害を吸収して成長したもの。地球上にいる生物は炭素系生物だが、ヘドラは鉱物で形成されたまさに異星生物。最初は水中で活動し、成長して陸上に上がり、ついには飛行形態へと変化する。空を飛びながら硫酸ミストをまき散らし、大量の死者を出し金属はボロボロに腐食する。ヘドラの犠牲になった人間は肉が溶けてしまい骸骨となって道に転がっている。怖い。
 終盤の、ゴジラとヘドラの対決はまさに死闘。これまでの怪獣プロレスとは一線を引く血みどろの戦いで、ゴジラもヘドラも片目を失いのたうち回りながらも争いを続ける。ヘドラの身体に手を突き刺して丸い物体を引きずり出すゴジラは『必殺仕事人』の念仏の鉄かの様。
 ヘドラの正体を解明した海洋学者もまだそれほど大きくなかった頃のヘドラにアクアラングで潜水中に襲われ右目を失っており、この作品の象徴であると同時に、第一作目の芹沢博士への記憶が呼び起こされる。

 テレビ画面がいくつも並ぶ画面分割や、ヘドラが暴れ回るアニメーションなど実験的映像も多く、かなり好き勝手に作っている印象だ。おそらく、当時の子供たちの人気は高くなかったのではないだろうか。だが、ヘドラを倒し人間たちを睨みつけてからいずこへと無く去っていくゴジラの姿は、あれから37年を経たオレを唸らせる物があった。

『GAME KING 高橋名人VS毛利名人激突!大決戦』(1986) 29分 日本

監督:神澤信一 製作:山本又一郎 プロデューサー:鈴木清 企画:工藤裕司、大里幸夫 構成:岩井田利治、渡辺浩弐 撮影:阪本善尚 美術:松原裕志 音楽:高橋洋一
出演:高橋利幸、毛利公信、志賀正治

 しばらく続いたゲームが原作である作品特集も今回で終わり。
『モータルコンバット』など取り上げなかった作品もいくつかある。『ポケットモンスター』や『デジモンアドベンチャー』などアニメも含めるとさらに数は増える。そちらは多少は観ているがちょっと守備範囲の外だ。

『GAME KING 高橋名人VS毛利名人激突!大決戦』は松竹系で公開されたアニメ『スーパーマリオブラザーズ』の同時上映だった短編映画。厳密にはゲームの映画化ではなく、当時人気のあった高橋・毛利両ゲーム名人がシューティングゲームで対決する様を描いた、ドキュメンタリー風映画である。
 1秒間16連射で有名だったハドソンの高橋名人に主なスポットが当たっており、修行のシーンまである。なんと、親指の連射でスイカを真っ二つだ。すげぇ!でもゲームにどう役に立つのかちと不明だ。

 後半は息詰まるゲーム対決。連射もすごいが、敵の攻撃をすり抜ける自機の操作もすごい。どんな反射神経だ。
 今後ともヴィデオゲームの歴史は続くだろうが、ゲーム対戦の様子を描いた作品はもう登場しないだろう。
 もしも作るとしたらシューティングゲームではなく『ヴァーチャファイター』などの格闘アクションゲームになるのではないだろうか。そこらのゲームセンターでも「あっありえないっ!」技を繰り出すプレイヤーがいるが、全国のトップレベルともなるとさぞやすごいことだろう。オレは観に行かんが。

 当時、いかにファミコンが社会現象として大きな存在だったかがうかがえる作品だ。
 そうか、高橋名人は高橋利幸というフルネームだったのか。オレはてっきり名人が下の名だと思っていた(嘘付け)。毛利名人は毛利公信と戦国武将のような名前で強そうだ。

B000CFWRI6.jpg『逆境ナイン』(2005) 115分 日本
監督:羽住英一郎 製作:平井文宏、阿部秀司 プロデューサー:門屋大輔、山際新平 プロデュース:奥田誠治、堀部徹 企画:亀井修、西垣慎一郎、重松修 、椎名保 原作:島本和彦 脚本:福田雄一 撮影:村埜茂樹 美術:北谷岳之 編集:松尾浩 音楽:佐藤直紀 VFXスーパーバイザー:貞原能文
出演:玉山鉄二、堀北真希、田中直樹、藤岡弘、、柴田将士、出口哲也、寺内優作、坂本真、青木崇高、土倉有貴、堺沢隆史、栩原楽人、炎尾燃(島本和彦?)

 マカロニ・ウエスタン風な音楽をバックに風を巻き起こしながら廊下を進む主人公。いきなり全力学園校長(藤岡弘、)から万年一回敗退の野球部廃部を言い渡される。廃部よりも部費を削る方にしてくださいといった主人公不屈闘志(玉山鉄二)は校長に殴り倒される。
「屈辱に満ちた部存続よりも、いっそのこと廃部の方が男らしいだろう」という校長に、不屈は一世一代の大ばくちを打つ。

「校長、オレたちと一緒に甲子園で戦いたいと思いませんか?!」
 男がもう引き返せない一歩を踏み出した瞬間だ。

 こうして不屈闘志をキャプテンとした野球部ナイン一同の逆境との戦いが始まる。

「逆境とは、思うようにならない境遇や不運な境遇のことをいう!!」
 そしてその逆境の中で、全力ナインは己を磨き戦い続けるのだ。

 島本和彦の原作は好きだ。大好きだ。
 だが、これを映画化するという話を聞いて、そりゃちょっと無理じゃないかと思った。
 大ゴマや見開きといった漫画的技法を存分に盛り込んだ原作を映像化できるのだろうか。あの熱さを島本イズムを映像化できるのか。
 観るまではかなり不安だった。
 だが、最初の数分でそのおそれは吹き飛んだ。

 面白れぇぇっ!

 原作は熱さ+ギャグであくまでも熱さがメインだったが、映画はギャグをメインにしている。やはりそうするしか映像化は難しかったのであろう。

 原作は愛蔵版ワイドコミックで全四巻のボリュームで、全力学園野球部が甲子園で優勝するまでを描く。
 一方、映画は地区大会を優勝し、甲子園出場を決めるまで。
 他にも、部員の内何人かが試合に出られないこととなり、代わりの部員を集めるところもカットされている。
 なにより、女子マネージャーは脇役でヒロインが別にいるところを、融合させてマネージャーがヒロインとなることでストーリー展開をスムーズにしている。
 原作は原作、映画は映画ときちんと割り切った良い脚本だ。

 やたらと熱いことを熱く語る島本イズムはマジである。本気なのだ。
 それは島本和彦が書いたコミックの中だから説得力があるのだが、映画にすると少々苦しい。
 かの伝説的名台詞「それはそれ これはこれ」もそのまま叫んだだけではギャグにしかならない。
 ならばいっそのことギャグとしてやろうじゃないか、バックに巨大な石碑をゴゴゴゴッと登場させようじゃないかと企画段階で決まったと考える。
 一々おおげさな描写、『少林サッカー』を思わせるCGの使い方。笑える。CGは要所要所に効果的に使っていて、記憶に残る割に使っている量は少なそうだ。そこら辺も上手い。
 「自業自得」と刻まれた巨大な石版が野球部部室裏に落ちてくるのだが、これがその場限りのギャグかと思いきや、ずっとそのまま存在し続けて、マネージャーがモップで磨いたりしている。なんやねん、それは。わはは。

 不屈闘志が線の細い二枚目になっているのが不安だったが、熱い、こいつは熱いぞ。不屈だ、不屈闘志だ。
 校長役の藤岡弘、は普段から熱い人だが、さらに熱い。でも、本当はサカキバラ監督役をやって欲しかった。
 残念だったのがサカキバラ・ゴウの田中直樹。田中直樹が悪いわけではないが、彼を演じきれるのはそれこそ藤岡弘、クラスの熱い役者じゃないと無理だ。

 ラストは122対0から不可能としか思えない逆転劇。嘘は大きければ大きいほど面白い。夜を越して朝までの長試合。そしてもちろん最後には勝つのだっ!
 122対0なんてマンガだろと思われがちだが、何年か前の甲子園予選で100何対0という試合があった。現実だって負けてない。いや、こちらは0のまま負けたようだが。

「男にはやらなければならない時がある」
「そして今がそのやらなければならない時だ」
「そして俺たちは男なんだ」
 の男の三つの条件が格好良い。

 影の主役が商店街や駄菓子屋に登場する野球少年。
 最初はサッカー少年たちにいじめられているが、駄菓子屋のテレビで三重県大会決勝戦をサッカー少年たちと見て、ついには友達になる。
 それにしても三重県の話だったのか。
 そういえば、愛知県の新聞に三重県の野球場で行われるロケのエキストラ募集について広告が出ていたらしい。
 映画を観る限りではあまり集まらなかったようだ。

 とにかくイカすバカ映画だ。オレも観るから君も観ろ。

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『機動警察パトレイバー THE MOVIE』 (1989) 98分 日本

監督:押井守 プロデューサー:鵜之沢伸、真木太郎、久保真 脚本:伊藤和典 美術監督:小倉宏昌 音楽:川井憲次
出演:古川登志夫、冨永みーな、大林隆介、榊原良子、井上瑶、池水通洋、二又一成、郷里大輔、千葉繁、阪脩

?オレはいつでも燃えている その25?
 中学時代に『うる星やつら』のファンだった。週刊サンデーは毎週買って、アニメも観ていた。当然、劇場版も観に行った。そして、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)で『うる星やつら』という要素ではなき「映画」として衝撃を受け、押井守という名前が頭に刻まれた。だが、実写一作目の『紅い眼鏡』(1987)で駄目だこりゃと忘れた。忘れるの早いな、おい。
 だから『機動警察パトレイバー THE MOVIE』は劇場で観てはいない。オレはすでに大学生で、しかも大学のシネマ研究会に所属していた。今の映画研究会ではどうなっているか知らないが、1980年代末はまだ「アニメなんか映画じゃない」という風潮があった。そのせいか、名古屋でも単館上映はされたようだが、他の部員から「観てきた」という話は聞かなかった。
 他の作品を目当てでレンタルビデオ屋に行ったが貸し出し中で、それじゃあまぁと消極的理由で借りてきた。でもって、これでもかぁってぐらいに燃えた。

 他のサイトなどで散々語られているだろうから細かいことは言わない。
 とにかく、細かく張り巡らされた伏線が一気に弾ける後半が良い。シゲさんの下宿先でHOSの暴走について調べているシーンで、低周波の共鳴、箱船、台風がガガガっと繋がるところは背筋がぞくぞくしてくる。
 箱船に乗り込んでからはうだうだとややこしいことを言わずに、アクションで物語を構成しているところも実に良い。なにしろ押井守という人はうだうだ言いたがりだし、それがまたつまらないのだ。個性ではあるんだろうが。
 下宿同士が近かった先輩が遊びに来たときに、「これ、めっちゃ面白いっすよ」と観せた。先輩はサム・ペキンパーなどが好みでアニメと聞いてあからさまに嫌な顔をされたが、そこを無理矢理観てもらった。
 感想は「うん、面白いね」だった。つまらない物を観させられたら正直につまらないと言う人なので、事実面白がってくれたのだろう。こういう時は妙に嬉しい。

『機動警察パトレイバー2 THE MOVIE』(1993)の時はすでに社会人。渋谷の映画館まで観に行った。
 すごく期待して劇場に入っていったのだが、出てくるときはがっくりと肩を落としていた。
「ナンデスカ、コレハ?」
 全編を通してうだうだうだうだ。意味不明と難解とは違う物だろうに。1作目では色々な制約があり、押井守が勝手気ままに王様として振る舞えなかったのだろう。その制約が娯楽性と作家性という時に相反する要素を融合させていたに違いない。おそらく押井守という人は好き勝手にやらせちゃ駄目な人なのだ。多分この人はテリー・ギリアムとタイプが似ているんじゃないかなとも思う。

 まぁなんだ、アニメは実写よりも位置が下だ、アニメだからけなすという姿勢は嫌いだが、アニメだから誉めるという姿勢も嫌い。
 HOSの暴走は悪意の存在の有無は別にしてどことなく2000年問題を思わせる。そう考えるとかなり先進的なストーリーだった。
 ところでHOSの正体はWindowsMeないしMacOS8だったって噂は本当か?そりゃ暴走もするわ。でもほとんど一人で開発した点や操作画面などを見るとむしろLinux?しかし、ビル・ゲイツなりスティーヴ・ジョブズなりが悪意に走って、OSそのものにウイルスなりスパイウェアを仕込んだなどと想像してみると、これは実に怖ろしい。事実、SONYは音楽CD(もどき)にスパイウェアを仕込んでるしな。もはやOSベンダーやソフトベンダーを安易に信用できない時代。うむ、怖ろしい。

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『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』 (2002) 95分 日本 2002/05/03鑑賞

監督:原恵一 演出:水島努 チーフプロデューサー:茂木仁史、太田賢司、生田英隆 プロデューサー:山川順一、和田泰、福吉健 原作:臼井儀人 脚本:原恵一 音楽:荒川敏行、浜口史郎 絵コンテ:原恵一、水島努
出演:矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、屋良有作、小林愛、羽佐間道夫

 傑作であるのは認める。しかし『クレヨンしんちゃん』として作る意味があるのだろうか。キャラクター設定はきっちり活かしてあるし、『クレヨンしんちゃん』という場を利用して自分の撮りたい物を撮ってしまうというスタイルは好きだ。だが、やはりこれはもはや『クレヨンしんちゃん』じゃないよなぁというのがまず最初の感想だ。
 『ブタのヒヅメ大作戦』や『温泉わくわく大決戦』で人は死なないがリアルな銃撃戦が繰り広げられる。この部分についてどうにも違和感をぬぐいきれなかった。両作とも面白いのは間違いないのだが、『アクション仮面VSハイグレ魔王』から始まる初期の作品群こそ“子供たちが大好きな『クレヨンしんちゃん』”の映画として優れているのではないか。その意味ではシリーズ最高傑作は4作目の『クレヨンしんちゃん ヘンダーランドの大冒険』だろう。
 9作目の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は傑作として大人からの評価が高いが、果たして子供にとってはどうだったのだろうか。ガキってのは大人が思っている以上に理解力があったりするので、意外とちゃんと理解して楽しんでいるのかもしれないが、同時にガキってのは時に大人が思っている以上に理解力がない。核の部分は分かってねぇだろうなぁ。
 10作目の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(それにしても長いタイトルだ)は『オトナ帝国の逆襲』以上に観客対象を大人へとシフトしている。戦国時代での本気の合戦。槍や鉄砲で人が殺されるシーンは巧みに画面外に押しやられているが、劇中で多くの侍や足軽が死んでいる。『影武者』(1980)や『天と地と』(1990)の合戦シーン以上の迫力に驚いた。
 野原家の自家用車が合戦場を走り回って敵軍を蹴散らすシーンは実にうれしい。ひろしの給料から考えるとカローラクラスだろうが、その大衆車が『戦国自衛隊』(1979)における戦車やヘリコプター以上に有効に使われている。
 だが、果たして『クレヨンしんちゃん』に数多くのリアルな「人の死」が必要なのだろうかと、どこかで違和感を感じていた。その違和感も含めて傑作ではあるわけだが。

 時を超える手段はいくつもある。有名なのはタイムマシンを使った方法だ。H・G・ウェルズが生み出したタイムマシンは映画化され『タイムマシン』(1959)や再映画化の『タイムマシン』(2002)、『タイム・アフター・タイム』(1979)などで何度か時間の旅を行った。
 日本で一番有名なのはやはり『ドラえもん』のタイムマシンだろう。学習机の引き出しが入り口になっているそのタイムマシンは過去や未来へと旅していくつもの物語を生み出した。
 他には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのデロリアン(自動車)型タイムマシン、『ビルとテッドの大冒険』シリーズの電話ボックス型タイムマシン、『オースティン・パワーズ』シリーズの壁で渦巻きがグルグルしている渦巻き型タイムマシン(これは1960年代のTVシリーズ『タイムトンネル』のパロディだろう)、『ターミネーター』シリーズでのマシン自体は画面に登場しないが生身の物体だけを時空転送する転送型タイムマシンなどが有名だ。
 機械を使わない方法では時空転移の超能力を持つ人物が登場する作品や、薬品によって時間跳躍能力を得る『時をかける少女』、頭を殴られた事故で過去に跳ぶマーク・トウェインの『アーサー王宮廷のヤンキー』などがある。
 そして超能力など持たない普通の人間が意志の力だけで時を超える作品もある。クリストファー・リーヴ主演の『ある日どこかで』(1980)がそうだ。主人公は古くからあるホテルの展示室で肖像画に描かれた女性に恋をする。その肖像画が描かれたのはおよそ70年前だった。
 会いたいけれども会うことは出来ない。その女性への想いは強まるばかりで、ついにその想いが主人公に時を跳ばせ70年前の世界に送り込む。
 強い想いは時間の旅すら可能にする。悲しい映画だが美しくなかなかの佳作だ。

 『戦国大合戦』でしんのすけを始めとする野原一家が天正2年(1574年)へと送り込むのも「強い想い」である。
 夢に見た綺麗なお姫様に会いたいというしんのすけの想い、過去に行ってしまったしんのすけを連れ返しに行きたいという両親の想い、そしてなにより春日の国のお姫様の強く美しくそして悲しくつらい恋への想い。
 時を超えるシーンでは異次元をくぐる抜ける描写やだんだんと身体が透けて消えていくなどの演出、現れる前に稲妻や炎が生じるなどの描写はない。ただカットが変わると消えていて違う時代の同じ場所、現代の野原家であり天正2年の美しい池の畔に現れる。あえてシンプルに描いたその理由は、映画のラストで野原一家を乗せた車が現代に帰って行くシーンではっきりする。カメラが切り返すと草原の上に車はなく、お姫様である廉の後ろ姿だけが画面に映っている。しんのすけは「帰ってもおらたちはここにいるよ」と言ったが、それでもやはり想い人を失った廉はもはや一人きりなのだ。

 本来は死ぬはずだった青空侍こと井尻又兵衛は時を超えてきたしんのすけによって命を救われる。だが運命は変えることは出来なかった。又兵衛の死は先送りにされただけで避け得ぬものだったのだ。しんのすけによって与えられた猶予期間によって又兵衛は自分にとって大切な国、大切な人々、そして大切な女性を守った。そのことをしんのすけに語って又兵衛は心安らかに死んでいく。
 だが、死んでいく人間はそれで良いだろうが、生きて残された相手はたまったもんじゃない。その相手とは春日城主の娘である廉だ。又兵衛とは幼なじみで、互いに恋心を抱きながらも、「身分が違うから」と又兵衛がある意味で逃げていたために言葉で確認しあったことはない。
 又兵衛は死んだがその想いは残る。その想いを廉は逃げずに背負うことを選ぶ。
「一生誰のもとへも嫁がぬ」という廉のセリフは美しいが、オレはどこかで又兵衛に腹が立ってしまう。死んだことに腹が立つのではない、それはしょうがない。だが、想いだけを残してその想いによって廉の心と人生を縛ってしまったことに腹が立つ。
 もちろん、『めぞん一刻』でもう誰も愛することがないと思い込んでいた響子さんが延々と色々あった後に五代君の愛を受け入れた様に、廉もいずれはまた誰かを愛するかもしれない。だが響子さんは惣一郎さんと互いに愛し合い、短い間とはいえ結婚生活も送った。言葉で確かめ合ったことも二人だけの生活もなかった分だけ響子さんよりも廉の心にかけられた枷の方が強いのではないだろうか。
 だがそんな考えも青空に浮かんだ小さな雲を見上げながら廉が呟く
「おい、青空侍」
 というセリフとラストカットで「もうどうでもいいや。とりあえず泣こ」と吹き飛んでしまう。

 ちなみに一番好きなシーンは殿様や家老がカレーを食っているシーンだ。このあとに戦が春日に襲いかかることを予感させる、いわゆる嵐の前の静けさが描かれた名シーンだ。

『がんばれ!!タブチくん!!』(1979) 95分 日本 以前スカパー!で放送されたのを録画で2005/06/19鑑賞

監督:芝山努 製作:藤岡豊、山本又一朗 製作補:片山哲生 原作:いしいひさいち 脚本:辻真先、城山昇、出崎統、金春智子 撮影:高橋宏固 音楽:乾裕樹
出演:西田敏行、二木てるみ、肝付兼太、内海賢二、青野武、羽佐間道夫、富山敬

 子供の頃に大ヒットした映画だ。劇場では観なかったがテレビ放映で観て、当時からプロ野球に興味がなく選手の名前などもほとんど分からなかったが、それでも面白かった。原作は今や朝日新聞朝刊の4コマを手がけるようになった“いしいひさいち”の出世作の『がんばれ!!タブチくん』。原作はタブチがタイガースにいた頃のイメージだが、劇場版はトレードでライオンズに移籍した後になるので当然タブチは青と白のユニフォームを着ている。
 1979年から1980年の2年間に続編の『激闘ペナントレース』『ああツッパリ人生』を含む三本が立て続けに公開された。ヒットしたから続編を作ったというよりおそらくは最初から三部作構成として制作されたのだろう。
 さほど制作費がかかっていなそうな作画・動画ではあるが、スタッフの面子は豪華。監督は『ドラえもん』などの芝山努。そして4コマ漫画とオリジナルのアイディアを上手く繋げ合わせて、いくつかのパートには分かれているが一本のストーリーに仕上げた脚本陣はミステリ作家でもある辻真先、『あしたのジョー』などの演出で知られる出崎統など錚々たる顔ぶれ。金春智子と言う人も見たことがある名前だ。
 原作にしろアニメにしろ、タブチはタブタだの西武デパートのアドバルーンだの「タブラン」(タブチのランニングホームラン)=不可能を表す単語として国語辞典に載ってしまうなど徹底してひどい扱いをされている。田淵選手はこの作品に対してクレームは付けなかったのだろうか?洒落が分かる人だったのか?
 若い人には王、長嶋はともかく熱心なプロ野球ファンでなければ登場人物には知らない名前も多いだろう。だが、実際のモデルに頼り切ることなく映画の登場人物としてキャラクターを完成させているので充分に楽しめるはずだ。
 誘惑に弱くうぬぼれ屋でそれでいてすぐに落ち込むタブチと、しっかりもので愛嬌もあり意外と毒舌でいて実はタブチのことを誰よりも思っているミヨ子夫人とのやり取りが面白い。ミヨ子さんみたいな奥さんを持てたらいいなぁ。

 タブチがミヨ子に説教しようとして
タブチ「ちょっとそこ座りなさい」
ミヨ子「さっきから座ってるじゃないの」
の繰り返しギャクがシリーズを通して何度も使われている。人によっては「しつこい、くどい」とケチをつけるだろうが、わたしにとっては大好きなギャグだ。
 そもそも繰り返しのギャグというのは最低でも三度はやらないとダメだ。一度目は普通のギャグ、二度目で「あれ、繰り返しのギャグかな?」と観客に感じさせ、そして三度目で繰り返しは偶然ではなく意図したギャグであることが判明する。そして、ギャグとは笑わせるだけではなく観客のエモーションに動きをもたらすものなので、「なんだこりゃ、くどいな」とシラケるというエモーションを引き出したことはこれぞギャグの勝利の一つなのである。

 『がんばれ!!タブチくん!!』で生み出されたタブチや広岡などのキャラクターはいしいひさいちが現在発表している『ののちゃん』などの作品で先生や作家などになって登場し続けている。スポーツ4コマを描いている漫画家の中には実在の選手の存在感や知名度を利用しているだけの人もいるが、そういった凡庸な漫画家と天才いしいひさいちの差なのだろう。

『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』(1998) 99分 日本

監督:原恵一 演出:水島努 プロデューサー:茂木仁史、太田賢司、堀内孝 原作:臼井儀人 脚本:原恵一 撮影監督:梅田俊之 特殊効果:土井通明 美術監督:川井憲、古賀徹 音楽:荒川敏行、宮崎慎二

出演:矢島晶子、三石琴乃、玄田哲章、石田太郎、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、塩沢兼人、山寺宏一

 面白いと思うし、ラストのぶりぶりざえもんとの別れのシーンではつい泣いてしまったほどだ。ほかの人たちが喜ぶ中、後ろに立つしんのすけの頬をつつーと一筋流れる涙が良い。
だがしかし、『クレヨンしんちゃん』で本格的な銃撃戦をやる必要があるのだろうか。確かにそれで傷ついたりましてや死ぬ人は登場しないが、FA-MASやMP5など銃器の描写が妙にリアルで少々浮いているように感じてならない。
 野原一家としんのすけの友達たちの活躍はいつものことだが、今回は秘密組織のエージェントであるコードネーム『お色気』と『筋肉』の二人が加わる。何かにつけて口ケンカばかりしている二人だが、実は意外な(でもないか)関係だ。この部分は子供よりもむしろ付き添いの親にウケたのではないだろうか。
お色気のセリフ
 「あんた子供産んだことある?・・・わたしが勝つ!」
は凛々しく格好いい。
お色気が命がけで子供たちを守るのも、筋肉がしんのすけを心配する両親を駄目だ連れて行けないと断りながら結局は同行させるのは二人とも親だから。親ってすごいなと未だに子供の立場だけのわたしは思うんである。

 東京湾の屋形船から香港、中国(?)の山岳部とアジアを股にかけての大冒険だが、香港のシーンは少なくあまり意味を持っていないのが残念。
その分、敵の基地での大暴れが派手だしギャグがあって笑える。規模としてはほとんど『007』だ、アニメだけど。
原作は何度か読んだことがあるが、それほど面白い作品ではなかった。臼井儀人は優れたアニメ化で得してるな。

『ガス人間第一号』(1960) 91分 2004/11/17鑑賞

監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 脚本:木村武 撮影:小泉一 美術:清水喜代志 編集:平一二 音楽:宮内国郎 特技・撮影:有川貞昌 特技・美術:渡辺明 特技監督: 円谷英二
出演:土屋嘉男、三橋達也、八千草薫、左卜全、佐多契子、野村浩三、伊藤久哉

『透明人間』『美女と液体人間』とならぶ東宝特撮○○人間物の一本。
ようやくDVDレンタルになったので初めて見ることが出来た。10数年前に『透明人間』は観ていたので、残るは『美女と液体人間』だが、こいつは原爆実験が絡んでいるのでソフト化は難しいかも知れない。『ウルトラセブン』の第12話『遊星より愛をこめて』みたいなものか。
人体実験の犠牲になり感情を操作することでガス状に変身できるようになったガス人間。そのガス人間が思いを寄せる日舞の家元と謎の銀行強盗などによって物語は進むが、ドラマの中心はSFというよりむしろ悲恋である。報われぬ愛はついに死をもって終わる。
ガス人間を追う三橋達也ら刑事たちが、何かというとすぐにピストルを抜いて乱射する。『天才バカボン』のおまわりさんじゃないっての。
ガス人間の特撮も1960年という時代を考えると素晴らしいが、それよりも家元を演ずる八千草薫の人を寄せ付けぬような美しさが勝っている。その下男で女主人に最後まで忠実なじいやを演じた左卜全も味がある。
この頃の東宝映画はどの作品の銃声や爆発音も同じような音だが、あれは同じ音素材を使い回していたのだろうか。

『コータローまかりとおる!』(1984)

監督:鈴木則文 プロデューサー:豊島泉/厨子稔雄/佐藤公彦 企画:佐藤雅夫/千葉真一 原作:蛭田達也 脚本:志村正浩/鈴木則文 撮影:北坂清 美術:佐野義和
出演:黒崎輝/千原麻里/大葉健二/真田広之/志穂美悦子/伊原剛/山口良一/山城新伍/千葉真一

1985年当時、ジャパン・アクション・クラブがジャニーズばりにアイドルとして大人気だったと言っても、若い人にはちょっと想像がつかないかもしれない。
真田広之の存在が大きかったと思うが、ついには「JACのJACによるJACの映画を作ります(千葉真一)」と東映でJACムービーが製作されることとなった。JACの面々が主題歌を歌い、歌番組にも出演していたのだから大した物だ。
第一弾の『伊賀のカバ丸』に続き同じく黒崎輝主演の第二弾が『コータローまかりとおる!』だ。ちなみに『週刊少年マガジン』で1982年から連載されていた『コータローまかりとおる!』だが、2004年7月現在『少年マガジンSPECIAL』にて『コータローまかりとおる!L』が連載中だ。じつに22年、未だにコータローたちは高校生のままである。
監督の鈴木則文は『トラック野郎』シリーズで有名だが、『ドカベン』などの漫画原作モノも得意としている。中でもこの『コータローまかりとおる!』と『ザ・サムライ』(1986)は白眉の出来だ。異論は多いだろうが。

スケベで欲望に忠実、それでいて惚れてる女には弱い野生児コータロー役の黒崎輝は適役。『瀬戸内少年野球団 青春編』(1987)などに出ていたが、その後消息不明。元気にしているのだろうか。
真田広之は日舞の名取でもある風紀委員。真田広之がチントンシャンと踊っているところは、『ラスト・サムライ』などで「真田さま?」とか言っている女性の方々にも見てもらいたい。もっとも、真田広之は実際に日舞の名取なんだそうで。破壊力ということなら『伊賀のカバ丸』での白塗り長髪な沈寝役の方が強いか。実は悪役のこのキャラクターは映画オリジナルだったのだが、原作にも登場してそのままシリーズ最大の悪役になってしまった。原作者蛭田達也氏はなかなかちゃっかりしているようだ。
そしてコータローのライバル、風紀委員特別機動隊隊長天光寺役が大葉健二。常に和服で日本刀を腰に携え、頭はツルツルに剃り上げている。その頭をコータローに「一つ人よりハゲがある?」とからかわれて、怒りのあまり叫んだのが「ハゲじゃない、この頭は剃っているだけだ」の名セリフ。『キル・ビルVolume.1』でも使われていた。コンサート会場での乱闘騒ぎで感電してしまい、電気スタンドのコンセントを鼻に差し込むと光らせることが出来る得意体質に。原作であったこのギャグをまさか実写の映画で見られるとは思わなかった。さすが、鈴木則文。大葉健二も長いこと見ませんでしたが、『キル・ビル』で元気そうなのを確認。

どいつもこいつも高校生には見えません。特にコータローを百人組み手の名でリンチにかける柔術部の主将は、どうみたって30歳越えてるおっさんです。
出演者のほとんどがJACだけにさすがアクションは豊富ですが、個人的にはナンセンスバカコメディに分類します。変にお利口さんぶって始めから馬鹿にしてみるようなことをしなければ、爆笑できる傑作だと思うんですがねぇ。

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』
 監督:金子修介  脚本:長谷川圭一/横谷昌宏/金子修介 出演:新山千春/宇崎竜童/小林正寛/佐野史郎/仁科貴/南果歩/大和田伸也/村井国夫/渡辺裕之

かなり長いタイトルだが、正確にはバラゴンも加えた『ゴジラ モスラ キングギドラ バラゴン 大怪獣総攻撃』になるのだろう。本当は監督の金子はバラゴンも加えたかったそうなのだが、プロデューサーか誰かの反対にあったそうだ。
今回のゴジラはまた悪役に戻るとのことである。
監督は平成ガメラシリーズを手がけた金子修二。ガメラも面白かったし、そもそもちゃんと映画を撮れる人だから期待していた。
しかし、スタッフのガメラと比べて予算は倍だが期間は半分という言葉を聞いて不安も感じていた。
映画ってのはとかく時間がかかるもの。特に特撮を多用した作品となるとなおのことだ。
で、実際に映画を観てどう感じたかというと、「う?ん、本がつまらないからなぁ」である。
まず、ゴジラには太平洋戦争で亡くなった多くの人の残留思念がとりついているそうだ。
だからゴジラにはミサイルも爆弾も効かないとのこと。
なんじゃ、そりゃ?。
で、日本を襲うゴジラを、ヤマトの守護神である三大聖獣が蘇る。それがバラゴン・モスラ・キングギドラである。
ところがこの聖獣たち、けっこう危ないやつらで、バラゴンは暴走族をトンネルごと潰して生き埋めにしてしまうし、モスラは湖の湖畔で悪さをしている若者達を繭にして殺してしまう。一緒にいた犬は無事というのが映画的良心。
悪い若者達を殺していくというのはなんというか、13日の金曜日のジェイソンのようですな。
で、バラゴン、モスラ、キングギドラそして防衛軍によるゴジラ討伐がはじまる。
しかし、今度のゴジラは強い。はっきりいって強すぎる。一方的な戦いで盛り上がらない。
ガメラとレギオンみたいにある程度両方の力が拮抗していないと面白くないですな。
ま、ゴジラの圧倒的な強さというのは今回金子が描きたかったことなんでしょうけどね。
その割りに、ゴジラの死に方は間抜けなんだよなぁ。
今回のヒロインはBSの中小番組プロダクションなのだが、このお姉ちゃん箱根から横浜まで自転車でゴジラを追う。
追いつけんつーの。
しかも、その間、デジタルビデオをパソコン経由で携帯電話につなぎ生中継を配信するのだ。
どんな高速回線の携帯電話やねん。
あと、意味のない特別出演。蛍雪次郎や渡辺裕之、松尾貴志はガメラシリーズからの続きとして、
ゴジラの尻尾で叩き潰される篠原ともえやチューヤン。軍人役の角田信朗。
誰がどこに出てくるか、こりゃウォーリーを探せですな。
最高に意味がなかったのは前田愛と前田亜季姉妹。
二人並んで空を飛んでいくモスラを神秘的な雰囲気で見ているものだから、これは小美人の役なのかと思いましたが、そのまま出てきませんでした。
宇崎竜童は陸軍だと思っていたら戦艦に乗って指示を始め、最後には潜水艦に乗ってゴジラに向かっていくし、いったい陸軍なのか海軍なのか。そもそも防衛軍の組織構成はどうなっているのか?
やはり、ガメラと比べて圧倒的に脚本が弱い。伊藤和典が抜けたのは痛かったな。

『五条霊戦記』

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『五条霊戦記』 監督:石井聰亙  脚本:石井聰亙/中島吾郎  出演:隆大介/浅野忠信/
永瀬正敏/岸部一徳/國村隼/勅使河原三郎/船木誠勝

平安末期の義経と弁慶の闘いを描いているんだけど、基本設定を持ってきているだけで、話的にはまるで別物。オリジナルストーリーだな。
本来の話ならば、五条橋で武士を襲っては刀を奪っていた弁慶を遮那王(源義経の幼名)が退治するってことになっていたけど、映画ではその逆で、平家武士を夜毎斬る“鬼”遮那王を、不動明王の啓示を受けたもう一人の“鬼”弁慶が斬りにくるといった話になっている。

殺陣は全体的に暗い画面で、アップの上にカメラが動き回る。しかも、カット数がやたらと細かくて多いものだから、迫力はあるものの、はっきりいって何をやってるんだか分からん。
ラストの遮那王と弁慶の殺陣でようやく面白い殺陣になった。
刀がぶつかる度にガッチンガッチンと火花が飛び散る。
かっこいいぞ。

パンクラス代表の格闘家船木誠勝がなかなか良かった。
台詞回しもわりと上手かったし、迫力もあった。ただ、格闘シーンはほとんどない。

山の民や森の妖気のあたりには『もののけ姫』の雰囲気があった。というか、絶対参考にしてると思う。
美術や衣装などもかなり力が入ってる。

とまぁ面白いことは面白いんだけど・・・
浅野忠信や永瀬正敏の起用を見ても分かると思うけど、かなり女性層を意識している。
役者陣が無精ひげを生やしていたり薄汚れていたりとかなり男臭いけど、結局は女性でも受け入れられる男臭さだ。というよりも、女性をターゲットにした男臭さだと思う。
男の色気っていうのかな。
極論を言えば遮那王と弁慶の精神的ホモ映画なんだよね。 そのうちコミケで『五条霊戦記』ヤオイ本が出てても不思議じゃない。メインに考えてる客層は女性と海外なんじゃないかな。
海外では結構受けると思うよ。
まぁ、それはそれでいいと思うんだが・・・
そこら辺が受け入れられるかどうかだね。わたしはダメだったが。
さらにラストのオチにはズルッと引っくり返ってしまった。
石井聰亙監督の新作ということと、予告で期待していた分、ちょっとがっかり。

『クロスファイア』

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『クロスファイア』 監督:金子修介 原作:宮部みゆき 脚本:山田耕大/横谷昌宏/金子修介 出演:矢田亜希子/伊藤英明/原田龍二/長澤まさみ/吉沢悠/徳山秀典/永島敏行/桃井かおり

 原作は出版時に読んでいたのでストーリーについて行けたが、映画で初めてという人には、ちょいとつらかっただろう。 淳子が少年グループを”パイロキネシス”(発火能力)で焼き殺そうと決意するまでが唐突過ぎて、「何で?」と思うのではなかろうか。 逆に、後半で出てくるガーディアンズといった連中がよく分からないまま、結末を迎えてしまっう。
 原作が上下巻とかなりのボリュームであるのに、それを大きく変えないまま2時間に収めたのだから、無理もあろうというものだ。
 結局はかなり原作とは違う部分もあるのだから、いっそのことガーディアンのパートは削ってしまって、淳子が少年グループと戦うに絞った話に変えてしまったほうがすっきりしたのではないか。
 淳子の正体を感づいている若い刑事も不必要に思えるが、彼がいないと、観客に対して“パイロキネシス”を説明してくれる人がいなくなってしまうか。
 桃井かおりのオバさん刑事はよかった。

 いつのまにか定着してしまったVFXという言葉。
 技術そのものが見せ場なSFXに対し、技術を使っていると観客に悟らせるべきではないのがVFXと考えています。 『平成ガメラ』シリーズを撮っただけあって、金子修介のVFXの使い方はかなり手馴れている。
 淳子と多田がキスをした瞬間、熱気がドーム上に二人を包み込み振りゆく雪が蒸発するシーンなど、背筋がゾッとする美しいシーンであった。
 この映画、さかのぼれば、東宝の『ガス人間第一号』や『透明人間』あたりになるのであろう。
 小説自体は、スティーヴン・キングの『ファイヤー・スターター』へのオマージュであったが。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(2003)  監督:水島努 脚本:水島努/原恵一 出演:矢島晶子/ならはしみき/ 藤原啓治/こおろぎさとみ/林玉緒/真柴摩利/一龍斎貞友/佐藤智恵/石丸博也/華原朋美

 たしかに良い作品だし滅多に泣かないこのわたしが思わず泣いたのだが、しかし同時に「これはすでにクレヨンしんちゃんじゃないっ!」と叫んだ『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』(2002)。
 だって本気でマジなんだもん。おふざけの主人公が真剣の悪役(の割にバカなのだが)に勝つというクレヨンしんちゃんの図式から思いっきり逸脱して、これじゃ普通の映画だ。いや、良い映画なんだけどね。
 で、次作の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(2003)はその反動もあってか、どちらかというと原点回帰した作品になっている。
 バラバラになりそれぞれひたすら走り続ける野原一家の姿は感動的である。思えば、正月の駅伝、オリンピックのマラソンなどでわたしたちは走り続ける人の姿を目にするが、彼らはつまるところ学校の名誉であったり国のためという看板を背負って走っている。マラソンの起源であるマラトンからアテネまで走り通した名も無きギリシャの兵士は戦いの勝利を伝えるためだった。太宰治の『走れメロス』のメロスは友人の命をかけて走っている。それに対して野原一家の走る理由が「晩ご飯の美味いヤキニクを食べるため」という実にバカなものであることの美しさ純粋さ。
 そもそも走るという行為は実に映画に合う。机の前に座って悩んでいる人を撮っても絵にはならないが走っている人はそれだけで絵になる。その走るという行為をメインに持ってきただけでこの作品はすでにある程度成功している。

 細かい点を言うと不満がないわけではない。
 マスコミなどを通じて無実の野原一家が天下の極悪人として報じられ、世間の人々から憎まれ追われ密告されるようになっていく様は、なかなかに恐ろしいシーンである。しかし、アクション仮面がテレビで「野原一家を捕まえよう」と呼びかけるのはどうだろうか?アクション仮面としんのすけといえば『嵐を呼ぶジャングル』(2000)などでともに戦った仲間ではないか。せめて、カメラに写らない部分で回りを銃を持った悪人たちに囲まれているアクションの絵が欲しかったところだ。
 デパートの屋上でカメラ小僧相手に媚びを売るゲスト出演の華原朋美は、そもそも彼女にこれっぱかしの興味も持っていなかったわたしにすら哀れである。華原朋美が自虐的なギャグとして理解していればまだ救われるが、わかってるんだろうか?ま、どうでもいいか。
 悪人が何人か出てくるが、あまりぱっとしないのもつらい。やはり悪役が魅力的でないと。

 ともあれ、走れ。そしてヤキニクを食え、腹一杯。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001) 監督:原恵一 演出:水島努 脚本:原恵一 声の出演:矢島晶子/ならはしみき/藤原啓治/こおろぎさとみ/真柴摩利/林玉緒/一龍斎貞友/佐藤智恵/納谷六朗/高田由美/富沢美智恵/三石琴乃/小林愛/津嘉山正種/関根勤/小堺一機

これまでの作品があくまでも客層の中心が子供でしたが、今回のはかなり大人向けになっている。

春日部市で大阪万博などを集めた20世紀博というのが開催され、しんのすけの両親や他の大人たちは自分の子供時代に夢中になってしまう。そして懐かしさの匂いに誘われて子供にかえってしまい、自分たちの子供であるしんのすけやひまわりのことを忘れていく。正直言って、ここのシーンは怖かった。乱作されている和製ホラーより怖かったくらい。
敵の親玉は『ケンちゃん・チャコちゃん』(子供のは分からんわな?)
ヴァーチャルな過去の空間を作っていて(昭和40年代?)そこには人々が暮らしている。
懐かしさの匂いをタワーからばら撒き世の中を20世紀に戻そうとたくらんでいる。そして大騒動が始まるのだが・・・

結局、しんのすけの妨害で計画に失敗したケン・チャッコは匂いのしない未来を生きるよりかはいっそのこと死を選ぼうとタワーから飛び降りようとする。そこでしんのすけの「ずるいよ」の一言。そして飛ぶ鳩。
くわっ、いいシーンだ。
さらにその「ずるいよ」はちゃんとギャグとして処理されてしまっていいぞ。
鳩が飛び立ったのはその下にあった巣を守るため。巣には母鳩と子鳩という家族がいる。ひょっとしたらチャコのお腹には二人の子供がいるのではと感じたのだがさてどうだろう。チャコが内心でケンと家庭を持ちたいと思っていたのは間違いないのだが。

匂いが重要な過去につながるキーワードになっている。
確かに、匂い=嗅覚は記憶とダイレクトに結びついていて、それを思い出させる。
マルセル・プルーストの大作「うしなわれた時を求めて」は主人公がマドレーヌの香りによって過去を思い出すところから始まり、そして延々全13巻続く。

しんのすけたちが幼稚園の送迎バスをケンの愛車2000GTにぶつけフロントバンパーを壊してしまう。
それに対するケンの台詞が「あいつらは俺の魂を踏みにじりやがった」良いセリフだ。
車はその他にもスバル360の団体やオート三輪などなど。

不況・不景気は続き、倒産する企業やリストラされるサラリーマンは数多い。オウム真理教などのカルト集団が事件を起こしたり、キレた中高生がナイフで人を刺したりする。
そんな時代から目を背け、かといって未来にも希望を持てない。そんな大人たちが、自分たちにとって一番素晴らしかった時代を再び再現してそこに逃げ込む。
その時代は崩壊することがわかっているバブル経済の時代ではなく、町にはまだ人情があり、そして冒頭の大阪万博に象徴されるように未来への夢と希望があふれていた、そんな昭和40年代だった。
過去の思い出に閉じこもって逃避する。それはそれで一つの生き方だろう。
しかし、子供たちはそうはいかない。その時代は、子供たちにとって生まれる以前の単なる過去にしかすぎない。
子供たちは、まだ未来に失望してなどいない。自分たちの今、そして大人になっていく未来を否定されることを拒否する。そしてその未来を奪われることに抵抗(レジスタンス)するのだ。
そして子供たちの戦いが始まる。
戦いの中、過去に逃げていた大人は現在の自分と直面し、青春時代・青年時代・大人時代を思い出し、自分の過ごしてきた時間は無駄ではなかったとそれを受け入れ、そして再び大人に戻る。そのための現在を象徴する匂いが臭い靴という素晴らしさ。
もう逃げ込む過去はない。子供も大人も一緒になって、今をそしてこれからを生きていくのだ。

 そしてこの夏ジブリは二本立て、な訳だが「思ってませんよ、一本立てでいいから安くしろなんて」

 『猫の恩返し』を観ると無料で『ギブリーズEpisode2』が付いてくる訳だが、これがなんつーか徹頭徹尾つまらない。
 まずキャラクターのデザインがテキトーだ。あれが味のある絵とか言うヤツはわたしが許さんぞ。唯一カレー屋のオヤジはよかったが、なんのことはないこのオヤジだけいしいひさいちによるものだった。でデザインだけじゃなくて人間的にもこれまたテキトーなんだ。そこらへんにいくらでもいそうなヤツ。そいつらが飯食いに行ったり、電車で隣に座った美人が寝て肩により掛かってきて動けなくなり終点まで行ってしまうとか、小学校の頃の初恋を思い出すとかいった具合で話もこれまたテキトーなんだ。
 普通の人が普通に生活しているその一コマを描き出してみました、とか言うのかもしれないが、んなもんこちとら普通の人間でいっ!普通の生活なんか自分ので見飽きてるわいっ!なにが悲しゅーて金払って大スクリーンでこんなものを見せられねばいかんのよっ!

 日常をやりたいのは勝手だ。だが、日常=何も起こらない、ではない。日常には様々なドラマが詰まっているはずだ。それを描けよそれをっ!
  『ジブリーズ』にはテーマもないストーリーもない笑いもない感動もない動きがない、なにより志しがないっ。ないったらないっ!志とは「こんな話を語りてぇ」、「こんなキャラクターを出してぇ」、「こんな絵を撮りてぇ」、ひいては「こんな映画を作りてぇ」ということである。お金がなくても技術がなくても時間がなくても何とかなる。しかし志しがなければ何も出来ない。
 まったく、ジブリの人間が、仕事の空き時間を利用して趣味で作った作品じゃないだろな?内容は学生の実験映画レベルだぞ、これ。

「ええ、思ってませんよ。『ギブリーズ』付ける代わりに安くしろなんて。だって思ったのは『ジブリーズ』付けるんなら金返せ、ですから」

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