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卒業旅行 ニホンから来ました
シンガポール・スリング
眠らない街 新宿鮫
高校教師
教祖誕生
天使
極楽特急
黒い罠
生活の設計
ロイドの要心無用 他サイレントコメディ計7本

計106本

社会人一年目だというのに相変わらず映画漬け。

 もともとは映画についての評論・感想が書けなくなって、それでは一度自分と映画との関わりについて見つめ直してみようと始まった「映画バカ青春記」。それもいよいよ終わりである。

 中学から高校卒業までの青春時代について書くのは良いが、いわゆる自分語りになって恥ずかしいんじゃないだろうか。しばし悩んだ。
 そこで東海林さだおの『ショージ君の青春記』、中島らもの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』、そしてスタパ齋藤と船田戦闘機の『100台のコンピュータ』の3冊の本を読んだ。どれも青春時代の出来事を章立てで語っていくエッセイだ。

 読み終えて、うん青春の頃について書くのは、ちゃんと読み物として面白い物に出来れば恥ずかしくない。自分に対して客観的視点があれば自分語りにはならない、と思ってえいやっと書き始めた。
 最初の予定では全30章、1ヶ月から1ヶ月半を予定していたのだが、まさか130章近くにまでなるとは思わなかった。

 オレは映画が好きだった。今でも好きだが、学生当時の情熱を持つことは、もはや難しいことだろう。若いときの特権的勢いや人目を気にせず突っ走るだけの力はもうない。
 遊びも色々あったし、ファッションや車、スポーツに色恋の恋愛沙汰。そのどれをやっているよりも映画を観たり、映画について話したり、映画について書いたり、そして映画を撮っている方が楽しかった。
 生まれは違うが育ちは名古屋、正確には愛知県半田市で、全国レベルで考えれば映画を観るという点ではそれなりに恵まれていた。半田市には東宝、東映の洋画邦画系と合計4つの映画館があったし、年があがって名古屋まで出て行くようになると、さらに多くの映画館があり、半田では観ることの出来なかったより幅広い映画を観ることが出来た。
 大学卒業後、オレは上京し、映画館の多かった名古屋よりもさらに多い映画館とかろうじて残っていた名画座などに心躍らせ、ひたすらに通いまくって社会人としての道を踏み外したりもするのだが、それは青春期以降の、あえていうならば「映画バカ青年期」で語られること。語る機会はないと思うが。
 そして今のオレは、名古屋よりもさらに田舎、かなり田舎な土地に住んでいる。
 ADSLがやっとで、光ファイバーがこの自治体に通るのは何時の日か?市町村でいうところの町と区分される場所に住んでいるが、この町にはまだ光ファイバーは施工されていない。
 映画館は、隣の市までいけば8スクリーンのシネマコンプレックスがあるが、そこではメジャー系の映画が観られるだけ。映画館に行く金をレンタルビデオやスカパーに使った方が多種の作品を観ることが出来る。東京に行って名古屋を見下したが、ここにやって来て名古屋も捨てたもんじゃなかったなと考えを改めている。
 その名古屋、名古屋駅前もかなり再開発が進んで、オレが通った映画館はもはや名鉄東宝ぐらいしか残っていない。

 もしもオレが名古屋で育たなかったとしたら。今住んでいるような田舎で育ったとしたら、オレはあれほど映画好きになったろうか?
 おそらくはならなかったに違いない。
 映画を数多く観られる環境があったからこそオレの人格はより映画へとシフトしていったのだ。
 映画が一番、映画があればそれで十分。名城大学のシネマ研究会にはもう年代的に少なくなってはいたが、そんなヤツらがまだ残っていた。
 11月3日を含めた連休は当時の名城でも大学祭が開催され、期間中はずっと泊まり込みをし、最終日の翌日に全てを後片付けしてようやくと家へと帰れた。
 5日間も学校に泊まり込んだのだからしばらく大人しくしていればよさそうなものだが、その翌日はさっそく部室へ。
 別に反省会をしようというのではない。それは次の部会でやる予定。ただ、なんとなくいつものように足が向いたのだ。
 何人かの部員がいて、あれこれくっちゃべっているところへ1年先輩のN山さんがやってきた。これがどうも様子がおかしい。いつもふざけた言動の人なのだが、妙に静かだ。と思ったら、部屋の隅で泣き始めた。
 さすがにこれはどうしたのだろうと声をかけに行くと、一冊の新聞を手渡してきた。その見出しはこうだった。
「松田優作、死去」
 N山さんは声も出さずに泣いていた。
 どうやら学校近くまで来てコンビニに寄ったのだろう。そこでレジ横に並んでいる新聞の見出しが目に飛び込んだに違いない。
 N山さんは松田優作の熱烈なファンだった。N山さん自身も背が高く、顔が面長で、服装なども明らかに優作を意識している場合もあった。
 事前の情報がなかったので、我々にとってはまったく突然の訃報。
 そうか、あの11月7日からもう18年も経っているのか。

 一人の俳優の死について本気で泣く。
 それもまた一つの映画バカである。

 映画について書けなくなったのは、書くことに意味を見いだせなくなったからだ。
 読んでくれる方の人数は気にならないが、果たして読んでとんな印象を与えているだろうか。
 基本的に何らかの興味を持てる映画について書いているので、観ているならば「そうそう」とか「それは違うんじゃない」といった反応。観ていない人には「ちょっと今度観てみようか」と思わせることができているのか。
 この映画バカ黙示録はブログのシステムを使っているのでコメントを付けることが出来るのだが、このコメントがほとんどつかない。
 オレの文章はつまらないのかと読み返すが、それほどひどくはないんじゃないかと・・・本人の欲目かなぁ。
 ある人にちょっと話したところ「あんたの文章は自分で結論を出して自己完結してしまうので、口のはさみようがない」と言われた。
 そうかなー。

 書くべき映画について書いていない。それから逃げているというのに気づいたのも書けなくなった理由である。
 本当は、そのサイトでコメディ映画やホラー映画、アクション映画などといった具合に、ある程度ジャンルを絞って書くとやりやすいだろう。
『映画バカ黙示録』は「笑える映画、燃える映画、バカ映画についての映画評論・感想が中心です。」となっているが、実際には何でもありになっていて、この何でもありというのが制約がない場合よりも難しい。何の映画について書いたって良いんだから。
 でも、考えてみれば学生時代はジャンルはあまり気にせずに、取りあえず公開中の映画を観に行っていた印象がある。その時書きたい物について素直に書けばいいのか。
 オレの出来の悪い脳みそだと古い出来事は次から次へと忘れていってしまう。
 となると、最近観た映画について書くのが一番なのか?
 最近、『チャック・ノリスin地獄の銃弾』から映画評が再会したが、これはレンタルビデオの新作コーナーから借りてきて、観てすぐ書いた。
 それ以降のもレンタルしたばかりか、スカパーの映画で観たやつばかり。
 映画バカ青春期を書き始める前の、映画評に関する義務や息苦しさはなく、すんなり書けている。
 読み手の反応がないのがやはり寂しいが、たとえ反応がなくても映画について書くのはもはやオレの天性なのだ。
 そういった面ではインターネットという道具が普及した2006年という時代を生きていることは面白く感じている。
 このオレとはまるで面識もなく、住むところも違えば、仕事や年代も違う人が、googleやYahoo!の検索などでオレのサイトにたどり着く。こんな出会い、10数年前だったらSF的出来事だ。

 難しいことは考えずに、直近に観た作品について書く。感じたままを書く。
 ストーリーの紹介ではなく、その映画で自分が一番書くべきだと思ったことを書く。映画を紹介してもらいたい人には不親切なサイトとなるかもしれないが、全方位に向かって書くのは無理だ。
 つまるところ、書いているのは映画に対するラブレターなのだろう。自分が映画をどれだけ愛しているか、それについてしたためている。自分が映画好きであると確認したいがために書いているのかも知れない。
 普段の映画バカ黙示録の方が映画バカ青春記よりよっぽど自分語りで自己満足なのである。

 そしてそれはこれからも続く。

 聖母幼稚園というカトリック系の幼稚園に通っていたオレは、愛知県半田市への引っ越しで転園した。引っ越し先の幼稚園に空きがなかったので保育園に通うことになった。まだまだ子供も多い時代だった。
 保育園の卒園式から、小学校、中学校、高校、そしてこれが5回目の卒業式。オレにとって最後の卒業式だ。

 といっても、卒業式にこれといって思い出はない。
 小学校の卒業式では女子たちが泣きながら手を取り合って、卒業してもずっと友達でいようね、とか言ってるのを横で眺めていて、阿保かと半ばうんざりしていた。
 今はどうなっているのかは知らないが、当時の愛知県は私立が弱くごく一部の学校しか実力的にも低い。高校ならともかく、中学で私立に進学するヤツなどいなかった。
 だから、引っ越しでもしない限り、その小学校の卒業生は全員同じ中学校に進学するのだ。そこでまた毎日顔を合わせるのだ。
 それで何で「これで今生の別れだ?」とばかりに彼女たちは泣くのだろうか。
 オレにはまるで理解できなかった。阿保か。そういうヤツである、オレは。

 中学の卒業式は、心が二つに分かれていた。それぞれに進学先が違い、普段仲良くしていたヤツらとは違う学校に進むので分かれなければならない寂しさと、そう悲しさではなく寂しさがまずあった。
 それと同時に、あまり好きになれなかったいわゆる不良や運動部のクズ、そして一部だが無理解な暴力教師などと分かれることが出来るのは嬉しかった。もっともっと自由になりたかった。

 高校は自由気ままに過ごした。やれることはかなりやった。もうここで何かをやるよりも、次の段階へ進んで、もっと面白い何かをやりたい。
 もう少しで始まる大学生活を夢見て、じゃぁな、みんながんばれよと卒業式を終えた。

 そして大学の卒業式。5年生(5回生)なので、オレと同じように留年した知人が何人かいるぐらいで、後はシネマ研究会の1年後輩を除けば見知らぬ顔ばかり。
 スーツや羽織袴姿がぞろっと揃う中、オレは黒のMA-1姿だった。
 これからついにはサラリーマン生活が始まるというのに、その最後に日にわざわざこれからずっと締めることになるネクタイを巻く必要もないと思ったからだ。
 愛知県体育館への入場時にちょっともめた。
「在校生の入場はお断りしているんですが」
「オレは卒業生だ!」
 見た目で人を判断するんじゃない。
 ちなみに、オレ以外にも何人か私服姿がいた。

 卒業おめでとうと言われても、何がめでたいのか分からなかった。
 それは単なる区切りに過ぎないだろう。
 感動も高揚も感じられなかった。
 ただ、これから向かうべき世界がまるで見えなかった。
 目の前に広がるのはただの荒野だ。目印も道も何もない。
 そして自分がこれまで来た道を振り返る。高村光太郎だと後ろには道が出来ているはずだが、風と砂埃で消されかけた足跡が点々と残っているだけだ。

 ほんと、これからどうなるのかなと思いながら、一度アパートから実家に戻した荷物を整理して、東京の寮に送る準備をする。名古屋などにも支社はあるが、最初の何年か、あるいはずっと東京暮らしとなるのだ。
 東京育ちの母と、大学進学で上京した父の間にオレは神奈川県横浜で生まれた。
 オレにとって夏休みの帰郷とは母の実家のある品川区に行くことだった。
 だから、名古屋で生まれ育った純粋培養の人間よりは東京の凄さも(あの映画館とやっている映画の本数ときたら!)、普通に人が暮らす街だと言うことも知っている。

「これでいいのか」
 先日からオレの中で囁く声だ。
 オレは耳を塞ぐ。数日中には東京に出発だ。

愛人/ラマン
愛と欲望の銃弾
愛という名の疑惑
アザー・ピープルズ・マネー
アダムス・ファミリー
アップルゲイツ
アトランティス
アフター・ダーク
暗殺のオペラ
生きるべきか死ぬべきか
天国は待ってくれる
ざくろの色
スラム砦の伝説
アシク・ケリブ

1492・コロンブス
ウェインズ・ワールド
ウェドロック
美しき諍い女
美しき獲物
ウディ・アレンの 影と霧
ウルガ
エイセス/大空の誓い
エイリアン3
KAFKA/迷宮の悪夢
カフス!
壁の中に誰かがいる
キスへのプレリュード
クーリンチェ少年殺人事件
グランド・ツアー
グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版
刑事ジョー/ママにお手あげ
恋の時給は4ドル44セント
こうのとり、たちずさんで
氷の微笑
殺しのアーティスト
コロンブス
JFK
仕立て屋の恋
七小福
シティ・スリッカーズ
ジャック・ルビー
シャドーチェイサー/地獄の殺戮アンドロイド
上海1920/あの日みた夢のために
ジュース
人生は琴の弦のように
スーパータッチダウン
スウィート・ロード
スキャナーズ3
スター・トレックVI/未知の世界
ストーリービル
ストロンゲスト/史上最強の映画スターは誰だ!?
スパイメーカー
双旗鎮刀客
ダイナウォーズ/恐竜王国への大冒険
ダストデビル
ダブル・インパクト
ダンシング・ヒーロー
チャイニーズ・ゴースト・ストーリー3
ツイン・ドラゴン
ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間
透明人間
ドラキュラ
永遠に美しく…
ナイト・アイズ
ナイト・オン・ザ・プラネット
ニューマン
ネメシス
ノーサイド
バーチャル・ウォーズ
ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録
ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌
バートン・フィンク
ハイランダー2/甦る戦士
ハウスシッター/結婚願望
バグジー
裸の銃を持つ男2 1/2
裸のランチ
バットマン リターンズ
パトリオット・ゲーム
花嫁のパパ
遥かなる大地へ
美女と野獣
ビリー・バスゲイト
フック
フィッシャー・キング
ブーメラン
フォー・ザ・ボーイズ
不法侵入
フライド・グリーン・トマト
ブラッド&コンクリート
ブレードランナー最終版
フリージャック
プリティ・リーグ
ベートーベン
ペット・セメタリー2
ボーイズ’ン・ザ・フッド
ホーム・アローン2
ボディガード
炎の大捜査線
微笑みがえし
ポリス・ストーリー3
ポンヌフの恋人
マイ・ガール
マイホーム・コマンドー
ミュータント・ニンジャ・タートルズ2
ミッドナイトヒート
ユニバーサル・ソルジャー
夢の涯てまでも
ラジオ・フライヤー
ラヴィ・ド・ボエーム
リーサル・ウェポン3
レイジング・ケイン
レプスキー最後の挑戦/コートダジュール殺人事件
レプスキー大胆不敵/ジェネシスNo.18
ワックスワーク2/失われた時空
ゴジラVSモスラ
鉄男 II BODY HAMMER
未来の想い出 Last Christmas
地獄の警備員
勝利者たち
いつかギラギラする日
青春デンデケデケデケ
シコふんじゃった。
外科室
魚からダイオキシン!!
ミンボーの女
女殺油地獄
おろしや国酔夢譚
ファンキー・モンキー・ティーチャー2 東京進攻大作戦
紅の豚
継承盃
寝盗られ宗介
死んでもいい
エロティックな関係
七人のおたく cult seven
病は気から 病院へ行こう2
落陽
花と嵐とギャング
殺し屋人別帳
忘八武士道
江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間
徳川いれずみ師 責め地獄
七人の侍
気まぐれ冠者
残菊物語
決闘高田馬場(血煙高田馬場)
丹下左膳餘話 百萬兩の壺
黒蜥蜴
黒薔薇の館

計 150本

 3月末からは会社員だったというのに、なにやっとんじゃオレは。
 しかも、学生料金から一般料金にあがった上に、2本立て中心だった名古屋から1本立ての東京に来たので、1本当たりの金額は単純に考えて2倍以上。
 会社の寮であるワンルームマンションの家賃が光熱費込みなのに格安だったからできたこと。
 それから新宿になる金券ショップを何軒も回って、格安になっている前売り券や劇場券を買ってたんで、実は意外に金は使っていない。500円とか300円も当たり前で、人気のない映画だと1枚100円の前売り券とかあったからなぁ。
 そのせいでかなりしょーもない映画も観ている。今回調べていて、確かに手帳には観たと記入されているが、まるっきり記憶にない映画が何本もあった。
『ストーリービル』ってどんな作品だったか?allcinemaで粗筋などを調べても、さっぱり思い出せない。
 確か『落陽』の前売り券が100円だった。さすが、にっかつにとどめを刺した作品だけある。ひどいを通り越してある意味こんな映画はめったに観られない貴重な作品。
 にっかつの80周年記念作品で、ドナルド・サザーランドやダイアン・レインも出演する予算を目一杯注ぎ込んだ超大作。なのに監督が原作者の伴野朗というのが思いっきり不可解だ。

 プライベートフィルム上映会が終わり、『きしむ男』はそれなりに評判が良かったと思うが、なにぶん5年生の撮った映画だ。つまらなかったとしても下級生からは悪い批評はしにくかったに違いない。
 そして大晦日が過ぎ1992年になった。
 ほどなくして後期試験が始まった。
 これが大学祭後の試験になる。なるはずだ。ならないと困る。

 取得すべき単位は一般科目から1つ、そして英語が1つの合計2単位。
 一般科目の方は4つか5つばかり選択しておいたのでどれか一つが可以上を取ればいい。数打ちゃあたる戦法だ。
 問題は英語である。
 講義には真面目に出席した。欠席はほとんどない。講師のおじいちゃん先生、通称二郎ちゃんにも顔と名前を覚えてもらっていた。
 ただ、テキストにロナルド・レーガンが暗殺未遂で撃たれたときの発言で
「I Forgot to Duck.」
 と言ったのを、二郎ちゃんは、レーガンは「わたしはアヒルを忘れた」とジョークを言っているのですが、これは私たち日本人にはピンときませんねと説明したところへ
「いや、先生。そのDuckはアヒルじゃなくてボクシングなんかのダッキング、つまり銃弾を避けるのを忘れてたよというジョークなんじゃないですか」とつっこんで、
「そういう解釈もあるかも知れませんね」
と少々うろたえさせてしまったので、心証が悪いかも知れない。
 もちろんオレは英語が大の苦手なので、これが生まれて初めて英語の教師につっこんだ瞬間である。
 しかしまぁ、死にかかったという事件についてもジョークを言わなければならないとは、アメリカ合衆国大統領というのも難儀な商売だ。というか、さすがロナルド・レーガンと言うべきか。ブッシュ大統領などあまり気の利いたことは言えなさそうだ。

 名城大学の商学部、現在では経済学部に名前が変わっているが、当時の商学部では全学生がゼミを受講することができなかった。
 マンモス校なので学生数が多く、講師の数もゼミ室の数も足りなかったのだ。
 そこで、希望したゼミについて抽選が行われ、オレは落ちた。
 だからオレはゼミの経験がない。そしてゼミがないということは卒業論文もないのだ。よって卒論を書かずに済んだ。楽だが、ちょっと何だかなぁと思わないでもない。

 試験が終わり、ほどなくして結果発表。
 意外なことに受けた試験は全て通った。
 真面目に出席したし、勉強もちゃんとした英語が可止まりだったのが、自分の英語の実力を示していて悲しいが、不可でなくてよかったよかった。
 これで卒業は決定。就職も決まっていて、順風満帆である。
 心の隅で、「それでいいのか?」という声が囁いていたが、気にしない気にしない。

タイトル 「きしむ男」

広場のベンチ
―――――――――――――――

男Aのアップ
「うーん?うーん?」と首を捻っている。

主人公と男Aがベンチに座って本を読んでいる。
主人公は百科事典のような大判の本を読んでいる。
男Aが読んでいるのは『ウォーリーをさがせ』。悩んでいたのはウォーリーがどこにいるか分からなかったからだ。

主人公が男Aに話しかける。
「なぁ。なぁ。・・・なぁって言ってんじゃん」
それでも男Aは無視してウォーリーをさがし続けている。
主人公がページの一点をつついて「ここ、ここ」
男Aはその手を払いのけ、相変わらず首を捻っている。
主人公はベンチを乗り越えて、本を抱えたまま去っていく。
男Aのアップ。その10メートルほど後ろを主人公が本を読みながら右から左に通り過ぎていく。


道路
―――――――――――――――
主人公が本を読みながら道を歩いている。
そのまま交差点を横断しようとする主人公。
ビー、ビーとクラクションの音が鳴り響く。
右側から現れた原付が急ブレーキをかけて止まる。
原付の男「どこ見てんだ、馬鹿野郎」
主人公を罵ると、原付は走り去る。
右左右と確認してから再び本を読みながら交差点を渡る主人公。



―――――――――――――――
くるぶし辺りまでしか水がない浅い川。
そこを赤いジャージの男が右から左へと走り抜けていく。


川沿いのベンチ
―――――――――――――――
主人公がベンチに座り本を読み続ける。
川の堤防を乗り越えてジャージの男が登場。
ランニングしながら主人公の前を通り過ぎて、また戻ってくる。
ジャージの男「何やってんだよ若いもんが。運動しろよ運動」
そして主人公の本を奪って画面から走り去る。

主人公はハードカバーの本を取り出して読み始める。
ジャージの男が現れ、「健全な魂は健全な肉体に宿る」と本を奪いさる。
主人公は文庫本を取り出して読み始める。
ジャージの男が「見よ、このカモシカのような肉体を」と本を奪いさる。
主人公は豆本を取り出して読み始める。
ジャージの男が「運動の秋だぜ」と本を奪いさる。

全ての本を持って行かれてしまった主人公は、それまで無表情だったのがむかついた顔になり、右の拳を握りしめる。そして、ジャージの男を追って走り出す。
しばらく追跡劇が続くが、ジャージの男がひらりと飛び越えたフェンスを主人公はなかなか乗り越えることが出来ず見失う。
ぜいぜいと息を荒立てながら立ち止まる主人公。
どこからかジャージの男の「あー、いい汗かいたなぁ」という声が聞こえる。
はっと上を見上げると、そこには陸橋があり、そこでジャージの男が整理体操をしている。
主人公は慌てて陸橋を駆け上るがすでにジャージの男の姿はない。
手すりに身をもたれて「あーあ」とつぶやく主人公。


路上の自販機
―――――――――――――――
主人公の友人が自販機でジュースを買おうとしている。
後ろポケットに手をやるが財布が見あたらない。
前ポケット、胸ポケットへと左右の手を動かしている内に、ブロックサインの動きになっている。

グラウンド
―――――――――――――――
野球のユニフォームを着た野球選手(東森時音)がカメラに向かってうなずくと、バッターボックスに入り初球を打つ。
カキーンと打球音。


路上の自販機
―――――――――――――――
友人がカメラに向かって「よしよし」とうなずく。
そしてジュースを買う。


読書部部室
―――――――――――――――


部室の中はパイプ椅子に座った読書部の部員がすし詰めになっていて、みんな無言で本を読んでいる。
部室に入ってきた主人公がドタドタとその上を乗り越えて奥へ入っていき、折りたたみ式のパイプ椅子を持ってくると部員たちの中央に座る。
主人公「いやー、ほんと今日はまいったよ」
部員の一人に話しかけるが、部員は読書に夢中で主人公を無視して背中を向ける。
他の部員に「こんなついてない日もあるんだよな」と話しかけるが、その部員も背中を向ける。
主人公「こんなヤな日もあるなんて、ほんとついてないよな」
残りの部員たちが一斉に背中を向ける。
落ち込んだ様子の主人公。
そこへ友人がジュースを飲みながら登場し、あれ?という感じで部室内を見る。
そして主人公に「飲む?」とジュースを渡す。
主人公「ありがとう」
友人「全部いいから」


建物出入り口
―――――――――――――――
建物からまず友人が出て行く。
続いて主人公が出てきて、外の日差しに額に手をかざす。

主人公のアップ
ポケットからブルース・ブラザース風のサングラスを取り出すと顔にかける。
いきなり左頬にビンタをくらう。
黒いコートなど黒ずくめの男がサングラスを奪う。そして自分がかけると
黒の男「ガキが気取るんじゃない」と渋い声で言い残して去っていく。

主人公はその後ろ姿を睨みながら左の拳を握りしめるが、ジャージの男の記憶が甦って拳を下ろしてトボトボと歩き去る。


道路
―――――――――――――――
主人公は友人と一緒に小学校脇の道路を歩いている。
友人「まあ、ついてない日もあるって」
友人「元気出せよ」
友人「落ち込んでばっかりいるとろくな事がないぜ」
色々と話しかけるが、主人公はうつむいたまま。
バッバッーと車のクラクションが鳴り響く。
はっと驚く二人

二人が小学校のフェンスにしがみついている。
そこをトラックが通り過ぎていく。
友人「だからろくでもないことになるって言っただろ」
主人公は「わー」と叫びながらフェンスを乗り越えると、そのまま走り去っていく。
小学校からキーンコーンカーンコーンとチャイムが聞こえてくる。


階段
―――――――――――――――
小雨の降る中、主人公は傘も差さずに歩き続ける。
屋外の階段を上っていると、下ってきた男Bと鉢合わせる。
右に避けようとすると男Bもたまたま同じ方向へ避ける。左に右にと同じ事を繰り返した後、男Bは主人公を乱暴に押しのける。

怒る気力もなく、力ないまま階段を上っていく主人公。


通路
―――――――――――――――
小雨で濡れた路上にバナナの皮が落ちている。
主人公はバナナの皮に気づかずに、そのまま滑って転ぶ。
バナナの皮を拾って放り投げると、癇癪を起こす主人公。

路上に落ちたバナナの皮のアップ。


橋の上
―――――――――――――――
欄干にもたれて川の流れを眺め、ため息をつく主人公。
視線を上げはっとする。
カメラが主人公の横顔から左へパンしていくと、堤防の上をジャージの男が走っている。
主人公はその後をつけていく。


路上
―――――――――――――――
ジャージの男はランニングの足を止め、ポケットからバナナを取り出すと美味そうに食べる。
そしてバナナの皮を放り捨てると再びランニングを始める。
こそこそと後を付けてきた主人公はまたバナナの皮に滑って転ぶ。

しかし、痛む足をさすりながらも追跡を続ける。

ジャージの男が後ろからの視線を感じて振り向く。
主人公は近くにあった看板の後ろにとっさに隠れる。
ジャージの男は首を捻っていたが、また歩き出す。
主人公はマスクを取り出すと変装のために着用する。
看板の影から出たところを左の頬にビンタをくらう。
黒の男がマスクを奪うと「何度言ったら分かるんだ」と言って、自分がつけてそのまま立ち去る。

主人公は右と左の拳両方を握りしめる。
ジャージの男のいる右側と黒の男がいる左側を交互に見てから、拳で自分の頬をポカポカと叩くと、ジャージの男を追いかける。


電話ボックス
―――――――――――――――
ジャージの男は電話ボックスに入る。
その外に主人公が新聞を広げている。
新聞にはある人物の大きな写真が載っている。
写真の左目の部分が裏側から指で穴が空けられ、そこからじろりと主人公の目が睨む。

主人公は新聞越しに様子をうかがいながら、電話ボックスのぐるりと回る。

ジャージの男が電話ボックスから出て、画面の左へと消える。
主人公はその後を追う。

乱闘の音

画面の左からよろよろと主人公が現れて、ばったりと倒れる。


公園
―――――――――――――――
小さな白い花のアップ。
その花を眺める主人公の回りにどこからかシャボン玉が飛んできて、軽く微笑む主人公。

「オーライ、オーライ」の声と共にキャッチボールで逸れたボールと受け取ろうとした男が走ってきて、花が踏みつぶされる。
主人公は花を元に戻そうとすると、折れた花は倒れたまま。
呆然とする主人公。


自宅
―――――――――――――――


主人公が自宅のアパートで膝を抱えてしょげている。
トントントンとノックがするが主人公は座ったまま。
しばらくしてまたノックがするので、しょうがなさげに立ち上がる。
玄関のドアを開けると友人が立っている。
友人「よぉ」

*ここからセリフや物音はなくなり、音楽だけが流れる。

テーブルの上にいくつも転がるビールの空き缶。
二人はどうやらテレビを見ているようだ。
友人は笑っているが、主人公は落ち込んだまま。
主人公にビールをすすめる友人。
次第に主人公も笑顔がこぼれるようになり、ついには二人して肩をたたき合って爆笑している。


青空の屋外
―――――――――――――――
*そのまま音楽のみ

青空の下、主人公がうーんと背を伸ばしてから歩き出す。
ゆっくりと歩いていく。植え込みの向こうを歩いているので足元は観客に見えない。
音楽が止まり、ズルッと音がして主人公が転ぶ。

カットが正面に切り替わる。
地面に横たわった主人公の足元にバナナの皮が落ちている。
バナナの皮を拾い上げ、わはははと笑う。

*ここからピチカート・ファイブの歌『バナナの皮』が流れる。
「バナナの皮ですべって転んで、僕はずいぶん痛かった
誰もがみんな憂鬱そうだったのに、僕を指さして笑った
ごらんそんな時だけ世界中うまくいってる気がする
笑え僕のことを 笑えお腹抱えて」

主人公は立ち上がるとしっかりとした足取りで歩いていく。

バナナの皮のアップからフェードアウト。

エンドクレジット
*引き続き『バナナの皮』が流れている。

クレジットが終わると、男Aがオープニングの時と同じベンチに座って、相変わらずウォーリーを探している。

男A「うーん、いないなー」

 もう映画は撮らないなどと言っていたオレだが、卒業が近くなってくるとこれで終わりというのは少々寂しくなってきて、最後の一本を撮ることに決めた。
 前作『なるようになる』は現場でストーリーから演出まで即興で作った映画だが、今度はしっかりと脚本を書く。出演者はシネマ研究会の連中で演技は素人。だから初期段階でキャスティングを決めておいて、彼らのイメージに合わせてキャラクターを作っていく。
 コメディ映画が大好きなオレとしては、一度撮っておきたいシーンがあった。それはバナナの皮で滑って転ぶという古典的なギャグだ。バナナの皮と、ついてなくたって気の持ちようで楽になるというのをテーマにストーリーを作っていく。
 思えば『なるようになる』は自分を見失いそれを探し求めるというテーマであったし、今回は気の持ちようさである。その頃のオレの心理状態が見て取れたりもする。

 それでもあくまでもこれはコメディ映画。いくつもギャグを考えては出来の悪い物は捨てていく。
 ほどなくして脚本は完成した。フィルムに必要な小道具も揃った。
 あらかじめ出演を依頼しておいた部員たちに日程を伝え、ついに撮影開始。

 この週末はちょうど天白祭が開催されているはずである。
 1991年のオレは4回目の学祭を迎えていた。5年生(5回生)だが、1年の時の天白祭が脅迫事件で中止になってしまったため(63章参照)、1回少ないのだ。

 シネマ研究会としては自主映画の上映会、模擬店、そして日が暮れてから一号館入り口に大きな白幕を張って劇場映画の上映会を行った。
 模擬店は何をやったかはっきりと憶えていないが、お好み焼き屋ではなかったかと思う。

 そして夜になった。学祭前日から最終日の翌日までレンタルで布団を借りて泊まり込みである。
 前年、OBのE谷さんと中庭で行ったサバイバルゲームだが、今年も行われた。しかも、人数は10名ほどに増えていた。
 ほとんどの者は東京マルイのコッキング式エアガンだったが、福井から駆けつけたOBのD田さんはスナイパータイプのライフル。後輩のM野はMGCの電池+フロンガス式のフルオート射撃が可能なMP5Kを購入していた。
 オレは去年のM93Rをサイドウエポンとして、メインウエポンは東京マルイの電動エアガン第一弾のFA-MASを用意した。
 FA-MASはフランス軍制式のアサルトライフルである。大雑把に言えばM-16などの仲間だが、近未来的な独特なデザインだ。実銃はもちろん火薬だが、このエアガンは充電式のバッテリーでBB弾を発射する。11月の夜という気温でも安定して動作するし、セミオートだけではなく引き金を引いたままで連射になるフルオートでも撃てる。フロンガスを使わないので環境にも優しいし、電気代も安いので財布にも優しい。

 そしてゲームは始まった。
 建物の窓から漏れてくる灯りだけなのでそれほど広くはない中庭が絶好のゲームフィールドとなった。
 フルオートで撃つと爽快感があるし敵を一掃できる。大方で狙って連射すれば結構命中する。ただし装弾数が60発なので10秒もせずに弾切れになってしまう。まだ300発などの多弾奏マガジンが発売されていなかったのだ。
 一旦弾切れになると、BB弾の再装填にはチューブと棒を使わなければならず、手間が掛かる。チューブと棒はプラスチック製で簡単に折れてしまいそうなので、陣地の奥に置いてある。
 弾を撃ち尽くすと、サイドウエポンのM93Rで身を守りながら引き上げて、再装填してから再び出撃。
 M野のMP5Kは途中で弾づまりを起こし、そのまま直らずに最後まで逃げ回っていた。
 何人も撃ち倒したし、何度も撃ち殺された。

 大学時代最後の夏休みを迎えたオレだった。
 だったのだが、その夏休みに何をしたかまるっきり憶えていない。
 シネマ研究会の夏合宿には参加しなかったし、一つ年下の彼女は短大卒なのですでに就職していて、そう頻繁には会っていない。
 バイトは週に1日。
 はてさて、オレはどうやって過ごしていたのだろうか。

 映画を観に行ったり、エアコンが無く扇風機だけのアパートで本を読んだり、パソコンで『Wizardry』でもやっていたか。ま、そんなところだろう。
 近くに大型書店とビデオレンタル屋の併設店があったので、今にして思えばツタヤなわけだが、そこでビデオを借りてきて観ることも多かった。
 当時持っていたテレビは確かaiwaの14インチテレビ。1991年なので当然ブラウン管だ。
 今、身の回りで14インチというと、使わなくなったが予備として置いてあるiiyamaの液晶ディスプレイがそうだが、ブラウン管の場合は回りの枠の分だけサイズが小さくなるから、これより一回り小さいはず。
 よくまぁ、こんな小さな画面で観てたもんだ。近くで観ないと細かいところが分からないぞ。
 といっても、オレが今使っているのはソニーの25インチブラウン管テレビ。世間ではもはや小さな画面の扱いだ。ワイドでもないしな。

 そうそう、一つあった。
 当時、困ったことに家の母親がヤマギシズムに入れ込んでいて、特別講習研鑽会、通称「特講」などにも参加していた。
 そしてオレにもしきりに、「一度行ってみなさい」と言ってくる。留年させてもらった負い目もあるので、「じゃあ一度だけね」と承諾した。
 特講参加申し込みをするために、名古屋にあるヤマギシの支部へ行った。
 そこでは、ちょっと記憶が不確かだが、入っていくときに「ただいま」と言い、中にいる人は「おかえり」という。出て行くときは「行ってきます」と「いってらっしゃい」だ。メイド喫茶じゃねーっつーの。
 そんあことを知らないオレは「こんにちわー」と入っていって、入り口近くにいる人に「ここではただいまなんですよ」と妙に暖かい口調で言われた。
 どうにも気持ちが悪かったので、帰るときは「失礼しました」と出て行った。わざわざ扉を開けて「いってきます」ですよと指摘してきた。
 ここでもう、オレとしてはヤマギシへの印象は最悪。最悪になるの早いな、オレ。

 特講は鈴鹿近辺で行われた。
 オレは名古屋から原付で現地に向かった。一号線をひたすら西へ向かったのだと思う。
 公民館みたいな建物が会場だった。
 受付をしてもらおうとすると、いきなり原付の鍵をよこせと言ってくる。
 理由を尋ねると、「紛失したりするといけないからこちらで管理します」とのこと。
 カッチーンと来た。来たがなんとか自分を抑える。
「紛失しないように自分で管理できます。子供じゃないんだから」
 だが、原付の鍵どころではなかった。奴らは、すでに奴らになっているが、靴までこっちに預けろと言ってくる。
 建物からは出ないから必要ないだと。
「原付の鍵も取り上げる。靴も取り上げる。つまりは途中でイヤになっても逃げ出さないように管理するって事ですか。参加するのも自由意志、途中で帰るのも自由意志でしょう。それともここは強制収容所なんですか?」
 こうやって受付で言い争っている内に、他の参加者がやって来る。彼らは何の反論もせずに靴を預けて中に入っていく。だが、様子をうかがうようにこちらをチラリチラリと見ていく。
 受付の人間が隅に行ってこそこそなにかを話すと、戻ってきてこういった。
「こちらの考えを理解していただけないようならばお帰り下さい」
 おうおうおう、帰れっつーなら喜んで帰るよ。結局アレだろ、強く疑問を持った者が一人でもいると、その特講とやらはなりたたないんだろ。
 建物の中に閉じこめて、ヤマギシズムのイズムとやらをたたき込もうというんだろ。洗脳っていうんだぞ、それは。

「受付で論争になって、帰ってきた。あなたにはあなたの価値観があるだろう。オレにはオレの価値観がある。オレの価値観ではヤマギシはクソだよ」と母親に告げた。
 母親は二度と特講に参加しろとか、機関誌を読めと言ってこなくなった。

 ちなみにヤマギシ会のサイトによると特講とは

「特講とは、ヤマギシズム特別講習研鑽会(けんさんかい)の略称で、日常生活を離れて参加者全員が寝食を共にしながら、愉快に楽しく語り合う七泊八日の合宿形式での研鑽会です。

 ひとは、自分の経験や知識に基づき様々な判断をし、ともすれば自分の判断が正しいものと信じて疑わないところがあります。特講は、そうした自分の判断が絶対のものかどうかを科学的態度で見直してみることにあり、自分の考えも大いに言い、誰の言うこともよく聞いて、あくまでも「本当はどうだろうか」と主体的に検べていこうとする考え方(これを研鑽態度という)を身につけ、自分の人生全般の方向性を考える機会でもあります。

 この特講では、教える人はいません。宗教ではありません。参加しただれもが気軽に何でも出し合い、みんなの知恵を寄せて、本当はどうかと検べていきます。特講の目的は、自分を含めたすべての人が、楽しく、幸せに暮らしていける人になることです。

何を課題にしているか

 古今東西、人類は幸福を希求しながら、今だに、「決めつける観念、固定する観念」から愚行を繰り返しています。人間がより正しきを見極めていくにも、人と人が仲良く愉快に暮らしていくためにも、何かを信じたり、決めつけたり、つまり観念を固定する弊害が如何に大きなものであるかに目覚め、固定しやすい人間の観念を、固定のない観念へと、みんなでの研鑽方式により、真に自由なる観念へと急速に大転換するのが特講です。

 日頃の生活の中で、当たり前と思っていることなど、身についている常識・信念なども、じっくりしらべ直し、考え直すと、自分でもびっくりするほど根拠のない思い込みだったことなど見えてきます。

 この講習研鑽会を通じて、頑固が謙虚な態度に、決めつけの考え方が決めつけのない考え方に、囲いある狭い生き方が、みんなと共に繁栄せんとする広い心での豊かな生き方に転換します。」

 だそうだ。もう、これがひたすらうさんくさくいかがわしい。グロテスクである。
 ここからは、それまでの価値観を破壊して新しい「ヤマギシに都合の良い価値観」を植え付ける、としか読み取れない。
「ともすれば自分の判断が正しいものと信じて疑わないところがあります。」って、馬鹿ヤロ、オレにとってはオレが正しいに決まってんだろ。あんたらにとってはあんたらが正しい。それがオレの正しいとぶつからない限り別段とやかく言わねーよ。勝手にやってろ、大きなお世話だ。

 愛知県の中小企業に勤めているときに、社長命令で自己開発セミナーの類に行かされたことがある。
 今度は社命なので受付で帰ってくるわけにはいかなかったが、2日間のセミナーの間、ずっと講師とケンカしていた。
 最初はしょうがないなといった表情で講師に従っている周りの人間が、だんだん入れ込んでいくのが怖かった。感極まって泣き出す人までいて、ほんと怖ろしい。まかり間違っても参加するものじゃない。

 これでオレとヤマギシとはほとんど関わりを持たずに済んだが、実際の所、こういう連中とは論争などしようと思わない方が良い。とっととその場を立ち去り無視することだ。
 オレはついつい頭に来て言い争いになるが、言い負かしたところで疲れるだけで何の得にもならん。
 相手は反論されることにも、それを言いくるめることにも慣れている。端から関わりを持たないのが一番だ。
 セールスにしろ宗教にしろ勧誘系のスパムメールにしろな。

愛の選択
アドベンチャーキッズ
アウト・フォー・ジャスティス
アラクノフォビア
アリス
あんなに愛しあったのに
イエローサブマリン
イヤー・オブ・ザ・ガン
インディアン・ランナー
イントルーダー/怒りの翼
エア★アメリカ
英国式庭園殺人事件
F/X2 イリュージョンの逆転
狼たちの絆
オーメン4
オスカー
おつむて・ん・て・ん・クリニック
カーリー・スー
カジノ・レイダース
風の中の恋人たち

髪結いの亭主
キックボクサー2
キリングストリート
虚栄のかがり火
キンダガートン・コップ
クライ・ベイビー
グリーン・カード
グリフターズ/詐欺師たち
K2/ハロルドとテイラー
ケープ・フィアー
ゲット・バック
ゴースト・パパ
心の旅
ゴッドファーザーPART III
今夜はトーク・ハード
コントラクト・キラー
ザ・コミットメンツ
サマー・シュプール
サンダウン
ザンダリーという女
ジェイコブス・ラダー
シェルタリング・スカイ
シザーハンズ
死の標的
シラノ・ド・ベルジュラック
真実の瞬間
スキャナーズ2
ステート・オブ・グレース
ストーン・コールド
スポンティニアス・コンバッション/人体自然発火
スリーメン&リトルレディ
絶叫屋敷へいらっしゃい
セブンス・カース
ソープディッシュ
ダークマン
ターミネーター2
対決
黄昏のチャイナタウン
ダブルチェイス
ダリ天才日記
ダンス・ウィズ・ウルブズ
チャイルド・プレイ2
チャイルド・プレイ3
テラコッタ・ウォリア/秦俑
デリカテッセン
デルタフォース2
テルマ&ルイーズ
デスロック
天国に行けないパパ
ドアーズ
トイ・ソルジャー
トト・ザ・ヒーロー
友は風の彼方に
ナック
ニュー・ジャック・シティ
ヌーヴェルヴァーグ
ハード・ウェイ
ハートに火をつけて
ハートブルー
蝿の王
バックドラフト
ハドソン・ホーク
ハバナ
非情城市
羊たちの沈黙
ビルとテッドの地獄旅行
プラスチックナイトメア
フラットライナーズ
ブルージーン・コップ
プロジェクト・イーグル
プロスペローの本
ブロス/やつらはときどき帰ってくる
プロブレム・チャイルド/うわさの問題児
ペンタグラム/悪魔の烙印
ホーム・アローン
ホット・ショット
ホット・スポット
ホワイ・ミー?
マイ・プライベート・アイダホ
マクベイン
マッチ工場の少女
マネキン2
ミザリー
ミュータント・タートルズ
ミラーズ・クロッシング
メル・ブルックス/逆転人生
メンフィス・ベル
モ’・ベター・ブルース
ライオンハート
ラスト・ボーイスカウト
ラルフ一世はアメリカン
リトル★ダイナマイツ/ベイビー・トークTOO
リトル・マーメイド
ルーキー
レナードの朝
レネゲイズ
レプスキー絶体絶命/その男凶暴につき
恋恋風塵
冬冬の夏休み
ロッキー?
ロケッティア
ロシア・ハウス
ロビン・フッド(ケビン・コスナー版)
ワイルド・ブリット
ワイルド・アット・ハート
私がウォシャウスキー
私の愛したゴースト
左側に気をつけろ
のんき大将
ぼくの伯父さんの休暇
ぼくの伯父さん
101匹わんちゃん
ミッキーのハワイ旅行
プレイタイム
パシフィックハイツ
咬みつきたい
ケルベロス 地獄の番犬
ゴジラVSキングギドラ
ゼイラム
超少女REIKO
ヒルコ 妖怪ハンター
超高層ハンティング
ふたり
満月 MR.MOONLIGHT
ワールド・アパートメント・ホラー
ぼくらの七日間戦争2
天河伝説殺人事件
八月の狂詩曲
あの夏、いちばん静かな海。
大誘拐 RAINBOW KIDS
!〔ai-ou〕
夢二
幕末純情伝
おもひでぽろぽろ
真夏の少年
遊びの時間は終らない
無能の人
風、スローダウン
王手
12人の優しい日本人
ガイバー(実写)
波の数だけ抱きしめて
泣きぼくろ

計164本

・お気に入り
サマー・シュプール
ダークマン
ダブルチェイス
非情城市
コントラクト・キラー
ビルとテッドの地獄旅行
ホット・ショット
ラスト・ボーイスカウト
恋恋風塵
ぼくの伯父さんの休暇
ゼイラム
ヒルコ 妖怪ハンター
あの夏、いちばん静かな海。
風、スローダウン

・非お気に入り
エア★アメリカ
カーリー・スー
虚栄のかがり火
真実の瞬間
ドアーズ
レナードの朝
ケルベロス 地獄の番犬
ゴジラVSキングギドラ
超少女REIKO
超高層ハンティング
満月 MR.MOONLIGHT
八月の狂詩曲
!〔ai-ou〕
12人の優しい日本人
波の数だけ抱きしめて

 1991年。バブルは弾けつつあったが、まだまだ世間は余裕があった。
 最近では3年の時から始めるという就職活動だが、オレが始めたのはゴールデンウィーク明けからだった。
 最近ではどうだか知らないが、当時はリクルートがどかっという資料を卒業見込み者のところに送ってきた。それも無料だ。

 オレとしてはどういう仕事に就きたいか、まるでイメージが湧かなかった。
 私大の商学部経済学科。(現在の名城大学は商学部ではなく経済学部となっている)簿記の資格を取っているわけでもなく、こてこての文系。なんの技術を持っているわけでもなく、まぁ営業職か人事などの管理部門か、職種はそんなところだろう。
 で、どんな業種を選ぶか。どんなと言われても特に魅力を感じる業種はない。
 中学校の時から映画監督になる物だという前提で生きてきたからなぁ・・・

 とりあえずパソコンが好きなので、電気関係にしようか、とえらくいい加減に業種を絞った。
 もともとが横浜生まれのオレとしては、もっとも生まれただけで4、5歳の頃には愛知県に来て愛知県で育った名古屋っ子だが、このままずっと名古屋に住もうとは考えていなかった。
 母親の実家は品川区大崎で、子供の頃から里帰り先が東京だった。親戚も愛知県には一人もおらず、東京、神奈川、埼玉に集中していたの。
 名古屋の学生は地元志向が強いと言われるが、オレは最初っから東京本社狙いだった。

 ○○電気や××電機といった会社に片っ端から資料請求のハガキを出した。
 そして取り寄せた資料を読み、会社説明会などの日程を調べ、興味を持った会社の説明会に参加した。
 そのために買っておいた紺のスーツを着込み、今日は東京、明日は大阪、明後日は名古屋と飛び回った。
 名古屋でも開催してくれる会社は助かるが、東京のみとなると交通費を払って上京せねばならない。他の会社と上手く日程が翌日などに重なると、親戚の家に泊めてもらってホテル代をうかせた。
 6月だっただろうか。東京本社のある電子部品商社S電機が名古屋のホテルで会社説明会を開催した。
 1、2時間ほど説明を聞いたり質疑応答の時間があった後、簡単な立食パーティーが行われた。アルコールはなかったが、会社側がタダで学生に食事や飲み物を食べさせてくれたのだ。
 これまでにも弁当が出るぐらいのことはあったが、これにはちょっと驚いた。
 最近の氷河期と称される就職戦線で戦っている学生さんからは怒られてしまうかも知れない。
 別に飯を食わせてくれたからではないが、オレはこの会社に興味を持って入社試験を受けてみることにした。
 入社試験が行われるのは東京本社。また交通費がかかるのかと思っていたら、人事部から電話があって
「名古屋支社で新幹線の往復切符を渡しますから、取りに行ってください」とのこと。
 入社試験の交通費まで出るのだ。

 新幹線の指定席でゆったりと東京へ行ったオレは入社試験と面接を終わらせ、これまたゆったりと新幹線で帰った。
 さて、次はどの会社にあたってみるかなと資料をめくっていると、1週間ほど後に、また人事部から
「内定です」
 と連絡があった。
 本社を訪れたときの雰囲気や、面接などからもしっかりした会社のようだし、東証一部にも上場している企業だ。
 寮もあるので上京組には助かる。名古屋支社があるので、また名古屋に戻ってくることも場合によってはあり得る。

 うん、ここでいいや。ここに就職しよう。
 始めて受けた入社試験で内定をもらい、そこに就職を決めた。そんなに力を入れていなかったのが逆に肩の力が抜ける形になってよかったのかもしれない。
 こうして、オレの就職活動はおよそ2ヶ月で終了した。
 まだまだ不景気、リストラ、新卒採用を抑えるといった時代だから、こんなお気楽でも何とかなったのだろう。あと1年か2年遅れていたらかなり苦労したはずだ。
 そもそも大学の成績もあまり良いわけではないオレが何故合格したのだろうか。
 ペーパーテストがずば抜けて出来が良かったとは思えない。おそらくは面接での受け答えが評価されたのではないかと思う。
 普段から議論などをする機会が多かったし、バイトで目上の人と話す機会も多かった。それなりの場を経験しているので、面接程度ではあまり緊張しない。
 名古屋出身だが、上京することについてはまったく問題ないとはっきり言ったのも好条件だったのだろう。

 ただし、あれこれあって就職したS電機だが、2006年現在、いろいろあってオレはとうの昔に辞めている。

 まだ新学期が始まるちょっと前。バイト先の担当者から食事に誘われた。
 どうも何か話があるようだ。
「クビかっ?ひょっとしてクビなのかっ?」
 一瞬びびったが、実際はクビではなく、配置換えについての説明だった。

 名古屋のある予備校が、衛星放送を使って講義を配信している。
 そこで使われるグラフィック素材を作る仕事に移る気はないか、ということだった。
 これまでの時間給と違い、1週分の素材を作って2万円。担当者が自分でやってみて1週分を作るのに2日はかかるというから、日給1万円だ。
 1ヶ月は4週なので月に8万は手に入ることになる。これまでの倍だ。
 就職活動でスーツを買ったり、名古屋を出るつもりだったので東京で開催される会社説明会などの交通費も必要だ。そこで配置換えを承諾した。
 一枚目はポイントの部分が隠されていて、二枚目でそこの文章が現れる。
 英語以外でも古典や世界史などでも基本的には同じ。隠れた部分のない、説明用の画像もあるが、これは単に文章を打つだけなので本当に簡単だ。
 担当者からは二枚の画像を別々に作る方法で教わったが、最初に二枚目の画像を作ってそれを保存し、ポイント部分の上にポイント背景と同色の画像を貼り込んで文字を隠す方法で作業時間を半分にした。
 今回作った見本の画像は、それこそ数分で出来たが、当時のDOSを使ったPC-9801シリーズではかなり面倒だった。マウスもないし、CPUパワーも低くて動作が遅い。
 当時のPC-9801は内蔵された漢字ロムで文字を表示していたが、それでは拡大するとガタガタになってしまうので、ハードディスクにアウトラインフォントが収録されていた。これがまた重い。増設グラフィックボードかなにかで解像度を高めてあって、長方形の画像を貼り込むだけで1分ほど処理待ちがある。ソフトも洗練されているとは言えず、正直使いづらかった。だからこそ2万円なわけだが。
 今なら2時間もかからないだろう。時給1000円でも週に2000円。10分の1とはデフレである、価格破壊である。・・・違うか。

 作業場所は名古屋駅近くの会社から八事に移った。
 八事というのは名城大学のある地下鉄塩釜口の一つ西にある駅で、つまりは大学からもアパートからも格段に近くなったのである。
 八事にスタジオがあって、そこで番組の収録をしていた。そこの拠点であるアパートの一室にパソコンが設置されそこで作業をしたのだ。
 最初は学校帰りなどに寄って作業をしていたが、番組スタッフがいていろいろ打ち合わせなどをしているので、集中できない。テレビも付けているので、その音もうるさい。そういえば、雲仙普賢岳の火砕流のニュースを聞いたのはそのアパートでのことだった。
 スタッフが日曜休みなのに合わせて、人が帰った土曜日の夜から泊まり込んで、日曜いっぱいをかけて仕事を仕上げるようになった。
 作業になれてくると、日曜日の朝から夜まで詰めれば終わらせられるようになった。こうなると日給2万円の本当においしいバイトとなった。

 卒業間際までこのバイトは続けた。
 年末にはスタッフが忘年会に誘ってくれた。
 普段、人がいない日曜日に仕事をしているのでほとんど顔を合わせていないのだが、だからこそ出るべきだと出席した。
「一度スタジオも見に来なよ。テレビのスタジオなんか見たことないだろ」と誘ってくれたが、こちらは曖昧に笑ってごまかした。

 後期試験が終わり、大学は春休みになった。
 それまで、学校に行っては講義にも出ずに部室で仲間たちとバカ話や映画の話をしていたが、それができない。
 下宿先のアパートにこもって、日曜祝日にはバイトに行くだけの日々。
 彼女とも月に一度会うぐらいで、ぼーっとする毎日だった。
 そんな無目的な日々が続くうちにまた鬱が戻ってきた。
 調子が悪い日は、ベッドからも出ずに鬱々としているだけ。

 春休みにはシネ研の合宿がある。
 そこで総括呼ばれる反省会が行われる。
 そのために書いたのが以下の文章。

「ベッドの中で考えたこと。

いろいろ考えよう、いろいろ考えよう。
でも何も分からない、何も分からない。
分からないけど考えなくっちゃ始まらないんだ・・・

自分がこのサークルに入ってからもう四年がすぎてしまうことになる。
最近身体をこわしてしまい、家で寝ているうちにいろいろ考えたのだ。
実際暇だったので考えるぐらいしかやる事がなかったのだ。
熱で苦しみながら考えた多くの事は個人的な事なのでここには書かない。
ではシネ研については何を考えたかと言うと、実はほとんど何も考えなかった。
なんでか?
もうどうでも良いと思っているからかも知れない。
何を考えてもしょうがないからかも知れない。

留年してもう一年学校にいることになった。だが今年には卒業である。
もう、自分で8mm映画を制作するつもりは今の自分にはない。
映画に関しては制作現場は個人的には面白くない。
私は一ファンとして映画館で映画を楽しみ、気のおけない奴と映画の話をし、映画について文を書くと言った事が性にあっている。
映画が好きな奴が皆自分で映画をとらなければいけないと言うわけではない。
小説が好きな奴が皆小説を書くかと言うことを考えれば明白である。
読む楽しみと書く楽しみは別である、そして見る楽しみと作る楽しみは別なのだ。
映画を作らなければいけない理由はない。

義務感だけで作った映画はつまらない。
本人が楽しまないで作った物はつまらない。
つまらない、つまらない。
今のシネ研は申し訳ないがつまらない。
刺激がないのでつまらない。
楽しんでいないのでつまらない。

楽しむのだって難しい。
楽しむのにだって、努力や才能がいる。
自分がみた映画の楽しいところについて人に話すこと。
人が話す映画の楽しかったところについて聞くこと。
これが出来なきゃつまらない。
他人に自分が楽しいと思った事を伝えれなければ誰も聞いちゃくれない。
他人の話す楽しさを理解しようとしなけりゃ誰も話ちゃくれない。
人間の関係と言うものは、放っておいては成り立たない。
みんなで作り上げるものなんだ。
話さない、聞かないじゃ、言葉がある意味がない。
他人の見た映画を見ていなかったとしても、話をできるぐらいじゃなきゃしょうがない。
でも、その映画を見てなきゃほんとうの話は出来ない。
映画を多くみることが映画好きと言うわけではない。
でも映画を好きになると映画を多くみると言うことは避けられない。
当然の事だよね。
自分が映画を好きか考えよう、どんな映画を好きかを考えよう。
私は映画が好きじゃないかも知れない。

他人が面白いと言っている話には耳を貸そう。
他人が面白いと言っていた映画が面白く感じられたらその映画を見てみよう。
ビデオだって劇場だって面白ければ大丈夫。
古くったっていまじゃビデオがあるからね。
名作だって350円なら寝てしまっても惜しくない。
自分で面白がろうとしなけりゃしかたない。
ゴダールや小津安二郎だけが映画な訳じゃない。
自分で面白いと思えるものがちゃんとした形で在ればそれで良いんだ。
ちゃんとした形で在れば。

向上心がなければ刺激がない。
楽しもうとしなければ面白くない。
映画だけじゃない。
いろんな事を多く知らなきゃつまらない。
音楽に、小説に、車に、食べ物、女の子。
だけども映画が好きなこと、忘れてしまっちゃしょうがない。
人の持つ興味の方向にはベクトルがある。
もしもあちこちにベクトルを散らしすぎたら動けない。
ベクトルの方向は切り替えることが出来るのだから、必要に応じて向きを変え、いろんな事を深く取り込んで、自分の中で熟成させよう。

人間は一人で生きているんじゃない。
周りにはいろんな人間がいる。
みんな自分のやりたいように生きたいが、他人に迷惑かけちゃいけない。
大人にならなきゃしょうがない。
責任とれないわがままはガキしか言わないものだから。
ちゃんと大人になったなら、自分で後始末できるわがままだったら言いなさい。
他人に甘えることよりも自分に甘えることの方が良くないとどこかで誰かが言っていた。

いろいろ考えよう、いろいろ考えよう。
でも何も分からない、何も分からない。
分からないけど考えなくっちゃ始まらないんだ・・・」


 青臭い文章だが、青臭い時期に書いたのだから当たり前だ。
 うっとおしい文章だが、鬱の時に書いた文章ってのはそんなもんだ。
 当時、映画バカ、映画気違いの集まりだったシネマ研究会が、どんどん普通のサークルになっていった時期である。
 後輩には後輩の意見があるだろうが、オレにはそうだった。
 映画館で観るのが月に2、3本という者の方が多かった。映画のサークルに入りながら、映画に一生懸命でない彼らのことが不満だったのだ。
 映画について突っ込んだ話が出来ないことが不満だったのだ。
 彼女とデートをすることよりも、旅行に行くことよりも、美味しい物を食べることよりも、車ですっ飛ばすことよりも、ゲームをすることよりも、それらの楽しみを合わせたよりも映画を観ること、映画について仲間と話すことの方がずっとずっと楽しい。それが映画バカなのだ。
 だが、後輩たちは、映画も好きだが、デートもしたい、旅行にも行きたい。せっかくの大学生なのだから色々遊びたいといった雰囲気だった。
 ある意味、若者としてはそれも当たり前なのだろうが、映画バカが揃っていた先輩などが卒業していき、オレは滅亡していく恐竜の最後の一頭の気持ちを味わっていた。
 他の何よりも映画が楽しい、面白いと思うんだがなぁ・・・。映画と本とビールがあれば何もいらない、それがオレの青春だった。

 4回目の後期試験である。
 普通の学生ならばこれが学生時代最後の試験となるが、オレの場合は前にも書いたが就職活動など一切しなかったので留年する予定だ。だから、もう一回受けることになる。

 留年するのならば試験をボイコットしてまったく受けなければいいのだが、5年生で受講する講義は限りなく減らして楽をしたい。
 だが、まかり間違って卒業可能単位に達してしまって、卒業してしまっても困る。無職の若者が一人誕生するだけで、これが一番始末に負えない。
 そこで素直に一講義分だけ足りなくなるように試験を受けることにした。
 上手く行けば来年は講義は一つだけ。不可の数をいかに減らすかが勝負だ。

 ノートのコピーを集めたり、ヤマをはって出題ポイントを予想したり。ここら辺はさすがに慣れたものだ。

 結果、一講義を除いて受けた試験は見事パスした。
 落としたのは英語。普通は4年生になる前に英語は修了しているはずだが、落としてばかりでまだ残っていた。
 留年してまで英語はやりたくないので、こいつに一番力を入れていたのだが、見事に落ちた。出席日数もそれほど出ていなかったしなぁ。
 オレは英語が苦手なのだ。いや、中島らもの『明るい悩み相談室』から引用するならば、「英語が無理」なのだ。中学初期で苦手になり、ずーっと苦手なまま。
 英語なんか嫌いだ。日常生活に必要ないじゃん。アメリカ映画だって字幕がついてるから耳でわからなくったっていいじゃん。吹替版だってあるじゃん。

 今さらになって気づいたが、もしもオレが就職活動をして就職を決め、4年で卒業だと試験に臨んでいたとしても、英語を落として留年だったのだろうか。
 ブルブルブル、怖ろしいことだ。

 5年目に取得する必要がある単位は英語が一つと他に一つ。他の一つは自信があるが、英語は自信がない。ないったらない。
 取りあえず休まずに出席するしかない。他の一つはいくつか講義を受けてそのどれか一つでも受かればそれでOKだが、英語は替えがきかない。さすがに6年目は必要ないのだ。

 かくして5年目が始まった。
「人が4年の大学に、5年も通う奴がいる。あーこりゃ剛毅だねー」とジェリー藤尾の物真似をするオレであった。

 現在の今日この頃も、映画バカ青春期でも、季節はそろそろ冬である。
 シネ研では毎年冬になると、スキー合宿が行われた。
 合宿と言っても、必ず参加しなければならない夏合宿や春合宿と違い、総括があるわけでもなく完全な遊び合宿。参加も自由だ。
 オレは1年から4年までの計4回参加した。頭の中で記憶がごっちゃになっているので、今回まとめて書いておく。

 スキー合宿は名古屋駅から深夜バスにて出発する。車中泊で早朝に現地到着だ。
 宿について荷物を下ろし、お茶を飲んで一休み。でもって、スキー場が開く時間になるとさっそくスキー板を手に出撃である。
 まだ、スノーボードの姿がない、そんな時代のことである。
 ホイチョイプロダクションの『わたしをスキーに連れてって』(1987)のヒットなどもあり、猫も杓子もスキーをする時代だった。いや、猫や杓子はスキーをしないが。
 白銀、苗場、ユーミン。だが、オレたちのスキー合宿は苗場なんてメジャーどころではなく、予算優先なのでマイナーなスキー場だ。それに男ばかりで色気も何もあったもんじゃない。あったもんじゃないのに、ラジカセでユーミンを流しながら滑る上級生がいたり、バーンと指鉄砲で撃たれたら転ばねばならないなど、なにをやっとんじゃこいつらではあった。

 スキー合宿は格安のツアーを利用しているが、それでも金はかかる。毎夜毎夜の飲み会の予算だって必要だ。
 そうやって計算していくと、レンタルスキーを借りる金はなんとかなるが、ウェア分が足りない。
 困ったあげく、普段来ていたMA-1と防寒用のズボンで代用することにした。
「見た目はそう変わらないし」
 と思っていたのだが、実際は大違いだった。
 寒さは充分に防いでくれた。身体を動かしているので、防寒性は充分だ。問題は防水性である。転ぶ度にじわーじわーと冷たい水分がしみてくる。
 これが上手い人だったら転ぶことも少ないのだろうが、オレはさしてスキーの経験がない。滑ってはコケ、滑ってはコケ、指鉄砲で撃たれてはコケ。その度に水がしみてくる。かなりしんどい状況ではあったが、それでも仲間と一緒に遊ぶのは楽しかった。
 それにしても、『なるようになる』の劇中でもオレはMA-1を着ていたが、今回の連載のために学生時代の写真を整理してみると、なにかというとモスグリーンか黒のMA-1を着ている。他に服がないのかってぐらいだ。
 オレが最初にMA-1を買ったのは1987年の3月。大学に合格して入学までの春休みのことだ。母親の実家のある東京まで遊びに行き、上野のアメ横でネイビーブルーのMA-1を買った。前から欲しかった物で、自分へのご褒美である。
 だが、この1着目は入学してすぐに先輩の撮影を手伝っていて照明のランプで背中の部分を溶かしてしまった。
 そこでJR名古屋駅の新幹線口側にある生活創庫というビルの地下にある店で買ったのが写真に写っているモスグリーンのMA-1。
 ちなみに、5着目ぐらいになるネイビーブルーのMA-1を今でも着ている。

 夜は飲み会である。2泊の日程となっていたが、もちろん両日とも飲み会だ。
 宿に宴会の準備を任せることも出来たが、それだと金がかかる。酒屋などに手分けして買い物に行ってえっちらおっちら酒やつまみを買ってくる。
 そして、昼間の疲れなど忘れたかのように、どんちゃんどんちゃんと飲んで騒ぐ。
 騒ぐけれども節度は忘れない。他人に迷惑を掛けないがシネ研の飲み会だったのだが、年が経つうちに体育会系的カラーが持ち込まれて、保守派が眉をひそめるという構図にもなってきた。
 これは学祭時の飲み会だが、デロデロに酔っぱらった状態でサッカーボールを奪い合い、ついにはゲロを吐く、通称「ゲロサッカー」などもあったが、正直はしゃぎすぎである。
 これは確か3年の時のスキー合宿だが、M谷というやつがデロデロに酔っぱらって階段から落ち、トイレで頭を洗っているところを発見され、救急車を呼んで病院送りとなった。何針か塗っただけで朝には戻ってきたが、こうなってくるともうなんだかなぁである。
 学生時代の今しかできない。はっちゃけられるうちにはっちゃけようでは、アホな中高生と同じだ。大学生なんだから、他人に迷惑を掛けないにはっちゃけろ。頼むよ、ほんとに。

 最終日、夕方まで滑れるだけ滑ると、荷物をまとめてバス乗り場へ。また深夜バスである。
 早朝に名古屋駅に着く予定でバスは走る。さすがに疲れているのであまり会話もなく、みんな寝ている。
 オレはお土産に買った温泉まんじゅうをつい車中で食いながら、過ぎ去っていく雪景色を眺めるのであった。

 話はちょっと遡るが、夏休みが終わるとオレは下宿先のアパートに戻った。
 夏の間は学童保育のバイトをしていたが、それも終わったのでそろそろ次のバイトを探さなければならない。
 肉体的にきついバイトは無理なので、なんかないかな?とバイト情報誌をめくっていた。
 それを見た同居している姉が、「うちの会社で人を探してるんだけど、紹介してあげようか」と言ってきた。
 どうやらパソコンでデータを入力する仕事らしい。
 詳しい話を聞く&面接でその会社に行ってみた。
 会社の場所は名古屋駅から南へ数キロ行ったところ。買ったばかりの原付で30分ほどの距離だ。

 担当者から説明を聞いた。
 仕事はパソコンでのデータ作成だった。
 高速道路のサービスエリアに情報端末があり、工事や渋滞情報がリアルタイムで検索できるようになっていた。
 その画面情報を作成するのが仕事だった。
 平日と土曜日は社員がやっているが、日曜日と祝日は社員が休みなのでその日に勤務して欲しいとのこと。
 時間は朝の9時から夜の7時まで。時給ははっきりとは憶えていないが1000
円だったと思う。学生のバイトとしては割と高めだ。パソコンの操作ができるというのが条件だったからだろう。今と違い、まだパソコンを持っている人は今ほどいなかった。
 鍵を預かり、無人の会社に一人でいることになるので、信用のおける人じゃないと困るが、その点オレは姉が社員なので保証人がいるようなものだからとのこと。

 身体は使わないし、パソコンに向かって作業をするのは脚本やル・シネマなどの文章書きで毎日やっている。一人っきりというのも気を遣わないので楽だ。
 向こうもかなり状況的に困っていたようで、その場で採用が決まった。
 まずはやり方を教えてもらい、ある土曜日から本格的に仕事が始まった。
 その日は社員の出勤日なので、詰まったときには疑問点を尋ねながら仕事をやった。
 そして翌日の日曜日、朝の8時半頃に職場に原付が到着した。
 その会社は3階建てのビルを丸々と使っており、入り口のシャッターは降りていた。預かっていた鍵でシャッターと玄関を空け、今日はオレ以外に出入りする人はいないので中に入った後で玄関の鍵は閉める。
 二階の職場にあがる。フロアには当然人の姿はない。
 型番は憶えていないがPC-9801シリーズの電源を入れる。「ピポッ」という今となっては懐かしい音がする。

 職場の道路交通情報センターだかどこかから1時間毎にFAXが届く。
 9時の分から始まって午後6時までの計10枚。9時時点の情報が届くのが毎時20分頃。それから作業に取りかかる。
 ドロー系のグラフィックソフト、どうやらその仕事専用に作ったオリジナルソフトらしいが、それに道路のイラスト、雨や雪のマーク、「渋滞5km」などのテキストを入力していく。
 なにぶん、まだDOSの時代だ。交通情報の画面を作るといってもマウスもなくキーボードだけの操作だ。作業効率は低い。
 情報は1時間遅れで表示されることになっているので、締め切りは毎時0分。出来上がったデータをモデムでセンターに転送するのだが、このモデムが2400kbpsだった。当時では当たり前の速度だったが、「転送していくテキストが目で追える速度」と言われていた時代だ。グラフィックデータの送信には10分近くかかった。
 FAXが届くまでに20分、データ転送で10分、合計30分。となると作業に使えるのは残りの30分となる。
 最初の頃は締め切りに間に合わせるのがやっとだった。そして次のFAXがくる20分の間に休憩してまた次の作業。これを1日繰り返す。パソコンでの作業が苦手な人なら「イーッ」となってしまうだろう。
 だが、一人で静かに集中してやる仕事が、鬱から回復したばかりのオレの精神状態にはあっていた。
 ただ、食事を食べに行く時間がないのが困った。おかげでコンビニ弁当ばかり食べていた。

 社員から教わったやり方は白紙の状態から一つ一つパーツを貼り込んでいくやり方だったが、出現する道路状況にそうパターンが多くないことに気がついたオレは、「工事のため渋滞」「雨のため速度○○km/s規制」など新しい状況が発生する毎にそれをテンプレートとして保存しておいて、以降に同じような状況が出てきたら、そのテンプレートを呼び出し、ちょこちょこっと修正をすることで作業時間を大幅に短縮できるようになった。
 2ヶ月もすると30分でやっていた作業が10分ほどで終わるようになっていた。データの転送は数字が伸びていくのを確認しているだけなので仕事と言うほどでもないが、パソコンに貼り付いていなくてはならない。それを合わせても1時間当たり実働20分の美味しいバイトとなった。
 職場に置いてあったX68000でグラディウスをやったりもしたが、シューティングゲームをキーボードでプレイするのは無理があったのですぐに飽きた。
 結局、空いた40分は読書タイムになった。1日で3、4冊は読んでいたはずだ。
 バイト料が入ると、いりなかの三洋堂書店にいっては、入り口のカゴを手に持つと、目についた面白そうな本を片っ端からカゴに放り込んでいった。片っ端と言ってもほとんどが文庫本ばかりなので会計すると1万円台ですんだ。
 そして、その本を職場に持っていき、また読む。
 本棚には本がたまっていった。

 しかし、工事の情報ならともかく、事故や雨の情報を最低で1時間遅れで表示するのにどれだけの意味があったのだろうか、とはちょっと思わなくもない。
 もちろん、完全にリアルタイムにするのは無理だとは思う。オレはカーナビを使っているが、カーナビのFM-VICSの情報も結構タイムラグがあって、「進路上○キロ、事故のため渋滞」とか言っているのに、マップに事故マークがついたところを通過しても何もなく渋滞もないというのはよくあることだ。

 1990年度名城大学シネマ研究会後期プライベートフィルム上映会で『なるようになる』は上映された。
 評価はまっぷたつに分かれた。

 1年、2年にはウケが悪かった。
「話が分からない」
「結局、どんな顔だったの」
「眼鏡が途中で一人になってキャッチボールのボールを奪おうとするのは何故?」
「そもそも、顔を忘れるってどういうこと?」

3年、4年そしてOBには面白がってくれる人もいた。
「中川いさみの『クマのプー太郎』みたいな不条理があって面白い」
「静かに終わるのかと思ったら、いきなりのワルツで吹き出した」
「ウォータークーラーのうがいのシーンは、相手の頭に水を吹きかけないと」

 評価が分かれた理由は、映画には明確なストーリーや説明が必要か否かということを理解しているかどうかだろう。
 ストーリーを把握しようとセリフや行動を追っているとただ混乱に陥る。
 この作品にはストーリーは無いに等しい。そもそも話の筋道などどうでも良いのだ。物語を伝えるためにこの作品を作ったわけではない。

 顔を忘れるという点については
「あ」という文字を紙に100回も200回も、それこそ1000回も書いていると、「あれ?“あ”ってこれでいいんだっけ?こんな字だっけ?」と現実味が薄れ記憶に穴が空くことがある。
 毎日毎日、洗顔や手洗いの時に鏡をのぞいて自分の顔を見ているうちに、ある日突然自分の顔がこんなだったっけか?と疑問を持つこともあるかもしれない。無理矢理理屈を付けるとしたらそういうことだ。
 自分の顔を忘れる、それも記憶喪失だとか何かの事件とかではなく、なんとなく忘れてしまう。そんなバカな話を真面目に淡々と描く。1ヶ所を除いては主人公たちは感情を表さず、笑うことも驚くこともない。ただ無責任に映画は進行していく。

 キャッチボールのシーンは、ラッシュフィルムを観て「ちょっとここにもう1シーン欲しいな」と思い追加撮影した物。
 上映会までもう日が無く、早急に撮影しなければならなかったのだが、眼鏡は部室にいるが顔を忘れた男がいない。
 しょうがないので、眼鏡だけで撮影した。おかげで前後のシーンとまったくつながっていない。
 いっそのこと、主人公二人以外の人間だけで撮影すればよかったかもしれない。
 話の最中に、まったく関係ないシーンが入るというのも面白いではないか。

 写真にどんな顔を写っていたかはオレにも分からない。
 そのままの顔だったのか、アホ面だったのか、あるいは外人だったのかはまったく不明だ。
 そしてその後のシーンでは二人が屋上で言葉も視線も交わさずにたたずんでいるが、無表情で何を考えているか分からない。監督・脚本のオレにも分からない。
 観た人が適当に考えてくれれば、それが正解でもあり、正解など無いという意味では間違いでもある。
 つまりは意味など無いから考えるだけ無駄なのだ。ただ劇中で起こる出来事を観て感じればそれでいい。
 分からなければ分からないというのがその答えだ。
 観て分からん物は聞いても分からん。
 ネットで映画の分からない点を聞いて、それに他の人が答えるサイトがあったりするけど、あれは何の意味があるのだろか。映画はテストじゃないんだから、答え合わせをしてどうするんだろう。自分が観て感じた解釈が正解でいいじゃないか。分からなければ分からないがその答えだ。
 どんどん映画を観て、本も色々読んで、そして久しぶりにその映画を観てみると、前は分からなかったことがパッと分かったりする物だ。人に尋ねるんじゃなくて、そうやって分からないと意味がないだろうに。

「ゴダールとか観るのはいいけど、安易に影響受けすぎ」とOBの一人に言われた。
 いや、確かに1年生の頃はまるっきり分からなかったゴダールが4年になった今では楽しく観れるが、この作品はその時の思いつきだけで撮っていったんで、撮影時にゴダールにしろ同じような即興映画『アメリカの影』を撮ったジョン・カサヴェテスのことはまったく頭になかった。
 即興演出だからと言って実験映画かというと、そういう意志は全くなく、やりたいようにやってみただけ。
 後日書く予定だが、4年生の夏休み中に『 ニューロマンサー』(1986年発行)で衝撃を受けたウィリアム・ギブスンの小説に影響を受け、サイバーパンク映画の脚本を書き上げていた。
 自分としては緻密に書き込んだ作品で、起承転結のある娯楽映画だった。ロケ地も多く、時間としてはおよそ1時間ほどになる計算でいた。
 だが撮影に入って数本フィルムを回した時点で挫折。
 オレには長編を作る力がなかった。これは体力とか精神力だけではなく、人を集め動かす能力とか、さらには金だ。
 それで煮詰まって、また鬱になって、煮詰まって煮詰まって煮詰まりきったら躁転して、その勢いだけで『なるようになる』を撮ったのである。

 基本的に1シーン1カットなので編集は楽だった。ただしオールアフレコなので音入れで苦労した。テープレコーダーを持ってあちこちを歩き回って音を録音する。トイレでマイクを片手にザーッと水を流しているのは奇妙な光景だったことだろう。
 前にも書いたが、シネマ研究会にはサウンドエディターという機器が2台あった。オールアフレコでちゃんと動作と音を合わせることが出来たのはこいつのおかげだ。
 フィルムビューアーに録音ヘッドがついていて、ライン入力やマイク入力から音を入れることが出来る。細かい作業が出来るので、映写機で録音する映写機録音とは精度や手間が段違いだ。
 シネ研では何人もが監督として映画を制作しているので使用頻度も高く、なるべく大事に使っていたのだが、しばしば故障しては修理に出した。もともとあまりヘビーな用途向きではなく丈夫な作りではなさそうだった。
 1990年当時にはすでに生産中止になっていて、中古は10万円台、20万円台の高額な機器になっていた。メーカーはELMOだったと思う。
 あるOBはそのサウンドエディターを個人で所有していた。カメラも20万円台のスーパー8のカメラを持っていて、これが露出合わせやらレフ板やら、そんな凝った撮影をしているとは現場にいて思えないのに、現像があがってくるととても鮮やかでくっきりとした映像がスクリーンに映し出された。
 フィルムも同じ、現像先も同じ。撮影のテクニックにも見るところそんなに大きな差はない。となると、やはりカメラか。というか、レンズか。レンズだよなぁ。

 登校中に思いついた基本アイディアを現場でふくらませながらアドリブで撮った作品なので脚本は存在しない。
 完成した作品を元に脚本に起こすという逆の手順で作ったのが、以下の1990年度後期作品『なるようになる』の脚本である。


タイトル 「なるようになる」

男性用トイレ
―――――――――――――――


男の顔のアップ。
逆光のため影になっていてどんな顔だかは分からない。

顔を忘れた男「ベー、イー、ムニュムニュニュニュニュ」

どうやら顔をあれこれいじくり回している様子。

カットが切り替わって、トイレの全景が映る。手前に小便器。奥に洗面台。
洗面台にこちらに背中を向けて顔を忘れた男が立っている。
眼鏡が小便器で用を足している。
眼鏡は水を流し、洗面台に来て手を洗う。顔を忘れた男をに

眼鏡「お前、何やってんの?」

顔を忘れた男「オレってこんな顔だったっけ?」

眼鏡「そうじゃないの」

ポロシャツの男がトイレに入ってきて、小便器で用を足し始める。
眼鏡が顔を忘れた男の服で手を拭こうとして振り払われる。
そこでポロシャツの男の後ろに行って、そのシャツで手を拭く。
眼鏡がちょっと考え込む。

眼鏡「そういえば、そんな顔だったっけ?」

顔を忘れた男「だろ」

二人は手前側からトイレを出て行く。


廊下
―――――――――――――――


廊下を歩く二人。
カメラは二人の前に立ち、歩く速度に沿って後退していく。
顔をなで回す顔を忘れた男。

二人は立ち止まる。

眼鏡「とりあえず、前は眼が二つ、鼻が一つだった」

顔を忘れた男が自分の顔をパーツを指さしながら
顔を忘れた男「眼が二つ、鼻が一つ」

眼鏡「うん」

また歩き出す二人。

立ち止まる二人。

顔を忘れた男「口はいくつだったけ」

額に手を当てて考え込む眼鏡。
眼鏡「うーん、確かー、口は一つだったと思うけど・・・」

うなずく顔を忘れた男

再び歩き出す二人。


道路
―――――――――――――――


秋空の下、一人で歩く眼鏡。

二人の男が左右に分かれてキャッチボールをやっている。
飛び交うボールをしばし眺める眼鏡。
ボールを投げる瞬間にそのボールを奪おうとする眼鏡。
だがなかなか奪えずに、左右に8回行ったり来たりと走り回る。
9回目に投げ損なったボールは遠くへ飛んで画面の左へと飛び出していく。
ボールを追って左から退場する眼鏡。


2台のウォータークーラー
―――――――――――――――


廊下を歩いてきた二人は、設置されていた2台のウォータークーラーで水を飲み始める。

顔を忘れた男が顔を上げる。

顔を忘れた男「髪の毛は何色だったっけ?」

顔を忘れた男は再び頭を下げて水を飲み始める。
それと同時に眼鏡が顔を上げる。
(以降、セリフ毎にシーソーのように顔を上げる下げるを繰り返す)

眼鏡「うーん、黒だったと思うけど」

顔を忘れた男「金髪じゃなかったか?」

眼鏡「お前って日本人だったっけ?」

上を向いて「ガラガラガラガラ、ペッ」とうがいをする動作を二人が交互に3回繰り返す。


教室
―――――――――――――――


黒板の前に立っている二人。

顔を忘れた男が黒板にチョークで顔の輪郭と眼、鼻、口、耳のパーツを描く。

眼鏡がチョークを奪い、黒板の顔に眼鏡と口ヒゲと頬に丸を描く。

顔を忘れた男がチョークを奪い、角を二本とあごヒゲ、涙を描き足す。

眼鏡がチョークを奪おうとして、もみ合いになる二人。

仰角で撮った顔を忘れた男のカット。

同じく仰角で撮った眼鏡のカット。

黒板の前でにらみ合う二人。
アクション映画の対決前のような雰囲気になる。

そこへMA-1の男(東森時音)が通りがかる。
いったん通り過ぎたMA-1は、何事かと戻ってくる。
そしてにらみ合う二人を他所に、黒板の顔を黒板消しで勢いよく消してしまう。

チョークの粉がついた手をパンパンとはたきながら退場するMA-1。
呆然と見送る二人。

眼鏡「お前の写真、一枚だけなかったっけ」

顔を忘れた男「うん」

眼鏡「探しに行こうか」

顔を忘れた男「うん」


道路
―――――――――――――――


カメラの一人称で道路を疾走する映像。
そのまま1カットで建物の中に入り、階段を駆け上がる。


部室
―――――――――――――――


カンフー男が教則本を読みながらカンフーの練習をしている。

突きを連打しながら

カンフー男「ハッ、ハッハッ」

そこに顔を忘れた男と眼鏡が走ってなだれ込んでくる。
ロッカーや本棚など、部室の中を引っかき回す二人。
机の中から顔を忘れた男が写真の束を見つけ、上から一枚一枚放り投げながら確認していく。
顔を忘れた男の手が止まる。

写真をのぞき込む顔を忘れた男と眼鏡。
凍り付いたように動かず、その表情は無表情で喜んでいるのか驚いているのか、はたまた失望しているのか、さっぱり読み取れない。
しばし立ち尽くした後、写真を放り出して、立ち去る二人。


屋上
―――――――――――――――


小雨の降る屋上。
傘を差した二人が手すりにもたれている。
眼鏡は外側を向き、顔を忘れた男は内側を向いている。
視線も言葉も交わさぬまま、ただ時間だけが過ぎる。
カメラがパンして二人がフレームアウトし、そのまま下にある温室を写す。


温室
―――――――――――――――


傘を相手にワルツを踊る男。
ここで始めて音楽がかかる。
クルクルと回りながら踊る男は、そのまま温室の外に出て踊り続ける。



 1作目『ダイヤモンド・ゲーム』で間がちょっと長すぎるんじゃないかと言われた。
 自分では心地よい間にしたらそうなったので、さてどこに問題があるんだろうかと考えた。
 2作目の『茶の間の生活』では気持ちだけ間を余計と長くしてみた。割といい感じに出来た。
 そこで3作目となるこの『なるようになる』ではこれでもかってぐらいに間を思いっきり長くしてみた。
 脚本に書き起こしてみるとやたらと短いが、これで10分近くある。
 顔を忘れた男と眼鏡の会話のやり取りも、会話のキャッチボールというよりは、投げたボールが暴投でどっかに飛んでいって、拾いに歩いていってのそのそと戻ってようやくと投げる。そんな感じだ。
 二人がただ歩いているだけのシーンもやたらとあって、非常にダラダラとした映画だ。そのテンポがオレには心地よかった。
 唯一映画が緊張するのは、二人が殴り合いになるかという黒板のシーンだが、それを通りすがりの男が文字通り原因を消し去ってしまうという処理がお気に入りだ。

 1990年度後期である。
 前期プライベートフィルム上映会では『茶の間の生活』を公開したが、後期はなーんにもやってない。
 それというのも、集中力がないのだ。
 何か一つのことを考えようとしても、すぐに思考があっちこっちに行ったり、ぼーっとしてしまう。
 どうも、精神科で処方されている薬の作用らしい。
 そのおかげで変に悩んだり考え込んだりしないので、落ち込むことはないのでそちらの方が重要なのだが、困ると言えばやはり困る。

 そんなある日のこと。原付スクターで学校に行く最中にぱっとアイディアがひらめいた。
 突然、自分の顔を忘れてしまい、それを探すってのはどうだ?そこから一瞬でラストまで話が頭の中で構築された。
 ボックス(部室)に駆けつけると、フィルムを余分に持っているヤツはいるか?と尋ねた。一人が手をあげた。そいつからシングル8のフィルムを5本買った。
 さらに「これから時間が空いているヤツはいるか?」と尋ねたところ2年生のA川と1年生のO尻が手をあげた。
「よーし、これから撮影をやるから、お前ら出演しろ。もう数人ついてこい。さあいくぞ」
 いきなり撮影だの出演しろだのひどい話だが、オレは4年生。有無を言わせぬ力関係である。講義があるというヤツを無理矢理連れて行かないだけまだ民主的だ(?)
 ロケ地は大学の中だが、どこで撮るかはまったく決まっていなかった。
 とりあえず、クラブハウスから渡り廊下を渡って行ける4号館へと移動した。
 自分の顔がこれで良いのかを気づくにはどこがいいだろう?鏡を見て気づくのかな、やっぱり。ということはトイレだ。用を足した後で手を洗いながら目の前を鏡に映った自分の顔を見て、「あれ?オレってこんな顔だったっけ?」がオープニングだ。

 こうして、脚本無しの総アドリブ、ぶっつけ本番のちょーいい加減な映画撮影が始まった。
 悩んでだめなら悩む余裕もない実戦に突入したというわけだ。
 どうやら躁状態だったようで、撮影している最中にアイディアが次から次へと浮かぶ浮かぶ。
 2時間ぐらいで5本のフィルムをほぼ使い切り、撮影は終了した。
 企画立案から撮影完了までおよそ3時間。オレの最短制作映画だ。
 ラッシュフィルムを上映して、途中と最後にちょっとにぎやかなシーンを付け足したいなと追加撮影をした。
 基本的に1シーン1カットなので、編集も楽楽。
 音はオールアフレコ。
 『茶の間の生活』では主人公たちからセリフを奪ったが、今度はBGMを奪ってみた。
 アフレコでも限りなく同時録音に近づけようと音を合わせるタイミングに苦労した。
 映写機録音ではなく、シネ研にはサウンドエディターがあったから可能だったのである。
 足音からボールをキャッチボールする音まできちんとタイミングを合わせた。
 粗編集をしたフィルムを上映してみると、これが面白い面白い。
 オレって天才?とか思ったりした。
 やっぱあの時は躁だったんだと思う。

 さてタイトルはどうしようか?『顔を忘れた男』じゃつまらないしなぁなどと思っていると、部員の誰かが持ってきたスポーツ新聞の見出しが目に入った。
 野球選手が発言した言葉が見出しになって使われている。
「なるようになる」と。

 これだっ!とその新聞の見出しを切り抜くと、一文字ずつバラバラにしてからコピー用紙に貼り、8ミリカメラで撮影した。
 こうして、この映画のタイトルは『なるようになる』となった。
 作り始めから、制作過程、タイトルの付け方まで、この映画を象徴する言葉でもある。
 ま、何事も「なるようになる」のだ。

 夏休みが終わり、すちゃらかな大学生活が戻った。
 そして1990年度の天白祭が始まった。
 同期の連中にはこれが最後の天白祭。ただ、オレにはもう一年あるが。

 卒業して実家のある徳島県に戻っていたE谷という先輩がいた。その先輩が天白祭に泊まりがけで遊びに来た。泊まりがけと言っても宿など取っていない。オレたちと一緒に大学に泊まり込むのだ。
「こっちの友達とサバイバルゲームにはまっててさ。そっちにも銃を持っていくよ」という連絡があった。

 相手が銃を持ってくるのならば、こちらも武装して迎えるのが礼儀だろう。
 名城大学から南に2、3キロ行ったところにおもちゃ屋があり、その一角がガンコーナーになっていた。
 そこでMGCのガスガンベレッタM93Rを買った。固定スライド式で、フロンガスで6ミリBB弾を発射する。確か初のガスガンだったはず。『究極超人あ?る』で鳥坂先輩が二挺拳銃で使っているヤツだ。
 弾数は確か30発。固定スライド式なので引き金を引くのに力がいる、いわゆるトリガープルが重いが、命中率は割と良かった。付属の折りたたみ式ストックを装着すると気持ち安定する。
 発射は単発で、引き金を1回引くと弾が1発出る。連射をするには重い引き金を何度も引かねばならない。
 実銃のM93Rには3点バースト機能があって、引き金を引くと3連射することも出来る。
 3点バーストとはどんな風かと説明するよりも『ロボコップ』の1作目でロボコップが射撃場で訓練をしているシーンを見てもらったほうが早いだろう。
「バババッ、バババッ」と細かい連射になっていたが、あれが3点バーストだ。ロボコップの使っているオート9という架空の未来銃はM93Rをベースにして作ったプロップガン(小道具)である。
 ちなみにMGCもガスガンのM93Rをベースにオート9を出していた。後輩のM田が確か買っていた。

 名城大学の裏は八事霊園になっている。いくつもの山を削って作られた広大な墓地だ。
 その一角はまだ荒れ地のままになっている。
 天白祭の前日。後輩たちが準備に飛び回っているなか、徳島から到着したばかりのE谷さんとオレは銃をしまい込んだカバンを持ってその荒れ地に向かった。
 ハンドガンであるオレのM93Rに対して、E谷さんはサブマシンガンを持っていた。それも単発のコッキング式ではなくエアタンクを使った連射可能な銃だ。
 ジーンズにジージャン姿のオレに対して、ダークグリーンのサバイバルゲーム用の衣装を着たE谷さん。
 その時は分からなかったが、始まる前にすでに勝負は付いていた。
 ゴーグルはオーバーグラスタイプのを購入しておいたのだが、E谷さんいわく「密閉型のじゃないと危ないんだがなぁ」とのこと。だが、今さらしょうがないので、そのまま使った。E谷さんはこれから木工作業でもやるかのような、しっかりとしたゴーグルを使っていた。

 背の低い松や雑草の生い茂るフィールドの反対側にそれぞれ付いた。
「スタート」の合図でゲーム開始。
 ハンマーを起こしたM93Rを両手保持して、ゆっくりと前進していく。
 カサカサと聞こえる音はE谷さんか、それとも風が草を揺らしているのか。
 何かが動いた気がして、そちらに向かってパンパンと数発撃つ。
 反応無し。
 勘違いだったかと、さらに前進を続けるとパパパパッと銃声と同時に身体の何カ所かに痛みが走る。ジーンズ生地の上からでもはっきりとした痛みを感じる。
「ヒットー!」
 そう叫んで、殺られたことを示す。

 今度は先ほどと位置を入れかえて、再ゲーム。
 パパパパパッ。
「ヒットー!」

 4?5回ゲームをやったが、一度も勝てなかった。
 大学への帰りがてら話をしていると、
「だって、東森のジーンズの青が遠くからでも丸見えやもん」
 こっちからはE谷さんがどこにいるか、さっぱり分からなかった。そっかー。迷彩服はファッションじゃないのか。実用的だから軍は採用しているのだ。

 そして夜になった。
 シネ研は1号館を入ってすぐ右側を模擬店用スペースとして確保していた。
 そして、そこからすぐに中庭に出ることが出来る。
 天白文化サークル連合のサークル連中のある程度と(この頃には天白文サ連でも泊まり込みをしないサークルも増えていた)学校関係者だけで、中庭に入ってくることはまずない。
 そこは絶好のゲームフィールドとなった。
 翌日の天白祭初日を控えて簡単に終わった飲み会の後、武装したオレとE谷さんは、二人っきりで中庭に立っていた。
 タバコを吸う人の中からマッチ派を探し出して、一本もらい唇の端にくわえた。シネマ研究会ともなると格好つけでライターではなくマッチを使っているヤツがいたのだ。あとは100円ライターではなくジッポを使っているヤツとか。知り合いの漫研のヤツはタバコは吸わないのにいつでもチルチルミチルの100円ライターを持ち歩いていた。それもガスが切れて、シュッ、シュッと何度点火させようとしても火がつかないヤツ。まぁ人それぞれなのであろう。

 マッチを加えたオレの気分は『男たちの挽歌』のマーク(チョウ・ユンファ)
 そして、殺戮のゲームは始まった。

 11月頭の夜は冷える。そして気化させたフロンガスでBB弾を発射するガスガンは低温に弱い。結果、M93Rから発射される弾丸は威力がなくなり飛距離が落ちる。
 それに対してエアタンクの相手の弾は一直線に飛んでくる。しかも連射だ。
 ただでさえハンドガンとライフルで命中精度が違うというのに、これでは勝ち目がない。
 オレは思った。
 ハンドガンよりもサブマシンガンの方が強い。
 単発よりも連射の方が強い。
 しっかり狙って一撃必殺している間に、見当付けて連射されると先に撃たれる。
 せめて、せめてこの93Rがもう一丁あれば。チョウ・ユンファスタイルの二丁拳銃ならばもうちょっとまともな戦いになるのかも知れないのに。マッチだけじゃダメだ。
 とにかく撃って撃って撃ちまくるジョン・ウー・イズムは相手が少ない短期決着ならば実戦でも通用しそうだ。

 リボルバーよりオートマチックの方が強いんだよ。・・・弾数が多いから
 一丁よりも二丁拳銃の方が強いんだよ・・・弾数が多いから
 アサルトライフルやサブマシンガンよりも拳銃の方が強いんだよ・・・絵になるから
 これがジョン・ウー・イズムである。

 昼と同じくボロ負けだった。
 武装だけではない。相手が地元でサバイバルゲームのチームに所属していて、週末はゲームをやっている愛好家に対してこちらは素人。
 それでも万が一の勝ち目ぐらいあるかと思ったが、ないのだやはり。
 気合いがあっても勝てない物は勝てない。根性があっても竹槍でB29は墜とせない。

「1年時間をやるから、せいぜい腕を磨いておくんだな」
 そう言い残すとE谷さんは徳島へと帰って行った。
 屈辱をかみしめながらオレは、「何しに来たんだ、あの人は?」と思った。

 名古屋は田舎だ。そしてトヨタのお膝元だ。
 その二つの要因から、学生の、特に男子学生の自動車保有率は東京などと比べて圧倒的に高い。
 名城大学も当然そうだ。
 だが、シネマ研究会は別だった。貧乏人ばかり集まっているのか、車を買う金があったら映画に使うのか、おそらくは後者が強いのだろうが自動車を持っている者は少なかった。とりあえず、オレの同期はオレも含めて一人も持っていなかったはずだ。
 それでも、大学に入るとすぐに自動車学校に行って、免許は取得している者が多かった。
 ちなみに、名古屋では自動車学校のことを車校と呼ぶ。

 だがオレは4年生なってもまだ免許を取っていなかった。原付免許すらだ。
 留年することを決めたので絶対に今年のうちに取らなければならないということはないが、来年になると就職活動などで忙しくなるだろう。やはり、今年に取っておくべきだろう。
 そこでオレは車校に入学した。
 自動車学校は中部自動車学校。名城大学の裏門を出て、墓の中を通る細い道を下っていき、1、2年時(1年だけだっけ?)に体育の授業で利用したグラウンドの脇を通って、ちょっとあるくと自動車学校だ。
 しかし、なんで大学に入ってまで体育をやらねばならんのだろうか。
 しかし、なんで体育の教師というのは中学から始まって大学までクソ野郎揃いなのだろうか。

 そしてさらに思う。なんで自動車学校の教員というのはああもクソ野郎揃いなのかと。

 実地教習では毎回同じ教員になる場合が多い。
 オレの担当教員がクソだった。でっぷり太って脂ぎった中年男性で、これでもかとばかりに威張りまくっていた。
 こちらの「よろしくお願いします」という挨拶も無視。
 そして、「サイドミラーのチェックがどうの」「後方確認がどうの」「半クラッチが下手くそだぞ、どうの」と最初っから最後までずっとケチの付け通し。
 それも2回は我慢した。
 だが、3回目で怒りが爆発した。
「確認のし忘れは確かに悪い。これは本人のミスだし、指摘するのは当然だ。だが、半クラッチが上手くいかないのは初心者だからしょうがないだろう。まだ慣れていないんだから、ケチをつけるだけじゃなくてちゃんと助言をしろ、助言を」
 そんな具合に怒鳴りつけた。

 その日はそれで終わって家に帰ったのだが、夜になってベッドに横になってから自己嫌悪に陥った。
 怒ったからといって感情にまかせて相手を怒鳴るなど良くないことだ。感情に振り回されてどうする。自己を抑制できなくてどうする。
 そして数日間、落ち込んだ。

 そしてオレは自動車学校の不登校児となった。
 途中までは行くのだが、寒々しい墓の間を歩いているうちに、鬱陶しい気持ちになって引き返してしまうのだ。
 それは数ヶ月間続いた。

 入学から5ヶ月。あと1ヶ月の間に卒業しないと料金が無駄になってしまうところまで追い込まれて、ようやくと再び足が向いた。
 幸いなことに、今度の担当教官は普通の人だった。前の人がクソ野郎だっただけに、普通の人が素晴らしく思えた。
 講義の方は出席をすればハンコはもらえるので特に問題はなかった。問題集も、「これが常識だろ」という答えを選んでいけばほぼ正解だった。
 そして、ラストの1ヶ月で路上教習やら試験やらをこなして、どうにか卒業した。

 運転免許試験場は天白区平針にある。オレの住んでいる原から地下鉄で隣の駅。
 当日は自転車で行った。延々と続く坂道がつらかった。
 学科試験はスラスラと解けた。
 当然であったかのように合格し、オレは普通自動車免許を取得した。
 次に大学へ行ったときに、ついでに足を伸ばして自動車学校へ行って、教官の休憩室にいた担当教官にお礼を言った。
 部屋の隅にはクソ野郎もいたが、オレのことを憶えているのかいないのか、とりあえず目を合わせてこなかった。

 夏のバイト料などが残っていたので、車は無理だが原付を買った。中古だ。
 一気に活動範囲が広がり、どこへでもその原付で走っていった。
 購入してから1年間で走行距離が1万キロを超えた。

 それまではケチをつけたりしても、一種のギャグとして貶していた。腹の中では怒っていても、表面上はヘラヘラしていた。
 だが、この頃から本気で怒ることが多くなった。それも突然カッとなって自分を抑えられなくなる。
 明らかに不正義なこと、理不尽なことに我慢がならない。正義感ぶるわけではないが、頭に来るのだからしょうがない。
 嫌みな担当教官にも、腹では馬鹿にしつつも、はいはい御説の通り、おっしゃる通りですませればいいのだろうが、それが出来ない。
 やはり心のどこかが不安定で、バランスが取れていないのだろう。

アイリスへの手紙
続・赤毛のアン/アンの青春
アゲイン/明日への誓い
アニエスv.によるジェーンb.
アパッチ
アビス
あんなに愛しあったのに
いまを生きる
ウディ・アレンの 重罪と軽罪
エクソシスト3
エリック・ザ・バイキング/バルハラへの航海
エルム街の悪夢5/ザ・ドリームチャイルド
エレベーターを降りて左
狼/男たちの挽歌・最終章
オールウェイズ
男は死んで血を流せ
オリバー/ニューヨーク子猫ものがたり 
俺たちは天使じゃない
ガーディアン/森は泣いている
カジュアリティーズ
風の輝く朝に
カナディアン・エクスプレス
狩人の夜
カンフー・マスター!
キックボクサー
キッス
キャノンズ
Q&A
孔雀王/アシュラ伝説
グッドフェローズ
クライシス2050
クラス・オブ・1999
グレムリン2/新・種・誕・生
グローリー
ゴースト/ニューヨークの幻
コックと泥棒、その妻と愛人
ゴッド・ギャンブラー
殺したいほどアイ・ラブ・ユー
サイボーグ
サンタ・サングレ/聖なる血
3人の婚約者
7月4日に生まれて
ジャッカー
ジャックナイフ
主婦マリーがしたこと
証人を消せ/レンタ・コップ2
ショッカー
スクワッド/栄光の鉄人軍団
ストリート・オブ・ノー・リターン
聖なる酔っぱらいの伝説
ダーク・エンジェル
ターナー&フーチ/すてきな相棒
ダイ・ハード2
チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2
菊豆
デイズ・オブ・サンダー
ディック・トレイシー
テキーラ・サンライズ
デス・リバー/失なわれた帝国
デッドフォール
デモンズ3
デンジャーヒート/地獄の最前線
ドゥ・ザ・ライト・シング
トータル・リコール
ドライビング Miss デイジー
ドラッグストア・カウボーイ
ドリーム・チーム
トレマーズ
ナショナル・ランプーン/クリスマス・バケーション
ネイビー・シールズ
ネバーエンディング・ストーリー第2章
バード・オン・ワイヤー
ハード・トゥ・キル
バーニーズ/あぶない!?ウィークエンド
裸のキッス
鬼軍曹ザック
クリムゾン・キモノ
ショック集団
地獄への挑戦
東京暗黒街 竹の家
四十挺の拳銃
バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3
バッド・インフルエンス/悪影響
パニッシャー
春のソナタ
ファミリービジネス
フィールド・オブ・ドリームス
フォード・フェアレーンの冒険
ブラインド・フューリー
プリティ・ウーマン
ブルースチール
ブルーヒート
ブルックリン最終出口
ベイビー・トーク
ボイス・オブ・ムーン
ホワイト・ドッグ
ホワイトハンター ブラックハート
真夜中の虹
ミクロキッズ
見ざる聞かざる目撃者
ミディアン
メッセンジャー・オブ・デス
メン・アット・ワーク
ヤング・アインシュタイン
ヤングガン2
ユン・ピョウin ポリス・ストーリー
48時間PART2/帰って来たふたり
浴室

リベンジ
レッド・オクトーバーを追え!
レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ
レプスキー危機一発/ロシア皇帝の秘宝
ローズ家の戦争
ロザリー・ゴーズ・ショッピング
ロザリンとライオン
ロッキー5/最後のドラマ
ロボコップ2
バトルガンM-16
ウルトラQザ・ムービー 星の伝説
丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!
東京上空いらっしゃいませ
稲村ジェーン
3-4X10月
バタアシ金魚
香港パラダイス
宇宙の法則
のぞみウィッチィズ
押忍!!空手部
あげまん
天と地と
浪人街
びんばりハイスクール
てなもんやコネクション
櫻の園
われに撃つ用意あり READY TO SHOOT
さらば愛しのやくざ
鉄拳
ZIPANG ジパング
鞍馬天狗
鴛鴦歌合戦
恋山彦
血煙高田馬場
スパイゲーム
女の存在
ファンタジア

合計 140本

良い意味で印象に残っている作品
・ブラインド・フューリー アメリカン座頭市の格好良さにメチャメチャ燃えました
・狼/男たちの挽歌・最終章 チョウ・ユンファにしびれました
・東京暗黒街 竹の家 突発ぶりにいかれました
・狩人の夜 不気味さに恐怖しました
・3-4X10月 震えがきました
・ダーク・エンジェル 宇宙銃に物欲しました
・エクソシスト3 何も無さを怖れました
・ヤング・アインシュタイン バカすぎる天才
・レプスキー危機一発/ロシア皇帝の秘宝 1作目だけは面白かった

違う意味で印象に残っている作品
・いまを生きる 生きません
・ガーディアン/森は泣いている 泣きません
・7月4日に生まれて 生まれません
・キャノンズ 笑えません
・クライシス2050 制作費には皆様の受信料が使われています
・テキーラ・サンライズ キャストの顔ぶれはいいんだけどね
・プリティ・ウーマン 自立しろよ
・48時間PART2/帰って来たふたり 帰ってこないでください
・夢 麒麟も老いては
・ウルトラQザ・ムービー星の伝説  語り継ぎません
・稲村ジェーン 今さら言うまでもないでしょう
・さらば愛しのやくざ 分かってねぇなあ
・ZIPANG ジパング 1990年ワーストワン
・天と地と だから
・浪人街 あのね


『丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!』には制服姿の女子高生の友達連れが観客席に結構いて、それにおどろきました。
 やはり思春期の少女は死後の世界に憧れるのでしょうか?
 1作目よりもSFXのレベルがアップしていて、死後の世界云々は別にして意外に面白かったですよ。
 オレ?オレは死後の世界なんて存在していないと考えています。死んだらそこで終わり。まぁ、生きてても終わってる場合もありますし。
 丹波哲郎にはいろいろと逸話があり、困ったところもあった人な様ですが、人気絶頂期のショーン・コネリーと並んで見劣りしない日本人俳優はあまりいないでしょう。

 自分にとって面白い映画も多かったが、つまらない映画も多い年でした。
 特にひどかったのが『ZIPANG』
 オレはつまらない作品でもどこか良いところを見つけたり、つまらなさをギャグにしたりしてたんですが、そのオレが「どうしたの?東森。悪口しか言わないなんて珍しいじゃんか」と言われました。よっぽど文句を付けまくってたんでしょうな。
 あとは『浪人街』『稲村ジェーン』『天と地と』などなど。バブル経済で余った金を使っていっちょ映画でも作るかといった具合の安易な企画が多かった。

 その代表とも言えるのが『クライシス2050』。
 チャールトン・ヘストンやジャック・パランス、ピーター・ボイルといったハリウッド俳優に混じって一人日本人の別所哲也。SFXはリチャード・エドランドでデザインはシド・ミード。これでもかってぐらい金を使ってます。
 この作品はNHKエンタープライズと学研が制作してます。君ら、映画制作が仕事じゃないだろ。
 制作費の一部は皆様の受信料なんですよ。制作時にはまだNHKでバイトをしていましたが、NHKの社員ですら「しょうもないことに金を使うよな」って言ってました。
 たまたまある映画関係者の方と個人的にお話しする機会があったんだが、
「世界公開を目標とした映画を作ったって、配給ルートも確保できてないのに無理だよ。それに未来の衣装がいくらなんでも時代遅れだ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』で未来に行くシーンがあるけど、比べものにもならないよね」という話だった。
 もちろん映画はどっかーんと大コケし、70億円という制作費は回収できるはずもなく、赤字をこさえたはず。それも1億2億といったレベルじゃなく数十億レベル。
 それでもNHKエンタープライズの担当者や責任者には特に処罰がなかったんじゃないかな。
 一般企業で数十億の損害を出したら、普通はクビか降格と左遷でしょ。
 ま、バブルもボチボチはじける寸前なワケですが。

 大学が長い夏休みに突入した。
 その夏は帰郷して実家で過ごすことにした。
 帰郷と言ってもオレの実家は愛知県半田市。下宿先の名古屋市天白区からは電車で1時間半程度の距離だが、年に数度しか実家には帰っていなかった。
 体調も精神状態も落ち着いていたので、ぼちぼち夏だけの短期のバイトを探す気でいた。
 あまりきついバイトは無理だしなぁ、とバイト情報誌などをめくっていると、当時、高校の購買で働いていた母親が一人の先生を紹介してくれた。
 その先生は半田市は岩滑(やなべ)にある学童保育の役員だかをしていた。
 その学童保育では普段は中年の女性が一人働いているだけだが、夏休み中は開園している時間も長いし、子供の数も増えるので、人手が欲しいとのことだった。

 学童保育とは共働きなどで家に日中のあいだ親がいない家庭の子を集めて面倒を見る組織のこと。塾ではないので勉強を教えたりはしない。保育園の小学校版のようなものだ。
 仕事は子供の面倒を見ること。大雑把に言えば一緒に遊ぶことだ。ガキどもは15人ほどいたはずだ。
 “遊んであげること”と考える人もいるだろうが、オレがやったのは一緒に遊ぶ事だった。
 トランプやボードゲームをやったり、裏の空き地でセミ取りをしたり、市民プールではしゃいだり。低学年の子と一緒に絵本を読んだこともあった。

 この頃、チャールズ・ブロンソンにはまっていて、彼をまねて口ひげを生やしていた。当然、ガキどもからは“○○ヒゲ”というあだ名で呼ばれることとなる。(○○はオレの苗字の頭二文字が入る)
 ガキとはいえ、ちっとは工夫しろ。せめて「チャールズ・東森」とか言えよ。
 この1990年には『メッセンジャー・オブ・デス』、『バトルガンM-16』と2本のブロンソン映画が公開されている。そして、愛妻ジル・アイアランドを長い闘病の末乳ガンで失い、映画界から退いた年でもある。
 そのチャールズ・ブロンソンを「妻を亡くして寂しさに耐えられずについに猟銃で頭を吹き飛ばしてしまう」役で復帰させたのが『インディアン・ランナー』で初監督を務めたショーン・ペン。この冷徹さがとても美しく、そしてショーン・ペンからチャールズ・ブロンソンへのエールだったのであろう。
「ここで悲しさによってあんたを殺してやる。だから生き返れ」と。

 2泊3日のキャンプにも行った。
 常任の女性、もう一人のバイト学生、他に保護者が数人一緒だった。
 他の人は子供のやることにあれこれ口を出して、飯ごう炊飯でも「ああしろ、こうしろ」とやかましかったが、オレは自分が担当した班のガキどもには好きなようにやらせていた。どうしても駄目だったらその時だけ手助けをしてやる。
 1回目のご飯は上手く炊けなかった。2回目はちょっとマシになった。3回目からはちゃんとしたご飯が炊けるようになった。
 あのガキどもは、その後何度やっても上手く炊けるようになっただろう。そういうものだ。

 ガキと一緒に走ったり、泳いだり、笑ったり。
 まとわりついてくるガキを持ち上げたり振り回したり、身体も思いっきり使った。
 小学校5年生の女の子にラブレターをもらった。生まれて初めてのラブレターだ。「10年経ったらな」と返事を書いた。
 最初は適当にやっていたのが、途中からは本気で遊んでいた。楽しかった。

 そしてオレは元気になった。
 映画作りもリハビリになるが、ガキと本気で遊ぶのもリハビリになるのだ。

 あまりに不安定な日が続いたので、これはやばいかもと精神科を訪れた。
 医師は「鬱と言うかアイデンティティの消失でしょうな。目標を失って混乱しているんでしょう。なんにせよ焦らないことです」、はっきりとは憶えていないがそんなことを言って、薬を処方してくれた。
 どんな薬だったか憶えていないが、それを飲んでも特に変化はなかった。
 そして1週間が過ぎ、2週間が過ぎた頃に、ふと気がつくとそれほど不安ではなくなっていた。相変わらず不安定ではあったが、最悪の時期と比べるとだいぶ楽になっていた。

 うん、焦ることはないのだ。空は青いし雲は白い。大丈夫大丈夫、黙ってオレに付いてこい。
 そんな風に思えるようになった。

 処方された薬は抗うつ剤か精神安定剤のたぐいだろう。
 いやー、なんというか効くもんだ。
 オレの落ち込みは精神的な物なのに、薬という物理的な物がちゃんと効果を現すのだ。人間の精神というのは高尚で神秘的な物というイメージが多少あったが、どうもそうでもないらしい。
 人間の思考はシノプスやらの結合とそこを流れる電気信号で出来ている。脳内物質で鬱になったり躁になったりするものなのだ。
 考えてみれば、お酒を飲んで陽気になるのはアルコールが脳に作用するわけだし、麻薬でハイになったりするのも物質が脳に作用して起こる現象だ。
 さんざん落ち込んだり悩んだりしたのが、薬を数週間飲んだだけでかなり改善されてしまうというのは、面白くもあり、ちょっと虚しくもあり。

 こうなると、就職?それがどうした、どうってこたぁない。といった気分になってくる。
 今は頭が混乱して迷っていて、どんな職に就くか決めれないならば、決断の時期を先に延ばせばいいじゃないか。
 そう、何も今年就職しなければならないという法律があるワケじゃないのだ。
 大学を卒業して就職浪人だと就職活動が大変だろうから、わざと留年してもう1年学校に残れば良いではないか。現役で入ったんだから、受験浪人したと思えば同じような物だ。
 よーし、留年するぞっ!1年あればなんとかなるだろ。
 さすがに怒られそうなので、親には「今年で卒業に必要な単位を取るのは無理」と報告した。NHKのバイトでほとんど講義に出ていないのは知っていたようだし、腎臓の病気のことも当然知っていたので、さほど文句は言われなかった。
 実際には充分卒業可能な成績だったわけだが。

 92章から数章に渡って書いた、自主映画『茶の間の生活』は撮影したまま数ヶ月ほったらかしだったが、調子が良くなってきたし、就職活動もしないので時間もある。そこで編集を始めたら、これが面白い面白い。
 コツコツ編集作業を続けているうちに、精神状態はますます改善されていった。
 映画作りはリハビリにもなるようだ。

 退院後、職場には訳を話して辞めることとなった。
 10ヶ月ほど働いた職場を後にして、アパートに戻ってボーッとしていた。
 時期は1990年の5月頃だったと思う。

 オレは大学の4年生。大学の場合“年生”ではなく“回生”を使う場合もあるが、名城大学シネマ研究会では“年生”を使っていて、それが馴染んでいるので4年生とする。
 バブル末期の当時は人不足で就職活動は今ほど過酷ではなかった。
 4年生の5月になってから就職活動を始めても大して遅くはない。充分に間に合う時期だった。
 だが、どこに就職する。どんな業種に就く?中学時代から映画監督しか考えていなかったオレに何が出来る。
 大学は文系の経済学部。簿記とかは取っていないのでこれといった資格はない。それどころか運転免許証すらない。求人であるとしたら営業職ぐらいだろう。だが、どんな業種のどの会社相手に就職活動をする?

 なーんにも思いつかなかった。ただただ頭が空回りをするだけだった。
 ずっと夢だったこと、いや確定事項だと思い込んでいた明確な道が突然消え去った。
 目の前に広がるのはただ広大な荒野だけ。道しるべもなにもない。
 どーすんだよ。どーしよう。どーしようもないよな。
 これまではわりとエネルギッシュな性格だったと思うが、それがすっかり腑抜けになっていた。
 それでもシネ研に顔を出して、友人たちと顔を合わすと無理にはしゃいで、家に帰ると反動でどーんと落ち込んだ。
 食欲もなくなって、体重も減った。集中力もなくなった。

 子供の頃から寝付きが悪かったオレだが、この頃には完璧に不眠症になっていた。ベッドに横になってもまるで眠れず、3時間4時間過ぎることもよくあった。
 イライラして不安で、目を閉じていることも出来なくて、近所の公園のグランドをグルグルグルグル、夜が明けるまで歩いたこともある。
 オレもオレを取り巻く世界も、何もかもが現実味を失っていた。

『キッズストリート』第2話撮影中に40度近い高熱を出した。
 医者に行ったらそのまま入院。都合5日間の入院だった。
 医者の診断によると、腎臓が炎症を起こしているということだった。それも急性ではなく、熱を出す前から軽い炎症を起こしていたのだという。慢性腎炎との診断だった。

 オレは小学校低学年の時に2週間ほど入院したことがある。その時の病名が腎炎だった。
 見た目はがっちりしていて体力がありそうなオレだが、実は身体が弱い。小学校の時は取りあえず炎症は治まったが、生まれつき腎臓が弱いと医者から言われた。
 そしてそれから約10年、大学4年生のオレはまた腎炎で倒れた。
 細菌性などではなく、疲労から来る物だろうという診断だった。確かに、撮影が始まってからのバイトは激務だった。朝は早く、夜は遅い。でも、肉体的・精神的にそれほど負担があるとは感じていなかったし、それどころかやりがいがあって面白くてしょうがなかった。
 だが、身体は正直である。根性出せよと根性論を持ち出す人もいるかも知れないが、40度の熱が出て、身体がむくんで、とにかくだるくて力が出ない。根性でどうなる物ではない。

 医者からは当分の間、安静にするようにと言われた。
 今回の炎症はとりあえず治まったけど、慢性化してるから下手をすると腎不全になって、場合によっては一生人工透析をすることになるよ。脅してるんじゃない、君の腎臓はそういう腎臓なんだから。まぁ、普通の生活をする分には支障がないから。

 立っている地面が突然無くなって、どこまでも下へ下へと落ちていくような感覚だった。
 卒業までこのままNHKでSDのバイトを続けるつもりだった。
 そして卒業後は、ディレクターから「就職はうちで大道具・小道具の仕事をやっている美術の会社あたりに紹介してやるから」と言ってもらっていて、映画監督は無理だけど映像関係の仕事に就けると思っていた。 だがそれもこれも全て水泡となって消えた。

 名古屋市千種区に東山給水塔という古びた給水塔がある。
 1930年(昭和5年)に建てられた円筒形をしたこの給水塔は、1973年をもってその役割を終え、現在は地震などの災害時用の貯水タンクとして使われている。
 リンク先の写真にもあるとおり緑のツタで覆われ、不思議めいた雰囲気を醸し出している。
 上水道施設の中にあるので、普段は遠くから見ることしかできないが、今回はロケハンと言うことで、給水塔の内部を見せてもらい、さらには上部にある展望台まで上らせてもらった。
(現在は年に2回一般公開されており、展望台にも上れるそうだ)

 給水塔の足元まで来て上を見上げる。ツタが絡まる古びた建物は、まるで怪人20面相がアジトにして使っていそうな趣き。
 建物の中は改装されていて意外とキレイ。展示物も掲示されていて、一般公開用なのだろう。
「中は使えないね。これじゃ普通の展望台だ」とはM本さん。
 外に出て写真を撮りまくる。下まで寄って仰角で仰ぎ見たり、遠くから背景として撮ったりいろいろ。
 東山配水場のタンクが地下に埋めてあって、その上は芝生が植えてある。実際には住宅地のど真ん中にあるのだが、構図によっては人家から遠く離れた隠れ家にも見える。
 敷地内にはいくつかこれまた古い煉瓦造りの小さな建物もあって、もちろんこれも写真に撮る。

 続いて名古屋城へ。
 ここは特にロケハンだと断らずに、普通に入場券を買って中に入る。
 桜が咲いていた記憶があるので時期的には春だったのだろう。
 城壁の一部がスライドして穴が空き、そこから地下迷宮に入っていくという設定なので、城壁を中心に写真をパシャパシャ。
 オレは愛知県育ちだが、名古屋城に来たのはこれが初めてだった。ま、観光名所に地元民はあまり行かないわな。江戸時代に建てられたままの城だったらまだしも、名古屋城は第二次大戦中の空襲で焼け落ちて、戦後になって再建された物だ。でもそれ以前の作りとは違って鉄筋コンクリートだったりする。
 名古屋の空襲に関しては101章でも書いたが、名古屋には軍事工場、特に戦闘機の工場が多くあったそうだ。
 そのため空襲で爆撃を受け、名古屋の中心部は焼け野原となった。そこへ戦後、実力派の市長だかが強引に都市計画を推し進め、片側2車線を中心とした幅広の道路を張り巡らせた。
 名古屋のNHKは栄という繁華街にあるが、ここは100メーター道路と呼ばれるやたらと広い道路で有名だ。
 ただし、空襲の被害を受けなかった周辺部に行くと、とたんにゴチャゴチャとした狭い道となる。オレの通っていた名城大学近くの八事周辺は細い道の一方通行だらけで、原付で走っていて苦労した。自動車だったらさらに大変だろう。

『キッズストリート 第一話危機一髪!美少女博士』の撮影は終わったが、全5話のミニシリーズなので、次の話の準備をしなければならない。
 このシリーズの中で、バイト採用時にオレの面接をしてくれたり、他にはいろいろ面倒を見てくれたり、仕事帰りにビリヤード練習場へ連れて行ってくれたM本さんが、初のTVドラマでのディレクター(監督)をやることになった。
 それまでにラジオドラマのディレクターをやったことはあるが、TVドラマとなると関わる人数、ロケやスタジオなど規模が全然違う。
 M本さんが担当する話はSF仕立てで、地下迷宮に潜り込んだり、名古屋のテレビ塔が宇宙船になって飛んでいったりとにぎやかな内容だった。
 そのロケハンの多くにオレはM本さんに同行することとなった。
 ロケハンとはロケーション・ハンティングの略。ロケ地を探し歩くことだが、実際には資料で下調べをした上で、使えそうだと思える場所を訪れる、いわば下見の様なものだ。
 オレはM本さんの指示で資料を調べたり、訪問の予約を取ったりした。NHKの名前はやはり強くて、役場や企業に電話をしてもきちんと対応してくれ、断ってくるところはほとんどなかった。

 劇中で名古屋城の城壁にある秘密の扉から地下迷宮に入る。
 その地下迷宮のロケ地候補となったのが瑞浪市の三菱航空機瑞浪地下軍需工場跡地だ。
 オレの育った愛知県半田市には第二次戦時中、中島飛行機の軍需工場があった。そして、そのため半田市は空襲を受け、学徒動員などの学生を含む一般市民も死亡した。名古屋の空襲も軍需工場が標的だった。
 軍部は空襲で被害を受けないように地下に穴を掘って空洞を作り、そこに軍需工場を造ろうとしたのだ。長野の地下大本営みたいな物か。無茶な話だ。
 実際には掘っている最中に戦争が終わってしまい、瑞浪市にあるのは碁盤の目状に張り巡らされた地下通路が残っただけ。
 だが、その掘っていった地下通路から幾種もの化石が見つかり、今でのこの軍需工場跡地横に化石博物館が建っていて、今では子供たちなどに人気のスポットとなっている。皮肉と言えば皮肉な話だ。

 固い地盤に穴を掘っただけで、柱や板などで補強もされておらず岩盤が剥き出しで危険なため、一般向けには入り口部分しか公開されていない。
 そこへ、ロケハンということで特別に中の方も見せてもらった。
 地下トンネルというと狭く息苦しい物を思い浮かべるだろうが、ここは通路ではなく工場にするために掘った物なので横幅も高さもあり広い。はっきりとは憶えていないが、横幅が3?4メートル、高さが3メートルはあったのではないだろうか。
 そのトンネルが碁盤の目状に交差しながら延々と続く。
 ところどころに水たまりはあるが、足元はしっかりしている。
 カメラ担当のオレは、M本さんに指示されたところをパシャパシャと撮っていく。
 映画で色々な光景を観てきたオレだが、現実の目の前に広がる非日常的風景にはさすがに言葉を失って、「うわー、すごいですね。ここ天井高いですね」と騒いでいた。って、言葉失ってねーじゃん。

 案内していただいた係の方に丁寧に頭を下げた後、午後に向けて昼食タイム。
 M本さんが調べてきた、チャーシューメンで有名というラーメン屋に行った。
 当然、二人ともチャーシューメンを頼む。
 出てきたチャーシューメンには言葉を失った。
 厚さ1cmぐらいはあるチャーシューが何枚ものっていてスープの上を埋め尽くしている!
 ちなみに言葉を失った理由は、必死で食べていたからだ。物を口に入れてしゃべっちゃダメだぞ。
 チャーシューの厚さと量にはさすがに驚いたが、味は普通のラーメンだった。

 午後からダムのロケハンへ。
 ダムの外観のロケハンではなく、地下通路のロケハンなのでダムの中に入れてもらう。
 鉄製の階段を上ったり降りたり。コンクリートの通路が延々と遠くまで伸びているのに驚いたり。
 この時始めて知ったのだが、ダムの壁面、あの水を食い止めている壁の中には通路が走っていて人が通ることが出来るんだね。まぁ、そうじゃないと補修も出来ないわな。
 同じくダムが舞台の『ホワイトアウト』にも通路が出てきたが、確かにあんな感じ。

 この頃になると、スタッフと一緒ではなく単独で行動することも増えてきたので、オレの名刺を作ってくれた。
 まだパソコンで簡単に作れる時代ではなかったので、ちゃんと印刷会社で作った本式なヤツだ。これがオレがもった初めての名刺になる。
 NHKのSDには制服があるわけではないので、オレは私服のいかにも学生のバイトにしか見えない。だが、日本放送協会と書かれNHKのロゴが入った名刺を差し出すと相手の態度がコロッと変わった。
 やはり名の通った企業は違う、というか、NHKの場合は一種の権威というか権力なんだなぁと思ったりもした。
 名刺を受け取った途端、「今日は何のご用で?」といった態度になる人に対して、偉くなった感じがするとか優越感を抱くといったことはなく、それどころかなんかやりきれなかった。
 名刺を出す前も出した後も、オレはオレなんだけどね。

 撮影は集中して行われるが、毎日あるわけじゃなくてたまには撮影のないオフの日もある。
 主人公の子供たち5人の内3人は東京から来てホテルに滞在している。
 撮影が休みだからと言って、じゃあ休んでてね、とほったらかすわけにも行かない。
 ホテルにこもり切りじゃ退屈だろうし、ホテルのある栄は大人向けの繁華街で、小学生にはあまり遊ぶところがないだろう。
 そこで上の方から、オレがその3人を動物園にでも遊びに連れて行けとの命令が下った。
 オレは保父じゃねーっつーの。

 行き先は名古屋人なら誰でも知っている東山動物園。1990年前半のある日だった。
「遊園地はどうですか」とスタッフに言ったら、「そういうところは怪我をする可能性があるから」という返答だった。
 二十歳過ぎの好青年と女の子一人、男の子二人。学童保育の引率といったところか。
 同行した子供たちは、主人公の飯泉征貴、その妹役の飯塚雅弓、そして主人公の友人役のふとっちょ。
 象を見たりライオンを見たり。1984年に東山動物園に来たコアラを見たり。まさに遠足だ。
 でも、さすがに東京で活躍している子役だけあって発言もしっかりして頭もよかった。オレのガキ時代とは大違いだ。
 とはいえ、やはりガキはガキで、オレが飯塚に「ブスが転んでコロンブス」とか言ったら妙に男二人に受けて、「コロンブス」「コロンブス」とはやしてからからかっていた。
 イジメんなよ、お前ら。あっ、言い出したのはオレか。

 その後、飯泉征貴はドラマや映画に出演し、現在でも俳優・声優として活躍している様子。
 飯塚雅弓は『おもひでぽろぽろ』(1991)のキャスト欄に名前があった。判別できなかったが、主人公の少女時代のクラスメイトの一人だろう。
「そうか、飯塚は声の仕事もやるのか」と思った。
 その後、オレはTVドラマは観ないが、とりあえず映画には出ていないので、ひょっとしたら引退したのかなぁと思っていた。
 と、1990年代後半、久しぶりに会った大学の同期で一緒にNHKでバイトをしていたYが「飯塚、すげぇなぁ」と言ってきた。
 最初は「飯塚?誰それ」だったが、「ほら、『キッズストリート』の女の子だよ」で思い出した。
「ふーん、ドラマかなんか出てるの」
「バカ、お前知らないのかよ。ポケモンだよポケモン。ポケモンのアニメで主役キャラの一人をやってるんだよ」
 これにはさすがに驚いた。ポケモンと言えば当時人気絶頂、今でも人気絶頂のゲーム&アニメではないか。
 さっそくその週の放送日放送時間にチャンネルをテレビ愛知に合わせた。
 番組が始まる。主人公は男の子2人、女の子1人。男のうち一人は男性が声を担当しているのでこれは除く。主人公のサトシは松本梨香。松本梨香は女性だが、これは当時アニメを観ていなかったオレでもさすがに違うと分かる。となると、残ったのは女の子キャラ、カスミだ。んー、ということはこれが飯塚か?こんな声だったような、違ったような。
 エンディングでキャストが表示され、ようやくカスミ=飯塚雅弓だと判明した。
 そっかー、国民的アニメの主役キャラの一人にまでなったのか。あのチビ助がねぇ・・・ちょっと感慨にふける。

 『子どもパビリオン・キッズストリート』第一話に登場する美少女博士には身辺警護のSPが数人付いている。
 そのSPのボス役が決まるまでにちょっとゴタゴタした。
 最初に候補に挙がったのはサンダー杉山。ハゲ頭がトレードマークのプロレスラーだ。
 だが、出演料交渉でかなり高額を吹っかけてきたらしく、予算不足で×。
 続いて、体格の良さから元ビジー・フォーのウガンダの名前が挙がったが、「この人は音楽関係だろ。放送前に薬で逮捕されたりすると困るからな」という理由で×。
 ウガンダ氏の名誉のために言っておくと、ディレクターの発言はまったく意味のない偏見による物で、ウガンダ氏が薬物をやっているとかそういう確証も何もない単なる放言。最近ではウガンダ氏はNHK教育に出演したこともあるようで、何ら問題のない方である。

 ここで、ディレクターとしても特に期待して聞いたわけではないだろうが、オレとU場さんに「誰か良さそうな人がいないかね」と話を振ってきた。
 サンダー杉山の流れからなんとなく「山本小鉄はどうですかね。プロレスのレフリーや解説をやってるスキンヘッドの人なんですが。元プロレスラーなんで体格も良いし迫力ありますよ」
 本当に思いつきだけで言ったのだが、ディレクターが「ふむむ」と何やら考え込んでしまった。
「よし、その山本小鉄に関する資料を明日までに揃えておけ」
 そう命令された俺とU場さんであった。
 ただ、このエピソードは記憶があやふやなのでU場さんが言い出したのを勘違いしている可能性もある。とりあえずオレたち二人のうち、どちらかなのは確か。

 資料と言われても今のようにネットで情報収集が出来るわけでもなく、NHKの資料室にもあまり詳しい文献はない。マイクロフィルム化された新聞はあるが、一般新聞なのでプロレスの記事はほとんどないのだ。
 ところが、U場さんの弟がプロレスファンで、プロレス雑誌をずっと買っていることが判明。何冊か見繕って持ってきてもらうこととなった。
 山本小鉄さんの写真が載ったプロレス雑誌数冊と、オレが調べてきた山本さんの身長体重などの基礎データをディレクターに提出。
 そしてあれよあれよと話が進んで、SPのボス役は山本小鉄さんが演ずることになった。

 ロケバスでの移動中に近くに座る機会があって、ちょっとばかりお話をさせていただいた。身長は170cmのオレとほとんど変わらないが、丸太のようにがっしりとしていて、さすが元プロレスラー。実に強そうで迫力がある。
「出演依頼が来るのはほとんどが悪役で、今回みたいに正義の味方ってのは珍しいからね。それだから引き受けたんだ」
 確かに美少女博士を守るSPだから正義の味方とも言える。終盤には悪人との対決もあるし。
 話の折に奥さんのことが出てきたが、あの厳つい顔がとろけるように変わる。どうもすごい愛妻家の様子である。
 他にも、オレのような下っ端スタッフにも言葉が丁寧だし、ちゃんと対応してくれる。実に素晴らしい人であった。芸能人専門の人だと、SD(AD)など人間扱いしない人もいる。オレはヒエラルキーの最底辺の存在なのだ。

 この回には、年長の女の子の姉役としてキューティー鈴木も出演しており、ちょっとしたアクションシーンもある。
 山本小鉄さんとキューティー鈴木共演ということで、プロレス雑誌の記事にもなったと聞く。

 『子供パビリオン』や『キッズストリート』に関してはネットで検索してもほとんど情報がない。ソフト化もされていないようだが、せめて簡単な情報だけでもNHKはまとめておいてくれないだろうか。
 第1話は『危機一髪!!美少女博士』というタイトルだ。どういうわけだか『美少女戦士』と記載されているサイトがいくつか見受けられた。まぁ一文字しか違わないと言えば違わないが・・・博士と戦士じゃ大違いだ。

 簡単にストーリーを要約すると、主人公は5人組の子供。女の子2人に男の子3人。なんか戦隊物の人数と比率だ。
 彼らが暮らす街、名古屋にアメリカから美少女博士がやってくる。アメリカ人のその少女は10歳でMIT(マサチューセッツ工科大学)を卒業した・・・のかどうかはしらないが、まだ小学生高学年の年頃なのに博士号を持つ天才だ。
 その美少女博士が警護のSPの隙を突いて逃げ出し、主人公たちと知り合ってつかの間の休日を楽しむ。
 しかし、彼女の天才的頭脳を狙う悪の組織の魔の手が伸びてくるのであった。

 ぶっちゃけ言ってしまうと『ローマの休日』の子供バージョンだ。年長の男の子との淡い恋心のシーンもあるし。
 この美少女博士はオーディションで選ばれたお父さんがアメリカ人、お母さんが日本人(だったかな)のハーフの女の子。演劇経験はほとんど無しの素人さんだった。可愛らしい子ではあったが、度の強い眼鏡をかけていて、美少女?ではあった。さすがにラストシーンの決めぜりふ「Someday,Somewhere,we will meet again」をしゃべるシーンの発音が上手い。当たり前と言えば当たり前だが。

 主人公の子供たちが博士の天才ぶりを知るシーンはゲームセンターだった。
 難易度の高いゲームを、初プレイの博士が簡単にクリアしてエンディングまで行ってしまう。
 このシーンの撮影にはゲームをクリアできる人間が必要だ。
 そこでオレに命令が下った。
「そのゲームをクリヤしろ」
 なんかクライブ・カッスラー作品のタイトルのようだ。
 その回のディレクターと一緒にロケ地となるゲームセンターに行った。
 オレはR-TYPEや雷電などシューティングは多少やり込んだので、できればその手のゲームを選んで欲しかったのだが、ディレクターが「これが良いだろ」と示したのは兵士が武器を使って面クリしていく横スクロールのアクションゲームだった。
「アクションゲームはあまりやったことないんですけど」
「とやかく言わずこいつをクリアできるように特訓をしろ。ゲーム代と時給は出すから」
「はぁ・・・」
 こうしてオレは職場公認で仕事としてゲームセンターに行き、ゲーム代はNHK持ち、しかも時給1000円という、ゲーム好きならば嬉しくて仕方ない状況に身を置くことになった。
 だが、友達と週に1、2回ゲーセンに行って2、3プレイするだけのオレには、「クリヤしなければならない」というのはかなりの重圧だった。
 それまでにゲーセンでクリアしたゲームはR-TYPEぐらい。シューティングと横スクロールアクションではまるで勝手が違う。
 ゲームのタイトルは忘れてしまったが、近未来が舞台でプレイヤーは主人公の兵士を操り、様々な武器や乗り物を駆使して敵を倒していく。確かSNKのタイトルだったと思う。
 毎日仕事帰りにゲーセンに通った。積んだコインがどんどん減っていく。
 それでも、毎日毎日金をつぎ込めば、敵が出現するパターンやタイミングも身についてきて、飛び交う銃弾をドット単位で避けるテクニックを習得した。

 そしてついにゲーセンでのロケ。
 博士がゲームをスタートするところまでやって、そこからはオレが引き継ぐ。
 子供たちやスタッフが見守るなか、多少緊張していたが意外と本番は強いのでバリバリザッザッと兵士を操っていく。2度ほどコンティニューをしながらプレイを進め、ついには巨大ラスボスのと対決。こいつを
「一撃でクリアー!」
 こうしてゲームはエンディングを迎え、スタッフクレジットが流れ始めた。

 ふっ
 そんなオレの耳に子供が「あの人何者ですか」とスタッフに尋ねる声が聞こえる。
 ゲーム名人でも連れてきたのかと思ったのかも知れないが、その正体は単なるSD(サブディレクター)だ。

 後日、編集段階のビデオを見せてもらったら、ラスボスとの戦いやエンディングは使われてなかった。使われていたのは、途中の四方八方から弾が飛んでくるのをすり抜けながら進むところ。
 確かに派手だしテクニックが必要そうに見えるシーンなのだが、じゃあクリアするまで特訓したオレの立場は?
 しかし、NHKでバイトを始めていろんな仕事をやったが、ゲーセンでゲームをやるというこの仕事が一番妙だった。

 『熱きまなざし』、『家族の値段』と大人向けドラマが続いたNHKでのバイトだが、今度は子供向けのミニドラマシリーズだ。番組名を『子どもパビリオン・キッズストリート』という。1990年撮影、1990年放映作品。
 『子どもパビリオン』が帯番組の名前で、その中でNHK名古屋が担当したのが『キッズストリート』。
 アクションあり、SFあり、スポ根ドラマあり、恋愛ありの、何でもありの面白楽しいドラマが1話完結で全5回。
 主人公は少年少女たち。全員ともオーディションで選ばれた。オーディション形式で配役を決めるのはオレにとって初めてのことで、おおっ芸能界してるって感じだった。
 そして選ばれたのは合計5人。一番のメインである年長の少年は飯泉征貴。その妹役が飯塚雅弓。友人のデブは東映の戦隊物にも出演していた少年。この3人は東京から来た子供たちで、全国レベルで活躍している実力派だ。
 名古屋からは2人。一番の年長で飯泉征貴が内心好きという設定の女の子と、ちょっといじめられっ子の男の子。その子たちだけを観ているとそんなに悪くないじゃないかと思えるのだが、東京組と一緒のシーンになるとオレが見てもその差が歴然としている。やはり、東京で活躍しているからには実力があるのだ。
 そして飯泉征貴の父親役がたしか村野武範。年長の女の子の姉でお華の師匠(そのくせ武闘派)はキューティー鈴木。
 駄菓子屋のおばあちゃんが名古屋人にはお馴染みの山田昌。第一話のゲストにはこれまた名古屋出身の三遊亭円丈。

『熱きまなざし』は既に撮影に入っているところへの参加だったし、『家族の値段』もオレがバイトを始める前には企画が出来上がっていた。
 一からの参加はこの『キッズストリート』が初めてだ。
 企画会議からオーディション、脚本家のところまで地下鉄に乗って原稿を取りに行ったり、ドラマが撮影にはいるまでに実に色々なことを決めて準備しなければならないのだなと勉強になった。撮影時ほどではないが、あれこれと飛び回って忙しかった。

 冬に撮影された『茶の間の生活』だが、ラッシュを観て駄作だと放り出したため、1989年度の後期上映会には間に合わなかった。結局、1990年度前期上映会にての公開となった。その分、時間をかけてじっくり編集作業が行えたというのはある。
 上映会は初夏なのに、映画内の登場人物はセーターやコートなどの冬服姿。ちょっと違和感があるが、まあこれはしょうがない。
 ちなみに『茶の間の生活』というタイトルにあまり意味はない。1作目の『ダイヤモンド・ゲーム』がカタカナだったので、日本語タイトルにしようという意図で付けられた物。

 上映後のアンケートや機関誌の『ル・シネマ』での評は大きく二つに分かれた。
 新入生などからはどちらかというと評判が悪く、上級生やOBのウケは良かった。
 ゴダールなどのヌーベルバーグやジム・ジャームッシュのニューヨーク・インディペンデンス映画などに影響を受けまくっていた時期なので、観客に対してある程度映画を観ていることを求める作品ではある。シーンとシーンが黒味フィルムで繋がっている所など、もろ『ストレンジャー・パラダイス』。

 感想としては、「ストーリーがよく分からない」というのが多かった。
 これについては、確かにその通りだとは思う。場面場面、シーンシーンを描くのがメインで、ストーリーを描くのが目的ではないので、分からないで正解なのだ。
 主人公たち三人の関係も、まぁ友人だろうとしか判断するしかないし、眼鏡が書いている文章も何なのか分からない。作家なのか、ゼミの論文でも書いているのか。
 映画を観ている限りでは推測するしかないが、一応脚本家の考える設定としては、
眼鏡は締め切りを控えた作家で、その日は誕生日。ノッポとチビはその誕生日を祝いに来た。結果、執筆を邪魔する形になる。
 ついにはノッポとチビは部屋から追い出されてしまうが、原稿を書き終えた眼鏡は一緒に遊ぶため外へ出て行く。ということになっている。

 前半は映像的にも面白いが、室内に入ってしまうと、これという冴えたカットがない。
 これは自分でも感じていた弱点だ。もともと映像的なことは弱点だと思っているので、放置された事故車や赤と黄色、青のコントラストが鮮やかな自販機など、どうとってもそれなりに絵になるロケ地を探してきたが、部屋の中に入ってしまうとくすんだ印象になってしまっている。
 もう少し小道具や意外な構図で盛り上げたかった。

 爆笑はなかったが、クスクス笑いは全編を持続していたので満足。
 オレにとって映画の師である(といっても、何人も師はいるのだが)U谷さんが、アンケートでかなり褒めてくれたので、これまた満足。
 前作はやりたいことと出来ることの差が大きかった。私立探偵やアルセーヌ・ルパンという登場人物もコメディとはいえ無理があった。今回は、自分の出来ることを無理なく自然体で作れたと思う。

 94章の書き方だとスムーズに完成まで行き着いたように思えるが、実際はそう簡単にはいかなかった。
 現像からあがってきたラッシュフィルムを観て、「あーダメだダメだ、才能ない、下手だ下手」と頭を抱え込み、編集に取りかからずにそのまましまい込んでしまった。
 そしてそこへ年度末試験の襲来。
 3度目の年度末試験ともなると慣れてきて簡単簡単・・・というワケにはいかない。
 単位が取りやすい講義から受講していったので、そろそろ手応えのある試験が増えてきたのだ。
 しかも、バイトバイトで講義への出席率はおろか、学校への登校日数も少ない。
 ツテとコネを利用して、可能な限りノートのコピーと予想問題集を集めた。細かく勉強している時間はない、短期決戦である。
 普通にやっていれば2年生で終わっている外国語だが、オレはまだ英語を2単位、ドイツ語を1単位残していた。これが一番の強敵だ。
 ドイツ語のテストは辞書持ち込み可だった。そこで、辞書に例文を小さな文字で余白に書き込んで試験に挑んだ。チラチラと辞書を除いていたら、担当講師がオレの辞書をバタンと閉じ持って行ってしまった。カンニングがばれたのだ。しょうがないので自力で挑んだ。
 大学の試験はカンニングが発覚すると全科目の単位が不可となる。辞書を取り上げるだけで済ませてくれたのは、温情ある行為だったのだ。あー、やばかった。
 自力で挑んだドイツ語はなんとか可を取った。英語は2単位のうち取れたのは1単位で、4年に1単位残した。
 まぁボチボチの成績だった。これなら4年で必要単位を取得するのは大して難しくないだろう。

 そして春休みが過ぎ、1990年度が始まった。
 次回作をどうしようかな、まずは2、3ヶ月ほったらかしと未完成で終わった『茶の間の生活』のフィルムをもう一度観直して、どこがダメだったか反省点を洗い出すところから始めよう。
 そして部室でラッシュフィルムを上映してみると、あれ?面白いぞ、これ。
 勘違いかなと思ってもう一度観直すと、やはり面白い。
 大雑把に1本のフィルムに編集してみる。やっぱ面白い。
 これはお蔵入りはもったいないと、本気で編集作業に取りかかった。
 2作目ということもあって段取りは分かっている。相変わらずバイトが忙しいが、その合間を縫って作業を進める。
 編集は相変わらず楽しい。これぞ映画作りだ。
 そして音入れをして完成。一度は見捨てようと思った作品とは思えない面白さ(自画自賛)

 さて、いつまでも一息入れていると、この人らはずーっと一息しっぱなしなので、適当なところで撮影再開。
 眼鏡がラジカセを投げるシーンを先に撮る。このラジカセは中古だが本物。
 後は素直に脚本の順番に撮っていく。
 6畳ほどの部屋なので、カメラポジションも限られる。普通に撮っていればまぁ普通な映像が撮れるので、構図やらが苦手なオレにもなんとかなる。
 もちろん、すごいヤツはその限られて状況で普通なら考えつかない映像を創り上げてくるが、あれはもう天性のようなものかもしれない。
 セットは姉が使っていたガラス天板のコタツ。その上に、ミカンを積んだ器を置く。様式美だ。本当はガラス天板ではなく、裏に緑の布が張られたような古いオーソドックスなコタツが良かったのだが、用意できなかったので妥協。
 代わりと言ってはなんだが、ノッポとチビがババ抜きをやるシーンでは、ガラス越しに下から撮った絵を入れた。いかにもであまり気に入ってないが。

 誕生日の集団が乱入してくるシーンのみキャストを揃えて別の日に撮影。ただ、その日はノッポ役の先輩が都合が付かなかったので、カメラ向きで上手くごまかした。そう、言われないといないのに気づかないと思う。
 ちなみにこの「停電になって、散々苦労してロウソクを点けたら、ハッピーバースデーを歌う連中が登場してロウソクを吹き消してしまう」というギャグは、クレイジー・キャッツの『シャボン玉ホリデー』で使われた物。さすがに放送では観ていないが、小林信彦のコラムで読んで、「よし、いつかオマージュしてやろう」と思っていた物。ある先輩にだけ理解してもらえた。

 ビールを飲むシーンではまだノンアルコールビールが一般的に売られていなかったので、本物のビールを使った。
 ゴクゴクと飲んで部屋の中を踊り回ってもらう。にぎやかさが感じられて上手い演技だ・・・違う、演技じゃない。この人ら本当に酔っぱらっている。
 一気のみの後ですぐ身体を動かしたのだからアルコールも回るという物だが、酔っぱらうともう言うことを聞いてくれない。
 勝手にオレのメガドライブを引っ張り出してゴルフゲームを始めたりと手に負えない。
 酔いが治まるまでしばし休憩に入る。

 ようやくまともになったので、ラジカセを巡って入れたり切ったりのシーンを撮る。
 そして、ラストの眼鏡が部屋を出て行くシーンを撮って、撮影終了。
 先ほど言ったように、ロウソクを吹き消すシーンだけ残っているが、ほとんど全てを一日で撮影終了した手際の良さは、NHKでのバイトの成果でもあるだろう。
 セリフ無しなのでNGも少なかった。ちなみに、誕生日集団は「おめでとう」とかしゃべっているし、物音はする所から分かるように、この映画はサイレントではなく、単に主人公たち三人がしゃべらないだけ。
 何故しゃべらないかを聞いてきた人がいるが、そんなのはどうでもいいの。単にオレがしゃべらせたくなかっただけ。
 納得がいかないのならば、三人とも聾唖者だとか、揃って風邪を引いていて喉が痛いとか(だからチビはジャムを舐めていたのだ)、テレパシーの使い手だとか理由はなんでもいいのだ。
 重要なのはしゃべらない理由ではなく、何故オレがしゃべらせなかったかという部分。理由はセリフを削って、言葉に頼らない映画を作ってみたかったから。
 その点については案外と成功していたと思う。

 編集には1作目の『ダイヤモンド・ゲーム』以上に気を遣った。
 カットが始まるカット頭と、そこで映像が終わるカット尻の両方が、普通のテンポよりも気持ち長くしてある。
 微妙に居心地が悪いかもしれないが、どうもオレはそのテンポが好きなのだ。
 二本目という事で慣れもあるし、NGが少ないので無駄なフィルムがないこともあって編集作業はテッテケテッテケとスムーズに進んだ。
 音楽には頭を悩まされた。いっそのこと音楽も無しにしようかと思ったが、上映してみるとやはり寂しい。
 眼鏡にはクラッシック、ノッポとチビにはジャズと時折ロックンロールに絞り、コロコロ音楽が変わらないように長目長目で使う。あまり上手いとはいえないが、前作よりは上達している。うん、これでよし。

 オープニングとエンディングのクレジットは、眼鏡が原稿用紙に文章を書いていたことをヒントに、原稿用紙に書く。画面の切替は一枚一枚手がめくっていく方式。

 最後に通しで上映してみて、うん完成だ。

 撮影をいつ行ったかははっきりとした記録がない。
 1989年の後半か1990年の初頭だと考えられる。
 メインキャストの眼鏡、ノッポ、チビは全員1年上の先輩で、撮影時に4年生だった。
 全員4年生というのにさほど大きな理由はない。それよりも、それぞれのイメージ優先のキャスティングだった。全員がスクリーンに映し出されただけで人目を引く印象の持ち主だったのだ。
 さらに印象を強めるために主人公には眼鏡、チビにはアポロキャップをかぶってもらい、さらには常に瓶に入ったジャムを舐めているという設定にした。ジャムを舐めているというのはゴダール作品のどれかのパクリだ、すまん。
 ノッポはその風体だけで充分なので、それ以上は小道具は使わなかった。

 冬で日差しが差す時間が短いので、まずは屋外シーンをまとめて撮影した。
 ロケ地はオレの下宿先近く。
 空き地にBMWとトランザムの事故車がずっと放置されていて、絵として面白いのでこれはいつか使おうと思っていた。導入部として面白いシーンになったと思う。
 続いて自販機のシーン。
 コカコーラ自販機の鮮やかな赤と、隣に積まれた赤と黄色のビールケース、そしてちらりと映る青い空が気に入ってこのシーンを入れた。
 自販機のアップも映るが、大瓶がペットボトルではなくガラス瓶なのが時代を感じさせる。
 ルーレットが当たったときのチャイムは自転車のベルを連続で鳴らした音源を早送りして高音にしたもの。
「あの音を録音するまで何本ジュースを買ったんですか」とバカな後輩が聞いてきた。するか、そんなこと。

 そして、順番は飛ぶが、ラスト間際の空き地で踊るノッポとチビのシーンを撮って屋外シーンは終了。
 キャストが現場慣れしているので短時間で撮影が進んだ。

 オレの下宿に入って、ちょっと一息。
 茶の間と言っているが、ロケはダイニングキッチンだ。本来のイメージとしては6畳一間の畳敷き木造アパートなのだが、オレの下宿アパートだと年季を感じさせてくれない。まぁ、仕方ない。
 代わりに、普段は台所としてだけ使っている部屋で、余分な物とかポスターなどが無く、生活感の無さがちょっと面白い効果になったと思う。

茶の間
―――――――――――――――
  眼鏡がコタツに入って、原稿用紙になにやら文章を書いている。
  あまり順調な様子ではなく、しばらく考え込み悩んだ後で、
  消しゴムと小さな鉛筆削りを車に見立てて、正面衝突させて遊ぶ

暗転 キキキーッ、ドッカーン!と自動車事故の音


空き地
―――――――――――――――
  トランザムとBMWの車が事故で大破している。
  BMWに乗っていた帽子を被ったチビはストロベリージャムをビンに直接指を
  突っ込んで舐めている。
  トランザムに乗っていたノッポにジャムを勧めるが、ウゲッという顔で断られる。
  二人は車はそのままに歩き出す。
  路上で男(東森時音)とすれ違う。チビは男にジャムを勧めるが、男は首を振って断る。


自販機
―――――――――――――――
  ジュースの自動販売機の前を通りかかるチビとノッポ。
  二人は缶コーヒー(ホット)を買う。
  同時に硬貨を投入しようとし、手がぶつかる。
  ジャンケンで順番を決め、まずはノッポが買う。
  ピロピロピロとルーレットが回り、外れる。
  次いでチビが買う。
  ピロピロピロとルーレットが回り、当たりのチャイムが鳴る。
  二人は缶コーヒーをカンと打ち鳴らして乾杯する。


茶の間
―――――――――――――――
  眼鏡が原稿を書いているところにノッポとチビが入ってくる。
  どうやら3人は友人同士のようだ。
  当たった缶コーヒーを眼鏡に渡し、三人は缶コーヒーで乾杯する。

茶の間
―――――――――――――――
  いがらしみきおの『さばおり劇場』を読んでいるノッポ。
  ジャムの瓶に指を突っ込んで舐めているチビ。
  チビは腕まくりをすると、ノッポに腕相撲を挑む。
  よーしとノッポは手を組むが、ジャムのベタベタにウエッという顔になる。
  ティッシュで自分とチビの手を拭くノッポ。
  そして、腕相撲が始まる。白熱した試合の後、チビが勝つ。
  その時の勢いで、眼鏡が書いていた原稿をなぎ払ってしまう。
  じろっと二人を睨む眼鏡。
  チビとノッポはジャンケンホイあっち向いてホイを始め、延々と繰り返す。

茶の間
―――――――――――――――
  トランプでババ抜きをしているチビとノッポ。
  パサリパサリと捨てられるカードの音が眼鏡は気に触ってしょうがない。
  眼鏡は突然すっくと立ち上がると、二人からトランプを奪い、バラバラとぶちまける。
  怒った二人は、これまた立ち上がると眼鏡を追い始める。
  グルグルとコタツの回りを走り続ける3人。

茶の間
―――――――――――――――
  再び原稿を書き始める眼鏡。
  と、部屋の中が暗くなる。
  電気のスイッチをカチカチやっても変化がない。どうやら停電らしい。
  眼鏡は戸棚からロウソクとマッチを取り出すと、コタツの上にロウソクを立て灯りを付ける。
  よしよしと微笑む眼鏡。
  だが、チビのくしゃみで灯りは吹き消される。

茶の間
―――――――――――――――
  もう一度ロウソクにマッチで火を付ける眼鏡。
  すると今度はどこからか風が吹いてきて火が消える。
  ノッポが扇風機の風で涼んでいたのだ。


茶の間
―――――――――――――――
  三度火を灯そうとする眼鏡。
  チビの方をジロリと睨むと、慌てて手で口元を覆うチビ。
  ノッポは物寂しげに扇風機を手放す。
  安心してロウソクに火を付ける。
  すると突然「ハッピーバースデー」の曲がかかり、二つのドアから4人組の男女が乱入してくる。
  クラッカーを鳴らし「誕生日おめでとう」「誕生日おめでとう」と中心の一人の男が祝福されている。
  フッと誕生日男がロウソクの火を吹き消して暗転。

茶の間
―――――――――――――――
  冷蔵庫から勝手に瓶ビールを取り出すノッポ。
  ジョッキを二つ用意すると、コンコンッと王冠を二度叩いてから空ける。
  ジョッキに溢れんばかりの勢いでビールを注ぎ、ノッポーとチビは腕を組んでビールを呷る。

  そしてそのまま立ち上がると、にぎやかに踊り始める。
  チャック・ベリーのロックンロールが流れ始める。
  しばらくは我慢して原稿を書き続けていた眼鏡だが、立ち上がると冷蔵庫の上にあった
  ラジカセのスイッチを切る。チャック・ベリーが止まる。
  画面左側に姿を消す眼鏡、右側からノッポとチビが登場してラジカセを鳴らす。
  そして踊りながら画面右に姿を消す。
  ラジカセのスイッチを切る。チャック・ベリーが止まる。
  画面左側に姿を消す眼鏡、右側からノッポとチビが登場してラジカセを鳴らす。
  そして踊りながら画面右に姿を消す。
  ラジカセのスイッチを切る。チャック・ベリーが止まる。
  そしておもむろにラジカセを掴み上げると、そのままベランダへと出て、ラジカセを遠投で放り投げる。
  空を舞うラジカセ


空き地
―――――――――――――――
  何時の間に先回りしていたのか、ラジカセの落下地点にはすでにノッポとチビがいて
  ラジカセをキャッチする。
  そして、またチャック・ベリーを流すと空き地でいかれたように踊り続ける。


茶の間
―――――――――――――――
  ようやくと原稿を書き終えた眼鏡。
  原稿を読み返してみる。
  そして、ふうっと原稿を放り投げると、ドアから外へ出て行く。
  「ハッピーバースデー」の曲が流れ始める。
  (ひょっとしたら今日は眼鏡の誕生日で、ノッポとチビはそれを祝いに来たのかも知れないが、劇中で明言はされていない)

 NHKドラマ『家族の値段』の撮影後、しばらくして名城大学は学祭に突入。その最中は撮影もなかったので、バイトを休んで天白祭に参加。学祭やらないでなにが学生か。
 OBのE谷氏がエアガンを持って遊びに来たので、オレはNEWMGCだかのガスガンM93Rで対抗。シネ研が使っている店の裏は中庭になっていて学祭中は人が入ってこないので、そこでサバイバルゲームに興じていた。3年ともなると、威張ってばかりで仕事はしないのだ。いや、本当はするけど。

 そして、スタジオ放送のヘルプなどの仕事はあったが、ドラマの撮影はなかったので、バイトは方は比較的自由が利いた。
 その期間を利用して、ようやくと第2作目の製作に取りかかることにした。

 この1年半、散々悩み、書いてはボツ、書いてはボツだった。
 他人の監督作を観てはその才能に妬み、自分の作品を観直してはいたらなさに頭を抱えた。
 さあ、2作目はどうする。

1.他人の優れた作品に近づき、追い越すべく努力する
2.あきらめる
3.同じ道ではかなわないのならば、別の道を進む

 またこの命題だ。
 これまでは3を選んで生きてきたオレ。
 だが、今度は譲れない。映画の本道を突き進みたい。これぞ映画という作品を作りたい。
 1作目以上に本気で作る道を選んだ。


 ジャンルはコメディ。これは譲れない。

 そしてあれこれ盛り込みすぎずにシンプルに。これは1作目の反省である。ギャグまたギャグの攻勢が充分に機能していなかったからだ。

 セリフは極端に削る。出演者は部員で演技の専門家ではないから、セリフと細かい動きの両方を同時にやるのは難しいだろう。それならばしゃべるシーンはほとんどなしで行こう。そして、実際にはほとんどないどころか主人公3人は一言もしゃべらない映画になった。

 学校でのロケは止めよう。都合上学校近くでのロケが多いが、これはやはり目新しさがない。せっかく学校から二駅の所に下宿したのだから、その近辺で撮ろう。ロケハンでうろうろして面白い光景を探そう。

 音楽無しはまだ怖いから、1シーンで使う音楽は1つまでとしよう。

 キャストの演技ではなく、その人が持つ雰囲気や魅力に頼ろう。味のある人がいるので、その人たちに主演をやってもらおう。

 その路線で調べ物をし、脚本を書いた。
 NHKでのバイトも何だかんだで役に立った気はする。
 前作から1年半、さんざ悩んだのが嘘のように脚本は組み上がっていった。

 『家族の値段』(1989年9月撮影)の制作中に、二度ほど体調を崩した。
 一度は岡崎の旧市街地でのロケの最中で、唐突に気持ちが悪くなって、現場を離れて側溝に向かって吐いた。吐いても吐いても吐き気が止まらず、黄色い胃液まで出てきた。
 近くの自販機でアップルジュースを買って飲み、一息入れるが、すぐまたそれも吐いてしまった。
 しばらくうずくまって、落ち着いたので現場復帰。「どこ行ってたんだ」と怒られたので「すみません、トイレです」とあやまる。

 次いで、スタジオ撮影。
 なんか身体が痒いなとボリボリやっていると、ディレクターが「お前、それどうしたんだ」と言ってくる。
 鏡を見ると、顔面がじんま疹でボツボツに腫れていた。上着をめくってみると上半身もボツボツだらけで赤く腫れ上がっている。
「いや、大丈夫です。痒いだけですから」と答えたが、「今日はU場に任せて帰れ」と帰宅を許された。
 家に帰って熱を測ると、確か39度近くあった。医者に行って点滴を打ってもらったら、じんま疹はすーっと嘘のように引いたが、熱は下がらず、結局翌日も休んでしまった。

 撮影が入ると仕事は一気に忙しくなる。
 SDの仕事は雑用が中心で、誰よりも早く仕事を始め、誰よりも遅く終わる。
 それは覚悟の上だし、そんなに不満とかはなく、楽しくやり甲斐があった。
 だが、どうもその気持ちに対して、身体が追いついていないのだ。自分ではまだまだやれると思っていても、身体が先に降参してしまう。
 体力無いなぁ。体力付けなきゃなぁと、とりあえず飯を食った。

 ドラマの仕事ももちろんやっていた。
 これは確か1989年9月を中心に撮影が行われたと思うのだが、『家族の値段』(全二回・1990年1月放送)という作品があった。
 佐久間良子・織本順吉・川野太郎・三田寛子・山田昌さんらが主演の花火師一家を舞台に家族の絆についてがテーマのドラマ。
 この場合の花火師は花火を作る職人の方で、愛知県の岡崎市・蒲郡市には数は少ないが花火職人がいるのだとか。これは知らなかった。
 何故だか分からないが一家の主である夫が失踪してしまって、それに振り回されながらも仕事の納期も遅らせちゃいけないと、悩みながら踏ん張るのが主人公の佐久間良子さん。息子夫婦が川野太郎さんと三田寛子さん。失踪した夫の母親でこてこての名古屋弁のおばちゃんが山田昌さん。
 全4話で富山は砺波市でのロケもあった『熱きまなざし』と比べると、話数は半分だし、ロケも名古屋から車で1時間ほどの岡崎が中心だったので、多少楽でした。
 それでも、SD(サブ・ディレクター)がもう一人欲しいなぁというので、心当たりを当たってみた。
 その人物とは大学のシネ研で先輩当たるU場氏。U場氏は3学年上になるので、この当時はすでに卒業して2年目になっていたが、特に就職をせず所謂フリーター生活をしていた。プロ志向のある人だったので、NHKでのバイトの話は「うん、やるよ」と即答で、面接での評価も高かったようで、すんなり採用になった。

 これでSDは三人になった。全員とも名城大学の学生ならびにOB。このままいくと、数年後にはNHK名古屋は名城大学で埋め尽くされてしまうような、まぁそんなこたぁありえないわけですが。

 普通ならば決して入ることの出来ない花火工場の現場をロケで見学できたのは経験だった。
 回りに何もない山の中にあって、ところどころに万が一爆発事故が起きたときに隠れるコンクリートの遮蔽物がシェルターとしておいてある。
 線香花火や手持ち花火ではなく、花火大会で使われる尺玉など打ち上げ花火を作っているから、万が一事故が起きたら空爆状態だと推測される。考えようによっては命がけの仕事だ。

 U場氏はひょうひょうとしているが、頭が切れテキパキと仕事をこなしていくタイプ。
 サークルでは先輩だが、仕事場ではオレが先輩だぁと張り合ったりしながら撮影は進む。

『ミクロの決死圏』が終わって番組も後半に突入。
 そして2人目のゲストが登場。中子真治氏である。
 一般の知名度はちょっと低めかもしれないが、1980年代後半にSFX映画のファンだった人にはお馴染みだろう。氏の著書『SFX映画の世界』シリーズはSFX映画少年だったオレにはバイブル的存在だった。その中子真治氏である。
 中子氏と一緒に特殊メイクアップアーティストが登場した。アメリカで活躍している特殊メイクマンで、『ゴースト・ハンターズ』(1986)などにも参加していたはず。中子氏が著作の中で“少年”と呼んでいる人物だ。たまに勘違いされているが、スクリーミング・マッド・ジョージではないので念のため。
『ミクロの決死圏』上映中に中子氏はすでにスタジオ入りしていた。ちょっと手持ちぶさたな感じだった中子氏に、雑用が一段落していたオレは恐る恐る話しかけた。なにしろ『SFX映画の世界』文庫版全4巻をすり切れるほど読んだ身だ。柄にもなくあがっていた。
 おかげでスタジオで何を話したかあまり憶えていないが、
「最近はSFXよりもアールデコに興味があって、そちら方面の本を書いているんだ」
 というのは「ふむむそうなんだ」とはっきりと記憶している。
 アールデコが美術様式の一つだと言うことは知っていたが、それ以上のことはR・田中一郎の妹がアールデコだったよな、という知識しかなかったが、さすがにそのネタは言えなかった。

 スタジオからの中継が始まり、アナウンサーが中子氏や少年にあれこれとインタビューをした。正直、「SFX映画に関してはこの人を置いてないという人物相手に何を聞いとんじゃ」という内容だった。
 二人はそのまま番組の最後までゲストとして出演した。
 番組終了後に後片付けで走り回っているオレに中子氏が声を掛けてくれた。
「これから少年と一緒に飲みに行くんだけど、良かったら一緒に来ない?」
 行きます、行きます、行きます。
 もちろん行かせていただきますと返事をした。
 メインのスタッフは簡単な反省会をやるようだったが、オレはヘルプのスタッフなのでそちらに参加する必要はない。反省会の代わりに、中子氏と少年、そして名古屋の映画関係者1人を含む、合計4人での打ち上げとなった。

 中子氏が馴染みにしているという店に行った。
 オレたちがいつも飲み会をやっている居酒屋とは違い、おしゃれな感じのバーだった。
 面子にもそうだが、慣れない雰囲気の店にも緊張した。
 緊張の余り、カクテルをジュースのようにカパカパと飲んだ。
 すっかり出来上がってしまって、少年さんに「オレはそのうち映画監督として商業映画を撮りますから、その時は特殊メイクをお願いしますね?」と無理矢理約束を申し込んだ記憶がある。恥ずかしい記憶だ。
 1980年代末、日本映画にもSFX映画はいくつもあったが、正直作り手がその技術を生かし切れているとは思えなかった。そういったことについても話した。
 監督とSFXマンの間に入り、コーディネートする人が必要じゃないのか、などなど。
 その後、中子氏は『学校の怪談』(1995?)シリーズでSFXスーパーバイザーを勤めた。『学校の怪談2』は岐阜の山中でロケが行われたが、中子真治氏が岐阜出身であることも関係あるのだろう。
『学校の怪談』シリーズでは、要所要所にベストなSFXテクニックが効果的に使われ、おそらく使われているだろうと予想される資金以上の物を作り出していた。

 スタジオでの公開放送のヘルプに入ったこともある。
 これまたBS番組で、「SFX映画」を主題にした特別番組だった。生放送である。
 時期は11月の祝日だった。3日の文化の日は学祭に参加してバイトは休んでいたから、おそらく23日の勤労感謝の日だと思う。

 『バットマン』(1989)の公開が翌12月に控えていて、その特典映像というのが一つの目玉だった。結局は予告編にはないがほんの1、2分の映像が流れただけだったが。
 そして一人目のゲストが登場。映画評論家の水野晴郎氏である。
 水野晴郎氏はこの日、名古屋で開かれた講演会の仕事あって、そちらが終わってからNHKに来ることになっていた。ところがその講演会が長引いて、会場を出るときに「大至急そちらに行きますから」と電話が入ってきた。
 水野晴郎氏を出迎えて案内するのがオレの役だった。玄関で車が到着するのを待つ。なにせ録画じゃなくて生放送。タイムテーブルはしっかり組まれていて、狂いはわずかしか許されない。じりじりとしつつ待つ。
 かなりギリギリになってようやくと水野晴郎氏が乗った車が到着。出番までの残り時間を伝えると、水野晴郎氏は
「じゃ、急がないとね」
 と応えてくれた。
 衣装はそのままだが、テレビ用にメイクをしなければならない。メイク室にオレが案内する。普通に歩くオレの後を水野晴郎氏が走って追いかける。でも両者の距離は開かず縮まらず。
「先生、歩いてで良いですから」と言おうとしたが、それもかえって失礼かなと思い直してそのまま。
「ガキの頃から、先生の解説で何本も映画を観てきましたよ」と感謝の言葉を伝えたかったがその暇も無し。
 メイクを終えた水野晴郎氏の案内をスタジオのスタッフに引き継いで、また雑用仕事に戻る。
 SFX映画について水野晴郎氏とアナウンサーが話を繰り広げる。
 そしてこれから放送される『ミクロの決死圏』(1966)の解説を水野晴郎氏が行う。
 水野晴郎氏の解説を生で聞くことが出来たのはかなり興奮した。
 「映画って本当にいいものですね」で締めてくれて、お約束だが嬉しかった。
 そして映画がスタート。スタジオの仕事は一段落するので、その間に地下にある(だったかな)社員食堂に飯を食いに行く。味はまぁ普通で学食ほどではないが安い。
 ちょっと混んでいて、視聴者センターの人と相席になった。現在放送中のBS特番の話になった。
「番組予告で『バットマン』の映像を使っていたでしょ。だから『バットマン』全編が放送されると思っていたのに、ちょっとしかやらないじゃないか!ってクレームの電話が何本かかかってきたのよ」
「うわぁ、ご苦労様です」という話になった。
 劇場公開すら来月の映画を丸々とテレビで放映するはずがないぐらいちょっと考えれば分かりそうなものだが、その「ちょっと考える」をしないのだろう。しかも、そこで納得せずにクレームの電話を掛けてくると言う思考が分からない。
 この人とは顔なじみになって、何度か食堂で一緒になった。
「登場人物がタクシーに乗ったシーンと降りたシーンでタクシーのナンバーが違うってクレームの電話を入れてくる人がいるのよ。その人は常連でそんな電話ばっかりしてくるの」
 などといろんな話を教えてもらった。世の中、困った人はいるものだ。

 オレの所属は制作部のドラマ班。名前の通りTVドラマを作る職場だ。
 名古屋のNHKでは『中学生日記』も作っているが、あれは教育班の仕事なので隣の部署となる。あくまでもドラマではなく教育番組なのだ、実は。

 撮影と撮影の合間で、暇とまでは行かないがちょっと手持ちぶさただったオレに、良い経験だしちょっと他部門の仕事を手伝ってこい。との命令が下った。
 まずはBSの公開ロケだった。場所は名古屋市内の大型量販店。そこに椅子が並べられて、主に子供が座った。
 出演者はアナウンサーとゲストの二人。ゲストは江口洋介。
 なんで江口洋介やねんと思ったが、当時放映されていた大河ドラマ『春日局』(1989)に若き将軍役か何かで出演していたのだ。オレにはちょっと前の『湘南爆走族』が思い出されて、目を合わせることが出来なかった。吹き出すよ。
 BSの本番組前にあるミニコーナーらしく、江口洋介へのインタビューや、これから始まる『アルフ』という子供向け番組へと話が続く。
 司会者のお姉さんがガキにマイクを向ける。

「君の家ではBSが映るかな」
「うん、映るよ」
「好きな番組とかある?」
「『アルフ』が好き」
「うわぁ、すごい偶然ですね」

 おお、なんという偶然。これから始まるのがその『アルフ』ではないか。
 ・・・偶然ちゃうちゃう。あらかじめ『家にBSを引いてる子』、『アルフを見てる子』を探して、最前席に座らせてたよ。というか、オレがやったよ。
 まぁ、実際に『アルフ』が好きな子だからやらせではないんだけどね。

 『アルフ』が始まったら、みんなで見る、わけではなくとっとと撤収。
 ドラマのロケとは違って、これまた勉強だった。

 ロケ・スタジオと撮影が続いた『熱きまなざし』もついに撮影が完了となった。
 打ち上げの宴会が開かれ、ちょっと調子に乗りすぎてはしゃいでしまった記憶があるが、まぁ学生バイトの愛嬌だ。村上弘明さんはほんといい人でした。砺波ロケでは一緒に風呂に入った仲!

 SD(サブ・ディレクター)の仕事は後は残務処理だけ。ようは後片付けだ。
 撮影の最中に取りあえず積み重ねられた資料を整理し、まとめ、返すものは資料室に返し、取っておく物は段ボールにまとめて倉庫にしまう。そして捨てるものは捨てる。
 ロケの撮影はベータカム、通称ベーカムというカメラで撮影された。これはソニーのベータ方式を業務用に改良したもので、基本はベータだが、民生用だと2時間録画分の長さのテープで、それを高速でぶん回すことで、確か30分ほどしか録画できない。テープの素材自体もより高精度のものを使っているが、見た目はベータのカセット。それが廃棄処分の山に10本ほど積まれていたので、何本かもらってかえった。
 第17章にも書いたが、家が初めて買ったビデオはベータで、大学に入ってからバイト料でVHSのデッキを買ったが、それまでに集めたソフト資産の問題で(まぁ、そんなに本数があるわけではないが)ベータのビデオも相変わらず使っていた。
 そのベータのデッキでベーカムのテープが使えるんじゃないか。ほら、形同じだしと、半ば冗談で使ってみたらちゃんと録画再生が出来た。ベータのテープをベーカムで使うことはできないだろうが、なるほど基本の技術は同じなんだ。

 撮影が終わってからが編集や音入れの勝負が始まるのは、TVドラマも自主映画も同じ。
 ただ、そちらに関してはオレはほとんど仕事がなかった。専門の仕事でSDの出る幕ではない。だが、ちょっと無理をお願いして1時間ほど同席させてもらって勉強までに作業を見ていた。まだノンリニア編集の時代ではなく、ビデオテープを早送りだ巻き戻しだしてやるのだが、オリジナルのテープではなく編集用のコピーで、それを使ってどのテープのどのタイミングで始まってどこまでを使うというタイムレコードを記録していく。
 そして最終的にそのタイムレコードでオリジナルのテープからオンエア版を作り出すのだ。
 8ミリフィルムの編集は、山のような8ミリフィルムの山との格闘だったが、TVドラマの編集は清潔な部屋で、演出のディレクターと記録係の女性がてきぱきと進めていくより進歩的なものだった。

 この頃ですでに8月に入り、シネ研の方にいっても夏休み中なので人がおらず、予定としてあるのは夏合宿だけだ。
 他にやることもないので、毎日のようにNHKに出勤していた。次のドラマ製作開始までまだ間があるため雑用が主だったが、他部門の公開ロケや公開スタジオ生放送などのスタッフとして貸し出された。

 NHK名古屋制作のTVドラマ『熱きまなざし』の撮影も終盤に突入した。
 それにしてもTVドラマというのは人と時間と金がかかる。演出や音声などはNHK社員だが、大道具小道具などの美術関係は下請けの会社が入ってやっていた。
 他には衣装にメイクにロケでは運転手。延べ人数だと1時間×4回のこのドラマの製作関係者は100人を下らないだろう。その100人の中で最下層なのがオレらSD(サブ・ディレクター=民放でのAD)だ。
 民放のADは人間扱いされないという噂も聞くが、名古屋のNHKではちゃんと人間扱いされる。それどころか、案外と居心地が良い。
 しかも、時給が1000円だった。
 世はバブル景気の真っ盛り。人手不足でバイトの時給は高めになっていたが、1000円はなかなかもらえない。確かに仕事はきつめだが、TV業界でバイトが出来て、人間扱いされて、しかも時給が良い。どこかに落とし穴があるんじゃないかと疑ったほどだ。
 どうも、話を聞いていくと、ドラマ班に学生がバイトに来てもあまり居着かず、すぐに辞めてしまうんだそうだ。バイトをがんばって認められても、NHKに就職できるわけではないし、ドラマ班でのSDの仕事はひたすら地味なので、TVだっ!と入ってくると幻想と現実のギャップに落ち込むらしい。
 そして、そもそも東京などと比べて、バリバリやって業界に進もうと考える学生が少ないんじゃないか。みんな結局は普通に就職していくよね、とのことだった。
 確かに名古屋だからね?、野心家な学生は少なそうで、全体的に保守的な傾向はあるかも。

 オレはシネ研での学生映画とはいえ映画製作の現場での経験があり、現場とはひたすら地味で忙しくて、下っ端スタッフには細かいことは知らされないのが当たり前だったので、意外と上手くやっていた。自分で言うのも何だが、割と細かいところに気がつく方だ。演出のディレクターなどには可愛がってもらえた方だと思う。
 美術などの職人肌、芸術家肌の人たちとは、最初は取っつきが悪かったが、次第に打ち解けていった。衣装の人とは軽口を叩くぐらいになった。

 テレビ局というのはクーデターなどに備えて、内部が複雑に入り組んで分かりにくくなっているという噂があるが、当時のNHK名古屋はまだ現在とは違い古い建物で、確かにややこしかった。大きなL字型と言えばいいのだろうか、奥まった廊下をどんどん進んでいって、ようやく現れた角を右に曲がりまた進む。そうしてそれなりの距離を歩いてようやく最大のスタジオ「第一スタジオ」に到着する。
 ドラマのスタジオ撮影は主にこの第一スタジオが使われた。
(古い記憶なので詳細が違っていたら申し訳ない)
 在名古屋のTV局でその規模のスタジオを持っている局はないんじゃないかだそうで、家一軒のセットを中に組んで、それでも余裕がある大きさだった。
 スタジオのセットは、例えばそれが家ならばある方向の壁をすべて引っぺがしたような作りになっている。50センチほどの木の台の上に作られていて、軽く見上げる感じになる。
 壁のない側はカメラが動き回れるスペースが設けてあって、そちら側から撮影を行う。だから構図としてはある程度制限されてしまうのだが、そこを上手く撮るのがカメラの腕、編集で上手く使うのが演出の腕だ。
 準備段階ではあれこれと忙しいが、いったんカメラが回り始めると、そこからは技術を持つ者の世界となり、SDは邪魔にならないように隅に行って、じーっと立っていることしかできなかった。カメラに繋がるケーブル捌きはカメラマンを志すカメラ助手の人がやるし、照明もまたしかり。
 ちょっとだけぼーっとしていたら手に持った台本を落としてしまった。本番中のスタジオは意外なほどに静まりかえっている。そこにバサッっと音が響き渡った。
 てっきり怒鳴られるものと覚悟したが、そのままちゃっちゃと進んで撮り直し。あの時は寿命が縮まった。

 ロケが終了し、名古屋へと戻った。1週間ほど間をおき、ここからスタジオ撮影の開始である。
 屋内シーンはごく一部を除きすべてスタジオ撮影。スタジオ撮影こそテレビドラマ制作のメイン部分だ。
 カメラが一台で、1カット1カット毎に撮影していったロケに対して、スタジオでは1シーンを通しでほぼ1回で撮る。マルチ・カメラ方式というやつだ。
 カメラは3台か4台ほど。引きの絵を撮るカメラから、役者のアップを撮るカメラと役割が決まっていて、自分が映すものだけを追い続ける。
「はい、本番いきます。5、4、3、」、2と1は口に出さず、指だけで合図する。
 役者が芝居を始め、それをカメラが前後左右に動きながら撮り続ける。シーンの変わり目にきたら「カット」の声で終了。
 自主映画では1カット毎の撮影しか知らなかったので、この通しで撮る撮影シーンは新鮮だった。NGが出なければ数分のシーンが1回の撮影で撮れるので効率も良い。
 なにより、役者というのはなるほど芝居が出来るから役者なのだと分かった。全体として一つの芝居を数人の役者で作り上げなければならない。自分のセリフと芝居だけではなくて、他人のセリフをちゃんと聞いて間合いを掴んでの共同作業だ。さすがプロである。

 ロケの時には高校や道路上などロケ先から許可を取っている時間が決まっているので、スケジュールがつまると大変なのだ。あっちに電話を掛けて頭を下げ、こっちに電話を掛けて頭を下げ、頭を下げるのもSD(サブ・ディレクター)の仕事の一つだ。
 その点、スタジオはロケ地間を移動する必要がないのが楽だった。
 弁当も相手も勝手知ったる仕出し屋なので、発注した分をまとめて食堂なりに置いておいてくれる。お茶だって給湯施設があるので、魔法瓶を抱えて走り回るロケとは違う。
 その日の撮影が終わると自宅に帰れるのも嬉しかった。ロケだと、そのまま宿に泊まり込みなので自分の時間がなかなか持てなかった。撮影が遅くまでかかって終電が無くなっていることもあったが、タクシーチケットをもらえたのでそれで原まで帰った。まともに払ったら深夜割り増しも加えていくらかかったことやら。

 そんなこんなをしている内に、制作部で休憩しながらテレビのニュースを見ていたら、「連続幼女誘拐殺人事件」の犯人が捕まったとの報が流れた。犯人は宮崎勤という奴だった。
 ようやく捕まったかとほっと安心したが、まさか今になっても最終判決が出ないままとは思いもしなかった。

 ロケの日程は10日ほどだったろうか。スタッフキャストともに同じ宿に泊まり込み、常在戦場で気の抜けない毎日だった。
 この忙しさが楽しかった。毎日、新しい事態に出くわしては一つ一つ憶えていく。短時間の間に自分の経験値が上がっていくのが肌で理解できた。
 そしてロケも後半に入った頃、朝起きるとグルグルと視界が回転していた。思わず布団に座り込む。熱が出ていた。39度を超える高熱。視界はグルグルと回転し続けた。
 オレを置いてロケ隊は出発していった。しばらく部屋で休み、ある程度落ち着いてきたのでタクシーで近くの医者まで行った。保険証を持ってきて正解だった。
 医者は「ちょっと脱水症状が出てるね」といいながら注射をし、熱が下がるまでは大人しくしているようにと指示を出した。

 しかし、SDの仕事は大人しくしていることではない。もう少しすると昼食の時間だ。弁当の受け取りと配る仕事が待っている。しかも、今日は試合のシーンの撮影で、参加する人数も多く、仕事も多い。
 タクシーを宿ではなくロケ先のグランドに行ってもらう。注射が効いたのか、目をつぶっても世界はグルグル回らなかった。

 入ったばかりのバイトだというのに、カチンコを何度か打たせてもらった。あれは「拍子木みたいにカチンと鳴らすだけでしょ」と簡単に思われるかも知れないが、実は意外に難しい。
 「シーン11、カット3」などと白いチョークで書かれたあのカチンコは、単に撮影スタートの合図ではない。映像と音声をそれぞれ別に撮っているので、それを同期させる合図でもあるのだ。
 映像でカチンコの棒がぶつかっている瞬間と、DATに録音された音声の「カチン」を同期させることでそれぞれの頭を揃える。
 そのためには、カチンコの棒は下に下ろしたらそのままではなく、コンッと跳ね返えらせて、上に上がった棒とカチンコ本体の間に人差し指を差し入れる。こうして、カチンコの棒を一瞬だけぶつけさせることで、同期の頭出しをやり易くするのだ。
 この、コンッと跳ね返らせるのが意外に難しい。「S-32 C-1」などとシーンとカットナンバーが書かれたカチンコの文面をはっきりとカメラに写した上で、軽く跳ね上げたカチンコの棒と本体の間から人差し指を抜く。そして棒が落ちてきて「コンッ」と鳴らす。
 この時に動きが大きすぎてカチンコの映像がぶれてしまうと頭出しに使えないし、勢いが弱くて音が小さいとこれまた使えない。意外に微妙なテクニックが必要なのだ。これはオレの文章ではピンとこないだろうが、映画やテレビドラマにカチンコを鳴らすシーンが時折登場するが、それだとカチンと鳴らして板と棒がくっついたままのがほとんどだが、アレだと「下手くそっ!」と確実に怒られる。

 そして手のテクニック以上に重要なのが、その鳴らすタイミング。
 カメラを始めとしたスタッフの準備は揃っているか。役者さんの演技への入れ込みは充分か。撮影現場にいる全員の用意が揃い、モチベーションが高まった瞬間を上手く把握して、「よーいスタート。カチン」とカチンコを鳴らさねばならない。
 これがえらく難しい。ちょっとタイミングがずれただけで高まった気分が過ぎ去ってしまってカックンとくるし、早すぎると準備に一瞬足りない。全員にとってベストな瞬間を見つけ出すのは難しい。失敗が続くと現場の雰囲気は悪くなり、ジロリと睨まれる。
 結局、半日カチンコを任されただけで、「お前にはまだ無理だな」と取り上げられてしまった。悔しかったが、事実まだ無理だなというのははっきりと分かったので、別段腹も立たず、これから修行だなと思った。
 そしてカチンコを持たなくなったオレは、弁当の準備をし、野次馬の整理をし、ロケ地の移動で機材を車両に積み込み、忙しく走り回るのであった。

 名古屋の映画研究会の集まりでナックというのがあった。そこ経由で、名古屋のNHKが高校野球を題材にしたドラマを作っているのだが、坊主頭にしてくれるエキストラを探しているという話が来た。
 ここまでならそれほど食指が動く内容ではなかったが、ついでといっては何だが、アシスタント・ディレクターも探しているというではないか。オレはその場でNHKの担当者に電話を入れると、床屋に行って五分刈りにしてもらって坊主頭で栄にあるNHKに面接に行った。坊主頭にするのが嫌さに越境入学でN中学ではなく半田中学に入ったオレが、自らの意志で20過ぎになってから坊主にするとは思わなんだ。
 面接の相手はディレクターのM本さんという人だった。
 とにかくやる気をプッシュプッシュプッシュ、アピールアピール。アシスタント・ディレクター、NHKではサブ・ディレクターと呼んでいたが、そのSDだけじゃなくて坊主にもします。エキストラとしても働きます。だから使ってくださいくださいください。
 端っから坊主頭にしてきた熱意が通じたのか、他に人がいなかったのか、オレは採用されてSDとして名古屋のNHK制作部ドラマ班で働くことになった。しかし、SDというとどうもSDガンダム風というか、2等身キャラになった感じだ。

 オレが初めて現場に入ったドラマは『熱きまなざし』(1990年放映)という富山の砺波市を舞台とした高校野球を題材にしたドラマだった。主演は村上弘明さんで、他に高村高廣さん、野際陽子さんなどが出演していた。
 1989年の6月から7月。仕事は富山ロケから始まった。
 名古屋から富山まで通いで行くわけにもいかず、当然泊まり込み。スタジオからではなく、いきなりロケから現場を経験したのは正直過酷だった。
 SDの仕事は誰よりも早く始まり、終わるのは誰よりも遅い。朝は6時頃には起床、夜は仕事が終わるまで。ロケなのでそうそう遅くまでは撮影はないが、何日かは夜景の撮影があって、終わってすべて片付いて宿に戻ってきたときにはすでに翌日だ。
 時には弁当を抱えて走り、時にはエキストラとして画面の片隅に映り込む。とにかく駆けずり回った。忙しかったが実に充実して楽しかった。映画じゃなくてテレビだが、これがプロの現場なんだっ!

香港マカオブルース
香港チョココップ
ゴーストキング
アンダルシアの犬
吸血鬼
アッシャー家の末裔
カリガリ博士
戦場の野獣たち
愛は霧のかなたに
紅いコーリャン
赤毛のアン
アクション・ジャクソン/大都会最前線
アトランティック・シティ
インディ・ジョーンズ/最後の聖戦
エイプマンひとりぼっち
エイリアン・ネイション
エルヴァイラ
エルム街の悪夢4/ザ・ドリームマスター最後の反撃
男たちの挽歌 II
オペラ座/血の喝采
カクテル
風の惑星/スリップストリーム
カンフーキッド・続集
キャノンボール/新しき挑戦者たち
偶然の旅行者
孔雀王
グレート・ボールズ・オブ・ファイヤー
K-9/友情に輝く星
検事Mr.ハー/俺が法律だ
コイサンマン
恋人たちの予感
ゴーストバスターズ2
コクーン2/遥かなる地球
告発の行方
子熊物語
ザ・デプス
ザ・パッケージ/暴かれた陰謀
ザ・ファントム/地獄のヒーロー4
ザ・フライ2/二世誕生
サンダー・ブラスト/地上最強の戦車
3人の逃亡者
死にゆく者への祈り
13日の金曜日PART8/ジェイソンN.Y.へ
ショート・サーキット2/がんばれ!ジョニー5
ジョニー・ハンサム
新ポリスアカデミー/バトルロイヤル
新桃太郎3/聖魔大戦
スター・トレック5/新たなる未知へ
ストレート・トゥ・ヘル
ゼイリブ
セックスと嘘とビデオテープ
戦場にかける橋2/クワイ河からの生還
ゾンビコップ
ダイ・ハード
タップ
007/消されたライセンス
チャイニーズ・ゴースト・ストーリー
チャイルド・プレイ
ツインズ
D.O.A.
デビルドール
わんわん物語
オリビアちゃんの大冒険
ミッキーの大演奏会
東京画
ニュー・シネマ・パラダイス
ニューヨーク・ベイサイド物語
ニューヨーク・ストーリー
バード
ハードカバー/黒衣の使者
ハーレム・ナイト
白蛇伝説
バグダッド・カフェ
裸の銃(ガン)を持つ男
バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2
バックマン家の人々
BAT★21/バット21
バットマン
バトルファイター
花嫁はエイリアン
バロン
ビルとテッドの大冒険
ピンク・キャデラック
ファンタズム II
復讐のハイウェイ
ブラック・レイン
プランケット城への招待状
ブロブ/宇宙からの不明物体
ベスト・キッド3/最後の挑戦
ペット・セメタリー
ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ
ヘルレイザー2
マイク・ザ・ウィザード
マスターズ/超空の覇者
右側に気をつけろ
気狂いピエロ
ニモ
皆殺しの挽歌
カルパテ城の秘密
ハイシェラ
ミシシッピー・バーニング
ミステリー・トレイン
ミラクル/奇蹟
メイフィールドの怪人たち
メジャーリーグ
ザ・メタルイヤーズ
メタル・ブルー
モンキー・シャイン
リーサル・ウェポン2/炎の約束
リバイアサン
霊幻道士・完結編/最後の霊戦
レインマン
レッド・スコルピオン
恋恋風塵
ロードハウス
ロックアップ
ロブ・ロウのおかしなおかしな探偵物語
ロボフォース/鉄甲無敵マリア
ワンダとダイヤと優しい奴ら
ガンヘッド
スウィートホーム
丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる
帝都大戦
鉄男 TETSUO
バトルヒーター
風の又三郎 ガラスのマント
もっともあぶない刑事
座頭市
その男、凶暴につき
魔女の宅急便
将軍家光の乱心 激突
キスより簡単
文学賞殺人事件 大いなる助走
ジュリエット・ゲーム
ヴィナス戦記
バナナシュート裁判
マイフェニックス
黒い雨
Aサインデイズ
彼女が水着にきがえたら
226
バカヤロー!2 幸せになりたい
愛と平成の色男
夢見通りの人々
右曲がりのダンディー
六本木バナナ・ボーイズ
悲しきヒットマン
べっぴんの町
キッチン
ラッフルズホテル
あ・うん
君は僕をスキになる
伊勢湾台風物語
どついたるねん
はぐれ刑事純情派
北京的西瓜
ウォータームーン
アンパンマン
オルゴール
男はつらいよ 寅次郎心の旅路
人情紙風船
赤西蠣太

 1989年とほぼ同時に平成は始まった。その1989年に映画館で観たのは、おそらく上記の162本。
 世間ではバブル景気のバブルが膨らみに膨らんで、誰かがちょっとプチッと針を刺したら、パーンと弾けてしまう状態だった。だが、そんな景気も一バイト学生にはあまり関係が無く、名古屋の男子大学生といえば自動車が必須アイテムと化していたのだが、自動車はおろか大学3年になっても運転免許証すらまだ持っていなかった。

 前半は名古屋の東映会館でバイトをしていた時期なので、やはり東映系の映画を多く観ている。タダでなきゃ、さすがに『アンパンマン』は観てないだろう。
『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』も東映系で公開された。確か東映洋画系じゃなかったかな。丹波さん亡くなられてしまったね、合掌。
『男はつらいよ』を劇場で観ていたりと、日本映画に力を入れて観ていた一年のようだ。
『座頭市』、『その男、凶暴につき』、『もっともあぶない刑事』など充実していた年でもある。
 外国映画は、『右側に気をつけろ』を観に行ったら面白かったのが自分でも意外だ。だって、ゴダールだよ、ゴダール。同時上映だったらしい『気狂いピエロ』も面白かった。
『アンダルシアの犬』や『カリガリ博士』をスクリーンで観られたのも収穫。

 名古屋に下宿することになったので、半田市でやっていたバイトを辞め、名古屋で新しいバイトを探すことになった。
 こういう時にサークルに入っていると便利で、部会で「名古屋でバイトを探しています」と発言したところ、「じゃあバイト先で人が必要じゃないか聞いてみるわ」と何人かの部員が言ってくれた。
 そして見つかったのが映画館の仕事だった。場所は名古屋の繁華街“栄”、そこの東映会館だ。
 当時、東映会館は3つの映画館からなっていた。二階席があり1000人は収容できる名古屋東映、地下にあり300人程度の東映パラス、2階にあり150人程度のの東映パラス2だ。
 現在では名古屋東映は潰されて跡はゲームセンターとカラオケボックスになっていて、東映パラスが名古屋東映に、パラス2がパラスと2館構成になっている。1989年の名古屋には大スクリーンで有名なヘラルドシネプラザ1や名鉄東宝、名古屋松竹など1000人規模の劇場がいくつかあったが、現在では名鉄東宝の様に2つの劇場に分けられたり、シネプラザの様に閉館するなどしてすべて無くなってしまった。今や郊外型シネマコンプレックスの時代である。
 当時の東映は『ビーバップハイスクール』や『あぶない刑事』など、まだまだ1000人劇場を満員にするラインナップを確保していた。
 券売り場は劇場の正面にあって、そこにはパートのおばさんが詰めていた。オレたち学生のバイトがやるのは劇場のチケットもぎりと売店の運営だった。
 混むときはすごく混む。チケット売り場に行列が出来たり、立ち見客が出たぐらいだ。だが、入らないときはこれでもかってぐらいに人が入らない。名古屋東映だとさすがにそれなりには入るが、オレのシフトだとパラスやパラス2に入ることが多かった。人気のない作品で平日の日中だと、ひたすら暇。土曜日の夜から日曜日の早朝までオールナイト興行が行われるが、これなんかさらに暇。
 寝て過ごすわけにもいかないので、本を持ち込んで耐える。今だったらノートパソコンでも持ち込むところだ。オールナイトは通常のバイトよりも100円だかバイト料が高かった記憶がある。
 だが、バイト料以上にうれしかったのが、名古屋市内の映画館で使えるパス券の存在だ。名古屋の映画館による組合があって、そこで出しているパス券だ。組合に加入している映画館、これは名古屋の映画館のほとんどだったが、そこにそのパス券を持っていくと、平日ならばタダで映画を観られた。パス券は一つの劇場に一つしかなくて、その都度支配人に頼んで借り出すのだが、オレはほとんど借りっぱなしでオレ専用にして使っていた。
 東映でバイトをしていたのは半年ほどの間だったと思うが、パス券のおかげで何本も観ることが出来た。
 他の特典としては、ジュースの自販機下の掃除である。掃除が何で特典なんだと思うだろう。ところがどっこい、自販機の下のゴミを箒で掻き出すと100円玉や時には500円玉などの硬貨が割と出てくるのだ。どうやら、意外と人間はお金を落とすものということ、そして落としてもそのままにしてしまうのだと学んだ。
 どうでもいいけど、名古屋東映のジュースは当時はまだマイナーだった伊藤園の自販機で、しかも1本200円とかふざけた高値だった。映画館の飲食物が高いのは未だに変わっていない。あれは印象が悪いと思うので、もう少し妥当な金額にすべきだと思うが、まぁ今後も高いままだろう。

 身体を使うバイトではないので肉体的にはオールナイトを除くと楽だし、バイト料もそれなり。なにより、パス券の存在が大きく、割と気に入ったバイトだった。
 もしもあのニュースが飛び込まねば、卒業まで続けていたかも知れない。で、あのニュースとは・・・

 1988年後半のことだったと思うが、実家を出て名古屋にアパートを借りることになった。
 オレには姉がいて、名古屋の会社に勤めていたのだが、配置替えで豊田市勤務になったのだ。
 愛知県半田市から名古屋市までは、名鉄を使って片道1時間もあれば着く。しかし、豊田市まで行こうと思うと2度ほど乗り継ぎが必要で、列車の接続次第では2時間以上掛かる。ちと通勤にはつらい。
 豊田市は愛知県の西三河と呼ばれる地域にあるが、この西三河は自動車王国トヨタのお膝元のせいか、自動車で行き来するには道路も整備されていて便利だが、鉄道はどうも東西に行く分には良いが、南北に行くには今一つ不便だ。
 と、ここで一つのアイディアが出た。
 名城大学は地下鉄鶴舞線の塩釜口という駅が最寄りで、この鶴舞線はそのまま名鉄に接続して豊田まで走っているのだ。つまり、鶴舞線の沿線に広めのアパートを借りて姉弟で住めば、オレも便利、姉も便利。家賃面でもメリットがある。
 サークル活動にはまっていて、毎日片道1時間半かけて学校まで通っていた(ただし、部室と学食に顔を出すが、講義には出ていない)オレには嬉しい話だ。

 さっそく不動産屋めぐりをはじめる。
 条件は鶴舞線沿線で、駅から10分ほどの距離。
 大学のある塩釜口の近くだとオレとしては一番便利なのだが、学生向けのワンルームアパートが中心で、こちらが探している2LDK程度の物件があまりなかったのと、生活に便利なスーパーマーケットなどがなかったので検討から外した。
 荒畑、植田の物件を見た後で、塩釜口から東に二駅、原という駅から歩いて10分ほどの所に3LDKのアパートを見つけた。
 まだ新築で空き部屋がある。駅から歩いてくる途中に松坂屋ストアというスーパーマーケットがあって買い物に便利だ。近くにはビデオレンタル屋が併設する本屋もある。今にして思えば、TSUTAYAだった。焼きたてパンを売るパン屋もあった。
 家賃ははっきりと憶えていないが、6万から7万ぐらいだったか。もしも一人暮らしをするとして、3万で風呂付きの物件があるかというとさすがに厳しいので、条件としても悪くない。
 若い男女が住むというので大家が「同棲じゃないのか」と少し渋ったようだが、「同棲じゃなくて同姓です。姉弟です」と戸籍謄本の写しを出すことで解決。
 こうして実家を出て、アパート暮らしが始まった。

 姉と一緒に住むというと、「食事とか家事とかやってもらえるじゃん」と言われたが、それは姉と二人で暮らしたことがない人が抱く幻想だ。
 はっきりいって、部屋なんかオレの方がキレイに片付いていた。暇な大学生と、忙しい会社員では無理もない。
 たまにオレの分の食事も作ってくれたが、“たまに”だ“たまに”
 それでも、完全な一人暮らしよりも人が一緒にいるというのは良いもので、その頃はオレも酒を飲んだので、ビールで酒盛りをやったりした。
 この二人暮らしは、オレが大学を卒業して上京することになるまで、3年ちょっとの間続いた。
 大学までは自転車で15分程度。通学が非常に楽になったおかげで毎日学校に行っては、講義にも出ずに部室と学食で過ごした。
 スパゲティに人気があり、カレーがかかったインディアンスパなどのメニューの第一学食、通称1食。竹輪の磯辺揚げなどおかず毎に細かく分かれていて、好きなのを選んでいっては合計金額を支払う方式の第二食堂、通称2食。日常の栄養をほとんどこの2つの学食と、裏門を出て右側にある定食屋『金鯱』(きんこ)に頼っていた。
 2食できつねうどんを食っているときに、オレの食っている様子があまりに美味そうだというので、先輩に奢ってもらったことがある。美味く食い芸?
 名城大学には他に、校舎裏にあるうどんが名物の第三食堂、3食や、正門を入って左側の名無しの学食など、学生数が多いだけあって学食も多かった。
 2、3年前に前を通りかかったのでちょっと中を覗いてみたら、1食がなくなって代わりにマクドナルドとスガキヤが出来ていた。名古屋の隠れた名物スガキヤはともかく、マクドナルドはちょっと違うんじゃないかなと思わないでもない。
 オレが学生だったころは、学内でハンバーガーといえば自動販売機で売っているヤツだけだった。電子レンジで解凍されて出てくるあの妙にシンナリとしたハンバーガーはそれなりに旨かった。

 1988年前期に作った『ダイヤモンド・ゲーム』がそれなりの評価を得たので、その勢いのまま後期にも一本撮りたい。そう思って脚本を書くべくパソコンに向かうのだが、筆が一向に進まない。
 引き続きコメディをやるのは決まっているが、反省点がいくつもあって、それが解決しないのだ。

 一番大きな点は、『ダイヤモンド・ゲーム』は私立探偵や刑事が登場する映画だったが、どこをどう見たって学生にしか見えないという点だ。
 ジャケットを着込んでみてもやはり学生。シリアスなドラマじゃなくてコメディだからと言ってみても、やはりこれは大きなマイナスポイント。
 では二作目では学生を主人公にするか?それもどうも面白くない。

 加えて演技力の問題。出演者は部員で、演技を学んだわけではない。スクリーンに映し出されるのは素人の学生。それに説得力を持たせるにはどうすればいいか。悩む

 一つのアイディアとして、セリフ無しのサイレントスラップスティックを思いついた。冒頭でいきなり悪漢が宝物を盗んで、それを善玉が追う。カメラもずっと走りっぱなしのドタバタ映画。
 脚本を書き上げ、部室に張り紙をして撮影開始を宣言するが、「やっぱこれ、つまらないんじゃないか」と思い直して、そのままなんとなく終息。

 さてどうしようかな、どうしようかなと思っている内に日にちばかりが過ぎ、後期上映会の日程も近づいてきた。
 結局、いくつか脚本を書き散らかしただけで、実際にフィルムを回すことなく1988年度後期は終了。

 名城大学の学祭は中でサークル連合毎に分かれている。
 シネマ研究会が属する天白文化サークル連合が開催する天白祭は、オレが1年生だった1987年は脅迫状騒ぎで中止となってしまった。
 それから1年、1988年には特に脅迫はなかったようで、すんなりと当日になった。去年の騒ぎは何だったんだ。
 1年間のブランクは運営において大きかったが、そこら辺はお祭り好きな連中の盛り上がりでカバーする。
 シネマ研究会は自主映画の上映の他に店をやった。場所は1号館に入ってすぐ目の前、一等地だ。目立つ場所だし、中庭に抜ける位置なので、すぐ外にある水道を使うことができるので飲食店には最適と言っても良い。
 店はお汁粉かおでんだった記憶がある。おにぎりという案も出たが、火を通さない食品は不可ということで汁物になった。
 店の準備や上映会の準備でてんてこ舞いだった。天白文化サークル連合でレンタル屋から大量の布団を借りてきて、学祭前日から泊まり込みとなった。いかにも祭り、いかにも学祭である。そのまま学祭の片付けを行う最終日翌日まで4日間泊まり込みだ。

 学祭は運営側にいてこそ華。楽しいを通り越して、もう何が何やらな面白さ。
 忙しいのは確かだが、心地よい忙しさだ。
 3年前だかに、たまたま学祭当日の名城大学の前を通りかかって、懐かしさに中を覗いてみた。
 正直、あまり面白くなかった。あまり美味そうではないのに微妙な値段の飲食物。盛り上がってハイになっている学生に、ちとうんざり。やはり客より店側が面白いのだ。
 現役時代は一等地に店を構えていたシネ研だが、校舎の隅にある上映会場を探し出すと、今では飲食店はやっていないとのこと。
 オレたちが現役だった時代にも「泊まり込みは今年限り」といったような噂が流れていたが、今では泊まり込みなんてやってませんよ、とのこと。
 店をやってこその学祭、泊まり込みをしてこその学祭の面白さだったので、退屈そうに上映会場の前に座っている後輩がちょっと気の毒だったが、まぁ大きなお世話か。

 近くに銭湯ならぬコインシャワーがあったので、ずらずらと揃ってシャワーを浴びに行ったり、大いびきをかいてひんしゅくを買ったりしながら祭りは進む。
 夜は毎晩中庭で宴会である。サッポロジャイアントが何本も空になった。
 そのまま永遠に続くんじゃないかと思った祭りもついには終わる。翌日の片付けのために最終日もそのまま泊まり込み。もちろん夜は打ち上げの宴会だ。飲んで騒いで歌う。
 数年後はかなりうるさく口をはさんでくる学生部も、1988年はまだとやかく言ってこなかった。
 翌日は片付け。上映会場のスクリーンを片付け、映写機材を部室に戻す。
 店はそこにあったのが嘘のように、ただの廊下に戻る。
 泊まり込みで使った布団が中庭に集められる。そこに目がけて二階のテラスから飛び降りるヤツが出始める。一人、また一人。そしてオレも飛び降りた。

「ジェロニモーっ!!」

暗殺の森
殺し
赤ちゃん泥棒
赤ちゃんはトップレディがお好き
赤ちゃんに乾杯
アロハ・サマー
イシュタール
インテルビスタ
ウィズダム/夢のかけら
ウィロー
ウォーカー
ウォール街
エルム街の悪夢3/惨劇の館
追いつめられて
おかしなおかしな成金大作戦
カラーズ/天使の消えた街
影なき男
がんばれ!がんばれ!ベンジー
危険な情事
危険な天使
九龍の眼/クーロンズ・アイ
グッドモーニング,ベトナム
クリープショー2/怨霊
クリッター2
グレート・ブルー
クロコダイル・ダンディー2
刑事ニコ/法の死角
恋とゲームと4人組
皇家戦士
ゴシック
再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ
サイクロンZ
サイゴン
サムシング・ワイルド
さよならゲーム
3人のゴースト
潮風のいたずら
死海殺人事件
ブラドック/地獄のヒーロー3
13日の金曜日PART7/新しい恐怖
レッドブル
シンデレラ・ボーイ
スペースボール
スラムダンス
スリーメン&ベビー
存在の耐えられない軽さ
ゾンビ伝説
ダーティハリー5
大混乱
大災難P.T.A.
第七の予言
タイムトラぶラー
太陽の帝国
タッカー
タバコ・ロード
旅立ちの時
チャイナ・ガール
ツーフィンガー鷹
月の輝く夜に
ディア・アメリカ/戦場からの手紙
ティーンバンパイヤ
天山回廊/ザ・シルクロード
天使とデート
童年往事/時の流れ
遠い夜明け
都会のアリス
ドラグネット・正義一直線
長くつ下ピッピの冒険物語
ナッツ
ノース・ショア
ノーマンズ・ランド
背信の日々
バイブス秘宝の謎
八月の鯨
パラダイム
張り込み
パルス・ショック
ビートルジュース
ビッグ
ビッグ・ショット
ビッグ・ビジネス
ヒドゥン
フライトナイト2
フランティック
プリズン
プリンセス・ブライド・ストーリー
フルメタル・ジャケット
プレシディオの男たち
ブロードキャスト・ニュース
ベビーシッター・アドベンチャー
ベルリン・天使の詩
ヘル・レイザー
暴力教室’88
ボーイ・ミーツ・ガール
星の王子ニューヨークへ行く
ポゼッション
ポリスアカデミー5/マイアミ特別勤務
ポルターガイスト3/少女の霊に捧ぐ…
マイライフ・アズ・ア・ドッグ
マローン/黒い標的
ミッドナイト・ラン
ミュラー探偵事務所
ミラグロ/奇跡の地
ムーンウォーカー
モモ
モーリス
ヤングガン
汚れた血
ラスキーズ
ラストエンペラー
ラスト・オブ・イングランド
ランボー3/怒りのアフガン
リトル・ニキータ
霊幻道士3/キョンシーの七不思議
レンタ・コップ
ロジャー・ラビット
ロボ・コップ
スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲
帝都物語
花のあすか組!
敦煌
ドグラ・マグラ
異人たちとの夏
四月怪談
1999年の夏休み
グリーン・レクイエム
りぼん RE-BORN
山田村ワルツ
ピラミッドの彼方に -ホワイト・ライオン伝説-
アナザーウェイ D機関情報
ぼくらの七日間戦争
またまたあぶない刑事
AKIRA
海バンスキング
トップドッグ
となりのトトロ
火垂るの墓


木村家の人びと
フライング 飛翔
海へ See You
嵐が丘
マルサの女2
ゴルフ夜明け前
隠し砦の三悪人
用心棒
孔雀王
ころがし涼太 激突!モンスターバス
行き止まりの挽歌 ブレイクアウト
ダウンタウンヒーローズ
ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎音頭
バカヤロー! 私、怒ってます
リボルバー
快盗ルビイ
怪盗ジゴマ 音楽篇
上海エクスプレス 富貴列車
殺したい妻たちへ
復讐の夜想曲
バンパイヤコップ
ガラスの中の少女
悲しい色やねん
恋子の毎日
ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結篇

 1988年に映画館で観たのは、おそらく上記の164本。
 この中で一本を選べとなったら、迷うことなく『タバコ・ロード』(1941)で決まりだ。
 この作品はアメリカ南部の貧しい農民を描いているという理由で、戦後になっても日本で正式に公開されず、実現したのはようやくと1988年になってから。
 つまり、オレはジョン・フォードの監督作品をたった一作ではあるが、初公開時に観ているということになる。
 これが、オレの映画人生をなんと豊かにしていることか。

「オレって、ジョン・フォードを劇場公開時に観てるんだぜ」
 くわっ、殺し文句。問題は、これを殺し文句と感じてくれる女性の存在が、ほとんど望めないところか。
『タバコ・ロード』は確かに、乾いた大地で農業を営む貧しい農家の人びとを描いているが、社会派の視点はほとんどない。オレとしては、後家さんの愛人になったアホデブが車を買ってもらって、ブヒブヒとクラクションを鳴らしながら走り回って、あちこちにぶつけては壊して回るっていう映画だ。DVDが出てないのは何故?

『スラムダンス』や『サムシング・ワイルド』の斬新さに感心しつつも、心引かれるのは『シンデレラ・ボーイ』と『タイムトラぶラー』の二本立てや、『プリンセス・ブライド・ストーリー』に『天山回廊/ザ・シルクロード』などなど。
 ギャグ映画ならば『ミュラー探偵事務所』だろう。いつまで待ってもDVDにならないので、ビデオのレンタル落ちを買ってしまった。

 邦画は、にっかつがロッポニカとして一般映画に復帰したり、「バカヤロー」をキーワードとするオムニバス映画『バカヤロー!』など、新しい動きもあったが、終わってみると『AKIRA』と『となりのトトロ』を観ておけば、まぁいいかなと。『ゴルフ夜明け前』なんて、何で観てんだ、オレは。

 知多半田駅の近く、ユニー半田店の裏、小さな雑居ビルの3階か4階にその店はあった。
 パソコン黎明期ならではのパソコンソフトを貸し出すレンタルショップだった。
 レジの横には「Wizard98」という名前だかのコピーツールに、安価なノーブランドのフロッピーディスクまで並べてあって、いたれりつくせりではある。法のスレスレ、現在では法律違反となる業種だ。
 だが当時はあまり違法な行為という印象はなかった。あのソフマップだって最初はソフトレンタルの店だったのだ。
 ただ、ソフマップがソフトレンタルから撤退したのは1985年ということだから、1988年になってもまだレンタルショップが営業を続けていられたのは秋葉原と比べて遥かに田舎だったからだろう。

 貸し出しのランキングに入ってくるのはゲームが中心だったが、ビジネスソフトのコーナーもあって、こちらも根強い人気があった。赤い「一太郎Ver.3」の箱が幾度も貸し出されたのが記憶に残っている。「花子」の箱はピンクだったか?
 レンタル料は確か定価の2割程度。借りていった人は、使ってそのまま返すわけではなく、借りてコピーして返す。そのためのコピーツール店頭売りだ。
 複雑なプロテクトが掛けられたソフトもあれば、一太郎の様に何のプロテクトも掛かっていない物まで様々だ。そこら辺のことを把握しておくのも店員の仕事。
 ゲームを借りに来るのはやはり学生が多く、PC-9801シリーズだけではなくPC-8801の人気もまだまだ強かった。

 オーナーは飲食店の経営の傍らこのレンタルショップを開いていて、近所にはゲームセンターも持っていた。そのため、レンタルショップとゲームセンターを1回交代の入れ替わりでシフトが組んであった。
 ゲームセンターは『ストリートファイター2』(1991)で格闘ゲームブームが起こる数年前で、東亜プランのシューティングゲームやアクションゲームが主流を占めていた頃だ。データイーストの『ロボコップ』やナムコの『未来忍者』、これまたナムコの『ドラゴンスピリット』などが並んでいたのを覚えている。調べてみるといずれも1988年のゲームだった。当時の新作だ。
 ゲーセンのバイトとなると「タダで遊べるんだろ」と思われるかも知れない。確かに鍵は預かっているし、機体を空けてボタンを押せばクレジットが使える。しかし、クレジットの記憶数と硬貨の数をチェックされるので、週に一度のチェックで簡単にばれてしまう。
 なにより、営業時間中にバイトがゲーム機に向かっているわけにもいかない。掃除をしたり、ジュースの自販機に補充をしたり、コインを入れたのにカウントされないといったクレームの対処など、意外にやることはあるのだ。
 まだプリクラはおろかクレーンゲームすらなかった時代のゲームセンターは、あまり雰囲気が良いとはいえず、深夜となると柄の悪い連中が出入りする場所だった。
 ゲームでミスっては機体をバンバン叩くので高校生を注意したら、「文句があるなら表へ出ろ」と言われたことがある。2流マンガそのままなセリフに、思わず吹き出しそうになってしまった。
 適当にあしらったら、「けっ臆病者が」と言い残して去っていった。最後まで紋切り型なヤツだ。そのままケンカになったとして、まぁオレは自信がないがもしも勝っていたら、「憶えてやがれ」と言ってきたに違いない。

 このバイトは半年ほど続けたと思うが、ソフトレンタルが閉店することになり、バイトの人数も削減されることになったので辞めた。ちょうどその頃、半田を出て名古屋の学校近くにアパートを借りることになったのだ。

 書き忘れていたが、『ダイヤモンド・ゲーム』の撮影で手を取られるので、春先でバイトを辞めていたのだ。
 映画も撮り終えたし、金もなくなった。またバイトを探さなければならない。
 季節は初夏、これから暑くなる一方な、そんな頃の話。

 当時、愛知県半田市には屋外の市民プールがあった。
 雁宿公園の向かい、丘の上には市民球場、丘の下には市営プール。泳いだり白球を追ったり、公園でセミを捕ったり。夏場はにぎやかな地域だ。
 今では海の方にあるゴミ焼却センターの隣に温水プールが出来て、老朽化した市営プールは取り壊されて駐車場になってしまったが、子供の頃から夏が来る度に通い詰めた思い出の場所でもある。

 小学校の4年生か5年生の時に、水不足でプールが休みになった事がある。そこで友達と海へ行こうと、水着の入ったバックを持って駅に行くためにプールの前を通りかかった。
 そこを「君たち、プールに泳ぎに来たの?」と大人に呼び止められた。いや、海へ行くのですよ、プールは休みですからと答える後ろではテレビカメラをセッティング中。プール閉鎖を取材しに来たテレビのニュース取材だったのだ。
「まあいいや、TVに出してあげるから、ちょっとそこの金網のところに立ってよ」
 うわっ、テレビに出れるんだってと何も考えずに素直に指示に従った。
 夕方のニュースでは
「プールの閉鎖を知らずにやってきた子供たちが悲しげにプールを見ていました」
 といったようなアナウンスつきで、金網越しでプールを覗くオレたちの姿が映し出された。
 嘘じゃん、ヤラセじゃん、インチキじゃんか。これじゃ、オレたちがプールが休みになったことも知らない頭の悪いガキにしかみえないよ。
 テレビは平気で嘘をつくんだなと知った小学校高学年の夕方だった。

 そのプールの監視員をやらないかと、市の仕事をしている人から話が来た。
 責任感の必要な仕事だが、荷物を運ぶでもなく、何かを売り歩くでもない。プールで泳ぐガキどもを監視してれば金になる。なかなか良さそうなバイトじゃないか。
 若いお姉ちゃんたちが泳ぎに来るレジャープールじゃないのが残念だ。
 プール開きの前に集められて、まずは救助と応急処置の方法を教わる。遊び気分だったのが、これでぐっと真剣になる。そっか、人の命がかかったバイトなのか。
 人形を相手にマウストゥマウスで人工呼吸の練習。生命感の無さが気持ち悪い。

 そして夏本番、プールはガキでごったがえした。
 日差しはガンガン強く、気温はうなぎ登り。その暑さの中、人がプールで楽しそうに泳ぐのを、背の高い椅子の上に座って監視するだけ。
 世の中に楽なバイトなどないと思い知った。意外ときついわ、これ。
 からかってくるガキを適当にあしらいながら、夏が終わったらまた次のバイトを探さないとなぁと考えていたら、他のバイトに人からある情報を教えてもらった。
 オレも利用したことのある、あのパソコンソフトレンタルショップが、バイトを探しているらしい?

 日程ははっきりと覚えていないが、季節は初夏。夏間近だ。
 名城大学の1号館にある中教室で、シネマ研究会“前期プライベートフィルム上映会”が行われた。

 初監督作品と言うことで、『ダイヤモンド・ゲーム』は9本ある上映作品の最初に上映された。
 スクリーンにファーストショットが映し出された時点で、映写機の隣から駆け出したくなる。そのまま上映海上を飛びだして、どこまでも走って逃げて、ついには岸壁に立ち尽したいのだが、身もだえながら席に座り続ける。
 観客席から笑い声が上がる。
 笑う?オレの撮った映画を笑いやがったな、この野郎。いや、怒る必要はないか、コメディだし。はっ、笑ったのか、ちゃんとギャグが通じたのか。それともやっぱり映画の出来が悪くて嘲笑ってるのか?
 どうにも観客の反応が気になって気になってしょうがないのである。
 これが芝居とかであったとすれば、観客の前で演じるというのでもっと頭に血が上るんだろうが、映画にはそのライブ感がない。作り手は案外冷静に観客の反応を感じてしまうのだ。
 うわわ?どうかな?こうかな?

「アメリカ映画への強い傾倒ぶりがみられてうれしい。スターかくし芸大会に出てくる井上順のようなK本はいい声してる」

「ギャグのアイデア、ストーリーの明確さ、そして笑いをとった。デビュー作でコメディをやった東森の勇気に」

「初めてにしては出来がよい。というより大変良い」

 上映会後に発刊された『ル・シネマ 前期プライベートフィルム上映会』特集号からの抜粋である。
 ギャグにはちゃんと反応してくれたし、笑わせたいところで笑いが起きた。これでもう、本人としては満足。やったなぁおい、オレ。

 しかし、

「動きすぎるカメラとコロコロ変わるBGMというのは観る人を落ち着かない気分にさせる」

「ピントの甘さが目立った。光などの使い方もまだまだ甘い」

「音楽がうるさすぎ」

 と、「ここは駄目だよなぁ」と思っていたところにもズバズバと指摘がくるのだ。

 まとめてみると、構図に工夫が無く、映像に深みがない。
 音楽のセンスがない。
 この2点が共通した弱点として上がってくる。そしてこれは編集中に痛感していたことなのだ。
 うーむ、反省。反省と言っても、センス的な問題だから、すぐにどうなるもんでもないしな?これは。
 それに「ウケた。笑いをとれた」といっても、上映会に参加したのはほぼ部員だけなんだよね。関係者じゃない人が観て、果たしてどれだけ面白いかってのは・・・・・・・うむむ。
 まあいい、これでずーっと撮ってみたい撮ってみたいと思っていた映画がやっと撮れたのだ。自主映画だけれども、これでオレも映画監督なのだ。

 んー、でもなぁ、やっぱりなぁ・・・

 22分の上映時間となった『ダイヤモンド・ゲーム』の撮影フィルムは20数本、時間にして1時間を超える量だった。
 8ミリフィルムには1秒24コマの規格もあるが、一般には1秒18コマを使う場合が多い。オレも18コマで撮ったので、コマ数にして64,8000コマ。3分ちょっとのフィルムの長さが15mなので、全長およそ300m。これはアポロを打ち上げたサターン5型ロケットのおよそ3倍、そしてタイタニック号の269mよりも長い。
 サターンロケットやタイタニック号と比べることに何の意味があるのか分からないまま、フィルムの山に埋もれるオレだった。

 8ミリフィルムは大きく分けると、コダックのスーパー8と、富士フイルムのシングル8に分けることが出来る。
 映写機は共通だが、フィルム・カメラともそれぞれ別規格で、スーパーのカメラではスーパーのフィルム、シングルのカメラではシングルのフィルムしか撮影できない。
 フィルムの形状も当然異なっていて、ほぼ正方形なスーパーに対して、シングルはカセットテープのような横長な形だ。
 使うカメラ、ひいてはレンズの性能によるのだが、発色に関しては明らかにスーパーの方が綺麗で、特に赤の系統が鮮やかだった。
 まぁ、そこら辺は他のサイトなどにもっと詳しいことがあるからそちらへ。オレにとってはスーパーもシングルも、8ミリフィルムその物も映画を作る手段に過ぎない。現在でもかろうじて8ミリフィルムでの映画作りは可能なようだが、今もしもオレが映画を撮るならば間違いなくデジタルビデオを使って撮るだろう。

 フィルムを巻き付けるリールを何本か用意して、それぞれにシーン毎のフィルムをまとめていく。
 エディターで内容を確認し、スプライサーでフィルムをカット、スプライシングテープでつなげる。
 大雑把に言うと、プロジェクターで映像を見て、裁断機で切って、セロハンテープでつなぐ。そんな感じ。
 実際のフィルムを扱うので、ビデオの編集と比べるとイメージとして掴みやすいが、なにぶん幅8ミリのフィルムなので、エディターに掛けずに肉眼だと内容の判別がしにくい。整理に失敗してどこかに紛れ込ませてしまうと、探し出すだけで大変だ。
 初監督、初編集と言うことで、シーン中のカットはシナリオ順で撮っておいた。余分なところをカットしていけば、取りあえず繋がるので助かった。撮影時に「シーン11、カット3、テイク2」と書いたホワイトボードでもカチンコ代わりに使ってカットの始まりに入れておけば楽なんだろうが、結局自分の映画では使ったことがない。

 出演者もいて、にぎやかで楽しい撮影と比べると、編集は孤独で静かな作業だ。
 機材を前に、黙々とフィルムを切り、そしてつなぐ。NGカットを捨て、順番を直し、カットとカットの間を調節していく。
 ひたすら静かに編集作業を続けていると、次第に頭がさえ渡ってくる。次から次へとアイディアが浮かんできて、ランナーズハイならぬエディターズハイとなる。
「ここは思い切って省略して、このカットを持ってこよう」とかいった具合に、脚本段階では考えてもいなかった構成に変更したりもする。そのつなぎ具合を映写機で確認したときに、「よしっ、これはいける」という出来だったりすると実に嬉しい。
 そして、うまくつながらなかったり、説明不足になっていて、「ああっ、ここでもう1カット欲しかった」と悔しがることもある。どうしても必要という数カットは追加撮影した。

 22分の作品の編集にどれだけ時間がかかったか、今では覚えていない。
 数日は講義にも出ないで、といっても普段から出ていなかったが、部室にこもって作業をしていたと思う。
 やってもやってもきりがないと思っていたフィルムの山が、次第に整理されていって1本の映画となっていく。これがなんともエキサイティングだった。
 脚本を書いているときよりも、撮影をしているときよりも、編集をしているときが一番面白かったのではないだろうか。
 撮影まではいわば素材集め。そろった素材を調理するのが編集だ。真にクリエイティブなのは編集と見た。

 フィルムは切っても切ってもきりがないので、適当なところで編集作業は終了。
 映写機を使って一人上映会。
 この段階だと、音楽や効果音は一切入っていないので、妙に静かにカタカタと映写機は回る。

 さて、次は音入れだと作業を初めて、そして気づいた。
 オレには音楽のセンスがない。

 バックにBGMが流れていないと静かすぎて寂しく感じる。そこで映画のサントラを中心に音楽を入れると、今度はうるさい。音量の問題ではなく、そもそも使い方が下手なのだ。
 8ミリフィルムはフィルムの左右の端にカセットテープの様に磁性体が塗られている。撮影時に同時録音した場合は、片方に撮影時の音声が収録されているので、もう一方のトラックを音楽や効果音に使う。磁性体なので、消去や再録音が可能だ。フィルムが痛むので際限なくとはいかないが、納得がいくまで何度か音を入れたり消したり出来る。
 だが、これがなかなか納得いってくれない。取りあえず、ギャグ映画なんだから静かすぎるよりもにぎやかな方がいいやと、どんどん音楽を入れていった。
 そしてまた一人上映会をやっては、「あああああ、センスがない」とのたうち回るのであった。

 そうこうしている内に、上映会の日は訪れた。
 納得がいっていようがいっていまいが、ここで終了。
『ダイヤモンド・ゲーム』の完成である。

 中学生の頃に書いた神宮寺照彦物の小説では、神宮寺と大林のコンビが活躍する『ブルース・ブラザース』スタイルだったが、映画『ダイヤモンド・ゲーム』ではそれにガニマール警部が加わり、三バカがドタバタするトリオ編成となった。
 三バカといえば『三馬鹿大将』だが、そちらは観たことがない。影響を受けたのは前年の夏に観た『マルクスの二挺拳銃』のマルクス兄弟である。
 神宮寺(ハーポ)と大林(チコ)、そしてガニマール(グルーチョ)といったところ。

『マルクスの二挺拳銃』は愛知県半田市の映画館にジャッキー・チェンの『プロジェクトA2』を観に行ったら、『漂流教室』と一緒の三本立てで上映していた。
『マルクスの二挺拳銃』は決してマルクス兄弟のベストな作品ではないが、なにしろ出会い方が出会い方だ。コメディ好きとしては「いつかは観てみたい」と思っていたマルクス兄弟が、名古屋のミニシアターなどではなく、まったく予期していないところに登場して、そのハチャハチャぶりに完璧にノックアウトされた。
 その映画館、『半田ロマン』だったかな、そのようなリバイバル作品を組み合わせた上映というのはオレの知っている限りだとその時だけだ。なぜ突然『マルクス兄弟』だったのだろうか。映画館のオヤジとは時々話したことがある。映画好きな人だったから、その趣味なんだろうか。
 その1987年の夏という季節に『マルクス兄弟』と出会っていなかったら、オレの人生は確実に変わっていたはずである。人生、どこに転機があるか分からない。

 撮影は比較的順調に進んだ。
 登場人物をほぼ主人公3人だけに絞っていたのも正解だった。
 全員ともオレと同期なので、あれこれ注文を出しやすいし、また向こうからの意見も言いやすい。
 新人監督としてはあまり迷いはなかった。他の人の監督作で現場は経験してきたし、なによりオレには傑作が撮れるという思いこみがあった。
 繁華街である名古屋は栄でのロケが前半の山場だった。
 それまでは学校内での撮影ばかりだった。大学の中というのは、学生らしい連中であれば、かなり奇妙なことをやっていてもその存在が許されてしまう。8ミリカメラが見えれば、「ああ、シネ研がなにか撮ってるんだな」で終わりだ。
 しかし、学校外へ出ればそうはいかない。しかも、ロケ地は名古屋最大の繁華街である栄だ。
 名古屋の人は知っているだろうが、テレビ塔の近くに噴水がある。ロケはそこで行われた。“トレビの泉”という設定で、「何でパリにトレビの泉があるんだよ」というギャグなのだが、説明不足でほとんど理解者がいない。
 撮影しているオレは演出とカメラの操作で必死で恥ずかしさとか回りの視線を気にしている余裕もなかったが、主人公3人組は果たしてどうだったのだろうか。
 ガニマールなんて妙なポーズを付けて登場してくるし、「ルパンがどうだ、フランス警察がなんだ」などというセリフを言わなければならない。
 平日の日中、辺りにはそれなりに人がいる。オレだったら恥ずかしい。演じてくれた3人に感謝。

 リハーサルをやったら即撮影。大急ぎで撮影を片付けると撤収した。クレームや言いがかりを付けてくる人がいても困る。
 、「君たち、何やってるんだ?許可は取ってるのか」と警官がやって来るかもしれない。無茶なことや危険なことをしていなければ、「学生の自主映画です」で終わりだが、その無茶をやる人が自主映画には多い。橋の上から川に飛び降りてみたり、全裸の人に街中を走らせてみたり、そういった行為が優れていると勘違いしている人は割といる。

 そして、いよいよ映画もクライマックス。終盤の神宮寺対ルパンの死闘になだれ込む。
 ロケ地は例によって学校内。図書館前にある陸橋の上だ。
 これまたチャッチャと撮り終えると撮影はほぼ完了。後は現像が仕上がってきたフィルムで明らかに撮り直しのシーンと、いくつかのシーンを撮ったらロケは終わり。
 タイトルやキャストなどのクレジットを部室で撮り終えてようやく撮影は終了。
 だが、一息ついてる暇などないのだ。前期上映会の日程も近い。監督の仕事は、むしろこれから始まるのだ。

 部会で撮影開始を発表、そして「これからファーストカットを撮るから、エキストラとして手の空いてる人は出てね。つーか、出ろ」と出席していた部員に伝える。
 オープニングの犯人が銃で武装した警官隊に包囲されるシーンの撮影だ。
 ロケ現場は部室から歩いて15秒、部室棟の階段踊り場だ。
 すでに持っていたブローニングハイパワーとワルサーP38、なぜか部室に転がっていたM-16とショットガンだけでは足りないので、東京マルイのコッキング式エアガンを何挺か買ってくる。一挺2000円程度だったと思うが、これだけで1万円近くの出費。ほんの数カット、10秒ほどしか画面に映らないが、なにしろ数が揃わないとギャグにならない。本当は、せめて倍は欲しかったのだが、我慢した。ギャグは金がかかる。
 撮影も終わりに近づいた頃に、先輩のN山さんがU馬場さんに
「屋内ロケなんだから、ちゃんと照明焚かないと暗いって、言った方が良いんじゃないですか」
「お前言えよ」
 と話しているのが耳に入る。
 たっ、確かに人手を警官役に回して、照明スタッフが一人なので、使った照明は二つだけ。
 でも、そういうことは最初に言ってよ。ずっといたんだから。
 現像で上がってきた映像は、指摘通り暗かった。撮り直そうと思っている内に、期日が無くなっていって、結局そのまま使った。以後、「不自然な照明でも、暗くて見えないよりかは良い」と、取りあえず明るく明るくを心がけるようになった。人は失敗の中から経験を学ぶのだ。

 映画の撮影は、脚本の順番でやる必要はないし、同じ場所での撮影は同時にやってしまった方が効率的だ。
 だが、それまでにスタッフなどとして他人の映画に参加した経験から、基本的には脚本の順番通りで撮っていくことにした。
 混乱が少ないので「しまった、このシーンを撮り忘れていた」などというトラブルを防げるし、なによりフィルムの山に囲まれることになる編集作業が楽になる。

 主人公の神宮寺照彦役は同窓のS山をキャスティング。ニコリともせずにバカなことをやる神宮寺を、シニカルな目つきで演じてくれた。
 本当のことを言うと、神宮寺はオレが演じたかった。当時、神宮寺照彦を演じさせたら、ロバート・デ・ニーロやアル・パチーノ、そしてショーン・ペンよりも上手くやれた自信がある。彼らは日本語しゃべれないしな。
 相棒の大林警部にはTRO、ガニマール警部ことアルセーヌ・ルパンにはK本。全員とも同窓である。
 2年生になるとすぐに撮り始めた作品なので、新入生は入っていた。しかし、まだどんな連中かキャラクターが掴めていなかった。なにより撮影に入った後に部を辞められると困る。
 神宮寺役は演じられなかったが、代わりに冒頭で逮捕されるギャング役で1シーンのみ登場。

 7月11日に映画バカ青春記を書き始めて、はや2ヶ月、66章。オレはまだ一本の映画も撮っちゃいないのであった。

 全30章を1ヶ月ぐらいで、という思惑で書き始めた『映画バカ青春期』だが、予想を大幅にオーバーして、ようやく大学2年へとなる1988年の春を迎えたばかり。
 書いても書いても先へ進まない。まるで、「外はモンスターが出るから危ないよ」と門番にいく手を遮られ、村中の人全員から話を聞いてアイテムを入手してからじゃないと、いつまでたっても話が始まらず、スライムとすら戦えない出来の悪いRPGみたいだ。
 だが、ようやくと話を聞き終わった。アイテムを手に入れた。武器は持っているだけじゃダメだよ、装備しないと、なのだ。

 映画を作るのに、まず脚本から取りかかった。まぁ、あまり編集から取りかかる人はいない。
 絶対にやりたいと思っていたのが、ギャグを主体としたコメディ映画だった。頭から足の先まで娯楽娯楽のギャグ映画。
 1985年に映画館で観た『トップ・シークレット』の影響が大きいが、それ以外にも作家横田順彌やジョン・ランディスなども頭にある。

 脚本作りはストーリーからではなく、ギャグ作りの方向から行われた。
 名古屋の繁華街「栄」に東京タワーを灰色にしたようなテレビ塔というタワーがある。


 こいつを「エッフェル塔だ」と言い張るギャグはどうだろうか。堂々のフランスロケ敢行である。
 中学自体に生み出したキャラクター迷探偵“神宮寺照彦”を主人公にすることはほぼ決めていたので、パリに行ったのならば敵はアルセーヌ・ルパンにしよう、と柔軟というかなんというかな思考で決定。
 ルパンが盗みに来るのはどんな宝にしようか。おもちゃの宝石を本物として使うとあまりにしょぼい。芸術作品も似たような物だ。ならばいっそのこと、「見えない」ものにしてしまおう。
 こうして、ルパンが狙うのは“世界最小のダイヤモンド”ということになった。あまりに小さいので顕微鏡や虫眼鏡がないと見えないのだ。
 有名なダイヤには『ファラオの涙』などといった名前が付いていたりするが、こちらはその名も『スパローの涙』だ。スパローとはスズメのこと。雀の涙の洒落だ。
 こうして基本の登場人物とストーリーが浮かぶと、あとはそれまでに考えていたギャグを組みたててシーンを作っていく。

 シネ研では機材の扱いは教えてくれるが、脚本の書き方は教えてくれない。というよりも、先輩達はそれぞれが自分なりのやり方を持っていて、統一したスタイルがあるわけではない。教えようがないのだ。
 脚本の書き方に関する本を何冊か読んでみたが、それらは脚本家として実際にプロの現場で使う脚本の書き方が述べられているだけで、あまり役には立たなかった。こっちはシナリオコンクールに応募するわけではなく、これから学生制作の自主映画の脚本を書いているのだ。
 しかも、ギャグの書き方などほんの1行も載っていない。

 ギャグ、ギャグ、ギャグ。その頃のオレときたら、頭の中はギャグでいっぱいいっぱいだった。思いついたは良いが、セットや衣装など、主に金銭面で断念したギャグも多い。いや、むしろそちらの方が多い。
 実現が難しいギャグを削って、使えるギャグで埋めて、あれこれやって脚本が完成。
 シネ研式なので、脚本もオレならば監督もオレ、撮影も編集も、出演以外はすべてオレ。いや、1シーンだけ出演していたりするが、ともあれなにからなにまでオレ、というか自分でやる。だから、脚本自体を特に人に見せるわけではない。
 脚本は製作過程で必要なだけで、それ自身が作品ではないから、オレが見て分かればいいので、他人が読んでもなにがなにやらの不親切な出来だ。

 それを、読み物として手直ししてみたのが『ダイヤモンド・ゲーム』(シナリオ)『ダイヤモンド・ゲーム』(シナリオ)だ。

 それを絵コンテ方式、といっても、これも自分でどんな絵を撮るか分かればいいので、構図だけ書いたのを作る。

 さあ、話は聞いたし、アイテムも揃った。仲間もいるし、乏しいけどゴールドもあるぞ。さぁ、映画製作に出発だ。

第一部・完(嘘)

1987年に映画館で観た映画

愛は静けさの中に
悪魔の毒々モンスター
アメリカ物語
アンタッチャブル
イーストウィックの魔女たち
愛しのロクサーヌ
インナースペース
WANTED/ウォンテッド
エル・トポ
エルム街の悪夢2/フレディの復讐
エンゼル・ハート
エンドア/魔空の妖精
オーバー・ザ・トップ
男たちの挽歌
カンフーキッド/好小子
キング・ソロモンの秘宝2/幻の黄金都市を求めて
グッドモーニング・バビロン!
クリープス
クリッター
クロコダイル・ダンディー
クロスロード
ゴースト・ハンターズ
ゴールデン・チャイルド
最後の戦い
サクリファイス
ザ・フライ
サボテン・ブラザース
サルバドル/遥かなる日々
シカゴ・コネクション/夢みて走れ
地獄のデビル・トラック
七福星
シャタラー
ジャンピン・ジャック・フラッシュ
ジョーズ'87/復讐篇
処刑ライダー
死霊のはらわた II
死霊の盆踊り
スーパーマン4/最強の敵
故郷(ふるさと)への長い道/スター・トレック4
スタンド・バイ・ミー
ZOMBIO(ゾンバイオ)/死霊のしたたり
ダーティ・ダンシング
太陽の7人
007/リビング・デイライツ
ダブルボーダー
デッドリー・フレンド
特攻サンダーボルト作戦
飛べ、バージル/プロジェクトX
友よ、風に抱かれて
ドラキュリアン
摩天楼(ニューヨーク)はバラ色に
ニューヨーク東8番街の奇跡
ニンジャ
ノー・マーシイ/非情の愛
ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場
吐きだめの悪魔
吐きだめのヒーロー
バタリアン2
バトルランナー
薔薇の名前
ハリーとヘンダスン一家
ハンナとその姉妹
ハンバーガー・ヒル
ビバリーヒルズ・コップ2
ファイアー・ドラゴン
フーズ・ザット・ガール
フェリスはある朝突然に
芙蓉鎮
プラトーン
ブルーベルベット
シュワルツェネッガー/プレデター
ブロードキャスト・ニュース
プロジェクトA2/史上最大の標的
ペギー・スーの結婚
ベティ・ブルー/愛と激情の日々
炎のストライカー
ポリスアカデミー4/市民パトロール
マックス、モン・アムール
マルクスの二挺拳銃
ミスター・ソウルマン
ミッション
ミリィ/少年は空を飛んだ
モーニングアフター
モスキート・コースト
夜霧のマンハッタン
世にも不思議なアメージング・ストーリー
ラジオ・デイズ
ラ★バンバ
リーサル・ウェポン
リトルショップ・オブ・ホラーズ
レポマン
ロストボーイ
首都消失
スケバン刑事
漂流教室
新宿純愛物語
湘南爆走族
映画女優
自由な女神たち
青春かけおち篇
黒いドレスの女
恋人たちの時刻
ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲
本場ぢょしこうマニュアル 初恋微熱篇
ウェルター
刑事物語5 やまびこの詩
恐怖のヤッちゃん
微熱少年
ゆきゆきて、神軍
トットチャンネル
ハチ公物語
光る女

 春休みといっても、旅行に行ったりする予定があるわけでもなく、映画を観に行ったり、何度かデートをしたり。後は暇な時間がゴロッと横たわっているだけ。
 そこで、空いた時間を利用して短期のバイトをやることにした。
 道路工事の現場監督の助手という仕事。分かりやすく言えば雑用だ。

 目の前にあるのは山っ!山とはちょっとおおげさだから丘っ!
 その丘の間を切り開いて新しい道路を造っている。
 場所は愛知県半田市北部。現在では日本福祉大学半田校舎が建っているところから、衣浦大橋へと抜ける大きめの道路。地元の人にしか分からないだろうが、あれはオレが造った。いや、オレは雑用で走り回っていただけだが、あの100兆分の1ぐらいはオレが造ったといってもやぶさかではないだろう。
 あの機材を整理しとけ、とか、法面の砂利を端から端までシャベルで片付けておけ、とかそんな仕事。
 慣れない肉体労働に最初は身体が悲鳴を上げたが、若いだけあってすぐに慣れた。

 バイトの時給も良かったし、朝から夕方までと一日の労働時間も長かった。
 そして、バイトの期間が完了することには、オレの手にはかなりの大金を得ていた。
 使い道はすでに考えてあった。パソコンの購入だ。
 脚本を書くのにワープロ専用機を使っていたが、液晶が20文字5行表示と長文を書くには非常に使いづらい。
 高級機への買い換えという手もあるが、ここはやはり元マイコン少年の血がパソコンを求めたのだ。
 当時、NECの天下だった。PC-9801シリーズとPC-8801シリーズが市場を席巻し、マシンの性能もソフトの豊富さも、オレがマイコンを卒業した頃から大きく進歩していて、実に面白そう、楽しそうだった。
 パソコン雑誌を何冊も購入して、検討に検討を重ねた。オレが買ったのはNECではなくEPSONだった。いわゆる98互換機、EPSONいわく「国民機互換」だ。

 買ったのは80286をCPUとして搭載した“PC-286V”。金額として20万円ぐらいだっただろうか。同程度の性能のPC-9801よりも何万円か安い。
 そして、ここが重要なのだが、PC-9801用のソフトや周辺機器の大半が動作した。
 詳細は他所で調べてもらうとして、当時は各社とも独自路線を行っていて、NEC用のソフトは富士通では動かなかった。逆もまた同じ。
 ソフトなどで98に魅力を感じる人にとって、EPSONの互換機は実に嬉しかった。
 だが、オリジナル好きなのか、それとも偽物のように感じられたのか、EPSON互換機の売れ行きは当初芳しくなかったとも聞く。良いマシンなんだけどね。

 PC-286Vとカラーディスプレイ、そしてMS-DOSを買ったら、手の中の札束が消えた。あの頃のパソコンは高かった。
 購入した目的は脚本などの文章作成なので、ワープロソフトも必要だ。これは“パソコンソフトレンタルショップ”で一太郎Ver.3を借りてきてコピーした。
 怖ろしいことに、1980年代末にはパソコンソフトレンタルショップなるものが存在した。
 ソフトを借りて、使って、返す、のではない。借りて、コピーして、返す、のだ。ソフトによってはプロテクトが掛けられているが当然のようにプロテクト解除ソフトも売られていた。
 深く反省せねばならないのだが、それらの店をオレは何の抵抗もなく利用していた。
「ATOK最高」とか言っておきながら、使い始めはコピー品だったのだ。すんません、今ではソフトは買っています。ATOKも1バージョンおきにアップグレードしています。
 反省すればそれでいいのか、償いはどうするとか言わないでくれ。とりあえず、パソコンソフトのレンタルショップなんてものがあり、そして滅んだという出来事があった。地元の半田市だけではなく、名古屋は大須にもあったし、秋葉原にもあったはず。
 まだパソコン自体のユーザー数が少なく、アングラなはずなのに大きな看板を下げて営業をしていた。著作権法違反などで店を畳んでいくのはもう少し先の話。

 RAMも増設していないし、ハードディスクも買っていないので、変換する毎にATOKの5インチフロッピーディスクをガシャンガシャン言わせながら、オレはパソコンで文章を書き始めた。
 表示行数の多さが嬉しい。ATOKの賢さが嬉しい。フロッピーベースでの運用なので、変換などが遅いが、RAMにしろハードディスクにしろ、購入を検討することもできない高値だったし、より快適な環境を知らないのだから、さして気にならない。
 プリンターは無かったので、学校の情報処理室でDOSテキストデータにした文章ディスクを5インチから3.5インチに変換し、家のワープロ専用機で印刷していた。
 EPSONのカラー熱転写プリンタを買うまでは、そんな変則的印刷が続いた。
 しかし、なにかっつーとエプソンだな、オレは。

 当時はまだタッチタイプもどき打鍵。それでポチポチと文章を入力していった。

 年が変わり、1988年となり、後期上映会を行い、シネ研としての1987年度の活動はほぼ終了した。
 だが、学生としての仕事はこれから大きな山が待っている。
 後期試験だ。

 大学の講義は、高校までのそれとは違う。どの講義を選択するかもかなり自由だし、出席を取らない講義もあって、本人の自由意志が大きい。
 試験を受ける受けないも自由、単位を落とすのも自由ならば、留年するのも自由。
 そして、自由ぶりを発揮したオレが真面目に講義に出たのは前期の、それもさらに前半だけ。二分の一の二分の一で、都合四分の一。あとは、語学など出席のある講義だけ出て、あとはさぼっていた。
 毎日のように大学には来ていたが、部室でダラダラしたり、学食で飯を食ったり。いしいひさいちの『バイト君』のような生活だった。
 こうなると、試験寸前にいかにしてノートのコピーを手に入れるかが勝負。同じ学部の友人に当たりまくったが、やはり似たもの同士が集まるのか、みんな程度の差はあれ似たような状況で、お互いに「お前は当てにならん」となすりつけあっていた。
 購入してから約10ヶ月ぶりに開いた教科書と悪戦苦闘。ここが重要かなと、気になるところにマーカーを引いていくが、気がつくとページ一面が真っ黄色。そりゃ、講義を受けてなければどこが重要かも分からないのが道理だ。

 単純に答えを書いていくだけだった高校までの試験と違い、問題は1行だけであとは答えを論述で書いていく、なんて試験もある。
 前年の試験内容を聞き入れて、この論述スタイルの講義はざっと流すだけで試験勉強を終わらせた。こんなの、何をどう勉強したらいいのか分からない。
 ところが、試験が終わってみると、この手の論述スタイルの試験は割と良い点を取っていて、「可なら御の字だ」と思っていたのに優だったりした。どうやら、破綻せずに結論まで持って行ければ、不可を付けられることはあまりないのだ。

 名古屋という土地柄か、自動車産業と密接した『中部経済学』という講義があったが、これにいたっては「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』など外国映画に関するトヨタ車と、製作年度による日本車の位置づけについて書いた。
 古い映画において日本車は「安いが取り柄。庶民の乗る車」だったのが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では主人公マーティーが憧れる車となっている。そんな内容だったが、評価は『優』だった。これで良いのか?と、ちょっと思わなかったでもない。

 逆に難しかったのが、単純に答えを書くテスト。考えてみれば、その答えを知らないのだから手強くて当たり前。いくつはの講義は不可を喰らい、玉砕した。
 それでも、試験結果がすべて返ってくると、不思議なことに1年で取る予定だった単位数が揃っていた。上から「優、良、可、不可」とある中で、やはり優は多くなかったが、まあそれなりの成績。
 ただ、英語と第二外国語のドイツ語での点が悪いというか、英語は不可だった。語学に関しては必須科目だから、来年も受講しなければならない。通常履修分と再履修分だから、人の二倍だ。
 短期決戦仕様で臨んだ試験は、取れる物は取り落とす物は落とし、ボロボロになりながら終了した。
 そして、受験時期の早い私立大学ならではの、やたらと長い春休みに突入する。

 当時、名城大学の大学祭は、サークルの派閥により内部でいくつかに分かれていた。
 シネマ研究会が属していたのは天白文化サークル連合という団体で、どうやら過去に中核派やら革マル派など、過激派の流れをくんでいるらしい。
 文化系サークル団体としては、他にオール名城文化局というのがあった。こちらは、学生主体のサークル運営に危機感を抱いた大学側が、生徒を抱き込んで作り出した大学寄りのサークル連合だ。
 その他にも、体育会系、農学部系などいくつかのサークル連合があった。

 とはいってみたものの、1987年当時、すでに学生運動など過去のことで、サークル連合間の争いも、政治云々ではなく、学祭どちらが目立つ良い場所を取れるかといったようなものだった。
 天白文化サークル連合、通称天白文サ連(この略し方が学生運動っぽいと言えなくもない)、もっと略すと単に“天白”は学内のサークル連合の中でも活動が盛んで、活気があった。
 名城大学文化祭の中で天白が開催する天白祭は、名城の学祭の代名詞といって良かった。
 場所も1号館というメインの校舎を丸々独占し、コンサートなどをやる体育館がなかったので、駐車場とロータリーにステージを組んで、名古屋のインディーズバンドを主体とした野外の無料ライブを開催して、好評だった。オレはインディーズのことはさっぱりなのでよく分からんが、そっち方面が好きな連中が興奮していたからそれなりのメンツが揃っていたのだろう。

 そして、11月上旬の文化の日の連休を中心として開催される天白祭の準備は、着々と進みつつあった。
 その手紙が届くまでは。

 ここから先は、天白祭実行委員だったTROに、ついこの間飲み会で会ったときに聞いたことで、時も経っているので不明確な点も多いことをあらかじめ言っておく。

 手紙には
「天白祭を中止しないと、危険なことが起きる」
 といったようなことが書いてあったそうだ。
 具体的に、例えば爆破宣言があったのか、たんにほのめかすだけだったのかは分からない。
 通常ならば、ただの悪戯だろうとやり過ごすところだ。
 しかし、その頃、天白は緊張していた。どうも、脅迫状が来て、それを無視する状況ではなかったようだ。
 まずは警察に連絡した。現在ならば、ネット上で悪ふざけな殺人予告をやっても逮捕される可能性が高いが、当時の天白警察署は「あっそっ」といった態度だったようだ。
 ここら辺は、過去の学生運動が盛んだった頃からの確執もあるのだろう。

 警察もあまりあてには出来ない。
 天白祭実行委員会は、協議による協議の結果、1987年度の天白祭中止を決定する。
 翌日の、新聞の名古屋欄には、天白祭への脅迫状と中止の記事が載った。

 この脅迫状を誰が送ってきたのかは定かではない。
 天白に敵対するグループ、つまりどこぞの過激派が送ってきたという説。
 天白の内部抗争で、サークル間の主導権を握ろうとする天白に所属する某人物が送ったという説もある。

 ともあれ、1987年の学祭は中止になった。
 オレの第一回学祭は無くなってしまったのだ。
 中止になったのは、天白祭だけで、他のサークル連合の行う名城大学の学祭は開催されたが、目玉の天白が抜けたのは大きく、盛り上がりに欠けるものだったとも聞く。

 オレたち天白にとって痛かったのは、1年といえど天白祭の伝統がとぎれたことだ。面子云々ではない、それもあるが、天白祭を経験しなかった1年生は、天白祭を経験しなかった2年生となる。
 運営に関する技術や、人の集め方。そういったノウハウが1年分途切れると言うことだ。

 あれこれ準備を進めてたオレたちシネ研も、突然の決定に呆然とするしかなかった。
 比較的早い段階での決定だったので、材料や機材を仕込んでからでなかったのはまだ良かったかもしれない。

 結局、よく分からない流れと、よく分からない理由で天白祭は中止になった。
 当時も学祭中止にまつわる騒動が、よく理解できなかったし、飲み会の席でTROに改めて聞いてもやはりよく分からない。読んでいるあなたもよく分からないだろう。
 脅迫状を出した誰かが悪いだけでなく、一通の脅迫状で天白祭が中止になるというのは、どこか異常だ。強行して学祭を行えば、何かが起きるという確信があったということだろうか。
 誰が?何で?
 1987年の名城大学は、学生運動という大昔のしがらみが、まだ残滓となってこびりついている、そんなあいまいな時代だったのだ。

 2,3年ほど前に、たまたま学祭期間中の名城大学の近くまで来たので、どんな様子かなと顔を出してみた。
 サークル連合別ではなく、全体で一つの学祭となっていた。
 まぁ当たり前よなと思いつつも、以前は一番目立つ1号館の入ってすぐの場所に店を構え、上映会場はそのまま階段を上って3階の中教室という目立つ場所を使っていたシネ研が、どっか隅の方に追いやられていたのがちとショックだった。

 別に規則があったわけではないが、監督作品を作るのは2年生になってからというのが普通だった。
 入部当時に映画の作り方として、8ミリフィルムカメラや編集機、サウンドエディターなどの使い方は教わっていた。だが、この講義は、機材を使っていかに映画を作るかというよりも、機材を使っても壊さないで済むようにということに主眼が置かれていた。
 当時、既に8ミリフィルムの機材はほぼ生産を止め、市場に流れる中古も減りつつある。今持っている機材を如何に壊さずに大事に使うかは重大事項だったのだ。

 映画の作り方のノウハウ面については教えてもらえなかった。というよりも、自主映画・学生映画にはっきりとした作り方はない。
 大型書店に行くと、映画の製作に関する本が数少ないながらあったりもするが、これはプロの商業作品か、かなり大規模な自主映画用の内容だった。これから草野球をやろうというのに、プロ野球の練習内容を持ってこられても困る。
 個人製作のシネ研において、決まった映画の作り方はなかった。
 新人は、上級生の映画製作現場を手伝って、「うむむ、なるほど」とか「こう撮るのか」などして、映画の作り方を盗んで、自分なりの映画製作のやり方を作り出すしかなかった。
 なにやら、職人の世界みたいだが、職人の場合は手本となる師匠がその仕事では一人前である。それに対し、シネ研の場合は上級生も、オレたち1年生よりかは知識も経験もあるが、つまるところ大差ないという点が大きく違う。

 これが映画の専門学校だったら、きちんとカリキュラムを組んで、演出の方法の基礎から学んでいくのだろうが、シネ研にはその絶対的な教師役がいない。
 脚本の書き方一つにしても、先輩はそれぞれ自分にやりやすいように、書式についてはかなりいい加減にやっていたので、これも自分なりの脚本の書きかたを見つけ出さなければならない。
 結局、シナリオの描き方も、撮影の仕方も、編集の仕方も、先輩が撮っている現場にスタッフなどで参加して、実地で学ぶしかなかった。

 つまり、一言で監督をやるといっても、これがなかなか大変なのだ。
 監督は2年生からというのは、しきたりではなく、なんとか映画を作ることが出来るようになるには、1年は経験を積まないと難しいということだったのだ。

 そこにTROさんの登場である。
 このTROという男は、この1年生の時点では映画に関して深い知識を持っていなかったが、とにかく行動力があった。
 自分一人だけではなく、回りを自然に巻き込んでいく才能を持っており、天性のリーダーの資質を持っていたように思う。
 しかも、バカだった。

 このTROが後期の上映会に作品を出すと宣言した。1年生監督である。
 大学に入ってくるまでは空手をやっていたTROだけあって、アクション映画。
 ストーリーは

 ・なんか、悪の組織がいる。
 ・組織は戦闘力の高い主人公を仲間に引き入れようとしている。
 ・主人公がそれを拒むので、組織は主人公の恋人を誘拐する。
 ・主人公は恋人を取り戻すため、組織に乗り込む。
 ・次から次へと現れる敵を倒しながら先へ進む。
 ・ついにはボスを倒して恋人を奪還する。

 はっ、ファミコン版『スパルタンX』のシナリオがなぜここにっ?!
 正直、勢いは感じるが、映画としてはまだまだな作品だった。
 シナリオの単調さは今さら書く必要もないだろう。
 見せ場の格闘シーンも、あまりカットを割らず、素人の格闘が丸分かりで迫力に欠ける。
 そして、なにより、やっとの思いで助け出した恋人が・・・恋人が・・・なんでセーラー服で女装した3年生なんだよ!
 ギャグか、これはっ!

 なんでも、ラストの再会シーンで主人公(男)と抱き合う必要があったため女優が見つからず、そこで考え抜いたあげくに映画のシーンとなったそうだ。
 でもね、でも軽く抱き合ってくれる女優を捜す方が、3年生の先輩(男)を説得してセーラー服を着せるよりも簡単なんじゃないか?

 確かに、自主映画に出てくれる女優を捜すのは大変ではある。
「えー、映画?出る出る」と気楽に応じてくれる人は多いが、映画の撮影現場というのは映画作りを分かっている人じゃないと退屈だ。
 女優のご機嫌を取る人員がいるわけでもなく、途中で飽きて逃げられることも多い。そうなると、他の人にキャストを変えて撮り直しですめばいいが、下手をすると映画が制作中止になることもある。

 初めて撮った映画はまずそのほとんどが駄作だ。
 映画作りを初めてやる、しかも手取り足取り教えてくれる人がいるわけでもなく、独力で撮る。駄作が普通だ。駄作であったとしても、完成させるにはかなり努力があったことだろう。
 だが、シネ研は「○○さんは1年生なのに映画を完成させました、スゴいですね」「パチパチパチ(拍手)」のHRでもなければ、「○○さんは初めて映画を完成させました。これも神の御心、神の助けがあってこと」「パチパチパチ」の宗教団体でもない。
 シネ研は映画のサークルだ。撮った映画の出来がすべて。結果がすべて。実際はそこまで殺伐としているわけではないが、そんな雰囲気はある。

 上映会後に『ル・シネマ』の上映会特集号が出される。新人だろうが出来が悪いところはきっちり指摘され、酷評もされる。
 少数ではあるが、人によっては、ここでもう映画を撮らなくなってしまう。
 だが、大半は「自分の欠点は。次は何を直せば良いか」と考えて、次回作に活かす。

 この映画も、どちらかというと不評だったが、このTROという男は前向きで必要とあらば努力を惜しまない。
 それまではあまり映画を観ない男だったが、観る本数も増え、そこからどん欲に吸収していった。
 そして、後にリメイク版を撮る。
 基本ストーリーは同じながらも、主要登場人物も増え、それぞれのやり取りや苦悩、野望なども描かれている。
 そしてなによりアクションシーン。極限まで細かくカット割りされたアクションシーンは、TROが映画を観て学習してきた成果だ。
 異なる二つの場所で行われる格闘シーンを、カットバックで描くなど技術的にも上達している。

 オレも脚本は書きためてはいたが、映画を撮るという行動にはまだ出られなかった。
 この一点だけでもTROに負けている。
 100本の脚本よりも1本の映画。
 これがシネ研の価値観だ。

 1987年の9月、オレは半年ぶりに母校である半田高校を訪れていた。
 文化祭である柊祭の一般公開日、校内は賑わっていた。
 所属していた放送部のスペースをのぞくと、あとは特にやることもない。
 なんとなく校内をぶらついていたら、図書館で高校3年生の時にちょっとだけ付き合った彼女と出会った。
 彼女は高校3年生になっていた。進学について悩んでいるとの相談を受け、なんだかんだと答える。
「悩んだって落ちるときは落ちるし、悩まなくたって受かるときは受かる」とか、人によっては不真面目と感じるかも知れないが、オレなりに思っていることを話した。

 それから、月に1度ほど電話をするようになった。
 相手が受験生なので、付き合うとかではなく、とりあえず友達として。
 そして、1988年の3月に彼女の進学が決まると、正式に男女交際を始めることとなった。

 だが、その時のオレは「女の子と遊ぶ」よりも「映画を観たり、映画について考えたり、映画について話したり」する方が面白くってしょうがないという映画バカだった。
 なに言ってんだって感じだが、世の中に恋愛至上主義者がいっぱいいるのだから、たまには映画至上主義者だっている。
 彼女は映画はほとんど観ない、観なくても困らないという人だった。
 そんな二人がなぜ付き合うようになったのか、なぜ長続きをしたのかは、よく分からないが、一つには月に一度会うか会わないかというデート頻度の少なさだろう。
 大学生の男と短大生の女が交際していて、遠距離恋愛でもないのに、月に一度しか会わない。まぁ、ちと変わっている。

 映画に誘ったら、「面白い映画が良い」というので、北野武の『3-4X10月』(1990)に連れて行ったことがある。
 今にして思えば、映画好きでもない彼女を北野武の映画に連れて行くなんて無茶なのだが、“面白い映画”の部分だけに反応したのだ。
 いずれ単独の映画評で書くだろうが、『3-4X10月』には思いっきり期待していた。
 『その男、凶暴につき』では出来の悪い脚本と設定をかなり無視していたが、それでもまだ縛られているところがあったが、今度は武オリジナル脚本だ。名実とも武の映画で、これが真のデビュー作だと思っている。

 観終わった後で、興奮してあれこれ話しているオレに彼女は、「ガダルカナル・タカがスナックに来ていた女性客を殴ったのが許せない。女の人に暴力を振るうなんて最低」と応えた。
 正直、彼女が何を言っているのか理解できなかった。
「いや、それはタカが元暴力団員で、スナックのマスターになっても過去が忘れられず、半端な男になっているのを表すシーンで」うんぬんと、トンチンカンな受け答えをした記憶がある。

 夏休み、俺たちシネ研部員は4年生を除く1?3年生で夏合宿に行く。
 夏合宿は三泊四日。1年の時は確か白馬かどっか、とりあえず山だった。
 『ル・シネマ』の山の中から、1988年の夏合宿資料が出てきた。オレが1年生だった1987年も似たような物だろう。記憶がまるっきりあいまいなのでどうしようかと思ったがこれでどうにかなりそうだ。

 朝の9時半に名古屋駅に集合。そこから貸し切りバスで長野に移動。
 午後2時に宿に到着。「やれやれ、やっと着きましたね」と、仲の良かった2年生の先輩に話しかけても「おぅ」と返ってくるぐらいで、何か避けられている。どうも視線も合わせない。
 オレだけではなく、1年生全員が2年生全員から無視されている。
 どうしたんだ、これは?

 荷物を部屋に納めたら、資料や筆記具を持って会議室に集合。
 そして、到着してわずか30分後、一息入れる暇もない。
 そして、シネ研合宿名物“総括”が始まった。

 1年生と2年生が向かい合うように席につく。
 2年生が、あまり慣れていない上に似合わない厳しげな顔つきでこちらを睨んでいる。
 あらかじめ、総括文として、いわゆる反省文を書かされて、それを小冊子にまとめてある。
 1年生の列の端からその反省文を読み上げさせられる。
 読み終えると、「お前はここがいかん」「そこもいかん」「反省しろ」と、いつにない雰囲気で猛烈に責め立てられる。
 ふと横を見ると、赤い手帳を掲げた人民服の若者が「自己批判せよ」と叫んでいる。いや、それは嘘だが。
 とにかく、怒られ、反省を強要させられる。それが総括だ。

 “総括”とは広辞苑によると「別々のものをまとめ合せること。全体を総合して、しめくくること。また、全過程を検討・評価すること」だそうだ。
 だが、夏合宿での“総括”は、

「総括:連合赤軍は、しばしば総括(そうかつ)と称して各人に政治的な反省を迫ることがあった。これはやがて、本人の自覚を助けるとして、周囲の者が総括をしている者に対し、意見や批判を行うものに発展した。」

 学生運動時代に、過激派が内部で行っていた行為に由来するようだ。
 過激派の総括は最終的に破綻してリンチや殺人にまで発展した。幸いなことに、シネ研の総括は言葉のやり取りだけで終わっていた。
 学生運動など20年は前の出来事だというのに、何故に1987年の夏合宿で、映画のサークルであるシネマ研究会が総括をやらねばならないのか。
 オレはよく知らないのだが、というよりもシネ研を含めた天白文化サークル連合の中でも詳しいのはごく数人なようだが、この天白文化サークル連合、通称天白文サ連、もっと略すと単に“天白”は学生運動が盛んだった1960年代後半に、中核派だか革マル派だかに所属していたらしい。
 サークル棟の階段に「民青粉砕」と落書きがされていたが、民青こと日本民主青年同盟は過激派と対立していたことからも納得できる。ちなみに、この「民青粉砕」は管理人が消しても消しても、また書かれていた。
 先ほども言ったように、オレはここらのことに関しては詳しくない。ほとんどの学生にとって、学生運動など自分が生まれる前か生まれた頃の出来事だ。だが、一部の学生および一部の卒業生にとっては現在進行中の出来事だったようだ。
 それにまつわり秋にはある騒ぎが起こるのだが、それはまた後で。

 シネ研の合宿に“総括”という単語が入ってきたのも、その学生運動の時代だろう。
 さすがに1987年には「何じゃそりゃ?」な過去な言葉だったが、大学の学内というのはある種の閉鎖空間で時間の流れが妙なところがあり、なんだかんだで生き残っていたのだ。
 オレが卒業するまでの間の数年間でも、“総括”的な上級生からの批判は影を薄め、単なる反省会へと変わっていった。
 総括では1年はあくまでも批判される者で、上級生は批判をする側。上級生は絶対である。
 反省会は1年生だけではなく、上級生も反省する。上級生は絶対ではない。
 この差は大きい。

新入生入学の時期には白いヘルメットとタオルによるマスク姿でアジビラを配るなど、かろうじて生き残っていた過激派の残党(ほとんどは学生ではなく、卒業生などだったそうだが)は急速に姿を消していった。
 バブル経済の時代になり、日本社会そのものが変質している時期であったのも関係あるのだろう。自分の意志とは関わりなく、オレはシネ研や天白文サ連の転換期に在籍していたのだ。

 合宿での総括に意味はあったのか。
 普段のサークル生活で規律や規則をやたらととやかく言わない代わりに、ここでまとめてやっておくという意味ならばあった。
 文化系のサークル、しかも全体で一つの作業を行っていないサークルなので、結束力は強くなかった。それを“無理矢理”強める役割はあった。
 だが、怒ったり人を批判するのに慣れていない2年生には、怒られながらも「無理してるなぁ」と感想を持った。
 こっちだって、映画を観に行くことはもちろん、サークル内の活動も力を入れていたので、あれこれ細かいところを怒られてもあまり反省しようがない。
 とにかく、消えていきつつあるイベントだった。

 文化系サークルの夏合宿ときたら普通は遊び合宿だろう。
 だが、1988年の資料だと、シネ研の夏合宿は

1日目 9:30名古屋駅発 14:00現地到着 14:30総括 18:00夕食 以後自由時間(飲み会)
2日目 9:00総括 昼食と30分の休憩をはさみ 18:00夕食 以降自由時間(飲み会)
3日目 9:00総括 11:00昼食 以降自由時間(飲み会)
4日目 10:00自由時間 12:00昼食 14:00出発 18:00名古屋駅着

 といったタイムテーブルだった。寝たり食事をしたり、飲み会をしたりといった生活に欠かせない時間を除くと、半分以上を会議で過ごしていたことになる。

 夏合宿を終えると、下級生も上級生も多少顔つきが変わる。
 顔つきや精神面が変わっても、まぁ長続きはしない緊張感だが、夏休み明けから突入する名城大学学園祭、天白のそれは天白祭といったが、一大イベントへの準備に必要なのだ。
 ところが1987年の天白祭は・・・

 シネ研では月に一度、『ル・シネマ』という機関誌を作っていた。機関誌といっても、部員の数+保存分の全40部ほどで、印刷所に出すわけでもないコピー誌だ。
 大学は休みが多いので、上映会などの特別号を除くと年間で8冊ほどだっただろうか。
 しかし、なんで名城大学はシネマ研究会に『ル・シネマ』なんだろうか。今でこそさすがに慣れたが、入部当時は『シネマ研究会』やら『ル・シネマ』といったおフランスざんスな単語はどうもこそばよかった。
 設立当時に、部内で勢力争いがあって、最終的にフランスヌーベルバーグ派が勝ったという説もあるが、そもそも映画研究会というサークルがすでにあって、学生運動の中核だ革マルだの対立から、分裂あるいは新設しシネ研が生き残ったなどの説もある。さすがに古い話なので、オレの知っている年代の中ではうわさ話レベルしか知識がなく、答えは歴史の彼方、闇の中だ。

『ル・シネマ』は一人最低1ページ、人によっては3ページも4ページも書く。過去の作品について書いても良いが、基本的にはその月に観た映画について書くことになっていた。
 それまでは、ノートに日記めいた物をつけているだけだったので、学生なりに評論っぽい文章を書けることが嬉しかった。それに、日記だと自分が読んで終わりだが、『ル・シネマ』だと部員全員が読んでくれる。
 そこで書いて書いて、かなり書いた。1作品を2ページにまとめ、こりゃ書く意味がないなという作品以外は書いたので、月に20評論近くは書いていたことになる。
 これを全部掲載しては、『ル・シネマ 東森時音特集号』になってしまうので、1作品を選んで提出。

 最初は手書きで書いていたが、後に父親が買った東芝のワープロ“Rupo”を奪い、ほぼオレ専用にして、キーボードに移行。この1987年以降、オレが書いた文章はほとんどがキーボード入力で、手書きで書いたのはごく短文や履歴書などだけ。
 そのRupoは20文字5行表示(ぐらい)で、まとまった文章を書くと推敲が面倒だったので、1988年にはパソコンで書くようになり、以後は基本的に変化無し。パソコンというより、身も心もATOKだ。

 そして『ル・シネマ』の今月号が出来上がると、部室棟の会議室を借りて“読み合わせ”というのを行う。
 各自、自分が書いてきた評論を読んでいって、読み終わった後で討論に入る。
 書いて終わりではなく、この討論の部分が重要であったと今では分かる。オレも映画バカ黙示録という場で批評もどきを書きつづってはいる。だが、一人では討論は出来ない。やってもいいが、きっと単に変な人だ。

 “読み合わせ”は勝ち負けではない。理路整然として言葉の表現に長けている者が打ち負かす形になることはあるが、打ち負かすのが目的ではない。
 ある映画を観て、自分がどう感じたか、どう思ったか。その映画とは何なのかについてガンガンしゃべり、言い合う。
 一心同体どころか、それぞれ自分勝手でまとまりのない集団だ。だが、白熱した討論が終わると、そこで全部終わり。ひょっとしたら目に見えないところで引きずっているかも知れないが、基本的にはすぱっと終わって遺恨無し。
 気の良い連中が集まっていたのだろうか。それともやはりみんな映画好きだからか?

 その後社会に出て、回りに映画についてちゃんと語れる人があまりいなくなってからは、ネット上での映画討論の場にも参加してみたことがある。
 ニフティ・サーブなどのパソコン通信の時代は割と面白かった記憶があるが、インターネットに移行して以来、あまり楽しくはない。
 現在だと、2ちゃんねるなどの匿名掲示板、mixiなどのソーシャルネットワーキングサービス、そしてブログの3つに取りあえず分けてしまおう。

 まず、2ちゃんねるは匿名の悪い部分が前面に押し出されて、殺伐としすぎで面白くない。たまに、「おっ、これは」という意見が出てきても、意味のないあおりや品格のない文の方が圧倒的に多すぎる。
 ある批評が気に入らない場合は、それへの反論よりも、会ったこともない投稿者への憶測(というか、むしろ妄想)による人格攻撃に終始する。議論に発展性がほとんどない。
「お前ら、騒ぎたいなら他所行って騒げ。映画について語りたいんなら語れ。はっきりしろ」
 荒らしやあおりにはなにも言わない。スルーすることとなっているようだし、スルーというか無視ね無視。

 mixiも「流行っているようだが、取りあえずどんなもんかな」と、邪道斎氏から招待してもらって参加してみた。
 mixiは実名までは分からないが(まれに実名を使っている怖い者知らずもいると聞くが)、誰がその発言をしたかというのは分かる。その点、匿名とは違い、責任がはっきりしている。
 そこまではいいのだが、論争になるのを怖れてか、反論した相手に嫌われるのが嫌なのか、人格攻撃と勘違いされるのを怖れて幾重にもオブラートくるんだ発言ばかり。これでは討論らしい討論にならない。単に雑談場。
 そういう、のんびりとした雰囲気が良いという人もいるのかも知れないが、言いたいことをすぱっと言えないってのはどうも気が詰まる。

 ある映画があって、それを観た人が複数いれば、複数の感想があって当たり前。
 その映画を好きな人もいれば、嫌いな人もいるのが当たり前。
 で、単に不毛な言い争いをして荒れ果てた大地を作るだけなのが2ちゃんねる。
 お花畑に集まって、みんなで仲良く(腹の中までは知らんが)ダベっているのだmixi。

 オレとしてはどっちもイヤ。
 思ってることや考えはガンガン言って、相手の発言もちゃんと聞いて、作品に対する理解を深めるための激戦化した討論。それがやりたい。
 でも、戦争が終わってふと見ると、爆発や銃弾で荒れ果てた大地に、一輪の花が力強く咲いている。そんな一輪の花を大切にしてこその討論じゃないんだろうか。
 相手を徹底的に言い負かすこと、罵倒することだけを目的として、結果、10000年は雑草も生えない焦土とすることに何の意味があるだろうか。

 で、ブログなんだが。
 この映画バカ黙示録はブログツールとして有名なMovable Typeを使っているが、自分ではブログだと思っていない。
 世の中には親切というか、イヤなヤツがいるもので、「あなたのサイトはブログではないですね。そもそもブログとは様々なサイトを巡っている最中に目に付いたいくつもことをまとめて、そこへのリンクと共に掲載するものです。あなたのは自分の文章を単に載せているだけの自己満足です。文も長すぎです。これなら日記cgiで充分でしょう」と匿名で指摘してきた。
 アホくさいので無視して、コメント削除した。
 ブログの定義付けのためにMovable Typeを選んだんじゃなくて、単純に使いやすいから。以前はhtml記述ソフトを使っていたが、Movable Typeにしてから毎日の更新にかかる時間が半分以下になった。
 秀丸エディタで文章をガガガッと書いて、読み直しもせずにアップロードして保存で完了。楽なもんだ。

 ブログには、プライバシーは保たれつつも、発言への責任も持たされる場と成りうる可能性が高いだろう。
 mixiなどSNSは与えられた遊び場だが、ブログは自分で作った遊び場だ。設備の整い綺麗に清掃された公園でお行儀良く遊ぶより、横町の空き地の草っぱらで好き勝手に遊ぶ方が楽しいんじゃないかなぁ。

 つまるところ、映画バカ黙示録は、オレにとって『ル・シネマ』の延長なのだ。
 そして、『ル・シネマ』であるからには、“読み合わせ”という討論の場が必要なのだが、それがない。
 今になって思うと、世の中バブルだというのに金はなかったが、時間は山ほどあったし、映画を色々観て、シネ研の仲間とそれについてガーガー言う。話し合っても、別段これという結論が出るわけじゃないが、それでいい。そんな学生時代ってのは貴重だったんだなと。
 社会人になると、趣味についてあれこれ本気で話せる相手を見つけるのは、これでなかなか難しい。

 ボックス(部室)で過去の作品を8ミリ映写機で上映して観たことは何度もあったが、ちゃんとした上映会はこれが初めて。
 名城大学シネマ研究会の前期上映会が大々的に上映された。

 ごめん、ちょっと嘘。いや、かなり嘘かも。
 上映会は学校内、一号館の3階にある中規模の教室だった。大学の教室は中規模以上だと前から後ろに上る形で段差が付いているので、上映会にはちょうど良い。しかし、外部の名古屋駅(名駅)や栄えなどの繁華街でやるのではないので、観に来てもらうといっても、他校の映画研究会部員や名城の生徒。
 学内にポスターを張り出したり朝の登校時間にチラシを配ったりして宣伝はした。
 しかし、普通の人が学生が撮った自主映画に興味を持つとあなたは考えますか?オレは考えない。、
 実際、部員以外の客は、仲の良いサークルの連中が数名で、ほぼ内輪の上映会。
 まぁ、他校の上映会にも何度か行ってみたが、どこも同じようなものだった。
 無料なんだから来てくれよとも思うが、オレが映画に普通にしか興味がない人間だったらまず行かない。
 厳しいし寂しいけど、それが現実だ。

 上映された作品は約5?8本。新人監督の作品から、学年が下の監督が撮った作品から先に上映される。
 面白いのもあったし、難解でよく分からないのもあったし、正直つまらないのもあった。
 どの監督も同じ部員としてよく知っているので、やはりひいき目になる。出演者もほとんどが部員だし。

 お祭り的なイベントという感じではなく、ワクワク感はあったが基本的にみんな真面目に観ていた。
 上映会の後にはサークルの機関誌『ル・シネマ』で上映会特集号を出すので、そこに掲載する記事のためにもちゃんと観ておかねばならない。
 機関誌といっても、リソグラフで印刷した物やコピーした原稿をホッチキスでまとめただけの、いわゆるコピー誌だ。部外に配布するわけではなく、サークルの人数+αしか作らない小規模な物だ。
 まだ、家庭用ワープロもようやく普及してきた時代で、ほとんどの部員は手書き原稿だったし、学生のお遊びといえばお遊びだ。でも、真剣に書いてたんだぞ。

 部員であるから当然上映会に出席した。だが、今もし街を歩いていて自主映画上映会をやっている会場の前を通りかかったとして、それが無料であったとしてオレは観るだろうか。
 まぁ、観ない。
 だって、自主映画って、ほとんどは外部の人間にとってはつまらないからだ。
 自主映画を盛んに制作するサークルに所属していたことがあって、自分自身が5本の自主映画を撮ったが、いやそうだったからこそそう言い切る。
 外の人間にとって自主映画はつまらん。その輪の中にいると楽しいんだけどね。

 自主映画はつまらないけど面白い。監督の独りよがりになってしまうとか、表現したい内容と表現する技術とに差がありすぎるとか、そもそも映画は金と人が掛かるとか、色々と理由はあるが、それについてはまたいずれ後で書く。

 あれこれ書いてしまったが、もしもどこかの大学祭に行ってそこの映研が上映会をやっているだろう。無料だったら一度観てみるのも面白い。
 ここで書いたのは、いわゆる学生映画といわれる自主映画。学生映画と自主映画とは違うという主張もあるようだ。ないか?といわれるとある。
 学生映画ではない方の自主映画は、芸術志向強く、娯楽性は弱い。個人的には、娯楽性を求める者はマンガや小説、ゲームなどの他分野に行ってしまうからだろう。同じレベルの娯楽を作ろうと思ったら、映画とそれ以外(といっても文章しか書いたことがないが)とでは、それかかる物量人員金額が違う。
 オレが入学する少し前にに卒業していた先輩に、O原という名古屋の自主映画監督がいる。この人は娯楽志向ではなく、一般的には難解な映画とくくられる傾向の人だが、8ミリフィルムから16ミリフィルムに移行して、本格的に照明や音声をやったら、あっという間に一千万円使って、さらに金がいるという状況になったそうだ。
 小説やマンガ書いて一千万は使わんよな、あまり。

 っと、話がずれたが、社会人になってからも自主映画を作り続けている人の作品は、オレの主観だと、面白い作品と、こりゃひどいとに激しく分かれる。
 興味がないので、そもそもあまり数を観ていないので、詳しいことは言えない。だが、学生映画出身の監督としては黒沢清や周防正行、塩田明彦、最近ではTVのウルトラマンシリーズなどをやっている小中和哉などがいる。
 自主映画出身の監督は、単にオレの知識不足だがほとんど知らない。んー、渡邊文樹?

 でも、ジョン・ランディスもサム・ライミも、ピーター・ジャクソンも自主映画出身。
 日本にはまだまだ、個人レベルでの映画製作は発展途上なんだろうか。

 ボックス(BOX)でダラダラと映画などについて話していると、そこに4年生のA田先輩が現れた。
 ちなみにボックスとは部室のこと。名城大学独自の用語ではなく、主に関西を中心に他校でも使われている用語だ。
 A田さんが
「おーい、そこの1年、東森だったか?時間あるなら撮影手伝え」
 こうして、オレの初映画撮影現場体験となったわけである。

 ロケ地は校内。
 理学部が使っている実験棟の辺りで、大きな配管が通路を通っている。
 ロケに参加したのはA田さんと、主演の同じく4年生のK戸先輩。他に2人ほどだった。
 A田さんはカメラを構える。その前にK戸さんが立つ。
A田さんの「よーい、スタート」と当時にK戸さんと、それを後ろから撮影するA田戸さんが走る。
「OK」で、そのカットは終了。
 新人だからといって、今何をやっているかなどの説明はなく、放ったらかしにされてオレはボーッと撮影風景を眺めていた。

「よし、次は台車を使うぞ。東森、持ってこい」
 A田さんに言われて、オレは部の備品である台車を持って行った。荷物を運ぶときに使うあの台車である。
 なにか運ぶのかと思ったら、カメラを抱えたA田さんがその上に腹ばいになる。
「スタートと言ったら全力で台車を押して走れよ。そしてストップといったら止まれ」
 A田さんが俺に指示をする。
 5メートル前に見えるのは地上から50センチほどの高さを走っている配管。
 なにがどうなるんだととまどう間もなく、スタートの合図。
 とりあえず、台車をガラガラと押して走る。A田さんの上半身が配管の下に入った辺りで「ストップ」の声。
「うーん、ちょっとスピード感がないな。もっと本気で押せ、本気で」
「じゃぁ、フルスピードで行きますよ」
 そんなこんなで何度か繰り返してようやくOK。
 その日はそれで解散。正直、なにがなにやらさっぱりだったが、さほど重い荷物を運ぶ作業があるわけではないシネマ研究会に、備品として台車があるわけは分かった。

 後日、その作品は『ダイナマイト・ジョー 人間暴走機関車』という名で完成した。
 これがもう、徹頭徹尾暴走しまくりのアクション映画。上映時間も1時間近くの大娯楽作品として仕上がった。

 とうの昔に金を掘り尽くした鉱山街。
 しかし、数少ないがそこに残って金を掘り続ける男たちがいた。
 彼らをそこまで執着させるのは一つの伝説だ。まだ山には金が残っており、それを掘り出せた男だけが謎の美少女タカラノヅカオトメと共に、この死にかけた街を捨てて出て行くことが出来るという伝説だ。
 ある日、男たちの中に衝撃が走った。彼らと群れずに一人で街の隅に暮らしていた男、ジョーが金を掘り当て乙女と街を出て行くというのだ。
 はぐれ者のジョーに伝説を奪われると知った男たちは、ジョーを殺すために動き出す。
 街を支配するのは2つのグループ。クンフーなどの武闘派集団とパンクスグループだ。
 男たちと戦いながら街を抜け出すために走り続けるジョー。
 そこへ、ジョーが探す美少女が自分だと勘違いした山女まで加わり、暴走は続く。
 しかし、ジョーは金など掘り当ててはおらず、ただ死んだ街を抜け出して噂に聞く新大陸を目指しているだけで、伝説の美少女など存在しない。
 それを知ってか知らずか、ただひたすらに戦い、燃え、爆発する男達と女。果たして、生き残るのは誰か?

 そして、自分が撮影したシーンの意味が分かった。
 敵に追われる主人公ジョーが、追い詰められて配管の下に逃げ込み、その下を匍匐前進するシーンの一部だったのだ。
 A田さんが台車に腹ばいになって取ったシーンは、配管の下に潜り込むジョーの一人称カットだった。
 映画の撮影とは、そのシーンだけ見ていると何がなんだか分からない物だ。脚本を読んでいても、カット割りまで聞いていないとなかなかイメージできない。ある意味、映画の撮影現場というのは退屈だ。

 入学当初はまだそれなりに授業にも出席していたが、5月6月頃ともなると、出席を取る授業だけ出て、あとは部室で映画について話したり、雑談したり、遊んだり、寝てたり、まあそんな生活だった。
 そして、自主映画製作にも携わった。

 大学の映画研究会の映画製作というとどのようなイメージをお持ちだろうか。
 入学前のオレは、サークルが一体になって、監督や脚本、カメラなどを分担して、みんなで一本の映画を作るんだと思っていた。
 しかし、他の大学がどうやっていたのかは知らないが、とりあえず名城大学のシネマ研究会(以後シネ研)では違っていた。

 ある部員がいたとする。その部員が脚本を書く。うむ、これを実際に映画にしたいなと思ったら、部室に行って出演者となる部員の頼む。外部の人に出演してもらうことも多少はあったが、色々とトラブルの元(これはまたいずれ)なので出演者は部員中心だった。
 そしてカメラ屋に行って8ミリフィルムを買う。人によってはスーパー8だったり、あるいはシングル8だったりするが、ともあれ確か1本で2000円ぐらいだったろうか。金の出所は本人の財布からである。部からは一銭も出ない。
 金は出ないが、カメラや照明、編集機材や映写機は部にあるので、それは自由に使える。
 出演者を連れて、その日の撮影場所に移動。休みの日に人を集めるのはなかなか難しいので、撮影は平日中心。みんなそれぞれ授業もあるので、撮影時間は限られている。特に、夏休みまでの前期は日が長いので遅くまで撮影できるが、後期だと4時5時にはもう暗くなってしまう。そのため、撮影現場は学校内やその近場が多かった。

 現場に着くと、三脚を立てそこにカメラを据える。やはり基本は三脚だ。
 そして出演者を立ち位置に立たせると、「じゃあお前は「これこれこう」ってセリフを言って、そしたらお前は「なんたらかんたら」って返せな」と指示すると、カメラリハーサルを始める。うまくいったらそのまま本番。
 台本をあらかじめ役者に渡して読ませておくとかはごく一部の作品を覗いてほとんどなかった。それでは役作りも何もあったもんじゃないが、考えてみれば部員は演技に関してはまったくの素人。役作り以前の問題だ。
 そして脚本を書いた部員=監督が満足いくカットが撮れたらOK。そして次のカットへ。
 映画は上映される順番に撮影していくわけではない。ファーストショットとラストショットが同じ場所だったら、同時に撮影することだってよくあることだ。
 全部のシーンに自分が登場しているわけではないので、映画の全体像は作品が出来るまで分からない。
 映画が上映されて、主人公を演じた部員が、始めてこういうストーリーなのかと知ったケースもある。

 撮影されたフィルムの現像に1本1000円ぐらいかかった。もうちょっと安かったかな。
 フィルム1本が約3分なので、3分撮るのに3000円かかる。
 となると、30分の映画撮るのに3万円か?、などと甘く考えてもらっては困る。
 撮影されたフィルムは確かに3分だが、NGショットや、カットの頭や尻を削ったりすると、これがあっという間に2分、1分半になる。個人的経験によると3分撮って1分使えるかどうかぐらいだ。
 1分撮るのに3000円。30分の映画を撮るとなったら、少なくとも9万。学生にとって、特に貧乏が癖の多かったシネ研部員にとって9万は大きい。
 しかも、これはフィルム代だけ。編集に使うのはセロテープに似たスプライジングテープぐらいで、これはたいした金額でもないが、撮影には多少なりとも小道具が必要だ。オレの場合は脚本を書く段階で、自分が持っている物や誰かが持っている物を利用するように工夫していたが、それでも「ここで銃で武装した警官隊を登場させたい」とかなると、自分や他の部員が持っている銃だけでは足りず、発砲シーンではないからと東京マルイの1900円ぐらいのエアガンを4、5丁買ってくる。これでもう1万だ。
 他には、撮影時に出演者にジュースや学食で飯を奢るぐらいのことはする。
 これらの金は全部監督が出す。

 撮影したフィルムを編集したら、次は音入れの作業。アフレコの場合は、ここで声を入れるし、他には効果音や音楽を入れる。
 そのほか、まぁ細かい作業もあるんだがそれはまた今度にして、これでとりあえず映画は完成。
 ちなみに、30分の映画と何度か言っているが、30分だと自主映画としては長編の部類に入る。短編で10分以内。普通の作品は10分から20分の間だった。
 これは、予算の関係もあるが、時間が長くなればなるほど作品を持続させる力が必要となるからで、30分超えの作品を作ろうと思ったらかなりの力量、体力、資金が必要になる。
 サークル全体で1本の作品を撮るのならば、負担をそれぞれで分担できるのだが、シネ研スタイルだと監督一人が背負う形だ。
 なんといってもほとんどの場合が、監督=脚本家+カメラ+照明+衣装+美術+編集+音声+音楽+タイトル・クレジット作成などなど一切合切だ。精神的にも肉体的にもなかなかヘビーだ。
 全ての責任は監督一人で受け止めねばならない。独裁者がそうなように、監督というのも孤独な仕事だ。
 自主映画というより個人映画だ。

 だがそれらの苦労も、上映会でスクリーンに作品が上映されると・・・・・・
・・・・・・
 ああっ、なにこのカット。構図めっちゃ悪いじゃんか。それに照明の影が背景の壁にくっきりでちゃってるよ。って、ダサダサなセリフ。あー、今のシーンの変わり目の編集下手だなー。うわっ、手持ちカメラで撮ったカットが思いっきり手ぶれしてるよ。同時録音で撮ったんで最初の数コマは音声が途切れてるよ。手抜きするんじゃなかった。あー、映像と音楽が全然合ってない。いらないだろこのシーンは、カットしろよカット。そもそも刑事と探偵といいながらどうみたってスーツ着ただけの学生だろ。てか、スーツじゃなくて単なるジャケットじゃんか。でも衣装を揃える金までないしよ?

 と頭を抱え、恥ずかしくってまともにスクリーンなど観ていられないのであった。
 いやほんと、自分が撮った映画を観るってのは人にもよるだろうが、オレの場合はやたら恥ずかしい。撮った作品は8ミリフィルムからビデオテープに落として、現在ではDVDにしてあるが、再生するたびに思わずテレビの前で死んだふりしてる。

 この様に、シネ研は各自一人一人が監督という独立採算制・・・はちょっと違うか。それぞれが一国一城の主方式だった。
 この方式だとお金がかかった大作や長編は作るのが難しいが、代わりに前期・後期と年に2回行われる上映会には、毎回10本程度の個性豊かな作品が揃う。これはシネ研の魅力だったと思う。
 中にはシネ研全体をほぼ巻き込んで自分の映画を撮ってしまった人もいるが、それはその人が監督として非常に有能でることを他の部員が認めていたからであり、またその人がやたら押しが強く強引だったからである。

 今では学生の自主映画はビデオ撮影が主だろう。
 デジタルビデオで撮影して、パソコンに取り込めば、昔みたいにフィルムの山に埋まることも、フィルムを汚すこともなく編集が出来る。
 ビデオプロジェクターも性能が上がったので、大画面で映しても8ミリ映写機と比べてさほど遜色がない。
 1年ほど前に、人から頼まれて結婚式の披露宴を撮影したビデオを編集して、クレジットなどを入れ、最終的にはDVDビデオにしたが、実に楽だった。

 もっとも、当時のオレが今と同じ機材を持っていたとしても、結局は上映作品を観て頭を抱えてるんだろうけど。

 新入部員としてシネマ研究会に入部したオレ。しかし、何で研究会なのに入会や会員と呼ばなかったのだろうか。
 高校時代では、周りに自分より映画を観ているヤツはいなくて、いっぱしの映画通気取りだった。そんな自分が数多い映画のほんの一部分しか観ていなくて、面白い映画はもっともっとたくさんあって、そして大劇場で公開している現在の娯楽作だけではなく、色々な映画とその楽しみを教えてくれたのがU谷先輩だった。

 U谷先輩は学年が2つ上で、おしゃれ系インテリっぽい雰囲気だった。
 映画の路線としては、リュミエール派ないし蓮實重彦派。リュミエールとは映画の発明者リュミエール兄弟の名前を取った映画雑誌のこと。やたらと難解な言葉が飛び交う。蓮實重彦は、フランス文学者で東大の教授。後に東大の総長をやったこともある。ごちゃごちゃっとした難解な文を書く。渋谷の映画館で一度見かけたことがある。ひょろっとした体型だが背が高く、遠くからでも一目で「あっ、蓮實だ」と分かった。
 自主映画には蓮實重彦の影響を受けた人も多い。立教大学で講義を行っていたときの教え子である黒沢清や周防正行は、蓮實の直弟子あるいは息子といっても良いのではないだろうか。
 リュミエールや蓮見重彦などについてはまたのちのち書いていくことにするが、おおざっぱに言うと、映画至上主義、映画とはなんぞやと感じそして思考する一派。・・・かな。

 念のために言っておくと、蓮實が観る映画ってのはやたらと幅広いので誤解されているが、彼の基本はハリウッド映画、それも1940年代あたりの黄金期のハリウッド映画だ。
 文章が難解っぽいので誤解されているが、映画って最高!なオヤジだ。
 不当に低く評価されているトニー・スコットについて、『マイ・ボディーガード』の活劇ぶりを絶賛した文章を読んだことがある。
 それ以外にも、他の映画評論家が語るに値せずと無視した『ハリウッド映画』にも語っていて、あなどれん。
 ちなみに、トニー・スコットの兄であるリドリー・スコットは退屈なので嫌いだそうだ。

 そのU谷先輩が、新入部員相手に学習会を開いた。
 会場は図書館の視聴覚室。そこのビデオプロジ