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B002QV1H62.jpg『未来少年コナン』(1978/04/04-1978/10/31) 全26話×約30分 日本 NHK

監督:宮崎駿 絵コンテ:宮崎駿、早川啓二、とみの喜幸、石黒昇、奥田誠治、高畑勲 製作:本橋浩一 プロデューサー:中島順三、遠藤重夫 企画:佐藤昭司 原作:アレグサンダー・ケイ「残された人々」より 脚本:中野顕彰、吉川惣司、胡桃哲 キャラクターデザイン:宮崎駿、大塚康生 作画監督:大塚康生 美術監督:山本二三 撮影監督:三沢勝治 色指定検査:保田道世 音楽:池辺晋一郎 演出補:早川啓二 製作管理:高桑充 録音監督:斬波重治
声の出演:小原乃梨子、信沢三恵子、青木和代、永井一郎、吉田理保子、山内雅人、家弓家正、神山卓三、池田勝、増岡弘、若本紀昭、水鳥鉄夫、石丸博也、つかせのりこ、宮内幸平、田中秀幸
オープニングナレーション:伊武雅之

 冒険、戦争、希望、嫉妬、憎しみ、敵、味方、愛、そして恋。
 これらのものが約780分にぎっしりと詰まっているのがこの作品だ。
 本放送以来、久しぶりに今回観直してみて、30年以上前の作品とはとても思えなかった。この『未来少年コナン』が宮崎駿の初演出作品であり、宮崎作品の原点と言ってもいいだろう。

 2008年7月、世界大戦が起き核兵器を遙かに超える超磁力兵器によって世界の半分は一瞬にして消滅してしまった。そして5つの大陸はことごとく裂け海に沈んでいった。
 といったような伊武雅刀のナレーションで物語は始まる。(伊武雅之は旧芸名)
 のこされ島におじいさん通称おじい(血縁関係はなし)と暮らす少年コナンは海を自在に泳ぎ回り、怪力で冒険心に富んだ元気な少年だ。
 そんな彼が砂浜で一人の少女が倒れているのを見つける。ラナと名乗るその少女を追って大異変から残った近代都市インダストリアから飛行艇が一隻やってくる。結果、おじいは死に、コナンは飛行艇の翼に足の指でつかまる大活躍をしながらもラナを連れ去られてしまう。
 コナンは船を造りインダストリアに向かうことにする。その間に、友人の山の子ジムシーやバラクーダ号のダイス船長などと出会う。
 インダストリアがラナを連れ去った理由はレプカという男がラナの祖父ラオ博士に太陽エネルギーを復活させるためだった。レプカは太陽エネルギーで空飛ぶ戦艦ギガントを復活させ、世界を手中に収めようとしていたのだ。
 コナンはそれを阻止できるか。そして無事にラナを取り戻すことが出来るのだろうか。

 未来少年というイメージとはずいぶん違うコナンの超人的体力にはとにかく恐れ入る。数十メートルはありそうな高さをラナを連れて「飛ぶ」と言って実際に飛んでしまう。そのあとで足がしびれてがに股で歩くのはご愛敬。
 他のシーンでもラナと共に「飛ぶよ」でひょいっと飛んでしまう。両シーンともラナがコナンを信頼してちっとも怖がっていないのがまた良い。
 女の子だったらコナンみたいな恋人が欲しいことだろう。自分がどんな苦境に陥っても必ず助けに来てくれる。絶対の信頼を寄せられる相手がいたらどんなにいいことだろう。
 男の子だったらラナみたいな恋人が欲しいに違いない。優しくて愚痴をこぼさず、芯が強くて自分のことを信じてくれる。おまけに可愛い。
 この二人の関係は『天空の城ラピュタ』のパズーとシータに一番近い物がある。というよりも『天空の城ラピュタ』が『未来少年コナン』の発展系なのだろう。ただ、パズーは意志は強いが普通の少年だが。少年と少女が出会うところから物語が始まる所も似ている。悪党が少女を狙いそれを少年が助けるのも似ている。ちなみにオレが一番好きな宮崎作品が『天空の城ラピュタ』だ。成績はジブリ作品の中で一番悪かったらしいが。
 ジムシーはコナンと同じくらいの体力の持ち主なのだが、キャラクターが似すぎてしまうせいか今一つ活躍していなかった。
 ダイス船長は最初はラナを利用しようとする卑劣漢なのだが、コナンと接している内に次第に一緒に戦う仲間になってくる。なんのことはない精神年齢が同じなのだ。ラストには思いがけない人物と結婚することとなる。
 飛行艇に乗ってラナを捕まえに来たモンスリーという女性がいる。最初は冷酷で残忍なのだが、人々が麦畑を作って平和に暮らしているハイハーバーという島に行ったことで精神的に変化が現れる。そして自分も自然の中で平和に暮らしたいと望むようになり、レプカにその旨を申し出、危うく銃殺されそうになったところをコナン達に助けられる。口癖は「バカねぇ」。最初は冷たいこの口癖がラストでは甘くとろけそうな物になっている。
 インダストリアの地下には貧民屈がありそこでコナンがおじいそっくりの老人に出会うシーンは涙ものである。
 手錠をかけられたコナンが乗った小舟が沈んでしまい、海底で船の金具に手が引っかかって浮上できないコナンにラナが水面から潜ってきて、「コナン、生きて、生きて」と口移しで空気を送るシーンの美しいこと。その後、コナンは手錠を引きちぎりラナと一緒に水面に飛び出す。
 終盤はついに飛び立ってしまった巨大飛行機ギガントの上での戦いである。無茶にもほどがあろうに空を飛ぶ飛行機の羽根の上を走るコナン達。大砲を撃ち、エンジンを壊し、もうやりたいほうだいである。
 尾翼の銃座から銃撃をするダイスとジムシーを尾翼ごと切り離すレプカ。ギガントは尾翼なしでも飛行可能なのか。最後にはレプカを始め敵乗組員達は死んだが、死ぬところはあえて見せない。当たり前だ、子供向けアニメなのだから。
 だが、子供向けアニメと言っても、大人が観ても充分に面白く、宮崎駿の原点という意味では観ておいて損は無かろう。
 そして最後は大団円。
 ちなみに小学生の時に原作を読んだが、まったくと言って良いほど関係がない。ほとんどオリジナルである。

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『みんな?やってるか!』(1994) 110分 日本 1995/02/12鑑賞

監督:ビートたけし プロデューサー:森昌行、鍋島寿夫、柘植靖司、吉田多喜男 脚本:ビートたけし 撮影:柳嶋克己 編集:太田義則、ビートたけし 音楽プロデューサー:小池秀彦
出演:ダンカン、ビートたけし、左時枝、小林昭二、山根伸介、結城哲也、前田竹千代、志茂山高也、南方英二、大杉漣、寺島進、ガダルカナル・タカ他たけし軍団

?いつだって能天気 その2?
 ビートたけしの初監督作品である。えっ?「たけしのデビュー作は『その男、凶暴につき』だろう」って?いやいや、そちらは北野武のデビュー作。一つの身体に二つの心なのだ。
 ビートたけし名義で作られたこの『みんな?やってるか!』は日本映画には珍しいギャグ映画。いきなり表示されるタイトルが間違っているというとんでもないオープニングに始まる。主人公は不細工かつ貧乏な青年(ダンカン)で、もちろんまったく女に持てず欲求不満をもんもんと持て余している。どうしたら女と“ヤレるか”という彼の妄想がどんどん肥大し、かつ暴走していく。
 車を手に入れることから始まった暴走は、銀行強盗や徳川埋蔵金の発掘、そしてヤクザの殺し屋になる。ここまででもずいぶんなものだが、女湯を覗くために科学者(ビートたけし)の口車に乗せられて透明人間になり、ついには蝿と合体して巨大ハエ男怪獣となる。青年の欲求不満はついに日本の危機を巻き起こしたのだ。
 東京に向かってくるハエ男。このままでは日本が危ないと立ち上がったのが地球防衛軍。そして我らがキャップこと小林昭二は叫ぶ。

「日本中のウンコを集めろ!」

 青年が女とヤリたいという欲望のみに忠実に従って、犯罪も何もお構いなしに突き進んでいく姿に、あれこれと現代批評めいたことを言ってもしょうがない。『3-4X10月』(1990)が野球場の隅になる簡易トイレでウンコをしていた間に柳ユーレイが見た妄想だという説もあるが、この作品も女に縁がない男が安下宿で布団を抱きかかえながら「あ?セックスしてぇ」とどんどん妄想を膨らませていったその空想内容を映像化したのだろう。
 女性の方だと、「えーっ?男ってこんなことばかり考えているの?」と思われるかも知れない。もちろん個人差はある、個人差はあるよ。ダンカンみたいのはさすがにそうはいないだろう。いないだろうが、多かれ少なかれやはり考えていると男であるオレは断言する。
 脚本で言えば良い意味で支離滅裂。それを狙ってやったんだから成功だろう。観ていて話がどう進んでいくのかまったく読めなかった。
 ギャグ映画には色々なセットや小道具が必要なのだが、そういった面をちゃんとやってくれているのが嬉しい。銀行強盗に言ったら、窓口にシャッターが降りてくるところなんか、ただそれだけのためなのにちゃんとセットを組んでいる。(ロケじゃないよなぁ・・・それともああいう銀行があるのか?)

 ただ、残念だったのがテンポと間が悪く笑い度が落ちていたこと。もっと編集で面白くできる作品だろう。北野武作品は初期の作品を除くと編集は北野武自らが行っている。映画とは編集だと思ってるオレだが、武ワールドでも編集は重要な要素に違いない。
『みんな?やってるか!』では編集にビートたけしの名はあるが、例の原付バイクの事故でたけしが倒れていたため、実質的には太田義則が編集を担当したはず。
 サム・ペキンパーも編集を自分でやる方針だったが、『ダンディー少佐』(1964)は製作時のトラブルで編集権を取り上げられてしまい、撮影後のフィルムは他人が編集したためもあってが駄作になってしまった。
 ここで一つ提案する。たけし自身は昔撮った映画などすでに興味はないだろうが、ビートたけしが完全編集した『みんな?やってるか!ディレクターズ・カット版』を作って欲しい。まず無理な希望だと思うが、期待して待ち続けることにする。

『もっともあぶない刑事』(1989) 104分 日本 1989/04鑑賞

監督:村川透 プロデューサー:初川則夫、伊地智啓、服部紹男 企画:岡田晋吉、清水欣也、黒澤満 脚本:柏原寛司 撮影:柳島克己 音楽:都志見隆
出演:舘ひろし、柴田恭兵、中条静夫、浅野温子、仲村トオル、柄本明、苅谷俊介

 日本の刑事ドラマというと『太陽にほえろ』とか『特捜最前線』などのように集団で捜査にあたる物が多い。そんな中、珍しく2人組のコンビが主役なのが『あぶない刑事』シリーズだ。えっ?『噂の刑事トミーとマツ』はだって?
 テレビドラマ版の方は1本たりとも見ていないが映画の方は6作全部見ている。
 1作目の『あぶない刑事』はメチャメチャつまらなかった。見ている最中にあまりのつまらなさに激しい頭痛がしてきて、フラフラしながら家に帰って熱を測ったら38度を超えていて、結局数日寝込んだ。怖ろしい破壊力だ。「ただの風邪じゃないかって」?いいや、あれは『あぶない刑事』にやられたのだ。
 2作目の『またまたあぶない刑事』は多少ましになっていた。しょせんTVドラマの延長線上であったが熱が出ないだけずいぶんマシだ。
 そして、3作目の『もっともあぶない刑事』。最初タイトルを見たときには「なんつー名前をつけるんじゃい」とちょっと怒ったが、監督が村川透だと聞いて「じゃあしょうがないか。松田優作の『最も危険な遊戯』の監督だしな」と納得した。全2作が面白くなかったのでこいつも特に期待しないで観に行ったのだが、面白かった。はっきりいって日本刑事映画の傑作だ。

 主人公の二人が常に軽口ばかり叩いていて、上司の命令を平気で無視する型破りな刑事。アメリカの刑事映画では定番だが日本の作品では珍しいタイプだ。彼らを含めた主要登場人物がTVシリーズからの長い付き合いだけあって掛け合いのタイミングもドンピシャリで息が合っている。
 主人公のタカとユージの後輩で「女にモテたい」君な仲村トオルが間抜けで良い。『ビーバップ・ハイスクール』よりもこっちの方が似合うや。

 柄本明の悪党のボスも憎々しくて良いが、苅谷俊介の倒しても倒してもなかなか死なないターミネーターばりの殺し屋も良い。ターミネーターといっても苅谷俊介なのでチンピラの頭ぐらいにしか見えずさして強そうでないのが味だ。免許証の更新で警察に行ったら、安全協会ビデオの交通安全ビデオにレポーター役で苅谷俊介が出てたな。ミスキャストな気もする。
 日本のアクション物だと、カーチェイスをやって派手に壊れる車はなぜか年式のいった中古車という法則がある。タカとユージが証人を連れて警察と悪党の両方から逃げ回る時の車もかなり古いアメ車だ。これは元々乗っていた覆面パトカーだと発見されやすいため、そこら辺にいた若い馬鹿と車を交換したからである。おかげで気にせずに廃車の山に紛れて身を隠したり、派手なカーチェイスが出来る。ちょっとした工夫だが、こういうところに気を遣っている脚本は往々にして出来が良いものだ。
 笑えるシーンの連発に少しハードボイルドが入っている。これが全編ハードボイルドだと大爆笑でとても見ていられなかっただろう。ハードボイルドをやるにも難しい世の中なのだ。
「俺たち運が良いからな」というセリフの繰り返しが格好いい。
 後半の「そんなアホな」な武器の調達方法や敵陣への殴り込み。そして衝撃のラスト・・・つい泣いちまったぞ。

 テレビシリーズや映画の前2作を観ていなくても充分に楽しめる。実際にテレビシリーズを観ていないわたしが保証する。続く5、6作目も観る必要がないが、この『もっともあぶない刑事』だけはよかったら観て欲しい。面白いぞ。

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『魔女の宅急便』(1989) 監督・脚本:宮崎駿 原作:角野栄子 音楽:久石譲 声の出演:高山みなみ/佐久間レイ/信沢三恵子/戸田恵子/山口勝平/加藤治子

*1989年公開時に執筆したもの

宮崎駿の作品において、重要なのは空を飛ぶことであった。
「風の谷のナウシカ」においてナウシカは風に乗り、「天空の城ラピュタ」においては飛行石で宙に浮かび、「となりのトトロ」においてのネコバスは風そのものであった。 どの作品も、ここぞという時に空を飛ぶことによって困難を乗り切るのである。
ところが「魔女の宅急便」においては、空を飛ぶことは必ずしも重要ではない。それどころか、主人公の新米魔女キキは空を飛ぶことしかできない(!)半人前なのである。
これまでは、空を飛ぶと言うことが「水戸黄門」の印篭的な力を持っていたのに対して、「魔女の宅急便」ではごく身近な才能の一つに過ぎないのだ。

この作品は魔女の物語と言うより、自分の才能一つを頼りに大都会にでてきて一人暮しをする女の子のお話なのである。キキはきれいな服を着た女の子を思わず振り返ってしまい、フライパンを買っては「物入りねぇ」と呟いてしまう普通の女の子なのだ。
その女の子がスランプにおちいる。
それは絵が描けなくなるなどの事とそれほどかけ離れたことではない。だから彼女の前に若い女性の画家が現れる。彼女はキキの何歩か先の未来の姿であり(絵描きとキキが実は同じ声であることからもそれはわかる)、絵が描けないときには、描いて描いて、それでも駄目なら絵を描くのをやめて散歩でもするとキキに伝えるのだ。 彼女の小さな後輩にたいして。
ここのところがこの映画のクライマックスなのであって、そのあとの飛行船のシーンはキキがスランプを抜けだした事を伝える付け足しである。
だが、この場面になってやっと空を飛ぶことに意味がでてくるのである。
ただなんとなく飛ぶのではなく、力いっぱい、誰かのために飛ぼうとするのである。
空を飛ぶのはホウキの力ではなくて、モップでもよかったのである。
そして彼女は空を飛ぶ。
その時彼女はその町に本当の意味で受け入れられたのである。

キキのそばにはジジという名の黒猫がいつも一緒にいる。
小さな頃に頭の中で架空の友達を空想で作り上げその子と遊んだり困ったことを相談したりの会話をしたことはないだろうか。ジジの正体はそれに似たような物で、幼いキキをサポートする彼女自身の自我の一部を投影させるスクリーンなのである。
だからキキとジジが話しているシーンは、本当に両者の間で言葉が交わされているのではなく、キキが頭の中に作り上げたジジという使い魔の人格に話しかけている、一種の独り言なのだ。キキ以外の人間がジジと話すことはないのは当たり前である。自分一人では不安だから、客観的な意見としてジジの意見を求めるがそれは彼女の心の中で起きている自問自答なのである。
ラスト、空を飛べなくなったスランプを抜け出したとき都会にやってきた幼い魔女は自立した魔女に成長を遂げた。そして、そんな彼女にはもはやもう一つの人格ジジは必要なくなっていた。
だから、ジジは人格サポートの役割を終えた。おそらくは他人から見ればジジの姿はちょっと変わった妙な黒猫のままなのだろう。

それにしても、この作品に出てくる人は皆いい人ばかりだ。
絵描き、オソノさん、老婦人は言うに及ばず、「おい」を三度それぞれ口調を変えて言うだけのパン屋の親父。
無愛想ながら、雨の日にキキの帰りが遅いとあらば、心配して店先をうろうろしている心の優しさ。
しかもキキが帰ってくるのが見えた途端奥に引っ込んでしまうあたり実にいい人である。
いつの間にか宅急便の看板をパンで作っていたりと、パン職人としての腕前もなかなかのものだ。
(しかし、グーチョキ・パン店てのは何なんだ。)
空で出会った占いの魔女も、イヤミな奴であるが、最後に「あなたも頑張ってね。」と言ってくれるいい人なのである。
現実の世の中、本当はこんないい人ばかりではない。
しかしこれはお話なのだ。
一人の女の子のお話なのだ。

(2005/9/18追記:ジジはキキの一人格で、彼女が言えないような皮肉や斜に構えた意見を述べてくれる。少女至上主義の宮崎がキキの純真さを損なわせないために、ひねた部分をジジに持たせたんでしょう。
よその街で1年間を魔法を使って生計を立てるというのは、足に縄をくくりつけて高所から飛び降りるどこかの成人式や、ネイティブアメリカンがナイフだけを持って一人っきりで荒野で数日間を生き延びることで大人として認められるといったような、一種の通過儀礼であることは間違いない。
物語の終盤でキキが空を飛ぶ能力を失ったのは思春期の心の揺れ、そしてジジと会話が出来なくなったのはサポート人格なしの真にキキ自身の力でその通過儀礼を乗り切ることが重要だからです。
それとキキが能力を失うのは初潮を迎えたことに関するメタファーではないかと考えています。)

(2005/9/24追記:ジジとの会話はキキの脳内妄想だと言いたかったわけではなく、キキの心理描写として使われているという意味も含めたかったのですが言葉足らずで申し訳ありません。
 登場人物が一人でいるシーンでその人物が何を考えているのか、どう感じているのかという心理を描くという面において映画は不自由さを持っています。小説ならば「○○は××だと思った」と地の文で心理描写ができますが、映画の場合は細かな描写の積み重ねで表現するか、不自然な独り言を言わせるぐらいしか方法がありません。
 映像で描写するのが映画本来の姿だとは思いますが、『魔女の宅急便』の場合メインの観客層は子供たちです。そこで宮崎駿は映画を観る力がまだついていない小さな観客たちにも分かりやすい"独り言"をジジとの会話とすることでより洗練された形として表現したのでしょう。)

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