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B002AQTCVK.jpg『ノウイング』(2009) KNOWING 122分 アメリカ SUMMIT ENTERTAINMENT

監督:アレックス・プロヤス 製作:アレックス・プロヤス、トッド・ブラック、ジェイソン・ブルメンタル、スティーヴ・ティッシュ 製作総指揮:スティーヴン・ジョーンズ、トファー・ダウ、ノーマン・ゴライトリー、デヴィッド・ブルームフィールド 原案:ライン・ダグラス・ピアソン 脚本:ライン・ダグラス・ピアソン、ジュリエット・スノードン、スタイルズ・ホワイト 撮影:サイモン・ダガン プロダクションデザイン:スティーヴン・ジョーンズ=エヴァンズ 衣装デザイン:テリー・ライアン 編集:リチャード・リーロイド 音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ニコラス・ケイジ、ローズ・バーン、チャンドラー・カンタベリー、ララ・ロビンソン、ベン・メンデルソーン、ナディア・タウンゼンド、D・G・マロニー、アラン・ホップグッド、エイドリアン・ピカリング、タマラ・ドネラン、トラヴィス・ウェイト

 これはもう一つの『未知との遭遇』である。ただし、『未知との遭遇』が人類に残して言ったのは希望だが、こちらは絶望である。ただし、ある一部を除いては。
 1959年、小学校の創立記念で50年後に向けてのタイムカプセルが作られ、中には生徒達が描いた50年後の社会の絵が入れられた。ただその中に一つ、法則性のない数字のが書かれた紙があった。
 50年後、主人公ジョン(ニコラス・ケイジ)の息子ケイレブ(チャンドラー・カンタベリー)が引き当てたのがその数字の紙だった。まったく意味のない物だと思っていたMITで教鞭を執っている天文学者のジョンはその数字がこれまでに起きた大惨事の記録であることに気付く。それを書いた女の子ルシンダ(ララ・ロビンソン)はそれら第三次を予言していたのだ。
 そしてその予言通りに飛行機は落ち、地下鉄の脱線事故が起きた。そして最後の予言は人類滅亡を意味していた。
 ジョンが数字の意味に気付く前半部分から、謎の男たちが現れる中盤部分、そして予言をした女性の娘ダイアナ(ローズ・バーン)と孫娘アビー(ララ・ロビンソン)に会いに行く後半部分、そして人類滅亡のラストと大きく四つに分かれている。
 飛行機の墜落事故や地下鉄の脱線事故はかなり迫力を持ってリアルに描かれていて、見ていて怖さが伝わってくる。実際にあの場にいたら腰を抜かしてしまいそうだ。特に飛行機の墜落事故は落ちてくる飛行機から、墜落現場を彷徨うジョンまでを1カット撮影で撮った力作である。臨場感とリアルさが倍増している。地下鉄脱線事故で脱線した地下鉄に弾き飛ばされ押しつぶされていく人々の描写もスゴイ。
 地球の絶滅は太陽のフレアが爆発的に膨張するスーパーフレア現象で、地殻まで放射能が届くものだからどんな核シェルターでも助からない。
 それではこのまま人類は滅亡してしまうのか。そうではない。
 ケイレブとアビーは謎の男たちに選ばれる。彼らの正体は宇宙人でもう一度人類にやり直しをさせようというのだ。
 新しいアダムとイブになった子供のままのケイレブとアビーは他の豊かな惑星に降り立ち、禁断の木の実のなる樹に向かっていく。ところで、2人はウサギを2匹連れてきたのだが、このウサギがウサギ算式に増えて豊かな作物を食い散らかしてしまう心配はないのだろうか。同性のウサギだったら大丈夫だろうが。
 ケイレブとアビーには時間が経ち再生した地球に大人になって帰ってきて欲しかった。
 宇宙人が神というのはありふれた結末だし、哀れにも他の人類は滅亡してしまうのだからひどい話ではある。これはもう一つの『2001年宇宙の旅』でもあるのだ。
 広げまくった風呂敷をなんとか上手く畳んでオチを付けている。
 最初はシャマラン的なオカルト話かと思いきや、途中から見事にSFに転じる。
 耳があまり良くなく補聴器を使っているケイレブとジョンがラストの別れのシーンで手話で「ずっと一緒だよ」と伝え合うシーンでは泣けてしまった。
 ダイアナもジョンの言うことを聞かずに、アビーのことだけを考えて暴走してしまうシーンは逆にリアリティがある。暴走したあげくに交通事故で死んでしまう展開はリアル。人生そんなもんだよな。
 ラストはハッピーエンドともバッドエンドとも言えない微妙なもの。ハリウッド映画では珍しい。エメリッヒの『2012』はどんななんだろうか。
 ジョンはランダム理論を信じる学者だが、この映画の出来事は偶然だったんだろうか、必然だったんだろうか。
 ラストの聖書的な面は欧米人にはウケがいいのかもしれないが、オレにはピンとこなかった。あっそって感じで。
 宇宙人達が最後に光り輝く本性を現すまでは普通の男たちで、一言も発しないのが良かった。これで宇宙人にお説教されたらたまったもんじゃない。
 シャマラン的側面もあるこの作品だが同じ宇宙人を題材にした『サイン』と比べてみるのも面白い。
 ちなみにジョンを吹き替えているのは声優の大塚明夫。ジョンの父を吹き替えているのが実父の大塚周夫である。

B002M2DWTU.jpg『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994) NATURAL BORN KILLERS 119分/ディレクターズカット版122分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES

監督:オリヴァー・ストーン 製作:ジェーン・ハムシャー、ドン・マーフィ、クレイトン・タウンゼント 原案:クエンティン・タランティーノ 脚本:デヴィッド・ヴェロズ、リチャード・ルトウスキー、オリヴァー・ストーン 撮影:ロバート・リチャードソン 音楽:トレント・レズナー
出演:ウディ・ハレルソン、ジュリエット・ルイス、ロバート・ダウニー・Jr、トミー・リー・ジョーンズ、トム・サイズモア、ロドニー・デンジャーフィールド、エド・マックラーグ、デイル・ダイ、サルヴァトール・ゼレブ、リチャード・ラインバック、バルサザール・ゲティ、ラッセル・ミーンズ、プルイット・テイラー・ヴィンス、スティーヴン・ライト、ピーター・クロンビー、ジョー・グリファシ、ポール・ディロン、ジェームズ・ギャモン、マーク・ハーモン、アーリス・ハワード、デニス・リアリー、レイチェル・ティコティン、アシュレイ・ジャッド、エヴァン・ハンドラー

 ミッキー(ウディ・ハレルソン)とマロリー(ジュリエット・ルイス)は会った瞬間一目惚れした。
 これだけならば目出度い話である。問題は二人が最悪の殺人鬼だったことだ。

 マロリーは父親から性的虐待を受けているようだ。それを表すシーンがアメリカのシットコム風の画面に観客の笑いが入る演出を使っている。
 他にも16ミリの粒子の粗い映像を使ってみたり、ドキュメンタリータッチの映像を使ってみたり、アニメーションまで使っている。壁や窓に映像が映ったり画面が単色になったりと非常に凝った映像なのだ。
 この凝り具合がうっとおしい。映像の暴力と言ってもいい。さすがオリバー・ストーンだけのことはある、オレの気持ちをいらだたせたら右に出る者はない。しかも凝っている割に大味。日本語をしゃべる日本のテレビレポーターの女性が登場するシーンなんかこれでもかとばかりでうっとおしい。
 オリバー・ストーン嫌いなんだよ。『プラトーン』がダメでダメでさぁ、それ以来トラウマになってしまった。
 現代版『俺たちに明日はない』は最後主人公達は死なずにいずこへと去るが、殺人賛歌のようなこの映画で最後に主人公が生き残って良いのだろうか。なんてったって殺したのは53人だぞ53人。それもほとんどが意味なく殺されている。たまったものではない。
 とまあ社会派ぶらずに犯罪者として観るとそれなりに面白い。警察の無能振りには頭に来てしまう。刑務所の暴動のシーンはすごかった。刑務所長のトミー・リー・ジョーンズの揉み上げと死に様もすごかった。
 ミッキーとマロリーを利用してマスコミ界でのし上がろうとするゲール(ロバート・ダウニー・Jr)の最後は自身がニュースになって終わる。マスコミ界への批判も忘れないオリバー・ストーン。そこら辺がうっとおしい。でもゲールはオレも殺して良いと思ったけど。
 凝った画像使いやミッキーとマロリーが世界的なブームで若者のカリスマになってしまうなど全体的にオリバー・ストーンのこちらを見下ろしてくる高慢さが鼻につく。
 バイオレンス描写は全体的に意外とあっさりしていた。銃でバンと撃って終わり。しつこい残虐描写はない。
 原案はクエンティン・タランティーノ。タランティーノの原案をオリバー・ストーンが改変しまくったのでタランティーノは激怒したそうだ。社会派のオリバー・ストーンと娯楽派のクエンティン・タランティーノ。目指すところがまったく違うからねぇ。
 クエンティン・タランティーノによる再映画化を望むが、タランティーノはもうこの手の題材に興味はないだろうからなぁ。
 役者はいい人を揃えているが、それを上手く使いこなせているかというと疑問が残る。心から良かったと思うのはジュリエット・ルイスぐらいか。ウディ・ハレルソンは力入れすぎ。

B000V97J0E.jpg『肉の蝋人形』(1953) HOUSE OF WAX 85分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES

監督:アンドレ・ド・トス 製作:ブライアン・フォイ 原作:チャールズ・ベルデン 脚本:クレイン・ウィルバー 撮影:バート・グレノン、ペヴァレル・マーレイ 音楽:デヴィッド・バトルフ
出演:ヴィンセント・プライス、フィリス・カーク、チャールズ・ブチンスキー(チャールズ・ブロンソン)、フランク・ラヴジョイ、キャロリン・ジョーンズ、ポール・ピサーニ、ロイ・ロバーツ、アンジェラ・クラーク、ポール・キャヴァナー、ダブス・グリア

『肉の蝋人形』(1933)のリメイク。ちなみに再リメイクが『蝋人形の館』(2005)となる。もっとも1933年版は観ていないのでストーリーが分からないが、1953年版と2005年版はほとんど別物。

 舞台は20世紀になったばかりのニューヨーク。そこで蝋人形の館を営んでいる蝋人形師ジャロッド教授(ヴィンセント・プライス)は美と教養を主題にした蝋人形館を目指していた。そこへ興行主がやって来てもっとショックと恐怖に溢れた扇情的な蝋人形館にしろと言う。それでなければこの蝋人形館を燃やしてしまって保険金をかすめ取ろうと言い出す。二人は争い、興行主に火を着けられた蝋人形館は焼け落ちる。溶けていく蝋人形の数々は一大スペクタクルである。
 死んだはずのジャロッド教授が再び現れたのはしばらくしてからのことである。歩けなくなって車椅子に乗り、蝋人形師にとって大切な指が上手く動かなくなっていたが、代わりに二人の助手を雇い(その一人、イゴールが若き日のまだチャールズ・ブチンスキー名義だったチャールズ・ブロンソン)、ショックと恐怖に溢れた蝋人形館をオープンしたのだ。
 スーという女性は蝋人形館を観に来て驚く、ジャンヌ・ダルクの蝋人形が絞殺されさらに死体が盗まれた友人のキャシーそっくりではないか。なんと事故で精神に異常をきたしたジャロッド教授は死体を蝋に漬けて蝋人形に仕立てていたのだ。その秘密を知ったスーに魔の手が迫る。教授はスーをマリー・アントワネットにしてしまおうというのだ。ぐらぐらと煮え立つ巨大な桶に入った蝋。それがスーに注がれるのが早いか、助けが来るのが早いか。危機一髪である。

 もともとは3D映画として製作された。オレはDVDで観たので当然2D。3Dだけあって色々な物が画面の前に飛び出してくる。なかにはかなり無理矢理のも。85分の映画のクセしてインターミッションがあるのだが、あれは"INTERMISSION"の文字を飛び出せたかったからに違いない。ちなみに一番効果的だったのはフレンチカンカンで踊る女性がスクリーンに突き出すヒップだったのではないか。
 ジャロッド教授は火事で顔面に大やけどを負ってしまい不気味な顔になってしまう。これではヴィンセント・プライスを使う意味がないではないかと思ったら、蝋で作ったマスクを被ることで他人にそれを悟らせないという戦法に出た。蝋のマスクでどうやって表情を出すのかは謎だ。そこは天才蝋細工師ならではなのだろう。
 考えてみればジャロッド教授も被害者である。興行主の企みによって蝋人形館を火事にさせられなければ、精神異常にもならず大人しい蝋人形を作り続けたことだろう。ちなみにもちろんその興行主もジャロッド教授の餌食になり、首吊りの状態で新しい蝋人形の館に飾られている。
 ヴィンセント・プライスが格調高い演技で異常者を演じている。他の人がやったら嘘くさい設定もヴィンセント・プライスがやると見事にはまる。髯がまた良く似合うんだ。ダンディズムの極みである。この人に対抗できる人はなかなかいないのではないだろうか。クリストファー・リーか。
 新しい蝋人形館の怖ろしさは女性が気絶するほどで、その女性は表に出て呼び込みの芸を観てまた気絶するというギャグになっている。殺伐とした作品の中で、このシーンだけほっとした。
 チャールズ・ブチンスキー(チャールズ・ブロンソン)がその後のブロンソンと同一人物とは思えないほど顔が怖い。いや、その後も怖い系の顔だが悪人面ではない。この作品では人を殺すことなど何とも思わないような凶悪な面構えをしている。人間の顔というのは立場や状況でずいぶんと変わるものだ。
 ラストはジャロッド教授が警官と争ったあげく、沸騰した蝋がたっぷり詰まった桶に転落して茹で上がって死亡。こうして恐怖の事件は幕を下ろしたのであった。

B000FJGUTG.jpg『紐育ウロチョロ族』 (1957) DELICATE DELINQUENT 101分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES

監督:ドン・マクガイア 製作:ジェリー・ルイス 脚本:ドン・マクガイア 撮影:ハスケル・ボッグス 音楽:バディ・ブレッグマン
出演:ジェリー・ルイス、マーサ・ハイヤー、ダーレン・マクギャヴィン

 ジェリー・ルイスが演ずる役柄はつくづく落語の与太郎なんだなと思う。人が良くてお調子者で頭のネジが一本外れている。
 今回もそんな与太郎話。月30ドルでアパートの管理人としてこき使われている男が、ひょんなことから警官を目指す話だ。

 主人公のシドニー(ジェリー・ルイス)は裏通りにゴミを出しに行ったところ、街の不良どもの喧嘩に巻き込まれて落ちていた飛び出しナイフを拾ってしまう。そのことでシドニーも不良と勘違いされ、逮捕されてしまう。
 その頃、警察署では署長と一人の警官マイクが話をしていた。マイクは力ずくで不良を押さえ込むのではなく、話して分からせる方法を取ることを署長に訴え出ていた。そこで署長は今回捕まえた不良の中から一人選びだし、更生させてみろという。
 マイクが選んだのはシドニー。元より不良などではないシドニーは急速にマイクと親しくなっていった。そしてマイクはシドニーに一つの提案をする。警察学校に入って警官にならないかと。

 ジェリー・ルイスがディーン・マーチンとのコンビを解消して初めて単独主演で撮った作品。主演だけでなく製作も兼ねている。
 コメディだが強烈なギャグはなく、シドニーの軽いドタバタがギャグの中心だ。とにかく薄らバカなのでやることなすことどこかピントがずれている。それが警察学校で訓練を受けている内にしっかりしてくるところがこの作品のポイントである。
 最終的には立派に警官になってこれまで彼を見下していた人間を見返す事になるが、そこで威張らないのが与太郎の与太郎たる所以。
 DVDのパッケージを見るとジェリー・ルイスが街の不良たちにいじめられる作品のようだがそうではない。
 アパートには謎の博士が住んでいて、地球が滅びる時に蛙を乗せて月へと逃がすロケットを開発していたり、テルミンで曲を演奏していたりする。このテルミンでシドニーが無茶苦茶な曲を演奏するのが一番強烈なギャグか。このように笑える作品を期待するとちょっと違う。どちらかといえばヒューマンドラマの傾向が強い。
 ジェリー・ルイス作品としては『底抜け大学教授』を観ているがこちらは完全にコメディ。単独主演ということで冒険は避けたのだろうか。大笑いできるかと思っていただけに残念である。
 だが、不良がシドニーをかばうシーンなどなかなかじーんとくる。
『紐育ウロチョロ族』というタイトルが内容との関連性が意味不明だが、二組のロマンスもあってのんびりと楽しむには良かった。

B0026ZLD7Q.jpg『ナイト ミュージアム』(2006) NIGHT AT THE MUSEUM 108分 アメリカ

監督:ショーン・レヴィ 製作:ショーン・レヴィ、クリス・コロンバス、マイケル・バーナサン 製作総指揮:マーク・A・ラドクリフ 原作:ミラン・トレンク 原案:ロバート・ベン・ガラント、トーマス・レノン 脚本:ロバート・ベン・ガラント、トーマス・レノン 撮影:ギレルモ・ナヴァロ プロダクションデザイン:クロード・パレ 衣装デザイン:レネー・エイプリル 編集:ドン・ジマーマン 音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:ベン・スティラー、カーラ・グギーノ、ディック・ヴァン・ダイク、ミッキー・ルーニー、ビル・コッブス、ジェイク・チェリー、ロビン・ウィリアムズ、ミズオ・ペック、ラミ・マレック、リッキー・ジャーヴェイス、アン・メアラ、キム・レイヴァー、エリカ・デリー、スティーヴ・クーガン、ポール・ラッド、オーウェン・ウィルソン

 博物館の展示物や蝋人形。それが毎夜動き出すとしたら......

 主人公のラリーは新しい事業に手を出しては失敗続きで転職を繰り返しているダメ男。離婚して元妻との間には10歳になる息子がいる。
 今度見つけてきたのは自然史博物館の仕事。仕事といっても夜警だ。前任者の三人の老人から仕事を引き継いだラリーは初日の夜から驚いた。なんとティラノザウルスの骨格が給水器で水を飲んでいたのだ。ティラノザウルスだけではない、フン族のアティラ王、南北戦争の兵士たち、西部開拓時代のミニチュア、テオドア・ルーズベルトの蝋人形たちが勝手に動き出していたのだ。
 その秘密は古代エジプトの黄金の石版。その魔法の力で展示物たちは夜限定の命を得ていたのだ。
 あまりのことに仕事を辞めようとするラリーだが、このままでは心底負け犬になってしまうと決意し、あれこれ工夫して仕事を続ける決意をする。試行錯誤の上、ようやく馴染んできたラリーだが、意外な悪人たちが黄金の石版など財宝を狙って博物館に忍び込む。このままでは展示物たちは灰になってしまう。ラリーは無事に黄金の石版を取り返す事が出来るのだろうか。

 下品な下ネタ(猿のおしっこがあるが)や暴力シーンがなく家族で安心して観る事が出来るファミリームービー。子供たちは自在に動き回るティラノザウルスの骨格だけで大喜びだろう。制作にクリス・コロンバスの名前があるのも納得。
 大人にはラリーのダメっぷりとそこからの再生が見所となる。自分では指パッチンで点灯するライトを開発したが手を打ち鳴らす事で点灯するライトを作った会社にアイディアをパクられたと主張し、自分は頑張っていて単についていないつもりだが実は根気がなく一つの事をやり通す能力に欠けているのだ。
 その点をルーズベルトに指摘され、一念発起して夜警の仕事に本気でぶつかっていく様が格好いい。そして失っていた息子からの信頼も回復する。
 このことによって博物館の展示物が動き出すだけの1アイディア映画に陥っていない。
 しかし、アメリカ映画にはすでに夫婦が離婚していて子供が元夫と元妻の間を行ったり来たりしている設定が多い。大体の場合、元妻が親権を持っている場合が多いようだ。夫婦円満な作品もあるが、なんか半分ぐらい離婚している映画なような印象がある。

 ドタバタと忙しいラリー役はベン・スティラー。今回は毒を抑えて愛すべきダメ男を演じている。動作が軽くリズム感があり、コメディアンの動きを見せてくれる。
 驚いたのが、ラリーと入れ替わりで引退する三人の老警備員に『メリー・ポピンズ』(1964)のディック・ヴァン・ダイクと『ティファニーで朝食を』(1961)のインチキ日本人ミッキー・ルーニーがいたこと。二人とも老いてまだ元気な様子をスクリーンに披露してくれる。彼らは意外な役柄で、後半では楽しませてくれる。特にディック・ヴァン・ダイクの活躍には注目。
 セオドア・ルーズベルト大統領はロビン・ウィリアムス。いつものやり過ぎの芝居ではなく肩の力を抜いた演技で名大統領を演じている。ちなみにテディベアの名前の由来はこのセオドア・ルーズベルト。狩猟好きな人だったが、ある日小さな熊を見逃してやった事から熊のぬいぐるみにセオドアの愛称テディが付くようになったのだ。劇中でルーズベルトが「私はルーズベルト大統領本人ではなく蝋人形だ。狩猟もやった事がない」と言うのはこの狩猟好きのエピソードから。
 ノンクレジットだそうだが、西部開拓時代のガンマン役でオーウェン・ウィルソンが登場。

 歴史の登場人物が多数出てくるので、あまり小さい子には分かりづらい点があるのが難点か。ラリーがなかなかコロンブスの名前を思い出せないというギャグや、アッチラとインチキ言語で罵りあうギャグなど分かりにくいだろう。でも分かったらもっと面白いネタといった感じで、気にせずに観られると思う。

 夏にはパート2をやるそうだが、それは果たしてどうなんだろうか。ラリーと夜警の仕事問題は片が付いてしまったし、息子との絆も回復してしまった。展示物が動き出すのは一発ネタに近いから、パート2で展示物が動いてもパート1ほどのインパクトはないだろう。単なる焼き直しになってしまうのではないだろうか。

B001TIKGI8.jpg『ナイト・ウォッチ』(2004) NIGHT WATCH/NOCHNOY DOZOR 115分 ロシア

監督:ティムール・ベクマンベトフ 製作:コンスタンティン・エルンスト、アナトリー・マキシモフ 原作:セルゲイ・ルキヤネンコ 脚本:ティムール・ベクマンベトフ、レータ・カログリディス 撮影:セルゲイ・トロフィモフ 美術:ワレーリー・ヴィクトロフ 編集:ドミトリー・キセレフ 音楽:ユーリ・ポテイェンコ
出演:コンスタンチン・ハベンスキー、ウラジミール・メニショフ、マリア・ポロシナ、ガリーナ・チューニナ、ヴィクトル・ヴェルズビツキー、マリア・ミロノーワ、イリア・ラグテンコ、ジャンナ・フリスケ、ディマ・マルティノフ、ワレーリー・ゾルツキン、ユーリ・クッシェンコ、アレクセイ・チャドフ

 普通の人間とは違う“異種”と呼ばれる人たちがいた。一種の超能力者である。彼らは“光”と“闇”の二つの勢力に分かれ太古から激しい戦いを繰り広げてきた。そして両者の力が拮抗しこのままでは共倒れになると考えたそれぞれの王は休戦協定を結んだ。
 それ以降、異種として目覚めた者は光に入るか闇に入るかを自分の意志で選んだ。そして闇の異種を監視する“ナイト・ウォッチ(夜の番人)と光の異種を監視する“デイ・ウォッチ(昼の番人)の制度が設けられバランスは保たれていた。
 ……その日までは

 ロシアの映画というとタルコフスキーなんかの難解なイメージが強いが、これは少年マンガにでもありそうな設定の分かりやすい娯楽作。ハリウッド映画ではないので出演者に観た顔がいないというのが新鮮で良い。ロシア語のセリフも新鮮。
 この後に『ウォンテッド』を撮る監督だね。それだけにVFXはがんばってるなといった印象。ものすごくセンスが良いとは思わないが予算も少なかったそうなのにかなりの映像を作り出している。ロシアのコンピュータ技術は高いだろうし、人件費は比較的安そうだ。
 ただ、見せ場は意外と少ない。最初に畳みかけておいて、後は割と通常撮影の映像が続く。そして思い出した頃にVFXが登場する。
「1人の命か、数千万の命か」とか光の側の王が言い出していいのかなとも思いますが、それだけ重い決断を下すから王なんでしょうか。
 呪われた女性にしてもなんでもかんでも異種で片付けてしまうのはちょっと反則。泣いて自己批判しただけで解けちゃう呪いってのもちょっとね。結局、この女性のエピソードは大きく扱われている割にはストーリーには関係ない。

 あれこれ要素を詰めすぎて消化不良になっているのはマイナス。やりたい事がいっぱいあるのと、原作があるそうだからそこから使わなければならない設定やエピソードで縛られるというのはあるんだろうが、設定がシンプルな割にストーリーはゴチャゴチャ。
 ハリウッド色がありながらも基本はヨーロッパ系の香りがする。しょぼいおっさんが主人公というのもヨーロッパ的。というか、登場する男性キャラクターはほとんどがおっさんのおっさん映画でもある。
 ハリウッド映画とはそもそも風景からして違う。暗くて重苦しい空だ。プールのシーンだけ別の映画のように鮮やかなカラーとなっている。
 シリーズ物なのでぶった切られた形で映画は終わる。ここから面白くなるところなのにと絶妙なタイミングだ。
 中盤でダレたが終盤で持ち直した。次回作『デイ・ウォッチ』に期待。
 しかし、フクロウ女は意味ありげに出てきてほとんど役に立っていない。次回作では活躍を期待する。
 ラストは『スター・ウォーズ』中期三部作のダースベーダーとルーク・スカイウォーカーの逆パターンだな。

B001F4C670.jpg『2010年』(1984) 2010 113分 アメリカ

監督:ピーター・ハイアムズ 製作:ピーター・ハイアムズ 原作:アーサー・C・クラーク 脚本:ピーター・ハイアムズ 撮影:ピーター・ハイアムズ 特撮:リチャード・エドランド デザイン:シド・ミード 音楽:デヴィッド・シャイア
出演:ロイ・シャイダー、ジョン・リスゴー、ヘレン・ミレン、ボブ・バラバン、ケア・デュリア、ダナ・エルカー、マドリン・スミス、ジェームズ・マクイーチン、メアリー・ジョー・デシャネル、エリヤ・バスキン、ウラジミール・スコマロフスキー、ハータ・ウェア、アーサー・C・クラーク(ノンクレジット)、声の出演: ダグラス・レイン、オルガ・マルスネード

 少年期にSF好きだったオレだが映画の『2001年宇宙の旅』は好きではなかった。後に、これは監督のスタンリー・キューブリックが嫌いだったんだというので納得がいった。キューブリックは嫌いだしSFを分かってないし『シャイニング』ではホラーを分かってないし『突撃』では戦争映画を分かっていない。『博士の異常な愛情』ではコメディを分かっていない。何も分かっていないそれっぽい画を撮るのが得意なだけの男だったのだ。
 だが、その続編である『2010年』は好きである。SFしてるよねぇ。監督はピーター・ハイアムズ。ほんとなんでも撮る人だ。

 映画が製作された1984年当時はソ連がまだ存在し、米ソ間の争いが実際の物としてあったのだ。だから2010年が舞台でも米ソ冷戦が登場するが、これは予想出来ない者だったから仕方ない。フロイドとソ連の女性上官が話しをして「自分達の息子と娘を結婚させよう」という話しになり、「そんな世の中になればいいですね」と締めくくる。そんな時代だったのだ。

 珍しく知的な役のロイ・シャイダーはフロイド博士役。映画の前半部分ではビーチでAppleIICに液晶ディスプレイを乗せてポータブルに使っている。今では当たり前の光景だが、当時としては画期的で「Appleすげぇ」って感じだった。でもまだAppleIIでMacじゃないんだよな。もう数年後ならMacbookになっていたのだろうか。
 なんといっても見せ場は設計者のチャンドラ博士とHAL9000との会話。木星が特殊な状況に陥ってそれから逃れるためにディスカバリー号を捨て石のブースターとして使わねばならない。それを論理的かつ人間的にHALに説明し説得する。「お前は新しい宇宙ステーションに行くんだよ」とかごまかしていたのに最後にはついに真実を告げてしまう。それに対するHALの答えは「真実をありがとう」。コンピューターと人間の会話。SFだねぇ、泣けるねぇ。
 ちなみに地球でのチャンドラ博士はHALの次世代機を作っていてそいつの名はSAL9000。HALの人工知能よりさらに進んで人間に近くなっているのだが、まだあと少し足りない。どのぐらい足りないかというと髪の毛3本分。SAL(サル)は人間より毛が三本少ないなんてことを申しまして……すみません。
 もはや人間ではなくなったボーマン船長が妻と母に別れを告げに行くところも泣ける。特に母親の所は個人的に涙だだ漏れだ。
 最終的には木星が第二の太陽となり、木星の衛星エウロパに新たなる生命が生まれる。
 木星が太陽に?それはちょっと無理がないかという人もいるだろうが、天文学的には木星は太陽になり損なった星だと言われている。“木星太陽化計画”がテーマだった『さよならジュピター』だって設定は無理ではなかったのだ。いや、ジュピターゴーストとかは無理だが。あと無重力セックスも。

 宇宙船の内部はシド・ミードのプロダクションがデザインを手がけているだけあって今でも古びていない。モニターがブラウン管だったりするがこれは仕方ないだろう。CGによる変形する木星も当時劇場で観たオレは感動したものだ。
 それに対して、冒頭の地球のシーンはどうしても野暮ったさを感じずにはいられない。アンテナ群やホワイトハウス前などでなるべく近未来的、時代を感じさせない場所をロケ地に使っているのだが、実際の場所をロケ地にしている以上仕方ないのだろうか。

 前作と合わせて2本観ても黒い石版モノリスの正体は分からない。小説はさらに続編があるのでそちらを読めばもっと詳しく分かるのだが、アーサー・C・クラークの小説なので本格SFで誰にでも読みやすいとは言えないのが欠点。

B000OQDSSG.jpg『ノック・オフ』(1998) KNOCK OFF 90分 アメリカ

監督:ツイ・ハーク 製作:ナンサン・シー 脚本:スティーヴン・E・デ・スーザ 撮影:アーサー・ウォン 音楽:ロン・マエル、ラッセル・マエル
出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ロブ・シュナイダー、レラ・ローション、マイケル・ウォン、カーメン・リー、ポール・ソルヴィノ

『レジョネア 戦場の狼たち』と同じ年に製作されたとは思えないほど色合いの違う作品となっている。監督は『ダブルチーム』以来二度目となるツイ・ハーク。
『ダブルチーム』にそれほど香港映画色はなかったが、今回は初っぱなから大爆発に派手なアクション。どこか安っぽい映像ともろに香港映画。アメリカ映画となっているが製作は香港人だし香港資本なのか?
 脚本はあの『ダイ・ハード』のスティーヴン・E・デ・スーザ。でもどちらかというと『ストリートファイター』のスティーヴン・E・デ・スーザといった方が正解だろう。緻密な伏線もキャラクターの深みもなく単純で分かりやすくそれでいて何だかよく分からないところも香港映画している。

 時は1997年6月末の香港。長年のイギリス領から中国に返還を迎える直前が舞台だ。これまでのヴァン・ダム作品には何度も香港が登場したが、全編を通して香港からカメラが出ないのは初めて。(エンドクレジットを見るとマニラロケもしているようだが、設定上は香港)
 ヴァン・ダムは元偽造品のブローカー。タイトルの『ノック・オフ』は“打ち負かす”と“模造品”の『KNOCK OFF』をかけているのだ。無駄に凝ってるな。
 現在では足を洗い、アメリカのジーンズメーカー香港支社代表として堅気の仕事をしている。そこへ、ロシアが開発した超小型爆弾が関わる事件が発生する。この爆弾は香港を経由して各種製品に入れられてアメリカに送られる。そして衛星経由で信号を送り爆発させるのだ。同時に、ヴァン・ダムの会社が出荷したジーンズに模造品が含まれていることが分かり、アメリカから美人女性役員が視察にやってくる。さらにはCIAまで登場して事態は混乱の一途をたどるのだった。

 さっきも言ったが、さして複雑ではないのにどうにも意味が分かりにくいストーリー。だがそんなことを気にせずハチャメチャな香港流アクションを楽しめばいい。船大爆発、人力車レース、車は倉庫の二階から飛び出すわ、ヴァン・ダムは原付で室内を疾走する。ついには大仏大爆発。
 アクションの豊富さという点ではヴァン・ダム映画ナンバーワンではないだろうか。それも香港なのでいちいち無茶なアクション。そこで使う意味が分からない超クローズアップや、スコープで狙い撃ちする人物の目にスコープの中をカメラが通って寄っていくなど独特の映像にツイ・ハークは本国へ帰って生き生きとしているのが感じられる。
 敵が香港のアクション俳優やスタントマンなので、空手家のヴァン・ダムでは少し動きが遅いが蹴りを駆使した格闘を見せてくれる。
 波を被った貨物船の甲板で、水に滑りながらの銃撃戦も面白い。えっ、スタントマン使ってるんだろうって?ヴァン・ダムはアクション俳優でスタント俳優じゃないから別に気にしない気にしない。格闘シーンでスタントはあまり使って欲しくないけど、スタントシーンでは問題なし。
 笑わせ役でヴァン・ダムの相棒のロブ・シュナイダーも活躍してくれる。この人、アメリカ本国ではかなり売れっ子なのだが、コメディーがあまりウケない日本では今一つマイナーな存在。面白いんだけどね。

 多分、テレビ東京系の洋画劇場で放映されるタイプの映画。解説の木村奈保子が「あなたのハートには何が残りましたか?」と締めくくるんだろうけど、何も残りません。
 でもそこが良い。お気楽に何も考えずに楽しむんだ!

B001GMZXFS.jpg『ニンジャ VS カンフー』(2008) 93分 アメリカ

監督:メーティン・ガンゴール
出演:エルバート・トライスター、シソ・カンブロフ、パット・トゥーイ、メーティン・ガンゴール

 詳細は検索しても不明な謎映画。
 Z級映画ファンにはお勧め。そうでない人は観ちゃダメです。私はなんでも観る方なので『ニンジャ VS カンフー』というタイトルに惹かれて借りましたが、レンタル料金と1時間30分の時間を返せといいたくなりました。しかも新作料金だし。
 とはいえ、『ニンジャVSカンフー』というのは日本で勝手に付けた邦題で、原題は『FIST なんとかかんとか』。主人公たちはニンジャっぽい格好をしたフィストという集団だが、それ以外はクナイっぽいのを手裏剣として投げるぐらいで、忍者刀ではなく青竜刀風の刀を使っていますし、そもそも「ニンジャ」とは名乗っていません。ニンジャ映画じゃないんです。ショー・コスギも出てませんし。
 彼らの由来も200年以上前のイスタンブールの僧侶で、中国で悪政を行っているダーク・モンクの討伐に向かい、以来ずっと戦い続け今ではその場をアメリカに移しているというもの。
 奥義を授かるために会いに行く師匠もタイのお坊さんですし、日本は欠片も出てきません。『VSカンフー』というほど敵もカンフーの達人というわけでもなく、正直なんだかなぁ。ストーリーは単純なはずなのに何故か理解できない。これも一種の才能でしょう。
 今時、ビスタサイズですらない4:3画面。しかもどうみてもビデオ撮影。テレビ用映画なんでしょう。主人公たちはなかなか動作もキビキビしていて技も決まってるんですが、それを台無しにする自主映画レベルの演出。つか、これ自主映画じゃねーの?
 辛うじて面白かったのは、彼らは正体を隠した正義の味方で悪党を退治しても収入にはならないボランティア的存在。そこで頭脳担当のコードネーム・サイコは支出が何千ドル。収入が何千ドル。差し引きで700ドルのマイナスだと悩んでいる。彼は予知能力者でロトくじを当てるぐらいは簡単なんだが、超能力を私利私欲に使っては行けないというので、フィストのメンバーは鍼灸師や太極拳の講師などでバイトをして日銭を稼いでやりくりしている。テレビのインタビューで「金が無くて困ってるんだ」と答える始末。
 考えてみれば正義の味方ってのはどうやって生活しているんだか。バットマンのブルース・ウェインの様な大金持ちやスーパーマンのクラーク・ケントの新聞記者みたいに収入源や定職を持っているものは良いが、スパイダーマンのピーター・パーカーは貧乏学生で自分の写真を撮って新聞社に売り込みなんとか学費を稼いでいる。
 ウルトラマンシリーズの主人公は科学特捜隊やウルトラセブンの地球防衛軍などおそらく公務員。退職金も出るだろうし年金もしっかりしてて老後も安心だ。『ウルトラマン80』の主人公なんか初期は中学校の先生だ。日教組には加入していたのか。
 それに対して昭和仮面ライダーシリーズの主人公は仕事をしているシーンを見たことがないし基本的に無職っぽい。奴らはどうやって生活していたのだろうか。生活費はおやっさん(立花藤兵衛)に工面してもらっていたのかもしれない。

B001CEIK64.jpg『NEXT -ネクスト-』(2007) NEXT 95分 アメリカ

監督:リー・タマホリ 製作:ニコラス・ケイジ、トッド・ガーナー、ノーム・ゴライトリー、アーン・L・シュミット、グレアム・キング 製作総指揮:ゲイリー・ゴールドマン、ベン・ウェイスブレン、ジェイソン・クーアニック 原作:フィリップ・K・ディック『ゴールデン・マン』 原案:ゲイリー・ゴールドマン 脚本:ゲイリー・ゴールドマン、ジョナサン・ヘンズリー、ポール・バーンバウム 撮影:デヴィッド・タッターサル 編集:クリスチャン・ワグナー 音楽:マーク・アイシャム
出演:ニコラス・ケイジ、ジュリアン・ムーア、ジェシカ・ビール、トーマス・クレッチマン、トリー・キトルズ、ピーター・フォーク、ホセ・ズニーガ、ジム・ビーヴァー、マイケル・トルッコ

 フィリップ・K・ディックの『ゴールデン・マン』が原作だという。読んではいないが、他のフィリップ・K・ディック原作映画から考えるとどれだけ原作の要素が盛り込まれているかは疑問。比較的原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』に近い『ブレードランナー』ですらかなり違う。『トータルリコール』なんか原作は導入部でしか使われてないしな。

 自分に関係のあることだけ2分先まで予知できる超能力者(ニコラス・ケイジ)という設定は面白い。『ゴーストライダー』(2007)ではかなり微妙な髪型だったが今回はまぁ普通。薄くなったのはしょうがないじゃんか。しかしニコラス・ケイジは年に数本は出演する忙しさ。あまり出演作を選んでないんじゃないかと感じさせるところや、監督のフランシス・フォード・コッポラの甥で本名はニコラス・コッポラなのに叔父の七光りだと思われるのが嫌でごく初期の作品以外は芸名のケイジ姓を名乗っているところもオレ好み。従姉妹に当たるソフィア・コッポラが父親のフランシス・フォード・コッポラの七光りでしかないのと対照的だ。
 2分先までしか予知できないというのがミソで、その制約が活かされたシーンは確かに面白い。冒頭のカジノからの脱出劇や、終盤の埠頭でのテロリストとの戦いは、予知を活かして危機を乗り越えていく。ラストは予知に次ぐ予知で分身の術状態。FBI捜査官のジュリアン・ムーアから説明を受けて突入部隊に捕まるシーンが実は予知したビジョンで、実際にはジュリアン・ムーアが入ってくる前に逃げ出していたというシーンなどちょっと混乱したが上手い。
 だが、途中からその設定があいまいになって、数時間先のことまで予知できるようになっているのはどんなもんだろうか。それが面白さに繋がっているのならば別に問題はないのだが、むしろ逆にスリリングさを削る結果になっている。
 拘る人は「設定と違うじゃないか」と怒るのだろうが、オレは気にならない。あえて理由を付けるのならば、夢の中では2分以上先のことも予知できるということか?ヒロインのことだけは前々から予知していたから、彼女に関することだけは先まで予知できるのか。うーん、でも制約がキツい方がもっと面白くなったんじゃないかなとは思う。脚本家は大変だろうが。
 ジュリアン・ムーアはキャスト順ではニコラス・ケイジに次いで二番目だがヒロインではない。というかヒロインは無理。『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997)の頃は魅力的だったが、それ以降は一作ごとに老けていく。もちろん人間だから老けるのが当たり前で一作ごとに若返っていくのは一時のエリザベス・テイラーぐらいだろうが、ジュリアン・ムーアの老け具合はもはやヤバイ。整形とかしてないってことなんだろうが、このまま劣化が続くと女優生命が危ういのでは。
 格闘技では肉体だけではなく相手がどんな攻撃をしてくるのかを読むという頭脳も必要。ニコラス・ケイジは特に格闘訓練を受けていないだろうが、予知の力を駆使してそこら辺のチンピラ相手なら簡単に勝つ。それどころか、この方向に動くと拳銃で撃たれる自分の姿を予知して逆の方向に避ける。それを続けて弾丸を連続でかわして敵の真ん前に立ちはだかる。お前は『レモ/第1の挑戦』のレモ・ウイリアムスかっ!と言うわけで、『銃弾を避ける、または受け止める』映画リストに追加。あまり本数が集まらないリストだが。
 しかし、ロスのど真ん中で核爆弾を爆発させようというテロリストが敵だがその目的が不明。イスラム系ではなくて白人だがそれで何の得があるというのだろう。
 それと、ニコラス・ケイジの相棒として登場したピーター・フォークの存在も謎。日本語吹き替えがちゃんと小池朝雄風に喋る石田太郎なのは嬉しいが、登場シーンは少ないしストーリーにはまったく関係ない。劇場用映画で姿を観たのは『デッドロック』(2002)以来だが、この5年で老けた。1927年生まれだそうだから、それも当然か。

B0011YN26S.jpg『呪い村 436』(2006) POPULATION 436 92分 カナダ/アメリカ

監督:マイケル・マックスウェル・マクラーレン 製作:ギャヴィン・ポローン 製作総指揮:ギャヴィン・ポローン 脚本:マイケル・キングストン 撮影:トーマス・バースティン 音楽:グレン・バー
出演:ジェレミー・シスト、フレッド・ダースト、デヴィッド・フォックス、シャーロット・サリヴァン、R・H・トムソン

 アメリカ映画を観ていると、町の入り口に「WELCOME TO なんとか。POPULATION(人口)1234」なんて看板が立っているのを見かける。あの人口は一人減ったり増えたりする度にこまめに書き直しているのだろうかと疑問だったのだが、その謎を解いてくれた(?)のがこの作品。

 人口436人の小さな田舎町ロックウェル・フォールズに国勢調査員のジョン・トラヴォルタ似のスティーヴ(ジェレミー・シスト)が調査のために訪れる。一見平和なその町で資料を調べている内に何十年も人口が436人のままであることに気づく。

 乗ってきた車はパンクで立ち往生してしまい、修理に出しても一向に治らないどころかいつの間にか消えている。単に調査に来ただけなのに、町の住人とされてしまい、彼が分だけ一人増えて437人になったから生け贄を選ばれるとその生け贄は喜んで殺されてしまい436人を維持される。1人増えたら1人減らし。2人増えたら2人減らし。その行為には人為的な物だけではなく超自然現象の力も働いているようなのだが、その点についてははっきりとは描かれていないのが余計と想像力を刺激する。
 助けを求めようにも携帯電話は圏外。電話は町の交換に繋がり外部には連絡が付かない。車が手に入らず、村人から常に監視を受けている状態。町は森の中にあり大きな道や他の町から遠く離れているため走って逃げ出しても捕まってしまう。逃げだそうとしても逃げ出せない。
 そんな怖ろしい状況なのに他の村人は一部を除いて何の疑問も持たずに平和に暮らしている。これが村人も呪いを怖ろしいものと感じていて、赤ん坊が一人生まれる度に誰が犠牲になるかで悩み苦しんでいるのならまだいいが、人口が436人であり続ける限り繁栄が続くと思って笑顔でのどかに暮らしている。その恐怖感がたまらない。
 この町だけではなく、特定の思想・宗教を持つ人だけで作られた共同体というのはどこか異常な部分があっても所属している人間にとってはそれが常識となっていたりする。新興宗教が起こした事件が時折ニュースになる。どう考えてもまともじゃないことが教団内部ではまかり通っていて信者は何の疑問も持っていないというのがあるが、あれと似た怖さかも知れない。学校の運動部とか一部の会社とかにもそういうところがあるな。やはり閉鎖的な団体ってのは問題を抱えているのかも。社長に無理矢理出席させられた自己開発セミナーでは日程の2日間ずっと講師に逆らい続け、親が行かないと仕送り止めるぞというので参加したヤマギシズムの特講では入り口の受付でケンカして速攻で帰ってきたオレは閉鎖的な物が嫌いなのでよけいとこの作品は怖いのだろう。
 町を出たがっている若い女性やスティーヴと友達になる保安官、病院で謎の治療を受けている少女などがストーリーの展開に上手く活かされ、登場人物としての魅力も持っている。
 派手な殺人やほとばしる血しぶきなどの残虐なシーンは登場しないが、作品のカラーからいうとそれで正解。

 さっきも言ったがオレはこういう閉鎖社会物ホラーって苦手なんだよ。一見普通の町なのに実は住人が全員狂っていて、それに気づいて逃げだそうとするが逃げ出せないとか全員から狩られて殺され秘密のままとか。ほんと怖い。

B000657R6O.jpg『ナイル殺人事件』(1978) DEATH ON THE NILE 140分 イギリス

監督:ジョン・ギラーミン 製作:ジョン・ブラボーン、リチャード・グッドウィン 原作:アガサ・クリスティ 脚本:アンソニー・シェイファー 撮影:ジャック・カーディフ 音楽:ニーノ・ロータ
出演:ピーター・ユスティノフ、ベティ・デイヴィス、マギー・スミス、ミア・ファロー、アンジェラ・ランズベリー、ジョージ・ケネディ、オリヴィア・ハッセー、ジョン・フィンチ、デヴィッド・ニーヴン、ジャック・ウォーデン、ロイス・チャイルズ、サイモン・マッコーキンデール、ジェーン・バーキン、ハリー・アンドリュース

 苦手なジョン・ギラーミンにしては楽しめるミステリー映画。原作はアガサ・クリスティのポワロ物『ナイルに死す』で、オールスターキャストなのに顔ぶれを並べてみるとどうも地味なのが特徴。でも力のある役者が揃っているので演技面は万全。

 舞台はエジプト。航海中のナイル下りの客船で大金持ちの若い女性が小型ピストルで射殺される。たまたま乗り合わせていたエルキュール・ポアロ(ピーター・ユスティノフ)と友人の大佐(デヴィッド・ニーヴン)が警察の依頼を受けて捜査に乗り出すが、調べてまず分かったのは乗客の全員が被害者に恨みや経済的理由などで動機を持っており、容疑者だらけだと言うこと。
 船の中は密室だったから、犯人はこの中にいるはず。

 前半は、ピラミッドや神殿、スフィンクスなどでのロケが行われ、異国情緒が溢れているが、後半は船の中でのみ話しは進行するのでエジプトのナイル川という舞台設定は上手く活かされているとは言えないが、限られた空間の中でどうストーリーを進めていくのかという工夫が見られ閉塞感も雰囲気作りに役立っている。
 登場人物の大半が欲を持った俗物で良くも悪くも人間くさいため、誰が犯人かなかなか分からず、ミステリー映画としても破綻せずに構築されている。登場人物がステレオタイプで内面的個性に乏しいが、分厚い原作を140分に収めるためのシナリオと、人物描写が苦手なジョン・ギラーミンなので許容範囲。
 原作が古いのでトリックに目新しさがないのは否めないが、これは仕方ないところだろう。映画版でまったく違うオリジナルなトリックにすると言う手もあるが、大体そういうのはファンからそっぽを向かれる。
 ポアロの推理や謎解きも映像を上手く使って、映画ならではの醍醐味を見せてくれる。
 そして悲しい愛の悲しい結末。それすらも悠久の流れであるナイルは飲み込んで静かに流れていく。

B00165SDW0.jpg『28週後...』(2007) 28 WEEKS LATER 104分 イギリス/スペイン

監督:フアン・カルロス・フレスナディージョ 製作:アンドリュー・マクドナルド、アロン・ライヒ、エンリケ・ロペス・ラビニュ 製作総指揮:ダニー・ボイル、アレックス・ガーランド 脚本:フアン・カルロス・フレスナディージョ、ローワン・ジョフィ、ヘスス・オルモ、E・L・ラビニュ 撮影:エンリケ・シャディアック 音楽:ジョン・マーフィ
出演:ロバート・カーライル、ローズ・バーン、ジェレミー・レナー、ハロルド・ペリノー、キャサリン・マコーマック、マッキントッシュ・マグルトン、イモージェン・プーツ、イドリス・エルバ

 ウイルス流出から28週後。食事をする知能もなくした感染者達は餓死してしまい、静けさが戻った。米軍を中心としたNATO軍が管理する形で、イギリス復興に向けてまずロンドンの一地区に避難していた民間人を戻し生活をさせ始める。平安な社会が築かれていくはずだったが、ウイルスに抗体を持つ一人のレイジ・ウイルスキャリアの女性が生き延びていて、管理地区に入ってきたため再び感染が広がりパニックになる。

 監督がフアン・カルロス・フレスナディージョに替わって撮られた『28日後...』の続編。ダニー・ボイルが製作総指揮を務めているため、やはり疑似ユートピアの形成と崩壊はきっちり描かれていて、それどころか平和に愛し合って暮らしていた家族させ崩壊させてしまう。再感染の発端が愛ゆえの行為という点が一番残酷なのかも知れない。
 予算も増えたようでスケールも大きくなり登場人物も増えた。登場人物も多くなりアクションも増えた。そしてよりゾンビ映画化している。前作では銃で撃たれたりバットで殴打されると死んだ感染者だが、今回は胸に大きな穴が開いても歩いていたり、下半身だけになってもバタバタしていたり。設定に若干の変更がある。
 今回も軍は悪役。感染がある程度広がった段階で、市民の殲滅作戦を始める。しかし、考えてみればウイルスが島国であるイギリスから大陸に渡ってしまったら大変なことになる。そのためには非情になって任務を遂行しなければならない。現在のアメリカ軍はイラク戦争などで実戦経験者も多いだろうから、平気で引き金を引くだろう。焼夷弾から毒ガスまで使って感染者も、まだ感染していない市民も抹殺していく。限定核を使わなかったのが不思議なぐらいだ。
 安全地区の設定は『ランド・オブ・ザ・デッド』に近い物があるし、映画自体は『バイオハザード』に似ている。ヘリコプターでの意外な攻撃は、最近のある映画に登場しているし、全体的に前作ほどの個性は感じられない。せっかくの親子関係もあまり有効に使われないまま終わってしまうのが残念だ。

 父親(ロバート・カーライル)が管理地区でAAAの権限を持っている理由が明示されておらず、元住んでいた家も登場するが普通の家なので特に地位が高い人物だったという感じではない。元は政府の要人だったなどの説明があれば良かったろう。ロンドンに民間人を戻すのも時期が早すぎるんじゃないだろうか。まぁ、“28”という数字の縛りがあるんだろうが。他にもストーリー的に穴がいくつかあるが、感染が始まるとひたすら人もカメラも走り回るのでそれほど気にする必要もないだろう。
 静かに始まり、妻を見捨てて逃げ出す夫というオープニングで期待したのだが、最後まで観ると独自色が薄かったのが残念。

B0014B8A8I.jpg『28日後...』(2002) 28 DAYS LATER... 114分 イギリス/アメリカ/オランダ

監督:ダニー・ボイル 製作:アンドリュー・マクドナルド 製作総指揮:グレッグ・カプラン、サイモン・ファロン 脚本:アレックス・ガーランド 撮影:アンソニー・ドッド・マントル 編集:クリス・ギル 音楽:ジョン・マーフィ
出演:キリアン・マーフィ、ナオミ・ハリス、クリストファー・エクルストン、ミーガン・バーンズ、ブレンダン・グリーソン、レオ・ビル、リッチ・ハーネット、スチュワート・マッカリー、ノア・ハントレー、ルーク・マブリー

 ダニー・ボイルがゾンビ映画を撮ると聞いて、どんな物になるのやらと期待半分不安半分だったのだが、観終わって納得。やっぱダニー・ボイルはダニー・ボイルだ。
 オレはダニー・ボイルの基本的テーマは“疑似ユートピアの形成とその崩壊”だと思っている。名が知られるようになった『トレインスポッティング』のヤク中の青年達が作り出したグループもそうだし、『ザ・ビーチ』の島での共同生活体もそうだ。どれも、一見ユートピアに見えるが、いずれは崩壊するのだ。
 この作品にもそれはある。ウイルスによって凶暴になった感染者により壊滅したイギリスで、三人の男女が保護を求めてラジオで放送を流していた軍の拠点へ行く。そこに着いてこれで安心、もう恐怖から守られると思ったが、それもつかの間のことであった。

 そもそもの発端は、人間の凶暴性について研究している研究所に、実験材料に使われているチンパンジーを助けるために過激な動物保護団体が忍び込む。だが、そのチンパンジーは怒りを発し凶暴になるウイルスに感染していており、それはあっと言う間に研究所から出てしまう。
 ウイルスに感染した者は抑えきれる怒りによって狂人となり、理性も知性も失ってただ相手を倒すことだけしか出来なくなる。その凶暴性は人間の脳の中に最初からあったもので、ウイルスはそれを際限なく解放してしまうのだろう。ウイルスは血液を介して感染を広げる。感染者に噛まれるだけではなく、その血が口や目から体内に入ってしまっても感染する。感染してから発病するまではわずか10秒ほど。エボラ出血熱も驚く潜伏期間の短さだ。
 だから、これはゾンビ映画ではない。感染者はあくまで人間で、その凶暴性は元から人間が持っていたものだ。一番怖い者は人間。ヒロイン達を助けるために血まみれになって戦う主人公が感染者に見えるのも無理はない。その人間に、家族揃って自由に駆け回る馬の一家が対比される。このウイルスは霊長類にしか感染しないようだ。ほとんどの動物は必要な暴力しか振るわない。獲物を捕るため、自分を守るため。楽しみのために殺すのは人間を始めとしたごく一部の動物だけなのだ。ウイルスは解き放つのはその部分なのだ。
 映像的には無人のロンドンを描いた前半部分の方が見応えがあるが、ダニー・ボイルがやりたかったのは兵隊達と関わるようになる後半部分だろう。

「人間が一番怖い」と言ってしまうとありきたりな結論だが、だがそれでも生きていかなければならないとするのがダニー・ボイル。

B000Y0O97G.jpg『NINE -ナイン-』(2005) HOUSE OF 9 90分 イギリス/ルーマニア/ドイツ/フランス

監督:スティーヴン・R・モンロー 製作:フィリップ・マルチネス 製作総指揮:シェイク・モハメド・ビン・サルマン、アラステア・バーリンガム、アル・カリファ、ダグラス・W・ミラー 脚本:フィリップ・ヴァイダル 撮影:ダミアン・ブロムリー 音楽:マーク・ライダー
出演:デニス・ホッパー、ケリー・ブルック、イポリット・ジラルド、スージー・エイミー、ピーター・キャパルディ、アシュリー・ウォルターズ

 デニス・ホッパー出演という理由だけで借りる。監督のスティーヴン・R・モンローにしろ脚本のフィリップ・ヴァイダルにしろ聞かん名だ。題材的にもオレとしてはあまり興味のないジャンルだ。
 拉致された9人の男女が館に閉じこめられる。スピーカーからショーの主催者を名乗る男からメッセージが流れる。
「ここから生きて出られるのは一人だけ。賞金は500万ドルだ」
 一組の夫婦を除けば見知らぬ者ばかり。最初は協力して生き抜こうとするが、閉鎖空間のストレスや人間関係から次第に憎悪が高まり、ついに一人目の死者が出る。

 デニス・ホッパーは神父役。でもデニス・ホッパーだとなにか裏がありそうだ。あるのかな、あるのかな、やっぱりありそうだよな。うーむ。どうなのか興味がある人は実際に観てもらうとして、取りあえず終盤で拳銃を振り回す辺りがやはりデニス・ホッパー。デニス・ホッパーファンならば抑えておきたい作品である。
 館のセットは白を基調とした無機質なもの。一見清潔感がありながら、登場人物を絶望に陥れる背景として機能している。映画の大半はこの館の中だけで進行するので意外に低予算なのだろう。俳優もデニス・ホッパー以外はあまり見ない顔ばかり。だからこそ、誰が生き残るかというスリルも増す。
 連想したのは『CUBE』だ。閉鎖空間に閉じこめられ、そこからの脱出と膨れあがる憎悪がテーマという点など近い物がある。『SAW』シリーズにも似てるか。ラストも似ていると思いきや、『ナイン』にはさらなるオチがある。さらなる絶望感と共に思い出したのは、『空飛ぶモンティ・パイソン』の牛乳配達人のスケッチだった。なんでや。
 冒頭近くで「だいたいこんな展開かな」と思ったのとさほど違わぬ展開が繰り広げられ、目新しさは感じられない。人物描写は類型的で、様々な職業や黒人のラッパーも一人いるがあまり上手に活用されているとは言えない。だれることなくラストまで観られたが、どうということのない出来。自棄になった9人が酒を飲んで宴会(?)を始めるシーンが好き。
 英語音声のみなので、吹替派の人は要注意。

B000WPEJ7S.jpg『ネバー・サレンダー 肉弾凶器』(2006) THE MARINE 92分 アメリカ

監督:ジョン・ボニート 製作:ジョエル・サイモン、ジョナサン・ウィンフリー 製作総指揮:マット・キャロル、ヴィンス・マクマホン 脚本:ミシェル・ギャラガー、アラン・マッケルロイ 撮影:デヴィッド・エグビー 編集:ダラス・プエット 音楽:ドン・デイヴィス
出演:ジョン・シナ、ロバート・パトリック、ケリー・カールソン、アンソニー・レイ・パーカー、アビゲイル・ビアンカ、ジェローム・イーラーズ、マヌー・ベネット、ドリュー・パウエル

 映画が始まってすぐ、タイトル『THE MARINE』とともに海兵隊礼服のジョン・シナが敬礼をするところで、「これはちとヤバいかな」とハズレを覚悟したが、いやいやなかなかなバカアクション映画でした。

 イラクで人質となった米軍兵士を処刑寸前に単身で救助した主人公だが、命令違反と判断されて海兵隊を除隊になってしまう。
 愛する妻の元へと帰り、とりあえずビルの警備員の職に就くが、迷惑で暴力を振るう男を叩きのめしてしまいあっさり首に。そこで、しばらくの間、妻とのんびり旅をすることにしたが、立ち寄ったガソリンスタンドでダイヤモンド強盗団に妻を誘拐されてしまう。
 もちろん主人公は追いかける。銃撃されようと、殴られようと、爆発に巻き込まれようと、決して諦めずに主人公は追い続ける。

 主人公のジョン・シナはWWEのプロレスラーで、マット・デイモンの顔とアーノルド・シュワルツェネッガーの肉体を併せ持つ男。筋トレのみで鍛え上げた肉体と違い、リングの上でプロレスラーとして実戦を重ねた者が持つ強さを感じさせる。ちょっとやそっと殴られたり蹴られたりしてもさしてダメージは受けなさそうだ。オレなんかが思いっきり殴ったら、こっちの拳が痛むな。
 ロバート・パトリックを親玉とするダイヤモンド強盗団は、厳密な計画でダイヤモンド販売店を襲った割にはバカばかり。いちいち言い争うわ、考えなしに銃器をぶっぱなすわ、氷砂糖に幼少期のトラウマがあるわ。凶悪なんだけど、どこかコメディ担当でもある。悪党側に格闘の専門家が欲しかったところだが、楽しかったんだからいいや。

 ガソリンスタンドや酒場などが爆発。無駄に爆発。もちろん派手。
 主人公がパトカーで強盗団を追いかけるシーンでは、まずフロントガラスが無くなり、次にはボンネット、フロントバンパー、そして屋根まで吹っ飛ぶ。どこまで壊れていくのだろうかとワクワクしてしまった。
 出番はほとんどないのだが、前半で主人公が警備員をしていたときの同僚が、最初は嫌なヤツか無能なヤツだと思っていたのが、以外に良いヤツで嬉しかった。こういうちょっとした脇役が光ってるってのは好きだ。

 原題は『ザ・マリーン(海兵隊員)』だが、日本公開時は『ネバー・サレンダー 肉弾凶器』に変更。やはり『マリーン』ではカニかまぼこみたいだからだろうか?
 主人公はけっして降伏しないし、肉弾で凶器だ。ぴったりの邦題である。ジョン・シナには今後も期待だ。

B00006LSZ4.jpg『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』(1993) THE NIGHTMARE BEFORE CHRISTMAS 76分 アメリカ

監督:ヘンリー・セリック 製作:ティム・バートン、デニーズ・ディ・ノヴィ 原案:ティム・バートン 脚本:キャロライン・トンプソン 撮影:ピート・コザチク 音楽:ダニー・エルフマン
出演:クリス・サランドン、キャサリン・オハラ、ウィリアム・ヒッキー、ダニー・エルフマン、ポール・ルーベンス

 “ハロウィン”の王ジャックは、怖がらせるだけのハロウィンに満ち足りぬ物を感じ、森を彷徨っている内に、クリスマスの国に紛れ込む。白い雪が舞い散るそこは、人々がみんな笑顔で喜びに満ちあふれていた。
 ハロウィンの国に戻ったジャックは、今年のクリスマスはサンタクロースを誘拐して自分がその代わりを務めることを決意する。ハロウィンの国の面々が作り上げるクリスマスとは、一体どんなものになるのだろうか?

 公開当時は「ハロウィン」と言われてもピンとこなかったが、最近では関連イベントも行われるようになり、少しは知名度も上がった。個人的にはブギーマンが襲ってくる日と、子供にお菓子を配る日というイメージしかなかった。
 “クリスマス前の悪夢”というホラー映画にしか思えないタイトルで、ファンタジーミュージカルを作り上げたのはティム・バートン。監督は務めていないが、ティム・バートン原案による世界観やキャラクターは紛れもなく彼の物だ。
 色彩に乏しいハロウィンの国に対し、赤や緑の原色に溢れたクリスマスの国。ジャックが憧れてしまうのも無理がない。
 全編を通してストップモーション・アニメーションで作られていて、人間は一切登場しない。色々なキャラクターが登場するが、中でもハロウィンの国の連中は、グロテスクだが愉快。電動車椅子に乗ったマッドサイエンティストは、考え事をしている最中に、頭のフタをあけて脳みそをポリポリと直接掻いているのには笑った。
 ジャックの愛犬にして幽霊犬のゼロは鼻が真っ赤に輝いており、ジャックが乗るソリの先導役になってくれる。骸骨であるジャックが自分の骨を抜いて投げると、それを取ってくる遊びが大好きという、犬好きなオレのツボをくすぐる。
 日本語吹替では歌の部分も吹き替えられているが、これが歌詞にも違和感がなくて、なおかつ歌も上手い。子供にもお勧め。
 全身つぎはぎだらけのフランケンシュタインの怪物風の娘がジャックに恋していて、その思いをなかなか打ち明けられなかったが、ラストでは……ってんで、恋人たちにもお勧め。

B0007TFBB2.jpg『ならず者部隊』(1956) BETWEEN HEAVEN AND HELL 94分 アメリカ

監督:リチャード・フライシャー 製作:デヴィッド・ワイスバート 原作:フランシス・グワルトニイ 脚本:ハリー・ブラウン 撮影:レオ・トーヴァー 音楽:ヒューゴ・フリードホーファー
出演:ロバート・ワグナー、テリー・ムーア、バディ・イブセン、ブロデリック・クロフォード、ケン・クラーク、L・Q・ジョーンズ、マーク・ダモン

 太平洋のとある島。そこでは米軍と日本軍が死闘を繰り広げていた。
 上官を殴った主人公が、最前線の部隊に配属になる。その部隊はならず者ばかりで編成されていた。ならず者ばかりの部隊だから“ならず者部隊”というわけで、部隊はならず者ばかり。うーむ、納得。自分でも何を言ってんだかよく分からんが。

 タイトルから、軍規には多少反するものの戦闘に関しては一流のならず者を集めた部隊が活躍する、『独立愚連隊西へ』や『特攻大作戦』のような作品かと思ったが違った。よくよく見れば、原題は『BETWEEN HEAVEN AND HELL』と『ならず者部隊』とはほど遠い。
 南部の旧家で育ち、小作人を使って綿花を栽培し利益を上げていた世間知らずの男が、戦場でその小作人たちと一緒に戦う。そして彼らとこれまでになかった絆を築き上げるが、その戦友たちも死んでしまう。
 そして、日本兵との激しい戦闘を経て、人間的に成長していく成長ドラマだ。

 始まるなり、主人公がまだ地主時代の南部へと回想シーンに入り、それが終わったなと思ったら、すぐさままた回想シーン。当時としては大胆な構想だろう。
 小作人を奴隷のように思っていた主人公が、その小作人を対等な戦友として捉えるようになり、「戦争が終わったら、地主と小作人という制度もどうなっているか分からない」と考えるようになるのは面白いが、94分という尺もあって時間が割けなかったのか唐突な印象がある。ラストを含め、ストーリーの割に主人公に重みがないのは確かだ。

 日本兵は小隊規模でしか出てこないが、迫撃砲をドカドカ撃ってきてそれなりに強い。
 米軍側の前線野営陣地に、英語で「味方だ」と言いながら近づいてくるのは、やはり「日本人は卑怯だ」って印象なのかね。
 主人公たちが途中でやりすごす日本兵の隊列がしゃべっている言葉は、どう聞いても日本語ではないが(中国語か?)、終盤では「追いかけろ、逃がすな」とちゃんとした発音で言っている。
 この時代、『戦場にかける橋』(1957)の早川雪舟や『燃える戦場』(1970)の高倉健などを除くと、ちゃんとした日本人ないし日系俳優はあまりスクリーンに登場しない。ようやくまともになるのは『シン・レッド・ライン』(1998)や『硫黄島からの手紙』(2006)になってから。

 フランシス・コッポラの『地獄の黙示録』はフィリピンで撮影された。舞台となるベトナムは元フランス領なので、戦争になってもベトナムに残っているフランス人植民主がシナリオには登場する。しかし、フィリピンにはフランス人俳優がいない。
 困ったコッポラは、日本へ来てフランス人を見つけるとフィリピンへと連れ帰った。しかし、フランス語はしゃべれても素人のフランス人に演技が出来るわけがない。撮影中のコッポラは怒ったり落ち込んでばかりで、せっかく屋敷まで建てて撮影したこのシーンはボツになってしまった。(ドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス』より)

 これと同じく、ただ日本語がしゃべれればいいのではなく、ちゃんと演技が出来る俳優が必要なのだ。(映画の方向性によっては、素人を積極的に活用する作品もあるが、その場合は“演技をさせていない素の姿”として使う場合がほとんどだろう)
 日本に対するハリウッドの認識不足はもちろんだが、当地で活躍する日本人・日系人俳優そのものが少ないのだろう。

B00005F5WZ.jpg『2000人の狂人(マニアック2000)』(1964) TWO THOUSAND MANIACS! 88分 アメリカ

監督:ハーシェル・ゴードン・ルイス 製作:デヴィッド・F・フリードマン 脚本:ハーシェル・ゴードン・ルイス 撮影:ハーシェル・ゴードン・ルイス 音楽:ラリー・ウェリントン
出演:コニー・メイソン、トーマス・ウッド、ジェフリー・アレン、ボン・ムーア、シェルビー・リビングストン、ゲイリー・ベイクマン

 こいつもホラーと言うよりもコメディ。元祖スプラッターと言われ、大量の血が噴き出る、噴き出せば噴き出すほど笑える。

 とある南部の街に、北部人が数組迷い込む。街ではお祭りの真っ最中で、北部人達は大歓迎される。まさか、メインイベントが自分たちの虐殺だとは思わずに……
 実に楽しそうにニコニコ笑いながら北部人を殺していく街の人々が笑える。ほんと、こんなに楽しいことはないって感じ。
 噴き出す血が、最近のスプラッターと違って、レイティングも緩かったのか真っ赤な絵の具色。最近のどす黒い血になれてしまうと作り物めいた感じだが、動脈の酸素を含んだ赤血球だと鮮やかな赤なんだよな、確か。
 釘を打ち込んだ樽に人間を詰めて、坂道を転がり落とす。被害者の絶叫と、それを見て楽しむ住民の笑顔が対照的だ。これが、ほんと愉快そうに笑う。
 無言や叫びながら襲ってくる殺人鬼も怖いが、笑いながら襲ってくる殺人鬼も怖いぞ。
 やたらと広く、隣の街まで数百キロもあるアメリカの田舎では、こんなことも実際にありそうで怖い。日本の寒村を訪れたら、出るに出られなくなってしまうというのも怖いが。

filmothek_50.jpg『スティーヴン・キング/ナイトフライヤー』(1997) THE NIGHT FLIER 97分 アメリカ

監督:マーク・パヴィア 製作:リチャード・P・ルビンスタイン、ミッチェル・ゲイリン 共同製作:アルフレッド・クオモ 製作総指揮:デヴィッド・R・カッペス 原作:スティーヴン・キング 脚本:マーク・パヴィア、ジャック・オドネル
出演:ミゲル・ファーラー、ダン・モナハン、マイケル・H・モス、ジュリー・エントウィッスル

 アメリカは広い。そのため、小型機しか離着陸できないような小型空港が各地にある。個人が管理人をやっているその小型空港についてある噂がささやかれていた。
「真っ黒のセスナ機が夜になってから着陸してくる。そしてそいつが飛び去った後に残されているのは血を一滴残らず抜き取られた死体だけだ」と。
「わたしはエイリアンに誘拐された」だの「プレスリーは生きている」だのを第一面に載せるような類のゴシップタブロイド紙『インサイド・ビュー』の花形記者リチャードは自家用セスナ機と飛行免許を持っており、この事件の担当となる。自分がこれまでに手がけてきた記事の内容などまるで信じていない現実主義者のリチャードは、この事件はホラー映画マニアの犯行だろうと思っている。だが取材を続ける内に彼はある者の存在を信じ始めていく。

 終盤まではホラー映画というよりもむしろ『羊たちの沈黙』や『ザ・ウォッチャー』など、猟奇殺人鬼をFBI捜査官が小さな手がかりで追い詰めていく犯罪捜査物に近い印象だ。
 小型のテープレコーダを持ち歩き、インタビューや音声メモに使う様子は今は懐かしい『ツイン・ピークス』のカイル・マクラクランを思い出す。
 リチャードを演ずるミゲル・ファーラーは『ロボコップ』で警察用ロボットEDがご披露の場でコントロール不能になってしまったときに、すかさずロボコップ計画を社長にご注進した青年重役を演じていた人だ。キング作品では『ザ・スタンド』で悪党側の幹部を演じている。
 この人は父親がアカデミー主演男優賞俳優のホセ・ファーラー、もっとも晩年は訳分からん映画にばかり出てましたが。母親がローズマリー・クルーニー。そして従兄弟がジョージ・クルーニーの俳優一家。似てないが双方とも顔が長い。
 卑劣な小悪党的な役柄が得意な人だが、今作ではハードボイルドに事件を追い詰めていく記者を演じていて、これがなかなか渋い。

 夜に飛ぶ吸血鬼だからナイトフライヤーと安直に名付けられたその人物が初めて本格的に登場するのはラストの中型空港のトイレ。洗面台に向かうリチャードの背後で小便器に何者かが小便をするのだが鏡には誰の姿も映っていない。そして、その小便は真っ赤な血だった。そう血尿である。とっとと病院に行けナイトフライヤー。いや、飲むのが血だから排泄するのも血なのか。

 金がかかっていないのは確かだが、及第点は充分にクリアしている。セスナ機を棺桶として使う吸血鬼というアイディアも面白い。

B000666RJQ.jpg『ニードフル・シングス』(1993) NEEDFUL THINGS 120分 アメリカ

監督:フレイザー・C・ヘストン 製作:ジャック・カミンズ 製作総指揮:ピーター・イエーツ 原作:スティーヴン・キング 脚本:W・D・リクター 撮影:トニー・ウェストマン 音楽:パトリック・ドイル
出演:マックス・フォン・シドー、エド・ハリス、ボニー・ベデリア、アマンダ・プラマー、J・T・ウォルシュ、シェーン・メイア、レイ・マッキノン、リサ・ブロント

 エド・ハリスの限りない渋格好良さ、J・T・ウォルシュの小役人的憎たらしさ、マックス・フォン・シドーの邪悪な存在感。この3つでもうOK、満足だ。
 終盤でエド・ハリスがパトカーからショットガンを取り出す所などゾクッとくるね。

 田舎町キャッスルロックに骨董品店が開店する。“ニードフル・シングス(必要不可欠な品)”というその店の店主がマックス・フォン・シドー。彼はその相手がどうしても欲しいという商品を用意しては、少額の金と“ある行為”を要求した。
 1枚だけコレクションから欠けていたメジャーリーグカードを欲しがった少年からは90数セントの他に七面鳥牧場夫妻の妻に、干してあるシーツに七面鳥の糞と泥を塗りたくり、その後青リンゴをいくつも家に投げ入れガラスなどを壊した。
 この悪戯がある女性による物だと思い込んだ妻はその女性に脅しをかける。そしてついには包丁による殺し合いで二人とも死ぬ。
 キャッスルロックは人口数千の小さな町だ。エド・ハリス演ずる保安官は都会で警官をやっていたが、溢れる犯罪にうんざりして田舎町のキャッスルロックにやってきた。しかし、一見平和に見えるこの町も水面下ではささいな憎しみや衝突がいくつも存在し、決して牧歌的な町ではなかった。田舎町ほど人間関係がややこしくうっとしいところもないのだ。
 それでもそれなりに大きな事件もなく過ごしてきたが、マックス・フォン・シドーはそんな住民を甘い餌で釣って心の隙間に付け入り、憎しみや恐怖で満たしたのだ。
 マックス・フォン・シドーの正体は悪魔だが、地獄の業火を使うでもなく、町の住人に“ちょっとした悪戯”をさせることで負の連鎖を起こし、ついには町中で暴動が起こり、破滅寸前まで行く。
 あれをやったら相手がこうして、そうしたらああなって、ついには人殺しに。「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなもんだ。あるいは“負のピタゴラスイッチ”。
 カトリックの神父とバプテスト派の牧師が殺し合いをする所など見物である。悪魔の武器が口八町というのが面白い。

 ただ、原作では心理描写が非常に重要だったので、仕方のないことではあるがその辺りはバッサリと切られていて残念。
 ラストでは悪魔と主人公エド・ハリスの対決するが、エド・ハリスが集まった住人に怒り任せで「お前らこんなことでいいのか!?」と説教することでみんな反省して解決。なんだかんだで善良な小市民に手をあげたマックス・フォン・シドーは「他にもっと良い町があるさ」と去っていく。
 あなたの町に骨董品屋が出来たらご用心を。日本の田舎でこれやられたらほんと壊滅するってと元名古屋圏住人、現在田舎在住のオレなんかは思うのである。

B00005LK0B.jpg『ニューヨーク1997』(1981) ESCAPE FROM NEW YORK 99分 アメリカ

監督:ジョン・カーペンター 製作:デブラ・ヒル、ラリー・フランコ 脚本:ジョン・カーペンター、ニック・キャッスル 撮影:ディーン・カンディ 音楽:ジョン・カーペンター
出演:カート・ラッセル、リー・ヴァン・クリーフ、アイザック・ヘイズ、ドナルド・プレザンス、ハリー・ディーン・スタントン、エイドリアン・バーボー、アーネスト・ボーグナイン、シーズン・ヒューブリー、オックス・ベーカー、トム・アトキンス、ジョン・ディール、ジェイミー・リー・カーティス

 近未来。犯罪都市ニューヨークはすでに警察などの司直の手に負えない状態になっていた。そこでマンハッタン島の回りをコンクリートの壁で囲み、そこに犯罪者を閉じこめて巨大な刑務所にした。
 中は一切管理されず、食料をヘリコプターで運び入れるだけ。この刑務所のルールは簡単。
「一度入ったら出られない」

 そのマンハッタン刑務所にテロリストに乗っ取られた大統領専用機エア・フォース・ワンが墜落。アメリカは他国と戦争中のためなんとしても大統領を救出しなければならない。
 そこで選ばれたのが史上最悪の凶悪犯スネーク・プリスケン(カート・ラッセル)だった。左目をアイパッチで覆ったこの男は刑務所所長によって体内に爆弾を埋め込まれた。タイムリミットは23時間。地獄のマンハッタンから無事に大統領を連れて脱出することができるのだろうか。

 ある都市の再開発地区で大々的にロケを行ったり、墜落した大統領専用機の実物大模型が広場で燃えていたりとこれまでの作品と比べ金がかかっているのが実感できる。
 それでいてマンハッタンのビル街を描いたワイヤーフレームCGは、実はCGではなくて真っ黒なミニチュアに必要な部分だけ線を引いて撮影した物。他にもいろいろと予算をなるべく使わずに最大限の効果を上げるべく、SFXには様々な工夫がされているそうだ。
 登場するシーンは夜景か屋内ばかりで、これも最大限の効果を上げている。

 カート・ラッセルにリー・ヴァン・クリーフなど出演者も一気にランクアップ。嬉しい人にはとても嬉しいキャスティングだ。
 ただ、脇役の使い方がもったいない。ヒロインかなと思った女性があっという間に死んでしまうし、ハリー・ディーン・スタントンやアーネスト・ボーグナインもこれだという見せ場がないまま死んでしまう。
 スネークは一匹狼で他人に頼らなければ助けもしないのか。

 サブマシンガンで壁を点線状に打ち抜いて、体当たりでブチ抜くシーンや、リングの上で大男と戦うシーンを除くと、意外に派手なアクションは少ない。大ボスとの対決ではおいしいところを大統領(ドナルド・プレザンス)に持って行かれてしまう。

 刑務所の中はいくつかの勢力に分かれているようだ。比較的平和な暮らしをしているアーネスト・ボーグナインのような人物もいれば、人狩りをして食料として食っている連中もいる。
 映画には登場しなかったがカーペンターの脚本はもっと奇妙な奴らがいたに違いない。
 マンハッタン島を巨大な監獄にしてしまうという大胆なアイディアとスネークのキャラクター造形にジョン・カーペンターの才気がほとばしっている。

B0009Q0JZG.jpg『9デイズ』(2002) BAD COMPANY 117分 アメリカ

監督:ジョエル・シューマカー 製作:ジェリー・ブラッカイマー、マイク・ステンソン、マイケル・ブラウニング 製作総指揮:ゲイリー・M・グッドマン、チャド・オマン、ラリー・シンプソン、クレイトン・タウンゼント 脚本:ジェイソン・リッチマン、マイケル・ブラウニング 撮影:ダリウス・ウォルスキー 編集:マーク・ゴールドブラット 音楽:トレヴァー・ラビン
出演:クリス・ロック、アンソニー・ホプキンス、ガブリエル・マクト、ガーセル・ボーヴァイス、アドニ・マロピス、ケリー・ワシントン、マシュー・マーシュ、ピーター・ストーメア、ジョン・スラッテリー、ブルック・スミス

 東欧のチェコでおとり捜査中の黒人CIA局員が殺害された。その任務とはある特殊爆弾に関することで、解決のためにはどうしても彼の存在が必要だった。
 そこでCIAはある計画を思いつく。その局員には生まれながらに離ればなれになり、お互いの存在を知らずに育った双子の兄弟がいるのだ。その兄弟を連れてきて代理を演じさせれば良いではないか。
 って、エーリッヒ・ケストナーの『ふたりのロッテ』かよっ!

 問題は、局員はインテリで物腰も優雅でスパイとしても優れていたのだが、弟の方は学歴もなく職にもあぶれ彼女にも見捨てられそうな始末。
 その男(クリス・ロック)を9日間で即席スパイとして育て上げねばならない。
 本当に、何とかなるの?

 クリス・ロック主演として観るとちとつらい。この人も『サタデーナイト・ライブ』出身だったかな?脇ならともかく主役を張れる役者じゃない。
 武器はもっぱらマシンガン・トークだが、エディ・マーフィーはクリス・タッカーが毎分800発発射の最新アサルトライフルならば、クリス・ロックは毎分450発の旧式グリースガンみたいなもの。ダダダダダッではなく、バン・バン・バン・バンって感じで格が違うな。
 取引条件の報酬に飛びついたくせにあれこれダダをこねて、スパイ社会に入ってきたんだからちっとは緊張しろよ。序盤はまるで冴えないが、実際に現場に出てみると意外な才能を発揮するのは、エディ・マーフィーの『大逆転』をちょっと思わせる。ただ、この作品の場合は都合良すぎる印象。双子の兄弟が優秀だから優れた記憶力などの素質は同じだということなんだろうか。

 クリス・ロックで足りない部分を補ってくれるのがアンソニー・ホプキンス。ちょっと肩の力を抜いた演技で映画の屋台骨を支えてくれる。彼がいなかったらさらにキツい作品になっていたはず。肉体的にはきついだろうがちょこっとアクションにも加わってくれる。ただ、この作品に出演した理由がよく分からん。脚本の出来が良かったからではなさそうだし、製作陣のコネかあるいは金か。

 全編を通して登場するチェコの首都プラハの街並みは、美しくもどこか重く歴史を感じさせる。映画として絵になる街だ。
 日本の街じゃ都会でも田舎でもなかなかこうはいかない。看板の規制をするだけでもだいぶとましになると思うんだが。原色ギラギラ、ネオンや電球ピカピカはサイバーパンク映画で観る分にはいいが、そこで生活するとなるとどうにも落ち着かないね。

245366.jpg『0011ナポレオン・ソロ2』(1983) RETURN OF THE MAN FROM U.N.C.L.E. 97分 アメリカ

監督:レイ・オースティン 製作:マイケル・スローン 脚本:マイケル・ショーン 撮影:フレッド・J・コーネカンプ
出演:ロバート・ヴォーン、デヴィッド・マッカラム、ジョージ・レーゼンビー、パトリック・マクニー、トム・メイソン、ロイス・ド・バンジー、ゲイル・ハニカット、キャロリン・シーモア

 007シリーズのヒット後にいくつものパクリ作品が作られたが、その中でも上質な方だと思う。知名度も高いので知っている人も多いだろう。
 TVシリーズとしてスタートしたが、大人気のため後に何度か映画化された。もっとも、オレが観たのはTVシリーズの方だけ、しかもそれほど数は観ていない。
 唯一まともに観たのがこの『0011ナポレオン・ソロ2』だ。長編だが映画ではなくTVムービーである。だからあまり金はかかっていない。
 TVシリーズでの敵はスラッシュという悪の組織だった。ついにそのスラッシュを壊滅させ、秘密結社アンクルを引退して今はそれぞれ悠々自適な生活を送っているソロとイリア。しかし、スラッシュが再び動き出し、核兵器で世界相手に身代金を脅迫してきた。そこでアンクルはスラッシュと戦うためにソロとイリアを現場復帰させた。
 いくら敏腕スパイだったとはいえ、それは過去の話。果たして二人は世界を救うことが出来るのだろうか。

 TVシリーズの方は当初比較的シリアスに始まったのだが、次第に単なる脇役だったイリアが相棒になるまで比重が高まった。そしてソロとの掛け合い漫才的要素が増えていき、加速度的にコメディ度が強くなった。
 コンビ物ではよくあることだが、イリア(デヴィッド・マッカラム)の人気が主役のナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)を上回ってしまい、二人はカメラの前以外では不仲だったという説もある。お笑いコンビか、あんたらは。

 ロバート・ヴォーンは好きな俳優で、大統領や副大統領、軍の総司令官など偉い人物を演じさせたら一番だろう。ちなみに次点はマーティン・シーン。『荒野の七人』での黒い手袋をはめたガンマンなど渋かった。そしてそのキャラクターと扮装をほぼそのままでパロディ(パクリ?)映画『宇宙の七人』に出てしまう節操のなさとか好きだ。
 だが、シリアスが似合うヴォーンにとって、どちらかというと苦手なコメディでデヴィッド・マッカラムを相手に回してしまっては、確かにキツイ物があるだろう。

 役者としての比較だとヴォーンの方が格段に格が上なんだけどね。デヴィッド・マッカラムはイリア役か『大脱走』(1963)、あとはチャールズ・ブロンソンに女房のジル・アイアランドを寝取られたという印象しかない。

 この『ナポレオン・ソロ2』ではさすがに月日が過ぎただけあってとっくに雪解けしたようで、「久しぶりだな、イリア(矢島正明)」、「ナポさんこそ元気そうじゃないの。ちょっと髪薄くなっちゃったりした?あっ、ごめーん、気にしてたぁ(野沢那智)」てな感じでほのぼのとして、オリジナルのファン向け以外の何者でもないが、のほほんとして作品としての出来の善し悪しなど関係ない次元で楽しめた。
 唐突に「JB」というナンバープレートのアストン・マーチンに乗ったジョージ・レーゼンビー出てくるし。

 10年ほど前だっただろうか、「あの人は今?」的な番組にソロとイリアのコンビが出演していた。
 日本のスタジオに来たわけでもなく、アメリカで二人が揃ったわけでもなく、二人を中継で繋げるだけだったが、ボールペン型の小型通信機を使って、「オープン・チャンネルD」とかやり取りしてた。
 なんかちょっと泣けた。単に懐かしいでもなく、二人がこんな番組に出演させられていたからでもない。あの涙の意味は未だによく分からない。

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『ナイルの宝石』(1985) THE JEWEL OF THE NILE 106分 アメリカ

監督:ルイス・ティーグ 製作:マイケル・ダグラス、ジョエル・ダグラス 脚本:マーク・ローゼンタール、ローレンス・コナー 撮影:ヤン・デ・ボン 音楽:ジャック・ニッチェ
出演:キャスリーン・ターナー、マイケル・ダグラス、ダニー・デヴィート、スピロス・フォーカス、アブナー・アイゼンバーグ、ポール・デヴィッド・マギッド、ハワード・ジェイ・パターソン

 前作『ロマンシング・ストーン』はニューヨークの街中にヨットが現れるという劇的なエンディングで終わった。
 それから時は過ぎ、ヨットで世界一周をしている最中の女性作家ジョーン(キャスリーン・ターナー)とその恋人のジャック(マイケル・ダグラス)の仲は停滞気味である。
 前作は南アメリカで宝石を巡っての大冒険で知り合い恋に落ちた二人だが、「異常な状況下で結ばれた二人は長続きしない」というやつであろうか。
 そういえば、撮影監督が『スピード』のヤン・デ・ボンだ。いやまぁどうでもいいことだが。
 ついに破局を迎える二人だが、ジェーンはある男の伝記を書くため、ジャックは「ナイルの宝石」をその男から奪い返そうとするアラブ人に脅迫されて、別々にナイルに向かうことになる。

 ナイルの宝石はどこにあるのか、そもそもナイルの宝石とは何なのか。その謎だけで物語は最後までひた走る。
 走ると言えば戦闘機F-16も走る。昔にどこかで読んだだけなので確実かはわからないが、何でもこのF-16は軍隊から実機を借りることが出来なかったので、撮影用に実物大の模型を作ったは良いが、空を飛ばすことが出来ない。そら、飛ばんわ。
 SFXで飛ばすことも検討されたが、飛ばないならばいっそのこと飛ばないまま地面を疾走させるだけにしよう、ということでナイル近辺の砂漠をF-16が走り回りアフターバーナーまで吹かすことになったのだとか。
 操縦席のマイケル・ダグラスが「スペース・インベーダーよりも簡単だ」といっているのが時代を感じさせる。せめて「ギャラクシアン」って言えよ。・・・あんまり変わらないか。「ギャラガ」?

 女性向けロマンス小説を得意とするが、本人の生活はまるでロマンスとはほど遠い女性作家が、南アメリカである事件に巻き込まれ、そこで出会った粗暴な山師マイケル・ダグラスと出会い、ケンカを繰り広げながら最終的には結ばれるという、基本的には古典的ロマンス物だった前作『ロマンシング・ストーン』。
 今回もメインはロマンスだが、倦怠期から始まるというのが目新しい。
 ラストは当然ハッピーエンドだが、これだってあと5年、10年、15年後はどうなっているのだか怪しい物だ。
 その17年後の姿を描いたのが、ジョーン&ジャックシリーズではないが、キャスリーン・ターナー、マイケル・ダグラス、そしてダニー・デヴィートとほぼ同一キャストで作られた『ローズ家の戦争』(1989)であろうか。

 マイケル・ダグラスは主演だけでなく、制作者としても映画に関わっている。
 個人的にはあまり好きな役者ではないが、偉大なる俳優カーク・ダグラスを父親に持っていることを考えると、その重圧やコンプレックスはかなりのものだったに違いない。
 実際、異母兄弟のエリック・ダグラスはB級映画に何本か出演しただけで、世をすねるような形で消えてしまい、最終的には若死にしてしまった。
 有名な俳優を親に持つ二代目俳優の多くがあまりぱっとせず、売れたとしてもそのご堕落していくことが多いことを考えると、マイケル・ダグラスは私生活で多少の問題はあるようだが、映画人としては成功している比較的数少ないケースだろう。

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『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989) NUOVO CINEMA PARADISO 124 分(175分) イタリア/フランス 1989年鑑賞

監督:ジュゼッペ・トルナトーレ 製作:フランコ・クリスタルディ 脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ 撮影:ブラスコ・ジュラート 編集:マリオ・モッラ 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、サルヴァトーレ・カシオ、マルコ・レオナルディ

?なんでも観るぞ、ガガガガガッ その2?
 オレにとって「20世紀最低最悪映画大賞」に燦然と輝く、あまりこの場合は燦然は使わないだろうが、2位以下を大きく引き離して燦然と輝く最悪映画。
 つまらない映画は限りなく0に近づいていくが、ひどい映画は限りなく-100に近づいていく。『死霊の盆踊り』が実質0点ならば、『ニューシネマ・パラダイス』は-100点満点。

 つまらない映画はほとんどの人にとってつまらないだろう。せいぜいつける点数が5点なのか1点なのかの違いで、その差は数点だけのことだ。
 ところがオレが-100点をつける『ニュー・シネマ・パラダイス』だが、人によっては100点をつける。その差はなんと200点近く。この違いは大きい。良くも悪くも『ニュー・シネマ・パラダイス』は観た人に感想を抱かせずにはいない。それが時にまったく正反対であっても。
 これを実証しているのが、1990年に名古屋の小映画館“シネマテーク”館内の床に貼り出された「1989年ベスト&ワーストテン」だ。ここでワーストワンになっていたのは『ニュー・シネマ・パラダイス』だったが、同時にベストワンも『ニュー・シネマ・パラダイス』だった。
 名古屋の映画好きならシネマテークのことは知っているだろうが、他地域の人のために簡単に説明しておく。いわるゆミニシアターに分類されるだろうが、その単語に感じられる「オシャレさ」とはかなり遠い存在だ。上映されている作品は確かにミニシアターで、古い映画のリバイバルを含め魅力的な作品が揃っていて、映画を観るという環境としては東京に大きく後れを取っていた名古屋に住む映画好きにとって実にうれしい存在だった。問題はその外観である。名古屋市内に今池という場所がある。繁華街である栄から地下鉄で3つめ。今池駅から歩いて数分、狭めな道を入っていった古びた雑居ビルの二階にシネマテークはある。
 この雑居ビルが古びた上にあまり清掃が行き届いていない感じで、2階に上がるには正面玄関から広い階段を上がっていくのだが、この入り口の中や階段の踊り場にホームレスが寝ていてもあまり不思議ではない雰囲気だ。しかもビル内が暗い。階段も2階の廊下も暗い。最近というかもう10年近く行っていないので環境が良くなっている可能性もある。しかし、今は愛知県在住ではないので確認しにいけないが、多分ほとんどそのままだろう。
 オレが初めてシネマテークに行ったのは、確か高校1年生の時だが、1人だったので怖い者知らずというかあまり何も考えていない男子高校生にとってすら、「本当にここに入っていっていいの?」と戸惑わせるものだった。ましてや女性だったらなおさらだろう。
 そのシネマテークへの道を乗り越えてきた映画好きたちが、『ニュー・シネマ・パラダイス』をワーストワンに挙げる人とベストワンに挙げる人それぞれに大きく二分されていたのは興味深い。
 シネマテーク館内はあまり金はかかっていないがちゃんと掃除され、まぁオシャレではないが居心地の良い空間だった。念のため。

 ある方向に強烈に偏っている作品は、ある人はものすごく好きになるだろうが、ある人は猛烈に嫌いになる。これは一言でいってしまえば観客それぞれの価値観の相違によるものだ。アメリカに行った日本人は「あっちは食べ物がまずい」というが、アメリカ人からしてみれば「日本の食い物はまずい」ということになるだろう。
 今でこそ寿司や刺身などで生の魚を食べることはアメリカでも知られるようになったが、それを知っていてもアメリカ人本来の食文化で考えればなんとも奇妙で気持ち悪いことだろう。『ホットショット2』でアメリカ大統領となったロイド・ブリッジスは訪米した日本の総理大臣と会食をするのだが、目の前に出された活け作りに気持ちが悪くなってついには吐いてしまう。ここでスクリーンに映し出された皿には確かに鯛とエビがあるのだが、それは日本食のパロディの様で確かにスクリーン越しに匂いを感じそうなほど生臭そうな料理だ。だが、アメリカ人の視点で見た鯛とエビの活け作りはなんと気持ち悪いかということを見事に表したシーンでもある。日本人というフィルターを外してみれば、確かに気持ち悪いだろう。田舎者旅館で出される舟作りなどは、日本人であるオレですら気持ち悪い。

 では、「日本食は気持ち悪くて、まずくてダメダメだ」ということか、なわけではない。
 寿司も旨いし刺身も旨い。だが、異なった文化で育ち異なった価値観を持つ人にとってはまずい場合もある。それを「わかってないね。しょせんアメリカ人は文化程度が低いね、教養がないね」という人の方がわかってないしダメダメだ。ということは同時に、「生魚を旨い旨いと食ったり、ハンバーガーやオレオクッキーを食べてまずいまずいというなんて、しょせん日本人は黄色い猿だね」というアメリカ人もわかってないしダメダメだ。
 ドッグフードは不味い。それは味がないからで、つまらないかひどいかでいえば「つまらない味」だ。誰が食っても同じような感想になる。うまいか嫌いな味かはおもしろいかひどいかだ。食べた人によって感想は異なるし、その味が強ければ強いほど異なる度合いは大きくなる。
 ある食べ物が自分にとって旨いかまずいかは重要だ。だが、自分と正反対に感じる人を否定することはできないし、自分と同じ味覚ではないということで他人を下に見る理由にもならない。
 映画も同じだ。ある作品を観て自分が何を感じたかということが一番重要だと思うが、自分と違う感想を持ったからといって、それがその相手を否定する理由にはならない。
『ニュー・シネマ・パラダイス』の感想として多いのが、そしてこれは『三丁目の夕日』にも多くてうんざりするのだが。
「『ニュー・シネマ・パラダイス』(『三丁目の夕日』)を見て感動した人は心がきれいな人だ。愛を知っている人だ。いい人だ。幸福な人だ。そして、嫌いな人は心が醜い人だ。愛を知らない人だ。悪い人だ。不幸な人だ」
 んなわけねぇだろ。

その映画が好き、あるいは嫌い→その人の人間性 という論理は成り立たない。
 というか、つまるところ「自分は心がきれいな人。純粋な人」と言いたいだけじゃないのか、これは。
 異なる価値観の存在を認めないことこそファシズムだと思う。世の中に『ニュー・シネマ・パラダイス』ファッショや『三丁目の夕日』の夕日ファッショがなんと多いことか。
 お前は『ニュー・シネマ・パラダイス』嫌いファッショなだけじゃないか、と言われるかも知れない。『ニュー・シネマ・パラダイス』に関してはシネマ研究会の仲間とあれこれ議論もしたが、『ニュー・シネマ・パラダイス』が好きという理由で相手の人間性を否定したことなどない。他のどんな作品であっても、自分が大好きな映画を貶されたとしても、そんなことで相手の人間性を決めつけるなんて頭の悪い真似はしたことがない。そして、そういう部員が多かったからこそシネマ研究会での論争はあれだけ激しく、そして楽しかったのだろう。ネット上での論争が激しいのにつまらないことが多いのは、作品の好き嫌いで論争相手の人間性まで決めてかかっているからだ。

『ニュー・シネマ・パラダイス』の一番ひどい点は、監督のジュゼッペ・トルナトーレが当時29歳という若さだったことだ。これが老い先短いよぼよぼのジジイ監督が撮ったのならば、「ああ、もう過去にすがるしかないのね」と見逃してやる。だが、29歳がこれ撮っちゃダメだろ。その恥の欠如と慎みの無さ大嫌いだ。
 そして『三丁目の夕日』の監督山崎貴は1964年生まれで、作品公開時は41歳。死にかけのジジイならばまだ見逃してやらんこともないが、41歳でこれ撮ってちゃダメだろ。その恥の欠如と慎みの無さが大嫌いだ。

『ナショナル・トレジャー』 (2004) NATIONAL TREASURE 131分 アメリカ 2005/3/26鑑賞

監督:ジョン・タートルトーブ 製作:ジェリー・ブラッカイマー、ジョン・タートルトーブ 原案:ジム・カウフ、オーレン・アヴィヴ、チャールズ・シーガース 脚本:コーマック・ウィバーリー、マリアンヌ・ウィバーリー、ジム・カウフ 撮影:キャレブ・デシャネル 音楽:トレヴァー・ラビン
出演:ニコラス・ケイジ、ハーヴェイ・カイテル、ジョン・ヴォイト、ダイアン・クルーガー、ショーン・ビーン、ジャスティン・バーサ、クリストファー・プラマー

 『インディ・ジョーンズ』シリーズのようなトレジャーハント冒険物を期待していくと肩すかしを食うかもしれない。
オープニングの北極のシーンで200年前から氷の下に眠る一隻の木造船を発見する辺りはそれっぽいが、アメリカに戻ってからは遺跡などほとんど登場しない。目玉であるアメリカ独立宣言書を盗み出すシーンも近代的防犯設備が整ったアメリカ公文書館への侵入である。
うーん、この雰囲気はどっかで観たような・・・あーっ、ルパン三世だっ!間違いない、これはルパン三世だろ。
ニコラス・ケイジ演ずるゲイツはもちろんルパン三世、相棒で皮肉屋なハッカーは次元大介、最初は敵でも味方でもない美人博士アビゲイルは峰不二子、ゲイツを追いかけるFBIの捜査官ハーヴェイ・カイテルは銭形警部だ。おお、キャラクタがぴったり合致する。残念なことに五右衛門がいないが。
様々なハイテク機器を利用しての盗みのシーンや様々な謎解きなど、実にルパン三世劇場版ないしスペシャル版向けの素材である。脚本に少し手を加えるだけでそのままルパン三世で使えてしまうのではないだろうか。

 財宝の謎を解くためには独立宣言書を盗み出さねばならないとなったときに、ゲイツは強く反対して結果スポンサーであるイアン(ショーン・ビーン)に裏切られ殺されかかってしまう。相手がショーン・ビーンだから登場した時点で「ああ、こいつは裏切るんだろうな」と分かってしまうのはともかくとして、その後なんとか助かったゲイツが「独立宣言書が盗まれるのを防ぐには俺が先に盗むしかない」となってしまう思考パターンがよく分からない。
そりゃ、そうしないと物語が進んでいかないんだが、独立宣言書を盗み出しそこに隠された手がかり(clue)から次のアイテムを探して財宝に迫ろうというのならばイアン側とやろうとしていることは同じだ。そもそも仲違いして敵味方に分かれたのは、単純に「映画には敵役が必要だよね」というアイディアにすぎない気がする。

 公文書館に侵入するシーンでゲイツは閉ざされた扉とキーボードを前にアビゲイルが使っているパスワードの解明を試みる。結果、パスワードはアメリカ独立に関して大きな意味を持つ渓谷の名前だったのだが、そんなセキュリティ意識の低いパスワードを重要な所で使うべきではない。銀行の数字4桁のパスワードだって、生年月日や電話番号などの個人情報から推測できる数字にしないで、なるべくランダムな意味のない物にするのが当たり前だ。
パソコンやインターネットで使うパスワードだって例えば「EIGABAKA」なんてバレやすいのを使っていたらこれはクラックしてくれと言わんばかりではなはだセキュリティ意識が低いと言わざるを得ない。
セキュリティの担当者もそこら辺を利用者にちゃんと説明しないといけないと思うのだが。

 次の場所への手がかりとして「STOW」(だったかな)というキーワードが浮かぶ。ゲイツらはより詳しい情報を持っていたので先にその場所へ行ったが、イアンたちには決め手がない。そこでどうするかというとノートパソコンでインターネットに繋いでYahoo!で「STOW」を検索するのだ。うーん、便利な時代になったねぇ。
というか、そんな特殊かつ重要なデータがネット上にほいほいあるとも思えないし、そもそもYahoo!アメリカで「STOW」を検索してみたところ「Results 1 - 10 of about 1,770,000」となったんだが。検索結果が177万件って・・・君ら複合検索ぐらいしろよ。
これでどこをどうやったんだか知らないが、イアンたちはちゃんと次の自由の鐘のシーンに登場する。なんかもう、ゲイツが知力を振り絞って繰り広げる様々な謎解きも、Yahoo!とGoogleがあればネットで検索すれば案外簡単に解けるんじゃないだろうか。

 アメリカ独立宣言書が収められた公文書館にベンジャミン・フランクリンの手紙、自由の鐘などなどアメリカの歴史的事物を巡る観光映画でもある。
登場人物がしきりに「200年も前の物だ」「大変に古い」などと驚いているが、1000年以上前の木造建築物がしっかり残っている日本の人間からすると「たかだか200年前か」とちょっと思ってしまう。4000年の歴史を持つと言われる中国の人が見たらさらに「だから?」だろう。
メインのお宝であるソロモン王の秘宝にしても、アメリカが作り出したわけではなく、昔どこかから盗んできたのをまた盗んでさらに盗んできた物だ。元の持ち主に返せよって気もする。

 意味ありげにフリーメーソンの存在がちらつかされるが、それっぽさを出すための色づけにすぎないようで大して関係がない。
ただ、ハーヴェイ・カイテルが何故ラストにあのような行動に出たかは、彼がはめている指輪のアップで察することが出来る。それぐらいか。

 ディズニー映画だけあってか、ほとんど人が死なない。銃で撃たれるシーンもあるが人間には一発も当たらない。このままだと一人も死なないかと思っていたが後半で数人が死ぬ。それでも決して死体は見せない辺り、子供も見ることを考えに入れているのだろう。
傑作ではないしアクション大作でもないが、推理を中心として子供と一緒に楽しめる映画にはなっていると思う。

『ノー・エスケイプ』(1994) ESCAPE FROM ABSOLOM アメリカ 117分 2005/01/12レンタルDVDにて鑑賞

監督:マーティン・キャンベル 製作:ゲイル・アン・ハード 原作:リチャード・ハーレイ 脚本:マイケル・ゲイリン、ジョエル・グロス 撮影:フィル・メヒュー 編集:テリー・ローリングス 音楽:グレーム・レヴェル
出演:レイ・リオッタ、ランス・ヘンリクセン、スチュアート・ウィルソン、ケヴィン・ディロン、ケヴィン・J・オコナー

近未来刑務所物、と思ったら始まってものの10分ほどで主人公のレイ・リオッタは問題を起こし、近代的に管理された刑務所からとある孤島に追放されてしまう。そこから先はビルや道路など文明的な物は何もない木や草ばかりの孤島で物語は進む。
島にいるのは皆追放された囚人ばかりで、人を襲っては食ってしまう600人ほどの集団アウトサイダーと、改心して元医者のランス・ヘンリクセンを指導者とするインサイダーの二つのグループに分かれ小さな衝突を繰り返していた。レイ・リオッタは一度アウトサイダーに捕まる物の、元特殊部隊隊員の腕を生かして逃げ延びインサイダーに救われる。アウトサイダーたちの格好や二つのグループの対立する様子などは『マッドマックス2』(1981)を思わせる。
メインの俳優であるレイ・リオッタとランス・ヘンリクセン共に悪人面で(もっともそれぞれ罪を犯して刑務所に収容された犯罪者だが)、他の登場人物もごつい顔ばかりで女性はただの一人も登場しない。一人だけ幼さを感じさせる顔立ちの若者がいるが、これがなんとケヴィン・ディロン。傑作『ブロブ』(1988)でわたし個人としては兄のマット・ディロンを越えたと思ったのだが、その後あまり姿を見なかったがそうか元気にしてたか。といっても、『ノー・エスケイプ』はもう10年も前の作品だが。最近では『24 TWENTY FOUR』の2nd Seasonに出演しているそうだ。『24』は1st Seasonだけしか観ていないが、そのうち気が向いたら2nd Seasonも観てみよう。
インサイダーたちが小さなユートピアを作っていても、それは結局刑務所長の支配下でしかなく、しかも常にアウトサイダーの危機にさらされている。小さな所から綻びが生じかけたりする不安定な物で、これが内部崩壊を起こして殺し合いが始まるとウィリアム・ゴールディングの小説『蝿の王』大人版になったりするが、映画は分かりやすくインサイダーとアウトサイダーの全面戦争に突入する。
どこかの島の入り江に作ったインサイダー村のセットで撮影されたシーンが多く、割と低予算で作られているのだろう。

『ノース・ショア』(1987) NORTH SHORE 1988/9/14鑑賞

監督・脚本:ウィリアム・フェルプス 製作:ウィリアム・フィネガン 製作総指揮:ランダル・クレイザー 脚本:トム・マッキャンリース 出演:マット・アドラー/ニア・ピープルズ/グレゴリー・ハリソン/ジョン・フィルビン/クリスティナ・レインズ

アリゾナ州のサーフィン大会で優勝した青年が、憧れのハワイはノース・ショアにやって来る。地図を見れば分かるようにアリゾナは海のない中西部の州だ。では青年がこれまでどこでサーフィンをしていたかというと、人工波のあるプールでだけだった。日本で例えるなら“群馬のサーファー”だろうか。実際に群馬在住でサーフィンが趣味の人がいたら申し訳ないが。そして初めて出会った本物の波は彼を寄せ付けず、青年は自分が井の中の蛙だったことを知る。
青年は伝説的サーファーと知り合い指導を受けることになる。昔ながらの長いサーフボードを操る師匠は「本当に大切なのは技術じゃない、海と一体になることだ。ソウルサーファーさ」と告げる。
ハワイでのサーフィン大会に出場した青年は勝ち進んでいくが、根性悪なライバルとの決勝戦を辞退し、アリゾナに帰ることにする。「逃げるのか、卑怯者」と罵るライバルに、青年はただ「ソウルサーファーさ」と答える。

サーフィンのことはまるで知らないが、この映画ではスポーツと言うよりむしろサーフィン道といった感じだ。
ラストでライバルと戦っていたら、勝ったにしろ負けたにしろ“サーフィン=勝負”になってしまうが、それを回避して“海と一体になるための手段”としてのサーフィンが描かれ、精神的な部分がより強調されている。
対決は好きだが、たまにはこうしてあっさりとかわされてしまうのも良い。

『ネメシス』(1992) NEMESIS 1992/12/27に鑑賞
監督:アルバート・ピュン 脚本:レベッカ・チャールズ 出演:オリヴィエ・グラナー/ティム・トマーソン/マージョリー・モナハン/マーレ・ケネディ

『アンダーワールド』(2003)で追いつめられた人物が自分の周りの床をフルオートにした銃で丸く撃ち抜き、床ごと階下に落ちて逃げのびるというシーンがあった。
おや、これはどこかで観たな。そうだ『ネメシス』だ。こちらの場合はより派手に3、4階ばかりぶち抜いていたような記憶がある。他にもやたら派手な銃撃戦が繰り広げられていた。
主人公は黒のロングコートにサングラスと二丁拳銃の『男たちの挽歌』のチョウ・ユンファスタイル。敵の男が実はサイボーグで、顔の片側上半分がパカッとずれると仕込み銃になっていたりと、なかなか「おっ!」と言わせてくれるシーンもあった。だが、問題は映画全体を通して観るとこれっぱかしも面白くないということだろう。
何故だ?わたしの好きな銃撃戦がいっぱいじゃないか。スタッフ名を確認して納得。監督がアルバート・ピュンじゃないか。
アルバート・ピュンと言えば当時ジャン=クロード=ヴァンダムのファンだったわたしに悪夢を見させてくれた『サイボーグ』(1989)の監督だ。こちらも「これでもか?」とばかりのつまらなさだったがまたまたやってくれたものだ。
黒澤明の『デルス・ウザーラ』でスタッフをしていたともいうアルバート・ピュンだが、黒沢の元で何を学んだのやら、いや黒沢の元で学んだからなのか撮る映画撮る映画どれもつまらないという一種見事な監督だ。
スティーヴン・セガールの『ティッカー(劇場公開名・沈黙のテロリスト』(2001)を借りてきたらオープニングのスタッフクレジットで監督がアルバート・ピュンになっていた時点で「こりゃやばいか?」と思っていたら、やばいどころかセガール脇役じゃん。代わりに悪役がデニス・ホッパーだがまったくもって精彩を欠いていて、危なさやヤバさを感じさせてくれない。デニス・ホッパーなんて普段着の顔を撮ってもヤバそうな男なのに。
しかし作品数は妙に多いんだ。低予算が得意とか早撮りだとかの取り柄でもあるのだろうか。
ともあれ、アルバート・ピュンには気をつけろということで。

『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』(2000) 監督:ピーター・シーガル 出演:エディ・マーフィ/ジャネット・ジャクソン/ラリー・ミラー/ジェイマル・ミクソン

数年前に公開された『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』の続編。
登場人物もストーリーも前作からつながっているので、もしも観ていない場合には前作を観ておいた方がいいかと。

「前作はメチャクチャ太った大学教授がヤセ薬を開発して自分に使うんだけど、薬の副作用で別の人格が生まれてしまうという、『ジキルとハイド』的な話でしたよね」

その通り。ちなみに、前作はジェリー・ルイス主演の『底抜け大学教授』のリメイクだ。オリジナルはブ男な大学教授が薬で二枚目でかっこいい男になるって話なんだけどね。

今回クランプ教授が作ったのは若返り薬。その薬をめぐって大騒動が繰り広げられる。
見所はエディ・マーフィーを180kgに変えて見せた特殊メイク。あと、エディ・マーフィーが家族の全員を特殊メイクを使って一人で演じているとこ。クランプ教授本人と父親、母親、兄、祖母、そして別人格のバディ・ラブの一人六役か。

「バディ・ラブってのは単にメイクをしていないエディ・マーフィーですね」

母親や祖母はさすがに女装だってわかるけど、父親や兄についてはメイクの出来がいいのでエンディングのクレジットが出るまで気が付かない人もいるかも。
エディ・マーフィーが一人何役もやるのは、『星の王子ニューヨークへ行く』でもやってたな。
観終わった後では、エンディングの曲「マッチョ、マッチョメーン」が耳に残る。

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