邦画 サ行の最近のブログ記事

B0030680TY.jpg『サマーウォーズ』(2009) 114分 日本 WARNER BROS. PICTURES

監督:細田守 アニメーション制作:マッドハウス 脚本:奥寺佐渡子 キャラクターデザイン:貞本義行 OZキャラクターデザイン:岡崎能士、岡崎みな、浜田勝 アクション作画監督:西田達三 作画監督:青山浩行、藤田しげる、濱田邦彦、尾崎和孝 CGディレクター:堀部亮 撮影:増元由紀大 美術監督:武重洋二 OZ美術デザイン:上條安里 色彩設計:鎌田千賀子 編集:西山茂 音楽:松本晃彦 音響効果:今野康之 録音:小原吉男
声の出演:神木隆之介、桜庭ななみ、谷村美月、斎藤歩、横川貴大、信澤三恵子、谷川清美、桐本琢也、佐々木睦、玉川紗己子、永井一郎、山像かおり、小林隆、田村たがめ、清水優、中村正、田中要次、金沢映子、中村橋弥、高久ちぐさ、板倉光隆、仲里依紗、安達直人、諸星すみれ、今井悠貴、太田力斗、皆川陽菜乃、富司純子

 仮想都市OZ(オズ)が人々の日常生活に深く浸透している近未来。
 小磯健二は天才的な数学の能力を持ちながらも内気で人付き合いが苦手な高校2年生。彼は憧れの先輩、夏希から夏休みのアルバイトを頼まれ、彼女の田舎、長野県の上田市を訪れる。そこに待っていたのは、夏希の親戚家族"陣内(じんのうち)家"の個性溢れる面々。
 この日は、夏希の曾祖母で一族を束ねる肝っ玉おばあちゃん、栄の90歳の誕生日を祝う集会が盛大に行われていた。その席で健二は夏希のフィアンセのフリをする、というバイトの中身を知ることに。
 そんな大役に困惑し振り回される傍ら、その夜健二は謎の数字が書かれたケータイ・メールを受信する。理系魂を刺激され、その解読に夢中になる健二だったが、それはOZのシステムを管理している暗号だった。そしてOZの暴走が始まり、それは現実世界に影響を与え始めた。電子機器関連が暴走して多くの行政機関・交通機関が狂い社会は混乱したのだ。

 世界的な事件を片田舎の大家族が解決するというストーリーが素晴らしい。
 家族の大切さ、絆を思い知らせてくれる作品だ。中には自分勝手な人間や馬鹿もいるが、最後には一致団結して危機を乗り越える。
 ハッカーツール"ラブ・マシーン"に乗っ取られてしまった数億のアバターを取り戻す手段が、ラブ・マシーンと夏希との花札対決というのも面白い。家族全員が自分のアバターを掛け金にし、携帯やゲーム機などのOZ端末を持って夏希の後ろに群がる構図がいい。賭けるアバターの数が足りなくなってしまってこのままでは負けという時に、世界中の人々が自分のアバターを提供してくれるシーンは感動的だ。ここでは家族だけではなく世界中の人々との繋がりが描かれる。
 大学納入用のスーパーコンピュータを持ち込む電器屋のオヤジ、電源と冷却用の氷のために漁船を旧家の池に持ち込むオヤジ、自衛隊から通信機器を持ってくるオヤジ。オヤジ大活躍である。
 序盤は旧家での青春物かと思ったら中盤からサイバーテロ映画へと様変わりする。そのタイミングが絶妙であるし、歴史ある旧家との対比が面白い。
 栄ばあさんが味のあるキャラで、緊急時に各界の有力者に連絡を取って叱咤激励したり、なぎなたを振り回したりの大活躍。途中で死んでしまうのが残念だが、残した遺書がまた泣けてくる。その遺言に従ってみんなでおにぎりなどをぱくつくところがいい。
 ラスト、陣内家に落下してくる人工衛星の軌道を変えるため、必死になってOZの暗号を解く健二。『マーキュリー・ライジング』でもあるまいし数千桁の暗号を筆算やましてや暗算で解けるものかと思うが、これはご都合主義で良いだろう。この活躍で健二の想いが夏希に伝わり、二人は両思いに。それを無責任にはやし立てる家族の連中というのが面白く魅力的である。
 夏希がヒロインという立場なのに花札のシーン以外ではあまり活躍しなかったのが残念である。オヤジたちに負けてるんだもの。
 数学を解くことでヒーローになる少年という設定も珍しい。健二は肉体は貧弱な坊やだが、数学オリンピックの日本代表になり損ねたぐらい数学は得意なのだ。
 サマーウォーズというからには夏の話である。栄ばあちゃんの誕生日が8月1日だから7月末の出来事ということになる。『時をかける少女』と同じく美術が良く出来ていて、旧家の作りや真夏の光景が上手く表現されている。
 サイバーテロ映画、しかも明確な悪人がいなくて勝手に暴れ回るハッキングツールが悪役だし、アバターの概念など分かりにくく感じる人もいるだろう。ネットコミュニティ慣れ、SF慣れしていないとちょっとつらいかもしれない。
 世界中で起きている混乱をあまり大きく捉えず問題解決に奔走する各機関の描写はせずに、あくまでも田舎の大家族の物語にしてしまったところが成功の秘訣だろう。
 声に関しては『時をかける少女』よりもだいぶと改善され、自然に聞くことが出来た。中でも栄ばあちゃん役の富司純子の存在感は大きかった。
 舞台となっている長野県上田市の人にはより面白いんだろうな。緑の大地に青い空、白い入道雲。夜明けに夕焼け、そして朝顔。
 大家族がおばあちゃん90歳の誕生日で集まってきてにぎやかに騒ぐという日常の中のハレの日を描く前半部分のボリュームがもうちょっと欲しかった。

B000J6H3S2.jpg『その後の仁義なき戦い』(1979) 128分 日本 東映

監督:工藤栄一 企画:日下部五朗、奈村協 原作(?):飯干晃一 脚本:神波史男、松田寛夫 撮影:中島徹 美術:佐野義和、高橋章 編集:市田勇 音楽:柳ジョージ 助監督:鈴木秀雄
出演:根津甚八、宇崎竜童、松崎しげる、原田美枝子、ガッツ石松、松方弘樹、小池朝雄、成田三樹夫、山城新伍、山崎努、松尾嘉代、小松方正、花紀京、片桐竜次、細川俊之、金子信雄、絵沢萠子、宮内洋、泉谷しげる、松方弘樹、萩原健一

 東映が柳の下の3匹のドジョウ目当てで作った作品。
 監督は深作欣二から工藤栄一へと変わっている。
 3人の若いヤクザのあれこれを描いた作品で、青春ヤクザ物とも言っていいだろう。
 旧シリーズと違い、3人が遊びに行くのがディスコという時点ですでに違う。過去のシリーズだったらキャバレーのはずだ。
 1人にヤクザ松崎しげるがアイドル歌手になってしまうと言うシチュエーションも笑えるが、そこに金目当ての根津甚八が元ヤクザであることをばらさないのを条件に金をゆすりに来るシーンはリアリティがある。実際、歌手が元ヤクザだとばらされたら人気は急降下だろう。
 宇崎竜童は敵対する親分を倒した代わりにあっさりと殺されてしまう。
 そして生き残った根津甚八もらすとではあっさりと殺されてしまう。ヤクザの末端の生涯なんてそんなもんだ。
 かたぎになって(芸能界がかたぎかは別にして)歌を歌い続けた松崎しげるだけが生き残った。
 工藤栄一らしく逆光や濡れた路面などなど独特の映像美が光る。これでカメラが仙元誠三だったら言うことなしなのだが、贅沢は言うまい。
 せっかく金子信雄が出ているのに泣き落とし芸が見られないのがもったいない。
 ヤクザ映画と言うよりも青春映画として優れた一本。

B000J6H3RS.jpg『新仁義なき戦い 組長最後の日』(1976) 91分 日本 東映

監督:深作欣二 企画:日下部五朗、橋本慶一、奈村協 脚本:高田宏治 撮影:中島徹 美術:雨森義允 編集:市田勇 音楽:津島利章 助監督:野田和男
出演:菅原文太、成田三樹夫、松原智恵子、和田浩治、藤岡琢也、小沢栄太郎、桜木健一、地井武男

『仁義なき戦い』シリーズの8作目にして深作欣二による最終章。
 関西の坂本組と九州の七人会との抗争を描く。
 抗争と言っても坂本組と七人会は本格的な抗争に至ることはなく、小競り合いで終わる。
 その小競り合いの中で野崎(菅原文太)の親分筋に当たる組長が女のマッサージ師に化けたゲイバーのオカマに殺されたことで、野崎の坂本への復讐が始まる。

 ダンプカーまで使った派手なカースタントや、銃撃戦などもこれまでのシリーズと比べると洗練された物になっている。
 逆にそれは、実録物が売りだった『仁義なき戦い』シリーズを否定することにもなっている。
 柳の下のドジョウ目当てで会社から半ば無理矢理撮らされたのではないかと思われる『新仁義なき戦い』シリーズのラストは、実録物の雰囲気を感じさせないヤクザエンターテインメントとなっている。(『仁義なき戦い』がエンターテイメントであるのは別にして)
 実録物という縛りから解き放たれた『新仁義なき戦い』シリーズは娯楽映画という面ではより優れているのかも知れない。
 だが、見るべき俳優が菅原文太と成田三樹夫ぐらいなのは寂しい。二人が顔を揃えるシーンはほとんど無いし。やはり松方弘樹とか北大路欣也、梅宮辰夫、山城新五などなどの豪華キャストでこそ『仁義なき戦い』なのだ。
 藤岡琢也や地井武男と言われても困ってしまうのだ。『渡る世間は鬼ばかり』じゃないんだから。
 野崎の坂本への復讐はラストに遂げられるが、その野崎もチンピラに腹を刺されて虫の息。復讐は復讐を呼ぶ。
 野崎が坂本を撃ち殺した瞬間にはカタルシスがあったが、やはり暴力団なんて碌なモンじゃない。格好つけてもしょせん世間のはみだし者。
 任侠映画のワンパターンを打ち破ったと言われて当時の若者にも人気沸騰だったこのシリーズも、結局ワンパターンの罠にはまってしまった。
 こうして『仁義なき戦い』シリーズは終わった。

B000J6H3RI.jpg『新仁義なき戦い 組長の首』(1975) 94分 日本 東映

監督:深作欣二 企画:日下部五朗、橋本慶一、奈村協 脚本:佐治乾、田中陽造、高田宏治 撮影:中島徹 美術:鈴木孝俊 編集:堀池幸三 音楽:津島利章 助監督:清水彰
出演:菅原文太、梶芽衣子、成田三樹夫、渡瀬恒彦、西村晃、山崎努、織本順吉、室田日出男、ひし美ゆり子

 飯干晃一の原作とは関係のない、北九州の跡目争いを主題とした映画。
 九州が舞台なので「たい」「ばってん」などの用語が飛び交う。
 菅原文太の役柄は流れ者の黒田。冒頭でいきなり山崎努に代わって敵組長の玉を取り刑務所に7年間入れられてしまう。
 その間に山崎努の覚醒剤中毒になってしまう。冒頭のシーンで覚醒剤をやっている伏線がある。覚醒剤中毒の臨場感があって怖ろしい。覚醒剤止めますか、人間止めますかなのだ。
 その山崎努がヤクザの組長を殺して、そして跡目争いが始まる。
 その中で悪役の成田三樹夫が冷たく非情な次期組長を演じている。
 広島篇と比べると、かなりリアリティが薄まっていて、実録物とはほど遠くなっている。
 そしてラスト、全てが成田三樹夫の組長の首を取ることに向かっていく。
 暴力シーンは少なく、これまでになかったカーチェイスがあったりする。これまでのファンは違和感を覚えることだろう。
 キャストも豪華だが、前作までと比べると遙かに見劣りがする。そろそろ息切れがしてきた感じのする一本。

B000J6H3R8.jpg『新仁義なき戦い』(1974) 98分 日本 日本 東映

監督:深作欣二 企画:日下部五朗 原作:飯干晃一 脚本:神波史男、荒井美三雄 撮影:吉田貞次 美術:雨森義充 編集:宮本信太郎 音楽:津島利章 助監督:藤原敏之
出演:菅原文太、金子信雄、中谷一郎、田中邦衛、宍戸錠、八名信夫、睦五郎、佐藤京一、白川浩一郎、松本泰郎、誠直也、渡瀬恒彦、司裕介、奈辺悟、広瀬義宣、安藤昇、守田学哉、内田朝雄、名和宏、秋山勝俊、汐路章、室田日出男、松方弘樹、西田良、志賀勝、川谷拓三、成瀬正孝、片桐竜次、鈴木康広、高並功、中原早苗、松尾和子、池玲子、橘真紀、小泉洋子、中村錦司、山城新伍、宮城幸生、畑中伶一、若山富三郎

 この作品は第一部の主人公広能(菅原文太)が刑務所に入所中に起きた第一次広島抗争について描かれている。第一部はその後に起きた第二次広島抗争が舞台だ。
 ドル箱映画『仁義なき戦い』シリーズをこのまま終わらせるのは惜しいと、会社側が無理矢理深作欣二に撮らせた感もあって、これまでのシリーズと比べるとテンションは低め。それでも並みの映画よりはずっとあるが。
 全体的にどこかで観たシーンの寄せ集めといった感じで、いきなり山守(金子信雄)の三好(菅原文太)への泣き落とし。
 それでダメとなったら夫婦揃っての泣き落とし。

 映画の冒頭での三好はまだ鉄砲玉で殺人を犯して8年の刑を処せられる。
 その間に、山守組は、勢力拡大を図る青木(若山富三郎)一派、山守につく坂上一派(田中邦衛)、中立を守る難波一派(中谷一郎)の三つに大きく分かれていた。
 ところが青木一派が難波を殺害し、さらに勢力を拡大。青木は三好を手の内に入れようと誘うが、三好はそれに乗らずに四国へと旅立つ。
 青木は山守を無理矢理引退させると、実質的ボスになった。
 山守は得意の泣き落としで三好に青木を殺させようとするが失敗。難波一派の残党と坂上が組んで青き殺害計画を立て実行する。しかし、最後にとどめを刺したのは青木一派に襲われ入院していた関(松方弘樹)だった。
 山守が開いた祝賀会の中で、三好に夫婦してすり寄ってきて「ようやってくれた。ようやってくれました」と頬ずりせんばかりの山守を憮然とした顔で無視する三好だった。

 第一部で出演した俳優が大挙して出演しているので、もはや役名と俳優名などメチャメチャである。共通しているのは山守夫妻ぐらいか?覚え直しをしなければならないのでややこしい。
 それでも始まってしまえば思わず興奮してしまう。今、このクラスのキャストを揃えた映画は作れないだろうな。
 最後の最後に自分で落とし前を付ける関。青木に向かって銃を撃つ度に、青木が頭を突っ込んだドラム缶に穴が開いたように見せる細かい演出がこのシリーズでは珍しい。
 第一部とは別の作品として観れば充分に面白い。広能にこだわりすぎるとダメかな。どちらにしろほぼ同じキャラクターとして描かれているんだし。
 ただ、三好が朝鮮人女性を愛人件玉避けとして呉へ連れて行くシーンがあるが、広能だったらこれはやらないのではないだろうか。
 それに冒頭で鉄砲玉をやらされるような人物が妙に重要視されているのは何故なんだろうか。
 ともあれこれまでの作品の中で一番山守の泣き落としが多かった作品。それにころっと引っかかってしまうんだからヤクザは単純だ。
 そのくせ親がどうの兄弟分がどうの杯がどうのとやたらしきたりがややこしい。媒酌人の作法がどうしただのオレだったらとても覚えていられない。
 若山富三郎が堂々としたボスめいた演技を見せてくれる。本当はこいつ以上に山守の方が悪党なのだが、ぎらぎらと油ギッシュで迫力がある。『カポネの舎弟』というシリーズがあるが、たしかに日本のヤクザというよりはギャングである。
 それでいて『子連れ狼』シリーズの拝一刀もやってしまうのだ。

B000J6H3QY.jpg『仁義なき戦い 完結篇』(1974) 98分 日本 東映

監督:深作欣二 企画:日下部五朗 原作:飯干晃一 脚本:高田宏治 撮影:吉田貞次 美術:鈴木孝俊 衣裳:豊中健 編集:宮本信太郎 音楽:津島利章 疑闘:上野隆三 助監督:皆川隆之
出演:菅原文太、伊吹吾郎、野口貴史、寺田誠、桜木健一、松方弘樹、唐沢民賢、白川浩三郎、小林旭、北大路欣也、西田良、曽根晴美、成瀬正孝、宍戸錠、山田吾一、誠直也、織本順吉、高並功、八名信夫、山城新伍、木谷邦臣、田中邦衛、国一太郎、川谷拓三、金子信雄、岩尾正隆、鈴木康弘、天津敏、内田朝雄、野川由美子、藤浩子、中原早苗、橘麻紀、賀川雪絵

 一作目で単なる気弱なチンピラだった田中邦衛がついに組長にまでのし上がった。でもって射殺される。諸行無常である。
 小林旭が政治結社"天政会"を作る。「日本に永久平和を」などの垂れ幕を掲げているが、何のことはないヤクザの隠れ蓑である。その天政会での勢力合戦がこの作品の主題となっている。若手の幹部北大路欣也がそこで裏をかきコネを使ってのし上がっていく様は才能のある人物を感じさせる。こんな人物がヤクザだというのは実にもったいない。
 菅原文太は前作のラストで刑務所に入ったきり、出てくるのは後半もだいぶ後になってから。刑務所で手記を書いているシーンなどが出てくる。これが後に『仁義なき戦い』の原作となる。
 1973?74の2年間に5本もの本数を作り、しかも力が入った作品群である。日本映画にやみくもなエネルギーがあった時代なのだ。
 笠原和夫脚本は4作目の『頂上作戦』までなので、4で完結。彼にとっては4で完結していたらしく、後を継ぐ高田宏治に資料を全部渡してしまったそうだ。それ故、この作品を番外編と捉える向きもあるようだ。だが、ストーリー的には繋がっており5作で第一部完結を考えて良いだろう。
 千葉真一が演じた大友役を宍戸碇が演じている。なんでも千葉真一のスケジュールが合わなかったそうだが、狂犬千葉真一が任侠宍戸碇に変わってしまっている。宍戸碇ももちろん味があるのだが、やはり大友役は千葉真一に演じて欲しかった。
 出所した菅原文太に小林旭が、「殺した奴はワシらよりも二回りも違うんよ。もうワシらの時代は終わりじゃ」と前作のラストと同じようなことを言う。
 そして昭和20年から始まった菅原文太のヤクザ生活も引退を持って終わるのであった。 本音を言えば菅原文太と金子信雄の対決が観たかった。金子信雄は1年かそこら刑務所に入っただけでほぼ一人勝ちである。
 みっともなく命乞いをする金子信雄に長ドスをすらりと抜いた菅原文太が迫る。そして白刃を振り上げ、「うぎゃあぁぁ」と金子信雄の悲鳴が響き渡る。カタルシスですよカタルシス。そうならないのが『仁義なき戦い』の魅力なんだろうが。
 シリーズを通して、しびれるセリフが飛び交い、このセリフこそ仁義なき戦いの命ですらと思う。それとアクションシーン。
 男たちの裏切りと策謀のドラマはこうして幕を閉じた。だが、まだ暴力団は存在し、善良な一般市民の生活を脅かしている。

B000J6H3QO.jpg『仁義なき戦い 頂上作戦』(1974) 101分 日本 東映

監督:深作欣二 企画:日下部五朗 原作:飯干晃一 脚本:笠原和夫 撮影:吉田貞次 美術:井川徳道 衣裳:松本俊和 編集:宮本信太郎 音楽:津島利章 疑闘:上野隆三 助監督:土橋亨
出演:菅原文太、梅宮辰夫、黒沢年男、田中邦衛、堀越光恵、木村俊恵、中原早苗、渚まゆみ、金子信雄、小池朝雄、山城新伍、加藤武、夏八木勲、遠藤太津朗、内田朝雄、長谷川明男、小倉一郎、葵三津子、城恵美、八名信夫、汐路章、室田日出男、鈴木瑞穂、野口貴史、小林稔侍、白川浩二郎、有川正治、曽根晴美、中村錦司、芦田鉄雄、誠直也、酒井哲、笹木俊志、小田真士、志賀勝、高月忠、木谷邦臣、松方弘樹、小池朝雄、小林旭

 中盤で菅原文太が逮捕されて退場。後半の実質的主役は小林旭になる。
 触れれば斬れんばかりの鋭さを持った小林旭は実質的主役をきっちりこなしている。
 実話をベースに素人が書いた原作を映画化したものだから、やはりストーリーに難がある。というか事実は小説より奇なり。実話ベースだからこそこれだけ複雑なのだろう。
 明石組と新和会の代理戦争の場となった広島で、警察はメンツをかけて頂上作戦を採る。明石組系の広能組(菅原文太=広能)と打本組(打本=加藤武)、神和会系の山守組(金子信雄)の対立はますます明らかになってきた。他にも細かい組がいくつも出てくるので、その名前とどちら側に付いているかを把握するだけでも面倒だ。
 シリーズ定番と言えば金子信雄の泣き落とし。悪役キャラクターとしては究極の域に達している。奥さんと一緒に仕掛ける泣き落としは見事な芸。シリーズの冒頭から今作のラストで微罪で逮捕されるまでは甘い汁を吸って吸って吸いまくる。一見好々爺が一番質が悪い。
 若者は暴走し、血が流れ命が失われる。
 印象的なエピソードが、組の若いチンピラが上の者にそそのかされて「ここらでお前も男にならんかい」と拳銃を渡され、恩のある松方弘樹を射殺してしまうシーン。その後警察に追われ逮捕されて懲役18年の刑に処される。結局、利用されただけなのである。
 ラストの菅原文太と小林旭の会話は「もうわしらの時代じゃないのかもしれんのお」と一つの時代の変わり目を感じさせる名会話だ。窓の隙間から雪が吹き込んでいるシチュエーションも良い。
 成田三樹夫が前作ラストで堅気になったため登場しないのが残念。キャスト面では悪くはないが一番地味かも知れない。
 それにしても田中邦衛はチンピラから上層部にまで見事のし上がった。最初の頃の情けなさが嘘のようである。
 代理戦争で菅原文太と金子信雄の直接対決が観られると思ったが、みんな警察に逮捕されて決着がついてしまう。これが実録物の限界か。
 このシリーズは今回初めて観るのだが、始めは菅原文太がバッタバッタと斬りまくる映画だと思っていたが、むしろ非暴力主義といってもよく広能組から仕掛けることは少ないし、文太が暴力を振るうシーンはもっと少ない。これも自分が主人公の実録物だからだろう。

B000J6H3QE.jpg『仁義なき戦い 代理戦争』(1973) 102分 日本 東映

監督:深作欣二 企画:日下部五朗 原作:飯干晃一 脚本:笠原和夫 撮影:吉田貞次 美術:雨森義允 衣裳:豊中健 編集:堀池幸三 音楽:津島利章 疑闘:三好郁夫 助監督:篠塚正秀、土橋亨、斎藤一重
出演:菅原文太、小林旭、渡瀬恒彦、山城新伍、池玲子、堀越光恵、中村英子、金子信雄、木村俊恵、成田三樹夫、加藤武、山本麟一、川谷拓三、北村英三、汐路章、内田朝雄、遠藤辰雄、室田日出男、五十嵐義弘、大前均、野口貴史、大木晤郎、平沢彰、曽根晴美、荒木雅子、丘路千、鈴木康弘、阿波地大輔、宇崎尚韶、成瀬正孝、中村錦司、国一太郎、司裕介、松本泰郎、矢奈木邦二朗、熊谷武、足田泰盛、堀正夫、岩尾正隆、名和宏、山本清、原田君事、木谷邦臣、小田真士、酒井哲、田中邦衛、丹波哲郎、梅宮辰夫

 この作品では菅原文太が全編に登場して主役としてのカリスマを見せている。
 相変わらず登場人物が多くて裏切りに背信、謀略と複雑なストーリーを、ナレーションを多用することによって分かりやすくしている。
 その脚本を書いたのは笠原和夫。名脚本家だけのことはある。
 何人か以前の作品で死んだ役者が別人役で登場している。スター俳優を使いたかったのだろう。そのいい加減さが勢いを感じさせる。
 ひたすらに裏切りと暗殺が繰り広げられる。
 暴力シーンの迫力は相変わらずで、手持ちカメラでぶれまくった映像が迫力を感じさせる。
 暴力シーン自体は前2作とくらべると少し少ないか。
 まだあまり太っていなかった頃の小林旭が渋い演技を見せてくれる。
 丹波哲郎も出演しているが、2枚の写真の中での出演である。実際の姿はスクリーンに映し出されない。
 終盤にはこれまでにない規模の銃撃戦が繰り広げられ、夜の町を破壊が彩る。
 駆け引きの連続で、単なる暴力映画になっていない。誰が誰に付き、誰が誰を裏切るかが見物だ。
 金子信雄のタヌキオヤジ振りも相変わらずで、このオヤジがいなければ広島はもっと平和だったに違いない。
 打本役の加藤武は儲け役。情けないのに狡猾で、飲み会の席で金子信雄にいじられるシーンには笑ってしまう。
 渡瀬恒彦がチンピラから菅原文太の組の組員になり、気の良い若者なのだが、彼もまた裏切りに合い最後には死んでしまう。若者達の命を奪うヤクザ抗争に良い点など一つもない。
 相変わらずエネルギッシュだが、前2作よりも知的側面が高く、複雑に絡み合った人間関係、組織内のパワーバランスなどが強調されている。
 菅原文太の行動一つ取ってもその場の激情ではなく考え抜かれたものとなっている。

B000J6H3Q4.jpg『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973) 100分 日本 東映

監督:深作欣二 企画:日下部五朗 原作:飯干晃一 脚本:笠原和夫 撮影:吉田貞次 美術:吉村晟 衣裳:松田孝 編集:宮本信太郎 音楽:津島利章 疑闘:上野隆三 助監督:清水彰
出演:菅原文太、千葉真一、梶芽衣子、山城新伍、名和宏、成田三樹夫、前田吟、木村俊恵、加藤嘉、北村英三、汐路章、室田日出男、八名信夫、小松方正、北斗学、宇崎尚韶、大木晤郎、国一太郎、中村錦司、志賀勝、広瀬義宣、野口貴史、白川浩二郎、堀正夫、唐沢民賢、鈴木康弘、西田良、秋山勝俊、川谷拓三、北川俊夫、笹木俊志、木谷邦臣、藤沢徹夫、福本清三、松本泰郎、大谷敬典、宮城幸生、森源太郎、波多野博、酒井哲、矢奈木邦二朗、片桐竜次、金子信雄、遠藤辰雄、小池朝雄、北大路欣也

 この作品の主演は菅原文太ではない。北大路欣也だ。
 ヤクザ=暴力団の組織に組み込まれ、その中で使い捨てにされていく大路欣也の哀れさを表している。
 菅原文太は広島を離れ呉で小さな組をやっていることが若干描かれるぐらいで、大幅なストーリーに関わる出番はない。
 手持ちカメラによる暴力描写は前作より増えていて、全作の半分ぐらいが闘争シーンに見えるほどだ。
 中でも狂犬・千葉真一の演技はぶっきれていてさすがタランティーノが後に目を付ける俳優だけのことはある。
 北大路欣也は予科練を目指しながら年齢で間に合わず、戦争で死ねなかった人間である。そんな彼が暴力団という組織に加わり、仁義というものを信じながらそれに裏切られ、ついには自殺をするというショッキングな終わり方には驚いた。
 愛人の梶芽衣子の美しさはもちろんのこと、この女性のためならば命を賭けられるという北大路欣也の気持ちも分からないではない。
 バラックの飯屋で無銭飲食をしようとした若者(北大路欣也)が暴力団に入ってのし上がり、ヒットマンとなって殺人を犯し刑務所から愛する女性のために脱獄する。なんとまあドラマではありませんか。
 成田三樹夫の演技の素晴らしさはもちろんのこと、小池朝雄の情けない死に方も良い。
 1作目よりも面白い2作目という意味で珍しい作品です。
 ストーリーは前作と同じく結構複雑。なにより登場人物が多い。丁寧なナレーションがないとついて行けません。それでもついて行かせてしまうだけのエネルギッシュなところがこの作品にはある。
 菅原文太は犬の肉を子分に食わされてしまうシーンが最高。金がないんだね。

B000J6H3PU.jpg『仁義なき戦い』(1973) 99分 日本 東映

監督:深作欣二 企画:俊藤浩滋、日下部五朗 原作:飯干晃一 脚本:笠原和夫 撮影:吉田貞次 美術:鈴木孝俊 衣裳:山崎武 編集:宮本信太郎 音楽:津島利章 疑闘:上野隆三 助監督:清水彰 ナレーション:小池朝雄
出演:菅原文太、松方弘樹、田中邦衛、中村英子、渡瀬恒彦、伊吹吾郎、金子信雄、木村俊恵、川地民夫、渚まゆみ、内田朝雄、三上真一郎、名和宏、中村錦司、曽根晴美、大前均、国一太郎、大木悟郎、志賀勝、唐沢民賢、榊浩子、小林千枝、東竜子、川谷拓三、宮城幸生、山田良樹、疋田泰盛、壬生新太郎、木谷邦臣、松本泰郎、西山清孝、奈辺悟、福本清三、片桐竜次、北川俊夫、梅宮辰夫

 義理と人情が中心だった東映の任侠映画をヤクザ映画に塗り替えてしまった一本。
 裏切りに次ぐ裏切りで意外にストーリーが複雑。というよりも登場人物の数がやたら多い。主要登場人物だけでもかなりの数がいる。
 小池朝雄のナレーションがなければかなり難解な映画になったに違いない。

 ファーストカットは広島に落ちた原爆の爆煙から始まる。
 戦場帰りの菅原文太がヤクザの道に足を踏み入れ、山守組に入り親分の金子信雄の下でのし上がっていく姿を描く。しかし、その先にあったのは裏切りと謀略で、ついに文太の怒りが爆発する。

 ぷわぁぁぁぁん、ぷわぁぁぁぁんのテーマ曲が独特で緊張感を呼び起こしてくれる。
 手持ちカメラを多用したアクションシーンは、アクションと言うには稚拙だがそこがまたリアリティを感じさせてくれて迫力は充分にある。
 オープニングのバラックの闇市はなかなかの出来で戦争を生き延びた人々の猥雑なエネルギーを感じさせる。当時の光景を思わせてくれる。そこで食い詰めた若者達がヤクザになっていく。
 とにかく人が死ぬ。それも闇討ちの様な形で突然撃たれたり刺されたりで、正々堂々とした戦いは存在しない。それがヤクザなのだ。そのシーンにはまぎれもなく痛みが存在する。
 伊吹吾郎が床屋でひげ剃りの最中に射殺されるシーンはハリウッドのギャング映画のオマージュだろう。
 へたをうってしまった文太が指を詰めるシーンで、庭に飛んでいった指を組員達が必死になって探し、ニワトリ小屋の中でニワトリにつつかれているのを見つけるシーンには笑ってしまったが、作品のカラーから言うと浮いている。
 金子信雄の守銭奴振りは悪役として見事に活かされている。親分として信用していると、その子分を平気で裏切る。策略を巡らして殺し合いをさせる。
 世界を釣る男、松方弘樹の熱演も見事だ。迫力があって特に「あんたは御輿やないの」のシーンは迫力満点だ。最後には自分の子供への土産のおもちゃ屋で選んでいるところを銃撃されて死亡する。ヤクザにも人間らしいところがあり、それが弱点となったのだ。
 主演の菅原文太は刑務所に入っているシーンが多くて、意外と出番が少ない。仁義を信じつつも、そんな物はいまのヤクザの世界にはないことに落胆する役割だ。狂言回しに近いのかも知れない。ラストの松方弘樹の葬式へ乗り込んでの乱射シーンは流石にすごみがある。
 殴り込みをしようかと言う時に、女房の腹の中に子供がいることを理由にちゃっかり逃げ出す田中邦衛が情けなくて良い。
 どいつもこいつも個性的で悪党で最高である。でもヤクザは嫌い。
 これだけのキャストを揃えてしまった深作欣二他製作陣の力量には恐れ入る。

B0012P6BY6.jpg『セクシー地帯』(1961) 82分 日本

監督:石井輝男 製作:大蔵貢 企画:佐川滉 脚本:石井輝男 撮影:須藤登 美術:宇寿山武夫 音楽:平岡精二
出演:吉田輝雄、三原葉子、三条魔子、池内淳子、細川俊夫、沖竜次、鳴門洋二、高城美佐、佐々木孝子、九重京司

『セクシー地帯』と書いて『セクシーライン』と読む。
 とにかくオープニングクレジットと『The End』が素晴らしい。写真のコラージュにスタッフ・キャスト名は手書き文字。モノクロ映画なのでこれがまた雰囲気を増して、金はかかってないんだろうがセンスを感じる。
 秘密クラブの会員証を掏った女スリと関わった男が買春組織事件に巻き込まれていく。男は銀座に本社がある大企業の普通のサラリーマン。恋人は同じ会社で働くOLだが裏では取引先の相手を肉体で接待する特別要員でもあり、陰謀によって殺される。新東宝の作ったお色気映画だが、ヌードのシーンも胸や尻は巧妙に隠されており今となっては地上波で放映しても問題なさそう。セリフはやばいのがあるが。
 犯罪映画も多く手がけた石井輝男の手腕が冴え、洋画のフィルムノワールを観ているかのよう。スリ役が男女逆だが『拾った女』(1953)にちょっと似ている。フラーの方がドライだが、作風にもどこか共通点がある。そういえばどちらも自分で脚本も書くことが多い人。
 石井輝男脚本なんでかなり無理矢理な展開ありまくりで、だからこそ石井輝男。破綻しててもそれを感じさせずに突き進む。
 サブタイトルで使った『CALL GIRL・SEXY LINE』とはオープニングタイトルで『セクシー地帯』の後ろに書かれている言葉。外国で公開されたかは知らないが、もしそんなことがあったとしたらこれが洋題として使われたのかも知れない。
 お金がないのでやたらとロケの多い映画。そのおかげで1961年当時の銀座を始めとした東京中心部の様子を観ることが出来る。石井輝男は早撮りな人だったそうだが、この作品なんかごく少ない日数で撮影されのだろう。
 背中合わせに縛られ床に転がされた二人が、隠し持ったナイフで後ろでの縄を切ろうとするシーンを、モゾモゾ動いたりハァハァ呼吸する音の映像が細かいカットで構築している。性交シーンの暗喩なんだろう。女性が「初めてエレベーターに乗った時みたいだった」なんてセリフに思わずニャマリ。
「彼氏からトランジスターラジオって呼ばれてるのよ」「そりゃいったいどういう意味だい?」「すごく感度が良いらしいのよ」……“トランジスターグラマー”という言葉も連想させますしイカすやり取りだ。今となってはトランジスターラジオと言われてもピンと来ない人も多いだろうが(言っとくがオレもそうだ。小さな頃からトランジスターラジオなんて当たり前。それ以外に触れたことのあるのは、小学生の時に作ったゲルマニウムラジオぐらい)、現代風に言うならば「彼氏から地デジって呼ばれてるのよ」とか「彼女から光ファイバーって呼ばれてるぜ」なんかだろうか。
“地デジ”はともかく男性で“光ファイバー”ってのはつまり“早い”ってことで……ピーッ!ここは下ネタ禁止!教育的指導。
 ちなみに、現在『レッドクリフ PART1』が絶賛公開中のジョン・ウーもパブリッシャーカルチャー板『男たちの挽歌』シリーズのDVDに特典として収録されたインタビューで「石井輝男の影響を受けている」と語っている。『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(1969)や『徳川いれずみ師 責め地獄』(1969)のインパクトが強すぎるのでとかくカルト監督の側面ばかり語られがちな石井輝男だが、ギャング物などの犯罪映画の存在を忘れちゃいけない。高倉健の代表作の一つ『網走番外地』シリーズで監督・脚本を務めたことももちろんだ。

B000BN9AE8.jpg『士魂魔道 大龍巻』(1964) 108分 日本

監督:稲垣浩 製作:田中友幸 原作:南条範夫 脚本:木村武、稲垣浩 撮影:山田一夫 美術:植田寛 編集:岩下広一 音楽:石井歓 特殊技術:円谷英二
出演:市川染五郎、佐藤允、夏木陽介、三船敏郎、星由里子、久我美子、水野久美、草笛光子、平田昭彦

 不勉強にしてこの作品のことは知らなかったが、NHKのBS2で観てその面白さに驚いた。
 大阪城夏の陣から物語が始まり、豊臣側残党が豊臣の隠し財産を狙うという娯楽時代劇。殺陣は大立ち回りのチャンバラ系で、当時の東映時代劇に劣る面もあるが、それをカバーするのが東宝自慢の特撮陣。なんたって特技監督が特撮の神様円谷英二だ。ファーストショットからして大阪城のミニチュアセット。これが良くできている。そこへ徳川軍勢が大砲を撃ち込む。ドッカンドッカン爆発する大阪城。こんなオープニングの時代劇は観たことがない。
 主人公は豊臣軍勢の侍深見重兵衛(市川染五郎)。大阪城落城を前に潔く切腹して果てようとするが、豊臣秀吉の孫である男の子を連れて逃げようとする小里という女性と出会ったことから運命の歯車が動き出す。そこへ襲いかかる二人組の伊賀忍者。いきなり忍者かよ!身は軽いし煙玉を投げまくると、さすが忍者。重兵衛は一人を切り捨てるが残りの一人には逃げられる。この生き残った忍者はくのいちで、殺された忍者は彼女の父親だった。こうして、重兵衛は父の敵として狙われることにもなる。
 守るべき人、仇討ち、そして宝物と、娯楽作品の王道とも言えるストーリー。だが、一本道のストーリーではなく、同じく豊臣方で生き残ってしまった侍(佐藤允)や、侍から町人になって商人として成功した重兵衛の友人、豊臣を裏切ってのし上がろうとする悪党どもなど、様々な視点を用いて描かれている。重兵衛の友人が商人として成功する方法が、ひさしを貸して母屋を取られるを地で行っていて笑った。
 主人公を演ずる市川染五郎が松本幸四郎に似てるなぁ。歌舞伎界はいろんなところで血が繋がっているから、親戚なんだろうかと思って調べてみたら、後に九代目松本幸四郎を襲名していた。似てて当たり前、つか本人じゃん。でも、本人と言われると目元とか違ってないかと思うがまあ知らん。パッケージ写真の一番左端にいるのがその市川染五郎。
 オープニングクレジットで他の出演者が連名で表示されるのに、一番最後にただ一人一枚看板で書かれているのが三船敏郎。でも、出演シーンは少なく、しかも元豊臣側の大名で賞金首として逃亡中なため虚無僧に変装しているので、前半では素顔が写るシーンは少ない。ゲスト出演だな。そのくせ、終盤では美味しいところをあらかた持っていってしまう。最後は「善も悪も、この大自然の前では無に等しい」とテーマを一言で語る。でも、三船敏郎ならば許してしまう不思議。
 えっ、タイトルの大龍巻はどうしたんだって?それはちょっと待ちねぇ。とにかく、登場する女優さんのキレイなこと。星由里子、久我美子、水野久美と東宝のスター女優が勢揃いだ。星由里子は加山雄三の『若大将』シリーズの印象が強いが、時代劇姿も似合う。可憐でいて心が強いといった感じ。出番は少ないが草笛光子の尼さんも凛々しくてさすが。
 監督の稲垣浩は『血煙高田馬場』(1937)をマキノ正博と共同監督したり、板東妻三郎版、三船敏郎版両方の『無法松の一生』を監督した名監督。時代劇を中心に活躍した人だ。
 そして映画のラスト。小判を輸送中の徳川の一行を豊臣側残党が襲い、小判を奪い取る。そして、アジトである山中の小屋に戻るが、内輪もめを始め醜い争いとなる。そこへ襲いかかるのが大龍巻。最初は強風とその風音が鳴る中で物語は進行し、徐々に緊張感が強まっていく。そして、大地の彼方から全てを吹き飛ばし舞い上げてしまう大龍巻が画面に登場する。人や馬はもちろん、小屋も樹木もあらかた舞い上げていく様子はさすが円谷特撮の見せ所。『空の大怪獣 ラドン』(1956)のラドン襲来のシーンではその巨大な翼が巻き起こす強風で民家の瓦が一枚一枚はがれて飛んでいくミニチュアシーンなどが有名だが、この大龍巻も負けてはいない。シーンとしては短いが、ただ単に風で吹き飛ばされるのではなく、ちゃんと宙に巻き上げられているように見えるのだが、一体どうやって撮影したのだろうか。見事。当時の特撮技術を考えれば、観客に与えたインパクトは『ツイスター』(1996)にだって負けていない。
 三船敏郎にセリフで言われてしまったが、「善も悪も、人も金も大自然の前では無に等しい」。生き残った三人は荒野を前に歩き始める。そして徳川三百年の新たなる時代が始まったのだ。

B000BVMD2Q.jpg『戦国自衛隊1549』(2005) 119分 日本

監督:手塚昌明 製作:黒井和男 プロデューサー:鍋島壽夫、土川勉、貝原正行 原作:福井晴敏 原案:半村良 脚本:竹内清人、松浦靖 撮影:藤石修 美術:清水剛 編集:普嶋信一 音楽プロデューサー:岸健二郎 VFXプロデューサー:大屋哲男 音響効果:柴崎憲治 特技監督:尾上克郎
出演:江口洋介、鈴木京香、鹿賀丈史、北村一輝、綾瀬はるか、生瀬勝久、嶋大輔、的場浩司、宅麻伸、伊武雅刀

 そもそも福井晴敏原作作品を観始めたのは、スカパーで『戦国自衛隊1549』をやっていたからだ。
 つまらないんだろうな?と思ってみたが、これが意外に笑えた。
 もうハチャメチャのシッチャカメッチャカ。何ですかこれは?といった具合に楽しめたのだ。というか、心が勝手に回避行動をとって、真面目に見ることを拒否したのだ。

 磁気バリヤーの実験中に戦国時代に飛ばされた陸上自衛隊。装甲車や戦車、そしてアパッチ攻撃ヘリまで一緒だ。
 そして、2年後。太陽の活動が1回目の事故と同じような状況になったため、こちらも重装備の救援隊が過去、1549年の日本に行く。
 ところが、救出を待っていたはずの自衛隊員が戦国時代を生き抜く、いや勝ち抜くために現代兵器の圧倒的威力で戦国地図を塗り替えていた。そして、その隊長は織田信長となっていたのである。

 なんでやね?ん!

 磁気バリヤー用の燃料電池だかが、核兵器並みの爆発力を持っているというのも意味が分からん。そんなもん危なくて使えんわ。

 戦国時代と言えば中部から関西が主な舞台と戦場である。長篠の戦い(愛知)も桶狭間の戦い(愛知)も本能寺の変(京都)も、戦国時代を終わらせた関ヶ原の戦い(岐阜)も、どれもこれも愛知以西で行われている。
 それなのに、織田信長になりすました自衛官(鹿賀丈史)は富士の裾野近くに城を建てて何をしようと言うんだろうか。
 どうやらこのタイムスリップでは時間を移動するだけで、場所は同じままの様子。ということは、タイムスリップの場所は陸上自衛隊の訓練地内だからおそらくは御殿場だろう。戦国合戦映画のロケ地として有名な御殿場だが、戦国地図から大きく離れた外だ。
 どうやら燃料電池を地下に撃ち込んで富士山を噴火させ、それによって関東を壊滅させるつもりらしい。そして現代の東京はなくなり、誇りを失った日本人が消え去ってより素晴らしい日本が誕生する。相変わらずよく分からない理屈だ。
 でもね、戦国時代の関東なんて人もあまり住んでないド田舎。壊滅させてもあまり意味がないだろうに。京都を目指せよ、本物の織田信長と同じにさ。

 ある人物が豊臣秀吉だと分かるシーンなどはなかなか面白くて、ちょっとゾクゾクした。好きだな、こいうの。
 戦いのシーンが、戦国時代の武士対自衛隊ではなく、自衛隊対自衛隊になっているので、自衛隊を戦国時代に送り込むというコンセプト自体が無駄になっている。
 人の死が記号化されているので、オリジナル版よりも娯楽向きではあろう。
 それにしても、何で防弾着で命が助かった人物は、服をはだけて防弾着を観客に見せて、「あー助かった」というのであろうか。どの映画でもそう。

 主人公の江口洋介が懐かしい。生きてたのか。それなりの大作の主役に今さら江口洋介を使う意味が分からない。
 鈴木京香の女性自衛官も似合ってない。ハリウッド映画ならば、戦国時代の知識や文化風俗に詳しいを持った女性学者を同行させるところだろう。

 福井晴敏原作作品では一番評価が低いようだが、ここまでハチャメチャだと逆に笑える。ここまでひどいともう笑うしかない。
 もうね、何も考えてないよ、この映画。
 かなりクズ映画に近いが、ぎりぎりなところでバカ映画になっている。
 楽しめたといっても、及第点には達していない。スカパーで観たから金額的にはかなり安かったが、これが劇場で観ていたら怒っていただろう。
 それにしても、主人公も敵役も、やたら自己主張というか説教を大声でわめき立てるのにはうんざり。

 三作作ってどれも及第点には達していなかったので、福井晴敏作品の映像化はこれで終わりそうだ。
 良いことである。この人の小説はつまらんので嫌いだ。

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『シコふんじゃった。』 (1991) 103分 日本 1992/2/14鑑賞

監督:周防正行 製作:平明暘、山本洋 プロデューサー:桝井省志 脚本:周防正行 撮影:栢野直樹 美術:部谷京子 編集:菊池純一 音楽:周防義和
出演:本木雅弘、清水美砂、竹中直人、水島かおり、田口浩正、宝井誠明、梅本律子、柄本明

 三部リーグのビリッケツ。教立大学の相撲部は部員一人の貧弱で激弱な学生相撲最底辺のチームだ。
 部員不足で試合に出られないところを、相撲部の顧問で元学生相撲の学生横綱だった穴山教授(柄本明)が、卒業に必要な単位を餌にして主人公・秋平(本木雅弘)を「一試合限り」の約束で相撲部に入部させる。春秋テニス、夏サーフィン、冬はスキーの遊びサークル「シーズンスポーツ愛好会」所属の秋平にとって、ふんどし(ま・わ・し)を締めて人前に出るなど恥以外の何物でもないが、一流企業に内定も決まっており卒業のためにと我慢する。
 そして秋平の弟で貧弱な体付きの美少年春雄、肥満児で緊張すると右手と右足が一緒に出る田中、イギリスから来たラガーマン留学生スマイリー、そして唯一の正式部員で根っからの相撲好きだが極度の上がり症のため一度も勝ったことのない青木を合わせた5人の部員が取りあえず揃い、慣れないふんどし(ま・わ・し)を締めて土俵に上がる。しかし、見るからに弱そうなチームと対戦してもボロ負け。残念会の席でOBにボロクソにけなされてカッとなった秋平は
「勝ちゃいいんだ ろ!勝ちゃ!勝ってやろうじゃねぇか!勝ってやるよ!絶対に勝ってやる! なぁみんな!」
 と啖呵を切ってしまい、珍相撲部の珍スポ根が始まるのであった。

 というのが『シコふんじゃった。』について一般的に語られる物語だが、少し角度を変えてみると春雄に憧れてマネージャーとして入部した恋する肥満少女の正子と、穴山の助手で相撲部名誉マネージャー(自称)の夏子の二人が主役をつとめるもう一つの物語が見えてくる。

 大相撲の大阪場所で女性大阪知事が表彰式のためなのに土俵に上がらせてもらえないという出来事が続いている。
「女性は土俵に上がっちゃいけない。神聖なる土俵が汚れる」とかいったしきたりが理由らしい。
 大相撲協会側の言い分も理解できる。うん、しきたりじゃしょうがないよね。断固として拒み続けるわな。だって、一度でも土俵に女性を上がらせてしまったら、「しきたりなんて何の意味もない」というのがばれてしまうものな。
 しきたりに意味がないのがばれたら、ふんどし姿(まわしなんだけど・・・)に意味がないのも、ちょんまげに意味がないのもばれてしまい、大相撲そのものが崩壊するおそれがある。
 他の伝統芸能において一つのしきたりを破ることを許したために、結果ボロボロになって地に落ちてしまった例は幾つもあるから、それを知っている大相撲は決して女性が土俵に上がることは許さないだろう。
 でもね、女性本人にその気があったら実は土俵に上がるぐらいのことはひょいっとやってしまうのだ。その気っていうのは恋する想いと言い換えても良い。
 『シコふんじゃった。』とはそんなしきたりとかを平気で破ってしまう、実はパンクでアナーキーで過激な映画なのだ。

 正子を演ずる梅本律子は、明星かなにかの誌上で募集した「極度の肥満」が条件という異例なオーディションで、見事選ばれた素人だそうだ。当然セリフ回しも上手くない。選考基準通りの極度の肥満で愛嬌のある顔つきだがはっきりいってブスだ。そして、この正子こそ『シコふんじゃった。』のもう一人の主役である。
 春雄に心の底から惚れている正子は春雄のことしか見えていない。春雄のためならなんでもするぐらい一途でまっすぐな想いだ。
 春雄が強豪校相手の試合で負傷したときに、正子は「女性は土俵に上がってはいけない」という「しきたり」などまったく気にもせずドスドスと春雄の元に駆け寄る。口うるさい審判や関係者が文句を言ってくる暇も隙も与えないほどの本当にまっすぐな想い。
 そしてその翌日に待っていたのは二部リーグへの昇格を決める試合だった。春雄が腕を骨折して出場できないために人数不足で出場は辞退するしかないかと思われた。だが、正子は強い意志を秘めた眼で皆にこう告げる。

「あたし、出ます。春雄の代わりにあたしが戦う」

 部員たちの制止もふんどし姿になる(まわしだっつってんだろ!)ということも、正子の決意をくつがえすことは出来なかった。
 そして正子は土俵に上がった。長い髪はちょんまげに結ってごまかし、胸は肩を痛めたということにしてさらしで隠してはいるが、まわし姿の正子が土俵に立っている。
 このシーンの美しさに泣いた。
 単に絵だけを見ればブクブクに太った女の子がまわしを締めて土俵の上にいるだけだ。だがそのシーンに存在する正子の思いが圧倒的なまでに美しいではないか。恋する乙女という称号は美少女だけに与えられる物ではない。不細工な女の子だって恋する乙女になるのだ。でもって、恋する人間は普通なら無理だろということを、時に躊躇もなく軽々とやってしまうのだ。
 そして周防正行という監督の残酷さにも驚いてしまう。「太った」「醜い」「素人」の「女の子」をまわし姿でスクリーンに映し出す。よくもこんなシーンを思いついた。よくもこんなシーンを実際に撮った。いくら本人が納得しているとはいえ、鬼だこの人は。NHKBS2の小津安二郎特集で作品案内に登場して白髪混じりの頭で人の良さそうな口調で話していたが、本当はきっと嫌なヤツだ。そして嫌なヤツで鬼だからこんな美しいシーンが撮れるのだろう。そもそも良い映画を撮る監督ってのはたいがいひねくれ者で嫌なヤツなのだ、多分。
 映画のラストで正子と春雄はつきあい始めて一緒にロンドンに留学するべく旅立つが、脚本と同じく周防正行自身が書いた小説版のラストは大きく違う。春雄は正子の想いに心は打たれるものの、「正子もボクには向いていないと思うんだ」とその正子を受け入れることなくあっさり振ってしまうのだ。
 おそらく周防は映画では観客が望み歓迎するハッピーエンドを選んだが、本当にやりたかったのは小説版のラストだったに違いない。美しいまでに一途な想い、だがそれが相手に通じるか、通じたから結ばれるかは分からない。すごく残酷だよな。
 しかも小説版だと最後の試合で秋平負けてるし。

 そして、正子と対照的な存在の夏子。細身で美しく、おそらくは穴山に憧れており、ひょっとしたら男女の関係であるのかもしれない。だが、その点はあまり描写されないし、そもそも夏子自身の意見というか感情があまり表現されていない。ひたすら一途な想いが描かれていた正子と違い、どうにも何を考えているのか分からない。
 相撲部の名誉マネージャー的立場ではあるが、相撲に愛着がある様子でもなく、穴山が顧問を務めているという理由だけで消極的に相撲部と関わっている。
 自らの強い意志で土俵に上がった正子が対戦相手に負けて打ち倒されたときに、夏子は思わず土俵に駆け上がりそうになるが寸前で気付いて立ち止まる。そしてきちんと土俵を迂回して正子の元へと行く。やはり対照的だ。
 そんな相撲と距離を取っていた夏子が映画のラストでようやく土俵に上がる。土俵の手前で足を揃えて、一瞬止まった後で土俵に上がる。そして、たった一人の相撲部員となってしまった秋平と一緒にシコをふむのだ。
そして一言。
「ついにわたしも、シコふんじゃった。」

 穴山には妻がいて、夏子とは愛人関係。夏子はそれでもかまわないと思っていて、いわゆる日陰の女としてひっそりと暮らしてきた。それが正子や秋平たちの影響を受けて、自分の意志で動き始めた、と考えることも出来るが、そこら辺の描写は映画にないのでオレの憶測。

 とりあえず周防正行にはとっとと次回作を撮ってほしい。『Shall we ダンス?』のアメリカ公開やハリウッドリメイクなどで忙しかったようだがそちらの仕事ももう終わったはず。待たせすぎだぞ。体を悪くしたとかじゃないかと心配したんだから。何で親戚でもない人の健康を気遣わなきゃならんのだ。
 親戚といえば音楽を担当した周防義和とは従兄弟だそうだ。ちなみにオレは最初この「周防(すおう)」という苗字が読めませんでした。「しゅうぼう?すぼう?」てな感じで。

『下妻物語』(2004) 102分

監督:中島哲也 プロデューサー:石田雄治、平野隆、小椋悟 企画:宮下昌幸、濱名一哉 原作:嶽本野ばら 脚本:中島哲也 撮影:阿藤正一 美術:桑島十和子 編集:遠山千秋 音楽:菅野よう子 照明:木村太朗
出演:深田恭子、土屋アンナ、宮迫博之、篠原涼子、阿部サダヲ、岡田義徳、本田博太郎、樹木希林

 わたしの知人が「人から面白いよと勧められたんだけど、一人で観てもしクソだったら対処に困るんで一緒に観てくれ」と持ってきたのがこの『下妻物語』である。
えー?マジっすかー、じゃあこっちも『キューティーハニー』(2004)が怖くて観れないままになっているんで、交換条件としてそっちも一緒に観てくれってことでOKした。

 結論から言うと面白かった。
僕はCM出身ですと言わんばかりのいかにもな映像にはひたすらうんざりしたが、それを割り引いても主人公の二人の少女やその周りのちょっと奇妙な人々が繰り広げる物語が楽しい。セリフが多い映画だが、基本的に登場人物の行動によって進んでいくところが良い。日本映画はぐだぐだとセリフを並べ立てるだけでなかなか話が広がっていかない傾向があるが、人の行動(アクション)で展開させるというのはやはり重要である。。
だがしかし、ラスト近くでさてどうなるのかと思っていたら、自分という世界に篭もっていた少女桃子が他人に自らをさらけ出すことでお互いに理解し合い危機を乗り切ってしまった。これは観客の大多数が最も望む結末ではあるのだろうけれども、あまりにもこれまでのいわゆるスポコン的ドラマ作りの枠内に収まってはいまいか。
雨の中絶叫して抱き合ったり、殴り合ったあげくに「お前もなかなかやるな」と友情で結ばれるなどという汗くさい世界はあまりオタク的ではない。そして桃子はアニメやコミックこそ見ていないがゴシックロリータファッションが好きなオタクな少女だったはずだ。それがラストになっていきなり「ヤンキー的側面も持ってるんだぞ、おらおら?」と言われても、確かにヤクザを父に持つ関西生まれという設定はあるが少々しらけてしまう。オタクがオタクのままでヤンキーと友達になったり、他の人と楽しい人間関係を築くといった展開にはできなかったのだろうか。
 詰まるところ、オタク否定映画の域を脱していなかったなというのが感想である。別の肯定しろとも思わないが、世界に名だたるオタク大国日本でいまだにちゃんとオタクをエンターテインメントにした作品があまりないのは何故だろうか。『七人のおたく』じゃあなあ。『ギャラクシー・クエスト』(1999)とまでは言わないが物語はいかようにも作れると思う。
ロリータファッションブランドの社長や桃子の祖母である樹木希林など脇役も良かったので残念。
劇中でジャスコが何度も「田舎、ださい」の代名詞として登場するが、ちゃんとその名がエンドロールの協力企業に含まれている。これにOKを出したジャスコ側はなかなか洒落が分かってるじゃないか。

 そうそう、『キューティーハニー』は下着姿で街中を走り回るハニーがコンビニで飯を調達して変身するところまでは見ましたが、そこでお互いに「これは耐えられない」ということになって電源をオフにしました。始まっておよそ3分ほど。
もしかしたらそこを我慢すればメチャメチャ面白くなるのかも知れませんが、まあどうでもいいや。というか、どう考えても面白くなるとは考えられない。わたしはてっきり『月曜ドラマランド』かと思ったよ。

『ジャズ大名』(1986) 85分 1986/04鑑賞

監督:岡本喜八 製作:山本洋、小林正夫 原作:筒井康隆 脚本:岡本喜八、石堂淑朗 撮影:加藤雄大 美術:竹中和雄 編集:黒岩義民 音楽:筒井康隆、山下洋輔
出演:古谷一行、財津一郎、神崎愛、岡本真実、殿山泰司、本田博太郎、唐十郎、利重剛

 写真は『ジャズ大名』のパンフレットである。わたしの宝物の一つだ。
 1970年代から80年代の映画館やテレビで放送されていたハリウッド映画で育ったわたしにとって、日本映画とはあか抜けず古くさくテンポが悪いという「イカさない・野暮ったい」存在だった。そんな中、高校三年生になった時に筒井康隆の短編小説が映画化されたというので名古屋まで観に出かけた。住んでいた半田市から名古屋までは名鉄電車の急行で片道30分、往復の交通費で約1,000円かかり映画館の入場料を含めると結構大きな出費だった。だが、そこで出費を嫌がって観に行かなかったとしたらその後のわたしの人生は違っていた物になったかも知れない。

 時はまさに幕末、幕府側と倒幕側がなにやらきな臭い動きを繰り広げている中、駿河の小藩である庵原藩の藩主(古谷一行)は口うるさい家老(財津一郎)の目を盗んでは篳篥(ヒチリキ、小さめな笛)を吹いているだけで天下大事の出来事にはまるで興味を示さない。
 そこへ奴隷解放によってアメリカから貨物船でアフリカに帰ろうとした3人の黒人が、嵐の最中に船から逃げ出し庵原藩に流れ着く。面倒事を怖れた家老によって城の座敷牢に放り込まれた黒人たちだったが、こいつらは根っからの音楽好き。牢屋だからと大人しくしているはずもなく、船から持ち出した命の次に大切な楽器でさっそくアメリカ南部で流行中のリズムで演奏を始める。
 これを聞きつけた藩主は地下牢へと行き、彼らから借りたクラリネットで演奏に加わる。そして地下牢では一大セッションが始まる。その間に、街道代わりにされた城内をええじゃないか騒動や幕府軍、官軍が通り過ぎ、ついにはラーメンの屋台を引いたタモリまでが通り過ぎ、いつしか徳川の世は終わり明治になっていたのであった。

 ストーリーの無茶苦茶ぶりも嬉しいが、なにより「日本でもこんな映画が撮れるんだ」というのがわたしには衝撃的だった。それ以降、これまで観てこなかった過去の日本映画も積極的に観るようになり、そこで数多くの魅力的な作品に出会った。もしも『ジャズ大名』を観ていなければその出会いがあったとしても遅くなり、ひいては今の私のそれとは映画の見方が違っていたかもしれない。
 音楽・ジャズについての知識はほとんどないが、「タラリタラリラタラッタ?」で始まるメロディが映画の全てを支配して、テーマや主張などがあるにしてもそれを吹き飛ばしている。
ジャズは実は日本で誕生していたとか、テキサスやルイジアナが舞台のシーンをどうしたって日本にしか見えないところで撮影してしまう太々しさ。細かい辻褄の穴を変に隠し立てせず勢いで押し通してしまう強引さ。これらパワー主体の演出が後半のジャズセッションで見事に爆発する。
まったく、日本という国が二つに割れての明治維新という戦争を、ジャズセッションで乗り切ってしまうとは反戦映画にもほどがある。

 パンフレットの序文で岡本喜八監督の言葉として
「なにしろ/五年ぶりに撮る映画です/五年も間があくと/いま六十二歳ですが/二十六歳の新人監督の気分になります(以下略)」とある。
五年ぶりに映画を撮った六十二歳の監督はその後『大誘拐』(1991)、『EAST MEETS WEST』(1995)などを撮り、『助太刀屋助六』(2001)を遺作にこの19日午後0時半、食道ガンのため亡くなった。
新作の企画も進行中だったそうだ。『EAST MEETS WEST』以降は正直ちょっと・・・という作品だったが、最後まで現役であり続けた岡本喜八氏に敬意を表すると共につつしんでご冥福をお祈りする。

 ともあれ、東宝にはとっとと『独立愚連隊、西へ』と『殺人狂時代』などをDVDで出してもらいたいものだ。若い人たちにとってこれらの作品を観る機会がほとんどないというのは日本映画にとってマイナスだと思う。

『勝利者たち』(1992) 日本 105分 1992/10/17鑑賞

監督:松林宗恵 製作:円谷皐 プロデューサー:鈴木清 原作・脚本:長坂秀佳 撮影:加藤雄大 美術:岩崎憲彦 編集:黒岩義民 音楽:渡辺俊幸
出演:三國連太郎、大原麗子、ハナ肇、佐藤允、大滝秀治、長門勇、宍戸錠、司葉子、財津一郎、丹波哲郎、天本英世 、円谷浩

倒産寸前の造り酒屋の社長が食通の大富豪から融資を受けるために腕利きの仲間を集めてゲートボール大会に出るという、“ゲートボール”+『がんばれ!ベアーズ』+『七人の侍』的映画。
メジャー作品としてゲートボールが題材になったのはこれが初めてで、ついでに現在までの所これが最後となっている。しかも劇場公開はされた物の、ビデオ化もされておらずテレビで放映されたことがあるかも怪しいという、一種の『幻の映画』となっている。知り合いに映画好きは結構いるが、『勝利者たち』を観ているのはどうやらわたしだけらしい。喜んで良いのやら。

南伸坊が描いたイラストの登場人物がくるくる回転しながら入れ替わっていくオープニングクレジットは割と好き。
企画には円谷プロが関わっていて、ハナ肇が放つ名前は忘れたがクルクルッと円を描きながら進んで最後にジャンプをしてからゲートをくぐる秘打などゲートボーラーたちの技が特撮で描かれる。「なんやねん、それ」とスクリーンにツッコミをメチャメチャ入れたかったが周りの観客に迷惑をかけちゃいけないと我慢した。
公開2週目の土曜日にしては閑散とした人の入りなのだが、なにせ“ゲートボール協会協賛だか協力だか”作品でそちら経由にて前売り券が出回ったらしく観客席に座っている人の年齢がずいぶんと高い。四字熟語で言えば『老老男女』といったところで、20歳ぐらいの客と言えばわたしだけ。そんな状況下でツッコミを入れたら「おい大阪のお兄ちゃん、ゲーテベーレを馬鹿にするんじゃない!」と怒られかねん。東京の映画館(確か有楽町か銀座だった)なので江戸っ子ジイさんのお説教が怖い。「いや、大阪弁なのはツッコミという性質から便宜上そうしただけなんです」と言っても聞く耳も持ってくれなさそうだ。あ、ゲーテベーレはゲートボールの江戸訛りね。山下洋輔が『糸井重里の萬流コピー塾』(古いね)でそう呼んでた気がする。
出演者を見てもらえば分かるが豪華キャストで、造り酒屋の社長が三國連太郎で『美味しんぼ』の海原雄山を思わせる食通が丹波哲郎。ハナ肇や宍戸錠はゲートボーラーで、『独立愚連隊』(1959)などの佐藤允が久しぶりに元気な姿を見せてくれたのが嬉しかった。ラストにいる円谷浩は名字から分かる通り円谷一族で円谷英二の孫に当たる。『宇宙刑事シャイダー』で主人公を演じたほかに昼メロなどで見かけたことがある。
最初に小学生チームと対戦するが大敗を喫っし、それが逆に団結や踏ん張りに結びついていくというシチュエーションは前年の『シコふんじゃった。』(1991)にほぼ同じシチュエーションがあったり、ヘビメタがチームを組んで出場していたりと、何度もおいおいと出かかるツッコミを抑えている内に予定調和で勝利やある人物の死が描かれ映画は終了。ええーい、ジイさんバアさん泣くな、こっちまでなんだか泣けてくらぁ。

『シンガポール・スリング』(1993) 104分 1993/09/18鑑賞

監督:若松孝二 製作:山科誠 プロデューサー:鍋島壽夫、小嶋敏治、川越和実 企画・原案:徳永英明 脚本:丸山敏治、上野火山、若松孝二 撮影:鈴木達夫 美術:デビット・コッピィング 編集:鈴木歓 音楽:徳永英明
出演:加藤雅也、秋吉満ちる、白竜、原田芳雄、デビッド・ハドソン、レイフ・チャールトン

近所にセルフ式ガソリンスタンドがオープンしたとのチラシが入っていた。
愛車のFUELメーターも半分を切っていたので様子見がてらガソリンを入れに出かけた。
地図に書かれた所在地にはただだだっぴろい更地があるだけで、「いらっしゃいませ」と出迎えた店員がわたしにツルハシとヘルメットを渡してきた。
「スタンドを建てるところからセルフでやれってか」
むっとしたわたしの問いに店員は笑顔のまま応えた。
「いいえ、油田を掘り当てるところからですよ」

・・・セルフ式ガソリンスタンドも軒数が増えかなり普及してきたようである。
だが1993年頃にはセルフ式ガソリンスタンドはまだ日本にはなく外国映画の中などでしか見かけない馴染みの薄い物だった。
加藤雅也と秋吉満ちるが演ずる若い男女は新婚旅行でオーストラリアを旅行中で、二人もまたセルフ式ガソリンスタンドなど知らなかった。
レンタカーでドライブ中にガソリンスタンドに入った二人は店員に窓を拭いてくれるよう「ウィンドウ、クリーン、クリーン」などと片言の英語で話しかけ窓を拭くジェスチャーをするが、店員からは「自分でやれ」と雑巾を投げ渡されるだけだった。
「なんだよ」「サービス悪いね」などと文句を言い合う二人だが、外国では窓を拭く無料サービスは一般的ではない。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』における1955年のシーンでは、ガソリンスタンドに入ってきた車に店員が4?5人がかりでよってたかってボンネットを開けて点検したり窓を拭いたりのサービスづくしをしているが、あれも景気の良い時代の象徴であって1985年から訪れたマイケル・J・フォックスには時代のギャップを感じされる物の一つだ。
このガソリンスタンドのシーンに象徴されるように主人公の二人はごく普通の日本人だった。その危機感の無さからボディガードに囲まれリムジンに乗った男を「あれ、有名人かな?」などとカメラを向けパシャパシャと写真を撮ってしまう。ところがその男が有名人どころか犯罪組織の幹部でオーストラリア政府高官との密談中の光景だったために、二人は犯罪組織に目を付けられることになる。
犯罪組織は当然カメラを奪いに来るが、そのカメラがあるトラブルでオーストラリア暮らしをしている原田芳雄に持ち去られていたために、代わりにホテルの部屋にコカインを置いて警察に密告し、結果加藤雅也は刑務所に入れられてしまう。そして秋吉満ちるは夫を助けるため日本大使館や弁護士などへと奔走する・・・

とりあえず監督が若松孝二なので劇場に行ったが、なんで『壊れかけのRADIO』の徳永英明が原案・企画の映画なんか観なきゃいかんのよと思っていた。だが、外国の生活習慣などを知らない平和慣れした日本人がそれゆえに事件に巻き込まれているとく導入部はなかなか面白い。
若松孝二とは縁の深い原田芳雄が過去を背負い放浪の果て異国で暮らす男を演じていて、日本映画ではなかなか描きにくいタイプのキャラクターに説得力を感じさせるのはさすがだ。
オープニングでは片言の英語しかしゃべれなかった二人が、いざ刑務所に放り込まれ片やオーストラリアで一人暮らしをして事件に挑んでいくととたんに英語がペラペラになるというのは事件の発端から考えると違和感があるが、英語をしゃべれないままだと話が進まないし、日常会話レベルで英語を話せても外国での危険な行動を知っているいないはまた別なので、二人とも実地レベルでの英語の上達がものすごく早かったということで納得しておこう。
オーストラリア原住民アボリジニの男やその仲間が関わってくるがこれは取って付けたようで少々蛇足だった。もう少し突っ込んで描くか、いっそのことない方が良かった。
脱獄から終盤にいたるアクションシーンは想像される製作予算から考えると悪くはない。
しかし、なんでオーストラリアを舞台にした映画のタイトルが『シンガポール・スリング』なのかは未だに謎のままだが。

『スウィングガールズ』(2004)

監督:矢口史靖 製作:亀山千広/島谷能成/森隆一 プロデューサー:関口大輔/堀川慎太郎 エグゼクティブプロデューサー:桝井省志 企画:関一由/藤原正道/千野毅彦 脚本:矢口史靖 脚本協力:矢口純子 撮影:柴主高秀 美術:磯田典宏 編集:宮島竜治 音楽:ミッキー吉野/岸本ひろし 録音:郡弘道 照明:長田達也 助監督:片島章三
出演:上野樹里/貫地谷しほり/本仮屋ユイカ/豊島由佳梨/平岡祐太/あすか/中村知世/根本直枝/竹中直人/白石美帆/谷啓

『ウォーターボーイズ』(2001)はいわば周防正行の『シコふんじゃった。』のコピーである。
『シコふんじゃった。』の学生相撲を男子シンクロナイズドスイミングに置き換え、そこから“隅々にまでちりばめられた豊富なアイディア”と“魅力的な出演者”と“テンポのよいギャグによる笑い”などなどを引いた劣化コピーが『ウォーターボーイズ』の正体に他ならない。
もとより『シコふんじゃった。』が『がんばれベアーズ』をはじめとするハリウッド映画をオリジナルに持つことは百も承知しているが、それを取り込み咀嚼吸収して自らの物としてしまうところが周防正行のすごさである。
だが矢口史靖は新作『スウィングガールズ』(2004)で“男子シンクロナイズドスイミング”を“女子高生によるジャズバンド”に置き換え自らの作品を劣化コピーする。撮れば撮るほど悪くなっていく様は、アナログVHSビデオテープのダビングコピーで画質が加速度的に落ちていくかのようだ。
矢口には「ひょっとしたら傑作を撮ってやろうという野心」を見え見えにして持っている。だが、悲しいかな傑作を撮れるだけの才覚も度量も持ちあわせていない。
そして「娯楽作品として面白い映画・楽しい映画を作るために全力を尽くそう」という良心が徹底して欠けている。
どのみち、日本映画史の残るような作品を撮れる人物ではないのである。せめて矢口が才能のなさを自覚し「自分には傑作を撮ることなと到底かなわないのだ」という挫折感があればまだ映画の撮りようはあるのだが、この御仁は何を勘違いしたのだが自分には才能があると強く思いこんでいるものだから始末が悪い。
“自主映画”という閉鎖的な世界で監督として一度完結してしまい、商業用映画を撮ることになっても精神的にはその居心地の良い場所から出てこようとしないのだ。オリジナルを何一つ生み出すことなく、かといって優れた模倣も出来ず、深い自己満足の中で繰り返すのはただ劣化コピーのみ。

わたしがもっとも嫌悪する二流監督の一人がここにいる。

『ザ・サムライ』(1986)

監督:鈴木則文 製作:鈴木則文 原作:春日光広 脚本:志村正浩/鈴木則文 撮影:苧野昇 特殊メイク:原口智生
出演:中村繁之/松本典子/大沢樹生/朝丘雪路/堀江しのぶ/相田寿美緒/宍戸錠/渡辺裕之/菅原文太

いやー、この作品は傑作だと思うわけですよ。マジでマジで。
前半は割と普通の学園コメディなのですが(常に日本刀を携えたアナクロ男子が主人公で、女体アレルギーを治すためにレオタード姿の同級生たちが踊るのを間近で見て耐えるというのが“普通”なのかは疑問が残りますが)、中盤に主人公のライバルでハイテク好き外国好きな転校生南藩都来が垂直離着陸戦闘機ハリヤーに乗って登場する辺りから良い意味でどんどん道を踏み外していきます。
このハリアー、フルスケールで作られていて合成無しで校庭に着陸します。『トゥルーライズ』(1994)の8年先を行ってます。絶対この映画を観てるなジェームズ・キャメロン。と誰だ、クレーンで吊っているワイヤーがバレバレだとか言ってるのは。そういうときは脳にフィルターをかけて、目には見えてるけど頭の中に映った映像では取り除かれていることにするべきです。ワイヤーが見えるという重箱の隅など、実物大のハリヤーという非日常が高校の校庭という日常に、いかにも当然といった顔で着陸するインパクトの前ではどうでもいいことです。それに『ブレード・ランナー』(1982)のスピナーだって、ハリソン・フォードを乗せて発進するシーンでは雨で上手く隠しているもののワイヤーが丸見えです。まだCG処理でワイヤーを消すといった技術がなかった時代なのですから、文句を言っても意味がありません。
他にも、文化祭で作ることになった映画に全長3メートルはある茶坊主人形が出てきたり(もっとも主人公の妄想としてですが)、原作で主人公の顔が変形するのと特殊メイクで再現していたりと、プログラムピクチャーで低予算であったろうにも関わらず色々工夫が凝らされています。
オープニングで主人公血祭武士が剣豪荒木又右衛門になった夢を見ており、鍵屋の辻での32人斬りが再現されます。わたしの記憶だとこのシーンは1カット長回しだったんですが、10数年ぶり観直したら違ってました。長回しのカットはあるんですけどね。ストーリーには関係しないおまけ的シーンであるのに、中村繁之が町中を走りながら敵をばっさばっさ斬り倒していく様はなかなかにかっこよく、『あずみ』なんかよりはるかに上です。
なに気に豪華キャストでして、主人公の母親が朝丘雪路(好演)、その母親に惚れて結婚を申し込むのが宍戸錠(任侠)、チンピラに絡まれている主人公を助ける流れ者が菅原文太(トラック野郎)、そして主人公のグラマーな姉が堀江しのぶ(合掌)。
血祭武士の中村繁之と南藩都来の大沢樹生は当時ジャニーズ事務所なので、ジャニーズ映画でもあったりします。セーラー服を着て「クセになっちゃう」とか言ってる大沢樹生が後に光GENJIの一員として一大アイドルになるとは誰が思ったでしょうか。
かなりごちゃ混ぜでところどころ破綻もしていますが、それを補ってなお余りある魅力を持ったバカ映画。さすが鈴木則文です。

『その男、凶暴につき』(1989) 監督:北野武 製作:奥山和由 製作協力:森昌行 脚本:野沢尚 出演:ビートたけし/白竜/川上麻衣子/佐野史郎/芦川誠/吉澤健/寺島進/石田太郎/岸部一徳

(公開時執筆)
「あっ、ひいちゃう、ひいちゃう!」 そして本当にひいてしまう。
しかも二度もひいてしまう。
部屋に入ってくるなり、岸部一徳を撃ち殺す。突然だ。
何もかもが突発的だ。計算とか思惑とか言った物で構成された映画ではないのだ。
そもそも暴力とか凶暴とか言った物は、血がドバドバ出るとか頭が吹き飛ぶといった即物的なものではなくて、人間の内側にある闇の部分から生み出される物だ。
北野武はそういった人間のダークサイドを淡々とした描写の積み重ねて描き出した。
カメラは事実のみを追いかける。我妻を追いかける。追い続けた先には、結局死しかなかった。

『その男、凶暴につき』だ。
単純なようで、いや単純だからこそ言葉にするのが難しい映画だ。
さきに述べた車のシーンも、トイレでビンタするシーンも映画の中の一つの出来事であって、それが起きたことよりも、それがなぜ起きたのかの方が重要なのだ。
では、なぜ起きたのか、何が根底に流れているのか。
それは「狂気」ではないだろうか。
そう、この映画は「狂気」の映画なのだ。
我妻が麻薬組織を追い続けるのは、刑事としての正義感からでも義務感からでもない。彼の中の狂気がそうさせたのである。
相手はなんであっても構わなかった。たまたま目の前に清弘達がいただけのことだ。

だいたいこの映画の主要登場人物は皆気違いだ。
清弘は当然気違いであるし、灯にいたっては精神病院出の医者の保証付きの気違いだ。
ラスト近くのおっさんのセリフ「こいつらみんな気違いだ」は、そのまま事実なのだ。
まあ、この映画の場合いろいろとブラックユーモアと言われそうなものが出てきたが、どれが一番ブラックかというと、やっぱりこの「こいつらみんな気違いだ」だろう。
TVで放送するときには、「こいつらみんなピーだ」になるんだろうか、やっぱり。

カメラはひたすら我妻の歩く姿を撮り続ける。
我妻は歩いていく。どこに向かって?
破滅に向かってだ。

ラスト、菊池も歩いていく。どこに向かって?
我妻とは違う形だが、彼も破滅に向かって歩き出したのだ。

しかし、たけしもいきなりスゴい映画を撮ったものだ。観る前からある程度スゴいだろうとは思っていたが予想をはるかに上回っていた。
2作目を撮らせてもらえるかは少々疑問だが、ぜひとも撮ってもらいたいものだ。個人的に期待している。

『新宿鮫』(眠らない街 新宿鮫) 監督:滝田洋二郎 原作:大沢在昌 脚本:荒井晴彦 出演:真田広之/ 田中美奈子/室田日出男 /奥田瑛二 /松尾貴史

  最近の携帯電話は小さくなりましたね。
 思い起こせば小説『新宿鮫』の一作目は改造拳銃による連続殺人というストーリーでした。
 一見拳銃には見えないものに偽装してあるのですが、これが携帯電話なのです。
 小説が発表された1990年当時は携帯電話といってもショルダーバックのような形状・大きさで電話というよりお前は戦争映画の通信兵かっ!みたいな感じでしたので小説を読んで「うむ、なるほどっ」とうなったものです。
 しかし、1993年に映画化された頃にはすでに携帯電話はムーバが発売されており(92年にはブルース・ウィリスによる『ダイハード』そのままなムーバのCMがありました)大きさも小さめのトランシーバーぐらい。そのため、ショルダーバック型携帯電話を持った男が登場した瞬間に 「今時そんな携帯電話使ってるやついねーよ。っつーかお前が犯人だろ」ってんでダメダメでした。
 ロックミュージシャンの晶がクスリをやっていて鮫島に叱られるシーンは原作ファンにとって噴飯物の出来。晶は時に危ないぐらい真っ直ぐな娘で、クスリをやったりしないっつーのに。ロックをやってるやつはクスリもやってるだろという安易な造りだから、原作のトリックがすでに通用しなくなっているのにそのまま使ってしまうという愚行を許したんでしょうな。でも脚本は荒井晴彦なんだよなぁ。
 真田広之は嫌いじゃないけど絶対に鮫島警部のイメージではないし、晶役の田中美奈子にいたっては論外。監督は滝田洋二郎なんでこれもイマイチ。
 原作は人気シリーズとなってその後も続きましたが、映画は一作目で終わってしまいました。まぁ、それも無理ないことでしょう。

『ジュブナイル』

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『ジュブナイル』 (2000) 監督・脚本:山崎貴 出演:香取慎吾/ 酒井美紀/鈴木杏/遠藤雄弥/清水京太郎/YUKI

 SFX出身だけあって、SFXの使いどころは上手いといっていいでしょう。他のシーンとSFXの出るシーンの落差が無く、自然でしたねぇ。
 ただし、誉めれるのはそこまで。
 ストーリーはありきたり、子役が下手というか演出が不自然、オチ読める。はっきりいって、どーちゅーことのない作品です。凡庸です。
 子供がこれを観て面白いかというんでしょうか?自分が子供になったつもりで観てみましたが、つまりませんでした。
 あんまりつまらないんで頭に来たぐらいつまらない。

「ある一夏の冒険。
大人には秘密の僕たちだけの冒険。
そこには未来から来た友達がいて、地球を狙う宇宙人との戦いが待っていた。」

 これだけだと、心を惹かれるかも。
 でも、映画を観ていても胸がすこしもワクワクしません。
 なぜでしょう?

 子供部屋の押入れにこっそりテトラ(謎の小型ロボット)をかくまうことになりますが、その子供たちの日常が見えてこない。 画面に描かれているのは表層的部分だけで、作り物のセットの中で子供たちが作り物の演技をしているようにしか感じられないんですわ。子供の息吹が全然感じられない。
 かえって、香取慎吾演ずる変人にして天才の神埼やヒロイン岬の従姉の大学生の出てくるパートのほうが、まだ多少は人物を描けています。 香取慎吾に関しては監督の演出というより、 香取慎吾自身の力の方が多分大きいでしょうね。
 結局、子供のための子供が主役の映画といいながら、 致命的なことにその子供を描くことができていない。SFXがいかに上手でも、映画というものは突き詰めれば人間を描くものです。そういった点で考えれば明らかにダメダメな駄作でしょう。
 観客の子供たちは、自分たちが主役になったように感じられる作品を待っていたはず。 残念ながら、悪い意味で『子供だまし』の作品で終わってしまっています。
 せめて脚本は他の人の手を通すべきでした。これでは監督による監督のための映画、つまり自主映画です。 自分だけ満足してどうするんですか。 観客を満足させましょう。

 あと、ラストシーンですが、映画冒頭のセリフである意味ネタわれしているシーンなのに無駄に長い。
 監督兼脚本家としてはあっと言わせるつもりなんでしょうが、 そもそもバレバレなんだから、ダラダラいかずにサラッと粋に終わらせましょうよ。
 あんなラスト、これまでのSF小説やSF映画でさんざん使われたオチじゃないですか。それを、あんな自信満々にやらなくても。恥ずかしくないのかな。

 ガンゲリオン(テトラの作った人が搭乗するロボット。サイズ的には高さが家の2階の窓ぐらい。ボトムズぐらいの大きさかな、例えれば)と宇宙人の侵略艇が戦いになるような展開になってきたので、期待していたのですが、単にガッコンガッコンぶつかるだけ。カタルシスがなかったですね。

結論
 お金と暇があって、現在の日本のSFX技術に興味のある人ならば観に行ってもいいかも。
 『漂流教室』ぐらいには楽しめるかもしれません。『漂流教室』?っつーことはつまらんってこと?そのとーり!

『さくや 妖怪伝』

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『さくや 妖怪伝』 (2000) 監督:原口智生 脚本:光益公映  特技監督:樋口真嗣  出演: 安藤希 榊/嶋田久作/逆木圭一郎/黒田勇樹/塚本晋也/山内秀一/丹波哲郎/藤岡弘/松坂慶子

 予告を観た限りでは割と期待していたのですが・・・
 霊山富士が噴火、地の底から妖怪たちが湧き出てくる。その妖怪たちと妖怪討伐士さくやとの戦いが繰り広げられると思っていたのですが、戦い以外のドラマの部分の比重が大きく、それがまたチープ。
 さくやと、その義理の弟である河童の太郎との種族の違う姉弟の絆がテーマなのかも知れませんが、それには 脚本の練りが足りないんじゃないの?と思わせる出来でした。
 あと、妖怪がいつ襲ってくるのか分からないのに旅の道中がまるで水戸黄門の一行のようなのん気さです。
 「腕の立つ連中だ」とお供になった忍者はほとんど役に立たないし、せっかく出演した塚本晋也も上手く使われていない。
 『妖怪ハンターヒルコ』を撮った実績があるんだから(好きな映画です)、いっそのこと塚本晋也が監督すればよかったのに。
 巨大松坂慶子には思わずスクリーンに物を投げそうになってしまった。

 あと、主人公さくやを演じる安藤希の刀の構えが決まっておらず、殺陣がかっこよくない。
 冒頭にさくやの父親として藤岡弘氏が特別出演しており、藤岡氏の殺陣を観てしまった分、余計と差を感じてしまいます。
 藤岡氏は刀道、柔道、空手など各種武芸の有段者ですから格は違うのは分かっています。
 しかし、ねぇ。
 『マトリックス』でキアヌ・リーブスたちがクンフーを披露していますが、あれはVFXだけによる物ではなく、2?3ヶ月の集中トレーニングがあってこそのものです。
 安藤希も数ヶ月ぐらいは刀の特訓し、殺陣の出来る女優になってからにして欲しかったですね。

 ワーナーと組んで、この映画は世界進出を狙ってるらしいですが、海外版はかなり編集で切らないと通用しないのではないでしょうか?ってゆーか、通用しないよぉ。
 特技監督を樋口真嗣がやっているので、ミニュチュアの破壊シーンはいいですけどね。
 でも、途中でおまけ的に出てくる『三つ目入道』や『から傘』は30年前の特撮並み。大映の『妖怪大戦争』かと思ってしまった。おいおい・・・

 『ジュブナイル』、『さくや妖怪伝』と、この夏の日本の特撮映画は特撮技術の向上は見られるものの、それだけに終わっています。
  まず、映画としての技術を持ちましょう。
 ってゆーか、つまんないっす。

『座頭市』(2003) 監督:北野武 出演:ビートたけし、浅野忠信

 『座頭市』と言えば勝新太郎である。勝新太郎と言えば座頭市なぐらいの当たり役だ。
 『座頭市』 (1962?1973、1989)は子母沢寛の原作ということになっているが、実際には随筆集『ふところ手帖』に「天保のころ、座頭の市という盲目の居合い抜きの達人がいた」とたった数行書かれているだけらしい。
 より重要なのは勝新太郎が極悪な盲目の按摩氏を演じた『不知火檢校』(1960)だろう。そのキャラクターに居合い抜きを合わせて生み出されたのが名匠三隅研次の『座頭市物語』(1962)だと思われる。
 なにせ1989年の松竹版を合わせて26本も作られたシリーズであり、座頭市と勝新太郎というのは切っても切れない関係である。その座頭市を北野武はいかに映画化するのか?それが不安ではあった。
 結局武がどうしたかというと、『座頭市』のリメイクしたのではなく主人公の名前と居合い抜きの達人という設定だけを持ってきて、これまでのシリーズとは関係のないまったく新しい映画を作ってしまったのである。つまり過去の作品の延長線上に存在するわけではないのだ。
 だからこそ金髪なのである。「時代劇なのに金髪なんて」と文句を言っていた人もいるが、あの金髪はもちろん意図があってのものなので文句を言う方がアレである。
 勝新太郎の座頭市が坊主頭であったが故にビートたけしの座頭市は金髪でなければならなかったのだ。
「これは『座頭市』のリメイクではなく、まったく別の映画である」という制作側のメッセージを象徴したのがあの金髪なのだ。多分。
 観る前ならともかく映画を観た後でも金髪をあーだこーだと言っている映画評論家はまったくもって“頭が悪い”の一言である。

 『座頭市血煙り街道』(1967)はルトガー・ハウアー主演で『ブラインド・フューリー』(1989)として忠実にリメイクされた。このリメイクは『座頭市』を“現代”の“アメリカ”に連れてくるという大技をもって可能だった。
 だが北野武の『座頭市』はリメイクではない。勝新太郎版とは違う、まったく新しい座頭市なのだ。

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