洋画 ア行の最近のブログ記事

B002SSSUGI.jpg『エスター』(2009) ORPHAN 123分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES、DARK CASTLE

監督:ハウメ・コジェ=セラ 製作:ジョエル・シルヴァー、スーザン・ダウニー、ジェニファー・デイヴィソン・キローラン、レオナルド・ディカプリオ 製作総指揮:スティーヴ・リチャーズ、ドン・カーモディ、マイケル・アイルランド 原案:アレックス・メイス 脚本:デヴィッド・レスリー・ジョンソン 撮影:ジェフ・カッター プロダクションデザイン:トム・マイヤー 衣装デザイン:アントワネット・メッサン 編集:ティム・アルヴァーソン 音楽:ジョン・オットマン 
 出演: ヴェラ・ファーミガ、ピーター・サースガード、イザベル・ファーマン、CCH・パウンダー、ジミー・ベネット、アリアーナ・エンジニア、マーゴ・マーティンデイル、カレル・ローデン、ローズマリー・ダンスモア

 めでたく3人目の赤ちゃんを身ごもったケイト・コールマン(ヴェラ・ファーミガ)だったが、運悪く流産という悲劇に見舞われてしまう。それは、アルコール中毒患者だった経験のあるケイトの精神に耐え難い苦痛をもたらし、コールマン家の安定を脅かしかねない事態となる。
 そこで夫婦は養子を迎えることを決意、地元の孤児院を訪れる。するとケイトは、聡明で大人びた一人の少女、エスター(イザベル・ファーマン)に惹きつけられる。彼女を養子として引き取ることにしたケイトだったが、やがてエスターの恐るべき本性に気づいてしまい......

 マコーレー・カルキン君&イライジャ・ウッドの『危険な遊び』などの悪魔の子供系のサスペンス・ホラー映画に思える。それが終盤のどんでん返しでそうでないことが分かるのだが。
 監督は『蝋人形の館』のハウメ・コジェ=セラ。その間に『GOAL2!』を撮っているのがよく分からない人だが、『蝋人形の館』と同じく恐怖を描いてくれている。恐怖という面ではこの作品の方が強いだろう。
 一見、純粋無垢な女の子が実は非情な殺人鬼で、これまでも放火で一家皆殺しにしてきたり、この作品中では彼女の素性に疑問を持った孤児院のシスターをハンマーで殴り殺す。最初は良い子のエスターが本性を現していく過程が怖ろしい。
 自分をいじめた子を滑り台の上から突き落とすぐらいはまだ可愛いのが怖ろしい。
 エスターはケイトの実の子である兄と妹を巻き込んで一家を身動き取れないようにする。
 特に妹マックス(アリアーナ・エンジニア)はエスターにシスター・アビゲイル(CCH・パウンダー)殺しの共犯者の汚名を着せられて、ただでさえ聾唖者で他人とのコミュニケーションが取れないのを利用されてひどい目にあわされる。
 兄のダニエル(ジミー・ベネット)はツリーハウスに火を着けられて出入り口に鍵をかけられ、決死の思いで飛び降りるが病院のICU行きになりそこでエスターに息の根を止められそうになる。
 夫のジョン(ピーター・サースガード)がエスターに誘惑されそうになる時に、どんでん返しのはしっこが見えるがあの時点でオチが分かる人はそうはいないだろう。単に大人びた子供としかとらえられないはずだ。オチが分かってしまえば、ダニエルを脅すのもジョンをたらし込むのも、ましてやマックスを支配下に置いてしまうのも納得出来る。
 大人は殺すが子供は殺さないのがハリウッド映画の限界か。でも、実際に殺されたら後味が悪いったらないからこれでいいのだ。
 伏線の張り方が徹底していて、ケイトのアルコール依存症やジョンの浮気、などなど全て上手く機能している。ケイトのアルコール依存症の過去は流産した子の想い出である白いバラをエスターがケイトに摘んできてカッとなったケイトがエスターの腕を掴むシーンに活かされている。その後、エスターは自ら捕まれた腕を万力で骨折させて、ケイトを追い込むのだ。この万力のシーンは見ていて痛い。
 憎らしいくらいにエスターの頭がよいと思ったシーンは、ツリーハウスの火事で瀕死の重傷を負ったダニエルの口を封じるためにエスターが彼を殺そうとするシーン。ICUでは患者の脈拍が常時、記録されているので、彼女はバレないようにと自分の脈拍をその代わりにする。
 カウンセラーにかかった後に、カウンセラーの前では良い子を演じたストレスからかトイレの中で暴れるシーンは怖かった。狂ったように壁を蹴ってトイレットベーパーもまき散らしながら暴れるのだ。
 ケイトがエスターの出身地ロシアの孤児院に連絡を取ったところ、精神病院に繋がってしまうところがこの映画の肝だ。そこでエスターが首と両腕首のリボンを決して撮らなかった理由が分かる。しかし、こんな孤児を悪人に描く映画を撮って実際に孤児を引き取る人が少なくなったらどうするんだろう。
 エスターの部屋には、彼女の描いた数多くの絵が貼ってある。それが水槽のブルーランプで照らされた時、彼女の歪んだ欲望が浮かび上がる。彼女は自分の欲求を解消するかのように殺人を繰り返してコールマン家にやって来た。怖ろしい。子供は殺さないが大人は殺すので自分の誘惑に乗ってこなかったジョンもナイフで刺し殺す。恥をかかされた女は怖ろしい。
 もしも彼女がコールマン家での活動も成功していたら次の家庭に行ったのだろうか。そしてそこも破綻に追い詰めたのだろうか。

B001UFTOWY.jpg『エグザイル/絆』(2006) EXILED/放・逐 109分 香港 銀河映像(香港)有限公司

監督:ジョニー・トー 製作:ジョニー・トー 製作総指揮:ジョン・チョン 脚本:セット・カムイェン、イップ・ティンシン 撮影:チェン・シウキョン 音楽:ガイ・ゼラファ、デイヴ・クロッツ
出演:アンソニー・ウォン、フランシス・ン、ニック・チョン、ラム・シュー、ロイ・チョン、ジョシー・ホー、リッチー・レン、サイモン・ヤム、ラム・カートン、エレン・チャン、エディー・チョン、ホイ・シウホン、タム・ビンマン

 なんでも脚本なしで撮られたと言うが、さすがにそんなことはないだろう。と思っていたらそれも納得な行き当たりばったりのストーリーだった。
 作風はサム・ペキンパーとセルジオ・レオーネを思わせる。幼なじみだった5人の男が、その内ボスを撃った男ウー(ニック・チョン)の殺害命令を下され4人の男の内、2人が殺す側、2人が守る側に回る。組織に対する義理と幼なじみに対する人情の書きかけわたが見事。
 結局はみんな殺し合って死んでしまう映画なのだが、そのラストに『ワイルドバンチ』を感じさせる。銃撃戦が室内シーンがほとんどなので距離感が分からず、誰が誰を狙っているのかが把握がしづらいという欠点はある。
 ひたすらに格好良く男を描いた映画。そんな中で、退職を数時間後に控えて、事件に関わろうとしないだらしない刑事が良かった。
 男たちのロードムービーっぽいシーンもあって、彼らの友情が確かめられる。
 ウーがリボルバーに弾丸を入れる度に、ブレイズ(アンソニー・ウォン)はオートマチックのマガジンから弾を一発はじき出す。ウーが弾を込め終わった時にはお互いの残段数は同じ6発。そして『レザボア・ドッグス』のラストのような2対1の三角形の構図になる。イカすね。
 男たちを格好良く描くことが重視されていて、シナリオがいい加減なのがいかにも残念だ。ウーの奥さんの行動も謎である。4人がウーを殺したと思って敵討ちをしようとしたのだろうか。敵に殺されたのだとちゃんと説明しておけばいいのに。
 車の押しがけが2回登場したり、コインや空き缶の使い方が上手く、細かな点もちゃんと描けているのだが、全体的には大雑把なイメージがぬぐえない。それでも場面、場面が格好いいのだが。

B002UMAIQM.jpg『H.G.ウェルズのS.F.月世界探険』(1964) FIRST MEN IN THE MOON 103分 イギリス COLUMBIA PICTURES

監督:ネイザン・ジュラン 製作:チャールズ・H・シニア 原作:H・G・ウェルズ 脚本:ナイジェル・ニール、ジャン・リード 撮影:ウィルキー・クーパー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ローリー・ジョンソン
出演:エドワード・ジャッド、マーサ・ハイヤー、ライオネル・ジェフリーズ、マイルズ・メイルソン、ピーター・フィンチ

 国連宇宙機関の宇宙船が月に人類初の月面着陸を果たした。そこで英国国旗と手紙を発見した。手紙には
「ビクトリア女王に栄光あれ 1899年」キャスリン・カレンダー
 と書かれていた。
 アポロ11号による月面着陸が1969年だから月面着陸が本当に架空の話だった時代の映画だ。それもあって好き勝手にやっているイマジネーションの豊富さには脱帽。
 いたずらだ、いや真実だともめる国連宇宙機関はベッドフォードという療養所の老人に行き着き、そして彼から驚くべき話しを聞かされた。
 1899年、科学者のカボールは重力を遮るペースト状の金属物質カボライトの開発に成功。それを塗った宇宙船で月への旅に出ることにした。月面には金塊がゴロゴロしていると聞かされ一儲けを企むベッドフォードも同行することになり、発射直前にベッドフォードの婚約者ケートが転がり込み、三人で月を目指す旅に出発した。
 宇宙服代わりに潜水服を着込んで月面探検に出たベッドフォードとカボールは地下都市を建設して生息する知的生命体月の住人セレナイトに捕らえられる。

 SFファンであるレイ・ハリーハウゼンはH・G・ウェルズの『月世界最初の人間』の映画化を企画。しかし、19世紀末を舞台にした月に生物がいるという設定の映画は月は真空で生命が存在しないと分かっている現代の観客には受け入れられないだろうと製作の製作:チャールズ・H・シニアが難色を示した。結局、脚本家にしてウェルズ研究家のナイジェル・ニールが原題を舞台にしたプロローグとエピローグを付けることを提案し映画化が実現した。
 人類初の月面着陸だと思っていたら、すでに人類は月に到達していたというショッキングなオープニングで始まり物語は加速していくのかと思ったら、1899年の世界に行くと途端に呑気な雰囲気に早変わり。カボライトは家の中にあるかまどでグツグツ煮て作ってるし、手作り感覚満点だ。宇宙船も月を夢見ながらカボールが一人でしこしこと作り上げたのだろう。
 月面着陸のシーンは派手で印象的である。月面に突っ込んでゴロンゴロンと転がり、月面の突起物にぶつかって止まるという壮絶なもの。
 これはレイ・ハリーハウゼン自身が月面のジオラマにミニチュアを放り投げて高速度撮影したもので、数時間投げ続けて一番良いと思えるシーンを採用したのだとか。
 ベッドフォードとカボールは潜水服で真空の月面に出て行くが大丈夫なのかな(大丈夫じゃない)。手なんか素手のまま剥き出しなんだけど。
 セレナイトには肉体労働の蜂とセミを合わせたような昆虫型宇宙人と比較的人間に近い宇宙人がいるのだが、昆虫型宇宙人は子供が中に入ったモンスタースーツ型になっていてストップモーション・アニメーションはつかわれていない。数も出番も多いだけに残念だ。ぜひともダイナメーションでやって欲しかった。
 人間型宇宙人はストップモーション・アニメーションだが出番が少ない。これまた残念だ。
 結局、レイ・ハリーハウゼンお得意のダイナメーションはほとんど使われずに、月面地下都市での光学合成が目玉となっている。ダイナメーションとして目立つのは巨大な芋虫にベッドフォードが襲われるシーン。その芋虫をセレナイトたちがやっつけて肉を取って綺麗に骨だけにしてしまう。芋虫のクセに骨があるとは生意気な、脊髄生物だったのか、さすが月面だけあって侮れない。
 ベッドフォードは回りを昆虫型に囲まれただけで相手を谷に落とすわ殴るわ蹴るわの暴力を働くし、ケートは宇宙船を昆虫型に地下としないに運ばれ、回りを取り囲まれてハッチを開けられたところへ象撃ち用のライフルをぶっ放す。とんでもなく乱暴な奴らである。そんな中、カボールはあくまでも有効を貫こうとする。攻撃的なベッドフォートと友好的なカボールの対比が風刺的である。
 だが人間型はそんな彼らを咎めることなく、カボールに地球について説明を求めてくる。人間という物を知りたがり、そして戦争という物を知った彼らはその戦争という行為が理解出来ずに地球人が月に攻めてくることを怖れてカボライトの製法を唯一知っているカボールを地球に返さないことに決める。
 その間に宇宙船を修理したベッドフォードとケートは月に留まることを決めたカボールを残して地球に帰ってくるのであった。カボールも月面人と話している内に人類に幻滅してしまったのかも知れない。
 そして現代に話が戻ってくる。国連宇宙機関の宇宙船が月面地下基地を調べるとそこはすっかり寂れ無人になっていた。崩れ落ちる地下基地。どうやら地球の細菌が持ち込まれたことで免疫のない月面人は絶滅してしまったらしい。カボールを引き留めたのが裏目に出たのだ。
 ここだけ聞くと同じH・G・ウェルズ原作の『宇宙戦争』とそっくりそのまま同じである。だが『月世界最初の人間』のラストは意思疎通が出来るようになったカボールが月面人に戦争という危険思想を話してしまい処刑されてしまったことを匂わせて終わる。人間嫌いなウェルズらしい終わり方だ。それではあんまりだと映画版のラストは『宇宙戦争』を参考にしたのだろう。 これまで観てきたレイ・ハリーハウゼン作品の中では一番面白くなかった。ケートが透視装置を通らされる時に骸骨に透けてしまうがこれは『アルゴ探検隊の大冒険』で使われた物の流用。この辺りはちょっと笑ったが、全体的にしっくりきておらず前半のコミカルなドタバタ部分と後半のシリアスさが溶け合っていない。特に後半は退屈な部分がある。
 缶詰ばかりだと栄養が偏るとケートが勝手に生きたニワトリを何羽も宇宙船に持ち込んでおいて、それが宇宙空間で宇宙船内部を飛び回り、カボールが「私はニワトリが嫌いなんだ。ガチョウは好きだが」と叫ぶシーンなんかは好きなんだが。
 宇宙船がなんともレトロなボールのような多面体の箱型デザイン。
 座席はショックを緩和するために、ロープで作ったブランコですよ。
 ソファのようなビロードのクッション生地が宇宙船内部に張り巡らされているし、実に雰囲気があっていい。
 中にいた人が景色を見ようとカボライトの塗られたブラインドを開いただけで方向狂って太陽に突っ込みそうにはなるし、もうハチャメチャである。しかし、このブラインドの開け閉めで重力を遮って進行方向をコントロールするというアイディアは秀逸である。
お皿の上にオイルサーディンが乗っててナイフとフォークで食べてます。こりゃ栄養偏るわ。
 ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』が大砲という物理的方法で月を目指したのに対し、H・G・ウェルズが重力を遮る物質(反重力物質?)という化学的方法で月を目指したのは対照的で面白い。

B0000T09O8.jpg『アルゴ探検隊の大冒険』(1963) JASON AND THE ARGONAUTS 109分 イギリス

監督:ドン・チャフィ 製作:チャールズ・H・シニア、レイ・ハリーハウゼン 脚本:ジャン・リード、ビヴァリー・クロス 撮影:ウィルキー・クーパー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:マリオ・ナシンベーネ、バーナード・ハーマン
出演:トッド・アームストロング、ナンシー・コヴァック、ゲイリー・レイモンド、オナー・ブラックマン、ローレンス・ネイスミス、ニオール・マッギニス、マイケル・グウィン、ダグラス・ウィルマー、ジャック・グイリム、パトリック・トラウトン、ナイジェル・グリーン

 ギリシャ神話のゼウスを始めとする神様達は非常にわがまま。自分の気分次第で人間の運命を左右して幸福にしたり不幸にしたり。呑気なもんだね。
 侵略者がゼウスの加護を受けてある王国を攻撃して乗っ取ってしまう。この勝利は神に約束された運命であったが、その国王の子供にこれまた神の決めた運命。そして20年後、戦の最中に連れ出されて生き延びた男の赤ん坊が、立派に成長して王国に帰ってきた。目的はもちろん侵略者だった現国王を倒し国を取り戻して復讐を遂げること。
 ところが、それと知らず現国王と出会った青年ジェイソンは、「王になるのならば奇蹟を示さなければ」とそそのかされて、地の果てにあるという黄金の毛皮を取りに行くことにする。とはいえ、どうしたものかと考える彼はゼウスの妻であるヘラによって天界へと連れてこられる。ゼウスは船と乗組員を与えると告げるがジェイソンはそれを拒否し、5回限りでヘラの助けを受けられるとの恩恵を賜る。地上に戻ったジェーソンは丈夫な船を造り、ギリシャ中の勇士を集めて競技会を行い、成績優秀者を乗組員として航海に旅立つ。その中には、伝説の勇者ヘラクレスの姿もあった。
 こうして、彼らの艱難辛苦の冒険譚が始まったのである。

 艱難辛苦と言ってはみたが、どうもそれほど苦労していない。何かというとヘラに頼んで知恵を授けてもらい、5回の助けも旅が始まって早々に使い果たす。船が通ると崩れてくる岩壁は、お守りを使って海の神(ポセイドン?)を呼び出して助けてもらう。
 太古の昔、神の武器を作っていた島では青銅の巨人タロスに襲われるが、そのきっかけは「水と食料以外に手を出してはいけない」という神の禁をヘラクレスが破ったためで、自業自得と言って良いだろう。そのせいで、ヘラクレスは何の活躍もないまま退場。ゲスト出演ですな。
 黄金の毛皮も、どこかの無人島にでもあると思ったら、世界の反対側にある国の所有物で、その国の民にとっては繁栄の象徴。それを勝手に持って来ちゃうんだから。それって泥棒じゃないのか?ギリシャ人からみれば異国の民のことなど知らんってことなんだろうが。
 そんな彼らの行動は任務の成功に賭けたヘラと失敗に賭けたゼウスによって常に天界の水鏡から監視されている。基本的にはジェイソンも現国王も神の行うゲームのコマである。まるでシミュレーション系の対戦ゲームだ。高潔な神ではなく欲や感情で好きなように行動するのは人間味があるとも言える。それに振り回される人間側はたまったもんじゃないが。
 なんかストーリーにケチを付けているようですが、いやいや実にワクワクハラハラで面白い。原作はギリシャ神話のエピソードなので制約もあるだろうし、本来はかなり残虐なシーンもあるのだがそこら辺をカットして上手く娯楽作に仕上げている。黄金の毛皮を手に入れるところで映画は終わるが、その後の復讐劇やジェイソンの末路などかなり悲惨だ。ギリシャ神話なのに主人公がジェイソンはないだろうと思うが、これはイアソン(Jason)の英語読み。ドン・チャフィの演出にはこれといって注目する点はないが、それもあまり気にならない。

 作品の目玉はハリー・ハウゼンによるモデルアニメーションを使ったダイナメーション。青銅の巨人タロスや二羽のハーピー、七本首のヘビであるヒドラやガイコツ兵士が自由に動き回るのは年月を経た今観ても見応えがある。ハーピーは本来禿鷲の羽を持っているのだが、映画内ではコウモリ女風の造形。羽や毛のあるモデルでの作業はやはり難しいのだろう。
 モデルアニメーションは、人形を少しずつ動かしてはそれをコマ撮りで撮って作る立体のアニメーション。ダイナメーションの特徴はそのモデルアニメーションのクリーチャー達が実写の俳優達と同じ画面に映り、チャンバラなどで派手に戦うところ。特にガイコツ兵士との剣での戦いは本当にチャンバラしているようにしか見えない。最初に人間の動きを撮っておいて、それに合わせてクリーチャーの動きを振り付けているのだろうが、これまた神経を使う気の遠くなるような忍耐力と集中力が必要な作業だろう。
 ヒドラとジェイソンが戦うシーンなどは首が七本もあるから、どの首をどう動かしたかちゃんと記録して順番通りに動かしていかねばならない。現像してみて失敗だったらそのカットは一からやり直しだ。
 ただ、モデルアニメーションは素晴らしい。それに比べて最近はなんでもCGばかりで駄目だという意見もあるようだが、それはどうだろうか。クリーチャーのデザインを考え、おそらくは最初は平面のスケッチとして書いたのを立体化し、動きを振り付けていくのに必要なセンスとテクニックはおそらくほとんど変わっていないだろう。
 実際に映像を作っていく段階も同じ。「こんなクリーチャーでこんな動き、ピコパコパ」でコンピューターにお任せして勝手に出来上がるわけじゃないから、CGI作成現場も気の遠くなるような忍耐力と集中力が必要な戦場だろう。使う道具が変わってより便利にはなっているだろうが、両者のやっていることや苦労は似たような物なんじゃないだろうか。
 もちろん先達者としてのハリー・ハウゼンの功績やそのセンスなどはなかなか余人が至り得ない物ではあるが、「=CGの否定」ではないだろう。ハリー・ハウゼンが現在も活躍していたら、「これは面白い」ってんで間違いなくCGに手を出していたはずだ。

B002UMAIPS.jpg『SF巨大生物の島』(1961) MYSTERIOUS ISLAND 100分 イギリス COLUMBIA PICTURES

監督:サイ・エンドフィールド 製作:チャールズ・H・シニア 原作:ジュール・ヴェルヌ 脚本:ジョン・プレブル、ダニエル・ウルマン、クレイン・ウィルバー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:バーナード・ハーマン
出演:マイケル・クレイグ、ジョーン・グリーンウッド、マイケル・カラン、ゲイリー・メリル、ベス・ローガン、ハーバート・ロム

 時は南北戦争の時代。南軍の捕虜収容所から北軍の兵士が気球を使って脱走。漏れだしたガスを止めるためにバルブを調整していたらバルブがもげてしまった。これではガスを排出することが出来ず、ガスが持つ限り飛び続けるしかない。風に流され気球は海の上に。そしてついにとある島にたどり着いた。
 そこは巨大なカニ、巨大な鳥、巨大な蜂などが住む巨大生物の島だった。といっても全ての動物が巨大なわけではなく、普通の大きさのヤギなんかもいる。
 巨大生物を作り出したのは、8年前に沈没したはずのノーチラス号艦長ネモ船長だった。人知れず生きていたネモ船長は孤独を愛し、戦争を防ぐべく食料の増産のために巨大生物を孤島で作っていたのだ。
 ところが島の火山の噴火が近づいた。このままでは全てが無に帰してしまう。そのため島に水をくみに来た海賊船を沈めたネモ船長は、海賊船を引き上げ脱出に使うことを兵士たちに提案する。

 このままだとむくつけき男ばかりの話になってしまうので、ボートで島に漂着したご婦人二人がお色気担当として登場するのはお約束。といっても若いのは一人だけでもう一人はオバサンだけどね。
 この物語はネモ船長が登場することから分かると思うがジュール・ヴェルヌの『海底二万哩』の続編『神秘の島』の映画化である。この時期にジュール・ヴェルヌの原作の著作権が切れたため立てられた企画らしい。レイ・ハリーハウゼンは原作の設定だけを借りて怪獣映画として構築し直している。
 原作の『海底二万哩』の続編であって、ディズニーの映画『海底二万哩』(1954)の続編ではないので注意。
 カニ、蜂、怪鳥は食糧危機を打開するため巨大化されたという設定で、ルックスはシンプルだ。いつもの魅力的な造形のクリーチャーが少ないのが残念。特にカニは本物をそのまま大きくした様にしか見えないと思ったら、本物のカニの殻を使って中にアーマチュア(金属製の骨格)を仕込んだものだそうだ。
 浜辺を歩いていると突然岩場が動き出し、、「うぉっ、巨大カニだ!」黒人北軍兵士をはさみで捕らえておお暴れする巨大カニだったが、所詮は甲殻類、足元救われてひっくり返されたあげくに間欠泉にじゃぼんと落とされます。はい、カニ鍋数00人前様のできあがり。それだけのためだけに登場した間欠泉。「むしゃむしゃ、カニは美味しいんですがどうも無口になっていけませんな」、「いやまったく。宴会には向きませんね」むしゃむしゃ。
 怪鳥はダチョウをイメージしたもの。蜂は巨大な以外は普通の蜂だ。
 中でも怖ろしいのが、海賊船の引き上げ時に襲って来る巨大なオウムガイ。怖ろしげにデザインされていて、ウネウネとした動きと合わせて一番クリーチャーしている。まるで神話のクリーチャーのようだ。それをネモ船長の作った電子銃で撃退するのだが、海水中で電気を使って攻撃したらこっちまで感電してヤバくないか。
 そんな巨大で怪しい生物たちをムシャムシャと食べてしまう兵士たちの食欲には恐れ入る。人間やっぱりお腹が空いたら駄目なのだ。女性陣も怪鳥を美味しそうに頬張っている。このカニや怪鳥が確かに美味しそうなのだ。特に怪鳥の丸焼きは皮がぱりぱりして中身はジューシーな感じが現れている。
 潜水具が巨大な貝を酸素ボンベとヘルメットの代わりにしている姿で、とても印象的である。あの姿で突然目の前に現れたら腰を抜かしてしまうだろう。登場シーンは少ないがノーチラス号のフォルムも独特で格好いい。
 バーナード・ハーマンのスコアがまだ壮大で、スケールの大きな物語に一役買っている。
 ラストはあまりに唐突で、火山が大噴火を起こしてネモ船長はノーチラス号の部品に挟まれてあっけなく死んでしまい巨大生物の製造方法は永遠の謎になるし、兵士たちは引き上げた海賊船の上で平和な世の中を作る誓いを立てて終わる。ちょっと興ざめである。しかし、なんで火山島なんかで研究をしていたのかね、ネモ船長は。危険だって分かっているのに。意外に馬鹿?
 兵士たちの構成は北軍兵士3人、南軍兵士1人、従軍記者1人とバラエティに富んでいる。それぞれ性格も違い、頭の固い上官から、若い女性と結婚を決める若い北軍兵士、皮肉屋の従軍記者などとなっている。ただ、兵士同士の違いや対立があまりドラマに役立っていなかったのが残念。気球の操縦のため捕虜として連れてこられた南軍兵士なんていくらでも使い道があったろうに。そのため終盤までクリーチャーが出てくる場面以外は呑気な漂流物となってしまっている。
 マットペインティングが効果的に使われていて、ここも見所の一つ。
 もうひとつ『巨大生物の島』という映画があるが、こちらはH・G・ウェルズ原作なので間違えないように。頭に"SF"が付くのがこっちね。

B002SXKNIG.jpg『アルティメット2 マッスル・ネバー・ダイ』  (2009) BANLIEUE 13 - ULTIMATUM 101分 フランス EUROPA CORP.

監督:パトリック・アレサンドラン 製作:リュック・ベッソン 製作総指揮:ディディエ・オアロ 脚本:リュック・ベッソン 撮影:ジャン=フランソワ・アンジャン プロダクションデザイン:ユーグ・ティサンディエ 衣装デザイン:ティエリー・ドゥレトル キャスティング:エルヴェ・ジャクボヴィッツ、マーク・ロベール
出演:シリル・ラファエリ、ダヴィッド・ベル、ダニエル・デュヴァル、フィリップ・トレトン、エロディ・ユン、MC・ジャン・ギャブ'1、ジェームズ・ディアノ、ラ・フイヌ、ファブリス・フェルツジンガー

 リック・ベッソン製作・脚本の『アルティメット』の続編。邦題のサブタイトルが『マッスル・ネバー・ダイ』とはずいぶん暑苦しい。
 前作のラストで隔離地区バンリュー13地区は病院と学校が再開し地区を取り囲んでいる壁も取り壊されるはずだったが3年経った2013年になっても相変わらず壁は残り、町は犯罪で溢れていた。
 そんな中、軍の上層部が陰謀を画策し、バンリュー13地区を更地にして新しい町を作るという計画を立てた。そしてある企業にその作業を任せリベートをもらおうというのだ。
 そのためには刑事のダミアン(シリル・ラファエリ)が邪魔なため彼を麻薬所持に見せかけて逮捕する。そのダミアンを救出に来たのがバンリュー13地区で義賊的活躍をするレント(ダヴィッド・ベル)。
 二人は共に手を取り、バンリュー13地区を守るために戦い始めた。

 ダミアンとレントは銃は使わず素手か簡単な武器で戦う。中でもダミアンがゴッホの絵で戦うシーンは面白かった。格闘アクションとしては香港映画系。
 そしてこの二人は飛ぶ。高いところから飛び降りたり、ビルの谷間を飛んだりと命がけのアクションを見せてくれる。『YAMAKASI』を想像してもらうと分かりやすいだろう。
 ストーリーは至って単純でいかにもリック・ベッソンだ。勧善懲悪でラストはスカッと悪がやっつけられて終わる。単純すぎる気もするが、娯楽作なのでこれで良いのだろう。

 5つのビルを爆破されることを防ぐという話だったのに、ラストでは「腐った物を作り直すより、0から始めた方が良いですよ」とレントが言って、大統領はバンリュー13地区の犯罪ビル5つを爆撃機からのミサイルで爆破してしまう。なんかよく分からない結末だ。
 悪人が捕まったからそれで良いのか。でも悪党と言っても地区の再開発でリベートをもらうなんて世界中で行われていることだよな。もっと派手な悪でもよかったのに。
 大統領は予算を注ぎ込んでバンリュー13地区を中流階級の町にすると言っているが、前作のラストもそうだった。今回も本当に政治家を信じていいのだろうか。ダミアンが総責任者になったから大丈夫なのだろう。
 中国人女性の名前がタオというのがまた分かりやすい。

B002DGTAJQ.jpg『アドレナリン2:ハイ・ボルテージ』(2009) CRANK: HIGH VOLTAGE 96分 アメリカ LIONSGATE、LAKESHORE ENTERTAINMENT

監督:ネヴェルダイン、テイラー 製作:トム・ローゼンバーグ、ゲイリー・ルチェッシ、スキップ・ウィリアムソン、リチャード・ライト 製作総指揮:ネヴェルダイン、テイラー、エリック・リード、デヴィッド・スコット・ルービン、マイケル・パセオネック、ピーター・ブロック、マイケル・デイヴィス 脚本:ネヴェルダイン、テイラー 撮影:ブランドン・トゥロスト プロダクションデザイン:ジェリー・フレミング 衣装デザイン:デイナ・ピンク 編集:フェルナンド・ヴィレナ 音楽:マイク・パットン
出演:ジェイソン・ステイサム、エイミー・スマート、クリフトン・コリンズ・Jr、エフレン・ラミレッツ、バイ・リン、デヴィッド・キャラダイン、ドワイト・ヨーカム、ジュラン・チディ・ヒル、レノ・ウィルソン、キーオニー・ヤング、アート・シュー、ジョセフ・ジュリアン・ソリア、コリー・ハイム、ジェリ・ハリウェル、ビリー・アンガー

 前作のラストから始まるので前作を必ず観ておくこと。他にも前作と繋がっている部分があるし。
 アドレナリンを放出し続けなければ死んでしまうのが前作だったが、今作では高圧電流を浴びないと死んでしまう。
 中国マフィアの100歳になるボスのために手術で心臓を取られてしまい、今では人工心臓が埋まっているのだ。外付けのバッテリーがあるのだが、こいつが壊れてしまったために1時間しか持たない内蔵バッテリーで主人公のチェリオス(ジェイソン・ステイサム)は活動している。
 バッテリーが切れてくると、外部から何らかの方法で充電しなければならない。車のバッテリーブースタースタンガン、車のシガレットライターの充電口、道ばたの高電圧電気ボックス、電柱。
 そして静電気を起こすために恋人のイヴ(エイミー・スマート)との身体をこすりあわせての競馬場での公開エッチ。前作では通りでのエッチだったが、今回はパワーアップしている。
 そして自分の心臓を求めて街を駆けずり回ることになる。
 スタッフが前作以上に悪のりして作っていて、ケツの穴にショットガンを突っ込んだり、前作でチェリオスに銃を突きつけられて以来ノイローゼになっていた看護師が、カウンセリングで自信を取り戻した途端に銃撃戦で飛んできた弾に頭を撃ち抜かれて死んでしまい、カウンセラーはカメラに向かってゲロを吐く、水槽に浮かんだ生きた頭部だけなど散々だ。
 独特の映像感覚も相変わらずで、上空から移動する地点を地図のように捉えたり、字幕スーパーで言葉が飛び交ったりする。
 変電所での戦いは、何故かチェリオスと敵が全長20メートルぐらいに巨大化して怪獣になってしまい、『サンダ対ガイラ』のようにとっくみあいで戦う。チェリオスのドロップキックには笑った。チェリオス怪獣のアゴがやたらに強調されていて笑ってしまった。
 残虐シーンも多く、銃撃戦で身体がボロボロになったり、刃物で肘を切り落としたり、刑罰として両乳首を切り取らせるシーンもあった。日本のヤクザは指を詰めるが、向こうのマフィアは乳首を切り取るのか。
 銃撃戦のシーンはひたすら撃ちまくるだけでちょっと物足りない。何らかの工夫が欲しいところだ。
 下品なシーンが多く、お子様に観せる映画ではない。だが、シャレが分かった大人には存分に楽しめること間違いなしの一本である。
 『死霊の牙』などで一世を風靡した元子役コリー・ハイムが出ていたようだが、どこに出てきたか分からない。
 ジェイソン・ステイサムの男臭さが匂ってくるような作品で、高電圧にビリビリしてしまう。
 ひょっとしたら次回作があるかもという終わり方をして映画はTHE END。

B001NABQ2M.jpg『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』(2009) X-MEN ORIGINS: WOLVERINE 108分 アメリカ 20th CENTURY FOX

監督:ギャヴィン・フッド 製作:ローレン・シュラー・ドナー、ラルフ・ウィンター、ヒュー・ジャックマン、ジョン・パレルモ 製作総指揮:スタン・リー、リチャード・ドナー 脚本:デヴィッド・ベニオフ、スキップ・ウッズ 撮影:ドナルド・M・マカルパイン 特殊メイク:アレック・ギリス、トム・ウッドラフ・Jr プロダクションデザイン:バリー・ロビンソン 衣装デザイン:ルイーズ・ミンゲンバック 編集:ニコラス・デ・トス、ミーガン・ギル 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演: ヒュー・ジャックマン、リーヴ・シュレイバー、リン・コリンズ、ダニー・ヒューストン、テイラー・キッチュ、ライアン・レイノルズ、ウィル・アイ・アム、ダニエル・ヘニー、ドミニク・モナハン、ケヴィン・デュランド、ジュリア・ブレイク、マックス・カレン、ピーター・オブライエン、アーロン・ジェフリー、アリス・パーキンソン、ティム・ポコック、パトリック・スチュワート

 スピンオフにしてウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)のビギニング物の一本。
 まさかウルヴァリンが南北戦争以前から生きていたとは思わなんだ。
 そして一緒に各種戦争を戦い抜いてきたのは兄のビクター(セイバートゥース)(リーヴ・シュレイバー)。こいつもミュータントで長寿、爪を伸ばして相手を切り刻む山猫のような戦法を採る。
 南北戦争、第一次大戦、第二次大戦、ベトナム戦争、そして彼らの特殊能力が軍の上層部にバレて同じように特殊能力を持ったミュータントを集めたミュータント部隊が米軍内に設立された。
 このころからビクターは凶暴な性格をあらわにするようになっていて、そのためローガン(ウルヴァリン)は袂を分かって、山にこもり製材所で働き、小学校の先生ケイラと愛し合うようになる。
 だがそこへビクターが現れ、ケイラを殺してしまう。ローガンも片手の爪を折られてしまう。あれは基本的に骨なので踏みつけただけで案外簡単に折れてしまうものだったのか。復讐に燃えるローガンの前に軍のストライカー(ダニー・ヒューストン)が現れ、お前に復讐のための武器をやろうと言う。それが例のアダマンチウムの骨格でミュータントとしての再生能力と併せて不死身の肉体を手に入れる。
 しかし、昔のミュータント仲間からストライカーの秘密を知ったローガンは、ある島にある実験施設を強襲するのだった。

 孤高の正義の味方、分かりやすい悪役、個性的な仲間達とアクションの王道を行く作品である。
 ローガンは兄と別れ、愛した女性も殺され、復讐心に燃えるも、その復讐に意味がないことを知ってしまう。まったくもって孤独な男である。
 途中でローガンを助ける老夫婦が出てくるが、彼らは殺して欲しくなかった。息子のジャケットを着て愛車のバイクにのったローガンが立ち去るのを見送らせてやりたかった。
 バイクアクションはかなり派手で仮面ライダー顔負けである。そう言えばローガンも悪の組織に改造されたのだ。「やめろぉストライカー!」
 仲間のミュータントの数はそれなりに出てくるが、あまり活躍しないで消えていってしまうのがもったいない。肌がダイヤのように硬くなる女性など良かったのに。X-MEN正伝のように様々なミュータント同士の戦いが観たかった気もするが、そこはローガンに絞ったということでいいのだろう。
 最後は"島"ことスリーマイル島に隠された軍の秘密実験基地での死闘。「ここは盲点だろ」とか言っていたが、原子力発電所ということもありマスコミの目が光っているのではないだろうか。
 ちなみに目が光ってビームを放つ少年も出てくるがあれはスコット(サイクロプス)か?最終的に原子炉(見せかけだけの張りぼてかも知れない)の一つが壊れて世に言うスリーマイル島原子力発電所事故が発生するが、あれが起きたのは1979年。少年は高校生ぐらいだったからスコットって意外と年食ってるんだ。
 ストライカーは全てのミュータントからDNAを取り出し全ての能力を持ったミュータントを開発中だった。XI(イレブン)と呼ばれるそのミュータントは再生能力、手から刀を出す、テレポート能力、目からビームなどの各種能力を駆使する。
 この最強ミュータントといかにしてウルヴァリンは戦うか。兄であるセイバートゥースと手を組み、各種戦争を生き抜いてきた時のように背中合わせになって戦う。兄弟の絆復活である。原子炉の排気塔の上でスリリングな戦いが繰り広げられる。なにしろ相手は自由にテレポートするし、遠距離からビームを放ってくるから始末が悪い。
 施設に捕らえられていた少年少女は意外な人物が救出する。といってもキャスト欄(クレジットには記載なし)を観れば一目瞭然だが。
 そして正伝でローガンが記憶を無くしている理由付けもちゃんとされている。でも、あれだと自分自身についての記憶だけじゃなくて言葉からなにからすべて記憶喪失になってしまわないのかね。
 悪は滅ぼされ、記憶を失ったローガンはガンビットというトランプやビリヤードのキューを武器にするミュータントに迎えに来られるが、その時、地面に横たわって死んでいる一人の女性を目にする。彼女の手を取るローガンは何かを感じるが何も思い出せない。切ないシーンだ。
 結局、ミュータントという特殊能力を持って生まれてしまったばかりに、失ってばかりの人生を送るローガンである。
 ヒュー・ジャックマンはこのローガンという役がよほどお気に召しているようで、製作にも名前を連ねている。全裸になって牧場を走るし燃えてますな。端から観ていると間抜けだが。
 エンド・タイトルのラストに思わせぶりな映像があるので注目。この映像は次作に続くのか?多分続かないだろうけど。

B002MWR7NM.jpg『ウィッチマウンテン/地図から消された山』(2009) RACE TO WITCH MOUNTAIN 98分 アメリカ ディズニー

監督:アンディ・フィックマン 製作:アンドリュー・ガン 製作総指揮:マリオ・イスコヴィッチ、アン・マリー・サンダーリン 原作:アレグサンダー・ケイ 原案:マット・ロペス 脚本:マット・ロペス、マーク・ボンバック 撮影:グレッグ・ガーディナー プロダクションデザイン:デヴィッド・J・ボンバ 衣装デザイン:ジュヌヴィエーヴ・ティレル 編集:デヴィッド・レニー 音楽:トレヴァー・ラビン 音楽監修:リサ・ブラウン
出演:ドウェイン・ジョンソン(ザ・ロック)、アンナソフィア・ロブ、アレクサンダー・ルドウィグ、カーラ・グギーノ、キアラン・ハインズ、トム・エヴェレット・スコット、クリストファー・マークエット、ゲイリー・マーシャル、ビリー・ブラウン、キム・リチャーズ、アイク・アイゼンマン、トム・ウッドラフ・Jr、ケヴィン・クリスティ

 その昔、TVの洋画劇場で観た『星の国から来た仲間』。超能力を持った孤児たちが実は宇宙人で、最後はUFOが迎えに来るという話だった。懐かしいな、もうほとんど覚えていない。

 そのリメイクがこの作品。といってもストーリーは大幅に書き換えられている。
 ジャンルとしてはファミリームービー。ドンパチがあっても人が死んだ様子がない。列車と小型UFOが激突しても「機関士は無事だった」とちゃんとセリフで説明が入るぐらい。大爆発してるのにタフな機関士だ。
 主人公のジャック・ブルーノ(ドウェイン・ジョンソンこと元ザ・ロック)は昔は悪だったが今は真面目なラスベガスのタクシー運転手。今日も今日と朝からご出勤。ふと気付くといつの間にか後部座席に二人の少年少女が乗っている。兄のセス(アレクサンダー・ルドウィグ)と妹のサラ(アンナソフィア・ロブ)だ。1万5000ドルもの大金を持っているこの兄妹を砂漠の空き家まで連れて行くのが今日の仕事。
 実はその前日、宇宙からUFOが地球に墜落した。それもラスベガス近くに。

 タクシーを使ったカーアクションもそれなりに迫力があるし、それでいて過剰に暴力的ではない。それはやはりディズニー映画だからだろう。
 ウィッチマウンテンは見た目、『未知との遭遇』のデビルズ・タワーで、特殊軍事基地として利用されていて地図に載っていない。そこに政府の手の者によって回収されたUFOを兄妹が母星に帰るために取り返すのが終盤の見せ場となる。
 ウィッチマウンテンの秘密がもっとあれば面白かったのだが、普通に軍事基地。『インデペンデンス・デイ』のエリア51の様な怪しさが欲しかった。
 地球に来て困っている宇宙人を助けるというアイディアの原点は『E.T.』だろう。この場合、助けるのは少年じゃなくてむくつけ男のジャック・ブルーノなわけだけど。
 面白いのが、手詰まりになって困ったジャック・ブルーノが助けを求めるのがUFO EXPOで公演をする女性科学者アレックス・フリードマン博士というところ。最初はからかわれていると思ったアレックス博士が彼らの超能力を見て興奮しまくるところは楽しい。この人、真面目な学会ではもう相手にしてもらえず、大学を三つも追われてそれでもUFO研究を続ける信念の人。サラからワームホールの話しを聞いてこれまた大興奮。
 UFO EXPOはあまり真面目な集会とは言えず、コスプレをしたマニアがわんさかうろついている。ストーム・トルーパー、『スター・ウォーズ』の砂漠族、中にはディズニーの特撮映画ということか『トロン』のコスプレ男までいる。女性のコスプレが少ないのが残念だ。
 食堂で政府の手の者に追い詰められた時に、こっそり天井の扉から逃がしてくれるウエイトレスは良い役、政府の手の者に逆らう保安官も良い役だとおもったら、オリジナル版で妹役を演じたキム・リチャーズとアイク・アイゼンマンだったりとオリジナルに敬意を表しているのも好感を持てる。
 兄妹が危険を冒してまで地球にやってきたのには意味があった。それは地球人類の存亡に関わることだったが、政府の手の者にはそんな理由は通用しなかった。そもそも話すら聞いてくれずに実験体にしようとする。
 政府の手の者は黒いスーツ姿とすっかり定番の格好で、非情な悪役を演じている。実際には自国にUFOが落ちてきたら回収して宇宙人もいればそれも一緒に研究するのが当たり前なのだが、映画では大抵悪役。割の合わない仕事である。

 偶然、兄妹を車に乗せてしまっただけなのに、最後までつきあうジャック・ブルーノはいい男。責任感が強いのだろう。夢は『ブリット』でスティーブ・マックイーンが乗っていた1968年式濃緑のムスタングを真っ当な稼ぎで手に入れること。
 最初に言ったようにファミリームービーなので退屈はしないが、これぞという大きな見せ場は多くない。兄の超能力で弾丸を受け止めるとかそんなぐらい。最初に粗筋を聞いた時はドウェイン・ジョンソンが宇宙人の子供達を助けて、タクシーで突っ走り、時には格闘アクションを繰り広げるハードなSFアクションかと思っていたのでちょっと拍子抜け。
 ラストでジャック・ブルーノが兄妹を狙う宇宙人の暗殺者との戦いになるが、さすがに手も足も出ない。
 エンド・タイトルでのちょっとしたお遊びも面白い。
 それまで宇宙人のためあまり感情を表さなかったアンナソフィア・ロブが人間らしい顔つきになるラストにはちょっとぐっとくる。というかアンナソフィア・ロブ可愛い。

B0000CCNGV.jpg『アライバル2』(1998) THE SECOND ARRIVAL 105分 アメリカ LIVE ENTERTAINMENT

監督:ケヴィン・テニー 製作:クラウディオ・カストラヴェッリ、レナード・シャピロ 製作総指揮:ジョン・タートル 脚本:マーク・デヴィッド・ペリー 撮影:ブルーノ・フィリップ
出演:パトリック・マルドゥーン、ジェーン・シベット、マイケル・サラザン

 前作の主人公ゼイン(チャーリー・シーン)は映像もなくいきなり死んでいます。エスキモーの集落で死んだとされていますが、これは自然死ではなく異星人による陰謀死でしょう
 その死を前もって勘づいていたのか、異星人による陰謀を義兄弟のジャック(パトリック・マルドゥーン)などに封書で送っておきます。
 それに巻き込まれた形でTVレポーターのブリジットが共に異星人への戦いを挑みます。

 正直言って1作目からはSFマインドが大きく欠落した作品。
 球状の何でも吸い込んじゃうぞ物体に人間が絡んでくるつまり吸い込まれる以外は前作と比べて目新しいシーンもない。
 ラストは如何にも次作へ続くといった終わり方だが、未だ『アライバル3』の話はまったっく聞かれない。
 そもそもオープニングのチャーリー・シーンの死ですら過去の画像だけで新作映像が全くないというところでこの作品の低予算どは推して知るべきだろう。
 低予算なら低予算なりに見せ方はいくらでもあると思うのだが、どうしても前作と比べてしまう。
 B級映画としても出来の悪い作品に仕上がっている。
 善作との評価の差はamazonのマーケットプレイスの価格を見れば一目瞭然である。かたや5000円台、かたや500円台とあからさまな差がある。市場価格は時にして作品の評価に繋がってくる。

B0000CCNGU.jpg『アライバル 侵略者』(1996) THE ARRIVAL 115分 アメリカ LIVE ENTERTAINMENT

監督:デヴィッド・トゥーヒー 製作:トーマス・G・スミス、ジム・スティール 共同製作:サイラス・I・ヤヴネ 製作総指揮:テッド・フィールド、ロバート・W・コート 脚本:デヴィッド・トゥーヒー 撮影:ヒロ・ナリタ プロダクションデザイン:マイケル・ノヴォトニー 衣装デザイン:マイェス・C・ルベオ 編集:マーティン・ハンター 音楽:アーサー・ケンペル 視覚効果・プロデューサー:チャールズ・L・ファイナンス
出演:チャーリー・シーン、リンゼイ・クローズ、テリー・ポロ、ロン・シルヴァー、レオン・リッピー、リチャード・シフ、トニー・T・ジョンソン、フィリス・アップルゲイト
 
 先月、デンマークでCOP15(第15回締約国会議)が行われたばかりだが、その地球温暖化問題を大胆に取り入れたSF映画がこの『アライバル 侵略者』だ。

 物語は北極点近くに花畑が出来ているシーンから始まる。地球温暖化によって大気の温度が上がり、そんな現象が起きているのだ。
 その頃、アメリカのとある電波天文台ではある恒星から謎の電波を受信していた。主人公のゼイン(チャーリー・シーン)はその情報を上に訴え出るが握りつぶされてしまい、それどころか解雇されてしまう。
 研究を続けるために衛星放送会社に入社したゼインは多数の家庭用パラボラアンテナを直結して一つの大きな天文用アンテナとして使うことを思いつく。
 隣家の黒人少年キキ(トニー・T・ジョンソン)の助けもあって作業は順調に進み、ついに電波を受信するがそれにはメキシコからのラジオ局の電波も混信していた。地上からの電波と宇宙からの電波が混信するはずはない。ゼインは単身メキシコへ向かう。
 ただでさえ暑いメキシコは地球温暖化によってさらに暑かった。くだんのラジオ局は前夜に火災で燃えてしまっていた。ゼインは北極点近くで花畑を観測した気象学者と知り合うが、気象学者は部屋に放たれたサソリによって殺害されてしまう。
 ゼイン自身も殺されかけるが、すんでのところで助かって犯人を追う。追い詰めた犯人は足の関節を逆に曲げるとジャンプして建物の上に飛び乗って逃げてしまった。
 謎を追う内にメキシコのとある巨大プラントを発見。そこに侵入する。そこは宇宙人が二酸化炭素を大量に作り出し大気中に放出している設備だった。
 殺人犯にされかかったところを辛うじて逃げ出し、アメリカに戻ったゼインはかつてのボスであるゴーディアン(ロン・シルヴァー)に面会に行く。ゴーディアンもまた地球人に変装した宇宙人だったのだ。その会話を録画したビデオテープを持って、恋人のシャー(テリー・ポロ)とキキと共に電波観測所へ向かう。放送衛星をジャックしてビデオテープを全世界に流そうというのだ。

 地球温暖化を1996年当時にすでに映画の題材として取り上げるデヴィッド・トゥーヒーの先見の明には恐れ入る。この人はタイムトラベルSF映画の傑作『グランド・ツアー』で監督デビューした人で、他には『逃亡者』などの脚本家としても活躍している。SF映画の佳作『ピッチブラック』もこの人の作品でSFを分かっている映画監督・脚本家である。
 何でも吸い込む球体などはSFマインド溢れる小道具で、見ていて嬉しくなってしまう。宇宙人の形態も基本は人間と同じだが爬虫類状の肌で足の関節が逆になっているというアイディアが面白い。カクッカクッと人間モードから宇宙人モードの間接に切り替えるシーンが上手く表現されていて、キキの変形シーンはCGを使って1カットでやっている。
 CGの使い方は上手く、1996年という時代を考えると上出来だろう。SFX担当は『バットマン・フォーエヴァー』を手がけたパシフィック・データ・イメージズだそうだ。
 大発見をしたはずなのに上司からは握りつぶされ、しかも解雇までされてしまい、業界に嘘をばらまかれて業界では仕事を出来なくなってしまう。自分を信じてくれるのはキキだけで(そのキキも監視の目的で近づいてきたのだが)他には頼る者も信じてくれる者もいない孤独な天文学者ゼイン。だがゼインはそこで落ち込んだりしない。自分で行動することで真実を追究していくのだ。なんと行動力のある天文学者だろう。
 巨大プラントに潜入するシーンでは、ちょっと太った身体で大活躍。といっても逃げ回っているだけなんだが。この作品でのチャーリー・シーンは役作りなのかそれとも噂されているように生活の乱れがたたったのか体型が小太り気味である。天文学者という役柄にはあっている。宇宙人と直接対決するシーンも少なく、眼鏡をかけ無精髭を生やした格好がイメージに合っている。
 最後まで誰を信用して良いか分からず、恋人のシャーのことも疑うことになるのは皮肉なことだ。
 宇宙人の侵略の仕方が『インデペンデンス・デイ』や『宇宙戦争』のように光線で建物を破壊してくるなどではなく、地道に二酸化炭素をばらまいているというのがいい。現実でも地球温暖化は問題になっているが、どこかの国に宇宙人がいて二酸化炭素をばらまいているのではないだろうか。京都議定書を批准しなかった国なんか怪しい。
 個人的には地球温暖化については騒ぎすぎではないかとも思うのだが、この映画を観た後ではそんなことは言えなくなってしまう。
 メキシコでの死者の日のロケーションも上手く使われていて、実際の死者の日にロケをしたわけではなく小規模な死者の日を演じているがその辺りにもセンスがある。
 キキの正体と1カットでの逆間接への変形は見事。そして鳥のように荒野を駆けていく。

p-1021.jpg『アバター』(2009) AVATAR 162分 アメリカ 20th CENTURY FOX
 
監督:ジェームズ・キャメロン 製作:ジェームズ・キャメロン、ジョン・ランドー 製作総指揮:コリン・ウィルソン、レータ・カログリディス 脚本:ジェームズ・キャメロン 撮影:マウロ・フィオーレ プロダクションデザイン:リック・カーター、ロバート・ストロンバーグ 衣装デザイン:デボラ・スコット 編集:スティーヴン・リフキン、ジョン・ルフーア、ジェームズ・キャメロン 音楽:ジェームズ・ホーナー シニア視覚効果監修:ジョー・レッテリ
出演:サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナ、シガーニー・ウィーヴァー、スティーヴン・ラング、ミシェル・ロドリゲス、ジョヴァンニ・リビシ、ジョエル・デヴィッド・ムーア、CCH・パウンダー、ウェス・ステューディ、ラズ・アロンソ

『タイタニック』の売り上げに満足して、その売り上げで余生を送るつもりかと思われたジェームズ・キャメロンが帰ってきた。しかもものすごい映像をひっさげて。
 まさに画面を観るではなくそこに存在する物を観る感覚であった。
 オレが観たのはもちろん3D版。ちなみにある方の助言に従って日本語吹替版である。
 視力が落ちて去年から車の運転時や映画を観る時などには眼鏡をかけるようになっているのでメガネの上に3Dメガネをかける形。XpanD方式の液晶シャッター式だったのでメガネがごつくて重い。大村崑は「うれしいとメガネが落ちるんです」だが、こちらは映画に熱中しているとメガネが落ちてきてうっとおしい。3Dも進化したが、このメガネ問題だけはまだまだ残っていくのだろう。
 日本語吹き替えに関しては、テレビの洋画劇場で映画を覚えた年代なので外人顔が日本語をしゃべっていても何ら問題がない。
 しかしこれはまさに映像革命である。これまでの3D映画で手前に飛び出てくるというのはよくあったが、この作品からは奥行きが感じられる。その奥行きが上下になると高低差を表すことになる。この作品は高い木の上や崖の上から下を見下ろすカットが多いが、遙か下に見える大地は確かに足のすくむような距離を感じさせる。高所恐怖症じゃなくてよかった。
 3D映画によくある露骨にナイフや矢が画面を飛び出すカットは少なく、むしろあえて抑えたんだろうなと思わせる。
 近くの劇場では2D版しかやってないからと言う人は、時間と金を使っても3D版をやっている劇場まで足を伸ばした方が良い。それもなるべく前の席。
 このオレ自身も片道1時間かけて行ってきた。ちなみにまだ正月休みに入る前の平日だというのに場内満員。冬休みと言うことで子供も多かった。「すげーすげー」とやかましかったが、こういうやかましいはなんか嬉しい。
 でもジェームズ・キャメロン。オレは頻尿でしかも閉所恐怖症なんだよ。2時間42分は正直長かった。予告も入れると3時間。また予告が長いんだ。上映が終わると同時にダッシュでトイレに駆け込んだね。
 でも、予告でティム・バートンの3D映画『アリス・イン・ワンダーランド』の予告を3Dで観られて良かった。こいつも観に行くぞ。
 Blu-rayで画質は良くなっても現状ではまだ赤青セロハン式以外のフルカラーの3D映画は映画館の専売特許。Blu-rayも3Dの規格が決まったそうだが、どうやらプレイヤーだけじゃなくてテレビまで買い換えなきゃいけないらしい。
 2年前に買った42インチの東芝レグザをそうそう買い換えられませんよ。10年は使う予定なんだから。

 映像技術に比べるとストーリーの方はごくシンプル。場所は森の惑星パンドラ。1キロ20億の鉱石の上に原住民族ナヴィが集団で暮らしており、人間側としてはなんとか彼らをどかしたい。出来れば平和的にと言うのが表向きにあって、そこで主人公ジェイク(サム・ワーシントン)の遺伝子をグレース博士(シガーニー・ウィーヴァー)が操作してナヴィの分身(アバター)を作り説得に当たらせる。
 ジェイクはネイティリという族長の娘と出会い、いつしか恋に落ちる。
 指揮官のマイルズ大佐(スティーヴン・ラング)はついにしびれを切らしてナヴィ達を襲い始める。最初はやられっぱなしのナヴィだが、ジェイクが伝説の空飛ぶ翼竜を飼い慣らすことで信頼を集め、各部族を集めて反撃に出る。といったものである。
 ナヴィはネイティブアメリカンの象徴だろう。自然賛歌、反戦主義まったく持ってシンプルである。
 だが考えてみれば、あの大ヒット作『タイタニック』だって「男女がいちゃいちゃして、船が沈む話でしょ」なのだ。
 この映画に関してはこの映像がほぼ全てで、ストーリー云々はあまり気にする必要がない気がする。
 ジェイクは海兵隊員だが事故で車椅子という設定で、上半身はちゃんと肉が付いているのに、両足は筋肉がそげ落ちて細いという描写があって、細かいところまで描かれている。あれはCGだろうか。本当に車椅子の役者かと思ったが、サム・ワーシントンがそんなはずはない。
 女性ヘリパイロットのトゥルーディが実に味のある役で、死にっぷりも見事なものであった。合掌。ただなぜジェイクの側に付いたのかは説明不足である。
 左右両ローターのヘリコプターは『ターミネーター』に出てきた物に良く似ている。そして『エイリアン2』のパワーローダーを思わせるパワードスーツがガッツンガッツン編隊を組んで歩く。マイルズ大佐も敵ながら憎たらしくて格好いい。こちらの死にっぷりも良い。メカのデザインは流石ジェームズ・キャメロンだけのことはある。
 終盤のナヴィ対人類の対決シーンは実に迫力満点で、平和なシーンとの切替がちゃんと出来ている。
 個人的には聖なる気の精霊とかいうフワフワとした白いクラゲ状の物体の質感が一番気に入っている。

B002N7DGOA.jpg『黄金の七人』(1965) SETTE UOMINI D'ORO 91分 イタリア

監督:マルコ・ヴィカリオ 製作:マルコ・ヴィカリオ 脚本:マルコ・ヴィカリオ、マリアノ・オゾレス、ノエル・ギルモア 撮影:エンニオ・グァルニエリ 音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
出演:フィリップ・ルロワ、ロッサナ・ポデスタ、ガストーネ・モスキン、ガブリエル・ティンティ、ホセ・スアレス

 コメディ仕立ての銀行泥棒映画。
 スイス銀行の近くで道路工事が始まった。この工事、実は銀行の大金庫襲撃を企んだ物だった。
 教授というあだ名のブレイン(フィリップ・ルロワ)が指揮する中、六人の犯罪のプロたちが地面に穴を開け、水道管を通り、大金庫の地下に穴を開けたのだ。そして7トンの金塊をベルトコンベアで地上に上げる。
 上手く行ったかに見えた計画だったが、金を独り占めしようとする人物が現れて......

 出てくる度に違う衣装を着ているルパン三世の峰不二子的存在のジョルジア(ロッサナ・ポデスタ)が美しい。扇情的な服装や毛皮が実に似合う。そして悪女でもある。
 完璧なはずの計画が人間の欲によって崩れていく様は、人間の業を見るようである。この騙し合いがが面白い。六人は教授がパスポートに細工をしてスイスに足止めを食い、その隙に教授はジョルジアと金を山分けにするつもり。しかしジョルジアはその教授を裏切る。どんでん返しに次ぐどんでん返し。
 ベルトコンベアで無造作に金塊を運ぶところはまさにルパン三世。金塊の山また山なのだ。
 それにしても真鍮と言うことでスイスからイタリアへ列車で金塊を運ぶのだが、どう見ても金塊で真鍮には見えないと思うんだが。
 スイス銀行から金塊を盗み出す方法も大がかりかつリアルで、本当にこんな方法で銀行泥棒をやる人間が現れるのではないかと思ってしまった。
「ちゃらららちゃららら、ちゃーららららら」のテーマ曲が軽快に響く。音楽担当のアルマンド・トロヴァヨーリは良い仕事をしている。
 教授とジョルジア以外のキャラクター、特に六人のキャラクターが書き分けられていないのが残念か。全員の名前がAから始まるというのは面白いが、それぞれに特技があるとかもっと特徴を持たせても良かったのでは。
 ラストは意外な結末。犯罪は割に合わないと言わんばかりに偶然から金塊はすべてパーになってしまう。それでもこりない七人組。ジョルジアも入れると八人か。最後にはまた新しい銀行泥棒に取りかかっている。
 でもなんで『黄金の七人』なんだろうね、先ほども言ったようにジョルジアも入れると八人なのにさ。語呂が良いからか。それとも教授と黄金の七人という意味なのだろうか。
 1965年という年月を感じさせないオシャレでポップな犯罪映画である。
 DVDにはテレビ放映時の吹替も収録されていて、それも嬉しい一本。この手の映画はベテラン声優の吹替で観るのも悪くない。

B002PJ5R6G.jpg『エージェント・ゾーハン』(2008) YOU DON'T MESS WITH THE ZOHAN 113分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:デニス・デューガン 製作:アダム・サンドラー、ジャック・ジャラプト 製作総指揮:バリー・ベルナルディ、ロバート・スミゲル 脚本:アダム・サンドラー、ロバート・スミゲル、ジャド・アパトー 撮影:マイケル・バレット プロダクションデザイン:ペリー・アンデリン・ブレイク 衣装デザイン:エレン・ラッター 編集:トム・コステイン 音楽:ルパート・グレグソン=ウィリアムズ 音楽監修:マイケル・ディルベック、ブルックス・アーサー
出演:アダム・サンドラー、ジョン・タートゥーロ、エマニュエル・シュリーキー、ニック・スウォードソン、レイニー・カザン、ロブ・シュナイダー、イードゥー・モセリ、デイヴ・マシューズ、マイケル・バッファー、シャーロット・レエ、サイード・バッドレヤ、ケヴィン・ニーロン、ロバート・スミゲル、シェリー・バーマン、クリス・ロック、マライア・キャリー、ジョン・マッケンロー、ジョージ・タケイ、ブルース・ヴィランク、デニス・デューガン

イスラエルの諜報機関モサドの超凄腕エージェント・ゾーハン(アダム・サンドラー)は暴力沙汰ばかりの日々に飽き飽きしていた。そんな彼の本当の夢はアメリカに渡って一流のヘア・スタイリストになること。ただそれを両親に話しても「お前はゲイだったのか」とまともに取り合ってもらえない。毎夜、鋏を見つめ寂しそうなゾーハン。
 そんなある日、パレスチナのテロリスト・ファントム(ジョン・タートゥーロ)を捕獲せよとの任務が下った。ゾーハンが本気を出せばファントムを捕まえる事など難しい事ではないはずだが、ゾーハンは爆弾で爆死させられてしまう。実はこれはゾーハンの策略で、自分は死んだと思わせて飛行機の貨物室の犬のケージに入ってアメリカに渡ったのだ。
 一流のヘアサロンに自分を雇ってくれと頼み込むがまったく相手にされない。そこで当座の生活費だけでも稼ごうと友人の電気販売店に行くが、友人から「一度ここに入ったら抜け出せない。ここで働いているみんなは夢を持ってアメリカに来たがその夢を忘れてしまった」とさとされ、通りの向かいのパレスチナ人がやっているヘアサロンを紹介される。
「ユダヤ人のこの俺がパレス人の店で働く?」ととまどうゾーハンだがオーストラリア人を名乗っているので、その店の店主ダリア(エマニュエル・シュリーキー)に頼み込み掃除の下働きとして無給で雇ってもらう。
 そんな彼にチャンスが来た。一人のヘア・スタイリストが辞めてしまったためそのお客がゾーハンに回ってきたのだ。セクシーに髪を洗いカットするゾーハン。そしてその後はバックヤードでセックスのおまけ付き。
 ゾーハンの腕前とサービスが噂を呼び、店は大入り満員になった。若い女性には相手にされないが、オバちゃんには大人気。それにしても、若い女性が出てこない映画だ。ダリアと本人役のマライア・キャリー
 その頃、町を壊して一大ショッピングモールを建てようと企む大金持ちがいた。彼らはイスラエル系とパレスチナ系を互いに争わせて、町を乗っ取ろうというのだ。
 ゾーハンが生きているのを知り、とどめを刺しに来たファントムも一緒になって、彼らは乗っ取り屋に戦いを挑む。

 下ネタに次ぐ下ネタなので下ネタ耐性が弱い人には向かない作品。ただアダム・サンドラーの下ネタはやっていることのわりにそんなに下品には感じられない。人柄か?
 それでも、本国では長きに渡って戦いを続けているイスラエル人とパレスチナ人が一歩国を出ると、互いに力を合わせていくところにはちょっと感動した。
 ケンカになりかかってもちょっとした口げんかで済んでしまい本格的な暴力抗争には発展しない。
 笑いでパレスチナ問題を解決してしまうのだ。ただ、双方をかなり馬鹿にしたネタも多いのでちょっとやばいんじゃないこれ? というシーンもあった。
 イスラエル人とパレスチナ人が「どの政治家の奥さんとヤリたい」と真剣にしょーもない話をしているのには笑った。
 それでも軽いノリなので笑ってみる事が出来る。
 生きた猫を蹴って遊ぶ猫サッカーなんかクレームが来ないんだろうか。
 アクションシーンもあり、ゾーハンがビルから段差を使って飛び降りてくるスタントなどなかなかすごかった。往年期のジャッキーばり。エージェント時代のゾーハンの活躍は超人的で、キックで壁をぶち抜き後ろに潜んでいた敵を倒す。デザート・イーグルの弾を避け、そして手で受け止め、さらには鼻の穴で受け止める。
 ジェットスキーで逃げるファントムをバタフライで追いかけてなんと追いつく。
 ファントムも本当はテロリストよりも靴屋をやりたいというのが微笑ましくて良い。みんな戦争なんていやなのだ。暴力はたくさんなのだ。でもって、じつはダリアはファントムの妹という衝撃の事実が明らかになる。
 ゾーハンは熟女派なのか知り合った青年のお母さんとさっそくパコパコ。お客さんともパコパコ。最後には後ろ姿の自分の母親にまで声をかける始末。困った奴だ。
 ゾーハンを倒すためにアメリカに向かうファントムがロッキーのパロディで特訓するのだが卵をグラスに割ると中からヒヨコが出てくる。ヒヨコ2匹を一気飲みするファントム。
 そして肉を叩くのだが、そのままカメラがパンしていくと次にぶら下がっているのは生きた牛。叩いて牛が鳴き思わずビビっているファントム。
 最後には砂漠の真ん中に立つ銅像の下でガッツポーズ。この銅像は誰の何だろうか。アラファト?
 確かに下らない映画だが、ノリと笑いで楽しめる作品だ。だと言うのにこれまた日本未公開でビデオダイレクト。ほんと、アメリカンコメディファンには寂しい世の中だ。まぁこの作品の場合、扱っている題材が日本人向きではないので仕方ないのかも知れない。

 特別出演で『宇宙大作戦 スタートレック』のミスター・カトーことジョージ・タケイが出演。なんとゲイのパーティーの出席者。じつはジョージ・タケイは筋金入りのゲイなのである。2005年に公に公表し、20年来のパートナーもいるそうだ。そのことを知っているとこのシーンはよけいと笑える。

 作中でやたらと中東の清涼飲料水としてフィジー・バブレフというのが登場する。オレンジ色をした飲み物だ。美味そう、飲んでみたいと思ったが実在はしないらしい。残念である。

B001B0Y1V2.jpg『スター・トレック/宇宙大作戦』(1966-1969) STAR TREK 1450分 アメリカ CBS TELEVISION

製作:ジーン・L・クーン、フレッド・フリーバーガー、ジョン・メレディス・ルーカス、ジーン・ロッデンベリー 製作総指揮:ジーン・ロッデンベリー 音楽:アレクサンダー・カレッジ
 出演:ウィリアム・シャトナー、レナード・ニモイ、デフォレスト・ケリー、ジェームズ・ドゥーアン、ジョージ・タケイ、ニシェル・ニコルス、ウォルター・コーニッグ、メイジェル・バレット

 先頃リメイク版が劇場用映画として公開された『スター・トレック』の1960年代にTVシリーズとして放映されたファースト・シーズン全29話である。1話50分構成で宇宙探査船NCC-1701・USSエンタープライズ号の脅威に満ちた冒険を描いている。
「宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である」のナレーションで始まるこの物語はTVシリーズとしては見事なSFに仕上がっている。1960年代にはまだSFが市民権をどれだけ得ていたのか分からないが、かなりセンス・オブ・ワンダーに富んだ物語が展開される。
 TVシリーズとしては予算がかかっている方だろうがしょせんはTV。映画にはかなわない。その分、映像的にも工夫して宇宙船という舞台を利用してセットは使い回せるだけ使い回し、会話を主体とした展開となっている。
 オレが一番好きなエピソードは『おかしなおかしな遊園惑星』で、ある惑星に降り立ったドクター・マッコイがスーツを着た白いウサギとそれを追いかける金髪の女の子を見る。どう考えても『ふしぎの国のアリス』だ。しかしその惑星は無人のはずだったのだ。結論としては、宇宙人が作り出した遊園地だったというオチがきいている。ユーモアに溢れていてシリーズ中でも異色作である。
『400才の少女』も面白い。ある惑星で不老不死の技術を研究していており、それは不完全な形で実現してしまった。思春期までの子供だけが不死となり思春期を迎えると発病して死んでしまうのだ。その惑星に降り立ったカーク船長は子供たちのいたずらで通信機を奪われエンタープライズ号と連絡が取れない。このままでは発病して死んでしまう。無邪気な子供たちの怖ろしさを存分に描いたエピソードだった。
『危険な過去への旅』では薬を誤って過剰注射して精神に異常をきたしたドクター・マッコイが1930年のアメリカに飛んで歴史を変えてしまう。その歴史を正すべくカーク船長とミスター・スポックも過去に飛ぶが、歴史を修正する方法はカークが現地で愛した女性を見殺しにする事だったという悲恋。それにしてもカークは惚れっぽい。
 他にも面白かったエピソードをあげていくと程度の差はあれ全29エピソードになってしまう。

 このDVDではエンタープライズ号や惑星など1960年代のSFXで撮られたシーンをCGIで再現したシーンが別収録で入っている。CGI版で観るのも良し、オリジナル版で観るのも良しの二つの楽しみ方が出来るようになっている。
 中学時代に『宇宙大作戦』が深夜テレビで放映されていて、親に隠れてこっそり居間のテレビで観ていたオレはもちろんオリジナル版を選んだ。それに、CGIの出来があまり良くなくてゲーム機のCGIレベルでちょっとシラケてしまうというのも大きい。
 それにしてもカーク船長は船長のクセしてブリッジの船長席に座っているよりもなにかというと先頭に立って現場の惑星に飛び出して行く。あんたに何かがあったら船が大変だってのに困った船長さんだ。しかもかなり暴力的でなにかというと人を殴る。艦長にしては冷静さを欠いているのではないだろうか。
 その冷静さを埋め合わせてくれるのが副長のスポック。耳の尖ったバルカン人と地球人のハーフで、感情を持たず常に論理的に行動する。中学の頃にこのカーク船長とスポックのやおい本を読んだ事がある。今で言うBL(おっさんだけど)だ。この手の人たちは昔からいたんだなぁ。
 この二人に船医のドクター・マッコイを合わせたお笑い三人組(失礼)が物語を牽引する主要メンバーとなっている。
 ジョージ・タケイ演ずるミスター・カトーは日本だけの命名でオリジナルではヒカル・スールー。ヒカルという名前から分かる通り日本人の血も引いているが、アジア各国の混血児という設定らしい。
 通信士のウーラは黒人女性で、この頃テレビドラマのレギュラーに黒人が入っているのは珍しかった。これを観た子供時代のウーピー・ゴールドバーグが芸能人を目指したというのは有名なエピソードである。
 このようにエンタープライズ号のクルーたちは黒人、アジア系、ロシア系のチェコフなど各人種が集まってプロとして任務に当たっている。これは人種など意味が無くなった未来をイメージしているからである。
 エンジニアのスコットも何故か日本語吹き替えではチャーリーになっている。
 映画の冒頭はカーク船長の航海日誌で始まるのがお約束だが、この日付が宇宙暦なんたらかんたらとやたらと長い。使いにくくはないのだろうか。
 オレが観たのはDVDではなくBlu-ray版だ。『宇宙大作戦』は35ミリフィルムで撮影されているので、Blu-rayにしても遜色のない驚きの高画質である。フィルムの解像度は高いのだ。オリジナルネガがしっかり保存されていたのだろう。
 と、これで安心してはいけない。まだ本棚にはセカンド・シーズンが控えているし、まだDVDしか発売になっていないもののサード・シーズンまであるのだ。
 ファースト・シーズンは1日1話でほぼ1ヶ月かかったが、まだまだ先は長いのである。

B001RN8WA4.jpg『俺たちニュースキャスター』(2004) ANCHORMAN: THE LEGEND OF RON BURGUNDY 94分 アメリカ DREAMWORKS

監督:アダム・マッケイ 製作:ジャド・アパトー、製作総指揮:デヴィッド・O・ラッセル、ショーナ・ロバートソン 脚本:ウィル・フェレル、アダム・マッケイ 撮影:トーマス・アッカーマン プロダクションデザイン:クレイトン・R・ハートリー 衣装デザイン:デブラ・マクガイア 編集:ブレント・ホワイト 音楽:アレックス・ワーマン
出演:ウィル・フェレル、クリスティナ・アップルゲイト、ポール・ラッド、スティーヴ・カレル、デヴィッド・ケックナー、フレッド・ウィラード、クリス・パーネル、キャスリン・ハーン、セス・ローゲン、フレッド・アーミセン、ダニー・トレホ、ルーク・ウィルソン、ベン・スティラー、ジャック・ブラック、ヴィンス・ヴォーン、ティム・ロビンス、ミッシー・パイル、ジェリー・スティラー

 時代は1970年代、まだケーブルテレビが登場していなかった頃。サンディエゴのローカル局チャンネル4で花形ニュースキャスターを務めているアンカーマンのロン・バーガンディ(ウィル・フェレル)は実は「郷においては郷に従え」の意味も知らない格好ばかりのバカ野郎。
 そんな報道局に一人の女性リポーターのヴェロニカ・コーニングストーン(クリスティナ・アップルゲイト)が入ってくる。この時代、テレビ局は完全に男社会で女性のアンカーウーマンなど存在しなかったが、彼女はそれを目指していた。しかもチャンネル4のようなローカル局ではなく全国ネットのネットワークのアンカーウーマンだ。
 最初はギグシャクした二人だがいつしか恋人関係に。ロンがアンカーマンを務めヴェロニカがリポーターをやる。それで上手くいっていた。
 しかし転機は訪れる。アクシデントでロンがニュースの時間に間に合わず、ヴェロニカがアンカーウーマンを見事にこなしたのだ。このことで二人の仲は決裂。そしてニュースはロンとヴェロニカの二人体制になったのだが、ある事件をきっかけにロンはテレビ局を首になり転落人生に。

 テレビのニュース業界をネタにギャグまたギャグの連発。下ネタや動物虐待ネタもあるが気にしない気にしない。
 ウィル・フェレルの扮装が実に70年代風で、妙に生地がピシッとしたスーツと口ひげ。そして微妙な髪型で本人はきめきめなつもりなのが笑える。
 製作がDREAMWORKSというだけあってか、ロンとヴェロニカのベッドインのシーンが夢の国を飛び回るアニメーションで表現されていて独特である。それにしても作品自体はDREAMWORKSらしくないネタである。
 路地裏で突然ベン・スティラーやカメオ出演のティム・ロビンスなどライバル局数局とナイフや手榴弾まで使って決闘を始める。突然、網を引いた馬まで登場したのにはさすがに驚いた。何をやっとんじゃこいつら。とにかく細かいギャグの散りばめられている事。ルーク・ウィルソンは背後から刃物で左手を切断されて、さすがにこのシーンはギャグで事実じゃないんだろうと思っていたら、ラストのパンダの赤ちゃん出産シーンの取材現場でちゃんと左手がないままだった。あの決闘は事実だったのか。バカだなー。
 カメオ出演といえばジャック・ブラックも登場。ロンの転落のきっかけとなるバイカー役だ。ロンに食べ物を投げつけられてバイクで転倒し、怒ったジャック・ブラックはロンのペットの犬を橋の上から遙か下の川へと蹴り落とす。無茶をするもんである。こんな役にジャック・ブラックは実にはまっている。
 お気に入りの役者ダニー・トレホがすっかり落ちぶれたロンが酒をあおっている安酒場のバーテンで登場しているのも嬉しい。「これから女性はもっと社会に進出してくるさ」と重要な事をいうのだが、ロンから「スペイン語は分からん」と言われてムッとしているダニー・トレホがかわいい。
 どうやら70年代の女性キャスターについてのドキュメンタリー番組をウィル・フェレルが見て、それからアイディアを得てこの脚本を書き上げたらしい。ドキュメンタリー番組はさぞ真面目な物だったろうにどこからでもネタを見つけ出すのがコメディアンだ。
 アンカーマンはリポーターや記者などが取材してきた原稿を読むだけだから知識よりも見た目優先でバカでも出来るという立場でこの作品は作られている。実際のアンカーマンはどんな存在なのだろうか。
 最終的には男女のペアでアンカーマン・アンカーウーマンをやるというスタイルになる。『ロボコップ』シリーズで効果的に使われるニュースのシーンでも男女のペアだったが、アメリカのニュース番組はあのスタイルなのだろう。
 ラストはヒグマの檻に落ちたヴェロニカをロンとそのニュースチームが助けに飛び込む。ニュースを読む事よりも愛した女性を救う事に命を賭けたのだ。なかなか感動的である。そして真に感動的なのはロンの呼びかけで川から這い上がってきたペットの犬が(生きてたんだ!)ヒグマの母親を動物語で説得してしまうことである。
 エンドロールにはキャスト・スタッフ名の横でNGシーンが展開される。これはよくあるパターンだが、途中で意味なくハル・ニーダムの『トランザム7000VSパトカー軍団』(1ではないと思う)のNGシーンが挿入されていて個人的に大爆笑。エンドロールのNGシーンを開拓したハル・ニーダムへの敬意も感じるシーンであった。
 これだけ面白い作品なのに日本では未公開。実にもったいない。アメリカンなコメディは結局日本でウケないのかなかなかこれだと思う物があっても公開やDVD化してくれない場合が多い。どうも日本人は感動やドラマを上に見て、笑いを下に見る傾向があるのではないか。そのくせテレビでは手抜きでしょうもないバラエティ番組だらけ。本気で人を笑わせようと作られた作品から受けるエネルギーというのは大きな物である。感動よりも笑いや興奮だと思うんだがなぁ。

B002PJ5R48.jpg『俺たちステップ・ブラザース -義兄弟-』(2008) STEP BROTHERS 98分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:アダム・マッケイ 製作:ジミー・ミラー、ジャド・アパトー 製作総指揮:ウィル・フェレル、アダム・マッケイ、デヴィッド・ハウスホルター 原案:ウィル・フェレル、アダム・マッケイ、ジョン・C・ライリー 脚本:ウィル・フェレル、アダム・マッケイ 撮影:オリヴァー・ウッド プロダクションデザイン:クレイトン・ハートリー 衣装デザイン:スーザン・マシスン 編集:ブレント・ホワイト 音楽:ジョン・ブライオン 音楽監修:ハル・ウィルナー
出演:ウィル・フェレル、ジョン・C・ライリー、メアリー・スティーンバージェン、リチャード・ジェンキンス、アダム・スコット、キャスリン・ハーン、セス・ローゲン、アンドレア・サヴェージ、フィル・ラマール、エリカ・ヴィッティナ・フィリップス、イアン・ロバーツ、ホレイショ・サンズ、ケン・チョン

 ブレナン(ウィル・フェレル)は39歳だというのに定職にも就かず母親と二人暮らし。デールは40歳だというのにこちらも定職に就かずに医師の父親と二人暮らし。ところがこの母親と父親が出会い頭に恋に落ち結婚してしまったものだからもう大変。ブレナンとデールは同じ部屋で暮らす事になったのだが、ウマが合わずにケンカばかり。ところがブレナンの弟デレクが新居を訪れたのだがこいつが実に嫌な奴。このことで二人は意気投合してすっかりダメ人間同士仲良しになってしまう。しかし、父親から1ヶ月以内に仕事を探せと命令されて......

 ダメ人間が実にダメ人間なので笑える。言動は子供並み。下らない事でケンカして、デールのドラムセットにブレナンが玉袋を出してこすりつける。(さすがに玉袋は実物ではなくて作り物のSFXだが)
 着ているTシャツもスター・ウォーズのヨーダの絵柄とか清涼飲料のマウンテンデューだとかで馬鹿馬鹿しさに輪をかける。意味もなくチューバッカのお面をかぶってるし。
 小学生たちのイジメにも負けるこの二人が終盤に向かって次第に大人になっていくところが見物である。最初は単なる社会人として登場するが、パーティーのバンドマンとして活躍するところが見所である。
 ブレナンは元々歌が上手いという設定なのだが、弟のデレクの策略によって幼い頃に人前で歌う事に抵抗を感じてしまうようになったのだ。そのブレナンがここ一番という時に大勢の観客の前で歌う歌が実に感動的である。映画の中の観客も妙に感動している。実際にウィル・フェレルが歌っているのだろうから実際にどれだけ上手いのかはオレにはよく分からないが映画としては感動した。
 それによって、離婚しかけていた両親が再びよりを戻すという設定もいい。
 小学生のイジメに本気で対抗するラストもバカバカしくて良い。ってゆーかヘリコプターで乗り付けるなよ。ガキ過ぎる。
 デレクの奥さんが本音ではデレクに飽き飽きしていて、そのデレクを殴りつけたデールに惚れてしまうという設定も面白い。
 子供じみた中年男が親元で定職にも就かずにブラブラ暮らしているというのが日本だけではなくアメリカでもあり得る状況だというのが興味深い。アメリカだと独立心が旺盛で早々と親元を立つというのがイメージなのだが色々あるのであろう。
 子供に犬の糞を舐めさせられたり、その他にも下ネタ満載なので見る人を選ぶだろうが、個人的にはこいつは押しである。ただ、主演二人の言動があまりにもガキ過ぎるのが気になる。
 悪役であるはずのデレクが最後には中途半端な扱いになってしまうのに不満が残る。あいつにはもっとどん底を舐めて欲しいものだ。このデレク役を演じる役者が本当に嫌な奴とやってくれるので嬉しい。
 ウィル・フェレルとしては期待していた物をそのままもらった感じで違和感は感じないがそれ以上の驚きは感じない。ジョン・C・ライリーにしても同じだ。
 ラストは結局ビジネスで儲けたもの勝ちかというアメリカの価値観で終わる。それにしてもいまさらカラオケボックスっていわれてもなぁ。

B000NO1YL2.jpg『愛しのジェニファー』(2005) MASTERS OF HORROR: JENIFER 58分 アメリカ

監督:ダリオ・アルジェント 製作総指揮:キース・アディス、モリス・バーガー、スティーヴン・R・ブラウン、アンドリュー・ディーン 原作:ブルース・ジョーンズ 脚本:スティーヴン・ウェバー 撮影:アッティラ・スザレイ 音楽:クラウディオ・シモネッティ
出演:スティーヴン・ウェバー、キャリー・アン・フレミング

 刑事のフランクはある男が肉切り包丁で女性を切り刻もうとしている現場に出くわし、警告しても聞かない男を射殺する。
 女性は豊満な魅力的な肉体をしていたが、醜い奇形の顔をしていた。妙に男の庇護心をそそるその女性の名はジェニファー。フランクは精神病院に収容されたジェニファーを自宅に連れて帰る。妻には反対されるが、この娘には行くところがないんだと無理矢理説得する。
 しかし、猫を殺して生のまま食べるなどの奇行が始まり、妻と息子は家を出て行ってしまう。そんな中でもジェニファーに求められるとセックスにふけってしまうフランクだった。こうしてフランクの破滅への道が始まった。

 アメリカのTVミニシリーズ『マスターズ・オブ・ホラー』からダリオ・アルジェントが担当した回。TVなのでダリオ・アルジェントの特徴であるねちっこい殺害シーンはそれほど登場しないが、ジェニファーが人を襲ってははらわたをむさぼり食うシーンは怖ろしい。
 だがそれ以上に、ジェニファーが普通にしているシーンにぞっとするところがある。セックスを求めていくところも怖ろしい。しちゃいけないと頭では理解しているのにやってしまうフランクが男の生理を表していて悲しい。そうしてずるずると身を持ち崩していくのだ。抜け出せたかなと思うとジェニファーの行動でまた振り出しに。いやもっと悪い状況に陥っていく。それが分かっているのにジェニファーを捨てる事が出来ない。精神病院に返してしまえばいいと思うのだが、フランクにはそれが出来なかったのだろう。ジェニファーはフランクに依存しているが、フランクもある意味ジェニファーに依存していたのだろう。例えそれがセックスだとしても。
 ジェニファーは純粋な悪だがそれは無垢なる存在であるがゆえだ。彼女は自分の欲求を隠そうともせずにそれに素直に従う。それが例え殺人であってもだ。そんな彼女も懐いた男には尽くす。そうやって男に依存して生きてきたのだ。
 ダリオ・アルジェント色は少々薄い。脚本が他人担当だからだろうか。音楽もそれほど凝っていなくて耳に残らない。
 ラストはオチがキレイに決まって一人の男の堕落の物語に決着が付く。そしてジェニファーは新しい男に依存して生き抜いていくのだろう。新しい男を破滅に導きながら。

B000TXR2YK.jpg『インフェルノ』(1980) INFERNO 107分 アメリカ/イタリア 20th CENTURY FOX

監督:ダリオ・アルジェント 製作:クラウディオ・アルジェント 脚本:ダリオ・アルジェント 撮影:ロマノ・アルバーニ 音楽:キース・エマーソン
出演:リー・マクロスキー、アイリーン・ミラクル、アリダ・ヴァリ、サッシャ・ピトエフ、ダリア・ニコロディ、エレオノラ・ジョルジ、ヴェロニカ・ラザール

 『サスペリア』(1977)に続くダリオ・アルジェントの『魔女三部作』第二弾。

 ニューヨークの古いアパートに住む女流詩人ローズが近所の古美術・古本店で『三母神』という本を買う。そこには三人の魔女について書かれていて、偶然にもローズの住むマンションは錬金術師でもある建築家が"暗闇の母"のために建てたものだった。
 そのことを怖れたローズはローマで音楽を学んでいる弟のマークに手紙を出した。その手紙を友人の女性が読んでしまい、興味を持った彼女はそれについて調べている内に殺されてしまった。
 ローズの電話でニューヨークへ飛んだマークだが、その時にはすでにローズは何者かによって惨殺されていた。他にも繰り返し起こる怖ろしい殺人の数々。
 謎を追うマークはついにそれを解き明かし、"暗闇の母"に出合う。その正体とは魔女の一人であった。

 今回も原色の照明をふんだんに使って雰囲気作りをしている。
 音楽はゴブリンからキース・エマーソンに替わり、華麗なスコアを鳴り響かせている。ただし迫力という面では少し落ちたか。画面には合っている。
 皆既日食の夜に猫を袋詰めにして池に放り込んだ松葉杖の古美術商が、その池の中で倒れてしまい助けを求めているところにホットドッグの屋台カーのオヤジが走ってきて、助けるのかと思ったら包丁でとどめを刺したのには笑ってしまった。怖いシーンなんだけどね。
 ストーリー的にはつじつまが合わない点が多く、魔女の目的もよく分からない。単に人を殺したかっただけなのか?"死神"だしな。
 美術としては水で溢れた地下室や図書館の地下にこつぜんと現れる錬金術師の部屋、豪華だがどこか狂っているマンションの内装など見所は多い。
 ラストの火に包まれるマンションの中で、"暗闇の母"は死んだのだろうか。『サスペリア』のスージーとは違いマークは戦わずに逃げてしまったのでその点は不明である。つか逃げんなよ。
 殺人の数は『サスペリア』の倍を超える。それぞれに凝った殺し方で、ナイフで刺したり、割れた窓ガラスで首を切断したり、燃えるカーテンに包まれて落ちていったりと色々。目が飛び出した死体には笑ってしまったが。
 この作品の弱点をあげるとしたら主人公をマークという男性にしてしまったことだろう。やはりダリオ・アルジェント作品の主人公は女性が似合う。女性が散々な目にあわされてこそダリオ・アルジェントだ。

B0021ZMHPS.jpg『アルティメット』(2004) BANLIEUE 13 85分 フランス EUROPA

監督:ピエール・モレル 製作:リュック・ベッソン 製作総指揮:ベルナール・グルネ 脚本:リュック・ベッソン、ビビ・ナセリ 撮影:マヌエル・テラン
出演:シリル・ラファエリ、ダヴィッド・ベル、トニー・ダマリオ、ラルビ・ナセリ、ダニー・ヴェリッシモ

 2010年、近未来のパリ。郊外は犯罪にあふれ、手を焼いた政府は街を壁で囲み隔離した。バンリュー13地区では正義感にあふれる青年レイトが犯罪組織のボス・タハの麻薬を奪い全て破棄した。追われた彼は警察に逃げ込むが警察はバンリュー13地区から撤退中で面倒を怖れた署長に逆に逮捕されてしまう。
 それから6ヶ月後。輸送中の中性子爆弾がタハの手によって盗まれ、爆発まで24時間のタイマーが作動してしまう。爆発を阻止するため腕利きの警官ダミアンが選ばれ、案内役としてレイトと共にバンリュー13地区に侵入する。
 タハの手下達と戦いながら爆弾を目指す二人。しかし、裏には巨大な陰謀があった。

『YAMAKASI』でアクションを担当した肉体パフォーマンスグループ"パルクール"の創始者ダヴィッド・ベルがレイト役、リック・ベッソン作品の多くでスタントマンとして活躍するシリル・ラファエリがダミアン役と肉体派二人が主役の肉体映画。
 とにかく飛ぶ、飛び降りる、よじ登ると肉体の動きがすごい。特にダヴィッド・ベルの動きはしなやかで豹の様な動きでビルを飛び降りていく様は見事だ。人間の繰り出す技としては限界に近いんじゃないだろうか。ワイヤーアクション、CGなしの本気のアクションが連発で驚いてみているしかない。フットワークの軽さは異常だ。
 格闘アクションもあるにはあるが、こちらはシリル・ラファエリが専門ではないせいか、今一つな感じではある。動きの一つ一つが軽すぎるのが逆に迫力不足に繋がっている。

 タハは悪者だが、本当の悪は善人面して偉そうにしているというテーマも盛り込まれている。街を守ろうというレイトと警官としての任務を全うしようとするダミアン。二人は時に衝突もするが、最後は悪の鼻をあかしてハッピーエンド。
 二人とも頭が切れて正義感が強く真っ直ぐな性格である。ヒーローにはもってこいだ。
 ストーリーはシンプルで物足りないところもあるが、アクションがあれば問題ない。アクションだよアクション。
 街が壁で閉鎖されているところは『ニューヨーク1997』、撤収中の警察署に逃げ込むところは『要塞警察』などジョン・カーペンター色を感じる。
 撮影や編集が巧みでアクションをより迫力のある物に見せている。
 これでヒロインであるレイトの妹のローラが可愛ければ文句なかったんだが。

B0029UVQA2.jpg『アンダーワールド:ビギンズ』(2009) UNDERWORLD: RISE OF THE LYCANS 90分 アメリカ LAKESHORE ENTERTAINMENT、SCREEN GEMS

監督:パトリック・タトポロス 製作:トム・ローゼンバーグ、ゲイリー・ルチェッシ、レン・ワイズマン、リチャード・ライト 製作総指揮:スキップ・ウィリアムソン、ヘンリー・ウィンタースターン、ジェームズ・マクウェイド、エリック・リード、ベス・デパティー キャラクター創造:ケヴィン・グレイヴォー、レン・ワイズマン、ダニー・マクブライド 原案:レン・ワイズマン、ロバート・オー、ダニー・マクブライド 脚本:ダニー・マクブライド、ダーク・ブラックマン、ハワード・マケイン 撮影:ロス・エメリー プロダクションデザイン: ダン・ヘナ 衣装デザイン:ジェーン・ホランド 編集:ピーター・アムンドソン 音楽:ポール・ハスリンジャー
出演:マイケル・シーン、ビル・ナイ、ローナ・ミトラ、スティーヴン・マッキントッシュ、ケヴィン・グレイヴォー、シェーン・ブローリー、ケイト・ベッキンセイル
 
 ライカン(狼男)はかつてヴァンパイアの奴隷だった。その中で救世主として生まれたルシアン(マイケル・シーン)が同胞を導きヴァンパイアから解放する物語。ライカンのキリストと言っても良いのかもしれない。
 今作は時代をぐっと遡って中世が舞台。ヴァンパイアの長ビクター(ビル・ナイ)は新しく生まれたライカンの赤ん坊を殺すことが出来なかった。この赤ん坊は成長してルシアンとなった。それまでのライカンが原種で一度変身すると人間に戻れず野蛮で暴れることしか頭になかったのに対し、ルシアンは人間に戻ることが出来たし、変身しても理性を保っていた。そこでルシアンに奴隷の人間を噛ませてライカンを量産し、日光に弱い自分たちを昼間の間敵から守らせたのだ。
 ところがルシアンがビクターの娘ソーニャ(ローナ・ミトラ)と恋に落ちてしまったことから悲劇は始まった。

 ソーニャ役のローナ・ミトラは雰囲気がセリーン役のケイト・ベッキンセイルに似ている。ビクターがセリーンの家族を殺した時、セリーンが今は亡きソーニャに似ていたから殺さずに自分の娘にしたということだが、なるほどそれも納得である。だが、どうせならばケイト・ベッキンセイルがソーニャ役をやれば良かったのではないだろうか。同一人物が演じてもさほどおかしなことではないだろう。

 今回は中世と言うことで飛び道具はボウガンぐらい。剣での戦いが主だ。これまでと違って新鮮である。アクションにもう一工夫欲しかったところだが十分に楽しめる。

 今回の主役はライカンということで、1作目で悪役を演じたライカンとルシアンのイメージが変わった。ヴァンパイアとライカンがなぜ争っているかの理由もはっきりする。ライカンは自由が欲しかったのだ。
 それにしても、ライカンには男しかいないのだが子孫はどう残しているのだろうか。子供は産まずに人間を噛んでライカンにして種の保存をしているのか。女性がいないとはむさくるしいし潤いのない社会だ。もしもそうならライカンにはなりたくない。

 終盤のライカン蜂起のシーンでは思わずライカンを応援してしまう。ヴァンパイアは残忍でわがままで自分勝手だ。こんなのを主人に持ったらたまったものではない。
 この作品でこれまで分からなかった設定や伏線が理解できるようになる。ルシアンがウィリアムの封印を解く鍵を持っていた理由も明らかになる。
 ケイト・ベッキンセイルはラストに1作目の映像の使い回しで少し出てくるだけ。せめて撮り下ろしのシーンが欲しかった。
 3作を通して観てそれなりに面白かったが、オレの好みとはちょっと違うと感じた。

B002AEG0JY.jpg『アンダーワールド:エボリューション』(2006) UNDERWORLD: EVOLUTION 106分 アメリカ LAKESHORE ENTERTAINMENT、SCREEN GEMS

監督:レン・ワイズマン 製作:ゲイリー・ルチェッシ、トム・ローゼンバーグ、リチャード・ライト 製作総指揮:デヴィッド・コートスワース、ダニー・マクブライド、ジェームズ・マクウェイド、スキップ・ウィリアムソン 原案:レン・ワイズマン、ダニー・マクブライド 脚本:ダニー・マクブライド 撮影:サイモン・ダガン プロダクションデザイン:パトリック・タトポロス 衣装デザイン:ウェンディ・パートリッジ 編集:ニコラス・デ・トス 音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ケイト・ベッキンセイル、スコット・スピードマン、トニー・カラン、ビル・ナイ、シェーン・ブローリー、デレク・ジャコビ、スティーヴン・マッキントッシュ、マイケル・シーン、ソフィア・マイルズ、ジータ・ゴロッグ、リック・セトロン

 スタイリッシュでダークな映像でバンパイアとライカンの戦いを見せてくれた『アンダーワールド』の続編。前作の直後からストーリーが始まるので前作を観ていない人はさっぱりだ。

 前作では銃を使った銃撃戦が全編で展開されたが、今作はアクションは控えめでストーリーに比重を置いている。しかし、このストーリーが今一つ分からない。
 不老不死の一族がいて、その兄弟の一人マーカスがコウモリに噛まれてバンパイアとなり、もう一人ウィリアムは狼に噛まれてライカン(狼男)になった。元は一つの一族だったのである。しかしやっかいな一族だ。蚊に血を吸われて蚊男とか人間に噛みつかれて人間男とかになったりしないんだろうか。
 最初の頃のライカンは原始的で一度獣化してしまうと元に戻ることが出来ず暴れるだけだった。そこでウィリアムは捕らえられ牢獄に閉じこめられた。これが何百年も前のことで、前作のヒットで予算が増えたのだろうか、中世の村のセットを作ってウィリアムを捕らえるシーンが撮影されている。

 ここら辺からよく分からなくなってくるのだが、主人公のセリーン(ケイト・ベッキンセイル)はウィリアムを捕らえた牢獄を作った男で、セリーンの血の中にはその牢獄の場所が記憶として残っている。つまり牢獄の地図なのだ。
 牢獄の鍵は前作のラストでセリーンに殺されたビクターが体内に隠し持っていたのが一つ、ライカンの長が持っていたのが一つの二つを組み合わせて使う。バンパイアとライカンとで鍵を分け持っていたわけである。なんでここまで厳重にウィリアムを閉じこめておくかというと、最初の一人つまりマーカスが死ぬとバンパイアは全滅し、ウィリアムが死ぬとライカンが全滅するかららしい。ただしこれは言い伝えで確かではない。試してみるわけにもいかないからだ。
 マーカスは必死になって鍵を集めウィリアムの封印を解こうとする。この理由がよく分からない。これが分からないとストーリーの全てが分からないことになる。兄弟だからとしか思いつかないのだが。

 やたら細かい設定が入り組んでいて悪い意味でのオタク的志向である。不必要と思われるところまで設定が決められていて覚えるのに一苦労だ。

 前作では銃撃戦が中心だったが、今作のラストは銃ではなく素手による格闘戦。アクションの撮り方はあまり上手くない。バンパイアとライカンのハイブリッドとなったマイケルがウィリアムと、セリーンがマーカスと戦う。マーカスは背中にコウモリのような羽が生えていてその先端を使っても攻撃してくる。セリーン危うし。

 前作の舞台はアメリカだと思ったのだが、今回はどうやら東欧のようである。前作のラストからどうやって東欧まで移動したのかは謎だ。そもそも東欧だったのか?

 タイトルの"エボリューション"の意味はマーカスとウィリアムの父親である不老不死の人物の血をセリーンが飲むことによって、日光に耐えられるように進化したから。

 バンパイアもライカンも指導者を亡くして混乱することだろう。これから互いの戦いや内紛が始まるに違いない。それでも進化したセリーンはマイケルと共に歩んでいくことだろう。

 ケイト・ベッキンセイルが黒のレザースーツ姿でやはり色っぽい。脱いでも色っぽい。
 全体的にスタイリッシュな仕上がりだが、それに力を注ぎすぎて映画の柱の部分が弱く感じられるのはオレだけだろうか。

B000FTWUZE.jpg『アンダーワールド』(2003) UNDERWORLD 121分 アメリカ LAKESHORE ENTERTAINMENT、SCREEN GEMS

監督:レン・ワイズマン 製作:ゲイリー・ルチェッシ、トム・ローゼンバーグ、リチャード・S・ライト 製作総指揮:ロバート・ベルナッキ、ジェームズ・マクウェイド、スキップ・ウィリアムソン、テリー・A・マッケイ、ヘンリー・ウィンタースターン 原案:レン・ワイズマン、ケヴィン・グレイヴォー、ダニー・マクブライド 脚本:ダニー・マクブライド 撮影:トニー・ピアース=ロバーツ 美術:ブルトン・ジョーンズ 編集:マーティン・ハンター 音楽:ポール・ハスリンジャー 衣裳デザイン:ウェンディ・パートリッジ
出演:ケイト・ベッキンセイル、スコット・スピードマン、シェーン・ブローリー、マイケル・シーン、ビル・ナイ、アーウィン・レダー、ソフィア・マイルズ、ロビー・ギー、ウェントワース・ミラー、ケヴィン・グレイヴォー、リック・セトロン
 
 バンパイアとライカン(狼男)の戦いをスタイリッシュな映像で描いた作品。
 舞台は現代。遙か太古から続くバンパイアとライカンの戦いはバンパイア有利で進んでいた。ライカンハンターのセリーン(ケイト・ベッキンセイル)はマイケル(スコット・スピードマン)という青年を尾行しているライカンを発見する。ライカン狩りを始めたセリーヌたちは地下鉄の構内で銃撃戦を繰り広げる。実はマイケルの血には特殊の力があり、それをライカンたちは狙っていたのだ。

 バンパイアたちがパソコンを駆使し、屋敷の警備もセキュリティの機械任せになっているなどこれまでのバンパイアのイメージを覆す描写が面白い。資金はどうやって稼いでいるのだろうか。仕事をしているようには見えなかったが投資でもしているのか。そう言えば、人工血液を作る会社を経営しているというシーンがあったか。『ブレイド』シリーズのバンパイアに近いだろうか。
 ライカンに至っては地下の下水道みたいなところに暮らしていて、どうやって武器弾薬を調達しているのか不明。軍などから盗んでいるといったセリフがあったような気がするが定かではない。
 ライカンとの戦いは肉弾戦ではなく銃撃戦が主だ。これも従来のバンパイア物と異なるところ。『ブレイド』があるけど。普通の銀の弾だけではなく液体の硝酸銀を込めた弾まで登場する。これならば血液に混じって全身に散らばるしなにより取り出すことが出来ない。
 アクションは『マトリックス』の強い影響を受けている。『マトリックス』がなければこの作品は作られなかっただろう。
 セリーヌのレザースーツに黒のロングコートという姿は実にりりしく格好いい。他の登場人物の衣装も凝っている。
 ビクター(ビル・ナイ)というバンパイヤの長老がいるのだが、普段は眠っているのをセリーヌが起こすシーンがある。最初はミイラ状態に干上がっている。ほとんど干物のようなものだ。それに血液を補充することで次第に生身の人間に近くなっていき、最後には普通の人間になる。バンパイアは年を取っている方が強いという設定らしく、最高齢にして最強のバンパイアなんだそうな。その割りには『ルパン三世 ルパン対マモー』でマモーの手下が五右衛門にやられたような殺され方をするが。
『ヴァン・ヘルシング』でもそうだったが、バンパイアに対立する物は狼男なのだろうか。個人的には、狼男は頭が悪そうだし満月の晩以外は普通の人間だから格下だと思うのだが。
 バンパイアと狼男の戦いが銃撃戦なので人間同士の戦いとほとんど変わらないという不満はある。銃撃戦はひたすら撃ちまくりでさして工夫がないし。床を丸く撃ち抜いて下の階に逃げるのが面白かったぐらい。もっと肉体を使ったアクションが観たかった。
 ストーリーは今一つ盛り上がらないので、ケイト・ベッキンセイルと画面のスタイリッシュさが一番の売りか。

B000063C4P.jpg『URAMI 怨み』(2000) BRUISER 100分 アメリカ

監督:ジョージ・A・ロメロ 製作:ベン・バレンホルツ、ピーター・グルンウォルド 製作総指揮:アレン・ショア 脚本:ジョージ・A・ロメロ 撮影:アダム・スウィカ 音楽:ドナルド・ルビンスタイン
出演:ジェイソン・フレミング、ピーター・ストーメア、レスリー・ホープ、ニーナ・ガービラス、アンドリュー・ターベット、トム・アトキンス

『ダーク・ハーフ』(1993)以来7年ぶりに『ゾンビ』シリーズのジョージ・A・ロメロが撮った劇場用新作。
 B級っぽい邦題だが、原題の『BRUISER』は強い男、乱暴者といった意味。誰がどう強くて乱暴者なのだろうか。

 主人公は出版社の社員。男性向け人気雑誌『BRUISER』を担当している。冴えない男で他人に馬鹿にされたりコケにされたりはしょっちゅう。妻からも軽く扱われている。そんな彼がパーティーで自分の顔のマスクを作ったところから話は変わる。
 翌朝、起きてみると自分の顔が白いマスクになっていたのだ。マスク顔になった主人公は怒りっぽくなりジャケットから金をくすねた家政婦を殴り殺すと、外出したまま戻らない自分の妻を捜しに出かけた。妻は自分の会社の社長とよろしくやっているところ。妻の首に電機の延長コードを巻き付けて窓から放り出して殺す。
 続いて、自分の株式売却益をくすねていた親友を銃で撃ち殺し、最後に社長をパーティー会場でレーザーにて撃ち殺す。
 全ての復讐を遂げた主人公の顔は元に戻っていた。

 ジョージ・A・ロメロとしては凡庸な出来で、演出に冴えがない。殺し方にまず工夫がない。変わっているのは社長をレーザーで撃ち殺すぐらいか。でも、そのレーザーはパーティーの演出用のレーザーでそんな威力のある物だったら危なくてしょうがないだろうに。太陽光の2倍の熱を発すると説明されていたが、その程度では人はしなないだろう。
 序盤の主人公がまだ普通の顔だった時に、妄想で頭に来た相手を殺すが、例えば列車の車輪で頭を轢き潰すとか斧で頭をかち割るなどの方が殺し方として面白かったしロメロっぽかった。
 マスク顔になって本当の顔が無くなった=本当の自分が無くなった、つまり家庭も仕事も友人もなくなったということなんだろう。アイデンティティを喪失した主人公が怨みを持つ相手を殺していくことによって自分を取り戻していく。発想は悪くないがその段階に面白みがない。主人公の怒りにあまり同調できないというのもある。あまり魅力的な主人公ではないのだ。復讐劇ならばもっと人々を引きつける主人公であるべきだった。ただ、取り外しの出来るマスクをかぶるのではなく顔そのものがマスクになってしまうのは面白かった。
 逆に殺される側の妻や社長などは個性的で、こいつならば殺されてもやもなしと感じさせてくれる。本当に嫌な連中なのだ。俗物でセックスマニアで欲深ときてる。そしてそういう人間に限って権力を持っていたり、上手く立ち回って儲けていたりする。
 オープニングはラジオの視聴者参加番組で、電話での出演者が番組の最中に自殺をしてしまう。主人公はその男にシンパシーを抱いたようだ。彼自身、自殺が頭をよぎっていたのかも知れない。
 ラストの、警察から逃げて身分を隠してある会社でメッセンジャーボーイをやっている主人公が、馬鹿なボスから怒鳴られて振り向いたらまたマスク顔になっていたというのは蛇足。あのまま頭に来る度にマスク顔になって殺人を繰り返していくのだろうか。それは爽快感があるのかも知れないがしんどい生き方だ。
 オレも生きていると「こいつ殺してやろうか」と思うぐらい品性下劣だったり傲慢だったりする奴と出会う時がある。そう言う時にオレは頭の中で殺すことにしている。本当に殺したら殺人犯だが、頭の中で殺している分には無実だ。

B001S8SF96.jpg『悪魔のシスター』(1973) SISTERS 92分 アメリカ AMERICAN INTERNATIONAL

監督:ブライアン・デ・パルマ 製作:エドワード・R・プレスマン 原案:ブライアン・デ・パルマ 脚本:ブライアン・デ・パルマ、ルイザ・ローズ 撮影:グレゴリー・サンダー 音楽:バーナード・ハーマン
出演:マーゴット・キダー、ジェニファー・ソルト、チャールズ・ダーニング、バーナード・ヒューズ、ウィリアム・フィンレイ、メアリー・ダヴェンポート、ドルフ・スウィート

 画面分割が効果的に使われていて、黒人男性が刺されて悶絶しているカットと向かいのアパートから偶然見てしまう女性記者のカットが同一の画面で繰り広げられる。デ・パルマの好きな画面分割だがこれが一番上手く使われているのではないか。
 画面分割ではないが、元シャム双生児の女性が薬が無くて苦しんでいるカットと、黒人男性が薬を買いに出ていて帰りに彼女と彼女の妹の誕生日だからとケーキ屋でバースデーケーキを買うカットが交互に繰り返されるのも効果的だ。薬がないのは黒人男性が服を着る時にそれとは知らず服の袖で薬を洗面台の配水管に落としてしまったから。細かなネタを仕込んである。
 薬が間に合わなかったものだから、もう一つの妹の人格が現れてしまった女性は男性への憎しみから黒人男性を刺し殺す。それを目撃した女性記者は警察を呼ぶが警察への批判記事を書いた彼女は刑事から受けが悪くなかなか信じてもらえない。その間に、女性の元夫の医師が登場して死体を隠して血を拭い去ってしまう。警察の捜査もおざなりで、結局は女性記者の妄想扱いされてしまう。双子の名前の書かれたバースデーケーキを刑事に見せようとして寸前でひっくり返して刑事の靴を汚してしまい結局見せられないというのはヒッチコックっぽい。
 このことを本格的に記事にすることにした女性記者は探偵をやとい、死体の在処を探らせる。死体はどうやらソファの中に隠されているようで、カナダのケベックに送られたソファを探偵は追う。この探偵を演ずるのがチャールズ・ダーニング。見た目はちょっと肥満気味だが腕利きの探偵だ。映画のラストで、ソファを誰が取りに来るか見張り続ける姿にはプロを感じさせる。
 シャム双生児の妹は分離手術後にすでに死んでいて、姉が薬が切れたりすると妹の人格が浮かび上がるのは、超自然的現象で妹の霊魂が乗り移っているのか、単に多重人格として妹の人格を自分の中に作り上げてしまっているのかは分からない。
 そもそもデ・パルマが『サイコ』と『裏窓』をやりたくて作ったとしか思えない内容で、演出と映像のセンスは面白いがストーリーはかなり支離滅裂になっており説明不足な点も多い。
 女性記者が殺人者の女性を追っていくと豪邸にたどり着き、そこがなんと精神病院。たしかに女性記者と母親との会話で伏線はあったが唐突だ。そこの院長がなんと証拠隠滅をした医師。でもこの医師は精神科医ではなく外科医なのだがそこら辺はどうでも良いのだろう。そして、新しく来た患者ということにされてしまう。何を言っても妄想扱いで、自分は患者じゃなくて正常だと言っても相手にされない。ここは怖い。
 医師に催眠術で黒人男性殺人事件はなかった。だから死体もないと記憶操作されてしまうのも怖ろしい。
 派手な画面に合わせてバーナード・ハーマンのスコアがやかましいくらいに鳴り響くのも印象的。
 人一人しか殺していないのに"悪魔の"はちょっとおおげさかと。これまでにも男性を何人か殺しているのだろうか。そこら辺は描かれないので謎。同じシャム双生児を扱った作品でも『バスケットケース』とはかなり味わいの違う作品となっている。でもどちらか片方が邪悪という点では同じか。

B0026P1K88.jpg『ヴァン・ヘルシング』(2004) VAN HELSING 133分 アメリカ UNIVERSAL PICTURES

監督:スティーヴン・ソマーズ 製作:ボブ・ダクセイ、スティーヴン・ソマーズ 製作総指揮:サム・マーサー 脚本:スティーヴン・ソマーズ 撮影:アレン・ダヴィオー 編集:ボブ・ダクセイ 音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:ヒュー・ジャックマン、ケイト・ベッキンセイル、リチャード・ロクスバーグ、デヴィッド・ウェンハム、シュラー・ヘンズリー、ウィル・ケンプ、エレナ・アナヤ、シルヴィア・コロカ、ジョジー・マラン、ケヴィン・J・オコナー、アラン・アームストロング、トム・フィッシャー、サミュエル・ウェスト、ロビー・コルトレーン、スティーヴン・H・フィッシャー

『ハムナプトラ』シリーズのというか『ザ・グリード』のスティーヴン・ソマーズ監督作品だというので今さらながら期待して観たんですが、なんというかイマイチでしたな。
 なにがいけないってヴァン・ヘルシング(ヒュー・ジャックマン)のキャラクターに面白みがない、深みがない。記憶喪失ということでバックボーンがないんですな。では終盤でその失われた記憶が回復するかというとそのまんま。ドラキュラとも過去の因縁があったようですがそれも詳しくは語られずに観客の想像に任せる形。えっそれどういうこと。ヴァン・ヘルシングっていったいどういう人物だったのと問いかけても映画は答えてくれません。ひょっとしたら続編を作る予定でそちらでもっと詳細なことが分かっていくというスタイルだったのかも知れませんが、続編は作られなかったので謎は謎のまま。
 ドラキュラ物だというのにドラキュラに魅力がないのもいけません。あれではただのすかした男です。もっと色気のある俳優でないと。
 それでも面白いところはあるんですよ。なんといってもドラキュラ、狼男、フランケンシュタインの怪物が勢揃い。お前は怪物くんの手下か?って感じです。オマケで『ジキル博士とハイド氏』のハイド氏が筋肉モリモリのモンスター状態でオープニングに出てきますがこれはヴァン・ヘルシングの強さを示すためのかませ犬的存在で、太い葉巻を吹かして偉そうにしてても簡単にやられてしまいます。というか、死ぬ瞬間はジキル博士に戻ってたんである意味気の毒です。ハイド氏のまま死なせるべきだったと思います。
 バチカンの地下工房はまるで往年の007に登場したQ課のよう。なんだか訳の分からない兵器を開発しています。でも作中ではあまり役に立ってない兵器が多いような。Qにあたるのがカール(デヴィッド・ウェンハム)で、彼はヴァン・ヘルシングのトランシルバニアへの旅にも付き合わされて意外な活躍をしてくれます。作中でもコメディリリーフでカールの存在で作品の雰囲気もずいぶん変わっています。彼が出てこなかったらヴァン・ヘルシングがむすっとした顔でモンスターを倒していくだけの映画になっていたかも。
 最大の敵はドラキュラです。強いです。掟破りな事に銀の杭も聖水も十字架も効きません。卑怯ですね。そのドラキュラが血を吸って吸血鬼にした女吸血鬼との子供がそれこそ山のようにいるんですが、死人の彼らから生まれた子供は死人のままという理屈で繭のような物の中に篭もったままになっています。でも吸血鬼が死人でも動き回るんだから、子供も死んでても動くような気がするんですけどね。よく分かりません。
 そこで死体から生きた人間を作り出したフランケンシュタイン博士(登場シーンが「It's ALIVE!」とは分かってますな)の技術を利用してフランケンシュタインの怪物のエネルギーを吸血鬼の子供に与えることによって命を与えようという計画。命を与えられたら吸血鬼じゃない気がするんですが。フランケンシュタインの怪物はドラキュラの計画に利用されてしまうだけで、本人は理性的な人間でドラキュラに利用されるのを良しとしていませんが圧倒的な力の差に押さえ込まれてしまいます。
 そして雷がフランケンシュタインの怪物に落ち、コウモリのようなドラキュラの子供たちが孵化します。さあ、それを防げるかヴァン・ヘルシング。
 ドラキュラと対立する物が狼男だというのは初耳でした。いや『アンダーワールド』シリーズでも吸血鬼と狼男が対立してましたか。とにかくいろいろあって狼男になっていたヴァン・ヘルシングがドラキュラと対決。雌雄を決します。
 ドラキュラも倒してめでたしめでたしで終わるのかと思ったら「えっ、死んでるの」オチには驚きましたが。これまで一族郎党がドラキュラを倒すまで天国には行けないということになっていたから、アナ王女は揃って天国に行けたということでハッピーエンドなんでしょうかキリスト教的には。あっ、アナ王女(ケイト・ベッキンセイル)はちょっと暗めな雰囲気が魅力的ですよ。
 ブダペストでの仮面武道会のシーンでドラキュラとアナ王女が踊っていると鏡に映っているのはアナ王女だけで雑踏の人々まで映っていない、つまりみんな吸血鬼というシーンはちょっとぞっとしましたね。
 CGバリバリな映画なんですが、中盤まではドラキュラのコウモリ形態への変身シーンを壁に映る影で処理するという古典的手法が嬉しかったりします。終盤はちゃんとCGで変身しますけどね。CGの出来は悪くないと思うんですが全体的に重量感不足な感じがしました。壁に叩き付けられても高いところから飛び降りても今一つ迫力がない。肌や毛並みなんかの質感はちゃんと出てましたが。
 それにしてもヴァン・ヘルシングといえばピーター・カッシングかメル・ブルックス(ごく一部の人にとって)でしたが時代は変わりましたね。

B001NABQ1I.jpg『ウォッチメン』(2009) WATCHMEN 163分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES/WARNER BROS. PICTURES

監督:ザック・スナイダー 製作:ローレンス・ゴードン、ロイド・レヴィン、デボラ・スナイダー 製作総指揮:ハーバート・W・ゲインズ、トーマス・タル 原作:デイヴ・ギボンズ 脚本:デヴィッド・ヘイター、アレックス・ツェー 撮影:ラリー・フォン 視覚効果スーパーバイザー:ジョン・"DJ"・デジャルダン プロダクションデザイン:アレックス・マクダウェル 衣装デザイン:マイケル・ウィルキンソン 編集:ウィリアム・ホイ 音楽:タイラー・ベイツ
出演:マリン・アッカーマン、ビリー・クラダップ、マシュー・グード、カーラ・グギーノ、ジャッキー・アール・ヘイリー、ジェフリー・ディーン・モーガン、パトリック・ウィルソン、スティーヴン・マクハティ、マット・フルーワー、ローラ・メネル、ロブ・ラベル、ゲイリー・ヒューストン、ジェームズ・マイケル・コナー、ロバート・ウィスデン、ダニー・ウッドバーン
 
 グラフィック・ノベル『ウォッチマン』の映画化である。コミックの内、文学性が高い物をグラフィック・ノベルと呼ぶらしい。

 1985年、いまだにニクソンが大統領の座についている世界。ここではスーパーヒーローが当たり前のようにいたのだが、条例によってヒーロー活動を禁止されてしまった。この辺りは『Mr.インクレディブル』にちょっと似ている。
 そしてある晩のこと。元ヒーローの"コメディアン"が何者かに殺された。ヒーロー仲間のロールシャッハはその謎を追い始める。

 時間軸が飛び飛びなので頭を整理するのに苦労した。
 物語は現実に沿っていて、ケネディ大統領暗殺、ベトナム戦争、ソ連によるアフガニスタン侵攻が描かれる。ベトナム戦争ではヒーローたちがアメリカ軍側で戦っている。
 いわゆるヒーロー物だが明確な悪は存在しない。あえて悪と呼べる存在がいるとしたら、世界を核戦争の危機から救おうとするヒーローだ。その手段がかなり強引なもので、ネタバレになってしまうから語らないが、人類に犠牲を強いるものだ。よくこのオチを持って来られた。
 それが起きた時にはてっきり後で時間を巻き戻すかなにかして解決してしまうと思ったのだが、そんなことはなくそのまま。
 それでいいのかと思うのだが、この物語の中ではそれでいいらしい。現実にはどうなんだろう。ある程度の犠牲を払っても核戦争の危機から逃れた平和な世の中になった方がいいのだろうか。
 犠牲を払っても世界に平和をもたらそうとするヒーローとそれを許さず正義を貫こうとするヒーロー。そんなヒーローたちの苦悩が描かれている。
 全体的にダークな雰囲気の映像で、ヒーローたちのコスチュームもあまり原色を使っておらず地味。常に模様が変わるマスクを被ったロールシャッハのコスチュームが私立探偵ぽくってイカす。
 罠にかけられ刑務所に入れられたロールシャッハをナイトオウルとシルク・スペクターが助け出すシーンとラストぐらいしか活劇シーンはないが、一般的なヒーロー物ではないからこれで良いのだろう。ナイトオウルとシルク・スペクターといえば空飛ぶ乗り物の中でのラブシーンで絶頂の時に思わず火炎放射器のボタンを押してしまうのには笑った。
 年を取って引退したヒーローがいるところなどリアルで、その娘が二代目シルク・スペクターとして活躍している。家業を継いだのか、ってヒーローって職業なのか。ヒーローも清廉潔白な連中ばかりではなく女性をレイプしようとしたりする奴もいてこれまたリアル。
 両腕を切断したり銃弾が女性の足を貫いたりと残虐描写があるので苦手な人はお気をつけて。ヒーローの一人はほとんどのシーンで素っ裸でチンチンブラブラさせてるし。いいのか、あれ。
 163分と長目の作品だが長さはさして感じない。約220分のディレクターズ・カット版が存在するそうで、そちらを観ると説明不足だったところが補われているのだろうか。いくらなんでも長すぎる気がするが機会があれば観てみたい。

B002HP7UY0.jpg『ウォーロード/男たちの誓い』(2008) THE WARLORDS/投名状 113分 中国/香港 MORGAN&CHAN FILMS、中國電影集團公司
 
監督:ピーター・チャン 共同監督:イップ・ワイマン アクション監督:チン・シウトン 製作:アンドレ・モーガン、ピーター・チャン 脚本:スー・ラン、チュン・ティンナム、オーブリー・ラム 撮影:アーサー・ウォン プロダクションデザイン:イー・チュンマン 衣装:イー・チュンマン 音楽:ピーター・カム、チャン・クォンウィン
出演:ジェット・リー、アンディ・ラウ、金城武、シュー・ジンレイ、グオ・シャオドン

 金城武の中国語の演技と日本語の演技はどうしてここまで違うのだろうか。この作品での中国語の演技は一流の俳優を感じさせるし、『K-20 怪人二十面相・伝』のような日本語の演技だとせいぜい二流の俳優だ。不思議である。
 特に、この作品では物語の語り手をやっていて重要な人物なのだが、これがしっくりきている。共演がジェット・リーやなによりアンディ・ラウであることを考えるとすごいことなのだこれが。今回は『レッドクリフ』の静の演技とは違って戦士の一人という動の演技。見事に使い分けている。

 19世紀末、腐敗した清朝に反乱すべく太平天国の乱が起きた。パン(ジェット・リー)は清朝側で戦っていたが味方が戦況を眺めているばかりで参戦してこなかったことから全滅した唯一の生き残りだ。その後、盗賊団のアルフ(アンディ・ラウ)、チャン(金城武)と出会い仲間になる。そして、このまま盗賊をやっていても先がない、清朝の手先となって戦い武運を立てることを主張する。パンの言葉に従いアルフとチャンは三人で投名状という義兄弟の契りを交わし戦場へ赴く。苦しい戦いが続きながらも、次第に戦果を上げていく彼らであった。

 ウォーロード(THE WARLORDS)、ロードは道のロードではなく『ロード・オブ・ザ・リング』のロードと同じロードで将軍といった意味である。
 合戦のシーンがかなり多い。ジェット・リーが出ているがワイヤーアクションは使っておらずリアルな合戦だ。他の中国/香港映画を観ると地味に見えてしまうがその分現実味を感じさせる。敵の鉄砲隊に対しこちらは弓矢隊しかないので弓の飛距離までひたすら突進していくシーンなど燃える。
 最後には義兄弟が裏切りの中で自滅していくところなども面白い。ラストは義兄弟を裏切ったパンに対するチャンの復讐シーンだがここでの金城武がまた良いんだ。
 物語はかなり飛び飛びで、全体像を把握するのに少し苦労する。中国では有名な話なのかもらしい。なんでも、清朝末期の1870年、両江総督の馬新貽が張文祥に刺殺された事件があり、犯人の張文祥が動機を語らないまま処刑されたので、事件の真相は不明のまま、清末四大奇案の一つとなってしまった。んだそうである。下山事件みたいなものか。
 大義のためならば多少の犠牲は厭わないパンに大衆を一人でも多く救おうというアルフ、そして投名状にあくまでも従うチャン。それぞれに義を背負いながらそれが対決へと繋がっていく。パンには功名心や上昇欲があってそれに上手く乗っていくわけだし、アルフにはそんなパンが非人情で冷酷な人間である。逆を言えばパンから見ればアルフの言っていることはきれい事なわけだ。そこが軍の将軍だったパンと盗賊の頭だったアルフとの徹底した違いなのだろう。
 悪の三大臣があれこれ悪巧みをしているところに腹が立つ。
 DVDの完全版は日本での劇場公開版とは違う13分時間が延びただけではなく構成も違っているそうだ。しかも日本劇場公開版のエンディングテーマはTHE ALFEEだったそうだ。やめろよ、そういう誰も喜ばないこと。13分を補っても南京城攻略のシーンは省略されたままだったか。まぁまともにやったら30分は使うよな。金もかかるし。
 三国志の義兄弟の契りは絶対だったが、この作品では欲望や嫉妬から義兄弟の契りが崩れていくところが見所だ。
 全滅した隊から唯一生き残ったパンを助けた女性とアルフの妻が同一人物だと地味な顔のため分かりにくいのが難点。

B0001927EW.jpg『アウトサイダー』(1983) THE OUTSIDERS 92分 アメリカ AMERICAN ZOETROPE
 
監督:フランシス・コッポラ 製作:フランシス・コッポラ、グレイ・フレデリクソン、フレッド・ルース 原作:S・E・ヒントン 脚本:キャスリーン・クヌートセン・ローウェル 撮影:スティーヴン・H・ブラム プロダクションデザイン: ディーン・タヴォウラリス 編集:アン・ゴールソウ キャスティング:ジャネット・ハーシェンソン 音楽:カーマイン・コッポラ
 出演:C・トーマス・ハウエル、ラルフ・マッチオ、マット・ディロン、ダイアン・レイン、レイフ・ギャレット、ロブ・ロウ、エミリオ・エステヴェス、パトリック・スウェイジ、トム・クルーズ、グレン・ウィスロー、ミシェル・メイリンク、トム・ウェイツ、ゲイラード・サーテイン、ソフィア・コッポラ、ダーレン・ダルトン、ウィリアム・スミス、S・E・ヒントン

 若手スター総出演の青春映画。そういえばYA(ヤングアダルト)スターなんて言葉があったよな。実質的主人公のポニーボーイにC・トーマス・ハウエル、その親友ジョニーにあどけなさが残るラルフ・マッチオ(まぁこの人はいつまでたってもあどけなさが残ったままなんだが)、貧困層の不良グループ"グリース"のボス的存在ダラスが一度消え見事に復活したマット・ディロン。ポニーボーイの長兄で交通事故で両親を失ったポニーボーイの父親代わりのパトリック・スウェイジと次兄のロブ・ロウ。
 他にもちょい役だがミッキーマウスTシャツのエミリオ・エステヴェスやトム・クルーズもグリースの一員で出ている。
 女性キャラの登場シーンは少ないが、赤毛に染めたダイアン・レインが富裕層のお嬢様役で出ている。ついでのついでだが、ダラスたちに小銭をねだるぶっさいくな女のガキがソフィア・コッポラだ。
 若手スターがこれだけ魅力的に見えるのはさすがコッポラの手腕と言ったところだろうか。若き日の彼らの姿を観るだけでも価値がある。

 それまでの青春映画は明るく健全な物が多かったが、『アウトサイダー』では貧困層のグリースと富裕層の不良グループ"ソッシュ"の対立という不良少年同士の争いが根底にある。ソッシュの練習にポニーボーイがやられているのをジョニーがナイフを出してソッシュの一人を刺し殺してしまう。ふとした過ちがこれまでも不幸だった少年たちの人生を大きく変わることになる。
 ダラスの指示で古びた廃協会に逃げ込んだ二人はやるせない数日間を過ごす。そして小学校の子供たちが協会を見学に来ていた時に火事が起きて、ポニーボーイとジョニーは子供を助けるために火の中に飛び込んでいく。結果、ポニーボーイは軽傷を負い、ジョニーは大やけどと背骨を折るという重傷を負う。ジョニーはもう歩けないと知り、それまでは「死にたい」と思っていたのに「今度は生きたい」と思うようになる。
 このように少年たちのバックボーンが描かれているのが特色だ。大人はほとんど登場せず、大人に逆らって不良少年をやっていると言うよりも、彼らはそこで寄り集まることによってしか居場所を作ることが出来ないのだ。それでも逃れることの出来ない孤独と哀しみ。少年たちは現実に憤り苦しむ。何で自分たちは貧乏に生まれてしまったのか。世の中はなんで平等ではないのか。
 中でも苦しんでいるのがジョニーだ。両親は不仲でケンカばかり。自分のことは相手にもされない。心配のあまりパトリック・スウェイジに殴られたポニーボーイに「殴られる方が良いさ。無視されるよりはね」と答えるシーンが印象に残っている。
 スティービー・ワンダーの『STAY GOLD』がかかる夕陽をタイトルバックにしたオープニングから映画にグイグイ引き込まれていく。
 青春物ゆえのうっとおしさを感じる点もあるが、それもまた魅力の一つだろう。グリースとソッシュの乱闘シーンもなかなかの迫力だ。パトリック・スウェイジが大暴れ。
 ただし、ラストのダラスの行動の理由が分からない。単に自棄になっていただけでは説明が付かないだろう。物語を盛り上げるためとしか思えない。

B001V9KBRQ.jpg『イエスマン "YES"は人生のパスワード』(2008) YES MAN 104分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES

監督:ペイトン・リード 製作:リチャード・D・ザナック、デヴィッド・ハイマン 製作総指揮:マーティ・ユーイング、デイナ・ゴールドバーグ、ブルース・バーマン 原作:ダニー・ウォレス 脚本:ニコラス・ストーラー、ジャレッド・ポール、アンドリュー・モーゲル 撮影:ロバート・イェーマン プロダクションデザイン:アンドリュー・ロウズ 衣装デザイン:マーク・ブリッジス 編集:クレイグ・アルパート 音楽:ライル・ワークマン、マーク・オリヴァー・エヴァレット 音楽監修:ジョナサン・カープ
出演:ジム・キャリー、ゾーイ・デシャネル、ブラッドリー・クーパー、ジョン・マイケル・ヒギンズ、テレンス・スタンプ、リス・ダービー、ダニー・マスターソン、フィオヌラ・フラナガン、サッシャ・アレクサンダー、モリー・シムズ、ブレント・ブリスコー、ロッキー・キャロル、ジョン・コスラン・Jr.、スペンサー・ギャレット、ショーン・オブライアン

 主人公のカール(ジム・キャリー)は銀行の融資係。離婚経験ありで人生何事にも消極的で友達から飲みに行こうと誘われても今忙しいんだと携帯電話で応えつつレンタルビデオ屋で『トランスフォーマー』などを借りている。仕事もやる気がなく、毎日毎日勇士申し込みの書類に却下の判子を押すだけの生活。
 そんな彼に知り合いが「YESは人生のパスワード」というセミナーを薦めてくる。何の気はなしにそのセミナーに参加したところ講師のテレンス(テレンス・スタンプ)から何を言われてもイエスと応えなさいとの教えを受ける。
 セミナー会場の外でホームレスが公園まで車に乗せてくれと頼んできたので、渋々イエス。携帯を貸してくれと言われて渋々イエス。公園に着いた時には携帯は電池切れ、車はガソリン切れになってしまった。歩いてガソリンスタンドまで行ってガソリン缶にガソリンを入れているとスクーターに乗ったアリソン(ゾーイ・デシャネル)と出会い車のところまでスクーターで送ってもらった。ここからカールの生活が変わり始めた。
 融資を求めてきた客にはすべてイエス。友達の飲み会の誘いももちろんイエス。そして生きることに積極的になったカールは飛行機の操縦や韓国語の講習、イラン人花嫁との見合いなど片っ端から手を出すようになる。いつもはもらわなかったライブのチラシももらってそのライブを聴きに行ったらミュウハウゼン症候群という名のそのバンドのボーカルはなんとアリソン。そして二人の距離が段々近づいていく。

 自己開発セミナーっぽいストーリーだなと思ったら、「イエスは人生のパスポート」のシーンはもろ自己開発セミナーだった。オレは昔、社命で自己開発セミナーにいかされて散々腹が立つ想いがしたので、正直うんざりした。カールが一言ノーと言うと周りが「ノーマン!ノーマン!」と批難の大合唱。そしてテレンスはイエスの誓いを立てろと迫ってくる。これはほとんど脅迫だよ。よほど意志の強い人かひねくれた人でない限りイエスと言わざるを得ないでしょ。実際の自己啓発セミナーもそんな感じだったからね。オレはひねくれてたから最後までノーマンだったけど。
 しかし、実際にカールがイエスと言い始めると物事が良い方へ良い方へと転がっていく様に細かなギャグが含まれていて面白かった。とにかく徹底したプラス思考の連続で、その中でドタバタが繰り広げられる。実際に何でもかんでもイエスと応えていたらとんでも無いことになるんだろうが。融資にも全てイエスで承認してしまうが、これは本来だったら解雇になりかねない。それが上手く行くのは映画だからで現実だったら焦げ付き未回収続出だろう。
『ダーティハリー』や『リーサル・ウェポン』で身投げを使用とする人を救助するエピソードがあるが、この作品ではギターと歌(下で観ている観客も次第に合唱)で助けてしまう。これは新しいパターンだ。
 ジム・キャリーは相変わらずパワフルなボケキャラを演じていて、ひたすら体当たり演技。バンジージャンプなどのアクションやスタントも自分でこなす。ワンパターンと言えばワンパターンだがそういう芸風なのだ。
 ただ、オレはこの作品で言うところのノーマンなので、観ていて距離感を感じてしまったのは確か。そんななんでもかんでもイエスイエスって言ってられない。そのイエスの意味を終盤になってテレンスがカールに諭すところで少し納得したが、プラス思考ってどうなんだろうね。どこか無理している気がするが。
 ゾーイ・デシャネル演ずるアリソンが魅力的なのでだいぶと救われている。スクーター姿が魅力な、アングラバンドのボーカルをやっているぐらいだからかなり変わった子で、そんな子だからイエスイエスとハイテンションなカールに合わせることが出来る。そしてカールに惹かれるようにもなるのだろう。しかし、今まで自分に言ってきたことがすべて「イエスは人生のパスポート」の誓いだと知ったアリソンは当然怒る。この怒ったところからカールが如何にしてなだめるかが見所。
 マイナスポイントを上げるとしたら『ライヤーライヤー』の焼き直しに近い点とポスターのデザインだろうか。出来の悪いミュージカルみたいだ。

B002JQL2V4.jpg『SPL/狼よ静かに死ね』(2005) SPL 93分 香港 ABBA MOVIES

監督:ウィルソン・イップ アクション監督:ドニー・イェン 製作:カール・チャン 脚本:ウィルソン・イップ、セット・カムイェン、ン・ワイラン 音楽:チャン・クォンウィン スタントコーディネーター:谷垣健治
出演:ドニー・イェン、サモ・ハン、サイモン・ヤム、ウー・ジン、リウ・カイチー、ダニー・サマー、ケン・チャン、ティミー・ハン、谷垣健治

 かなり乱暴な作りの脚本だが、それを熱く暴力的なアクションで埋め合わせている。ドニー・イェンにサモ・ハンの対決という豪華な顔合わせも魅力。残虐な殺し屋ウー・ジンが怖ろしい。

 犯罪組織のボス・ポー(サモ・ハン)の逮捕に力を入れるチャン刑事と三人の部下だが、証人を殺され証拠不十分で不起訴となってしまう。それから3年、彼らは執拗にポーを追い続けていた。そしてポーが殺人を犯すビデオを入手するが、それは彼らが殺害シーンだけを捏造した物だった。再び、証拠不十分で不起訴となるポーに彼らは最後の戦いを挑む。
 ドニー・イェンは終盤近くなってから新たにチーム入りしたチャン刑事の後釜である。チャン刑事は悪性の脳腫瘍で数日後に引退が決まっていたのだ。だからこそ、部下達はチャン刑事に最後の花道を飾らせようと証拠の捏造などの無茶をしたのだ。上司思いな連中なのである。
 3年前に殺された証人には生き残ったまだ小さな娘がいて、その子をチャン刑事は引き取って育てている。チャン刑事が亡くなった後は3人の部下が面倒をみるつもりで、そのためにポーの金に手を出したがそれがあまりストーリー上で生きてこないのはやはり作りの粗い脚本だ。

 その代わりにアクションがスゴイ。アクションが前面に押し出されるのは終盤に入ってからだが、それだけのことはある熱い戦い。
 頭のてっぺんだけを金髪に染めたウー・ジンとドニー・イェンがそれぞれドスと特殊警棒で戦うシーンは迫力がありスピード感たっぷりなので息をしている暇もない。ドスで斬りつけられるシーンが本当に痛そう。特殊警棒でどつかれるシーンが本当に痛そう。かなり血が飛ぶし残虐な部分も多いので万人には勧めにくいかも。
 そしてドニー・イェンとサモ・ハンの戦い。サモ・ハンもあんなメタボな体型な上にいい加減に年だろうに身体が良く動く。ドニーの三段蹴りも炸裂して、こちらもスピード感があってそして残虐さもある。その残虐さゆえに爽快感が感じられないのは弱点だろう。バイオレンス色が強すぎるように思う。

 ドニーが落ちるあのオチは読めなかった。その結果、やっとのことで妻が流産を繰り返して生まれたサモ・ハンの子供と妻も死んでしまうが、悪党の自業自得ということか。サモ・ハンが誰もが怖れる暗黒街のドンなのに子供の事となるとデレデレになってしまうのが可笑しかった。刑事達もサモ・ハンも自分たちの子供を守るのに必死だったのだ。刑事達と家族の話もそれとなく入れられていて、家族を考えさせる映画にもなっている。久しぶりに実家に電話したら仲の悪かった父親が1ヶ月前に死んでいた事を知る刑事のエピソードいいなあ。
 それにしてもサモ・ハンの悪役というのも珍しい。さすがに貫禄があって、犯罪組織のボス役を見事に演じきっていた。憎めないあの顔が一転して憎らしく見えるから不思議なものだ。

 ラスト、生き残ったのは女の子だけで、男たちはみんな死んでしまった侘びしさを波にさらわれる靴のカットで表現しているところは見事。それにしてもあの幼い子はこれからどうなってしまうのだろう。もう守ってくれる人がいないのに。

B001CNPR2A.jpg『"アイデンティティー"』(2003) IDENTITY 90分 アメリカ COLOMBIA/SPE

監督:ジェームズ・マンゴールド 製作:キャシー・コンラッド 製作総指揮:スチュアート・M・ベッサー 脚本:マイケル・クーニー 撮影:フェドン・パパマイケル 美術:マーク・フリードバーグ 編集:デヴィッド・ブレナー 音楽:アラン・シルヴェストリ タイトルデザイン:カイル・クーパー
出演:ジョン・キューザック、レイ・リオッタ、レベッカ・デモーネイ、アマンダ・ピート、ジョン・ホークス、アルフレッド・モリナ、クレア・デュヴァル、ウィリアム・リー・スコット、プルイット・テイラー・ヴィンス、ジョン・C・マッギンレー、ブレット・ローア、レイラ・ケンズル、ジェイク・ビューシイ、カーメン・アルジェンツィアノ、マーシャル・ベル

 豪雨のネバダ州。一軒のモーテルに男児を含む男女が冠水で足止めを食う。一人の女性は事故で重傷を負い救急車を呼ばねばならないのだが雨のため電話は普通。一台だけある携帯電話はバッテリー切れで通話が出来ない。モーテルの店主を含む11人は不安に怯えるがそれは始まりでしかなかった。彼らが一人また一人と殺され始めたのだ。犯人は11人の内のいったい誰だ?
 その頃、某所では大量殺人を犯し翌日の死刑が確定している男の精神状態の再審理が始まっていた。二つの事柄はどう繋がってくるのか。

 とにかく脚本が良くできている。オープニングを観た時はまさかあんなラストを迎えるとは思わなかった。それでいて強引な点も少なく無理のないストーリーとなっている。観終わると最初のシーンの意味が分かり納得できる。
 現代社会で電話や携帯電話を使えなくして孤立させるのは難しいが、それも難なくこなして、冠水した道路に挟まれた陸の孤島を作り出している。
 真犯人の正体も意外で驚きを感じさせる。観終わってみるとなるほどあそこでああしていたのかと納得させてくれる。もっとも本気で戦えば勝てないか?とも思うがあの世界では最強の存在なのだろう。10から始まり9,8とカウントダウンするかのように死体の脇に置かれたモーテルのルームキーが怖ろしい。

 ジョン・キューザックが正義漢を演じ、事件を必死に探る探偵役を引き受けている。木訥とした顔がこの物語の語り手役に向いている。全ての真実を知って呆然と口を開けたままの表情がいかにもジョン・キューザックだ。
 レイ・リオッタは警官役だが何かあるなと思わせる人物で、シャツの背中に血が付いているところで決定的になる。それ以外でもルームキーをベッドの下から彼が取り出すなどして、彼が本物の○○○と思わせる上手さ。

 詳しいことを話すとネタバレになってしまうので下手に話せないぐらいきっちり伏線が張り巡らされて、「解離性同一性障害」の一言だけでもヤバイヤバイ。先住民の墓地とか意味ありげな単語を出しておいて上手く観客の眼を逸らしている。
 ただし、演出は凡庸でピリリとしたところがない。せっかくの脚本を持てあましている感じ。おかげで映画全体がB級色に彩られている。殺しのシーンはあえて控えめにしたのだろうが、だとしたら最初の"乾燥機の中で回っている生首(干物になりかけ?)"はショッキングすぎるのではないか。

 考えようによってはかなり卑怯な映画だが、観終わった感想としてはすなおに面白かった。ちなみに前回の『ブラッディ・バレンタイン』とは乾燥機の中の死体つながりである。

B00170LCK4.jpg『ウエスタン』(1968) C'ERA UNA VOLTA IL WEST/ONCE UPON A TIME IN THE WEST 141分/165分 イタリア/アメリカ

監督:セルジオ・レオーネ 製作:フルヴィオ・モルセラ 製作総指揮:ビーノ・チコーニャ 原案:セルジオ・レオーネ、ダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチ 脚本:セルジオ・レオーネ、セルジオ・ドナティ 撮影:トニーノ・デリ・コリ メイクアップ:ジャンネット・デ・ロッシ 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:クラウディア・カルディナーレ、ヘンリー・フォンダ、ジェイソン・ロバーズ、チャールズ・ブロンソン、ガブリエル・フェルゼッティ、フランク・ウォルフ、ジャック・イーラム、ウディ・ストロード、パオロ・ストッパ、キーナン・ウィン、ライオネル・スタンダー

 荒れ地に農場を構えるマクベイン一家が何者かに殺された。現場に残されたコートの切れ端から丈の長いダスターコートを着たシャイアンギャング団の仕業だと思われた。
 しかし、犯人はフランク(ヘンリー・フォンダ)をボスとする集団だった。フランクは鉄道会社の人間と通じていて何かを企んでいるらしい。いったい何のために一家を惨殺しなければならなかったのか。
 そして、そのフランクを執拗につけ狙う男(ブロンソン)がいた。ハモニカを吹き鳴らすその男の目的も謎である。
 一家が殺されたその日に、マクベインと再婚した女性ジル(クラウディア・カルディナーレ)がニューオリンズから街にやってきた。遺産を相続したジルを狙い始めるフランク。
 ただの荒れ地になんの価値があるというのだろうか。

 マカロニ・ウエスタンの雄セルジオ・レオーネが本格派西部劇である。邦題はそのまんま『ウエスタン』。原題はアメリカタイトルで『ONCE UPON A TIME IN THE WEST』、昔西部でといったところだろうか。
 ストーリーからいうと兄の敵であるフランクをつけ狙うハモニカが主役に思えるが、一般にはヘンリー・フォンダ主演作とされている。これは役者の格の問題だろう。オープニングタイトルのクレジット順からいえばクラウディア・カルディナーレが一番だ。もっと言えばこの一人という主役が存在しない作品なのかも知れない。
 ヘンリー・フォンダの悪役というのも珍しい。ギャング団の頭目で、部下を引き連れ長年悪さをしてきたようだ。チャールズ・ブロンソンとヘンリー・フォンダが歩く場面があるのだが、ヘンリー・フォンダの足の長いこと。比較対象でブロンソンがいるから余計と目立つのだろうが長い長い。もっともブロンソンだって決して短足というわけではない。
 西部劇では『荒野の決闘』のワイアット・アープ役など正義の側で活躍することの多かったヘンリー・フォンダだが、悪役も凄みがあってすごく似合っていた。始終噛み煙草を噛んでいてペッと吐き捨てるのが様になっていた。あれは普通にやるとかっこ悪い仕草だが、ヘンリー・フォンダがやると絵になる。

 ブロンソンは今回ヒゲなし。少年時代にすでに大人のヘンリー・フォンダに出合っているという設定なので少しでも若く見せるためにトレードマークのヒゲを剃ったのではないかと考える。
 セリフは少なく代わりにハモニカをプーウーウーウーと不気味に吹き鳴らし、何を考えているのかイマイチよく分からない存在だ。それが終盤になってハモニカの意味と彼の目的がヘンリー・フォンダへの復讐だと見えてくる。顔のしわ一本一本がこの男が体験してきたであろう苦労を物語っている。
 ヘンリー・フォンダとの決闘は本当に一瞬で、この辺りやはりセルジオ・レオーネは分かっているんだと思う。

 原案にセルジオ・レオーネだけではなくベルナルド・ベルトルッチの名前がある。かなりコアなネタを盛り込んだそうだ。ベルトルッチはまぁ分かるがホラー映画で有名なダリオ・アルジェントの名前があることに驚く。この頃はまだ戦争映画やマカロニ・ウエスタンの脚本を書いていて、ホラーは手がけていなかったらしい。

 オープニングの、三人の悪党面した男たちが汽車を待っているシーンで、風車の回る唸るような音や、蝿の飛ぶ羽音、天井からしたたり落ちる水滴の音など音が強調されている。そこへ汽車が走り込む蒸気の音。そして汽車が走り去った後に聞こえてくるハモニカの不気味な音。
悪党「馬が一頭足りないな」
ハモニカ「馬が二頭余るな」
 そして一瞬で三人を撃ち殺すハモニカ。しびれるやり取りである。
 ちなみにこの三人の内の一人を『キャノンボール』シリーズの肛門科医役でお馴染みの顔の造作が全てひん曲がったジャック・イーラムがやっている。

 この映画で取り合いになるのは農地でも牧場でもなく、鉄道の駅の土地である。
 最後にはフランクもシャイアンそしてハモニカも過去の人間となり、ジルだけが鉄道という新しい時代に対応して活躍していく。決闘には勝ったもののここは自分の居場所ではないとまた旅に出るハモニカにジルは「また戻ってきて」と呼びかける。それに応えるハモニカの言葉は「Someday」。だがその「いつか」は決してくることがないのだ。
 労働者に飲み物を配りながら生き生きと働くジルの姿には明日への希望が見て取れる。
 そんな滅び行くものと生き延びていくものとについての映画でもある。女は強い。だからオープニングタイトルでクラウディア・カルディナーレが一番最初だったのだ。

 それにしてもオレが観たのは完全版の165分なので長い。ちょっと冗長な点がある演出なので余計と長く感じる。だが、その冗長な点を削ってしまったら駄目なのだろう。セルジオ・レオーネは尊敬する映画監督だが、場面転換が少し下手な気がする。この作品でもいくつか気になるところがあった。
 音楽はもちろんエンニオ・モリコーネ。哀愁を感じさせるモリコーネ節が鳴りまくる。

 本家ハリウッド西部劇のファンの方にはしょせんマカロニ・ウエスタンは紛い物。その紛い物の監督が撮ったんだからアメリカのモニュメントバレーが映っていても紛い物には違いないだろうと思われるかも知れないが、これはれっきとした西部劇である。マカロニ・ウエスタンという紛い物を作っていたセルジオ・レオーネが撮ったからこそ本家以上に正統な西部劇たろうとしているのかも知れない。それもスケールの大きな一大西部劇である。
『恨みシュラン』という本に大阪の江戸前寿司を食べに行くエピソードがあって、「大阪の江戸前なんて」と思っていたら東京の江戸前以上に江戸前だった。おそらく「しょせん大阪の江戸前なんて」とそのセリフを言われることを嫌って必要以上の修行をしたのだろうという話になっていたが、それに通じる物を感じる。セルジオ・レオーネは「しょせんマカロニ・ウエスタンなんて」と言われることを嫌って本家西部劇以上に西部劇たろうとしたのだろう。

B0022W7CEQ.jpg『雨の訪問者』(1970) LE PASSAGER DE LA PLUIE 120分 フランス

監督:ルネ・クレマン 製作:セルジュ・シルベルマン 脚本:セバスチャン・ジャプリゾ 撮影:アンドレア・ヴァンダン 音楽:フランシス・レイ
出演:チャールズ・ブロンソン、マルレーヌ・ジョベール、ジル・アイアランド、コリンヌ・マルシャン

『太陽がいっぱい』(1960)などのルネ・クレマン監督作で、ブロンソンをモデルに脚本を書いたという『さらば友よ』(1968)の脚本家セバスチャン・ジャプリゾによるブロンソン主演のサスペンス映画。
 ジル・アイアランドが出演しているが、ヒロインではなくヒロインの友人でその夫と浮気していたという役柄が珍しい。

 ある雨の日、フランスの田舎町に停まったバスから一人の男が降りてきた。男はTWAの赤いバッグを持っていた。ヒロインのメリー(マルレーヌ・ジョベール)を付けてきたその男はメリーの自宅で彼女を襲う。そして地下室にいるところをメリーにショットガンで撃たれ殺されてしまう。
 メリーは男を海に投げ捨て全てなかったことにするが、ドブス(ブロンソン)という男が現れ、「なぜあの男を殺したんだ」と聞いてくる。
 ドブスの正体は何者で何を狙っているのか。赤いバッグにはいったい何が入っていたのか。謎が謎を呼び、メリーは真実にたどり着くことが出来るのか。

 メリーがただ単に暴行されただけではなく、さらに深い出来事に巻き込まれていき、頼るものと言えば正体不明のドブスだけという心細い状況に落ち込んでしまう。
 オープニングで『不思議の国のアリス』の一文が引用されるが、メリーは不思議の国に落ち込んでしまったアリスそのものだ。
 そのドブスとてメリーの味方なのか敵なのかはっきりせず、そもそも何が目的なのか途中まではっきりしない。謎が少し少し解かれていく様子がなんともいえない魅力がある。
 アクションはほとんどないサスペンス映画。ドブスがメリーを助けるために戦うシーンで暴力描写があるぐらいで、過激な暴力ではなくスタイリッシュに描かれている。
 ブロンソンの謎の男も良いが、ヒロインのマルレーヌ・ジョベールの魅力が堪能できる。最初は独身女性かと思ったぐらい少女っぽいが、すぐにパイロットの夫がいると分かる。白を基調とした服を着こなし、物語の鍵を握る丈の短いドレスも良く似合う。

 ストーリーはかなり入り組んでいて、ルネ・クレマンが雰囲気優先で描いている物だからいっそう分かりにくい。整理してしまえば単純な物なのだが、この辺りフランス映画である。メリーが殺した男の名はマック・ガフィンだそうだが、これはサスペンス映画ではお馴染みのマクガフィンのモジリなのだろう。

 ドブスのホテルにメリーが忍び込むシーンでは意味もなくブロンソンが上半身裸になるのが笑える。やっぱブロンソンは上半身裸だよな。
 メリーが夫の香港土産のエプロンを着けていて、これには"LOVE LOVE"と刺繍が入っているのだが、そこからドブスはメリーのことを"ラブラブ"と呼ぶようになる。「ラブラブ、君がやったのか」「私はなにもやってないわ」これで物語の3分の2は使っているような気がする。
 ブロンソンの拳銃はルガーのP08だった。メリーにP08を突きつけて「真実を言え。あの時計が6時の鐘を鳴らし終わるまでだ」というシーンには緊張感があった。
 ドブスは何かにつけてクルミを食べているのだが、クルミを窓ガラスに投げてガラスが割れたらその人のことを愛しているというおまじないがある。それが最後にブロンソンが放り投げたクルミで見事に活かされていた。

 男に走ってしまった母親と、それを目撃した少女時代のメリー。そのメリーから事実を聞き出して家を出て二度と戻らなかった父親のエピソードが何を示しているのかよく分からない。
 この事件のためにメリーが他人に依存する大人として成長しきれない人間になってしまったと言うことか。
 メリーの爪が短くて床に落ちたコインを拾えないエピソードがあり、さらには爪を噛む女性は空想好きだというセリフがある。ラストでドブスはメリーに爪を伸ばすんだなというが爪を伸ばす=自立の象徴か?
 アクションが少ないだけ演技力が要求されるが、この作品でブロンソンは監督の要求に見事に応えている。ブロンソン作品の演技力という面では上位に位置するだろう。

B0002B5A6Q.jpg『おませなツインキー』(1969) TWINKY 99分 イギリス/イタリア

監督:リチャード・ドナー 原作:ノーマン・サディアス・ヴェイン 脚本:ノーマン・サディアス・ヴェイン 撮影:ウォルター・ラサリー 音楽:ジョン・スコット

出演:スーザン・ジョージ、チャールズ・ブロンソン、ジャック・ホーキンス、トレヴァー・ハワード、ロバート・モーレイ、オナー・ブラックマン、マイケル・クレイグ、ポール・フォード、オーソン・ビーン

 監督が『リーサル・ウェポン』シリーズなどのリチャード・ドナーで主演がチャールズ・ブロンソンときては銃撃戦がバリバリバリ、爆発がドッカーンドッカーン、カーチェイスがドドドドドを期待してしまうが、これはロマンチックコメディ。
 それも38歳のブロンソンが16歳の小娘と恋に落ちるロリコンロマンスなのだ。タイトルからして『おませなツインキー』。今時"おませ"なんて使う人がいるのだろうか。

 ブロンソンはロンドン在住のアメリカ人で38歳の官能小説家。彼の恋人のツインキーは16歳の女子高生。ある日の事、ついに彼とツインキーがsexしてしまいそれがツインキーの家族にバレてしまう。もう父親はカンカンに怒り、母親はとぼけた事を言っている。家庭内裁判をやったら被告のブロンソンは完敗で有罪になってしまう。16歳ならば結婚は出来るが、ブロンソンのビザが切れ24時間以内の国内退去などがあって、彼らはスコットランドへ行って簡易結婚式を挙げ結婚することに。
 ブロンソン宅=新居にツインキーの友達が押しかけてきたりする中、彼らはブロンソンの故郷ニューヨークに行く事になる。
 二人の生活は最初は上手くいっていたのだが、ツインキーの無邪気さから来る熱烈な愛情がことあるごとに邪魔をしてブロンソンの筆を鈍らせていく。そしてついにブロンソンは感情を爆発させる。

 前半、特にオープニング近くはかなりポップな感じで、リチャードはリチャードでもリチャード・レスターではないかというノリだ。ジム・デールの能天気なテーマ曲にブレザーの制服姿の女子高生たちが自転車で走るシーンが重なる。
 ブロンソンの家に入り浸りのツインキーが、ついにブロンソンから追い出されるシーンでは、エレベーターの格子戸が閉まることとエレベーターが下がっていく事で二人の心の距離を表現している。
 そして車通りの多い通りでの車の流れを挟んでの告白。ドラマチックである。尼さんが何人も乗った車をバックに二人のキスシーンが可笑しい。
 細かいカットやストップモーションなどが効果的に使われていて、リチャード・ドナーはこういった作風も撮れるのかと感心した。

 しかしブロンソン、38歳にして16歳の小娘と恋に落ちるとはやるものだ。これがロマンスグレーの中年紳士やまだ若々しい男性なら話は分かるがぶちゃむくれなブロンソンである。ツインキーはブロンソンのどこを気に入ったのであろうか。内面に惚れたというような頭の切れる娘ではなかったと思うのだが。
 だがツインキーがブロンソンに惚れたなら惚れたそれはそれで良い。
 問題はその愛をブロンソンが受け入れてしまった事だ。そうじゃないだろブロンソン。それじゃそのまんまロリコンだ。あんたならば16歳の小娘が自分に好意を寄せてきても、その心を傷つけないように帰してやるすべを知っているはずだ。16歳の小娘に手を出すなんてブロンソンじゃない。
 それにしてもこの作品の制作者は何を考えてブロンソンをキャスティングしたのか。何を考えてこの役を受けたのかブロンソン。映画史最大の謎である。

 実質的主人公は『わらの犬』(1971)でダスティン・ホフマンの妻を演じたスーザン・ジョージ。
 16歳役だが当時19歳。しかし若々しい魅力をスクリーンに花開かせていた。ツインキーと言えば自転車に乗っているシーンが印象に残るが、瑞々しい素足が健康的であった。
 一時の感情で38歳の男性と結婚してしまい、彼女なりに愛情を嫌と言うほど注ぐのだが、嫌と言われてしまう若さゆえの愚かさを持っている。彼女には真の愛があり、愛があれば幸せになれると彼女は思っていたが、実際には愛だけでは幸せになれない。
 この経験を活かしてつぎの愛に向かって崖の上で「離婚するわ」と言いながら三回回って精神的に離婚するとロンドンに帰っていくのであった。彼女はこの愛で成長を遂げたのであろう。
 しかし、これは精神的儀式であって、法律上の離婚もちゃんとしたのか気になる。

 そして愛していたツインキーに去られて、これまで邪魔されて書けなかった小説の続きをブロンソンは書けるようになったのだろうか。それとも喪失感のあまり、抜け殻になってしまったのだろうか。
 普段のブロンソンならば見事立ち直って小説を書き上げ、ついでに街のダニ退治も始めるのだが。

B001ISXRGC.jpg『狼の挽歌』(1970) VIOLENT CITY 110分 イタリア

監督:セルジオ・ソリーマ 製作:ピエロ・ドナーティ、アリゴ・コロンボ 脚本:セルジオ・ソリーマ、サウロ・スカヴォリーニ、ジャンフランコ・カリガリッチ、リナ・ウェルトミューラー 撮影:アルド・トンティ 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:チャールズ・ブロンソン、ジル・アイアランド、テリー・サヴァラス、ミシェル・コンスタンタン、ウンベルト・オルシーニ、ジョージ・サヴァラス

 チャールズ・ブロンソンの代表作の一つ。イタリア製作の作品だが、ブロンソンは『さらば友よ』(1968)フランスのようにヨーロッパ映画で意外な活躍をしているから侮れない。

 オープニングは海パン一丁のブロンソンの姿。引き締まった肉体は50歳近い者のそれとは見えない。自分の身体を見下ろして反省。
 それから始まるカーチェイスなどの追跡劇は約10分間の間一切セリフを発しないものだが、どうも緊張感が増してこない。あれれ、なんで?この後で、富豪にしてカーレーサーの男がブロンソンを撃つのだがどうにも盛り上がらない。傷ついたブロンソンはそれでも富豪の手下を3人撃ち殺すのだが、やっぱり盛り上がってこない。何で?
 結局、この富豪がブロンソンを殺そうと企んだのは悪女バネッサ(ジル・アイアランド)を手に入れるためだった事が分かり、ブロンソンはレース中の富豪が乗ったレーシングカーのタイヤを狙撃して結果殺す事で復讐を果たすのだが、彼が狙撃した瞬間の写真が送りつけられる。
 それをたどっていくと組織のボスにして実業界にも大きな影響力を持つウェーバー(テリー・サヴァラス)に行き着く。このテリー・サヴァラスが元々は犯罪者で今では実力者という複雑な役柄をハゲ頭で見事に演じきっているのだ。チャールズ・ブロンソンとテリー・サヴァラスはロバート・アルドリッチの『特攻大作戦』(1967)でダーティー・ダズンの一員としてともに戦った仲。まんざら知らない関係じゃないのだ。
 実はすべてバネッサの企んだ計画の中で動かされていて、ブロンソンがウェーバーを殺すのも全て計算の内。こうして、ウェーバーの未亡人として、黒幕として働かせたお抱え弁護士と一緒に本社ビルの展望エレベーターに乗るバネッサだったが。

 バネッサ役はジル・アイアランドにはちょっと荷が重すぎる役であるように思う。本来ならばもっと格上の女優にやらせるべき役柄だっただろう。ジル・アイアランドは素直にチャールズ・ブロンソンに守られる役をやっていればいいのだ。だが、そこはそれチャールズ・ブロンソンの妻ジル・アイアランドの立場を大いに利用して映画の最大の悪役の座をまんまと勝ち取ってしまった。彼女の前ではテリー・サヴァラスも小物でしかないのだ。なんてこった。
 そんな彼女が展望エレベーターに乗っているところを近所のビルの屋上から狙撃するブロンソンは復讐を果たすのだが、それがいかにも悲しくここはいい。「苦しませずに殺して」とガラス越しに訴えるジルも悲しいが、様子を見に来た新米警官に、相手が撃たないと見るとブロンソンが自分からライフルを向けて自らを射殺させる悲しさ。

 ブロンソンの職業は殺し屋。そんな殺し屋が一人の女に狂わされて過去の友人などを裏切っていく様が悲しい。
 映画の出来としては普通。監督の名はセルジオ・ソリーマだが、これがセルジオ・レオーネだったらどんな傑作が出来た事だろう。
 突出した点があるとしたらエンニオ・モリコーネによる音楽である。さすが、どんな映画でも手を抜く事を知らない男だ。唯一例外があるとしたら大河ドラマの『武蔵 MUSASHI』(2003)ぐらいだろう。いや、あの中で唯一まともな仕事をしていたのがモリコーネか。
 失踪するブロンソンの姿にもまだこの頃は違和感がない。まだまだ身体が動いていたのだ。その証拠に立ちふさがったレンガの壁をひとっ飛びで飛び越える。

 狼である、挽歌である、狼の挽歌である。一人の純な殺し屋が悪女に騙されて破滅していくという見方をすればそれなりの佳作ではある。
 ちなみにDVDには特典としてブロンソン主演の『マンダム』CM集が収められている。ブロンソンファンにはこれだけでも買いだ。中にはCMディレクター時代の大林宣彦が演出したCMも収められているのであろう。
 これは一種の都市伝説だが、一生懸命撮影したがどうしてもあと30分時間が足りない。だがハリウッドスターは契約書通りにしか仕事をしてくれない。そこで恐る恐るスタッフがブロンソンに時間の延長を依頼しにいったところ、「俺は契約書通りにしか仕事をしない」ブロンソンはそう言うと自分の腕時計を30分遅らせると「さぁ、みんな。時間はまだあるじゃないか。撮影を再開しよう」と言ったという。
 嘘か本当かはもはや定かではないが、ブロンソンならありそうだなぁと思ったりする。

B0026ZLD62.jpg『狼よさらば・地獄のリベンジャー』(1993) DEATH WISH V: THE FACE OF DEATH 95分 アメリカ

監督:アラン・A・ゴールドスタイン 製作:ダミアン・リー 製作総指揮:アミ・アルツィ、メナハム・ゴーラン 原案:マイケル・コリアリー 脚本:アラン・A・ゴールドスタイン 撮影:カーティス・ピーターセン 音楽:テリー・プルメリ
出演:チャールズ・ブロンソン、レスリー=アン・ダウン、マイケル・パークス、チャック・シャマタ、ケヴィン・ランド、ロバート・ジョイ、ソウル・ルビネック、ミゲル・サンドヴァル、ケネス・ウェルシュ

『DEATH WISH』シリーズも5作目にしてついに完結。完結と言っても製作時に「これが完結編だ」と意識して作ったのかは分からない。チャールズ・ブロンソンが元気なら6もあったかも知れない。それどころか7も8も。

 今回の敵は服飾業界を牛耳る服飾マフィア。カージーの恋人は服飾会社も経営するデザイナーのオリビア。ブロンソンは1921年生まれだからすでに70歳を越えているのだがまだモテる。このヒゲオヤジが。フィクションだからそういうこともあるだろうと思っていたら、実生活でもジル・アイアランドとの90年の死別後かなり時間が経ってからの98年に再婚している。実生活でもヒゲオヤジはモテたのだ。
 マフィアのボスはオリビアの元夫。その元夫の悪事について司法の場で証言することにしたオリビアはボスの手下に襲われて顔をズタズタに切られてしまう。カージーは検事に保護を求めるが情報が漏れていてカージー宅が襲われオリビアは射殺されてしまう。
 オリビアの忘れ形見である愛娘のチェルシーも法の執行命令によりボスの下に引き取られる。
 またもや全てを失ったカージーは絵の裏にある隠し金庫を開け、そこから一丁のリボルバーを取り出した。
「悪党は残らず俺が退治してやる」

 この作品ではポール・カージーの表向きの身分は建築学を教えるポール・スチュアート教授ということになっている。証人保護プログラムで別の身分を与えられているのだ。
 おそらく麻薬組織と深く関わった『バトルガンM-16』事件で証言した結果だとは思うが、あの後にも一騒動や二騒動ぐらいカージーはやっていそうな気がするので確実ではない。
 服飾マフィアには殺し屋がいて、こいつは変装を得意としているそうだが、さすがに女装してオリビアを襲うってのはどんなものだろうか。あの鈍そうなカージーですら女装と見抜いているし。検事曰く「特徴はフケ症だ」だそうだがそれって特徴か。

 これまでのカージーはハンドガン中心で悪党を退治してきた。『スーパー・マグナム』のバズーカや『バトルガンM-16』での狙撃用ライフルやM-16などの例外はあるが銃器にこだわってきたのは間違いがない。
 それなのにこの作品では青酸カリによる毒殺やサッカーボール型ラジコンによる爆弾、強酸性の薬品風呂での人体溶かし尽くしまである。
 爆弾は『バトルガンM-16』でも使っていたし男系の殺し方だから良いだろう。
 しかし、毒殺ってなんだ。どうも女性系の殺しで女々しい。ポール・カージーがやる殺し方じゃないだろ。薬品風呂に至っては悲惨な殺し方を演出したかったとしか思えない。
 ポール・カージーはあくまでも悪党を殺すのが目的であって、悲惨な殺し方とか残虐な殺し方をして楽しむ男じゃない。拳銃でバンッ!が基本のスタイルだ。その辺りを分かっていないとしか思えない。ブロンソンにアクションをやらせるのがきつくなってきたというのも理由の一つなんだろうが。70過ぎじゃなぁ。普通は隠居生活。
 分かっていないといえば『バトルガンM-16』と今作の敵は犯罪組織。そうじゃないんだ。ポール・カージーの敵はもっと身近で一般市民に迷惑をかける連中。日本で言えば夜にパッパラパとうるさい暴走族や原付での引ったくり、オレオレ詐欺の犯人なんかをバンバンバンと撃ち殺してもらいたい。街のダニ退治も3作目の『スーパー・マグナム』まででやり尽くしてしまったというのもあるんだろうけどね。

 これで『デス・ウィッシュ』シリーズは終わった。だが、おい、そこの街のダニ。安心してんじゃねーぞ。お前らがはびこったら奴はかならず帰ってくる。あのポール・カージーがな。

B000PAU2N0.jpg『狼よさらば』(1974) DEATH WISH 94分 アメリカ

監督:マイケル・ウィナー 製作:ハル・ランダース、ボビー・ロバーツ 製作総指揮:ディノ・デ・ラウレンティス 原作:ブライアン・ガーフィールド 脚本:ウェンデル・メイズ 撮影:アーサー・J・オーニッツ 音楽:ハービー・ハンコック
出演:チャールズ・ブロンソン、ホープ・ラング、ヴィンセント・ガーディニア、スティーヴン・キーツ、ウィリアム・レッドフィールド、キャサリン・トーラン、スチュアート・マーゴリン、ジェフ・ゴールドブラム

 仕事でアリゾナ州ツーソンを訪れたポール・カージー(チャールズ・ブロンソン)を現地の人が出迎える。「何故すぐに私だと分かったんだ」と尋ねるカージーに、「そりゃ、あんたが典型的ニューヨーカーだから」と答えが返ってくる。
 ......典型的ニューヨーカー?チャールズ・ブロンソンが?そりゃ無理がないか、見えんぞ。

 ポール・カージーはニューヨークで妻と平和に暮らす建築家。ところがマンションのカージー宅に押し入った三人組のチンピラによって妻は殺され娘は心を患ってしまう。物語の前半四分の一では思い悩むカージー。トレードマークである口ひげを生やし、いつものように無骨なブロンソンが苦しむ様は若干の違和感はある。
 しかし、ツーソンの街で悪党が倒される西部劇ショーを観て、その後射撃クラブで拳銃を手渡されたカージーは見事に標的のど真ん中を撃ち抜く。実は子供の頃に狩猟好きの父親から銃の手ほどきを受けていたのだ。
 ツーソンでの仕事を終えたカージーに仕事相手はリボルバーをプレゼントする。ニューヨークに戻ったカージーは単なるビジネスマンだけではなく、街のダニを退治する狩人・ヴィジランテとなっていた。

 アメリカで銃規制がなかなか進まないのは、自分の身は自分で守る、そのためには銃が必要という価値観があるからだ。その価値観が生まれたのは開拓時代。西部劇の時代である。まだ未開の地へと進んでいく開拓者には、自分と家族を守るための銃が必要だった。米国ライフル協会に所属するアメリカ人などにとっては、銃を奪われることは自由を奪われることでもある。
『狼よさらば』も警察が自分たちを守ってくれないのならば、自分で守るしかないという結論に達している。カージーの目的は自分の妻を殺したチンピラを見つけ出し復讐を遂げることではない。アメリカ人であること、西部の開拓魂を持ち続けることを選択したのだ。アメリカ・西部の心が根底にあることが分からないと、ただ単にイカれたオヤジがチンピラを殺していく暴力映画にしか見えない。

 謎の処刑人ヴィジランテ・VIGILANTE(自警団)と呼ばれるようになったカージーを、法の番人である刑事が追いかける。犯行現場、動機を持つ者などから次第にカージーに近づいていく刑事を演ずるヴィンセント・ガーディニアは肥満気味のムスッとした顔で、外見は切れ者には見えない。このヴィンセント・ガーディニアが良い。チャールズ・ブロンソンと腹の探り合いをしながら、もう処刑を止めれば見逃すとほのめかすシーンは見応えがある。
 ニューヨークを離れシカゴへと移ったカージーだが、もはや単に平和な男ではないことを示すラストショットが見事。

B0007MTBK6.jpg『エクソシスト ビギニング』(2004) EXORCIST: THE BEGINNING 114分 アメリカ

監督:レニー・ハーリン 製作:ジェームズ・G・ロビンソン 製作総指揮:ガイ・マケルウェイン、デヴィッド・C・ロビンソン 原作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 原案:カレブ・カー 脚本:ウィリアム・ウィッシャー、アレクシ・ホーリー 撮影:ヴィットリオ・ストラーロ 編集:マーク・ゴールドブラット 音楽:トレヴァー・ラビン
出演:ステラン・スカルスガルド、ジェームズ・ダーシー、イザベラ・スコルプコ、レミー・スウィーニー、アンドリュー・フレンチ、ジュリアン・ワダム、ラルフ・ブラウン、ベン・クロス、デヴィッド・ブラッドリー、アントニー・カメルリング

 そもそもはポール・シュレイダー監督作として撮影され、完成したものの心理描写に重点を置いた地味な作品としてダメ出しされ、レニー・ハーリンが新たに一から撮り上げたのがこの作品。
 つまり二本分の映画の資金、人材が注ぎ込まれているわけで考えてみると贅沢な作品である。
 ポール・シュレイダー作品の方も公開されるとかいう噂があったがあれは結局どうなったのだろうか。現時点では取りあえず日本では幻の作品のままである。アメリカではDVDの特典になっているとかいないとか。
 それにしても『エクソシスト』シリーズもこれで4本目となり、アメリカ人の『エクソシスト』好きがうかがえる。

 今回は、1、2作目でマックス・フォン・シドーが演じたメリン神父の若き日の悪魔との戦いを描く。メリンを演ずるのはステラン・スカルスガルド。良い俳優だとは思うが、マックス・フォン・シドーとはあまり似ていない。
 今メリンと書いたのは、劇中ではメリンは神父を辞め考古学者になっているから。転職にも色々あるが、これだけ変化のある転職も珍しいだろう。
 第二次大戦中、ナチスの蛮行によって信仰を捨ててしまったメリンが、アフリカで悪魔像を探す仕事を請け負い、その結果として悪魔払いの儀式をする事になり信仰を取り戻して再びメリン神父になるといった映画である。
 その悪魔像の悪魔パズズが一作目でリーガンに取り憑くのでまさにここから始まった『ビギニング』である。
 監督がレニー・ハーリンなので色々なところが派手。メリンがちょっとやさぐれた考古学者というのはインディ・ジョーンズを思わせるし、アクションもふんだんに盛り込まれている。
 白人の軍隊とアフリカの原住民の戦いが始まったり、悪魔が取り憑いていた人物が実は......というのも驚かしてくれるし、これまでの3作とは違った方面からのアプローチを見せてくれる。
 一作目の白い息はセットを冷凍庫だか冷蔵庫だかの中に組んで撮影したものだが、今回はCG。制作の事情からかあまり予算はなかったようでCGの出来は余りよくない。ハイエナが少年を襲うシーンなどはかなりお粗末だ。その分の予算をラストの悪魔払いのシーンに注ぎ込んだのだろう。悪魔に憑かれた人物が岩壁をスパイダーウォークで這いずり回るがここのCGは悪くない。
 メリンが次第に苦悩を乗り越えて信仰を取り戻していき、黒人少年が神父さんと呼びかける頃にはすっかり神父になりきっている。
 シリーズを通して思ったのは、やはり悪魔憑きの怖ろしさがキリスト教徒ではない日本人にはイマイチピンとこないのではないかということ。
 そもそもの悪魔の怖ろしさについて感じるところがまるで違うのだろう。キリスト教の人にとっての悪魔とは我々が地獄や閻魔大王に感じる恐怖とは比べものにならないほど怖ろしく、隙あらば自分たちを誘惑しようとしているに違いない。ホラー映画の題材としても殺人鬼やゾンビ、モンスターなどとは比べものにならないのだろう。

B00005QYJK.jpg『エクソシスト3』(1990) THE EXORCIST III 110分 アメリカ

監督:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 製作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 原作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 脚本:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 撮影:ジェリー・フィッシャー 音楽:バリー・デ・ヴォーゾン
出演:ジョージ・C・スコット、ブラッド・ドゥーリフ、エド・フランダース、ジェイソン・ミラー、ニコル・ウィリアムソン、スコット・ウィルソン、ナンシー・フィッシュ、ジョージ・ディセンゾ、ドン・ゴードン、ヴィヴェカ・リンドフォース、ゾーラ・ランパート、ジョディ・ロング、ハリー・ケリー・Jr、グランド・L・ブッシュ、サミュエル・L・ジャクソン

『エクソシスト』(1973)については特に説明の必要がないだろう。悪魔憑きになってしまった少女とその悪魔を払わんとする神父の物語である。
 実を言うとオレはこの作品があまり好きではない。何故かというとフリードキンの演出が下手だからだ。代わりに『エクソシスト2』の方は結構好きである。
 そして『エクソシスト3』は、近代ホラー映画にとって重要な位置を占める傑作として一番好きである。何故ならば、おそらく「何も描かない事による恐怖の演出」を初めて意図的に行った作品だからだ。
 ジョージ・C・スコット演ずる刑事が連続首切り殺人を捜査する。首切り殺人といってもこの作品でははっきりとした死体などは画面に映し出されない。そして事件の線上に1作目で悪魔と戦い命を落としたはずのカラス神父が浮かび上がる。
 一作目であったような緑のゲロや回転する首などのショッキングな映像を極力排除したのは、監督・脚本をつとめた原作者のウィリアム・ピーター・ブラッティ。思い切った省略や無駄とも思えるカットがあり一般的な映画の枠に収まっていないが、それを可能にしたのは職業監督ではないゆえに失敗してもかまわないという強みもあったろう。

 ムスッとした表情のジョージ・C・スコットの、もっとも彼の場合はいつもそんな顔つきなので心の内は分からないが、下からあおって撮ったジョージ・C・スコットの上にある天井には、気味の悪いお婆さんがスパイダーマン状態で張り付いてゴソゴソと這いずり回っている。ではそのお婆さんがジョージ・C・スコットに襲いかかったりするかというとそんなことはなく、場面は変わりその後お婆さんは登場しない。(アメリカのテレビシリーズ『スティーヴン・キングのキングダム・ホスピタル』で、アル中の発作で担ぎ込まれた患者の幻覚として天井を這いずり回る女性が登場していた。ひょっとしてオマージュか?)
 病院の長い廊下のその端にカメラを据え付け、画面固定のまま延々と撮る。ようやく看護婦が現れ廊下を横切って姿を消す。その次の瞬間、植木バサミほどもある巨大なハサミを持った白衣の人物がその看護婦の後を追って走り過ぎる。ほんの一瞬である。
 白衣の人物に看護婦が襲われたのか。その首を切り落とされたのか。画面には何も映し出されないまま次のシーンになってしまう。
 ここには70?80年代にあったような直接的な残虐描写は登場しない。ある意味、何もないのだ。そのことによって恐怖が発生し、何も描かれてないだけに映像に物理的な限界が生じない。
 一転してラストでは悪魔とジョージ・C・スコットの対決となり派手な映像も登場するがラストは実にあっけない。そのあっけなさが良い。

B002BS02E8.jpg『エクソシスト2』(1977) EXORCIST II: THE HERETIC 118分 アメリカ

監督:ジョン・ブアマン 製作:ジョン・ブアマン、リチャード・レデラー 脚本:ウィリアム・グッドハート 撮影:ウィリアム・A・フレイカー 特殊効果:アルバート・ホイットロック 特殊メイク:ディック・スミス 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:リチャード・バートン、リンダ・ブレア、ルイーズ・フレッチャー、キティ・ウィン、ネッド・ビーティ、マックス・フォン・シドー、ジェームズ・アール・ジョーンズ、ポール・ヘンリード、ジョーイ・ローレン・アダムス

 『未来惑星ザルドス』(1974)などのジョン・ブアマン監督作だけあって変な映画。
 1作目にあったようなショッキングな描写はほとんど鳴りを潜め、ラストのイナゴ大襲来ぐらいか。
 ホラー映画として観ると怖さがなく落第点だろう。だがそもそもホラー映画として撮っていないのだろう。これは太古から続く善と悪の戦いを描いた哲学映画なのだ。
 昔観た時に音楽が印象に残っていたが、今回調べてみたらエンニオ・モリコーネだった。さすが。

 あの悪魔憑き騒動から4年。未だ精神分析医の元に通い続けるリーガンの元に、メリン神父の死の真相を調べるべく教会から遣わされたラモント神父が訪れる。点滅する光を使って二人の精神を同調させる同期催眠機にかけられたリーガンとラモント神父。ラモント神父はその中でリーガンの中にまだ悪魔が潜んでいる可能性に気付く。そして全ての謎はメリン神父が若いころにアフリカで研究していた事柄に結びつく事にも。

 途中はかなり退屈な感じがして眠気を抑えるのに苦労したが、ラストで一気に盛り返す。イナゴの大襲来は一大スペクタクルである。
 1作目では幼さを感じさせたリンダ・ブレアがティーンエイジャーに成長しているのも見所か。アフリカのキリスト教について描かれているのも興味深い。
 数十年前にアフリカで活動していたメリン神父としてマックス・フォン・シドーが再び登場しているが、老けメイクをしていないマックス・フォン・シドーがこんなに若いのには驚いた。しかもなかなかハンサム。ダース・ベーダーの声を担当している黒人俳優ジェームズ・アール・ジョーンズもちょい役で登場して相変わらず渋い声を聴かせてくれる。
 評価が分かれる作品だろうが、ジョン・ブアマン監督作という点では比較的取っつきやすい作品ではある。

B002BS02DY.jpg『エクソシスト』(1973) THE EXORCIST 121分(ディレクターズ・カット版:132分) アメリカ

監督:ウィリアム・フリードキン 製作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 製作総指揮:ノエル・マーシャル 原作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 脚本:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 撮影:オーウェン・ロイズマン 特殊メイクアップ:ディック・スミス プロダクションデザイン:ビル・マレイ 編集:ノーマン・ゲイ、エヴァン・ロットマン 音楽:マイク・オールドフィールド、ジャック・ニッチェ 舞台装置:ジェリー・ワンダーリッチ
出演:エレン・バースティン、マックス・フォン・シドー、リー・J・コッブ、ジェイソン・ミラー、リンダ・ブレア、キティ・ウィン、ジャック・マッゴーラン、ウィリアム・オマリー、ルドルフ・シュントラー、バートン・ヘイマン、ピーター・マスターソン
声の出演:マーセデス・マッケンブリッジ

 悪魔憑きという点で言うとこの作品の本当の怖さはキリスト教徒にしか分からないんだろう。
 だが、よく知っていたはずの人物、自分の愛する娘が一夜にして自分の知らない他人になってしまうという怖さは万国共通に違いない。
 自分の愛する人が気持ちの悪い事を言い奇妙な行動を取り始める。それでもその相手を愛しているし愛したい。何とかして直そうとするが、誰も彼も的はずれな助言をしてくれるだけで真の力にはなってくれない。自分もどう対処していいのか分からない。そんな恐怖を描いた作品である。悪魔払いのシーンはおまけかも知れない。
 日本人の多くはキリスト教徒ではないと思うが、だったら悪魔憑きではなくキツネ憑きに置き換えて観たらどうだろう。昔はキツネ憑き払いや、キツネ憑きになってしまった娘を座しきろうに閉じこめておいたなどと聞く。本質的には同じではないだろうか。

 イラクで発掘を行っていたメリン神父が小さなメダルと悪魔像を発見する。その頃、アメリカでは女優の娘リーガンが卑猥な言葉を発するなどおかしな行動を示すようになる。医者では脳腫瘍などを疑われたが検査の結果何も見つからず、精神科医に行っても結論らしい結論は出ない。
 その間にもリーガンの行動は悪化し、言動だけでなく寝ているベッドが大きく揺れ動いたり部屋の物が飛び交うなど病気では説明の付かないことが起きる。
 医者に悪魔払いを勧められた母親は若いカラス神父に助けを求める。帰国していたメリン神父と共にカラス神父は悪魔払いに向かう。

 そもそもメリン神父が悪魔像を掘り出してしまった事とリーガンの悪魔憑きに関係があるのかが謎。今回オレが観たのは2000年に発表されたディレクターズカット版だが、メリン神父が悪魔払いの最中に悪魔像の幻を見るシーンがある。と考えるとやはり関係あるのだろうか。
 だとしたらなぜリーガンが選ばれたのか。悪魔はどこにでもいる普通の子を狙ってくるということなのかもしれない。
 リーガンを演じた子役のリンダ・ブレアはこれで一躍有名になりアカデミー助演女優賞にもノミネートされたがその後はぱっとせずB級女優になってしまった。長時間の撮影を特殊メイクに耐えて演じただけでも大変だったろうに演技力もある。子役は得てして大成しないものだが残念だ。
 特殊メイクを担当したのは大御所のディック・スミス。レーガンの傷が入った顔や目の色が変わったコンタクトなどの細かい仕事から、首の180度回転など大仕掛けもやってのけている。首の180度回転の等身大モデルがスクリーンに映る時間はほんのわずか。わずかだからいいのでこれを延々と映してしまうと偽物だとバレてしまう。そこら辺は分かってるなと思う。
 監督はウィリアム・フリードキンでオレの苦手な人物。この人は人物描写が本当に下手だと思うのだ。だがこの作品ではその下手さが逆に恐怖をアピールするのに役立っていた。
 それにしてもメリン神父を演じたマックス・フォン・シドーは1973年のこの時すでにどう見ても老人。いまだに老人。

B0027SJOT6.jpg『アパルーサの決闘』(2008) APPALOOSA 113分 アメリカ

監督:エド・ハリス 製作:エド・ハリス、ロバート・ノット、ジンジャー・スレッジ 製作総指揮:マイケル・ロンドン、トビー・エメリッヒ、サム・ブラウン、コッティ・チャブ 原作:ロバート・B・パーカー 脚本:ロバート・ノット、エド・ハリス 撮影:ディーン・セムラー プロダクションデザイン:ワルデマー・カリノウスキー 衣装デザイン:デヴィッド・ロビンソン 編集:キャスリン・ヒモフ 音楽:ジェフ・ビール
出演:エド・ハリス、ヴィゴ・モーテンセン、レネー・ゼルウィガー、ジェレミー・アイアンズ、ティモシー・スポール、ランス・ヘンリクセン、トム・バウアー、ジェームズ・ギャモン、アリアドナ・ヒル、ガブリエル・マランツ、ティモシー・V・マーフィ、ジェームズ・ターウォーター、ルース・レインズ、ボイド・ケストナー、アダム・ネルソン、レックス・リン

 舞台は1882年のアメリカ準州だった頃のニューメキシコ。ブラッグ(ジェレミー・アイアンズ)という男がボスを務める牧場に町で人を殺し女をレイプした牧童を逮捕しに保安官がやってくる。しかし、人手不足を理由にブラッグはそれを断ると、無理矢理逮捕しようとした保安官と二人の保安官助手を撃ち殺してしまう。
 保安官がいなくなった町に名うてのガンマンのヴァージル・コール(エド・ハリス)と相棒のエヴェレット・ヒッチがやってきて新しい保安官と保安官助手となる。ブラッグとの緊張が高まる中、列車から一人の未亡人アニーが降りてきた。彼女の美しさに魅せられたヴァージルは、彼女にピアノ弾きの仕事を世話してやるなどすっかり気に入ってしまった様子。それが後の不幸を招くとも知らずに。

 なにはともあれ、エド・ハリスはクリント・イーストウッドではなかったのだなと痛感する作品だった。前半はまだ緊張感を保っているが、後半の腰砕け感は否めず全体を通してみると凡庸な作品にしか仕上がっていない。
 一瞬で片づく銃撃戦とパンパンと勢いのない銃声はリアルさを感じさせ、さすがにここは緊張感を感じさせてくれるがドラマ部分にしまりがない。

 まずなによりもアニーが邪魔。本当にイヤな女なんだこれが。エヴェレット曰く「ボス馬とつるみたがる女」だそうだ。ボス馬は常にその一頭とは限らないわけで、競争次第でボス馬から蹴落とされたり新しいボス馬になったりする。するとアニーは古い元ボス馬を捨てて新しいボス馬にすり寄っていく。そんな女だというのだ。ちょいブスなのに。
 ヴァージルはこれまで娼婦かインディアンとしか付き合ってこなかったから、綺麗で身なりも整っており料理まで作れるアニーの表層的な美しさにこれまで無かった物を感じて引かれてしまうわけだ。ヴァージル自身も無学を恥じて常に本を読んでいたり、難しい言葉を言おうとしては言葉に詰まったりして自分をよく見せようとしているので、そんなアニーを自分の回りにおくことで自分を高めた気になっているのかも知れない。

 そんなヴァージルに相反するのがエヴェレットで、ヴァージルとアニーが買う事にした建築中の家を見に行った時にアニーに言い寄られた時も「俺はそんなことは出来ない」ときっぱり断るし、悪党に人質になったはずのアニーがその悪党と河で全裸になって水浴びをしているところを望遠鏡で見てしまった時はその望遠鏡をヴァージルに差し出したりと首尾一貫している。インディアンと敵対した時には一頭の馬と引き替えに交渉を成立させてしまう。

 その様に書くとエヴェレットが格好いいヤツでヴァージルは情けないヤツとなってしまうのだが、そのヴァージル役のエド・ハリスが監督も務めているから話は別。その気になればどんな格好いい役でもやれたはずなのにヴァージル役を選んだのは結果としてヴィゴ・モーテンセンの引き立て役を引き受けたのではないだろうか。

 アニーも徹底した悪女ではない。いや、逆に徹底した悪女ではないから余計と始末が悪いのだろうか。彼女はいい男を捕まえたいのとお金で苦労したくないぐらいしか行動基準がないのだ。だから一番いい男にすり寄っていくし、平気で元の男を捨てる。そうやってしたたかに生きているただそれだけの分かりやすい女なのだ。当時の単独では生活力のない女性にはそんな生き方しかなかったのかも知れない。しかし、邪魔。原作者には怒られるだろうが、アニーのエピソードを全てカットしてもっといい女を入れるかいっそのこと男だけの話にしてしまったらどれだけ面白い作品になったことだろう。

 エド・ハリス、ヴィゴ・モーテンセン、ジェレミー・アイアンズ、ランス・ヘンリクセンと渋い役者が揃っている。黒ずくめのエド・ハリスはやっぱり渋いし、ジェレミー・アイアンズの憎たらしさはなかなかだ。
 個人的にはもっと銃撃戦があっても良かったんじゃないかなと思うが、原作が小説という事もありストーリーを見せたかったのだろう。
 ちなみにラストの決闘で法を味方に付けたジェレミー・アイアンズに立ち向かうのはエド・ハリスではなくヴィゴ・モーテンセン。やっぱヴィゴ・モーテンセン主演作だわ。

 1882年の町を丸々再現してしまった美術は見事で、板ガラスにしても現在の物のように表面が滑らかに平らではなく波打つように凸凹した物を使っている。建物や衣装にしても時代考証はかなりしっかりしているそうだ。
 “西部劇”として時代考証がしっかりしているのと“西部劇”として面白いのとはまた別問題なわけだが。
 それでも2008年にもなって西部劇を作ってしまうエド・ハリスとその面々には惜しみない拍手を送ろう。日本未公開が残念だが、今の日本では受けないジャンルだからよほどの傑作じゃないと難しい。この出来だとしかたないか。

B001J2KG7U.jpg『インビジブル・ターゲット』(2007) 男児本色/INVISIBLE TARGET 129分 香港

監督:ベニー・チャン アクション監督:ニッキー・リー 製作:ベニー・チャン 脚本:ベニー・チャン 音楽:アンソニー・チュウ
出演:ニコラス・ツェー、ジェイシー・チェン、ショーン・ユー、ウー・ジン、アンディ・オン、サム・リー、ロー・ワイコン、アーロン・クォック、マーク・チェン、エレイン・コン

 香港の繁華街で宝石店の前に停めてあった現金輸送車に強奪事件が発生。犯人は大量の爆薬を使用し、その爆発に巻き込まれて結婚指輪を見に来ていた結婚間近の女性が死亡した。彼女はチャン刑事の婚約者だった。
 それから半年後、すっかりやさぐれてしまったチャン刑事が武器麻薬密輸事件の捜査中に現金輸送車強奪事件の犯人と遭遇。必死に追いかけるが取り逃がしてしまう。そして別件で犯人達と関わったフォン警部補と同じく兄が警官で潜入捜査官として犯人達の中に潜り込んだまま消息を絶ってしまったワイ巡査が奇妙な縁で巡り会い、共に捜査を始める。しかし、事件の黒幕は警察の中にいた。

『K-20 怪人二十面相・伝』で日本のアクションやスタントもなかなかやるじゃないかと思ったが、『インビジブル・ターゲット』を観た後では霞んで見えた。やはり肉体的なアクションでは世界の映画界で飛び抜けた存在である香港はスゴイ。最近はタイも力を付けてきたが一日どころか数年の長が香港にはある。
 最初は対立気味なチャンとフォンに若造だと見下されているワイなのだが、事件が進んでいる内に友情が芽生えてきてお互いを信用するようになる。この男の友情が熱い。
 喫茶店でチンピラ相手にケンカ騒ぎを繰り広げた後で、ワイの家で「今ではもう買えない薬(ヤバイ成分が入ってるんじゃ?)」をそれぞれ上半身裸になって塗ったり塗りあったりしているシーンの可笑しさ。一緒に戦った男はそれだけで相手を信用できるようになるのだ。
 対する悪党側は女性1人を含む4人。こいつらがめっぽう強い。銃は乱射しまくるし、爆弾や手榴弾の取り扱いにも長けている。そしてなにより素手での格闘戦が強い強い。主人公たち3人はかなり押され気味である。
 悪党のボスを演ずるのはウー・ジンという人だ。オレは寡聞にもこの作品で初めて知ったのだが、この人のカンフーがスゴイ。スピードがあって型の一つ一つがピシッと決まっている。腕技よりも足技を多用していて、スピードのある蹴りがバシバシと主人公たちに決まる。多少の段差の上からではあるが四段蹴りまで炸裂する。(あまりにも速いので数え間違いしていたらすまない。でも三段蹴りではなく四段蹴りだったと思う)あまりに強すぎて二人がかりでも勝てず、三人がかりでしかもちょっと卑怯な手段でようやく蹴りが付く。
 なんでもこのウー・ジンは1974年4月3日生まれ。父も祖父も武術家という家系で、6歳のときから北京武術隊に所属し4度の中国武術チャンピオンとなったそうです。筋金入りの武術野郎だな。これは強くて当たり前。金城武がちょっとやそっとがんばってもなぁ……。中国武術チャンピオンから武術俳優という道はジェット・リーと通じる物がある。
 割と愛嬌のある顔で、正直言って主人公側のチャン刑事(ニコラス・ツェー)とフォン警部補(ショーン・ユー)の方が面構えが悪く悪人顔。
 なんでこんな人をこれまで見逃してきたのだろうかと思ったら、映画ではなくテレビ武術・武侠ドラマ中心に仕事をしてきたらしい。最近は『SPL/狼よ静かに死ね』(2005・やべ、まだ観てない)など映画の仕事も増えているので期待したい。
 ワイ巡査役はジャッキー・JRのジェイシー・チェン。目元が若い頃のジャッキー・チェンに確かに似てる。大きめの鼻も似ている。どうやらジャッキーは自分の息子にあまり厳しい鍛錬をしてこなかった様子で、アクションに関しては他の出演者と比べて見劣りする。自分の人生を鑑みて、息子に同じアクション俳優の道を歩ませたくなかったのではないだろうか。それでも高所からの飛び降りや背中が火だるまになるシーンなどでオヤジ譲りの根性を見せてくれる。
 兄の敵である犯人の額に銃を突きつけて、撃とうとするが「撃てない?!僕は警官だ?!」と慟哭する不器用な熱い芝居もオヤジ譲り。
 日本の芸能界ならば親の七光りでさして才能がない人でもなんとかやっていけるようだが、生き馬の目を抜く香港ではそうはいかないだろう。この作品と『ツインズ・エフェクトII』でしか見た事がないが、正直アクションにしろ演技にしろ俳優とはきっぱり縁を切って別の道を選んだ方が良いのではないだろうか。カーチェイスのシーンで後部座席で必死になってシートベルトを締めようとしているところなどは笑えるし、がんばっているのは分かるんだけどね。
 ちなみに途中で犯人たちが幼稚園の送迎バスを乗っ取る。ショッカーかお前らは。次は貯水池に毒を流し込むのか。監督のベニー・チャンは『ダーティーハリー』の終盤をやりたかったのかもしれないが、園児たちの緊張感に欠けた演技では『仮面ライダー』にしかならない。もっとも幼稚園児たちに緊張感のある演技を求めるのは難しいが。
 ストーリー的にもよく出来ていて、伏線も活かしてあるし、黒幕の正体についてひっかけもある。人物描写もちゃんと描けている。ラストの後日談も良い。ただ犯人たちが戦争に巻き込まれて親を失いうんぬんのところが分からない。ベトナム戦争での中国系孤児……じゃないよな舞台は携帯電話が活躍する現代だし時代が合わなすぎる。時代的には……湾岸戦争か?どんだけ距離があるんだよって話だよな。字幕の読み違いかな。
 エンディングクレジットに撮影風景が挿入されているが、バスにぶつかって吹っ飛ぶシーンではワイヤーを使っておらず本気でぶつかっている。受け止めるマットもハリウッド映画のメイキングで見るようなちゃんとした専門のヤツじゃなくてベッドのマットを何枚か集めて使ってるのだ。

B001O8OR92.jpg『アンダルシアの犬』(1928) UN CHIEN ANDALOU 17分 フランス

監督:ルイス・ブニュエル 製作:ルイス・ブニュエル 脚本:ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ 撮影:アルベール・デュベルジャン
出演:ピエール・バチェフ、シモーヌ・マルイユ、ハイメ・ミラビエス、サルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエル

 シュールレアリズムとか言われてもよく分からんわけだが、シュールレアリズム映画の代表の言われているこの作品もよく分からんわけだ、正直言って。
 有名な女性の目を剃刀で切るシーンから始まっていきなり字幕で8年後。目を切るのにどんな意味があったのか、切られた女性はどうなったかはもう登場しない。
 手の平に穴が開いていてアリがどんどん這い出てくる。
 ピアノの上に鹿かロバの死体が乗っている。
 舗道に人間の手首が落ちていて、警官が人混みの整理をしているので事件に発展するのかと思ったらそのまま終わり。
 手に持った本が突然銃に変わり、相手を撃ち殺すと室内だったのに撃たれた相手は森の中で倒れる。
 などなど、イマジネーションに溢れる映像で埋め尽くされているが、それから何かの意味を見出す事がオレには出来ない。
 で、最初に帰るわけだがとにかくわけがわからないのだ。なにが言いたいのかを通り越してもはや何をやりたいのかすら分からない。分からないが分からないで良いのだ、シュールレアリズムの実験映画なのだから一から十まで全て分かったようなことを言う人の方が胡散臭い。
 ルイス・ブニュエルと言えば良い意味でバカな人だから、そのバカがもう一人のバカであるサルバドール・ダリと組んで変な事、やりたい事をやってしまった作品だ。ストーリーはないし演技も無きに等しい。意味はないのかも知れないし、その意味がない事に意味があるのではないだろうか。
 とにかく映像のインパクトはすごいのだから、オレは素直にそれに驚いて良しとする。ラストの土に埋まったカップルには笑ったし。分からない物を利口ぶって分かった振りをするような人間にはなりたくない。分からない物は分からない。馬鹿にされるかも知れないけどそれでいいじゃない。

『オルカ』 復讐心

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B0026O1JDK.jpg『オルカ』(1977) ORCA 92分 アメリカ/イタリア

監督:マイケル・アンダーソン 製作:ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ 製作総指揮:ディノ・デ・ラウレンティス 脚本:ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ、セルジオ・ドナティ 撮影:テッド・ムーア 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:リチャード・ハリス、シャーロット・ランプリング、ウィル・サンプソン、ボー・デレク、キーナン・ウィン、ロバート・キャラダイン、スコット・ウォーカー、ピーター・フートン

 漁船の船長ノーランはまだ借金の残った船の返済をすべくいつも大仕事を企んでいた。ホオジロザメを捕まえようとしていた時に海洋生物学者レイチェルと知り合い、シャチ=オルカについて教えてもらう。
 シャチが金になりそうだと気がついたノーランはロープの付いた麻酔銃でシャチの群れから一頭を撃つが、そのシャチは自殺をしようと船のスクリューに身を投げてくる。慌てて甲板に引き上げるとそいつはメスでみんなの前でまだ胎児の状態の子供を産んだ。シャチは一夫一妻制で夫のシャチは怒りに満ちた目で船とノーランを睨んでいた。
 修理のために港に停泊中の船を狙うかのように、シャチは他の二隻の船を沈めた。そしてその後またやってきて狡猾にも燃料補給用のパイプを破壊して火災を起こし燃料補給基地まで爆破した。
 これ以上の迷惑は困る。お前がしっかり片を付けてこいとノーランを無理矢理に船で送り出す地元の人々。シャチが現れ、船を先導していく。行き先は北氷洋だった。果たしてこの戦いで生き残るのはノーランかオルカか。

 先日紹介した『イルカの日』は海洋生物と人間の心の交流を描いた基本的に心温まる作品だったが、今回は一転して人間と海洋生物が命を賭けて殺し合う映画。
『ジョーズ』(1975)のパクリのように思われている作品だが、ジョーズがあくまでも食欲・動物としての本能で人間を襲ったのに対し、オルカは本来は人を襲わず妻子を失った復讐から襲うという点で大きく違う。
 妻子を殺された復讐というとなんとなくマカロニ・ウエスタンを思い出すが、それを裏付けるように音楽がエンニオ・モリコーネである。復讐のためにあらゆる手段を使い、終盤には敵を一人一人片付けていってラストは男と男の一対一の対決。うむ、やはりマカロニ・ウエスタン。しかもシャチが主役。
 自分が命を狙われる立場になりながらどこかでシャチに共感するノーランには、妊娠中の妻が酔っぱらい運転の車にぶつけられ死んでしまい妻子を失ったというシャチと同じ経験がある。今回は酔っぱらい運転の車が自分なのだ。当時の自分の怒りや悲しみを思いだし、それをシャチに当てはめてしまうのだろう。共感しても自分が生き残るためにはそのシャチと戦わないといけないという悲しみと理不尽さが感じられる。
 哀愁漂うエンニオ・モリコーネのスコアも充実していて、映画の悲しみを盛り上げてくれる。これが他の人の音楽だったらもっと印象が違った事だろう。
 動物と人間が戦う作品はいくつもあるが、両者が同等という作品は少ないだろう。『オルカ』はそんな数少ない中の一本。『白鯨』と重ね合わせてみる向きもあるが、白鯨はエイハブ船長にとって一種の神だから違うのではないかと思う。
 監督のマイケル・アンダーソンの演出は凡庸で、心理描写も行き届いていない。だから、何故突然そう思ったのか、何故そう思ったのかについてきちんと整理が行き届いていない。ゆえにノーランの行動などはあまりに唐突に見えて戸惑ってしまう。せっかく名優リチャード・ハリスを使っているのにその意味がまったくない。首尾一貫しているのはシャチの心理描写ぐらいだろうか。
 ラスト、一人取り残され北氷洋の氷山の上に佇むシャーロット・ランプリングは美しい。それとよく見るとキャラダイン兄弟で一番地味なロバート・キャラダインが出ていた。やはり顔が長いが地味には変わりない。
 それにしても、ディノ・デ・ラウレンティス製作総指揮作品はどうしてどれもこれも大味なのだろうか。細かいところまで目の届いたディノ・デ・ラウレンティス作品というのを観た事がない。監督や脚本家はそれぞれ別なのだがどういうことだろう。やはりハリウッドではプロデューサーの力が大きいのか。
 どうでもいいけどDVDのジャケットが最悪。まるで安っぽいB級映画のそれである。(写真参照)

B0022F6LUO.jpg『エル・マリアッチ』(1992) EL MARIACHI 80分 アメリカ

監督:ロバート・ロドリゲス 製作:カルロス・ガラルドー、ロバート・ロドリゲス 原案: ロバート・ロドリゲス 脚本:ロバート・ロドリゲス 編集:ロバート・ロドリゲス 撮影:ロバート・ロドリゲス 音楽:マーク・トルエーロ、アルバロ・ロドリゲス、ファン・スアレス、セシリオ・ロドリゲス、エリック・ガスリー
出演:カルロス・ガラルドー、コンスエロ・ゴメス、ジェイム・デ・ホヨス、ピーター・マルカルド、レーノル・マルティネス

 若干24歳のロバート・ロドリゲスがケーブルテレビ用にわずか7千ドルほどの資金で撮影日数14日間にて作り上げたアクション映画。
 製作・脚本・撮影もロドリゲスの小規模な撮影現場。これがサンダンス・フィルム・フェスティバルで上映され観客賞を取るなど話題を呼び、ついには劇場公開にこぎ着けた。その後のロドリゲスの活躍ぶりは言うまでもないだろう。

 メキシコの小さな街に黒いジャケットにクロノギターケースを持ったマリアッチ(歌歌い。どうやら流しのような物らしい)が仕事を求めてやってきた。
 同じ頃、刑務所から脱獄したアスールが金を独り占めしたモーリシオに復讐すべく黒い服に武器を満載したギターケースで男の手下を殺して回っていた。
 アスールと勘違いされたマリアッチは泊まっていたホテルから命からがら逃げ出すが、部屋にギターを忘れてきたのを思いだし命がけで取りに行く。マリアッチにとってギターは命と同じくらい大切なのだ。そしてその最中に4人を殺してしまう。
 そしてある酒場を訪れる。経営者の美しい女性ドミノはマリアッチを匿うが、ドミノはモリーシオの愛人だった。ドミノを人質にしたアスールはモリーシオのアジトに向かう。それを知ったマリアッチは彼等の後を追う。

 たしかアメリカ在住のメキシコ系向けのケーブルテレビ用映画だったはず。だから全編を通してスペイン語が使われている。
 マリアッチと殺し屋が同じ格好をしていて取り違えられてしまうというアイディアが面白い。悪人側の勘違いがストーリーをどんどん広げていく。ギターケースをガンケースとして使っているというアイディアも面白い。
 低予算映画のお手本のような映画で、フィルムの粒子が目立つざらついた画面が作風にあっているのだがこれは16ミリ(?)で撮影されたからだろう。16ミリでの撮影というのは本来弱点になるところだがそれを長所に変えてしまっている。
 ガンアクションシーンではペキンパーばりのスローモーションが多用されているが、これは撮影時にフィルムを節約するためだという説がある。しかし、スローモーションということは高速度撮影をしているわけで使用するフィルムの量は結果として変わらないはず。素直にペキンパーがやりたかったのだと思う。前に観た印象だと撃ちまくっていた気がするが、今回観直してみるとガンアクションのシーンはかなり少なかった。ここでの編集が巧みでより派手に感じさせたのだろう。
 ドミノに殺し屋だと疑われた入浴中のマリアッチが、局部にナイフを突きつけられギターで歌を歌ってマリアッチだと証明しろと求められるところが好きだ。

 役者の演技が不自然ではっきり言えば下手だったり、衣装がいい加減なのは低予算のしわ寄せだろう。限られた予算で全てが全て完璧にやる事は出来ない。
 カット割りが巧みで、それも低予算を感じさせない要因となっている。とにかくロドリゲスが上手いのだ。画面からメキシコの暑さが伝わってくる撮影は予算の関係もあってかロドリゲス自身がやっている。全てを彼が管理する形で撮影を進める事が出来たのだろう。この規模の作品ではプロデューサーもそうそううるさいことを言ってこない。
 撮影前にかなり厳密な絵コンテを書き、無駄な撮影はしないように徹底したのだろうかと思ったら違うらしい。「絵コンテを描く必要はなかった。僕が全てをこなしていたからね」とはロドリゲスの言葉だ。そして編集でさらに無駄を切る。無駄を削りまくった映画がこうして出来上がる。
 もちろん、さっき行ったとおり低予算ゆえの欠点はいくつもあるが、それを補うアイディアとテクニックが溢れている。無駄なところを徹底的に削ったシンプルさも良い。
 この作品は後に『デスペラード』『レジェンド・オブ・メキシコ』と変形続編が作られる事になる。

B000FI9P30.jpg『アザーズ』(2001) THE OTHERS 104分 アメリカ/スペイン/フランス

監督:アレハンドロ・アメナーバル 製作:フェルナンド・ボバイラ、ホセ・ルイス・クエルダ、パーク・サンミン 製作総指揮:トム・クルーズ、リック・シュウォーツ、ポーラ・ワグナー、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン 脚本:アレハンドロ・アメナーバル 撮影:ハビエル・アギーレサロベ 衣装デザイン:ソニア・グランデ 編集:ナチョ・ルイス・カピヤス 音楽:アレハンドロ・アメナーバル
出演:ニコール・キッドマン、フィオヌラ・フラナガン、クリストファー・エクルストン、エレイン・キャシディ、エリック・サイクス、アラキーナ・マン、ジェームズ・ベントレー、ルネ・アシャーソン、アレクサンダー・ヴィンス、キース・アレン

 1945年、第二次大戦が行われていた頃のイギリスの島にあるお屋敷が舞台。カメラは一度敷地から出るだけで、ほとんどが邸内での撮影となっている。たまに庭に出るくらい。
 そのお屋敷には3人の母子が暮らしていた。子供は10歳ぐらいの姉と8歳ぐらいの弟である。子供たちは日光アレルギーでランプの光以上に強い光を浴びると皮膚が焼けただれて死んでしまうと言う吸血鬼のような体質である。そのため、家中の窓にはカーテンが張り巡らされ、家の中はいつも薄暗い。
 夫は戦争に出征し連絡が途絶えたまま。生きているのか死んでいるのかも分からない。
 そこへ3人の使用人が仕事を求めてやってくる。家政婦2人と庭師1人だ。彼等を雇った女主人は次第に屋敷の異常に気付き始める。閉まっているはずのドアが開いていたり、誰もいない部屋のピアノが鳴ったり、誰かが歩いたりしゃべったりする音が聞こえるのだ。
 これはひょっとして幽霊の仕業なのだろうか。

 どんよりとした空の下に建つお屋敷の女主人にニコール・キッドマンのブロンドと色白な雰囲気がマッチしている。
 子供たちにも使用人にも厳しく神経質な女主人役を見事に演じており、緊迫感を作り出すのに大きな役割を果たしている。
 子供たち2人も演技が達者で、常に暗いところにいて母親から抑圧を受けている様が現れている。それでいてちゃんと母親を愛しているのが伝わってくる。
 19世紀には死んだ人の写真を撮って保管していたというネタがあるのだが、それが終盤で衝撃を伝える小道具として上手く使われている。
 カーテンを閉め切って常に薄暗い屋敷という舞台設定もそこが通常の空間ではない事を感じさせる。まるで人の住まない空き家か廃墟のように感じてくるのだ。
 物音がし始めるところなどジワジワと恐怖感を高めていって、それが何者が立てた音なのかを観客に考えさせる。ひょとしたら音などしておらず女主人と子供たちがそう思い込んでいるだけかもと考える事も出来るようになっている。サイコホラーである。
 しかし使用人たちはまったく音に気づいていないようで、気づいていないのか何かを企んでいるのかと捉える事も出来る。彼等は何かを隠しているのではないのかということだ。
 流血シーンもないしモンスターも出てこないが良質なホラー映画となっている。
 ラストはオチが来たなと思ったらさらにオチがある二段オチで、その構成に感心させられた。
 生者と死者の見事な逆転劇で、すでにそのオチを知っていたがそれでも衝撃的だった。オチが売りの映画になるのだろうが、二度三度と楽しめる作品に仕上がっている。
 単なる幽霊屋敷物と思わせておいて最後の最後でひっくり返すことこそこの作品の個性である。ここで失敗してしまったら作品そのものが成立しなくなってしまうので、かなり細かい計算と伏線を使いこなしているのであろう。
 生者側の少年ビクターは少女の霊を見ているが、ひょっとしたらビクターはその霊に恋していたのかも知れないと思ったりもする。

 子供を偏愛する母親と、その母親を愛する子供たち。そんな彼等の世界はお屋敷という小さな世界の中でのみ成立している。その三角形で完成された関係はこの世界の中でこれからもずっとそこにあり続けるのだろう。

B001P7BJFC.jpg『イルカの日』(1973) THE DAY OF THE DOLPHIN 105分 アメリカ

監督:マイク・ニコルズ 製作:ロバート・E・レリア 製作総指揮:ジョセフ・E・レヴィン 原作:ロベール・メルル 脚本:バック・ヘンリー 撮影:ウィリアム・A・フレイカー 特殊効果:アルバート・ホイットロック 音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ジョージ・C・スコット、トリッシュ・ヴァン・ディーヴァー、ポール・ソルヴィノ、フリッツ・ウィーヴァー、エリザベス・ウィルソン、ジョン・デナー

 ジョージ・C・スコットは海洋学者。島でイルカの研究をしている。
 その研究所で最初に生まれたイルカにアルファと名前を付けファという愛称で呼んでいる。このファに人間の言葉を覚えさせたことから事件は始まる。

「ファ、パー(パパ)、好き」など単語を組み合わせた形でファは喋る。
 人間とイルカという異種生命体が言葉でコミュニケーションを取ることで、信頼や愛、友情などが語られている。
 ジョージ・C・スコットがイルカを一緒に泳ぐシーンがあるが、人間の泳ぎ方の不格好さと比べると、イルカの泳ぎ方は何とも美しい。流線型の身体は色っぽささえ感じる。クリクリした黒い目玉も知性を感じさせ愛嬌がある。やはりほ乳類だけあって魚の目とは全然違う。オレはミニチュアダックスフントを飼っているがそれら犬に似た目だと思う。
 実際にイルカが喋ることはないが、そうであってもおかしくないと感じさせる賢さがイルカにはある。調教によるイルカの動きには実際以上の知性を感じさせる。調教は大変だった事だろう。
 ジョージ・C・スコットがいつものムスッとした顔で登場する。あまり科学者らしさは感じさせないが陰謀が発生してからのファとその恋人のビーを心配する沈痛な表情が観客の心を乱す。

 そのファを悪人たちが誘拐し、大統領暗殺に使おうとする。ファの背中に時限爆弾を付け、大統領の乗った船の船底に吸着させようというのだ。許可された船しか出入りできない警戒厳重な海域でもイルカなら容易に入る事が出来る。
 前半は海洋学者とイルカの触れ合いだったが、後半でかなり唐突にポリティカルフィクションになるが大きな違和感はない。しかし出来れば前半のまま最後まで行って欲しかった。イルカたちを争いの道具にするなんて悲しすぎる。

 悪人たちはファに嘘をつく。それまで人間の事を信頼していたファの言う「人間 ない事 言う」(人間は嘘をつく)というセリフがなんともせつない。

 ラストのジョージ・C・スコットとイルカたちの別れで「ファ パー 好き いっしょ」と別れを拒むファにジョージが「イルカとして生きろ。人間は悪い」と語る皮肉さよ。そして外洋へと泳ぎだしたファとビーに背を向けて振り向かずに去っていく人間たち。涙なしには観られない。

 マイク・ニコルズの演出は特に冴えたところはないが、水中や海での撮影を手堅くまとめている。
 特筆すべきは悲しげなジョルジュ・ドルリューの音楽だろう。悲哀さが強く印象に残る。

B001U5SWJA.jpg『イレイザー』(1996) ERASER 115分 アメリカ

監督:チャールズ・ラッセル 製作:アーノルド・コペルソン、アン・コペルソン 脚本:トニー・プライヤー、ウォロン・グリーン 撮影:アダム・グリーンバーグ 音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、ジェームズ・カーン、ヴァネッサ・ウィリアムズ、ジェームズ・コバーン、ロバート・パストレッリ、ジェームズ・クロムウェル、ダニー・ヌッチ、アンディ・ロマノ、ニック・チンランド


 証人保護プログラムのため証人の元の身元を消し去る連邦捜査官・イレイザーを演ずるのは我らがアーノルド・シュワルツェネッガー。
 90年代半ばの脂ののりきっていた頃のシュワルツェネッガー。今回の仕事は兵器開発会社サイレス社が開発したEM銃(レールガン)を国際テロリストに横流しすることをFBIに告発してきたヴァネッサ・ウィリアムズを守ること。
 実際には個人が携帯可能なライフルタイプのレールガンの実現などいつの事やらという状況らしいが、レールガンの強力さ格好良さの前にはそこら辺は気にしない気にしない。
 とにかくアクションに次ぐアクションの娯楽大作。エンターテインメントのてんこ盛りを頭を空にして痛快さを楽しもう。銃撃戦になってもシュワルツェネッガーには敵の弾がかすりもしなくて当たり前。ややこしいことを考える必要はない。
 当時まだ珍しかったCGも多用されていて、空を飛ぶ飛行機にしがみつくシュワルツェネッガーや動物園でのCGのワニとシュワルツェネッガーの格闘(いや格闘はしない。本当はして欲しかったが悪党が食われるだけだ)などが用意されている。レールガンの弾丸の軌道もCGで処理されている。
 飛行機から突き落とされた時には、先に落下したパラシュートに追いついて装着したりと無敵ぶりを発揮する。
 対する悪役がジェームズ・カーンというのがまたうれしい。元々はシュワルツェネッガーの先輩なのに悪に心を売ってしまったのだ。シュワルツェネッガーに仕事を叩き込んだだけあって常にシュワルツェネッガーの先を読む強敵だ。最後の最後まで油断ならず実に憎たらしい。
 弾丸の軌道に煙草の輪状の輪っかがいくつも出来るレールガンの威力のすごいことすごいこと。撃たれた人がまさに吹っ飛んでいる。だがそのレールガン以上にすごいんじゃないかというのが付属のX線スコープ。壁なんか簡単に透視して中にいる人間の位置もばっちり分かる。
 このライフル状のレールガンをシュワルツェネッガーが二挺拳銃状態で持って出てきた時にはやったーってなもんだ。
 序盤で助けたイタリアンマフィアをゲイバーで働かせていたり笑いどころも押さえている。終盤でギャングを味方に付けるところで『ロケッティア』を思い出してしまった。悪党なんだけど意外と良い奴で頼りになるって良いよね。こいつら強いんだ、意外と。
 この手の作品はテンポが重要で、傑作SFアクションを手がけた『ブロブ/宇宙からの不明物体』(1988)のチャールズ・ラッセルはその辺りを良く分かっている。
 出番は少ないが、本部長役でジェームズ・コバーンが出ているのもまた嬉しい。
 ヴァネッサ・ウィリアムズがサイレス社からレールガンの資料をコピーして持ち出すのが8cmCD-Rで当時は「あれがCD-Rという物か」と感動してしまった。それが今では使い捨て用途として使っている。コンピュータ関連の時代の移り変わりは激しい。今観ると、やたら書き込み速度が遅いんだよな。コンピュータと言えば、証人の資料を加工するのにシュワルツェネッガーがマウスではなくペンタブレットを使ってやっていたが、あれはやりにくそうだった。

B001FVXU9Q2.jpg『エル・スール』(1982) EL SUR 95分 スペイン/フランス

監督:ヴィクトル・エリセ 製作:エリアス・ケレヘタ 原作:アデライーダ・ガルシア・モラレス 脚本:ヴィクトル・エリセ 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ 音楽:ヴィクトル・エリセ
出演:オメロ・アントヌッティ、ソンソレス・アラングーレン、イシアル・ボリャン、オーロール・クレマン

『ミツバチのささやき』から9年。ヴィクトル・エリセの第二作目である。このヴィクトル・エリセという人はほぼ10年おきに1作品を発表するペースの監督である。そんなに大ヒットして儲かる映画でもないだろうに何をやって食っているのか少々気になる。

 ある朝、主人公の少女エマトレリィの枕の下に父の振り子が置かれている。父はその振り子でダウジングをして井戸の位置を探すのに使っていた。そのことからエマトレリィは父がもう帰ってこないことを知った。
 そして父は猟銃で自殺をしていた。
 それ以来病気になって寝込んでいたエマトレリィは父方の祖母の住む南(エル・スール)に静養に行くことになる。そして父が自殺する前に南にかけていた長距離電話の領収書。

 小さい頃には父のことが大好きで全て分かっているつもりだったのが、父に母以外に好きな人がいること、それが映画女優だったことなど成長するにつれ父に自分が知らない部分があることが分かるようになる。
 その映画女優は父の昔の知り合い(恋人?)だったりするがそれは彼女のあずかり知らぬところだ。だが、どうも長距離電話の相手は彼女だったのではないかと思う。
 父と母の関係も愛し合っているのか疑問が残る。父は医師で母は内戦の影響で教職を追放された元教師。インテリ家庭である。父は祖父と激しく対立した後に故郷を離れ二度と戻らなかったが、この対立は単に家庭内の問題なのか思想的問題なのかは明らかにならない。映画の時代背景だとスペイン内乱後が舞台なので、父が故郷にいた頃は内戦時代だったはずであるから何らかの関係はあるのかも知れない。

 映像が美しいとは思うが、そこら辺はオレにはあまりよく分からない部分なのでパスする。光と影の使い分けがどうとかこうとか、色彩感や闇の使い方などなどそれっぽいことを言えばいくらでも言える作品なのだろうが、どうしても映像美よりもストーリーに目が行ってしまう。
 家族が暮らす屋根の上にカモメの風見鶏の付いた“かもめの家”やその家の前の並木道、映画館、最後のエマトレリィが父と話したグランド・ホテルのレストランなど選び抜かれたロケ地は確かに観客を魅了する。
 美しいと思ったシーンは、エマトレリィの初聖体拝受のシーンで、教会の奥の暗闇に隠れるように立っていた父親の元にエマトレリィが走っていくシーンだ。父親はなぜ席にではなく暗闇に立っていたのだろうか。思想的問題で教会の中心には行きたくなかったのか、単に遅れてきたからそこにいただけなのか。
 初聖体拝受のために祖母と一緒にやってきた父の乳母ミラグロスという女性が味があって面白い。陽気な彼女はこの映画の清涼剤でもある。
 エマトレリィには少女時代ともう少し大きくなったティーンエイジ時代の二人の女の子が演じているが、少女時代を演じている少女がキャリー・フィッシャーを幼くしたらこんな感じだろうななどと意味のないことを考えてしまった。

B0009H9ZVO.jpg『アナコンダ』(1997) ANACONDA 89分 アメリカ

監督:ルイス・ロッサ 製作:ヴァーナ・ハラー、レナード・ラビノウィッツ、キャロル・リトル 製作総指揮:スーザン・ラスキン 脚本:ハンス・バウアー、ジム・キャッシュ、ジャック・エップス・Jr 撮影:ビル・バトラー 特殊効果:ジョン・ネルソン 音楽:ランディ・エデルマン
出演:ジェニファー・ロペス、アイス・キューブ、ジョン・ヴォイト、エリック・ストルツ、ジョナサン・ハイド、オーウェン・ウィルソン、カリ・ウーラー、ヴィンセント・カステラノス、ダニー・トレホ

 ジェニファー・ロペスを始めとする豪華キャストを出演させながらも、ラジー賞でワースト作品賞、ワースト監督賞、ワースト・スクリーン・カップル賞(ジョン・ヴォイトと機械仕掛けの大蛇)などのノミネートされたという意味ではちょっとトホホな映画。

 アマゾンの奥地に住む伝説の現住民族を取材するためにテレビクルーが船に乗って上流へと昇っていた。途中で座礁した船を見つけ、船長のジョン・ヴォイトを助け出す。
 ロープがスクリューに絡まるという事故があり、学術博士のエリック・ストルツがほどこうとするがスズメバチに気管を刺されて呼吸不能の重傷を負ってしまう。一刻も早く病院に連れて行くために、ジョン・ヴォイトは本流ではなく支流を使うことで近道を通ることを提案するが、実は彼には隠された狙いがあったのである。

 アナコンダが登場するのは中盤頃からと意外と遅くてそれまでは、ジョン・ヴォイトが巧妙な罠を張り巡らせていくシーンが中心となっている。『オデッサ・ファイル』から23年。ジョン・ヴォイトはすっかり悪役顔になっていた。
 実はジョン・ヴォイトの狙いは巨大アナコンダを生きたまま捕らえようというもので、100万ドルは下さない仕事らしい。その100万ドルのためにジョン・ヴォイトは船の乗員たちを平気で犠牲にし殺すことも厭わない。考えようによっては蛇よりもたちが悪い。怖ろしいのは動物ではなく人間だなと思わせてくれる。
 2以降はすっかりCGになってしまったアナコンダだが、1では機械仕掛けのアニマトロニクスが中心で補助的にCGを使っている。大蛇をアニマトロニクスで撮った最後の作品になるのかも知れない。大蛇のアニマトロニクスといえばシュワルツェネッガーの『コナン・ザ・グレート』(1982)を思い出す。あの大蛇は迫力はあったが動きが固くいかにも機械仕掛けだった。それに比べるとこのアナコンダはかなり自在に動いていて、技術の進歩を感じさせる。
 中盤以降の展開はテンポが速く、蛇が襲ってきてはまた襲ってくる。そんな中でジョン・ヴォイトが悪巧みをしているといった具合で登場人物も観客も息つく暇もない。こんな一匹と一人を相手にするんじゃそりゃジェニファー・ロペスの美貌でも大変だ。アイス・キューブの文句あっか顔でも苦戦する。というか密林の中なのにノースリーブって格好はどうよジェニファー・ロペス。と思ったら船の出航シーンで「虫除けを忘れてないか」と伏線が張ってあるのね。どんな伏線だ。
 一匹と一人はさすがワースト・スクリーン・カップル賞を取っただけのことはある。最後にはアナコンダがジョン・ヴォイトをきつーく抱きしめて愛(?)の抱擁の後に飲み込む。食べたいぐらい愛してたのね。後で吐くけど。
 アナコンダが人間を襲って食べてしまう方法もバラエティに富んでいて、2?4とは出来が違う。
 ものすごく面白いとは思わないが、退屈することなく最後まで観ることが出来た。ジョン・ヴォイトの悪人ぶりが堪能できただけで満足。
 残念なのはせっかくのダニー・トレホがオープニングにちょっと出てきただけですぐに消えてしまうこと。マチェットを手にアナコンダに斬りかかって欲しかった。

B000R8XA5W.jpg『オデッサ・ファイル』(1974) THE ODESSA FILE 129分 イギリス/西ドイツ

監督:ロナルド・ニーム 原作:フレデリック・フォーサイス 脚本:ケネス・ロス、ジョージ・マークスタイン 撮影:オズワルド・モリス 音楽:アンドリュー・L・ウェーバー
出演:ジョン・ヴォイト、マクシミリアン・シェル、マリア・シェル、ノエル・ウィルマン、シビル・ダニング

 西ドイツはハンブルグ。フリーのジャーナリスト(ジョン・ヴォイト)の車をパトカーと救急車が追い越していった。事件の臭いをかぎつけた彼はその後を追った。事件は老人がガス自殺したという単純な物に思われた。しかし、友人の警察官から老人の遺品である日記を借り受けた時に彼の人生は変わった。そこには老人が第二次大戦中に強制収容所で暮らしていたこと、そしてそこの所長ロシュマンの残虐非道な振る舞いが書かれていた。そして、戦後行方不明になっているロシュマンをこのハンブルグの街で見かけたこと。それを警察に話したが証拠がないと言うことで無視され、それで死を選んだことが書かれていた。
 彼は事件について本格的に調べ始めた。すると、恋人と地下鉄を待っているホームで列車に突き落とされるてしまう。かろうじて無事に助かったが、彼は数人組の男たちに誘拐されてしまう。あわやと思いきや、男たちはロシュマンを始めとする未だ行方知れずの元SS隊員を追いかけている組織の連中だった。彼らはユダヤ人だが、彼はドイツ人。これならば敵陣に潜入しても違和感をもたれることがない。そこで変装術、動作や言葉遣い、拳銃の扱い方などの訓練を受けた彼は、元SS隊員たちが身分を隠し戦争裁判を逃れるための組織“オデッサ”に近づいていくのだった。

『ジャッカルの日』(1973)で有名なフレデリック・フォーサイスのベストセラー小説の映画化。事実を小説に盛り込むことで有名なフォーサイスの原作だけあって、フィクションに思える“オデッサ”という組織もロシュマンという人物も実際に存在する。原作は大昔に読んだきりだが、正直オレはフレデリック・フォーサイスは苦手なので面白かったという記憶がないのだが、細かいところまで史実と付き合わせていくと意外なところまで合っているのであろう。
 最近だとすっかりごつくなってしまったジョン・ヴォイトの顔がスリムで驚いた。特にアゴのラインのシャープなこと。なるほど、さすがアンジェリーナ・ジョリーの父親だけのことはあるなどと妙な感心をしてしまった。感情を余り感じさせない冷たい目がクールだ。
 一介のジャーナリストが何故そこまで懸命になって事件を追うのか。圧力をかけられたり命を狙われたり、厳しい訓練を乗り越えて誰も助けてくれない孤立無援の状況に挑んでいくのかが謎だった。特ダネによって富と名声を得たいのだろうかと少々疑問に思っていたことがラスト近くに解明される。ここで今一つ感情移入できなかった主人公の気持ちが分かるシーンとなっている。あまり書きすぎるとネタバレになってしまうのでここまで。
 彼はあくまでもスパイではなくジャーナリストなのでプロではなく、手際もけっしていいわけではないがなにしろ食らいついたら離れない。映画全体としてはスパイ映画ではなく社会派サスペンスなので若干地味な印象がある。
 緊迫した中東情勢からはじまり、彼がラジオでケネディ大統領が死亡したニュースを聞いているところへと繋げ映画の背景となっている当時の社会情勢を語る手腕は見事。そしてそれはちゃんとラストへと収束して終わる。

B0019HHBHS.jpg『1941』(1979) 118分 アメリカ

監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:バズ・フェイトシャンズ 製作補:ジャネット・ヒーリー、マイケル・カーン 製作総指揮:ジョン・ミリアス 原案:ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル、ジョン・ミリアス 脚本:ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル 撮影:ウィリアム・A・フレイカー 美術:ウィリアム・F・オブライアン 編集:マイケル・カーン 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ダン・エイクロイド、ネッド・ビーティ、ジョン・ベルーシ、三船敏郎、クリストファー・リー、トリート・ウィリアムズ、ナンシー・アレン、ロバート・スタック、ティム・マシスン、ウォーレン・オーツ、ボビー・ディ・シッコ、マーレイ・ハミルトン、ロレイン・ゲイリー、ジョン・キャンディ、ミッキー・ローク、サミュエル・フラー

 ちょっと前の話になるが『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008)を観た。面白かった。『レイダース/失われたアーク』(1981)と変わらない面白さだった。27年を経てスピルバーグは変わらずに面白かった。そう、相も変わらずの面白さでしかなかったのだ。

 普通、30年近い時を経れば作風は代わり、同じシリーズを撮っても別物になるのが普通である。それが変わらぬ面白さというのは一種の異常である。スピルバーグはスピルバーグのままなのだ。
『激突!』(1971)で鮮烈にデビューして(アメリカではテレビ用映画だが)、『ジョーズ』(1975)で大ヒットを当てたこのスピルバーグという監督は娯楽面においてどこかで成長を止めてしまったのではないだろうか。それがこの『1941』だ。
 思いつく限りのギャグを放り込み、物資と資金をかけ、人員を使い作り上げた破壊とドタバタに満ちあふれた自信満々の一大エンターテインメントになるはずだった自信作が、興行面でも評価面でも惨敗しこの才能溢れた監督は悩みに悩んだのだろう「どこが悪かったのだろう」かと。
 そして次に送り出すのが『レイダース/失われたアーク』(1981)である。こちらは興行面でも評価面でも大成功を収めた。普通ならばこれで満足する。だが「これでいいのだろうか」とスピルバーグの迷走が始まる。
 娯楽映画だけをやっていて良いのだろうか。これでは監督として深みが持てないのではないだろうか。そんな思いで撮られたと考えられる『カラーパープル』『太陽の帝国』『シンドラーのリスト』『アミスタッド』などの作品群。
 どれも優れた作品であると思う。しかし、これらをスピルバーグが撮る必要がどれだけあったのか。もしもこれら文芸作に目を向けずにひたすら娯楽作を撮り続けていたらいったいどうなっていたか。いったいどんな『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008)を観ることが出来たのだろうか。とてつもない娯楽監督が登場するのを『1941』は阻止してしまったのではないだろうか。
 もし『1941』が成功していたらその後のスピルバーグがどんなスピルバーグになっていたかを考えると興味深い。年を重ね熟成し確実に別人になっていたはずだ。

B001FYZOG0.jpg『アナコンダ2』(2004) ANACONDAS: THE HUNT FOR THE BLOOD ORCHID 96分 アメリカ

監督:ドワイト・リトル 製作:ヴァーナ・ハラー 製作総指揮:ジャコバス・ローズ 原案:ハンス・バウアー、ジム・キャッシュ、ジャック・エップス・Jr 脚本:ジョン・クラフリン、ダニエル・ゼルマン、マイケル・マイナー、エド・ニューマイヤー オリジナル脚本:ハンス・バウアー、ジム・キャッシュ、ジャック・エップス・Jr 撮影:スティーヴン・F・ウィンドン 音楽:ネリダ・タイソン=チュウ
出演:ジョニー・メスナー、ケイディー・ストリックランド、マシュー・マースデン、 モリス・チェスナット、カール・ユーン、サリー・リチャードソン=ホイットフィールド、ユージン・バード、ニコラス・ゴンザレス、アンディ・アンダーソン

 ぶちゃけなんですが、前作はアマゾン河が舞台だったのでアナコンダで良いんですが、今回の舞台は東南アジアのボルネオ。ボルネオにはアナコンダはいません。でも、そんなこたぁどうでもいい。ボルネオに行ったらどでかい蛇がいたってことで。

 ある製薬会社が風邪から癌にまで効く万能薬の研究をしています。その材料としてボルネオで7年に一度だけ咲く“不死の蘭”の真っ赤な花びらが必要。この花びらの成分を摂取した細胞は分裂限界を超えていつまでも分裂を繰り返すのです。
 そしてちょうどその時、不死の蘭が咲く季節だということで研究班はボルネオに向かいます。そこに巨大アナコンダが待ち構えているとは知らずに。

 無意味に豪華キャストだった1と比べてほとんど無名のキャストばかりになっていますが、東南アジアでの大規模ロケは行われており、3、4の低予算っぷりと比べるとずっと金がかかっています。ボロ船ですけど滝から落として壊してますし。ここんとこなかなかの迫力シーン。
 水の中を登場人物が歩いているシーンを上からの俯瞰で捉えたショットで水の中を蛇がウネッと通りすぎていくシーンが怖い。
 蛇自体の出来は1作目よりもちょっと落ちますが、3、4作目よりずっといい。3、4にも一応不死の蘭が絡んでいるので、2?4は繋がっているんですね。1はストーリー的に独立しています。
 蛇との戦いも怖いですが、それ以上に不死の蘭に固執し仲間を裏で裏切ってまで手に入れようとするリーダーの存在が怖い。そんな信じるか信じないか、誰を信じられるか、誰が信じられないかの人間関係の怖ろしさを描いた作品です。命を取るか欲望を取るか、そして内部分裂していく様が安っぽいが面白い。
 でもね、そんな悪役男の気持ちも分からないではないんですよね。次のチャンスは7年後。その時まで不死の蘭が無事に残っているか分からない。これが手に入って商品化すれば人類にとって大いなる恩恵となるのは間違いないんですよ。単なるビジネスチャンスなだけじゃない。
 他のキャラクターもやたら口やかましい黒人やマッチョな黒人、年増な学者に蛮刀で大蛇の頭を切り落とす若手の美人学者などなど種類が揃っています。おしゃべりな黒人が「友人の友人がアマゾンに撮影取材に行ったら全員大蛇に食われて全滅した」というのは1作目のこと?
 たくましい船長は元特殊部隊の隊員です。でました特殊部隊の隊員。謎な人物はこういう過去を持たせておけば物語の展開上まず間違いはありません。なにかと便利です。どんな大活躍させても無理がありません。キッチンじゃ誰にも負けません。

 前作の原題は『ANACONDA』ですが今作は『ANACONDAS』。複数形です。『ALIEN』が『ALIENS』になったような物量攻撃を期待するじゃないですか。そうアナコンダは一匹じゃありません、最後には群れで出てきます。
 こいつら、不死の蘭を食っていやがるので止めどもなく成長してやたら巨大です。でも蛇が蘭なんか食うんでしょうか。落語に消化のために草を食べる蛇ってのは出てきましたけどねぇ。で、それを見た男が大食い大会の時にその草を食べたら溶けちゃった。人間を消化する草だったんですねぇ。まぁそれはどうでもいいんですけど。
 多いのは嬉しいんですが、案外弱いんですよこいつら。ナイフの一投げでやられたりしますから意外と情けないもんです。
 全体的には蛇との戦いは意外と目立たなくて、ジャングルの中でワーキャー騒いでいるジャングル冒険物でしょうか。船に乗って旅をしているシーンが多いのでジャングル・クルーズですかね。

B001RVA8YE.jpg『アナコンダ4』(2009) ANACONDA 4: TRAIL OF BLOOD 91分 アメリカ

監督:ドン・E・ファンルロイ 製作:アリソン・セメンザ 脚本:デヴィッド・C・オルソン 撮影:ドン・E・ファンルロイ 音楽:ピーター・マイスナー
出演:クリスタル・アレン、カリン・スタンチュー、リンデン・アシュビー、ダニー・ミッドウィンター、ジョン・リス=デイヴィス

 前作のラストで生まれたばかりの一匹の子蛇が持ち去られる。それを元に東欧の森の中で不死の蘭の研究をしていた研究者が一人。研究所と言っても普通の家に大道具を持ち込んだだけです。そもそも何故に東欧なんでしょうか。
 ところがこの研究者、開始早々に檻から逃げ出した蛇に丸呑みにされてしまいます。研究者から連絡がないことに怒った製薬会社の会長は、てっきり研究者が実験を完成させて他の企業に売りに行ったとばかりに思い込み殺し屋軍団を雇い入れます。本当はそんなことないのに、自分が悪いことをしてきているとそれを基準で考えてしまうんですね。
 一方その頃、前作のラストで生き残った女性研究者(クリスタル・アレン)は森に入った生き物や人が帰ってこないという噂を聞きつけその東欧の森にやって来ます。もちろん蛇の研究が行われていた森です。彼女の目的は不死の蘭と蛇を滅ぼすこと。これだけいれば映画は撮れそうですが、さらに発掘調査を行っていた学者の一団も含め、不死の蘭のエキスの奪い合いと蛇との戦い、そして人間同士の醜い戦いが始まります。

 登場人物の整理がついていないんで、誰が何をしたいのかさっぱり見えてこない。不死の蘭のエキスが欲しいのか、裏切り者を殺したいのか、この騒ぎから逃げたいのか、蘭と蛇を滅ぼしたいのか、なにがなにやら緊迫感の無いまま物語は進みます。人の位置関係もいい加減で、誰がどこにいるのか考えて撮ってるとは思えません。あと、肝心な物は必ず落とします。車の鍵とか通信機とか。まぁこの監督にそこら辺は期待しないとして、肝心の蛇の襲ってくるシーンがどうなっているか。
 アップ気味だった前作と比べてかなり引きの絵で撮っていて安っぽいCGでもそれほど気にならなくなっています。監督も撮影も同じというか両方兼務していますから急激に成長した感じはあります。成長してもこれですが。そこらの裏山で撮影したかのような映像にはある意味ほっとしますね。
 笑えるシーンとしては殺し屋軍団の一人が、蛇に襲われそうになって両手の手榴弾のピンを抜きどうせ食われるならば道連れだと気張るんですが、蛇は横を避けてきます。スルーです。で、男ドカーンと吹き飛びます。無駄死にです。哀れです。笑えます。
 今回のアナコンダは不死の蘭の力によって頭を切り落とされたぐらいでは再生してしまう力を持っています。それがスリルに繋がるかというと特にそういう事はない。なんか「ああそうなんだ」で終わり。せっかくの設定なんだからもっと活かしてくれよ。
 そしてアナコンダを爆破して「ふうやれやれ」。でも驚異的再生能力があるんだよね、安心していいの?あっ、道路をニョロニョロと横切っていくのは……というわけで『アナコンダ5』もあるのかもしれません。っていい加減にしなさい。

B001PNMYZ0.jpg『アナコンダ3』(2008) ANACONDA 3 91分 アメリカ

監督:ドン・E・ファンルロイ 製作:アリソン・セメンザ 脚本:ニコラス・デヴィッドフ、デヴィッド・C・オルソン 撮影:ドン・E・ファンルロイ 音楽:ピーター・マイスナー
出演:デヴィッド・ハッセルホフ、クリスタル・アレン、ジョン・リス=デイヴィス、アンソニー・グリーン、パトリック・レジス

 スネークハンターのボスがどこかで見た顔だなと思ったら『ナイトライダー』のマイケル・ナイトだった。ずいぶん昔のテレビシリーズだったはずだが意外と老けていない。いやそれはいいんだが。

『アナコンダ2』で登場した不死の薬となる蘭が登場する。この手の物は、一見続編っぽいタイトルだけ付けて実は関係ないってのが多いが、これは正式なシリーズの続編。
 製薬会社ウェクセル・ホールが蘭を手に入れ、人間を不老不死にする研究を続けているが、これがどうしてもアナコンダにしか効かない。そこでアナコンダの遺伝子を改良して雄雌二匹のスーパーアナコンダのつがいを作って日夜研究に励んでいる。
 ところが、出資者がガンで余命幾ばくもないため、研究を無理に急がせた結果強度不足となった飼育ルームからアナコンダが脱走し、近くの森に逃げ込んでしまう。
 問題としたくない会社は警察にも軍隊にも知らせずに猛獣狩りの専門家たちを集めて、アナコンダ捕獲に向かわせる。ヒロインの研究者はその専門家たちに同行する。

 どうやらテレビ用映画らしい。お金かかってませーん。お金がかかってないならないで工夫で見せてくれればいいのだがその工夫も少ないときたもんだ。
 これまでの大蛇物と比べて違うのは、遺伝子操作の過程で蛇の尾が異様に尖り得物を突き刺すことができるようになっていること。油断していると、グサッと胸を刺されて絶命する。
 アナコンダは得物に巻き付いて締め上げ逃げ出せないようにしてから飲み込むと思っていたのだが、この作品では巻き付くことなく倒れたところをそのまま頭から一気飲み。こちらの方がCGが楽なんだろうか。CGの動きの出来は並みだがアナコンダのデザインがダサかっこ悪い上に皮膚の質感がゴムっぽくてマイナス。やはり敵が凶悪でないと話しが締まらない。これでは単に大きな蛇だ。ちなみに山羊を食ったが不味かったようで吐きだしている。人間の味がお好みらしい。そうか蛇は味わって食っていたのか。噛まずに丸呑みだから味なんか関係ないと思っていたよ。海原雄山みたいなアナコンダもいるのかね。「店主を呼べ」
 味方はどんどんやられていく中で、ヒロインの研究者が「雌のアナコンダは妊娠しているの」と衝撃発言。そういうことは最初に言えよ。「この蛇の成長速度は速くしてあるから12時間でこの国は蛇で一杯になるわ」。『遊星からの物体X』よりも増加速度速いよ、この蛇。
 無駄に人間の頭が蛇に食われるや胴体真っ二つなどのスラッシャー描写でお茶を濁している感じ。ダラダラしているのをダラダラと観る。猛獣狩りの専門家という割には弱いなこいつら。
 この映画で一番怖ろしいことは「アナコンダ4」に続くという点だろうか。

B000MR9B3I.jpg『悪魔の追跡』(1975) RACE WITH THE DEVIL 89分 アメリカ

監督:ジャック・スターレット 製作:ウェス・ビショップ、ポール・マスランスキー 脚本:リー・フロスト、ウェス・ビショップ 撮影:ロバート・ジェサップ 音楽:レナード・ローゼンマン
出演:ピーター・フォンダ、ウォーレン・オーツ、R・G・アームストロング、ララ・パーカー、ロレッタ・スウィット

 悪魔崇拝で信者女性が生け贄となる光景を見てしまった二組の夫婦が、キャンピングカーで逃げ回るだけの話しがなんでこんなに面白いのだろうか。
 観始めると止まらない低予算のB級映画。

 共同でオートバイ工場を経営する年の離れた友人のウォーレン・オーツとピーター・フォンダはそれぞれの妻を連れて、ウォーレン・オーツが買ったばかりの新車のキャンピングカーでスキーへと旅に出る。
 1泊目の野営地で、ウォーレン・オーツとピーター・フォンダは川の向こうで黒いローブを着た連中が踊っているのを見つける。てっきり地元の変わり者の集団だと思っていたら、踊りの最高潮の所でヌードの女性を奇妙な格好をした男がナイフで刺し殺す。慌てて逃げ出すが、連中に追ってこられてリアウィンドウを割られてしまう。
 地元保安官事務所に行って事情を話し、現地へ行ってみるが保安官も保安官助手もヒッピーが犬でも殺したんだろうと真面目に取り合ってくれない。
 次の大きな街に行ったら警察に詳しい事情を話して、力になってもらおうと考えるが、悪魔崇拝者たちはあの手この手で彼らを妨害してくるのだった。

 妻たちが街の図書館で調べたところによると、儀式は古代アステカの儀式に似ているようだ。そのくせ、「秘密を守れ」といったメモに書かれているのはヨーロッパのルーン文字。悪魔崇拝者だからなんでもありなのか。このメモの通りに事件のことは忘れて日常生活に戻れば何事もなかったんだろうか。でも、それに従わないのが映画の登場人物の常だ。
 行く先々に悪魔崇拝者が一般人の顔をして潜んでいて、ついには相手が一般人なのか悪魔崇拝者なのか区別がつかなくなってくる恐怖。キャンプ場でピーター・フォンダの妻が飼っている犬が殺されたシーンで、騒ぎを聞きつけて近くでキャンプしている人が集まってくるがみな無表情。まるで彼らも悪魔崇拝者であるかのように描く。いや、ひょっとしたら本当にそうなのか?
 日本にもいろいろな宗教があるが、たとえば元オウム真理教みたいのを何かの間違いで敵に回してしまったらと考えると怖ろしい。オウムまでいかなくてももっと無害と思われていて普通にそこら辺に信者がいる宗教が、教祖の命令で動き出したらと思うと実にサスペンスフル。
 特にアメリカの田舎は閉鎖的でよそ者を受け付けないところがあったりするから、そんなところにある独自の宗教が蔓延していたら、この映画のような事件もあったりするのかも知れない。
 ペットの犬を殺したり、戸棚にガラガラヘビを入れておいたり、キャンピングカーの後ろに積んだオートバイを壊したり。そんなせこい手を使ったと思ったら本格的に殺しにかかってみたり。悪魔崇拝者の行動に一貫性がないが、やはり頭がおかしいんだろうか。
 ホラー映画だが流血シーンはほとんど登場せず、犬の死体が二匹分登場するだけなのも上手い。

 終盤はトラック三台を相手にしたカーチェイス。スポーツカーのカーチェイスはよく観るが、キャンピングカーのカーチェイスは珍しい。相手もトラックだしスピードは出ていないが、屋根の上によじ登るなどキャンピングカーならではの工夫が凝らされている。
 そして衝撃のラスト。これからどうなるんだろうと思わせたとことでぶった切られたように映画は終わる。

 昔はよく洋画劇場で放映されていたもの。DVDにはテレビ放映時の吹替音声が収録されていて、ウォーレン・オーツが羽佐間道夫。ピーター・フォンダが山田康夫となっている。二人とも最初はイメージ違うんじゃないのと思っていたが、聞いている内にベストキャスティングに思えてきた。山田康夫は時としてクリント・イーストウッドの吹替以上にあっていた。

B001O957PE.jpg『X-ファイル:真実を求めて』(2008) THE X-FILES: I WANT TO BELIEVE 105分 アメリカ

監督:クリス・カーター 製作:クリス・カーター、フランク・スポトニッツ 製作総指揮:ブレント・オコナー 脚本:クリス・カーター、フランク・スポトニッツ 撮影:ビル・ロー 編集:リチャード・ハリス 音楽:マーク・スノウ
出演:デヴィッド・ドゥカヴニー、ジリアン・アンダーソン、アマンダ・ピート、ビリー・コノリー、アルヴィン・“イグジビット”・ジョイナー、ミッチ・ピレッジ、カラム・キース・レニー、アダム・ゴドリー、アレックス・ディアカン、ニッキー・エイコックス

 地味だな?。TV版のファンから言わせるとUFOとかモンスターを扱いながらも基本的に地味なところがいいのかもしれないがせっかくの映画版ぐらい派手にやってくれても良いのに。
 女性FBI捜査官が行方不明になり、彼女のことを天からのビジョンで観たと言ってくる神父。神父が知らせる節減を掘ってみると一本の男性の腕が出てきた。神父は本当に神の啓示を受けているのか?しかし神父は小児性愛の罪で破門の身となっており罪を背負っていた。
 奇妙な事件なら奴らに任せておけとばかりにFBIを退職していたモルダーとスカリーが呼び戻される。スカリーは悲しみの聖母病院というキリスト教系の病院で医師として働いているが、モルダーは人里離れた一軒家で隠遁生活を送る世捨て人状態。FBI時代の給料もそれほど高くはなかったと思うがどうやって生計を立てているのだろうか。
 TVシリーズに関しては若干観た程度なのでファン向けのネタも仕込まれているのだろうが、モルダーがヒマワリの種を食ってるのと上に向かって放り投げた鉛筆を天井に刺していることぐらいしか分からない。
 まんまと神父の口車に乗るというか言うことをすっかり信じてしまうモルダーに対し、スカリーは聖職を取り戻すための手段だろうと冷たい眼差し。だが、ついに二人目の犠牲者が出て二人とも血液型がABRh-という珍しいものだったから臓器売買が浮かび上がる。だが、真実はさらに怖ろしいものだった。

 TV版で充分なストーリー。映画なのに前作『X-ファイル ザ・ムービー』(1998)の蜂の大群のような映像的見せ場もなく、冬の雪景色の閉塞感の中映画は進む。
 XファイルではなくFBI物として考えると、猟奇的な犯人と彼等に捕らえられた人質を追う捜査官達の様子が『羊たちの沈黙』を思わせなくもない。
「あきらめるな」と神父から言われたスカリーが自分が今担当している不治の病の少年に対する態度を問われているかのように感ずるシーンは秀逸。神父は自分がどんなつもりで言ったのか覚えていないが、スカリーはついに少ない可能性にかけて幹細胞治療を試みることを選択する。これは少年に地獄の苦しみを味合わせることになる治療法なのだ。「I WANT TO BELIEVE」はそんな神父の言葉を信じたいスカリーのセリフなのかも知れない。
「もう安らかに死なせてやって下さい」と言ってくる両親を説き伏せてまでスカリーは手術に挑む。

 シリーズが始まったのが1993年。さすがに二人とも老けた。ベッドシーンがあるがちょっと意外。二人は恋人関係ではないと思っていたのだが。

B000TDVOMQ.jpg『怒りの河』(1951) BEND OF THE RIVER 91分 アメリカ

監督:アンソニー・マン 製作:アーロン・ローゼンバーグ 原作:ビル・ガリック 脚本:ボーデン・チェイス 撮影:アーヴィング・グラスバーグ 音楽:ハンス・J・サルター
出演:ジェームズ・スチュワート、アーサー・ケネディ、ジュリア・アダムス、ロック・ハドソン、ロリ・ネルソン、ジェイ・C・フリッペン、ハリー・モーガン、ローヤル・ダーノ

 『ウィンチェスター銃'73』に続くアンソニー・マン&ジェームズ・スチュワートコンビによる西部劇。前作はモノクロだったが今作はテクニカラー。色鮮やかな色彩でスタジオシーンは少なく実際のロケでオレゴン州の光景をフィルムに収めている。
 荒野を走る幌馬車隊、インディアンとの深夜の戦い、にぎやかなポートランド、大きな河を走る蒸気船、開拓村が出来上がるまで、そして開拓村へと冬越え用の食料を山越えで運び始めてから繰り返される銃撃戦。これらの映像が一種の観光映画として繰り広げられるが、残念なのは4:3のスタンダードサイズだということだ。これがシネマスコープだったら、せめてビスタ・サイズだったらと思うともったいなくてしょうがない。

 西部劇とは言っても舞台となるオレゴン州はアメリカ北西部に位置するので一般的な樹木も茂り冬になると深い雪が降る。主人公のグリン(ジェームズ・スチュワート)はぶらりぶらりと色んな仕事を渡り歩いていて、今回は幌馬車隊を北上させ開拓団をオレゴン州にある開拓地へと案内警護人として連れて行っている最中だ。
 あるとき、一人で山に入ったグリンはある男(アーサー・ケネディ)が馬泥棒の罪で絞首刑になりそうになっているのを見つけなんの気まぐれか助けてしまう。男の名はエマーソンといいしばらくの間一行と旅を共にする。
 その後、ポートランドに着いた一行は次回の便で冬越え用の食料を届けてもらうように支払いを済ますと、蒸気船から陸路を使って開拓地へ。ところがそろそろ台所も乏しくなってきたのに約束したはずの食料が一向に届かない。それどころか、インディアンの矢で撃たれて治療のために置いてきた団長の娘の安否すら不明のままである。グリンと団長は馬でポートランドまでやって来ると街はすっかり様変わりして治安の悪い街となっていた。なんでも近くで金鉱が掘り当てられ、金目当てで人は集まってくるし物価は上がって大変な騒ぎのようだ。最初にあった時に有効的だった食料の売り主もすっかり金の亡者となって、値上がりした分の差額を払えと言ってくる。怒ったグリンは食料を蒸気船に積み込んで開拓地に向けて出発する。それを売り主は手下を使って馬で追いかけてくる。

『ウィンチェスター銃'73』のラストも岩山の上と下との銃撃戦だった。当然ながら高い位置を取った方が有利だ。この作品でも銃撃戦の多くは水平にではなく上下の撃ち合いになっている。一方的すぎて銃撃戦としては面白くないが、実用的な戦法だろう。
 作品のテーマは「一度罪を犯した者は許されることはないのか?」である。実はグリン自身昔は略奪団の一員として鳴らし首元をいつも覆っているスカーフは縛り首になりかけた傷を隠すためだったのだ。馬泥棒を助けたのもそこに昔の自分の姿を見たからであって単なる気まぐれではなかったのだ。そんなグリンが奇妙な友情を抱いていたエマーソンに裏切られ食料を奪い奪われの戦いになる。エマーソンも元は別の略奪団の一味だった。同じような過去を持つ二人に違いはあるのか。それは薄っぺらく思えるかも知れないがいかにして悔い改めたかということではないだろうか。
 団長が樽にリンゴを入れながら「腐ったリンゴは他のリンゴに悪さをする。捨てるしかない」。それに対しグリンは「人間はリンゴとは違う」。
 なんかどこかのオレが大嫌いな教師ドラマがまんまパクっていたのに気がついた。元ネタはこれか、けっ金八め。あの人らは恥ずかしくないのだろうか。腐ってるのはあんたらだ。
 それはさておき、「ミシシッピにいれば良かった」が口癖の蒸気船の船長や、一人だけメイクが違う二枚目ハンサムでしかも早撃ちなギャンブラーのロック・ハドソンなどなど個性的な面々が脇を支える。『ウィンチェスター銃'73』では見つけられなかったロック・ハドソンだが今度は見つけられた。というか誰でも簡単なんだが。下積みの脇キャラから主要キャラに一気にレベルアップ。
 ヒロインのジュリア・アダムスが女装したニコラス・ケイジに見えてしまうことは忘れてしまおう。

B000TDVOM6.jpg『ウィンチェスター銃'73』(1950) WINCHESTER '73 93分 アメリカ

監督:アンソニー・マン 原作:スチュアート・N・レイク 脚本:ロバート・L・リチャーズ、ボーデン・チェイス 撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ 音楽:ジョセフ・ガーシェンソン
出演:ジェームズ・スチュワート、シェリー・ウィンタース、ステファン・マクナリー、ダン・デュリエ、チャールズ・ドレイク、ミラード・ミッチェル、ジョン・マッキンタイア、ウィル・ギア、ジェイ・C・フリッペン、ロック・ハドソン、トニー・カーティス

 おっかしーなー?カラーだと思ってたんだけどモノクロだった。でも昔観た時は……で調べてみると1967年にカラー作品としてリメイクされているのな。こちらを観て勘違いしていたのかも知れない。
 タイトルのウィンチェスター銃'73とは名銃として知られるM1873のこと。ウィンチェスター銃に関する73年の物語ではない。あえて訳すならば『1873年式ウィンチェスター銃』になるのかもしれない。ウィンチェスター銃については前にちょっと書いているのでそちらを参照してもらいたい。西部劇でライフルといえばウィンチェスター。ウィンチェスターといえば西部劇ってなぐらいなもんだ。
 この映画の主人公はリン(ジェームズ・スチュワート)だがそれと同時にウィンチェスターでもある。

 西部のダッジ・シティにリンと相棒がやってくる。街は独立100周年のお祭りで盛り上がっている。二人はそこでかの名高いワイアット・アープ保安官と出会い、射撃大会に出場する。商品は一丁のライフル。なんだせこいな、なんてことを言っちゃいけない。そのライフルウィンチェスター銃'73は何万丁も大量生産される中に奇跡的に部品が組み合わさって生まれる抜群の精度を誇る“千丁に一丁の銃”なのだ。大会を勝ち抜いたリンはダッチという男と対決することになる。どうも、リンはこのダッチを狙って旅を続けてきたようなのだ。
 大会はリンが見事な射撃の腕で優勝しウィンチェスター銃'73を手にする。しかし、部屋に戻ったところをダッチと仲間達に襲われライフルを奪われてしまう。こうしてライフルを巡る物語が始まったのだ。

 このライフルを持つ者は次々と死んでいく。ライフルに魅せられた者たちが前の所有者を殺して奪っていくのだが、まるで呪いのライフルのようだ。ダッチからポーカーでせしめたインディアン相手の武器商人はインディアンに殺され、インディアンのチーフはリン達を巻き込んだ騎兵隊との戦いで死ぬ。そこで騎兵隊の軍曹からライフルをもらった男は悪漢ウェイコに殺され、そしてついにはダッチの元へと帰ってくる。
 映画の視点は基本的に銃のあるところが中心で、中盤はジェームズ・スチュワートの出番は意外に少ない。銃という物を中心にして様々な人を登場させ話しを紡いでいくやりかたは確かに面白い。

 騎兵隊対インディアンの戦いや、ラストの岩山でのリンとダッチとの銃撃戦などなかなか派手で、モノクロといえど迫力がある。インディアンとの戦い、そう。今はネイティブ・アメリカンと言わなきゃいけないらしい。現代劇ではオレもそっちを使うが西部劇ではあくまでもインディアン。
 そしてその岩山で二人の関係が明らかになる。単なる仇討ちかと思いきや。ここで序盤からのリンがダッチを追い続けてきたことの意味が分かる。リンの表情が常に重苦しかった理由も。主人公の行動理由の意味が最初は明らかにされずに進めるアンソニー・マンの手腕の見事さ。
 酒場女を演じたシェリー・ウィンタースはもうけ役。若き日のロック・ハドソンやトニー・カーティスも出ているようだがどこのだれやら。二人とも二枚目だけに脇に回ると個性がないよね。騎兵隊の隊員だと思うんだが。

B001WBXLYS.jpg『AVP2 エイリアンズVS. プレデター』(2007) ALIENS VS. PREDATOR: REQUIEM 94分 アメリカ

監督:コリン・ストラウス、グレッグ・ストラウス 製作:ジョン・デイヴィス、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル 製作総指揮:ポール・ディーソン 脚本:シェーン・サレルノ 撮影:ダニエル・C・パール 編集:ダン・ジマーマン 音楽:ブライアン・タイラー
出演:スティーヴン・パスクール、レイコ・エイルスワース、ジョン・オーティス、ジョニー・ルイス、アリエル・ゲイド、クリステン・ヘイガー、サム・トラメル、ロバート・ジョイ

 とにかく画面が暗い。子の手のモンスター物ではあえて画面を暗くしてはっきり見せない手段があるが、それにしても暗すぎる。エイリアンの集団と1体のプレデターが戦うのだが何をやっているのかよく見えない。これはさすがに計算ミスかDVDマスターの調整を間違ったんじゃないの。

 前作のラストで生まれたプレデターの遺伝子を組み込んだエイリアン=プレデリアンが宇宙船でプレデター達を惨殺し、宇宙船はアメリカの森へ落ちる。研究用だろうか積んであったフェイスハガーが逃げ出し人間に取り付きエイリアンを何匹も産み出す。しかもプレデリアンは卵を使わずに直接人間にチェストバスターを植え付けることが出来るのだ。
 田舎町は大混乱に陥り、応援に駆けつけた州軍もあっと言う間にエイリアンの餌食になってしまう。そんな中、事態に気づいたプレデターが1体、エイリアン退治に地球を訪れ戦いを始める。生き残るのは人類か、プレデターか、それともエイリアンなのだろうか。
 前作は『プレデター3』といった趣だったが、今回はプレデターは1体と少なく、わやわやと大量に出てくるエイリアンが主役な感じだ。人間は相変わらず脇役で、ひたすら逃げて終盤になってようやく手持ちの武器で戦う。
 エイリアンはやはり密閉空間においてこそその恐怖が栄えるなと改めて思う。町という解放空間に解き放たれたエイリアンはどこから襲ってくるかというドキドキ感に欠ける。それでもどんどん増えていき収拾が付かなくなる恐怖は描かれている。
 プレデタリアンは思ったほど活躍してくれなくて、妊婦のシーンを除けば普通のエイリアンと大差ない。エイリアンの肉体とプレデターの頭脳を持ってるんじゃないのか?ラストのプレデターとの一騎打ちはアメリカ陸軍の介入で尻切れトンボに。せめてきっちり決着を付けて欲しかった。
 エイリアンの死体やエイリアンにやられた人間の死体にいちいち謎の液をかけて溶かして証拠隠滅するプレデターがちょっとおかしくはある。一応そういったことも気にしてるのね。
 子供や妊婦がチェストバスターの餌食になるのでグロ度は高め。
 プレデターにあまり魅力がないのは残念。前作よりは人間ドラマを盛り込んだのは、ほとんど役に立っていないとは言え正解かと。

B001TIKGII.jpg『エイリアン VS. プレデター』 (2004) ALIEN VS. PREDATOR アメリカ 100分 2004/01/30鑑賞

監督:ポール・W・S・アンダーソン 製作:ジョン・デイヴィス、ウォルター・ヒル、ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ティエリー・ポトク 製作総指揮:ウィック・ゴッドフレイ、トーマス・M・ハメル、マイク・リチャードソン クリーチャー原案:ダン・オバノン、ロナルド・シャセット、ジム・トーマス、ジョン・トーマス 原案:ポール・W・S・アンダーソン、ダン・オバノン、ロナルド・シャセット 脚本:ポール・W・S・アンダーソン 撮影:デヴィッド・ジョンソン、キース・パートリッジ 音楽:ハラルド・クローサー VFXスーパーバイザー:ジョン・ブルーノ
出演:サナ・レイサン、ラウル・ボヴァ、ランス・ヘンリクセン、ユエン・ブレムナー、コリン・サーモン

監視衛星が南極に謎のピラミッドを発見する。巨大企業の社長ビショップ(ランス・ヘンリクセン)が科学者や冒険家を集めてチームを結成し、自ら同行の上調査に向かう。しかしそのピラミッドはエイリアンの養殖場で100年に一度プレデターたちがエイリアン狩りをしにやってくる狩り場でもあったのだ。そして、調査隊が到着したのはちょうどその100年目の日だった。エイリアンとプレデターという宇宙レベルの怪物の戦いに巻き込まれた人間たちには、為す術も生き残る見込みもなかった・・・

『エイリアン』と『プレデター』が夢の対決を果たすという今作は、企画段階で大いにもめ脚本のリテイクだ監督の再選考だとなかなか撮影に入らなかった。その手の経緯がある作品は往々にして駄作だったりするので、かなり用心しながら映画館に向かった。
案の定というか、前半はダレていて面白くない。ビショップが専門家を集めるところなどはいくらでも面白く撮れるシーンなのだが、集められた各専門家に個性と魅力が乏しくてヒロインの女性冒険家とビショップを除くと区別が付かず記憶にも残らない。実際、彼らに活躍の場は与えられず、単なるエイリアンからの“やられ要員”にすぎない。何かに付け記念だと言ってデジタルカメラで撮影している技術者がいるが、そのデジカメや撮った写真がストーリー上意味を成すこともなく、どうやら単にキャラクター付けということらしい。これも活用する方法はあるわけで、ちょっともったいない。ビショップもせっかく出てきたのにあまり意味がないまま画面から去っていってしまう。
こりゃあ失敗かなと映画を観る力指数を下げてきたころでピラミッドに侵入したプレデターがようやくエイリアンと遭遇。さっそく始まる戦いでこちらの力指数も一気にあがる。『プレデター1、2』に登場したプレデターならば通常タイプの雑魚エイリアンなど物の数でもないのだが、どうやら今作に登場するプレデターたちはまだ一人での狩りを許されない若者たちらしい。縮尺式の槍や手裏剣ブーメランの扱いにも若干のつたなさが感じられ、エイリアンの勝負もかろうじて優勢といったところ。この問答無用の無茶な戦い振りが単純に楽しく、そのままラストのクィーンエイリアンとの対決へと突入していく。
さすがにクィーンエイリアンは雑魚エイリアンと比べて大きさからして巨大で強い。それに立ち向かうはそれぞれ最後の一人となったプレデターとヒロイン。クィーンエイリアンを倒さねば人類に未来はない。
だがしかし、エイリアン=悪者、プレデター=良い者という構図はどうなのだろう。地球にエイリアンを持ち込み繁殖させていたという発端を考えるとプレデターのご先祖様が一番の悪者だという気がする。狩りをしたけりゃ自分の星ですればいいだろうに。
観終わった印象としては『プレデター3』にエイリアンが特別出演として参加しているといった感じ。人間はプレデターとエイリアンの仲介役でしかないが、人間が登場せずにいきなりプレデターとエイリアンが戦っていたらストーリーだったら映画としてまとめるのは難しいだろう。つまり『ウルトラファイト』はどうしたって『ウルトラマン』シリーズ本編にはなれないといったところか。

B001EI5M0K.jpg『エイリアン4』(1997) ALIEN: RESURRECTION 107分/完全版117分 アメリカ

監督:ジャン=ピエール・ジュネ 製作:ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル、ビル・バダラート 脚本:ジョス・ウェドン 撮影:ダリウス・コンジ 音楽:ジョン・フリッゼル
出演:シガーニー・ウィーヴァー、ウィノナ・ライダー、ロン・パールマン、ダン・ヘダヤ、J・E・フリーマン、ブラッド・ドゥーリフ、マイケル・ウィンコット、ドミニク・ピノン、ゲイリー・ドゥーダン、レイモンド・クルツ、リーランド・オーサー、キム・フラワーズ

 オレが観たDVDは『エイリアン4完全版』というディスク。こいつには劇場公開版と完全版の2種類が収録されている。
 やっぱ完全版だよなと再生を始めると、いきなりジャン=ピエール・ジュネが出てきて「この完全版はいわゆるディレクターズ・カットじゃないんだよ。僕にとってのディレクターズ・カットは劇場公開版だからね。これは別のストーリー展開や別のラストのアイディアがあったのでそれを楽しんでもらおうと作ったものさ」と言う。
 うんうんとオレは強くうなずく。劇場公開版が一番メインだというのが当たり前。そうでなければ最初に映画館に行ったお客さんをバカにしたことになる。ピーター・ジャクソンの『ロード・オブ・ザ・リング』みたいにディレクターズ・カットが長すぎて劇場公開版はカットされて短縮されてしまったなどの正当な理由がない限り、やれディレクターズ・カット版だ最終版だといくつもバージョンがある方がおかしい。リドリー・スコット、お前の『ブレードランナー』のことだぞ。ちょこちょこ細かいとこ変えて何バージョンも作りやがって。男なら最初に作ったので完成として認めて細かいミスや設定の変更があったとしてもそれはそれで良いじゃないか。どこで筆を置くかも画家の才能の一つと言うぞ。

 前作から200年。リプリーは溶鉱炉に落ちて死んだが、その前に医務室で採血を受けていた。その血を元に太陽系軌道上の宇宙ステーションで研究が進められ、リプリーのクローンが作られた。どうもよく理屈が分からないのだが、リプリーのクローンにはもれなくチェストバスターが付いてくる。3の設定だとエイリアンは寄生主のDNAに干渉するようだから、リプリーの血液にはエイリアンのDNAも含まれていたと言うことだろうか。
 そしてついにリプリー完全体が作られ、その胸から手術で取り出されたのはクイーンエイリアンのチェストバスター。こいつを育ててエイリアンを量産し兵器として使おうというのだ。まったくこりない。
 そして一隻の海賊船もどきの宇宙船が入港してくる。その積み荷には重大なひみつがあった。

 今回はアクションアドベンチャー映画。仲間を連れて襲い来るエイリアンと戦いながら宇宙船を目指す。廊下をBボタンダッシュでAボタンでジャンプ、次の面は水中を泳ぎ、梯子を登るテレビゲーム感覚。
 先ほども言ったが前作から200年後が舞台でこの時代には企業という物はなくなって政府が全てを取り仕切っているようだ。それにしても、クローンを作るのに200年はかかりすぎだろ。そこまでエイリアンに固執しなくてもいいだろうに。
 キャラクターも立っていて、まだまともだったころのウィノナ・ライダーはお目々ぱっちりで背伸びしたい年頃のやんちゃな船乗り役がやっぱり可愛かったり、ジュネとは関わりの深いロン・パールマンとドミニク・ピノンにいたってはキャラクター設定以前にそこにいるだけで人目を引く。反則だ。
 ニヒルな悪党船長があっと言う間に死んでしまったのは残念だが、それと入れ替わりにリプリー登場。エイリアンのDNAが作用して血液は強酸性で運動神経抜群のスーパーリプリーだ。さすがにこれは無理があると思うが生前の記憶まで受け継いでいる。DNAじゃ説明付かないだろ。実は後でリプリーシスターズも出てくる。やたらグロいが。やっぱジュネはこうでないとね。『アメリ』とか『ロング・エンゲージメント』も面白いと思うが、グロテスクでいて妙に明るい不思議な世界観がジュネの魅力だと思うわけだ。『デリカテッセン』とか『ロスト・チルドレン』、そしてこの『エイリアン4』なんかね。まぁ、ジュネ自身は『エイリアン4』でハリウッドには懲りたらしいけど。
 船乗り達はステーションに乗り込むにもこっそり武器を隠し持っていたりと海賊スレスレ。というか海賊か?車椅子のパーツを抜き取っていって二連式ショットガンを組みたてるシーンなんか最高。口の中にカメラが入っていってチェストバスターに1カットでたどり着くシーンはもっと最高。
 先回は四つ足で走るエイリアンだったが今度は泳ぐエイリアンが登場。あいつら宇宙生物のクセして泳ぐの上手いんだ。どんな環境にも適応するところが生物兵器として見込まれる所以なのかね。檻から脱走する時も、一匹を犠牲にしてその大量の血で床を溶かして穴を開ける。防酸処理ぐらいしとけって思うけど、そこら辺科学者は抜けてるんだよな。
 人間とエイリアンの遺伝子が混ざって生まれたエイリアン+ヒューマン=エイリマンのかっこ悪さは致命的。リプリーを相手のマザコンで死に方も情けないからあのかっこ悪さで合ってるんだろうが、それにしてもハイブリッド生命体として生まれておいてあの悲しいラスト。たった1気圧の差であそこまでグチョグチョの液化状態になってしまうとは肉体・骨格ともかなり軟弱だったんじゃないかと。

 劇場公開版と完全版ではストーリー的には大きな差はないんだが、エイリアン?と思ったら虫でその虫を男が指で潰してベチョっとガラスに貼り付き、そこからカメラが引いていくと宇宙ステーションだったという完全版のオープニングはいかにもジュネっぽい。
 ラストも地球の大空までやってくる(帰ってくるじゃない。クローンリプリーなので地球は初めて)劇場公開版と荒れ果てた大地に降りる完全版と違いがある。
 好みとしてはオープニングは完全版、ラストは劇場公開版かな。『エイリアンVSプレデター』路線に行ってしまったし、11年も経ってリプリーも年だからさすがに5はないよな。

B001EI5M0U.jpg『エイリアン3』(1992) ALIEN3 115分/完全版145分 アメリカ

監督:デヴィッド・フィンチャー 製作:ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル 製作総指揮:エズラ・スワードロウ 原案:ヴィンセント・ウォード 脚本:デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル、ラリー・ファーガソン 撮影:アレックス・トムソン 特撮:リチャード・エドランド 編集:テリー・ローリングス 音楽:エリオット・ゴールデンサール
出演:シガーニー・ウィーヴァー、チャールズ・S・ダットン、チャールズ・ダンス、ポール・マッギャン、ブライアン・グローヴァー、ラルフ・ブラウン、ランス・ヘンリクセン、ダニエル・エドモンド、ピート・ポスルスウェイト

 1がホラー映画で2が戦争映画。そしてこの3は宗教映画である。
 作中に散りばめられた宗教的意匠の数々からしてどうだろう。荒れ果てた惑星の鉱物基地で働く囚人達はキリスト教にはまっていてそこに修道士の姿を見出すのは難しいことではないだろう。リプリーは「ここには毛ジラミがいるから」と頭を丸めてしまう。お前は瀬戸内寂聴か。キリスト教の修道女は頭を丸めないと思うが、宗教的意味合いを持たせているのは間違いないだろう。単なる思いつきで主演女優を丸刈りにしない。
 オレが久々に観たのは劇場版よりも30分長い完全版。劇場公開版ではフェイスハガーにやられるのは囚人のペットの犬だったが、完全版では牛になっている。またエイリアンに新設定が加わって、宿主にした生物のDNAを取り込むようになっているらしい。そのため、これまでのエイリアンは人間型だったが今回は四つ足歩行の獣型となっている。エイリアンの動きは犬から生まれた設定のままなので素早いが、牛から生まれたのならばもっとのそっとしてそうなものだが、怖くないなぁそんなエイリアン。
 なんでも製作がかなりトラブったそうで、脚本はリテイクが続くわ監督は決まらないわで大変だったらしい。最終的にはコマーシャルやミュージック・ビデオを撮っていたデヴィッド・フィンチャーの監督デビュー作となった。かなりの意気込みで挑んだようで、映像面での冒険から言えばシリーズ1だろう。壁や天井を自由に移動しながら追ってくるエイリアン視点や基地の美術など元々はILMのSFXマンだった経験を存分に活かしている。

 ただ、シリーズ中1番人気がないんじゃ無かろうかというのも確かで、『エイリアン2』であれだけ苦労して助けたニュートが映画の冒頭で死ぬ。ついでにヒックス伍長も死ぬ。ビショップなんかゴミ捨て場だ。単純に続編としたくなかったのと新しくやりたいことがあったゆえの決断なんだろうがこりゃあんまりだ。
 おまけにリプリーまでエイリアンに寄生されている。胸の辺りでちゃくちゃくと成長中でいずれは胸を突き破って出てくるのを待つだけだ。これまでの登場人物だと寄生されるとせいぜい30分ぐらいでエイリアンが出てきたのだが、リプリーの場合だけ延々長い。これは主人公だからかと思ったが、どうやら寄生しているのがクィーンだからのようだ。兵隊エイリアンと違ってクィーンエイリアンはじっくり育つのだ。

 そして物語のラスト。
 リプリーはクィーンを体内に抱いたまま自ら溶鉱炉に飛び込んでいく。
 その時のポーズは背中を下に両手を左右に広げて、まるで十字架に掛けられたイエス・キリストの姿のようではないか。そう、イエス・キリストが人間の罪を一身に背負って磔になったように、リプリーもクィーンエイリアンを背負ったまま死ぬことで人類を救ったのだ。
 完全版だとリプリーは炎に包まれて消えるが、劇場公開版では落下中に胸からクィーンエイリアンが出てきてそれを抱きかかえるようにして溶鉱炉に落ちて燃え尽きた。自らの子でもあったのか?
 そう考えていくと、エイリアンは人類にとっての原罪の一つなのだ。権力者達は常にそれを欲し、下の物はその犠牲になる。それが永遠に繰り返されていくのかも知れない。

B001EI5M00.jpg『エイリアン』(1979) エイリアン ALIEN 118分/ディレクターズ・カット116分 アメリカ

監督:リドリー・スコット 製作:ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル 製作総指揮:ロナルド・シャセット 原案:ダン・オバノン、ロナルド・シャセット 脚本:ダン・オバノン 撮影:デレク・ヴァンリント 特殊効果:カルロ・ランバルディ 編集:テリー・ローリングス、ピーター・ウェザリー 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:シガーニー・ウィーヴァー、トム・スケリット、ジョン・ハート、ヤフェット・コットー、ハリー・ディーン・スタントン、ヴェロニカ・カートライト、イアン・ホルム

「今、まんじゅうを買うとアンコの中に塗り絵が入っている。これがほんとの絵入り餡」
 なんていうギャグが江口寿史の『すすめ!!パイレーツ』であったのよ。これがオレと『エイリアン』の最初の出会いだな。
 当時はガチガチのSF原理主義者だったので「なんだSFのふりしてホラーじゃねーか」観に行かなかったのだ。今でもそう思うね、さすがにSFじゃないとまでは思わなくなったけど、分類としてはSFよりもホラーだな。それも屋敷系のホラー。呪われた屋敷に閉じこめられて吸血鬼なり殺人鬼なりに一人また一人と殺されていくタイプ。館が宇宙船になって殺人鬼がエイリアンになった以外、大差はない。
 その手の物語だと、一人になるなっつーのに登場人物は好んでそんな状況になりたがる。そして案の定殺される。君ら学習しろよ、ちゃんとホラー映画を観ておけよといつも思う。ハリー・ディーン・スタントンに一人で猫を探しに行かせるなよ。というかあの状況で猫のことなんかどうでもいいじゃん。ほっとけよ。
 エイリアンのフェイスハガーは蟹風な外見。食べたら案外おいしかったりしてな。イアン・ホルムが死んだフェイスハガーを調べるところではホタテの貝柱状の物も見えて魚介類系で美味そう。おっ、この触手のところが酸味が利いてますな、なんつって。蟹ミソならぬフェイスハガーミソがおつだったりして。
 そして胸を突き破って出てくる幼生体のチェストバスター。顔に貼り付くからフェイスハガーとか胸を突き破るからチェストバスターとかそのまんまな名前だ。1?4までの作中で使われた記憶はないから公式設定名なのかも分からん。ファンが勝手に呼んでるだけかも知れない。そのチェストバスターに胸を突き破られるのがジョン・ハート。『スペースボール』(1987)では「またかよ?」とパロディやってました。『エレファントマン』(1980)でエレファントマンを演じた名優なんだが未だにエイリアンのイメージが強い。
 それにしてもジョン・ハートも若い。イアン・ホルムも若い・ハリー・ディーン・スタントンなんてもっと若い。そんな中、一人あまり変わっていないのがリプリーことシガニー・ウィーヴァー。あんたが人造人間なんじゃないか?
 この作品では戦う人間側もただの船乗りという素人だし、武器も電撃棒や火炎放射器ぐらいの粗末なもの。そんな彼等が宇宙船のダクトを自在に這い回りどこからともなく襲いかかってくるから怖いんで、やっぱ『エイリアン2』は別物だよな。
 エイリアンをゴキブリに例えている人がいたが納得。夜の台所に入って電気を付けたらエイリアンが壁を張っていたら数秒間は動きが止まるわな。その隙にやられてしまう。宇宙船にはエイリアンホイホイが必須だ。かかってジタバタもがいているエイリアンをホイホイごと宇宙へぽいっ。後にエイリアンのスペースデブリが問題になるとは誰も知らないのであった。

 それにしても、猫ぐらいの大きさのチェストバスターから一回脱皮状態のエイリアンにハリー・ディーン・スタントンは出くわすわけだが、この時すでに人間大の大きさ。何を食って大きくなったんだ?ひょっとして中味の大半は空気で外殻だけデカいのか?セミみたいなもんか?これについては昔から疑問でならない。誰か答えを教えてくれ。

 食事をしているシーンが2度ほど登場するが、シリアルっぽい物やベチョベチョのパスタっぽいものなどやたらメシが不味そう。オレだったら思いっきり仕事のモチベーション下がるね。今の宇宙飛行士だってもっと良いもの食べてるぞ。
 船長や航海士などの肉体労働者と機関士達肉体労働者の間にはヒエラルキーがはっきりと区別されているようで、上の者には絶対服従。油断すると命を落としかねないのは地球の海も宇宙の海も同じなのかも知れない。でも機関士達の意見に従っておけば悲劇は起きなかったという矛盾。

B001EI5LZG.jpg『エイリアン2』(1986) ALIENS 137分/完全版 154分 アメリカ

監督:ジェームズ・キャメロン 製作:ゲイル・アン・ハード 製作総指揮:ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル 脚本:ジェームズ・キャメロン 撮影:エイドリアン・ビドル 特撮:スタン・ウィンストン デザイン:シド・ミード 編集:レイ・ラヴジョイ 音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:シガーニー・ウィーヴァー、マイケル・ビーン、キャリー・ヘン、ランス・ヘンリクセン、ポール・ライザー、ジャネット・ゴールドスタイン、ビル・パクストン、ウィリアム・ホープ、アル・マシューズ

 前作のラストから57年。リプリーの乗った難破船はようやくと発見される。ずっと冷凍睡眠状態だったはずなのに何故か老けているリプリー。
 会社からは船を不当に爆破したと罪を着せられ、貨物運搬係で生活をしのいでいるリプリーの元に連絡が入る。
 リプリー達がエイリアンの卵を発見した惑星からの連絡が途絶えたと。

 なにが燃えるったって終盤の展開の怒濤っぷりだ。
 同じジェームズ・キャメロン監督作『ターミネーター』でも終わったかなと思ってまだ終わらずに追ってくるというシチュエーションだったが、今回はさらに磨きがかかっている。いつになったら終わるか油断できないドッキリハウス状態だ。
 完全版ではリプリーに娘がいて、冷凍睡眠中に死んでいたことが提示されており、リプリーのニュートに対する過剰な思い入れぶりの説明となっている。ちなみにニュートは仕事をしていないそうだ。そりゃニートか。リプリーが命がけでエイリアンからニートを守る映画もちょっと観てみたい。ちょっとだけだけどな。
 脚本も手がけたジェームズ・キャメロンの設定好きぶりがうかがえる。海兵隊の設定などは現在の海兵隊を取材してそれを発展させて作り出したものだろうし、近未来武器の数々についての過剰な書き込みぶりは見事。レーザー銃ではなく10ミリ徹甲弾弾を利用していたり、センサーで動作するセントリー銃などこういう設定を考えるのが楽しくて仕方ないのだろう。
 中でも、『エイリアン』では甲殻類的イメージだったエイリアンをクイーンを長とする昆虫社会としてしまった点は秀逸だろう。昆虫と人間とでは意思の疎通は不可能にしか思えずまったく異質の存在だ。そのエイリアンが昆虫ならではの言葉も交わさないのに一糸乱れぬ攻撃を仕掛けてくるところなど実に怖ろしい。
 そしてSF映画におけるロボット登場シーンの屈指とも言えるパワーローダーが姿を現す。ズシンズシン、ウィーンウィーン、グルグル。

 後半のリプリーはニュートの件があるとは言え、あまりにも強くなりすぎ。訓練も受けたわけでもないのに、短時間のトレーニングで見事に武器を使いこなす。ひょっとしたら生まれつきの戦士なのか?
 最初の戦闘で海兵隊員の半数近くが死ぬが、ビデオカメラ越しの映像+暗い映像で誰が死んだか分かりにくいのもマイナス。
 そもそも軌道上に浮かぶ母艦を無人にはしないんじゃないだろうか。そうしなければ盛り上がらないんだけれど。
 1作目であれだけ無敵だったエイリアンが銃器で簡単に殺されてしまうのは異論もあるだろうけど、1ではしょせん手作り武器があるだけで状況が違う。そもそも1はホラー映画で2は戦争映画。ん......するとエイリアンを生物兵器にしようという計画は穴がないか。恐れを知らず命令に実直だが意外と弱いぞあいつら。
 まぁ、一番怖いのはエイリアンじゃなく自己の利益のためなら平気で人を裏切る人間だったってことで。

B001JPSLWE.jpg『アイ・アム・レジェンド』(2007) I AM LEGEND 100分 アメリカ

監督:フランシス・ローレンス 製作:アキヴァ・ゴールズマン、ジェームズ・ラシター、デヴィッド・ハイマン、ニール・モリッツ 製作総指揮:マイケル・タドロス、アーウィン・ストフ、デイナ・ゴールドバーグ、ブルース・バーマン 原作:リチャード・マシスン 脚本:マーク・プロトセヴィッチ、アキヴァ・ゴールズマン 撮影:アンドリュー・レスニー 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:ウィル・スミス、アリシー・ブラガ、ダッシュ・ミホク、チャーリー・ターハン、サリー・リチャードソン、ウィロウ・スミス、ダレル・フォスター、エイプリル・グレイス、ジェームズ・マッコーリー

 前にも書いたことだがオレは自己犠牲ってラストが嫌いでねぇ。やるだけやって結果死んでしまうのは好きなんだけど。でもって、この作品があからさまに“自己犠牲”なわけですよ。爆弾持って特攻なわけですよ。『さらば宇宙戦艦ヤマト』か、お前はなわけですよ。

 今回は、ガンの特効薬として作られたワクチンが暴走し、人類を破滅させてしまった設定。三度の映画化の中でそれぞれパターンが違うのは興味深い。『オメガマン』では細菌兵器だったが、今回は医療における進みすぎてしまった遺伝子操作。それぞれ冷戦下や人間の手の触れてはいけない技術への警鐘となっている。
 今回も映像の目玉は無人と化したマンハッタン。『地球最後の男』では人の少ない日に時間をうかがいつつ撮りましたって感じだし、『地球最後の男 オメガマン』では休日に交通規制を引いて撮った。今作でも上記の手法+CGやミニチュアで無人の街並みを作り出している。大通りをカメラが鳥の視点でガーッと後ずさっていくシーンはあれミニチュアだよね?
 もしも街から誰もいなくなったら。これが病気のせいだと怖いが、ドラえもんのひみつ道具による物だったら案外楽しいかも知れない。大通りの真ん中で寝てみたり、お店の物は持っていき放題だし建物にも入り放題。車で街をぶっ飛ばしてみたりとやりたい放題だ。そんな放題状態なのが主人公のウィル・スミス。空母の甲板に駐められた偵察機ブラックバードの翼の上からゴルフの練習。でもつまんなそう。“独裁者スイッチ”状態だな。
『オメガマン』では映画館で映画を見ていたが、ウィル・スミスは自宅でDVDを観ている。レンタル屋から借りてきているようで、店員役のマネキンをレジに置いて「Dの棚の半分までいったよ」と話しかけている。店内には他にも常連客役のマネキンが何体もいる。やはり好き放題出来ることよりも孤独はつらいのだ。
 その孤独を慰めてくれるのがシェパード犬サム。愛娘が残してくれたパートナーだ。この犬の存在が前二作との大きな違いとなる。『地球最後の男』にも犬は出てきたがちょっとだけ。だからヴィンセント・プライスは始終モノローグを語ることで自らの心情を明かしていたし、チャールトン・ヘストンはあまり語らず何を考えているか今一つよく分からない。
 それらの点を補うのがサムの存在で、サムに話しかけることによってウィル・スミスが何を考え感じているのかを表現している。多少安易だが有効的な手法で、サムがいなければウィル・スミスの感じている孤独や苦悩はもっと伝わりにくかったろう。
 そのサムも生き残った感染者“ダークシーカー”の罠にかかったウィル・スミスを助けようとして感染犬に傷を負わされ感染してしまう。完全な孤独に陥ったウィル・スミス。
 ダークシーカーの姿は体毛が無いゾンビ風の風貌で描かれ、体力は人間離れをしておりジャンプ力もスゴイ。ただし光(紫外線)に極端に弱く、日中は隠れ家から表に出てこられない。科学者のウィル・スミスはワクチンを開発するために何体もダークシーカーを捕らえては実験材料として使っており、奴らには知能がない動物と同じ状態だと思っている。だがしかし……

 と、散り散りな知識が少しずつ集まってきて全体像が見えてきた辺りは良いんだが、ラストが安易な自己犠牲。でもって俺様は伝説になりましたとさ。

B0007TFBDK.jpg『英空軍のアメリカ人』(1941) A YANK IN THE R.A.F. 98分 アメリカ

監督:ヘンリー・キング 製作:ダリル・F・ザナック 脚本:カール・タンバーグ、ダリル・F・ザナック、ダレル・ウェア 撮影:レオン・シャムロイ 音楽:アルフレッド・ニューマン
出演:タイロン・パワー、ベティ・グレイブル、ジョン・サットン、レジナルド・ガーディナー、ドナルド・スチュアート、ラルフ・バード、リチャード・フレイザー

 第二次大戦当初、アメリカはまだ中立状態でドイツ軍と戦っているイギリスに直接爆撃機を輸出できなかったため、いったんカナダを経由させていた。そんな中、パイロットである主人公のタイロン・パワーは自ら爆撃機の操縦桿を握って大西洋を越え、そのままイギリス空軍入りしてしまう。かなり無茶というか考えなしの男なのだ。
 ロンドンでは空襲訓練が行われており、怪我人役の人が運び込まれる救護所を覗いたタイロン・パワーは、かつてアメリカで付き合っていた元恋人ベティ・グレイブルと一年ぶりに再会する。
 考えなしなんでいきなり熱いキスをするタイロン・パワー。ベティ・グレイブルも思わずそれを受け入れるが、唇が離れると、

「あんたなんかに会いたくなかった(んだからね)」

 今さらな単語だが、“ツンデレ”かよ。
 (んだからね)はオレが勝手に脳内補完したんだが、この女性はタイロン・パワーに内心デレデレなクセして、他の男性に「彼とは惰性で付き合っているの」と話して郊外にある彼の実家に泊まりに行ったり、タイロン・パワーと男性の背広に同じ花を挿したりとなかなか態度をはっきりさせない。正直、嫌な女じゃないかとも思うが、恋の駆け引きシーソーゲームってヤツなんだろう。サブタイトルは勢いで『空駆けるツンデレ娘』としてしまったけど、ベティ・グレイブルが軍用機の乗って飛ぶシーンはない。「嘘、大袈裟、紛らわしい」とJAROに電話しないでね。
 このロマンスが大きなパートを占めていて、戦争映画としてはちょっと物足りない。サーチライトで照らされる中ドイツ国内に厭戦ビラを投下したり、終盤には大量の敵味方が入り乱れての戦闘機による空中戦はあるが、『空軍大戦略』『633爆撃隊』などの空中戦を期待しないこと。
 登場する爆撃機は『633爆撃隊』のデハビランド・モスキートよりは大きく、銃座もあるが『メンフィス・ベル』のB-17と比べると遥かに小さい。ビジネスジェット機を二回りぐらい小さくしたぐらいだろうか。
 1941年という第二次大戦時に作られた映画なので戦争の悲惨さなどはほとんどなく、登場人物達も結構呑気に描かれている。製作のダリル・F・ザナックは『わが谷は緑なりき』(1941)などのジョン・フォード作品や『史上最大の作戦』(1962)などで知られる名プロデューサーだ。戦意高揚映画としての側面も大きいのだろう。それにしても同じ年にこの『英空軍のアメリカ人』と『わが谷は緑なりき』を製作してるのか。極端な人だな。
 原題の“YANK”はヤンキーのYANK。タイロン・パワーは確かにジョークを欠かさない陽気とタフぶりを兼ね備えている。『633爆撃隊』のクリフ・ロバートソンもタフだったが、あっちは強面な面構えだったのに対し、タイロン・パワーは二枚目。これじゃツンデレ彼女もデレデレになるか。

 製作年度が年度なんで日本未公開。映画スターであるタイロン・パワー主演作なのに戦後になっても公開されなかったが、この出来ならば仕方ないか。1941年製作、製作ダリル・F・ザナック、主演タイロン・パワーと揃った闘牛士映画『血と砂』(1941)は1952年になってから日本で公開されているがこちらはテクニカラー作品。モノクロでスタンダード画面の『英空軍のアメリカ人』とは力の入れ方が違ったのだろう。
『えいくうぐんのあめりかじん」か「いぎりすくうぐんのあめりかじん」と読むのか迷ったが、どちらにしてもア行なんで今回はすんなり。

be69054f.jpg『1408号室』(2007) 1408 104分 アメリカ

監督:ミカエル・ハフストローム 製作:ロレンツォ・ディボナヴェンチュラ 製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、リチャード・サパースタイン、ジェイク・マイヤーズ 原作:スティーヴン・キング 脚本:マット・グリーンバーグ、スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー 撮影:ブノワ・ドゥローム 編集:ピーター・ボイル 音楽:ガブリエル・ヤーレ
出演:ジョン・キューザック、サミュエル・L・ジャクソン、メアリー・マコーマック、トニー・シャルーブ、ジャスミン・ジェシカ・アンソニー

 遅れに遅れての公開。このままビデオダイレクトになるかと心配していた。
 主人公のマイク(ジョン・キューザック)は幽霊が出るというホテルなどに行っては体験記を書くオカルト作家。だが本人は幽霊など信じていない様子。
 そんな彼が、謎のハガキで幽霊が出るというドルフィン・ホテルの1408号室のことを知り、開かずの間となっているその部屋に泊まるため支配人(サミュエル・L・ジャクソン)を強引にねじ伏せて1408号室に一泊することが出来た。
 ごく平凡なホテルの部屋にしか見えない1408号室。だが、奇妙な出来事が少しずつ起こり始め、次第に大きくなっていく。

 8割方ジョン・キューザックの一人芝居のジョン映画。ショッキングで思わずビクッとするシーンはあるが、純文学を書いていた作家が何故オカルト作家に転向したか。オカルトを信じていないのに実は信じたがっている理由が心にじんときた。人は何故幽霊に興味を持つのか。それは死後の世界があると信じたいからなのだ。
 原作でマイクが使っているのはソニー製のマイクロテープレコーダーなのだが、MGM映画のためかサンヨー製品に変更されている。ライバルの映画会社関連の商品を使いたくなかったんだろうか。
 壁に掛けられた女性と子供の絵が途中でその様子を変え、楳図かずおのマンガに登場する「ヒーッ!」にそっくりな顔になる。怖いシーンだがつい笑ってしまった。
 幽霊の出る旅籠譚だった原作にさらに「深い愛情ゆえの喪失感」という要素を付け加えている。それが上手く成功しておりホラーが苦手な人にもお勧め。

ironman1.jpg『アイアンマン』(2008) IRON MAN 125分 アメリカ

監督:ジョン・ファヴロー 製作:アヴィ・アラッド、ケヴィン・フェイグ 製作総指揮:ジョン・ファヴロー、ルイス・デスポジート、ピーター・ビリングスリー、アリ・アラッド、スタン・リー、デヴィッド・メイゼル キャラクター創造:スタン・リー、ドン・ヘック、ラリー・リーバー、ジャック・カービー 脚本:マーク・ファーガス、ホーク・オストビー、アート・マーカム、マット・ハロウェイ 撮影:マシュー・リバティーク 視覚効果監修:ジョン・ネルソン 編集:ダン・レーベンタール 音楽:ラミン・ジャヴァディ
出演: ロバート・ダウニー・Jr、ジェフ・ブリッジス、テレンス・ハワード、グウィネス・パルトロー、ショーン・トーブ、レスリー・ビブ、ファラン・タヒール、スタン・リー、サミュエル・L・ジャクソン、ポール・ベタニー

 麻薬中毒でいわゆるヤク中となったため一度映画界から干され、復帰したなと思ったらまた麻薬に手を出して干