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B001P3POY8.jpg『ヤッターマン』(2008) 111分 日本 松竹/日活

監督:三池崇史 製作:堀越徹、馬場満 プロデューサー:千葉善紀、山本章、佐藤貴博 エグゼクティブプロデューサー:奥田誠治、由里敬三 製作総指揮:佐藤直樹、島田洋一 原作:竜の子プロダクション 脚本:十川誠志 メカ&キャラクターデザインリファイン:寺田克也 CGIディレクター:太田垣香織 CGIプロデューサー:坂美佐子 撮影:山本英夫 美術:林田裕至 編集:山下健治 音楽:山本正之、神保正明、藤原いくろう スタイリスト:伊賀大介
出演:櫻井翔、福田沙紀、生瀬勝久、ケンドーコバヤシ、岡本杏理、阿部サダヲ、深田恭子、斎藤歩、ムロツヨシ、松田俊政、三浦誠己、桃生亜希子、太田英明、水谷加奈、柳原哲也、平井善之、山寺宏一、小原乃梨子、たてかべ和也、笹川ひろし、声の出演:滝口順平、山寺宏一、たかはし智秋

 いきなりの渋谷壊滅。みつばちハッチの像が立つハッチ公前広場もボロボロである。そこで戦うわ我らがヤッターマンとドロンボー一味。激しい戦いの末、勝利を収めたヤッターマンたちの前に一人の少女が現れた。少女は4つに分かれたドクロストーンの1つを持っていた。

 1977年から78年にかけて放映された昭和のTVアニメ『ヤッターマン』が実写になって帰ってきた。当時9歳だったオレはもろにヤッターマン世代である。これは実に嬉しい映画化である。だが同時に不安も残る。変に改変してオリジナルの良さをなくしてしまうのではないか。これまでにも過去のアニメ作品の映画化があったが『新造人間キャシャーン』や『キューティーハニー』、とどめの『デビルマン』など目も当てられない作品が多かった。スチャラカでスカポンタンな内容がアメコミの映画化に影響されてヤッターマンが悩み苦しんだりするのではないか。だがそんな心配は不要だった。
『ヤッターマン』の全編を映画化しているのではない。終盤から最終回にかけてを映画化している。これが売れるのが見込めていたら三部作ぐらいで作ったのかも知れないが、三作あるとさすがに飽きそうなので今回のやり方で正解なのだと思う。
 簡単にこれまでのストーリーの説明があるが、本当に簡単になのでメインの観客はオリジナル版を観た人だろう。でないと細かいギャグや用語などでとまどってしまうかもしれない。いきなり「今週のビックリドッキリメカ発進」と言われても何が今週なのだか困ってしまうだろう。
 ストーリーやキャラクターは昭和アニメ版にかなり忠実。どうやらヤッターマンとドロンボー一味は毎週戦っているという設定のようだ。「スカポンタン」「ドクロベエだべえ」などの独特の用語やセリフ回しや3人乗り自転車も健在。ちなみにスカポンタンはアニメの脚本に"アンポンタン"となっていたのをドロンジョ役の小原乃梨子が子供に聞かせる言葉じゃないとアドリブで"スカポンタン"と言ったのがウケて定着したのだとか。「ブタもおだてりゃ木に登る」も出てきて満足満足。
 ただ、ヤッターマンの勝利のポーズはアニメで観るからいいんで、実写でやられるとちょっと寒かった。
 オリジナルの味付けとしてはドロンジョがヤッターマン1号に恋をしてしまうところ。ドロンジョの危機を助けた1号がはずみでキスをしてしまい泥棒であるドロンジョの心を奪ってしまったのだ。このドロンジョを深田恭子が魅力的に演じている。恋に悩むドロンジョ様の夢が意外と庶民的だったりして可愛らしい。だがそれを振り切る強さを持っているのもドロンジョ様なのだ。
 渋谷でヤッターマンたちと出合った少女は海江田翔子といい、ドクロストーンの研究をしている考古学者海江田博士の娘。ドクロベエに身体を取り込まれた海江田博士を助け出すためにドクロベエに立ち向かう翔子をドクロベエは無残にも殴る蹴るの暴行を加える。ここがかなりリアルでなるほど三池崇史だなと感じさせる。
 海江田博士を演ずるのは阿部サダヲで、海江田博士とドクロベエの一人芝居を演じてくれる。右に行くと邪悪な顔つきのドクロベエ、左に行くと善人顔の海江田博士になり、一人でケンカを繰り広げて笑わせてくれる。
 気になったのは下ネタの多さ。ボヤッキーが下半身丸出しになってしまうのはやりすぎ。ここまでやると逆に笑えない。ジャンボパチンコは程度低すぎ。
 これ主役はドロンボー一味でしょ。ドロンジョ様はもちろん生瀬勝久のボヤッキーは反則レベルだし、ケンドーコバヤシのトンズラーはオリジナルそのもの。代わりにヤッターマンの影が薄すぎ。特に2号の愛ちゃんは可哀想なぐらいセリフも少ない。1号はドロンジョのことを気にしているようだし、オジプトの遺跡で翔子がサソリに太ももを刺されると毒を吸い出そうとする1号に投げ飛ばされる始末。翔子に「2号さん」呼ばわりされてるし。「2号」だけでいいの「さん」はいらないんだってば。1号の櫻井翔はジャニーズらしいが、それにしてはまあまあか。
 劇中歌もオリジナル版が使われていて、山本正之の熱唱がうれしい。甲本ヒロトが山本正之と親しいのでザ・クロマニヨンズによるカバーも入っている。ドロンボー一味の踊り付き『天才ドロンボーの歌』まである。
 残念だったのがヤッターワンが赤一色、ヤッターキングが金属色そのままでカラーリングが地味なことだ。CGの出来としてもドロンボー一味の敵メカの方が魅力的である。まぁ、ヤッターワン・キングはほとんど可動部がないっていうのもあるが。考えてみると毎週毎週主人公のメカに張り合えるメカを作り出してくるドロンボー一味の技術水準はスゴク高いんじゃないだろうか。
 そのメカを作り出すためのインチキ商売もちゃんと登場。ドライヤーで暖めると色が変わって一皿10万円になってしまう回転寿司なんて詐欺極まりない。ここでオリジナル版でドロンジョの声をあてた小原乃梨子とトンズラーのたてかべ和也が特別出演しているのでお見逃しなく。かなり露骨なんで見逃す人はいないと思うが。
 とりあえずヤッターワン・キングは道交法違反にしか見えないが高速道路を通るときはちゃんとETCカードを使ってるんだ。
 最後には偽次回予告で笑わせてもらった。

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『ゆきゆきて、神軍』(1987) 122分 日本 1987/10名駅シネマスコーレにて鑑賞

監督:原一男 製作:小林佐智子 企画:今村昌平 撮影:原一男 編集:鍋島惇
出演:奥崎謙三

 奥崎謙三が死んだそうだ。っつーか、まだ生きてたのか、あのおっさん。
 小学校や中学校などで見せられたドキュメンタリー映画がどれもつまらなかったので、ドキュメンタリー映画はあまり好きではなかったわたしに、「ドキュメンタリー映画は嫌いじゃぁ」と確信させてくれたのが『ゆきゆきて、神軍』である。
 1987年当時、大学の映画サークルに所属していたわたしは、「こいつはあれだね」「うんあれだな」という先輩たちの今一つはっきりしない感想を聞いてとりあえず名古屋駅裏側のミニシアターというか小劇場のシネマスコーレという映画館に行った。ちなみにシネマスコーレは映画監督の若松孝二がオーナーというちょっと変わった劇場だ。名古屋では有名な風俗ビルの通称「黄色いビル」などがある場所であまり雰囲気の良い場所ではなかった。最近ではその近くにアニメイトやメロンブックスが進出しており、雰囲気が・・・どうなったか言ってしまうといろいろ問題もありそうなのでご想像にお任せしよう。

 元日本陸軍軍人でニューギニア戦線を生き残った奥崎謙三は、もはや戦後と呼ばれる時代においてなお戦争を引きずり続けて生きていた。ニューギニアで戦死した戦友たちのことを思い、また戦争中に軍内部で行われた悪事や、撤退してジャングルを逃げまどう内に食料がなくなり、ついには死んだ仲間の肉を食った人肉事件などを相手の意志などお構いなしに突撃取材して好き勝手に暴れ回る。
 『ボーリング・フォー・コロンバイン』のマイケル・ムーアもよくよく嫌な奴だが、奥崎謙三と比べれば進学中学校の新聞部部員が取材してるようなもんだ。
 新年の天皇祝賀かなにかで昭和天皇目がけてパチンコでパチンコ玉を発射したり、銀座だかのビルの屋上から皇族を登場人物にしたポルノ小説が書かれたビラをばらまいたり。ずいぶん変わったおっさんだとは思うが、一体何がやりたいんだか理解に苦しむ。
 戦争責任を訴えるとかその悲惨さを語り継ぐなんてきれい事をお題目として唱えてはいるが、この奥崎謙三というひとは頭がいっちゃってるひと、ずばり言ってしまえば単に気違いなんじゃねーのか、おい。ってのが見終わってすぐの感想だった。

 翌日、部室に行って「何なんですかあの映画はっ!まったく」と先輩に怒りをぶつけたところ、「だから“アレ”だよって言っただろ」とのこと。
「単に気違いが暴れる映画じゃないですか」とぼやいたところ、
「そう思うだろ。でも監督のインタビュー記事を読むと、あの奥崎ってのはちゃんと自分がどう映るかを計算してキャラクターを作ってるらしいぜ。なんでも原一男がそのシーンで表現しようとしたことが気に入らなくて、自分が監督として撮り直してそっちを使おうなんてこともあったらしい。つまり真の姿なんかじゃなくて基本的に演技だってことだな。まあ、その記事は監督側の意見でしかないわけだけど、奥崎が逮捕されて獄中に入った途端にそれまで大人しく静かだった奥さんがいきなり街宣カーを乗り回してスピーカーを使って世間に訴えかけ始めるなんてどう考えても嘘だよな。もともと奥崎に協力していろいろ活動したのを、ストーリー上のインパクトから突然変わったという演出にしたんでないの」と返された。
 なるほど、結局のところ奥崎は自分を客観的な視点で捉えて、どのような言動をしたらインパクトがあるか計算して「気違いを演じてた」わけか。奥崎が気違いではなく単なる変わり者で自己顕示欲の強い目立ちたがり屋だと考えると、映画を観ていた最中の釈然としない違和感がパズルが解けるようにパチパチッと整理が付いた。
 他の部員の意見もおおよそ同じようなもので、『ゆきゆきて、神軍』を観て「やっぱり戦争反対だ」と目覚めたり、「奥崎謙三さんは素晴らしい人だ、感動した」と感化される全共闘世代のような人は一人としていなかった。
 これっぱかしも笑えない野暮なギャグ映画を見せられたかのようで、ひたすらにつまらなかっただけのわたしは、「あー、良いサークルに入ったなぁ」とそのバランス感覚がちょっとうれしかった。
 結局、映されている側がカメラを意識したり、編集で監督がテーマや意味を勝手に演出できてしまう以上、真に「ドキュメンタリー」な映画なんか作れるはずはなく、実際に人物や場所が登場する「劇映画」にすぎないのであろう。
 まあ、考えてみれば企画に今村昌平の名前がある時点でクズ決定だわな。

『野獣の青春』(1963) 監督:鈴木清順 出演:宍戸錠、小林昭二 原作:大藪春彦

近所のGEOで『野獣の青春』のDVDがレンタルされていたので驚いた。しかも、『関東無宿』や『東京流れ者』まである。なかなかやるな、GEO。
これらはヤギのようなヒゲが目印の鈴木清順監督作品だ。鈴木清順といえば『ツィゴイネルワイゼン』(1980)や『夢二』(1991)のような幻想的で難解な映画の印象が強いが、1950?1960年代は日活で主にハードボイルド系の娯楽映画を手がけており傑作・良作も数多い。
ただ、次第に趣味色を強めていって、ついには『殺しの烙印』(1967)で日活幹部から「こんな訳の分からん映画を撮る奴はいらん」と首を切られ映画界から干されることとなる。このことについては日活幹部を責める人も多いが、個人的には『殺しの烙印』を観るとそれも仕方ないかなとも思ってしまう。1971年には日活はロマンポルノへ転向することとなるわけで、1967年というとかなり経営が苦しくなっているのだ。会社が好調ならば『殺しの烙印』のような映画がたまに作られても受け入れる余裕があるだろうが、この時期の日活にそれを期待するのは酷というものだ。

『野獣の青春』は日本のハードボイルド映画の最高傑作と言っていいだろう。
連れ込み旅館で無理心中をした男女。男の持ち物から警察手帳が見つかる。モノクロの画面の中花瓶に生けられた一輪の花だけが赤い。
そして街に現れた一人の男がチンピラを叩きのめす様をひたすらロングで捉え続けるオープニング。ここですでに背筋がぞくっとくる。
ジョーという名のその男(宍戸錠)は野本興業という暴力団に雇われる。ボスの野本役はウルトラマン・仮面ライダーなどの小林昭二。うひふふふと笑うサドのナイフ使いという悪役が意外に似合う。
ジョーは野本興業と敵対する三光組とも内密に組み始める。どうやら、ジョーには目的があるようなのだが・・・

映画館のスクリーン裏にある三光組の事務所、黄砂吹き荒れる野本の家など美術面でも見所が多い。ロケーションで1963年当時の東京の風景をきれいに収められている。麻薬取引の場所が矢切の渡しだったりする。
一瞬で終わる銃撃戦の迫力。銃を突きつけ合い、撃ち合う二人の男。おおっ、タランティーノかジョン・ウーか。
南という男がジョーの相棒になるが、この男ちょっと頭が足りなくて女と酒が苦手。こいつがいなくてもストーリーには関係ないが、ある意味劇中唯一の善人であるこの男の存在で映画に深みが出ている。
そして、最後には救いようのない苦い苦い結末。
なにより復讐に燃える宍戸錠のタフガイぶり。
必見である。
うちの近所のGEOにあるぐらいだから置いてある店は多いだろう。観てくれ、頼むから。

『妖星ゴラス』(1962) 監督:本多猪四郎 出演:池部良、上原謙、志村喬

「狭い地球にゃ未練はないさ、未知の世界に夢がある夢がある。(中略)オイら宇宙の、オイら宇宙の、オイら宇宙のパイロットっ!」
 10数年前にテレビで1回、ビデオで1回観ただけなのに、劇中で歌われた宇宙飛行士の歌が空で歌えてしまうのはどういうわけだろう?

 地球に強大な隕石衝突の危機が迫る。最近の『ディープ・インパクト』(1998)や『アルマゲドン』(1998)などでお馴染みのシチュエーションだ。ちょっと古いところだと『メテオ』(1979)を含めたそれらの映画だと核兵器で隕石を破壊することで衝突を防ごうとする。自分(地球)と相手(隕石)がいて、相手を攻撃することによって危機を避けようとする考え方である。
 しかし、日本で制作された『妖星ゴラス』は全く違ったアプローチをする。ゴラスと名付けられた小惑星が地球の公転軌道と交差するというのなら、地球を動かして逃げればいいではないか。こうして、人類存亡の危機を賭け南極の大地に巨大ロケットの建設が始まる。自分(地球)と相手(ゴラス)がいて、トラブルが起きないように相手との距離を取ろうというのだ。『アルマゲドン』などが西洋思想だとしたら、『妖星ゴラス』は東洋思想に基づく作品とだといえるのである。

 おそらくは同様の危機に際し一部の人間だけがロケットで地球を脱出した『地球最後の日』(1951)の拡大解釈なのであろう。『ディープ・インパクト』でも選ばれた人だけがシェルターに入れることになっていたが、日本人のメンタリティには合致しなさそうだ。生き延びる権利がある人とない人にきっぱり分けることが出来ず「わたしと家族と、それからお隣さんと会社の同僚と」とどんどん増えてしまいそう。そこで、人類全員が乗れるロケットとして地球を動かそうということになる。

 重箱をつつけば些末なことはいくらでも出てくるが、南極から炎を吹きながら画面を横切っていく地球をその目で見れば「やられたぁ」と思うはずだ。しかも、ラストのセリフが「さぁ地球を元の軌道に戻さなきゃ。今度は北極だから陸地がないんで大変だぞ」と環境へのアフターケアも充分である。
 退屈してるお子様には、唐突に現れる全長数十メートルの巨大セイウチ怪獣のおまけ付きだ。

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