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B00008453O.jpg『ロスト・チルドレン』(1995) LA CITE DES ENFANTS PERDUS 113分 フランス

監督:ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ 製作:クローディー・オサール 脚本:ジャン=ピエール・ジュネ、マルク・キャロ、ジル・アドリアン 撮影:ダリウス・コンジ 音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:ロン・パールマン、ジュディット・ヴィッテ、ドミニク・ピノン、ダニエル・エミルフォルク
声の出演:ジャン=ルイ・トランティニャン

 独特の映像センスで撮られた作品。
 夢を見ることが出来ず子供の夢を盗もうとする男。6人のクローン、小人の女性、一つ目族、子供を使った盗賊の頭のシャム双生児のオバサン、怪力男、そして水槽に入った脳みそ。ジュネの頭の中はどうなっているんだろうと思う怪奇な登場人物が勢揃い。

 冷たい雨が降る暗黒都市。心優しい大道芸人の怪力男ワン(ロン・パールマン)は一つ目教団に弟をさらわれてしまう。孤独な少女ミエット(ジュディット・ヴィッテ)は途方に暮れるワンと出会い、一緒に弟探しをすることになる。しかし、孤児院を経営するシャム双生児は、ワンの怪力に目をつけ金庫泥棒に悪用しようとする。
 一方、海に浮かぶ要塞では、同じ顔をしたクローン人間6人(ドミニク・ピノン)たちがワンの弟の頭脳から夢を取り出そうとしていた。ミエットとワンは機雷に囲まれたクローン要塞へと向かう・・・・・・

 映像に気を使いすぎたのかストーリーが散漫で粗が目立ちほめられたものではないが、それでも最後まで観ることが出来るのは映像の力だろう。アナログさを感じさせる機械式のメカの数々も目を引きつけてくれる。ジュネはきっとレトロなメカが好きなんだろう。蓄音機や手回しオルガンなどが目立つ。監視カメラも電子式ではなく機械式。クネクネと曲がる監視カメラの関節が良い。
 クローン6人の合成も上手くて、合成ではなく本当に6人いるように見える。
 優秀な蚤が出てきて、血を吸うのではなく薬品を相手に注入する。注入された人間は殺人鬼になって手回しオルガンの音に合わせて人を殺す。一つ目教団の一人が蚤に刺されて自分の仲間を殺していくシーンでは、自分の機械式の目のケーブルと首を絞めている男のそれを差し替えて、自分が首を絞めて殺されるのを見せるシーンは怖ろしい。
 機雷の地図を刺青にしている男がいて、それをワンとミエットが探すのだが、その正体には笑ってしまった。カツラを剥がすとなんてギャグでしかない。
 総制作費は14億円というからフランス映画としては巨額な部類に入るだろう。その巨額を使ってこういう映画を撮るのがすごい。SF・ファンタジー調だが娯楽映画とはちょっと思えない。
 ジュディット・ヴィッテの大人びた美少女の魅力がこの作品を支えている。ワンとミエットの関係はちょっと危うく、ロリコンの域に達している。水槽に入った脳みそがワンの弟のことをミエットに「君の弟になるかも知れない」と言っているが、これはワンとミエットが結ばれることを意味しているのだろう。ワンとミエットの関係は『レオン』のレオンとマチルダの関係に近いのかも知れない。こう考えるとどちらもフランス映画か。ミエットがワンの弟を助けるのに力を貸すのはワンを気に入ったからだろう。他の理由は描写されていない。ガラス屋の担ぐガラスを鏡にして二人を写したショットは完璧に近い。
 ロン・パールマンもミエットを守りそして守られるという複雑な役柄をこなしている。力持ちだが、夢泥棒との戦いでそれが活かされることはない。純朴な大道芸人で「俺はヒーターだ」と言ってミエットを軽く抱きしめ暖めるシーンがあるが、ちょっとエロチックだ。
 暗黒都市の描写は『未来世紀ブラジル』や『ブレードランナー』に近い。実際、『未来世紀ブラジル』のテリー・ギリアムが絶賛したそうだ。
 シリアスな中に細かなブラックユーモアとギャグが含まれていて、真剣かつ笑って観ることが出来る。
 ラストは現実世界ではなく夢の中での対決で、子供の夢を盗んだ男の夢の中で成長し中年そして老婆になるミエット、相反して子供に帰る男。精神世界での戦いで勝ったのはミエットだった。

B001CSMH2S.jpg『ロンリー・ブラッド』(1985) AT CLOSE RANGE 115分 アメリカ METRO GOLDEN MAYER

監督:ジェームズ・フォーリー 製作:エリオット・ルウィット、ドン・ゲスト 原案:エリオット・ルウィット、ニコラス・カザン 脚本:ニコラス・カザン 撮影:ファン・ルイス・アンシア 音楽:パトリック・レナード
出演:ショーン・ペン、クリストファー・ウォーケン、メアリー・スチュアート・マスターソン、クリストファー・ペン、ミリー・パーキンス、アイリーン・ライアン、アラン・オートリー、キャンディ・クラーク、トレイシー・ウォルター、クリスピン・グローヴァー、キーファー・サザーランド、デヴィッド・ストラザーン

 田舎で貧乏暮らしをしているブラッド(ショーン・ペン)の元に謎の男(クリストファー・ウォーケン)が現れる。
 男の正体はブラッドの実の父親ブラッド・シニア。彼は窃盗団のボスだった。
 父親の影響で窃盗団の一員となったブラッドだが、窃盗団による密告屋の殺害現場を見てから抜けることを考えるようになる。
 恋人のテリーとの逃走資金を稼ぐために、友人達と大規模なトラクター泥棒をやるが、あっさりと警察に捕まってしまう。
 ブラッドを残して他の友人達は保釈になるが、ブラッドは窃盗団との関与を疑われて取り調べのために留置所に残される。
 ブラッドは頑として口を割ろうとしないが、ブラッド・シニアはブラッドの友人達を始末して土に埋め、テリーを暴行する。
 ようやく保釈になって出てきたブラッドはテリーと遠くへ逃げようとするが、窃盗団の連中に拳銃の乱射を食らってしまう。テリーは死に、生き残ったブラッドは父に復讐しようとその家へと足を向ける。

 暗い、暗い話である。これが78年にペンシルバニアで起きた実話ベースだと言うからなお暗い。
 それにしてもこの頃のショーン・ペンは良い。今も良いけど。世をすねた睨みつけるような目つきが強烈だ。なんというか世の中を敵に回してでもいるように攻撃的なのだ。
 対するクリストファー・ウォーケンは口ひげはともかく妙なヘアスタイルなのだが妙にセクシーだ。こちらも目つきが強烈。二人が父子という設定は抜群である。
 この父子の愛憎劇が主題となっており、最初は犯罪者の父に憧れた少年が、犯罪の実体を見てそこから逃れようとするが、自分の息子に歪んだ愛情を持っている父親は逃そうとはしない。
 終盤のテリーと窃盗団から銃で撃たれるシーンは、ブラッド・シニアは知っていたのか、それとも窃盗団が勝手にやったのか。知ってたんだろうな。
 犯罪に手を染めた少年とその恋人ということで最初は『ウィズダム 夢のかけら』や『地獄の逃避行』物かと思っていたが違った。それにしてもテリーは哀れすぎる。不良のブラッドに惚れたばかりに。
 ショーン・ペンの実弟クリストファー・ペンがブラッドの弟役で出ているのには笑ってしまった。似ているな、当たり前か。こちらは弟と言ってもブラッド・シニアとは血が繋がっていない設定。
 他には、ブラッドの友人役で端役だがキーファー・サザーランドも出ているので注目。出番が少ない上ので探すのにちょっと苦労する。
 ラストの大陪審のシーンで、「あなたはブラッド・ジュニアだそうですね。ということはブラッド・シニアもいるのですか」と問われて、躊躇したあげく泣きそうな顔で「父です」と答えるショーン・ペンの演技は鬼気迫る物がある。思わずゾクッとしたね。
 それを冷徹な顔で見守るクリストファー・ウォーケン。こちらもゾクッときた。
 エンディングではマドンナの"Live to tell"が流れて......そういえば1985年はショーン・ペンとマドンナが結婚した年でもある。もうふたりが結婚していたという事実など遠い過去の話だけれど。
 脚本のニコラス・カザンは『エデンの東』などで有名な映画監督のエリア・カザンの息子だとか。なるほどと言った感じだ。

B001E5R77E.jpg『ロイドの要心無用』(1923) SAFETY LAST! 73分 アメリカ

監督:サム・テイラー、フレッド・ニューメイヤー 原作:ハル・ローチ、サム・テイラー、ティム・フェーラン
出演:ハロルド・ロイド、ミルドレッド・デイヴィス、ビル・ストローザー、ノア・ヤング、W・B・クラーク

 チャールズ・チャップリン、バスター・キートンと並ぶサイレント映画時代の三大喜劇王の一人ハロルド・ロイドの代表作。

 田舎から都会に出てきてデパートに就職した青年が主人公。下働きのペーペーなのだが田舎の恋人にはさぞ時分が出世しているような手紙を書く。
 デパート内でのドタバタギャグが続いた後、恋人が青年に会いに都会に出てくる。嘘がバレないように必死になる青年。そのうちに、上層部が新しい宣伝方法を賞金付きで探していることを聞きつけ、ルームメイトの鳶職の男をビルの最上階まで素手で登らせることを思いつく。
 ところが当日、鳶の男と因縁のある警官が現場で張っていてビルを登ることが出来ない。そこで1階分だけ青年が登って、そこで入れ替わろうということになる。ところが鳶の男をしつこく警官が追ってきてなかなか入れ替わることが出来ない。2階、3階と登り続ける青年であった。

 20年ほど前に映画館で観た時は後半のビル登りのシーンの印象が強くてそちらしか覚えていなかったが、今回観直すとデパート部分の細かいギャグの数々に感心する。大爆笑というよりはクスクス笑いのギャグだがその数が半端じゃなく多い。嫌味な上司とのやり取りや服地売り場にいるので我が儘なオバサン客に振り回される様子がテンポが良くて実に笑える。

 田舎からやってきた彼女にはちょっとイライラさせられた。青年が出世していると信じ込んでいるのだから仕方ないが、あんたの彼氏がそんなに偉くなっているはずがないと考えれば分かるだろう。あげくの果てには店長になっていると思い込むのは飛躍しすぎだ。田舎育ちの世間知らずということなんだろうが。

 そしてお待ちかねのビル登り。
 ロングで捉えたショットでは本物の鳶職のスタントマンが演じている部分もあるが、実際にハロルド・ロイドが登っている部分が圧倒的に多い。まだ合成技術が未発達な時代だったので4階のところは4階で5階のところは5階で実際に撮影している。落ちたら大変なんてもんじゃ済まない。しかもハロルド・ロイドはそれ以前の作品の撮影中に火薬の事故で右手の親指と人差し指を失っており、壁面をよじ登っていくのはかなり困難だったことが想像される。思わず尾てい骨がゾクゾクする高所での撮影が続く。
 有名なのは時計台の時計の長針にぶらさがるシーン。このシーンはジャッキー・チェンの『プロジェクトA』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもオマージュされている。ハロルド・ロイドは落ちなかったがジャッキーは落ちた。こちらも無茶だ。
 高層ビルの上部に来ると普段ではなんでもない物が障害になって襲いかかってくる。鳩の群れや小さなネズミなどだ。
 そんなこんなの困難を乗り越えてなんとか無事に屋上までたどり着き、恋人と熱いキスをかわす。遠くの方で鳶の男がまだ警官に追いかけられているのが笑える。

 原題の『SAFETY LAST!』は安全に関する標語『SAFETY FIRST!(安全第一)』をパロった物。安全なんか後回しだが、無事に終わってめでたしめでたし。でも、手紙でついた嘘について彼女に問い詰められないか心配だ。彼女は空気が読めなそうだからな。いい格好しちゃダメだな、やっぱり。

B002JGMPVU.jpg『レイクサイド』(2006) THE MARSH 92分 アメリカ NORSTAR FILMED ENTERTAINMENT、SONJA PRODUCTIONS

監督:ジョーダン・バーカー 製作:ジョージ・フラック、ピーター・R・シンプソン 製作総指揮:アル・マンティーヌ 脚本:マイケル・ストークス 撮影:デヴィッド・ペラウルト
出演:ガブリエル・アンウォー、ジャスティン・ルイス、フォレスト・ウィッテカー、ピーター・マクニール、ジョー・ディニコル

 クレア(ガブリエル・アンウォー)は売れっ子童話作家。しかし悪夢にうなされる日々を送っていた。そんな彼女がインターネットで悪夢に登場するのとそっくりな家を発見し、その家を借りて住むことにする。
 その家に移ってからおかしな事が少し起こったが、本格的に発生したのは物置にあった古いガラス細工の入ったドアをアトリエに取り付けてからだった。
 彼女は町に住む超常現象研究家のハント(フォレスト・ウィッテカー)の力を借りると、謎の調査に乗り出した。そして過去の因縁から来る心霊現象と田舎の町が隠していた真実を暴き出す。

 邦題はレイクサイドだがレイク(湖)なんか欠片も出てこない。もちろんアコムもプロミスも出てこない。原題のTHE MARSHは沼地である。無茶な邦題をつけたものだ。原題の通り家は沼地の近くにあって、クレアが沼地のお姫様を題材にした絵本などを書いていた理由が後になって明らかになる。
 ホラー・サスペンスなので内容については深く触れないが、首吊りをする男、上から落ちてきた凶器で貫かれる女性などが出てくるが、血はほとんど流れない。ホラー色はそんなに強くなく、クレアのトラウマが解き明かされる展開はホラーの苦手な人にもお勧めな内容だ。ラストは一種のハッピーエンドになっている。

 沼地が登場するが、この沼地に底なし沼状にいきなりズボッと全身が飲み込まれるシーンが何度か登場する。最初のには驚いた。あれはもちろん人工の沼を使っているから衛生上は問題ないのだろうがどうにも撮影には度胸が要りそうだ。鼻と耳に栓をして、目と口を閉じて沼に飛び込むんだろうか。ゆっくりと顔を見せながら沼に沈んでいくシーンもあるがあれはもっと嫌だ。沼というのはどうにも人間に嫌悪感を感じさせるのではないだろうか。

 超常現象研究家としてフォレスト・ウィッテカーが登場している。この人はオレのお気に入り俳優の一人だ。最初に観たのは『ハスラー2』(1986)で間抜けな振りをしてちゃっかりポール・ニューマンからビリヤードの掛け金を巻き上げるハスラーだった。この時は思わなかったのだが、次に観た『グットモーニング,ベトナム』(1987)でロビン・ウィリアムスを乗せたジープを運転する軍人として現れた時は「あっ鶴瓶だ。黒人の鶴瓶がおる!」とそのそっくりぶりに驚いた。
 脇としてシリアスもコメディも出来る良い活躍をしてくれるなと思ったら今度はいきなりクリント・イーストウッド監督の『バード』(1988)で主役のチャーリー・パーカーを渋く演じてくれた。これまた驚いた。どんだけ引き出しを持っているんだと。
 その後はA級、B級を選ばぬ仕事ぶりで、中でもオレの好きなのは『ブローン・アウェイ/復讐の序曲』(1994)である。『スピーシーズ/種の起源』(1995)も良かった。『ゴースト・ドッグ』(1999)ももちろん良い。
 ついには『ラストキング・オブ・スコットランド』(2006)のアミン大統領役ででアカデミー主演男優賞を取っちまうんだからたいしたもんだ。
 今後の活躍も期待大の俳優である。アカデミー賞を取ってもA級だけではなくB級にもどんどん出て欲しいがどうだろうか。

B002BS035G.jpg『ロストボーイ:ニューブラッド』(2008) LOST BOYS: THE TRIBE 94分 アメリカ WARNER PREMIERE

監督:P・J・ピース 製作:ベイジル・イヴァニク、フィリップ・B・ゴールドファイン 製作総指揮: メアリー・ヴィオラ、アリソン・セメンザ、リック・ベナーター キャラクター創造:ジャニス・フィッシャー、ジェームズ・ジェレミアス 脚本:ハンス・ロディオノフ 撮影:バリー・ドンレヴィ 編集:アマンダ・I・カーポール 音楽:ネイサン・バー
出演:タッド・ヒルゲンブリンク、アンガス・サザーランド、オータム・リーザー、コリー・フェルドマン、コリー・ハイム、ジェイミソン・ニューランダー、ガブリエル・ローズ、トム・サヴィーニ、ダリル・シャトルワース、ショーン・サイポス

 21年ぶりに『ロストボーイ』が帰ってきた。『ロストボーイ:ニューブラッド』である。なぜ今になって『ロストボーイ』なのか、今さら『ロストボーイ』なのか。意味不明なところが良いではないか。
 交通事故で両親を失った兄のクリス(タッド・ヒルゲンブリンク)と妹のニコール(オータム・リーザー)が叔母を頼って街に引っ越してきたところから物語は始まる。この叔母がとんだ因業ババアでボロい部屋を月650ドルで兄妹に貸すのには頭に来る。
 そしてパーティーでニコールが親バンパイヤのシェーン(アンガス・サザーランド)に彼の血を飲まされてしまい半バンパイヤになってしまう。本物のバンパイヤになる前にシェーンを倒さなければならない。そこでクリスはサーフボード職人にしてバンパイヤハンターのエドガー(コリー・フェルドマン)の助けを借りてバンパイヤ狩りを始める。だが、肝心のバンパイヤの巣が分からない。そこでクリスはバンパイヤに近づき自らも血を飲んで半バンパイヤになる。ニコールが人間の血を吸ってしまうのが先か、シェーンを倒すのが先か。戦いは始まった。

 前作で今一つ説明不足だった半バンパイヤと親バンパイヤの関係が詳しく説明されている。親バンパイヤに血を吸われるかその血を飲まされると半バンパイヤになってしまう。この段階だと親バンパイヤを倒すことで人間に後戻りすることが出来る。しかし、人間の血を吸ってしまうと本物のバンパイヤになってしまい、こうなると親バンパイヤを倒したところでバンパイヤのままなのだ。
 バンパイヤになるのに血を吸われるとなるというのは定番だが、親バンパイヤの血を飲むとなるというのはこのシリーズで始めて観た。オリジナルの設定なのだろうか。
 うれしいことにバンパイヤハンターとしてコリー・フェルドマンが再登場してくれている。長いこと顔を見なかったがそんなに老けた感じもせず元気なようだ。調べてみると俳優生活は続けていたようだ。ただし出演作はどうみてもB級の匂いのする作品ばかりである。この作品では出番は少なくゲスト出演のような感じで主役はあくまでもクリスだ。だが、終盤のバンパイヤの巣への突入シーンではかなり活躍してくれる。そしてエンドクレジットが始まっても停止ボタンを押すなかれ。なんとコリー・ハイムも意外な形で出演してくれる。
 シェーン役のアンガス・サザーランドはドナルド・サザーランドが離婚再婚しているのでキーファー・サザーランドとは異母兄弟。甘いマスクだけど、父や兄が持っているようなカリスマ性がないのが弱点か。消えそうな俳優ではある。
 オープニングの大豪邸に住むバンパイヤがどっかで見た顔だと思ったらやっぱりトム・サヴィーニ。特殊メイクを担当したのか、それともゲスト出演か。出たがりだからな。
 前作のバンパイヤたちはティーンエイジャーだったが、今回は年齢があがってどうみても二十代。ニコールが十七歳ということだからクリスも二十歳ぐらいの設定だろう。そうなると『ブレイド』シリーズなどのバンパイヤと似た設定となってしまい、前作であった意外感はない。
 クリスとシェーンがワイヤーアクションでちょっと飛び回りますが、もっと本格的なアクションも観たかった。とはいえ、劇場用映画ではなくオリジナルビデオらしいのでこの程度でも仕方ないだろう。
 ラストに叔母さんが乗り込んでくるので、前作ラストの再現かと思ったらお小言を言って去っていくだけ。何なんだ。聞かされた兄妹もポカーン。
 前作とは違って対象年齢が上がっており、吸血や戦いでのゴアシーンがあったりSEXシーンもある。前作を気に入ったお子様に見せるのはちょっとまずい。
 部屋に引っ越してきて、置いてあった角付きの鹿の頭を妙に低い位置で壁に掛けるシーンで、あーこれはバンパイヤに突き刺さるなと思ったらやっぱり。
 SFXのレベルは高くないが、バンパイヤの死に方が一体一体違っていて、そこは楽しめる。

B001DKBJR4.jpg『ロストボーイ』(1987) THE LOST BOYS 97分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES

監督:ジョエル・シューマカー 製作:ハーヴェイ・バーンハード 製作総指揮:リチャード・ドナー 共同製作総指揮:マーク・ダモン、ジョン・ハイド 脚本:ジャニス・フィッシャー、ジェームズ・ジェレミアス、ジェフリー・ボーム 撮影:マイケル・チャップマン 音楽:トーマス・ニューマン
出演:ジェイソン・パトリック、コリー・ハイム、コリー・フェルドマン、キーファー・サザーランド、ダイアン・ウィースト、ジェイミー・ガーツ、ジェイミソン・ニューランダー、エド・ハーマン、バーナード・ヒューズ、ビリー・ワース、アレックス・ウィンター

 お子様向け吸血鬼映画。これといって残虐なシーンがないので安心して観られる。
 離婚した母親が二人の息子を連れて西海岸のサンタカーラの街に住む父親の元へ引っ越してくる。西海岸らしく明るく健康的な街だが、掲示板には行方不明者の張り紙が目立つのが気になる。
 兄マイケル(ジェイソン・パトリック)はある女性に一目惚れして彼女が属している不良グループの一員となる。弟のサム(コリー・ハイム)はコミックブックストアでちょっと変人が入った二人の兄弟エドガー(コリー・フェルドマン)とアラン(ジェイミソン・ニューランダー)と知り合いになり吸血鬼のコミックブックをもらう。
 次第に深みにはまっていくマイケルだったが、実は不良グループは若きバンパイヤの集団だった。気付いた時には兄もバンパイヤになっていた。そのことを知ったサムは自称バンパイヤの専門家エドガーとアランに助けを求める。マイケルを元の人間に戻すには親バンパイヤを殺さねばならない。そこで母が働くビデオ屋の店主マックス(エドワード・ハーマン)に当たりをつけて自宅に招いてニンニクや聖水などで試すが失敗。
 若いバンパイヤ集団の本拠地を強襲して一体は倒すが、マイケルは元に戻らない。残り三体の中に親バンパイヤがいるのだろうか。

 コリー・ハイムとコリー・フェルドマンといういわゆるWコリー主演作。Wコリーって今見るとお笑いコンビの名前みたいだ。
 最初に言ったようにお子様向けなので血を吸うシーンもほとんどなく、ショッキングなシーンは極力抑えられている。Wコリー主演と言うことでアイドル映画みたいなもんだったんだろう。
 最近では『24』シリーズで人気絶頂のキーファー・サザーランドが若きバンパイヤグループのボス役で登場している。特殊メイクなしでもバンパイヤを感じさせるキーファーはナイスキャスティング。部下には『ビルとテッドの大冒険』のビル役のアレックス・ウィンターがいたので驚いた。順番だとこっちが先なので気付かなかったのだ。バンパイヤといっても本当に不良グループで人間を襲うのも遊び感覚。襲われた側はたまったもんじゃない。隠れ家にはドアーズのジム・モリソンの肖像画が大きく描かれている。ちなみにサムの部屋にはロブ・ロウらしき人物のポスターが貼ってあった。時代を感じる。
 終盤は教会から聖水を水筒に入れて大量に持ってきたり、これまた大量のニンニクを潰したりと用意は万端。聖水を水鉄砲に入れるのはこの映画が最初か?
 これまでの吸血鬼像を打ち壊した不良グループのバンパイヤは斬新。それでいて親バンパイヤがしょぼくれたオヤジというのも面白い。バンパイア・ハンターもヴァン・ヘルシングの様な老人(映画『ヴァン・ヘルシング』では青年だったが)ではなく少年二人というのも新しい。指で十字架を作って「ステイバック、ステイバック」と言ってましたがあれは通用してない感じ。十字架は効かないのか指で作った即席十字架じゃダメなのか。
 SFXに関しては合成や特殊メイクはイマイチ。光学合成でマイケルとキーファーが空中バトルするシーンがあるけど、今だったらバンパイヤがワイヤーアクションで飛び回る映画になるんでしょうな。
 ラストがねどうもよく分からない。母親の父が木の杭を積んだ車で家に突っ込んできてその杭が飛び出して親バンパイヤを倒すのだが、その後でジイさんが「サンタカーラは良い街だがバンパイヤが多すぎる」と言って終わる。ジイさんはバンパイヤのことを知っていたのか?それともジイさん自身がバンパイヤ?でもそれまでのシーンでそんな描写はないし。謎です。

B000KGGC3I.jpg『ロードハウス/孤独の街』(1989) ROADHOUSE 114分 アメリカ MGM/UA
 
監督: ローディー・ヘリントン 製作:ジョエル・シルヴァー 脚本:デヴィッド・リー・ヘンリー、ヒラリー・ヘンキン 撮影:ディーン・カンディ 音楽:マイケル・ケイメン
出演:パトリック・スウェイジ、サム・エリオット、ケリー・リンチ、ベン・ギャザラ、マーシャル・ティーグ、ケヴィン・タイ、キャスリーン・ウィルホイト、パトリシア・トールマン、ジェフ・ヒーリー、キース・デヴィッド、レッド・ウェスト、ジュリー・マイケルズ、テリー・ファンク

 "ロードハウス"とは街道筋にある旅館・酒場・ナイトクラブなどのことらしい。映画で観るとみんな車でやって来ているがあれ飲酒運転じゃないのか。アメリカは飲酒運転の処罰が日本より甘いのか。ビール飲みながら運転してたりするしな。

 主人公のダルトン(パトリック・スウェイジ)は腕利きの酒場の用心棒。用心棒と言っても単に酔って暴れている客を追い出すだけではなく、店そのものをコーディネートしてより良い酒場にする能力を持っている。
 昔は良い酒場だったが、最近ではチンピラ客ばかりの『ダブル・デュース』という店の建て直しを依頼されたダルトンは高額な報酬でその仕事を受ける。まずは店の洗い直しから。無能な用心棒や麻薬を売っていたウエイトレス、売り上げをくすねていたバーテンダーを首にするところから仕事を始めた。
 しかし、バーテンダーの叔父貴が町の支配者ブラッド(ベン・ギャザラ)だったことからダルトンは目をつけられてしまう。ブラッドは町のあらゆる店から売り上げの10%以上を町の振興費の名目で巻き上げる悪党だったのだ。
 しかも、ダルトンの恋人の女医に惚れており事態はさらに複雑になるばかり。そんな中、助っ人としてこれまた腕利きの用心棒ギャレット(サム・エリオット)が駆けつけた。

 製作のジョエル・シルヴァーらしいスピーディーなアクション映画。
 酒場の用心棒という主人公としてはちょっと珍しい職業となっているが、これは現代版西部劇だと思う。町を牛耳る悪党に一人対抗するダルトンはいわばワイアット・アープ。助っ人のギャレットはドク・ホリディといったところか。銃とマーシャルアーツという違いはある物の、悪党の支配する町にブラリと現れた流れ者が悪党たちを退治してまたどこかへ去っていく。西部劇である。
 ブラッドは気に入らない相手の店を火災に見せかけて爆破したり、白昼堂々と自分に逆らった自動車ディーラーの店にモンスタートラックを突撃させて車を踏みつぶしたりするまったくもって悪党。西部劇で町を牛耳る悪党に似ている。
 ダルトンの得意技はマーシャルアーツ。川辺で上半身裸でマーシャルアーツの練習をしているところをカメラで捉えたシーンはセクシーだ。元々はバレエで鍛えられただけあって引き締まった肉体をしている。
 もう一つの得意技はスケコマシ。ナイフで傷つけられた脇腹を縫ってもらった女医と翌日の晩にはすでに恋愛関係に入っている。早っ。ベッドインするまでも早っ。渋い顔と鍛え上げられた肉体は恋愛関係においても武器なのだろう。
 この作品最大のアクションの見せ場がブラッドの一番部下との素手での戦い。単なる殴り合いではなくちゃんとマーシャルアーツになっている。追い詰めた相手が銃を出し、正当防衛でダルトンは敵を殺してしまうが、それを女医に目撃されて関係が微妙になる。
 ラストはブラッド邸に乗り込んでの戦いとなる。ここではあまりマーシャルアーツが登場しないのが残念。手下たちをどんどん片付けていってついにブラッドを追い詰めるが、留めを刺すその手が女医のことを思い出して止まる。代わりに町の住人が3人現れてショットガンでブラッドを撃ち殺す。その直後に警察が駆けつけてくるがみんな「さぁ知らないね」の一点張り。一人だけ生き残ったブラッドの手下も壁に飾られた『見猿、言わ猿、聞か猿」の剥製を見て「さぁ知らないね」と応える。それにしても『見猿』はアメリカにもあったんだ。ギャグとして出して通じるぐらいだからそれなりに浸透しているんだろう。

B000657R8M.jpg『レッド・サン』(1971) SOLEIL ROUGE/RED SUN 115分 フランス/イタリア/スペイン

監督:テレンス・ヤング 製作:ロベール・ドルフマン、テッド・リッチモンド 脚本:レアード・コーニッグ、ウィリアム・ロバーツ 撮影:アンリ・アルカン 音楽:モーリス・ジャール
出演:アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、三船敏郎、ウルスラ・アンドレス、キャプシーヌ、中村哲

「うーん、マンダム」チャールズ・ブロンソン
「うーん、寝てみたい」三船敏郎
「ダーバン、セビロ、ズボン(セ・レレガァ?ンス・ドゥ・ロム・モデルヌ)」アランドロン
の3大CMスターが集結した。アメリカ、ヨーロッパ、そして我らが日本のスターが顔を揃えた破天荒西部劇である。

 ブロンソンは鉄道強盗団のボスでアラン・ドロンはその仲間。今日も今日とてある鉄道を襲ったところである。その列車には軍隊が護衛する40万ドルもの大金があった。
 そして日本から来た親善大使も乗り合わせていた。ミカドから大統領に寄贈する日本刀を奪った強盗団は、ブロンソンを裏切りアラン・ドロンを新しいボスとして逃げ去っていった。
 親善大使の部下黒田十兵衛(三船敏郎)は、銃を取り上げたブロンソンを案内役に日本刀を取り返す旅に出た。猶予は七日間。それを過ぎれば切腹して腹を切らねばならない。
 ストーリー的な主人公はブロンソン。厄介者の三船敏郎を抱えて最初はどうしたものかと困っているが、まずは英語が通じるのに驚き、アラン・ドロンを見つけたら友の仇として即切ると主張する三船敏郎に、奪った現金のアリかを聞き出すまで待ってくれと説得するのに往生する。
 刀なんてと馬鹿にしているが、実際にアラン・ドロンの部下やコマンチインディアンとの戦いの中で三船敏郎の戦力を認め始め、次第に奇妙な友情が生まれる。
 そして最後には志半ばにしてアラン・ドロンに撃ち殺された三船敏郎に変わって大使に日本刀を届けに行く。メキシコとの国境を越えてアメリカに戻れば身の危険が待ち構えているのを承知の上でだ。

 日本人が観た場合の主人公は三船敏郎。外国映画に出てくる日本人はとかくヘンテコなのが多いが、黒田十兵衛はかなりしっかりした武士像を作り上げている。三船敏郎がかなり注文を付けたのではないだろうか。
 禁欲的(その割りに女性と一夜を共にするが)で腹が据わっており無口。そしてこれから日本が変わっていき西洋に近くなっていくことを自覚している。
 自分の一族は何百年も武士だったが、自分の代ぐらいで武士という生き方も終わりだろう。だからこそ命を賭けても日本刀を取り返すという任務にこだわるのだ。
 1800年代後半の西部(撮影は確かスペイン)を侍姿の三船敏郎がうろつき回っている様は最初は可笑しいが次第に慣れてくると格好良く見えてくる。
 ブロンソンと二人で馬を走らせるシーンがあるが、二人とも乗馬姿が様になっているが三船の方が若干上のような気がするのはひいき目か。
 最初は単なる案内役として利用する気だったブロンソンを次第に信じるようになり、その腕前も合わせてこちらも奇妙な友情を抱くようになる。
 三船敏郎が色物ではなく一人の立派な役者として外国映画の中で活躍していることに感動する。

 アラン・ドロンは出番も少なく、悪役という損な役回り。それでも黒ずくめで左利きのアラン・ドロンは格好いい。
 もっとストーリー的に活かしようがあったとも思うが、ドロンファンにはちょっと残念だろう。英語での撮影だったようなので、言葉の問題からフランス人のアラン・ドロンの出番を減らしたのかも知れない。三船敏郎は出ずっぱりだけどセリフは少ないし。

 終盤はコマンチインディアンとの戦いで、この時期の作品でインディアンと戦いが目玉というのは珍しい。ハリウッド西部劇ではなくマカロニ・ウエスタンだからか。
 この戦いで三船敏郎は刀だけではなく、手裏剣、弓矢なども披露してくれる。
 ブロンソンはインディアンが三船敏郎に向かって投げた槍を空中で撃ち抜く腕前を見せてくれる。これならば三船敏郎が信頼するのも納得だ。

 監督はブロンソンと何本か組んだテレンス・ヤング。イギリス人である。イギリス人の監督がアメリカ人のブロンソンとフランス人のアラン・ドロンと日本人の三船敏郎を使ってスペインで撮影した西部劇。国際色豊かなことである。しかも制作国はフランス/イタリア/スペインとヨーロッパ勢。やはりマカロニ・ウエスタンかその系統になるのであろう。

 岡本喜八が晩年に本家アメリカへ乗り込んで撮った侍(真田広之)が西部で活躍する『EAST MEETS WEST』はこの作品から影響を受けていると思うがどうだろうか。

 ジェネオンから発売されていたDVDはすでに廃盤だが、これが日本語吹き替えが収録されていてブロンソンが大塚周夫、アラン・ドロンが野沢那智、三船敏郎が大塚周夫の実子大塚明夫という豪華キャスト。ブロンソンと三船のパターンが多いから親子共演のシーンがかなり多い。大塚明夫は渋い声なので三人の中ではそれこそ親子のように年齢が違うが違和感がない。

B0026ZLD4E.jpg『ロサンゼルス』(1982) DEATH WISH II 92分 アメリカ

監督:マイケル・ウィナー 製作:メナハム・ゴーラン、ヨーラン・グローバス 脚本:デヴィッド・エンゲルバック、マイケル・ウィナー 撮影:リチャード・H・クライン 音楽:ジミー・ペイジ
出演:チャールズ・ブロンソン、ジル・アイアランド、ヴィンセント・ガーディニア、アンソニー・フランシオサ、J・D・キャノン、ロビン・シャーウッド、ベン・フランク、ケヴィン・メイジャー・ハワード、ラリー・フィッシュバーン(ローレンス・フィッシュバーン)

 前作から数年、ニューヨークからロサンゼルスに移り住んだポール・カージー(チャールズ・ブロンソン)は女性記者のジェリ(ジル・アイアランド)という恋人も出来るなど心の傷も大分癒えたようだ。
 しかし、ニューヨークでレイプされた娘は精神病を患ったままで全てが元通りに戻ったわけではない。
 そして今回も街のダニによる被害に遭うことになる。免許証を掏られたカージーの家をチンピラたちが襲撃。家政婦をレイプしたあげく殺してしまう。そして帰ってきたカージーを殴り倒すと目撃者の娘を誘拐。娘はチンピラのアジトから隙を見て逃げだそうとするが、窓から落ちて柵に身体を貫かれて無残にも死んでしまう。
 どうして俺ばかりこんな目に会うんだ。怒りに燃えるカージーは一丁の拳銃を取り出すと自警団として復讐を始めた。

 製作がメナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスだけあって強いアメリカ、タフなアメリカを描いた作品。西部開拓時代のように、自分と自分の家族の身は自分で守る。守るというか復讐か。個人に復讐する権利はあるのかといったのがテーマ。役立たずの警察は頼らない、俺の復讐は俺の手で果たす。オレだって大切な人が無残な殺され方をしたら犯人に殺意を抱くと思う。

 というわけで『DEATH WISH』シリーズ第二弾。
 前作ではチンピラに妻を殺され娘をレイプされた怒りに駆られて、無関係な街のダニどもを処刑する自警団となったが、今回はより目標が明確になり娘を殺した犯人であるダニどもに標的を絞っている。
 使用する拳銃はベレッタM84。ダブルカラムマガジンなので弾数は13発と多いが使用する弾丸は.380ACP弾と弱めでどちらかというと小型拳銃。これが3作目の『スーパー・マグナム』(1985)、4作目の『バトルガンM-16』(1989)と一作ごとに使用する銃が大型化していく。闇に隠れて悪を倒す自警団という役柄を考えると、今作でのM84辺りがちょうど良い気がする。

 娘が死んだ後に山荘にこもったカージーがひたすら斧で薪を割るシーンがあるが、ブロンソンは肉体労働がよく似合う。でも、役柄は建築家なんだよな。どこをどう見ても建築家には見えないこのギャップが、自警団という設定に説得力を持たせている。
 十字架を胸に架けたダニを前に「キリストを信じているのか。じゃあ会わせてやる」と言ってバンッと射殺するところなんか格好いいねぇ。
 前作でカージーの正体に気付きながら最後にはニューヨークを出て行く事で見逃した刑事(ヴィンセント・ガーディニア)が再登場。いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていて、執拗にカージーの事を追ってくる。カージーを逮捕したいのではなく、殺しを止めさせたいのだ。あと1年で定年だというのに、あわれカージーとダニとの撃ち合いに巻き込まれて死んでしまう。味のあるキャラクターだったのにもったいない。
 ラストの「3分間待ってやる。そしたら警報ベルを鳴らす」とカージーに逃げるように促す精神病院の係員も味がある。DVDには日本語吹き替えも収録されているが、この係員の声は小林清志。何で受付係なんかに小林清志と思ったがそうきたか。ブロンソンの大塚周夫との短い掛け合いが渋い。

 恋人役のジェニには私生活での愛妻ジル・アイアランドを起用。またブロンソンとジル・アイアランドの共演かというぐらい二人の共演作は多い。私生活だけではなく仕事の間も離れたくなかったのか。ちなみにジル・アイアランドはデヴィッド・マッカラムの元妻で、『大脱走』(1963)の撮影中にブロンソンとジルが知り合い後に略奪婚したもの。それでもマッカラムは恨み言一つ言わなかったらしい。男だ。
 そのジェニと結婚を約束していたのに、ごみ箱に捨て損ねた一枚のコピーで全て終わってしまう悲しさ。そして自警団を引退するつもりでいたカージーは今日も夜になると拳銃を片手にダニを求めて街を彷徨う。
 ダニの一人にまだ売れてない頃のローレンス・フィッシュバーンがいる。1作目のダニの中には同じく売れてない頃のジェフ・ゴールドブラムがいるが、このシリーズでダニ役をやると後に芽が出るというジンクスでもあるのだろうか。ローレンス・フィッシュバーンはバカなチンピラ役をやってあえなく殺される。この時のフィッシュバーンは今の自分を想像できただろうか。そして、今となってはこの作品はなかった事にしたいとか思ってないんだろうか。
 音楽が元レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジと無意味に豪華。3作目の『スーパー・マグナム』も担当している。この2作以外は映画音楽を担当していないがどんな考えがあったのだろうか。ジミー・ペイジの信条と『デス・ウィッシュ』シリーズのそれが合致したのか。

B0020HWAPO.jpg『雷神-RAIJIN-』(2008) KILL SWITCH 96分 アメリカ/カナダ

監督:ジェフ・F・キング 製作:カーク・ショウ 製作総指揮:スティーヴン・セガール、アヴィ・ラーナー、フィリップ・B・ゴールドファイン、キム・アーノット、リンジー・マカダム 脚本:スティーヴン・セガール 撮影:トーマス・M・ハーティング プロダクションデザイン: エリック・フレイザー 衣装デザイン:カトリーナ・マッカーシー 編集:ジェイミー・アラン 音楽:ジョン・セレダ
出演:スティーヴン・セガール、ホリー・エリッサ・ディグナード、クリス・トーマス・キング、マイケル・フィリポウィッチ、アイザック・ヘイズ、フィリップ・グレンジャー、マーク・コリー、カリン・ミシェル・バルツァー

 セガールの新作である。当然観るわけだ。結論から言えば話はつまらないがアクションはそれなりにあった。

 メンフィス市警のジェイコブはグリフターと呼ばれる連続猟奇殺人鬼を追っていた。その殺人鬼は死体やその近くに占星術で使うマークでメッセージを残していた。それが暗号になっていると考えたジェイコブはそれを解くのに必死だ。
 それと平行して、女性の身体に時限爆弾を埋め込む連続殺人犯もいて、どの線を切れば爆弾を解体できるかをジェイコブは暴力を振るって聞き出す。この暴力が問題視されて検察は爆弾犯を釈放してしまう。自由の身になるなり殺人を犯し出す爆弾犯はジェイコブに復讐を企む。
 捜査協力でFBIの女性捜査官が捜査に加わり、少しずつ猟奇殺人の謎は解明されていく。ついに暗号を解いたジェイコブはそれがあるロックバンドの歌詞だと知る。ロックバンドで作詞をしているメンバーのラザラスが犯人だったのだ。そしてさっそく犯人逮捕に向かう一行であった。

 アクションは多いがごまかしの利くアップを多用していて、めまぐるしく細かいカットで構成されている。これではセガールを使っている意味がない。それとも、もうごまかしのアクションしか出来なくなってしまったのだろうか。撮り方から言ってもスタントを多用している可能性も高い。相手はほとんど反撃せずセガールの一方的な攻撃ばかりなので観ていて飽きてしまう。しかも相手は素人で格闘家などは登場しないので迫力のある展開とはならない。もっとアクションで魅せてくれよ。
 銃撃戦はやたらバンバンと撃ちまくっているだけで、なんら工夫が見られないのでこちらも観ていて飽きてしまう。もう少しなんとかならなかったものだろうか。
 アクション映画なのだろうが、アクションを感じられなかった。

 では連続猟奇殺人犯を追うサイコサスペンスとしてはどうだろう。
 まず、暗号と言っても、アルファベットを占星術の記号に置き換えただけのいわゆるゾディアック暗号なのでそんなに難しくないはずだ。ジェイコブが机の前で頭を抱えて解いているが、コンピューターに強い署員がいればもっと早く解読できていたはずである。そもそもそんな暗号なんて細かい事は気にせず全て暴力で解決してしまうのがセガール映画ではないのか。
 そして、一度解読が出来てしまうと即犯人が判明し、そこからは単なる追跡劇になるだけで緊張感がない。犯人の異常性も中途半端で本当に異常なのか異常を気取っているだけなのか判断が付かない程度だ。サイコサスペンスとしてはもっとイカれた『羊たちの沈黙』や『セブン』のようなクレイジーな悪役が欲しかったところだ。
 ちなみにFBI女性捜査官は何の役にも立たない。

 ジェイコブが子供の頃に双子の兄弟を殺人鬼に殺されたという過去も活用されているとは言えない。というか頻繁に挿入される回想シーンはどういう意味で入れたんだ。
 そしてラスト、唐突に登場する妻と二人の子供はあれはなんなんだ。マンションで恋人の婦警と暮らしていたはずだが、あれは単身赴任だったのか。でも、刑事が単身赴任で仕事をする理由が分からない。それから、最後は刑事を辞めたのか?そこら辺もはっきりしない。

 どうにも盛り上がらず穴の多い脚本だなとおもったらセガールの手による物だった。セガール脚本がすべて悪いわけではなくアクションメインの作品では良い物もあるのだが、今回のサイコサスペンス風味の作品には向いていなかったように思う。
 邦題は『雷神-RAIJIN-』と意味不明だがセガール風ではある。ジェイコブのあだ名がライトニングだからそこから取ったのだろう。原題は『KILL SWITCH』だから全然関係ないのだが、この邦題は誰が考えているのだろうか。

B001ALQX86.jpg『蝋人形の館』(2005) HOUSE OF WAX 113分 アメリカ

監督:ジャウム・コレット=セラ 製作:L・レヴィン、スーザン・レヴィン、ジョエル・シルヴァー、ロバート・ゼメキス 製作総指揮:ブルース・バーマン、ポリー・コーエン、ハーブ・ゲインズ、スティーヴ・リチャーズ 原案:チャールズ・ベルデン 脚本:チャド・ヘイズ、ケイリー・W・ヘイズ 撮影:スティーヴン・F・ウィンドン 編集:ジョエル・ネグロン 音楽:ジョン・オットマン
出演:エリシャ・カスバート、チャド・マイケル・マーレイ、ブライアン・ヴァン・ホルト、パリス・ヒルトン、ジャレッド・パダレッキ、ジョン・エイブラハムズ、ロバート・リチャード

 ヒロイン役のエリシャ・カスバートが良い。口を瞬間接着剤で塞がれ、指を切断され散々な目にあっても悪人に屈することなく立ち向かう姿が美しい。これが共演で友人役のパリス・ヒルトンが主役だったらとたんにB級っぽさが立ちこめるに違いない。
 大学のアメフト大会を観戦するために旅をする若者が6人。内訳は女2人、男4人。そのうちエリシャ・カスバートとチャド・マイケル・マーレイは兄妹だ。
 カーナビで近道を見つけるがその道は通行止めに。しかたなく脇の田舎道へと入っていく。夜も遅くなったので野原でキャンプをしていると不審な車が近寄ってくるが、それだけのことであとはいちゃついたりビールを飲んだりして楽しく過ごす。
 この手の若者が殺されるのはホラーの法則第6条に明記されている通りである。もちろん彼らも殺人鬼の手によって惨殺され、ほんの一握りが生き残る。
 翌朝、車のファンベルトが切断されているのに気付いたエリシャの恋人は仲間を先に行かせエリシャと共に近くにあるという小さな田舎町まで買いに行く事にする。
 だがその田舎町は怖ろしい蝋人形の館だった。

 1933年に製作され1953年にはリメイクされた『肉の蝋人形』の再リメイク。とはいえ、本物の人間を元に蝋人形を作る、つまり蝋人形の中に人間の死体が入っているという以外はあまり共通点はない。
 製作はジョエル・シルヴァー&ロバート・ゼメキスが主宰するダークキャッスル・エンタテインメント。顔ぶれから見て分かる通り豪華なメンツである。設定はB級だがそれをA級にしているのもこのメンツだからだろう。
 ダークキャッスルには珍しくメジャー資本の映画だが、残虐描写は独立プロ系にも負けていない。ニッパーで指を切断する。アキレス腱をハサミでちょん切るなど地味に痛い攻撃からナイフで刺す、首を切り落とすなど派手な描写まで揃っている。これがどれもリアルで痛いのだ。
 一番イヤだったのがエリシャの恋人が生きたまま全身に溶けた蝋を噴射されて蝋人形にされてしまうところ。そして蝋人形になった後もまだ生きているのだ。指の一本も動かせずに死を待つだけ。ああイヤだ。怖い。
 町には蝋人形館があり、この建物は壁も床も全てが蝋で出来ているぐらいに徹底した蝋人形館だ。だが、今は亡き蝋細工師の母親を慕う二人の狂人の息子は町全体を蝋人形の館にしてしまった。スーパーもペットショップもそして20人ほどの人と神父(どちらも蝋人形)が集まっている教会もすべて蝋人形の館の一部なのだ。町の住人全員を蝋人形にしてしまったあげく、通りかかる旅行者も片っ端から捕まえては蝋人形にしていたのだ。それは蝋人形師に追われるパリス・ヒルトンが大量の携帯電話や車を見つけるシーンからも分かる。ちなみにパリス・ヒルトンはあっけなく死にます。個人的にはどうでもいい女優さんですが死に方は良かった。
 ラストは蝋人形の館が大炎上してどろどろと溶けていく。その中での蝋人形師との戦い。足場も定かではなくまるで熱したチョコレートの上で戦っているかのよう。熱した蝋の上での撮影は危険すぎるから粘土みたいな物を使ったのではないかと想像する。
 最後には壁も柱も溶けてしまって蝋人形の館はペチャンコになる。ここは作品最大の見せ場だ。まさか実物大の蝋人形の館を蝋で造る事はないだろうから模型かCGなんだろう。個人的には『ポルターガイスト』のラストで潰れて消えていく家を思い出した。そういえば両方ともメジャー資本によるホラー映画だ。
 蝋細工師は双子の兄弟で兄がおびき寄せ役、弟が蝋細工役を担当している。キャストを見てみると両方とも同じ俳優が担当していたみたいだ。こういう場合、ギャラは一人分なんだろうか、二人分なんだろうか。まぁ、演ずる人数はあまり関係なしに単にいくらで決まってしまうんだろうが。
 エリシャにも兄役が登場し、共に力を合わせて蝋細工師と戦いますから兄弟がテーマでもある。そう考えると、町の映画館でロバート・アルドリッチの『何がジェーンに起ったか?』(1962)という善と悪の姉妹を描いた作品が上映されているのも納得だ。
 ラストの保安官の「この町は奥まったところにあって、10年前に工場が閉鎖されてからは地図にも載ってないから気付かなかったんだ。今回の事がなかったらもっと続いたぞ」にはぞっとする。

B0022F6LUE.jpg『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』(2003) ONCE UPON A TIME IN MEXICO 101分 メキシコ/アメリカ

監督:ロバート・ロドリゲス 製作:ロバート・ロドリゲス、エリザベス・アヴェラン、カルロス・ガラルドー 脚本:ロバート・ロドリゲス 撮影:ロバート・ロドリゲス プロダクションデザイン:ロバート・ロドリゲス 編集:ロバート・ロドリゲス 音楽:ロバート・ロドリゲス
出演:アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック、ジョニー・デップ、ミッキー・ローク、エヴァ・メンデス、ダニー・トレホ、エンリケ・イグレシアス、マルコ・レオナルディ、チーチ・マリン、ルーベン・ブラデス、ウィレム・デフォー、ティト・ラリヴァ

 ストーリーがシンプルだった前2作と比べると、登場人物の数も増え敵対関係や力関係などもぐっと複雑になっている。

 情勢が不安定なメキシコが舞台。軍を私物化しているマルケス将軍は大統領の暗殺を企てている。それと手を組んだのが麻薬王のバリーリョ(ウィレム・デフォー)でこの機械に大金を稼ごうとしている。
 それにCIAのエージェントであるサンズ(ジョニー・デップ)や元FBI捜査官、そしてマルケス将軍に妻と娘を殺され自分も重傷を負わされた過去があるエル・マリアッチが関わってくる。
 こうして復讐と裏切りの物語が始まる。

 派手な銃撃戦は相変わらず。前作は酒場などの閉鎖空間での銃撃戦が多かったが、今回は市場などオープンスペースでの銃撃戦も観られる。個人的には前半の教会での銃撃戦が面白かった。白い鳩は飛ばないものの教会と銃撃戦といえば『狼/男たちの挽歌最・終章』のラストが思い出されるが、やはりジョン・ウーの影響は受けているのだろうか。アントニオ・バンデラスが踊るように連射するシーンは絶対に影響ありだと思うのだが。
 この仕事は一人では手に負えないと思ったマリアッチは二人のマリアッチを呼ぶ。これは『デスペラード』でもあった。しかし、ギターケースマシンガンやロケットランチャーはさすがにやり過ぎたと思ったのか、今回の二人は普通に銃で戦う。と思っていたら最後にはギターケースが火炎放射器になったり、ラジコンのように走らせて敵の元で爆発させたりとやはりやりたい放題。
 全体的にシリアスな作りで『デスペラード』の軽さは少ないが、お笑い部門を担当するのがサンズ(ジョニー・デップ)だ。メキシコのバランスを保つために美味い料理を作ったコックを厨房に行って撃ち殺したり、情報屋と会う時は身の安全を守るため偽の左腕を付けて本物の左腕はテーブルの下で銃を構えていたりする。ところがウェイトレスがその左腕にコーヒーをこぼしてしまったからさあ大変。
 他には闘牛場で“C.I.A.”と書かれたTシャツを着ているシーンがある。正体隠してないな?。“I'm with stupid.”というTシャツも着ていた。
 最後にはバリーリョに捕まり、両目をえぐり取られてしまう。ガム売りの少年の助けを借りて大統領官邸まで行くが入り口には敵が待ち構えていた。サンズは敵の動く音や声を聴いて狙いを付けて命中させる。このシーンは『座頭市』からヒントを得ているのだろうか。これがクエンティン・タランティーノだったら絶対なのだが、ロドリゲスだと同じメキシコを舞台にした『盲目ガンマン』(1971)の可能性もある。
 笑えるといえば、死者の日に軍が乱入してきてクーデターが起こった時に二挺拳銃で応戦しているおばさんには笑った。数秒しか出てこないので見逃さないように。何なんだあの人は。
 ストーリーはごちゃごちゃしすぎていてちょっと分かりづらいのが難点。誰が誰の敵で、誰が誰の味方なのかはっきりしない。ダニー・トレホなどどんな立ち位置なのかよく分からないうちに死んでしまった。
 とにかくストーリーが詰め込みすぎで、ロドリゲスのワンマン映画であることの弊害として出てきてしまったのではないだろうか。
 脚本もロドリゲス、監督もロドリゲス、製作もロドリゲス、音楽までロドリゲスでは客観的に見て指摘する立場の人がいない。自分で書いた脚本で自分で演出しているからロドリゲス自身には分かって当たり前の内容なのだろうが、俺たち観客にとっては初めて観る他人が作った映画だ。分かっているのを前提にされても困る。この上映時間ならばマルケス将軍はカットして悪役はバリーリョだけでも良かったのではないだろうか。製作だけでも他人に任した方が良かったのではないだろうか。
 懐かしのミッキー・ローク(『レスラー』が楽しみ。)や毒蛇のような悪役のウィレム・デフォーなど要所要所のキャストが豪華なのも嬉しい。『デスペラード』に続いてヒロイン役のサルマ・ハエックはすでに殺されているという設定なので登場シーンが少ないのが残念。ただし、彼等の共演シーンが少ないのは残念。アントニオ・バンデラスとジョニー・デップの共演シーンなどもっとたっぷりと観たかった。
 アントニオ・バンデラスの男臭さは少し薄まっている気はするが、暑苦しさは変わらない。微妙なロングヘヤーで二挺拳銃や銃身の短い二連式ショットガンをガンガン撃ちまくる。この作品はバンデラスの発砲シーンの出来にかかっていると個人的には思うのだが、ジョニー・デップに美味しいところを持って行かれてしまって今一つ影が薄い気がするのはオレだけか。

 原題の『ONCE UPON A TIME IN MEXICO』はやはりセルジオ・レオーネの『ONCE UPON A TIME IN THE WEST(邦題:ウエスタン)』のオマージュだろうか。復讐の物語という点で両者は共通している。

B001IF79Y6.jpg『ランボー 最後の戦場』(2008) JHON RAMBO 90分 アメリカ

監督:シルヴェスター・スタローン 製作:アヴィ・ラーナー、ケヴィン・キング・テンプルトン、ジョン・トンプソン 製作総指揮:ランドール・エメット、ジョージ・ファーラ、アンドレアス・ティースマイヤー、フロリアン・レクナー、ダニー・ディムボート、ボアズ・デヴィッドソン、トレヴァー・ショート キャラクター創造:デヴィッド・マレル 脚本:シルヴェスター・スタローン、アート・モンテラステリ 撮影:グレン・マクファーソン 編集:ショーン・アルバートソン 音楽:ブライアン・タイラー
出演:シルヴェスター・スタローン、ジュリー・ベンツ、ポール・シュルツ、マシュー・マースデン、グレアム・マクタヴィッシュ、レイ・ガイエゴス、ティム・カン、ジェイク・ラ・ボッツ、マウン・マウン・キン、ケン・ハワード

 1980年代から戦い続けたランボーの旅もようやく終わりである。
 年を取り、もう死んだ魚の目もしていないがむやみにギラギラともしていない。設定ではドイツ人とネイティブアメリカンのハーフということになっているが、ヘアバンドがそのネイティブアメリカンっぽさを出している。

 タイで船を一隻持って悠々自適に暮らしていたランボーの元へアメリカのキリスト教ボランティアグループから接触がある。隣国のミャンマーに侵入して迫害されているキリスト教系現地人に物資を届け医師の治療を受けさせたいので船で運んで欲しいというのだ。いったんは断ったランボーだが、一団の女性に説得され結局船を出すことに。途中で海賊に遭遇する物のそれをなんとか切り抜けて無事に目的地に着いた。
 ところが、彼等が予定日を10日もすぎても戻ってこないのだという。今度は彼等を救出する傭兵を乗せてランボーは現地へ運ぶ。彼等がいた現地人の村が襲われ大半の物は殺され生き残った者も人質となっているのだ。決死の救出作戦が始まった。

 ミャンマーはご存じの通り軍事独裁政権の国で、民主化は弾圧され民主化指導者アウンサンスーチーさんが長く軟禁状態である。少数部族への弾圧も行われているようだ。昔はビルマと言ったのだが1989年に軍事政権がミャンマーと国名を改めた。国連や日本を始めとする他国もミャンマーに改めた。しかし、人権主義者達の間では今でもビルマが使われることがあり、この作品でも一貫してビルマが使われている。

 この作品でもランボー弓矢が大活躍をする。地雷を放り込んだ水田を捕虜に走らせて誰が無事に走るかビルマ兵が賭けているシーンで、そのビルマ兵を数十秒の間に全滅させる。
 そして自ら鉄を鍛えて作ったランボー包丁。マチェットにしては短く、長目の中華包丁と言った感じだ。これで敵をぐさりばっさりと叩き切る。鋭利な刃物と言った感じではなく鈍い刃で力任せに叩き切る。痛そうだ。どうせ刃物で殺されるのならば、オレは日本刀のような切れ味の鋭いのがまだいい。切れ味の悪いので力任せにバシュバシュってのはごめんだ。
 三番目はランボー機関銃。敵から奪った台座式の機関銃なのでランボーの名を付けて良いのか迷うが、終盤ではこれでバリバリと敵を撃って撃って撃ちまくる。頭が飛び、腕が飛び、足が飛ぶ。それぞれくっついていたらどうといういことはないが、バラバラだから大変だ。大口径の機関銃なので威力が半端じゃないスプラッター描写。
 今回のランボーは全体的に暴力描写が激しい。現地人がビルマ軍に襲撃されるシーンはまぎれもない惨劇で、女子供も容赦せずに打ち殺されたり刃物で切り刻まれたりしている。赤ん坊を火の中に投げ込むシーンまである。これまでより確実にレイティングは上がっているだろう。そこまでして書きたい物があったのだ。それは派手な戦闘シーン。映画史に残る派手な戦闘シーンが展開される。戦場には倫理観も道徳観もありはしない。生きるか死ぬかだ。
 残虐描写を見せつけられるが、これは観客の我々を戦争を甘く見て現地入りしたボランティアグループに重ねているのだろう。現実はそんなに甘くないぞ。
 スタローン自身がミャンマー問題にどれだけ感心を抱いているかは不明だ。本当に真剣にミャンマー問題に向き合うならば、このような戦争アクション映画にはならなかっただろう。たまたまランボーが暮らしていることになっているタイの近くのビルマが紛争地域だから使っただけで、別にアフリカの紛争地帯でも中近東の紛争地帯でも良かったのだろう。インタビューではどう答えているかは知らないが、ランボーを活躍させる場として選んだだけではないだろうか。
 ランボーは戦う。これまでのように強いられたり巻き込まれた形ではなく、自分の意志で戦うことを選ぶ。そしてその戦いの中でようやく本来の自分を取り戻す。
 映画のラスト、ランボーは生家に帰ってくる。『R.RAMBO』の郵便入れがついた牧場に向かってゆっくりと足を進めるランボー。
 おそらくベトナム戦争帰還後はしばらくいたのだろうが、戦争への悩みから家を飛び出し放浪者となって1作目に。2作目の後から4作目まではタイにいたようなので二十数年ぶりに帰ってきたのだ。きっと頑固者のパパ・ランボーに叱られ、ママ・ランボーに取りなしてもらうのだろう。あるいは二人とももうこの世の人ではなく、兄弟の家なのかも知れない。ランボーの旅は長かった。長すぎた。でもそれもこれで終わりだ、なんといっても『最後の戦場』なのだから。
 ……えっ、それは邦題だけで原題は『JHON RAMBO』と名前だけで“最後”とも何とも言っていないって。意外に評価が高かったし興行成績も良かったんでスタローンは続編を見当してるって?
 スタローン、もう休ませてやれよ。

B001K6SDKC.jpg『ランボー3/怒りのアフガン』(1988) RAMBO III 100分 アメリカ

監督:ピーター・マクドナルド 製作:バズ・フェイトシャンズ 製作総指揮:マリオ・カサール、アンドリュー・G・ヴァイナ 原作:デヴィッド・マレル 脚本:シルヴェスター・スタローン、シェルドン・レティック 撮影:ジョン・スタニアー 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:シルヴェスター・スタローン、リチャード・クレンナ、カートウッド・スミス、マーク・ド・ジョング、スピロス・フォーカス、サッソン・ガーベイ

 最初は『ハイランダー』シリーズのラッセル・マルケイ監督でスタートしたそうだが、スタローンと揉めて降板し代わりに『ランボー/怒りの脱出』で第2班監督(主にヘリコプターのシーン)を務めたピーター・マクドナルド監督作となったそうだ。お互いに個性が強い監督と主演なので無理もなかったのかも知れないが、観てみたかったぞラッセル・マルケイ版。

 映画はタイの格闘技場から始まる。この辺りを含めてこの作品はチャーリー・シーン主演の『ホットショット2』の元ネタの宝庫なのでぜひ観ておくように。『ホットショット2』を二倍にも三倍にも楽しめる。
 前2作では死んだ魚の目をしていたランボーが今作では瞳がキラキラと輝いている。寺の雑用をやっているようだが、やはり仏教は偉大なのだ。
 今回の任務では、ランボーの師匠トラウトマン大佐がアフガニスタンでソ連軍に捕らえられてしまったためそれを救出しにいく。これまでの作品で偉そうなことを言っていた割に情けないぞトラウトマン。しかも日本公開をほぼ前後して「ソ連軍アフガンから撤退」というニュースが流れたのはさすがにタイミングが悪かったぞ。
 アフガンでランボーをサポートする役はオサマ・ビン=ラディンをイメージしていたそうだ。ソ連の迫害にもくじけずに徹底して戦い抜く。武器屋にライフルと並んで義足が並べられているところは衝撃的だ。「
この辺りでは地雷で足を無くす人が多いんだよ。」後にアメリカ相手にも徹底して戦い抜くとは思いもよらなかったに違いない。最初はランボーをずぶの素人と思っていて、次第に戦場での信頼に結ばれていく様子は悪くない。
 『ランボー/怒りの脱出』にも増してバカ度だ進んでいく。ソ連の特殊部隊であるスペツナズの精鋭達を相手に、例によってランボー弓矢で勝ち進んでいく。ほんと無敵だな。ステロイドで鍛え上げられた肉体にはもはや銃弾も刃物も刃が立たない。1作目の断崖から飛び降りて負ってしまいランボーナイフの柄の部分に入っていた針と糸で縫った傷や、2作目のソビエト軍人に熱したランボーナイフで付けられた傷がちゃんと残っているのはシリーズを通して観ているとちょっと感慨深い。ガキの頃、欲しかったなぁランボーナイフ。今ではランボーナイフどころかカッターナイフがカバンに入っていただけで犯罪に使おうというのでもないのに警察に逮捕されてしまう世の中だ。まったく息苦しくてたまらない。
 前作で登場した戦闘ヘリハインドモドキが今回は2機も飛び回る。でも編集でごまかしているだけで実際は1機。意外とあっけなくやられてしまって迫力面では前作に劣っている。
 途中でアフガニスタン人達が子羊の死体を使って馬に乗って行うポロのような競技を行う。もちろんそれに参加するランボー。同じようなスポーツは命がけアクション映画『天山回廊』(1987)にも登場していた。アジアには実在するスポーツなんだろうか。
 そしてラストには「このえいがをアフガンの戦士達に捧げる」とのクレジットが出る。でも、彼等の現在の標的はアメリカなのだ。

B001K6SDK2.jpg『ランボー/怒りの脱出』(1985) RAMBO: FIRST BLOOD PART II 96分 アメリカ

監督:ジョルジ・パン・コスマトス 製作:バズ・フェイトシャンズ 製作総指揮:マリオ・カサール、アンドリュー・G・ヴァイナ 原作:デヴィッド・マレル 原案:ケヴィン・ジャール 脚本:ジェームズ・キャメロン、シルヴェスター・スタローン 撮影:ジャック・カーディフ 編集:マーク・ゴールドブラット 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:シルヴェスター・スタローン、リチャード・クレンナ、チャールズ・ネイピア、ジュリア・ニクソン、スティーヴン・バーコフ、マーティン・コーヴ、ジョージ・チェン、アンディ・ウッド

 1作目の鬱屈したところがすっかり無くなってバカ戦争アクション映画へと変貌を遂げた第2作。
 1作目の罪で刑務所の作業場である採石現場で働くランボーの元にトラウトマン大佐がやってきて、「お前に任務がある。これをやれば自由になれるぞ」とランボーを再びベトナムへと連れ出す。
 任務とはベトナムの捕虜収容所の写真を撮ってきて戦闘時行方不明者MIAが囚われていないかを調べてくると言うもの。CIA担当官の命令は決して戦闘を行ってはならず、ただ写真を撮ってくるだけ。ところがランボーは収容所で見つけた捕虜を連れ出して合流地点に現れる。CIA担当官は「作戦は中止だ、即刻ヘリを引き上げさせろ」とランボー達のすぐ上空に来ていた救出ヘリを引き上げさせる。
 ランボーは捕らえられ、ソ連軍兵士によって拷問を受ける。だが、そのまま屈してしまうランボーではない。隙を見て逃げ出すと、ソ連軍とベトナム軍に単身復讐を始めるのであった。

 1作目の原題は『FIRST BLOOD』で邦題は『ランボー』。その日本で大ヒットしたのでこれは主人公の名前をタイトルに使った方が良いと言うことで『RAMBO: FIRST BLOOD PART II』になったという話しを聞いたことがある。スタローンには主人公の名前がタイトルの人気シリーズ『ロッキー』があるしどこまで本当なのかは不明。アメリカ側が多少日本をよいしょ発言してくれたのかも知れない。
 スタローンにとっては同じ年に『ロッキー4』があり人気の絶頂期。そしてその後一気に落ちていくのを予感させ始めた頃だった。ステロイドで肥大化させた肉体は彼の肥大化した自我を表しているようであり。どちらの作品もソ連を敵とした愛国映画で、観客はともかく批評家の受けは悪かった。ゴールデン・ラズベリー賞、通称ラジー賞の常連になるのもこの頃から。
 だが単純に善悪がはっきりしていて、今回は州兵ではなく精鋭部隊を相手にまたもや一人また一人と音もなく殺していく様はまさに殺しのプロ。1作目にあった戦争批判は姿を消し、ランボーは捕虜奪還という名目のために殺して殺して殺しまくる。
 しかも今回は秘密兵器も登場する。弓矢だ。弓道で使うような洗練された物ではなくて黒くてゴツイ金属製のまさに殺しのための武器。音もたてずに攻撃でき敵に気づかれないから単独行動での任務に向いているのだ。この弓矢、なにがすごいったって撃っても撃っても矢の数が減らないのがすごい。矢尻に爆薬が仕掛けられたのもあり、出撃前の準備のシーンだと4つだけだったはずが10本近くは撃っている。撃ちすぎだろ。しかも矢尻に入っている火薬なんてたかが知れていそうなものだがどっかんばっかん大爆発。
 敵は敵でヘリコプターから妙な爆弾を落として滝が大爆発。映画の撮影とは言え環境汚染じゃない?

 脚本は『ターミネーター』を撮った直後のジェームズ・キャメロン。時期的には『エイリアン2』(1986)の脚本を書いていた時期と近い。それを元に新たにスタローンが手を加えたのが実際に使用された脚本。どれだけ変更点があったのか、オリジナルの脚本はどんな物だったのか一度見てみたい。製作総指揮に後に『ターミネーター2』(1991)を手がけるマリオ・カサールがいるが、これが縁で知り合ったのだろうか。
 ラスト、ランボーはソ連軍のヘリを奪い捕虜収容所を襲撃して、捕虜全員を乗せると基地に向かって飛び立つ。
 ジャングルの上を飛ぶヘリ。ここでホッと一息。やれやれこれで大丈夫だ。大丈夫だ……これはジェームズ・キャメロン脚本だぞ。というわけでやはり出ました最後の強敵ハインドモドキの大型攻撃ヘリ。やっつけてもやっつけてもさらに強い敵が出てくるのはキャメロン脚本の法則。
 このハインドモドキは輸送ヘリを改造したものだそうだが、チャック・ノリスの『ブラドック/地獄のヒーロー3』(1988)に登場するのもこのヘリの使い回しだろうか。多分、チャックさんの映画でそこまでの物を独自で作れるとは思えないのだが。
 監督は『カサンドラ・クロス』のジョルジ・パン・コスマトス。翌年の『コブラ』(1986)でもスタローンと組むことになる。

B001K6SDJS.jpg『ランボー』(1982) FIRST BLOOD 94分 アメリカ

監督:テッド・コッチェフ 製作:バズ・フェイトシャンズ、シルヴェスター・スタローン 製作総指揮:マリオ・カサール、アンドリュー・ヴァイナ 原作:デヴィッド・マレル 脚本:シルヴェスター・スタローン、マイケル・コゾル、ウィリアム・サックハイム 撮影:アンドリュー・ラズロ 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:シルヴェスター・スタローン、リチャード・クレンナ、ブライアン・デネヒー、ジャック・スターレット、デヴィッド・カルーソー、ビル・マッキーニー、マイケル・タルボット、クリス・マルケイ、デヴィッド・クローリー、ドン・マッケイ

 アメリカ北部。ホリデーランドという名の田舎町に一人の男が現れた。その名の通り暖かく楽しそうなその街の保安官は彼を見つけるとどこへ行くのかと尋ね、ポートランドだと聞くとパトカーに乗せてポートランド側の街の外れに連れて行った。
「食事がしたいのだが」「道路沿いに50キロ行くと食堂がある」
 そしてパトカーは街へと引き返すが、バックミラーを覗いた保安官は男が待ちに足を向けて歩き出したのに気づく。男を浮浪罪で逮捕すると保安官の助手達が地下の留置所でホースで水をかけて身体を洗ったり、無理矢理に押さえつけてヒゲを剃ろうと試みた。
 その時である、その男ジョン・ランボーがどれだけ夜を重ねても忘れられないベトナム戦争での悲劇が甦ったのは。ベトナム軍の捕虜となり拷問されたことを思い出したのは。
 ランボーはバイクを奪うと、保安官のパトカーの追跡を逃れて山に隠れ入る。たかだかナイフ一本持っただけの男などすぐに捕まえられると簡単な気持ちでいた保安官たちは手痛い反撃を受けることになる。

 ランボーはグリーン・ベレーの隊員で名誉勲章も受けたベトナム戦争の英雄。だが、今ではそのベトナム戦争で受けた心の傷が癒えることなく、受け入れてくれる人がいないために社会に溶け込むことも出来ずに孤独に生きるままの戦争後遺症患者。
 終盤で元上官のトラウトマン大佐に泣きつくシーンのセリフは原作にはなくスタローンの手によるものとか。「戦場では100万ドルの兵器を扱わせてくれた。それが今では駐車場係の職もない」「ベトナムには戦友がいてお互いに助け合っていた。ここには誰もいない」などなど名愚痴セリフだろう。でも泣きついている相手のそのトラウトマン大佐がお前をそんな風にしたんだよ。
 1作目の段階では『ランボー』は戦争映画ではなくアクション映画で、反戦映画でもあった。スイスのアメリカン・スクールに在籍中だったのでベトナム戦争に徴兵されなかったスタローンがやるのはどうかなとちょっと思うが。ステロイドによる筋肉モリモリが目立つのは次回作の頃からで、この時は普通に良い体格程度。ここでとどめておいても良かったのに。逃げる途中で負った傷を後のシーンで痛がるランボーが登場するが、後のランボーだと眉をしかめて終わりだな。
 トラウトマン大佐を演じたリチャード・クレンナは脇役中心の俳優だが、オレは一つだけ主演作品を知っている。タイトルは『犯られた刑事』(1985)。そのタイトル通りに中年刑事が犯罪者にホモレイプされてや犯られてしまう。そのことでレイプ被害者の気持ちを知りレイプ犯罪に真剣に戦い始めるといったないようだった。気がする。『ランボー/怒りの脱出』(1985)のどさくさでビデオ化されたのを20年以上前に観た記憶がある。

 ジャングルでのゲリラ戦になったランボーの強いこと強いこと。本気を出していないのに保安官助手たちを一人一人と確実に戦闘不能にしていく。中でも痛そうなのが木のスパイクを埋め込んだ跳ね返り式のトラップ。足を踏み出すと曲げてあった枝が伸びて向かってきて細い木の棒が足を貫通する。抜く時も木のささくれがあって痛そうだ。あれなら素直にナイフで刺された方が良い。実際のゲリラ戦ではそのスパイクに糞尿を塗ることで傷口を化膿させたと言うから怖ろしい。
 公開時のキャッチコピーは1対1000みたいなことを言っていたが、そんな大群を相手に戦うシーンはない。相手の人数も映画内の設定で200人程度のようだ。一騎当千的な語呂の良さがあって1対1000になったのだろうか。
 その200人の兵士もプロの兵士ではなく州兵。この作品では「パートタイマーの俺たちが」とか「明日には薬局の仕事に戻らないと」との発言があり、州兵を題材にした映画『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』(1981)でも他に本職があり年に何度か集まって訓練を受けるといった内容だった。専属の職業軍人ではなく必要な時に借り出される存在なのだろう。だとしたら、そんな連中がランボーに敵うはずがない。

 最後まで針葉樹の森林の中で物語が進んだと記憶していたので、終盤になってランボーがホリデーランドにM60を抱えて乗り込んできたのに驚いた。トラウトマン大佐に泣きつくシーンも森の中だと思い込んでいたんだがな。相変わらずいい加減な記憶。
 そしてランボーは街を破壊し始め、怒った保安官との対決。というか、保安官はそんなにひどいことしてないんだよな。お前は怪しい奴だからオレの街には入ってくるなというのはショックだったかも知れないが、実際に冒頭のランボーは怪しいからな。特に目が死んだ魚の目だ。
 保安官役は『F/X』シリーズなどのブライアン・デネヒー。頑固そうな面構えに胸回りも腹回りも大きな体格。身長もあって今回の保安官や警官役を演ずることが多い。
 音楽のジェリー・ゴールドスミスはエンディングで流れる主題歌『It'S A LONG ROAD』の楽曲も手がけていて、いつもの調子と違ってちょっと意外。作品を象徴する良くできた主題歌だ。

B000W7E63I.jpg『リプレイスメント・キラー』(1998) THE REPLACEMENT KILLERS 87分 アメリカ

監督:アントワーン・フークア 製作:ブラッド・グレイ、バーニー・ブリルスタイン 製作総指揮:ジョン・ウー、マシュー・ベア、テレンス・チャン、クリストファー・ゴドシック 脚本:ケン・サンゼル 撮影:ピーター・ライオンズ・コリスター 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:チョウ・ユンファ、ミラ・ソルヴィノ、マイケル・ルーカー、ケネス・ツァン、ユルゲン・プロフノウ、ティル・シュヴァイガー、カルロス・ゴメス、ダニー・トレホ、A・J・マートン、アル・レオン

 ああっ、『男たちの挽歌』シリーズであれだけ格好良かったチョウ・ユンファが何だこれは。ちょい下ぶくれで七三分け。これで眼鏡でもかけようものなら東洋のビジネスマンではないか。
 この作品でのチョウ・ユンファの見せ方が悪いのか、東洋人の中に置いてこそチョウ・ユンファは格好良かったのか。その後の活躍ぶりを見ると、やはり東洋人としての格好良さだったのだろうか。
 こいつがチョウ・ユンファのハリウッドデビュー作。もう10年も経つのか。その間の出演作というと『NYPD15分署』(1999)、『バレット・モンク』(2003)、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』(2007)が一番の大作で、新作は『ドラゴンボール』(2009)の亀仙人。そこそこ出演作はあるが、ジャッキー・チェンやジェット・リーなどの格闘アクションスターと比べるとやはり落ちる。
 チョウ・ユンファといえば二丁拳銃の乱射だが、アメリカで高校生などによる乱射事件が相次いだためにハリウッドが激しい銃撃戦から一歩引いた時期だったのもタイミング的に悪かった。この作品でも全体を通して銃撃戦が繰り広げられるが、香港のジョン・ウー物を見た目にはちょっと地味に感じられてしまう。ちなみにジョン・ウーはこの映画の製作総指揮に関わっている。この頃のジョン・ウーは『フェイス/オフ』(1997)と『M:I-2』(2000)との合間。どうせならジョン・ウーが監督をやれば良かったのに。
 監督はアメリカ人のアントワーン・フークア。今作でデビューして『ティアーズ・オブ・ザ・サン』(2003)や『ザ・シューター/極大射程』(2007)を撮ることになる人なので才能はあるのだろう。だが、銃撃戦で派手な連射はしてくれるのだが、突っ立って連射しているだけのシーンが多く人の動きの動線に面白みがない。その点に関してはやはりジョン・ウーが数歩先を行っている。
 CMやミュージックビデオ出身の人なのでスタイリッシュなのかも知れないがまだ映像に重みがないのだろう。
 劇場公開時のコピーは『映画史上、最も美しい銃激戦。』そりゃ言い過ぎだ。

 組織に与えられた仕事を出来ずに逆に命を狙われることになる殺し屋。そしてその母と妹を人質に取られている。アメリカから中国へ脱出するため、組織の手がかかっていない偽造屋にパスポートを依頼するがこれが白人美人のミラ・ソルヴィノ。だが彼女も巻き込まれて組織に狙われることになる。生きて街を抜け出すことが出来るのか?

 刑事役にマイケル・ルーカー。組織のボスに『男たちの挽歌』のキンさんことケネス・チャン。その部下には『Uボート』のユルゲン・プロフノウ。チョウ・ユンファをつけ狙う殺し屋にはダニー・トレホに出てきた瞬間チョウ・ユンファに撃ち殺されるアル・レオンと観る人によっては豪華な顔ぶれ。ミラ・ソルヴィノのチョウ・ユンファに依存することなく、互いに自立した人間同士の関わり合いで変に恋愛方向に話しを持っていかないのが良かった。
 当然のごとく終盤に派手な撃ち合いがあるのだが、悪役たちがちょっと簡単にやられすぎで手応えがない。ザコに継ぐザコで、せっかく良い死に方をしてくれるユルゲン・プロフノウはミラ・ソルヴィノが片付けてしまう。チョウ・ユンファと戦うダニー・トレホぐらいはもっとタフでも良かったんじゃないだろうか。観たかったぞ、二人の死闘。
 チョウ・ユンファが主に使うのはもちろんM92F。序盤では一丁だが当然二丁拳銃も披露してくれる。両手に一丁ずつ。ベルトの前に二丁、後ろに二丁。その分、予備マガジンを持った方がいいんじゃないかとも思うが、打ち終わった銃を惜しげもなく投げ捨てると次の銃を抜くところがイカすのだ。タランティーノの『ジャッキー・ブラウン』(1997)だかで「香港人は弾切れになると銃を捨てちまうんだぜ」ネタにされていた気がするが、タランティーノも気に入っているに違いない。

 ラストの空港で、人混みの中にふっと消えるチョウ・ユンファ。やっぱり渋いねぇ。白人に分からなくても東洋人には分かるのだ。

B001MC02VW.jpg『レクイエム』(2004) WAKE OF DEATH 90分 アメリカ

監督:フィリップ・マルチネス 製作:アラン・レイサム、フィリップ・マルチネス、ステファニー・マルチネス 脚本:フィリップ・マルチネス、ミック・デイヴィス、ローラン・フェルー 撮影:エマニュエル・カドッシュ、マイケル・スワン 音楽:ガイ・ファーレイ
出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、サイモン・ヤム、ヴァレリー・ティアン、トニー・スキエーナ、リサ・キング、ダニー・キーオ、フィリップ・タン、アンソニー・フリッドジョン、クロード・エルナンデス

ジャン=クロード・ヴァン・ダムのDVD新作『レクイエム』はかなり良いぞで詳しくは後日と書いたのが2005年07月24日で3年半ばかりほったらかしにしておいたのであった。今にして思えば、ヴァン・ダムにこれもまでと違う一面を感じたの初めての作品である。

 オープニング、ソファに腰掛けたヴァン・ダムの静の画面が映し出される。
 そしてカーチェイスと銃撃戦の動のと一転する。
 再びソファに腰掛けたヴァン・ダムの静の画面。ただし、今度は手前にシーツの掛けられた二つの死体。

 これらの画面の謎が解かれるのは物語も中盤に入ってから。ここで見せた静と動の画面の使い分けが全編を支配していて実によい。監督のフィリップ・マルチネスは後にデニス・ホッパー出演の『NINE -ナイン-』などの制作をする人物だが、監督としての実力も持った男だ。
 ヴァン・ダム風のアクションは少ないが、全体的に重苦しくピリッとした仕上がりで考えてみればこの作品で演技をするヴァン・ダムを初めて意識したのだろう。「泣くヴァン・ダム」はこの作品が初めてか。ラストのあっけなさも良い。息子とプレステで“鉄拳”を遊ぶヴァンダム。いいお父さんだなぁ。
 それにしても、ヴァン・ダムの右おでこのコブは何なのであろう。若い頃はそれほど目立たなかったが、この頃になるとはっきりと目立つ。先天性の物なのか、後天性の物なのか。初期の作品では見られなかったから後者なのだろう。だとしたら、思いっきりぶつけたのであろう。

B001FYZOBK.jpg『レプリカント』(2001) REPLICANT 99分 アメリカ

監督:リンゴ・ラム 製作:デヴィッド・デイドン、ダニー・ラーナー、ジョン・トンプソン、ウィリアム・ヴァンス 製作総指揮:トニー・カタルド、ボアズ・デヴィッドソン、ダニー・ディムボート、アヴィ・ラーナー、トレヴァー・ショート 脚本:ローレンス・デヴィッド・リギンス、レス・ウェルドン 撮影:マイク・サウソン 音楽:ガイ・ゼラファ
出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、マイケル・ルーカー、キャサリン・デント、ブランドン・ジェームズ・オルソン

 今回のヴァン・ダム特集まで観ていなかった。失敗失敗大失敗。
 だって、ヴァン・ダムがまた一人二役だっていうし、犯罪者の毛髪からレプリカント(クローン)を作って犯人捜しに使うという設定がイマイチ意味不明だし興味を引かれなかったのだ。

 連続して発生する女性惨殺事件。犯人を追う刑事ジェイク(マイケル・ルーカー)は結果を出せないまま警察を引退しボートの修理業を始める。そんな彼の元に国家安全保障局をを名乗る人物が現れ、秘密の研究所へと連れて行かれる。そこでは、1年前に入手した犯人の毛髪からレプリカント(ジャン=クロード・ヴァン・ダム)を作り出していた。
 レプリカントを託されたジェイクは、その行動から犯人を割り出すことを依頼される。最初は犯人の分身であるレプリカントを憎み行動の程度の低さから人間扱いしなかったが、次第に成長していくレプリカントに奇妙な友情を感じるようになる。
 そんな中、犯人(こちらも当然ヴァン・ダム)は次なる犯行に取りかかる。

 レプリカントが犯人の記憶を持っているのは、DNA情報を引き継いだというトンデモな設定ではなく、遺伝子操作でテレパシー能力を高めており犯人と感応することが出来るからなのだ。まぁ、これもトンデモだが。
 1年で成人男性に成長したのはこれもなんか細工をしたんだろう。
 ヴァン・ダムの一人二役は『ダブル・インパクト』の協力して戦うや『マキシマム・リスク』の出合った時には片方は死んでいるだったが、今回は敵と味方に分かれており、終盤は二人の対決が見物。ジェット・リーの『ザ・ワン』と似た構図だ。体格が似ていて同じようなアクションが出来るスタントマンを探してこないといけないので撮るのがむずかしそうだ。

 だが、今回の見所はヴァン・ダムの演技。最初は赤ん坊状態で、次第に知恵を付けて成長していく様子を上手く演じている。特に、娼婦に誘われてベッドインし、「ここから先は100ドル払ってよ」と言われているのにそれを理解できず女性に抱きついて興奮しているところなんか上手い。そのヴァン・ダムの演技をサポートするのがオレの好きなマイケル・ルーカー。地味ながら骨太な演技で最初はレプリカントを手錠で繋ぎ犬のような扱いをするが、次第にその人間性を認めていく。
 ここまでのまるでフランソワ・トリュフォーの『野性の少年』(1969)を思わせる展開がなかなか感動的である。
 この無垢なレプリカントに対して、残虐非道な殺人鬼の相反する演技が見物。幼児期に母親から虐待を受けたトラウマから子供を虐める母親を殺して回る殺人鬼とただの殺人鬼じゃない。悪役のヴァン・ダムも良いね。ニヤリと笑うと色気のある悪意が見て取れる。

『レジョネア 戦場の狼たち』の回でネスカフェさんに紹介いただいた淀川長治著『いいねぇ!素敵だね!男優編』の古本を取り寄せてみた。
 ゲイリー・クーパーやバート・ランカスター、ケイリー・グラントといった古株からアンソニー・ホプキンス、トム・ハンクス、ハーヴェイ・カイテルにトム・クルーズといった最近の俳優まで37人がずらっと勢揃い。その中に、ヴァン・ダムやシュワルツェネッガー、スティーヴン・セガールが入っているのが日曜洋画劇場と関わっている本とはいえ淀川さんの好みが分かって良い。肉体派好きだもんな。シュワルツェネッガーに冗談じゃなく本気で「一緒にお風呂入りましょうよ」と言った人だ。
 ヴァン・ダムに関しても肉体の美しさについて書いている。シュワルツェネッガーのような超人的な肉体ではなく、人間の男のからだの日常のなかの男の美しさのベスト・ワンとまで書いている。そして、書いた当時のヴァン・ダムは35歳で今はアクションスターで良いが40歳を過ぎてからどうするかが勝負だ。「大人のからだに子供の心。肉体派にはこれが多い。そして時に悲劇を生んで、ジョニー・ワイズミュラーのごとく老人ホームで孤独、しかも頭が狂った。そのような悲劇もある。ヴァン・ダムよ、マーロン・ブランドにはなるな、もっとすごい、俳優になり給え。」
『サドンデス』(1995)の頃のヴァン・ダムにこんなことが書けるのが淀川さんの怖ろしさ。当時、そういった目でヴァン・ダムを捉えていた人が他にいただろうか。
『その男ヴァン・ダム』でヴァン・ダムの演技力に気づいたオレなんかほんと足元にも及ばないのである。それにしても、淀川さんに『その男ヴァン・ダム』を観せて上げたかった。必ずや喜んでくれたに違いない。

B00005RUWT.jpg『レジョネア 戦場の狼たち』(1998) LEGIONNAIRE 98分 アメリカ

監督:ピーター・マクドナルド 製作:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、エドワード・R・プレスマン 脚本:シェルドン・レティック、ジャン=クロード・ヴァン・ダム 撮影:ダグ・ミルサム 音楽:ジョン・アルトマン
出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、スティーヴン・バーコフ、ジム・カーター、ニコラス・ファレル、アドウェール・アキノエ=アグバエ、ダニエル・カルタジローン、アナ・ソフレノヴィック

 ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演だがアクション映画ではなくフランス外人部隊を題材にした戦争映画という異色作。

 1925年、フランスのボクサーヴァン・ダムは八百長試合で負けるはずが自らのプライドを優先させて勝ってしまい、犯罪組織にその身を狙われる。八百長を請け負った友人も殺され駆け込み寺のように逃げ込んだのがフランス外人部隊の新兵募集受付。外人部隊に入隊し、南アフリカに派兵されることで身の安全を確保したのだ。しかし、アメリカ行きを約束していた恋人の行方は不明のまま。
 そして、派兵先では過酷な訓練と地獄の戦場が待っていた。

 フランス外人部隊は英語で“French Foreign Legion”。Legionの兵士だから原題は『LEGIONNAIRE(レジョネア)』で、軍団兵などと訳されるようだ。
 アクション部分は序盤の試合のシーンとそれに続く逃走劇だけ。それ以降は完全に戦争映画となっている。
 敵となるのは砂漠の騎馬民族。部隊がどこかははっきりと語られていなかったと思うがモロッコかナイジェリアだろう。フランスが植民地として占領し、それに反抗する現地人との戦いである。
 外人部隊に入隊してくる者は何かしらの過去を背負っている。ヴァン・ダムのように他人から狙われていたり、犯罪者として追われている者。故郷に錦を飾るのが目的な者様々である。
 その中で、恋人の両親から交際を反対され、この外人部隊で男を上げて帰ったらその恋人と結婚するんだと言う男がいる。訓練でも落ちこぼれ気味なこの男だが、戦争映画で「俺、この○○が終わったら結婚するんだ」と発言した者は十中八九死ぬの法則を見事に証明してくれる。
 終盤は半壊した砦に立て籠もって、馬に乗った現地人との激しい戦いである。一人また一人と外人部隊の隊員たちが倒れていく。ヴァン・ダムの命を狙って送り込まれたボクシングの対戦相手も戦友として戦いそして死ぬ。入隊時からヴァン・ダムの戦友だった元イギリス陸軍少佐は、ヴァン・ダムから受け取った最後の銃弾で自らの頭を撃ち抜く。そしてヴァン・ダムは、押し開かれた門から現地人たちが待ち受ける表へと出て行く。
 ここでシュワルツェネッガーやスタローンならば機関銃をバリバリ撃ちまくって、敵を全滅させてしまうところだろう。スティーヴン・セガールならば素手で全員をぶち殺してしまうはずだ。
 だが、この作品でのヴァン・ダムは大勢の敵を前に手も足も出ない。これは本来当たり前のことだがヴァン・ダム映画でこの展開は読めなかった。そして、「お前は勇敢だ」と敵から見逃してもらい恋人が逃げ延びたというアメリカを目指すのだ。

 ちょうど先日NHKBS2で放映された『ボー・ジェスト』(1939)を合わせて観た。ゲイリー・クーパー出演のこの作品もある事件のために外人部隊に入った主人公。終盤は砦に立て籠もっての現地人との戦い。こちらの砦は壊れておらずちゃんとした作りだがデザインはほぼ一緒。主人公一人だけが生き残るところも一緒。恋人のエピソードもある。ひょっとしたら製作にも名を連ねているヴァン・ダムは自分版『ボー・ジェスト』をやりたかったのではないだろうか。

 いわゆるヴァン・ダム映画とは趣が違い、ラストもハッピーエンドとは言い難い。役柄を広げるという意味では成功しているが、ファンの評判はどうだったのだろうか。結局はヴァン・ダム映画に戻ってきたのであまりウケなかったのだと予想するが。

B00005LMHD.jpg『ライオンハート』(1991) LIONHEART 105分 アメリカ

監督:シェルドン・レティック 製作:アッシュ・R・シャー、エリック・カーソン 製作総指揮:スンディップ・R・シャー 原案:ジャン=クロード・ヴァン・ダム 脚本:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、シェルドン・レティック 撮影:ロバート・ニュー 音楽:ジョン・スコット
出演:ジャン=クロード・ヴァン・ダム、ハリソン・ペイジ、デボラ・レナード、リサ・ペリカン、アシュレイ・ジョンソン、ブライアン・トンプソン、ミシェル・クイシ、ビリー・ブランクス

 外人部隊でアフリカに駐屯中のリオンは弟が危篤状態なのを知り、脱走して貨物船に乗り込みロスへ向かう。だが、貨物船の船長に騙されついたのはニューヨーク。「お前は黙って働けばいいんだ」という船長を当然ぶちのめし、ニューヨークに降り立ったリオンだが一文無しでロスへの旅費もない。そんな時に、裏通りで行われているストリートファイトの賭け試合を見つけ、そこに飛び入りして戦いもちろん勝つ。リオンの腕前を見込んだ黒人マネージャーに付きまとわれ、「リオンじゃ弱そうだ。ライオンでどうだ」とファイターネームを付けられる。
『ストリートファイター』(1975)のジェームズ・コバーンにあたるこの黒人マネージャーを演ずるのはハリソン・ペイジ。ハリソン・ペイジ……?どっかで聞いた名だ。あーっ『俺はハマーだ!」のトランク署長じゃないの。ヒゲ面なんでぱっと見気づかなかった。「ハマー!(怒)」
 他に有名人としては『ビリー・ザ・ブート・キャンプ』のビリー・ブランクスが出ているよう。役名はAfrican Legionnaireでアフリカ系軍人といった意味だから、おそらく冒頭のリオンが独房に入れられそうになった時に、叩きのめされる連中の一人。アップもないのではっきりしないが、他に軍人が出てくるシーンはないから多分そうだろう。
『ビリー・ザ・ブート・キャンプ』をやるとダイエットや筋肉を付ける
 監督のシェルドン・レティックは『ブラッドスポーツ』や『ランボー3 怒りのアフガン』などの脚本を担当した人でこれが監督デビュー作。そういえば、脱走や軍から二人組が追ってくるなど『ブラッドスポーツ』にちょっと似てるか。他には主にヴァン・ダム作品を手がけ、他にはマーク・ダカスコスやドルフ・ラングレンの主演作を撮っている分かりやすい経歴の人。
 ようやくロスにたどり着いた時、弟はすでに死んでいて、義理の妹と姪は生活に追われお金に困っている。援助を申し出るが、リオンのことを嫌っている彼女は受け取ろうとしない。そこで、匿名で仕送りをしながら、リオンはストリートファイターとして本格的に活躍し始める。そして出来た女性スポンサー(悪女)が彼に「ライオンハート」と新しい名前を付ける。イングランド王リチャード一世の獅子心王と関係あるんだろうか。

 戦いはストリートファイトなので一対一の素手での戦い。回りを賭けをする連中が取り囲み武道大会とはやはり趣が違う。
 ぐるりと車で囲まれた中で戦ったり、水をほとんど抜いたプールの中で戦ったり。そんなファイターたちの血みどろの戦いを歓声を上げて楽しむ金持ちたちがじつにいやらしい。
 格闘シーンは並み。ファイターたちのレベルはそれなりなのだが、制作側のアクションの演出がお世辞にも上手いとは言えない。技がヴァン・ダムの回り蹴りに頼りすぎ。どんだけ炸裂させてるんだか。そりゃ好きだが・・・…。
 ラスト、ついに身体にガタが来て追い込まれたヴァン・ダム。だが、そこからの巻き返しが燃える。

B000HOL7II.jpg『633爆撃隊』(1964) 633 SQUADRON 101分 イギリス

監督:ウォルター・E・グローマン 脚本:ハワード・コッチ、ジェームズ・クラヴェル 撮影:エドワード・スケイフ 特撮:トム・ハワード 音楽:ロン・グッドウィン
出演:クリフ・ロバートソン、ジョージ・チャキリス、マリア・ペルシー、ハリー・アンドリュース

「この映画はモスキート爆撃隊の活躍にヒントを得て制作された」ってな文章が映画のオープニングに表示される。“モスキート”って“蚊”のモスキート?あんまり強そうな爆撃隊じゃないなと思ったら登場した爆撃機は二人乗りの小型の物。戦闘機とさほど大きさは変わらなそうだ。
 デハビランド・モスキートというこのイギリス製の爆撃機は金属不足のためもあって木製で、レーダーに写りにくい利点はあったそうだが、防弾性能は低そうだ。小さく細い、そしてプーンと飛んできて爆撃すると急いで逃げ去っていく。そこが蚊なんだろうか。

 舞台は第二次大戦のヨーロッパ戦線。ドイツ軍がミサイルのために特殊燃料をノルウェーのフィヨルドにある工場で製造していた。谷間にあるその工場は岩の壁に挟まれており天然の要塞と言える。しかも、ドイツ軍の対空砲火が常に空に狙いを定めている。
 クリフ・ロバートソンを隊長とする633爆撃隊は、工場の上にある巨大な岩に爆弾を何発か、計算では12発を打ち込むことでその岩を落下させて工場を破壊するという作戦に取り組む。
 爆撃機乗り達は訓練を重ね、爆撃寸前に対空砲を破壊するため、ノルウェーから逃亡してきてイギリス軍に協力していたジョージ・チャキリスはパラシュート降下で現地に乗り込み、レジスタンスと合流して準備に取りかかる。
 しかし、ジョージ・チャキリスはドイツ軍に捕らえられ、レジスタンスも壊滅しており対空砲はそのままであることが判明する。それを知らされた時、爆撃隊はすでに目的地近くであった。

 最近では『スパイダーマン』のベン伯父さんとして知られるクリフ・ロバートソンはなんでも航空機の免許を持っているそうだ。この作品の前に取ったのか、その後なのかは不明だが、タフな軍人として頼りになりそうな面構えだ。実際に海軍少尉の経験もあるそうだ。個人的には『エスケープ・フロム・L.A.』(1996)で悪役として登場するファシスト的アメリカ合衆国大統領が一番印象に残っている。憎たらしいぞ。
 そういう命令を受けたわけではないのに特攻のように死んでいく爆撃機乗り達は欧米の戦争映画では珍しい。そして大きな犠牲を払いながら成功させた作戦も、地獄のヨーロッパ戦線においては小さな出来事。これから始まるノルマンディー上陸作戦の前では軍記にわずかに触れられるだけのことでしかない。
 とりあえず、あの岩の存在を考えると燃料工場を造るには危険な場所なんで、ドイツ軍はもうちょっと立地条件を考えた方が良い。オカルトマニアのヒットラーが風水でも使って決めたのか?
 それから、タイトルの読み方は『ろくさんさんばくげきたい』で良いのだろうか?とりあえず『ラ行』に分類しておいたが、『しっくすすりーすりーばくげきたい』とかだったらどうしよう?

redcliff-ost-tw.jpg『レッドクリフ Part I』(2008) RED CLIFF 赤壁 145分 アメリカ/中国/日本/台湾/韓国

監督:ジョン・ウー アクション監督:コリー・ユン 製作:テレンス・チャン、ジョン・ウー 製作総指揮:ハン・サンピン、松浦勝人、ウー・ケボ、千葉龍平、チン・ウェン・ハン、キム・ウデク、ユ・ジョンフン、ジョン・ウー 脚本:ジョン・ウー、カン・チャン、コー・ジェン、シン・ハーユ 撮影:リュイ・ユエ、チャン・リー 美術:ティム・イップ 衣装デザイン:ティム・イップ 音楽:岩代太郎
出演:トニー・レオン、金城武、チャン・フォンイー、チャン・チェン、ヴィッキー・チャオ、フー・ジュン、中村獅童、リン・チーリン、ユウ・ヨン、ホウ・ヨン、バーサンジャプ、ザン・ジンシェン、トン・ダーウェイ、ソン・ジア、チャン・サン

『三国志』最大の見せ場である『赤壁の戦い』を映画化!と言って良いのかな?
 オレは柴田錬三郎版『三国志』と横山光輝版『三国志』、さらに片山まさゆきの『SWEET三国志』と白井恵理子の『劉備くん』『玄徳くん』シリーズを読んでいる。『SWEET三国志』は張飛が海パン一丁にサングラスのボディビルダーで魯粛はその名前から魚人間のギャグストーリーマンガで、『劉備くん』『玄徳くん』はギャグ4コマだが、物語やキャラクターはちゃんと三国志している。日本で一番有名なのは吉川英治版だろうが、途中までしか読んでいない。どうもこの人は文体などが好きじゃないのだ。司馬遼太郎版と北方謙三版はそのうち読んでみたい。
 で、「言って良いのかな?」としたわけは、これらで知っている『赤壁の戦い』にかなり大幅なアレンジが加えられているからだ。小説では孔明と周瑜、曹操の腹の探り合いや策略に騙し合いが大きなウェイトを占めていてそこが魅力でもある。しかしそれを丁寧に描いていたら2部作では収まらずに10部作ぐらいになってしまいそうだし、なにより映画の醍醐味はアクション。そこで心理戦の部分は大胆に切り捨てて、孔明と周瑜をライバルよりも友人として描き、後半には原作である『三国志演義』にはない陸上での合戦を出して見せ場としている。水上戦はPARTIIを待とう。
『赤壁の戦い』では本来、玄徳や関羽、張飛などの出番はほとんど無いが、その合戦に彼らを登場させ大暴れさせる。周瑜も馬を駆っての戦う。
 この改変がオレは成功していると思うが、熱心な三国志マニアは気に入らないかも知れない。でも活字と映像は違うのだ。

 周瑜役のトニー・レオンはジョン・ウーの最高傑作『ハードボイルド/新男たちの挽歌』(1992)で組んだ仲で美男子だったという周瑜を好演。その演技派であるトニー・レオンを相手に一歩も引かない金城武がこれまた魅せてくれる。日本語演技の金城武と中国語演技の金城武はなぜこんなに違うのだろうか。
 中村獅童はアクションも頑張っているがどうも力を入れすぎな感じがある。そういう役なんだろうが、この人はどの作品でも同じようにしか見えない。
 善人でちょっとおとぼけな玄徳に、スケールの大きな物語の悪役にふさわしい曹操、後に玄徳の後妻となるじゃじゃ馬姫の尚香なども魅力的に描けている。関羽に張飛など外見からしてまさにはまり役。
 曹操を相手にするために手を組んだ周瑜と孔明だが、それぞれ別の主君に使える身であり、状況が変われば敵同士となる。その一筋縄ではいかない複雑な関係がジョン・ウー向きの題材なので、PARTIIでどうなるか楽しみである。
 ジョン・ウー作品なのでもちろん白い鳩が飛ぶ。ジョン・ウー作品なのでもちろん二挺拳銃……は西暦208年が舞台なので登場しないが玄徳の家臣である趙雲が二刀流で戦う。

B00008Z71D.jpg『レモ/第1の挑戦』(1985) REMO:UNARMED AND DANGEROUS 121分 アメリカ

監督:ガイ・ハミルトン 製作:ラリー・スピーゲル 製作総指揮:ディック・クラーク、メル・バーグマン 原作:リチャード・セピア、ウォーレン・マーフィ 脚本:クリストファー・ウッド 撮影:アンドリュー・ラズロ 音楽:クレイグ・セイファン
出演: フレッド・ウォード、ジョエル・グレイ、ウィルフォード・ブリムリー、ケイト・マルグレー、J・A・プレストン、チャールズ・シオッフィ、ジョージ・コー、パトリック・キルパトリック、マイケル・パタキ、コジー・コスタ

 法で裁けぬ悪を退治する秘密組織“キュア”。そこに所属するのが主人公のレモ・ウィリアムス。海兵隊出身の警官で、事故で殺されたことにされ顔や指紋は整形で変えられキュアによって過去を持たない男として作り出された。
 そのレモを武器を使わずに素手で人を殺せる殺し屋として鍛え上げるのが朝鮮人の老師チュン。チュンは朝鮮の暗殺術“シナンジュ”の達人である。
「クンフーも空手も忍術も影に過ぎん。シナンジュこそ太陽だ」と言い切るだけあってシナンジュとは実にスゴイ。修行を積めば銃弾をかわすことも出来るようになるのだ。
 銃弾をかわすというと『マトリックス』のキアヌ・リーブスのリンボーダンスポーズが思い出されるが、シナンジュではスローモーションなんて小細工は使わない。通常スピードのままかわす。バンバンと敵が発砲するのをヒョイヒョイクルリと実に軽快によける。さすがに飛んでくる銃弾を目視しているわけではなく、相手の筋肉の動きを見て筋の動く音を聞き、引き金を引く寸前に銃口の向いている先から身体を反らすという『大リーグボール一号』的理屈なのだ。
 最初の弾丸避けはレモが暗殺対象だと思い込んだチュンに向かって発砲するシーン。バーン。ヒョイ。よけるか君、よけますか?っ!予想外にも程がある。この瞬間、オレはハマった。
 そして、散々に叩きのめされたレモは、チュンの下でシナンジュの修行に励むことになる。「ハンバーガーのせいで身体に溜まった毒素を抜け」というので米を中心とした朝鮮食や呼吸法で生活改善。さらに恐怖心を取り除くための高所訓練。この高所訓練のシーンがやたら多くて、実戦格闘に関する訓練はほとんど登場しない。
 メインの舞台はニューヨークなので、コニーアイランド遊園地と思われる場所で観覧車の上によじ登っての訓練。そして最大の目玉である自由の女神での訓練。
 製作当時、自由の女神は建造100周年に向けて大規模な改修工事が行われていた。女神像全体を足場で囲んでの作業で、写真などで見たことがある人も多いだろう。金属製の足場に立つレモ。そのレモからカメラがズズーッと下がっていくと女神像のてっぺんだったというダイナミックなカットが印象的だ。
 そこで悪人に金で雇われた3人の高所作業員に襲われる。遙か下の地面が映ったりして高所恐怖症の人でなくてもヒヤヒヤ物のアクション。セットで撮影した部分、特にレモが女神像の松明を持った手にしがみつくシーンはさすがに実物大セットだろうが、実際の改修工事現場で撮影された部分も多い。自由の女神と言えばアメリカのシンボル。よく撮影の許可が下りたものだ。

『デストロイヤー』シリーズという原作小説がある。原作はかなりバイオレンス色が強いが、映画はアクションコメディとなっている。原作ファンのウケは悪かったかも知れないが、『007』シリーズだって原作のジェームズ・ボンドはかなり冷酷な面を持っているのを映画では薄めてある。そういえば、監督は『007』シリーズで有名なガイ・ハミルトンだ。
 主人公のレモも好きだが、それ以上にお気に入りなのがチュン。DVDの字幕では“韓国”となっているが、原作によると彼は極秘裏に領海侵犯したアメリカの潜水艦によって北朝鮮から連れてこられた。彼の住む村は寒村で非常に貧しい。農業も漁業も稼ぎを出せない中、村で最大の産業が暗殺なのだ。依頼を受ければ暗殺者を派遣して報酬をもらう。そうやって村人は生き延びてきた。暗殺術は一子相伝の秘伝となっており、門外不出だ。しかし、キュアからの報酬が莫大な物だったので、「適当に形だけ付ければいいだろう」とチュンはレモの鍛錬を引き受けた。
 ところがレモが意外な才能の持ち主で、「白人などは鍛えたところでどうにもならない」と思っていたチュンも考えを変え、すでに亡くしていた自分の息子の姿をレモの中に見出す。
 映画の後半でチュンがレモのことを「息子」と呼ぶ。血は繋がっていないが彼らは親子の絆を作り上げたのだ。
 ……だったんじゃなかったかなぁ。なにしろ原作を読んだのは20年以上前だから記憶違いをしている可能性は大いにある。潜水艦のシーンは憶えているが、息子云々の辺りはかなりあいまい。チュンは小説ではチウンじゃなかったかなぁ。本は何度かの引っ越しの内に処分してしまったし、それほど面白くはなかった気がするので今さら集める気にもならない。
 朝鮮こそ最高。朝鮮人こそ最高の民族という価値観のチュンは西洋文明を見下しているが、「アメリカの生み出した唯一の芸術」として認めているのがソープオペラ。分かりやすく言うと昼メロだ。ジョージというフットボール選手が怪我だか病気だかで足を切断することになり、それにジョージの婚約者や彼に恋してしまった看護婦などが関わってくるというドラマが特にお気に入りのようで、毎日欠かさずに見ている。その最中も両手の人差し指と中指だけで身体を支えて宙に浮かすという鍛錬を怠らない。この宙に浮くというのは指の力が強いだけではなく、砂浜でのレモの修行を見るに詳しい理屈はよく分からないが自然と波長を合わせることで体重を軽くしているらしい。これが“衝撃”のラストへの伏線となっているわけだ。
 朝鮮人がソープオペラを気に入るというギャグに当時は笑ったが、後に韓国ドラマが爆発的にヒットした話題を聞くと実に的を射ていたのかも知れない。
 チュンを演ずるジョエル・グレイはアカデミー助演男優賞を取ったこともある白人俳優。メイクで東洋人風顔立ちにしてはいるが、やはりちょっと無理がある。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でビョークが「私の父は有名人のオールドリッチよ」と嘘をついているが、そのオールドリッチを演じたのがジョエル・グレイ。ラストの裁判のシーンで登場して踊ってた人だ。
 レモを演ずるのはフレッド・ウォード。ケヴィン・ベーコンと組んだ田舎の何でも屋の『トレマーズ』の様なレモに近いコミカルな役もやるし、『ライトスタッフ』や『ヘンリー&ジューン/私が愛した男と女』などのシリアスな役まで幅広くこなすオレのお気に入り俳優。アクション俳優ではなくてサム・シェパードの舞台などにも出演した演技派。『ザ・プレイヤー』(1992)オープニングの有名な1カット長回しでのティム・ロビンス相手に長ゼリフをしゃべるシーンでもその演技力が分かる。

 悪人について書くのをすっかり忘れていたが、今回の敵は軍事産業の“グローブ産業”。膨大な予算を取っておいて張りぼての軍事衛星を作ったり、AR60というアサルトライフルの欠陥を隠蔽しようとする悪党だ。このAR60というのが奇妙なデザインの銃で、いくら映画のプロップガンでもこれは無いだろうと当時は思ったが、後にオーストリアのステアーAUGというアサルトライフルの存在を知った。ステアーAUGに若干のパーツを取り付けた物だったのだ。ということはステアーを欠陥銃扱いしているとも取られかねないわけで、ステアー社からクレームはこなかったんだろうか。
 巨大な敵の割にはレモの銃弾連続避けであっさりやられてしまうが、それは真のクライマックスがその後に待っているからだ。
 駆けつけてきた応援の兵隊たち。レモは桟橋の先にあるボートに乗っているが、チュンはまだ岸にたどり着いたばかり。兵隊たちが銃を構え、もはや絶体絶命かと思われたその時に“衝撃”のラストがっっ!!

B0009YGWOK.jpg『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』(2004) LEMONY SNICKET'S A SERIES OF UNFORTUNATE EVENTS 109分 アメリカ

監督:ブラッド・シルバーリング 製作:ローリー・マクドナルド、ウォルター・F・パークス 製作総指揮:アルビー・ヘクト、ジュリア・ピスター、スコット・ルーディン、バリー・ソネンフェルド、ジム・ヴァン・ウィック 原作:レモニー・スニケット 脚本:ロバート・ゴードン 撮影:エマニュエル・ルベツキ 衣装:コリーン・アトウッド 編集:マイケル・カーン 音楽:トーマス・ニューマン
出演:ジム・キャリー、エミリー・ブラウニング、リーアム・エイケン、カラ・ホフマン、シェルビー・ホフマン、メリル・ストリープ、ティモシー・スポール、ビリー・コノリー、ダスティン・ホフマン、ジュード・ロウ(声のみ)

 パッケージはダークなファンタジー調でしたが、甘く見てました。あのね、ジム・キャリー邪悪すぎ。

 家が火事になり父母を亡くしてしまった三姉弟妹。それぞれに発明、読書、なんでも囓るという特技がある。そんな彼らを後見人として引き取ったのがオラフ伯爵(ジム・キャリー)。ところが彼の目当ては兄弟たちが引き継ぐことになっている遺産が目当てで、まるでシンデレラのように彼らをこきつかう。
 ついには問題を起こして、彼らは別の後見人の元へ。ところがオラフ伯爵は変装してそこへ押しかけてくる。オラフ伯爵の追撃から子供たちは逃げ切ることが出来るのか。

 オラフ伯爵は単にものすごくイジワルな人ぐらいかと思っていたら、人なんて平気で殺す異常な卑劣漢。一番最後の悪巧みなんて、いくらなんでもそりゃないだろ。職業は役者なので先ほども言ったように爬虫類学研究助手や船長に変装する。ジム・キャリーがいつものオーバー・アクトで好みは別れるだろうが徹底した悪役演技のうっとおしさが逆に笑える。
 オラフ伯爵の罠にかけられて危機に陥った子供たちは姉の発明や弟の本から得た知識、妹の歯などで切り抜けていく。一番最初の脱出のアイディアは面白かったが、後になるにつれ面白みが減ってくるのが残念。三人が伯爵の家で小さなテントを張りその中だけは平和な場所を作るシーンは良かった。
 全体的に色彩を欠いた画作りで、ティム・バートンやテリー・ギリアムなどに近い映像だ。オリジナリティはあまり感じない。
 ファミリー向けのダークファンタジーコメディだが、それにしては気楽に人が殺されすぎ。エンドクレジットの影絵風アニメが魅力的。

B000HOL7JM.jpg『レマゲン鉄橋』(1968) THE BRIDGE AT REMAGEN 116分 アメリカ

監督:ジョン・ギラーミン 製作:デヴィッド・L・ウォルパー 脚本:ウィリアム・ロバーツ、リチャード・イエーツ、ロジャー・ハーソン 撮影:スタンリー・コルテス 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:ジョージ・シーガル、ロバート・ヴォーン、ベン・ギャザラ、ブラッドフォード・ディルマン、E・G・マーシャル、ペーター・ヴァン・アイク

 昔、『軍人将棋』というボードゲームがあった。敵味方と審判を合わせた三人でやるゲームで、紙で出来た盤面は一見将棋状だが、敵陣と味方の陣地の二つに分かれていて、そこが左右にある二本の橋で繋がっている。敵陣に突入するにも撤退するにも、その橋を通らねばならず、ゲーム進行上非常に重要な拠点であった。
 この映画でも、一本の橋の奪い合いがストーリーの中心を占める。時は第二次大戦末期。ライン河にかけられた橋のほとんどはドイツ軍が爆破してしまい、残るはレマゲン鉄橋のみ。それを爆破せんとするドイツ軍と、爆破を防いでレマゲン鉄橋からドイツ中心部へ侵攻しようとする連合軍の激しい戦いである。
 しかも、ドイツ軍側の現地指揮官クルーガー少佐(ロバート・ヴォーン)は、まだ敵陣に取り残された7万余のドイツ兵を味方陣地に逃すためにギリギリまで爆破を行うなとの密命を受けている。このロバート・ヴォーンが良い。登場シーンはドイツ将校の軍服にちょっと傾けた制帽、レイバンのサングラスとむやみにニヒル。爆破失敗の罪に問われて最後は銃殺されてしまうが、そこで劇中何度も登場した金のタバコ入れの存在が上手に使われている。
 ドラマ部分で良いのはそこぐらいか。ホテルの少年が連合軍軍兵士を撃ち殺し、そして自分も撃ち殺されてしまうシーンはありきたりでどうってことないし。何しろ監督が『キングコング』(1976)や『タワーリング・インフェルノ』のジョン・ギラーミンだ。ドラマ部分をちゃんと描けと言うのは、カバに空を飛べというようなものだ。
 しかめっ面をしていれば戦争の悲劇を描くと勘違いした人間側と違って、軍用車両を中心とした兵器関係の迫力は強い。トラックの荷台部分の車輪をキャタピラにしたハーフトラックや、戦車、装甲車、ジープ、小銃、拳銃、パンツァーファウスト(対戦車用グレネードランチャー)などなどが映画を彩る。飛行機の爆撃で地面に大穴が開いてしまい、戦車が通れないのでその穴を埋めるブルドーザーすら軍用色の軍仕様だ。
 戦車なんぞが、古い街並みをキャラキャラとキャタピラの音を立てながら進む。古い建物や立派なレンガ塀などを平気でぶち壊しているが、再開発計画で取り壊しが決まっている建物とかなのだろうか。
 戦車なども、実際に当時使われていたタイプなのだろうか?もしそうなら軍事マニア垂涎なのかもしれない。爆撃のシーンでは普通は突然地面が爆発するが、この映画はちゃんと爆弾が降ってくるからな。
 ただ、個人的には「本物を使っているからすごい」とは別に思わない。「やはりCGを使っていない戦争のシーンは迫力が違う」という人もいるんだろうが、CGを使っていない戦闘シーンも本当の戦闘をやっている分けじゃなくて、あれこれ段取りしてカットも割って、撃つのも当然空砲で、着弾点に火薬を仕込んでタイミングを合わせて爆発させているだけ。つまりは嘘の戦闘シーンなんだから、それにもう一つCGという嘘が加わったぐらいなんてことない。映画はどん欲で、なんでも飲み込んでいく物だ。
 ドイツ軍人だけしかないシーンでも会話は英語。「変だ、おかしい、間違っている」ととやかく言う人もいるだろうが、英語圏向けに作った映画だからこれでいいのだ。もちろん、ドイツ語で会話させて字幕を入れても良し。観客に通じればそれでいいのだ。

B000V2ZT76.jpg『レッドロック/裏切りの銃弾』(1992) RED ROCK WEST 99分 アメリカ

監督:ジョン・ダール 製作:スティーヴ・ゴリン、シガージョン・サイヴァッツォン 製作総指揮:マイケル・クーン、ジェーン・マッギャン 脚本:ジョン・ダール、リック・ダール 撮影:マーク・レショフスキー 音楽:ウィリアム・オルヴィス
出演:ニコラス・ケイジ、デニス・ホッパー、ララ・フリン・ボイル、J・T・ウォルシュ、クレイグ・リーエイ、ヴァンス・ジョンソン、ドワイト・ヨーカム、ティモシー・カーハート

 当時、就職で上京していたオレは新宿の映画館で観た。
 その後しばらくして、同じく上京組の先輩と会った。「この間、面白い映画観たんですよ」「おう、俺も面白いの観たよ」という会話になったが、実はお互いが言っていたのはこの『レッドロック』のことだった。
 話し合った結論としては「脚本は最高だが、演出が追いついてないよな」だった。15年振りに観直してみた結論も同じ。演出が明らかに弱いんだよなぁ。脚本を書いたジョン・ダールが監督も務めているが、脚本家としての才能と比べると監督の才能は平凡。というか平凡よりちょっと下かな。
 当時は「完璧な脚本だ」と思ったが、今回は「かなり良くできた脚本」と感じ方が変わっていた。先回から、昔はこう感じたが今はこうだってな話ばかりだが、人間は年が経てば価値観が変わるのだ。同じ本人ですら時と共に感想が変わるのだから、映画について全ての人に当てはまる絶対の尺度は無いと言うことだ。
 同じ映画を観ても人によって感想が違うのは当然。だからこそ映画にしろ小説にしろ面白い。

 それはともあれ、『レッドロック』は面白い。主人公のニコラス・ケイジは元海兵隊だが、任務中の事故で足を怪我して、除隊した今でも足の調子が悪い。失業中でワイオミングの友人を頼ってテキサスから肉体労働の作業現場に職を求めてやってくるが、足が不自由なことを理由に面接を落ちてしまう。
 手持ちの金もないので、取りあえずどんな仕事でも良いからと近くのレッドロックという小さな田舎町を訪れる。レッドロック・バーという酒場に立ち寄ったところ、カウンターの中にいたオーナーがニコラス・ケイジの車がテキサスナンバーなのを見て、仕事を依頼するためにテキサスはダラスから呼び寄せた男と勘違い。てっきりバーテンかなにかの仕事だろうと思ったニコラス・ケイジはこれ幸いと仕事を受けるが、実はオーナーの妻を殺してくれという内容だった。
 半金として5000ドルをもらったニコラス・ケイジはその金を持って街からトンズラする前に、夫があんたを殺そうと企んでいると警告するために女性に会いに行く。ところが、自分を狙う殺し屋が取引を持ちかけてきたと思い込んだ女性は、倍額払うから逆に夫を殺してくれと言い出す。
 すっかり泥沼にはまってしまったニコラス・ケイジだが、本物の殺し屋のデニス・ホッパーが予定より遅れて街に到着しさらに事態は悪化。こうして右を見ても左を見ても悪党ばかりの裏切りと欲望の物語が展開される。

 あれこれ粗筋を書くのはいかんなーと思っているのだが、またもや書いてしまった。でも、巻き込まれ型サスペンスの変種であるストーリーがこの作品最大の魅力であるし、話の展開が上手いので実際に観ると実に魅力的。こうくるか、そうきたかの連続でなかなか先が読めず良い意味での緊張感がある。
 始終困った顔のニコラス・ケイジが若い。オーナー役の故J・T・ウォルシュが痩せてて顔の幅が細い。妻役のララ・フリン・ボイルはまだちょっと若すぎて悪女の貫禄が足りない。『メン・イン・ブラック2』まで行ってしまうと貫禄付きすぎだが。デニス・ホッパーは相変わらずの怪演だが『ブルー・ベルベット』の悪人役と同じようなキャラクターで使い方がちょっと安易。製作がデヴィッド・リンチのプロパガンダ・フィルムだから問題はないか。ああっ、それでララ・フリン・ボイル(『ツイン・ピークス』で小悪魔的美少女役で出演)が出てるのか?

 DVDの発売元はユニバーサル・ピクチャーズ。ユニバーサル・ピクチャーズの旧作はとにかく字幕の翻訳がひどい、ひどすぎる場合が多いので心配だったがまともで安心。おそらくは劇場公開時と同じ翻訳かと。日本語吹替版も収録されていて、デニス・ホッパーの吹替が故・富山敬(1995年死去)だから新緑ではなくてビデオ発売時の日本語吹替版かテレビ放映版の音声だろう。さすが富山敬だけあって上手いのだが、実生活からしてイカれているデニス・ホッパーのイメージとは合わない。主人公声だからなぁ。

 ラストで、ニコラス・ケイジは50万ドルという大金を貨物列車からばらまくが、隅に落ちていた一束の札束はポケットへ。悪事で大金を手に入れようという悪党ではないが、最初に約束していた金額はきっちりもらっておく。根っからの善人ではない、つまりは普通の男ってこと。

B0011JPELY.jpg『ローグ アサシン』(2007) WAR 103分 アメリカ

監督:フィリップ・G・アトウェル 製作:スティーヴ・チャスマン、クリストファー・ペツェル、ジム・トンプソン 脚本:リー・アンソニー・スミス、グレゴリー・J・ブラッドリー 撮影:ピエール・モレル 衣装デザイン:シンシア・アン・サマーズ 編集:スコット・リクター 音楽:ブライアン・タイラー
出演:ジェット・リー、ジェイソン・ステイサム、ジョン・ローン、デヴォン青木、ルイス・ガスマン、石橋凌、マシュー・セント・パトリック、ケイン・コスギ

 ジェット・リーとジェイソン・ステイサムが対決するというので観てみた。
 アクション少なっ!!
 ジェイソン・ステイサムはあくまでも俺は俳優だと言うことでアクション俳優という肩書きが定着してしまうのを嫌ったのかなぁ。でも、ジェット・リーはアクション俳優以外の何者でもないよな。どうにも消化不良。
 なんてことを思っていたら、実はこの作品がアクション映画でないということが製作陣が観客に対して仕掛けた最大のトリックだったのだ。どんでん返しの手法はいくつもあるが、映画のジャンルを勘違いさせるという手は思いつかなかった。やられたぜ。

 基本的なストーリーは、サンフランシスコを舞台に、対立する日本人ヤクザと中国マフィア、謎の殺し屋ローグ(ジェット・リー)とそのローグに相棒を殺され復讐に生きるFBI捜査官(ジェイソン・ステイサム)。ヤクザのボスは石橋凌、中国マフィアのボスはジョン・ローンだ。オープニングクレジットでの石橋凌の名前は一人表記。オープニングクレジットで名前が出るだけでも出演者としての扱いは大きいのに、石橋の名前だけってのがすごい。演技は優作の『ア・ホーマンス』の頃とあんまり変わってないけど。ちなみにケイン・コスギは他の人と一緒の二人表記。
 ローグが中国マフィアに寝返ったり、実は裏でヤクザと通じていたりしていて、両者を上手く対立させて双方共倒れにさせていく様子は『用心棒』を思わせる。ヤクザがローグを追って放した番犬がトテトテと闇の中から戻ってくるシーンでは、思わずその口に人間の腕をくわえているのではないかと思ってしまった。ちなみに腕はないが代わりに……

 例によって間違った日本で溢れているが、ジェイソン・ステイサムもがんばって日本語で尋問してくれるし、「柳に雪折れ無し」とか「治において乱を忘れず」などやたらと格言が書かれた(さすがに日本料理屋の中に「掃き溜めに鶴」ってのは笑った)セットや女体盛りが登場したところでオレとしては問題なし。昔、サミュエル・フラーの『東京暗黒街 竹の家』(1955)をリバイバルで観てしまった者としては、「間違った日本だろうが、面白けりゃそれでいい」なのだ。「正しい日本でも、つまらなければダメ」だしな。だからって、『ローグ アサシン』がすごく面白かったと言ってるわけではないが。そこそこ面白いぐらい。
 ケイン・コスギ対ジェット・リーの対決もすぐ終わる。ケイン弱っ!演技も意気込みは感じるが、肩に力が入りすぎかな。どうでもいいけど、デヴォン青木の顔はキューピーちゃんにしか見えない。

B0010E8LO2.jpg『ロケットマン!』(2006) DYNAMITE WARRIOR 103分 タイ

監督:チャルーム・ウォンピム 製作総指揮:ソムサック・デーチャラタナプラスート 原作:チャルーム・ウォンピム 脚本:チャルーム・ウォンピム、ユッタポン・ピーラユッタポン 撮影監督:タナチャット・ブンラー
出演:ダン・チューポン、パンナー・リットグライ、プティポン・シーワット、カンヤパック・スワンクート、サマート・ティップタマイ

 時代は過去のタイ。映画の冒頭で農作業用の牛を運ぶ牛飼い(カウボーイ)を襲い、その胸元を調べては牛を奪っていくロケットマン。おおっ、これは西部劇ではないか。イタリアの西部劇がマカロニ・ウエスタンで三池の撮った日本の西部劇がスキヤキ・ウエスタンだそうだから、これはトム・ヤム・クン・ウエスタンといったところだろうか。とりあえず意味なく「パクチー!」と叫んでおく。
 ロケットマンは胸元にある特徴のある牛飼いを捜し求めている。そう、それは北斗七星の形に並んだ傷跡……いや、それ違うから。とにかく、胸元に刻印のある男を捜している。なぜならば、そいつがロケットマンの両親の敵だからだ。
 ロケットマンはムエタイの達人でもあるが、その名の由来通り得意な武器はロケットだ。ロケット花火のでかいヤツを撃ちまくる。ロケット(花火)乱射乱射乱射乱射乱射ーっ!うわっ、特大のロケット花火の上に乗って飛んでるっ!飛びますかキミはーっ!
 ラストにはもちろん敵の親玉との一騎打ちもある。吹き荒れる砂嵐がやはり西部劇を感じさせる。登場人物の多くがカウボーイハットを思わせる帽子(麦わら)を被っているのもやはり西部劇。
 映画の洗練度としては同じタイ映画でトニー・ジャー主演の『トム・ヤム・クン』と比べても明らかに劣るが、面白い映画を作りたいという作り手の意志がズンズン伝わってきて、そのエネルギーが嬉しい。1970?80年代の香港映画が持っていた勢いに近いだろう。発展途上だからこそ持ちうる力というのもあるのだ。
 主人公たちのムエタイが見事で、肉体能力だけではなく、格闘技としての技を存分に味合わせてくれるアクションはやはり見応えがある。向かい合って立っている敵の後頭部に膝蹴りを決めるってスゴッ!
 登場人物に妖術使いやオカマさん、そして日本語吹き替えでは「ミーはなになにザンス」とトニー谷のトニングリッシュの敵役のバカさかげんなどがタイを感じさせる。というか、どんなタイの印象だそれは。腹が減ると敵を殺して人肉を喰ってしまう悪役や、刃物でぶった切られる腕や足もなるほどタイ映画かなって感じ。
 ヒロインが平成ガメラシリーズの藤谷文子にちょっと似てる気がするのはオレだけ?

B000ZFTN6W.jpg『ラッシュアワー3』(2007) RUSH HOUR 3 100分 アメリカ

監督:ブレット・ラトナー 製作:アーサー・サルキシアン、ロジャー・バーンバウム、ジェイ・スターン、ジョナサン・グリックマン、アンドリュー・Z・デイヴィス 脚本:ジェフ・ナサンソン 撮影:ジェームズ・ミューロー プロダクションデザイン:エド・ヴァリュー 衣装デザイン:ベッツィ・ハイマン 音楽:ラロ・シフリン
出演:ジャッキー・チェン、クリス・タッカー、真田広之、ノエミ・ルノワール、マックス・フォン・シドー、イヴァン・アタル、工藤夕貴、ロマン・ポランスキー、ジュリー・ドパルデュー、チャン・チンチュー、ツィ・マー

 シリーズもついに第三作。気心の知れたスタッフとキャストで映画はテンポ良く進み、中国系マフィアの謎を追って大西洋を渡りジャッキーとクリス・タッカーはパリへと降り立つ。真田広之と工藤夕貴などを敵に回して、どう立ち向かうかデコボココンビ。

 とにかく、パリでジャッキーたちが乗ったタクシーの運転手が最高です。この人はこのシーン限りではなく再登場して欲しいなと思っていたら、こちらの予想以上に活かしてくれた。『TAXi』シリーズじゃないが、フランスのタクシードライバーは舐めたらいかんですよ。奥さん役は意味なくジェラール・ドパルデューの娘ジュリー・ドパルデュー。
 マックス・フォン・シドーの矍鑠たる姿も嬉しい。腹に一物ありそうなジジイを楽しげに演じている。オレが観たのは『マイノリティ・リポート』(2002)以来か?もうそろそろ80歳らしいが、100まで生きれば後20年。まだまだ出演してくれ。
 ジャッキー・チェンといえば石丸博也というわけで、日本語吹き替えで観たのだが、真田広之の吹き替えが真田広之ではない。色々事情はあるのだろうが、違和感が強かった。せめて、もうちょっと声質が似ている人にして欲しかった。石丸ジャッキーと誰かさん真田広之とを比べて石丸ジャッキーを選んだわけだが。

 途中でケンカ別れしたジャッキーとクリス・タッカーだが、ジャッキーは黒人が好むフライドチキンを、クリス・タッカーはチャイニーズ・フードを食べている。人種は違えど、長年の付き合いで命を預け合ったこともある二人はとっくにブラザーなのだ。サミュエル・フラーの『裸のキッス』(1964)の冒頭を思わせるシーンもあったりして、だらけてみている暇はなかった。
 アクションシーンは意外と少ないが、アクション映画よりもまずジャッキーとクリス・タッカーの掛け合いによるコメディ映画が先になっているのだろう。そのアクションシーンの目玉がジャッキー・チェン対真田広之の夢の対決とあっては、オールドファンは期待せずにはいられないだろう。素手での格闘ではなく、刀によるチャンバラなのが残念だが、この日をどれだけ待ったことか。二人とも全盛期の動きと比べるとさすがに落ちているが、それを補う貫禄がある。やっぱ真田広之は格好いいわ。オレにとってはまず何よりも『伊賀のカバ丸』や『コータローまかりとおる!』の真田広之なんだけどね。

 パリの空港に到着したジャッキーとクリス・タッカーを捕まえて部下に電話帳でブッ叩かせている役人がロマン・ポランスキー。あの映画監督のロマン・ポランスキーだ。自分の初期監督作品でもちょくちょく顔を出す出たがりだったとはいえ、あんた何しとんねん。『TAXi4』でも警官が容疑者を電話帳でブッ叩いていたが、なんでもダメージが強い割にアザなどの傷跡が残らないので尋問には便利らしい。というか、拷問ですな。

B000GPPLCQ.jpg『リバイアサン』(1989) LEVIATHAN 99分 アメリカ/イタリア

監督:ジョルジ・パン・コスマトス 製作:ルイジ・デ・ラウレンティス 脚本:デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ、ジェブ・スチュアート 撮影:アレックス・トムソン 特撮:スタン・ウィンストン 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:ピーター・ウェラー、アマンダ・ペイズ、リチャード・クレンナ、ダニエル・スターン、アーニー・ハドソン、マイケル・カーマイン、リサ・アイルバッハー、ヘクター・エリゾンド、メグ・フォスター

 海底銀山採掘基地の隊員が沈没したロシアの船リバイアサン号を発見する。そして船から持ち込まれたウォッカを飲んだ隊員のDNAが深海に適した生物へと進化し、モンスターとなって暴れ出した。

 一言で言えば海の『エイリアン』。二言で言っても海の『エイリアン』。
 モンスターが人間がぐちゃぐちゃに変形した物になっているのが目新しいが、クトゥルフ神話の怪物と言えばそのまま。
 海底基地のセットが、閉鎖された狭苦しさを感じさせてナイス。
 素顔のピーター・ウェラーは軟弱に見えて、モンスターに立ち向かうタイプには見えないが、そこが逆にスリルを強めている。どこ行ったのかなー、ピーター・ウェラー。
 上司(メグ・フォスター)は社員よりも利益優先で、あの透き通った青い眼で冷酷にも社員を切り捨てる。あの何を考えているんだか分からない、北欧系(?)の青い眼は、感情が伝わってこずにちょっと怖い。
 逃げ場のない海底基地で、次から次へと主人公たちを襲う危機の連続ってのにオレは弱いので、何だかんだいって手に汗を握ってしまった。
 ワクワクしながら観ると期待はずれかもしれないので、適当にヌルイ気分で観るべきかも。

 そしてラストは会社のイヤな上司にガツンと一発。このシチュエーションは、この頃ちょっと流行ったよな。

B000UO9WMS.jpg『ラビリンス/魔王の迷宮』(1986) LABYRINTH 102分 アメリカ

監督:ジム・ヘンソン、ピーター・マクドナルド、ジミー・デイヴィス 製作:エリック・ラットレー 製作総指揮:ジョージ・ルーカス 脚本:テリー・ジョーンズ 撮影:アレックス・トムソン 特撮:ILM 音楽:トレヴァー・ジョーンズ
出演:デヴィッド・ボウイ、ジェニファー・コネリー、シェリー・トンプソン、ワーウィック・デイヴィス、フランク・オズ

 10年振りぐらいに観たのだが、やはり面白い。CG全盛の昨今だが、人形を使ったマペットが実に魅力的。クリーチャーが実際に目の前にいるので、演じる役者もやり易いだろう。マペットたちはゴブリンなので、ちょっとグロテスクだが、これがだんだん可愛らしく見えてくるから不思議。
 マペットというのは操り人形や手袋人形などを様々に組み合わせて、機械仕掛けではなく人間が操作するもの。もっとも有名なマペットは『スター・ウォーズ』のヨーダだろう。新スター・ウォーズ三部作では、ヨーダもCGになってしまった。そのおかげでヨーダのチャンバラが実現できた訳だが、味はマペットの方があった。そこら辺は好みの問題だろうが。
 ヨーダの操作および声は映画監督としても有名なフランク・オズが担当していて、この作品でも、まるで役に立たない賢者役を演じている。

 マペットも魅力的だが、数少ない生身の人間であるジェニファー・コネリーとデヴィッド・ボウイも良い。
 少女時代のジェニファー・コネリーは、ストレートな黒髪と深みを湛えた瞳が実に可愛らしい。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)の少女役なんて、未だに記憶から薄れない。ホント、可愛かったよなぁ。
 経年劣化も少ない人で、最近では『ブラッド・ダイヤモンド』(2006)でマスコミ役を演じていたが、相変わらずキレイ。子役出身者はとかく道を踏み外すものだが、ジェニファーはそんなこともなく、フィルモグラフィーを重ねている。
 ゴブリンの魔王であるデヴィッド・ボウイは、ビジュアル系な服装とメイクで登場。普通の人がやったら、失笑物のスタイルも、ボウイならOK。もちろん、なにかにつけ歌う。
 ジェニファー・コネリーの弟をさらった悪の魔王なのだが、どうやらゴブリンに囲まれているだけでは寂しいからってのがその理由らしい。寂しがりやさんなんだね。
 子供には絶対ウケる映画だと思う。

 脚本を担当したのは、なんとモンティ・パイソンのテリー・ジョーンズ。毒のあるギャグは抑えめで、ちょっと不条理なファンタジーとして書いている。
『ラビリンス』と『ダーククリスタル』の二本がマペット映画の極限だろう。1990年にジム・ヘンソンが急死こともあり、その後マペットは衰退していく。そこにはCGの発展もあるだろう。
 シリアスな作品でマペットが活躍するのは難しいが、子供向けの映画・テレビ番組ではまだまだがんばってくれるだろう。

B00005V2MG.jpg『ロスト・ハイウェイ』(1997) LOST HIGHWAY 135分 アメリカ

監督:デヴィッド・リンチ 製作:ディーパク・ギルフォード、トム・スターンバーグ、メアリー・スウィーニー 脚本:デヴィッド・リンチ、バリー・ギフォード 撮影:ピーター・デミング 音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:ビル・プルマン、パトリシア・アークエット、バルサザール・ゲティ、ロバート・ブレイク、ロバート・ロジア、ゲイリー・ビューシイ、リチャード・プライアー、ジャック・ナンス、ジョヴァンニ・リビシ、マイケル・マッシー

 詳細なストーリー?分かりませんよ、そんなものは。
 謎はいっぱいあるけれど、デヴィッド・リンチ自身が謎を描くことは好きだが、謎の答えを描くことに興味はない、投げっぱなしのジャーマンフープレックスフォールドなので、観客は投げっぱなしにされっぱなしですよ。なんか、毎回同じ事書いてますが。ヘソで投げるジャーマンフープレックスフォールド。
 あれこれ悩み考えて、無理矢理にこじつければ筋の通ったストーリーを作り出すことも可能だろうけど、そんなことにどれだけの意味があろうか?と考えると、まったくもって意味なしなわけです。
 深読み反対。深読み反対。ノーモア深読み。カルチャークラブ。
 その映画を楽しむことと理解することはイコールではないので、オレは難しいことは考えずに素直に楽しみます。まったくもってヘンテコで楽しい。そういう感想でも別に良いじゃないかというのが個人的結論。
 なにげにリチャード・プライアーやゲイリー・ビューシイが出演していて嬉しい。リチャード・プライアーはこれが最後の劇場用映画出演だったようです。らしくねぇ。
 黒髪に金髪。白塗り男。
『殺したい女』にて“世にもバカな男”役でスクリーンでビューしたビル・プルマンが格好いい。主役のクセに出番は少ないが。

dracula-dead-and-loving-it.jpg『レスリー・ニールセンのドラキュラ』(1995) DRACULA: DEAD AND LOVING IT 91分 アメリカ

監督:メル・ブルックス 製作:メル・ブルックス 製作総指揮:ピーター・シンドラー 脚本:メル・ブルックス、ルディ・デルカ、スティーヴ・ヘイバーマン 撮影:マイケル・D・オシア 音楽:ハミー・マン
出演:レスリー・ニールセン、メル・ブルックス、ピーター・マクニコル、スティーヴン・ウェバー、エイミー・ヤスベック、リセット・アンソニー、ハーヴェイ・コーマン、ジェニファー・クリスタル、グレッグ・ビンクレイ

 DVDは日本未発売のため、レンタルビデオでしか観ることが出来ない。
 セルビデオも出たかもしれないが、買った人はさすがにごく少数だろう。
 ちなみに『ロビン・フッド/キング・オブ・タイツ』のDVD化は希望するが、これはしなくてもいいや。
 ビデオの冒頭に、この作品が上映された日本のファンタスティック映画祭の観客向けに撮影された、メル・ブルックスからのビデオレターが付いている。
「レスリー・ニールセンは愉快な男でね、オーディションの時に女優が椅子に座る度に、口真似で屁の音を立てるんだ。人間ブーブークッションだね。それから、高層ホテルのエレベーターに乗ったときは、他に老婦人二人が乗っていたのに、口真似で「ブッ、ブッ」とやりながら「あれ?豆は食ったっけな」とやるんだよ。さすがに居づらかったのかご婦人たちは途中の階で降りてしまったね」
 これを観て、非常に嫌な予感がした。
 それって、本人だけ面白人間気取りの、ただの寒いオヤジじゃね?
 メル・ブルックスも下ネタやくだらないギャグが大好きな親父だが、屁の口真似ってのは意外とメル・ブルックスの趣味ではないと思うのだが。

 映画自体は、メル・ブルックス作品というよりは、いつものレスリー・ニールセンもの。
 レスリー・ニールセンがほぼ野放し状態になって、自分だけ面白いと思っているギャグで大暴れ。
 しかし、レスリー・ニールセンはあくまでも役者であって、理解ある演出側に使われることで笑いを生み出す存在。コメディアンじゃないのだ。
『フライング・ハイ』シリーズや、『裸の銃を持つ男』のプロトタイプであるTVミニシリーズの『フライング・コップ』は確かに面白かったが、それ以降は特に語るべき作品がない。
 あるとしたら、唯一『Mr.マグー』ぐらいか。
 メル・ブルックスにはレスリー・ニールセンの暴走を抑えて、あくまでも自分の映画に仕上げて欲しかった。

 ストーリー自体は本家ブラム・ストーカーの原作本『ドラキュラ』に意外と忠実。
 原作本はちょっと荷が重そうだと思う方は、コッポラ版『ドラキュラ』(1992)を観ておくと元ネタの予習になるだろう。
 トランシルバニアの田舎から、ある弁護士の仲介でロンドンに出てきたドラキュラが、美女を狙っての大活躍。笑えないギャグがてんこ盛りだ。
 メル・ブルックスはドラキュラの宿敵ヴァン・ヘルシング教授役。メル・ブルックスが要所要所を繋いでくれるおかげで、観ているこちらとしてはかなり助かる。
 好きなギャグは、ドラキュラに血を吸われて死んでしまった美女に木の杭を打ち込むところ。
 このままでは彼女も吸血鬼になってしまうと、若い男が彼女の胸に杭を当てると、ヴァン・ヘルシングはとっとと画面の外に避難して、「あー、ちょっとばかり血が出るかもしれないから」と一言。
 そして、若者が木槌を振り下ろすと、バケツ10杯分ぐらいの血がドバーッと吹き出して、全身血まみれ。
 なんでも、このシーンは若者役の俳優に大量の血とは教えてなかったそうで、本気でビックリしている。
 しかも、ヴァン・ヘルシングは「とどめを刺すにはもう一度打ち込まないと」
 若者「まだですか・・・?」
 心底うんざりした顔で美女の死体へと向かう若者。当然、またもや血のシャワーを浴びることとなる。

 ドラキュラってのは、招かれないとその家や土地に入れない。だから、弁護士を通してロンドンに招待されたという形でやってきた。さらにはお馴染みのごとく、にんにくは苦手。太陽の光は厳禁。十字架は嫌い。意外と弱点だらけなヤツだ。
 しかも、鏡に映らないので、お化粧するのも一苦労。
 この作品では、ダンスパーティーのシーンで、この「鏡に映らない」のを利用して、ドラキュラの正体を暴く。
 ダンスのパートナーと周りの人間だけ映って、ドラキュラの姿はなし。しかも、踊ってるのはアクロバティックなダンスときたもんだ。一人中を舞う女性は見せ場の一つ。
 ロマン・ポランスキーの『吸血鬼』では、これを逆手に取ったギャグがあった。人間のヴァンパイヤハンターが吸血鬼のパーティーに潜り込むが、鏡に映っているのは、彼と助手の二人の姿だけ・・・

 レンタルビデオには吹き替え版と字幕版がある。
 吹き替え版はドラキュラの手下となる弁護士を広川太一郎が演じている。
 乗合馬車に乗った途端に、他の乗客に「ここで会ったのもなにかの丸、じゃなくて縁」だとか、相変わらず原作にないないセリフをしゃべりまくり。
青野武が吹き替え担当の精神科医との会話は、『モンティ・パイソン』など往年ほどの勢いはないが、やはり楽しい。
「バッタが飛んで、バッタバッタ」って、なんだよ、それ。

 現時点では、これが最も新しいメル・ブルックス監督作品。
 愛妻アン・バンクロフトを亡くして、心の支えを失ったであろうメル・ブルックス。
 もう80歳になったメル・ブルックスだが、ここはもう一本だけで良いから、とんでもない「これぞブルックス」というバカ映画を撮ってもらいたい。

Robin_hood_men_in_tights.gif『ロビン・フッド/キング・オブ・タイツ』(1993) ROBIN HOOD: MEN IN TIGHTS 104分 アメリカ

監督:メル・ブルックス 製作:メル・ブルックス 原案:エヴァン・チャンドラー 脚本:メル・ブルックス、エヴァン・チャンドラー 撮影:マイケル・J・オーシェイ 音楽:ハミー・マン
出演:ケイリー・エルウィズ、リチャード・ルイス、ロジャー・リース、エイミー・ヤスベック、マーク・ブランクフィールド、デイヴ・チャペル、ミーガン・カヴァナグ、エリック・アラン・クレイマー、トレイシー・ウルマン、メル・ブルックス、キャロル・アーサー、ドム・デルイーズ、パトリック・スチュワート、チェイス・マスターソン、ロバート・リッジリー

 ケヴィン・コスナー主演の『ロビン・フッド』(1991)を観たメル・ブルックスは、ある点が不満でしょうがなかったのだろう。
「何で、ロビンがタイツ姿じゃないんだ!!」

 エロール・フリンが『ロビンフッドの冒険』(1938)で演じたロビン・フッドは男性バレリーナばりのタイツ姿だったはず。(だよな)
 ロビン・フッドといえばタイツ姿じゃないとダメだ。ダメなのだ。
 そしてメル・ブルックスは一本の映画に取りかかった。
 それがこの作品『ロビン・フッド/キング・オブ・タイツ』なのである。あくまで憶測だが。

 川に架かった橋を渡ろうとしたロビン・フッド一行が、その橋の主を名乗る大男から通行料を求められる。
 だが、その森はロビンの領地。通行料の支払いを拒否したロビンは、大男を相手にそれぞれに一本の長い棒を持って、戦うことになる。
 カッコンカッコンと打ち合う内に、棒は何度も真っ二つに折れていき、ついには10センチほどの長さになってしまうが、その短い棒で戦い続ける二人。
 そもそも、川といっても一またぎで越えることが出来るような、小川とも言えない単なるせせらぎなのだ。

 ロビン役のケイリー・エルウィズは、イギリス生まれのイギリス人。
「私は、他のロビンと違って英国式発音が出来る」とアメリカ生まれのケヴィン・コスナーやオーストラリア生まれのエロール・フリンにちくりと一言。
『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987)で見せた華麗な剣さばきを再び披露してくれる。

 ラストになってようやくと十字軍戦争から帰還してくる王様。ケヴィン・コスナー版ではショーン・コネリーだった。
『ロビンとマリアン』(1976)で、ロビン・フッドを演じたロビンつながりだろう。
 この作品ではピカード艦長ことパトリック・スチュワートだ。
 ・・・・・・ハゲつながり?

 メル・ブルックス本人はユダヤ教の飲んだくれなラビ(司祭)として登場。出演シーンは少なく、あまり活躍していないのが残念だ。

 劇場公開時のテレビCMはダウンタウンが担当していた。
 映画を観ながら、「しょーもなー」「なんじゃこりゃ」と文句をつけている二人。
 リンゴだかのかぶり物を着けていて、その後頭部に矢が刺さるというオチだったか?
 でも、矢でリンゴを射るのはロビン・フッドじゃなくてウィリアム・テルだし、記憶違いかも。

B000IJ7IRQ.jpg『ラヴ・ハッピー』(1949) LOVE HAPPY 85分 アメリカ

監督:デヴィッド・ミラー 製作:メアリー・ピックフォード、レスター・コーワン 脚本:ベン・ヘクト、フランク・タシュリン、マック・ヘノフ 撮影:ウィリアム・C・メラー
出演:ハーポ・マルクス、チコ・マルクス、グルーチョ・マルクス、イロナ・マッセイ、ヴェラ=エレン、マリオン・ハットン、レイモンド・バー、エリック・ブロア、マリリン・モンロー

 ハーポ、チコ、グルーチョの3マルクスが出演しているが、チコそして特にグルーチョの出番は少なく、厳密にはハーポ・マルクスの主演作である。
 マルクス兄弟作品でないことを象徴するかのように、これまでは墨で書いただけだったグルーチョの口ヒゲがちゃんとしたヒゲになっている。

 ハーポは貧乏劇団の一員で食べ物調達係。調達すると言っても買ってくるのではなく、高級食料品店の前で待ちかまえていて、店から出てきた客の荷物を車まで運びチップをもらうついでにカゴから食品を例のよれよれのコートに放り込んで盗むのだ。
 このコートときたらまるでドラえもんの四次元ポケットで次から次へと缶詰などが入っていく。
 パトロールの警官の目から隠れたところ、たまたまその食料品店の地下倉庫に入り込んでしまう。
 しめたとばかりにどんどんコートに食品を詰め込むが、いくら詰め込んでもコートはふくらむだけで一杯にならない。その中の一つにマルタ十字のマークがついたイワシの缶詰(オイルサーディン)の中味がロマノフ王朝から盗まれた100万ドルのダイヤモンドの首飾りだったことから大騒動が始まる。

 学生時代に学校近くのレンタルビデオ屋にあったので借りて観て、それ以降店頭にあった試しがなく、今回のDVD化でおよそ15年ぶりに観た。
 マルクス兄弟だっと意気込んで観たので、『我が輩はカモである』を始めとする他のマルクス兄弟作品と比べて大人しい内容に少々物足りなかった。大騒動が始まると書いたが、その大騒動がそれほどハチャメチャではないのだ。
 今回はマルクス兄弟映画ではなくハーポ主演映画として観たので十分に楽しかった。

 ストーリー自体は苦難な目に遭っている若い男女を助けるという、後期マルクス兄弟映画とほぼ同じ。今回は資金難から芝居に使う大道具や衣装が用意できず、新作ミュージカルの公演中止と劇団解散の危機に陥っている主演男優兼座長と恋人の主演女優を救うことになる。
 鍵となるのはロマノフ王朝のダイヤモンド。悪女がイワシの缶詰に潜ませてアメリカに密輸した物だが、これをハーポが中味を知らずに盗み劇場に持ち込まれる。
 悪女一味はハーポを捕まえて缶詰の在処を吐かせようとするが、なにしろハーポというのは一言もしゃべらないのが売りのキャラクターである。どんなに拷問をして責め立てても吐くはずがない。
 そうこうしているうちに缶詰は劇場内を転々とし、ごみ箱に捨てられたあげくについには猫の餌に。
 様々なギャグやチコによるピアノの演奏、そしてもちろんハーポによるハープの演奏など、ドタバタは少ないが盛りだくさんな内容だ。

 字幕などで説明がないのであまり気づかれなさそうなギャグの紹介を一つ。
 牛の後ろ足をやっている俳優が櫛で髪の毛をとかしながら芝居がかった大げさな口調で「イワシではなく他の食べ物をくれ」と言っているところに、ハーポがハムを渡しながら「あんただ」という風に俳優を指さすシーンがある。これはハム=大根役者という意味があるのでそれをかけたギャグ。
 シルベスタ・スタローンが日本で伊藤ハムのCMに出ていたことがあるが、そのCMを来日していたマイケル・J・フォックスだかがホテルのTVで見てアメリカに伝わり、コメディアンのネタにされたらしい。

 ラストはダイヤモンドを巡ってブロードウェイのビルの上で悪党とハーポが追いかけっこ。過去の作品のような派手なアクションはないが、ネオンサインを使ったりハーポが煙を吐くなどギャグは多い。
 それまで語り手として探偵事務所にいたグルーチョもようやくストーリー上に登場する。

 キャストにマリリン・モンローの名があるが、唐突に登場したなと思ったらすぐに退場。

 映画は探偵役であるグルーチョのアップから始まるが、顔にしわが目立つ。これは他の二人も同じで老いを感じさせる。
 チコが1987年生まれ、ハーポが1988年、グルーチョが1890年。1949年作品だから、一番年下のグルーチョでも60歳間近だ。
 この作品を最後にチコとハーポは映画界から姿を消し、グルーチョも後に2本出演作があるだけだ。
 映画界で輝き、多くの観客を笑わせ、オレを含むコメディの制作者に数多くの影響を与えたマルクス兄弟。モノクロトーキー時代を駆け抜けた彼らは、その終わりとほぼ同じく頃に映画界から去っていった。

jvd-3089.jpg『ルーム・サーヴィス』(1938) ROOM SERVICE 78分 アメリカ

監督:ウィリアム・A・サイター 製作:パンドロ・S・バーマン 原作:ジョン・マーレイ、アレン・ボレッツ 脚本:モリー・リスキンド 撮影:J・ロイ・ハント 音楽:ロイ・ウェッブ
出演:グルーチョ・マルクス、ハーポ・マルクス、チコ・マルクス、ルシル・ボール、アン・ミラー、フランク・アルバートソン

 ホテルの中だけで物語が完結する、ちょっと実験的要素が多い作品。
 原作はヒットした舞台劇だそうで、なるほど納得だ。
 当時、MGM所属のマルクス兄弟を、RKOが借りて撮った作品だそうで、音楽やアクションが見所だったMGM作品とは違い、じっくりとドラマを語るマルクス兄弟を観ることが出来る。
 お馴染みのチコによるピアノや、ハーポのハープの演奏は登場しない。
 その辺りが面白くもあるが、マルクス兄弟主演という意味があまり感じられず、個人的には不完全燃焼だった。
 カトゥーン風のホテルの客室のドアが三枚並び、それがクルクルと回転する毎に、キャスト名やスタッフ名が書き換えられていくオープニングクレジットの出し方は面白い。
 そこで期待したのだが、マルクス兄弟のハチャメチャぶりがあまり上手く活かされておらず、なかなか笑いに繋がってこない。
 モスクワ劇団出身のホテルのボーイや、ホテルの支配人、そしてホテル会社の重役など、いいキャラクターなのに使われ方が中途半端で残念。
 日本未公開作品となったのも、致し方ないと言ったところだろうか。

315DWZNEYFL._AA192_.jpg『ライディング・ザ・ブレット』(2004) RIDING THE BULLET 99分 アメリカ

監督:ミック・ギャリス 製作:ミック・ギャリス、デヴィッド・ランカスター、グレッグ・マルコム、ジョエル・T・スミス、ヴィッキー・ソーサラン 製作総指揮:スティーヴン・キング、ジャン・ファントル、フランク・ヒュブナー、ブラッド・クレヴォイ、イエルク・ヴェスターカンプ 原作:スティーヴン・キング 脚本:ミック・ギャリス 撮影:ロバート・C・ニュー 編集:マーシャル・ハーヴェイ 音楽:ニコラス・パイク
出演:ジョナサン・ジャクソン、デヴィッド・アークエット、クリフ・ロバートソン、バーバラ・ハーシー、エリカ・クリステンセン

 時はニクソン政権下、ベトナム戦争のさなかの1969年。メイン州立大学で美術を専攻している青年が故郷に住む母親が脳卒中で倒れたことを知り、ヒッチハイクをしながら病院を目指す。
 幼い頃に父親を亡くし、それ以来死に取り付かれた青年が幻想を見たり少年時代の回想シーンが挿入されながら物語は進む。原作は1999年発表でアメリカではインターネットにてダウンロード販売されそういった試みとしては販売数も多くヒットした。キングとしては珍しい作風で、映画もそれに則ってホラーでもサスペンスでもなく幻想的な作品となっている。大作ではないが出来はかなり良く、知名度は低いようだがお勧めだ。
 タイトルの『ライディング・ザ・ブレット(ブレットに乗る)』のブレットは遊園地にあるジェットコースターのことで、子供の頃に母親と乗りに行ったのだが、乗る直前で事故に遭う幻覚を見て逃げ出してしまった。どうやら青年の幻覚はその時から始まったようだ。そして恐怖に立ち向かってブレットに乗った人に証明としてもらえるバッジが映画におけるテーマとなっている。
 原作は1990年代後半の設定だが映画では1969年というヒッピー全盛の時代に変更されている。青年もマリファナなどを吸うがそれも幻覚の要因かもしれない。
 青年を乗せる老人クリフ・ロバートソンが実に味がある。出番は少ないがオレが好きなマット・フルーワー(『ミクロキッズ』の隣人)が出ているのも嬉しい。

 スティーヴン・キングの映像化作品をいくつも手がけ相性の良いミック・ギャレスが手堅い演出でじっくりと魅せてくれる。

2195WD9W5PL._AA192_.jpg『スティーヴン・キングのローズレッド』(2002) ROSE RED 254分 アメリカ

監督:クレイグ・R・バクスリー 製作:トーマス・H・ブロデック、ロバート・F・フィリップス 製作総指揮:スティーヴン・キング、マーク・カーライナー 脚本:スティーヴン・キング 撮影:デヴィッド・コンネル 音楽:ゲイリー・チャン
出演:ナンシー・トラヴィス、マット・キースラー、ジュリアン・サンズ、マット・ロス、エミリー・デシャネル、キンバリー・J・ブラウン、デヴィッド・デュークス、ジュディス・アイヴィ、ケヴィン・タイ、ジュリア・キャンベル、スティーヴン・キング

 原作は存在せず、キングがテレビ用映画向けにオリジナルで書き下ろした脚本で作られた作品。
 アメリカにはライフルで有名なウィンチェスター一族の女性が霊媒師の「家を増築し続ける限りあなたは死なない」という言葉にのせられひたすら増築を続けていったウィンチェスター・ハウスという邸宅がある。これは最終的には部屋や階段の位置も滅茶苦茶で、ドアを開けると壁しかなかったり、隠し扉があったりとドッキリハウス以上の作りになっているらしい。
 そこへ名誉欲に燃える大学の女性教授が予知能力やサイコキネシスとなどの超能力者を連れ込んでローズレッドという巨大な屋敷を調査しようとしたことから惨劇が始まる。

 監督は80年代にアクション映画でならしたクレイグ・R・バクスリー。1シーンが短めでテンポよく物語は進むが、さすがに254分は長い。どうやら全3話の構成になっているようだが、オレは一気に観たのでちょっとだれた。ストーリー的にも『ヘルハウス』(1973)の焼き直しな感じで新鮮味に欠けるところがある。
 最終的に屋敷は崩壊することになるが、テレビ用映画ということを考えるとなかなかなスペクタクル。その他のSFXシーンも決して悪くはない。巨大なセットも見応えがある。
 面白味に欠けるのは超能力者の面々が凡庸で新しさを感じさせないことだろう。サイコキネシストの少女は明らかにキャリーの少女時代そのままだ。
 出演者のうちで名前を聞いたことがあるのはジュリアン・サンズぐらいだが、あまり良い扱いではない。他の登場人物ではマザコン超能力者の母親が印象に残る。こんな母親だったらヤだな。

 スティーヴン・キングはピザの配達人として登場。下層労働者役が妙に似合う人だ。だが今回の脚本には若干の疑問が残る。

langoliers.jpg『スティーブン・キングのランゴリアーズ』(1995) THE LANGOLIERS 180分 アメリカ

監督:トム・ホランド 製作総指揮:リチャード・P・ルビンスタイン/ミッチェル・ゲイリン 原作:スティーヴン・キング 脚本:トム・ホランド 撮影:ポール・マイバウム
出演:パトリシア・ウェティグ/ディーン・ストックウェル/ブロンソン・ピンチョット/ケイト・メイバリー/デヴィッド・モース/マーク・リンゼイ・チャップマン/フランキー・フェイソン/バクスター・ハリス/キンバー・リドル/クリストファー・コレット

 ロサンゼルスからボストンに向かうジェット機の中で盲目の少女が目を覚ましたとき、隣に座っていたはずの叔母さんを始めとして乗客の大部分が消え去っていた。わずかに残っていたのはたったの10人。たまたま乗り合わせていたパイロットがジェット機を着陸させるが、空港に人の姿はなく電話や無線も通じなかった。さらには、売店のサンドイッチは味がせずビールはまったく泡が立たなかった。そしてマッチを擦っても火がつかない。
 異常な状況下の中、乗客の一人である推理作家はある仮説を皆に説明し始める・・・

 スティーヴン・キング原作によるアメリカのテレビドラマ。上映時間が180分と長目で、2時間枠の全2回で放映されたようだ。
 時間の裂け目に落ちてしまった、例えるなら“マリー・ヘレスト号の乗客”になってしまった飛行機が直面する不可思議な出来事が描かれる。
 他人の心が多少読めるなど驚異的な直感力を持った盲目の少女や、幼い頃から父親の抑圧下で育ったため激しいノイローゼに陥っている証券会社のエリートビジネスマンなど、実にスティーヴン・キングらしい登場人物だ。
 “時空の裂け目”や“異次元”など設定のスケールは大きいが、一機のジェット機と空港だけで物語のほとんどが進行し、メインの登場人物も10人なので意外に低予算で上手く仕上げている様子だ。人気のない空港は完成してまだ開港前の新しい空港だろうか。飛行中のジェット機の外観をCGで作っているのも予算の関係だろう。もはや、ミニチュアよりもCGの方が安い場合が多いのだ。『エアフォース・ワン』(1997)のラストで湖に墜落する大統領専用機並のCGだがテレビムービーなのでOKだろう。『エアフォース・ワン』は未だに不許可だが。

 設定的にはSFだし、物語の3分の2まではSFとして進むが、ラスト近くになって“ランゴリアーズ”が登場する。
 CGで映像化されたその姿は、一言で表現して“トゲトゲの生えた黒いパックマン(邪悪)”の集団だ。口をパクパクさせながら、ドットの代わりに時間の止まった世界そのものを食い尽くしていく。
 この唐突なモンスターの登場がいかにもスティーヴン・キングで、その“いつもっぷり”には逆に安心してしまう。SFとして大人しく終わらせることも出来たのだろうが、最後の最後になってやはり書かずにはいられなかったと思われる。『トミー・ノッカーズ』や『ドリーム・キャッチャー』などもそのパターンで、キングはSFファンなのだろうがSF作家ではないということだろう。
 風景がどんどん削られていくCGはなかなか良い出来。

「この人は死なないだろう」という登場人物があっさり死んでしまうシビアさと、ラストのみんなでスキップスキップランランランとのギャップが笑える。キング自身が1シーンだけ登場しているのはいつものこと。

 上映時間360分の『ザ・スタンド』が不完全燃焼だったので続けて観た。合計9時間。こちらはレンタルに日本語吹替版があるので気楽に観られた。やはり面白い。

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『リオ・ブラボー』 (1959) RIO BRAVO 135分 アメリカ

監督:ハワード・ホークス 製作:ハワード・ホークス 原作:B・H・マッキャンベル 脚本:ジュールス・ファースマン、リー・ブラケット 撮影:ラッセル・ハーラン 音楽:ディミトリ・ティオムキン
出演:ジョン・ウェイン、ディーン・マーティン、リッキー・ネルソン、アンジー・ディキンソン、ウォルター・ブレナン、ウォード・ボンド

?オレはいつでも燃えている その27?
 西部劇の傑作だから観てないヤツはさっさと観ろ。なんか、今日の文章はこれで終わっても良い気がする。

 1960年代に入ってマカロニ・ウエスタンが登場し、観客の求める作品層の変化もあって廃れていったハリウッドの西部劇。それまでの西部劇では保安官とは力強い正義の象徴だったが、『真昼の決闘』のように悪漢の襲来を前に助力を求めて駆けずる回る、それまでとは異質な作品も出てきた。
 その中でハワード・ホークスは、悪漢に毅然として立ち向かう保安官とその助手として集まった腕利きのガンマンというオーソドックスな題材を撮った。街の中でドラマが進行するため、モニュメントバレーなど西部の絶景は出てこないが、紛れもない西部劇である。
 主人公の保安官チャンスはジョン・ウェイン。やたら強くて頼りがいがあって、自信に満ちた人物は一歩間違えれば薄っぺらなヒーローになってしまうが、それにリアリティを持たせているのがジョン・ウェインの存在感。ウィンチェスターライフルを手に持って、街を歩いているだけで絵になる。
 チャンスの助手になるのが悪女に裏切られた喪失感からアル中になってしまったデュード(ディーン・マーティン)と流れ者の若きガンマンであるコロラド(リッキー・ネルソン)の2人。牢番のスタンピー(ウォルター・ブレナンが名演!)も含めた4人の男たちが、殺人罪で逮捕して牢に閉じこめてある弟を取り戻そうとする悪漢たちと戦う。
 チャンスの友人(ウォード・ボンド)が助力を申し出るが、「これはプロの仕事だ。民間人は手を出すな」ときっぱり断る。これは『真昼の決闘』を観て保安官の情けなさに腹を立てたハワード・ホークスが、強調したかったシーンだと言われている。プロは己の仕事に誇りを持てということだろう。

 酒に溺れていたデュードが、一度はまた酒の魔力に屈するかとなったところを、取り戻したプライドを最後まで失わずに立ち直る。それまではジェリー・ルイスとコンビを組んだ『底抜け』シリーズなどコメディ中心だったディーン・マーティンが素晴らしい演技を見せる。ただ、実際のアルコール依存症はそう簡単に治るものではないし、ましてや根性論では片付かないのは確かだろう。

 流れ者の女ギャンブラー(アンジー・ディキンソン)など女性も数人登場するが、基本的に男たちの映画。
 リッキー・ネルソンがギターを弾き、ディーン・マーティンが『ライフルと愛馬』を歌う。それにウォルター・ブレナンがハーモニカで合わせる。それを笑顔で見守るジョン・ウェイン。ジョン・ウェイン一家の団らんだが、どこか木の上に作った秘密基地で遊ぶ男の子4人組の仲良しクラブに見えて微笑ましい。

 ライフルを脇に置いたチャンスが悪漢の手下に銃を突きつけられる。この危機に機転を利かせたコロラドが一瞬の隙をついてライフルをチャンスに投げ渡す。そしてチャンスが受け取った時にはすでに腰の拳銃を抜いており2人が放った銃弾が手下を倒す。一瞬の銃撃戦だが、めちゃめちゃ格好いい。

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『レザボア・ドッグス』 (1991) RESERVOIR DOGS 100分 アメリカ 1993/05/12鑑賞

監督・脚本:クエンティン・タランティーノ 製作:ローレンス・ベンダー 製作総指揮:リチャード・N・グラッドスタイン、ロンナ・B・ウォーレス、モンテ・ヘルマン 撮影:アンジェイ・セクラ 編集:サリー・メンケ
出演:ハーヴェイ・カイテル、ティム・ロス、マイケル・マドセン、クリストファー・ペン、スティーヴ・ブシェミ、クエンティン・タランティーノ

?オレはいつでも燃えている その17?
 当時、就職で東京にいたので渋谷はスペイン坂の上にあるシネマライズという劇場で観た。
 翌週、同じく就職で東京にいた学生時代の先輩と新宿で会って遊んでいた。
で、
「レザボア・ドックス観たか?あれ格好いいよな」
先輩が話を振ってきて
「観ましたよ、格好いいですよね」
と盛り上がった。
 時間軸が前後し交差したストーリー構成、悪党どもの会話、黒ずくめの葬式帰りのような衣装、などなど2人で話し込んだ。
「中でもラストのホワイト、エディ、ジョーが拳銃を突きつけ合う三角形が良いよな」
「あの緊張感は最高ですね。実に美しい構図ですね」
「ジョーがオレンジを撃つ」
「それに反応してホワイトがジョーを撃つ」
「親父のジョーを撃たれたエディがホワイトを撃つ」
「・・・」
「・・・」
「じゃあ、誰がエディを撃ったんだよ。あいつも死んでたぞ」
「そういえばそうですね。・・・きっとあれですよ、ホワイトが即死しなかったのは、弾丸が体内で変形せずに貫通したんでしょう。でもって、あそこは倉庫で鉄骨とかが剥き出しですから、弾丸がチューン、チューンと跳ね返ってその跳弾がエディに当たった」
「んな、マイクロブラックホールが地球に衝突する可能性程度の仮説じゃなぁ。んー、ここであれこれ考えていてもしょうがないな」
「しょうがないですね」

 というわけで、山手線に乗って一路渋谷に向かった。もちろん目的地はシネライズ。

「いいか、ジョーは取り合えあえず無視してもいいだろ。俺はホワイトを見てるから、お前はエディを注意して見てろ」
「了解です」

 90数分が過ぎてついに問題のシーン。まばたきもせずに文字通り目をこらして画面に観入った。エディ役のクリストファー・ペンは『ペイルライダー』の頃が嘘のように丸々と太って美味そうだった。って、食うなよ、想像の中で丸焼きにすんなよ。
 そして観客席に灯りがついて声を揃えてこういった。

「ホワイトが2発撃ってるぞ(ますね)!」

 そう、エディに撃たれたホワイトは、撃たれたっというアクションを見せた後倒れざまに銃口をエディに向けて一発撃っているのだ。さすがプロだなという話になった。今にして思えば、すでに大学を卒業して社会人になっているというのに、先輩後輩してなにやってんだ。
 この考えも1秒にも満たない短い時間の出来事なので確実とは言えなかった。はっきりと確認できたのはビデオ化されて、そいつをコマ送りで観てから。スローや早送りして観るのは好きではないが、こいつは例外ということにした。

 今回の文章を書くために久々に観直したが、オープニングのカフェでコーヒーを飲みながら「マドンナの『ライク・ア・バージン』はこういう意味だ」とかどうでもいいことをしゃべっている男たち。そして面子が揃うとレンガ塀をバックにずらりと歩き出す。
 そして、次のカットではいきなり宝石店襲撃に失敗して警察から追われているシーンになる。オレンジ(ティム・ロス)は腹を撃たれて白いシャツが血で真っ赤だしもうなにがなにやら。そこから一気に映画に観客を引きずり込む脚本の妙技。普通の映画ならばじっくりと描く宝石店襲撃をあっさり省略してしまう大胆さには驚く。それに宝石店のセットを組んだり本格的なロケをやる予算がないしな。

 そしてホワイト(ハーベイ・カイテル)とオレンジが集合場所の倉庫に到着してからは、回想シーンなどは別にするとほぼ密室劇になる。
 故淀川長治氏が「舞台劇を映画化したのかと思った」といったぐらい、映画としてはちょっと変わったスタイルにも驚く。それに倉庫だけで大半のシーンが撮れれば合理的だ。予算もないしな。

 下手をすると単なる自主映画で終わっていたところを、ちゃんとした映画に仕上げていたのは、上記のようにタランティーノが予算やそのスタッフ・キャストで出来ることと出来ないことをはっきりさせ、中途半端にやってしょぼくなるだけならばいっそのこと切り捨てるというセンスの良さだろう。自主映画出身の監督にありがちな「やりたいことは分かるんだけどね。意欲は分かるけどね・・・」というのを感じさせない。
 脚本を気に入り、出演だけではなく制作にも関わったハーベイ・カイテルの存在は大きいだろう。他の若手出演者にとって手を抜けない現場だったと想像できる。
 タランティーノという名前はどこかで聞いたんだが、新人なんだよな。さてどこだったか?としばらく悩んだ。後に『ブルース・ブラザース』を観ていて、ジェイクとエルウッドが昔のバンド仲間を捜すシーンで登場する大家の名前がタランティーノだった。多分、これが頭に残っていたのだろう。
 現時点で、一番気に入っているタランティーノ作品が、この『レザボア・ドックス』だ。それ以降の作品は、タランティーノの映画オタクが悪い方で出てしまっているように思う。

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『レオン』 (1994) LEON 111分 フランス/アメリカ 1995/03鑑賞

監督:リュック・ベッソン 製作:パトリス・ルドゥー 製作総指揮:クロード・ベッソン 脚本:リュック・ベッソン 撮影:ティエリー・アルボガスト 編集:シルヴィ・ランドラ 音楽:エリック・セラ
出演:ジャン・レノ、ナタリー・ポートマン、ダニー・アイエロ、ゲイリー・オールドマン、サミー・ナセリ

?オレはいつでも燃えている その16?
 安アパートに住む一家がマフィアに皆殺しになり、たまたま難を逃れた子供が隣人の世話になり、その隣人は本人の意志には関係なく事件に巻き込まれていく。
 そんな冒頭でジョン・カサヴェテスの傑作ハードボイルド『グロリア』(1980)の記憶が呼び覚まされたのだが、話が進むにつれ基本アイディアは『グロリア』だが、それをリック・ベッソンなりに咀嚼・発展させた物だというのに気付いた。ちなみに『グロリア』は1999年にリメイクされているが、1999年版は断じてみる必要のない駄作レベルマックスで、1980年版は「お前ら、ぜってー観とけ」レベルマックス。
 『グロリア』ではヤクザの娼婦でくたびれたグロリアが、マフィアの会計士の息子を助けたことから争いに巻き込まれて、女性ハードボイルドを繰り広げる。グロリアと少年との関係は疑似母息子関係で、敵陣に乗り込んでいくグロリアの姿などが実に格好いい。
『レオン』ではホテルのチェックインなどでは父娘を装っているが、レオン対マチルダの純愛恋愛関係へと話が進んでいく。母息子関係と恋愛関係ではかなり話が違うが、レオンが過去に女性に関して大きな心の傷を追っており、それで純愛を成立させている。でもまぁ、世間一般の視点で言えばロリコンだけどな。
 仕事と観葉植物にしか興味を持っていなかったレオンが、次第にマチルダに心を許していく様子が素晴らしい。そのきっかけがレオンによるジョン・ウェインの真似というのは、やはりリック・ベッソンはただ者ではないというか、かなりの映画野郎だ。
 現在流通している作品のほとんどが完全版で、劇場公開版では削除されていたシーンが復活していて、意味が通じなかったシーンの説明がつくようになっているが、劇場公開版からカットされたシーンもあり、必ずしも完全版>劇場公開版ではない。可能ならば両方観てみるのも面白うだろう。
 個人的好みとしては、レオンにはちゃっかり生き残ってマチルダと幸せになって欲しかったのだが。安易に主人公の死で終わらせるのはあまり好きではない。でも、“リング・トリック”とか伏線は活かしてあるし、きっちり悪党も吹き飛ぶので悪いわけではないが。
 殺し屋の元締めのダニー・アイエロがまた良い。レオンを身内をして大切に扱いながらも、ちゃっかり上がりをかすめ取っている狡猾さがダニー・アイエロにはぴったり。
 ラストだって、簡単にレオンを売ったわけではなく、拷問されてついに話してしまったのだ。これが、拷問されても最後まで答えずについに殺されてしまった、では駄目なのだ。

 あちこちで語られていることではあるが、ジャン・レノの殺し屋は『ニキータ』終盤に出てくる“掃除屋”が元ネタ。「なんでもない、誤報だ。バンバン」が良かったよな。
 出演者にサミー・セナリがいるが、終盤のSWATの一人でフェイスガードで顔をは映っていない。
「リック・ベッソン作品に出られるってのに、顔が映らないなんてあんまりです」とごねていたのをリック・ベッソンの耳に入って、『TAXi』の主役に抜擢されたのだとか。どこまで本当かは分からないが、人生ぼやいた者勝ちかも。

 死んだかなと思わせて、実はちゃっかり生きていてラストに顔を見せるグロリア。
 愛に殉じてマチルダを救い、弟の敵を討つために爆死するレオン。
 映画のスタイルが違うからそこまでなのだろうが、ここに一つの男女の考え方の差が見える。
 母息子として2人でこれからの人生を送るグロリア。
 派手に死んで本人は満足だろうがマチルダはレオンが残した観葉植物を支えに孤独に生きる。
 エンドクレジット後のストーリーを考えると、レオンは死んで満足だったかも知れないが、残された物を考えると生き延びて欲しかった。それじゃ盛り上がらないだろっていうなら『グロリア』を観ろ。もちろんシャローン・ストーン版(1999)ではなく、ジーナ・ローランズ版(1980)な。

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『ロボコップ』
(1987) ROBOCOP 103分 アメリカ 1988/03/17鑑賞

監督:ポール・ヴァーホーヴェン 製作:アーン・シュミット、ジョン・デイヴィソン 脚本:エドワード・ニューマイヤー、マイケル・マイナー 撮影:ヨスト・ヴァカーノ 特撮:フィル・ティペット 特殊メイク:ロブ・ボッティン 音楽:ベイジル・ポールドゥリス
出演:ピーター・ウェラー、ナンシー・アレン、ダニエル・オハーリヒー、ロニー・コックス、カートウッド・スミス、ミゲル・ファーラー

 ロボットやサイボーグなどのメカニカルな刑事というのは日本では昔から人気のあるジャンルで、古くは『8マン』や『ロボット刑事K』そしてこちらは機動スーツを着込んだだけで生身だが『宇宙刑事ギャバン』を始めとする宇宙刑事シリーズなどがある。
 アメリカのSF小説ではアイザック・アシモフの『鋼鉄都市』などにロボットの刑事は出てくるが、これは人間そっくりなアンドロイドで、銀色に輝いたりはしていない(だったはず。読んだのが大昔なので詳細は忘れた)。
 マシーンなロボット刑事というのは日本で生まれたと言っても良いアイディアなのに、日本映画界は「どうせアニメだろ、どうせ特撮だろ」と考えて本気で実写映像化しようとはまるで考えもしなかった。
 そんな間に、ハリウッド映画がちゃんと作ってしまったロボット刑事映画がこの『ロボコップ』だ。
 ロボコップのデザインは日本のなんとかとかいうSFイラストレーターの女性型アンドロイドを真似されたんじゃないかという意見があったが、それよりなにより「ハゲじゃない、剃ってるだけだ」の大葉健二が主役を演じた『宇宙刑事ギャバン』そのものだろう。
 ネタは日本にもあったのだから、何故それをちゃんと真面目に金をかけて実写映画に仕上げなかったのだろうか。本当に日本映画製作の上層部というのは何も考えていないに違いない。
 『ロボコップ』のヒットを受けて日本のVシネマが中村あずさ主演で『女バトルコップ』(1990)という女性版ロボコップを作ったが、これが悪夢に登場するようなひどい出来だった。観終わった後で記憶障害が発生して観たのを忘れてしまったぐらい。でもって、「借りてきたんだから一応観なきゃな」とビデオの再生を始めて、再生が終わるとまた記憶が消去されて「借りてきたんだから一応観なきゃな」と最初に戻る。気がついたら3日が過ぎていたな。まぁそれは嘘だが、本当にひどい。何を考えて作ったんだか。

 ロボコップの口元が見えるデザインについてはいろいろ意見もあるだろうが、主役を演じたピーター・ウェラーにしてみれば「せめてセリフをしゃべっている口の動きぐらいは役者として見せたい」というのもあるだろうし、それほど悪いデザインだとは思わない。
 代わりに、下肢部の後ろについているピストン状の細い金属棒が気になってしょうがない。あれがなければわたしとしてはかなりパーフェクトなデザインなんだが。

 相棒の婦人警官(ナンシー・アレン)は犯罪者をパンチ一発でのしてしまうほどの腕利き。でも走るときは女走りなんだよな。そこがちょっと微笑ましい。
 なんでもナンシー・アレンの父は警察官だったそうで、一緒に生活してきた父の仕草や言動を役作りに活かしていたのかもしれない。アン・ルイスっていう役名は日本人にはちょっと笑いを誘ってしまう物があるが。

 悪趣味大王ポール・ヴァーホーヴェンにしてはおとなしめな作品だ。
 それでも、生身のマーフィーが悪人たちに手を吹き飛ばされるなどして銃でなぶり殺しにされるシーンはやはりヴァーホーヴェン。あまり趣味じゃないなぁ。
 ただ、ラスト近くで有毒廃棄物を全身に浴びてしまった悪党が、皮膚がただれてブヨブヨの怪物になってしまい、さらに廃棄物の作用で超人“THE TOXIC AVENGER”になって暴れ回るところは笑ったな。
 えっ、トロマの『悪魔の毒々モンスター』(1984)とごっちゃになってるんじゃないかって?・・・あっ、本当だ。ロボコップの有毒廃棄物怪物は車に轢かれてベチャッとつぶれて終わり。こちらの悪趣味は割と好き。

 ロボコップが右手から出す鋭くとがった金属製の棒は、武器としても使っているが本来の用途はコンピューターなどの情報機器と繋ぐインターフェースの端子である。警察のデータベースから情報を引き出すだけなら、ロボコップ専用に開発された特殊インターフェースかとも思うが、ラストのオムニ社重役会議室のコンピューターにもその入力端子がついている。
 すると、あの鋭い槍状の物はあの世界でのUSBやIEEE1394のような標準規格なのだろう。パソコンにiPodをつなぐ時にも「ジャキッッ!」、ビデオカメラをDVDレコーダーにつなぐ時にも「ジャキッッ!」。
 なかなかイカす光景だがかなり危険な世界である。子供はパソコンなんかの電子機器を使っちゃ駄目ってことだな。年間事故発生件数も結構多いんだろうねぇ。

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『リーサル・ウェポン』(1987) LETHAL WEAPON 110分 アメリカ 1987/06鑑賞

監督:リチャード・ドナー 製作:リチャード・ドナー、ジョエル・シルヴァー 脚本:シェーン・ブラック 撮影:スティーヴン・ゴールドブラット 音楽:マイケル・ケイメン、エリック・クラプトン
出演:メル・ギブソン、ダニー・グローヴァー、ゲイリー・ビューシイ、ミッチェル・ライアン、トム・アトキンス

 しばらくの間、刑事映画を取り上げてみることにした。警察映画ではなく刑事映画、ここんとこ重要だ。
 1本目は大ヒットしてシリーズも4本作られた『リーサル・ウェポン』シリーズの一作目。LETHALは致死的なといった意味だから、LETHAL WEAPONは必殺兵器とでもいったことろだろうが、公開当時マンガの『美味しんぼ』が流行っていたので、予告編では「究極兵器」などと書かれていた。そしてDVDの字幕だと「人間兵器」。もうどれが正しいのやら。ところで『美味しんぼ』ってまだ連載してるんだっけ?究極探しもいい加減にしろっての。
 公開当時に観たときはリッグスことメル・ギブソンに感情移入していたのだが、今回観直してみるとその対象がマータフことダニー・グローヴァーになっていることに驚いた。50歳の誕生日を迎えた黒人刑事で、愛する妻と娘二人息子一人の家族を持ち、刑事という危険な仕事だがそれなりに安定していて、もう少し勤め上げれば恩給資格が手に入る。日々これ平穏という彼の人生に、ある日一人の若造が関わってくることになる。ベトナム戦争で活躍した白人だが交通事故で妻を失い生きる気力を無くしている。住処であるトレーラーハウスに一人ぼっちでいると寂しさに耐えきれずに銃を口に突っ込んで自殺を図ろうとする、そんな精神的に不安定な男である。今になってみると、このリッグスのウダウダした苦悩振りが鼻についてちょっとうっとおしい。
 こんなメンタルヘルス男と相棒として組まなければならないマータフに同情。「ああもう、まいちゃったな」と始終戸惑い顔だが後半はさすがのベテラン振りを見せる。マータフだってベトナム戦争で戦ったのだ。
 そしてマータフやその家族と接したことと、痲薬がらみの事件で、ただ暴れるだけではなく誰かのために戦うことでリッグスは大げさに言えば生きる意義、そして充実感を感じるようになる。リッグスにとってマータフは良き相棒であると同時に良き先輩だ。

 監督のリチャード・ドナーは、あまりきちんと語られることの少ない人だが、どんな題材でもきちんとこなす職人監督的な部分だけではなく、作家性も意外に高い(と言ったら失礼だが)人である。
 この作品のオープニングにしても、ロスの夜景を空撮で撮っていってついには物語の発端である高層マンションの一室を窓からうかがうまでの1カット長回になっている。そして、若い女性がビルから飛び降りるのだが、そこでは落下していく女性の視点からのカットが2つ使われていて、なかなか挑戦的な映像だ。
 2?4までの続編も、ヒットしたから作ってみましたではなく、リッグスが次第に周りに人間に打ち解けていきついには妻と子供、そして友人を手に入れ、再び人生を始めるまでの過程が丁寧に描かれている。そして、もうこれで絶対に終わりだよと言わんばかりの4のエンドクレジットはちょっと泣ける。

 拷問魔としてアル・レオンが出演しているのもうれしい。
 『ダイ・ハード』、『ブラック・レイン』、『ゴースト・ハンターズ』に『エスケープ・フロム・LA』など名だたる作品に出演しているヒゲを生やし額がはげ上がった東洋人だ。
 『ダイハード』でテロリストの一人として出演しチョコバーを盗み食いしていた奴と言えば分かるだろうか。個人的には『ビルとテッドの大冒険』のチンギス・ハン役がベスト。

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『ロックアップ』
(1989) LOCK UP 109分 アメリカ 1989/12鑑賞

監督:ジョン・フリン 製作:ローレンス・ゴードン、チャールズ・ゴードン 脚本:リチャード・スミス、ジェブ・スチュアート、ヘンリー・ローゼンバウム 撮影:ドナルド・ソーリン 音楽:ビル・コンティ
出演:シルヴェスター・スタローン、ドナルド・サザーランド、ジョン・エイモス、ダーラン・フリューゲル、ソニー・ランダム

 刑事施設受刑者処遇法が参議院で可決・成立したそうだ。
 なんでも受刑者の人権尊重がより重視されるようになり、模範囚は刑務所外への外出・外泊も可能になるとか。他にも外部への電話もかけられるようになり、模範囚にとってはかなり規制がゆるくなるようだ。
 それが良いことなのか悪いことなのか、そして実際にちゃんと運営されるかなどはまた別の話として、この模範囚は外泊が可能という制度はアメリカでは以前からあったようだ。
 シルヴェスター・スタローン主演の刑務所映画『ロックアップ』はスタローンが刑務所から外泊許可が出て、恋人の待つ自宅で一時を過ごしているシーンから始まる。最初は囚人が外泊できるという意味が分からず、「どーなってんだこれは」と首をかしげてしまった。1989年当時の日本人にとって囚人が外泊できるなんて思いもよばなかった。塀の外へ出られるのは刑期を終えた後か、病気や事故などで死んで棺に入って出るか、『塀の中の懲りない面々』シリーズでは確かそう描かれていたはずだ。

 映画と現実とでは違うのだろうが、アメリカの刑務所映画にはいろいろと謎な点が多い。
 休憩時間には中庭のグラウンドでベンチプレスをしていたり、牢屋の中に写真や絵など私物を持ち込んで飾っていたりする。比較的規則は少なく自由に過ごしているようにも見える。この作品でもスタローンは刑務所の工場を利用して車のレストアをやっている。その作業はどうも刑として課せられたものではなく、個人的な趣味でやっているようだ。そんなのありか?
 自由な雰囲気の反面、囚人同士の暴力沙汰や殺傷事件などは日常茶飯事のように描かれている場合が多い。これもかなり無茶な話だと思うのだが、実際にそんなことが多発しているのだろうか。現実は現実、フィクションはフィクションとして観た方が良いのだろうな、やはり。

 刑期もあと数ヶ月で完了するところで、スタローンは別の刑務所に移されてしまう。そこの刑務所長(ドナルド・サザーランド)はスタローンと因縁があり恨みを持っている人物。スタローンを無事に出所させないよう様々な方法で圧力をかけて苦しめ、ついに脱獄しようとしたところを射殺しようという考え。なんかちょっと回りくどいが、これならば大きな問題になることはない。
 ドナルド・サザーランドの悪徳所長は憎たらしさが良く出ている。時々ちらっと顔を見せるだけで、登場シーンとしてはかなり短い。妙に不自然なカットもあり、ひょっとしたら撮影現場に来たのは1日だけで、サザーランドの出演シーンだけぱっぱと撮ってしまったのかもしれない。
 嫌がらせ(?)を受けながらも、スタローンは不幸・負け犬系の顔でじっと耐える。そして耐え抜いた末、仲間の青年が殺されたことで脱獄することを決める。この耐えに耐えて、そしてついに立ち上がるというカタルシスが良い。この辺りはアメリカ人のクセに任侠映画っぽい作品を撮るジョン・フリンだけのことはある。
 でもまあ、どうせ最後には立ち上がるんだから、さっさと立ち上がっておけば本人や周りへの被害も少なかったんじゃないかなとか思ってしまう。「ウルトラマンは変身すると同時にスペシウム光線を放てばいいじゃん」てのと同じ理屈か。・・・違うか。
 何故か嫌いになれない作品だが取り立ててお勧めはしない。刑務所映画ファンとスタローンのファンなら観ておくべきか。

『ローズ家の戦争』(1989) THE WAR OF THE ROSES アメリカ 116分 1999/6/22鑑賞

監督:ダニー・デヴィート 製作:アーノン・ミルチャン、ジェームズ・L・ブルックス 製作総指揮:ポリー・プラット、ダグ・クレイボーン 原作:ウォーレン・アドラー 脚本:マイケル・リーソン 撮影:スティーヴン・H・ブラム 音楽:デヴィッド・ニューマン タイトルデザイン:ソウル・バス
出演:キャスリーン・ターナー、マイケル・ダグラス、ダニー・デヴィート、マリアンネ・ゼーゲブレヒト、ショーン・アスティン

製作ニュースで『バラ戦争』というタイトルと出演者がキャスリーン・ターナー、マイケル・ダグラス、ダニー・デヴィートのトリオだと聞いた時には、てっきりこいつは『ロマンシング・ストーン』シリーズの3作目だとばかり勘違いしてしまった。
チビ・デブ・ハゲの三重苦俳優として有名なダニー・デヴィートだが、監督デビュー作として撮った『鬼ママを殺せ』(1987)で意外にも優れたサスペンス・コメディでの演出力を見せた。監督第二作目となる『バラ戦争』は正式タイトルが『ローズ家の戦争』となり、どうやら一連のジョーン・ワイルダー物ではなく離婚を巡る夫婦間のドタバタだとか。
まあたまにはそういうのもいいか、と気軽な感じで観に行った。そして上映が終わった時、わたしは観客席で硬く凍り付いていて、心の中を乾いた冷たい風がただ吹き抜けていた。

理想的な夫婦だと思っていた結婚17年目の妻(キャスリーン・ターナー)がふとしたことをきっかけに夫への愛が消え去っていることに気付く。夫(マイケル・ダグラス)に離婚を申し出るが、別れる気のない夫は子供の養育権や家の権利などを楯に離婚が成立しないようにごねる。そしてローズ家ではスターリングラード攻防戦も真っ青な泥沼に落ちた戦争が始まるのだ。
これは『ロマンシング・ストーン』のラストで愛によって結ばれた二人のその後を描いた作品とも言える。愛だ恋だのロマンスは最初の内だけで、結婚してしまえば残るのはただリアルな生活のみ。愛という幻想によって成立していた夫婦という“他人との生活”は、その幻想が消失することでもろくも崩れ去ってしまう。そんな、ごく当たり前でみんなが知っているのに知らない顔をすることで社会を成り立たせている事をダニー・デヴィートはスクリーンに容赦なく映し出してみせる。
『ローズ家の戦争』はブラック・コメディ仕立てになっているからまだいいが、小栗康平の『死の棘』(1990)ばりのシリアスさで描いたら観客は途中で全員映画館から逃げ出してしまうだろう。逆に言えば、『死の棘』なんかよりも『ローズ家の戦争』の方が本質的により残酷で無慈悲で救いの欠片もないということだ。
争った挙げ句の相互理解や再び燃え上がる愛など登場しない。それどころか、17年前に出会った時に感じた愛も実在はしなかったんじゃないだろうかというのがこの映画のスタンスで、それはこの二人だけじゃなく誰でもそうなのだ、とまで言う。なんとも怖ろしい考え方ではないか。

映画は白い柔らかそうな布のアップから始まる。ゆっくりと画面を流れていくそれはベッドの高級シーツだろうか?いや、カメラが引いていくとその正体は一枚のハンカチで、持ち主である弁護士(ダニー・デヴィート)はそれでいきなり鼻をかむ。なんとも人を食った上に映画の行く末を暗示する始まり方だ。ダニー・デヴィート、やはりなかなか上手い。
印象に残っているカットはクリスマスツリーのある居間でのボヤ騒ぎだろうか。大騒ぎになったあげくにようやくと消し止められるのだが、「どうだ、俺のおかげでボヤですんだんだぞ」と威張る夫に対して冷淡な妻とどうしていいのか困り顔の子供たち。炎に焼かたツリーの飾り玉に映し出される家族は汚れて歪んでいて、それぞれの心の中と距離を現すかのようだ。
そしてついにラスト。ローズ家の象徴でもあった玄関ロビーのシャンデリアにぶら下がった二人は、命の危機にさらされながらも口論を続ける。そして、二人を救い出そうと表であたふた慌てふためく弁護士と家政婦の努力もむなしくシャンデリアは落下する。
床に叩き付けられたすでに瀕死の状態。夫はゆっくりとその手を妻の手に向かって伸ばす。二人の手が重なる。妻は最後の力を振り絞って夫の手を握る、ああやはり愛はあったんだね・・・と思いきや「冗談じゃないわよ」とばかりに夫の手を振り払って孤高を貫いて一人で死んでいき、夫は未練を抱いたまま寂しく死ぬ。
愛という概念にあぐらをかいてしまい、相手への理解や思いやりを持たないと結婚生活は破綻してしまう。友人への結婚祝いでこの作品のビデオを贈ろうかと思ったことがあるが、意図が理解してもらえないと単なる嫌がらせにしか思われないので止めた。止めて正解だったなと改めて思う。下手をすれば友人を一人減らしているところだった。

『レッドブル』(1988) RED HEAT アメリカ 105分 1988/9/21鑑賞

監督:ウォルター・ヒル 製作:ウォルター・ヒル、ゴードン・キャロル 製作総指揮:マリオ・カサール 原案:ウォルター・ヒル 脚本:ハリー・クライナー、ウォルター・ヒル、トロイ・ケネディ・マーティン 撮影:マシュー・F・レオネッティ 音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、ジェームズ・ベルーシ、エド・オロス、ピーター・ボイル、ラリー・フィッシュバーン(ローレンス・フィッシュバーン)

ソビエトから来た警官シュワルツェネッガーが拳銃についてこう述る。「ソビエトのポドブィリン92ミリが破壊力世界一だ」と。
ポドブィリンとは実在しない架空の拳銃で、イスラエルのデザートイーグルをベースに作ったプロップガンだが、もしそんな拳銃があれば確かに破壊力世界一だろう。というか、92ミリ口径ってどんなんだよ。戦車の主砲が100ミリから120ミリぐらいの口径らしいがそれに近い大きさじゃないか。ソビエトだからそんなとんでもない兵器を作ることもあるかも知れないが、撃たれた相手は木っ端微塵になってしまうぞ。というよりそもそも持ち歩けないだろ。携帯できない拳銃なんて、有線式の携帯電話みたいなもんで単なる役立たずだ。
92ミリといえば現在主流である9ミリ弾のおよそその10倍。ダーティーハリーが使って有名になった44口径マグナムは0.44インチのことなので11.18ミリ。コルトガバメントなどの45口径が11.43ミリ、大口径オートマチックのデザートイーグル50AEがその名の通り50口径なので12.7ミリ。どれもとてもじゃないが92ミリにはほど遠い。
もちろんこのDVDにおける字幕は“92ミリ”ではなく“9.2ミリ”の誤植である。シュワルツェネッガーははっきり「ナイン・ポイント・ツゥーミリメートル」と言ってるのでさすがに誤訳ではないだろう。もし誤訳ならば中学校からやりなおしだ。だが、マスターが作成されるまでの間に誰か気が付かなかったのだろうか。
銃の口径というのはインチとミリが混在しており、さらに大砲の場合の口径はサイズ+砲口と砲身長の比率だったりと確かにややこしいが、それは誤訳のいい訳にはならないとはずだ。だが、ちゃんと調べずにいい加減なことを書いてある翻訳小説などがたまにあり、45口径の拳銃を45インチ口径と訳しているのを見たことがある。大艦巨砲の象徴である大和にだってそんな物は積んでないだろうに。
もっともわたしもあまり人のことは言えない。散弾銃の口径を表す「番・ゲージ」のことをインチに由来する物と勘違いしていた。これは重量換算で、12ゲージのショットガンとは1/12ポンド分の散弾を使う銃のことだそうだ。1ゲージが1ポンド分の散弾なのでゲージの数字が大きくなるほど小さな口径となる。弾丸(シェルショット)の直径はおよそ18.5ミリだとか。「津山三十人殺し」の犯人都井睦雄が使ったのはブローニングの12番猟銃だったが、それについて書かれた書物を紹介した時に誤った数値で表示してしまった。すでに訂正済み

『レッドブル』に関して話すべき事は特にない。
脚本家から傑作『ストリートファイター』(1975)で監督デビューしアクション映画を中心にいくつかの優れた作品を世に送り出したウォルター・ヒルだが、『ダブルボーダー』(1987)以降は何がどうしたのかグダグダに腰砕けになり、もはや駄作製造マシーンと化している。
規則ガチガチなソビエト人警官と型破りなアメリカ人警官という立場も違う二人が組むという点では、白人刑事と黒人の犯罪者が組むことになる『48時間』(1982)と似てはいる。だがそれは設定だけで、お互いに反発と影響を与えながら少しずつ理解が進んでいく様子がまるで伝わってこない。シュワルツェネッガーにもうちょっと感情の動きを持たせてもよかったと思うのだが、これでは役柄としてほとんどターミネーターの延長だ。
全体に刑事映画としても相棒映画としても中途半端なまま映画は終わる。
アメリカ映画初の赤の広場ロケも大して意味なし。

『リーサル・ウェポン3』(1992) LETHAL WEAPON 3 アメリカ 1992/10/23鑑賞

監督:リチャード・ドナー 製作:ジョエル・シルヴァー、リチャード・ドナー 原案:ジェフリー・ボーム 脚本:ジェフリー・ボーム、ロバート・マーク・ケイメン 撮影:ヤン・デ・ボン 音楽:マイケル・ケイメン、エリック・クラプトン、デヴィッド・サンボーン
出演:メル・ギブソン、ダニー・グローヴァー、ジョー・ペシ、レネ・ルッソ、スチュアート・ウィルソン


警察内部の不正や警官による犯罪を監視調査するための内務監査局というものがある。『交渉人』(1988)でサミュエル・L・ジャクソンの相棒殺し・年金基金を捜査したり、『NYPD15分署』(1999)で中国系刑事チョウ・ユンファによる不正捜査を疑ったりなどときおり警察映画に登場する。『インソムニア』(2002)ではアル・パチーノが不眠症(インソムニア)で苦しんでいるが、その理由の一つが自らに迫る内務監査の網だった。
警官・刑事が主役の映画が多いためどちらかというと内務監査局は嫌な連中として描かれがちだが、外部から干渉されることが少なく結束し独立した集団である警察を、第三者的な立場からクリーンな組織にするために内務監査局の存在は重要なのだろう。どのような組織でもそうだが、外部からどのように見られているかを意識していないと、倫理観がねじ曲げられ不正行為がまかり通ったり、組織を守ることが優先され公共の利益が無視されかねない。しかもその組織の権力が強ければ問題はより重要になる。

『リーサル・ウェポン3』にも内務監査官が登場するが、珍しく主人公側の人間として登場する。しかも美人で気が強く、腕っ節まで立つときてる。レオ・ルッソはまさにはまり役で、『リーサル・ウェポン2』で妻の仇を取り心の傷も癒えてきたリッグス(メル・ギブソン)が惚れてしまうのも納得だ。リッグスの傷を手当てをしているうちに、二人とも銃で撃たれたりナイフで刺された傷跡自慢を始めて、そのままお互いへの想いに気づきベッドインしてしまうシーンは笑えるし実に上手いラブシーンへの導入である。『リーサル・ウェポン』シリーズなどのパロディ映画である『ローデッド・ウェポン1』(1993)でエミリオ・エステヴェスとヒロインがこのシーンをパロっているが、こちらは本家と違いトホホな情けない傷ばかり。ちなみに『ローデッド・ウェポン1』とあるものの『2』や『3』はない。
『リーサル・ウェポン1』や『2』にあったヘビーな部分はほとんどなくなっている。その点で評価が分かれるかも知れないが、傷つき孤独な男が友を得、そして恋人を得てついには家族という存在と人生を取り戻す『リーサル・ウェポン・サーガ』において苦しみよりも喜びの方が多くなった重要なターニングポイントである。
実際のビル爆破解体現場を巧みに使った事件爆弾騒ぎから始まるオープニングでどっと沸かされる。主人公が事件爆弾を解除する場合、ほとんどが1秒前や7秒前で止めることが出来るのだが、いきなりその法則をぶち壊わす。しかし、事件爆弾の解除ではなぜ最後に赤と青の2本の電線の内どちらかを切るというシチュエーションになるのだろうか。爆弾魔も2分の1で解除されてしまうようなヤワな仕組みではなく、「白・黒・抹茶・あずき・コーヒー・ゆず・桜の7本の内どれか1本を切ると止まる」にしておけば解除される可能性もぐっと低くなると思うのだが。いっそのこと「100本ぐらい線がある」というのはどうだろうか。
『2』に引き続いてジョー・ペシが笑わせ役で出演しレギュラー陣がすっかり安定してリチャード・ドナー一家と言ったところだ。それに対して悪役側が今一つで、特にボスに迫力がない。建売住宅地を経営しているってのはずいぶん堅実な奴だ。
エンディングクレジット後におまけがあるので見逃さないように。
撮影は後に『スピード』(1994)などを監督するヤン・デ・ボン。『ダイ・ハード』(1988)や『ブラック・レイン』(1989)の撮影も担当しており、監督になるよりもそのまま撮影監督を続けていた方が映画界にとって重要だった気がする。

『ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン』(2003) THE RUNDOWN 104分 2004/11/30レンタルDVDにて鑑賞

監督:ピーター・バーグ 製作:マーク・エイブラハム、カレン・グラッサー、ケヴィン・ミッシャー 製作総指揮:アラン・ビーティ、クリス・チェサー、ジョン・コーリイ、リック・キドニー、ヴィンス・マクマホン 原案:R・J・スチュワート 脚本:R・J・スチュワート、ジェームズ・ヴァンダービルト 撮影:トビアス・A・シュリッスラー 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:ザ・ロック、ショーン・ウィリアム・スコット、ロザリオ・ドーソン、クリストファー・ウォーケン

アメリカプロレス団体WWF(現WWE)の人気レスラーザ・ロックの主演作。
ゲスト出演した『ハムナプトラ2』のスピンアウト作『スコーピオン・キング』で主役デビューしたザ・ロックは単にプロレスラーが映画出演しているだけにとどまらず着実に俳優への道も歩んでいるようである。
映画にも出演していた人気プロレスラーとなると日本の力道山やアメリカのハルク・ホーガンなどがいる。メキシコではミル・マスカラスなど人気レスラー主演映画が日常的に公開されているそうだがさすがにそれはちょっと特殊なので横に避けておく。力道山の映画は「まぁ大昔にそんなものもあった」で終わらせておくとして、ハルク・ホーガンはバート・ケネディ監督による傑作『マイホーム・コマンドー』(1991)などに出演しているがお世辞にも演技が上手いとは言えない。棒読みに近いセリフも、名前にハルクとあるように一種怪物じみた人だからそれが味にはなっているものの、固定された役柄しか演ずることが出来なかった。
オーストリア出身のためドイツ語訛りが抜けないシュワルツェネッガーや、出産時の事故のため左顔面に軽いマヒがあるスタローンといった10年ほど前の肉体派スターと比べても、リングでのマイク・パフォーマンスも有名だったというザ・ロックはセリフ回しが上手く、わたしは英語が苦手なのではっきりと判断はできないが滑舌もしっかりしている。
アメリカのプロレスはショー・プロレスで、中でもWWEは娯楽要素が強いそうなので、ザ・ロックは自分をいかに見せるかということを理解しているようだ。人々が自分に強いスター像を求めていることを察しているようだし、今後も分かりやすいエンターテインメント作品に出演するだろう。
最近の肉体派スターにはヴィン・ディーゼルがいるが、ディーゼルは少年時代から舞台に立っていたり自ら監督・製作・脚本もつとめた作品をサンダンス映画祭に出品するなどクリエイター指向が強い。そのためか、最近は『ブルドッグ』(2003)や『リディック』(2004)などストレートな娯楽映画は避けるようになっている。個人的には素直に『トリプルX』(2002)をやってりゃいいのに、と思う。
少々、ザ・ロックのことを褒めすぎな気もするがまぁいいだろ。

映画のストーリーは単純。
高利貸しの取立屋屋である主人公ザ・ロックは、足を洗ってレストランを開くための最後の仕事として組織のボスを連れ戻しにアマゾンの奥地に向かう。その地には金鉱があり、クリストファー・ウォーケン演ずるボスが現地人を奴隷のようにこき使って金を掘らせている。息子はそこで伝説のお宝探しをしていたのだ。何故息子がトレジャー・ハンターをやっているのか、何故アマゾンなのか、いちいち考えちゃ駄目だ。
あれやこれやとあった挙げ句、最後には主人公がクリストファー・ウォーケンとその部下たちと戦い、もちろん勝利し現地人を圧政から解き放つ。良くある話だ、言われなくても分かっている。でも、それでいいじゃないか。最後にザ・ロックがあっさり殺され悪人がのさばったままという話よりましだろ。それに悪が栄える現実の世界、映画の中でぐらい悪党が倒されて欲しい。
悪党のボスであるクリストファー・ウォーケンが例によっていい。この映画の成功にウォーケンの存在は大きなウェイトを占めている。かなり痩せたのではないかという感じで最初は「クリストファー・ウォーケンに良く似た奴だなぁ」と思っていた。そういえばオープニング・クレジットにウォーケンの名前があったで、ではやはりウォーケンなのかと気付いた次第。神経質さを感じさせる顔つきの中にギラギラとぎらつく感じの眼が実に迫力を持っている。喋らなくても画面を圧倒させてしまうのはさすがだ。悪役が良いと映画が締まる。なんとなく『用心棒』の仲代達矢を思わせるラストの格好悪い死に方も良い。
息子役のショーン・ウィリアム・スコットはあまり活躍せず存在感も薄い。映画を観て学んだというカンフーで敵をやっつけろよ。ああ、あれは『バレット・モンク』(2003)での役柄だったか。
そういえばシュワルツェネッガーが冒頭に一瞬だけ出てた。

「俺は銃は使わない」と素手で敵と戦うザ・ロックだが、ラストの銃撃戦では2丁拳銃ならぬ2丁ショットガンを操って敵に挑む。ただしそのショットガンがポンプアクション式ショットガンなので、腕力があれば右手・左手それぞれで構えることはできるだろうが、排莢・装填にもう一方の手が必要になる。そこでなかなか面白い方法を駆使して排莢・装填をやってくれる。こういったガンアクションは始めて観た。なかなか面白い。

『ラスト・パトロール』(1999) THE LAST PATOROL 95分 2004/11/23レンタルDVDにて鑑賞

監督:シェルドン・レティック 製作:ジェイコブ・コッキー 製作総指揮:スティーヴン・ブラックリー、パメラ・L・ロング、スティーヴン・メンデルソン 脚本:スティーヴン・ブラックリー、パメラ・L・ロング 撮影:デヴィッド・ガーフィンケル
出演:ドルフ・ラングレン、シェリー・アレクサンダー、ジョー・マイケル・バーク、レベッカ・クロス

始まるなり画面は4:3のスタンダードサイズに明らかにビデオな素材がインサートカットとして使われている。ひょっとしてテレフューチャー(テレビ用映画)か?
うーむ、ドルフ・ラングレンもついにテレフューチャーに出演するようになったか。まぁチャック・ノリスだってテレビシリーズに出てたしな。重要なのは劇場用かテレビ用かということではなく、その作品が面白いかどうかだ。

舞台は近未来のカリフォルニア。世紀末を何事もなく過ごした人類は繁栄という名の堕落を貪っていた。軍人のドルフ・ラングレンはある小さな軍事基地を閉鎖するため赴任したばかり。
そこに地球的規模の大地震が起こり、カリフォルニア半島はアメリカ大陸から引き離され孤島と化す。基地で生き残ったのはドルフ・ラングレンを始めたった3人の軍人だけ。そこに旅行中の夫婦や若い女性などがたどり着き必死のサバイバルを続ける。だが生き残っていたのは彼らだけではなかった。刑務所が地震のどさくさに囚人にのっとられ、ある死刑囚による支配の下恐怖の帝国となっていたのだ。
さらには予知能力などを持つ神の使いの黒人女性や、ドルフ・ラングレンが実は記憶喪失であるなどなど・・・95分にしてはちょっと要素を盛り込みすぎだ。特に、ドルフ・ラングレンの記憶喪失はストーリー上ほとんど意味が無く、なぜそんな設定にしたのか理解に苦しむ。
ジョン・カーペンターの『ニューヨーク1997』と『エスケープ・フロム・L.A.』のリチャード・プリスケン物や、永井豪の『バイオレンス・ジャック』に似た世界観であり、予算のためかスケールは小さいがそれ自体は面白い。
問題は登場人物が精彩を欠き魅力に乏しいことで、敵側のボスである死刑囚など迫力に欠けている。ちょっと頭の回転が鈍いお色気姉ちゃんのあまりにも行き当たりばったりな行動が笑えるぐらいか。
緊張感がない演出は見る側もダラダラするしかない。この作品を借りるのは他によっぽど観たい作品がない時ぐらいか。

『ルール』(1998) URBAN LEGEND

監督:ジェイミー・ブランクス 製作:ジーナ・マシューズ/マイケル・マクドネル/ニール・H・モリッツ 製作総指揮:ブラッド・ラフ 脚本:シルヴィオ・ホータ 撮影:ジェームズ・クレッサンティス 音楽:クリストファー・ヤング
出演:ジャレッド・レトー/アリシア・ウィット/レベッカ・ゲイハート/ジョシュア・ジャクソン/ナターシャ・グレグソン・ワグナー

様々な都市伝説に基づいた連続殺人が起こるという基本的なアイディアは良いんですが、話が進むにつれ面白味が失われていき、「なんだ、『スクリーム』の亜種か」になってしまうのが残念です。
殺人犯が“見立て殺人”として都市伝説を模倣する点や、連続殺人の理由などアガサ・クリスティ風と言えなくもないですが、ミステリー的要素は期待しない方が良いでしょう。なにしろ、殺人の動機こそ一応あるものの、つまるところ「犯行の理由は犯人が気違いだったから」ですから。
面白いサスペンスには「頭の切れる意地の悪さ」が重要なのですが、この映画の作り手にはそれが欠けているようです。アルフレッド・ヒッチコックを百回観てから出直しましょう。

『スクリーム』シリーズや『ラストサマー』シリーズなどのヤングアダルトホラーが一時期流行しましたが、そのブームの後には何も残らなかったのだなぁ、といったところでしょうか。

『リディック』(2004) THE CHRONICLES OF RIDDICK 2004/8/8鑑賞

監督:デヴィッド・トゥーヒー 製作:ヴィン・ディーゼル/スコット・クルーフ 製作総指揮:テッド・フィールド/デヴィッド・ウォマーク/ジョージ・ザック 脚本:デヴィッド・トゥーヒー 撮影:ヒュー・ジョンソン 音楽:グレーム・レヴェル
出演:ヴィン・ディーゼル/ジュディ・デンチ/コルム・フィオール/タンディ・ニュートン/ニック・チンランド/カール・アーバン/ライナス・ローチ/アレクサ・ダヴァロス/キース・デヴィッド

ヴィン・ディーゼルカッコつけすぎ。『ブレイド』のウェズリー・スナイプスと競演したらさぞかしうっとおしい映画になることだろう。
前作『ピッチブラック』は『グランド・ツアー』や『アライバル』のデヴィッド・トゥーヒーらしい良く出来た低予算SF映画だったが、ヴィン・ディーゼルの俳優としての成功も受けて予算をつぎ込んだ大作として製作された今作は、とにかく大味で派手な画面に始終するだけの作品になってしまっている。これは厳密には"SF"ではなく"スペースオペラ"だ。
そもそも、話がよく分からない。別にストーリーが難解で複雑という訳ではなく、誰がどんな役割で何をしたいのかがさっぱり分からずまとまりがないのだ。まるでトラブル続きで脚本家が何人も交代になり、それぞれが書いた部分部分をパッチワーク状に繋ぎ合わせたかのような脚本だ。クレジットでは脚本は監督のデヴィッド・トゥーヒーだけだが、これまでの脚本作を観ると割と良い本を書く人なのだが。
いきなりリディックが「実は絶滅したなんちゃら族唯一の生き残りだ」とか言われても、風呂敷を広げすぎて収集がつかなくなり破綻した日本のマンガ・アニメじゃないんだから。でもって、取って付けたようなラストには激しく疲れる。
前半には明暗が激しく点滅するシーンが多くて目が疲れる。ピカチュウ発作で倒れる観客とかいなかったんだろうか?これ、このままだと日本のテレビ規定に引っかかり放映出来ないんじゃなかろうか。
戦闘シーンは多いが、音やカット割りによるごまかしばかりで興ざめ。敵側の衣装や建造物など美術ががんばっているのが数少ない見所か。

『ロボコップ3』 ROBOCOP 3 1993/5/1鑑賞

監督:フレッド・デッカー 製作:パトリック・クローリー 脚本:フランク・ミラー/フレッド・デッカー 撮影:ゲイリー・キッブ 特殊効果:ロブ・ボッティン 音楽:ベイジル・ポールドゥリス
出演:ロバート・バーク/ナンシー・アレン/レミー・ライアン/ジル・ヘネシー/ブルース・ロック/フェルトン・ペリー/マコ・イワマツ

SFアクション刑事映画の第三弾。
WOWOWの放映で久々に観た。やはり面白い。わたしにとってはシリーズ中ずば抜けてベストの傑作だ。
傑作『ドラキュリアン』を手がけたフレッド・デッカーの演出は軽快で、全二作の抑圧感がすっかりぬぐい去られている。1作目では殉職しロボット警官に改造されて記憶を失いながらも“マーフィー”という自我にこだわり続けていたが、3作目では人間時代のことはすっかり忘れたかのようにヒーロー“ロボコップ”になっている。それを象徴するかのように、中に入っている人もピーター・ウェラーからロバート・バークに変わっている。いや、これはピーター・ウェラーが「もう嫌だ」と断ったんだろうが。
そして重荷から解き放たれ鋼の身体がすっかり軽くなったロボコップは、もはや空を飛んでも違和感がない。中盤で“ロケットパック”がいかにもといった具合に登場し大方予想はつくものの、警察とチンピラを含めたリハッブ隊が戦っているところへロボコップが空の彼方からジェット噴射で弾丸のように飛んでくるシーンには「もうまいった」の一言。かなり無理矢理な合成なのだが、短いシーンなのでそれほど気にならない。というか気にするな。
もう一つの大きな違いが、絶対的な存在であったオムニ社も日本企業に買収されてしまっていることだ。日本人ボスを演ずるマコ・イワマツは、もちろん日本人から見てあまり気持ちの良い役ではないのだが、重みのある存在感を示していて頭一つ分ほども身長が大きいロボコップを前にしてもひるまずに堂々としている。いい役者だと思う。
一番好きなシーンは先ほどもあげたロボコップの飛行シーンだが、ちなみに次に好きなのは街のチンピラたちが悪党から武器を与えられ、その一人がヘルメットを被ろうとするがモヒカン頭なので被れないというバカなシーンだ。

『ラスキーズ』

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『ラスキーズ』(1987) RUSSKIES 1988/9/28鑑賞

監督:リック・ローゼンタール 脚本:アラン・グルックマン/シェルドン・レティック/マイケル・ナンキン
出演:リーフ・フェニックス(ホアキン・フェニックス)/ステファン・エアサール/ピーター・ビリングスレー/ウィップ・ヒューブリー

つい10数年ほど前、まだソビエト連邦が存在し、アメリカとロシアが憎しみ合っていた時代。
ソビエト潜水艦から任務を帯びてある水兵がアメリカに忍び込もうとするが、嵐に遭い南フロリダの浜辺に流れ着く。映画や小説などの影響で「赤いラスキーズ(ロシア人)をやっつけろ」と思いこんでいる三人の少年が水兵を見つけ、妙な成り行きから彼をかくまうこととなる。次第に打ち解けていく水兵と少年たち。だが、警察や軍が浜辺への漂着物からソビエトの侵入者がいるのではと捜索を開始し、少年たちは水兵をキューバへ逃がすことにする。

自転車こそ空を飛ばないが、ほとんど『E.T.』(1982)そのまま。訴えられなかったのだろうか。
アメリカ人にとってロシア人は宇宙人みたいなものだったのだ。

『レッド・オクトーバーを追え』(1990) THE HUNT FOR RED OCTOBER
原作:トム・クランシー 監督:ジョン・マクティアナン 出演:ショーン・コネリー/アレック・ボールドウィン/スコット・グレン/サム・ニール

オープニングの潜水艦の艦橋の上からカメラが空撮でグッと引くところで、すでに大作のスケールを感じて意味もなく映像に感じ入ってしまったわけで、これからの展開に思いをはせて期待に胸を踊らされ、「ダイハードのジョン・マクティアナンだぞ!」と唱えてみたりするわけだけど、どっこいなんてこったい「プレデター」のジョン・マクティアナンじゃないかよ、オリーブ!などと心の中で叫ぶはめに(だって、ほんとに叫んだら周りの観客の迷惑になるだろ?)なってしまい、映画「レッド・オクトーバー」は魚雷をそのドテッ腹に喰らって、マリワナ海溝にその巨体を沈め、ついに限界圧力をこえて圧壊して潰れ、海の藻屑と成り果てたのであります。
なぜ、「レッド・オクトーバー」が撃沈されなければならなかったのか?
その最大の原因は人間が面白くないということでありましょう。
魅力のあるキャラクターがほとんど皆無じゃないか!
レッド・オクトーバーの副官(サム・ニール!)にモンタナに住みたいなどと言わせて、無個性化しがちなソ連側の登場人物に人間味をだそうという意図は分かるのだが、余り効果をあげているとはいえないだろう。確かに、原作のただの”ロシアのバカ者”扱いよりは良くなっているが。原作者のトム・クランシーって、小説が書けなきゃただのソ連嫌いだぜ、きっと。
看板たるショーン・コネリーだが、妙に大物ぶって余り良くない。
そしてなお、この映画の中で最も面白味がないのが主人公たるライアン(アレック・ボールドウィン)というんじゃもうどうしようもない。スマートに演じたつもりだろうが、結果として無個性になってしまっている。
飛行機恐怖症という設定(ダイハードのブルース・ウイルスもそうだったね、そりゃ原作でもそうだけどさ。)もサスペンスを盛り上げるといったお義理程度にしか使われておらず、原作においては飛行機が怖いという事だけでなく、任務中に事故にあってその後の人生に狂いが生じた男という描き方をされていたのに、その重みの部分が描かれていない。
とにかく、時間の経過につれてだんだんとボロボロになって頭はボサボサ、ヒゲはボウボウという演出こそが、ありきたりで はあるがこの映画の場合一番ふさわしいだろう。ところがライアン君はあろうことか大騒ぎの真っ最中にノンビリと風呂になど入って、ヒゲまで剃ってやがるのだ。これでは緊張感も何もないではないか。寝る間も惜しいはずだぞ!
レッド・オクトーバーに深海救助艇で乗り込む所でもすっきりピカピカ、制服にアイロンまでかけてある。
このオシャレさんが!
短い時間の間に次々と状況が変わって、数少ない情報をもとに答えを見つけ出す主人公のアナリスト、という構図ではないぞ。
そういった点に関して、この作品はミスが多く、アメリカ側、ソ連側、ダラス、レッド・オクトーバーなどと場面が切り替わってもテンションが上がってこない。

とまあ、さんざんにこけおろしたが、ここまで言うのはやはり期待が大きかったからであろう。
予告編でうかがえたスケール、緊張感、サスペンス!そりゃ、興奮しますよ。ジョン・マクティアナンにも若干の不安こそあれ、やはり期待していたしね。
娯楽サブマリンアクションとしても、軍事ポリティカルフィクションとしても中途半端だったわけだ。
娯楽物としては、見せ場がヘリコプターでのダラスへの乗り移りとラスト近くの銃撃戦と魚雷戦ぐらいで物足りなさを感じるし、軍事物としては余りにもいい加減な状況設定と話の展開でハードさが足りない。
どだい、2時間少々で描ききれる物ではなかったのだろう。ならば、せめて娯楽アクションとして成功して欲しかった。悲しい。あー悲しい。
それにしても、あの潜水艦の妙な広さは何だったんだろう?潜水艦と言うよりは限りなく宇宙船に近いセットであった。船内でのカメラワークには疑問有り。もしかして撮影のためにあすこまで広くなってしまったんだろうか?それとも最近の潜水艦はあんなに居住性がいいのだろうか?息苦しさを感じさせてくれない潜水艦物なんてはじめてだ。
あーもっと面白くなったはずだったのに!とグチを言いながら、私は「深く静かに潜行せよ」と「Uボート」と「緯度ゼロ大作戦」でも観ていようと思います。

『ル・ブレ』

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『ル・ブレ』(2002)  LE BOULET  監督:アラン・ベルベリアン/フレデリック・フォレスティア 脚本:トマ・ラングマン/マット・アレクサンダー 出演:ジェラール・ランヴァン/ブノワ・ポールヴールド/ジョセ・ガルシア/ロッシ・デ・パルマ/ジャイモン・フンスー/ゲイリー・ティップレディ/ジェラール・ダルモン/ジャン・ベンギーギ

 あまり期待していなかったのだが、これがなかなか面白い。

 刑務所を脱獄した悪党と看守が、1,500万ユーロのToto当たりくじを持った看守の奥さんを追いかけて一路アフリカに向かう。そして悪党を弟の敵として狙っている奴も後を追う。強面の悪党とどこかピントの外れたおしゃべりな看守によるオーソドックスな珍道中っぷりがうれしい。
 しかし、奥さんの鼻でかいな。鼻が高いと鼻がでかいは別なんだ、納得。
 ところどころには無意味に派手なアクションが繰り広げられる。
 映画前半の、『1941』ばりに支柱から外れて転がっていく巨大な観覧車と、それを挟んでの車とバイクでのチェイスシーンはかなりの迫力。CGとミニチュアと部分的な実物大セットを駆使してかなり強引に映像化しているのだが、映画の勢いで見せてくれる。『少林サッカー』(2001)に近い感じか?
 そして、その派手なシーンがストーリー上ほとんど意味がない点も、個人的には好きだ。これからどんなアクションを展開してくれるのかと思ったら、ひたすら悪党と看守の掛け合い。さっきのは何だったんだっつーの、まったくぅ。
 リチャード・キール(007のジョーズ役)のそっくりさんが、本家にも負けず劣らずの味を出している。ラストのオチにもなっているし。

『リトルショップ・オブ・ホラーズ』(1986) LITTLE SHOP OF HORRORS
監督:フランク・オズ 出演:リック・モラニス/エレン・グリーン/スティーヴ・マーティン/ヴィンセント・ガーディニア/ビル・マーレー/ジョン・キャンディ/ジム・ベルーシ

観に行ったときは、大して期待していなかったんですよ。
監督はフランク・オズ。彼はマペットマスター(人形使い)で、スター・ウォーズのヨーダの操作を担当していた人です。
ちなみに、『ブルースブラザーズ』で刑務所でジョン・ベルーシに所持品を返す担当官、そして、『ブルースブラザーズ2000』では刑務所所長で出演もしています。ちゃんと出世してるんですね。
その人の初監督作品。まぁ、そんなに期待はしませんわな。

オープニングで宇宙と思っていたのが汚れた水溜り。そこに酔っ払いが投げた酒瓶が飛び込み、主題歌が始まる。このオープニングだけで、グッときましたね。
後は映画の流れに乗って、楽しんでいるうちに終わっていました。
実に楽しいコメディミュージカルです。
謎の植物が寂れた花屋を盛り立ててくれるが、実は極悪吸血植物だったという話しなんですが、この植物オードリー2が愛嬌があるのに憎たらしい。ここらへんの特撮は、さすがマペットのプロによる仕事です。

主役のシーモアを演ずるニック・モラリスの情けなさもいいですが、なんといっても最高なのがサドの歯医者役のスティーブ・マーティン。
彼が、患者に苦痛を与える治療をしながら「俺は歯医者だ?これこそ天職?」と歌いまくるシーンは大のお気に入り。レビュー的なミュージカルではなく、お芝居としてのミュージカルです。

フランク・オズはその後も監督を続けており、『ペテン師とサギ師 だまされてリビエラ』は必見の傑作コメディ。

『レプスキー危機一発 ロシア皇帝の秘宝』(1989) 監督:ガイ・ハミルトン 出演:マイケル・ブランドン、デヴィッド・キャラダイン

イギリスの作家ジェームス・ハドリー・チェイス原作の保険調査員レプスキーシリーズとして1989?1990年の間に都合4本映画化されましたが、第一作目であるこの『ロシア皇帝の秘宝』だけ覚えておけばいいと思います。後のはかなりしょうもなくて、映画というよりVシネマクラスですかねぇ。そもそも2年で4本作りますか。プログラム・ピクチャー風味とも言えるんですが。

監督は『007ゴールドフィンガー』(1694)や今度DVDが出る『空軍大戦略』(1969)、そしてなにより『レモ 第一の挑戦』(1985)のガイ・ハミルトン。ガイ・ハミルトン作品としてはかなり低予算ですが、タイトな予算、タイトなスケジュール、タイトな出演陣なりに検討しています。誰ですかこの主役のマイケル・ブランドンって?わたしはこのシリーズでしか観たことありません。
その代わり、節約するところは節約してつぎ込むところにはつぎ込んでます。主人公レプスキーの愛車は赤いプジョーの3ドアハッチバック!イカすぜ・・・でも、絶対タイアップしてますし、フェラーリやポルシェなどが駐まっている高級ホテルの駐車係には思いっきり見下されてましたが。日本じゃ外車でもフランスじゃ国産車ですからね、そんなに高くはないんでしょう。全作に同じ車が登場していますから1作あたりの経費は4分の1ですし。これがボンド・カーだと毎回新車になるんですけどね。
主役はアレでも悪役は『キル・ビル Vol.2』でも有名なデヴィッド・キャラダイン!・・・いや、デヴィッド・キャラダインは思いっきりB級の匂いか。

ま実際、有名なスターが出ていたり派手なアクションがあるわけではありませんが、そこはベテランの手になる物だけあって全体がきっちりまとまっています。ハイエースでのカーチェイスなんてなかなかスクリーンじゃ観られませんよ。ラストの性懲りもないというか懲りないデヴィッド・キャラダインの再登場もよし。

ともあれ、危機一髪、絶体絶命、大胆不敵、最後の挑戦、とレプスキーシリーズ全4作をちゃんと映画館で観ているってのはある意味ちょっと自分を褒めてやりたい。っていうか、自分以外は褒めてくれないでしょうが、これって結構いないかもなと思うんですよ。今のわたしなら1作目はガイ・ハミルトンだから観て、2作目はその余波で観て、でつまらないから3,4作目はビデオ化待ちでしょう。
そもそも劇場公開しないって恐れもありますが。

『ロケッティア』(1991) 監督:ジョー・ジョンストン 出演:ビル・キャンベル、ジェニファー・コネリー

ハワード・ヒューズ(実在の飛行機王。映画製作なども行った百万長者)の研究所からロケットパックが盗み出された。それを使うと人間が自由自在に空を飛ぶことが出来るのだ。たまたまそれを手に入れてしまったパイロットの青年がナチスドイツのスパイやギャングを相手にヒーロー“ロケッティア”となって大活躍を繰り広げる。

アメリカンコミックが原作のヒーロー物だが、よくよく考えてみるとこのロケッティアは力が強いとか光線を発射するなどは出来なくて特技といったら空を飛ぶことだけ。そりゃまぁ空が飛べたら通勤ラッシュとかも楽々だが、飛ぶだけだったら鳥だって飛ぶしな。
実際、劇中でロケッティアは悪党どもをばったばったとなぎ倒すような活躍はなく、逆に接近戦では苦戦を強いられているようである。
だがスーパーマンのような余裕綽々で戦う超人よりも、必死になって頑張っているロケッティアの方が好感が持てる。

映画女優を目指す主人公の恋人はジェニファー・コネリー。最近だと『ハルク』(2003)などで見かけるがホント老けない人だ。いや、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』出演の12歳の時点ですでに充分に大人びていたと見るべきか。
悪役のハリウッドスターはティモシー・ダルトン。裏ではナチスのスパイであるあたり、スパイであるとの疑惑があったエロール・フリンをモデルにしているのだろう。非常に憎たらしくて、やはりティモシー・ダルトンは悪役向きだ。

ナチスが制作した極秘フィルムが上映されるシーンがあるのだが、その内容はロケットパックを大量生産しそれを装備した兵士たちが次々と大空へ舞い上がり、地図の上のナチスの勢力圏がどんどん広がっていくという、妙に手の込んだアニメーションになっている。
そんなことに手間暇かけていたからナチスドイツは連合軍に敗北したんじゃないだろうか?

悪役だったギャングたちが、ラストでナチスの陰謀に気づき一転して主人公の側につきトミーガンをバリバリ撃ちまくるシーンがお気に入り。

ロケッティアの飛行シーンは結構リアルでスピード感がある。まだCGIが本格的に台頭してくる前だったことを考えるとかなり技術的に高いSFXだ。

アメコミヒーローというとなにかと屈折したヤツらが多いが、ロケッティアは単純・熱血・娯楽。なかなか面白い作品である。何気にディズニー作品なんだよな。

『レポマン』(1984) 監督:アレックス・コックス 出演:エミリオ・エステヴェス、ハリー・ディーン・スタントン

レポマンと言っても『バットマン』や『スーパーマン』のようなアメコミヒーローではない。ローンが未払いになっている車の回収業のことだ。“Repossession Man(取り返し屋)”の略である。
 レポマン稼業は、該当者の家を訪ねていっては「あなたの車を回収させていただきます」と鍵をもらって乗って帰ってくるような平和な仕事ではない。見つからないように車に近づき合い鍵を使って勝手に持って帰ってくる。相手によっては暴力に訴えてきたり、時には銃で撃たれることもある。そんなかなりヤバい仕事だ。
この『レポマン』以外でも小説『殴られてもブルース』シリーズの主人公の探偵もレポマンを副業にしており、その仕事内容は映画とほぼ同じだった。どうやら、多少の誇張はあるだろうがかなり本物のレポマンの仕事内容に近いようだ。さすがアメリカ、強引である。と思ったが、日本の消費者金融の取り立てだってかなりのものか。
で、そのレポマンを主人公に、アメリカの現代社会を鋭く描いた問題作・・・などではない。問題作ではあるかもしれないが、かなりブッとんだパンク・ムービーなのである。

主人公のパンク野郎オットー(エミリオ・エステヴェス)は勤務態度の悪さから勤めていたスーパーマーケットを首になり、おまけに彼女を友人に寝取られてしまう。
ふてくされて街を歩いていると、バッドという男(ハリー・ディーン・スタントン)に小遣い銭で車の運転を頼まれる。ところが、バッドはレポマンで車は回収中の物。うやむやのうちにオットーはレポマンの会社で一癖も二癖もある連中と一緒に働くことになる。
ちょっうどその頃、白バイがスピード違反の車を見つけ路肩に停めさせた。運転手の言動が怪しいので警官はトランクを調べることにする。ゆっくりと開くトランク、その中から光があふれ出てそれを浴びた警官は骨になり消え去った。再びトランクは閉まり車はその場を走り去っていく。残されたのは白バイとぶすぶす煙を上げる警官のブーツだけ。
実は、トランクの中身は“宇宙人”の死体で男はそれを政府の施設から盗み出した科学者だったのだ!
だったのだ!じゃねーっつーの。

この宇宙人の死体を乗せた車シェビー・マリブに賞金がかけられたものだから、オットーと仲間や他の同業者もその車を探し始め、例によって黒ずくめの政府の役人や『スチュワーデス物語』に出ていたような銀色の義手の女、宇宙人研究家たちなどが入り乱れての争奪戦になっていく。時折、オットーの元彼女と友人が現れてはコンビニ強盗など悪事をはたらいてるし。
でも、揃いも揃ってバカばかりなので、事態はひたすら混乱していくばかり。
最後には成り行きのままに話は収束し、皆が呆気にとられている中、オットーと整備士を乗せたシェビー・マリブが緑色に輝き始め、ついにはフワリと宙に浮かぶ。そして、街の上を飛び回りついには宇宙へ飛び去っていく・・・
どんなラストだ。うれしいじゃないか。

エミリオ・エステヴェスは父親のマーティン・シーンゆずりの世を拗ねながらもギラギラしている挑発的な目つきが実に良い。
『ブレックファスト・クラブ』(1985)や『セント・エルモス・ファイアー』(1985)などですでにエステヴェスのことは知っていたが、どちらの映画も“かなり”嫌いなばかりにその魅力に気づかなかったのは不覚である。
イギー・ポップによる「ベンベケベケベン」の『レポマンのテーマ』もイカす曲だ。イギー・ポップはその後同じアレックス・コックス監督作の『シド・アンド・ナンシー』に出演している。パンクバンド“セックスピストルズ”のシド・ヴィシャスとその恋人ナンシーを主人公にしたこの破滅的パンク映画を観ると、逆説的にオリバー・ストーンの『ドアーズ』がいかに観るのも語るのも必要がない映画かというのが良く分かる。

DVDの日本語字幕は頭悪いヤツが担当したんじゃないかというデタラメぶり。『サタデー・ナイト・ライブ』が『土曜よるライブ』になっているのには笑えるが、出来ればレンタルビデオ屋を回って昔出ていたビデオ版を借りてきた方がいい。そちらはちゃんとした字幕だ。何故、そのまま使わなかったのか非常に疑問である。今日のタイトルに使っている名セリフ「レポマンの人生は緊張の連続だ」はDVDだともっとしょうもない訳になってるのでほんげぇ?。

監督のアレックス・コックスは超名門オックスフォード大学に籍を置いていたこともある(在学中に映画の道へ進んだため卒業はしてないようだ)パンクな大バカ野郎だ。
特に初期の『レポマン』、『シド・アンド・ナンシー』、『ストレート・トゥ・ヘル』(1987)は独自の作風で非常に刺激的だ。90年代に入ってからは模索し苦しんでる部分もあったようだが、『リベンジャーズ・トラジディ』(2002)で見事復活する。
日本のテレビドラマ版『濱マイク』シリーズ(2002)で1エピソードの演出を担当しているが、『スリー・ビジネスメン』(1997)に永瀬正敏が出演していたのが縁なのだろう。残念なことにそのことを知らなかったので観逃してしまったのが悔やまれる。他のエピソード監督の顔ぶれも豪華だし、林海象はほとんど関わっていなかったようなので、そのうちなんとか観たいものだ。
そういえば『スリー・ビジネスメン』には田口トモロヲも出演していが、田口トモロヲ=ばちかぶり=ボーイズ・ビー・シド・ビシャス!=『シド・アンド・ナンシー』ではないか。これは偶然ではなく必然なのであろう。

『ロジャー・ラビット』(1988) 監督:ロバート・ゼメキス 主演:ボブ・ホプキンス、ロジャー・ラビット

カトゥーン(アニメ)と実写を合成したファンタジーでしょ。
と単純に思われているが、いやいやどうして、本格的ハードボイルドなわけですよ、これが。

映画とハードボイルドといえば、2大ハードボイルド探偵のサム・スペードとフィリップ・マーローをハンフリー・ボガードが演じたのがそれぞれ『マルタの鷹』(1941)『三つ数えろ』(1946)。
トレンチコートにソフト帽姿でタバコを唇の端にくわえたニヒルな男が、都会の吹きだまりの中に謎を求めてさすらい、ときには殴りときには殴られ拳銃を突きつけられもしながら、ついに見つけ出した答えは苦くもの悲しげな結末。
ところが、そんな探偵はとっくに絶滅してしまった。今、私立探偵がハンフリー・ボガードの真似をして捜査していたら笑いものになるか警察に通報されてしまう。誤解からそのまま逮捕されてしまった探偵は、留置所の鉄格子越しに夜空の月を眺めて「ボギー、ボギー、あんたの時代はよかった」とでも口ずさみ、管理官から「留置所で歌は禁止だ」と怒られるのだろう。

今の時代、真面目にハードボイルドをやるとギャグにしかならない。それはいしかわじゅん氏の傑作小説『南畑剛三』シリーズを読むとよくわかる。北方健三をモデルにしているはずがない南畑剛三は「男を書く」作家。私生活でもニヒルでハードボイルドを貫いている。ただし、その周りにいるのが広域暴力団組長(死去)の娘美樹、世間知らずのお嬢様編集者万里子、「名前は金山寺」「ぎっくう」の東大卒キャリアハチャメチャ刑事金山寺などばかりだから、剛三がどんなにハードボイルド決めてもギャグなのだ。
だが、いしかわじゅんはそこにこそ現代における真のハードボイルドを見いだす。素のままのハードボイルドがギャグになってしまうのならば、最初っからギャグにしてしまえばいい。ギャグというオブラートを使って、現代のハードボイルドを成立させるのだ。
そしてそれは『東京で会おう』『ロンドンで会おう』『瓶詰めの街』と巻を重ねることに形が確かになり、『瓶詰めの街』収録の短編『瓶詰めの街』では発刊の1994年当時ではまだそんなに一般的ではなかったパソコン通信を題材にし(ここの一般は、秋葉原など以外の普通の道を歩いてる人をとりあえず捕まえてみたサンプル度での一般です)、ネット人格(ネカマ)などが大きな鍵を握る連続爆破事件をあれやこれやのギャグを乗り越えてついに南畑剛三が解決する。するのだが、それは苦くもの悲しい結末だった・・・ハードボイルドだ。

ロジャー・ラビットも基本的には同じだ。
昔ながらのハードボイルド映画がやりたかったロバート・ゼメキスですが、そこは賢い人ですのでそのまま40年代の映画を再現するのではなく、まずはカトゥーンと人間が一緒に暮らしている世界を設定し、探偵役にはズングリムックリとまるで格好良くないボブ・ホプキンスを連れてくる。
カトゥーンならではのドタバタが繰り広げられる中で、実はボブ・ホプキンスの弟がカトゥーンに殺されていたという過去と因縁、そしてその事件以来すっかり落ちぶれてしまっていたことなどが明らかになる。
そして事件の中で再び生きる意味を見いだしたボブ・ホプキンスは最後の敵に立ち向かっていく。
ハードボイルドだ?。衣装やセットも40?50年代風でいい。

アニメとの合成の特撮ばかりに目がいっていると、こういった本質的な部分がおろそかになりますので気をつけよう。

『レイジング・ケイン』(1992) 監督・脚本:ブライアン・デ・パルマ 主演:ジョン・リスゴー

『アンタッチャブル』(1987)や『ミッション:インポッシブル』(1996)などの大作も監督するブライアン・デ・パルマですが、その真骨頂はむしろB級サスペンス映画において発揮されます。
この『レイジング・ケイン』は多重人格者による二重三重の構造や警察署での長回しなど、デ・パルマのヒッチコックへの傾倒ぶりもうかがえて、そこら辺がわかっていると「あ?デ・パルマだな?」と良い意味で笑えます。目指す物は一流なんだけども根がトンチキ。

サスペンス・ミステリーなんでストーリーにはあまり触れないでおきますが、ジョン・リスゴーの多重人格っぷりはさすがです。小心者人格、不良人格、子供人格、などなど。
でも女性人格って・・・。しかも服装まで女装してますよ。ジョン・リスゴーの女装、うっ・・・。あまり見ることが出来ないという意味では貴重かもしれませんが、貴重だからといって価値が高いとは限らないってとこでしょうか。
「フッ、こんなの考えてみたぜ」というどんでん返しなど楽しいんですが、万事が真面目な人にはイマイチかも。気楽にトンチキ振りを味わうのが吉でしょう。

『ロープ』 80MINUTES

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『ロープ』(1948) 監督:アルフレッド・ヒッチコック 出演:ジェームズ・スチュアート

 24時間の出来事をリアルタイムに描いたTVムービー『24 TWENTY FOUR』が話題になっている。さすがに24時間というのは映画では無理だが、作中の時間と上映時間がシンクロしている作品には『真昼の決闘』(1952)、『ニック・オブ・タイム』(1995)などがある。
 アルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』(1948)はそれらリアルタイム映画の先駆けであるが、ヒッチコックだけあってただ単にリアルタイムなだけでは終わらせない。

「優れた者は劣った者を殺してもかまわない」という論理(ニーチェの超人思想)で知人を“ロープ”で絞殺した二人の青年。そして、殺人の彩りとして死体を衣装箱に隠したままの部屋に人を招き小さなパーティーを催す。だが、来客者の大学教授(ジェームズ・スチュアート)は二人の言動の小さなほころびから犯罪に気が付いていく。
 殺人の光景から結末までの80分全てがアパートの一室で起こり、しかもそれがたった3カットの長回しで語られる。実際には長回しは機材の関係で最長でも8分までで、カットの変わり目になると人がカメラの前を横切るなどしてレンズを塞ぎ、フィルムを入れ替えると再びそこからスタートする疑似1カットを使っている。その手法を使えば全編1カットも可能だったろうが、ジェームズ・スチュアートが二人の言動に始めて違和感を覚えたシーンと、青年が拳銃を取り出すシーンではクローズアップでカットを割っている。やはり映画を知り尽くしているヒッチコックにとって、そのシーンに最も適した演出としてカットを割るという欲求に耐えかねたのだろう。

 オーソン・ウェルズ以降の近代映画に於いては、作中の時間の進行は制作者の自由になった。カットが変わった途端10年後あるいは10年前になることも当たり前だ。『市民ケーン』(1941)や『パルプ・フィクション』(1994)の自在な時間軸は映画ならではの表現だ。
 そういった意味に於いて、リアルタイム進行や長回しという演出が非映画的でありうるということを逆説的に示したのが『ロープ』なのだろう。

『ラスト・ドラゴン』(1985)のサントラ盤・アナログLPレコード 監督:マイケル・シュルツ 出演:タイマック、ヴァニティ

 サントラ盤なんて10枚も持っていないのだが、その数少ない内の1枚がこれ。ブラック・ミュージックが好きと言うことはなかったから映画自体が気に入ったのだと思う。『ラスト・ドラゴン』に入れ込むとはなかなかやるな、高校時代のわたし。

 青年リーロイ・グリーンはブルース・リーに憧れ、東洋人師匠の元で修行に励む毎日である。そんな彼を物陰から狙う弓矢。背後から飛んできた矢からヒラリと身をかわすリーロイ。そこへ弓を手に持った師匠が現れる。
「よくやったな、リーロイ」
 よくやったなじゃねーっつーの。刺さってたらどーする。
「これでもうお前に教えることはなにもない。後はお前自身で“最後のドラゴン”になるべく道を極めるのじゃ」
 なんて、分かるような分からないようなことを言われて、生まれ育ったニューヨークの街に帰ってくるリーロイ。しかし、そこは悪党の支配する恐怖の街になっていたのだ。ミュージックビデオ産業を牛耳ろうとする悪の親玉や悪の空手使いの手から人気女性タレントを守るべく戦いの火ぶたが切って落とされた。って、なんでミュージックビデオ?
 実は、1985年といえばマイケル・ジャクソンの『スリラー』(1982)の爆発的ヒットなどによるミュージックビデオ最盛期。そこで、モータウンレーベルの会長ベリー・ゴーディJRが映画制作に乗り出して作り出したのがこの『ラスト・ドラゴン』なのだ。
 と言っても、最初に言ったとおり、わたし自身は音楽にはさほど興味がないので、作中に登場するディスコシーンなどはほとんど覚えていない。
 それよりも『ラスト・ドラゴン』と言えば、最後の悪の空手使いとの対決シーンである。
「貴様など一ひねりだぜ、ブルース・リーロイ」と実にふてぶてしい空手使い。
 対するリーロイは様々な人との出会いや戦いを通じて成長し、ドラゴンの悟りが近いことを感じていた。
 そして戦いが始まった。
 戦いの中で、空手使いは怒りによって、そしてリーロイは静かなる心によって悟りを開く。
 すると、パンチが炸裂すると火花が、キックが炸裂すると火花が、バッシンバッシンと緑や赤の火花が光学合成で画面に飛び交うようになるのだ。
 こっ、これはまるで『ストリートファイター2』などの格闘ゲームではないかっ。思いついても普通やらないぞ、こんな演出。でも、カッコいいぞ。
 ついに打ちのめされた空手使い。しかし、卑怯にも隠し持っていた拳銃をリーロイに向けて発射する。倒れるリーロイに駆け寄るヒロイン。正義は負けてしまうのか。最後のドラゴンになっても銃にはかなわないのか。ヒロインが抱き起こす中、にっこり微笑むリーロイ。その歯の間にキラリと光るは受け止められた弾丸・・・丈夫な歯だな?。

 思い出していたら、ぜひもう一度観てみたくなったのだがDVDにはならないだろうなぁ。

『ラン・ローラ・ラン』(1998) 監督・脚本トム・ティクヴァ 出演フランカ・ポテンテ、モーリッツ・ブライブトロイ

 ひょっとしたらこの作品のアイディアは、プレステかなにかでアドベンチャーゲームをプレイ中に思いついたんじゃないだろうか。
 制限時間は20分、クリア条件は10万マルクを手に入れて彼氏の元にたどり着くこと。さあ、ゲームスタート。プレイヤーキャラのローラを操作しベルリンの街を西へ東へ。登場人物と会話したりアイテムをゲットしてゲームを進めるがバン!ローラ死亡。ちくしょう、どこかで選択肢を間違えたな。再スタートだ。2度目のプレイなので最初よりタイムロスを減らせたし10万マルクも手に入れた。ゲームクリアか?ドン!またダメだ。3度目の正直でどうだ。シナリオのトラップには気を付けて、やったついにクリアだっ!・・・という内容ではあるんだよな、ある意味。

 ダメ男の彼氏が犯罪がらみの金10万マルクを紛失してしまった。20分以内に金を用意しないと彼氏の命が危ないとベルリンの街に飛び出してく主人公ローラ。ちょっとした選択肢の選び方次第でまったく違う形で進んでいくストーリーが3度に渡って繰り広げられる。上映時間が81分と短いせいもあるが、とてもテンポが良く観ていて楽しい。
 この作品の大きな魅力の一つがローラの走りっぷりだろう。演ずるフランカ・ポテンテはあまり美しいとも可愛いとも思えないが、水色のタンクトップを身にまとい真っ赤に染めた髪を風になびかせて疾走する姿は実にカッコいい。かなり長いカットもあるのだが息も切らせずに真っ正面を見据えたまま走る。そのくせどこに向かって走っているのか時にはローラ自身にも分かっていないのもいい。
 基本的に娯楽作品なのだが、ローラとぶつかるなどして関わった人のその後が何枚かの写真で語られる場合があり、ある時はLOTOくじで大金を当て次の回では宗教に転んでいたりするのだが、そんな中に、ホームレスになっていたり自ら命を絶っているケースが入っている辺りにドイツ映画を感じる。

「大きなガラスを運んでいるシーンが登場した場合、間違いなく車などが突っ込んでガラスが割れる」の法則がきっちり守られているのもうれしいところだ。

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