洋画 サ行の最近のブログ記事

B002JPC8EA.jpg『少年と犬』(1975) A BOY AND HIS DOG 86分 アメリカ

監督:L・Q・ジョーンズ 製作:アルヴィ・ムーア 原作:ハーラン・エリスン 脚本:L・Q・ジョーンズ 撮影:ジョン・アーサー・モリル 音楽:ティム・マッキンタイア
出演:ドン・ジョンソン、スザンヌ・ベントン、ジェイソン・ロバーズ、アルヴィ・ムーア、ヘレン・ウィンストン、チャールズ・マックグロー
声の出演:ティム・マッキンタイア

 『世界の中心で愛を叫んだけもの』などのSF作家ハーラン・エリスンの原作を『ワイルドバンチ』などのペキンパー作品で名の知れた俳優L・Q・ジョーンズが監督したカルトSF作品。原作は1969年にネビュラ賞を受賞した。
 冷戦時代の作品だけあって第四次世界大戦が5日間で終わり世界は荒廃している。土地は砂漠でそこかしこに廃墟があり無法者が略奪、殺戮の限りを尽くしている。時は2024年、主人公の少年ヴィク(ドン・ジョンソン)は18歳である。ドン・ジョンソンのデビューからさほど年の経っていない頃の作品で『マイアミ・バイス』で一躍スターダムにのし上がるのは1984年だからおよそ10年後。この頃は名前も知られていない新人だった。
 実際のドン・ジョンソンは18歳ではなく二十代半ばなので少年と言うより青年だが、ギリギリでハイティーンに見えなくもない。
 ヴィクにはパートナーがいる。テレパシーでヴィクと話が出来る超能力犬ブラッドだ。このブラッドは物知りで戦争の歴史も知っていれば他の様々なことにも詳しく皮肉屋な犬で小生意気なジョークを行ったりする。。時に言い争ったりもするが彼らは深い絆で結ばれていた。人間と動物が普通に会話の掛け合いをしているのが良い。この1人と1匹が核戦争後の世界を彷徨うのがメインのストーリーだ。
 DVDのパッケージには『ターミネーター』『マッドマックス2』『北斗の拳』... 全ては本作から始まった! とある。たしかに核戦争後の世界観は上記作品に通じる物があるが、これがオリジナルというのはさすがに言い過ぎだろう。マイナーだからそこまで影響を与えたとは思えない。
 ヴィクの思考パターンは単純だ。飯を食うこと、そして女とやることだ。核戦争後の世界は女性が極端に少なくなっていて若いブラッドは女のことばかり考えている。ブラッドに女を探させている内にクイラ・ジューン(スザンヌ・ベントン)という少女と出会う。愚連隊に襲われるがそれを撃退した後は2人してセックス。ブラッドはうんざりした顔。いや犬だから表情はないのだが、むく犬なのでうんざりした顔に見えるのだ。
 愚連隊との戦いは派手さはないがリアルで、さすがペキンパー作品の常連だけのことはある。
 そしてクイラの勧めで地下都市へと降りていく。愚連隊との戦いで足を怪我したブラッドは噂に聞く平和な"山向こうの村"に行くことになる。
 ところが地下都市に降りたヴィクはさっそく捕まえられてしまう。地下都市の連中は顔を白塗りにしていて、男性は長年の地下生活で生殖機能が衰えていて、定期的に外の男を連れ込んで精子を提供させるのだ。ヴィクはクイラの罠にまんまと引っかかったわけである。機械で精子だけ吸い取られるヴィク。
 しかもクイラは野心家で、現在の委員会を皆殺しにして自分たちが新しい委員会を作ろうとしている。とんだ悪女なのだ。
 ヴィクは自分とクイラを追ってくる人間そっくりのロボットを倒し地上へ。そこで空腹のまま倒れたブラッドを見つける。町に行って食料を探してくるというが、町は今殺戮の場になっているという。何か食べ物はないか。食料を探すヴィクの目の前にいたのがクイラ......
 まさに人を食ったオチでブラッドは元気を取り戻し、"1人"と1匹は山向こうの村を目指す。「味気のない娘だったよ」のブラッドのセリフが皮肉が効いていてなおかつ怖ろしい。このオチでこの作品は傑作カルトになった。
 地下都市の設定や唐突に現れるロボットなど説明不足な点は多くあるが、そもそも想像力を働かせて観る作品なのでこれはかまわないだろう。ブラックユーモアを含んだSFという題材を何故L・Q・ジョーンズが監督しようと思ったのか分からないが(しかも脚本も本人だ)、何か心の琴線に触れるものがあったのであろう。
『少年と犬』とタイトルだけ聞いた時は詩情豊かな作品かと思ったが、こんなトンデモな映画だとは。俳優であるティム・マッキンタイアが音楽を担当しているのも驚き。

B002DGTAJ6.jpg『サブウェイ123 激突』(2009) THE TAKING OF PELHAM 123 105分 アメリカ COLUMBIA PICTURES、METRO GOLDEN MAYER

監督:トニー・スコット 製作:トッド・ブラック、トニー・スコット、ジェイソン・ブルメンタル、スティーヴ・ティッシュ 製作総指揮:バリー・ウォルドマン、マイケル・コスティガン、ライアン・カヴァナ 原作:ジョン・ゴーディ 脚本:ブライアン・ヘルゲランド 撮影:トビアス・シュリッスラー プロダクションデザイン:クリス・シーガーズ 衣装デザイン:レネー・アーリック・カルファス 編集:クリス・レベンゾン 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:デンゼル・ワシントン、ジョン・トラヴォルタ、ジョン・タートゥーロ、ルイス・ガスマン、マイケル・リスポリ、ジェームズ・ガンドルフィーニ、ベンガ・アキナベ、ジョン・ベンジャミン・ヒッキー、ヴィクター・ゴイチャイ

 死は神への"謝金"だと繰り返し言うジョン・トラヴォルタが残酷で知的な悪役を楽しそうに演じている。まるでジョン・ウーの『フェイス/オフ』のようだ。ヒゲを生やして額が広く、一見トラヴォルタに見えない。
 主役のデンゼル・ワシントンはずいぶん老けた印象だが、役作りで体重を増やしたらしい。ペラム123に連絡を取ってしまったばかりに、とんでもない状況の巻き込まれる不幸な一日を送る男を演じている。
 トニー・スコットの映像は相変わらずケレン味のあるスタイリッシュでカットがめまぐるしく短く早送りやスローを多用している。このカット割りは好まない人もいるだろうが、オレはいかにもトニー・スコットという感じがして好きである。プロモーションビデオ風に捉える人もいるかも知れないが、まったく違うと個人的には思う。トニー・スコットの映像はあくまでも映画の映像だ。
 唐突にジョン・トラヴォルタが過去の自分が金を持っていた頃の話をし始める意味が分からないが、それが市長がトラヴォルタが元証券マンで、1000万ドルの身代金はメインではなくて、地下鉄ハイジャックにより金の相場が上がることで儲けるのが目的だと気付く伏線になっている。この手の作品だと市長はだいたい頭の固い無能な人間として描かれるが、この作品では最初はとぼけた感じで描いておいて実は頭の切れる人物だ。
 オリジナル版のようにMr.ブルーなどと色の名前で呼んでくれず、トラヴォルタはライダーと名乗るなど、オリジナル版とはかなりストーリーや設定が違っている。もちろんオチも違う。トニー・スコットは犯人側の脇役を描くつもりはほとんど無かったようで、色の名前で呼ぶのをやめてしまったのもそれからだろう。
 その分、乗客側に視点が行っていて、トラヴォルタがノートパソコンをネットに繋ぐためにトンネル内に無線LANを設置したら、恋人とビデオチャットが出来るようになり、その恋人に車内の様子をネットで流してテレビで放送させる青年とか、開いたドアからオシッコをする少年とか、逆に緊張しておしっこができない男とか、元空挺部隊の隊員で他人のために犠牲になる黒人など多彩だ。オリジナル版では子供たちはただうるさいだけだったから、乗客側を描くという面ではリメイク版の方が力を入れている。しかし、パソコンで車内の状況を中継しているのだから、近くまで来ているSWATはその情報を元に突入して失敗するシーンがあるのかと思ったらそれはない。
 話術による駆け引きをデンゼル・ワシントンとジョン・トラヴォルタがひたすら繰り広げる。そして現金運搬をトラヴォルタから命ぜられたワシントンが台車に1000万ドルを乗せて運んでいく。そこからアクションが始まる。
 アクションと言っても大したことはなく、トラヴォルタの仲間2人が警官に乱れ撃ちで射殺されるのと、トラヴォルタがワシントンにあっけなく射殺されること。そして列車の暴走である。"死者のスイッチ"を解除するのにオリジナル版ではかなり大がかりな装置を使っていたが、リメイク版では手の平サイズの万力のような装置。技術の進歩か?
 警察の人質交渉人のジョン・タートゥーロが渋い役でなかなか良かった。最近、コメディ系が多い人だが、シリアスな役も似合うのだ。
 ワシントンもまったくの善人ではなく、日本で車両選びをした時に3万5000ドルのワイロをもらっているという設定。人間くさくていいじゃない。この収賄を白状するシーンでのワシントンの芝居の上手さと説得力には格別の物がある。涙目に聞いてはいけないことを聞いてしまったという後味の悪さを感じさせる。
 訓練されたSWATがズボンの裾から入り込んだ鼠にかじられて誤射してしまうのには笑った。これで運転手役の犯人が死んでしまい、運転手経験のあるワシントンが呼ばれることになるのだが、一歩間違えば人質が何人か殺されていただろうに。
 1000万ドルは白バイで守られたパトカーで運ばれるのだが、それを聞いた市長が「なんでヘリで運ばないんだ?」。パトカーや白バイがあっちこっちで事故るのでカーアクションを入れたかったんだろう。そのくせ、ワシントンを現金運搬に運ぶのにはヘリを使うのだ。
 ラストはワシントンの収賄をなかったことにしてやろうと約束する。ヒーローとして必死に働いたのだからそれぐらいの役得はあってもいい気がするが、観てる側としては素直に納得出来ない。
 オチもヘリに乗る時に妻に頼まれた牛乳を買ってくるように頼まれる。無事に帰って欲しいという願いがこもっているわけだ。牛乳を手に家に帰り、家の前でフッと息を抜くというものでオリジナル版とは比べものにならない。つまらないわけではないが、やはりオリジナル版の衝撃を期待してしまうではないか。
 あと、前作にあった皮肉の効いたユーモア、ペーソスがないのが残念。一貫して真面目一本の映画だ。トラヴォルタの暴走振りが笑えるがこれはユーモアとはまた別の物。オリジナル版のロバート・ショウは物静かな男だったが、トラヴォルタはひたすらしゃべり続けてやかましい。
 犯人グループがいかにしてトンネル内の地下鉄車両から地上へ逃げおおせるのかにはハラハラさせられる。オリジナル版では非常口から逃げ出したが、リメイク版ではもう使われなくなった地下鉄の駅を使って地上に出る。これはリメイク版の方が面白いかな。
 全体的にトニー・スコットにしては粗っぽい作りの印象で、交渉の頭脳戦が上手く表現出来ていなかったのが残念。かといってアクションは中途半端。二大スターがちょっともったいなく感じる作品であった。

B001WBXLT8.jpg『サブウェイ・パニック』(1974) THE TAKING OF PELHAM ONE TWO THREE 100分 アメリカ

監督:ジョセフ・サージェント 製作:ガブリエル・カツカ、エドガー・J・シェリック 原作:ジョン・ゴーディ 脚本:ピーター・ストーン 撮影:オーウェン・ロイズマン、エンリケ・ブラボ 編集:ジェラルド・B・グリーンバーグ 音楽:デヴィッド・シャイア
出演:ウォルター・マッソー、ロバート・ショウ、マーティン・バルサム、ヘクター・エリゾンド、アール・ヒンドマン、ディック・オニール、ジェリー・スティラー、トニー・ロバーツ、リー・ウォレス、ドリス・ロバーツ、ケネス・マクミラン、ジュリアス・ハリス、ジェームズ・ブロデリック、ネイサン・ジョージ、ビアトリス・ウィンデ、ルディ・ボンド、ジェリー・ホランド、バート・ハリス、トム・ペディ

 ニューヨークの地下鉄ペラム123がMr.ブルー(ロバート・ショウ)、Mr.グリーン(マーティン・バルサム)、Mr.グレイ、Mr.ブラウンと名乗る4人の男に乗っ取られた。先頭車両を切り離して18人の乗客を人質に、彼らがニューヨーク市に要求してきたのは身代金100万ドル。
 地下鉄公安局警部補ガーバー(ウォルター・マッソー)が事件の解決に当たるが、敵は切れ者でタイムリミットは1時間。無事に乗客を救助し、犯人たちを逮捕することが出来るのか。
 手に汗握るサスペンスと、ラストの地下鉄暴走のパニック映画。

 犯人たちがそれぞれ色の名前で呼び合うのは、クエンティン・タランティーノがデビュー作『レザボア・ドッグス』で影響を受けている。
 Mr.グレイが短気で何をしでかすか分からない狂気をはらんでいるというのも『レザボア・ドッグス』のMr.ブラウンに引き継がれているかも知れない。映画に緊張感をもたらす要素になっている。
 脚本が秀逸で、地下鉄ハイジャック犯、鉄道公安局、ニューヨーク市警、市長を始めとした行政、人質、地下鉄職員と視点がバラバラなのにそれをシンプルにまとめ上げている。
 Mr.ブルーはアフリカで活躍していた傭兵上がりで、常に冷静沈着で事態を把握して全てをコントロールしようとするし、それに対するガーバーは外見はとぼけた感じだが優れた危機管理能力の持ち主で、Mr.ブルーを相手に一歩も引かず秒単位を争う犯人との交渉役を一手に引き受ける。
 最終的にMr.ブルーはガーバーに追い詰められるのだが、そこまで二人は通信機で話をするだけで顔を合わせていない。「この州にまだ死刑はあるか」、「死刑か、やめにしたよ」、「残念だ」と言って地下鉄を走らせる電極に足をつけて自ら感電死をしてしまう壮絶さ。
 Mr.グリーンは風邪をひいていてしょちゅうくしゃみをしているのだが、それを通信機で聞いたガーバーが「お大事に」と何度か言うのだが、それがラストのオチの伏線になっている。ドアの隙間からぬっと顔を出すウォルター・マッソーの表情は最高で観客を唸らせる。
 邦題では『サブウェイ・パニック』となっているが原題は『THE TAKING OF PELHAM ONE TWO THREE』、『ペラム123の乗っ取り』といったところか。だからパニック映画的側面は少ない。犯人たちが全員列車から降りてしまって、列車に細工をして暴走させるところぐらいか。それよりも片方は地下鉄の管制室、片方は線路の途中で止められた地下鉄の中でお互いの詳しい状況が分からないガーバーとMr.ブルーとの駆け引きにこの作品の魅力はある。犯人が与えた猶予時間はたったの1時間。この短いタイムリミットが全員を焦らせサスペンスを盛り上げる。それでいながらユーモアやジョークも忘れない。
 ニューヨーク市が全面的にこの作品に協力したらしい。地下鉄線路内での撮影や、地上の道路をパトカーがひた走るシーンもだからこそ出来たに違いない。地下鉄の司令センターも実物でロケしたらしい。
 身代金を払うかどうかで揉めている市の上層部の話し合いは妙にユーモラス。そもそも市長が風邪か何かの病気で寝込んでいるというのが面白い。
 オープニング近くで、ガーバーが東京の地下鉄の重役を案内するシーンがあって、言葉が通じないのかてんでリズムを狂わされてしまうのだが、実はその日本人はみんな英語が達者で笑ってしまった。この時のウォルター・マッソーの表情がいい。日本人はやはりカメラでパチパチ写真を撮りまくるんだね。
 無駄な描写が無く、100万ドルを奪った後、地下鉄路線内という密室からいかにして逃げるのだろうかといった緊張の糸が高いテンションを保った傑作である。スター俳優ではなくウォルター・マッソー、ロバート・ショウ、マーティン・バルサムといった味のある俳優で作られたのも成功の要因だろう。
 オープニングから観客を引きずり込み劇中の緊迫感を高めるデヴィッド・シャイアの音楽も良いし、オーウェン・ロイズマンも完璧に近い出来である。

B001CT6MFA.jpg『潮風のいたずら』(1987) OVERBOARD 114分 アメリカ METRO GOLDEN MAYER

監督:ゲイリー・マーシャル 製作:アレクサンドラ・ローズ、アンシア・シルバート 製作総指揮:ロディ・マクドウォール 脚本:レスリー・ディクソン 撮影:ジョン・A・アロンゾ 音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:ゴールディ・ホーン、カート・ラッセル、エドワード・ハーマン、キャサリン・ヘルモンド、マイケル・ハガティ、ロディ・マクドウォール、ヘクター・エリゾンド、ビング・ラッセル

 ゴールディ・ホーンは大金持ちで高飛車で高慢ちきな嫌な女。夫と一緒に大型クルーザーで船旅をしている。クルーザーがエンジントラブルを起こしてしまい、とある田舎町のドッグで修理をすることになる。
 その間に、ゴールディ・ホーンはカート・ラッセル演じる大工にクローゼットの改装をさせるのだが、彼がスギではなくオーク材を使ったため気に入らず、彼を大工道具ごと海に落としてしまう。
 その晩のこと、デッキに結婚指輪を忘れた事に気付いた彼女は指輪を取りに行くが、誤って海に落ちてしまう。船の中の人間はエンジン音やヘッドホンで音楽を聴いていたり、大音量でテレビを観ていたりで気づかない。
 運良くゴミ運搬船に拾われるが、その時には記憶喪失になっていた。ニュースで彼女のことを知った夫は、病院の精神科まで尋ねてきて彼女を確認したものの、これでわがままな彼女がやっかい払い出来たと人違いだったと言って帰ってしまう。
 同じくテレビのニュースで彼女のことを知ったカート・ラッセルは、彼女を自分の妻だと言って4人の男の子の待つ自宅へと連れて帰る。工事の手間賃600ドルをもらっていないことから、1日25ドルの計算で1ヶ月ほど彼女を主婦としてこき使おうというのだ。
 お嬢さん育ちの彼女は最初はまったく家事が出来ず、子供たちにも手を焼いていたが、次第に手慣れてくる。カート・ラッセルの飾らない人間性やわんぱくな子供たちにも愛情を感じるようになり、カート・ラッセルが企画しているパターゴルフ場にも積極的にアイディアを出しついに実現にこぎ着ける。
 その頃になると逆に罪悪感を感じて、彼女に真実を打ち明けるカート・ラッセルだが、彼女はそれを信じようとはしない。彼女を気に入った子供たちも本当のママだと援護する。
 と、そこへ本当の夫がリムジンで乗り付けてくる。夫を見た瞬間に唐突に記憶を取り戻した彼女はクルーザーに戻ることになるのだが・・・・・・

 オレがこの手のロマンティック・コメディを取り上げるのはまれなことだが、こいつは本当に面白い。
 カート・ラッセルの行為はさすがにやりすぎではないかと思うのだが、ゴールディ・ホーンが最初の高慢ちきで嫌な女から徐々に純粋で素朴かつ綺麗な心を持つようになり、いたずらばかり仕掛けてきた子供にも愛されるようになり、家事も上達して豚小屋の様だった家が次第に綺麗になっていくという過程をコミカルかつ丁寧に描写している。
 細かな矛盾はいくつもあるがそれを忘れさせてくれる演出だ。
 カート・ラッセルも最初は仕返しで始めたことだったのに、次第に彼女の魅力にとりつかれていく様子が丁寧に描かれている。
 その間にいくつものギャグが挟まれ、自分の写真が一枚もないのに気付いたゴールディ・ホーンのためにカート・ラッセルが友人に頼んで結婚式などの合成写真を作らせたり、子供たちに取り急ぎ用意させた服が13サイズも大きかったのを「君はダイエットに成功したんだよ。前はデブだったんだよ」、食事が終わったら食器をテーブルクロスで包んでそのまま洗剤をかけて洗う、ボロなものだから振動して動いて襲って来る洗濯機に斧で立ち向かうなどと笑わせてくれる。
 カート・ラッセル一家は引っ越してきたばかりで、近所に親しい知り合いがいないという設定も上手く活かされている。しかも林の中の一軒家。突然、奥さんが現れても怪しむ人はいない。
 高級ドレスに身を包み美食を楽しみながらも欲求不満を抱えた高慢ちきな自分と、貧乏だが素朴で愛情に満ちた暮らしをしている自分。家事や夫、子供たちに振り回されながらも充実感を感じている自分のどっちが本当の自分なのかに気付いて、本当の1つの家族になる。記憶を取り戻した彼女がリムジンで去っていく時に車にすがりつくように窓を叩きのぞき込む子供たちは感動的だ。
 実生活でも最愛のパートナーであるゴールディ・ホーンとカート・ラッセルだからこそ出せた味というのもある。
 クルーザーに戻ってから、ゴールディ・ホーンはこれまでのひどい仕打ちを使用人たちに詫びたのであろう、今ではすっかり親しくなって一緒にテキーラを飲む仲になっている。
 その使用人の一人ロディ・マクドウォール演じる執事がまた良い味を出していて、クルーザーに帰ってきたゴールディ・ホーンに「イヤリングを落としたわ、探して頂戴。多分、64丁目と68丁目の間ね」といった具合だったと過去の彼女と魅力的になった今の彼女について話したり、沿岸警備隊の船で追いかけてきたカート・ラッセルが密漁船が出たからと船が進路を変えてしまい思わず船から飛び降りた時に、つられて飛び込もうとする彼女に救命胴衣を着せたりする。そして夫が水面の二人を矢で撃とうとしたら後ろから河に蹴落として、「やめさせてもらいます」。またロディ・マクドウォールはこの作品の製作総指揮を兼ねている。
 沿岸警備隊の隊員たちが「規則違反に"愛の告白"というのはありません」と言って友情からカート・ラッセルのために船を出してくれるのも良い。ただ、引っ越してきたばかりのカート・ラッセルが湾岸警備隊の隊員たちとそれほどの友情を築いていたというのはちょっと疑問。
 ラストにカート・ラッセルが、「俺が君にあげられるものはあるかな」と聞いた時に、4人の男の子を見つめた後にゴールディ・ホーンが「女の子」と答えて映画は終わる。
 観終わった後、非常に幸せになれる映画である。
 肉体労働者役のカート・ラッセルはとても似合っているし、相反する二つの人格を見事に演じわけたゴールディ・ホーンの演技力には恐れ入る。この人はただのコメディエンヌじゃない。それにしてもいくつになっても可愛らしい人だ。カート・ラッセルがゴールディ・ホーンに自分自身の年を聞かれて「29歳だ」というのはさすがに無理があるが。
 夫を捨ててカート・ラッセルの元に走ったゴールディ・ホーンは贅沢な暮らしも財産も全て失ったように見えたが・・・・・・というオチも良い。
 監督はこの数年後に『プリティ・ウーマン』(1990)を撮ることになるゲイリー・マーシャル。最近は『バレンタインデー』(2010)なんかを撮っている。オレはこの人は好きじゃないんだが、この作品だけは別格だ。良く出来たロマンチック・コメディーである。

B002W71T4U.jpg『シティ・オブ・ブラッド』(2009) STREETS OF BLOOD 95分 アメリカ MILLENNIUM FILMS

監督:チャールズ・ウィンクラー
出演:ヴァル・キルマー、カーティス・"50 Cent"・ジャクソン、シャロン・ストーン、マイケル・ビーン

 ハリケーン"カトリーヌ"の襲来で荒れ果てたニューオリンズの街。
 麻薬課の刑事アンディ(ヴァル・キルマー)は、新たな相棒スタン(カーティス・"50 Cent"・ジャクソン)と共に台頭するギャングの取り締まりに執念を燃やす。時には法を超えた過激な捜査を行う彼らを、カウンセラーのニナ(シャロン・ストーン)は注意深く見守っていた。
 そんなある日、同僚刑事が、裏社会に潜入中の連邦麻薬捜査官を誤って射殺してしまう。かねてからアンディたちに目をつけていたFBI捜査官ブラウン(マイケル・ビーン)は監視を強化する。FBIと激しく対立しながらも、アンディは麻薬組織の壊滅を狙うが、そこには危険な罠が隠されていた・・・・・・

 外したーな一本。
 とにかくシャロン・ストーンのオバサン化はスゴイ物がある。色気も何もなくなっていて劣化してしまったんだね。マイケル・ビーンもすっかり額が広くなって、実は悪役という役柄にぴったり。『ターミネーター』でのカッコ良さはどこへ行った。
 ヴァル・キルマーは太めな感じ。昔はスリムだったのになぁ。
 とまぁ昔を懐かしむスターの共演作で、カメラワークは自主映画のよう。カット割りがいちいちださくてしょうがない。これはDVDダイレクトでもしょうがないわ。
 状況説明のためにシャロン・ストーン扮するカウンセラーと、悪徳刑事たちの診察の様子がやたらと挿入されるんだけれども、その度に映画の流れが止まってテンポが悪いったらありゃしない。
 銃撃戦はドンパチと派手なだけでリアルさが感じられず、これまた自主映画レベル。
 アンディたちと別の麻薬課刑事コンビは連邦麻薬捜査官を気楽に撃ち殺してしまったり、犯罪現場から現金を持ち逃げしたり、麻薬所持を見逃すために女を犯すダーティーな連中だが、アンディは、厳しいのは悪党に対してだけで、本当はクリーンすぎるために悪徳刑事に見えてしまうというのが段々わかっていく。対するブラウンはFBI捜査官でクリーンに見えて実は麻薬王と手を組んでいた悪の黒幕という良くある話。それでオチはよく分からないし。正直意味不明。
 往年のスターの落ちぶれた現在の姿を確認したい人にしか勧めない。地味でつまらない映画だ。B級映画? C級映画だよ。尺が短いのがせめてもの取り柄。これで120分とかあったら耐えられなかった。
 ハリケーン"カトリーヌ"の当時の被害状況がニュースフィルムなどで流され、エンディングには3年後のニューオリンズの姿が映し出されるので資料的価値はあるかも。3年経ってもまだ廃墟も同然のところがたくさんあるんだ。

B002UMAIPI.jpg『シンドバッド虎の目大冒険』(1977) SINBAD AND THE EYE OF THE TIGER 112分 イギリス/アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:サム・ワナメイカー 製作:チャールズ・H・シニア、レイ・ハリーハウゼン 原案:ビヴァリー・クロス、レイ・ハリーハウゼン 脚本:ビヴァリー・クロス 撮影:テッド・ムーア 特撮:レイ・ハリーハウゼン プロダクションデザイン:ジェフリー・ドレイク 編集:ロイ・ワッツ 音楽:ロイ・バッド
出演:パトリック・ウェイン、ジェーン・シーモア、タリン・パワー、マーガレット・ホワイティング、パトリック・トラウトン、カート・クリスチャン、ピーター・メイヒュー、ナディム・サワラ、ダミアン・トーマス、バーナード・ケイ

 戴冠式の直前に邪悪な魔女ゼノビアの呪いによってカシム王子はヒヒの姿に変えられてしまった。前王の後妻のゼノビアは自分の息子ラフィを王位に就けようというのだ。7回の満月の間に即位しなければ王になる資格を失ってしまう。
 友人のシンドバッドは賢者メランシアスへと助けを求めた。北の果てのピラミッドの神殿に行けば魔法が解けると教えられたシンドバッドは、ヒヒになったカシムと妹のファラー姫、メランシアスとその娘ディオーネらとともに出航した。その行く手には、巨大セイウチなど様々な怪物が立ちはだかる。
 さらにゼノビアは金属製のミノタウロス"ミナトン"を作り上げ、ラフィと共にシンドバッドの後を追った。

 シンドバッド役を演じたのはジョン・ウェインの息子パトリック・ウェイン。ディオーネを演じたのはタイロン・パワーの娘タリン・パワーで、大物俳優二世の共演が話題を呼んだ。
 穴居人(トログロダイト)やヒヒ、巨大セイウチにサーベルタイガーなど生物色の強いクリーチャーの中で金属ボディのミナトンは異色だが、ほとんど船を漕いでいるだけで、活躍らしい活躍をしないのが残念だ。ピラミッドの岩を外した拍子に岩ごと落ちて岩に押しつぶされて「役目は終わった」では悲しすぎる。本当はもっとアクションをやらせる予定だったが時間の都合だったらしい。製作期間のことを言っているのか上映時間のことをいっているのかが不明だが、112分というレイ・ハリーハウゼン物としてはかなり長い部類に入る。これでミナトンのアクションまであったらお腹いっぱいになってしまうかも知れない。すでにいっぱいなのに。ミナトンはストップモーション・アニメーションだけではなくモンスタースーツによる撮影も多い。その中に入っていたのがスター・ウォーズシリーズでチューバッカを演じたピーター・メイヒューである。出番の少なさにかかわらず、ミナトンはレイ・ハリーハウゼンの生み出したクリーチャーの中でも出来の良い物である。ミナトンと穴居人の対決が見たかった。
 思いついたようにクリーチャーを出してきて、ストーリーの統合性が取れていない面がある。サービス精神旺盛なのは良いが、見せ物的側面が大きすぎる。もっとクリーチャーを大事にしてもらいたい。クリーチャーのネタ切れ感もあってシリーズ三作の中では最も不出来な作品だ。
 ゼノビアは自分の息子ラフィを王位につかせようとして、結果としてその息子を失ってしまうという皮肉な結末が待っている。そしてその怨みから神殿の番人サーベルタイガーに乗り移って、シンドバットたちを助けてくれた穴居人と戦って穴居人を殺してしまう。穴居人にとってはいい迷惑である。(涙)殺す必要はなかったのではないか。
 クリーチャーたちは良く動き、動きも滑らかなのだが、1977年といえば『スター・ウォーズ』の公開年でもある。大宇宙を舞台にしたSFに比べると、やはり古色蒼然としているのは否めない。
 パトリック・ウェインのシンドバッドももっと明るく快活なイメージであって良かったはずだ。これが主役なのに今一つ地味なのである。他の登場人物も今一つパッとしない。音楽も印象に残らない。
 行き先は極地なのだが何故か中に入ると暖かく日差しが降っていて、ファラー姫とディオーネが川でセミヌードになって水浴びをするという艶めかしいサービスシーンがある。ディオーネはあの後カシム王子とロマンスに落ちたのだろうか。

B002UMAIP8.jpg『シンドバッド黄金の航海』(1973) THE GOLDEN VOYAGE OF SINBAD 102分 イギリス COLUMBIA PICTURES

監督:ゴードン・ヘスラー 製作:チャールズ・H・シニア、レイ・ハリーハウゼン 原案:ブライアン・クレメンス、レイ・ハリーハウゼン 脚本:ブライアン・クレメンス 撮影:テッド・ムーア 特撮:レイ・ハリーハウゼン プロダクションデザイン:ジョン・ストール 編集:ロイ・ワッツ 音楽:ミクロス・ローザ
出演:ジョン・フィリップ・ロー、キャロライン・マンロー、トム・ベイカー、ダグラス・ウィルマー、マーティン・ショウ、グレゴワール・アスラン、カート・クリスチャン、アルド・サンブレル、ロバート・ショウ

 航海中のシンドバッド船長の船に、奇妙な鳥が何かを持って飛んでいた。弓矢で射ると黄金の銘板を落としていった。その時に、シンドバッドは右手の平に目玉のかかれた不思議な女性の幻を見る。奇妙な力に導かれるようにマラビア王国に着いたシンドバッドは、銘板に秘められた絶大なる力が得られる泉の地図を手に入れた。
 シンドバッドは幻の女性と同じ右手に目玉の入れ墨の入った女性マリアンナに出合い、同行することになる。シンドバッドはマラビア王国の宰相と一緒に泉を目指し冒険に出るが、権力の座を狙う悪魔の王子クーラも泉を探していて、シンドバッドの船の後を付けてきた。

 不思議の島レムリア島で繰り広げられるオリエンタルムードを前面に押し出したシンドバッドシリーズの第二弾。『シンドバッド7回目の航海』が製作されたのが1958年、そしてこのシリーズ第二弾が製作されたのが1973年である。作品の間隔は15年ということになる。当然、主役であるシンドバッドをはじめ、俳優は全て入れ替えになっている。
 15年、長い年月である。しかし『7回目の航海』と『黄金の航海』の2作品を続けて観ても違和感はほとんど感じられない。『7回目の航海』の時点でダイナメーションはすでに完成していたのではないかと思い当たる。
 特に注目されたのが6本の腕を持つカリー像だ。クーラの魔術によって6本の腕にそれぞれ剣を持ちシンドバッドたちを襲って来る。まずはクーラの指示に従い、原住民の前で踊ってみせる。インド風の首を左右に振る、ビートたけしが「冗談じゃないよ」とやってる動きを見せてくれる。綺麗かつ勇壮な踊りでまずは観客の心をグッと掴む。
 そしてシンドバッドたちとのチャンバラは迫力物である。このシーンは複数の敵と戦いながら神殿の中を移動すると複雑な動きが必要だ。そのため3人のスタントマンの動きを参考にして50枚以上のコンテを描いて撮影に臨んでいる。このシーンの撮影には約7週間が費やされたという。レイ・ハリーハウゼンはカリー像のイメージを膨らませて映画を企画しただけに、かなりの力の入れようだ。役者との動きのシンクロも見事で、アップ
での腕だけ見えるカットとのつながりも不自然さを感じさせない。何回観ても飽きないシーンである。
 物語の前半ではクーラの作った小悪魔ホムンクルスがちょっと出てくるだけだが、後半では、カリー像の他にケンタウロス、グリフォンとクリーチャーが大挙して出てくる。
 ケンタウロスとグリフォンの戦いも見物である。力のケンタウロスに技のグリフォン。ケンタウロスが悪の怪獣なのでクーラが手助けをするのはずるい。グリフォンの足を切ってケンタウロスに有利なように事を運ぶのだ。
 レムリア島に向かう船の上でシンドバッドの船の木製の船首像がクーラの魔力で命を持って動き出すシーンは、本当に木で出来ているように見えるモデルを使っている。船の上で一暴れしたあげく、海図を奪って海へと逃走してしまう。『アルゴ探検隊の大冒険』の船首像は知恵を授けてくれる正義の味方だったが、こちらは悪者なのだ。
 前作『恐竜グワンジ』が色気不足と言われたためか、後の『007 私を愛したスパイ』(1977)でボンドガールに抜擢されるキャロライン・マンローをヒロインに起用。大胆なアラビア風衣装で活躍する美女として登場させている。
 ストーリー自体は単純な冒険譚で、前半は退屈するが後半に入ってからのクリーチャーの連打にやられてしまう。クーラは魔術を使う度に生命力を失っていく設定で、彼の執念にも説得力が持たされている。それに対してシンドバッドは単純な正義漢で多少深みに欠けるところがあるのが残念だ。
 ラストはクリーチャーは登場せず泉の力で若さを取り戻し、暗黒の楯で姿を見えなくしたクーラとの戦い。正直、それほど盛り上がらない。そしてクーラを倒したシンドバッドはマラビア王国の王の証である財宝の冠を宰相に上げてしまう。不自由な王様よりも自由な船乗りを選んだのだ。
 カット繋ぎが上手くいっていないところもあるが映画全体のパワーに押し切られてしまう。

B002UMAIOY.jpg『シンバッド七回目の航海(シンバッド7回目の航海)』(1958) THE 7TH VOYAGE OF SINBAD 88分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:ネイザン・ジュラン 製作:チャールズ・H・シニア 製作補:レイ・ハリーハウゼン 脚本:ケネス・コルブ 撮影:ウィルキー・クーパー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 編集:エドウィン・ブライアント、ジェローム・トムス 音楽:バーナード・ハーマン
出演:カーウィン・マシューズ、キャスリン・グラント、トリン・サッチャー、リチャード・エヤー、アレック・マンゴー、ハロルド・カスケット、ダニー・グリーン、ヴィルジリオ・テクセイラ

 シンドバッド船長の船が食料と水を求めてとある島に上陸する。そこにはサイクロプスという怪物と魔法のランプを狙う魔術師ソクラがいた。ソクラを救助した船は一路バクダットへ。実はシンドバッドはバクダットの王子だったのだ。バクダットと言うことはイラク。これはイラク人が主役の物語だったのだ。そう考えると感慨深い物がある。
 今回の航海で連れてきた近隣国の王女と結婚することで両国間の関係を密な物にしようというわけだ。だが政略結婚という面だけではなくシンドバットと王女は心から愛し合っていた。
 結婚式前の余興でソクラは蛇女を出してみせる。そして一晩経つと王女は15センチくらいの大きさに縮んでしまっていた。これはソクラの仕業なのだが、それを知らないシンドバットはソクラに助けを求める。王女を元の姿に戻すには例の島に住むロク鳥の卵の殻が必要だという。シンドバットは足りない乗組員を死刑囚を無実にすることで補い、島を目指す。
 だが途中で元死刑囚たちが叛乱を起こし、シンドバットと戦いになる。哀れにも捕まってしまうシンドバットだが、南の島の悪魔の叫び声に結果として助けられ例の島にたどり着いた。そして冒険が始まった。

 ダイナメーションという言葉が初めて使われたのがこの作品。レイ・ハリーハウゼンの初めての長編カラー映画でもある。それらのこともあってかなり力が入れられたのであろう、ストーリーもモンスターの造形や動きも充実した作品に仕上がっている。
 まずはこの作品のもう一つの主役とも言えるサイクロプス。一つ目で器用そうな三本指の腕に下半身はヤギのようになっている。このサイクロプスが見事なぐらいに動き回る。終盤ではソクラが飼っていたドラゴンとの戦いとなり負けて死んでしまうが、可哀想に感じてしまうほどだ。お宝に目がないようで、沈没船からお宝を引き上げては洞窟にため込んでいるという俗っぽさも持ち合わせている。
 乗組員の一人を気に縛り付けて丸焼きにしようと待ち構えているシーンでは、きちんと座って舌なめずりまでしている。舌なめずりはともかく意外と行儀が良いようで。
 サイクロプスは数匹いるようで、シンドバットが谷に落として殺した後も別のが出てくる。それだけレイ・ハリーハウゼンが思い入れを持ったクリーチャーなのではないだろうか。
 サイクロプスの大きさも絶妙だ。50メートルもあるような巨大な怪獣も確かに怖いが、サイクロプスのような小高い丘からひょいと顔を覗かせてくるような大きさがリアルで怖い。
 だいたいレイ・ハリーハウゼンのクリーチャーは大きさが大きすぎず小さすぎず見事。人間との対比シーンで特にそれが表れている。
 蛇女は王女の侍女に蛇を合成してソクラが作り出したもの。戦いはしないが、宴の席で優雅に踊ってみせる。尻尾を振り四本の腕をスムーズに動かして登場時間は短いが見応えがある。
 ソクラの洞窟でシンドバットを襲ってくるのは骸骨兵士。これまたスムーズな動きでシンドバットと動きがシンクロしたチャンバラをやる。これがダイナメーションなんだよ。原理的にはスクリーンプロセスで映写した実写風景と人物を前にストップモーション・アニメーションモデルを動かして撮影する。だから動きがシンクロ出来るのだ。人間が投げた槍が1カットでクリーチャーに刺さるなんてことも出来る。
 卵から孵ったばかりのロク鳥の雛をシンドバットの手下たちが殺して食べてしまうシーンはちょっと衝撃的だった。数メートルはある巨大な雛とはいえ雛は雛。それを食べてしまうなんて。人間、食欲には勝てないものだ。だが、そのせいで親鳥の逆襲を受ける。双頭のロク鳥もなかなかの迫力。
 とにかくクリーチャーたちの数の豊富さには恐れ入る。そのクリーチャーたちが最終的にはほとんど全部死んでしまうのは悲しいが。
 レイ・ハリーハウゼン作品は途中でだれたり、テンポがおかしかったりすることがあるが、この作品は全編だれることなく観ることが出来た。
 魔法のランプの精ジニーが少年というのも意外だった。危機に陥ると呪文で呼び出して何度もシンドバットたちの危機を救ってくれる。ただしあまりやる気がなさそうな態度で「やってはみますが」とどうにも頼りない。その割りにやってくれることは結構スゴイ。最後には船の乗組員になってしまう。
 とにかくソクラが憎たらしい役で、裏切り、見捨てるなど平気の平左。嘘も平気でつくし自分のためなら他人を犠牲にすることなど何とも思っていない。まったくもって悪の魔術師なのだ。この憎たらしさが映画を引き立ててくれる。
 バーナード・ハーマンの音楽も出来が良く、映画を盛り上げてくれる。
 特撮のリズムを狂わせることもなく、思いのほかテンポの速い演出を見せるネイザン・ジュランの手腕も見事なもの。
 元死刑囚たちの叛乱の後、座礁の危機にシンドバッドが舵を取るが、島への上陸ポイントは大岩の間の狭い海路のみ。さぁどうなるシンドバットと心配していると、次のシーンでは何事もなかったかのような爽やかな顔で上陸している。主演俳優がマラリヤに罹って撮影できなかったのだそうだ。

B002UMAIQ2.jpg『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956) EARTH VS. THE FLYING SAUCERS 83分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:フレッド・F・シアーズ 製作:サム・カッツマン 製作総指揮:チャールズ・H・シニア 原作:カート・シオドマク 脚本:ジョージ・ワーシング・イエーツ、レイモンド・T・マーカス 撮影:フレッド・ジャックマン・Jr 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ミッシャ・バカライニコフ
出演:ヒュー・マーロウ、ジョーン・テイラー、ドナルド・カーティス、モリス・アンクラム、ジョン・ザレンバ、トム・ブラウン・ヘンリー、ラリー・ブレイク

 地球を狙って宇宙人が空飛ぶ円盤で襲ってきた。まさに"EARTH VS. THE FLYING SAUCERS"である。
 ハリーハウゼンと言えばストップモーション・アニメーションだが、この作品では空飛ぶ円盤と円盤に壊される建物の一部にしか使われていない。正直物足りない感じだ。やはり宇宙人もストップモーション・アニメーションで再現して欲しかった。宇宙人は潜水服のようなスーツを着た人間が演じている。
 ハリーハウゼンのストップモーション・アニメーションの魅力はやはり生物を描いた時に一番栄える。その点ではこの作品は使い方を誤っていると言えるだろう。ただ、円盤のデザインや質感は良く出ており、回転をしながら襲って来るのは迫力がある。釣りではなかなか表現出来ない動きだ。
 人工衛星を乗せたロケットが相次いで撃墜された。主人公の博士はその責任者。結婚したばかりの妻にして秘書を乗せて車に乗っていると空飛ぶ円盤を目撃する。美人秘書がいつも一緒にいたら男は放っておかないよな。その時、ポータブルテープレコーダーを持っており、怪音を録音していた。ポータブルと行ってもカバン一つぐらいのオープンリールの物。バッテリー駆動するだけ大したモノか。このバッテリーが切れかかってテープの再生速度が遅くなり怪音は宇宙人が早口で喋っていたメッセージだと分かる。
 宇宙人は博士に無線で連絡してくる。「何時にどこそこの海岸に来い。時間厳守だ」意外と細かい宇宙人である。行ってみると円盤が着陸していて、中に乗せられる。そして、宇宙人の意図を聞かされるのだ。それは地球征服である。彼らは地球を失われた故郷の代わりにしようとしていたのだ。宇宙人は「我々は何でも知っている。尋ねてみるが良い」、乗り合わせていた警官が「ワールド・シリーズで一番優勝回数が多いチームを言って見ろ」、「ニューヨークヤンキースだ」、メジャー・リーグかよ。質問内容も質問内容ならば、それに真面目に答える宇宙人も宇宙人。と、その声に聞き覚えのある博士の新婚奥さんが自分の父親であることに気付く。父親役の軍人が宇宙人に誘拐されて記憶を読まれ、メモリーバンクとされていたのだ。処理段階で脳みそが透けて見えるなど映像的にも優れている。ここが一番怖いシーンかも知れない。
 宇宙人の攻撃が、太陽で大規模な爆発を起こし、異常気象を起こして交通や通信の手段を麻痺させるなど、地味にスゴイ。
 序盤で期待をさせるが、中盤でだれる。終盤の主人公の博士が開発した磁力砲で盛り返すが、それにしても地球を征服しに来た割には円盤の数が少ないのは何故だろうか。人類は甘く見られていたのか。磁力砲にやられてフラフラ揺れながら墜落していく空飛ぶ円盤には思わず笑ってしまう。いや、笑っちゃいけないんだが。ワシントンの名所を壊すは突き刺さるはもうしっちゃかめっちゃか。迫力はあるが単調で、監督のフレッド・F・シアーズの力量があまりないんだろう。
 博士の新婚奥さん役のジョーン・テイラーが色っぽくて魅力的。こんな人が秘書として横にいては博士は研究もろくに進まないだろうに。
 宇宙人のスーツは防弾能力は全くなく普通の銃で簡単に殺されてしまう。何でこんな重装備なのかというと、種として末期が来ていてスーツで身体を保護しないと死んでしまうからだ。科学力を除けば弱い存在なのである。
 しかし、繰り返しになるが宇宙人をストップモーション・アニメーションで再現しなかった理由が分からない。予算がなかったのかな。宇宙人のデザインは非常にシンプルでもっさりしている。もうちょっとデザインの力を入れても良かったのではないか。磁力砲のデザインは良くて東宝特撮のメーサー殺獣光線車にちょっと似てる。東宝側が参考にしたのかも知れない。ティム・バートンの『マーズ・アタック!』を思わせるところもある。
 ラストは博士と若奥さんのジョーン・テイラーがビーチでラブラブ日光浴。新婚でハネムーンに行ってなかったとは言え、あまりに古典的展開に笑ってしまった。
 ハリーハウゼンは製作時に実際に空飛ぶ円盤を見た人にインタビューしてこの映像を創り上げたそうだ。研究熱心なことである。
 それにしても宇宙人は共産主義のメタファーなんだろうか。
 低予算らしくロケットの発射シーンや洪水、嵐のシーンはニュース映像が使われている。

B002UMAIQW.jpg『水爆と深海の怪物』(1955) IT CAME FROM BENEATH THE SEA 78分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:ロバート・ゴードン 製作:チャールズ・H・シニア 原案:ジョージ・ワーシング・イエーツ 脚本:ジョージ・ワーシング・イエーツ、ハル・スミス 撮影:ヘンリー・フリューリッヒ 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ミッシャ・バカライニコフ
出演:ケネス・トビー、フェイス・ドマーグ、イアン・キース、ドナルド・カーティス、ハリー・ローター

『タイタンの戦い』リメイク記念でしばらくレイ・ハリーハウゼン作品を取り上げようかと思う。それにしてもレイ・ハリーハウゼンは1920年生まれでまだ生きてるんだ。長生きな人だ。
 水爆実験で巨大タコが現れ、人を食うといった映画。ハリーハウゼンの初期の作品である。
 巨大生物と水爆実験というと普通は放射能の影響で巨大化したというのが定番だが、この作品は違う。海溝の奥深くに巨大なタコが最初から住んでいて、水爆実験の影響で身体に放射能を帯びてしまい、放射能に敏感な魚が逃げてしまったため、空腹になって水面に浮上してきたのだ。魚は食べられないので代わりの物を食べる。人間だ。タコは人に食われる物だと思っていたがこのタコは人を食うのだ。
 アメリカの原子力潜水艦が巨大な何かに襲われる。船体にはその組織がくっついていた。水中生物の権威の2人の博士が集まり分析をした結果、タコだと分かる。このタコを銛状の新型魚雷で爆破しようという計画だ。低予算なのでそこらの科学室みたいなところで金魚すくいの網みたいので魚をすくって研究を続け、権威だというのに助手もなし。これは極秘な調査なので極力人を減らしたと好意的に解釈出来るが。
 そうこうしているうちに、サンフランシスコにタコが上陸。有名なゴールデンゲートブリッジに絡みつく巨大タコの映像を観ることが出来る。このタコがヌメヌメ・ニョロニョロとしていかにも水中生物を感じさせる。質感がちゃんと出ているのである。ちなみに低予算だったものだから、8本足を同時にストップモーションで動かすのは手間がかかるので足は6本に減らされている。
 このタコはモデルを一コマ一コマ手で動かして撮影している。非常に気の長い撮影方法だ。根気が必要だろうからオレにはとても無理だ。2本足ぐらいならばなんとかなるかも知れないが、減らしてあるとは言え6本足をどの順番でどう動かしたなんてのをきちんと記録して覚えておくなんて出来ない。
 レイ・ハリーハウゼンの特撮は見事だが、映画としては前半でだれ、中盤でだれ、終盤になってようやく盛り上がる。中途半端なロマンスもマイナス点だ。序盤の原子力潜水艦が襲われるシーンからして緊張感がない。ただ、いかにもなにかありそうなナレーションがせめて映画を引き締めてくれる。監督のロバート・ゴードンに才能があまりないのであろう。
 初期のハリーハウゼン物では特撮は良いんだが、映画自体がイマイチというのが多い。B級特撮映画扱いだったんだろうか。
 人間を襲う大ダコというシチュエーションに目を付けたのは面白い。やはり外国人はタコが嫌いなのか。デビルフィッシュっていうもんな。

511XM361V6L__SL500_AA240_.jpg『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』(1981) SOUTHERN COMFORT 106分 アメリカ 20th CENTURY FOX

監督:ウォルター・ヒル 製作:デヴィッド・ガイラー 製作総指揮:ウィリアム・J・イマーマン 脚本:デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル、マイケル・ケーン 撮影:アンドリュー・ラズロ 音楽:ライ・クーダー
出演:キース・キャラダイン、パワーズ・ブース、フレッド・ウォード、ピーター・コヨーテ、ブライオン・ジェームズ、フランクリン・シールズ、T・K・カーター、ルイス・スミス、レス・ラノム、アラン・オートリー、ソニー・ランダム

 まずこのDVD、やたらと画質が悪い。まるでVHSの3倍モードであるかのようだ。
 でも悔しいことに出ているだけで嬉しい。この頃のウォルター・ヒルはほんと最高だった。『ロング・ライダーズ』(1980)と『48時間』(1982)の間に撮られているのだ、この作品は。

 場所はルイジアナ州。湿地帯で軍事訓練を行うルイジアナ州軍のブラボー小隊は行軍中に地図にない湖にぶち当たってしまう。そこで地元住民のケイジャンのカヌーを無断借用して湖を渡り始めた。
 そこへ帰ってきたケイジャン達に馬鹿が空砲のマシンガンを乱射する。ケイジャンはカヌーを盗まれたことと銃撃されたことに腹を立て、指揮官の軍曹(ピーター・コヨーテ)を射殺する。
 こうしてケイジャンに追われることとなったブラボー小隊の恐怖の脱出が始まったのだ。

 最初はケイジャンに強気に出ていて、片腕のケイジャンを人質に取ったり小屋を爆破したりするが、場所は相手のホームグラウンド。次第にブラボー小隊は追い詰められていく。
 罠で殺され、銃撃で殺され、首吊りにして殺される。
 物理的にも精神的にも追い詰められたブラボー小隊は、軍曹代理が無能なこともあって内部でも分裂していく。
 中には精神的に破綻してしまい、自分は神から使わされた復讐の天使だと思い込む者もいる始末だ。
 比較的冷静なキース・キャラダインとパワーズ・ブースだけが生き残るが、救助された場所は皮肉にも最後の戦いを繰り広げたケイジャンの村のすぐ裏の道だった。

 ケイジャンとはルイジアナ州に住むフランス系移民のこと。よって基本的にフランス語しか話さない。主人公達にとっては異人である。
 その異人の暮らす異界で実弾は十数発。あとは空砲で戦わなければならない。絶望的な戦いだ。
 ジョン・ブアマンの『脱出』を思わせる題材でもある。
 フレッド・ウォードなどのむさくるしい男たちが湿地帯を這いずり回るだけなのに、なぜこんなに面白いのだろう。カヌーの上で銃撃されて、パニックに陥った隊員の1人が全てのカヌーをひっくり返してしまい、おかげで無線はおろか地図にコンパスまで失ってしまって自分たちのいる位置すら分からない。当然、どちらに行けば助かるかも分からない。
 軍人と言っても、彼ら州兵は上官を除くと普段は普通の仕事をしている人々。パワーズ・ブースはエンジニアをやっていて、会社の命令で軍事訓練を受けに来たのだ。軍人としてのプロフェッショナルを求めるのが無理というものだろう。
 終盤では平和なケイジャンの村にたどり着き、取りあえず一安心と思いきや追っ手が現れる緩急の効いた演出が見物だ。
 キース・キャラダインとパワーズ・ブースが「結婚して何年だ」、「5年だ」、「別荘なんか持ってないよ」、「なら買ってやる」と野営時に話し合い、最後に必ず生き残ろうと誓い合うシーンが良かった。そしてその後に衝撃のシーンがっっ!!
 この映画が劇場未公開だったとはもったいない。せめてまともなDVDを出してくれ。いやBlu-rayでもいいから。
 ちなみにビデオ化された際のタイトルは『ダーティアーミー/対決!悪魔のカルト集団』だとか。ひどいもんである。ケイジャンをカルト集団扱いしちゃ差別的でマズイだろ。
 それにしてもケイジャンを不気味で怖ろしい連中として描いた内容は、今では差別面からもはや映画化不可能であろう。

B002YZB1CU.jpg『16ブロック』(2006) 16 BLOCKS 101分 アメリカ MILLENNUM FILMS

監督:リチャード・ドナー 製作:アヴィ・ラーナー、ランドール・エメット、ジム・ヴァン・ウィック、ジョン・トンプソン、アーノルド・リフキン、ブルース・ウィリス 製作総指揮:ダニー・ディムボート、トレヴァー・ショート、ボアズ・デヴィッドソン、ジョージ・ファーラ、ハディール・レーダ、アンドレアス・ティースマイヤー、ジョセフ・ローテンシュレイガー 脚本:リチャード・ウェンク 撮影:グレン・マクファーソン プロダクションデザイン:アーヴ・グレイウォル 衣装デザイン:ヴィッキー・グレイフ 編集:スティーヴ・ミルコヴィッチ 音楽:クラウス・バデルト
出演:ブルース・ウィリス、モス・デフ、デヴィッド・モース、ジェナ・スターン、ケイシー・サンダー、シルク・コザート、デヴィッド・ザヤス、コンラッド・プラ、ピーター・マクロビー、ロバート・クロヘシー

 アル中ですっかりダメ刑事なジャック(ブルース・ウィリス)に人手不足のため一つの任務が回ってくる。それは黒人囚人のエディ(モス・デフ)を16ブロック先の裁判所まで送るという任務だった。
 アル中のため途中の酒屋の前で車を停めて、酒を買いに来たジャックだがその間にエディは殺人犯に狙われていた。辛うじて殺人者の手から逃れた2人だが、ジャックの目の前に同じ刑事仲間のフランク(デヴィッド・モース)が現れ、エディは殺されなければならないと告げる。

 アル中の警官対普通の警官という意味ではクリント・イーストウッドの『ガントレット』を思い出す。
 特に、ジャックがバスに立てこもって警官隊を相手にするところはそのままだ。
 エディはこれまで犯罪者としての人生を送ってきたが、獄中でケーキ作りに目覚め、出所後はケーキ屋を開店しようというのがユニークでよい。そのケーキ屋がラストにちゃんと繋がっているのも良い。ただし、DVD収録の『もう一つのエンディング』はまったくもって蛇足である。劇場公開版が正式採用になって良かった。
 監督はリチャード・ドナー。もう大御所である。そんな彼が、軽い感じの娯楽作を撮ることの嬉しさよ。リチャード・ドナーはいつまでたってもリチャード・ドナーなのである。
 二日酔いの髪の禿げ上がった胴回りの太いブルース・ウィリスは特殊メイクによるところもあるのであろう。情けない口ひげまで生やしている。
 ジャックがそこまで必死になってエディを守るのが不可解なところもあるが、刑事としての最後の良心なのだろう。
 悪徳警官のデヴィッド・モースが映画全体を締めてくれている。
 傑作だとは思わないが、出演者・演出陣ともに粒ぞろいの佳作である。
 劇中でエディが『遊戯王』の絵柄のケーキを作るんだと言っているので笑ってしまった。おいおい、コナミは著作権にうるさいぞ。それにしても、『遊戯王』はアメリカでも有名なんだ。
 アクションは地味で暗い。マンハッタンの裏路地で繰り広げられるアクションのなので地味なのはしょうがない。作り手はそれを地味な作品であることをはっきりと理解している。

B002AYP07C.jpg『サンゲリア』(1979) SANGUELLIA/ZOMBIE 2 91分 イタリア/アメリカ

監督:ルチオ・フルチ 製作:ウーゴ・トゥッチ、ファブリッツィオ・デ・アンジェリス 脚本:エリザ・ブリガンティ 撮影:セルジオ・サルヴァティ 特撮監修:ジャンネット・デ・ロッシ 特殊効果:ジノ・デ・ロッシ 特殊メイク:ジャンネット・デ・ロッシ 音楽:ファビオ・フリッツィ、ジョルジョ・トゥッチ
出演:イアン・マカロック、ティサ・ファロー、リチャード・ジョンソン、オルガ・カルラトス、アウレッタ・ゲイ、アル・クライヴァー、ステファニア・ダマリオ
 
 ニューヨークの港に無人の豪華ヨットが流れ着く。
 ヨットを調べた沿岸警備隊員の1人が、キャビネットに隠れていたゾンビに襲われ、命を落とす。
 主人公の新聞記者ウェスト(イアン・マカロック)はこの事件の取材を命じられ、ヨットの持ち主のアン(ティサ・ファロー)と知り合う。ヨットに忍び込んで調べていた彼らは父親からアンへの手紙を発見する。それはカリブ海の島マツール島で書かれた物だった。真実を知るべくマツール島を目指す2人。
 その頃、検死解剖されることになっている沿岸警備隊員の死体の腕がピクリと動いた。
 2人はマツール島へ送ってもらうべく休暇中のブライアン(アル・クライヴァー)とスーザン(アウレッタ・ゲイ)にマツール島まで船を出してもらうことにする。
 途中でスーザンがスキューバダイビングをするが、その際サメに襲われ船にぶつかりシャフトが曲がってしまう。そして海中でスーザンはゾンビと遭遇し、ゾンビ対サメの死闘が繰り広げられる。
 ようやくたどり着いたマツール島は死の島だった。奇病が流行っており、これに罹ると必ず死んでしまい二日後にはゾンビになって甦り生きている人間を襲うのだ。
 奇病を治療せんと奮闘しているメナード医師(リチャード・ジョンソン)と出会った彼らだが、病気は爆発的に蔓延し、ついに古くから地中に埋められていた死体まで甦って襲ってきた。
 彼らは病院に立てこもりなんとか応戦しようとするが、1人また1人とやられていく。
 ウェストとアン、そしてゾンビになったスーザンに噛まれたブライアンは船で脱出する。
 しかし、ブライアンは死亡してゾンビになってしまう。証拠としてキャビネットの奥にブライアンを閉じこめたウェストとアンだが、ラジオを付けるとニューヨークにゾンビの大群が出現したことを知る。
 果たして人類はどうなってしまうのか。

 ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』(1978)のヒット後に柳の下のドジョウを狙って作られた亜流作品の中の一つ。その中ではかなり出来が良い。
 肌がボロボロのゾンビのデザイン、オープニングのヨットで転がり落ちる手首、メナード医師の妻の目を木片が貫く、ゾンビがむさぼり食う臓物、ミミズだらけのゾンビ等々生理的嫌悪感を感じずにはいられない。さすがルチオ・フルチである。
 病気で死んだ場合はゾンビになるのは二日後だが、噛まれて死んだ場合は即ゾンビになってしまう。そしてゾンビに噛まれた場合はその場はしななくても症状が悪化しいずれはゾンビになってしまうというゾンビ映画のお約束を守っている。
 胴体や腹を撃っても無駄で、頭を撃たなければ意味がないのもお約束。
 どうやら場所柄ブードゥー教が絡んでいるようで、現地人たちがならしているとおぼしき太鼓の音が鳴り響く。これが不気味さを引き立てる。
 眼球を貫かれて死んだメナード医師の妻をゾンビ達4人(?)がとりかこんで地獄の饗宴を繰り広げているシーンは阿鼻叫喚ものである。片足を食われ、内臓はホルモン状態。そこからレバーとおぼしきパーツを取り出してむさぼり食うゾンビにはゾッとする。
 ゾンビ対サメという取り合わせはアイディア賞物。サメにしがみつき肉を食らうゾンビと最終的にはゾンビの左腕を食いちぎるサメ。サメの勝ちか。
 南国と言うこともあってかゾンビの腐敗は激しそうである。だから肌はボロボロの肉はそげ落ちたゾンビになってしまうのだろう。映画だから分からないが、きっと臭いがひどいことになっているに違いない。
 ラストの病院での立てこもりはなかなかの迫力で、灯油で火炎瓶を作ってゾンビに投げつける。燃え上がるゾンビと病院は見所である。
 病院の裏から逃げ出した時に、ブライアンはスーザンのゾンビに出くわし、一瞬の隙が出来る。その隙に噛まれてしまうがゾンビになったとはいえ自分の恋人を撃ち殺すことが出来なかったのだろう。オレだったらとっさには撃てない。
 ストーリーはかなりいい加減だが、残酷描写にこの作品の価値がある。パワーは満点だ。奇病の謎も不明のままでブードゥー教との関わりも不明なまま。そもそもそれほど考えていなかったに違いない。
 墓場の地中からゾンビが甦ってくるシーンはマイケル・ジャクソンのプロモーションビデオ『スリラー』の1シーンそっくり。
 出演している女優さんが美人揃いなのも見所。特に看護婦役の女優さんはオレの好み。
しかも内2人は脱いでくれるって言うから嬉しいじゃありませんか。
 男優陣ではメナード医師役のリチャード・ジョンソンの熱演が渋い。(死に方はあんまりだが)

B001CF93J6.jpg『さよなら。いつかわかること』(2007) GRACE IS GONE 85分 アメリカ THE WEINSTEIN COMPANY

監督:ジェームズ・C・ストラウス 製作:ジョン・キューザック、グレイ・ロー、ガルト・ニーダーホッファー、セリーヌ・ラトレイ、ダニエラ・タップリン・ランドバーグ 製作総指揮:ポール・バーンスタイン、リーガン・シルバー、トッド・トレイナ、ジャイ・ステファン 脚本:ジェームズ・C・ストラウス 撮影:ジャン=ルイ・ボンポワン プロダクションデザイン:スーザン・ブロック 衣装デザイン:ハー・ウィン 編集:ジョー・クロッツ 音楽:クリント・イーストウッド 音楽監修:ダグ・バーンハイム
出演:ジョン・キューザック、シェラン・オキーフ、グレイシー・ベドナルジク、アレッサンドロ・ニヴォラ、マリサ・トメイ、メアリー・ケイ・プレイス

 ホーム・センターで働くスタンレー(ジョン・キューザック)は元兵士。本来ならば目が悪くて試験で落とされるはずなのだが、視力表を手に入れてそれを暗記して入隊した経歴の持ち主。そしておなじ隊の女兵士グレイスと出会って結婚。視力の件がバレて退役になったが女児2人をもうけて幸せな家庭を築いていた。
 しかしある日、そんなスタンレーの元を軍服姿の2人の男が尋ねてきた。グレイスがイラク戦争で戦死したというのだ。
 まだ上の子で13歳と幼い子供達に真実を打ち明けられないスタンレーは、姉のハイディ(シェラン・オキーフ)と妹のドーン(グレイシー・ベドナルジク)を車に乗せてフロリダの"魔法の庭"というテーマパークを目指す。

 役作りのため10kgは太ったであろうジョン・キューザックがほんと普通のおじさんである。
 御大クリント・イーストウッドが始めて他の人の作人に音楽を提供した一本。
 同じジョン・キューザック主演の『真夜中のサバナ』(1997)を監督したと言うこともあるだろうし、作品のテーマによることもあるだろう。
 主にピアノソロが中心で、静かに物悲しげなスコアを鳴り響かせる。
 主要登場人物は親子3人だけ。それと出番は少ないがスタンレーの弟のジョン(アレッサンドロ・ニヴォラ)がちょっとでてくるだけ。その分だけ各人の比重は大きくなり、特に子供達に母親の死をなかなか言い出せない、そして自分も妻の死をなかなか受け入れられないジョン・キューザックの演技が見せ場となる。子供達の演技も見事だ。
 スタンレー家の留守番電話は応答メッセージを家族全員で吹き込んでいるのだが、その妻に向かって何度かスタンレーが打ち明け話を録音するシーンがあってこれが良い。その留守録メッセージを姉のハイディが聞いてしまってある程度真実を知ってしまう残酷さ。 ハイディは父の行動に疑問を抱いているが、妹のドーンも何かおかしいというのを感じ取っていて、デパートで子供用のおもちゃの家に閉じこもるシーンがある。ただ無邪気にテーマパークに行けると思って楽しんでいるわけではないのだ。
 妻の死で心が空っぽになりながらも、2人の娘のことを第一に考えるスタンレーは良い父親だ。喪失感でいっぱいになったスタンレーの姿を静かに捉えている。
 イラク戦争での戦死者を扱っているが、反戦映画ではないと思う。愛国心がどうのよりも殉死者を持った家族への尊厳と鎮魂がメイン・テーマではないだろうか。
 夫の戦死を妻が聞くというのは日本人にも感覚的に分かるのだが、その逆はちょっとピンとこないがそれだけ女性の軍人もいると言うことだろう。
『GRACE IS GONE』を『さよなら。いつかわかること』とした邦題は見事。
 ドーンは腕時計にアラームをセットしていて、グレイスと同じ時間にお祈りをすることにしていた。それがラストに上手く使われている。

B001E7TS4M.jpg『スター・トレック/宇宙大作戦シーズン2』(1966?1969) STAR TREK 1300分 アメリカ CBS TELEVISION

製作:ジーン・L・クーン、フレッド・フリーバーガー、ジョン・メレディス・ルーカス、ジーン・ロッデンベリー 製作総指揮:ジーン・ロッデンベリー 音楽:アレクサンダー・カレッジ
出演:ウィリアム・シャトナー、レナード・ニモイ、デフォレスト・ケリー、ジェームズ・ドゥーアン、ジョージ・タケイ、ニシェル・ニコルス、ウォルター・コーニッグ、メイジェル・バレット、クリスティーン・チャペル

 比較的SFしていたシーズン1と比べるとスペースオペラ的側面が強くなったシーズン2である。スペオペである。
 お気に入りのエピソードはエンタープライズ号に大使としてスポックの両親が乗る話。バルカン人の価値観が分かって面白い。
 ある惑星に降りたらそこの細菌のせいでどんどん老化が進んでいく話。カーク、スポック、ドクター・マッコイ全員がどんどん年寄りになっていく。だから指揮官自ら先陣を切って惑星に乗り込むのは止めろと言うのだ。痴呆が進んで同じ命令を繰り返したりどんどん頑固になっていく(もともと頑固だが)カーク船長はついに船長を解任されてしまう。代わりに文官が代理船長になるが実戦になって慌てふためき、カークに救われる。やはりエンタープライズの船長はカークじゃなきゃ。
 トリブルという毛糸玉状のペットがどんどん増殖してエンタープライズ中トリブルだらけになる話。
 地球人が置いていった1920年代のシカゴのギャングに関する本に影響され、ギャング世界になってしまった星の話。通行人がみんなトミーガンを抱えているのが笑える。
 平和な惑星にクリンゴンがフリントロック式銃を持ち込み、苦渋の結果としてカークも敵対する部族にフリントロック式銃100挺を与える。こうして平和な惑星は戦場となった。
 行方不明になっていた歴史研究家がある惑星で発見されるが、その歴史研究家の影響でその星はナチスの形態を取っていた。
 カークがパラレルワールドの地球で合衆国憲法をとく話。

 全体的に派手な話が増えている。
 カークは相変わらず猪突猛進で女たらしだ。
 スポックもだいぶと人間味が出てきた。
 とにかくエピソード数が多いので、1日1本観ても1ヶ月近くかかる。案外とコストパフォーマンスがいい。

B002N7DGOK.jpg『続・黄金の七人/レインボー作戦』(1966) IL GRANDE COLPO DEI SETTE UOMINI D'ORO 101分 イタリア

監督:マルコ・ヴィカリオ 製作:マルコ・ヴィカリオ 脚本:マルコ・ヴィカリオ 撮影:エンニオ・グァルニエリ 音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ、カルロ・ルスティケリ
出演:フィリップ・ルロワ、ロッサナ・ポデスタ、ガストーネ・モスキン、モーリス・ポリ、マヌエル・ザルゾ、ガブリエル・ティンティ、ジャンピエロ・アルベルティーニ、ダリオ・デ・グラッシ

 ジープが入ったコンテナ型の小型潜水艇や木のように伸びてくる特殊梯子、暗視鏡にボクシンググローブ発射バズーカ、ジェット噴射で空を飛ぶ装置など面白い小道具が山のように出てくる。
 様々なアイテムにはアンテナが付いている物が多く、そのアンテナがクルクルと回転しているところに時代を感じてしまう。
 しかし、前作と比べると勢いが落ちたような気がするのは気のせいか。

 ローマのカタコンベを利用して地下鉄を引き地下から銀行の金庫をそのまま貨物として盗み出した黄金の七人。強奪と輸送を同時に行える良い計画だ。しかし、出口で謎の組織に捕まってしまう。
 その組織はアメリカで、南米の独裁国家、キューバのカストロ議長をモデルとしたと思われる人物を誘拐してミサイル発射基地について尋問するのが目的だった。
 見事任務を達成した七人はサイドビジネスとばかりに7000トンの金塊を積んだ船を強奪したのであった。前作は7トンの金塊だったからなんと1000倍。

 教授の愛人ジョルジァ(ロッサナ・ポデスタ)が相変わらず美しい。コロコロ変わる色っぽい衣装に、瞳の色もカラーコンタクトレンズで変わる。7色に変わるからレインボー作戦。彼女は将軍を誘惑する大きな役割を担っていて、前作以上の大活躍。
 今回も教授とジュルジァ以外のキャラクターの印象が薄いのが残念だ。各国から集められた犯罪のプロなのだからもっと特色があっても良さそうな物なのだが。教授はやはりイギリス人なんだ。
 ルパン三世を思わせる奇想天外な盗みのシーンは相変わらず面白い。
 終盤には奪った金塊を独り占めしようとする人物が出てくるのは前作と同じ。「俺が3500トン、お前が3500トン。残りは0だ」7000トンの金塊が積まれた中での銃撃戦がなかなかの迫力だ。しかし贅沢な銃撃戦である。
 小島に積み上げた金塊をアメリカ艦隊が狙って沖合に停泊しており、今回もラストは失敗かと思ったが裏をかいて見事に成功。今回は七人の勝ちであった。
 と思いきや、ものの見事にジョルジァに裏切られ。最後に勝つのは女であった。そして銀行の金庫に収められたその金塊を奪い返そうとまた道路工事に見せかけて計画を始める七人。
 毎回、計画は上手く行くのに人間の欲にやられて教授の水も漏らさぬ計画はパーになってしまう。人の心まで読めないのが教授の欠点か。
『黄金の七人』シリーズは犯罪映画なのに、最後には失敗してしまうというのがミソである。犯罪は割に合わないという反犯罪映画でもあるのだろうか。
 それにしても教授の犯罪計画の成功率はどれぐらいなのだろうか。どうもシリーズを見ている限りあまり高くはなさそうだ。失敗談の話も出てくるし。その代わり当てる時にはどかんと大きく当てるのではないだろうか。

B002PJ5R4S.jpg『スーパーバッド 童貞ウォーズ』  (2007) SUPERBAD 113分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:グレッグ・モットーラ 製作:ジャド・アパトー、ショーナ・ロバートソン 製作総指揮:エヴァン・ゴールドバーグ、セス・ローゲン 脚本:セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ 撮影:ラス・オルソーブルック プロダクションデザイン:クリス・スペルマン 衣装デザイン:デブラ・マクガイア 編集:ウィリアム・ケアー 音楽:ライル・ワークマン
出演:ジョナ・ヒル、マイケル・セラ、クリストファー・ミンツ=プラッセ、ビル・ヘイダー、セス・ローゲン、マーサ・マックアイサック、エマ・ストーン、アヴィヴァ、ケヴィン・コリガン、エリカ・ヴィッティナ・フィリップス、ジョー・ヌネズ、ステイシー・エドワーズ、デヴィッド・クラムホルツ、マルセラ・レンツ=ポープ

 セス(ジョナ・ヒル)とエバン(マイケル・セラ)はてんで冴えない二人組の友達。今は高校三年生であと2週間で卒業である。そんな彼らが美人が主宰する卒業パーティーに誘われた。といっても、実は仲間のフォーゲル(クリストファー・ミンツ=プラッセ)が手に入れた偽のIDでお酒を買ってくるのが彼女たちの目的であった。
 フォーゲルはその偽のIDでお酒を買うがたまたま酒屋強盗に出くわしてしまい、二人組の警官に連れ回される事になる。はてさて、彼らの童貞卒業はどうなってしまうのか?

 邦題には『童貞ウォーズ』とあるが、彼らが童貞をいかに卒業するかについては意外と触れられておらず、それよりも如何にして未成年の彼らが酒を大量に買い込むかが焦点となっている。
 日本も最近では少し未成年にお酒を売る事が厳しくなってきたが、アメリカはもっと厳しい。ちょっとでも怪しいと思われたらIDで年齢を確認されてしまうことになる。同じようなシーンでは『ティーン・ウルフ』でマイケル・J・フォックスがビールの樽を買うのに散々苦労していたり、『パラサイト』で不良がお酒を買うための偽IDを売っているシーンなどでその厳しさが理解できる。
 ちなみに近所(といっても1kmはあるが)のローソンでアルコール飲料を買うとレジが「年齢確認が必要な商品です」としゃべる。だが、オレは一度もその年齢確認とやらをされたことがない。まぁ、どうみても40ぐらいのおっさんに年齢確認もないとは思うのだが、一度ぐらい年齢確認とやらをされてみたい。レジ近くで見ていると、どうみても10代の青少年にも平気で売ってしまう。こりゃまたどういう訳だ、世の中まちがっとるよー、まことに遺憾に存じます。ってなわけだが、案外いい加減な運用のされ方をされているようである。その店だけの問題かも知れないが、大体どこも似たようなモンなんだろう。年齢確認をしてごねられたらそれだけで面倒だ。もっと常識的になれば良いと思うんだが、これまでの運用の仕方を見るとなかなかそうはいかないのだろう。色々問題のあるタスポもそうだけど、それが当たり前になればうまくいくのだろうか。
 フォーゲルは二人組の警官にいわば拉致されてしまうのだが、この警官たちがバカで面白い。フォーゲルをすっかり仲間扱いしてしまうシーンには笑える。
 日本では劇場未公開だったのがもったいない青春冴えないコメディである。そもそも青春って言うのは大概は冴えないものだ。その冴えない3人組の冴えなさ具合が実に身につまされて可笑しくてしょうがない。
 セリフによる下ネタが多いので、人によっては嫌悪感を抱く場合もあるだろう。これに関してはしかたないとしか言いようがない。セスが子供の頃ひたすら書いていたペニスの絵には大笑いである。しかし、なんでそんなものに熱中していたんだか。バカだ。
 ラストは上手く収まるところに収まってキレイに終わる。もっとハチャメチャな終わり方でも良かった気はするが、映画としてはまとまっている。

B002PJ5R4I.jpg『スモーキング・ハイ』(2008) PINEAPPLE EXPRESS 112分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:デヴィッド・ゴードン・グリーン 製作:ジャド・アパトー、ショーナ・ロバートソン 製作総指揮:セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ 原案:ジャド・アパトー、セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ 脚本:セス・ローゲン、エヴァン・ゴールドバーグ 撮影:ティム・オアー プロダクションデザイン:クリス・スペルマン 衣装デザイン:ジョン・ダン 編集:クレイグ・アルパート 音楽:グレーム・レヴェル
出演:セス・ローゲン、ジェームズ・フランコ、ダニー・R・マクブライド、ゲイリー・コール、ロージー・ペレス、アンバー・ハード、ビル・ヘイダー、ジェームズ・レマー、エド・ベグリー・Jr、ノーラ・ダン、クレオ・キング、ボビー・リー、ケヴィン・コリガン、クレイグ・ロビンソン、ダナ・リー、ケン・チョン、コニー・ソーヤー、ジャネッタ・アーネット
 
 裁判所の召喚状を配達している男デール(セス・ローゲン)がある豪邸の前に車を停めてマリファナの上物パイナップル・エクスプレスをプカプカやっていると、その豪邸で殺人事件が起こるのを目撃してしまう。その殺人には女性警官も関わっていたので警察に行く事も出来ない。
 そこでデールが逃げ込んだのはマリファナの売人ソール(ジェームズ・フランコ)の家。ところがパイナップル・エクスプレスを現場に落としてきてしまったのだが、こいつはソールしか扱っていない品。あっと言う間に居場所がバレてしまった二人は逃げ戸惑う事になるのだが。

 話としては殺人を目撃して命を狙われるというよくあるストーリーだが、良い意味でかなりくだらないコメディ映画。二人の会話の意味のなさが笑える。
 逃亡中もプカプカとマリファナを吹かしているので会話が支離滅裂。すっかりハイなんである。だら?っとした雰囲気が最高。逃げ込んだ森の中で意味なく馬跳びしてるし。なんだよ、それ。
 この映画を観るとマリファナを吸ってみたくなる事間違いなし。でも吸っちゃダメだよ、違法だから逮捕されてしまう。アメリカではこの映画みたいに市民権を得ているのだろうか。さすがに吸い過ぎだしモラルに反している気がするが。
 デールとソールが手をガムテープで縛られてしまい、デールのベルトのバックルでソールのテープを切ろうとするシーンは爆笑物。
 ところが一旦アクションシーンになると急に本格的になる。カーチェイスに銃撃戦。中盤のカーチェイスはソールがフロントガラスを足で割ろうとして足が抜けなくなったまま失踪するという笑いを含みながらもかなりの迫力だし、終盤の銃撃戦はバリバリ撃ちまくって本格的。
 レッドという麻薬の売人も仲間に加わり、最後はマリファナ三人組がヘラヘラしながら勝つ。そして男の友情で結ばれる。その友情に結ばれるシーンは食堂で飯を食べながら行われるが、ここでもまた意味のないダラダラした会話が繰り広げられる。レッドはソールに商品を卸していた売人で、最初は殺人犯の部下に脅されてソールを売るのだが、途中からデールとソールの味方になり最後には韓国車で敵のアジトに突っ込んできて大活躍。
 中年男のデールはつきあい始めて3ヶ月の女子高校生よりも結果としてソールを選んでいる。ちょっとホモっぽい雰囲気が漂う映画だ。そういえば、モーテルに批難したデールの恋人家族はその後どうなったんだろう。デールと恋人は電話でケンカになったがあの後別れてしまったんだろうか。
 殺人犯は犯罪組織のボス。そこで腕利きの2人にデールとソールを追わせるのだが、この2人腕利きのクセして間抜けでしょうがない。1人はソールにコーヒーポッドで殴られて火傷したのを延々根に持っているし。
 気になったのが、逃亡資金を稼ぐために学校に入り込んで中学生ぐらいの子供たちにパイナップル・エクスプレスを売るシーン。それはさすがにまずいでしょ。マリファナ推奨映画じゃないんだから。デールが自分がマリファナで年中ハイになっていることを自戒するシーンもあるわけだし。
『スパイダーマン』シリーズのハリー・オズボーン役のジェームズ・フランコがこんな間抜け演技が出来るとは思わなかった。コメディアンの才能があるね。

B002JPC8E0.jpg『ジャンボ・墜落 ザ・サバイバー』(1981) THE SURVIVOR 99分 オーストラリア

監督:デヴィッド・ヘミングス 製作:アントニー・I・ギネイン 製作総指揮:ウリアム・フェイマン 原作:ジェームズ・ハーバート 脚本:デヴィッド・アンブローズ 撮影:ジョン・シール 音楽:ブライアン・メイ
出演:ロバート・パウエル、ジョセフ・コットン、ジェニー・アガター、アンジェラ・パンチ=マグレガー、ピーター・サムナー、ローナ・レスリー、ラルフ・コッテリル

 珍しいオーストラリア映画。全てがオチに向かって収束していくオチ映画である。

 ジャンボジェット機が墜落し、乗員・乗客を合わせた300人ほどが全滅した中、機長のケラー(ロバート・パウエル)だけが奇跡的に無傷で助かった。しかしケラーは記憶喪失になっており事故当時の事はいっさい思い出せなかった。
 そんな中、事故現場を取材したカメラマンなどが顔が焼けただれた少女を見たりして悲惨な死を遂げていく。ケラーは女霊媒師のホッブス(ジェニー・アガター)の協力を得て墜落事件の真相に迫ろうとする。この事件には事故で死んだ乗客たちの霊が関わっているのだ。
 そしてケラーは意外な真実にたどり着く。真犯人を倒し自分の役目を終えたケラーは......

 何故カメラマンたちが惨殺されなければならないのかがちょっと分からない。霊たちが自分たちの悲惨な姿で商売をするカメラマンを許せなかったのだろうか。
 そして飛行機を墜落させた張本人の同機も分からない。飛行機は実は機内に持ち込まれた時限爆弾の爆発で落とされたのだが、営利目的でもないし復讐が目的だったわけでもない。ただ単に真犯人が狂っていたからだろうか。
 そのあたり、統合性が取れていない部分が気にかかる。

 ジャンボジェット機の墜落や炎上シーンはかなりの迫力で特に炎上シーンは実物大の飛行機のセットを燃やしておりかなり金もかかっていそうだ。事故後、調査のため墜落現場に放置された焼けただれた飛行機のセットが不気味である。

 真実を明かし復讐を遂げるケラーには全ての霊の代表としての重圧が肩にかかっていた。それらを含んだ意外なラストには驚かされる。オチ映画というとシャマラン監督が頭に浮かぶが、いやいやどうしてシャマラン顔負けである。

 作品の性質上、主人公の心理を深く描けないという欠点はあるがなかなか面白い映画であった。

B002HXO6P8.jpg『ゾンゲリア』(1981) DEAD & BURIED 94分 アメリカ

監督:ゲイリー・A・シャーマン 製作:ロナルド・シャセット、ロバート・フェントレス 製作総指揮:リチャード・R・セント・ジョンズ 原作:チェルシー・クィン・ヤーブロー 原案:アレックス・スターン 脚本:ロナルド・シャセット、ダン・オバノン 撮影:スティーヴ・ポスター 特殊メイク:スタン・ウィンストン 音楽:ジョー・レンゼッティ
出演:ジェームズ・ファレンティノ、メロディ・アンダーソン、ジャック・アルバートソン、デニス・レッドフィールド、ナンシー・ロック・ハウザー、リサ・ブロント、クリストファー・オールポート、ロバート・イングランド、マイケル・パタキ

 ゾンビ映画だが終盤まで観ないとゾンビ映画だと分からない異色作。
 この映画のゾンビはロメロ・ゾンビのような知能が無く人肉を貪るだけの物と違って知能があり普通の人間のように行動している。そこがラストの怖ろしさに繋がってくる。

 とある小さな港町で殺人事件が起こった。主人公の警官はその謎を追う。登場する葬儀屋は死体を綺麗に加工してまるで生きているかのようにしてしまう。実はこの葬儀屋は死体加工技術を極めてしまいついにはゾンビとして生き返らせることに成功したのだ。
 最後に追い詰められる主人公。そして衝撃の結末が。

『バタリアン』のダン・オバノンが脚本を担当しているだけあって普通のゾンビではなく常識外れなゾンビを誕生させた。ゾンビと言うよりも一種の改造人間のようなものであろうか。
『ゾンゲリア』といういかにもB級なタイトルで損をしているが、これは傑作である。
『ターミネーター』(1984)のスタン・ウィンストンが特殊メイクを担当していて、焼けただれた男や酸で顔を溶かされるドクターなどの特殊効果を堪能させてくれる。しかし、この作品の主題は視覚的なホラーではなく、主人公が精神的に追い詰められていく部分にある。殺人事件の謎は解けず、死んだはずの男がガソリンスタンドで働いている、自分の妻はブードゥー魔術の本を持っており授業で子供に教えている。何かがおかしい。そのおかしさの正体が掴めない。いらだつ主人公。
 ラストの町の人間が全員ゾンビだったと分かるシーンは実に怖ろしい。それまで普通の隣人だと思って接してきた人間が一人一人ゾンビとして現れる。それまでが淡々と物語が進められていただけにその盛り上がりときたら心底ぞっとする。
 町の人々がカメラを片手に町を通りかかったよそ者をよってたかって惨殺してしまうシーンも怖ろしい。彼らはそうして仲間を増やしていくのだ。
 オチは実に秀逸で、現在では似たような作品が乱作されているので予想できてしまうかもしれないが、当時はこのオチは読めなかったろう。読めたとしても充分に衝撃的である。
 人肉食いのゾンビ映画を求める人にはショッキングなゴアシーン部分で物足りないかもしれないが、従来のゾンビ映画の常識を覆す異色作で紛れもなく傑作である。監督のゲイリー・A・シャーマン(『WANTED/ウォンテッド』(1986)など)の演出も静かでその静けさがラストの衝撃を盛り上げる。

B002PF324O.jpg『3時10分、決断のとき』(2007) 3:10 TO YUMA 122分 アメリカ LIONSGATE

監督:ジェームズ・マンゴールド 製作:キャシー・コンラッド 製作総指揮:スチュアート・ベッサー、ライアン・カヴァノー、リンウッド・スピンクス 原作:エルモア・レナード 脚本:ハルステッド・ウェルズ、マイケル・ブラント、デレク・ハース 撮影:フェドン・パパマイケル プロダクションデザイン:アンドリュー・メンジース 美術:グレゴリー・A・ベリー 衣装デザイン:アリアンヌ・フィリップス 編集:マイケル・マカスカー 音楽:マルコ・ベルトラミ 舞台装置:ジェイ・R・ハート
 出演:ラッセル・クロウ、クリスチャン・ベイル、ローガン・ラーマン、ベン・フォスター、ピーター・フォンダ、ヴィネッサ・ショウ、アラン・テュディック、グレッチェン・モル、ダラス・ロバーツ、レニー・ロフティン、ルース・レインズ、ケヴィン・デュランド、ベン・ペトリー、リオ・アレクサンダー、ジョニー・ホイットワース、ルーク・ウィルソン

 いやー面白かった。やっぱ西部劇はいい。
 駅馬車強盗にインディアンとの戦い、ラストは800メートルに渡っての銃撃戦。もうお腹満腹である。
 主人公のダン(クリスチャン・ベイル)は借金を抱えた貧乏牧場主。そのダンが強盗団のボスであるベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)を200ドルで護送する仕事を引き受ける。そこもこれも借金のためである。やはり借金は怖いのだ。
 任務の目的はベンを3時10分発ユマ行きの列車の囚人用車両に乗せる事。ピンカートン探偵社の賞金稼ぎなどのチームでベンを送り届けるのだが、ベンの部下たちが追ってくる。果たして列車に間に合うのか。
 3時の鐘が鳴り、街にはベンの部下たちが待ち構えている。仲間たちはほとんど殺されてしまった。立てこもったホテルで一人きりになったダンはこのままベンを引き渡すか、それとも最後まで任務をやり遂げるかを考え、そして決断する。ここまで来たら最後までやるしかない。
 家を抜け出して付いてきた長男に大事に持っていたメダルを渡すが、あれは名誉の負傷をした兵士に贈られるパープルハート勲章なのだろうか。ダンは南北戦争に従軍し、戦争中に負傷して片足のくるぶしから先を欠損しているのだ。
 そのホテルから駅までの800メートルに渡る銃撃戦は一大迫力。一発一発がズシンと腹に来る。路地を走ったり匍匐前進をしたり、屋根を走って飛び降りたりと工夫が凝らされている。そうしてなんとか駅までたどりつくが汽車は遅れていてまだ着いていない。
 籠城戦になりその中でダンが自分が牧場に固執するのは頑固だからではなく、次男が結核のため乾いた土地から離れられないと打ち明け、それに対してベンは「俺はこれまでに2度ユマの刑務所に入って2度とも脱獄した」、つまり今回捕まってもどうせ脱獄するから気にするなと男の会話をする。この二人の関係は"奇妙な友情"などといった安易な言葉では表現できない。
 そこでようやく汽車が到着。ベンを囚人用車両に乗せてこれで一安心と思いきや悲しい結末。しかし、ダンの強い意志は長男のウィリアムに受け継がれた。
 そして汽車はベンを乗せて発車するが、ベンが自分の馬を口笛で呼び寄せたところを見るにすぐにでも脱獄するつもりだろう。ベンとしてはダンの面目は十二分に立たせてやった。だからといって裁判にかけられて絞首刑になる気はないといったところだろうか。
 それにしても、ボスであるベンを助けに来たのに、逆にベンによって撃ち殺されてしまう腹心の部下チャーリー他は哀れである。観客には爽快感を与えてくれるが、理不尽な扱いだ。「なにするんですかボス」って感じだろう。
 クリスチャン・ベイルがまたもや主役なのに影が薄い。完全にラッセル・クロウに食われてしまっている。ラッセル・クロウがまた久々と言ってもいい完璧な演技をする物だからますます分が悪い。
 賞金稼ぎ役でピーター・フォンダが出演しているのが嬉しい。なかなか味のあるキャラクターなのだが、早々と退場してしまったのが残念だ。
 白い革のコートを着たチャーリーは面白いキャラクターだ。残忍で腕が立つ。そのくせボスには忠実。演じたのはベン・フォスターという俳優。『X-MEN:ファイナル ディシジョン』(2006)でエンジェルを演じた人だ。これまではTVシリーズでの活動が多かったらしい。名前を覚えておこう。
 監督は"アイデンティティー"などのジェームズ・マンゴールド。なかなか面白い映画を撮る人である。
 原作は人気作家のエルモア・レナードの西部劇小説。1957年にも『決断の時3時10分』の邦題で映画化されている。今回の再映画化については、2007年にアメリカでは公開されていて、日本ではいつ公開されるのだろうかとしびれを切らして待っていたらなんと2年も待たされてしまった。それもかなり小規模公開。今の日本で西部劇に人が入らないのは分かるが、それを入るようにするのが配給会社の役目だろう。日本での公開が遅れたり公開されずにビデオダイレクトだったりする作品も多い。もちろん公開されずDVD化もされない作品もある。公開されただけマシとするか。

B000FJGUOQ.jpg『底抜けいいカモ』(1964) THE PATSY 101分 アメリカ 

監督:ジェリー・ルイス 製作:アーネスト・D・グラックスマン 脚本:ジェリー・ルイス、ビル・リッチモンド 撮影:ウォーレス・ケリー 音楽:デヴィッド・ラクシン
出演:ジェリー・ルイス、ピーター・ローレ、アイナ・バリン、エヴェレット・スローン、キーナン・ウィン、ジョン・キャラダイン、ニール・ハミルトン、ナンシー・カルプ、ジャック・アルバートソン、ジョージ・ラフト、エド・サリバン

 オープニングでいきなりジャンボジェット機が墜落する。その中に人気コメディアンが乗っていた。取り巻きのギャグ作家などの6人は今後の生活を考えて新しいスターを探す事にする。その部屋へやって来たのがホテルのボーイのスタンリー(ジェリー・ルイス)。彼のドジからくるあまりにも可笑しい行動を見た彼らはスタンリーと喜劇役者の契約をして一から育て上げる事にした。しかし、しょせんは単なるドジな男のスタンリーは舞台などで次第にボロを出してくる。かの有名な『エド・サリバンショー』出演の直前にスタッフは全員逃げ出してしまう。彼の事を思っているのは美人秘書だけ。さて、スタンリーはどうするのか?

 ジェリー・ルイス特集も日本で発売されているDVDがこれで最後なので終わりである。
 散々文句を言ったジェリー・ルイスだが、何作も続けて観るとこれでいいのかなとも思ってしまう。
 相変わらずぬるいギャグだし、笑えないのだが、そこが逆に笑えてしまう。
 アンティーク趣味の声楽家の家にスタンリーがレッスンに行ったシーンでは、どうせスタンリーが花瓶やら何やらを落として壊すのだろうなと思ったら、今回は寸前で拾い上げるという芸当を見せてくれた。これだ、これなんだよオレが観たかったのは。コメディアンならではの運動神経をジェリー・ルイスが見せてくれたのが嬉しい。そして最後には声楽家の大きな悲鳴で全て砕け散るというオチが良い。
 美人秘書とのロマンス話もきっちり決まっていて、映画は上手く着地する。
 そして、これは映画の撮影なんだよと、舞台裏を映して終わる楽屋オチっぽっさ。
 ジョン・キャラダインなどの往年の映画スターの起用や、一瞬だけ登場するジョージ・ラフトなどクラッシック映画ファンには嬉しいシーンも多い。
 いきなりのプライベート飛行機ではなくジャンボジェット機の墜落にはさすがに驚いてしまった。有名コメディアンだけじゃなくて何百人死んでるというのだろうか。それについて何も触れられていないという残酷さ。
 ジェリー・ルイスの変な顔と変な行動に頼ったギャグの数々はやはり今となっては笑えない。当時は笑えたんだろうか。年に2本は撮っていた"底抜け"シリーズもこの辺りから一気に失速してジェリー・ルイスは"消えたコメディアン"になってしまうので観客のウケもあまり良くなかったに違いない。
 ダンスシーンや演奏シーンは豪華だが、それが作品に活かされていないのは致命的だ。
 かの有名な『エド・サリバンショー』を起死回生のチャンスに使うのは面白いアイディアだが、映画でテレビ番組をネタに使う時点でこのころの映画の状況が分かる。ショーの司会はもちろんエド・サリバン本人が演じている。

B000B84N04.jpg『底抜け大学教授』(1962) THE NUTTY PROFESSOR 97分

監督:ジェリー・ルイス 製作:アーネスト・D・グラックスマン 脚本:ジェリー・ルイス、ビル・リッチモンド 撮影:W・ウォーレス・ケリー 音楽:ウォルター・シャーフ
出演:ジェリー・ルイス、ステラ・スティーヴンス、デル・ムーア、キャスリーン・フリーマン、メッド・フローリイ、スキップ・ウォード、ノーマン・アルデン、ハワード・モリス

 眼鏡で猫背で出っ歯。ちんちくりんな面相の大学化学教授が心機一転してスポーツジムで身体を鍛えようとするが、バーベルで腕が床まで伸びてしまうわと散々な目に。
 ここは一つお得意の化学でなんとかならないかと不眠不休で怪しげな薬品を作り上げる。一息にその薬を飲み干すジェリー・ルイス。途端に床に倒れ身体は奇妙にねじ曲がり獣のような剛毛まで生えてくる。これからいったいどうなってしまうのか?
 そしてカメラはジェリー・ルイスの視点になって夜の繁華街に出る。彼を見ては驚く街の人々。ジェリー・ルイスは怪物になってしまったのだろうか。ところが・・・

 この作品はジェリー・ルイス版『ジキル博士とハイド氏』なのは間違いがない。
 醜くて小心者の自分と、格好良く自信満々な自分。その二面性の間で芽生えた愛を手にするのは果たして誰なのだろうか。
 そして、間抜け面をせず真面目な顔をしたジェリー・ルイスが割と格好いいのも間違いがない。現役の俳優で言うとジム・キャリーが近いだろうか?『キング・オブ・コメディ』で大物コメディアンとしてシリアス演技を見せてくれたがなかなか迫力があった。
 エディ・マーフィーの『クランプ教授』シリーズとしてリメイクされているが、こちらでは極度の肥満症を痩身にして、さらに過剰な自信を与えてくれるという設定だった。ジェリー・ルイスは腎臓だかの病気で薬の副作用のためかつての面影がない肥満体になってしまった。『クランプ教授』の製作にはジェリー・ルイスもかんでいるから、自らの体験をネタにしたのかも知れない。

 ジェリー・ルイスは主演だけではなく、監督と脚本も担当している。多芸な人だ。

B000FJGUNC.jpg『底抜けもててもてて』(1961) THE LADIES' MEN 106分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES

監督:ジェリー・ルイス 製作:ジェリー・ルイス 脚本:ジェリー・ルイス、ビル・リッチマン 撮影:W・ウォーレス・ケリー 音楽:ウォルター・シャーフ
出演:ジェリー・ルイス、ヘレン・トローベル、パット・スタンリー、キャスリーン・フリーマン、ホープ・ホリデイ、ジャック・クラスチェン、ドゥードゥレス・ウィーヴァー、ジョージ・ラフト

 "もててもてて"というタイトルだがジェリー・ルイスがもてまくるという話ではない。それどころか女性不信の女性恐怖症なのだ。

 田舎町の短大を卒業したハーバード(ジェリー・ルイス)は初恋の人に結婚を申し込もうとするが彼女にはすでに深い仲の恋人がいた。
 傷心の彼はすっかり女性不信になり、街を出てハリウッドへと向かう。ところが就職先を探すが出てくる相手は若い女性ばかり。思わず逃げ出すハーバードだった。
 独身男性募集の看板を見てそこに就職するが、実はそこはハリウッドの芸能界で成功を目指す若い女性のための女子寮だった。彼は何度も逃げだそうとするが、その度に用事を頼まれてしまい、頼まれると嫌と言えない性格のためそこで働き続けた。
 ジェリー・ルイスのことだからハタキをかけていれば花瓶を割ってしまい、来客男性の帽子を尻に敷いてペッチャンコにしてしまうドジっぷりを発揮する。それなのに何故か経営者の元オペラ歌手の女主人には気に入られて追い出される事もない。というかジェリー・ルイスのドジで職場を追い出されたら映画にならない。
 女性不信のハーバードは若い女性ばかりの女子寮で無事に仕事を勤める事が出来るのだろうか?

 3階もある女子寮を正面から中が見渡せるように作られたセットが豪華で出来が良い。1階から3階までジェリー・ルイスが1カットで走り回るギャグが何度か使われる。
 ジェリー・ルイスの芸風はおかしな顔でヘンテコな事をやるといったスタイルで、現在で言えばちょっと前のジム・キャリーに近い。素顔は二枚目というところも同じだ。『ジム・キャリーはMr.ダマー』は公開時に観たきりだがあのジム・キャリーはとんだバカ野郎で変な顔をする辺りジェリー・ルイスに一番近い作品だった。
 この作品で惜しいのは、女性不信で女性恐怖症の男が若い女性ばかりの女子寮の下男になってしまうということなのに、それがギャグにほとんど活かされていない点だ。女性不信なのは冒頭だけで、後は普通に女性たちと接している。これでは設定の意味がないではないか。女性とジェリー・ルイスを絡めたギャグをもっとふんだんに盛り込めるはずなのにもったいない。
 監督はジェリー・ルイス本人が務めているが、この人の作風はピリッとしたところがなくて正直言って腑抜けな感じである。個人的には好みではない。笑いに対するどん欲さが欠けているのではないだろうか。こんなもんでいいだろう、観客は笑って満足してくれるだろうと言った雰囲気が映画から感じられる。
 標本の蝶のガラスケースを開けたら蝶が生き返って飛んで逃げてしまったり、うなり声を上げてボウル一杯のミルクを飲み、牛の足一本を食べ尽くす謎のペット"ベビー"の正体が実はビーグル犬だったり、ラストはベビーかと思ったら本物の雄のライオンがジェリー・ルイスの目の前を横切っていくなどのナンセンスギャグがほんの少しだけ混ざっている。
『底抜け便利屋小僧』の時にも書いたが、中途半端な印象だ。ナンセンスギャグをやるならちゃんとやる。やらないならやらないではっきりしてもらいたいものだ。
 途中でロマンス物になる雰囲気を漂わせるのだが、何故かそうならないまま映画は終わる。
 特別出演でギャング映画などで有名なジョージ・ラフトが本人役で登場する。『暗黒街の顔役』ファンなどにはジョージ・ラフトの姿を観るチャンスである。

B000FJGUZK.jpg『底抜け便利屋小僧』(1961) THE ERRAND BOY 92分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES

監督:ジェリー・ルイス 製作:アーネスト・D・グラックスマン 脚本:ジェリー・ルイス、ビル・リッチモンド 撮影:W・ウォーレス・ケリー 音楽:ウォルター・シャーフ、ルー・Y・ブラウン、ビル・リッチモンド、ジェリー・ルイス
出演:ジェリー・ルイス、ブライアン・ドンレヴィ、ハワード・マクネア、シグ・ルーマン、フリッツ・フェルド、アイリス・エイドリアン、キャスリーン・フリーマン、ドゥードゥレス・ウィーヴァー、ケネス・マクドナルド

 パラミューチュアル映画社という架空の映画会社が舞台。この会社は興行成績は上がっているのに業績は落ちているという状態に陥っていた。どうやらスタジオ内で無駄な浪費やひょっとしたら着服している人間がいるのかも知れない。そこで誰にも知られておらず誰にも気にされない人間として下働きのモーティー(ジェリー・ルイス)をよりにもよってスタジオ内のスパイ役に選んでしまう。
 スタジオの何でも屋部門に配属されたモーティーはスパイどころか持ち前のドジさであちらこちらで騒動を起こして回るのだった。

 モーティーの何でも屋は日本のテレビ局で言えばADだろうか。とにかく何でもやらされる。荷物の配達から衣装の手配そのたもろもろ。そんな仕事だからスタジオ中を飛び回り、西部劇やドラマの撮影現場に入り込んでは、映画の撮影をハチャメチャにしてしまう。
 ギャグの数はそれなりにあるがあまり笑えない物が多い。モーティーの上司がドアをバタンと音を立てて閉められるのが嫌いで、モーティーもそれを散々注意されて部屋から出て行くのだがやはりバタンとやってしまったり、満員のエレベーターで風船ガムを膨らませている女性と向かい合わせに乗り合わせてしまって、女性のガムが割れて顔がガムの破片まみれになったりとかその程度のギャグだ。
 ともあれこれらのギャグは実際に起こり得ることではある。ところがいくつか物理的に不可能なギャグがある。
 一つは会社の重役である老婦人を車に乗せて病院に送ってから洗車するところを、老婦人を乗せたままコンバーチブルの先に自動洗車機で洗車してしまう。当然、老婦人は水浸し。慌ててドアを開けると車内から際限なく水が溢れ出てくる。際限なく水が出てくるは物理的にあり得ない。
 二つ目は給水器で水を飲もうとボタンを押すと、給水器の上のボトルが一瞬で空になってしまう。水が漏れているのではない限り、そんなことは起こらない。
 三つ目はプールで溺れたモーティーがスタジオ内病院から出てくると、水で身体がまるでお相撲さんのようにタップンタップンになっていること。人体の構造から言ってそんなことはありえない。
 こういったナンセンスギャグがいけないというのではない。むしろ好きだ。しかし、92分の映画の中で3つだけという配分の仕方が納得いかない。ナンセンスギャグを入れるのならばもっと多くすべきだろう。でなければバランスが悪く、突然出てきたナンセンスギャグで笑う事が出来ない。
 コメディ映画で、いやギャグを主体にしたギャグ映画ではギャグの配分の仕方はとても重要であるように思う。『フライング・ハイ』や『トップ・シークレット』の頃のZAZのようなギャグのつるべ打ちといった方法もあれば、緩急を付けてストーリーに合わせてギャグを挟んでいく方法もある。この作品の場合、ギャグに対するこだわりが感じられないのだ。質か量かせめてどちらかが欲しかった。もちろん欲を言えば両方だが。
 ラストには映画監督たちにモーティーの立ち振る舞いのコメディアン振りを認められて、大物コメディアンになってしまうラストは手前味噌な感じでサクセスストーリーなのだがちょっと後味が悪かった。コメディアン主役のコメディ映画で主人公が最後にコメディアンとして大成してしまうってどうなのよ。
 とちゅうでモーティーが人形置き場で手袋人形とダチョウの操り人形との触れ合いのシーンがあるが、この人形を誰かが操っているのか、それとも一種のファンタジーで誰もいなくて人形が勝手に動いているかは不明のまま。詩的で良いシーンなのだが作品全体のストーリー展開を考えると不向きなシーンであった。ここでテンポが狂ってしまい取り戻すのにちょっとかかる。

 途中でモーティーが仕事場でSONYのトランジスタラジオを聴くシーンがある。(SONYのロゴもしっかり見える)当然、上司や同僚から白い目を向けられるのだがこのラジオ、スイッチを切ろうが電池を抜こうがかまわずに鳴り続けている。始末に困ったモーティーは机や床に叩き付けてもそれでも止まらない。ソニータイマーという言葉があるが、昔のソニー製品は丈夫だったんだなあと。電池が鳴るなんてエコだゲルマニウムラジオだ。

B000FJGUZA.jpg『底抜けシンデレラ野郎』(1960) CINDERFELLA 91分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES

監督:フランク・タシュリン 製作:ジェリー・ルイス 原作:フランク・タシュリン 脚本:フランク・タシュリン 撮影:ハスケル・ボッグス 音楽:ウォルター・シャーフ
出演:ジェリー・ルイス、エド・ウィン、ジュディス・アンダーソン、アンナ・マリア・アルバーゲッティ、ヘンリー・シルヴァ、カウント・ベイシー

 フェラ(ジェリー・ルイス)は幼い頃に大富豪の父親が死に継母の元で育てられた。主人公の名前がちょっと卑猥な気がするが気にしない気にしない。
 そして青年になった彼は継母や二人の義兄にこき使われる毎日。そんなある日の事、ヨーロッパからチャーミング王女がやってくる。なんでも花婿捜しがその旅の目的だとか。
 継母主宰で舞踏会が開かれるが、フェラは自宅でボイラー炊き。そこへ名付け親の妖精がやってきてフェラをロマンスグレーの二枚目に変身させてくれる。
 そして舞踏会に乗り込んだフェラはチャーミング王女の心を捉え、一緒に踊るが12時の鐘と共に魔法が解けるからと慌てて帰ってしまう。ただ、一つ紳士靴を残して。

 読んで分かる通り、シンデレラの男性版である。基本的な発想は悪くないと思うのだが、ギャグが決まらずどうにもキツい。ジェリー・ルイスお馴染みの間抜けギャグなのだが、ギャグの質が悪くあまり笑えない。
 例えば、一家が食事をしているシーンがあるが、長ーいテーブルの隅っこにフェラがいてその反対側に残りの三人が座っている。三人は用事があるごとにフェラを呼び、フェラは用事を聞きに来てはそれが給仕の仕事だと分かると延々と長いテーブル脇を走って自分の席に戻り給仕服に着替えるとまた延々と走って用事を済ませ、そして延々と走って自分の席に戻る。このギャグが何度も繰り返されるが正直言って笑えない。
 全体的にギャグはこのレベルでしかない。これはやっぱりキツい。
 フェラがチャーミング王女に見初められるのも舞踏会で踊る事だけで、これも映画のストーリーとしては弱い。チャーミング王女が継母宅に来ているシーンがあるので、ここで一度二人を引き合わせておいて、ラストの伏線を張るべきだったのではないだろうか。
 チャーミング王女が素の間抜けに戻ったフェラに「舞踏会の人はあなたなんでしょう」と差し出すのが紳士靴というのは笑ってしまった。ロマンチックの欠片もない。この笑いは狙ったものだろうかどうだろうか。
 ところどころでジェリー・ルイスが歌う。どうやら軽いミュージカル仕立てにしたかったようだ。ジェリー・ルイスの歌は意外に上手くその点では成功している。
 ラストでは舞踏会で財産を使い果たして一文無しになった継母が突然いい人に目覚めるなど人物の行動に一貫性がない。最後まで金銭欲に取り憑かれた義兄たちの方が正直だ。 間抜けなジェリー・ルイスと格好の良いジェリー・ルイスが出てくるという意味では傑作『底抜け大学教授』の原点なのかも知れない。そう考えると、それだけでも意味はある。
 舞踏会のシーンでは著名なジャズプレイヤーであるカウント・ベイシーがバンドリーダーとして登場しピアノも弾くのでジャズファンには見所かも知れない。

B000FJGUZ0.jpg『底抜けてんやわんや』(1960) THE BELLBOY 72分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES

監督:ジェリー・ルイス 製作:ジェリー・ルイス 脚本:ジェリー・ルイス 撮影:ハスケル・ボッグス 音楽:ウォルター・シャーフ
出演:ジェリー・ルイス(二役)、アレックス・ゲリー、ボブ・クレイトン、ソニー・サンズ

 ジェリー・ルイスが主演だけでなく監督・脚本もこなした俺映画。
 これがサイレント時代のドタバタコメディへの愛を感じる映画なんだ。

 舞台はマイアミビーチのとある豪華ホテル。ジェリー・ルイス演ずるスタンリーはホテルの一言も喋らないベルボーイ。これがジェリー・ルイスのこととんだドジ野郎で失敗ばかりしているのはお約束。よく首にならないものだが、そこはそれコメディ映画。
 ダイエットのためにホテルに滞在した肥満の女性が見事ダイエットに成功してスリムな美人になった。ホテルを立つ彼女にスタンリーはチョコの差し入れをした。そのチョコを食べ終わった時、女性は元の肥満体に戻っていた。
 ホテルに芸能人がやってきた。来たのはなんと映画スターの"ジェリー・ルイス"。ここでジェリー・ルイスは本人役とスタンリー役の二役を演じているわけだが、この二役はあまりギャグとして成功していない。取りあえず、ジェリー・ルイスが到着した車の後部座席から人が降りてくる。降りてくる。降りてくる。どんどんどんどん際限なく降りてくる。画面に映っていない反対側のドアから新しい人が乗り込んでいるだけだが効果的なギャグだ。こういうギャグ大好き。
 他にはベルボーイチーフに席をちょっとの間任されて、4つあるどの電話が鳴っているか分からなくてデスクの上がメチャクチャになってしまう。
 大きなホールに一人でイスを並べるように命令されて、同僚が苦労してるだろうからからかいに行こうぜと行ってみるとあっと言う間にイスは並べ終えていたなどナンセンスなギャグがてんこ盛りだ。
 スタンリーが犬を何十匹も同時に散歩させてついには前頭逃がしてしまうシーンがあるが、これは後の休日のスタンリーと同僚たちがドッグレースにやって来て、スタンリーが行方不明になったかと思うと第一レースは中止。スタンリーがドッグレースの犬を散歩に連れて行ってしまったのだ。
 ついにはジャンボジェットの操縦までやる有能なのか無能なのかよく分からないベルボーイ・スタンリー。

 ストーリーはなく、短編のエピソードの集まりで映画は構成されている。最初に言ったようにサイレントコメディを強く意識したものと思われる。
 ギャグは映像的な物が中心でセリフによるものが少ない。そのためにスタンリーを喋らないキャラクターにしたんだろう。だがスタンリーは喋れないわけではない。ラストで従業員ストの主導者と勘違いされ支配人に「まただんまりか」と詰め寄られると「いや僕だって人並みに話す事が出来ますよ」と喋る。ではなぜ今まで喋らなかったのかと聞かれると「だって聞かれなかったから」。よくあるギャグだがウケた。

 ホテルでモデルの大会があって、モデルが集まっている部屋に荷物を運び込んだスタンリーが下着姿など半裸のモデルに驚いてカメラのレンズを手の平で隠して見えなくしてしまうギャグがある。
 後半、ベルボーイたちがストリップ小屋に行ったシーンで「いよいよ○○嬢の登場です」で美人が出てきたところで画面がストップモーションになって、「検閲によりこのシーン削除」のクレジットが出て次のシーンに行ってしまう。
 この二つのギャグは本質的に同じであって、どちらか一つだけで良かったのではないだろうか。それともお色気シーンになりかかるとストップしてしまうというギャグなのだろうか。だったらどちらもスタンリーの手の平にするか、「検閲によりこのシーン削除」に統一すべきだろう。

 ジェリー・ルイスが本人役で登場するシーンは当然シリアス演技なわけだが、馬鹿面をしていないジェリー・ルイスはどこかでみたことあるなあと思ったらジョン・トラヴォルタに似ている。アゴの割れ方具合なんてそっくりだ。

B001P3PP0G.jpg『スター・トレック』(2009) STAR TREK 126分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES、SPYGLASS ENTERTAINMENT、BAD ROBOT

監督:J・J・エイブラムス 製作:レナード・ニモイ、J・J・エイブラムス、デイモン・リンデロフ 製作総指揮:ブライアン・バーク、ジェフリー・チャーノフ、ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン 原作:ジーン・ロッデンベリー 脚本:ロベルト・オーチー、アレックス・カーツマン 撮影:ダン・ミンデル 視覚効果スーパーバイザー:ロジャー・ガイエット プロダクションデザイン:スコット・チャンブリス 衣装デザイン:マイケル・カプラン 編集:メリアン・ブランドン、メアリー・ジョー・マーキー 音楽:マイケル・ジアッキノ 
出演:クリス・パイン、ザカリー・クイント、エリック・バナ、ウィノナ・ライダー、ゾーイ・サルダナ、カール・アーバン、ブルース・グリーンウッド、ジョン・チョー、サイモン・ペッグ、アントン・イェルチン、ベン・クロス、レナード・ニモイ、クリス・ヘムズワース、ジェニファー・モリソン、ジミー・ベネット、ヤコブ・コーガン
 
 TVシリーズ『宇宙大作戦』の多少前、カークがUSSエンタープライズの船長になり、ミスター・スポックと奇妙な友情で結ばれるまでを描いた物語。
 それにしてもDVDのパッケージ怖いなー。劇場公開時のポスターもこれだったんだろうか?

 とりあえず、バルカン星が破壊されちゃってるけど、これっていいんだろうか?
 そのそもタイムトラベルが関わっている物語なので、一種のタイムパラドックスという事にしておこう。
 中学生の頃、深夜に『宇宙大作戦』が放映されていて、親に怒られながらこっそり観ていた自分にとっては嬉しい作品である。スールー(ミスター・カトー)の特技がちゃんとフェンシングだったり(『宇宙大作戦』シーズン1の『魔の宇宙病』参照)、バルカン掴みや「長寿と繁栄を」のバルカンサインなどお馴染みの設定が登場する。
 ただし、監督のJ・J・エイブラムスは『スター・トレック』のファンではなく特に思い入れもないらしい。そんなだからバルカン星を破壊する事が出来たのかも知れない。

 カーク役のクリス・パインはちょっとスマートすぎる印象を受ける。もっと考えなしに直感で行動するのがカーク船長ではないだろうか。外見は合っている。カーク船長が若かりし日はこんな感じだっただろうと思わせてくれる。
 スポック役のザカリー・クイントはナイスキャスティング。ちょっと感情に走りすぎるところがあるが若き日のスポックはまだ自分の感情を律し切れていなかったのだろう。母親が地球人なだけに純粋なバルカン人ほど冷静沈着ではないのだ。ウフーラとの恋愛話はちょっと余分。その後の事を考えるとそんなことがあるはずがない。
 ドクター・マッコイはその後のTVシリーズでの年齢から考えるとちょっと若すぎ。しかし、20代を中心のメンバーの娯楽作にしたかったのだろう。
 逆恨みの敵役エリック・バナは素顔がほとんど分からない。もったいない話である。
『宇宙大作戦』では日系人のジョージ・タケイが演じたスールーだが、今回は韓国人の俳優に持って行かれてしまった。日本人としては残念。でもスールーは日本人の血も混ざっているが、フィリピンなどアジアの多くの血が混ざっているという設定なので韓国人俳優でも良しとしよう。本当はここでちゃんと英語がしゃべれる日本人俳優がいればキャスティングされる可能性もあるのだが、そういう俳優がいないか少ないのであろう。
 ブリッジにアメリカ系からロシア系、アフリカ系まで各種人種が揃っているのが差別のなくなった未来社会の『スター・トレック』の特徴だ。

『宇宙大作戦』を観ていない人にも充分楽しめる内容になっている。知っていればさらに楽しめる。宇宙船での戦いや、氷の惑星でのモンスターとの追いかけっこなど、飽きさせる暇がない。パラシュートで無理して突っ込んでいったあげく死んでしまった男は馬鹿だが。
 最近では珍しいスペースオペラで、宇宙物が流行った80年代に青春を送った者としては懐かしさで嬉しくなってしまう。シールド全開、魚雷発射、フェザー発射。ワープ最大速度!
 2時間を超える長さを感じさせない次から次へと事件が起こる見事な娯楽作に仕上がっている。
 最後の敵の倒し方はあまり後味がいいものではないが星を一つ消し去った連中だからと納得させる。
 ラストには『宇宙それは人類に残された最後の開拓地である......』のセリフが流れ、オリジナルを思わせる嬉しい終わり方をしてくれる。
 そしてまさかの老人になったスポック役としてオリジナルのレナード・ニモイのゲスト出演。さすがに年を取ったね。でもまだ元気そうで何より。これまた嬉しい。
 ただ老スポックとの出会いがあまりにもご都合主義的すぎるとは思うが、それもまた娯楽映画ならではだ。
 アメリカでは大ヒットしたそうなので続編が作られる可能性は高い。今から期待大である。

B002MTS40A.jpg『サスペクト・ゼロ』(2004) SUSPECT ZERO 99分 アメリカ

監督:E・エリアス・マーヒッジ 製作:ゲイ・ヒルシュ、E・エリアス・マーヒッジ、ポーラ・ワグナー 製作総指揮:モリッツ・ボーマン、ガイ・イースト、ゲイリー・ルチェッシ、トム・ローゼンバーグ、ジョナサン・サンガー、ナイジェル・シンクレア 原案:ザック・ペン 脚本:ザック・ペン、ビリー・レイ 撮影:マイケル・チャップマン 音楽:クリント・マンセル
出演:アーロン・エッカート、ベン・キングズレー、キャリー=アン・モス、ハリー・レニックス、ケヴィン・チャンバーリン、ウィリアム・メイポーザー、フランク・コリソン、ニコール・デハッフ

"サスペクト・ゼロ"とは特定の犯行手口やパターンがなく、捜査線上に決して浮かび上がらない、犯罪者。殺意だけで無差別殺人を繰り返す、プロファイリング不可能な殺人犯を意味する。んだそうである。

 捜査上でヘマをしたためにダラスからアルバカーキへ左遷されたFBI捜査官マッケルウェイ(アーロン・エッカート)の元に謎のFAXが送られてくる。多数の行方不明者のリストと謎のメッセージに導かれるように、マッケルウェイは行方不明者の捜索に当たるようになる。ダラスから応援で駆けつけたかつての恋人フラン(キャリー=アン・モス)と共に捜査に挑むマッケイウェイの前に、謎の人物ベンジャミン・オライアン(ベン・キングズレー)の影が浮かび上がる。

 とりあえずアーロン・エッカートのアゴはいつものごとく割れている。アゴの割れているいないは獲得形質であって遺伝形質ではないというのは本当だろうか。つまりアゴの割れている親から生まれたからアゴが割れているというわけではなく食生活で固い物をたくさん噛むなどしてアゴの筋肉が発達して結果として割れるというわけだ。あなたにも幼いお子さんがいたらクルミとか麦など固い物を存分に食べさせてLet'sアーロン・エッカートだ。
 無意味に映像が凝っていて、天地が逆になったカットとか、微妙に斜めになったカット、役者の顔のアップなどが印象に残る。撮影は『タクシードライバー』(1976)などのマイケル・チャップマン。
 とにかく遠隔透視とか言って千里眼+テレパシーのような能力を持った登場人物が登場するのはサスペンス映画として犯則であろう。それができたら犯人なんか思うがままに見つけられてしまう。
 しかし、その能力者がFBIを追われて、自らの能力にも悩まされながら生きているというところに面白みがある。
 最初にその人物は2人の人物を殺すが、実は二人とも連続殺人鬼。その人物は連続殺人鬼を殺す事で殺人を止めたのだ。だが、司法の場ではそれは通用せず単なる殺人鬼扱いされてしまう。当然と言えば当然だが、超能力者の悲哀である。
 もしも人類を滅ぼす核戦争を引き起こす人物をプレコグニション(予知能力)で当てたとしてその人物を殺したら殺人鬼かというのがスティーヴン・キングの『デッド・ゾーン』(1983)だが、それに近い物を感じるのはオレだけだろうか。

 その人物を演じるのはオスカー俳優のベン・キングスレー。この人も老けない人だ。深く入り込んだ芝居をしていて熱演である。自らの能力に振り回されて、行方不明者の顔が夢に浮かび夜も眠れず、アーロン・エッカートに「頼むから殺してくれ」と哀願するもの悲しさ。
 ソ連のKGBが超能力の研究をしていたのは周知の事実だし、CIAもそれに影響されて行っていたという。だったらFBIで超能力による犯罪捜査の研究をしていてもおかしくないという理屈なのだろう。まるで『X-FILES』だな。フォックス・モルダーが知ったら喜びそうだ。「君はそう言うがねスカリー、これはFBIで実際に行われた実験なんだ」とか。
 アーロン・エッカート自身もベン・キングスレーに似た資質を持っていて、だからこそ彼に事件を託したのだろう。
 犯人はバファロービルなどと比べるとはるかにしょぼいが、犯人当て映画じゃないのでそれは大きな問題にはならないだろう。もちろん、真犯人が魅力的で、最後の対決が盛り上がれば言う事なしではあるのだけれど。演出がしょぼいというのはあるな確かに。

 オープニングで牛乳パックに行方不明者の広告じゃないか、広報が掲載されているのが映るが、アメリカでは実際にそういう商品が売られているらしい。朝食でシリアルに牛乳をかけようと思ったら行方不明者の広報......アメリカ人の朝食は重すぎる。
 そのぐらい行方不明者が身近ということでもある。そんなもの身近であってはこまるのだが、それがかの国の現状。子供からティーンエイジャーを始めとして大人まで幅広い年齢の人が行方不明になっている。その中には、家出人で都会に出て暮らしているとか、世捨て人になってしまったとか、単に今の生活が嫌で失踪してしまった人もいるだろう。だが、大部分が犯罪に、例えば児童ポルノなどに巻き込まれてしまって命を落としているのだろう。そんな国だからこのような物語もリアリティを持つ。
 日本も年間10万人以上の行方不明者が警察が受理した分だけでもいて、その8割が女性で内4割近くが13歳未満だという。警察が事件性がないとして受理しない分を含めるといくらになるか想像も付かない。日本の牛乳パックに行方不明者の広報が載るのもそう先の話ではないのかも知れない。

キャリー=アン・モス"トリニティ"が『マトリックス リローデッド』から1年で一気に老けて(それまでもやばかったが)オバさんになっていたのには驚いた。でもこの人1967年生まれなのね。そりゃオバサンだわ。

B002JPC8HC.jpg『サスペリアPART2』(1975) PROFONDO ROSSO 106分(劇場公開版)/ 126分(完全版) イタリア

監督:ダリオ・アルジェント 製作:クラウディオ・アルジェント 製作総指揮:サルヴァトーレ・アルジェント 脚本:ダリオ・アルジェント、ベルナルディーノ・ザッポーニ 撮影:ルイジ・クヴェイレル 特殊効果:カルロ・ランバルディ 音楽:ジョルジオ・ガスリーニ、ゴブリン
出演:デヴィッド・ヘミングス、ダリア・ニコロディ、マーシャ・メリル、ガブリエル・ラヴィア、エロス・パーニ、クララ・カラマーイ、ニコレッタ・エルミ、ジュリアーナ・カランドラ

 DVDには106分の劇場公開版と126分の完全版が収録されている。どうせならということで完全版の方を観た。劇場公開版のファンには間延びしている、テンポが悪いという意見もあるようだがさすがに二度観はきついので完全版での感想となる。

 肉切り包丁でテレパシーを得意とする超能力者が殺された。たまたまその現場を目撃した主人公のマークは女性新聞記者のジャンナと共に事件解決にあたる事になる。だが事件は思わぬ方向へと進んでいく。

 冒頭で超能力者というスーパーナチュラル(超自然現象)な要素が出てくるが、それ以降は登場せず、ホラーというよりはスリラー映画となっている。
 黒い革手袋はダリオ・アルジェント映画にとって殺人者の印。しかも今回は殺人者の正体(性別・年齢)を隠す役に立っている。スリラー映画としてはねちっこち殺し方の連続で後のホラー映画のダリオ・アルジェントを意識させる。
 そうそう、『サスペリアPART2』(1975)とはなっているが『サスペリア』(1977)の大ヒットで以前の作品の『PROFONDO ROSSO』に無理矢理『サスペリア』のタイトルを付けただけで両作にはなんら関係がない。
 ダイイングメッセージがまったく意味のない物になっているなどストーリー的には大雑把な感じはあるがラストのトリックのオチには唸らされる。ネックレスで首がチョッキンにも驚かされる。子供の歌が効果的に使われていて、繊細さを感じさせる。
『サスペリア』のような効果的な照明は使われていないが、赤が強調された映像はやはりダリオ・アルジェントだ。
 音楽にはゴブリンが参加しており、ロック調の音楽が使われていて耳に残る。
 犯人の動機がはっきりしないなど弱点もあるが、スリラー映画としては映画史に残るものだろう。

B0002CHNCO.jpg『シャドー』(1982) TENEBRE 101分 イタリア

監督:ダリオ・アルジェント 製作:クラウディオ・アルジェント 脚本:ダリオ・アルジェント、ジョージ・ケンプ 撮影:ルチアーノ・トヴォリ 音楽:クラウディオ・シモネッティ、ファビオ・ピナテッリ
出演:アンソニー・フランシオサ、ダリア・ニコロディ、ジョン・サクソン、ジュリアーノ・ジェンマ、ララ・ウェンデル、ミレッラ・バンティ

 床屋用の剃刀を使った連続猟奇殺人が起こり、その被害者の口にはベストセラー『暗闇』のページが破られて押し込められていた。
 本の宣伝のためにローマを訪れていた著者のピーターは嫌疑をかけられてしまい、自ら疑いを晴らすために真犯人捜しに乗り出す。

 スーパーナチュラルは関係ないサイコスリラーとなっている。推理物の形を取っているが、そこはそれダリオ・アルジェントのこと。ストーリー的にはさほど観るところはない。真犯人が途中で入れ替わるトリックぐらいなものか。
 真犯人が途中で分かるのだが、そこであっさり殺されてしまって新たなる殺人鬼が誕生する。どうということのないトリックだが警察は混乱する。だが観客にとっては謎解きはあまり意味がない。特に終盤はグダグダだし。

 見所はやはり殺害シーン。前半は剃刀を使っての殺人シーンで、黒手袋をはめた犯人が女性の喉笛を掻っ切るといかにも痛そうに皮膚が切れ血が噴き出す。こうして"堕落した"女性たちが次々と殺されていく。犯人は彼女たちに怒りを抱いているらしい。
 後半では犯人が替わり凶器も斧に変わる。ずっしりした斧で骨まで砕くかのように一撃を与える。最初の犯人が剃刀で殺しを楽しんでいたのに対し、こちらの犯人は殺せばいいと一種事務的。中には腕を切断された上に背中に斧を食らう女性もいる。
 ただ、ダリオ・アルジェントとしては残酷描写が控えめな映画である。殺害シーンも短めで、これでもかと見せるところがない。だが、独特の美学を持っており、映像美としての出来は良い。
 レズビアンの女性が住んでいる家で、1階から2階へとカメラが昇っていくシーンなど見所である。独特のカット割りが色々と参考になる。

 ピーターのエーじゃんとしてジョン・サクソンや刑事としてジュリアーノ・ジェンマが出演しており意外な拾い物であった。特にジュリアーノ・ジェンマは嬉しい。
 ラストで犯人も自決してほっとしたところに、そのジュリアーノ・ジェンマが立っており、かがんだところ真後ろに犯人が背後霊のように立っていたというシーンにはドキッとしてしまった。技術的には大したことをやっているわけではないが、効果としては抜群である。

 音楽は例によってゴブリンのメンバーが担当している。ヘビメタ風の音楽が作品を盛り上げる。やはりダリオ・アルジェントの作品は音楽が魅力である。ダリオ・アルジェント作品の音楽を普通の物と入れかえてみたらどうなるんだろうね。

『フェノミナ』ではチンパンジーが人間を襲ったが、『シャドー』ではドーベルマンが少女を襲う。フェンスを乗り越えても跳び越えて追いかけてくる。そして追い詰められたのがなんと真犯人の家。そこで証拠を目撃してしまった少女は哀れにも殺される。他の人間はともかくこの少女だけには同情してしまった。
 こらドーベルマンの飼い主。放し飼いにしないとちゃんと繋いでおかんか。

B002H0PUUG.jpg『サスペリア・テルザ 最後の魔女』(2007) LA TERZA MADRE/MOTHER OF TEARS 98分 イタリア/アメリカ MEDUSA FILM

監督:ダリオ・アルジェント 製作総指揮:クラウディオ・アルジェント、カーク・ダミコ、ジュリア・マルレッタ 原案:ダリオ・アルジェント 脚本:ダリオ・アルジェント、ジェイス・アンダーソン、アダム・ギーラッシュ 撮影:フレデリック・ファサーノ プロダクションデザイン:フランチェスカ・ボッカ、ヴァレンティーナ・フェローニ 衣装デザイン:ルドヴィカ・アマティ 編集:ウォルター・ファサーノ 音楽:クラウディオ・シモネッティ
出演:アーシア・アルジェント、クリスチャン・ソリメノ、アダム・ジェームズ、モラン・アティアス、ヴァレリア・カヴァッリ、フィリップ・ルロワ、ダリア・ニコロディ、コラリーナ・カタルディ・タッソーニ、市川純、ウド・キア

『サスペリア』(1977)、『インフェルノ』(1980)に続くダリオ・アルジェントの魔女三部作完結編。第二作からずいぶん間が開いているがいろいろあったのであろう。

 イタリアのとある墓地で地下から古い柩と遺品入れが発見された。遺品入れはローマの古代美術博物館へ送られ、学芸員のサラたちがそれを開封した。中には彫像が三つと古代文字が記された儀式に使う衣服がしまわれていた。その行為は、長らく眠りについていた三人目の魔女"涙の母"の封印を解き甦らせる事であった。
 ローマの町は"涙の母"の呪いで暴力に溢れ、教会のエクソシストのところには悪魔払いの依頼が殺到するようになった。人々は争い、殺し合い、あるいは自殺をした。町は混乱で満ちあふれた。
 実は霊能力者だった母の血を引いているサラは、その能力を使って"涙の母"を葬り去るべく動き出す。

 主演はダリオ・アルジェントの実の娘アーシア・アルジェント。シャワーシーンでは裸体をさらしてくれるが父親の監督作で脱ぐというのはどんな気持ちなのだろうか。
 前二作であった独特の色調の照明は一部でしか使われておらず、映像的には普通のホラー映画になっている。しかし、腹をかっさばいてこぼれた腸で当人の首を絞めたり、女性の股間に槍を突っ込んで口から穂先を出させるなどダリオ・アルジェントらしい殺し方は健在だ。
 音楽も前二作の印象の強さとはうって変わった平凡さで耳に残らない。期待していただけに残念である。ゴブリンのメンバーが担当したそうだが、それにしてはあまり良くない。
 カット割りや映像の構成はベテラン監督だけに上手くできている。ちょっとした事ですら怖く感じるシーンが多い。"涙の母"の手下の魔女たちが歩いているだけでぞっとすることがある。あのメイクは反則である。手下の魔女の一人は日本人(市川純)なのだがしゃべる言葉がなぜだかカタコトだ。日系人なのか。この人の顔が怖い。だがあっけなくサラにトイレのドアで頭を潰されて死んでしまう。せっかくの日本人なのだからもうちょっと活躍してくれても良かったのに。
 今回の"涙の母"はこれまでの魔女の中で一番若くておっぱいまで出してくれるのだが、呆れるほどに弱い。サラにあっけなく殺されてしまうが、これならば能力者ではない普通の人間でも充分に殺せただろう。能力に目覚めたサラと超能力合戦でもやってくれるかと期待していたのだが、がっかりである。
 殺害シーンは豊富で、首を斬られたり、目を潰されたり色々である。血もたくさん出る。満足である。だが、血の一滴も出ない母親が乳母車の乗せた自分の赤ん坊を橋の上から川へと投げ込むシーンが一番怖かったりする。

 ストーリーはかなり粗かった『インフェルノ』に匹敵する。首尾一貫性など求めてはいけないのだ。サラの行動もかなり謎な部分が多く、何でそこでそうしちゃうの?と思わず問いかけたくなってしまうところもあった。だいたいいきなり実は霊能力者の血筋だったってどうよ。
 警察が容疑者でもないサラを追いかける理由も分からない。それよりも町が大変な状況になっているのだから、そちらの解決に力を注ぐべきだろう。町の混乱がサラのせいだと思っているのか?しかしそんな描写はなかった。
 基本的には幼い頃に両親を交通事故で亡くして、そのことで両親に対して複雑な気持ちを抱いていたのを、実は交通事故ではなく『サスペリア』の魔女との戦いで命を落としたと知り、両親特に母親を許すのがサラの心理状態の大筋である。

 それにしても30年がかりで三部作を完成させてしまうダリオ・アルジェントの根気と意志の強さには感心してしまう。

B002JPC8GS.jpg『サスペリア』(1977) SUSPIRIA 99分 イタリア

監督:ダリオ・アルジェント 製作:クラウディオ・アルジェント 製作総指揮:サルヴァトーレ・アルジェント 脚本:ダリオ・アルジェント、ダリア・ニコロディ 撮影:ルチアーノ・トヴォリ 音楽:ゴブリン、ダリオ・アルジェント
出演:ジェシカ・ハーパー、アリダ・ヴァリ、ジョーン・ベネット、ステファニア・カッシーニ、ウド・キア、ミゲル・ボゼ、フラヴィオ・ブッチ

 公開時のコピーは『決して ひとりでは見ないでください』だったそうだが、今観ても十分怖いので、1977年当時はさぞかし怖かったに違いない。

 赤を基調としており、もちろんこれは血の赤なのだが、他にも青・黄色・緑といった原色を活用した色作りとなっている。この独特の色彩感覚が恐怖を煽り悲鳴を引き出させる。簡易宿泊所の白いシーツが電気を消すと赤くなったり普通ならあり得ない感覚だ。実に美しいホラー映画である。ダリオ・アルジェントの感性には感心してしまう。
 上からポトポトとウジ虫が落ちてきたと思って上を見上げたら天井がウジ虫だらけのところは生理的にも受け付けず思わずぞっとしてしまった。このように人間の生理的部分に訴える演出が多用されていて、誰もが思わず目を背けたくなる映像がてんこ盛りだ。
 その上で音楽を担当したゴブリンのスコアがドラムが強調されて不気味なものだから、輪をかけて怖い。

 アメリカのバレリーナ志望の少女スージーがヨーロッパの伝統あるバレエスクールにやってくる。フライブルクの名門校となっているからドイツなのだろう。飛行機はニューヨークからドイツに到着している。外の風景はあまり映し出されないが見る人が見れば分かるんだろう。
 嵐の中、バレエスクールに到着すると一人の女性が「秘密の三つのアイリスがある。その中の青いの」と言い残して走り去る。その女性はその晩、友人宅で悲惨な死を遂げる。
 スージーはサラという少女と友達になる。サラはこの学校に秘密があることを察していてそれを解き明かそうとしている。そのことを打ち明けられるスージー。この学校には19世紀から生きている"黒の魔女"がいるというのだ。だが、サラも行方不明になってしまう。実は何者かによって惨殺されたのだ。
 サラの残したメモに従って学校内を進むスージーは、行き止まりの部屋で壁に三つのアイリスの花が模様としてあるのに気付く。その中の青いアイリスを回転させてみると壁に扉が開いた。恐る恐る中に入ってみるスージー。中にいたのは......

 血まみれになって殺されたサラの死体が起き上がってスージーに襲いかかってくるところではギャッと叫び声を上げてしまった。
 好奇心は猫をも殺すという映画だが、"黒の魔女"の目的は何だったのだろうか。バレエスクールでお金儲けをするのが目的とも思えない。単なる隠れ蓑なのか、それとも生徒の精気を吸っていたのか?
 冒頭のナイフで新造を何度も何度も突き刺され、首にロープを巻かれて天井のステンドグラスを突き破って首吊り状態にされてしまう少女でもうお腹いっぱいなのにそれは序盤に過ぎない。そこからが本番だから恐れ入る。
 スージーが学校の奥へ入っていくシーンで台所で働く家政婦が気配に気付いて「誰だ」と言うのだが発音も「だれだ」なので思わず笑ってしまった。同僚の家政婦と話しているのは英語ではないのだがあれは何語なんだろう。
 ストーリー面では粗もあるがそれよりも画面の美しさを楽しむ映画だろう。美しいホラー映画、それが『サスペリア』である。『サスペリア』とは日本で勝手につけた邦題かなと思ったが原題そのままなのか。

B002JGMPWY.jpg『ザ・ダーク』(2005) THE DARK 93分 アメリカ CONSTANTIN FILM、IMPACT PICTURES

監督:ジョン・フォーセット 製作:ポール・W・S・アンダーソン、ジェレミー・ボルト、ロバート・クルツァー 製作総指揮:スティーヴ・クリスチャン、ポール・タマシー 原作:サイモン・マギン 脚本:スティーヴン・マシコッテ 撮影:クリスチャン・セバルト 音楽:エドマンド・ブット
出演:マリア・ベロ、ショーン・ビーン、ソフィー・スタッキー、アビゲイル・ストーン、モーリス・ローヴ、リチャード・エルフィン、グウェニス・ペティ

 元夫のジェームズ(ショーン・ビーン)に会うためにイギリスはウェールズまでやってきたアデル(マリア・ベロ)と娘のサラ(ソフィー・スタッキー)。
 ところがサラが海岸の岩場で行方不明になってしまう。どうやら海に落ちて溺れたようなのだ。必死に捜索活動が続く中、50年前に死んだはずの少女がアデルの前に現れる。そしてアデルは悪夢の体験をする。

 少女がアデルにしか見えないというのはありがちだが、この作品では元夫にも医者や看護婦にも見える実在の人物として描かれているところがめずらしい。この少女は過去に一度死んだのだが、一人死ねば一人甦るという掟に従って現世に帰ってきたのだ。しかし不完全な状態で、さらなる生け贄を求めている。それがサラだったのだ。

 娘が死んだと信じられないアデルが懸命になって探し続けると、家の中の壁に塗り込められたサラのセーターや助けを求める声などが聞こえてくる。だからより必死になって探す。だが、サラはすでにこの世にはいなかった。そこでアデルはあの世に行って助けてくるという無茶な手段を取る。母は強しである。終盤はタンクトップで地下を這いずり回って、まるで『エイリアン2』のリプリーのようである。
 ただこの人すぐ怒るしその怒っているシーンが多いので付き合いにくい人ではありそうだ。娘が行方不明になったから怒りっぽくなったのではなく、回想シーンから見ると昔から怒りっぽかった人らしい。そのため主人公なのに感情移入がちょっとしずらい点がある。

 断崖絶壁がやたらと出てくる。羊がレミングのように大量に飛び降り自殺をするシーンがあるが、それは後のシーンに繋がってくる。やたら高いところから見下ろすので高所恐怖症の人には怖ろしくてたまらないだろう。

 母親が犠牲になって娘は助かったかと思わせておいて実はという、ハッピーエンドかと見せて実はバッドエンドという手の込んだ終わり方をする。正直後味が悪いがそこが良いとも言える。この一筋縄ではいかないところは製作に『バイオハザード』シリーズのポール・W・S・アンダーソンがいるせいだろうか。とりあえず、「わー、助かったわ」と喜び勇んで娘と元夫のところへ駆けつけると目の前でドアをバタンと閉められてしまうシーンは怖ろしいが笑ってしまった。

 父親役のショーン・ビーンがいいパパをしている。悪役も似合うが善人役も似合う。実にイカしている。ショーン・ビーンもお気に入りの俳優なのだ。

 映像的にはカッチリ撮られているし、役者面も悪くないのだが、今一つ分かりにくいストーリーとラストの爽快感の無さからか日本では劇場未公開。ちょっともったいない。

B0017P250K.jpg『シスターズ』(2006) SISTERS 91分 アメリカ

監督:ダグラス・バック 製作:エドワード・R・プレスマン、アレッサンドロ・ケイモン、キャシー・ゲスアルド 製作総指揮:ドン・スター、リー・ソロモン、ラリー・フェセンデン、スティーヴン・ベラフォンテ、カーク・ショウ 脚本:ダグラス・バック、ジョン・フレイタス 撮影:ジョン・キャンベル プロダクションデザイン:トロイ・ハンセン 衣装デザイン:カレン・ミュニス 編集:オマー・デアー 音楽:エドワード・ジュバク、デヴィッド・クリスチャン
出演:クロエ・セヴィニー、スティーヴン・レイ、ルー・ドワイヨン、ウィリアム・B・デイヴィス、ガブリエル・ローズ、ダラス・ロバーツ、JR・ボーン
 
 先日紹介したブライアン・デ・パルマの『悪魔のシスター』(1973)のリメイクなんだが、はっきりいってつまらない。
 凝った画面構成もなければ演出も単調で平凡だ。なによりストーリーがつまらない。オリジナルもストーリーはつまらないんだがそれを画面構成などで見せてくれた。

 精神的に片方が悪、片方が善のシャム双生児の姉妹が分離手術後に悪の方だけ死んでしまう。では、善の方のアンジェリークに本当に悪はなかったか。これがあったんである。それを向精神薬で押さえつけていたのだが、ある医者を連れ込んだ翌朝、薬が切れて悪の側面が現れてしまい医者を金属製の編み針で刺殺する。ザックザックとこれが痛そうだ。
 それを目撃したのがアンジェリークが助手として働いている診療所を取材中の女性記者だ。オリジナル版ではたまたま向かいの建物に住んでいて目撃してしまうと言うヒッチコックの『裏窓』のオマージュだったが、今回は診療所の悪徳医師ラカンの部屋に忍び込んで資料をあさっている最中にアンジェリークの部屋に仕掛けられた隠しカメラを通じてパソコンのモニターで目撃するという点が新しいところか。
 警察は相変わらず物わかりが悪く、前作で死体が隠してあったソファベッドを開けてみると何もなかったというギャグがある。バースデーケーキはまったく意味が無くもうちょっと活用しろよと思ってしまった。
 終盤はストーリーは支離滅裂になる一方で、人間関係も目茶目茶になりラカンの薬と催眠術で女性記者が死んだシャム双生児の片割れアナベルになってしまう。なんだよそれ。そしてラカンは悪の存在であるアナベルに殺される。これが注射器で首をめった刺しでこれまた痛そうである。血もドバドバスプラッターだ。心理的に追い詰めてきた作品のカラーには合わない。あふれて女性記者の記者仲間はアンジェリークに殺される。
 人が二人も殺されているのに診療所は静かな日常を迎えアンジェリークとアナベルとなった女性記者は仲良く歩いて行く。だからなんだよそれ。
 劇中でのラカン医師の年齢もどう考えても計算が合わない。あんたいったいいくつなんだよ。それからアンジェリークとアナベルは実の娘なのか?だとしたら近親相姦では?それともあのシーンは幻覚なのか。もう何が何だか分からない。
 どうでもいいことだがアンジェリーク役のルー・ドワイヨンは顔がくどい。と思ったら映画監督のジャック・ドワイヨンと女優のジェーン・バーキンの娘か。確かにジェーン・バーキンに似ている。

B00008Z6VI.jpg『スズメバチ』(2002) NID DE GUEPES 108分 フランス 

監督:フローラン・エミリオ・シリ 製作:クロード・カレール、パトリック・グーユー・ボーシャン、ギョーム・ゴダール 脚本:フローラン・エミリオ・シリ、ジャン=フランソワ・タルノウスキ 撮影:ジョヴァンニ・フィオーレ・コルテラッチ 音楽:アレクサンドル・デプラ
出演:ナディア・ファレス、リシャール・サムエル、ヴァレリオ・マスタンドレア、ブノワ・マジメル、サミー・ナセリ、サミ・ブアジラ、アニシア・ユゼイマン、マルシアル・オドン、パスカル・グレゴリー、マルタン・アミック、アンジェロ・インファンティ

 マフィアのボスを護送中の警察の装甲車が敵の罠によって倉庫街に追い込まれる。そこには二人の警備員とたまたまノートパソコンを盗みに入っていた盗賊団がいた。
 そしてボスを取り戻そうとするマフィアの武装部隊との一大銃撃戦が始まった。

 とにかく派手な銃撃戦が繰り広げられる。物量作戦で攻めてくる武装部隊の正体ははっきりとせず、まるで人間以外のモンスターと戦っているようで不気味だ。この武装部隊のことをスズメバチに例えているのだろうか。そもそもフランス語で『NID DE GUEPES』はスズメバチという意味なのだろうか。翻訳サイトで翻訳してみたら『スズメバチの巣』という意味だった。状況がスズメバチの巣のようなのか、主人公たちがスズメバチの巣に手を突っ込んだようなものものなのか。なかなか考えさせられるタイトルだ。
 敵は大人はもちろん、普通ならばタブーとされている子供や犬までも殺してしまう。両方とも殺害される直接的な描写はないがせめてもの良識なのであろう。
 圧倒的多数の敵に取り囲まれ、助けを呼ぼうにも連絡が付かない(携帯電話が圏外なのはお約束)というのはジョン・カーペンターの『要塞警察』を思い出させる。重要な人物を狙って犯罪組織が襲ってくるという点ではリメイク版の『アサルト13 要塞警察』(2005)か。絶望的な状況の中で、自分たちの力だけで戦い抜かねばならない恐怖が描かれている。
 ストーリーはひたすらに攻防戦というシンプルさで場面も倉庫の中がほとんどという限定された条件の中でアクションを繰り広げている。登場人物も少なく、しかもどんどん死んでいってしまう。このシビアさがハリウッド映画との差だ。
 映画の冒頭から詳しい説明はなく、それぞれの登場人物が気がついたら同じ場所にいて危機に陥っていたという一見説明不足なストーリーだが、シンプルなので状況はすぐに理解できる。
 サミー・ナセリが出演しているが序盤で怪我をしてしまい、後は寝たきりに。出番も減ってゲスト出演みたいなものかと思ったらしかし最後は見せてくれる。警官と窃盗団の女性の二人がシングルマザー。戦うママは最後まで生き残れるのだろうか。意外な人物がどんどん死んでいくので誰が死んでもおかしくないのだ。そもそも一人でも生き残ることが出来るのか?
 バリバリ撃ちまくりの銃撃戦は味方が数や武装の面からも圧倒的に不利なのに、敵が弱い弱い。数は多いが銃は撃ってもなかなか当たらずにどんどん撃ち殺されていく。もう少し敵が強くても良かった気がするが、それだとあっと言う間に全滅だよな。倉庫にブルドーザーで突っ込んできたり、催涙弾を使ったりと意外と頭は使っている様子。ボスを解放しろといったような要求もなしに一言も発せずに襲いかかってくる様はやはり怖ろしい。
 ラストにマフィアのボスが生きたまま捕らえられるのもハリウッドとは違う。ハリウッドならばボスは死ぬべきところだ。
 冒頭に『荒野の七人のテーマ』を口笛で吹かせたりして、立てこもり状況の映画が比較的多かった西部劇へのオマージュも捧げられている。そもそも『要塞警察』が『リオ・ブラボー』へのオマージュなんだ。

B00277TH3K.jpg『ザ・ショック』(1976) THE SHOCK 93分 イタリア

監督:マリオ・バーヴァ 製作:テューリ・ヴァーシル 脚本:ランベルト・バーヴァ、フランチェスコ・バルビエリ、パオラ・ブリジェンティ、ダルダーノ・サケッティ 撮影:アルベルト・スパニョーリ 音楽:イ・リブラ
出演:ダリア・ニコロディ、ジョン・スタイナー、デヴィッド・コリン・Jr、アイヴァン・ラシモフ

 空港近くの家に引っ越してきた一家。妻ドーラと再婚した夫ブルーノ、前夫との間に産まれた息子のマルコの三人だ。この家は7年前まで前夫と暮らしてきた家だが、前夫が嵐の日にボートで海に出て自殺して以来他に移っていたのだ。
 ブルーノはパイロットなので立地条件は最高。これで幸せな家庭を築けるはずだったが、ドーラに不可思議な現象が起こり始める。それは主にマルコが関わっていた。

 イタリアホラー界の巨匠マリオ・バーヴァの最後の劇場用映画である。
 この映画ではSFXと呼ぶのもおこがましいトリック撮影がほとんどである。人が乗っていないのに揺れているブランコ、棚の上を勝手に動く石膏像、レンガの壁からあふれ出す血、簡単な特殊メイクをした死人の手などなどだ。これが不思議と怖いから面白いものだ。大仰な音楽もそれに拍車をかける。
 それらの現象にドーラが次第に追い詰められていくのが怖ろしい。その鍵と思われる人物が愛する息子のマルコというのがさらにドーラを追い詰める。
 どうやら前夫は自殺したのではないらしい。ドーラが大型カッターナイフで首を切り裂いたのだと分かってくると、起きている現象は彼女に贖罪を迫っているのだと分かる。死人の手は前夫の物。これらは前夫の呪いなのだ。前夫は麻薬中毒患者でドーラを悩ませてばかりだったようだが、それでも夫は夫。マルコにとっては大切な父親であった。
 一番驚かせてくれるのが、ドーラの元に走ってきたマルコが一瞬で前夫に変身するところ。これもSFXではなく、マルコが画面の下に見切れた瞬間に前夫が飛び出すといった仕掛け。こんな単純なトリック撮影で最大限の効果を上げている。CGが当たり前の世の中になってしまったが、金も手間もかけずに観客を驚かせることは可能なのだ。
 ドーラが見た様々な現象は本当に起きているのか、それとも前夫を殺した記憶を無くしているドーラが無意識に見た幻覚なのだろうか。麻薬中毒患者の前夫が恨みを晴らす結末は意外だ。母も義理の父も死に一人きりになったマルコは幻の家族と楽しげに過ごしているが、あれも幻想なのだろうか。マルコのその後が気になって仕方ない。
 マリオ・バーヴァはカメラ出身だそうで、なるほど美しいカメラワークと照明で恐怖を盛り上げてくれる。

B0017S4QMC.jpg『さまよう魂たち』  (1996) THE FRIGHTENERS 110分 アメリカ UNIVERSAL PICTURES

監督:ピーター・ジャクソン 製作:ジェイミー・セルカーク、ピーター・ジャクソン 製作総指揮:ロバート・ゼメキス 脚本:フラン・ウォルシュ、ピーター・ジャクソン 撮影:アラン・ボリンジャー、ジョン・ブリック 音楽:ダニー・エルフマン 特殊メイク:リック・ベイカー
出演:マイケル・J・フォックス、トリニ・アルヴァラード、ピーター・ドブソン、ジョン・アスティン、ジェフリー・コムズ、ディー・ウォーレス=ストーン、ジェイク・ビューシイ、シャイ・マクブライド、R・リー・アーメイ、レスリー・ウィング

 『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどで有名になったニュージーランド出身の映画バカ監督ピーター・ジャクソンのハリウッドデビュー作。
 ハリウッドデビューといってもハリウッド資本で作られたという意味で撮影他はニュージーランドで行われたようだ。1996年当時としてはかなりふんだんにCGが使われているがこれの製作もニュージーランドで行われた。最初は1台のINDY(スーパーコンピュータ)で始められたが、途中でどんどん台数が増えていき最終的には30台を超えるINDYが稼働していた。この作品後、このスーパーコンピュータの山をどうしようかというのでピーター・ジャクソンが考え出したアイディアが前々から暖めていたとあるファンタジー小説の映画化である。そうそれこそ『ロード・オブ・ザ・リング』だ。『ロード・オブ・ザ・リング』も撮影他の多くの部分がニュージーランドで行われている。この『さまよう魂たち』がなければひょっとしたら『ロード・オブ・ザ・リング』も『キング・コング』もなかったかもしれないわけである。

 主人公のフランク(マイケル・J・フォックス)は心霊調査員の肩書きでインチキ霊媒師をやっている。『ゴーストバスターズ』のように本当に幽霊を倒すわけでもなければ、『ゴースト/ニューヨークの幻』のオダ・メイのように根っからインチキをやっているのではない。彼にはある事件をきっかけに実際に霊魂の姿が見えるようになり、その霊魂と手を組んでインチキ商売をやっているのだ。ある日、彼と揉めた男が額に霊的な数字を刻まれているのをフランクは見る。そしてその男は死んでしまう。どうやら過去にサナトリウムで起きた12人の大量殺人が関わっているようなのだ。そう、殺人鬼の霊はまだ地上に留まっていて殺人を繰り返していたのだ。

 製作総指揮はロバート・ゼメキスでつまりピーター・ジャクソンをニュージーランドからハリウッドに呼び寄せた男ということになる。さすが才能のある人物は他人の才能も見抜くことが出来るのか。『乙女の祈り』はともかく『バッド・テイスト』や『ブレイン・デッド』などそれ以外のピーター・ジャクソン作品を観て選んだのならばロバート・ゼメキスは素晴らしい男である。
 主演のマイケル・J・フォックスは1990年頃にはすでにパーキンソン病に罹っていた。闘病しながらの撮影だったようだ。ただし1998年までは公表はしておらず比較的軽い症状だったらしい。それでもフットワークの軽い演技を見せていて実際のところかなりきつかったのではないだろうか。
 ゴーストたちの特殊メイクは御大リック・ベイカー。ちょっと汚れただけのゴーストから、ほとんどミイラ状態のゴーストまでさすがの特殊メイクを見せてくれる。特に、フランクの友人のゴースト"判事"の顎の骨のズレ具合など見事なものである。
 フランクが墓場に行けば当然ゴーストが一杯。その中にはアメリカ陸軍(海兵隊?)のリー・アーメイの姿もある。怒りっぽくてすぐにフランクを怒鳴り散らし変身してはM60の二挺機関銃を撃ってきたりするが、敵ゴーストの前には死に神の鎌で真っ二つ。結局ゲスト出演って事か。敵ゴースト相手に果敢に戦って欲しかっただけに残念。
 ピーター・ジャクソン色に合わせてロバート・ゼメキス色も強い作品である。ホラーコメディとしてコメディの要素が強いのにやたら人が死ぬ、それもストーリーに無関係な一般人が死ぬのは脚本も担当したピーター・ジャクソン色に違いない。スピード感溢れる演出で最後まで一気に観せてくれる。
 ゴーストたちが壁などを通り抜けてくるCGは光学合成でも可能だろうが、壁紙や絨毯が敵ゴーストの姿に盛り上がるのはCGではないと難しいだろう。当時としてはCGはかなり凝っている。ただし、天国へと通じる光の道の表現は『ゴースト/ニューヨークの幻』の方が幻想的だと思った。地獄へ通じる道も『さまよう魂たち』の方が派手だが、『ゴースト』の表現の方が好きだ。
 ゴースト物だとなんで壁は通り抜けるのに床は大丈夫なんだという話になるが、この作品では短時間の間ゴーストになったフランクが床を通り抜けて転がり落ちている。一発ネタだが、これでケチくさい文句をつけてくる人間に対する回答が出来た。幽霊も床をすり抜けて落ちると。

B00005S7E5.jpg『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』(1973) THE CRAZIES 104分 アメリカ FILMS AROUND THE WORLD,INC.

監督:ジョージ・A・ロメロ 製作:アルヴィン・C・クロフト 脚本:ジョージ・A・ロメロ、ポール・マッカロー 撮影:S・ウィリアム・ハインツマン 音楽:ブルース・ロバーツ
出演:W・G・マクミラン、レイン・キャロル、ハロルド・ウェイン・ジョーンズ、リチャード・リバティー、リン・ローリイ、リチャード・フランス、ロイド・ホーラー、ハリー・スピルマン、ウィル・ディズニー、ネッド・シュミッケ、ビル・ハインツマン

 米軍が極秘に開発した細菌兵器を積んだ輸送機が川に墜落。近くの田舎町では地下からくみ上げた地下水を水道水にしているため住民に感染の危険性がおこる。そのため軍は白い防護服にガスマスクの軍人を大量に送り込み町を封鎖する。その中で自由を勝ち取ろうと逃げ出す主人公たち。研究者は懸命に治療法を模索し、軍人たちはパニックを抑えようと懸命である。

『ゾンビ』シリーズのジョージ・A・ロメロが時期としては『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)と『ゾンビ』(1978)の間に撮った数本の中の一本。
 ウイルスに感染すると凶暴性が出たり痴呆になったりするのだが、住民が銃を持って兵隊に挑んでくるのが感染しているからなのか単に抵抗しているからだけなのかが分からないところが怖ろしい。
 映画としては低予算映画でカメラなどもあまり感心できた撮影具合ではないが、カット割りなど演出部分はちゃんとしている。そこらへんはさすがにロメロだ。
 軍がどんどん暴走していって、最終的には核兵器で軍人ごと吹き飛ばしてお終いにしてしまおうかとまで言い出す始末。4?5000人の大衆と軍人の命など軍にとっては小さな犠牲なのだ。そんな軍の暴走や狂気は後のロメロ作品にも登場する。
 銃撃戦の着弾シーンは低予算映画ならではのせこいものだが、せこいなりに迫力があり人間の醜い争いを垣間見せてくれる。ウイルスが人間を凶暴にするのか人間はもともと凶暴なのか。
 ロメロらしいシーンとしては気の良さそうな老婦人がにこにこ笑いながら編み棒で軍人を刺し殺すところ。この老婦人は感染していたらしい。こんなのを相手にするのでは軍人たちも神経質になるのも無理がない。
 救いようのないラストを迎え、軍の責任者は他の町で発生したウイルス騒動の解決のためその町に向かうのであった。
 もしもここでロメロが映画を撮るのを止めてしまったら『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』だけの一発屋になってしまっただろう。こういった低予算映画で経験を積んで名監督と呼ばれるようになったのだ。その修行の場としてだけでもこの映画には価値がある。
 白い防護服にガスマスクの軍人の利点は軍人役の俳優を大量に揃えなくてもいいという低予算映画ならではの工夫でもある。1500人の軍人がいることになっているが、ガスマスクで顔がはっきり分かるわけではないから主人公たちに撃ち殺されてもまた登場してもかまわないわけだ。実際、軍人役の俳優はせいぜい20人ぐらいじゃないかと思っている。こうした工夫が出来る人はやはり上手い。1500人必要なシーンに「1500人連れてこい」と助監督に怒鳴り散らしているだけの監督は偉大だと言われていてもダメ監督だと思う。
 それにしても、ウイルスを調べに来た研究者は機材がないので高校の理科室にある顕微鏡でウイルスを見ていたが、光学顕微鏡じゃウイルスは見えないだろ細菌じゃないんだから。野口英世の黄熱病のエピソードを思い出すよ。しかも苦労してようやく解決の糸口を見つけたのに馬鹿な軍人のせいで無駄死にしてしまい発見も無駄になってしまう。無常である。

B00008453E.jpg『ザ・グリード』(1998) DEEP RISING 107分 アメリカ CINERGI

監督:スティーヴン・ソマーズ 製作:ローレンス・マーク、ジョン・バルデッチ 製作総指揮:バリー・ベルナルディ 脚本:スティーヴン・ソマーズ 撮影:ハワード・アサートン 特撮:ドリーム・クエスト、ILM モンスター・デザイン:ロブ・ボッティン 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:トリート・ウィリアムズ、ファムケ・ヤンセン、ケヴィン・J・オコナー、ウナ・デーモン、アンソニー・ヒールド、ウェス・ステューディ、デリック・オコナー、ジェイソン・フレミング、クリフ・カーティス、トレヴァー・ゴダード、ジャイモン・フンスー
『ハムナプトラ』シリーズのスティーヴン・ソマーズがその前に撮った海洋モンスター映画。面白いぞ。
 乗員乗客合わせて3000人の乗った豪華客船を海底の奥底に潜むモンスターが襲うのだが、その3000人が食われるシーンは省略されている。予算がなかったんだろうか。いや、その後の主人公たちのモンスターとの戦いを考えると3000人が食べられるシーンはむしろ邪魔なのだ。3000人が食べられるシーンであらかたの食べられ方が描写されてしまい、主人公たちが食べられるシーンの邪魔になるのだ。でも観たかったな3000人がむさぼり食われるシーン。どうやら人間を丸ごと飲み込んで肉の部分を消化して骨だけ吐きだしている感じ。ひょっとしたら喰われた後もある程度は意識があるんじゃないかと考えると怖ろしい。
 主人公のトリート・ウィリアムズは謎の犯罪集団を豪華客船まで輸送している最中。トリート・ウィリアムズといえばスピルバーグの『1941』(1979)や『ゾンビコップ』(1988)で印象の残っているぐらいで、他にも出演作はあるのだが記憶には残っていないタイプ。顔はゴツくて印象的なんだけどね。強気のことを言ってそのくせヘタレな船長だ。部下がいじめられていても見て見ぬ振りをするし結構最低。
 謎の犯罪集団は船のオーナーと組んでいて魚雷で船を沈めることで多額の保険金をせしめるのが目的だったのだが、客船についたら人っ子一人いない異常な状況下に置かれてしまう。それでも監禁されていた女泥棒や立てこもっていた船の上層部の連中と出会うことで少しずつ状況は明らかになってくるのだが、なんといっても海底のモンスターが原因だけになかなか信じてもらえないのだ。
 もう10年以上前の作品だが、CGによるモンスターがまだまだ古びていない。ぬるっとした表面のおかげもあるのだろうがやはりCGの使い方が上手いのだろう。さすが後に『ハムナプトラ』を撮っただけのことはある。モンスターの形状は一頃で言ってタコ。あちらの人にはデビルフィッシュなんだろうが、日本人にはお刺身何人前かなと換算してしまう。大きな本体が他所にいて主人公たちを襲ってくるのは単なる触手。だから、銃でいくら撃っても本体にダメージはない。タコは腹が減ると自分の足を食うぐらいだから足なんかものの数ではないのだ。
 海中のモンスターは普段は深い海溝の底に潜んでいて、何十年か何百年に一度腹が空くと浮上して海上の物を食べるという。メアリー・セレスト号事件などは案外こいつが原因なのかも知れぬ。とディーン・クーンツの小説『ファントム』を思い出しながら言う。
 犯罪集団がメインで使う銃は架空の中国製のM1-L1突撃銃で装弾数1000発という化け物銃だがベースはキャリコライフルを使ったプロップガンのようだ。回転式銃身を言いながら中央の銃身しか稼働していないのは内緒だ。
 主人公の船のエンジニアがM92Fのクロームモデルを拾って、それをモンスターに食われかけた犯罪集団のボスに「自分で留めを刺せよ」と渡すんだが、これをエンジニアに向けて撃ってくる。それが外れて「恩知らずが」とエンジニアに逃げられてボスは改めて自分のこめかみに銃身を当てて引き金を引くが弾切れ。ちょっとまてよ、M92Fなら最終弾を撃った段階でスライドストップがかかってスライドが後退したまま止まるだろうにと。まぁ普通の人はそんなこと気にしないんでしょうけどね。でもM1-L1突撃銃みたいにまったくの架空の銃じゃないだけに気になる気になる、名前も知らない気になるでしょう。
 これで全て終わったと思ったら「お次は何だよ!」なエンディングも含めて笑える。基本的にはコメディだなこれは。ギャグはいっぱいあるし。
 御大であるジェリー・ゴールドスミスが気楽な感じで引き受けたスコアもナイス。

B002DYXZ0I.jpg『3人のエンジェル』(1995) TO WONG FOO THANKS FOR EVERYTHING, JULIE NEWMAR 109分 アメリカ UNIVERSAL PICTURES

監督:ビーバン・キドロン 製作:G・マック・ブラウン 製作総指揮:ブルース・コーエン 脚本:ダグラス・カーター・ビーン 撮影:スティーヴ・メイソン 音楽:レイチェル・ポートマン
出演:パトリック・スウェイジ、ウェズリー・スナイプス、ジョン・レグイザモ、ストッカード・チャニング、ブライス・ダナー、アーリス・ハワード、ジェイソン・ロンドン、クリス・ペン、メリンダ・ディロン、ジュリー・ニューマー、ロビン・ウィリアムズ

 3人のドラッグ・クィーン(女装したゲイ)を主人公にしたお気楽コメディ。そのドラッグ・クィーンを演じているのがパトリック・スウェイジ、ウェズリー・スナイプス、そしてジョン・レグイザモという男臭い俳優だからまず面白い。ジョン・レグイザモは名前だけだと顔が思い浮かばない人もいるかも知れないが中南米系の俳優で『エグゼクティブ・デシジョン』(1996)の特殊部隊員や『コラテラル・ダメージ』(2001)でのコカイン精錬工場の主といえば分かる人も多いかも知れない。

 ニューヨークで開催されたドラッグ・クィーンコンサートで二人の優勝者が出た。ヴィーダ(パトリック・スウェイジ)とノグジーマ(ウェズリー・スナイプス)である。二人にはハリウッド行きの航空券がプレゼントされそちらで行われる全米ドラッグ・クィーンコンサート決勝戦への出場権が与えられた。
 しかし、その度に半人前のドラッグ・クィーンであるチチ(ジョン・レグイザモ)が同行することになり、航空券が足りないのでそれを売って中古のキャデラックをある男(ロビン・ウィリアムズ)の伝手で安く買って大陸横断の旅に出る。ちなみにこのキャデラックはかなりポンコツで中古車屋の店員はトヨタのカローラを勧めるのだが、性能よりもスタイルよとキャデラックを選んだのだ。オシャレが命のドラッグ・クィーンにはカローラは許せない物があったらしい。ノグジーマは、車の中でチチにドラッグプリンセスになるための4つの関門があることを教える。
 途中、テールランプが消えていると保安官(クリス・ペン)に車を停められ、ヴィーダは股間に手を突っ込まれるというセクハラに遭ってしまう。思わずとっちめた保安官が死んだものだとばかり思い込んだ3人は慌てて逃げ出すが、休憩中にキャデラックが故障してしまう。ヒッチハイクで小型トラックを停めて田舎町へとたどり着いた3人はキャデラックの部品が車で3日かかると言われる。3日間も田舎町に足止めを食うのでうんざりする三人だが、そこでの3日間が彼女たち(彼ら?)にも町の人にも忘れられない3日間となったのだった。

 まず町の人々が3人を完全に女性だと信じ込んでいるのが面白い。どう見ても女装だろ。
 保守的な田舎の町の人々の意識を少しずつ変えていく3人。まずは生活に疲れ髪もぼさぼさ服もヨレヨレの主婦たちをおしゃれさせるところから始めていく。みんなを美容院に連れて行き髪型をセット、そして町で一件の洋品店に行くとここが60年代の開店時に仕入れたまま売れなかった在庫が今では宝の山となっている。フリフリのフワフワの衣装に身を包み、カフェでお茶など一杯。
 そんな彼女たちをからかう悪ガキどもにはノグジーマが股間を握りつぶして手痛いお仕置きをする。
 チチはある青年と恋に落ちるが、もちろん自分が男だとは隠したまま。そしてその青年に恋している女の子に青年を譲ってドラッグ・クィーンの階段を一歩上る。
 その間も保安官は花屋、バレエ教室などドラッグ・クィーンが立ち寄りそうなところを探してまわり、最後にはついに町をかぎつける。
「ドラッグ・クィーンを出せ?」とショットガン片手に怒鳴り込む保安官に、「あたしがドラッグ・クィーンだよ」「あたいがドラッグ・クィーンだわさ」「なにをいう。俺がドラッグ・クィーンだ」と立ちふさがる住人たち。保守的だった彼らは、ドラッグ・クィーンたちに新しい価値観を持ち込まれて、より心を開いたのだ。
「この時を20数年待っていたんだ」と黒人中年男性が思いを寄せる白人女性をダンスに誘うシーンは感動的である。
 精神的ショックから口もきかず耳も聞こえずな老婆がノグジーマが古い黒人女優の話を横で勝手にしていて、作品名が出てこなかった時に「○○」としゃべるシーンもいいなぁ。そして映画の最後には元気なおばあちゃんになっている。

 亭主に暴力を受けている女性が、「女性の友達が出来たのは初めてよ」とヴィーダに告げ、ヴィーダが自分の正体を明かそうとすると「喉仏よ」と彼女が答える。何のことか分からないヴィーダに「女性に喉仏はないわ。だから人目見た時分かったの」とヴィーダが男だと分かっていたことを告白。その上で「女性の友達が出来たのは初めてよ」と返す。
 田舎の人は3人のニューヨークから来たドラッグ・クィーンに影響を受けたし、ドラッグ・クィーンも田舎の人から影響を受けた。
 そして3人はハリウッド入りしてコンクールへ。コンクールで優勝したのは四つの関門を見事くぐり抜けた......。
 そして彼女に冠を被せたのが劇中でヴィータが写真をお守りとして持っていたジュリー・ニューマー。60年代のTVシリーズ『バットマン』でキャットウーマンを演じていた人だ。「この人以外にキャットウーマンを演じられる人はいないわ」というセリフがあるが、この作品の後に作られた『キャットウーマン』(2004)のハリー・ベリーを観ると確かにそうなのかもしれない。

 3人のドラッグ・クィーンの道中記というとどうしても同時期の『プリシラ』と比べられてしまうが、人間性の深いところまで突っ込んで描いた『プリシラ』と比べて、明るく前向きでお気楽なコメディとして十分に価値のある作品である。

B001FO0UAA.jpg『ジョーズ4/復讐篇(ジョーズ'87/復讐篇)』(1987) JAWS: THE REVENGE 91分 アメリカ UNIVERSAL

監督:ジョセフ・サージェント 製作:ジョセフ・サージェント 脚本:マイケル・デ・ガズマン 撮影:ジョン・マクファーソン 音楽:マイケル・スモール
出演:マイケル・ケイン、ロレイン・ゲイリー、マリオ・ヴァン・ピーブルズ、ランス・ゲスト、カレン・ヤング、ジュディス・バーシ、リン・ウィットフィールド、ミッチェル・アンダーソン、ジェイ・メロ、セドリック・スコット、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ

 劇場公開時は『ジョーズ'87/復讐篇』という邦題だったが、DVDでは素直に『ジョーズ4/復讐篇』に変更されている。1975年に始まった"ジョーズ"シリーズもこれで幕である。今のところ。

 これも評判が悪いんだが、1作目と比べるから駄作に見えてしまうんであって、単体で観ればそんなに悪くないように思う。でも単体だと意味をなさないんだよね。

 ブロディ署長は心臓発作で死亡、3では海を嫌ってコロラドに行っていた次男のショーンがアミティ島に戻り父の後を継いで保安官補になっていた。ただでさえ海が嫌いというかサメが怖い男が3であんな目にあったのにアミティ島に戻ってくるかはいたく疑問だが、話の都合だ気にするな。
 そしてクリスマス近くの夜、港の入り口に引っかかった古い杭をどけにいったところをサメに襲われ食い殺されてしまう。傷心のブロディ未亡人を長男のマイケルが自らが仕事をしているバハマへと誘う。嫁と孫娘と一緒に過ごしてもらうことで少しでも心の傷を癒やしてもらおうというのだ。
 だが、ブロディ家へのサメの呪いはまだ終わっていなかった。熱帯のバハマには現れないはずの巨大ホオジロザメが出現したのだ。このサメはショーンを殺したのと同じサメなのか。そして孫娘が襲われそうになった時、ブロディ未亡人は立ち上がり、船に乗ってサメ退治に出かけたのだ。

 結局のところ、『ジョーズ』シリーズはブロディ家とサメとの戦いを描いた作品である。4ではあからさまに他の人間は狙わずにブロディ家の人間だけを狙ってくる。ブロディ家の人間からはサメの好む匂いでも出ているのだろうか。猫にマタタビ、サメにはブロディ家。
 話はシンプルで、マイケルが巻き貝の調査をしているところにサメが登場する。相棒のジェイク(マリオ・ヴァン・ピーブルズ)は「バハマにホオジロザメが出てくるなんて信じられない」と調査をし始める。そしてサメと人間の戦いが始まる。
 マイケルがスキューバダイビングをしているところをサメに襲われ、沈没船を利用して逃げ延びるところなど結構ハラハラものだし、海岸でバナナボートがサメに襲われ、ボートにまたがっていた乗客の一人が食われるシーンはドキドキだ。
 ラストは怒りのブロディ未亡人が船でサメに体当たり。するとなぜかサメが大爆発するという不思議な終わり方。今回は圧縮ボンベも爆薬もなかったのになんで大爆発するんだ。
 いつも冗談ばっかり言っているパイロット役でマイケル・ケインが出演。なんで出てるんだこの人は。仕事を選ばないなぁ。
 原題は『JAWS: THE REVENGE』、邦題は『ジョーズ4/復讐篇』と両方とも"復讐"という言葉が使われているが、これは誰が復讐するのだろう。素直に考えると夫をサメへの心労から来る心臓発作で亡くし、次男を食われたブロディ未亡人がサメへの復讐をするということなんだろうが、案外これまでのサメはみんな仲良し一家でその最後の一匹がブロディ家に復讐したとも考えられる。
 マイケルとその妻の芸術家(3の海洋学者とは別れたらしい)、可愛らしい5歳だかの孫娘とおばあちゃんブロディ未亡人の楽しい一時。そしてブロディ未亡人とマイケル・ケインの老いらくの恋などファミリームービーな部分が多いのが4作の中では特徴的である。しかしまだ喪も明けてないのにすっかり忘れ去られているショーンが哀れではある。
 ほんと、『ジョーズ』シリーズと思うからとやかく言われるんで、色々ある人食いザメ映画の中では良質な方だ。

B001FO0UA0.jpg『ジョーズ3』(1983) JAWS 3-D 98分 アメリカ UNIVERSAL

監督:ジョー・アルヴス 製作:ルパート・ヒッツィグ 製作総指揮:アラン・ランズバーグ、ハワード・リップストーン 原案:ガードン・トゥルーブラッド 脚本:リチャード・マシスン、カール・ゴットリーブ 撮影:ジェームズ・A・コントナー 音楽:アラン・パーカー テーマ音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:デニス・クエイド、ベス・アームストロング、ルイス・ゴセット・Jr、サイモン・マッコーキンデール、ジョン・パッチ、リー・トンプソン、バーバラ・イーデン、P・H・モリアーティ、ダン・ブラスコ

『ジョーズ』シリーズも3作目。"3"ということもあってか立体3D映画として製作された。襲ってくるサメが3D、食いちぎられて浮いている腕が3D、爆破されて飛び散るサメの破片が3D。でもDVDで観ると2D映像なので「あー、ここを3Dとし見せたかったんだろうな」と思うだけである。

 海洋テーマパークがオープンを間近に控えていた。水上スキーヤーのアクロバットや海水浴場などがあり、目玉が海の中に透明な巨大パイプを通して中を人間が歩けるようになっている海洋王国だった。
 そんな海洋テーマパークにまたもやサメの魔の手(手はないが)が伸びる。まずは作業員が一人襲われる。行方不明ということにされてしまい特に問題視はされなかったが、園内でホオジロザメが見つかり麻酔で捕らえられる。全長3メートルのそのサメに従業員が襲われたと推測されたが、ホオジロザメを飼育した水族館はないということで飼育が決定される。しかし、社長の勝手な決断で観客の前に出されたサメは弱って死んでしまった。
 その頃、行方不明の従業員の死体が発見された。噛み口から推測するに全長10メートルはある巨大ザメ。3メートルのサメはその子供だったのだ。子供を失った怒りか、巨大ザメは園内で暴れ始める。果たして、巨大ザメを倒すことは出来るのか。

 前作までのブロディ署長は出てこず、成長した息子のマイク・ブロディ(デニス・クエイド)とショーン・ブロディ(ジョン・パッチ)が世代交代して登場する。目先を変えようと思ったのかロイ・シャイダーが「サメはもういい」と断ったのかは知らない。それにしても親子揃ってサメ退治をしなきゃならないとは先祖がサメに祟られるようなことをしたんだろうか。運の悪い一家だ。
 とかく評判の悪い作品だが、終盤はピンチピンチの連続でそんなに悪くはないように思う。勝手な決断をして事態を悪化させるだけの社長(ルイス・ゴセット・Jr)などありがちなキャラだが、こういう人がパニック映画には必要だ。
 サメに食われるシーンは2よりパワーアップしていて、生きたままサメに飲み込まれてしまうシーンなんてのもある。嫌な死に方だ。いっそのことガブリとやってくれた方が良いんじゃないだろうか。
 演出にスピード感がないのは確かである。特に前半はあまり事件らしい事件が起こらず、早く展開してくれよと思ってしまった。後半のピンチの割にはみんなのんびりしていて緊迫感が感じられない。おかげであまりハラハラしない。
 個人的にはデニス・クエイドが好きなので若き日のデニス・クエイドを観られたので満足である。それとまだ少女の香りをさせているリー・トンプソン(1961年生まれ)が水上スキーヤー役で登場していてその水着姿が可愛らしいのでも満足。
 でもリー・トンプソンよりもイルカの方が可愛らしかったりする。潜水中のデニス・クエイドとその恋人を守るため、はるかに身体の大きいサメに体当たりで二人を守るシーンはなかなか感動的。
 光学合成を使ったシーンがいくつかあるが、合成ラインが見え見えで興ざめである。SFX面では3Dに予算を取られたんだろうか。

B001FO0U9Q.jpg『JAWS/ジョーズ2』(1978) JAWS 2 116分 アメリカ UNIVERSAL

監督:ジュノー・シュウォーク 製作:リチャード・D・ザナック、デヴィッド・ブラウン 原案:ピーター・ベンチリー 脚本:カール・ゴットリーブ、ハワード・サックラー 撮影:マイケル・C・バトラー 美術:ジョー・アルヴス 編集:スティーヴ・ポッター、アーサー・シュミット、ニール・トラヴィス 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ロイ・シャイダー、ロレイン・ゲイリー、マーレイ・ハミルトン、ジョセフ・マスコロ、ジェフリー・クレイマー、コリン・ウィルコックス、アン・デューセンベリー、マーク・グラナー、バリー・コー、スーザン・フレンチ、ゲイリー・スプリンガー、ドナ・ウィルクス、ゲイリー・デュビン

 大ヒットしたら続編が作られるのは世の常で、『ジョーズ』にももちろん続編がある。4本もある。今回はその2本目。

 沈没したORCA号にスキューバダイビングしていた二人組のダイバーが行方不明になる。そして水上スキーをしていたボートが謎の爆発事故を起こす。また海で何かが起こっているのか?
 前回の事件で病的にサメについて神経質になっているブロディ署長(ロイ・シャイダー)は今回の2件もサメに結びつけ、浜辺のサメ監視塔に昇って双眼鏡を眺め島の偉いさんから白い眼で見られている。しかも、アジの大群をサメと見誤って拳銃を乱射してしまったから評判はがた落ちだ。
 あげくの果てに、ダイバーが残していた水中カメラにサメが写っているのを見つけ、島の偉いさん達の集会に乗り込んでいき、ついには警察署長を首になってしまう。
 だがサメ存在説を信じるブロディ署長は、二人の息子が灯台まで友達らとヨットで出かけたのを知ると、警察の船を勝手に持ち出して救助に向かうのだった。

 続編はダメの法則というのもあって、ごく例外を除くと続編は前作よりも劣るとされている。この作品もそう。色々工夫はしているが前作は越えていない。
 特にドラマ部分が弱くて、演出が古くさい。ドラマ部分になると前作より10年前の作品に見えるのはなぜだろうか。
 しかしパニック映画としては悪くない。前作では2人の仲間がいたブロディ署長は今回は一人でサメに立ち向かう。そのためには青酸カリ弾を自作する意気込みだ。
 そして不特定多数が犠牲者だった前作と比べて、今回のメインターゲットはヨットに乗ってサメの攻撃によってによって遭難したティーンエイジャーたちに絞られている。ヨットと言ってもティーンエイジャーが自分で所有している物だからボートに毛が生えたようなもの。いや、帆が生えたような物か。だからサメに体当たりされると簡単に壊れてしまう。その破片をロープで繋ぎ合わせて、いつ襲ってくるか分からないサメに怯えるティーンエイジャーたちの絶望感が良い。ブロディ署長の次男ショーンが水に落ちた時にボートの上に押し上げてくれたお姉さんがあっさり食われてしまう残酷さ。これはショーン、トラウマになるぞ。その後、怯えてヨットの一部にしがみついたまま、仲間が投げてくるロープに反応しないのがリアルだった。
 ホラー映画もそうだけど、やはりティーンエイジャーが餌食になると絵になるのだ。

 サメはボートの爆発事故で顔に火傷を負っている。そのことで前作のサメとは区別化をしている。なんでもサメも低周波でコミュニケーションを取っているそうで、ブロディ署長の考えとしては前作のサメの復讐にやってきたらしい。サメもなかなか人情家だ。
 サメに食べられるシーンが少し残酷度が減っていて、サメに水中に引きずり込まれて海の水が赤くなって終わりとちょっと物足りない。その代わり、ヘリコプターに齧り付いてついには水中にひっくり返す勢いがあるから良いか。
 途中で水中から島に電力を送っている高圧電流水中ケーブルを引き上げた時点でサメの退治の方法が分かってしまうのはちょっと減点。でも、あのぐらいしないとサメ死なないよな。

B002M2DWMM.jpg『JAWS/ジョーズ』(1975) JAWS 124分 アメリカ UNIVERSAL

監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:リチャード・D・ザナック、デヴィッド・ブラウン 原作:ピーター・ベンチリー 脚本:ピーター・ベンチリー、カール・ゴットリーブ 撮影:ビル・バトラー 美術:ジョセフ・アルヴス・Jr 編集:ヴァーナ・フィールズ ジョーズ製作:ロバート・A・マッティ 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ロイ・シャイダー、ロバート・ショウ、リチャード・ドレイファス、ロレイン・ゲイリー、カール・ゴットリーブ、マーレイ・ハミルトン、ジェフリー・クレイマー、スーザン・バックリーニ、ジョナサン・フィレイ、クリス・レベロ、ジェイ・メロ、テッド・グロスマン、ピーター・ベンチリー

 夏休みももう終盤。残暑お見舞い申し上げますの手紙が届く頃である。オレには届かないが。お盆が過ぎて海はクラゲが出るようになりすでに海水浴シーズンではないだろう。今年も海に行けなかったなと夏を振り返る。もう10年以上、海には行っていない。
 でもいいのだ。海に行くとサメが出るからな。ジョーズに食われたくないからあえて海に行かないのだ、うん。というわけでスピルバーグの出世作ジョーズである。

 スピルバーグ伝説は色々あるが、劇場用映画を一本撮っただけの若干27歳の青年監督がこれだけのプロジェクトを任されて、それに応えるどころか世界的大ヒット映画を作ることになるとは製作者は思っていなかったろう。
 当時の小学校ではジョン・ウィリアムスの「ジョーズのテーマ」を「デーデン、デーデン、デデデデ」と言いながら背後から近づいて襲いかかるというジョーズごっこが流行っていた。子供達にもそんな影響を与えていたのだ。

 アミティ島で夜に海水浴をしていた女性が何かに襲われた。その正体がサメだと分かったブロディ警察署長(ロイ・シャイダー)は海岸の閉鎖を行おうとするが、夏の観光収益に頼っているアミティ島の市長らに制止されてしまう。しぶしぶ海開きを行うが、再び犠牲者が発生。犠牲になった少年の母親がサメに賞金を出したものだから、シャークハンター(なべおさみ)が詰めかけ島は大混乱。そんな中、第四の犠牲者が出てブロディ署長は市長を説き伏せてプロのシャークハンターであるクイント(ロバート・ショウ)を一万ドルで雇い入れることに成功する。海洋協会のフーパー(リチャード・ドレイファス)も一緒にクイントのORCA号に乗り込みサメ退治に出陣する。

 ストーリーとしてはすごく単純。人食いザメが出てそれを退治する話。陰謀だとか謎の集団なんかは出てこない。このシンプルさが良い。

 タフな男ロイ・シャイダーが海が怖い男を演じているのが面白い。ただしこの設定はさほど活用されてはいない。元はニューヨークで警官をやっていたのだが、無法ぶりに嫌気がさして平和なアミティ島に警察署長として転職したのだ。そこでニューヨークでも一生に一度味わうか味合わないかの恐怖(まあ2度味わうわけだが)と遭遇するとは思ってもいなかった。
 警察署長としての責任と、島の上層部からの圧力に挟まれ悩み苦悩する。鮫に襲われた少年の母親に頬を叩かれるシーンはその苦悩を考えると胃に来る。
 家族思いな男で、二人の息子が海で遊ぶことをひどく心配している。そこで浜辺でなく入り江で遊ぶように言い付けたのだが、それが裏目に出る。二人の息子は『ジョーズ3』で主役となる。サメに呪われた一家である。

 クイント役のロバート・ショウはバルジ大作戦の金髪碧眼のアーリア人から一変して無精ひげを生やした風采の冴えない男として登場する。しかし、サメ退治に関してはプロ。偏屈な男だが味方にまわすと頼りになるタイプ。役者としても3人の中ではかなり格上。

 フーパー役のリチャード・ドレイファスは『未知との遭遇』(1977)や『オールウェイズ』(1989)などでもスピルバーグと組むことになるが、この作品では海洋学者という設定で最初はクイントと犬猿の仲である。とにかくサメが大好きな男で、シャークハンターたちが釣り上げたサメを一目で『イタチザメ(タイガーシャーク)だ」と見抜いてしまう。それにしても日本ではイタチザメとどちらかというと弱っちい名前なのに英語だとタイガーシャーク(虎鮫)なのか。印象がずいぶん違う。

 海岸で海水浴をしているところにサメが現れて大騒ぎになるパニック映画的側面ばかり記憶されているが、本当の見せ場はORCA号に三人が乗ってサメ退治に出てから。
 犬猿の仲だったクイントとフーパーが身体の傷自慢をしているうちにすっかり仲良くなってしまうのが男らしくて良い。船の中では男三人きりの男の世界なのだ。船、それも大して大きくはない船の上だけでこれだけのドラマを展開させる手腕はもはやベテランのそれである。そしてクイントの第二次大戦時に輸送船が沈み1000人の乗組員が海に投げ出され、サメに襲われて救助された時には300名ほどしか生き残っていなかったという怖ろしい思い出話を聞いた3人はサメへの憎しみを高め一致団結していく。男は戦ってこそ男なのだ。それにしてもクイントの思い出話は怖くて、実際にサメに襲われているシーンよりも怖ろしい。
 サメ退治は迫力のあるアクションの連続で、そこはさすがスピルバーグ。

 8メートルもあるジョーズの怖ろしさは一級品で、このラージスケール・メカニカル(愛称はブルース)を作り上げたのは『海底二万哩』(1954)でノーチラス号を襲う巨大イカを作り出したロバート・A・マッティ。これからもCGはどんどん発達していくだろうが、このジョーズの怖ろしさを越えられるのはいつのことだろうか。本物のサメみたいなシーン(というか本物のサメも使っている)と明らかに作り物めいたシーンがあるが、それを気にさせない勢いがこの作品にはある。感情のない眼が怖いんだ。

 ブルースが上手く動かなかったり、海での撮影が困難を極めたりとかなり難産の結果生まれた作品のようである。しかし、その甲斐があってスピルバーグは一躍人気監督へと駆け上がった。

B002JQL3HC.jpg『戦雲』(1959) NEVER SO FEW 124分 アメリカ

監督:ジョン・スタージェス 製作:エドモンド・グレンジャー 原作:トム・T・チャーメルズ 脚本:ミラード・カウフマン 撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ 音楽:ヒューゴ・フリードホーファー
出演:フランク・シナトラ、ジーナ・ロロブリジーダ、スティーヴ・マックィーン、リチャード・ジョンソン、ポール・ヘンリード、チャールズ・ブロンソン、ブライアン・ドンレヴィ、マコ

 フランク・シナトラ主演の戦争映画。戦争映画といっても戦闘シーンはほとんどない実質ロマンス映画だ。
 シナトラはビルマで現地人を指揮して日本軍と戦っている。物資の不足、そして医師の不足からインドの本部にやってくる。
 このインドが戦争中だというのに呑気なこと。レストランに行けばパーティーをやっているし、シナトラはジーナ・ロロブリジーダと出合っていちゃつき始める。
 そして無事に医師を確保してビルマに戻ってきたらこんどは駐屯地でクリスマスパーティー。孔雀や猿の脳みそを食っている。珍味だ。
 そこを日本軍に襲われてようやく本格的な戦闘シーン。ここまでで2時間の映画の内1時間を使っている。そりゃ戦場で呑気にクリスマスパーティーをやってれば隙を突かれるよな。

 フランク・シナトラが演技派として歴戦の勇士を演じている。かなり反骨精神の強い男で、上官にも平気で逆らう。だからこそ現地人の信用を勝ち取り戦場で生き延びて来れたのだろう。
 インドでシナトラの運転手を務め、そのまま引き抜かれてビルマ入りしたのがスティーブ・マックィーン。若々しく颯爽とした動きで戦闘シーンでも活躍する。トンプソンのストックを外し全長を短くしたカスタムガンを使っているのが印象的だった。最初は恐る恐るといった感じなのが次第にたくましくなっていくのが格好良かった。
 チャールズ・ブロンソンはごく普通の一兵士と言った感じ。まったくの脇役よりかは上だがセリフもそんなに多くなく準主役には遠い。日本軍との戦いで命を落とす。死ぬブロンソンというのも珍しい。ちなみにヒゲなし。

 シナトラと色気過剰なジーナ・ロロブリジーダのロマンスがメインで、戦争は脇といった感じ。そのため中だるみ感が強い。『戦雲』というタイトルはおおげさすぎないか?
 二人でガンジス川のボートに乗りあるはずのない将来を語り合うシーンが印象的だ。
 怪我をした兵士は病院に入れられ手厚い看護を受ける。食料など物資も豊富にあり、パーティーをする余裕まである。これでは物資不足の日本軍が負けたのも無理がないかと思えてくる。

 演出はジョン・スタージェスとしては間延びした感じで歯切れが悪い。戦争映画パート部分は悪くないのだがロマンス映画部分が弛緩した印象である。この人は女性を描くのが苦手なのではないだろうか。

B0026P1KW4.jpg『さらば友よ』(1968) ADIEU L'AMI 115分 フランス

監督:ジャン・エルマン 製作:セルジュ・シルベルマン 原作:セバスチャン・ジャプリゾ 脚本:セバスチャン・ジャプリゾ、ジャン・エルマン 撮影:ジャン=ジャック・タルベ 音楽:フランソワ・ド・ルーベ
出演:アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、ブリジット・フォッセー、オルガ・ジョルジュ=ピコ、ベルナール・フレッソン

 ブロンソンを一躍世界的スターに押し上げた犯罪ハードボイルド。
 多分この頃だと思うのだが、原作の『サザエさん』でサザエさんが友達と一緒にブロンソンのポスターを抱きしめて「しびれるわ?」とか言っている。それを端から見ていた波平さんが「あんなブ男のどこがどこがいいんだ」とぶつくさ言っている。そしてオチの4コマ目で「あれ、お父さんヒゲ変えたの」と言われていてよく見るとブロンソンヒゲになっているという作品があった。
 晩年のブロンソンしか知らない人には信じられないだろうが、天下のサザエさんでセクシーな俳優扱いされていたのである。

 アルジェリアからフランス軍の兵士たちが船で帰還した。その中には軍医のバラン(アラン・ドロン)の姿があった。そのバランに近づいてきて話しかける謎の軍人プロップ(ブロンソン)はまずバランの銃を見る。それは45口径のリボルバーだった。
 バランにイザベルという若い女性が近づいてくる。彼女は任務中に死亡した別の軍医と交わしていた約束をバランに頼みたいというのだ。実はその軍医は誤ってバランが射殺してしまったという負い目があるため、その仕事を引き受ける。内容は、彼女が横領した債券を監査までに金庫に戻したいというのだ。
 金庫には7つのダイヤルがあり、仕掛けたカメラでその3つまでは判明していた。残りの4つは総当たりでやるしかない。3日間のクリスマス休暇で警備員以外誰もいなくなるのを狙ってバランはビルに忍び込み金庫室で作業に当たることになる。
 そして当日、バランは無事潜入に成功したが、どこからともなくプロップが現れ、俺も仲間に加えろと言う。警備員が入ってきたので隠れるが、彼らの話によると金庫には2億フランを超える現金が入っているらしい。その金を頂くつもりのプロップと現金には手を付けないと主張するバラン。
 そして気の遠くなるような作業が始まった。二人は交代で仮眠を取りながらダイヤルを回し数字合わせをする。そしてついに金庫が開いたが中味は空だった。
 バランはイザベルに利用されたのか。それとも他に誰かこの犯罪を仕組んだ者がいるのか。そんな時、警備員が現れ慌てて金庫のドアを開けておいたカバンをどける。こうして二人は金庫の中に閉じこめられてしまった。金庫が開くのは数日後。それまで水も食料もない。そして金庫が開いた時には捕らえられてしまうのだ。ライトの電池も尽き、債券を松明代わりに燃やして明かりを採る。彼らの肉体は限界に近づいていた。

 とにかく男臭い映画である。
 ブロンソンがなみなみと注がれた飲み物にコインを一枚ずつ入れていくシーンが何度も登場して、これはその後多くのメディアで引用されているのでも有名だ。終盤の紙コップとコーヒーで刑事相手に賭けてやって、最後の一枚でコーヒーが溢れ出るシーンなど緊張感とその崩壊が見事に描かれている。
 そしてなにかにつけイエーと叫ぶブロンソン。
 金庫の中の作業では最初はお互いを信用しておらず、相手を出し抜こうとしているが、作業を続ける内にそれがだんだん変化してくる。
 そして金庫に閉じこめられてからは、上半身裸になってやるせなく横になっているだけで、無事に生きて出られるかという焦燥感にかられる。
 ある壁だけコンクリートが冷たい。ここには通気口が通っていると気付いてから、二人で金庫の棚板を使ってひたすら穴を開ける作業をしてついに開通と思ったら警備員の死体が転がっている。これで終わりではなく更なる展開が待っていた。
 この金庫の中での男の友情の成立がまずイカす。「友達になろう。友情を育もう」というわざとらしい友情ではなくて自然発生的でお互いがお互いを信頼し合う本当の意味での友情がここにはある。
 二人の上半身裸は当時の女性観客の嬌声を呼んだことだろう。二人とも筋肉質だが、ドロンのしなやかな肉体と、ゲンコツのようなゴツゴツとしたブロンソンの肉体が見事に対になっている。それが空調の壊れた(ブロンソンが壊した)金庫室で汗ばんでいると男の俺でも見ほれてしまうぐらいだ。
 その後、ビルから抜け出した二人は空港から他の地域に行こうとするが、そこでブロンソンが警察に捕まってしまう。そして刑事にバランのことをしつこく尋問されるブロンソン。しかし、インドシナで捕虜になり18時間水で一杯の穴に入れられた経験のあるブロンソンのタフさはそんなことでねじ曲げられてしまうものではない。バランへの友情を貫き通すブロンソン。
 そして伝説となっているビルの地下室のシーンへ。刑事に手錠をかけられたブロンソンが煙草を咥えマッチはないかとポケットを探す。そこへドロンがマッチを擦って差し出す。ドロンの手を包み込むようにして煙草に火を着けるブロンソン。
 そしてドロンが「イエー」

 監督のジャン・エルマンの演出自体は取り立てて注目すべき点はない。テンポはいまいちで登場人物の心理描写も出来ていない。あくまでも主役二人に助けられたといった形だ。
 ストーリーもかなり無理がある設定で、プロットも甘く犯罪劇としては出来の良いものではない。

 天下の二枚目のドロンとしては自分の引き立て役ぐらいのつもりでブロンソンを捉えていたのかもしれないが、結果としてブロンソンがおいしいところを持って行ってしまった。
 これからブロンソンはしばらくの間ヨーロッパを活動拠点とするようになる。アメリカにいたままだったら脇役からなかなか抜け出せなかっただろうから結果として良い選択であった。

B000X20MDA.jpg『さらばバルデス』(1973) THE VALDEZ' HORSES/VALDEZ, IL MEZZOSANGUE/CHINO 97分 アメリカ/フランス/イタリア

監督:ジョン・スタージェス 製作:ディノ・デ・ラウレンティス、ドゥイリオ・コレッティ、ジョン・スタージェス 原作:リー・ホフマン 脚本:ジョン・スタージェス、クレア・ハフェーカー 撮影:アルマンド・ナンヌッツィ 音楽:グイド&マウリツィオ・デ・アンジェリス
出演:チャールズ・ブロンソン、ヴィンセント・ヴァン・パタン、マルセル・ボズフィ、ジル・アイアランド、ファウスト・トッツィ、エットレ・マンニ、ホセ・ニエト

 一人の少年ジェイミー(ヴィンセント・ヴァン・パタン)が荒野を馬に乗って旅していた。
 ふと見つけた牧場に仕事を求めるが、牧場主のチノ(ブロンソン)は「この牧場は俺一人で切り盛りできる」とすげなく断り「飯ぐらいなら食わせてやる」と彼を招き入れる。
 もう遅いからとその晩はジェイミーを泊めてやったチノは、翌日からジェイミーが自主的に仕事を始めるのを見てしばらくここで働くことを提案する。
 チノの仕事は野生馬(ブロンコ)を捕まえてきて乗用馬に調教することで、身体には野生馬を捕まえることでついたいくつもの傷があった。
 ある日のこと、町へ出かけた二人は馬車から降りてきた美しい女性ルイーズ(ジル・アイアランド)を見かける。ルイーズはチノの牧場の地主マラルの妹であった。チノの馬を買い求めにやって来たルイーズとチノはいつの間にか恋に落ちていた。それはマラルを怒らせるに充分なことであった。

 一人の少年の視点を通してチノというインディアンとの混血の男を捕らえ、そのタフガイぶりによってジェイミー自身も成長していく物語となっている。
 チノの元で働くことで彼も鍛えられ精神的にも強くなっていく。最初に頼りなさげにチノの牧場を訪れたのが別人のようだ。

 チノとジェイミーが野生馬を捕まえに行くシーンがあるが、細いのに筋肉の張り詰めた野生馬の美しいこと。カモシカの脚なんてたとえがあるが、こちらは野生馬の脚だ。
 その野生馬の美しさにはルイーズもチノもやられてしまう。野生馬同士の交尾を見ていたルイーズとチノがお互いに高ぶってしまい、抑えきれなくなったチノが抱きついて、ルイーズも最初は抵抗するもののすぐにチノを受け入れラブシーンになる。こんな導入部のラブシーンはこの作品ぐらいな物だろう。

 ルイーズを演ずるのはまたもやと書くのもそろそろ飽きてきたがジル・アイアランド。
 監督は『荒野の七人』(1960)や『大脱走』(1963)で主人公たちの一人としてチャールズ・ブロンソンを使ったことのあるジョン・スタージェス。個人的にはあまり好きな監督ではないのだが、この作品では詩情溢れる一風変わった西部劇を見せてくれる。
 なんといっても最後の対決でチノとマラル一家との戦いに決着がつかない。チノはマラルの手下を何人か撃ち殺すが、「もう俺はこの土地から出ていく」と宣言し、それを聞いたマラルはチノを見逃すのだ。
 製作に何を作っても大味なディノ・デ・ラウレンティスが加わっている割には渋めのウエスタンとなっている。アクションも少ないし、派手さもない。この頃のブロンソン作品にはまだB級の匂いが薄く、最盛期末期といっていいだろう。

 ラスト、チノは馬を全て逃がすと自らの牧場を燃やしいずことへなく去っていく。その行き先は彼が昔暮らしていたインディアンの集落なのかも知れないし違うのかも知れない。
 そして男として成長したジェイミーもいずこへか去る。多分、次の仕事場をさがして男として働くのだろう。だが彼にとってチノの牧場は一生記憶に残る場所に違いない。

 このDVDはamazon価格で780円と安いがVHSレベルの画質だ。下手をするとVHS3倍クラスの画質。『夜の訪問者』を出していたのと同じレーベルだ。出してくれるのは嬉しいが、もう少し何とかならなかったものだろうか。これはまともなマスターが残っていないんということなのだろうか。それともケチってやすいマスターを使ったか。
 ここまで安くしなくても良いからまともな作品を作って欲しい。パッケージのデザインもダサダサ。

B00005G2WB.jpg『シー・ウルフ』(1992) THE SEA WOLF 93分 アメリカ

監督:マイケル・アンダーソン 製作:デューク・フェナディ 製作総指揮:アンドリュー・J・フェナディ、ボブ・バナー 原作:ジャック・ロンドン 脚本:アンドリュー・J・フェナディ 撮影:グレン・マクファーソン 音楽:チャールズ・バーンスタイン

出演:チャールズ・ブロンソン、クリストファー・リーヴ、キャサリン・メアリー・スチュワート、マーク・シンガー、レン・キャリオー、クライヴ・レヴィル、ゲイリー・チョーク

 クリストファー・リーヴは文士。パーティーの帰りに船に乗っていると父娘のスリに遭う。とそこへ唐突に他の船が衝突してきて、船は沈没。クリストファー・リーヴとスリ娘のキャサリン・メアリー・スチュワートはアザラシ猟の船に救助される。
 その船の船長はチャールズ・ブロンソンで、これがすっかりイカれていた。乗組員たちに当たり散らしてこき使い、時折激しい頭痛と視界がかすれている様子。
 乗組員の命など何とも思わず、死んだら死んだでゴミのように布で包んで海に放り込む。
 クリストファー・リーヴは厨房で皿洗いとイモの皮むきでこき使われるが、ふと入った船長の部屋で数々の蔵書や机の上に広げられたミルトンの『失楽園』を目にする。
 船長は無学な乱暴者ではなく、深い教養を兼ね備えた人だったのだ。

 実質的主人公はクリストファー・リーヴ。その彼を振り回すのが船長のブロンソン。
 ブロンソンはアザラシ猟をする気など毛頭なくて、他のアザラシ猟をする船を襲って毛皮を奪うつもり。そのために大砲を積んでいる。
 船長の目的は兄のデスが船長を務める船。この兄弟は子供の頃から仲が悪く、互いに老人になった今でも何かに付け争っている。船長の頭痛と視界のかすれは小さい頃にデスに殴られたからなのだ。このままでは失明してしまう船長はこれが最後の機会とデスの船をつけ狙っている。
『デス・ウィッシュ』シリーズなどのブロンソンもイカれているとは思うが、このイカれ方とは種類が違う。この船長ははっきりいって狂人である。
 船員もほとんど海賊船の乗組員のような連中ばかりで、船長の恐怖と抑圧の元で支配された船の上で都会人で教養もあるクリストファー・リーヴにはとまどうことばかり。そして次第に理性が船長の凶暴性に浸食されていくのを感じ、船からの脱出を試みる。
 ラストではさすがの乗組員たちも船長に愛想を尽かしたのか、船長を裏切ってデス側についてしまう。これまでの乗組員たちに対する船長の対応を考えると無理もないのかも知れない。もっともその兄だからデスだってどんな人間か分かったものではない。
 ここで大砲による撃ち合いがあるのだが、テレビ用映画で予算が少ないせいか遠くにいるクリストファー・リーヴとスリ娘が乗ったボートに聞こえる大砲の音だけで処理している。せこいが予算がないんだしこれはこれであり。
『インディアン・ランナー』(1991)で詩的かつ重厚なカムバックをしておきながら、すぐ次回作にこの作品を選ぶセンスがブロンソンである。
 齢71歳にして雨に濡れる甲板の上での立ち回りや、水浸しになっての演技など年齢を感じさせない演技がさすがである。

B0002IJOIY.jpg『正午から3時まで』(1976) FROM NOON TILL THREE 99分 アメリカ

監督:フランク・D・ギルロイ 製作:M・J・フランコヴィッチ、ウィリアム・セルフ 原案:フランク・D・ギルロイ 脚本:フランク・D・ギルロイ 撮影:ルシアン・バラード 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:チャールズ・ブロンソン、ジル・アイアランド、スタン・ヘイズ、ダグラス・V・フォーリー

 いろいろと笑わせてくれるところの多いコミカル西部劇。だが一人の男のアイデンティティの崩壊を描いたかなりの異色作。ブロンソンと言えばタフガイだがそのブロンソンが笑われ役をやっているのも異色。

 バック強盗団の一人グラハム(ブロンソン)は銀行強盗に失敗して全滅する悪夢を観た。
 翌日、銀行のある町を目指している途中に馬が足を折ってしまう。人里離れたところに建っていた豪邸で馬を買おうとするが、自分の夢を信じたグラハムはここには馬はいないから今回の仕事はお前達だけでやってくれと仲間を送り出す。
 豪邸の女主人アマンダ(ジル・アイアランド)は未亡人で、最初はグラハムの事を警戒していたが会話を続ける内に二人は恋に落ちてしまう。そしてベッドで愛し合い、池で泳ぐなど互いの身分の差など忘れていちゃつく二人。
 そこへ強盗団が捕まり絞首刑になるとのニュースが飛び込んでくる。仲間を助けに行ったグラハムは食事時の礼服のままだったので途中でインチキ移動歯科医の衣服と馬車を奪い、気絶したインチキ移動歯科医に礼服を着せて立ち去る。強盗団の仲間を追ってきた町の人々はインチキ移動歯科医をその仲間だと思って射殺してしまう。その死体を見せられたアマンダ(馬に積まれた死体の背中だけで顔は見ていない。服装だけでグラハム判断した)はショックで気を失ってしまう。
 悪党と恋に落ちたということで町の人たちに迫害されたアマンダは「愛のどこがいけないのか」と叫ぶ。彼女の愛に町の人たちは感銘し、出版社がこのエピソードを本にしたいと申し出る。こうして出版された『正午から3時まで』は全世界的なベストセラーとなってパリでもイタリアでもアジアの僧侶の間でも読まれるようになる。
 偽の伝説がはびこってしまい、銀行強盗の舞台となった町はもはや一大テーマパークと化している。舞台では二人の演劇が上映され大ヒット。
 その頃、インチキ移動歯科医のインチキ治療の罪を着せられたグラハムは1年間の懲役刑についていた。
 ようやく出所してくるとアマンダの本を尋ねるが、1年の間に想い出の中で美化され本の通りに理想化された偽のグラハムのイメージに置き換えてしまったアマンダに、しょぼくれたグラハムは本物だと信じてもらえなかった。「体験記」が"真実"の記憶になってしまったのである。

 前半はブロンソンとジル・アイアランドとのいちゃつくシーンが満載で、ここまでくればいっそあっぱれである。
 言うまでもないだろうがブロンソンとジル・アイアランドは実の夫婦で、数多くの作品でヒーローとヒロイン役を演じているが、ここまでいちゃついているのはさすがにない。
 後にジルは乳ガンを患い闘病の末に1990年に死亡。闘病記として書いた手記のタイトルがブロンソンの人気シリーズ『DEATH WISH』をもじった『LIFE WISH』というのは洒落ていた。
 あくまでもグラハムを本物だと認めようとしないアマンダにアレを見せて納得させるところには笑った。顔や背格好は忘れていてもアレは覚えてるんだ。
 グラハムだと認めたアマンダだが、私たちはすでに伝説。それを壊す事は出来ないと、グラハムとのボストン行きを拒み、ついには伝説を守るために自殺してしまう。伝説のヒロインに祭り上げられた今となっては現実を生きるのが嫌だったのだろう。このあたりからあまり観た事のない展開が始まる。
 その後、各地を放浪するブロンソンだが、酒場などで自分がグラハムだと主張しては笑われて気違い扱いされてしまう始末。
 190センチの長身に超美男子。墓には「命よりも友情に生きた男」として虚構のグラハムが現実のグラハムの地位を乗っ取ってしまったのだ。
 過去の知り合いもいい加減なもので、「グラハムはお前のような男じゃないよ」とすげもない。友情など伝説の前ではいい加減なものだ。
 自分が虚構の英雄グラハムの友人だった事を誇るほどである。グラハムがあったこともない男が「グレハムと仕事を一緒にした」と言い張る始末。
 そしてついにアイデンティティが崩壊したグラハムは精神病院に入れられる。そこでは「ようこそグラハムさん」と患者たちが優しく迎えてくれる。やっと居場所を見出したグラハムが微笑んだストップモーションで映画は終わる。そしてジル・アイアランドの歌う歌に乗ってグラハムとアマンダが踊るエンディング。
 現代でも芸能人などが過剰にもてはやされ、もはや本人以上の存在になっている事があるが、そんなことを揶揄したかのような寓話的物語。

B000XJ5UY4.jpg『殺人鬼』(1983) 10 TO MIDNIGHT 97分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー、ランス・フール 脚本:ウィリアム・ロバーツ 撮影:アダム・グリーンバーグ 音楽:ロバート・O・ラグランド
出演:チャールズ・ブロンソン、リサ・アイルバッハー、ジーン・デイヴィス、ウィルフォード・ブリムリー、アンドリュー・スティーヴンス、ジェフリー・ルイス

 この時期にしてはキャノン・フィルム作品ではないので、アクション重視ではなく、サイコな殺人鬼を相手に廻したサイコ・サスペンスとなっている。

 ロサンゼルスでは連続殺人鬼が人々の命を奪っていた。この殺人鬼は青年で、殺害時には服を全部脱いで全裸になって犯行を行う。衣服に証拠がつかないようにというのが表向きの理由だが、きっと全裸になる事で興奮するために違いない。まったく変態なんだから。
 殺された女性が付けていた日記から知り合いの青年が浮かび上がり、捜査は進むがなかなか尻尾を出さない。
 こうしている間にもまた犯行を犯して人が殺されるかもしれないと怖れたロサンゼルス市警の刑事ブロンソンは鑑識から被害者の血を盗む出して青年の衣服にこっそりと塗りつけた。これで裁判で有罪に持ち込めるはずだったが、証言をする事になっていたブロンソンの相棒の若い刑事が証拠の捏造に気付いてしまい、警官としての正義感から証言を拒否する。
 こうして起訴は取り下げられ、青年はまた自由の身に。
 だが、これで黙っているブロンソンではない。今度は逆に青年の回りをつきまとい始め、職場の掲示板に殺害現場の写真を貼るなどの嫌がらせをする。
 ついに耐えきれなくなった青年はブロンソンの娘である看護師の寮を襲った。もちろん、全裸になって。

 映画の序盤でブロンソンが相棒とパトロールをしている時に潰れた薬局を見つけて、「あの店の店主がモルヒネ中毒になって言い争いの挙げ句女房を殺したが、半年で退院して一週間後には監察官を射殺したよ」とのセリフがある。
 人を殺しても精神錯乱や精神異常などで罪に問われないというこの作品のテーマの一つがここで語られている。
 時間としては短いが法廷劇のシーンがあるのもブロンソン映画としては珍しいだろう。
 ラストではルームメイト3人が殺されたブロンソンの娘が夜道を全裸の殺人鬼に走って追いかけられる。殺人鬼に追いかけられるというシチュエーションだけで充分怖いのに、しかもそいつが全裸。異常振りにさらに拍車がかかっている。全裸と言っても美女じゃないのだ、男なのだ。
 ようやく追いついたブロンソンと警官隊の前に、殺人鬼は手に持ったナイフを捨てる。
「おれは病気なんだよ。捕まってもどうせすぐに出られる。それが法律ってもんだ」
 と勝ち誇る殺人鬼に対してブロンソンは、
「そうはならんよ」
 と頭を一撃で撃ち抜く。

 犯人の正体が最初から分かっている『刑事コロンボ』スタイルで物語は進む。ブロンソンと殺人鬼の心理戦は他の作品ではあまり観られないもので、脚本のウィリアム・ロバーツの功績と言っていいだろう。犯人役のぬめっとした青年も殺人鬼役にリアリティを持たせている。部屋には自分の空手の写真を貼っていて自己愛の強さを強調している。どうでもいいが、一緒に貼ってあった「忍者」のポスターはあれはなんなんだ。
 法では裁けぬ悪人をついには超法規的手段で始末するのは現実では問題があるが、映画ではすきっとする。しかし、あの後のブロンソンはどうなったのだろうか。やはり逮捕されたんだろう。そもそもあの時点でのブロンソンがまだ刑事かは不明。証拠捏造で首になったか、休職中かのどちらかだろう。青年をつけ回す暇もあったようだし。刑事が射殺したのならばなんとか取り繕えそうだが、そうでなければ殺人罪か。
 アクションシーンは少ないが、それが功を奏してサイコサスペンスとしてしっかりした物に作り上げられている。終盤の盛り上がりはなかなかのものだ。ただし、ブロンソンの娘をかばって殺されてしまう3人のルームメイトが哀れでならない。一室内で行われるこの殺戮シーンは迫力と異常さあり。
 なのにどういうわけかこの作品は日本未公開。アクションシーンが少なかったのがいけなかったのだろうか。まだサイコサスペンスが定着する前の作品という事もあったろう。もったいないことである。

B001FYZO5G.jpg『地獄で眠れ』(1984) THE EVIL THAT MEN DO 90分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー 製作総指揮:ランス・フール 原作:R・ランス・ヒル 脚本:デヴィッド・リー・ヘンリー、ジョン・クロウザー 撮影:ヤヴィア・ルウァルガバ・クルーズ 音楽:ケン・ソーン
出演:チャールズ・ブロンソン、テレサ・サルダナ、ジョセフ・メイハー、ホセ・ファーラー、ルネ・エンリケス、ジョン・グローヴァー、レイモン・サン・ジャック、アントワネット・バウアー、ジョー・セネカ、ホルヘ・リューク、ミゲル・ファーラー

 チャールズ・ブロンソンとJ・リー・トンプソンの組み合わせはかなりあるが、今作もその一本。
 南米の独裁国家でモーロック博士が残忍な拷問を繰り返しては多くの犠牲者を出していた。その中にアメリカの記者ジョージがいて、彼は無残にも殺されてしまった。
 友人であったジョージの仇を討つために引退した殺し屋のホランドが、家族旅行に見せかけるためにジョージの妻リアナとその娘サラを連れて南米へと飛んだ。
 モーロック博士の用心棒を一人一人片付けていき、彼の妹を誘拐して人質としてモーロック博士を鉱山に呼び出す事に成功する。しかし、仲間が拷問に会い居場所を喋ってしまったためサラが人質に取られていた。

 アクションが少ない。しかも地味。
 60歳を越えたブロンソンは一気に顔が丸くなり穏和な雰囲気を醸し出すようになってしまった。これで元凄腕の殺し屋と言われても、単なる好々爺にしか見えない。サラとダーツで遊ぶシーンは父親と娘ではなくお爺ちゃんと孫娘にしか見えない。
 音楽がまたひどい。ケン・ソーンだから悪い人ではないはずなのだが、ジョージの死を知らされたシーンではチャララーといかにも感傷的な音楽が流れる。アクションシーンでも音楽が盛り上げてくれない。先ほども言ったがただでさえ地味なアクションなので、せめて音楽に支えて欲しい。
 悪人はサラを人質に取っておきながらなんら有効活用する事が出来ない。
 そしてラストはホランドとモーロック博士の対決かと思いきや、博士に拷問を受けて手や足を失った鉱山夫たちがよってたかってハンマーなどで殴りつけて惨殺してしまう。ホランドなにもやってねー。

 "地獄"で"眠る"べきような拷問魔という敵を設定しておきながら、それを活かしきっていない。一度、ホランドがモーロック博士に捕まり拷問にかけられながらもなんとか脱出するぐらいの展開は思いつかなかったのだろうか。
 用心棒たちも大した抵抗もせずにあっさりとホランドにやられてしまう。それだけホランドが有能な殺し屋という事だろうか。
 モーロック博士の妹(おばさん)がレズビアンだという設定には笑ったが、これとて大した意味はないのであった。レズ相手の若い女性のオールヌードを映した単なる観客サービス。ありがたい事に妹のヌードはない。あったら観客への嫌がらせだ。

B0026ZLD5I.jpg『スーパー・マグナム』(1985) DEATH WISH 3 91分 アメリカ

監督:マイケル・ウィナー 製作:メナハム・ゴーラン、ヨーラン・グローバス 原案:ブライアン・ガーフィールド 脚本:マイケル・エドモンズ 撮影:ジョン・スタニアー 音楽:ジミー・ペイジ
出演:チャールズ・ブロンソン、デボラ・ラフィン、マーティン・バルサム、エド・ローター、カーク・テイラー、ギャヴァン・オハーリヒー、アレックス・ウィンター、トニー・スピリダキス、リッコ・ロス、フランシス・ドレイク

 あのポール・カージーがニューヨークに帰ってきた。
 帰ってきた理由は朝鮮戦争時代からの古い友人に会うため。しかし、カージーに会う直前に友人は殺されてしまい、犯人と勘違いされたカージーは留置所へ。
 そこで出合った刑事(エド・ローター)はカージーの正体が自警団だと知っていた。街のストリートギャングの悪行に手を焼いていた刑事は毒には毒をとばかりにカージーを釈放しストリートギャング退治にあたらせる。
 街のダニをバッタバッタと撃ち殺していくカージーの活躍を見た地域住民たちは次第に失っていた勇気を取り戻していく。
 そして、カージーの恋人がストリートギャングの手によって殺された時、カージーの怒りが燃える。

 今回のメイン武器はウイルディ475オートマグナム。『ダーティーハリー4』でハリーが使っていた44オートマグより口径のデカい大型拳銃である。前作では小型拳銃だったが今回は大型と銃器の大型化は留まるところを知らない。火薬の調合も自家製で、こんな強力な銃で撃たれたらゴキブリのようなストリートギャングもさすがに一撃でコロリだ。
 それにしてもカージーの友人にしろ恋人にしろ、これまでの前2作の被害者にしろカージーに関わると不幸になっている気がする。ひょっとすると悪運を呼んでいるのがカージー自身なのかも知れない。あまりお近づきにはなりたくない。
 終盤では地域住民たちも銃を取ってストリートギャング相手に戦い始める。警察が当てにならないのならば自分たちの手で自分とその家族を守るしかない。実にアメリカ的発想である。さすが全米ライフル協会が力を持っている国だ。というか、いくら治安の悪い地域だからと言って一家に一丁拳銃があるってのがすごい。これでは銃の廃止を訴えても実際になくなる事はないだろう。
 この自分と自分の家族を自分で守る権利は西部開拓時代から延々と続いてきた考えでもある。『DEATH WISH』がアメリカで受けるのは西部劇の変種であるからかも知れない。
『狼よさらば』『ロサンゼルス』には渋い雰囲気があったが、今回は徹底した娯楽アクション映画になっている。『ロサンゼルス』のラストでプロの自警団になった事が示唆されるカージーはどこか吹っ切れたというかぶっ飛んでいる。
 オートマグナムどころか隣人のマーティン・バルサムが隠し持っていたマシンガンを撃ちまくり、ついには対戦車用ミサイルランチャーでストリートギャングのボスを至近距離から吹き飛ばす。バズーカかよ!あまり至近距離で使う武器じゃないと思うのだが、カージーも近くにいたエド・ローターも不思議と無事だ。
 前2作のカージーが個人的復讐で自警団をやっているとしたら、今作のカージーはアメリカ的正義を背負って自警団をやっている。大きな違いだ。個人的には初期作品の方が好みであるが、バカ映画という意味では『スーパー・マグナム』も捨てきれない。というか邦題のバカッぷりにはすっかりオレも『スーパー・マグナム』だ(意味不明)。
 終盤のアクション派はでだが演出に緊張感がないし、そろそろブロンソンの"走る"姿にも年齢的に無理が出てきた。全体的に弛緩した作品と言って良いだろう。大体、ブロンソンのヒゲオヤジが何故毎回毎回モテるのだ。
 今回の街のダニからは後の有名俳優は生まれなかった。代わりにエド・ローターやマーティン・バルサムなどの渋い俳優が脇を固めている。
 ようやくDVD化されたが4:3のスタンダードサイズでがっかり。でもamazonだと1000円程度で買えるお手軽さ。誰だ、その程度の価値しかないっていうのは。
 ちなみに学生時代にこの作品の監督がマイケル・ウィナー(先輩)か、J・リー・トンプソン(オレ)かで賭けをして負けたなぁ。終盤のバカアクションからJ・リー・トンプソンだとばっかり思っていた。ちなみに次作の『バトルガンM-16』はJ・リー・トンプソン。
 今回も何故だか音楽がジミー・ペイジ。なんでや。

B000M2DM7Y.jpg『セント・アイブス』(1976) ST. IVES 95分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー、スタンリー・カンター 原作:オリヴァー・ブリーク 脚本:バリー・ベッカーマン 撮影:ルシアン・バラード 音楽:ラロ・シフリン
出演:チャールズ・ブロンソン、ジャクリーン・ビセット、ジョン・ハウスマン、エリシャ・クック、ハリー・ガーディノ、マクシミリアン・シェル、ハリス・ユーリン、ダナ・エルカー、マイケル・ラーナー、ダニエル・J・トラヴァンティ、ジェフ・ゴールドブラム、ロバート・イングランド

 監督J・リー・トンプソンがチャールズ・ブロンソンと初めて手を組んだ作品。
 セント・アイブス(チャールズ・ブロンソン)は元新聞記者で現在は売れない作家。そのセント・アイブスがある依頼を受けるために大金持ちの屋敷を訪ねるところから物語は始まる。ハワード・ホークスの『三つ数えろ』(原作はレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウ物『大いなる眠り』)を感じさせるオープニングだ。
 奪われた日誌を10万ドルを買い取ることになっており、その受け渡しをセント・アイブスに頼みたいというのだ。10万ドルを入れたパンナムの青いバッグを持って指定されたコインランドリーを訪れるが、相手は殺されて乾燥機の中でゴロゴロと回っていた。こうしてセント・アイブスは深みへとはまっていく。

 久々に観た感想だが、チャールズ・ブロンソンにハードボイルドは似合わない。ちょっと気障ったらしい男を演じているのだが、どうもしっくりこない。ハードボイルドの主人公は自己愛の持ち主が多いが、そういったメロドラマ的雰囲気がブロンソンには合わないのだろう。DVDのパッケージはセント・アイブスが咥えたパイプに美女がお札で火を付けているし、拳銃も写っていて非常に俗物的だが、映画のセント・アイブスは意外とストイック。
 謎が謎を呼び、裏切りが錯綜するストーリーは魅力的で、自宅にAVルームを持っていて映写機で古い映画を観るのが楽しみな金持ちや、謎の美女(ジャクリーン・ビセット)、セントアイブスとは古い馴染みの警部など一癖も二癖ある人物が脇を支える。食堂のオヤジやホテルのフロントマンまで味がある。ジャクリーン・ビセットは本当にキレイでしかも悪女と来ているからもうそこらの男じゃかなわない。
 セント・アイブスも食えない男で、食堂で相手に「俺のおごりだ」と食事を勧めておきながら、立ち去り際に「誕生日おめでとう」と言い、相手が「俺の誕生日は今日じゃないぜ」と応えると「そうか間違えたな。じゃあおごりはなしだ」で終わらせる。情報をもらったんだし大衆食堂だから飯ぐらいおごってやれよとも思うが、このやり取りが面白い。

 途中でセント・アイブスは三人組のチンピラに襲われるが、その一人がジェフ・ゴールドブラム。『狼よさらば』(1974)でもチンピラ役で出演していたが、そちらではブロンソンと同一画面には映っていなかった。ブロンソンは妻と娘の敵とばかりにジェフ・ゴールドブラムをやっつける。チンピラ仲間には『エルム街の悪夢』のフレディ役ロバート・イングランドも素顔で登場していて、今にして思えば豪華なチンピラたち。残りの一人はどこでどうしているのか知らないが。

 ラストは救いが無く苦い結末。ハードボイルドはやっぱこうじゃなきゃ。ラストショットは皮肉が利いている。
 セント・アイブスとジャクリーン・ビセットがベッドインすると画面は夜空に打ち上げられた色鮮やかな花火のカットに変わる。これは大金持ちが観ている映画のシーンなのだが、何の比喩かは言うまでもないだろう。笑った。

B0009J8E2I.09.jpg『ストリートファイター』 (1975) HARD TIMES 93分 アメリカ

監督:ウォルター・ヒル 製作:ローレンス・ゴードン 製作総指揮:ポール・マスランスキー 脚本:ブライアン・ギンドーフ、ブルース・ヘンステル、ウォルター・ヒル 撮影:フィリップ・H・ラスロップ 編集:ロジャー・スポティスウッド 音楽:バリー・デ・ヴォーゾン
出演:チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ジル・アイアランド、ストローザー・マーティン、マギー・ブライ

?オレはいつでも燃えている その21?
 同タイトルのジャン=クロード・ヴァン・ダム主演『ストリートファイター』はこちらへ。

 主演はチャールズ・ブロンソンにジェームズ・コバーン、そしてブロンソンの愛妻ジル・アイアランド。すでに全員故人というのが寂しい。
 遅咲きのチャールズ・ブロンソンはこの作品時ですでに54歳。だが、賭け試合のストリートファイトで見せる裸の上半身は引き締まっていてがっちりとした筋肉がついている。顔はオヤジだが身体は現役。

 舞台は1936年、不況時代のニューオリンズ。オープニングで遠くから走ってくる貨物列車にチェイニー(ブロンソン)が無賃乗車している。どうやら職もなく、浮浪者として各地を転々としているようだ。
 倉庫で行われている賭け試合を見たチェイニーは、負けた側のマネージャーであるスピード(コバーン)に、俺をファイターとして使ってみないかと声をかける。年を取っているチェイニーにスピードは難色を示すが、チェイニーが6ドルを元手として出したため、物は試しと昨日の雪辱戦に使ってみる。相手のファイターはまだ若く身体も大きく、誰もチェイニーに賭けようとはしない。ところが、試合開始の一発でチェイニーは相手をノックダウンさせる。
 こうして、寡黙でタフなファイターと、口八丁手八丁でインチキ臭いマネージャーの、ストリートファイトの旅が始まった。2人の友情物ではあるが、最初はお互いに相手を利用しようとしか考えておらず、その友情は旅の間に徐々に築かれたものだ。

 クンフーや空手など、足技があってスピード感重視のアクションがハリウッドに定着したのは割と最近だが、ボクシング形式の一発一発の重さ主体の殴り合いアクションはモノクロ映画時代に完成していた。その集大成がこの作品ではないだろうか。ストリートファイトなので蹴りも使うがメインは素手の拳によるパンチ。もともとは炭坑夫として働いていたブロンソンのパンチは、骨の奥にまで響くような重さを感じさせる。この力強さが強豪相手に連戦連勝というストーリーの説得力になっている。
 後半ではスピードが悪徳マネージャーや金貸しとのトラブルに巻き込まれる。その決着としてチェイニーは強敵と戦うことになる。相手のファイターは悪党の側で戦っていても戦士の誇りを持っている。チェイニーのパンチを食らいダウンしたときに、拳に握り混むことでパンチ力を強める短い金属の棒をボスから渡されるが、それを払いのけて立ち上がる。敵ながら格好いいぜ。

 脚本家として活躍していたウォルター・ヒルの監督デビュー作にして最高傑作。どうも、このウォルター・ヒルという人は、監督能力に容量があったようで、一作ごとにそれが減っていき、『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984)あたりでそれを使い切ってしまった感じだ。
「俺は偉大な監督だ」と勘違いしてしまったようでもなく、映画を撮る姿勢は変わっていないと思うのだが、どうしてこうもダメ監督になってしまったのだろうか。ひょっとしたら、もともとの資質がダメ監督で、どういうわけか初期は面白い映画が撮れていたのかもしれない。

B0026OBVAQ.jpg  『ザ・クリーナー 消された殺人』(2007) CLEANER 90分 アメリカ

監督:レニー・ハーリン 製作:アヴィ・ラーナー、サミュエル・L・ジャクソン、スティーヴ・ゴリン、アリックス・マディガン=ヨーキン、マイケル・P・フラニガン、ラティ・グロブマン 製作総指揮:エリ・セルデン、ポール・グリーン、ジュリー・ヨーン、ダニー・ディムボート、トレヴァー・ショート、ジョー・ガッタ 脚本:マシュー・オルドリッチ 撮影:スコット・キーヴァン プロダクションデザイン:リチャード・バーグ 衣装デザイン:スザンナ・プイスト 編集:ブライアン・バーダン 音楽:リチャード・ギブス
出演:サミュエル・L・ジャクソン、エド・ハリス、エヴァ・メンデス、ルイス・ガスマン、キキ・パーマー、マギー・ローソン、ホセ・パブロ・カンティージョ、ロバート・フォスター

 特殊清掃人。それは殺人現場や自殺現場などで流れ出た血や飛び散った肉片などを清掃する者たちのことである。
 主人公のサミュエル・L・ジャクソンは元警官の特殊清掃人。自ら会社を構えて社長を務めると共に現場で清掃作業にもあたっている。
 ある日の事、殺人現場の清掃を終えたサミュエルは翌日になって合い鍵を持ってきてしまったのに気づき返却しにその邸宅へと向かう。しかし、その家の妻エヴァ・メンデスは清掃の事など何も知らず依頼主の警察の刑事はまったく架空の人物だった。
 そして、その家の主ノーカットが失踪した事を知る。主は警察汚職に関わる人物だった。
 友人の警官エド・ハリスに相談し、自分が泥沼に足をつっこみつつあることを知ったサミュエルはエヴァを匿い事件を解決しようとする。
 しかし、事態は思わぬ方向へ進んでいった。

 バカ映画を中心に作品を発表してきたレニー・ハーリンの地味なサスペンス映画。
 特殊清掃人は実際にいるそうで、以前テレビの『世界まる見えテレビ特捜部』で紹介されているのを見た事がある。
 殺人などで血が流れればその跡は残るわけで、まさかそのままにしておくわけにもいかないから誰かが綺麗にしなければならない。血とか肉片だから感染症などの危険性を考えると素人が簡単に手を出せるものではなく、そこでプロの出番というわけだ。
 件の清掃現場のサミュエルは白いソファに座っているところを射殺されたらしい状況で、ソファに背後の壁、床に1日ほど経った血がこびりついているのを特殊な洗剤や道具であっと言う間に綺麗にしていく。血で染まったソファが元通りに真っ白になるのは驚きだ。
 死体が発見されずに放置されていたなどの事態はあり得るだろう。その場合、死体は腐り体液などはにじみ出るだろうから一言に清掃といっても大変だ。かなり精神力を使う仕事なのは間違いがないだろう。日本では殺人事件は少ないが、自殺や孤独死はあるから知られていないだけで特殊清掃人に似た仕事はあるのだろう。警察や消防がそこまで面倒をみてくれるとも思えない。

 ストーリーは警察の汚職事件に関わるノーカットがその件で殺されたとミスリードさせておいて、ラストでどんでん返しが待っている。殺しの動機としてはちょっと弱いが、納得できないほどでもない。
 サミュエルがもっと早く警察に通報して協力を仰いでいればと思わなくもないが、彼自身元警官でその汚職事件にも関わっていた過去がある。そのため、下手をすると自分が犯人だと疑われてしまう可能性があるので避けたのだろう。そのことで孤立した主人公を描く事に成功している。
 ヴォーンという汚職の元締めが名前は何度も登場する物の画面に一度たりとも姿を現さないのも面白い。ちなみにフルネームはロバート・ヴォーンらしい。そのまんまな名前だな。

 サミュエルには娘がいる。母親は強盗に射殺されてすでに死んでいる。この父娘の関係を描くのもこの映画の大きな目的の一つ。宿題だと嘘をついて母親の事を調べる娘はどんな気持ちなのだろうか。この娘がなかなか可愛らしい上に演技が上手い。サミュエルとの二人芝居のシーンがほとんどだが、サミュエル相手に堂々と演じきっている。

 サミュエル・L・ジャクソンにエド・ハリスという渋め俳優が看板を張っている。興味ない人には興味がないだろうが個人的には実にツボだ。過去を背負ったサミュエルの渋い演技が記憶に残る。

 サミュエルのバンには『レポマン』で「どの車にもある」と言われたもみの木(?)の形をした消臭剤がぶら下がっていて笑ってしまった。
 でも、映画では清掃現場の絵面は映っても臭いを伝える事は出来ない。きっとすごい臭いなのだろう。その臭いの象徴がこの消臭剤なのかもしれないと思ってしまった。

B0027ZCJZ0.jpg『女子高生VS狼男』(2008) NEVER CRY WEREWOLF 91分 カナダ

監督:ブレントン・スペンサー 製作:アーロン・バーネット 製作総指揮:エリック・ゴズラン、マイケル・グリーンフィールド、ダニエル・グロドニック、ゲイリー・ホーサム、リチャード・ロット、ジャクリーン・ケリー、バーバラ・サックス、ブレントン・スペンサー 脚本:ジョン・シェパード 撮影:カーティス・ピーターセン 編集:ニック・ロトゥンド 音楽:マイケル・リチャード・プロウマン
出演:ニーナ・ドブレフ、ピーター・ステッビングス、ケヴィン・ソーボ、スペンサー・ヴァン・ウィック、ショーン・オニール、キム・バーン、メラニー・レイシュマン、ラザフォード・グレイ

キワモノ系な邦題だが、原題は『NEVER CRY WEREWOLF』と渋め。そういえば『ネバー・クライ・ウルフ』って自然映画があったよな。
 ある日、女子高生の住む家の隣の空き家に霧と共にバイクに乗った男が引っ越してきた。その男の正体は狼男。えっ?霧は吸血鬼じゃないかって?そんなの知らん、狼男なの。タイトルにもそう書いてあるでしょ。

 たった一人、男の正体に気付いてしまったヒロインは、友達に笑われながらも男を監視する。ところが売春婦が殺されただけではなくその友達まで殺されてしまった。警察に訴えるが、まったく取り合ってもらえない。これは私があいつを倒すしかない。
 彼女の事を昔に死んだ恋人だと思い込んでいる狼男は直接手出しをしてこない。そこで武器店に行って『ターミネーター2』の終盤でサラ・コナーが使っていた大型ショットガンを買おうとするが武器所持証がいるというので代わりにボウガンを買い込んでくると、矢の先に銀食器をくくり付けて銀の銃弾代わりにする。この女子高生、行動的で頭が切れる。それでいてなかなか可愛いと来てるから狼男ならぬ男なら惚れてしまうのもしょうがないのかも知れない。
 そして、満月の夜が訪れた。

 満月でなくても死んだ犯罪者の首の皮を持っていれば自在に狼男に変身できるという設定は始めて聞いた。この作品オリジナルだろう。ちなみに殺された犯罪者は性犯罪者で、警察によって住んでいる家には「警告、登録制犯罪者の家」の張り紙がしてある。アメリカでは性犯罪者は出所後も居所を付近の住民に明らかにしておかなければならないというがこういうことか。これでは冷たい視線を集めてしまって更正も難しいのではないだろうか。確かに性犯罪の再犯率は高いそうだが。

 終盤でテレビのハンティング番組のホストが仲間に加わる。加わると言ってもこの番組は全てヤラセでホストはほとんど自分で銃を撃った事もないとくるから頼りない。しかも番組は低視聴率で打ち切り寸前。妻に家を追い出されキャンピングカー暮らしですっかりしょぼくれている。狼男と吸血鬼という違いはあるが、なんとなく『フライトナイト』(1985)を思い出してしまった。あれは隣に吸血鬼が引っ越してきて、バンパイヤ・ハンター役を演じた俳優に助力を仰ぐというものだった。
 このホストは結局逃げ回ってばかりと思いきや意外な活躍をしてくれる。でも本当はもっと活躍して誇りを取り戻すところまでやって欲しかった。

 狼男と言えば変身シーンが楽しみだが、この作品はテレビ用映画なのであまり凝った映像は見せてくれない。CGで顔が突き出るとか背骨が伸びるとかぐらいだ。ちょっと残念だが仕方ない。

 ラストはめでたしめでたしだが、その後人間に戻った狼男の死体などを警察にどう説明するか心配だがあの子ならなんとかやってくれるだろう。まったく女子高生は最強だ。

B00140FB90.jpg『ザ・シューター/極大射程』(2007) SHOOTER 126分 アメリカ

監督:アントワーン・フークア 製作:ロレンツォ・ディボナヴェンチュラ、リック・キドニー 製作総指揮:エリク・ハウサム、マーク・ジョンソン 原作:スティーヴン・ハンター 脚本:ジョナサン・レムキン 撮影:ピーター・メンジース・Jr プロダクションデザイン:デニス・ワシントン 衣装デザイン:ハー・ウィン 編集:コンラッド・バフ、エリック・A・シアーズ 音楽:マーク・マンシーナ
出演:マーク・ウォールバーグ、マイケル・ペーニャ、ダニー・グローヴァー、ケイト・マーラ、イライアス・コティーズ、ローナ・ミトラ、ネッド・ビーティ、ラデ・シェルベッジア、ジャスティン・ルイス、テイト・ドノヴァン、レイン・ギャリソン、ブライアン・マーキンソン、アラン・C・ピーターソン、トム・バトラー、レベッカ・トゥーラン、レヴォン・ヘルム、ジョナサン・ウォーカー

 主人公のボブ・リー・スワガーは軍の元狙撃手。アフリカでの任務で観測手の友人を失い、今では軍を退役して山の中で犬と暮らしている。そんな彼の元にある依頼が来る。何者かが狙撃による大統領の暗殺を狙っていて、彼にそのプランを見抜いて欲しいというのだ。愛国心に訴えられて引き受けた彼は、フィラデルフィアで狙撃が行われると確信し、大統領演説の当日、現場で監視にあたった。しかし彼はアドバイザーのはずの制服警官に撃たれ、その間に狙撃が行われ大統領を外してエチオピアの大司教の命を奪った。怪我を負いながらも何とか逃げ延びたボブは自分が罠にはめられたことに気付いた。そして彼の復讐が始まった。

 スティーヴン・ハンターの“スワガー・サーガ”の一作『極大射程』の映画化。原作はかなり前に読んだきりだが、かなり面白い冒険小説だった。
 原作でのボブはベトナム戦争経験者で数百人を狙撃した名手中の名手。そのベトナムで地獄を見てきた男だ。帰国してからは同じく山に隠遁してしまっており映画のように簡単に敵の策に乗ってしまう訳ではない。
 ボブと行動を共にする事になるFBI捜査官のメンフィスも映画のような新米の頼りない人物ではなくかなりハードボイルドな男だ。
 粗筋は原作をなぞってはいる物の、この作品に関しては映画よりも原作をお薦めする。新潮文庫の上下2巻のボリュームだから完全映画化は不可能だろうが、もう少しうまく料理できなかったものだろうか。

 原作での銃器への徹底したこだわりがなくなっていて、一般向けを考えるとそれも仕方ないのだろうが、だとすると「外出時には撃針をずらしておく」という無実の証明の仕方がマニアックすぎて一般の人には意味が分からないのではないだろうか。
 あれは弾丸が発射されるには撃針が銃弾の雷管を叩かねばならないのだが、その撃針をわずかに後退させておくことで雷管に届かずに発射されないということ。銃の専門家であるボブは外出時には安全策として撃針をずらしていたのだ。
 ただし、これは原作とは違う。原作では陰謀に巻き込まれている可能性を察知したボブが撃針をあらかじめ削っておいたのだ。映画ではいまいちパッとしないシーンとなっているが原作では人の多い法廷で行われ山場の一つである。

 撃たれた後にボブが普通の店で売っている物で簡易点滴を作ったりと徹底した訓練を受けたプロの描写には感心する。それ以上に、小学校の教師である元相棒の妻が傷口を縫ってしまうのに感心するが。オレには出来そうもない。笑気ガスを大量に買ってきて麻酔代わりにしているがアメリカでは普通に売ってるのか。

 狙撃のシーンに関してはさすがに力が入っている。照準機をセットし、風まで計算に入れて狙撃する。反面、ボブがアサルトライフルで戦うシーンは普通のアクション映画になってしまい、その部分は物足りなさを感じてしまう。

 ダニー・グローヴァーの悪役は『刑事ジョン・ブック 目撃者』以来か?
 同じくネッド・ビーティの悪役というのも珍しい。
 しかし、この悪役の皆さん、ボブの恨みを買っているというのに、ラストではずいぶんと警戒心が無い。人に憎まれる人生を送っているのならばもうちょっと用心しなければ。
 ちなみに原作ではこの必殺仕事人のようなラストではなく、罰せられる者は罰せられるが単純な勧善懲悪とはなっていない。

 邦題について疑問が。邦題ではしょっちゅうtheとかofを平気で省略してしまうクセに、なんで今回に限って原題が『SHOOTER』なのにわざわざ“ザ”を付けたのだろうか。

 他のスワガー・サーガ作品の映像化はこの作品の出来ではちょっと微妙だろう。
 繰り返しになるが、原作はお薦めである。

B0022F6LSG.jpg『ステルス』(2005) STEALTH 120分 アメリカ

監督:ロブ・コーエン 製作:マイク・メダヴォイ、ニール・モリッツ、ローラ・ジスキン 製作総指揮:アーノルド・メッサー、E・ベネット・ウォルシュ 脚本:W・D・リクター 撮影:ディーン・セムラー プロダクションデザイン:ジョナサン・リー、J・マイケル・リーヴァ 衣装:リジー・ガーディナー 編集:スティーヴン・リフキン 音楽:BT
出演:ジョシュ・ルーカス、ジェシカ・ビール、ジェイミー・フォックス、サム・シェパード、ジョー・モートン、リチャード・ロクスバーグ、イアン・ブリス

 空を舞台にした映画という事もあって、雲海に浮かぶコロンビア・ピクチャーズの自由の女神がギューンと遠ざかるオープニングに笑った。
 近未来、戦闘機は今とは比べものにならないほど発達していた。
 3人組のチームに新しいチームメイトが加わる。その名はエディ。超高性能コンピュータで動く無人戦闘機である。飛行機型のロボットと言っても良い。
 ロボットなんかに俺たちの仕事が出来るはずがないと反感を持つ三人組。そして、エディが雷に打たれた事から異常な行動を取るようになり、彼らに牙を剥く。

 CGで描かれた近未来戦闘機F/A-37やエディの出来が素晴らしい。空母からの発艦シーンなど本物と見まごうばかりである。ドッグファイトにしても構図やカット割りなどスピード感に溢れており当時あれだけ熱狂した『トップ・ガン』や『アイアン・イーグル』はもはや遠い昔だなと思わせる。たたみかける空中戦は迫力満点で劇場のスクリーンで観ておきたかったと思わせる。
 あれこれ考えずに近未来戦闘機の戦いを楽しめば申し分ない娯楽作である。
 主人公たちの乗るシャープな逆デルタ翼の戦闘機は通信用のモニターもあって、変形してロボットになりそうだ。ガオーク形態なんかもあったりするんだろうか。
 それに対してエディは丸っこいコガネムシ型のデザインで、翼などかなり小さい。あれで飛べるんだろうか。全身のフォルムを利用して揚力をかせいでいるのか。
 だがストーリーがいただけない。
 初っぱなの任務からして、ミャンマーのあるビルに3人のテロリストが集まっているのでそれを壊滅せよというものだ。ミャンマーの許可を取っている様子はないのでどう考えても領空侵犯だ。
 タジキスタンでミサイルを爆破したのもそう。ここでは核爆弾を破壊してしまい、放射性の塵を発生させ数多くの犠牲者を出している。エディがすでにおかしくなってきていて暴走してやった事とは言えあんまりではないか。
 ロシアに侵入してSU37を2機撃墜するのもひどい。これまでは比較的小国だが、ロシアの戦闘機を撃ち落としてどう釈明するつもりなのだろう。下手したら第三次世界大戦の火蓋を切るぞ。近未来最新鋭機相手になかなかがんばる現行機のSU37がちょっと愛おしい。
 そしてラスト。北朝鮮に墜落した仲間の女性パイロットを助けるために、都合良く改心したエディにのって北朝鮮に乗り込む主人公。だから領空侵犯の不法入国だってば。しかも、女性パイロット一人を助けるために、北朝鮮兵士がたくさんいる中にミサイルを撃ち込む。もちろん爆発して兵士たちは死亡。北朝鮮という国の味方をする気はないが、これはさすがにあんまりじゃないだろうか。自国に国籍不明機が墜落したらパイロットをつかまえようとするのは当たり前の事だろう。
 どれも現実に起きるかも知れない事だけど、それをアメリカが有無をいわさぬ力のみで解決するところにうむむと唸ると同時に笑っちゃうんである。おいおい。

 終盤になってエディが暴走から目覚めて主人公の味方になってからが見ていてテンションが落ちる。素直に暴走した無人ステルス機を性能の劣る人間の操縦する戦闘機で撃墜するというストーリーで良かったんじゃないだろうか。ありきたりだけどそのありきたりを途中まではやっているんだから。
 それではストーリーが埋まらない可能性はあるが、アメリカが他国に迷惑をかけまくりのストーリーより良い。
 だいたい女性パイロットも近いんだから落ちるんならば日本に落ちればいいのに。パイロットをつかまえるどころか、墜落現場を勝手に閉鎖されて自国の警察を追い出されて何の説明もなくても文句を言わないぞ日本は。沖縄での米軍ヘリ墜落事故が証明している。
 120分と娯楽映画としては若干長目だが、タイでの意味のない休暇シーンを削れば110分にはなったはず。あれはジェシカ・ビールの水着サービスシーンのためだけに撮影されたと見た。あるいは撮影と称してスタッフ共々実際に休暇を取ったのではないだろうか。

 チームの上官役でサム・シェパードが出ているのが嬉しい。この人物、実はエディ以上に暴走しているのであった。
 ちなみに無人戦闘攻撃機は現在順調に開発中である。

B001VFIAK0.jpg『サイコ4』(1990) PSYCHO IV: THE BEGINNING 96分 アメリカ

監督:ミック・ギャリス 製作:ジョージ・ザルーム、レス・メイフィールド 製作総指揮:ヒルトン・A・グリーン 脚本:ジョセフ・ステファノ 音楽:グレーム・レヴェル オリジナル音楽:バーナード・ハーマン
出演:アンソニー・パーキンス、ヘンリー・トーマス、オリヴィア・ハッセー、CCH・パウンダー、ウォーレン・フロスト、ドナ・ミッチェル、トーマス・シャスター、シャレン・キャミル、ボビ・エヴォース、ジョン・ランディス

 母親殺しの殺人犯をテーマにしたラジオの生放送番組に一本の匿名電話がかかってくる。自分は、昔に母親を殺したというのだ。
 そして男が語り始める若き日の男が母を殺すまでの驚くべき物語。

 その男とはもちろんノーマン・ベイツ。すでに服役を終え世間に出てきている。3作目のラストを考えると一生刑務所か精神病院暮らしだろうが、それでは物語にならない。
 ノーマン・ベイツがいかにして異常者になっていったかをねちっこく描いている。
 監督はスティーヴン・キング作品のテレビ用映画を多く手がけているミック・ギャリス。脚本は1作目のジョセフ・ステファノ。単に過去を描くだけではなく、現在のノーマン・ベイツがラジオに電話をして過去について語り回想シーンになるというアイディアでよりストーリーを面白い物にしている。
 劇場用映画ではなくテレビ用映画だが残虐な殺人シーンもいくつか含まれている。
 ラジオのスタッフに何故だか『ブルース・ブラザース』などの映画監督ジョン・ランディスがいたので笑った。製作に絡んでいるわけでもなさそうだから純粋に俳優としての出演。相変わらず出たがりだ。
 ノーマン・ベイツは収容時代のカウンセラーと結婚しているのだが、実際そんなことがあり得るのだろうか?ノーマン・ベイツの経歴を読めば、彼がいかに魅力的な人物に見えたとしても結婚はあり得ないと思うがどうだろう。そして安定していたかに見えた現在の彼だが自分の子を宿したという理由で奥さんを殺しにかかる。ベイツの遺伝子は自分で終わりにしたいのだ。果たして彼女の運命やいかに。

 ベイツ邸も燃え去り、すべては解決したかに見えた。だがホラー映画には付き物なまだ今後も何かありげなラストが付属している。
 しかし『サイコ5』は作られないだろう。それはノーマン・ベイツ役のアンソニー・パーキンスが1992年に亡くなったからである。思えばノーマン・ベイツに振り回された一生であった。

B001VFIAN2.jpg『サイコ3/怨霊の囁き』(1986) PSYCHO III 98分 アメリカ

監督:アンソニー・パーキンス 製作:ヒルトン・A・グリーン 脚本:チャールズ・エドワード・ポーグ 撮影:ブルース・サーティース 音楽:カーター・バーウェル
出演: アンソニー・パーキンス、ダイアナ・スカーウィッド、ジェフ・フェイヒー、ロバータ・マクスウェル、ヒュー・ギリン、リー・ガーリントン、ロバート・アラン・ブラウン、ブリンク・スティーヴンス

 ノーマン・ベイツ役のアンソニー・パーキンスが監督までやって入れ込んだ作品。だが悲しいかな出来は良くない。
『怨霊の囁き』というサブタイトルが80年代後半を感じさせてくれる。

 2作目のラストで再び“母親”に取り憑かれたことが観客には分かっているので、ノーマン・ベイツが殺人を繰り広げることがあらかじめ分かってしまう。犯人が分かっているサスペンスで、しかもどれも衝動的殺人だから緻密な計画など無く行き当たりばったりでは意外性も何もない。
 3は2を観ていないと意味が分からないし、2は1を観ていないと意味が分からない。そう言った意味ではシリーズとして連続している。
 1作目のシャワーシーンの再現かと思われた修道女への襲撃も、彼女がバスタブの中で手首を切って自殺を図っていたものだから命を救うこととなり逆の結果となる。母に扮装したノーマン・ベイツがボーッとした彼女にはマリア様に見えてしまう。
 この構図の逆転は面白いが、彼女にヒロインとしての魅力が乏しいのでノーマンが彼女に惹かれる理由が乏しいのが残念だ。
 2作目よりスプラッター描写が増えていて、トイレの便座に腰掛けていた女性が喉をざっくり切られて血が噴き出したり、階段から落ちた(1作目での探偵の階段落ちのオマージュ)女性が彫像の矢に首の後ろを刺されたりするがさほどショッキングな印象を受けない。ホラー映画として確立した物を作っているわけでもなさそうだ。
 20数年前に悲惨な事件を起こしたノーマン・ベイツがすっかり街の人に受け入れられているのも妙な感じだ。田舎町だし村八分になっても良さそうだが、保安官は最後までノーマン・ベイツを信じてくれる。
 バーナード・ハーマン、ジェリー・ゴールドスミスと来た音楽が今回はカーター・バーウェルの平凡なスコアで、悪くはないが前2作と比べると物足りなさを感じてしまう。
 ラストにどんでん返しがあるが、2作目のラストをぶち壊しにしてしまう内容と唐突さで無理矢理衝撃的にしようとした感が強い。それでもラストカットのノーマン・ベイツにはぞっとしてしまった。
 全体的に『サイコ』を構造的に踏襲していながらやたらと違和感が強く、これは『サイコ』直系のパロディではないかとさえ思えてしまう。
 製作に色々とトラブルがあったようで、アンソニー・パーキンスは自棄になっていたのではないだろうか。『サイコ3』というより『ノーマン・ベイツ3』というタイトルの方が似合っている作品であった。

B001VFIAMS.jpg『サイコ2』(1983) PSYCHO II 113分 アメリカ

監督:リチャード・フランクリン 製作:ヒルトン・A・グリーン 製作総指揮:バーナード・シュワルツ 脚本:トム・ホランド 撮影:ディーン・カンディ 特殊効果:アルバート・ホイットロック 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:アンソニー・パーキンス、ヴェラ・マイルズ、メグ・ティリー、ヒュー・ギリン、ロバート・ロジア、デニス・フランツ、ティム・メイアー

 前作のラストで警察に捕まり精神病院に収容されたノーマン・ベイツが22年経って完治が認められ退院することとなった。数多くの署名を持った夫人がその退院に反対するトラブルはあったが、それ以外はすんなりとノーマンはベイツ・モーテルのある自宅に帰ってきた。
 そして、食堂で働くこととなり恋人と喧嘩別れして行くところが無くなってしまった同僚の女性と古びた屋敷で同居することとなる。
 過去を拭い去り順風満帆かと思われた彼の人生だが、「アバズレを泊めるんじゃないよ 母」などの母親からのメモや電話がかかってくるようになる。彼の母親はとうの昔に死んだはず。女性はシャワールームで何者かに覗かれているのを感じる。また彼に母が取り付いたのか。そんな中、殺人事件が発生し始める。

 あの衝撃のラストで終わった1作目の続編を作ろうというのがまずイカしている。普通考えない。考えても実行しない。
 不可能とも思えるそれを成し遂げたのは『F/X2 イリュージョンの逆転』(1991)などヒッチコックマニアとしても知られる監督のリチャード・フランクリンと、『フライトナイト』(1985)や『スティーブン・キング/ランゴリアーズ』(1995)などの監督として知られる脚本のトム・ホランドの力だろう。
 もちろん、「ノーマン・ベイツだ。ノーマン・ベイツだ」と言われ続けたアンソニー・パーキンスが開き直ってもう一度“ノーマン・ベイツ役”を演ずるという決断をしたからこそ実現した企画である。
 1作目の一番有名なシーンであるジャネット・リーのシャワーシーンでの惨殺という大胆なオープニングから始まり、序盤でそれを模倣したシャワーシーンを導入することで真っ向から一作目に挑んでいる。
 ミステリー色が強いので内容についての言明は避けるが、かなり強引な力技で続編として仕上げている。
 ミステリーとしてはあまり出来の良い物ではない。犯人の動機が曖昧すぎてそこまでやる理由というのがあまり見えてこない。代わりに、次第に完治したはずのノーマンがまたもやおかしくなっていく様子がゾッとする感じで描かれている。ノーマンにとっての“母”の存在という謎を上手く活かして観客にどういうことなんだろうと想像させる。
 1作目を意識した構図などのカメラワーク、小道具、舞台設定などが観ていてニヤリとさせる。終盤でのスプラッター描写は好みが分かれるところだろう。作品全体のカラーから言うと浮いている感じが個人的にはする。
 単純に1作目がヒットしたから二匹目のドジョウを狙うのではなく、1作目をリスペクトした上で新しい『サイコ』を作り上げる点では見事に成功している。ラストの衝撃度も前作に負けていない。

B001VFIAMI.jpg『サイコ』(1960) PSYCHO 109分 アメリカ

監督:アルフレッド・ヒッチコック 製作:アルフレッド・ヒッチコック 原作:ロバート・ブロック 脚本:ジョセフ・ステファノ 撮影:ジョン・L・ラッセル 音楽:バーナード・ハーマン タイトルデザイン:ソウル・バス
出演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ジョン・ギャヴィン、ヴェラ・マイルズ、マーティン・バルサム、サイモン・オークランド、ジョン・マッキンタイア、ジョン・アンダーソン、パトリシア・ヒッチコック

 当時の劇場は上映中だろうと入場が自由だったが、この作品では「上映開始後の入場はお断りします」じゃなかったかな。いや、実際には知らんけど。生まれてないし。
 うたい文句も「この結末は決して人に話さないで下さい」だったんじゃなかったかな。それぐらい衝撃的な結末が売りだったのだ。

 あるモーテルの経営者はノーマン・ベイツという青年だっった。その母親が犯す2件の殺人事件と失われた4万ドル。その謎を追う私立探偵と二人の若い男女。
 ストーリーだけ書くとミステリーだが、サイコサスペンスのはしりである。元来ハリウッド映画ではタブーとされてきた精神異常者による犯罪を描いた初期の作品となる。『サイコ』がなければ『羊たちの沈黙』もなかったのだ。
 その画期的作品を限られた場所、限られた人数で映像化している。場所はほとんどがベイツ・モーテル中心だし、主要な登場人物はせいぜい5?6名だ。計算しきった舞台設定と、同じく計算しきった人物配置がなされているのだろう。
 サイコサスペンスとして今現在の作品と比べてどうだろうか。個人的には匹敵しうると思うが、観る人によっては白黒で古くさいし怖くない、オチも大したことがないと言ってしまう人もいるかも知れない。しかし49年という年月を考えて欲しいと言っておこう。本当は考えなくてもすごいけど。

 エド・ゲインと呼ばれる実在した連続殺人鬼がいる。『サイコ』はそのエド・ゲインのエピソードを参考にしたと言われている。同じくエド・ゲイン物としてはトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』などがありホラー界では人気の人物だ。

 有名なのはジャネット・リーが包丁で殺されるシャワーシーンだろう。細かく割られたカットで緻密に構築されていて、単にショッキングという意味ならば今のホラーの方が上だろうがその完成度の高さではまだまだかなわない。パロディなどでもたまに利用されているのでそちらで観た人もいるかも知れない。『メル・ブルックスの新サイコ』の「新聞だ?!新聞だ?!」とか。ジャネット・リーはそこまでの展開ではてっきり主人公と思えるから知らずに観た人は「えっ?死ぬの?」と驚いたことだろう。

 キンキン、キンキンと金属音のように高い音楽が耳に残るが担当したのは『北北西に進路を取れ』(1959)などでもヒッチコックと手を組んだバーナード・ハーマン。メロディラインがやはり似ている。

 線と文字が行き来するオープニングタイトルをデザインしたのはソウル・バス。今回はそれほど良い出来とは思わない。シャワーシーンにかんしてヒッチコックとバスが「俺がやった」「いや、俺に決まってるだろ」みたいなことを言っていたという話しを聞いたことがあるが、あれの事実はどうなってるんだ。『ヒッチコック映画術』の著作によるとバスにコンテは描かせたがシャワーシーンではなく探偵が階段を上っていくシーンでしかもそれも没にしたとあるのだが。この探偵は結局、母親の包丁によって斬りつけられ階段を落ちていくことになるのだが、ここもまたヒッチコックらしいカメラワークになっていて興味深い。

 ノーマン・ベイツがジャネット・リーと会話をしているところで母親の悪口を言われると途端に不安定な言動になる。それまでの比較的談笑だったのがいきなりプッツンといくんじゃないかという変容振りでアンソニー・パーキンスの演技力を感じさせる。鳥の剥製たちがそれをさらに引き立てる。ラストの毛布を被ったシーンも凄みがあってやはりただ者ではない。
 ただ者ではないがこのノーマン・ベイツの印象があまりに強すぎて『オリエント急行殺人事件 (1974)』などで良い演技を見せても最後まで拭い去ることは出来なかった。じゃあいっそのことと開き直ってしまうのがすごいところだが。

追記:コメント欄でオンリー・ザ・ロンリーさんが「カラーじゃなかったっけ?シャワーシーンだけパートカラー?」と発言されています。この方は昔観た映画について非常に記憶を鮮明に持っておられる方で、普段ですとこのような間違いはなされないんですよ。
つまり白黒だったのをカラーと感じさせるぐらいあのシャワーシーンは衝撃的だったとも言えるのではないでしょうか。とうにカラーの時代なのに白黒で撮ったのはヒッチコックがシャワーシーンでの血をどぎつく下品に見せたくなかった(レイティングの問題もあるでしょう)という説がありますが、当時の人が白黒をカラーに感じられたのならば正にヒッチコックの考えは的中していたと言わざるを得ないでしょう。

B001EI5MIC.jpg『スクワーム』(1976) SQUIRM 93分 アメリカ

監督:ジェフ・リーバーマン 製作:ジョージ・マナス 製作総指揮:エドガー・ランズベリー 原作:リチャード・カーティス 脚本:ジェフ・リーバーマン 撮影:ジョセフ・マンジーン 特殊メイク:リック・ベイカー 音楽:ロバート・プリンス
出演:ドン・スカーディノ、パトリシア・ピアシー、R・A・ダウ、ジーン・サリヴァン、フラン・ヒギンズ、ピーター・マクリーン

 雷雨で送電線が切れ、地中に数十万ボルトの電気が流れ養殖場のゴカイが凶暴化して人を食い来るという動物パニック映画。特色としてはそのゴカイの数の多さ。最初は数匹、数十匹単位なのだが、最後はもう家の中や店の中がゴカイだらけ。一階が埋め尽くされて階段の途中までゴカイが昇ってくるというシーンがある。この辺りの大量のゴカイはさすがにゴムかビニールの模型だが、アップになっているのは本物のゴカイ。極端なクローズアップのゴカイはもはや怪獣だ。環形動物マニアにはたまらんでしょうなぁ。オレには分からんが。素直にきしょい。

 舞台は田舎町。都会からやって来た青年がヒロインの家に泊まることになる。その隣の家は釣り餌用にゴカイ養殖業を営んでいる父と息子が住んでいる。
 青年を迎えに行くのに、ヒロインがゴカイ養殖場のトラックを借りるという描写があるのに、その後のシーンでは自宅のステーションワゴンを乗り回していたりと脚本はかなりいい加減。キャストも見たことない人ばかりで演技も正直下手。監督は脚本も兼ねているし、かなり自主映画に近い低予算映画と見た。
 まぁ正直ストーリーはどうでもいいんだ。ゴカイさえ見られれば。シャワーを捻るとシャワーの穴からポトリポトリと落ちてくるゴカイ。釣り餌として針に掛けようとしているのに腕に食らいついてくるゴカイ。根元を掘って大木すら倒してしまうゴカイ。死体のシャツを開いてみたらゴカイがウジャウジャいて肉を食っている。とにかくゴカイゴカイゴカイ。模型も合わせて合計で8000万匹のゴカイを使ったとか。

 なかでも養殖業者の息子の顔に食い込んでいくゴカイのシーンが見所がある。この特殊メイクをやったのは若き日のリック・ベイカー。若き日といっても同じ年に『キングコング』(1976)をやっているんでメジャー売り出し寸前だったことだが。正直、なんでこの映画にリック・ベイカーが参加しているのかちょっと不思議。もうそろそろ多少は仕事を選べていたと思うんだが。ゴカイの顔食いシーンがやりたかったのかな。

 ラストで意味のないカメラワークがあったと思ったらヒロインの妹が箱に隠れて無事に生き延びていたりして、実は無意味にこの箱に入ることの伏線があったりするが、そんなことに気を遣うんだったらもうちょっと別の所に気を遣えと言いたくなる脚本だが、それでも最初に異常に気付いた人が街の権力者(この作品の場合は保安官)に訴え出てもまったく信用されないというパターンは守っている。この保安官が本当に嫌な奴で、最後はゴカイに食われてしまうのだが喝采である。事件が起きてるってのに呑気にスパゲティなんか食ってるからだ。
 ラストのゴカイ大暴走のシーンはほとんど一軒の家にのみ焦点を当てているが、ちょっとだけ映る街の様子だとそちらも大騒動の食われまくり。ラストの電気工事人のセリフを聞くにどうやら街は全滅した様子。何気にひどいラスト。

 動物パニック物はやたら大きくするかやたら数を出すのがパターンだが、その後者の見本的一本。度胸がある人はスパゲティかマカロニを食べながら観てみませんか。

B001TIKGGK.jpg『重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス』(1973) THE SEVEN-UPS 104分 アメリカ

監督:フィリップ・ダントニ 製作:フィリップ・ダントニ 製作補:ジェラルド・B・グリーンバーグ 製作総指揮:ケネス・ウット、バリー・J・ウェイツ 原案:ソニー・グロッソ 脚本:アルバート・ルーベン、アレクサンダー・ジェイコブス 撮影:アース・ファーラー 編集:ジェラルド・B・グリーンバーグ、スティーヴン・A・ロッター、ジョン・C・ホーガー 音楽:ドン・エリス
出演:ロイ・シャイダー、トニー・ロー・ビアンコ、ビル・ヒックマン、リチャード・リンチ、ラリー・ヘインズ、ケン・カーチェヴァル、ジョー・スピネル、ヴィクター・アーノルド、ジェリー・レオン、ルー・ポラン、マット・ルッソ、ロバート・バー、レックス・エヴァーハート

 ザ・セブン・アップスといっての緑色のパッケージをした炭酸清涼飲料水ではない。特殊犯罪のみを手がける非公式捜査班だ。強引なおとり捜査をするのが特徴で、奴らにパクられたら7年以上の重罪になるというのでその名が付いた。
 その頃、ニューヨークでは犯罪組織の幹部が偽警官によって誘拐される事件が相次いでいた。身代金を払うことで無事に身柄を取り戻せてはいるのだが、なにぶんみっともない話だし自分達の稼業が稼業なので警察にも言えない。そしてまた一件の誘拐が実行されたのだが、たまたまザ・セブン・アップスの一人がトランクに閉じこめられていて、犯人がそのトランクにお宝が入っていると勘違いして銃身を切り詰めたショットガンで撃って開けてしまった。そのため死んだ仲間の仇を取るために、ロイ・シャイダーが誘拐犯の車とカーチェイスを始める。

 監督のフィリップ・ダントニは『ブリット』(1968)や『フレンチ・コネクション』(1971)で制作を務めた人。「お前らばっかりカーチェイス撮ってんなよ。うらやましいじゃんかよ。俺にも撮らせろよ」と言ったかどうかは知らないが、初監督(というかこの作品しか監督していない)をして思いっきりカーチェイスを撮ったのがこの映画。

 物語中盤のこのアメ車同士のカーチェイスが燃える。やっぱ男ならば一度かカーチェイスをやってみたい物ではないだろうか。
 レーシングゲームは多々あるが、オレが好きだったのは20年ぐらい前にタイトーが出していた『CHASE H.Q.』というカーゲームだった。このゲームは主人公は刑事という設定で、逃げまくる犯罪者の車を追い詰めていく。ここまでは割と普通のカーレースゲームだがここからが違う。犯人の車に自分の車をガッシャンガッシャンぶつけて壊し走行不能にしたらクリアなのだ。「ナンシーから緊急連絡」とかいって講義にも出ないで燃えたなあ。
 それはともかく、ボンネビルとベンチュラの二台のポンティアックが車線無視、強引な割込、歩道を走る、赤信号無視、他の車に軽く接触しても無視無視。道路交通法?なんですかそれなカーチェイスが展開される。
 排気量の大きく馬力の強いアメ車だけにアクセルを踏み込むとドドドドドドドと加速する。最近のシャープでアクロバティックなカーチェイスにはない鈍く重いカーチェイスが楽しめる。
 まぁ、ロイ・シャイダーは最後には停車中のトレーラーの後ろに突っ込んでオープンカーになって脱落してしまい犯人に逃げられるんですけどね。でも、コラムシフトだしアメ車なので足元が広いのでとっさにそこに飛び込んで助かるんである。日本車だったら入れないな。
 実生活で乗る分には日本車だが、カーチェイスはやはりアメ車に限る。
 ちゃんとブリット跳びも出てくる。ブリット跳びとはオレが名付けたので誰も知らないだろうが、急な下り坂を猛スピードで下っていて直角道路との交差点で出来る段差で車がジャンプすることだ。名前の由来はさきほども登場した『ブリット』。『ブリット』はこのブリット跳びがやりたいがために坂の多いサンフランシスコを舞台にしたのではないだろうか。
『ザ・セブン・アップス』のブリット跳びは坂が緩やかなのでちょっと迫力に欠けるがちゃんとやってくれるところがうれしい。オレもやってみたいなブリット跳び。今の技術でリメイクしてくれんかな『CHASE H.Q.』。出来れば体感ゲームで。

 とにかくロイ・シャイダーがいい。常にストレス過剰で、ちょっとしたことで爆発してしまいそうなイライラした感じで現場の緊張感を表している。この作品が初主演作とはちょっと意外。もっと前から主役を張っていたイメージがある。
 暴走気味なアウトロー刑事だが、友人を大切にする一面もある。だが、その友人に裏切られていたことを知るラストが切なくハードボイルド。

 編集に三人も名前があるのも珍しい。おそらくはカーチェイスシーンで一人。ドラマ部分で一人。それ以外で一人といった担当なのではないだろうか。それか監督と喧嘩して三人交代したかだな。カーチェイスシーン意外はごく普通の編集。

B001T9V6RM.jpg『ザ・ソルジャー』(1982) THE SOLDIER 95分(DVD版84分) アメリカ

監督:ジェームズ・グリッケンハウス 製作:ジェームズ・グリッケンハウス 脚本:ジェームズ・グリッケンハウス 撮影:ロバート・ボールドウィン 音楽:タンジェリン・ドリーム
出演:ケン・ウォール、アルバータ・ワトソン、クラウス・キンスキー、ウィリアム・プリンス、ジェレマイア・サリヴァン、ヨアキム・デ・アルメイダ

 低予算映画『エクスタミネーター』(1980)でスマッシュヒットを飛ばしたジェームズ・グリッケンハウスが次回作として撮ったスパイ映画。
 アメリカでテロリストによってプロトニウムが盗まれ、それが核兵器に加工されてアラブの油田に仕掛けられたとの脅迫が入ってきた。もしも実際に爆発すればこの後300年間に渡って石油の供給が半分になってしまう。テロリストの要求はイスラエル軍の撤退とパレスチナの解放だった。イスラエル、アメリカそしてソ連がにらみ合う中、CIAの特殊部隊を率いるコードネーム・ソルジャーは無事に事件を解決できるのだろうか。

 なにを込み入ったことをやっているわけではないのだが、どうにもややこしく筋が分かりにくい脚本。監督のジェームズ・グリッケンハウスが脚本も担当しているが、この人は監督としてはともかく脚本家としての才能はないのではないだろうか。時代が時代だから最終的にはソ連が悪役なのだが、それもどうもピンとこない。テロリストとソ連の繋がりってどうなってるの?
 ワシントン、ベルリン、モスクワ、テルアビブ、オーストリアなど低予算なれど世界各地でソルジャーの活躍が観られて、十分楽しくスピード感の溢れるアクションを成立させているので無能というわけではないだろう。ガンアクションに素手での殴り合いのどちらも下手ではない。
 特筆すべきはオーストリアでのスキーでの追いかけ合い。敵二人に追われるソルジャーの様子が盛り上がる。本家スパイ映画『007』シリーズにもスキーチェイスが登場するが、志は負けていない。スキーでジャンプしながら小型サブマシンガンを水平回転撃ちするシーンは白眉。なぜかクラウス・キンスキーがちょっとだけ出てくる。
 ソルジャーが室内で銃の訓練をしているシーンがあるが、これがフィルムで上映された映像を目がけて光線銃を撃つというガンシューのような物。『ビバリーヒルズコップ2』の射撃訓練場で使われていたのと同じようなものだと言えば分かりやすいだろうか。今ではああいうのもコンピューターグラフィックを使用しているのだろうか。専門のシステムではなく市販のガンシューだってバカにならない。『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』のマーティーはコンビニに置いてあるガンシューで射撃を覚えたのだから。
 ラストはベルリンでポルシェに乗ってのカーチェイス。壁を越えての大ジャンプもあるし結構壊れてるんだが本物か?中古?
 タンジェリン・ドリームの音楽は格好いいテーマ曲もあるが、全体的には聴いている人を不安にさせる。
 B級アクションの面白さを充分に堪能させてくれるだけに、やはり脚本が残念だ。

B001Q79UO8.jpg『ゾンビ・ストリッパーズ』(2008) ZOMBIE STRIPPERS! 94分 アメリカ

監督:ジェイ・リー 製作:ラリー・シャピロ、アンドリュー・ゴロヴ、アンジェラ・リー 製作総指揮:マイケル・J・ザンピーノ 脚本:ジェイ・リー 撮影:ジェイ・リー 音楽:ビリー・ホワイト・エイカー
出演:ジェナ・ジェイムソン、ロバート・イングランド、シャムロン・ムーア、ジョーイ・メディナ、ティト・オーティズ

 タイトルと聞いた時は、ゾンビに襲われた世界でたまたまストリップバーに人間が立て籠もる話しだと思った。まさかストリッパーたちが本当にゾンビになっていく話しだとは思わなかった。これはロメロにだって思い津きゃしねぇぞ。
 すべてはジョージ・ブッシュが悪いのである。アメリカ大統領に4期当選したブッシュは世界中で戦争を繰り広げ、兵士の損耗が激しいので死体を生き返らせて兵士として再利用しようと考えたのだ。そこで研究所ではゾンビの研究が行われた。このゾンビ、女性ゾンビだけだと割と安定して秩序が守られているのだが、男性ゾンビが入り込むと事態は混乱してしまう。
 ゾンビ研究所で例によってウイルスが漏れ、軍の特殊部隊が制圧に臨むが隊員の一人が噛まれてしまう。その隊員は逃げ回ったあげく一軒の秘密クラブにたどり着く。そこはブッシュが禁止したストリップバーだった。

 隊員に一人のストリッパーが噛まれるのだが、このストリッパーは当然女性なので比較的安定している。時々人間を食わせてやれば通常の暮らしが出来るのだ。そしてそのストリップダンスがすごい。観客を魅了してあっと言う間にナンバー1になってしまう。
 店のオーナー(『エルム街の悪夢』のフレディーことロバート・イングランド)は金の亡者で、彼女がゾンビだろうが客が興奮して金をばらまいてくれればそれで良い。彼女が食べてゾンビ化した男は地下室に押し込んで札束を数えてウハウハである。
 そのゾンビの彼女に嫉妬したり心酔した他のストリッパーたちは彼女にかまれてどんどんゾンビ・ストリッパーズ化していく。
 こうして秘密のストリップバーはゾンビ・ストリップバーとなったのだ。
 もちろん、ゾンビものであるからしてそのまま平和なわけがない。地下室に閉じこめた男ゾンビたちが逃げ出してストリップバーで暴れ始める。オーナー室に逃げ込む従業員やまだ人間のストリッパーたち。オーナーは小型ショットガンを構えている。他に銃はないのかの問いにオーナーは“全米ライフル協会会員”の会員証を見せる。もちろん戸棚の中は銃器で一杯。

 ゴアシーンもなかなかしっかり作られていて、意外と真面目なゾンビ映画。バカだけど。そう、今年一番のバカ映画。ゾンビ・ストリッパー対ゾンビ・ストリッパーの戦いでは女性のあそこにゴルフボールやビリヤードの玉を押し込んでは押し出すいわゆる“花電車”の芸による戦いが繰り広げられる。なんやなんそれ。
 ゾンビ・ストリッパーに人間のストリッパーが嫉妬するシーンなどもよく考えられていて、人間は成功のためならばその人間を捨てるという矛盾が描かれている。
 軍の特殊部隊も有能だが基本アホで、スクリーンを爆笑で包んでくれる。
 タランティーノやロバート・ロドリゲスが好きそうな一本。

B001R0WCNK.jpg『ザ・セル2』(2008) THE CELL 2 94分 アメリカ

監督:ティム・イアコファーノ 製作:アレックス・バーダー、ローレンス・シルヴァースタイン 製作総指揮:ケヴィン・ケイシャ 脚本:アレックス・バーダー、ロブ・リノウ、ローレンス・シルヴァースタイン 撮影:ジーノ・サルヴァトーリ 音楽:ジョン・マッサリ
出演:テッシー・サンティアゴ、フランク・ホエーリー、クリス・ブルーノ、バート・ジョンソン、エリザベス・バロンデス、エイミー・ウォルデン

 前作の『ザ・セル』(2000)は事件を解決するために猟奇異常殺人犯の精神にサイコダイバーが潜入するいう話しで、CGの力を借りて異常者の精神を映像化するという野心的な作品だった。
 その続編がこれ。その意欲が欠片も感じられない駄作に成り下がっていた。

 女性を対象にした連続監禁猟奇殺人が繰り返されていた。その捜査に一人のサイコメトラーの女性が加わっていた。彼女は被害者の持ち物に触れると今どんな場所にいてどんな目に合わされているのか分かってしまうのだ。実は彼女自身事件の被害者で、何度も殺されては蘇生させるを繰り返され、その中で脳のエンドルフィンが過剰に分泌されてその能力を得たのだ。
 そして新たなる事件が発生する。被害者は地元警察の保安官の姪だった。FBIから派遣された彼女は保安官と協力して犯人を追うのだった。

 どうやら劇場用映画ではなくビデオ用映画らしい。
前作ではダリを思わせるような悪夢的精神世界だったが、今回はそのような美術的見せ場はなく精神世界もごく普通のビジュアルで安易に想像できてしまうような出来で観ていて面白みがない。
 女性を毒で殺しては解毒薬を打ったり、窒息死させてはまた蘇生させたりを繰り返す犯人像は猟奇である程度面白いが、正体が分かってしまうと実に魅力がない人物で、陳腐さが臭ってくる。しかも、推理するまでもなく実に安易な犯人だ。あれこれと生と死について語るがこれまた薄っぺらで狂気を感じさせてくれない。
 なにより主人公であるヒロインの顔が下品でこれまた魅力が乏しい。唯一の生き残りという設定も活用されていない。もしこれで可憐な女性が精神力を武器に殺人鬼に立ち向かうんだったらもう少し評価出来たのだが。
 ビデオ用映画ということもあって予算が少ないのかCGのレベルも低く、全体的に繊細さに欠ける。音楽もごく当たり前。
 エンドクレジットにオープニングで使われた犯人捜査の空撮が意味ありげなヘリコプターからの空撮が延々インサートされているがどうやらまったく意味はない。せっかくヘリをチャーターして撮ったのに使わないのはもったいないからだと思われる。おまけにこれまた無意味に車のスタントなどの撮影シーンがインサートされる。なんだそりゃ。自主映画か。

B00077D95O.jpg『ザ・トレンチ 塹壕』(1999) THE TRENCH 95分 イギリス

監督:ウィリアム・ボイド 製作:スティーヴ・クラーク=ホール 脚本:ウィリアム・ボイド 撮影:トニー・ピアース=ロバーツ 音楽:イヴリン・グレニー、グレッグ・マルカンジ
出演:ポール・ニコルズ、ダニエル・クレイグ、ジュリアン・リンド=タット、ダニー・ダイア、ジェームズ・ダーシー、タム・ウィリアムズ、キアラン・マクメナミン

 B級戦争映画かと思って借りたらまた地味な佳作だった。それも珍しい第一次大戦物で衣装や武器、小道具など資料的な価値も高いと思われる。
 監督の『ラジオタウンで恋をして』(1990)や『チャーリー』(1992)の脚本家でこれが初監督作品。もちろん脚本も担当している。
 舞台は第一次大戦のフランス線線。タイトルからわかるとおり映画のほとんどが3メートルほどの深さの塹壕の中で繰り広げられるのでやはり地味だ。この舞台設定のおかげで戦争物なのに比較的低予算で作ることが出来たのだろう。
 1916年7月1日から同11月19日までフランス北部・ピカルディ地方を流れるソンム河畔の戦線において展開されたソンムの戦いという事件があり、それを題材としている。史上最大の地上戦で100万人以上の犠牲者が出たそうだ。この映画の戦線では2時間で6万人が死んだことになっている。
 そのソンヌの戦いまでの、前線の塹壕で待機している英陸軍の小隊の48時間の様子を描いている。新兵ばかりの若き兵士たちがヌード写真を見たりバカ話や恋愛話をしたりという青春物の側面もある。一人一人が個性的で、感情移入をして観てしまう。すると最後の戦いでショックを受けることになる。誰一人英雄でもなく戦場では単なる一人の兵士に過ぎない。生きても死んでも誰も気にしない。
 見慣れないキャストがほとんどだが、若い兵士の兄貴分の軍曹としてまだ売れていなかった頃のダニエル・クレイグが出演している。この時はまさか後に007になるとは思わなかったろう。この頃のダニエル・クレイグ相変わらず渋いが正直華はない。
 派手な戦闘を期待すると肩すかしを食ってしまうだろう。狭く泥だらけの塹壕の中でいつ攻めてくるか分からない敵に対して神経をすり減らす。塹壕に守られているといっても頭を出したところを狙撃されたり爆撃されたりして少しずつ疲弊していき精神的にも追い詰められてくる。重圧の中で酒に溺れる隊長の中尉。一人みんなを引っ張る軍曹のダニエル・クレイグは頼りになり時に英雄的だが妻から送られてきた苺ジャムを突撃を明朝に控えた夜に食べている人間味もある。
 塹壕の息苦しさや不潔さがもう一つ描ききれていないのが残念だが、敵であるドイツ兵をほとんど出さずに戦争ドラマを構築した上手さは認められていいだろう。
 ラストはイギリス映画だけあってハリウッド的なハッピーエンドではない。残酷な最後が待ち構えている。塹壕から飛び出して敵の塹壕へと突撃をするのだが、走るでもなく散開して歩いての突撃。第一次大戦はまだそんな前近代的なナポレオン時代から続く正統的戦法だったのだ。響く銃声。バタバタと倒れていく仲間たち。それでも進軍していく行進。ソンムの戦いが始まった。

B0012P6CCC.jpg『最後の猿の惑星』(1973) BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES 87分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:アーサー・ジェイコブス 原案:ポール・デーン 脚本:ジョイス・フーパー・コリントン、ジョン・ウィリアム・コリントン 撮影:リチャード・H・クライン 音楽:レナード・ローゼンマン
出演:ロディ・マクドウォール、ナタリー・トランディ、セヴァン・ダーデン、ジョン・ヒューストン、クロード・エイキンス、ポール・ウィリアムズ、リュー・エアーズ、コリーン・キャンプ、フランス・ニュイエン、オースティン・ストーカー、ボビー・ポーター、ジョン・ランディス

 エンドクレジットのキャスト名を読んでいたらJake's Friendという役名で『ブルース・ブラザース』(1980)などの監督ジョン・ランディスが出演していた。ジョン・ランディスの監督デビュー作となる自主制作映画『シュロック』(1971)で主演の猿人シュロックを自ら演じていたのでこちらも猿の役なのだろうか。映画界に入ったきっかけは『猿の惑星』シリーズを制作した20世紀フォックスのメールボーイだったというから縁もある。まだ『ケンタッキー・フライド・ムービー』(1977)すら撮っていないスタントマンや端役で食っていた頃の話し。

 物語は一端遠い未来の2670年から始まる。オランウータンの立法者がこれまでの粗筋を語ってくれる。この立法者を演じているのがなんと監督・俳優として有名なジョン・ヒューストン。特殊メイクで顔は分からないが、声が相変わらず渋い。
 5作続いたシリーズもついに完結編。原題は『BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES』となっているところを邦題が『最後の猿の惑星』となっているからには米20世紀フォックスから「本当にこれで最後だから」とはっきり言われていたのだろう。これでもし大ヒットしてやっぱり続編を作るなんてことになったら邦題はどうしたのだろうか。『まだまだ続くよ猿の惑星』ではザ・ドリフターズの主演映画みたいだ。

 前作で人間に反乱を始めた猿達とは本格的な戦争になったようだ。都市は核兵器で破壊され、建物は熱で歪み灰で満ちあふれている。あるいは猿とではなく人間間で戦争が起こったのだろうか。
 主人公のチンパンジー・シーザーは猿と人間を率いて共同で暮らす村を作り上げていた。そこでは人間が格下ではあるものの奴隷とまではいかない存在として平和に暮らしていた。ところが、シーザーが両親の会話が記録されているビデオテープを見るために自ら禁断の地と定めていた都市へ行ったことから状況は一変する。都市には核戦争を生き延びた人間がミュータントとなって地下で暮らしていたのだ。ミュータントといっても『続・猿の惑星』に出てくるミュータントのような超能力は使えないので皮膚がケロイド状になっているぐらいでしかなく、多くの者は病気で寝込んでいる。
 シーザー達が自分達を滅ぼそうとしていると思い込んだミュータント達は、先手必勝とばかりに後を付けて猿の村の位置を知ると、軍隊を作り上げて攻撃に送り込んだ。
 こうして猿対ミュータントの世界の覇権をかけた戦いが始まった。

 と書くと壮大な物語のようだが、正直しょぼい。ミュータントの軍隊といっても数台のジープにスクールバスぐらいしか車両がないし、人数もせいぜい数十人。
 迎え撃つ猿側も同じく数十匹ぐらい。しょせん“村”だし。『猿の惑星 征服』よりも匹数が減っているというのはどんなもんなんだろう。
 だから戦いもお互いに鉄砲を撃ち合うだけの局地戦的な物。派手でもなければ迫力もない。『ナバロンの要塞』(1961)を手がけたJ・リー・トンプソンでも少なそうな予算ではこれが限界か。
 しかし、場所は北アメリカ大陸なのだろうが、アメリカといっても広いだろうしヨーロッパやアジアなど他の地域はどうなっているのだろうか。この作品だけ観ると、もう猿達もミュータント達も世界中に残っているのは映画に登場する数だけみたいだ。残りは全滅してしまったのか?単にスケール的な問題で世界全体を描けないだけだが。
 ちなみに「12年間の平和」というあるミュータントのセリフがあるので前作のラストから十数年後であることが分かる。
 出撃してきたミュータントをやっつけて、これで1作目へと続く輪が完成したのだろうか。ところがそうなってはいない。
『新・猿の惑星』でタイムトラベルが行われた。1作目の主人公テイラーが爆発させたコバルト爆弾によって未来の地球が吹き飛びそのエネルギーでチンパンジーのコーネリアス達が1970年代にやって来たのだ。そして、コーネリアスの息子シーザーが猿を反乱へと導き人間の奴隷から解放した。そして時は過ぎ、人間は言葉を失い猿に支配される惑星にテイラーが現れる。
 テイラーがコバルト爆弾を爆発させたのは地球が猿の惑星になっていたからだし、猿の惑星になったのはテイラーがコバルト爆弾を爆発させてコーネリアス達を過去へ送ったから。これはどちらが原因でどちらが結果なのだろうか。いわゆるタイムパラドックスというやつである。タイムトラベル物に付き物とも言っても良いこのタイムパラドックスをこの作品では新たな未来を生じさせるという方法で解消している。時間の流れを分岐させることで時間の輪を壊したのだ。
 それは猿と人間、そのどちらかが他方の上になるのではなく平等に共存共栄していくという未来だ。そして映画はまた2670年に戻り、立法者が猿と人間の子供たちに教え聞かせていたのだと分かる

 前作で人間に対し反乱を起こし、その時に語ったことと比べるとシーザーが平和主義者になっており、逆に人間を奴隷にしようとも倒そうとも思っていないところは統合性が取れていないがシリーズを無事に着地させるために必要な変更だ。

B000VRXIEW.jpg『猿の惑星・征服』(1972) CONQUEST OF THE PLANET OF THE APES 88分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:アーサー・ジェイコブス 脚本:ポール・デーン 撮影:ブルース・サーティース 音楽:トム・スコット
出演:ロディ・マクドウォール、ドン・マレー、リカルド・モンタルバン、ナタリー・トランディ、セヴァン・ダーデン、ハリー・ローデス、ルー・ワグナー、ジョン・ランドルフ

 舞台は前作から20年が過ぎた1991年の近未来。人間の追跡の手を逃れたマイロも成長し立派な青年チンパンジーとなっている。サーカスの興行宣伝のため座長と一緒に大都市を訪れたマイロはそこで人間に奴隷として虐げられている猿達を見てショックを受ける。
 1983年に宇宙船が持ち帰ったウイルスで犬と猫は絶滅してしまった。そこで人間は猿をペットとしたのだが、訓練すれば雑用を行わせることが出来ることが分かり、訓練して召使いとして使っているのだ。猿の体格は大きくなりチンパンジーでも人間成人と同じくらいの体格になっている。その割にはゴリラも同じぐらいの大きさなのはちょっと納得がいかないが人間が特殊メイクで演じているのだから仕方ない。設定としても無理はあるが、猿の数がが揃ってくれないと“征服”が始まらないのでこれも仕方ないか。でも人間の側で教育したら猿が進化するのならば今頃“日光猿軍団”は本物の『猿の軍団』になっている。。(『猿の軍団』とは『猿の惑星』のヒットにあてこんで作られた「未来世界は猿が支配している」という70年代中盤の日本のテレビ特撮番組。小松左京など3人のSF作家が原作を務めた。)反省猿の次郎も反省なんかしていない。
 虐待を受ける猿を見て思わず叫んでしまったため喋る猿と疑われたマイロは逃げ出して輸入されてきたばかりの猿の貨物に潜り込む。そして知事に買われ召使いとして働き始めたマイロはシーザーと名付けられる。座長が拷問の末に事故死したことを知ったシーザーは、人間に対し反乱を起こすことを決意し、少しずつ武器と仲間を集めていく。

 成長したマイロを演ずるのは前作までに父親役のコーネリアスを演じたロディ・マクドウォール。親子二代を演ずることとなる。オレがロディ・マクドウォールと出合ったのは『フライトナイト』(1985)。かつて怪奇映画でヘルシング教授のようなバンパイアハンターを演じていた役者が、主人公の少年を助けて本物の吸血鬼と戦うと言った映画でなかなか面白かった。その後、ジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』(1941)で可愛らしい少年役を演じているのを観て昔はこんなだったのかと驚いた。
『猿の惑星』シリーズでは特殊メイクをしているので素顔が分からない。あまり優れているとは言えないメイクなりに怒りや悲しみを見事に表現している。やはり演技力のある人なのだろうが、前にも書いたがこのような役は有名になったとしても俳優としてはどのような気分なのだろうか。

 製作当時としては近未来となる1991年はビル街で撮影されている。おそらくかなり限られた箇所だけでの撮影をそれほど感じさせず、スクリーンの中にちゃんと近未来都市を映画の中に作り上げている。屋内シーンもセットは少なく屋内ロケが多そうだ。どうやら撮影面では想像以上の低予算で撮ったのだろう。その辺り監督のJ・リー・トンプソンは上手いものだ。
『続・猿の惑星』以降は1年に1作のハイペースでシリーズは作られた。安上がりに作っても上映すればそれなりに客が入り20世紀フォックスにとってありがたい存在だったはず。
 その分と言ってはなんだが、前作では3匹しか登場しなかった猿だが今作では終盤の人間への反乱シーンでは数十匹単位の軍団となっている。まさに『猿の軍団』である
 アップにならないような猿はそれこそエイプマスクと手袋だけの簡単な特殊メイクだったろうが、数がいるとそれなりの迫力である。
 シーザーの味方とまではいかないが途中で助けてくれる人間がいる。その人物がかつて先祖が奴隷として虐げられていた黒人であることからも、やはりこれは奴隷階級の人々が救世主によって立ち上がり反乱を起こすという普遍的テーマの作品であることが分かる。

B000XIIB8W.jpg『新・猿の惑星』(1971) ESCAPE FROM THE PLANET OF THE APES 97分 アメリカ

監督:ドン・テイラー 製作:アーサー・P・ジェイコブス 脚本:ポール・デーン 撮影:ジョセフ・バイロック 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:キム・ハンター、ロディ・マクドウォール、ウィリアム・ウィンダム、リカルド・モンタルバン、ブラッドフォード・ディルマン、ナタリー・トランディ、エリック・ブレーデン、サル・ミネオ、アルバート・サルミ、ジェイソン・エヴァース、ジョン・ランドルフ、ハリー・ローター、M・エメット・ウォルシュ

 前作のラストで地球が吹き飛んでしまったのにどうやって続編を?その答えは過去にあり。1作目でテイラー達が乗ってきた宇宙船を湖から引き上げ、修理してたまたま宇宙旅行中だったチンパンジー族のジーラとコーネリアス、そして修理をした科学者のマイロ博士の3匹が爆発の衝撃で2000年前の地球にタイム・スリップしてしまったのだ。
 だから原題は『猿の惑星からの脱出(ESCAPE FROM THE PLANET OF THE APES)』となっている。こうして人間の惑星にやってきた3匹の猿はいかなる目にあうのだろうか?
 設定としてはかなり無茶だが、その無茶っぷりがあっぱれである。

 3匹といってもマイロは早々と事故で死んでしまう。マイロがいないことで何故時を越えたのか厳密な説明が出来る者がいなくなってしまい、設定が曖昧に出来る。ちなみにマイロを演じた俳優の名は“サル”・ミネオ。出来すぎである。
 最初は普通のチンパンジーだと思われるが、知能が高く喋ることも出来ることが分かるとテレビのニュースにも流され一躍人気者に。2匹が街へ洋服を買いに連れ出されたり、ホテルでパーティーを行ったりとこの辺りはかなりコミカルに描かれている。おしゃれな服を着込んでモデルのようにクルッと回ってみせるジーラが可愛らしい。
 しかし、2000年後には人類が猿類よりも下の存在になることがジーラ達への尋問の結果明らかになってしまう。それを危惧した大統領顧問のハスライン博士がジーラのお腹にいるコーネリアスとの子供を堕胎し、2匹を不妊にしてしまおうと企てる。

 後半部分は1作目の猿と人間の立場を入れかえた構造に近いものとなっている。テイラーも去勢手術を受けさせられそうになっていた。人間による猿の弾圧を観た時に、オレはどちらに感情移入をすればいいのだろうか。ジーラとコーネリアスの逃避行について気分的には猿側だが、猿を応援することは猿に支配される未来を指示することにもなる。
 1作目のことを考えれば、同じ立場になれば猿だって同じことをやったのだ。いったい正義とはなんなのだろうか。
 考古学者コーネリアスの研究はテイラーの登場で一気に進んだようで、昔は人類が地球を支配していたことを認めている。ペットとして家庭に入り込んだ猿達が次第に進化を始め知能が高くなり人間の手伝いをするようになった。そしてある日、1匹の猿が人類に対して「ノー」と反旗を翻し、ついには支配権を握ったというのだ。

 ハスライン博士を『地球爆破作戦』のエリック・ブレーデンが演じている。あちらではミサイル戦争を引き起こそうとした人工知能を食い止めようとする主人公の科学者を演じていた。冷たい感じのする人でそこが科学者らしいのだろう。この作品でも常に冷静で、悪役だが人類の未来を考えると決して間違ってはいない。

 登場する猿の数も少なく特殊メイクにはお金がかかっていない。オープニングの宇宙船を除けば大規模なセットがあるわけでもなく普通の現代劇の小道具がほとんど。公開が前作の翌年だから制作期間も余りかかっていない。おそらくSF映画としてはかなり