2010年2月アーカイブ

B002W71T4U.jpg『シティ・オブ・ブラッド』(2009) STREETS OF BLOOD 95分 アメリカ MILLENNIUM FILMS

監督:チャールズ・ウィンクラー
出演:ヴァル・キルマー、カーティス・"50 Cent"・ジャクソン、シャロン・ストーン、マイケル・ビーン

 ハリケーン"カトリーヌ"の襲来で荒れ果てたニューオリンズの街。
 麻薬課の刑事アンディ(ヴァル・キルマー)は、新たな相棒スタン(カーティス・"50 Cent"・ジャクソン)と共に台頭するギャングの取り締まりに執念を燃やす。時には法を超えた過激な捜査を行う彼らを、カウンセラーのニナ(シャロン・ストーン)は注意深く見守っていた。
 そんなある日、同僚刑事が、裏社会に潜入中の連邦麻薬捜査官を誤って射殺してしまう。かねてからアンディたちに目をつけていたFBI捜査官ブラウン(マイケル・ビーン)は監視を強化する。FBIと激しく対立しながらも、アンディは麻薬組織の壊滅を狙うが、そこには危険な罠が隠されていた・・・・・・

 外したーな一本。
 とにかくシャロン・ストーンのオバサン化はスゴイ物がある。色気も何もなくなっていて劣化してしまったんだね。マイケル・ビーンもすっかり額が広くなって、実は悪役という役柄にぴったり。『ターミネーター』でのカッコ良さはどこへ行った。
 ヴァル・キルマーは太めな感じ。昔はスリムだったのになぁ。
 とまぁ昔を懐かしむスターの共演作で、カメラワークは自主映画のよう。カット割りがいちいちださくてしょうがない。これはDVDダイレクトでもしょうがないわ。
 状況説明のためにシャロン・ストーン扮するカウンセラーと、悪徳刑事たちの診察の様子がやたらと挿入されるんだけれども、その度に映画の流れが止まってテンポが悪いったらありゃしない。
 銃撃戦はドンパチと派手なだけでリアルさが感じられず、これまた自主映画レベル。
 アンディたちと別の麻薬課刑事コンビは連邦麻薬捜査官を気楽に撃ち殺してしまったり、犯罪現場から現金を持ち逃げしたり、麻薬所持を見逃すために女を犯すダーティーな連中だが、アンディは、厳しいのは悪党に対してだけで、本当はクリーンすぎるために悪徳刑事に見えてしまうというのが段々わかっていく。対するブラウンはFBI捜査官でクリーンに見えて実は麻薬王と手を組んでいた悪の黒幕という良くある話。それでオチはよく分からないし。正直意味不明。
 往年のスターの落ちぶれた現在の姿を確認したい人にしか勧めない。地味でつまらない映画だ。B級映画? C級映画だよ。尺が短いのがせめてもの取り柄。これで120分とかあったら耐えられなかった。
 ハリケーン"カトリーヌ"の当時の被害状況がニュースフィルムなどで流され、エンディングには3年後のニューオリンズの姿が映し出されるので資料的価値はあるかも。3年経ってもまだ廃墟も同然のところがたくさんあるんだ。

B002BS02UC.jpg『タイタンの戦い』(1981) CLASH OF THE TITANS 118分 アメリカ METRO GOLDEN MAYER

監督:デズモンド・デイヴィス 製作:チャールズ・H・シニア、レイ・ハリーハウゼン 脚本:ビヴァリー・クロス 撮影:テッド・ムーア 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ローレンス・ローゼンタール
出演:ハリー・ハムリン、ジュディ・バウカー、ローレンス・オリヴィエ、バージェス・メレディス、クレア・ブルーム、マギー・スミス、ウルスラ・アンドレス、シアン・フィリップス、フローラ・ロブソン

 長年にわたってストップモーション・アニメーション界で大きな働きをしてきた巨匠レイ・ハリーハウゼンの事実上の引退作品である。
 これまでレイ・ハリーハウゼンが大半の映画を作ってきたコロンビア映画ではなく何故かMGM作品となっている。時代が特撮からSFXに変わってきたことでコロンビアが製作に難色を示したのだろうか。その辺りは憶測するしかないが何らかの理由があるのだろう。製作はハマープロで製作した『恐竜100万年』の場合と違い、いつもと同じ朋友のチャールズ・H・シニアでチームごと移転した感じ。

 主神ゼウスの息子であるペルセウスは王女である母親の罪で母と一緒に海に流されてしまう。そのことに怒ったゼウスはその国に海の怪物クラーケンを放って建物の一つ、生き物の一つも残さずに滅ぼしてしまう。
 自分がゼウスの息子だと知らぬまま逞しく育ったペルセウスは女神テティスの呪いをかけられたアンドロメダ姫に心を奪われる。しかし姫への求婚者には謎が出されそれが解けないと火あぶりにされてしまう。姫の魂が夜ごと大ハゲタカに連れ去られていることを知ったペルセウスは一匹だけ生き残ったペガサスに乗ってハゲタカを追跡。たどり着いた沼地にはテティスの息子カリボスが住んでいた。もともとはアンドロメダ姫の婚約者だったカリボスは勝手な振る舞いをしたためにゼウスの罰を受けて醜い姿にされ、沼地にこもっていたのだ。
 ペルセウスはカリボスの左手を切り落とし、そこに付けていた指輪が謎の答えであることを解き明かし、見事アンドロメダ姫の呪いを解いた。
 そこで2人の婚約発表が行われたが、その際にあろうことかアンドロメダ姫の母親カシオペアはアンドロメダ姫の美しさを女神テティス以上と比較してしまう。怒ったテティスは30日後に海岸の生け贄の岩にアンドロメダ姫を縛り付け、クラーケンに食わせると難題を要求する。
 難題に悩むペルセウスはクラーケンを倒す手段を模索する。倒す手段は一つ。
「魔女・メドゥーサの首しかない」と言う事を知る。
 ペルセウス一行はメドゥーサの住む「死の島」へ赴くのであった。
 刻々と迫る30日の期限・・・・・・果たしてアンドロメダ姫を救う事は出来るか?

『アルゴ探検隊の大冒険』以来、18年ぶりにギリシャ神話に挑戦した大作である。
 クリーチャーは金属製のフクロウであるブーボーから40メートルを超えるクラーケン、ペガサス、カリボス、地獄の番犬ケルベロスをモデルにした双頭の犬ディオスキロス、大サソリそしてメデューサまでバラエティに富んでおり、レイ・ハリーハウゼン映画の集大成である。
 中でも最も怖ろしいメデューサは下半身を人間のそれからガラガラヘビのようにジージー鳴る尾を持つ蛇に変えられた。しかも弓矢を装備している。頭には12匹の蛇がいてこれもストップモーションアニメーションで自在に動き回る。非常に複雑な動きをするクリーチャーだ。
 ペガサスは本物の馬を使ったシーンもあるが基本はストップモーション・アニメーションだ。レイ・ハリーハウゼンは本物の馬の動きをよくよく観察してそれを再現するべく撮影に当たったという。
 ペルセウスの味方であるブーボーの機械じみたユニークな動きもおかしい。

 この作品、最大の見せ場はペルセウス対メデューサであろう。見た者を石に変える力を持っているメドゥーサに盾の裏面に映るメデューサの姿を見ながら、石の柱に隠れつつ、戦うペルセウスのシーンは、観ているこちら側も思わず息を止めてしまう人も多いはず。ゆらめくかがり火の光。固唾を呑んで観ていると、メドゥーサの息遣いが聞こえるようだ。
 二人の部下がやられながらも、見事、メデューサの首を切り落としたペルセウスには喝采を浴びせてしまった。首を切り取られてもしばらくの間のたうちまわるメデューサが怖い怖い。
 クラーケンは巨大なのにメデューサの首であっと言う間に石にされてしまって見せ場がなかった。デザインも半魚人的で今一つ独創性がなかった。それでもペルセウスがペガサスに乗って間に合うか? 間に合うか? とハラハラさせるシーンはさすがだが。腕が4本あるのはさすがストップモーション・アニメーション・モデルだけのことはあったが。
 ゼウスが女神たちに命じてペルセウスに贈る大理石を切っても刃こぼれしない剣、被ると透明になる兜、メデューサ戦で大いに役に立つ楯など男の子なら憧れてしまうアイテムである。それにしてもゼウスは親バカだな。
 それにしてもこの大騒動の原因は神々の嫉妬や一方的な怒りであるというところがギリシャ神話である。特にゼウスは主神のクセして色んな物に変身して乙女のところに行っては子供を産ませてしまうろくでもない奴である。それに妻のヘラが嫉妬して、またややこしい話になる。神様のちょっとした嫉妬で国が滅ぼされてはたまったものではない。ちなみにゼウスをあの大物俳優ローレンス・オリヴィエがやっているのには驚き。
 すでにSFX全盛の時代において、単にこの作品一つだけ置かれたら評価に困るがレイ・ハリーハウゼンがそのキャリアで培った職人芸と芸術家のストップモーション・アニメーションの全てを注ぎ込んだ意味において不朽の名作である。
 レイ・ハリーハウゼン作品にしては長いエンドクレジットが流れる。そのなかに"THEMSELVES"としてクリーチャーたちの名前が出てくる。長年のクリーチャーへの恩返しだろうね。
 アンドロメダ姫役のジュディ・バウカーは綺麗だったけど、ペルセウス役のハリー・ハムリンにもう一つ魅力がなかったのが残念。
 この2010年に3D映画としてリメイクされる『タイタンの戦い』。まさかストップモーション・アニメーションは使っていなくてCGだろうが、1カットぐらい遊びでやってくれると嬉しい。そのオリジナルがこの作品。

B002UMAIPI.jpg『シンドバッド虎の目大冒険』(1977) SINBAD AND THE EYE OF THE TIGER 112分 イギリス/アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:サム・ワナメイカー 製作:チャールズ・H・シニア、レイ・ハリーハウゼン 原案:ビヴァリー・クロス、レイ・ハリーハウゼン 脚本:ビヴァリー・クロス 撮影:テッド・ムーア 特撮:レイ・ハリーハウゼン プロダクションデザイン:ジェフリー・ドレイク 編集:ロイ・ワッツ 音楽:ロイ・バッド
出演:パトリック・ウェイン、ジェーン・シーモア、タリン・パワー、マーガレット・ホワイティング、パトリック・トラウトン、カート・クリスチャン、ピーター・メイヒュー、ナディム・サワラ、ダミアン・トーマス、バーナード・ケイ

 戴冠式の直前に邪悪な魔女ゼノビアの呪いによってカシム王子はヒヒの姿に変えられてしまった。前王の後妻のゼノビアは自分の息子ラフィを王位に就けようというのだ。7回の満月の間に即位しなければ王になる資格を失ってしまう。
 友人のシンドバッドは賢者メランシアスへと助けを求めた。北の果てのピラミッドの神殿に行けば魔法が解けると教えられたシンドバッドは、ヒヒになったカシムと妹のファラー姫、メランシアスとその娘ディオーネらとともに出航した。その行く手には、巨大セイウチなど様々な怪物が立ちはだかる。
 さらにゼノビアは金属製のミノタウロス"ミナトン"を作り上げ、ラフィと共にシンドバッドの後を追った。

 シンドバッド役を演じたのはジョン・ウェインの息子パトリック・ウェイン。ディオーネを演じたのはタイロン・パワーの娘タリン・パワーで、大物俳優二世の共演が話題を呼んだ。
 穴居人(トログロダイト)やヒヒ、巨大セイウチにサーベルタイガーなど生物色の強いクリーチャーの中で金属ボディのミナトンは異色だが、ほとんど船を漕いでいるだけで、活躍らしい活躍をしないのが残念だ。ピラミッドの岩を外した拍子に岩ごと落ちて岩に押しつぶされて「役目は終わった」では悲しすぎる。本当はもっとアクションをやらせる予定だったが時間の都合だったらしい。製作期間のことを言っているのか上映時間のことをいっているのかが不明だが、112分というレイ・ハリーハウゼン物としてはかなり長い部類に入る。これでミナトンのアクションまであったらお腹いっぱいになってしまうかも知れない。すでにいっぱいなのに。ミナトンはストップモーション・アニメーションだけではなくモンスタースーツによる撮影も多い。その中に入っていたのがスター・ウォーズシリーズでチューバッカを演じたピーター・メイヒューである。出番の少なさにかかわらず、ミナトンはレイ・ハリーハウゼンの生み出したクリーチャーの中でも出来の良い物である。ミナトンと穴居人の対決が見たかった。
 思いついたようにクリーチャーを出してきて、ストーリーの統合性が取れていない面がある。サービス精神旺盛なのは良いが、見せ物的側面が大きすぎる。もっとクリーチャーを大事にしてもらいたい。クリーチャーのネタ切れ感もあってシリーズ三作の中では最も不出来な作品だ。
 ゼノビアは自分の息子ラフィを王位につかせようとして、結果としてその息子を失ってしまうという皮肉な結末が待っている。そしてその怨みから神殿の番人サーベルタイガーに乗り移って、シンドバットたちを助けてくれた穴居人と戦って穴居人を殺してしまう。穴居人にとってはいい迷惑である。(涙)殺す必要はなかったのではないか。
 クリーチャーたちは良く動き、動きも滑らかなのだが、1977年といえば『スター・ウォーズ』の公開年でもある。大宇宙を舞台にしたSFに比べると、やはり古色蒼然としているのは否めない。
 パトリック・ウェインのシンドバッドももっと明るく快活なイメージであって良かったはずだ。これが主役なのに今一つ地味なのである。他の登場人物も今一つパッとしない。音楽も印象に残らない。
 行き先は極地なのだが何故か中に入ると暖かく日差しが降っていて、ファラー姫とディオーネが川でセミヌードになって水浴びをするという艶めかしいサービスシーンがある。ディオーネはあの後カシム王子とロマンスに落ちたのだろうか。

B002UMAIP8.jpg『シンドバッド黄金の航海』(1973) THE GOLDEN VOYAGE OF SINBAD 102分 イギリス COLUMBIA PICTURES

監督:ゴードン・ヘスラー 製作:チャールズ・H・シニア、レイ・ハリーハウゼン 原案:ブライアン・クレメンス、レイ・ハリーハウゼン 脚本:ブライアン・クレメンス 撮影:テッド・ムーア 特撮:レイ・ハリーハウゼン プロダクションデザイン:ジョン・ストール 編集:ロイ・ワッツ 音楽:ミクロス・ローザ
出演:ジョン・フィリップ・ロー、キャロライン・マンロー、トム・ベイカー、ダグラス・ウィルマー、マーティン・ショウ、グレゴワール・アスラン、カート・クリスチャン、アルド・サンブレル、ロバート・ショウ

 航海中のシンドバッド船長の船に、奇妙な鳥が何かを持って飛んでいた。弓矢で射ると黄金の銘板を落としていった。その時に、シンドバッドは右手の平に目玉のかかれた不思議な女性の幻を見る。奇妙な力に導かれるようにマラビア王国に着いたシンドバッドは、銘板に秘められた絶大なる力が得られる泉の地図を手に入れた。
 シンドバッドは幻の女性と同じ右手に目玉の入れ墨の入った女性マリアンナに出合い、同行することになる。シンドバッドはマラビア王国の宰相と一緒に泉を目指し冒険に出るが、権力の座を狙う悪魔の王子クーラも泉を探していて、シンドバッドの船の後を付けてきた。

 不思議の島レムリア島で繰り広げられるオリエンタルムードを前面に押し出したシンドバッドシリーズの第二弾。『シンドバッド7回目の航海』が製作されたのが1958年、そしてこのシリーズ第二弾が製作されたのが1973年である。作品の間隔は15年ということになる。当然、主役であるシンドバッドをはじめ、俳優は全て入れ替えになっている。
 15年、長い年月である。しかし『7回目の航海』と『黄金の航海』の2作品を続けて観ても違和感はほとんど感じられない。『7回目の航海』の時点でダイナメーションはすでに完成していたのではないかと思い当たる。
 特に注目されたのが6本の腕を持つカリー像だ。クーラの魔術によって6本の腕にそれぞれ剣を持ちシンドバッドたちを襲って来る。まずはクーラの指示に従い、原住民の前で踊ってみせる。インド風の首を左右に振る、ビートたけしが「冗談じゃないよ」とやってる動きを見せてくれる。綺麗かつ勇壮な踊りでまずは観客の心をグッと掴む。
 そしてシンドバッドたちとのチャンバラは迫力物である。このシーンは複数の敵と戦いながら神殿の中を移動すると複雑な動きが必要だ。そのため3人のスタントマンの動きを参考にして50枚以上のコンテを描いて撮影に臨んでいる。このシーンの撮影には約7週間が費やされたという。レイ・ハリーハウゼンはカリー像のイメージを膨らませて映画を企画しただけに、かなりの力の入れようだ。役者との動きのシンクロも見事で、アップ
での腕だけ見えるカットとのつながりも不自然さを感じさせない。何回観ても飽きないシーンである。
 物語の前半ではクーラの作った小悪魔ホムンクルスがちょっと出てくるだけだが、後半では、カリー像の他にケンタウロス、グリフォンとクリーチャーが大挙して出てくる。
 ケンタウロスとグリフォンの戦いも見物である。力のケンタウロスに技のグリフォン。ケンタウロスが悪の怪獣なのでクーラが手助けをするのはずるい。グリフォンの足を切ってケンタウロスに有利なように事を運ぶのだ。
 レムリア島に向かう船の上でシンドバッドの船の木製の船首像がクーラの魔力で命を持って動き出すシーンは、本当に木で出来ているように見えるモデルを使っている。船の上で一暴れしたあげく、海図を奪って海へと逃走してしまう。『アルゴ探検隊の大冒険』の船首像は知恵を授けてくれる正義の味方だったが、こちらは悪者なのだ。
 前作『恐竜グワンジ』が色気不足と言われたためか、後の『007 私を愛したスパイ』(1977)でボンドガールに抜擢されるキャロライン・マンローをヒロインに起用。大胆なアラビア風衣装で活躍する美女として登場させている。
 ストーリー自体は単純な冒険譚で、前半は退屈するが後半に入ってからのクリーチャーの連打にやられてしまう。クーラは魔術を使う度に生命力を失っていく設定で、彼の執念にも説得力が持たされている。それに対してシンドバッドは単純な正義漢で多少深みに欠けるところがあるのが残念だ。
 ラストはクリーチャーは登場せず泉の力で若さを取り戻し、暗黒の楯で姿を見えなくしたクーラとの戦い。正直、それほど盛り上がらない。そしてクーラを倒したシンドバッドはマラビア王国の王の証である財宝の冠を宰相に上げてしまう。不自由な王様よりも自由な船乗りを選んだのだ。
 カット繋ぎが上手くいっていないところもあるが映画全体のパワーに押し切られてしまう。

B001ALQWQO.jpg『恐竜グワンジ』(1969) THE VALLEY OF GWANGI 96分 アメリカ

監督:ジェームズ・オコノリー 製作:チャールズ・H・シニア 製作補:レイ・ハリーハウゼン 原案:ウィリス・H・オブライエン 脚本:ウィリアム・E・バスト 撮影:アーウィン・ヒリアー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ジェローム・モロス
出演:ジェームズ・フランシスカス、ギラ・ゴラン、リチャード・カールソン、ローレンス・ネイスミス、デニス・キルベイン、フリーダ・ジャクソン、

 時は20世紀初頭、ところはリオ・ブラボー(アメリカとメキシコを隔てる河)近く。地元のジプシーが"禁断の谷(Forbidden Valley)"として怖れている谷に一人のジプシーが禁を犯して忍び込み猫ぐらいの動物が入った袋を持ち帰ってくる。
 その中味は5000万年前に存在していた馬の原種。この馬で大儲けを企んだ主人公たちは化石を掘っている考古学者と共に禁断の谷を目指す。そこでは小さな馬だけではなく、これまた絶滅したはずの巨大な恐竜が待ちかまえているのだった。

 原案のウィリス・H・オブライエンは『キング・コング』(1933)でストップモーションを手がけた人。1962年に亡くなったオブライエンが残した原案を製作補として作り上げたのが弟子のレイ・ハリーハウゼン。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのピーター・ジャクソンは『キング・コング』を観て映画監督を志したと言う。
 ハリーハウゼンは3作前に『アルゴ探検隊の大冒険』(1963)を撮っており、この後に傑作『シンドバッド黄金の航海』(1973)『シンドバッド虎の目大冒険』(1977)を送り出す時期で円熟期と言っていいだろう。1作毎に数年の期間が空いているのはモデル(人形)を一コマ一コマ手で少しずつ動かして撮影するやたらと手間と時間がかかるストップモーションだからだろう。
 オブライエンの段階でモデルを動かすことに関してはほとんど完成していたが、ハリーハウゼンの偉大なところはストップモーション・アニメーションの映像と実写の人間などの映像を組み合わせたダイナメーションという技術を確立したことである。『アルゴ探検隊の大冒険』では骸骨兵士と人間がチャンバラをするし、『シンドバッド黄金の航海』ではシンドバッドが六本腕のカーリー像と戦う。まずは人間のパートを撮影しておいて、それに合わせてストップモーションを作り上げる。ストップモーション単体でも大変なのに、両者の動きをリンクさせなければならないのだから、ひたすら根気の必要な作業だ。作業だけなら一種の職人芸だが、それに加えてモンスターのデザインなどのアーティストの才能も重要。学生時代のハリーハウゼンが初めてオブライエンに面会した時に、自作のモデルやスケッチを見せた時に「解剖学を勉強しなさい。君の恐竜は足がソーセージみたいじゃないか」と言われたそうだ。学者の知識まで必要なのだ。
『恐竜グワンジ』では馬に乗った三人がティラノサウルス系の肉食恐竜の首に投げ縄をかけて捕まえるシーンがある。恐竜の首の動きに合わせて三人の縄も引っ張られたりゆるんだりする。これが同一カットで表現されているのは実に見事。
 どうでもいいけど、この恐竜が梅雨時のアジサイを思わせる青紫と微妙な色遣い。恐竜については茶色や緑色で表現されていることが多いが、化石では恐竜の肌の色は分からないのでこれは現在の爬虫類を参考に着色したもの。だから、ティラノサウルスが青紫だった可能性も0じゃないのだが、やはり微妙。ちなみに『ジュラシックパーク』などに登場するティラノサウルスは10メートルぐらいだが、グワンジのは5メートルぐらい。人間と同一画面に収めるには大きすぎず小さすぎずのサイズを選んだのだろう。だからダイナメーションが活きてくる。

 と、この時代のSFX映画について話すと、「当時の特撮は良かった。最近はCGばかりで味がない」という意見が出てくることが多いように思う。個人的にはそれは違うんじゃないかなと思う。
 ストップモーションは確かに実際にモデルを手で動かす手作業だが、CGだってコンピューターという道具を使っているだけでこちらも手作業。「これこれこんな映像」とコンピューターに指示を出したら勝手に映像を出力してくれるわけではなく、モデルを作るように3Dの基本データを作り上げ、その動きを細かく指定していく。そこにはアーティストとしてのセンスや人間やクリーチャーなどの骨格も考えた解剖学の知識も必要だ。ある程度はコンピューターが補完映像を計算してくれるが基本は一コマ一コマの作業。気の遠くなるような根気の要る作業を経てCGは作り出されているのだ。ある意味、無から有を作り出しているCGはSFXの進化が生み出したものだろう。
 あと、現実的な話しをすると、今のCG技術だと別のSFXで同じ映像を作るよりも安くできることも多い。大がかりなセットを組むよりも、背景をCGで作って合成した方が安い。どんな大作だって予算には限りがあるから節約できるところは節約する。これだってマットペインティングという手描きの絵を使う手法は昔からあったわけで、それをCGに置き換えただけとも言える。
 ハリーハウゼンや円谷英二がもしも現役で活躍しているとしたら間違いなくCGに興味を持っただろうし、自身が手がけた作品で使ったはずだ。常に新しい技術に関心を持ちそれを取り入れていくのがSFXマンである。
 オレ自身は『スター・ウォーズエピソード4』(1977)でのデススターの設計図といった実験的に用いられたCGから始まり、『スター・トレック2/カーンの逆襲』(1982)でのジェネシス計画のシミュレーション映像やミニチュアを使わず宇宙船をCGで表現した『スターファイター』(1984)など映画のSFXにCGが使われるようになりそれが進歩してきた様子をワクワクしながら観てきたんでCGに甘いのかも知れないので異論もあるだろう。でも以前、お店のロゴが遠くから回転しながら飛んできてアップで止まるという単純なCGムービーを作ったことがあるが、これがかなり大変だった。映画クオリティのCGを作るとなるとどれだけの手間暇、知識、技術が必要かと考えるとやはりすごいと思う。
 ちょっと似たようなケースだと「ワープロなんて邪道だ。文章は手書きで書かないと駄目だ」と言っていた文学界の偉い人がいた。でも長文を書いた場合だと校正の段階で段落の入れかえなどの構成の変更はワープロが圧倒的に有利。一発で完璧な文章が書ける人なら手書きで良いのだろうが、読み直して手直ししていくにはワープロだと思うけどね。
 ひょっとすると、「Excelなんて邪道だ。計算はソロバンじゃなきゃ駄目だ」と言う偉い人もいるんだろうか?就職してまず覚えさせられたのがDOSの『LOTUS1-2-3』だったオレは、もはやExcelなしじゃ仕事にならんよ。

 以前紹介した『放射能X』もこの『恐竜グワンジ』もワーナー・ブラザース作品。言っちゃ悪いがどちらもB級キワモノ路線だ。ちょっと気になったんで昔の作品について詳しい方に尋ねてみたところ、当時のワーナーはパラマウントや20世紀フォックスと比べると三流映画会社的存在だったそうだ。多少格下ぐらいかなとは思っていたが、シネマスコープを開発した20世紀フォックスやビスタビジョンを開発したパラマウントとは技術的にも差があり、自社開発できなかったワーナーは他社から技術を借りてワイド画面に対応したとか。
 オレがワーナーの名を覚えた頃にはクリストファー・リーヴ版『スーパーマン』など大作を作っていたので意識していなかったのだが勉強になった。考えてみれば昔のワーナー映画のイメージってセンセーショナルを売りにしたギャング映画なんだよね。確かに格下かも。

B001G9EC5S.jpg『恐竜100万年』(1966) ONE MILLION YEARS B.C. 100分 イギリス HAMMER FILMS

監督:ドン・チャフィ 製作:マイケル・カレラス 脚本:マイケル・カレラス オリジナル脚本:ジョージ・ベイカー 撮影:ウィルキー・クーパー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:マリオ・ナシンベーネ
出演:ラクエル・ウェルチ、ジョン・リチャードソン、パーシー・ハーバート、ロバート・ブラウン、マルティーヌ・ベズウィック、ジェーン・ウラドン

 紀元前100万年に人類と恐竜が共存していたという点からして科学的考証もあったもんじゃないが、これがなかなか面白い。恐竜が絶滅したのは6500万年前というから、紀元前100万年には存在するはずがない。しかし本作には、トリケラトプスやプテラノドンなどが登場している。さらに人間の方も、まだ猿人や原人の時代とされているので、新人がいたかどうかは大きな疑問だ。実際、猿人が登場してくるし。でも、設定が無茶苦茶でもいいじゃないか面白ければ。人間と恐竜の戦い、血湧き肉躍るではないか。
 原始人はまだ未発達な原始語しかしゃべれず、ナレーション以外に私たちに分かる言葉はない。一応、それぞれに名前が付いているようだ。
 火山のふもとの穴居に住む主人公のトゥマクは、食べ物の奪い合いが原因で部族から追放され、恐竜たちが闊歩する荒野を彷徨った末に海の近くで行き倒れてしまう。海辺に住む種族の女性ロアナ(ラクエル・ウェルチ)に助けられたトゥマクは、自分たちの部族にはない温厚さや文明に興味を持ち始める。やがて惹かれ合うようになったトゥマクとロアナだが、トゥマクの乱暴な行動が受け入れられずに海の種族を追われてしまう。
 ロアナと共に故郷に戻ったトゥマクは、そこで族長の父と兄の権力争いに巻き込まれてしまう。

 とまあ一応ストーリーらしき物はあるのだが、ほとんど無視して良い。恐竜のリアルさと動きを楽しむのがこの作品の正しい観方だ。
 恐竜映画のクラッシック『紀元前百万年』(1940)のリメイクで、『動物の世界』(1956)で15分ほどの恐竜時代のパートをやってはいるが、、長編映画としては意外なことにレイ・ハリーハウゼンが初めて手がけた恐竜映画。コロンビア映画ではなくイギリスのハマー・フィルム作品のため、長年のパートナーの製作のチャールズ・H・シニアは関わっていない。ちなみに『紀元前百万年』はワニやトカゲに装飾を付けて恐竜に仕立てたもので、ストップモーション・アニメーションではない。
 恐竜の当時としてはリアルな造形と動きが特徴で、トリケラトプスと恐竜との戦いでは尻尾が鞭のように動く動く。結構長い時間死闘を繰り広げてトリケラトプスが三本の角で勝ち、私たちを楽しませてくれる。
 楽しませてくれると言えばラクエル・ウェルチのセクシーなビキニ風原始人装束。ムッチムチの肉体がスクリーン狭しと躍動する。ラクエル・ウェルチといえば『ミクロの決死圏』でもウェットスーツで豊満な肉体を晒してくれた。あれも色っぽかった。
 一番最初に出てくる恐竜がイグアナを巨大に写した物だったのでガックリきてしまったが、あとはタランチュラでそれをやっているだけで後はちゃんとしたストップモーション・アニメーションだ。イグアナも良く観てみるとなかなか丁寧に取られていて、単にズームレンズで撮っただけではないことが分かる。
 プテラノドンにさらわれたロアナがプテラノドン対ランフォリンクスの翼竜バトルに巻き込まれるところなどハラハラする。
 海の種族を襲ったアロサウルスと槍を持った原始人の死闘も見所の一つだ。そこでトゥマクは単身アロサウルスをやっつけて男を上げる。
 ラストは海の種族と山の種族が対立したところでいきなり火山が噴火。ほとんど全てを飲み込んでいく。一大スペクタクルだがこの終わり方はどうだろうか。人間同士の争いなど大自然の前では小さな事と言うことだろうか。生き残ったトゥマクやロアナたちが再び立ち上がるところがフィルムの色調がセピア色になっていて印象的である。
 恐竜のリアルさで言えば現在の『ジュラシック・パーク』などのCG映画には敵わないが、これにはこれの手作りの良さがある。実際、ダイナラマと呼ばれたモデルアニメもすばらしく、スピルバーグの「ジュラシック・パーク」の登場までは恐竜映画の最高峰であった。
山の向こうを歩いて行くブロントザウルスにはやはり感激してしまう。古代の巨大海亀アーケロンの登場も嬉しい。セリフを使わずに特撮とロケーションと俳優の演技と美女だけで100分を押し切ってしまうこの迫力。美女同士の戦いもちゃんとあってそちらの趣味の方も大丈夫。

B002UMAIQM.jpg『H.G.ウェルズのS.F.月世界探険』(1964) FIRST MEN IN THE MOON 103分 イギリス COLUMBIA PICTURES

監督:ネイザン・ジュラン 製作:チャールズ・H・シニア 原作:H・G・ウェルズ 脚本:ナイジェル・ニール、ジャン・リード 撮影:ウィルキー・クーパー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ローリー・ジョンソン
出演:エドワード・ジャッド、マーサ・ハイヤー、ライオネル・ジェフリーズ、マイルズ・メイルソン、ピーター・フィンチ

 国連宇宙機関の宇宙船が月に人類初の月面着陸を果たした。そこで英国国旗と手紙を発見した。手紙には
「ビクトリア女王に栄光あれ 1899年」キャスリン・カレンダー
 と書かれていた。
 アポロ11号による月面着陸が1969年だから月面着陸が本当に架空の話だった時代の映画だ。それもあって好き勝手にやっているイマジネーションの豊富さには脱帽。
 いたずらだ、いや真実だともめる国連宇宙機関はベッドフォードという療養所の老人に行き着き、そして彼から驚くべき話しを聞かされた。
 1899年、科学者のカボールは重力を遮るペースト状の金属物質カボライトの開発に成功。それを塗った宇宙船で月への旅に出ることにした。月面には金塊がゴロゴロしていると聞かされ一儲けを企むベッドフォードも同行することになり、発射直前にベッドフォードの婚約者ケートが転がり込み、三人で月を目指す旅に出発した。
 宇宙服代わりに潜水服を着込んで月面探検に出たベッドフォードとカボールは地下都市を建設して生息する知的生命体月の住人セレナイトに捕らえられる。

 SFファンであるレイ・ハリーハウゼンはH・G・ウェルズの『月世界最初の人間』の映画化を企画。しかし、19世紀末を舞台にした月に生物がいるという設定の映画は月は真空で生命が存在しないと分かっている現代の観客には受け入れられないだろうと製作の製作:チャールズ・H・シニアが難色を示した。結局、脚本家にしてウェルズ研究家のナイジェル・ニールが原題を舞台にしたプロローグとエピローグを付けることを提案し映画化が実現した。
 人類初の月面着陸だと思っていたら、すでに人類は月に到達していたというショッキングなオープニングで始まり物語は加速していくのかと思ったら、1899年の世界に行くと途端に呑気な雰囲気に早変わり。カボライトは家の中にあるかまどでグツグツ煮て作ってるし、手作り感覚満点だ。宇宙船も月を夢見ながらカボールが一人でしこしこと作り上げたのだろう。
 月面着陸のシーンは派手で印象的である。月面に突っ込んでゴロンゴロンと転がり、月面の突起物にぶつかって止まるという壮絶なもの。
 これはレイ・ハリーハウゼン自身が月面のジオラマにミニチュアを放り投げて高速度撮影したもので、数時間投げ続けて一番良いと思えるシーンを採用したのだとか。
 ベッドフォードとカボールは潜水服で真空の月面に出て行くが大丈夫なのかな(大丈夫じゃない)。手なんか素手のまま剥き出しなんだけど。
 セレナイトには肉体労働の蜂とセミを合わせたような昆虫型宇宙人と比較的人間に近い宇宙人がいるのだが、昆虫型宇宙人は子供が中に入ったモンスタースーツ型になっていてストップモーション・アニメーションはつかわれていない。数も出番も多いだけに残念だ。ぜひともダイナメーションでやって欲しかった。
 人間型宇宙人はストップモーション・アニメーションだが出番が少ない。これまた残念だ。
 結局、レイ・ハリーハウゼンお得意のダイナメーションはほとんど使われずに、月面地下都市での光学合成が目玉となっている。ダイナメーションとして目立つのは巨大な芋虫にベッドフォードが襲われるシーン。その芋虫をセレナイトたちがやっつけて肉を取って綺麗に骨だけにしてしまう。芋虫のクセに骨があるとは生意気な、脊髄生物だったのか、さすが月面だけあって侮れない。
 ベッドフォードは回りを昆虫型に囲まれただけで相手を谷に落とすわ殴るわ蹴るわの暴力を働くし、ケートは宇宙船を昆虫型に地下としないに運ばれ、回りを取り囲まれてハッチを開けられたところへ象撃ち用のライフルをぶっ放す。とんでもなく乱暴な奴らである。そんな中、カボールはあくまでも有効を貫こうとする。攻撃的なベッドフォートと友好的なカボールの対比が風刺的である。
 だが人間型はそんな彼らを咎めることなく、カボールに地球について説明を求めてくる。人間という物を知りたがり、そして戦争という物を知った彼らはその戦争という行為が理解出来ずに地球人が月に攻めてくることを怖れてカボライトの製法を唯一知っているカボールを地球に返さないことに決める。
 その間に宇宙船を修理したベッドフォードとケートは月に留まることを決めたカボールを残して地球に帰ってくるのであった。カボールも月面人と話している内に人類に幻滅してしまったのかも知れない。
 そして現代に話が戻ってくる。国連宇宙機関の宇宙船が月面地下基地を調べるとそこはすっかり寂れ無人になっていた。崩れ落ちる地下基地。どうやら地球の細菌が持ち込まれたことで免疫のない月面人は絶滅してしまったらしい。カボールを引き留めたのが裏目に出たのだ。
 ここだけ聞くと同じH・G・ウェルズ原作の『宇宙戦争』とそっくりそのまま同じである。だが『月世界最初の人間』のラストは意思疎通が出来るようになったカボールが月面人に戦争という危険思想を話してしまい処刑されてしまったことを匂わせて終わる。人間嫌いなウェルズらしい終わり方だ。それではあんまりだと映画版のラストは『宇宙戦争』を参考にしたのだろう。 これまで観てきたレイ・ハリーハウゼン作品の中では一番面白くなかった。ケートが透視装置を通らされる時に骸骨に透けてしまうがこれは『アルゴ探検隊の大冒険』で使われた物の流用。この辺りはちょっと笑ったが、全体的にしっくりきておらず前半のコミカルなドタバタ部分と後半のシリアスさが溶け合っていない。特に後半は退屈な部分がある。
 缶詰ばかりだと栄養が偏るとケートが勝手に生きたニワトリを何羽も宇宙船に持ち込んでおいて、それが宇宙空間で宇宙船内部を飛び回り、カボールが「私はニワトリが嫌いなんだ。ガチョウは好きだが」と叫ぶシーンなんかは好きなんだが。
 宇宙船がなんともレトロなボールのような多面体の箱型デザイン。
 座席はショックを緩和するために、ロープで作ったブランコですよ。
 ソファのようなビロードのクッション生地が宇宙船内部に張り巡らされているし、実に雰囲気があっていい。
 中にいた人が景色を見ようとカボライトの塗られたブラインドを開いただけで方向狂って太陽に突っ込みそうにはなるし、もうハチャメチャである。しかし、このブラインドの開け閉めで重力を遮って進行方向をコントロールするというアイディアは秀逸である。
お皿の上にオイルサーディンが乗っててナイフとフォークで食べてます。こりゃ栄養偏るわ。
 ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』が大砲という物理的方法で月を目指したのに対し、H・G・ウェルズが重力を遮る物質(反重力物質?)という化学的方法で月を目指したのは対照的で面白い。

B0000T09O8.jpg『アルゴ探検隊の大冒険』(1963) JASON AND THE ARGONAUTS 109分 イギリス

監督:ドン・チャフィ 製作:チャールズ・H・シニア、レイ・ハリーハウゼン 脚本:ジャン・リード、ビヴァリー・クロス 撮影:ウィルキー・クーパー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:マリオ・ナシンベーネ、バーナード・ハーマン
出演:トッド・アームストロング、ナンシー・コヴァック、ゲイリー・レイモンド、オナー・ブラックマン、ローレンス・ネイスミス、ニオール・マッギニス、マイケル・グウィン、ダグラス・ウィルマー、ジャック・グイリム、パトリック・トラウトン、ナイジェル・グリーン

 ギリシャ神話のゼウスを始めとする神様達は非常にわがまま。自分の気分次第で人間の運命を左右して幸福にしたり不幸にしたり。呑気なもんだね。
 侵略者がゼウスの加護を受けてある王国を攻撃して乗っ取ってしまう。この勝利は神に約束された運命であったが、その国王の子供にこれまた神の決めた運命。そして20年後、戦の最中に連れ出されて生き延びた男の赤ん坊が、立派に成長して王国に帰ってきた。目的はもちろん侵略者だった現国王を倒し国を取り戻して復讐を遂げること。
 ところが、それと知らず現国王と出会った青年ジェイソンは、「王になるのならば奇蹟を示さなければ」とそそのかされて、地の果てにあるという黄金の毛皮を取りに行くことにする。とはいえ、どうしたものかと考える彼はゼウスの妻であるヘラによって天界へと連れてこられる。ゼウスは船と乗組員を与えると告げるがジェイソンはそれを拒否し、5回限りでヘラの助けを受けられるとの恩恵を賜る。地上に戻ったジェーソンは丈夫な船を造り、ギリシャ中の勇士を集めて競技会を行い、成績優秀者を乗組員として航海に旅立つ。その中には、伝説の勇者ヘラクレスの姿もあった。
 こうして、彼らの艱難辛苦の冒険譚が始まったのである。

 艱難辛苦と言ってはみたが、どうもそれほど苦労していない。何かというとヘラに頼んで知恵を授けてもらい、5回の助けも旅が始まって早々に使い果たす。船が通ると崩れてくる岩壁は、お守りを使って海の神(ポセイドン?)を呼び出して助けてもらう。
 太古の昔、神の武器を作っていた島では青銅の巨人タロスに襲われるが、そのきっかけは「水と食料以外に手を出してはいけない」という神の禁をヘラクレスが破ったためで、自業自得と言って良いだろう。そのせいで、ヘラクレスは何の活躍もないまま退場。ゲスト出演ですな。
 黄金の毛皮も、どこかの無人島にでもあると思ったら、世界の反対側にある国の所有物で、その国の民にとっては繁栄の象徴。それを勝手に持って来ちゃうんだから。それって泥棒じゃないのか?ギリシャ人からみれば異国の民のことなど知らんってことなんだろうが。
 そんな彼らの行動は任務の成功に賭けたヘラと失敗に賭けたゼウスによって常に天界の水鏡から監視されている。基本的にはジェイソンも現国王も神の行うゲームのコマである。まるでシミュレーション系の対戦ゲームだ。高潔な神ではなく欲や感情で好きなように行動するのは人間味があるとも言える。それに振り回される人間側はたまったもんじゃないが。
 なんかストーリーにケチを付けているようですが、いやいや実にワクワクハラハラで面白い。原作はギリシャ神話のエピソードなので制約もあるだろうし、本来はかなり残虐なシーンもあるのだがそこら辺をカットして上手く娯楽作に仕上げている。黄金の毛皮を手に入れるところで映画は終わるが、その後の復讐劇やジェイソンの末路などかなり悲惨だ。ギリシャ神話なのに主人公がジェイソンはないだろうと思うが、これはイアソン(Jason)の英語読み。ドン・チャフィの演出にはこれといって注目する点はないが、それもあまり気にならない。

 作品の目玉はハリー・ハウゼンによるモデルアニメーションを使ったダイナメーション。青銅の巨人タロスや二羽のハーピー、七本首のヘビであるヒドラやガイコツ兵士が自由に動き回るのは年月を経た今観ても見応えがある。ハーピーは本来禿鷲の羽を持っているのだが、映画内ではコウモリ女風の造形。羽や毛のあるモデルでの作業はやはり難しいのだろう。
 モデルアニメーションは、人形を少しずつ動かしてはそれをコマ撮りで撮って作る立体のアニメーション。ダイナメーションの特徴はそのモデルアニメーションのクリーチャー達が実写の俳優達と同じ画面に映り、チャンバラなどで派手に戦うところ。特にガイコツ兵士との剣での戦いは本当にチャンバラしているようにしか見えない。最初に人間の動きを撮っておいて、それに合わせてクリーチャーの動きを振り付けているのだろうが、これまた神経を使う気の遠くなるような忍耐力と集中力が必要な作業だろう。
 ヒドラとジェイソンが戦うシーンなどは首が七本もあるから、どの首をどう動かしたかちゃんと記録して順番通りに動かしていかねばならない。現像してみて失敗だったらそのカットは一からやり直しだ。
 ただ、モデルアニメーションは素晴らしい。それに比べて最近はなんでもCGばかりで駄目だという意見もあるようだが、それはどうだろうか。クリーチャーのデザインを考え、おそらくは最初は平面のスケッチとして書いたのを立体化し、動きを振り付けていくのに必要なセンスとテクニックはおそらくほとんど変わっていないだろう。
 実際に映像を作っていく段階も同じ。「こんなクリーチャーでこんな動き、ピコパコパ」でコンピューターにお任せして勝手に出来上がるわけじゃないから、CGI作成現場も気の遠くなるような忍耐力と集中力が必要な戦場だろう。使う道具が変わってより便利にはなっているだろうが、両者のやっていることや苦労は似たような物なんじゃないだろうか。
 もちろん先達者としてのハリー・ハウゼンの功績やそのセンスなどはなかなか余人が至り得ない物ではあるが、「=CGの否定」ではないだろう。ハリー・ハウゼンが現在も活躍していたら、「これは面白い」ってんで間違いなくCGに手を出していたはずだ。

B002UMAIPS.jpg『SF巨大生物の島』(1961) MYSTERIOUS ISLAND 100分 イギリス COLUMBIA PICTURES

監督:サイ・エンドフィールド 製作:チャールズ・H・シニア 原作:ジュール・ヴェルヌ 脚本:ジョン・プレブル、ダニエル・ウルマン、クレイン・ウィルバー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:バーナード・ハーマン
出演:マイケル・クレイグ、ジョーン・グリーンウッド、マイケル・カラン、ゲイリー・メリル、ベス・ローガン、ハーバート・ロム

 時は南北戦争の時代。南軍の捕虜収容所から北軍の兵士が気球を使って脱走。漏れだしたガスを止めるためにバルブを調整していたらバルブがもげてしまった。これではガスを排出することが出来ず、ガスが持つ限り飛び続けるしかない。風に流され気球は海の上に。そしてついにとある島にたどり着いた。
 そこは巨大なカニ、巨大な鳥、巨大な蜂などが住む巨大生物の島だった。といっても全ての動物が巨大なわけではなく、普通の大きさのヤギなんかもいる。
 巨大生物を作り出したのは、8年前に沈没したはずのノーチラス号艦長ネモ船長だった。人知れず生きていたネモ船長は孤独を愛し、戦争を防ぐべく食料の増産のために巨大生物を孤島で作っていたのだ。
 ところが島の火山の噴火が近づいた。このままでは全てが無に帰してしまう。そのため島に水をくみに来た海賊船を沈めたネモ船長は、海賊船を引き上げ脱出に使うことを兵士たちに提案する。

 このままだとむくつけき男ばかりの話になってしまうので、ボートで島に漂着したご婦人二人がお色気担当として登場するのはお約束。といっても若いのは一人だけでもう一人はオバサンだけどね。
 この物語はネモ船長が登場することから分かると思うがジュール・ヴェルヌの『海底二万哩』の続編『神秘の島』の映画化である。この時期にジュール・ヴェルヌの原作の著作権が切れたため立てられた企画らしい。レイ・ハリーハウゼンは原作の設定だけを借りて怪獣映画として構築し直している。
 原作の『海底二万哩』の続編であって、ディズニーの映画『海底二万哩』(1954)の続編ではないので注意。
 カニ、蜂、怪鳥は食糧危機を打開するため巨大化されたという設定で、ルックスはシンプルだ。いつもの魅力的な造形のクリーチャーが少ないのが残念。特にカニは本物をそのまま大きくした様にしか見えないと思ったら、本物のカニの殻を使って中にアーマチュア(金属製の骨格)を仕込んだものだそうだ。
 浜辺を歩いていると突然岩場が動き出し、、「うぉっ、巨大カニだ!」黒人北軍兵士をはさみで捕らえておお暴れする巨大カニだったが、所詮は甲殻類、足元救われてひっくり返されたあげくに間欠泉にじゃぼんと落とされます。はい、カニ鍋数00人前様のできあがり。それだけのためだけに登場した間欠泉。「むしゃむしゃ、カニは美味しいんですがどうも無口になっていけませんな」、「いやまったく。宴会には向きませんね」むしゃむしゃ。
 怪鳥はダチョウをイメージしたもの。蜂は巨大な以外は普通の蜂だ。
 中でも怖ろしいのが、海賊船の引き上げ時に襲って来る巨大なオウムガイ。怖ろしげにデザインされていて、ウネウネとした動きと合わせて一番クリーチャーしている。まるで神話のクリーチャーのようだ。それをネモ船長の作った電子銃で撃退するのだが、海水中で電気を使って攻撃したらこっちまで感電してヤバくないか。
 そんな巨大で怪しい生物たちをムシャムシャと食べてしまう兵士たちの食欲には恐れ入る。人間やっぱりお腹が空いたら駄目なのだ。女性陣も怪鳥を美味しそうに頬張っている。このカニや怪鳥が確かに美味しそうなのだ。特に怪鳥の丸焼きは皮がぱりぱりして中身はジューシーな感じが現れている。
 潜水具が巨大な貝を酸素ボンベとヘルメットの代わりにしている姿で、とても印象的である。あの姿で突然目の前に現れたら腰を抜かしてしまうだろう。登場シーンは少ないがノーチラス号のフォルムも独特で格好いい。
 バーナード・ハーマンのスコアがまだ壮大で、スケールの大きな物語に一役買っている。
 ラストはあまりに唐突で、火山が大噴火を起こしてネモ船長はノーチラス号の部品に挟まれてあっけなく死んでしまい巨大生物の製造方法は永遠の謎になるし、兵士たちは引き上げた海賊船の上で平和な世の中を作る誓いを立てて終わる。ちょっと興ざめである。しかし、なんで火山島なんかで研究をしていたのかね、ネモ船長は。危険だって分かっているのに。意外に馬鹿?
 兵士たちの構成は北軍兵士3人、南軍兵士1人、従軍記者1人とバラエティに富んでいる。それぞれ性格も違い、頭の固い上官から、若い女性と結婚を決める若い北軍兵士、皮肉屋の従軍記者などとなっている。ただ、兵士同士の違いや対立があまりドラマに役立っていなかったのが残念。気球の操縦のため捕虜として連れてこられた南軍兵士なんていくらでも使い道があったろうに。そのため終盤までクリーチャーが出てくる場面以外は呑気な漂流物となってしまっている。
 マットペインティングが効果的に使われていて、ここも見所の一つ。
 もうひとつ『巨大生物の島』という映画があるが、こちらはH・G・ウェルズ原作なので間違えないように。頭に"SF"が付くのがこっちね。

B002UMAIR6.jpg『ガリバーの大冒険』(1960) THE 3 WORLDS OF GULLIVER 94分 イギリス COLUMBIA PICTURES

監督:ジャック・シャー 製作:チャールズ・H・シニア 原作:ジョナサン・スウィフト 脚本:アーサー・ロス、ジャック・シャー 撮影:ウィルキー・クーパー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:バーナード・ハーマン
出演:カーウィン・マシューズ、ジョー・モロー、ベイジル・シドニー、ジューン・ソルバーン、リー・パターソン、グレゴワール・アスラン、ピーター・ブル、シェリー・アルバローニ

 船医として船に乗り海に出たイギリスの医師ガリバーが嵐の夜に誤って船から落ちてしまう。流れ着いたのは小人国のリリパットだった。ガリバーはなんとリリパット人の1728人分の大きさ。卵を細い先から割るか太い先から割るかで戦争になっていた隣国との戦争を隣国の軍艦をまとめて引っ張ってくることで回避したガリバーは一躍勲章をもらう英雄に。
 しかし、王の不興を買ってリリパットを逃げ出すことになった。
 ボートで流れ着いたのはブロブディングナグと言う名の巨人国。恋人のエリザベスとも再会し、王の名の下に結婚式を挙げる。しかし城の錬金術師がガリバーに嫉妬して、策略を巡らし彼を魔物だと断言。おかげで火あぶりの刑にされることになってしまう。
 彼らの面倒をみてくれていた少女のおかげで無事に城を脱出。彼女のバスケットに乗って海に出る。流れ着いた先はイギリスで、彼らの故郷のすぐ近くだった。

 スウィフトの『ガリバー旅行記』から小人国と巨人国をフィーチャーし、前作でシンドバットを演じたカーウィン・マシューズが引き続き主演を演じている。
 原作の残りのエピソードを使った続編やテレビシリーズの製作も検討されたそうだが、実現しなかったそうだ。
 映画に登場するダイナメーションのクリーチャーはワニとリスの二種類のみと寂しい。やはりレイ・ハリーハウゼンの魅力はクリーチャーにあると思うのだ。ガリバーは巨人国でワニと戦わされ、リスにさらわれる。リスの巣穴から出られなくなってしまい、少女のお下げの髪に掴まってようやく出られる。
 ダイナメーションが少ない代わりに、小人や巨人の表現には工夫がなされている。当時の光学合成でこれだけのことをやったのには驚異に値する。スクリーンプロセスや新開発のイエロースクリーンを使った移動マットが使われたらしい。
 カメラワークの工夫もあって、小人や巨人の視点から見たガリバーのスケール感がきっちり表現されている。実際にデカく、そして小さく見える。両極端を見事に描ききったレイ・ハリーハウゼンに感服した。
 大がかりなミニチュアワークも魅力で、浜辺に流れ着いたガリバーをリリパット人が縛り付けてしまったり、軍艦を束にして引っ張っていくシーンなどだ。
 結論は、小心者のリリパット人も尊大なブロブディングナグ人も心の中にいて隙をうかがっているとよく分かるような分からないような結論。
 それにしても原題は『THE 3 WORLDS OF GULLIVER』で『三つの世界のガリバー』となっているが登場するのはリリパットとブロブディングナグの二つだ。通常の人間世界も合わせて三つの世界と言うことだろうか。
 音楽のバーナード・ハーマンのスコアが壮大で聞き応えがある。
 ダイナメーションだけがレイ・ハリーハウゼンの力量ではないことを示している。これで演出にもっと締まりがあればと思う。日本未公開がもったいない作品。

B002UMAIOY.jpg『シンバッド七回目の航海(シンバッド7回目の航海)』(1958) THE 7TH VOYAGE OF SINBAD 88分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:ネイザン・ジュラン 製作:チャールズ・H・シニア 製作補:レイ・ハリーハウゼン 脚本:ケネス・コルブ 撮影:ウィルキー・クーパー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 編集:エドウィン・ブライアント、ジェローム・トムス 音楽:バーナード・ハーマン
出演:カーウィン・マシューズ、キャスリン・グラント、トリン・サッチャー、リチャード・エヤー、アレック・マンゴー、ハロルド・カスケット、ダニー・グリーン、ヴィルジリオ・テクセイラ

 シンドバッド船長の船が食料と水を求めてとある島に上陸する。そこにはサイクロプスという怪物と魔法のランプを狙う魔術師ソクラがいた。ソクラを救助した船は一路バクダットへ。実はシンドバッドはバクダットの王子だったのだ。バクダットと言うことはイラク。これはイラク人が主役の物語だったのだ。そう考えると感慨深い物がある。
 今回の航海で連れてきた近隣国の王女と結婚することで両国間の関係を密な物にしようというわけだ。だが政略結婚という面だけではなくシンドバットと王女は心から愛し合っていた。
 結婚式前の余興でソクラは蛇女を出してみせる。そして一晩経つと王女は15センチくらいの大きさに縮んでしまっていた。これはソクラの仕業なのだが、それを知らないシンドバットはソクラに助けを求める。王女を元の姿に戻すには例の島に住むロク鳥の卵の殻が必要だという。シンドバットは足りない乗組員を死刑囚を無実にすることで補い、島を目指す。
 だが途中で元死刑囚たちが叛乱を起こし、シンドバットと戦いになる。哀れにも捕まってしまうシンドバットだが、南の島の悪魔の叫び声に結果として助けられ例の島にたどり着いた。そして冒険が始まった。

 ダイナメーションという言葉が初めて使われたのがこの作品。レイ・ハリーハウゼンの初めての長編カラー映画でもある。それらのこともあってかなり力が入れられたのであろう、ストーリーもモンスターの造形や動きも充実した作品に仕上がっている。
 まずはこの作品のもう一つの主役とも言えるサイクロプス。一つ目で器用そうな三本指の腕に下半身はヤギのようになっている。このサイクロプスが見事なぐらいに動き回る。終盤ではソクラが飼っていたドラゴンとの戦いとなり負けて死んでしまうが、可哀想に感じてしまうほどだ。お宝に目がないようで、沈没船からお宝を引き上げては洞窟にため込んでいるという俗っぽさも持ち合わせている。
 乗組員の一人を気に縛り付けて丸焼きにしようと待ち構えているシーンでは、きちんと座って舌なめずりまでしている。舌なめずりはともかく意外と行儀が良いようで。
 サイクロプスは数匹いるようで、シンドバットが谷に落として殺した後も別のが出てくる。それだけレイ・ハリーハウゼンが思い入れを持ったクリーチャーなのではないだろうか。
 サイクロプスの大きさも絶妙だ。50メートルもあるような巨大な怪獣も確かに怖いが、サイクロプスのような小高い丘からひょいと顔を覗かせてくるような大きさがリアルで怖い。
 だいたいレイ・ハリーハウゼンのクリーチャーは大きさが大きすぎず小さすぎず見事。人間との対比シーンで特にそれが表れている。
 蛇女は王女の侍女に蛇を合成してソクラが作り出したもの。戦いはしないが、宴の席で優雅に踊ってみせる。尻尾を振り四本の腕をスムーズに動かして登場時間は短いが見応えがある。
 ソクラの洞窟でシンドバットを襲ってくるのは骸骨兵士。これまたスムーズな動きでシンドバットと動きがシンクロしたチャンバラをやる。これがダイナメーションなんだよ。原理的にはスクリーンプロセスで映写した実写風景と人物を前にストップモーション・アニメーションモデルを動かして撮影する。だから動きがシンクロ出来るのだ。人間が投げた槍が1カットでクリーチャーに刺さるなんてことも出来る。
 卵から孵ったばかりのロク鳥の雛をシンドバットの手下たちが殺して食べてしまうシーンはちょっと衝撃的だった。数メートルはある巨大な雛とはいえ雛は雛。それを食べてしまうなんて。人間、食欲には勝てないものだ。だが、そのせいで親鳥の逆襲を受ける。双頭のロク鳥もなかなかの迫力。
 とにかくクリーチャーたちの数の豊富さには恐れ入る。そのクリーチャーたちが最終的にはほとんど全部死んでしまうのは悲しいが。
 レイ・ハリーハウゼン作品は途中でだれたり、テンポがおかしかったりすることがあるが、この作品は全編だれることなく観ることが出来た。
 魔法のランプの精ジニーが少年というのも意外だった。危機に陥ると呪文で呼び出して何度もシンドバットたちの危機を救ってくれる。ただしあまりやる気がなさそうな態度で「やってはみますが」とどうにも頼りない。その割りにやってくれることは結構スゴイ。最後には船の乗組員になってしまう。
 とにかくソクラが憎たらしい役で、裏切り、見捨てるなど平気の平左。嘘も平気でつくし自分のためなら他人を犠牲にすることなど何とも思っていない。まったくもって悪の魔術師なのだ。この憎たらしさが映画を引き立ててくれる。
 バーナード・ハーマンの音楽も出来が良く、映画を盛り上げてくれる。
 特撮のリズムを狂わせることもなく、思いのほかテンポの速い演出を見せるネイザン・ジュランの手腕も見事なもの。
 元死刑囚たちの叛乱の後、座礁の危機にシンドバッドが舵を取るが、島への上陸ポイントは大岩の間の狭い海路のみ。さぁどうなるシンドバットと心配していると、次のシーンでは何事もなかったかのような爽やかな顔で上陸している。主演俳優がマラリヤに罹って撮影できなかったのだそうだ。

B002BS02TI.jpg『原子怪獣現わる』(1953) THE BEAST FROM 20,000 FATHOMS 80分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES

監督:ユージン・ローリー 製作:ハル・チェスター、ジャック・ディエツ 原作:レイ・ブラッドベリ 脚本:ルー・モーハイム、フレッド・フリーバーガー、ユージン・ローリー、ロバート・スミス 撮影:ジャック・L・ラッセル 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:デヴィッド・バトルフ
出演:ポール・クリスチャン、ポーラ・レイモンド、セシル・ケラウェイ、ケネス・トビー、ドナルド・ウッズ、リー・ヴァン・クリーフ、スティーヴ・ブロディ、ロス・エリオット、ジャック・ペニック

 都合により製作年度の順序が狂ったが、これがレイ・ハリーハウゼンの特撮クリエーターとしての長編デビュー作である。その前に『猿人ジョー・ヤング』(1949)があるが、これはウィリス・H・オブライエンの指揮のもと助手として参加したものでレイ・ハリーハウゼンがメインで担当したものではない。

 北極圏で核実験が行われた。そのため推定500トンもの大きさの白亜紀恐竜、一億年前に絶滅したリドサウルス(RHEDOSAURUS)が復活する。氷の中に閉じこめられて冬眠状態で一億年を過ごしていたのが、核の熱で溶け出したのだ。このリドサウルス(RHEDOSAURUS)が本作の特撮クリエーター、レイ・ハリーハウゼンのイニシャル、R・Hからつけられたというのは有名な話。
 次第に南下し上陸したリドサウルスは灯台を襲撃。これがこの映画の原作レイ・ブラッドベリの「霧笛」に唯一近いシーン。ちなみにこの同い年の1920年生まれのこの二人のレイはこの映画に先立つこと15年前の高校時代に1938年にフォレスト・J・アッカーマンを通じて知り合って以来の親友である。
 途中の恐竜がいるかいないかの人間ドラマの部分は少々退屈だが、老考古学者が潜水球で潜水中に実際にリドサウルスに出合ってからは一気に面白くなる。老考古学者は潜水球の中から実況をしながら潜水球ごと行方不明になってしまう。それにしてもリドサウルスに出合う前にタコ対サメの戦いが結構延々と流れるのだがあれは何なのだろう。リドサウルスがいきなり出てくると興ざめなので時間つぶしか。
 そしてニューヨークにリドサウルスが上陸。町を壊しまくる。低予算のためミニチュアセットが組めずに写真を使ったシーンもあるそうだが、よくよく観ないと分からない。
 リドサウルスに逃げ戸惑う人々は怪獣映画の面白さを感じさせてくれる。もしかするとこのモブシーンの視点はこの作品が初めてではないだろうか。
 リドサウルスは体内に未知の致死性細菌を持っていて、迂闊に通常の武器で攻撃して血を流してしまうと、兵士や警官、一般人にも被害が出る。これでは倒しようがない。
 その時、唐突に「こんなこともあろうかと」と主人公の青年科学者が発明した新兵器「アイソトープ弾」が登場する。
 そしてローラーコースターの上から射撃が行われ、見事に傷口に命中したアイソトープ弾によってリドサウルスは息の根を止められるのであった。
 21万ドルという、当時でさえも低予算(ハリーハウゼンに割り当てられた特撮予算は1万ドル)で制作されたにもかかわらず、国内外あわせて制作費の20倍以上の500万ドルを稼ぎレイ・ハリーハウゼンの名を業界に知らしめた。
『ゴジラ』(1954)との関連性が指摘されるが実際はどうだろうか。『ゴジラ』が影響を受けたにしても期間が短すぎるのではないか。しかし核実験によって甦った怪獣、老考古学者の存在や高圧電流作戦、謎の秘密兵器など似通った点が多すぎる。
 ローランド・エメリッヒの『GODZILLA』は『ゴジラ』のリメイクではなく、この『原子怪獣現る』のリメイクだろう。ニューヨークで暴れ回るリドサウルスとGODZILLAには共通点が多すぎる。
 レイ・ハリーハウゼンがストップモーション・アニメーションを手がけたリドサウルスは実にスムーズな動きで、まるで本物の恐竜かのよう。アイソトープ弾を撃ち込まれたリドサウルスが苦痛の悲鳴を上げながら倒れていくシーンはどこかもの悲しくもある。
 この映画にも中途半端なロマンスが入っていて、老考古学者の美人助手が主人公の放射能科学者と恋に落ち、リドサウルス騒ぎの最中にバレエを観に行っているのだ。何をやっているんだ君たちは。恋する若い二人は常識を知らない。
 アイソトープ弾を撃ち込む軍人は若き日のリー・バン・クリーフ。まだ髪がある。クレジットでも上の方に名前がある。出番は少ないがリドサウルスにとどめを刺す重要な役柄である。

B002UMAIQC.jpg『地球へ2千万マイル』(1957) 20 MILLION MILES TO EARTH 83分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:ネイザン・ジュラン 製作:チャールズ・H・シニア 脚本:クリストファー・ノップ、ボブ・ウィリアムズ 撮影:アーヴィング・リップマン 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ミッシャ・バカライニコフ
出演:ウィリアム・ホッパー、ジョーン・テイラー、トーマス・ブラウン・ヘンリー、フランク・パグリア、ジョン・ザレンバ、ジャン・アーヴァン、バート・ブレイヴァーマン

 レイ・ハリーハウゼン初期の傑作クリーチャー金星竜イーマが登場するのがこの作品。怪獣イーマが可哀想で涙なしには観られない。

 シシリー沖に巨大な飛行物体が墜落する。勇気を振り絞った漁師が船内に入り込みなんとか二人を助け出すことに成功する。しかし、病気のため一人はまもなく死亡し主人公のカルダー大佐ただ一人が十数人の乗組員の中で生き残った。
 その頃、浜辺にU.Sと書かれたガラス容器が流れ着く。ちゃっかり者の少年ペペはその中身を近くにキャンプに来ていた獣医に200ペソで売りつけた。カウボーイハットを買うためだ。中身はゼラチン状の物質でどうやら生きているらしい。何かの卵なのか? 獣医の娘ジョーン・テイラーが帰ってきた時にそれは明らかになった。卵がかえり30センチほどの謎の生物が生まれていたのだ。
 この生物の成長は早く、翌朝には80センチほど、夜には人間大の大きさになっていた。
 この生物について熱心なアメリカ軍は50万ペソの賞金で情報をつのる。そこへ出てきたのがペペ。容器の中身を獣医に売ったことを告げて見事50万ペソを仕留める。
 アメリカ軍とイタリア警察が獣医に追いついた時には、イーマは檻を破って逃げ出していた。そして馬や羊に驚きながらも一軒の納屋にたどり着き、肥料の硫黄を食べ始める。イーマは硫黄が大好物なのだ。軍と警察がイーマに追いついて檻に追い込もうとするが失敗。納屋の主が大怪我をしてしまう。イーマは自分からは他者を襲わない。身を守るためだけに戦うのだ。その証拠に一匹の羊にもビクビクしている臆病者だ。レイ・ハリーハウゼンらしく動きが細かくてリアリティがある。
 ここであくまでも捕獲を優先するアメリカ軍と、人身に被害を与えるならばイーマを殺すべきだというイタリア警察が対立する。
 イーマの弱点は電流だ。電流を流した網をヘリコプターから落としてマヒさせる作戦をとり、それに見事に成功。捕獲したイーマはローマ動物園で管理実験されることになる。
 実験のスタッフには東京大学コロク博士という人物がいる。コロクという苗字はちょっと聞いたことがないが日本人もがんばってるじゃないか。イーマはすでに5-6メートルの大きさになっている。イーマは本来そんなに大きくはならないのだが地球の大気で代謝異常を起こしたらしい。しかし、大きくなるからにはそれだけの食料を摂取しなければいけないわけでそこら辺はどうなっているんだろう。空気から栄養を取りだしているのか?
 1800ボルトの電流でイーマをマヒさせていたが、事故で電気が途絶えてしまう。起き上がり、これまでの憂さを晴らすように暴れ出すイーマ。壁をぶち破るとそこには一頭の象がいた。イーマ対象の戦いが始まった。
 イーマの動きは実際には存在しないものだから、自由に動かすことが出来る。それに対して象は我々がその動きを知っているからストップモーション・アニメーションでの動きの制約が厳しい。そんな中、レイ・ハリーハウゼンはがんばっている。ほらこのカットの象なんて本物みたいじゃないか。・・・・・・あっ本物か。いやいや本当にがんばっている。
 イーマ対象の戦いはかなり長く続く。重量感があって迫力がある。こいつは見物である。怪獣対怪獣というのは良くあるが、怪獣対動物というのも珍しい。この象はイーマに倒されるが、その後のシーンでは怪我のメイクをした本物の象が一応息をしているのでどうやら生きているらしい。もっとも象に息を止めろという演技指導は難しそうだが。
 そしてイーマはコロセウムに逃げ込むが、アメリカ軍の攻撃を受けて、最後は最上段から落ちて死んでしまう。捕獲を優先していたのに一転して殺すことにするとはアメリカ軍は信用ならない。最後の場所が殺し合いを見せていたコロセウムというのも意味深である。観光地だからかも知れないが。
 たまたま金星で捕まってしまったばかりに悲劇の怪獣人生を送ることになったイーマには同乗を禁じ得ない。全て人間の勝手な都合、わがままである。イーマの冥福を祈ろう。 イーマは尻尾があり、鳥状の足、人間状の胴体、そして醜い顔を持つ怪獣だ。この醜い顔が人間の不興を買ったのだろう。もしもイーマが美しい生物だったら扱いはもっと違っていたはずだ。人間の美意識だけで宇宙の生物を語るのはどうだろうか。これはもう一つの『キング・コング』である。
「いつの時代も進歩への道はとてつもなく険しい」
 こんなSF映画にありがちな、分かったような分からん様なセリフで映画は幕を閉じる。
 獣医の娘で医者の卵のヒロイン役で『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』に引き続きジョーン・テイラーが可憐さと気丈さを振りまいてくれる。でも中途半端なロマンスはいらないな、やっぱ。

B002UMAIQ2.jpg『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956) EARTH VS. THE FLYING SAUCERS 83分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:フレッド・F・シアーズ 製作:サム・カッツマン 製作総指揮:チャールズ・H・シニア 原作:カート・シオドマク 脚本:ジョージ・ワーシング・イエーツ、レイモンド・T・マーカス 撮影:フレッド・ジャックマン・Jr 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ミッシャ・バカライニコフ
出演:ヒュー・マーロウ、ジョーン・テイラー、ドナルド・カーティス、モリス・アンクラム、ジョン・ザレンバ、トム・ブラウン・ヘンリー、ラリー・ブレイク

 地球を狙って宇宙人が空飛ぶ円盤で襲ってきた。まさに"EARTH VS. THE FLYING SAUCERS"である。
 ハリーハウゼンと言えばストップモーション・アニメーションだが、この作品では空飛ぶ円盤と円盤に壊される建物の一部にしか使われていない。正直物足りない感じだ。やはり宇宙人もストップモーション・アニメーションで再現して欲しかった。宇宙人は潜水服のようなスーツを着た人間が演じている。
 ハリーハウゼンのストップモーション・アニメーションの魅力はやはり生物を描いた時に一番栄える。その点ではこの作品は使い方を誤っていると言えるだろう。ただ、円盤のデザインや質感は良く出ており、回転をしながら襲って来るのは迫力がある。釣りではなかなか表現出来ない動きだ。
 人工衛星を乗せたロケットが相次いで撃墜された。主人公の博士はその責任者。結婚したばかりの妻にして秘書を乗せて車に乗っていると空飛ぶ円盤を目撃する。美人秘書がいつも一緒にいたら男は放っておかないよな。その時、ポータブルテープレコーダーを持っており、怪音を録音していた。ポータブルと行ってもカバン一つぐらいのオープンリールの物。バッテリー駆動するだけ大したモノか。このバッテリーが切れかかってテープの再生速度が遅くなり怪音は宇宙人が早口で喋っていたメッセージだと分かる。
 宇宙人は博士に無線で連絡してくる。「何時にどこそこの海岸に来い。時間厳守だ」意外と細かい宇宙人である。行ってみると円盤が着陸していて、中に乗せられる。そして、宇宙人の意図を聞かされるのだ。それは地球征服である。彼らは地球を失われた故郷の代わりにしようとしていたのだ。宇宙人は「我々は何でも知っている。尋ねてみるが良い」、乗り合わせていた警官が「ワールド・シリーズで一番優勝回数が多いチームを言って見ろ」、「ニューヨークヤンキースだ」、メジャー・リーグかよ。質問内容も質問内容ならば、それに真面目に答える宇宙人も宇宙人。と、その声に聞き覚えのある博士の新婚奥さんが自分の父親であることに気付く。父親役の軍人が宇宙人に誘拐されて記憶を読まれ、メモリーバンクとされていたのだ。処理段階で脳みそが透けて見えるなど映像的にも優れている。ここが一番怖いシーンかも知れない。
 宇宙人の攻撃が、太陽で大規模な爆発を起こし、異常気象を起こして交通や通信の手段を麻痺させるなど、地味にスゴイ。
 序盤で期待をさせるが、中盤でだれる。終盤の主人公の博士が開発した磁力砲で盛り返すが、それにしても地球を征服しに来た割には円盤の数が少ないのは何故だろうか。人類は甘く見られていたのか。磁力砲にやられてフラフラ揺れながら墜落していく空飛ぶ円盤には思わず笑ってしまう。いや、笑っちゃいけないんだが。ワシントンの名所を壊すは突き刺さるはもうしっちゃかめっちゃか。迫力はあるが単調で、監督のフレッド・F・シアーズの力量があまりないんだろう。
 博士の新婚奥さん役のジョーン・テイラーが色っぽくて魅力的。こんな人が秘書として横にいては博士は研究もろくに進まないだろうに。
 宇宙人のスーツは防弾能力は全くなく普通の銃で簡単に殺されてしまう。何でこんな重装備なのかというと、種として末期が来ていてスーツで身体を保護しないと死んでしまうからだ。科学力を除けば弱い存在なのである。
 しかし、繰り返しになるが宇宙人をストップモーション・アニメーションで再現しなかった理由が分からない。予算がなかったのかな。宇宙人のデザインは非常にシンプルでもっさりしている。もうちょっとデザインの力を入れても良かったのではないか。磁力砲のデザインは良くて東宝特撮のメーサー殺獣光線車にちょっと似てる。東宝側が参考にしたのかも知れない。ティム・バートンの『マーズ・アタック!』を思わせるところもある。
 ラストは博士と若奥さんのジョーン・テイラーがビーチでラブラブ日光浴。新婚でハネムーンに行ってなかったとは言え、あまりに古典的展開に笑ってしまった。
 ハリーハウゼンは製作時に実際に空飛ぶ円盤を見た人にインタビューしてこの映像を創り上げたそうだ。研究熱心なことである。
 それにしても宇宙人は共産主義のメタファーなんだろうか。
 低予算らしくロケットの発射シーンや洪水、嵐のシーンはニュース映像が使われている。

B002UMAIQW.jpg『水爆と深海の怪物』(1955) IT CAME FROM BENEATH THE SEA 78分 アメリカ COLUMBIA PICTURES

監督:ロバート・ゴードン 製作:チャールズ・H・シニア 原案:ジョージ・ワーシング・イエーツ 脚本:ジョージ・ワーシング・イエーツ、ハル・スミス 撮影:ヘンリー・フリューリッヒ 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ミッシャ・バカライニコフ
出演:ケネス・トビー、フェイス・ドマーグ、イアン・キース、ドナルド・カーティス、ハリー・ローター

『タイタンの戦い』リメイク記念でしばらくレイ・ハリーハウゼン作品を取り上げようかと思う。それにしてもレイ・ハリーハウゼンは1920年生まれでまだ生きてるんだ。長生きな人だ。
 水爆実験で巨大タコが現れ、人を食うといった映画。ハリーハウゼンの初期の作品である。
 巨大生物と水爆実験というと普通は放射能の影響で巨大化したというのが定番だが、この作品は違う。海溝の奥深くに巨大なタコが最初から住んでいて、水爆実験の影響で身体に放射能を帯びてしまい、放射能に敏感な魚が逃げてしまったため、空腹になって水面に浮上してきたのだ。魚は食べられないので代わりの物を食べる。人間だ。タコは人に食われる物だと思っていたがこのタコは人を食うのだ。
 アメリカの原子力潜水艦が巨大な何かに襲われる。船体にはその組織がくっついていた。水中生物の権威の2人の博士が集まり分析をした結果、タコだと分かる。このタコを銛状の新型魚雷で爆破しようという計画だ。低予算なのでそこらの科学室みたいなところで金魚すくいの網みたいので魚をすくって研究を続け、権威だというのに助手もなし。これは極秘な調査なので極力人を減らしたと好意的に解釈出来るが。
 そうこうしているうちに、サンフランシスコにタコが上陸。有名なゴールデンゲートブリッジに絡みつく巨大タコの映像を観ることが出来る。このタコがヌメヌメ・ニョロニョロとしていかにも水中生物を感じさせる。質感がちゃんと出ているのである。ちなみに低予算だったものだから、8本足を同時にストップモーションで動かすのは手間がかかるので足は6本に減らされている。
 このタコはモデルを一コマ一コマ手で動かして撮影している。非常に気の長い撮影方法だ。根気が必要だろうからオレにはとても無理だ。2本足ぐらいならばなんとかなるかも知れないが、減らしてあるとは言え6本足をどの順番でどう動かしたなんてのをきちんと記録して覚えておくなんて出来ない。
 レイ・ハリーハウゼンの特撮は見事だが、映画としては前半でだれ、中盤でだれ、終盤になってようやく盛り上がる。中途半端なロマンスもマイナス点だ。序盤の原子力潜水艦が襲われるシーンからして緊張感がない。ただ、いかにもなにかありそうなナレーションがせめて映画を引き締めてくれる。監督のロバート・ゴードンに才能があまりないのであろう。
 初期のハリーハウゼン物では特撮は良いんだが、映画自体がイマイチというのが多い。B級特撮映画扱いだったんだろうか。
 人間を襲う大ダコというシチュエーションに目を付けたのは面白い。やはり外国人はタコが嫌いなのか。デビルフィッシュっていうもんな。

B002SXKNIG.jpg『アルティメット2 マッスル・ネバー・ダイ』  (2009) BANLIEUE 13 - ULTIMATUM 101分 フランス EUROPA CORP.

監督:パトリック・アレサンドラン 製作:リュック・ベッソン 製作総指揮:ディディエ・オアロ 脚本:リュック・ベッソン 撮影:ジャン=フランソワ・アンジャン プロダクションデザイン:ユーグ・ティサンディエ 衣装デザイン:ティエリー・ドゥレトル キャスティング:エルヴェ・ジャクボヴィッツ、マーク・ロベール
出演:シリル・ラファエリ、ダヴィッド・ベル、ダニエル・デュヴァル、フィリップ・トレトン、エロディ・ユン、MC・ジャン・ギャブ'1、ジェームズ・ディアノ、ラ・フイヌ、ファブリス・フェルツジンガー

 リック・ベッソン製作・脚本の『アルティメット』の続編。邦題のサブタイトルが『マッスル・ネバー・ダイ』とはずいぶん暑苦しい。
 前作のラストで隔離地区バンリュー13地区は病院と学校が再開し地区を取り囲んでいる壁も取り壊されるはずだったが3年経った2013年になっても相変わらず壁は残り、町は犯罪で溢れていた。
 そんな中、軍の上層部が陰謀を画策し、バンリュー13地区を更地にして新しい町を作るという計画を立てた。そしてある企業にその作業を任せリベートをもらおうというのだ。
 そのためには刑事のダミアン(シリル・ラファエリ)が邪魔なため彼を麻薬所持に見せかけて逮捕する。そのダミアンを救出に来たのがバンリュー13地区で義賊的活躍をするレント(ダヴィッド・ベル)。
 二人は共に手を取り、バンリュー13地区を守るために戦い始めた。

 ダミアンとレントは銃は使わず素手か簡単な武器で戦う。中でもダミアンがゴッホの絵で戦うシーンは面白かった。格闘アクションとしては香港映画系。
 そしてこの二人は飛ぶ。高いところから飛び降りたり、ビルの谷間を飛んだりと命がけのアクションを見せてくれる。『YAMAKASI』を想像してもらうと分かりやすいだろう。
 ストーリーは至って単純でいかにもリック・ベッソンだ。勧善懲悪でラストはスカッと悪がやっつけられて終わる。単純すぎる気もするが、娯楽作なのでこれで良いのだろう。

 5つのビルを爆破されることを防ぐという話だったのに、ラストでは「腐った物を作り直すより、0から始めた方が良いですよ」とレントが言って、大統領はバンリュー13地区の犯罪ビル5つを爆撃機からのミサイルで爆破してしまう。なんかよく分からない結末だ。
 悪人が捕まったからそれで良いのか。でも悪党と言っても地区の再開発でリベートをもらうなんて世界中で行われていることだよな。もっと派手な悪でもよかったのに。
 大統領は予算を注ぎ込んでバンリュー13地区を中流階級の町にすると言っているが、前作のラストもそうだった。今回も本当に政治家を信じていいのだろうか。ダミアンが総責任者になったから大丈夫なのだろう。
 中国人女性の名前がタオというのがまた分かりやすい。

B002UMAISA.jpg『BATS 蝙蝠地獄』(1999) BATS 91分 アメリカ DESTINATION FILMS

監督:ルイス・モーノウ 製作:ブラッドリー・ジェンケル、ジョン・ローガン、ルイーズ・ロズナー 製作総指揮:ブレント・ボーム、デイル・ポロック、スティーヴン・ステイブラー 脚本:ジョン・ローガン 撮影:ジョージ・ムーラディアン 特撮:エリック・アラード 音楽:グレーム・レヴェル
出演:ルー・ダイアモンド・フィリップス、ディナ・メイヤー、ボブ・ガントン、レオン、カルロス・ジャコット

『レッド・ウォーター/サメ地獄』(2003)と(こっちも地獄かよ)、人喰い映画俳優と成りつつあるルー・ダイアモンド・フィリップス主演の人喰いコウモリ映画。

 ある科学者がウイルスによって知能と攻撃性を高め、しかも果実と果汁しか食わないオオコウモリを雑食性にしてしまった。後に軍が兵器として開発したと分かるのだが、こんな平気どうやって使うつもりだったのだろうか? 軍の考えることは分からん。
 まずはお約束通りに若い男女が襲われ、コウモリの大群に食い殺される。このコウモリは模型とCGを両用していてなかなかの迫力だ。
 ルー・ダイアモンド・フィリップスはテキサスの田舎町の保安官キムジー。この事件の解決にコウモリの専門家キャスパー博士(ディナ・メイヤー)、マッケイブ博士(ボブ・ガントン)と乗り出す。しかしマッケイブ博士はコウモリを改良した張本人で、実は自体を解決する気などさらさらない。ボブ・ガントンが演じているだけにふてぶてしさに腹が立つが自業自得で死ぬのでいい気味だ。しかもケイブ博士の元から逃げ出したと言っているが、実は自分で逃がしたらしい。コウモリの支配者になるつもりだったようだが何を考えていたのだろうか。理解に苦しむ。コウモリを操って世界の支配者にでも収まる気だったのか?
 町では町長が夜間外出禁止令を出すのだが、なんといってもテキサスのこと、自分の身は自分で守るからと外出禁止令など気にせず呑気に夜の町で遊んでいるのが笑える。
 だが笑ってばかりもいられない。そこにコウモリの大群が襲来。町は阿鼻叫喚の地獄と化す。まさに蝙蝠地獄である。このシーンはかなりの迫力で低予算映画にしてはかなりがんばっている。
 車が爆発し、電信柱が倒れ、建物のガラスが割れる。そして人々は蝙蝠に襲われ食われていく。オオコウモリと言っても翼を広げて30センチぐらいの大きさだから、食われると言ってもガブリと一口ではなく、チビリチビリを肉を食らい削り取られていく。嫌な死に方だ。
 コウモリの知能は非常に高く、ちょっとした隙間から入り込んでくる。立てこもったつもりが、そこが墓場になってしまう場合もある。
 主人公たちが学校に立て籠もるシーンも格好いい。窓という窓をフェンスで囲って「これでアラモ砦みたく頑丈だ」と相応しくない例えをする奴もいるし。全滅しただろアラモ砦は。
 軍はコウモリの巣を特定し爆撃するつもりだが、それでは巣が飛び散って分散してしまうだけでかえって被害を拡大してしまう。キャスパー博士の提案で冷凍装置でコウモリを凍死させようとなるが、猶予時間は62分。それを過ぎると軍がコウモリの巣の坑道を爆破してしまう。まったく軍の融通の利かなさときたら呆れたものである。
 田舎町、理解のない上層部(この場合は軍で町長さんは事態を理解して行動してくれる)、孤軍奮闘する主人公たちと人喰い映画のお約束をきっちりと抑えている。
 カントリーソングのお国柄テキサスで無骨な保安官をやっているルー・ダイアモンド・フィリップスがオペラファンという意外な設定もある。
 キャスパー博士は女性ながら頼りになるし、その相棒の黒人ジミー(レオン)も良い味を出したキャラクターだ。
 コウモリが一斉に襲って来るシーンでは5.1chサウンドが有効に行かされていて、実際に回りをコウモリに囲まれてしまったかのようである。
 ラストにはきちんと決着がついて、ホラーにありがちな一匹だけ生き残ってたオチと思わせて笑えるオチになっているのが楽しい。
 DVDのパッケージでBATSが逆さまになっているのにご注目。コウモリをイメージしてるんだね。
 91分という上映時間もちょうど良い感じ。

B002WT3NBU.jpg『グッド・バッド・ウィアード』(2008) THE GOOD, THE BAD, THE WEIRD 130分 韓国

監督:キム・ジウン 脚本:キム・ジウン、キム・ミンスク 撮影:イ・モゲ 音楽:タル・パラン
出演:チョン・ウソン、イ・ビョンホン、ソン・ガンホ、リュ・スンス、ユン・ジェムン、ソン・ヨンチャン、オ・ダルス、ソン・ビョンホ、イ・チョンア、マ・ドンソク、キム・グァンイル

『続・夕陽のガンマン』の原題は『THE GOOD, THE BAD AND THE UGLY』(善玉、悪漢、卑劣漢)で、この作品のタイトルは"THE UGLY"を"THE WEIRD"(変な奴)に変えただけ。
 マカロニ・ウエスタンへの思いがたっぷり詰まった作品と聞いて少し期待しすぎたかな。

 1930年代の満州を舞台に、一枚の宝の地図を巡って賞金稼ぎの"良い奴"(チョン・ウソン)と馬賊の"悪い奴"(イ・ビョンホン)、そしてコソ泥の"変な奴"(ソン・ガンホ)の三人を中心に他にも色々な人間が絡んできて、最後は日本軍まで出撃してくる。
 三人の人間関係が今一つはっきりせず、魅力を出しているとは言えない。それぞれの力関係や立場などがよく分からないのだ。それが分かるのはようやくラストになってから。これではちょっときつい。
 アクションに関しては銃撃戦が派手で火薬を使ったシーンもあるが、アクションシークエンスが長すぎ、しかもあまり工夫がないものだからちょっとつらい。アクションは派手さだけではなく如何に見せるかだと思うのだが、その見せる部分が欠けている。
 悪い奴のパク・チャンイ(イ・ビョンホン)はあんたが格好いいのは分かったからいちいちもったいぶるのを止めて欲しかった。
 と苦言を呈した物の、砂埃を上げながら荒野を疾走し銃弾を撃ちまくるシーンにはやはり素直に格好いいと思ってしまう。
 韓国にこれだけの大規模な荒野があるのだろうか。なさそうなのでおそらくは中国ロケなのだろう。地平線まで見える巨大な荒野は実に絵になる。日本国内では絶対に撮影出来ない光景だ。やるんならやはり中国ロケになるのだろうか。
 クライマックスは三人による同時決闘。二人を倒さなければ生き残れない。マカロニ・ウエスタンを思わせるアップを多用したカメラワークが象徴的だ。
 そして宝の正体とは・・・・・・
 宝の地図を巡る冒険活劇としては割と良く出来ている。並みよりかは上だ。だが傑作とまでいっていないのが惜しい。やはり工夫が足りないのだ。主人公の三人の個性も埋没してしまっているし。特にチョン・ウソンはほとんど脇役扱いである。実質主役は"悪い奴"と"変な奴"だ。
 訳の分からないところでベタベタのギャグを入れてくるし、かと思うと残虐なシーンを入れてくる。そこら辺はオレと感性が違うのだろう。唐突に登場する"指切り魔"の設定も意味不明だし。脚本が甘くきっちりと書き込まれていない気がする。
 とりあえず130分は長い。実際以上に長く感じられた。不必要なシーンが多いので110分ぐらいにまとめられたはずだ。

B002U18K9A.jpg『パラサイト・バイティング 食人草』(2008) THE RUINS 90分 アメリカ DREAMWORKS PICTURES、SPYGLASS ENTERTAINMENT

監督:カーター・スミス 製作:クリス・ベンダー、スチュアート・コーンフェルド、ジェレミー・クレイマー 製作総指揮:ゲイリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム、トリッシュ・ホフマン、ベン・スティラー 原作:スコット・スミス『ルインズ 廃墟の奥へ』(扶桑社刊) 脚本:スコット・スミス 撮影:ダリウス・コンジ プロダクションデザイン:グラント・メイジャー 衣装デザイン:リジー・ガーディナー 編集:ジェフ・ベタンコート 音楽:グレーム・レヴェル
出演:ジョナサン・タッカー、ジェナ・マローン、ローラ・ラムジー、ショーン・アシュモア、ジョー・アンダーソン

 サム・ライミ監督作『シンプル・プラン』で原作・脚本を務めたスコット・スミス(スコット・B・スミスとも言う)の同じく原作・脚本作品である。
 メキシコに観光に来ていたアメリカの青年男女がマヤ神殿を訪れることで、食人植物に襲われると言った、まぁストーリーから言えば単純かつありがちな話である。
 しかし、この作品はホラー・キングであるスティーヴン・キングの2008年映画の第8位を飾っている。キングの映画の趣味はいまいち分からんところがあるし同じ作家仲間の作品というのもあるのだろうが、個人的には「おいおいキング、これで8位はないだろ」といったのが正直な感想だ。まぁキングの映画の趣味は一般人にはよく分からんところがあるからな。自分の初監督映画は『地獄のデビル・トラック』だし、脚本を書いたどれかの作品では『デッド・ゾーン』を主人公が観ているシーンで脚本が最低だとか言わせてたし。
 ストーリーは最初に言ったようにいたってシンプル。アメリカの学生男女がドイツ人男性に誘われてマヤ神殿を観光しに行く。ところがマヤ人に辺りを取り囲まれドイツ人男性はあっさり射殺されてしまう。
 そのマヤ神殿を調査中だったはずのピラミッドの頭頂部に張られたテントはみんな無人で、彼らはズルズルと伝い寄ってくる蔓状の謎の食人植物に襲われていくのであった。若者たちの中に医学生がいるのはもはやお約束。ちなみに原題の"THE RUINS"は"廃墟、遺跡"といった意味だそうだ。"食人草"といった意味ではなくて残念である。
 それほど食人植物による残酷描写はない。それよりも食人植物に下肢を侵されてしまった青年の下肢を医学生が切断したり、自分の中に食人植物が入り込んだと思い込んだ女性が自らの身体をナイフで切り刻む方がショッキングだ。
 食人植物はズルズルと這い寄ってきてそのスローさが怖ろしい。人体に潜り込んではその下で繁殖する様だ。ピラミッドの地下では赤い花が携帯の着信音を真似して人をおびき寄せたりと知能もあるようだ。まるでちいさな『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』のオードリー2の様だ。
 マヤ神殿の回りを食人植物が表に出ることを警戒した原住民が取り囲んでいて、逃げるに逃げられないというのは面白い設定だ。おかげでいるにいられず逃げるに逃げられずと言うサバイバル状況に陥られてしまう。原住民は食人植物をかなり警戒していて、青年の一人が投げた植物の蔓に当たった少年を族長らしき人物自ら射殺してしまうほどだ。
 ジェナ・マローン、ローラ・ラムジーといった美女二人をキャスティングしたのも気が利いている。なかでもローラ・ラムジーが自分の中に食人植物がいると思い込んでナイフで身体を切り刻み、弾みで仲間の青年を刺し殺してしまうシーンはかなり重い。
 閉じこめられた青年たちの絶望が描かれていて悪くない。
 コメディ関係で有名なベン・スティラーが製作総指揮を務めているのはかなり以外だ。 結局、この食人植物の謎は解けないがこの作品の場合それでいいのだろう。
 ヒロインを逃がすため、囮になって弓矢で撃たれる医学生の青年が無茶苦茶痛そうだった。銃で一発ならともかく弓矢はキツいよな弓矢は。
 結論から言えば変に冒険心など起こさずに、素直にホテルのプールで泳いでいれば良かったのだ。そうすれば危険にも合わず万事解決。変なドイツ人の誘いになんか乗っちゃいけない。

 邦題のせいで損をしそうだが、若者系ホラーとしてはかなり楽しめる作品であった。ラストにはオチもちゃんとあるし。ギリシャ人可哀想だなー。

B000TXY7PW.jpg『ドク・ハリウッド』(1991) DOC HOLLYWOOD 104分 アメリカ WARNER BROS. PICTURES

監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ 製作:スーザン・ソルト、デボラ・D・ジョンソン 製作総指揮:マーク・マーソン 原作:ニール・B・シェルマン 脚本:ジェフリー・プライス、ピーター・S・シーマン、ダニエル・パイン 撮影:マイケル・ケイトン=ジョーンズ、マイケル・チャップマン 音楽:カーター・バーウェル タイトルデザイン:ソウル・バス
出演:マイケル・J・フォックス、ジュリー・ワーナー、ブリジット・フォンダ、ウディ・ハレルソン、バーナード・ヒューズ、デヴィッド・オグデン・スタイアーズ、フランシス・スターンハーゲン、ジョージ・ハミルトン、アイダ・バード、ロバーツ・ブロッサム

 ワシントンDCのワシントン長老教会病院という総合病院で働く外科医のベン(マイケル・J・フォックス)は、麻薬中毒患者などを診るのに飽き飽きしてビバリーヒルズの美容整形外科に転職すべく愛車の56年型ポルシェでカリフォルニアに向かった。
 工事による交通渋滞を脇道に逸れてかわしたのだが、道に迷ってサウスカロライナ州に迷い込んでしまった。グレイディーという小さな田舎町で自動車事故を起こしてして手作りの木の柵を壊してしまう。よりによってその柵を作ったのは裁判長。ベンは罰として32時間の医療奉仕をしなければならなくなり、おまけにこの町の医者になるように請われる。
 当然そんな気はさらさらないベンだが、診療所の美人助手ルー(ジュリー・ワーナー)と出会い、彼女を物にしようと考え始める。ビバリーヒルズに行って美容整形で儲けるという最初の決心が次第にぐらつき始めた。
 しかしある夜、医療奉仕から解放されたベンはポルシェでカリフォルニアへ向かう。その途中で道ばたに止まって往生している車を見つける。中には逆子の妊娠で苦しんでいる妊婦がいた。彼は見事にそれを取り上げた。
 ビバリーヒルズに行って念願の美容整形外科医になったベンだったが・・・・・・

 都会者が田舎町で罰で無料奉仕をさせられて、その間にその町や住民の魅力に気付くという点では昨日紹介した『カーズ』に良く似ている。
 ルーは湖から全裸で登場して、ハンターから鹿を守るためにオシッコを森中にしまくるという前代未聞のヒロインである。なんでも人間の尿の匂いで鹿が寄ってこなくなるそうだ。それに付き合わされてベンもズボンのチャックを上げ下げしながら森中を駆け回る。
 足の指の怪我を治してやった男からお礼でブタをもらったり、3人の老女がご飯を作ってくれたりと正に田舎暮らし。ちょっとした噂もあっと言う間に町中に広まってしまう。ベンが町長と一週間でルーを落とせるかという食堂のテーブルでした10ドルの賭けもいつの間にかルー本人の耳に入っている。
 グレイディー名物カボチャ祭りではベンとルーが急接近し、ダンスをしたりボートで湖に乗り出して花火を見たりする。それまではニコニコしてばかりだった町長が真面目な顔で、「この町は良いだろう。鏡を見てみたまえ、満足している自分の顔が見えるはずだ。町に残って医者を続けてくれないか」と懇願される。
 お金が幸せか。成功が幸せか。真剣に考え始めるベン。しかし、やはりビバリーヒルズに向かってしまう。逆子を取り上げた時にポルシェにトラックがぶつかりポルシェは大破してしまう。ポルシェを見て、「ま、なんとかなるだろ」という自動車整備工場の二人組が笑える。最初にポルシェを修理した時には部品が入った箱をベンに渡して、「何故か余っちまったんだ」だって。
 ベンが病院から出入りする度にタイムカードをカチャンと鳴らす無愛想な看護婦がベンのためにベッドを用意しているのは、ちょっと感動してしまった。最初は手術台の上に寝かせていたのに。
 病院には年老いた医師がいて、もはや常勤ではないのだが、ベンが心臓に欠陥があると判断して大病院で手術をと焦った子供を、胸焼けの薬の飲ませ過ぎと父の噛み煙草を食べただろうと診察してコーラ一缶で治療してしまう。ベンは自分の腕に過信しすぎていたことを思い知る。
 ベンは生まれついてのワシントンっ子ではなくて人口2,000人ちょっとの田舎町の出身だった。だからこそ大都会に固執していたとも言える。
 壊れてしまったポルシェではビバリーヒルズまで行けない。そこで町民たちがカンパしてロサンゼルスまでの飛行機切符をプレゼントしてくれた。病院前でベンを見送り送り出す住民たち。
 ラストはご想像の通りだが、キレイに決まって爽快感がある。
 ウディ・ハレルソンと田舎を抜け出して大都会へ出たがっているジェーン・フォンダも面白いキャラクターだ。
 オレも田舎育ちで一度は東京へ出て、また田舎へ戻った。田舎の方がよいとまでは思わないが、大都会には大都会の良さが、田舎には田舎の良さがあると思う。ベンは田舎町の住人に魅了されたが、実際に住んでみると田舎の人間には底意地の悪さ、排他意識、他人の迷惑を意識しないなどなど色々と問題がある。
 オレは田舎の人間は純朴で素直だなんて嘘だと思っている。彼らはかなりこすっからい。もちろん良い面もあるのだが、長年そこに住まないと仲間になれないしその良さは伝わってこない。アメリカの南部の田舎は違うのかな。いやいや南部と言えば同族意識の強いことで有名。ベンが後悔しないことを祈る。
 でも映画だからこれでいいのだ。ベンはルーとその娘と一緒に幸せになった。それでいいのだ。
 それにしてもずっと田舎の医者だった老医師が名医として有名だったというのは意外。
 なにげにタイトルデザインがソウル・バスだったりする。でも特にどうということはなく平凡だったな。さすがのソウル・バスも老いには勝てないか。
 ちなみにDVDは4:3のスタンダード・サイズ仕様。これにはちょっとがっかり。

B000IAZNWC.jpg『カーズ』(2006) CARS 116分 アメリカ DISNEY

監督:ジョン・ラセター 製作:ダーラ・K・アンダーソン 脚本:ジョン・ラセター、ドン・レイク 音楽:ランディ・ニューマン
声の出演:オーウェン・ウィルソン、ポール・ニューマン、ボニー・ハント、ラリー・ザ・ケイブル・ガイ、チーチ・マリン、トニー・シャルーブ、グイド・クアローニ、ジョージ・カーリン、ボブ・コスタス、ダレル・ウォルトリップ、ポール・ドゥーリイ、ジェニファー・ルイス、キャサリン・ヘルモンド、マイケル・ウォリス、リチャード・ベティ、マイケル・キートン、ジョン・ラッツェンバーガー

 失敗して落ちぶれた車が一念復帰してレース界に返り咲く話かと思ったらまったく違っていて、バイパスが出来て車が通らなくなり寂れてしまった町の再生物語だった。
 この映画では車が擬人化されて人間の役割を果たしている。表情もあるしもちろんしゃべる。牛はトラクターだし、虫もよく見ると車に手足と羽根が付いている。設定だけ聞くと無理矢理そうだが、実際に観てみるとそんなことはない。生き生きとした車たちの姿が観られる。
 ピストン・カップの決勝戦に出るためカリフォルニアに向かうトレーラー(こいつも生きている)の中からトラブルで落ちてしまった新人レーシングカーのライトニング・マックィーン(声:オーウェン・ウィルソン)が、ルート66に迷い込んでスピードオーバーでパトカーに追いかけられる。その結果道路を壊してしまう。
 裁判長で医者のドック・ハドソン(ポール・ニューマン)はレーシングカーなど早く追い出してしまえと判決を下すが、町側の弁護士サリー(ボニー・ハント)が道がこの町ラジエーター・スプリングスに及ぼす重要性を訴えライトニングに壊した道路を直すように判決を変えさせる。
 最初はこんな田舎町と思っていたライトニングだが、レッカー車のメーターと友人になったり、サリーとドライブしたりする内に町の良さを見直してくる。
 そしてドック・ハドソンがピストン・カップで3度も優勝した名レーシングカーだったことを知る。だがドックはレースを嫌っている。それは大事故を起こして、やっとの思いで直して戻ってきたら時代遅れのお前はもう要らないとやっかい払いされたからだ。
 ついに道路を全部直したライトニングに旅立ちの時が来た。レース会場でスタートフラッグが振られる。一斉に飛び出す3台の車たち。一台は今シーズンで引退するキング、一台は後一歩のところで優勝出来ず二番手に甘んじてきた性格の悪いチック(マイケル・キートン)。そして我らがライトニングだ。
 レース中、ドックの声が飛び込んでくる。ピットクルーとして町の連中が応援に駆けつけてくれたのだ。

 どこかで観た話だと思ったらマイケル・J・フォックスの『ドク・ハリウッド』だった。あれは自動車事故で柵を壊すか何かしてその判決として医者としての一定期間の社会奉仕を命じられる話だったはず。
 CGのクオリティは当然高く、レースのシーンでは実写映像ではとても撮りようがないアングルの映像を見せてくれる。もっとも実写もCGを使って今ではかなりのことをやってしまうのだろうが。
 ライトニングがレース後に引退して町に留まる話にしなかったのは良かったと思う。レーシングカーはやはり走れる間はレースに生きるものだ。代わりにレーシングチームの本拠地をその町にしてしまったが。
 代わりにその役をサリーに割り振っている。サリーは水色のポルシェで町にそぐわない感じだが、元は大都会でバリバリ弁護士をしていて、ある日その生活に疲れてしまって走って走ってエンストしたところがラジエーター・スプリングス。そこでの生活と自然溢れる風景に満たされた彼女は町に残ったのだ。いわゆるスローライフである。
 サリーとドライブするシーンでは山の上から高速道路を見下ろし、サリーが「10分短縮するためにバイパスが造られ、道は楽しんで通るものではなく、楽しいところへ行くためだけに通る物になってしまった」とぽつりと呟く。確かにオレも普段の生活では目的地に着くことしか考えずに車を運転している。ひょいと横を見ると思わぬ発見があるのかも知れない。・・・・・・脇見運転か。
 終盤はチックにクラッシュさせられてしまったキングをゴール寸前でストップしたライトニングがキングを押してゴールインさせるという感動的シーンがある。「キングは必ずゴールインしなきゃ」というライトニングのセリフが泣かせる。
 ライトニングを最後に勝たせるのではなく、勝つことよりも大切な物に気付かせるのだ。これは後でライトニングにスポンサー契約を持ってきた大手スポンサーも言っていたことだ。
 ライトニングがドックに教えてもらった逆ハンドルで危機をかわすのも良いシーンだ。日本ではドリフトは当たり前のテクニックだが、真っ直ぐな道ばかりのアメリカでは一般的なテクニックではないらしい。ライトニングも最初は「左に曲がるのにハンドルを右に切る。そんな馬鹿な」とまったく信じていないし。しかし、ドックが一人ダートコースを走っている時に逆ハンドルを使っているのを見て感激する。
 ドックの声が故ポール・ニューマンというのも良い。穏やかで深みのある声はドック・ハドソンにぴったりだ。過去の苦い想い出を噛みしめるシーンの演技は感動物であった。
 音楽ではラストの『ルート66』やヒッピー崩れのバンが鳴らすジミー・ヘンドリックスの『星条旗よ永遠なれ』が上手く使われていて、アメリカ文化を感じさせる。
 日本でも大型店舗に押されて地元商店街がいわゆるシャッター商店街になって壊滅していくところが多いが、アメリカでも同じような問題を抱えているのだろう。
 エンド・クレジットのオマケ映像では『トイ・ストーリー』をもじった『カー・ストーリー』や『バグズ・ライフ』、『モンスターズ・インク』のモジリなどが出てきて、それをトレーラーのマック(ジョン・ラッツェンバーガー)が観ていて、「この声優面白い奴だな」、「この声優さっきも出てなかった」、「また同じ声優だよ。ケチってんじゃないの、この会社」と憤慨するシーンがあるが、その声優とはみんなジョン・ラッツェンバーガー自身が演じた物というオチが付く。
 オチと言えば、一度町を通りかかった頑なに他人に高速道路への道を聞こうとしない夫とそれに振り回される妻が、エンド・クレジットのラストで荒野を彷徨っているのには笑ってしまった。でも、男で車に乗ると人格変わる奴いるよね。「この道の方が早いんだ」とか夫の車のように迷っても決して人に効かない奴とか。
 主役のライトニング・マックィーンのマックィーンはやはり車好きで有名だったスティーヴ・マックィーンから取ったのかな。

B000UWVF3O.jpg『がんばれ!ベアーズ ニュー・シーズン』(2005) BAD NEWS BEARS 113分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES

監督:リチャード・リンクレイター 製作:ガイヤー・コジンスキー、リチャード・リンクレイター 製作総指揮:マーカス・ヴィシディ 脚本:ビル・ランカスター、グレン・フィカーラ、ジョン・レクア オリジナル脚本:ビル・ランカスター 撮影:ロジェ・ストファーズ プロダクションデザイン:ブルース・カーティス 衣裳:カレン・パッチ 編集:サンドラ・エイデアー 音楽:エド・シェアマー
出演:ビリー・ボブ・ソーントン、グレッグ・キニア、マーシャ・ゲイ・ハーデン、サミー・ケイン・クラフト、ジェフリー・デイヴィス、ティミー・ディータース、ブランドン・クラグス、カルロス・エストラーダ、エマニュエル・エストラーダ、セス・アドキンス、タイラー・パトリック・ジョーンズ、カーター・ジェンキンス
 
 1976年作の『がんばれ!ベアーズ』のかなり忠実なリメイク。
 プールの清掃人だった監督のバターメイカーが害虫駆除業者になっていたり、アル中なのは変わらないが意外に女にもてたりするところなど、アマンダが元恋人の娘ではなく実の娘など若干の変更があるがほぼ同じ。オリジナルの脚本がいかに良く出来ていたかということだろう。
 バターメイカーのキャラを変更したのには賛否両論あるだろう。オリジナルのウォルター・マッソーの情けなさが良かったという声もあるに違いない。もてすぎでちょい悪オヤジになってしまっていて、違和感はある。それにしても『バットサンタ』もそうだが、ビリー・ボブ・ソーントンは駄目オヤジを演ずるとよく似合う。格好いい役も似合うが。
 元マリナーズの投手という設定で、現役時代に3分の2回だけ投げた経験がある。一応プロ野球選手だったのだ。その後、身を持ち崩して害虫駆除業者になってネズミ取りなどをしている。女性にはもてるようで、試合にはお姉ちゃんたちが応援に駆けつける。
 アマンダ役のサミー・ケイン・クラフトは身体がごつくて可憐さが感じられない。テイタム・オニールのような華奢な体から剛速球という意外なカンジが出てない。代わりに野球の経験者のようで速球をビシバシ投げてくる。
 車椅子の選手を入れるなどの工夫もしている。
 ド下手だった子供たちが次第に上手くなっていき快進撃を続けるシーンは爽快感がある。
 オリジナルと比べるとオリジナルの方が上かな。
 ベアーズのユニフォームのスポンサーが"紳士の社交場"なのには笑ってしまった。
 バターメイカーとアマンダの父娘の微妙な関係が興味深い。3年も放っておいたのに最後には仲直り。
 宿敵ヤンキースの監督が嫌みったらしくて実に憎たらしい。悪役が映えると映画が引き締まる。
 決勝戦で勝ちにこだわったバターメイカーは肘を痛めたアマンダに連投させたり、わざとデッドボールを受けるように指示するが、子供たちの姿を見て最終回には成績が悪くて控えの選手を出して自由に野球を楽しませる。
『スクール・オブ・ロック』の監督リチャード・リンクレイターだけに子供を撮るのが上手く魅力的である。

B000UWVF3E.jpg『がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征-』(1978) THE BAD NEWS BEARS GO TO JAPAN 92分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES

監督:ジョン・ベリー 製作:マイケル・リッチー 脚本:ビル・ランカスター 撮影:ジーン・ポリト、岡崎宏三 音楽:ポール・チハラ
出演:トニー・カーティス、ジャッキー・アール・ヘイリー、若山富三郎、石原初音、アントニオ猪木、ジョージ・ワイナー、ロニー・チャップマン、萩本欽一

 ベアーズが日本にやって来た。ハリウッド映画で日本が登場すると、たいていの場合観光映画になりがちだが、ご多分に漏れずこの作品も半分は日本観光映画となっている。あとの4分の1は野球映画、残りの4分の1がアホ映画だ。アントニオ猪木が黒人少年に金的を食らって苦しむなんて誰が予想しただろうか。若山富三郎が萩本欽一の『オールスター家族対抗歌合戦』で黒田節を歌うなんて誰が予想しただろうか。

 詐欺師的プロモーターのマービン(トニー・カーティス)は、これといったお客にもありつけず、その日つけっ放しのテレビで、チビッ子野球チーム、ベアーズのメンバーが、日本チームの挑戦を受けたいが、旅費がなくて困っているということを聞き、さっそく金儲けのアイデアがひらめいた。
 ホテルに少年たちを招くと静かなホテルに、ドヤドヤと入ってきたベアーズのメンバーが入ってきた。マービンは、ベアーズのマネジャーにおさまり、かくして、日本へ向かった。空港では、日本チームと清水監督(若山富三郎)の歓迎をうけ、無事、東京の宿へ着く。着いたのが日本旅館で靴を脱ぐだの脱がないだののルーチンギャグ。
 翌日の練習試合で、時差のせいで敗退したべアーズの面々は、マービンがとんだ喰わせものであることる。そこでマービンは再度、大芝居を打つことになる。それは、対戦相手の空手家がブロック割りで頭を痛めて対戦出来ず困っているレスラーのアントニオ猪木にさしかえ選手を提供する事を条件にしてテレビ局に「ベアーズ」の中継を約束させる、というものであった。
 アントニオ猪木に対戦すべく登場したレスラーは、他ならぬマービン自身で、敵うはずもないその情けない試合ぶりを見ていたベアーズの面々は、リングによじのぼり、猪木に噛みついたり、しゃぶりつく始末。この夜の実況が宇宙中継で放映されていたため、たちまちベアーズはニュースのトップに躍りでた。
 得意満面のマービンは、売り込み作戦をさらに続けた。そしていよいよべアーズと日本チームとの対戦の日、スポンサーが無理矢理ベアーズ押し込んだ助っ人のせいでチーム内が上手く行かない。ついには観客を巻き込んでの乱闘騒ぎになって試合は中止になってしまう。結局、清水監督の思いがけぬ友情がマービンを支え、彼の救いがたい心を入れかえさせた。
 そのころ、ベアーズと日本チームは裏の空き地で楽しげに試合の続きをしているのだった。

 通常音声で聞くと日本語と英語の両方が飛び交うが、それよりは日本語吹き替えで聞いた方がいい。英語は日本語字幕で分かるが、肝心の日本語が不明瞭で今一つ聞き取れないのだ。それならばいっそ日本語吹き替えを選んだ方が精神的ストレスが少ない。それにトニー・カーティス役が広川太一郎で若山富三郎にむかって「子連れ狼じゃないんだから」などと広川節も冴え渡る。
 トニー・カーティスは昔は色男だったのだが、この頃は詐欺師役がよく似合うようになってしまっている。なにがあったのだろうか。あの笑顔に裏を感じてしまうからか。
 最初にも言ったように日本の観光映画になっている。意味なく新幹線は富士山の前を走るし、タクシーは歌舞伎町を走り、パチンコ屋が登場し、寺や神社に行く。
 石原初音は意味もなくお琴を習っていて(いや意味はあるんだろうが)和服姿で現れ、それにすっかりのぼせ上がってしまったジャッキー・アール・ヘイリーに言い寄られる事になる。最初は迷惑していた石原初音だが、次第に心を許しキスまでしてしまう。日本人女性は外人に弱いのだ。この恋物語が取って付けたように本編から浮いていて、やるんならばちゃんとやる、この程度ならばカットした方がましである。しかしジャッキー・アール・ヘイリーがトレードマークであるバイクに乗るシーンがないのはもったいない。
 少年野球の宣伝のためだと言って萩本欽一の『オールスター家族対抗歌合戦』に日本チームが出場するが、これは芸能人一家が出てきて歌合戦をやるという今考えてみると怖ろしいほどくだらない企画。当時は人気番組だったのが信じられない。映画においてはまったく必要ないシーン。しかし欽ちゃん若いなー。
 アントニオ猪木は馬鹿にされまくった役で、モハメド・アリとの対戦後でアメリカにも名前が知られているだろうによくこんな役を引き受けたものだ。名前が知られているから起用されたのか?控え室でロッカーをぶっ叩いて怒っているシーンがあるが、あれは本気でスタッフに対して怒っているんじゃないだろうな。しかし猪木若いなー。
 ジェリー藤尾や水の江瀧子なんかも実はチラッと出ている。意外に日本の出演陣は豪華なのだ。問題はアメリカ人から観ると単なる東洋人に過ぎない(猪木除く)ということだ。(ロジャー・コーマンの『ショーグン・アサシン』(子連れ狼の編集英語吹替版)がヒットしたという事なので若山富三郎も除く)
 終盤の試合のシーンでベアーズのユニフォームを変えてしまったのは誰だ!トニー・カーティスのお金への汚さを表すシーンだが、ベアーズはいつものユニフォームじゃないと認めないぞ。
 映画の冒頭でテレビの戦争物を観ていたベアーズの一人が「日本と戦争なんかしないよな」と発言し頭の切れる子に「1941年から戦争してますよ」とやりこめられている。1978年の段階で太平洋戦争があった事を知らないアメリカ人の子がいたということである。いなければこんなギャグは入れないだろう。
 ちなみに日本チームのユニフォーム背中に入ったスポンサー名はSONYであった。SONY製品が日本の代名詞の時代だったのだ。それがなんで今みたいになってしまったのだろうか。元はβ派だったオレも、今部屋の中を見渡すとPS3しかないぞ。それもBlu-ray・DVD再生にしか使っていない。

B000UWVF34.jpg『がんばれ!ベアーズ特訓中』(1977) THE BAD NEWS BEARS IN BREAKING TRAINING 97分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES

監督:マイケル・プレスマン 製作:レナード・ゴールドバーグ 脚本:ポール・ブリックマン 撮影:フレッド・J・コーネカンプ 音楽:クレイグ・セイファン
出演:ウィリアム・ディヴェイン、ジャッキー・アール・ヘイリー、クリフトン・ジェームズ、クリス・バーンズ、ジミー・バイオ

 ウォルター・マッソーもテイタム・オニールも不在ながら充実したロードムービーとなっている。二人の不在は残念だがスケジュールの都合などがあったのだろう。そのおかげで父と子の物語に仕上がっているのだ。

 カリフォルニアの少年野球チーム『ベアーズ』が、一躍2位におどり出てから1年。首位『ヤンキーズ』がチームの統制を欠き、今『ベアーズ』に大試合のチャンスがまわってきた。アストロドーム球場でのプレーオフだ。
 もしこれに勝てば、日本遠征。こうなったらガンバラねば、チーム全員大ハリキリ。チーム一のひねくれ者のケリー(ジャッキー・アール・ヘイリー)は三文コーチをスカウトし、親にヒューストン行きをOKさせ、又、チームの投手力アップのためカーメン(ジミー・バイオ)を引き抜いてくる。
 こうして『ベアーズ』は親からねだった軍資金と、友人から借りた(?)マイクロバスで出発する。いざ、アストロドームへ。だが、その前に腕だめしで、みちくさをくって、ネイティブ・アメリカンのチームと1試合した。だが、カーメンの乱投で大惨敗。カーメンの実力に『ベアーズ』の面々はショックを受けるものの、
 彼らはヒューストンに着いた。しかし、彼らの着くのが遅かったので、『ベアーズ』は棄権とみられる。だが、そんな彼らにマスコミは集まった。
 一方、ケリーがここに来た本当の目的は、8年間音信不通の実父マイク(ウィリアム・ディヴェイン)に会うこと。ようやくケリーはマイクを探しあて、『ベアーズ』のコーチをやってもらう。
 又、彼は試合のスポンサーにかけあい、試合にだしてもらえるようにし、スポンサーの1人オーランスキー(クリフトン・ジェームズ)を説き伏せ、『ベアーズ』の滞在費を持たせるのに成功。ようやく、『ベアーズ』の本番がやってきた。3回表、5対0で負けていた『ベアーズ』はその裏に2点とり、さらに4回には逆転サヨナラ、満塁ホームラン。やった!やった!というぐあいに『ベアーズ』は日本遠征の権利を得、ケリーも父と、親子としての情を交わすことが出来たのであった。

 前作で劇的なキャッチをしたルーパスはスケートボードで足を折って冒頭の部分にしか登場しない。代わりに、彼のために勝つんだというチームの一体感に繋がってくるし、マスコミの取材でも活かされそれによって試合に出られた。タナーはルーパスを一作目で助けて以来親友になったようで、こまめに手紙を書いている。
 ウィリアム・ディヴェインは野球の経験があるようで、特訓シーンでの動きがウォルター・マッソーとは全然違い、捕球や送球などにキレがある。
 カーメンの暴投もプロ野球選手の真似をしているからだと見抜き、自分のフォームで投げさせる事で解決する。
 父子の確執と和解のシーンはベタベタとしておらずカラッと乾いている。ウィリアム・ディヴェインが機転の利く頭の良い父親だから憧れてしまう。だからケリーも5歳の時に自転車を残して消え去った父親を許さずに自転車には手を付けていなかったという関係なのに、父親を許したのだろう。
 ベアーズの選手たちはキャラクターが前作よりも一人一人が立っている。無駄キャラがあまりいなくなっているのは正解だ。マイクロバスにギュウギュウ詰めで乗ってヒューストンまで旅をするのは実に楽しそうだ。
 ネイティブ・アメリカンとの試合はグランドがボロボロで、車のホイールキャップがホームベース、グランドには岩が落ちているといった具合。アクションゲームのような楽しい試合シーンが観られる。
 ラストの試合のシーンは、4イニングのはずが時間の関係でベアーズの負けのまま2イニングで中断されそうになるところを、ウィリアム・ディヴェインが観客席に向かって「つーづけろ、つーづけろ」と叫び始める。ケリーも父親と一緒に「つーづけろ、つーづけろ」と叫ぶ。それまでしっくりしていなかった父子の心が一つになった瞬間である。観客たちや次の試合のメジャーリーガーたちも試合の続行を叫び、試合は再開。4回の裏、ついにベアーズは逆転し、日本行きの切符を手に入れた。
 しかし、ベアーズはどうみても下手そうなのだが、あれでカリフォルニア代表になって良いのだろうか。次回作ではアメリカ代表だぞ。
 食事のシーンでテーブルの上に乗っているコカコーラの紙コップが美味そうである。料理は不味そうだが。
 主題歌の『LOOKING GOOD』も良い曲だ。

B000P5FFFK.jpg『がんばれ!ベアーズ』(1976) THE BAD NEWS BEARS 103分 アメリカ PARAMOUNT PICTURES

監督:マイケル・リッチー 製作:スタンリー・R・ジャッフェ 脚本:ビル・ランカスター 撮影:ジョン・A・アロンゾ 音楽:ジェリー・フィールディング
出演:ウォルター・マッソー、テイタム・オニール、ヴィク・モロー、ジャッキー・アール・ヘイリー、ジョイス・ヴァン・パタン、ベン・ピアッツァ、クリス・バーンズ、エリン・ブラント、ゲイリー・リー・キャヴァナロ

『ベアーズ』の監督を任された元マイナーリーグの投手(ウォルター・マッソー)がダメダメチームを率いて、天才投手の元恋人の娘テイタム・オニールやバイクを乗り回す不良にして運動神経抜群の選手などを取り入れ、リーグのビリッケツから決勝戦まで勝ち上っていく話。

 常にビールを手から離さずアル中気味のウォルター・マッソーがまずいい。最初はチームを勝たせることしか考えていないが、次第に子供達に野球を楽しませることを優先させていく。小学生の野球だからそれでいいのだ。別に全員がプロになろうというわけじゃなし、気楽に楽しく野球をやれればそれで良いのだ。
 テイタム・オニールは当時13歳。実に可愛らしい。それでいて天才子役の貫禄を見せつける。男の子達をバンバン三振に取っていくところは実に格好いい。それにしてもテイタム・オニールは今は何をしているのだろうか。天才子役によくある、大人になったらパッとしないなんだろうか。
 ベアーズは黒人、ユダヤ人、メキシコ人などはみだし者の集まりで、最初はやる気をかけらも見せないが、練習を積んでいく内に自信を付け、自分たちでもやれば出来るんだという思いを身につける。これは実際の実力以上に大切で彼らの快進撃の後押しとなる。
 喘息の子が終盤のまさかの場面で敵の打ったあわや場外というボールをキャッチするシーンは感動的である。ほかには太ってユニフォームのボタンを留められない少年が出てくるが、もちろんかれのポジションはキャッチャーである。デブ=キャッチャーはいくら古田のような存在が出てきても永遠の法則なのだ。
 男の子達の半分ぐらいがいるだけであまり出番がなく、存在意義がないのが残念か。
 決勝戦の最終回でウォルター・マッソーが下手な選手達をあえて起用するシーンが、野球は勝つためにやるのではなく楽しむためにやるのだと教えてくれる。
 大人の価値観を押しつけるのではなく、子供のやりたいようにやらせてやるのが一番だ。
 ウォルター・マッソーが子供の前で我に返った時の表情は彼にしか出せないものだろう。
 ラストは準優勝で終わるが、その準優勝のトロフィーを投げつけるベアーズはまだまだ野球を楽しみながら強くなるに違いない。
 今観ると、試合のシーンが地味だったりもするが1976年作品だから仕方ないだろう。
 それにしても役柄が11歳のテイタム・オニールが不良少年とデートで行くのがローリング・ストーンズのコンサートとは。

B002XRQMSC.jpg『デス・リベンジ』(2007) IN THE NAME OF THE KING: A DUNGEON SIEGE TALE 127分 ドイツ/カナダ/アメリカ BOLL KG PRODUCTIONS

監督:ウーヴェ・ボル、脚本:ダグ・テイラー
出演:ジェイソン・ステイサム、リーリー・ソビエスキー、レイ・リオッタ、ロン・パールマン、バート・レイノルズ

 なんかファンタジーが流行っているらしいから、うちらもいっちょ作って儲けようぜ。
 そんな雑な考えで作られたと感じられる底の浅いファンタジー。

 農民(ジェイソン・ステイサム)と呼ばれる男がいた。辺境の怪物たちがある日突然武装して人間を襲い始めた。息子を殺さ妻を誘拐された農民は、仇討ちと妻を取り返すことを誓う。
 農民の育ての親(ロン・パールマン)らと数人で怪物の本拠地に向かうが、途中で襲われロン・パールマンらは捕らえられてしまう。
 今回の事件の裏側には一人の魔術師(レイ・リオッタ)がいて、国を乗っ取るべく化け物を操っていたのだ。魔術師は王に仕えることによってしか魔法を使えない。そこで魔術師は自らを怪物たちの王としたのだ。
 人間側の王はバート・レイノルズ。驚いたことに農民は3歳の時に行方不明になった王の息子だった。なんというご都合主義。悪に傾いた王の甥の矢によって王は死に、農民が新たなる王となった。
 そして、大群と大群がぶつかる中、農民と善の魔術師とその娘、森の民の娘の4人の少数精鋭で敵の本拠地に乗り込んだ。

 剣と魔法がふんだんに登場するが、どうにもピント外れな感が強い。ファンタジーを取っているのではなくファンタジーっぽい物を撮っているだけだ。個人的には子供を殺した時点で嫌になっていた。
 戦のシーンなどそれなりに迫力があるのだが、それだけだ。意外性や映像としての面白さがほとんどない。人間側だけが使える武器、弓矢の威力には恐れ入ったが、驚かせるような映像を見せて欲しかった。木の蔓にぶら下がって移動する森の民や、忍者のような戦士が出てくるが、ほんのちょい役でもったいない。『ロード・オブ・ザ・リング』のエルフやドワーフのような印象の強いキャラクターが欲しかった。
 いきなり農民が王の息子というのはもう何を言わんやである。伏線も何も全くなく、『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』の「私はお前の父だ」より唐突である。
 だがキャストは豪華で、特に王役のバート・レイノルズはほどよく老けており迫力と重みがあった。ただ、王様としてはあまり有能じゃなかったんじゃないかなとも思える。
 ロン・パールマンが農民を育てた老人役で登場。武器でも戦うがどちらかというと笑わせ役。哀れにも途中で死んでしまう。
 レイ・リオッタは悪の魔術師。いつもながら色っぽい目つきで魅了する。ちょっと太った感じがするが、やはり魅力的。大した魔法は使わない。本や剣を飛ばしたり、怪物の目と耳を借りて乗り移ったりするぐらい。毒薬を使うのは魔法とは関係ないよな。最後はあっけなく殺される。悪は滅びるのだ。その悪の魅力を持っているのがレイ・リオッタ。
 ジェイソン・ステイサムは固有の名を名乗らず、職業の農民を呼び名にしている男。考えてみればそこからなにかありそうなものだが、王の息子の伏線にはならんだろう。例によって暑苦しく剣を振り回す様子はなかなか様になっている。
 127分あるが、90分ぐらいに感じてしまった。中味が薄いのだ。これでは日本劇場未公開もやもなしか。風景なんかは良いんだけどな。

B001P3POZW.jpg『バーン・アフター・リーディング』(2008) BURN AFTER READING 93分 アメリカ FOCUS FEATURES、WORKING TITLE

監督:イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン 製作:イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン 製作総指揮:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、ロバート・グラフ 脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン 撮影:エマニュエル・ルベツキ プロダクションデザイン:ジェス・ゴンコール 衣装デザイン:メアリー・ゾフレス 編集:イーサン・コーエン(ロデリック・ジェインズ名義)、ジョエル・コーエン(ロデリック・ジェインズ名義) 音楽:カーター・バーウェル 
出演:ブラッド・ピット、ジョージ・クルーニー、ジョン・マルコヴィッチ、フランシス・マクドーマンド、ティルダ・スウィントン、エリザベス・マーヴェル、リチャード・ジェンキンス、J・K・シモンズ、デヴィッド・ラッシュ、オレク・クルパ、マイケル・カントリーマン、ブライアン・オニール、アーマンド・シュルツ

『ノーカントリー』でアカデミー賞を取った後の次作がこの『バーン・アフター・リーディング』だ。『読んだら焼却せよ』だから重要書類のことだろうか。
 ガラッと芸風を変えてコメディ作品となっている。それもコーエン兄弟らしいひねくれた笑いのコメディだ。ブラッド・ピットを始めとして豪華キャストはみんな的確で、ハマっている。自己愛が強く傲慢な連中ばかりだ。変な連中ばかりで、腹の中で何を考えているか分からない。精神が壊れかけの者もいる。
 人間の欲望には限りがないという映画で、美容整形の費用を稼ぐために、機密文書を持ち主やロシア大使館に売ろうとする女性(フランシス・マクドーマンド)とブラッド・ピット。二組の夫婦は離婚騒動中だしジョージ・クルーニーはその離婚騒動の間にも別の恋人を作って女遊びに余念がない。ジョン・マルコビッチは飲酒問題のためCIAを辞め、自伝を書き出している。この自伝が騒動を引き起こす鍵となる。
 ブラッド・ピットのあっけない死はいかにもコーエン兄弟らしい皮肉さを感じさせる。 テンポがあまりよくないのが玉に瑕だが、充分に笑える映画になっている。
 コーエン兄弟らしく入り組んだ脚本で、話が細部に分かれていく。些細な判断ミスで人生がとんでもない方向に行ってしまうのだが、こぢんまりとまとまりすぎている気がする。
 バカげた目的にバカげた手法。思いつきで突っ走ってついには死人が何人も出てしまう。徹底して底意地が悪い。男性陣は散々な目に合い、女性陣だけが得をする。その皮肉さ。これが本来のコーエン兄弟だ。
 スポーツジムの支配人を演じたリチャード・ジェンキンスはフランシス・マクドーマンドに惚れていて、彼女のためにジョン・マルコビッチの家に忍び込んでマルコビッチに斧で惨殺されてしまう。哀愁漂う役柄である。
 退職、離婚、浮気、自伝の執筆といったそれぞれは大したことのない事柄が複雑に絡み合って大きな事件に発展する。そして日常はいとも容易く崩壊する。それら全てをなかったことにしてしまうCIAという存在。この作品はCIAへの皮肉がたっぷり詰まっている。
 それにしてもipodバカであっさり殺されてしまうブラッド・ピットには笑ってしまった。クローゼットに潜んでいるところをパン!と拳銃の一発であっけなく死んでしまうんだもの。
 しかし女は怖ろしい。結局はフランシス・マクドーマンドが美容整形の手術費用を稼ぐためにこの騒ぎが起きたのだ。彼女が欲深でなければ人も死なず、みんなそれなりに平和に生きていけたはずなのに。
 それにしても、機密情報の入ったCD-Rをスポーツジムの更衣室に落としていったのは誰なんだ。これについては明らかにされていないが、偶然なのかわざとなのか。わざとだとしたらいったいどんな目的があったのか。コーエン兄弟にとってはそれは重要ではないらしい。ストーリーを追うよりも、登場人物のドタバタ振りを楽しむ映画。
 コーエン兄弟作品としては並みか。

B002QV1H62.jpg『未来少年コナン』(1978/04/04-1978/10/31) 全26話×約30分 日本 NHK

監督:宮崎駿 絵コンテ:宮崎駿、早川啓二、とみの喜幸、石黒昇、奥田誠治、高畑勲 製作:本橋浩一 プロデューサー:中島順三、遠藤重夫 企画:佐藤昭司 原作:アレグサンダー・ケイ「残された人々」より 脚本:中野顕彰、吉川惣司、胡桃哲 キャラクターデザイン:宮崎駿、大塚康生 作画監督:大塚康生 美術監督:山本二三 撮影監督:三沢勝治 色指定検査:保田道世 音楽:池辺晋一郎 演出補:早川啓二 製作管理:高桑充 録音監督:斬波重治
声の出演:小原乃梨子、信沢三恵子、青木和代、永井一郎、吉田理保子、山内雅人、家弓家正、神山卓三、池田勝、増岡弘、若本紀昭、水鳥鉄夫、石丸博也、つかせのりこ、宮内幸平、田中秀幸
オープニングナレーション:伊武雅之

 冒険、戦争、希望、嫉妬、憎しみ、敵、味方、愛、そして恋。
 これらのものが約780分にぎっしりと詰まっているのがこの作品だ。
 本放送以来、久しぶりに今回観直してみて、30年以上前の作品とはとても思えなかった。この『未来少年コナン』が宮崎駿の初演出作品であり、宮崎作品の原点と言ってもいいだろう。

 2008年7月、世界大戦が起き核兵器を遙かに超える超磁力兵器によって世界の半分は一瞬にして消滅してしまった。そして5つの大陸はことごとく裂け海に沈んでいった。
 といったような伊武雅刀のナレーションで物語は始まる。(伊武雅之は旧芸名)
 のこされ島におじいさん通称おじい(血縁関係はなし)と暮らす少年コナンは海を自在に泳ぎ回り、怪力で冒険心に富んだ元気な少年だ。
 そんな彼が砂浜で一人の少女が倒れているのを見つける。ラナと名乗るその少女を追って大異変から残った近代都市インダストリアから飛行艇が一隻やってくる。結果、おじいは死に、コナンは飛行艇の翼に足の指でつかまる大活躍をしながらもラナを連れ去られてしまう。
 コナンは船を造りインダストリアに向かうことにする。その間に、友人の山の子ジムシーやバラクーダ号のダイス船長などと出会う。
 インダストリアがラナを連れ去った理由はレプカという男がラナの祖父ラオ博士に太陽エネルギーを復活させるためだった。レプカは太陽エネルギーで空飛ぶ戦艦ギガントを復活させ、世界を手中に収めようとしていたのだ。
 コナンはそれを阻止できるか。そして無事にラナを取り戻すことが出来るのだろうか。

 未来少年というイメージとはずいぶん違うコナンの超人的体力にはとにかく恐れ入る。数十メートルはありそうな高さをラナを連れて「飛ぶ」と言って実際に飛んでしまう。そのあとで足がしびれてがに股で歩くのはご愛敬。
 他のシーンでもラナと共に「飛ぶよ」でひょいっと飛んでしまう。両シーンともラナがコナンを信頼してちっとも怖がっていないのがまた良い。
 女の子だったらコナンみたいな恋人が欲しいことだろう。自分がどんな苦境に陥っても必ず助けに来てくれる。絶対の信頼を寄せられる相手がいたらどんなにいいことだろう。
 男の子だったらラナみたいな恋人が欲しいに違いない。優しくて愚痴をこぼさず、芯が強くて自分のことを信じてくれる。おまけに可愛い。
 この二人の関係は『天空の城ラピュタ』のパズーとシータに一番近い物がある。というよりも『天空の城ラピュタ』が『未来少年コナン』の発展系なのだろう。ただ、パズーは意志は強いが普通の少年だが。少年と少女が出会うところから物語が始まる所も似ている。悪党が少女を狙いそれを少年が助けるのも似ている。ちなみにオレが一番好きな宮崎作品が『天空の城ラピュタ』だ。成績はジブリ作品の中で一番悪かったらしいが。
 ジムシーはコナンと同じくらいの体力の持ち主なのだが、キャラクターが似すぎてしまうせいか今一つ活躍していなかった。
 ダイス船長は最初はラナを利用しようとする卑劣漢なのだが、コナンと接している内に次第に一緒に戦う仲間になってくる。なんのことはない精神年齢が同じなのだ。ラストには思いがけない人物と結婚することとなる。
 飛行艇に乗ってラナを捕まえに来たモンスリーという女性がいる。最初は冷酷で残忍なのだが、人々が麦畑を作って平和に暮らしているハイハーバーという島に行ったことで精神的に変化が現れる。そして自分も自然の中で平和に暮らしたいと望むようになり、レプカにその旨を申し出、危うく銃殺されそうになったところをコナン達に助けられる。口癖は「バカねぇ」。最初は冷たいこの口癖がラストでは甘くとろけそうな物になっている。
 インダストリアの地下には貧民屈がありそこでコナンがおじいそっくりの老人に出会うシーンは涙ものである。
 手錠をかけられたコナンが乗った小舟が沈んでしまい、海底で船の金具に手が引っかかって浮上できないコナンにラナが水面から潜ってきて、「コナン、生きて、生きて」と口移しで空気を送るシーンの美しいこと。その後、コナンは手錠を引きちぎりラナと一緒に水面に飛び出す。
 終盤はついに飛び立ってしまった巨大飛行機ギガントの上での戦いである。無茶にもほどがあろうに空を飛ぶ飛行機の羽根の上を走るコナン達。大砲を撃ち、エンジンを壊し、もうやりたいほうだいである。
 尾翼の銃座から銃撃をするダイスとジムシーを尾翼ごと切り離すレプカ。ギガントは尾翼なしでも飛行可能なのか。最後にはレプカを始め敵乗組員達は死んだが、死ぬところはあえて見せない。当たり前だ、子供向けアニメなのだから。
 だが、子供向けアニメと言っても、大人が観ても充分に面白く、宮崎駿の原点という意味では観ておいて損は無かろう。
 そして最後は大団円。
 ちなみに小学生の時に原作を読んだが、まったくと言って良いほど関係がない。ほとんどオリジナルである。

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.261

このアーカイブについて

このページには、2010年2月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2010年1月です。

次のアーカイブは2010年3月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。