2009年8月アーカイブ

B002CQIEIK.jpg『血のバレンタイン』(1981) MY BLOODY VALENTINE 91分 カナダ PARAMOUNT

監督:ジョージ・ミハルカ 製作:ジョン・ダニング、アンドレ・リンク、スティーヴン・ミラー 脚本:ジョン・ベアード 撮影:ロドニー・ギボンズ 音楽:ポール・ザザ
出演:ポール・ケルマン、ロリ・ハリアー、シンシア・デイル、ニール・アフレック

 2009年作『ブラッディ・バレンタイン』のオリジナル版。当時は『13日の金曜日』(1980)の大ヒットで、コピー映画のスラッシャー作品が数多くあった。その大半は今では忘れ去られてしまったが、こいつは今観ても面白い一本。

 20年前にバレンタインパーティーに早く行こうと二人の鉱山作業夫が仕事を早上がりしてしまった。そのため坑内に残された5人がメタンガスの爆発で生き埋めになった。6週間後に一人だけ救助されるが、ハリー・ワーデンという名のその男はすっかり精神に異常をきたしていた。そして精神病院から逃げ出すと自分たちを苦しめた二人を鉱山作業着姿でツルハシで惨殺。二人の心臓を取り出すと、バレンタインの箱に入れ「二度とバレンタインのパーティーをやるな」と書き残していった。
 それから20年後。すっかりほとぼりが冷めたと考えたのか、街でバレンタインパーティーが開かれることになった。しかし、ハリー・ワーデンの仕業と思われる殺人事件が発生。パーティーは中止になる。
 中止の理由は発表されなかったので不満に感じた若者たちは、鉱山の娯楽室で隠れてパーティーを開いた。そして殺人鬼が襲ってきた。

 若者が勝手なことをやって殺人鬼に殺されていくのはこの手の作品の定番。
 殺し方のシチュエーションが様々あってなかなか凝っている。ゆだった鍋に顔を突っ込まれるのなんか嫌な死に方だ。リメイク版であった乾燥機の中でゴロゴロ回っている死体もちゃんと出てくる。
 ガスマスクに鉱山作業着、ツルハシを持った独特のスタイルの殺人鬼も魅力的で、マスクで顔が隠れているから表情が見えないところが良い。そしてその正体が分からないという点でもプラスだ。ラストで明らかになる意外な正体にはみんな驚くだろう。こんなの分からないよ、そんなトラウマがあったなんて観客に明かされていないんだから。そういう意味では犯人当てのミステリーとしては反則的なところがあるが、誰だろう誰だろうと考えているのは楽しい。まさか本当にハリー・ワーデンが戻ってきたのか。他人が成りすましているだけなのか。だとしたらその理由は。これが短時間でちゃんと明らかになる。
 ラスト、捨て台詞を残しながら坑道の奥へと姿を消していく殺人鬼。この事件はこれで本当に解決したのか?来年のバレンタインにはまた殺人鬼が現れるんじゃないだろうか。

 終盤は鉱山の中に入ってアドベンチャー風のスラッシャー映画となる。狭い坑道をカンテラの明かりを頼りに進んでいくと突然殺人鬼が現れる。これは怖い。サスペンス描写として良質。高い梯子を登るシーンなど怖がらせ方を心得ている。ぶら下がって現れてみんなを脅かした男が、死体になってぶら下がって現れる可笑しさ。
 こらこら、単独行動はダメだって。

 DVDは残虐なシーンがいくつかカットされたカット版だそうだ。なんでこういうことをするかな。素直にノーカット版を出して欲しいものだ。
 で、後になってノーカット版を出してきて、カット版を買った人もまた買わされる。メーカーさん、そんな商売はやめましょう。

B002JQL2V4.jpg『SPL/狼よ静かに死ね』(2005) SPL 93分 香港 ABBA MOVIES

監督:ウィルソン・イップ アクション監督:ドニー・イェン 製作:カール・チャン 脚本:ウィルソン・イップ、セット・カムイェン、ン・ワイラン 音楽:チャン・クォンウィン スタントコーディネーター:谷垣健治
出演:ドニー・イェン、サモ・ハン、サイモン・ヤム、ウー・ジン、リウ・カイチー、ダニー・サマー、ケン・チャン、ティミー・ハン、谷垣健治

 かなり乱暴な作りの脚本だが、それを熱く暴力的なアクションで埋め合わせている。ドニー・イェンにサモ・ハンの対決という豪華な顔合わせも魅力。残虐な殺し屋ウー・ジンが怖ろしい。

 犯罪組織のボス・ポー(サモ・ハン)の逮捕に力を入れるチャン刑事と三人の部下だが、証人を殺され証拠不十分で不起訴となってしまう。それから3年、彼らは執拗にポーを追い続けていた。そしてポーが殺人を犯すビデオを入手するが、それは彼らが殺害シーンだけを捏造した物だった。再び、証拠不十分で不起訴となるポーに彼らは最後の戦いを挑む。
 ドニー・イェンは終盤近くなってから新たにチーム入りしたチャン刑事の後釜である。チャン刑事は悪性の脳腫瘍で数日後に引退が決まっていたのだ。だからこそ、部下達はチャン刑事に最後の花道を飾らせようと証拠の捏造などの無茶をしたのだ。上司思いな連中なのである。
 3年前に殺された証人には生き残ったまだ小さな娘がいて、その子をチャン刑事は引き取って育てている。チャン刑事が亡くなった後は3人の部下が面倒をみるつもりで、そのためにポーの金に手を出したがそれがあまりストーリー上で生きてこないのはやはり作りの粗い脚本だ。

 その代わりにアクションがスゴイ。アクションが前面に押し出されるのは終盤に入ってからだが、それだけのことはある熱い戦い。
 頭のてっぺんだけを金髪に染めたウー・ジンとドニー・イェンがそれぞれドスと特殊警棒で戦うシーンは迫力がありスピード感たっぷりなので息をしている暇もない。ドスで斬りつけられるシーンが本当に痛そう。特殊警棒でどつかれるシーンが本当に痛そう。かなり血が飛ぶし残虐な部分も多いので万人には勧めにくいかも。
 そしてドニー・イェンとサモ・ハンの戦い。サモ・ハンもあんなメタボな体型な上にいい加減に年だろうに身体が良く動く。ドニーの三段蹴りも炸裂して、こちらもスピード感があってそして残虐さもある。その残虐さゆえに爽快感が感じられないのは弱点だろう。バイオレンス色が強すぎるように思う。

 ドニーが落ちるあのオチは読めなかった。その結果、やっとのことで妻が流産を繰り返して生まれたサモ・ハンの子供と妻も死んでしまうが、悪党の自業自得ということか。サモ・ハンが誰もが怖れる暗黒街のドンなのに子供の事となるとデレデレになってしまうのが可笑しかった。刑事達もサモ・ハンも自分たちの子供を守るのに必死だったのだ。刑事達と家族の話もそれとなく入れられていて、家族を考えさせる映画にもなっている。久しぶりに実家に電話したら仲の悪かった父親が1ヶ月前に死んでいた事を知る刑事のエピソードいいなあ。
 それにしてもサモ・ハンの悪役というのも珍しい。さすがに貫禄があって、犯罪組織のボス役を見事に演じきっていた。憎めないあの顔が一転して憎らしく見えるから不思議なものだ。

 ラスト、生き残ったのは女の子だけで、男たちはみんな死んでしまった侘びしさを波にさらわれる靴のカットで表現しているところは見事。それにしてもあの幼い子はこれからどうなってしまうのだろう。もう守ってくれる人がいないのに。

B001FO0UAA.jpg『ジョーズ4/復讐篇(ジョーズ'87/復讐篇)』(1987) JAWS: THE REVENGE 91分 アメリカ UNIVERSAL

監督:ジョセフ・サージェント 製作:ジョセフ・サージェント 脚本:マイケル・デ・ガズマン 撮影:ジョン・マクファーソン 音楽:マイケル・スモール
出演:マイケル・ケイン、ロレイン・ゲイリー、マリオ・ヴァン・ピーブルズ、ランス・ゲスト、カレン・ヤング、ジュディス・バーシ、リン・ウィットフィールド、ミッチェル・アンダーソン、ジェイ・メロ、セドリック・スコット、メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ

 劇場公開時は『ジョーズ'87/復讐篇』という邦題だったが、DVDでは素直に『ジョーズ4/復讐篇』に変更されている。1975年に始まった"ジョーズ"シリーズもこれで幕である。今のところ。

 これも評判が悪いんだが、1作目と比べるから駄作に見えてしまうんであって、単体で観ればそんなに悪くないように思う。でも単体だと意味をなさないんだよね。

 ブロディ署長は心臓発作で死亡、3では海を嫌ってコロラドに行っていた次男のショーンがアミティ島に戻り父の後を継いで保安官補になっていた。ただでさえ海が嫌いというかサメが怖い男が3であんな目にあったのにアミティ島に戻ってくるかはいたく疑問だが、話の都合だ気にするな。
 そしてクリスマス近くの夜、港の入り口に引っかかった古い杭をどけにいったところをサメに襲われ食い殺されてしまう。傷心のブロディ未亡人を長男のマイケルが自らが仕事をしているバハマへと誘う。嫁と孫娘と一緒に過ごしてもらうことで少しでも心の傷を癒やしてもらおうというのだ。
 だが、ブロディ家へのサメの呪いはまだ終わっていなかった。熱帯のバハマには現れないはずの巨大ホオジロザメが出現したのだ。このサメはショーンを殺したのと同じサメなのか。そして孫娘が襲われそうになった時、ブロディ未亡人は立ち上がり、船に乗ってサメ退治に出かけたのだ。

 結局のところ、『ジョーズ』シリーズはブロディ家とサメとの戦いを描いた作品である。4ではあからさまに他の人間は狙わずにブロディ家の人間だけを狙ってくる。ブロディ家の人間からはサメの好む匂いでも出ているのだろうか。猫にマタタビ、サメにはブロディ家。
 話はシンプルで、マイケルが巻き貝の調査をしているところにサメが登場する。相棒のジェイク(マリオ・ヴァン・ピーブルズ)は「バハマにホオジロザメが出てくるなんて信じられない」と調査をし始める。そしてサメと人間の戦いが始まる。
 マイケルがスキューバダイビングをしているところをサメに襲われ、沈没船を利用して逃げ延びるところなど結構ハラハラものだし、海岸でバナナボートがサメに襲われ、ボートにまたがっていた乗客の一人が食われるシーンはドキドキだ。
 ラストは怒りのブロディ未亡人が船でサメに体当たり。するとなぜかサメが大爆発するという不思議な終わり方。今回は圧縮ボンベも爆薬もなかったのになんで大爆発するんだ。
 いつも冗談ばっかり言っているパイロット役でマイケル・ケインが出演。なんで出てるんだこの人は。仕事を選ばないなぁ。
 原題は『JAWS: THE REVENGE』、邦題は『ジョーズ4/復讐篇』と両方とも"復讐"という言葉が使われているが、これは誰が復讐するのだろう。素直に考えると夫をサメへの心労から来る心臓発作で亡くし、次男を食われたブロディ未亡人がサメへの復讐をするということなんだろうが、案外これまでのサメはみんな仲良し一家でその最後の一匹がブロディ家に復讐したとも考えられる。
 マイケルとその妻の芸術家(3の海洋学者とは別れたらしい)、可愛らしい5歳だかの孫娘とおばあちゃんブロディ未亡人の楽しい一時。そしてブロディ未亡人とマイケル・ケインの老いらくの恋などファミリームービーな部分が多いのが4作の中では特徴的である。しかしまだ喪も明けてないのにすっかり忘れ去られているショーンが哀れではある。
 ほんと、『ジョーズ』シリーズと思うからとやかく言われるんで、色々ある人食いザメ映画の中では良質な方だ。

B001FO0UA0.jpg『ジョーズ3』(1983) JAWS 3-D 98分 アメリカ UNIVERSAL

監督:ジョー・アルヴス 製作:ルパート・ヒッツィグ 製作総指揮:アラン・ランズバーグ、ハワード・リップストーン 原案:ガードン・トゥルーブラッド 脚本:リチャード・マシスン、カール・ゴットリーブ 撮影:ジェームズ・A・コントナー 音楽:アラン・パーカー テーマ音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:デニス・クエイド、ベス・アームストロング、ルイス・ゴセット・Jr、サイモン・マッコーキンデール、ジョン・パッチ、リー・トンプソン、バーバラ・イーデン、P・H・モリアーティ、ダン・ブラスコ

『ジョーズ』シリーズも3作目。"3"ということもあってか立体3D映画として製作された。襲ってくるサメが3D、食いちぎられて浮いている腕が3D、爆破されて飛び散るサメの破片が3D。でもDVDで観ると2D映像なので「あー、ここを3Dとし見せたかったんだろうな」と思うだけである。

 海洋テーマパークがオープンを間近に控えていた。水上スキーヤーのアクロバットや海水浴場などがあり、目玉が海の中に透明な巨大パイプを通して中を人間が歩けるようになっている海洋王国だった。
 そんな海洋テーマパークにまたもやサメの魔の手(手はないが)が伸びる。まずは作業員が一人襲われる。行方不明ということにされてしまい特に問題視はされなかったが、園内でホオジロザメが見つかり麻酔で捕らえられる。全長3メートルのそのサメに従業員が襲われたと推測されたが、ホオジロザメを飼育した水族館はないということで飼育が決定される。しかし、社長の勝手な決断で観客の前に出されたサメは弱って死んでしまった。
 その頃、行方不明の従業員の死体が発見された。噛み口から推測するに全長10メートルはある巨大ザメ。3メートルのサメはその子供だったのだ。子供を失った怒りか、巨大ザメは園内で暴れ始める。果たして、巨大ザメを倒すことは出来るのか。

 前作までのブロディ署長は出てこず、成長した息子のマイク・ブロディ(デニス・クエイド)とショーン・ブロディ(ジョン・パッチ)が世代交代して登場する。目先を変えようと思ったのかロイ・シャイダーが「サメはもういい」と断ったのかは知らない。それにしても親子揃ってサメ退治をしなきゃならないとは先祖がサメに祟られるようなことをしたんだろうか。運の悪い一家だ。
 とかく評判の悪い作品だが、終盤はピンチピンチの連続でそんなに悪くはないように思う。勝手な決断をして事態を悪化させるだけの社長(ルイス・ゴセット・Jr)などありがちなキャラだが、こういう人がパニック映画には必要だ。
 サメに食われるシーンは2よりパワーアップしていて、生きたままサメに飲み込まれてしまうシーンなんてのもある。嫌な死に方だ。いっそのことガブリとやってくれた方が良いんじゃないだろうか。
 演出にスピード感がないのは確かである。特に前半はあまり事件らしい事件が起こらず、早く展開してくれよと思ってしまった。後半のピンチの割にはみんなのんびりしていて緊迫感が感じられない。おかげであまりハラハラしない。
 個人的にはデニス・クエイドが好きなので若き日のデニス・クエイドを観られたので満足である。それとまだ少女の香りをさせているリー・トンプソン(1961年生まれ)が水上スキーヤー役で登場していてその水着姿が可愛らしいのでも満足。
 でもリー・トンプソンよりもイルカの方が可愛らしかったりする。潜水中のデニス・クエイドとその恋人を守るため、はるかに身体の大きいサメに体当たりで二人を守るシーンはなかなか感動的。
 光学合成を使ったシーンがいくつかあるが、合成ラインが見え見えで興ざめである。SFX面では3Dに予算を取られたんだろうか。

B001FO0U9Q.jpg『JAWS/ジョーズ2』(1978) JAWS 2 116分 アメリカ UNIVERSAL

監督:ジュノー・シュウォーク 製作:リチャード・D・ザナック、デヴィッド・ブラウン 原案:ピーター・ベンチリー 脚本:カール・ゴットリーブ、ハワード・サックラー 撮影:マイケル・C・バトラー 美術:ジョー・アルヴス 編集:スティーヴ・ポッター、アーサー・シュミット、ニール・トラヴィス 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ロイ・シャイダー、ロレイン・ゲイリー、マーレイ・ハミルトン、ジョセフ・マスコロ、ジェフリー・クレイマー、コリン・ウィルコックス、アン・デューセンベリー、マーク・グラナー、バリー・コー、スーザン・フレンチ、ゲイリー・スプリンガー、ドナ・ウィルクス、ゲイリー・デュビン

 大ヒットしたら続編が作られるのは世の常で、『ジョーズ』にももちろん続編がある。4本もある。今回はその2本目。

 沈没したORCA号にスキューバダイビングしていた二人組のダイバーが行方不明になる。そして水上スキーをしていたボートが謎の爆発事故を起こす。また海で何かが起こっているのか?
 前回の事件で病的にサメについて神経質になっているブロディ署長(ロイ・シャイダー)は今回の2件もサメに結びつけ、浜辺のサメ監視塔に昇って双眼鏡を眺め島の偉いさんから白い眼で見られている。しかも、アジの大群をサメと見誤って拳銃を乱射してしまったから評判はがた落ちだ。
 あげくの果てに、ダイバーが残していた水中カメラにサメが写っているのを見つけ、島の偉いさん達の集会に乗り込んでいき、ついには警察署長を首になってしまう。
 だがサメ存在説を信じるブロディ署長は、二人の息子が灯台まで友達らとヨットで出かけたのを知ると、警察の船を勝手に持ち出して救助に向かうのだった。

 続編はダメの法則というのもあって、ごく例外を除くと続編は前作よりも劣るとされている。この作品もそう。色々工夫はしているが前作は越えていない。
 特にドラマ部分が弱くて、演出が古くさい。ドラマ部分になると前作より10年前の作品に見えるのはなぜだろうか。
 しかしパニック映画としては悪くない。前作では2人の仲間がいたブロディ署長は今回は一人でサメに立ち向かう。そのためには青酸カリ弾を自作する意気込みだ。
 そして不特定多数が犠牲者だった前作と比べて、今回のメインターゲットはヨットに乗ってサメの攻撃によってによって遭難したティーンエイジャーたちに絞られている。ヨットと言ってもティーンエイジャーが自分で所有している物だからボートに毛が生えたようなもの。いや、帆が生えたような物か。だからサメに体当たりされると簡単に壊れてしまう。その破片をロープで繋ぎ合わせて、いつ襲ってくるか分からないサメに怯えるティーンエイジャーたちの絶望感が良い。ブロディ署長の次男ショーンが水に落ちた時にボートの上に押し上げてくれたお姉さんがあっさり食われてしまう残酷さ。これはショーン、トラウマになるぞ。その後、怯えてヨットの一部にしがみついたまま、仲間が投げてくるロープに反応しないのがリアルだった。
 ホラー映画もそうだけど、やはりティーンエイジャーが餌食になると絵になるのだ。

 サメはボートの爆発事故で顔に火傷を負っている。そのことで前作のサメとは区別化をしている。なんでもサメも低周波でコミュニケーションを取っているそうで、ブロディ署長の考えとしては前作のサメの復讐にやってきたらしい。サメもなかなか人情家だ。
 サメに食べられるシーンが少し残酷度が減っていて、サメに水中に引きずり込まれて海の水が赤くなって終わりとちょっと物足りない。その代わり、ヘリコプターに齧り付いてついには水中にひっくり返す勢いがあるから良いか。
 途中で水中から島に電力を送っている高圧電流水中ケーブルを引き上げた時点でサメの退治の方法が分かってしまうのはちょっと減点。でも、あのぐらいしないとサメ死なないよな。

B002M2DWMM.jpg『JAWS/ジョーズ』(1975) JAWS 124分 アメリカ UNIVERSAL

監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:リチャード・D・ザナック、デヴィッド・ブラウン 原作:ピーター・ベンチリー 脚本:ピーター・ベンチリー、カール・ゴットリーブ 撮影:ビル・バトラー 美術:ジョセフ・アルヴス・Jr 編集:ヴァーナ・フィールズ ジョーズ製作:ロバート・A・マッティ 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:ロイ・シャイダー、ロバート・ショウ、リチャード・ドレイファス、ロレイン・ゲイリー、カール・ゴットリーブ、マーレイ・ハミルトン、ジェフリー・クレイマー、スーザン・バックリーニ、ジョナサン・フィレイ、クリス・レベロ、ジェイ・メロ、テッド・グロスマン、ピーター・ベンチリー

 夏休みももう終盤。残暑お見舞い申し上げますの手紙が届く頃である。オレには届かないが。お盆が過ぎて海はクラゲが出るようになりすでに海水浴シーズンではないだろう。今年も海に行けなかったなと夏を振り返る。もう10年以上、海には行っていない。
 でもいいのだ。海に行くとサメが出るからな。ジョーズに食われたくないからあえて海に行かないのだ、うん。というわけでスピルバーグの出世作ジョーズである。

 スピルバーグ伝説は色々あるが、劇場用映画を一本撮っただけの若干27歳の青年監督がこれだけのプロジェクトを任されて、それに応えるどころか世界的大ヒット映画を作ることになるとは製作者は思っていなかったろう。
 当時の小学校ではジョン・ウィリアムスの「ジョーズのテーマ」を「デーデン、デーデン、デデデデ」と言いながら背後から近づいて襲いかかるというジョーズごっこが流行っていた。子供達にもそんな影響を与えていたのだ。

 アミティ島で夜に海水浴をしていた女性が何かに襲われた。その正体がサメだと分かったブロディ警察署長(ロイ・シャイダー)は海岸の閉鎖を行おうとするが、夏の観光収益に頼っているアミティ島の市長らに制止されてしまう。しぶしぶ海開きを行うが、再び犠牲者が発生。犠牲になった少年の母親がサメに賞金を出したものだから、シャークハンター(なべおさみ)が詰めかけ島は大混乱。そんな中、第四の犠牲者が出てブロディ署長は市長を説き伏せてプロのシャークハンターであるクイント(ロバート・ショウ)を一万ドルで雇い入れることに成功する。海洋協会のフーパー(リチャード・ドレイファス)も一緒にクイントのORCA号に乗り込みサメ退治に出陣する。

 ストーリーとしてはすごく単純。人食いザメが出てそれを退治する話。陰謀だとか謎の集団なんかは出てこない。このシンプルさが良い。

 タフな男ロイ・シャイダーが海が怖い男を演じているのが面白い。ただしこの設定はさほど活用されてはいない。元はニューヨークで警官をやっていたのだが、無法ぶりに嫌気がさして平和なアミティ島に警察署長として転職したのだ。そこでニューヨークでも一生に一度味わうか味合わないかの恐怖(まあ2度味わうわけだが)と遭遇するとは思ってもいなかった。
 警察署長としての責任と、島の上層部からの圧力に挟まれ悩み苦悩する。鮫に襲われた少年の母親に頬を叩かれるシーンはその苦悩を考えると胃に来る。
 家族思いな男で、二人の息子が海で遊ぶことをひどく心配している。そこで浜辺でなく入り江で遊ぶように言い付けたのだが、それが裏目に出る。二人の息子は『ジョーズ3』で主役となる。サメに呪われた一家である。

 クイント役のロバート・ショウはバルジ大作戦の金髪碧眼のアーリア人から一変して無精ひげを生やした風采の冴えない男として登場する。しかし、サメ退治に関してはプロ。偏屈な男だが味方にまわすと頼りになるタイプ。役者としても3人の中ではかなり格上。

 フーパー役のリチャード・ドレイファスは『未知との遭遇』(1977)や『オールウェイズ』(1989)などでもスピルバーグと組むことになるが、この作品では海洋学者という設定で最初はクイントと犬猿の仲である。とにかくサメが大好きな男で、シャークハンターたちが釣り上げたサメを一目で『イタチザメ(タイガーシャーク)だ」と見抜いてしまう。それにしても日本ではイタチザメとどちらかというと弱っちい名前なのに英語だとタイガーシャーク(虎鮫)なのか。印象がずいぶん違う。

 海岸で海水浴をしているところにサメが現れて大騒ぎになるパニック映画的側面ばかり記憶されているが、本当の見せ場はORCA号に三人が乗ってサメ退治に出てから。
 犬猿の仲だったクイントとフーパーが身体の傷自慢をしているうちにすっかり仲良くなってしまうのが男らしくて良い。船の中では男三人きりの男の世界なのだ。船、それも大して大きくはない船の上だけでこれだけのドラマを展開させる手腕はもはやベテランのそれである。そしてクイントの第二次大戦時に輸送船が沈み1000人の乗組員が海に投げ出され、サメに襲われて救助された時には300名ほどしか生き残っていなかったという怖ろしい思い出話を聞いた3人はサメへの憎しみを高め一致団結していく。男は戦ってこそ男なのだ。それにしてもクイントの思い出話は怖くて、実際にサメに襲われているシーンよりも怖ろしい。
 サメ退治は迫力のあるアクションの連続で、そこはさすがスピルバーグ。

 8メートルもあるジョーズの怖ろしさは一級品で、このラージスケール・メカニカル(愛称はブルース)を作り上げたのは『海底二万哩』(1954)でノーチラス号を襲う巨大イカを作り出したロバート・A・マッティ。これからもCGはどんどん発達していくだろうが、このジョーズの怖ろしさを越えられるのはいつのことだろうか。本物のサメみたいなシーン(というか本物のサメも使っている)と明らかに作り物めいたシーンがあるが、それを気にさせない勢いがこの作品にはある。感情のない眼が怖いんだ。

 ブルースが上手く動かなかったり、海での撮影が困難を極めたりとかなり難産の結果生まれた作品のようである。しかし、その甲斐があってスピルバーグは一躍人気監督へと駆け上がった。

B002DRBWDW.jpg『バンコック・デンジャラス』(2009) BANGKOK DANGEROUS 100分 アメリカ IEG VIRTUAL STUDIOS

監督:オキサイド・パン、ダニー・パン(ザ・パン・ブラザーズ) 製作:ジェイソン・シューマン、ウィリアム・シェラック、ニコラス・ケイジ、ノーム・ゴライトリー 製作総指揮:アンドリュー・フェッファー、デレク・ドーチー、デニス・オサリヴァン、ベン・ウェイスブレン 脚本:ジェイソン・リッチマン オリジナル脚本:オキサイド・パン、ダニー・パン 撮影:デーチャー・スリマントラ 編集:マイク・ジャクソン、カーレン・パン 音楽:ブライアン・タイラー
出演:ニコラス・ケイジ、シャクリット・ヤムナーム、チャーリー・ヤン、ペンワード・ハーマニー

 ニコラス・ケイジのバンコック観光案内映画とも言われている。とりあえず額は広いのに微妙な長髪という妙な髪型のニコラス・ケイジがトム・ヤク・クン食って「辛いー」と悶えている。「I LOVE Thailand。バンコックへようこそ」とナレーションが入らないのが不思議なくらいだ。

 ニコラス・ケイジは殺し屋。長年殺し屋稼業をやってきてそろそろ限界を感じている。そこで次のバンコックでの4件の殺しを最後に引退しようと考えている。
 彼には4つの掟がある。「質問はするな」「堅気とはかかわるな」「痕跡を残すな」「引き際を知れ」その掟を自ら破ってしまったために破滅への道を歩み始めたのだった。

 香港出身でタイで映画活動を始めたザ・パン・ブラザーズの作品である。元はタイ映画の『レイン』(2000)という作品がオリジナルだそうだ。ただし設定は大きく変わっていて、聾唖障害者の主人公がタイの暗黒社会で殺し屋をしているオリジナルに対して、リメイク版ではアメリカ人(?)の殺し屋ニコラス・ケイジで聾唖障害者はニコラス・ケイジと恋に落ちる薬局店員になっている。
 2000年の『レイン』が劇場用映画二作目で、すでにハリウッドで活躍しているのだからザ・パン・ブラザーズは売り込みが上手いかかなりの実力の持ち主なのだろう。

 ニコラス・ケイジは仕事が終わったら麻薬中毒に見せかけて殺して使い捨てにする助手をやとう。その助手とは仕事以外ではいっさい関わらないはずだったのが、いつのまにか情にほだされて殺し屋の手ほどきを始める。最後の仕事と言うことで感傷的になっていたのか。このことが結果的にニコラス・ケイジを追い詰めることになる。

 ラストは敵の手に捕らえられたコンとその恋人を救うために敵陣への殴り込み。ハンドガンを撃ちまくるがそれほど派手ではない。的に最初に撃たせて位置を確認して撃ち抜くなどリアルだ。ただし、ニコラス・ケイジの銃は撃っても撃っても弾切れをおこさない無限弾倉。気にする人は気にするだろうが、その方が格好いいので問題なし。
 コンに殺し屋の手ほどきをしていた時の、街中のガラスや鏡を使って後ろにも眼がある状態にしろを上手く使っている。手榴弾では男の腹と扉を吹き飛ばす。ロンブーの片方似の悪党は上下半身ぶっちぎれ。嫌な死に方だ。川の上でのボートによるチェイスやバイクの使い方も面白い。アクションはそれほど悪くない。ただしアクションシーンは少なくて、アクション満載を期待して観ない方が良い。

 悪いのは話の展開である。
 先ほども言ったようにコンを弟子にして殺し屋の手ほどきを始めるが、これまでの助手は冷酷に殺してきたのになぜコンだけは特別だったのかが意味不明。
 雨というなの薬局店員との恋も唐突すぎる。仕事、それも殺しの仕事の最中にプロの殺し屋が恋愛沙汰に走るものだろうか。彼女と知り合ったことで人間性を取り戻したと言うことなんだろうか。
 雨の態度もニコラス・ケイジに惚れたというよりも本人曰く「銀行関係の仕事をしている」アメリカ人をゲットしてラッキーといった感じなのが気になる。普通、薬局で仕事中に外国人が食事に誘ってきたら警戒してOKしないよな。それとも白人だから良いのか?オレたち日本人が申し込んだら断られるんだろうか。いいよなニコラス・ケイジはけっこう美人のタイ人お姉ちゃんとラブラブできて。

 クラブや川の上でのボートによる市場などバンコックらしい光景が映画のあちこちで観られる。香港映画を観た時はなんて猥雑な街なんだと思ったが、バンコックはそれ以上に猥雑でエネルギーに溢れている。ニコラス・ケイジに「いっぺんおいでよ」と言われたらついつい遊びに行ってしまいそうだ。

 最後の標的は「弱い者を守り、悪を倒す」人民に愛される政治家。日本で生活しているとそんなものがいるのかなと思ってしまう。そこで殺せなかった時点でニコラス・ケイジは殺し屋ではなく一人の男となった。その男が選んだ道は破滅への道だった。最後にニコラス・ケイジが引き金を引くまでが長いこと長いこと。

B001CNPR2A.jpg『"アイデンティティー"』(2003) IDENTITY 90分 アメリカ COLOMBIA/SPE

監督:ジェームズ・マンゴールド 製作:キャシー・コンラッド 製作総指揮:スチュアート・M・ベッサー 脚本:マイケル・クーニー 撮影:フェドン・パパマイケル 美術:マーク・フリードバーグ 編集:デヴィッド・ブレナー 音楽:アラン・シルヴェストリ タイトルデザイン:カイル・クーパー
出演:ジョン・キューザック、レイ・リオッタ、レベッカ・デモーネイ、アマンダ・ピート、ジョン・ホークス、アルフレッド・モリナ、クレア・デュヴァル、ウィリアム・リー・スコット、プルイット・テイラー・ヴィンス、ジョン・C・マッギンレー、ブレット・ローア、レイラ・ケンズル、ジェイク・ビューシイ、カーメン・アルジェンツィアノ、マーシャル・ベル

 豪雨のネバダ州。一軒のモーテルに男児を含む男女が冠水で足止めを食う。一人の女性は事故で重傷を負い救急車を呼ばねばならないのだが雨のため電話は普通。一台だけある携帯電話はバッテリー切れで通話が出来ない。モーテルの店主を含む11人は不安に怯えるがそれは始まりでしかなかった。彼らが一人また一人と殺され始めたのだ。犯人は11人の内のいったい誰だ?
 その頃、某所では大量殺人を犯し翌日の死刑が確定している男の精神状態の再審理が始まっていた。二つの事柄はどう繋がってくるのか。

 とにかく脚本が良くできている。オープニングを観た時はまさかあんなラストを迎えるとは思わなかった。それでいて強引な点も少なく無理のないストーリーとなっている。観終わると最初のシーンの意味が分かり納得できる。
 現代社会で電話や携帯電話を使えなくして孤立させるのは難しいが、それも難なくこなして、冠水した道路に挟まれた陸の孤島を作り出している。
 真犯人の正体も意外で驚きを感じさせる。観終わってみるとなるほどあそこでああしていたのかと納得させてくれる。もっとも本気で戦えば勝てないか?とも思うがあの世界では最強の存在なのだろう。10から始まり9,8とカウントダウンするかのように死体の脇に置かれたモーテルのルームキーが怖ろしい。

 ジョン・キューザックが正義漢を演じ、事件を必死に探る探偵役を引き受けている。木訥とした顔がこの物語の語り手役に向いている。全ての真実を知って呆然と口を開けたままの表情がいかにもジョン・キューザックだ。
 レイ・リオッタは警官役だが何かあるなと思わせる人物で、シャツの背中に血が付いているところで決定的になる。それ以外でもルームキーをベッドの下から彼が取り出すなどして、彼が本物の○○○と思わせる上手さ。

 詳しいことを話すとネタバレになってしまうので下手に話せないぐらいきっちり伏線が張り巡らされて、「解離性同一性障害」の一言だけでもヤバイヤバイ。先住民の墓地とか意味ありげな単語を出しておいて上手く観客の眼を逸らしている。
 ただし、演出は凡庸でピリリとしたところがない。せっかくの脚本を持てあましている感じ。おかげで映画全体がB級色に彩られている。殺しのシーンはあえて控えめにしたのだろうが、だとしたら最初の"乾燥機の中で回っている生首(干物になりかけ?)"はショッキングすぎるのではないか。

 考えようによってはかなり卑怯な映画だが、観終わった感想としてはすなおに面白かった。ちなみに前回の『ブラッディ・バレンタイン』とは乾燥機の中の死体つながりである。

B002AD9EM0.jpg『ブラッディ・バレンタイン 3D』(2009) MY BLOODY VALENTINE 3-D 95分 アメリカ ザナドゥー

監督:パトリック・ルシエ 製作:ジャック・マーリー 製作総指揮:ジョン・ダニング、アンドレ・リンク、マイケル・パセオネック、ジョン・サッキ 脚本:トッド・ファーマー、ゼイン・スミス オリジナル脚本:ジョン・ベアード 撮影:ブライアン・ピアソン 特殊メイク:ゲイリー・J・タニクリフ プロダクションデザイン:ザック・グロブラー 衣装デザイン:リーアン・ラデガ 編集:パトリック・ルシエ、シンシア・ルドウィグ 音楽:マイケル・ワンドマッチャー
出演:ジェンセン・アクレス、ジェイミー・キング、カー・スミス、ケヴィン・タイ、トム・アトキンス、エディ・ガテギ、ベッツィ・リュー、メーガン・ブーン、トッド・ファーマー、リチャード・ジョン・ウォルターズ

 1981年の『血のバレンタイン』のリメイク。タイトルの通りに立体3D映画なのである。だが、家で観たので家庭用の赤青メガネだ。あー、眼が疲れた。

 ストーリーは単純。10年前に二十数名を殺して行方不明になったハリー・ウォーデンが再びツルハシを持って帰ってきた。毒ガス避けのガスマスクを被っているので正体は分からない。ハリー・ウォーデンが生きていたのか、それともそれに成りすました人物がいるのか。とにかくそいつがツルハシで人を殺しまくるだけの映画。
 立体なので人体を貫いたツルハシの先が飛び出たりするが、オレはあまり立体感を感じない方なのでそれほど驚かない。血がブシャーと飛び出たりするので、立体好きにはたまらない映画だろうが、立体に見えないんだからしょうがない。『ジョーズ3-D』もそうだったもんなぁ。

 立体を無視して2Dのホラー映画として観るとスーパーでヒロインが襲われるシーンなどが特に怖い。逃げ道を逃げ出したと思ったらその先には......
 Blu-rayだと真っ裸のお姉ちゃんが殺人鬼から延々逃げ回るシーンがあるのだが、劇場公開版ではカットされていたらしい。確かにアンダーヘア丸出しだったが、あれをカットすると見せ場が一つ減る事になる。なくてもストーリーの展開には関係ないシーンだが、素直にぼかしを入れるかしてカットしないで上映できなかったものだろうか。公開側が一般レイティングを希望してそれで映倫ともめたのか?

 ただ、真犯人捜しは意外性を出そうとして素直にそのまんまになってしまっている。ストーリーから言うとこいつが犯人かな、まさかそんな単純じゃないよな。こいつが犯人かい!

 炭坑夫というよりもゴム状の衣服で潜水夫のような殺人鬼が不気味ではある。
 ゴア描写はツルハシで突き刺す一本槍でちょっと退屈かと。眼を突き刺したり、後頭部から刺して眼が飛び出たり、脳天から貫いたりと工夫はあるがしょせんツルハシ攻撃だけ。珍しいのは回転する乾燥機から死体が転がり出てくるぐらいか。スラッシャー映画としてはもっと色々な殺し方を見せて欲しかった。

 とにかく眼が疲れるし色つきセロハン越しなので画面が暗い。しかたないので二枚組のもう一枚2D版で観直した。なにやってんだか。2Dで観ると普通のスラッシャー映画。スラッシャー映画も3D映画も見せ物感が強いので、二つ合わさると強力なんだが、別々にしてしまってちょっと残念。

 バレンタインに女性がチョコを配るのは日本だけの習慣と聞いていたが、この映画の中では本命チョコだけでなく義理チョコまで登場していた。オレの知識が間違っていたのか?それともチョコ習慣が日本から逆輸入された?

B002JQL3HC.jpg『戦雲』(1959) NEVER SO FEW 124分 アメリカ

監督:ジョン・スタージェス 製作:エドモンド・グレンジャー 原作:トム・T・チャーメルズ 脚本:ミラード・カウフマン 撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ 音楽:ヒューゴ・フリードホーファー
出演:フランク・シナトラ、ジーナ・ロロブリジーダ、スティーヴ・マックィーン、リチャード・ジョンソン、ポール・ヘンリード、チャールズ・ブロンソン、ブライアン・ドンレヴィ、マコ

 フランク・シナトラ主演の戦争映画。戦争映画といっても戦闘シーンはほとんどない実質ロマンス映画だ。
 シナトラはビルマで現地人を指揮して日本軍と戦っている。物資の不足、そして医師の不足からインドの本部にやってくる。
 このインドが戦争中だというのに呑気なこと。レストランに行けばパーティーをやっているし、シナトラはジーナ・ロロブリジーダと出合っていちゃつき始める。
 そして無事に医師を確保してビルマに戻ってきたらこんどは駐屯地でクリスマスパーティー。孔雀や猿の脳みそを食っている。珍味だ。
 そこを日本軍に襲われてようやく本格的な戦闘シーン。ここまでで2時間の映画の内1時間を使っている。そりゃ戦場で呑気にクリスマスパーティーをやってれば隙を突かれるよな。

 フランク・シナトラが演技派として歴戦の勇士を演じている。かなり反骨精神の強い男で、上官にも平気で逆らう。だからこそ現地人の信用を勝ち取り戦場で生き延びて来れたのだろう。
 インドでシナトラの運転手を務め、そのまま引き抜かれてビルマ入りしたのがスティーブ・マックィーン。若々しく颯爽とした動きで戦闘シーンでも活躍する。トンプソンのストックを外し全長を短くしたカスタムガンを使っているのが印象的だった。最初は恐る恐るといった感じなのが次第にたくましくなっていくのが格好良かった。
 チャールズ・ブロンソンはごく普通の一兵士と言った感じ。まったくの脇役よりかは上だがセリフもそんなに多くなく準主役には遠い。日本軍との戦いで命を落とす。死ぬブロンソンというのも珍しい。ちなみにヒゲなし。

 シナトラと色気過剰なジーナ・ロロブリジーダのロマンスがメインで、戦争は脇といった感じ。そのため中だるみ感が強い。『戦雲』というタイトルはおおげさすぎないか?
 二人でガンジス川のボートに乗りあるはずのない将来を語り合うシーンが印象的だ。
 怪我をした兵士は病院に入れられ手厚い看護を受ける。食料など物資も豊富にあり、パーティーをする余裕まである。これでは物資不足の日本軍が負けたのも無理がないかと思えてくる。

 演出はジョン・スタージェスとしては間延びした感じで歯切れが悪い。戦争映画パート部分は悪くないのだがロマンス映画部分が弛緩した印象である。この人は女性を描くのが苦手なのではないだろうか。

B002FKTD5G.jpg『バルジ大作戦』(1965) BATTLE OF THE BULGE 175分 アメリカ WB

監督:ケン・アナキン 製作:ミルトン・スパーリング、フィリップ・ヨーダン 製作総指揮:シドニー・ハーモン 脚本:フィリップ・ヨーダン、ミルトン・スパーリング、ジョン・メルソン 撮影:ジャック・ヒルデヤード 音楽:ベンジャミン・フランケル
出演:ヘンリー・フォンダ、ロバート・ショウ、ロバート・ライアン、チャールズ・ブロンソン、テリー・サヴァラス、ダナ・アンドリュース、ピア・アンジェリ、ジョージ・モンゴメリー、タイ・ハーディン、ウェルナー・ピータース、ジェームズ・マッカーサー、ロバート・ウッズ

 OVERTURE(序曲)付きの作品は久々に観た。もちろんINTERMISSIONもあるしEXIT MUSICまで付いている。
 しかし考えてみれば昔の長い映画にはOVERTUREはなんのために付いていたのだろうか。INTERMISSIONはトイレ休憩?EXIT MUSICはとっとと出てけ?

 第二次大戦末期のヨーロッパ戦線におけるバルジの戦いを史実に基づいて映画化したのがこの作品。とにかく戦車がいっぱい出る。飛行機が飛べない天候の悪い時期を狙って、タイガー戦車隊を進ませ連合軍を寸断するという計画をドイツ軍が思いついた。
 責任者のヘスラー大佐はまだ若き戦車将校を率いて戦車隊に乗り込む。それと同時に英語に堪能でアメリカに住んでいたことのあるドイツ軍人ばかりを集めてアメリカ兵に変装させて後方へパラシュート降下させ攪乱作戦を行う。
 破竹の勢いで進行するタイガー戦車隊と攪乱作戦にすっかりやられっぱなしの連合軍だが、相手の弱点が燃料の乏しさだと知って反撃に出る。

 連合軍の情報将校ヘンリー・フォンダが主役となっているが、実質的主役はヘスラー大佐役のロバート・ショウだ。若い戦車将校ばかりなのを見て肩を落としていると、一人の将校が「戦車隊の歌(パンツァー・リート)」を歌い出し、その歌が広がっていってついにはヘスラーも歌い出すシーンは前半の目玉である。
 ヘスラーは根っからの職業軍人で、この戦争が勝ちもせず負けもせず永遠に続いて自分がドイツ軍服を着続け戦い続けることを望んでいる。それを聞かされたお付きの軍人が、ヘスラーの考えに反感を持ち戦争が早く終わって欲しいことを告げ、他部門への配置換えを申し出る。ラストにその軍人が晴れ晴れとした顔で歩いているのが印象的だ。

 チャールズ・ブロンソンは前線の指揮官の少佐。頼りになりそうな上官だ。ちなみにヒゲなし。
 敵襲の際には炊事班にも銃を持たせて戦わせる柔軟性の持ち主。中盤後辺りでドイツ軍に捕まり捕虜になってしまうのでその後は登場しない。ヘスラーとの二人芝居があって出番の少なさを補っている。

 ヘンリー・フォンダは主役のクセしてあまり目立っていない。情報将校という役目柄、銃を持って戦う役回りではないせいもあるだろう。連合軍の戦車隊の隊長でも良かったのではないだろうか。そして、最後はヘスラーの乗るタイガー戦車と一騎打ち。
 ドイツ軍の燃料が不足しているのを確かめるために偵察機のパイロットに無理矢理飛行機を出させるが、その時の「戦争にルールはない。勝つだけだ」が数少ない目立ったセリフだ。

 終盤はドイツのタイガー戦車隊VSアメリカのM4中戦車の戦い。双方とも本物ではなくM47パットン戦車とM24軽戦車が代役を務めているがそれは仕方ないだろう。タイガー戦車を十数台揃えろって方が無理だ。軍事マニアならばこだわる人もいるだろうが、それはこだわる部分を間違っていると思う。
 双方合わせて数十台の戦車が撃ち合うシーンは圧巻である。ずっしりしたタイガー戦車に対し、ちょこまかと走り回るM4中戦車。この戦車はスペイン陸軍の物を借りたそうだ。よってロケもスペインで行われた。

 監督のケン・アナキンは『史上最大の作戦』(1962)で連合軍のパートを監督した人。さすがにスケールの大きな戦闘シーンも見事にこなしている。それでいてヘスラーなどの心理描写もちゃんとやっていて単なる大味な監督ではない。

 所々でミニチュアが使われているが、その出来があまり良くないのが残念だ。

B002JQL37W.jpg『特攻大作戦』(1967) THE DIRTY DOZEN 150分 アメリカ MGM

監督:ロバート・アルドリッチ 製作:ケネス・ハイマン 原作:E・M・ナサンソン 脚本:ナナリー・ジョンソン、ルーカス・ヘラー 撮影:エドワード・スケイフ 音楽:フランク・デ・ヴォール
出演:リー・マーヴィン、アーネスト・ボーグナイン、ジム・ブラウン、チャールズ・ブロンソン、ジョン・カサヴェテス、リチャード・ジャッケル、クリント・ウォーカー、テリー・サヴァラス、ジョージ・ケネディ、ラルフ・ミーカー、ロバート・ライアン、ドナルド・サザーランド、ロバート・ウェッバー、トリニ・ロペス、トム・バスビー、ベン・カルーザス、スチュアート・クーパー、ロバート・フィリップス、コリン・メイトランド、アル・マンシーニ

『大脱走』が実話を元にした作品だとしたら、こちらはまったくのフィクションの破天荒映画。死刑囚などの元軍人を恩赦を餌に命がけの特別任務に就かせるのだ。

 ノルマンディ上陸作戦が近い戦況の中で、連合軍はある特殊任務を立案していた。それはドイツ軍の将校が集まりパーティーを行う洋館を強襲し将校達を皆殺しにするという物だった。
 実行部隊は死刑囚などの元軍人から12人が選ばれ、訓練の後作戦につく。最初はまとまりがなくただ単に反抗していただけの12人だったが、過酷な訓練の中で次第にまとまりを見せてくる。そしてついに作戦実行日が訪れた。

 さすがに12人はちょっと多い。特徴があるのは5?6名ぐらいで、残りはただいるだけ要員になっている。黒澤明が『七人の侍』で七人という数を選んだが、そのぐらいがここのキャラクターを立たせるという意味では妥当な数なのだろう。
 しかし、軍事作戦なので七人では少なく12人という数になってしまうのは仕方ないことなのだろう。
 実際に作戦に加わるのは12人に指揮官のジョン・ライスマン少佐(リー・マーヴィン)とMPが1人の14人である。リー・マーヴィンは軍曹をやらせたら天下一品の俳優で今回は少佐というのがちょっと残念だ。始終むすっとした顔で、腕の立つ優秀な軍人だが個性が強すぎて上層部から扱いづらく思われている。だがそんな彼だからこそ不可能と思われる任務に挑み、囚人の12人をまとめ上げるのだ。
 この囚人を訓練して実戦で使うというアイディアが実に面白い。

 物語の大半は訓練シーンである。かなりユーモラスな作りでギャグも多い。ロープ上りでもうこれ以上上れないと言い出した囚人にリー・マーヴィンがグリースガンを乱射したらコマ落としでするするっと登り切ってしまうシーンなどは爆笑である。
 そんな訓練を重ねていく内にバラバラだった12人が結束し始め、ついに水でヒゲを剃るのは嫌だ、お湯で剃らせろと言い出す。最初は一人が言い出しただけだが、リー・マーヴィンが水で剃らない奴は一歩前へ出ろというと全員が前へ出る。この時、12人は一つになったのだ。
 それならばとリー・マーヴィンは囚人達にひげ剃りも顔を洗うことも禁止する。MPが「これからお前達を"汚れた12人(ダーティ・ダズン)」と呼ぶと言い、ここでタイトルの意味が明らかになる。邦題の『特攻大作戦』も味があるがあまりにそのまますぎる。ここは原題の勝ちである。

 終盤の洋館襲撃シーンは一転してシリアスモードになる。
 ドイツ兵は皆殺しで、人質にしたドイツ兵とフランス人はフランス人だけ助けてドイツ兵は射殺する。
 マシンガンの乱射や爆破シーンなどかなり派手な戦闘シーンが展開され、特に地下壕に逃げ込んだドイツ将校をまとめてやっつけるシーンでは、通風口にピンを抜いてない手榴弾を大量に放り込み、ガソリンを流し込んだところへピンを抜いた手榴弾を放り込んでまとめて吹っ飛ばす。爽快だが、ドイツ将校だけではなく女性も混ざっているのがちょっと複雑なところではある。しかし、それが戦争だ。
 12人も一人また一人と倒れていき、最後に生き残るのはリー・マーヴィンとチャールズ・ブロンソンとMPの3人だけだ。だが、戦況を見るに3人生き残っただけでも奇跡である。
 12人の囚人の内、11人はケンカの上での殺人や強盗殺人など同情できない罪ばかりだが、ブロンソンは医薬品をありったけ持って敵前逃亡した上官を射殺した罪である。本来なら敵前逃亡は銃殺だから罪にはならないはずだがリー・マーヴィンは言う「お前にもミスはある。証人を忘れたな」
 この作品でのブロンソンはヒゲなしブロンソン。ひげ剃りをしなくなってからはひげが伸びるが口ひげではなく無精ひげ。この作品だと絞首刑を待つ囚人だから口ひげがないのかも知れないが、いったいいつからブロンソンは口ひげを伸ばし始めたのだろう。口ひげなしのブロンソンはやはり地味。ひょっとしたら口ひげの方がブロンソンの本体なのかも知れない。
 この作品では珍しくジェームズ・コバーンでお馴染みの小林清志が吹き替えている。
 スペシャルエディションDVDの吹替収録時間は短く訓練部分はほとんど字幕、テリー・サヴァラスも森山周一郎でないなどオマケ程度に思っておいた方が良いかもしれない。

 一番反抗的なフランコ役のジョン・カサヴェテスが忘れがたい。下から睨みつけるような目つきで口元にはいつも皮肉な笑みを浮かべている。ちょっとエミリオ・エステヴェスに似てないこともない。
 ニューヨーク・インディペンデンス映画の父として監督として有名なカサヴェテスだが、『ローズマリーの赤ちゃん』など姿を見る機会はすくないが優れた俳優である。

 他にもアーネスト・ボーグナインやジョージ・ケネディなど通好みの俳優は脇を固める。
 終盤にはハーフトラックも登場しロバート・アルドリッチらしい男臭い非常に良くできた特殊部隊物の戦争映画である。

B001G9EBWW.jpg『大脱走』(1963) THE GREAT ESCAPE 168分 アメリカ UA

監督:ジョン・スタージェス 製作:ジョン・スタージェス 原作:ポール・ブリックヒル 脚本:ジェームズ・クラヴェル、W・R・バーネット 撮影:ダニエル・ファップ 編集:フェリス・ウェブスター 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:スティーヴ・マックィーン、ジェームズ・ガーナー、リチャード・アッテンボロー、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、デヴィッド・マッカラム、ハンネス・メッセマー、ドナルド・プレザンス、トム・アダムス、ジェームズ・ドナルド、ジョン・レイトン、ゴードン・ジャクソン、ナイジェル・ストック、アンガス・レニー、ロバート・グラフ、ジャド・テイラー

 これ、今公開されたとしたら『グレート・エスケープ』なんて邦題になるのかね。なんか味気ない。直訳だけど『大脱走』というタイトルは実に良い。

 ドイツに連合軍の空軍士官捕虜を集めた捕虜収容所があった。他の収容所で脱走を繰り返した面子ばかりで、どうせならば「腐った卵は一つのカゴに入れて管理しよう」というのがドイツ側の考えである。
 畑仕事や図書館、スポーツなどで欲求を発散させ脱走の意志をなくそうということになっているが、連合軍の連中がそれに大人しく従っているはずがない。さっそく3つのトンネルを掘り始め、物資の調達や物の製造、測量に身分証明書の偽造など得意分野を持った連中が活躍し始める。ドイツ軍の目を盗んでの作業は進む。
「腐った卵を一つのカゴに入れるとひっくり返った時に大変なことになるのだ」

 脱走物の代表的作品である。ちなみに個人的には捕虜収容所からの脱出は脱走物、『アルカトラズからの脱出』のような刑務所からの脱出は脱獄物と切り分けて考えている。
 この作品は驚くことに実話の映画化である。ある程度の人名、地名に変更はあるが多くの部分が事実に基づいているらしい。特に試行錯誤のアイディアから生まれた脱走計画は忠実に再現しているそうだ。
 250名というかつてない大人数を脱走させる予定だったが、トンネルが6メートル足りずに一人ずつ逃げている内に途中で見つかり76名が脱走した。内12名が連れ戻され、50名が銃殺された。史実では最終的に逃げおおせたのは3人だったという。映画で実際に逃げおおせているのは船に乗り込んだブロンソンと友人、レジスタンスの力を借りてスペインに逃亡したジェームズ・コバーンの3名だけである。
 しかし、この脱走計画によってドイツ軍は脱走兵捜索に7万人もの人員を割くことになり当初の目的であった後方攪乱作戦としては成功したと言えるだろう。

 我らのブロンソンは呼び名が"トンネル・キング"。穴を掘らせたら超一流のディグダグも真っ青な男である。しかし、実は子供の頃から閉所恐怖症で、その恐怖を強い意志で押し殺してこれまで十何本ものトンネルを掘ってきたと言うから男ではないか。好きでトンネルを掘ってきたのではない、自由をその手でつかみ取るために自分の出来るトンネル掘りに恐怖を抑えつつ没頭してきたのだ。
 この作品でのブロンソンはまだヒゲなしブロンソン。捕虜収容所だからヒゲを剃らされているのかもと思ったが、他にヒゲキャラがいたのでそれは違うのだろう。ヒゲがないと若々しいがやはり地味で今一つ特徴がなくて冴えない。ブロンソンがヒゲを生やしたのは正解だろう。
 ちなみにこの作品で後の愛妻ジル・アイアランドとブロンソンは出合うこととなった。ジル・アイアランドは出演していないが当時の夫デヴィッド・マッカラムが出演していたので撮影現場の見学に来たのだ。その後二人は離婚し、ブロンソンとジル・アイアランドは『戦うパンチョ・ビラ』(1968)での共演の後結婚し、ノーベル賞級に夫婦共演しまくった。

『荒野の七人』からたった3年でスターの風格を身につけたのがスティーヴ・マックィーン。この作品の実質的主役を見事に演じきっている。他にも多くのスターが出ているのにその輝きに負けず一番強く輝いている。
 イギリス人将校のなかで数少ないアメリカ人将校を演じている。とにかく脱走気違いでなにかにつけては脱走しては捕まり独房に入れられている。それでついたあだ名が"独房王"。終盤のバイクを乗り回すバイクスタントが有名だが、同じくらいに独房の中で一人キャッチボールをやっているのが印象的である。

 刑務所物でもそうだが、どこからともなく物を調達してくる調達屋と呼ばれる連中がいる。『ショーシャンクの空に』のモーガン・フリーマンなんかがそうだ。あれは実際にどうやって調達しているのかを描いた作品は意外と少ないが、この作品は例外だ。調達屋のジェームズ・ガーナーがいかにして物資を手に入れているのかを克明に描いている。まずは看守とお近づきになる。そして看守の弱みを握り恩を着せる。ここまで来たらもう成功したようなものだ。あとは恩を返せとばかりに物資を要求する。もちろん交換用の物資や刑務所物の場合は金も用意しておく。要は外とのパイプを如何に確保するかである。
 それでも説明のつかない場合は映画には奥の手がある。
「○○はこれをどうやって手に入れたんだ」
「僕もそれを聞いたんですよ」
「そうしたら」
「聞くな、ですって」

 それにしてもドイツ軍捕虜収容所はわりを居心地が良さそうだ。
 『勝利への脱出』にしろ『第十七捕虜収容所』にしろ強制労働をさせられるわけでもないし、食事はちゃんと出てくる。オレだったら前線で戦うよりもそこにいついちゃうかも。って軍人失格だな。『勝利への脱出』はフィクションだがサッカーやって遊んでるんだから。

 これだけの人数のキャストをちゃんと描き分けているジョン・スタージェスはこの手の映画が上手いのだろう。普通混乱する。
 それぞれのキャストの魅力をちゃんと引き出して、面白みのある役柄を演じさせている。
 ストーリーは一直線の素直なもので、裏切り者とかは出てこない。ドイツ軍に見つからずに如何にしてトンネルを掘るかのサスペンスである。7月4日にマックィーン達3名のアメリカ人が独立記念日でじゃがいも焼酎を振る舞っている最中にドイツ軍にトンネルが見つかるシーンはスリリングである。
 エルマー・バーンスタインの『大脱走マーチ』は名曲で頭の中で流れはじめると止まらない。

 ちなみにDVDパッケージの写真は映画には登場しない。ドイツ軍服姿かトレーナー姿なんだよね。

B001G9EBY0.jpg『荒野の七人』(1960) THE MAGNIFICENT SEVEN 128分 アメリカ

監督:ジョン・スタージェス 製作:ジョン・スタージェス 共同製作:ルー・モーハイム 製作総指揮:ウォルター・ミリッシュ 原作:黒澤明、橋本忍、小国英雄 脚本:ウィリアム・ロバーツ、ウォルター・バーンスタイン 撮影:チャールズ・ラング・Jr 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:ユル・ブリンナー、スティーヴ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ロバート・ヴォーン、ホルスト・ブッフホルツ、ブラッド・デクスター、イーライ・ウォラック、ウラジミール・ソコロフ、ロゼンダ・モンテロス、ビング・ラッセル

 原題の『THE MAGNIFICENT SEVEN』の"MAGNIFICENT"には"壮大な、雄大な"か口語で"すばらしい、見事な"といった意味があるようだ。『壮大な七人』では映画に合わないから『すばらしい七人』の方が的確だろう。もっとくだけた言い方をすると『すっげー七人』?

 黒澤明の『七人の侍』のリメイク権を買って製作された正式リメイクであることは今さら言うまでもないだろう。両方の作品を比較することにさして意味があるとは思えないのでやらないが、少しだけ言っておくと士農工商という身分制度のあるなしと『荒野の七人』の128分に対して『七人の侍』の207分という上映時間の差から、菊千代に関するエピソードがごっそりと削られている。それにしても『七人の侍』の207分は長すぎ。

 メキシコの小さなその村はトウモロコシの栽培などで生計を立てている寒村である。その寒村に収穫時期になるとカルヴェラ率いる無法者の集団がやってきて収穫物の大半を奪っていってしまう。保安官に訴え出てもそんな田舎の村にいつ襲ってくるか分からない無法者には対応できないと冷たくあしらわれてしまう。
 そこで村の長老が思いついたのは、腕利きのガンマンを雇って村を守ってもらおうというものだった。代表の三人がアメリカの村に行って見たのは、インディアンの死体を反対する住人からの銃撃にあいながらも反撃しながら墓場まで霊柩車の馬車を操って運ぶ二人の男だった。一人は黒ずくめのクリス(ユル・ブリンナー)、もう一人はヴィン(スティーヴ・マックィーン)だった。
 クリスに相談した三人は協力を得ることに成功する。ただ、この仕事は一人では無理だと分かりきっているのでクリスは仲間を集め始めた。最終的に七人の仲間が揃い村に到着した。
 石塀や網などの罠を仕掛けながら、村人を訓練するクリスたち。そしてついにカルヴェラが襲ってきた。

 七人のキャラクターが素晴らしく、それだけで成功している。まさに『すばらしい七人』である。
 始終険しい顔をしたクリスは司令官役で、作戦を考えみなに指示を与える。それでいて戦闘が始まれば一発必中の銃の腕の持ち主だ。裏切りにあっても恨み言を言わず、自分の責任を果たそうとする武士的存在である。他のキャラクターには『七人の侍』の武士的存在はいないが、オリジナルの志村喬のイメージを受け継いでいる。後にマイケル・クライトン原作・監督の『ウエストワールド』でこのクリスというキャラのセルフオマージュをやっていた。

 クリスの頼もしい相棒ヴィンはスティーヴ・マックィーンのジャガイモのような顔でユル・ブリンナーの冷静さを保ったキャラとは異なる多少悪ガキっぽいイメージとなっている。たとえ話でジョークを言ったり、おどけた仕草もするが銃を抜けば超一流。クリスと共に生き残る数少ないメンバーの一人である。
 クリスに「今何人だ」と尋ねてクリスが指を一本立てると、指を二本立てて返すシーンなどしびれまくりである。
 この前年には同じくジョン・スタージェス監督の『戦雲』(1959)に出演しておりその縁もあったのであろう。割と誤解されているようだが、マックィーンのフィルモグラフィーにおいて『荒野の七人』はかなり初期の作品である。まだ海のものとも山のものともつかないマックィーンを七人の中でも重要人物に据えたのは製作も兼ねているジョン・スタージェスの意向が大きかったのだろう。

 そして我らがチャールズ・ブロンソン演ずるオラリー。いきなり薪割りをしているシーンからの登場である。この斧の振り方が腰が入っていていかにも付け焼き刃で薪を割ってんじゃねーんだ。昔からずっと割ってんだよ。というブロンソンの肉体労働色を前面に打ち出している。どうやらあちこちで何とか一家を全滅させて賞金をもらっていたりと実力のある人物らしい。
 ブロンソンも『戦雲』出演組。それまでのフィルモグラフィーには初主演作の『マシンガン・ケリー』(1958)以外にさして見るべき物はなくこれまた大抜擢。初期のブロンソンなのでまだトレードマークの口ひげは生やしていない。っていうかいつから生やし始めたんだ?
 メキシコ人とのハーフという設定からか妙に村の子供3人組に懐かれて、「オジさんが死んだらお墓に毎日花を添えて、お祈りしてあげるよ」と戦闘中に言われて閉口している。そして自分に憧れる子供たちに「お前達のお父さんの方が偉いんだ。毎日暗くなるまで畑で仕事をして家族に対する責任を墓に入るまで持っている。俺にはそんな勇気はない」と諭す。
 最後は子供たちをかばって命を落とす。泣けるよ。

 妙に銃を撃つ姿勢がいいのがジェームズ・コバーンのブリット。ナイフ投げの達人でもある。セリフはほとんどなくてあまり何を考えているのかよく分からないキャラクターである。しかし手足が長いなー。
 ジェームズ・コバーンもデビューして2作目で、こうしてみると今になって振り返ると有名俳優揃いなのだが当時はユル・ブリンナー以外は新人で固めていたのが分かる。そう考えるとこのキャスティングはすごい。人を見る目がありまくりである。
 最後に投げたナイフが岩壁に刺さって揺れているシーンはこれまた泣ける。

 ナポレオン・ソロことロバート・ヴォーンも仲間の一人だ。といっても『ナポレオン・ソロ』シリーズに主演する前でこれまた新人のようなもの。つねに黒い革手袋をはめていてなにやら過去がありそうな男だ。それを言ったら七人の全員が何らかの過去があるのだが、それは明らかにはされない。しかし観客はその過去を感じる。ジョン・スタージェスの上手いところである。
 悪夢にうなされて泣き叫んだり、テーブルの上の三匹の蝿を一匹しか掴めなくなったと自らの衰えを感じ始めているが逃げることなく最後まで立ち向かっていく。
 実年齢では大差ないが、ユル・ブリンナーと並んで一人年上さを感じさせる。
 死に方はせつない。泣けはしないけど。
 ちなみに、後にロジャー・コーマン製作の『宇宙の七人』(1980)でほとんど同じキャラを演じていた。ふざけてんなーこの。好きだぞそーゆーの。

 昔は農民だったという菊千代の要素と、村娘とくっついちゃって村に残って農民になるという若侍のキャラを持つチコを演じたホルスト・ブッフホルツについてはとくに語ることはない。その後もたいして売れなかったし、このメンバーの中では格段に落ちる。
 だが若くて色男なので当時の劇場では女性の歓声を浴びていたのかも知れない。

 七人の中で一番地味なのがクリスの古い友人ハリー役のブラッド・デクスター。傑作『東京暗黒街・竹の家』(1955)にも出ているらしいんだけど誰だったかな。
 他の6人が報酬目当てでなく参加しているのに対し、ハリーはクリスが隠しているだけで金山とか宝石などのお宝が関わっているに違いないと考えている。
 ラストで、村人の裏切りに遭い村を追放された七人のうち六人が村に引き返してカルヴェラを倒そうと男のけじめをつけにかかる。そんな中、一人「やってられっか」と逃げ出すがクリスがピンチになった時に駆けつけて大活躍......せずにあっさりやられる。そしてクリスから嘘の金鉱の話しを聞かされて納得して死んでいくのだ。だがオレは思う、ハリーは「やっぱり金があるんだろう」という理由で戻ってきたのではなく奴も男だったからだ。最後に金の話を尋ねたのは自分を納得させたかったからで、本当は金のことなんかどうでもよかったんだろう。

 そしてこの大人数を主役に据えて使いこなすジョン・スタージェスの能力と大半のキャスト、そしてエルマー・バーンスタインの軽快な楽曲が脱走映画の代表格『大脱走』(1963)を生み出すことになるのだが、それはもうちょっと先の話になる。

cfa97564.jpg『テレフォン』(1977) TELEFON 117分 アメリカ

監督:ドン・シーゲル 製作:ジェームズ・B・ハリス 原作:ウォルター・ウェイジャー 脚本:ピーター・ハイアムズ、スターリング・シリファント 撮影:マイケル・C・バトラー 音楽:ラロ・シフリン
出演:チャールズ・ブロンソン、リー・レミック、タイン・デイリー、パトリック・マギー、シェリー・ノース、ジョン・ミッチャム、ドナルド・プレザンス、アラン・バデル

 アメリカコロラド州デンバーの自動車修理工場に一本の電話がかかってくる。主人が出たその電話はこんなことをささやいた。
「森は美しく また暗く深い。でも約束がある。眠りの地まで数十マイル。さあ○○○○。眠りにつくまであと一走り」
 すると店主はロッカーから爆弾を取り出すと、車に付け軍事基地に突っ込んでいき自爆した。ただ不思議なことに、その軍事基地は10年前までは神経ガスの保管庫として重要だったが、いまでは大して価値のない基地だったということだ。
 そのころモスクワでは米ソの緊張緩和に反対する高官たちに対する粛正が行われていた。そして、タカ派文官ダルチムスキー(ドナルド・プレザンス)は一通の手帳を持ってアメリカに逃亡した。そこには50数人の名前と住所、電話番号が書かれていた。そこに名前の書かれた人間は現在は普通のアメリカ人として暮らしているが、元は英語の堪能なソ連の学生で、薬物催眠をかけられ自分をアメリカ人と信じ込んでいる。そして、例の詩とロシア名を聞かされるとあらかじめプログラムされたテロ活動を行うようになっているのだ。だが、それも米ソ緊張が絶頂に達していた頃の話。現在ではすでに放棄された古いプロジェクトだった。だから価値のない基地に突撃したのだ。
 ダルチムスキーはさらにテロ活動を行い、再び米ソ対立を深めようとしている。ひょっとしたら第三次世界大戦を起こすつもりなのかも知れない。そこでソ連は手帳の内容を完全に記憶できる完全記憶(フォトグラフィック・メモリーとセリフでは言っている)の持ち主ボルゾフ(ブロンソン)をダルチムスキー抹殺のために送り出した。
 カナダ経由でアメリカ入りしたボルゾフはアメリカ人のKGB要員バーバラと夫婦を装いダルチムスキー追跡を始める。
 しかし、そうしている間にも、ダルチムスキーによるテロが発生していた。50数名のスリーパーはアメリカ中にいる。いったい、どういう順番でテロを行っているのか。法則性はあるのか、まったくのランダムなのか。決死の捜査は続く。

 アメリカでソビエト人同士の戦いが繰り広げられる。その戦いも中を振り回すものではなく、チェスのような知能戦。相手がどう動くかを読んで行動しなければならない。
 KGBの工作員が結果としてアメリカを守るために働く。ここで価値観が逆転している。ボルゾフが親米か反米かははっきりと描かれていないが、愛国者ではあるだろう。その国へのこだわりを捨てるラストが爽快だ。それにしてもブロンソン、20分も過ぎないと登場しない。
 バーバラは実はCIAとの二重スパイであって、任務完了後はKGBにより取り入るために命令通りにボルゾフを抹殺しなければいけないことになっている。KGBからもCIAからもボルゾフの抹殺を命ぜられているバーバラ。しかし、最初はいけすかないソビエト人だと思っていたボルゾフのことをいつの間にか愛しているバーバラが下す決断も爽快。
 キャストにドナルド・プレザンスがいるが、オープニングのドナルド・プレザンスのクレジットが出た時点で、「ああ、こいつが悪役なんだろうな」と思ったら案の定ドナルド・プレザンスが黒幕だった。金髪のカツラを被って変装しているシーンがあるが、あれは笑うしかなかった。テロリストの割には堂々とした自信家ではなく、ビクビクと怯えた感じの神経症っぽい演技で、逆に狂信者としてのリアリティがあった。
 普通の人がある日突然テロリストになるというのはかなり怖い話だ。少し違うが、宇宙人にクローンされて人間爆弾にされてしまうゲイリー・シニーズ主演の『クローン』(2001)を思い出した。
 ボルゾフが選ばれたのは完全記憶で手帳を完璧に記憶して工作における証拠を無くすため。その完全記憶で、長距離電話をクレジットカードでかける際にカードを見ないでスラスラと番号を言うシーンがある。完全記憶とは便利なものだ。オレも持っていたらテスト勉強の時に楽だったろうになぁ。
 ダルチムスキーにボルゾフ、KGBにCIA、二重スパイやCIAのコンピューターオペレーターまで絡んで結構複雑なストーリーなのだが、これが分かりやすく仕上がっているのは脚本のピーター・ハイアムズ、スターリング・シリファントの腕だろうか。原作が『合衆国最後の日』『ダイハード2』のウォルター・ウェイジャーだから良いのかな。『ダイハード2』はノベライズではなく原作の『ケネディ空港着陸不能』の方。読んだけど面白かった。ピーター・ハイアムズは監督もやれば脚本も書く、撮影もやると多芸な人だ。コンピューターオペレーターはブロンソンとの接触は一切ないが味のある登場人物で個人的にお気に入り。
 ブロンソンがソビエト人ということに疑問もあるだろうが、そもそもがリトアニア移民の子供。スラブ系だから本来はぴったりの役柄なのだ。
 ドン・シーゲルがさすがの質実剛健な演出でオープニングのダルチムスキー宅強襲のシーンからラストまで一気に観せてくれる。移動が続く物語とは言えだれるシーンがほとんどないのはさすが。ブロンソンが拳銃を撃つのは一発だけだが、その一発の冴えてること。
 音楽のラロ・シフリンのスコアがまた緊張感があって良い。
 TELEPHONEではなくTELEFONなのはスラブ語をアルファベットに置き換えたからか?
 ブロンソン作品の中でもかなり上位に来る傑作なのにいまだにDVD化されていない。米amazonで調べてみるとアメリカでも発売されていないくてヨーロッパからの輸入品が売られている。メカニックと合わせてとっとと発売して欲しいんだが。
 この記事は以前wowowで放映されたのを録画しておいたので書けた。wowow万歳!今は解約しちゃってるけどね。

B000657R8M.jpg『レッド・サン』(1971) SOLEIL ROUGE/RED SUN 115分 フランス/イタリア/スペイン

監督:テレンス・ヤング 製作:ロベール・ドルフマン、テッド・リッチモンド 脚本:レアード・コーニッグ、ウィリアム・ロバーツ 撮影:アンリ・アルカン 音楽:モーリス・ジャール
出演:アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、三船敏郎、ウルスラ・アンドレス、キャプシーヌ、中村哲

「うーん、マンダム」チャールズ・ブロンソン
「うーん、寝てみたい」三船敏郎
「ダーバン、セビロ、ズボン(セ・レレガァ?ンス・ドゥ・ロム・モデルヌ)」アランドロン
の3大CMスターが集結した。アメリカ、ヨーロッパ、そして我らが日本のスターが顔を揃えた破天荒西部劇である。

 ブロンソンは鉄道強盗団のボスでアラン・ドロンはその仲間。今日も今日とてある鉄道を襲ったところである。その列車には軍隊が護衛する40万ドルもの大金があった。
 そして日本から来た親善大使も乗り合わせていた。ミカドから大統領に寄贈する日本刀を奪った強盗団は、ブロンソンを裏切りアラン・ドロンを新しいボスとして逃げ去っていった。
 親善大使の部下黒田十兵衛(三船敏郎)は、銃を取り上げたブロンソンを案内役に日本刀を取り返す旅に出た。猶予は七日間。それを過ぎれば切腹して腹を切らねばならない。
 ストーリー的な主人公はブロンソン。厄介者の三船敏郎を抱えて最初はどうしたものかと困っているが、まずは英語が通じるのに驚き、アラン・ドロンを見つけたら友の仇として即切ると主張する三船敏郎に、奪った現金のアリかを聞き出すまで待ってくれと説得するのに往生する。
 刀なんてと馬鹿にしているが、実際にアラン・ドロンの部下やコマンチインディアンとの戦いの中で三船敏郎の戦力を認め始め、次第に奇妙な友情が生まれる。
 そして最後には志半ばにしてアラン・ドロンに撃ち殺された三船敏郎に変わって大使に日本刀を届けに行く。メキシコとの国境を越えてアメリカに戻れば身の危険が待ち構えているのを承知の上でだ。

 日本人が観た場合の主人公は三船敏郎。外国映画に出てくる日本人はとかくヘンテコなのが多いが、黒田十兵衛はかなりしっかりした武士像を作り上げている。三船敏郎がかなり注文を付けたのではないだろうか。
 禁欲的(その割りに女性と一夜を共にするが)で腹が据わっており無口。そしてこれから日本が変わっていき西洋に近くなっていくことを自覚している。
 自分の一族は何百年も武士だったが、自分の代ぐらいで武士という生き方も終わりだろう。だからこそ命を賭けても日本刀を取り返すという任務にこだわるのだ。
 1800年代後半の西部(撮影は確かスペイン)を侍姿の三船敏郎がうろつき回っている様は最初は可笑しいが次第に慣れてくると格好良く見えてくる。
 ブロンソンと二人で馬を走らせるシーンがあるが、二人とも乗馬姿が様になっているが三船の方が若干上のような気がするのはひいき目か。
 最初は単なる案内役として利用する気だったブロンソンを次第に信じるようになり、その腕前も合わせてこちらも奇妙な友情を抱くようになる。
 三船敏郎が色物ではなく一人の立派な役者として外国映画の中で活躍していることに感動する。

 アラン・ドロンは出番も少なく、悪役という損な役回り。それでも黒ずくめで左利きのアラン・ドロンは格好いい。
 もっとストーリー的に活かしようがあったとも思うが、ドロンファンにはちょっと残念だろう。英語での撮影だったようなので、言葉の問題からフランス人のアラン・ドロンの出番を減らしたのかも知れない。三船敏郎は出ずっぱりだけどセリフは少ないし。

 終盤はコマンチインディアンとの戦いで、この時期の作品でインディアンと戦いが目玉というのは珍しい。ハリウッド西部劇ではなくマカロニ・ウエスタンだからか。
 この戦いで三船敏郎は刀だけではなく、手裏剣、弓矢なども披露してくれる。
 ブロンソンはインディアンが三船敏郎に向かって投げた槍を空中で撃ち抜く腕前を見せてくれる。これならば三船敏郎が信頼するのも納得だ。

 監督はブロンソンと何本か組んだテレンス・ヤング。イギリス人である。イギリス人の監督がアメリカ人のブロンソンとフランス人のアラン・ドロンと日本人の三船敏郎を使ってスペインで撮影した西部劇。国際色豊かなことである。しかも制作国はフランス/イタリア/スペインとヨーロッパ勢。やはりマカロニ・ウエスタンかその系統になるのであろう。

 岡本喜八が晩年に本家アメリカへ乗り込んで撮った侍(真田広之)が西部で活躍する『EAST MEETS WEST』はこの作品から影響を受けていると思うがどうだろうか。

 ジェネオンから発売されていたDVDはすでに廃盤だが、これが日本語吹き替えが収録されていてブロンソンが大塚周夫、アラン・ドロンが野沢那智、三船敏郎が大塚周夫の実子大塚明夫という豪華キャスト。ブロンソンと三船のパターンが多いから親子共演のシーンがかなり多い。大塚明夫は渋い声なので三人の中ではそれこそ親子のように年齢が違うが違和感がない。

B00170LCK4.jpg『ウエスタン』(1968) C'ERA UNA VOLTA IL WEST/ONCE UPON A TIME IN THE WEST 141分/165分 イタリア/アメリカ

監督:セルジオ・レオーネ 製作:フルヴィオ・モルセラ 製作総指揮:ビーノ・チコーニャ 原案:セルジオ・レオーネ、ダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチ 脚本:セルジオ・レオーネ、セルジオ・ドナティ 撮影:トニーノ・デリ・コリ メイクアップ:ジャンネット・デ・ロッシ 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:クラウディア・カルディナーレ、ヘンリー・フォンダ、ジェイソン・ロバーズ、チャールズ・ブロンソン、ガブリエル・フェルゼッティ、フランク・ウォルフ、ジャック・イーラム、ウディ・ストロード、パオロ・ストッパ、キーナン・ウィン、ライオネル・スタンダー

 荒れ地に農場を構えるマクベイン一家が何者かに殺された。現場に残されたコートの切れ端から丈の長いダスターコートを着たシャイアンギャング団の仕業だと思われた。
 しかし、犯人はフランク(ヘンリー・フォンダ)をボスとする集団だった。フランクは鉄道会社の人間と通じていて何かを企んでいるらしい。いったい何のために一家を惨殺しなければならなかったのか。
 そして、そのフランクを執拗につけ狙う男(ブロンソン)がいた。ハモニカを吹き鳴らすその男の目的も謎である。
 一家が殺されたその日に、マクベインと再婚した女性ジル(クラウディア・カルディナーレ)がニューオリンズから街にやってきた。遺産を相続したジルを狙い始めるフランク。
 ただの荒れ地になんの価値があるというのだろうか。

 マカロニ・ウエスタンの雄セルジオ・レオーネが本格派西部劇である。邦題はそのまんま『ウエスタン』。原題はアメリカタイトルで『ONCE UPON A TIME IN THE WEST』、昔西部でといったところだろうか。
 ストーリーからいうと兄の敵であるフランクをつけ狙うハモニカが主役に思えるが、一般にはヘンリー・フォンダ主演作とされている。これは役者の格の問題だろう。オープニングタイトルのクレジット順からいえばクラウディア・カルディナーレが一番だ。もっと言えばこの一人という主役が存在しない作品なのかも知れない。
 ヘンリー・フォンダの悪役というのも珍しい。ギャング団の頭目で、部下を引き連れ長年悪さをしてきたようだ。チャールズ・ブロンソンとヘンリー・フォンダが歩く場面があるのだが、ヘンリー・フォンダの足の長いこと。比較対象でブロンソンがいるから余計と目立つのだろうが長い長い。もっともブロンソンだって決して短足というわけではない。
 西部劇では『荒野の決闘』のワイアット・アープ役など正義の側で活躍することの多かったヘンリー・フォンダだが、悪役も凄みがあってすごく似合っていた。始終噛み煙草を噛んでいてペッと吐き捨てるのが様になっていた。あれは普通にやるとかっこ悪い仕草だが、ヘンリー・フォンダがやると絵になる。

 ブロンソンは今回ヒゲなし。少年時代にすでに大人のヘンリー・フォンダに出合っているという設定なので少しでも若く見せるためにトレードマークのヒゲを剃ったのではないかと考える。
 セリフは少なく代わりにハモニカをプーウーウーウーと不気味に吹き鳴らし、何を考えているのかイマイチよく分からない存在だ。それが終盤になってハモニカの意味と彼の目的がヘンリー・フォンダへの復讐だと見えてくる。顔のしわ一本一本がこの男が体験してきたであろう苦労を物語っている。
 ヘンリー・フォンダとの決闘は本当に一瞬で、この辺りやはりセルジオ・レオーネは分かっているんだと思う。

 原案にセルジオ・レオーネだけではなくベルナルド・ベルトルッチの名前がある。かなりコアなネタを盛り込んだそうだ。ベルトルッチはまぁ分かるがホラー映画で有名なダリオ・アルジェントの名前があることに驚く。この頃はまだ戦争映画やマカロニ・ウエスタンの脚本を書いていて、ホラーは手がけていなかったらしい。

 オープニングの、三人の悪党面した男たちが汽車を待っているシーンで、風車の回る唸るような音や、蝿の飛ぶ羽音、天井からしたたり落ちる水滴の音など音が強調されている。そこへ汽車が走り込む蒸気の音。そして汽車が走り去った後に聞こえてくるハモニカの不気味な音。
悪党「馬が一頭足りないな」
ハモニカ「馬が二頭余るな」
 そして一瞬で三人を撃ち殺すハモニカ。しびれるやり取りである。
 ちなみにこの三人の内の一人を『キャノンボール』シリーズの肛門科医役でお馴染みの顔の造作が全てひん曲がったジャック・イーラムがやっている。

 この映画で取り合いになるのは農地でも牧場でもなく、鉄道の駅の土地である。
 最後にはフランクもシャイアンそしてハモニカも過去の人間となり、ジルだけが鉄道という新しい時代に対応して活躍していく。決闘には勝ったもののここは自分の居場所ではないとまた旅に出るハモニカにジルは「また戻ってきて」と呼びかける。それに応えるハモニカの言葉は「Someday」。だがその「いつか」は決してくることがないのだ。
 労働者に飲み物を配りながら生き生きと働くジルの姿には明日への希望が見て取れる。
 そんな滅び行くものと生き延びていくものとについての映画でもある。女は強い。だからオープニングタイトルでクラウディア・カルディナーレが一番最初だったのだ。

 それにしてもオレが観たのは完全版の165分なので長い。ちょっと冗長な点がある演出なので余計と長く感じる。だが、その冗長な点を削ってしまったら駄目なのだろう。セルジオ・レオーネは尊敬する映画監督だが、場面転換が少し下手な気がする。この作品でもいくつか気になるところがあった。
 音楽はもちろんエンニオ・モリコーネ。哀愁を感じさせるモリコーネ節が鳴りまくる。

 本家ハリウッド西部劇のファンの方にはしょせんマカロニ・ウエスタンは紛い物。その紛い物の監督が撮ったんだからアメリカのモニュメントバレーが映っていても紛い物には違いないだろうと思われるかも知れないが、これはれっきとした西部劇である。マカロニ・ウエスタンという紛い物を作っていたセルジオ・レオーネが撮ったからこそ本家以上に正統な西部劇たろうとしているのかも知れない。それもスケールの大きな一大西部劇である。
『恨みシュラン』という本に大阪の江戸前寿司を食べに行くエピソードがあって、「大阪の江戸前なんて」と思っていたら東京の江戸前以上に江戸前だった。おそらく「しょせん大阪の江戸前なんて」とそのセリフを言われることを嫌って必要以上の修行をしたのだろうという話になっていたが、それに通じる物を感じる。セルジオ・レオーネは「しょせんマカロニ・ウエスタンなんて」と言われることを嫌って本家西部劇以上に西部劇たろうとしたのだろう。

B0026P1KW4.jpg『さらば友よ』(1968) ADIEU L'AMI 115分 フランス

監督:ジャン・エルマン 製作:セルジュ・シルベルマン 原作:セバスチャン・ジャプリゾ 脚本:セバスチャン・ジャプリゾ、ジャン・エルマン 撮影:ジャン=ジャック・タルベ 音楽:フランソワ・ド・ルーベ
出演:アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、ブリジット・フォッセー、オルガ・ジョルジュ=ピコ、ベルナール・フレッソン

 ブロンソンを一躍世界的スターに押し上げた犯罪ハードボイルド。
 多分この頃だと思うのだが、原作の『サザエさん』でサザエさんが友達と一緒にブロンソンのポスターを抱きしめて「しびれるわ?」とか言っている。それを端から見ていた波平さんが「あんなブ男のどこがどこがいいんだ」とぶつくさ言っている。そしてオチの4コマ目で「あれ、お父さんヒゲ変えたの」と言われていてよく見るとブロンソンヒゲになっているという作品があった。
 晩年のブロンソンしか知らない人には信じられないだろうが、天下のサザエさんでセクシーな俳優扱いされていたのである。

 アルジェリアからフランス軍の兵士たちが船で帰還した。その中には軍医のバラン(アラン・ドロン)の姿があった。そのバランに近づいてきて話しかける謎の軍人プロップ(ブロンソン)はまずバランの銃を見る。それは45口径のリボルバーだった。
 バランにイザベルという若い女性が近づいてくる。彼女は任務中に死亡した別の軍医と交わしていた約束をバランに頼みたいというのだ。実はその軍医は誤ってバランが射殺してしまったという負い目があるため、その仕事を引き受ける。内容は、彼女が横領した債券を監査までに金庫に戻したいというのだ。
 金庫には7つのダイヤルがあり、仕掛けたカメラでその3つまでは判明していた。残りの4つは総当たりでやるしかない。3日間のクリスマス休暇で警備員以外誰もいなくなるのを狙ってバランはビルに忍び込み金庫室で作業に当たることになる。
 そして当日、バランは無事潜入に成功したが、どこからともなくプロップが現れ、俺も仲間に加えろと言う。警備員が入ってきたので隠れるが、彼らの話によると金庫には2億フランを超える現金が入っているらしい。その金を頂くつもりのプロップと現金には手を付けないと主張するバラン。
 そして気の遠くなるような作業が始まった。二人は交代で仮眠を取りながらダイヤルを回し数字合わせをする。そしてついに金庫が開いたが中味は空だった。
 バランはイザベルに利用されたのか。それとも他に誰かこの犯罪を仕組んだ者がいるのか。そんな時、警備員が現れ慌てて金庫のドアを開けておいたカバンをどける。こうして二人は金庫の中に閉じこめられてしまった。金庫が開くのは数日後。それまで水も食料もない。そして金庫が開いた時には捕らえられてしまうのだ。ライトの電池も尽き、債券を松明代わりに燃やして明かりを採る。彼らの肉体は限界に近づいていた。

 とにかく男臭い映画である。
 ブロンソンがなみなみと注がれた飲み物にコインを一枚ずつ入れていくシーンが何度も登場して、これはその後多くのメディアで引用されているのでも有名だ。終盤の紙コップとコーヒーで刑事相手に賭けてやって、最後の一枚でコーヒーが溢れ出るシーンなど緊張感とその崩壊が見事に描かれている。
 そしてなにかにつけイエーと叫ぶブロンソン。
 金庫の中の作業では最初はお互いを信用しておらず、相手を出し抜こうとしているが、作業を続ける内にそれがだんだん変化してくる。
 そして金庫に閉じこめられてからは、上半身裸になってやるせなく横になっているだけで、無事に生きて出られるかという焦燥感にかられる。
 ある壁だけコンクリートが冷たい。ここには通気口が通っていると気付いてから、二人で金庫の棚板を使ってひたすら穴を開ける作業をしてついに開通と思ったら警備員の死体が転がっている。これで終わりではなく更なる展開が待っていた。
 この金庫の中での男の友情の成立がまずイカす。「友達になろう。友情を育もう」というわざとらしい友情ではなくて自然発生的でお互いがお互いを信頼し合う本当の意味での友情がここにはある。
 二人の上半身裸は当時の女性観客の嬌声を呼んだことだろう。二人とも筋肉質だが、ドロンのしなやかな肉体と、ゲンコツのようなゴツゴツとしたブロンソンの肉体が見事に対になっている。それが空調の壊れた(ブロンソンが壊した)金庫室で汗ばんでいると男の俺でも見ほれてしまうぐらいだ。
 その後、ビルから抜け出した二人は空港から他の地域に行こうとするが、そこでブロンソンが警察に捕まってしまう。そして刑事にバランのことをしつこく尋問されるブロンソン。しかし、インドシナで捕虜になり18時間水で一杯の穴に入れられた経験のあるブロンソンのタフさはそんなことでねじ曲げられてしまうものではない。バランへの友情を貫き通すブロンソン。
 そして伝説となっているビルの地下室のシーンへ。刑事に手錠をかけられたブロンソンが煙草を咥えマッチはないかとポケットを探す。そこへドロンがマッチを擦って差し出す。ドロンの手を包み込むようにして煙草に火を着けるブロンソン。
 そしてドロンが「イエー」

 監督のジャン・エルマンの演出自体は取り立てて注目すべき点はない。テンポはいまいちで登場人物の心理描写も出来ていない。あくまでも主役二人に助けられたといった形だ。
 ストーリーもかなり無理がある設定で、プロットも甘く犯罪劇としては出来の良いものではない。

 天下の二枚目のドロンとしては自分の引き立て役ぐらいのつもりでブロンソンを捉えていたのかもしれないが、結果としてブロンソンがおいしいところを持って行ってしまった。
 これからブロンソンはしばらくの間ヨーロッパを活動拠点とするようになる。アメリカにいたままだったら脇役からなかなか抜け出せなかっただろうから結果として良い選択であった。

B000X20MDA.jpg『さらばバルデス』(1973) THE VALDEZ' HORSES/VALDEZ, IL MEZZOSANGUE/CHINO 97分 アメリカ/フランス/イタリア

監督:ジョン・スタージェス 製作:ディノ・デ・ラウレンティス、ドゥイリオ・コレッティ、ジョン・スタージェス 原作:リー・ホフマン 脚本:ジョン・スタージェス、クレア・ハフェーカー 撮影:アルマンド・ナンヌッツィ 音楽:グイド&マウリツィオ・デ・アンジェリス
出演:チャールズ・ブロンソン、ヴィンセント・ヴァン・パタン、マルセル・ボズフィ、ジル・アイアランド、ファウスト・トッツィ、エットレ・マンニ、ホセ・ニエト

 一人の少年ジェイミー(ヴィンセント・ヴァン・パタン)が荒野を馬に乗って旅していた。
 ふと見つけた牧場に仕事を求めるが、牧場主のチノ(ブロンソン)は「この牧場は俺一人で切り盛りできる」とすげなく断り「飯ぐらいなら食わせてやる」と彼を招き入れる。
 もう遅いからとその晩はジェイミーを泊めてやったチノは、翌日からジェイミーが自主的に仕事を始めるのを見てしばらくここで働くことを提案する。
 チノの仕事は野生馬(ブロンコ)を捕まえてきて乗用馬に調教することで、身体には野生馬を捕まえることでついたいくつもの傷があった。
 ある日のこと、町へ出かけた二人は馬車から降りてきた美しい女性ルイーズ(ジル・アイアランド)を見かける。ルイーズはチノの牧場の地主マラルの妹であった。チノの馬を買い求めにやって来たルイーズとチノはいつの間にか恋に落ちていた。それはマラルを怒らせるに充分なことであった。

 一人の少年の視点を通してチノというインディアンとの混血の男を捕らえ、そのタフガイぶりによってジェイミー自身も成長していく物語となっている。
 チノの元で働くことで彼も鍛えられ精神的にも強くなっていく。最初に頼りなさげにチノの牧場を訪れたのが別人のようだ。

 チノとジェイミーが野生馬を捕まえに行くシーンがあるが、細いのに筋肉の張り詰めた野生馬の美しいこと。カモシカの脚なんてたとえがあるが、こちらは野生馬の脚だ。
 その野生馬の美しさにはルイーズもチノもやられてしまう。野生馬同士の交尾を見ていたルイーズとチノがお互いに高ぶってしまい、抑えきれなくなったチノが抱きついて、ルイーズも最初は抵抗するもののすぐにチノを受け入れラブシーンになる。こんな導入部のラブシーンはこの作品ぐらいな物だろう。

 ルイーズを演ずるのはまたもやと書くのもそろそろ飽きてきたがジル・アイアランド。
 監督は『荒野の七人』(1960)や『大脱走』(1963)で主人公たちの一人としてチャールズ・ブロンソンを使ったことのあるジョン・スタージェス。個人的にはあまり好きな監督ではないのだが、この作品では詩情溢れる一風変わった西部劇を見せてくれる。
 なんといっても最後の対決でチノとマラル一家との戦いに決着がつかない。チノはマラルの手下を何人か撃ち殺すが、「もう俺はこの土地から出ていく」と宣言し、それを聞いたマラルはチノを見逃すのだ。
 製作に何を作っても大味なディノ・デ・ラウレンティスが加わっている割には渋めのウエスタンとなっている。アクションも少ないし、派手さもない。この頃のブロンソン作品にはまだB級の匂いが薄く、最盛期末期といっていいだろう。

 ラスト、チノは馬を全て逃がすと自らの牧場を燃やしいずことへなく去っていく。その行き先は彼が昔暮らしていたインディアンの集落なのかも知れないし違うのかも知れない。
 そして男として成長したジェイミーもいずこへか去る。多分、次の仕事場をさがして男として働くのだろう。だが彼にとってチノの牧場は一生記憶に残る場所に違いない。

 このDVDはamazon価格で780円と安いがVHSレベルの画質だ。下手をするとVHS3倍クラスの画質。『夜の訪問者』を出していたのと同じレーベルだ。出してくれるのは嬉しいが、もう少し何とかならなかったものだろうか。これはまともなマスターが残っていないんということなのだろうか。それともケチってやすいマスターを使ったか。
 ここまで安くしなくても良いからまともな作品を作って欲しい。パッケージのデザインもダサダサ。

B0022W7CEQ.jpg『雨の訪問者』(1970) LE PASSAGER DE LA PLUIE 120分 フランス

監督:ルネ・クレマン 製作:セルジュ・シルベルマン 脚本:セバスチャン・ジャプリゾ 撮影:アンドレア・ヴァンダン 音楽:フランシス・レイ
出演:チャールズ・ブロンソン、マルレーヌ・ジョベール、ジル・アイアランド、コリンヌ・マルシャン

『太陽がいっぱい』(1960)などのルネ・クレマン監督作で、ブロンソンをモデルに脚本を書いたという『さらば友よ』(1968)の脚本家セバスチャン・ジャプリゾによるブロンソン主演のサスペンス映画。
 ジル・アイアランドが出演しているが、ヒロインではなくヒロインの友人でその夫と浮気していたという役柄が珍しい。

 ある雨の日、フランスの田舎町に停まったバスから一人の男が降りてきた。男はTWAの赤いバッグを持っていた。ヒロインのメリー(マルレーヌ・ジョベール)を付けてきたその男はメリーの自宅で彼女を襲う。そして地下室にいるところをメリーにショットガンで撃たれ殺されてしまう。
 メリーは男を海に投げ捨て全てなかったことにするが、ドブス(ブロンソン)という男が現れ、「なぜあの男を殺したんだ」と聞いてくる。
 ドブスの正体は何者で何を狙っているのか。赤いバッグにはいったい何が入っていたのか。謎が謎を呼び、メリーは真実にたどり着くことが出来るのか。

 メリーがただ単に暴行されただけではなく、さらに深い出来事に巻き込まれていき、頼るものと言えば正体不明のドブスだけという心細い状況に落ち込んでしまう。
 オープニングで『不思議の国のアリス』の一文が引用されるが、メリーは不思議の国に落ち込んでしまったアリスそのものだ。
 そのドブスとてメリーの味方なのか敵なのかはっきりせず、そもそも何が目的なのか途中まではっきりしない。謎が少し少し解かれていく様子がなんともいえない魅力がある。
 アクションはほとんどないサスペンス映画。ドブスがメリーを助けるために戦うシーンで暴力描写があるぐらいで、過激な暴力ではなくスタイリッシュに描かれている。
 ブロンソンの謎の男も良いが、ヒロインのマルレーヌ・ジョベールの魅力が堪能できる。最初は独身女性かと思ったぐらい少女っぽいが、すぐにパイロットの夫がいると分かる。白を基調とした服を着こなし、物語の鍵を握る丈の短いドレスも良く似合う。

 ストーリーはかなり入り組んでいて、ルネ・クレマンが雰囲気優先で描いている物だからいっそう分かりにくい。整理してしまえば単純な物なのだが、この辺りフランス映画である。メリーが殺した男の名はマック・ガフィンだそうだが、これはサスペンス映画ではお馴染みのマクガフィンのモジリなのだろう。

 ドブスのホテルにメリーが忍び込むシーンでは意味もなくブロンソンが上半身裸になるのが笑える。やっぱブロンソンは上半身裸だよな。
 メリーが夫の香港土産のエプロンを着けていて、これには"LOVE LOVE"と刺繍が入っているのだが、そこからドブスはメリーのことを"ラブラブ"と呼ぶようになる。「ラブラブ、君がやったのか」「私はなにもやってないわ」これで物語の3分の2は使っているような気がする。
 ブロンソンの拳銃はルガーのP08だった。メリーにP08を突きつけて「真実を言え。あの時計が6時の鐘を鳴らし終わるまでだ」というシーンには緊張感があった。
 ドブスは何かにつけてクルミを食べているのだが、クルミを窓ガラスに投げてガラスが割れたらその人のことを愛しているというおまじないがある。それが最後にブロンソンが放り投げたクルミで見事に活かされていた。

 男に走ってしまった母親と、それを目撃した少女時代のメリー。そのメリーから事実を聞き出して家を出て二度と戻らなかった父親のエピソードが何を示しているのかよく分からない。
 この事件のためにメリーが他人に依存する大人として成長しきれない人間になってしまったと言うことか。
 メリーの爪が短くて床に落ちたコインを拾えないエピソードがあり、さらには爪を噛む女性は空想好きだというセリフがある。ラストでドブスはメリーに爪を伸ばすんだなというが爪を伸ばす=自立の象徴か?
 アクションが少ないだけ演技力が要求されるが、この作品でブロンソンは監督の要求に見事に応えている。ブロンソン作品の演技力という面では上位に位置するだろう。

B000UMXBZ4.jpg『夜の訪問者』(1970) DE LA PERT DE COPAINS/COLD SWEAT 94分 フランス

監督:テレンス・ヤング 製作:ロベール・ドルフマン 原作:リチャード・マシスン 脚本:アルベール・シモナン、シモン・ウィンセルベルグ 撮影:ジャン・ラビエ 音楽:ミシェル・マーニュ
出演:チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・メイソン、ジル・アイアランド、リヴ・ウルマン、ミシェル・コンスタンタン、ガブリエル・フェルゼッティ、ルイジ・ピスティッリ

 ジョー(ブロンソン)は南フランスで観光客相手の釣り船・観光船で生計を立てている。妻(例によってジル・アイアランド)と彼女の連れ子であるローティーンの娘の三人家族だ。家族、ここが重要である。
 そこへブロンソンの過去を知る男が訪れてきて、船を使った仕事を強要する。ブロンソンはかつて軍刑務所に収容されていた。そこから運転手役として脱走する時に仲間がドイツ警官を殺してしまい、ブロンソンは仲間を置き去りにして一人だけで車を運転して逃げたのだ。
 仲間は警官殺しで40年は出てこられない。そこで安心して南フランスで生活していたのだ。しかし、船舶救助活動をやった事が写真付きで新聞に載ってしまい、またもや刑務所を脱走したかつての仲間に目を付けられたのである。
 彼らの目的はトルコの船とヘロイン・アヘンをやり取りする事らしい。妻と娘を人質に取られたブロンソンは一人ずつ悪党どもを始末していく。

 リチャード・マシスンの原作小説を映画化したのは『007ドクター・ノウ』(1962)など初期の007シリーズを手がけたテレンス・ヤング。後に『バラキ』などでも組むがブロンソンとはこれが初顔合わせとなる。さすがにスピード感のある演出で、特に終盤のカースタントは見物だ。
 悪役は1954年版『スタア誕生』などのジェームズ・メイスン。最初は普通のボス役で登場するが、部下のミスで腹を銃弾で撃ち抜かれてからは、母娘を庇うなどの行動を見せ始め、次第に身体は弱っていきながらも目の力は強く、ただの悪役ではない人間を感じさせる迫真の演技を見せる。
 ブロンソンは黒のTシャツにジーンズ姿で肉体派の活躍を存分に味合わせてくれる。銃は持つが一度しかも発砲せず、素手で悪党を相手に立ち向かっていく。
 見せ場は終盤のカースタント。寂れた山の中にある山荘でジェームズ・メイスンが撃たれてしまう。
 車で運んでは出血が激しくなって医者まで持たないと判断したブロンソンは医者を迎えに行くのだが、このカースタントがすごい。
 山道を赤いスポーツカーで疾走し、トラックを追い越し、白バイを振り切る。タイヤは悲鳴を上げ、時には山の斜面を滑り降りていく。ブロンソンは良いが、脅迫じみた形で連れてこられた医者はたまったものじゃない。

 この作品でのブロンソンの行動原理は悪党を退治する事ではない。あくまでも自分の家族、つまり妻と娘を守る事なのだ。そんなブロンソンの家族主義が前面に押し出された作品である。
 ブロンソンのヨーロッパでの活躍絶頂期で、公私ともに充実していた頃であろう。
 ジル・アイアランドもブロンソンに頼り切りな妻ではなく、出血で弱っていくジェームズ・メイスンを少しでも治療しコーヒーを飲ますなどして励ます強い女性を演じている。
 山荘を逃げ出してからはマシンガン使いと山中での追跡劇となるが、しぶとく逃げ回りいよいよとなるとライターで枯れ草に火を着けて山火事を起こしてしまう。子供を連れた母親は強いのだ。ところで、あの山火事はその後無事に鎮火したのだろうか。

 ラストは最後の敵を火だるまにして倒す。その時に大金が入ったアタッシュケースも一緒に燃えてしまうが、家族揃って無事な事に比べたらそんなのはささいなことだ。
 そしてフランス独立記念日の花火の中、ブロンソン一家は家へと帰るのだった。

 ところで、ジェームズ・メイスンを助けるために山荘に連れて行った医者はそのままだがその後どうなったんだろうか。車はブロンソンが乗って行ってしまったし、寂れた場所で車もあまり通らなそう。

 このDVDはマイナーなメーカーが出していてなんとamazon価格で780円。
 スタンダードサイズではなくビスタサイズ収録は嬉しいのだが、画質音質が悪い。大手メーカーの廉価版が1500円ぐらいで買える事を考えるとあまりお得感はないか。吹替も入ってないし。
 かなり面白い映画なのでメーカーを変えて良質なフィルムをマスターとした新バージョンも観てみたいものだ。

B0002B5A6Q.jpg『おませなツインキー』(1969) TWINKY 99分 イギリス/イタリア

監督:リチャード・ドナー 原作:ノーマン・サディアス・ヴェイン 脚本:ノーマン・サディアス・ヴェイン 撮影:ウォルター・ラサリー 音楽:ジョン・スコット

出演:スーザン・ジョージ、チャールズ・ブロンソン、ジャック・ホーキンス、トレヴァー・ハワード、ロバート・モーレイ、オナー・ブラックマン、マイケル・クレイグ、ポール・フォード、オーソン・ビーン

 監督が『リーサル・ウェポン』シリーズなどのリチャード・ドナーで主演がチャールズ・ブロンソンときては銃撃戦がバリバリバリ、爆発がドッカーンドッカーン、カーチェイスがドドドドドを期待してしまうが、これはロマンチックコメディ。
 それも38歳のブロンソンが16歳の小娘と恋に落ちるロリコンロマンスなのだ。タイトルからして『おませなツインキー』。今時"おませ"なんて使う人がいるのだろうか。

 ブロンソンはロンドン在住のアメリカ人で38歳の官能小説家。彼の恋人のツインキーは16歳の女子高生。ある日の事、ついに彼とツインキーがsexしてしまいそれがツインキーの家族にバレてしまう。もう父親はカンカンに怒り、母親はとぼけた事を言っている。家庭内裁判をやったら被告のブロンソンは完敗で有罪になってしまう。16歳ならば結婚は出来るが、ブロンソンのビザが切れ24時間以内の国内退去などがあって、彼らはスコットランドへ行って簡易結婚式を挙げ結婚することに。
 ブロンソン宅=新居にツインキーの友達が押しかけてきたりする中、彼らはブロンソンの故郷ニューヨークに行く事になる。
 二人の生活は最初は上手くいっていたのだが、ツインキーの無邪気さから来る熱烈な愛情がことあるごとに邪魔をしてブロンソンの筆を鈍らせていく。そしてついにブロンソンは感情を爆発させる。

 前半、特にオープニング近くはかなりポップな感じで、リチャードはリチャードでもリチャード・レスターではないかというノリだ。ジム・デールの能天気なテーマ曲にブレザーの制服姿の女子高生たちが自転車で走るシーンが重なる。
 ブロンソンの家に入り浸りのツインキーが、ついにブロンソンから追い出されるシーンでは、エレベーターの格子戸が閉まることとエレベーターが下がっていく事で二人の心の距離を表現している。
 そして車通りの多い通りでの車の流れを挟んでの告白。ドラマチックである。尼さんが何人も乗った車をバックに二人のキスシーンが可笑しい。
 細かいカットやストップモーションなどが効果的に使われていて、リチャード・ドナーはこういった作風も撮れるのかと感心した。

 しかしブロンソン、38歳にして16歳の小娘と恋に落ちるとはやるものだ。これがロマンスグレーの中年紳士やまだ若々しい男性なら話は分かるがぶちゃむくれなブロンソンである。ツインキーはブロンソンのどこを気に入ったのであろうか。内面に惚れたというような頭の切れる娘ではなかったと思うのだが。
 だがツインキーがブロンソンに惚れたなら惚れたそれはそれで良い。
 問題はその愛をブロンソンが受け入れてしまった事だ。そうじゃないだろブロンソン。それじゃそのまんまロリコンだ。あんたならば16歳の小娘が自分に好意を寄せてきても、その心を傷つけないように帰してやるすべを知っているはずだ。16歳の小娘に手を出すなんてブロンソンじゃない。
 それにしてもこの作品の制作者は何を考えてブロンソンをキャスティングしたのか。何を考えてこの役を受けたのかブロンソン。映画史最大の謎である。

 実質的主人公は『わらの犬』(1971)でダスティン・ホフマンの妻を演じたスーザン・ジョージ。
 16歳役だが当時19歳。しかし若々しい魅力をスクリーンに花開かせていた。ツインキーと言えば自転車に乗っているシーンが印象に残るが、瑞々しい素足が健康的であった。
 一時の感情で38歳の男性と結婚してしまい、彼女なりに愛情を嫌と言うほど注ぐのだが、嫌と言われてしまう若さゆえの愚かさを持っている。彼女には真の愛があり、愛があれば幸せになれると彼女は思っていたが、実際には愛だけでは幸せになれない。
 この経験を活かしてつぎの愛に向かって崖の上で「離婚するわ」と言いながら三回回って精神的に離婚するとロンドンに帰っていくのであった。彼女はこの愛で成長を遂げたのであろう。
 しかし、これは精神的儀式であって、法律上の離婚もちゃんとしたのか気になる。

 そして愛していたツインキーに去られて、これまで邪魔されて書けなかった小説の続きをブロンソンは書けるようになったのだろうか。それとも喪失感のあまり、抜け殻になってしまったのだろうか。
 普段のブロンソンならば見事立ち直って小説を書き上げ、ついでに街のダニ退治も始めるのだが。

B00005G2WB.jpg『シー・ウルフ』(1992) THE SEA WOLF 93分 アメリカ

監督:マイケル・アンダーソン 製作:デューク・フェナディ 製作総指揮:アンドリュー・J・フェナディ、ボブ・バナー 原作:ジャック・ロンドン 脚本:アンドリュー・J・フェナディ 撮影:グレン・マクファーソン 音楽:チャールズ・バーンスタイン

出演:チャールズ・ブロンソン、クリストファー・リーヴ、キャサリン・メアリー・スチュワート、マーク・シンガー、レン・キャリオー、クライヴ・レヴィル、ゲイリー・チョーク

 クリストファー・リーヴは文士。パーティーの帰りに船に乗っていると父娘のスリに遭う。とそこへ唐突に他の船が衝突してきて、船は沈没。クリストファー・リーヴとスリ娘のキャサリン・メアリー・スチュワートはアザラシ猟の船に救助される。
 その船の船長はチャールズ・ブロンソンで、これがすっかりイカれていた。乗組員たちに当たり散らしてこき使い、時折激しい頭痛と視界がかすれている様子。
 乗組員の命など何とも思わず、死んだら死んだでゴミのように布で包んで海に放り込む。
 クリストファー・リーヴは厨房で皿洗いとイモの皮むきでこき使われるが、ふと入った船長の部屋で数々の蔵書や机の上に広げられたミルトンの『失楽園』を目にする。
 船長は無学な乱暴者ではなく、深い教養を兼ね備えた人だったのだ。

 実質的主人公はクリストファー・リーヴ。その彼を振り回すのが船長のブロンソン。
 ブロンソンはアザラシ猟をする気など毛頭なくて、他のアザラシ猟をする船を襲って毛皮を奪うつもり。そのために大砲を積んでいる。
 船長の目的は兄のデスが船長を務める船。この兄弟は子供の頃から仲が悪く、互いに老人になった今でも何かに付け争っている。船長の頭痛と視界のかすれは小さい頃にデスに殴られたからなのだ。このままでは失明してしまう船長はこれが最後の機会とデスの船をつけ狙っている。
『デス・ウィッシュ』シリーズなどのブロンソンもイカれているとは思うが、このイカれ方とは種類が違う。この船長ははっきりいって狂人である。
 船員もほとんど海賊船の乗組員のような連中ばかりで、船長の恐怖と抑圧の元で支配された船の上で都会人で教養もあるクリストファー・リーヴにはとまどうことばかり。そして次第に理性が船長の凶暴性に浸食されていくのを感じ、船からの脱出を試みる。
 ラストではさすがの乗組員たちも船長に愛想を尽かしたのか、船長を裏切ってデス側についてしまう。これまでの乗組員たちに対する船長の対応を考えると無理もないのかも知れない。もっともその兄だからデスだってどんな人間か分かったものではない。
 ここで大砲による撃ち合いがあるのだが、テレビ用映画で予算が少ないせいか遠くにいるクリストファー・リーヴとスリ娘が乗ったボートに聞こえる大砲の音だけで処理している。せこいが予算がないんだしこれはこれであり。
『インディアン・ランナー』(1991)で詩的かつ重厚なカムバックをしておきながら、すぐ次回作にこの作品を選ぶセンスがブロンソンである。
 齢71歳にして雨に濡れる甲板の上での立ち回りや、水浸しになっての演技など年齢を感じさせない演技がさすがである。

B0026OBVK6.jpg『バラキ』(1972) COSA NOSTRA/THE VALACHI PAPERS 129分 イタリア/アメリカ

監督:テレンス・ヤング 製作:ディノ・デ・ラウレンティス 原作:ピーター・マーズ 脚本:スティーヴン・ゲラー 撮影:アルド・トンティ メイクアップ:ジャンネット・デ・ロッシ 音楽:リズ・オルトラーニ
出演:チャールズ・ブロンソン、リノ・ヴァンチュラ、ジル・アイアランド、アンジェロ・インファンティ、ジョセフ・ワイズマン、ワルテル・キアーリ

『ゴッドファーザー』(1972)の大ヒットにあやかって早撮りのテレンス・ヤングが作り上げたマフィア映画。
 マフィアとは外部の人間がイタリア系犯罪組織を呼ぶ呼び方で、彼ら自身は自分たちの事を"コーザ・ノストラ"と呼ぶ。

 刑務所に入れられたバラキ(ブロンソン)はコーザ・ノストラの大物ジェノベーゼ(リノ・ヴァンチュラ)に死の接吻をされる。
 このままでは殺されるのを待つのみと知ったバラキはFBI捜査官相手にこれまでの顛末を話はじめるのだった。

 実際に起きたバラキ事件を題材にした映画。ブロンソンがシンボルマークであった口ひげを剃ってまでして演じた。実際のマフィアの名前などが実名で多数出てくる。
『ゴッドファーザー』と比べると重み、完成度などで明らかに劣るが、同時期に発表されたマフィア映画の大半がすでに消え去っている事を考えると、今観ても充分に耐える作品に仕上がっているだけでも充分だろう。

 一人のチンピラが運転手としてコーザ・ノストラに入り、そこでのし上がっていく様子が克明に描かれている。
 そして中途半端に出世しすぎたばかりにFBIに目を付けられ破滅していく様が哀れである。
 若いチンピラ時代もブロンソン本人が演じているが50歳過ぎでは多少無理があったか。代わりに、白髪混じりに刑務所での告発のシーンは重みがある物となっていて、ブロンソンの演技の中でも一二を争うものとなっている。
 『ゴッドファーザー』が上からの目線で撮られていたのに対し、『バラキ』は下からの目線で撮られている。
 ファミリーは一団だ、ファミリーに入れば手を出す者から守ってやる、といっておきながら結局は上の者が下の者を好きなように金を吸い上げて使い捨てて終わりなのだ。
 犯罪組織に義理も人情もない。あるのは金と欲だけだ。

 自分の親友がボスがイタリアに飛ばされている間にボスの女に手を出してしまい、制裁として急所をナイフで切り取られるシーンは男にしか分からない怖ろしさ。
 床屋でひげ剃りをしていた男が撃ち殺されるというギャング映画ではお馴染みのシーンがある。銃撃の後、部屋の隅でビクビク震えている店員がリアルだった。
 ブロンソンは例によって大塚周夫吹替、リノ・ヴァンチュラが森山周一郎という二大ブロンソン吹替俳優が吹替に参加しているのも貴重。

B00005G1V7.jpg『太陽のエトランゼ 灼熱のカボ・ブランコ/狼たちの野望』(1979) CABOBLANCO 91分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:ランス・フール、ポール・A・ジョゼフ 原案:ジェームズ・グランビー・ハンター、ミルトン・ジェルマン 脚本:ミルトン・ジェルマン、モート・ファイン 撮影:アレックス・フィリップス・Jr 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:チャールズ・ブロンソン、ドミニク・サンダ、ジェイソン・ロバーズ、フェルナンド・レイ、サイモン・マッコーキンデール、カミラ・スパーヴ

 またまたJ・リー・トンプソンとチャールズ・ブロンソンのコンビによる作品。
 南米のカボブランコという港町での沈没したナチの船に積まれた2200万ドルの金塊を巡る冒険アクション。

 時期は第二次大戦終結後から数年経った頃、アメリカ人のギフ(ブロンソン)は事情により本国を離れてカボブランコで酒場と宿屋を営んでいた。そこへフランス人女性のマリー(ドミニク・サンダ)という女性が行方不明になった恋人を探しにやってくる。恋人は沈没したブリタニー号の唯一の生き残りで、船にはナチス集めた2200万ドル分の黄金が積まれているのだ。元ナチス高官や警察署長が関わってくる中、ブロンソンの活躍が始まる。

 実を言うと沈没船はそれほど重要ではない。海のシーンは冒頭の潜水シーンぐらいで、それよりもまんまと逃げおおせているナチ高官を捕まえるナチ狩りがテーマである。
 カボブランコではナチス高官は高い地位を持っていて、平気な顔をして豪勢な暮らしをしている。その彼を罠にかけて捕まえる役目を負ってやってきたのがマリーなのだ。
 南国と言うだけあってか色彩の強いゴージャスな絵作りで、ジェリー・ゴールドスミスのスコアと合わせて深みのある画面を作り出している。カメラワークも良くできており、この時期のブロンソン作品としては秀作と言って良いだろう。
 途中で女性を拷問する男にブロンソンが襲いかかるが、空っぽの灯油の一斗缶を持って殴りかかる。お前はドリフか。
 カーアクションも銃撃戦もないのでアクション面でいえば若干物足りない感じは否めないだろう。その代わり、ジュークボックスに爆弾を仕掛けたなどブロンソンのはったりや知能戦など普段あまり観る事の出来ない戦い方を披露してくれる。
 ブリタニー号が沈んだ場所を知っているのは、恋人がその場所を教え込んだオウムだけというのが面白い。暗号の鍵を言うと沈んだ場所の経度緯度を返すのだ。結局、大勢がオウムに振り回された結果であった。
 実はブリタニー号に積まれているのは黄金ではなく、ナチスが教会やユダヤ人からかき集めた財宝の数々だった。ナチス高官が上官に当たるためイヤイヤ従っていた警察署長が、最後にあんたたちは教会やユダヤ人などから迫害して巻き上げたんだとナチス高官を見捨てるところが格好いい。ブロンソンのセリフじゃないが「奴も男だ」

 DVDはリージョンフリーのアメリカ版。輸入物だが日本語字幕がついているので問題なし。
 なぜかトニー・カーティスによる解説付き。仕事ないのかなぁトニー・カーティス。

B001VFIASM.jpg『扉の影に誰かいる』(1970) Quelqu'un derriere la porte 95分 フランス
 
監督:ニコラス・ジェスネール 原作:ジャック・ロベール 脚本:マルク・ベーム、ニコラス・ジェスネール、ジャック・ロベール 撮影:ピエール・ロム 音楽:ジョルジュ・ガルヴァランツ
出演:チャールズ・ブロンソン、アンソニー・パーキンス、ジル・アイアランド、アンリ・ガルサン、アンドレ・ペンヴルン

 ホラー映画のようなタイトルだが、フランス産のサイコサスペンス。
 アンソニー・パーキンスは精神科医。ある晩、病院に担ぎ込まれた記憶喪失の男ブロンソンを自宅に連れて帰る。自宅では妻のジル・アイアランドは休暇で出かけておりパーキンスとブロンソンの二人きりだった。時間をかけてじっくりとパーキンスはブロンソンを自分自身だと思わせる事に成功した。ジル・アイアランドは休暇で兄の元に行くといっていたが、実は愛人と会っていたのだ。パーキンスはブロンソンにジル・アイアランドを自分の妻だと思わせる事によって、愛人に復讐を企んだのである。

 舞台のほとんどがパーキンスの自宅で繰り広げられる心理劇。細かい小道具を用意して、少しずつ少しずつ自分の記憶をブロンソンに植え付けていくパーキンス。
 だがストーリーとしての面白みはかなり低い。パーキンスの目的が早い段階で分かってしまうのもサスペンスとしてマイナスだ。
 気弱で自分が何者かでおどおどと悩むブロンソンはやはりミスキャスト。男臭さが魅力のブロンソンにこの役はないだろう。なぜこのような作品に出演したのか悩む。ジル・アイアランドが文芸風味の作品にも出たがってそれに付き合って仕方なくが答えではないだろうか。
 それにしても今回もブロンソンとジル・アイアランドの共演作。おしどり夫婦である。
 DVDはPAL早回し。そのため公式95分の上映時間が90分となっている。微妙に早回しがかかった感じで、セリフなどが早口だ。STUDIO CANALとしては字幕翻訳がまだまともだったが、観られるだけでもありがたいと思わねばならないか。

 それにしても、パーキンスは愛人を殺した後、ジル・アイアランドとの仲をどうするつもりだったのだろうか。夫婦仲が破綻する事は目に見えていたので復讐だけしか考えられなかったのか。
 だとしたら、なぜ持って回ってブロンソンに殺させたりせずに自分の手で復讐を遂げなかったのか。完全犯罪は成立した物の夫婦仲は壊れてしまったわけで不思議ではある。
 結局、自分で復讐も遂げられないような弱虫だったという事か。

 それぞれの登場人物の心理描写に面白みが欠け、心理サスペンスとして成立していないのが痛い。結局ブロンソンの正体が分からないままというのは面白かったが。時折流れる『遠き山に日は落ちて』の曲が耳に残る。

B0002IJOIY.jpg『正午から3時まで』(1976) FROM NOON TILL THREE 99分 アメリカ

監督:フランク・D・ギルロイ 製作:M・J・フランコヴィッチ、ウィリアム・セルフ 原案:フランク・D・ギルロイ 脚本:フランク・D・ギルロイ 撮影:ルシアン・バラード 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:チャールズ・ブロンソン、ジル・アイアランド、スタン・ヘイズ、ダグラス・V・フォーリー

 いろいろと笑わせてくれるところの多いコミカル西部劇。だが一人の男のアイデンティティの崩壊を描いたかなりの異色作。ブロンソンと言えばタフガイだがそのブロンソンが笑われ役をやっているのも異色。

 バック強盗団の一人グラハム(ブロンソン)は銀行強盗に失敗して全滅する悪夢を観た。
 翌日、銀行のある町を目指している途中に馬が足を折ってしまう。人里離れたところに建っていた豪邸で馬を買おうとするが、自分の夢を信じたグラハムはここには馬はいないから今回の仕事はお前達だけでやってくれと仲間を送り出す。
 豪邸の女主人アマンダ(ジル・アイアランド)は未亡人で、最初はグラハムの事を警戒していたが会話を続ける内に二人は恋に落ちてしまう。そしてベッドで愛し合い、池で泳ぐなど互いの身分の差など忘れていちゃつく二人。
 そこへ強盗団が捕まり絞首刑になるとのニュースが飛び込んでくる。仲間を助けに行ったグラハムは食事時の礼服のままだったので途中でインチキ移動歯科医の衣服と馬車を奪い、気絶したインチキ移動歯科医に礼服を着せて立ち去る。強盗団の仲間を追ってきた町の人々はインチキ移動歯科医をその仲間だと思って射殺してしまう。その死体を見せられたアマンダ(馬に積まれた死体の背中だけで顔は見ていない。服装だけでグラハム判断した)はショックで気を失ってしまう。
 悪党と恋に落ちたということで町の人たちに迫害されたアマンダは「愛のどこがいけないのか」と叫ぶ。彼女の愛に町の人たちは感銘し、出版社がこのエピソードを本にしたいと申し出る。こうして出版された『正午から3時まで』は全世界的なベストセラーとなってパリでもイタリアでもアジアの僧侶の間でも読まれるようになる。
 偽の伝説がはびこってしまい、銀行強盗の舞台となった町はもはや一大テーマパークと化している。舞台では二人の演劇が上映され大ヒット。
 その頃、インチキ移動歯科医のインチキ治療の罪を着せられたグラハムは1年間の懲役刑についていた。
 ようやく出所してくるとアマンダの本を尋ねるが、1年の間に想い出の中で美化され本の通りに理想化された偽のグラハムのイメージに置き換えてしまったアマンダに、しょぼくれたグラハムは本物だと信じてもらえなかった。「体験記」が"真実"の記憶になってしまったのである。

 前半はブロンソンとジル・アイアランドとのいちゃつくシーンが満載で、ここまでくればいっそあっぱれである。
 言うまでもないだろうがブロンソンとジル・アイアランドは実の夫婦で、数多くの作品でヒーローとヒロイン役を演じているが、ここまでいちゃついているのはさすがにない。
 後にジルは乳ガンを患い闘病の末に1990年に死亡。闘病記として書いた手記のタイトルがブロンソンの人気シリーズ『DEATH WISH』をもじった『LIFE WISH』というのは洒落ていた。
 あくまでもグラハムを本物だと認めようとしないアマンダにアレを見せて納得させるところには笑った。顔や背格好は忘れていてもアレは覚えてるんだ。
 グラハムだと認めたアマンダだが、私たちはすでに伝説。それを壊す事は出来ないと、グラハムとのボストン行きを拒み、ついには伝説を守るために自殺してしまう。伝説のヒロインに祭り上げられた今となっては現実を生きるのが嫌だったのだろう。このあたりからあまり観た事のない展開が始まる。
 その後、各地を放浪するブロンソンだが、酒場などで自分がグラハムだと主張しては笑われて気違い扱いされてしまう始末。
 190センチの長身に超美男子。墓には「命よりも友情に生きた男」として虚構のグラハムが現実のグラハムの地位を乗っ取ってしまったのだ。
 過去の知り合いもいい加減なもので、「グラハムはお前のような男じゃないよ」とすげもない。友情など伝説の前ではいい加減なものだ。
 自分が虚構の英雄グラハムの友人だった事を誇るほどである。グラハムがあったこともない男が「グレハムと仕事を一緒にした」と言い張る始末。
 そしてついにアイデンティティが崩壊したグラハムは精神病院に入れられる。そこでは「ようこそグラハムさん」と患者たちが優しく迎えてくれる。やっと居場所を見出したグラハムが微笑んだストップモーションで映画は終わる。そしてジル・アイアランドの歌う歌に乗ってグラハムとアマンダが踊るエンディング。
 現代でも芸能人などが過剰にもてはやされ、もはや本人以上の存在になっている事があるが、そんなことを揶揄したかのような寓話的物語。

B0002IJOIO.jpg『ホワイト・バッファロー』(1977) THE WHITE BUFFALO 97分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー 製作総指揮:ディノ・デ・ラウレンティス 原作:リチャード・セイル 脚本:リチャード・セイル 撮影:ポール・ローマン 特殊効果:カルロ・ランバルディ 音楽:ジョン・バリー
出演:チャールズ・ブロンソン、ジャック・ウォーデン、キム・ノヴァク、スリム・ピケンズ、カーラ・ウィリアムズ、ジョン・キャラダイン、ウィル・サンプソン、スチュアート・ホイットマン、クリント・ウォーカー、エド・ローター

 ワイルド・ビル・ヒコック、インディアンのスー族の戦士クレイジー・ホース、名前だけだがリトルビッグホーンの戦いのカスター将軍など実在の人物が登場する異色のモンスター西部劇。

 インディアン討伐や保安官、バッファローハンターとして活躍してきた実在の西部のガンマン、ビル・ヒコック(ブロンソン)。バッファローハンター時代にはI・Oデータの回し者かと言われるぐらいに"BUFFALO"を殺しまくったそうである。ビル・ヒコックが殺したわけではないが汽車から見えるバッファローの骨の山には驚かされる。一時は絶滅の危機にさらされたはずである。
 そのビル・ヒコックは悪夢に悩まされていた。それは雪山でホワイトバッファローに襲われるという夢だった。
 そこで北部に旅立ったビル・ヒコックはブラックヒルズにたどり着く。そこはゴールドラッシュに湧いていて、白人が多数集まっていた。そのため先住民のスー族との争いが絶えず、後に軍との衝突が起こりリトルビックホーンの戦いへと繋がる事になるがそれはまだ先の話。
 昔の相棒のジイさんと巡り会った二人は雪山へと馬を進めた。途中でインディアン同士の争いを目にする。片方は15人、もう片方は一人だけだった。「15対1じゃ勝ち目はないな」というジイさんに「15対1じゃねぇ。15対3だ」と返すビル・ヒコックのセリフがしびれる。
 ビル・ヒコックに恨みを持つ男に襲われるが、そこを助けてくれたのが先ほど助けたインディアンのクレイジー・ホース(ウィル・サンプソン)だった。クレイジー・ホースはホワイトバッファローに殺された娘をその毛皮で包むためホワイトバッファローを狙っていた。親交を深め合うビル・ヒコックとクレイジー・ホースだが、そこへホワイトバッファローが襲いかかってきた。
 その場では逃げられる物の、光景はビル・ヒコックが夢で観たものそのものとなっていた。対決の時は刻一刻と迫っていた。

 製作する物がなぜかどれも大味になる製作総指揮のディノ・デ・ラウレンティスだけあってこれまた大味な作品ではある。
 なんといってもホワイトバファローのその造形。J・リー・トンプソン自身はホワイトバッファローの姿をほとんど見せずに影や足音、鳴き声などを中心に表現しようとしていたそうだが、『キングコング』(1976)のディノ・デ・ラウレンティスが「客は怪物ホワイトバッファローを観にくるんじゃい」とクレームをつけたらしく、SFXテクニシャンのカルロ・ランバルディのラージスケール・メカニカルによる張りぼてのホワイトバッファローが全編を通して登場する事になった。
 実物大のホワイトバッファローが雪原を疾走するダイナミックなシーンもあるのだが、これは下にレールが轢いてあってホワイトバッファローの身体を内部に組み込んだメカニズムで上下させる物。よって足が地面についていないのだ。そこら辺はさすがJ・リー・トンプソンだけあって細かいカット割りや蹴散らされる雪などでごまかしてはいるが限界がある。
 だが、1977年という時代を考えるとこの程度の出来でも仕方ないとは思う。哺乳類しかも巨大なホワイトバッファローはどうしても作り物じみてしまうだろう。カルロ・ランバルディは好きな人ではないが、与えられた条件の中で出来うる限りの仕事をしている。
 今ならばCGによる表現も取り入れられるだろうが、実際のホワイトバッファローは使えずにラージスケール・メカニカル一本でやるにはこれで限界だったのだろう。カルロ・ランバルディじゃなきゃもっと良い物が......いや言うまい。

 物語はシンプルだが、その割りにビル・ヒコックと軍隊の戦いや古い馴染みの女との再会、酒場での対決など余分なシーンが含まれている。それがストーリーには直接関わってこず単なるエピソードで終わっているのはもったいないところ。
 馴染みの女で今では未亡人となって宿屋を経営しているキム・ノヴァクとの再会のシーンなど盛り上げようはいくらでもありそうだが、ただ過ぎ去っていくだけ。キム・ノヴァクがもったいない。
 エド・ローターは軍の指揮官なのだが、その軍(といっても4,5人)とビル・ヒコックの対決が一瞬で終わってしまうので出番は数分しかない。これまたもったいない。
 葬儀屋役のジョン・キャラダインも出番は数分だけ。もったいない。

 見所はビル・ヒコックとワイルド・ホースの友情。最後には二人で協力してホワイトバッファローをやっつける。ビル・ヒコックにはスー族の人間を殺した過去があるので、もう会わないことを誓いながらも兄弟のちぎりを交わす。雪山での白人とインディアンの人種の差を超えたちぎりだ。男である。

 前回も書いたが、ブロンソンのDVDは旧作なのに吹替収録版が多い。大半は大塚周夫だが、これは珍しく森山周一郎吹替版である。資料として貴重であろう。渋い声が大塚周夫とは違う形でブロンソンによく似合う。

B0002IJOJ8.jpg『チャトズ・ランド』(1972) CHATO'S LAND 100分 イギリス/スペイン

監督:マイケル・ウィナー 脚本:ジェラルド・ウィルソン 撮影:ロバート・ペインター 音楽:ジェリー・フィールディング
出演:チャールズ・ブロンソン、ジャック・パランス、ジェームズ・ホイットモア、リチャード・ジョーダン、リチャード・ベースハート、サイモン・オークランド、ラルフ・ウェイト、ヴァーナ・ハーヴェイ、ジル・アイアランド

 またもやブロンソンとマイケル・ウィナー物。
 南北戦争終結後そう長くは経っていない異色西部劇。製作国がイギリス/スペインというのが珍しい。
 アパッチインディアンとのハーフであるチャト(ブロンソン)が酒場でのもめ事で保安官を射殺してしまう。
 元南軍の将校クインシー(ジャック・パランス)と町の有力者ジュバル(サイモン・オークランド)を中心とした追跡隊が組織され、チャトを追い始める。最初は簡単な任務だと思っていたが、チャトの姿は見つからずそれどころか寝ている間に革の水筒を切り刻まれる始末。
 このチャトの警告に従って素直に帰っておけばよかったのだが、執念でチャトの家を見つけ出した追跡隊はその中の一部の者がチャトの妻を陵辱してしまう。チャトの襲撃で妻は奪還され、チャトは再び荒野に姿を消す。
 そして再び現れた時、彼はすでに逃げるのを止め追跡隊を狩り始めたのだった。なんといってもそこはチャトのホームグラウンド"チャトズ・ランド"なのだ。

 ブロンソンがインディアン役というのはなんかそのままなキャスティングな気もするが、実際には口ヒゲ俳優仲間のバート・レイノルズとは違ってネイティブ・アメリカンの血は引いていない。だというのに、いくら混血のインディアンとはいえノーメイクで演じていてまったく違和感がないのがブロンソンのブロンソンたるところであろう。
 それまでは白いズボンと白いシャツにカウボーイハットという白人の格好をしているが、復讐を誓った途端にインディアンふんどしと足に巻いた毛皮だけのインディアンスタイルになる。当然上半身はむき出しなのだが、50歳過ぎだというのに筋肉が張り詰めている。それもボディビルなどで作られた人工的な筋肉ではなく生身を感じさせる筋肉だ。ブロンソンは俳優になる前は炭坑夫やボクサーなど肉体労働の職を数多くこなしてきたと言うからそこで身につけた筋肉だろう。
 ちなみに第二次大戦時には爆撃機乗りでB-29に乗って東京を爆撃した経験があるらしい。日本人としてはちょっと複雑な感じだが、戦争時の事だ。言ってもしょうがない。

 物語は追跡隊の視点で進む。そのため、チャトはちょろっと出てきてはまた姿を消しブロンソンの出番はそれほど多くない。それよりも心理描写では二枚看板のジャック・パランスの比重が大きい。クインシーが追跡隊に加わった時には衣装箱にしまってあった北軍の制服を着て参加する。彼にとってこの追跡劇は南北戦争の再現なのだ。
 そして一人また一人とチャトに殺されていきひたすらに荒野をさまよう。水もなくなってくる。そこでもう捕まえるのは諦めて町へ引き返そうという派閥とあくまでも追跡して縛り首にしてやるという二つの派閥に分かれる。前者はチャトの不気味さに弱気になったのと牧場を後にしてきたため、後者はチャトの妻を陵辱した末の弟をチャトに惨殺されたためである。どちらも自分の都合で極限状態での人間の醜さが表現されている。引き返そう側に寄った演出はされているが露骨ではなく、どちらにもある程度平等ではある。
 この派閥間での精神的駆け引きと仲間割れ。双方共に追い詰められていく様に見応えがある。
 ついにはチャトに肩を撃ち抜かれたため医者に診せようと逃げ出した二人を射殺し、それを止めようとしたクインシーまで撃ち殺す。ラストはチャトとクインシーの戦いになるのかと思っていたのでこれは意外だった。南北戦争の想い出を語りながら無駄死にしていくクインシーの哀れな事。そして白人側になんの希望もないまま映画は終わる。
 時代的にはニューシネマやベトナム戦争などによって西部劇におけるインディアンの地位が見直されていた頃。騎兵隊がインディアンを大虐殺する『ソルジャー・ブルー』が1970年に製作されるなどしていたころだ。
 だからだろう、白人専用の酒場に入り込んだチャトを追い出そうとした保安官を撃ち殺したのに、そのチャトをヒーロー像として描いているのは。またハリウッド映画ではなくイギリス/スペイン映画というのもあっただろう。

 DVDはテレビ放送時の物と思われる吹替が収録されている。ブロンソンと言えば大塚周夫か森山周一郎と相場が決まっているが、この作品では珍しく蟹江栄司という声優が担当している。ちょっと声のイメージが若くて前述の二人と比べるとイマイチだ。
 ジャック・パランスの吹替は黄門様こと西村晃。だが吹替なので当然あのお姿は見えず声だけなので黄門様よりも『ルパン三世 ルパンVS複製人間』のマモーを思い出させてならない。
 ブロンソン物は旧作なのにも関わらず吹替収録率が異様に高い。それだけテレビで観た人にブロンソン=大塚周夫のイメージが定着しているのかも知れない。

B001BAODVK.jpg『軍用列車』(1975) BREAKHEART PASS 94分 アメリカ

監督:トム・グライス 製作:ジェリー・ガーシュウィン 製作総指揮:エリオット・カストナー 原作:アリステア・マクリーン 脚本:アリステア・マクリーン 撮影:ルシアン・バラード 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:チャールズ・ブロンソン、ベン・ジョンソン、リチャード・クレンナ、チャールズ・ダーニング、ジル・アイアランド、ロイ・ジェンソン、ケネシー・ティッブ、サリー・カークランド、エド・ローター、ビル・マッキーニー、デヴィッド・ハドルストン、スコット・ニューマン、ジョー・カップ、ロバート・ロスウェル

 チャールズ・ブロンソンにベン・ジョンソン、リチャード・クレンナにチャールズ・ダーニングそしてエド・ローターと豪華キャストによる列車ミステリーである。豪華と言っても観る人をかなり選ぶ豪華さだが、オレにとって豪華なのは間違いがない。ジル・アイアランドが出ているのはまぁいつものことということで。
 原作は『ナバロンの要塞』などなど数多くの傑作冒険小説で知られるアリステア・マクリーン。この作品では脚本も担当している。アリステア・マクリーンだけあって列車ミステリーと言っても『オリエント急行殺人事件』の様な"静"のミステリーではなく、疾走する蒸気機関車の屋根の上での格闘があるなどアクションシーンもある"動"のミステリーだ。

 時はまだ西部劇の時代。一台の軍用列車が峠のフンボルト砦を目指していた。砦でジフテリアが発生し、多くの兵士が病に倒れてしまい死者まで出ているというのだ。そこに乗り込んだのがポーカーのイカサマで見つかった殺人犯のディーキン(チャールズ・ブロンソン)と保安官のピアーズ(ベン・ジョンソン)だ。指揮官の少佐(エド・ローター)と知事のフェアチャイルド(リチャード・クレンナ)なども乗り合わせている。
 砦を目指す軍用列車だが、まずは医師が殺害される事件が発生した。最初は脳卒中だとみんなが思ったが殺人だと見破ったのは意外にもディーキンだった。次いで、機関士助手の転落事故など不可解な事件が次々に起こっていく。
 いったいこの列車に何が起こっているのか。ジフテリアの発生している砦に着くのは間に合うのか。そんな中、意外な真実が明らかになる。

 ジャンルとしてはアクションミステリー西部劇という贅沢な分野。
 前回紹介した『マグナム・コップ/キング・オブ・コップ』はミステリーでありながら話の展開が破綻していてとてもミステリーと呼べるものではなかったが、こちらはさすがマクリーンだけあって94分という短めの上映時間の中でミステリーとしての起承転結をきっちりつけている。最初は小さな謎から始まり、それが次第に大きくなってきて意外な犯人の正体が明らかになる。護送される犯人として列車に乗り込んだブロンソンがいつの間にか自由に車内をうろつき、なぜか知事や少佐と一緒に食事をしているなどちょっと強引な展開もあるが小説版ではかなりきっちり書き込まれている。
 ミステリーという作品がらあまり詳細な事は書けないが、アクションシーンの見せ場は二つ。
 まずは先ほども書いた疾走する列車の屋根の上での格闘。ブロンソンの相手をするのはナイフを片手に持った殺人コックだ。どうも列車+コックというと『暴走特急』のケイシー・ライバック(スティーヴン・セガール)を思い出してしまって、さすがのブロンソンでも分が悪そうだが、このコックは単なるオッサンなので苦戦はする物のしょせんブロンソンの敵ではない。
 二つ目は白人の悪党と手を組んだインディアンによる列車襲撃シーン。やはりインディアンが襲ってくると血が騒ぎますな。インディアンは悪役として書かれているが、反撃する主人公側がほとんど残っていないのでインディアンに死者は出ない。歴史上アメリカ先住民は抑圧され、映画でも悪役を押しつけられてきたと主張する人はせめてそれで勘弁してくれ。

 雪の中をダイナマイトを片手に馬にまたがるブロンソンは実に格好いい。
 この1975年は他に傑作『ストリートファイター(ヴァン=ダムのじゃないよ)』、『ブレイクアウト』と3本も主演をこなしている。ブロンソンにとって充実した年だったのだ。それにしても、3本ともヒロインがジル・アイアランド。まぁいいんすけど。
 音楽のジェリー・ゴールドスミスも良い仕事をしていて、マカロニ・ウエスタンのようなちょっと安っぽいテーマ曲が印象に残る。
 監督は『ブレイクアウト』と同じトム・グライス。この人自身はどうということのない凡庸な二流監督だ。なので映画ももったいないことに凡庸。アクションシーンはまだしもミステリー部分が特に弱い。これが他の人が監督していたらと思うともったいないが、今さら言ってもしょうがない事か。
 それでもラストのブロンソンとベン・ジョンソンの一対一の対決は燃える。

B00005L870.jpg『マグナム・コップ/キング・オブ・コップ』(1998) A FAMILY OF COPS III 92分 アメリカ/カナダ

監督:シェルドン・ラリー 製作:ニコラス・J・グレイ 製作総指揮:ダグラス・S・クレイマー、ロバート・ラントス 脚本:ノア・ジュベリラー 撮影:アルバート・J・ダンク 音楽:フレッド・モーリン
出演:チャールズ・ブロンソン、セバスチャン・スペンス、バーバラ・ウィリアムズ、ジョー・ペニー、キム・ウィークス、アート・ヒンドル

『A FAMILY OF COPS III』という原題だけあって『A FAMILY OF COPS』というテレビ用映画の第三弾。日本ではこの三作目だけがビデオ・DVDのみで発売された。
 ファミリーというだけあってブロンソンを父長として子供たち全員が警官か警官訓練生という警官一家のお話。シリーズを見てきた人にはお馴染みなのか登場人物の紹介が一切なしで始まるので人間関係を把握するのにちょっと苦労した。
 ビデオでは『キング・オブ・コップ』、DVDでは『マグナム・コップ』という勇ましいタイトルがついているが、アクションシーンはほとんどなく大富豪の殺人事件を解決するまでの推理刑事物である。キングでもマグナムでもない。正確に邦題を付けるとしたら『警察一家は見た。大富豪夫妻殺害に隠された謎。会員制高級クラブで繰り広げられる陰謀とは』だろうか。
 この作品後、ブロンソンはアルツハイマー病になってしまい2003年8月30日に肺炎で亡くなった。よってこの作品がブロンソンの遺作である。劇場用映画でなかったのが残念だ。1と2もどうせなら日本でもソフト化して欲しいがもう無理だろうなぁ。

 大富豪の夫妻が殺害される。最初はその長男が犯人だと考えられて捜査が進められたが長男も殺されてしまう。残ったのは長男と腹違いの妹のみ。この事件、大富豪の財産が目的なのか、彼の権力が目的なのか、それとも単に個人的恨みなのか。警察の捜査が始まる。

 ブロンソンが銃を振り回していたらいつの間にか事件が解決していたキャノン・フィルム作品と違い、話の進行は極めて地味。
 犯罪話半分、ブロンソン一家の話半分ぐらいの割合で映画は進む。中でも、次男が犯罪現場の突入時にドアを蹴破ることが出来ず、警官に死者が出たため自分には警官の資質がないのではないかと悩むエピソードの割合が大きい。普通はこういった場合、最後に意外な活躍をして自信を取り戻すものだが、何もないまま自信だけ取り戻してついでに大富豪の唯一の遺産相続人となった娘を彼女にしてしまう。調子よすぎだろ。
 そして何女かはよくわからないのだが多分長女か次女のシングル・マザー騒ぎ。妊娠したはいいものの恋人が結婚に乗り気ではない。しかし、彼女は一人ででも産んで育てるんだと頑張るつもりだ。うーむ、次男のエピソードはまだしもこれは刑事ドラマでやるものではない気がちょっとする。
 長男は結婚して10歳ぐらいの娘が二人いて、遊びに行ったブロンソンが孫と遊ぶシーンは微笑ましい。当時のブロンソンはすでに77歳。子供はいるから私生活でもお爺ちゃんだったに違いない。もう、孫ももっと年上かな。

 一つショックだったのがブロンソンがオートマチックを使っている事。『スーパー・マグナム』でオート・マグナムを使っているからオートマチックを使うのは初めてではないが、ブロンソンの刑事物と言えばやはりリボルバーのイメージ。時代はやはり変わるのだ。ちなみに警察署長といる時に銃撃されて使うのがグロック、ラストシーンで使っているのがベレッタM92Fだ。
 でも実際、ブロンソンというと大型リボルバーをドッカンドッカンと撃つイメージがあるが、意外とそうじゃなくて中型拳銃を使う事が圧倒的に多い。

 ストーリーは二転三転してブロンソンの汚職疑惑まで持ち上がるがラストには意外な犯人が浮かび上がる。意外というか無理矢理過ぎというか、これまでの伏線は全部無意味だったって事でミステリー小説のオチだったら一つ星だ。犯人は犯行が成功したとして自分が疑われるとは思ってなかったんだろうか。まあテレビだし見た事はないが火曜サスペンス劇場みたいなもんだと思っておけばいいのか。

 ブロンソン一家はどうやらユダヤ人らしい。
 朝食にはベーグル食ってるし、エンディングではの祭りというユダヤの儀式をやっている。なんでも感謝祭のようなものらしい。
 だが、ブロンソンの顔はどう見たってユダヤ人には見えないと思うのはオレだけだろうか。たしか元はリトアニア系だよな。リトアニア顔っていうよりはブロンソン顔だけど。

 劇中で気になった点が一つ。
 日本語吹き替えが収録されていたので大塚周夫ブロンソンの吹替に日本語字幕で見たのだが、ブロンソンの呼ばれ方が吹替だと"警視"、字幕だと"警部"になっている。警視と警部じゃえらい違いだ。ブロンソンが時期警察署長という話も出てくるので"警部"がいきなり署長はないだろうからこれは"警視"が正しいのだろう。それにしても現場にほいほい出かけていく腰の軽い警視さんだ。

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