2009年7月アーカイブ

B000XJ5UY4.jpg『殺人鬼』(1983) 10 TO MIDNIGHT 97分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー、ランス・フール 脚本:ウィリアム・ロバーツ 撮影:アダム・グリーンバーグ 音楽:ロバート・O・ラグランド
出演:チャールズ・ブロンソン、リサ・アイルバッハー、ジーン・デイヴィス、ウィルフォード・ブリムリー、アンドリュー・スティーヴンス、ジェフリー・ルイス

 この時期にしてはキャノン・フィルム作品ではないので、アクション重視ではなく、サイコな殺人鬼を相手に廻したサイコ・サスペンスとなっている。

 ロサンゼルスでは連続殺人鬼が人々の命を奪っていた。この殺人鬼は青年で、殺害時には服を全部脱いで全裸になって犯行を行う。衣服に証拠がつかないようにというのが表向きの理由だが、きっと全裸になる事で興奮するために違いない。まったく変態なんだから。
 殺された女性が付けていた日記から知り合いの青年が浮かび上がり、捜査は進むがなかなか尻尾を出さない。
 こうしている間にもまた犯行を犯して人が殺されるかもしれないと怖れたロサンゼルス市警の刑事ブロンソンは鑑識から被害者の血を盗む出して青年の衣服にこっそりと塗りつけた。これで裁判で有罪に持ち込めるはずだったが、証言をする事になっていたブロンソンの相棒の若い刑事が証拠の捏造に気付いてしまい、警官としての正義感から証言を拒否する。
 こうして起訴は取り下げられ、青年はまた自由の身に。
 だが、これで黙っているブロンソンではない。今度は逆に青年の回りをつきまとい始め、職場の掲示板に殺害現場の写真を貼るなどの嫌がらせをする。
 ついに耐えきれなくなった青年はブロンソンの娘である看護師の寮を襲った。もちろん、全裸になって。

 映画の序盤でブロンソンが相棒とパトロールをしている時に潰れた薬局を見つけて、「あの店の店主がモルヒネ中毒になって言い争いの挙げ句女房を殺したが、半年で退院して一週間後には監察官を射殺したよ」とのセリフがある。
 人を殺しても精神錯乱や精神異常などで罪に問われないというこの作品のテーマの一つがここで語られている。
 時間としては短いが法廷劇のシーンがあるのもブロンソン映画としては珍しいだろう。
 ラストではルームメイト3人が殺されたブロンソンの娘が夜道を全裸の殺人鬼に走って追いかけられる。殺人鬼に追いかけられるというシチュエーションだけで充分怖いのに、しかもそいつが全裸。異常振りにさらに拍車がかかっている。全裸と言っても美女じゃないのだ、男なのだ。
 ようやく追いついたブロンソンと警官隊の前に、殺人鬼は手に持ったナイフを捨てる。
「おれは病気なんだよ。捕まってもどうせすぐに出られる。それが法律ってもんだ」
 と勝ち誇る殺人鬼に対してブロンソンは、
「そうはならんよ」
 と頭を一撃で撃ち抜く。

 犯人の正体が最初から分かっている『刑事コロンボ』スタイルで物語は進む。ブロンソンと殺人鬼の心理戦は他の作品ではあまり観られないもので、脚本のウィリアム・ロバーツの功績と言っていいだろう。犯人役のぬめっとした青年も殺人鬼役にリアリティを持たせている。部屋には自分の空手の写真を貼っていて自己愛の強さを強調している。どうでもいいが、一緒に貼ってあった「忍者」のポスターはあれはなんなんだ。
 法では裁けぬ悪人をついには超法規的手段で始末するのは現実では問題があるが、映画ではすきっとする。しかし、あの後のブロンソンはどうなったのだろうか。やはり逮捕されたんだろう。そもそもあの時点でのブロンソンがまだ刑事かは不明。証拠捏造で首になったか、休職中かのどちらかだろう。青年をつけ回す暇もあったようだし。刑事が射殺したのならばなんとか取り繕えそうだが、そうでなければ殺人罪か。
 アクションシーンは少ないが、それが功を奏してサイコサスペンスとしてしっかりした物に作り上げられている。終盤の盛り上がりはなかなかのものだ。ただし、ブロンソンの娘をかばって殺されてしまう3人のルームメイトが哀れでならない。一室内で行われるこの殺戮シーンは迫力と異常さあり。
 なのにどういうわけかこの作品は日本未公開。アクションシーンが少なかったのがいけなかったのだろうか。まだサイコサスペンスが定着する前の作品という事もあったろう。もったいないことである。

B000KGGC38.jpg『必殺マグナム』(1986) MURPHY'S LAW 102分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー 製作総指揮:ヨーラン・グローバス、メナハム・ゴーラン 脚本:ゲイル・モーガン・ヒックマン 撮影:アレックス・フィリップス・Jr 音楽:マーク・ドナヒュー、ヴァレンタン・マッカラム
出演:チャールズ・ブロンソン、キャスリーン・ウィルホイト、キャリー・スノッドグレス、エンジェル・トンプキンス、ロバート・F・ライオンズ、リチャード・ロマナス、ビル・ヘンダーソン、ジェームズ・ルイジ、ローレンス・ティアニー、ジャネット・マクラクラン、フランク・アネス、ジャネット・ロトブラット

 キャノン・フィルム作品になってからのブロンソン映画は正直ちょっと......なのが増えてくる。しかも『必殺マグナム』をいうやる気のないやっつけ仕事で付けたような邦題。これに期待しろって方が難しい。
 ところが意外と面白いんだな、これが。

 主人公の刑事マーフィーは妻からは離婚を申し立てられ落ち込んで酒に溺れる毎日。それもそのはず、妻はストリップバーでトップダンサーを務めるような若い美女だったのだ。この時、リアルなブロンソンの年齢は65歳。さすがに無理があるような気もするが、そんなうらやましい結婚生活が破綻したのでは酒浸りになるのも無理がないのかも知れない。
 そして今日も今日とて酒屋で食料品とウイスキーのボトルを買い込むマーフィー。その隙を突いて、女自動車泥棒アラベラが金属製の物差しを使ってマーフィーの車のドアを開けエンジンをかけて盗んでいる最中だった。しかし、映画でよく物差しで車のドアロックを解除しているシーンが出てくるが、あれって本当に開くのかね。仮に昔は開いたとしても、とっくに改善されていると思うんだが。
 そして走り出そうとする車に、「それは俺の車だ」とマーフィーは買い物袋を投げつける。しかし、ウイスキーだけはちゃっかり抜いてから投げつけているところに深いアル中の根を感じさせる。
 そして一度はアラベラを逮捕するが股間を蹴られて取り逃がしてしまう。情けない......だが猛烈に痛いんだよ、あれ。
 女性の殺人遺体が発見され、容疑者は買春の元締めで麻薬組織のボスの弟だと目星がつく。容疑者を逮捕に向かうが反抗に遭い、マーフィーはやもなく射殺する。このことで麻薬組織のボスから命を狙われる事になる。
 その頃、離婚が成立したマーフィーの妻とその愛人が何者かによって射殺され、容疑者の疑いをかけられたマーフィーは逮捕されてしまう。誰も自分の無実を信じてくれなくて、このままでは刑務所送りは間違いない。そこで取調室で隣に座った容疑者と手錠をかけられた隙をついて警官から銃を奪い脱出に成功。で、自分と手錠で繋がった容疑者を見たら自動車泥棒のアラベラだった。戦争時代に飛ばした事があると屋上の警察ヘリで飛び立ったマーフィーとアラベラだが、操縦するのは20年ぶりとのこと。ベトナム戦争以来か。
 しばらく飛んだ時点で、ヘリは燃料切れを起こし、納屋の屋根に着陸。ところが納屋が崩れ落ちる。それもそうだ、普通の納屋はヘリを乗せるように出来てはいない。
 そこへ3人の男がショットガンやアサルトライフルを持って物々しく登場。「お前ら、何者だ」と必要以上に威圧感を与える。納屋を壊されたにしては怒り方も武器も尋常ではない。それもそのはず、この納屋は大麻を栽培していた大麻農場だったのだ。日本でも大学生などの若者が自宅の押し入れで赤外線ランプを使って大麻を栽培して捕まったりするがそれの大規模な奴と考えればいい。
 だが、そこはアルコールも抜けてきたマーフィーがうまく連中をやっつけて車を奪って旧友の家を訪ねる事にする。
 旧友は元刑事で16歳の少年に後ろから撃たれたため両足が不自由で左右に松葉杖をついている。棚にウイスキーがあるのを見つけたマーフィーは早速飲み始め、アラベラに彼のために焼いた黒こげのオムレツを投げつけられて怒られる。
 二人が立ち去った後、何者かが旧友も射殺する。この殺しもマーフィーのせいにされてしまうのだが、犯人はマーフィーと旧友が組んでいた頃に逮捕して最近出所してきた人間に違いないとマーフィーは当たりを付ける。友人の刑事に頼んで警察のコンピューターで調べてもらったところ、その人物とは措置入院になっていたサイコ女だった。このサイコ女は当時の事件関係者を片っ端から殺していく。最後の目標はもちろんマーフィーだ。
 一方からはサイコ女から狙われ、もう一方からは麻薬組織から狙われる。もちろん警察だって追ってくる。マーフィーとアラベラは生き残る事が出来るのだろうか。

 最初は女房に逃げられて女々しく酒に逃げていた情けないブロンソンが、サイコ女のクモの糸に絡め取られてしまったところからもがきながら這い上がるのが頼もしい。
 マーフィーとアラベラのコンビも絶妙で、ケンカが絶えないのだがそのケンカが楽しく、ケンカをする度に親しくなっていくのが感じられる。重苦しい雰囲気で始まったが、作品が進むにつれ軽めのギャグも登場するようになりバランスの取れた映画となっている。
 終盤は無人のビルの中での三者乱れての戦いとなるが、マーフィーと組織側が銃を使っているのに対して、サイコ女は音を立てないボウガンを使っている。ここで音もせずに矢を発射し肉を貫くボウガンを選ばせる事で彼女の異常性をより際立たせている。
 それにしても『必殺マグナム』というタイトルはどこから来たんだろ。DVDのパッケージにあるような大型拳銃をマーフィーが持つシーンは存在しない。単なる勢いだな。

B001FYZO5G.jpg『地獄で眠れ』(1984) THE EVIL THAT MEN DO 90分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー 製作総指揮:ランス・フール 原作:R・ランス・ヒル 脚本:デヴィッド・リー・ヘンリー、ジョン・クロウザー 撮影:ヤヴィア・ルウァルガバ・クルーズ 音楽:ケン・ソーン
出演:チャールズ・ブロンソン、テレサ・サルダナ、ジョセフ・メイハー、ホセ・ファーラー、ルネ・エンリケス、ジョン・グローヴァー、レイモン・サン・ジャック、アントワネット・バウアー、ジョー・セネカ、ホルヘ・リューク、ミゲル・ファーラー

 チャールズ・ブロンソンとJ・リー・トンプソンの組み合わせはかなりあるが、今作もその一本。
 南米の独裁国家でモーロック博士が残忍な拷問を繰り返しては多くの犠牲者を出していた。その中にアメリカの記者ジョージがいて、彼は無残にも殺されてしまった。
 友人であったジョージの仇を討つために引退した殺し屋のホランドが、家族旅行に見せかけるためにジョージの妻リアナとその娘サラを連れて南米へと飛んだ。
 モーロック博士の用心棒を一人一人片付けていき、彼の妹を誘拐して人質としてモーロック博士を鉱山に呼び出す事に成功する。しかし、仲間が拷問に会い居場所を喋ってしまったためサラが人質に取られていた。

 アクションが少ない。しかも地味。
 60歳を越えたブロンソンは一気に顔が丸くなり穏和な雰囲気を醸し出すようになってしまった。これで元凄腕の殺し屋と言われても、単なる好々爺にしか見えない。サラとダーツで遊ぶシーンは父親と娘ではなくお爺ちゃんと孫娘にしか見えない。
 音楽がまたひどい。ケン・ソーンだから悪い人ではないはずなのだが、ジョージの死を知らされたシーンではチャララーといかにも感傷的な音楽が流れる。アクションシーンでも音楽が盛り上げてくれない。先ほども言ったがただでさえ地味なアクションなので、せめて音楽に支えて欲しい。
 悪人はサラを人質に取っておきながらなんら有効活用する事が出来ない。
 そしてラストはホランドとモーロック博士の対決かと思いきや、博士に拷問を受けて手や足を失った鉱山夫たちがよってたかってハンマーなどで殴りつけて惨殺してしまう。ホランドなにもやってねー。

 "地獄"で"眠る"べきような拷問魔という敵を設定しておきながら、それを活かしきっていない。一度、ホランドがモーロック博士に捕まり拷問にかけられながらもなんとか脱出するぐらいの展開は思いつかなかったのだろうか。
 用心棒たちも大した抵抗もせずにあっさりとホランドにやられてしまう。それだけホランドが有能な殺し屋という事だろうか。
 モーロック博士の妹(おばさん)がレズビアンだという設定には笑ったが、これとて大した意味はないのであった。レズ相手の若い女性のオールヌードを映した単なる観客サービス。ありがたい事に妹のヌードはない。あったら観客への嫌がらせだ。

B001ISXRGC.jpg『狼の挽歌』(1970) VIOLENT CITY 110分 イタリア

監督:セルジオ・ソリーマ 製作:ピエロ・ドナーティ、アリゴ・コロンボ 脚本:セルジオ・ソリーマ、サウロ・スカヴォリーニ、ジャンフランコ・カリガリッチ、リナ・ウェルトミューラー 撮影:アルド・トンティ 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:チャールズ・ブロンソン、ジル・アイアランド、テリー・サヴァラス、ミシェル・コンスタンタン、ウンベルト・オルシーニ、ジョージ・サヴァラス

 チャールズ・ブロンソンの代表作の一つ。イタリア製作の作品だが、ブロンソンは『さらば友よ』(1968)フランスのようにヨーロッパ映画で意外な活躍をしているから侮れない。

 オープニングは海パン一丁のブロンソンの姿。引き締まった肉体は50歳近い者のそれとは見えない。自分の身体を見下ろして反省。
 それから始まるカーチェイスなどの追跡劇は約10分間の間一切セリフを発しないものだが、どうも緊張感が増してこない。あれれ、なんで?この後で、富豪にしてカーレーサーの男がブロンソンを撃つのだがどうにも盛り上がらない。傷ついたブロンソンはそれでも富豪の手下を3人撃ち殺すのだが、やっぱり盛り上がってこない。何で?
 結局、この富豪がブロンソンを殺そうと企んだのは悪女バネッサ(ジル・アイアランド)を手に入れるためだった事が分かり、ブロンソンはレース中の富豪が乗ったレーシングカーのタイヤを狙撃して結果殺す事で復讐を果たすのだが、彼が狙撃した瞬間の写真が送りつけられる。
 それをたどっていくと組織のボスにして実業界にも大きな影響力を持つウェーバー(テリー・サヴァラス)に行き着く。このテリー・サヴァラスが元々は犯罪者で今では実力者という複雑な役柄をハゲ頭で見事に演じきっているのだ。チャールズ・ブロンソンとテリー・サヴァラスはロバート・アルドリッチの『特攻大作戦』(1967)でダーティー・ダズンの一員としてともに戦った仲。まんざら知らない関係じゃないのだ。
 実はすべてバネッサの企んだ計画の中で動かされていて、ブロンソンがウェーバーを殺すのも全て計算の内。こうして、ウェーバーの未亡人として、黒幕として働かせたお抱え弁護士と一緒に本社ビルの展望エレベーターに乗るバネッサだったが。

 バネッサ役はジル・アイアランドにはちょっと荷が重すぎる役であるように思う。本来ならばもっと格上の女優にやらせるべき役柄だっただろう。ジル・アイアランドは素直にチャールズ・ブロンソンに守られる役をやっていればいいのだ。だが、そこはそれチャールズ・ブロンソンの妻ジル・アイアランドの立場を大いに利用して映画の最大の悪役の座をまんまと勝ち取ってしまった。彼女の前ではテリー・サヴァラスも小物でしかないのだ。なんてこった。
 そんな彼女が展望エレベーターに乗っているところを近所のビルの屋上から狙撃するブロンソンは復讐を果たすのだが、それがいかにも悲しくここはいい。「苦しませずに殺して」とガラス越しに訴えるジルも悲しいが、様子を見に来た新米警官に、相手が撃たないと見るとブロンソンが自分からライフルを向けて自らを射殺させる悲しさ。

 ブロンソンの職業は殺し屋。そんな殺し屋が一人の女に狂わされて過去の友人などを裏切っていく様が悲しい。
 映画の出来としては普通。監督の名はセルジオ・ソリーマだが、これがセルジオ・レオーネだったらどんな傑作が出来た事だろう。
 突出した点があるとしたらエンニオ・モリコーネによる音楽である。さすが、どんな映画でも手を抜く事を知らない男だ。唯一例外があるとしたら大河ドラマの『武蔵 MUSASHI』(2003)ぐらいだろう。いや、あの中で唯一まともな仕事をしていたのがモリコーネか。
 失踪するブロンソンの姿にもまだこの頃は違和感がない。まだまだ身体が動いていたのだ。その証拠に立ちふさがったレンガの壁をひとっ飛びで飛び越える。

 狼である、挽歌である、狼の挽歌である。一人の純な殺し屋が悪女に騙されて破滅していくという見方をすればそれなりの佳作ではある。
 ちなみにDVDには特典としてブロンソン主演の『マンダム』CM集が収められている。ブロンソンファンにはこれだけでも買いだ。中にはCMディレクター時代の大林宣彦が演出したCMも収められているのであろう。
 これは一種の都市伝説だが、一生懸命撮影したがどうしてもあと30分時間が足りない。だがハリウッドスターは契約書通りにしか仕事をしてくれない。そこで恐る恐るスタッフがブロンソンに時間の延長を依頼しにいったところ、「俺は契約書通りにしか仕事をしない」ブロンソンはそう言うと自分の腕時計を30分遅らせると「さぁ、みんな。時間はまだあるじゃないか。撮影を再開しよう」と言ったという。
 嘘か本当かはもはや定かではないが、ブロンソンならありそうだなぁと思ったりする。

B0002ZEV9O.jpg『マシンガン・ケリー/機関銃ケリー』(1958) MACHINE-GUN KELLY 84分 アメリカ

監督:ロジャー・コーマン 製作:ロジャー・コーマン 脚本:R・ライト・キャンベル 撮影:フロイド・クロスビー 音楽:ジェラルド・フリード
出演:チャールズ・ブロンソン、スーザン・キャボット、バーブラ・モリス

 チャールズ・ブロンソン37歳での主演デビュー作。思えば遅咲きのスターであった。

 実在のギャング"マシンガン・ケリー"を題材にロジャー・コーマンが作った作品。
 冒頭は仲間と組んで銀行を襲撃し逃走するシーンから始まる。ここで女性の悲鳴を除くと約6分間はセリフが一切ないという緊張感がたまらない。

 今回の仕事は上手くいったが、ケリーは葬儀用花店や死神の像など死を連想させる物をひどく嫌う。自分が死ぬと言う事が怖ろしいのだ。犯罪現場でトミーガンを撃ちまくる剛胆さと死を病的に怖れる臆病さを合わせ持つ複雑なキャラクターである。
 次の仕事ではこの死を怖れるが起きてしまい、歩道の棺を怖れるあまり現場への到着が遅れて仕事は失敗。仲間の一人が警察に撃ち殺されてしまう。
 このことからケリーは仲間から外される。そこで少人数でも可能な誘拐事件を思いつく。9歳の女の子を誘拐し、大金持ちの父親に10万ドルの身代金を請求したのだ。
 だが、これまで好き勝手に振る舞ってきたケリーには敵も多く、彼を密告する者も出てくる。ケリーは大金を手に入れて引退する事が出来るのか。

 ロジャー・コーマンのことをエド・ウッドと同じように考えている人がいる。これは大きな間違いだ。
 エド・ウッドには映画を作る才能が欠片もなかったが、ロジャー・コーマンには小規模な映画をきちんと観せる作品に仕上げる能力を持っている。
 他にもプロデュース業にも長けていて、日本の『子連れ狼』の第1,2作を編集して『ショウグン・アサシン』のタイトルで全米公開して稼いだり、人の才能を見抜く目も持っていて(才能を持つ若者を安い賃金でこき使う能力と言い換えてもいい)、ジャック・ニコルソンやジェームズ・キャメロン、ジョナサン・デミなどを排出している。
 この『マシンガン・ケリー』も上手に仕上げてあって、スリリングなオープニングから、役立たずになったケリーのあわれなラストまで一気に観せてくれる。

 ケリーには情婦のフローがいるが、実は彼女こそ黒幕で臆病者だったケリーに暴力性を見出し、トミーガンを持たせて"マシンガン・ケリー"なる通り名まで与えたのが彼女。それをケリーに感じさせず、ケリーには自分の意志でそうしていると思い込ませている。まったく女性は怖ろしい。そしてケリーの臆病さに見切りを付けるとさっそく次の男に乗り換える。演ずるスーザン・キャボットが最初はギャングにくっついているだけの情婦に見えていたのが次第に裏の素顔を見せる演技で魅了してくれる。
『狼よさらば・地獄のリベンジャー』ではすっかり顔が太ってしまったブロンソンだが、この作品では精悍な顔つきを見せてくれる。ちなみに後にトレードマークとなった口ひげはまだ生やしていない。このタフそうな男が実は内心すごく臆病という落差が面白い。二段ベッドの下の段で寝ていて、棺に入れられ地面に埋められた夢を見てトミーガンを撃ちまくるシーンなんて最高である。
 ラストにしてもケリーは「これでもうお終いだ」とトミーガンを投げ出して「俺はしにたくない」となげく。『暗黒街の顔役』(1932)のトニーや『白熱』(1949)のジェームズ・キャグニーが命を投げ打って最後まで警察と激しい銃撃戦を繰り広げたのとは対照的である。
 史実通りではあるが、理由の一つには、「大規模な銃撃戦をやるとお金がかかるから」というロジャー・コーマンの懐具合もあったのかもしれない。そんなマイナス面を逆手にとって印象的なラストシーンにしてしまうのだからやはりロジャー・コーマンはあなどれない。

B0026ZLD62.jpg『狼よさらば・地獄のリベンジャー』(1993) DEATH WISH V: THE FACE OF DEATH 95分 アメリカ

監督:アラン・A・ゴールドスタイン 製作:ダミアン・リー 製作総指揮:アミ・アルツィ、メナハム・ゴーラン 原案:マイケル・コリアリー 脚本:アラン・A・ゴールドスタイン 撮影:カーティス・ピーターセン 音楽:テリー・プルメリ
出演:チャールズ・ブロンソン、レスリー=アン・ダウン、マイケル・パークス、チャック・シャマタ、ケヴィン・ランド、ロバート・ジョイ、ソウル・ルビネック、ミゲル・サンドヴァル、ケネス・ウェルシュ

『DEATH WISH』シリーズも5作目にしてついに完結。完結と言っても製作時に「これが完結編だ」と意識して作ったのかは分からない。チャールズ・ブロンソンが元気なら6もあったかも知れない。それどころか7も8も。

 今回の敵は服飾業界を牛耳る服飾マフィア。カージーの恋人は服飾会社も経営するデザイナーのオリビア。ブロンソンは1921年生まれだからすでに70歳を越えているのだがまだモテる。このヒゲオヤジが。フィクションだからそういうこともあるだろうと思っていたら、実生活でもジル・アイアランドとの90年の死別後かなり時間が経ってからの98年に再婚している。実生活でもヒゲオヤジはモテたのだ。
 マフィアのボスはオリビアの元夫。その元夫の悪事について司法の場で証言することにしたオリビアはボスの手下に襲われて顔をズタズタに切られてしまう。カージーは検事に保護を求めるが情報が漏れていてカージー宅が襲われオリビアは射殺されてしまう。
 オリビアの忘れ形見である愛娘のチェルシーも法の執行命令によりボスの下に引き取られる。
 またもや全てを失ったカージーは絵の裏にある隠し金庫を開け、そこから一丁のリボルバーを取り出した。
「悪党は残らず俺が退治してやる」

 この作品ではポール・カージーの表向きの身分は建築学を教えるポール・スチュアート教授ということになっている。証人保護プログラムで別の身分を与えられているのだ。
 おそらく麻薬組織と深く関わった『バトルガンM-16』事件で証言した結果だとは思うが、あの後にも一騒動や二騒動ぐらいカージーはやっていそうな気がするので確実ではない。
 服飾マフィアには殺し屋がいて、こいつは変装を得意としているそうだが、さすがに女装してオリビアを襲うってのはどんなものだろうか。あの鈍そうなカージーですら女装と見抜いているし。検事曰く「特徴はフケ症だ」だそうだがそれって特徴か。

 これまでのカージーはハンドガン中心で悪党を退治してきた。『スーパー・マグナム』のバズーカや『バトルガンM-16』での狙撃用ライフルやM-16などの例外はあるが銃器にこだわってきたのは間違いがない。
 それなのにこの作品では青酸カリによる毒殺やサッカーボール型ラジコンによる爆弾、強酸性の薬品風呂での人体溶かし尽くしまである。
 爆弾は『バトルガンM-16』でも使っていたし男系の殺し方だから良いだろう。
 しかし、毒殺ってなんだ。どうも女性系の殺しで女々しい。ポール・カージーがやる殺し方じゃないだろ。薬品風呂に至っては悲惨な殺し方を演出したかったとしか思えない。
 ポール・カージーはあくまでも悪党を殺すのが目的であって、悲惨な殺し方とか残虐な殺し方をして楽しむ男じゃない。拳銃でバンッ!が基本のスタイルだ。その辺りを分かっていないとしか思えない。ブロンソンにアクションをやらせるのがきつくなってきたというのも理由の一つなんだろうが。70過ぎじゃなぁ。普通は隠居生活。
 分かっていないといえば『バトルガンM-16』と今作の敵は犯罪組織。そうじゃないんだ。ポール・カージーの敵はもっと身近で一般市民に迷惑をかける連中。日本で言えば夜にパッパラパとうるさい暴走族や原付での引ったくり、オレオレ詐欺の犯人なんかをバンバンバンと撃ち殺してもらいたい。街のダニ退治も3作目の『スーパー・マグナム』まででやり尽くしてしまったというのもあるんだろうけどね。

 これで『デス・ウィッシュ』シリーズは終わった。だが、おい、そこの街のダニ。安心してんじゃねーぞ。お前らがはびこったら奴はかならず帰ってくる。あのポール・カージーがな。

B0026ZLD5S.jpg『バトルガンM-16』(1989) DEATH WISH 4: THE CRACKDOWN 100分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー 製作総指揮:メナハム・ゴーラン、ヨーラン・グローバス 脚本:ゲイル・モーガン・ヒックマン 撮影:ギデオン・ポラス 音楽:ポール・マッカラム、ヴァレンタン・マッカラム、ジョン・ビシャラット
出演:チャールズ・ブロンソン、ケイ・レンツ、ジョン・P・ライアン、ペリー・ロペス、ジョージ・ディッカーソン、ダニー・トレホ、スーン=テック・オー、ダナ・バロン、ジェシー・ダブソン

『DEATH WISH』シリーズもついに4作目。今回の標的は街のダニではない麻薬密売組織だ。ポール・カージーの敵はそこらのチンピラというのが良かったのだが、1980年代後半には麻薬組織を敵に回して戦うというのが多かった。『リーサル・ウェポン』(1987)のような刑事物はもちろんの事、スパイの007だって『007/消されたライセンス』(1989)で麻薬組織と戦ったぐらいだ。我らがカージーも時流に乗ったのだ。

 ロスの建築事務所で設計士として働くポール・カージー。彼の設計した建物は頑丈そうだ。彼には新聞記者の恋人がいる。またもやモテてるこのヒゲオヤジ。『ロサンゼルス』の恋人は雑誌記者だったが、あの野性味溢れる顔がインテリジェンスを持った女心をくすぐるのだろうか。それとも『カメラマン・コバック』で同じ報道畑だった血がそうさせるのかもしれない。
 ところか彼女の一人娘がコカインの急性中毒で死んでしまう。そしてカージーが自警団だと知っている新聞王ネイサン・ホワイトが接近してくる。ホワイトの娘も麻薬中毒で死んだのだ。麻薬密売組織退治をホワイトに依頼されたカージーは、ロサンゼルスを牛耳る二つの麻薬密売組織を互いに争わせる事で共倒れにさせる計画を練る。彼の計画は上手くいったに見えたが、ホワイトの意外な正体が判明し恋人を人質に取られたカージーはアサルトライフルM-16を手に戦場へと向かうのであった。

 恋人の娘が自分でコカインをやって死んでしまったのに、それで麻薬密売組織をぶっ潰そうというのはちょっとだけ逆恨み入ってないかとも思うが連中が悪なのは間違いない。
 今回のカージーの愛銃はワルサーPPK。いやアメリカ輸出モデルだからワルサーPPK/Sか。たしかPPKだと銃の全長が短すぎるとかで輸入できないんだよな。あー、でも刑事が9ミリ弾とか言ってたな。ワルサーの小型ピストルで9ミリってなんだ?
 ともあれ、ポケットにそっと忍ばせておける小型ピストルは自警団に相応しい。『スーパー・マグナム』のオートマグナムでは目立ってしょうがない。
 終盤では、二つの麻薬密売組織が共倒れした後で一気に市場を乗っ取ろうとしたホワイトの偽物にグレネードランチャー付きのM-16で立ち向かう。ネイサン・ホワイトはちゃんと本人がいて、その旅行中にホワイト宅を利用してカージーを信用させたのだ。それぐらいでころっと信用してしまうカージーもカージーだ。
 もちろんラストは至近距離からのグレネードランチャーで偽ホワイトは木っ端微塵。この辺りは『スーパー・マグナム』のラストと似てる。
 どうやら恋人の娘の死も偽ホワイトが仕組んだ罠だったようで、こんな奴は殺されて当然。しかし、カージーに深く関わると不幸になる。恋人も最後は偽ホワイトに撃たれて死んでしまうしな。
 対立する二つの組織を裏から操って戦わせ共倒れにさせようという作戦は黒澤明の『用心棒』かダシール・ハメットの『血の収穫』を思わせる。カージーにも作戦を考えて行動するなんてことが出来たんだ。ただ単に銃をぶっ放すだけのオヤジかと思った。

 ハードボイルドな雰囲気があった初期2作と比べると『スーパー・マグナム』『バトルガンM-16』は本当にバカ映画。とにかくバンバン撃って悪党をバンバン殺して、最後は背中を見せてポール・カージーが去っていく。そればっか。それもそのはず製作総指揮がメナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスでキャノン・フィルム作品。キャノン・フィルム作品に深い事を求めちゃいけない。観てスカッとすればそれで良し。
 オープニングで地下駐車場で襲われた女性をカージーが自警団として助けるが、最後に射殺したチンピラの顔を見るとなんとカージー自身。はっ!!夢でした。
 この夢が作中で何の意味も持っていないゲイル・モーガン・ヒックマンの脚本とJ・リー・トンプソンの演出には逆に感心してしまう。いや、J・リー・トンプソン好きだけどね。

 この度、単品で1000円程度で買える廉価版が発売されたが、こいつはスタンダードサイズでがっかり。今時、誰が4:3画面で喜ぶんだ。
 音楽のポール・マッカラムとヴァレンタン・マッカラムは名前から分かる通りデヴィッド・マッカラムとジル・アイアランドの間に産まれた子供たち。ブロンソンとジルの結婚に際して、ブロンソンが自分の養子にした。音楽がジミー・ペイジからブロンソンの養子とはえらい落差である。あまり才能はなかったようで、これ以降アメリカのサイトで調べてみてもほとんど音楽の仕事はしていない。じゃあ何をやっているかというとそれも不明。意外と普通に社会人をやってるんじゃない。

B0026ZLD5I.jpg『スーパー・マグナム』(1985) DEATH WISH 3 91分 アメリカ

監督:マイケル・ウィナー 製作:メナハム・ゴーラン、ヨーラン・グローバス 原案:ブライアン・ガーフィールド 脚本:マイケル・エドモンズ 撮影:ジョン・スタニアー 音楽:ジミー・ペイジ
出演:チャールズ・ブロンソン、デボラ・ラフィン、マーティン・バルサム、エド・ローター、カーク・テイラー、ギャヴァン・オハーリヒー、アレックス・ウィンター、トニー・スピリダキス、リッコ・ロス、フランシス・ドレイク

 あのポール・カージーがニューヨークに帰ってきた。
 帰ってきた理由は朝鮮戦争時代からの古い友人に会うため。しかし、カージーに会う直前に友人は殺されてしまい、犯人と勘違いされたカージーは留置所へ。
 そこで出合った刑事(エド・ローター)はカージーの正体が自警団だと知っていた。街のストリートギャングの悪行に手を焼いていた刑事は毒には毒をとばかりにカージーを釈放しストリートギャング退治にあたらせる。
 街のダニをバッタバッタと撃ち殺していくカージーの活躍を見た地域住民たちは次第に失っていた勇気を取り戻していく。
 そして、カージーの恋人がストリートギャングの手によって殺された時、カージーの怒りが燃える。

 今回のメイン武器はウイルディ475オートマグナム。『ダーティーハリー4』でハリーが使っていた44オートマグより口径のデカい大型拳銃である。前作では小型拳銃だったが今回は大型と銃器の大型化は留まるところを知らない。火薬の調合も自家製で、こんな強力な銃で撃たれたらゴキブリのようなストリートギャングもさすがに一撃でコロリだ。
 それにしてもカージーの友人にしろ恋人にしろ、これまでの前2作の被害者にしろカージーに関わると不幸になっている気がする。ひょっとすると悪運を呼んでいるのがカージー自身なのかも知れない。あまりお近づきにはなりたくない。
 終盤では地域住民たちも銃を取ってストリートギャング相手に戦い始める。警察が当てにならないのならば自分たちの手で自分とその家族を守るしかない。実にアメリカ的発想である。さすが全米ライフル協会が力を持っている国だ。というか、いくら治安の悪い地域だからと言って一家に一丁拳銃があるってのがすごい。これでは銃の廃止を訴えても実際になくなる事はないだろう。
 この自分と自分の家族を自分で守る権利は西部開拓時代から延々と続いてきた考えでもある。『DEATH WISH』がアメリカで受けるのは西部劇の変種であるからかも知れない。
『狼よさらば』『ロサンゼルス』には渋い雰囲気があったが、今回は徹底した娯楽アクション映画になっている。『ロサンゼルス』のラストでプロの自警団になった事が示唆されるカージーはどこか吹っ切れたというかぶっ飛んでいる。
 オートマグナムどころか隣人のマーティン・バルサムが隠し持っていたマシンガンを撃ちまくり、ついには対戦車用ミサイルランチャーでストリートギャングのボスを至近距離から吹き飛ばす。バズーカかよ!あまり至近距離で使う武器じゃないと思うのだが、カージーも近くにいたエド・ローターも不思議と無事だ。
 前2作のカージーが個人的復讐で自警団をやっているとしたら、今作のカージーはアメリカ的正義を背負って自警団をやっている。大きな違いだ。個人的には初期作品の方が好みであるが、バカ映画という意味では『スーパー・マグナム』も捨てきれない。というか邦題のバカッぷりにはすっかりオレも『スーパー・マグナム』だ(意味不明)。
 終盤のアクション派はでだが演出に緊張感がないし、そろそろブロンソンの"走る"姿にも年齢的に無理が出てきた。全体的に弛緩した作品と言って良いだろう。大体、ブロンソンのヒゲオヤジが何故毎回毎回モテるのだ。
 今回の街のダニからは後の有名俳優は生まれなかった。代わりにエド・ローターやマーティン・バルサムなどの渋い俳優が脇を固めている。
 ようやくDVD化されたが4:3のスタンダードサイズでがっかり。でもamazonだと1000円程度で買えるお手軽さ。誰だ、その程度の価値しかないっていうのは。
 ちなみに学生時代にこの作品の監督がマイケル・ウィナー(先輩)か、J・リー・トンプソン(オレ)かで賭けをして負けたなぁ。終盤のバカアクションからJ・リー・トンプソンだとばっかり思っていた。ちなみに次作の『バトルガンM-16』はJ・リー・トンプソン。
 今回も何故だか音楽がジミー・ペイジ。なんでや。

B0026ZLD4E.jpg『ロサンゼルス』(1982) DEATH WISH II 92分 アメリカ

監督:マイケル・ウィナー 製作:メナハム・ゴーラン、ヨーラン・グローバス 脚本:デヴィッド・エンゲルバック、マイケル・ウィナー 撮影:リチャード・H・クライン 音楽:ジミー・ペイジ
出演:チャールズ・ブロンソン、ジル・アイアランド、ヴィンセント・ガーディニア、アンソニー・フランシオサ、J・D・キャノン、ロビン・シャーウッド、ベン・フランク、ケヴィン・メイジャー・ハワード、ラリー・フィッシュバーン(ローレンス・フィッシュバーン)

 前作から数年、ニューヨークからロサンゼルスに移り住んだポール・カージー(チャールズ・ブロンソン)は女性記者のジェリ(ジル・アイアランド)という恋人も出来るなど心の傷も大分癒えたようだ。
 しかし、ニューヨークでレイプされた娘は精神病を患ったままで全てが元通りに戻ったわけではない。
 そして今回も街のダニによる被害に遭うことになる。免許証を掏られたカージーの家をチンピラたちが襲撃。家政婦をレイプしたあげく殺してしまう。そして帰ってきたカージーを殴り倒すと目撃者の娘を誘拐。娘はチンピラのアジトから隙を見て逃げだそうとするが、窓から落ちて柵に身体を貫かれて無残にも死んでしまう。
 どうして俺ばかりこんな目に会うんだ。怒りに燃えるカージーは一丁の拳銃を取り出すと自警団として復讐を始めた。

 製作がメナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスだけあって強いアメリカ、タフなアメリカを描いた作品。西部開拓時代のように、自分と自分の家族の身は自分で守る。守るというか復讐か。個人に復讐する権利はあるのかといったのがテーマ。役立たずの警察は頼らない、俺の復讐は俺の手で果たす。オレだって大切な人が無残な殺され方をしたら犯人に殺意を抱くと思う。

 というわけで『DEATH WISH』シリーズ第二弾。
 前作ではチンピラに妻を殺され娘をレイプされた怒りに駆られて、無関係な街のダニどもを処刑する自警団となったが、今回はより目標が明確になり娘を殺した犯人であるダニどもに標的を絞っている。
 使用する拳銃はベレッタM84。ダブルカラムマガジンなので弾数は13発と多いが使用する弾丸は.380ACP弾と弱めでどちらかというと小型拳銃。これが3作目の『スーパー・マグナム』(1985)、4作目の『バトルガンM-16』(1989)と一作ごとに使用する銃が大型化していく。闇に隠れて悪を倒す自警団という役柄を考えると、今作でのM84辺りがちょうど良い気がする。

 娘が死んだ後に山荘にこもったカージーがひたすら斧で薪を割るシーンがあるが、ブロンソンは肉体労働がよく似合う。でも、役柄は建築家なんだよな。どこをどう見ても建築家には見えないこのギャップが、自警団という設定に説得力を持たせている。
 十字架を胸に架けたダニを前に「キリストを信じているのか。じゃあ会わせてやる」と言ってバンッと射殺するところなんか格好いいねぇ。
 前作でカージーの正体に気付きながら最後にはニューヨークを出て行く事で見逃した刑事(ヴィンセント・ガーディニア)が再登場。いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていて、執拗にカージーの事を追ってくる。カージーを逮捕したいのではなく、殺しを止めさせたいのだ。あと1年で定年だというのに、あわれカージーとダニとの撃ち合いに巻き込まれて死んでしまう。味のあるキャラクターだったのにもったいない。
 ラストの「3分間待ってやる。そしたら警報ベルを鳴らす」とカージーに逃げるように促す精神病院の係員も味がある。DVDには日本語吹き替えも収録されているが、この係員の声は小林清志。何で受付係なんかに小林清志と思ったがそうきたか。ブロンソンの大塚周夫との短い掛け合いが渋い。

 恋人役のジェニには私生活での愛妻ジル・アイアランドを起用。またブロンソンとジル・アイアランドの共演かというぐらい二人の共演作は多い。私生活だけではなく仕事の間も離れたくなかったのか。ちなみにジル・アイアランドはデヴィッド・マッカラムの元妻で、『大脱走』(1963)の撮影中にブロンソンとジルが知り合い後に略奪婚したもの。それでもマッカラムは恨み言一つ言わなかったらしい。男だ。
 そのジェニと結婚を約束していたのに、ごみ箱に捨て損ねた一枚のコピーで全て終わってしまう悲しさ。そして自警団を引退するつもりでいたカージーは今日も夜になると拳銃を片手にダニを求めて街を彷徨う。
 ダニの一人にまだ売れてない頃のローレンス・フィッシュバーンがいる。1作目のダニの中には同じく売れてない頃のジェフ・ゴールドブラムがいるが、このシリーズでダニ役をやると後に芽が出るというジンクスでもあるのだろうか。ローレンス・フィッシュバーンはバカなチンピラ役をやってあえなく殺される。この時のフィッシュバーンは今の自分を想像できただろうか。そして、今となってはこの作品はなかった事にしたいとか思ってないんだろうか。
 音楽が元レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジと無意味に豪華。3作目の『スーパー・マグナム』も担当している。この2作以外は映画音楽を担当していないがどんな考えがあったのだろうか。ジミー・ペイジの信条と『デス・ウィッシュ』シリーズのそれが合致したのか。

B000PAU2N0.jpg『狼よさらば』(1974) DEATH WISH 94分 アメリカ

監督:マイケル・ウィナー 製作:ハル・ランダース、ボビー・ロバーツ 製作総指揮:ディノ・デ・ラウレンティス 原作:ブライアン・ガーフィールド 脚本:ウェンデル・メイズ 撮影:アーサー・J・オーニッツ 音楽:ハービー・ハンコック
出演:チャールズ・ブロンソン、ホープ・ラング、ヴィンセント・ガーディニア、スティーヴン・キーツ、ウィリアム・レッドフィールド、キャサリン・トーラン、スチュアート・マーゴリン、ジェフ・ゴールドブラム

 仕事でアリゾナ州ツーソンを訪れたポール・カージー(チャールズ・ブロンソン)を現地の人が出迎える。「何故すぐに私だと分かったんだ」と尋ねるカージーに、「そりゃ、あんたが典型的ニューヨーカーだから」と答えが返ってくる。
 ......典型的ニューヨーカー?チャールズ・ブロンソンが?そりゃ無理がないか、見えんぞ。

 ポール・カージーはニューヨークで妻と平和に暮らす建築家。ところがマンションのカージー宅に押し入った三人組のチンピラによって妻は殺され娘は心を患ってしまう。物語の前半四分の一では思い悩むカージー。トレードマークである口ひげを生やし、いつものように無骨なブロンソンが苦しむ様は若干の違和感はある。
 しかし、ツーソンの街で悪党が倒される西部劇ショーを観て、その後射撃クラブで拳銃を手渡されたカージーは見事に標的のど真ん中を撃ち抜く。実は子供の頃に狩猟好きの父親から銃の手ほどきを受けていたのだ。
 ツーソンでの仕事を終えたカージーに仕事相手はリボルバーをプレゼントする。ニューヨークに戻ったカージーは単なるビジネスマンだけではなく、街のダニを退治する狩人・ヴィジランテとなっていた。

 アメリカで銃規制がなかなか進まないのは、自分の身は自分で守る、そのためには銃が必要という価値観があるからだ。その価値観が生まれたのは開拓時代。西部劇の時代である。まだ未開の地へと進んでいく開拓者には、自分と家族を守るための銃が必要だった。米国ライフル協会に所属するアメリカ人などにとっては、銃を奪われることは自由を奪われることでもある。
『狼よさらば』も警察が自分たちを守ってくれないのならば、自分で守るしかないという結論に達している。カージーの目的は自分の妻を殺したチンピラを見つけ出し復讐を遂げることではない。アメリカ人であること、西部の開拓魂を持ち続けることを選択したのだ。アメリカ・西部の心が根底にあることが分からないと、ただ単にイカれたオヤジがチンピラを殺していく暴力映画にしか見えない。

 謎の処刑人ヴィジランテ・VIGILANTE(自警団)と呼ばれるようになったカージーを、法の番人である刑事が追いかける。犯行現場、動機を持つ者などから次第にカージーに近づいていく刑事を演ずるヴィンセント・ガーディニアは肥満気味のムスッとした顔で、外見は切れ者には見えない。このヴィンセント・ガーディニアが良い。チャールズ・ブロンソンと腹の探り合いをしながら、もう処刑を止めれば見逃すとほのめかすシーンは見応えがある。
 ニューヨークを離れシカゴへと移ったカージーだが、もはや単に平和な男ではないことを示すラストショットが見事。

B000M2DM7Y.jpg『セント・アイブス』(1976) ST. IVES 95分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー、スタンリー・カンター 原作:オリヴァー・ブリーク 脚本:バリー・ベッカーマン 撮影:ルシアン・バラード 音楽:ラロ・シフリン
出演:チャールズ・ブロンソン、ジャクリーン・ビセット、ジョン・ハウスマン、エリシャ・クック、ハリー・ガーディノ、マクシミリアン・シェル、ハリス・ユーリン、ダナ・エルカー、マイケル・ラーナー、ダニエル・J・トラヴァンティ、ジェフ・ゴールドブラム、ロバート・イングランド

 監督J・リー・トンプソンがチャールズ・ブロンソンと初めて手を組んだ作品。
 セント・アイブス(チャールズ・ブロンソン)は元新聞記者で現在は売れない作家。そのセント・アイブスがある依頼を受けるために大金持ちの屋敷を訪ねるところから物語は始まる。ハワード・ホークスの『三つ数えろ』(原作はレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウ物『大いなる眠り』)を感じさせるオープニングだ。
 奪われた日誌を10万ドルを買い取ることになっており、その受け渡しをセント・アイブスに頼みたいというのだ。10万ドルを入れたパンナムの青いバッグを持って指定されたコインランドリーを訪れるが、相手は殺されて乾燥機の中でゴロゴロと回っていた。こうしてセント・アイブスは深みへとはまっていく。

 久々に観た感想だが、チャールズ・ブロンソンにハードボイルドは似合わない。ちょっと気障ったらしい男を演じているのだが、どうもしっくりこない。ハードボイルドの主人公は自己愛の持ち主が多いが、そういったメロドラマ的雰囲気がブロンソンには合わないのだろう。DVDのパッケージはセント・アイブスが咥えたパイプに美女がお札で火を付けているし、拳銃も写っていて非常に俗物的だが、映画のセント・アイブスは意外とストイック。
 謎が謎を呼び、裏切りが錯綜するストーリーは魅力的で、自宅にAVルームを持っていて映写機で古い映画を観るのが楽しみな金持ちや、謎の美女(ジャクリーン・ビセット)、セントアイブスとは古い馴染みの警部など一癖も二癖ある人物が脇を支える。食堂のオヤジやホテルのフロントマンまで味がある。ジャクリーン・ビセットは本当にキレイでしかも悪女と来ているからもうそこらの男じゃかなわない。
 セント・アイブスも食えない男で、食堂で相手に「俺のおごりだ」と食事を勧めておきながら、立ち去り際に「誕生日おめでとう」と言い、相手が「俺の誕生日は今日じゃないぜ」と応えると「そうか間違えたな。じゃあおごりはなしだ」で終わらせる。情報をもらったんだし大衆食堂だから飯ぐらいおごってやれよとも思うが、このやり取りが面白い。

 途中でセント・アイブスは三人組のチンピラに襲われるが、その一人がジェフ・ゴールドブラム。『狼よさらば』(1974)でもチンピラ役で出演していたが、そちらではブロンソンと同一画面には映っていなかった。ブロンソンは妻と娘の敵とばかりにジェフ・ゴールドブラムをやっつける。チンピラ仲間には『エルム街の悪夢』のフレディ役ロバート・イングランドも素顔で登場していて、今にして思えば豪華なチンピラたち。残りの一人はどこでどうしているのか知らないが。

 ラストは救いが無く苦い結末。ハードボイルドはやっぱこうじゃなきゃ。ラストショットは皮肉が利いている。
 セント・アイブスとジャクリーン・ビセットがベッドインすると画面は夜空に打ち上げられた色鮮やかな花火のカットに変わる。これは大金持ちが観ている映画のシーンなのだが、何の比喩かは言うまでもないだろう。笑った。

B000XIEH6C.jpg『メッセンジャー・オブ・デス』(1988) MESSENGER OF DEATH 90分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:パンチョ・コーナー 製作総指揮:メナハム・ゴーラン、ヨーラン・グローバス 原作:レックス・バーンズ 脚本:ポール・ジャリコ 撮影:ギデオン・ポラス 音楽:ロバート・O・ラグランド
出演:チャールズ・ブロンソン、トリッシュ・ヴァン・ディーヴァー、ダニエル・ベンザリ、マリリン・ハセット、ジョン・アイランド、ローレンス・ラッキンビル、ジェフ・コーリイ

 チャールズ・ブロンソン&J・リー・トンプソンペアによる作品。しかも 製作総指揮がメナハム・ゴーランとヨーラン・グローバスのキャノンフィルムズときているから、ある意味無敵だ。
 有名新聞記者のブロンソンがなぜか途中で銃を手にするが、撃ちまくって悪党を殺しまくることもないし、ラストの殺し屋との戦いも素手でタコ殴りにするだけで殺さない。てか、ジジイ新聞記者が若い殺し屋に素手で勝つってのがどーよと思うが、それがブロンソンだ。
 コロラド州はデンバーで、モルモン教の一家が住む家にショットガンを持った謎の二人組が押し入り、ご婦人や子供たちの計8人を射殺するシーンから物語は始まる。現場に残されたのは剣を持った天使、"復讐の天使"の絵が一枚。
 ブロンソンが事件の取材を続ける内に、殺された一家の血縁でモルモン教の牧師をやっている男とその兄弟の大農園の地主に行き当たる。対立した兄弟はお互いに相手が犯人だと主張する。モルモン教が多数暮らす血で、異教徒として扱われブロンソンはなかなか真相に近づくことが出来ない。
 おおっ、モルモン教といえばキリスト教系のカルト宗教(反論もあろうが)。それを背景に猟奇殺人を追うサイコサスペンスかとワクワクしている内に、対立した兄弟はそれぞれ部下を率いて西部劇のような撃ち合いを始めるし、ブロンソンが乗った車はタンクローリー車に襲われる。ああっ、前半の緊張感が音を立てて崩壊していくっ!
 いや、悪口じゃないよ。そりゃ同じコンビの『セント・アイブス』(1976)の方が作品としての完成度は格段に高いが、これはこれで楽しい。いつの間にか大企業の陰謀へと展開したストーリーは唐突に終わる。どうでもいいけど、ものすごく遠回りな上に、成功率も低そうな計画だ。

B0009J8E32.jpg『ブレイクアウト』(1975) BREAKOUT 96分 アメリカ

監督:トム・グライス 製作:ロバート・チャートフ、アーウィン・ウィンクラー 製作総指揮:ロン・バック 脚本:ハワード・クライツェク、マーク・ノーマン、エリオット・ベイカー 撮影:ルシアン・バラード 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:チャールズ・ブロンソン、ロバート・デュヴァル、ジル・アイアランド、ランディ・クエイド、シェリー・ノース、ジョン・ヒューストン、エミリオ・フェルナンデス

 メキシコ在留中のアメリカ人(ロバート・デュヴァル)が陰謀によって無実の罪で刑務所に投獄される。
 妻(ジル・アイアランド)は夫を刑務所から出すべく奔走するが、再審要求を出しても受理されるのがいつになるか分からない。
 そこで、刑務所外での作業現場を狙って飛行機で脱獄させる計画を練り、腕利きのパイロット(チャールズ・ブロンソン)を雇うことにする。

 このパイロットつまりチャールズ・ブロンソンが登場するのが上映開始から20分ほどたってから。主人公が登場するまで長い長い。
 おそらくブロンソン目当ての観客が大半だったろうから、その点では異色作である。
 飛行機での脱獄に失敗し、相棒(ランディ・クエイドが若い)を女装させて刑務所の面会日に紛れ込ませるがばれて失敗。そりゃ、ばれるわ。
 ついにメキシコ警察のヘリコプターに似せてロイヤルブルーで塗装したヘリコプターで白昼堂々刑務所の庭に降りて脱獄させる、奇想天外大胆不敵な計画を思いつく。
 すごいのは、これが実話ベースであることだ。アメリカ人は無茶するなぁ。

 全体的にもたついた印象で、96分という上映時間が長く感じる。
 陰謀を持ってロバート・デュバルを逮捕させた連中があまり活用されていないのも気になる。
 メキシコ人刑務所長や看守たちがひどく悪し様に描かれている点も気になる。
 だが、失敗続きでジル・アイアランドから「もうあなたには頼みません」と言われたブロンソンが、金のためではなく、かといってプライドともちょっと違う、そう意地のために最後の計画にとりかかる辺りはやはり格好いい。

 メキシコまでセスナ機で無補給にて往復出来るということは、舞台はアメリカ南西部だろう。風が吹くと砂埃の舞う、ざらついた風景がブロンソンにはよく似合う。

B0009J8E2I.09.jpg『ストリートファイター』 (1975) HARD TIMES 93分 アメリカ

監督:ウォルター・ヒル 製作:ローレンス・ゴードン 製作総指揮:ポール・マスランスキー 脚本:ブライアン・ギンドーフ、ブルース・ヘンステル、ウォルター・ヒル 撮影:フィリップ・H・ラスロップ 編集:ロジャー・スポティスウッド 音楽:バリー・デ・ヴォーゾン
出演:チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ジル・アイアランド、ストローザー・マーティン、マギー・ブライ

?オレはいつでも燃えている その21?
 同タイトルのジャン=クロード・ヴァン・ダム主演『ストリートファイター』はこちらへ。

 主演はチャールズ・ブロンソンにジェームズ・コバーン、そしてブロンソンの愛妻ジル・アイアランド。すでに全員故人というのが寂しい。
 遅咲きのチャールズ・ブロンソンはこの作品時ですでに54歳。だが、賭け試合のストリートファイトで見せる裸の上半身は引き締まっていてがっちりとした筋肉がついている。顔はオヤジだが身体は現役。

 舞台は1936年、不況時代のニューオリンズ。オープニングで遠くから走ってくる貨物列車にチェイニー(ブロンソン)が無賃乗車している。どうやら職もなく、浮浪者として各地を転々としているようだ。
 倉庫で行われている賭け試合を見たチェイニーは、負けた側のマネージャーであるスピード(コバーン)に、俺をファイターとして使ってみないかと声をかける。年を取っているチェイニーにスピードは難色を示すが、チェイニーが6ドルを元手として出したため、物は試しと昨日の雪辱戦に使ってみる。相手のファイターはまだ若く身体も大きく、誰もチェイニーに賭けようとはしない。ところが、試合開始の一発でチェイニーは相手をノックダウンさせる。
 こうして、寡黙でタフなファイターと、口八丁手八丁でインチキ臭いマネージャーの、ストリートファイトの旅が始まった。2人の友情物ではあるが、最初はお互いに相手を利用しようとしか考えておらず、その友情は旅の間に徐々に築かれたものだ。

 クンフーや空手など、足技があってスピード感重視のアクションがハリウッドに定着したのは割と最近だが、ボクシング形式の一発一発の重さ主体の殴り合いアクションはモノクロ映画時代に完成していた。その集大成がこの作品ではないだろうか。ストリートファイトなので蹴りも使うがメインは素手の拳によるパンチ。もともとは炭坑夫として働いていたブロンソンのパンチは、骨の奥にまで響くような重さを感じさせる。この力強さが強豪相手に連戦連勝というストーリーの説得力になっている。
 後半ではスピードが悪徳マネージャーや金貸しとのトラブルに巻き込まれる。その決着としてチェイニーは強敵と戦うことになる。相手のファイターは悪党の側で戦っていても戦士の誇りを持っている。チェイニーのパンチを食らいダウンしたときに、拳に握り混むことでパンチ力を強める短い金属の棒をボスから渡されるが、それを払いのけて立ち上がる。敵ながら格好いいぜ。

 脚本家として活躍していたウォルター・ヒルの監督デビュー作にして最高傑作。どうも、このウォルター・ヒルという人は、監督能力に容量があったようで、一作ごとにそれが減っていき、『ストリート・オブ・ファイヤー』(1984)あたりでそれを使い切ってしまった感じだ。
「俺は偉大な監督だ」と勘違いしてしまったようでもなく、映画を撮る姿勢は変わっていないと思うのだが、どうしてこうもダメ監督になってしまったのだろうか。ひょっとしたら、もともとの資質がダメ監督で、どういうわけか初期は面白い映画が撮れていたのかもしれない。

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『マジェスティック』(1974) MR. MAJESTYK 103分 アメリカ

監督:リチャード・フライシャー 製作:ウォルター・ミリッシュ 原作・脚本:エルモア・レナード 撮影:リチャード・H・クライン 音楽:チャールズ・バーンスタイン
出演:チャールズ・ブロンソン、アル・レッティエリ、リンダ・クリスタル、リー・パーセル、ポール・コスロ

 今日も夕食後にメロンを食べる。がんばって食べたがまだ半分残っている。
 さて、メロンが出てくる映画ってなにがあったかなと記憶を探るが、情けないことに何も思いつかない。途中でちょっと食べてるだけでいいんだが、観る端から忘れていってしまうわたしの記憶力はあまり役に立たない。
 ようやくと思い出したのがこの『マジェスティック』(1974)だ。ジム・キャリーが主演した同タイトルの映画もあるが、あんな駄作と比べちゃいけない。映画ファンなら『マジェスティック』といえばチャールズ・ブロンソンで決まりである。
 この映画に登場するのはスイカなので厳密にはメロンではなくウォーター・メロンだ。だが、まあ似たようなものだろう。原語のセリフでは「MELON」「MELON」って言ってるし。

 チャールズ・ブロンソンは軍のレンジャー部隊やベトナム戦争経験もあるタフな男。いろいろあって妻に離婚され一人娘とも何年も会っておらず、昨年からは160エーカーもあるスイカ農場を経営し始めた。軍人経験がまるっきり活かされていないちょっと微妙な転職だ。子供の頃からスイカ作りに興味があったとか、スイカが大好きで大人になったら腹一杯食べたいとか、そういうバックボーンはまるっきりないようで、なぜにスイカ牧場を経営しようと思ったのか謎だ。

 チャールズ・ブロンソンと言えば戦う男であった。妻と娘を襲われた復讐で街のダニどもを殺し始めたり、トップ・レディ(大統領夫人)を守るために戦ったり、白いバファローを執拗に追いつめ対決したり、メキシコ人の村と子供達を守るために盗賊団と戦う。生涯を戦いに捧げた男であった。
 だがさすがに「スイカを守るため」というのはこの作品ぐらいなものだ。悪徳労働者口入れ業者に脅されたり、留置所を逃げ出した大物殺し屋に命を狙われても、主人公マジェスティックは眉毛を軽く動かすだけで常に冷静に対処していた。だが、殺し屋とその仲間達が留守中の農場を襲い、収穫して積み上げられたスイカの山を拳銃やサブマシンガンの標的にして打ち砕いていったのを見つけたとき、マジェスティックの拳は初めて固く握られるのであった。彼にとってこの収穫が最後のチャンスだったとはいえ、スイカのために激しい怒りを燃え上がらせる主人公というのも初めてであろう。

 監督はリチャード・フライシャー。昔はリチャード・O・フライシャーと呼ばれていたが、いつの間にかOが消えてしまった。この作品でも娯楽映画として見事な手腕が発揮されている。
 悪徳口入れ業者に訴えられたために逮捕され留置所に放り込まれたマジェスティック。そして留置所には有名な殺し屋も収容されていた。その容疑者達が護送バスで他所へと運ばれるシーンが素晴らしい。場所は昼日向のメインストリート。道の両サイドにはビルが建て並んでいて、通行人が平和そうに行き交っている。そこを通り抜けようとした護送バスの前に、ストッキングで覆面をした男が立ちふさがり拳銃で運転手を射殺する。そこから殺し屋の仲間達が護送バスやパトカーを襲い始め、見事な銃撃戦が始まる。
 日常的な街並みの中で、銃声が鳴り響き車が炎上する。次々と撃ち殺される警官や悪党達。迫力満載かつリアルな銃撃戦だ。街中での銃撃戦ではマイケル・マンの『ヒート』(1995)などが有名だが、わたしは『ヒート』よりも『マジェスティック』を支持する。
 終盤の山荘での対決シーンも少人数だが緊張感があり最高。

 人気作家エルモア・レナードが脚本を担当しており、本人の手によって小説化もされた。文春文庫で刊行された『ミスター・マジェスティック』がそれだ。
 基本ストーリーや登場人物はほぼそのままに、上映時間のためなどもあって映画では省略されてしまう細部や心理描写が書き込まれている。

B0026ZLD6C.jpg『禁じ手』(1989) 監督:J・リー・トンプソン 出演:チャールズ・ブロンソン

原題がそのまんま"KINJITE"。囲碁の用語から取ったとかいう話だ。

「女だって触られるのを待ってるんだ」などと勝手な理屈で通勤電車内にて痴漢行為をしてはストレス解消していた日本人サラリーマンが、アメリカに転勤で家族共々やってくる。
このサラリーマンが困ったことにアメリカでもついついバスの中で若い白人女性に痴漢行為を働いてしまう。もちろん、向こうの女性は黙って泣き寝入りなどしないので大騒ぎになってしまう。しかも、その女性の父親がチャールズ・ブロンソン演ずるはみだし暴力刑事だったりするので、あっという間にサラリーマンは「俺の娘に何しやがる」とビッグマグナムで射殺されてしまって全て解決。めでたしめでたし・・・あれ?
もちろん実際には射殺されたりはしないが(*ポール・カージーならやりそうだ)。そしてサラリーマンの娘がギャングに誘拐される事件が発生し担当になったブロンソンは必死の捜査で少女を救出し・・・えー、10年ほど前に一度観たっきりなのであまり細かいことは覚えていないが大体そんな話だったはずだ。

例によって日本関連の描写には間違っている部分もあるが、別に正しい日本像を伝えることが目的の作品ではないので個人的にはたいした問題ではない。とかく外国映画に日本の人や物が登場すると「その日本への認識は間違っている、間違っている」と騒ぐ人がいるがそれがどうしたというのだ。東京人の持つ大阪への認識や大阪人の持つ東京への認識だって多分かなりいい加減だ。異文化を正確に捉えることは至難の業で、これはおそらく我々人類の永遠の課題だ。
それどころかこの作品では、アメリカ人にはさぞ奇妙に見えるであろう"群衆の中での痴漢行為"がきちんと描かれているのには感心するぐらいだ。「見ず知らずの男に体をまさぐられてうれしいわけがないだろ!」うむ、そりゃそうだ。
だが、1989年という時代背景を考えると、日本がバブル経済の真っ盛りでアメリカの土地建物や映画会社などを買いあさっていた頃なので、反日的意味合いも含めていたのは事実だろう。

J・リー・トンプソンとチャールズ・ブロンソンというお馴染みのコンビによる刑事映画だが、派手なアクションはほとんどない。そういった意味でも異色作だ。

*ポール・カージー:『狼よさらば』(1974)を始めとする『デス・ウィッシュ』5部作でチャールズ・ブロンソンが演じた主人公。周りの人間が殺される・レイプされるなどの目に遭うと銃を持っては町へ出て悪党どもに復讐して回る暴力派建築設計士。というより、ポール・カージーに関わると酷い目に遭うというのが正解じゃないかと思う。彼と知人・友人になるのは避けるべきだろう。

B00005V1CN.jpg『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996) FROM DUSK TILL DAWN 109分 アメリカ

監督:ロバート・ロドリゲス 製作:ジャンニ・ヌナリ、メール・テパー 製作総指揮:ローレンス・ベンダー、ロバート・ロドリゲス、クエンティン・タランティーノ 原案:ロバート・カーツマン 脚本:クエンティン・タランティーノ 撮影:ギレルモ・ナヴァロ 編集:ロバート・ロドリゲス 音楽:グレーム・レヴェル
出演:ハーヴェイ・カイテル、ジョージ・クルーニー、クエンティン・タランティーノ、ジュリエット・ルイス、サルマ・ハエック、フレッド・ウィリアムソン、トム・サヴィーニ、チーチ・マリン、アーネスト・リュー、ケリー・プレストン、ジョン・サクソン、ジョン・ホークス、ダニー・トレホ

 1996年、営業車で外回りをしていた頃。ラジオの『つボイノリオの聞けば聞くほど』で(名古屋では驚く事につボイノリオが月-金午前中の帯番組を持っているのである)、「おかしな映画を観たー」と騒いでいるので、つボイノリオがおかしな映画というからにはそれはそれはおかしな映画なんだろうと観に行った。
 結論:おかしな映画だった。

 109分の内、1時間はクライム・ロード・ムービーとして物語は進む。酒場での警官が尋ねてくるところの緊張感なんかスゴイ。
 銀行強盗をして逃走中の兄弟がメキシコとの国境を越えるためにハーヴェイ・カイテル一家が乗ったキャンピングカーをジャックする。兄のジョージ・クルーニーはクールな犯罪者だが、弟のクエンティン・タランティーノは頭の少し足りないバカ野郎で日本語吹き替えが広川太一郎ときている。
 ハーヴェイ・カイテルは元牧師だが妻を交通事故で亡くした事で信仰心をなくしてしまったという設定。
 娘のジュリエット・ルイス(『ブロンコ・ビリー』や『ダーティファイター』などクリント・イーストウッド作品でもお馴染みのジェフリー・ルイスの娘。あの父親からこの娘が生まれるとは神秘である。)の機転で無事に国境を越えて、メキシコの悪党との待ち合わせ場所の酒場"ティティツイスター(おっぱいぐるぐる)"へ行った。店の営業時間は日没から夜明けまで(フロム・ダスク・ティル・ドーン)
 そこで主人公たちを待ち構えていたのはなっなんとバンパイアたちだった。

 バンパイアかよ!これは読めなかった。というか読めるかっ!
 半裸で踊る踊り子が蛇状のモンスターに変身するとクエンティン・タランティーノにかぶりつく。噛まれたタランティーノはバンパイアになり、店中の踊り子や店員はみんなバンパイアになって客を襲い始め店内は大混乱。首が飛ぶ腕が飛ぶ、もう阿鼻叫喚。
 陽気にギターを弾いていたマリアッチの楽器も実は死体を改造した物だった。
 こんな展開、誰が予想する。オレはしなかった。
 こんなトンデモな脚本を書いたのはクエンティン・タランティーノ。バカだ。二本の映画として独立できそうな作品を半ば強引に一本に仕上げてしまっている。前半の緊張感はどこへ行ってしまったんだ。よくこの脚本でOKが出たなと思ったら、製作総指揮も自分たちでやっているのだ。これは遊んで撮ってるとしか思えない。
 前半と後半の落差を楽しめない人には駄作にしか思えないだろう。普通の一本道のストーリー映画ばかりを観てきた人にはこの超展開にはついていけないはず。どこまでノレるかが勝負。一度ノレてしまえばかなり楽しい。もちろん、前半の雰囲気のまま最後まで進んだ作品も観てみたいが。
 キャストは上に書いたように豪華。今だったらジョージ・クルーニーは出てくれないだろう。タランティーノも『デスペラード』のおしゃべりな売人とは違った感じで芸達者ぶりを見せてくれる。
 他には特殊メーキャップアーティストのトム・サビーニがセックスマシーンという役名で股間にリボルバーを付けた役で登場している。『ゾンビ』や『クリープショー』などにも出演していたが、裏方なのに出たがりな人だ。でもってかなり演技が上手い。今回は途中でバンパイアに噛まれてしまうのだが、それを仲間に隠していて次第にバンパイアに目覚めていくという演技をやっていて説得力があった。それにしても、バンパイア物でもゾンビ物でもそうなのだが、噛まれたのに仲間に隠すヤツが絶対いるのはなんでだろうか。もう助からないのは分かっているのに、それで結局仲間に迷惑をかける結果になる。宣言しておくが、オレはゾンビに噛まれたら素直に打ち明ける。
 噛まれてからバンパイアになるまでの時間も結構謎。セックスマシーンは10数分はかかっていたようだが、セックスマシーンに噛まれた黒人は次のシーンではバンパイアになっていた。
 ハーヴェイ・カイテルにいたってはかなり長時間人間としての意識を保っていた。これは噛まれた場所が関係しているのか、信仰心の問題なのか。単に脚本の都合という答えはつまらないので却下。
 信仰心と言えば、この物語の真の主役はハーヴェイ・カイテルである。失った信仰を極限状態に追い込まれ二人の子供たちを守るためにも取り戻す。『エクソシスト・ビギニング』や『サイン』と同じテーマなのだ。

B000EQIQDS.jpg『パラサイト』(1998) THE FACULTY 104分 アメリカ

監督:ロバート・ロドリゲス 製作:エリザベス・アヴェラン 製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン 原案:デヴィッド・ウェクター、ブルース・キンメル 脚本:ケヴィン・ウィリアムソン 撮影:エンリケ・シャディアック 特撮:ブライアン・ジェニングス 編集:ロバート・ロドリゲス 音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:イライジャ・ウッド、ジョシュ・ハートネット、ジョーダナ・ブリュースター、ショーン・ハトシー、クレア・デュヴァル、ローラ・ハリス、アッシャー・レイモンド、ロバート・パトリック、ファムケ・ヤンセン、パイパー・ローリー、サルマ・ハエック、ジョン・スチュワート、ビービー・ニューワース、クリストファー・マクドナルド、ダニエル・フォン・バーゲン、サマー・フェニックス

 主人公のいじめられっ子ケイシー(イライジャ・ウッド)は学校のフットボール場で親指ほどの奇妙な生物を見つける。そいつは生物室の水槽に入れると復活して泳ぎだし、二つに分裂した。水槽に手を入れた生物教師の指に噛みつくほどの凶暴性を持つその生物は新種ではないかと思われた。
 その翌日、まずは先生たちの様子がおかしくなった。次いで、成績優秀やスポーツ万能などで目立つ生徒がおかしくなった。どこがこうと指摘できるおかしさではないのだが、これまでの彼らとは絶対に違う。最初はカルト宗教の仕業か何かと思っていたが、これはエイリアンに寄生(パラサイト)されたと気付いたケイシーと臨時で手を組んだその仲間たちは、エイリアンの親玉捜しを始めた。SF小説オタク少女のストークリー(クレア・デュヴァル。ちなみにロバート・デュヴァルとは縁もゆかりもないそうである)曰く「親玉を殺せば複製はみんな死ぬ。取り付かれた人間も助かる」という言葉に賭けたのである。
 そして金曜日の夜。ライバル校とのアメフトの試合で町中の人間がフットボール場に集まった。このままでは今晩にも町中の人間が寄生され、あっと言う間にアメリカ中、いや世界中の人間が寄生されてしまう。
 いじめられっ子ケイシーとその仲間たちは世界を救う事が出来るのか。

 原題の『FACULTY』には"才能"という意味と"教職員"という意味があるそうだ。画面上に一度"FACULTY LOUNGE(職員用ラウンジ)"という文字が登場するが、まさか『教職員』というタイトルで青春SFホラーは作らないだろうからダブルミーニングになっているのだろう。言葉の成り立ちから言うと教職員になるような人間には才能があるというのが語源なのだろうか。個人的経験から言うと「それはない」。
 ロバート・ロドリゲス監督作としては珍しく脚本を書いていない。他には朋友クエンティン・タランティーノが脚本を書いた『フロム・ダスク・ティル・ドーン』があるぐらいで、残りは自分で脚本を書く人なのでこの作品では雇われ監督的側面が大きかったのではないだろうか。

 内容にはロドリゲス色も感じられるものの、それ以上に脚本のケヴィン・ウィリアムソン(『スクリーム』などの青春ホラーを得意とする)のカラーが強く出ているのではないだろうか。主人公たちがティーンエイジャーという点からしてすでにそうだ。
 面白いのがエイリアンに寄生されたかどうかを判断する手段。仲間の劣等生(ただし知能はすごく高い。不良という意味での劣等生である)ジークのお手製ドラッグ"スキャット"を鼻から吸わせる事でエイリアンは正体を現すのだ。実は"スキャット"の主成分はカフェインでその利尿作用によりエイリアンにとって貴重な水分を放出してしまい苦しむのだ。どんだけ利尿作用の強いカフェインやねん、そんなんじゃコーヒー飲めないよと思ったが、そう言えば職員用ラウンジで先生たちが給水器の水をがぶ飲みしているシーンでコーヒーメーカーが空のままほったらかしになっていた。やっぱコーヒーは駄目なのか。
 仲間の中にエイリアンに寄生された者がいないか"スキャット"を吸ってケイシーとスタンがラリってしまうシーンから一転して寄生者が現れるシーンのテンポの変化は見事。一気に画面が緊張する。
 ストークリーが「これじゃまるで『ボディスナッチャー』よ。異星人が人間の身体を乗っ取るの」というと、ケイシーが「それだよストークリー。本当に異星人が襲ってきたんだ」。ストークリーが「待って、これは小説よ。図書館の本に書かれてるの」と返すとケイシーは「『シンドラーのリスト』だってそうだよ。本は本当の出来事を元に書かれているんだ」と食い下がる。「スピルバーグは宇宙人にあったのかも。いや、彼自身が宇宙人かも」そうか、スピルバーグは宇宙人だったか。なんとなく納得。いじめられっ子で周囲から疎外感を感じていたケイシーが最初にエイリアンという真相にたどり着くのは興味深い。
 ロバート・A・ハインラインの『人形使い』の名前も出てきて元SFオタクにはにんまりなシーンであった。
『ボディスナッチャー』やその原作の『盗まれた街』、『人形使い』などでは寄生された人間は悩みや苦しみから解放され、人と争う事もなく平和に暮らすことが出来るという。
 両作とも原作は共産主義批判の側面もあるのだが、実際に人間の精神がコントロールされて平和な世の中になったとして、人はそれで幸せなのだろうか。そういえば今日自宅の近くを"幸福がどうのこうの"党の街宣車が走り回っていたが皆が同じ宗教を信じて教祖の教えに従って平和になったとしてそれって幸せなのかとも思う。オレは幸せとは思わないけど。

 当時17歳のイライジャ・ウッドが小さい小さい。女の子と並んでも頭半分ぐらい小さい。さすが後に小人族のホビット族を演ずる事だけはある(あれは撮影に工夫をして小さく見せてるんだが)。
 いじめられっ子な上にいつも一眼レフを持ち歩いているちょっとオタクが入っている。家ではMacでインターネットも使っている。でも青春期だけあってベッドの下にポルノ雑誌も隠し持っている。世の東西でも少年のエロ雑誌の隠し場所は同じなのか。その隠し場所が母親にはきっちりばれてるところも同じ。

 アメフトコーチ役でロバート・パトリックが不気味な演技を見せてくれる。『ターミネーター2』で一躍有名になったはいいがその後低迷していたロバート・パトリックはこの作品で復帰したのではないだろうか。

 ティーンエイジ向けのSFホラーでかなり軽めの作り。自称大人な人には軽すぎるかもしれないが、意外な親玉の正体や、仲間内での自分たちの中ですでに誰かが寄生されているのではないかという疑心暗鬼、ちょっと目を話した隙に取り付かれているなどスリリングな展開で楽しませてくれる。仲が良いわけではなく、仕方なく手を組んだ仲間たちの個性的な顔ぶれも面白い。ホラーで大騒ぎになっているのにラストにはちゃんと恋人が出来たりして青春している。

B001P3POX4.jpg『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008) THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON 167分 アメリカ

監督:デヴィッド・フィンチャー 製作:キャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャル、セアン・チャフィン 原作:F・スコット・フィッツジェラルド 原案:エリック・ロス、ロビン・スウィコード 脚本:エリック・ロス 撮影:クラウディオ・ミランダ プロダクションデザイン:ドナルド・グレアム・バート 衣装デザイン:ジャクリーン・ウェスト 編集:カーク・バクスター、アンガス・ウォール 音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ティルダ・スウィントン、ジェイソン・フレミング、イライアス・コティーズ、ジュリア・オーモンド、エル・ファニング、タラジ・P・ヘンソン、フォーン・A・チェンバーズ、ジョーアンナ・セイラー、マハーシャラルハズバズ・アリ、ジャレッド・ハリス

 一人の男の生涯についての物語。ただ一つ普通と違うのは、その男が老人として生まれ時と共に若返っていったことだった。

 オレは長い時間を扱った映画は苦手である。ある人物の生涯を描いた映画なんてのは苦手だし、親子三代に渡って描かれた映画なんてのはもう聞くだけでうんざりだ。もちろん大河ドラマも苦手である。いや嫌いである。
 映画で描かれる時間は上映時間に近い方が良い。『真昼の決闘』のようなリアルタイム映画となるとさすがにちょっと極端だが、短時間がピシッと収まったのが好みだ。
 そんなだから『ベンジャミン・バトン』はほとんど興味がなかったのだが、一応デヴィッド・フィンチャーだし観ておくかと再生ボタンを押した。

 ブラッド・ピットは最初に書いたように老人として生まれ時と共に若返っていくという数奇な人生をたどった人物だが、これは別に普通に生まれて年を取っていく人間でも良かったのではないだろうか。
若返っていくという設定がそれほど上手く活用されているとは思えないのだが。
 外見は若くなっても内面は老人という点をもっと上手く使えなかったものか。
 人と知り合っても長くは続かずすぐに別れが来るという無常感を活かせなかったのか。
 結局、単に奇抜な設定にしかなっていない。

 ケイト・ブランシェットは途中で少し増長する点も含めて魅力的である。彼女は二十歳そこそこの若い時から老いた時まで特殊メイクの力を借りたとはいえ見事に演じきっている。魅力的だがベンジャミン・バトンがそこまで入れ込むほどの女とはちょっと思えない。ロシアでスパイをやっていた男の妻の方により魅力を感じる。
 逆にブラッド・ピットはどのシーンではブラッド・ピットに見えてしょうがない。この人は演技力はあるのだろうが、それ以上にブラッド・ピットであることが重要なのだろう。
 年を取った時の特殊メイクはあまり上出来ではない。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』レベルとあまり変わらないのではないだろうか。特殊メイクは手作業の芸術だからメイクアップアーティスト次第で出来が大きく変わる。

 お気に入りのキャラクターは船長。やはり海の男はイカすぜ。自分の身体をキャンバスにしたタトゥーアーティストって設定も良い。そんな海の男が海に死ぬ。
 第一次対戦終了の日からのアメリカの歴史についての映画でもある。オープニングにはセオドア・ルーズベルト大統領も出てくる。昨日の『ナイト ミュージアム』とはルーズベルト繋がりなのだ。
 娘が自分宛の手紙を読み始めるシーンは良かった。ベンジャミンと娘が初めて会うシーンも。でも会いに行っちゃ駄目だよな。認知症には驚いたが読めてしまうラストも感動的だ、ちょっと『タイタニック』入ってるけど。
 鬼才と言われたデヴィッド・フィンチャーとしてはしごくまともなヒューマンドラマ。彼らしかった「"もし"の偶然が重なってケイト・ブランシェットがタクシーにはねられてしまうシーンは面白かったが、作品のカラーから言えば浮いていた。個人的にはこの手の作品は苦手な方。167分はちょっと長い。

B0026ZLD7Q.jpg『ナイト ミュージアム』(2006) NIGHT AT THE MUSEUM 108分 アメリカ

監督:ショーン・レヴィ 製作:ショーン・レヴィ、クリス・コロンバス、マイケル・バーナサン 製作総指揮:マーク・A・ラドクリフ 原作:ミラン・トレンク 原案:ロバート・ベン・ガラント、トーマス・レノン 脚本:ロバート・ベン・ガラント、トーマス・レノン 撮影:ギレルモ・ナヴァロ プロダクションデザイン:クロード・パレ 衣装デザイン:レネー・エイプリル 編集:ドン・ジマーマン 音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:ベン・スティラー、カーラ・グギーノ、ディック・ヴァン・ダイク、ミッキー・ルーニー、ビル・コッブス、ジェイク・チェリー、ロビン・ウィリアムズ、ミズオ・ペック、ラミ・マレック、リッキー・ジャーヴェイス、アン・メアラ、キム・レイヴァー、エリカ・デリー、スティーヴ・クーガン、ポール・ラッド、オーウェン・ウィルソン

 博物館の展示物や蝋人形。それが毎夜動き出すとしたら......

 主人公のラリーは新しい事業に手を出しては失敗続きで転職を繰り返しているダメ男。離婚して元妻との間には10歳になる息子がいる。
 今度見つけてきたのは自然史博物館の仕事。仕事といっても夜警だ。前任者の三人の老人から仕事を引き継いだラリーは初日の夜から驚いた。なんとティラノザウルスの骨格が給水器で水を飲んでいたのだ。ティラノザウルスだけではない、フン族のアティラ王、南北戦争の兵士たち、西部開拓時代のミニチュア、テオドア・ルーズベルトの蝋人形たちが勝手に動き出していたのだ。
 その秘密は古代エジプトの黄金の石版。その魔法の力で展示物たちは夜限定の命を得ていたのだ。
 あまりのことに仕事を辞めようとするラリーだが、このままでは心底負け犬になってしまうと決意し、あれこれ工夫して仕事を続ける決意をする。試行錯誤の上、ようやく馴染んできたラリーだが、意外な悪人たちが黄金の石版など財宝を狙って博物館に忍び込む。このままでは展示物たちは灰になってしまう。ラリーは無事に黄金の石版を取り返す事が出来るのだろうか。

 下品な下ネタ(猿のおしっこがあるが)や暴力シーンがなく家族で安心して観る事が出来るファミリームービー。子供たちは自在に動き回るティラノザウルスの骨格だけで大喜びだろう。制作にクリス・コロンバスの名前があるのも納得。
 大人にはラリーのダメっぷりとそこからの再生が見所となる。自分では指パッチンで点灯するライトを開発したが手を打ち鳴らす事で点灯するライトを作った会社にアイディアをパクられたと主張し、自分は頑張っていて単についていないつもりだが実は根気がなく一つの事をやり通す能力に欠けているのだ。
 その点をルーズベルトに指摘され、一念発起して夜警の仕事に本気でぶつかっていく様が格好いい。そして失っていた息子からの信頼も回復する。
 このことによって博物館の展示物が動き出すだけの1アイディア映画に陥っていない。
 しかし、アメリカ映画にはすでに夫婦が離婚していて子供が元夫と元妻の間を行ったり来たりしている設定が多い。大体の場合、元妻が親権を持っている場合が多いようだ。夫婦円満な作品もあるが、なんか半分ぐらい離婚している映画なような印象がある。

 ドタバタと忙しいラリー役はベン・スティラー。今回は毒を抑えて愛すべきダメ男を演じている。動作が軽くリズム感があり、コメディアンの動きを見せてくれる。
 驚いたのが、ラリーと入れ替わりで引退する三人の老警備員に『メリー・ポピンズ』(1964)のディック・ヴァン・ダイクと『ティファニーで朝食を』(1961)のインチキ日本人ミッキー・ルーニーがいたこと。二人とも老いてまだ元気な様子をスクリーンに披露してくれる。彼らは意外な役柄で、後半では楽しませてくれる。特にディック・ヴァン・ダイクの活躍には注目。
 セオドア・ルーズベルト大統領はロビン・ウィリアムス。いつものやり過ぎの芝居ではなく肩の力を抜いた演技で名大統領を演じている。ちなみにテディベアの名前の由来はこのセオドア・ルーズベルト。狩猟好きな人だったが、ある日小さな熊を見逃してやった事から熊のぬいぐるみにセオドアの愛称テディが付くようになったのだ。劇中でルーズベルトが「私はルーズベルト大統領本人ではなく蝋人形だ。狩猟もやった事がない」と言うのはこの狩猟好きのエピソードから。
 ノンクレジットだそうだが、西部開拓時代のガンマン役でオーウェン・ウィルソンが登場。

 歴史の登場人物が多数出てくるので、あまり小さい子には分かりづらい点があるのが難点か。ラリーがなかなかコロンブスの名前を思い出せないというギャグや、アッチラとインチキ言語で罵りあうギャグなど分かりにくいだろう。でも分かったらもっと面白いネタといった感じで、気にせずに観られると思う。

 夏にはパート2をやるそうだが、それは果たしてどうなんだろうか。ラリーと夜警の仕事問題は片が付いてしまったし、息子との絆も回復してしまった。展示物が動き出すのは一発ネタに近いから、パート2で展示物が動いてもパート1ほどのインパクトはないだろう。単なる焼き直しになってしまうのではないだろうか。

以前から使っていたレンタルサーバー会社がperlのバージョンが古くMovable Type3までしか対応しておらず、4を使いたかったので他の会社に移転しました。
この2-3日表示がおかしかったりしてご迷惑をおかけしました。今日あたりからようやく安定しました。
やはり新しいものは良いんで4の機能を楽しんでいます。何が良いといって検索スピードの大幅アップです。これは私には直接関係なく利用者の方の利便の問題ですが、本当に速くなっています。
3の検索は実用に耐えないスピードでしたが、これでやっと検索が使い物になります。CGIが見直されたのでしょうね。
便利というか自動でやりすぎるところがあって、これまでの意識で使うと不便に感ずる点もありますがおいおい慣れていく事でしょう。カスタマイズもそんなにしないでしょうし。とか言ってる内に10月には5が出るという話ですが。
ついでといってはなんですが、レンタルサーバーの利用料が年1万以上安くなったのも嬉しい誤算でした。前使っていた会社を選んだ頃はそんな安いところはなかったんですよ。
料金でいえば無料のブログを用意しているところもあるのは知っていますが、資産(というほどのものではありませんが)であるこれまで書いてきた記事の引き継ぎが出来ない。調べてないだけで出来るところもあるのかもしれませんが。自動で出来なくても手作業で出来ないこともないんでしょうが......無理っす。

B0026OBVAQ.jpg  『ザ・クリーナー 消された殺人』(2007) CLEANER 90分 アメリカ

監督:レニー・ハーリン 製作:アヴィ・ラーナー、サミュエル・L・ジャクソン、スティーヴ・ゴリン、アリックス・マディガン=ヨーキン、マイケル・P・フラニガン、ラティ・グロブマン 製作総指揮:エリ・セルデン、ポール・グリーン、ジュリー・ヨーン、ダニー・ディムボート、トレヴァー・ショート、ジョー・ガッタ 脚本:マシュー・オルドリッチ 撮影:スコット・キーヴァン プロダクションデザイン:リチャード・バーグ 衣装デザイン:スザンナ・プイスト 編集:ブライアン・バーダン 音楽:リチャード・ギブス
出演:サミュエル・L・ジャクソン、エド・ハリス、エヴァ・メンデス、ルイス・ガスマン、キキ・パーマー、マギー・ローソン、ホセ・パブロ・カンティージョ、ロバート・フォスター

 特殊清掃人。それは殺人現場や自殺現場などで流れ出た血や飛び散った肉片などを清掃する者たちのことである。
 主人公のサミュエル・L・ジャクソンは元警官の特殊清掃人。自ら会社を構えて社長を務めると共に現場で清掃作業にもあたっている。
 ある日の事、殺人現場の清掃を終えたサミュエルは翌日になって合い鍵を持ってきてしまったのに気づき返却しにその邸宅へと向かう。しかし、その家の妻エヴァ・メンデスは清掃の事など何も知らず依頼主の警察の刑事はまったく架空の人物だった。
 そして、その家の主ノーカットが失踪した事を知る。主は警察汚職に関わる人物だった。
 友人の警官エド・ハリスに相談し、自分が泥沼に足をつっこみつつあることを知ったサミュエルはエヴァを匿い事件を解決しようとする。
 しかし、事態は思わぬ方向へ進んでいった。

 バカ映画を中心に作品を発表してきたレニー・ハーリンの地味なサスペンス映画。
 特殊清掃人は実際にいるそうで、以前テレビの『世界まる見えテレビ特捜部』で紹介されているのを見た事がある。
 殺人などで血が流れればその跡は残るわけで、まさかそのままにしておくわけにもいかないから誰かが綺麗にしなければならない。血とか肉片だから感染症などの危険性を考えると素人が簡単に手を出せるものではなく、そこでプロの出番というわけだ。
 件の清掃現場のサミュエルは白いソファに座っているところを射殺されたらしい状況で、ソファに背後の壁、床に1日ほど経った血がこびりついているのを特殊な洗剤や道具であっと言う間に綺麗にしていく。血で染まったソファが元通りに真っ白になるのは驚きだ。
 死体が発見されずに放置されていたなどの事態はあり得るだろう。その場合、死体は腐り体液などはにじみ出るだろうから一言に清掃といっても大変だ。かなり精神力を使う仕事なのは間違いがないだろう。日本では殺人事件は少ないが、自殺や孤独死はあるから知られていないだけで特殊清掃人に似た仕事はあるのだろう。警察や消防がそこまで面倒をみてくれるとも思えない。

 ストーリーは警察の汚職事件に関わるノーカットがその件で殺されたとミスリードさせておいて、ラストでどんでん返しが待っている。殺しの動機としてはちょっと弱いが、納得できないほどでもない。
 サミュエルがもっと早く警察に通報して協力を仰いでいればと思わなくもないが、彼自身元警官でその汚職事件にも関わっていた過去がある。そのため、下手をすると自分が犯人だと疑われてしまう可能性があるので避けたのだろう。そのことで孤立した主人公を描く事に成功している。
 ヴォーンという汚職の元締めが名前は何度も登場する物の画面に一度たりとも姿を現さないのも面白い。ちなみにフルネームはロバート・ヴォーンらしい。そのまんまな名前だな。

 サミュエルには娘がいる。母親は強盗に射殺されてすでに死んでいる。この父娘の関係を描くのもこの映画の大きな目的の一つ。宿題だと嘘をついて母親の事を調べる娘はどんな気持ちなのだろうか。この娘がなかなか可愛らしい上に演技が上手い。サミュエルとの二人芝居のシーンがほとんどだが、サミュエル相手に堂々と演じきっている。

 サミュエル・L・ジャクソンにエド・ハリスという渋め俳優が看板を張っている。興味ない人には興味がないだろうが個人的には実にツボだ。過去を背負ったサミュエルの渋い演技が記憶に残る。

 サミュエルのバンには『レポマン』で「どの車にもある」と言われたもみの木(?)の形をした消臭剤がぶら下がっていて笑ってしまった。
 でも、映画では清掃現場の絵面は映っても臭いを伝える事は出来ない。きっとすごい臭いなのだろう。その臭いの象徴がこの消臭剤なのかもしれないと思ってしまった。

B001O8OR9M.jpg『カリガリ博士』(1919) DAS KABINETT DES DR. CALIGARI 67分 ドイツ

監督:ロベルト・ウイーネ 製作:エリッヒ・ポマー 脚本:ハンス・ヤノヴィッツ、カール・マイヤー
出演:コンラート・ファイト、ヴェルナー・クラウス、リル・ダゴファー、フリードリッヒ・フェーヘル、ハンス・ハインリッヒ・フォン・トワルドフスキー

 ドイツ表現主義の傑作・代表作である。
「表現主義?知ってる知ってる。鍋物にして味噌だれで食うと美味いんだ。冬に食べるとこたえられないね。この季節にはちょっと重いけど」ぐらいの知識しかないが、この映画はほとんどがセットで撮影されている。
 そのセットが尋常ではない。どこもかしこもひん曲がっているいるのだ。ドアは三角形だし道路の脇に建つ壁は互い違いに傾いている。カリガリ博士が暮らす小屋は台風の後のボロ屋の様にひし曲がっているし、窓は台形だ。そしてあちこちに落書きのようなペイントが施されている。まったくもって異常な光景である。美術の中で繰り広げられる物語。これが表現主義というものなのか。
 表現主義とは「現実や自然を客観的に描写するのではなく、主観的な感じ方や感情を表現することに重きをおく運動、あるいはその傾向のこと。」なんだそうだ。ムンクの「さけび」なんかも表現主義の作品らしい。ドイツが大きな役割を果たしており、ドイツ映画の『カリガリ博士』が表現主義映画の代表なのはむしろ当然なのだろう。

 ドイツのある街にお祭りがやってくる。お祭りの見せ物小屋に夢遊病者チェザーレの予知を出し物にしたカリガリ博士の小屋があった。そこに入った主人公のフランシスと友人のアラン。アランはフランシスの制止にもかかわらず自分の寿命をチェザーレに尋ねた。答えは「明日の朝まで!」
 その予知通りにアランは死んでしまった。死んだと言っても自然死ではない、何者かに殺されたのだ。これでカリガリ博士とチェザーレを疑わないはずがない。しかも、カリガリ博士を鼻であしらった役人まで殺されているから容疑は濃厚だ。そこでアランは捜査に乗り出す事にした。

 サイレント映画なせいもあってか登場人物の動作がいちいちおおげさで今となってはちょっと可笑しい。だが、奇怪なメイクのチェザーレは怖ろしい。映画史におけるかなり早い段階での殺人鬼だ。そのチェザーレに食事を作ってやって、普段は寝ていて自分で身体を動かせないものだから、「はい、あーん」状態で食べさせてやっているカリガリ博士がちょっと可愛い。
 当時、ドイツでは全体主義が台頭しつつあって、それに対する批判が込められていると言う。そこら辺、ちょっとオレには感じられなかったのだが、当時の状況まで含めて考えるとそうだったのだろう。そして批判を防ぐために、これまでの出来事はすべてアランの妄想でアランは偏執狂患者だったというオチが付く。カリガリ博士は精神病院の院長だったのだ。
 こいつはなかなか面白いどんでん返しで楽しませてくれた。

 DVDの冒頭には淀川長治氏による解説が付いている。ドイツ映画がかつてモダンだった事を熱心に話し、それを壊してしまったナチスについて怒っている。怒る淀川さんはなかなか見られない。メーカーが低画質で有名なIVCなので画質は期待できないが、どのみち90年も前の作品では状態の良いフィルムでも似たり寄ったりだろう。

B0027ZCJZ0.jpg『女子高生VS狼男』(2008) NEVER CRY WEREWOLF 91分 カナダ

監督:ブレントン・スペンサー 製作:アーロン・バーネット 製作総指揮:エリック・ゴズラン、マイケル・グリーンフィールド、ダニエル・グロドニック、ゲイリー・ホーサム、リチャード・ロット、ジャクリーン・ケリー、バーバラ・サックス、ブレントン・スペンサー 脚本:ジョン・シェパード 撮影:カーティス・ピーターセン 編集:ニック・ロトゥンド 音楽:マイケル・リチャード・プロウマン
出演:ニーナ・ドブレフ、ピーター・ステッビングス、ケヴィン・ソーボ、スペンサー・ヴァン・ウィック、ショーン・オニール、キム・バーン、メラニー・レイシュマン、ラザフォード・グレイ

キワモノ系な邦題だが、原題は『NEVER CRY WEREWOLF』と渋め。そういえば『ネバー・クライ・ウルフ』って自然映画があったよな。
 ある日、女子高生の住む家の隣の空き家に霧と共にバイクに乗った男が引っ越してきた。その男の正体は狼男。えっ?霧は吸血鬼じゃないかって?そんなの知らん、狼男なの。タイトルにもそう書いてあるでしょ。

 たった一人、男の正体に気付いてしまったヒロインは、友達に笑われながらも男を監視する。ところが売春婦が殺されただけではなくその友達まで殺されてしまった。警察に訴えるが、まったく取り合ってもらえない。これは私があいつを倒すしかない。
 彼女の事を昔に死んだ恋人だと思い込んでいる狼男は直接手出しをしてこない。そこで武器店に行って『ターミネーター2』の終盤でサラ・コナーが使っていた大型ショットガンを買おうとするが武器所持証がいるというので代わりにボウガンを買い込んでくると、矢の先に銀食器をくくり付けて銀の銃弾代わりにする。この女子高生、行動的で頭が切れる。それでいてなかなか可愛いと来てるから狼男ならぬ男なら惚れてしまうのもしょうがないのかも知れない。
 そして、満月の夜が訪れた。

 満月でなくても死んだ犯罪者の首の皮を持っていれば自在に狼男に変身できるという設定は始めて聞いた。この作品オリジナルだろう。ちなみに殺された犯罪者は性犯罪者で、警察によって住んでいる家には「警告、登録制犯罪者の家」の張り紙がしてある。アメリカでは性犯罪者は出所後も居所を付近の住民に明らかにしておかなければならないというがこういうことか。これでは冷たい視線を集めてしまって更正も難しいのではないだろうか。確かに性犯罪の再犯率は高いそうだが。

 終盤でテレビのハンティング番組のホストが仲間に加わる。加わると言ってもこの番組は全てヤラセでホストはほとんど自分で銃を撃った事もないとくるから頼りない。しかも番組は低視聴率で打ち切り寸前。妻に家を追い出されキャンピングカー暮らしですっかりしょぼくれている。狼男と吸血鬼という違いはあるが、なんとなく『フライトナイト』(1985)を思い出してしまった。あれは隣に吸血鬼が引っ越してきて、バンパイヤ・ハンター役を演じた俳優に助力を仰ぐというものだった。
 このホストは結局逃げ回ってばかりと思いきや意外な活躍をしてくれる。でも本当はもっと活躍して誇りを取り戻すところまでやって欲しかった。

 狼男と言えば変身シーンが楽しみだが、この作品はテレビ用映画なのであまり凝った映像は見せてくれない。CGで顔が突き出るとか背骨が伸びるとかぐらいだ。ちょっと残念だが仕方ない。

 ラストはめでたしめでたしだが、その後人間に戻った狼男の死体などを警察にどう説明するか心配だがあの子ならなんとかやってくれるだろう。まったく女子高生は最強だ。

B0007MTBK6.jpg『エクソシスト ビギニング』(2004) EXORCIST: THE BEGINNING 114分 アメリカ

監督:レニー・ハーリン 製作:ジェームズ・G・ロビンソン 製作総指揮:ガイ・マケルウェイン、デヴィッド・C・ロビンソン 原作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 原案:カレブ・カー 脚本:ウィリアム・ウィッシャー、アレクシ・ホーリー 撮影:ヴィットリオ・ストラーロ 編集:マーク・ゴールドブラット 音楽:トレヴァー・ラビン
出演:ステラン・スカルスガルド、ジェームズ・ダーシー、イザベラ・スコルプコ、レミー・スウィーニー、アンドリュー・フレンチ、ジュリアン・ワダム、ラルフ・ブラウン、ベン・クロス、デヴィッド・ブラッドリー、アントニー・カメルリング

 そもそもはポール・シュレイダー監督作として撮影され、完成したものの心理描写に重点を置いた地味な作品としてダメ出しされ、レニー・ハーリンが新たに一から撮り上げたのがこの作品。
 つまり二本分の映画の資金、人材が注ぎ込まれているわけで考えてみると贅沢な作品である。
 ポール・シュレイダー作品の方も公開されるとかいう噂があったがあれは結局どうなったのだろうか。現時点では取りあえず日本では幻の作品のままである。アメリカではDVDの特典になっているとかいないとか。
 それにしても『エクソシスト』シリーズもこれで4本目となり、アメリカ人の『エクソシスト』好きがうかがえる。

 今回は、1、2作目でマックス・フォン・シドーが演じたメリン神父の若き日の悪魔との戦いを描く。メリンを演ずるのはステラン・スカルスガルド。良い俳優だとは思うが、マックス・フォン・シドーとはあまり似ていない。
 今メリンと書いたのは、劇中ではメリンは神父を辞め考古学者になっているから。転職にも色々あるが、これだけ変化のある転職も珍しいだろう。
 第二次大戦中、ナチスの蛮行によって信仰を捨ててしまったメリンが、アフリカで悪魔像を探す仕事を請け負い、その結果として悪魔払いの儀式をする事になり信仰を取り戻して再びメリン神父になるといった映画である。
 その悪魔像の悪魔パズズが一作目でリーガンに取り憑くのでまさにここから始まった『ビギニング』である。
 監督がレニー・ハーリンなので色々なところが派手。メリンがちょっとやさぐれた考古学者というのはインディ・ジョーンズを思わせるし、アクションもふんだんに盛り込まれている。
 白人の軍隊とアフリカの原住民の戦いが始まったり、悪魔が取り憑いていた人物が実は......というのも驚かしてくれるし、これまでの3作とは違った方面からのアプローチを見せてくれる。
 一作目の白い息はセットを冷凍庫だか冷蔵庫だかの中に組んで撮影したものだが、今回はCG。制作の事情からかあまり予算はなかったようでCGの出来は余りよくない。ハイエナが少年を襲うシーンなどはかなりお粗末だ。その分の予算をラストの悪魔払いのシーンに注ぎ込んだのだろう。悪魔に憑かれた人物が岩壁をスパイダーウォークで這いずり回るがここのCGは悪くない。
 メリンが次第に苦悩を乗り越えて信仰を取り戻していき、黒人少年が神父さんと呼びかける頃にはすっかり神父になりきっている。
 シリーズを通して思ったのは、やはり悪魔憑きの怖ろしさがキリスト教徒ではない日本人にはイマイチピンとこないのではないかということ。
 そもそもの悪魔の怖ろしさについて感じるところがまるで違うのだろう。キリスト教の人にとっての悪魔とは我々が地獄や閻魔大王に感じる恐怖とは比べものにならないほど怖ろしく、隙あらば自分たちを誘惑しようとしているに違いない。ホラー映画の題材としても殺人鬼やゾンビ、モンスターなどとは比べものにならないのだろう。

B00005QYJK.jpg『エクソシスト3』(1990) THE EXORCIST III 110分 アメリカ

監督:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 製作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 原作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 脚本:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 撮影:ジェリー・フィッシャー 音楽:バリー・デ・ヴォーゾン
出演:ジョージ・C・スコット、ブラッド・ドゥーリフ、エド・フランダース、ジェイソン・ミラー、ニコル・ウィリアムソン、スコット・ウィルソン、ナンシー・フィッシュ、ジョージ・ディセンゾ、ドン・ゴードン、ヴィヴェカ・リンドフォース、ゾーラ・ランパート、ジョディ・ロング、ハリー・ケリー・Jr、グランド・L・ブッシュ、サミュエル・L・ジャクソン

『エクソシスト』(1973)については特に説明の必要がないだろう。悪魔憑きになってしまった少女とその悪魔を払わんとする神父の物語である。
 実を言うとオレはこの作品があまり好きではない。何故かというとフリードキンの演出が下手だからだ。代わりに『エクソシスト2』の方は結構好きである。
 そして『エクソシスト3』は、近代ホラー映画にとって重要な位置を占める傑作として一番好きである。何故ならば、おそらく「何も描かない事による恐怖の演出」を初めて意図的に行った作品だからだ。
 ジョージ・C・スコット演ずる刑事が連続首切り殺人を捜査する。首切り殺人といってもこの作品でははっきりとした死体などは画面に映し出されない。そして事件の線上に1作目で悪魔と戦い命を落としたはずのカラス神父が浮かび上がる。
 一作目であったような緑のゲロや回転する首などのショッキングな映像を極力排除したのは、監督・脚本をつとめた原作者のウィリアム・ピーター・ブラッティ。思い切った省略や無駄とも思えるカットがあり一般的な映画の枠に収まっていないが、それを可能にしたのは職業監督ではないゆえに失敗してもかまわないという強みもあったろう。

 ムスッとした表情のジョージ・C・スコットの、もっとも彼の場合はいつもそんな顔つきなので心の内は分からないが、下からあおって撮ったジョージ・C・スコットの上にある天井には、気味の悪いお婆さんがスパイダーマン状態で張り付いてゴソゴソと這いずり回っている。ではそのお婆さんがジョージ・C・スコットに襲いかかったりするかというとそんなことはなく、場面は変わりその後お婆さんは登場しない。(アメリカのテレビシリーズ『スティーヴン・キングのキングダム・ホスピタル』で、アル中の発作で担ぎ込まれた患者の幻覚として天井を這いずり回る女性が登場していた。ひょっとしてオマージュか?)
 病院の長い廊下のその端にカメラを据え付け、画面固定のまま延々と撮る。ようやく看護婦が現れ廊下を横切って姿を消す。その次の瞬間、植木バサミほどもある巨大なハサミを持った白衣の人物がその看護婦の後を追って走り過ぎる。ほんの一瞬である。
 白衣の人物に看護婦が襲われたのか。その首を切り落とされたのか。画面には何も映し出されないまま次のシーンになってしまう。
 ここには70?80年代にあったような直接的な残虐描写は登場しない。ある意味、何もないのだ。そのことによって恐怖が発生し、何も描かれてないだけに映像に物理的な限界が生じない。
 一転してラストでは悪魔とジョージ・C・スコットの対決となり派手な映像も登場するがラストは実にあっけない。そのあっけなさが良い。

B002BS02E8.jpg『エクソシスト2』(1977) EXORCIST II: THE HERETIC 118分 アメリカ

監督:ジョン・ブアマン 製作:ジョン・ブアマン、リチャード・レデラー 脚本:ウィリアム・グッドハート 撮影:ウィリアム・A・フレイカー 特殊効果:アルバート・ホイットロック 特殊メイク:ディック・スミス 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:リチャード・バートン、リンダ・ブレア、ルイーズ・フレッチャー、キティ・ウィン、ネッド・ビーティ、マックス・フォン・シドー、ジェームズ・アール・ジョーンズ、ポール・ヘンリード、ジョーイ・ローレン・アダムス

 『未来惑星ザルドス』(1974)などのジョン・ブアマン監督作だけあって変な映画。
 1作目にあったようなショッキングな描写はほとんど鳴りを潜め、ラストのイナゴ大襲来ぐらいか。
 ホラー映画として観ると怖さがなく落第点だろう。だがそもそもホラー映画として撮っていないのだろう。これは太古から続く善と悪の戦いを描いた哲学映画なのだ。
 昔観た時に音楽が印象に残っていたが、今回調べてみたらエンニオ・モリコーネだった。さすが。

 あの悪魔憑き騒動から4年。未だ精神分析医の元に通い続けるリーガンの元に、メリン神父の死の真相を調べるべく教会から遣わされたラモント神父が訪れる。点滅する光を使って二人の精神を同調させる同期催眠機にかけられたリーガンとラモント神父。ラモント神父はその中でリーガンの中にまだ悪魔が潜んでいる可能性に気付く。そして全ての謎はメリン神父が若いころにアフリカで研究していた事柄に結びつく事にも。

 途中はかなり退屈な感じがして眠気を抑えるのに苦労したが、ラストで一気に盛り返す。イナゴの大襲来は一大スペクタクルである。
 1作目では幼さを感じさせたリンダ・ブレアがティーンエイジャーに成長しているのも見所か。アフリカのキリスト教について描かれているのも興味深い。
 数十年前にアフリカで活動していたメリン神父としてマックス・フォン・シドーが再び登場しているが、老けメイクをしていないマックス・フォン・シドーがこんなに若いのには驚いた。しかもなかなかハンサム。ダース・ベーダーの声を担当している黒人俳優ジェームズ・アール・ジョーンズもちょい役で登場して相変わらず渋い声を聴かせてくれる。
 評価が分かれる作品だろうが、ジョン・ブアマン監督作という点では比較的取っつきやすい作品ではある。

B002BS02DY.jpg『エクソシスト』(1973) THE EXORCIST 121分(ディレクターズ・カット版:132分) アメリカ

監督:ウィリアム・フリードキン 製作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 製作総指揮:ノエル・マーシャル 原作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 脚本:ウィリアム・ピーター・ブラッティ 撮影:オーウェン・ロイズマン 特殊メイクアップ:ディック・スミス プロダクションデザイン:ビル・マレイ 編集:ノーマン・ゲイ、エヴァン・ロットマン 音楽:マイク・オールドフィールド、ジャック・ニッチェ 舞台装置:ジェリー・ワンダーリッチ
出演:エレン・バースティン、マックス・フォン・シドー、リー・J・コッブ、ジェイソン・ミラー、リンダ・ブレア、キティ・ウィン、ジャック・マッゴーラン、ウィリアム・オマリー、ルドルフ・シュントラー、バートン・ヘイマン、ピーター・マスターソン
声の出演:マーセデス・マッケンブリッジ

 悪魔憑きという点で言うとこの作品の本当の怖さはキリスト教徒にしか分からないんだろう。
 だが、よく知っていたはずの人物、自分の愛する娘が一夜にして自分の知らない他人になってしまうという怖さは万国共通に違いない。
 自分の愛する人が気持ちの悪い事を言い奇妙な行動を取り始める。それでもその相手を愛しているし愛したい。何とかして直そうとするが、誰も彼も的はずれな助言をしてくれるだけで真の力にはなってくれない。自分もどう対処していいのか分からない。そんな恐怖を描いた作品である。悪魔払いのシーンはおまけかも知れない。
 日本人の多くはキリスト教徒ではないと思うが、だったら悪魔憑きではなくキツネ憑きに置き換えて観たらどうだろう。昔はキツネ憑き払いや、キツネ憑きになってしまった娘を座しきろうに閉じこめておいたなどと聞く。本質的には同じではないだろうか。

 イラクで発掘を行っていたメリン神父が小さなメダルと悪魔像を発見する。その頃、アメリカでは女優の娘リーガンが卑猥な言葉を発するなどおかしな行動を示すようになる。医者では脳腫瘍などを疑われたが検査の結果何も見つからず、精神科医に行っても結論らしい結論は出ない。
 その間にもリーガンの行動は悪化し、言動だけでなく寝ているベッドが大きく揺れ動いたり部屋の物が飛び交うなど病気では説明の付かないことが起きる。
 医者に悪魔払いを勧められた母親は若いカラス神父に助けを求める。帰国していたメリン神父と共にカラス神父は悪魔払いに向かう。

 そもそもメリン神父が悪魔像を掘り出してしまった事とリーガンの悪魔憑きに関係があるのかが謎。今回オレが観たのは2000年に発表されたディレクターズカット版だが、メリン神父が悪魔払いの最中に悪魔像の幻を見るシーンがある。と考えるとやはり関係あるのだろうか。
 だとしたらなぜリーガンが選ばれたのか。悪魔はどこにでもいる普通の子を狙ってくるということなのかもしれない。
 リーガンを演じた子役のリンダ・ブレアはこれで一躍有名になりアカデミー助演女優賞にもノミネートされたがその後はぱっとせずB級女優になってしまった。長時間の撮影を特殊メイクに耐えて演じただけでも大変だったろうに演技力もある。子役は得てして大成しないものだが残念だ。
 特殊メイクを担当したのは大御所のディック・スミス。レーガンの傷が入った顔や目の色が変わったコンタクトなどの細かい仕事から、首の180度回転など大仕掛けもやってのけている。首の180度回転の等身大モデルがスクリーンに映る時間はほんのわずか。わずかだからいいのでこれを延々と映してしまうと偽物だとバレてしまう。そこら辺は分かってるなと思う。
 監督はウィリアム・フリードキンでオレの苦手な人物。この人は人物描写が本当に下手だと思うのだ。だがこの作品ではその下手さが逆に恐怖をアピールするのに役立っていた。
 それにしてもメリン神父を演じたマックス・フォン・シドーは1973年のこの時すでにどう見ても老人。いまだに老人。

B000ZIZO80.jpg『ホステル2』(2007) HOSTEL: PART II 94分 アメリカ

監督:イーライ・ロス 製作:イーライ・ロス、マイク・フレイス、クリストファー・ブリッグス 製作総指揮:スコット・スピーゲル、ボアズ・イェーキン、クエンティン・タランティーノ 脚本:イーライ・ロス 撮影:ミラン・チャディマ 特殊メイク:グレゴリー・ニコテロ、ハワード・バーガー プロダクションデザイン:ロブ・ウィルソン・キング 衣装デザイン:スザンナ・プイスト 編集:ジョージ・フォルシー・Jr、ブラッド・E・ウィルハイト 音楽:ネイサン・バー
出演:ローレン・ジャーマン、ビジュー・フィリップス、ロジャー・バート、リチャード・バージ、ヴェラ・ヨルダノーヴァ、ヘザー・マタラッツォ、スターニスラフ・イワネフスキー、ジェイ・ヘルナンデス、ジョーダン・ラッド、エドウィジュ・フェネシュ、モニカ・マラコーワ

 自分の命が知らないところで売られてしまい、捕らえられて虐殺される『ホステル』シリーズ第二弾。

 ヨーロッパに留学中のアメリカ人女子大生3人組が、休暇でプラハに向かう。途中の列車で授業に来ていたモデルと出会いスロバキアのスパへと誘われる。列車の中で質の悪いイタリア人に絡まれてうんざりしていた彼女たちはその案に乗る事にした。
 こうしてモデルの甘言に乗せられてスロバキアにやってきた彼女たちを待っていたのは楽しい休暇ではなく、命の危機だった。

 前作では男の三人組が主役とむさ苦しかったが、今回は女子大生に変更されている。これは妥当な案だと思う。恐怖に怯えるのはやはり男よりも女の方が似合っている。うーむ、ちょっと変質者?
 今回は主人公側だけではなく、オークションで彼女たちを競り落とし、殺す権利を買った側の男たちについてもストーリーが裂かれている。
 二人組の男で、一方は乗り気だがもう片方はそちらに強引に誘われた形だ。しかし、実際に殺しの現場になるとあれだけ乗り気だった方は女の顔を回転ノコで削った事でびびってしまい殺しを投げ出してしまう。一方、消極的だった方は次第に興奮してきてついに殺しを決意する。人間の本性や多面性を象徴しているとも言える。
 この構成が、前作では被害者側一辺倒だったのに比べて二方向の視点からのマルチアングル的な物となっていて面白い。殺す側も金は持っていても普通の人間なのだ。回転ノコや包丁が人を殺すのではない。人間が人間を殺す。何の恨みも持っていない相手を、ただ楽しみのためだけに殺す。だから怖ろしい。
 残虐シーンは前作よりも抑えめ。それでもグロいので耐性のない人は注意。もっともそんな人はこの映画を観ないだろうが。

 冒頭の前作の主人公の末路は余分かと。あれだけ必死になって逃げ出したのに、あっけなく殺されては可哀想というものだ。だがあの組織の秘密を守るためにはこう描くしかないのか。
 前作の主人公に逃げられた反省か、今回の殺人ゲーム会場は厳重な壁とゲートに囲まれ、各部屋のドアも外からリモートコントロールでないと開けられないようにセキュリティがアップしている。どうやら街の人はここで何が行われているか知っているようだが、自分たちの利益にもなるのだろうか黙っているようだ。主人公を助けようと声をかけてくる青年がいるが、組織に見つかっても軽いリンチを受けたぐらいで殺されもせずにまた出てくる。その時にはもう彼女を助けるには手遅れだった。

 最後に一人生き残ったヒロインは意外な解決法で命が助かる。世の中、度胸と金だ。
 ラストは自分たちを悪夢に引きずり込んだモデルへの復讐。切り落とされたモデルの首でスロバキアのストリートチルドレンたちが無邪気にサッカーをするシーンが笑える。こういうグロさは好き。

 こういう殺人願望を映画で観ているうちはいいが、本当に人を殺したいと思っている人がいるとしたらヤバイヤバイ。映画で発散して現実の行動には移さないように。
 でも、スプラッター映画好きでそんな願望を持っている人というのは世間が思ってるよりはるかに少ないと思う。逆に実際に血を見たらビビってしまう人の方が多いんじゃないだろうか。そういうのが怖いからスプラッター映画を観るんであって、残虐描写が平気だったら観てもつまらないだろう。

B0026R9HR2.jpg『ホステル』(2005) HOSTEL 93分 アメリカ

監督:イーライ・ロス 製作:イーライ・ロス、クリス・ブリッグス、マイク・フレイス 製作総指揮:クエンティン・タランティーノ、スコット・スピーゲル、ボアズ・イェーキン 脚本:イーライ・ロス 撮影:ミラン・チャディマ 特殊メイク:グレゴリー・ニコテロ、ハワード・バーガー プロダクションデザイン:フランコ=ジャコモ・カルボーネ 衣装デザイン:フランコ=ジャコモ・カルボーネ 編集:ジョージ・フォルシー・Jr 音楽:ネイサン・バー
出演:ジェイ・ヘルナンデス、デレク・リチャードソン、エイゾール・グジョンソン、バルバラ・ネデルヤコーヴァ、ヤナ・カデラブコーヴァ、ヤン・ヴラサーク、リック・ホフマン、三池崇史、ジェニファー・リム

 バカな若者たちが遊びに行って女といちゃついたり酒や麻薬をやっているうちに殺人鬼に殺されるというのは田舎や森でのキャンプが多かった。『13日の金曜日』シリーズや『悪魔のいけにえ』などである。
 イーライ・ロス監督の『キャビン・フィーバー』(2002)も森の中のキャビンを舞台にしている。この『キャビン・フィーバー』を気に入ったクエンティン・タランティーノが製作総指揮を買って出て作られたのがこの『ホステル』だ。
『ホステル』がこれまでの作品と違うのは、東欧のスロバキアとはいえ都会で若者たちが事件に巻き込まれるという事。そして殺人鬼が怪物のような連中ではなくて、実社会で成功している普通の人々だという事。

 バックパッカーの若者三人がオランダのアムステルダムで女とマリファナを楽しんでいた。そこで知り合った青年からスロバキアでは良い女が抱き放題だと聞きさっそくやって来る。一軒のホステルに泊まった三人はルームメイトの女性たちと仲良くなりさっそくイチャイチャ。ところが翌日、一人が帰ってこない。さらに翌日にはもう一人も帰ってこない。
 これはどういうことかと主人公は女性を問い詰めて、“芸術家の展覧会”と彼女が呼ぶアジトへと連れて行かせる。しかし、そこは行ってはいけない場所だった。

 とにかく“痛い”残酷描写のオンパレード。足の指を切ったり、両足のアキレス腱を切ったり。主人公はチェーンソーで左手の小指と薬指を切断されてしまう。
 それらをやるのが、金で彼らの命を買った金持ちの連中。人間、金と余分な時間を持つとろくなことをしない見本である。
『ハードターゲット』(1993)での金持ちによる人間狩りは理解できるが、生体人体解剖は理解できん。というかしたくない。こいつらは何でこんなことをしたがるんだ?
 ジェイソンがナタで斬りつけてきたり、レザーフェイスがチェーンソーで襲いかかってくるのは良いんだ。あれは芸だから。ホラー映画は好きだ。でもこの作品でのスプラッター描写は趣味じゃないね。
 日本人女性が登場して、拷問されたあげくにお岩さんメイクで右目がビョーンと飛び出してしまう。彼女は主人公に助け出されるが、駅でガラスに映った自分の素顔を見て絶望のあまり走ってきた列車に飛び込んでしまう。飛び散る血、血、血。いやだよオレもう。でもその特殊メイクの下手さには笑ってしまったが。
 全体的に閉鎖的で東欧のどんよりとした空の下スカッとしたところがない。主人公の脱出劇と復讐が唯一の救いだ。主人公たちを組織に売った女性が主人公が運転する車とそれを追ってくる組織の車にはねられてベチョっとつぶれるシーンはスカッとしたかも。
 貧しいスロバキアの女性が豊かなアメリカの青年の命を売ってしまうというのは皮肉が効いている。
 言葉の通じない異国の街で自分の命が売られ殺されてしまう。都市伝説で本当にありそうな話ではある。田舎への一人旅は気をつけなくてはいけないが、都会での旅も気をつけなくてはいけないということか。
 唐突に出てきて、意味があるんだかないんだかなことを言って車で去る東洋人が三池崇史。タランティーノとの縁で出たんだろう。

B002BS02QG.jpg『ムーンウォーカー』(1988) MOONWALKER 93分 アメリカ

監督:ジェリー・クレイマー、コリン・シルヴァース 製作:デニス・E・ジョーンズ、ジェリー・クレイマー 製作総指揮:マイケル・ジャクソン、フランク・ディレオ 原案:マイケル・ジャクソン 脚本:デヴィッド・ニューマン 撮影:ジョン・ホラ、トーマス・E・アッカーマン 音楽:ブルース・ブロートン
出演:マイケル・ジャクソン、ショーン・レノン、ケリー・パーカー、ブランドン・アダムス、ジョー・ペシ

 オレはもろにマイケル・ジャクソン世代である。オレ自身は音楽にさほど興味がなかったが、大好きな映画監督ジョン・ランディスが演出しリック・ベイカーが特殊メイクを担当した『スリラー』がテレビでやるという夜はビデオのリモコンを握りしめてテレビの前で待っていた。放送されたのはオープニングの映画館のシーンがカットされた短縮版なのでがっかりしたがそれでも「こりはスゴイ」と思ったものだ。他にはマーティン・スコセッシが演出した『BAD』などもそれなりに楽しんだ。でもスコセッシは嫌いなんだよね。

 アメリカンドリームを実現した男マイケル・ジャクソンが色々あったあげくに先日亡くなったということは今さら言うまでもない事だろう。
 そのマイケル・ジャクソンの数少ない主演映画がこの『ムーンウォーカー』だ。『キャプテンEO』なんかもあるにはあるがあれは短編の立体映画で日本ではディズニーランドに行かないと観る事が出来なかった。ソフト化も難しいからこのまま幻の映画になっていくんだろうが出来も良かったのでもったいないことだ。それに比べると『ムーンウォーカー』はちょっとアレな出来だ。

 この作品はアイドル映画である。そもそも“映画”であるか怪しいものだがとりあえず“映画”としておこう。アイドル映画とはアイドルを楽しむのがメインであってそのアイドルに興味がない人にはまったく面白くないものだ。『ムーンウォーカー』もご多分に漏れずマイケルに興味がない人には「何が面白いんだ。ふざけとる」といった内容になっている。
 そもそも全体の約7割がプロモーションビデオやコンサートの引用となっている。これが“映画”とするかで迷ったところ。ファンならばお気に入りのプロモを大画面で観られればそれだけで価値のあることだろう。だがオレは正直劇場で困った。そうそう、何でか知らんが劇場で観てるんだよ。
 ジャクソン5の時代から段々と成長して成功をその手にしていく様が描かれ、子供が演ずる『BAD』があったそのあとはモデルアニメーションのクリーチャー達と追っかけっこのあげくウサギのクリーチャーとダンス合戦。その道路はダンス禁止の標識が立っていて警官に切符を切られてしまうと言うオチが付く。でもダンスよりもマイケルがノーヘルでバイクに乗ってるのに突っ込めよ警官。
 成功したら世の中の人は口さがないもので、「マイケルは酸素のタンクで眠っている」だの「マイケルは50年の冷凍睡眠に就く」だの「マイケルはエレファントマンの骨を買おうとした」などとゴシップ誌がわめきたてる。
 それに対してマイケルは「追い回すのはやめてくれ」「ほっといてくれ」と歌い叫ぶ。その背景に若き日のエリザベス・テーラーが映像や写真で登場している。二人の仲が良いというのは有名だが、1932年生まれのリズより1958年生まれのマイケルの方が早く死ぬとは思わなかった。しかし年の離れた友人だ。
 ここら辺でさすがに退屈してきているのだが、それを見越したかのようにドラマパートが始まる。始まってから40分ほど経過している。
 お話は悪いクモクモ団(勝手に命名)がいてボスのジョー・ペシ(『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)以来見てないなと思ったらこんな仕事をしてたのか)は世界中の子供を麻薬中毒にしてしまおうと企んでいる。
 “子供大好き”マイケルがそんなことを許すはずがない。ジョン・レノンの息子のショーン・レノンら子供の力を借りてクモクモ団に戦いを挑む。挑むんだけど、隠れ家で歌って踊ったりしてる。あんたは踊らんと死ぬんか。
 銃器を構えたクモクモ団に追い詰められたマイケル。ここから伝説のシーンが始まる。そこまででもマイケルがスーパーカーに変身するシーンがあったが変身過程は影で処理されていた。今度は銀色にピカピカ輝くロボットに変身するマイケル。あのねいくらなんでもロボはないだろロボは。歌って踊って敵を倒す方がまだリアリティあるぞ。んー似たようなもんか。メカマイケルの顔が妙にリアルで怖い事怖い事。
 そしてガシャンガッシャンと変形を繰り返して、巨大ロボとまではいかないが中型ロボへと大きくなる。この変形の過程が見ていて実に笑える。見た感じガンダムよりは小さいか。トランスフォーマーならぬロボマイケルの前にはさすがのクモクモ団もロボット相手では手も足も出ずにやられてしまう。なにしろ生身の敵に容赦なくミサイル撃ち込むんだから。高周波ボイスでヘルメットごと頭を粉砕しているし。
 だがマイケルロボはロボ形態では満足せずにさらに宇宙船形態に変形して最終兵器の声ビームを発射してジョー・ペシの操る大砲を破壊した後、大空の彼方に飛んでいくのであった。ひょっとしたら本物のマイケルも宇宙船になってどこまでも遠い宇宙の旅に出たのかも知れない。

B0012P6CAY.jpg『クライモリ デッド・エンド』(2007) WRONG TURN 2: DEAD END 97分 アメリカ

監督:ジョー・リンチ 製作:ジェフ・フライリック 製作総指揮:エリック・フェイグ、ロバート・クルツァー キャラクター創造:アラン・B・マッケルロイ 脚本:テューリ・メイヤー、アル・セプティエン 撮影:ロビン・ローウェン 音楽:ベアー・マックレアリー
出演:エリカ・リーセン、ヘンリー・ロリンズ、テキサス・バトル、ダニエラ・アロンソ、スティーヴ・ブラウン、アレクサ・パラディノ、マシュー・カリー・ホームズ、クリスタル・ロウ、キンバリー・コードウェル

 オープニングで田舎道を車で走っていて誤って人を轢いてしまう女優が出てきますが、彼女の事は別に覚えておく必要はありません。轢いてしまった相手は人喰い一家の一人で、助けようとした彼女は下唇を食いちぎられてしまった上に斧で左右真っ二つに切り裂かれてしまいますから。またもやそんな映画です。

 ウエストヴァージニア州の森で“アポカリプス”というリアリィティショーが撮影中です。“サバイバー”みたいなサバイバルショーだと思って下さい。
 その参加者が一人また一人と人喰い一家に襲われて殺されていきます。サバイバルショーが本当のサバイバルになってしまったというわけです。
 前作では謎だった、人喰い一家がどうやって子孫を残しているんだというのも解けます。女性の奇形人間もいてそれが奇形の赤ちゃんを産んで子孫を増やしているのです。前作では男三人だった奇形人間も数を増やしてパワーアップ。
 グロさは前作よりも大幅にパワーアップしています。しかしアメリカではヒットしなかったようで、日本では劇場未公開ビデオ発売のみです。
 同じようなもんだと思うんですがどこが違ったのでしょうね。やはりこちらだと下品すぎたか。でも下品な方が受ける世界のような気もします。

 半裸の健全な女性に見とれていた奇形人間が奇形女性にヤキモチを焼かれて怒られるシーンなど笑えます。
 主人公側はほとんど問答無用でやられていくだけですが、進行役の元海兵隊の鬼教官デールがナイフとショットガン片手に頑張ってくれます。演ずる役者は実際のサバイバルリアリティショーの司会者だとか。さすが我らの海兵隊。オヤジは強い。ほとんど主役なのだが素直に主役にしてくれないのが人喰い映画。でもオヤジ格好いいぜ。
 誰が殺されるかさっぱり分からないのがこの手の作品の魅力。ゲーム開始後に最初に殺されるのがあの人物だったとは!てっきり主人公だと思っていたのに。そうでなくても最後近くまでは生き残ると思っていたのに。
 前作のガソリンスタンドのオヤジと人喰い一家の関係も明らかになります。今回は近親婚による遺伝子異常ではなくて化学汚染のによるものとなってますね。化学汚染で奇形化して肉体も強靱になり、森から動物がいなくなってしまったので森に迷い込んだ人間を捕まえて食ってる。肉ばっかり食って野菜も食わんといかんじゃないでしょうか。公害で人喰い人間が誕生したわけですから、この設定には嫌悪感を抱く人もいるかも知れません。個人的には特定の公害を明示している訳じゃないですから別にかまわないんじゃないでしょうか。
 全体的には『サランドラ(ヒルズ・ハブ・アイズ)』ですが人喰い一家が食事の前にお祈りをしていたりは『悪魔のいけにえ2』ですなぁ。
 気付かずに人肉を食っていたり、番組スタッフの一人が日本映画『バトルロワイヤル』のロゴが入ったシャツを着ているのが笑えました。
 監督のジョー・リンチはこれがデビュー作ですが、こんな映画をいっぱい観てきたんだろうな。

 今回はエンドロール前にオチがあります。Part3は作られるのか。アメリカでコケたから難しそうだ。

B0007TIQ9G.jpg『クライモリ』(2003) WRONG TURN 84分 アメリカ/ドイツ

監督:ロブ・シュミット 製作:ブライアン・J・ギルバート、ロバート・クルツァー、スタン・ウィンストン 製作総指揮:ドン・カーモディ、エリック・フェイグ、アーロン・ライダー、パトリック・ワックスバーガー 脚本:アラン・マッケルロイ 撮影:ジョン・S・バートレイ 特殊メイク効果:スタン・ウィンストン 音楽:エリア・クミラル
出演:エリザ・ドゥシュク、デズモンド・ハリントン、エマニュエル・シュリーキー、ジェレミー・シスト、ケヴィン・ゼガーズ、リンディ・ブース、ジュリアン・リッチングス
 えー、では七夕に相応しい映画を一つ。

 冒頭で森の岩壁でロッククライミングをしている若い男女がいます。でも覚える必要はありません、すぐ殺されますから。
 そーゆー映画です。

 主人公は医学部を卒業したばかり(?)で就職試験を受けに行く途中の青年。しかし、国道が事故でふさがれて渋滞に巻き込まれてしまい、彼は脇道を求めて車をターンさせます。このターンが原題の『WRONG TURN(間違ったターン)』であるわけです。
 よりにもよって場所は南部のウエストヴァージニア州。閉鎖的です。『悪魔のいけにえ』とかいろいろあった南部です。そんなところで脇道を求める事自体間違っています。命知らずです。案の定、青年は散々怖い思いをして命の危機を何度も味わう事になります。
 あったのは一軒のガソリンスタンド。日本のガソリンスタンドを想像してもらっては困るわけで、ボロボロで今にも壊れそうな作りで、今にも死にそうなジジイが店番をやっている。就職試験先に電話をかけようにも携帯電話は例によって繋がらない。ガソリンスタンドの公衆電話も例によって繋がらない。
 地図で国道へのバイパスとなる田舎道を見つけた青年は(止せばいいのに)その道を選びます。店のジジイに「それではお元気で」と言い残して。去っていく青年の車を見送りながらジジイは「あんたこそ達者でな」と返します。

 森の中の道へと入った青年は鹿の轢死体に脇見をしていて、道の真ん中で立ち往生していた一台のステーションワゴンに追突してしまいます。乗っていたのは二人の男性に三人の女性。彼らはキャンプに来ていて道に仕掛けられた有刺鉄線でパンクしてしまったのです。
 車は事故で動かない。このままでは仕方ないと公衆電話を求めて四人は歩き出しますが、二人のアベックは残ります。第一死亡フラグ立ちましたね。
 しかもマリファナを吸いながらいちゃつきはじめました。最終死亡フラグ立ちましたね。もちろん殺されます。まずは男の方が行方不明になり、女が辺りを探していると切断されたばかりの耳を見つける。“ダン、ダン、ダン”と二段階ズームです。笑ってはいけませんよ。これはショッキングなシーンを示す演出なんですから。
 殺したのは森の中で近親婚を繰り返し突然変異を起こした『マウンテンマン』といわれる一家。指の数とか顔の形とか変です。狂ってます。遺伝子異常による異常な筋力と暴力的傾向をふんだんに持っていて、人を襲っては食っています。さすがアメリカな設定です。製作国にドイツも入ってますが真面目な割に時々以上ですからねあの国も。日本では許されない設定です。やっても良いけどというかやって欲しいけど、文句が来るだろうなぁ。
 まだ人喰い一家のことをしらないときに、森の中で見かけた小屋に入る時「『サランドラ』って映画観た?」と登場人物が発言しますが、自分でネタ晴らししてどーする。つまりはそれぐらいシンプルかつありがちなストーリーです。
 まぁ人喰い一家自体は知能も白痴状態ですから自分たちが悪い事をしているとは思っていなかったでしょう。森の中で平和に暮らしていたのに、乱入してきた主人公に惨殺されてしまってある意味可哀想?それにしても男三人だけのようなんですが、これから先どうやって子孫を残す気なのか考えると食われる以上にアレです。
 グロ描写がありますので耐性がない方は注意。
 とりあえず知らない土地に行ったら国道などメインの道だけを走って、変なイタズラ心を起こして妙な脇道に入っちゃ駄目ってことです。連続殺人が起きている館で一人になって行動するとか軍事作戦の前に恋人の写真を見せて「故郷に帰ったら結婚するんだ」なんて言うのも駄目。
 ちなみにエンドクレジット中にオチがあるので最後まで観て下さい。
 スティーヴン・キングが大絶賛してその年のNo.1に挙げたとか。キングも時々分からんところあるからなぁ。自分原作の映画とか。

B0027SJOT6.jpg『アパルーサの決闘』(2008) APPALOOSA 113分 アメリカ

監督:エド・ハリス 製作:エド・ハリス、ロバート・ノット、ジンジャー・スレッジ 製作総指揮:マイケル・ロンドン、トビー・エメリッヒ、サム・ブラウン、コッティ・チャブ 原作:ロバート・B・パーカー 脚本:ロバート・ノット、エド・ハリス 撮影:ディーン・セムラー プロダクションデザイン:ワルデマー・カリノウスキー 衣装デザイン:デヴィッド・ロビンソン 編集:キャスリン・ヒモフ 音楽:ジェフ・ビール
出演:エド・ハリス、ヴィゴ・モーテンセン、レネー・ゼルウィガー、ジェレミー・アイアンズ、ティモシー・スポール、ランス・ヘンリクセン、トム・バウアー、ジェームズ・ギャモン、アリアドナ・ヒル、ガブリエル・マランツ、ティモシー・V・マーフィ、ジェームズ・ターウォーター、ルース・レインズ、ボイド・ケストナー、アダム・ネルソン、レックス・リン

 舞台は1882年のアメリカ準州だった頃のニューメキシコ。ブラッグ(ジェレミー・アイアンズ)という男がボスを務める牧場に町で人を殺し女をレイプした牧童を逮捕しに保安官がやってくる。しかし、人手不足を理由にブラッグはそれを断ると、無理矢理逮捕しようとした保安官と二人の保安官助手を撃ち殺してしまう。
 保安官がいなくなった町に名うてのガンマンのヴァージル・コール(エド・ハリス)と相棒のエヴェレット・ヒッチがやってきて新しい保安官と保安官助手となる。ブラッグとの緊張が高まる中、列車から一人の未亡人アニーが降りてきた。彼女の美しさに魅せられたヴァージルは、彼女にピアノ弾きの仕事を世話してやるなどすっかり気に入ってしまった様子。それが後の不幸を招くとも知らずに。

 なにはともあれ、エド・ハリスはクリント・イーストウッドではなかったのだなと痛感する作品だった。前半はまだ緊張感を保っているが、後半の腰砕け感は否めず全体を通してみると凡庸な作品にしか仕上がっていない。
 一瞬で片づく銃撃戦とパンパンと勢いのない銃声はリアルさを感じさせ、さすがにここは緊張感を感じさせてくれるがドラマ部分にしまりがない。

 まずなによりもアニーが邪魔。本当にイヤな女なんだこれが。エヴェレット曰く「ボス馬とつるみたがる女」だそうだ。ボス馬は常にその一頭とは限らないわけで、競争次第でボス馬から蹴落とされたり新しいボス馬になったりする。するとアニーは古い元ボス馬を捨てて新しいボス馬にすり寄っていく。そんな女だというのだ。ちょいブスなのに。
 ヴァージルはこれまで娼婦かインディアンとしか付き合ってこなかったから、綺麗で身なりも整っており料理まで作れるアニーの表層的な美しさにこれまで無かった物を感じて引かれてしまうわけだ。ヴァージル自身も無学を恥じて常に本を読んでいたり、難しい言葉を言おうとしては言葉に詰まったりして自分をよく見せようとしているので、そんなアニーを自分の回りにおくことで自分を高めた気になっているのかも知れない。

 そんなヴァージルに相反するのがエヴェレットで、ヴァージルとアニーが買う事にした建築中の家を見に行った時にアニーに言い寄られた時も「俺はそんなことは出来ない」ときっぱり断るし、悪党に人質になったはずのアニーがその悪党と河で全裸になって水浴びをしているところを望遠鏡で見てしまった時はその望遠鏡をヴァージルに差し出したりと首尾一貫している。インディアンと敵対した時には一頭の馬と引き替えに交渉を成立させてしまう。

 その様に書くとエヴェレットが格好いいヤツでヴァージルは情けないヤツとなってしまうのだが、そのヴァージル役のエド・ハリスが監督も務めているから話は別。その気になればどんな格好いい役でもやれたはずなのにヴァージル役を選んだのは結果としてヴィゴ・モーテンセンの引き立て役を引き受けたのではないだろうか。

 アニーも徹底した悪女ではない。いや、逆に徹底した悪女ではないから余計と始末が悪いのだろうか。彼女はいい男を捕まえたいのとお金で苦労したくないぐらいしか行動基準がないのだ。だから一番いい男にすり寄っていくし、平気で元の男を捨てる。そうやってしたたかに生きているただそれだけの分かりやすい女なのだ。当時の単独では生活力のない女性にはそんな生き方しかなかったのかも知れない。しかし、邪魔。原作者には怒られるだろうが、アニーのエピソードを全てカットしてもっといい女を入れるかいっそのこと男だけの話にしてしまったらどれだけ面白い作品になったことだろう。

 エド・ハリス、ヴィゴ・モーテンセン、ジェレミー・アイアンズ、ランス・ヘンリクセンと渋い役者が揃っている。黒ずくめのエド・ハリスはやっぱり渋いし、ジェレミー・アイアンズの憎たらしさはなかなかだ。
 個人的にはもっと銃撃戦があっても良かったんじゃないかなと思うが、原作が小説という事もありストーリーを見せたかったのだろう。
 ちなみにラストの決闘で法を味方に付けたジェレミー・アイアンズに立ち向かうのはエド・ハリスではなくヴィゴ・モーテンセン。やっぱヴィゴ・モーテンセン主演作だわ。

 1882年の町を丸々再現してしまった美術は見事で、板ガラスにしても現在の物のように表面が滑らかに平らではなく波打つように凸凹した物を使っている。建物や衣装にしても時代考証はかなりしっかりしているそうだ。
 “西部劇”として時代考証がしっかりしているのと“西部劇”として面白いのとはまた別問題なわけだが。
 それでも2008年にもなって西部劇を作ってしまうエド・ハリスとその面々には惜しみない拍手を送ろう。日本未公開が残念だが、今の日本では受けないジャンルだからよほどの傑作じゃないと難しい。この出来だとしかたないか。

B0026OBVLA.jpg『ミラーズ』(2008) 111分 アメリカ

監督:アレクサンドル・アジャ 製作:グレゴリー・ルヴァスール、アレクサンドラ・ミルチャン、マーク・スターンバーグ 製作総指揮:アーノン・ミルチャン、キーファー・サザーランド、マーク・S・フィッシャー、アンドリュー・ホン 脚本:アレクサンドル・アジャ、グレゴリー・ルヴァスール オリジナル脚本:キム・ソンホ 撮影:マキシム・アレクサンドル 編集:バクスター 音楽:ハビエル・ナバレテ
出演:キーファー・サザーランド、ポーラ・パットン、エイミー・スマート、メアリー・ベス・ペイル、ジョン・シュラプネル、ジェイソン・フレミング、キャメロン・ボイス、エリカ・グラック、ジュリアン・グローヴァー、ジョシュ・コール、エズラ・バジントン
 主人公は元ニューヨーク市警の刑事だったが捜査中に誤って同僚を撃ち殺してしまい停職処分となり、一度は酒に溺れるものの禁酒の薬を飲んで酒を断ち切り夜警の仕事に就いた。職場は5年前の大火災で焼け落ちたメイフラワーデパートで、焼けただれた店の中で鏡だけが綺麗に輝いていた。
 しかし、仕事中に鏡の中で燃え上がる女性の姿を見るなど恐怖の体験をする。そしてそれは次第に彼の日常を浸食していく。

『ハイテンション』や『ヒルズ・ハブ・アイズ』の監督アレクサンドル・アジャの作品。
 アジャお得意の鏡の破片で首を斬るだの顔面を引き裂くだのといったゴア描写が多少あるが、基本的には雰囲気ホラー。鏡というのはホラーには面白い題材だ。全てを映し出すし、無いものまで映し出す事が出来る。しかし、鏡の中に映し出された自分は本当に自分だろうか。もしかしたら別の何者かかもしれない。
 統合失調症が悪魔の仕業だってのはちょっとどうかと思うが、あれはそもそも悪魔憑きの少女を精神科医が統合失調症と決めつけていたのか。
 妻宅のシーンはなんとなくポルターガイストを思い出した。鏡を全て塗りつぶしていくキーファに最初は引いている妻だが、立ち去ったはずの息子が未だに鏡に映っているのを見てからは一緒に鏡という鏡を塗りつぶし、ガラスというガラスを新聞紙で覆っていく。しかし、金属製のドアノブも人を映すし水面も人を映すのだ。
 最初の夜警の自殺から始まり、デパートの火災、一人の女性の名と広がっていくストーリーがスリリング。元は韓国のホラー映画だそうだがそちらはどんな出来なのだろうか。
 主人公が停職中の刑事という事で、友人の刑事に頼んでいろんな事を簡単に調べてしまうのは少々安易だが話を進めるためには必要なのだろう。
 キーファ・サザーランドは『24』のジャック・バウワーのイメージが強すぎて、しかもグロックなんか構えたりするものだから悪霊だろうとなんとかしてやっつけてしまいそうに見える。
 最後は華族は全員無事で助かってキーファも無事に悪霊を退治してこれで平和になりましたと思わせておいて、ホラー映画ではお約束のオチ付きですがこいつは読めませんでした。

B000NN766A.jpg『プラン9・フロム・アウター・スペース』(1959) PLAN 9 FROM OUTER SPACE 78分 アメリカ

監督:エドワード・D・ウッド・Jr(エド・ウッド) 製作:エドワード・D・ウッド・Jr 原案:エドワード・D・ウッド・Jr 脚本:エドワード・D・ウッド・Jr 撮影:ウィリアム・C・トンプソン 音楽:ゴードン・ザーラー
出演:グレゴリー・ウォルコット、トム・キーン、デューク・ムーア、モナ・マッキノン、ダドリー・マンラヴ、ジョアンナ・リー、トー・ジョンソン、ライル・タルボット、ベラ・ルゴシ、ヴァンパイラ、クリスウェル、ジョン・ブリッケンリッジ、トム・メイソン、トム・ニー

 体調が悪かったせいもあるが、何度も強い眠気に襲われた。いや、体調のせいではなく映画のせいかもしれない。
 ストーリーはいたって単純。地球人がこのまま科学を進めていってついには宇宙を破壊する太陽爆弾を作ってしまうのではないかと危惧した宇宙人が、墓場の死体を甦らせゾンビにして地球を侵略してしまおうという物語。
 この単純なストーリーがまったく統合性が取れておらず、理解に苦しむ出来となっている。無駄な登場人物が多く、ころころと舞台が変わるためそれらを把握するのに一苦労。しかも把握してもあまり意味がない。
 生き返らせるゾンビも3体だけで迫力に欠ける。低予算映画だからしょうがないんだろうが。
 最低映画監督として有名なエド・ウッドことエドワード・D・ウッド・Jrだけなことはある最低SF映画である。糸で吊っただけのUFO、金のかかっていないセット、なんといっても宇宙人のUFO内の仕切りがカーテン。カーテンってこたぁないだろ。
 俳優も素人に近い人ばかりで、セリフ回しは棒読みでただ突っ立ってるだけ。

 でも、この作品より遙かに大きな予算を注ぎ込み作られたクズ映画もあるわけだ。
 とりあえず、割とへっぽこ映画は好きな方なんだが、こいつはきつかった。ここでは映画の良いところをなるべく探すようにしているんだけど、こいつは見つからなかった!ある意味貴重。

asuka090703.jpg『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009) Evangelion: 2.0 You Can (Not) Advance 108分 日本

監督:摩砂雪、鶴巻和哉 総監督:庵野秀明 原作:庵野秀明 脚本:庵野秀明 撮影監督:福士享 美術監督:加藤浩、串田達也 編集:奥田浩史 音楽:鷺巣詩郎 CGI監督:鬼塚大輔、小林浩康 キャラクターデザイン:貞本義行 メカニックデザイン:山下いくと 作画監督:鈴木俊二、本田雄、松原秀典、奥田淳 色彩設計:菊地和子 特技監督:増尾昭一
声の出演:緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃、山口由里子、山寺宏一、石田彰、立木文彦、清川元夢、長沢美樹、子安武人、優希比呂、関智一、岩永哲哉、岩男潤子、麦人

 なんでいきなりヱヴァンゲリヲンなんだと思われる方も見えるかも知れませんが、"序"も観に行ってたんですよ。ただあちらはTVオリジナル版の焼き直しだったので特に書く気が起こらなかっただけ。
 そもそもこの映画バカ黙示録というのは雑多的文化会館というサイトの一コンテンツだったりします。今ではすっかりメインコンテンツですけどね。本来はエヴァのSS、特にシンジとアスカのラブラブっぷりを描くLAS物を公開するサイトでした。もう10年ほど前の話ですけどね。思えば遠くにきたもんだ。
 そんなオレがついにアスカ登場の"破"に期待しないはずがありません。
 結論から言いますと、いやーやっぱりアスカですよ。レイも悪くないけど肉ぐらいちゃんと食えって思ってしまう。オレはやっぱりアスカ。シンジの布団に潜り込んでくるところなんか背筋ゾクゾクものですよ。
 シンジにお弁当を作らせておきながら文句を言ってるクセに、レイに張り合ってシンジのために料理を始め包丁で指を切っているところもグー。それでいて呼ぶ時は「馬鹿シンジ」と呼ばわり。この意地の張りっぷりがアスカ。
 オリジナル版でシンジが初めてペンペンと出合ったシーンがサービスシーンとしてアスカに置き換えられています。これは嬉しいと言うよりちょっと過激だよアスカちゃんなんですが、会場の反応が「ああ、あれね」としたり顔な感じでちょっとイヤでした。エレベーターのシーンもそうでしたね。だいたい複数で来ている客に言いますが上映中にペチャクチャとしゃべるな、あれこれと解説するな。オレはお前のご大層な解釈を聞きたくて劇場に来ているんじゃないんだ。こっちは静かに観てたいんじゃ。
 何故か新劇場版では苗字が惣流から式波になってますが、これはなんでなんでしょうか?アニメのサイトなどにはいかないので理由は不明のまま。パンフを買えば載っていたのかもしれませんが1000円もする。たしかに普通のパンフよりは分厚いのですが1000円で観た作品に1000円のパンフを買うというのもちょっと。それにまぁどうでもいいことといえばどうでもいいことです。
 担当声優の宮村優子がここ数年声優業から遠ざかっていたので声の衰えを多少心配していましたが、元気いっぱいにアスカを演じてくれました。
 新劇場版オリジナルのメガネっ娘のパイロット真希波も登場して、話は大雑把にはオリジナル版を感じさせますがほぼ新展開。ちなみにメガネっ娘はさっそうと登場する割にほとんど活躍しません。次回作の"Q"への布石と言ったところでしょうか。そうそう次回作は"急"じゃないんですね。
 アスカファンにとっては衝撃の終盤を迎えるのですが(本当はトウジの役回りだったのにトウジのヤツ)それからどうなるかはエンドクレジットが終わってからのミサトによる次回作予告を観てからのお楽しみ。

 シンジがミサトのマンションを出て行くシーンで意味もなく真上からのショットを使ったりするところは相変わらず好きにはなれませんね。わざとらしさが鼻につく。
 挿入歌も『三百六十五歩のマーチ』は登場人物が歌っているから良いんだけれど、使途との戦いでの『今日の日はさようなら』や『翼をください』は「ほらほら、僕らはこんなこともやっちゃうんだよ?」臭がしてこれまた鼻につく。
 内容的にはさすがに10年経って庵野総監督も成長したのか青臭さも多少は抜けてうっとおしい自己主張は減っていました。でもやっぱり庵野のプライベートフィルム。

B001J2KG7U.jpg『インビジブル・ターゲット』(2007) 男児本色/INVISIBLE TARGET 129分 香港

監督:ベニー・チャン アクション監督:ニッキー・リー 製作:ベニー・チャン 脚本:ベニー・チャン 音楽:アンソニー・チュウ
出演:ニコラス・ツェー、ジェイシー・チェン、ショーン・ユー、ウー・ジン、アンディ・オン、サム・リー、ロー・ワイコン、アーロン・クォック、マーク・チェン、エレイン・コン

 香港の繁華街で宝石店の前に停めてあった現金輸送車に強奪事件が発生。犯人は大量の爆薬を使用し、その爆発に巻き込まれて結婚指輪を見に来ていた結婚間近の女性が死亡した。彼女はチャン刑事の婚約者だった。
 それから半年後、すっかりやさぐれてしまったチャン刑事が武器麻薬密輸事件の捜査中に現金輸送車強奪事件の犯人と遭遇。必死に追いかけるが取り逃がしてしまう。そして別件で犯人達と関わったフォン警部補と同じく兄が警官で潜入捜査官として犯人達の中に潜り込んだまま消息を絶ってしまったワイ巡査が奇妙な縁で巡り会い、共に捜査を始める。しかし、事件の黒幕は警察の中にいた。

『K-20 怪人二十面相・伝』で日本のアクションやスタントもなかなかやるじゃないかと思ったが、『インビジブル・ターゲット』を観た後では霞んで見えた。やはり肉体的なアクションでは世界の映画界で飛び抜けた存在である香港はスゴイ。最近はタイも力を付けてきたが一日どころか数年の長が香港にはある。
 最初は対立気味なチャンとフォンに若造だと見下されているワイなのだが、事件が進んでいる内に友情が芽生えてきてお互いを信用するようになる。この男の友情が熱い。
 喫茶店でチンピラ相手にケンカ騒ぎを繰り広げた後で、ワイの家で「今ではもう買えない薬(ヤバイ成分が入ってるんじゃ?)」をそれぞれ上半身裸になって塗ったり塗りあったりしているシーンの可笑しさ。一緒に戦った男はそれだけで相手を信用できるようになるのだ。
 対する悪党側は女性1人を含む4人。こいつらがめっぽう強い。銃は乱射しまくるし、爆弾や手榴弾の取り扱いにも長けている。そしてなにより素手での格闘戦が強い強い。主人公たち3人はかなり押され気味である。
 悪党のボスを演ずるのはウー・ジンという人だ。オレは寡聞にもこの作品で初めて知ったのだが、この人のカンフーがスゴイ。スピードがあって型の一つ一つがピシッと決まっている。腕技よりも足技を多用していて、スピードのある蹴りがバシバシと主人公たちに決まる。多少の段差の上からではあるが四段蹴りまで炸裂する。(あまりにも速いので数え間違いしていたらすまない。でも三段蹴りではなく四段蹴りだったと思う)あまりに強すぎて二人がかりでも勝てず、三人がかりでしかもちょっと卑怯な手段でようやく蹴りが付く。
 なんでもこのウー・ジンは1974年4月3日生まれ。父も祖父も武術家という家系で、6歳のときから北京武術隊に所属し4度の中国武術チャンピオンとなったそうです。筋金入りの武術野郎だな。これは強くて当たり前。金城武がちょっとやそっとがんばってもなぁ……。中国武術チャンピオンから武術俳優という道はジェット・リーと通じる物がある。
 割と愛嬌のある顔で、正直言って主人公側のチャン刑事(ニコラス・ツェー)とフォン警部補(ショーン・ユー)の方が面構えが悪く悪人顔。
 なんでこんな人をこれまで見逃してきたのだろうかと思ったら、映画ではなくテレビ武術・武侠ドラマ中心に仕事をしてきたらしい。最近は『SPL/狼よ静かに死ね』(2005・やべ、まだ観てない)など映画の仕事も増えているので期待したい。
 ワイ巡査役はジャッキー・JRのジェイシー・チェン。目元が若い頃のジャッキー・チェンに確かに似てる。大きめの鼻も似ている。どうやらジャッキーは自分の息子にあまり厳しい鍛錬をしてこなかった様子で、アクションに関しては他の出演者と比べて見劣りする。自分の人生を鑑みて、息子に同じアクション俳優の道を歩ませたくなかったのではないだろうか。それでも高所からの飛び降りや背中が火だるまになるシーンなどでオヤジ譲りの根性を見せてくれる。
 兄の敵である犯人の額に銃を突きつけて、撃とうとするが「撃てない?!僕は警官だ?!」と慟哭する不器用な熱い芝居もオヤジ譲り。
 日本の芸能界ならば親の七光りでさして才能がない人でもなんとかやっていけるようだが、生き馬の目を抜く香港ではそうはいかないだろう。この作品と『ツインズ・エフェクトII』でしか見た事がないが、正直アクションにしろ演技にしろ俳優とはきっぱり縁を切って別の道を選んだ方が良いのではないだろうか。カーチェイスのシーンで後部座席で必死になってシートベルトを締めようとしているところなどは笑えるし、がんばっているのは分かるんだけどね。
 ちなみに途中で犯人たちが幼稚園の送迎バスを乗っ取る。ショッカーかお前らは。次は貯水池に毒を流し込むのか。監督のベニー・チャンは『ダーティーハリー』の終盤をやりたかったのかもしれないが、園児たちの緊張感に欠けた演技では『仮面ライダー』にしかならない。もっとも幼稚園児たちに緊張感のある演技を求めるのは難しいが。
 ストーリー的にもよく出来ていて、伏線も活かしてあるし、黒幕の正体についてひっかけもある。人物描写もちゃんと描けている。ラストの後日談も良い。ただ犯人たちが戦争に巻き込まれて親を失いうんぬんのところが分からない。ベトナム戦争での中国系孤児……じゃないよな舞台は携帯電話が活躍する現代だし時代が合わなすぎる。時代的には……湾岸戦争か?どんだけ距離があるんだよって話だよな。字幕の読み違いかな。
 エンディングクレジットに撮影風景が挿入されているが、バスにぶつかって吹っ飛ぶシーンではワイヤーを使っておらず本気でぶつかっている。受け止めるマットもハリウッド映画のメイキングで見るようなちゃんとした専門のヤツじゃなくてベッドのマットを何枚か集めて使ってるのだ。

B00140FB90.jpg『ザ・シューター/極大射程』(2007) SHOOTER 126分 アメリカ

監督:アントワーン・フークア 製作:ロレンツォ・ディボナヴェンチュラ、リック・キドニー 製作総指揮:エリク・ハウサム、マーク・ジョンソン 原作:スティーヴン・ハンター 脚本:ジョナサン・レムキン 撮影:ピーター・メンジース・Jr プロダクションデザイン:デニス・ワシントン 衣装デザイン:ハー・ウィン 編集:コンラッド・バフ、エリック・A・シアーズ 音楽:マーク・マンシーナ
出演:マーク・ウォールバーグ、マイケル・ペーニャ、ダニー・グローヴァー、ケイト・マーラ、イライアス・コティーズ、ローナ・ミトラ、ネッド・ビーティ、ラデ・シェルベッジア、ジャスティン・ルイス、テイト・ドノヴァン、レイン・ギャリソン、ブライアン・マーキンソン、アラン・C・ピーターソン、トム・バトラー、レベッカ・トゥーラン、レヴォン・ヘルム、ジョナサン・ウォーカー

 主人公のボブ・リー・スワガーは軍の元狙撃手。アフリカでの任務で観測手の友人を失い、今では軍を退役して山の中で犬と暮らしている。そんな彼の元にある依頼が来る。何者かが狙撃による大統領の暗殺を狙っていて、彼にそのプランを見抜いて欲しいというのだ。愛国心に訴えられて引き受けた彼は、フィラデルフィアで狙撃が行われると確信し、大統領演説の当日、現場で監視にあたった。しかし彼はアドバイザーのはずの制服警官に撃たれ、その間に狙撃が行われ大統領を外してエチオピアの大司教の命を奪った。怪我を負いながらも何とか逃げ延びたボブは自分が罠にはめられたことに気付いた。そして彼の復讐が始まった。

 スティーヴン・ハンターの“スワガー・サーガ”の一作『極大射程』の映画化。原作はかなり前に読んだきりだが、かなり面白い冒険小説だった。
 原作でのボブはベトナム戦争経験者で数百人を狙撃した名手中の名手。そのベトナムで地獄を見てきた男だ。帰国してからは同じく山に隠遁してしまっており映画のように簡単に敵の策に乗ってしまう訳ではない。
 ボブと行動を共にする事になるFBI捜査官のメンフィスも映画のような新米の頼りない人物ではなくかなりハードボイルドな男だ。
 粗筋は原作をなぞってはいる物の、この作品に関しては映画よりも原作をお薦めする。新潮文庫の上下2巻のボリュームだから完全映画化は不可能だろうが、もう少しうまく料理できなかったものだろうか。

 原作での銃器への徹底したこだわりがなくなっていて、一般向けを考えるとそれも仕方ないのだろうが、だとすると「外出時には撃針をずらしておく」という無実の証明の仕方がマニアックすぎて一般の人には意味が分からないのではないだろうか。
 あれは弾丸が発射されるには撃針が銃弾の雷管を叩かねばならないのだが、その撃針をわずかに後退させておくことで雷管に届かずに発射されないということ。銃の専門家であるボブは外出時には安全策として撃針をずらしていたのだ。
 ただし、これは原作とは違う。原作では陰謀に巻き込まれている可能性を察知したボブが撃針をあらかじめ削っておいたのだ。映画ではいまいちパッとしないシーンとなっているが原作では人の多い法廷で行われ山場の一つである。

 撃たれた後にボブが普通の店で売っている物で簡易点滴を作ったりと徹底した訓練を受けたプロの描写には感心する。それ以上に、小学校の教師である元相棒の妻が傷口を縫ってしまうのに感心するが。オレには出来そうもない。笑気ガスを大量に買ってきて麻酔代わりにしているがアメリカでは普通に売ってるのか。

 狙撃のシーンに関してはさすがに力が入っている。照準機をセットし、風まで計算に入れて狙撃する。反面、ボブがアサルトライフルで戦うシーンは普通のアクション映画になってしまい、その部分は物足りなさを感じてしまう。

 ダニー・グローヴァーの悪役は『刑事ジョン・ブック 目撃者』以来か?
 同じくネッド・ビーティの悪役というのも珍しい。
 しかし、この悪役の皆さん、ボブの恨みを買っているというのに、ラストではずいぶんと警戒心が無い。人に憎まれる人生を送っているのならばもうちょっと用心しなければ。
 ちなみに原作ではこの必殺仕事人のようなラストではなく、罰せられる者は罰せられるが単純な勧善懲悪とはなっていない。

 邦題について疑問が。邦題ではしょっちゅうtheとかofを平気で省略してしまうクセに、なんで今回に限って原題が『SHOOTER』なのにわざわざ“ザ”を付けたのだろうか。

 他のスワガー・サーガ作品の映像化はこの作品の出来ではちょっと微妙だろう。
 繰り返しになるが、原作はお薦めである。

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