2009年6月アーカイブ

B0020HWAPO.jpg『雷神-RAIJIN-』(2008) KILL SWITCH 96分 アメリカ/カナダ

監督:ジェフ・F・キング 製作:カーク・ショウ 製作総指揮:スティーヴン・セガール、アヴィ・ラーナー、フィリップ・B・ゴールドファイン、キム・アーノット、リンジー・マカダム 脚本:スティーヴン・セガール 撮影:トーマス・M・ハーティング プロダクションデザイン: エリック・フレイザー 衣装デザイン:カトリーナ・マッカーシー 編集:ジェイミー・アラン 音楽:ジョン・セレダ
出演:スティーヴン・セガール、ホリー・エリッサ・ディグナード、クリス・トーマス・キング、マイケル・フィリポウィッチ、アイザック・ヘイズ、フィリップ・グレンジャー、マーク・コリー、カリン・ミシェル・バルツァー

 セガールの新作である。当然観るわけだ。結論から言えば話はつまらないがアクションはそれなりにあった。

 メンフィス市警のジェイコブはグリフターと呼ばれる連続猟奇殺人鬼を追っていた。その殺人鬼は死体やその近くに占星術で使うマークでメッセージを残していた。それが暗号になっていると考えたジェイコブはそれを解くのに必死だ。
 それと平行して、女性の身体に時限爆弾を埋め込む連続殺人犯もいて、どの線を切れば爆弾を解体できるかをジェイコブは暴力を振るって聞き出す。この暴力が問題視されて検察は爆弾犯を釈放してしまう。自由の身になるなり殺人を犯し出す爆弾犯はジェイコブに復讐を企む。
 捜査協力でFBIの女性捜査官が捜査に加わり、少しずつ猟奇殺人の謎は解明されていく。ついに暗号を解いたジェイコブはそれがあるロックバンドの歌詞だと知る。ロックバンドで作詞をしているメンバーのラザラスが犯人だったのだ。そしてさっそく犯人逮捕に向かう一行であった。

 アクションは多いがごまかしの利くアップを多用していて、めまぐるしく細かいカットで構成されている。これではセガールを使っている意味がない。それとも、もうごまかしのアクションしか出来なくなってしまったのだろうか。撮り方から言ってもスタントを多用している可能性も高い。相手はほとんど反撃せずセガールの一方的な攻撃ばかりなので観ていて飽きてしまう。しかも相手は素人で格闘家などは登場しないので迫力のある展開とはならない。もっとアクションで魅せてくれよ。
 銃撃戦はやたらバンバンと撃ちまくっているだけで、なんら工夫が見られないのでこちらも観ていて飽きてしまう。もう少しなんとかならなかったものだろうか。
 アクション映画なのだろうが、アクションを感じられなかった。

 では連続猟奇殺人犯を追うサイコサスペンスとしてはどうだろう。
 まず、暗号と言っても、アルファベットを占星術の記号に置き換えただけのいわゆるゾディアック暗号なのでそんなに難しくないはずだ。ジェイコブが机の前で頭を抱えて解いているが、コンピューターに強い署員がいればもっと早く解読できていたはずである。そもそもそんな暗号なんて細かい事は気にせず全て暴力で解決してしまうのがセガール映画ではないのか。
 そして、一度解読が出来てしまうと即犯人が判明し、そこからは単なる追跡劇になるだけで緊張感がない。犯人の異常性も中途半端で本当に異常なのか異常を気取っているだけなのか判断が付かない程度だ。サイコサスペンスとしてはもっとイカれた『羊たちの沈黙』や『セブン』のようなクレイジーな悪役が欲しかったところだ。
 ちなみにFBI女性捜査官は何の役にも立たない。

 ジェイコブが子供の頃に双子の兄弟を殺人鬼に殺されたという過去も活用されているとは言えない。というか頻繁に挿入される回想シーンはどういう意味で入れたんだ。
 そしてラスト、唐突に登場する妻と二人の子供はあれはなんなんだ。マンションで恋人の婦警と暮らしていたはずだが、あれは単身赴任だったのか。でも、刑事が単身赴任で仕事をする理由が分からない。それから、最後は刑事を辞めたのか?そこら辺もはっきりしない。

 どうにも盛り上がらず穴の多い脚本だなとおもったらセガールの手による物だった。セガール脚本がすべて悪いわけではなくアクションメインの作品では良い物もあるのだが、今回のサイコサスペンス風味の作品には向いていなかったように思う。
 邦題は『雷神-RAIJIN-』と意味不明だがセガール風ではある。ジェイコブのあだ名がライトニングだからそこから取ったのだろう。原題は『KILL SWITCH』だから全然関係ないのだが、この邦題は誰が考えているのだろうか。

B0026OBVIS.jpg『K-20 怪人二十面相・伝』(2008) 137分 日本

監督:佐藤嗣麻子 アクション監督:横山誠、小池達朗 製作:島田洋一、阿部秀司、平井文宏、島谷能成、島本雄二、亀井修、西垣慎一郎、大月昇、島村達雄、高野力 プロデューサー:安藤親広、倉田貴也、石田和義 エグゼクティブプロデューサー:阿部秀司、奥田誠治 原作:北村想 脚本:佐藤嗣麻子 脚本協力:山崎貴 撮影:柴崎幸三 美術:上條安里 編集:宮島竜治 音楽:佐藤直紀 VFXディレクター:渋谷紀世子 VFX協力:山崎貴
出演:金城武、松たか子、仲村トオル、國村隼、高島礼子、本郷奏多、益岡徹、今井悠貴、斎藤歩、木野花、神戸浩、嶋田久作、大滝秀治、鹿賀丈史

 日本軍がアメリカ軍とイギリス軍と平和条約を交わし第二次世界大戦が起こらなかったもう一つの歴史の1949年の帝都。とはいえ、日本が戦争を起こさなくてもドイツ・イタリアは戦争を起こしてヨーロッパ戦線で世界大戦は起きていたと思うのだがどうだろうか。
 日本は19世紀から続く華族制度のため極端な貧富の格差が生じており、ごく一部の特権階級が富を独占する形になっていた。その富を狙い、怪人二十面相という盗賊が予告状を送りつけるという大胆な手口で盗みを働いていた。
 主人公の遠藤平吉はサーカスのアクロバット芸人である。ある日、カストリ雑誌の記者から怪人二十面相を追う私立探偵明智小五郎と華族羽柴財閥の令嬢羽柴葉子との結納の義を写真撮影するように依頼される。団長が身体を患っていたため医療費を稼ごうとその仕事の報酬につられて引き受けた平吉だったが、渡されたカメラは爆弾の爆破スイッチで、平吉は二十面相と間違われて捕らえられてしまう。

『エコエコアザラク』シリーズが駄作でいたく失望させられまったく興味のなかった佐藤嗣麻子監督作である。
 ところが面白いという声が聞こえてきたので試しにと思って観てみた。うん、なかなか面白い。
 まずいっておくが独自性は薄い。どこかで観たようなストーリー。どこかで観たようなカット。どこかで観たような美術。あちこちからパクってパクってパクりまくって作られたのは間違いない。
 だが、パクリであってもそれによって作られた物が面白いものならばそれでいいのではないだろうか。
 アクションに次ぐアクションの連続で、そのアクションが香港などの外国のスタッフによる物ではなく日本人スタッフによる物であるのは素晴らしい。日本人のアクション監督が育てば今後にも活かされるという物である。
 そのアクションを助けているのがVFX。CGによるワイヤー消しなどかなりやっているに違いない。1949年の日本を再現するのにも使われている。ところどころこれ見よがしなところがあって鼻につく。冒頭のオートジャイロが帝都の上を飛ぶシーンなどだ。確かにスゴイがスゴイだけで映画としてそこから繋がる物がない。
『最低限文化的な日本語の演技』とコミック『さよなら絶望先生』で言われた金城武であるが、以前の不自然さと比べると格段に上達している。セリフ回し一つとってもかなり達者になって他の俳優と比べても劣る事のないものになっている。そしてアクロバット演技はスタントマンも使っているのだろうがかなりがんばっている。
 日本一の財閥の令嬢であるはずの松たか子は個人的にはミスキャストだ。最初からあまりにたくましすぎるし、ドタドタとしている。あのドタドタとした動作のどこが令嬢だ。様々な経験を経て次第に現状の日本社会を認識してたくましくなっていくならともかく、令嬢の割に下品すぎる。パクリ元の一つである『ルパン三世カリオストロの城』のクラリス嬢を見習って欲しいものだ。
 明智小五郎役の仲村トオルはどこか胡散臭くて良い。ただ、小学生の時に子供向け江戸川乱歩シリーズを読んだ身としては、あの明智小五郎はちょっと受け入れがたい物がある。それを言えば怪人というより単に悪人な二十面相もそうなのだが。少年探偵団が出てくるが、出番がほんの1カットなのは寂しい。彼らはもっと活用できたと思うのだが。
 格差社会を扱った社会風刺ネタは寒い。正直この作品は王道娯楽映画なのだから不必要なシーンだろう。ただでさえ娯楽映画なのに137分と無駄に長いのだから格差ネタはカットすべきだった。単純に怪人二十面相と平吉の戦いで引っ張れたはずなのだ。終盤の平吉と仲村トオルの語りもアクションで繋いできたストーリーをセリフで語る事で勢いを止めてしまっている。うっとおしい語りを減らしてラストの大崩壊へと繋げる事も出来たはずなのだ。とにかく120分以内に収めるべき内容である事は確かだ。
 アクションに関してはスタッフの力が大きいのだろう。監督のアクションセンスはあまり高くないと見た。だが、大嫌いな駄作『エコエコアザラク』シリーズから比べると進歩した。進歩したけどやはりあまり上手くない。アクションの比重が高いという作品の内容と傾向から考えるとどうして佐藤監督が選ばれたのかこの監督人選には疑問が残る。山崎貴が自分と縁の深い佐藤監督を推したのではなどと邪推してしまう。
 映画監督をやらせると無能としか言いようのない山崎貴もこの作品のように本職のVFXをやらせると上手い。VFX職人なのだから職人は職人の仕事をしていればいいのに。
 セリフの音がばらばらで、あるシーンではボリュームを下げなければならない絶叫だったと思うと、次のシーンではボリュームを上げて耳をすまさねばならなかったりする。これはこの作品だけではなく日本映画の多くに言える事でボソボソ声でしゃべるシーンは勘弁してもらいたい。日本語の映画なのに字幕を表示してみなければならない。
 ロケの街並みがどこかで見たと思ったら『魍魎の匣』(2007)だった。この作品も『魍魎の匣』も過去の日本の街並みを上海ロケで再現している。

B001O8OR92.jpg『アンダルシアの犬』(1928) UN CHIEN ANDALOU 17分 フランス

監督:ルイス・ブニュエル 製作:ルイス・ブニュエル 脚本:ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ 撮影:アルベール・デュベルジャン
出演:ピエール・バチェフ、シモーヌ・マルイユ、ハイメ・ミラビエス、サルバドール・ダリ、ルイス・ブニュエル

 シュールレアリズムとか言われてもよく分からんわけだが、シュールレアリズム映画の代表の言われているこの作品もよく分からんわけだ、正直言って。
 有名な女性の目を剃刀で切るシーンから始まっていきなり字幕で8年後。目を切るのにどんな意味があったのか、切られた女性はどうなったかはもう登場しない。
 手の平に穴が開いていてアリがどんどん這い出てくる。
 ピアノの上に鹿かロバの死体が乗っている。
 舗道に人間の手首が落ちていて、警官が人混みの整理をしているので事件に発展するのかと思ったらそのまま終わり。
 手に持った本が突然銃に変わり、相手を撃ち殺すと室内だったのに撃たれた相手は森の中で倒れる。
 などなど、イマジネーションに溢れる映像で埋め尽くされているが、それから何かの意味を見出す事がオレには出来ない。
 で、最初に帰るわけだがとにかくわけがわからないのだ。なにが言いたいのかを通り越してもはや何をやりたいのかすら分からない。分からないが分からないで良いのだ、シュールレアリズムの実験映画なのだから一から十まで全て分かったようなことを言う人の方が胡散臭い。
 ルイス・ブニュエルと言えば良い意味でバカな人だから、そのバカがもう一人のバカであるサルバドール・ダリと組んで変な事、やりたい事をやってしまった作品だ。ストーリーはないし演技も無きに等しい。意味はないのかも知れないし、その意味がない事に意味があるのではないだろうか。
 とにかく映像のインパクトはすごいのだから、オレは素直にそれに驚いて良しとする。ラストの土に埋まったカップルには笑ったし。分からない物を利口ぶって分かった振りをするような人間にはなりたくない。分からない物は分からない。馬鹿にされるかも知れないけどそれでいいじゃない。

『オルカ』 復讐心

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B0026O1JDK.jpg『オルカ』(1977) ORCA 92分 アメリカ/イタリア

監督:マイケル・アンダーソン 製作:ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ 製作総指揮:ディノ・デ・ラウレンティス 脚本:ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ、セルジオ・ドナティ 撮影:テッド・ムーア 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:リチャード・ハリス、シャーロット・ランプリング、ウィル・サンプソン、ボー・デレク、キーナン・ウィン、ロバート・キャラダイン、スコット・ウォーカー、ピーター・フートン

 漁船の船長ノーランはまだ借金の残った船の返済をすべくいつも大仕事を企んでいた。ホオジロザメを捕まえようとしていた時に海洋生物学者レイチェルと知り合い、シャチ=オルカについて教えてもらう。
 シャチが金になりそうだと気がついたノーランはロープの付いた麻酔銃でシャチの群れから一頭を撃つが、そのシャチは自殺をしようと船のスクリューに身を投げてくる。慌てて甲板に引き上げるとそいつはメスでみんなの前でまだ胎児の状態の子供を産んだ。シャチは一夫一妻制で夫のシャチは怒りに満ちた目で船とノーランを睨んでいた。
 修理のために港に停泊中の船を狙うかのように、シャチは他の二隻の船を沈めた。そしてその後またやってきて狡猾にも燃料補給用のパイプを破壊して火災を起こし燃料補給基地まで爆破した。
 これ以上の迷惑は困る。お前がしっかり片を付けてこいとノーランを無理矢理に船で送り出す地元の人々。シャチが現れ、船を先導していく。行き先は北氷洋だった。果たしてこの戦いで生き残るのはノーランかオルカか。

 先日紹介した『イルカの日』は海洋生物と人間の心の交流を描いた基本的に心温まる作品だったが、今回は一転して人間と海洋生物が命を賭けて殺し合う映画。
『ジョーズ』(1975)のパクリのように思われている作品だが、ジョーズがあくまでも食欲・動物としての本能で人間を襲ったのに対し、オルカは本来は人を襲わず妻子を失った復讐から襲うという点で大きく違う。
 妻子を殺された復讐というとなんとなくマカロニ・ウエスタンを思い出すが、それを裏付けるように音楽がエンニオ・モリコーネである。復讐のためにあらゆる手段を使い、終盤には敵を一人一人片付けていってラストは男と男の一対一の対決。うむ、やはりマカロニ・ウエスタン。しかもシャチが主役。
 自分が命を狙われる立場になりながらどこかでシャチに共感するノーランには、妊娠中の妻が酔っぱらい運転の車にぶつけられ死んでしまい妻子を失ったというシャチと同じ経験がある。今回は酔っぱらい運転の車が自分なのだ。当時の自分の怒りや悲しみを思いだし、それをシャチに当てはめてしまうのだろう。共感しても自分が生き残るためにはそのシャチと戦わないといけないという悲しみと理不尽さが感じられる。
 哀愁漂うエンニオ・モリコーネのスコアも充実していて、映画の悲しみを盛り上げてくれる。これが他の人の音楽だったらもっと印象が違った事だろう。
 動物と人間が戦う作品はいくつもあるが、両者が同等という作品は少ないだろう。『オルカ』はそんな数少ない中の一本。『白鯨』と重ね合わせてみる向きもあるが、白鯨はエイハブ船長にとって一種の神だから違うのではないかと思う。
 監督のマイケル・アンダーソンの演出は凡庸で、心理描写も行き届いていない。だから、何故突然そう思ったのか、何故そう思ったのかについてきちんと整理が行き届いていない。ゆえにノーランの行動などはあまりに唐突に見えて戸惑ってしまう。せっかく名優リチャード・ハリスを使っているのにその意味がまったくない。首尾一貫しているのはシャチの心理描写ぐらいだろうか。
 ラスト、一人取り残され北氷洋の氷山の上に佇むシャーロット・ランプリングは美しい。それとよく見るとキャラダイン兄弟で一番地味なロバート・キャラダインが出ていた。やはり顔が長いが地味には変わりない。
 それにしても、ディノ・デ・ラウレンティス製作総指揮作品はどうしてどれもこれも大味なのだろうか。細かいところまで目の届いたディノ・デ・ラウレンティス作品というのを観た事がない。監督や脚本家はそれぞれ別なのだがどういうことだろう。やはりハリウッドではプロデューサーの力が大きいのか。
 どうでもいいけどDVDのジャケットが最悪。まるで安っぽいB級映画のそれである。(写真参照)

B0019CEE5U.jpg『フィースト』(2005) FEAST 86分 アメリカ

監督:ジョン・ギャラガー 製作総指揮:ベン・アフレック、マット・デイモン、クリス・ムーア、ウェス・クレイヴン 脚本:パトリック・メルトン、マーカス・ダンスタン 撮影:トーマス・L・キャラウェイ 音楽:スティーヴン・エドワーズ
出演:バルサザール・ゲティ、ヘンリー・ロリンズ、ナヴィ・ラワット、ジュダ・フリードランダー、ジョシュ・ザッカーマン、ジェイソン・ミューズ、ジェニー・ウェイド、クリスタ・アレン、クルー・ギャラガー、エリック・デイン、デュエイン・ウィテカー、タイラー・パトリック・ジョーンズ

 テキサスのバーにショットガンを持った血まみれの一人の男が飛び込んでくる。怪物の頭を抱えて何かが襲ってくると皆に警告し、バーの封鎖を指示する。電話は壊され携帯電話は都合良く谷間なため通じず、数匹のモンスターに囲まれて一人また一人とそのモンスターの餌食になっていく。
 果たして生き残るのは誰か。命を賭けたサバイバルゲームが始まった。

 マット・デイモンとベン・アフレックが設立したライブ・プラネット社がプロデュースする人気リアリティショー「プロジェクト・ブリーンライト」。一般公募から選ばれた脚本が、映画として完成するまでをドキュメンタリーとして放送するこの人気番組から飛び出したのが本作「フィースト」だそうだ。TVの企画として作られたわけである。
 だから製作総指揮に二人の名前がある。ついでにウェス・クレイヴンの名もあるから豪華ではないか。
 とにかくこの作品は観ている人を裏切る。最初に乗り込んできた男は、「俺はお前達の救世主だ」と主人公的発言をしておきながら次の瞬間にあっけなくモンスターに食われてしまうし、少年が出てくるが子供は無事というホラー映画の法則を破ってこの子もあっけなく食われてしまう。他には車椅子の身障者がいるが、身障者も助かるというのがホラー映画の法則だがこれも分からなくなってきた。
 なにしろオレの知らない役者ばかりなので誰が生き残るのかさっぱり分からない。バーテン、ボス、ボスの愛人、愛人の子、ビジネスマン、ウェイトレス、ビール運び屋、車椅子の男、遊び人、酒場強盗の女などなど特徴のあるキャラクターがいっぱいだ。誰がいつ襲われるかさっぱり分からない。だから酒場の二階や地下室でドアを開ける度にも「襲われるんじゃないかな」とドキドキする。ただ、定番を無視してメチャメチャをやっているだけという見方も出来る。どこまでが計算か、どこまでが単なる天然なのかが気になるところだ。
 加えてやたら下品。モンスターが緑色のゲロを吐いて登場人物の一人が蛆の入ったそのゲロまみれになる。その男は後で左目を視神経ごとモンスターにくりぬかれて左目があった穴に蛆が繁殖する。子供を殺されたモンスターがすかさず表で交尾をして新しい子供を産んでしまったり、モンスターのペニスを切り落としたあげくに踏みつぶしたりとグロ描写がてんこ盛り。
 死体を人間爆弾にしようとして、モンスターに食わせて爆発させる寸前にまだ生きていると気づいても「こいつは死体だ」とそのまま爆破してしまう。
 殺され方も胸を腕で貫かれる。寄ってたかって食われる。頭を押しつぶされる。とグロの次ぐグロ。グロ注意。
 酒場でのモンスターとの戦いとなると『フロム・ダスク・ティル・ドーン』が思い出されるが、下品だと思ったあれが上品に思えてくるほどに下品。
 低予算映画のせいか舞台はほとんど酒場内のみ(数分だけ他の場所の描写がある)と徹底している。モンスターはCGなどではなくとうぜんアナログ。つまりモンスタースーツ。出来はあまり良くなくてやたら粘液でネチャネチャしている。スーツの粗を見せないためかモンスターのアップはカットが短く手持ちカメラで振り回すのでよく見えない。
 所々にギャグが入っていて、ビジネスマンが襲われた時にズボンだけ持って行かれてしま。最後の対決の最中にいきなりバーテンが心臓マヒを起こす。みんなで逃げるためにトラックを取りに行った娘が自分だけで逃げて行ってしまうとか、かなりコテコテ。ポップコーンでも食べながら友達同士で観ていたら意外と笑えるネタかも知れないが、一人で見ている分にはちょっと微妙。
 途中でいつの間にかいなくなっていた人物は……

B000B56P1W.jpg『ブレイド3』(2004) BLADE: TRINITY 114分 アメリカ

監督:デヴィッド・S・ゴイヤー 製作:デヴィッド・S・ゴイヤー、リン・ハリス、ウェズリー・スナイプス 製作総指揮:アヴィ・アラッド、トビー・エメリッヒ、スタン・リー キャラクター創造:マーヴ・ウォルフマン、ジーン・コーラン 脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー 撮影:ガブリエル・ベリスタイン 美術:クリス・ゴラック 衣装:ローラ・ジーン・シャノン 音楽:ラミン・ジャヴァディ、RZA
出演:ウェズリー・スナイプス、クリス・クリストファーソン、ドミニク・パーセル、ジェシカ・ビール、ライアン・レイノルズ、パーカー・ポージー、ジョン・マイケル・ヒギンズ、トリプル・H グリムウッド、ジェームズ・レマー、ナターシャ・リオン、マーク・ベリー、カラム・キース・レニー、ポール・アンソニー、フランソワーズ・イップ、マイケル・アンソニー・ローリンズ、エリック・ボゴシアン

 ブレイドはバンパイア達の陰謀にはめられ、バンパイアの僕である人間を殺したところをビデオで撮影され殺人犯として指名手配されてしまう。そしてFBIの手に落ち、警察から取り調べを受けているところを他のバンパイア・ハンター集団ナイト・ストーカーズによって助け出される。
 その頃、バンパイア達はシリア高原にある遺跡である発見をしていた。それは原初のバンパイア・ドラキュラの発見である。完全なるバンパイアDNAを持つドラキュラは日光も平気だ。そのDNAを利用してデイ・ウォーカーになろうというのである。
 それを防ぐべくナイト・ストーカーズはバンパイアを殺すウイルスを開発していた。ただし好き放題に進化してきたバンパイアには効果がまちまちで安定しない。そこでこちらも完全なるバンパイアDNAであるドラキュラのDNAを必要としていた。

 これまでの2作で脚本を担当していたデヴィッド・S・ゴイヤーが初監督を務める事となった。脚本出身の監督であるパターンが話を展開するのに夢中になってしまって、それ以外がおろそかになるというのがある。デヴィッド・S・ゴイヤーの場合もそうだった。
 ブレイドと言えばアクション。アクションと言えばブレイドなのだが、そのアクションシーンがどうにもぱっとしない。決して悪い訳じゃないんだけど前2作と比べると物足りない。終盤にアクションの連続があるのだが、とりたてて面白いアイディアがあるわけではなく、優れたカット割りがあるわけではなく、スピード感もない。はっきり言って平凡で眠気を覚えてしまった。
 突然死んでしまうウィスラーに代わって現れる仲間がナイト・ストーカーズ。5人組が中心で部外メンバーもいる様子だ。
 谷啓風の発明家が色々な武器を作っていて、紫外線弾などを発射する電子銃や紫外線の弦が張られた弓など色々なアイテムを作っている。ただし、そのほとんどは活躍しない。というか、ナイト・ストーカーズ自体がドラキュラに襲われてほぼ壊滅してしまいあまり役に立っていないのが実情。やられ役だな、つまるところは。
 それにしても他にバンパイア・ハンターがいたのならばもっとはやく手を組んで戦っていれば良かったのに。
『ブレイド4』とか出来たらまたもや平気な顔でウィスラーは甦ってるんじゃないだろうな。
 ドラキュラに魅力がないのも減点。発見され目覚めのシーンでは期待したのだが、人間形態の時はそこらの兄ちゃんって感じで全然迫力ないし、モンスター形態になってからは赤鬼の口がプレデターになっている感じでこれまた迫力がない。2作目のリーパーズの方が怖かったんじゃ。バンパイアショップの店員を男は叩きのめして女の血を吸う辺りではまだ良かったのだが。
 史上最初のバンパイアで史上最強のはずが中ボス程度って感じでこれで終わり?とあっけなくなってしまう。弱いのだ、弱すぎるのだ。他の映画のドラキュラの方がずっと怖かったり魅力的だったりするのはなんとかして欲しい。
 捕まえてきたホームレスを真空パック状態にして栄養を送り生かしておいて血を搾り取る血液工場のアイディアは面白かった。食事の度に人間一人を犠牲にしていたらあっと言う間に人間不足になってしまうし、世間にも怪しまれる。バンパイアは警察なども支配しているという設定だから社会的問題にはなかなかならないだろうが、マスコミ関係はどれぐらい抑えているのだろうか。
 最後の戦いでナイト・ストーカーズの生き残り二人と組むが、一人目のハンニバル・キングは一人のバンパイアとプロレスをやっているばかり。もう一人のアビゲイルは実はウィスラーの娘ときたから驚いた。ウィスラーは家族を殺された復讐でバンパイア・ハンターになったんじゃなかったっけ。実は後に別の女性との間に生まれた娘らしい。あんなヒゲ面のクセしてやるもんだねウィスラー。アビゲイルはアーチェリーでバンパイアをバンバン撃ち殺していく。打っても打っても矢が無くならない不思議。
 思うに、ブレイドは一人で戦うのが格好良かったんで、下手に仲間を付けたのがいけなかったんじゃないだろうか。人間でもバンパイアでもないブレイドの孤独さが感じられなくなってしまった。
 バンパイア・ハンターが世間からは単なる人殺しにしか見えず、バンパイアがと言ってもイカれた人間としか思われないという序盤は面白かったのだが、それは最初だけで後々まで活かされなかったのも残念。これまたブレイドの孤独感を増すのに一役買ったと思うのだが。

B00007FVY2.jpg『ブレイド2』(2002) BLADE II 118分 アメリカ

監督:ギレルモ・デル・トロ 製作:マイケル・デ・ルカ、ピーター・フランクフルト、ウェズリー・スナイプス 製作総指揮:アヴィ・アラッド、デヴィッド・S・ゴイヤー、リン・ハリス、スタン・リー、パトリック・J・パーマー キャラクター創造:マーヴ・ウォルフマン、ジーン・コーラン 脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー 撮影:ガブリエル・ベリスタイン 音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ウェズリー・スナイプス、クリス・クリストファーソン、レオノア・バレラ、ルーク・ゴス、ロン・パールマン、トーマス・クレッチマン、ノーマン・リーダス、マリット・ヴェラ・キール、ドニー・イェン、マット・シュルツ、ダニー・ジョン=ジュールズ、ダズ・クロウフォード

 突然変異で生まれた新種のバンパイアであるリーパーズが各地で暴れ回り始めた。
 人間だけではなくバンパイアの血も吸うこのリーパーズに噛まれた者はかならずリーパーズになりねずみ算式に数を増やしている。
 これを脅威と見たバンパイア王は、ブレイドに使いを出し今だけ共に手を取りリーパーズ撲滅に協力してくれと申し出てくる。ブレイドは本来はブレイド抹殺部隊として訓練された一団と共にリーパーズ退治を始める。しかし、リーパーズには銀の銃弾もニンニクエキスも効かず、効力があるのは紫外線だけだった。そのため彼らは苦戦する。
 戦いの中で次第に分かってくるリーパーズの真相。そしてバンパイア王の企みとは。

 シリーズ第二弾の今作は監督がギレルモ・デル・トロ。とはいえ彼の特色が一番薄い作品である。
 まず驚くのは前作の終盤でバンパイアに襲われて拳銃で自害したはずのウィスラーが生きていた事。バンパイアに捕らえられていてしかもバンパイアにされていたのだ。それをブレイドが2年がかりで見つけて助け出しレトロウイルスの注射を一本打ったところ、バンパイアウイルスを食い尽くして人間に戻ってしまう。ウィスラーすご!元のアメコミであった設定なのかね。脇役を殺してみたはいいものの、読者からの反響で苦情が多くて仕方なく次回から復活させたとか。アメコミは割と死んだ人が生き返るのが普通らしいからなぁ。
 出演も兼ねて香港のアクションスターであるドニー・イェンがアクションコーディネーターを務めている。二役は忙しかったのか、役者としてのドニーはほとんど活躍せずにリーパーズとなった仲間に血を吸われてしまう。アクションコーディネーターとしては存分に活躍している。
 前作ではアクションの一つ一つで間が開いてしまい間が悪かったが、今作ではアクションが上手く繋がっていて一つの連続した動きになっている。前作では武器を使うシーンが多かったが今回はリーパーズに武器はほとんど通用しないので肉体でのアクション中心になっている。ウェズリー・スナイプスのマーシャルアーツが燃えに燃える。今回はプロレス系の技まで繰り出す。さらに一々格好つける。手裏剣風カッターを投げて戻ってきたのを受け止めては格好つける。バンパイアに刺す銀の杭を両手に掲げては格好つける。お前はどれだけ格好つけたいんだと。
 こうしてみるとやはりドニー・イェンが三段蹴り以外ではほとんど活躍しなかったのが残念だ。最後まで生かしておいてブレイドとの一対一での対決などぜひとも見てみたかった。ともあれカットも上手く割られていて充実している。アクションに次ぐアクションで今回の目玉はアクションだ。ブレイドが空中を回転して着地したり、リーパーズが壁や天井を這ったり、剣でバンパイアを叩き斬る時などとCGもかなり活用されている。
 バンパイア王が完全なバンパイアを作ろうと遺伝子操作で作り出したバンパイア胎児が入った多数のカプセルのシーンは『デビルズ・バックボーン』を思わせる映像でギレルモ・デル・トロぽかった。そういえば下水道で大半のシーンが繰り広げられたりリーパーズの三つにわれる下あごもどこか『ミミック』の巨大化した昆虫の擬態シーンを思い出させる。細かいところまで美術が凝っている。なんだ、特色が薄いと言ってもやっぱりギレルモ・デル・トロしてるじゃないか。
 個性にあふれたバンパイアチームがあっけなく全滅状態になってしまったが、ストーリーの展開上仕方ないのだろう。その中でロン・パールマンは終盤まで残って手を組んでいたはずのブレイドを裏切る。いつ見ても個性的というか変な顔だ。
 ラストのリーパーズに噛まれたバンパイア王の娘が「リーパーズにはなりたくない。太陽が見たい」とブレイドに夜明けが見えるところに連れて行ってもらい、朝日が昇ってくると共に塵になっていくシーンはバンパイア映画史に残る美しさだろう。
 敵に捕らえられ血を抜き取られ弱りに弱ったブレイドが血の泉に飛び込む。ゴクゴクゴクと大量の血を飲み干すブレイド。そしてふっか?つ!前作でも血が足りなくてヒロインの血を飲んで復活していたがブレイドに血はポパイのホウレン草のようなものかね。前作では血を飲む事への怖れ・嫌悪みたいな物があったけど今作でのブレイドは躊躇せずに飲む。前作ではあったアメコミ主人公の悩んだり苦しんだりがなかったなそういえば。
 最後の戦いの前にウィスラーからサングラスを投げ渡してもらうところも良い。やっぱブレイドはサングラスをかけてなくちゃ。

pepsishiso.jpg ペプシは2007年にキュウリ味の『ペプシアイスキューカンバー』を出すなどたまに変わり種のペプシを出してくる。『ペプシ ブルーハワイ』『ペプシホワイト』などがある。後者二つは割とマトモだった。
 だがペプシはまたやってくれた。今度は和風だ。紫蘇である。しそだ。梅干しを漬ける時などに使うあのしそだ。刺身のつまにも使うあのしそだ。ちょっとピリッとくる刺激感のある野菜である。
 キュウリには呆れたがしそはなんとも微妙だ。呆れて良いのか驚いて良いのか分からない。しその個人的位置づけが出来ないのだ。オレは普段どのようにしそと接しているだろうか?キュウリの場合はそれが出来た。だがしそでは出来ない。一度しそと自分についてじっくり考えてみるのも良いのかもしれない。はっ!それがペプシの狙いか。しそ業界からリベートでももらったのか。

 バカな事はここら辺にして飲む。
 一口目は割と普通。ピリカラなジュースといった感じ。だが二口目からしその味わいと香りが口中に広がり始める。
 うん、しそだよしそ。これは確かにしその味だよ。
 しそ風味のノンオイルドレッシングを使っているので、水で薄めて飲んでみた。うん、こっちの方が甘いが同じような味。ペプシは本気でしそを再現してきたのだ。驚くべきペプシの技術力。使い方が間違っているとも思うが。
 ペットボトルのラベルによると「清涼感あふれる香り しその風味が爽やかなコーラ!」とある。私に言わせると「青臭い香り しその風味がえげつないコーラ!」となるだろう。
 まぁ、何だかんだいってる間に500mlのペットボトルを開けてしまったが。もう買う事はないだろう。次回のペプシはどんなキワモノを出してきてくれるか今から楽しみである。

B000066IP7.jpg『ブレイド』(1998) BLADE 121分 アメリカ

監督:スティーヴン・ノリントン 製作:ピーター・フランクフルト、ウェズリー・スナイプス、ロバート・エンゲルマン 製作総指揮:アヴィ・アラッド、ジョセフ・カラマリ、マイケル・デ・ルカ、リン・ハリス、スタン・リー 原作:マーヴ・ウォルフマン、ジーン・コーラン 脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー 撮影:テオ・ヴァン・デ・サンデ 編集:ポール・ルベル 音楽:マーク・アイシャム
出演:ウェズリー・スナイプス、スティーヴン・ドーフ、クリス・クリストファーソン、ウンブッシュ・ライト、ドナル・ローグ、ウド・キア、アーリー・ジョヴァー、トレイシー・ローズ、ケヴィン・パトリック・ウォールズ、ティム・ギニー、サナ・レイサン、ケニー・ジョンソン

 臨月の母体にいる時に母親がバンパイアに襲われ、病院で手当てを受けるが母親は死亡し赤ん坊は出産されて生き残った。しかし遺伝子が変化を起こしておりバンパイアと人間のハーフとなってしまった。能力はバンパイアだが日光もニンニクも平気で年の取り方は人間と同じなのだ。バンパイアなのに日差しの中を歩けるのでデイ・ウォーカーともバンパイア側からは呼ばれている。成長した彼はブレイドと名乗り、家族をバンパイアに惨殺された老人ウィスラーの手助けの元、バンパイア・ハンターとして活躍している。
 ある日、バンパイアが開いているパーティー会場に乗り込み片っ端からバンパイアをやっつけるが、とどめを刺し損ねてしまったバンパイアが病院に担ぎ込まれ血液学を専門とする女医カレンに噛みついてしまう。このままでは彼女もバンパイアになってしまう。ブレイドはカレンを助ける。
 バンパイアには生まれつきバンパイアの純血種とバンパイアに噛まれてバンパイアになった雑種がいる。このところ評議会では雑種のフロストというバンパイアが力を付けていた。フロストはバンパイアの神マグラを復活させようとしている。もしもそれが実現したら世界はバンパイアの物となってしまう。ブレイドはそれを防ぐ事が出来るのだろうか。

 派手なアクションとスタイリッシュな映像が特徴のバンパイア・ハンター物。昔はバンパイア・ハンターといえば木の杭と十字架を片手にウロウロしていたものだが、今の時代それではやっていけない。
 この作品でのバンパイアには十字架は通用しない。ニンニクと日光と杭は通用する。それから銀も有効である。ニンニクエキスを仕込んだ銀の銃弾でブレイドがバンパイアを撃つと身体が一瞬で燃え上がって骸骨になり最後には塵になってしまう。杭で刺したりした場合もそう。このVFXがなかなか出来が良くタイミングも良いのでついつい見入ってしまう。
 格好つけすぎなウェズリー・スナイプスだが、この作品では本当に格好いい。得意のマーシャルアーツでバンパイアを次々と倒していくシーンはテンポが良い。ウェズリー・スナイプスのマーシャルアーツは映画の役作りのために学んだのではなくて、個人的な趣味として習得したのではないだろうかと思っている。
 ただしアクションのカット割としては単調で工夫に欠ける。この点では、1年後に公開された『マトリックス』(1999)の方が香港からアクション・コーディネーターを呼んできただけあって上ではないだろうか。
 『マトリックス』と言えば、この作品でも銃弾避けが登場する。『マトリックス』の銃弾避けは喝采を浴びたがこちらの方が先である。それを言ったら『レモ/第1の挑戦』(1985)の方がずっと先だが。色々やっているのだが今一つメジャーになれずどこかくすぶっている印象がある作品だ。
 製作総指揮にスタン・リーの名前がある事からも分かるように、これにはマーベル社のアメコミが原作としてある。ブレイドが人間でもありバンパイアでもある事に悩んでいたり、時折どうしても血を吸いたくなるのを血清で抑えていたりして、それに苦しんでいるのはアメコミ原作だからだろうか。アメコミのヒーローと来たらとにかく悩む、やたら悩む。
 ウィスラーは武器担当で、ブレイドの使う日本刀ぽい刀、フルオート乱射も出来る大型拳銃(サブマシンガンと言った方が正解?)、シンプルに紫外線ライトなどを作り出す。どの武器も使われるシーンは魅力的で、マーシャルアーツだけではなくブレイドの戦う大きな手段となっている。
 そしてブレイドと並ぶ主役とも言えるのがサングラス。ブレイドはサングラスをかけて初めてブレイドとして完成するのだ。サングラスを外すと微妙につぶらな瞳が妙に可愛い。終盤近くで敵からサングラスを取り返すシーンはスタイリッシュで実にクールだ。
 そういえば黒人の吸血鬼が登場する映画『吸血鬼ブラキュラ』ってのがあったよな。
 ところで、バンパイアのパーティーで卑猥な日本語の歌を歌っているミニスカートの女の子バンドって誰?流ちょうな日本語なので日本人なんだろうけど音楽関係はさっぱり分からん。
 日本語と言えば、エンディングの最中にも意味の分からない日本語が入るがありゃ何だ?多分雰囲気作りで深い意味はないんだろうけど。
 ついでにトレイシー・ローズがどこに出てきたのか気づかなかったので気になる。

B0019HHBIC.jpg『地球爆破作戦』(1970) COLOSSUS: THE FORBIN PROJECT 101分 アメリカ

監督:ジョセフ・サージェント 製作:スタンリー・チェイス 原作:D・F・ジョーンズ 脚本:ジェームズ・ブリッジス 撮影:ジーン・ポリト 美術:アレクサンダー・ゴリツェン、ジョン・J・ロイド 衣装デザイン:イーディス・ヘッド 音楽:ミシェル・コロンビエ 舞台装置:ルビー・レヴィット、ジョン・マッカーシー・Jr
出演:エリック・ブレーデン、スーザン・クラーク、ゴードン・ピンセント、ウィリアム・シャラート、レオニード・ロストフ、ジョーグ・スタンフォード・ブラウン、ウィラード・セイジ

 アメリカはコンピューターによる画期的な防衛システムを作り上げた。コロラド山中に穴を掘って強固な要塞に本体を設置し、コントロールはカリフォルニアにあるプログラムセンターで行うシステムで、コンピューターの性能は高く基本的に人間の指示なしで動作して、敵国ソ連の核ミサイルが飛んできたら自動で撃ち落とし報復活動を行う仕組みだ。
 大統領も参加した式典で一般にも情報を公開し、ついに防衛システム・コロッサスは動き始めた。すると、「他にも同じシステムがある」とメッセージを表示する。調べてみると、ソ連でもほぼ同じ防衛システム・ガーディガンを構築していたのだ。
 ガーディアンとの接続をしきりに要求するコロッサスとガーディアンはついに核ミサイルを発射する。アメリカに飛んできたミサイルは撃ち落とされるが、ソ連に向けて発射されたミサイルは石油コンビナートに命中し数千人の犠牲者が出る。
 仕方なく、開発者フォービン博士は試しに接続する。かけ算から始まって次第に微分積分など高等数学へと通信内容が変化していく。共通の通信言語を探しているのだ。そしてついにコンピューター同士の専用言語が完成する。
 核ミサイルという武器を利用してコロッサスとガーディアンは宣言する。「人間は私の支配下におく」と。

 コンピューターによる防衛システムが人間を支配するとは、元祖スカイネット。
 機械による自動化に不安があったころで『2001年宇宙の旅』(1968)でHAL9000が人類に叛乱を起こしたのもこの頃。作中で人間を介さないコロッサスは恐怖の象徴である。
 最初は小さな事から始まった事が、次第に大事になっていきついには止めようもなくなってしまうところに人類の技術への慢心が見て取れる。
 ソ連にアメリカの核ミサイルが落ちるシーンでは、ソ連に甚大な被害が出ているのに自分たちは無事だった事に喜んでいる主人公たちがちょっと共感できない。ソ連は明確に敵という時代だったとはいえ、自分たち側が発射した核ミサイルによる物なのだから「なんてことだ」といったリアクションぐらい欲しいものだ。
 映画のほとんどがプログラムセンター内で繰り広げられる密室劇。監視カメラとマイクで24時間監視される事になったフォービン博士が、仲間と内密で連絡を取るために、女性科学者と恋仲ということにして夜のベッドルームだけは監視を解いてもらいそこで情報のやり取りをする面白さ。いかにしてコロッサムの裏をかくかに必死なのである。
 アメリカ政府とロシア政府はコロッサスとガーディアンを騙して核ミサイルの点火装置を偽物とすり替えていくが、果たして思っているように上手く行くのだろうか?
 そして核爆発が起きる中、一体化したコロッサスとガーディアンは「これからは飢えも人口増加も疫病もない世の中が来る」と宣言する。それは幸せな世界なのだろうか。それとも恐怖政治の世の中なのだろうか。
 コロッサスを騙そうとして死刑にされ射殺された二人のプログラマーの姿が答えを示している。
 コンピューターやテレビ電話のデザインは今見るとさすがに古さを感じさせるが、当時はなかなかなものだったろう。テレビ電話はwebカメラを思わせる位置についていて、結構スマートだ。あとはあり物を上手く使っている。観た感じだと比較的低予算映画だろうが、なんとかがんばっているなという印象だ。
 テンポはかなりゆっくりめでこれも時代を感じさせる。

B001TIKGKG.jpg『デイ・ウォッチ』(2006) DAY WATCH/DNEVNOY DOZOR 131分(ディレクターズカット:146分) ロシア

監督:ティムール・ベクマンベトフ 製作:コンスタンティン・エルンスト、アナトリー・マキシモフ 原作:セルゲイ・ルキヤネンコ、ウラジーミル・ワシーリエフ 脚本:ティムール・ベクマンベトフ、アレクサンダー・タラル、セルゲイ・ルキヤネンコ 撮影:セルゲイ・トロフィモフ 編集:ドミトリー・キセレフ 音楽:ユーリ・ポテイェンコ
出演:コンスタンチン・ハベンスキー、マリア・ポロシナ、ウラジミール・メニショフ、ガリーナ・チューニナ、ヴィクトル・ヴェルズビツキー、ジャンナ・フリスケ、ディマ・マルティノフ、ワレーリー・ゾルツキン、アレクセイ・チャドフ

 闇の異種の女性が殺された。犯人とされた主人公アントンを闇の異種の“デイ・ウォッチ(昼の番人)が昼の異種側に引き渡せと要求してくる。しかし、アントンはその女性を殺しておらず、それは闇の異種による陰謀だった。
 アントンの息子イゴールは闇の異種になり、頭抜けた才能を発揮していた。前作の呪い女スヴェトラーナは光の異種となりアントンと組んで“ナイト・ウォッチ(夜の番人)の研修中であり、彼女も優れた才能を示していた。
 太古から伝わり失われてしまった“運命のチョーク”という物があった。それで過ちを犯した場所で過ちを正す事を書けばそれが現実となる物である。この運命のチョークをめぐって光と闇の戦いが始まった。

 ストーリーがかなりさっぱり。とりあえず前作の『ナイト・ウォッチ』を観ている事が前提となっている。それは連続シリーズ物だから当たり前か。
 前作はダークファンタジーだったのに今作ではサスペンスミステリーとなっている。殺人犯捜しが行われ査問委員会が出てくるとかどんなファンタジーだ。まぁサスペンスミステリーと言ってもそれほど本格的なものではない。
 光と闇が対立した存在なのに、光の異種が闇の異種を殺したら大問題になって、裁判だの罰則だのとかなり秩序だった関係にある。だからこそ我々平凡な人間が生きていく事が出来るのだろう。
 もしも光と闇が本気で戦い始めたら世界は混乱の渦に包まれるに違いない。そして、表面上は調和を保っている光と闇だが、相手をなんとかして出し抜こうと常に考えている。殺人事件も光を打ち負かそうという闇の陰謀だ。

 フィルムの色彩がかなり変わった。彩度が明るくなって前作の重苦しい空気は少なくなった。前作のヒットで予算が増えたのかVFXもより派手になった。ホテルの壁面をスポーツカーが走り抜け、ガラスをぶち破ってホテル内に入り廊下を疾走するシーンはCMでも使われていたので有名だろう。
 ラストのモスクワ大崩壊は見応えがある。イゴールの使う小さなボールのおもちゃが増殖して人から建物からあらゆる物をぶち抜いていくのだ。タワーが崩壊したり、観覧車が台から外れて道路を転がり自動車や人を踏みつぶしていく。最後には廃墟と化したモスクワが残るのみ。

 ロシアの俳優なので顔に馴染みが無いせいもあって女優が前作の誰だったかなと最初にちょっと迷った。前作では意味ありげに出てきた割にはあまり活躍しなかったフクロウ女オリガは、今作ではアントンの所在を隠すために二人の精神を入れかえられてしまい、アントン役として大活躍。男臭い仕草で煙草をプカプカ吹かす始末で演じてて楽しそう。じゃあアントンが女性風演技をするのかというとそれはなかった。内股で歩くアントンとか見てみたかったのに。
 スヴェトラーナはきっちりヒロインの役目を果たしている。ロシアの若い女性はきれいだ。これが年を取るとでっぷり太ったタイプが多くなるんだろうけど。磨りガラス状のシャワーカーテン越しのシャワーシーンもあってサービス満点。終盤にはエネルギーを吸い取られてしまい、老婆になるシーンもある。
 ラスト近く、スヴェトラーナとイゴールがアントンの右腕と左腕をそれぞれ引っ張って奪い合うシーンがある。「僕のパパを返せ」「アントン、行っちゃイヤ」。二人とも並外れた能力者だからアントンはたまったものではない。シャツの袖が破れて取れてしまうのは当たり前。骨までミシミシきしんでくる。このままでは腕が抜けかけない。しかも、上空からスイカも真っ二つにする巨大なガラス片が落ちてくる。ここで大岡越前がいたら「先に腕を放した方の物」と大岡裁きを見せてくれるのだろうが。

 光の異種の父親アントンと闇の異種の息子イゴール。これは『スター・ウォーズ』エピソード4?6のダースベーダーとルーク・スカイウォーカーの反対である。そして父親が恋しいイゴールはアントンを闇へと誘う。バックにいるのは皇帝ならぬ闇の王。ますます『スター・ウォーズ』だ。光と闇の対立というのは普遍的テーマなのだろう。父親と息子の関係もしかり。

 所々面白いのだが、全体を通してみるとゴチャゴチャしていて整理が付いてないし、やはり中盤がだれる。これはディレクターズカットを観たので146分という長尺物のせいもあるかもしれない。不必要に思われる部分がいくつか見受けられたので、そこらをカットすればもっとテンポの良い作品になった可能性はある。
 しかし、“リセットボタン”的なあのラストはどんなもんだろうか。かなりな強引さに笑ったけど。でも三部作じゃなかった?

 エンドクレジットでの主要スタッフの表示の仕方が、夜の町をナイト・ウォッチの一人がトラックを走らせていて、そこで見かけるネオンサインや看板という形をとっていてこれには笑った。

B001TIKGI8.jpg『ナイト・ウォッチ』(2004) NIGHT WATCH/NOCHNOY DOZOR 115分 ロシア

監督:ティムール・ベクマンベトフ 製作:コンスタンティン・エルンスト、アナトリー・マキシモフ 原作:セルゲイ・ルキヤネンコ 脚本:ティムール・ベクマンベトフ、レータ・カログリディス 撮影:セルゲイ・トロフィモフ 美術:ワレーリー・ヴィクトロフ 編集:ドミトリー・キセレフ 音楽:ユーリ・ポテイェンコ
出演:コンスタンチン・ハベンスキー、ウラジミール・メニショフ、マリア・ポロシナ、ガリーナ・チューニナ、ヴィクトル・ヴェルズビツキー、マリア・ミロノーワ、イリア・ラグテンコ、ジャンナ・フリスケ、ディマ・マルティノフ、ワレーリー・ゾルツキン、ユーリ・クッシェンコ、アレクセイ・チャドフ

 普通の人間とは違う“異種”と呼ばれる人たちがいた。一種の超能力者である。彼らは“光”と“闇”の二つの勢力に分かれ太古から激しい戦いを繰り広げてきた。そして両者の力が拮抗しこのままでは共倒れになると考えたそれぞれの王は休戦協定を結んだ。
 それ以降、異種として目覚めた者は光に入るか闇に入るかを自分の意志で選んだ。そして闇の異種を監視する“ナイト・ウォッチ(夜の番人)と光の異種を監視する“デイ・ウォッチ(昼の番人)の制度が設けられバランスは保たれていた。
 ……その日までは

 ロシアの映画というとタルコフスキーなんかの難解なイメージが強いが、これは少年マンガにでもありそうな設定の分かりやすい娯楽作。ハリウッド映画ではないので出演者に観た顔がいないというのが新鮮で良い。ロシア語のセリフも新鮮。
 この後に『ウォンテッド』を撮る監督だね。それだけにVFXはがんばってるなといった印象。ものすごくセンスが良いとは思わないが予算も少なかったそうなのにかなりの映像を作り出している。ロシアのコンピュータ技術は高いだろうし、人件費は比較的安そうだ。
 ただ、見せ場は意外と少ない。最初に畳みかけておいて、後は割と通常撮影の映像が続く。そして思い出した頃にVFXが登場する。
「1人の命か、数千万の命か」とか光の側の王が言い出していいのかなとも思いますが、それだけ重い決断を下すから王なんでしょうか。
 呪われた女性にしてもなんでもかんでも異種で片付けてしまうのはちょっと反則。泣いて自己批判しただけで解けちゃう呪いってのもちょっとね。結局、この女性のエピソードは大きく扱われている割にはストーリーには関係ない。

 あれこれ要素を詰めすぎて消化不良になっているのはマイナス。やりたい事がいっぱいあるのと、原作があるそうだからそこから使わなければならない設定やエピソードで縛られるというのはあるんだろうが、設定がシンプルな割にストーリーはゴチャゴチャ。
 ハリウッド色がありながらも基本はヨーロッパ系の香りがする。しょぼいおっさんが主人公というのもヨーロッパ的。というか、登場する男性キャラクターはほとんどがおっさんのおっさん映画でもある。
 ハリウッド映画とはそもそも風景からして違う。暗くて重苦しい空だ。プールのシーンだけ別の映画のように鮮やかなカラーとなっている。
 シリーズ物なのでぶった切られた形で映画は終わる。ここから面白くなるところなのにと絶妙なタイミングだ。
 中盤でダレたが終盤で持ち直した。次回作『デイ・ウォッチ』に期待。
 しかし、フクロウ女は意味ありげに出てきてほとんど役に立っていない。次回作では活躍を期待する。
 ラストは『スター・ウォーズ』中期三部作のダースベーダーとルーク・スカイウォーカーの逆パターンだな。

B001LF3QMW.jpg『007 慰めの報酬』(2008) QUANTUM OF SOLACE 106分 イギリス/アメリカ

監督:マーク・フォースター 製作:マイケル・G・ウィルソン、バーバラ・ブロッコリ 製作総指揮:カラム・マクドゥガル、アンソニー・ウェイ 原作:イアン・フレミング 脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ポール・ハギス 撮影:ロベルト・シェイファー プロダクションデザイン:デニス・ガスナー 衣装デザイン:ルイーズ・フログリー 編集:マット・チェシー、リチャード・ピアソン 音楽:デヴィッド・アーノルド、(テーマ曲:モンティ・ノーマン)
出演:ダニエル・クレイグ、オルガ・キュリレンコ、マチュー・アマルリック、ジュディ・デンチ、ジェフリー・ライト、ジェマ・アータートン、イェスパー・クリステンセン、デヴィッド・ハーバー、アナトール・トーブマン、ロシー・キニア、ジャンカルロ・ジャンニーニ、ホアキン・コシオ、グレン・フォスター、フェルナンド・ギーエン・クエルボ、スタナ・カティック、ニール・ジャクソン

 また今回もQが出なかった。ダニエル・クレイグ版ではQ課はない存在になっているのか。『カジノ・ロワイヤル』ではAED付きのアストンマーチンが辛うじてQ課的なハイテク装置として登場したが、今回の作品ではこれといって目玉になるようなハイテク装置が登場しない。携帯型パソコンバイオやソニーエリクソンの携帯電話ではスパイ道具としての華がなさ過ぎる。実用的ではあるんだろうが。
 部下がMに資料を見せる時に手で触ってオブジェクトを移動させる机の天板型ディスプレイがちょっと面白かったがあれぐらいか。
 スパイ用ハイテク装置を登場させないリアル指向を目指しているという事だろう。おそらくはマット・デイモンの『ボーン』シリーズの影響が大きいのではないだろうか。荒唐無稽なストーリーとど派手なアクション、とんでもない発想のスパイ小道具が007シリーズの魅力の一つと考えているオレにはちょっとさみしい話である。

 物語は前作の直後から始まる。話はそのまま繋がっているので前作を観ている事が前提。観たけど忘れちゃったよと言う人は予習してからの方が良い。
 ヴェスパーの仇討ちをするため彼女を裏から操っていたMr.ホワイトを尋問にかけ、手がかりを掴んだボンドはハイチへと飛ぶ。そこでカミーユという名の女性と出会う。彼女が今作のヒロインだ。そして環境保護団体グリーンプラネットの代表ドミニク・グリーンという男を見つける。この男は環境補語をうたっていながら影で地下の天然資源を狙っている悪党だった。
 ボリビアの将軍を大統領にする事で巨万の富を得ようとするグリーンだが、ボンドの手によって倒される。そして“クァンタム”という組織の謎を残す。

 どうやら新シリーズはこのクァンタム(ハードディスクみたいだな)との戦いが話の縦筋になりそうである。全盛期に敵として登場したスペクターみたいなものだろうか。ただ、スペクターみたいにアホな作戦を立てずにシリアスでリアルな作戦でボンドに挑んでくるのだろう。やはりその辺りオレとしては残念だ。
 アクションは豊富でカーチェイスからボートチェイス、輸送機(ボンド)対レプシロ戦闘機のドッグファイトに『カジノ・ロワイヤル』の冒頭でも展開された人間同士の追いかけっこであるマンチェイス。そして格闘戦に銃撃戦。これらのシーンは映像的に『ボーン』シリーズに近い気がする。手持ちカメラの多用とアップの細かいカット割りが特徴だ。
 疾走感はあると思うが個人的にはあまり好きな撮り方ではなくて、もっとちゃんとカメラは据えてヒキの絵を混ぜて撮って欲しいと思うのだがこれが今時の流行なのだろう。
 なにしろ監督のマーク・フォースターは『チョコレート』(2001)や『主人公は僕だった』(2006)などドラマやヒューマン系コメディを撮ってきた人でアクションの経験はない。こう撮りたいという明確な映像がないからどこかで観たような映像になってしまったのではないだろうか。アクションシーンは豊富だが、経験不足からか全体的に雑な感じがいなめない。
 そういえばボンドの銃がワルサーP99からワルサーPPKに戻ってたな。これは良い。

 ダニエル・クレイグはやはり地味。前作にも増して地味さが増した。主人公というより名もなき脇役AとかMI6職員Bとかそれぐらいの感じ。これもリアル指向なのかもしれないが007で主役に華がないというのはやはり寂しい。『カジノ・ロワイヤル』の冒頭で00要員に昇格したばかりで、まだスパイとして未熟なボンドの成長を描いているからなんだろうけど、腕の割に情緒面が不安定すぎてあまりにもアンバランス。
 ヒロインのカミーユもあまり魅力的ではない。敵か味方かはっきりしないというのはいいのだが、どうも色気が足りない。ボンドガールの筆頭という感じではなく二番手ぐらいに見えてしまう。これは役者よりも魅力を感じさせられなかった演出側の責任だ。過去に家族ごとひどいめにあって復讐を誓っているのだがほとんど共感できない。背中がボロボロになっているのは将軍に家を焼かれた時の火傷という設定なのか?説明がないのでさっぱり分からん。単にああいう肌の女優さんだったりしてな。それはないか。

 前作で裏切り者と間違えられてしまったマティスが味方として再登場。ただしさして活躍しないまま敵に撃ち殺されてしまう。殺され役か。その死体をゴミ収集の容器に放り込むボンド。スパイの末路はこんなものだと言いたいのだろう。これまたリアル路線か。
 かと思うと、ボンドと関わりを持った現地のMI6女性職員が全身を真っ黒な石油まみれにされて殺されるが、これは『ゴールドフィンガー』のオマージュだろう。見せしめとは言え派手すぎる殺し方で統一感がない。

 悪の陰謀もリアル指向ということもあってか大ゲサでバカな物ではなく、ボリビアで水不足を起こす程度。そりゃ現地の人は大変だろうが、007の悪役がやる仕事ではない気がする。グリーンも見た目そこらの兄ちゃんで凄みも切れ味もない。
 株の空売りで大儲けしようとして情けなくも失敗した『カジノ・ロワイヤル』のルシッフルはまだ凄みがあったぞ。

 ピアース・ブロスナンまでを旧007シリーズと捉え、ダニエル・クレイグ版は新007シリーズとして観ればそれはそれで納得なのだが、これまでの20作を考えると無理に路線変更をする必要が感じられない。別に007とは別に新シリーズを立ち上げればいいだけの事ではないだろうか。
 それにしても終盤の砂漠の中にあるホテルはあっと言う間に燃え上がった。ボリビアの消防法はどうなってるの。スプリンクラーぐらい付けろよ。ああ、砂漠の中だからそんなに水がないか。あの建物の建築基準法がどうなっているか知りたい。まるでホテル○ュージャパンだ。設計は姉歯か。

 まぁ大バカ映画だったロジャー・ムーアボンドシリーズが一番好きなオレが観たんじゃリアル指向振りが合わなくても当然か。
 ともあれ映画のラストに追いやられたガンバレルと007のテーマが悲しい。

B001ALQX86.jpg『蝋人形の館』(2005) HOUSE OF WAX 113分 アメリカ

監督:ジャウム・コレット=セラ 製作:L・レヴィン、スーザン・レヴィン、ジョエル・シルヴァー、ロバート・ゼメキス 製作総指揮:ブルース・バーマン、ポリー・コーエン、ハーブ・ゲインズ、スティーヴ・リチャーズ 原案:チャールズ・ベルデン 脚本:チャド・ヘイズ、ケイリー・W・ヘイズ 撮影:スティーヴン・F・ウィンドン 編集:ジョエル・ネグロン 音楽:ジョン・オットマン
出演:エリシャ・カスバート、チャド・マイケル・マーレイ、ブライアン・ヴァン・ホルト、パリス・ヒルトン、ジャレッド・パダレッキ、ジョン・エイブラハムズ、ロバート・リチャード

 ヒロイン役のエリシャ・カスバートが良い。口を瞬間接着剤で塞がれ、指を切断され散々な目にあっても悪人に屈することなく立ち向かう姿が美しい。これが共演で友人役のパリス・ヒルトンが主役だったらとたんにB級っぽさが立ちこめるに違いない。
 大学のアメフト大会を観戦するために旅をする若者が6人。内訳は女2人、男4人。そのうちエリシャ・カスバートとチャド・マイケル・マーレイは兄妹だ。
 カーナビで近道を見つけるがその道は通行止めに。しかたなく脇の田舎道へと入っていく。夜も遅くなったので野原でキャンプをしていると不審な車が近寄ってくるが、それだけのことであとはいちゃついたりビールを飲んだりして楽しく過ごす。
 この手の若者が殺されるのはホラーの法則第6条に明記されている通りである。もちろん彼らも殺人鬼の手によって惨殺され、ほんの一握りが生き残る。
 翌朝、車のファンベルトが切断されているのに気付いたエリシャの恋人は仲間を先に行かせエリシャと共に近くにあるという小さな田舎町まで買いに行く事にする。
 だがその田舎町は怖ろしい蝋人形の館だった。

 1933年に製作され1953年にはリメイクされた『肉の蝋人形』の再リメイク。とはいえ、本物の人間を元に蝋人形を作る、つまり蝋人形の中に人間の死体が入っているという以外はあまり共通点はない。
 製作はジョエル・シルヴァー&ロバート・ゼメキスが主宰するダークキャッスル・エンタテインメント。顔ぶれから見て分かる通り豪華なメンツである。設定はB級だがそれをA級にしているのもこのメンツだからだろう。
 ダークキャッスルには珍しくメジャー資本の映画だが、残虐描写は独立プロ系にも負けていない。ニッパーで指を切断する。アキレス腱をハサミでちょん切るなど地味に痛い攻撃からナイフで刺す、首を切り落とすなど派手な描写まで揃っている。これがどれもリアルで痛いのだ。
 一番イヤだったのがエリシャの恋人が生きたまま全身に溶けた蝋を噴射されて蝋人形にされてしまうところ。そして蝋人形になった後もまだ生きているのだ。指の一本も動かせずに死を待つだけ。ああイヤだ。怖い。
 町には蝋人形館があり、この建物は壁も床も全てが蝋で出来ているぐらいに徹底した蝋人形館だ。だが、今は亡き蝋細工師の母親を慕う二人の狂人の息子は町全体を蝋人形の館にしてしまった。スーパーもペットショップもそして20人ほどの人と神父(どちらも蝋人形)が集まっている教会もすべて蝋人形の館の一部なのだ。町の住人全員を蝋人形にしてしまったあげく、通りかかる旅行者も片っ端から捕まえては蝋人形にしていたのだ。それは蝋人形師に追われるパリス・ヒルトンが大量の携帯電話や車を見つけるシーンからも分かる。ちなみにパリス・ヒルトンはあっけなく死にます。個人的にはどうでもいい女優さんですが死に方は良かった。
 ラストは蝋人形の館が大炎上してどろどろと溶けていく。その中での蝋人形師との戦い。足場も定かではなくまるで熱したチョコレートの上で戦っているかのよう。熱した蝋の上での撮影は危険すぎるから粘土みたいな物を使ったのではないかと想像する。
 最後には壁も柱も溶けてしまって蝋人形の館はペチャンコになる。ここは作品最大の見せ場だ。まさか実物大の蝋人形の館を蝋で造る事はないだろうから模型かCGなんだろう。個人的には『ポルターガイスト』のラストで潰れて消えていく家を思い出した。そういえば両方ともメジャー資本によるホラー映画だ。
 蝋細工師は双子の兄弟で兄がおびき寄せ役、弟が蝋細工役を担当している。キャストを見てみると両方とも同じ俳優が担当していたみたいだ。こういう場合、ギャラは一人分なんだろうか、二人分なんだろうか。まぁ、演ずる人数はあまり関係なしに単にいくらで決まってしまうんだろうが。
 エリシャにも兄役が登場し、共に力を合わせて蝋細工師と戦いますから兄弟がテーマでもある。そう考えると、町の映画館でロバート・アルドリッチの『何がジェーンに起ったか?』(1962)という善と悪の姉妹を描いた作品が上映されているのも納得だ。
 ラストの保安官の「この町は奥まったところにあって、10年前に工場が閉鎖されてからは地図にも載ってないから気付かなかったんだ。今回の事がなかったらもっと続いたぞ」にはぞっとする。

B0022F6LSG.jpg『ステルス』(2005) STEALTH 120分 アメリカ

監督:ロブ・コーエン 製作:マイク・メダヴォイ、ニール・モリッツ、ローラ・ジスキン 製作総指揮:アーノルド・メッサー、E・ベネット・ウォルシュ 脚本:W・D・リクター 撮影:ディーン・セムラー プロダクションデザイン:ジョナサン・リー、J・マイケル・リーヴァ 衣装:リジー・ガーディナー 編集:スティーヴン・リフキン 音楽:BT
出演:ジョシュ・ルーカス、ジェシカ・ビール、ジェイミー・フォックス、サム・シェパード、ジョー・モートン、リチャード・ロクスバーグ、イアン・ブリス

 空を舞台にした映画という事もあって、雲海に浮かぶコロンビア・ピクチャーズの自由の女神がギューンと遠ざかるオープニングに笑った。
 近未来、戦闘機は今とは比べものにならないほど発達していた。
 3人組のチームに新しいチームメイトが加わる。その名はエディ。超高性能コンピュータで動く無人戦闘機である。飛行機型のロボットと言っても良い。
 ロボットなんかに俺たちの仕事が出来るはずがないと反感を持つ三人組。そして、エディが雷に打たれた事から異常な行動を取るようになり、彼らに牙を剥く。

 CGで描かれた近未来戦闘機F/A-37やエディの出来が素晴らしい。空母からの発艦シーンなど本物と見まごうばかりである。ドッグファイトにしても構図やカット割りなどスピード感に溢れており当時あれだけ熱狂した『トップ・ガン』や『アイアン・イーグル』はもはや遠い昔だなと思わせる。たたみかける空中戦は迫力満点で劇場のスクリーンで観ておきたかったと思わせる。
 あれこれ考えずに近未来戦闘機の戦いを楽しめば申し分ない娯楽作である。
 主人公たちの乗るシャープな逆デルタ翼の戦闘機は通信用のモニターもあって、変形してロボットになりそうだ。ガオーク形態なんかもあったりするんだろうか。
 それに対してエディは丸っこいコガネムシ型のデザインで、翼などかなり小さい。あれで飛べるんだろうか。全身のフォルムを利用して揚力をかせいでいるのか。
 だがストーリーがいただけない。
 初っぱなの任務からして、ミャンマーのあるビルに3人のテロリストが集まっているのでそれを壊滅せよというものだ。ミャンマーの許可を取っている様子はないのでどう考えても領空侵犯だ。
 タジキスタンでミサイルを爆破したのもそう。ここでは核爆弾を破壊してしまい、放射性の塵を発生させ数多くの犠牲者を出している。エディがすでにおかしくなってきていて暴走してやった事とは言えあんまりではないか。
 ロシアに侵入してSU37を2機撃墜するのもひどい。これまでは比較的小国だが、ロシアの戦闘機を撃ち落としてどう釈明するつもりなのだろう。下手したら第三次世界大戦の火蓋を切るぞ。近未来最新鋭機相手になかなかがんばる現行機のSU37がちょっと愛おしい。
 そしてラスト。北朝鮮に墜落した仲間の女性パイロットを助けるために、都合良く改心したエディにのって北朝鮮に乗り込む主人公。だから領空侵犯の不法入国だってば。しかも、女性パイロット一人を助けるために、北朝鮮兵士がたくさんいる中にミサイルを撃ち込む。もちろん爆発して兵士たちは死亡。北朝鮮という国の味方をする気はないが、これはさすがにあんまりじゃないだろうか。自国に国籍不明機が墜落したらパイロットをつかまえようとするのは当たり前の事だろう。
 どれも現実に起きるかも知れない事だけど、それをアメリカが有無をいわさぬ力のみで解決するところにうむむと唸ると同時に笑っちゃうんである。おいおい。

 終盤になってエディが暴走から目覚めて主人公の味方になってからが見ていてテンションが落ちる。素直に暴走した無人ステルス機を性能の劣る人間の操縦する戦闘機で撃墜するというストーリーで良かったんじゃないだろうか。ありきたりだけどそのありきたりを途中まではやっているんだから。
 それではストーリーが埋まらない可能性はあるが、アメリカが他国に迷惑をかけまくりのストーリーより良い。
 だいたい女性パイロットも近いんだから落ちるんならば日本に落ちればいいのに。パイロットをつかまえるどころか、墜落現場を勝手に閉鎖されて自国の警察を追い出されて何の説明もなくても文句を言わないぞ日本は。沖縄での米軍ヘリ墜落事故が証明している。
 120分と娯楽映画としては若干長目だが、タイでの意味のない休暇シーンを削れば110分にはなったはず。あれはジェシカ・ビールの水着サービスシーンのためだけに撮影されたと見た。あるいは撮影と称してスタッフ共々実際に休暇を取ったのではないだろうか。

 チームの上官役でサム・シェパードが出ているのが嬉しい。この人物、実はエディ以上に暴走しているのであった。
 ちなみに無人戦闘攻撃機は現在順調に開発中である。

B000RXXY62.jpg『キャビン・フィーバー』(2002) CABIN FEVER 93分 アメリカ

監督:イーライ・ロス 製作:イーライ・ロス、エヴァン・アストロウスキー、サム・フローリッチ、ローレン・モウズ 製作総指揮:スーザン・ジャクソン 原案:イーライ・ロス 脚本:イーライ・ロス、ランディ・パールスタイン 撮影:スコット・キーヴァン 音楽:アンジェロ・バダラメンティ、ネイサン・バー
出演:ライダー・ストロング、ジョーダン・ラッド、ジェームズ・デベロ、セリナ・ヴィンセント、ジョーイ・カーン、ジュゼッペ・アンドリュース、アリ・ヴァーヴィーン

 いかにもバカそうな若者5人組(男3人、女2人)が大学最後の夏休みの一週間を楽しく過ごそうと山の中の山小屋に遊びにやってくる。
 となれば、殺人鬼かゾンビのたぐいに教われるものと決まっている。70?80年代のホラーの定番である。『13日の金曜日』とか『死霊のはらわた』などのスプラッター映画が思い起こされる。だが、この作品で襲ってくるのは皮膚を腐らせ血を流しながら死んでいく恐怖のウイルス。だが、それ以上に怖いのは人間だった。

 カップルがいちゃついたり、キャンプファイヤーなどをやって楽しんでいるところに、山の中で暮らす変わり者の男が全身をボロボロにして血を流しながらやって来た。思わず助けるどころか暴力を振るって追い払ってしまう5人。その男はその後貯水池に入り込んで死んでしまったからさあ大変。水道の水を飲んだ彼らは一人また一人と奇病に罹っていく。
 一人が町まで行って助けを頼んだら、頭のイカれた少年が「パンケーキ。パンケーキ」と叫びながらカンフーで襲ってきて男の手に噛みつく。少年に伝染病がうつったと思い込んだ父親は、「よくも俺の息子に病気を移したな。殺してやる」と2人の仲間と一緒にライフルを持って追いかけてくる。
 頼みの綱と思った警察も、「患者は見つけ次第射殺しろ」と命令を下す。

 閉鎖的な村社会で、都会から来た若者が異分子扱いされ、害をなすと見るや殺しにかかってくるという怖ろしさ。殺した後は全てを闇に葬り、彼らの事など知らなかったように知らん顔。
 ライフルを持って一般人が殺す事をまったくためらわずに襲ってくるところが怖ろしい。やはり田舎はいかんね。自分たちの共同体さえ維持できれば問題なしで、その共同体の外の人間の事は基本的にどうなろうと気にしない。
 警察も共同体の一部なので、それを守るのが第一で若者たちの命などどうでもいいと考えている。アメリカの田舎だと本当にそういう警察がありそうで怖い。『ランボー』の警察署長ブライアン・デネヒーも町を維持する事が第一で通りすがりの男ランボーのことなど欠片も考えていなかった。
 では都会から来た若者たちは病気に罹った仲間を親身になって面倒をみるかというとそうではなく、納屋に閉じこめて治療もせずせいぜい食事を与えるだけ。伝染病だと分かっていて移されるのが嫌だとは言えあまり人の事は言えたもんじゃない。
 さっさと病院へ連れて行けばいいのだが、その車は最初の感染者の男に壊されてしまった。山小屋にこもってどうしようこうしようと言っている内に彼らの間にも疑心暗鬼の不協和音が流れ始める。

 伝染病の正体や治療法はこの作品では問題ではない。伝染病がどこから来たかも分からないし、最後の最後まで名前すら分からないしどうでもいいのだ。低予算映画なのでそこまで細かく説明していられないというのもあるかもしれないが、個人的にはどうでもいいことだから省いたのだと思う。
 調べれば治療法はあるのかも知れないが、それは最後の感染者を秘密裏に始末してしまう事で警察がうやむやにしてしまう。
 おそらくはエボラ出血熱をイメージしているだろうこの病気の潜伏期間は短く、コップ一杯の水を飲んだら翌日には発症している。
 肌が腐ったようにズルズル剥けていって、女性の一人が風呂まで足のむだ毛を安全剃刀で剃っている時に皮膚がズルッと剥けるシーンは怖かった。
 終盤で少し失速するのが残念だ。テンションの高さを保ったままラストに突入して欲しかった。観客を楽しませようというよりも良い意味で嫌な気持ちにさせようとこれが長編デビュー作となるイーラー・ロス監督は考えているのではないだろうか。

 若者たちを全滅させ、これで町は安心だと町の人も警察も思った。しかし、ここからが本当のパニックの始まりだ。

B0022F6LUE.jpg『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』(2003) ONCE UPON A TIME IN MEXICO 101分 メキシコ/アメリカ

監督:ロバート・ロドリゲス 製作:ロバート・ロドリゲス、エリザベス・アヴェラン、カルロス・ガラルドー 脚本:ロバート・ロドリゲス 撮影:ロバート・ロドリゲス プロダクションデザイン:ロバート・ロドリゲス 編集:ロバート・ロドリゲス 音楽:ロバート・ロドリゲス
出演:アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック、ジョニー・デップ、ミッキー・ローク、エヴァ・メンデス、ダニー・トレホ、エンリケ・イグレシアス、マルコ・レオナルディ、チーチ・マリン、ルーベン・ブラデス、ウィレム・デフォー、ティト・ラリヴァ

 ストーリーがシンプルだった前2作と比べると、登場人物の数も増え敵対関係や力関係などもぐっと複雑になっている。

 情勢が不安定なメキシコが舞台。軍を私物化しているマルケス将軍は大統領の暗殺を企てている。それと手を組んだのが麻薬王のバリーリョ(ウィレム・デフォー)でこの機械に大金を稼ごうとしている。
 それにCIAのエージェントであるサンズ(ジョニー・デップ)や元FBI捜査官、そしてマルケス将軍に妻と娘を殺され自分も重傷を負わされた過去があるエル・マリアッチが関わってくる。
 こうして復讐と裏切りの物語が始まる。

 派手な銃撃戦は相変わらず。前作は酒場などの閉鎖空間での銃撃戦が多かったが、今回は市場などオープンスペースでの銃撃戦も観られる。個人的には前半の教会での銃撃戦が面白かった。白い鳩は飛ばないものの教会と銃撃戦といえば『狼/男たちの挽歌最・終章』のラストが思い出されるが、やはりジョン・ウーの影響は受けているのだろうか。アントニオ・バンデラスが踊るように連射するシーンは絶対に影響ありだと思うのだが。
 この仕事は一人では手に負えないと思ったマリアッチは二人のマリアッチを呼ぶ。これは『デスペラード』でもあった。しかし、ギターケースマシンガンやロケットランチャーはさすがにやり過ぎたと思ったのか、今回の二人は普通に銃で戦う。と思っていたら最後にはギターケースが火炎放射器になったり、ラジコンのように走らせて敵の元で爆発させたりとやはりやりたい放題。
 全体的にシリアスな作りで『デスペラード』の軽さは少ないが、お笑い部門を担当するのがサンズ(ジョニー・デップ)だ。メキシコのバランスを保つために美味い料理を作ったコックを厨房に行って撃ち殺したり、情報屋と会う時は身の安全を守るため偽の左腕を付けて本物の左腕はテーブルの下で銃を構えていたりする。ところがウェイトレスがその左腕にコーヒーをこぼしてしまったからさあ大変。
 他には闘牛場で“C.I.A.”と書かれたTシャツを着ているシーンがある。正体隠してないな?。“I'm with stupid.”というTシャツも着ていた。
 最後にはバリーリョに捕まり、両目をえぐり取られてしまう。ガム売りの少年の助けを借りて大統領官邸まで行くが入り口には敵が待ち構えていた。サンズは敵の動く音や声を聴いて狙いを付けて命中させる。このシーンは『座頭市』からヒントを得ているのだろうか。これがクエンティン・タランティーノだったら絶対なのだが、ロドリゲスだと同じメキシコを舞台にした『盲目ガンマン』(1971)の可能性もある。
 笑えるといえば、死者の日に軍が乱入してきてクーデターが起こった時に二挺拳銃で応戦しているおばさんには笑った。数秒しか出てこないので見逃さないように。何なんだあの人は。
 ストーリーはごちゃごちゃしすぎていてちょっと分かりづらいのが難点。誰が誰の敵で、誰が誰の味方なのかはっきりしない。ダニー・トレホなどどんな立ち位置なのかよく分からないうちに死んでしまった。
 とにかくストーリーが詰め込みすぎで、ロドリゲスのワンマン映画であることの弊害として出てきてしまったのではないだろうか。
 脚本もロドリゲス、監督もロドリゲス、製作もロドリゲス、音楽までロドリゲスでは客観的に見て指摘する立場の人がいない。自分で書いた脚本で自分で演出しているからロドリゲス自身には分かって当たり前の内容なのだろうが、俺たち観客にとっては初めて観る他人が作った映画だ。分かっているのを前提にされても困る。この上映時間ならばマルケス将軍はカットして悪役はバリーリョだけでも良かったのではないだろうか。製作だけでも他人に任した方が良かったのではないだろうか。
 懐かしのミッキー・ローク(『レスラー』が楽しみ。)や毒蛇のような悪役のウィレム・デフォーなど要所要所のキャストが豪華なのも嬉しい。『デスペラード』に続いてヒロイン役のサルマ・ハエックはすでに殺されているという設定なので登場シーンが少ないのが残念。ただし、彼等の共演シーンが少ないのは残念。アントニオ・バンデラスとジョニー・デップの共演シーンなどもっとたっぷりと観たかった。
 アントニオ・バンデラスの男臭さは少し薄まっている気はするが、暑苦しさは変わらない。微妙なロングヘヤーで二挺拳銃や銃身の短い二連式ショットガンをガンガン撃ちまくる。この作品はバンデラスの発砲シーンの出来にかかっていると個人的には思うのだが、ジョニー・デップに美味しいところを持って行かれてしまって今一つ影が薄い気がするのはオレだけか。

 原題の『ONCE UPON A TIME IN MEXICO』はやはりセルジオ・レオーネの『ONCE UPON A TIME IN THE WEST(邦題:ウエスタン)』のオマージュだろうか。復讐の物語という点で両者は共通している。

B0022F6LU4.jpg『デスペラード』(1995) DESPERADO 104分 アメリカ

監督:ロバート・ロドリゲス 製作:ビル・ボーデン、ロバート・ロドリゲス 脚本:ロバート・ロドリゲス 編集:ロバート・ロドリゲス 撮影:ギレルモ・ナヴァロ 音楽:ロス・ロボス
出演:アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック、ヨアキム・デ・アルメイダ、チーチ・マリン、スティーヴ・ブシェミ、カルロス・ゴメス、クエンティン・タランティーノ、アルバート・ミシェル・Jr、カルロス・ガラルドー、アブラハム・ヴェルデュスコ、ダニー・トレホ、コンスエロ・ゴメス、ジェイム・デ・ホヨス、ピーター・マルカルド

 『エル・マリアッチ』の変形的続編。基本設定は似ているのだが、細かいところで異なっている。
 制作費は700万ドルと『エル・マリアッチ』の7,000ドルからなんと100倍になっている。もっとも前が少なすぎたってのもあるが。

 恋人を殺され、自分の左手も銃で撃ち抜かれた主人公のマリアッチ。仇のブチョという男を求めて酒場で情報を集めている。しかし、毎度撃ち合いになってしまう。
 町で一軒しかない本屋の女性と親しくなるが、彼女はブチョの愛人だった。ブチョに彼女がマリアッチをかばっている事を気付かれ襲われるが、辛くも脱出する。
 マリアッチは二人の仲間を呼び寄せるとブチョに正面から戦いを挑んだ。

 とにかく派手な銃撃戦が繰り広げられる。前作ではサム・ペキンパー風だったが今回は二挺拳銃でバンバン撃ちまくるジョン・ウー風的銃撃戦だ。カッコ良さ優先のけれん味に満ちておりリアルさとはほど遠い。マリアッチの愛銃はスターム・ルガーKP90。『タクシードライバー』風に袖口から飛び出す仕掛けがあって、そしてドンパチドンパチ。腕を上下にクロスさせる形での撃ち方が気に入った。銃身の短いマッドマックスが持っているような二連式ショットガンも格好いい。
 最初の酒場で警戒するバーテンにギターケースを開けさせられたところ中味がギターで、ホッとしたところでギターに見えたのは一枚板のカバーだけで中は銃器でぎっしりというシーンのタイミングが実に笑える。そしてそこから銃撃戦が始まるというオフビートさがさらに笑える。銃撃戦は豊富だが、細かいギャグが入っているのが特徴の一つ。そこがジョン・ウーとの大きな違いで、笑いを忘れずに劇画調の派手な展開となっている。
 クエンティン・タランティーノがゲスト出演していて、例によってベラベラとしゃべりまくる。“しゃべタランティーノ”って奴だな。監督としても好きだが、俳優としても好きである。同じロバート・ロドリゲス監督作の『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のタランティーノも良かった。
 少年にギターを教えるシーンが良い。弾いている内に銃で撃ち抜かれた左手が動かなくなるところでマリアッチの悲しみと深い恨みを感じさせる。その少年が実はヤクの渡し屋だというのが皮肉だ。この町自体が麻薬の密売で成り立っているのだ。
 マリアッチの相棒スティーヴ・ブシェミがこれまた変な顔で変な役を演じている。オープニングの酒場で一人語りを繰り広げるシーンは見所だ。
 投げナイフを使う暗殺者ダニー・トレホも存在感がある。ロバート・ロドリゲスとは従兄弟の関係だが、身内だから使ったのではなくダニー・トレホだから使ったと感じさせてくれる。
 終盤に呼ぶ二人の仲間はどちらもギターケースを持ったマリアッチ姿。ただし、一人のギターケースはマシンガンになっており、もう一人のはロケットランチャー。マシンガンのギターケースにはちゃんと廃莢ポートが開いている芸の細かさ。さすがにこれはやり過ぎじゃないかと思うが笑えるのでまぁいい。ただし、意外にあっけなくやられてしまうのが残念。ロケットランチャー男の最後と来たらとんだギャグ。無敵の男たちじゃないのか。マシンガンの男は前作のマリアッチ役カルロス・ガラルドーである。普段は裏方で働いているらしい。
 ヒロインのサルマ・ハエックが美しい。前作のヒロインがそこらのお姉ちゃんだったせいもあるが、色っぽくて復讐に燃えてる最中のマリアッチが惚れ込んでしまうのも無理がない。
 マリアッチ役のアントニオ・バンデラスは男のオレから見ても色気がある。埃まみれで汗くさそうで男の色香ムンムンな感じだ。体臭を煮詰めたらコロンになるんじゃないんだろうか。黒ずくめの服装にポニーテールととにかく濃い。
 音楽は豪華にもロス・ロボス。名前も知らない人たちが担当していた(4人中2人はロドリゲス姓だが親族?)前作と比べると格段にランクアップ。
 予算はたっぷりになったはずだが、ロドリゲスが製作・監督・脚本・編集もやっているのは変わらない。さすがに撮影はプロにまかせているが。お金の節約のためじゃなくて自分の映画だから自分でやらないと気が済まない性分なのだろう。

B0022F6LUO.jpg『エル・マリアッチ』(1992) EL MARIACHI 80分 アメリカ

監督:ロバート・ロドリゲス 製作:カルロス・ガラルドー、ロバート・ロドリゲス 原案: ロバート・ロドリゲス 脚本:ロバート・ロドリゲス 編集:ロバート・ロドリゲス 撮影:ロバート・ロドリゲス 音楽:マーク・トルエーロ、アルバロ・ロドリゲス、ファン・スアレス、セシリオ・ロドリゲス、エリック・ガスリー
出演:カルロス・ガラルドー、コンスエロ・ゴメス、ジェイム・デ・ホヨス、ピーター・マルカルド、レーノル・マルティネス

 若干24歳のロバート・ロドリゲスがケーブルテレビ用にわずか7千ドルほどの資金で撮影日数14日間にて作り上げたアクション映画。
 製作・脚本・撮影もロドリゲスの小規模な撮影現場。これがサンダンス・フィルム・フェスティバルで上映され観客賞を取るなど話題を呼び、ついには劇場公開にこぎ着けた。その後のロドリゲスの活躍ぶりは言うまでもないだろう。

 メキシコの小さな街に黒いジャケットにクロノギターケースを持ったマリアッチ(歌歌い。どうやら流しのような物らしい)が仕事を求めてやってきた。
 同じ頃、刑務所から脱獄したアスールが金を独り占めしたモーリシオに復讐すべく黒い服に武器を満載したギターケースで男の手下を殺して回っていた。
 アスールと勘違いされたマリアッチは泊まっていたホテルから命からがら逃げ出すが、部屋にギターを忘れてきたのを思いだし命がけで取りに行く。マリアッチにとってギターは命と同じくらい大切なのだ。そしてその最中に4人を殺してしまう。
 そしてある酒場を訪れる。経営者の美しい女性ドミノはマリアッチを匿うが、ドミノはモリーシオの愛人だった。ドミノを人質にしたアスールはモリーシオのアジトに向かう。それを知ったマリアッチは彼等の後を追う。

 たしかアメリカ在住のメキシコ系向けのケーブルテレビ用映画だったはず。だから全編を通してスペイン語が使われている。
 マリアッチと殺し屋が同じ格好をしていて取り違えられてしまうというアイディアが面白い。悪人側の勘違いがストーリーをどんどん広げていく。ギターケースをガンケースとして使っているというアイディアも面白い。
 低予算映画のお手本のような映画で、フィルムの粒子が目立つざらついた画面が作風にあっているのだがこれは16ミリ(?)で撮影されたからだろう。16ミリでの撮影というのは本来弱点になるところだがそれを長所に変えてしまっている。
 ガンアクションシーンではペキンパーばりのスローモーションが多用されているが、これは撮影時にフィルムを節約するためだという説がある。しかし、スローモーションということは高速度撮影をしているわけで使用するフィルムの量は結果として変わらないはず。素直にペキンパーがやりたかったのだと思う。前に観た印象だと撃ちまくっていた気がするが、今回観直してみるとガンアクションのシーンはかなり少なかった。ここでの編集が巧みでより派手に感じさせたのだろう。
 ドミノに殺し屋だと疑われた入浴中のマリアッチが、局部にナイフを突きつけられギターで歌を歌ってマリアッチだと証明しろと求められるところが好きだ。

 役者の演技が不自然ではっきり言えば下手だったり、衣装がいい加減なのは低予算のしわ寄せだろう。限られた予算で全てが全て完璧にやる事は出来ない。
 カット割りが巧みで、それも低予算を感じさせない要因となっている。とにかくロドリゲスが上手いのだ。画面からメキシコの暑さが伝わってくる撮影は予算の関係もあってかロドリゲス自身がやっている。全てを彼が管理する形で撮影を進める事が出来たのだろう。この規模の作品ではプロデューサーもそうそううるさいことを言ってこない。
 撮影前にかなり厳密な絵コンテを書き、無駄な撮影はしないように徹底したのだろうかと思ったら違うらしい。「絵コンテを描く必要はなかった。僕が全てをこなしていたからね」とはロドリゲスの言葉だ。そして編集でさらに無駄を切る。無駄を削りまくった映画がこうして出来上がる。
 もちろん、さっき行ったとおり低予算ゆえの欠点はいくつもあるが、それを補うアイディアとテクニックが溢れている。無駄なところを徹底的に削ったシンプルさも良い。
 この作品は後に『デスペラード』『レジェンド・オブ・メキシコ』と変形続編が作られる事になる。

B000FI9P30.jpg『アザーズ』(2001) THE OTHERS 104分 アメリカ/スペイン/フランス

監督:アレハンドロ・アメナーバル 製作:フェルナンド・ボバイラ、ホセ・ルイス・クエルダ、パーク・サンミン 製作総指揮:トム・クルーズ、リック・シュウォーツ、ポーラ・ワグナー、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン 脚本:アレハンドロ・アメナーバル 撮影:ハビエル・アギーレサロベ 衣装デザイン:ソニア・グランデ 編集:ナチョ・ルイス・カピヤス 音楽:アレハンドロ・アメナーバル
出演:ニコール・キッドマン、フィオヌラ・フラナガン、クリストファー・エクルストン、エレイン・キャシディ、エリック・サイクス、アラキーナ・マン、ジェームズ・ベントレー、ルネ・アシャーソン、アレクサンダー・ヴィンス、キース・アレン

 1945年、第二次大戦が行われていた頃のイギリスの島にあるお屋敷が舞台。カメラは一度敷地から出るだけで、ほとんどが邸内での撮影となっている。たまに庭に出るくらい。
 そのお屋敷には3人の母子が暮らしていた。子供は10歳ぐらいの姉と8歳ぐらいの弟である。子供たちは日光アレルギーでランプの光以上に強い光を浴びると皮膚が焼けただれて死んでしまうと言う吸血鬼のような体質である。そのため、家中の窓にはカーテンが張り巡らされ、家の中はいつも薄暗い。
 夫は戦争に出征し連絡が途絶えたまま。生きているのか死んでいるのかも分からない。
 そこへ3人の使用人が仕事を求めてやってくる。家政婦2人と庭師1人だ。彼等を雇った女主人は次第に屋敷の異常に気付き始める。閉まっているはずのドアが開いていたり、誰もいない部屋のピアノが鳴ったり、誰かが歩いたりしゃべったりする音が聞こえるのだ。
 これはひょっとして幽霊の仕業なのだろうか。

 どんよりとした空の下に建つお屋敷の女主人にニコール・キッドマンのブロンドと色白な雰囲気がマッチしている。
 子供たちにも使用人にも厳しく神経質な女主人役を見事に演じており、緊迫感を作り出すのに大きな役割を果たしている。
 子供たち2人も演技が達者で、常に暗いところにいて母親から抑圧を受けている様が現れている。それでいてちゃんと母親を愛しているのが伝わってくる。
 19世紀には死んだ人の写真を撮って保管していたというネタがあるのだが、それが終盤で衝撃を伝える小道具として上手く使われている。
 カーテンを閉め切って常に薄暗い屋敷という舞台設定もそこが通常の空間ではない事を感じさせる。まるで人の住まない空き家か廃墟のように感じてくるのだ。
 物音がし始めるところなどジワジワと恐怖感を高めていって、それが何者が立てた音なのかを観客に考えさせる。ひょとしたら音などしておらず女主人と子供たちがそう思い込んでいるだけかもと考える事も出来るようになっている。サイコホラーである。
 しかし使用人たちはまったく音に気づいていないようで、気づいていないのか何かを企んでいるのかと捉える事も出来る。彼等は何かを隠しているのではないのかということだ。
 流血シーンもないしモンスターも出てこないが良質なホラー映画となっている。
 ラストはオチが来たなと思ったらさらにオチがある二段オチで、その構成に感心させられた。
 生者と死者の見事な逆転劇で、すでにそのオチを知っていたがそれでも衝撃的だった。オチが売りの映画になるのだろうが、二度三度と楽しめる作品に仕上がっている。
 単なる幽霊屋敷物と思わせておいて最後の最後でひっくり返すことこそこの作品の個性である。ここで失敗してしまったら作品そのものが成立しなくなってしまうので、かなり細かい計算と伏線を使いこなしているのであろう。
 生者側の少年ビクターは少女の霊を見ているが、ひょっとしたらビクターはその霊に恋していたのかも知れないと思ったりもする。

 子供を偏愛する母親と、その母親を愛する子供たち。そんな彼等の世界はお屋敷という小さな世界の中でのみ成立している。その三角形で完成された関係はこの世界の中でこれからもずっとそこにあり続けるのだろう。

B001P7BJFC.jpg『イルカの日』(1973) THE DAY OF THE DOLPHIN 105分 アメリカ

監督:マイク・ニコルズ 製作:ロバート・E・レリア 製作総指揮:ジョセフ・E・レヴィン 原作:ロベール・メルル 脚本:バック・ヘンリー 撮影:ウィリアム・A・フレイカー 特殊効果:アルバート・ホイットロック 音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ジョージ・C・スコット、トリッシュ・ヴァン・ディーヴァー、ポール・ソルヴィノ、フリッツ・ウィーヴァー、エリザベス・ウィルソン、ジョン・デナー

 ジョージ・C・スコットは海洋学者。島でイルカの研究をしている。
 その研究所で最初に生まれたイルカにアルファと名前を付けファという愛称で呼んでいる。このファに人間の言葉を覚えさせたことから事件は始まる。

「ファ、パー(パパ)、好き」など単語を組み合わせた形でファは喋る。
 人間とイルカという異種生命体が言葉でコミュニケーションを取ることで、信頼や愛、友情などが語られている。
 ジョージ・C・スコットがイルカを一緒に泳ぐシーンがあるが、人間の泳ぎ方の不格好さと比べると、イルカの泳ぎ方は何とも美しい。流線型の身体は色っぽささえ感じる。クリクリした黒い目玉も知性を感じさせ愛嬌がある。やはりほ乳類だけあって魚の目とは全然違う。オレはミニチュアダックスフントを飼っているがそれら犬に似た目だと思う。
 実際にイルカが喋ることはないが、そうであってもおかしくないと感じさせる賢さがイルカにはある。調教によるイルカの動きには実際以上の知性を感じさせる。調教は大変だった事だろう。
 ジョージ・C・スコットがいつものムスッとした顔で登場する。あまり科学者らしさは感じさせないが陰謀が発生してからのファとその恋人のビーを心配する沈痛な表情が観客の心を乱す。

 そのファを悪人たちが誘拐し、大統領暗殺に使おうとする。ファの背中に時限爆弾を付け、大統領の乗った船の船底に吸着させようというのだ。許可された船しか出入りできない警戒厳重な海域でもイルカなら容易に入る事が出来る。
 前半は海洋学者とイルカの触れ合いだったが、後半でかなり唐突にポリティカルフィクションになるが大きな違和感はない。しかし出来れば前半のまま最後まで行って欲しかった。イルカたちを争いの道具にするなんて悲しすぎる。

 悪人たちはファに嘘をつく。それまで人間の事を信頼していたファの言う「人間 ない事 言う」(人間は嘘をつく)というセリフがなんともせつない。

 ラストのジョージ・C・スコットとイルカたちの別れで「ファ パー 好き いっしょ」と別れを拒むファにジョージが「イルカとして生きろ。人間は悪い」と語る皮肉さよ。そして外洋へと泳ぎだしたファとビーに背を向けて振り向かずに去っていく人間たち。涙なしには観られない。

 マイク・ニコルズの演出は特に冴えたところはないが、水中や海での撮影を手堅くまとめている。
 特筆すべきは悲しげなジョルジュ・ドルリューの音楽だろう。悲哀さが強く印象に残る。

B00005G0DZ.jpg『クロノス』(1992) CRONOS 92分 メキシコ

監督:ギレルモ・デル・トロ 製作:ベルサ・ナヴァロ、アーサー・H・ゴーソン、アーサー・ゴーソン 撮影:ギレルモ・ナヴァロ 音楽:ハヴィエル・アルヴァレス
出演:フェデリコ・ルッピ、ロン・パールマン、タマラ・サナス、クラウディオ・ブルック、マルガリータ・イサベル、ダニエル・ヒメネス・カチョ

 最近では『ヘルボーイ/ゴールデンアーミー』を撮ったギレルモ・デル・トロの監督デビュー作。この頃から独特な美術がそこかしこに見て取れる。メキシコ映画を観る機会はあまりないのでその点も面白かった。
 主人公はメキシコで古美術店を経営する老人。孫娘アウロラとジグソーパズルをしているとある天使像の左目に開いた穴から何匹ものゴキブリが出てくるのに気づく。中に空洞があると思った老人は天使像を台座から外し、そこに金色のコガネムシのような物体を発見する。大きさはおにぎりぐらいか。
 手の平の上に乗せてゼンマイを巻いたところ、六本の足が生えて老人の手を掴むと針のようなもので傷を付けた。これが全ての始まりだった。
 老人は激しい渇きを覚えて、他人が流した鼻血を舐めるようになる。この奇行にはどんな意味があるのだろうか。

 コガネムシ状の物体はクロノスと言い16世紀にヨーロッパ大陸から宗教裁判を逃れてメキシコにやって来た錬金術師が作った物だった。その所有者は永遠の命を持つのである。心臓を破壊されない限り死ぬことがないのだ。
 ただし、その代償として人間の血を飲まねばならない。老人が鼻血に魅せられたのもそのせいだったのだ。
 そのクロノスを狙う連中がいた。大企業のトップで、今は病に冒され内臓は半分無くなっており余命幾ばくもない男である。男は部下に天使像を探させ、彼の部屋にはいくつもの天使像がぶら下がっている。老人がクロノスを手にしたことを知った男は、老人にある取引を持ちかける。

 クロノスの内部が金色の歯車で構成されていて、カチカチと動く様には『ヘルボーイ/ゴールデンアーミー』の終盤を思い出してしまった。クロノスのデザインも金色のまん丸と黄金の戦士に似ていないこともない。この辺りにはギレルモを強く感じる。
 男の甥としてロン・パールマン(ヘルボーイ役)がすでに出ていて、どこか愛嬌がありながら最後は徹底した悪人として活躍してくれる。この頃からの仲なのか。
 クロノスの力で不死の命を得た老人だが、段々と人間の心を忘れていった。最後には孫娘アウロラの血を求めようとして、ようやく我へと返る。

 ご覧のように、機械を鍵とした吸血鬼映画の変種である。吸血鬼になってしまった老人の苦悩と葛藤がメインなので誰かを襲って血を吸う等のシーンはなく見た目的な怖さはない。
 低予算らしくセットはほとんど組まれておらずロケ撮影中心となっている。
 何故、老人が男にクロノスを渡すのをそんなに拒んだのかがよく分からないが、所有者に強い欲求を与える魔力のようなものがあるのかも知れない。
 クロノスとは時の神だそうだが、それをイメージしてか年越しパーティーには目覚まし時計に扮した男が出てくるし、ラストの老人とロン・パールマンの対決ではバックに巨大な時計が控えている。

 孫娘アウロラがかなり魅力的なキャラクターとなっている。言葉は一言も喋らないが唖なのだろうか。
 老人が苦しんでいるのを理解しているほぼ唯一のキャラクターで、その老人のためにクロノスを隠したり、吸血鬼となった祖父の隠れ家を作ったりと愛情溢れる行動をする。老人のそっと寄り添う姿は美しい。
 父親はすでに亡くなっており祖父夫妻の元で育てられている。母親がどうなったかについては語られていない。
 彼女の部屋?は屋上にあって、まるでガラクタ小屋のようで仲におもちゃが詰められた大きな箱があったりして美術的に面白い。
 演じてる子役も可愛らしい子で、映画に花を添えている。

B001U5SWJA.jpg『イレイザー』(1996) ERASER 115分 アメリカ

監督:チャールズ・ラッセル 製作:アーノルド・コペルソン、アン・コペルソン 脚本:トニー・プライヤー、ウォロン・グリーン 撮影:アダム・グリーンバーグ 音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、ジェームズ・カーン、ヴァネッサ・ウィリアムズ、ジェームズ・コバーン、ロバート・パストレッリ、ジェームズ・クロムウェル、ダニー・ヌッチ、アンディ・ロマノ、ニック・チンランド


 証人保護プログラムのため証人の元の身元を消し去る連邦捜査官・イレイザーを演ずるのは我らがアーノルド・シュワルツェネッガー。
 90年代半ばの脂ののりきっていた頃のシュワルツェネッガー。今回の仕事は兵器開発会社サイレス社が開発したEM銃(レールガン)を国際テロリストに横流しすることをFBIに告発してきたヴァネッサ・ウィリアムズを守ること。
 実際には個人が携帯可能なライフルタイプのレールガンの実現などいつの事やらという状況らしいが、レールガンの強力さ格好良さの前にはそこら辺は気にしない気にしない。
 とにかくアクションに次ぐアクションの娯楽大作。エンターテインメントのてんこ盛りを頭を空にして痛快さを楽しもう。銃撃戦になってもシュワルツェネッガーには敵の弾がかすりもしなくて当たり前。ややこしいことを考える必要はない。
 当時まだ珍しかったCGも多用されていて、空を飛ぶ飛行機にしがみつくシュワルツェネッガーや動物園でのCGのワニとシュワルツェネッガーの格闘(いや格闘はしない。本当はして欲しかったが悪党が食われるだけだ)などが用意されている。レールガンの弾丸の軌道もCGで処理されている。
 飛行機から突き落とされた時には、先に落下したパラシュートに追いついて装着したりと無敵ぶりを発揮する。
 対する悪役がジェームズ・カーンというのがまたうれしい。元々はシュワルツェネッガーの先輩なのに悪に心を売ってしまったのだ。シュワルツェネッガーに仕事を叩き込んだだけあって常にシュワルツェネッガーの先を読む強敵だ。最後の最後まで油断ならず実に憎たらしい。
 弾丸の軌道に煙草の輪状の輪っかがいくつも出来るレールガンの威力のすごいことすごいこと。撃たれた人がまさに吹っ飛んでいる。だがそのレールガン以上にすごいんじゃないかというのが付属のX線スコープ。壁なんか簡単に透視して中にいる人間の位置もばっちり分かる。
 このライフル状のレールガンをシュワルツェネッガーが二挺拳銃状態で持って出てきた時にはやったーってなもんだ。
 序盤で助けたイタリアンマフィアをゲイバーで働かせていたり笑いどころも押さえている。終盤でギャングを味方に付けるところで『ロケッティア』を思い出してしまった。悪党なんだけど意外と良い奴で頼りになるって良いよね。こいつら強いんだ、意外と。
 この手の作品はテンポが重要で、傑作SFアクションを手がけた『ブロブ/宇宙からの不明物体』(1988)のチャールズ・ラッセルはその辺りを良く分かっている。
 出番は少ないが、本部長役でジェームズ・コバーンが出ているのもまた嬉しい。
 ヴァネッサ・ウィリアムズがサイレス社からレールガンの資料をコピーして持ち出すのが8cmCD-Rで当時は「あれがCD-Rという物か」と感動してしまった。それが今では使い捨て用途として使っている。コンピュータ関連の時代の移り変わりは激しい。今観ると、やたら書き込み速度が遅いんだよな。コンピュータと言えば、証人の資料を加工するのにシュワルツェネッガーがマウスではなくペンタブレットを使ってやっていたが、あれはやりにくそうだった。

B000657N5E.jpg『デビルズ・バックボーン』(2001) EL ESPINAZO DEL DIABLO 106分 スペイン

監督:ギレルモ・デル・トロ 製作:ペドロ・アルモドバル、ギレルモ・デル・トロ 製作総指揮:アグスティン・アルモドバル、ベルサ・ナヴァロ 脚本:ギレルモ・デル・トロ、アントニオ・トラショラス、ダビ・ムニョス 撮影:ギレルモ・ナヴァロ 音楽:ハビエル・ナバレテ
出演:エドゥアルド・ノリエガ、マリサ・パレデス、フェデリコ・ルッピ、フェルナンド・ティエルブ、イレーネ・ビセド、ベルタ・オヘア、ホセ・マヌエル・ロレンソ、イニゴ・ガルセス

 冒頭、幽霊についてのナレーション。
 1930年代の内戦下のスペイン。共和派の両親を亡くした少年カルロスが同じく共和派の孤児院にやってくる。
 その孤児院の中庭には巨大な爆弾が不発弾として斜めになって突き刺さっている。
 右足が義足の院長。「悪魔の背骨」と呼ばれる奇形児を漬けた『デビルズ・バックボーン』というラム酒を飲む老医師、乱暴な下男ハシントなど奇妙な人々の元で少年は幽霊と出合う。「ここで大勢が死ぬ」と告げる少年の幽霊は水に浮かんでいるかのようで、額の傷からは血が宙に浮かび上がっている。その理由は後に分かる。
 この幽霊からしてギレルモっぽいが、『デビルズ・バックボーン』や孤児院の地下にある濁った貯水槽などの色調、院長の義足もそうである。

 ギレルモ・デル・トロがスペインで撮った作品。幽霊が出てくるのでホラーに分類されているが霊的な恐怖感はなく、むしろドラマに分類すべきものだろう。
 中庭の爆弾は理不尽で不条理な世の中の象徴。それが作品そのものにどっかりと根を下ろしている。
 カルロスは始め軽いイジメに遭うが、次第に仲間に溶け込んでいく。
 孤児院は共和派ではあるが、すでにファシズムの政府軍であるフランコ軍が力を取り戻しているため、隠れた存在である。街から離れた場所にあり、乾いた青い空の下にあるそれは世間から隔絶された存在だ。
 そこには共和派の隠し財産である金塊があり、その金塊を下男が狙ったことから悲劇が起こる。ハシントが年の離れた院長とベッドを共にするシーンがあるが、その時ハシントは鍵の束から一つずつ鍵をすり替えていく。台所の隠し金庫の鍵を見つけるためだ。ハシントは本当は院長なんかと寝たくはないのだろう。
 そして老医師はインポテンツを治す薬としてラム酒を飲んでいる。彼は心の底で院長を愛しているのだろう。だが肉体の衰えがそれを許さない。そして院長が死ぬ時に愛の詩を語って愛の告白をする老医師には泣けます。
 内戦中だから子供たちが全員死んだって誰も気にしないと平気でガソリンを爆発させるハシント。仲間が死んだり傷ついたりして下男に怯えるばかりの少年たちが、最後には木の槍を持ってハシントに立ち向かっていくところが幽霊のシーン以上に怖い。
 ギレルモは子供を描くのが上手い。『パンズ・ラビリンス』もそうだ。ギレルモ自身はこの作品をホラーではなくファンタジーだと言っているそうだ。現実ではなく一種のおとぎ話。子供たちが立ち向かいそして勝利するのもファンタジーならではだろう。

 内戦は人々から希望を奪う。孤児院に閉じこめられてしまったカルロスはその不自由さの象徴だろう。老人に銃を持たせ、子供たちに木の槍を持たせ、女性を意志の強いまま殺していく。その姿をギレルモは静かに描く。
 共和派の彼等の敵は政府軍ではなく身内のハシントだった。なんと理不尽なことだろう。だが彼も愛を与えられなかったゆえに人格が歪んでしまったというのが多少描かれている。結局誰が悪いのだ。内戦が悪いのか。金なんて無ければ人が大勢死ぬことも苦しむこともなかったのに。
 終盤、死んだはずの老医師が子供たちを助ける。彼はその時すでに幽霊だったのだろう。少年の幽霊は自分の仇討ちをカルロスに頼み、老医師の幽霊は子供たちを助ける。幽霊と生きた人間の関わりを考えさせられてしまった。
 そして最後も幽霊についてのナレーション。

B001VFIAK0.jpg『サイコ4』(1990) PSYCHO IV: THE BEGINNING 96分 アメリカ

監督:ミック・ギャリス 製作:ジョージ・ザルーム、レス・メイフィールド 製作総指揮:ヒルトン・A・グリーン 脚本:ジョセフ・ステファノ 音楽:グレーム・レヴェル オリジナル音楽:バーナード・ハーマン
出演:アンソニー・パーキンス、ヘンリー・トーマス、オリヴィア・ハッセー、CCH・パウンダー、ウォーレン・フロスト、ドナ・ミッチェル、トーマス・シャスター、シャレン・キャミル、ボビ・エヴォース、ジョン・ランディス

 母親殺しの殺人犯をテーマにしたラジオの生放送番組に一本の匿名電話がかかってくる。自分は、昔に母親を殺したというのだ。
 そして男が語り始める若き日の男が母を殺すまでの驚くべき物語。

 その男とはもちろんノーマン・ベイツ。すでに服役を終え世間に出てきている。3作目のラストを考えると一生刑務所か精神病院暮らしだろうが、それでは物語にならない。
 ノーマン・ベイツがいかにして異常者になっていったかをねちっこく描いている。
 監督はスティーヴン・キング作品のテレビ用映画を多く手がけているミック・ギャリス。脚本は1作目のジョセフ・ステファノ。単に過去を描くだけではなく、現在のノーマン・ベイツがラジオに電話をして過去について語り回想シーンになるというアイディアでよりストーリーを面白い物にしている。
 劇場用映画ではなくテレビ用映画だが残虐な殺人シーンもいくつか含まれている。
 ラジオのスタッフに何故だか『ブルース・ブラザース』などの映画監督ジョン・ランディスがいたので笑った。製作に絡んでいるわけでもなさそうだから純粋に俳優としての出演。相変わらず出たがりだ。
 ノーマン・ベイツは収容時代のカウンセラーと結婚しているのだが、実際そんなことがあり得るのだろうか?ノーマン・ベイツの経歴を読めば、彼がいかに魅力的な人物に見えたとしても結婚はあり得ないと思うがどうだろう。そして安定していたかに見えた現在の彼だが自分の子を宿したという理由で奥さんを殺しにかかる。ベイツの遺伝子は自分で終わりにしたいのだ。果たして彼女の運命やいかに。

 ベイツ邸も燃え去り、すべては解決したかに見えた。だがホラー映画には付き物なまだ今後も何かありげなラストが付属している。
 しかし『サイコ5』は作られないだろう。それはノーマン・ベイツ役のアンソニー・パーキンスが1992年に亡くなったからである。思えばノーマン・ベイツに振り回された一生であった。

B001VFIAN2.jpg『サイコ3/怨霊の囁き』(1986) PSYCHO III 98分 アメリカ

監督:アンソニー・パーキンス 製作:ヒルトン・A・グリーン 脚本:チャールズ・エドワード・ポーグ 撮影:ブルース・サーティース 音楽:カーター・バーウェル
出演: アンソニー・パーキンス、ダイアナ・スカーウィッド、ジェフ・フェイヒー、ロバータ・マクスウェル、ヒュー・ギリン、リー・ガーリントン、ロバート・アラン・ブラウン、ブリンク・スティーヴンス

 ノーマン・ベイツ役のアンソニー・パーキンスが監督までやって入れ込んだ作品。だが悲しいかな出来は良くない。
『怨霊の囁き』というサブタイトルが80年代後半を感じさせてくれる。

 2作目のラストで再び“母親”に取り憑かれたことが観客には分かっているので、ノーマン・ベイツが殺人を繰り広げることがあらかじめ分かってしまう。犯人が分かっているサスペンスで、しかもどれも衝動的殺人だから緻密な計画など無く行き当たりばったりでは意外性も何もない。
 3は2を観ていないと意味が分からないし、2は1を観ていないと意味が分からない。そう言った意味ではシリーズとして連続している。
 1作目のシャワーシーンの再現かと思われた修道女への襲撃も、彼女がバスタブの中で手首を切って自殺を図っていたものだから命を救うこととなり逆の結果となる。母に扮装したノーマン・ベイツがボーッとした彼女にはマリア様に見えてしまう。
 この構図の逆転は面白いが、彼女にヒロインとしての魅力が乏しいのでノーマンが彼女に惹かれる理由が乏しいのが残念だ。
 2作目よりスプラッター描写が増えていて、トイレの便座に腰掛けていた女性が喉をざっくり切られて血が噴き出したり、階段から落ちた(1作目での探偵の階段落ちのオマージュ)女性が彫像の矢に首の後ろを刺されたりするがさほどショッキングな印象を受けない。ホラー映画として確立した物を作っているわけでもなさそうだ。
 20数年前に悲惨な事件を起こしたノーマン・ベイツがすっかり街の人に受け入れられているのも妙な感じだ。田舎町だし村八分になっても良さそうだが、保安官は最後までノーマン・ベイツを信じてくれる。
 バーナード・ハーマン、ジェリー・ゴールドスミスと来た音楽が今回はカーター・バーウェルの平凡なスコアで、悪くはないが前2作と比べると物足りなさを感じてしまう。
 ラストにどんでん返しがあるが、2作目のラストをぶち壊しにしてしまう内容と唐突さで無理矢理衝撃的にしようとした感が強い。それでもラストカットのノーマン・ベイツにはぞっとしてしまった。
 全体的に『サイコ』を構造的に踏襲していながらやたらと違和感が強く、これは『サイコ』直系のパロディではないかとさえ思えてしまう。
 製作に色々とトラブルがあったようで、アンソニー・パーキンスは自棄になっていたのではないだろうか。『サイコ3』というより『ノーマン・ベイツ3』というタイトルの方が似合っている作品であった。

B001VFIAMS.jpg『サイコ2』(1983) PSYCHO II 113分 アメリカ

監督:リチャード・フランクリン 製作:ヒルトン・A・グリーン 製作総指揮:バーナード・シュワルツ 脚本:トム・ホランド 撮影:ディーン・カンディ 特殊効果:アルバート・ホイットロック 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:アンソニー・パーキンス、ヴェラ・マイルズ、メグ・ティリー、ヒュー・ギリン、ロバート・ロジア、デニス・フランツ、ティム・メイアー

 前作のラストで警察に捕まり精神病院に収容されたノーマン・ベイツが22年経って完治が認められ退院することとなった。数多くの署名を持った夫人がその退院に反対するトラブルはあったが、それ以外はすんなりとノーマンはベイツ・モーテルのある自宅に帰ってきた。
 そして、食堂で働くこととなり恋人と喧嘩別れして行くところが無くなってしまった同僚の女性と古びた屋敷で同居することとなる。
 過去を拭い去り順風満帆かと思われた彼の人生だが、「アバズレを泊めるんじゃないよ 母」などの母親からのメモや電話がかかってくるようになる。彼の母親はとうの昔に死んだはず。女性はシャワールームで何者かに覗かれているのを感じる。また彼に母が取り付いたのか。そんな中、殺人事件が発生し始める。

 あの衝撃のラストで終わった1作目の続編を作ろうというのがまずイカしている。普通考えない。考えても実行しない。
 不可能とも思えるそれを成し遂げたのは『F/X2 イリュージョンの逆転』(1991)などヒッチコックマニアとしても知られる監督のリチャード・フランクリンと、『フライトナイト』(1985)や『スティーブン・キング/ランゴリアーズ』(1995)などの監督として知られる脚本のトム・ホランドの力だろう。
 もちろん、「ノーマン・ベイツだ。ノーマン・ベイツだ」と言われ続けたアンソニー・パーキンスが開き直ってもう一度“ノーマン・ベイツ役”を演ずるという決断をしたからこそ実現した企画である。
 1作目の一番有名なシーンであるジャネット・リーのシャワーシーンでの惨殺という大胆なオープニングから始まり、序盤でそれを模倣したシャワーシーンを導入することで真っ向から一作目に挑んでいる。
 ミステリー色が強いので内容についての言明は避けるが、かなり強引な力技で続編として仕上げている。
 ミステリーとしてはあまり出来の良い物ではない。犯人の動機が曖昧すぎてそこまでやる理由というのがあまり見えてこない。代わりに、次第に完治したはずのノーマンがまたもやおかしくなっていく様子がゾッとする感じで描かれている。ノーマンにとっての“母”の存在という謎を上手く活かして観客にどういうことなんだろうと想像させる。
 1作目を意識した構図などのカメラワーク、小道具、舞台設定などが観ていてニヤリとさせる。終盤でのスプラッター描写は好みが分かれるところだろう。作品全体のカラーから言うと浮いている感じが個人的にはする。
 単純に1作目がヒットしたから二匹目のドジョウを狙うのではなく、1作目をリスペクトした上で新しい『サイコ』を作り上げる点では見事に成功している。ラストの衝撃度も前作に負けていない。

B001VFIAMI.jpg『サイコ』(1960) PSYCHO 109分 アメリカ

監督:アルフレッド・ヒッチコック 製作:アルフレッド・ヒッチコック 原作:ロバート・ブロック 脚本:ジョセフ・ステファノ 撮影:ジョン・L・ラッセル 音楽:バーナード・ハーマン タイトルデザイン:ソウル・バス
出演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ジョン・ギャヴィン、ヴェラ・マイルズ、マーティン・バルサム、サイモン・オークランド、ジョン・マッキンタイア、ジョン・アンダーソン、パトリシア・ヒッチコック

 当時の劇場は上映中だろうと入場が自由だったが、この作品では「上映開始後の入場はお断りします」じゃなかったかな。いや、実際には知らんけど。生まれてないし。
 うたい文句も「この結末は決して人に話さないで下さい」だったんじゃなかったかな。それぐらい衝撃的な結末が売りだったのだ。

 あるモーテルの経営者はノーマン・ベイツという青年だっった。その母親が犯す2件の殺人事件と失われた4万ドル。その謎を追う私立探偵と二人の若い男女。
 ストーリーだけ書くとミステリーだが、サイコサスペンスのはしりである。元来ハリウッド映画ではタブーとされてきた精神異常者による犯罪を描いた初期の作品となる。『サイコ』がなければ『羊たちの沈黙』もなかったのだ。
 その画期的作品を限られた場所、限られた人数で映像化している。場所はほとんどがベイツ・モーテル中心だし、主要な登場人物はせいぜい5?6名だ。計算しきった舞台設定と、同じく計算しきった人物配置がなされているのだろう。
 サイコサスペンスとして今現在の作品と比べてどうだろうか。個人的には匹敵しうると思うが、観る人によっては白黒で古くさいし怖くない、オチも大したことがないと言ってしまう人もいるかも知れない。しかし49年という年月を考えて欲しいと言っておこう。本当は考えなくてもすごいけど。

 エド・ゲインと呼ばれる実在した連続殺人鬼がいる。『サイコ』はそのエド・ゲインのエピソードを参考にしたと言われている。同じくエド・ゲイン物としてはトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』などがありホラー界では人気の人物だ。

 有名なのはジャネット・リーが包丁で殺されるシャワーシーンだろう。細かく割られたカットで緻密に構築されていて、単にショッキングという意味ならば今のホラーの方が上だろうがその完成度の高さではまだまだかなわない。パロディなどでもたまに利用されているのでそちらで観た人もいるかも知れない。『メル・ブルックスの新サイコ』の「新聞だ?!新聞だ?!」とか。ジャネット・リーはそこまでの展開ではてっきり主人公と思えるから知らずに観た人は「えっ?死ぬの?」と驚いたことだろう。

 キンキン、キンキンと金属音のように高い音楽が耳に残るが担当したのは『北北西に進路を取れ』(1959)などでもヒッチコックと手を組んだバーナード・ハーマン。メロディラインがやはり似ている。

 線と文字が行き来するオープニングタイトルをデザインしたのはソウル・バス。今回はそれほど良い出来とは思わない。シャワーシーンにかんしてヒッチコックとバスが「俺がやった」「いや、俺に決まってるだろ」みたいなことを言っていたという話しを聞いたことがあるが、あれの事実はどうなってるんだ。『ヒッチコック映画術』の著作によるとバスにコンテは描かせたがシャワーシーンではなく探偵が階段を上っていくシーンでしかもそれも没にしたとあるのだが。この探偵は結局、母親の包丁によって斬りつけられ階段を落ちていくことになるのだが、ここもまたヒッチコックらしいカメラワークになっていて興味深い。

 ノーマン・ベイツがジャネット・リーと会話をしているところで母親の悪口を言われると途端に不安定な言動になる。それまでの比較的談笑だったのがいきなりプッツンといくんじゃないかという変容振りでアンソニー・パーキンスの演技力を感じさせる。鳥の剥製たちがそれをさらに引き立てる。ラストの毛布を被ったシーンも凄みがあってやはりただ者ではない。
 ただ者ではないがこのノーマン・ベイツの印象があまりに強すぎて『オリエント急行殺人事件 (1974)』などで良い演技を見せても最後まで拭い去ることは出来なかった。じゃあいっそのことと開き直ってしまうのがすごいところだが。

追記:コメント欄でオンリー・ザ・ロンリーさんが「カラーじゃなかったっけ?シャワーシーンだけパートカラー?」と発言されています。この方は昔観た映画について非常に記憶を鮮明に持っておられる方で、普段ですとこのような間違いはなされないんですよ。
つまり白黒だったのをカラーと感じさせるぐらいあのシャワーシーンは衝撃的だったとも言えるのではないでしょうか。とうにカラーの時代なのに白黒で撮ったのはヒッチコックがシャワーシーンでの血をどぎつく下品に見せたくなかった(レイティングの問題もあるでしょう)という説がありますが、当時の人が白黒をカラーに感じられたのならば正にヒッチコックの考えは的中していたと言わざるを得ないでしょう。

B001FVXU9Q2.jpg『エル・スール』(1982) EL SUR 95分 スペイン/フランス

監督:ヴィクトル・エリセ 製作:エリアス・ケレヘタ 原作:アデライーダ・ガルシア・モラレス 脚本:ヴィクトル・エリセ 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ 音楽:ヴィクトル・エリセ
出演:オメロ・アントヌッティ、ソンソレス・アラングーレン、イシアル・ボリャン、オーロール・クレマン

『ミツバチのささやき』から9年。ヴィクトル・エリセの第二作目である。このヴィクトル・エリセという人はほぼ10年おきに1作品を発表するペースの監督である。そんなに大ヒットして儲かる映画でもないだろうに何をやって食っているのか少々気になる。

 ある朝、主人公の少女エマトレリィの枕の下に父の振り子が置かれている。父はその振り子でダウジングをして井戸の位置を探すのに使っていた。そのことからエマトレリィは父がもう帰ってこないことを知った。
 そして父は猟銃で自殺をしていた。
 それ以来病気になって寝込んでいたエマトレリィは父方の祖母の住む南(エル・スール)に静養に行くことになる。そして父が自殺する前に南にかけていた長距離電話の領収書。

 小さい頃には父のことが大好きで全て分かっているつもりだったのが、父に母以外に好きな人がいること、それが映画女優だったことなど成長するにつれ父に自分が知らない部分があることが分かるようになる。
 その映画女優は父の昔の知り合い(恋人?)だったりするがそれは彼女のあずかり知らぬところだ。だが、どうも長距離電話の相手は彼女だったのではないかと思う。
 父と母の関係も愛し合っているのか疑問が残る。父は医師で母は内戦の影響で教職を追放された元教師。インテリ家庭である。父は祖父と激しく対立した後に故郷を離れ二度と戻らなかったが、この対立は単に家庭内の問題なのか思想的問題なのかは明らかにならない。映画の時代背景だとスペイン内乱後が舞台なので、父が故郷にいた頃は内戦時代だったはずであるから何らかの関係はあるのかも知れない。

 映像が美しいとは思うが、そこら辺はオレにはあまりよく分からない部分なのでパスする。光と影の使い分けがどうとかこうとか、色彩感や闇の使い方などなどそれっぽいことを言えばいくらでも言える作品なのだろうが、どうしても映像美よりもストーリーに目が行ってしまう。
 家族が暮らす屋根の上にカモメの風見鶏の付いた“かもめの家”やその家の前の並木道、映画館、最後のエマトレリィが父と話したグランド・ホテルのレストランなど選び抜かれたロケ地は確かに観客を魅了する。
 美しいと思ったシーンは、エマトレリィの初聖体拝受のシーンで、教会の奥の暗闇に隠れるように立っていた父親の元にエマトレリィが走っていくシーンだ。父親はなぜ席にではなく暗闇に立っていたのだろうか。思想的問題で教会の中心には行きたくなかったのか、単に遅れてきたからそこにいただけなのか。
 初聖体拝受のために祖母と一緒にやってきた父の乳母ミラグロスという女性が味があって面白い。陽気な彼女はこの映画の清涼剤でもある。
 エマトレリィには少女時代ともう少し大きくなったティーンエイジ時代の二人の女の子が演じているが、少女時代を演じている少女がキャリー・フィッシャーを幼くしたらこんな感じだろうななどと意味のないことを考えてしまった。

B001FVXU9Q.jpg『ミツバチのささやき』(1973) EL ESPIRITU DE LA COLMENA 99分 スペイン

監督:ヴィクトル・エリセ 製作:エリアス・ケレヘタ 原案:ヴィクトル・エリセ 脚本:アンヘル・フェルナンデス=サントス、ヴィクトル・エリセ 撮影:ルイス・クアドラド 音楽:ルイス・デ・パブロ
出演:アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス

 正直に言えば、この手の名作と呼ばれるヨーロッパ映画が自分に向いているとは思えない。
 オレが好きなのはドカンバカンズキューンバキューンスッテンコロリンドハハハハな擬音で構成されたようなストーリーの分かりやすい娯楽映画で、地味で静かな『ミツバチのささやき』のような映画を観ていると眠くなってくる。登場人物の動きの少ないこと少ないこと。
 だが、仮にも映画が趣味だと言っている人間がごく一部のジャンルの映画だけで満足していてはいけない。これは教養として観なければならない。そんなことを考えながらある程度の割合で名作系にも挑む。でもって退屈する。作品によっては満足する。『ミツバチのささやき』は退屈したが満足もした。そんな矛盾した自分を自覚させてくれる映画でもある。

 1940年頃のスペインの小さな村。そこに移動映画館がやって来る。映写機やフィルムを運んできた小型トラックを子供たちが追いかけて「映画が来た」「映画が来た」とはしゃいでいる。
 公民館で上映された作品は『フランケンシュタイン』。姉に「途中で出てきた少女は何故殺されたの」としつこく尋ねた主人公の6歳の少女アナはフランケンシュタインも少女も映画の中の出来事で本当は死んでいない。フランケンシュタインは精霊なんだと教えられる。
 父親は養蜂業を営んでおり母親が書いたところによると人間嫌いだ。母親は誰宛なのかはっきりしない手紙を書いている。
 姉からフランケンシュタインの精霊は村はずれの井戸のある廃屋に住んでいると言われたアナはその廃屋へ行き、そこで一人の傷ついた兵士と出会う。この傷ついた兵士はどうもスペイン内乱が関わっているようだ。『パンズラビリンス』の時にある程度調べておいて良かった。作中ではまったく説明がないのでさっぱりだ。アナは彼がフランケンシュタインの精霊だと信じ込み兵士とアナの触れ合いがあり、家から持ってきた父のコートに入っていたオルゴール懐中時計で遊んだりする。
 脱走兵だったのかこの兵士は射殺されてしまう。夜の闇の中廃屋を遠くから捉えたショットで銃の閃光だけが光って見えるシーンは秀逸だ。
 廃屋を訪ねたアナは血痕を見、そしてそこに現れた父親が殺したと思い込んで逃げ出してしまう。そして夜の森の中でフランケンシュタインの幻想を見る。

 現代のハリウッド映画の文法で見れば無駄なカット、無駄なシーン、無駄な長さの部分が数多くある。だがそれらが無くなったとしたらこの作品の魅力もなくなってしまうのだ。考えてみればなんと贅沢な作りであろうか。しかもその1カット1カットが実に美術的に考え抜かれて撮影されている。それでいて事件らしい事件が起きる映画じゃないのだ。
 ハリウッド映画ならばセリフ一つで片付けてしまうところをじっくり1シーン使って撮ったりしている。
 姉妹で汽車が来るのをレールに耳を当てて音を聞いているシーンなど、無駄に思えるが実に美しい。ストーリー上あまり意味はないが、後に脱走兵が走る列車から飛び降りるのを考えるとまったく関係がないわけではないだろう。

 完璧とも言える美しさを魅せるのがアナ役のアナ・トレント。この時期の少女にしか持ちようのない透明感を表現してくれる。なるほど彼女ならば精霊のことも信じるだろう。脱走兵にリンゴを差し出すシーンは同じ言葉の繰り返しになるが実に美しい。大きなカフェオレカップでカフェオレを飲んでいるシーンや、父親のひげ剃り道具でひげ剃り用の石けんを塗って遊んでいるシーン、たき火を飛ぶ少女たちを一人離れてみているシーンも良い。アナが可愛いのはコッポラだけじゃない。あんまりこんなことばかりいってるとロリコン扱いされそうだ。

B00006F1V3.jpg『ミミック』(1997) MIMIC 106分 アメリカ

監督:ギレルモ・デル・トロ 製作:ボブ・ワインスタイン、B・J・ラック、オーレ・ボールネダル 原作:ドナルド・A・ウォルハイム 原案:マシュー・ロビンス、ギレルモ・デル・トロ、ドナルド・A・ウォルハイム 脚本:マシュー・ロビンス、ギレルモ・デル・トロ、ジョン・セイルズ、(レジットなし)、スティーヴン・ソダーバーグ(クレジットなし)、マシュー・グリーンバーグ 撮影:ダン・ローストセン モンスター・デザイン:ロブ・ボッティン 音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:ミラ・ソルヴィノ、ジェレミー・ノーサム、アレクサンダー・グッドウィン、ジャンカルロ・ジャンニーニ、チャールズ・S・ダットン、ジョシュ・ブローリン、アリックス・コロムゼイ、F・マーレイ・エイブラハム、ジェームズ・コスタ、ノーマン・リーダス

 ギレルモ・デル・トロのハリウッド進出第一弾。主演は『リプレイスメント・キラー』(1998)のミラ・ソルヴィノ。『エイリアン』シリーズのモンスターと戦うリプリーを少し思わせるような戦うヒロインを演じている。

 その病気にかかった子供の大半を死に至らしめるストリックラー病と呼ばれる死の伝染病がニューヨークで大発生した。感染経路はニューヨークの地下に広がる広大な地下施設に繁殖するゴキブリだと判断した昆虫学者のスーザンは、アリとカマキリの遺伝子を組み合わせることで新種の昆虫“ユダの血統”を作り出す。ユダの血統の作り出す泡でゴキブリは全滅し、役割を果たしたユダの血統は遺伝子操作でメスしか生まれないようにしているため子孫を残せず絶滅するはずだった。
 しかし3年後。スーザンの元に少年たちが奇妙な虫を売りに来る。それは正しくユダの血統の子孫だった。
 同時期、謎の黒いロングコートを着た男たちによる奇妙な誘拐が相次いでいた。
 実は研究所ではメスしか生まれなかったユダの血統がニューヨークの地下ではオスが生まれて繁殖していたのだ。それもただ繁殖していたのではない。人間大の大きさにまで成長し人間に擬態(ミミック)して人間を連れ去っては巣の中で食らっていたのだ。
 巣とはニューヨークの地下鉄網の中にあった。

 最近のギレルモ・デル・トロのようなダークなファンタジーはあまり感じられず、むしろ昆虫の標本と新聞などをコラージュしサブリミナル風な細かいカットで繋げたオープニングなどはどちらかというと『セブン』の頃のデヴィッド・フィンチャーを思わせる。
 昆虫が人間大にまで成長するというのは遺伝子操作をしたにしても大きくなりすぎだろうが、太古の昔には何メートルもある昆虫がいたというからあながち無茶な設定ではないのかも知れない。
 ユダの血統がわずか3年で人間への擬態を身につけたのは進化の脅威という物だろう。スーザンが作品の中で言っているが、重要なのは何年経っているかではなく何世代経っているかなのだ。擬態を意味するミミックはドラクエの宝箱に似たで有名かも知れない。あれも宝箱に擬態しているからミミック。
 科学で全てをコントロールしたつもりでそのしっぺ返しを食らうという定番と言えば定番なストーリー。
 虫を売りに来た子供たちにアリの巣の説明をすることで終盤の地下鉄のシーンでの構造が分かる脚本にはギレルモ・デル・トロだけではなくジョン・セイルズやスティーヴン・ソダーバーグがクレジットなしで参加している。
 ユダの血統のデザインは『遊星からの物体X』(1982)のロブ・ボティン。太ったゴキブリのようにでっぷりしていてそれでいてシャープな嫌悪感を感じさせるデザインに仕上げている。もしこれがギレルモ・デル・トロ自身がデザインしていればまた違った物になっていただろう。それもぜひ観たかった。
 ユダの血統は素早くタフで、昆虫だけあってほ乳類などと違い意思の疎通のしようがない。子供もあっさり殺してしまうところも残酷である。
 終盤、地下鉄に立てこもってからの展開が少しルーチンでまたかという感じの部分も多かったが、それでもやっぱりスリリングで最後は街の人も巻き込んでの大爆発。多少なりとも死者も出たのではないだろうか。
 ミラ・ソルヴィノも汚れて埃やゴミまみれになるのを怖れずに体当たりの演技。この人の顔は言っちゃ悪いがちょっとブスが入っていて逆にそこが好みだ。
 ニューヨークの地下鉄の歴史は古く、すでに使われていない路線や駅などがたくさんあるという。その把握しきれないような地下を舞台にしたのは面白かった。
 ユダの血統に食われた人々、退治のために戦って死んだ人、爆発で死んだ人などどれくらいの数になるのだろうか。それとストリックラー病の被害を天秤にかけると、ユダの血統を生み出した方が良かったのか生み出さなかった方が良かったのか。
 スーザンはこれから世間に対してどのように責任を取るのかと感じさせながら映画は終わる。

 ギレルモ・デル・トロならではという部分はさほど出ていなかったように思うが、昆虫嫌いな人にあえてお勧めしたい昆虫パニック映画である。

B0023R2XX0.jpg『ヘルライド』(2008) HELL RIDE 84分 アメリカ

監督:ラリー・ビショップ 製作:ラリー・ビショップ、マイケル・スタインバーグ、シャナ・スタイン 製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、クエンティン・タランティーノ 脚本:ラリー・ビショップ 撮影:スコット・キーヴァン プロダクションデザイン:ティム・グライムス 衣装デザイン:アリエラ・ウォルド=コーヘイン 編集:ウィリアム・イェー、ブレイク・ウェスト 音楽:ダニエル・ルッピ 音楽監修:メアリー・ラモス
出演:ラリー・ビショップ、マイケル・マドセン、エリック・バルフォー、ヴィニー・ジョーンズ、レオノア・バレラ、ローラ・カユーテ、ジュリア・ジョーンズ、デヴィッド・キャラダイン、デニス・ホッパー

 話しはあってなきがごとし。アメリカの暴走族ヴィクターズとSIX・SIX・SIXが互いにアメリカンバイクを乗り回しながら殺し合うという頭の悪い映画。この頭の悪さが多少面白い。
 突然36年前に回想シーンが飛んだと思ったら、あっというまに36年後に飛ぶ。ストーリーは支離滅裂。何十年も経ってからいきなり仇討ちを始めるのもわけ分からないし。
 監督・製作おまけに主演のラリー・ビショップはなにかにつけ格好つけている俺映画。
 そこに相変わらず渋決め演技のマイケル・マドセンやちょっと落ち着いたデニス・ホッパーやデヴィッド・キャラダインなどのゲストが絡む。

 何かというとダラダラとビールを飲んで、女を抱き、ヤクをやって、バイクを乗り回す。こいつらどうやって生計を立てているんだ?やはり犯罪か。SIX・SIX・SIXのアジトを襲撃した後にヤクを盗んでたもんな。言ってみれば反社会的存在だ。
 30どころか40も50も過ぎていそうなオヤジたちが定職にも就かずに好き勝手なことをしている映画と思ってもらえばいい。これに興味を持てるか持てないかで評価が決まる。オレは持てなかった。
 これといって派手だったり面白いアクションもない。役者にもオレには魅力がない。
 大昔にロジャー・コーマンらが作りまくったバイカー映画のオマージュとしてクエンティン・タランティーノがラリー・ビショップが手を組んだグラインドハウス映画なのだろうが、オリジナルを観ていないし興味がないのでどうしようもない。
 デニス・ホッパーが出ているからと言って『イージー・ライダー』になれるわけではない。デニス・ホッパーが乗っているのがサイドカーなのが少し寂しい。もう普通の二輪は無理か。

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