2009年4月アーカイブ

B00077D95O.jpg『ザ・トレンチ 塹壕』(1999) THE TRENCH 95分 イギリス

監督:ウィリアム・ボイド 製作:スティーヴ・クラーク=ホール 脚本:ウィリアム・ボイド 撮影:トニー・ピアース=ロバーツ 音楽:イヴリン・グレニー、グレッグ・マルカンジ
出演:ポール・ニコルズ、ダニエル・クレイグ、ジュリアン・リンド=タット、ダニー・ダイア、ジェームズ・ダーシー、タム・ウィリアムズ、キアラン・マクメナミン

 B級戦争映画かと思って借りたらまた地味な佳作だった。それも珍しい第一次大戦物で衣装や武器、小道具など資料的な価値も高いと思われる。
 監督の『ラジオタウンで恋をして』(1990)や『チャーリー』(1992)の脚本家でこれが初監督作品。もちろん脚本も担当している。
 舞台は第一次大戦のフランス線線。タイトルからわかるとおり映画のほとんどが3メートルほどの深さの塹壕の中で繰り広げられるのでやはり地味だ。この舞台設定のおかげで戦争物なのに比較的低予算で作ることが出来たのだろう。
 1916年7月1日から同11月19日までフランス北部・ピカルディ地方を流れるソンム河畔の戦線において展開されたソンムの戦いという事件があり、それを題材としている。史上最大の地上戦で100万人以上の犠牲者が出たそうだ。この映画の戦線では2時間で6万人が死んだことになっている。
 そのソンヌの戦いまでの、前線の塹壕で待機している英陸軍の小隊の48時間の様子を描いている。新兵ばかりの若き兵士たちがヌード写真を見たりバカ話や恋愛話をしたりという青春物の側面もある。一人一人が個性的で、感情移入をして観てしまう。すると最後の戦いでショックを受けることになる。誰一人英雄でもなく戦場では単なる一人の兵士に過ぎない。生きても死んでも誰も気にしない。
 見慣れないキャストがほとんどだが、若い兵士の兄貴分の軍曹としてまだ売れていなかった頃のダニエル・クレイグが出演している。この時はまさか後に007になるとは思わなかったろう。この頃のダニエル・クレイグ相変わらず渋いが正直華はない。
 派手な戦闘を期待すると肩すかしを食ってしまうだろう。狭く泥だらけの塹壕の中でいつ攻めてくるか分からない敵に対して神経をすり減らす。塹壕に守られているといっても頭を出したところを狙撃されたり爆撃されたりして少しずつ疲弊していき精神的にも追い詰められてくる。重圧の中で酒に溺れる隊長の中尉。一人みんなを引っ張る軍曹のダニエル・クレイグは頼りになり時に英雄的だが妻から送られてきた苺ジャムを突撃を明朝に控えた夜に食べている人間味もある。
 塹壕の息苦しさや不潔さがもう一つ描ききれていないのが残念だが、敵であるドイツ兵をほとんど出さずに戦争ドラマを構築した上手さは認められていいだろう。
 ラストはイギリス映画だけあってハリウッド的なハッピーエンドではない。残酷な最後が待ち構えている。塹壕から飛び出して敵の塹壕へと突撃をするのだが、走るでもなく散開して歩いての突撃。第一次大戦はまだそんな前近代的なナポレオン時代から続く正統的戦法だったのだ。響く銃声。バタバタと倒れていく仲間たち。それでも進軍していく行進。ソンムの戦いが始まった。

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『極寒激戦地アルデンヌ ?西部戦線1944?』(2003) SAINTS AND SOLDIERS 90分 アメリカ

監督:ライアン・リトル 製作:アダム・アベル、ライアン・リトル 製作総指揮:チャールズ・チャン 脚本:ジェフリー・パノス、マット・ウィテカー 撮影:ライアン・リトル
出演:コービン・オールレッド、ラリー・バグビー、カービー・ヘイボーン

「マルメディ虐殺」というのがあったそうだ。ドイツ軍最後の大攻勢があったアルデンヌの戦いで起こったドイツ軍人による米兵捕虜虐殺のことだ。その真実に迫るとかパッケージには書かれているが、オープニングであっと言う間に終わってしまう。そこから命からがら逃げ出した4人のアメリカ軍人の物語だ。
 持っている武器はドイツ兵から奪ったライフルが一丁と弾薬は4発のみ。極寒激戦地というだけあって雪だらけの寒い敵陣の真ん中で彼らは生き残ることが出来るのか。

 生き残ったのは軍曹、デューク伍長、衛生兵のグルド、ケンドリック軍曹、デューク伍長、衛生兵のグルド、ケンドリックの4人。
 途中で小屋を見つけて一休みをしていたら、そこへドイツ軍がやってきた。慌てて地下室に隠れると、無線で「ミューズ川」「墜落」といった単語が交わされているのをドイツ語が分かるデューク伍長が聞き取る。
 辺りを捜索してみるとパラシュートで脱出したイギリス空軍の兵士が木に引っかかって身動きできなくなっているのを見つける。
 そのイギリス兵はドイツ軍が反撃作戦の動きをしているところを写真に撮ったのだが、撃墜されてしまったのだ。この情報を連合軍に伝えないと多大な被害を被ることになる。彼らは司令部に向けて30kmの道のりを進み始めた。

 地味ではある。派手な戦闘シーンは少ないが、逃げ出して知り合ったばかりの4人のアメリカ兵士と1人のイギリス兵士の精神的関わりが映画のメインだ。
 戦う衛生兵グルド。元は宣教師としてドイツにいたためドイツ語が分かるデューク伍長。二人は対立してばかりだが、次第に打ち解けていく。デューク伍長がドイツにいた時の知り合いだったドイツ軍人との友情も効果的だ。
 ラストはそれなりに激しい戦闘シーンに突入する。数も武装も圧倒的に不利な状況で戦い抜く。

 全体的にきっちりまとまっていて、破綻した部分がない。地味だが調べてみると史実に乗っ取った物語になっているようで、B級戦争映画かと思ったがなかなかやるものだ。

B000LXINYG.jpg『マクリントック』(1963) McLINTOCK! 126分 アメリカ

監督:アンドリュー・V・マクラグレン 製作:マイケル・ウェイン 脚本:ジェームズ・E・グラント 撮影:ウィリアム・H・クローシア 音楽:ダナム、フランク・デ・ヴォール
出演:ジョン・ウェイン、モーリン・オハラ、パトリック・ウェイン、チル・ウィルス、ブルース・キャボット、ステファニー・パワーズ、イヴォンヌ・デ・カーロ、ロバート・ロウリー、ハンク・ウォーデン

 主演はジョン・ウェイン。妻役は『静かなる男』などでジョン・ウェインとは共演作が多い燃える赤毛のモーリン・オハラ。監督はジョン・フォードの弟子筋に当たるアンドリュー・V・マクラグレンときている。しかも製作はジョン・ウェインの息子のマイケル・ウェインときている。これはもうジョン・ウェインのためのジョン・ウェインムービーなのだ。

 西部劇だが銃撃戦などはほとんど登場せず、マクリントック一家に関わる出来事を集めたホームコメディ。主人公のジョン・ウェインは奥さんのモーリン・オハラに浮気を疑われて家を出てこられたが、愛娘のレベッカが大学を卒業して地元に戻ってくると言うのでそのためにモーリン・オハラは帰ってくる。そうかやはりレベッカの愛称はベッキーなのか。レッベーじゃないのかなどと思う内に、話しは軽快に進んでいく。
 モーリン・オハラまで巻き込んでのドロンコ喧嘩や牛の半身を丸焼きにしたやたら美味しそうなパーティーなどが繰り広げられるが、どれもこれも予定調和のなかで行われる。昨今では予定調和は不可となっているが、いやいやいいじゃないのこれで。
 1階から2階へと上がる階段からの階段オチはしつこいと言っていいぐらい繰り返される。ほんとしつこい。
 ラストはあまり意味不明なインディアンの反乱をおいておくとして、モーリン・オハラとジョン・ウェインの追いかけっこがそれに付きまとってくる無責任な観客も含めて『静かなる男』の終盤を思い起こさせる。もちろん男対女なので殴る蹴るの暴力は登場しないが。
 ベッキーの婚約相手も予定調和。主人公二人の喧嘩の結果も予定調和。でもその予定調和で良いじゃないの。
 ただ正直、インディアン問題は無かったほうが良かったんじゃないかとも思う。
 取りあえず、ベッキーとモーリン・オハラへのお尻ペンペンは趣味の人には萌えるシチュエーションじゃないかなと思う。

B00005LJYC.jpg『デザート・スコルピオン』(2000) DELTA FORCE ONE: THE LOST PATROL 96分 アメリカ

監督:ジョセフ・ジトー 製作:ヨーラン・グローバス、メナハム・ゴーラン 脚本:ハーシェル・F・ルービン 撮影:ギデオン・ポラス
出演:ゲイリー・ダニエルズ、ベントレー・ミッチャム、マイク・ノリス、ジョン・リス=デイヴィス

 製作がヨーラン・グローバスとメナハム・ゴーラン、監督は『レッド・スコルピオン』のジョセフ・ジトー。主演が『北斗の拳(実写版)』(1995)のゲイリー・ダニエルズ。共演がチャック・ノリスの息子マイク・ノリスと『レイダース/失われたアーク』でインディの相棒を演じたジョン・リス=デイヴィスというある意味豪華な映画。ヨーラン・グローバスとメナハム・ゴーランはまだ映画を撮っていたのかと思ったら2000年作品とちょっと前の作品であった。

 いやーなんなんだろ。DVDのパッケージには軍用ヘリや特殊装備をした兵士たちが映っていますが、そんなもの欠片も出てきません。ジープが数台出てくるだけです。
 中東に仲の悪い二国が並んで存在していて、片方の国が核実験を成功させる。
 もう片方の国もそれに対抗してか核ミサイルを作り始めるのだが、その秘密基地に近づく者を片っ端から排除してしまう。たまたま近くを通りかかった平和維持軍のジープも迫撃砲の攻撃を受けて全滅し連絡が途絶えてしまう。そこで大尉(ゲイリー・ダニエルズ)をリーダーとする捜索隊が三台のジープで出発するのだが……

 出発して早々両脇が切り立った崖になった道路で上からロケットランチャーや迫撃砲で攻撃を受ける。しかし大尉は「俺たちは平和維持軍だ。攻撃は許さん」などといって反撃を禁じる。おいおい、ドッカンドッカン爆発起こってるぞ、それどころじゃないだろう反撃しろよ反撃。無能な上官の下につくと命が幾らあっても足りない。
 そんな間に二台のジープが爆破されてしまう。激しい攻撃なのに、主人公たちが乗ったジープだけはほとんど被害を受けない不思議。でも無線機だけは故障してしまう不思議。
 多大なる犠牲を払ってから、ようやく武器を全員に配る。もっと早く配っとけば被害も少なくてすんだのに。戦争映画なのに戦闘シーンで無抵抗のままやられっぱなしだからストレスが溜まる溜まる。B級戦争映画なんだからバリバリ撃ちまくって欲しいものだ。
 ラストの敵の秘密基地になって大尉のマーシャルアーツを始めとして人を殺しまくり。でも終盤の10分ぐらいだけなんだよね。マイク・ノリスも空手を見せてくれないし。核爆弾の解体も実際のミサイルを解体する訳じゃなくて、コンピュータから制御コードを入力するだけとずいぶんお気楽。
 ちなみに核ミサイルと言っても3メートルほどの大きさの小型ミサイル。隣国に打ち込むのではなく、自国に打ち込んで隣国の仕業に見せかけて戦略的に優位に立とうというのだ。正直、何を考えているかよく分からない。
 中盤は敵側が陰謀を繰り広げるシーンが多く、主人公たちの出番がない。当然戦闘シーンもない。
 女性衛生兵が仲間にいて、どうやら過去に大尉とロマンスがあったようだがそれらはまったく活かされていない。そもそもこの衛生兵、一度として衛生兵として役に立つシーンがない。目の前で仲間のガイドが撃たれたシーンがあるというのに、ただおろおろとしているだけ。
 人は良いが最悪のガイドがわりと良い役で最後は皆を助けて散る大活躍。これでこの作品も少しは救われたかな。
 まったく意味のない後日談で締めくくられるが、いらないいらない。

B001TBUJ50.jpg『デス・レース』(2008) DEATH RACE 105分 アメリカ

監督:ポール・W・S・アンダーソン 製作:ポール・W・S・アンダーソン、ポーラ・ワグナー、ジェレミー・ボルト 製作総指揮:ロジャー・コーマン、デニス・E・ジョーンズ、ドン・グレンジャー、ライアン・カヴァノー 原案:ポール・W・S・アンダーソン 脚本:ポール・W・S・アンダーソン オリジナル脚本:ロバート・ソム、チャールズ・グリフィス 撮影:スコット・キーヴァン 編集:ニーヴン・ハウィー 音楽:ポール・ハスリンジャー
出演:ジェイソン・ステイサム、タイリース・ギブソン、イアン・マクシェーン、ナタリー・マルティネス、ジョーン・アレン、マックス・ライアン、ジェイコブ・バルガス、ジェイソン・クラーク、フレデリック・コーラー、ロバート・ラサード、ロビン・ショウ
声の出演:デヴィッド・キャラダイン

 リメイクの話しを聞いた時はどうするつもりなんだろうと思った。なんたってオリジナルの『デスレース2000』は公道レース中に通行人を轢くとポイントになるというとんでもない設定だったからだ。
 それをリメイク版では孤島に設けられた刑務所で囚人たちを使って行われる死のレースに変更してあった。オリジナルのハチャメチャさはなくなってしまったが、妥当なところだろう。
 2012年アメリカ経済は崩壊し、街には犯罪が溢れ刑務所の数も足りなくなった。そのため民間企業が刑務所の運営を行うようになった。舞台となる刑務所では囚人に武器を搭載し装甲で固めた車で死のレースを行わせ、それを中継することで利益を上げていた。そのレースこそ『デス・レース』である。数千万人の観る人気番組なのだ。ちょっと『ローラーボール』や『バトルランナー』っぽいが、観客が一切登場しないのがこれらの作品との違い。映画全編を通してカメラが刑務所から出ることはほとんどない。個人的にはダークな『チキチキマシーン猛レース』である『デス・レース』を観て喜んでいる酔っぱらい連中やごく普通の一家などの反応も見てみたかった。それにしても2012年とは映画の製作時には現在の経済破綻は予想出来なかったようだ。
 オープニング、無敵を誇るレーサーのフランケンシュタインが追い詰められていた。フランケンシュタインは幾度もの事故で顔が崩壊してしまい鉄のマスクを被っている。このフランケンシュタインの声を担当したのがオリジナル版でフランケンシュタインを演じたデヴィッド・キャラダインとは味なことをやってくれる。結局、敵の攻撃でフランケンシュタインは死んでしまう。
 冷血女所長(ジョアン・アレン)はフランケンシュタインの身代わりを求めて、元レーサー(ジェイソン・ステイサム)を妻殺しの容疑を着せて自らの刑務所に送り込む。まだ幼い一人娘を人質にジェイソン・ステイサムにフランケンシュタインに成りすましてレースに出場することを承諾させる。

 とにかくレースの迫力がすごい。ちゃんとしたサーキットではなく廃工場の跡地のような場所をゴツイ車がぶつかり合い、機関銃を撃ちまくる。機関銃や防御用のスモークなどは最初から使えるのではなく、コース上のマークを4輪で踏むことで作動するとゲーム感を高めている。
 絶妙なコーナリングやハンドル捌きを楽しむレースではなく、車による格闘技を観ている感じ。ジェイソン・ステイサムの運転するマスタングV8のエンジンがうなりを上げる。ビデオゲーム化したら面白いんじゃないだろうか。
 ただ、最後までレースで乗り切る自信がなかったのか、所長が作った大型武装トレーラー“ドレッドノート”が登場し、レーサーたちを何人も殺してしまう。ここで流れがぶった切られてしまうので最後までレースで通して欲しかった。個性あるレーサーたちもその個性を発揮するまもなく殺されてしまって残念。
 野郎ばかりでは映画を観ている人にも劇中でレースを観ている人にも物足りないということでナビゲーターとして若い女性が登場してくる。ジェイソン・ステイサムの助手席にも当然一人乗る。なかなかいい女で、役柄的にもおいしい。
 所長の冷酷ぶりも振るっていて、実に憎たらしい敵役を演じている。これが女性だから余計と冷酷さが際立っているのかも知れない。ジェイソン・ステイサムがその手で所長を殺せなかったのは残念だ。代わりに仲間が爆弾で爆殺するがカタルシスがちょっと落ちる。
 最後にはレースを飛び出して意外なといっても大方予想がついていた方向へ話は進んでいく。刑務所物はやはりこうでなきゃ。

 ラストには「この作品のカースタントは充分に安全を確認したうえでプロのスタントが行っています。絶対に真似をしないで下さい」とのクレジットが。しねーよ、命がいくつあっても足りないっての。

B001TBUJ6O.jpg『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』(2007) DIARY OF THE DEAD 95分 アメリカ

監督:ジョージ・A・ロメロ 製作:ピーター・グルンウォルド、アート・スピゲル、サム・イングルバート、アラ・カッツ 製作総指揮:ダン・ファイアマン、ジョン・ハリソン、スティーヴ・バーネット、脚本: ジョージ・A・ロメロ 撮影:アダム・スウィカ 編集:マイケル・ドハティ 音楽:ノーマン・オレンスタイン
出演:ミシェル・モーガン、ジョシュ・クローズ、ショーン・ロバーツ、エイミー・ラロンド、ジョー・ディニコル、スコット・ウェントワース、フィリップ・リッチョ、クリス・ヴァイオレット、タチアナ・マスラニー、ジョージ・A・ロメロ
声の出演:ウェス・クレイヴン、スティーヴン・キング、サイモン・ペッグ、ギレルモ・デル・トロ、クエンティン・タランティーノ

 昨日の『悪魔の追跡』と同じくキャンピングカーで逃げ回るという映画だった。うむ、シンクロニシティ。

 世界を襲うゾンビの恐怖を、自主ホラー映画を撮っていた学生のビデオカメラの映像を通して語っていくという『クローバー・フィールド』や『REC』を思わせるフェイクドキュメンタリーのPOV(一人称)映像映画。上記二作品と異なるのは、カメラが一台ではなくメインで二台、携帯のカメラ、他にはテレビで流される映像やインターネットのYoutubeなどで素人が流す映像、監視カメラの映像などを駆使して、立体的に物語を作り上げていること。
 映画監督の青年は現在の状況を余すところ無く、時に仲間に非難されながらもカメラで捉えそれをネットで公開することで「人々が何らかの解決策を見出すことが出来るかも知れない」と考え、ひたすらにカメラを廻し続ける。
 だが事実なのか嘘なのかもはや混乱して分からないニュース映像やネットの映像。ニュースは平気で嘘をつくようになっている。Youtubeには日本からの女性の映像もアップロードされている。ゾンビは頭を撃つと死にますと彼女はいっているが、いったい日本でどれだけの人が銃を持っているというのだろうか。もしも青年が映像作品を作り上げたとしても、ネット上に溢れる情報に埋もれてしまって誰の目にも止まらない可能性は大きい。それでもやらずにはいられなかったのだろう。
 そして、この映画自体がヒロインがそれらの素材を使ってヒロインが編集し音楽や効果音も入れた映画という設定になっていること。POVにしては臨場感がないなと思っていたが、それもそのはず。POVはその場で撮影されただけの素材という存在なのだが、熟練したロメロの手にかかるとそれもちゃんとしたパーツとして完成された一本の映画を仕上げてしまうのだ。
 自主映画を撮っていてカメラに慣れた学生が撮影している設定なのでそれほどやみくもに振り回すことなく安定した画面になっている。そのため、カメラ酔いしやすい人でも比較的観やすい方だろう。手持ちカメラの移動撮影はカメラを脇を締めて腕で支え膝でショックを吸収して撮る。振り回すなんてもってのほかだ。

 正直、ゾンビ物としては物足りない。ゾンビの数が少なく大群で襲ってくるわけではないし、人が食われるゴアシーンも物足りない。だがこの作品の場合、学生たちの集団で対処できる範囲での出来事でないと映画としてまとまらない。
 数丁の銃と弓矢があるだけでキャンピングカーで目的地を目指す彼らが相手にするにはこの作品程度のゾンビがちょうど良いのだろう。そして、ラストにはこれからさらにゾンビが増えていくことが描写されているので、ゾンビ増殖の初期状態を描いたと言うことなのだろう。電気が点いたり携帯電話やネットが稼働している点もまだ大幅な混乱状態ではなかったからとこじつけてみる。
 やっと駆けつけてくれたと思った軍が食料品などを盗んでいったり、逆に街の略奪者と思った黒人の集団が白人の逃げ去った街を支配していて彼らにガソリンを分けてくれたりなど、ロメロらしい価値観の逆転が存在する。
 人間は救われるべきか救われざるべきか。それを思ってかゾンビは血の涙を流す。

B000MR9B3I.jpg『悪魔の追跡』(1975) RACE WITH THE DEVIL 89分 アメリカ

監督:ジャック・スターレット 製作:ウェス・ビショップ、ポール・マスランスキー 脚本:リー・フロスト、ウェス・ビショップ 撮影:ロバート・ジェサップ 音楽:レナード・ローゼンマン
出演:ピーター・フォンダ、ウォーレン・オーツ、R・G・アームストロング、ララ・パーカー、ロレッタ・スウィット

 悪魔崇拝で信者女性が生け贄となる光景を見てしまった二組の夫婦が、キャンピングカーで逃げ回るだけの話しがなんでこんなに面白いのだろうか。
 観始めると止まらない低予算のB級映画。

 共同でオートバイ工場を経営する年の離れた友人のウォーレン・オーツとピーター・フォンダはそれぞれの妻を連れて、ウォーレン・オーツが買ったばかりの新車のキャンピングカーでスキーへと旅に出る。
 1泊目の野営地で、ウォーレン・オーツとピーター・フォンダは川の向こうで黒いローブを着た連中が踊っているのを見つける。てっきり地元の変わり者の集団だと思っていたら、踊りの最高潮の所でヌードの女性を奇妙な格好をした男がナイフで刺し殺す。慌てて逃げ出すが、連中に追ってこられてリアウィンドウを割られてしまう。
 地元保安官事務所に行って事情を話し、現地へ行ってみるが保安官も保安官助手もヒッピーが犬でも殺したんだろうと真面目に取り合ってくれない。
 次の大きな街に行ったら警察に詳しい事情を話して、力になってもらおうと考えるが、悪魔崇拝者たちはあの手この手で彼らを妨害してくるのだった。

 妻たちが街の図書館で調べたところによると、儀式は古代アステカの儀式に似ているようだ。そのくせ、「秘密を守れ」といったメモに書かれているのはヨーロッパのルーン文字。悪魔崇拝者だからなんでもありなのか。このメモの通りに事件のことは忘れて日常生活に戻れば何事もなかったんだろうか。でも、それに従わないのが映画の登場人物の常だ。
 行く先々に悪魔崇拝者が一般人の顔をして潜んでいて、ついには相手が一般人なのか悪魔崇拝者なのか区別がつかなくなってくる恐怖。キャンプ場でピーター・フォンダの妻が飼っている犬が殺されたシーンで、騒ぎを聞きつけて近くでキャンプしている人が集まってくるがみな無表情。まるで彼らも悪魔崇拝者であるかのように描く。いや、ひょっとしたら本当にそうなのか?
 日本にもいろいろな宗教があるが、たとえば元オウム真理教みたいのを何かの間違いで敵に回してしまったらと考えると怖ろしい。オウムまでいかなくてももっと無害と思われていて普通にそこら辺に信者がいる宗教が、教祖の命令で動き出したらと思うと実にサスペンスフル。
 特にアメリカの田舎は閉鎖的でよそ者を受け付けないところがあったりするから、そんなところにある独自の宗教が蔓延していたら、この映画のような事件もあったりするのかも知れない。
 ペットの犬を殺したり、戸棚にガラガラヘビを入れておいたり、キャンピングカーの後ろに積んだオートバイを壊したり。そんなせこい手を使ったと思ったら本格的に殺しにかかってみたり。悪魔崇拝者の行動に一貫性がないが、やはり頭がおかしいんだろうか。
 ホラー映画だが流血シーンはほとんど登場せず、犬の死体が二匹分登場するだけなのも上手い。

 終盤はトラック三台を相手にしたカーチェイス。スポーツカーのカーチェイスはよく観るが、キャンピングカーのカーチェイスは珍しい。相手もトラックだしスピードは出ていないが、屋根の上によじ登るなどキャンピングカーならではの工夫が凝らされている。
 そして衝撃のラスト。これからどうなるんだろうと思わせたとことでぶった切られたように映画は終わる。

 昔はよく洋画劇場で放映されていたもの。DVDにはテレビ放映時の吹替音声が収録されていて、ウォーレン・オーツが羽佐間道夫。ピーター・フォンダが山田康夫となっている。二人とも最初はイメージ違うんじゃないのと思っていたが、聞いている内にベストキャスティングに思えてきた。山田康夫は時としてクリント・イーストウッドの吹替以上にあっていた。

B0009J8K6S.jpg『カプリコン・1』(1977) CAPRICORN ONE 129分 アメリカ

監督:ピーター・ハイアムズ 製作:ポール・N・ラザルス三世 脚本:ピーター・ハイアムズ 撮影:ビル・バトラー 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:エリオット・グールド、ジェームズ・ブローリン、カレン・ブラック、テリー・サヴァラス、サム・ウォーターストン、O・J・シンプソン、ハル・ホルブルック、ブレンダ・ヴァッカロ、デヴィッド・ハドルストン、デニース・ニコラス、アラン・ファッジ、デヴィッド・ドイル

 人類初の有人火星探査船カプリコン・1の発射が刻一刻と近づいていた。しかし、打ち上げ直前になってブルーベーカー船長(ジェームズ・ブローリン)ら三人の乗組員は船を下ろされ、ヒューストンから480キロの位置にある元空軍訓練基地へと移された。なんと船体の生命維持装置に欠陥があり、そのまま飛行をしたら三人とも死んでしまうと言うのだ。しかし、宇宙開発への意欲が国民の中で無くなっているなかなんとか発射まで持ってきたプロジェクトだけに、NASAのケラウェイ(ハル・ホルブルック)としてはなんとしても成功に見せかけたい。
 そのためカプリコン・1はリモコンで操縦して、火星着陸のシーンは基地の中に組んだセットで撮影してしまおうというのだ。火星に降り立った宇宙飛行士たちの映像はテレビで放送され人気を博した。ロケットが地球に近くなったため、設定上はほぼリアルタイムで宇宙飛行士の妻たちとの会話も行われ、後は着陸艇が着水する位置をずらして、回収船が来るまでのタイムラグを利用してカプセルに乗り込んで火星に行ってきた振りをするだけだった。
 しかし、大気圏再突入時にカプセルの耐熱シールドに異常が起こり、カプセルは燃え尽きてしまった。これで宇宙飛行士たちが人々の前に出てきたらNASAぐるみで行ったペテンがバレてしまう。身の危険を感じた宇宙飛行士たちは小型ジェットで逃げ出すが、燃料不足で荒野の真ん中に落ちてしまう。周りは砂漠や岩山ばかり。三人はそれぞれ別の方向に逃げるが、NASAはヘリコプターで追跡を始める。
 そんな頃、友人のNASA職員からテレビの電波だけ480kmの地点から届いていると聞きつけた新聞記者がいた。しかし、友人は行方不明になり記録も抹消されている。陰謀の臭いに気づいた記者のコールフィールド(エリオット・グールド)は独自に調査を始めるが、彼にも危険が迫ってくる。

「アポロは月面着陸なんかしていない。あれはスタジオで撮影されたものだ」などという説というのもおこがましいバカバカしい話しがある。あれはNASAの技術者と宇宙飛行士の知恵と努力と一種の狂気、何より人類の生み出した科学を貶めるにもはなはだしい物だ。
 だが、フィクションのネタとして使うとこのように面白い映画になるから世の中は楽しい。「アポロ未着陸」ネタはこの映画の前からあったのだろうか?ひょっとしたら『カプリコン・1』のパクリじゃないかと思っているのだが。
 陰謀を巡らすのはハル・ホルブルック。こういう役似合うな。ちょっと情けなさそうな顔をしているのに、実は頭の中で悪事を企んでいる。そんな腹に一物持つ男を演じさせたらピカ一である。
 三人の宇宙飛行士は一人また一人とヘリによって捕まっていく。その捕まり方にも工夫が施されていて、O・J・シンプソンの場合は飢えと渇きに苦しんだ目に二羽の鳥のように見えて食事のために捕まえなきゃと思ったら次第に焦点が合ってくるとヘリコプター。
 もうひとりの場合は、ボロボロになってアメリカンジョークを言いながら断崖をよじ登っていく。苦しい思いをして時に落ちそうになりながらもようやくと登り詰めるとそこに二台のヘリコプターが着地して待ち構えていた。

 映画の特徴としては宇宙飛行士側と新聞記者側の二つのストーリーに分かれていることだろうか。かたや命がけの脱出劇。かたや命がけの真実の追究。その真実の追究をする記者が真面目なタイプではなく一発狙いの特ダネ記事専門のトップ屋で風采の上がらないだらしなさそうに見えるエリオット・グールドというのがよい。
 終盤はついに真実に行き着いたエリオット・グールドが農薬散布の赤い複葉機をテリー・サバラスからチャーターすると一人生き残った(残り二人の宇宙飛行士が殺害されるシーンは登場しないがまず生きてはいないだろう)ジェームズ・ブローリンを翼にしがみつかせると、テリー・サバラスの操縦でヘリとの空中戦を繰り広げる。この空中戦が実に迫力がある。複葉機だよ。それが二台の軍事用ヘリに勝っちゃうんだから無茶も良いとこ。テリー・サバラスはてっきり銀行強盗がらみだと思って、「わしに分け前を1/3、いや半分よこせ」と言ってくる個性の強いキャラ。登場シーンは短いが、実にもうけ役。オレの記憶だと、ラストの三宇宙飛行士の葬儀に飛行機で着陸してくることになっていたが、さすがにそれは違った。でも、その方が面白いのに。

 オープニングのロケット発射の映像はNASAから借りてきたのだろうか。よく貸してくれたな。
 先日、ある人とジェリー・ゴールドスミスについてメールでやり取りしたんですが、この作品もジェリー・ゴールドスミス。『猿の惑星』シリーズといい『ランボー』シリーズといい、最近ちょっとジェリー・ゴールドスミスづいてます。緊迫感のあるメインテーマがなかなかいいですぞ。

 この陰謀は男たちの反撃で打ちのめすことが出来たが、オレたちの暮らすこの日常の中でもしも権力側が本気になって虚構を事実だと言い張ったらどうなるだろうか。新聞、テレビも権力側について騙しにかかってきたらオレはそれを見抜くことが出来るんだろうか。

B001OFSH2I.jpg『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』(1974) 84分 日本

監督:黒田義之 製作:若山富三郎、真田正典 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:中村努 撮影:牧浦地志 美術:内藤昭 編集:谷口登司夫 音楽:村井邦彦 助監督:小倉洋二
出演:若山富三郎、大木実、木村功、富川昌宏、瞳順子、睦五郎、宮口二郎、石山律雄、石橋蓮司

 シリーズ最終作と言うこともあってか飛ばしまくってますよ。最初からシリーズ最終作と決めていたのか、客が不入りで終わったのかは分からないが、どのみち大五郎役の富川昌宏が大きくなってきたのでここらで終わってちょうど良かったのだろう。今さら他の大五郎と言われてもイメージがしっくりこないし。

 ラストの見せ場は雪山です。白銀です。スキーです。スっ、スキー!?
 時代劇だというのに裏柳生一門がスキーで襲ってきます。その数ざっと100人。
 対する拝一刀は乳母車の下にソリをつけてシュパーっと滑って行きます。
 そして雪の上での殺陣が繰り広げられます。若山富三郎は疾走する乳母車から空中前回りで飛び降りてるし。やる気まんまんですな。
 裏柳生の首領柳生烈堂はソリに乗って迫撃砲を撃ってきてスキー場と思われるロケ地の雪面にはドッカンドッカン穴が開くし、もちろん乳母車機関銃も冴え渡ります、無茶です。どんな時代劇だ。

 拝一刀対裏柳生の戦いに重点を置いていて、これまでの作品であった拝一刀が刺客の仕事を引き受けるというエピソードがないんですね。やはり最初からシリーズ最終作だったのかな。
 まずは柳生烈堂の息子は全て殺されてしまったため、末の妹を向かわせます。烈堂は「お前は切り札だ」とか言ってますが、それは他にも札がある場合に使うんじゃないでしょうか。最後の一札に切り札も何もあったもんじゃありません。
 二本の短剣でお手玉をするその名も“お手玉の剣”というまんまな名前の剣術の使い手で、対戦相手の頭上に短剣を放り投げ、頭上の剣を払おうとすれば手に持った短剣が襲い、手に持った短剣を払おうとすれば頭上に短剣が突き刺さるといった次第。しかし、拝一刀は大五郎を肩車したまま戦うことで頭上に剣を放ることを躊躇わせて見事討ち取るんですね。鬼です。でも大五郎は恨む様子もありません。親子して冥府魔道を歩んでいるんですね。私だったらこんな父親イヤですが。

 これで柳生烈堂もじり貧だと思ったら、幼い頃に捨てた妾腹の長男の兵衛がいたんですね。まだ切り札ありました、都合良すぎです。しかし、兵衛は自分を捨てた烈堂を父と思っていません。当たり前です。野山に放ったらかしだったんですから、自分がピンチだから助けてくれと言われても、知るかそんなもんですよね。兵衛は柳生には愛着が無く、代わりに自分を育ててくれた土蜘蛛一族の頭領となっています。これからは柳生じゃなくて土蜘蛛の時代だという理由で拝一刀を討ちにいきます。土蜘蛛というだけあって地面のなかを這ったりとこれまた超人的。
 土の中は這えても雪の中では凍えてそうは行くまいと雪山にこもって文章の最初に繋がってくるわけです。土蜘蛛三人衆を倒した拝一刀が乳母車を片手に山を下りようとすると大五郎が「ちゃん」と山の稜線を指さします。そこにずらりとならんだ柳生スキー軍団。

 監督はシリーズ初の黒田義之。主にテレビの時代劇を撮っている人です。脚本から原作者の小池一雄が抜けて『子連れ狼 冥府魔道』で共同脚本だった中村努が独り立ちしているのも注目点ですね。
 シリーズを通してみると、拝一刀が大五郎を猫かわいがりしているシーンはありませんが、跡取り息子としてちゃんと愛情を注いでいる。大五郎もそんな父の愛情を理解しそれに応えているというところが感動的ですね。ただ、まだ大五郎も幼いからいいので、これから反抗期を迎えてティーンエイジャーになったりすると親子の関係はどうなるのかなと心配になったりします。
「冥府魔道なんかしるかよ」と暴れ回る大五郎とかあったりするんでしょうか。「親父はいつも勝手なんだよ」とか。

B001OFSH28.jpg『子連れ狼 冥府魔道』(1973) 89分 日本

監督:三隅研次 製作:若山富三郎、真田正典 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄、中村努 撮影:森田富士郎 美術:下石坂成典 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕 特技:JAC 助監督:南野梅雄
出演:若山富三郎、富川晶宏、安田道代、佐藤友美、石橋蓮司、大木実、大滝秀治、山城新伍、潮健児

 監督がまた三隅に戻った。やはり『子連れ狼』ときたら三隅だろう。
 このシリーズ、さして込み入ったストーリーではないのだが、毎度毎度以外と理解するのに苦労する。それはセリフの問題だ。最近の日本映画と違って出演者の滑舌が悪いなどといった初歩的な理由ではない。はっきりと聴き取れる。ただし、時代劇ならではの専門用語が多くて意味が分からないのだ。
 せめてこのDVDに日本語字幕が収録されていれば助かったのだが、あいにくと未収録。「くろだめんぼうしゅう」と言われても「黒田面頬衆」という漢字が思いつかない。顔の下半分を覆った仮面を着けているから面頬衆なのかと推理するしかないのだ。原作の劇画だと活字があるから分かりやすいのだろうが、映画だとそうはいかない。原作を読めば分かるのかも知れないが、そこまでする気はない。
 今回は比較的普通の時代劇だ。最大の理由は乳母車の機関銃など突拍子もない兵器が登場しないからだろう。裏柳生も登場する物の、拝一刀との戦いはほとんどなく脇役に徹している。その分、次回作で弾けるのだが。

 拝一刀は黒田藩の藩士から刺客の依頼を受ける。ある和尚に化けた公儀探索方に藩の秘密を知られてしまい、それが記載されたお墨付きと呼ばれる文書も奪われてしまった。坊主を殺してお墨付きを奪い返して欲しいというのである。
 この和尚(大滝秀治)が寺で祈りを上げているところを斬りにかかる拝一刀。しかし身体が動かない。坊主は言う。「悟りを開いたわしは無じゃ。仏に会ったら仏を斬るそなたでも無は斬れまい」悪役のクセにずいぶんと偉そうなことを言うのである。
 それでも船で川を渡る機会に、水中からせめて和尚を殺して文書を奪った拝一刀は、黒田藩に馬で乗り込む。馬で乗り込むとなると大五郎の乳母車はどうするのかというと、ソリに乗せて馬に引っ張らせるのであった。無茶だなぁ。
 隠居した元黒田藩藩主の前で拝一刀は言う。「いくら側室を御寵愛のあまりとはいえ、浜千代姫を松丸君と偽り藩主を継がせ、正室の子である真の松丸君を幽閉するとは、黒田武士道の義にあらず!」
 なんと側室の産んだ姫を男の子と詐っていたのだ。お墨付きの文書は元藩主が浜千代を藩主と認めたという内容だったのだ。
 それまで、大五郎とにらめっこをしていた浜千代姫は「切れ」と一言を発する。
 がらがらっとふすまが開くと刀を構えた大勢の侍たちが並んでいるのは時代劇でのお約束。そして戦いが始まる。拝一刀は胴太貫だけではなくドロップキックも繰り出しての大活躍。さすが特技にJACの名前があるだけのことはある。関係ないか。
 戦う足捌きだけを捉えたショットなど謎の映像がありつつも、黒田藩だけあって槍を得物とした黒田面頬衆との戦いに突入する。刀の侍相手ではほとんど一刀両断で切り倒してきた拝一刀もリーチの長い槍を相手では苦戦しながらも最後の一人を倒す。
 そして、元藩主と側室だけではなく、まだたった5歳の浜千代姫の首も落とすと大五郎と共にいずこへと無く立ち去るのであった。

 これだけでは尺が足りなかったのか、女スリのエピソードが挟まれている。相手から掏った女スリが財布を隠す場所が無く道ばたにいた大五郎に預けると「誰にも秘密だよ」と告げる。財布を持っていた大五郎は女スリの仲間だと勘違いされて、仲間の正体を白状しろと叩きの刑にあうががんとして口を割ろうとしない。思わず名乗り出る女スリにも、知らないで通す。「誰にも秘密だよ」の約束を守ろうというのだ。
 疑いが晴れて自由の身になった大五郎はちゃんの元へと駆けていくのであった。さすが拝一刀と冥府魔道を歩むだけあって大五郎は普通の男の子ではない。

 さすがに5歳の女の子を殺してしまうと言うのは後味が悪い。かといって拝一刀が斬らねばもっとひどい目に合うことは分かっているのだが。ここら辺の残酷さから劇画が原作であることを思い知らされる。

B001OFSH1Y.jpg『子連れ狼 親の心子の心』(1972) 108分 日本

監督:斎藤武市 製作:若山富三郎、松原久晴 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄 撮影:宮川一夫 美術:下石坂成典 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕
出演:若山富三郎、林与一、山村聡、東三千、岸田森、富川晶宏、小池朝雄

 1年に4本という無茶なペースで作ってきたせいか、この4作目は明らかに失速している。監督が三隅から大味な作品ばかり撮っている斎藤武市に変更になったのも大きいだろう。製作が弟の勝新太郎から若山富三郎になっており(製作は勝プロダクションのままだが)ターニングポイントとなったのは間違いがない。

 音楽にこれまでになかった電子音が使われるようになっている。この電子音がうるさい。重要なところでやはりかかるのだが耳障りである。ただ、テレビ版の主題歌『しとしとぴっちゃん』が初めて歌詞付きで流れるのは聞き所。
 それからやたらと回想シーンが多い。ちょっとやっちゃ回想シーン。またちょっとやっちゃ回想シーン。回想シーンがないとストーリーが繋がらないのだが、しかし映画の流れがぶった切られるのも事実だ。

 尾張藩で女中達に小太刀を教えていた女性東三千がいた。この東三千が藩士の岸田森との戦いに敗れ手込めにされてしまったため尾張藩を脱藩。尾張藩は藩士を差し向けて東三千を殺そうとするが誰も彼も返り討ちに遭ってしまった。拝一刀は東三千を殺す依頼を受け、その父親に会いに行く。父親は娘が殺されることを知りながらも、藩士達の家族のことを考えて隠れている場所を伝える。娘も父親が自分の居場所を伝えたことを知る。これがタイトルの『親の心子の心』である。
 どうでもいいけど、岸田森は2作目の敵役として出てきてすでに死んでないか。そこら辺を気にしていちゃこのシリーズは観てられないのである。
 東三千は見た者が驚くような刺青を入れているのだが、これは妖刀使い岸田森に対抗するため。とっさにもろ肌を見せて注意を削ぎ隙を作ろうというのだ。

 とはいえ、本格的に拝一刀を狙い始めた柳生軍団との戦いは面白い。拝一刀が古寺に入る。そこには何体もの仏像が並んでいる。と、突然仏像が動き出す。キカイダー01?いや、仏像の中に潜んだ柳生衆が襲ってきたのだ。その柳生の手や足を切り落としていく拝一刀。スタントマンを使わず若山富三郎自身の空中宙返りなどが披露される。重そうな体付きだが案外身が軽いと見える。
 ラストには柳生軍団との対決。鉄砲というより『もののけ姫』に出てきた石火矢のような武器で狙い撃ちにされる。爆発音はお馴染みの東宝爆発音。それを乳母車の機関銃でなぎ倒した後に、総勢100名はいそうな柳生軍団との斬り合い。若山富三郎のスピーディーで鮮やかな殺陣が魅せる。
 ボロボロになって血を流しながらも辛くも敵を全滅させる拝一刀であった。
 だがこれで柳生が滅んだわけではない。大五郎を乗せた乳母車を押しながらよろよろと歩く拝一刀はどこへ行こうというのだろうか。

B001G9EBRC.jpg『子連れ狼 死に風に向う乳母車』(1972) 89分 日本

監督:三隅研次 製作:勝新太郎、松原久晴 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄 撮影:牧浦地志 美術:西岡善信 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕 助監督:鍋井敏宏
出演:若山富三郎、富川晶宏、浜木綿子、山形勲、浜村純、加藤剛

 1972年に始まったシリーズもこれで3本目。でもまだ1972年。1年に何本撮っとんじゃと思うがもう一本あるんだよな。
 破天荒なシリーズで実に楽しいのだが弱点があるとしたら脚本。練り込まれたものというよりも一気に書き上げたといった感じで、勢いはある物の伏線とか登場人物の心の動きなどといった物はあまり描かれていない。そもそも若山富三郎の拝一刀が何を考えているのかよく分からないお方だ。その点、今作では「真の武士道とはなんぞや」と思い悩む若き侍の加藤剛を出すことで心理面へのアプローチが成されているのが興味深い。この頃は若いぞ加藤剛。

 なんでも原作の3エピソードをまとめて一本の映画にしているそうで、事実映画のストーリーの流れも大きく三つに分かれている。
 まずは拝一刀と加藤剛の出会い。加藤剛は藩士だけだと貧弱なので参勤交代の時だけ頭数を揃えるために大名に雇われる渡り徒士(わたりかち)という職業だった。武士とはいうものの浪人とやくざ者の間のような描かれ方だ。しかし、その昔はある藩の藩士だったという。加藤剛は「真の武士道とはなにか」を確かめるため拝一刀に果たし合いを挑むが、「殺すには惜しい」と拒まれる。

 女衒に買われた百姓娘が旅先の宿で女衒に襲われそうになりはずみで殺してしまう。たまたま同じ宿に泊まっていた拝一刀の部屋へ逃げ込むが、そこへ娘を買った忘八者の女元締めが手下を連れてやってくる。忘八者とは“仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの徳目のすべてを失った者”のことで石井輝男監督のハチャメチャ時代劇『ポルノ時代劇 忘八武士道』なんて映画がある。主人公の明日死能(あすしのう)を丹波哲郎がニヒルに演じていた。
 娘が自由になるための折檻を拝一刀は代わりに受ける。まずは水責め。逆さに吊した拝一刀を水で一杯の樽に頭から漬ける。これが美女がやられていると倒錯的な美しさがあるのだろうが、なにぶんむっつり体型の若山富三郎なのでこれといって面白いことはない。そういう趣味の人はいるんだろうけど。続いて行われるのは“ぶりぶり”。クレヨンしんちゃんの“ぶりぶりざえもん”みたいな名前で楽しそうだが、実際は手下達が竹の棒を持って「ぶりぶりぶりぶり」いいながらひたすら拝一刀を叩きまくる。
 これら、常人ならば命を落としかねない責め苦を拝一刀はうめき声一つあげずに成し遂げるのだった。

 忘八者の女首領は実はとある藩でお偉いさんを務めていた人の娘だった。その藩の藩主が気が狂ってしまって何人もの藩士を殺害したことをお取りつぶしを防ぐために彼らは極秘としていた。しかし、御側要人猿渡玄蕃に裏切られ藩はお取りつぶしになり天領となったその地の代官となったのが猿渡だったのだ。猿渡の殺害を依頼された拝一刀は天領へ向かう。
 まずは馬上短筒と呼ばれるリボルバーの二丁拳銃使いを大五郎をおとりにして溺れさせている振りをさせて助けに河に飛び込んだところを叩き切る。ずるいぞ。この時、ちゃっかり馬上短筒を奪っているのにご注目。
 子連れ狼が自分を狙っていると知った猿渡は部下の他に腕の立つ者を集めさせる。その中には「相手はひょっとしたら」と考えている加藤剛もいた。
 決戦の場は荒野。200人もの敵の前に乳母車を押しながら現れる拝一刀。
 弓矢隊が弓を一斉に放つ。すると拝一刀の指示で大五郎が紐を引っ張ると乳母車の前面に板が立って弓をはじき返す。
「えーい、鉄砲隊」との合図に鉄砲隊が発砲しようとすると、乳母車の前面に板が吹き飛び銃口が何本も現れる。ババババババッと機関銃が乱射され、倒れていく鉄砲隊。ロボット物のアニメで装甲が剥がれるとミサイルが並んでいて一斉発射なんてシーンがあるがあんな感じ。どこで機関銃を手に入れてどうやって組み込んだんだか。拝一刀って仕掛けマニア?しかも拝一刀は懐から爆弾を取り出すと2発3発と投げつけてくる。ドカンドカンと吹き飛ぶ敵。
 ここからは割と普通の日本刀や槍を使った殺陣になる。それにしても強い強い。拝一刀相手では刀をろくに交えることなく一刀のもとに手下達は斬り殺されていく。
 短筒使いから護身用にリボルバーを持たされていた猿渡が拝一刀を撃ってくる。手から弾き飛ばされる愛刀胴太貫。2発3発と追い詰められていき、ついに行き場を失ってしまう。すでに勝った気で満面の笑顔の猿渡が引き金を引くが弾が出ない。もう6発撃ってしまっていたのだ。すかさず懐から二丁拳銃を取り出すと猿渡を撃ち抜く拝一刀。もう時代劇じゃねぇよぉ。
 もはや辺りに散らばるのは死体ばかり。だが、大五郎が指さす方向に加藤剛がいた。相変わらず「真の武士道とは」と悩んでいる加藤剛と拝一刀の迫力のある斬り合い。その後、腹に胴太貫が刺さったまま加藤剛は延々と過去の話を語り、「真の武士道とは死を持って生きる」と悟った後に拝一刀に介錯してもらって果てるのだった。この時に、介錯された加藤剛の一人称視点でカメラがゴロゴロと回転しながら地面を転がる。交互に回り映る空と大地。画期的?な映像だ。
 子連れ狼の魅力はハチャメチャな殺陣にあると思うが、加藤剛の存在が格式も高めている。

B001G9EBR2.jpg『子連れ狼 三途の川の乳母車』(1972) 85分 日本

監督:三隅研次 製作:勝新太郎、松原久晴 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄 撮影:牧浦地志 美術:内藤昭 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕 助監督:小林千郎
出演:若山富三郎、富川晶宏、松尾嘉代、岸田森、新田昌玄、鮎川いづみ、大木実、小林昭二

 考えてみると70年代というのはすっかりテレビの時代になってしまって日本映画はかなりじり貧な状況だったのだ。古くからの時代劇をやっても人が入らず、過激な方向へ人気のある劇画の方向へと作り手の目が行ってしまったのだろう。その結果として『子連れ狼』や『御用牙』などのアバンギャルドな作品が作られたのだろう。当時の人がいきなりこれを観させられたらどんな風に感じたのだろうか。シリーズが数年の内に6本も作られたのだからヒットしたのだろうが、このペースも一種のやけくそを感じないでもない。

 基本設定は1作目で説明されたので、今作はなんの説明もなく拝一刀が虚無僧姿の裏柳生と対決するシーンから始まる。荒野の向こうから走ってくる虚無僧。刀を抜いて拝一刀に斬りかかろうとするがあっさりと交わされ虚無僧の被っている駕籠ごと額を胴太貫で割られる。しかし、額に食い込んだ胴太貫を白刃取りする。そこへ虚無僧の後ろから別の虚無僧が現れ前の虚無僧の肩に飛び乗るとジャンプして上空から襲ってくる。ジェ、ジェットストリームアタック!?お前らドムか?だがその奇襲も、乳母車のパーツから槍を取り外すと一突きで決着が付いてしまう。
 世の中、雑魚ほど捨て台詞を残したがる物で「柳生一門は天下六十四州にまたがる。いずれへ行こうとも我らの手から逃れることは出来ぬ」と言い残して死ぬ。どうやら、前作で裏柳生の親玉は「おのれら親子がどこで何をしようがかまわん」とか言っていたが、その言葉をひるがえして命を狙うことに決めたようだ。世の中、偉い人の言うことほど当てにならないものはない。

 ストーリーは二つのストーリーが平行する形になっている。
 まずは裏柳生の命を受けて明石柳生の女頭領とその部下の女性達が拝一刀の命を狙ってくる話し。
 もう一つは、拝一刀が阿波藩から刺客の依頼を受けて、隣の藩に逃げた藍染めの職人を護送する公儀護送役三兄弟ごと抹殺して欲しいと言うもの。依頼料はなんと500両。前作でも刺客の依頼で500両もらっていたから子連れ狼の相場なのだろうが、いったい何に使っているのだろうか。服はヨレヨレで風体は冴えないし贅沢をしている様子もない。拝家再興をはかるために貯金しているのだろうか。

 明石柳生の戦い方はこれまたけったいで、角兵衛獅子に見せかけて襲ってくるのはまだ分かるのだが、川辺で歌を歌いながら大根を洗っていた娘さん達が大根で襲ってくるというのはどんなもんだろうか。この大根、投げつけられると乳母車の板など簡単に破ってしまう。なんと中に刃物が仕込んであるのだ。刃物を仕込むかそりゃ気がつかなかった。もちろん、どちらも拝一刀にあっと言う間に斬り殺されてしまう。
 生き残った女首領は裏柳生の力を借りて大五郎を人質に取ると底なし井戸の上から縄で吊す。ところが呼び出されてやってきた拝一刀は落とすのならば落とせ。親子二人冥府魔道を歩き始めた時から覚悟は出来ていると告げる。若山富三郎のドスの利いた芝居が堪能できる迫力あるシーンだ。

 そういった危機を乗り越えてついに公儀護送役三兄弟と巡り会い、砂丘で対決することとなる。砂丘?阿波藩から隣の藩に逃げた藍染め職人を護送するのだから地理的には四国だろう。砂丘あったか?
 なんてことはどうでもいいんで、拝一刀以外に三兄弟を狙うチンピラどもが大挙して砂丘に穴を掘って上にゴザを被せて隠れている。そして三兄弟との戦いが始まる。三兄弟はそれぞれ手甲鉤、トゲだらけの鉄の棍棒、トゲのある鉄拳を武器として使い、これがまだどれも倒した相手から血が出る出る。隠れていた穴といい血糊といい環境破壊もはなはだしい。ロケ地がどこかは不明だがかなりの規模の砂丘なので鳥取砂丘の可能性が高いだろう。今だったら規制が厳しくて絶対出来ない撮影だ。
 雑魚が片付いた時点で砂丘の頂上にすっくと立つ拝一刀。むすっとした顔がまた頼もしい。「参る」の一言で男たちは動き出す。
 一人は頭を見事にカブト割りにされてしまう。頭が左右に分割されてゆらゆら揺れている。そして血がピューピュー吹き出している。
 一人は拝一刀が投げた刀に腹を刺され絶命。残った一人は首筋を切られて、
「首が、わしの首が泣いているように聞こえる……」と言い残して死んでいく。もちろん首筋からは血がピューピューと噴き出し砂丘の砂を真っ赤に染めていく。だから環境破壊だってば。

 拝一刀と大五郎の入浴シーンや、船が沈没して脱出した後に明石柳生の女頭領を合わせた三人が全裸になって人肌で暖を取るシーンがある。後者では大五郎の可愛らしい局部が映っているが、これっていまとなっては児童ポルノ扱いだよねえ。海外版ではカットだな。入浴シーンなんて追われながら戦い続ける父子にとって数少ないやすらぎのいいシーンなんだけどねえ。

B001G9EBQS.jpg『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』(1972) 95分 日本

監督:三隅研次 製作:勝新太郎、松原久晴 原作:小池一雄、小島剛夕 脚本:小池一雄 撮影:牧浦地志 美術:内藤昭 編集:谷口登司夫 音楽:桜井英顕 助監督:辻光明
出演:若山富三郎、富川晶宏、露口茂、真山知子、藤田佳子、内田朝雄、渡辺文雄、伊藤雄之助、語り:小林昭二

 拝一刀は公儀介錯人である。しかし、その立場を狙った裏柳生の陰謀により我が子大五郎と共に浪人として腕を貸す刺客の流れ者になっている。
 彼の噂を聞いたある大名の家来が拝一刀に依頼をする。そのため、悪党どもが根城としている湯治場へ乗り込んでいく拝一刀であった。
 依頼をした侍には二人の部下がいて、拝一刀の腕試しをするため死を覚悟で後ろから斬りかかり案の定殺されてしまう。その覚悟、武士だなぁ。

 中盤までは、すでに流れ者になった拝一刀と大五郎の様子と、裏柳生の陰謀の様子が交互に描かれる。そのため展開がちょっとゆっくり目だ。
 大五郎以外の一族郎党を全員殺されてしまった拝一刀は裏柳生に復讐を誓い、冥府魔道を選ぶことを決めるが、そこに大五郎を連れて行くかどうかというシーンがある。
 まだ幼い(2歳ぐらい?)大五郎の前に色鮮やかな鞠と胴太貫という名の日本刀を置いて、自分でどちらかを選ばせようというのだ。幼くとも身体に流れる拝家の血が教えてくれるはずだとか強引だ。鞠を選んだらあの世にいった母の元に送ってやる(つまり自分で殺す)、日本刀を選んだら共に冥府魔道を歩もうというのだ。最初は鞠に心をひかれる大五郎だが、ピカピカと輝く日本刀に目を移し結果そっちを選ぶ。まぁ大五郎にしてみれば選んだも何も自覚がないと思うのだが、拝一刀は「亡き母の方に行った方がお前には幸せだったろうに。不憫な奴」とやたら芝居がかって応える。養子に出すとかいった考えはなかったのかね。出しても暗殺されるだけか。自分で守るか殺すしかなかったということか。
 ちなみにこのシーンはB級映画の帝王ロジャー・コーマンの自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画を作りしかも10セントも損をしなかったか』の中で「わたしは心のなかでいった。すばらしいシーンだ。こんなシーンは、一生かかってもわたしには思いつけないだろう。このアイディアを考えた人間は狂気に近い才能を持つ天才にちがいない!」と褒めてるんだか微妙なんだか分からないことを言っている。ひょっとしてバカにしてないか?いや褒められてるんだな小池一雄。ちなみにコーマンは1作目と2作目を合わせて1本の映画に編集し「ショーグン・アサシン」というタイトルでアメリカ公開しヒットさせたそうだ。

 この作品の殺陣の特徴はやたらと派手なこと。斬れば血がバーッと噴き出す。斬られた手が飛ぶ足が飛ぶ、頭だって飛ぶ。これはもうスプラッターのレベル。13日の金曜日が1980年だからはるかに先を行っていますよ。槍が足をなぎはらうと身体だけ倒れて足だけ地面に立ってる、カメラに向かって画面一杯に血を吹き出す敵なんていいセンスだ。楽しくって仕方ない。1作目でこれだが、シリーズが進む毎にパワーアップしていくと言うから期待せざるを得ない。この良い意味での悪趣味さはタランティーノが大ファンだというのもうなずけます。
 若山富三郎の動きのキレが素晴らしくて、それを捕らえるカメラワークもきっちり考え抜かれている。さすが名匠三隅研次だけのことはある。名匠らしくやはりお色気シーンもちゃーんとある。
 裏柳生との一騎打ちでは西日を背にした裏柳生を相手に大五郎を背負った拝一刀。なに洒落てんねんといいたいところだが、西日を背にした相手との戦いは圧倒的に不利なはずが、実は大五郎の頭に鏡を着けてそれで日光をはじき返して隙を作り一刀両断と知恵も回る。ここら辺の発想が原作である劇画を思わせる。原作者の小池一雄は脚本も手がけており、劇画チックな点は他にもいくつもある。
 愛刀同田貫を奪われても、大五郎を乗せている乳母車から短刀や組み立て式の槍、さらに底には鉄板が張られていて鉄砲の弾をはじき返す。

 裏柳生の柳生烈堂役の伊藤雄之助がまた劇画チックで、劇画というよりも特撮物の首領と言った方が良いかも知れません。役作りが入り込みすぎてセリフが聞き取りにくいところまで言っています。それぐらい強烈なキャラクター。

B001IF79Y6.jpg『ランボー 最後の戦場』(2008) JHON RAMBO 90分 アメリカ

監督:シルヴェスター・スタローン 製作:アヴィ・ラーナー、ケヴィン・キング・テンプルトン、ジョン・トンプソン 製作総指揮:ランドール・エメット、ジョージ・ファーラ、アンドレアス・ティースマイヤー、フロリアン・レクナー、ダニー・ディムボート、ボアズ・デヴィッドソン、トレヴァー・ショート キャラクター創造:デヴィッド・マレル 脚本:シルヴェスター・スタローン、アート・モンテラステリ 撮影:グレン・マクファーソン 編集:ショーン・アルバートソン 音楽:ブライアン・タイラー
出演:シルヴェスター・スタローン、ジュリー・ベンツ、ポール・シュルツ、マシュー・マースデン、グレアム・マクタヴィッシュ、レイ・ガイエゴス、ティム・カン、ジェイク・ラ・ボッツ、マウン・マウン・キン、ケン・ハワード

 1980年代から戦い続けたランボーの旅もようやく終わりである。
 年を取り、もう死んだ魚の目もしていないがむやみにギラギラともしていない。設定ではドイツ人とネイティブアメリカンのハーフということになっているが、ヘアバンドがそのネイティブアメリカンっぽさを出している。

 タイで船を一隻持って悠々自適に暮らしていたランボーの元へアメリカのキリスト教ボランティアグループから接触がある。隣国のミャンマーに侵入して迫害されているキリスト教系現地人に物資を届け医師の治療を受けさせたいので船で運んで欲しいというのだ。いったんは断ったランボーだが、一団の女性に説得され結局船を出すことに。途中で海賊に遭遇する物のそれをなんとか切り抜けて無事に目的地に着いた。
 ところが、彼等が予定日を10日もすぎても戻ってこないのだという。今度は彼等を救出する傭兵を乗せてランボーは現地へ運ぶ。彼等がいた現地人の村が襲われ大半の物は殺され生き残った者も人質となっているのだ。決死の救出作戦が始まった。

 ミャンマーはご存じの通り軍事独裁政権の国で、民主化は弾圧され民主化指導者アウンサンスーチーさんが長く軟禁状態である。少数部族への弾圧も行われているようだ。昔はビルマと言ったのだが1989年に軍事政権がミャンマーと国名を改めた。国連や日本を始めとする他国もミャンマーに改めた。しかし、人権主義者達の間では今でもビルマが使われることがあり、この作品でも一貫してビルマが使われている。

 この作品でもランボー弓矢が大活躍をする。地雷を放り込んだ水田を捕虜に走らせて誰が無事に走るかビルマ兵が賭けているシーンで、そのビルマ兵を数十秒の間に全滅させる。
 そして自ら鉄を鍛えて作ったランボー包丁。マチェットにしては短く、長目の中華包丁と言った感じだ。これで敵をぐさりばっさりと叩き切る。鋭利な刃物と言った感じではなく鈍い刃で力任せに叩き切る。痛そうだ。どうせ刃物で殺されるのならば、オレは日本刀のような切れ味の鋭いのがまだいい。切れ味の悪いので力任せにバシュバシュってのはごめんだ。
 三番目はランボー機関銃。敵から奪った台座式の機関銃なのでランボーの名を付けて良いのか迷うが、終盤ではこれでバリバリと敵を撃って撃って撃ちまくる。頭が飛び、腕が飛び、足が飛ぶ。それぞれくっついていたらどうといういことはないが、バラバラだから大変だ。大口径の機関銃なので威力が半端じゃないスプラッター描写。
 今回のランボーは全体的に暴力描写が激しい。現地人がビルマ軍に襲撃されるシーンはまぎれもない惨劇で、女子供も容赦せずに打ち殺されたり刃物で切り刻まれたりしている。赤ん坊を火の中に投げ込むシーンまである。これまでより確実にレイティングは上がっているだろう。そこまでして書きたい物があったのだ。それは派手な戦闘シーン。映画史に残る派手な戦闘シーンが展開される。戦場には倫理観も道徳観もありはしない。生きるか死ぬかだ。
 残虐描写を見せつけられるが、これは観客の我々を戦争を甘く見て現地入りしたボランティアグループに重ねているのだろう。現実はそんなに甘くないぞ。
 スタローン自身がミャンマー問題にどれだけ感心を抱いているかは不明だ。本当に真剣にミャンマー問題に向き合うならば、このような戦争アクション映画にはならなかっただろう。たまたまランボーが暮らしていることになっているタイの近くのビルマが紛争地域だから使っただけで、別にアフリカの紛争地帯でも中近東の紛争地帯でも良かったのだろう。インタビューではどう答えているかは知らないが、ランボーを活躍させる場として選んだだけではないだろうか。
 ランボーは戦う。これまでのように強いられたり巻き込まれた形ではなく、自分の意志で戦うことを選ぶ。そしてその戦いの中でようやく本来の自分を取り戻す。
 映画のラスト、ランボーは生家に帰ってくる。『R.RAMBO』の郵便入れがついた牧場に向かってゆっくりと足を進めるランボー。
 おそらくベトナム戦争帰還後はしばらくいたのだろうが、戦争への悩みから家を飛び出し放浪者となって1作目に。2作目の後から4作目まではタイにいたようなので二十数年ぶりに帰ってきたのだ。きっと頑固者のパパ・ランボーに叱られ、ママ・ランボーに取りなしてもらうのだろう。あるいは二人とももうこの世の人ではなく、兄弟の家なのかも知れない。ランボーの旅は長かった。長すぎた。でもそれもこれで終わりだ、なんといっても『最後の戦場』なのだから。
 ……えっ、それは邦題だけで原題は『JHON RAMBO』と名前だけで“最後”とも何とも言っていないって。意外に評価が高かったし興行成績も良かったんでスタローンは続編を見当してるって?
 スタローン、もう休ませてやれよ。

B001K6SDKC.jpg『ランボー3/怒りのアフガン』(1988) RAMBO III 100分 アメリカ

監督:ピーター・マクドナルド 製作:バズ・フェイトシャンズ 製作総指揮:マリオ・カサール、アンドリュー・G・ヴァイナ 原作:デヴィッド・マレル 脚本:シルヴェスター・スタローン、シェルドン・レティック 撮影:ジョン・スタニアー 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:シルヴェスター・スタローン、リチャード・クレンナ、カートウッド・スミス、マーク・ド・ジョング、スピロス・フォーカス、サッソン・ガーベイ

 最初は『ハイランダー』シリーズのラッセル・マルケイ監督でスタートしたそうだが、スタローンと揉めて降板し代わりに『ランボー/怒りの脱出』で第2班監督(主にヘリコプターのシーン)を務めたピーター・マクドナルド監督作となったそうだ。お互いに個性が強い監督と主演なので無理もなかったのかも知れないが、観てみたかったぞラッセル・マルケイ版。

 映画はタイの格闘技場から始まる。この辺りを含めてこの作品はチャーリー・シーン主演の『ホットショット2』の元ネタの宝庫なのでぜひ観ておくように。『ホットショット2』を二倍にも三倍にも楽しめる。
 前2作では死んだ魚の目をしていたランボーが今作では瞳がキラキラと輝いている。寺の雑用をやっているようだが、やはり仏教は偉大なのだ。
 今回の任務では、ランボーの師匠トラウトマン大佐がアフガニスタンでソ連軍に捕らえられてしまったためそれを救出しにいく。これまでの作品で偉そうなことを言っていた割に情けないぞトラウトマン。しかも日本公開をほぼ前後して「ソ連軍アフガンから撤退」というニュースが流れたのはさすがにタイミングが悪かったぞ。
 アフガンでランボーをサポートする役はオサマ・ビン=ラディンをイメージしていたそうだ。ソ連の迫害にもくじけずに徹底して戦い抜く。武器屋にライフルと並んで義足が並べられているところは衝撃的だ。「
この辺りでは地雷で足を無くす人が多いんだよ。」後にアメリカ相手にも徹底して戦い抜くとは思いもよらなかったに違いない。最初はランボーをずぶの素人と思っていて、次第に戦場での信頼に結ばれていく様子は悪くない。
 『ランボー/怒りの脱出』にも増してバカ度だ進んでいく。ソ連の特殊部隊であるスペツナズの精鋭達を相手に、例によってランボー弓矢で勝ち進んでいく。ほんと無敵だな。ステロイドで鍛え上げられた肉体にはもはや銃弾も刃物も刃が立たない。1作目の断崖から飛び降りて負ってしまいランボーナイフの柄の部分に入っていた針と糸で縫った傷や、2作目のソビエト軍人に熱したランボーナイフで付けられた傷がちゃんと残っているのはシリーズを通して観ているとちょっと感慨深い。ガキの頃、欲しかったなぁランボーナイフ。今ではランボーナイフどころかカッターナイフがカバンに入っていただけで犯罪に使おうというのでもないのに警察に逮捕されてしまう世の中だ。まったく息苦しくてたまらない。
 前作で登場した戦闘ヘリハインドモドキが今回は2機も飛び回る。でも編集でごまかしているだけで実際は1機。意外とあっけなくやられてしまって迫力面では前作に劣っている。
 途中でアフガニスタン人達が子羊の死体を使って馬に乗って行うポロのような競技を行う。もちろんそれに参加するランボー。同じようなスポーツは命がけアクション映画『天山回廊』(1987)にも登場していた。アジアには実在するスポーツなんだろうか。
 そしてラストには「このえいがをアフガンの戦士達に捧げる」とのクレジットが出る。でも、彼等の現在の標的はアメリカなのだ。

B001K6SDK2.jpg『ランボー/怒りの脱出』(1985) RAMBO: FIRST BLOOD PART II 96分 アメリカ

監督:ジョルジ・パン・コスマトス 製作:バズ・フェイトシャンズ 製作総指揮:マリオ・カサール、アンドリュー・G・ヴァイナ 原作:デヴィッド・マレル 原案:ケヴィン・ジャール 脚本:ジェームズ・キャメロン、シルヴェスター・スタローン 撮影:ジャック・カーディフ 編集:マーク・ゴールドブラット 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:シルヴェスター・スタローン、リチャード・クレンナ、チャールズ・ネイピア、ジュリア・ニクソン、スティーヴン・バーコフ、マーティン・コーヴ、ジョージ・チェン、アンディ・ウッド

 1作目の鬱屈したところがすっかり無くなってバカ戦争アクション映画へと変貌を遂げた第2作。
 1作目の罪で刑務所の作業場である採石現場で働くランボーの元にトラウトマン大佐がやってきて、「お前に任務がある。これをやれば自由になれるぞ」とランボーを再びベトナムへと連れ出す。
 任務とはベトナムの捕虜収容所の写真を撮ってきて戦闘時行方不明者MIAが囚われていないかを調べてくると言うもの。CIA担当官の命令は決して戦闘を行ってはならず、ただ写真を撮ってくるだけ。ところがランボーは収容所で見つけた捕虜を連れ出して合流地点に現れる。CIA担当官は「作戦は中止だ、即刻ヘリを引き上げさせろ」とランボー達のすぐ上空に来ていた救出ヘリを引き上げさせる。
 ランボーは捕らえられ、ソ連軍兵士によって拷問を受ける。だが、そのまま屈してしまうランボーではない。隙を見て逃げ出すと、ソ連軍とベトナム軍に単身復讐を始めるのであった。

 1作目の原題は『FIRST BLOOD』で邦題は『ランボー』。その日本で大ヒットしたのでこれは主人公の名前をタイトルに使った方が良いと言うことで『RAMBO: FIRST BLOOD PART II』になったという話しを聞いたことがある。スタローンには主人公の名前がタイトルの人気シリーズ『ロッキー』があるしどこまで本当なのかは不明。アメリカ側が多少日本をよいしょ発言してくれたのかも知れない。
 スタローンにとっては同じ年に『ロッキー4』があり人気の絶頂期。そしてその後一気に落ちていくのを予感させ始めた頃だった。ステロイドで肥大化させた肉体は彼の肥大化した自我を表しているようであり。どちらの作品もソ連を敵とした愛国映画で、観客はともかく批評家の受けは悪かった。ゴールデン・ラズベリー賞、通称ラジー賞の常連になるのもこの頃から。
 だが単純に善悪がはっきりしていて、今回は州兵ではなく精鋭部隊を相手にまたもや一人また一人と音もなく殺していく様はまさに殺しのプロ。1作目にあった戦争批判は姿を消し、ランボーは捕虜奪還という名目のために殺して殺して殺しまくる。
 しかも今回は秘密兵器も登場する。弓矢だ。弓道で使うような洗練された物ではなくて黒くてゴツイ金属製のまさに殺しのための武器。音もたてずに攻撃でき敵に気づかれないから単独行動での任務に向いているのだ。この弓矢、なにがすごいったって撃っても撃っても矢の数が減らないのがすごい。矢尻に爆薬が仕掛けられたのもあり、出撃前の準備のシーンだと4つだけだったはずが10本近くは撃っている。撃ちすぎだろ。しかも矢尻に入っている火薬なんてたかが知れていそうなものだがどっかんばっかん大爆発。
 敵は敵でヘリコプターから妙な爆弾を落として滝が大爆発。映画の撮影とは言え環境汚染じゃない?

 脚本は『ターミネーター』を撮った直後のジェームズ・キャメロン。時期的には『エイリアン2』(1986)の脚本を書いていた時期と近い。それを元に新たにスタローンが手を加えたのが実際に使用された脚本。どれだけ変更点があったのか、オリジナルの脚本はどんな物だったのか一度見てみたい。製作総指揮に後に『ターミネーター2』(1991)を手がけるマリオ・カサールがいるが、これが縁で知り合ったのだろうか。
 ラスト、ランボーはソ連軍のヘリを奪い捕虜収容所を襲撃して、捕虜全員を乗せると基地に向かって飛び立つ。
 ジャングルの上を飛ぶヘリ。ここでホッと一息。やれやれこれで大丈夫だ。大丈夫だ……これはジェームズ・キャメロン脚本だぞ。というわけでやはり出ました最後の強敵ハインドモドキの大型攻撃ヘリ。やっつけてもやっつけてもさらに強い敵が出てくるのはキャメロン脚本の法則。
 このハインドモドキは輸送ヘリを改造したものだそうだが、チャック・ノリスの『ブラドック/地獄のヒーロー3』(1988)に登場するのもこのヘリの使い回しだろうか。多分、チャックさんの映画でそこまでの物を独自で作れるとは思えないのだが。
 監督は『カサンドラ・クロス』のジョルジ・パン・コスマトス。翌年の『コブラ』(1986)でもスタローンと組むことになる。

B001K6SDJS.jpg『ランボー』(1982) FIRST BLOOD 94分 アメリカ

監督:テッド・コッチェフ 製作:バズ・フェイトシャンズ、シルヴェスター・スタローン 製作総指揮:マリオ・カサール、アンドリュー・ヴァイナ 原作:デヴィッド・マレル 脚本:シルヴェスター・スタローン、マイケル・コゾル、ウィリアム・サックハイム 撮影:アンドリュー・ラズロ 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:シルヴェスター・スタローン、リチャード・クレンナ、ブライアン・デネヒー、ジャック・スターレット、デヴィッド・カルーソー、ビル・マッキーニー、マイケル・タルボット、クリス・マルケイ、デヴィッド・クローリー、ドン・マッケイ

 アメリカ北部。ホリデーランドという名の田舎町に一人の男が現れた。その名の通り暖かく楽しそうなその街の保安官は彼を見つけるとどこへ行くのかと尋ね、ポートランドだと聞くとパトカーに乗せてポートランド側の街の外れに連れて行った。
「食事がしたいのだが」「道路沿いに50キロ行くと食堂がある」
 そしてパトカーは街へと引き返すが、バックミラーを覗いた保安官は男が待ちに足を向けて歩き出したのに気づく。男を浮浪罪で逮捕すると保安官の助手達が地下の留置所でホースで水をかけて身体を洗ったり、無理矢理に押さえつけてヒゲを剃ろうと試みた。
 その時である、その男ジョン・ランボーがどれだけ夜を重ねても忘れられないベトナム戦争での悲劇が甦ったのは。ベトナム軍の捕虜となり拷問されたことを思い出したのは。
 ランボーはバイクを奪うと、保安官のパトカーの追跡を逃れて山に隠れ入る。たかだかナイフ一本持っただけの男などすぐに捕まえられると簡単な気持ちでいた保安官たちは手痛い反撃を受けることになる。

 ランボーはグリーン・ベレーの隊員で名誉勲章も受けたベトナム戦争の英雄。だが、今ではそのベトナム戦争で受けた心の傷が癒えることなく、受け入れてくれる人がいないために社会に溶け込むことも出来ずに孤独に生きるままの戦争後遺症患者。
 終盤で元上官のトラウトマン大佐に泣きつくシーンのセリフは原作にはなくスタローンの手によるものとか。「戦場では100万ドルの兵器を扱わせてくれた。それが今では駐車場係の職もない」「ベトナムには戦友がいてお互いに助け合っていた。ここには誰もいない」などなど名愚痴セリフだろう。でも泣きついている相手のそのトラウトマン大佐がお前をそんな風にしたんだよ。
 1作目の段階では『ランボー』は戦争映画ではなくアクション映画で、反戦映画でもあった。スイスのアメリカン・スクールに在籍中だったのでベトナム戦争に徴兵されなかったスタローンがやるのはどうかなとちょっと思うが。ステロイドによる筋肉モリモリが目立つのは次回作の頃からで、この時は普通に良い体格程度。ここでとどめておいても良かったのに。逃げる途中で負った傷を後のシーンで痛がるランボーが登場するが、後のランボーだと眉をしかめて終わりだな。
 トラウトマン大佐を演じたリチャード・クレンナは脇役中心の俳優だが、オレは一つだけ主演作品を知っている。タイトルは『犯られた刑事』(1985)。そのタイトル通りに中年刑事が犯罪者にホモレイプされてや犯られてしまう。そのことでレイプ被害者の気持ちを知りレイプ犯罪に真剣に戦い始めるといったないようだった。気がする。『ランボー/怒りの脱出』(1985)のどさくさでビデオ化されたのを20年以上前に観た記憶がある。

 ジャングルでのゲリラ戦になったランボーの強いこと強いこと。本気を出していないのに保安官助手たちを一人一人と確実に戦闘不能にしていく。中でも痛そうなのが木のスパイクを埋め込んだ跳ね返り式のトラップ。足を踏み出すと曲げてあった枝が伸びて向かってきて細い木の棒が足を貫通する。抜く時も木のささくれがあって痛そうだ。あれなら素直にナイフで刺された方が良い。実際のゲリラ戦ではそのスパイクに糞尿を塗ることで傷口を化膿させたと言うから怖ろしい。
 公開時のキャッチコピーは1対1000みたいなことを言っていたが、そんな大群を相手に戦うシーンはない。相手の人数も映画内の設定で200人程度のようだ。一騎当千的な語呂の良さがあって1対1000になったのだろうか。
 その200人の兵士もプロの兵士ではなく州兵。この作品では「パートタイマーの俺たちが」とか「明日には薬局の仕事に戻らないと」との発言があり、州兵を題材にした映画『サザン・コンフォート/ブラボー小隊 恐怖の脱出』(1981)でも他に本職があり年に何度か集まって訓練を受けるといった内容だった。専属の職業軍人ではなく必要な時に借り出される存在なのだろう。だとしたら、そんな連中がランボーに敵うはずがない。

 最後まで針葉樹の森林の中で物語が進んだと記憶していたので、終盤になってランボーがホリデーランドにM60を抱えて乗り込んできたのに驚いた。トラウトマン大佐に泣きつくシーンも森の中だと思い込んでいたんだがな。相変わらずいい加減な記憶。
 そしてランボーは街を破壊し始め、怒った保安官との対決。というか、保安官はそんなにひどいことしてないんだよな。お前は怪しい奴だからオレの街には入ってくるなというのはショックだったかも知れないが、実際に冒頭のランボーは怪しいからな。特に目が死んだ魚の目だ。
 保安官役は『F/X』シリーズなどのブライアン・デネヒー。頑固そうな面構えに胸回りも腹回りも大きな体格。身長もあって今回の保安官や警官役を演ずることが多い。
 音楽のジェリー・ゴールドスミスはエンディングで流れる主題歌『It'S A LONG ROAD』の楽曲も手がけていて、いつもの調子と違ってちょっと意外。作品を象徴する良くできた主題歌だ。

B001O957PE.jpg『X-ファイル:真実を求めて』(2008) THE X-FILES: I WANT TO BELIEVE 105分 アメリカ

監督:クリス・カーター 製作:クリス・カーター、フランク・スポトニッツ 製作総指揮:ブレント・オコナー 脚本:クリス・カーター、フランク・スポトニッツ 撮影:ビル・ロー 編集:リチャード・ハリス 音楽:マーク・スノウ
出演:デヴィッド・ドゥカヴニー、ジリアン・アンダーソン、アマンダ・ピート、ビリー・コノリー、アルヴィン・“イグジビット”・ジョイナー、ミッチ・ピレッジ、カラム・キース・レニー、アダム・ゴドリー、アレックス・ディアカン、ニッキー・エイコックス

 地味だな?。TV版のファンから言わせるとUFOとかモンスターを扱いながらも基本的に地味なところがいいのかもしれないがせっかくの映画版ぐらい派手にやってくれても良いのに。
 女性FBI捜査官が行方不明になり、彼女のことを天からのビジョンで観たと言ってくる神父。神父が知らせる節減を掘ってみると一本の男性の腕が出てきた。神父は本当に神の啓示を受けているのか?しかし神父は小児性愛の罪で破門の身となっており罪を背負っていた。
 奇妙な事件なら奴らに任せておけとばかりにFBIを退職していたモルダーとスカリーが呼び戻される。スカリーは悲しみの聖母病院というキリスト教系の病院で医師として働いているが、モルダーは人里離れた一軒家で隠遁生活を送る世捨て人状態。FBI時代の給料もそれほど高くはなかったと思うがどうやって生計を立てているのだろうか。
 TVシリーズに関しては若干観た程度なのでファン向けのネタも仕込まれているのだろうが、モルダーがヒマワリの種を食ってるのと上に向かって放り投げた鉛筆を天井に刺していることぐらいしか分からない。
 まんまと神父の口車に乗るというか言うことをすっかり信じてしまうモルダーに対し、スカリーは聖職を取り戻すための手段だろうと冷たい眼差し。だが、ついに二人目の犠牲者が出て二人とも血液型がABRh-という珍しいものだったから臓器売買が浮かび上がる。だが、真実はさらに怖ろしいものだった。

 TV版で充分なストーリー。映画なのに前作『X-ファイル ザ・ムービー』(1998)の蜂の大群のような映像的見せ場もなく、冬の雪景色の閉塞感の中映画は進む。
 XファイルではなくFBI物として考えると、猟奇的な犯人と彼等に捕らえられた人質を追う捜査官達の様子が『羊たちの沈黙』を思わせなくもない。
「あきらめるな」と神父から言われたスカリーが自分が今担当している不治の病の少年に対する態度を問われているかのように感ずるシーンは秀逸。神父は自分がどんなつもりで言ったのか覚えていないが、スカリーはついに少ない可能性にかけて幹細胞治療を試みることを選択する。これは少年に地獄の苦しみを味合わせることになる治療法なのだ。「I WANT TO BELIEVE」はそんな神父の言葉を信じたいスカリーのセリフなのかも知れない。
「もう安らかに死なせてやって下さい」と言ってくる両親を説き伏せてまでスカリーは手術に挑む。

 シリーズが始まったのが1993年。さすがに二人とも老けた。ベッドシーンがあるがちょっと意外。二人は恋人関係ではないと思っていたのだが。

B001UR4EN6.jpg『惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!』(1953) INVADERS FROM MARS 78分 アメリカ

監督:ウィリアム・キャメロン・メンジース 製作:エドワード・L・アルパーソン 脚本:リチャード・ブレイク 撮影:ジョン・サイツ 音楽:ラオール・クロウシャー
出演:ヘレナ・カーター、アーサー・フランツ、ジミー・ハント、リーフ・エリクソン、ヒラリー・ブルック

 トビー・フーパー監督の『スペースインベーダー』(1986)のオリジナルであるこの作品は、パッケージ裏の説明によると地球侵略SFとしては世界初のカラー作品なのだそうだ。どうやらテクニカラーのようで、オープニングクレジットは宇宙を背景に真っ赤な文字でタイトルやキャスト名が映し出される。この赤がテクニカラーだけあって鮮やか。オレが持っているのは定価1000円の安DVDで画面に線や汚れが入っていたりとお世辞にも良い状態ではないが、それでもこの鮮やかさは見て取れる。4月末に1500円の『惑星アドベンチャー/スペース・モンスター襲来!』が発売されるようだが定価が1.5倍と言うことで少しは画質が改善されているのだろうか。あまり変わらないか。

 少年の部屋は丘を見下ろす場所にある。天文学が好きな少年は望遠鏡で夜空を眺めるのが趣味だった。そんなある日、轟音と共に空飛ぶ円盤が丘の向こうに降りていくのを目撃した少年は、そのことを父親と母親に告げる。まったく信じない両親だが、父親は念のために丘を確かめに行く。そして帰ってきた時、父親はまるで別人のような性格になっていた。
 1950年代に流行った侵略SFの一つ。ドン・シーゲルの『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』が1956年。ハワード・ホークス製作の『遊星よりの物体X』が1951年。そういえばどちらもモノクロだ。今回の敵は火星人。火星には生命が生きられる大気がないので宇宙船を作ってその中で暮らしているというトンデモ理屈。じゃあ宇宙船を作るまではどうやって生存していたんだよ。そして地球人が宇宙開発を始め、将来的には自分たちの脅威になると考えて先んじて襲ってきたのだ。
 映像だけではなく音楽もなかなか凝っていて、人が丘に近づいていくとなり始めるウワーウワーウワーウワーのコーラスがぞくっとするほど怖い。
 人は丘の上にある砂地に飲み込まれるのだが、底に穴を開けて砂を落として作った蟻地獄状の物を移したカットと、人が穴に落ちるカットをつなげて、モンタージュで蟻地獄に落ちたように見せている。この落ちるシーンが微妙に間抜けで、両手を上に上げてウワーァと落ちていく様子はバラエティ番組の罰ゲームで落とし穴に落ちるところにちょっと似ている。
 こうして砂地に落ちた人々は後頭部に金属片を埋め込まれそれによって操作される。家に放火して燃やしたり、工場を爆破したり。少年の父親もロケット工場の技師なのだ。この辺りにはやはり共産主義への恐怖があるのだろう。身近な人の中に共産主義者がいて彼らがサボタージュを行う。まさにそのまんまである。そして用済みとなった人間は金属片によって脳出血を起こされて殺されてしまう。使い捨て感覚で取りあえずエコではない。愛するものが突然異質なものになってしまう恐ろしさを存分に描いている。

 終盤は砂地の下にある円盤の中に米軍が突入しての戦い。
 宇宙人はバスケットボールを一回りか二周りぐらい大きくしたガラス球に入った上半身だけの銀粉メイクをした小人が親玉で頭脳の役割を果たす。手足の役割を果たすのは緑の全身タイツを身にまとった大男のミュータントたち。知能は低いがライフルで一斉射撃を受けてもなかなかしなないタフぶりで軍を悩ませる。
 パッケージだとまるでダースベーダーのようだが、しょせんは脇役である。パッケージといえばエイリアンよりも人間たちのイラストのほうが怖い。

 ラストは夢オチ+二段オチ。リメイク版でもこれは踏襲されていた。「なんちゅーオチじゃ」と思っていたが元祖がそうなのね。
 劇場未公開でテレビ放映されたままだったのを、『スター・ウォーズ』(1977)からのSFブームに乗っかって日本で初公開されたのが遅れに遅れ26年遅れの1979年だったとか。観てないけど便乗だなぁ。今でこそ古典SFという見方が出来るけど、1979年に劇場でこれを観させられていたら少年期のオレはどう思ったものだろうか。

B001LM18BQ.jpg『PLANET OF THE APES 猿の惑星』(2001) PLANET OF THE APES 119分 アメリカ

監督:ティム・バートン 製作:リチャード・D・ザナック 製作総指揮:ラルフ・ウィンター 原作: ピエール・ブール 脚本:ウィリアム・ブロイルズ・Jr、ローレンス・コナー、マーク・ローゼンタール 撮影:フィリップ・ルースロ SFX:ILM 特殊メイク:リック・ベイカー 音楽:ダニー・エルフマン
出演:マーク・ウォールバーグ、ティム・ロス、ヘレナ・ボナム=カーター、マイケル・クラーク・ダンカン、エステラ・ウォーレン、ポール・ジアマッティ、ケイリー=ヒロユキ・タガワ、デヴィッド・ワーナー、リサ・マリー、エリック・エヴァリ、ルーク・エバール、エヴァン・デクスター・パーク、グレン・シャディックス、クリス・クリストファーソン、チャールトン・ヘストン、マイケル・ワイズマン

『猿の惑星』のリメイクではない。映像の鬼才ティム・バートン監督によるリ・イマジネーション(再創造)である。
 時は2029年。米軍宇宙基地でチンパンジーによる飛行訓練が行われていた。年代から考えて近くにある輪を持った惑星は土星だろう。そこへ謎の磁気嵐が襲ってくる。磁気嵐の正体を探るためチンパンジーが操縦するカプセルを打ち込みが行方不明になってしまう。そこで、チンパンジー教育係の大尉(マーク・ウォールバーグ)は独断で自分もカプセルで飛び立つ。磁気嵐に巻き込まれて船内時計がどんどん進んでいく。ようやく安定と取り戻したと一息入れるまもなくカプセルはとある惑星に着陸する。そこは猿類が人類を支配する『猿の惑星』だった。

 この作品では人間は普通に喋る。知能もそれなりに高い。1作目のオチが有名すぎるのでその辺りは変更されているのだ。
 未来なのは確かだが、ではいつかというと明らかではないこの猿社会。そこには人間の権利を守れと主張する人権擁護団体もあったりする。ありがたや、ありがたや。だが、基本的には人間は奴隷で金銭で売買され猿に尽くす存在である。それか野生で原始人のような暮らしをするかどちらかだ。
 猿社会は元老院性でチンパンジーとオランウータンが主に元老院議員を務めている。ゴリラは主に軍人なのはシリーズを通して変わらない。ただ実際の動物学の知識も持ち込まれているようで、ゴリラは温厚な動物、チンパンジーはすぐにキレる動物と書き分けられている。オランウータンは呑気。

 終盤では主人公を探しに来た母船が磁気嵐に巻き込まれて主人公よりも前の時代に不時着していたことが分かる。そして船内にいた猿が反乱を起こして『猿の惑星』は作り上げられたのだ。だから人類も迫害こそ受けたものの言葉を失っていない。
 猿が禁断の地として呼ぶ“カリマ”が“動物研究区画”だとわかるシーンはちょっと『スター・トレック』の1作目の“ビジャー”を思い出させてぞくり。

 猿が捕らえた人間に押す十字架に似た焼き印が母船のフォルムを思い出させるが偶然だろうか。
 敵役セード将軍(ティム・ロス)の父親が死ぬシーンで窓の飾りが同じ模様だがこれも偶然だろうか。ちなみにその父親役でチャールトン・ヘストンが猿メイクで出演している。1作目から三十数余年、ついにチャールトン・ヘストンも猿になったのだ。
 この三十年で特に進歩したのが猿の特殊メイク。これは時代の差というよりも一人の男の差と言うべきかも知れない。猿の特殊メイクが何より好きで、1976年のリメイク版『キングコング』では彼の特殊メイク以外見るところなしと言わしめた天才特殊メイクアーティストのリック・ベイカーが手がけているのだ。
 これまでは半口程度までしか開かなかった猿の口を大きく開けて叫ばせたり、旧シリーズでは塞がっていた鼻の穴をちゃんと開けて見せてくれる。細かな表情まであるのだ。
 ほかにも、これはティム・バートンの力もあるのだろうが、猿がちゃんと猿らしい動きをする。逆さまにぶら下がったり、足で字を書いたり、木から木へと飛び移ったりなどなどだ。旧シリーズでは身振りを猿っぽくしていただけだから大きな進化と言って良い。

 セード将軍は怖い。残忍な野心家でティム・ロスの演技も合わせて憎たらしいキャラクターとなっている。それにしても『レザボア・ドッグス』のオレンジで世に出たティム・ロスだが、意外と悪役が多くないか。
 オチはいらないな。蛇足蛇足。

B0012P6CCC.jpg『最後の猿の惑星』(1973) BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES 87分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:アーサー・ジェイコブス 原案:ポール・デーン 脚本:ジョイス・フーパー・コリントン、ジョン・ウィリアム・コリントン 撮影:リチャード・H・クライン 音楽:レナード・ローゼンマン
出演:ロディ・マクドウォール、ナタリー・トランディ、セヴァン・ダーデン、ジョン・ヒューストン、クロード・エイキンス、ポール・ウィリアムズ、リュー・エアーズ、コリーン・キャンプ、フランス・ニュイエン、オースティン・ストーカー、ボビー・ポーター、ジョン・ランディス

 エンドクレジットのキャスト名を読んでいたらJake's Friendという役名で『ブルース・ブラザース』(1980)などの監督ジョン・ランディスが出演していた。ジョン・ランディスの監督デビュー作となる自主制作映画『シュロック』(1971)で主演の猿人シュロックを自ら演じていたのでこちらも猿の役なのだろうか。映画界に入ったきっかけは『猿の惑星』シリーズを制作した20世紀フォックスのメールボーイだったというから縁もある。まだ『ケンタッキー・フライド・ムービー』(1977)すら撮っていないスタントマンや端役で食っていた頃の話し。

 物語は一端遠い未来の2670年から始まる。オランウータンの立法者がこれまでの粗筋を語ってくれる。この立法者を演じているのがなんと監督・俳優として有名なジョン・ヒューストン。特殊メイクで顔は分からないが、声が相変わらず渋い。
 5作続いたシリーズもついに完結編。原題は『BATTLE FOR THE PLANET OF THE APES』となっているところを邦題が『最後の猿の惑星』となっているからには米20世紀フォックスから「本当にこれで最後だから」とはっきり言われていたのだろう。これでもし大ヒットしてやっぱり続編を作るなんてことになったら邦題はどうしたのだろうか。『まだまだ続くよ猿の惑星』ではザ・ドリフターズの主演映画みたいだ。

 前作で人間に反乱を始めた猿達とは本格的な戦争になったようだ。都市は核兵器で破壊され、建物は熱で歪み灰で満ちあふれている。あるいは猿とではなく人間間で戦争が起こったのだろうか。
 主人公のチンパンジー・シーザーは猿と人間を率いて共同で暮らす村を作り上げていた。そこでは人間が格下ではあるものの奴隷とまではいかない存在として平和に暮らしていた。ところが、シーザーが両親の会話が記録されているビデオテープを見るために自ら禁断の地と定めていた都市へ行ったことから状況は一変する。都市には核戦争を生き延びた人間がミュータントとなって地下で暮らしていたのだ。ミュータントといっても『続・猿の惑星』に出てくるミュータントのような超能力は使えないので皮膚がケロイド状になっているぐらいでしかなく、多くの者は病気で寝込んでいる。
 シーザー達が自分達を滅ぼそうとしていると思い込んだミュータント達は、先手必勝とばかりに後を付けて猿の村の位置を知ると、軍隊を作り上げて攻撃に送り込んだ。
 こうして猿対ミュータントの世界の覇権をかけた戦いが始まった。

 と書くと壮大な物語のようだが、正直しょぼい。ミュータントの軍隊といっても数台のジープにスクールバスぐらいしか車両がないし、人数もせいぜい数十人。
 迎え撃つ猿側も同じく数十匹ぐらい。しょせん“村”だし。『猿の惑星 征服』よりも匹数が減っているというのはどんなもんなんだろう。
 だから戦いもお互いに鉄砲を撃ち合うだけの局地戦的な物。派手でもなければ迫力もない。『ナバロンの要塞』(1961)を手がけたJ・リー・トンプソンでも少なそうな予算ではこれが限界か。
 しかし、場所は北アメリカ大陸なのだろうが、アメリカといっても広いだろうしヨーロッパやアジアなど他の地域はどうなっているのだろうか。この作品だけ観ると、もう猿達もミュータント達も世界中に残っているのは映画に登場する数だけみたいだ。残りは全滅してしまったのか?単にスケール的な問題で世界全体を描けないだけだが。
 ちなみに「12年間の平和」というあるミュータントのセリフがあるので前作のラストから十数年後であることが分かる。
 出撃してきたミュータントをやっつけて、これで1作目へと続く輪が完成したのだろうか。ところがそうなってはいない。
『新・猿の惑星』でタイムトラベルが行われた。1作目の主人公テイラーが爆発させたコバルト爆弾によって未来の地球が吹き飛びそのエネルギーでチンパンジーのコーネリアス達が1970年代にやって来たのだ。そして、コーネリアスの息子シーザーが猿を反乱へと導き人間の奴隷から解放した。そして時は過ぎ、人間は言葉を失い猿に支配される惑星にテイラーが現れる。
 テイラーがコバルト爆弾を爆発させたのは地球が猿の惑星になっていたからだし、猿の惑星になったのはテイラーがコバルト爆弾を爆発させてコーネリアス達を過去へ送ったから。これはどちらが原因でどちらが結果なのだろうか。いわゆるタイムパラドックスというやつである。タイムトラベル物に付き物とも言っても良いこのタイムパラドックスをこの作品では新たな未来を生じさせるという方法で解消している。時間の流れを分岐させることで時間の輪を壊したのだ。
 それは猿と人間、そのどちらかが他方の上になるのではなく平等に共存共栄していくという未来だ。そして映画はまた2670年に戻り、立法者が猿と人間の子供たちに教え聞かせていたのだと分かる

 前作で人間に対し反乱を起こし、その時に語ったことと比べるとシーザーが平和主義者になっており、逆に人間を奴隷にしようとも倒そうとも思っていないところは統合性が取れていないがシリーズを無事に着地させるために必要な変更だ。

B000VRXIEW.jpg『猿の惑星・征服』(1972) CONQUEST OF THE PLANET OF THE APES 88分 アメリカ

監督:J・リー・トンプソン 製作:アーサー・ジェイコブス 脚本:ポール・デーン 撮影:ブルース・サーティース 音楽:トム・スコット
出演:ロディ・マクドウォール、ドン・マレー、リカルド・モンタルバン、ナタリー・トランディ、セヴァン・ダーデン、ハリー・ローデス、ルー・ワグナー、ジョン・ランドルフ

 舞台は前作から20年が過ぎた1991年の近未来。人間の追跡の手を逃れたマイロも成長し立派な青年チンパンジーとなっている。サーカスの興行宣伝のため座長と一緒に大都市を訪れたマイロはそこで人間に奴隷として虐げられている猿達を見てショックを受ける。
 1983年に宇宙船が持ち帰ったウイルスで犬と猫は絶滅してしまった。そこで人間は猿をペットとしたのだが、訓練すれば雑用を行わせることが出来ることが分かり、訓練して召使いとして使っているのだ。猿の体格は大きくなりチンパンジーでも人間成人と同じくらいの体格になっている。その割にはゴリラも同じぐらいの大きさなのはちょっと納得がいかないが人間が特殊メイクで演じているのだから仕方ない。設定としても無理はあるが、猿の数がが揃ってくれないと“征服”が始まらないのでこれも仕方ないか。でも人間の側で教育したら猿が進化するのならば今頃“日光猿軍団”は本物の『猿の軍団』になっている。。(『猿の軍団』とは『猿の惑星』のヒットにあてこんで作られた「未来世界は猿が支配している」という70年代中盤の日本のテレビ特撮番組。小松左京など3人のSF作家が原作を務めた。)反省猿の次郎も反省なんかしていない。
 虐待を受ける猿を見て思わず叫んでしまったため喋る猿と疑われたマイロは逃げ出して輸入されてきたばかりの猿の貨物に潜り込む。そして知事に買われ召使いとして働き始めたマイロはシーザーと名付けられる。座長が拷問の末に事故死したことを知ったシーザーは、人間に対し反乱を起こすことを決意し、少しずつ武器と仲間を集めていく。

 成長したマイロを演ずるのは前作までに父親役のコーネリアスを演じたロディ・マクドウォール。親子二代を演ずることとなる。オレがロディ・マクドウォールと出合ったのは『フライトナイト』(1985)。かつて怪奇映画でヘルシング教授のようなバンパイアハンターを演じていた役者が、主人公の少年を助けて本物の吸血鬼と戦うと言った映画でなかなか面白かった。その後、ジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』(1941)で可愛らしい少年役を演じているのを観て昔はこんなだったのかと驚いた。
『猿の惑星』シリーズでは特殊メイクをしているので素顔が分からない。あまり優れているとは言えないメイクなりに怒りや悲しみを見事に表現している。やはり演技力のある人なのだろうが、前にも書いたがこのような役は有名になったとしても俳優としてはどのような気分なのだろうか。

 製作当時としては近未来となる1991年はビル街で撮影されている。おそらくかなり限られた箇所だけでの撮影をそれほど感じさせず、スクリーンの中にちゃんと近未来都市を映画の中に作り上げている。屋内シーンもセットは少なく屋内ロケが多そうだ。どうやら撮影面では想像以上の低予算で撮ったのだろう。その辺り監督のJ・リー・トンプソンは上手いものだ。
『続・猿の惑星』以降は1年に1作のハイペースでシリーズは作られた。安上がりに作っても上映すればそれなりに客が入り20世紀フォックスにとってありがたい存在だったはず。
 その分と言ってはなんだが、前作では3匹しか登場しなかった猿だが今作では終盤の人間への反乱シーンでは数十匹単位の軍団となっている。まさに『猿の軍団』である
 アップにならないような猿はそれこそエイプマスクと手袋だけの簡単な特殊メイクだったろうが、数がいるとそれなりの迫力である。
 シーザーの味方とまではいかないが途中で助けてくれる人間がいる。その人物がかつて先祖が奴隷として虐げられていた黒人であることからも、やはりこれは奴隷階級の人々が救世主によって立ち上がり反乱を起こすという普遍的テーマの作品であることが分かる。

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