2008年12月アーカイブ

ppks.jpg スクリーンへの登場数はそれほど多くないが抜群の知名度を誇るのがワルサーPPKである。いや、今となっては誇ったかなぁ。
 この銃の名を高めたのは人気シリーズ『007』の一作目『ドクター・ノオ』(1962)から第18作目の『トゥモロー・ネバー・ダイ(途中まで)』(1997)まで007ことジェームズ・ボンドの愛銃として使われていたから。「あのジェームズ・ボンドが使っている銃」となるとそりゃ人気が出るだろう。
 しかし、最初からボンドがPPKを使っていたのではない。『ドクター・ノオ』の冒頭でボンドはMに10年愛用していたベレッタM1919を取り上げられ、支給されたPPKを渋々とショルダーホルスターに収める。その前の任務(原作では『ロシアより愛をこめて』)でベレッタがジャム(動作不良)を起こして怪我を負ったことと、.25口径(6.35mm)のM1919が.32口径(7.65mm)のPPKの方が威力が強いことが武器交換の理由だ。小説ではジャムじゃなくて抜く時にホルスターに引っかかったという記憶があるが、読んだのは20年以上前だし、すでに本は手放してしまっているので確認不能。
 ワルサー社がイアン・フレミングに金を払ってボンドの愛銃を交換させたという話しもある。真偽は不明だが本当だとしたら当時のワルサー社宣伝担当は実に優秀。
 威力が上がったと言っても.32口径だし弾数も7+1発と少ないが、ポケットにも収まるようなコンパクトさ。戦うための銃と言うより護身用の銃だろうが諜報員が携帯するにはもってこい。

 写真はマルゼンが発売しているワルサーPPK/S。PPK/SはPPKの全長が短すぎて規制に引っかかりアメリカに輸出できなかったために作られたモデルで、コンパクトオートピストルとしては最も美しいと言われることもある。PPKは写真でしか見たことがないが、PPK/Sと比べるとグリップが少し短くて確かにちょっと野暮ったい。
 持っただけで強くなったコルトガバメントの後では明らかに小さいし軽い。正直頼りない感じがする。全長は155ミリとガバメントの216ミリより60ミリも短い。銃自身の精度を無視すれば銃身が長い方が弾丸の直進性は安定するし、照星と照門の間が長くなるので照準も合わせやすくなる。これではあまり命中率は期待できないか?

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 そういえばターゲットの大きさを伝えてなかったので比較対象に350mlの缶ジュースを横に置いてみた。高さはほぼ同じと、4.2メートルの距離から缶ジュースを狙って撃っているとイメージしてもらえばいいだろう。  まずは5発撃って着弾点を確認。ちょっと上に当たるか。それではと今度は下を狙って15発撃ったら下すぎた。だがほとんど同じ場所にあったっており意外なほど集弾率は高い。マルゼンの技術力を示しているのだろうか。  小型拳銃なのにBB弾の装弾数は22発もあるし、空撃ちモードもあるのでBB弾が飛び交う心配なくブローバックさせて楽しむことが出来る。部屋にあってもそれほど威圧感がない。定価も安く実売では1万円以内で手に入ってジェームズ・ボンド気分を味わえる。銃に興味はあるけど迷っている人に最初の一挺としてお薦めかも。イアン・フレミングならともかくオレに褒められても宣伝にはならないだろうが良い銃だ。

1911.jpg オートマチック拳銃としてはスクリーンに登場した数が一番多いんじゃないだろうか。印象で言ってるんで数えたわけじゃないが。
 アメリカのオートマチックを代表するのがこのコルトガバメント。ガバメントは市販向けの商品名で写真の銃の型番はM1911A1。1911の意味は1911年にアメリカ軍の制式拳銃に採用されたから。天才銃器デザイナーのジョン・M・ブローニングによる開発は19世紀末にはすでに始まっており1905年にほぼ完成した。1913年が舞台の『ワイルドバンチ』ではすでに使われている。
 1911年にモデル1911として正式拳銃に採用された後も改良を続けマイナーアップバージョンの1911A1を始めとして様々な派生モデルを生み出した。1911A1(ガバメント)以外にもモデル数が多いので、45口径に関してはコルト45オートとひっくるめて呼ぶ場合もあるようだ。
 アメリカを代表するオートマチックと書いたが、実のところアメリカはリボルバーの名銃は多いがオートマティックはさっぱりで、ドイツ・イタリア・スイスなどと比べるとオートは明らかに劣る。1911A1の完成度が高すぎて、発展しなかったのかね。
 オートマティックとしては初期の作品だが、1985年にベレッタのM92FSに後を譲るまでまで長くに渡って米軍制式拳銃の座を守り続けた。日本の自衛隊でも1982年にSIGP220(『ガメラ2レギオン襲来』で永島敏行が小型レギオンを射殺した銃ね)になるまで制式拳銃として使われていた。
 戦争映画への登場数はもちろん多く、『プライベート・ライアン』(1998)のラストでトンプソンなど他の銃器の武器弾薬が切れたトム・ハンクスがせめてもの抵抗にと蟷螂の斧状態で戦車に向けて撃っていたのが印象に残っている。

 ガバメントが使われている映画を一本上げろと言われたらスティーブ・マックイーン主演、サム・ペキンパー監督の『ゲッタウェイ』(1972)だろうか。プロの犯罪者役のマックイーンに無骨なガバメントが実に似合う。有名なラストのホテルでの銃撃戦ではショットガンを使っていてガバメントの出番はほとんど無いが、他のシーンでは発砲せず持っているだけでも格好いい。DVDのジャケット自体がマックイーンがズボンの前にガバメントをさした写真が使われている。

 スティーヴン・セガールもガバメント愛好家のようで、『刑事ニコ/法の死角』いらいずっとガバメントを使い続けている。
 昨日紹介したグロック17など現在主流のオートは9ミリ口径(弾丸の幅9ミリ、薬莢を含めた長さ19ミリ)だがガバメントは45ACP弾(0.45インチ=11.43ミリ、長さ23ミリ)の銃弾を使う。これだけみるとさほど差はないように見えるが、弾頭部の重さは8グラムに対して15グラムと大幅に違う。当然相手に与えるダメージも大きい。弾丸が大きいゆえに装弾数を多くすることが難しく、7+1発という今となっては少ないがそのストッピングワーゆえか今でも愛用者は多い。
 コルト社以外のコピーやカスタムモデルが多いのも特徴で、『ターミネーター』(1984)でT-800が使っていたレーザーサイトを載せたハードボーラーはATM社がガバメントをベースに銃身とスライドを極端に延長したモデル。身体の大きなシュワルツェネッガーに単なるガバメントを持たせたら相対的に小さく見えてしまうのでこいつを選んだのではないだろうか。
 あと、『ルパン三世』の銭形警部の愛銃もガバメントだ。『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(1978)の冒頭で銭形がコウモリ傘型グライダーで逃げるルパンに向かって何発も発砲するシーンがある。

target081224.jpg とまあ説明はこのぐらいにして実際にガスガンを撃ってみる。オレが持っているのはウェスタンアームズ製。ただ、買ったのは8年は前なので現行モデルではないことをあらかじめ言っておく。
 4.2メートルの距離からまずは5発。着弾点は青で示したとおり右上にずれている。
 それを意識して左下を狙う感じで15発撃った。先ほどよりかは赤で分かるように中心に寄ったがそれでも右上にずれる。しかし集弾率は良いようだ。

glock20th.jpg 2006年、銃器の歴史に新しいページを開いたオーストリアのグロック社が発売したGLOCK17(グロック17)が発売から20周年を迎え記念モデルとして作られたのがこの20thアニバーサリーモデル。発売後、改良が重ねられ3rdジェネレーションとなったグロック17に記念刻印を打ったもので、通常モデルとほとんど差がないところが逆にグロックらしくて良い。
 しかし、グロックも20周年ですか。『ダイハード2』で「これは“ドイツ製”(オーストリアだってば)の“グロック7”(17だってば)で”X線にも写らないんだ”(銃身とスライドは金属製だから写るってば。パリマー製のフレームも今では造影剤が入っているのでX線の機械にかけると銃の姿がくっきり映し出される)」と大間違いな説明あたりでスクリーンに登場したのはついこの前だったじゃないか・・・1990年作品だからもう18年前なのか・・・オレもブルース・ウィルスも年を取るよな。幸いなことにオレの毛髪はブルースと比べるとかなりマシな状態だが。
 オール金属の銃と比べると多少軽いので装備品の多い制服警官に人気があり、映画でも制服警官が持つ銃などとして次第に映画への登場頻度が増えてくるが(『マトリックス』(1999)の冒頭でもトリニティを捕獲しようとした警官たちがグロックを使っている。片手にはフラッシュライト、腰にはトンファー型警棒や手錠などがあれこれぶら下がっているのも分かる)、デザインのせいか主役が使う銃としてはあまり採用されなかった。そこにきて『逃亡者』(1993)、『追跡者』(1998)でトミー・リー・ジョーンズが演ずる腕利きのジェラード捜査官が見事なまでに使いこなす。特に『追跡者』ではやたらグロックをべた褒めしてほとんどグロック宣伝映画。
 オレはジェラード捜査官に言われる前からグロックを気に入っていた。まず近未来兵器的なそのデザイン。いや、兵器と言うよりもトリガーガードとトリガーを取ってしまったら事務機器にでも見えそうな無骨で実用一辺倒なところが実に機能的で美しい。マニュアルセイフティを廃してトリガーを引かない限りは安全装置がかかっているという機構も素晴らしいアイディアだ。そして17+1発の装弾数。一般的なリボルバーは6連発だから、その三倍という頼りがいのある火力だ。グロックで大体の見当を付けて連射されたら相手はかなり手こずるだろう。ジョン・ウーの銃撃戦で衝撃を受けたオレは、しっかり狙いを定めて一発必中よりも乱射系が身体に染みついてしまった。
 安全に持ち歩けて、いざとっさに撃とうとした時はセイフティを外すというワンアクションを必要としない。デザインだけではなく仕組みも機能的。しびれる。
 その20thアニバーサリーモデルをトイガンメーカーのKSCが出しているというので購入。KSCの銃はグロック17を初めてガスガン化した時に買ったことがあり、こいつもなかなか出来が良くて信用していたので迷わなかった。

target081223.jpg ガラスケースに飾ったりいじくり廻しているだけでも楽しいが、せっかくガスガンなのだから実際撃ってみなければもったいない。
 オレの部屋はウナギの寝床状態で奥行きが長いので部屋の端から約4.2メートルはなれたターゲット用紙を撃つ。
 マガジンにBB弾を20発装填し、まずは試しで5発。着弾点を確認すると狙ったところから下にずれている。写真では青で印を付けたところだ。ホップアップ機能がついているので、微調整して照準と着弾点を合わせていくのが正しいのだろうが、ものぐさなので少し上を狙って15発を続けて撃つ。
 その15発の着弾点が赤で印を付けたところ。中央の黒丸にかなり命中させることが出来たようでビリッと破れている。
 無風の室内という好条件ということを割り引いても命中率はかなり良い感じだ。うん、これは良いよ、さすがKSC。ガスガンとはいえ、実銃に近い部品構成になっているので分解したり組みたてたりする楽しみもある。やっぱグロックさいこーっ!
 この銃はきちんと調節すればサバイバルゲームで頼りになるサイドアームになるんじゃないだろうか。サバイバルゲームをやらないし興味がないオレには関係ないけど。学生時代に人員が足りないからと無理矢理引きずり出されたことがあったがあれで懲りた。怖いぞ?サバイバルゲームは。実銃と違いBB弾の速度は遅いから自分に向かって飛んでくるのが目視できるんだから。遅いと言っても避けられるスピードではないから走馬燈が回るんだよ、あれ。ちゃんと服を着てゴーグルをはめてれば大して痛くはないけどやっぱ怖い怖い。
 ついでに言うと、オレが興味があるのはスクリーンに映し出される銃なので、映画の主人公を気取りたくてトイガンは数丁持っているが、映画から切り離された銃には興味がない。もちろん実銃にも興味はない。かなり前の話だが、社員旅行でグアムに行った時に、社員の何人かは実銃の射撃に行って、オレも誘われたのだが断った。引き金を少しの力で引いただけで人を殺傷する道具に触る気はなかったのだ。

B001FAYJZG.jpg『P2』(2007) P2 97分 アメリカ

監督:フランク・カルフン 製作:アレクサンドル・アジャ、エリック・フェイグ、グレゴリー・ルヴァスール、パトリック・ワックスバーガー、製作総指揮:ボブ・ヘイワード、デヴィッド・ギャレット、アリックス・テイラー 原案:アレクサンドル・アジャ、グレゴリー・ルヴァスール 脚本:アレクサンドル・アジャ、フランク・カルフン、グレゴリー・ルヴァスール 撮影:マキシム・アレクサンドル 編集:パトリック・マクマーン 音楽:トムアンドアンディ
出演:レイチェル・ニコルズ、ウェス・ベントリー、フィリップ・エイキン、グレース・リン・カン、ステファニー・ムーア

 それはクリスマスイブの夜。マンハッタンの高層オフィスビルで最後の一人になってまで残業していた主人公の女性は、ニュージャージにある親の家で開かれているパーティーに少しでも間に合おうと急いでいる。ところが、地下第二駐車場(P2)に駐めてあった車のエンジンがかからない。
 そこでタクシーを呼ぶが、ドアは全てロックされていて外に出ることが出来ない。困り果てる彼女の後ろに不気味な影が立っていた。

 オープニングで地下駐車場の柱にペンキで書かれた『P2』の文字が映し出され、これがタイトルになっている。なかなか凝ったやり方だなと思っていたら、直後に合成の『P2』タイトルが表示される。意味ねー、俺の感心を返せよ。『P2』とはエレベーターに『P1』から『P4』までのボタンがありどうやら地下第二駐車場の意味のようだ。アメリカでは当たり前に使われている単語なのかも知れないが、邦題はもうちょっとなんとかならなかったものだろうか。どんな映画だかさっぱり分からない。
 大都会の孤島と化した高層ビルの中で自分を拉致した犯人を相手にいかにして生き残るかという1アイディアを基に作られていて、個人的にこういう作品を“ワンアイディア映画”と呼んでいる。ワンアイディア映画はそのワンアイディアにさらにアイディアを盛り込んで膨らませてくれるかが見所なのだが、『P2』はあまり成功しているとは言えない。絶対的なアイディア数が少ないのだ。
 犯人像は陳腐だし、携帯電話が圏内で繋がらないが、シャッターの穴越しに手を伸ばしたらアンテナが立ったとか、車のトランクに閉じこめられた状態で「叫び声を聞いたという通報があった」と巡回にやってきた警察が駐車場を調べるところでのハラハラ感も乏しい。サスペンス映画としては並みよりちょっと下である。
 動物に暴力を振るうことが少ないハリウッド映画としては犯人の飼い犬をアレしてしまうシーンが珍しいが見所はそれぐらいか。マイナー資本系映画なんで可能だったんだろう。

B001ALQWQO.jpg『恐竜グワンジ』(1969) THE VALLEY OF GWANGI 96分 アメリカ

監督:ジェームズ・オコノリー 製作:チャールズ・H・シニア 製作補:レイ・ハリーハウゼン 原案:ウィリス・H・オブライエン 脚本:ウィリアム・E・バスト 撮影:アーウィン・ヒリアー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:ジェローム・モロス
出演:ジェームズ・フランシスカス、ギラ・ゴラン、リチャード・カールソン、ローレンス・ネイスミス、デニス・キルベイン、フリーダ・ジャクソン、

 時は20世紀初頭、ところはリオ・ブラボー(アメリカとメキシコを隔てる河)近く。地元のジプシーが"禁断の谷(Forbidden Valley)"として怖れている谷に一人のジプシーが禁を犯して忍び込み猫ぐらいの動物が入った袋を持ち帰ってくる。
 その中味は5000万年前に存在していた馬の原種。この馬で大儲けを企んだ主人公たちは化石を掘っている考古学者と共に禁断の谷を目指す。そこでは小さな馬だけではなく、これまた絶滅したはずの巨大な恐竜が待ちかまえているのだった。

 原案のウィリス・H・オブライエンは『キング・コング』(1933)でストップモーションを手がけた人。1962年に亡くなったオブライエンが残した原案を製作補として作り上げたのが弟子のレイ・ハリーハウゼン。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのピーター・ジャクソンは『キング・コング』を観て映画監督を志したと言う。
 ハリーハウゼンは3作前に『アルゴ探検隊の大冒険』(1963)を撮っており、この後に傑作『シンドバッド黄金の航海』(1973)『シンドバッド虎の目大冒険』(1977)を送り出す時期で円熟期と言っていいだろう。1作毎に数年の期間が空いているのはモデル(人形)を一コマ一コマ手で少しずつ動かして撮影するやたらと手間と時間がかかるストップモーションだからだろう。
 オブライエンの段階でモデルを動かすことに関してはほとんど完成していたが、ハリーハウゼンの偉大なところはストップモーション・アニメーションの映像と実写の人間などの映像を組み合わせたダイナメーションという技術を確立したことである。『アルゴ探検隊の大冒険』では骸骨兵士と人間がチャンバラをするし、『シンドバッド黄金の航海』ではシンドバッドが六本腕のカーリー像と戦う。まずは人間のパートを撮影しておいて、それに合わせてストップモーションを作り上げる。ストップモーション単体でも大変なのに、両者の動きをリンクさせなければならないのだから、ひたすら根気の必要な作業だ。作業だけなら一種の職人芸だが、それに加えてモンスターのデザインなどのアーティストの才能も重要。学生時代のハリーハウゼンが初めてオブライエンに面会した時に、自作のモデルやスケッチを見せた時に「解剖学を勉強しなさい。君の恐竜は足がソーセージみたいじゃないか」と言われたそうだ。学者の知識まで必要なのだ。
『恐竜グワンジ』では馬に乗った三人がティラノサウルス系の肉食恐竜の首に投げ縄をかけて捕まえるシーンがある。恐竜の首の動きに合わせて三人の縄も引っ張られたりゆるんだりする。これが同一カットで表現されているのは実に見事。
 どうでもいいけど、この恐竜が梅雨時のアジサイを思わせる青紫と微妙な色遣い。恐竜については茶色や緑色で表現されていることが多いが、化石では恐竜の肌の色は分からないのでこれは現在の爬虫類を参考に着色したもの。だから、ティラノサウルスが青紫だった可能性も0じゃないのだが、やはり微妙。ちなみに『ジュラシックパーク』などに登場するティラノサウルスは10メートルぐらいだが、グワンジのは5メートルぐらい。人間と同一画面に収めるには大きすぎず小さすぎずのサイズを選んだのだろう。だからダイナメーションが活きてくる。

 と、この時代のSFX映画について話すと、「当時の特撮は良かった。最近はCGばかりで味がない」という意見が出てくることが多いように思う。個人的にはそれは違うんじゃないかなと思う。
 ストップモーションは確かに実際にモデルを手で動かす手作業だが、CGだってコンピューターという道具を使っているだけでこちらも手作業。「これこれこんな映像」とコンピューターに指示を出したら勝手に映像を出力してくれるわけではなく、モデルを作るように3Dの基本データを作り上げ、その動きを細かく指定していく。そこにはアーティストとしてのセンスや人間やクリーチャーなどの骨格も考えた解剖学の知識も必要だ。ある程度はコンピューターが補完映像を計算してくれるが基本は一コマ一コマの作業。気の遠くなるような根気の要る作業を経てCGは作り出されているのだ。ある意味、無から有を作り出しているCGはSFXの進化が生み出したものだろう。
 あと、現実的な話しをすると、今のCG技術だと別のSFXで同じ映像を作るよりも安くできることも多い。大がかりなセットを組むよりも、背景をCGで作って合成した方が安い。どんな大作だって予算には限りがあるから節約できるところは節約する。これだってマットペインティングという手描きの絵を使う手法は昔からあったわけで、それをCGに置き換えただけとも言える。
 ハリーハウゼンや円谷英二がもしも現役で活躍しているとしたら間違いなくCGに興味を持っただろうし、自身が手がけた作品で使ったはずだ。常に新しい技術に関心を持ちそれを取り入れていくのがSFXマンである。
 オレ自身は『スター・ウォーズエピソード4』(1977)でのデススターの設計図といった実験的に用いられたCGから始まり、『スター・トレック2/カーンの逆襲』(1982)でのジェネシス計画のシミュレーション映像やミニチュアを使わず宇宙船をCGで表現した『スターファイター』(1984)など映画のSFXにCGが使われるようになりそれが進歩してきた様子をワクワクしながら観てきたんでCGに甘いのかも知れないので異論もあるだろう。でも以前、お店のロゴが遠くから回転しながら飛んできてアップで止まるという単純なCGムービーを作ったことがあるが、これがかなり大変だった。映画クオリティのCGを作るとなるとどれだけの手間暇、知識、技術が必要かと考えるとやはりすごいと思う。
 ちょっと似たようなケースだと「ワープロなんて邪道だ。文章は手書きで書かないと駄目だ」と言っていた文学界の偉い人がいた。でも長文を書いた場合だと校正の段階で段落の入れかえなどの構成の変更はワープロが圧倒的に有利。一発で完璧な文章が書ける人なら手書きで良いのだろうが、読み直して手直ししていくにはワープロだと思うけどね。
 ひょっとすると、「Excelなんて邪道だ。計算はソロバンじゃなきゃ駄目だ」と言う偉い人もいるんだろうか?就職してまず覚えさせられたのがDOSの『LOTUS1-2-3』だったオレは、もはやExcelなしじゃ仕事にならんよ。

 以前紹介した『放射能X』もこの『恐竜グワンジ』もワーナー・ブラザース作品。言っちゃ悪いがどちらもB級キワモノ路線だ。ちょっと気になったんで昔の作品について詳しい方に尋ねてみたところ、当時のワーナーはパラマウントや20世紀フォックスと比べると三流映画会社的存在だったそうだ。多少格下ぐらいかなとは思っていたが、シネマスコープを開発した20世紀フォックスやパナビジョンを開発したパラマウントとは技術的にも差があり、自社開発できなかったワーナーは他社から技術を借りてワイド画面に対応したとか。
 オレがワーナーの名を覚えた頃にはクリストファー・リーヴ版『スーパーマン』など大作を作っていたので意識していなかったのだが勉強になった。考えてみれば昔のワーナー映画のイメージってセンセーショナルを売りにしたギャング映画なんだよね。確かに格下かも。

B001ALQWPU.jpg『放射能X』(1954) THEM 94分 アメリカ

監督:ゴードン・ダグラス 製作:デヴィッド・ワイスバート 原案:ジョージ・ワーシング・イエーツ 脚本:テッド・シャードマン、ラッセル・ヒューズ 撮影:シド・ヒコックス 音楽:ブロニスラウ・ケイパー
出演:ジェームズ・ホイットモア、エドマンド・グウェン、ジョーン・ウェルドン、ジェームズ・アーネス、オンスロー・スティーヴンス、フェス・パーカー、ショーン・マクローリー、サンディ・デスチャー、オーリン・ハウリン

 荒野を一人の少女が歩いているのをパトカーの警官二人が発見する。少女は問いかけにも答えずに茫然自失状態。次いで、数キロ先でキャンピングカーが見つかるが、その車体には大きな穴が開いていて、人の姿はない。少女はそこから逃げてきたことが分かる。車の中には現金がそのまま残っており強盗に襲われたのではなさそうだ。そもそも人の手で簡単に開けられる穴ではない。失われたのはどうやら角砂糖のみ。謎に頭を悩ませる警官たちだが、さらにその近くにある老人が経営している店も何者かに襲われているのを発見。老人の死体が地下室に転がっており、ライフルを発砲した後はあり相手に命中したはずなのに血痕も残っていない。
 一人の警官を現場に残して報告のために引き返すが、その警官も行方不明になってしまう。
 手がかりは現場の地面で発見された謎の跡。人の足跡とは明らかに形が違うこの跡の情報を求めたところ、政府から農務省の博士が派遣されてくる。老人と美人な実娘の二人組のこの博士は石膏で型を取ったこの跡を調べ、何事かに気づいたのか少女に少量の蟻酸をかがせる。それまで一言も発しなかった少女がパニック状態になりながら叫ぶ。
「THEM!(奴らが!)」

 奇しくも初代『ゴジラ』と同じ1954年に製作された作品である。邦題は分かりやすく『放射能X』。放射能で何かがどうにかなって襲ってくると説明しているようなものだ。センスとしては『THEM』の方が良いが、この邦題もこれはこれで味がある。
 アメリカはニューメキシコ州にあるホワイトサンズで人類初の核実験が行われた。それから数年、放射能の影響で巨大化したのは蟻。作中では2メートル半と説明されているが、見た目は全長5メートルぐらい。それが群れでギチギチ奇怪な音を立てながら襲ってくる。
 蟻は集団で社会的行動をして、その中心にいるのが女王蟻。ニューメキシコで発見された巣は壊滅させるが、新しい女王蟻が生まれて数匹の雄蟻と共に飛び立ち巣別れが行われた後だった。こいつらを早く見つけて退治しないとどんどん数が増えていって、人類滅亡の危機になる。政府・軍による必死の捜索が始まる。

 蟻という昆虫に目を付けたところがまず面白い。地中に緻密な巣穴を作り、社会的な行動をする。昆虫ならではの感情の無さと、独自の社会性によって死を怖れずに襲いかかってくる働き蟻が怖ろしい。観客が感情移入しようがなくて、まったく異質な存在だ。これがもしネズミなどのほ乳類が巨大化したならどこか愛嬌がありそうなものだが、昆虫と人類とでは意思の疎通があるはずもない。
 ジェームズ・キャメロンが『エイリアン2』(1986)を作る際に参考にしたとも言われるが、女王の産卵室の描写や火炎放射器の使い方、人類とは相容れない異質なエイリアンの存在や襲ってくる様子、人間の子供の使い方などなるほど似ている部分がある。
『ゴジラ』シリーズと決定的に違うのは、人間が必死になれば倒すことが出来ること。ゴジラはいくらなんでも無敵にしすぎた。オキシジェンデストロイヤーという謎の兵器や果てはマイクロブラックホールまで使わなければ倒せないと強すぎる。がんばればなんとかなるぐらいがちょうどいい。
 最後に老人科学者がそれっぽいことを言って終わるのも初代『ゴジラ』に似ている。
 蟻映画としては大きさは普通かちょっと大きいぐらいだがやたら大群で襲ってくる『黒い絨氈』も怖い。地面が真っ黒になってまるで黒い絨氈の様だからとこんな邦題になっている。原題は『THE NAKED JUNGLE』だがこれは邦題の方が秀逸。というか、NAKEDとか言われると『THE NAKED GUN』を思い出すんでレスリー・ニールセン主演コメディかと思ってしまう体質だ。邦題は『裸のジャングルに行く男』かな。
『黒い絨氈』も1954年作品。どうやらこの年は蟻映画の当たり年だったようだ。
 蟻映画としては他に映画のタイトルデザインで有名なソウル・バスが長編初監督した『フェイズ IV/戦慄!昆虫パニック』(1973)が思い浮かぶ。こちらでは知性を獲得した蟻が人間に牙を剥く。やっぱ昆虫って怖えぇ。

スカパー!の日本映画専門チャンネルで11?12月とゴジラ映画全作品放映というちょっと無茶な企画が行われていて、私も録画しておいたのを初代『ゴジラ』から『ゴジラFAINALWARS』までほぼ一日一本のペースで観た。
生まれて始めて映画館で観た映画である『ゴジラ対ヘドラ』と期待して観に行ってトホホだった1984年版『ゴジラ』以外に別段思い入れはないのだが、今回その思い入れの無さを改めて感じた。
どうもあまり面白くない。では何故面白くないのか。あれこれ考えている内に一つの答えが見えてきた。
それを確かめるためにアメリカ映画の『放射能X』と『恐竜グワンジ』を観た。前者は核実験で巨大化した蟻が襲ってくる作品で、後者は20世紀初頭に恐竜が現れる作品。確信できたことは、核実験に対する罪の意識と恐怖の差だ。『放射能X』でも核実験の恐怖は描かれているが、扱いは明らかに小さい。日本に原爆を落とした国と、落とされて被爆国となった国の差だろう。
ゴジラシリーズには核の恐怖と罪の意識がつきまとって離れない。核実験によって生み出されたゴジラは人類に贖罪を求めて襲ってくる。人類に対する罰である。核で生み出されたという業を背負わされたゴジラは反核の象徴に祭り上げられているのだ。
それがゴジラを単なる怪獣映画にしていないし、単なる怪獣映画にしてくれない。日本人が持っているの核実験や核兵器に対しての問題意識故にゴジラは単なる娯楽作になってくれない部分がある。
でっかい怪獣が襲ってきて街を壊すというカタルシスだけで良いのに、そこに核が入り込む。私がどこかで感じる違和感の正体だろう。
単なる怪獣映画だったらここまでシリーズは続かなかっただろうが、もっと面白かったに違いないというのは熱心なゴジラファンから見れば問題発言だろうか。だが別段ゴジラファンではない私はそんな風に思ったりするのだ。

B000R8XA6Q.jpg『将軍たちの夜』(1966) THE NIGHT OF THE GENERALS 149分 アメリカ

監督:アナトール・リトヴァク、製作:サム・スピーゲル 原作:ハンス・ヘルムート・カースト 脚本:ジョセフ・ケッセル、ポール・デーン 撮影:アンリ・ドカエ 音楽:モーリス・ジャール
出演:ピーター・オトゥール、オマー・シャリフ、トム・コートネイ、フィリップ・ノワレ、クリストファー・プラマー、ジョアンナ・ペティット、ジュリエット・グレコ、ドナルド・プレザンス、チャールズ・グレイ

 時は1942年の第二次大戦、ドイツ占領下のワルシャワで娼婦が殺害される。ただの殺人ではなく、性器を激しくナイフで刺され、全身には100ヶ所以上の傷がある猟奇殺人。
 目撃者の男性は、壁の隙間から犯人のズボンだけを見ていた。それはドイツ軍人の物で、赤い線が入っていた。赤い線のズボン、それは将軍が着用している物だった。
 ドイツ人警官のオマー・シャリフはワルシャワにいた将軍のアリバイを調べたところ、ピーター・オトゥール、ドナルド・プレザンス、チャールズ・グレイの三将軍だけがその夜の所在が不明だった。犯人はこの中にいるのか、いるとしたら誰なのか。戦時下の将軍だろうが一般人を意味もなく殺害したら犯罪者、オマー・シャリフは捜査を始めるが、戦争という異常な状況下で、時代のうねりが立ちはだかる。

 戦争映画かと思いきや、猟奇殺人サスペンス。
 正直、犯人はすぐ分かる。ピーター・オトゥールの演技が異様すぎ。目つきがギラギラしていて風呂の温度が一度違うことで部下を叱責するなどほとんど異常者。パリでドイツが没収した美術品を見学に行った時に、ゴッホが精神病院に入院中に描いた有名な自画像を見て、汗をたらたら流しながら異様に興奮している。こいつが犯人じゃなかったら誰が犯人なんだよ。
 ミステリーを求める人にはあっけないだろうが、そもそも犯人当ての要素は無いに等しいので、このピーター・オトゥールの熱演が最大の見物。
 地獄の戦場を体験しているという設定なので、それが彼を異常者にしたのか?オレとしてはもともと異常者だったんじゃないかなと思う。

 終戦から20年経って、戦犯として収容されていたピーター・オトゥールの釈放に合わせて、当時はレジスタンスとして事件に関わり現在は国際警察の捜査官であるフランス人が今は亡きオマー・シャリフに変わって捜査を再開する。その現在のシーンが時折挿入される形で物語は進む。
 史実である将軍達による1944年7月20日のヒットラー暗殺未遂事件も登場するが、物語上は猟奇殺人と連携しておらずさして機能していないが「自分たちの長を軍の上層部の将軍達が暗殺しようとする」というもはや混乱と泥沼の極みだったドイツ軍の内部が読み取れる。

 チャールズ・グレイとドナルド・プレザンスという初期007シリーズ最大の敵ブロフェルドが二人も出演しているのがオレとしては嬉しい。

B000LXIOOU.jpg『拳銃の町』(1944) TALL IN THE SADDLE 87分 アメリカ

監督:エドウィン・L・マリン 製作:ジョン・ウェイン 原作:ゴードン・レイ・ヤング 脚本:マイケル・ホーガン、ポール・P・フィックス 撮影:ロバート・デ・グラス 音楽:ロイ・ウェッブ
出演:ジョン・ウェイン、エラ・レインズ、ジョージ・“ギャビー”・ヘイズ、ウォード・ボンド、エリザベス・リスドン、レイモンド・ハットン

『ダコタ荒原』では小麦畑が狙われたが、今度の標的は二つの牧場。悪党に狙われた牧場を守るのは永遠のヒーローであるジョン・ウェイン。
 医者と歩くシーンがあるが、医者の人の背が低いのもあるんだろうがその人の胸の辺りにジョン・ウェインの腰がある。背が高いし足も長い。拳銃を右腰にぶら下げているシーンではバランスを保つためか上半身をちょっと左に曲げて歩いていて、ヒョイヒョイというリズムを持ったジョン・ウェイン独特の歩き方をする。

 もう12月も中旬に入った。今年も残り二十日ほど。片付けておかなきゃいけないことが色々ある中、スカパー!の録画も片付けなきゃと観る。録画日を確認すると8月放映分。ハードディスクレコーダーは便利なので「おっ面白そうだな」と思うとどんどん録画するが一日に観られる本数は2本ぐらい。録った時点で安心してそのままになっている方が多いのだ。8月分を観終わってもまだ9?11月分で数十タイトル残っているし、さらに12月分もたまりつつある。本は人によって読む速度が違ってオレは速読な方だが、映画は誰が観ても2時間の作品には2時間かかる。

 牧場主に雇われてある町にやってきたジョン・ウェインだが、その雇い主は何者かに射殺されていた。牧場を引き継いだのは東部からやって来たお嬢様。お目付役で口やかましい叔母が付いている彼女だが、どうもジョン・ウェインが気になっているらしい。
 叔母さんの口出しで職に就く話しはご破算となってしまった彼だが、姉弟で牧場を経営するじゃじゃ馬娘に牧童として雇われることになる。実は、弟がジョン・ウェインにポーカーで負けて自分もそのことで恥をかかされたじゃじゃ馬娘は、こき使ったあげくに首にしてしまおうと考えていたのだ。最初は「あんな奴」とプリプリしているが、気がつくと彼女もジョン・ウェインが気になっていくのは言うまでもない。
 彼女たち美女と一緒にいるのが似合うジョン・ウェインだが、グチばかり言っている白髪白髭の老御者ジョージ・“ギャビー”・ヘイズとコンビを組んでいるシーンが一番生き生きして見える。彼のの役柄は『ダコタ荒原』や『リオ・ブラボー』でのウォルター・ブレナンに近い。ウォルター・ブレナンは西部劇の名脇役としてジョン・ウェインの他にもランドルフ・スコットやロイ・ロジャースといったスターと共演し映画を盛り上げた人。こういう良い脇役がいるかいないかで映画の面白さは断然変わってくる。同じ日にバットマンの『ダークナイト』(2008)を観たけど、マイケル・ケイン演ずる執事のアルフレッドはいいよねぇ。
 ウォード・ボンドはまたもや土地乗っ取りの黒幕。牧場を安く買い占め、大きな土地を分割して農民に高く売りつけようという地上げ屋だ。ニヤニヤした笑い顔がいかにも悪巧みをしていそう。この人はそんなに外人外人していなくて、日本人にもいそうな顔。

 定番なキャラクターに定番なストーリーとたわいもない娯楽西部劇だが、そのたわいもない面白さが好き。オレは割となんでも観る方だと思うが、結局はこういうB級娯楽映画が一番好きなんだろう。

B00005HBNF.jpg『ダコタ荒原』(1945) DAKOTA 82分 アメリカ

監督:ジョセフ・ケイン 製作:ジョセフ・ケイン 原作:カール・フォアマン、ハワード・エスタブルック 脚本:ローレンス・ハザード 撮影:ジャック・マータ 音楽:ウォルター・シャーフ
出演:ジョン・ウェイン、ヴェラ・ラルストン、ウォルター・ブレナン、ウォード・ボンド、オナ・マンソン、ヒューゴ・ハース、ボビー・ブレイク

 ジョン・ウェインと蒸気船の船長ウォルター・ブレナンの掛け合いが『リオ・ブラボー』(1959)を思い出させる。もちろん、そちらが後なんだが。
 ウォルター・ブレナンは蒸気船を浅瀬に座礁させてしまい、乗客であるジョン・ウェインとその新妻や部下の水夫長の黒人(長といっても部下なし)を船から逃がし、一人船に留まる。船長は船と運命を共にするのかと思いきや、「お前は性悪女と同じだ」と蒸気釜の圧力を目一杯に上げて逃げ出し船は爆発。船無き船長はジョン・ウェインと共にダコタの街を訪れる。
 呑気なコメディだと思っていたら、新妻が鉄道会社の社長令嬢だったことから街を支配するウォード・ボンドが街まで鉄道が延びてくると思いこみ、小麦を作っている農民たちの土地を奪おうと画策しはじめ、次第にきな臭くなってくる。
 ウォード・ボンドも『リオ・ブラボー』にジョン・ウェインに加勢を申し出る友人役で出演しており、西部劇ファンにはお馴染みの顔。悪役は珍しいと思うが、タフな顔つきなので違和感はない。
 監督のジョセフ・ケインは1930年代末から50年代にかけて西部劇を中心に数多くの作品を撮った人。当時の人は劇場でこの人の作品に出会えたろうが、現在の日本で観ることが出来るのはほんの数本だけ。忘れ去られていくのがこれらの量産された娯楽映画やそれを手がける職人監督の宿命なのかも知れない。でも、残る物もある。それにアメリカではちゃんとDVDになっている。米amazonを覗いてもウェスタンのDVDのタイトル数は尋常ではなくて、アメリカ人の全員ではないだろうが、ほんとーに西部劇が好きな人がいっぱいいて、マイナーな作品でも売れる市場が成立しているのだろう。対する日本では、名作と言われる作品ですらなかなかお目にかかれないタイトルもあり、低予算・短期間で撮られたプログラム・ピクチャーには現存すら怪しいのも多いだろう。今さら観直す価値があるかは確かに不明だが、だからといってなくなって良いという理由にはならない。映画には娯楽としての消耗品という側面だけではなく、文化という側面もある。国会図書館があるんだから、国会映画館も造って日本で公開された映画、いや外国映画は著作権の問題もあるから難しいかも知れないが、日本で製作された映画は全て収録してそこへ行けばどんな作品でも観ることが出来るようにすべきではないだろうか。

 作品としては並みの出来。ジョン・ウェインとその仲間が出ていなければここに文を書くこともなかったろう。しかし、新妻の尻に敷かれつつあるジョン・ウェインやコメディリリーフのウォルター・ブレナン、食えない黒幕のウォード・ボンドが観られただけでオレとしては価値がある。

B0012P6C6I.jpg『ゴジラ』(1984) 103分 日本

監督:橋本幸治 製作:田中友幸 原案:田中友幸 脚本:永原秀一 撮影:原一民 美術:桜木晶 編集:黒岩義民 音楽:小六禮次郎 特技監督:中野昭慶
出演:田中健、沢口靖子、宅麻伸、夏木陽介、小林桂樹、内藤武敏、鈴木瑞穂、村井国夫、小沢栄太郎、織本順吉、御木本伸介、森幹太、金子信雄、山本清、武田鉄矢、橋本功、潮哲也、石坂浩二、江本孟紀、かまやつひろし

 当時のSFX映画ファンはねぇ、『ゴジラ』が帰ってくるっていうんで盛り上がっていたんだよ。昭和シリーズもテレビで放映されなくなって記憶から遠ざかり、初代ゴジラが神格化されていて、「『ゴジラ』すごい」「『ゴジラ』最高」、さぁ来るぞ来るぞと待ちかまえていたんだ。
 その頃のオレはSF小説からSF映画に行ったSFX大好き少年で、この作品の新宿ロケでエキストラを募集しているというのを雑誌で読んで、名古屋から東京まで本気で考えたものだよ。
 そして公開初日、第一回目の上映会場で、「ああ、行かなくて良かった」と胸をなで下ろしながら失望したのだ。ハリウッド映画を日常的に観ていた目にはその特撮が明らかに劣って見えて仕方なかった。『ゴジラ』(1984)は宣伝にも力を入れ、東宝はかなり本気で作ったはず。それで出来たのがこれ。日本のレベルはこの段階なのかとがっくりきた。

 今になって観直すと、これはこれで味がある。と言えなくもない。
 巨大フナムシや帰巣本能のためなら命も捨てるゴジラも笑って許せる。
 閣僚達が集まった会議で
「ゴジラの放つ熱戦に自衛隊の兵器は対抗できるのですか?」
「大丈夫です、極秘に開発した秘密兵器があります」
「その名も“スーパーX”!!」
 はさすがに今でも頭を抱える。なんだよ、今時の小学生低学年の子供だってもっとましなネーミングをするぞ。スーパーな上にXだ。いや、Xがスーパーなのか?
“マーカライトファープ”とか“メーサー殺獣光線車”といったかつてのしびれるセンスはどこへいったんだよ。しかも、メスのカブトムシというか、むしろダンゴムシの様なデザイン。とほほほ。
 でも、「ダッダダダ?」という小六禮次郎が作曲したテーマ曲にのって登場するシーンはちょっといいけど。そしてゴジラの熱線が高層ビルを貫通してスーパーXを直撃するところなどゾクッとするんだけど、そこでアクションがストップしてしまうんだよな。畳みかけてラストまで一気に突っ走ってくれよ。全体的にどうも緊張感に欠けるんだよな。
 しかもどう考えても余分な特別出演の武田鉄矢が中途半端な笑いでさらに緊張感をそぎ落とす。いらないいらない、このホームレス役。原発警備員の石坂浩二はまだ意味があるが、ゴジラに掴み上げられる満員の新幹線に乗っていたムッシュかまやつはほんの一瞬で、しかもにやりと笑うのは何故だ。
 東京から逃げ出そうとする車で大渋滞の首都高にゴジラが青白い熱線を放つ。それを浴びた先頭の車が大爆発。そして後続の車へと炎上し、首都高は炎を高々と上げる線となる。後続の車はゴジラの熱線で爆発したわけではないのにドッカンドッカンと数十メートルは上がっていく炎に特技監督の中野昭慶の意気込みが感じられる。ほんと大爆発好きやな?。
 生物科学研究所は意味なく新宿の高層ビルにあって、中は妙に整理されていて研究機器などの備品はほとんどないし、所長の夏目陽介以外の姿はほとんどない。変人の自称科学者が趣味でやっている研究所かと思いきや、政府から直々に重要な研究を任される。ここに任せて本当に大丈夫なのかと小林桂樹演ずる総理に尋ねたい。せめて人員を派遣しろ、バイトの女性が一人いるだけじゃないか。ああ、1シーンだけ「お先に失礼します」と帰って行く二人の所員が出てきたな。ゴジラが日本を襲ってくるという緊急事態なのに定時で上がるなよ。残業しろ泊まり込め、デスマーチだデスマーチ。

 まぁ、あれこれケチを付けたくなる部分は多々あるが、そんなことは主演女優である沢口靖子の存在の前では小さな事。
「どんだけ大根なんだよ!」
 棒読みを遥かに超えた鉄筋読みなセリフに、鉄仮面のように変化しない表情。どうにも鉄が多くて女性に多い貧血には縁がなさそうだ。きっと磁石にくっつくぞ。
 外人女性ボーカルが歌うエンディング曲を聴きながら劇場を後にしたオレは、まだガックリとズッコケが襲いかかってくるゴジラ新シリーズの第一歩に過ぎないことを知らなかった。

 “SFX映画”として期待しすぎたというのもあるし、高校時代のオレは小遣いだけだと月に一回ぐらいしか映画を観に行けないので昼飯を抜いて浮かせたパン代を注ぎ込んでいたから評価は辛くなっていると思う。食べ物のうらみは怖いんだってば。

B0014B89YS.jpg『椿三十郎』(2007) 119分 日本

監督:森田芳光 製作:島谷能成、千葉龍平、早河洋、永田芳男 プロデューサー:三沢和子、徳留義明、市川南、田中迪、梅澤道彦 プロデュース:大杉明彦、高木政臣、亀山慶二、富山省吾 製作総指揮:角川春樹 原作:山本周五郎 脚本:菊島隆三、小国英雄、黒澤明 撮影:浜田毅 美術:小川富美夫 編集:田中愼二 音楽:大島ミチル 殺陣:中瀬博文
出演:織田裕二、豊川悦司、松山ケンイチ、鈴木杏、村川絵梨、佐々木蔵之介、林剛史、一太郎、粕谷吉洋、富川一人、戸谷公人、鈴木亮平、小林裕吉、中山卓也、風間杜夫、西岡徳馬、小林稔侍、中村玉緒、藤田まこと

 森田芳光は昔は天才だったんだけどねぇ。いつの間にこんなに駄目な人になってしまったのか。二十歳過ぎればただの人な感じで、もはや観ていて哀れささえ感じてしまう。
 黒澤明については、モノクロの120分に以内の作品を撮っていた頃は好きだ。カラーに入ってから、特にやたらと長い作品を撮り始めてからは興味がない。『用心棒』や『椿三十郎』なんかは好きなのでどうなることかと思っていたが、ここまでダメとは。
 劇場ではなくテレビで観たので映像については違いがあるだろうが、モノクロからカラーに変わった今作は非常にのっぺりとした奥行きのない画面だ。カメラだ駄目、照明が駄目、なにより監督が駄目。黒澤のカラー映画には興味がないが、とにかく彼の映像には深みがあった。それに比べてこの落差は何だ。
 織田裕二のことは否定しない。三船敏郎と比べるのは酷という物だろう。織田なりに力演していて、好感はある。三十郎の怪しさやタフさ、ふてぶてしさは表現できていないが、がんばっているので二重丸。別に好きな人じゃないが、この大役に体当たりして逃げていない。森田は逃げてるからな。
 中村玉緒は好きなんだが今回はわざとらしさが鼻につく。演出に問題あり。これも森田の罪。藤田まことは良かった、ほんと馬面で出番は少ないが笑わせてくれるし、中村主水役で有名な人だけに、一見するとおとぼけな昼行灯オヤジだが実は切れ者というのが似合う。風間杜夫の実は小心者な悪党も良かった。

 なにがひどいったってラスト。一瞬で決着が付いたオリジナルに比べ、しばしもみ合う織田裕二と豊川悦司。これだけでどうしようもないのに、織田が豊川を斬った後に、もう一度もみ合うシーンに戻ると今度はスローモーションで繰り返す。
 何だよ、それ!馬鹿にしてんのか!怒るぞ!いてまうぞ!泣くぞ!
 オリジナルの、シャキッ、ズバッ、バシャーッ!が一瞬で展開されたところが最高なのに、スローってなんよスローって。『ヴェラクスル』(1954)のラストの決闘をスローで描く馬鹿はいないだろ。それを平気でやってるんだから、センスがないにも程がある。
 映画監督としての森田芳光はとうに終わったと思っていたが、もう死んだと考えた方が良さそうだ。となると、この作品は墓標である。合掌。

B00012T224.jpg『僕たちのアナ・バナナ』(2000) KEEPING THE FAITH 129分 アメリカ

監督:エドワード・ノートン 製作:スチュアート・ブルムバーグ、エドワード・ノートン、ホーク・コッチ 製作総指揮:ゲイリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム、ジョナサン・グリックマン 脚本:スチュアート・ブルムバーグ 撮影:アナスタス・N・ミコス 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:ベン・スティラー、エドワード・ノートン、ジェナ・エルフマン、アン・バンクロフト、イーライ・ウォラック、ロン・リフキン、ミロス・フォアマン、ホーランド・テイラー、リサ・エデルスタイン、レナ・ソファー、スージー・エスマン

 エドワード・ノートンやベン・スティラーが出てるなぁと前々から観ようとは思っていたのだが、オレの苦手なロマンス物らしいのでついついそのままになっていた。
 まず驚いたのがエドワード・ノートンの監督作だったと言うこと。監督もやるのか。今のところ、これ一作だけらしいけど。
 そして、これは予想していたことだがシリアスなベン・スティラーは二枚目だということ。ベン・スティラーとエドワード・ノートンは親友で、二人でいるシーンが多いが、ベンの方が格好良くて二枚目。コメディアンで真面目にしてると実は二枚目な人って結構いる。
 紐育に住むベンはユダヤ教のナビ、エドワードはカトリックの神父と二人は違う宗教の関係者だが、子供の頃からの親友。そして、彼らには小学校の頃に仲の良かったアナという女の子がいた。仲良し三人組として遊び回ったが、アナはカリフォルニアに引っ越してしまった。それから時は過ぎ、すっかり大人になった彼らの前に、久しぶりに成長して一人の女性となったアナが帰ってきた。

 三角関係、と言っても実際には“一対一”+“一”な関係が酒場で酔いつぶれたエドワード・ノートンの語りで展開していく。途中経過はオレにとって正直退屈。出来が悪いというつもりはない。冴えた演出は感じないが、エドワード・ノートンはそれなりに健闘している。オレの個人的好みの問題だ。
 だが、その退屈さもラストの展開で挽回した。
 アナと恋に落ちたベンだが、アナがユダヤ人ではないことで彼女に別れを告げる。しかし、重要なのは民族ではないとアナにあやまりよりを戻そうと彼女の勤める大企業のビルに押しかける。しかし、警備員に止められて彼女のいるフロアへ行くことが出来ない。
 そこで彼女のフロアから丸見えな向かいのビルのある男の事務所に乗り込む。そして事務所の男の許可を得て、そこからスケッチブックを使って同僚と仕事の成功を祝っていたアナに呼びかける。驚くアナに電話をかけると、ベンは謝罪を始める。アナの事務所の電話はスピーカーホンに切り替えられ、その場にいた一同がどうなることかと見守る中、二人の会話は続く。
 このシーンでの、主人公二人以外のこれまで大した紹介もされていない脇役達が実に良い。二人がどうなるかをハラハラして見守り、上手く行きそうならウンウンとうなずき、そして愛の告白では大歓声を上げる。同僚以上に部外者である向かいの事務所の男も突然のちん入者を受け入れ、それまで“カサノヴァ”だったりしたが電話まで使わせてやるナイスガイ。
 こんな風に、名前もないような脇役をちゃんと活かしてくれる作品は好きだ。単なる背景ではなく、彼らも映画の中で生きている一人一人の人間なのである。
 昔の、それこそ数十年前の作品で、夜のベンチに座ったままキスをしようかどうしようかと迷っている若い男女に、後ろを通りかかった酔っぱらいが、
「お前ら、とっととキスしろよ」
と怒鳴る。
 二人は思わず笑い出し、そしてキスをする。あれは良いシーンだった。
 面白い映画は、やはり脇役が良い。それも単なる通行人とか、一緒にエレベーターに乗った人レベルでも良ければ言うことなし。
 若い三人は貫禄ある大女優アン・バンクロフトの存在で気が抜けなかったろう。アン・バンクロフト自身は力の抜けた演技だが、登場すると画面の中心的存在になる。
 エドワード・ノートンはこれ以降撮っていないがそれで正解だろう。まぁその程度の出来ではある。

 今日観たのは『ナッシング・トゥ・ルーズ』(1997)。背の高い白人のティム・ロビンスと背の低い黒人のマーティン・ローレンスがひょんなことから凸凹コンビとなるコメディ。マーティン・ローレンスは職を探していて取りあえず強盗で食っている。泥棒・職探しというのは『ワイルド・チェイス』の主人公ジェイミー・フォックスと同じで、これまたしりとり。
 と言っても、これは狙ってやったんで偶然ではない。ティム・ロビンスが「自分の妻が浮気している」状態で、『ショーシャンクの空に』(1994)を連想させるキャスティング。『ジム・キャリーのエースにおまかせ』(1995)や『親指』シリーズのスティーヴ・オーデカーク監督作品としては割とまともなコメディ。スティーヴ・オーデカーク自身も踊る警備員として出演している。
 続けて、ポール・ニューマン追悼特集としてNHKBS2で放映された『シャドー・メーカーズ』を観た。そうしたら、どちらの作品にもジョン・C・マッギンレーが出ているではないか。うむ、シンクロニシティだ。
 原題の『FAT MAN AND LITTLE BOY』とは長崎に落とされた原爆と広島に落とされた原爆に付けられたあだ名。アメリカによる原爆開発、いわゆるマンハッタン計画を描いた作品。被爆国である日本国民としては愉快な題材ではないが、リベラル派として知られるポール・ニューマン主演作だけあって原爆を開発した科学者や軍人達を英雄として祭り上げてはおらず批判的作品となっている。科学者側は自分たちが作っている物が完成に近づくと共にその威力を怖れ反対の声を上げる者も出てくる。
 ポール・ニューマン演ずるマンハッタン計画の責任者グローヴス将軍と科学者側の責任者ロバート・オッペンハイマー教授の二人が主役だが、マンハッタン計画の規模があまりにも巨大で関わった人間も多く、計画全体を描くのか、その中での人間を描くのかが定まっておらず散漫で、あまり出来の良い作品ではない。徹底した秘密主義で行われ未だに公開されておらずはっきりしていないことも多いマンハッタン計画を映像化した点は評価する。
 ポール・ニューマンの他にはジョン・キューザックやローラ・ダーンなど役者も揃っており、音楽はエンリオ・モリコーネ。それを無駄遣いしているのが監督のローランド・ジョフィ。この人は『キリング・フィールド』(1984)や『ミッション』(1986)などオレの嫌いな映画を撮っており、今回もまたダメ。ダメとはいえ日本未公開なのは少々疑問。やはりマンハッタン計画という題材のせいだろうか?確かに劇場で流しても客は入らないだろう。だが、観ないで批難・否定するのが一番いけないことだ。

 しりとり状態は『REC』で切れた。

 スカパー!で録画したままだった映画を、そろそろレコーダーのハードディスク容量も少なくなってきたんでとりあえず適当に3本選んで観た。
『タイムリミット』(2003)、『ビッグ・トラブル in NY』(2005)、『ワイルド・チェイス』(2000)のアメリカ映画3タイトルは偶然にもデンゼル・ワシントン、セドリック・ジ・エンターテイナー、ジェイミー・フォックスと全部黒人男優、最近で言うところのアフリカ系アメリカ人男優主演作。
 ここまでなら確率的にさほど低くはないだろうが、『タイムリミット』と『ビッグ・トラブル in NY』は“100万ドル”という金額で繋がっており、『ビッグ・トラブル in NY』と『ワイルド・チェイス』は100万ドルと黄金と主人公の相棒をどちらもマイク・エップスが演じているということで繋がっている。なんかしりとりみたいだ。
 そうか、これはユングが言うところのシンクロニシティかな。意味のある偶然ってヤツ。マイク・エップスは『バイオハザードII、III』に出演していた人だが、日本で観ることが出来る出演作は10本程度だから偶然続けて観る確率は低い。
 次に観ようと思っているのは、NHKBS2で放映されこれまた録画したままのマキノ雅弘の『次郎長三国志』シリーズ(1952?1954年に制作されたなんと九部作)だからさすがにシンクロニシティは続きそうにないが、清水の次郎長の子分の中にマイク・エップスがいたりしてな。

 作品としての評価は高くないだろうが、オレとしては『ビッグ・トラブル in NY』が一番面白かった。カミさんを怒らせたバスの運転手が市バスを走らせて謝りに行く。白馬に乗った王子様ならぬ市バスに乗ったダメ夫だな。
 世界貿易センタービルが画面に登場する『ワイルド・チェイス』の頃のジェイミー・フォックスは最近の「これでもかぁ?」と無駄に力が入りまくった演技ではなくて、こっちの方が良い。
『タイムリミット』の監督は以前に『青いドレスの女』(1995)でもデンゼル・ワシントンと組んでいるカール・フランクリン。ストーリーや登場人物の整理が出来ていないなど両作とも明らかに力不足。『青いドレスの女』は原作を先に読んでたんで観ててかなりキツかった。

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