2008年8月アーカイブ

B0017XB580.jpg『四銃士』(1974) THE FOUR MUSKETEERS 107分 イギリス

監督:リチャード・レスター 製作:ピエール・スペングラー、イリヤ・サルキンド 脚本:ジョージ・マクドナルド・フレイザー 撮影:デヴィッド・ワトキン 音楽:ラロ・シフリン
出演:オリヴァー・リード、リチャード・チェンバレン、フランク・フィンレイ、マイケル・ヨーク、ラクエル・ウェルチ、フェイ・ダナウェイ、チャールトン・ヘストン、ジャン=ピエール・カッセル、クリストファー・リー、シビル・ダニング

 前作『三銃士』と同時に撮影されたのでキャスト・スタッフともほぼ同じメンツ。何故か音楽だけミシェル・ルグランからラロ・シフリンに変更になっている。ラロ・シフリンは好きだが、このシリーズに関してはミシェル・ルグランの楽曲の方が合っていた。
 ストーリーはそのまんま続き。念願かなってダルタニアンは銃士となり、アトス、アラミス、ポルトスの三銃士と合わせて四銃士となる。愛人のコンスタンスとの仲も良好で人生を満喫するダルタニアンだが、リシュリュー枢機卿の陰謀が再び襲いかかる。
 前半は軽快なテンポで物語は進む。凍った池(川?)の上でダルタニアンがロシュフォールとその部下たちとつるつる滑って転んだりの戦いはほとんどコント。氷に穴が開いて水にはまりこみ困った顔のロシュフォール(クリストファー・リー)なんてのはなかなかお目にかかれない。
 四銃士だけの内緒話をするために、フランス軍と解放軍が戦う前線で互いの中央にある無人地帯の城壁に「ちょっとあそこで朝食を取ってくる」とでかけ、大砲の弾丸が飛び交う中、本当に食事をしながらついでに城壁を攻めてくる敵をやっつける。前作では意外に活躍シーンがなかったアトス、アラミス、ポルトスの三人も今作では剣劇などで存分に腕を振るう。
 四銃士の主人公は、血気盛んで熱血漢で惚れっぽいダルタニアン、何か過去がありげでニヒルな酒好きのアトス、聖職者を目指していて銃士は仮の姿と言いながら女好きのアラミス、そして派手好きでホラ話が得意なポルトスとそれぞれに魅力的なキャラクターがきっちり書き分けられていて、それぞれの個性が互いに引き立て合っている。
 今となってはありきたりなキャラ付けかもしれないが、アレクサンドル・デュマが『三銃士』を書いたのは1800年代前半から半ば頃だから、現在作られている作品がその影響を受けていて当たり前に見えるのかもしれない。

 後半にはいると物語はかなりシリアスになってくる。以下、大いにネタバレを含む。これ書いとかないと1993年版の『三銃士』に繋げられないんだよね。

 コンスタンスは一度は毒婦ミレディーによって誘拐されるが、四銃士の活躍で救出され修道院に匿われる。しかし、その居場所を知ったミレディーの手にかかりコンスタンスは命を落とす。
 コンスタンスの死を知り怒りに狂ったダルタニアンはロシュフォールと対決し、激しい戦いの後ついにロシュフォールを倒す。修道院の聖堂の中で繰り広げられるこの戦いはアクションの激しさと長目の時間でシリーズ最大の見せ場。『スター・ウォーズ』でクリストファー・リーが演じたドゥークー伯爵の戦いはスタントマンが演じた物にクリストファー・リーの顔を合成したと聞いたことがあるが(真偽は不明)、『四銃士』ではクリストファー・リー本人が実際に剣を振るって戦っている。クリストファー・リーは1922年生まれだから撮影当時はなんと50過ぎ。だが、その動きの華麗さは年齢を感じさせない。ここで前作のオープニングで父から「ここぞという時にだけ使え」と言われていた必殺の秘技を使うのかと思ったが違った。というか、その秘技は前作でロシュフォール相手に使ってあっさり避けられてたな。
 そしてなんとミレディーの正体は伯爵だったアトスの元妻だった。しかし、狩りの最中に落馬して肩に犯罪者の刻印が押されているのを見つけたアトスがミレディーを絞め殺し、その後爵位を捨てて銃士となったのだ。これでアトスが時に見せる影の意味だったのだ。ところがミレディーは死んではおらず、裏社会をのし上がりリシュリュー枢機卿の手先となったのだ。ミレディーの正体を掴んだ四銃士は彼女を死刑と決め首切り役人に刑を執行させミレディーは最後まで悪女のまま命を落とす。
 こうしてリシュリュー枢機卿の陰謀は四銃士によってまたもや打ち砕かれたのだ。

 『三銃士』の回で書いたがコンスタンスは下宿屋の妻でダルタニアンとは不倫の愛人関係。それなのに真っ昼間の大通りで平気な顔してデートしている。前作では登場した下宿屋のしょぼくれたオヤジは妻を寝とられただけではなく出番まで無し。
 その上、ダルタニアンは正体は知らないとはいえミレディーと寝るし、彼女の侍女とまで寝る始末。いくら若いとはいえなぁ。それで「コンスタンスを愛している」とか言われてももう一つ説得力が......まぁ17世紀フランスが舞台だから現代日本の倫理をあてはめてもしょうがない。

 ちなみにこれから20年後が舞台の『新・三銃士/華麗なる勇者の冒険』(1989)という続編も作られている。監督はもちろんリチャード・レスター。日本では劇場公開されず、ビデオが発売されただけ。DVDにはなっていない。レンタル開始時にさっそく観ましたが相変わらずのリチャード・レスター節。ダルタニアンの召使い(レスターの『HELP!』にも出てた『三・四銃士』と同じ人)が食堂で料理をかっぱらうシーンから始まるんだったかな。昔のことなんで細部は忘れてるが、結構面白かった。世間の評価は低いようだが。

B0017XB57Q.jpg『三銃士』(1973) THE THREE MUSKETEERS:THE QUEEN'S DIAMONDS 109分 イギリス

監督:リチャード・レスター 製作:ピエール・スペングラー、イリヤ・サルキンド 原作:アレクサンドル・デュマ 脚本:ジョージ・マクドナルド・フレイザー 撮影:デヴィッド・ワトキン 音楽:ミシェル・ルグラン
出演:オリヴァー・リード、リチャード・チェンバレン、フランク・フィンレイ、マイケル・ヨーク、ラクエル・ウェルチ、フェイ・ダナウェイ、チャールトン・ヘストン、ロイ・キニア、シビル・ダニング、ジャン=ピエール・カッセル

 オープニングは黒をバックに二人の男が剣で戦う様子をストロボアクションで描いている。おおっこれはっ!とワクワクしていると実はボロっちい納屋で主人公のダルタニアンが父から剣の稽古を受けているシーンだったというオチが付く。この梯子の外し方がいかにもリチャード・レスターである。
 オフビートなコメディを得意とするリチャード・レスターが監督しただけあって、かなりギャグが多い。それでいて『三銃士』ならではの剣によるアクションや梯子や洗濯物を使ったアクロバティックなアクションもスピーディーに繰り広げられ、ロマンスもてんこ盛りと欲張りながらもバランスの取れた作品となっている。
 ただし、リチャード・レスターのギャグはネタとテンポが独特なので人によっては「まったく笑えない」かもしれない。ドアを開けたところにダルタニアンの召使いが立っていて、ドアに鼻をぶつけて微妙に痛そうな表情をしているネタなんか、そのテンポと召使いの痛がり方が大袈裟ではなく微妙なところが笑えるんだが、「何だそれ」で終わってしまう人もいるだろう。

 剣の修行を積んで銃士になるべくダルタニアンは故郷のガスコーニュを離れパリへと向かう。そこでロプロス、ロデム、ポセイドンという三つの下僕、じゃなくてアトス、アラミス、ポルトスという銃士隊でも腕利きの三銃士と出会い友人となる。
 そして下宿屋で主人の妻コンスタンスに一目惚れしてしまったことから、フランス乗っ取りを企むリシュリュー枢機卿(チャールトン・ヘストン)の陰謀に巻き込まれていく。
 原作にかなり忠実に作られたということだが、ロマンスの大半が不倫。ダルタニアンとコンスタンスはあっと言う間に愛人関係になってしまう。主人公が不倫かよ。昔、NHKかどこかでアニメになった記憶があるが、設定はかなり変えていたんだろうな。
 リシュリュー枢機卿の陰謀というのも、うすのろのルイ十三世が嫌いなフランス王妃がイギリスのバッキンガム公と愛人関係にあり、その王妃がバッキンガム公に愛の印としてダイヤモンドの首飾りを渡したことを知り、舞踏会を開いて首飾りが無いことで王妃を陥れ王室の権威を奪うのが目的。
 さらに確実を期すために枢機卿は毒婦ミレディー(フェイ・ダナウェイ)をバッキンガム公の元へと送り込む。すると散々王妃に愛を語っていたバッキンガム公はすっかりたらし込まれてベットを共にし、その隙に12のダイヤが付いた首飾りから2つを盗まれてしまう。君ら、下半身軽すぎですよ。
 それにしても、銃士隊は王を守るためにいるはずだが、その王を裏切った王妃のために大活躍。ルイ十三世は頭の回転が悪く枢機卿にすっかり丸め込まれているという役柄だが、王としての評価が低い人なのかね。ルイ十三世はもちろんリシュリュー枢機卿も実在の人物で、政治面で枢機卿に頼ることは多かったらしい。史実をある程度元にした娯楽フィクションなわけだ。

 チャールトン・ヘストンの悪役というのも珍しい。王にも並ぶ枢機卿の権威を迫力を持って演じている。
 その部下で隻眼の剣士ロシュフォールを演ずるのはクリストファー・リー。冷酷残忍な男だけに彼にはぴったり。剣さばきも冴えていて魅力的な悪役なんだが意外と見せ場は少ない。それについては『四銃士』を待つべし。
 ミレディーのフェイ・ダナウェイは美しい薔薇には刺があるがふさわしい悪女。色気たっぷりと蠱惑的でそれに魅せられて近づいたら短剣でブスリとやられるか毒を盛られるか分かったもんじゃない。終盤ではダイヤモンドの首飾りを巡ってコンスタンスと女同士がドレス姿での戦い。髪飾りに凶器を仕込んでおくなど怖し怖し。
 豪華な顔ぶれの悪役人に比べて、主人公側はリチャード・チェンバレンとラクエル・ウェルチが目立つぐらいでちょっと寂しい。

 続編として『四銃士』(1974)があるが、これは本来1作品として同時に撮影されたもの。上映時間の関係で二部作となったらしい。『三銃士』のラストには『四銃士』の予告編が入っている。『三銃士』単品でも楽しいが、やはり『四銃士』とのセットでどうぞ。

B000FHP8LO.jpg『パニック・フライト』(2005) RED EYE 85分 アメリカ

監督:ウェス・クレイヴン 製作:クリス・ベンダー、マリアンヌ・マッダレーナ 製作総指揮:ボニー・カーティス、ジム・レムリー、J・C・スピンク、メイソン・ノヴィック 原案:カール・エルスワース、ダン・フース 脚本:カール・エルスワース 撮影:ロバート・D・イェーマン 音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:レイチェル・マクアダムス、キリアン・マーフィ、ブライアン・コックス、ジェイマ・メイズ、ジャック・スカリア、コルビー・ドナルドソン、ローラ・ジョンソン、ロバート・パイン、ベス・トゥセイント、アンジェラ・ペイトン

 マイアミにあるホテルのフロントで働いているリサは父の住むテキサスに行くため、マイアミ空港発テキサス行き最終便に乗る。ところが隣の席に座った男がテロリストで、父親の命を人質にとってホテルに泊まる要人の部屋をリサに変更させようとする。
 飛行機という密室の中でリサは父の命と要人を守ることが出来るのだろうか?

『エルム街の悪夢』などで知られるホラーを得意とするウェス・クレイヴンが作り上げたヒッチコック的サスペンス。
 他の乗客やフライトアテンダントにトイレの鏡に伝言を書くなどして事件を伝えようとするが、その度にテロリストに阻止されてしまう。だが、リサは決して諦めない。美人なだけじゃなくて実に格好いい。
 テロリスト役のキリアン・マーフィも最初は善人を装ってリサに近づいてきて、ある時点から悪人になる。その切り替え振りが上手い。いかにもな悪人顔ではなく、むしろ少し軟弱なぐらいなので邪悪さが強調されている。
 ほとんどがリサとテロリストが座った二人用座席で話しが展開される。限定された状況下の使い方が巧みで、良い意味での息苦しさが感じられる。終盤では飛行機を降りてリサの父宅でのアクションもある。それまでのサスペンスとはがらっと雰囲気が変わるが違和感はない。
 他の乗客としてリサが本をプレゼントした老婦人や一人で乗っている少女、アホっぽい青年たちなどが登場するが、彼らがあまり上手く使われていない点は少々もったいない。搭乗前のシーンでちょっとした紹介的シーンがあるので期待していたのだが残念。大人たちが事態に気づかない中、少女だけは異常を感じるところは良かったが、もっと活かせたと思う。上映時間が短いので制約もあるのだろうが。

 要人の部屋を海側に変更させたので、これはスナイパーライフルで狙撃するつもりだなと思いきや、携行用ミサイルで部屋ごと吹っ飛ばすという乱暴さ。そんな強力な武器があるのならばそんなに部屋の位置にこだわらなくてもいいんじゃ?走行中の車ごと吹っ飛ばしてもいいわけだし。でもバカな上に派手でいいね。ミサイルが発射され、煙の軌跡を残しながらホテルに向かって飛んでいくシーンには大笑い。

B001ALQWY6.jpg『エース・ベンチュラ2/ジム・キャリーのエースにおまかせ!』(1995) ACE VENTURA: WHEN NATURE CALLS 95分 アメリカ

監督:スティーヴ・オーデカーク 製作:ジェームズ・G・ロビンソン 製作総指揮:ゲイリー・バーバー 脚本:スティーヴ・オーデカーク 撮影:ドナルド・E・ソーリン 音楽:ロバート・フォーク
出演:ジム・キャリー、イアン・マクニース、サイモン・キャロウ、メイナード・エジアシー、ボブ・ガントン、ソフィー・オコネドー、アドウェール

 おバカ映画と言われる作品なんだろう。オレが好きなのはバカ映画なのでやはりちょっと違うのだが、それでも面白かった。
 まず、ジム・キャリー若ぇえー。気がつきゃ10年以上前の作品か。ジム・キャリー自身の芸に頼りすぎていて、ギャグが足りない気がするが許容範囲内。下ネタがかなり多く、下ネタが苦手なオレにはちょっとつらいがこれも許容範囲内。
 今回は高山に取り残されたアライグマを救助するという『クリフハンガー』のパロディから始まるが、映画全体で見るとパロディネタはそれほど多くない。中心となるのは先ほども書いたがジム・キャリーの顔ネタとしゃべりネタ。犯人を突き詰めるところでいきなり逆戻しと言って逆再生の振りをするシーンには笑った。ロボットのサイから脱出するために肛門部からはい出る疑似出産シーンは爆笑。
 アフリカが舞台だが、アフリカロケなんて欠片もしてないんだろうな?と思いつつ、終盤のエースの動物たちへの呼びかけで悪党の屋敷に象を始めとする動物たちが乱入してくるシーンはターザンを思い出させて嬉しい。さすが動物を愛するペット探偵。その割に、途中で自分を襲ってきたワニをボコボコにやっつけてたけど。爬虫類にも愛をやれよ。
 冒頭でアライグマを救えなかったことでエースは出家し、チベット仏教と思われる山岳の中にある寺院で修行を積んでいる。これが終盤で意外な活かされ方をする。寺院のトップの僧侶はやはりダマイ・ラマがモデルなんだろうか?今(2008年8月23日現在)は北京オリンピックで大騒ぎをしているけど、それはそれ、これはこれ。チベット弾圧のことは忘れちゃダメだ。昨日紹介した『ジャッカル』主演のリチャード・ギアも熱心なチベット支援者として有名だよな。
 どうでもいいけど、悪役側のボブ・ガントンはダスティン・ホフマンに似ていると思う。
『ライオンは寝ている』や『シークレットエージェント・マン』など懐かしの楽曲が映画を彩る。『ライオンは寝ている』はオレのお気に入りの曲で、これだけのために昔トーケンズのアルバム買っちゃったよ。

B00005V2MF.jpg『ジャッカル』(1997) THE JACKAL 125分 アメリカ

監督:マイケル・ケイトン=ジョーンズ 製作:ジェームズ・ジャックス、ショーン・ダニエル、マイケル・ケイトン=ジョーンズ、ケヴィン・ジャール 製作総指揮:テレンス・クレッグ、マーク・ゴードン、ゲイリー・レヴィンソン、ハル・リーバーマン 脚本:チャック・ファーラー 撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ 音楽:カーター・バーウェル
出演:ブルース・ウィリス、リチャード・ギア、シドニー・ポワチエ、ダイアン・ヴェノーラ、マチルダ・メイ、J・K・シモンズ、ジャック・ブラック

 ジャッカル(ブルース・ウィリス)が繰り出す数々のヘンテコ変装に大爆笑。ほとんどコントですな。故水野晴郎氏がブルース・ウィリスへのインタビューで「いやー、あなただと全然分かりませんでしたよ」と言ったとか言わないとか。思いっきり分かるちゅーねん。
 殺し屋といえば、スナイパーライフルで遠距離から狙撃するのが伝統。しかしジャッカルはリモコンで操作する電動の台に乗せた機関銃で標的に向かってバリバリ乱射。殺し屋の世界も情緒が無くなりましたな。このリモコンは2台の携帯電話で動作させ、機関銃に備えたスコープの映像も転送しそれで狙いを定めるという優れ物。1997年当時の携帯電話にそれだけの情報転送量があったかは疑問ですが、まぁ気にしない。
 アメリカで誰かの暗殺を企むジャッカルを追うのがFBIのシドニー・ポワチエと刑務所から一時保釈中の元IRAのテロリストのリチャード・ギア。話しの展開上、ジャッカルが他の二人と顔を揃えるシーンはほとんどないが濃い面子だ。
 初の本格的悪役のブルース・ウィリスは颯爽と登場しておいて、映画が進むと共に薄っぺらくなっていく。あまり頭の切れる凄腕の伝説的殺し屋には見えない。これはブルース・ウィリス本人よりも脚本に問題あり。その行動に緻密さが感じられないのだ。
 ラストでリチャード・ギアを追い詰めたジャッカルの後ろに立っていた人物はシドニー・ポワチエにすべきだった。そしてジャッカルを射殺した後、「俺はこれから後始末で忙しい。お前なんかに関わっている暇はない」とさりげなくリチャード・ギアを逃がしてくれたら最高なんだが。結局は似たような感じになるけど。
 ジャッカルは任務のためならどんな方法も厭わない。隠れ家を確保するためゲイの集まるバーで男を引っかけて熱い熱?いディープキスを見せてくれる。ああ、見とーない、見とーない。でもこれもプロならなんだろう。邪魔者が出てきたら躊躇せずに射殺する非情さが良い。
 リモコン操作の電動装置をジャッカルの依頼で作ったのはジャック・ブラック。素直に最初に決めた報酬だけもらっておけば良かったのに、完成後の引き渡し時にもっとよこせと言い出す。ああ、そういうキャラは悲惨な最期を遂げるのに。案の定、機械のテストとして出かけた森の中で、劣化ウラン弾の連射を浴びてジャック・ブラックは粉々になってしまう。欲をかいちゃダメって見本だ。

『ジャッカルの日』の存在は忘れてから観るように。

4845908190.jpg『孤高の騎士クリント・イーストウッド』2008年6月初版

 オレは在命中の映画監督の中ではクリント・イーストウッドが最高だと思っている。それも頭抜けてダントツのベストだ。
 そのクリント・イーストウッドを相手に数回に分けてロングインタビューが行われ、それをまとめたのがこの『孤高の騎士クリント・イーストウッド』(2500円+税)だ。
 インタビュアーのマイケル・ヘンリー・ウィルソンはフランス人。イーストウッドの映画作家としての資質を初めて見出したのがフランスと日本であることを思い出すと感慨深い物がある。アメリカで監督としてのイーストウッドが評価されるようになったのはかなり後になってからなのだ。
 ただしこのマイケル・ヘンリー・ウィルソンが今一つ良くない。悪いわけでもないんだが。インタビュアー次第によってはアルフレッド・ヒッチコックにヒッチコキアンのフランソア・トリュフォーがロングインタビューした『ヒッチコックの映画術』のような映画史に残る名著かつ必読書になった可能性もあるので、少々残念だ。だが、イーストウッドファン以外にも読む価値は絶対にある。

「成功も失敗も、すべて私ひとりで引き受ける」
 おれが『映画の血』でグダグダと言葉を並べ立てて書いたことをイーストウッドはたったの一言で表現してしまう。自分が撮った映画は自分の作品。制作には多くの人間が関わっているが、出来上がった映画は俺の物だということなのだ。
 オレが初めて「映画って美しいんだ」と感じた『ペイルライダー』については、
「映画会社は、何かというとコンピューターに相談したり、観客動向の調査にあくせくしているが、何の意味もないよ。そういう了見で『ペイルライダー』を撮っていたら、マーケティングという名の儲け主義に引きずられて、ストーリーも味わいもメッセージも犠牲にしてしまっただろう。果たし合いのシーンをもっと派手にして、エキストラを大勢雇って、とかね。必然性もないのにそんなふうにしたら観客だって騙されたと感じるよ」と語る。
 単に派手にして観客受けを狙うのではなく、自分がやりたいことをしっかりとやる。映画作家としての作品を支配する強い意志が感じられる。映画作家の作品としての映画よりも、ハリウッドではマーケティング重視の娯楽作品が多い中、戦うイーストウッドの姿が見える。

?あなたが最もわくわくするプロセスは?脚本ですか?撮影ですか?編集ですか?
「編集だ。編集はいちばん束縛されない段階だ。編集者と一緒にこもってパズルを組みたてるんだからね」
 これは「フィルムを切り刻め」でオレが感じたことと似ているように思う。イーストウッドと自分に共通点があったのかと思うととても嬉しい。

 自分が映画を本気で観始めてすでに20年ちょっと。その結果あれこれと考えていたことと、イーストウッドが語っていることに近い部分を見つけるとオレの送ってきた年月はそれほど間違っていなかったんだなと安堵する。もちろん、異なる部分も多い。まだまだ修行不足なところもあるし、オレはイーストウッドではないということでもある。
 イーストウッドはあまりインタビューを受けない人で、これまでに彼の本心が語られることは少なかった。言葉よりも映画で語る人だったのだろう。そんなイーストウッドの初のインタビュー集が発刊されたことは記念すべきことである。もちろんこれからもイーストウッドは元気に映画を撮り続けると信じているが、78歳という年齢を考えるとそろそろこのような本が作られてしかるべきだ。万が一のことがあってからでは遅い。

B0011YN26S.jpg『呪い村 436』(2006) POPULATION 436 92分 カナダ/アメリカ

監督:マイケル・マックスウェル・マクラーレン 製作:ギャヴィン・ポローン 製作総指揮:ギャヴィン・ポローン 脚本:マイケル・キングストン 撮影:トーマス・バースティン 音楽:グレン・バー
出演:ジェレミー・シスト、フレッド・ダースト、デヴィッド・フォックス、シャーロット・サリヴァン、R・H・トムソン

 アメリカ映画を観ていると、町の入り口に「WELCOME TO なんとか。POPULATION(人口)1234」なんて看板が立っているのを見かける。あの人口は一人減ったり増えたりする度にこまめに書き直しているのだろうかと疑問だったのだが、その謎を解いてくれた(?)のがこの作品。

 人口436人の小さな田舎町ロックウェル・フォールズに国勢調査員のジョン・トラヴォルタ似のスティーヴ(ジェレミー・シスト)が調査のために訪れる。一見平和なその町で資料を調べている内に何十年も人口が436人のままであることに気づく。

 乗ってきた車はパンクで立ち往生してしまい、修理に出しても一向に治らないどころかいつの間にか消えている。単に調査に来ただけなのに、町の住人とされてしまい、彼が分だけ一人増えて437人になったから生け贄を選ばれるとその生け贄は喜んで殺されてしまい436人を維持される。1人増えたら1人減らし。2人増えたら2人減らし。その行為には人為的な物だけではなく超自然現象の力も働いているようなのだが、その点についてははっきりとは描かれていないのが余計と想像力を刺激する。
 助けを求めようにも携帯電話は圏外。電話は町の交換に繋がり外部には連絡が付かない。車が手に入らず、村人から常に監視を受けている状態。町は森の中にあり大きな道や他の町から遠く離れているため走って逃げ出しても捕まってしまう。逃げだそうとしても逃げ出せない。
 そんな怖ろしい状況なのに他の村人は一部を除いて何の疑問も持たずに平和に暮らしている。これが村人も呪いを怖ろしいものと感じていて、赤ん坊が一人生まれる度に誰が犠牲になるかで悩み苦しんでいるのならまだいいが、人口が436人であり続ける限り繁栄が続くと思って笑顔でのどかに暮らしている。その恐怖感がたまらない。
 この町だけではなく、特定の思想・宗教を持つ人だけで作られた共同体というのはどこか異常な部分があっても所属している人間にとってはそれが常識となっていたりする。新興宗教が起こした事件が時折ニュースになる。どう考えてもまともじゃないことが教団内部ではまかり通っていて信者は何の疑問も持っていないというのがあるが、あれと似た怖さかも知れない。学校の運動部とか一部の会社とかにもそういうところがあるな。やはり閉鎖的な団体ってのは問題を抱えているのかも。社長に無理矢理出席させられた自己開発セミナーでは日程の2日間ずっと講師に逆らい続け、親が行かないと仕送り止めるぞというので参加したヤマギシズムの特講では入り口の受付でケンカして速攻で帰ってきたオレは閉鎖的な物が嫌いなのでよけいとこの作品は怖いのだろう。
 町を出たがっている若い女性やスティーヴと友達になる保安官、病院で謎の治療を受けている少女などがストーリーの展開に上手く活かされ、登場人物としての魅力も持っている。
 派手な殺人やほとばしる血しぶきなどの残虐なシーンは登場しないが、作品のカラーからいうとそれで正解。

 さっきも言ったがオレはこういう閉鎖社会物ホラーって苦手なんだよ。一見普通の町なのに実は住人が全員狂っていて、それに気づいて逃げだそうとするが逃げ出せないとか全員から狩られて殺され秘密のままとか。ほんと怖い。

B00140FBDG.jpg『栄光のル・マン』(1971) LE MANS 109分 アメリカ

監督:リー・H・カッツィン 製作:ジャック・N・レディッシュ 脚本:ハリー・クライナー 撮影:ロバート・B・ハウザー、ルネ・ギッサール 音楽:ミシェル・ルグラン
出演:スティーヴ・マックィーン、ヘルガ・アンデルセン、ジークフリート・ラウヒ、ロナルド・リー=ハント、リュック・メランダ、フレッド・アルティナー

 スティーヴ・マックィーンが純粋なカーレース映画が撮りたいと自ら主催するプロダクションで作り上げたル・マン24時間耐久レースを題材にした映画。
 実際のル・マンでの大会で撮影されたシーンと映画用に撮影されたシーンが上手く組み合わさっていて、こういった方法の場合でよく見られる画質の差などもなく統一感のある画面作りに成功している。
 映画が始まるとすぐにレースがスタート。リアルかつ迫力のあるカーレースだ。だがそれも10分、20分と経つと次第に飽きてくる。ごめん、マックィーン。オレ、退屈してるわ。

 そもそもはマックィーンとは関わりの深いジョン・スタージェスが監督するはずだったのが、ストーリーに娯楽性を求めたスタージェスに対し、カーレース以外は極力排除したいというマックィーンは衝突して結局スタージェスは降板。後任としてリー・H・カッツィンが監督となったが、実質的にはマックィーン監督作と言っても過言ではないそうだ。
 前年のル・マンでポルシェチームのマックィーンと事故を起こし死亡したフェラーリチームのドライバーの未亡人が登場し、ストーリーに多少起伏が生じるが、それもつかの間。またレースシーンに戻り、それが延々と続くのであった。
 対戦相手のドライバーとの駆け引きや、コクピットの中での孤独な戦い。タイヤがバーストしてリタイヤしたドライバーが見せる無念の表情などドライバーたちの心理はセリフをほとんど使わなくともちゃんと描かれているのだが、正直地味。
 ピットクルーは見事な仕事ぶりを見せるが個性はあまりない脇役だし、観客に至っては単なる群衆。観客の中に面白いキャラクターを仕込んで話しを盛り上げるのはいくらでも可能だったと思う。おそらくジョン・スタージェスならばそうしたかもしれないが、それはマックィーンがやりたいこととは違ったのだろう。
 レースシーンは撮影もドライバーのテクニックもすごく上手だが、それがひたすら続くとモータースポーツには、いや車そのものに興味がないオレには結構つらい。リアルなレースを映画で再現することには成功しているが、レースが見たかったらオレは素直にレース場に行くかな。興味ないから行かないけど。そもそも実際のカーレースとしてのリアルさと映画の中のカーレースのリアルさは別物だろう。
 マックィーンのストイックなキャラクター。終盤の手に汗を握るデッドヒートなど見所は多いが、カーレースにかけるマックィーンの情熱と思い入れが欠点になっている部分もある。真面目で求道的なマックィーンには感心するがちょっと肩も凝る。ハンドルには遊びが必要だが、映画にも遊びが必要。ひたすらに張り詰めているのではなくもうちょっと緩急があっても良かったではと感じる。でも、レース用の車だからハンドルに遊びはないのか。モータースポーツのファンが観たらまったく別の感想になるのだろうと思いつつ、今日はここまで。

B001BB3LJO.jpg『バイキング』(1957) THE VIKINGS 114分 アメリカ

監督:リチャード・フライシャー 製作:ジェリー・ブレスラー 製作総指揮:カーク・ダグラス 原作:エディソン・マーシャル 脚本:カルダー・ウィリンガム 撮影:ジャック・カーディフ 音楽:マリオ・ナシンベーネ
出演:カーク・ダグラス、アーネスト・ボーグナイン、ジャネット・リー、トニー・カーティス、アレクサンダー・ノックス、ジェームズ・ドナルド

 隠された意外な血縁関係。剣での戦い。切り落とされた左手首。
 はっ!ここにも『スター・ウォーズ』の元ネタがっ!......かどうかは知りませんが。

 最近では海賊というとカリブ海だが、これは北欧を拠点にヨーロッパ各地を荒らし回った海賊バイキングの話し。
 冒頭でイングランドが襲われ、王は殺され王妃はバイキングの王(アーネスト・ボーグナイン)に犯されてしまう。イングランド王の従兄弟が新たなる王となり、混乱を避けるために王妃が身籠もって産まれた男の赤ん坊はイタリアへ送られる。
 それから20年後。赤ん坊は道中でバイキングに誘拐されエリックという名の青年(トニー・カーティス)となり奴隷として働かされている。そのエリックが飼っていた鷹狩り用の鷹に襲われ左目を失い自慢の顔に傷を負ったのがバイキング王の息子エイナー(カーク・ダグラス)。エイナーはエリックを憎み、生きているのを後悔させてやると復讐を誓う。
 だが、二人とも父を同じくする異母兄弟。この事実が登場人物に明らかになるのは終盤に入ってからだが、観客には早い段階で提示されており、兄弟である二人の憎しみと対抗心のドラマが展開される。エイナーはエリックを単なる奴隷と見下しているようでいて、心の奥で強く意識している。血が感じさせたのだろうか。

 見せ場はラストのイングランド城にバイキングが乗り込んでの合戦シーン。最近はファンタジー映画などで派手な合戦シーンが多いので、それに見慣れた人の眼には物足りない部分もあるかも知れないが、切り倒した大木で城門を突き破って突入し、剣と楯とでの肉弾戦から弓矢・投石機の飛び道具などでの迫力のある戦いが繰り広げられる。
 剣も怖いが弓矢はもっと怖い。遠くから飛んできた矢にブスッとやられたら終わりなわけで、城壁の上から狙い撃ちされたら手も足も出ない。バイキングとイングランド軍との矢の撃ち合いのシーンではその怖ろしさをぞんぶんに発揮してくれる。
 そしてついにエリックとエイナーの剣による一対一での戦いが始まる。さすが、分かってるねリチャード・フライシャーは。

 カーク・ダグラスはいかにも悪役風に登場しながら、次第にその屈折した内面を明らかにしていき、最後には見せ場を全部持って行ってしまう。憎たらしかったのがどんどん格好良くなっていくんだこれが。
 ライバル役のトニー・カーティスは王族の血筋でありながらそれを知らないまま奴隷の身分。さらに誘拐されたウェールズのお姫様と恋に落ちるという普通の映画ならば主役を務める設定でありながら美男子の顔にヒゲを生やして熱演しても引き立て役扱い。この人は笑うと歯が「キッラーン」と光るような二枚目だったのだが、いつからか交通事故にでも遭って整形手術でもしたのかと疑いたくなるほどに顔が崩れてしまった。
 バイキング王のアーネスト・ボーグナインはイングランドに捕らえられ処刑されるが、その時に「わしに剣を持たせろ。そうでないと死んだ後にヴァルハラへ行けん」と剣を要求。そして笑って死んでいく。バイキングはヒゲを剃らないので最初に登場したときは一瞬ボーグナインとは気づかなかったが、この"ニカッ"笑いは紛れもなくボーグナイン。

 バイキングはなにかあると宴会をやっている。作法など無く、テーブルに並べられた料理を手づかみでバクバク食いまくり、角で出来たジョッキで酒をグイグイ飲みまくる。これこそ本当のバイキング料理だ。
 他の部分でも基本的にバイキングは野蛮な略奪者で、キリストではなくオーディンを信じる異教徒だ。だが、誇りを持つ戦士という点もちゃんと描かれている。

B00005JP4T.jpg『大脱獄』(1970) THERE WAS A CROOKED MAN 127分 アメリカ

監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ 製作:ジョセフ・L・マンキウィッツ 製作総指揮:C・O・エリクソン 脚本:デヴィッド・ニューマン、ロバート・ベントン 撮影:ハリー・ストラドリング 音楽:チャールズ・ストラウス
出演:カーク・ダグラス、ヘンリー・フォンダ、ウォーレン・オーツ、ジョン・ランドルフ、アーサー・オコンネル、リー・グラント、ヒューム・クローニン、バージェス・メレディス

 大富豪の自宅を襲い、隠し金庫から50万ドルを奪った強盗団だったが反撃に遭い、ボスのパリス(カーク・ダグラス)だけが生き残る。パリスはガラガラヘビの巣に現金を隠し、街の女郎屋で豪遊する。ところが悪いことは出来ないもので、一文無しになって女遊びは出来なくなった元大富豪がせめてもの楽しみとのぞき穴から覗いた部屋がパリスが遊んでいた部屋だった。丸裸にガンベルトだけで逃げ出そうとするパリスだがあえなくお縄となり、懲役10年の刑を受ける。
 収容されたのは街から80キロも離れた荒野の中の刑務所。こんなところで10年も無駄に過ごす気はないパリスは同房の囚人たちを仲間に引き入れ、脱獄計画を練り始める。

 とにかくパリスが悪党。終盤の刑務所の中で大騒動を起こし、塀をダイナマイトで爆破するという大胆な脱走の中で、仲間は平気で見捨てていくし、彼を友人だと信じ込んでいるウォーレン・オーツは「お前はいつかは裏切るだろう」と射殺して結局は自分一人で逃げ出す始末。
 それに対するは刑務所の新所長ロープマン(ヘンリー・フォンダ)。前所長はパリスを25万ドルと引き替えに自由にする約束が付いていたが騒動の最中に殺されてしまい、代わりに元保安官のロープマンが派遣されてきたのだ。パリスはロープマンも買収しようと試みるがそれを拒否し、清潔で健全な刑務所に建て直し受刑者教育に力を入れようという方針だ。
 脱獄に成功したパリスを自ら追いかけるために馬に乗って刑務所を旅立つロープマンとくるので、これはラストは二人の決斗だなと思いきや、予想だにしなかった形でその決着はついてしまう。そうか、ガラガラヘビが伏線だったか。
 そして50万ドルを手に入れたロープマンは、笑顔で国境を越えメキシコへと渡る。そして「その後、彼は幸せに暮らしました」との字幕が表示される。それでいいのかっ!パリスが「あんたは偽善者だ」とロープマンに言っていたがその通り。正義より金を選ぶ。なんだかんだで笑えるラストだ。

 ユーモラスに始まったオープニングからコメディ西部劇だと思った。実際、コミカルに展開するシーンが多いのだが、脱獄のシーンでは囚人側にも看守側にも死人がかなり出ているのが少し気になる。力業ではなくもっと奇想天外な脱獄方法にして欲しかったが、そうするとパリスの非道振りが描けない。難しいところだ。
 パリスのあっけない最後にしろ、ロープマンが選んだ結末にしろちょっと余分というか鼻につく感じがある。製作年度は1970年。西部劇が断末魔を挙げる70年代に突入したのだ。

B0011ZOJ2I.jpg『ドクトル・ジバゴ』(1965) DOCTOR ZHIVAGO 194分 アメリカ/イタリア

監督:デヴィッド・リーン 製作:カルロ・ポンティ 原作:ボリス・パステルナーク 脚本:ロバート・ボルト 撮影:フレデリック・A・ヤング 美術:テレンス・マーシュ 音楽:モーリス・ジャール
出演:オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ、トム・コートネイ、アレック・ギネス、ジェラルディン・チャップリン、リタ・トゥシンハム、ロッド・スタイガー、エイドリアン・コリ、イングリッド・ピット、シオバン・マッケンナ、ノエル・ウィルマン

 時はロシア革命の頃。赤軍と白軍が戦い合い、国中が大混乱の最中で妻子ある詩人にして医師のジバゴが赤軍の冷酷な将校の妻と出会い恋に落ちるというメロドラマ。壮大なスケールで描かれる不倫劇なわけだ。
 これが以外と面白かった。自分たちの国が明日どうなるか分からないのに不倫。軍医としてパルチザンに誘拐され2年ほどあっと言う間に過ぎるが、なんとか無事に脱出してそれからどうするかっていうとまず不倫。実の妻と子の立場ねーなー、おい。
 デヴィッド・リーンは結局メロドラマの人だったと思うわけだ。『戦場にかける橋』や『アラビアのロレンス』でオレが感じた違和感は、ここにあるのだろう。歴史物や戦争物よりもメロドラマこそデヴィッド・リーンが撮り続けるべきものだったのだ。『ライアンの娘』も割と面白いし。

B000R8XA5C.jpg『戦場にかける橋』(1957) THE BRIDGE ON THE RIVER KWAI 155分 アメリカ

監督:デヴィッド・リーン 製作:サム・スピーゲル 原作:ピエール・ブール 脚本:カール・フォアマン、マイケル・ウィルソン 撮影:ジャック・ヒルデヤード 音楽:マルコム・アーノルド
出演:アレック・ギネス、ウィリアム・ホールデン、早川雪洲、ジャック・ホーキンス、ジェフリー・ホーン、ジェームズ・ドナルド、アンドレ・モレル、アン・シアーズ、ピーター・ウィリアムズ、ヘンリー大川

 部下の統制を保つために、イギリス軍捕虜の隊長が日本軍の鉄道橋建設に協力する。次第に熱中していって、ついには見事は橋を作り上げる。
 それにしても、ラストの戦闘シーンのしょぼさはどうよ?軽機関銃が乱射され、迫撃砲が発射されてもまるで盛り上がらない。そしてメインディッシュである橋の爆破。規模の割にあれだけ迫力のない爆破シーンも珍しい。
「この作品は戦争という状況下での人間ドラマであって、戦闘シーンなど重要ではない」という意見もあるのだろうが、良い監督とはほぼ間違いなくアクションの演出が上手いと決め込んでいるオレにとっては、せっかく戦闘シーンが撮れるというのにそこでのデヴィッド・リーンのやる気の無さが信じられない。

B000JVRTFY.jpg『アラビアのロレンス/完全版』(1988・1962) LAWRENCE OF ARABIA 227分 イギリス

監督:デヴィッド・リーン 製作:サム・スピーゲル 原作:T・E・ロレンス 脚本:ロバート・ボルト 撮影:フレデリック・A・ヤング、ニコラス・ローグ 編集:アン・V・コーツ 音楽:モーリス・ジャール
出演:ピーター・オトゥール、アレック・ギネス、オマー・シャリフ、アンソニー・クイン、ジャック・ホーキンス、アーサー・ケネディ、クロード・レインズ、ホセ・ファーラー、アンソニー・クエイル、ドナルド・ウォルフィット、マイケル・レイ

 アラビアの砂漠に当時の巨大な70ミリ撮影機材を持ち込んでの撮影は大変だったとは思う。でも、それは映画の評価とは関係ない。
 最初にロレンスが率いるアラブ人舞台が街を占拠するシーンでは戦闘シーンはほとんど描かれない。なるほど、そういう詩的な描写ねと思ったら、後で登場する敗残兵を攻撃するシーンではこれでもかというばかりの残虐描写。どっちがしたいんだよ、お前(デヴィッド・リーン)は?
 イギリス出身の白人でありながら、アラビアに魅了されアラブ人になりたがったロレンスという男。しかし、結局アラブ人にはなれずに友人のオマー・シャリフに当たり散らしたり、逆に図に乗って威張り散らしたり。ここがこの作品の主題だと思うのだが、非常にいい加減に描かれるだけで映画の進行によって無視されたまま終わる。ダメだろ、それじゃ。
 映画史屈指の名作として挙げられることも多いようだが、オレはまぁ傑作と呼ばれるのは許してやるとして、屈指の傑作には我慢がならん。そんなに面白いか、これ?つまらないとは言わないが、それなり程度だろ。砂漠で撮影された映像がどれだけ美しくとも、それがそのまま映画の評価には繋がらないだろ?
 実際にはイギリス帝国による植民地支配の美化ではあるのだろうが、それを無視してもつまらない物はつまらない。デヴィッド・リーンの明らかなる凡庸さが満ちあふれていて、退屈な227分が全編を埋め尽くしている。
 要するに、つまらないのだ。

B000WMDZEY.jpg『もしも昨日が選べたら』(2006) CLICK 107分 アメリカ

監督:フランク・コラチ 製作:アダム・サンドラー、スティーヴ・コーレン、マーク・オキーフ、ジャック・ジャラプト、ニール・H・モリッツ 製作総指揮:ダグ・ベルグラッド、バリー・ベルナルディ、ティム・ハーリヒー 脚本:スティーヴ・コーレン、マーク・オキーフ 撮影:ディーン・セムラー 特殊メイク:リック・ベイカー 編集:ジェフ・ガーソン 音楽:ルパート・グレグソン=ウィリアムズ
出演:アダム・サンドラー、ケイト・ベッキンセイル、クリストファー・ウォーケン、デヴィッド・ハッセルホフ、ヘンリー・ウィンクラー、ジュリー・カヴナー、ショーン・アスティン、ジョセフ・キャスタノン、テイタム・マッキャン、キャメロン・モナハン、ジェニファー・クーリッジ、シド・ギャニス、ジャナ・クレイマー、ロブ・シュナイダー、ソフィー・モンク、ジョナ・ヒル

 主人公のマイケル(アダム・サンドラー)は愛する妻と息子、そしてまだ幼い娘がいる。だが、マイケルは建築会社での設計士の仕事に追われ、まだまだ収入も少ないので出世を目指している。そのためには多少は家族を犠牲にしてもやむを得ないと自分を納得させている。
 マイケルの家は、これは現代の家庭はどこもそうだと思うがリモコンだらけ。テレビを付けようとしたら天井の扇風機が回り出したり、車庫のドアが開いたりと混乱の極み。そこでマイケルは一台のリモコンで全てを操作できるユニバーサルリモコンを買いに出かける。あるお店で“BEYOND”と書かれたドアをくぐったマイケルは、マッドサイエンティスト風の男モーティー(クリストファー・ウォーケン)に出会う。「これはどんな物でも操作してしまう万能リモコンさ。君には特別にタダでプレゼントするよ。ただし、返品不可だからね」
 そう言われてユニバーサルリモコンを手に入れたマイケルは無事にテレビを付けることに成功。それどころか、夜になっても吠える愛犬に何となくリモコンを向けて音量を絞ってみたら、犬の吠え声が小さくなる。朝起きてからのシャワーや着替え、通勤などの退屈な部分は早送りして無駄を省くようになる。早送り中のマイケルは最低限の会話の受け答えしかしないが、仕事などはきっちりやっている。味を占めて、風邪をひいたらそれが治るまで早送りをしたりとマイケルはリモコンを使いまくる。
 しかし、リモコンは高度な学習機能が付いていて、一度早送りした状況が次に出たら勝手に早送りしてしまうようになった。最初は数ヶ月の時間を失うぐらいですんだが、その内には年単位で失っていくようになる。モーティーにリモコンを返そうとするが返品不可の約束で受け取ってもらえない。捨てても壊しても次の瞬間にはまた手の中に収まっている。
 次に時間を失ったときに、マイケルは自分の父が死に、その死に際に会えなかったこと。そして、最後にあったときの自分が父にひどい扱いをしたことを知る。リモコンで未来へと早送りすることは出来るが、過去に巻き戻してもすでに起きてしまったことを見ることができるだけで干渉はできない。
 妻には捨てられ、子供も彼から心が離れている。ここまで来てようやくマイケルは本当に大切な物に気づく。

 ラストのハッピーエンドとしてのオチは賛否両論あろうが、これがハリウッド映画というもの。最初に退屈な時間を早送りした時点で最後にどうなってしまうかある程度見えてしまうが、それがなんだというんだ。
 テーマとしては前回紹介した『天使のくれた時間』に近い物がある。主人公に特別な体験をさせるのが天使というのも共通。ただしモーティーは普通の天使ではないが。
 次第に老けていく登場人物たちの特殊メイクはリック・ベイカーが担当。マイケルがファーストフードばかり食べていて超肥満体になってしまった特殊メイクが目立つが、自然に老けたメイクは地味だがかなり難しかったはず。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では中年に特殊メイクしたリー・トンプソンなどが登場したが、当時と比べると格段の進化が見られる。
 マイケルの勤務する建築会社の社長として『ナイトライダー』のマイケル役デヴィッド・ハッセルホフが久々に元気そうな顔を見せてくれる。意外とまだ若々しい。

 学生時代には客観的な映画評を心がけようと思っていたが、年月を重ねる内にそんな物は理想としてしか存在しないことに気がついた。全ての映画評は主観でしかないのだ。
 この作品にしても、観客が10代、30代などの年齢や、家族を持っている男性か独身男性かでまったく変わってくるはずだ。そしてマイケルが父の死にショックを受けるシーン。これは実際に親を亡くした者、特にその死に目に会えなかった人物にとっては心を揺さぶられることだろう。かく言うオレも、今年の1月に母を亡くした。距離のある他県に住んでいたので、死に目には間に合わなかった。だから父の死を後悔するマイケルの姿には泣けた。もしも母がまだ健在だったら、泣くことはなかっただろう。
 その人がどの様に育ち、どのような暮らしをして、どのような価値観を持っているか。同じ映画を観てもそれ次第で感想はまったく変わってくる。完全に同じ人間がいないように、似た感想はあっても完全に同じ感想は存在しない。
 映画とは映画作家が作り出した主観と観客の主観とのぶつかり合いである。ある意味戦いだ。映画の中に答え探しをする人がいるが、それはあまり意味がない。監督が仕込んだ答えを求めるよりも、その映画の中から自分なりの答えをことこそ重要だ。その答えが他人の答えと違うことはよくある。それが当たり前だ。
 つまるところ映画とは全て主観だ。

B000657NRW.jpg『天使のくれた時間』(2000) THE FAMILY MAN 125分 アメリカ

監督:ブレット・ラトナー 製作:マーク・エイブラハム、トニー・ルドウィグ、アラン・リッシュ、ハワード・ローゼンマン 製作総指揮:アーミアン・バーンスタイン、トーマス・A・ブリス、アンドリュー・Z・デイヴィス 脚本:デヴィッド・ダイアモンド、デヴィッド・ウェイスマン 撮影:ダンテ・スピノッティ 音楽:ダニー・エルフマン
出演:ニコラス・ケイジ、ティア・レオーニ、ドン・チードル、ジェレミー・ピヴェン、ソウル・ルビネック、ジョセフ・ソマー、ジェイク・ミルコヴィッチ、ライアン・ミルコヴィッチ、リサ・ソーンヒル

 クリスマス物には外れが少ない。この『天使がくれた時間』も面白い。
 基本はチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』の変種。主人公のジャック(ニコラス・ケイジ)は過去に愛した女性を捨ててロンドンに留学して、今では経済人として企業買収を行う投資会社の社長として成功し、高級マンションで一番の部屋に住みフェラーリを乗り回す暮らしを送っている。欲しい物はなんでも金で手に入る人生。独身だが、金持ちの彼が女性に不自由することなどない。
 そんな彼がクリスマス・イブのコンビニである黒人に出会う。その謎の黒人はジャックにあるプレゼントをする。それは、彼が恋人を捨てずにアメリカに留まり、彼女と結婚して子供を二人授かり、田舎のタイヤ販売店で働いているという世界。
 最初は途惑い、以前と比べると貧しさに怒っているジャック。ジャックが別人になったのを唯一見抜くのは長女。ジャックは宇宙人に乗っ取られてしまったと考えた彼女は「地球へようこそ」と言う。だが、次第に妻と子供たち、そして素朴な友人知人たちとの暮らしに価値を見出していく。そして、ジャックは家庭人(THE FAMILY MAN)となり、長女はジャックにこう伝える。「おかえり、パパ」。
 だが、幸せを感じるジャックの前に、再びあの黒人が現れこう告げる。
「あんたにはあんたの世界に戻ってもらうよ」

 タイトルに出てくる天使とはその黒人のことだろう。天使によってもしも自分が違う道を選んでいたらどうなったかという別の世界を見せられるというのはアメリカではクリスマスの度に放映されているという定番ムービー『素晴らしき哉、人生!』(1946)でアメリカ人にはお馴染みの設定だ。今作で唐突に現れた黒人が不思議な力でジャックを一つの人生に送り込むという設定もアメリカ人には違和感がないのだろう。
 日本人には「何で、どうして?強引すぎないか?」と感じるだろうが、「これでいいのだ」。
 そしてジャックはもともとの人生に連れ戻されてしまう。だって、田舎で家族と暮らしている人生は自分とは違う選択をした別のジャックの人生だから。
 でも、今の自分にもまだ新しい選択が出来るはず。過去の過ちは正せないが、今度は間違えちゃいけない。そしてジャックは走り出す。

 大金持ちで多少イヤミな男から、いきなり違う人生に放り込まれての途惑いと怒り。そして、次第に妻や子供と打ち解けていって彼らを愛するようになる。それらを見事に演じきっているニコラス・ケイジが相変わらず上手い。
 監督は『ラッシュアワー』シリーズのブレット・ラトナーだが、こんな映画も撮るのか!

5160GS9G2ML.jpg『死海殺人事件』(1988) APPOINTMENT WITH DEATH 103分 アメリカ

監督:マイケル・ウィナー 製作:マイケル・ウィナー 製作総指揮:ヨーラン・グローバス、メナハム・ゴーラン 原作:アガサ・クリスティ 脚本:アンソニー・シェイファー、ピーター・バックマン、マイケル・ウィナー 撮影:デヴィッド・ガーフィンケル 音楽:ピノ・ドナッジオ
出演:ピーター・ユスティノフ、ローレン・バコール、キャリー・フィッシャー、ジョン・ギールグッド、パイパー・ローリー、ヘイリー・ミルズ

 同じエルキュール・ポアロ物の『オリエント急行殺人事件』(1974)や『ナイル殺人事件』(1978)年はDVDになっているのに、この『死海殺人事件』はなっていない。今は無きキャノン・フィルム作品なので版権の問題があるのかも知れないが、単にあまり面白くないからではないだろうか。1988年の劇場公開以来久しぶりに観たが、前2作と比べるとこれはちょっと……
 どうでもいいことですが、公開時には所属していた映画サークルで「歯医者が殺されたんだってね。これがほんとの『歯科医殺人事件』」とか言ってイヤがられていたのはオレだ。

 パレスチナの遺跡発掘現場を家族と共に観光に来た因業な老夫人が何者かに薬物を注射されて死亡する。たまたま「灰色の脳細胞」の名探偵エルキュール・ポアロが現場に居合わせており、彼は現地を管理する友人のイギリス軍大佐に「二日で事件を解決する」と約束する。
「名探偵、皆を集めてさてと言い」のポアロによる謎解きのシーンが二つに分かれているため、ミステリー映画のラストで見られる「なるほど」の爽快さが薄れてしまっているのは大きな欠点。
 ポアロ物というとオールスターキャストという印象が強いが、ピーター・ユスティノフとローレン・バコールの他はキャリー・フィッシャーが目立つぐらい。でも1988年当時のキャリー・フィッシャーではスターとは言えない。
 それら全体的なキャストの弱さを、英国女性国会議員である老女役のローレン・バコールがほとんど一人でカバーしてくれる。終盤の強引かと思われる展開もバコールのおかげで納得。
 監督は『狼よさらば』(1974)などのマイケル・ウィナー。好きな監督なんだが、ミステリーは向いていない様子。

B0017XB4Y0.jpg『華氏451』(1966) FAHRENHEIT 451 112分 イギリス/フランス

監督:フランソワ・トリュフォー 製作:ルイス・M・アレン 原作:レイ・ブラッドベリ 脚本:フランソワ・トリュフォー、ジャン=ルイ・リシャール 撮影:ニコラス・ローグ 音楽:バーナード・ハーマン
出演:オスカー・ウェルナー、ジュリー・クリスティ、シリル・キューザック、アントン・ディフリング、ジェレミー・スペンサー

 2004年頃、『華氏451』の再映画化を検討中のフランク・ダラボンはトリュフォー版についてこう言った。

「あのバージョンは著しくパッションに欠けるね。原作をなんて情熱的な本だろうと思っている私には、とてもビザールな作品に感じられた。私は今回の作品をリメイクとは考えてはいない。まだ一度も映画化されていない本の映画化と思って取り組んでいるんだ」

 トリュフォーの『華氏451』がパッションに欠けているのならば、いったいどの映画ならばパッションに溢れているというのだろうか?ええっ、ダラボンの旦那よぉ。
 書物が禁じられた社会。かつては火事を消すのが仕事だった消防士(ファイヤーマン)は、密かに本を隠し持っていた人から本を取り上げ、それを火炎放射器で焼き尽くす焚書が任務となっていた。
 昇進を控えたファイヤーマンである主人公のモンターグが帰宅途中のモノレールの中で、クラリスという女性に声をかけられる。髪の長さ以外は妻にそっくりなその女性と次第に親しくなり、その内に自分が燃やしている意味がないと思っていた“本”のことが気になりだし、ついにはチャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』を手に入れ読み始めてしまう。
 本によって目覚めた彼は、自分たちを取り囲んでいる管理社会について疑問を抱き始める。そこは長髪の青年は街角で捕らえられて無理矢理髪を切られてしまうなど、本以外でも規制が厳しい社会。人々はテレビに釘付けになっており、薬物を常用して感情をコントロールしている。だが、現在の生活になんら不満のない妻にはそれが分かるはずもない。

 本だけではなく、活字も禁じられた社会。モンターグが新聞らしき物を読んでいるシーンがあるが、その紙面は活字のないサイレントのマンガが描かれているだけ。それを強調するために、この映画のオープニングクレジットは文字ではなく、各家庭の屋根に取り付けられたテレビのアンテナをバックにナレーションで監督や脚本、カメラマンなどの名前が読み上げられるといったスタイルを取っている。
「SFは大嫌いだ」と公言してはばからなかったトリュフォーだけあって、ジャンル的には近未来デストピア物となるのだろうが、SF的小道具は大型の薄型テレビぐらい。電話機などはあえてクラシカルなデザインの物を使っているぐらいだ。
 モンターグが本を読み始めてから、それにのめり込んで社会への疑問を持ち始めるまでの過程がかなり省略されていて唐突な感は否めないが、それはトリュフォーが観客の想像力に託したのだと考える。
 息苦しく人々には生気がない管理社会を表現するためか、映画は全体的にかなり抑制された作りになっている。物語の終盤で、本の人々“ブックピープル”が暮らす森の中にある集落に主人公がたどり着くシーンでもことさらに盛り上げようとはしない。ダラボンはそれを“ビザール”と感じたのだろうか。ハリウッドスタイルが映画演出の全てではないというのに。
 本に魅了されてからのモンターグの心の変化と行動、特にテレビを見てたわいもないおしゃべりをしているだけの妻と友人の集まりに本を持ち込んで朗読し始めるシーンは素晴らしい。本を奪われても、それを各々が一冊ずつ暗記して語り継いでいくというラストにもオレはパッションを感じる。

B000JVRTMM.jpg『駆逐艦ベッドフォード作戦』(1965) THE BEDFORD INCIDENT 102分 アメリカ

監督:ジェームズ・B・ハリス 製作:リチャード・ウィドマーク、ジェームズ・B・ハリス 原作:マーク・ラスコビッチ 脚本:ジェームズ・ポー 撮影:ギルバート・テイラー 音楽:ジェラルド・シャーマン
出演:リチャード・ウィドマーク、シドニー・ポワチエ、マイケル・ケイン、ドナルド・サザーランド、マーティン・バルサム、ジェームズ・マッカーサー、エリック・ポートマン

 冷戦下にはソ連を悪役とした映画が数多く制作されたが、それと同時のこの『駆逐艦ベッドフォード作戦』のような作品も作られているのがアメリカ映画の面白いところ。冷戦の緊張感が最頂点に達した1963年のキューバ危機から2年後、1965年の作品である。

 駆逐艦ベッドフォード号はグリーンランド沿岸の西側海域を哨戒中に、領海侵犯していたソ連の潜水艦を発見する。追跡して氷山の下に追い詰め、後は潜水艦の空気が切れるまでの24時間の持久戦となる。艦内の緊張は高まり、乗組員の疲労もピークに達した頃、ついに耐えかねた潜水艦が浮上してくる。

 ソ連の潜水艦側の描写は一切無く、物語はベッドフォード号の中のみで進行する。当時の状況を考慮しても異常なまでにソ連を憎む艦長(リチャード・ウィドマーク)の下で、部下は規律正しく統率され怠けたり無駄口を叩いている者など一人もいない。
 そんな艦内の様子を観客を代表した視点で見るのが、取材のためにヘリコプターから乗り込んだ雑誌記者(シドニー・ポワチエ)である。この役に黒人俳優であるポワチエが配役されたことに時代の変化を感じる。これより十数年前ならば白人俳優に割り振られていたことだろう。
 記者と一緒に新たにベッドフォード号に配属になった軍医は、第二次大戦後は予備役となり民間の医者として働いていた人物。大戦時とはすっかり変わってしまった艦内の様子に驚き、艦長からは時代遅れな男としか受け取られない。そんな軍医が艦長に提言したのが、座りっぱなしの勤務が多い乗組員のため、両手を引っ張ったりして「緊張、リラックス。緊張、リラックス」を繰り返してのストレッチ体操。
 もちろん艦長からは却下されるが、軍医の言っていた「緊張とリラックス」は精神面においても同じこと。常に気を張り詰めて緊張状態を強いられた部下たちは次第に疲弊し、ついにはわずかなミスが悲劇を引き起こす。

 艦長は偏った人間だが、部下のことを考えていないわけではない。ただ厳しすぎるのだ。冷戦という戦時と平時のバランスの中で自らを失っていったのである。もしも第二次大戦で戦っていたら名艦長として名を馳せたのかも知れない。
 リチャード・ウィドマークは自らの名を冠したプロダクションで製作も務めている。冷戦や軍への批判といった要素があるため題材的には映画会社が率先して作りたがる物ではないはず。映画化の実現にはウィドマークの力によるところも大きいのだろう。
 駆逐艦と潜水艦の戦いのシーンは登場するが、戦争映画ではなく駆逐艦内での心理ドラマがメインである。

51GZ235B6RL.jpg『ヒンデンブルグ』(1975) THE HINDENBURG 115分 アメリカ

監督:ロバート・ワイズ 原作:マイケル・M・ムーニー 脚本:ネルソン・ギディング 撮影:ロバート・サーティース 音楽:デヴィッド・シャイア
出演:ジョージ・C・スコット、アン・バンクロフト、ウィリアム・アザートン、ロイ・シネス、ギグ・ヤング、バージェス・メレディス、チャールズ・ダーニング、リチャード・A・ダイサート、ロバート・クラリー、ルネ・オーベルジョノワ、キャサリン・ヘルモンド

 1937年5月6日19時25分、ドイツはフランクフルト発アメリカのニュージャージー州レイクハースト行きの飛行船ヒンデンブルグ号が、着陸寸前に爆発炎上し、乗客乗員97名中35人が死亡した。
 当時、ドイツとアメリカの関係は刻々と悪化しており、飛行船を浮揚させるためのヘリウムガスを軍事転用を怖れてアメリカが輸出しなかったため、ヒンデンブルグ号は引火爆発しやすい水素ガスを利用していた。そのため短時間でヒンデンブルグ号は燃え尽きてしまったのだ。
 この事故の原因は不明だが、陰謀による爆破説として描かれているのがこの作品。終盤の爆破と墜落のシーンはパニック映画のスタイルだが、ストーリーの中心は爆破予告があったため乗客乗員を調べるために保安要員の名目で乗り込んだドイツ空軍大佐リッター(ジョージ・C・スコット)による犯人捜しである。
 ではミステリーかというと、これもちょっと違う。個人的にあえて分類するならば"反ナチス映画"になるだろう。尾翼にナチスの鉤十字を付けたヒンデンブルグが狙われたこと、犯人の同機、リッター自身がゲシュタポ嫌いでナチスには批判的であるなど、反ナチス的な要素で映画は満たされている。
 全長200メートルを超えるヒンデンブルグ号はまさに空飛ぶ豪華客船。中にはレストランのような食堂もあるし、少し小さめだがグランドピアノまで備わっている。アメリカ人ピアニストがミニコンサートを開催するが、その締めくくりは同乗していた曲芸師と組んでのヒットラーとナチスを風刺した歌。笑う人は笑うが、ドイツ人愛国者は怒り出す。映画の視点はもちろん笑う人側。
 思えば、アメリカ映画はナチスという敵役の存在によって数多くの映画を生み出した。昔の西部劇で敵役として登場させたインディアンは人種差別問題で使えなくなって久しいし、冷戦時代の最大の敵役ソ連と共産主義国家も『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』では若い観客から「何でアメリカとロシアが戦っているの?」という疑問が出たという噂を聞いたぐらいに今は昔の話し。
 その点、ナチスは今でも敵として登場させることにほとんど何の問題もない。つい最近だって『ヒトラーの贋札』(2007)がある。ナチの悪役振りには、ハリウッド映画界におけるユダヤ資本の強さも関係あるはず。
 もちろん、太平洋戦争でアメリカと戦った日本も戦争映画などで敵役として登場する場合がある。以外に本数が少ないのはアジア系俳優を大量に確保するのが難しいからだと思われる。TVシリーズ『コンバット!』が152本もの長寿番組となったのはドイツ軍を相手にしていたからで、日本軍相手だったらそこまで続けられなかったはず。単純に悪役として登場させた場合に、日本軍人よりもドイツ軍人の方が絵になるというのも大きい。体格の差もあるし、旧ドイツ軍の軍服、特に上官の軍服のデザインはやはり優れている。

 空を飛ぶヒンデンブルグ号はミニチュアで再現されているが、これにはSFXスタッフは頭を抱えたことだろう。飛行船は凹凸が無くのっぺりとした曲面なので全長200メートル以上というスケールを観客に感じさせるのは非常に難しそうだ。空の上には雲しかないので比較対象物としては役に立たず、「こいつは2?30メートルだよ」と言われるとそれぐらいにしか見えない。
 それをカバーするためか、ヒンデンブルグ号の尾翼の外皮が破れたため、作業員が船外に出て縫い合わせるという修理のシーンがある。ここでようやく人間とヒンデンブルグ号の大きさが対比されるので、その巨大さがよく分かる。しかも、犯人捜しを混乱させるという意味でストーリー的にも活かされている。
 ラストのヒンデンブルグ号が爆発し落下するシーンでは実際に当時撮影されたフィルムも使われている。1937年のニュースフィルムだから当然モノクロだ。それに合わせるために終盤のシーンもモノクロで撮影されている。それまでカラーだったのが突然モノクロ映画になるので違和感はあるが思い切った手法だ。ただし、パニック映画としての映像の迫力はやはり落ちているように感じる。ニュース映像部分はSFXでは作り出し得ない迫力を持っているが、映画としてのリアリティとドキュメンタリー映像のリアリティはやはり別物だと思うのだ。カラーの映画撮影部分とモノクロのニュース映像という組み合わせでもなんら問題はなかったのではないだろうか。

 犯人を捜してジョージ・C・スコットがある人物のトランクを開けて調べているシーンで日本人以外はまず気づかないミスがある。各国のお札が入っているのだが、その中になんと伊藤博文の肖像が描かれた日本の千円札が入っている。このお札は映画が製作された1975年当時に流通していたもの。日本で初めて千円札が発行されたのは昭和20年(1945年)の日本武尊の肖像画の物(印刷は昭和16年からだが日本銀行の金庫で保管し流通はしていなかったとか)だそうだから、そもそも1937年には千円札という存在自体がありえない。
 しかし、スクリーンに映るのは1?2秒程度のこと。いろんな国の紙幣を集めることになった小道具係がアメリカでも比較的簡単に手に入ったであろう1975年当時の日本紙幣を使ったとしても責めることは出来ない。日本から1937年当時の紙幣を取り寄せていたら時間も金もかかる。じっくり映す物ならともかく、そんな細かいところまで考証にこだわっていたら映画はいつまで経っても完成しないし予算はかさむばかりだ。
 黒澤明が『赤ひげ』(1965)で江戸時代の養生所にある薬棚の、写す予定のない引き出しの中まで当時のままに作らせたとか、マイケル・チミノが『天国の門』(1981)で19世紀末の西部の街並みのセットで建物を組むための釘まで当時と同じ物を再現して使ったとか聞くと、正直アホかと思う。画面に映らない物に凝ってどうするのかと。そのエネルギーは別のところに使うべきではないだろうか。映画とは画面に映し出される物が全てだ。正面しか映らない建物のセットは裏から見たらただの板ぐらいの作りで充分である。

 水素によって浮かんでいる飛行船の中は当然禁煙と思いきや、葉巻やパイプなどタバコを吸っているシーンがいくつかある。マッチやライターの類は乗船時の荷物チェックで取り上げられてしまうが、代わりに喫煙できる部屋には車のシガーラーターの様に電熱式のライターが付いていて、それで火を着けてプカプカとやっている。オレなら怖くて吸えない。というか、水素ガス式飛行船自体怖くて乗れない。
 航空輸送で一時代を築いた飛行船は、このヒンデンブルグ号の事故によって信用を大きく落とし、大型しつつあった飛行機にその座を譲った。今では『ブラックサンデー』に出てくる"GODD YEAR"などの広告用飛行船や観測用飛行船などを残すのみである。

B000OI1FOI.jpg『ジェット・ローラー・コースター』(1977) ROLLERCOASTER 119分 アメリカ

監督:ジェームズ・ゴールドストーン 製作:ジェニングス・ラング 原案:サンフォード・シェルドン、リチャード・レヴィンソン、ウィリアム・リンク 脚本:リチャード・レヴィンソン、ウィリアム・リンク 撮影:デヴィッド・M・ウォルシュ 音楽:ラロ・シフリン
出演:ジョージ・シーガル、リチャード・ウィドマーク、ティモシー・ボトムズ、ヘンリー・フォンダ、ハリー・ガーディノ、スーザン・ストラスバーグ、ヘレン・ハント、ウェイン・ティピット

 パニック物だと思っていたが、実際には建築物の安全性をチェックする安全保障協会の職員が主人公の刑事物の変種。

 主人公ハリーが安全性を認めたジェットコースターで事故が発生し、脱線したコースターの乗客が何人も死亡する大事故が起きた。同じ週、別の遊園地では火災が発生。
 これは同一犯による犯行で、犯人は100万ドルを要求し、その金の引き渡し役にハリーを指名してくる。場所は混雑した休日の遊園地内。犯人から無線で指示を受け、あちらの乗り物からこちらの乗り物へと引きずり回され、FBIと警察の厳重な監視下にありながら、犯人は見事100万ドルの入ったトランクを奪いさる。
 FBIにとっては大きな失態だが、ハリーはこれでようやく事件から解放され肩の荷が下りたはずだったが......

 遊園地の射撃ゲームで高得点を出したり、精巧な爆発物を自作してしまうなど犯人(ティモシー・ボトムズ)はかなり高度な訓練を受けている様子。軍の出身者かなどと予想されるが、最後までその正体はおろか名前すら分からない。犯人にとって重要なのは100万ドルではなく、FBIなどを敵に回してのゲームなのかもしれない。善人顔のティモシー・ボトムズが始終無表情で不気味な犯人役を演じきっている。
 それと相対する立場にされてしまったハリー(ジョージ・シーガル)は困ったなという表情のシーンが多い。禁煙を試みている最中で、途中でストレスからタバコを吸おうとするがその度になんらかの邪魔が入り吸えない。登場シーンでは禁煙療法を受けているが、これがタバコを吸っているときに体に電気ショックを与えて、煙草=痛いの条件反射を植え付けるというもの。効果の程は知らないが、なかなか無茶な療法である。事件が解決した後に、通行人からもらいタバコをするが、それをどうするかは観てのお楽しみ。このタバコという小道具でハリーの心理描写をする手段が上手い。映画とタバコというと「タバコの美化」ということで非難されがちだが、嫌煙運動家も納得な使われ方。
 FBI捜査官のボスはリチャード・ウィドマーク。犯罪捜査の素人であるハリーの言うことなど最初は相手にしておらずずいぶんと嫌みな感じだが、捜査を続ける内に次第に認め始める。いかにも腕利きと言った感じで実に渋い。ストーリー上ではハリーの上司であるヘンリー・フォンダと会っているが、実際には二人が同一の画面に登場するシーンは存在しない。せっかくの共演なのにもったいないが、ヘンリー・フォンダの出番はかなり少なくゲスト出演といったところ。

 最大の見せ場は、終盤の遊園地での追跡劇。ハリーは犯人が復讐のために自分が安全チェックした大型宙返りコースター"レヴォリューション"のある遊園地を狙うはずだとウィドマークを説得し、その遊園地で警戒網を張る。
 日時はアメリカ独立記念日の7月4日。ただでさえ人の多い遊園地がいつにも増しての大混雑だ。その中で、顔も知らない犯人をどうやって見つけることができるのだろうか。来場者はそのあまりにもの多さから考えてもエキストラではなく一般の観客で、普通に開場している中での撮影だったのだろう。かなり大変だったことだろう。
 ラストはたった唯一の手がかりでハリーは犯人を追い詰めるが、犯人の手には爆弾の無線起爆装置が握られている。そして爆弾はコースター車両の最後部座席にセットされている。このシーンでちょっと不満だったのが、ハリーの娘と現恋人がその遊園地に来ているので疾走中のそのコースターに乗せておけば良いのにということだ。もちろんハリーにはそこまで分からないだろうが、観ている観客には分かる。よりサスペンスが盛り上がったのではないだろうか。

 派手なシーンは冒頭のジェットコースターの事故ぐらいで、あとは比較的地味な作品だが、ストーリー展開の上手さで最後まで飽きることなく集中させてくれる。
 ラロ・シフリンのスコアも最高で、サスペンスさの向上に一役も二役もかっている。
 この作品は『大地震』で紹介したセンサラウンド方式という音響システムが使われている。ジェットコースターが疾走するシーンが何度かあるのでそこで使われているのだろう。ウチは5.1chシステムどころかテレビのスピーカーで聴いているので効果の程は不明。センサラウンドは重低音専用のスピーカーをいくつも必要とするので、再現は不可能だと思うが、それなりのAVシステムを揃えている人ならウーハーの音を上げれば多少は近い物になるかもしれない。

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