2008年7月アーカイブ

B000N3AO1Y.jpg『Gガール 破壊的な彼女』(2006) MY SUPER EX-GIRLFRIEND 93分 アメリカ

監督:アイヴァン・ライトマン 製作:アーノン・ミルチャン、ギャヴィン・ポローン 製作総指揮:ウィリアム・C・カラッロ 脚本:ドン・ペイン 撮影:ドン・バージェス 編集:ウェンディ・グリーン・ブリックモント、シェルドン・カーン 音楽:テディ・カステルッチ
出演:ユマ・サーマン、ルーク・ウィルソン、アンナ・ファリス、レイン・ウィルソン、エディ・イザード、ワンダ・サイクス、マーク・コンスエロス

 建築会社に勤めるマットが地下鉄の車内でジェニーという女性と知り合い恋に落ちる。だが、付き合いが深まる内に彼女の嫉妬深さや異常さが目に付くようになり、マットは別れを切り出す。傷つけられたジェニーはストーカーとなってマットにつきまとい始める。
 そして最大の問題は、ジェニーが特殊能力を持ったスーパーヒロインGガールの正体だったということだ。

 二人が付き合っている最中は『スーパーマン』の男女を入れかえただけのパロディでそれほど面白くないが、ジェニーがストーカーになってからの後半が面白い。
 マットの車を駐車場から盗み出して衛星軌道上に捨ててしまったり、窓から巨大なサメを投げ込んだりとやりたい放題。怖いねぇ。何度も自宅マンションの天井をぶち抜かれては「修理したばかりなのに」となげくマット。
 終盤はマットの新しい彼女も謎の隕石パワーでスーパーヒロインになってしまい、スーパーヒロイン同士の肉弾バトルが始まる。空を飛びながらの格闘戦は『ドラゴンボール』を実写にしたような迫力。映画全体のおマヌケさを考えると、ここまで力を入れる必要があるのかという気もするが、だからこそ笑える。
『スパイダーマン』シリーズなどアメコミヒーロー物にロマンスはよく登場するが、それが破局してヒーロー側が復讐に走ったらどうなるかという着眼点が面白い。この1アイディアに頼りすぎではあるが、ラストは気持ちよくハッピーエンド。オチは読めてしまうが、悪くない。
 監督がアイヴァン・ライトマンなんで、ここがという演出の冴えはないのと若干シモネタが多いのが気になるが、後半の勢いで予想以上に楽しめた。

wes56374.jpg『ブラボー砦の脱出』(1953) ESCAPE FROM FORT BRAVO 98分 アメリカ

監督:ジョン・スタージェス 製作:ニコラス・ネイファック 原作:フィリップ・ロック、マイケル・ペイト 脚本: フランク・フェントン 撮影:ロバート・サーティース 音楽:ジェフ・アレクサンダー
出演:ウィリアム・ホールデン、エリノア・パーカー、ジョン・フォーサイス、ウィリアム・デマレスト、ウィリアム・キャンベル、ポリー・バーゲン、リチャード・アンダーソン、ジョン・ラプトン、カール・ベントン・リード

 刑務所からの脱獄や第二次世界大戦中の捕虜収容所からの脱走というのは映画ではお馴染みの題材だが、アメリカ南北戦争が舞台となった脱走物というのは珍しい。
 監督のジョン・スタージェスは『荒野の七人』(1960)などの西部劇や脱走物の傑作『大脱走』(1963)で有名な人だからまさにうってつけ。スタージェスのフィルモグラフィーではごく初期の作品なので、彼の原点と言ってもいいのかもしれない。

 舞台は北軍のブラボー砦。そこには5?60人ほどの南軍兵士の捕虜がいる。収容所といっても牧場のような木の柵で囲っただけの簡単なもの。砦の外は岩山か砂漠ばかりなので脱走しても逃げる先がないのだ。
 それでも時として無謀にも脱走する南軍兵士がいるが、腕利きの北軍大尉ローパーが追い詰め必ず連れ戻されてしまう。だが、南軍将校はある脱出計画を密かに練っていた。それは自分の恋人カーラを砦の指揮官の娘の友人として砦に引き込み、脱走の手引きをさせるという物だった。

 なにしろ木の柵だから脱獄物には付き物のトンネルを掘るシーンがないのがちょっと残念。代わりに洗濯物に紛れて脱走するというこれまたよく観る方法を使ってくれる。
 脱走に関してはそれほど力が入っていなくて、見せ場は終盤のメスカレロ族というインディアンとの戦い。脱走した四人の南軍兵士を数名の部下と共に追ったローパー大尉が、彼らに追いつき捕らえ、砦に帰還する最中に数十名ものインディアンが襲いかかってくるのだ。
 迫力のある馬での追跡劇の後、かろうじて窪地に身を隠し持久戦に持ち込むが、インディアンは馬に乗っての波状攻撃などあの手この手で挑んでくる。中でも遠方からの弓矢の攻撃が怖い。まずは主人公たちの離れた場所にヒューと飛んできた矢が刺さる。着地点を確認した観測手が射手に軌道修正させて次第に命中精度が高くなってくる。窪地から逃げれば今度はライフルの的になってしまう。逃げ場のない怖さ。
 考えてみれば敵として戦っている北軍と南軍の白人が、共に力を合わせてインディアンと戦うという人種差別もはなはだしいストーリーではある。リメイクは絶対に無理。

 南軍将校の恋人であるはずのカーラがあっと言う間にローパーに心変わりしてしまうのには違和感がある。もう少し細かいエピソードによる描写があっても良かったのではないだろうか。いきなり三角関係かよとちょっと力が抜けたが、泉でのけじめを付けるための男同士の殴り合いが熱い。
 脱走する南軍兵士に老兵士と若者がいて、いつも悪口を言い合っているが心の底では信頼しあっている。個人的に好きなパターンなのだがスタージェスの演出はまだ熟練されていないので少々もったいない使い方をされている。収容所にいた他の南軍兵士たちも1シーンを除いてほとんど単なる背景としてしか機能しておらず、こちらももったいない。主人公たちに焦点が行き過ぎて、脇役がおろそかになっている感じを受ける。
 そんな欠点も感じながらも、インディアンに追い詰められて絶体絶命の時には……の“騎兵隊の法則”もきっちり守られていて、古き良き西部劇の一作である。

B001525JN0.jpg『タイム・マシン』(1960) THE TIME MACHINE 103分 アメリカ

監督:ジョージ・パル 製作:ジョージ・パル 原作:H・G・ウェルズ 脚本:デヴィッド・ダンカン 撮影:ポール・C・ヴォーゲル 音楽:ラッセル・ガルシア
出演:ロッド・テイラー、イヴェット・ミミュー、アラン・ヤング、セバスチャン・キャボット、トム・ヘルモア、ウィット・ビセル、ドリス・ロイド

 時間旅行は人類の夢。ドラえもんのタイムマシンや『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアン、『ビルとテッドの大冒険』の電話ボックス型に最近はドラム式洗濯機型まであるようだが、それらの原点がこの『タイム・マシン』。H・G・ウェルズが原作小説の『タイム・マシン』で初めて時間を移動する機械というアイディアを生み出したのだ。
 19世紀末の発明家ジョージは戦争の絶えない現代に絶望している。未来では文明がより進化して平和な世の中が築かれているはずだと考え、自ら作り上げたタイムマシンで時間の旅に出る。しかし、そこに待っていたのは第一次世界大戦に第二次世界大戦。そして1960年代にはついに核戦争まで勃発する。
 この核戦争でロンドンの街が破壊されるシーンは迫力物。『宇宙戦争』(1953)の制作者である監督のジョージ・パルの面目躍如だ。ジョージ・パルはもともとストップモーション・アニメーションの一種であるパペトゥーンで世に出た人。タイムマシンが時間を移動するシーンでは外の様子が刻々と変わっていくのが映し出されるがこれを映像化しているのがストップモーション・アニメーション。
 木の枝に花が咲き小さな実がなる。それが大きくなっていってついには真っ赤なリンゴになるのが1カットで表現されている。他にも通りの向こうの洋品店に飾られたマネキンの服がクルクルと様々に替わっていく。次第にファッションが変化していくことで時間の経過を表している。今のVFX技術と単純に見比べればもちろん見劣りはするが、イマジネーションに溢れたシーンだ。
 そしてついには西暦802701年の未来へとたどり着く。そこはエロイと呼ばれる若者たちが平和そうに暮らすユートピアに見えたが、実は地下に住む種族モーロックに支配された恐るべき世界だった。
 どこまで行っても人類は平和な世の中を作り得ない。映画はハッピーエンドに仕上げてあるが、原作はかなり救いようがない結末だ。そんなH・G・ウェルズの人類への不信と文明の批判が映画からも覗い取れる。
 モーロックとエロイの関係は資本家・権力者と労働者の関係にも似ている。いつの世も労働者は権力者に食い物にされるのだ。しかもモーロックとエロイの場合は本当に“食い物”にされている。
 80万年後の世界なのに普通に英語が通じるのは疑問だが、ジョージと恋に落ちるエロイの女性ウィーナ役のイヴェット・ミミューの可愛らしさの前ではどうでもいいことだろう。原作だと言葉は通じないのだが、そのままだと映画にするのは難しいし、原作と映画はつまるところ別物だからこのぐらいの変更は気にしちゃ駄目だ。
 長い時代に渡って家畜化され無気力で何の疑問も持たないただ生きているだけのエロイが、ジョージの奮闘を見て自分たちも拳を握って立ち上がりモーロックと戦い始める。飼い慣らされた人間がそう簡単に変化するものだろうかとは思うが、やはりこういう展開でないとすっきりしない。

code_name_the_cleaner.jpg『ジェイク・アイデンティティー』(2007) CODE NAME: THE CLEANER 93分 アメリカ

監督:レス・メイフィールド 製作:セドリック・ジ・エンターテイナー、ブレット・ラトナー、エリック・C・ローヌ、ジェイ・スターン 製作総指揮:A・J・ディックス、トビー・エメリッヒ、マーク・カウフマン、ルーシー・リュー、マット・ムーア、アンソニー・ルーレン、ウィリアム・シヴリー 脚本:ロバート・アデテュイ、ジョージ・ギャロ 撮影:デヴィッド・フランコ 音楽:ジョージ・S・クリントン
出演:セドリック・ジ・エンターテイナー、ルーシー・リュー、ニコレット・シェリダン、マーク・ダカスコス、カラム・キース・レニー、デレイ・デイヴィス、ウィル・パットン、ケヴィン・マクナルティ、B・J・デイヴィス

 パチモンくさいタイトルだが原題は『CODE NAME: THE CLEANER』。
 クリーナー?裏社会を生きる始末屋か?その意味するところは観ている内にだんだんと判ってくる。

 主人公は太めの黒人。ベッドで目が覚めたら隣に誰かが寝ていた。てっきり女性だと思って尻をなでたりしてたらこれが男の死体。慌ててバスルームに飛び込むが鏡に映った自分の名前が思い出せない。そして頭には何かで殴られた傷がある。なっなんと記憶喪失になってしまったのだ。
 財布も免許証などの身分証もないので名前すら判らない。恐る恐るベッドに戻って死体のポケットを探ると中から出てきたのはFBIの身分証。おまけにベッドの下には25万ドルもの大金が入ったブリーフケースが落ちている。
 俺は誰?FBI捜査官を殺したのは誰?俺なのか?いったいぜんたいどーなってるんだ!

 殺人犯としてFBIから追われ、謎のコンピューターチップを巡って悪党集団からも追われる主人公。時折、頭の中で特殊部隊の自分が部隊を指揮ながら戦闘を行っているシーンがフラッシュバックされる。となると、彼の正体は特殊部隊かスパイなのだろうか。
 ところが、レストランで出会った彼の恋人だと名乗るウエイトレス(ルーシー・リュー)はこう告げる。
「あなたのコードネームは、ザ・クリーナー。何千という敵を倒したわ。便座という名の敵ね。あんたはゲーム会社の清掃員よ」
 いったいどうなってんの?本当に清掃員なのか、それとも潜入捜査で化けていただけなのか。うん、やっぱ本当の俺はスパイだよなってんで、すっかりその気で格好つける主人公。でも、てんで情けなし。
 この主人公の情けなさと勘違いがギャグの中心となっている。本人は凄腕のつもりなんだけど実際は全然駄目な奴ってパターンだ。
 主人公を演ずるセドリック・ジ・エンターテイナーはしゃべくり系のコメディアン。腕は立たないが虚勢を張ったり負け惜しみをぼやいたりと口は立つ。エンディングのNGシーン集を観るとアドリブを連発するタイプらしい。
 フラッシュバックする戦闘シーンがいったい何だったのか判るところには笑った。

 終盤の敵との戦いでは清掃道具を使って大活躍。しかも、ルーシー・リューvs.マーク・ダカスコスという夢の対決が観られる。ただし、時間はごくわずか。
 マーク・ダカスコスは「社長、止めて下さい。私たちが倒しますから」と制止する部下を「俺の戦いの邪魔をするんじゃねえ!」と叩きのめし始める。部下も思わず本気になって応戦し無意味に熱い戦いを繰り広げる。こういうのも仲間割れというのだろうか。まったくなにやってんだか。

 監督は『フラバー』(1997)などのレス・メイフィールドだし、キャストにも有名人が何人もいる。それなのに劇場公開はおろかDVDなどのソフト化もされていない。スカパー!のスターチャンネルで放映されたのみというもったいなさ。なかなか面白いんだけどね。

B0009YGWOK.jpg『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』(2004) LEMONY SNICKET'S A SERIES OF UNFORTUNATE EVENTS 109分 アメリカ

監督:ブラッド・シルバーリング 製作:ローリー・マクドナルド、ウォルター・F・パークス 製作総指揮:アルビー・ヘクト、ジュリア・ピスター、スコット・ルーディン、バリー・ソネンフェルド、ジム・ヴァン・ウィック 原作:レモニー・スニケット 脚本:ロバート・ゴードン 撮影:エマニュエル・ルベツキ 衣装:コリーン・アトウッド 編集:マイケル・カーン 音楽:トーマス・ニューマン
出演:ジム・キャリー、エミリー・ブラウニング、リーアム・エイケン、カラ・ホフマン、シェルビー・ホフマン、メリル・ストリープ、ティモシー・スポール、ビリー・コノリー、ダスティン・ホフマン、ジュード・ロウ(声のみ)

 パッケージはダークなファンタジー調でしたが、甘く見てました。あのね、ジム・キャリー邪悪すぎ。

 家が火事になり父母を亡くしてしまった三姉弟妹。それぞれに発明、読書、なんでも囓るという特技がある。そんな彼らを後見人として引き取ったのがオラフ伯爵(ジム・キャリー)。ところが彼の目当ては兄弟たちが引き継ぐことになっている遺産が目当てで、まるでシンデレラのように彼らをこきつかう。
 ついには問題を起こして、彼らは別の後見人の元へ。ところがオラフ伯爵は変装してそこへ押しかけてくる。オラフ伯爵の追撃から子供たちは逃げ切ることが出来るのか。

 オラフ伯爵は単にものすごくイジワルな人ぐらいかと思っていたら、人なんて平気で殺す異常な卑劣漢。一番最後の悪巧みなんて、いくらなんでもそりゃないだろ。職業は役者なので先ほども言ったように爬虫類学研究助手や船長に変装する。ジム・キャリーがいつものオーバー・アクトで好みは別れるだろうが徹底した悪役演技のうっとおしさが逆に笑える。
 オラフ伯爵の罠にかけられて危機に陥った子供たちは姉の発明や弟の本から得た知識、妹の歯などで切り抜けていく。一番最初の脱出のアイディアは面白かったが、後になるにつれ面白みが減ってくるのが残念。三人が伯爵の家で小さなテントを張りその中だけは平和な場所を作るシーンは良かった。
 全体的に色彩を欠いた画作りで、ティム・バートンやテリー・ギリアムなどに近い映像だ。オリジナリティはあまり感じない。
 ファミリー向けのダークファンタジーコメディだが、それにしては気楽に人が殺されすぎ。エンドクレジットの影絵風アニメが魅力的。

B001CNPQYY.jpg『花嫁はエイリアン』(1988) MY STEPMOTHER IS AN ALIEN 103分 アメリカ

監督:リチャード・ベンジャミン 製作:ロナルド・パーカー、フランクリン・R・レヴィ 脚本:ジェリコ・ワイングロッド、ハーシェル・ワイングロッド、ティモシー・ハリス、ジョナサン・レイノルズ 撮影:リチャード・H・クライン 音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:キム・ベイシンガー、ダン・エイクロイド、ジョン・ロヴィッツ、ジョセフ・メイハー、アリソン・ハニガン、セス・グリーン、ウェスリー・マン、ジュリエット・ルイス

 星空から女性の足が降りてくる。遠い星からやってきた宇宙人の美女の足だ。もちろん、実際には生身のまま降りてきたわけではなく、宇宙船の中で地球人の服装を着て変装しているシーンがイメージとして使われているわけ。
 彼女(キム・ベイシンガー)が地球にやってきたのは、地球から送られてきた謎のエネルギー波で惑星の重力が増加してしまい滅亡の危機に陥ってしまいそれを食い止めるため。エネルギー波を送ったのは科学者のダン・エイクロイド。本人には他星に危害を加えるつもりはなく光速を越えたエネルギー波を送る実験の結果。大した説明もないまま気楽に光速を越える辺り、シリアスなSF物ではない。
 宇宙人の彼女がかなり間違った地球の情報を元に行動することで起きるカルチャーギャップギャグと星の違いを越えた愛の話し。愛というか厳密にはSEX?
 ギャグが中途半端で今一つ笑えないのだが、ロマンティック・コメディなのでこんなものだろう。個人的にはぬるく感じてしょうがないし、もっとギャグの量や質も面白くできると思うが。
 美人宇宙人のキム・ベイシンガーと野暮ったい科学者ダン・エイクロイドという組み合わせは対比的で良い。ダン・エイクロイドはもうちょっと朴念仁の方が良かったかな。

B000WDTFFG.jpg『フラットライナーズ』(1990) FLATLINERS 114分 アメリカ

監督:ジョエル・シューマカー 製作:マイケル・ダグラス、リック・ビーバー 製作総指揮:スコット・ルーディン、マイケル・ラックミル、ピーター・フィラルディ 脚本:ピーター・フィラルディ 撮影:ヤン・デ・ボン 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:キーファー・サザーランド、ケヴィン・ベーコン、ジュリア・ロバーツ、ケシャ・リード、ウィリアム・ボールドウィン、オリヴァー・プラット、ジュリー・ワーナー

『フラットライナーズ』というタイトルの響きだけを聞くとヒーロー系のアクション物っぽいが、死とは何か、死後の世界はどうなっているかという精神世界映画。
 臨死体験に興味を持つ医学生たちが実際に自分を電気ショックで心停止させ、脳波も止まって脳死状態になってから仲間に蘇生させてもらう。最初は順調にいっていて、他の仲間も次々に臨死体験を行うが、彼らの身に不可解な出来事が発生する。

 ウチの近くに『死後裁きにあう』というキリスト教団体が貼ったと思われる看板がある。人は死ぬと生前に犯した罪によって裁かれるのだ。では一度死んだ者が生き返ってしまったらどうなるか?宙に浮いたままの罪がそのまま生き返った人間についてきてしまうというのがこの映画での解釈らしい。普通の臨死体験者にはそういうことは起きていないので、これは禁断の領域に手を出した彼らへの罰なのだろう。そして現世で裁きを受けるのだ。
 イエス・キリストの絵が登場したり、ラストカットの壁画にしてもすでにキリスト教映画の趣が強い。

 ジュリア・ロバーツの罪は子供の頃に自分のせいで父が死んでしまったと言うもの。ベトナム戦争の英雄として帰ってきた父が、戦地で服用して中毒になってしまった麻薬を注射しているところを見てしまい、父はそのままピストル自殺してしまったのだ。
 ベトナム戦争では麻薬が乱用されていたことは知られている。父はスプーンを火であぶって液体になった物を注射していたが、あれは覚醒剤だろうか?旧日本軍も覚醒剤を兵士に支給していたが覚醒剤は戦争に利用される悪しき薬。射ってたのはヘロインかも知れんが。戦争から帰ってきても、そのまま簡単に元の日常を取り戻せない者もいる。ベトナム帰還兵の闇の世界である。ランボーも最近になってようやく吹っ切れたぐらい根は深い。

 前半の医学生たちが臨死実験をするパートの方がオレには面白かった。死体を解剖する実習シーンが何度か登場する。医学生にとって死体はもはや単なる肉のかたまり。メスで切り刻んでも何の罪悪感も嫌悪も感じない。では、生きている人間と死体との違いは何なのか。死とは何なのか。それを知ろうと禁断の実験に手を出す。
 後半の罪が彼らを苦しめるパートはやはり宗教臭い。死をテーマにしている以上、宗教が絡んでくるのは仕方ないことだろう。罪を赦してもらう方法がちょっと安易だし、そこまで話を進めたのならばいっそのこともっと突き詰めて欲しかったがそもそもが答えのない問題。娯楽映画としてのバランスも考慮されてのことだろう。
 遥か昔から人間が問いかけてきた“死”という存在。21世紀になった現在、医学や精神学は進歩したが未だに答えは出ていない。

B0019GZBK8.jpg『ジャンパー』(2008) JUMPER 88分 アメリカ

監督:ダグ・リーマン 製作:サイモン・キンバーグ、アーノン・ミルチャン、ルーカス・フォスター、ジェイ・サンダース 製作総指揮:ステイシー・マエズ、キム・ウィンザー、ヴィンス・ジェラルディス、ラルフ・M・ヴィチナンザ 原作:スティーヴン・グールド 脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー、サイモン・キンバーグ、ジム・ウールス 撮影:バリー・ピーターソン 編集:ドン・ジマーマン、ディーン・ジマーマン、サー・クライン 音楽:ジョン・パウエル
出演:ヘイデン・クリステンセン、ジェイミー・ベル、レイチェル・ビルソン、サミュエル・L・ジャクソン、ダイアン・レイン、マイケル・ルーカー

 どうでもいいけど、製作の“アーノン・ミルチャン”のミルチャンというファーストネームが可愛い。

 中学生が考えたような主人公のテレポート超能力“ジャンプ”と中学生が考えたような主人公像、そして中学生が考えたような謎の敵集団パラディン。
 主人公が世界中にジャンプするけど少しもワクワクしないのは何故だ。特殊能力をアメコミヒーローみたいに正義に使うのではなく自分の私利私欲のために使うというのはたまには面白い設定だが、あまりにも主人公に魅力がない。取りあえずスフィンクスの頭の上で飯食うなや。
 何度も何度も図書館の本を大量に水浸しにするな。本は濡らしてしまうと端がシワシワになって乾かしても元には戻らないんだぞ。本は大切にしろ。この点だけで主人公が許せないオレがいる。
 ジャンパーとパラディンが本格的に戦いだしてからアクションで少し盛り返すが、いかにも「次回作ありますよ」と匂わせる感じでそのまま終了。全体的にアイディア不足で、ジャンプの使っての戦い方にも芸がない。ヒロインは魅力的じゃないし。
 ジャンプのVFXも今となってはありきたりどころか地味なぐらい。これだけで一本の映画を引っ張るのはちょっときつかった。

 すっかりオバさんになったダイアン・レインは良かったが、マイケル・ルーカーの扱いはひどすぎてファンとして苦情を言いたい。

B001ALQXCC.jpg『ビール・フェスタ 無修正版 ?世界対抗・一気飲み選手権』(2006) 116分 アメリカ/オーストラリア

監督:ジェイ・チャンドラセカール 製作:ビル・ガーバー、リチャード・ペレロ 製作総指揮:マイケル・ビューグ、ウィリアム・フェイ、ピーター・E・レンギエル、スコット・メドニック、トーマス・タル 脚本:ジェイ・チャンドラセカール、ケヴィン・ヘファーナン、スティーヴ・レミー、ポール・ソーター、エリック・ストルハンスク 撮影:フランク・G・デマルコ 編集:リー・ヘイキソール 音楽:ネイサン・バー
出演:エリック・ストルハンスク、ポール・ソーター、ジェイ・チャンドラセカール、ケヴィン・ヘファーナン、スティーヴ・レミー、ウィル・フォート、ラルフ・モーラー、エリック・クリスチャン・オルセン、モニーク、ユルゲン・プロフノウ、ウィリー・ネルソン、ドナルド・サザーランド

 タイトルだけ聞いたときはドイツのビール祭りの記録映画かと思った。ところがこれ、スポ根コメディ映画なのだ。題材はビールの一気飲みですが。
 映画の始まる前に「出演者達はプロです。決して真似はしないで下さい。これだけ大量に飲酒するとあなたは死にます(YOU WILL DIE)」と注意書が出ます。「ライダーキックは訓練をした仮面ライダーにしか使えない技だ、真似しちゃ駄目だぞ」みたいなモンだな。
 ドイツ系の兄弟が亡くなった祖父の遺灰を生まれ故郷へと撒くためにドイツを訪れるが、とんだ手違いから極秘裏に行われているビール・フェスタ会場へと連れてこられる。ここでは各国のビール飲みの精鋭達が集まりビールの一気飲みなど各種競技を競っていて、それを観客達が応援している。これが武道大会なら往年の少年漫画的パターンだが、やってることはひたすらビールを飲む。飲んで飲んで飲みまくる。
 暑くなってきた季節柄ビールを飲む映画ってのはもってこいだが、ドイツのビールは冷やしてないんで日本人が飲むとぬるいそうな。ぬるい方が味が良く分かるということらしい。そもそも高温多湿の日本とは気候が違うからなんだろうが、ぬるいビールの一気飲みってかなりイヤ。日本人にはキンキンに冷えたビールでしょ。
 祖父役はドナルド・サザーランド。彼の葬式のシーンから始まるので映画の冒頭ではすでに死んでいる。代わりに遺言ビデオとして登場。病院のベッドに横たわりチューブが繋がれているのにビールをジョッキ三杯も一気飲みしてから自らチューブを引き抜いて死ぬ。アホくさいが格好いい死に方だ。

 ドイツ人に散々馬鹿にされてアメリカへと帰ってきた兄弟は、来年のビール・フェスタで雪辱を果たすべく大食い名人やビール好き、“ユダヤ人”の化学者などの精鋭を揃えるが、こいつらときたら全然精鋭じゃないところがある意味斬新だ。そして特訓に次ぐ特訓。と言っても、これまたビールを飲んで飲んでひたすら飲むのが特訓。
 大食い名人はホットドックの早食い大会で登場し、見事に優勝するが他の出場者は日本人ばかり。大食い名人に対して「おめでとうございます」と日本語のセリフまで飛び出す。日本ではホットドックの早食い大会で日本人が優勝はどちらかというと馬鹿ニュースだが、アメリカ人はこだわってるのか。
 そんな中、ひいおばあちゃんがドイツから持ち出した極秘のビールレシピが祖父の持ち物から見つかり、その争奪戦まで関わってくる。レシピ通りに作ったビールが兄弟が経営するレストランで大好評なのを聞きつけたドイツ人連中がレシピ奪還のために極秘裏にアメリカに侵入する。ドイツ人の親玉がユルゲン・プロフノウだけあってこいつらちゃんと潜水艦に乗ってくる。「Uボートかよ!」それ以外に潜水艦である必然性はまるでない一発ギャグである。
 途中で大食い名人は敵の手によって殺されているが、すぐさま代わりの人物が登場。代わりの人物の割には同じ顔だが『男たちの挽歌2』と同じ手法だ。
 そしてついに一年が経過し、アメリカチームの5人は敵の本拠地ドイツへと乗り込んでいく。飲んで飲んで飲みまくる戦いがついに始まったのだ。

 野球でもサッカーでもなくビール飲み大会というスポーツに目を付けた点がユニーク。というかユニークすぎ。最後の戦いでは味方のユダヤ人がドイツ人に馬鹿にされて、目に炎ならぬ六芒星の“ユダヤの星”が輝くシーンなんてスポコンですな。
 下らないギャグや唐突なおっぱいなどがてんこ盛りで、下品なシーンが多いのは個人的に気になるが充分に笑うことができた。
 ラストはオランダへ休暇旅行にきた主人公達の前にカントリー・ミュージシャンのウィリー・ネルソン本人が現れある申し出をする。この顛末は次回作『マリファナ・フェスタ』で観てくれ。(作られんだろうが)

B000IU38U6.jpg『白鯨』(1956) MOBY DICK 158分 アメリカ

監督:ジョン・ヒューストン 製作:ジョン・ヒューストン 原作:ハーマン・メルヴィル 脚本:レイ・ブラッドベリ、ジョン・ヒューストン 撮影:オズワルド・モリス 音楽:フィリップ・セイントン
出演:グレゴリー・ペック、レオ・ゲン、リチャード・ベースハート、オーソン・ウェルズ、ジェームズ・ロバートソン・ジャスティス、ハリー・アンドリュース、バーナード・マイルズ

 言ってることは理不尽で、目標はおよそ実現不可能。それなのに妙にカリスマがあって部下はつい「はい」と答えてしまう。俺に付いてこい的な指導力でみんなを引っ張り無理と思える業績も上げるが、業界のルールも平気で無視し、最後はみんな力果ててしまう。それでも社長だけは一人で巨大な敵に突っ込んでいって結果全滅。
 こんな社長がいたら嫌だろうな。社員の平和な生活も考えてくれよ。

『ディープ・インパクト』で隕石を墓石に行ったスペースシャトル内でロバート・デュバルが青年に読んで聞かせたのが確か『白鯨』だったはず。アメリカ文学史の金字塔の一つである。白鯨に襲われて左足を失った気違い船長が乗組員の命など省みずに復讐に燃えるという話しで、困った人だと思うんだがな。原作は中学生の時に読んだが、訳が古くて取っつきにくかった。今では新訳も出てるそうなんでそこら辺は解消されているのだろう。
 割と勘違いされているが、白鯨はシロナガスクジラではなくマッコウクジラ。映画だとアルビノになっているが原作だと「白いところもあるマッコウクジラ」。
 欧米の鯨取りが鯨を乱獲していたのは肉ではなく油が目的。中でもマッコウクジラのあの巨大な頭の中一杯に詰まっている油は良質で灯油や機械油としてとても役に立ったので取って取って取りまくった。言い換えれば殺して殺して殺しまくった。で、船の上で油だけ煮詰めると残りの肉や骨は船外へ捨てていた。もったいない。食えよ。
 船に襲いかかってくる白鯨の特撮は今となってはさすがに古くさいが、そもそも海上パニック映画じゃなくて、白鯨に取り付かれた一人のイカれた男の話。ただ、エイハブ船長役がグレゴリー・ペックなため普段は割と頼れる船長に見えてしまうのは欠点か。一度、イカれ始めるとちゃんと異常な人物に見えるのはさすが。
 当時、すでにSF作家として名を高めていたレイ・ブラッドベリが監督のジョン・ヒューストンと脚本に名を連ねている。語り手の船乗りが冒頭モノローグで語るが、やたらと詩的さはブラッドベリの担当か?
 船乗りには個性的な面々が揃っているのだが、それをあまり活かせていないのが残念。船という閉鎖空間も船長の義足が階上で立てるコツコツといった音以外はあまり有効活用されていない。だが、それらもラストですべて許せてしまう。

B000W7E65G.jpg『ウルフ』(1994) WOLF 125分 アメリカ

監督:マイク・ニコルズ 製作:ダグラス・ウィック 製作総指揮:ニール・A・マクリス、ロバート・グリーンハット 脚本:ジム・ハリソン、ウェズリー・ストリック 撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ 特殊メイク:リック・ベイカー 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ジャック・ニコルソン、ミシェル・ファイファー、ジェームズ・スペイダー、ケイト・ネリガン、リチャード・ジェンキンス、クリストファー・プラマー、オム・プリ、プルネラ・スケイルズ、ブライアン・マーキンソン

 出版社の編集局長(ジャック・ニコルソン)が車で夜道を走っていたところ獣を轢いてしまう。慌てて獣の様子を観に行くニコルソンだが、その獣は彼に傷を負わせるとそのまま逃げ去ってしまった。その姿はこの辺りにはいないはずの狼にしか見えなかった。

 というわけで狼男物。しかも特殊メイクがリック・ベイカーときているから期待せざるを得ないのだが、これがなんともしょぼい。下手な特殊メイクよりはジャック・ニコルソンの素顔の方が怖ろしいのは確かだが、リック・ベイカーを起用した理由がさっぱり見えない。単に毛深くて牙と爪が尖った人間だもんな。
 ジェームズ・スペイダーは無害そうに登場するが、彼ほど卑劣や裏切り者が似合う人も少ないだろう。ジャック・ニコルソンの地位も妻も全てを横取りしようとするが、狼の力を身につけて大人しかった彼が攻撃的になると手も足も出ない。しかし、ジェームズ・スペイダーも実は……うーん、やっぱそのままの展開。
 嗅覚や聴覚が鋭くなっていく描写は悪くなかったが、無理に持ち込んだビジネス社会の血も涙も無さはまだしもマイク・ニコルズらしかったが、ミシェル・ファイファーとのロマンスがキツい。
 ラストの対決も盛り上がらないまま、「えっ、これで終わり?」と拍子抜け。

B001544MA4.jpg『地獄の変異』(2005) THE CAVE 97分 アメリカ/ドイツ

監督:ブルース・ハント 製作:ゲイリー・ルチェッシ、アンドリュー・メイソン、マイケル・オホーヴェン、トム・ローゼンバーグ、リチャード・ライト 脚本:マイケル・スタインバーグ、ティーガン・ウェスト 撮影:ロス・エメリー、編集:ブライアン・バーダン 音楽:ラインホルト・ハイル、ジョニー・クリメック
出演:パイパー・ペラーボ、コール・ハウザー、レナ・ヘディ、エディ・シブリアン、モリス・チェスナット、ダニエル・デイ・キム、マーセル・ユーレス、リック・ラヴァネロ、キーラン・ダーシー=スミス

 連日の暑さにすでに暑気あたりしそうである。この作品は大半が深い洞窟の中が舞台となっていて、あそこは涼しそうでいい。ただ、化け物が出るのが困りものか。蚊ぐらいなら我慢するんだがなぁ。アースノーマットあるし。

 この作品も邦題で損をしている。『地獄の変異』と字面だけ見てみるとなんかややこしそうな作品に見える。原題の『THE CAVE』は『洞穴』なんで、いかなる経緯でこんな邦題になったのか非常に疑問だ。
 実際には、100数十キロはある未知の洞窟を発見して学者や洞窟内の湖に潜るケイブダイバー達が探検しに入ったら化け物が出て襲われましたという話し。
 ケイブダイバーは非常に危険な仕事だとは聞いていたが、劇中のセリフによると「14人に1人が死ぬ」確率だとか。閉ざされた空間に潜っていく最中にどんな事故が起こるか分からない。照明が故障で消えてしまうとか、足ひれで水底に溜まっていた泥を巻き起こしてしまい視界を失ってもどって来れずに死ぬとか、そんな危険な職業らしい。
 そんな彼らを謎の生物が襲ってくる。洞窟内の食物連鎖でトップに立つその生物はこれまでに人類が見たこともない異様な怪物。そして次第に明らかになっていく寄生細胞の謎。
 怪物も怖ろしいが、極限状態で争い始める人間も怖ろしい。怪物に傷を負わされた人間が時間と共に……ということはあの怪物たちの正体は!で『地獄の変異』の意味が分かるが、分かるからと言ってやはりこの邦題は許せない。
 展開は少しゆっくりめだが、学級探検のためのチームなので武装しているわけでもなく、怪物を前に逃げ回るしかない、いかにして地上に戻ることが出来るのかという緊迫感は充分にある。実際の洞窟で撮影されたと思われるシーンも多くて、映像的にも悪くない。いかにもなラストもB級ホラーしてて良し。

B000X8ERRG.jpg『大地震』(1974) EARTHQUAKE 122分 アメリカ

監督:マーク・ロブソン 製作:マーク・ロブソン 製作総指揮:ジェニングス・ラング 脚本:マリオ・プーゾ、ジョージ・フォックス 撮影:フィリップ・H・ラスロップ 特殊効果:アルバート・ホイットロック 音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:チャールトン・ヘストン、エヴァ・ガードナー、ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド、ジョージ・ケネディ、リチャード・ラウンドトゥリー、ローン・グリーン、バリー・サリヴァン、マージョー・ゴートナー、ロイド・ノーラン、ヴィクトリア・プリンシパル、モニカ・ルイス、ペドロ・アルメンダリス・Jr、タイガー・ウィリアムズ、ジョン・ランドルフ、ウォルター・マッソー、ロイド・ガフ、ドナルド・モファット

 取りあえずロサンゼルスで大地震が起こる映画と憶えておけば間違いない。地震大国日本では作りにくいジャンルの映画だ。必死になって作り上げても公開直前にどこかで地震が起きて死傷者でも出よう物ならお蔵入り間違いなし。仮にそうでなくても、「過去の震災における被災者を軽んじている」などの意味不明なクレームが入るだろう。いやあのね、映画は映画、現実は現実だから。
 見せ場は中盤でロスを襲う大地震のシーン。ここではSENSURROUND(センサラウンド)という音響技術が迫力を盛り上げた。簡単に言うと重低音の大型スピーカーを十数機も用意してその超重低音で空気を振動させ、震災シーンの迫力をドンドドドンと観客に体感させる物だったらしい。もちろん、家庭用テレビやAVシステムなどでは再現不可能なので、映画館限定の音響効果だ。だから、オレがテレビで観た『大地震』は『大地震』であって『大地震』ではないのである。実際の劇場ではどんな具合だったんだろうか?
 エピソード的にはこれといって観るべき所は少ないが、普段は近所の住民にいじめられているスーパーの店員が州兵として略奪防止に借り出されて、自分の持つ武器M-16と権力に次第に正気を失っていくところぐらいか。メロドラマ部分はどうでもいいや。
 ジョージ・ケネディは現場の制服警官で、『ナイル殺人事件』の卑劣な大金持ちよりやはりこういう役の方が似合う。チャールトン・ヘストンは冒頭からジョギングに筋トレと相変わらずマッチョな男。
 大地震が起きている中、酒場でそんなことなど気にせず、ひたすら酒を飲み続ける赤い帽子のウォルター・マッソーが最高。その後のシーンでは背景でなんか踊ってるし。
 大地震の特撮は、実物大セットが壊れるシーンは迫力があるが、ミニチュアワークは少し乱雑な感じで円谷特撮に慣れている目からすると見劣りがするが力業で押し切る。パニック物としての出来はまぁ普通。


 実際に劇場でセンサラウンド方式で『大地震』をご覧になったオンリー・ザ・ロンリーさんから情報をいただきました。

「今のピカデリーとは異なる丸の内ピカデリー(ここでは80日間、あしやからの飛行、アラスカ魂、ウエスト・サイドを)で観ています。重低音はさながら地下鉄の工事現場と言った感じ。家内とこの方式に関心があり観ましたが率直なところ、大したことないねと二人の感想。
不思議なのは「前兆」と終ったあとの「余韻」に雷鳴のような「距離感」があり効果的ですが「地下」で聞こえず天井付近で聴こえた事です。
新婚我が家にビクターのCD-4があったくらいのマニアでしたが大地震は鳴り物入りほどでは、と今でも感じます。そうそう通しで二度観ましたが、座る席でも印象が違いました。大した感想ではありませんが・・「これがシネラマだ!」(確か7チャンネル?)のカルチャーショックに勝てるものはないですね。
思うに地震は底からずしーんとは来ますが左右感、つまり広がりがないから、ミッドウェーは余り気にしないで観ましたが帰艦や発艦←こんな言葉ありましたっけ、離艦の時の戦闘機、そしてフォンダがパイプをくわえてそれこそ業務用エレベーターが艦内から上がって来て甲板レベルに至るまでの「空気感」が完全に差異がある、つまり艦内は閉塞感があり甲板では一気に空気が拡がると言った感じ。ミッドウエーがセンサラウンドとは知りませんでしたが当時の航空母艦の作品は他になさそうだから間違いないと思います。
思うにセンサラウンドは技術資料がありませんが「重低音を利用した時間差」(タイム・ディレイとでも言うか)ではないでしょうか?。
センサラウンドの宣伝用コピーは体験者として言うとオーバーですね。丸の内ピカデリーは一級劇場。

7/17追記:センサラウンドがブログに載るならもっとまともに書けば良かった(笑)。言いたかったのは旧丸の内ピカデリーの超一級劇場であってしても大した事なかったと言いたかったのです。重低音を利用した「空気伝達方式」による眼、耳に次ぐ第三の体現方法だと、どうしてもジャンルに限界がある。地響き的なものが最も使い道があるから「ミクロの決死圏」なんて人間が呼吸する度にやれば面白いかも。あとは地球のマグマが出てくるなら「地底探検」とかも良いのでは。だから「ミッドウェー」のような巨艦の機関室は不気味な眼に見えない底力があり効果があったのかも知れませんね。いずれにせよ大手のMCAとかユニバーサルだから一過性のものとしても余裕があるのですね。
思えば映像ならスタンダード、シネラマ、70ミリ、シネマスコープ、VistaVion、でも現在ではpanavisionが主流。音響はこのセンサラウンドをはじめサークランドサウンド(ちょっと曖昧)とかゴマンと現れは消えて行き現在ではドルビーが主流。この2社は当分は独り勝ちの安泰ですかね。」


 どうやらあおり文句の割には期待はずれだったようですね。その後も『ミッドウェイ』など数本の作品に使われただけで消えてしまったのがその証拠でしょう。重低音を活用するというアイディアはいいと思うので、今の音響技術で再チャレンジしてみるのも面白そう。オンリー・ザ・ロンリーさん、貴重な情報ありがとうございました。

B001B6IRIY.jpg『DEATH GAME デスゲーム』(2006) STAY ALIVE 86分

監督:ウィリアム・ブレント・ベル 製作:ゲイリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム、マックG、ジェームズ・D・スターン 製作総指揮:ジョナサン・グリックマン、ダグラス・ハンセン 脚本:ウィリアム・ブレント・ベル、マシュー・ピーターマン 音楽:ジョン・フリッゼル
出演:ジョン・フォスター、サミーラ・アームストロング、フランキー・ムニッズ、ソフィア・ブッシュ、アダム・ゴールドバーグ、ジミ・シンプソン、ウェンデル・ピアース、マイロ・ヴィンティミリア

 ある魔女伝説を題材にしたビデオゲーム『STAY ALIVE』を主人公が手に入れる。しかしそれはゲーム中で死んでゲームオーバーとなると現実の世界でも同じ死に方をする呪いのゲームだった。
『リング』のビデオテープをビデオゲームに置き換えただけかと最初は安易さを感じたが、ストーリーが進んで行くにつれゲームならではのアイディアが盛り込まれていて、オリジナリティがちゃんとあってなかなか面白い。
『STAY ALIVE』はネット経由で多人数プレイも出来るオンラインゲーム。魔女の館に入り塔の上に眠る魔女を退治するのが目的。基本は『バイオハザード』シリーズのような三人称視点なんだが、時折FPSの様な一人称視点にも切り替わる。
 ところが、外部からネット接続で参加していた主人公の上司がゲーム内で喉を短剣で刺されて死んでしまいプレイを終わらせた後、同じ方法で殺害されているのが発見された。そして、さらに犠牲者は増えていく。
 終盤では『STAY ALIVE』を製作したゲーム会社の住所を突き詰めてそこを訪れるが、そこにあったのは古びた豪邸。仲間が何人も殺されて最後の三人になった主人公達は、一人がゲームすることで囮になり、主人公と若い女性の二人が豪邸に忍び込む。
 ところがこの豪邸がゲーム画面に表示されている館とまったく同じ。現実の世界で扉の鍵が開かずに困っているとゲームプレイヤーがゲーム内で鍵を開けると現実の鍵も開く。ゲーム内でバールを落とすとそれが現実の世界に現れるなど、現実の世界とゲームの世界がリンクし始めてからが面白い。コントローラーの振動機能も恐怖の演出に上手く利用されているが、ゲームをやらない人にはなんでコントローラーが勝手にブルブルするのか分からないかも。他にもゲームをやらないと分からない部分もあるので、やはりゲームプレイヤー向けのホラー映画か。でも、やらない人でもそれなりに楽しめる出来。
 お金はかかっていなそうだ。普通ならば予算を食うCGIのシーンも、ゲームの中という設定なので実写と見まごうばかりである必要はない。むしろゲームっぽさが残っていないと駄目なので比較的予算を抑えられる。最近のホラーは痛い残虐シーンが多いが、この作品は殺害シーンをゲームの中の映像で見せたりとそれほど残虐なシーンはない。血もそれほど流れないのでホラーを敬遠する人でもそれほどきつくはないはず。
 ちなみにゲームプレイヤーは重度のゲーム好きのようでいつも着ているパーカーの左胸には『スーパーマリオ』の緑色の1upキノコが書かれている。壁一面に大友克洋の『スチーム・ボーイ』のイラストが描かれた部屋も登場するが、あれ許可取ってんのかな?

 ラストは「これで終わりじゃないんだよ」というホラー映画手法で幕を閉じる。そうか、『STAY ALIVE』はPS2でも動作するのか。それにしちゃすごいグラフィックだが、ともあれ人類やばし。

B00154QSW4.jpg『ダブルオー・ゼロ』(2004) DOUBLE ZERO 90分 フランス

監督:ジェラール・ピレス 製作:トマ・ラングマン 製作総指揮:エマニュエル・ジャクリーン 脚本:マット・アレクサンダー 撮影:ドゥニ・ルーダン 編集:ヴェロニク・ランジュ 音楽:コリン・タウンズ
出演:エリック・ジュドール、ラムジー・ベディア、エドゥアール・ベア、ジョージアナ・ロバートソン、フランソワ・シャト、ディディエ・フラマン、ロッシ・デ・パルマ

 タイトルからわかると思うがスパイ映画。監督は『TAXi』のジェラール・ピレスで、主演の兄ちゃん二人組はフランスのテレビ界で有名なお笑いコンビなんだそうな。
 核弾頭を奪われてしまいフランス政府内は大騒ぎ。この操作任務のために囮として二人の民間人ウィルとベンに目を付ける。
 まずは訓練所での徹底したハードな訓練。乗り込んだ車が大空に放り出されるわ、防火服を着込んでジェット機のジェット噴射を浴びて「高温時の自己体温調節機能」を試されるわでもう大変。ジェット噴射に吹き飛ばされて後ろのコンクリートの壁に貼り付いていた二人が落っこちてくると、壁には二人の姿をクッキリと残した焼けこげが……良いね。
 最初に会った時からお互いに最悪の印象で、なにかにつけケンカばかり。こうして即席訓練で現場に送り出された二人だが、さてこんなんで無事に事件を解決できるんでしょうか?

 モナコを経由して物語はジャマイカへと移る。そこには出たり消えたりする謎の島があって、そこに行った者は生きて帰ってこないとか。“ジャマイカ”“謎の島”、『ドクターノオ』してますなぁ。
 悪党のMr.イーブルが美女軍団を従えて人類滅亡を企んでいるが、その理由は「キレイな姉ちゃんは俺が独り占めだ」という非常に分かりやすいかつお間抜けなもの。人間を不妊・不能にしてしまうガスを開発しているのはロシアから誘拐してきた美人姉妹化学者。本来、美女である理由はまるでない役だがMr.イーブルは自分の回りには美女しか置かないということで納得。
 光学迷彩服や左奥歯に埋め込まれる携帯電話などスパイ映画ならではの秘密兵器も続々登場。携帯電話は着信すると左頬がブルブルと震え、奥歯を噛みしめることで電話に出ることが出来る。しかも留守番電話付き。バッテリーとかどうなってるのか知らないし電磁波が怖い気もするが便利そう。しかも大手携帯電話メーカーNOKIA製だから信頼性もバッチリ。
 Mr.イーブルの美女軍団対中国の女性スパイの戦いも凛々しくて、こうなるとウィルとベンは手出しも出来ない。格闘アクションや爆発シーンなど抑えるべき点はちゃんと撮っている。本物の潜水艦にウィルとベンが乗っているシーンがあるがあれはフランス海軍の艦だろうか。そういえば訓練シーンには戦車も登場していたが、このシナリオで軍が協力してくれるというのならばフランス軍はシャレが分かっている。

 朝食を届けに来たホテルの女性従業員と口論になってコテンコテンにやっつけてしまうなど、女性に対する暴力のギャグがある。ここは評価が大きく分かれるところだろう。悪党側の女性を倒すのはしょうがないが、女性従業員は必要性を感じずこの点はマイナス。

B000657R6O.jpg『ナイル殺人事件』(1978) DEATH ON THE NILE 140分 イギリス

監督:ジョン・ギラーミン 製作:ジョン・ブラボーン、リチャード・グッドウィン 原作:アガサ・クリスティ 脚本:アンソニー・シェイファー 撮影:ジャック・カーディフ 音楽:ニーノ・ロータ
出演:ピーター・ユスティノフ、ベティ・デイヴィス、マギー・スミス、ミア・ファロー、アンジェラ・ランズベリー、ジョージ・ケネディ、オリヴィア・ハッセー、ジョン・フィンチ、デヴィッド・ニーヴン、ジャック・ウォーデン、ロイス・チャイルズ、サイモン・マッコーキンデール、ジェーン・バーキン、ハリー・アンドリュース

 苦手なジョン・ギラーミンにしては楽しめるミステリー映画。原作はアガサ・クリスティのポワロ物『ナイルに死す』で、オールスターキャストなのに顔ぶれを並べてみるとどうも地味なのが特徴。でも力のある役者が揃っているので演技面は万全。

 舞台はエジプト。航海中のナイル下りの客船で大金持ちの若い女性が小型ピストルで射殺される。たまたま乗り合わせていたエルキュール・ポアロ(ピーター・ユスティノフ)と友人の大佐(デヴィッド・ニーヴン)が警察の依頼を受けて捜査に乗り出すが、調べてまず分かったのは乗客の全員が被害者に恨みや経済的理由などで動機を持っており、容疑者だらけだと言うこと。
 船の中は密室だったから、犯人はこの中にいるはず。

 前半は、ピラミッドや神殿、スフィンクスなどでのロケが行われ、異国情緒が溢れているが、後半は船の中でのみ話しは進行するのでエジプトのナイル川という舞台設定は上手く活かされているとは言えないが、限られた空間の中でどうストーリーを進めていくのかという工夫が見られ閉塞感も雰囲気作りに役立っている。
 登場人物の大半が欲を持った俗物で良くも悪くも人間くさいため、誰が犯人かなかなか分からず、ミステリー映画としても破綻せずに構築されている。登場人物がステレオタイプで内面的個性に乏しいが、分厚い原作を140分に収めるためのシナリオと、人物描写が苦手なジョン・ギラーミンなので許容範囲。
 原作が古いのでトリックに目新しさがないのは否めないが、これは仕方ないところだろう。映画版でまったく違うオリジナルなトリックにすると言う手もあるが、大体そういうのはファンからそっぽを向かれる。
 ポアロの推理や謎解きも映像を上手く使って、映画ならではの醍醐味を見せてくれる。
 そして悲しい愛の悲しい結末。それすらも悠久の流れであるナイルは飲み込んで静かに流れていく。

B00005EF3I.jpg『バトルヒーター』(1989) 93分 日本

監督:飯田譲治 総監督:川島透 製作:山本久、石井俊雄、市山尚三 プロデューサー:新田一郎、瀬田泰、出口孝臣 製作総指揮:大里洋吉 原作:睦月三日生、島川AZ 脚本:中島吾郎、飯田譲治 撮影:水野尾信正 美術:高橋章 編集:高島健一 音楽:BAKUFU-SLUMP、松原幸広 特技監督:古賀信明
出演:パッパラー河合、NEWファンキー末吉、岸谷五朗、奥貫薫、柄本明、室井滋、小倉久寛、バーベQ和佐田、サンプラザ中野、三宅裕司、富田靖子、小宮孝泰(コント赤信号)

 オレがいた名城大学シネマ研究会は天白文化サークル連合というのに属していて、文化祭の目玉が一号館前駐車場で行う無料のロックフェスティバルであった。
 オレの入学とは入れ違いになるのだが、1986年までの数年のトリを勤めていたのが当時まだパンクロックだった頃の『爆風スランプ』。ステージから観客に消火器を撒くわ、どっかから扉を外してきてそれを観客の上に放り投げその上にサンプラザ中野が乗って暴れ回るわ。記録フィルムを見ると好き勝手なステージだった。
 そのサンプラザ中野が今となっては株式投資家で健康オタクになるとはまるで予想が出来なかった。ロックしてねぇなぁ。でも、当時の爆風スランプは確かにロックだった。

 その爆風スランプの第一回主演映画がこの『バトルヒーター』だ。ちなみに第二回主演作はない。
 ゾンビは人を喰う。巨大蜘蛛や巨大蜥蜴に巨大ワニも人を喰う。『チャイルド・プレイ』のように人形も人を襲えば、コンピューターだって人を襲う。だが、炬燵が人を襲って喰うというのはこの映画が史上初だ。史上初のまんまで後継者は未だ登場していないが。
 廃棄された中古家電を回収しては修理して販売している中古家電商(柄本明)とそこの店員のパッパラー河合が処分場で一台の炬燵を手に入れたところから物語が始まる。その炬燵はなんと、呪いがかけられた暗黒の人喰いゴタツだったのだ。何故?と言われても困る。そういう設定なのだから。
 終盤では岸谷五朗が率いるパンクロックバンドが無理矢理にアパート麒麟荘内でライブを行う中、人喰いコタツの大暴れが始まる。岸谷五朗は歌い始めると声は爆風スランプのボーカルサンプラザ中野の声になるが、動きがロック歌手している。勘違いでその会場に押し寄せた女子高生は“爆風スランプファンクラブ”の皆さん。今見ると、怖ろしく野暮ったいが、今の女子高生も2028年頃に映像で見たら野暮ったいのだろう。そんなもんだ。
 誰が良いったって家電屋の主人、柄本明が良い。洋服ダンスの奥には『電気様』を祀る謎の祭壇があったり、ラストには手製のパワードスーツモドキで応援に駆けつける。そのタイミングは『エイリアン2』のラストで登場する“パワーローダー”そのまま。ってかパクリだが格好いい。最近の柄本明はウルトラスーパー超大駄作『魍魎の匣』でもマッドサイエンティストを演じているが、こちらの方がよっぽどクレージー。
 爆風スランプのギタリストであるパッパラー河合が主演。白目を剥いて寝るという主人公を演技の素人なりにちゃんと演じている。
 サンプラザ中野は謎の僧侶役で登場。「うむむ、これは……」とか言っている内に空から落ちてきた『バトルヒーター』のタイトルに吹き飛ばされて大怪我するし、ラストには『END』の隕石に押しつぶされる。この散々な扱いが良い。
 一つだけシーンを挙げろと言われたら、麒麟荘に住む老夫婦を選ぶ。彼らは世間に迷惑をかけた来なかったことだけが唯一の心の誇りで、これからの生活に対する絶望からか自殺を選ぶ。その自殺も、パッパラー河合から借りた半田ごてで感電装置を作り、それが作動すると自分たちは感電死し、部屋の中には白黒の鯨幕が貼られ、台の上には二人の位牌まで建つようになっている精巧な仕掛け。
 1989年の公開時以来に観たが、当時感じた以上に皮肉と毒を含めた美しいシーン。2008年の現在は、政府が老人に「とっとと死ねや」と言っている現状をすでに見据えていたのかも知れない。

 後の『ナイト・ヘッド』などを撮る飯田譲治の商業デビュー作だが、興行的には大コケ。爆風のファン層には受けない内容だろうし、B級ホラーファンには爆風主演というのが抵抗となる。
 だが、麒麟荘という古く狭いアパートの中だけでほとんどのシーンを成立させ、根っからくだらなくて素敵なB級ホラー映画。あまり人数的には喰われないんで、もっともっとバックバックと喰いまくって欲しかったというのはあるが、「爆風スランプ?それ何?」となった今こそ正当な評価を受けるかも知れない。

B0014B8A60.jpg『サンキュー・スモーキング』(2006) THANK YOU FOR SMOKING 93分 アメリカ

監督:ジェイソン・ライトマン 製作:デヴィッド・O・サックス 製作総指揮:ピーター・シール、イーロン・マスク、マックス・レヴチン、エドワード・R・プレスマン、ジョン・シュミット、アレッサンドロ・ケイモン、マイケル・ビューグ 原作:クリストファー・バックリー『ニコチン・ウォーズ』(東京創元社刊) 脚本:ジェイソン・ライトマン 撮影:ジェームズ・ウィテカー 美術:スティーヴ・サクラド 衣装:ダニー・グリッカー 編集:デイナ・E・グローバーマン 音楽:ロルフ・ケント
出演:アーロン・エッカート、マリア・ベロ、デヴィッド・ケックナー、キャメロン・ブライト、ロブ・ロウ、アダム・ブロディ、サム・エリオット、ケイティ・ホームズ、ウィリアム・H・メイシー、J・K・シモンズ、ロバート・デュヴァル

 相変わらずアーロン・エッカートのアゴは見事に割れている。
 ちょっと読んだ話だが、この割れたアゴというのは遺伝形質ではなく獲得形質らしい。成長期に堅い物を噛むなどしてアゴの筋肉を使うことで筋肉が発達し、その結果として盛り上がった筋肉でアゴが割れるのだ。もちろん、同じ食生活をしてもアゴが割れる人問われない人がいるだろうから、そもそもの骨格や筋肉の発達の具合など生まれつきの部分もあるのだろうが、もしもアーロン・エッカートが豆腐ばっかり食っている食生活を送ってきたら、多分彼のアゴは割れていない。でも、アゴが割れてなかったらそれはもはやアーロン・エッカートではないだろう。

 ニック・ネイラー(アーロン・エッカート)は煙草産業が運営資金を提供するタバコ研究アカデミーの所員で広報担当。テレビに出たり、ロビイストとして政治家に接触することで「タバコに害はない」と主張し、世論を操作するのが仕事。
 その目的はもちろんタバコの売り上げを伸ばすため。そのためにはタバコを吸えるようになる18歳より下の未成年層を狙わねばならない。なにしろ数が多いし、若い内に吸い始めたらなかなか止めることが出来ないのでこれからもずっと顧客でいてくれる。
 そのためには映画だとニックは目を付ける。過去にタバコの売り上げが絶好調だった頃は、映画の中でスター達の手にはタバコがあった。彼らがタバコを吸う仕草に憧れて吸い始める人は多かった。だからそれを現在のハリウッド映画でやろうというのだ。
 映画プロジェクトも順調に進み、絶好調に思われたニックだが、ワシントンポストの美人女性記者の取材を受け、肉体関係を持ってしまう。そしてオフレコのつもりで話したピロートークがワシントンポストの1面を飾ってしまったからさぁ大変。昨日までの腕利き広報マンは即日解雇。どん底に叩き落とされてしまう。だが、離婚した妻の元で育てられている彼の息子がいて、ニックの仕事振りを見てきた息子は父を「負けちゃ駄目だ」と励ます。そして、ニックは詭弁と論点すり替えを武器に一発逆転の戦いに打って出る。

 アメリカは黙っていたら損をするディベート社会。相手を言い負かすことも仕事の内。日本では「沈黙は金」となっているが、あちらじゃ沈黙はゴミなのだ。
 タバコに害がないなどと思ってもいないことを平気で主張するニック。そのためにはあらゆる答弁テクニックを駆使する。「アメリカで一番人を殺しているのはコロステロールだ。タバコの箱にドクロのマークを付けるというのならばチーズの箱にも付けるべきです」、「未成年の喫煙問題は家庭や学校での教育問題でしょう。ここは自由の国アメリカですから、18歳になれば誰だってタバコを吸う権利があります」など論点を巧みにすり替え、口先三寸だけで相手をやり込める。
 道徳観や倫理観から反省することはないのか?だって、家や車のローンがあるのだ。そのためには仕事して稼がにゃ。どのみち誰かがやらなきゃいけない仕事だし。

 タバコのパッケージを模したオープニングクレジットが面白い。内容からして煙草会社の協力を得られたとは思えないのでオリジナルのデザインなんだろうが、タバコのペッケージデザインって優れてるんだな。これまた、煙草会社は大金をかけて魅力的に見えるようにデザインを工夫しているんだろう。
 どうしても喫煙者、禁煙・反煙者によって感想が変わってきてしまう作品だが、それを抜きにしてアーロン・エッカートのインチキ臭いディベートが面白い。向こうはニックのような企業のスポークスマンにしても政治家にしてもスピーチや討論が上手い。相手がどのような反論をしてくるかあらかじめ予想しておいて、それへの対策もバッチリで議論に挑む。だが、最後に物を言うのはとっさの時の頭の回転。

 社会派ドラマとして全編重い雰囲気だった『インサイダー』に対し、こちらはコメディタッチでテンポ良く物語が進む。そんな軽さをタバコ業界の裏の実力者ロバート・デュヴァルや、元マルボロのCMモデル『マルボロ・マン』で現在では肺ガンを患ってしまったサム・エリオットが締めてくれる。アジア趣味の映画プロデューサーであるロブ・ロウが深夜一人で女性物振り袖を着て電話してるのは笑った。
『インサイダー』にも登場した煙草会社の七人の社長が宣誓するニュース映像や、最後は煙草会社が各地での訴訟に破れて2460億ドルの賠償金を支払ったなど、内容として繋がってる部分もあり、ほぼ同じ時期が舞台となっているのだろう。

 反煙活動家がコンピューターグラフィック技術を利用して、過去の作品からタバコを消し去っているシーンには怒りを覚えた。しかし、オレも大学に入ってからタバコを吸いだしたのはやはり映画の喫煙シーンの影響。メディアに登場するタバコに影響を受けて吸い始める人が多いのはおそらく事実。嗜好品だから、若い内に最初の一本を吸わなければ、その後もずっと吸わない可能性は高い。
 オレの喫煙生活は今よりもタバコの値段が安かったとはいえ、「一箱吸わなきゃ、学食で飯食えんじゃん。二箱吸わなきゃ近くの定食や金鯱(きんこ)でランチ食えんじゃん」というので1、2ヶ月で止めてしまった。煙で腹は膨れんからなぁ。

B0000DJWJK.jpg『インサイダー』(1999) THE INSIDER 158分 アメリカ

監督:マイケル・マン 製作:マイケル・マン、ピーター・ジャン・ブルージ 脚本:エリック・ロス、マイケル・マン 撮影:ダンテ・スピノッティ 音楽:リサ・ジェラード、ピーター・バーク
出演:アル・パチーノ、ラッセル・クロウ、クリストファー・プラマー、ダイアン・ヴェノーラ、フィリップ・ベイカー・ホール、リンゼイ・クローズ、デビ・メイザー、ジーナ・ガーション、ハリー・ケイト・アイゼンバーグ、ブルース・マッギル、マイケル・ガンボン

 報道番組『60ミニッツ』のプロデューサー(アル・パチーノ)の元にある煙草会社の関係者から内部告発の資料が送られてくる。専門知識の解説を求めてプロデューサーは他の煙草会社で重役を務めていて最近解雇されたばかりの化学者(ラッセル・クロウ)に接触を取る。1万数千ドルの報酬で煙草会社との守秘義務以外の点については説明すると答えるラッセル・クロウだが、この時さらに深い泥沼に足を突っ込むこととなった。

 実話ベースのタバコ産業の裏と暗部を暴く社会派映画。今作ではタバコ産業が悪役となるが、他の業界に当てはめることもできる。警察など司法や議員などの政治も金などで抱きかかえた巨大企業の権力の前で、一個人はいかにして戦うことが出来るのか。
 過去のちょっとした過ちさえあら探しされそれを世間に公表されてしまう。本来の問題点とは関係ないことで非難され、その意見を意味のない物とされてしまう。それどころか脅迫を受けたり実際に被害にあったりする。「泣く子と地頭には逆らえぬ」というが、権力を持った物の前では個人は無力に近いというのは世の東西を問わずして同じ事なのか。
 だが、共に戦うプロデューサーの存在で状況は変わってくる。プロデューサーだけならば個人だが、そこにはテレビ報道メディアという力が備わっている。如何に世論に訴え注目を集めるかによって戦うすべも生まれてくる。

 どちらかというと苦手なアル・パチーノと苦手なラッセル・クロウ共演作という暑苦しさだが、このアル・パチーノが良かった。喫煙が悪だからとか反権力といった理由ではなく、戦う理由は自分がジャーナリストだから。自分がジャーナリストであり続けるために全てを注ぎ込むその格好良さ。舞台がもし日本だったら、報道側はどう動くんだろうか。日本にアル・パチーノはいるのか?
 アル・パチーノとラッセル・クロウが詳しい話しをするのが日本料亭。日本の政治家も何かと料亭を使うが、個室なので極秘な話しをするには都合が良いのだろう。ラッセル・クロウと日本料亭というと『バーチュオシティ』のオープニングを思い出して思わず笑いそうになるがそこはグッとこらえる。こらえてるのにラッセル・クロウのヘンテコ日本語に結局吹きだしてしまうのであった。
 この作品は煙草会社の元関係者が内部告発をすると言った話。だから主人公側の視点に重点が置かれていて、この作品で書かれているのは実話ベースだが完全なる事実ではない。
 では、反煙運動が高まる中、煙草産業のロビイストにしてスポークスマンはどうしていたのか?それが描かれているのが次回予定の『サンキュー・スモーキング』
 『インサイダー』で使われた各煙草会社の七人の社長が右手を挙げて宣誓する実際の映像や、ラストの結末など重なっている部分も多い。違う視点からの映画なので合わせて観ることでより問題が立体的に浮かび上がるという点でもセットで観ることをお薦めする。

B000H9HQVK.jpg『カサンドラ・クロス』(1976) THE CASSANDRA CROSSING 128分 イタリア/イギリス

監督:ジョルジ・パン・コスマトス(ジョージ・P・コスマトス) 製作:カルロ・ポンティ、ルー・グレイド 脚本:ジョルジ・パン・コスマトス、ロバート・カッツ、トム・マンキウィッツ 撮影:エンニオ・グァルニエリ 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:リチャード・ハリス、バート・ランカスター、ソフィア・ローレン、エヴァ・ガードナー、マーティン・シーン、イングリッド・チューリン、ジョン・フィリップ・ロー、アン・ターケル、レイモンド・ラヴロック、アリダ・ヴァリ、O・J・シンプソン

 昔、テレビの洋画劇場で観たのが最初なんだが、その時の記憶は「最後に列車が鉄橋から落っこちる映画」としかなかった。今回観直してみると、全編を通すサスペンス感に心をひかれた。ハリウッド映画とは違う、ちょっと地味だがジワジワと来る恐怖。同じ乗り物パニック映画としてはあえていうなら『ジャガーノート』に近い物を感じる。『ジャガーノート』の方が洗練度は高いが、山場山場の連続ではなく、少しずつ細かいエピソードを重ねていくことで緊張感を作り上げていく手法は面白い。

 監督のジョルジ・パン・コスマトスはシルヴェスタ・スタローンの『ランボー2 怒りの脱出』や『コブラ』を撮った人。昔はジョージ・P・コストマスって呼ばれていた気がするが、同一人物。そうか、PはPANだったのか。
 空撮で雪山からジュネーブの街中へとカメラが入り、国際保健機構本部へと近づいていくオープニングですでにワクワク。オープニングが空撮ってだけで心が躍るのは何故なんだろうか。
 その国際保健機構で米軍が極秘裏に細菌兵器を開発ないし調査中で、爆弾を仕掛けるために忍び込んだ北欧系テロリストがその急性肺炎菌に感染したまま逃げだし、大陸横断特急に乗り込んでしまったからさぁ大変。米軍の現場責任者のバート・ランカスター、たまたまその列車に乗り込んでいた医学博士(リチャード・ハリス)とその元妻(ソフィア・ローレン)、西欧一の武器製造会社の妻の愛人である登山家(マーティン・シーン)。それから神父さん役のO・J・シンプソン。“神父さん”と“シンプソン”。しっかり掛かってますね、本当にもう大変なんすから。どーもすいません。
 次第に車内で増えていく感染者。情報もないまま振り回される乗客達。それを冷徹に扱うバート・ランカスター。感染が広まった時点で乗客は汚染源でしかない。そこに至るまでの展開が静かかつ地味だが昔の記憶にはなかった面白さだ。おそらくテレビ放映時には本編合計が90分程度に編集されていただろうから、オリジナルの128分からはかなりカットされているはずなので、アクションシーンを重視してドラマ部分を切ったのだろう。それか、単にオレの記憶力がいい加減なだけ。
 単なる医学博士がサブマシンガンを容易に操るのってどうなのよという疑問もリチャード・ハリスという時点で消えて無くなる。そりゃ彼ならばどんな武器だって自在に使いこなすはずさ。
 散々苦労しても、最後は古く朽ち果てた鉄橋『カサンドラ・クロッシング』から列車の前半部分が転落してしまう。その事故で多くの人命が失われる。主人公達の何人かは生き残り、何人かは死ぬ。災害パニック物だとそれもありだが、人為的災害でることを考えると納得できない部分が残るが、それがハリウッド映画との差でもある。ハリウッド映画だったら、ラストの列車転落は阻止されるのだろう。
 政治的黒幕役の印象が強いマーティン・シーンだが、今作では『地獄の逃避行』の主人公を思わせる反抗的人物として登場。微妙な長髪が格好いい。さすがエミリオ・エステヴェス父だけのことはある。睨むような目つきは息子に受け継がれている。
 リチャード・ハリスを始めとする乗客側にも、バート・ランカスターの権力側にもハッピーエンドとはほど遠い苦く不幸な終わり方が70年代を感じさせる。

B0000T09O8.jpg『アルゴ探検隊の大冒険』(1963) JASON AND THE ARGONAUTS 109分 イギリス

監督:ドン・チャフィ 製作:チャールズ・H・シニア、レイ・ハリーハウゼン 脚本:ジャン・リード、ビヴァリー・クロス 撮影:ウィルキー・クーパー 特撮:レイ・ハリーハウゼン 音楽:マリオ・ナシンベーネ、バーナード・ハーマン
出演:トッド・アームストロング、ナンシー・コヴァック、ゲイリー・レイモンド、オナー・ブラックマン、ローレンス・ネイスミス、ニオール・マッギニス、マイケル・グウィン、ダグラス・ウィルマー、ジャック・グイリム、パトリック・トラウトン、ナイジェル・グリーン

 ギリシャ神話のゼウスを始めとする神様達は非常にわがまま。自分の気分次第で人間の運命を左右して幸福にしたり不幸にしたり。呑気なもんだね。
 侵略者がゼウスの加護を受けてある王国を攻撃して乗っ取ってしまう。この勝利は神に約束された運命であったが、その国王の子供にこれまた神の決めた運命。そして20年後、戦の最中に連れ出されて生き延びた男の赤ん坊が、立派に成長して王国に帰ってきた。目的はもちろん侵略者だった現国王を倒し国を取り戻して復讐を遂げること。
 ところが、それと知らず現国王と出会った青年ジェイソンは、「王になるのならば奇蹟を示さなければ」とそそのかされて、地の果てにあるという黄金の毛皮を取りに行くことにする。とはいえ、どうしたものかと考える彼はゼウスの妻であるヘラによって天界へと連れてこられる。ゼウスは船と乗組員を与えると告げるがジェイソンはそれを拒否し、5回限りでヘラの助けを受けられるとの恩恵を賜る。地上に戻ったジェーソンは丈夫な船を造り、ギリシャ中の勇士を集めて競技会を行い、成績優秀者を乗組員として航海に旅立つ。その中には、伝説の勇者ヘラクレスの姿もあった。
 こうして、彼らの艱難辛苦の冒険譚が始まったのである。

 艱難辛苦と言ってはみたが、どうもそれほど苦労していない。何かというとヘラに頼んで知恵を授けてもらい、5回の助けも旅が始まって早々に使い果たす。船が通ると崩れてくる岩壁は、お守りを使って海の神(ポセイドン?)を呼び出して助けてもらう。
 太古の昔、神の武器を作っていた島では青銅の巨人タロスに襲われるが、そのきっかけは「水と食料以外に手を出してはいけない」という神の禁をヘラクレスが破ったためで、自業自得と言って良いだろう。そのせいで、ヘラクレスは何の活躍もないまま退場。ゲスト出演ですな。
 黄金の毛皮も、どこかの無人島にでもあると思ったら、世界の反対側にある国の所有物で、その国の民にとっては繁栄の象徴。それを勝手に持って来ちゃうんだから。それって泥棒じゃないのか?ギリシャ人からみれば異国の民のことなど知らんってことなんだろうが。
 そんな彼らの行動は任務の成功に賭けたヘラと失敗に賭けたゼウスによって常に天界の水鏡から監視されている。基本的にはジェイソンも現国王も神の行うゲームのコマである。まるでシミュレーション系の対戦ゲームだ。高潔な神ではなく欲や感情で好きなように行動するのは人間味があるとも言える。それに振り回される人間側はたまったもんじゃないが。
 なんかストーリーにケチを付けているようですが、いやいや実にワクワクハラハラで面白い。原作はギリシャ神話のエピソードなので制約もあるだろうし、本来はかなり残虐なシーンもあるのだがそこら辺をカットして上手く娯楽作に仕上げている。黄金の毛皮を手に入れるところで映画は終わるが、その後の復讐劇やジェイソンの末路などかなり悲惨だ。ギリシャ神話なのに主人公がジェイソンはないだろうと思うが、これはイアソン(Jason)の英語読み。ドン・チャフィの演出にはこれといって注目する点はないが、それもあまり気にならない。

 作品の目玉はハリー・ハウゼンによるモデルアニメーションを使ったダイナメーション。青銅の巨人タロスや二羽のハーピー、七本首のヘビであるヒドラやガイコツ兵士が自由に動き回るのは年月を経た今観ても見応えがある。ハーピーは本来禿鷲の羽を持っているのだが、映画内ではコウモリ女風の造形。羽や毛のあるモデルでの作業はやはり難しいのだろう。
 モデルアニメーションは、人形を少しずつ動かしてはそれをコマ撮りで撮って作る立体のアニメーション。ダイナメーションの特徴はそのモデルアニメーションのクリーチャー達が実写の俳優達と同じ画面に映り、チャンバラなどで派手に戦うところ。特にガイコツ兵士との剣での戦いは本当にチャンバラしているようにしか見えない。最初に人間の動きを撮っておいて、それに合わせてクリーチャーの動きを振り付けているのだろうが、これまた神経を使う気の遠くなるような忍耐力と集中力が必要な作業だろう。
 ヒドラとジェイソンが戦うシーンなどは首が七本もあるから、どの首をどう動かしたかちゃんと記録して順番通りに動かしていかねばならない。現像してみて失敗だったらそのカットは一からやり直しだ。
 ただ、モデルアニメーションは素晴らしい。それに比べて最近はなんでもCGばかりで駄目だという意見もあるようだが、それはどうだろうか。クリーチャーのデザインを考え、おそらくは最初は平面のスケッチとして書いたのを立体化し、動きを振り付けていくのに必要なセンスとテクニックはおそらくほとんど変わっていないだろう。
 実際に映像を作っていく段階も同じ。「こんなクリーチャーでこんな動き、ピコパコパ」でコンピューターにお任せして勝手に出来上がるわけじゃないから、CGI作成現場も気の遠くなるような忍耐力と集中力が必要な戦場だろう。使う道具が変わってより便利にはなっているだろうが、両者のやっていることや苦労は似たような物なんじゃないだろうか。
 もちろん先達者としてのハリー・ハウゼンの功績やそのセンスなどはなかなか余人が至り得ない物ではあるが、「=CGの否定」ではないだろう。ハリー・ハウゼンが現在も活躍していたら、「これは面白い」ってんで間違いなくCGに手を出していたはずだ。

B000KGGC7Y.jpg『影なき狙撃者』(1962) THE MANCHURIAN CANDIDATE 126分 アメリカ

監督:ジョン・フランケンハイマー 製作:ジョン・フランケンハイマー、ジョージ・アクセルロッド 製作総指揮:ハワード・W・コッチ 原作:リチャード・コンドン 脚本:ジョージ・アクセルロッド 撮影:ライオネル・リンドン 音楽:デヴィッド・アムラム
出演:フランク・シナトラ、ローレンス・ハーヴェイ、ジャネット・リー、ヘンリー・シルヴァ、アンジェラ・ランズベリー、レスリー・パリッシュ、ジェームズ・グレゴリー、ジョン・マッギーヴァー

 デンゼル・ワシントン主演の『クライシス・オブ・アメリカ』(2004)のオリジナル。あちらはイラク絡みだったが、こちらは冷戦のまっただ中で悪役はソ連・中国の共産主義国家。朝鮮戦争中に拉致されて洗脳されてしまい、記憶の改竄と意識化に指令を植え付けられたアメリカ陸軍兵士の救いようのない戦いが繰り広げられる。
 共産主義との戦いから、母親からの抑圧や義父への憎悪、引き裂かれてしまった若い恋人たちなどなど重苦しい要素が詰まっている。本人も洗脳されており、帰国後は悪夢に悩まされている主人公のフランク・シナトラが作中で「ギリシャ悲劇」と口にしているがまさにその通り。
 単なる反共映画と捉えられていることもあるが、それ以上に理不尽さ、不条理さが記憶に残る。

 1シーンを挙げるとしたらその洗脳シーンだろう。兵士達は婦人会のアジサイに関する園芸講座を聴いていると思い込んでいるが、実際に座っているのはアメリカ婦人ではなく、高く拵えられた階段状の座席から見下す共産圏の実力者達。幻想と現実が何度も交互に入れ替わり、その対比が美しいが怖ろしい。1962年作品なのにモノクロなのはここの映像を効果的にするためだったのではないかと思わせるほど。
 原題の『THE MANCHURIAN CANDIDATE』は『満州の候補者』といった意味。兵士達の洗脳と作戦会議が行われたのが満州であるのと終盤の大統領選をかけて付けられたのだろう。満州とはまるで関係がない『クライシス・オブ・アメリカ』の原題も『THE MANCHURIAN CANDIDATE』のままだったんで「イスラムの裏にいた黒幕は中国人という意味だ」とか変な深読みをされていることもあるが、単にタイトルを変えなかっただけ。変えるべきだったんじゃないかとも思うが、アメリカ人には馴染みが深いタイトルなのでそのままにしたとか、何らかの理由があるのだろう。
 上院議員の再婚相手で、息子を洗脳させてまで権力の座を狙うハムレット作品的悪女をアンジェラ・ランズベリーが好演。「どんな人?」と説明するには『ジェシカおばさんの事件簿』のジェシカおばさんと説明するのが一番分かりやすいだろうか。この頃から顔はほとんど変わっていないのですぐ分かる。あのね、ジェシカおばさん悪すぎ。
 主人公のフランク・シナトラは可もなく不可もなくといったところ。一番の見せ場は朝鮮人の共産スパイであるチュンジンとの空手風の格闘シーン。室内のいろんな物をぶち壊しながら闘いまくる。
 そのチュンジンを演じたのがヘンリー・シルヴァ。イタリア系マフィアからイスラム系テロリストまで演じるヘンリー・シルヴァだが、アジア系まで演じていたとは。映画の冒頭で登場してきたときには「さすがにそれは無理があるんじゃないか」と思ったが、意外にそれっぽい。モノクロだから肌の色がほとんど気にならないというのもあるだろう。はっ!モロクロ作品として撮った理由はそれかっ!……いや、絶対違う。
 汽車の食堂車でフランク・シナトラに話しかけてくる謎の美女としてジャネット・リーが登場。謎の美女なのだが、どこが謎なのか、本当に謎なのか。それが最後まで謎なままなのが一番謎。

B00009PN0Z.jpg『勇気あるもの』(1994) RENAISSANCE MAN 128分 アメリカ

監督:ペニー・マーシャル 製作:サラ・コレトン、エリオット・アボット、ロバート・グリーンハット 製作総指揮:ペニー・マーシャル、バズ・フェイトシャンズ 脚本:ジム・バーンスタイン 撮影:アダム・グリーンバーグ 音楽:ハンス・ジマー
出演:ダニー・デヴィート、グレゴリー・ハインズ、クリフ・ロバートソン、ジェームズ・レマー、リロ・ブランカトー・Jr、ステイシー・ダッシュ、カディーム・ハーディソン、リチャード・T・ジョーンズ、カリル・ケイン、ピーター・シモンズ、グレッグ・スポーレダー、マーク・ウォールバーグ、アン・キューザック、アラナ・ユーバック

『ビッグ』(1988)からして嫌いなペニー・マーシャルの監督作。例によって都合の良い展開と都合の良い結末。刺激を感じさえない凡作。
 広告代理店を失業して、仕方なく陸軍新兵訓練所で8人の落ちこぼれ兵士に教養を教えることになった主人公(ダニー・デヴィート)が、ふとしたきっかけで彼らにシェークスピアのハムレットを教えることになる。そこからの展開が早い早い。詰め込みすぎなストーリーは考えるよりも先に答えが提示され、落ちこぼれのはずの兵士達はあっと言う間に素直な生徒に変身。トラブルが起きてもダニー・デヴィートが高所訓練所によじ登ることでいとも容易く解決。事はそんなに簡単でも単純でもないだろうに。
 1994年当時は湾岸戦争も終わったばかり。遠く中東まで軍隊を送り、勝ったとはいうものの被害も受けた。何のための戦争なのか、世論にも軍内にも問題意識があっただろう。それに対して、「軍隊最高ー!陸軍最高ー!」と言いたいのが結論。
 ベトナム戦争時には反戦デモに参加していた主人公が軍隊を受け入れるまでの話し。

 そんな映画をなんとか見られるようにしてくれているのが俳優達。落ちこぼれ兵士はデビュー当時のマーク・ウォールバーグを始めとしてそれぞれに個性があるし、グレゴリー・ハインズの鬼教官やクリフ・ロバートソンの軍の偉いさん、アン・キューザックなどの脇役が支えてくれる。クリフ・ロバートソンとアン・キューザックの出番はほとんどないが、印象は強い。
 単純な鬼教官ではなく、おそらく何かしら背負っていることを感じさせるグレゴリー・ハインズに必要以上のことを語らせなかったのは正解。仮にベトナム戦争参戦時の悲惨な過去などを話し始めたらかなりうんざりしたことだろう。訓練時に丸太を飛び越える模範を示すところでは名タップダンサーらしいさすがの身の軽さも見せてくれる。
 高所訓練所の20メートルはありそうな壁面から、ダニー・デヴィートがロープ降下するシーンでは、引きの画になってスタントマンが演じるところになるととたんに足が長くなり等身が長くなる。ダニー・デヴィートのような体型のスタントマンはいないだろうから仕方ない。

B000V6F4YU.jpg『ウェス・クレイヴン’s カースド』(2005) CURSED 97分 アメリカ

監督:ウェス・クレイヴン 製作:マリアンヌ・マッダレーナ、ケヴィン・ウィリアムソン 製作総指揮:アンドリュー・ローナ、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン、ブラッド・ウェストン 脚本:ケヴィン・ウィリアムソン 撮影:ロバート・マクラクラン 特殊メイク:リック・ベイカー 編集:パトリック・ルシエ、リサ・ロマーニウ 音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:クリスティナ・リッチ、ジョシュア・ジャクソン、ジェシー・アイゼンバーグ、ジュディ・グリア、ポーシャ・デ・ロッシ、スコット・バイオ、シャノン・エリザベス、マイケル・ローゼンバウム、ランス・ベース、マイア

 『CURSE』とは呪いのこと。で、何に呪われたかっていうと、狼男。原題のロスに住む姉弟が自宅への帰り道である『マルホランド・ドライブ』で謎の怪物に襲われ、傷を負わされてしまったことから彼らも狼男になるという呪いをかけられてしまう。襲ってきた狼男の正体は、彼らはこれからどうなってしまうのか。こうして惨劇は幕を開けた。

 狼男の呪いをかけられた者には手の平に線で繋ぐとペンタグラム(五芒星)になる傷痕が生じるのだが、マルホランド・ドライブに入っていく時に見えるロスの夜景が、通りの明かりなどを良く見るとペンタグラムの形になっている。ここでこれから起こる事態を予感させてくれる。
 ウェス・クレイヴンだけあって、過去の狼男映画を始めとしたホラー映画へのオマージュもふんだんに盛り込まれていて、終盤の狼“男”が大暴れをするシーンは、オールドホラー映画をテーマにしたクラブが舞台となっている。入り口には『ヘルレイザー』のピンヘッドのマネキン人形まで立っている始末。鏡張りの迷路はホラーじゃないが『上海から来た女』および『燃えよドラゴン』なんだろう。
 いったい誰が狼男なのか。こいつか、いやそいつかといった展開になるが、狼“男”という言葉に惑わされ意外な人物であった。まぁ、狼男ってのは日本語訳で英語だとWEREWOLFだから男とは限らないのでこれは考えすぎ。
 特殊メイクがリック・ベイカーなので『狼男アメリカン』と思い出すと期待せずにはいられないが、造形や変身シーンにしてもどちらかというとありきたり。ちと残念。でも、狼男への変身シーンはその『狼男アメリカン』で「これ以上が出来るのか?」というレベルまで行ってるからな。
 姉が勤める会社で製作しているテレビ番組に出演するゲストとしてスコット・バイオが本人役で登場。かつての面影が全然ない。苦労してきたんだろうなぁ。「最近は何してるの。どんな作品に出てるの」って狼男の呪いで攻撃的になった姉に突っ込まれてるし。しかも、番組のゲストからは直前に下ろされるという散々な役。終盤にはちょっと活躍シーンがあるが、正面から狼男と対決させてくれ?とテレビの前で叫んだ。
 スコット・バイオというと野村義男がTV放送時に吹き替えた『超能力学園Z』のイメージが強いが(これも若い人には何の事やらだろう)、幼少期にはアラン・パーカーの『ダウンタウン物語』では子供だけで大人のギャング社会を演ずるという奇妙な映画で主役を務めた天才子役。相手役は同じく天才子役時代のジョディ・フォスター。二人とも天才子役だったんだけどねぇ、その後の人生には大きな差が付いてしまった。その悲哀もまた人生。

 弟をいじめるレスリング部キャプテンのマッチョな高校生が実は……だったり、狼“男”を怒らせるために「ヒップは貧弱。肌はボロボロ」などと怒鳴ったりと笑いどころも多い。残虐シーンも多いが、あまり気にならなかった。ん?それは映画としては弱点か?
 ウェス・クレイヴンにしては素直なラストで、オープニングの手相占いから引き込まれなかなか楽しい映画であった。取りあえず、最強の武器はシャベルということが判明。第一次、第二次大戦の塹壕戦でも斬ったり殴る突くと、塹壕を掘る以外にかなり活躍したそうだ。ナイフの次はシャベルが銃刀法の取り締まり対象に加わり弾圧されるかも?園芸愛好家は大ダメージだ。

B000068W9D.jpg『カンバセーション…盗聴…』(1973) THE CONVERSATION 114分 アメリカ

監督:フランシス・フォード・コッポラ 製作:フレッド・ルース 製作総指揮:モナ・スカジャー 脚本:フランシス・フォード・コッポラ 撮影:ビル・バトラー 音楽:デヴィッド・シャイア
出演:ジーン・ハックマン、ジョン・カザール、アレン・ガーフィールド、ハリソン・フォード、テリー・ガー、ロバート・デュヴァル、フレデリック・フォレスト、シンディ・ウィリアムズ

 主人公のジーン・ハックマンはフリーランスの盗聴屋。ある男女の公園で歩きながらの会話をチームを率いて盗聴したことから事件に巻き込まれていく。
 だが、サスペンスではなく、サンフランシスコにあるアパートの一室に住む孤独な男の姿を描いた作品。身内も友人もなく、心を開いて信じられる相手もいない。ジャズのレコードを流しながら、自らサックスを奏でることだけが安らぎの寂しい男。作中でも実年齢でも42歳のジーン・ハックマンだが、すでに額は広く疲れ切った顔でもっと老けて見える。
 それに対して、珍しく悪役で登場したハリソン・フォードが若い。何を考えているのか分からない不気味な専務秘書役で、以外にも似合っている。他の作品ではワイルドさを感じさせるアゴの傷が、今回は整った顔立ちなのに一ヶ所だけ傷があるところが不気味さを引き立てるのに役立っている。
 かつて、自分の盗聴したテープによって人が殺された過去があり、今回もその可能性があることに気付き、殺人を阻止しようとするが、結局は何も出来ない。それどころか、自分が救うべき人は別の人だったという不条理さと無力さ。
 最後には力を持つ者から逆に盗聴されることになり、盗聴器を探すため家具をばらしついには床板まで引っぺがす。そんな中、最後まで手を付けずにおいた20センチほどのマリア像までたたき壊す。教会で懺悔をするシーンもあったが、ついには神に頼り信じることすら出来なくなったのだ。この男には物理的にも精神的にも逃げ場はなくなってしまったのだろう。

 数方向から捉えた盗聴音源を同時再生して、それぞれのボリュームを器用に操って聞き取れる音源を抜き出して一本のまとまった盗聴テープを作り上げる。オープンリールが何台も回り、耳と指先に神経を注いだ緊張する作業。アナログの職人芸だ。

B000VXXN8C.jpg『俺たちは天使じゃない』(1988) WE'RE NO ANGELS 107分 アメリカ

監督:ニール・ジョーダン 製作:アート・リンソン 製作総指揮:ロバート・デ・ニーロ 原作:ロナルド・マクドゥガル 脚本:デヴィッド・マメット 撮影:フィリップ・ルースロ 音楽:ジョージ・フェントン
出演:ショーン・ペン、ロバート・デ・ニーロ、デミ・ムーア、ホイト・アクストン、ブルーノ・カービイ、レイ・マカナリー、ジェームズ・ルッソ、ウォーレス・ショーン

 クレジットではロバート・デ・ニーロが上になっているが、実際にはショーン・ペン主演作。カナダ国境近くのアメリカの刑務所にデ・ニーロと同室で収監されていた若い囚人が、他の死刑囚の脱走騒動に巻き込まれてついでに脱走し、森の中で突然であった老婆にとっさに「俺たちは神父です」と言ったことからどんどん深みにはまっていって、その中で信仰に目覚め、隠れ家にしていた修道院に留まり実際に神父の修行を始めるまでの話し。
 学もなければ信仰心もなかったショーン・ペンが、キリスト教のお祭りで村人など大勢の人々の前で説教をしなければならなくなる。最初は聖書に挟んであった「山の中で熊にあったらどうしますか」というチラシを読み始める。危機の時にどうするか、悲しみと苦痛の中に身を置かれたときどうするか。チラシには「その時、ポケットの中にはコルトの拳銃があるのです」と書かれているが、ショーン・ペンは「ポケットの中には何もない。あるとしたら頭の中だ」と自分の言葉で語り始める。
 このシーンが作中で一番の見せ場で、ここで活躍した頃からもショーン・ペン主演はやはり間違いがない。ここの盛り上がりと、ショーン・ペンの演技は感動物だ。やはりショーン・ペンは上手い。これまでの不良的イメージだけではない新たなショーン・ペンを見せ、役者としてさらに前進した。
 製作総指揮も務めたデ・ニーロが起用するだけはある。監督デビュー作『インディアン・ランナー』も傑作だし、ショーン・ペンってのはすごいヤツだ。
 デ・ニーロは補佐に回って、主にお笑い担当。彼も最後には奇蹟に出会い信仰に目覚めるのだが、聖職に就くことはなく、街で知り合った洗濯女とその聾唖の娘とおそらく家庭を築くべく、自由の地カナダへと渡る。もう悪事を働くことはないだろう。クセのある普通の男になったのだ。

 修道院には願い事を叶えてくれる“涙を流すマリア像”というのがある。タネを明かせば、屋根に穴が開いているので雨水がマリア像にしたたって、瞳の部分から流れ出すというだけのことだ。
 ラスト、聾唖の少女を助けるために河に飛び込んだデ・ニーロはダムの流水から下へと叩き落とされる。それを救ったのはその後に落ちてきたマリア像だ。水中で、デ・ニーロは少女と自分を救うために必死で手を伸ばすと、その先にはマリア像の手があった。そうして、彼らは像と共に浮かび上がり、無事に救出された。これも、マリア像が木製だから水に浮くということに過ぎない。
 だが、これらの自然現象に意味を見出す。この場合は宗教的意味を見出すのが人間だ。そこに神の存在を感じ取ったときに、それは自然現象ではなく奇蹟となる。

 カトリック教徒が大半を占めるアイルランド出身のニール・ジョーダンが撮っただけあって、今回ももカトリックがその題材となっている。最後にはカトリックの偉いさんに彼らが脱獄囚だとばれてしまうのだ。そこでこれまで嫌な奴だったその偉いさんが、通訳を通じて「彼らはプロテスタントからの改宗者だ」と嘘をついてまで彼らを守る。偉いさんがしゃべっているのはカトリックの総本山バチカン市国がイタリア国内にあることを考えるとイタリア語だろうか。神の奇跡を目の前にして、聖職者としてはあるまじき嘘をつくが、これは神様も許して下さることだろう。

 ニール・ジョーダン監督作としては平凡だが、カナダ国境のある街で、国境を渡ろうとする度に様々な邪魔が入ってなかなか上手く行かず、修道院でもボロが出ないように取り繕うのが大変というシチュエーションとテンポは悪くない。楽しげに演ずるデ・ニーロも魅力的だ。ラストでショーン・ペンとデ・ニーロはそれぞれの道を進むことになり別れてしまう。もう、二度と彼らは会うことがないのだろう。だが、絆は永遠だ。

 要約するとこれまた宗教映画。欧米映画を観るには、やはりある程度のキリスト教の知識がなければならないというのを痛感する。

映画の血

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 映画監督という人種がいる。
 人種と言っても生まれつきではない。映画を観始め、映画に入れ込み、意識的にしろ無意識にしろ映画監督という人種を選んだ連中のことだ。
 映画とは誰の物なのか。主演者の物か、脚本家の物か、カメラマンの物か、制作者の物か。それとも観客の物なのか。様々な映画があるし、様々な作られ方をしている。だが乱暴にひとくくりにするとすれば、映画とは監督の物なのだ。
 オレは自主映画しか撮ったことはないし、プロの現場はテレビドラマでADをしていただけだ。映画作りの現場は見聞きした事象から憶測したものでしかない。それは断っておく。映画は監督の物だと言うことは、全ての責任は監督が背負っていると言うことでもある。映画にはスクリーンを観ているだけでは想像が付かないほどの人数が動いている。それらの人から最大限の力を引き出し、それを自分の物として操る。そこにかかる重圧はいかほどの物だろうか。ヒットしたかヒットしなかったか。評価が高かったか低かったか。世間で言う評判についての責任が軽く思えてくるほどだ。
 そんな責任を背負う、好んで背負うのかは知らないが、映画を撮るためならばそれを厭わない。
 だって「オレは映画が撮りたいんだ」のだ。だから、そんなことはどうでもいいのだ。
 社会的成功を求めて映画監督になる者もいるだろう。経済的成功を求めて映画監督になる者もいるだろ。だがそんなことなどどうでも良い。単に映画が撮りたいために映画監督になる者もいる。映画を撮ってりゃそれで幸せ。そんな映画バカ、言い換えれば映画気違いが作る映画こそオレが心底魅了される作品である。
 ヤツらは斬っても血が出ない。血管から噴き出すのはフィルムだ。映画に生き、映画に死す。
 人によっては「単なる映画」でしかない物に生涯を注ぎ込む。それが映画監督という人種だ。
 理想論?ならば映画史を紐解けばいい。そんな映画バカは何人もいる。

 オレが、いや今回は私を使うことにしよう。私がビリー・ワイルダーに魅力を感じないのは彼に流れる映画の血の薄さだ。
 実際のビリー・ワイルダーに会ったことはもちろんない。基本的に作品そのものにしか興味がないので、ビリー・ワイルダーがどんな人物だったかのエピソードを知っているわけでもない。彼の作品を観て、そこから私が勝手に思い浮かべたビリー・ワイルダーという人物だ。
 彼を斬ってもあまりフィルムは噴き出さないだろう。他の方が書き込んだことの真意はその人にしか分からないので、これはあくまでも私の考えだ。ビリー・ワイルダーには映画への熱狂振りが感じられない。この人は映画気違いじゃないんだろうなと感じる。
「それはあなたの印象でしかない」
「単なる抽象論」
 これは確かにそうだ。だが、私にとって抽象でしか語れないこともあるし、好き嫌いでしか語れないこともある。
 話しはここに戻ってくる。
 要するに私はビリー・ワイルダーが嫌いなのだ。それだけのことなのである。

『映画監督という人種がいる』という言葉は中村紘子史の『ピアニストという蛮族がいる』という著作名から影響を受けたことは語るまでもないだろう。
 書き始めは『映画監督という暴君がいる』であった。
 映画監督というのは暴君だ。映画は民主主義的手法によっては作り出されない。

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