2008年6月アーカイブ

B0001WGM1I.jpg『シークレット・レンズ』(1982) WRONG IS RIGHT THE MAN WITH THE DEADLY LENS 117分 アメリカ

監督:リチャード・ブルックス 製作:リチャード・ブルックス 製作総指揮:アンドリュー・フォーゲルソン 原作:チャールズ・マッカリー 脚本:リチャード・ブルックス 撮影:フレッド・コーネカンプ 音楽:アーティ・ケイン
出演:ショーン・コネリー、ジョージ・グリザード、ロバート・コンラッド、キャサリン・ロス、ハーディ・クリューガー、G・D・スプラドリン、ジョン・サクソン、ヘンリー・シルヴァ、レスリー・ニールセン、ロバート・ウェッバー、ロザリンド・キャッシュ、ディーン・ストックウェル、ロン・ムーディ、ジェニファー・ジェイソン・リー

 ヘンリー・シルヴァが悪役だったってんで観る。んー、こんなみょうちくりん映画だったか。

 主人公のショーン・コネリーは人気テレビキャスター。自らカメラとマイクを抱えて現地に乗り込んで体当たり取材がモットーで、今日も今日とて北アフリカのイスラム系産油国で国王にインタビュー。ところが、その晩に国王が毒物で自殺してしまったことから世界を巻き込む大事件が始まる。
1.アメリカでは大統領選の最中。現職大統領と対立候補(レスリー・ニールセン)が激しく争っている。
2.産油国のNo.2だったヘンリー・シルヴァは武器商人を通じて原爆を二個手に入れようと画策中で、一つでエルサレムを、もう一つでニューヨークを吹き飛ばすつもり。
 この二つが大きな主題となりながら、CIAにイスラム系テロリスト、FBIに米軍が入り交じって、もうどれが本筋だか分からなくなってくる有様。
 アメリカの国内政治、国際社会、テロリストにテレビメディア主導の世論などなど様々なものをおちょくるブラックコメディだ。
 なにかっつーとテロリストは自爆テロしている。もっとも、基本的に他人は巻き込まず自分だけ吹き飛ぶ自爆テロだから、抗議行動と見るべきだろうか。
 ショーン・コネリーはいくら人気のあるキャスターとはいえ、CIA長官と直に話したり、大統領執務室に平気な顔で入り込んだりして、ちょっと謎の存在。ニューヨークに二個の原爆が仕掛けられ、その対策本部にも何故かごく普通に座ってるし。
 登場人物の大半が変な奴なので、悪役のはずのヘンリー・シルヴァの影が薄い薄い。この人はイスラム系の役もやるし、イタリア系の役もやる。人種としてはどこの人なんだろうか。やっぱ、ヒスパニック系か?
 ショーン・コネリーが原爆の危険さを大統領達に語る。爆発で200万人が死に、生き残った人も1週間以内には死亡する。そんなことを言っている内に、ついにニューヨークで大爆発が。
 そして、なにがどうしたのか分からないが、米軍が産油国に軍隊を送り出して、ラストには戦争が始まる。これまたどうしたわけか、ショーン・コネリーも兵隊となってパラシュートで敵地に降下。降下前にカツラを取ってからヘルメットを被るが、カツラなしコネリーはこれが最初か?
 合い言葉は「油田は壊すなよ」だ。イラク戦争を予見していたとも言える。ということはヘンリー・シルヴァはサダム・フセインか?
 かなりアメリカを皮肉った映画なのだが、当時の反響はどうだったのだろうか。

 途中、対立候補のレスリー・ニールセンがテレビで演説をする。
「今や、我が国には、仕事なし、誇りなし、希望なし、指導力なし」
 国内では石油を始めとして物価は上昇。国民の不満は爆発寸前。まるで今の日本みたいだが、日本ではこんな作品は生み出されないだろうな。
 レスリー・ニールセンは晩年がおかしくなっただけで(晩年つーなや。まだ生きとる)、本来はシリアスな役者だったのだ。

51JPn91sN8L__SL500_AA240_.jpg『ゴーストタウンの決斗』(1958) THE LAW AND JAKE WADE 87分 アメリカ

監督:ジョン・スタージェス 製作:ウィリアム・ホークス 原作:マーヴィン・H・アルバート 脚本:ウィリアム・バワーズ 撮影:ロバート・サーティース
出演:ロバート・テイラー、リチャード・ウィドマーク、パトリシア・オーウェンズ、ロバート・ミドルトン、ヘンリー・シルヴァ、デフォレスト・ケリー、エディ・ファイアストーン

 主演のロバート・テイラーに西部劇の主役を張るだけの華がないのがちとつらい。だが、その分を悪党集団がカバーしてくれる。頭目のリチャード・ウィドマークが良いのは当然だが、若き日のヘンリー・シルヴァが実にイカす。ヘンリー・シルヴァのフィルモグラフィーは1957年から始まっているからまだ新人。だというのに、ヤバイ目つき、ヤバイ言動とシルヴァらしさ全開。終盤のコマンチインディアンとの戦いでは、胸に二本の矢を打たれながらも、相手のコマンチを射殺してからようやく倒れる。この時点でヘンリー・シルヴァはすでにヘンリー・シルヴァとして完成していたのだ。さすが異常な悪役をやらせたらピカイチな男。コメカミピクピク?。最高だぜ。

 ストーリーは単純で、銀行強盗を引退して、今ではある街で保安官をやっている主人公が、かつての相棒に婚約者を人質に取られて、最後の仕事で子供を殺してしまったという罪からゴーストタウンに埋めた2万ドルを掘りに旅に連れ出されると言う話。メインの登場人物は、保安官とその恋人、悪党連だけとシンプルだ。
 その道中がちょっと退屈するが、そこでロバート・テイラーとリチャード・ウィドマークの関係が説明されるし、脱走劇もあって必要なシーンではある。
 なんとかゴーストタウンにたどり着いたものの、周りをコマンチに包囲され、一発触発の状態。そんな中、リチャード・ウィドマークの手下の一部が、「金より命だ。とっとと逃げよう」と言いだし、緊張感が高まる中で、窓を突き破って飛び込んでくるコマンチの矢のタイミングの完璧なこと。
 ラストの決斗もドカドカ撃ちまくるのではなく、一瞬の一発で決まるのが良いねぇ。

 残念なのが、東部から西部に来たという主人公の恋人の描き方。有能な保安官だと思っていたのに、過去には銀行強盗などを重ねた犯罪者で、子供を撃ち殺した過去もあると聞いても、あまり動揺したり悩んだりする様子が見えない。ジョン・スタージェスは男同士の関係を描くのは上手いが、やはり女性の描写は苦手なのではないだろうか。

B000EWBUMQ.jpg『生きてこそ』(1993) ALIVE 126分 アメリカ

監督:フランク・マーシャル 製作:ロバート・ワッツ、キャスリーン・ケネディ 原作:ピアズ=ポール・リード 脚本:ジョン・パトリック・シャンレー 撮影:ピーター・ジェームズ 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ、マイケル・カーン 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:イーサン・ホーク、ヴィンセント・スパーノ、ジョシュ・ハミルトン、ブルース・ラムゼイ、ジョン・ハイムズ・ニュートン、クリスチャン・J・メオリ、デヴィッド・クリーゲル、ケヴィン・ブレズナハン、サム・ベーレンズ、イレーナ・ダグラス、ジャック・ノーズワージー、ダニー・ヌッチ、ジョン・マルコヴィッチ

 劇場公開以来、ずいぶんと久しぶりに観た。当時感じた、極限状態で人を食うまでの葛藤と、食った後の感情の変化があまり描かれていないな。そこが一番重要なポイントじゃないかなと思ったが、本気で描くと日本映画の『ひかりごけ』みたいに二度は観たくない映画になるので、ハリウッド映画としてはこれでもかなり突っ込んだのだろう。監督はスピルバーグ一家のフランク・マーシャル(『アラクノフォビア』など)だし、社会派映画ではないわな。

 実際に起きた“アンデスの聖餐”を題材にした実話ベースの映画。アンデス山脈に墜落した飛行機の乗客であるウルグアイの大学のラグビーチームがいかに生き延びるかが描かれている。屋外シーンは実際の雪山で撮られていて、撮影はかなり大変だったことだろう。
 オープニングとエンディングで過去を語る人物(ジョン・マルコヴィッチ)とイーサン・ホーク以外はほとんど無名の俳優達を起用することで誰が生き残れるのかという緊張感を出している。
 ウルグアイは南米と言うことでカトリック教徒が大半を占める国柄。死人の肉を食べるというところは、最後の晩餐でキリストが言った「パンはわが肉、ワインはわが血」と重なっているのだろうか。
 人肉食いをどう表現するかが気になっていたが、ガラス片で切り取られた肉はほとんど干し肉状態。雪の中に埋もれていたからフリーズドライ状態になってたんだろうか。実は、もっと人間人間した、腕や足をもいでそれにかぶりつくってのを想像してました。『はじめ人間 ギャートルズ』みたいな。
 食べた勇気もスゴイが、生きて生還した後にそのことを告白したのはもっとスゴイ。自分の行いと正面から向かい合うってのはかなり力が必要だったことだろう。仮に言えなかったとしても仕方ない。だというのに、「お前ら、太平洋戦争の時にニューギニア戦線で人肉食っただろ」と今では平和に暮らしている人のところに恫喝まがいでやってきて白状しろと迫った『ゆきゆきて神軍』の奥崎謙三はやっぱ嫌な奴。

 極限状態で神を見た、感じたという意味ではこれも宗教映画の一つ。エンディング曲はアーロン・ネヴィルが歌う『アヴェ・マリア』だしな。良い歌だ。

B000YGFPQE.jpg『OK牧場の決斗』(1957) GUNFIGHT AT THE O.K. CORRAL 122分 アメリカ

監督:ジョン・スタージェス 製作:ハル・B・ウォリス 原案:ジョージ・スカリン 脚本:レオン・ウーリス 撮影:チャールズ・ラング・Jr 音楽:ディミトリ・ティオムキン
出演:バート・ランカスター、カーク・ダグラス、ロンダ・フレミング、ライル・ベトガー、ジョン・アイアランド、ジョー・ヴァン・フリート、リー・ヴァン・クリーフ、アール・ホリマン、デニス・ホッパー、ケネス・トビー、デフォレスト・ケリー、ジャック・イーラム

 西部実在三大決闘の一つ、『OK牧場の決闘』を映画化。他の二つの決闘はなんだって?そんなの適当に言ってるだけだから知らん。
 オープニングからやたらと勇ましい歌が流れる。この歌は途中で何度かかかるが、その度に歌詞が変わっていて「勇敢なワイアット・アープによって助けられたドク・ホリディ?♪」、「彼らは行くぞOK牧場へ。さあ決闘だ?♪」などと結果や状況説明をしてくる。ずいぶんと親切なヤツだ。
 バート・ランカスターのワイアット・アープ。カーク・ダグラスのドク・ホリディが男臭い。ドク・ホリディは死期が近い肺病病みでアル中なのに血色がやたらといいが、まぁ気にするな。
 対戦相手のクラントン兄弟の末っ子を若き日のデニス・ホッパーが演じている。このデニス・ホッパーがやたらとハンサム。ジェームス・ディーン作品でもハンサムだったもんなぁ。繊細そうで線が細くて、気は優しいのだが荒くれ者の兄たちに憧れ、ついには決闘に加わるという難しさをちゃんと表現している。クッパ大王や「アヒルちゃ?ん」のイメージからは考えられないぞ。さすがデニス・ホッパー。
 クラントン一味にやぶにらみのジャック・イーラムがいたり、ドク・ホリディの投げナイフで一瞬で殺される端役がリー・ヴァン・クリーフだっりするのも見逃せない。この頃のリー・ヴァン・クリーフまだマカロニ・ウエスタンの『夕陽のガンマン』(1965)に出演する前だったので、本当に単なる大部屋俳優だったのだ。

 それに対して女性陣がパッとしない。女優さんが悪いんじゃないだろう。描き方がぞんざいと言うかほとんど物扱い。ワイアット・アープは結婚を誓った仲の女性と決闘のために別れるがそのシーンが終わると、苦悩や後悔は一切無し。ドク・ホリディと腐れ縁の女性なんか設定は魅力的だが、それがスクリーンにほとんど表現されていない。
 監督のジョン・スタージェスの女性に対する演出力が足りないのか、脚本のレオン・ウーリスが作り出した世界が悪いのか。おそらく両方。デニス・ホッパーが兄たちに染まっていくのを心配している老母も短い1シーンがあるだけでもっと印象的な登場人物になったのに。うーん、もったいない。

 OK牧場とは、牧場と言っても牛を育てているところではない。生産地から消費地へ牛を運ぶ最中に一時的に飼っておくところ。当時は肉にして冷蔵で運ぶってわけにはいかなかったからな。あえて自動車で表現するなら、『OK自動車工場の決斗』ではなく『OK駐車場の決斗』か。ま、あえて表現する必要もないが。
 娯楽西部劇にはちゃんと仕上がっているので、悪い作品ではない。同じ題材を扱った『荒野の決闘』(1946)の後というのはどう考えても圧倒的に不利なんだから、詩情とかを目指さずアクション映画に持っていったのは正解だろう。

 序盤で、ワイアット・アープがコルト・シングル・アクション・アーミーのバントラインスペシャルを持っているシーンがある。このバントラインスペシャルは西部の名だたるガンマン達のために5丁だけ作られた拳銃で、銃身が長いのが特徴。特に、ワイアット・アープが所有していたのは16インチだそうだ。映画に良く登場する、シビリアンは4.5インチ、アーティラリーが5.5インチなのでその極端な長さが分かる。グリップに太い針金で出来たショルダーストックも付けたりしていて、簡易ライフルとしても使えそうだ。これが、ラストの決闘で活躍するんだなと思ったら、そのまま登場しない。せめて一発ぐらいは発砲シーンが欲しかった。

B000UD7F6O.jpg『ジーリ』(2003) GIGLI 121分 アメリカ

監督:マーティン・ブレスト 製作:マーティン・ブレスト、ケイシー・シルヴァー 製作総指揮:ジョン・ハーディ 脚本:マーティン・ブレスト 撮影:ロバート・エルスウィット 音楽:ジョン・パウエル
出演:ベン・アフレック、ジェニファー・ロペス、レイニー・カザン、テリー・カミレッリ、レニー・ヴェニート、クリストファー・ウォーケン、アル・パチーノ、ジャスティン・バーサ、ミッシー・クライダー

 主演のベン・アフレックとジェニファー・ロペスが熱愛当時に作られた作品。ロマンティック・コメディとしても、サスペンスとしても失敗している。その年のラジー賞の主要部門を総なめにしたことで有名である。
 で、このラジー賞だが、『最低映画賞』と紹介されていることもある。だが、それはちょっと違う。単に駄作、最低映画ならばいくらでもあるが、それだけではラジー賞は取れない。
 豪華なキャスト、有能なスタッフ、豊富な予算を注ぎ込んで作られた失敗作。だが、これまたただの失敗でダメだ。観た人が、「こりゃ、ひでぇ。ゲラゲラ」と笑い出してしまうような愛嬌のある失敗作のみがラジー賞取る資格があるのだ。
 ベン・アフレックとジェニファー・ロペスのくどさ。かったるいストーリー。さすがに存在感はあるが、1シーンのみの出演でその出演の意味もほとんどないクリストファー・ウォーケンとアル・パチーノ。そして監督は『ミッドナイト・ラン』のマーティン・ブレスト。
 みんな真剣にやっているし、映画が好きだ。でも失敗作。

 人間にもダメなヤツがいるが、人から嫌われるダメなヤツもいるが、不思議と人から好かれるダメなヤツもいる。『ジーリ』はオレにとって後者だ。それまでのダラダラとした印象を拭い去る終盤の展開も好き。
 ただし、人には決して薦めない。ベン・アフレックは好きなんだが、世間では嫌いという人が多いのも大きな要因だ。ストーリーも演出も「時間の無駄だった」と言われる可能性はある。
 だから、まだ観てないお前ら、観るんじゃないぞ。絶対に観るなよ。と、ダチョウ倶楽部の上島竜平風に締めくくるのであった。

B001525JOE.jpg『宇宙人の解剖』(2006) ALIEN AUTOPSY 91分 ドイツ/イギリス

監督:ジョニー・キャンベル 製作:ウィリアム・デイヴィス、バーナビー・トンプソン 製作総指揮:マイケル・クーン、レイ・サンティッリ 脚本:ウィリアム・デイヴィス 音楽:マーレイ・ゴールド
出演:デクラン・ドネリー、アント・マクパートリン、ビル・プルマン、ハリー・ディーン・スタントン、オミッド・ジャリリ、ジョン・シュラプネル、デヴィッド・スレルフォール、ニコール・ヒルズ

 ある程度若い人は知らないだろうが、1995年頃「ロズウェルの宇宙人解剖ビデオ」が世界を騒がせたことがある。日本ではUFO研究家の矢追さんの番組で放映されたんじゃなかったかな。オレは観ていないが、当時「これは本物か、偽物か」で議論を呼んだらしい。

 それから10年。宇宙人の解剖ビデオで世間を騒がせたロンドン在住の二人の男がドキュメンタリー番組の出演に応じる。
 そこで語り出したのは、最初はロンドンのビデオ屋に1000本ほど売って儲けようぜと企んだサンティリとゲイリー。サンティリは露店で海賊版ビデオなどのコピー商品を売って暮らしているいい加減な男。ゲイリーは生真面目で大きな企業に勤めていて、旧友サンティリになにかにつけ振り回されている。
 『宇宙人の解剖』フィルムはアメリカに商品の買い付けに言った際に、元アメリカ空軍の従軍映像カメラマンが、UFOが墜落したと言われるロズウェル基地で撮影したフィルムのコピーが、偶然が重なって50年もそのカメラマンの自宅に眠っていたのを見つけ、3万ドルで買い取ったというふれこみだ。
 解剖室のセットとして友人宅の一室を改造し、宇宙人はマネキン人形職人に作らせ、内臓などの中味は友人の肉屋に手配してもらった。少しでも高く売るために、ビデオ屋の人間を集めて試写会をやったら、これが意外に好評。好評どころかみんな「これは本物だ」と信じ込んでいる始末。軽く儲けるつもりだった解剖ビデオの評判がどんどん広がり、ついには世界中のテレビ局が高額で買い付けに来て、放送されたらとんでもない高視聴率。
 すっかり世界を騙した二人とその仲間達だが、サンティリ曰く、「あのフィルムは偽物じゃない。リメイクだ」と言う。それが示す意味とはいったい?

 実話を元にフィクションも交えながら作られたコメディタッチの作品。とにかく、トントン拍子に話が進んでいく展開が面白い。映像やSFX、そして解剖の技術などまったくの素人の彼らが、ビデオをでっち上げていくシーンや、その後サンティリが世界中のトークショーにまで出て行く弾け振りが笑える。
 そんなおちゃらけを支えてくれるのが、元カメラマン役のハリー・ディーン・スタントン。サンティリが真実みを持たすためにハリウッドでホームレスを雇い、彼としてテレビ番組に出演させるんだが、それを観て「俺に似てないぞ」とかぼやいている。
 ドキュメンタリー番組の監督を演じているのはビル・プルマン。戦闘機に乗って宇宙人と戦ったアメリカ大統領役で出演した『インデペンデンス・デイ』を観ていると、笑えるキャスティングだ。あの作品でも『ロズウェルUFO墜落事件』とそこで発見された宇宙人のエピソードは重要な位置を占めているのだ。
 映画が終わった後に、本物のサンティリとゲイリーがちょこっと登場。もしも、この映画の企画自体を思いついたのが彼らだったらなお嬉しいんだがなぁ。

 テレビで放映されたフィルムは偽物だったが、宇宙人の解剖が実際にロズウェルで行われたのかは映画を観てのお楽しみ。個人的には事実だろうと捏造だろうとどうでもいいのだが、それをどこまでがフィクションでどこからがノンフィクションなのかという虚々実々を上手く描いていていて十分に楽しませてくれた。最近見かけない矢追さんだが、日本のテレビ局の関係者として1カットでも出演するとかいう話しを持ち込まなかったんだろうか。

 残念のなのは『宇宙人の解剖』という邦題。『ALIEN AUTOPSY』の直訳なんだが、どうにもこなれていないし、作品の魅力が伝わってこない。タイトルってのは映画の看板の一つなんだから、もうちょっと気を遣って欲しい。日本では劇場未公開でビデオダイレクトだが、これではお客さんはUFOや宇宙人マニアしか手に取ってくれないぞ。しかも、真剣にそれらを信じ込んでいる人が観たら怒りかねない内容なんだから。

B000ERU9VE.jpg『フルスピード』(2005) Vollgas - Gebremst wird spater 92分 ドイツ

監督:ラーズ・モンタグ 製作:デヴィッド・グローネウォルド、アニタ・シュナイダー、クリスチャン・ベッカ 脚本:トーステン・ディウィ、マーク・ヒルフェルド 撮影:ハラルド・クレメル
出演:バレリー・ニーハウス、ヤン・ソスニオク、サーシャ・ゲーペル、ハラルド・クラスニッツァー

 真っ赤なフォルクスワーゲン・ゴルフが大活躍するというあおり文句で観てみたが、あまりカースタントはないのな。もっとも、テレビ用映画だそうだから、それを考えれば頑張っている。

 救急車の運転手をしていた主人公の青年がクビになってしまい、次の仕事としてある企業の運転手に雇われる。初仕事として、社長夫人を別荘まで送ることになるが、誰が置いたのか分からない衛星電話に着信が入る。取ってみると、「奥さん、あんたは誘拐された。運転手、君にはちょっと協力してもらうよ」との内容だった。慌てて車から逃げだそうとするがドアも窓も開かない。それどころか車にはプラスチック爆弾が仕掛けられていて、席から立つと車ごと爆発するというのだ。
 設定は違うが、ちょっと『スピード』を思い出させた。車に付けられたカーナビのGPSで所在地や走行の有無は犯人に一目瞭然で、警察に駆け込むわけにはいかない。爆発のタイムリミットは14時きっかり。彼ら二人は無事に生き残ることが出来るのだろうか。

 真っ赤なゴルフがイカす。スポーツのゴルフには興味がないが、車のゴルフは好きだ。大学時代の先輩が卒業後に中古で買った車がゴルフで、引っ越しの荷物を運ぶときに一度手伝ってもらったのだが、小さく見える車なのに後部座席を倒すと荷物が入る入る。そして、新居(といっても、四畳半風呂無しトイレ共同の安アパートだが)までのドライブの間、オレは車の中やダッシュボードを観察したり、あちこちいじり回して、その設計が実に合理的に出来ているのにちょっと感動した。もっとも、それはヘッドライトが丸目時代のゴルフで、現在のゴルフは大きくなってしまったし、現行ゴルフに乗っている人に数日前に会った時にガソリン値上がりの話しをしたのだが、なんとハイオク仕様なんだそうだな。ダメだ、そんなゴルフ。ひょっとしたら昔のゴルフもハイオクだったのかもしれないが、ゴルフは大衆車だろ。イメージ狂ったぁー!昔のゴルフの位置を担当しているのがフォルクスワーゲン・ポロなのかな。

 主人公を助ける車椅子の友人が良い。自宅でコンピューターを使って仕事をしているのだが、事件を知った彼はその企業に乗り込んで、頭と知識を使って大活躍してくれる。身体は不自由かも知れないが、本人はそんなこと気にもしていないし、自立した格好いい男なのだ。
 ちょい役だが、事件を担当する老若コンビの刑事も良い。老刑事は定年まで後数十日。若い刑事はデブで『eightyfive』と書かれたTシャツを着ている。バンドか何かの名前なのかな。単に『84』だったら意味分からないよな。もっとも、日本でも見た目優先で意味不明の英語が書かれたTシャツは普通に売ってるよな。前に、若い女の子が『I’m a loser』(私は敗者)と胸に書かれたTシャツを着て歩いてきた。敗者なら通り過ぎた後に蹴ったろかと思ったら、背中には『Kick Me』と書かれていて、お前は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の若い頃の父親かと心の中で大笑いした。本人、意味分かってきてるのかなぁ?分かってて着ているなら強者というかシャレが分かっているが、どうなんだろ?あと『PG32』とか。って狭い範囲のギャグだな。

 最後、悪いヤツらは報いを受け、大人になりきれていなかった主人公は成長し、刑事二人組は呑気に釣りをしている。気持ちの良いハッピーエンドだ。
 だが気になったことが一つ。直接的な映画の内容についてじゃないのだが、GPS内蔵の携帯電話を持っていると、詳細な居場所が簡単にバレてしまうと言うことだ。これから、日本では携帯電話へのGPS搭載が義務化されるとか言う話を聞いたが、ナビ代わりにして便利な使い方も出来るんだろうが、同時に権力者側に所在地や行動が筒抜けになるということなんだよね。これまでも電波の位置からある程度は絞れたが、それがほんのメートル単位の精度になる。携帯電話は購入時に身分証が必要だから誰の物かは、これまた権力者には筒抜け。GPS搭載携帯が欲しい人はそれを選べばいいが、非搭載の携帯電話が欲しいという人の自由はどうなってしまうんだろうか。オレは管理社会って大嫌い。「悪いことをしなければ、そんなこと気にする必要はない」と思う人もいるだろうが、それは実のところ関係ないし、何が悪かは権力者側が勝手に決める。思想、信条などで悪と決めつけられて監視される社会は近いのかも知れないんだ。それってどーよと強く思うわけなんですよ。

B000OPOB9C.jpg『ビッグ・フィッシュ』(2003) BIG FISH 125分 アメリカ

監督:ティム・バートン 製作:ブルース・コーエン、ダン・ジンクス、リチャード・D・ザナック 製作総指揮:アーン・シュミット 原作:ダニエル・ウォレス 脚本:ジョン・オーガスト 撮影:フィリップ・ルースロ 美術:デニス・ガスナー 音楽:ダニー・エルフマン
出演:ユアン・マクレガー、アルバート・フィニー、ビリー・クラダップ、ジェシカ・ラング、ヘレナ・ボナム=カーター、アリソン・ローマン、ロバート・ギローム、マリオン・コティヤール、マシュー・マッグローリー、ミッシー・パイル、スティーヴ・ブシェミ、ダニー・デヴィート、ダニエル・ウォレス

 中学生の頃、アメリカのホラ話ばかりを集めた文庫本を読んだ。ロッキー山脈に大きな男が住んでいて、牛を丸ごと何頭もたいらげると巨木を引き抜いて楊枝代わりに歯をほじると散歩に出かけ、ほんの数歩で山を登り詰めてしまう。ある男がウサギ狩りに行ったら、象よりもデカいウサギが出てきてそいつを仕留めたとか。そんな話しばかりが延々と並んでいる本だった。ちょっと呆れながらもゲラゲラ笑いながら読んだ。
 アメリカ人はホラ話が好きらしい。それも大きな物についてのホラは特に好きなようだ。
 主人公の父親は、息子が生まれるときに婚約指輪を餌にして巨大ナマズを釣っていたとか、子供の頃の夜に魔女の館に忍び込んで、その左のガラスの目に映る自分の死に方を見たとか、ものすごく大きな巨人の友達がいたとか、朝鮮戦争に徴兵で取られたときに北朝鮮にパラシュートで乗り込んで重要機密書類を盗み出すと、シャム双生児の美人双子歌手と一緒にアメリカまで逃げ帰ったとか、そんなホラ話ばかりしている男だった。
 主人公は、子供の頃は楽しんで聞いていたが、10代にもなると反抗期もあってかホラ話ばかりをする父親を軽蔑するようになり、まったく会話もせず理解する気もないまま家を出て、今では結婚してパリで暮らしている。そんな主人公の元に、父親の死が近いとの知らせが届き、彼は妊娠中の妻を連れて実家に帰る。
 病床の身でも息子の嫁などに対してあれこれとホラ話を語る。それは映像となって映し出され、若き日の父を演じているのがユアン・マクレガー。名前も知らないが、サーカスで会った瞬間「この女性と結婚して幸せに暮らすんだ」と一目惚れしたが名前も住処も知らないので、その情報を月に一つずつ教えてもらう約束で、無償で彼をこき使う団長がダニー・デヴィート。理想郷的な街で出会った詩人と後にたまたま送金のために立ち寄った銀行で再会したら相手は銀行強盗になっていてその手伝いをさせられてしまうが、その詩人がスティーヴ・ブシェミ。現実世界での妻はジェシカ・ラングなど配役もツボを押さえている。
 このホラ話の一つ一つが実に可笑しい。嘘はいけないという人もいるが、映画だって小説だってコミックだって嘘だ。ホラなのだ。ホラは人を楽しませる。取りあえず、オレは楽しんだ。
 そして介護の合間を縫って、離れに作られた父の書斎を整理する内に、朝鮮戦争で行方不明になってしまったので戦死扱いにされて妻の元に届いた戦死公報などを見つけ、父のホラ話のいくつかは実際の出来事を元にそれをふくらませたことに気づく。
 父が理想郷のようだと語った街について、その街に住む女性の債権を見つけ、女好きだった父の浮気相手だと思って話を聞きにそのスペクターという街を訪れる。だが、そこでその女性から聞いた話は実に意外なもので、アメリカで投機バブルが弾け、街は破綻して1万ドルで街ごと売りに出されたのだが、父はそれを5万ドルで買い取り、かつての友人である団長や、今ではウォール街で株式投機家として大成功をしている詩人などを訪ねて、街の再開発計画を話し出資をつのった。誰一人、実際に街も見ないのに父の話を信用してお金を貸してくれ、彼の尽力で街は甦った。ただ、彼を愛しているその女性だけが家を売ることを拒み、斜め45度ぐらいに傾いた家に住んでいたが、修理のために熱心にその家にやってきてあちこち直していって、ついには新しい家のようになった。その時、彼女は父に愛を打ち明けようとするが、父は「私が愛する女性は生涯ただ一人。妻だけだ」と行って街を出て行き、その後二度と戻らなかったというのだ。
 遅ればせながら、次第に父への理解を持つようになった主人公は、病院のベッドで死の寸前の父に、自分の死に方について話してくれと言われる。彼が話し始めたのは、翌朝になると父は元気になっていて、川へ連れて行けと言い出す。そこで病院からこっそり連れ出し、新車となった父の車に乗って走り出す。途中で渋滞にはまってしまうが、その時、一人の巨人が現れて邪魔となっている車を軽々とどかした。そして…・・・というホラ話だった。こうして、父は幸せに死んだ。
 父の葬式に訪れた弔問客の中には、そっくりそのままではなく誇張はされていたが、父のホラ話に登場した人物が何人もいた。ホラ話をし続け、ホラ話で人々を楽しませた父は、みんなから愛されていたのだ。

 これは、ある程度大人になった男向けのファンタジー映画。家庭にも寄るだろうが、父親と息子の仲が良く、しょっちゅう語り合っているという家というのはあまりないだろう。我が家は、いやオレにとっては父親不在の家庭で、父との会話などほとんどしたことがないし、正直理解もしていない。だが、そんな父にも青春時代や恋愛、友人などの大切な物は確かにあるはずなのだ。
 アメリカ人は独立精神が豊富なので、ある程度育つと家を出てしまい、親との距離は開いてしまうという。だからこと、クリスマスカードを送ったり、誕生日にはプレゼントを贈ったりすることに熱心なのだろう。いくらでもシリアスに語ることの出来る題材を、ティム・バートンはホラ話を主題にして描ききる。主人公がホラ話を聞いている内に泣けてきたよ、オレは。
 嘘をつくのは人間だけだと言われるが、ホラを吹けるのも人間だけだ。ビバ!ホラ。

B000J3OO78.jpg『素晴らしき哉、人生!』(1946) IT'S A WONDERFUL LIFE 130分 アメリカ

監督:フランク・キャプラ 製作:フランク・キャプラ 原作:フィリップ・ヴァン・ドレン・スターン 脚本:フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット、フランク・キャプラ 撮影:ジョセフ・ウォーカー、ジョセフ・バイロック 音楽:ディミトリ・ティオムキン
出演:ジェームズ・スチュワート、ドナ・リード、ライオネル・バリモア、ヘンリー・トラヴァース、トーマス・ミッチェル、ボーラ・ボンディ、フランク・フェイレン、ウォード・ボンド、グロリア・グレアム

 知人が「自殺が多発する現代日本でこそ、この映画をテレビで放送すべきだ」と言っているのを聞き、とりあえず観ることにした。
 ただ、オレってビリー・ワイルダーは嫌いなんだよな。自分に才能があるのを知っていて、それに酔っている感じ。これみよがしなんだよね。一応はエルンスト・ルビッチの弟子筋に当たるんだろうが、お前は師匠から何を学んできたんだと。それと、素直に演劇だけやってれば良いのに、テレビはまだしも映画にまでしゃしゃりでて「演劇」でしかない映画モドキを作り続けている三谷幸喜がビリー・ワイルダーの大ファンだって事で、余計と印象が悪い。三谷作品は脚本を担当した『十二人の優しい日本人』から『有頂天ホテル』までは見てるからね。念のため。公開時に見た『十二人の優しい日本人』には怒りながら劇場を出たっけなぁ。

 ともあれ再生開始。あああっ!ビリー・ワイルダーじゃない、フランク・キャプラでねーの。とんでもない勘違いをしてた。なんでこんな勘違いをしたのかさっぱり分からないが、キャプラは好きだ。『或る夜の出来事』(1934)や『スミス都へ行く』(1939)よりも圧倒的に『毒薬と老嬢』(1944)が好き。
 空の上には天国があって、そこには天使がいる。天使にも下っ端がいて羽根がない二級天使が昇級試験として、ある男(ジェームズ・スチュワート)を自殺から救うこととなる。ジェームズ・スチュワート若ぇ。オレにはヒッチコックのカラー作品やジョン・フォードの『リバティ・バランスを撃った男』(1962)などでのイメージが強いので、若々しいジェームズ・スチュワートにちょっと感激。
 ジェームズ・スチュワートは低所得者向け住宅ローンの会社を経営する父と、母、そして弟と育った。建築家を夢見ていて、高校を卒業後に自分で貯めた学費で大学に進学するつもりだったが、父の急死で会社を継ぎ、代わりにその学費で弟を大学にやる。街には銀行も経営する腹黒い大金持ちがいて、なにかにつけジェームズ・スチュワートの邪魔をしてくるが、彼は善意を持って街の人に良心的にローンを貸し付け、ついには素晴らしい住宅街も作り上げた。大恐慌になって、人々が現金の取り付け騒ぎで押しかけてきても、新婚旅行用の2000ドルを注ぎ込んで危機を乗り切る。
 彼の妻は、幼なじみ。高校卒業のプロムが終わった後で、二人で街を散歩している最中に、ある家の前で話し込む。その家の主がポーチのチェアに腰掛けていて、たまたま彼らの会話が耳に入り、ついには「いつまで話してるんだ。とっととキスしろ」と怒鳴る。単なる通りがかりの端役がそのシーンでは大きな役割を果たしている。こういうの大好き。
 そして子供も四人生まれ、幸せな生活を送っていたが、あるクリスマスイブ、会社の役員である叔父が8000ドルの大金を紛失してしまう。ジェームズ・スチュワートは腹黒男のところに金を借りに行って頭を下げるが、軽くあしらわれてしまう。このままでは、8000ドルを横領したことにされ、刑務所行きになってしまう。家族に当たり散らしてしまった彼は、トボトボと雪の舞う街を彷徨い、大きな河にかかる橋の上で足を止める。コートのポケットに入っているのは1万5000ドルの生命保険証書。彼が自殺をすればすべて片が付く。その時、奇妙なオヤジが河に落ち助けを求めた。ジェームズ・スチュワートは河に飛び込んで男を助けた。ここから奇蹟の物語が始まる。

 アメリカのサブプライムローン破綻で日本を含む世界に経済の悪影響を与えたが、1940年代以前から存在していたことに驚いた。昔からあったんだねぇ。要は金貸しなわけで、大抵の金貸しはごうつくばりでどん欲なものだが、彼は善良で友人でもある借り主の街の人たちの幸せを願っている。もちろん家族の幸せもだ。最後の奇蹟は天使が起こしたのではない、彼が送ってきた人生とその行いが起こしたのだ。
 天使はジェームズ・スチュワートに彼が生まれてこなかった場合の現在を見せる。大金持ちが権力を持ち、街は飲み屋などの悪徳の街となっていて、住宅地は家は一軒もなく墓石だけが並ぶ墓場だった。そこで彼は、自分の弟の墓を見つける。子供の頃に、凍った池に落ちた弟を彼が助けたのだが、それがなかったことになって弟はその時に死んでいたのだ。
 愛する妻も自分の事を知らず、もちろん子供もいない。妻が長年をかけて自分の手でリフォームしてきた家は廃墟でしかない。長年の友人も彼のことなど憶えてもいない。
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』で若い頃のビフにスポーツ年鑑が渡ってしまった1985年は大きなカジノが建ち、高級住宅地は貧民街になっているという悪徳の街となっていたがあれと似ている。というか、ロバート・ゼメキスとスピルバーグ、そして脚本はボブ・ゲイルだから影響を受けているんだろう。『素晴らしき哉、人生!』はアメリカではクリスマスの度にテレビで放映されるという定番映画だそうだ。
 アメリカ映画協会が各ジャンルの映画ベストテンを発表したが、『素晴らしき哉、人生!』は第三位。その人気と評価の高さが分かる。西部劇のベストワンがジョン・フォードの『捜索者』で、ミステリーはヒッチコックの『めまい』だから、なかなか信用のおけるベストテンだ。

 人間、平和で安定した暮らしをしているときは希望は感じないんじゃないだろうか。だって、すでに幸せなんだから。絶望においてこそ希望は見えてくるし感じられる物だろう。希望は最後の切り札だ。その希望さえ見えなくなったときに人は自ら死を選ぶ場合もあるのだろう。そして、希望は案外そこらに転がっている。ただ、見つけられないだけだ。友人も希望だし、家族はもちろん希望だ。日本のクリスマスイブは恋人同士の日となっているが、アメリカでは家族や友人と過ごす日なのだ。
 一見、出来過ぎなハッピーエンドに、底が浅いとか、偽善だと捉える人もいるだろう。だが、ストレートな話しをストレートに語ることは実は難しい。それをキャプラは見事にこなしている。無理に感動させようとしているのではない。ただ、自分が撮りたい映画を撮っただけなのだろう。
 そして最後にクリスマスツリーに吊されたベルがリンと鳴る。それは天使が翼を手に入れた合図なのだ。

B001508EVG.jpg『ボディ・アーマー』(2007) BODY ARMOUR 90分 アメリカ/オーストラリア/ドイツ/スペイン/イギリス

監督:ジェリー・リヴリー 製作:スティーヴ・クラーク=ホール、ミリアム・ポルテ、スティーヴ・リチャーズ 脚本:ジョン・ワイドナー、ケン・ランプルー 撮影:クリストフ・ワル、ラファ・ユック 音楽:ホセ・モラ
出演:ティル・シュヴァイガー、チャズ・パルミンテリ、クリスティーナ・ブロンド、ルイス・オマール、グスタボ・サルメロン、カーン・ボンフィルス、ルイス・デコスタ・ジョンソン

『メガスネーク』の近くにあるB級アクションの新作コーナーにあった。拳銃を構えた主人公のタフな顔つきと、バックの悪役らしき人物の顔、そしてどことなく『トランスポーター』シリーズっぽいジャケに惹かれてジャケ借り。ドンパチ、ドカバカやってくれそうだ。

 主人公はSP。アメリカ大統領候補の女性知事の護衛任務に失敗し、知事と同僚のSPは射殺され、自身も重傷を負ってしまう。だが、暗殺者は目の前にまで来たのになぜか彼にとどめを刺さなかった。
 数年後、SPから退き今ではうらぶれたボクシングジムでトレーナーをやっている彼のところに、再び護衛の依頼が入る。断ろうとしたが、とりあえず一度依頼人にあってくれと頼まれ、しぶしぶと出かけた彼の前に現れたのは例の暗殺者だった。
 暗殺者は、検察側の証人としてこれまでの悪事をすべて法廷でぶちまけるという。一体暗殺者は何を考えているのか。なぜ、彼を護衛に指名したのか。謎が謎を呼ぶ中、殺し屋が暗殺者を狙い襲いかかってくる。

 監督は『バタリアン・リターンズ』などで撮影監督を務めたジェリー・リヴリー。主人公のティル・シュヴァイガーは『トゥームレイダー2』などに出演していたようだ。顔になんとなく覚えがあるが、どんな役だったかさっぱり記憶にない。とにかく、やたらと制作国が多い作品で、なんと5ヶ国。多すぎだろ。
 制作国は多いが、アクションは少ない。主人公の過去の友人で、軍隊時代に爆発物の専門家だった男が仲間に加わるが、派手な爆発を起こしてくれるわけでもなく、役割はほぼ情報屋。ちぇっ、はずしたかと思っていたが、暗殺者の行為の意味が分かってくる内に、ちょっとほろっとしてしまった。ヤツも男であり父であったのか。
 主人公を護衛にした理由が、「お前は俺が憎く自分の手で殺してやろうとまで思っているだろう。だから他の人間に殺させるはずがない」ってのが良いね。ちょっと『ザ・ロック』のショーン・コネリーを思わせる面もある。
 新作の一泊二日料金で借りたからまあ納得。100円ほど高い二泊三日料金だったら微妙かな。

B001544MKY.jpg『メガスネーク』(2007)MEGA SNAKE 90分 アメリカ

監督:ティボー・タカクス 製作:ボアズ・デヴィッドソン、イスラエル・リンゲル 製作総指揮:アヴィ・ラーナー 脚本:ロビー・ロビンソン、アレクサンダー・ヴォルツ 撮影:エミール・トプゾフ 音楽:デイヴ・クロッツ、ガイ・ゼラファ
出演:マイケル・シャンクス、トッド・ジェンセン、シリ・バラック、ジョン・T・ウッズ、ニック・ハーヴェイ、ベン・カーディナル、アンドレア・エンライト、テレンス・H・ウィンクレス

 タイトルの『メガスネーク』に、またメガマックとかからパクって適当な邦題を付けちゃってからにと思ったら、原題も『MEGA SNAKE』なのな。メガ驚いた、テラ驚いた、ペタ驚いた。嘘、ちょっとだけ驚いた。
 キリスト教なのだが、ヘビをあがめる宗派があった。本当にそんな物があるならこれまた驚きだが、フィクションならそんなアホな設定を考え出した脚本家に驚きだ。で、少年の父親がヘビに噛まれて死んでしまう。毒ヘビ使うなよ!そして、20年後、成長した少年とその兄。少年は以来教会に入っていないが、兄は熱心な信者。今日も今日とて儀式に使うヘビを仕入れに闇ヘビ屋へ仕入れにいく。そこに、奇妙なビンに入った小さなヘビを見つける。店主のネイティブアメリカン曰く、それは部族を滅ぼした伝説のヘビ・アンテカで、成長すると20メートルもの巨大ヘビになり、ありとあらゆる物を食ってしまうと言う。
 だが、三つの教えを守っている限り、成長はせず安全だ。その教えとは、
1.ビンから出さない
2.生きた餌を与えない
3.決してヘビを怖れない
 なんか、『グレムリン』みたいだ。
 アンテカを譲ってくれと頼む兄だが、店主は断固として断る。そこで、兄は隙を見てアンテカを盗み出してしまう。こうして、ヘビパニックが始まった。

 20メートルの巨大ヘビとは無茶だが、神秘的な存在だから問題なし。都合良くビンは割れ、都合良く子ネコが食われ、アンテカは成長を続ける。母が食われ、兄が食われ、そんなこととは知らない警察は主人公が殺したものだと思い、彼を逮捕する。その間にも被害は広がっていく。
 湖の畔でキャンプをしていた一家が登場する。出現した巨大ヘビに驚き、父親は妻と息子達に車に隠れるように言い、自分はそこらにあったキャンプ道具を手にアンテカへ立ち向かう。オヤジ格好えー。ま、食われるけどな。しかも、命がけで守ろうとした家族も結局……
 ここでようやく警察は巨大ヘビの存在に気づくが、市長が現れ「明日は年に一度のカウンティーフェアだぞ。騒ぎを大きくするな」と命令を下す。ジョーズにも出てきた物わかりの悪い市長。そして大きなイベント。もちろん、そのイベント会場にアンテカが現れ、食って食って食いまくる。ジェットコースターなどのライドの客が頭だけスポポポポッと食われてしまうシーンには笑った。
 神秘的な存在なので、銃などでは殺せない。そこで、主人公はナタを手にゆっくりとアンテカへと足を進める……。
 TVムービーだが、監督はオレの好きな『ハードカバー/黒衣の使者』(1988)のティボー・タカクス、製作と製作総指揮が『ランボー 最後の戦場』のボアズ・デヴィッドソンにアヴィ・ラーナーと以外に豪華な製作陣。映画としての多少の安っぽさはしょうがない。CGの出来はそれなり。ヘビなど爬虫類は体毛がない分表現が比較的簡単なのかね。

B00165SDW0.jpg『28週後...』(2007) 28 WEEKS LATER 104分 イギリス/スペイン

監督:フアン・カルロス・フレスナディージョ 製作:アンドリュー・マクドナルド、アロン・ライヒ、エンリケ・ロペス・ラビニュ 製作総指揮:ダニー・ボイル、アレックス・ガーランド 脚本:フアン・カルロス・フレスナディージョ、ローワン・ジョフィ、ヘスス・オルモ、E・L・ラビニュ 撮影:エンリケ・シャディアック 音楽:ジョン・マーフィ
出演:ロバート・カーライル、ローズ・バーン、ジェレミー・レナー、ハロルド・ペリノー、キャサリン・マコーマック、マッキントッシュ・マグルトン、イモージェン・プーツ、イドリス・エルバ

 ウイルス流出から28週後。食事をする知能もなくした感染者達は餓死してしまい、静けさが戻った。米軍を中心としたNATO軍が管理する形で、イギリス復興に向けてまずロンドンの一地区に避難していた民間人を戻し生活をさせ始める。平安な社会が築かれていくはずだったが、ウイルスに抗体を持つ一人のレイジ・ウイルスキャリアの女性が生き延びていて、管理地区に入ってきたため再び感染が広がりパニックになる。

 監督がフアン・カルロス・フレスナディージョに替わって撮られた『28日後...』の続編。ダニー・ボイルが製作総指揮を務めているため、やはり疑似ユートピアの形成と崩壊はきっちり描かれていて、それどころか平和に愛し合って暮らしていた家族させ崩壊させてしまう。再感染の発端が愛ゆえの行為という点が一番残酷なのかも知れない。
 予算も増えたようでスケールも大きくなり登場人物も増えた。登場人物も多くなりアクションも増えた。そしてよりゾンビ映画化している。前作では銃で撃たれたりバットで殴打されると死んだ感染者だが、今回は胸に大きな穴が開いても歩いていたり、下半身だけになってもバタバタしていたり。設定に若干の変更がある。
 今回も軍は悪役。感染がある程度広がった段階で、市民の殲滅作戦を始める。しかし、考えてみればウイルスが島国であるイギリスから大陸に渡ってしまったら大変なことになる。そのためには非情になって任務を遂行しなければならない。現在のアメリカ軍はイラク戦争などで実戦経験者も多いだろうから、平気で引き金を引くだろう。焼夷弾から毒ガスまで使って感染者も、まだ感染していない市民も抹殺していく。限定核を使わなかったのが不思議なぐらいだ。
 安全地区の設定は『ランド・オブ・ザ・デッド』に近い物があるし、映画自体は『バイオハザード』に似ている。ヘリコプターでの意外な攻撃は、最近のある映画に登場しているし、全体的に前作ほどの個性は感じられない。せっかくの親子関係もあまり有効に使われないまま終わってしまうのが残念だ。

 父親(ロバート・カーライル)が管理地区でAAAの権限を持っている理由が明示されておらず、元住んでいた家も登場するが普通の家なので特に地位が高い人物だったという感じではない。元は政府の要人だったなどの説明があれば良かったろう。ロンドンに民間人を戻すのも時期が早すぎるんじゃないだろうか。まぁ、“28”という数字の縛りがあるんだろうが。他にもストーリー的に穴がいくつかあるが、感染が始まるとひたすら人もカメラも走り回るのでそれほど気にする必要もないだろう。
 静かに始まり、妻を見捨てて逃げ出す夫というオープニングで期待したのだが、最後まで観ると独自色が薄かったのが残念。

B0014B8A8I.jpg『28日後...』(2002) 28 DAYS LATER... 114分 イギリス/アメリカ/オランダ

監督:ダニー・ボイル 製作:アンドリュー・マクドナルド 製作総指揮:グレッグ・カプラン、サイモン・ファロン 脚本:アレックス・ガーランド 撮影:アンソニー・ドッド・マントル 編集:クリス・ギル 音楽:ジョン・マーフィ
出演:キリアン・マーフィ、ナオミ・ハリス、クリストファー・エクルストン、ミーガン・バーンズ、ブレンダン・グリーソン、レオ・ビル、リッチ・ハーネット、スチュワート・マッカリー、ノア・ハントレー、ルーク・マブリー

 ダニー・ボイルがゾンビ映画を撮ると聞いて、どんな物になるのやらと期待半分不安半分だったのだが、観終わって納得。やっぱダニー・ボイルはダニー・ボイルだ。
 オレはダニー・ボイルの基本的テーマは“疑似ユートピアの形成とその崩壊”だと思っている。名が知られるようになった『トレインスポッティング』のヤク中の青年達が作り出したグループもそうだし、『ザ・ビーチ』の島での共同生活体もそうだ。どれも、一見ユートピアに見えるが、いずれは崩壊するのだ。
 この作品にもそれはある。ウイルスによって凶暴になった感染者により壊滅したイギリスで、三人の男女が保護を求めてラジオで放送を流していた軍の拠点へ行く。そこに着いてこれで安心、もう恐怖から守られると思ったが、それもつかの間のことであった。

 そもそもの発端は、人間の凶暴性について研究している研究所に、実験材料に使われているチンパンジーを助けるために過激な動物保護団体が忍び込む。だが、そのチンパンジーは怒りを発し凶暴になるウイルスに感染していており、それはあっと言う間に研究所から出てしまう。
 ウイルスに感染した者は抑えきれる怒りによって狂人となり、理性も知性も失ってただ相手を倒すことだけしか出来なくなる。その凶暴性は人間の脳の中に最初からあったもので、ウイルスはそれを際限なく解放してしまうのだろう。ウイルスは血液を介して感染を広げる。感染者に噛まれるだけではなく、その血が口や目から体内に入ってしまっても感染する。感染してから発病するまではわずか10秒ほど。エボラ出血熱も驚く潜伏期間の短さだ。
 だから、これはゾンビ映画ではない。感染者はあくまで人間で、その凶暴性は元から人間が持っていたものだ。一番怖い者は人間。ヒロイン達を助けるために血まみれになって戦う主人公が感染者に見えるのも無理はない。その人間に、家族揃って自由に駆け回る馬の一家が対比される。このウイルスは霊長類にしか感染しないようだ。ほとんどの動物は必要な暴力しか振るわない。獲物を捕るため、自分を守るため。楽しみのために殺すのは人間を始めとしたごく一部の動物だけなのだ。ウイルスは解き放つのはその部分なのだ。
 映像的には無人のロンドンを描いた前半部分の方が見応えがあるが、ダニー・ボイルがやりたかったのは兵隊達と関わるようになる後半部分だろう。

「人間が一番怖い」と言ってしまうとありきたりな結論だが、だがそれでも生きていかなければならないとするのがダニー・ボイル。

B00028XD8Q.jpg『拾った女』(1953) PICKUP ON SOUTH STREET 80分 アメリカ

監督:サミュエル・フラー 製作:ジュールス・シャーマー 原作:ドワイト・テイラー 脚本:サミュエル・フラー 撮影:ジョー・マクドナルド 音楽:リー・ハーライン
出演:リチャード・ウィドマーク、ジーン・ピータース、セルマ・リッター、リチャード・キーリー、マーヴィン・ヴァイ、ミルバーン・ストーン

 地下鉄で若い女性キャンディがスリのスキップ(リチャード・ウィドマーク)に財布をすられる。ところがその財布の中には、ソ連のスパイに届けられる予定だった西側の重要機密が記録されたマイクロフィルムが入っていたことから、ちんけな犯罪が思わぬ展開へと広がっていく。

 サミュエル・フラーといえば、突発的な暴力が特徴だ。スキップがいきなりキャンディを平手打ちにするシーン。逆に部屋を出て行こうとするスキップを後ろからキャンディが鈍器で殴り倒すところ。ホテルの一室での、共産スパイとスキップとの乱闘。そして、ラストの地下鉄構内、ついには地下鉄線上に転がり落ちてまで長く続く殴り合い。どれもこれも、前置きもなく突然始まる。乱暴で粗野だが、それでいて平手打ちのシーンには美を感じてしまう。
 物語にはかなり強引なところもあるが、スキップはずるがしこさを駆使して警察やFBI、そして共産スパイを相手に上手く出し抜いていく。だが、それ以上にフラーが力を入れているのではないかと思うのが情報屋の老女モー(セルマ・リッター)に関するエピソードだ。警察に情報の提供を求められて呼び出され、画面に登場したときのモーはふてぶてしくちゃっかりしたやり手の情報屋に見える。しかし、物語が進んでいく内に、モーの孤独さや人生に疲れ切っていること、死への願望が描かれていく。セルマ・リッターの演技も抜群で、レコードが演奏し終わってただ回転し続けているシーンにはグッと来る。
 監督デビュー作の『地獄への挑戦』(1948)はブラッド・ピットの『ジェシー・ジェームズの暗殺』と同じ伝説的アウトローであるジェシー・ジェームズが友人に背後から射殺された事件を題材としているが、主役はジェシーを殺したボブ・フォードだ。その後、彼は卑怯者として扱われ孤独な生涯を送っていく。遺作である『ストリート・オブ・ノー・リターン』(1989)の主人公は喉を切られて自慢の美声を失ってしまいホームレスとなった元人気歌手である。どれも孤独な人間だ。他の作品でも孤独な人間が数多く登場する。孤独こそがフラーのテーマなのかも知れない。
 機密情報が何なのかは最後まで説明されない。数式や化学式が書かれていることが分かるだけだ。原作があるが、そちらではひょっとしたら説明されているのかも知れない。だが、脚本も手がけた(フラーはそもそも脚本家などをやっていた)フラーにはそんなことどうでも良かったのだろう。
 ニューヨークでのロケが多用されている。スキップのアジトは港の水上にある小屋で、小屋へ行くために渡された板、ハンモック、ビールを冷やすために窓から海へとロープで吊した木箱などが実に魅力的な舞台として活かされている。
 映画全体のテンポは軽快で、登場人物は、本来ならば元恋人が共産スパイである事を知り、そしてスキップに恋してしまったことで苦悩しなければならないキャンディですら軽々とそれを乗り越えてしまう。だからこそモーのシーンが突出してくる。
 だが、そんなややこしいことを考えずとも楽しめる映画なのは間違いない。

B000A1ECTY.jpg『必死の逃亡者』(1955) THE DESPERATE HOURS 112分 アメリカ

監督:ウィリアム・ワイラー 製作:ウィリアム・ワイラー 原作:ジョゼフ・ヘイズ 脚本:ジョゼフ・ヘイズ 撮影:リー・ガームス 音楽:ゲイル・クビク
出演:フレデリック・マーチ、メアリー・マーフィ、マーサ・スコット、ハンフリー・ボガート、デューイ・マーティン、アーサー・ケネディ、ロバート・ミドルトン、ギグ・ヤング、ビヴァリー・ガーランド

『逃亡者』という映画がある。ハリソン・フォード主演のじゃなくて1991年に公開されたマイケル・チミノ、監督ミッキー・ローク主演の『逃亡者』(1990)だ。
 こいつにはリメイク版でハンフリー・ボガート出演のオリジナル版があるのは知っていたが、監督はこれといって好きではない『ベン・ハー』や『ローマの休日』などのウィリアム・ワイラーなので、そのうち観よう程度でいたらあっというまに17年が過ぎ、ようやく『必死の逃亡者』を観た。
 うん、面白い。ワイラー作品では一番好きだな。

 刑務所からハンフリー・ボガートを含む三人の囚人が脱獄した。彼らは住宅地のある大きな家に目を付け、助けが来るまでそこに潜むことにする。そこに住んでいたのは会社重役の夫と妻。生意気盛りの小学生の息子と若い娘の四人。拳銃を突きつけられておどされながらも、懸命に生き残る道を探る家族達の必死(DESPERATE)の時間。しかし、DESPERATEには絶望的という意味もあるのだ。

 主演は家族だが、一人をあげるならば夫のフレデリック・マーチ。ハンフリー・ボガートいつものちょっと高いしゃがれ声で悪役を演じている。
 悪党の一時的アジトにされてしまった家族だが、家に尋ねてきた人への対応や、会社に通勤しての仕事などは普段通りにやることを要求される。家に犯罪者がいることが分かれば警察が駆けつけてくるだろうが、銃撃戦になって自分たちが巻き込まれたり、自棄になった悪党に殺されてはかなわない。この日常と非日常の対比が面白い。
 最初は頭の切れる冷酷な犯罪者ボガートがすべてを支配しているが、次第に歯車が狂い始めていく。仲間の一人で頭が弱い大男はすぐに衝動的行動に出ようとするし、可愛い弟は次第に兄であるボガートから独立しようとし始める。そして、息子や娘がボガート達に反抗的だったのに対し、家族大事さから「お父さんは臆病だ」と息子に言われても素直に従っていた父親がその家族を守るために静かにこっそりと戦い始める。
 男足るもの、自分の家族をなんとしてでも守らねばならない。社会には警察や軍隊もあるが、最後の最後で頼りになるのは家長である自分自身なのだ。日本人もそうなのだろうが、アメリカ人は特にその意識が強い。自分の身は自分で守る自衛の意識が高い。だから、平和そうな住宅地の家にもちゃんと護身用に拳銃がある。最初は拳銃が一丁だったが、これで二丁。だが、悪党は三人だから一丁足りない。これがまた一つの緊張感を生み出す。
 夫は最後にはボガートに正面から立ち向かっていく。実に勇敢だ。勇敢だが彼は怖く感じている。怖くて当たり前なのだ。勇気と恐怖は両立する。怯えながらも立ち向かっていくところが素晴らしい。それは何かを守るため。守られる家族もそれぞれに絶望に立ち向かっている。
 この家には一階と二階の二ヶ所に電話がある。1955年の作品だからコードレスはおろかプッシュホンですらない。単純に配線が別れているだけなので、一階の電話で通話している時に二階の受話器を取ると通話が丸聞こえになる。電話がかかってくると家族の誰かに取らせ、その会話をもう一つの電話で内容を聞いて悪党に立てこもられていることを伝えようとしたり、相手が何か不審に思っていないかを確認するといった形でそれがサスペンスに上手く利用されている。
 ラスト、警察に包囲された庭へと出たボガートをいくつかのサーチライトが照らす。このシーンはリメイク版ではいつくものレーザーサイトに変更されていた。あの頃のミッキー・ロークはまだ格好良かった。今のミッキー・ロークも味があるけどね。
『必死の逃亡者』という割にはそれほど必死でもないなと思っていたが、最後まで観ると別の意味で“必”“死”だったのに気づく。

B0016OTUMI.jpg『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』(2007) SWEENEY TODD: THE DEMON BARBER OF FLEET STREET 117分 アメリカ

監督:ティム・バートン 製作:リチャード・D・ザナック、ウォルター・パークス、ローリー・マクドナルド、ジョン・ローガン 製作総指揮:パトリック・マコーミック 原作:スティーヴン・ソンドハイム、ヒュー・ウィーラー 脚本:ジョン・ローガン 撮影:ダリウス・ウォルスキー 作詞作曲:スティーヴン・ソンドハイム
出演:ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アラン・リックマン、ティモシー・スポール、サシャ・バロン・コーエン、エド・サンダース、ジェイミー・キャンベル・バウアー、ローラ・ミシェル・ケリー、ジェイン・ワイズナー

 オレは床屋が苦手だ。子供の頃はそうではなかった。ある年頃になってから苦手になった。なぜかというと刃物が苦手だからだ。映画などフィクションの中の物は気にならないが、実物はどうもダメだ。ヒゲが生え始めて、床屋でひげ剃りをされるようになってから、どうしても怖いのだ。あのピカピカとした鋭い剃刀で首元を剃られている時が一番怖い。この床屋さんが突然おかしくなって首を斬ってこないだろうか。大地震が来て、その衝撃で首を斬られないだろうか。くしゃみをして、そのはずみで首を斬られないだろうか。首筋に刃物を当てられるのはやはり怖い。
 考えすぎと言われるかも知れないが、無いとは言い切れない。19世紀のロンドンで実際にあった可能性があると言われる出来事を題材にしたのがこの作品だ。

 悪徳判事が天才理髪師の美しい妻に目を付け、理髪師に冤罪を着せ終身刑にしてしまう。15年後、一人に男が船に乗ってロンドンにやって来る。その男の正体は理髪師。船と言うことはオーストラリアに流刑にされていたのだろうか。終身刑なのに15年で自由の身になっているが、船員の青年との会話から察すると脱獄したのかも知れない。
 理髪師は名をスウィーニー・トッドと偽り、パイ屋の二階で理髪店を開き、判事への復讐を誓う。だが、彼の正体をしって脅迫しに来た男の登場と、ロンドンで物価が上がり肉不足という、関わっては行けない二つの事柄が交わってしまったことから、美しくおかしな猟奇の世界が繰り広げられることになる。

 作品はミュージカル仕立て。ミュージカルは苦手という声はたまに聞く。理由としては「普通にしゃべっていた人が突然歌い出すとか不自然じゃないか」というのが一番大きいのではないだろうか。もちろん、現実の世界で突然セリフを歌で歌い始める人がいたらかなり驚くし、あまり関わりにはなりたくない。だが、ミュージカルは映画にしろ舞台にしろ、フィクションの世界で起きていることだ。その不自然さは文法というか、むしろ世界観と言っても良いだろう。その世界ではそれが当たり前なのだ。だったら素直に「そういう物」として楽しんだ方が得な気がする。
 ミュージカル映画にも色々あるが、この作品は普通の会話が歌になっているところが多く、それに加えて登場人物のモノローグが歌だったり、感情が歌で表現されていたりで、歌のシーンがかなり多い。いっそのことすべて歌で通しても良かったんじゃないかと思うほどだ。
 もともとはロックをやっていたジョニー・デップの歌はなかなか上手い。『シザーハンズ』では両手の指がハサミだったが、今回は銀の柄の剃刀。その剃刀をスパッと振ると、「うーん、切れてな?い」なんてことはなく、キレイに首元が斬れて世界の中に真っ赤な血が噴き出す。それが何人も何人も何人も。
『チャーリーとチョコレート工場』は原色に溢れた世界だったが、今回は色彩に乏しい『『スリーピー・ホロウ』的な美術だ。そこに真っ赤な血が埋め尽くされるところにインパクトがある。それまでは生きていた人間が、その瞬間から物になる。ドサリと地下に落とされるのは人間ではなくもはやただの肉のかたまりにすぎない。バートンらしいブラックユーモアを含んでいる。
 スウィーニーに惚れて、ある事実を隠して彼に尽くそうとするパイ屋の女主人(ヘレナ・ボナム=カーター)が良い。スウィーニーと幸せな人生を送ることを願うが、肝心のスウィーニーは復讐に凝り固まっている。それは大事な事を忘れさせてしまうほどだ。
 それが最後に悲劇を引き起こすのだが、同時に愛で映画を締めくくることとなる。スウィーニーはきっと背後に少年が立っていることに気づいていたに違いない。

 生き残った恋人二人や少年がそれからどうしたのか分からないまま。これは死んだ者の映画でもあるのだ。

B000FG4LGS.jpg『小さき勇者たち ガメラ』(2006) 96分 日本

監督:田崎竜太 製作:黒井和男 プロデューサー:有重陽一、椋樹弘尚 企画:佐藤直樹 脚本:龍居由佳里 美術:林田裕至 編集:平澤政吾 音楽:上野洋子 特撮演出:金子功
出演:富岡涼、夏帆、津田寛治、寺島進、奥貫薫、石丸謙二郎、田口トモロヲ、石川眞吾、成田翔吾、渡辺哲、正名僕蔵、小林恵、南方英二

 平成ガメラ三部作の金子・伊藤・樋口の三人は関わっていないし、完全に子供向けの様だったので特に興味を持たなかったが、我が故郷名古屋でガメラと敵の怪獣が戦うと聞いて、借りてきた。
 しまった。もっと早く観ておけば良かった。

 映画はギャオスの群れとガメラが戦っているシーンから始まる。追い詰められたガメラは自爆することでギャオスを滅ぼして人間を救う。これは『ガメラ3?イリス覚醒』の続きなのかと思ったが、後で昭和48年の出来事だと分かるのでそうではない。かといって昭和ガメラの続きでもないので、両方のガメラシリーズから派生したパラレルワールド的番外編なのだろう。
 そして現在。三重県志摩で暮らす、母を交通事故で失った少年・透が港沖の小島に赤く輝く物を見つける。小島まで泳いで行ってみると、そこには両手の平に載るぐらいの大きさの赤い石と、白い卵があった。その卵から生まれた亀を、透はトトと名付ける。透は父と二人暮らしで、家で食堂をやっているためペットは厳禁。そこで父に隠れてトトを飼い始めるが、ある日そのトトがなんと宙に浮いていた。友達二人と隣の家の少女・麻衣と四人の秘密でトトを飼うが、トトはどんどん大きくなっていってついには人間ぐらいの大きさになってしまい、浜辺の廃小屋に移す。ちなみに、透と麻衣はお互いの部屋の窓を開けると手が届く距離で、コミック本(角川映画なので『ケロロ軍曹』)を貸し借りする仲。透は小学生だが麻衣はセーラー服を着ているシーンがあるので中学生だろう。幼なじみの年上の女の子で、しかも窓の距離となかなか甘酸っぱい設定だ。
 ガメラ自爆後、33年間も怪獣は出現しておらず、政府の巨大生物審議会も解散された。だが、三重県近海で謎の遭難事故が多発しており、実はそれは怪獣ジーダスの仕業だった。ついに姿を現し、透の暮らす漁師町を襲う。ジーダスに食われかけた透と父を助けたのは、体長8メートルに成長したトトだった。しかし、ガメラと比べるとかなり小さいトトではジーダスを追い返すのが精一杯で、負傷したトトは自衛隊によって捕獲され、巨大生物を研究する学者がいる名古屋理科大学へと輸送される。
 政府はジーダス対策としてトトを成長させて戦わせることにするが、思うように成長しない。トトが成長するためにはあの赤い石が必要だったが、麻衣が名古屋の病院で手術を受けるため透がお守りとして渡していた。透と友人を合わせた三名は電車に乗って一路名古屋を目指す。
 そして、トトの気配を嗅ぎつけたのか、ジーダスが名古屋湾へ上陸する。

 まず、一番の見所は、赤い石がトトのところへと運ばれるシーンだろう。
 病院から避難していた麻衣は、自分で石をトトに届けようとするが思うに動けない。そこへ、見知らぬ幼い少女がやってくる。
「トトへ」
 それだけ言って少女に石を手渡すと、少女は何も聞かずに走り出した。行き先はもちろんトトの元だ。だが、幼い少女がかなりの距離があるトトとジーダスが戦っている現場までたどり着けるはずがない。疲れ切った少女の前に、避難中の少年が立つ。
「トトへ」
 こうして、子供たちによるトトへ赤い石を届けるリレーが始まるのだ。
 走るという姿は画になる。実に映画的だ。殴る蹴る跳ぶもアクションだが、一番のアクションは走ることだろう。子供たちが懸命になって力一杯走るその姿が実に美しい。
 このシーンだけでこの映画は勝ちだ。トトとジーダスがプロレスのようにぶつかり合って戦っているが、走り続ける子供たちもまた戦っているのだ。
 アンカーはもちろん透。赤い石のバトンを最後に受け取ったトトは、ジーダスと戦えるだけの力も一緒に受け取る。

 もう一つの見所は、ジーダスを倒したが、自らも傷だらけで倒れたトトを自衛隊が再び捕獲しようとするシーン。トトに向かって突き進む自衛隊車両が急停車する。その先には、透と二人の友人が手を横に広げて、通すまいと立ちふさがっていた。無理にでも先に進もうとする自衛隊だが、しかし次々に現れてついには数十人にもなった子供たちの前で気圧されてしまう。
 そしてトトは目を覚まし、空へと飛び去っていく。それはトトである、いまやガメラでもあった。
 投石をするわけでもない、飛びかかっていくわけでもない。ただ前に立ちはだかる子供たち。そこに非暴力と非服従で戦ったインド独立の父マハトマ・ガンジーの姿を見てしまった。これも子供たちの戦い方なのだ。
 トトと一緒にジーダスを倒すために戦った子供たち。トトを守るために戦った子供たち。凛々しく、そして一人一人は弱いかもしれないが、力を合わせた時の強さ。感動的である。

 リレーのシーンではつい涙腺がゆるんでしまった。そこまでの演出があまり上手いとは言えず、特撮も特筆すべき点はないなと思っていて気がゆるんでいたところを突かれてしまった。
 子供たちの演技もかなり自然で上手い。子役のレベルが上がってきているのだろうか。
 脇を固める大人たちも、父役の津田寛治や、麻衣の父である寺島進、政府のお偉いさんの田口トモロヲなどで、しっかりと支えてくれる。
 ただ、チャンバラトリオの南方英二は何しに出てきたのだろうか。食堂でメシ食ってビールを飲んでるだけ。ゲスト出演たって、メインターゲットの子供の観客は南方英二をあまり知らないだろうに。
 ジーダスに漁船を壊され、海で食われてしまう最初の犠牲者が南方英二かと思ったが、顔が写ると渡辺哲なんで違った。日本の芸能人はあまり顔と名前が一致しないオレだが、渡辺哲は代は離れているが高校の先輩なので知っているのだ。

 作品の完成度としては平成ガメラ三部作にかなり劣るが、良い映画である。
 興行的には大失敗だったようだが、似た傾向の『ジュブナイル』(2000)を撮った『ALWAYS 三丁目の夕日』の山崎貴に、「お前の映画に致命的なまでに決定的に欠けている物はこれだ」と言ってやりたいものだ。

B0015L874E.jpg『L.A.コンフィデンシャル』(1997) L.A. CONFIDENTIAL 138分 アメリカ

監督:カーティス・ハンソン 製作:アーノン・ミルチャン、カーティス・ハンソン、マイケル・ネイサンソン 原作: ジェイムズ・エルロイ 脚本:ブライアン・ヘルゲランド、カーティス・ハンソン 撮影:ダンテ・スピノッティ 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:ラッセル・クロウ、ガイ・ピアース、ケヴィン・スペイシー、ジェームズ・クロムウェル、キム・ベイシンガー、ダニー・デヴィート、デヴィッド・ストラザーン、ロン・リフキン、マット・マッコイ、ポール・ギルフォイル、サイモン・ベイカー=デニー

 1950年代のロサンゼルス。表向きは明るくて健全な太陽と映画の街として知られているが、裏に回ればアメリカでも有数の犯罪都市。そこを牛耳るボスが脱税容疑で逮捕されたことから縄張り争いが始まり、他の街の犯罪組織も隙あらば乗っ取ろうとしている。サブマシンガンや拳銃、ショットガンが轟音を放ち、人々の眠りを覚ます。そんな中、軽食堂で刑事一人を含む6人殺しが発生した。
 事件の捜査に関わってきたのは個性の異なる互いに気の合わない三人の刑事だ。事件上に、ハリウッド美人女優そっくりに整形させた娼婦を扱う組織が浮かび上がってくる。そして現れたのはブロンド女優ヴェロニカ・レイクにそっくりな娼婦リン(キム・ベイシンガー)。複雑に絡み合っていく犯罪を裏で操っている謎の人物ロロ・トマシとはいったい何者なのだろうか?

 と、まあ普通にミステリー犯罪映画になっているのがすごい。よくもまあ、ジェイムズ・エルロイの原作小説を娯楽映画にしたものだ。原作は10年程前に読んだきりだが(本棚を調べたら1998年8月10日の第6刷だった)、ズシンとくる、それもただ重いだけではなく異常な物を胃袋に押し込まれた感覚だった。
 ジェイムズ・エルロイは幼くして両親が離婚。そして10歳で母を何者かに殺害され事件は未解決。父に引き取られるも17歳で父は死亡し天涯孤独になった彼は、ナチズムにのめり込んでいたため学校でも問題を起こし、ついにはヤクの売人になったり盗みを働いたりと犯罪社会へ。刑務所入りも経験したが30歳で小説に目覚め作家デビュー。まったく、異色の経歴である。
 犯罪者出身の作家はそれなりにいるだろうが、母を殺されていたり、ナチズムへの傾倒などはそうそう聞く話じゃない。ここで、飲み込まされた異物の正体に気がついた。それは狂気だ。いや、狂気なんて美しい言葉じゃない。イカれてるのだ。まるっきりイカれているのだ、このジェイムズ・エルロイという男は。
 そのイカれっぷりがすっかり去勢されてしまった映画版は、原作と天秤にかけると駄作である。ただ、単体の映画として観ると、それなりに悪くはない。ペラペラッと10年振りに流し読みしてみた原作は映画とは大きく異なっていたし。

 ところで、リンのオリジナルのハリウッド美人女優ヴェロニカ・レイクって誰?名前を聞いたことがあるような、ないような。
 彼女が自宅で客を取っているシーンで、ヴェロニカ・レイク出演映画を映写機で室内上映している。ヴェロニカと一緒に写っているコートにソフト帽の男は『シェーン』のアラン・ラッドではないか。調べてみると、ヴェロニカの出演作は十数本と少なく、その多くが40年代に撮られたアラン・ラッドと共演した初期のフィルム・ノワールらしい。そういえば、ハードボイルド風のアランラッドは『スティーブ・マーティンの 四つ数えろ』にも特殊な形で出てたな。
 だが、この40年代の作品については観たことがないし、ソフト化もほとんどされていない様子。そもそもオレは女優の知識はほとんどない。そこで、古い作品に詳しいOさんにメールで尋ねたところ、「私も名前を聞いたぐらい」とのこと。どうやら、パッと出てきて、パッと消えた人のようだ。1947年の『ハリウッド・アルバム』で映画界から姿を消したが、1970年に『ヒットラー蘇生計画・Dr.フレデリックの逆襲』というタイトルからしてB級かC級映画に出演し、その三年後になくなった。
 ジェイムズ・エルロイが映画の中に登場するマリリン・モンローやリタ・ヘイワース、ラナ・ターナーなどではなくヴェロニカ・レイクを選んだのは、彼女がフィルム・ノワールで一時の花だったことと、晩年になって貧困か何かだろうか、何かの理由でC級映画に出る道を選んだ屈辱と潔さを感じ取ったからかもしれない。

 終盤の銃撃戦でラッセル・クロウが持つのは十二ゲージのショットガン。もう一人のガイ・ピアーズが手にするのは、当時の刑事が支給品として渡されていた銃身の短いリボルバーでディテクティブ・スペシャルかなんかだ。こいつはちょっと距離が離れると極端に命中率が悪く、ほぼ護身用専門だ。そこで、ラッセル・クロウが予備の男装と一緒に投げて渡すのがオートマチックピストル。コルト45オートか?最近のオートと比べると弾数は少ないが連射も利くし命中率も高いはず。弾切れになっても再装填も早く隙が少ない。二人が立て籠もった廃モーテルを悪党どもが取り囲み、バンバンバンと撃ちまくってくる。もちろん、二人も負けじと撃ち返す。
 本来なら絶対勝ち目のない戦いだが、そこはそれ。リアルさも備えつつ映画的嘘をついた見応えのある銃撃戦だ。だが、作品全体のカラーからすると派手すぎて、違和感を感じるのは事実。

 映画のラスト。一人の刑事はある物を。もう一人の刑事は別のある物を手に入れ、そして映画は終わる。
 いや、映画はまだ終わらない。エンドクレジットが始まっても再生を止めずに最後まで観なければならない。そうすれば、最後の一人が何を手に入れたかが分かる。

 このサイトのタイトルは映画バカ黙示録だが、映画についてバカが語る黙示録ではなく、映画バカがあれこれ語るのが本来の姿なのだ。なのだなのかは知らないが、本来身辺雑記を書いていたのが、趣味の映画の記事が増えてきてついにはほぼ映画ばかりになってしまった。バランスが悪いので、一部を残して身辺雑記は削除した。
 で、今回は久々の『食う・飲む』だ。前回は2007年06月12日の“『ペプシアイスキューカンバー』にチャレンジ”だからほぼ一年前。しかし、またペプシかよ。どんだけペプシ好きなんだよ。

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 で、この『ブルーハワイ』の名に恥じない、ハワイはワイキキの海のような鮮やかな青のペプシがこの『ペプシ ブルーハワイ』。過去に限定発売された『ペプシブルー』や『ペプシレッド』はちょっと味が違うのと色以外はどうという気もしなかったが、今度の『ペプシ ブルーハワイ』は如何に?
 プシュ!クルクルクル、カポッ、ゴクゴクゴク……うむ、南国フルーツ味。具体的に言えばパイナップル味+ちょっとレモン。本物のカクテルの『ブルーハワイ』のレシピもパイナップルジュースとレモンジュースが中心だそうだから味としては正解か。ちなみに、『ブルーハワイ』の名前はエルヴィス・プレスリー主演『ブルー・ハワイ』(1961)が由来だ。観たことはあるが欠片も覚えていない。アイドル系のプレスリー映画は『監獄ロック』以外はどうでも良い気がする。
 ま、カクテルの『ブルーハワイ』は飲んだことがないので実際に比べてどうかは不明。オレの酒人生は、ビール・ビール・ビール・このところずっと禁酒でカクテルなんて軟派な物に用はないのだ。カクテルといわれて真っ先に思い浮かぶのはモロトフ・カクテルだもんな。
 とここで終わってはつまらない。カクテルの『ブルーハワイ』は思い浮かばないが、お祭りの屋台大好きな健全バカ少年として育ったオレには、かき氷のブルーハワイには複雑な思いがある。気にはなって一度は食べてみたいのだが、小遣いも少なく無難なレモンやイチゴに手を出してしまって、未だ食べたことがない。そこで、この際そのトラウマを克服してしまおう決めた。

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 まずは氷。冷蔵庫で作った氷じゃダメだ。ちゃんと氷屋さんが作ったクリアな氷を用意すべきだとロックアイスを購入。ジャスコのPBだけどな。

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 何故か自宅にあったsanyoの電動かき氷機、名付けて『削って削って削りまくるぞくん』でガリガリ削る。

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 出来上がった白い雪山にブルーハワイを垂らす。氷の表面が炭酸でジュワッとなる。トテトテと全体にかけていく。雪山が青く染まる。おおっ、これはガキの頃に見たあのブルーハワイを再現しているではないかっ!
 ぱくっと一口。うむ、美味い。ぱくぱくぱくぱくぱく……口の中が冷えてくると味覚が鈍ってくる。そうなると味が薄く感じられてくる。普通のかき氷にかけるツユは濃縮されたものだが、ペプシブルーハワイはそのまま飲む物だから仕方ない。そこで継ぎ足したら、氷がかなり溶けた。最後にはお椀からズズズズとブルーハワイをすすっていた。ブルーハワイかき氷化計画失敗。今年の夏は素直に夏祭りでブルーハワイを食うか。でも、この地方は春祭りなんだよな。

 “『ペプシアイスキューカンバー』にチャレンジ”ではデジカメ不調でちゃんとした記録が残せなかったが、今回は前に新調したデジカメで挑んだ。新調といっても、新型が出て安くなった旧型しかも不人気モデルなので性能の割に安かった。

B001493F12.jpg『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975) MONTY PYTHON AND THE HOLY GRAIL 92分 イギリス

監督:テリー・ギリアム、テリー・ジョーンズ 製作:マーク・フォーステイター 脚本:グレアム・チャップマン、ジョン・クリーズ、テリー・ギリアム、テリー・ジョーンズ、エリック・アイドル、マイケル・パリン 撮影:テリー・ベッドフォード 音楽:ニール・イネス
出演:グレアム・チャップマン(山田康男)、ジョン・クリーズ(納谷吾郎)、テリー・ジョーンズ(飯塚昭三)、テリー・ギリアム(古川登志夫)、エリック・アイドル(広川太一郎)、マイケル・パリン(青野武)、パッツィ・ケンジット
日本語ナレーター:藤村俊二

 先日紹介した『ライフ・オブ・ブライアン』はキリスト誕生期のイスラエルを舞台に宗教をギャグにしたドクっ気の強い作品だったが、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』は西暦932年、イギリス伝説の英雄アーサー王をギャグにして、その部下である円卓の騎士たちが聖杯探求の旅をするシッチャカメッチャカ映画。ドクっ気は相変わらずあるが、『ライフ・オブ・ブライアン』よりは初心者向き。
 主人公のアーサー王を演ずるのはブライアンも演じたグレアム・チャップマン。名門校ケンブリッジで医学を学んでいる最中にコメディにのめり込んでパイソンズ結成時からのメンバーとなった。というか、パイソンズってジョン・クリーズもケンブリッジだし、マイケル・パリンはオックスフォード、この作品で共同監督を務めたテリー・ジョーンズはケンブリッジで中世文学を専攻していてい中世に関する専門書まで出している。この作品ではテリー・ジョーンズの中世趣味が前面に押し出されて実はかなり史実に忠実らしい。ぬかるみだらけの道にボロ切れのような服の人々、大衆は愚昧でそれを率いるのが我らがイギリスの王アーサー……のはずなんだけど。ちょんちょん。ここで時代考証をちゃんとやって衣装や小道具も凝ったりするからただでさえ少ない予算が、さらに足りなくなるんだよな。
 まずはオープニングクレジットから笑わせてくれる。最初は普通にキャストやスタッフの名前が連なって出てくるのだが、そのうち「ヘラジカがさぁ」「うちの妹が噛まれてもうたいへんなわけ」とか言い出して、字幕責任者が首にされる。これでようやくまともなクレジットになるかなと思ったら「でまたヘラジカなんだけどさぁ」。ついにはラマ、ラマづくしでメキシカンににぎやかなクレジットに突入。笑ったけど、ラマんとこでの赤黄の激しい点滅は目が疲れるぞ。
 パカランパカランと馬に乗ったアーサー王が丘を越えてやってくるのだが、姿が見えてくると実は馬に乗った格好だけして、従者にココナツの殻で蹄の音を立てさせているだけ。イギリス各地を旅して、ついに円卓の騎士を揃え、神からイエス・キリストが最後の晩餐で使った杯、“聖杯”を探し出すよう命を下される。いわゆる聖杯探求だ。聖杯探求で今だと一番知られているのは新作も間近なインディ・ジョーンズシリーズの三作目『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』だろうか。
 で、聖杯があるらしいフランス人の城に交渉に行くが、バカにされっぱなしでまるで話にならない。やはりイギリス人とフランス人は仲が悪い。そして最後は牛を丸々一頭投げつけれるなどして撤退。
「この敗北は、アーサー王にとって手痛い物でした」
 と、とつぜん現代の歴史学者がマイクを片手に道ばたで解説を始めるが、通りかかった騎士に「怪しげなヤツ」ってんで斬り殺されてしまう。これが、衝撃のラストへの伏線なのだっ!こんなラスト観たことないっ!!!!
 一人何役もやりながら妙な連中がどんどん出てきて映画は進む。女々しい王子が隙あらば歌い出そうとすると(どこからか音楽も流れ始める)、粗暴な父が出てきて「歌うんじゃない」の繰り返しのギャグなんか大好きだね。この突然歌い出そうとして止められるってギャグはディズニーの新作『魔法にかけられて』の予告でもやってたな。
 地上最強の怪物の正体や、ツバメの種類などの知識や、PCRPGゲーム『ウィザードリィ』に登場した“ホーリーグレネード”という武器は映画に出てきた“聖なる手榴弾(ホーリーグレネード)からパクッたんだろとか色々。『ウィザードリィ』かぁ……20年ほど前に1?3、特に1にはのめり込んだなぁ。
 オレが持っているDVDは2002年のユニバーサル インターナショナル版だが、この5月21日に発売されたソニー・ピクチャーズエンタテインメントは日本語吹替で原語のままの部分が増えているらしい。岩に刻まれたアリマタヤのヨセフの遺言「アア?」は原語だそうだが、ウチのは日本語。原語なのは女ばかりの城でちょっとあるだけだね。でも、昔観たビデオ版だとサー・ロビンの吟遊詩人が歌う詩も日本語だった気がするんだ、不確か。

B000EGDDLI.jpg『ベルリン・天使の詩』(1987) DER HIMMEL UBER BERLIN 128分 西ドイツ/フランス

監督:ヴィム・ヴェンダース 製作:ヴィム・ヴェンダース、アナトール・ドーマン 製作総指揮:イングリット・ヴィンディシュ 脚本:ヴィム・ヴェンダース、ペーター・ハントケ 撮影:アンリ・アルカン 音楽:ユルゲン・クニーパー
出演:ブルーノ・ガンツ、ソルヴェーグ・ドマルタン、オットー・ザンダー、クルト・ボウワ、ピーター・フォーク

 まだ、東西を分ける壁があった頃、ベルリンには天使がいた。彼らはモノクロの世界で暮らしており、人間の心の声を聴きそれを見守ることしかできない、静かな存在だ。時折その心に力を加えてあげることも出来るが、それでは充分でなくビルから飛び降りて自らの命を絶ってしまう人もいる。天使と言って我々が感じる能力はなく、非常に力弱い存在だ。人間の子供には見えるようだが、大人になると見えなくなりその存在も忘れてしまう。
 そんな天使の一人ブルーノ・ガンツは、色彩鮮やかな世界で生きる人間に憧れて悩む。そしてある日、彼はかつて天使で今では人間になったという一人のアメリカ人俳優に会う。迷ったガンツだが、サーカスで空中ブランコ乗りをしている女性に恋したことから、ついに人間になることを決意する。

 この人間に生まれ変わるシーンが美しい。まずは東ドイツ側の真っ白で警備兵が守る壁側で同僚の天使と話した後、ふと気づくと西側の壁の真ん前に倒れている。壁には一面の落書きアートが色鮮やかに描かれていて、観客はガンツが人間となったと知る。そこへ、ドリフの洗面器のごとく有様で鎧がガンツの頭の上に落ちてくる。「ガンツッ!」と鎧がぶつかって頭をちょっと切って流れてきた液体が血であることに喜び、その色を通行人に尋ねる。
「赤だよ」

 劇場公開時の1988年以来、久しぶりに観た。当時は大学二年。映画が面白くなってきた頃で、その時期とこの映画はピタリとはまった。
 図書館で老人が眼鏡をかけようとして、右のつるが倒れ、今度は右のつるを持って書けようとしたら左のつるが倒れ、結局左右のつるを持って眼鏡をかけるシーンなどちょっとした部分が記憶に残っていたのだが、今回確認したらやはりその通りだった。
 天使とはどんな存在かははっきりとしないが、怪我もしないし腹も減らない、おそらくは死ぬこともない。そんな身を捨てて苦しみがあり怪我や病気もすればいずれは死ぬ人間になる。その引き金となるのが先ほど言ったアメリカ人俳優。そのなもピーター・フォーク。刑事コロンボだ。ブルーノ・ガンツとピーター・フォークの配役は完璧に近い。ピーター・フォークも本人曰くもと天使で、見えないがそこに天使ガンツがいるのを感じる。そして生きているのは如何に素晴らしいかを語る。ピーター・フォークだけには天使の存在を感じることが出来るのは、彼の右目が義眼で片目しか見えないゆえの独特の目の演技が説得力を持たせてくれる。片目しか見えないが故に、もう片方の目で我々には見えないもう一つの世界を観ることが出来るのではと感じさせるのだ。
 ハリウッドで『シティ・オブ・エンジェル』としてリメイクされたが、日本でリメイクするとしたらピーター・フォーク役やタモリか。えっ、ピーコ?

「子供は子供だったころ
 木をめがけてやり投げをした
 ささったやりは今も揺れている」

B000HOL7JM.jpg『レマゲン鉄橋』(1968) THE BRIDGE AT REMAGEN 116分 アメリカ

監督:ジョン・ギラーミン 製作:デヴィッド・L・ウォルパー 脚本:ウィリアム・ロバーツ、リチャード・イエーツ、ロジャー・ハーソン 撮影:スタンリー・コルテス 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:ジョージ・シーガル、ロバート・ヴォーン、ベン・ギャザラ、ブラッドフォード・ディルマン、E・G・マーシャル、ペーター・ヴァン・アイク

 昔、『軍人将棋』というボードゲームがあった。敵味方と審判を合わせた三人でやるゲームで、紙で出来た盤面は一見将棋状だが、敵陣と味方の陣地の二つに分かれていて、そこが左右にある二本の橋で繋がっている。敵陣に突入するにも撤退するにも、その橋を通らねばならず、ゲーム進行上非常に重要な拠点であった。
 この映画でも、一本の橋の奪い合いがストーリーの中心を占める。時は第二次大戦末期。ライン河にかけられた橋のほとんどはドイツ軍が爆破してしまい、残るはレマゲン鉄橋のみ。それを爆破せんとするドイツ軍と、爆破を防いでレマゲン鉄橋からドイツ中心部へ侵攻しようとする連合軍の激しい戦いである。
 しかも、ドイツ軍側の現地指揮官クルーガー少佐(ロバート・ヴォーン)は、まだ敵陣に取り残された7万余のドイツ兵を味方陣地に逃すためにギリギリまで爆破を行うなとの密命を受けている。このロバート・ヴォーンが良い。登場シーンはドイツ将校の軍服にちょっと傾けた制帽、レイバンのサングラスとむやみにニヒル。爆破失敗の罪に問われて最後は銃殺されてしまうが、そこで劇中何度も登場した金のタバコ入れの存在が上手に使われている。
 ドラマ部分で良いのはそこぐらいか。ホテルの少年が連合軍軍兵士を撃ち殺し、そして自分も撃ち殺されてしまうシーンはありきたりでどうってことないし。何しろ監督が『キングコング』(1976)や『タワーリング・インフェルノ』のジョン・ギラーミンだ。ドラマ部分をちゃんと描けと言うのは、カバに空を飛べというようなものだ。
 しかめっ面をしていれば戦争の悲劇を描くと勘違いした人間側と違って、軍用車両を中心とした兵器関係の迫力は強い。トラックの荷台部分の車輪をキャタピラにしたハーフトラックや、戦車、装甲車、ジープ、小銃、拳銃、パンツァーファウスト(対戦車用グレネードランチャー)などなどが映画を彩る。飛行機の爆撃で地面に大穴が開いてしまい、戦車が通れないのでその穴を埋めるブルドーザーすら軍用色の軍仕様だ。
 戦車なんぞが、古い街並みをキャラキャラとキャタピラの音を立てながら進む。古い建物や立派なレンガ塀などを平気でぶち壊しているが、再開発計画で取り壊しが決まっている建物とかなのだろうか。
 戦車なども、実際に当時使われていたタイプなのだろうか?もしそうなら軍事マニア垂涎なのかもしれない。爆撃のシーンでは普通は突然地面が爆発するが、この映画はちゃんと爆弾が降ってくるからな。
 ただ、個人的には「本物を使っているからすごい」とは別に思わない。「やはりCGを使っていない戦争のシーンは迫力が違う」という人もいるんだろうが、CGを使っていない戦闘シーンも本当の戦闘をやっている分けじゃなくて、あれこれ段取りしてカットも割って、撃つのも当然空砲で、着弾点に火薬を仕込んでタイミングを合わせて爆発させているだけ。つまりは嘘の戦闘シーンなんだから、それにもう一つCGという嘘が加わったぐらいなんてことない。映画はどん欲で、なんでも飲み込んでいく物だ。
 ドイツ軍人だけしかないシーンでも会話は英語。「変だ、おかしい、間違っている」ととやかく言う人もいるだろうが、英語圏向けに作った映画だからこれでいいのだ。もちろん、ドイツ語で会話させて字幕を入れても良し。観客に通じればそれでいいのだ。

B000I2IZBQ.jpg『ファイナル・オプション』(1982) WHO DARES WINS 125分 イギリス

監督:イアン・シャープ 製作:ユアン・ロイド 製作総指揮:クリス・クリサフィス 原作:ジェームズ・フォレット 原案:ジョージ・マークスタイン 脚本:レジナルド・ローズ 撮影:フィル・メヒュー 音楽:ロイ・バッド
出演:ルイス・コリンズ、ジュディ・デイヴィス、リチャード・ウィドマーク、ロバート・ウェッバー、エドワード・ウッドワード、トニー・ドイル、ケネス・グリフィス、イングリッド・ピット、ロザリンド・ロイド、ポール・フリーマン、モーリス・ローヴ

 イギリス陸軍にはSAS(Special Air Service)という特殊部隊がある。特殊任務が専門で、主に対テロ活動に就くことが多い。アメリカのデルタフォースやアメリカ警察のSWAT、日本大使館占拠事件でのペルー軍特殊部隊などもSASから大きな影響を受けている。日本警察のSATも一応そうなんだが……
 そのSASがテロリストが政府高官を人質にとって立て籠もったアメリカ大使公邸に突入する、約5分間、実質では3分ほどが最高の見せ場となっているのがこの『ファイナル・オプション』である。原題の『WHO DARES WINS』は「挑んだ者が勝つ」というSASのモットーだとか。
 1970年代末から1980年代前半に製作された人気TVドラマシリーズ『特捜班CI☆5』の監督イアン・シャープと出演のルイス・コリンズが組んで作ったということだが、こちらは観ていない。なんでも刑事ドラマだそうだが、「暴力には暴力で戦い、善良な人々を暴力から守れ!」「CI☆5は、国民を守るためには手段を選ばない」と『西部警察』もびっっくりのド派手で無茶な展開だったそうだ。ただしアクションにはこだわりを持っていて、出演者はあらかじめSASに体験入隊して射撃訓練などを受けたとか。おそらく、その頃の事から『ファイナル・オプション』の発想が浮かんだのだろう。
 娯楽優先だった『特捜班CI☆5』に対し、『ファイナル・オプション』はリアリティ重視で物語が進む。地味といえば地味。普通のアクション映画ならば、長丁場の銃撃戦となる人質奪還突入作戦も、最初に言ったようにわずか数分で終わる。
 SASの隊員がヘリで公邸の屋上に着地するとロープで各階の窓まで効果。窓を突き破って中に突入し、テロリストを射殺して排除。部屋にフラッシュバン(閃光と爆音を発する小型爆弾で、物的被害はないがパニックに陥ってテロリストは数秒の間行動不能になるという)を投げ込み、突入と一つ一つクリヤしていく。鍵がかかって開かない丈夫な扉は、ショットガンで上下の蝶番を吹き飛ばして突入する。なんか、突入してばかりだが、一気に突入、短時間でテロリストを排除し、人質の安全を確保するのが任務なので、時間をかけてしまうと急襲の利が無くなってしまう。
 ハリウッドアクションや一時の香港アクションに慣れていると、この淡々とした戦闘シーンには一種の衝撃を受ける。ただ、全部が全部こんなアクションだとつまらないんで、個人的にはごくたまにぐらいでOK。
 SASの隊員は作戦実行時にパッケージのようなガスマスクを付けている。他の映画で特殊部隊が目出し帽で活動するシーンもあった。ガスを避けるためというのもあるが、人相がバレないようにするというのも大きな目的らしい。作戦終了後は通常の軍隊や警察に任せてさっさと撤退してしまうのも、その理由の一つとか。テロリストを相手に戦う仕事だから、素性が知れてしまうと本人だけではなく家族親族を狙われてしまうので、匿名性は大事なのだ。2005年のロンドン爆弾テロ時にSASの隊員がTVのインタビューに出演していたが、もちろん素顔を隠していた。軍の中からトップクラスの者だけが入隊テストを許され、入隊後の訓練も過酷で有名なSASだが、普段の生活も一般の人の生活を送ることは出来ないのだろう。自分の夫や父がいつ死ぬか分からないわけで、家族の生活も悩みの多いことだろう。
『特捜班CI☆5』を観ていないので、主演のルイス・コリンズの顔も分からず、あまり見かけない顔ばかりの中で米国務長官役でリチャード・ウィドマークを見つけた時は嬉しかった。
 DVDは大手メーカーではなく、映画データベースサイト“allcinema”を運営する株式会社スティングレイが発売している。(amazon経由で購入することも出来る。)
 スティングレイは映画好きの集まりなのだろう。あまり数が売れるとは思えない『ファイナル・オプション』だが、新録の日本語吹替が収録されている。ルイス・コリンズ役は『特捜班CI☆5』と同じく若本規夫。リチャード・ウィドマークは大塚周夫(チャールズ・ブロンソンの吹替で有名)と豪華キャスト。もちろん字幕もしっかりしている。ユニバーサルも少しは見習って欲しいものだ。そういえば、以前はスティングレイが出していて現在は版権消失のため廃盤となった1973年のオリジナル版『ウィッカーマン』のDVDがユニバーサルから発売されるが、どんな出来になっているのだろうか。また翻訳ソフト(しかも出来が悪い)で直訳したようなでたらめ字幕になってそうで、映画の内容よりもむしろそっちが怖い。

B00078RU5S.jpg『地球最後の男』(1964) THE LAST MAN ON EARTH 86分 イタリア/アメリカ

監督:シドニー・サルコウ、ウバルド・ラゴーナ 製作:ロバート・L・リッパート 製作総指揮:サミュエル・Z・アーコフ 原作:リチャード・マシスン 脚本:ウィリアム・レイセスター、フリオ・M・メノッティ 撮影:フランコ・デリ・コリ 音楽:ポール・ソーテル、バート・シェフター
出演:ヴィンセント・プライス、エマ・ダニエリ、ジャコモ・ロッシ=スチュアート、クリスティ・コートランド、フランカ・ベットーヤ

 朝、一人の男(ヴィンセント・プライス)が目を覚ます。家の中にいるのは彼一人。表に通じる扉を開けると、そこにはニンニクの束がと鏡がぶら下がっている。通りには、夜の間にお互いに殺し合った連中の死体。家の中だけではない。世界にいるのはもはや彼一人。
 連中はニンニクの匂いを嫌い、鏡で自分の顔を見ることが出来ない。知能はほとんどなく、日光を嫌い日中は建物の中などに隠れている。男は手製の木の杭で連中を見つけ次第殺して延々と燃え続ける火葬場の炎の中に放り込む。ただ一人、黙々と作業を続けるヴィンセント・プライスが渋い。
 主演のヴィンセント・プライスはホラー映画で有名な人だから、当然これは吸血鬼映画だと思うだろう。しかし、彼が3年前を回想するシーンからこれはSF映画だと明らかになる。
 原作はリチャード・マシスンの『吸血鬼』(原題『I am Legend』)の映画化。小説の原題から分かるだろうが、ウィル・スミス主演の『アイ・アム・レジェンド』の第一回映画化作品だ。第二回目がチャールトン・ヘストン主演の『地球最後の男 オメガマン』で『アイ・アム・レジェンド』は三回目。
 回想シーンで、吸血鬼だと観客が思っていたのはある細菌に冒された患者で、男は菌に耐性があったので生き残ったのだと分かる。なんでも南米で吸血コウモリに噛まれたことがあって、そのコウモリが弱った菌を持っていてそのため抗体が出来たのではないかというのが、細菌学者である男の出した推論だ。
 無人の街で必死で生存者を捜しながら、患者を見つけると杭で刺し殺す。この無人の街は早朝や人気のない場所を巧みに利用して撮られたものだろう。低予算映画だろうから、『アイ・アム・レジェンド』のように大規模な交通規制などに大金を使ったとは思えないが、その光景が感じさせる終末は決して引けを取っていない。映画は金じゃない。もちろん、金はあった方が良いが、それよりも工夫が大事。頭の使いようだ。
 登場するのは男一人だけ。だからといって静かなままでは困るので、男の内心の声がモノローグとして聞こえてくる。これで主人公が何を考えているか、何をしているのかが分かるが、あまりスマートな方法とは言えない。そこで、『地球最後の男』ではほんの数分しか登場しない犬を、『アイ・アム・レジェンド』では冒頭から登場させて、ウィル・スミスが一人言を語る相手として処理している。誰もいないのに一人言を言っているとちょっと危ない人だが、犬相手ならばそれなりに自然だ。
 もはや、世界中で感染せずに生きているのは自分だけだと思った男の前に、日中だというのに一人の女性が現れる。だが、女は細菌を完全に駆逐は出来ないが、日中でも行動しまともに思考できる様になるワクチンを注射した元感染者だった。このワクチンは定期的に注射しなければならず、切れてしまうとまた発症して普通の感染者に戻ってしまうのでワクチン無しでは生活できない。元感染者たちは次第に数を増やし、文明を取り戻し始めている。
 それを聞いて喜んだ男だが、女は「あなたが殺してきた感染者には私たちの仲間が多く含まれている。襲ってきては杭を打った死体を残していくあなたは“伝説”として怖れられている。私たちは新しい人類だ。非感染者のあなたを仲間にすることは出来ない」
 まさに『地球最後の男』であるし、『I am Legend』である。自分が正義だと思っていたのが、実は悪でしかも新しい社会が作られることを妨害していた。その新しい社会に自分を受け入れてもらうことも出来ず、元の社会を取り戻すことも不可能。元感染者の武装集団に追われ、教会に逃げ込む男。男を見る元感染者の目は恐怖を湛えている。
 そしてその夜、地球最後の“男”が死んだ。

B00169ZDPG.jpg『ダイナソーフィールド SATURIKUSHA』(2007) SUPERGATOR 91分 アメリカ

監督:ブライアン・クライド 製作:ロバート・ポルガー 製作総指揮:ロジャー・コーマン 脚本:ブライアン・クライド、フランシス・ドール、ジェフリー・スタージェス 撮影:アンドレア・V・ロソット、ロバート・シューメイカー 音楽:デーモン・エブナー
出演:ブラッド・ジョンソン、ケリー・マクギリス、ビアンカ・ローソン、ジョン・コルトン

『クローバーフィールド HAKAISYA』をもろにパクッた邦題だが、内容はまったく関係ない。
 ハワイの某火山島。火山はここ500年ほど噴火を起こしておらず、今では人気のあるリゾート地だ。しかし、どうも噴火の兆候を表せているということで火山学者とその助手たちが火口を目指す。ところが、ある生物学者が7500万年前の化石に含まれた遺伝子から甦られた太古ワニ“SUPERGATOR”が実験所がから逃げだし、人々を食い始める。化石から取り出した遺伝子ってところで「おいおい」だが、そんな些細なことを気にしている場合ではない“SUPERGATOR”のGATORはアリゲーターのゲーターだろうから、超ワニ?
 とにかくこの脚本家、スーパーゲーターに人を食わせることしか頭にないらしく、あまり工夫もないまま食ってくって食いまくる。火山調査隊がスーパーゲーターの存在を知ったり、仲間を食い殺されるなどして心理的同様や人間関係の不和が生じるなど発展させようはいくらでもありそうだが、そんなことは無視して食う。
 撮影にきていた二人組のグラビアアイドルとカメラマンの内、カメラマンとグラビアアイドルのお一人は食われてしまい、生き残ったピンクのビキニのグラビアアイドルは豊満なオッパイを揺らせながら裸足で必死に逃げる。
 一方、新種のヤクを探しに森に来た二人組の馬鹿とその子分のちょっと頭が足りないデブが登場するが、馬鹿たちは食われてしまい、デブだけなんとか逃げ延びる。そして後のシーンで、大木の陰に隠れたところでグラビアアイドルとデブが出会い、「これは、普通ならば巡り会わない二人が危機を乗り越えて恋に落ちるのだな」と思ったら、次の瞬間には食われている。おいおい。
 スーパーゲーターは基本的にCGで描写されている。座っていた男の頭を一瞬で食いちぎるのもCG。だが、口だけの実物大模型も使われていて、スーパーゲーターに下半身からガブガブと噛みつかれ飲み込まれるシーンもある。血糊が妙にリアルでこっちの方が怖い。
 もう、火山噴火などどうでも良くなってきて、スーパーゲーターの出現を人里に伝えに行くが、ちょうどポリネシアンショーの開催日で観客が大勢集まっている。主催者は「ハワイにワニなんかいないよ。これ以上とやかくいうなら警察を呼ぶぞ」とまるで取り合ってくれずショーは予定通りに執り行われる。頭が固いオヤジだが、よくよく考えてみればこれが普通の反応。
 スーパーゲーターを退治するため生物学者に雇われて、猛獣狩りの専門家が登場する。この手の専門家は『アリゲーター』のヘンリー・シルヴァなどの様にほとんど役に立たないものだが、この男はなかなか頼りになる。
 オープニングは川で泳いでいる若い男女。女性が一瞬水に引き込まれてあれっ?てな顔をするが、次の瞬間には完全に引き込まれて水が血で染まる。どっかで観たなもなにも『ジョーズ』のオープニングだ。終盤になると、ポリネシアンショーで小型火山を演出するためにガスボンベがいくつか映し出される。これで結末は想像が付くが一応人を食わせること以外も考えてたのか、脚本家。
 製作総指揮がロジャー・コーマン。まだ元気にしてたか。ケリー・マクギリスの名前もずいぶんと久しぶりに見かけた。『刑事ジョン・ブック 目撃者』や『トップガン』ではハリソン・フォードやトム・クルーズの相手役だったんだがなぁ。

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