『地下室のメロディー』(1963) LA MELODIE EN SOUS-SOL 121分 フランス
監督:アンリ・ヴェルヌイユ 脚本:アンリ・ヴェルヌイユ、アルベール・シモナン、ミシェル・オーディアール 撮影:ルイ・パージュ 音楽:ミシェル・マーニュ
出演:ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、ヴィヴィアーヌ・ロマンス、モーリス・ビロー、ジャン・カルメ
五年ぶりに出所したジャン・ギャバンが自宅に帰るために乗った列車から物語は始まる。
「俺はどこそこへキャンプに行ったんだぜ」
「私なんかギリシャ旅行だよ。ローン支払いでだがね」
他の乗客たちの会話にギャバンは加わることなく、ただ聞いているだけ。
ローンで旅行だ?そして帰ってきたらまた仕事に追われるのか?小市民め、俺はそんなのまっぴらだ。そこで大金を奪って楽隠居する腹づもり。懲役を終えても、まるで反省していない。
そして、自宅で帰りを待っていた妻を気遣う暇もなく、次の仕事に取りかかる。リヴィエラのあるカジノは売り上げを地下金庫に保管している。バカンスシーズン終わりにはなんと10億フランが入っており、それを掻っ攫おうというのだ。しかし、ギャバンも年だ。そこで刑務所で知り合った若いチンピラに連絡を取り仲間にする。このチンピラがアラン・ドロン。
アラン・ドロンをカジノ近くのホテルに金持ちの青年として送り込む。最初は今一つ様になっていなかった高級仕立てのスーツや、ダンヒルのライターなどが次第に似合ってくる。この演じ分けがなかなか見事。
チンピラ本人もすっかり役になりきって増長してくるが、最後の最後になって怖じ気づく。しょせんチンピラはチンピラ。プロの犯罪者になるには腹が据わっていない。そしてアラン・ドロンが取った行動がラストシーンへとつながっていく。
ジャン・ギャバンは歩く“フィルム・ノワール”。コートに帽子姿で歩いているだけで渋い。前半の計画を練っている様子が実に腕利きの犯罪者を感じさせる。ラストのアラン・ドロンとジャン・ギャバンの対比が見せてくれる。
モノクロの映像がストーリーを引き立てている。鏡を有効に使うシーンがいくつもあり、画面作りはかなり計算されているようだ。肝心の強奪シーンは意外と適当な手法で、綿密な計画の割には行き当たりばったりだが、サスペンスやミステリーではなく犯罪映画だからこれでいいのだろう。
気になるのは女性の登場人物。演じる女優さんは綺麗なんだが、存在感があまり感じられず、人間と言うよりも物的な扱い。若くない女性はというと、口やかましい妻や母親ばかりで、家庭に入った女性は厄介者でしかない。男の映画だってのは分かるが、魅力的な女性が出てこないのは残念。アラン・ドロンが計画のためにたらし込むカジノの踊り子などもっと使いようがあっただろうに、もったいない様に思う。
オープニングタイトルで流れるジャズは有名な曲らしい。その他にもジャズが何曲もかかって、シーンとは合っているが、オレには音楽がちょっとうるさすぎ。
ラストシーンの意味?犯罪は引き合わないとか、悪党が勝っては倫理上困るとか、なんとかかんとか理屈はいくらでも捻り出せそうだ。しかしアンリ・ヴェルヌイユがプールの水面一杯に浮かぶお札が撮りたかっただけだ、とオレは思う。あの画に理屈はいらないよな。