『アポカリプト』(2006) APOCALYPTO 138分 アメリカ
監督:メル・ギブソン 製作:メル・ギブソン、ブルース・デイヴィ 製作総指揮:ヴィッキー・クリスチャンセン、ネッド・ダウド 脚本:メル・ギブソン、ファラド・サフィニア 撮影:ディーン・セムラー プロダクションデザイン:トム・サンダース 衣装デザイン:マイェス・C・ルベオ 編集:ジョン・ライト 音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:ルディ・ヤングブラッド、ダリア・エルナンデス、ジョナサン・ブリューワー、ラオール・トゥルヒロ、モリス・バード、ヘラルド・タラセナ、ルドルフォ・パラシオス、フェルナンド・エルナンデス
栄光のマヤ文明も衰退の時を迎えつつあった。だが、都市部から離れた森で狩りをして暮らすインディオたちには関わりのないことだった。
しかし、ある日、彼らの村を敵が襲い、男は太陽の神への生け贄として、女は奴隷として連れ去られてしまう。
密かに妻と子を井戸に隠した主人公は、生け贄から逃れ一路村を目指すが、敵が後を追ってくる。最初は逃げる一方だった主人公だが、狩りのスキルを利用して、生き残るための戦いを始める。
主人公が追われる側のマンハンント映画としては面白い。罠を仕掛けて敵を倒す様はランボーのようだ。
だが、これがマヤ文明末期を描いた映画と考えると、メル・ギブソンの姿勢には疑問が残る。
冒頭のクレジットで「文明は内部から崩壊する」といった文面が出てくる。
そして、首都では堕落した人々が、異教の神に生け贄を捧げている。
こんな糜爛振りでは、国民の支持を失って滅びても無理がないというのだ。
だが、異教の神といっても、それはキリスト教徒から見ての異教。マヤ人にとってはれっきとした彼らの正当なる神だ。
確かに、当時のマヤ文明が衰退していたのは事実だ。だが最終的にマヤ文明を滅ぼしたのは白人の侵略者ではないか。
それでいて、初めてマヤを訪れた白人の船の上陸船には、これ見よがしに宣教師を乗せているのを映している。
これは、娯楽映画の名を借りた、白人による異文明侵略の正当化である。
『パッション』などを撮っていたのだから、メル・ギブソンは自分が何をやっているか明確に理解したはずである。「娯楽映画だから、そんな細かいことを気にするな」と言われるかも知れないが、無知から作られた認識の不足ではなく、自分が撮っている物を理解しているのだから気になる。
英語を一切使わず、全て現地語で撮るというこだわりを持つが、これは白人キリスト教徒向けの映画だから、さして意味がない。
それどころか、「異教徒に、俺たちの言葉である英語を使わせてたまるか」という深読みすらしてしまう。