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『ショーシャンクの空に』 残酷さの欠如

B000IU4MVU.jpg『ショーシャンクの空に』(1994) THE SHAWSHANK REDEMPTION 143分 アメリカ

監督:フランク・ダラボン 製作:ニキ・マーヴィン 製作総指揮:デヴィッド・レスター 原作:スティーヴン・キング 脚本:フランク・ダラボン 撮影:ロジャー・ディーキンス 美術:テレンス・マーシュ 音楽:トーマス・ニューマン
出演:ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン、ウィリアム・サドラー、ボブ・ガントン、ジェームズ・ホイットモア、クランシー・ブラウン、ギル・ベローズ、マーク・ロルストン、ジェフリー・デマン、ラリー・ブランデンバーグ、ニール・ジュントーリ、ブライアン・リビー、デヴィッド・プローヴァル、ジョセフ・ラグノ、ジュード・チコレッラ、ポール・マクレーン

 多くの人がすでに観ているだろうからストーリーについては特に触れない。
 ただ、この映画ってそんなに「傑作だ、傑作だ」と騒ぐほどの出来だろうか?
 せいぜい良作・佳作ぐらいが妥当な評価だろう。

 何が力不足かといって、この作品が監督デビュー作となるフランク・ダラボンの演出力の甘さだ。『ブロブ 宇宙からの不明物体』の脚本を書いていた頃は良かったんだが、監督としては残酷さが足りない。
 胸がつらくなるような残酷さを秘めた原作を甘々な感傷的な映画に貶めてしまった。残酷さはいくらでもあるじゃないかと言うだろう。だが、それは所長や看守側、そしてホモ囚人たちの暴力による残酷さだ。オレが言っているのはアンディを始めとする主人公側の残酷さだ。
 作中に若い囚人としてトニーという男が出てくる。この男はアンディに勉強を教えてもらいついには高校卒業資格まで取る。このトニーがアンディの無実を示す鍵を握っていたのだが、所長はそれを認めない。そしてトニーをどうしたかというと、映画では脱走に見せかけて射殺してしまう。そして小説では、トニーと取引してその件は内密にするという条件で、ショーシャンク刑務所よりもより待遇が良く、更正プログラムもしっかりした刑務所に移してしまう。
 アンディに散々世話になっておきながら、自分の得になることを優先させて裏切ってしまうトニー。これにはトニーが女房と小さな子を持っていて、早く刑務所から出てまともな家庭を築きたいという理由があったにしろなんとも残酷だ。
 そしてアンディも残酷である。映画では所長の汚職を新聞社に伝えて警察が逮捕に向かう。所長は逮捕寸前に拳銃自殺してしまうのだが、原作では銀行口座からありったけの金を引き出して逃げてしまうだけで通報はしない。所長は脱獄騒動の数ヶ月後には辞職し、その後の一生を抜け殻のようになりながら「なぜこうまでしてやられたのだろうと」悩み続ける。こっちの方がずっと残酷だ。
 所長側=悪、アンディ側=善といった単純に二分しているのが気にくわない。

 ひたすら努力して、いや執念といった方が良いだろう、ひたすら穴を掘り続けた男の物語。そこに安易に感動を持ち込んでしまったのがフランク・ダラボンの敗因だ。
 刑務所の中にフィガロの結婚が鳴り響き、運動場の囚人たちが空を見上げるシーンで、この映画はすでに脱獄物でも刑務所物でもなく、単なるファンタジーとなってしまった。

 ほとんど女性が登場しない中、原作のタイトルである『刑務所のリタ・ヘイワース』のリタ・ヘイワースなどの女優のポスターが、時と共にマリリン・モンローなどに変わっていくことで時が流れ時代が変わったことを表しているし、なによりも大きな鍵を隠している。その点は秀逸。

 まぁそれなりの良作ではあると思う。だが結局は凡作だ。どうあがいたところで傑作にはなれない。

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