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2007年03月 アーカイブ

2007年03月02日

『キャッツ・アイ』 その猫は見ていた

B000FCUY18.jpg『キャッツ・アイ』(1985) CAT'S EYE 90分 アメリカ

監督:ルイス・ティーグ 製作:マーサ・J・シューマカー、ディノ・デ・ラウレンティス 共同製作:ミルトン・サボツキー 原作:スティーヴン・キング 脚本:スティーヴン・キング 撮影:ジャック・カーディフ 音楽:アラン・シルヴェストリ
出演:ジェームズ・ウッズ、ドリュー・バリモア、アラン・キング、ケネス・マクミラン、ロバート・ヘイズ、キャンディ・クラーク、ジェームズ・ノートン

 スティーヴン・キング原作・脚本による3本のエピソードから成るオムニバス映画。一匹の猫が目撃する奇妙で怖ろしい物語だ。ジャケットの写真だと猫が襲ってくる映画に思えるが、猫は目撃者かつ物言わぬ語り手である。
 猫は登場するなり泥まみれのセントバーナードに追われる。犬の名はやはりクジョーだろうか。そして赤いプリマスに轢かれそうになる。こちらはもちろんクリスティーン。自分で脚本を書いているだけにやり放題だ。

 1本目は禁煙を成功させる会社と契約した男(ジェームズ・ウッズ)が味わう恐怖の物語。その会社はどこからか主人公を監視していて、もしもタバコを一本でも吸おうものなら、家族に電気ショックなどの危害を加えるというのだ。
 最初は家族のためなら止められるさと考えているが、ヘビースモーカーだっただけについついタバコに手が伸びてしまう。そんな彼を止まらせるのは、夜の内に床に付いていた謎の足跡や、家の前を革靴でジョギングする怪しげな男など。
 タバコ吸いたさのあまりパーティの席上で見る幻覚まで見る始末。
 オレはタバコを吸わないので禁煙しようと思っても失敗してしまうというつらさは分からないんだが、やはり難しいそうだ。
 去年のタバコが値上げされたときも、「値段が上がったら禁煙するよ」と言っていた人が相変わらずまだ吸っている。
 最後はダイエットを成功させる話へとつながる。こちらはよく分かる。
 主人公が禁煙のイライラをテレビで放映していた映画に当たり散らす。その映画は『デッドゾーン』だ。「脚本が悪い」とか言ってるが、これはキングの本音か?
 ゾッとするオチも決まっている。

 2本目は大富豪の若い奥さんと浮気したテニスプレーヤーが高層ビルの最上階の外壁を一周させられる話。主人公のテニスプレーヤーは『フライングハイ』シリーズのロバート・ヘイズだ。
 巣を作っている鳩や突風など普段ならどうってことない物が難関となって襲いかかる。
 本当に、ただビルの外壁を一周するだけの話なのだが、これがハラハラドキドキの緊張感に溢れたエピソード。大富豪の憎らしさもいい。

 ここまでは超自然現象(スーパーナチュラル)なしで来たが、3本目はSFXを駆使したダークファンタジーになる。
 旅を続けて様々な事件を目撃した猫が、ある女の子(ドリュー・バリモア)に拾われる。だがその子は小鬼(ゴブリン?)に狙われていて、夜になる毎に口から精気を吸われている。
 母親は猫が娘に悪さをしていると思いこみ、保健所に連れて行ってしまう。このままでは自分も薬殺され、女の子の身も危ない。がんばれ猫!
 でもって、母親がベッドで読んでいる本は『ペット・セメタリー』のハードカバーだったりする。あまり夫婦のダブルベッドで、それも就寝前に読む本じゃない気もするが。

 小鬼の大きさはせいぜい30センチぐらい。主にモンスタースーツ(着ぐるみ)で演じられている。もちろん身長30センチの人はいないので、代わりにスケールアップした巨大なセットを作っての撮影だ。小柄な160センチぐらいの人が演じるとすると、実物の5倍ちょっと大きくしたセットを作ればいい。
 セット撮影と女の子や猫の実写映像との合成も上手くて、小鬼がまるで本当にいるみたいだ。

 全編、特に3本目のエピソードでは猫の出番も多い。この猫がちゃんと芝居をしているのがすごい。犬に比べると猫に芸を仕込むのは難しそうだ。

 スケールの大きな話はないが、しっかりしたエピソードが順番よくまとまっていて日本未公開だったのが不思議だ。

2007年03月03日

『スタンド・バイ・ミー』 半ズボンで駆けずり回っていたあの頃のオレに

B000IXYY2E.jpg『スタンド・バイ・ミー』(1986) STAND BY ME 89分 アメリカ

監督:ロブ・ライナー 製作:アンドリュー・シェインマン 原作:スティーヴン・キング 脚本:レイノルド・ギデオン、ブルース・A・エヴァンス 撮影:トーマス・デル・ルース 音楽:ジャック・ニッチェ
出演:ウィル・ウィートン、リヴァー・フェニックス、コリー・フェルドマン、ジェリー・オコンネル、キーファー・サザーランド、ジョン・キューザック、リチャード・ドレイファス、フランシス・リー・マッケイン

 スティーヴン・キング映画といえばホラーというイメージを覆し、多くの人に感動をもたらしたのがこの『スタンド・バイ・ミー』だ。
 主人公はスティーヴン・キングが作り上げた架空の田舎町キャッスルロックに住む4人の少年たち。木の上に作った小屋に集まっては大人ぶってタバコを吸いながらトランプをして遊んでいる、学校の教師から見たらちょっと問題のある子供たちだろう。
 4人の中でも一番メインなのは優等生で小説を書くのが趣味のゴーディ(ウィル・ウィートン)だ。パイ食いコンテストがゲロ吐き大会になってしまう悪趣味な物語を書くゴーディは、キング自身がモデルだろう。
 ゴーディが一番信頼している友人クリスを演じたのは今は亡きリヴァー・フェニックス。アル中の親父に暴力を振るわれ、そのせいかどこか醒めたところがあり悪ぶっている。4人の中でひときわ輝く存在感があり、早すぎた死が惜しまれる。もしも今でも生きていたとしたらどんな俳優になっていただろうか。
 テディはノルマンディ上陸作戦で戦ったが、その後精神に異常をきたしたという父を持つ少年で、本人も激しやすくすぐにカッとなる性格だ。演ずるのは当時の人気子役コリー・フェルドマン。
 そして太っちょで頭の回転もちょと鈍目なバーン(ジェリー・オコンネル)。
 このバーンが行方不明になっている少年が、列車に撥ねられてその死体が森の中で野ざらしになっていると話を持ち込んだことから、少年たちのちょっとした冒険旅行が始まる。

 映画のタイトルはオールディーズの名曲から取った『スタンド・バイ・ミー』という甘めなものだが、原作のタイトルは『THE BODY』つまり『死体』である。違うのはタイトルだけではなくて、原作にはもっと毒があるし残酷でもある。
 その辺りを上手くカットして、ゴーディとクリスに焦点を当てた物語にしたのは正解だろう。テディとバーンが当時のヒット曲『ロリポップ』を歌っている後ろで、ゴーディとクリスが将来について真剣に語り合っているシーンなどが印象的だ。

 1970年代後半、愛知県半田市の山を削って作られた新興住宅地で小学校時代のオレは育った。
 今の半田市立図書館が建っている場所から西側はまだ開発されておらず、山と田んぼと畑しかなかった。泊まりがけの冒険まではいかないが、しばしばその山に「探検だ~」と友達と入っていっては駆けずり回った。まだ半ズボンを穿いていた、冬でも半ズボンで過ごしていた頃の話だ。
 木に登ったり、田んぼ脇の用水路でメダカを追いかけた。野いちごを取って食べたりして、夕方になるまで遊び回った。
 さすがにゴーディのように鹿を見たことはないが、雉の親子は時折見かけた。一度は真っ白なウサギが広場を駆け抜けていったが、あれは野ウサギではなく誰かが放した物だろう。
 愛知県半田市といえば『ごんぎつね』を書いた新美南吉の出身地だ。一度キツネを見かけたことがあって、みんなで興奮して「キツネだ」「ごんぎつねだ」と言い合ったが、今にして思えばやせ細った野良犬だったのかもしれない。あの頃はまだ野良犬が普通にいた。

 あの山はとうに宅地開発されて今では家や店が建ち並んでいる。小学校時代の友人とはその後進学して行くにつれて縁がなくなり、連絡も取ることが無いままだ。今どこにいて何をしているのかも分からない。
 でもま、元気でやってるんだろうなと思う。

2007年03月04日

『地獄のデビル・トラック』 祝!スティーヴン・キング初監督作

g10.jpg『地獄のデビル・トラック』(1986) MAXIMUM OVERDRIVE 98分 アメリカ

監督:スティーヴン・キング 製作:マーサ・シューマカー、ミルトン・サボツキー 原作:スティーヴン・キング 脚本:スティーヴン・キング 撮影:アルマンド・ナンヌッツィ 音楽:AC/DC
出演:エミリオ・エステヴェス、パット・ヒングル、ローラ・ハリントン、イヤードリー・スミス、ジョン・ショート、J・C・クイン、ジャンカルロ・エスポジート、スティーヴン・キング

 ついにキング自身がメガホンを撮った!
 駄作だと思われがちですが、これはホラー映画じゃありません。バカ映画にしてコメディ映画だからこれでいいのです。
 銀行のATMでお金をおろそうとして画面に「YOU ARE ASSHOLE」と表示され、「何じゃこれ?」と首をかしげているスティーヴン・キングのアップがオープニング。観てるこっちが「何じゃこりゃ?」ですが、コメディだと思えばそれも納得。
 跳ね上げ橋が操作もしていないのに勝手に持ち上がり、境目から落ちるトラックの映像がスロー。スローかよ、わはは。そしてトラックの荷台から飛び散るスイカ、スイカ、スイカ。滑り落ちるバイクライダーもスロー。

 巨大彗星の尾に地球が飲み込まれ、その影響か機械類が意志を持って勝手に動き出し人間を襲う。中でも目立つのはタイトルにもなっている大型トラックの集団。そしてドライブインに立てこもった人々が主人公となって物語は進む。
 主人公はオレの好きなエミリオ・エステヴェス。ひねくれて反抗的な目つきが魅力的だ。普段はドライブインの調理人だが、事件が起こればご都合主義で地下から大量に出てきた武器を使ってトラックを吹き飛ばしたり、下水管の中をクソまみれになって這いずり回る大活躍。爆発するトラックはもちろんスロー映像だ。
 ちなみにキング原作の『デッドゾーン』と『炎の少女チャーリー』に出演しているマーチン・シーンは実の父親で、チャーリー・シーンは弟である。

 少年野球チームのコーチが、試合に勝ったご褒美に子供たちにジュースを買ってやろうとすると、自販機の取り出し口から缶ジュースが勢いよく飛び出してコーチの股間を直撃する。笑う子供たち。
 次は苦痛に身をかがめたコーチの腹部に一撃。そしてついに膝をついたコーチの額に命中しボコンと陥没する。さすがに何事かとざわめく子供たちに向かって自販機がジュースを乱射。バタバタと倒れていく子供たち。
 そんな中、後で主人公たちに加わる少年はキャッチャーマスクで身を守る。笑って良いのかちょっと迷うがやはり笑う。自転車で逃げようとした友達はローラー車にプチッと押しつぶされる。さすがキング、子供にも容赦しない。

 ラストは字幕で事の顛末が語られる。
「地球の衛星軌道上に大型UFOがいて、それを発見したロシアの“気象衛星”がたまたま持っていた核ミサイルで撃破した。そして彗星の尾から地球が出ると事件は治まったのである」
・・・何じゃそりゃ。でもって大爆笑。

 ちなみに映画館で観ました。青春時代の忘れられない思い出である。

2007年03月06日

『バトルランナー』 捏造テレビにみんなが夢中

B00005G0J6.jpg『バトルランナー』(1987) THE RUNNING MAN 101分 アメリカ

監督:ポール・マイケル・グレイザー 製作:ティム・ジンネマン、ジョージ・リンダー、ロブ・コーエン 原作:スティーヴン・キング(リチャード・バックマン名義) 脚本:スティーヴン・E・デ・スーザ 撮影:トーマス・デル・ルース、レイナルド・ヴィラロボス 音楽:ハロルド・フォルターメイヤー
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、マリア・コンチータ・アロンゾ、ヤフェット・コットー、リチャード・ドーソン、ジム・ブラウン、ジェシー・ヴェンチュラ、アーランド・ヴァン・リドス、マーヴィン・J・マッキンタイア、プロフェッサー・トオル・タナカ、バーナード・ガス・レスウィッシュ、ミック・フリートウッド、カレン・リー・ホプキンス、スヴェン・トールセン、エディ・バンカー

 近未来のアメリカ。そこは政府と軍隊によって厳しく抑圧された管理社会であっった。そしてテレビによって情報管理され、市民はテレビが垂れ流す嘘八百の内容を信じ操られていた。
 ニュースは政府の都合の良いようにねじ曲げられ真実は報道されず、人々は従順な子羊のように従うだけだった。
 一部の者が反政府地下組織を作り抵抗していたが、力不足で政府を転覆するどころかテレビネットワークの中継基地の在処さえ分からない有様だった。
 テレビ番組の中でももっとも人気のある番組が、犯罪者ランナーとなってハンターと戦い勝ち残ったらその罪を許されるという『ランニング・マン』だった。
 主人公のベン・リチャーズ(アーノルド・シュワルツェネッガー)は警察のヘリ搭乗員だったが、無実の市民を大量虐殺せよとの命令に逆らって犯罪者となり、大量殺人犯の汚名を着せられ『ランニング・マン』に出場することとなった。
 決死の戦いを続けながらハンターを倒していき、そしてフィールド内にあった中継基地を発見する。これを利用して真実を民衆に知らしめることができるのか。

 監督のポール・マイケル・グレイザーはどこかで聞いた名だと思ったら、『刑事スタスキー&ハッチ』のスタさんだった。スタさんだということで甘めに点を付けても演出の凡庸さはどうしようもない。
 アイススケート男やチェーンソー男、火炎放射器男などの「ふざけとんのか」的なハンターが次々と襲いかかってくるが、全盛期のシュワルツェネッガーを前にしては物の数ではない。なんてったってプレデター相手に素手で勝った男だぜ。

 ゲームで勝利したランナーは恩赦を受けて無罪となりハワイで安穏と暮らせるということになっていたが、過去に勝利したランナーは地下の部屋でミイラになって見つかる。勝っても自由になどなれないのだ。
 そしてゲームが進む内にハンターではなくベンに感情移入をする人が出始め、貧民街の闇ギャンブルでもベンに賭ける人が続出する。
 焦ったテレビ局側は全てを嘘で塗り固めようとするが・・・

 大衆がテレビに熱中し、それに洗脳されてしまう。フラストレーションを暴力的なゲーム番組で解消するというのはこれまでになかったパターンだ。
 ハンターが殺した別の男をCGでベンの顔に入れかえた捏造映像で番組を終わらせようとするが、スタジオにベンや地下反抗組織の連中が乗り込んでくる。
 追い詰められた番組の司会者は言う。
「たかがテレビ番組じゃないか。視聴率がすべての世界だ。この半世紀、大衆はテレビに従い、食べ、飲み、暮らしてきた。アメリカ人はテレビの好きな国民なんだよ。我々はそれを与えてやってる。それでトップ番組になった」

 テレビは娯楽と報道のトップで、そこに映し出される映像はすべて真実。その映像を利用して人々の食や流行などを作り操ってきた。視聴率こそすべて、そのためならば捏造なんか当たり前だ。CGでの顔の差し替え、不正確な字幕、いい加減な吹替、手抜きの実験データ、結果の捏造。納豆?どうせみんなすぐに忘れるさ。どれもこれも視聴率のためならば当たり前だ。

 近未来のアメリカ人はテレビの嘘に気づいた。さぁ、我々はどうする?

2007年03月07日

『クリープショー2/怨霊』 2はやめましょう、2は

B00005TOP1.jpg『クリープショー2/怨霊』(1987) CREEPSHOW 2 92分 アメリカ

監督:マイケル・ゴーニック 製作:デヴィッド・ボール 製作総指揮:リチャード・P・ルビンスタイン 原作:スティーヴン・キング 脚本:ジョージ・A・ロメロ 撮影:ディック・ハート トム・ハーウィッツ 音楽:レス・リード
出演:ロイス・チャイルズ、ジョージ・ケネディ、ドロシー・ラムーア、トム・サヴィーニ、ドメニク・ジョン、フランク・S・サルシード、スティーヴン・キング

 1982年製作『クリープショー』が帰ってきた。その名も『クリープショー2/怨霊』、そのまんまなタイトルである。
 監督がジョージ・A・ロメロからマイケル・ゴーニックに変更。そして脚本がスティーヴン・キングからジョージ・A・ロメロに。このスタッフの変更が吉と出るか凶と出るか。

 前作では120分で全5話のオムニバスだったが、今回は92分の全3話と短くなった。一気に観るにはこれぐらいの方が肩が凝らなくて良い。もちろん、物足りないと感じる人もいるだろう。
 監督のマイケル・ゴーニックは『ゾンビ』などの撮影をやっていた人でロメロの仲間のようだ。この作品以外にも何本か監督をやっているが、あえて述べるほどの実績は上げていない。
 ロメロの脚本もキングのそれと比べると悪趣味さと笑いが薄れて全体的に単調だ。

 3エピソードの中で1番面白かったのが、第2エピソードの『殺人いかだ』。
 もう9月になり遊泳シーズンが終わった頃に、二組の男女が池に泳ぎにやってくる。池にはいかだ(raft)が浮かんでいて、彼らはそのイカダまで泳ぎ上に上がる。
 気がつくとイカダの回りを油のようなゴミのかたまりのような謎の物体がうろついている。正体不明のその物体は水に入った者を飲み込み食ってしまう。
 いかだの上にいる限りはひとまず安心だ。だが通りから外れたこの池に人がやってくるとも思えず、助けは見込めない。体力や睡眠のことを考えるといつまでも立ち続けていられるわけでもない。さあどうする。
 ラストが原作とは違う物に置き換えられていて、ホラーではありきたりの手法だがホッとしたところでドッキリさせられた。テレビサイズの画面ではなく映画館で観たのでビクッと飛び上がってしまった。

 第1エピソードは雑貨屋の夫婦が惨殺され、その仇をある物が取るといった内容。雑貨屋主人のジョージ・ケネディが渋い。

 ラストエピソードは誤ってヒッチハイカーを轢き殺してしまった金持ちの女性がゾンビと化したそのヒッチハイカーに追い回されるだけの話。
 ベッドで男女が寝ているシーンから始まるが、ヘッドボードに置かれた本がスティーヴン・キングの『IT』だ。日本のハードカバーは上巻下巻に分かれていたが、あちらでは全1巻で出たようだ。広辞苑のようにひたすら分厚い。あれで殴ったら人死ぬぞ。
 キング自身は轢き逃げ現場に出くわすトラックの運転手。こういう役似合うなー。

 オープニングとエンディング、そしてエピソード同士を繋ぐパートが雑誌『クリープショー』ファンの少年のアニメーションで作られているが、前作よりも質が落ちるし、ドラえもんの出してくれた未来兵器でジャイアンやスネ夫を殺しまくるのび太って感じのラストもちょっと後味も悪い。

2007年03月08日

『ペット・セメタリー』 悪鬼になっても生き返って欲しい

B000FQ5G94.jpg『ペット・セメタリー』(1989) PET SEMATARY 103分 アメリカ

監督:メアリー・ランバート 製作:リチャード・P・ルビンスタイン 原作:スティーヴン・キング 脚本:スティーヴン・キング 撮影:ピーター・スタイン 音楽:エリオット・ゴールデンサール
出演:デイル・ミッドキフ、デニース・クロスビー、フレッド・グウィン、ブラッド・グリーンクイスト、ブレイズ・バーダール、ミコ・ヒューズ、スティーヴン・キング、マイケル・ロンバード

 派手な特殊メイクなどのSFXが登場するわけではない。悪魔やモンスターなどが登場するわけでもない。だというのにこの怖さはどうだ。キング映画でもっとも怖ろしいのがこの『ペット・セメタリー』ではないだろうか。

 原作はスティーヴン・キングの小説『ペット・セマタリー』だ。作中に登場する動物の墓地の看板が子供が書いたために綴りを間違えて「PET SEMETARY」とすべきところを「PET SEMATARY」と書いてあったのだ。この子供が自分のペットを埋めに来る墓地というのが意味を持つので原題も小説版の邦題もあえて『ペット・セマタリー』となっているが、映画の邦題は正しい綴りに合わせて『ペット・セメタリー』にしたようだ。
 そのため、原作のファンから映画会社に「なんでペット・セマタリーからペット・セメタリーに変えたんだ。セメタリーじゃダメだ」とクレームの電話がかかってきて散々責めたりー(セメタリー)されたかもしれない。

 大都会シカゴから医師の家族が田舎に引っ越してくる。家族構成は夫の医師ルイスと妻のレイチェル、そして女の子のエリーと弟のゲイジの4人家族だ。
 家の前の道路は大きな会社が近くに出来て以来、大型トレーラーの通り道となってしまった。その道路の向かいに住む老人ジャドと親しくなる。
 ルイスの家の横を通る細い脇道を行くとペットのための墓地がある。整備された物ではなく、子供たちが自分らで作り、自分のペットを自分で埋めてきた墓地だ。
 ある日、エリーのペットである猫のチャーチが夜の間に車に轢かれて死んでしまう。ジャドはチャーチの遺骸とシャベルをルイスに持たせると、ペット・セマタリーよりもっと奥へと入っていき、大昔にミクマク族というネイティブ・アメリカンが使っていた墓地へと案内する。その土地は腐ってしまったとミクマク族が捨て去ってしまったその土地に遺骸を埋めると生き返って自分の所に戻ってくるというのだ。
 半信半疑ながらもルイスはチャーチを埋める。そして翌朝、確かにチャーチは帰ってきた。だが、性格がどう猛になり臭くて以前のチャーチとはどこか違っていた。
 そして運命の日。目を離したすきにゲイジが道路に飛び出してトレーラーに轢かれて死んでしまう。思い悩んだあげく、ルイスはゲイジの墓を掘り返し、遺骸を取り出すと、ミクマク族の捨て去った土地へと向かう。

 自分の愛するまだ幼い息子を不慮の事故で亡くしてしまった悲しみと、目を離してしまったという自分の咎。それらが誤った行いだと知りながらもルイスを墓地へと向かわせる。
 そしてゲイジは帰ってくるが、チャーチの場合と同じく、いやそれ以上にゲイジは変わっており、小さな殺人鬼となっていた。
 やってはいけないと知りつつも禁忌に手を伸ばしてしまう悪魔のささやきや、見た目はそのままでも人殺しを遊びとして楽しむ化け物になってしまった実の息子を、「自分で墓に埋めたらそれは自分の物だ」の言い伝え通り自分で始末する残酷さ。オレには子供がいないが、いる人が観たらもっと怖ろしい映画だろう。
 視覚的恐怖よりもストーリーや描写からくる心理的恐怖の強い作品だ。

 演出は無難といったところ。ルイスの葛藤があまり上手く描かれていないので、単にホラー映画によく出てくる「勝手な行動を取って事態を悪化させてしまう奴」に見えてしまうのが残念。妻レイチェルの過去もあまり意味を成していない。
 事態の悪化を防ごうと主人公に助言してくれる幽霊は良い奴。結局役には立たなかったが。
 スティーヴン・キングは家政婦の葬式のシーンで牧師役で登場。

2007年03月09日

『ミザリー』 あなたのナンバーワン・ファンなの

B000KGGBS4.jpg『ミザリー』(1990) MISERY 108分 アメリカ

監督:ロブ・ライナー 製作:アンドリュー・シェインマン、ロブ・ライナー 原作:スティーヴン・キング 脚本:ウィリアム・ゴールドマン 撮影:バリー・ソネンフェルド 音楽:マーク・シェイマン
出演:ジェームズ・カーン、キャシー・ベイツ、ローレン・バコール、リチャード・ファーンズワース、フランシス・スターンハーゲン

 スティーヴン・キングがマーク・デービッド・チャップマンによるジョン・レノン殺害事件をヒントに書き上げた小説が原作。チャップマンのメモにキングの名前もあったと聞いた記憶があるが、調べた限りではそのような事実はなかった。

 ロマンス小説で有名なポール・シェルダンという小説家が、そのロマンス小説からの脱皮を目指して山荘で新作を書き上げ、その帰り道で吹雪に遭いくるまが事故を起こしシェルダンは両足の複雑骨折など大怪我を負い意識も失ってしまう。
 再び目を覚ましたときはベッドの上で、傷も手当てされていた。彼を助け出し治療をしたのは肥満気味で中年の元女性看護師で名前をアニーと言った。ここは町から離れた農家で、町までの道は雪で閉ざされ電話も普通になっていると彼に告げる。そして彼のナンバーワン・ファンだとも。彼女はミザリーの熱狂的なファンだったのだ。
 献身的にシェルダンの介護をしてくれるアニーだが、彼女からはどこか不安定な物を感じる。それが明らかになるのはミザリーシリーズの新刊として発売された『ミザリーの子供』を彼女が読み終えたときだった。シェルダンはミザリーシリーズを完結させるために作品の最後でミザリーを殺したのだが、それが彼女の怒りに触れたのだ。
 彼女はすでに熱狂的ファンの仮面を外し狂信的ファンとなっていた。

 助けの来ない孤立した家で狂人に監禁されてしまう。その狂人は時に愛情を示したと思えば、次の瞬間には怒り狂っている。足の骨折のため歩くこともまま成らず、アニーが留守にしている間に車椅子で家の1階部分を調べるのがやっとだ。そしてシェルダンはアニーが心底イカれている証拠を見つける。このままでは自分の命も危ない。
 目を背けたくなるような残酷な描写は一ヶ所だけだが、ほとんど密室劇とも言えるこの映画全体を狂気が支配している。
 タフガイな男性的俳優ジェームズ・カーンが一人の中年女性によって完全に支配権を握られまさに手も足も出ないという皮肉さ。監禁事件は悲しいことに時折発生するが、他人に生命与奪権をを奪われ自由を失ってしまっては、人格を破壊されて洗脳状態になってしまうかもしれない。
 州警察がシェルダンは雪に埋まって死んだ。捜索は雪が溶けてからと結論づけた中、田舎町の保安官だけは地道に捜査を続ける。この老保安官のリチャード・ファーンズワースが実に良い味を出しているのだが、あの最後はないよな。

 監督のロブ・ライナーは同じくキング原作の『スタンド・バイ・ミー』を手がけた男。この作品では自らが主催する映画製作会社『キャッスルロック・エンタテインメント』として製作も手がけている。この『キャッスルロック』はもちろん『スタンド・バイ・ミー』で主人公の少年たちが暮らしていた架空の町キャッスルロックである。
 脚本家はベテランにして実力派のウィリアム・ゴールドマン。ロブ・ライナーとはすでに『プリンセス・ブライド・ストーリー』で一緒に仕事をした仲で、最近では『アトランティスのこころ』や『ドリームキャッチャー』でキング作品の脚本を手がけている。
 原作本のハードカバー版『ミザリー』のカバーを外すとちょっとしたおまけがある。文庫版は知らないが。

2007年03月10日

『スティーヴン・キング/地下室の悪夢』 時給2倍じゃ引き合わない

B00005HQ0X.jpg『スティーヴン・キング/地下室の悪夢』(1990) GRAVEYARD SHIFT 87分 アメリカ

監督:ラルフ・S・シングルトン 製作:ウィリアム・J・ダン、ラルフ・S・シングルトン 製作総指揮:ボニー・シュガー、ラリー・シュガー 原作:スティーヴン・キング 脚本:ジョン・エスポジート 撮影:ピーター・スタイン 視覚効果:アルバート・ホイットロック 音楽:アンソニー・マリネリ、ブライアン・バンクス
出演:デヴィッド・アンドリュース、ケリー・ウルフ、スティーヴン・マック、ブラッド・ドゥーリフ

 田舎町に古びた紡績工場があった。
 ネズミが大量にはい回る地下室にたった一人で深夜勤務をする職員が、度々事故にあったり行方不明になっていた。
 そして工場が休みになる独立記念日の週を利用して地下室を大がかりに清掃することとなった。独立記念日は7月4日と暑い盛りなので昼間ではなく夜から明け方の勤務だ。
 消防車のような放水ホースで地下室を洗い流していく内に、さらに下の階へと通じる落とし戸が見つかる。ドラクエなどのRPGならば「チャラララ~」と音楽が鳴るシーンだ。
 工場長もその存在を知らなかった地下二階へと進んでいく作業員たちをモンスターが待ちかまえていた。

 軽食堂や埃まみれネズミだらけの工場地下室を舞台にアメリカのプアホワイトの様子が描かれる。キングの小説は成功した大金持ちよりも中流や下流階級の人を主人公にした物が多いが、これもその一つだ。
 地下二階が迷宮のようになっていて大量の人骨が山となっているが、あれはそれまでに工場から行方不明になった人たちの物だろうか。100人分はゆうにありそうだ。
 そして唐突にモンスターが現れる。巨大なコウモリに似たそいつが作業員に襲いかかり一人また一人と殺していく。ネズミが突然変異したのか、悪魔の手先なのか。このモンスターの正体が何なのかは最後まで不明なままだ。
 とにかくいろんな謎が出てくるが、ほぼ未解決なまま映画は終わる。原作の短編小説はもっと投げっぱなしだが。

 全体的に掘り下げが浅くて、モンスターに怖ろしさをあまり感じないし、それ以上に主人公たちの性格設定が中途半端で深みがない。大学出であちこちを渡り歩いては仕事に就いている主人公や、傲慢で思いやりのない工場長などもったいない使われ方だ。
 ホラー映画としても平凡で魅力に欠ける。

2007年03月12日

『IT/イット』 少年時代の約束を果たすために彼らは再び集まる

B000FQW0AC.jpg『IT/イット』(1990) IT 188分 アメリカ

監督:トミー・リー・ウォーレス 製作:マシュー・オコナー 原作:スティーヴン・キング 脚本:ローレンス・D・コーエン、トミー・リー・ウォーレス 撮影:リチャード・レイターマン 音楽:リチャード・ベリス
出演:リチャード・トーマス、アネット・オトゥール、ジョン・リッター、デニス・クリストファー、ハリー・アンダーソン、ティム・カリー、オリヴィア・ハッセー、リチャード・メイサー、ティム・リード、ジョナサン・ブランディス、ブランドン・クレイン、アダム・ファライズル、セス・グリーン、ベン・ヘラー、エミリー・パーキンス、マーロン・テイラー、メリリン・ガン

 188分と長い作品だ。劇場用映画ではなく上下2話に分かれたテレビ用映画である。その長さでも原作の大筋をなぞっただけで終わり。原作の『IT』はこりゃもう長い。
 大学卒業後に1ヶ月ほどフリーな時期があったので、原作の『IT』を買ってきた。ハードカバーで分厚い上に、文字がびっしりと詰まっている。毎日毎日朝から夕方まで読む日を続け、1週間がかりでようやく読み終えた。いや、1週間というのはさすがに記憶が大げさに誇張されているのだろう。実際は6日間ぐらいだったに違いない。って、ほとんど変わんねーよそれ。
 とにかく面白くてその日のどこで打ち切るかが大変だった。

 30年前、メイン州の呪われた町デリーでは子供たちが次々と消え去る事件が発生していた。その犯人はピエロの格好をしたペニーワイズというモンスターであると気づいた7人の子供たちがいた。それぞれに吃音(どもり)、喘息、肥満、近眼、黒人、ユダヤ人、父親から虐待されている女の子といった具合に、弱点やコンプレックスを抱えた子供たちだった。
 町の下水道に潜り、そこで出会ったペニーワイズこと「それ」(IT)にパチンコで銀の弾をぶつけてペニーワイズは傷を負って下水の奥へと逃げ去る。
 7人は誓いを立てた。「もしもまたITが戻ってきたら、デリーに戻ってみんなで集まろう」と。
 そして現在、またデリーで子供が相次いで行方不明になる事件が発生していた。ただ一人デリーに残った黒人のマイクは、町を出て行ってそれぞれに成功しているかつての友人たちに電話をかける。
「またITが現れた」と。

 前半は少年時代に彼らが出会い結束を深めていく様子に、30年後の成功した彼らにマイクから電話がかかってきてデリーへと旅立つシーンがインサートされる形で、構成として面白いし成功もしている。
 少年時代の彼らは『スタンド・バイ・ミー』に似ている部分がある。主人公的存在が物語を作るのが好きな作家志望の少年で、現在では実際にホラー小説家として成功しており、キング自身の姿を投影してもいるのだろう。
 それぞれにコンプレックスを抱えており、不良などからいじめられてもいるのだが、そんな彼らが友達になっていき、ついには不良を追い返すことも出来るようになる。7人揃ってラッキー7だ。
 そんな彼らにITは恐怖を感じたのか、彼らを怯えさせるべく脅しをかけてくる。
 洗面台の排水口から血があふれ出し、しかもそれは彼らにしか見えない。
 学校の地下室で狼男と出会う。
 そして学校のシャワー室で一人シャワーを浴びていると、いくつもあるシャワーのノズルがどんどん伸びてきて襲いかかる、などなど。
 個人的に好きなのは、ラッキー7が古い写真を見ていると、その写真の映像が動き出し、奥の方からペニーワイズが近づいてきて彼らを脅すシーン。

 後半は彼らがデリーに帰ってきてITと再び対決するまでが描かれる。
 ITのことを忘れかけていたり、恐怖でデリーから帰ってしまおうとする彼らを、ITが様々な手で脅す。
 ペニーワイズはITの手足的存在で実体を持たず様々なところに現れる。ITを倒すにはその本体を殺さなければならない。再び結束した彼らは下水道のもっとも奥へと進み、そこでモンスターITと対決する。
 このITが唐突かつ出所不明な巨大なカニ+エビもどき。なんでデリーにいたのか、何者なのかという問いには、キングの他作品同様に明確な答えはない。あえていうならばデリーが呪われた町だからだろう。

 主人公の少年時代を演じたジョナサン・ブランディスは後に自殺してしまった。美少年で、成長したらさぞ美形俳優になっただろうが残念なことである。
 眼鏡をかけ冗談が得意な少年リッチーを演じていたのは、子役時代のセス・グリーン。劇中何度かメガネを外すシーンがあるので素顔を確認できるが、なるほど確かにセス・グリーン。

 NHKの衛星放送では2カ国語で放送されたが、DVDは英語音声のみ。権利問題などがあるのだろうが、せっかく日本語吹き替え音声があるのだから、ぜひとも収録してもらいたいところ。

2007年03月14日

『ブロス/やつらはときどき帰ってくる』 安らかに眠ってられないやつらがいる

B00005H4AS.jpg『ブロス/やつらはときどき帰ってくる』(1991) SOMETIMES THEY COME BACK 97分 アメリカ

監督:トム・マクローリン 製作:マイケル・S・マーフィ 原作:スティーヴン・キング 脚本:ローレンス・コナー、マーク・ローゼンタール 撮影:ブライアン・イングランド 音楽:テリー・プルメリ
出演:ティム・マシスン、ブルック・アダムス、ロバート・ラスラー、クリス・デメトラル、ロバート・ハイ・ゴーマン、ウィリアム・サンダーソン、ニコラス・サドラー

 キングの短編小説の映画化。前回の『IT/イット』のおそよ1/40か1/50ぐらいの長さだろうか。やはり短編の方が映画向きだ。だからってこいつが良作って訳ではないが。

 少年時代に、列車トンネルの中で不良にナイフで兄を刺し殺され、その直後に不良たちは車ごと汽車に跳ね飛ばされて死ぬ。
 そんなトラウマを持つ教師が事件のあった小さな田舎町に20数年ぶりに妻と息子を連れ職を求めて戻ってくる。町の高校に採用された彼は、どうやら前にいたシカゴの学校で暴力事件か何かを起こした様子。でもそれなりに今の学校でフットボールチームの選手など問題児を相手にがんばっている。
 そんな中、彼の担任クラスの生徒が一人事故死する。代わりに転入生が配置されるが、その転入生は彼の兄を殺した不良の一人だった。20数年前と同じ姿に戸惑う主人公だが、事件はそこで終わらずに今度は女生徒が自殺に見せかけて殺される。そしてまた新たなる転入生がやってきた。

 主人公に恨みを持つ不良たちが一人また一人と現世に甦ってくる。だからタイトルは『SOMETIMES THEY COME BACK(やつらはときどき帰ってくる)』だ。
 生徒たちが殺される事件では明らかに主人公が疑われるべき要素が多いので、そのため警察に疑われるとか、校長からしばらくの間自宅謹慎を命ぜられるなどがあるかと思ったが、あっという間に犯人は主人公以外の誰かと判明して自由の身。
 不良たちの運転する車が主人公と犠牲者以外には見えないという設定は面白いのだが、あまり有効に活用されないままなのが残念だ。
 ストーリー的には原作とかなり異なっていて、生徒が一人死ぬ毎に不良が一人生き返ってくるところぐらいで、エンディングもハッピーエンドの映画に比べて原作では主人公はほぼすべてを失ってしまった上に含みを持たせた終わり方だ。どちらがキングっぽいかといえば、当然だが原作の方である。
 不良たちがなぜ甦ってきたかについてまるで説明がないのもキング風。

2007年03月15日

『スティーブン・キングのゴールデン・イヤーズ』 あの日に帰る

B00005LQ0Q.jpg『スティーブン・キングのゴールデン・イヤーズ』(1991) STEPHEN KING'S GOLDEN YEARS 238分 アメリカ

監督:ケネス・フィンク、アレン・クルーター、マイケル・ゴーニック、スティーヴン・トルキン 製作総指揮:リチャード・P・ルビンスタイン、スティーヴン・キング 原案:スティーヴン・キング 脚本:スティーヴン・キング、ジョセフ・アンダーソン 撮影:アレックス・ネポンニアシー 音楽:ジョー・テイラー
出演:キース・ザラバッカ、エド・ローター、フランシス・スターンハーゲン、フェリシティ・ハフマン、R・D・コール、ビル・レイモンド、スティーヴン・キング

 原作小説はなく、キング原案・脚本で製作されたテレビ用映画。エンドクレジットを観ると、どうも前中後の3部に分かれていて、キングは前・後編の脚本を担当した様子。制作面だけではなく、シカゴ行きバスの運転手としてちょこっと出演もしている。

 政府組織、主に陸軍が主体となって秘密の研究を行っている会社があった。主人公はそこで掃除夫として働いている老人のハーラン。ある日、粒子加速器の実験中に事故が起き、ハーランは爆風に含まれていた緑色の粉を浴びてしまう。そしてその時から、彼は日に日に若返っていくのであった。
 その事実を知った“ショップ”は腕利きのエージェントであるアンドリュースを送り込んでくる。このままではハーランやその妻ジーナの身が危ないと、現場の女性警備主任と将軍(エド・ローター)が彼らを脱出させシカゴへと向かう。
 そんな中、太陽が西から昇り一日が遡っていく現象が起きる・・・

 なにはともあれ238分は見応えがあった。せめて2日に分けてみるべきだったろう。極端に深刻なシーンや残酷なシーンはないのでラストまでついつい観てしまった。
 粒子加速器で行っていたのは生物の再生に関する実験で、傷を癒やしたり、損傷した部位を復活させるためのものだった。緑色の粉末はハーランの体組織に影響して老化した部分を再生させていったようだ。
 と思っていたら時間の逆行現象が起きたり、ハーラン夫妻の娘はシカゴで合流して一緒に行動していたはずなのにいつの間にかいなくなっている。ラストはピカピカッと緑の光が満ちあふれて、なんだこりゃと思っていたらなんかそのまま終わり。えっ、終わり?まぁキングらしいといえばキングらしい終わり方ではある。

 SF的要素に冒険小説的テイストを合わせて、そして軸となるのは70歳のハーランとジーナの老夫婦によるロマンス。結婚しておよそ50年になるという設定だが、こうなると一人でいたときよりも二人になってからの方が倍以上長い。この頃の夫婦間の愛情というのは、結婚当初、10年目、20年目とどのように変わってくるのだろうか。この作品では変化はしてきても基本的には結婚当初に近い部分は残っているようだ。ベッドで寝ているときにハーランが「踊るかい?」とジーナに持ちかけるがどうも性交渉のことを言っているようで、ジーナも応じている。老人と性についてもちらりと描かれている。個人差もあるんだろうが、性欲ってのはいくつぐらいまであるんだろうね。

 善玉、悪玉ともに魅力的なキャラクターが揃っている中、騒動の大本であるイカれた科学者が単なるマッドサイエンティストで終わっているのが残念だ。ある夜にとっくに死んだ父親の墓へとやってきて、その前で幼児退行したスタイルで「父さん、父さん」と呟きながら寝てしまうシーンがあるので、ファザーコンプレックスの持ち主ではあるようだが詳細は不明。父親を甦らせようと企んでいたのではと思うのだが。

 デスクワーク専門で規律にうるさい小太りな少尉(だったかな)が、騒動に巻き込まれていく内に少しづつおかしくなっていく。「トン、トン、トン」などと意味不明なことを言ってたかと思うと最後は大声でわめきだしてついには警官に射殺されてしまう。キング的な登場人物だ。

 ハーランの妻ジーナを演ずるフランシス・スターンハーゲンは『ミザリー』(1990)に続いてのキング作品出演となる。オープニングでは特別出演といったような扱いだったが、全編を通じて登場。
 若い側も老人側も、女性の活躍が目立つ作品であった。

2007年03月16日

『バーチャル・ウォーズ』 世界中で一斉に電話のベルを鳴らしてやる

B00005H93C.jpg『バーチャル・ウォーズ』(1992) THE LAWNMOWER MAN 109分 アメリカ

監督:ブレット・レナード 製作:ジメル・エヴェレット 製作総指揮:エドワード・シモンズ、スティーヴン・A・レイン、ロバート・プリングル、クライヴ・ターナー 原作:スティーヴン・キング 脚本:ブレット・レナード、ジメル・エヴェレット 撮影:ラッセル・カーペンター 音楽:ジョン・ワイマン
出演:ピアース・ブロスナン、ジェフ・フェイヒー、ジェニー・ライト、マーク・ブリングルソン、ジェフリー・ルイス、ジェレミー・スレート、ディーン・ノリス

 キングの短編は短編といいつつも長めな作品が多いが、『バーチャル・ウォーズ』の原作となる『芝刈り機の男』(『トウモロコシ畑の子供たち』収録)は18ページちょっとのれっきとした短編。長編の映画化は上映時間の関係で色々難しいが、これならば大丈夫。
 しかし、完成した映画を観てキングは激怒した。それは原作の内で使われているのは警官同士の会話のみ。残りはすべて監督にして脚本も担当したブレット・レナードの作り出したサイバーパンクワールド。
 でも、意外に面白いんだな、これが。

 全体的には『アルジャーノンに花束を』をサイバーパンクでやっている感じ。この頃流行のヴァーチャル・リアリティが大きな役割を果たす。
 主人公のピアース・ブロスナンはヴァーチャル・リアリティ技術を利用してチンパンジーの知能を高める実験をしている科学者だ。ある薬品と組み合わせて脳の特定の部位を活性化させるのだ。
 そして科学者は芝刈りの助手として生計を立てている知恵遅れの青年にその実験を応用してみる。すると、小学生低学年程度の知能しかなかった青年の脳はみるみる成長し、知能も上がった。
 そこに目を付けた政府機関“ショップ”が薬とヴァーチャル・リアリティ・プログラムを書き換えて、彼に兵士としての闘争心と残忍さを植え付ける。そのせいで青年の心は歪んでいくが、同時に脳の古い部分を刺激することでテレパシーやテレキネシスなどの超能力を身につける。
 最終的に青年は肉体を捨て去り、研究所のメインフレームコンピューター経由で世界中のネットワークにプログラム人格として乗り込み、すべてのネットワークを通じて人類を支配しようと試みる。

『探偵レミントン・スティール』は観ていなかったので、この作品や同年の『ライブワイヤー』などで初めてまともにピアース・ブロスナンの姿を見た。これが次期007候補で結局TVとの契約関係でダメだったやつかと思っていたら後にボンド役に抜擢された。しかし、大作よりもちょっとB級的な娯楽作の方がこの人には合っている。
『バーチャル・ウォーズ』でも意味なく上半身裸で胸毛と腹毛を出してタバコを吸うのが色んな意味で様になっている。

 1980年後半にウイリアム・ギブソンの小説などによってSF界にサイバーパンク・ムーブメントが起こったが、映画で本格的にサイバーパンクに取り組んだのは『バーチャル・ウォーズ』ではないかと思っている。
 確かに使われているCG、特に神父が燃え上がるシーンは炎や水の表現はかなり難しいとはいえ時代を感じさせる。ヴァーチャル・リアリティという言葉自体が古びてしまって「使うと恥ずかしい」というレベルだ。
 しかし、サイバーパンク小説でコネクターや薬物を用いてコンピューターやネットワークの中に人格を投影させてしまうシーンは多いが、それを商業映画でやったのはこの作品が始めてではないだろうか。
 今でこそ『攻殻機動隊』や『マトリックス』シリーズのおかげでネットワーク上の人格という物も理解されやすくなってきたが、当時は思うような評価は得られなかっただろう。

2007年03月17日

『スリープウォーカーズ』 猫まっしぐら

B000BVVFLG.jpg『スリープウォーカーズ』(1992) SLEEPWALKERS 89分 アメリカ

監督:ミック・ギャリス 製作:マーク・ヴィクター、マイケル・グレイス、ナビール・ザヒド 製作総指揮:ディミトリ・ロゴセティス、ジョセフ・メダウォー 脚本:スティーヴン・キング 撮影:ロドニー・チャーターズ 音楽:ニコラス・パイク
出演:ブライアン・クラウズ、メッチェン・エイミック、アリス・クリーグ、ジム・ヘイン、シンディ・ピケット、ロン・パールマン、ライマン・ウォード、ジョン・ランディス、ジョー・ダンテ、クライヴ・バーカー、トビー・フーパー、スティーヴン・キング、マーク・ハミル

 原作小説はなく、キングが映画専用に書き下ろした脚本によって製作された。
 前年のテレビ映画『ゴールデンイヤーズ』もキング脚本だったが、あれだけ次から次へと小説を発表していながらよくもまぁ時間があるもんだ。書くのが好きで好きでしょうがないんだろうな。「作家はつねに書く」っていうし。

 スリープウォーカーズとは人間と猫との間に生まれた亜人間種族。人間の精気を吸い取ることで生きている。吸血鬼ならぬ吸精鬼だ。先祖に猫がいるのに弱点が猫というイマイチ訳の分からない設定だ。拳銃で撃たれようがワインのコルク抜きで目をえぐられようがさほど堪えていないのに、猫に飛びかかられて引っかかれると致命傷になってしまう。それも霊的に選抜された特別な猫でもなんでもないそこらの猫。

 舞台は例によって田舎町。そこに引っ越してきた親子の正体がスリープウォーカーズである。息子は高校に通って母のために優れた精気を持った少女を捜す。そして見つけた少女に彼は引かれてしまうのだが、そこは母のために精気を吸わなければならない。
 好青年を演じて少女の親も信用させ、人気のない墓地へとピクニックに誘い出し隙を見て襲いかかる。ところがこれまで純情派だった少女が強い強い。格闘技を繰り出すわけではないが、1眼レフカメラで殴る、ワインのコルク抜きを目に突き立てる。そしてほっぺたをひっかく。人猫状態に変身していた青年もたじたじだ。
 すったもんだの末、親子の家に少女を拉致してくるが、その頃には町中から猫が集まって猫じゅう庭だらけ、もとい庭じゅう猫だらけ。夜の町を何十匹もの猫が失踪するシーンはちょっと見物。
 そしてモンスター対猫の戦いが始まった。保安官を始めとする人間はまるで役に立ってないぞ。

 猫が寝ている人の口から精気を吸い取るというのは同じスティーヴン・キング原作・脚本の『キャッツアイ』(1985)でも言い伝えとして登場していたが、実際にある言い伝えなんだろうか。確かに猫は魔女の使い魔だったりしてどちらかというと魔界側のイメージがある。
 しかしそれよりも、実際に猫を飼ったことのある人なら分かるだろうが、あいつらは明け方になると胸の上に乗って顔面を肉球で猫ムニムニしてくる。そのせいで早く目が覚めて睡眠不足で疲れるから、精気を吸い取られたと勘違いしたのでは?

 町から町へと渡り歩いては良質な精気を持つ親子に哀れさを感じないこともないが、近親相姦的雰囲気が感情移入を拒む。母と息子で完結した関係なのだ。

 監督のミック・ギャリスはその後何本かキング映画を手がけ、御用達監督となる。
 スティーヴン・キングは墓地の管理人役で登場。ジョン・ランディスとジョー・ダンテが写真印刷技師をして登場。ホラー作家クライブ・バーカーと『悪魔のいけにえ』のトビー・フーパーも出演しているので、探してみるのも一興だろう。

2007年03月18日

『ニードフル・シングス』 悪魔の吐く誘惑は甘い

B000666RJQ.jpg『ニードフル・シングス』(1993) NEEDFUL THINGS 120分 アメリカ

監督:フレイザー・C・ヘストン 製作:ジャック・カミンズ 製作総指揮:ピーター・イエーツ 原作:スティーヴン・キング 脚本:W・D・リクター 撮影:トニー・ウェストマン 音楽:パトリック・ドイル
出演:マックス・フォン・シドー、エド・ハリス、ボニー・ベデリア、アマンダ・プラマー、J・T・ウォルシュ、シェーン・メイア、レイ・マッキノン、リサ・ブロント

 エド・ハリスの限りない渋格好良さ、J・T・ウォルシュの小役人的憎たらしさ、マックス・フォン・シドーの邪悪な存在感。この3つでもうOK、満足だ。
 終盤でエド・ハリスがパトカーからショットガンを取り出す所などゾクッとくるね。

 田舎町キャッスルロックに骨董品店が開店する。“ニードフル・シングス(必要不可欠な品)”というその店の店主がマックス・フォン・シドー。彼はその相手がどうしても欲しいという商品を用意しては、少額の金と“ある行為”を要求した。
 1枚だけコレクションから欠けていたメジャーリーグカードを欲しがった少年からは90数セントの他に七面鳥牧場夫妻の妻に、干してあるシーツに七面鳥の糞と泥を塗りたくり、その後青リンゴをいくつも家に投げ入れガラスなどを壊した。
 この悪戯がある女性による物だと思い込んだ妻はその女性に脅しをかける。そしてついには包丁による殺し合いで二人とも死ぬ。
 キャッスルロックは人口数千の小さな町だ。エド・ハリス演ずる保安官は都会で警官をやっていたが、溢れる犯罪にうんざりして田舎町のキャッスルロックにやってきた。しかし、一見平和に見えるこの町も水面下ではささいな憎しみや衝突がいくつも存在し、決して牧歌的な町ではなかった。田舎町ほど人間関係がややこしくうっとしいところもないのだ。
 それでもそれなりに大きな事件もなく過ごしてきたが、マックス・フォン・シドーはそんな住民を甘い餌で釣って心の隙間に付け入り、憎しみや恐怖で満たしたのだ。
 マックス・フォン・シドーの正体は悪魔だが、地獄の業火を使うでもなく、町の住人に“ちょっとした悪戯”をさせることで負の連鎖を起こし、ついには町中で暴動が起こり、破滅寸前まで行く。
 あれをやったら相手がこうして、そうしたらああなって、ついには人殺しに。「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいなもんだ。あるいは“負のピタゴラスイッチ”。
 カトリックの神父とバプテスト派の牧師が殺し合いをする所など見物である。悪魔の武器が口八町というのが面白い。

 ただ、原作では心理描写が非常に重要だったので、仕方のないことではあるがその辺りはバッサリと切られていて残念。
 ラストでは悪魔と主人公エド・ハリスの対決するが、エド・ハリスが集まった住人に怒り任せで「お前らこんなことでいいのか!?」と説教することでみんな反省して解決。なんだかんだで善良な小市民に手をあげたマックス・フォン・シドーは「他にもっと良い町があるさ」と去っていく。
 あなたの町に骨董品屋が出来たらご用心を。日本の田舎でこれやられたらほんと壊滅するってと元名古屋圏住人、現在田舎在住のオレなんかは思うのである。

2007年03月19日

『ダーク・ハーフ』 俺を勝手に殺すんじゃねぇよ、ねぇちゃん

B00005HSE2.jpg『ダーク・ハーフ』(1993) THE DARK HALF 121分 アメリカ

監督:ジョージ・A・ロメロ 製作:デクラン・ボールドウィン 製作総指揮:ジョージ・A・ロメロ 原作:スティーヴン・キング 脚本:ジョージ・A・ロメロ 撮影:トニー・ピアース=ロバーツ 音楽:クリストファー・ヤング
出演:ティモシー・ハットン、エイミー・マディガン、マイケル・ルーカー、ジュリー・ハリス、ロバート・ジョイ、ケント・ブロードハースト、ベス・グラント、ルターニャ・アルダ、トム・マーデロシアン、グレン・コレリダー、チェルシー・フィールド、ローヤル・ダーノ、クリスティーン・フォレスト

『スリープウォーカーズ』のミック・ギャリスや『ニードフル・シングス』のフレイザー・C・ヘストン(ちなみにチャールトン・ヘストンの息子だそうな)も決して悪くなかったが、ジョージ・A・ロメロはやはり格が違う。日本未公開ビデオスルーだったのが不思議なぐらい良くできてるし趣きもある作品だ。

 純文学作家のポーモントは大学で講師をやりながら生計を立てている。しかし、それだけでは生活できないので『マシーンシリーズ』という暴力に溢れた大衆小説を書くことにした。対面も考えてジョージ・スタークという別のペンネームを使い、本の裏表紙にある作家の写真もタフガイっぽい別人の物を使った。
 するとジョージ・スタークの作品はバカ売れし、ポーモントは一躍金持ちになった。出す本出す本、飛ぶように売れるのだ。
 だが、ある男がポーモント=ジョージ・スタークであることをつきとめ、ポーモントを脅迫してきた。そこで、ポーモントはジョージ・スターク名義の本は一切書くのを止め、自分がジョージ・スタークだったと公表し、いわばジョージ・スタークを殺すことにした。
 ジョージ・スタークの仮面を外すことについて雑誌記事になりインタビュアーがやって来ると同時に、現地のカメラマンが彼の写真を撮った。そしてカメラマンのアイディアで、ジョージ・スタークの偽物の墓を作り、スタークを埋葬したという写真を撮った。
 そしてある日、地元のキャッスルロック警察に墓の管理人から電話がかかってくる。墓の一角に穴が掘られており、それも外から掘ったのではなく中から外へ出るために掘った穴だというのだ。
 そしてジョージ・スタークは帰ってきた。彼を殺した人間を始末し、現世に留まるために。

 ポーモントは生まれながらの二重胎児だった。もともとは双子だったのが、母親の胎内で片方がもう一方を吸収して一体となって生まれてくるというやつだ。『ブラックジャック』のピノコやホラー映画『バスケットケース』の兄弟などがそうである。
 ただし、ポーモントの場合は前二例と比べるとより吸収度が進んでいて、脳に小さな腫瘍として存在しているだけだった。そして少年時代のポーモントは腫瘍摘出の手術を受けた。手術は特に問題なく終わったが、その間際に突然何万羽ものスズメが病院の回りを飛び交った。
 ポーモントの名も無き兄弟は体から無くなったが、その魂のスペースだけは残った。そこへポーモントが自分の中にある「もっとタフになりたい。ワイルドになりたい」という欲求がジョージ・スタークという存在を生み出したのだ。つまりジョージ・スタークは彼の影の半身(ダーク・ハーフ)なのである。

 そしてついにラスト、ポーモントが残るかスタークが残るか、生き延びられるのはどちらか一人だけ。
 そして対決が始まる。拳も銃も使わぬこの決闘は、どちらがより小説を書けるかで決まる。二人が机越しににらみ合って原稿に鉛筆で文章を書き込んでいく。負ければ死。息詰まる瞬間である。

 スズメが象徴的に使われているが、これは登場する民俗学教授によると魂の水先案内人らしい。ただその連れて行く先がどこなのか、天国なのか地獄なのかは分からない。

 スタークによる殺害シーンも必要最小限に抑えて、地味だが堅実なホラーを構築している。主人公の途惑いや混乱、そして周囲の人間が時に彼を信じ時に彼を疑う心理ドラマも良い。ポーモントの妻があまりにも夫を信じすぎな面もあるが。
 スタークが凶器として使うのは、床屋で使う剃刀なのだが、よく研ぎ澄まされてきていかにも斬れそう。床屋で首元を剃ってもらうときについつい緊張してしまうのはオレだけではないはず。
 主演のティモシー・ハットンは上手いとは思うがあまり好みではない。だがキャッスルロック警察の保安官マイケル・ルーカーが相変わらずの凄みのある目つきを見せてくれる。

 スティーヴン・キング自身もリチャード・バックマンという別ペンネームを使っていたことがあった。『バトルランナー』や後日登場する『痩せゆく男』などがバックマン名義の作品だ。
 現在ではバックマンは1985年に偽名癌で死亡した事になっており、最新作の『レギュレイターズ』はその遺稿がのちに発見されたということとして発表された。

2007年03月20日

『トミーノッカーズ』 緑の森は掘っちゃいけねぇ

tommyknockersbox.jpg『トミーノッカーズ』(1993) THE TOMMYKNOCKERS 177分(120分) アメリカ

監督:ジョン・パワー 製作:ジェイン・ビーバー、ジェーン・スコット 製作総指揮:フランク・コニグスバーグ、ラリー・サニツキー 原作:スティーヴン・キング 脚本:ローレンス・D・コーエン 撮影:ダニー・バーストール、デヴィッド・エグビー 音楽:クリストファー・フランケ
出演:ジミー・スミッツ、マージ・ヘルゲンバーガー、ジョン・アシュトン、アリス・ビーズレー、ロバート・キャラダイン、ジョアンナ・キャシディ、アニー・コーレイ、クリフ・デ・ヤング、トレイシー・ローズ、E・G・マーシャル、ビル・ジョンソン

 原作を読んだときに、これは『ドリームキャッチャー』でもそうだったんだが、「キングはSF好きなんだろうけど、SFは書けない人だな」というのがオレの印象だった。『トミーノッカーズ』もSFで進んでいくんだけど、最後の1/8ぐらいからいつものキング節が冴え渡る。

 これは劇場用映画ではなくテレビ用映画なので予算も少ないせいかキャスティングも大物はいない。『ビバリーヒルズ・コップ1、2』で生真面目で小太りな中年警官をやっていたジョン・アシュトンとジョン・キャラダインの息子のロバート・キャラダイン。
 そしてこれが一番有名な人かもしれない。元ポルノ女優のトレーシー・ローズ。男をたらし込む女性郵便局長役でさすがに色っぽいわ。
 主役のジミー・スミッツは明らかにミスキャスト。あれだ、『スターウォーズ エピソード3』でレイアを引き取った人だ。アルコール依存症に悩むすっかり作品が書けなくなってしまった作家役なのだが、ロス市警の刑事だといったほうが似合う体格とゴツイ顔つき。しかも意外と明るくてポジティブであちこち走り回りやがる。そんなアル中いるか?
 DVD化はされておらずレンタルビデオのみだが、本放送は177分だったのに対しビデオは120分なので1時間近くカットされている。おそらくは人間関係の部分を中心に削られたのではないかと思う。

 物語はアメリカの田舎町。なんか毎回田舎町って書いてる気がするがそうなんだからしかたない。そこに住む女性作家が森を散策中に空き缶に蹴躓く。よくよく見るとそれは空き缶ではなく、より大きい金属の一部が地表に現れているだけだった。
 翌日から作家はシャベルを担ぐと昼間は穴掘り、夜は突然閃いて作り上げたテレパシータイプライターで眠りながら小説を書くという生活を続ける。
 おじいちゃんから「あそこはミクマク族曰く呪われた森だ」と呼ばれる西の森に遊びに行った子供は緑の光を目撃し、そして“トミーノッカーズ”からテレパシーで新しい手品の仕掛けを教えてもらうと物を消したり出したりできる装置を作り上げる。トマトやラジオを消している内は良かったが弟を消すと今度は戻ってこずに消えたままになってしまう。
 町の人々の行動は次第に奇妙になっていくが、とどめとなったのは独立記念日の花火だった。色鮮やかな花火がいつしか緑一色となり、人々は魂を奪われたかのようにそれに見入った。
 そして翌日から、町の人間が総出で森に物体を堀に行った。次第に全体が明らかになってくる物体の正体はピラミッドなのか、はたまた地球に落下した宇宙船なのか。

 緑の光を見た日から人々が声ではなくテレパシーで会話をし始めたり、何もしていないのに歯が抜けたり、肌がゆるんでくるなど共通した変化が現れる。この辺りは新しい段階への進化、あるいは人種改良という感じでSFっぽい。
 そんな中、なぜだが主人公のアル中作家など数人は影響を受けない。原作にはその理由が書いてあった気もするのでそのうち確認してみよう。ってか、本棚に行って取り出して読めば良いんだが、この映画を観た後でそんなエネルギーは残ってない。

 その森を呪われた森と呼んだミクマク族は、『ペット・セメタリー』でも名前の出てきたネイティブアメリカン。間違えて“ミグミグ族”と書いてしまいアップする前にギリギリで気がついたが、それは『魔法陣グルグル』

2007年03月21日

『ショーシャンクの空に』 残酷さの欠如

B000IU4MVU.jpg『ショーシャンクの空に』(1994) THE SHAWSHANK REDEMPTION 143分 アメリカ

監督:フランク・ダラボン 製作:ニキ・マーヴィン 製作総指揮:デヴィッド・レスター 原作:スティーヴン・キング 脚本:フランク・ダラボン 撮影:ロジャー・ディーキンス 美術:テレンス・マーシュ 音楽:トーマス・ニューマン
出演:ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン、ウィリアム・サドラー、ボブ・ガントン、ジェームズ・ホイットモア、クランシー・ブラウン、ギル・ベローズ、マーク・ロルストン、ジェフリー・デマン、ラリー・ブランデンバーグ、ニール・ジュントーリ、ブライアン・リビー、デヴィッド・プローヴァル、ジョセフ・ラグノ、ジュード・チコレッラ、ポール・マクレーン

 多くの人がすでに観ているだろうからストーリーについては特に触れない。
 ただ、この映画ってそんなに「傑作だ、傑作だ」と騒ぐほどの出来だろうか?
 せいぜい良作・佳作ぐらいが妥当な評価だろう。

 何が力不足かといって、この作品が監督デビュー作となるフランク・ダラボンの演出力の甘さだ。『ブロブ 宇宙からの不明物体』の脚本を書いていた頃は良かったんだが、監督としては残酷さが足りない。
 胸がつらくなるような残酷さを秘めた原作を甘々な感傷的な映画に貶めてしまった。残酷さはいくらでもあるじゃないかと言うだろう。だが、それは所長や看守側、そしてホモ囚人たちの暴力による残酷さだ。オレが言っているのはアンディを始めとする主人公側の残酷さだ。
 作中に若い囚人としてトニーという男が出てくる。この男はアンディに勉強を教えてもらいついには高校卒業資格まで取る。このトニーがアンディの無実を示す鍵を握っていたのだが、所長はそれを認めない。そしてトニーをどうしたかというと、映画では脱走に見せかけて射殺してしまう。そして小説では、トニーと取引してその件は内密にするという条件で、ショーシャンク刑務所よりもより待遇が良く、更正プログラムもしっかりした刑務所に移してしまう。
 アンディに散々世話になっておきながら、自分の得になることを優先させて裏切ってしまうトニー。これにはトニーが女房と小さな子を持っていて、早く刑務所から出てまともな家庭を築きたいという理由があったにしろなんとも残酷だ。
 そしてアンディも残酷である。映画では所長の汚職を新聞社に伝えて警察が逮捕に向かう。所長は逮捕寸前に拳銃自殺してしまうのだが、原作では銀行口座からありったけの金を引き出して逃げてしまうだけで通報はしない。所長は脱獄騒動の数ヶ月後には辞職し、その後の一生を抜け殻のようになりながら「なぜこうまでしてやられたのだろうと」悩み続ける。こっちの方がずっと残酷だ。
 所長側=悪、アンディ側=善といった単純に二分しているのが気にくわない。

 ひたすら努力して、いや執念といった方が良いだろう、ひたすら穴を掘り続けた男の物語。そこに安易に感動を持ち込んでしまったのがフランク・ダラボンの敗因だ。
 刑務所の中にフィガロの結婚が鳴り響き、運動場の囚人たちが空を見上げるシーンで、この映画はすでに脱獄物でも刑務所物でもなく、単なるファンタジーとなってしまった。

 ほとんど女性が登場しない中、原作のタイトルである『刑務所のリタ・ヘイワース』のリタ・ヘイワースなどの女優のポスターが、時と共にマリリン・モンローなどに変わっていくことで時が流れ時代が変わったことを表しているし、なによりも大きな鍵を隠している。その点は秀逸。

 まぁそれなりの良作ではあると思う。だが結局は凡作だ。どうあがいたところで傑作にはなれない。

2007年03月22日

『ザ・スタンド』 人類に明日はあるのか

4163193901.jpg『ザ・スタンド』(1994) THE STAND 360分 アメリカ

監督:ミック・ギャリス 製作総指揮:リチャード・P・ルビンスタイン、スティーヴン・キング 原作:スティーヴン・キング 脚本:スティーヴン・キング
出演:ゲイリー・シニーズ、モリー・リングウォルド、ロブ・ロウ、ルビー・ディー、ドリス・ロバーツ、ローラ・サン・ジャコモ、ジェイミー・シェリダン、マット・フルーワー、オシー・デイヴィス、ミゲル・ファーラー、ショウニー・スミス、キャシー・ベイツ、 エド・ハリス、スティーヴン・キング

 原作自体が辞書並みの厚さで上下巻ということもあってか、TV用映画として作られたこの作品はなんと360分もの長尺物となった。つまり6時間である。当然、テレビ放送時には何度かに分けて放送された物だが、これを2月21日の祝日を利用して一気に見た。何年か前にビデオレンタルで観たことがあり、中盤以降はあまり面白くなかったなという印象だったので、途中で停止してしまうとそのままになってしまう可能性がある。だから一気観だ。レンタル屋には字幕版しかなかったのでながら見もできない。

結論
・『ザ・スタンド』原作を読んでいない人は観るな。いまいちな印象が残って、せっかくの原作を読まないままになってしまってはもったいない。

・『ザ・スタンド』原作を読んだ人は観るな。あれだけの大作で、しかも読み応えのある作品だ。せっかっくの感想を映像版でほにゃららにしてしまってはもったいない。

 細菌兵器研究所から細菌兵器が漏れ出し、それが広まっていく序盤は面白い。
 インフルエンザに似た症状を発症して、数日で死んでしまうこの病気には「スーパーフルー」や「キャプテン・トリップス」という名前が付けられ、民間人は軍用細菌兵器であることなど知らず、今年の風邪は症状が重いなと寝込んでいる内に死んでしまう。
 小松左京の『復活の日』にも少し似た感じでスーパーフルーが世界を(といっても登場するのはアメリカだけだが)滅ぼしていく様は怖ろしい。特に自暴自棄になった人々の行動は迫真の怖さだ。
 そんなスーパーフルーに免疫力を持つ人がわずかながらにいて、黒人老婆の夢を見る者と、悪魔的雰囲気を持つ男を夢に見る者に分けられた。そして神の声を聴く黒人老婆の元へと集まったフリーゾーンのグループと、男の元に集まったラスベガスのグループの二つの派閥が出来た。
 神の側と悪魔の側はついに決戦の時を迎えるのである。

 主人公を演ずるゲイリー・シニーズやヒロインのモリー・リングウォルド(うわっ、懐かしぃ)など劇場用映画でも活躍できる人たちだから見応えはある。しゃべるとバカっぽいロブ・ロウを聾唖者役に配役することで言葉を奪ってしまったキャスティングも良い。
 ラジオのDJを演ずるキャシー・ベイツや軍の高官を演ずるエド・ハリスはゲスト出演だ。それぞれに一つのセットだけでの出演で登場時間も短い。撮影は一日以内で終わっただろう。
 製作、脚本にもキング自身が関わっているのだから、映画に出ないはずがない。フリーゾーン側の住人として登場。割と出番も長目。

 終盤の悪魔側の男が正体を現したら本当に悪魔なので笑ってしまう。
 顔が人間のそれから悪魔へとモーフィングで変わるが、監督のミック・ギャレスは同様のSFXをキング原作『スリープウォーカーズ』(1992)でもやってたな。

 最後には人類に希望を残して物語は終わる。
 徹底的にダメだという気はないが、6時間の長さの意味がない。内容的には4時間ぐらいの印象しか受けなかったが、だったら4時間でやればいい。演出側が6時間という長さを持てあましてしまっているのが最大の弱点だ。