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『ゼイリブ』 きっと奴らも溶けたチーズのような顔だ

B00008453K.jpg『ゼイリブ』(1988) THEY LIVE 96分 アメリカ

監督:ジョン・カーペンター 製作:ラリー・フランコ 製作総指揮:シェップ・ゴードン、アンドレ・ブレイ 原作:レイ・ネルソン 脚本:フランク・アーミテイジ(ジョン・カーペンター) 撮影:ゲイリー・B・キッブ 音楽:ジョン・カーペンター、アラン・ハワース
出演:ロディ・パイパー、キース・デヴィッド、メグ・フォスター、ジョージ・“バック”・フラワー、ピーター・ジェイソン、レイモン・サン・ジャック、ジェイソン・ロバーズ3世、アル・レオン

 政治家は日本の年金制度に問題はないという。
 財界人は従業員に残業代など払わないという。
 テレビ局などのマスコミは嘘っぱちな情報を垂れ流す。
 もしもこの映画に登場するサングラスをかけてこいつらの姿を見たら、きっと溶けたチーズの様な顔をしているに違いない。

 1988年当時、アメリカは不況の真っ最中だった。
 政治家も財界人も自分たちのことしか考えておらず、街には失業者が溢れ、庶民は貧困にあえいでいた。
 これにはきっと何か裏があるに違いない。物事を悪い方へ悪い方へと進めている悪党がいるに違いない。そいつらは上流階級の裏に潜み、中流・下流階級から搾取して庶民を操っているのだ。
 それだけならばただの妄想。だが、あるサングラスをかけると、真実が見えるようになった。人びとを操っているのは骸骨の様な顔をした異星人で、広告や出版物には「従え」「消費しろ」「結婚して子供を産め」といったメッセージがサブリミナルで埋め込まれている。紙幣には「これが神だ」と書かれている。
 地球を食い物にする異星人もろくなもんじゃないが、地球人の上流階級も奴らに取り入って金を稼いでいて、人類愛も地球愛もあったもんじゃない。
 そんな搾取側の資本家階級に真実に気づいた一人の肉体労働者が戦いを挑む。
 これはもちろん作り話のSFだが、当時の人びとが内に秘めたフラストレーションを表しているのかも知れない。

 異星人の正体を見抜くサングラスはブルース・ブラザースがかけていたのとほぼ同型の物。夏になるとコンビニで1000円で売っているような安っぽい作りだ。
 この安っぽい道具立てがカーペンターしていて嬉しい。予算は節約節約。
 サングラス越しに見た風景はモノクロになっていて、街中に大きく「従え」などと広告が出ているシーンはマットペインティングによる物だろう。要するに絵だ。これがフルカラーによるマットペインティングだと金も手間もかかるが、モノクロならば比較的安い。節約節約。

 下級労働者のキャンプが警察に弾圧されたり、異星人への叛乱分子が集会を開いているところを襲撃されるなどのアクションシーンがあるが、それらを引っくるめたよりも中盤の男二人が拳で語り合うシーンが燃える。
 主人公ロディ・パイパーは工事現場で知り合ったキース・デヴィッド(物体Xで最後まで生き残った黒人)にサングラスをかけさせて現実に目覚めさせようとするが、キース・デヴィッドは妻も子もいて貧しいなりの生活を守ろうとサングラスを拒否する。

「このサングラスをかけろ!」

「絶対に嫌だ!」

 そこから始まる10分ほどの殴り合いが熱い。無駄に熱い。そして無駄に長い。
『ゴースト・ハンターズ』では香港流クンフーアクションを見せてくれたが、今回の殴り合いは基本的には古式ゆかしきハリウッド風殴り合い。パンチの一発一発が骨まで響きそうだ。
 アスファルトの上なのにバックドロップっぽい投げ技まで登場して、二人ともボコボコ。ロディ・パイパーの本業はプロレスラーというから本格的だ。そういえば、一番最初に警官と戦ったときはいきなりラリアットを喰らわせてたな。
 あさりよしとおのコミック『宇宙家族カールビンソン』ではこの殴り合いのシーンについて「予算がなかったんだ」と語られていたが、確かにこのシーンは1分当たりの単価は安そうだ。でもそれ以上に、この殴り合いのシーンが少々長すぎて全体的なバランスを崩しているとしても、カーペンターとしてはやらずにはいられなかったのだろう。
 この作品としての統合性よりもやりたいシーン撮りたいシーンを優先させるのがカーペンターの魅力だと思っている。

 ラストはロディ・パイパーのファックサインで決まったかと思いきや、しょーもないオチが付く。まったく、ジョンったら。

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コメント (2)

ネスカフェ:

そういえば、ラストシーンで宇宙人扮する映画評論家が、
「近頃の映画は暴力やセックスシーンが多すぎる。○○(失念)やジョン・カーペンターのような映画監督が映画を駄目にしている」と語るシーンがありました。私は水野はるおちゃんの解説で気づいたのですが、確かにカーペンターの作品には暴力はあるのかも知れませんが、宇宙人の言ってたことはあんまり当てはまらないような感じなんですよね。自虐ネタや皮肉という感じではなさそうだし・・・カーペンターがこのシーンをなぜいれたのか。東森さんはいかかが思われますか。

東森時音:

 ラストでアンテナが破壊されて異星人がその正体を現すシーンは、落語のさげにあたる部分で、基本的には単なるギャグだと思っています。
 ロディ・パイパーが格好良く死んでそのままフェードアウトでも良かったのに、カーペンターとしてはそれでは物足りなかったのでしょう。

 アメリカでは映画評論の番組があって、公開前や公開中の映画について映画評論家があれこれ褒めたりけなしたりしているそうです。日本のテレビに出るような評論家は「褒める」のが仕事みたいな物ですが、向こうの評論家は嫌いな作品はきっちりけなす。
 保守的な評論家も多いようで、カーペンターや劇中のセリフに出てきたジョージ・A・ロメロなどはかなりひどいことを言われていると思われます。それらに対する反撃というかチクリとやり返した部分もあるかも知れません。皮肉ではあると思います。
 異星人評論家の背景には「NO INDEPENDENTHOUGHT」と書かれていました。「自分で考えるな」とでもいった意味だと思うんですが、それは反対に観客に対して評論家を盲信せずに映画について自分で考えろというメッセージなのでしょう。

 でも、あのベッドシーンから考えると、個人的には「バカなギャグ」というのが結論です。なぜならカーペンターですから。

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