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『ザ・フォッグ』(2005年版) 子々孫々まで恨み抜く

B000IFSF4A.jpg『ザ・フォッグ』(2005) THE FOG 99分 アメリカ/カナダ

監督:ルパート・ウェインライト 製作:ジョン・カーペンター、デヴィッド・フォスター、デブラ・ヒル 製作総指揮:デレク・ドーチー、トッド・ガーナー、ダン・コルスラッド 脚本:クーパー・レイン オリジナル脚本:ジョン・カーペンター、デブラ・ヒル 撮影:ネイサン・ホープ プロダクションデザイン:マイケル・ダイナー、グレアム・マーレイ 衣装デザイン:モニク・プリュドム 編集:デニス・ヴァークラー 音楽:グレーム・レヴェル

出演:トム・ウェリング、マギー・グレイス、ラデ・シェルベッジア、デレイ・デイヴィス、ケネス・ウェルシュ、セルマ・ブレア、エイドリアン・ハフ、サラ・ボッツフォード、マシュー・カリー・ホームズ、ソニヤ・ベネット

 海の底には様々な物が眠っている。港町の人々が忘れてしまった、いや故意に記憶から消し去ろうとした100年前の惨劇と沈没船。その乗員乗客の死骸と、そして恨みと怨念も。

 ある封印を解いてしまったがために悪霊が現れ、人々を殺すというのはホラーによくあるパターンだが、今回の場合は怨霊の側気持ちもよく分かる。そりゃ死んでも死にきれんわ。
 そしてその船から財宝を奪い、それによって小さな村でしかなかった港をちょっとした町へと発展させた人々は、その事件のことを忘れ去ろうとし、記録は消し去り架空の歴史を作り上げた。
 それから100年が過ぎた現在では、多くの人が何も知らずに平和に暮らしていた。
 だが、海の底から霧とともに怨霊たちが復讐に戻ってきた。

 基本的なストーリーや人物設定などはジョン・カーペンターが監督した1980年版とほぼ同じだ。ただし、1980年版が低予算映画だったため描ききれなかった映像を、SFXでよりパワーアップさせている。パワーアップし過ぎて、なんでもかんでも見えすぎで逆につまらない。見えすぎちゃって困るの~だな。おっと、80年版との比較に意味があるともあまり思えないのでこの辺で。
 ビデオカメラや携帯電話、ネットによるテレビ電話など現代的な小道具も、あまり効果的ではなく小道具として機能していない。やはり携帯電話ってのはホラー映画の敵だってのは改めて感じた。今作のような超常現象物だとなぜか通じなくなるで終わらせておけばまだすむが、サスペンス系の場合は色々困る。

『13日の金曜日』シリーズのジェイソンだって、被害者からしてみれば逆恨みだろうが本人なりに復讐の動機はちゃんとある。だが、大概の場合は人間側に叩きのめされ成敗されてしまうことが多い。
 黒沢清が撮った映画で『スウィートホーム』(1989)というホラー映画がある。今は人の住まない大きな洋館に取材のためにTVクルーが訪れる。もちろんホラー映画だからそんな洋館には悪霊なり殺人鬼がいるわけで、古舘伊知郎がある物を蹴壊したことで封印されていたある女性の怨霊が解き放たれて、TVクルーは一人また一人と悲惨な死を遂げていく。
 のラストでは女性の怨霊がその恨みから解き放たれ、天へと登っていくという成仏する終わり方だった。
 しっかりとした情報ではないが、『スウィートホーム』には海外版があり、そちらではラストが改変され、成仏するどころか地獄に落とされて終わるそうだ。
 もしも本当にエンディングが改変されていたとしたらどんな経緯による物だったのだろうか。スクリーン試写でオリジナルのラストが不評だったのか、公開側がNOと言ってきたのか。そもそも事実なのかが不確かだが、そこら辺を考えてみると案外面白い。
 悪霊として描かれ、何人も人を殺した怨霊は打ち負かされるというのがアメリカの観客が持つ好みだったのだろうか。あるいはキリスト教的視点、仏教的視点の違いによる物なのかもしれない。
 細かいことはそのうち『スウィートホーム』について書くときまで置いておくとして、『ザ・フォッグ』はその『スウィートホーム』と近い終わり方をする。正確に言うならば『スウィートホーム』+『シャイニング』(映画版)だろうか。
 従来のハリウッドホラー映画ならば怨霊に反撃を挑み、ついには討ち滅ぼすというパターンが多かったが、その点では異色作である。

 沈没した船の人々にとっては、交渉にやってきた港の四人組は憎んでも憎みきれない仇である。しかし乗客の多くは皮膚病に冒された人であった。
 この皮膚病についてはっきりとしたことは語られないが、仮にらい病(ハンセン病)だとすると、100年前の価値観で考えると、四人組は極悪非道な悪漢ではなく旧大陸を追われた恐るべき疫病患者から港を守った英雄と言うことになる。
 当時のキリスト教においてハンセン病患者は「汚れた者」「社会から追放されるべき者」だったから、富をもたらした以外について、彼らは我らが土地を汚れし者から守った英雄でもあるのだ。(あくまでも1700年代末のキリスト教社会での価値観による。ただし、『ベン・ハー』などを観る限りでは、イエス・キリスト本人はらい病患者を差別してはいなかったようだが)
 主人公の人間側にも怨霊側にも、観客が感情移入することを拒否したまま物語は進み終焉を迎える。そこに映し出された写真は、本来あるべきだったはずの過去なのか。

 先ほども言ったように、ハンセン氏病うんぬんは作中では顔の傷や皮膚病としか描かれておらず、あくまでも個人的解釈である。念のため。

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