2007年1月アーカイブ

B000IXYYBK.jpg『クリスティーン』(1983) CHRISTINE 110分 アメリカ

監督:ジョン・カーペンター 製作:リチャード・コブリッツ、ラリー・フランコ 製作総指揮:カービー・マッコレー、マーク・ターロフ 原作:スティーヴン・キング 脚本:ビル・フィリップス 撮影:ドナルド・M・モーガン 音楽:ジョン・カーペンター、アラン・ハワース
出演:キース・ゴードン、アレクサンドラ・ポール、ジョン・ストックウェル、ロバート・プロスキー、ハリー・ディーン・スタントン、クリスティーン・ベルフォード、ロバーツ・ブロッサム、ケリー・プレストン、デヴィッド・スピルバーグ、ウィリアム・オストランダー、マルコム・ダネア

 なんだジョン、普通の映画も撮れるんじゃん。

 地味なメガネ高校生アーニーがボロ屋の庭先で野ざらしになっている赤い58年型プリマスにぞっこんになる。それはまさに一目惚れと呼ぶにふさわしく、アーニーは親友デニスの制止も聞かずにそのプリマスを買い取る。他人からは廃車も同然にしか見えないポンコツが彼にはとびっきりのべっぴんだったのだ。
 プリマスは持ち主の弟が乗っていた車で、数ヶ月前に死んだその弟は車にクリスティーンと名前を付けていた。

 クリスティーンを修理していくにしたがって、アーニーが次第に自分に自信を持つようになり他人に対してもはっきりと意志を伝えられるようになる。そして多くの男子生徒がアタックしては玉砕してきた美少女転校生リーとつきあい始める。ここまでならば、ある出来事で自立していく少年の話だが、もちろんそれでは終わらない。
 アーニーはクリスティーンにのめり込んでいき、ついには新車同様にまでリストアしてしまう。その頃になるとアーニーはやたらと激昂しやすくなり、他人を見下したり敵愾心を持つようになる。まるで別人になってしまったかのようだ。
 そしてクリスティーンはドライブインシアターでアーニーと愛撫していたリーを殺そうとするなど明らかに意志を持った行動をし始める。女性、それもとびっきりの悪女の人格だ。自分の美しさをひけらかし、男の目を集めて独占しようとする。リーを殺そうとしたのも、アーニーに愛情を向けられた彼女に嫉妬したからだ。
 アーニーの持つ愛情や感情などの全てを独占するクリスティーン。悪女の惚れた少年の悲しい物語だ。

 冴えないアーニーがクールに変貌していく様子や、その後本来の自分を取り戻そうとするが、不良たちによって徹底的に破壊されてしまったクリスティーンを見て暴力的感情を爆発させるところなど、アーニー役のキース・ゴードンが光っている。最近では監督や脚本などの制作側の仕事をしているようだ。

 後半に入ってクリスティーンが不良たちに復讐をし始めるまでは、思春期に揺れる少年の青春映画だ。アーニーの幼なじみであるデニスはアメフトチームで活躍している二枚目だ。イジメに合いそうなアーニーがそれなりの学校生活を送れているのは後ろにデニスの存在があるからだろう。
 二人の中は良好だが、アーニーの心の奥にはデニスに対する根強いコンプレックスもあったに違いない。そして自分への干渉が強く枠に押し込めようとしてきた両親に対する怒りと反抗心もあった。
 そんな小さな黒い芽をクリスティーンが育て、ついには刈り取りにかかる。

 最初はただの廃車だったクリスティーンは走る毎に走行距離計が逆に回っていって、まるで運転しているアーニーの生命力を奪っているかのよう。ぶつけたり壊されても、モコモコと再生して元通りになるのは便利だよなと左サイドをブロック塀でこすって傷つけたりした自分の車を見てちょと思う。生命力と引き替えでは困るが。

 若者中心の物語を刑事役のハリー・ディーン・スタントンや、整備ガレージの店主など一癖ある役者が締めてくれる。ハリー・ディーン・スタントンなんてストーリー的には何の役にも立っていないのに、ああも渋くて格好いいのは何故?

B000G7PRX2.jpg『遊星からの物体X』(1982) THE THING 109分 アメリカ

監督:ジョン・カーペンター 製作:デヴィッド・フォスター、ローレンス・ターマン、 ラリー・フランコ 原作:ジョン・W・キャンベル・Jr 脚本:ビル・ランカスター 撮影:ディーン・カンディ 特撮:アルバート・ホイットロック 特殊効果:ロブ・ボッティン 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:カート・ラッセル、A・ウィルフォード・ブリムリー、リチャード・ダイサート、ドナルド・モファット、T・K・カーター、デヴィッド・クレノン、キース・デヴィッド、チャールズ・ハラハン、ピーター・マローニー、リチャード・メイサー、ジョエル・ポリス、トーマス・G・ウェイツ、ノーバート・ウェイサー、ラリー・フランコ

 雪原の上を一機のヘリコプターが危険なまでの低空飛行をしている。
 その下を走っているのは一匹のハスキー犬。そしてヘリコプターの乗員はライフルでそのハスキー犬を半ば乱射状態で狙い撃っている。
 たかが犬に何故そこまで必死になっているのか。それはその犬がアメリカ南極越冬基地に逃げ込んだ後で次第に明らかになってくる。

 オレが初めて映画館で観たジョン・カーペンター作品。いきなりこんな物を観せられた日には夢にも見ますわ。いや、観せられたというか観に行ったんだけど。
 おそらくもっとも有名なカーペンター作品なので観た人も多いと思うが、他の生物を乗っ取ってしまう「THE THING(物体X)」が本性を現したときのSFXの怖ろしいこと。
 変形前の犬や人間の印象が微妙に残っているのがまた気味が悪い。
 と怖がっていたのも昔の話で、今では大笑いしながら観ているのだから困ったものだ。頭にカニ状の足が生えてカサカサと逃げていくシーンは最高。
 逆に、物体Xに乗っ取られていないかをテストするために血を採るシーンで、メスで指の先を切るシーンでゾッとしていたりする。物体Xに出会う機会はまずないだろうが、怪我をすることはあるだろうしな。

 南極の長い長い冬に入り、無線やヘリコプター、雪上車は錯乱した隊員によって破壊されてしまった。
 隊員の誰かが物体Xに乗っ取られている可能性がある。それは一人なのか二人なのか。そして一体誰なのか。閉鎖空間が疑心暗鬼で満たされていき、パニックにおちいる者も出てくる。
 この辺りの心理描写があまり深く描かれていなくて、多少残念である。
「あいつは乗っ取られている」と密告したり、自分がすでに乗っ取られたと思い込んで自殺するなど極限状態での人間性を出しても良かったのではないだろうか。
 回りの人間のうち誰を信用して良いのか、そういえばこいつの言動がいつもとちょっと違うがひょっとしたら乗っ取られているのではないか。さっきしばらく姿を見なかったが、その間に乗っ取られたのではないか。そういった方向性もあったと思うのだが、カーペンターは前面に出すことは避けたようだ。
 ただし、ラストに生き残った二人の会話シーンからも分かるように裏ではしっかりと描いている。

 音楽がエンニオ・モリコーネなのに、何故だかカーペンター節になっている不思議。
 南極観測基地に、何故だか火炎放射器がいくつもある不思議。
 まぁ、気にするな。

『遊星からの物体X』も再映画化の話が進行中だとか。気になるのは隊員の中に女性を入れてしまうんじゃないかということ。当然、主人公とのロマンスがあって、でも最終的にはヒロインは乗っ取られてしまって・・・頼む、それは止めてくれよ。
 男ばかりの殺伐さが重要なんだから。

B00005LK0B.jpg『ニューヨーク1997』(1981) ESCAPE FROM NEW YORK 99分 アメリカ

監督:ジョン・カーペンター 製作:デブラ・ヒル、ラリー・フランコ 脚本:ジョン・カーペンター、ニック・キャッスル 撮影:ディーン・カンディ 音楽:ジョン・カーペンター
出演:カート・ラッセル、リー・ヴァン・クリーフ、アイザック・ヘイズ、ドナルド・プレザンス、ハリー・ディーン・スタントン、エイドリアン・バーボー、アーネスト・ボーグナイン、シーズン・ヒューブリー、オックス・ベーカー、トム・アトキンス、ジョン・ディール、ジェイミー・リー・カーティス

 近未来。犯罪都市ニューヨークはすでに警察などの司直の手に負えない状態になっていた。そこでマンハッタン島の回りをコンクリートの壁で囲み、そこに犯罪者を閉じこめて巨大な刑務所にした。
 中は一切管理されず、食料をヘリコプターで運び入れるだけ。この刑務所のルールは簡単。
「一度入ったら出られない」

 そのマンハッタン刑務所にテロリストに乗っ取られた大統領専用機エア・フォース・ワンが墜落。アメリカは他国と戦争中のためなんとしても大統領を救出しなければならない。
 そこで選ばれたのが史上最悪の凶悪犯スネーク・プリスケン(カート・ラッセル)だった。左目をアイパッチで覆ったこの男は刑務所所長によって体内に爆弾を埋め込まれた。タイムリミットは23時間。地獄のマンハッタンから無事に大統領を連れて脱出することができるのだろうか。

 ある都市の再開発地区で大々的にロケを行ったり、墜落した大統領専用機の実物大模型が広場で燃えていたりとこれまでの作品と比べ金がかかっているのが実感できる。
 それでいてマンハッタンのビル街を描いたワイヤーフレームCGは、実はCGではなくて真っ黒なミニチュアに必要な部分だけ線を引いて撮影した物。他にもいろいろと予算をなるべく使わずに最大限の効果を上げるべく、SFXには様々な工夫がされているそうだ。
 登場するシーンは夜景か屋内ばかりで、これも最大限の効果を上げている。

 カート・ラッセルにリー・ヴァン・クリーフなど出演者も一気にランクアップ。嬉しい人にはとても嬉しいキャスティングだ。
 ただ、脇役の使い方がもったいない。ヒロインかなと思った女性があっという間に死んでしまうし、ハリー・ディーン・スタントンやアーネスト・ボーグナインもこれだという見せ場がないまま死んでしまう。
 スネークは一匹狼で他人に頼らなければ助けもしないのか。

 サブマシンガンで壁を点線状に打ち抜いて、体当たりでブチ抜くシーンや、リングの上で大男と戦うシーンを除くと、意外に派手なアクションは少ない。大ボスとの対決ではおいしいところを大統領(ドナルド・プレザンス)に持って行かれてしまう。

 刑務所の中はいくつかの勢力に分かれているようだ。比較的平和な暮らしをしているアーネスト・ボーグナインのような人物もいれば、人狩りをして食料として食っている連中もいる。
 映画には登場しなかったがカーペンターの脚本はもっと奇妙な奴らがいたに違いない。
 マンハッタン島を巨大な監獄にしてしまうという大胆なアイディアとスネークのキャラクター造形にジョン・カーペンターの才気がほとばしっている。

B00005L89T.jpg『要塞警察』(1976) ASSAULT ON PRECINCT 13 90分 アメリカ

監督:ジョン・カーペンター 製作:J・S・カプラン 製作総指揮:ジョセフ・カウフマン 脚本:ジョン・カーペンター 撮影:ダグラス・ナップ 美術監督:トミー・ウォーレス 編集:ジョン・T・チャンス(ジョン・カーペンター) 音楽:ジョン・カーペンター
出演:オースティン・ストーカー、ダーウィン・ジョストン、ローリー・ジマー、マーティン・ウェスト、トニー・バートン、ナンシー・ルーミス、キム・リチャーズ、ヘンリー・ブランドン、チャールズ・サイファーズ

 都市開発による移転作業中のため最低限の人員しかいない警察署に中年男性が逃げ込んでくる。
 通りでアイスクリームを買っていた娘がストリートギャングに意味なく殺され、連中の一人を倒したため追われているのだ。
 人気のない街で回りをすっかり敵に囲まれてしまった。電話も使用不可能となり救助を呼ぶことも出来ない。
 必死の抵抗を続ける警官たちは、留置場に収容されていた凶悪犯ナポレオンの手も借りて圧倒的多数の敵を相手に戦いに挑む。

 一言も口をきかず、淡々と迫ってくるストリートギャングが怖ろしい。ハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』に強い影響を受けているという。そこには砦に立てこもってインディアンと戦う西部劇の姿も見て取れる。
 そして個人的には『エイリアン2』などの立てこもりホラーに近い物も感じる。ストリートギャングたちも犯罪者というよりはモンスターに近い。サイレンサーを使った銃で音もなく襲いかかってくる。何が目的なのか、正体は何者なのか、最後まで不明なままだ。
 低予算故に廃ビル一つを舞台に絞り、ラストこそ「えっ、これで終わり」という物足りなさがあるが、前半は緊張感溢れる物語が展開される。
 刑事とナポレオンとの立場を超えた言葉ではなく行動による信頼感が表現されており、アクション映画ファンには嬉しい。

 ジョン・カーペンターにとってはこれが商業映画デビュー作にあたる。脚本もカーペンターということもあり本人の趣味性が強く表れた作品だ。
 立てこもり系の映画はその後いくつも作ることになるし、凶悪犯ナポレオンは『ニューヨーク1997』シリーズのスネーク・プリスケンの原形だろう。
 いや、そもそもカーペンターは自分の趣味に合う作品しか撮っていないのではないだろうか。フィルモグラフィーを見ても、「何で撮ったの?」というのは『透明人間』(1992)ぐらいだ。

B0000CBCCL.jpg『ハロウィン』(1978) HALLOWEEN 90分 アメリカ

監督:ジョン・カーペンター 製作:アーウィン・ヤブランス 脚本:ジョン・カーペンター、デブラ・ヒル 撮影:ディーン・カンディ 音楽:ジョン・カーペンター
出演:ジェイミー・リー・カーティス、ドナルド・プレザンス、ナンシー・キーズ、チャールズ・サイファーズ、トニー・モラン、P・J・ソールズ、カイル・リチャーズ、ピーター・グリフィス

 商業映画の場合、映画も商売だから利益を上げなければいけない。
 仮に50万ドルの収益を上げたとしても制作費が100万ドルだったら赤字だが、5万ドルで作っていればかなりの成績だ。
 その点、ホラー映画というのは小規模プロダクションが手を出しやすいジャンルである。
 SF映画や戦争映画と比べると遥かに低予算で制作することができるし、うまく口コミで広がれば意外なヒットが望める。
 映画の宣伝文句で高額な制作費を誇ることがあるが、同じ事をより少ない予算で実現できればそちらの方がリスクが少ない。
『ハロウィン』はその見本のような映画だ。

 監督のジョン・カーペンターはまだ駆け出しの新人。音楽まで自分で担当して制作費削減に一役買っている、というか趣味なんだろう。
 主演のジェイミー・リー・カーティスは今でこそ有名女優だが、この作品ではまったくの新人。出演者でギャラがかかっているのはドナルド・プレザンスぐらいなものだ。
 まったくのエキストラを除けば登場人物はせいぜい10人。昔、テレビで観たときはマイケルがもっと殺しまくる作品という印象だったが、実際はほんの数人。殺害シーンのSFXも決して金のかかった物ではない。
 これでホラー映画史に名前の残る作品に仕上げ、さらにこれまでの累積興行成績を考えると成功も成功、大成功である。

 ハロウィンの夜、白いマスクをかぶって次々と殺人を繰り返すブギーマンことマイケル。『13日の金曜日』のジェイソンや『エルム街の悪夢』のフレディと並ぶ殺人鬼スターの一人だ。
 マスクのため表情はうかがえず、何を考えているのかさっぱり分からない。殺人の動機も復讐とか悪意などではなく、単に殺すのが役目だから殺している。いちゃついている若者がターゲットとなるが、特に恨みがあるとかでもなさそう。シスコンが原因だったのか?
 あれこれ理屈付けをせずに「異常者だから人を殺す」と開き直っている。ラストではそもそも人間だったのかも疑問だ。

 殺害シーンではほとばしる血などの流血はほとんどない。もっと血がドバドバ飛び交っていた気がするが、ガキの頃にTVで観たきりだから記憶が書き換えられていたのだろう。
 考えてみればハーシェル・ゴードン・ルイス の『2000人の狂人』(1964)などを除けばスプラッタームービーが一般的なブームになるのは1980年代になってからのこと。例えば首が切断されるなどの残虐シーンで有名な『13日の金曜日』第1作目は1980年制作と数年後だ。
 『ハロウィン』に登場する血はまだ少量だったが、それでも観客は恐怖の叫び声を上げ、映画館やドライブインシアターなどで彼女は彼氏に抱きついた。
 ホラーファンなら必見だが、およそ30年前の作品であって刺激に馴れた今の観客には物足りない部分があるのも事実。
 今となっては キャーキャー叫びながら観る作品ではなく、クッションでも抱きかかえながらじっくり観る映画だろう。

B00005LK0C.jpg『ザ・フォッグ』(1979) THE FOG 90分 アメリカ

監督:ジョン・カーペンター 製作:デブラ・ヒル 製作総指揮:チャールズ・B・ブロック 脚本:ジョン・カーペンター、デブラ・ヒル 撮影:ディーン・カンディ 特殊メイク:ロブ・ボッティン 音楽:ジョン・カーペンター
出演:エイドリアン・バーボー、ジェイミー・リー・カーティス、ジャネット・リー、ハル・ホルブルック、トム・アトキンス、ジョン・ハウスマン、ジェームズ・カニング、チャールズ・サイファーズ、ナンシー・キーズ、タイ・ミッチェル、ダーウィン・ジョストン

 先日、2005年作のリメイク版について書いた。レンタル屋でオリジナル版を見つけたのでこちらも観直してみることにした。ガキの頃にテレビで放映しているのを観て以来だから下手すると20年以上振り。

 ある老人が子供たちに古い海難事故について話している。
 それは霧の深い晩のことだ。海の上で立ち往生していた帆船が海岸で焚かれた火を見つけた。どうやらたき火のようだ。それを目印に進んだ船は暗礁に乗り上げ、船の底には大穴が空いて沈んでしまった。助かった者は一人もいなかった。100年前の出来事だそうだ。

 港町が設立100年祭を祝っている最中、海から風に逆らって進む不気味な霧が押し寄せてくる。
 まずは海に出航していた漁船シー・グラス号が襲われ3人が死亡する。だが、悲劇はそこで終わらず、ついに霧は陸地へと上がる。
 窓を閉め、ドアに鍵をかけてもその隙間から忍び込んでくる霧。実体を持たず、いくらでも形を変え逃げても逃げても追ってくる。その霧の中に潜む殺人者の正体は100年の恨みを持った復讐者だ。
 一人、また一人と亡霊は住民を殺していく。奴らの目的は何なのか。

 2005年版について書いたときに、ある伝染病の存在を推測した。そしてこのオリジナル版ではセリフなどでよりはっきりと表現されていた。
 100年前の港町の人びとは、帆船の乗員が患っていた皮膚への変異を特徴とする伝染病を怖れた。そこで彼らを騙して土地を売るという契約を交わして財宝だけ奪い、事故に見せかけて彼らを船ごと海に沈めたのだ。
 霧の中から現れる亡霊が全身に包帯を巻いているのは、その皮膚病のためである。ついでにいうと、簡単なメイクで亡霊を作り出すことが出来るので予算的にもメリットがある。

 この作品では霧が街を覆うが、この霧であらゆる物が隠されてしまうので町中を巻き込んだパニックが最小限の描写ですむ。これまた金がかからない。
 霧の中から影のような亡霊が現れ、人びとを霧の中に引き込んでから殺す。目を覆いたくなるようなシーンは他の物と同じく霧に隠されて見えない。
 『ハロウィン』(1978)で得意とした血や暴力など直接的な残虐描写を排除しており、カーペンターにとっては新たなる試みだったのだろう。
 ラストは霧に追われて教会に逃げ込むのだが、てっきり町中の人間で溢れ返すのだと思ったら、集まるのは数人。
 出演者は少ないが、カーペンターとはすでに『ハロウィン』で一緒に仕事をしているジェイミー・リー・カーティスに、彼女の実母である『サイコ』で有名なジャネット・リー。神父役にはハル・ホルブルックとツボを押さえた配役だ。
 灯台をラジオ局として使っている女性DJが、下からじわじわと上ってくる霧に追い詰められてついには灯台の屋根に登って行くシーンがお気に入り。

 低予算で雰囲気のあるゴシックホラーを作り上げてしまうのだから、やはりジョン・カーペンターは才気溢れる三流監督だ。この場合の三流は褒め言葉。良い監督は一流か三流だ。ダメなのは二流。

B000A6K8C4.jpg『アルファヴィル』(1965) ALPHAVILLE 100分 フランス/イタリア

監督:ジャン=リュック・ゴダール 製作:アンドレ・ミシュラン 脚本:ジャン=リュック・ゴダール 撮影:ラウール・クタール 音楽:ポール・ミスラキ
出演:エディ・コンスタンティーヌ、アンナ・カリーナ、ラズロ・サボ、エイキム・タミロフ

 近未来、星雲都市アルファヴィルへと自らが操縦する宇宙船で1人の男が訪れた。新聞記者と称するその男レミー・コーションの正体はスパイ。人びとの感情まで管理されたその都市からある科学者を見つけ出し亡命させるのが使命だ。
 SFである。スパイ物である。ハードボイルドである。

 おそらくセットの一つも組まず、モノクロフィルムでロケされたパリが未来都市アルファヴィルとなる。
 宇宙船も単なる普通乗用車。「何で?」などと悩まない方がいい。ミニチュアをSFXで撮影した『2001年宇宙の旅』の様な宇宙船も乗り物ならば、普通乗用車も乗り物。ゴダールのなかではどちらも同じなのだろう。
 SF的セットや小道具も必要ない。それっぽいのはどこかの会社でロケした大型コンピューターが記録テープをグルグル回して動作している所ぐらい。予算がないのを開き直っているとかではないとオレは考える。そもそもゴダールにとっては近未来も現在も過去もあまり意味がないのだろう。ま、そこら辺を考え始めるときりがないので考えない。

 主人公はスーツの上にコートを着て帽子をかぶった古典的ハードボイルドスタイル。フラッシュ付きの小型カメラを持ってやたらとパチリパチリと撮影している。
 演ずるエディ・コンスタンティーヌはB級ハードボイルド映画に多く出演していた俳優だそうだ。途中で『大いなる眠り』を読んでいるシーンもあり、1940、50年代のハリウッド映画ハードボイルド映画へのオマージュ的側面も大きいのだろう。
 ホテルにチェックインして部屋でくつろぐなりいきなり謎の男に襲われる。無音のカットを含んだここでの突発的な暴力シーンに驚く。「止まれ!」などの制止抜きでいきなり発砲される拳銃。しびれるねぇ。
 尋問部屋の扉を破って脱出し、表にいた敵のエージェントを射殺するところの唐突さもいい。
 かと思うと、地下駐車場での格闘アクションシーンは、ほとんど動きのないカットを積み重ねただけのコミックのコマ割りのような仕上がり。ゴダール流の格闘アクションなのか、それとも興味がないだけなのか。
 エレベーターの中で主人公が左右へと振り回されるシーンもいい。

 α60というコンピュータによって支配され感情を持つことを許されない管理社会。妻が死んだときに泣いたなど夫など感情を捨てきれない物は銃殺によって処刑される。プールでの処刑シーンはコミカルさが含まれている分だけ余計と怖ろしい。
 ラストになってある人物が封印されていた記憶を取り戻し愛を始めとする感情に目覚める。あちこちとワケわかんねぇだったとしても、ここさえわかればOKだ。

B000CFWOSY.jpg『スパイキッズ』(2001) SPY KIDS 88分 アメリカ

監督:ロバート・ロドリゲス 製作:エリザベス・アヴェラン、ロバート・ロドリゲス 製作総指揮:ケイリー・グラナット、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン 脚本:ロバート・ロドリゲス 撮影:ギレルモ・ナヴァロ 音楽:ダニー・エルフマン、ロバート・ロドリゲス
出演:ダリル・サバラ、アレクサ・ヴェガ、アントニオ・バンデラス、カーラ・グギーノ、アラン・カミング、テリー・ハッチャー、トニー・シャルーブ、ダニー・トレホ、ロバート・パトリック、チーチ・マリン、ジョージ・クルーニー

 ロバート・ロドリゲスがある日、幼い息子に言われたそうだ。
「パパってどんな仕事をしてるの?」
「それはね“映画”を作ってるんだ」
「ふーん、どんな映画?」
「えーっと・・・『フロム・ダスク・ティル・ドーン』とか『デスペラード』とか・・・」

 あるいは
「お前の父ちゃん、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』の監督なんだって」
「うわー変すぎ」
 と息子がいじめられたのか。

 ともかく、『スパイキッズ』はロドリゲスが息子のために作った映画だそうだ。
「どうだ、父ちゃんは『スパイキッズ』を作ったんだぞ。友達に自慢してこい」ってとこかな。
 そう考えると、引退して冴えない一般人として暮らしているアントニオ・バンデラスが、その世界では有名な腕利きの元スパイというのはロドリゲス自身を投影しているのかも知れない。こう見えてもパパはすごいんだぞってね。
 情けない父親が実はヒーローという構図は同じバンデラス主演の『レジェンド・オブ・ゾロ』でも使われている。多少は影響があるのかも知れない。

 息子のために作ったんだからお子様向けで当然。学校で人気者の姉とドジでいじめられっ子な男の子が悪党に誘拐されたパパとママを助けるために「スパイキッズ」となって大活躍。コメディ中心だが、最後には改めて家族の絆を強める。単なる経営コンサルタントだろうとスパイだろうとパパとママはやっぱり大好きだ。
 テンプレートな展開だが、ピーウィー・ハーマンチックな悪役フループが引き立ててくれる。黒幕のロバート・パトリックも渋い。やはり悪役が良いと映画が締まる。
 ロバート・パトリックは『ターミネーター2』のT-1000役で一気に有名になったが、その後は低迷。このまま消えかねなかったがロドリゲスの『パラサイト』(1998)でアメフト部コーチ役を演じて強い印象をアピールして見事に復帰。今作への出演はそれによるロドリゲスとの縁だろう。
 ロドリゲス作品には以前の作品に出演した俳優がゲスト出演することが多い。おそらく本人が魅力的で友人が多いのだろう。でなきゃ『パラサイト』のイライジャ・ウッドが『シン・シティ』で残忍な殺し屋役などやらないだろう。

 息子も成長してお子様映画は卒業したと思うが、ロドリゲスは『シャークボーイ&マグマガール 3-D』(2005)とまだまだこの手の映画を撮っている。息子よりも本人が気に入ってるんじゃないか?
『シン・シティ』がロドリゲスの一面なら『スパイキッズ』はまた別の一面。

B0009Q0JZG.jpg『9デイズ』(2002) BAD COMPANY 117分 アメリカ

監督:ジョエル・シューマカー 製作:ジェリー・ブラッカイマー、マイク・ステンソン、マイケル・ブラウニング 製作総指揮:ゲイリー・M・グッドマン、チャド・オマン、ラリー・シンプソン、クレイトン・タウンゼント 脚本:ジェイソン・リッチマン、マイケル・ブラウニング 撮影:ダリウス・ウォルスキー 編集:マーク・ゴールドブラット 音楽:トレヴァー・ラビン
出演:クリス・ロック、アンソニー・ホプキンス、ガブリエル・マクト、ガーセル・ボーヴァイス、アドニ・マロピス、ケリー・ワシントン、マシュー・マーシュ、ピーター・ストーメア、ジョン・スラッテリー、ブルック・スミス

 東欧のチェコでおとり捜査中の黒人CIA局員が殺害された。その任務とはある特殊爆弾に関することで、解決のためにはどうしても彼の存在が必要だった。
 そこでCIAはある計画を思いつく。その局員には生まれながらに離ればなれになり、お互いの存在を知らずに育った双子の兄弟がいるのだ。その兄弟を連れてきて代理を演じさせれば良いではないか。
 って、エーリッヒ・ケストナーの『ふたりのロッテ』かよっ!

 問題は、局員はインテリで物腰も優雅でスパイとしても優れていたのだが、弟の方は学歴もなく職にもあぶれ彼女にも見捨てられそうな始末。
 その男(クリス・ロック)を9日間で即席スパイとして育て上げねばならない。
 本当に、何とかなるの?

 クリス・ロック主演として観るとちとつらい。この人も『サタデーナイト・ライブ』出身だったかな?脇ならともかく主役を張れる役者じゃない。
 武器はもっぱらマシンガン・トークだが、エディ・マーフィーはクリス・タッカーが毎分800発発射の最新アサルトライフルならば、クリス・ロックは毎分450発の旧式グリースガンみたいなもの。ダダダダダッではなく、バン・バン・バン・バンって感じで格が違うな。
 取引条件の報酬に飛びついたくせにあれこれダダをこねて、スパイ社会に入ってきたんだからちっとは緊張しろよ。序盤はまるで冴えないが、実際に現場に出てみると意外な才能を発揮するのは、エディ・マーフィーの『大逆転』をちょっと思わせる。ただ、この作品の場合は都合良すぎる印象。双子の兄弟が優秀だから優れた記憶力などの素質は同じだということなんだろうか。

 クリス・ロックで足りない部分を補ってくれるのがアンソニー・ホプキンス。ちょっと肩の力を抜いた演技で映画の屋台骨を支えてくれる。彼がいなかったらさらにキツい作品になっていたはず。肉体的にはきついだろうがちょこっとアクションにも加わってくれる。ただ、この作品に出演した理由がよく分からん。脚本の出来が良かったからではなさそうだし、製作陣のコネかあるいは金か。

 全編を通して登場するチェコの首都プラハの街並みは、美しくもどこか重く歴史を感じさせる。映画として絵になる街だ。
 日本の街じゃ都会でも田舎でもなかなかこうはいかない。看板の規制をするだけでもだいぶとましになると思うんだが。原色ギラギラ、ネオンや電球ピカピカはサイバーパンク映画で観る分にはいいが、そこで生活するとなるとどうにも落ち着かないね。

B000IU4OOK.jpg『スパイ・ライク・アス』(1985) SPIES LIKE US 102分 アメリカ

監督:ジョン・ランディス 製作:ブライアン・グレイザー、ジョージ・フォルシー・Jr 製作総指揮:バーニー・ブリルスタイン 原作:ダン・エイクロイド、デイヴ・トーマス 脚本:ダン・エイクロイド、ローウェル・ガンツ 撮影:ロバート・ペインター 音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:ダン・エイクロイド、チェヴィー・チェイス、スティーヴ・フォレスト、ドナ・ディクソン、ブルース・デイヴィソン、ウィリアム・プリンス、バーニー・ケイシー、トム・ハッテン、マット・フルーワー

 制作された1985年は故ロナルド・レーガン政権下で、ソビエトとの緊張感も強い時代だった。レーガンといえばタカ派として有名で、敵が発射した大陸間核弾頭を衛星からレーザーで破壊するスター・ウォーズ計画なんてのが立案されたのもこの時代。
 スター・ウォーズ計画は結局頓挫するのだが、軍のお偉いさんがこっそり同様の兵器を実用化し、テストを行おうとしていた。ソビエトの核ミサイルを発射させ、それを撃ち落としてテストついでに東西両陣営にデモンストレーションをして示威しようというのだ。
 そのためにCIAのスパイをソビエトに送り込むこととなった。選ばれたのはもちろん最高のスパイ。そして、目くらましのためにおとりとしてもう1チーム送り込むこととした。こちらは発見されて殺されるのが前提なので優秀なスパイを使ってはもったいない。だから最低のスパイ。
 ダン・エイクロイドとチェビー・チェイスがどちらのチームかはあえていう必要もないだろう。

 ダン・エイクロイドは電子機器などの技術や語学に優れているが、気が弱くて上司に強く出ることができず下っ端のままだった。
 チェビー・チェイスは口先八丁で相手を煙に巻く名人だが、根っからのいい加減で女ったらしときてる。登場シーンではテレビでミュージカル映画を観ているが、その映画で男女の間を割って現れるのが俳優時代のロナルド・レーガン。日本では宮崎県知事にそのまんま東が当選したが、大根俳優を大統領にしたアメリカに比べればまだまだスケールが小さい小さい。
 チェビー・チェイスは他の作品でも女ったらしを演ずることが多いが、不思議とモテる。どうも男性的魅力を持っているように描かれているのだが、あの中途半端な髪型とにやけた顔がアメリカ女性にはセクシーなんだろうか。よくわからん。
 この二人が海外駐在の昇格試験でカンニングをするシーンや、任務に選ばれて即席仕上げ特急訓練を受けるシーンはなかなか笑える。
 訓練のシーンでは耐G訓練でGによって後ろに押しつぶされたような変な顔になる。ここまではよくあるギャグだが、次のシーンで訓練が終わって廊下を歩いているシーンでもその顔のまま。単に二人が顔ギャグをやっているだけなのだが大笑いしてしまった。変な顔をするギャグとか変なメイクをするギャグというのは嫌いなのだが、今回はやられた。
 訓練のシーンでは二人と教官だけいればよさそうなものだが、バックに他の訓練兵たちが「わっせわっせ」と無意味大勢登場して訓練中。好きだな、こういうの。

 スパイ物ではあるが、それ以上に1940年代を中心に制作されたビング・クロスビーとボブ・ホープのコンビによる『珍道中』シリーズのオマージュだろう。
 オレが観たことがあるのは『アラスカ珍道中』と『バリ島珍道中』だけで、「絶対にそうか」といわれるとちょっと困るが、1シーンだけボブ・ホープがゲスト出演しているのだからやはり間違いなし。しかし、どんな広いバンカーだ。

 後半は実際にパキスタンに送り込まれ、そしてソビエトのトレーラーによる移動式核ミサイル基地へと至る任務に就く。砂漠や雪山を二人で珍道中だ。
 ここからはちょっとだれた印象なのは否定できない。ストーリーの展開よりも二人のやり取りによるギャグが中心なのだが、このコンビが微妙に噛み合っていない。
 ダン・エイクロイドが木訥・誠実な役柄を演じるのはいつものことだから、相方のチェビー・チェイスがもっと無茶をやってくれれば面白くはなるだろう。だがコメディアンとしてのチェビー・チェイスのキャラクターはおとぼけタイプだから、そこから大きく逸脱するわけにはいかない。
 やはりダン・エイクロイドの永遠の相方はジョン・ベルーシだったなと再確認。ベルーシは存在自体が無茶だったからな。
 それでもジョン・ランディス大好きなオレとしては彼が『トワイライトゾーン』(1983)の悪夢からかなり抜け出せた感じがするだけでOKなのだ。
 オチのひねりは利いていて映画として着地成功だろう。ラストに彼らがやっているクイズゲームの名前がちなみに『トリビア』。他の映画でも張り込み中のFBI捜査官が時間つぶしにやってたな。あれはなんて映画だったか?

 ミサイル迎撃衛星コントロールセンターが潰れたドライブインシアターの地下に極秘裏に建造されている。レーザー発射にはこのドライブインシアターのスクリーンなどがミニチュア撮影で攻撃モードに変形するのだが、このSFXがなかなか良くできている。
 シンプルなデザインのおかげもあるのだろうがスケール感があって、ちゃんと何十メートルもあるように見える。スクリーンで観たときはおっという迫力だった。

B000H1RH9Y.jpg『アイ・スパイ』(2002) I SPY 96分 アメリカ

監督:ベティ・トーマス 製作:マリオ・カサール、ベティ・トーマス、ジェンノ・トッピング、アンドリュー・G・ヴァイナ 製作総指揮:デヴィッド・R・ギンズバーグ、マーク・トベロフ、ウォーレン・カー キャラクター創造:モートン・ファイン、デヴィッド・フリードキン 原案:コーマック・ウィバーリー、マリアンヌ・ウィバーリー 脚本:デヴィッド・ロン、ジェイ・シェリック、コーマック・ウィバーリー、マリアンヌ・ウィバーリー 撮影:オリヴァー・ウッド 編集:マット・フリードマン、ピーター・テッシュナー 音楽:リチャード・ギブス
出演:エディ・マーフィ、オーウェン・ウィルソン、ファムケ・ヤンセン、マルコム・マクダウェル、ゲイリー・コール、ヴィヴ・リーコック、フィル・ルイス

 普通、スパイといえば寡黙なタイプが多いが、エディ・マーフィーがやるということでしゃべくりで相手を煙に巻くのかと思ったら、エディはボクシングのチャンピオン役だった。大統領の依頼により本物のスパイ(オーウェン・ウィルソン)をハンガリーに潜入させ要人に接近させるための手伝いをするのだ。
 もちろん、エディ・マーフィーがそれだけですますはずはなく、最後まで騒動の中心にいてしゃべくりまくることになる。
 スパイ映画というよりは相棒コメディと思って観た方が楽しめそうだ。

 60年代のTVシリーズが原作だそうだが、そちらは観たことがなく、エディの役柄がスパイだったのかボクサーだったのかは不明。
 映画においてボクサーである理由はあまりない。素直に白人と黒人のスパイコンビでもよさそうなものだが、後半のハンガリーでのタイトル防衛戦でエディに格好いい見せ場があるからいいか。あの一発は決まってる。
 エディはやたらとスパイの秘密兵器に興味を持つので、ひょっとしたらスパイ映画マニアという設定でもあるのかも知れない。

 敵から逃げ回ったあげくに二人は下水道に潜り込んで夜が明けるのを待つ。その間にお互いのことを相互カウンセリング状態で話し合って、それまで反発しあっていたのが仲良くなる。
 しかし、その後任務に失敗し、互いの関係がまたおかしくなったときに、今度は路地裏で殴り合いを始め、そして関係を取り戻す。話し合いと殴り合いという言葉と拳の二種類の会話が面白い。
 ただし、殴り合いの方はすぐに警察がやってきて止められてしまう。いっそのこと『ゼイリブ』ぐらいまでやってほしかった。

 ラストは誰が敵で誰が味方か混乱しまくって、誰を信用すればいいのか分からない。スパイ世界の複雑さを感じさせる?
 エディ・マーフィーのしゃべくりは最近ちょっと耳障りだったが今作では快調で、オーウェン・ウィルソンとのコンビもしっくりきている。
 アクションに派手さはないが、コメディ映画としては充分だろう。

B000HOJSMU.jpg『エージェント・コーディ』(2003) AGENT CODY BANKS 102分 アメリカ

監督:ハラルド・ズワルト 製作:デヴィッド・C・グラッサー、アンドレアス・クライン、デヴィッド・ニックセイ、ガイ・オゼアリー、ディラン・セラーズ 製作総指揮:マドンナ、ジェイソン・アレクサンダー、ジェニファー・バーチフィールド=エイック、ケリー・デヴィッド、ダニー・ゴールド、マイケル・ジャックマン、マーク・モーガン、ボブ・ヤーリ 原案: ジェフリー・ジャーゲンセン 脚本:アシュリー・エドワード・ミラー、ザック・ステンツ、スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー 撮影:デニス・クロッサン 音楽:ジョン・パウエル、ジェームズ・マッキー・スミス、ジョン・アシュトン・トーマス
出演:フランキー・ムニッズ、ヒラリー・ダフ、アンジー・ハーモン、キース・デヴィッド、シンシア・スティーヴンソン、アーノルド・ヴォスルー、ダニエル・ローバック、イアン・マクシェーン

 『スパイモンキー』がお子様向けだとすれば、これはティーンエイジャー向きスパイ映画。
 主人公のコーディー・バンクスは15歳の高校生だ。学校では情けなくて女の子には相手にもされず、ほかの男子からはいじめられている。家に帰ればごく普通の『ドラゴンボール』のポスターを壁に貼ったちょっとヲタっぽい少年。だがその正体はCIAのスパイ。の、つもりなどではなく特殊プロジェクトで選ばれ訓練も受けた本物のスパイだ。
 その正体を家族にも秘密にしている辺り、ちょっと『トゥルー・ライズ』っぽい。

 全体的には『007シリーズ』を才能はあるがちょっと情けない男の子が演じたらどうなるかというパロディ。最初はいかにも冴えないコーディが中盤以降どんどん格好良くなっていくのがいい。

 コーディに与えられた最初の任務は、ある科学者の娘に近づき、彼女を通じて科学者の動向を探ること。彼女とは同い年だったのでその名門校に転校し、さっそく彼女とお近づきになろうとする。だが、頭も良く運動もできるコーディだったが、これまでまともに女の子と話したことがなかったのだ。
 そんなコーディーがある事件をきっかけに次第に彼女と親しくなり、彼女はコーディに好意すら抱くようになる。そしてその時にはコーディ自身も任務を越えて彼女のことが好きになっていた。
 だが、ターゲットに個人的感情を抱くのはスパイとしてご法度。

「任務を取るか、恋を取るか。」

 潜入任務モノでは良くある設定だが、ここら辺の感情の動きは本家を超えてないか?しかも、女性経験豊富な男ではなく、これがはじめての彼女という青少年だからよけいと感情移入してしまう。オレだって昔は青少年だったからな。

 iPodや携帯電話にスケボーなど少年向けアイテムに見せかけた秘密兵器もなかなか。Qもうかうかしてられないぞ。『カジノロワイヤル』(2006)で休んでる場合じゃない。

『007』を中心に『トゥルー・ライズ』、従来型ではないという意味で『トリプルX』を足して、それを青春映画でアレンジした感じ。そのブレンド具合が絶妙だ。

B000FF6VKS.jpg『スパイモンキー』(2003) SPYMATE 83分 カナダ

監督:ロバート・ヴィンス 製作:アンナ・マクロバーツ、ロバート・ヴィンス 製作総指揮:マイケル・ストレンジ、ケヴィン・ケイシャ 脚本:アンナ・マクロバーツ、ロバート・ヴィンス 撮影:マイク・サウソン 編集:ケリー・ハーロン 音楽:ブラーム・ウェンジャー
出演:クリス・ポッター、リチャード・カインド、エマ・ロバーツ、マイケル・ベイリー・スミス、ミュゼッタ・ヴァンダー、デブラ・ジョー・ラップ、パット・モリタ

 まず最初に断っておくが「お子様向け映画」である。これを観て幼稚すぎるとかいわないように。子供向けなんだから。

 元は諜報部の腕利きエージェントとして活躍していた人間とチンパンジーのスパイコンビ。今では引退して、それぞれ保険業とサーカスの花形スターとして働いている。
 ところが、元スパイの娘が少女ながらに天才科学者で、その才能に眼をつけた悪党が彼女をさらいある研究を強要する。
 元スパイはチンパンジーのミンキーと共に10年ぶりにスパイに復帰すると、娘を救出に乗り出すのであった。

 『007シリーズ』のファンには、力になってくれるはずの女性科学者を探すため、一路ジャマイカに向かい、海辺で泳いでいたその科学者がビキニ姿で水中から姿を現すシーンで手を売って喜ぶこと間違いなし。
 ジャマイカのシーンは単にそのためにあったようなもので、残りの舞台は日本に移る。といっても、ところどころに日本の風景がインサートされるだけで、日本ロケなど欠片もやっちゃいなそうだが。終盤の舞台は槍ヶ岳だが、どうみてもカナダの山中。ま、気にするな。
 山中で遭難しかけたミンキーを救うのは我らがノリユキ・パット・モリタ。今回は正義の忍者役。ミンキー対パット・モリタによる武術の稽古シーンは見ものだ。

 ミンキーは本物のチンパンジー。スノーボードや空中ブランコなどのアクションシーンではCGなどVFXが使われているが、演技は基本的にちゃんと本人?がやっている。悪党の一人が幻覚の中で見る「しゃべるミンキー」でCGが使われていたぐらいか。
 これがさすがに上手い。笑う、怒る、驚く、そして呆れるまでちゃんと感情を表現して、俳優に合わせた動きもする。いきなり現れた忍者(パット・モリタ)にポカーンとしているところなど爆笑。
 もちろん、ミンキー役のチンパンジーがちゃんと役柄を理解して演じているわけではなく、調教師と演出側の苦労と工夫の賜物なのだろう。上手くやってくれるまでひたすら忍耐が必要だったに違いない。ちなみに、チンパンジーが笑っているシーンは、あれは本来は威嚇している顔なんだそうだ。
 本気で演出すればチンパンジーだってスーパースターになるのだ。
 昨日紹介の『笑う大天使』では演出側にその苦労と工夫が欠けていた。演じるのが普通の女の子でも「本物のお嬢様」に見せるのが演出側の役目だろうに。

 ミンキーのサーカス芸人仲間や、マネーペニー的存在(ただし10年分年をとった)おばさんたちなど主人公を支える人々が楽しい。

B000JMJU7S.jpg『笑う大天使(ミカエル)』(2005) 92分 日本

監督:小田一生 アクション監督:谷垣健治 プロデューサー:宮崎大、柴田一成 原作(?):川原泉 脚本:吉村元希、小田一生 撮影監督:岡田博文 美術:花谷秀文 衣裳:北村道子 VFX:小田一生 VFXスーパーバイザー:木村俊幸
出演:上野樹里、伊勢谷友介、関めぐみ、平愛梨、松尾敏伸、菊地凛子、加藤啓、村木仁、伊藤修子、佐津川愛美、谷村美月、キタキマユ、宮下ともみ、松岡璃奈子、広川太一郎

 白泉社文庫で刊行されている川原泉作品はそれなりに持っているし、最近は『レナード現象には理由がある』を買った。その程度の川原泉ファンだ。
 その川原泉原作『笑うミカエル』の映画化である。といっても、前々から言っているように原作は原作、映画は映画。媒体も違うし別物になって当たり前。原作と違うじゃないかとかイメージが狂いすぎなんて野暮なことは言わない。
 オレが気にするのはただ一つ。その映画が面白いかどうかだ。

 自慢じゃないがオレは日本の芸能界にてんでうとい。テレビを見ない生活なので若手の俳優や歌手なんかはさっぱりだ。
 だから、この作品の主役である三人の女性俳優の顔も名前も知らない。上野樹里、関めぐみ、平愛梨って言われても本気で欠片も知らない。だから、彼女たちのことを観客が知っているのが前提のギャグが寒い、つらい、笑えない。それ以外のギャグもこれは笑ってあげるべき何だろうかと思わず助けの手を伸ばしたくなるほどだ。ひどい。
 アクションもひどい。あそこまで派手にやってくれること自体は嬉しいのだが、いちいち決めのポーズが多すぎる。ちょっとやっちゃ決め。ちょっとやっちゃ決め。歌舞伎じゃねーんだからさ。格闘アクションというのはリズムが命の、いわば情熱的ダンスなのだ。
 アクションに入るまでのテンションの持って行き方は悪くないので、そこから動きの流れを途切れさせずにリズムを大切にして欲しかった。製作期間の問題もあるのかもしれないが、アクション部の編集がちょっと雑で、もっと練り込む余地があるようだ。せっかく主人公たちがそれなりにがんばっているので残念。

 一番の問題は、脇役がまったくもって冴えないと言うことだ。
 まず、この物語は名門お嬢様女子高校に3人の猫をかぶった偽お嬢様がいるという話である。ということは、その3人以外は本物のお嬢様であるはず。ナレーションや登場人物のセリフではお金持ちの娘=お嬢様ではない。気品と知性に溢れ、優雅さと慎ましやかさを兼ね備えた精神面が重要なのだ。
 だというのに、そのお嬢様たちが渋谷か原宿にいるそこらの女の子を連れてきてだけにしか見えない。それっぽい服を着せてナチュラルメイクにしただけ。立っているだけ、座っているだけでもきついが、歩いたり話したりの動作が加わると、もう全然駄目。特に歩くシーンが駄目だった。ドタバタ歩きたいのを抑えてなんとか静かに歩いている振りをしているだけ。これでは単なるコスプレにしか見えない。
 もちろん、現実のお嬢様なんてのはUMA的存在だ。だから監督は「ファンタジーだよ」とでも言い訳するかもしれない。だがスクリーンに映し出されたのは「お嬢様」のグロテスクなパロディだ。
 もっとも男たちは男たちで、お前らそろいも揃ってホストか!と言いたくなるような顔と口調と動作。
 名門お坊ちゃま男子高校生映画なんて撮ったら「お前ら、ホスト予備軍か!」ってな映画になるんだろうな。どうせ、主役はジャニーズだろうし。

 これはオレが日本人だから日本映画により点が辛くなってしまうというのもあるかもしれないが、日本映画の脇役を演ずる俳優層の薄さというのはかなりつらいものがある。
 イギリスの名門校を舞台にした映画だと脇役たちもちゃんと上流階級の子息に見えるんだか、これはオレが日本人だからか?
 脇役というのは、ストーリーに直接関わらない背景的な小さな役でも必要だからそこにいるのだ。この作品では記号的にそこにお嬢様という属性を持ったコマや教師という属性を持ったコマを配置しているに過ぎない。
 日本映画には良い脇役が足りない。それは映画を殺す。

B000C5PNWI.jpg『X-MEN:ファイナル ディシジョン』(2006) X-MEN: THE LAST STAND 105分 アメリカ

監督:ブレット・ラトナー 製作:アヴィ・アラッド、ローレン・シュラー=ドナー、ラルフ・ウィンター 製作総指揮:スタン・リー、ジョン・パレルモ 脚本:ザック・ペン、サイモン・キンバーグ 撮影:フィリップ・ルースロ、ダンテ・スピノッティ プロダクションデザイン:エド・ヴァリュー 衣装デザイン:ジュディアナ・マコフスキー 編集:マーク・ゴールドブラット、マーク・ヘルフリッチ、ジュリア・ウォン 音楽:ジョン・パウエル
出演:ヒュー・ジャックマン、ハル・ベリー、パトリック・スチュワート、ジェームズ・マースデン、ベン・フォスター、ファムケ・ヤンセン、イアン・マッケラン、レベッカ・ローミン、アンナ・パキン、ショーン・アシュモア、アーロン・スタンフォード、ダニエル・クドモア、ケルシー・グラマー、ヴィニー・ジョーンズ、マイケル・マーフィ、ダニア・ラミレス、エリック・デイン、キャメロン・ブライト、エレン・ペイジ、ショーレ・アグダシュルー、ケン・レオン、オマイラ、アンソニー・ヒールド

 映画は20年前の出来事から始まるが、ここではまず数万年ほど昔の話から語ろう。
 旧人から新人へと進化してきた生物はその新人の中でもさらに進化を続け、ネアンデルタール人から我々ホモ・サピエンスへと主役が変わった。
 この交代劇の時にどのような事態が起きたのだろうか。ホモ・サピエンスが餌場や狩り場が干渉しあうネアンデルタール人を惨殺してついに滅ぼしたのか。
 実際にその時のことを見てきた人がいるわけではないが、どうも研究によると大きな対立はなかったという説が有力だそうだ。そもそもの個体数自身が少ないので大きな争いに発展しなかったというのもあろう。
 では何故ネアンデルタール人は滅びたのか。ある学者はこう語る。
「単に栄枯盛衰さ」

 原作の『X-MEN』は一度も読んだことがないことをまず言っておく。原作ファンからすれば間違った解釈もあるかもしれないが、オレは単に『X-MEN1?3』を観たというだけの男だ。
 ミュータント側は大きくプロフェッサー側とマグニートー側に分かれる。プロフェッサー側は彼らは次世代の人種で、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスと主役が変わったように時がたてばじっくりとミュータントの時代が来ることを確信している。その世代交代を焦ることなく現時点ではホモ・サピエンスと共存して平和を求めている。
 一方のマグニートー側は、彼自身がユダヤ人としてナチスに迫害され、そしてミュータントとしても迫害されたことからホモ・サピエンスを憎みそして見下している。共存ではなく、手段があれば一刻も早くホモ・サピエンスを滅ぼし、ミュータントの時代を作ろうとしている。
 そして我々ホモ・サピエンスはミュータントが旧人→新人→ミュータントという存在であることを恐れている。あくまでもホモ・サピエンスであり一種の病気にかかっているだけだと思いこもうとしており、また「治療」の可能性も探っている。
 ミュータントが次なる進化の段階なのか、それともただの突然変異なのか、確実なところをオレは知らない。言えるのは『X-MEN』は一般的に言われるところのヒーローではないということだ。
 プロフェッサー側にしろマグニートー側にしろ、ホモ・サピエンスと自分たちは違う存在だと思っているし、人々を守るために戦っているわけではない。。描かれるのは彼ら自身の葛藤だ。

 監督がブライアン・シンガーからブレット・ラトナーに変更になった。その理由は知らんが内部でいろいろあったのであろう。そんな映画の外で起こったことには興味はない。
 監督の交代によって作品のカラーが大きく変わった。
 ブライアン・シンガーは登場人物の心理描写を積み重ねていくことでストーリーを展開する人だが、ブレット・ラトナーはアクションでストーリーを展開させる映画監督だ。この場合のアクションとは格闘シーンやスタントシーンという意味に限定せず、「行動」という意味でのアクションだ。歩くこと、走ること、抱き合わせること、見つめること。そんな登場人物の行動によって作品を構築していく。だから、前2作と比べると主人公たちが自分の悩みについてあれこれ考え落ち込んだりさせずに行動によって葛藤を描く。
 どちらの演出方法が上か下かという問題ではない。ただ、タイプの違う監督が続編を撮ったならばそれまでと雰囲気が違う作品になるのはごく当たり前なことである。

 1、2作目であれこれ思わせぶりな複線を引いてある状態に放り出されて、「さぁこれらをまとめてこの1作で完結させろ」と言われたブレット・ラトナーはさぞ苦労したことだろう。しかも予算はちょっと少なめな感じ。
 その結果、ウルヴァリンの失われた過去と記憶についてはほとんど無視しているし、主要な登場人物の何人かを殺してしまう。これには出演者側からの「そろそろこの役を降りたいんだけど」という声もあったのかもしれない。
 完結だろうと大ヒットすれば続編を作るのがこの業界だが、全作で死んでしまえばもう引っ張り出される心配はあまりない。「あまり」をつけたのは時として生き返らされてしまうこともあるからだ。2作目の時点で死んでしまったある人物が甦ってくるが、これは2作目の時点ですでに決まっていたのか。それとも本人が次も出たいと要求したからなのか。まぁ理由はどうでもいい。
 とにかく大なたを振るった感じではあるが、広げきった風呂敷をそれなりにたたんで、ラストにちょっとしたくすぐりを入れて映画は終わる。あのくすぐりは続編への伏線ではなく、これで映画のシリーズは終わったが物語はまだまだ続くという意味だと解釈した。

 好きなシーンは、灼熱の炎と極寒の冷波を二人の対立するミュータントが撃ち合い、お互いの中間で拮抗してバシバシっと火花を飛ばすところ。ミュータントの能力に戦闘値っぽいレベルがあったりで、まるで『ドラゴンボール』かなんかのアニメやコミックみたい。あっ、原作はアメコミか。

B000JCE3WK.jpg『スーパーマン リターンズ』(2006) SUPERMAN RETURNS 154分 アメリカ

監督:ブライアン・シンガー 製作:ブライアン・シンガー、ギルバート・アドラー、ジョン・ピーターズ 製作総指揮:クリス・リー、トーマス・タル、スコット・メドニック 原案:ブライアン・シンガー、マイケル・ドハティ、ダン・ハリス 脚本:マイケル・ドハティ、ダン・ハリス 撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル プロダクションデザイン:ガイ・ヘンドリックス・ディアス 衣装デザイン:ルイーズ・ミンゲンバック 音楽:ジョン・オットマン テーマ音楽:ジョン・ウィリアムズ タイトルデザイン:カイル・クーパー
出演:ブランドン・ラウス、ケヴィン・スペイシー、ケイト・ボスワース、ジェームズ・マースデン、フランク・ランジェラ、サム・ハンティントン、エヴァ・マリー・セイント、パーカー・ポージー、カル・ペン、ステファン・ベンダー、マーロン・ブランド


 クリストファー・リーヴ版を1から4まで全てリアルタイムで映画館で観たオレである。3の『電子の要塞』は大好き、1、2はまぁ普通。4作目はさすがにアホかと。そんな程度の好きだが、あの手前に伸びてくるオープニングクレジットとテーマ曲にはやはりぐっとくる。

 手放しで面白かったのは、スペースシャトルを搭載したジャンボジェット機が事故を起こし、スーパーマンがそれを救うまで。
「レーダーになにか映ってるぞ」
「未確認飛行物体だ。なんてスピードだ」
 という護衛機と管制塔の会話から始まり、ついには翼を失って墜落していくジャンボジェットを受け止め、メジャーリーグがゲームを開催している最中のグラウンドに着地させる。
 一瞬間が開いて、観客などがわーっと歓声を上げる。
 なんかねぇ、ちょっと泣けてきたよ。

 それ以降は、相変わらずのクラーク・ケントとロイス・レインの「お前ら、中高生か!」と怒鳴りつけたくなるような、好きなんだけど打ち明けたい、でも打ち明けられないがうだうだと続く。
 スーパーマンとクラーク・ケントが主人公の中でどちらが本物なのかとか、正義の味方であるべきなのかそれとも個人の幸せを追求しても良いのかというのは、すでに2のテーマとしてやっているので、正直今さらではある。
 クラーク・ケントである時間の方が長いのだが、そのクラーク・ケントに魅力を感じさせてくれないところがつらい。あくまでも主役はスーパーマンでクラークは脇役って感じだ。
 原作のDCコミックによるアメコミがあるから、制約は多くあまり勝手なことは出来ないのだろうが・・・でもコミック版だとスーパーマンって死んだんだよね?すぐ次の号で生き返ったらしいが。

 そのクラーク・ケントの女々しさをカバーしてくれるのがロイスの婚約者であるリチャード・ホワイト(ジェームズ・マースデン)だ。『X-MEN』シリーズでサイクロプスをやっていた人で、監督のブライアン・シンガーが引っ張ってきたんだろう。
 このリチャードが実に男。いくらでも嫌な奴として描くことも出来ただろうし、オレも終盤まではそう思っていた。しかし、スーパーマンとロイスが内心愛し合っていることに気づくと、恨み言の一つも言わずに彼女の幸せを願ってスーパーマンの元へと送り出す。超人ではなく普通の男だが、これが格好いい。スーパーマンよりよっぽど男だ。

 特に気になるのは二点。
 レックス・ルーサーの企みによって地殻変動が起こり、自身に襲われたメトロポリス市(モデルはニューヨーク)の人々が、その災害に対してただ怯えとまどうばかりで、逃げとまどってはスーパーマンに助けてもらうのを待つだけ。
 ここは、全員が懸命に助け合うシーンを入れて欲しかった。人事を尽くして、尽くしきってもそれでも不可能な部分をスーパーマンが補う方がオレ的に好みだし燃える。アメリカの観客だって911のことを考えるとヒーローとは唯一無比な存在ではなく、消防士、警官、医師、そしてもちろん一般市民の中にだってヒーローがいることを知っているはず。
 なにより「スーパーマンは必要か?」への一つの回答ともなるだろうに。

 そして少年がピアノで悪漢をやっつけてしまうところ。ストーリー的には重要なのだが、相手は気絶したぐらいで良かったんじゃなかろうか。少年自体は悪漢がどうなったのは詳しくは知らないままだが、だとしても子供に背負わせるには重すぎる。

B000IFSF4A.jpg『ザ・フォッグ』(2005) THE FOG 99分 アメリカ/カナダ

監督:ルパート・ウェインライト 製作:ジョン・カーペンター、デヴィッド・フォスター、デブラ・ヒル 製作総指揮:デレク・ドーチー、トッド・ガーナー、ダン・コルスラッド 脚本:クーパー・レイン オリジナル脚本:ジョン・カーペンター、デブラ・ヒル 撮影:ネイサン・ホープ プロダクションデザイン:マイケル・ダイナー、グレアム・マーレイ 衣装デザイン:モニク・プリュドム 編集:デニス・ヴァークラー 音楽:グレーム・レヴェル

出演:トム・ウェリング、マギー・グレイス、ラデ・シェルベッジア、デレイ・デイヴィス、ケネス・ウェルシュ、セルマ・ブレア、エイドリアン・ハフ、サラ・ボッツフォード、マシュー・カリー・ホームズ、ソニヤ・ベネット

 海の底には様々な物が眠っている。港町の人々が忘れてしまった、いや故意に記憶から消し去ろうとした100年前の惨劇と沈没船。その乗員乗客の死骸と、そして恨みと怨念も。

 ある封印を解いてしまったがために悪霊が現れ、人々を殺すというのはホラーによくあるパターンだが、今回の場合は怨霊の側気持ちもよく分かる。そりゃ死んでも死にきれんわ。
 そしてその船から財宝を奪い、それによって小さな村でしかなかった港をちょっとした町へと発展させた人々は、その事件のことを忘れ去ろうとし、記録は消し去り架空の歴史を作り上げた。
 それから100年が過ぎた現在では、多くの人が何も知らずに平和に暮らしていた。
 だが、海の底から霧とともに怨霊たちが復讐に戻ってきた。

 基本的なストーリーや人物設定などはジョン・カーペンターが監督した1980年版とほぼ同じだ。ただし、1980年版が低予算映画だったため描ききれなかった映像を、SFXでよりパワーアップさせている。パワーアップし過ぎて、なんでもかんでも見えすぎで逆につまらない。見えすぎちゃって困るの?だな。おっと、80年版との比較に意味があるともあまり思えないのでこの辺で。
 ビデオカメラや携帯電話、ネットによるテレビ電話など現代的な小道具も、あまり効果的ではなく小道具として機能していない。やはり携帯電話ってのはホラー映画の敵だってのは改めて感じた。今作のような超常現象物だとなぜか通じなくなるで終わらせておけばまだすむが、サスペンス系の場合は色々困る。

『13日の金曜日』シリーズのジェイソンだって、被害者からしてみれば逆恨みだろうが本人なりに復讐の動機はちゃんとある。だが、大概の場合は人間側に叩きのめされ成敗されてしまうことが多い。
 黒沢清が撮った映画で『スウィートホーム』(1989)というホラー映画がある。今は人の住まない大きな洋館に取材のためにTVクルーが訪れる。もちろんホラー映画だからそんな洋館には悪霊なり殺人鬼がいるわけで、古舘伊知郎がある物を蹴壊したことで封印されていたある女性の怨霊が解き放たれて、TVクルーは一人また一人と悲惨な死を遂げていく。
 のラストでは女性の怨霊がその恨みから解き放たれ、天へと登っていくという成仏する終わり方だった。
 しっかりとした情報ではないが、『スウィートホーム』には海外版があり、そちらではラストが改変され、成仏するどころか地獄に落とされて終わるそうだ。
 もしも本当にエンディングが改変されていたとしたらどんな経緯による物だったのだろうか。スクリーン試写でオリジナルのラストが不評だったのか、公開側がNOと言ってきたのか。そもそも事実なのかが不確かだが、そこら辺を考えてみると案外面白い。
 悪霊として描かれ、何人も人を殺した怨霊は打ち負かされるというのがアメリカの観客が持つ好みだったのだろうか。あるいはキリスト教的視点、仏教的視点の違いによる物なのかもしれない。
 細かいことはそのうち『スウィートホーム』について書くときまで置いておくとして、『ザ・フォッグ』はその『スウィートホーム』と近い終わり方をする。正確に言うならば『スウィートホーム』+『シャイニング』(映画版)だろうか。
 従来のハリウッドホラー映画ならば怨霊に反撃を挑み、ついには討ち滅ぼすというパターンが多かったが、その点では異色作である。

 沈没した船の人々にとっては、交渉にやってきた港の四人組は憎んでも憎みきれない仇である。しかし乗客の多くは皮膚病に冒された人であった。
 この皮膚病についてはっきりとしたことは語られないが、仮にらい病(ハンセン病)だとすると、100年前の価値観で考えると、四人組は極悪非道な悪漢ではなく旧大陸を追われた恐るべき疫病患者から港を守った英雄と言うことになる。
 当時のキリスト教においてハンセン病患者は「汚れた者」「社会から追放されるべき者」だったから、富をもたらした以外について、彼らは我らが土地を汚れし者から守った英雄でもあるのだ。(あくまでも1700年代末のキリスト教社会での価値観による。ただし、『ベン・ハー』などを観る限りでは、イエス・キリスト本人はらい病患者を差別してはいなかったようだが)
 主人公の人間側にも怨霊側にも、観客が感情移入することを拒否したまま物語は進み終焉を迎える。そこに映し出された写真は、本来あるべきだったはずの過去なのか。

 先ほども言ったように、ハンセン氏病うんぬんは作中では顔の傷や皮膚病としか描かれておらず、あくまでも個人的解釈である。念のため。

B000J1XLG0.jpg『ファイナル・デッドコースター』(2006) FINAL DESTINATION 3 93分 アメリカ

監督:ジェームズ・ウォン 製作:クレイグ・ペリー、グレン・モーガン、ジェームズ・ウォン、ウォーレン・ザイド 製作総指揮:リチャード・ブレナー、トビー・エメリッヒ、マット・ムーア 脚本:ジェームズ・ウォン、グレン・モーガン 撮影:ロバート・マクラクラン プロダクションデザイン:マーク・フリーボーン 衣装デザイン:グレゴリー・B・マー 編集:クリス・ウィリンガム 音楽:シャーリー・ウォーカー
 
出演:メアリー・エリザベス・ウィンステッド、ライアン・メリマン、クリスタル・ロウ、シャーラン・シモンズ、クリス・レムシュ、サム・イーストン、アレックズ・ジョンソン、アマンダ・クルー、テキサス・バトル、トニー・トッド

 飛行機事故に端を発した1作目。そして自動車大事故に端を発した2作目。今作はジェットコースターから物語は始まる。
 例によって、これから事故を起こすジェットコースターに乗る寸前に、唐突にまったく理由も前振りも何もなくヒロインがこれから起こる事故を予言する。このジェットコースターに乗った人間は全員死ぬ!
 彼女が騒いで暴れたせいで何人かがコースターを降ろされる。悪態をつく彼ら。
 だが、ジェットコースターは彼女が予言で見たのと全く同じ事故を起こし乗客は全員死亡した。
 ここまでならば、おかげで命が助かって良かったねなのだが、この映画では、余地によって死を逃れた人間は、本来死ぬはずだった順番で死んでいく。シリーズを重ねるごとによって単なる逃れられない運命だった死が、次第に意志を持って行動し始め、3作目となる今作では、明らか邪悪で悪戯好きな人格を持っているようだ。

 日焼けサロンに来た二人の若い女性が、玄関の営業中の札を休憩中にしたこと、飲んでいたジュースのまだ氷の残ったコップを置いたこと、店長が裏のドアから外に出て携帯電話で話して押り、オートロックがかからないように扉の下に挟んでいたのが押されると中身が出てしまう化粧品のチューブを使っていたことなどなどが、偶然とは思えずまるで誰かが仕組んだかのように揃って、そしてそれが動き始めるともはや死の手中に落ちてしまう。
 この様子は死の『ピタゴラスイッチ』風(といっても見たことなし)や、『グーニーズ』でチャンクを家に入れるためドアを開ける装置、そして旧版『トムとジェリー』でのジェリーが家中の物を組み合わせて作る複雑怪奇な仕掛けを思い出させる。
 ただ、前2作ではこれが死の伏線かと思わせて、実は違うというドッキリがあったが、今回は基本的に全て伏線。そこら辺がちょっと物足りない。

 殺し方に工夫がなくて、あまり面白くもない。というか、同じようなネタで3作もやってはそろそろネタ切れもするだろう。
 今作は予算も少なくなっているような感じで、派手な映像も少ない。死に方もあまり記憶に残らない。今回の新要素としては「事故の直前に撮ったそれぞれの写真に死に方のヒントがある」というものだが、ストーリー的にあまり活かされていなし、そもそも実際に誰かが死んでからようやく写真の謎が解けるのではあまり意味がない。
 最後の最後に、死の思惑を先回りして、写真の謎を解いて死を追い払うだったらまだよかったんだろうが。
 そもそも、この死の順番とかのルールがよく分からない。なんとかして死を逃れると次の人間が死ぬ。だから、最後に死ぬべき人間が死んでしまえば、死は動揺して(すでに死は擬人化されている)、この死の連鎖は終了すると今作ではなっていた。1作目、2作目それぞれで設定が違うのだが、連鎖が終了するとなると今作のラストは何なんだろう。
 また新しい死の運命が始まったのか、連鎖は終了していなかったのか。

 新しいホラー映画の方向性を示したが、すでにその役目は終えた。
 おそらくこれで事実「ファイナル」になること間違いなしだろ。
 ちなみに『デッドコースター』に引き続いてまたもやmacムービー。タイアップなんだろうが、イメージアップに繋がってないんじゃ・・・

B000I6AN3K.jpg『マイアミ・バイス』(2006) MIAMI VICE 132分 アメリカ

監督:マイケル・マン 製作:ピーター・ジャン・ブルージ、マイケル・マン 製作総指揮:アンソニー・ヤーコヴィック 脚本:マイケル・マン オリジナル脚本:アンソニー・ヤーコヴィック 撮影:ディオン・ビーブ プロダクションデザイン:ヴィクター・ケンプスター 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ、ポール・ルベル 音楽:ジョン・マーフィ
出演:コリン・ファレル、ジェイミー・フォックス、コン・リー、ナオミ・ハリス、エリザベス・ロドリゲス、ジョン・オーティス、ルイス・トサル、バリー・シャバカ・ヘンリー、ジャスティン・セロー、ドメニク・ランバルドッツィ、キアラン・ハインズ、ジョン・ホークス、エディ・マーサン

 年末年始に実家に帰っていたわけだが、親が一日中テレビをつけている。
 大晦日、みんなで揃って鍋なんかを食ってるときでもテレビはつけっぱなし。もちろん、そのまま紅白歌合戦へ。
 オレはこの20年ほど紅白歌合戦など見たことがない。というか、見たくない。
 そこで、もう自分の部屋はなくなっているので代わりに客間に引っ込むと、久しぶりに家族が揃った大晦日なんだから、みんなと一緒にいろという。
 クソつまらん上に最低な演出で「はて、まだ昭和だっけか?」と思いたくなるような、よくこれで「受信料は義務だから払え」なんて言えるもんだと思いながら、テレビを消すと親が怒るので、隙を見ては他のチャンネルに変えたりしていた。
 格闘技に興味はないが『K?1 Dynamite』がなかなか面白かった。曙がアンドレ・ザ・ジャイアントの出来損ない相手に十数秒で負けていたり、ボビーがチェ・ホンマンに軽くあしらわれていたり、、桜庭がボコスコにやられて明らかに負けているのに相手にしがみついて、相手の秋山も途中で殴るのにつかれたのか子供のケンカパンチでパコパコやっているし。と思ってたら、後日にクリームを全身に塗っていたことが判明して秋山は失格になるし。あー、試合中になんかレフリーに文句を言っていたが、そのことだったのか。ともあれ、文句を言われる度に紅白に戻してはまたK-1に切り替える。本気の戦いにそれなりに見入ってしまった。
 しかしだ、アクション映画があったとして、その格闘シーンがK-1の中継そのままだったらつまんねぇだろうなぁ。
『マイアミ・バイス』(2006)劇場版を観ながらそんなことを思ったりしてな。

 コリン・ファレルのソニーがオリジナルのドン・ジョンソンの格好良さのかけらもなく、むしろ情けない風貌で、『フォーン・ブース』(2002)のような作品ならともかく、凶悪な事件が蠢く犯罪都市マイアミで活躍する腕利き刑事には見えない。そもそも今さえあなんで『マイアミ・バイス』なんだか。
 ジェイミー・フォックスのリカルドは多少ましだが、この人は臭い芝居やりたがりな人だ。そんな奴に、大切な人を生きるか死ぬかの大けがを負わせてしまった、なんてうっとおしい芝居をやらせるのは止めてほしい。

 で、ラスト近くの銃撃戦では、主人公たちに使わせる銃器もシチュエーションに合わせて狙撃用ライフルやアサルトライフルにショットガンなど様々。
 残弾数もきっちり描写し、その銃の装弾数だけ発射したらちゃんと弾切れになる。
 敵の弾は当たらず、主人公側の弾だけ当たるなんてこともない。銃弾の嵐の中を駆け抜けたら普通に死ぬ。
 射撃ポーズは本格的で、両手それぞれに銃を持って乱射とかはしない。
 ハンドガン?屋外戦ではそんな頼りのならないもの最後までつかわねーよ。
 現実のコンバットシューティングの作法に則って、それから外れないリアルな銃撃戦。
 うーん。どうなんだろ、これ。

 ストーリー自身がリアルな犯罪物だったらまだしも、麻薬密輸に関する潜入捜査と、主人公と敵側の女イザベラ(コン・リー)との愛、というエンターテインメント作品なんだから銃撃戦のところだけ急にマジになられても。
 マイケル・マンは「リアルだからすごいだろ」と思っているのかもしれないが、そもそも映画は作り物。スクリーンで見るとリアルな物が逆に作り物めいて見える場合もある。作り物の方がリアルに見えることだってある。
 仮に本物の銃と弾丸を使って実際の殺し合いを撮ったとして、それはリアルなんだろうか?面白いんだろうか?・・・これがテレビの生中継ならばそれなりに面白いのかもしれないが、これは映画だし・・・
 『ヒート』での銃撃戦の焼き直しという感じで、そこからの進歩がないのがちょっと。さらなる一歩があれば個人的評価はまた変わったはず。丁寧に作っているのはよく分かるが、なんというかそれで満足せずにさらに先に進もうという意欲とアイディアが欠損していた。
 リアリティつったって、実際の銃撃戦を見たことがある訳じゃないしね。本当にリアルなのかもオレには分からん。
 ジョン・ウー的銃撃戦もさすがに流行は終わったので、今は次なる銃撃戦スタイルの登場を待つ時期なのだろう。

 イザベラが銃撃戦の最中にソニーの胸に輝く警官バッジを見て、その正体に気づく。このシーンで、バッジをアップにせずに光を反射してきらきらと輝く小さな物までとしか見せないところなんかは好きだ。出陣前のシーンで武器の用意をしているときに胸元に警官バッジを吊していることはすでに観客に分かっていることである。あそこでアップを入れない方が粋である。
 問題は「えっ、何でイザベラーは突然、「あなた何者なの?」とか言い出したの?」という観客もいるだろうってことだ。

 コリン・ファレルやジェイミー・フォックスが渋く決めたつもりでも、美味しいところは全部コン・リーが持ってっちゃった。

 『007 カジノ・ロワイヤル』が公開することだし、一度シリーズを通して書いてみるかな、とふと思いついたのが運の尽きだった。
 書き始めてすぐわかったことだが、ほとんど何も覚えていない。車が360度側転ジャンプするシーンとか、ボンドとジョーズがスカイダイビング中に戦うとか、断崖から飛び降りたボンドのパラシュートが英国国旗の模様だったとか、シーンは覚えているのだが、どの映画のどこで登場したかとなるとさっぱりだ。
 ブロスナンボンド作品に関してはまだそれなりに記憶にあるが、コネリー・ムーアボンドの頃となるともう記憶の彼方。どれもこれも基本的には世界を狙う悪党がいて、ボンドがマティーニやドン・ペリニオンを飲みながら美女といちゃつき、そして敵をやっつける。それの繰り返しが20数本もあっては、別段007マニアでもなく、普通に好き程度なオレにとってはどれがどれやら区別が付かない。
 一応、ビデオやDVDでカットされていないフルバーションは全作品とも観ているが、これで書く自信はない。というか書けない。
 しょうがないので、1日1本のペースで『ドクター・ノオ』から観直していった。
 そこまでは良いのだが、失敗したのは逐一メモを取っていったことだった。これまでそういう行為はしたことがなく、観終えた後に記憶に頼って「こうだったよな。ああだったよな」と書いていた。
 今回はメモがあるので、当然それに沿って書いていく。このシーンから始まって、こうなって、そうなって・・・気がつくとただ単に粗筋を書いているだけだった。読み直してみるがつまらん。
 だが、上映中にメモを取る映画評論家もいるそうだし、まだ慣れていないだけかもしれないからしばらくこのスタイルを続けてみよう。そのうち、自分なりのメモを使った文章の書き方が見つかるかもしれない。
 そして『ダイ・アナザー・デイ』まで書いたが(『カジノ・ロワイヤル』は劇場だったのでメモを取る余裕などなかった)、延々と粗筋を書いただけで終わった。

結論:メモを取って、それから文章を組み立てるというやり方はオレには向いていない。記憶力の悪さには自信があるが、それでもなお覚えていることは本当に重要だったりすごかったり美しかったりすること。だからそれを頼りに勢いに任せてダダダダッと書く方が楽しいし、自分で読み返してみる分でもそちらの方が面白い。他人がどう読むかは知らんが。
 メモも単なる材料の一つとして、書きたいことの補足として使う分にはいいのだろうが、オレはどうしてもメモに引きずられてしまった。

 そもそもメモの取り方も悪いのだろう。これもメモしなきゃ、あれもメモしなきゃで、印象に残った点ではなくストーリーの概要に過ぎなかった。
 大学受験の頃、参考書の重要と思える点にマーカーを引いたが、気がつくとほぼ全行がマーカーだらけ。こんなもん知るかいと参考書を投げ出し、ついでに受験勉強も投げ出した。だが、実際の入試ではマーカーとは関係なしに、授業で教わって印象に残っている事が出題されていて、浪人かもなぁと思っていたのに、受験した2校とも合格していた。
 何か関係ありそうな気もするが、多分ない。

 ちなみに007シリーズを一気に観た感想としては、面白かったかと聞かれれば「面白かった」。あなたの心には何が残りましたかと聞かれると「何も残らなかった」
 でもその「何も残らない」ところが良い。観ている最中はハラハラしたり笑ったりアクションに驚いたりして、劇場を一歩出た時点で忘れている。007シリーズというのはオレにとってそういう存在だ。ある意味くだらない、だから楽しいの。
 映画1本観る度に、上映後にまであれこれ問題意識や人生の意義などを真摯に考えさせられていたら死んじゃうよ、オレ。色々なややこしいことは現実の人生でもう充分すぎ。その手のはたまにでいいや。
 ちなみに『父親たちの星条旗』も『硫黄島からの手紙』もオレにとってはまず娯楽映画。「その手の映画」のような映画としての程度が低い物ではなく、美しく、残酷で、燃える、娯楽映画。オレと映画との関わり方はそんな感じだ。

B000BSQQV8.jpg『国際諜報局』(1964) THE IPCRESS FILE 107分 イギリス

監督:シドニー・J・フューリー 製作:ハリー・サルツマン 原作:レン・デイトン 脚本:ビル・キャナウェイ、ジェームズ・ドーレン 撮影:オットー・ヘラー 音楽:ジョン・バリー
出演:マイケル・ケイン、ナイジェル・グリーン、スー・ロイド、ガイ・ドールマン、ゴードン・ジャクソン

 マイケル・ケインが英国スパイ“ハリー・パーマー”を演ずる本格スパイ物。シリアスで全体的に重く、遊びやロマンスの要素はなし。シビアにスパイという職業を冷静にカメラが捉えている。
 全三部作だが、日本でDVDソフトになっているのは2作目の『パーマーの危機脱出』(1966)だけ。1作目と3作目の『10億ドルの頭脳』は10年ほど前にビデオになっているので、大型店なら見つかるかもしれない。

 このシリーズはリアルに、といっても実際のスパイの仕事姿など知りようがないので推測に過ぎないのだが、カジノもステアーでなくシェイクしたマティーニも美女とのロマンスとも関係なく、英国情報部に就職して国家公務員(だよな)として忠実に任務に就く諜報員ハリー・パーマーの姿を描いている。
 出張するときにはちゃんと仮払伝票を書いて、帰ってきては経理に精算書類を提出してそうな、撃った銃弾の金額をちゃんと経費として伝票を切ってそうな、色んな意味でリアルなスパイだ。情報屋から情報を買ったときもちゃんと領収書をもらっているのだろう。

 だからといって物語が平凡で、9時から5時までデスクワークをして終わるわけではない。上のはあくまでもイメージで、ハリー・パーマーは腕利きのスパイとして誘拐された科学者の捜索任務に当たる。そこにはミサイルを発射するパーマーカーも、Qが作るような秘密兵器も、金属の入れ歯をはめた怪人も登場しない。
 このハリー・パーマーが渋くて格好いい。黒縁眼鏡のマイケル・ケインがプロフェッショナルな雰囲気を醸し出している。『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』(2002)にパワーズの父親として英国情報部員のマイケル・ケインが黒縁眼鏡で出てきたが、あれはハリー・パーマーへのオマージュだろう。

 007シリーズの対極を行くようなこの作品だが、では007と無縁かというとそうではない。007へのアンチテーゼとして、娯楽方面に突き進んでいく007に対してそれとは違うスパイ像を描いたという点で、007とは違う方向へ進むという意味で大きな影響を受けているのだ。
 ここで、「いや原作のレン・デイトンをかなり忠実に描いているので、007は関係ない」という指摘が出てきそうだが、出てきても無視する。オレが話しているのはスパイ映画についての話であって、スパイ小説の話ではない。原作は原作だし、映画は映画。別物だ。

 007シリーズ以前にもスパイ映画は当然あった。国同士の関係がより複雑という点からか、アメリカ映画よりもヨーロッパ映画中心だった。ドイツ出身のフリッツ・ラングやイギリス出身のアルフレッド・ヒッチコックもスパイ映画を手がけている。
 しかし、007誕生以降のスパイ映画は、意図しているしていないに関わらず、何らかの形でその影響を受けている可能性が大きいと言うことだ。

2009年4月26日追記 ずいぶん昔にテレビで観たときの記憶で書いたのだが、DVDで観直したらパーマーが割と軟派な皮肉屋でイメージが違った。

B000223MDI.jpg『スパイ・ハード』(1996) SPY HARD 90分 アメリカ

監督:リック・フリードバーグ 製作:リック・フリードバーグ、ダグ・ドレイジン 製作総指揮:ロバート・L・ローゼン、レスリー・ニールセン 脚本:リック・フリードバーグ、ディック・チャドナウ、ジェイソン・フリードバーグ、アーロン・セルツァー 撮影:ジョン・R・レオネッティ 音楽:ビル・コンティ 主題歌:アル・ヤンコビック
出演:レスリー・ニールセン、ニコレット・シェリダン、チャールズ・ダーニング、マーシャ・ゲイ・ハーデン、バリー・ボストウィック、アンディ・グリフィス、レイ・チャールズ、メイソン・ギャンブル

 アル・ヤンコビックが歌う主題歌が実に楽しい。
「スパイハ??????????????????????????ドッ!」
 で、アル・ヤンコビックの頭がドッカーン。
 この時点で再生を止めて、そのままレンタル店に返却すれば、笑えるバカ映画として一生記憶に残るでしょう。
 えっ、本編?ダメだってば、観ちゃ。いつも通りのレスリー・ニールセン物なんだから。

 アル・ヤンコビックとレスリー・ニールセンは『裸の銃を持つ男』でも競演してました。世界的なロックスターとしてジャンボジェット機から降り立つのがアル・ヤンコビック。誰が世界一のロックスターやねん。
 その記者会見の壇上を、自分の記者会見だと思いこんで、ドレビン警部(レスリー・ニールセン)が上がり込んでしゃべりまくるというギャグでした。確か。

 レスリー・ニールセンに関しては、『裸のガンを持つ男』のプロトタイプであるTVシリーズの『フライング・コップ』までですね、面白かったのは。
『禁断の惑星』(1956)や『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)を観れば分かるんですが、この人は本来二枚目系の俳優なんですよ。それもあまり演技力のない。『フライングハイ』では、その往年の二枚目俳優が真面目な顔でバカをやるというネタにされていたから面白かったんです。
 レスリー・ニールセン本人が面白いわけではなく、ギャグの素材として監督なり脚本家が使うことによって初めてギャグになる。本当はそういう存在なんです。
 それを何を勘違いしたのか「うーん、オレって面白人間」と勘違いして、積極的にギャグをやり始めてからてんでダメになりましたな、この人は。
 レスリー・ニールセンはコメディアンとしての才能はないんですよ。そこら辺を勘違いしている。この人のギャグセンスは変な顔や変なことをすればギャグになるだろうという、小学生レベルの物なんです。せめて、わかっている演出陣が使えばなんとかなるんですけどね。実際、スタンリー・トンが撮った『Mr.マグー』(1997)は面白かったですよ。
 しかし、大半の映画がこの『スパイ・ハード』と同じく、あまり才能がなさそうな監督と組んでいるので悲惨な出来の作品が量産されています。

 この作品でも例によって他の映画のパロディというか単にモジリだと思うんですが、それが大量に登場します。でもって、どれもつまらないの。もう見事なぐらい。もういいいから、オレに撮らせろよオレにって感じです。
 タイプとしては『最終絶叫計画』(2000)なんかと同じですかね。制作陣が「くだらない=面白い」と勘違いしちゃってるの。くだらないと面白いは別に相関関係じゃないんですけどね。わたしは面白ければくだらなくても、そうでなくても関係ないんですが、つまらないので『スパイ・ハード』は嫌いと。つまりはそういうことです。

 あえて内容面で評価するとしたら、007シリーズの持つ無意味さと派手さを拡大解釈したということぐらいですかね。でも007シリーズのパロディとしても非常に中途半端です。

wutl.jpg『What's Up, Tiger Lily?』(1966) 81分 アメリカ(それと日本)

監督:ウディ・アレン
出演:三橋達也、佐藤允、他

 えーっ、ウディ・アレンが60年代に三橋達也主演作なんて撮ってたの。しかもスパイ映画?何それ??
 てなもんだろう。オレも話に聞いただけで実際にお目にかかったことはないので、いまだに何それ??である。

 007シリーズのヒットで、柳の下の二匹目の泥鰌を狙った作品が乱作されたことはすでに書いた。
 アメリカでも模倣作は作られたが、日本でも当然作られた。その一つに三橋達也主演の『国際秘密警察』というのがある。シリーズで全五作あるそうだ。
 監督が坪島孝などで製作が田中友幸という点からわかるように東宝作品だ。この組み合わせだと『クレイジーキャッツ』の主演作みたいだな。こちらはコメディではなくシリアス作品である。縁がなく、この『国際秘密警察』シリーズも観たことはない

 『007 ドクター・ノオ』(1962)が1963年6月に日本で公開され、大ヒットしたとみるや即効短期間低予算で取りかかり、一作目の『国際秘密警察 指令第8号』が制作された。公開されたのが1963年8月31日だというから驚きである。
 もっとも、1960年代前半はまだプログラムピクチャーの時代で、テレビのドラマに近いペースで新作が公開され、そして消え去っていった頃の話。撮影は数日で、脚本から完成まで2週間で作り上げるなんてのが当たり前だったそうだから、そんなに無茶な話ではないのかもしれない。

 内容は007風のスパイアクションで、ショーン・コネリーの役を三橋達也が演じたような作品だそうだが、これが白人社会ではかなり珍妙な感じに受け取られたらしい。
 白人の視点に立つと、東洋人がスーツにコート、そしてソフト帽姿で拳銃を扱い、すっかりジェームズ・ボンド気取りなのかかなり可笑しかったようだ。
 何となく分かる気もする。日本人が着物を着て刀を持って登場しても違和感は感じないだろう。しかし、東洋人が西洋人風振る舞いをしているところに違和感とそして笑いを感じたのだろう。その理由の一つにはもちろん人種差別もあるのだろう。アメリカのTVシリーズでチンパンジーが主役のスパイや悪党を演ずる『チンパン探偵ムッシュバラバラ』というコメディドラマがあったそうだが、それどこか通じる物があるのだろう。
 つまりは、白人から見れば、東洋人がジェームズ・ボンドの真似をすることと、チンパンジーがジェームズ・ボンドの真似をすることに大差はないんじゃなかろうかということだ。
 これは1960年代の価値観で、2007年現在の価値観とは違うし、情報量も増えた現在ではさらに変わっていくことだろう。違っていない部分も変わっていない部分もあるだろう。
 それに日本人だって他の有色人種に偏見を持っている人は多そうだ。これは個人的体験だが、アメリカで多数のインド人がプログラマとして活躍しているというニュースを読んだ知り合いが、「えっー、インドなんか1、2、3、たくさん、だからプログラムなんか無理じゃないの」という発言をリアルで聞いたことがある。多分、知能指数はBBCのプロデューサー並だ。

 話を『What's Up, Tiger Lily?』に戻すと、シリーズ3作目の『国際秘密警察 火薬の樽』(1964)と4作目の『国際秘密警察 鍵の鍵』(1965)をウディ・アレンが無理矢理編集で1本の映画に繋げてしまい、しかもシリアスな話を、ハチャメチャなストーリーとして英語で吹き替えたのが『What's Up, Tiger Lily?』なんである。
 最近のウディ・アレンしか知らない人は、「都会的でおっしゃれー」とか思っているかもしれないが、初期のウディ・アレンは泥臭いユダヤジョークを連発するジョーク作家だったのだ。基本的にはメル・ブルックスを大して変わらん。
 被差別と被迫害に関してはおよそ三千年の歴史を持つユダヤ人であるウディ・アレンが日本人をネタにしたわけだな。中島らもが「笑いとは差別だ」といったような発言をしている。最近やたらと妙な外見や発言で笑いを取るキャラクター芸人が増えた。あれを見て笑ってるのだってつまるところ差別によって生まれた笑いなのだ。

 観たいなー、観たいなーと思っているのだが、未だに巡り会う機会がない。DVDで出してくれんかなー、しかも日本語吹き替え付きで。一度観たらそれでもう満足して一生観なさそうだが。

B000FF6VOY.jpg『トリプルX ネクスト・レベル』(2005) XXX:STATE OF THE UNION 101分 アメリカ

監督:リー・タマホリ 製作:ニール・H・モリッツ、アーン・シュミット 製作総指揮:ロブ・コーエン、デレク・ドーチー、トッド・ガーナー 脚本:サイモン・キンバーグ 撮影:デヴィッド・タッターサル キャラクター原案:リッチ・ウィルクス 音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:アイス・キューブ、サミュエル・L・ジャクソン、ウィレム・デフォー、スコット・スピードマン、ノーナ・ゲイ、サニー・メイブリー、マイケル・ルーフ、ピーター・ストラウス、ジビット、ポール・コリンズ

 またもや世界が危機に陥った。もはやこれまでの従来型スパイでは手に負えない。そこで悪党には悪党をぶつける。そのために前作で活躍したあの男“トリプルX”が帰ってきた・・・
 って、前作では白人だったのが黒人になってる。しかも仏頂面のヒゲダルマ。
 まぁ、007シリーズでも何度か主演俳優は変わってるしなと思ったら、「あんた何が出来るの?前のトリプルXは色々できたよ。スノーボードにスカイダイビングにレースに・・・」、「で、そいつはどうした」、「・・・この間の任務で死んだよ」
 死んだのかよ、ザンダー・ケイジ!

 こんな設定のせいか全米での興業収益も今ひとつで、日本では劇場未公開のビデオスルー作品となってしまった。結構面白いのに。
 それもこれも全て、前作のトリプルXことザンダー・ケイジを演じたヴィン・ディーゼルが悪い。バカでお気楽な娯楽映画なんてうんざりだぜ。俺はすげぇ俳優なんだから、もっと演技力を必要とする作品にしかでねぇぜ。シェークスピア作品とかな。分かってる?そこんとこ。

 ヴィン・ディーゼルがそのようなことを考えていたかについては大きな間違いはないだろう。麻薬捜査官が家族を殺されたというアクション映画なのに、延々と主人公が悩み苦しむ様を見せられる『ブルドック』(2003)とか、前作の『ピッチ・ブラック』(2000)は低予算ながらアイディアの詰まったB級SFの佳作だったのを、無駄に金をかけて本人だけ観念的なつもりの単に意味不明というか頭の悪いSF大作にしてしまった『リディック』(2004)とか、散々たる状況である。
 そもそも、娯楽作品を下に見た時点でディーゼルの負けは決まったような物だ。映画はそもそも娯楽だ。娯楽映画こそ映画の基本だ。ちゃんと娯楽が出来ないはどこに行ってもしょせん2流だ。自己愛と自意識ばかり強い困った男である。あー、やだやだ。
 そしてどれもこれも失敗して、食うに困ったのかシュワルツェネッガーの『キンダガートン・コップ』(1990)の出来損ないでしかない(しかも『キンダガートン・コップ』自体が大した出来ではないというのに)『キャプテン・ウルフ』(2005)に手を出す始末。バカヤロ、娯楽は甘くねーっつーの。

 そこで二代目トリプルXを襲名したのがアイス・キューブ。この人、『ゴースト・オブ・マーズ』(2001)や『トルク』(2004)などでも渋くて格好いいという設定の人物をやっているが、アメリカ人にとっては実際にこの人はそうなんだろうか?
 どうもこの小太りでムスッっとした顔を見ると、荒井注を思い出してしょうがないのはオレだけだろうか。
 映画の前半で、アイス・キューブは収容されていた軍事刑務所から脱獄を試みる。銃で武装して後を追ってくる看守たち。
 刑務所の屋根に追い詰められたアイス・キューブは何を思ったか屋根からジャンプ。映像は「スローモーション、ション、ショーン」。もしかして諦めて身を投げたのか?
 次の瞬間、救助に来たヘリのバーにしがみついていて、無事に脱出するのだが、このスローモーションがコメディ映画のカットにしか見えなかった。うーん、本当に格好いいのかなぁ?
 映画『ストリートファイター』(1994)の主題歌も歌ってたよな、そういえば。本業はラッパーだってのはすっかり忘れてた。

 とりあえずもはやスパイ映画ではなく普通のアクション映画。そう割り切ってみればなかなか楽しい。この作品は見た目以上に低予算で作られてそうな感じだ。おそらくはセガール映画よりちょっと多いぐらい?そこを工夫と「CGってバレバレだけど、しょうがないじゃんか。金ねーんだから」という開き直りでカバーしている。
 そもそもはソニー・ピクチャーズが007シリーズに対抗して作られたという『トリプルX』。そのソニー・ピクチャーズが007の制作に関わってしまった今となっては、もはや続編が作られることはないだろう。
 その供養も含めて観るべし、観るべし。

245366.jpg『0011ナポレオン・ソロ2』(1983) RETURN OF THE MAN FROM U.N.C.L.E. 97分 アメリカ

監督:レイ・オースティン 製作:マイケル・スローン 脚本:マイケル・ショーン 撮影:フレッド・J・コーネカンプ
出演:ロバート・ヴォーン、デヴィッド・マッカラム、ジョージ・レーゼンビー、パトリック・マクニー、トム・メイソン、ロイス・ド・バンジー、ゲイル・ハニカット、キャロリン・シーモア

 007シリーズのヒット後にいくつものパクリ作品が作られたが、その中でも上質な方だと思う。知名度も高いので知っている人も多いだろう。
 TVシリーズとしてスタートしたが、大人気のため後に何度か映画化された。もっとも、オレが観たのはTVシリーズの方だけ、しかもそれほど数は観ていない。
 唯一まともに観たのがこの『0011ナポレオン・ソロ2』だ。長編だが映画ではなくTVムービーである。だからあまり金はかかっていない。
 TVシリーズでの敵はスラッシュという悪の組織だった。ついにそのスラッシュを壊滅させ、秘密結社アンクルを引退して今はそれぞれ悠々自適な生活を送っているソロとイリア。しかし、スラッシュが再び動き出し、核兵器で世界相手に身代金を脅迫してきた。そこでアンクルはスラッシュと戦うためにソロとイリアを現場復帰させた。
 いくら敏腕スパイだったとはいえ、それは過去の話。果たして二人は世界を救うことが出来るのだろうか。

 TVシリーズの方は当初比較的シリアスに始まったのだが、次第に単なる脇役だったイリアが相棒になるまで比重が高まった。そしてソロとの掛け合い漫才的要素が増えていき、加速度的にコメディ度が強くなった。
 コンビ物ではよくあることだが、イリア(デヴィッド・マッカラム)の人気が主役のナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)を上回ってしまい、二人はカメラの前以外では不仲だったという説もある。お笑いコンビか、あんたらは。

 ロバート・ヴォーンは好きな俳優で、大統領や副大統領、軍の総司令官など偉い人物を演じさせたら一番だろう。ちなみに次点はマーティン・シーン。『荒野の七人』での黒い手袋をはめたガンマンなど渋かった。そしてそのキャラクターと扮装をほぼそのままでパロディ(パクリ?)映画『宇宙の七人』に出てしまう節操のなさとか好きだ。
 だが、シリアスが似合うヴォーンにとって、どちらかというと苦手なコメディでデヴィッド・マッカラムを相手に回してしまっては、確かにキツイ物があるだろう。

 役者としての比較だとヴォーンの方が格段に格が上なんだけどね。デヴィッド・マッカラムはイリア役か『大脱走』(1963)、あとはチャールズ・ブロンソンに女房のジル・アイアランドを寝取られたという印象しかない。

 この『ナポレオン・ソロ2』ではさすがに月日が過ぎただけあってとっくに雪解けしたようで、「久しぶりだな、イリア(矢島正明)」、「ナポさんこそ元気そうじゃないの。ちょっと髪薄くなっちゃったりした?あっ、ごめーん、気にしてたぁ(野沢那智)」てな感じでほのぼのとして、オリジナルのファン向け以外の何者でもないが、のほほんとして作品としての出来の善し悪しなど関係ない次元で楽しめた。
 唐突に「JB」というナンバープレートのアストン・マーチンに乗ったジョージ・レーゼンビー出てくるし。

 10年ほど前だっただろうか、「あの人は今?」的な番組にソロとイリアのコンビが出演していた。
 日本のスタジオに来たわけでもなく、アメリカで二人が揃ったわけでもなく、二人を中継で繋げるだけだったが、ボールペン型の小型通信機を使って、「オープン・チャンネルD」とかやり取りしてた。
 なんかちょっと泣けた。単に懐かしいでもなく、二人がこんな番組に出演させられていたからでもない。あの涙の意味は未だによく分からない。

seq_nbomb.gif『それ行けスマート 0086笑いの番号』(1980) THE NUDE BOMB 94分 アメリカ
監督:クライヴ・ドナー 製作:ジェニングス・ラング 原作:メル・ブルックス、バック・ヘンリー 脚本:アーニ・サルタン 撮影:ハリー・L・ウルフ 音楽:ラロ・シフリン 
出演:ドン・アダムス、シルヴィア・クリステル、ヴィットリオ・ガスマン、ロンダ・フレミング、パメラ・ヘンズリー、ダナ・エルカー

 オリジナルは1960年代に007シリーズのヒットのおこぼれを頂こうと作られたTVシリーズのパロディスパイ物。こちらの方は観たことがないが、脚本の一部をメル・ブルックスが担当しているので、さぞかししょーもない&くだらない(良い意味で)作品であっただろう事は間違いないだろう。
 そして1980年。何を考えたか今さらスマートが帰ってきた。もちろん、相変わらずのバカだ。

『それ行けスマート』では靴が無線通信機になっているというのがお約束だったらしい。
 今作のオープニングでも、パラシュート降下兵が飛行中の輸送機内に座っているときに、プルルルと呼び出し音が鳴る。となりの兵士に、「あんたに電話じゃないの」といわれてスマートはようやく気づく。そして片方の靴を顔に当てる。「もしもしスマートです」。どうでもいいがオドイーター必須だな。

 今回の敵は、TVシリーズで壊滅させたはずの悪の組織ケイオス。カオスのケイオスである。その名の通り、社会を混沌と混乱に陥れるのが目的だ。
 これまでも様々な計画を立てては、そのたびにスマートに邪魔されてきたのだが、今度は世にも恐ろしい「ヌード爆弾ことヌードボム」を引っさげてのリベンジ戦だ。
 「ヌードボム」とは全ての繊維を破壊してしまい、男も女も老いも若きも素っ裸にしてしまうといううらやま・・・いやいや、ありがた・・・いやいや、恐ろしい兵器なのだ。
 ケイオス印の衣料品だけは爆弾の影響を受けないので、それに乗じて衣料製造販売業を一手に握るという壮大なんだか地道なんだかよく分からない連中だ。

 もちろん、今回もスマートはケイオスに立ち向かう。
 本家ユニバーサルスタジオでスタジオ観覧バスでカーチェイスをやったりの大活躍。
 中でも白眉は超高速机カーだろう。007シリーズでMが使っているようなマホガニーか何かで作られた一見普通の机だが、この机はなんと走る。机を椅子がセットになったような状態で公道上を走る。どう見ても時速60kmは出ているのではないかという高性能マシンだ。それなりに映画を観てきたつもりだが、机と車のカーチェイスというのは初めて見た。もちろん、ミサイルなどの秘密兵器は標準装備だ。

 ラストは衝撃の結末、というかドン・アダムスの尻なんか見たないわ。
 日本ではDVD化はされていないが、以前ビデオにはなったので、大型ビデオレンタル屋ではまだ置いてあるところもあるかもしれない。興味のある人はどうぞ。爆走机だけで元は取れるんじゃないかな、と。

追記:ハリウッドで『ゲット・スマート』としてリメイクが進行中。今度はどんな間抜けな活躍をしてくれるか楽しみである。携帯電話が普及した世の中で、靴型通信機をどうするか気になる。

B000KQFCBG.jpg『電撃フリント アタック作戦』(1967) IN LIKE FLINT 115分 アメリカ

監督:ゴードン・ダグラス 製作:ソウル・デヴィッド 脚本:ハル・フィンバーグ 撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ 特殊効果:L・B・アボット 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:ジェームズ・コバーン、リー・J・コッブ、ジーン・ヘイル、アンナ・リー、アンドリュー・ダガン、ハンナ・ランディー、トッティ・エイムズ、イヴォンヌ・クレイグ、スティーヴ・イーナット、ハーブ・エデルマン

 前作では世界を平和的に支配しようとする科学者集団が相手だったが、今回世界を狙うのは美女たち。世界は女性によって支配されるべきだというフェミニスト軍団である。
 1960年代後半にはアメリカでウーマンリブ旋風が吹き荒れていたので、そこからヒントを得たのであろう。田嶋先生が脚本に途中まで関わっていたという説もあるが、定かではない。

 宇宙に打ち上げられたのは世界初の有人宇宙ステーションだった。そこに人を送り込み、各種実験を試みるという計画だ。まずは二人の宇宙飛行士が送り込まれた。
 この宇宙ステーションという設定は、当時まだ計画段階だったスカイラブをヒントにした物だろう。ちなみにスカイラブ1号が打ち上げられたのは1973年5月14日。スパイ映画であると同時にSF映画といっても良いだろう。宇宙服はペナペナな銀色スーツでさすがに時代を感じさせるが、ロケットの打ち上げシーンのミニチュアはなかなか良い出来で、実際のロケット打ち上げ映像も巧みに交えて意外にリアルだ。

 悪の組織、うーん悪の組織といっていいのか微妙だが、彼女たちは男性が支配する現在の社会に不満を感じている。そこで、美容室などのヘルメット型のドライヤーに洗脳装置を組み込んで同志を増やすとともに、バージニア諸島に美顔クラブという島を作り、そこを本拠地として計画を刻々と進めていた。
 具体的には、打ち上げられたばかりの宇宙ステーションの駐留宇宙飛行士を女性と入れ替え、そこに核兵器を持ち込む。地球上のどこでも標的にすることが可能なため、それによって各国政府を脅迫し女性によって支配するダモクレス計画である。ダモクレスとは「ダモクレスの剣」のダモクレスだろう。頭上に一本の糸で剣を吊し、そうすると剣がいつ落ちてくるかと冷や冷やして暑い夏でもクーラーなしで過ごせるという奴だ。(違うっちゅーに)

 美顔クラブの4人の幹部がフリントに語る内容は、当時としてはかなり過激でセンセーショナルだったのかもしれないが、今聞くと普通だったりする。
「上司や夫より秘書や妻の方が重要な仕事をやっています。上司が出張しても仕事に影響はありませんが、秘書が休んだら全てストップしてしまいます」「女は男よりも長生きです」「器用さも20%上です」「辛抱強さは比較にもならない」うんぬん。
 それに対してフリントは「それはそうかもしれないが、そんなに急ぐ必要があるかね。次第にそうなっていくんじゃないのか。とにかくやめとけよ、そんなの」と計画自体には否定的。

 こうして綿密に進められた美顔クラブの作戦だが、計画遂行上やむを得ず男性を使ったのが運の尽き。洗脳した男を大統領そっくりに整形手術して本物と入れ替えたのだが、一度権力の座を味わってしまった偽大統領はすっかり浮かれあがった。自分が偽とはいえ大統領の地位に就けたのも美顔クラブのおかげということも忘れ、ついにはカーター准将という軍人の手駒にされてしまう。カーター准将はダモクレス計画を自らの欲望のために彼女らから奪いうため、島を部下とともに支配する。男の欲望の内、権力欲というのはかなり上位になるのだろう。そして、女性が上に立つこと、厳密には女の下の立場になることが死ぬほど嫌いな人が多いようだ。
 なまじっか男を信用したために崩壊してしまった彼女たちの計画だが、そんな卑劣な奴らのことを我らがフリントが許すはずがない。
 フリントは美顔クラブの美女たちに水着姿など肌もあらわな服装にさせると、宇宙ステーション行きのロケット発射基地に彼女たちと乗り込んだ。
 アサルトライフルで武装した軍人たちだが、彼女らの「おいろけ作戦」にあっけなく引っかかり、でれっとしているところをコテンパンにやられてしまう。
 オトコって、ほんとバカばっか!!

『GO!GO!作戦』『アタック作戦』のどちらも世界征服を狙う連中が相手となっているが、どちらも私利私欲のためではなく、世界を安定させより平和にするのが目的ではある。でもそれって、自分たちと意見の異なる者は排除することによって成り立つ安定であり平和なのだ。つまるところはファシズムである。

 そう考えると、フリントは何者にも縛られず自由のために戦うヒーローなのかもしれない。

B000KQFCC0.jpg『電撃フリントGO!GO!作戦』(1966) OUR MAN FLINT 108分 アメリカ

監督:ダニエル・マン 製作:ソウル・デヴィッド 原作:ハル・フィンバーグ 脚本:ベン・スター、ハル・フィンバーグ 撮影:ダニエル・L・ファップ 特殊効果:L・B・アボット 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:ジェームズ・コバーン、リー・J・コッブ、ギラ・ゴラン、エドワード・マルヘア、ベンソン・フォン、ジアンナ・セラ、ジェームズ・ブローリン

 007シリーズの世界的大ヒットで、柳の下を狙って模倣作のスパイ映画が山ほど作られた。
 そのほとんどは単なるエピゴーネンに過ぎず、今となっては忘れ去られ、今度も思い出されることなどない作品ばかりだ。
 だが、何事にも例外はある。この『電撃フリントGO!GO!作戦』は1966年の作品だから『007 サンダーボール作戦』(1965)と『007は二度死ぬ』(1967)の間の時期に製作された作品である。二番煎じを狙った低予算映画ではなく、かなり金も使い、スタッフも揃え、FOXがかなり本気で挑んだと思われる作品だ。特撮シーンもなかなかだし、音楽はなんとジェリー・ゴールドスミス。
 当時の007はコネリーボンドの時代で、まだリアリティ指向があったが、『電撃フリントGO!GO!作戦』はリアリティ無視の面白ければ何でもあり映画になっている。作風としてはムーアボンドの『私を愛したスパイ』や『ムーンレイカー』に似ているだろう。ある意味、先取りだ。

 世界中で異常気象がおきている。大型台風が発生したり、火山が噴火したり。今のところ犯行声明はないが、これらの現象には必ずなにか裏で操っているものがいるはず。
 そして、何台ものコンピュータでそれぞれ独自にこの事件解決に最適なスパイを選び出すのだが、どの答えもそろってフリントの名をあげた。
 このフリント(ジェームズ・コバーン)という男、MI6の0008を遙かにしのぐスーパースパイなのだが、スパイ稼業には興味が無く、ビルの1フロアを貸し切って4人の美女と優雅な生活を送っている。世界的な事件にも興味が無く、依頼を断り続けていたのだが、結局現場に引きづり出されてしまう。こうしてフリントの冒険が始まった。

 悪の組織は後半になってようやく登場する。3人の科学者によって管理されたその組織は、あるエネルギーによって極地の氷を自在に溶かしたり、休火山を噴火させて地震を起こすなど、気象を自在に操ることが出来た。そして彼らが要求してくるのは、全ての核兵器や軍艦、戦闘機などの軍事兵器の破棄と、ギャラクシーによる恒久平和的な世界構築であった。ちなみにその3人の科学者の名前とはカスパーとバルタザールとメルキオールである。(違うって)
 しかし、どんなに素晴らしい世界に思えても、絶対権力者が支配する世の中などいわゆるデストピアに過ぎない。この作品でもギャラクシーの手下たちは自由意志で働いているようで、実は薬物と洗脳で従っていたのだ。デストピア物としては、『1984』とか『華氏451』とか、出来は悪いが『リベリオン』とか、古くは『メトロポリス』とか『来るべき世界』あたりだな。社会風刺的なことを言うと、今の日本ってデストピアだよなぁ。ゴムバンドを口にくわえた芸人さん。そりゃユートピアだ。
 もはや世界の運命はフリントに託された・・・と思いきや死んでやんのフリント。
 しかし、実はフリントには驚くべき特技があってそこからまた大活躍が始まるのだが、その特技は観てからのお楽しみ。『ダイ・アナザー・デイ』でブロスナンボンドが同じ技を使っていたが、ひょっとしてオマージュか?

 ちなみに、007をモデルにしたとかもしれない0008(演ずる役者がちょっとショーン・コネリーに似ている)とは仲が悪いわけでもなく、安酒場で出くわしたときにケンカの振りをして情報交換をしている。お互いに認め合っている関係のようだ。0008は麻薬関係の事件を追っていて、フリントが「スペクターか?」と尋ねると「それは密売組織に過ぎない。製造元はギャラクシーという組織だ」という会話がある。うん、やっぱ0008は007だ。ちなみにトリプルオーエイトと読む。

 女好きで空手打撃系で戦うフリントが格好いい。ジェームズ・コバーンは背が高い上に手足が長い人なので一つ一つの技が格好いい。もちろん、1966年のハリウッド映画ではボクシングの格闘シーンならまだしも、空手系の撮り方や演出方法もまだ出来上がっていないし、監督のダニエル・マンがそこら辺に興味がなさそうな人なので、現在の眼でみるとつらいものはある。
 でも、ジェームズ・コバーンはスティーヴ・マックイーンなどと一緒にブルース・リーの元でジークンドーを学んだ一人だぞ。本気でジークンドーを極めようとかではなく、役者としての幅を広げるためなんだろうが、ブルース・リーの直弟子だ。

 そして今回のギャラクシー事件は無事に解決し、世界の平和は守られた。
 しかし、またいつ何時世界を危機に陥れる悪が現れるとも限らない。
 だが心配するな。我らがヒーローフリントは必ず帰ってくる。

「FLINT WILL RETURN IN “電撃フリントアタック作戦”」

B000IU39DC.jpg『007 カジノ・ロワイヤル』(1967) 007 CASINO ROYALE 130分 イギリス
監督:ジョン・ヒューストン、ケン・ヒューズ、ロバート・パリッシュ、ジョセフ・マクグラス、ヴァル・ゲスト 製作: チャールズ・K・フェルドマン 原作:イアン・フレミング 脚本:ウォルフ・マンキウィッツ、ジョン・ロウ、マイケル・セイヤーズ 撮影:ジャック・ヒルデヤード 作詞:ハル・デヴィッド 音楽:バート・バカラック
出演:ピーター・セラーズ、デヴィッド・ニーヴン、デボラ・カー、ウィリアム・ホールデン、ウディ・アレン、ウルスラ・アンドレス、ダリア・ラヴィ、テレンス・クーパー、ジョン・ヒューストン、シャルル・ボワイエ、オーソン・ウェルズ、ジャン=ポール・ベルモンド、ジョージ・ラフト、ジャクリーン・ビセット、バーバラ・ブーシェ、キャロライン・マンロー、ジョアンナ・ペティット、アンナ・クエイル、トレイシー・リード

 現在絶賛公開中の『007 カジノ・ロワイヤル』(2006)と同タイトルの1967年作品だ。2006年版と関係あるかと言えば関係あるし、関係ないかと言われると関係ない。そんな微妙なポジションの映画だ。
『カジノ・ロワイヤル』はイアン・フレミングが書いたジェームズ・ボンド小説の第一作。これはイケるとチャールズ・K・フェルドマンというプロデューサーが先見の明で映画化権を買い取った。後にシリーズとして書き進められた原作の映画化権はアルバート・R・ブロッコリが買い、映画化して大きな成功を収めていった。そこで、ブロッコリはフェルドマンの持つ『カジノ・ロワイヤル』の映画化権を買い取ろうとするが、フェルドマンは断固として首を縦に振らなかった。
 そしてついに1967年、映画化に取りかかったのである。
 では先日の『サンダーボール作戦』と『ネバーセイ・ネバーアゲイン』の様な関係かと言われるとこれまた違う。
 1967年版と同時期に公開された007シリーズは『007は二度死ぬ』と絶好調で脂ののりきった時期だった。制作費もイギリス映画としては大予算で、派手なアクションが盛り込まれている。これにまともに勝負をしてもかなうはずがない。
 そこでフェルドマンは、原作第一作目の『カジノ・ロワイヤル』を映画007シリーズのパロディにしてしまった。さすがイギリス人、考えることがひねくれているというかなんというか。
 かくして、ハチャメチャドタバタギャグムービーが展開されることとなった。当時の観客の評価はどうだったのだろうか?笑っている人と怒っている人、ついていけずにぽかーんとしている人などくっきりと分かれていたことだろう。

 郊外の大邸宅に引退した007を訪ねるMたち。彼こそ本家本元の「ジェームズ・ボンド」だ
 ジェームズ・ボンド曰く、「スパイは純粋な気持ちで任務に当たる。次々に女を取っ替えるような奴とは違う。私の名と番号を勝手に使ったあの成り上がりさ」
 どう考えてもショーン・コネリーボンドのことを言っているのであろう。 さらにMたちが隠し持っている秘密兵器を古くさいとこき下ろす。初っぱなから皮肉前回だ。
 M曰く各国のスパイたちが次々に殺されている。どうやら世界征服を企む悪の秘密結社があるようだ。そこでボンドに解決を依頼したい。しかしボンドはとりつく島もなく断る。
 ボンドが引退した理由は恋人である女スパイマタ・ハリをフランスに引き渡し銃殺になったから。
 ボンドが断固として引き受けないのでMは迫撃砲でボンドの邸宅を破壊する。
 こうして本家本元の007ジェームズ・ボンドが帰ってきたのである。

 悪の組織スメルシュ。原作に登場した敵役だ。
 スメルシュは主に女性工作員を使って色仕掛けも使ってスパイたちを始末しているようだ。
 そこでボンドはAFSD・対女スパイ装置計画を立案する。女性に対して強い免疫力を持ち、それどころか逆に女性を色仕掛けでやっつけてしまうスパイだ。
 こうして数人のスパイが集められるが、敵を混乱させるために全員とも名前とコードネームを007とすることとなった。だからこれから先、やたらとジェームズ・ボンドだらけ。分かりにくいので便宜上、デヴィッド・ニーヴンのジェームズ・ボンドはデヴィッド・ボンドと呼ぶことにする。他のボンドも同じ方式で。
 数多くのスパイの中から選ばれたテレンス・ボンドは女性を相手に訓練中。
 理由は後に明らかになるが、バカラ理論の専門家イヴリン・トレンブル(ピーター・セラーズ)もボンドに選ばれる。
 ボンド訓練所では珍妙な訓練ばかり。もちろんQも登場。今作のQは妙にゲイっぽい。
 実はボンドとマタ・ハリの間にはマタ・ボンドという娘がいた。彼女を007としてスメルシュのスパイ養成所である国際家政婦協会にスパイとして送り込む。
 ボンド訓練場並みに珍妙なスパイ養成学校で、マタ・ボンドはルシッフルの名を聞き出す。なんでもルシッフルが所有する品物を競売するという。美術品というふれこみの出品品は脅迫用の写真。それをマタ・ボンドが盗み出し大騒動。
 ついにルシッフルの姿が現れるが、なんと名監督にして名優のオーソン・ウェルズ。競売で得るはずだった利益を失ってしまったため、それを穴埋めしないとスメルシュに消されてしまう。
 ルシッフル稼ぎ場にしているカジノ・ロワイヤルにピーター・ボンドと監視役のヴェスパーが乗り込む。
 それまでは大勝ちしていて手品などをやる余裕もあったルシッフルだが、ピーター・ボンドを相手にしたバカラで大敗する。
 ホテルからヴェスパーが誘拐され、ボンドは何故だかフォーミュラー3のレーシングカーで追う。だが、ピーター・ボンドもルシッフルに捕まり心の拷問を受ける。座っている椅子に穴が開いているが、2006年版の拷問椅子にも穴が開いていた。原作からそうだっけか。なにしろ、読んだのが20年は前なので覚えていない。
 そして精神世界にバグパイプの集団が現れる。ヴェスパーがバグパイプ型マシンガンで撃ちまくる。『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』(1999)にもバグパイプ型マシンガンが登場したが、これのパロディだろうか。
 金を用意できなかったルシッフルは、モニター画面を割って飛び出た銃で射殺。すごいセンスだ。イカすぜ。
 だが、ルシッフルは所詮一幹部。スメルシュはまだ健在。そしてスメルシュの巨大なUFOにマタ・ボンドが誘拐される。
 スメルシュの本部はなんとカジノ・ロワイヤルの地下。首領のゴクター・ノアが現れるが、声は渋い声に変換し、光源をバックに影の姿しか見えない。だがその正体はデヴィッド・ボンドの甥であるジミー・ボンド(ウディ・アレン)であった。素の姿になると一気に情けなくなるドクター・ノア。まぁウディ・アレンだしなぁ。
 計画しているのは、美女以外の女性と背の高い男を殺してしまうウイルス兵器や、アスピリンに見せかけた400連発の小型核爆弾。世界中の要人を偽物ロボットと入れ替えて操るなどなど。
 ボンドの仲間の黒髪の女がドクター・ノアに小型核爆弾を飲ませ、閉じこめられたデヴィッド・ボンドたちはLSDを爆発させて牢獄から脱出する。ドクター・ノアがしゃっくりをする度に核爆発が起こる。おいおい・・・
 地下から抜け出して救援を呼ぼうとするが、ヴェスパーに裏切られる。これまで情報を流していたのも彼女だったのだ。
 そしてここからさらなるドタバタが突っ走り始める。
 アメリカの援軍登場。なんと西部の荒野を走るカウボーイたしで、馬に乗ったままカジノに乗り込んできて銃を撃ちまくる。007の首輪がついたアシカや犬はいるし、もう007だらけでなにがなにやら。
 さらにパラシュート降下したインディアンが乱入してくる、もちろん額には007の文字だ。ギャング映画で有名な俳優ジョージ・ラフトがお得意のコインをもてあそぶが意味はない。
 警察を呼ぶと駆けつけてくるのはキーストン・コップ。キーストン・コップというのはマーク・セネットが設立したモノクロサイレント時代のキーストン映画社で作られた警官が笑わせ役をやるコメディのことで、出動となると一台のパトカーに10人以上乗り込んだり、何の役にも立たずにひたすらドタバタしてる警官たちのことだ。

 そしてついにはドクター・ノアが飲み込んだ核兵器の最後の一発が爆発し、カジノロワイヤルは登場人物ごと大爆発・・・って爆発オチかよっ。

 やはり「イギリス人はバカだ」と強く感じさせる作品だ。
 結局、何に近いのかというと『モンティ・パイソン』シリーズを野暮ったくした感じなのだと思う。
 監督が5人いるが、それぞれにパートを分けて撮影したと聞いたことがある。ジョン・ヒューストンが担当したのが、最初のデヴィッド・ボンド宅をMらが訪問するシーンだったかな。
 とにかく登場人物が多すぎで、一度ではなかなか把握できない。ドクター・ノアに小型核爆弾を飲ませた黒髪の女性はなんて名前だっけ?
 バーと・バカラックの軽快な音楽がまた素晴らしい。メインテーマ曲には後に大槻ケンヂが歌詞を付けた。筋肉少女帯のアルバム『猫のテブクロ』に収録されている『Go! Go! Go! Hiking Bus』がそれだ。「Go! Hiking Bus、○○?、遠足には猫はつれてけない?」なのだ。
 もうひたすらにバカバカしくて意味がなくて混乱しきっていて、下らないことにいかに全力を注ぎ込むことが大事かと改めて感じさせてくれる。これを観てしまうと『オースティン・パワーズ』なんて正直観てられない。
 原作の第一作目の映画化という本家本元と言えるようなシリアスな映画にすることも出来ただろうに、それどころか007シリーズのパロディ映画にしてしまった。しかも007シリーズにはパロディ作や模倣作、インスパイア作が幾つもあるのだが、その中で最もハチャメチャなパロディ映画になっているとは侮れない。
『007』シリーズの大ファンは観ない方が良いかもしれないが(怒るから)、バカ映画好きなら必ず観ろよ!

B000IU39DM.jpg『007 ネバーセイ・ネバーアゲイン』(1983) NEVER SAY NEVER AGAIN 133分 アメリカ

監督:アーヴィン・カーシュナー 製作:ジャック・シュワルツマン 原作:イアン・フレミング 原案:ケヴィン・マクローリー、ジャック・ホイッティンガム 脚本:ロレンツォ・センプル・Jr、イアン・ラ・フレネ、ディック・クレメント 撮影:ダグラス・スローカム 音楽:ミシェル・ルグラン 主題歌:ラニ・ホール
出演:ショーン・コネリー、キム・ベイシンガー、クラウス・マリア・ブランダウアー、バーバラ・カレラ、マックス・フォン・シドー、バーニー・ケイシー、アレック・マッコーエン、エドワード・フォックス、パメラ・セイラム、ローワン・アトキンソン、ヴァレリー・レオン

『007 サンダーボール作戦』(1965)の再映画化である。ジェームズ・ボンドが主演だが007シリーズではないというちょっとややこしい映画だ。007シリーズはブロッコリ父娘がイアン・フレミング側から映画化権を買い、そして作り上げたシリーズ。
 そしてこの『007 ネバーセイ・ネバーアゲイン』はジャック・シュワルマンが原作『サンダーボール』の再映画化権を手に入れ、独自に映画化した物。
 強いて言うならば、横溝正史原作の金田一耕助物。あれは石坂浩二などが金田一を演ずる角川映画製作シリーズが有名だが、『八つ墓村』は角川ではなく松竹が渥美清を金田一役にして制作した。角川映画版が『007シリーズ』だとすれば、『ネバーセイ・ネバーアゲイン』は松竹の『八つ墓村』だと思ってもらうと分かりやすいだろうか。分かりにくいか・・・
 そのためタイトルには007の文字はなく、単に『ネバーセイ・ネバーアゲイン』だが タイトル検索の便宜上、当サイトでは007を入れている。

 冒頭は今は亡き「ORION」のマーク。制作にはワーナーも関わっているようで、『007シリーズ』がユナイテッド・アーティストやMGMであることを考えても、全くの別資本であることが分かる。
 新任で官僚主義のMとは気が合わないようで、ボンドは現場仕事を外されスパイ養成所で講義を行うなど官職に回されていたようだ。そうか、それで最近コネリーボンドは見なかったのか。
 更には生活態度まで指摘され、ステーキ、白パン、マティーニなどが毒だと指摘し、毒素を抜くべく体質改善を行っている療養所行きを命ぜられる。まぁ確かにボンドの生活習慣はいかにも不健康だ。肝臓をやられるか、性感染症を移されるか。スパイ本来の危険とは別な意味でリスクの高い生活だ。
 貸し金庫室の一角がスライドすると地下への階段があり、そこはスペクターの基地になっていた。
 首領のブロフェルドは「アラーの涙」という計画を始動し、No.1を責任者とした。
 No.1アメリカ空軍のジャック・ペタチ大尉をヘロインで手なずけ、角膜移植で右目の眼紋を合衆国大統領のそれと同じにしたようだが、これで何をやろうというのだろうか。

 ボンドは療養所でジャック・ペタチを目撃。なにやら怪しげな物を感じる。同時にスペクターにも居場所がばれ、ボンドの元に殺し屋が送り込まれる。ジョーズほどではないが大柄怪力でブルワーカーを引きちぎるほどの迫力。ああっ、貧弱な肉体をモテモテボディにする予定だったのに。久々の実戦でボンドはなかなか勘を取り戻せなかったが、苦労したあげくようやくしとめる。
 アメリカ空軍は疑似核弾頭を装着した巡航ミサイルをテスト発射する予定だった。しかし、ペタチが偽眼紋で大統領権限でアクセスし、本物の核弾頭に積み替えてしまった。標的位置も変更されていて海上に落下。待ちかまえていたスペクターが海底に沈んだミサイルを回収して行方をくらました。
 しばらくして政府に脅迫ビデオが届けられる。金額にしておよそ250億ドル。7日間の猶予があるので、それを利用して捜査する事となる。
 ペタチが療養所に残した遺留品から、ボンドはマックス・ラルゴという事業家に当たりを付ける。彼がいるキューバに向かうことにする。
 そこへQが登場。万年筆型小型ミサイルや制作中のオートバイ、そしてレーザー付き腕時計が登場する。

 物語は一路キューバへ。現地でボンドを迎えた間抜けな現地駐在員が若き日のローワン・アトキンソンだ。すでに挙動不審で笑えるぞ、。
 美女(正体はスペクターのNo.12)と知り合って、一緒に沈没船にダイビングをして、鮫に襲われたりするが無事に脱出。
 掴んだ情報によると、ラルゴのヨットは南フランスに向かったとのこと。

 物語は一路南フランスへ。
 ボンドはキューバで知り合った女性を助手にして連れてくる。
 空港でフィリックス・ライターが登場。シリーズの方では白人だったが(カジノ・ロワイヤルで黒人になった)、こちらは黒人。
 ラルゴがカジノで慈善パーティーを開き、ボンドは強引な手段で潜り込む。
 ラルゴの恋人でジャック・ペタチの妹であるドミノ・ペタチに接近するボンドに、ラルゴがゲームで挑む。
 3D映像を空中に投影するヴィデオゲーム「ドミネーション・ゲーム(世界征服ゲーム)」。陣地が細かく別れていて、そのマスの一つに明かりが付くので先に狙い撃って当てた方がポイントを取るという、陣取り合戦のようなゲームであまり面白そうではない。
 特徴としてはダメージを受けるとジョイスティックから電気ショックがくること。ジョイパッドの振動機能の過激版みたいな物か。
 ボンドがアジトにした別荘にNo.12が侵入し、助手を殺害した。結局、この娘は殺されるために出てきたような物だ。物語上はボンドを怒らせる以外に必要ない。ならばいっそいらない。スパイ同士が殺し合うのは良いが、一般人が巻き込まれるのはあまり好きではない。
 車で逃走するNo.12をQ特製のボンドカーならぬボンドバイクで追跡する。あれ、絶対に普通のバイクにガワを貼り付けただけだぞ。戦隊ヒーロー物の乗り物かっての。
 バイク対車のカーチェイスは多少見応えがあるが、オレはすでに『マッドマックス2』(1981)を観てしまっているので、こんなのでは全然満足できない。ハリウッド映画がオーストラリア映画にアクションで負けてどうする。
 一度は追い込まれるボンドだが、万年筆ミサイルでNo.12は爆死。
 ラルゴのヨットに忍び込んだボンドだが、最初から見透かされていて捕まる。
 ドミノに兄のジャックがラルゴたちに殺されたと伝え仲間に引き込んだ彼女は、ドミノに火災警報機を作動させ、その隙を突いてコントロールルームにあった通信機を使ってMI6に連絡を取る。ヨットの行く先は北アフリカのパルミラだ。

 物語は一路パルミラへ。
 鎖でつながれたボンドがラルゴに核弾頭の在処を尋ねる。
「あきれたね、まだ逃げ出せるつもりか。一つはワシントン。もう一つは秘密だ」
 アラブ人相手に奴隷市にかけられるドミノ。ボンドは腕時計のレーザーで鎖を切断し牢屋から脱出。ドミノを連れて馬で逃走する。逃げ回るが追い詰められて、高い塀の上から海へと馬ごとジャンプ。馬災難。
 アラブ人たちが城壁の上から射撃してくるが、フィリックスの乗った潜水艦からの艦砲射撃で砦を破壊してボンドを助ける。見るからに古いのでおそらく貴重な文化遺産だろうに、まったくアメリカ人は。
 ラルゴは油田近くの海底に核弾頭を仕掛け爆発させるつもりだ。そして連鎖的に地下地層を崩壊させ、大きな範囲にわたって油田を壊滅させるのだ。
 ドミノが持っていたペンダントで該当する地点が判明し、ボンドとフィリックスたちはダイビンスーツをアクアラングで計画阻止に乗り出す。ボンドたちと敵との水中戦があるが、あまり盛り上がらない。『サンダーボール作戦』の方が面白かった気がする。結局、ラルゴはドミノの水中銃で射殺され、核弾頭はボンドがタイマーを止めた。こうして世界は救われたのである、。

物語は一路キューバへ。
 ドミノといちゃついているボンド。その屋敷の敷地内に不審な人物が侵入してくる。
 後ろに回り込んだボンドが、そいつとプールに放り込むと、なんとそいつはMの使いで来たローワン・アトキンソン。「自由世界を守るためにMI6に戻ってくれ」との要請にボンドは「NEVER AGAIN」と応える。

 ショーン・コネリーが老けてジジイボンドになっている。この時期、007シリーズでボンドを演じていたのはロジャー・ムーアでムーアの方が実は年上なのだが、スクリーン上ではショーン・コネリーの方が老けて見える。
 ジェームズ・ボンド役イメージが強すぎて、ボンド役から降板した後もなかなか良い仕事に恵まれず、このまま二流俳優で終わるかなと思われたショーン・コネリーだが、開き直ってもう一度ジェームズ・ボンドを演じたこの作品以降、流れががらっと変わり、『薔薇の名前』(1986)、『アンタッチャブル』(1987)、『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(1989)などのヒット作に立て続けに出演することになり、『アンタッチャブル』ではアカデミー助演男優賞を受賞した。
 明らかに『ネバーセイ・ネバーアゲイン』以降で流れが変わっており、本人が長年悩みコンプレックスでもあったかもしれない物に、逃避せずにあえて立ち向かうことで良い結果が出たのだろう。

 悪役のクラウス・マリア・ブランダウアーはどこか異常ぶりを感じさせる。美しい物を苦労して手に入れ、その大切な物を壊して快感を得る変態だ。

 この作品、「物語は一路?」といった具合で、場面展開が多い多い。移動しすぎだろ。どこが物語の中心かはっきりせず、ちょっといらつく。強いて言うならばラルゴの大型ヨットなのだろうが、そう効果的に使われているわけでもない。
 水上スキーの水で服が濡れてしまい「なに、服は濡れたがこのマティーニはドライさ」といったボンドジョークは相変わらずだが、映像的なギャグも多い。テンポが悪く作中でも浮いていてどうにも泥臭いギャグがオレには笑える。

 監督のアーヴィン・カーシュナーはよく言えば手堅い、悪く言えば凡庸な映画を撮る人だ。手堅い2:凡庸8ぐらいの割合か。作品数も少なく『特攻サンダーボルト作戦』(1976)、『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(1980)、『ロボコップ2』(1990)しか観ていないが、まあ並の下な監督だ。
 そんな人が何故大ヒット作二段目の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』の監督を任されたかというと、この人は監督では食えないのでUCLAかどこかで映画の専攻を教えていたそうだ。でもって、ジョージ・ルーカスはその生徒だったと。ルーカスがその講義に感銘を受けて逆コネだったのかもしれない。ま、何だかんだいってオレがシリーズ中一番好きな作品だけどな。

 音楽がやたらジャンジャカパッパーと鳴りまくってうるさい。これもこの作品の二流さを醸し出す要因の一つだ。

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