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『病院坂の首縊りの家』 コメディ映画だった

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『病院坂の首縊りの家』(1979) 139分 日本

監督:市川崑 製作:馬場和夫、黒沢英男、市川崑 原作:横溝正史 脚本:日高真也、久里子亭 撮影:長谷川清 美術:阿久根巌 衣装:長島重夫 編集:小川信夫、長田千鶴子 音楽:田辺信一
出演:石坂浩二、佐久間良子、桜田淳子、入江たか子、河原裕昌、久富惟晴、三条美紀、萩尾みどり、あおい輝彦、加藤武、大滝秀治、岡本信人、中井貴恵、草刈正雄、小林昭二、三木のり平、林一夫、横溝正史

 個人的には市川崑にはまったく興味がなくて「東京オリンピックでも撮ってろ」という感じだし、映画版『金田一耕助』シリーズもおどろおどろしさを全面に売りにしていて好きになれなかった。
 それから月日は流れ、20年ぶりぐらいに観た『病院坂の首縊りの家』がつまらなかったかというと、これが面白いから不思議な物だ。

 面白かったと言っても、生首やストーリー展開のテンポ、演出の間などがコメディ映画的で面白かったのだ。
 血が噴き出すシーンなどがある。当時はどうだったか知らないが、今となっては笑える。
 はっと何かを気づいたらしくて走り出す金田一。その金田一が街中を走るシーンがタタタタッと映し出されて、で結局大したことが分かったわけではないというあのタイミング。コメディ映画のそれだ。
 斜に構えてミステリー映画をコメディ映画として捉えているのではない。金田一シリーズは最初からコメディ映画だったのだ。
 そう考えれば大滝秀治や三木のり平などが毎回別人として出演している謎も解ける。加藤武の等々力警部が名前は同じだが、別人という設定で各作品で金田一に会う度に初対面になっているのもギャグなのだ。
 草刈正雄と石坂浩二の掛け合いなどやりすぎではないかと思うほど。

 例によって金田一はあまり役に立っていない。
 ラストの謎解きでは、最初の生首事件の時にすでにあなたを怪しいと思っていました、と言っているが、だったらなんとかしろよ。殺されるべき人間は全員殺されているから、ほっといても事件はそこで終わってるだろうに。
 若手刑事から「あの証拠の乾板(写真のネガで、フィルムではなくガラスに焼き付けている)はどうしましょうか」といわれた等々力警部が「そんなものあったかなぁ?」ととぼけるところがいい。
 その乾板はある人物の恥辱的写真が焼き付けられており、証拠として警察が押収したらその恥が公になってしまう。事件は解決したのだから、乾板はなくてももはや捜査に影響はない。だから等々力警部は金田一が乾板を持ち出し割って砕いてしまうことを黙認したのだ。男だねぇ。
 狂言回しというかコメディリリーフの役割を受け持つ等々力警部だが、刑事としての実力はあるのだろう。連続殺人なんてのがあまりに特殊なのだ。

 冒頭の横溝正史は素人演技だが、セリフも自然で上がった様子もなく落ち着いたもの。奥さんも本物の横溝夫人だとか。

 さすがに開発が進んで建物や街が作り直されため、昭和20年代を再現するのは難しくなったようだ。病院坂はその幅や傾斜など趣はあるのかも知れないが、左右に立ち並ぶ家、特に右側にある洋風住宅がどうしたって現代だ。
 この作品が劇場版金田一シリーズの最終作となったのも時代の流れなのかも知れない。
 とか思ってたら、また市川崑監督、石坂金田一で『犬神家の一族』を撮ってるんだよな。なんで今さら・・・角川春樹は過ぎし日の栄光を忘れられないのか?

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コメント (2)

オンリー・ザ・ロンリー:

市川崑作品は「満員電車」、「東京オリンピック」、「太平洋ひとりぼっち」以外は見ていません。と言うより「太平洋」で余りにも残酷な印象を持ったからこりゃ駄目な監督かと、以後はずーっと想っているからです。「太平洋」は予算不足であったのは解ります。けれど天気予報を聴くには三洋だかSONYのトランジスタ・ラジオ、たまにはチョコレートが食べたいのか明治か森永の商品・・。それらがアップで、時としてさりげなく・・・。今は知りませんがロード・ショーでは本編の前に「ムービー・スポット」と言って中小なら近所の喫茶店の広告、大企業ならお菓子やガムの宣伝ってありましたよね。散々見せられての挙げ句にムービー・スボットに毛のはえたじゃ、嫌になりましたよ。そもそも「太平洋」はヘミングウエーの(スタージェスの)「老人と海」のように映画化するには市川・和田・裕次郎のトリプルではハードルが高すぎます。裕次郎は「黒部の太陽」でしたっけ、文化人のお仲間にでも入りたかったのでしょうか?。この作品は東森さんは好評価のようですがまぐれではないのでしょうか。過日、各メデァア、各ブログでは「巨匠、逝く」のオン・バレード、巨匠の定義・概念を私には分からなくなりました。では喜八監督を何と呼ぶのでしょうか。角川のおっちゃんもいつまで過去の栄光を今も夢見ているのでは、あぶない、あぶない、こんなこっちゃ日本映画は。過激をお詫びします。

東森時音:

本文にも書いてありますが、私も市川崑には興味がないですね。
『病院坂の首縊りの家』は制作者の意図しなかった形で、コメディになっていて面白かったということです。ほとんど過去の金田一シリーズのパロディですね、これは。

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