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映画バカ青春記 第127章 終章

 もともとは映画についての評論・感想が書けなくなって、それでは一度自分と映画との関わりについて見つめ直してみようと始まった「映画バカ青春記」。それもいよいよ終わりである。

 中学から高校卒業までの青春時代について書くのは良いが、いわゆる自分語りになって恥ずかしいんじゃないだろうか。しばし悩んだ。
 そこで東海林さだおの『ショージ君の青春記』、中島らもの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』、そしてスタパ齋藤と船田戦闘機の『100台のコンピュータ』の3冊の本を読んだ。どれも青春時代の出来事を章立てで語っていくエッセイだ。

 読み終えて、うん青春の頃について書くのは、ちゃんと読み物として面白い物に出来れば恥ずかしくない。自分に対して客観的視点があれば自分語りにはならない、と思ってえいやっと書き始めた。
 最初の予定では全30章、1ヶ月から1ヶ月半を予定していたのだが、まさか130章近くにまでなるとは思わなかった。

 オレは映画が好きだった。今でも好きだが、学生当時の情熱を持つことは、もはや難しいことだろう。若いときの特権的勢いや人目を気にせず突っ走るだけの力はもうない。
 遊びも色々あったし、ファッションや車、スポーツに色恋の恋愛沙汰。そのどれをやっているよりも映画を観たり、映画について話したり、映画について書いたり、そして映画を撮っている方が楽しかった。
 生まれは違うが育ちは名古屋、正確には愛知県半田市で、全国レベルで考えれば映画を観るという点ではそれなりに恵まれていた。半田市には東宝、東映の洋画邦画系と合計4つの映画館があったし、年があがって名古屋まで出て行くようになると、さらに多くの映画館があり、半田では観ることの出来なかったより幅広い映画を観ることが出来た。
 大学卒業後、オレは上京し、映画館の多かった名古屋よりもさらに多い映画館とかろうじて残っていた名画座などに心躍らせ、ひたすらに通いまくって社会人としての道を踏み外したりもするのだが、それは青春期以降の、あえていうならば「映画バカ青年期」で語られること。語る機会はないと思うが。
 そして今のオレは、名古屋よりもさらに田舎、かなり田舎な土地に住んでいる。
 ADSLがやっとで、光ファイバーがこの自治体に通るのは何時の日か?市町村でいうところの町と区分される場所に住んでいるが、この町にはまだ光ファイバーは施工されていない。
 映画館は、隣の市までいけば8スクリーンのシネマコンプレックスがあるが、そこではメジャー系の映画が観られるだけ。映画館に行く金をレンタルビデオやスカパーに使った方が多種の作品を観ることが出来る。東京に行って名古屋を見下したが、ここにやって来て名古屋も捨てたもんじゃなかったなと考えを改めている。
 その名古屋、名古屋駅前もかなり再開発が進んで、オレが通った映画館はもはや名鉄東宝ぐらいしか残っていない。

 もしもオレが名古屋で育たなかったとしたら。今住んでいるような田舎で育ったとしたら、オレはあれほど映画好きになったろうか?
 おそらくはならなかったに違いない。
 映画を数多く観られる環境があったからこそオレの人格はより映画へとシフトしていったのだ。
 映画が一番、映画があればそれで十分。名城大学のシネマ研究会にはもう年代的に少なくなってはいたが、そんなヤツらがまだ残っていた。
 11月3日を含めた連休は当時の名城でも大学祭が開催され、期間中はずっと泊まり込みをし、最終日の翌日に全てを後片付けしてようやくと家へと帰れた。
 5日間も学校に泊まり込んだのだからしばらく大人しくしていればよさそうなものだが、その翌日はさっそく部室へ。
 別に反省会をしようというのではない。それは次の部会でやる予定。ただ、なんとなくいつものように足が向いたのだ。
 何人かの部員がいて、あれこれくっちゃべっているところへ1年先輩のN山さんがやってきた。これがどうも様子がおかしい。いつもふざけた言動の人なのだが、妙に静かだ。と思ったら、部屋の隅で泣き始めた。
 さすがにこれはどうしたのだろうと声をかけに行くと、一冊の新聞を手渡してきた。その見出しはこうだった。
「松田優作、死去」
 N山さんは声も出さずに泣いていた。
 どうやら学校近くまで来てコンビニに寄ったのだろう。そこでレジ横に並んでいる新聞の見出しが目に飛び込んだに違いない。
 N山さんは松田優作の熱烈なファンだった。N山さん自身も背が高く、顔が面長で、服装なども明らかに優作を意識している場合もあった。
 事前の情報がなかったので、我々にとってはまったく突然の訃報。
 そうか、あの11月7日からもう18年も経っているのか。

 一人の俳優の死について本気で泣く。
 それもまた一つの映画バカである。

 映画について書けなくなったのは、書くことに意味を見いだせなくなったからだ。
 読んでくれる方の人数は気にならないが、果たして読んでとんな印象を与えているだろうか。
 基本的に何らかの興味を持てる映画について書いているので、観ているならば「そうそう」とか「それは違うんじゃない」といった反応。観ていない人には「ちょっと今度観てみようか」と思わせることができているのか。
 この映画バカ黙示録はブログのシステムを使っているのでコメントを付けることが出来るのだが、このコメントがほとんどつかない。
 オレの文章はつまらないのかと読み返すが、それほどひどくはないんじゃないかと・・・本人の欲目かなぁ。
 ある人にちょっと話したところ「あんたの文章は自分で結論を出して自己完結してしまうので、口のはさみようがない」と言われた。
 そうかなー。

 書くべき映画について書いていない。それから逃げているというのに気づいたのも書けなくなった理由である。
 本当は、そのサイトでコメディ映画やホラー映画、アクション映画などといった具合に、ある程度ジャンルを絞って書くとやりやすいだろう。
『映画バカ黙示録』は「笑える映画、燃える映画、バカ映画についての映画評論・感想が中心です。」となっているが、実際には何でもありになっていて、この何でもありというのが制約がない場合よりも難しい。何の映画について書いたって良いんだから。
 でも、考えてみれば学生時代はジャンルはあまり気にせずに、取りあえず公開中の映画を観に行っていた印象がある。その時書きたい物について素直に書けばいいのか。
 オレの出来の悪い脳みそだと古い出来事は次から次へと忘れていってしまう。
 となると、最近観た映画について書くのが一番なのか?
 最近、『チャック・ノリスin地獄の銃弾』から映画評が再会したが、これはレンタルビデオの新作コーナーから借りてきて、観てすぐ書いた。
 それ以降のもレンタルしたばかりか、スカパーの映画で観たやつばかり。
 映画バカ青春期を書き始める前の、映画評に関する義務や息苦しさはなく、すんなり書けている。
 読み手の反応がないのがやはり寂しいが、たとえ反応がなくても映画について書くのはもはやオレの天性なのだ。
 そういった面ではインターネットという道具が普及した2006年という時代を生きていることは面白く感じている。
 このオレとはまるで面識もなく、住むところも違えば、仕事や年代も違う人が、googleやYahoo!の検索などでオレのサイトにたどり着く。こんな出会い、10数年前だったらSF的出来事だ。

 難しいことは考えずに、直近に観た作品について書く。感じたままを書く。
 ストーリーの紹介ではなく、その映画で自分が一番書くべきだと思ったことを書く。映画を紹介してもらいたい人には不親切なサイトとなるかもしれないが、全方位に向かって書くのは無理だ。
 つまるところ、書いているのは映画に対するラブレターなのだろう。自分が映画をどれだけ愛しているか、それについてしたためている。自分が映画好きであると確認したいがために書いているのかも知れない。
 普段の映画バカ黙示録の方が映画バカ青春記よりよっぽど自分語りで自己満足なのである。

 そしてそれはこれからも続く。

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