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2006年11月 アーカイブ

2006年11月01日

映画バカ青春記 第120章 最後の夏休み。戦い

 大学時代最後の夏休みを迎えたオレだった。
 だったのだが、その夏休みに何をしたかまるっきり憶えていない。
 シネマ研究会の夏合宿には参加しなかったし、一つ年下の彼女は短大卒なのですでに就職していて、そう頻繁には会っていない。
 バイトは週に1日。
 はてさて、オレはどうやって過ごしていたのだろうか。

 映画を観に行ったり、エアコンが無く扇風機だけのアパートで本を読んだり、パソコンで『Wizardry』でもやっていたか。ま、そんなところだろう。
 近くに大型書店とビデオレンタル屋の併設店があったので、今にして思えばツタヤなわけだが、そこでビデオを借りてきて観ることも多かった。
 当時持っていたテレビは確かaiwaの14インチテレビ。1991年なので当然ブラウン管だ。
 今、身の回りで14インチというと、使わなくなったが予備として置いてあるiiyamaの液晶ディスプレイがそうだが、ブラウン管の場合は回りの枠の分だけサイズが小さくなるから、これより一回り小さいはず。
 よくまぁ、こんな小さな画面で観てたもんだ。近くで観ないと細かいところが分からないぞ。
 といっても、オレが今使っているのはソニーの25インチブラウン管テレビ。世間ではもはや小さな画面の扱いだ。ワイドでもないしな。

 そうそう、一つあった。
 当時、困ったことに家の母親がヤマギシズムに入れ込んでいて、特別講習研鑽会、通称「特講」などにも参加していた。
 そしてオレにもしきりに、「一度行ってみなさい」と言ってくる。留年させてもらった負い目もあるので、「じゃあ一度だけね」と承諾した。
 特講参加申し込みをするために、名古屋にあるヤマギシの支部へ行った。
 そこでは、ちょっと記憶が不確かだが、入っていくときに「ただいま」と言い、中にいる人は「おかえり」という。出て行くときは「行ってきます」と「いってらっしゃい」だ。メイド喫茶じゃねーっつーの。
 そんあことを知らないオレは「こんにちわー」と入っていって、入り口近くにいる人に「ここではただいまなんですよ」と妙に暖かい口調で言われた。
 どうにも気持ちが悪かったので、帰るときは「失礼しました」と出て行った。わざわざ扉を開けて「いってきます」ですよと指摘してきた。
 ここでもう、オレとしてはヤマギシへの印象は最悪。最悪になるの早いな、オレ。

 特講は鈴鹿近辺で行われた。
 オレは名古屋から原付で現地に向かった。一号線をひたすら西へ向かったのだと思う。
 公民館みたいな建物が会場だった。
 受付をしてもらおうとすると、いきなり原付の鍵をよこせと言ってくる。
 理由を尋ねると、「紛失したりするといけないからこちらで管理します」とのこと。
 カッチーンと来た。来たがなんとか自分を抑える。
「紛失しないように自分で管理できます。子供じゃないんだから」
 だが、原付の鍵どころではなかった。奴らは、すでに奴らになっているが、靴までこっちに預けろと言ってくる。
 建物からは出ないから必要ないだと。
「原付の鍵も取り上げる。靴も取り上げる。つまりは途中でイヤになっても逃げ出さないように管理するって事ですか。参加するのも自由意志、途中で帰るのも自由意志でしょう。それともここは強制収容所なんですか?」
 こうやって受付で言い争っている内に、他の参加者がやって来る。彼らは何の反論もせずに靴を預けて中に入っていく。だが、様子をうかがうようにこちらをチラリチラリと見ていく。
 受付の人間が隅に行ってこそこそなにかを話すと、戻ってきてこういった。
「こちらの考えを理解していただけないようならばお帰り下さい」
 おうおうおう、帰れっつーなら喜んで帰るよ。結局アレだろ、強く疑問を持った者が一人でもいると、その特講とやらはなりたたないんだろ。
 建物の中に閉じこめて、ヤマギシズムのイズムとやらをたたき込もうというんだろ。洗脳っていうんだぞ、それは。

「受付で論争になって、帰ってきた。あなたにはあなたの価値観があるだろう。オレにはオレの価値観がある。オレの価値観ではヤマギシはクソだよ」と母親に告げた。
 母親は二度と特講に参加しろとか、機関誌を読めと言ってこなくなった。

 ちなみにヤマギシ会のサイトによると特講とは

「特講とは、ヤマギシズム特別講習研鑽会(けんさんかい)の略称で、日常生活を離れて参加者全員が寝食を共にしながら、愉快に楽しく語り合う七泊八日の合宿形式での研鑽会です。

 ひとは、自分の経験や知識に基づき様々な判断をし、ともすれば自分の判断が正しいものと信じて疑わないところがあります。特講は、そうした自分の判断が絶対のものかどうかを科学的態度で見直してみることにあり、自分の考えも大いに言い、誰の言うこともよく聞いて、あくまでも「本当はどうだろうか」と主体的に検べていこうとする考え方(これを研鑽態度という)を身につけ、自分の人生全般の方向性を考える機会でもあります。

 この特講では、教える人はいません。宗教ではありません。参加しただれもが気軽に何でも出し合い、みんなの知恵を寄せて、本当はどうかと検べていきます。特講の目的は、自分を含めたすべての人が、楽しく、幸せに暮らしていける人になることです。

何を課題にしているか

 古今東西、人類は幸福を希求しながら、今だに、「決めつける観念、固定する観念」から愚行を繰り返しています。人間がより正しきを見極めていくにも、人と人が仲良く愉快に暮らしていくためにも、何かを信じたり、決めつけたり、つまり観念を固定する弊害が如何に大きなものであるかに目覚め、固定しやすい人間の観念を、固定のない観念へと、みんなでの研鑽方式により、真に自由なる観念へと急速に大転換するのが特講です。

 日頃の生活の中で、当たり前と思っていることなど、身についている常識・信念なども、じっくりしらべ直し、考え直すと、自分でもびっくりするほど根拠のない思い込みだったことなど見えてきます。

 この講習研鑽会を通じて、頑固が謙虚な態度に、決めつけの考え方が決めつけのない考え方に、囲いある狭い生き方が、みんなと共に繁栄せんとする広い心での豊かな生き方に転換します。」

 だそうだ。もう、これがひたすらうさんくさくいかがわしい。グロテスクである。
 ここからは、それまでの価値観を破壊して新しい「ヤマギシに都合の良い価値観」を植え付ける、としか読み取れない。
「ともすれば自分の判断が正しいものと信じて疑わないところがあります。」って、馬鹿ヤロ、オレにとってはオレが正しいに決まってんだろ。あんたらにとってはあんたらが正しい。それがオレの正しいとぶつからない限り別段とやかく言わねーよ。勝手にやってろ、大きなお世話だ。

 愛知県の中小企業に勤めているときに、社長命令で自己開発セミナーの類に行かされたことがある。
 今度は社命なので受付で帰ってくるわけにはいかなかったが、2日間のセミナーの間、ずっと講師とケンカしていた。
 最初はしょうがないなといった表情で講師に従っている周りの人間が、だんだん入れ込んでいくのが怖かった。感極まって泣き出す人までいて、ほんと怖ろしい。まかり間違っても参加するものじゃない。

 これでオレとヤマギシとはほとんど関わりを持たずに済んだが、実際の所、こういう連中とは論争などしようと思わない方が良い。とっととその場を立ち去り無視することだ。
 オレはついつい頭に来て言い争いになるが、言い負かしたところで疲れるだけで何の得にもならん。
 相手は反論されることにも、それを言いくるめることにも慣れている。端から関わりを持たないのが一番だ。
 セールスにしろ宗教にしろ勧誘系のスパムメールにしろな。

『宝島』 ひげ面のジョン・シルバー

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『宝島』(1950) TREASURE ISLAND 96分 アメリカ
監督:バイロン・ハスキン 製作:パース・ピアース 原作:ロバート・ルイス・スティーヴンソン 脚本:ローレンス・エドワード・ワトキン 撮影:F・A・ヤング 音楽:クリフトン・パーカー 音楽指揮:ミュア・マシースン
出演:ボビー・ドリスコル、ロバート・ニュートン、ベイジル・シドニー、ウォルター・フィッツジェラルド、デニス・オディア、ラルフ・トルーマン、フィンレイ・カリー、ジョン・ローリー、フランシス・デ・ウルフ

 子供の頃に原作を読んだことがあるが、さすがに古くさくてあまり面白くなかった。
 それよりも印象に残っているのは日本のアニメ版。監督は『あしたのジョー』などの出崎統で、独特の止め絵が特徴だ。

 何度も映像化されている『宝島』だが、今回のはディズニー実写版。ディズニー初の実写映画になるそうだ。ある意味、元祖『パイレーツ・オブ・カリビアン』だ。
 この映画、とにかく展開が早い早い。
 主人公の少年ジムが宝島の地図を手に入れたと思ったら、一本足のジョン・シルバーなどと共に船に乗り一路宝島へ。
 宝島に着いたと思ったら、元軍艦船員と詐って乗組員として船に乗っていた海賊たちが叛乱を起こし、戦いがあったりジムが活躍したり人質になったりして、あっという間にエンディング。
 ディズニーだからメインの客層は子供向けで作ってあるから、退屈させずに一気に観せているのだろう。上映時間も96分と短めだ。
 だが、子供向けの割には海賊との戦いが妙にリアルで、残酷なシーンがあるのが気になる。今ほど暴力描写への規制がうるさくなかったのだろう。

 面白かった。面白かったが、ジョン・シルバーがただのひげ面オヤジだ。
 イヤだイヤだ、ジョン・シルバーはもっと渋くて格好良くてアゴが割れてなきゃイヤなんだい。と、アニメ版を観た人なら思うことだろう。
 もちろん、原作のイメージに近いのはこの映画版の方だろうが。
 幼なじみの女の子やグレーなどは確かアニメオリジナルキャラクターだったはずだが(今さら原作で確認する気はちょとない)、ジムの母親が1カットすら登場しないのはちょっとどうかなと感じる。
 ジムの母親は宿屋の主人。ということは、父親はいない。そんな母親が一人息子を危険が待ち受けているかもしれない旅に送り出すシーンはあってもよさそうだ。

 ジムは正直で勇敢で誠実。街に行って留守にしている母親の代わりに、宿屋の店番を文句も言わずに真面目にやっている少年だ。
原作が古いし、映画も1950年の作品ということもあってか、ジムがちょっと良い子すぎる気もする。

2006年11月02日

『アサシン』 アメリカ人は他国の映画を観ない

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『アサシン』(1993) THE ASSASSIN(POINT OF NO RETURN) 108分 アメリカ
監督:ジョン・バダム 製作:アート・リンソン 原作:リュック・ベッソン 脚本:ロバート・ゲッチェル、アルクサンドラ・セレス 撮影:マイケル・ワトキンス 音楽:ハンス・ジマー
出演:ブリジット・フォンダ、ガブリエル・バーン、ダーモット・マローニー、アン・バンクロフト、ハーヴェイ・カイテル、ミゲル・ファーラー、オリヴィア・ダボ、ジェフリー・ルイス

 アメリカ人というのは世界で一番他国の映画を観ない国民だという。
 それもそうだろう。喜劇から活劇、そして悲劇まで全て自国の映画だけで事足りる。
 わざわざ見知らぬ国の言葉や風俗の映画を観る必要もないのだろう。
 ニューヨークやロサンゼルスのような大都会ならば他国の映画も上映されるだろうが、とにかく広い国だ。大都市を除けば外国映画を観る機会自体がないだろう。
 だが、アメリカ映画以外にも映画はいくらでもあるし、そこには優れた作品もある。
 では、その優れた作品を輸入して、字幕なり吹替をして観ればいいじゃないかと我々日本人ならば考える。
 ところがアメリカ人はそうではないのだ。アメリカを舞台にアメリカ人の俳優を使って撮り直してくれと言うのだ。そして、ハリウッドは実際にそれをやってしまう。
 この『アサシン』はご存じの通りリック・ベッソンが撮ったフランス映画のリメイクだ。フランス語を英語に吹き替えればそれで良さそうな物だが、どういうわけだかリメイクしてしまう。
 アメリカ人はフランスに対して一種のコンプレックスがあるのか、フランス文化に憧れるくせしてそのまま受け入れない。そのせいかフランス映画のハリウッドリメイクは多い。
『スリーメン&ベビー』(1987)は『赤ちゃんに乾杯!』(1985)のリメイクだし、『3人の逃亡者』(1988)は同タイトルの1986年のフランス映画のリメイク。
 これら娯楽映画のリメイクだけならまだしもジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1959)まで『ブレスレス』(1983)として撮り直してしまうのだから、ここまでくるとちょっと理解できないというか、オリジナルを観るのがそれほどまでに耐え難いのかと考えてしまう。
 日本映画だって『七人の侍』が『荒野の七人』に、『Shall we ダンス?』(1996)が『Shall we Dance?』(2004)として撮り直されている。
 『Shall we ダンス?』、つまり日本版だが、これはアメリカで公開されているが、日本映画であることを前面に押し出すと客が入らないので、ポスターはダンスを踊る男女の足だけだったと聞く。

 さてこの『アサシン』だが、『ニキータ』をすでに観た観客にとっては見劣りのする出来となっている。
 前半の山場であるキッチンでの銃撃戦といったアクションシーンはハリウッドの得意とするところだし、監督のジョン・バダムにしてもこれまでにいくつもアクション映画を撮っていて見せ方も分かっているだろうに、派手さや格好の良さで劣っている。
 さらに『ニキータ』では小柄な女性である主人公が超大型拳銃であるデザートイーグルを操っているのが実にさまになっていたのだが、『アサシン』では競技用ピストルのような精度こそ良さそうだが映画としてはあまり絵にならない拳銃に置き換わっている。
 ホテルのバスルームから狙撃を行うシーンも、部屋にいるまったく事情を知らない恋人から扉越しにプロポーズを受け、任務と恋人との会話を同時に行い、オープニングでは野獣のようだった主人公が必死にこらえながら涙を流す、その残酷で美しい部分が表現し切れていたとは思えない。
 個人的には、掃除人が「誤報だ」と言いながら警備の連中を撃ち殺すところがなくなっていたのが一番残念である。

映画バカ青春記 第121章 最後の天白祭

 この週末はちょうど天白祭が開催されているはずである。
 1991年のオレは4回目の学祭を迎えていた。5年生(5回生)だが、1年の時の天白祭が脅迫事件で中止になってしまったため(63章参照)、1回少ないのだ。

 シネマ研究会としては自主映画の上映会、模擬店、そして日が暮れてから一号館入り口に大きな白幕を張って劇場映画の上映会を行った。
 模擬店は何をやったかはっきりと憶えていないが、お好み焼き屋ではなかったかと思う。

 そして夜になった。学祭前日から最終日の翌日までレンタルで布団を借りて泊まり込みである。
 前年、OBのE谷さんと中庭で行ったサバイバルゲームだが、今年も行われた。しかも、人数は10名ほどに増えていた。
 ほとんどの者は東京マルイのコッキング式エアガンだったが、福井から駆けつけたOBのD田さんはスナイパータイプのライフル。後輩のM野はMGCの電池+フロンガス式のフルオート射撃が可能なMP5Kを購入していた。
 オレは去年のM93Rをサイドウエポンとして、メインウエポンは東京マルイの電動エアガン第一弾のFA-MASを用意した。
 FA-MASはフランス軍制式のアサルトライフルである。大雑把に言えばM-16などの仲間だが、近未来的な独特なデザインだ。実銃はもちろん火薬だが、このエアガンは充電式のバッテリーでBB弾を発射する。11月の夜という気温でも安定して動作するし、セミオートだけではなく引き金を引いたままで連射になるフルオートでも撃てる。フロンガスを使わないので環境にも優しいし、電気代も安いので財布にも優しい。

 そしてゲームは始まった。
 建物の窓から漏れてくる灯りだけなのでそれほど広くはない中庭が絶好のゲームフィールドとなった。
 フルオートで撃つと爽快感があるし敵を一掃できる。大方で狙って連射すれば結構命中する。ただし装弾数が60発なので10秒もせずに弾切れになってしまう。まだ300発などの多弾奏マガジンが発売されていなかったのだ。
 一旦弾切れになると、BB弾の再装填にはチューブと棒を使わなければならず、手間が掛かる。チューブと棒はプラスチック製で簡単に折れてしまいそうなので、陣地の奥に置いてある。
 弾を撃ち尽くすと、サイドウエポンのM93Rで身を守りながら引き上げて、再装填してから再び出撃。
 M野のMP5Kは途中で弾づまりを起こし、そのまま直らずに最後まで逃げ回っていた。
 何人も撃ち倒したし、何度も撃ち殺された。

映画バカ青春記 第122章 最後の映画

 もう映画は撮らないなどと言っていたオレだが、卒業が近くなってくるとこれで終わりというのは少々寂しくなってきて、最後の一本を撮ることに決めた。
 前作『なるようになる』は現場でストーリーから演出まで即興で作った映画だが、今度はしっかりと脚本を書く。出演者はシネマ研究会の連中で演技は素人。だから初期段階でキャスティングを決めておいて、彼らのイメージに合わせてキャラクターを作っていく。
 コメディ映画が大好きなオレとしては、一度撮っておきたいシーンがあった。それはバナナの皮で滑って転ぶという古典的なギャグだ。バナナの皮と、ついてなくたって気の持ちようで楽になるというのをテーマにストーリーを作っていく。
 思えば『なるようになる』は自分を見失いそれを探し求めるというテーマであったし、今回は気の持ちようさである。その頃のオレの心理状態が見て取れたりもする。

 それでもあくまでもこれはコメディ映画。いくつもギャグを考えては出来の悪い物は捨てていく。
 ほどなくして脚本は完成した。フィルムに必要な小道具も揃った。
 あらかじめ出演を依頼しておいた部員たちに日程を伝え、ついに撮影開始。

2006年11月03日

映画バカ青春記 第123章 『きしむ男』の脚本要約版

タイトル 「きしむ男」

広場のベンチ
―――――――――――――――

男Aのアップ
「うーん?うーん?」と首を捻っている。

主人公と男Aがベンチに座って本を読んでいる。
主人公は百科事典のような大判の本を読んでいる。
男Aが読んでいるのは『ウォーリーをさがせ』。悩んでいたのはウォーリーがどこにいるか分からなかったからだ。

主人公が男Aに話しかける。
「なぁ。なぁ。・・・なぁって言ってんじゃん」
それでも男Aは無視してウォーリーをさがし続けている。
主人公がページの一点をつついて「ここ、ここ」
男Aはその手を払いのけ、相変わらず首を捻っている。
主人公はベンチを乗り越えて、本を抱えたまま去っていく。
男Aのアップ。その10メートルほど後ろを主人公が本を読みながら右から左に通り過ぎていく。


道路
―――――――――――――――
主人公が本を読みながら道を歩いている。
そのまま交差点を横断しようとする主人公。
ビー、ビーとクラクションの音が鳴り響く。
右側から現れた原付が急ブレーキをかけて止まる。
原付の男「どこ見てんだ、馬鹿野郎」
主人公を罵ると、原付は走り去る。
右左右と確認してから再び本を読みながら交差点を渡る主人公。



―――――――――――――――
くるぶし辺りまでしか水がない浅い川。
そこを赤いジャージの男が右から左へと走り抜けていく。


川沿いのベンチ
―――――――――――――――
主人公がベンチに座り本を読み続ける。
川の堤防を乗り越えてジャージの男が登場。
ランニングしながら主人公の前を通り過ぎて、また戻ってくる。
ジャージの男「何やってんだよ若いもんが。運動しろよ運動」
そして主人公の本を奪って画面から走り去る。

主人公はハードカバーの本を取り出して読み始める。
ジャージの男が現れ、「健全な魂は健全な肉体に宿る」と本を奪いさる。
主人公は文庫本を取り出して読み始める。
ジャージの男が「見よ、このカモシカのような肉体を」と本を奪いさる。
主人公は豆本を取り出して読み始める。
ジャージの男が「運動の秋だぜ」と本を奪いさる。

全ての本を持って行かれてしまった主人公は、それまで無表情だったのがむかついた顔になり、右の拳を握りしめる。そして、ジャージの男を追って走り出す。
しばらく追跡劇が続くが、ジャージの男がひらりと飛び越えたフェンスを主人公はなかなか乗り越えることが出来ず見失う。
ぜいぜいと息を荒立てながら立ち止まる主人公。
どこからかジャージの男の「あー、いい汗かいたなぁ」という声が聞こえる。
はっと上を見上げると、そこには陸橋があり、そこでジャージの男が整理体操をしている。
主人公は慌てて陸橋を駆け上るがすでにジャージの男の姿はない。
手すりに身をもたれて「あーあ」とつぶやく主人公。


路上の自販機
―――――――――――――――
主人公の友人が自販機でジュースを買おうとしている。
後ろポケットに手をやるが財布が見あたらない。
前ポケット、胸ポケットへと左右の手を動かしている内に、ブロックサインの動きになっている。

グラウンド
―――――――――――――――
野球のユニフォームを着た野球選手(東森時音)がカメラに向かってうなずくと、バッターボックスに入り初球を打つ。
カキーンと打球音。


路上の自販機
―――――――――――――――
友人がカメラに向かって「よしよし」とうなずく。
そしてジュースを買う。


読書部部室
―――――――――――――――


部室の中はパイプ椅子に座った読書部の部員がすし詰めになっていて、みんな無言で本を読んでいる。
部室に入ってきた主人公がドタドタとその上を乗り越えて奥へ入っていき、折りたたみ式のパイプ椅子を持ってくると部員たちの中央に座る。
主人公「いやー、ほんと今日はまいったよ」
部員の一人に話しかけるが、部員は読書に夢中で主人公を無視して背中を向ける。
他の部員に「こんなついてない日もあるんだよな」と話しかけるが、その部員も背中を向ける。
主人公「こんなヤな日もあるなんて、ほんとついてないよな」
残りの部員たちが一斉に背中を向ける。
落ち込んだ様子の主人公。
そこへ友人がジュースを飲みながら登場し、あれ?という感じで部室内を見る。
そして主人公に「飲む?」とジュースを渡す。
主人公「ありがとう」
友人「全部いいから」


建物出入り口
―――――――――――――――
建物からまず友人が出て行く。
続いて主人公が出てきて、外の日差しに額に手をかざす。

主人公のアップ
ポケットからブルース・ブラザース風のサングラスを取り出すと顔にかける。
いきなり左頬にビンタをくらう。
黒いコートなど黒ずくめの男がサングラスを奪う。そして自分がかけると
黒の男「ガキが気取るんじゃない」と渋い声で言い残して去っていく。

主人公はその後ろ姿を睨みながら左の拳を握りしめるが、ジャージの男の記憶が甦って拳を下ろしてトボトボと歩き去る。


道路
―――――――――――――――
主人公は友人と一緒に小学校脇の道路を歩いている。
友人「まあ、ついてない日もあるって」
友人「元気出せよ」
友人「落ち込んでばっかりいるとろくな事がないぜ」
色々と話しかけるが、主人公はうつむいたまま。
バッバッーと車のクラクションが鳴り響く。
はっと驚く二人

二人が小学校のフェンスにしがみついている。
そこをトラックが通り過ぎていく。
友人「だからろくでもないことになるって言っただろ」
主人公は「わー」と叫びながらフェンスを乗り越えると、そのまま走り去っていく。
小学校からキーンコーンカーンコーンとチャイムが聞こえてくる。


階段
―――――――――――――――
小雨の降る中、主人公は傘も差さずに歩き続ける。
屋外の階段を上っていると、下ってきた男Bと鉢合わせる。
右に避けようとすると男Bもたまたま同じ方向へ避ける。左に右にと同じ事を繰り返した後、男Bは主人公を乱暴に押しのける。

怒る気力もなく、力ないまま階段を上っていく主人公。


通路
―――――――――――――――
小雨で濡れた路上にバナナの皮が落ちている。
主人公はバナナの皮に気づかずに、そのまま滑って転ぶ。
バナナの皮を拾って放り投げると、癇癪を起こす主人公。

路上に落ちたバナナの皮のアップ。


橋の上
―――――――――――――――
欄干にもたれて川の流れを眺め、ため息をつく主人公。
視線を上げはっとする。
カメラが主人公の横顔から左へパンしていくと、堤防の上をジャージの男が走っている。
主人公はその後をつけていく。


路上
―――――――――――――――
ジャージの男はランニングの足を止め、ポケットからバナナを取り出すと美味そうに食べる。
そしてバナナの皮を放り捨てると再びランニングを始める。
こそこそと後を付けてきた主人公はまたバナナの皮に滑って転ぶ。

しかし、痛む足をさすりながらも追跡を続ける。

ジャージの男が後ろからの視線を感じて振り向く。
主人公は近くにあった看板の後ろにとっさに隠れる。
ジャージの男は首を捻っていたが、また歩き出す。
主人公はマスクを取り出すと変装のために着用する。
看板の影から出たところを左の頬にビンタをくらう。
黒の男がマスクを奪うと「何度言ったら分かるんだ」と言って、自分がつけてそのまま立ち去る。

主人公は右と左の拳両方を握りしめる。
ジャージの男のいる右側と黒の男がいる左側を交互に見てから、拳で自分の頬をポカポカと叩くと、ジャージの男を追いかける。


電話ボックス
―――――――――――――――
ジャージの男は電話ボックスに入る。
その外に主人公が新聞を広げている。
新聞にはある人物の大きな写真が載っている。
写真の左目の部分が裏側から指で穴が空けられ、そこからじろりと主人公の目が睨む。

主人公は新聞越しに様子をうかがいながら、電話ボックスのぐるりと回る。

ジャージの男が電話ボックスから出て、画面の左へと消える。
主人公はその後を追う。

乱闘の音

画面の左からよろよろと主人公が現れて、ばったりと倒れる。


公園
―――――――――――――――
小さな白い花のアップ。
その花を眺める主人公の回りにどこからかシャボン玉が飛んできて、軽く微笑む主人公。

「オーライ、オーライ」の声と共にキャッチボールで逸れたボールと受け取ろうとした男が走ってきて、花が踏みつぶされる。
主人公は花を元に戻そうとすると、折れた花は倒れたまま。
呆然とする主人公。


自宅
―――――――――――――――


主人公が自宅のアパートで膝を抱えてしょげている。
トントントンとノックがするが主人公は座ったまま。
しばらくしてまたノックがするので、しょうがなさげに立ち上がる。
玄関のドアを開けると友人が立っている。
友人「よぉ」

*ここからセリフや物音はなくなり、音楽だけが流れる。

テーブルの上にいくつも転がるビールの空き缶。
二人はどうやらテレビを見ているようだ。
友人は笑っているが、主人公は落ち込んだまま。
主人公にビールをすすめる友人。
次第に主人公も笑顔がこぼれるようになり、ついには二人して肩をたたき合って爆笑している。


青空の屋外
―――――――――――――――
*そのまま音楽のみ

青空の下、主人公がうーんと背を伸ばしてから歩き出す。
ゆっくりと歩いていく。植え込みの向こうを歩いているので足元は観客に見えない。
音楽が止まり、ズルッと音がして主人公が転ぶ。

カットが正面に切り替わる。
地面に横たわった主人公の足元にバナナの皮が落ちている。
バナナの皮を拾い上げ、わはははと笑う。

*ここからピチカート・ファイブの歌『バナナの皮』が流れる。
「バナナの皮ですべって転んで、僕はずいぶん痛かった
誰もがみんな憂鬱そうだったのに、僕を指さして笑った
ごらんそんな時だけ世界中うまくいってる気がする
笑え僕のことを 笑えお腹抱えて」

主人公は立ち上がるとしっかりとした足取りで歩いていく。

バナナの皮のアップからフェードアウト。

エンドクレジット
*引き続き『バナナの皮』が流れている。

クレジットが終わると、男Aがオープニングの時と同じベンチに座って、相変わらずウォーリーを探している。

男A「うーん、いないなー」

『ダ・ヴィンチ・コード』 手がかりが手がかりを産むのかよ

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『ダ・ヴィンチ・コード』(2006) THE DA VINCI CODE 150分 アメリカ

監督:ロン・ハワード 製作:ブライアン・グレイザー、ジョン・コーリー 製作総指揮:トッド・ハロウェル、ダン・ブラウン 原作:ダン・ブラウン 脚本:アキヴァ・ゴールズマン 撮影:サルヴァトーレ・トチノ 衣装デザイン:ダニエル・オーランディ 編集:ダニエル・P・ハンリー、マイク・ヒル 音楽:ハンス・ジマー
出演:トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ、イアン・マッケラン、アルフレッド・モリナ、ジャン・レノ、ポール・ベタニー、ユルゲン・プロフノウ、エチエンヌ・シコ、ジャン=ピエール・マリエール

 観ていて思いだしたのが、ニコラス・ケイジ主演の『ナショナル・トレジャー』(2004)だ。
 どちらもつまるところは宝探しの話。まずは主人公が手がかりを手に入れる。
 手がかりによって見出されるのが新たなる手がかり。そして新たなる手がかりによってさらに新たなる手がかりが見つかる。ひたすらこれを繰り返しているだけ。
 確かにこれならば一見だれることなくラストまで観客を引っ張っていける。
 こういう話法はどんなもんだろうかと思う。原作も一気にラストまで読んだし、映画もラストまで一見緊張感はあった。しかし、オレとしては押しつけられている感が強くて好きではない。

 インターネットマンガ喫茶で読んだパタリロにあったと思うのだが、あるミステリー好きの科学者が死に、ある謎が残る。
 手がかりを追っていったパタリロたちは、そこで答えではなく新たなる手がかりらしきものを見つける。
 しかしパタリロは「ミステリーでは手がかりによってもたらされる物は答えでなくてはならない。手がかりによって次の手がかりが見つかるなんてことはない」とか言っていた記憶がある。
 間違っていてはいけないので車でひとっ走りマンガ喫茶へ。祝日とあってかそれなりに混んでいた。
 どの巻に収録された話か分からないので、取りあえず新しい方から調べていく。
 棚の前に立ったままページをめくること5分ほど、第55巻の最後に収録されたエピソード『ジラードの遺産』にそれはあった。

「推理小説マニアは謎の上に謎をかさねたりはしない
隠し場所が謎で見つかった物が
さらに暗号になってるなんて
ことはありえない」
「一つの謎ときには一つの答え
つまりあれはただの○○で
理論の隠し場所は他にあると
いうことだ」

 このパタリロのセリフだけで十分だという気もするが後を続ける。

 いくつかの手がかり、つまりは鍵を集めないと答えに至らないならともかく、手がかりが手がかりを生み出すというストーリー展開は、確かに観客を最後まで引きつけはする。だが、つまるところ一種の手抜きであろう。観客をハラハラさせたりリラックスさせたりする緩急がなく、ひたすら急急だけだ。
 本の場合はまだ読み手が自分のペースで読み進めることが出来るが、映画の場合は展開のペースを一定の物で押しつけられてしまう。その押しつけが疲れる。
 ここで対比としてアルフレッド・ヒッチコックを出してしまうのはあまりにも安易だが、ヒッチコックは作中に登場する答えないし手がかりをマクガフィンと呼び、それ自体には意味がなく、映画を語り展開させる上での小道具でしかないとする。
 彼ならば最初の一つの手がかりと最後の答えだけで、一本の充実した映画を作り上げ、観客を魅了し楽しませることだろう。

 ラストのオチについてはどうとも思わない。
 『シックスセンス』を始めとする最近のオチ至上主義が、映画界に悪い影響を及ぼしていると考えているぐらいだ。
 別段、映画が面白ければオチなんてどうでもいいんだが、シャマラン作品はオチしかないからなぁ・・・

2006年11月04日

映画バカ青春記 第124章 最後の試験

 プライベートフィルム上映会が終わり、『きしむ男』はそれなりに評判が良かったと思うが、なにぶん5年生の撮った映画だ。つまらなかったとしても下級生からは悪い批評はしにくかったに違いない。
 そして大晦日が過ぎ1992年になった。
 ほどなくして後期試験が始まった。
 これが大学祭後の試験になる。なるはずだ。ならないと困る。

 取得すべき単位は一般科目から1つ、そして英語が1つの合計2単位。
 一般科目の方は4つか5つばかり選択しておいたのでどれか一つが可以上を取ればいい。数打ちゃあたる戦法だ。
 問題は英語である。
 講義には真面目に出席した。欠席はほとんどない。講師のおじいちゃん先生、通称二郎ちゃんにも顔と名前を覚えてもらっていた。
 ただ、テキストにロナルド・レーガンが暗殺未遂で撃たれたときの発言で
「I Forgot to Duck.」
 と言ったのを、二郎ちゃんは、レーガンは「わたしはアヒルを忘れた」とジョークを言っているのですが、これは私たち日本人にはピンときませんねと説明したところへ
「いや、先生。そのDuckはアヒルじゃなくてボクシングなんかのダッキング、つまり銃弾を避けるのを忘れてたよというジョークなんじゃないですか」とつっこんで、
「そういう解釈もあるかも知れませんね」
と少々うろたえさせてしまったので、心証が悪いかも知れない。
 もちろんオレは英語が大の苦手なので、これが生まれて初めて英語の教師につっこんだ瞬間である。
 しかしまぁ、死にかかったという事件についてもジョークを言わなければならないとは、アメリカ合衆国大統領というのも難儀な商売だ。というか、さすがロナルド・レーガンと言うべきか。ブッシュ大統領などあまり気の利いたことは言えなさそうだ。

 名城大学の商学部、現在では経済学部に名前が変わっているが、当時の商学部では全学生がゼミを受講することができなかった。
 マンモス校なので学生数が多く、講師の数もゼミ室の数も足りなかったのだ。
 そこで、希望したゼミについて抽選が行われ、オレは落ちた。
 だからオレはゼミの経験がない。そしてゼミがないということは卒業論文もないのだ。よって卒論を書かずに済んだ。楽だが、ちょっと何だかなぁと思わないでもない。

 試験が終わり、ほどなくして結果発表。
 意外なことに受けた試験は全て通った。
 真面目に出席したし、勉強もちゃんとした英語が可止まりだったのが、自分の英語の実力を示していて悲しいが、不可でなくてよかったよかった。
 これで卒業は決定。就職も決まっていて、順風満帆である。
 心の隅で、「それでいいのか?」という声が囁いていたが、気にしない気にしない。

『姑獲鳥の夏』 面白い映画になるとは思っていなかった

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『姑獲鳥の夏』(2005) 123分 日本

監督:実相寺昭雄 製作:荒井善清、森隆一 プロデューサー:小椋悟、神田裕司 企画:遠谷信幸 原作:京極夏彦 脚本:猪爪慎一 脚本協力:阿部能丸 撮影:中堀正夫 美術:池谷仙克 編集:矢船陽介 音楽:池辺晋一郎 衣裳デザイン:おおさわ千春
出演:堤真一、永瀬正敏、阿部寛、宮迫博之、原田知世、清水美砂、篠原涼子、松尾スズキ、恵俊彰、すまけい、いしだあゆみ、京極夏彦

『姑獲鳥の夏』映画化の話を聞いたときは、駄作になるのではと危惧した。
 あの文字がびっしり詰まった原作の厚さもそうだが、謎の答えが文章としては面白いが映像には向いてないと考えたのである。
 映像化するならば、むしろ2作目の『魍魎の匣』をやるべきではないだろうか。今さら監督に実相寺を持ってくるところからして疑問だし、あの人に観念的な作品を撮らせると自己満足的に終わってしまう可能性がある。SF的雰囲気のある『魍魎の匣』の方が題材として向いているだろう。
 だがそれは杞憂に終わった。
 ストーリーは原作を読んでいないと完全に把握するのは難しい点があるだろう。確かに説明不足だし、ラストの京極堂の怒濤のごときセリフによる謎解きというか御祓いが長すぎて、おいてけぼりになる観客もいるだろう。
 しかし、この映画はミステリーとして謎が解決することが重要なのではなく、語るべき点はそこに至るまでの語り口や魅力的な登場人物の描写にある。細かな説明など必要ないのだ。ストーリーなど分からなくてもいいのである。
 ストーリーやオチがイクォール映画の価値ではない。瑣末な説明などいらぬ、ただもうこの『姑獲鳥の夏』の世界に浸っているだけで満足だ。
 そもそもオレは、原作をミステリーだとあまり思ってない。というかミステリーじゃない。

 原作と映画は別物であるというのはオレの持論だ。
 だが、この『姑獲鳥の夏』に関しては原作を読んでおくべきだろう。
 否、この映画は原作を読んだ人向けのファンムービーなのである。
 オレが読んだときのイメエジでは京極堂はもう少し貧相な人物を思い描いていて、堤真一では二枚目過ぎるが、終盤のセリフの嵐と目つきはさすが舞台出身だけの実力というか凄みがある。アイドルでの俳優なんかじゃ絶対無理だ。
 原作では「猿に似ている」と評される関口役の永瀬正敏は確かに猿顔だし、猫背でおどおどとした物腰がぴったりだ。
 だが、原作でのイメエジにぴったりという点では榎木津役の阿部寛をおいて他にないであろう。阿部ちゃんは榎木津を演じるために生まれてきたのではないだろうか。絶世の美男子で、常識外れの言動。原作を読んでいた時に阿部ちゃんを思い浮かべなかったオレはキャスティング能力に欠けるようだ。オートバイを運転してきたライダースーツにライダー帽で登場するときの格好良さ。阿部ちゃんの榎木津だけでオレはこの映画を擁護する。
 今、シリーズの『陰摩羅鬼の瑕』を読んでいるが、前半から榎木津が傍若無人ぶりで関口を振り回しているが、もはや阿部ちゃんの姿、阿部ちゃんの声しか頭に浮かばない。
 ヒロイン?役の原田知世は、彼女の持つどこか現実離れした雰囲気を上手く活かしている。幻想的と言えばいいのだろうか、汚れや汚れを知らなさそうな「守ってあげたい」になりそうな所が、ラストにおける衝撃への鍵となる。
 ちょっと違うなと感じたのは木場役の宮迫博之だ。顔は確かに四角いが、背が低すぎる。演技は悪くないと思うのだが、原作では大男として語られることが多く、180cmある無骨で強面な役者にして欲しかったところだ。
 松尾スズキと恵俊彰はいかにもな怪しさが薄っぺらくて逆につまらなかった。

 過去の東京を舞台にした映画ということで、『帝都物語』を思い浮かべてしまったのも観る前に不安だった要因なのだが、今回はあまり予算がなかったせいか、特撮や大規模なセットを使えなかったのも実相寺の手に負えなくなることもなくよかったのかもしれない。
 ジッソー君らしく、時折相変わらずのみょうちくりんな構図が登場するが、これはもう伝統芸だろう。
 だが、続編を作るならば、というか『魍魎の匣』はぜひとも実現して欲しいが、その時は若手監督の起用を期待する。若手と言っても日本映画の場合は30代40代になるだろうが、そこら辺の年が一番充実した作品を撮る。

 しかし、京極夏彦って太ったなぁ・・・

2006年11月05日

映画バカ青春記 第125章 1992年に映画館で観た映画

愛人/ラマン
愛と欲望の銃弾
愛という名の疑惑
アザー・ピープルズ・マネー
アダムス・ファミリー
アップルゲイツ
アトランティス
アフター・ダーク
暗殺のオペラ
生きるべきか死ぬべきか
天国は待ってくれる
ざくろの色
スラム砦の伝説
アシク・ケリブ

1492・コロンブス
ウェインズ・ワールド
ウェドロック
美しき諍い女
美しき獲物
ウディ・アレンの 影と霧
ウルガ
エイセス/大空の誓い
エイリアン3
KAFKA/迷宮の悪夢
カフス!
壁の中に誰かがいる
キスへのプレリュード
クーリンチェ少年殺人事件
グランド・ツアー
グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版
刑事ジョー/ママにお手あげ
恋の時給は4ドル44セント
こうのとり、たちずさんで
氷の微笑
殺しのアーティスト
コロンブス
JFK
仕立て屋の恋
七小福
シティ・スリッカーズ
ジャック・ルビー
シャドーチェイサー/地獄の殺戮アンドロイド
上海1920/あの日みた夢のために
ジュース
人生は琴の弦のように
スーパータッチダウン
スウィート・ロード
スキャナーズ3
スター・トレックVI/未知の世界
ストーリービル
ストロンゲスト/史上最強の映画スターは誰だ!?
スパイメーカー
双旗鎮刀客
ダイナウォーズ/恐竜王国への大冒険
ダストデビル
ダブル・インパクト
ダンシング・ヒーロー
チャイニーズ・ゴースト・ストーリー3
ツイン・ドラゴン
ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間
透明人間
ドラキュラ
永遠に美しく…
ナイト・アイズ
ナイト・オン・ザ・プラネット
ニューマン
ネメシス
ノーサイド
バーチャル・ウォーズ
ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録
ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌
バートン・フィンク
ハイランダー2/甦る戦士
ハウスシッター/結婚願望
バグジー
裸の銃を持つ男2 1/2
裸のランチ
バットマン リターンズ
パトリオット・ゲーム
花嫁のパパ
遥かなる大地へ
美女と野獣
ビリー・バスゲイト
フック
フィッシャー・キング
ブーメラン
フォー・ザ・ボーイズ
不法侵入
フライド・グリーン・トマト
ブラッド&コンクリート
ブレードランナー最終版
フリージャック
プリティ・リーグ
ベートーベン
ペット・セメタリー2
ボーイズ’ン・ザ・フッド
ホーム・アローン2
ボディガード
炎の大捜査線
微笑みがえし
ポリス・ストーリー3
ポンヌフの恋人
マイ・ガール
マイホーム・コマンドー
ミュータント・ニンジャ・タートルズ2
ミッドナイトヒート
ユニバーサル・ソルジャー
夢の涯てまでも
ラジオ・フライヤー
ラヴィ・ド・ボエーム
リーサル・ウェポン3
レイジング・ケイン
レプスキー最後の挑戦/コートダジュール殺人事件
レプスキー大胆不敵/ジェネシスNo.18
ワックスワーク2/失われた時空
ゴジラVSモスラ
鉄男 II BODY HAMMER
未来の想い出 Last Christmas
地獄の警備員
勝利者たち
いつかギラギラする日
青春デンデケデケデケ
シコふんじゃった。
外科室
魚からダイオキシン!!
ミンボーの女
女殺油地獄
おろしや国酔夢譚
ファンキー・モンキー・ティーチャー2 東京進攻大作戦
紅の豚
継承盃
寝盗られ宗介
死んでもいい
エロティックな関係
七人のおたく cult seven
病は気から 病院へ行こう2
落陽
花と嵐とギャング
殺し屋人別帳
忘八武士道
江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間
徳川いれずみ師 責め地獄
七人の侍
気まぐれ冠者
残菊物語
決闘高田馬場(血煙高田馬場)
丹下左膳餘話 百萬兩の壺
黒蜥蜴
黒薔薇の館

計 150本

 3月末からは会社員だったというのに、なにやっとんじゃオレは。
 しかも、学生料金から一般料金にあがった上に、2本立て中心だった名古屋から1本立ての東京に来たので、1本当たりの金額は単純に考えて2倍以上。
 会社の寮であるワンルームマンションの家賃が光熱費込みなのに格安だったからできたこと。
 それから新宿になる金券ショップを何軒も回って、格安になっている前売り券や劇場券を買ってたんで、実は意外に金は使っていない。500円とか300円も当たり前で、人気のない映画だと1枚100円の前売り券とかあったからなぁ。
 そのせいでかなりしょーもない映画も観ている。今回調べていて、確かに手帳には観たと記入されているが、まるっきり記憶にない映画が何本もあった。
『ストーリービル』ってどんな作品だったか?allcinemaで粗筋などを調べても、さっぱり思い出せない。
 確か『落陽』の前売り券が100円だった。さすが、にっかつにとどめを刺した作品だけある。ひどいを通り越してある意味こんな映画はめったに観られない貴重な作品。
 にっかつの80周年記念作品で、ドナルド・サザーランドやダイアン・レインも出演する予算を目一杯注ぎ込んだ超大作。なのに監督が原作者の伴野朗というのが思いっきり不可解だ。

『ナイルの宝石』 ロマンスなうちが華なのよ

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『ナイルの宝石』(1985) THE JEWEL OF THE NILE 106分 アメリカ

監督:ルイス・ティーグ 製作:マイケル・ダグラス、ジョエル・ダグラス 脚本:マーク・ローゼンタール、ローレンス・コナー 撮影:ヤン・デ・ボン 音楽:ジャック・ニッチェ
出演:キャスリーン・ターナー、マイケル・ダグラス、ダニー・デヴィート、スピロス・フォーカス、アブナー・アイゼンバーグ、ポール・デヴィッド・マギッド、ハワード・ジェイ・パターソン

 前作『ロマンシング・ストーン』はニューヨークの街中にヨットが現れるという劇的なエンディングで終わった。
 それから時は過ぎ、ヨットで世界一周をしている最中の女性作家ジョーン(キャスリーン・ターナー)とその恋人のジャック(マイケル・ダグラス)の仲は停滞気味である。
 前作は南アメリカで宝石を巡っての大冒険で知り合い恋に落ちた二人だが、「異常な状況下で結ばれた二人は長続きしない」というやつであろうか。
 そういえば、撮影監督が『スピード』のヤン・デ・ボンだ。いやまぁどうでもいいことだが。
 ついに破局を迎える二人だが、ジェーンはある男の伝記を書くため、ジャックは「ナイルの宝石」をその男から奪い返そうとするアラブ人に脅迫されて、別々にナイルに向かうことになる。

 ナイルの宝石はどこにあるのか、そもそもナイルの宝石とは何なのか。その謎だけで物語は最後までひた走る。
 走ると言えば戦闘機F-16も走る。昔にどこかで読んだだけなので確実かはわからないが、何でもこのF-16は軍隊から実機を借りることが出来なかったので、撮影用に実物大の模型を作ったは良いが、空を飛ばすことが出来ない。そら、飛ばんわ。
 SFXで飛ばすことも検討されたが、飛ばないならばいっそのこと飛ばないまま地面を疾走させるだけにしよう、ということでナイル近辺の砂漠をF-16が走り回りアフターバーナーまで吹かすことになったのだとか。
 操縦席のマイケル・ダグラスが「スペース・インベーダーよりも簡単だ」といっているのが時代を感じさせる。せめて「ギャラクシアン」って言えよ。・・・あんまり変わらないか。「ギャラガ」?

 女性向けロマンス小説を得意とするが、本人の生活はまるでロマンスとはほど遠い女性作家が、南アメリカである事件に巻き込まれ、そこで出会った粗暴な山師マイケル・ダグラスと出会い、ケンカを繰り広げながら最終的には結ばれるという、基本的には古典的ロマンス物だった前作『ロマンシング・ストーン』。
 今回もメインはロマンスだが、倦怠期から始まるというのが目新しい。
 ラストは当然ハッピーエンドだが、これだってあと5年、10年、15年後はどうなっているのだか怪しい物だ。
 その17年後の姿を描いたのが、ジョーン&ジャックシリーズではないが、キャスリーン・ターナー、マイケル・ダグラス、そしてダニー・デヴィートとほぼ同一キャストで作られた『ローズ家の戦争』(1989)であろうか。

 マイケル・ダグラスは主演だけでなく、制作者としても映画に関わっている。
 個人的にはあまり好きな役者ではないが、偉大なる俳優カーク・ダグラスを父親に持っていることを考えると、その重圧やコンプレックスはかなりのものだったに違いない。
 実際、異母兄弟のエリック・ダグラスはB級映画に何本か出演しただけで、世をすねるような形で消えてしまい、最終的には若死にしてしまった。
 有名な俳優を親に持つ二代目俳優の多くがあまりぱっとせず、売れたとしてもそのご堕落していくことが多いことを考えると、マイケル・ダグラスは私生活で多少の問題はあるようだが、映画人としては成功している比較的数少ないケースだろう。

2006年11月06日

『北国の帝王』 しょせん若造じゃ海千山千の老頭児(ロートル)にはかなわねぇよ

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『北国の帝王』(1973) EMPEROR OF THE NORTH 122分 アメリカ

監督:ロバート・アルドリッチ 製作:スタン・ハフ 製作総指揮:ケネス・ハイマン、 脚本:クリストファー・ノップ 撮影:ジョセフ・バイロック 音楽:フランク・デ・ヴォール
出演:リー・マーヴィン、アーネスト・ボーグナイン、キース・キャラダイン、チャールズ・タイナー、サイモン・オークランド、マット・クラーク、エリシャ・クック・Jr、マルコム・アターベリイ、ハリー・シーザー

 時は1933年、大恐慌まっただ中のアメリカである。
 失業者が街に溢れ、アメリカ中を彷徨う浮浪者の数も多くなった。その浮浪者のことを俗にホーボー(ホブ)と呼ぶ。『ラブ・ハッピー』で紹介したハーポ・マルクスも浮浪者風の男と呼ばれており、実際に住居を持たずニューヨークの公園に住んでいるようで、確かに浮浪者である。
 その浮浪者の中には、職などを求めて街から街へと旅する連中もいた。しかし、金を持っていないので貨物列車にただ乗りしての旅だ。
 そのただ乗りを決して許さないのが19号列車の車掌であるシャック(アーネスト・ボーグナイン)である。給水所での隙を突いて乗り込んだ浮浪者は見つけ次第ハンマーで頭をたたきつぶしぶち殺してしまう。比喩の殺すではなく、本当に殺す。
 その19号車にただ乗りして名前を上げようとする若造(キース・キャラダイン)と、その若造に煽られるような形でありながらこちらこ19号車に挑むNO.1(リー・マーヴィン)
 汗臭く野蛮で、そして誇り高き物語が始まる。

 ほぼ全編を通して男ばかりが画面に映り、ヒロインの登場しない映画だと勘違いされている場合もある。
 とんでもない、ヒロインは映画の冒頭からラストまでずっと登場していて、男たちのある意味馬鹿げた意地の張り合いと戦いを見つめている。
 ヒロインとは機関車そのものである。その証拠に機関士は列車のことを「She」と呼んでいるではないか。
 誰が彼女を手入れるのか、彼女の奪い合いこそがこの映画の正体だ。つまりなロマンス映画であるとも言える。

 ラストは映画史に残る対決シーン。シャックとNO.1の戦いだ。正々堂々といった騎士道的精神は欠片もなく、勝てば良しの暴力そのものだ。
 今回はNO.1が勝ち、シャックは列車から放り出される。だが、シャックは復活してまた車掌として列車に乗るだろうし、またただ乗りしたホーボーを殺すのだろう。だが、NO.1は殺されない。それは彼がNO.1であるからだ。殺されないからこそNO.1なのだ。
 向こうっ気は強いがしょせんはそれだけの若造はには、NO.1になる素質も根性もない。いずれはシャックか他の車掌に殺される運命だ。だからNO.1は若造を列車から放り出す。
 そしてNO.1だけを乗せた列車は地平の彼方へと消え去っていく。
 NO.1は孤独だ。それは彼がNO.1であるからだ。ホーボーだけではなく、どの世界でもNO.1は孤独なのであろう。

 どうでもいいけど、とっとと日本でもDVDを出して欲しい1本だ。

2006年11月07日

『マインドハンター』 謎の言葉、クロアトアン

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『マインドハンター』(2004) MINDHUNTERS 101分 アメリカ

監督:レニー・ハーリン 製作:ケイリー・ブロコウ、ロバート・F・ニューマイヤー、ジェフリー・シルヴァー、レベッカ・スピンキングス、スコット・ストラウス 製作総指揮:モリッツ・ボーマン、ガイ・イースト、アキヴァ・ゴールズマン、レニー・ハーリン、ベイジル・イヴァニク、ナイジェル・シンクレア 脚本:ウェイン・クラマー、ケヴィン・ブロドビン 撮影:ロバート・ギャンツ 編集:ニール・ファレル、ポール・マーティン・スミス 音楽:トゥオマス・カンテリネン
出演:LL・クール・J、ジョニー・リー・ミラー、キャスリン・モリス、ヴァル・キルマー、クリスチャン・スレイター、パトリシア・ヴェラスケス、クリフトン・コリンズ・Jr、アイオン・ベイリー、ウィル・ケンプ

 レニー・ハーリンというと『ダイ・ハード2』や『クリフ・ハンガー』などド派手な映画の印象が強いが、実は多少低予算気味のいわゆるB級映画向きの人材だなと思わせる1本。
 そもそも名前が売れたのが『エルム街の悪夢4/ザ・ドリームマスター最後の反撃』(1988)である。
 その後、アクション映画路線に進んだ、あるいは進まされてしまったのが彼の悲劇なのかも知れない。

 FBI分析官になるため、選び抜かれた捜査官が訓練を受けている。その最終テストが外界から閉ざされた孤島で行われた。
 その島は普段海軍が訓練に使っており、模擬戦闘用にアメリカの地方都市中心部が再現されている。実際の街そっくりだが荒れ果てており、人間の代わりのマネキン人形と、そして猫がいるばかりだ。
 架空の連続殺人鬼の捜査をすることになっていたが、実際に街に乗り出した彼らは、一人また一人と本物の殺人鬼の罠によって殺されていく。

 Croaton(劇中ではクロアトアンと呼ばれているが、クロートンと書かれる場合もある)という単語が登場する。アメリカへの移民時代初期、ローアーク島から100名を超える人間が姿を消した事件で、たったひとつ残された手がかりだが、その謎は解けていない。マリーセレスト号事件などと並ぶ集団失踪事件の一つだ。
 犯人はローアーク島に見立てて、その島の住人、つまり捜査官全てを殺そうと企んでいるのだ。
 生き残るために彼らは捜査を始めるが、孤島に彼ら以外の人間はいない。となると仲間の中に犯人がいるはずだ。互いに怖れ疑い、疑心が溢れていく。

 孤島で一人また一人と殺されていくとなると、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』などが思い浮かぶが、この作品はミステリーではないだろう。むしろ、最近では下火になったがサイコスリラー色が強い。
 実際の犯人は姿を現さず、様々な仕掛けで殺人は起きる。
 登場人物の心情や性格が分析されており、その人物ならば必ずこうするはずという読みの元で仕掛けられた罠が必然であったかのように、犯人が時計で指定した時間に発生する。パズルじみたその仕掛けが面白い。事件が起こる前にクロスワードパズルやルービックキューブが登場するが、事件を予感させる布石であろう。


 そして実はもう1本の『ディープ・ブルー』(1999年のレニー・ハーリン作品)でもある。鮫と殺人鬼の違いはあるが、意外な人物の死からラストまでストーリー自体はほとんど一緒。
 終盤の暴走気味な所も含めて、なかなか楽しめた作品だった。

2006年11月08日

映画バカ青春記 第126章 最後の卒業式

 聖母幼稚園というカトリック系の幼稚園に通っていたオレは、愛知県半田市への引っ越しで転園した。引っ越し先の幼稚園に空きがなかったので保育園に通うことになった。まだまだ子供も多い時代だった。
 保育園の卒園式から、小学校、中学校、高校、そしてこれが5回目の卒業式。オレにとって最後の卒業式だ。

 といっても、卒業式にこれといって思い出はない。
 小学校の卒業式では女子たちが泣きながら手を取り合って、卒業してもずっと友達でいようね、とか言ってるのを横で眺めていて、阿保かと半ばうんざりしていた。
 今はどうなっているのかは知らないが、当時の愛知県は私立が弱くごく一部の学校しか実力的にも低い。高校ならともかく、中学で私立に進学するヤツなどいなかった。
 だから、引っ越しでもしない限り、その小学校の卒業生は全員同じ中学校に進学するのだ。そこでまた毎日顔を合わせるのだ。
 それで何で「これで今生の別れだ~」とばかりに彼女たちは泣くのだろうか。
 オレにはまるで理解できなかった。阿保か。そういうヤツである、オレは。

 中学の卒業式は、心が二つに分かれていた。それぞれに進学先が違い、普段仲良くしていたヤツらとは違う学校に進むので分かれなければならない寂しさと、そう悲しさではなく寂しさがまずあった。
 それと同時に、あまり好きになれなかったいわゆる不良や運動部のクズ、そして一部だが無理解な暴力教師などと分かれることが出来るのは嬉しかった。もっともっと自由になりたかった。

 高校は自由気ままに過ごした。やれることはかなりやった。もうここで何かをやるよりも、次の段階へ進んで、もっと面白い何かをやりたい。
 もう少しで始まる大学生活を夢見て、じゃぁな、みんながんばれよと卒業式を終えた。

 そして大学の卒業式。5年生(5回生)なので、オレと同じように留年した知人が何人かいるぐらいで、後はシネマ研究会の1年後輩を除けば見知らぬ顔ばかり。
 スーツや羽織袴姿がぞろっと揃う中、オレは黒のMA-1姿だった。
 これからついにはサラリーマン生活が始まるというのに、その最後に日にわざわざこれからずっと締めることになるネクタイを巻く必要もないと思ったからだ。
 愛知県体育館への入場時にちょっともめた。
「在校生の入場はお断りしているんですが」
「オレは卒業生だ!」
 見た目で人を判断するんじゃない。
 ちなみに、オレ以外にも何人か私服姿がいた。

 卒業おめでとうと言われても、何がめでたいのか分からなかった。
 それは単なる区切りに過ぎないだろう。
 感動も高揚も感じられなかった。
 ただ、これから向かうべき世界がまるで見えなかった。
 目の前に広がるのはただの荒野だ。目印も道も何もない。
 そして自分がこれまで来た道を振り返る。高村光太郎だと後ろには道が出来ているはずだが、風と砂埃で消されかけた足跡が点々と残っているだけだ。

 ほんと、これからどうなるのかなと思いながら、一度アパートから実家に戻した荷物を整理して、東京の寮に送る準備をする。名古屋などにも支社はあるが、最初の何年か、あるいはずっと東京暮らしとなるのだ。
 東京育ちの母と、大学進学で上京した父の間にオレは神奈川県横浜で生まれた。
 オレにとって夏休みの帰郷とは母の実家のある品川区に行くことだった。
 だから、名古屋で生まれ育った純粋培養の人間よりは東京の凄さも(あの映画館とやっている映画の本数ときたら!)、普通に人が暮らす街だと言うことも知っている。

「これでいいのか」
 先日からオレの中で囁く声だ。
 オレは耳を塞ぐ。数日中には東京に出発だ。

『沈黙の脱獄』 どいつもこいつも皆殺し

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『沈黙の脱獄』(2005) TODAY YOU DIE 91分 アメリカ

監督:ドン・E・ファンルロイ 製作:ランダル・エメット、ジョージ・ファーラ、フィリップ・B・ゴールドファイン、ダニー・ラーナー、スティーヴン・セガール、レス・ウェルドン 製作総指揮:マンフレッド・ハイド、グレッド・コーチリン、ジョセフ・ローテンシュレイガー、アヴィ・ラーナー、ダニー・ラーナー、アンドレアス・ティースマイヤー、レス・ウェルドン 脚本:ケヴィン・ムーア、ダニー・ラーナー、レス・ウェルドン 撮影:ドン・E・ファンルロイ 編集:ロバート・A・フェレッティ 音楽:スティーヴン・エドワーズ
出演:スティーヴン・セガール、アンソニー・“トレッチ”・クリス、サラ・バクストン、マリ・モロウ、ニック・マンキューゾ、ロバート・ミアノ、ケヴィン・タイ

 スティーヴン・セガールは盗賊。麻薬売買などで財を成した富める者から奪い、貧しい者へと与える義賊だ。
 その名をデニス・ムーアといい、ルピナスの花を専門とする。・・・ごめん、後半嘘だ。でもこの出来ではついつい嘘も付きたくなってしまう。

 チャック・ノリスの『地獄の銃弾』、ジャン=クロード・ヴァン・ダムの『ザ・コマンダー』、そしてこの『沈黙の脱獄』と3本まとめて借りた。どの作品も、主演は俳優のファンでなければあまり価値のなさそうな作品揃いである。
 スティーヴン・セガールと刑務所の組み合わせだと『奪還 アルカトラズ』(2002)がある。こちらはセガールファン以外でも楽しめる作品だったと思う。
 今回のはファンにしか勧められないだろう。それも最近の勢いのなくなったセガールでも気にならないファンだ。
 そう、セガールの勢いは落ちた。1990年代後半の脂ののった時期が続けば、もっと一般のファンも増えていたんだろう。今ではさっきも書いたがファン層はニッチだ。最近では作品ではなくセガール本人の身体に脂がのっている。

 冒頭近くの街中でのカーチェイスはなかなか良いなと思ってみていたら、現金輸送車やパトカーが大爆発するシーンはミニチュア撮影。しかもちゃちい。あれならば別に爆発なしの方が良かったのではないだろうか。

 盗賊から足を洗い現金輸送車の運転手になったセガール。しかし、それは悪党の罠で、セガールは現金強奪・殺人犯として刑務所送りになる。
 タイトルには『脱獄』とあるが、『アルカトラズからの脱出』や『ショーシャンクの空に』などのような脱獄物ではない。緻密さも執念もなく、チャールズ・ブロンソンの『ブレイクアウト』を思わせるようなアバウトな脱獄である。計画が出てきたなと思ったらあっという間に外の世界へ。早い早い。
 ついでにいうと刑務所映画でもない。では何映画かというと、やはりセガール映画なのであろう。

 あれこれと語られてきた予知能力も黒魔術もストーリーにはまるで関係ない。最後は例によって銃撃戦と格闘。謎などなかったかのように唐突に登場する悪の親玉。
 セガールは陥れられた復讐を果たし、殺すべき連中を全員ぶち殺す。
 そんな残虐な男がラストに、「義賊で貧しき者へと富を分け与える良い人です」ってことになってもちと「?」

2006年11月09日

映画バカ青春記 第127章 終章

 もともとは映画についての評論・感想が書けなくなって、それでは一度自分と映画との関わりについて見つめ直してみようと始まった「映画バカ青春記」。それもいよいよ終わりである。

 中学から高校卒業までの青春時代について書くのは良いが、いわゆる自分語りになって恥ずかしいんじゃないだろうか。しばし悩んだ。
 そこで東海林さだおの『ショージ君の青春記』、中島らもの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』、そしてスタパ齋藤と船田戦闘機の『100台のコンピュータ』の3冊の本を読んだ。どれも青春時代の出来事を章立てで語っていくエッセイだ。

 読み終えて、うん青春の頃について書くのは、ちゃんと読み物として面白い物に出来れば恥ずかしくない。自分に対して客観的視点があれば自分語りにはならない、と思ってえいやっと書き始めた。
 最初の予定では全30章、1ヶ月から1ヶ月半を予定していたのだが、まさか130章近くにまでなるとは思わなかった。

 オレは映画が好きだった。今でも好きだが、学生当時の情熱を持つことは、もはや難しいことだろう。若いときの特権的勢いや人目を気にせず突っ走るだけの力はもうない。
 遊びも色々あったし、ファッションや車、スポーツに色恋の恋愛沙汰。そのどれをやっているよりも映画を観たり、映画について話したり、映画について書いたり、そして映画を撮っている方が楽しかった。
 生まれは違うが育ちは名古屋、正確には愛知県半田市で、全国レベルで考えれば映画を観るという点ではそれなりに恵まれていた。半田市には東宝、東映の洋画邦画系と合計4つの映画館があったし、年があがって名古屋まで出て行くようになると、さらに多くの映画館があり、半田では観ることの出来なかったより幅広い映画を観ることが出来た。
 大学卒業後、オレは上京し、映画館の多かった名古屋よりもさらに多い映画館とかろうじて残っていた名画座などに心躍らせ、ひたすらに通いまくって社会人としての道を踏み外したりもするのだが、それは青春期以降の、あえていうならば「映画バカ青年期」で語られること。語る機会はないと思うが。
 そして今のオレは、名古屋よりもさらに田舎、かなり田舎な土地に住んでいる。
 ADSLがやっとで、光ファイバーがこの自治体に通るのは何時の日か?市町村でいうところの町と区分される場所に住んでいるが、この町にはまだ光ファイバーは施工されていない。
 映画館は、隣の市までいけば8スクリーンのシネマコンプレックスがあるが、そこではメジャー系の映画が観られるだけ。映画館に行く金をレンタルビデオやスカパーに使った方が多種の作品を観ることが出来る。東京に行って名古屋を見下したが、ここにやって来て名古屋も捨てたもんじゃなかったなと考えを改めている。
 その名古屋、名古屋駅前もかなり再開発が進んで、オレが通った映画館はもはや名鉄東宝ぐらいしか残っていない。

 もしもオレが名古屋で育たなかったとしたら。今住んでいるような田舎で育ったとしたら、オレはあれほど映画好きになったろうか?
 おそらくはならなかったに違いない。
 映画を数多く観られる環境があったからこそオレの人格はより映画へとシフトしていったのだ。
 映画が一番、映画があればそれで十分。名城大学のシネマ研究会にはもう年代的に少なくなってはいたが、そんなヤツらがまだ残っていた。
 11月3日を含めた連休は当時の名城でも大学祭が開催され、期間中はずっと泊まり込みをし、最終日の翌日に全てを後片付けしてようやくと家へと帰れた。
 5日間も学校に泊まり込んだのだからしばらく大人しくしていればよさそうなものだが、その翌日はさっそく部室へ。
 別に反省会をしようというのではない。それは次の部会でやる予定。ただ、なんとなくいつものように足が向いたのだ。
 何人かの部員がいて、あれこれくっちゃべっているところへ1年先輩のN山さんがやってきた。これがどうも様子がおかしい。いつもふざけた言動の人なのだが、妙に静かだ。と思ったら、部屋の隅で泣き始めた。
 さすがにこれはどうしたのだろうと声をかけに行くと、一冊の新聞を手渡してきた。その見出しはこうだった。
「松田優作、死去」
 N山さんは声も出さずに泣いていた。
 どうやら学校近くまで来てコンビニに寄ったのだろう。そこでレジ横に並んでいる新聞の見出しが目に飛び込んだに違いない。
 N山さんは松田優作の熱烈なファンだった。N山さん自身も背が高く、顔が面長で、服装なども明らかに優作を意識している場合もあった。
 事前の情報がなかったので、我々にとってはまったく突然の訃報。
 そうか、あの11月7日からもう18年も経っているのか。

 一人の俳優の死について本気で泣く。
 それもまた一つの映画バカである。

 映画について書けなくなったのは、書くことに意味を見いだせなくなったからだ。
 読んでくれる方の人数は気にならないが、果たして読んでとんな印象を与えているだろうか。
 基本的に何らかの興味を持てる映画について書いているので、観ているならば「そうそう」とか「それは違うんじゃない」といった反応。観ていない人には「ちょっと今度観てみようか」と思わせることができているのか。
 この映画バカ黙示録はブログのシステムを使っているのでコメントを付けることが出来るのだが、このコメントがほとんどつかない。
 オレの文章はつまらないのかと読み返すが、それほどひどくはないんじゃないかと・・・本人の欲目かなぁ。
 ある人にちょっと話したところ「あんたの文章は自分で結論を出して自己完結してしまうので、口のはさみようがない」と言われた。
 そうかなー。

 書くべき映画について書いていない。それから逃げているというのに気づいたのも書けなくなった理由である。
 本当は、そのサイトでコメディ映画やホラー映画、アクション映画などといった具合に、ある程度ジャンルを絞って書くとやりやすいだろう。
『映画バカ黙示録』は「笑える映画、燃える映画、バカ映画についての映画評論・感想が中心です。」となっているが、実際には何でもありになっていて、この何でもありというのが制約がない場合よりも難しい。何の映画について書いたって良いんだから。
 でも、考えてみれば学生時代はジャンルはあまり気にせずに、取りあえず公開中の映画を観に行っていた印象がある。その時書きたい物について素直に書けばいいのか。
 オレの出来の悪い脳みそだと古い出来事は次から次へと忘れていってしまう。
 となると、最近観た映画について書くのが一番なのか?
 最近、『チャック・ノリスin地獄の銃弾』から映画評が再会したが、これはレンタルビデオの新作コーナーから借りてきて、観てすぐ書いた。
 それ以降のもレンタルしたばかりか、スカパーの映画で観たやつばかり。
 映画バカ青春期を書き始める前の、映画評に関する義務や息苦しさはなく、すんなり書けている。
 読み手の反応がないのがやはり寂しいが、たとえ反応がなくても映画について書くのはもはやオレの天性なのだ。
 そういった面ではインターネットという道具が普及した2006年という時代を生きていることは面白く感じている。
 このオレとはまるで面識もなく、住むところも違えば、仕事や年代も違う人が、googleやYahoo!の検索などでオレのサイトにたどり着く。こんな出会い、10数年前だったらSF的出来事だ。

 難しいことは考えずに、直近に観た作品について書く。感じたままを書く。
 ストーリーの紹介ではなく、その映画で自分が一番書くべきだと思ったことを書く。映画を紹介してもらいたい人には不親切なサイトとなるかもしれないが、全方位に向かって書くのは無理だ。
 つまるところ、書いているのは映画に対するラブレターなのだろう。自分が映画をどれだけ愛しているか、それについてしたためている。自分が映画好きであると確認したいがために書いているのかも知れない。
 普段の映画バカ黙示録の方が映画バカ青春記よりよっぽど自分語りで自己満足なのである。

 そしてそれはこれからも続く。

『ジングル・オール・ザ・ウェイ』 おもちゃ探しでお父さんは大奮闘!

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『ジングル・オール・ザ・ウェイ』(1996) JINGLE ALL THE WAY 90分 アメリカ

監督:ブライアン・レヴァント 製作:クリス・コロンバス、マーク・ラドクリフ、マイケル・バーナサン 脚本:ランディ・コーンフィールド、ハリー・エルフォント、デボラ・カプラン 撮影:ヴィクター・J・ケンパー 音楽:デヴィッド・ニューマン
出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、シンバッド、フィル・ハートマン、リタ・ウィルソン、ロバート・コンラッド、ジム・ベルーシ、ジェイク・ロイド、マーティン・マル、ハーヴェイ・コーマン、E・J・デ・ラ・ペーニャ、ラレイン・ニューマン、ジャスティン・チャップマン、リチャード・モール、フィル・モリス

 アクション映画では財宝の地図、ダイヤモンド、土地、麻薬などなど、様々な物の奪い合いが繰り広げられた。
 そして、アクション映画の宝物にまた一つ新たなる物が加わった。それは「ターボマン人形」。テレビや映画で子供たちに大人気のアクションヒーロー「ターボマン」のアクションフィギアだ。
 このターボマン人形ときたらNintendo DS Liteかたまごっち(しかも現行のではなくさらに暴走人気だった初代)並の人気かつ品薄商品だ。
 忙しいビジネスマンの主人公(シュワルツェネッガー)は、クリスマスプレゼントにそのターボマン人形が欲しいと息子に頼まれていたのだが、すっかり忘れてクリスマスイヴの当日におもちゃ屋に走る。
 しかし「ターボマン人形は何日も前から売り切れですよ」と店員に笑われてしまう。
 息子の空手の発表会にも出席できずに、親子関係がちょっと上手く行ってい