映画バカ青春記 第120章 最後の夏休み。戦い
大学時代最後の夏休みを迎えたオレだった。
だったのだが、その夏休みに何をしたかまるっきり憶えていない。
シネマ研究会の夏合宿には参加しなかったし、一つ年下の彼女は短大卒なのですでに就職していて、そう頻繁には会っていない。
バイトは週に1日。
はてさて、オレはどうやって過ごしていたのだろうか。
映画を観に行ったり、エアコンが無く扇風機だけのアパートで本を読んだり、パソコンで『Wizardry』でもやっていたか。ま、そんなところだろう。
近くに大型書店とビデオレンタル屋の併設店があったので、今にして思えばツタヤなわけだが、そこでビデオを借りてきて観ることも多かった。
当時持っていたテレビは確かaiwaの14インチテレビ。1991年なので当然ブラウン管だ。
今、身の回りで14インチというと、使わなくなったが予備として置いてあるiiyamaの液晶ディスプレイがそうだが、ブラウン管の場合は回りの枠の分だけサイズが小さくなるから、これより一回り小さいはず。
よくまぁ、こんな小さな画面で観てたもんだ。近くで観ないと細かいところが分からないぞ。
といっても、オレが今使っているのはソニーの25インチブラウン管テレビ。世間ではもはや小さな画面の扱いだ。ワイドでもないしな。
そうそう、一つあった。
当時、困ったことに家の母親がヤマギシズムに入れ込んでいて、特別講習研鑽会、通称「特講」などにも参加していた。
そしてオレにもしきりに、「一度行ってみなさい」と言ってくる。留年させてもらった負い目もあるので、「じゃあ一度だけね」と承諾した。
特講参加申し込みをするために、名古屋にあるヤマギシの支部へ行った。
そこでは、ちょっと記憶が不確かだが、入っていくときに「ただいま」と言い、中にいる人は「おかえり」という。出て行くときは「行ってきます」と「いってらっしゃい」だ。メイド喫茶じゃねーっつーの。
そんあことを知らないオレは「こんにちわー」と入っていって、入り口近くにいる人に「ここではただいまなんですよ」と妙に暖かい口調で言われた。
どうにも気持ちが悪かったので、帰るときは「失礼しました」と出て行った。わざわざ扉を開けて「いってきます」ですよと指摘してきた。
ここでもう、オレとしてはヤマギシへの印象は最悪。最悪になるの早いな、オレ。
特講は鈴鹿近辺で行われた。
オレは名古屋から原付で現地に向かった。一号線をひたすら西へ向かったのだと思う。
公民館みたいな建物が会場だった。
受付をしてもらおうとすると、いきなり原付の鍵をよこせと言ってくる。
理由を尋ねると、「紛失したりするといけないからこちらで管理します」とのこと。
カッチーンと来た。来たがなんとか自分を抑える。
「紛失しないように自分で管理できます。子供じゃないんだから」
だが、原付の鍵どころではなかった。奴らは、すでに奴らになっているが、靴までこっちに預けろと言ってくる。
建物からは出ないから必要ないだと。
「原付の鍵も取り上げる。靴も取り上げる。つまりは途中でイヤになっても逃げ出さないように管理するって事ですか。参加するのも自由意志、途中で帰るのも自由意志でしょう。それともここは強制収容所なんですか?」
こうやって受付で言い争っている内に、他の参加者がやって来る。彼らは何の反論もせずに靴を預けて中に入っていく。だが、様子をうかがうようにこちらをチラリチラリと見ていく。
受付の人間が隅に行ってこそこそなにかを話すと、戻ってきてこういった。
「こちらの考えを理解していただけないようならばお帰り下さい」
おうおうおう、帰れっつーなら喜んで帰るよ。結局アレだろ、強く疑問を持った者が一人でもいると、その特講とやらはなりたたないんだろ。
建物の中に閉じこめて、ヤマギシズムのイズムとやらをたたき込もうというんだろ。洗脳っていうんだぞ、それは。
「受付で論争になって、帰ってきた。あなたにはあなたの価値観があるだろう。オレにはオレの価値観がある。オレの価値観ではヤマギシはクソだよ」と母親に告げた。
母親は二度と特講に参加しろとか、機関誌を読めと言ってこなくなった。
ちなみにヤマギシ会のサイトによると特講とは
「特講とは、ヤマギシズム特別講習研鑽会(けんさんかい)の略称で、日常生活を離れて参加者全員が寝食を共にしながら、愉快に楽しく語り合う七泊八日の合宿形式での研鑽会です。
ひとは、自分の経験や知識に基づき様々な判断をし、ともすれば自分の判断が正しいものと信じて疑わないところがあります。特講は、そうした自分の判断が絶対のものかどうかを科学的態度で見直してみることにあり、自分の考えも大いに言い、誰の言うこともよく聞いて、あくまでも「本当はどうだろうか」と主体的に検べていこうとする考え方(これを研鑽態度という)を身につけ、自分の人生全般の方向性を考える機会でもあります。
この特講では、教える人はいません。宗教ではありません。参加しただれもが気軽に何でも出し合い、みんなの知恵を寄せて、本当はどうかと検べていきます。特講の目的は、自分を含めたすべての人が、楽しく、幸せに暮らしていける人になることです。
何を課題にしているか
古今東西、人類は幸福を希求しながら、今だに、「決めつける観念、固定する観念」から愚行を繰り返しています。人間がより正しきを見極めていくにも、人と人が仲良く愉快に暮らしていくためにも、何かを信じたり、決めつけたり、つまり観念を固定する弊害が如何に大きなものであるかに目覚め、固定しやすい人間の観念を、固定のない観念へと、みんなでの研鑽方式により、真に自由なる観念へと急速に大転換するのが特講です。
日頃の生活の中で、当たり前と思っていることなど、身についている常識・信念なども、じっくりしらべ直し、考え直すと、自分でもびっくりするほど根拠のない思い込みだったことなど見えてきます。
この講習研鑽会を通じて、頑固が謙虚な態度に、決めつけの考え方が決めつけのない考え方に、囲いある狭い生き方が、みんなと共に繁栄せんとする広い心での豊かな生き方に転換します。」
だそうだ。もう、これがひたすらうさんくさくいかがわしい。グロテスクである。
ここからは、それまでの価値観を破壊して新しい「ヤマギシに都合の良い価値観」を植え付ける、としか読み取れない。
「ともすれば自分の判断が正しいものと信じて疑わないところがあります。」って、馬鹿ヤロ、オレにとってはオレが正しいに決まってんだろ。あんたらにとってはあんたらが正しい。それがオレの正しいとぶつからない限り別段とやかく言わねーよ。勝手にやってろ、大きなお世話だ。
愛知県の中小企業に勤めているときに、社長命令で自己開発セミナーの類に行かされたことがある。
今度は社命なので受付で帰ってくるわけにはいかなかったが、2日間のセミナーの間、ずっと講師とケンカしていた。
最初はしょうがないなといった表情で講師に従っている周りの人間が、だんだん入れ込んでいくのが怖かった。感極まって泣き出す人までいて、ほんと怖ろしい。まかり間違っても参加するものじゃない。
これでオレとヤマギシとはほとんど関わりを持たずに済んだが、実際の所、こういう連中とは論争などしようと思わない方が良い。とっととその場を立ち去り無視することだ。
オレはついつい頭に来て言い争いになるが、言い負かしたところで疲れるだけで何の得にもならん。
相手は反論されることにも、それを言いくるめることにも慣れている。端から関わりを持たないのが一番だ。
セールスにしろ宗教にしろ勧誘系のスパムメールにしろな。








