映画バカ青春記 第106章 夏の帰郷と学童保育のバイト

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 大学が長い夏休みに突入した。
 その夏は帰郷して実家で過ごすことにした。
 帰郷と言ってもオレの実家は愛知県半田市。下宿先の名古屋市天白区からは電車で1時間半程度の距離だが、年に数度しか実家には帰っていなかった。
 体調も精神状態も落ち着いていたので、ぼちぼち夏だけの短期のバイトを探す気でいた。
 あまりきついバイトは無理だしなぁ、とバイト情報誌などをめくっていると、当時、高校の購買で働いていた母親が一人の先生を紹介してくれた。
 その先生は半田市は岩滑(やなべ)にある学童保育の役員だかをしていた。
 その学童保育では普段は中年の女性が一人働いているだけだが、夏休み中は開園している時間も長いし、子供の数も増えるので、人手が欲しいとのことだった。

 学童保育とは共働きなどで家に日中のあいだ親がいない家庭の子を集めて面倒を見る組織のこと。塾ではないので勉強を教えたりはしない。保育園の小学校版のようなものだ。
 仕事は子供の面倒を見ること。大雑把に言えば一緒に遊ぶことだ。ガキどもは15人ほどいたはずだ。
 “遊んであげること”と考える人もいるだろうが、オレがやったのは一緒に遊ぶ事だった。
 トランプやボードゲームをやったり、裏の空き地でセミ取りをしたり、市民プールではしゃいだり。低学年の子と一緒に絵本を読んだこともあった。

 この頃、チャールズ・ブロンソンにはまっていて、彼をまねて口ひげを生やしていた。当然、ガキどもからは“○○ヒゲ”というあだ名で呼ばれることとなる。(○○はオレの苗字の頭二文字が入る)
 ガキとはいえ、ちっとは工夫しろ。せめて「チャールズ・東森」とか言えよ。
 この1990年には『メッセンジャー・オブ・デス』、『バトルガンM-16』と2本のブロンソン映画が公開されている。そして、愛妻ジル・アイアランドを長い闘病の末乳ガンで失い、映画界から退いた年でもある。
 そのチャールズ・ブロンソンを「妻を亡くして寂しさに耐えられずについに猟銃で頭を吹き飛ばしてしまう」役で復帰させたのが『インディアン・ランナー』で初監督を務めたショーン・ペン。この冷徹さがとても美しく、そしてショーン・ペンからチャールズ・ブロンソンへのエールだったのであろう。
「ここで悲しさによってあんたを殺してやる。だから生き返れ」と。

 2泊3日のキャンプにも行った。
 常任の女性、もう一人のバイト学生、他に保護者が数人一緒だった。
 他の人は子供のやることにあれこれ口を出して、飯ごう炊飯でも「ああしろ、こうしろ」とやかましかったが、オレは自分が担当した班のガキどもには好きなようにやらせていた。どうしても駄目だったらその時だけ手助けをしてやる。
 1回目のご飯は上手く炊けなかった。2回目はちょっとマシになった。3回目からはちゃんとしたご飯が炊けるようになった。
 あのガキどもは、その後何度やっても上手く炊けるようになっただろう。そういうものだ。

 ガキと一緒に走ったり、泳いだり、笑ったり。
 まとわりついてくるガキを持ち上げたり振り回したり、身体も思いっきり使った。
 小学校5年生の女の子にラブレターをもらった。生まれて初めてのラブレターだ。「10年経ったらな」と返事を書いた。
 最初は適当にやっていたのが、途中からは本気で遊んでいた。楽しかった。

 そしてオレは元気になった。
 映画作りもリハビリになるが、ガキと本気で遊ぶのもリハビリになるのだ。

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このページは、東森時音が2006年10月20日 15:20に書いたブログ記事です。

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