2006年10月アーカイブ

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『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001) THE ROYAL TENENBAUMS 110分 アメリカ

監督:ウェス・アンダーソン 製作:ウェス・アンダーソン、バリー・メンデル、スコット・ルーディン 製作総指揮:ラッド・シモンズ、オーウェン・ウィルソン 脚本:ウェス・アンダーソン、オーウェン・ウィルソン 撮影:ロバート・D・イェーマン 音楽:マーク・マザースボウ、エリック・サティ
出演:ジーン・ハックマン、アンジェリカ・ヒューストン、ベン・スティラー、グウィネス・パルトロー、ルーク・ウィルソン、オーウェン・ウィルソン、ダニー・グローヴァー、ビル・マーレイ

 宣伝のあおり文句やネット上の感想などから、「いかにもなひねくれて鼻につく作品かなぁ」と敬遠して観なかった『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』だが、しまった面白い。もっと早く観ておけばよかった。まぁ、観ずじまいよりはいいか。

 図書館で借り出される本という形を取ってのタイトルの出し方で、これはお話、おとぎ話までは行かないが、リアルさを追求したものではなく寓話だということが分かる。
 オレとしてはオフビート系のコメディだと解釈した。
 あまり深い意味とか隠された答えとか隠喩や暗喩の類を捜し出そうとしない方が良い。多分無いから。

 テニスや戯曲、投資などの才能を持つ3人の子供たち。一見幸せに見えるその一家だったが、誠実さに欠ける父(ジーン・ハックマン)によってバラバラになってしまった。
 そして時は過ぎ、子供たちは大人になった。才能は過去の栄光となり、冴えない不遇な生活を送っている。
 家を追い出されて、長年ホテル暮らしを続けていた父が、ついに一文無しになりホテルから追い出されたところから話は本格的に始まる。
 居所を求めた父は、胃ガンだと嘘をついてバラバラになった家族を集め、再び家で一緒に暮らそうとする。
 と、ここまで書くとなにやらヒューマン・コメディの様だが、登場人物が妙なヤツばかり。そもそもジーン・ハックマンとアンジェリカ・ヒューストンの夫婦というのが濃い。濃すぎる。

 父親は過去の自分を反省し家族に償おうというのではない。
 金も住処もなくなり、居場所を求め、寂しさを埋めるために家族を集めようとする。
 それもこれも自分のため。嘘をつくのも自分のため。
 最初っから最後まで自分勝手を貫き通し、それに振り回されている間に心が整理されそれぞれに落ち着いていく家族たち。
 結果としてハッピーエンドを迎えるが、父は家族を幸せにしたかったのではなくて、自分が幸せになりたかっただけ。その自分勝手さがいい。
 ジーン・ハックマンがやると、これがまたふてぶてしいんだ。

 これまで低予算映画を2本撮っただけの30過ぎの新人に、これだけのキャストを預けてしまう製作陣も偉い。
 しかも監督だけではなく脚本もウェス・アンダーソンのワンマン映画。失敗作になる可能性は大いにある。
 それほど予算はかけずに作っているようなので興行的にも成功したのだろう。その後はより金のかかっていそうな『ライフ・アクアティック』(2005)を撮っている。
 こちらも面白い。

愛の選択
アドベンチャーキッズ
アウト・フォー・ジャスティス
アラクノフォビア
アリス
あんなに愛しあったのに
イエローサブマリン
イヤー・オブ・ザ・ガン
インディアン・ランナー
イントルーダー/怒りの翼
エア★アメリカ
英国式庭園殺人事件
F/X2 イリュージョンの逆転
狼たちの絆
オーメン4
オスカー
おつむて・ん・て・ん・クリニック
カーリー・スー
カジノ・レイダース
風の中の恋人たち

髪結いの亭主
キックボクサー2
キリングストリート
虚栄のかがり火
キンダガートン・コップ
クライ・ベイビー
グリーン・カード
グリフターズ/詐欺師たち
K2/ハロルドとテイラー
ケープ・フィアー
ゲット・バック
ゴースト・パパ
心の旅
ゴッドファーザーPART III
今夜はトーク・ハード
コントラクト・キラー
ザ・コミットメンツ
サマー・シュプール
サンダウン
ザンダリーという女
ジェイコブス・ラダー
シェルタリング・スカイ
シザーハンズ
死の標的
シラノ・ド・ベルジュラック
真実の瞬間
スキャナーズ2
ステート・オブ・グレース
ストーン・コールド
スポンティニアス・コンバッション/人体自然発火
スリーメン&リトルレディ
絶叫屋敷へいらっしゃい
セブンス・カース
ソープディッシュ
ダークマン
ターミネーター2
対決
黄昏のチャイナタウン
ダブルチェイス
ダリ天才日記
ダンス・ウィズ・ウルブズ
チャイルド・プレイ2
チャイルド・プレイ3
テラコッタ・ウォリア/秦俑
デリカテッセン
デルタフォース2
テルマ&ルイーズ
デスロック
天国に行けないパパ
ドアーズ
トイ・ソルジャー
トト・ザ・ヒーロー
友は風の彼方に
ナック
ニュー・ジャック・シティ
ヌーヴェルヴァーグ
ハード・ウェイ
ハートに火をつけて
ハートブルー
蝿の王
バックドラフト
ハドソン・ホーク
ハバナ
非情城市
羊たちの沈黙
ビルとテッドの地獄旅行
プラスチックナイトメア
フラットライナーズ
ブルージーン・コップ
プロジェクト・イーグル
プロスペローの本
ブロス/やつらはときどき帰ってくる
プロブレム・チャイルド/うわさの問題児
ペンタグラム/悪魔の烙印
ホーム・アローン
ホット・ショット
ホット・スポット
ホワイ・ミー?
マイ・プライベート・アイダホ
マクベイン
マッチ工場の少女
マネキン2
ミザリー
ミュータント・タートルズ
ミラーズ・クロッシング
メル・ブルックス/逆転人生
メンフィス・ベル
モ’・ベター・ブルース
ライオンハート
ラスト・ボーイスカウト
ラルフ一世はアメリカン
リトル★ダイナマイツ/ベイビー・トークTOO
リトル・マーメイド
ルーキー
レナードの朝
レネゲイズ
レプスキー絶体絶命/その男凶暴につき
恋恋風塵
冬冬の夏休み
ロッキー?
ロケッティア
ロシア・ハウス
ロビン・フッド(ケビン・コスナー版)
ワイルド・ブリット
ワイルド・アット・ハート
私がウォシャウスキー
私の愛したゴースト
左側に気をつけろ
のんき大将
ぼくの伯父さんの休暇
ぼくの伯父さん
101匹わんちゃん
ミッキーのハワイ旅行
プレイタイム
パシフィックハイツ
咬みつきたい
ケルベロス 地獄の番犬
ゴジラVSキングギドラ
ゼイラム
超少女REIKO
ヒルコ 妖怪ハンター
超高層ハンティング
ふたり
満月 MR.MOONLIGHT
ワールド・アパートメント・ホラー
ぼくらの七日間戦争2
天河伝説殺人事件
八月の狂詩曲
あの夏、いちばん静かな海。
大誘拐 RAINBOW KIDS
!〔ai-ou〕
夢二
幕末純情伝
おもひでぽろぽろ
真夏の少年
遊びの時間は終らない
無能の人
風、スローダウン
王手
12人の優しい日本人
ガイバー(実写)
波の数だけ抱きしめて
泣きぼくろ

計164本

・お気に入り
サマー・シュプール
ダークマン
ダブルチェイス
非情城市
コントラクト・キラー
ビルとテッドの地獄旅行
ホット・ショット
ラスト・ボーイスカウト
恋恋風塵
ぼくの伯父さんの休暇
ゼイラム
ヒルコ 妖怪ハンター
あの夏、いちばん静かな海。
風、スローダウン

・非お気に入り
エア★アメリカ
カーリー・スー
虚栄のかがり火
真実の瞬間
ドアーズ
レナードの朝
ケルベロス 地獄の番犬
ゴジラVSキングギドラ
超少女REIKO
超高層ハンティング
満月 MR.MOONLIGHT
八月の狂詩曲
!〔ai-ou〕
12人の優しい日本人
波の数だけ抱きしめて

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『バガー・ヴァンスの伝説』(2000) THE LEGEND OF BAGGER VANCE 125分 アメリカ

監督:ロバート・レッドフォード 製作:ジェイク・エバーツ、マイケル・ノジック、ロバート・レッドフォード 製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、カレン・テンコフ 原作:スティーヴン・プレスフィールド 脚本:ジェレミー・レヴェン 撮影:ミヒャエル・バルハウス 音楽:レイチェル・ポートマン
出演:ウィル・スミス、マット・デイモン、シャーリーズ・セロン、ブルース・マッギル、ジョエル・グレッチ、レイン・スミス、J・マイケル・モンクリーフ、ピーター・ゲレッティ、トーマス・ジェイ・ライアン、マイケル・オニール、トリップ・ハミルトン、ジャック・レモン

 佳作と言うよりはむしろ良作である。
 プレッシャーに耐えかねて街から逃げだそうとしたゴルファーであるマット・デイモンを、サバナ(アメリカ南部の街の名。イーストウッド監督作『真夜中のサバナ』の舞台でもある)の人びと、それも大恐慌時代で貧しい人びとが彼の車に応援の声を掛け、ついには車が動けないほど取り囲む。
 あるいは、ゴルフトーナメント初日、まったく調子が出なかったマット・デイモンが自分のスイングを取り戻し、ついにはホールインワンを出す。
 その知らせを聞いて、映画館にいた人びとや床屋でひげを剃っていた男たちなどが小型トラックの荷台からあふれるようにしてゴルフ場に駆けつける。
 このようなシーンを、フランク・ダボランなどのような二流の監督だったら、ここぞとばかりに盛り上げようとするだろうが、ロバート・レッドフォードにはそういったシーンを抑えて撮るだけの聡明さと謙虚さがある。
 叫ばず騒がず号泣せずに映画は進む。ラストでは穏やかな感動を覚えているだろう。

 だが、ロバート・レッドフォードには傑作を撮ることが出来ない。
 それは彼が善人過ぎるからだ。
 オレの持論として、名監督はイヤなヤツだというのがある。
 その映画を面白くするためならば、どんなことでもやってのける。それは映画の中の手法やストーリーの展開でもあるし、観客に与える精神的負荷でも、どんなことでもだ。
 レッドフォード本人を知っているわけではないんで、善人か悪人か本当のところは分からないが、おそらく善人なのであろう。ある種の残酷さや卑怯といった部分が、これはストーリーや登場人物の設定だけではなく、演出においてほとんど存在しないのだ。
 そこが、レッドフォード作品が良作ではあっても傑作ではない要因だと考える。

 ともあれ、やかましくなく静かな口調でしゃべるウィル・スミスはなかなか良かった。「考えるんじゃありません、感じるんですよ」ってお前はブルース・リーか。
 ヒロインの女傑ぶりもさすが南部の女性と言った感じで良い。
 彼らや、対戦相手の二人のゴルファーに食われて主人公であるマット・デイモンの影は少々薄い。若手ゴルファーとして地元を中心に活躍していたが、第一次大戦のヨーロッパ戦線に出兵し、心に傷を負って帰還する。そして10年以上も行方をくらましていた。傷つき世をすねた男の役なのだが、その落ち込んで酒に溺れているシーンに重みがないのが残念だ。
 もう一人の主役である少年は、どこかで見たような顔だと思ったらクリストファー・リーヴに似ていた。

 スピルバーグが制作に名前があるが、そのせいかショットされたゴルフボールの視点で飛んでいく映像など特殊映像があるが、作品のカラーからは浮いていてあまりよろしくない。
 フィールドの中では自分だけだとマット・デイモンが悟るシーンで、周りの人々が薄れて消えていくが、これも好きではない。カットが切り替わったら人が消えているでいいではないか。

 ペナルティは自己申告のゴルフ。
 自分自身との戦いで、その中でマット・デイモンは過去の自分が消え去り、新しい自分を手に入れたことを知る。
 先日、日本のプロゴルファーがペナルティーをごまかすという反則をしたのがばれるという事件があった。
 数年間の公式試合出場停止という処分になったはずだが、重い処分ではなくそれが当たり前のスポーツなのだろう。
 試合中の会話や、集中するシーンがあっても当然なので、映画として題材的には向いている。

 1991年。バブルは弾けつつあったが、まだまだ世間は余裕があった。
 最近では3年の時から始めるという就職活動だが、オレが始めたのはゴールデンウィーク明けからだった。
 最近ではどうだか知らないが、当時はリクルートがどかっという資料を卒業見込み者のところに送ってきた。それも無料だ。

 オレとしてはどういう仕事に就きたいか、まるでイメージが湧かなかった。
 私大の商学部経済学科。(現在の名城大学は商学部ではなく経済学部となっている)簿記の資格を取っているわけでもなく、こてこての文系。なんの技術を持っているわけでもなく、まぁ営業職か人事などの管理部門か、職種はそんなところだろう。
 で、どんな業種を選ぶか。どんなと言われても特に魅力を感じる業種はない。
 中学校の時から映画監督になる物だという前提で生きてきたからなぁ・・・

 とりあえずパソコンが好きなので、電気関係にしようか、とえらくいい加減に業種を絞った。
 もともとが横浜生まれのオレとしては、もっとも生まれただけで4、5歳の頃には愛知県に来て愛知県で育った名古屋っ子だが、このままずっと名古屋に住もうとは考えていなかった。
 母親の実家は品川区大崎で、子供の頃から里帰り先が東京だった。親戚も愛知県には一人もおらず、東京、神奈川、埼玉に集中していたの。
 名古屋の学生は地元志向が強いと言われるが、オレは最初っから東京本社狙いだった。

 ○○電気や××電機といった会社に片っ端から資料請求のハガキを出した。
 そして取り寄せた資料を読み、会社説明会などの日程を調べ、興味を持った会社の説明会に参加した。
 そのために買っておいた紺のスーツを着込み、今日は東京、明日は大阪、明後日は名古屋と飛び回った。
 名古屋でも開催してくれる会社は助かるが、東京のみとなると交通費を払って上京せねばならない。他の会社と上手く日程が翌日などに重なると、親戚の家に泊めてもらってホテル代をうかせた。
 6月だっただろうか。東京本社のある電子部品商社S電機が名古屋のホテルで会社説明会を開催した。
 1、2時間ほど説明を聞いたり質疑応答の時間があった後、簡単な立食パーティーが行われた。アルコールはなかったが、会社側がタダで学生に食事や飲み物を食べさせてくれたのだ。
 これまでにも弁当が出るぐらいのことはあったが、これにはちょっと驚いた。
 最近の氷河期と称される就職戦線で戦っている学生さんからは怒られてしまうかも知れない。
 別に飯を食わせてくれたからではないが、オレはこの会社に興味を持って入社試験を受けてみることにした。
 入社試験が行われるのは東京本社。また交通費がかかるのかと思っていたら、人事部から電話があって
「名古屋支社で新幹線の往復切符を渡しますから、取りに行ってください」とのこと。
 入社試験の交通費まで出るのだ。

 新幹線の指定席でゆったりと東京へ行ったオレは入社試験と面接を終わらせ、これまたゆったりと新幹線で帰った。
 さて、次はどの会社にあたってみるかなと資料をめくっていると、1週間ほど後に、また人事部から
「内定です」
 と連絡があった。
 本社を訪れたときの雰囲気や、面接などからもしっかりした会社のようだし、東証一部にも上場している企業だ。
 寮もあるので上京組には助かる。名古屋支社があるので、また名古屋に戻ってくることも場合によってはあり得る。

 うん、ここでいいや。ここに就職しよう。
 始めて受けた入社試験で内定をもらい、そこに就職を決めた。そんなに力を入れていなかったのが逆に肩の力が抜ける形になってよかったのかもしれない。
 こうして、オレの就職活動はおよそ2ヶ月で終了した。
 まだまだ不景気、リストラ、新卒採用を抑えるといった時代だから、こんなお気楽でも何とかなったのだろう。あと1年か2年遅れていたらかなり苦労したはずだ。
 そもそも大学の成績もあまり良いわけではないオレが何故合格したのだろうか。
 ペーパーテストがずば抜けて出来が良かったとは思えない。おそらくは面接での受け答えが評価されたのではないかと思う。
 普段から議論などをする機会が多かったし、バイトで目上の人と話す機会も多かった。それなりの場を経験しているので、面接程度ではあまり緊張しない。
 名古屋出身だが、上京することについてはまったく問題ないとはっきり言ったのも好条件だったのだろう。

 ただし、あれこれあって就職したS電機だが、2006年現在、いろいろあってオレはとうの昔に辞めている。

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『シンシナティ・キッド』(1965) THE CINCINNATI KID 103分 アメリカ

監督:ノーマン・ジュイソン 製作:ノーマン・ジュイソン、マーティン・ランソホフ 製作補:ジョン・コーリー 原作:リチャード・ジェサップ 脚本:リング・ラードナー・Jr、テリー・サザーン 撮影:フィリップ・H・ラスロップ 編集:ハル・アシュビー 音楽:ラロ・シフリン 主題歌:レイ・チャールズ
出演:スティーヴ・マックィーン、アン=マーグレット、カール・マルデン、エドワード・G・ロビンソン、チューズデイ・ウェルド、ジョーン・ブロンデル、ジェフ・コーリイ、リップ・トーン、ジャック・ウェストン、キャブ・キャロウェイ

 ハリウッド映画への悪口で「どうせ最後には主人公が勝つんでしょ」というのがある。
 では、スティーヴ・マックィーン主演というバリバリのハリウッド映画で主人公が負けて終わったらどうなるか。それがこの『シンシナティ・キッド』だ。

 シンシナティ・キッドとはギャンブラーであるスティーヴ・マックィーンのあだ名。この場合のキッドはガキではなく若造という意味だろう。
 若造と言っても映画公開時の1965年には1930年生まれのスティーヴ・マックイーンはすでに35歳。軍隊経験もあるし、遅咲きのスターだった。
 小さな街では有名で腕利きのギャンブラーだったが、もっともっと強くなり名前をあげることを望んでいた。
 そこへ、全国的なギャンブラー(エドワード・G・ロビンソン)が現れる。
 色々あった後に、ついにマックィーンギャンブラーとポーカーで対決することになる。
 数人で始まったポーカーは負けて文無しになったヤツから抜けていき、最終的にはマックィーンとエドワード・G・ロビンソンの1対1の対決となる。
 修羅場をくぐり抜けてきたロビンソンの手練手管に押されていくマックィーン。
 しかし、不屈な精神力で耐え抜き、ついには奇跡の大逆転・・・はしない。
 劇中で負けるシーンは映し出されないが、その後のシーンでマックィーンが文無しになったことを観客は知る。しかも、ロビンソンの生え抜きのギャンブラーとしてのタフな精神力に負けたのだ。
 オープニングに登場した子供とのコインを投げる賭けでも、ラストにもう一度やったときには負けるマックイーン。
 やはり彼は田舎のちんけなギャンブラーに過ぎないのか。それとも今回はついていなかっただけで、こうしてキッド=若造は鍛えられ大人になっていくのか。
 寂しく、ちょっとやりきれない終わり方だ。

 多くの人がマックィーンの大逆転を望んだことだろうが、そのようにはならなかった。
 好きな映画だが爽快感はない。正直、観ると落ち込む。
 やはりハリウッド映画は基本的に主人公が勝つで良いのだと思う。単純でワンパターンだが、それでいいのだ。
 ハリウッド映画は主人公が勝つからと悪口を言っている人も、主人公が負ける映画をハリウッドが作ってくると、「後味が悪い」とか言うんだよ、きっと。

 スティーブ・マックィーンもいいが、それ以上にエドワード・G・ロビンソンが目を引く。さすが数々のギャング映画で鳴らした俳優だ。
 そこらの俳優ではマックィーンを負かすだけの説得力を持たなかっただろう。
 そして、ラロ・シフリンの音楽が相変わらず格好いい。

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『チャック・ノリス in 地獄の銃弾』(2005) The Cutter  91分 アメリカ
監督:ウィリアム・タネン 製作:ダニー・ラーナー、ピンチャス・ペリー、トレヴァー・ショート 製作総指揮:アヴィ・ラーナー、アーロン・ノリス、トレヴァー・ショート 撮影:ピーター・モス 音楽:エリア・クミラル
出演:チャック・ノリス、ジョアンナ・パクラ、ダニエル・バーンハード、バーニー・コペル、カート・ローウェンズ、トッド・ジェンセン、トレイシー・スコギンズ、ディーン・コクラン、アーロン・ノリス

 久しぶりにチャック・ノリスの映画を観た。
 いや、『野獣捜査線』や『デルタ・フォース』などはDVDを持っているのでたまに観返しているが、新作を観るのが久しぶりだという意味だ。
 最近はTVシリーズなどの仕事中心のチャックさん。『ドッジボール』(2004)には出ていたが、主演ではない。
 今回は久々の劇場用映画主演。でも、途中でいかにもCMに入るようなフェードアウトがあるが、ひょっとしたらこれもTV用映画?

 ともあれチャック、チャック、お口にチャック・ノリス。オレはチャックさんのファンなのだ。
 チャックさんが演じるのは元警官の私立探偵。主に誘拐事件の人質救出をやっている。
 私立探偵という役柄は意外だが結構珍しい。刑事や特殊部隊、テキサスレンジャーなどは多いが、ひょっとしたら初めてではないだろうか。
 盗掘された聖書的宝石と、ナチの手によって強制収容所にいた過去がある老ユダヤ人ダイア加工職人の誘拐を巡ってチャックさんが活躍する。

 見所はチャックさんの鍛え上げられたその肉体。
 腹筋も割れていて余計な贅肉もなく、とても1940年生まれには見えない。やはりトータル・ジムの効果だろうか?
 格闘戦に関しては、パンチなどの手技は相変わらずの迫力だ。ビシビシ決まる。
 だが、キックがちょっと悲しい。高さが低くて相手の太もも当たりまでしかヒットしない。
 昔から決め技としてよく使っていた回し蹴りも相手の腰まで届かない。
 ある程度は足腰の力がなくなっているのだろう。いくら鍛えていても、年齢による衰えからは逃れられないのだ。
 まぁ1940年生まれということは撮影当時は64か65歳だしな。あれだけの肉体をしてあれだけの動きが出来る65歳はちょっといない。よほど自己鍛錬と自己節制が厳しいのであろう。
 自分の肉体を見下ろしてみて、こちらは自己批判。
 ファンならば観ろ。ファンでないならば他の作品を借りた方がいいかも。作品としてはそれぐらいの出来。
 弟のアーロン・ノリスが制作に名を連ねているが、監督もやって欲しかった。

 スティーヴン・セガールの映画はなにかというと『沈黙の?』といったタイトルになるが、チャックさんの映画はなにかというと『地獄の?』になる。
 タイトルに決め文句がつくのはアクションスターの象徴なのだろうか?チャックさんと死闘を繰り広げたこともあるブルース・リーはなにかというと『ドラゴンなんとか』。ジェリー・ルイスは『底抜けかんとか』、ってジェリー・ルイスはアクションスターじゃないってば。

 まだ新学期が始まるちょっと前。バイト先の担当者から食事に誘われた。
 どうも何か話があるようだ。
「クビかっ?ひょっとしてクビなのかっ?」
 一瞬びびったが、実際はクビではなく、配置換えについての説明だった。

 名古屋のある予備校が、衛星放送を使って講義を配信している。
 そこで使われるグラフィック素材を作る仕事に移る気はないか、ということだった。
 これまでの時間給と違い、1週分の素材を作って2万円。担当者が自分でやってみて1週分を作るのに2日はかかるというから、日給1万円だ。
 1ヶ月は4週なので月に8万は手に入ることになる。これまでの倍だ。
 就職活動でスーツを買ったり、名古屋を出るつもりだったので東京で開催される会社説明会などの交通費も必要だ。そこで配置換えを承諾した。
 一枚目はポイントの部分が隠されていて、二枚目でそこの文章が現れる。
 英語以外でも古典や世界史などでも基本的には同じ。隠れた部分のない、説明用の画像もあるが、これは単に文章を打つだけなので本当に簡単だ。
 担当者からは二枚の画像を別々に作る方法で教わったが、最初に二枚目の画像を作ってそれを保存し、ポイント部分の上にポイント背景と同色の画像を貼り込んで文字を隠す方法で作業時間を半分にした。
 今回作った見本の画像は、それこそ数分で出来たが、当時のDOSを使ったPC-9801シリーズではかなり面倒だった。マウスもないし、CPUパワーも低くて動作が遅い。
 当時のPC-9801は内蔵された漢字ロムで文字を表示していたが、それでは拡大するとガタガタになってしまうので、ハードディスクにアウトラインフォントが収録されていた。これがまた重い。増設グラフィックボードかなにかで解像度を高めてあって、長方形の画像を貼り込むだけで1分ほど処理待ちがある。ソフトも洗練されているとは言えず、正直使いづらかった。だからこそ2万円なわけだが。
 今なら2時間もかからないだろう。時給1000円でも週に2000円。10分の1とはデフレである、価格破壊である。・・・違うか。

 作業場所は名古屋駅近くの会社から八事に移った。
 八事というのは名城大学のある地下鉄塩釜口の一つ西にある駅で、つまりは大学からもアパートからも格段に近くなったのである。
 八事にスタジオがあって、そこで番組の収録をしていた。そこの拠点であるアパートの一室にパソコンが設置されそこで作業をしたのだ。
 最初は学校帰りなどに寄って作業をしていたが、番組スタッフがいていろいろ打ち合わせなどをしているので、集中できない。テレビも付けているので、その音もうるさい。そういえば、雲仙普賢岳の火砕流のニュースを聞いたのはそのアパートでのことだった。
 スタッフが日曜休みなのに合わせて、人が帰った土曜日の夜から泊まり込んで、日曜いっぱいをかけて仕事を仕上げるようになった。
 作業になれてくると、日曜日の朝から夜まで詰めれば終わらせられるようになった。こうなると日給2万円の本当においしいバイトとなった。

 卒業間際までこのバイトは続けた。
 年末にはスタッフが忘年会に誘ってくれた。
 普段、人がいない日曜日に仕事をしているのでほとんど顔を合わせていないのだが、だからこそ出るべきだと出席した。
「一度スタジオも見に来なよ。テレビのスタジオなんか見たことないだろ」と誘ってくれたが、こちらは曖昧に笑ってごまかした。

 後期試験が終わり、大学は春休みになった。
 それまで、学校に行っては講義にも出ずに部室で仲間たちとバカ話や映画の話をしていたが、それができない。
 下宿先のアパートにこもって、日曜祝日にはバイトに行くだけの日々。
 彼女とも月に一度会うぐらいで、ぼーっとする毎日だった。
 そんな無目的な日々が続くうちにまた鬱が戻ってきた。
 調子が悪い日は、ベッドからも出ずに鬱々としているだけ。

 春休みにはシネ研の合宿がある。
 そこで総括呼ばれる反省会が行われる。
 そのために書いたのが以下の文章。

「ベッドの中で考えたこと。

いろいろ考えよう、いろいろ考えよう。
でも何も分からない、何も分からない。
分からないけど考えなくっちゃ始まらないんだ・・・

自分がこのサークルに入ってからもう四年がすぎてしまうことになる。
最近身体をこわしてしまい、家で寝ているうちにいろいろ考えたのだ。
実際暇だったので考えるぐらいしかやる事がなかったのだ。
熱で苦しみながら考えた多くの事は個人的な事なのでここには書かない。
ではシネ研については何を考えたかと言うと、実はほとんど何も考えなかった。
なんでか?
もうどうでも良いと思っているからかも知れない。
何を考えてもしょうがないからかも知れない。

留年してもう一年学校にいることになった。だが今年には卒業である。
もう、自分で8mm映画を制作するつもりは今の自分にはない。
映画に関しては制作現場は個人的には面白くない。
私は一ファンとして映画館で映画を楽しみ、気のおけない奴と映画の話をし、映画について文を書くと言った事が性にあっている。
映画が好きな奴が皆自分で映画をとらなければいけないと言うわけではない。
小説が好きな奴が皆小説を書くかと言うことを考えれば明白である。
読む楽しみと書く楽しみは別である、そして見る楽しみと作る楽しみは別なのだ。
映画を作らなければいけない理由はない。

義務感だけで作った映画はつまらない。
本人が楽しまないで作った物はつまらない。
つまらない、つまらない。
今のシネ研は申し訳ないがつまらない。
刺激がないのでつまらない。
楽しんでいないのでつまらない。

楽しむのだって難しい。
楽しむのにだって、努力や才能がいる。
自分がみた映画の楽しいところについて人に話すこと。
人が話す映画の楽しかったところについて聞くこと。
これが出来なきゃつまらない。
他人に自分が楽しいと思った事を伝えれなければ誰も聞いちゃくれない。
他人の話す楽しさを理解しようとしなけりゃ誰も話ちゃくれない。
人間の関係と言うものは、放っておいては成り立たない。
みんなで作り上げるものなんだ。
話さない、聞かないじゃ、言葉がある意味がない。
他人の見た映画を見ていなかったとしても、話をできるぐらいじゃなきゃしょうがない。
でも、その映画を見てなきゃほんとうの話は出来ない。
映画を多くみることが映画好きと言うわけではない。
でも映画を好きになると映画を多くみると言うことは避けられない。
当然の事だよね。
自分が映画を好きか考えよう、どんな映画を好きかを考えよう。
私は映画が好きじゃないかも知れない。

他人が面白いと言っている話には耳を貸そう。
他人が面白いと言っていた映画が面白く感じられたらその映画を見てみよう。
ビデオだって劇場だって面白ければ大丈夫。
古くったっていまじゃビデオがあるからね。
名作だって350円なら寝てしまっても惜しくない。
自分で面白がろうとしなけりゃしかたない。
ゴダールや小津安二郎だけが映画な訳じゃない。
自分で面白いと思えるものがちゃんとした形で在ればそれで良いんだ。
ちゃんとした形で在れば。

向上心がなければ刺激がない。
楽しもうとしなければ面白くない。
映画だけじゃない。
いろんな事を多く知らなきゃつまらない。
音楽に、小説に、車に、食べ物、女の子。
だけども映画が好きなこと、忘れてしまっちゃしょうがない。
人の持つ興味の方向にはベクトルがある。
もしもあちこちにベクトルを散らしすぎたら動けない。
ベクトルの方向は切り替えることが出来るのだから、必要に応じて向きを変え、いろんな事を深く取り込んで、自分の中で熟成させよう。

人間は一人で生きているんじゃない。
周りにはいろんな人間がいる。
みんな自分のやりたいように生きたいが、他人に迷惑かけちゃいけない。
大人にならなきゃしょうがない。
責任とれないわがままはガキしか言わないものだから。
ちゃんと大人になったなら、自分で後始末できるわがままだったら言いなさい。
他人に甘えることよりも自分に甘えることの方が良くないとどこかで誰かが言っていた。

いろいろ考えよう、いろいろ考えよう。
でも何も分からない、何も分からない。
分からないけど考えなくっちゃ始まらないんだ・・・」


 青臭い文章だが、青臭い時期に書いたのだから当たり前だ。
 うっとおしい文章だが、鬱の時に書いた文章ってのはそんなもんだ。
 当時、映画バカ、映画気違いの集まりだったシネマ研究会が、どんどん普通のサークルになっていった時期である。
 後輩には後輩の意見があるだろうが、オレにはそうだった。
 映画館で観るのが月に2、3本という者の方が多かった。映画のサークルに入りながら、映画に一生懸命でない彼らのことが不満だったのだ。
 映画について突っ込んだ話が出来ないことが不満だったのだ。
 彼女とデートをすることよりも、旅行に行くことよりも、美味しい物を食べることよりも、車ですっ飛ばすことよりも、ゲームをすることよりも、それらの楽しみを合わせたよりも映画を観ること、映画について仲間と話すことの方がずっとずっと楽しい。それが映画バカなのだ。
 だが、後輩たちは、映画も好きだが、デートもしたい、旅行にも行きたい。せっかくの大学生なのだから色々遊びたいといった雰囲気だった。
 ある意味、若者としてはそれも当たり前なのだろうが、映画バカが揃っていた先輩などが卒業していき、オレは滅亡していく恐竜の最後の一頭の気持ちを味わっていた。
 他の何よりも映画が楽しい、面白いと思うんだがなぁ・・・。映画と本とビールがあれば何もいらない、それがオレの青春だった。

 4回目の後期試験である。
 普通の学生ならばこれが学生時代最後の試験となるが、オレの場合は前にも書いたが就職活動など一切しなかったので留年する予定だ。だから、もう一回受けることになる。

 留年するのならば試験をボイコットしてまったく受けなければいいのだが、5年生で受講する講義は限りなく減らして楽をしたい。
 だが、まかり間違って卒業可能単位に達してしまって、卒業してしまっても困る。無職の若者が一人誕生するだけで、これが一番始末に負えない。
 そこで素直に一講義分だけ足りなくなるように試験を受けることにした。
 上手く行けば来年は講義は一つだけ。不可の数をいかに減らすかが勝負だ。

 ノートのコピーを集めたり、ヤマをはって出題ポイントを予想したり。ここら辺はさすがに慣れたものだ。

 結果、一講義を除いて受けた試験は見事パスした。
 落としたのは英語。普通は4年生になる前に英語は修了しているはずだが、落としてばかりでまだ残っていた。
 留年してまで英語はやりたくないので、こいつに一番力を入れていたのだが、見事に落ちた。出席日数もそれほど出ていなかったしなぁ。
 オレは英語が苦手なのだ。いや、中島らもの『明るい悩み相談室』から引用するならば、「英語が無理」なのだ。中学初期で苦手になり、ずーっと苦手なまま。
 英語なんか嫌いだ。日常生活に必要ないじゃん。アメリカ映画だって字幕がついてるから耳でわからなくったっていいじゃん。吹替版だってあるじゃん。

 今さらになって気づいたが、もしもオレが就職活動をして就職を決め、4年で卒業だと試験に臨んでいたとしても、英語を落として留年だったのだろうか。
 ブルブルブル、怖ろしいことだ。

 5年目に取得する必要がある単位は英語が一つと他に一つ。他の一つは自信があるが、英語は自信がない。ないったらない。
 取りあえず休まずに出席するしかない。他の一つはいくつか講義を受けてそのどれか一つでも受かればそれでOKだが、英語は替えがきかない。さすがに6年目は必要ないのだ。

 かくして5年目が始まった。
「人が4年の大学に、5年も通う奴がいる。あーこりゃ剛毅だねー」とジェリー藤尾の物真似をするオレであった。

 現在の今日この頃も、映画バカ青春期でも、季節はそろそろ冬である。
 シネ研では毎年冬になると、スキー合宿が行われた。
 合宿と言っても、必ず参加しなければならない夏合宿や春合宿と違い、総括があるわけでもなく完全な遊び合宿。参加も自由だ。
 オレは1年から4年までの計4回参加した。頭の中で記憶がごっちゃになっているので、今回まとめて書いておく。

 スキー合宿は名古屋駅から深夜バスにて出発する。車中泊で早朝に現地到着だ。
 宿について荷物を下ろし、お茶を飲んで一休み。でもって、スキー場が開く時間になるとさっそくスキー板を手に出撃である。
 まだ、スノーボードの姿がない、そんな時代のことである。
 ホイチョイプロダクションの『わたしをスキーに連れてって』(1987)のヒットなどもあり、猫も杓子もスキーをする時代だった。いや、猫や杓子はスキーをしないが。
 白銀、苗場、ユーミン。だが、オレたちのスキー合宿は苗場なんてメジャーどころではなく、予算優先なのでマイナーなスキー場だ。それに男ばかりで色気も何もあったもんじゃない。あったもんじゃないのに、ラジカセでユーミンを流しながら滑る上級生がいたり、バーンと指鉄砲で撃たれたら転ばねばならないなど、なにをやっとんじゃこいつらではあった。

 スキー合宿は格安のツアーを利用しているが、それでも金はかかる。毎夜毎夜の飲み会の予算だって必要だ。
 そうやって計算していくと、レンタルスキーを借りる金はなんとかなるが、ウェア分が足りない。
 困ったあげく、普段来ていたMA-1と防寒用のズボンで代用することにした。
「見た目はそう変わらないし」
 と思っていたのだが、実際は大違いだった。
 寒さは充分に防いでくれた。身体を動かしているので、防寒性は充分だ。問題は防水性である。転ぶ度にじわーじわーと冷たい水分がしみてくる。
 これが上手い人だったら転ぶことも少ないのだろうが、オレはさしてスキーの経験がない。滑ってはコケ、滑ってはコケ、指鉄砲で撃たれてはコケ。その度に水がしみてくる。かなりしんどい状況ではあったが、それでも仲間と一緒に遊ぶのは楽しかった。
 それにしても、『なるようになる』の劇中でもオレはMA-1を着ていたが、今回の連載のために学生時代の写真を整理してみると、なにかというとモスグリーンか黒のMA-1を着ている。他に服がないのかってぐらいだ。
 オレが最初にMA-1を買ったのは1987年の3月。大学に合格して入学までの春休みのことだ。母親の実家のある東京まで遊びに行き、上野のアメ横でネイビーブルーのMA-1を買った。前から欲しかった物で、自分へのご褒美である。
 だが、この1着目は入学してすぐに先輩の撮影を手伝っていて照明のランプで背中の部分を溶かしてしまった。
 そこでJR名古屋駅の新幹線口側にある生活創庫というビルの地下にある店で買ったのが写真に写っているモスグリーンのMA-1。
 ちなみに、5着目ぐらいになるネイビーブルーのMA-1を今でも着ている。

 夜は飲み会である。2泊の日程となっていたが、もちろん両日とも飲み会だ。
 宿に宴会の準備を任せることも出来たが、それだと金がかかる。酒屋などに手分けして買い物に行ってえっちらおっちら酒やつまみを買ってくる。
 そして、昼間の疲れなど忘れたかのように、どんちゃんどんちゃんと飲んで騒ぐ。
 騒ぐけれども節度は忘れない。他人に迷惑を掛けないがシネ研の飲み会だったのだが、年が経つうちに体育会系的カラーが持ち込まれて、保守派が眉をひそめるという構図にもなってきた。
 これは学祭時の飲み会だが、デロデロに酔っぱらった状態でサッカーボールを奪い合い、ついにはゲロを吐く、通称「ゲロサッカー」などもあったが、正直はしゃぎすぎである。
 これは確か3年の時のスキー合宿だが、M谷というやつがデロデロに酔っぱらって階段から落ち、トイレで頭を洗っているところを発見され、救急車を呼んで病院送りとなった。何針か塗っただけで朝には戻ってきたが、こうなってくるともうなんだかなぁである。
 学生時代の今しかできない。はっちゃけられるうちにはっちゃけようでは、アホな中高生と同じだ。大学生なんだから、他人に迷惑を掛けないにはっちゃけろ。頼むよ、ほんとに。

 最終日、夕方まで滑れるだけ滑ると、荷物をまとめてバス乗り場へ。また深夜バスである。
 早朝に名古屋駅に着く予定でバスは走る。さすがに疲れているのであまり会話もなく、みんな寝ている。
 オレはお土産に買った温泉まんじゅうをつい車中で食いながら、過ぎ去っていく雪景色を眺めるのであった。

 話はちょっと遡るが、夏休みが終わるとオレは下宿先のアパートに戻った。
 夏の間は学童保育のバイトをしていたが、それも終わったのでそろそろ次のバイトを探さなければならない。
 肉体的にきついバイトは無理なので、なんかないかな?とバイト情報誌をめくっていた。
 それを見た同居している姉が、「うちの会社で人を探してるんだけど、紹介してあげようか」と言ってきた。
 どうやらパソコンでデータを入力する仕事らしい。
 詳しい話を聞く&面接でその会社に行ってみた。
 会社の場所は名古屋駅から南へ数キロ行ったところ。買ったばかりの原付で30分ほどの距離だ。

 担当者から説明を聞いた。
 仕事はパソコンでのデータ作成だった。
 高速道路のサービスエリアに情報端末があり、工事や渋滞情報がリアルタイムで検索できるようになっていた。
 その画面情報を作成するのが仕事だった。
 平日と土曜日は社員がやっているが、日曜日と祝日は社員が休みなのでその日に勤務して欲しいとのこと。
 時間は朝の9時から夜の7時まで。時給ははっきりとは憶えていないが1000
円だったと思う。学生のバイトとしては割と高めだ。パソコンの操作ができるというのが条件だったからだろう。今と違い、まだパソコンを持っている人は今ほどいなかった。
 鍵を預かり、無人の会社に一人でいることになるので、信用のおける人じゃないと困るが、その点オレは姉が社員なので保証人がいるようなものだからとのこと。

 身体は使わないし、パソコンに向かって作業をするのは脚本やル・シネマなどの文章書きで毎日やっている。一人っきりというのも気を遣わないので楽だ。
 向こうもかなり状況的に困っていたようで、その場で採用が決まった。
 まずはやり方を教えてもらい、ある土曜日から本格的に仕事が始まった。
 その日は社員の出勤日なので、詰まったときには疑問点を尋ねながら仕事をやった。
 そして翌日の日曜日、朝の8時半頃に職場に原付が到着した。
 その会社は3階建てのビルを丸々と使っており、入り口のシャッターは降りていた。預かっていた鍵でシャッターと玄関を空け、今日はオレ以外に出入りする人はいないので中に入った後で玄関の鍵は閉める。
 二階の職場にあがる。フロアには当然人の姿はない。
 型番は憶えていないがPC-9801シリーズの電源を入れる。「ピポッ」という今となっては懐かしい音がする。

 職場の道路交通情報センターだかどこかから1時間毎にFAXが届く。
 9時の分から始まって午後6時までの計10枚。9時時点の情報が届くのが毎時20分頃。それから作業に取りかかる。
 ドロー系のグラフィックソフト、どうやらその仕事専用に作ったオリジナルソフトらしいが、それに道路のイラスト、雨や雪のマーク、「渋滞5km」などのテキストを入力していく。
 なにぶん、まだDOSの時代だ。交通情報の画面を作るといってもマウスもなくキーボードだけの操作だ。作業効率は低い。
 情報は1時間遅れで表示されることになっているので、締め切りは毎時0分。出来上がったデータをモデムでセンターに転送するのだが、このモデムが2400kbpsだった。当時では当たり前の速度だったが、「転送していくテキストが目で追える速度」と言われていた時代だ。グラフィックデータの送信には10分近くかかった。
 FAXが届くまでに20分、データ転送で10分、合計30分。となると作業に使えるのは残りの30分となる。
 最初の頃は締め切りに間に合わせるのがやっとだった。そして次のFAXがくる20分の間に休憩してまた次の作業。これを1日繰り返す。パソコンでの作業が苦手な人なら「イーッ」となってしまうだろう。
 だが、一人で静かに集中してやる仕事が、鬱から回復したばかりのオレの精神状態にはあっていた。
 ただ、食事を食べに行く時間がないのが困った。おかげでコンビニ弁当ばかり食べていた。

 社員から教わったやり方は白紙の状態から一つ一つパーツを貼り込んでいくやり方だったが、出現する道路状況にそうパターンが多くないことに気がついたオレは、「工事のため渋滞」「雨のため速度○○km/s規制」など新しい状況が発生する毎にそれをテンプレートとして保存しておいて、以降に同じような状況が出てきたら、そのテンプレートを呼び出し、ちょこちょこっと修正をすることで作業時間を大幅に短縮できるようになった。
 2ヶ月もすると30分でやっていた作業が10分ほどで終わるようになっていた。データの転送は数字が伸びていくのを確認しているだけなので仕事と言うほどでもないが、パソコンに貼り付いていなくてはならない。それを合わせても1時間当たり実働20分の美味しいバイトとなった。
 職場に置いてあったX68000でグラディウスをやったりもしたが、シューティングゲームをキーボードでプレイするのは無理があったのですぐに飽きた。
 結局、空いた40分は読書タイムになった。1日で3、4冊は読んでいたはずだ。
 バイト料が入ると、いりなかの三洋堂書店にいっては、入り口のカゴを手に持つと、目についた面白そうな本を片っ端からカゴに放り込んでいった。片っ端と言ってもほとんどが文庫本ばかりなので会計すると1万円台ですんだ。
 そして、その本を職場に持っていき、また読む。
 本棚には本がたまっていった。

 しかし、工事の情報ならともかく、事故や雨の情報を最低で1時間遅れで表示するのにどれだけの意味があったのだろうか、とはちょっと思わなくもない。
 もちろん、完全にリアルタイムにするのは無理だとは思う。オレはカーナビを使っているが、カーナビのFM-VICSの情報も結構タイムラグがあって、「進路上○キロ、事故のため渋滞」とか言っているのに、マップに事故マークがついたところを通過しても何もなく渋滞もないというのはよくあることだ。

 1990年度名城大学シネマ研究会後期プライベートフィルム上映会で『なるようになる』は上映された。
 評価はまっぷたつに分かれた。

 1年、2年にはウケが悪かった。
「話が分からない」
「結局、どんな顔だったの」
「眼鏡が途中で一人になってキャッチボールのボールを奪おうとするのは何故?」
「そもそも、顔を忘れるってどういうこと?」

3年、4年そしてOBには面白がってくれる人もいた。
「中川いさみの『クマのプー太郎』みたいな不条理があって面白い」
「静かに終わるのかと思ったら、いきなりのワルツで吹き出した」
「ウォータークーラーのうがいのシーンは、相手の頭に水を吹きかけないと」

 評価が分かれた理由は、映画には明確なストーリーや説明が必要か否かということを理解しているかどうかだろう。
 ストーリーを把握しようとセリフや行動を追っているとただ混乱に陥る。
 この作品にはストーリーは無いに等しい。そもそも話の筋道などどうでも良いのだ。物語を伝えるためにこの作品を作ったわけではない。

 顔を忘れるという点については
「あ」という文字を紙に100回も200回も、それこそ1000回も書いていると、「あれ?“あ”ってこれでいいんだっけ?こんな字だっけ?」と現実味が薄れ記憶に穴が空くことがある。
 毎日毎日、洗顔や手洗いの時に鏡をのぞいて自分の顔を見ているうちに、ある日突然自分の顔がこんなだったっけか?と疑問を持つこともあるかもしれない。無理矢理理屈を付けるとしたらそういうことだ。
 自分の顔を忘れる、それも記憶喪失だとか何かの事件とかではなく、なんとなく忘れてしまう。そんなバカな話を真面目に淡々と描く。1ヶ所を除いては主人公たちは感情を表さず、笑うことも驚くこともない。ただ無責任に映画は進行していく。

 キャッチボールのシーンは、ラッシュフィルムを観て「ちょっとここにもう1シーン欲しいな」と思い追加撮影した物。
 上映会までもう日が無く、早急に撮影しなければならなかったのだが、眼鏡は部室にいるが顔を忘れた男がいない。
 しょうがないので、眼鏡だけで撮影した。おかげで前後のシーンとまったくつながっていない。
 いっそのこと、主人公二人以外の人間だけで撮影すればよかったかもしれない。
 話の最中に、まったく関係ないシーンが入るというのも面白いではないか。

 写真にどんな顔を写っていたかはオレにも分からない。
 そのままの顔だったのか、アホ面だったのか、あるいは外人だったのかはまったく不明だ。
 そしてその後のシーンでは二人が屋上で言葉も視線も交わさずにたたずんでいるが、無表情で何を考えているか分からない。監督・脚本のオレにも分からない。
 観た人が適当に考えてくれれば、それが正解でもあり、正解など無いという意味では間違いでもある。
 つまりは意味など無いから考えるだけ無駄なのだ。ただ劇中で起こる出来事を観て感じればそれでいい。
 分からなければ分からないというのがその答えだ。
 観て分からん物は聞いても分からん。
 ネットで映画の分からない点を聞いて、それに他の人が答えるサイトがあったりするけど、あれは何の意味があるのだろか。映画はテストじゃないんだから、答え合わせをしてどうするんだろう。自分が観て感じた解釈が正解でいいじゃないか。分からなければ分からないがその答えだ。
 どんどん映画を観て、本も色々読んで、そして久しぶりにその映画を観てみると、前は分からなかったことがパッと分かったりする物だ。人に尋ねるんじゃなくて、そうやって分からないと意味がないだろうに。

「ゴダールとか観るのはいいけど、安易に影響受けすぎ」とOBの一人に言われた。
 いや、確かに1年生の頃はまるっきり分からなかったゴダールが4年になった今では楽しく観れるが、この作品はその時の思いつきだけで撮っていったんで、撮影時にゴダールにしろ同じような即興映画『アメリカの影』を撮ったジョン・カサヴェテスのことはまったく頭になかった。
 即興演出だからと言って実験映画かというと、そういう意志は全くなく、やりたいようにやってみただけ。
 後日書く予定だが、4年生の夏休み中に『 ニューロマンサー』(1986年発行)で衝撃を受けたウィリアム・ギブスンの小説に影響を受け、サイバーパンク映画の脚本を書き上げていた。
 自分としては緻密に書き込んだ作品で、起承転結のある娯楽映画だった。ロケ地も多く、時間としてはおよそ1時間ほどになる計算でいた。
 だが撮影に入って数本フィルムを回した時点で挫折。
 オレには長編を作る力がなかった。これは体力とか精神力だけではなく、人を集め動かす能力とか、さらには金だ。
 それで煮詰まって、また鬱になって、煮詰まって煮詰まって煮詰まりきったら躁転して、その勢いだけで『なるようになる』を撮ったのである。

 基本的に1シーン1カットなので編集は楽だった。ただしオールアフレコなので音入れで苦労した。テープレコーダーを持ってあちこちを歩き回って音を録音する。トイレでマイクを片手にザーッと水を流しているのは奇妙な光景だったことだろう。
 前にも書いたが、シネマ研究会にはサウンドエディターという機器が2台あった。オールアフレコでちゃんと動作と音を合わせることが出来たのはこいつのおかげだ。
 フィルムビューアーに録音ヘッドがついていて、ライン入力やマイク入力から音を入れることが出来る。細かい作業が出来るので、映写機で録音する映写機録音とは精度や手間が段違いだ。
 シネ研では何人もが監督として映画を制作しているので使用頻度も高く、なるべく大事に使っていたのだが、しばしば故障しては修理に出した。もともとあまりヘビーな用途向きではなく丈夫な作りではなさそうだった。
 1990年当時にはすでに生産中止になっていて、中古は10万円台、20万円台の高額な機器になっていた。メーカーはELMOだったと思う。
 あるOBはそのサウンドエディターを個人で所有していた。カメラも20万円台のスーパー8のカメラを持っていて、これが露出合わせやらレフ板やら、そんな凝った撮影をしているとは現場にいて思えないのに、現像があがってくるととても鮮やかでくっきりとした映像がスクリーンに映し出された。
 フィルムも同じ、現像先も同じ。撮影のテクニックにも見るところそんなに大きな差はない。となると、やはりカメラか。というか、レンズか。レンズだよなぁ。

 登校中に思いついた基本アイディアを現場でふくらませながらアドリブで撮った作品なので脚本は存在しない。
 完成した作品を元に脚本に起こすという逆の手順で作ったのが、以下の1990年度後期作品『なるようになる』の脚本である。


タイトル 「なるようになる」

男性用トイレ
―――――――――――――――


男の顔のアップ。
逆光のため影になっていてどんな顔だかは分からない。

顔を忘れた男「ベー、イー、ムニュムニュニュニュニュ」

どうやら顔をあれこれいじくり回している様子。

カットが切り替わって、トイレの全景が映る。手前に小便器。奥に洗面台。
洗面台にこちらに背中を向けて顔を忘れた男が立っている。
眼鏡が小便器で用を足している。
眼鏡は水を流し、洗面台に来て手を洗う。顔を忘れた男をに

眼鏡「お前、何やってんの?」

顔を忘れた男「オレってこんな顔だったっけ?」

眼鏡「そうじゃないの」

ポロシャツの男がトイレに入ってきて、小便器で用を足し始める。
眼鏡が顔を忘れた男の服で手を拭こうとして振り払われる。
そこでポロシャツの男の後ろに行って、そのシャツで手を拭く。
眼鏡がちょっと考え込む。

眼鏡「そういえば、そんな顔だったっけ?」

顔を忘れた男「だろ」

二人は手前側からトイレを出て行く。


廊下
―――――――――――――――


廊下を歩く二人。
カメラは二人の前に立ち、歩く速度に沿って後退していく。
顔をなで回す顔を忘れた男。

二人は立ち止まる。

眼鏡「とりあえず、前は眼が二つ、鼻が一つだった」

顔を忘れた男が自分の顔をパーツを指さしながら
顔を忘れた男「眼が二つ、鼻が一つ」

眼鏡「うん」

また歩き出す二人。

立ち止まる二人。

顔を忘れた男「口はいくつだったけ」

額に手を当てて考え込む眼鏡。
眼鏡「うーん、確かー、口は一つだったと思うけど・・・」

うなずく顔を忘れた男

再び歩き出す二人。


道路
―――――――――――――――


秋空の下、一人で歩く眼鏡。

二人の男が左右に分かれてキャッチボールをやっている。
飛び交うボールをしばし眺める眼鏡。
ボールを投げる瞬間にそのボールを奪おうとする眼鏡。
だがなかなか奪えずに、左右に8回行ったり来たりと走り回る。
9回目に投げ損なったボールは遠くへ飛んで画面の左へと飛び出していく。
ボールを追って左から退場する眼鏡。


2台のウォータークーラー
―――――――――――――――


廊下を歩いてきた二人は、設置されていた2台のウォータークーラーで水を飲み始める。

顔を忘れた男が顔を上げる。

顔を忘れた男「髪の毛は何色だったっけ?」

顔を忘れた男は再び頭を下げて水を飲み始める。
それと同時に眼鏡が顔を上げる。
(以降、セリフ毎にシーソーのように顔を上げる下げるを繰り返す)

眼鏡「うーん、黒だったと思うけど」

顔を忘れた男「金髪じゃなかったか?」

眼鏡「お前って日本人だったっけ?」

上を向いて「ガラガラガラガラ、ペッ」とうがいをする動作を二人が交互に3回繰り返す。


教室
―――――――――――――――


黒板の前に立っている二人。

顔を忘れた男が黒板にチョークで顔の輪郭と眼、鼻、口、耳のパーツを描く。

眼鏡がチョークを奪い、黒板の顔に眼鏡と口ヒゲと頬に丸を描く。

顔を忘れた男がチョークを奪い、角を二本とあごヒゲ、涙を描き足す。

眼鏡がチョークを奪おうとして、もみ合いになる二人。

仰角で撮った顔を忘れた男のカット。

同じく仰角で撮った眼鏡のカット。

黒板の前でにらみ合う二人。
アクション映画の対決前のような雰囲気になる。

そこへMA-1の男(東森時音)が通りがかる。
いったん通り過ぎたMA-1は、何事かと戻ってくる。
そしてにらみ合う二人を他所に、黒板の顔を黒板消しで勢いよく消してしまう。

チョークの粉がついた手をパンパンとはたきながら退場するMA-1。
呆然と見送る二人。

眼鏡「お前の写真、一枚だけなかったっけ」

顔を忘れた男「うん」

眼鏡「探しに行こうか」

顔を忘れた男「うん」


道路
―――――――――――――――


カメラの一人称で道路を疾走する映像。
そのまま1カットで建物の中に入り、階段を駆け上がる。


部室
―――――――――――――――


カンフー男が教則本を読みながらカンフーの練習をしている。

突きを連打しながら

カンフー男「ハッ、ハッハッ」

そこに顔を忘れた男と眼鏡が走ってなだれ込んでくる。
ロッカーや本棚など、部室の中を引っかき回す二人。
机の中から顔を忘れた男が写真の束を見つけ、上から一枚一枚放り投げながら確認していく。
顔を忘れた男の手が止まる。

写真をのぞき込む顔を忘れた男と眼鏡。
凍り付いたように動かず、その表情は無表情で喜んでいるのか驚いているのか、はたまた失望しているのか、さっぱり読み取れない。
しばし立ち尽くした後、写真を放り出して、立ち去る二人。


屋上
―――――――――――――――


小雨の降る屋上。
傘を差した二人が手すりにもたれている。
眼鏡は外側を向き、顔を忘れた男は内側を向いている。
視線も言葉も交わさぬまま、ただ時間だけが過ぎる。
カメラがパンして二人がフレームアウトし、そのまま下にある温室を写す。


温室
―――――――――――――――


傘を相手にワルツを踊る男。
ここで始めて音楽がかかる。
クルクルと回りながら踊る男は、そのまま温室の外に出て踊り続ける。



 1作目『ダイヤモンド・ゲーム』で間がちょっと長すぎるんじゃないかと言われた。
 自分では心地よい間にしたらそうなったので、さてどこに問題があるんだろうかと考えた。
 2作目の『茶の間の生活』では気持ちだけ間を余計と長くしてみた。割といい感じに出来た。
 そこで3作目となるこの『なるようになる』ではこれでもかってぐらいに間を思いっきり長くしてみた。
 脚本に書き起こしてみるとやたらと短いが、これで10分近くある。
 顔を忘れた男と眼鏡の会話のやり取りも、会話のキャッチボールというよりは、投げたボールが暴投でどっかに飛んでいって、拾いに歩いていってのそのそと戻ってようやくと投げる。そんな感じだ。
 二人がただ歩いているだけのシーンもやたらとあって、非常にダラダラとした映画だ。そのテンポがオレには心地よかった。
 唯一映画が緊張するのは、二人が殴り合いになるかという黒板のシーンだが、それを通りすがりの男が文字通り原因を消し去ってしまうという処理がお気に入りだ。

 1990年度後期である。
 前期プライベートフィルム上映会では『茶の間の生活』を公開したが、後期はなーんにもやってない。
 それというのも、集中力がないのだ。
 何か一つのことを考えようとしても、すぐに思考があっちこっちに行ったり、ぼーっとしてしまう。
 どうも、精神科で処方されている薬の作用らしい。
 そのおかげで変に悩んだり考え込んだりしないので、落ち込むことはないのでそちらの方が重要なのだが、困ると言えばやはり困る。

 そんなある日のこと。原付スクターで学校に行く最中にぱっとアイディアがひらめいた。
 突然、自分の顔を忘れてしまい、それを探すってのはどうだ?そこから一瞬でラストまで話が頭の中で構築された。
 ボックス(部室)に駆けつけると、フィルムを余分に持っているヤツはいるか?と尋ねた。一人が手をあげた。そいつからシングル8のフィルムを5本買った。
 さらに「これから時間が空いているヤツはいるか?」と尋ねたところ2年生のA川と1年生のO尻が手をあげた。
「よーし、これから撮影をやるから、お前ら出演しろ。もう数人ついてこい。さあいくぞ」
 いきなり撮影だの出演しろだのひどい話だが、オレは4年生。有無を言わせぬ力関係である。講義があるというヤツを無理矢理連れて行かないだけまだ民主的だ(?)
 ロケ地は大学の中だが、どこで撮るかはまったく決まっていなかった。
 とりあえず、クラブハウスから渡り廊下を渡って行ける4号館へと移動した。
 自分の顔がこれで良いのかを気づくにはどこがいいだろう?鏡を見て気づくのかな、やっぱり。ということはトイレだ。用を足した後で手を洗いながら目の前を鏡に映った自分の顔を見て、「あれ?オレってこんな顔だったっけ?」がオープニングだ。

 こうして、脚本無しの総アドリブ、ぶっつけ本番のちょーいい加減な映画撮影が始まった。
 悩んでだめなら悩む余裕もない実戦に突入したというわけだ。
 どうやら躁状態だったようで、撮影している最中にアイディアが次から次へと浮かぶ浮かぶ。
 2時間ぐらいで5本のフィルムをほぼ使い切り、撮影は終了した。
 企画立案から撮影完了までおよそ3時間。オレの最短制作映画だ。
 ラッシュフィルムを上映して、途中と最後にちょっとにぎやかなシーンを付け足したいなと追加撮影をした。
 基本的に1シーン1カットなので、編集も楽楽。
 音はオールアフレコ。
 『茶の間の生活』では主人公たちからセリフを奪ったが、今度はBGMを奪ってみた。
 アフレコでも限りなく同時録音に近づけようと音を合わせるタイミングに苦労した。
 映写機録音ではなく、シネ研にはサウンドエディターがあったから可能だったのである。
 足音からボールをキャッチボールする音まできちんとタイミングを合わせた。
 粗編集をしたフィルムを上映してみると、これが面白い面白い。
 オレって天才?とか思ったりした。
 やっぱあの時は躁だったんだと思う。

 さてタイトルはどうしようか?『顔を忘れた男』じゃつまらないしなぁなどと思っていると、部員の誰かが持ってきたスポーツ新聞の見出しが目に入った。
 野球選手が発言した言葉が見出しになって使われている。
「なるようになる」と。

 これだっ!とその新聞の見出しを切り抜くと、一文字ずつバラバラにしてからコピー用紙に貼り、8ミリカメラで撮影した。
 こうして、この映画のタイトルは『なるようになる』となった。
 作り始めから、制作過程、タイトルの付け方まで、この映画を象徴する言葉でもある。
 ま、何事も「なるようになる」のだ。

 夏休みが終わり、すちゃらかな大学生活が戻った。
 そして1990年度の天白祭が始まった。
 同期の連中にはこれが最後の天白祭。ただ、オレにはもう一年あるが。

 卒業して実家のある徳島県に戻っていたE谷という先輩がいた。その先輩が天白祭に泊まりがけで遊びに来た。泊まりがけと言っても宿など取っていない。オレたちと一緒に大学に泊まり込むのだ。
「こっちの友達とサバイバルゲームにはまっててさ。そっちにも銃を持っていくよ」という連絡があった。

 相手が銃を持ってくるのならば、こちらも武装して迎えるのが礼儀だろう。
 名城大学から南に2、3キロ行ったところにおもちゃ屋があり、その一角がガンコーナーになっていた。
 そこでMGCのガスガンベレッタM93Rを買った。固定スライド式で、フロンガスで6ミリBB弾を発射する。確か初のガスガンだったはず。『究極超人あ?る』で鳥坂先輩が二挺拳銃で使っているヤツだ。
 弾数は確か30発。固定スライド式なので引き金を引くのに力がいる、いわゆるトリガープルが重いが、命中率は割と良かった。付属の折りたたみ式ストックを装着すると気持ち安定する。
 発射は単発で、引き金を1回引くと弾が1発出る。連射をするには重い引き金を何度も引かねばならない。
 実銃のM93Rには3点バースト機能があって、引き金を引くと3連射することも出来る。
 3点バーストとはどんな風かと説明するよりも『ロボコップ』の1作目でロボコップが射撃場で訓練をしているシーンを見てもらったほうが早いだろう。
「バババッ、バババッ」と細かい連射になっていたが、あれが3点バーストだ。ロボコップの使っているオート9という架空の未来銃はM93Rをベースにして作ったプロップガン(小道具)である。
 ちなみにMGCもガスガンのM93Rをベースにオート9を出していた。後輩のM田が確か買っていた。

 名城大学の裏は八事霊園になっている。いくつもの山を削って作られた広大な墓地だ。
 その一角はまだ荒れ地のままになっている。
 天白祭の前日。後輩たちが準備に飛び回っているなか、徳島から到着したばかりのE谷さんとオレは銃をしまい込んだカバンを持ってその荒れ地に向かった。
 ハンドガンであるオレのM93Rに対して、E谷さんはサブマシンガンを持っていた。それも単発のコッキング式ではなくエアタンクを使った連射可能な銃だ。
 ジーンズにジージャン姿のオレに対して、ダークグリーンのサバイバルゲーム用の衣装を着たE谷さん。
 その時は分からなかったが、始まる前にすでに勝負は付いていた。
 ゴーグルはオーバーグラスタイプのを購入しておいたのだが、E谷さんいわく「密閉型のじゃないと危ないんだがなぁ」とのこと。だが、今さらしょうがないので、そのまま使った。E谷さんはこれから木工作業でもやるかのような、しっかりとしたゴーグルを使っていた。

 背の低い松や雑草の生い茂るフィールドの反対側にそれぞれ付いた。
「スタート」の合図でゲーム開始。
 ハンマーを起こしたM93Rを両手保持して、ゆっくりと前進していく。
 カサカサと聞こえる音はE谷さんか、それとも風が草を揺らしているのか。
 何かが動いた気がして、そちらに向かってパンパンと数発撃つ。
 反応無し。
 勘違いだったかと、さらに前進を続けるとパパパパッと銃声と同時に身体の何カ所かに痛みが走る。ジーンズ生地の上からでもはっきりとした痛みを感じる。
「ヒットー!」
 そう叫んで、殺られたことを示す。

 今度は先ほどと位置を入れかえて、再ゲーム。
 パパパパパッ。
「ヒットー!」

 4?5回ゲームをやったが、一度も勝てなかった。
 大学への帰りがてら話をしていると、
「だって、東森のジーンズの青が遠くからでも丸見えやもん」
 こっちからはE谷さんがどこにいるか、さっぱり分からなかった。そっかー。迷彩服はファッションじゃないのか。実用的だから軍は採用しているのだ。

 そして夜になった。
 シネ研は1号館を入ってすぐ右側を模擬店用スペースとして確保していた。
 そして、そこからすぐに中庭に出ることが出来る。
 天白文化サークル連合のサークル連中のある程度と(この頃には天白文サ連でも泊まり込みをしないサークルも増えていた)学校関係者だけで、中庭に入ってくることはまずない。
 そこは絶好のゲームフィールドとなった。
 翌日の天白祭初日を控えて簡単に終わった飲み会の後、武装したオレとE谷さんは、二人っきりで中庭に立っていた。
 タバコを吸う人の中からマッチ派を探し出して、一本もらい唇の端にくわえた。シネマ研究会ともなると格好つけでライターではなくマッチを使っているヤツがいたのだ。あとは100円ライターではなくジッポを使っているヤツとか。知り合いの漫研のヤツはタバコは吸わないのにいつでもチルチルミチルの100円ライターを持ち歩いていた。それもガスが切れて、シュッ、シュッと何度点火させようとしても火がつかないヤツ。まぁ人それぞれなのであろう。

 マッチを加えたオレの気分は『男たちの挽歌』のマーク(チョウ・ユンファ)
 そして、殺戮のゲームは始まった。

 11月頭の夜は冷える。そして気化させたフロンガスでBB弾を発射するガスガンは低温に弱い。結果、M93Rから発射される弾丸は威力がなくなり飛距離が落ちる。
 それに対してエアタンクの相手の弾は一直線に飛んでくる。しかも連射だ。
 ただでさえハンドガンとライフルで命中精度が違うというのに、これでは勝ち目がない。
 オレは思った。
 ハンドガンよりもサブマシンガンの方が強い。
 単発よりも連射の方が強い。
 しっかり狙って一撃必殺している間に、見当付けて連射されると先に撃たれる。
 せめて、せめてこの93Rがもう一丁あれば。チョウ・ユンファスタイルの二丁拳銃ならばもうちょっとまともな戦いになるのかも知れないのに。マッチだけじゃダメだ。
 とにかく撃って撃って撃ちまくるジョン・ウー・イズムは相手が少ない短期決着ならば実戦でも通用しそうだ。

 リボルバーよりオートマチックの方が強いんだよ。・・・弾数が多いから
 一丁よりも二丁拳銃の方が強いんだよ・・・弾数が多いから
 アサルトライフルやサブマシンガンよりも拳銃の方が強いんだよ・・・絵になるから
 これがジョン・ウー・イズムである。

 昼と同じくボロ負けだった。
 武装だけではない。相手が地元でサバイバルゲームのチームに所属していて、週末はゲームをやっている愛好家に対してこちらは素人。
 それでも万が一の勝ち目ぐらいあるかと思ったが、ないのだやはり。
 気合いがあっても勝てない物は勝てない。根性があっても竹槍でB29は墜とせない。

「1年時間をやるから、せいぜい腕を磨いておくんだな」
 そう言い残すとE谷さんは徳島へと帰って行った。
 屈辱をかみしめながらオレは、「何しに来たんだ、あの人は?」と思った。

 名古屋は田舎だ。そしてトヨタのお膝元だ。
 その二つの要因から、学生の、特に男子学生の自動車保有率は東京などと比べて圧倒的に高い。
 名城大学も当然そうだ。
 だが、シネマ研究会は別だった。貧乏人ばかり集まっているのか、車を買う金があったら映画に使うのか、おそらくは後者が強いのだろうが自動車を持っている者は少なかった。とりあえず、オレの同期はオレも含めて一人も持っていなかったはずだ。
 それでも、大学に入るとすぐに自動車学校に行って、免許は取得している者が多かった。
 ちなみに、名古屋では自動車学校のことを車校と呼ぶ。

 だがオレは4年生なってもまだ免許を取っていなかった。原付免許すらだ。
 留年することを決めたので絶対に今年のうちに取らなければならないということはないが、来年になると就職活動などで忙しくなるだろう。やはり、今年に取っておくべきだろう。
 そこでオレは車校に入学した。
 自動車学校は中部自動車学校。名城大学の裏門を出て、墓の中を通る細い道を下っていき、1、2年時(1年だけだっけ?)に体育の授業で利用したグラウンドの脇を通って、ちょっとあるくと自動車学校だ。
 しかし、なんで大学に入ってまで体育をやらねばならんのだろうか。
 しかし、なんで体育の教師というのは中学から始まって大学までクソ野郎揃いなのだろうか。

 そしてさらに思う。なんで自動車学校の教員というのはああもクソ野郎揃いなのかと。

 実地教習では毎回同じ教員になる場合が多い。
 オレの担当教員がクソだった。でっぷり太って脂ぎった中年男性で、これでもかとばかりに威張りまくっていた。
 こちらの「よろしくお願いします」という挨拶も無視。
 そして、「サイドミラーのチェックがどうの」「後方確認がどうの」「半クラッチが下手くそだぞ、どうの」と最初っから最後までずっとケチの付け通し。
 それも2回は我慢した。
 だが、3回目で怒りが爆発した。
「確認のし忘れは確かに悪い。これは本人のミスだし、指摘するのは当然だ。だが、半クラッチが上手くいかないのは初心者だからしょうがないだろう。まだ慣れていないんだから、ケチをつけるだけじゃなくてちゃんと助言をしろ、助言を」
 そんな具合に怒鳴りつけた。

 その日はそれで終わって家に帰ったのだが、夜になってベッドに横になってから自己嫌悪に陥った。
 怒ったからといって感情にまかせて相手を怒鳴るなど良くないことだ。感情に振り回されてどうする。自己を抑制できなくてどうする。
 そして数日間、落ち込んだ。

 そしてオレは自動車学校の不登校児となった。
 途中までは行くのだが、寒々しい墓の間を歩いているうちに、鬱陶しい気持ちになって引き返してしまうのだ。
 それは数ヶ月間続いた。

 入学から5ヶ月。あと1ヶ月の間に卒業しないと料金が無駄になってしまうところまで追い込まれて、ようやくと再び足が向いた。
 幸いなことに、今度の担当教官は普通の人だった。前の人がクソ野郎だっただけに、普通の人が素晴らしく思えた。
 講義の方は出席をすればハンコはもらえるので特に問題はなかった。問題集も、「これが常識だろ」という答えを選んでいけばほぼ正解だった。
 そして、ラストの1ヶ月で路上教習やら試験やらをこなして、どうにか卒業した。

 運転免許試験場は天白区平針にある。オレの住んでいる原から地下鉄で隣の駅。
 当日は自転車で行った。延々と続く坂道がつらかった。
 学科試験はスラスラと解けた。
 当然であったかのように合格し、オレは普通自動車免許を取得した。
 次に大学へ行ったときに、ついでに足を伸ばして自動車学校へ行って、教官の休憩室にいた担当教官にお礼を言った。
 部屋の隅にはクソ野郎もいたが、オレのことを憶えているのかいないのか、とりあえず目を合わせてこなかった。

 夏のバイト料などが残っていたので、車は無理だが原付を買った。中古だ。
 一気に活動範囲が広がり、どこへでもその原付で走っていった。
 購入してから1年間で走行距離が1万キロを超えた。

 それまではケチをつけたりしても、一種のギャグとして貶していた。腹の中では怒っていても、表面上はヘラヘラしていた。
 だが、この頃から本気で怒ることが多くなった。それも突然カッとなって自分を抑えられなくなる。
 明らかに不正義なこと、理不尽なことに我慢がならない。正義感ぶるわけではないが、頭に来るのだからしょうがない。
 嫌みな担当教官にも、腹では馬鹿にしつつも、はいはい御説の通り、おっしゃる通りですませればいいのだろうが、それが出来ない。
 やはり心のどこかが不安定で、バランスが取れていないのだろう。

アイリスへの手紙
続・赤毛のアン/アンの青春
アゲイン/明日への誓い
アニエスv.によるジェーンb.
アパッチ
アビス
あんなに愛しあったのに
いまを生きる
ウディ・アレンの 重罪と軽罪
エクソシスト3
エリック・ザ・バイキング/バルハラへの航海
エルム街の悪夢5/ザ・ドリームチャイルド
エレベーターを降りて左
狼/男たちの挽歌・最終章
オールウェイズ
男は死んで血を流せ
オリバー/ニューヨーク子猫ものがたり 
俺たちは天使じゃない
ガーディアン/森は泣いている
カジュアリティーズ
風の輝く朝に
カナディアン・エクスプレス
狩人の夜
カンフー・マスター!
キックボクサー
キッス
キャノンズ
Q&A
孔雀王/アシュラ伝説
グッドフェローズ
クライシス2050
クラス・オブ・1999
グレムリン2/新・種・誕・生
グローリー
ゴースト/ニューヨークの幻
コックと泥棒、その妻と愛人
ゴッド・ギャンブラー
殺したいほどアイ・ラブ・ユー
サイボーグ
サンタ・サングレ/聖なる血
3人の婚約者
7月4日に生まれて
ジャッカー
ジャックナイフ
主婦マリーがしたこと
証人を消せ/レンタ・コップ2
ショッカー
スクワッド/栄光の鉄人軍団
ストリート・オブ・ノー・リターン
聖なる酔っぱらいの伝説
ダーク・エンジェル
ターナー&フーチ/すてきな相棒
ダイ・ハード2
チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2
菊豆
デイズ・オブ・サンダー
ディック・トレイシー
テキーラ・サンライズ
デス・リバー/失なわれた帝国
デッドフォール
デモンズ3
デンジャーヒート/地獄の最前線
ドゥ・ザ・ライト・シング
トータル・リコール
ドライビング Miss デイジー
ドラッグストア・カウボーイ
ドリーム・チーム
トレマーズ
ナショナル・ランプーン/クリスマス・バケーション
ネイビー・シールズ
ネバーエンディング・ストーリー第2章
バード・オン・ワイヤー
ハード・トゥ・キル
バーニーズ/あぶない!?ウィークエンド
裸のキッス
鬼軍曹ザック
クリムゾン・キモノ
ショック集団
地獄への挑戦
東京暗黒街 竹の家
四十挺の拳銃
バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3
バッド・インフルエンス/悪影響
パニッシャー
春のソナタ
ファミリービジネス
フィールド・オブ・ドリームス
フォード・フェアレーンの冒険
ブラインド・フューリー
プリティ・ウーマン
ブルースチール
ブルーヒート
ブルックリン最終出口
ベイビー・トーク
ボイス・オブ・ムーン
ホワイト・ドッグ
ホワイトハンター ブラックハート
真夜中の虹
ミクロキッズ
見ざる聞かざる目撃者
ミディアン
メッセンジャー・オブ・デス
メン・アット・ワーク
ヤング・アインシュタイン
ヤングガン2
ユン・ピョウin ポリス・ストーリー
48時間PART2/帰って来たふたり
浴室

リベンジ
レッド・オクトーバーを追え!
レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ
レプスキー危機一発/ロシア皇帝の秘宝
ローズ家の戦争
ロザリー・ゴーズ・ショッピング
ロザリンとライオン
ロッキー5/最後のドラマ
ロボコップ2
バトルガンM-16
ウルトラQザ・ムービー 星の伝説
丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!
東京上空いらっしゃいませ
稲村ジェーン
3-4X10月
バタアシ金魚
香港パラダイス
宇宙の法則
のぞみウィッチィズ
押忍!!空手部
あげまん
天と地と
浪人街
びんばりハイスクール
てなもんやコネクション
櫻の園
われに撃つ用意あり READY TO SHOOT
さらば愛しのやくざ
鉄拳
ZIPANG ジパング
鞍馬天狗
鴛鴦歌合戦
恋山彦
血煙高田馬場
スパイゲーム
女の存在
ファンタジア

合計 140本

良い意味で印象に残っている作品
・ブラインド・フューリー アメリカン座頭市の格好良さにメチャメチャ燃えました
・狼/男たちの挽歌・最終章 チョウ・ユンファにしびれました
・東京暗黒街 竹の家 突発ぶりにいかれました
・狩人の夜 不気味さに恐怖しました
・3-4X10月 震えがきました
・ダーク・エンジェル 宇宙銃に物欲しました
・エクソシスト3 何も無さを怖れました
・ヤング・アインシュタイン バカすぎる天才
・レプスキー危機一発/ロシア皇帝の秘宝 1作目だけは面白かった

違う意味で印象に残っている作品
・いまを生きる 生きません
・ガーディアン/森は泣いている 泣きません
・7月4日に生まれて 生まれません
・キャノンズ 笑えません
・クライシス2050 制作費には皆様の受信料が使われています
・テキーラ・サンライズ キャストの顔ぶれはいいんだけどね
・プリティ・ウーマン 自立しろよ
・48時間PART2/帰って来たふたり 帰ってこないでください
・夢 麒麟も老いては
・ウルトラQザ・ムービー星の伝説  語り継ぎません
・稲村ジェーン 今さら言うまでもないでしょう
・さらば愛しのやくざ 分かってねぇなあ
・ZIPANG ジパング 1990年ワーストワン
・天と地と だから
・浪人街 あのね


『丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!』には制服姿の女子高生の友達連れが観客席に結構いて、それにおどろきました。
 やはり思春期の少女は死後の世界に憧れるのでしょうか?
 1作目よりもSFXのレベルがアップしていて、死後の世界云々は別にして意外に面白かったですよ。
 オレ?オレは死後の世界なんて存在していないと考えています。死んだらそこで終わり。まぁ、生きてても終わってる場合もありますし。
 丹波哲郎にはいろいろと逸話があり、困ったところもあった人な様ですが、人気絶頂期のショーン・コネリーと並んで見劣りしない日本人俳優はあまりいないでしょう。

 自分にとって面白い映画も多かったが、つまらない映画も多い年でした。
 特にひどかったのが『ZIPANG』
 オレはつまらない作品でもどこか良いところを見つけたり、つまらなさをギャグにしたりしてたんですが、そのオレが「どうしたの?東森。悪口しか言わないなんて珍しいじゃんか」と言われました。よっぽど文句を付けまくってたんでしょうな。
 あとは『浪人街』『稲村ジェーン』『天と地と』などなど。バブル経済で余った金を使っていっちょ映画でも作るかといった具合の安易な企画が多かった。

 その代表とも言えるのが『クライシス2050』。
 チャールトン・ヘストンやジャック・パランス、ピーター・ボイルといったハリウッド俳優に混じって一人日本人の別所哲也。SFXはリチャード・エドランドでデザインはシド・ミード。これでもかってぐらい金を使ってます。
 この作品はNHKエンタープライズと学研が制作してます。君ら、映画制作が仕事じゃないだろ。
 制作費の一部は皆様の受信料なんですよ。制作時にはまだNHKでバイトをしていましたが、NHKの社員ですら「しょうもないことに金を使うよな」って言ってました。
 たまたまある映画関係者の方と個人的にお話しする機会があったんだが、
「世界公開を目標とした映画を作ったって、配給ルートも確保できてないのに無理だよ。それに未来の衣装がいくらなんでも時代遅れだ。『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』で未来に行くシーンがあるけど、比べものにもならないよね」という話だった。
 もちろん映画はどっかーんと大コケし、70億円という制作費は回収できるはずもなく、赤字をこさえたはず。それも1億2億といったレベルじゃなく数十億レベル。
 それでもNHKエンタープライズの担当者や責任者には特に処罰がなかったんじゃないかな。
 一般企業で数十億の損害を出したら、普通はクビか降格と左遷でしょ。
 ま、バブルもボチボチはじける寸前なワケですが。

 大学が長い夏休みに突入した。
 その夏は帰郷して実家で過ごすことにした。
 帰郷と言ってもオレの実家は愛知県半田市。下宿先の名古屋市天白区からは電車で1時間半程度の距離だが、年に数度しか実家には帰っていなかった。
 体調も精神状態も落ち着いていたので、ぼちぼち夏だけの短期のバイトを探す気でいた。
 あまりきついバイトは無理だしなぁ、とバイト情報誌などをめくっていると、当時、高校の購買で働いていた母親が一人の先生を紹介してくれた。
 その先生は半田市は岩滑(やなべ)にある学童保育の役員だかをしていた。
 その学童保育では普段は中年の女性が一人働いているだけだが、夏休み中は開園している時間も長いし、子供の数も増えるので、人手が欲しいとのことだった。

 学童保育とは共働きなどで家に日中のあいだ親がいない家庭の子を集めて面倒を見る組織のこと。塾ではないので勉強を教えたりはしない。保育園の小学校版のようなものだ。
 仕事は子供の面倒を見ること。大雑把に言えば一緒に遊ぶことだ。ガキどもは15人ほどいたはずだ。
 “遊んであげること”と考える人もいるだろうが、オレがやったのは一緒に遊ぶ事だった。
 トランプやボードゲームをやったり、裏の空き地でセミ取りをしたり、市民プールではしゃいだり。低学年の子と一緒に絵本を読んだこともあった。

 この頃、チャールズ・ブロンソンにはまっていて、彼をまねて口ひげを生やしていた。当然、ガキどもからは“○○ヒゲ”というあだ名で呼ばれることとなる。(○○はオレの苗字の頭二文字が入る)
 ガキとはいえ、ちっとは工夫しろ。せめて「チャールズ・東森」とか言えよ。
 この1990年には『メッセンジャー・オブ・デス』、『バトルガンM-16』と2本のブロンソン映画が公開されている。そして、愛妻ジル・アイアランドを長い闘病の末乳ガンで失い、映画界から退いた年でもある。
 そのチャールズ・ブロンソンを「妻を亡くして寂しさに耐えられずについに猟銃で頭を吹き飛ばしてしまう」役で復帰させたのが『インディアン・ランナー』で初監督を務めたショーン・ペン。この冷徹さがとても美しく、そしてショーン・ペンからチャールズ・ブロンソンへのエールだったのであろう。
「ここで悲しさによってあんたを殺してやる。だから生き返れ」と。

 2泊3日のキャンプにも行った。
 常任の女性、もう一人のバイト学生、他に保護者が数人一緒だった。
 他の人は子供のやることにあれこれ口を出して、飯ごう炊飯でも「ああしろ、こうしろ」とやかましかったが、オレは自分が担当した班のガキどもには好きなようにやらせていた。どうしても駄目だったらその時だけ手助けをしてやる。
 1回目のご飯は上手く炊けなかった。2回目はちょっとマシになった。3回目からはちゃんとしたご飯が炊けるようになった。
 あのガキどもは、その後何度やっても上手く炊けるようになっただろう。そういうものだ。

 ガキと一緒に走ったり、泳いだり、笑ったり。
 まとわりついてくるガキを持ち上げたり振り回したり、身体も思いっきり使った。
 小学校5年生の女の子にラブレターをもらった。生まれて初めてのラブレターだ。「10年経ったらな」と返事を書いた。
 最初は適当にやっていたのが、途中からは本気で遊んでいた。楽しかった。

 そしてオレは元気になった。
 映画作りもリハビリになるが、ガキと本気で遊ぶのもリハビリになるのだ。

 あまりに不安定な日が続いたので、これはやばいかもと精神科を訪れた。
 医師は「鬱と言うかアイデンティティの消失でしょうな。目標を失って混乱しているんでしょう。なんにせよ焦らないことです」、はっきりとは憶えていないがそんなことを言って、薬を処方してくれた。
 どんな薬だったか憶えていないが、それを飲んでも特に変化はなかった。
 そして1週間が過ぎ、2週間が過ぎた頃に、ふと気がつくとそれほど不安ではなくなっていた。相変わらず不安定ではあったが、最悪の時期と比べるとだいぶ楽になっていた。

 うん、焦ることはないのだ。空は青いし雲は白い。大丈夫大丈夫、黙ってオレに付いてこい。
 そんな風に思えるようになった。

 処方された薬は抗うつ剤か精神安定剤のたぐいだろう。
 いやー、なんというか効くもんだ。
 オレの落ち込みは精神的な物なのに、薬という物理的な物がちゃんと効果を現すのだ。人間の精神というのは高尚で神秘的な物というイメージが多少あったが、どうもそうでもないらしい。
 人間の思考はシノプスやらの結合とそこを流れる電気信号で出来ている。脳内物質で鬱になったり躁になったりするものなのだ。
 考えてみれば、お酒を飲んで陽気になるのはアルコールが脳に作用するわけだし、麻薬でハイになったりするのも物質が脳に作用して起こる現象だ。
 さんざん落ち込んだり悩んだりしたのが、薬を数週間飲んだだけでかなり改善されてしまうというのは、面白くもあり、ちょっと虚しくもあり。

 こうなると、就職?それがどうした、どうってこたぁない。といった気分になってくる。
 今は頭が混乱して迷っていて、どんな職に就くか決めれないならば、決断の時期を先に延ばせばいいじゃないか。
 そう、何も今年就職しなければならないという法律があるワケじゃないのだ。
 大学を卒業して就職浪人だと就職活動が大変だろうから、わざと留年してもう1年学校に残れば良いではないか。現役で入ったんだから、受験浪人したと思えば同じような物だ。
 よーし、留年するぞっ!1年あればなんとかなるだろ。
 さすがに怒られそうなので、親には「今年で卒業に必要な単位を取るのは無理」と報告した。NHKのバイトでほとんど講義に出ていないのは知っていたようだし、腎臓の病気のことも当然知っていたので、さほど文句は言われなかった。
 実際には充分卒業可能な成績だったわけだが。

 92章から数章に渡って書いた、自主映画『茶の間の生活』は撮影したまま数ヶ月ほったらかしだったが、調子が良くなってきたし、就職活動もしないので時間もある。そこで編集を始めたら、これが面白い面白い。
 コツコツ編集作業を続けているうちに、精神状態はますます改善されていった。
 映画作りはリハビリにもなるようだ。

 退院後、職場には訳を話して辞めることとなった。
 10ヶ月ほど働いた職場を後にして、アパートに戻ってボーッとしていた。
 時期は1990年の5月頃だったと思う。

 オレは大学の4年生。大学の場合“年生”ではなく“回生”を使う場合もあるが、名城大学シネマ研究会では“年生”を使っていて、それが馴染んでいるので4年生とする。
 バブル末期の当時は人不足で就職活動は今ほど過酷ではなかった。
 4年生の5月になってから就職活動を始めても大して遅くはない。充分に間に合う時期だった。
 だが、どこに就職する。どんな業種に就く?中学時代から映画監督しか考えていなかったオレに何が出来る。
 大学は文系の経済学部。簿記とかは取っていないのでこれといった資格はない。それどころか運転免許証すらない。求人であるとしたら営業職ぐらいだろう。だが、どんな業種のどの会社相手に就職活動をする?

 なーんにも思いつかなかった。ただただ頭が空回りをするだけだった。
 ずっと夢だったこと、いや確定事項だと思い込んでいた明確な道が突然消え去った。
 目の前に広がるのはただ広大な荒野だけ。道しるべもなにもない。
 どーすんだよ。どーしよう。どーしようもないよな。
 これまではわりとエネルギッシュな性格だったと思うが、それがすっかり腑抜けになっていた。
 それでもシネ研に顔を出して、友人たちと顔を合わすと無理にはしゃいで、家に帰ると反動でどーんと落ち込んだ。
 食欲もなくなって、体重も減った。集中力もなくなった。

 子供の頃から寝付きが悪かったオレだが、この頃には完璧に不眠症になっていた。ベッドに横になってもまるで眠れず、3時間4時間過ぎることもよくあった。
 イライラして不安で、目を閉じていることも出来なくて、近所の公園のグランドをグルグルグルグル、夜が明けるまで歩いたこともある。
 オレもオレを取り巻く世界も、何もかもが現実味を失っていた。

『キッズストリート』第2話撮影中に40度近い高熱を出した。
 医者に行ったらそのまま入院。都合5日間の入院だった。
 医者の診断によると、腎臓が炎症を起こしているということだった。それも急性ではなく、熱を出す前から軽い炎症を起こしていたのだという。慢性腎炎との診断だった。

 オレは小学校低学年の時に2週間ほど入院したことがある。その時の病名が腎炎だった。
 見た目はがっちりしていて体力がありそうなオレだが、実は身体が弱い。小学校の時は取りあえず炎症は治まったが、生まれつき腎臓が弱いと医者から言われた。
 そしてそれから約10年、大学4年生のオレはまた腎炎で倒れた。
 細菌性などではなく、疲労から来る物だろうという診断だった。確かに、撮影が始まってからのバイトは激務だった。朝は早く、夜は遅い。でも、肉体的・精神的にそれほど負担があるとは感じていなかったし、それどころかやりがいがあって面白くてしょうがなかった。
 だが、身体は正直である。根性出せよと根性論を持ち出す人もいるかも知れないが、40度の熱が出て、身体がむくんで、とにかくだるくて力が出ない。根性でどうなる物ではない。

 医者からは当分の間、安静にするようにと言われた。
 今回の炎症はとりあえず治まったけど、慢性化してるから下手をすると腎不全になって、場合によっては一生人工透析をすることになるよ。脅してるんじゃない、君の腎臓はそういう腎臓なんだから。まぁ、普通の生活をする分には支障がないから。

 立っている地面が突然無くなって、どこまでも下へ下へと落ちていくような感覚だった。
 卒業までこのままNHKでSDのバイトを続けるつもりだった。
 そして卒業後は、ディレクターから「就職はうちで大道具・小道具の仕事をやっている美術の会社あたりに紹介してやるから」と言ってもらっていて、映画監督は無理だけど映像関係の仕事に就けると思っていた。 だがそれもこれも全て水泡となって消えた。

 名古屋市千種区に東山給水塔という古びた給水塔がある。
 1930年(昭和5年)に建てられた円筒形をしたこの給水塔は、1973年をもってその役割を終え、現在は地震などの災害時用の貯水タンクとして使われている。
 リンク先の写真にもあるとおり緑のツタで覆われ、不思議めいた雰囲気を醸し出している。
 上水道施設の中にあるので、普段は遠くから見ることしかできないが、今回はロケハンと言うことで、給水塔の内部を見せてもらい、さらには上部にある展望台まで上らせてもらった。
(現在は年に2回一般公開されており、展望台にも上れるそうだ)

 給水塔の足元まで来て上を見上げる。ツタが絡まる古びた建物は、まるで怪人20面相がアジトにして使っていそうな趣き。
 建物の中は改装されていて意外とキレイ。展示物も掲示されていて、一般公開用なのだろう。
「中は使えないね。これじゃ普通の展望台だ」とはM本さん。
 外に出て写真を撮りまくる。下まで寄って仰角で仰ぎ見たり、遠くから背景として撮ったりいろいろ。
 東山配水場のタンクが地下に埋めてあって、その上は芝生が植えてある。実際には住宅地のど真ん中にあるのだが、構図によっては人家から遠く離れた隠れ家にも見える。
 敷地内にはいくつかこれまた古い煉瓦造りの小さな建物もあって、もちろんこれも写真に撮る。

 続いて名古屋城へ。
 ここは特にロケハンだと断らずに、普通に入場券を買って中に入る。
 桜が咲いていた記憶があるので時期的には春だったのだろう。
 城壁の一部がスライドして穴が空き、そこから地下迷宮に入っていくという設定なので、城壁を中心に写真をパシャパシャ。
 オレは愛知県育ちだが、名古屋城に来たのはこれが初めてだった。ま、観光名所に地元民はあまり行かないわな。江戸時代に建てられたままの城だったらまだしも、名古屋城は第二次大戦中の空襲で焼け落ちて、戦後になって再建された物だ。でもそれ以前の作りとは違って鉄筋コンクリートだったりする。
 名古屋の空襲に関しては101章でも書いたが、名古屋には軍事工場、特に戦闘機の工場が多くあったそうだ。
 そのため空襲で爆撃を受け、名古屋の中心部は焼け野原となった。そこへ戦後、実力派の市長だかが強引に都市計画を推し進め、片側2車線を中心とした幅広の道路を張り巡らせた。
 名古屋のNHKは栄という繁華街にあるが、ここは100メーター道路と呼ばれるやたらと広い道路で有名だ。
 ただし、空襲の被害を受けなかった周辺部に行くと、とたんにゴチャゴチャとした狭い道となる。オレの通っていた名城大学近くの八事周辺は細い道の一方通行だらけで、原付で走っていて苦労した。自動車だったらさらに大変だろう。

『キッズストリート 第一話危機一髪!美少女博士』の撮影は終わったが、全5話のミニシリーズなので、次の話の準備をしなければならない。
 このシリーズの中で、バイト採用時にオレの面接をしてくれたり、他にはいろいろ面倒を見てくれたり、仕事帰りにビリヤード練習場へ連れて行ってくれたM本さんが、初のTVドラマでのディレクター(監督)をやることになった。
 それまでにラジオドラマのディレクターをやったことはあるが、TVドラマとなると関わる人数、ロケやスタジオなど規模が全然違う。
 M本さんが担当する話はSF仕立てで、地下迷宮に潜り込んだり、名古屋のテレビ塔が宇宙船になって飛んでいったりとにぎやかな内容だった。
 そのロケハンの多くにオレはM本さんに同行することとなった。
 ロケハンとはロケーション・ハンティングの略。ロケ地を探し歩くことだが、実際には資料で下調べをした上で、使えそうだと思える場所を訪れる、いわば下見の様なものだ。
 オレはM本さんの指示で資料を調べたり、訪問の予約を取ったりした。NHKの名前はやはり強くて、役場や企業に電話をしてもきちんと対応してくれ、断ってくるところはほとんどなかった。

 劇中で名古屋城の城壁にある秘密の扉から地下迷宮に入る。
 その地下迷宮のロケ地候補となったのが瑞浪市の三菱航空機瑞浪地下軍需工場跡地だ。
 オレの育った愛知県半田市には第二次戦時中、中島飛行機の軍需工場があった。そして、そのため半田市は空襲を受け、学徒動員などの学生を含む一般市民も死亡した。名古屋の空襲も軍需工場が標的だった。
 軍部は空襲で被害を受けないように地下に穴を掘って空洞を作り、そこに軍需工場を造ろうとしたのだ。長野の地下大本営みたいな物か。無茶な話だ。
 実際には掘っている最中に戦争が終わってしまい、瑞浪市にあるのは碁盤の目状に張り巡らされた地下通路が残っただけ。
 だが、その掘っていった地下通路から幾種もの化石が見つかり、今でのこの軍需工場跡地横に化石博物館が建っていて、今では子供たちなどに人気のスポットとなっている。皮肉と言えば皮肉な話だ。

 固い地盤に穴を掘っただけで、柱や板などで補強もされておらず岩盤が剥き出しで危険なため、一般向けには入り口部分しか公開されていない。
 そこへ、ロケハンということで特別に中の方も見せてもらった。
 地下トンネルというと狭く息苦しい物を思い浮かべるだろうが、ここは通路ではなく工場にするために掘った物なので横幅も高さもあり広い。はっきりとは憶えていないが、横幅が3?4メートル、高さが3メートルはあったのではないだろうか。
 そのトンネルが碁盤の目状に交差しながら延々と続く。
 ところどころに水たまりはあるが、足元はしっかりしている。
 カメラ担当のオレは、M本さんに指示されたところをパシャパシャと撮っていく。
 映画で色々な光景を観てきたオレだが、現実の目の前に広がる非日常的風景にはさすがに言葉を失って、「うわー、すごいですね。ここ天井高いですね」と騒いでいた。って、言葉失ってねーじゃん。

 案内していただいた係の方に丁寧に頭を下げた後、午後に向けて昼食タイム。
 M本さんが調べてきた、チャーシューメンで有名というラーメン屋に行った。
 当然、二人ともチャーシューメンを頼む。
 出てきたチャーシューメンには言葉を失った。
 厚さ1cmぐらいはあるチャーシューが何枚ものっていてスープの上を埋め尽くしている!
 ちなみに言葉を失った理由は、必死で食べていたからだ。物を口に入れてしゃべっちゃダメだぞ。
 チャーシューの厚さと量にはさすがに驚いたが、味は普通のラーメンだった。

 午後からダムのロケハンへ。
 ダムの外観のロケハンではなく、地下通路のロケハンなのでダムの中に入れてもらう。
 鉄製の階段を上ったり降りたり。コンクリートの通路が延々と遠くまで伸びているのに驚いたり。
 この時始めて知ったのだが、ダムの壁面、あの水を食い止めている壁の中には通路が走っていて人が通ることが出来るんだね。まぁ、そうじゃないと補修も出来ないわな。
 同じくダムが舞台の『ホワイトアウト』にも通路が出てきたが、確かにあんな感じ。

 この頃になると、スタッフと一緒ではなく単独で行動することも増えてきたので、オレの名刺を作ってくれた。
 まだパソコンで簡単に作れる時代ではなかったので、ちゃんと印刷会社で作った本式なヤツだ。これがオレがもった初めての名刺になる。
 NHKのSDには制服があるわけではないので、オレは私服のいかにも学生のバイトにしか見えない。だが、日本放送協会と書かれNHKのロゴが入った名刺を差し出すと相手の態度がコロッと変わった。
 やはり名の通った企業は違う、というか、NHKの場合は一種の権威というか権力なんだなぁと思ったりもした。
 名刺を受け取った途端、「今日は何のご用で?」といった態度になる人に対して、偉くなった感じがするとか優越感を抱くといったことはなく、それどころかなんかやりきれなかった。
 名刺を出す前も出した後も、オレはオレなんだけどね。

 撮影は集中して行われるが、毎日あるわけじゃなくてたまには撮影のないオフの日もある。
 主人公の子供たち5人の内3人は東京から来てホテルに滞在している。
 撮影が休みだからと言って、じゃあ休んでてね、とほったらかすわけにも行かない。
 ホテルにこもり切りじゃ退屈だろうし、ホテルのある栄は大人向けの繁華街で、小学生にはあまり遊ぶところがないだろう。
 そこで上の方から、オレがその3人を動物園にでも遊びに連れて行けとの命令が下った。
 オレは保父じゃねーっつーの。

 行き先は名古屋人なら誰でも知っている東山動物園。1990年前半のある日だった。
「遊園地はどうですか」とスタッフに言ったら、「そういうところは怪我をする可能性があるから」という返答だった。
 二十歳過ぎの好青年と女の子一人、男の子二人。学童保育の引率といったところか。
 同行した子供たちは、主人公の飯泉征貴、その妹役の飯塚雅弓、そして主人公の友人役のふとっちょ。
 象を見たりライオンを見たり。1984年に東山動物園に来たコアラを見たり。まさに遠足だ。
 でも、さすがに東京で活躍している子役だけあって発言もしっかりして頭もよかった。オレのガキ時代とは大違いだ。
 とはいえ、やはりガキはガキで、オレが飯塚に「ブスが転んでコロンブス」とか言ったら妙に男二人に受けて、「コロンブス」「コロンブス」とはやしてからからかっていた。
 イジメんなよ、お前ら。あっ、言い出したのはオレか。

 その後、飯泉征貴はドラマや映画に出演し、現在でも俳優・声優として活躍している様子。
 飯塚雅弓は『おもひでぽろぽろ』(1991)のキャスト欄に名前があった。判別できなかったが、主人公の少女時代のクラスメイトの一人だろう。
「そうか、飯塚は声の仕事もやるのか」と思った。
 その後、オレはTVドラマは観ないが、とりあえず映画には出ていないので、ひょっとしたら引退したのかなぁと思っていた。
 と、1990年代後半、久しぶりに会った大学の同期で一緒にNHKでバイトをしていたYが「飯塚、すげぇなぁ」と言ってきた。
 最初は「飯塚?誰それ」だったが、「ほら、『キッズストリート』の女の子だよ」で思い出した。
「ふーん、ドラマかなんか出てるの」
「バカ、お前知らないのかよ。ポケモンだよポケモン。ポケモンのアニメで主役キャラの一人をやってるんだよ」
 これにはさすがに驚いた。ポケモンと言えば当時人気絶頂、今でも人気絶頂のゲーム&アニメではないか。
 さっそくその週の放送日放送時間にチャンネルをテレビ愛知に合わせた。
 番組が始まる。主人公は男の子2人、女の子1人。男のうち一人は男性が声を担当しているのでこれは除く。主人公のサトシは松本梨香。松本梨香は女性だが、これは当時アニメを観ていなかったオレでもさすがに違うと分かる。となると、残ったのは女の子キャラ、カスミだ。んー、ということはこれが飯塚か?こんな声だったような、違ったような。
 エンディングでキャストが表示され、ようやくカスミ=飯塚雅弓だと判明した。
 そっかー、国民的アニメの主役キャラの一人にまでなったのか。あのチビ助がねぇ・・・ちょっと感慨にふける。

 『子どもパビリオン・キッズストリート』第一話に登場する美少女博士には身辺警護のSPが数人付いている。
 そのSPのボス役が決まるまでにちょっとゴタゴタした。
 最初に候補に挙がったのはサンダー杉山。ハゲ頭がトレードマークのプロレスラーだ。
 だが、出演料交渉でかなり高額を吹っかけてきたらしく、予算不足で×。
 続いて、体格の良さから元ビジー・フォーのウガンダの名前が挙がったが、「この人は音楽関係だろ。放送前に薬で逮捕されたりすると困るからな」という理由で×。
 ウガンダ氏の名誉のために言っておくと、ディレクターの発言はまったく意味のない偏見による物で、ウガンダ氏が薬物をやっているとかそういう確証も何もない単なる放言。最近ではウガンダ氏はNHK教育に出演したこともあるようで、何ら問題のない方である。

 ここで、ディレクターとしても特に期待して聞いたわけではないだろうが、オレとU場さんに「誰か良さそうな人がいないかね」と話を振ってきた。
 サンダー杉山の流れからなんとなく「山本小鉄はどうですかね。プロレスのレフリーや解説をやってるスキンヘッドの人なんですが。元プロレスラーなんで体格も良いし迫力ありますよ」
 本当に思いつきだけで言ったのだが、ディレクターが「ふむむ」と何やら考え込んでしまった。
「よし、その山本小鉄に関する資料を明日までに揃えておけ」
 そう命令された俺とU場さんであった。
 ただ、このエピソードは記憶があやふやなのでU場さんが言い出したのを勘違いしている可能性もある。とりあえずオレたち二人のうち、どちらかなのは確か。

 資料と言われても今のようにネットで情報収集が出来るわけでもなく、NHKの資料室にもあまり詳しい文献はない。マイクロフィルム化された新聞はあるが、一般新聞なのでプロレスの記事はほとんどないのだ。
 ところが、U場さんの弟がプロレスファンで、プロレス雑誌をずっと買っていることが判明。何冊か見繕って持ってきてもらうこととなった。
 山本小鉄さんの写真が載ったプロレス雑誌数冊と、オレが調べてきた山本さんの身長体重などの基礎データをディレクターに提出。
 そしてあれよあれよと話が進んで、SPのボス役は山本小鉄さんが演ずることになった。

 ロケバスでの移動中に近くに座る機会があって、ちょっとばかりお話をさせていただいた。身長は170cmのオレとほとんど変わらないが、丸太のようにがっしりとしていて、さすが元プロレスラー。実に強そうで迫力がある。
「出演依頼が来るのはほとんどが悪役で、今回みたいに正義の味方ってのは珍しいからね。それだから引き受けたんだ」
 確かに美少女博士を守るSPだから正義の味方とも言える。終盤には悪人との対決もあるし。
 話の折に奥さんのことが出てきたが、あの厳つい顔がとろけるように変わる。どうもすごい愛妻家の様子である。
 他にも、オレのような下っ端スタッフにも言葉が丁寧だし、ちゃんと対応してくれる。実に素晴らしい人であった。芸能人専門の人だと、SD(AD)など人間扱いしない人もいる。オレはヒエラルキーの最底辺の存在なのだ。

 この回には、年長の女の子の姉役としてキューティー鈴木も出演しており、ちょっとしたアクションシーンもある。
 山本小鉄さんとキューティー鈴木共演ということで、プロレス雑誌の記事にもなったと聞く。

 『子供パビリオン』や『キッズストリート』に関してはネットで検索してもほとんど情報がない。ソフト化もされていないようだが、せめて簡単な情報だけでもNHKはまとめておいてくれないだろうか。
 第1話は『危機一髪!!美少女博士』というタイトルだ。どういうわけだか『美少女戦士』と記載されているサイトがいくつか見受けられた。まぁ一文字しか違わないと言えば違わないが・・・博士と戦士じゃ大違いだ。

 簡単にストーリーを要約すると、主人公は5人組の子供。女の子2人に男の子3人。なんか戦隊物の人数と比率だ。
 彼らが暮らす街、名古屋にアメリカから美少女博士がやってくる。アメリカ人のその少女は10歳でMIT(マサチューセッツ工科大学)を卒業した・・・のかどうかはしらないが、まだ小学生高学年の年頃なのに博士号を持つ天才だ。
 その美少女博士が警護のSPの隙を突いて逃げ出し、主人公たちと知り合ってつかの間の休日を楽しむ。
 しかし、彼女の天才的頭脳を狙う悪の組織の魔の手が伸びてくるのであった。

 ぶっちゃけ言ってしまうと『ローマの休日』の子供バージョンだ。年長の男の子との淡い恋心のシーンもあるし。
 この美少女博士はオーディションで選ばれたお父さんがアメリカ人、お母さんが日本人(だったかな)のハーフの女の子。演劇経験はほとんど無しの素人さんだった。可愛らしい子ではあったが、度の強い眼鏡をかけていて、美少女?ではあった。さすがにラストシーンの決めぜりふ「Someday,Somewhere,we will meet again」をしゃべるシーンの発音が上手い。当たり前と言えば当たり前だが。

 主人公の子供たちが博士の天才ぶりを知るシーンはゲームセンターだった。
 難易度の高いゲームを、初プレイの博士が簡単にクリアしてエンディングまで行ってしまう。
 このシーンの撮影にはゲームをクリアできる人間が必要だ。
 そこでオレに命令が下った。
「そのゲームをクリヤしろ」
 なんかクライブ・カッスラー作品のタイトルのようだ。
 その回のディレクターと一緒にロケ地となるゲームセンターに行った。
 オレはR-TYPEや雷電などシューティングは多少やり込んだので、できればその手のゲームを選んで欲しかったのだが、ディレクターが「これが良いだろ」と示したのは兵士が武器を使って面クリしていく横スクロールのアクションゲームだった。
「アクションゲームはあまりやったことないんですけど」
「とやかく言わずこいつをクリアできるように特訓をしろ。ゲーム代と時給は出すから」
「はぁ・・・」
 こうしてオレは職場公認で仕事としてゲームセンターに行き、ゲーム代はNHK持ち、しかも時給1000円という、ゲーム好きならば嬉しくて仕方ない状況に身を置くことになった。
 だが、友達と週に1、2回ゲーセンに行って2、3プレイするだけのオレには、「クリヤしなければならない」というのはかなりの重圧だった。
 それまでにゲーセンでクリアしたゲームはR-TYPEぐらい。シューティングと横スクロールアクションではまるで勝手が違う。
 ゲームのタイトルは忘れてしまったが、近未来が舞台でプレイヤーは主人公の兵士を操り、様々な武器や乗り物を駆使して敵を倒していく。確かSNKのタイトルだったと思う。
 毎日仕事帰りにゲーセンに通った。積んだコインがどんどん減っていく。
 それでも、毎日毎日金をつぎ込めば、敵が出現するパターンやタイミングも身についてきて、飛び交う銃弾をドット単位で避けるテクニックを習得した。

 そしてついにゲーセンでのロケ。
 博士がゲームをスタートするところまでやって、そこからはオレが引き継ぐ。
 子供たちやスタッフが見守るなか、多少緊張していたが意外と本番は強いのでバリバリザッザッと兵士を操っていく。2度ほどコンティニューをしながらプレイを進め、ついには巨大ラスボスのと対決。こいつを
「一撃でクリアー!」
 こうしてゲームはエンディングを迎え、スタッフクレジットが流れ始めた。

 ふっ
 そんなオレの耳に子供が「あの人何者ですか」とスタッフに尋ねる声が聞こえる。
 ゲーム名人でも連れてきたのかと思ったのかも知れないが、その正体は単なるSD(サブディレクター)だ。

 後日、編集段階のビデオを見せてもらったら、ラスボスとの戦いやエンディングは使われてなかった。使われていたのは、途中の四方八方から弾が飛んでくるのをすり抜けながら進むところ。
 確かに派手だしテクニックが必要そうに見えるシーンなのだが、じゃあクリアするまで特訓したオレの立場は?
 しかし、NHKでバイトを始めていろんな仕事をやったが、ゲーセンでゲームをやるというこの仕事が一番妙だった。

 『熱きまなざし』、『家族の値段』と大人向けドラマが続いたNHKでのバイトだが、今度は子供向けのミニドラマシリーズだ。番組名を『子どもパビリオン・キッズストリート』という。1990年撮影、1990年放映作品。
 『子どもパビリオン』が帯番組の名前で、その中でNHK名古屋が担当したのが『キッズストリート』。
 アクションあり、SFあり、スポ根ドラマあり、恋愛ありの、何でもありの面白楽しいドラマが1話完結で全5回。
 主人公は少年少女たち。全員ともオーディションで選ばれた。オーディション形式で配役を決めるのはオレにとって初めてのことで、おおっ芸能界してるって感じだった。
 そして選ばれたのは合計5人。一番のメインである年長の少年は飯泉征貴。その妹役が飯塚雅弓。友人のデブは東映の戦隊物にも出演していた少年。この3人は東京から来た子供たちで、全国レベルで活躍している実力派だ。
 名古屋からは2人。一番の年長で飯泉征貴が内心好きという設定の女の子と、ちょっといじめられっ子の男の子。その子たちだけを観ているとそんなに悪くないじゃないかと思えるのだが、東京組と一緒のシーンになるとオレが見てもその差が歴然としている。やはり、東京で活躍しているからには実力があるのだ。
 そして飯泉征貴の父親役がたしか村野武範。年長の女の子の姉でお華の師匠(そのくせ武闘派)はキューティー鈴木。
 駄菓子屋のおばあちゃんが名古屋人にはお馴染みの山田昌。第一話のゲストにはこれまた名古屋出身の三遊亭円丈。

『熱きまなざし』は既に撮影に入っているところへの参加だったし、『家族の値段』もオレがバイトを始める前には企画が出来上がっていた。
 一からの参加はこの『キッズストリート』が初めてだ。
 企画会議からオーディション、脚本家のところまで地下鉄に乗って原稿を取りに行ったり、ドラマが撮影にはいるまでに実に色々なことを決めて準備しなければならないのだなと勉強になった。撮影時ほどではないが、あれこれと飛び回って忙しかった。

 冬に撮影された『茶の間の生活』だが、ラッシュを観て駄作だと放り出したため、1989年度の後期上映会には間に合わなかった。結局、1990年度前期上映会にての公開となった。その分、時間をかけてじっくり編集作業が行えたというのはある。
 上映会は初夏なのに、映画内の登場人物はセーターやコートなどの冬服姿。ちょっと違和感があるが、まあこれはしょうがない。
 ちなみに『茶の間の生活』というタイトルにあまり意味はない。1作目の『ダイヤモンド・ゲーム』がカタカナだったので、日本語タイトルにしようという意図で付けられた物。

 上映後のアンケートや機関誌の『ル・シネマ』での評は大きく二つに分かれた。
 新入生などからはどちらかというと評判が悪く、上級生やOBのウケは良かった。
 ゴダールなどのヌーベルバーグやジム・ジャームッシュのニューヨーク・インディペンデンス映画などに影響を受けまくっていた時期なので、観客に対してある程度映画を観ていることを求める作品ではある。シーンとシーンが黒味フィルムで繋がっている所など、もろ『ストレンジャー・パラダイス』。

 感想としては、「ストーリーがよく分からない」というのが多かった。
 これについては、確かにその通りだとは思う。場面場面、シーンシーンを描くのがメインで、ストーリーを描くのが目的ではないので、分からないで正解なのだ。
 主人公たち三人の関係も、まぁ友人だろうとしか判断するしかないし、眼鏡が書いている文章も何なのか分からない。作家なのか、ゼミの論文でも書いているのか。
 映画を観ている限りでは推測するしかないが、一応脚本家の考える設定としては、
眼鏡は締め切りを控えた作家で、その日は誕生日。ノッポとチビはその誕生日を祝いに来た。結果、執筆を邪魔する形になる。
 ついにはノッポとチビは部屋から追い出されてしまうが、原稿を書き終えた眼鏡は一緒に遊ぶため外へ出て行く。ということになっている。

 前半は映像的にも面白いが、室内に入ってしまうと、これという冴えたカットがない。
 これは自分でも感じていた弱点だ。もともと映像的なことは弱点だと思っているので、放置された事故車や赤と黄色、青のコントラストが鮮やかな自販機など、どうとってもそれなりに絵になるロケ地を探してきたが、部屋の中に入ってしまうとくすんだ印象になってしまっている。
 もう少し小道具や意外な構図で盛り上げたかった。

 爆笑はなかったが、クスクス笑いは全編を持続していたので満足。
 オレにとって映画の師である(といっても、何人も師はいるのだが)U谷さんが、アンケートでかなり褒めてくれたので、これまた満足。
 前作はやりたいことと出来ることの差が大きかった。私立探偵やアルセーヌ・ルパンという登場人物もコメディとはいえ無理があった。今回は、自分の出来ることを無理なく自然体で作れたと思う。

 94章の書き方だとスムーズに完成まで行き着いたように思えるが、実際はそう簡単にはいかなかった。
 現像からあがってきたラッシュフィルムを観て、「あーダメだダメだ、才能ない、下手だ下手」と頭を抱え込み、編集に取りかからずにそのまましまい込んでしまった。
 そしてそこへ年度末試験の襲来。
 3度目の年度末試験ともなると慣れてきて簡単簡単・・・というワケにはいかない。
 単位が取りやすい講義から受講していったので、そろそろ手応えのある試験が増えてきたのだ。
 しかも、バイトバイトで講義への出席率はおろか、学校への登校日数も少ない。
 ツテとコネを利用して、可能な限りノートのコピーと予想問題集を集めた。細かく勉強している時間はない、短期決戦である。
 普通にやっていれば2年生で終わっている外国語だが、オレはまだ英語を2単位、ドイツ語を1単位残していた。これが一番の強敵だ。
 ドイツ語のテストは辞書持ち込み可だった。そこで、辞書に例文を小さな文字で余白に書き込んで試験に挑んだ。チラチラと辞書を除いていたら、担当講師がオレの辞書をバタンと閉じ持って行ってしまった。カンニングがばれたのだ。しょうがないので自力で挑んだ。
 大学の試験はカンニングが発覚すると全科目の単位が不可となる。辞書を取り上げるだけで済ませてくれたのは、温情ある行為だったのだ。あー、やばかった。
 自力で挑んだドイツ語はなんとか可を取った。英語は2単位のうち取れたのは1単位で、4年に1単位残した。
 まぁボチボチの成績だった。これなら4年で必要単位を取得するのは大して難しくないだろう。

 そして春休みが過ぎ、1990年度が始まった。
 次回作をどうしようかな、まずは2、3ヶ月ほったらかしと未完成で終わった『茶の間の生活』のフィルムをもう一度観直して、どこがダメだったか反省点を洗い出すところから始めよう。
 そして部室でラッシュフィルムを上映してみると、あれ?面白いぞ、これ。
 勘違いかなと思ってもう一度観直すと、やはり面白い。
 大雑把に1本のフィルムに編集してみる。やっぱ面白い。
 これはお蔵入りはもったいないと、本気で編集作業に取りかかった。
 2作目ということもあって段取りは分かっている。相変わらずバイトが忙しいが、その合間を縫って作業を進める。
 編集は相変わらず楽しい。これぞ映画作りだ。
 そして音入れをして完成。一度は見捨てようと思った作品とは思えない面白さ(自画自賛)

 さて、いつまでも一息入れていると、この人らはずーっと一息しっぱなしなので、適当なところで撮影再開。
 眼鏡がラジカセを投げるシーンを先に撮る。このラジカセは中古だが本物。
 後は素直に脚本の順番に撮っていく。
 6畳ほどの部屋なので、カメラポジションも限られる。普通に撮っていればまぁ普通な映像が撮れるので、構図やらが苦手なオレにもなんとかなる。
 もちろん、すごいヤツはその限られて状況で普通なら考えつかない映像を創り上げてくるが、あれはもう天性のようなものかもしれない。
 セットは姉が使っていたガラス天板のコタツ。その上に、ミカンを積んだ器を置く。様式美だ。本当はガラス天板ではなく、裏に緑の布が張られたような古いオーソドックスなコタツが良かったのだが、用意できなかったので妥協。
 代わりと言ってはなんだが、ノッポとチビがババ抜きをやるシーンでは、ガラス越しに下から撮った絵を入れた。いかにもであまり気に入ってないが。

 誕生日の集団が乱入してくるシーンのみキャストを揃えて別の日に撮影。ただ、その日はノッポ役の先輩が都合が付かなかったので、カメラ向きで上手くごまかした。そう、言われないといないのに気づかないと思う。
 ちなみにこの「停電になって、散々苦労してロウソクを点けたら、ハッピーバースデーを歌う連中が登場してロウソクを吹き消してしまう」というギャグは、クレイジー・キャッツの『シャボン玉ホリデー』で使われた物。さすがに放送では観ていないが、小林信彦のコラムで読んで、「よし、いつかオマージュしてやろう」と思っていた物。ある先輩にだけ理解してもらえた。

 ビールを飲むシーンではまだノンアルコールビールが一般的に売られていなかったので、本物のビールを使った。
 ゴクゴクと飲んで部屋の中を踊り回ってもらう。にぎやかさが感じられて上手い演技だ・・・違う、演技じゃない。この人ら本当に酔っぱらっている。
 一気のみの後ですぐ身体を動かしたのだからアルコールも回るという物だが、酔っぱらうともう言うことを聞いてくれない。
 勝手にオレのメガドライブを引っ張り出してゴルフゲームを始めたりと手に負えない。
 酔いが治まるまでしばし休憩に入る。

 ようやくまともになったので、ラジカセを巡って入れたり切ったりのシーンを撮る。
 そして、ラストの眼鏡が部屋を出て行くシーンを撮って、撮影終了。
 先ほど言ったように、ロウソクを吹き消すシーンだけ残っているが、ほとんど全てを一日で撮影終了した手際の良さは、NHKでのバイトの成果でもあるだろう。
 セリフ無しなのでNGも少なかった。ちなみに、誕生日集団は「おめでとう」とかしゃべっているし、物音はする所から分かるように、この映画はサイレントではなく、単に主人公たち三人がしゃべらないだけ。
 何故しゃべらないかを聞いてきた人がいるが、そんなのはどうでもいいの。単にオレがしゃべらせたくなかっただけ。
 納得がいかないのならば、三人とも聾唖者だとか、揃って風邪を引いていて喉が痛いとか(だからチビはジャムを舐めていたのだ)、テレパシーの使い手だとか理由はなんでもいいのだ。
 重要なのはしゃべらない理由ではなく、何故オレがしゃべらせなかったかという部分。理由はセリフを削って、言葉に頼らない映画を作ってみたかったから。
 その点については案外と成功していたと思う。

 編集には1作目の『ダイヤモンド・ゲーム』以上に気を遣った。
 カットが始まるカット頭と、そこで映像が終わるカット尻の両方が、普通のテンポよりも気持ち長くしてある。
 微妙に居心地が悪いかもしれないが、どうもオレはそのテンポが好きなのだ。
 二本目という事で慣れもあるし、NGが少ないので無駄なフィルムがないこともあって編集作業はテッテケテッテケとスムーズに進んだ。
 音楽には頭を悩まされた。いっそのこと音楽も無しにしようかと思ったが、上映してみるとやはり寂しい。
 眼鏡にはクラッシック、ノッポとチビにはジャズと時折ロックンロールに絞り、コロコロ音楽が変わらないように長目長目で使う。あまり上手いとはいえないが、前作よりは上達している。うん、これでよし。

 オープニングとエンディングのクレジットは、眼鏡が原稿用紙に文章を書いていたことをヒントに、原稿用紙に書く。画面の切替は一枚一枚手がめくっていく方式。

 最後に通しで上映してみて、うん完成だ。

 撮影をいつ行ったかははっきりとした記録がない。
 1989年の後半か1990年の初頭だと考えられる。
 メインキャストの眼鏡、ノッポ、チビは全員1年上の先輩で、撮影時に4年生だった。
 全員4年生というのにさほど大きな理由はない。それよりも、それぞれのイメージ優先のキャスティングだった。全員がスクリーンに映し出されただけで人目を引く印象の持ち主だったのだ。
 さらに印象を強めるために主人公には眼鏡、チビにはアポロキャップをかぶってもらい、さらには常に瓶に入ったジャムを舐めているという設定にした。ジャムを舐めているというのはゴダール作品のどれかのパクリだ、すまん。
 ノッポはその風体だけで充分なので、それ以上は小道具は使わなかった。

 冬で日差しが差す時間が短いので、まずは屋外シーンをまとめて撮影した。
 ロケ地はオレの下宿先近く。
 空き地にBMWとトランザムの事故車がずっと放置されていて、絵として面白いのでこれはいつか使おうと思っていた。導入部として面白いシーンになったと思う。
 続いて自販機のシーン。
 コカコーラ自販機の鮮やかな赤と、隣に積まれた赤と黄色のビールケース、そしてちらりと映る青い空が気に入ってこのシーンを入れた。
 自販機のアップも映るが、大瓶がペットボトルではなくガラス瓶なのが時代を感じさせる。
 ルーレットが当たったときのチャイムは自転車のベルを連続で鳴らした音源を早送りして高音にしたもの。
「あの音を録音するまで何本ジュースを買ったんですか」とバカな後輩が聞いてきた。するか、そんなこと。

 そして、順番は飛ぶが、ラスト間際の空き地で踊るノッポとチビのシーンを撮って屋外シーンは終了。
 キャストが現場慣れしているので短時間で撮影が進んだ。

 オレの下宿に入って、ちょっと一息。
 茶の間と言っているが、ロケはダイニングキッチンだ。本来のイメージとしては6畳一間の畳敷き木造アパートなのだが、オレの下宿アパートだと年季を感じさせてくれない。まぁ、仕方ない。
 代わりに、普段は台所としてだけ使っている部屋で、余分な物とかポスターなどが無く、生活感の無さがちょっと面白い効果になったと思う。

茶の間
―――――――――――――――
  眼鏡がコタツに入って、原稿用紙になにやら文章を書いている。
  あまり順調な様子ではなく、しばらく考え込み悩んだ後で、
  消しゴムと小さな鉛筆削りを車に見立てて、正面衝突させて遊ぶ

暗転 キキキーッ、ドッカーン!と自動車事故の音


空き地
―――――――――――――――
  トランザムとBMWの車が事故で大破している。
  BMWに乗っていた帽子を被ったチビはストロベリージャムをビンに直接指を
  突っ込んで舐めている。
  トランザムに乗っていたノッポにジャムを勧めるが、ウゲッという顔で断られる。
  二人は車はそのままに歩き出す。
  路上で男(東森時音)とすれ違う。チビは男にジャムを勧めるが、男は首を振って断る。


自販機
―――――――――――――――
  ジュースの自動販売機の前を通りかかるチビとノッポ。
  二人は缶コーヒー(ホット)を買う。
  同時に硬貨を投入しようとし、手がぶつかる。
  ジャンケンで順番を決め、まずはノッポが買う。
  ピロピロピロとルーレットが回り、外れる。
  次いでチビが買う。
  ピロピロピロとルーレットが回り、当たりのチャイムが鳴る。
  二人は缶コーヒーをカンと打ち鳴らして乾杯する。


茶の間
―――――――――――――――
  眼鏡が原稿を書いているところにノッポとチビが入ってくる。
  どうやら3人は友人同士のようだ。
  当たった缶コーヒーを眼鏡に渡し、三人は缶コーヒーで乾杯する。

茶の間
―――――――――――――――
  いがらしみきおの『さばおり劇場』を読んでいるノッポ。
  ジャムの瓶に指を突っ込んで舐めているチビ。
  チビは腕まくりをすると、ノッポに腕相撲を挑む。
  よーしとノッポは手を組むが、ジャムのベタベタにウエッという顔になる。
  ティッシュで自分とチビの手を拭くノッポ。
  そして、腕相撲が始まる。白熱した試合の後、チビが勝つ。
  その時の勢いで、眼鏡が書いていた原稿をなぎ払ってしまう。
  じろっと二人を睨む眼鏡。
  チビとノッポはジャンケンホイあっち向いてホイを始め、延々と繰り返す。

茶の間
―――――――――――――――
  トランプでババ抜きをしているチビとノッポ。
  パサリパサリと捨てられるカードの音が眼鏡は気に触ってしょうがない。
  眼鏡は突然すっくと立ち上がると、二人からトランプを奪い、バラバラとぶちまける。
  怒った二人は、これまた立ち上がると眼鏡を追い始める。
  グルグルとコタツの回りを走り続ける3人。

茶の間
―――――――――――――――
  再び原稿を書き始める眼鏡。
  と、部屋の中が暗くなる。
  電気のスイッチをカチカチやっても変化がない。どうやら停電らしい。
  眼鏡は戸棚からロウソクとマッチを取り出すと、コタツの上にロウソクを立て灯りを付ける。
  よしよしと微笑む眼鏡。
  だが、チビのくしゃみで灯りは吹き消される。

茶の間
―――――――――――――――
  もう一度ロウソクにマッチで火を付ける眼鏡。
  すると今度はどこからか風が吹いてきて火が消える。
  ノッポが扇風機の風で涼んでいたのだ。


茶の間
―――――――――――――――
  三度火を灯そうとする眼鏡。
  チビの方をジロリと睨むと、慌てて手で口元を覆うチビ。
  ノッポは物寂しげに扇風機を手放す。
  安心してロウソクに火を付ける。
  すると突然「ハッピーバースデー」の曲がかかり、二つのドアから4人組の男女が乱入してくる。
  クラッカーを鳴らし「誕生日おめでとう」「誕生日おめでとう」と中心の一人の男が祝福されている。
  フッと誕生日男がロウソクの火を吹き消して暗転。

茶の間
―――――――――――――――
  冷蔵庫から勝手に瓶ビールを取り出すノッポ。
  ジョッキを二つ用意すると、コンコンッと王冠を二度叩いてから空ける。
  ジョッキに溢れんばかりの勢いでビールを注ぎ、ノッポーとチビは腕を組んでビールを呷る。

  そしてそのまま立ち上がると、にぎやかに踊り始める。
  チャック・ベリーのロックンロールが流れ始める。
  しばらくは我慢して原稿を書き続けていた眼鏡だが、立ち上がると冷蔵庫の上にあった
  ラジカセのスイッチを切る。チャック・ベリーが止まる。
  画面左側に姿を消す眼鏡、右側からノッポとチビが登場してラジカセを鳴らす。
  そして踊りながら画面右に姿を消す。
  ラジカセのスイッチを切る。チャック・ベリーが止まる。
  画面左側に姿を消す眼鏡、右側からノッポとチビが登場してラジカセを鳴らす。
  そして踊りながら画面右に姿を消す。
  ラジカセのスイッチを切る。チャック・ベリーが止まる。
  そしておもむろにラジカセを掴み上げると、そのままベランダへと出て、ラジカセを遠投で放り投げる。
  空を舞うラジカセ


空き地
―――――――――――――――
  何時の間に先回りしていたのか、ラジカセの落下地点にはすでにノッポとチビがいて
  ラジカセをキャッチする。
  そして、またチャック・ベリーを流すと空き地でいかれたように踊り続ける。


茶の間
―――――――――――――――
  ようやくと原稿を書き終えた眼鏡。
  原稿を読み返してみる。
  そして、ふうっと原稿を放り投げると、ドアから外へ出て行く。
  「ハッピーバースデー」の曲が流れ始める。
  (ひょっとしたら今日は眼鏡の誕生日で、ノッポとチビはそれを祝いに来たのかも知れないが、劇中で明言はされていない)

 NHKドラマ『家族の値段』の撮影後、しばらくして名城大学は学祭に突入。その最中は撮影もなかったので、バイトを休んで天白祭に参加。学祭やらないでなにが学生か。
 OBのE谷氏がエアガンを持って遊びに来たので、オレはNEWMGCだかのガスガンM93Rで対抗。シネ研が使っている店の裏は中庭になっていて学祭中は人が入ってこないので、そこでサバイバルゲームに興じていた。3年ともなると、威張ってばかりで仕事はしないのだ。いや、本当はするけど。

 そして、スタジオ放送のヘルプなどの仕事はあったが、ドラマの撮影はなかったので、バイトは方は比較的自由が利いた。
 その期間を利用して、ようやくと第2作目の製作に取りかかることにした。

 この1年半、散々悩み、書いてはボツ、書いてはボツだった。
 他人の監督作を観てはその才能に妬み、自分の作品を観直してはいたらなさに頭を抱えた。
 さあ、2作目はどうする。

1.他人の優れた作品に近づき、追い越すべく努力する
2.あきらめる
3.同じ道ではかなわないのならば、別の道を進む

 またこの命題だ。
 これまでは3を選んで生きてきたオレ。
 だが、今度は譲れない。映画の本道を突き進みたい。これぞ映画という作品を作りたい。
 1作目以上に本気で作る道を選んだ。


 ジャンルはコメディ。これは譲れない。

 そしてあれこれ盛り込みすぎずにシンプルに。これは1作目の反省である。ギャグまたギャグの攻勢が充分に機能していなかったからだ。

 セリフは極端に削る。出演者は部員で演技の専門家ではないから、セリフと細かい動きの両方を同時にやるのは難しいだろう。それならばしゃべるシーンはほとんどなしで行こう。そして、実際にはほとんどないどころか主人公3人は一言もしゃべらない映画になった。

 学校でのロケは止めよう。都合上学校近くでのロケが多いが、これはやはり目新しさがない。せっかく学校から二駅の所に下宿したのだから、その近辺で撮ろう。ロケハンでうろうろして面白い光景を探そう。

 音楽無しはまだ怖いから、1シーンで使う音楽は1つまでとしよう。

 キャストの演技ではなく、その人が持つ雰囲気や魅力に頼ろう。味のある人がいるので、その人たちに主演をやってもらおう。

 その路線で調べ物をし、脚本を書いた。
 NHKでのバイトも何だかんだで役に立った気はする。
 前作から1年半、さんざ悩んだのが嘘のように脚本は組み上がっていった。

 『家族の値段』(1989年9月撮影)の制作中に、二度ほど体調を崩した。
 一度は岡崎の旧市街地でのロケの最中で、唐突に気持ちが悪くなって、現場を離れて側溝に向かって吐いた。吐いても吐いても吐き気が止まらず、黄色い胃液まで出てきた。
 近くの自販機でアップルジュースを買って飲み、一息入れるが、すぐまたそれも吐いてしまった。
 しばらくうずくまって、落ち着いたので現場復帰。「どこ行ってたんだ」と怒られたので「すみません、トイレです」とあやまる。

 次いで、スタジオ撮影。
 なんか身体が痒いなとボリボリやっていると、ディレクターが「お前、それどうしたんだ」と言ってくる。
 鏡を見ると、顔面がじんま疹でボツボツに腫れていた。上着をめくってみると上半身もボツボツだらけで赤く腫れ上がっている。
「いや、大丈夫です。痒いだけですから」と答えたが、「今日はU場に任せて帰れ」と帰宅を許された。
 家に帰って熱を測ると、確か39度近くあった。医者に行って点滴を打ってもらったら、じんま疹はすーっと嘘のように引いたが、熱は下がらず、結局翌日も休んでしまった。

 撮影が入ると仕事は一気に忙しくなる。
 SDの仕事は雑用が中心で、誰よりも早く仕事を始め、誰よりも遅く終わる。
 それは覚悟の上だし、そんなに不満とかはなく、楽しくやり甲斐があった。
 だが、どうもその気持ちに対して、身体が追いついていないのだ。自分ではまだまだやれると思っていても、身体が先に降参してしまう。
 体力無いなぁ。体力付けなきゃなぁと、とりあえず飯を食った。

 ドラマの仕事ももちろんやっていた。
 これは確か1989年9月を中心に撮影が行われたと思うのだが、『家族の値段』(全二回・1990年1月放送)という作品があった。
 佐久間良子・織本順吉・川野太郎・三田寛子・山田昌さんらが主演の花火師一家を舞台に家族の絆についてがテーマのドラマ。
 この場合の花火師は花火を作る職人の方で、愛知県の岡崎市・蒲郡市には数は少ないが花火職人がいるのだとか。これは知らなかった。
 何故だか分からないが一家の主である夫が失踪してしまって、それに振り回されながらも仕事の納期も遅らせちゃいけないと、悩みながら踏ん張るのが主人公の佐久間良子さん。息子夫婦が川野太郎さんと三田寛子さん。失踪した夫の母親でこてこての名古屋弁のおばちゃんが山田昌さん。
 全4話で富山は砺波市でのロケもあった『熱きまなざし』と比べると、話数は半分だし、ロケも名古屋から車で1時間ほどの岡崎が中心だったので、多少楽でした。
 それでも、SD(サブ・ディレクター)がもう一人欲しいなぁというので、心当たりを当たってみた。
 その人物とは大学のシネ研で先輩当たるU場氏。U場氏は3学年上になるので、この当時はすでに卒業して2年目になっていたが、特に就職をせず所謂フリーター生活をしていた。プロ志向のある人だったので、NHKでのバイトの話は「うん、やるよ」と即答で、面接での評価も高かったようで、すんなり採用になった。

 これでSDは三人になった。全員とも名城大学の学生ならびにOB。このままいくと、数年後にはNHK名古屋は名城大学で埋め尽くされてしまうような、まぁそんなこたぁありえないわけですが。

 普通ならば決して入ることの出来ない花火工場の現場をロケで見学できたのは経験だった。
 回りに何もない山の中にあって、ところどころに万が一爆発事故が起きたときに隠れるコンクリートの遮蔽物がシェルターとしておいてある。
 線香花火や手持ち花火ではなく、花火大会で使われる尺玉など打ち上げ花火を作っているから、万が一事故が起きたら空爆状態だと推測される。考えようによっては命がけの仕事だ。

 U場氏はひょうひょうとしているが、頭が切れテキパキと仕事をこなしていくタイプ。
 サークルでは先輩だが、仕事場ではオレが先輩だぁと張り合ったりしながら撮影は進む。

『ミクロの決死圏』が終わって番組も後半に突入。
 そして2人目のゲストが登場。中子真治氏である。
 一般の知名度はちょっと低めかもしれないが、1980年代後半にSFX映画のファンだった人にはお馴染みだろう。氏の著書『SFX映画の世界』シリーズはSFX映画少年だったオレにはバイブル的存在だった。その中子真治氏である。
 中子氏と一緒に特殊メイクアップアーティストが登場した。アメリカで活躍している特殊メイクマンで、『ゴースト・ハンターズ』(1986)などにも参加していたはず。中子氏が著作の中で“少年”と呼んでいる人物だ。たまに勘違いされているが、スクリーミング・マッド・ジョージではないので念のため。
『ミクロの決死圏』上映中に中子氏はすでにスタジオ入りしていた。ちょっと手持ちぶさたな感じだった中子氏に、雑用が一段落していたオレは恐る恐る話しかけた。なにしろ『SFX映画の世界』文庫版全4巻をすり切れるほど読んだ身だ。柄にもなくあがっていた。
 おかげでスタジオで何を話したかあまり憶えていないが、
「最近はSFXよりもアールデコに興味があって、そちら方面の本を書いているんだ」
 というのは「ふむむそうなんだ」とはっきりと記憶している。
 アールデコが美術様式の一つだと言うことは知っていたが、それ以上のことはR・田中一郎の妹がアールデコだったよな、という知識しかなかったが、さすがにそのネタは言えなかった。

 スタジオからの中継が始まり、アナウンサーが中子氏や少年にあれこれとインタビューをした。正直、「SFX映画に関してはこの人を置いてないという人物相手に何を聞いとんじゃ」という内容だった。
 二人はそのまま番組の最後までゲストとして出演した。
 番組終了後に後片付けで走り回っているオレに中子氏が声を掛けてくれた。
「これから少年と一緒に飲みに行くんだけど、良かったら一緒に来ない?」
 行きます、行きます、行きます。
 もちろん行かせていただきますと返事をした。
 メインのスタッフは簡単な反省会をやるようだったが、オレはヘルプのスタッフなのでそちらに参加する必要はない。反省会の代わりに、中子氏と少年、そして名古屋の映画関係者1人を含む、合計4人での打ち上げとなった。

 中子氏が馴染みにしているという店に行った。
 オレたちがいつも飲み会をやっている居酒屋とは違い、おしゃれな感じのバーだった。
 面子にもそうだが、慣れない雰囲気の店にも緊張した。
 緊張の余り、カクテルをジュースのようにカパカパと飲んだ。
 すっかり出来上がってしまって、少年さんに「オレはそのうち映画監督として商業映画を撮りますから、その時は特殊メイクをお願いしますね?」と無理矢理約束を申し込んだ記憶がある。恥ずかしい記憶だ。
 1980年代末、日本映画にもSFX映画はいくつもあったが、正直作り手がその技術を生かし切れているとは思えなかった。そういったことについても話した。
 監督とSFXマンの間に入り、コーディネートする人が必要じゃないのか、などなど。
 その後、中子氏は『学校の怪談』(1995?)シリーズでSFXスーパーバイザーを勤めた。『学校の怪談2』は岐阜の山中でロケが行われたが、中子真治氏が岐阜出身であることも関係あるのだろう。
『学校の怪談』シリーズでは、要所要所にベストなSFXテクニックが効果的に使われ、おそらく使われているだろうと予想される資金以上の物を作り出していた。

 スタジオでの公開放送のヘルプに入ったこともある。
 これまたBS番組で、「SFX映画」を主題にした特別番組だった。生放送である。
 時期は11月の祝日だった。3日の文化の日は学祭に参加してバイトは休んでいたから、おそらく23日の勤労感謝の日だと思う。

 『バットマン』(1989)の公開が翌12月に控えていて、その特典映像というのが一つの目玉だった。結局は予告編にはないがほんの1、2分の映像が流れただけだったが。
 そして一人目のゲストが登場。映画評論家の水野晴郎氏である。
 水野晴郎氏はこの日、名古屋で開かれた講演会の仕事あって、そちらが終わってからNHKに来ることになっていた。ところがその講演会が長引いて、会場を出るときに「大至急そちらに行きますから」と電話が入ってきた。
 水野晴郎氏を出迎えて案内するのがオレの役だった。玄関で車が到着するのを待つ。なにせ録画じゃなくて生放送。タイムテーブルはしっかり組まれていて、狂いはわずかしか許されない。じりじりとしつつ待つ。
 かなりギリギリになってようやくと水野晴郎氏が乗った車が到着。出番までの残り時間を伝えると、水野晴郎氏は
「じゃ、急がないとね」
 と応えてくれた。
 衣装はそのままだが、テレビ用にメイクをしなければならない。メイク室にオレが案内する。普通に歩くオレの後を水野晴郎氏が走って追いかける。でも両者の距離は開かず縮まらず。
「先生、歩いてで良いですから」と言おうとしたが、それもかえって失礼かなと思い直してそのまま。
「ガキの頃から、先生の解説で何本も映画を観てきましたよ」と感謝の言葉を伝えたかったがその暇も無し。
 メイクを終えた水野晴郎氏の案内をスタジオのスタッフに引き継いで、また雑用仕事に戻る。
 SFX映画について水野晴郎氏とアナウンサーが話を繰り広げる。
 そしてこれから放送される『ミクロの決死圏』(1966)の解説を水野晴郎氏が行う。
 水野晴郎氏の解説を生で聞くことが出来たのはかなり興奮した。
 「映画って本当にいいものですね」で締めてくれて、お約束だが嬉しかった。
 そして映画がスタート。スタジオの仕事は一段落するので、その間に地下にある(だったかな)社員食堂に飯を食いに行く。味はまぁ普通で学食ほどではないが安い。
 ちょっと混んでいて、視聴者センターの人と相席になった。現在放送中のBS特番の話になった。
「番組予告で『バットマン』の映像を使っていたでしょ。だから『バットマン』全編が放送されると思っていたのに、ちょっとしかやらないじゃないか!ってクレームの電話が何本かかかってきたのよ」
「うわぁ、ご苦労様です」という話になった。
 劇場公開すら来月の映画を丸々とテレビで放映するはずがないぐらいちょっと考えれば分かりそうなものだが、その「ちょっと考える」をしないのだろう。しかも、そこで納得せずにクレームの電話を掛けてくると言う思考が分からない。
 この人とは顔なじみになって、何度か食堂で一緒になった。
「登場人物がタクシーに乗ったシーンと降りたシーンでタクシーのナンバーが違うってクレームの電話を入れてくる人がいるのよ。その人は常連でそんな電話ばっかりしてくるの」
 などといろんな話を教えてもらった。世の中、困った人はいるものだ。

 オレの所属は制作部のドラマ班。名前の通りTVドラマを作る職場だ。
 名古屋のNHKでは『中学生日記』も作っているが、あれは教育班の仕事なので隣の部署となる。あくまでもドラマではなく教育番組なのだ、実は。

 撮影と撮影の合間で、暇とまでは行かないがちょっと手持ちぶさただったオレに、良い経験だしちょっと他部門の仕事を手伝ってこい。との命令が下った。
 まずはBSの公開ロケだった。場所は名古屋市内の大型量販店。そこに椅子が並べられて、主に子供が座った。
 出演者はアナウンサーとゲストの二人。ゲストは江口洋介。
 なんで江口洋介やねんと思ったが、当時放映されていた大河ドラマ『春日局』(1989)に若き将軍役か何かで出演していたのだ。オレにはちょっと前の『湘南爆走族』が思い出されて、目を合わせることが出来なかった。吹き出すよ。
 BSの本番組前にあるミニコーナーらしく、江口洋介へのインタビューや、これから始まる『アルフ』という子供向け番組へと話が続く。
 司会者のお姉さんがガキにマイクを向ける。

「君の家ではBSが映るかな」
「うん、映るよ」
「好きな番組とかある?」
「『アルフ』が好き」
「うわぁ、すごい偶然ですね」

 おお、なんという偶然。これから始まるのがその『アルフ』ではないか。
 ・・・偶然ちゃうちゃう。あらかじめ『家にBSを引いてる子』、『アルフを見てる子』を探して、最前席に座らせてたよ。というか、オレがやったよ。
 まぁ、実際に『アルフ』が好きな子だからやらせではないんだけどね。

 『アルフ』が始まったら、みんなで見る、わけではなくとっとと撤収。
 ドラマのロケとは違って、これまた勉強だった。

 ロケ・スタジオと撮影が続いた『熱きまなざし』もついに撮影が完了となった。
 打ち上げの宴会が開かれ、ちょっと調子に乗りすぎてはしゃいでしまった記憶があるが、まぁ学生バイトの愛嬌だ。村上弘明さんはほんといい人でした。砺波ロケでは一緒に風呂に入った仲!

 SD(サブ・ディレクター)の仕事は後は残務処理だけ。ようは後片付けだ。
 撮影の最中に取りあえず積み重ねられた資料を整理し、まとめ、返すものは資料室に返し、取っておく物は段ボールにまとめて倉庫にしまう。そして捨てるものは捨てる。
 ロケの撮影はベータカム、通称ベーカムというカメラで撮影された。これはソニーのベータ方式を業務用に改良したもので、基本はベータだが、民生用だと2時間録画分の長さのテープで、それを高速でぶん回すことで、確か30分ほどしか録画できない。テープの素材自体もより高精度のものを使っているが、見た目はベータのカセット。それが廃棄処分の山に10本ほど積まれていたので、何本かもらってかえった。
 第17章にも書いたが、家が初めて買ったビデオはベータで、大学に入ってからバイト料でVHSのデッキを買ったが、それまでに集めたソフト資産の問題で(まぁ、そんなに本数があるわけではないが)ベータのビデオも相変わらず使っていた。
 そのベータのデッキでベーカムのテープが使えるんじゃないか。ほら、形同じだしと、半ば冗談で使ってみたらちゃんと録画再生が出来た。ベータのテープをベーカムで使うことはできないだろうが、なるほど基本の技術は同じなんだ。

 撮影が終わってからが編集や音入れの勝負が始まるのは、TVドラマも自主映画も同じ。
 ただ、そちらに関してはオレはほとんど仕事がなかった。専門の仕事でSDの出る幕ではない。だが、ちょっと無理をお願いして1時間ほど同席させてもらって勉強までに作業を見ていた。まだノンリニア編集の時代ではなく、ビデオテープを早送りだ巻き戻しだしてやるのだが、オリジナルのテープではなく編集用のコピーで、それを使ってどのテープのどのタイミングで始まってどこまでを使うというタイムレコードを記録していく。
 そして最終的にそのタイムレコードでオリジナルのテープからオンエア版を作り出すのだ。
 8ミリフィルムの編集は、山のような8ミリフィルムの山との格闘だったが、TVドラマの編集は清潔な部屋で、演出のディレクターと記録係の女性がてきぱきと進めていくより進歩的なものだった。

 この頃ですでに8月に入り、シネ研の方にいっても夏休み中なので人がおらず、予定としてあるのは夏合宿だけだ。
 他にやることもないので、毎日のようにNHKに出勤していた。次のドラマ製作開始までまだ間があるため雑用が主だったが、他部門の公開ロケや公開スタジオ生放送などのスタッフとして貸し出された。

 NHK名古屋制作のTVドラマ『熱きまなざし』の撮影も終盤に突入した。
 それにしてもTVドラマというのは人と時間と金がかかる。演出や音声などはNHK社員だが、大道具小道具などの美術関係は下請けの会社が入ってやっていた。
 他には衣装にメイクにロケでは運転手。延べ人数だと1時間×4回のこのドラマの製作関係者は100人を下らないだろう。その100人の中で最下層なのがオレらSD(サブ・ディレクター=民放でのAD)だ。
 民放のADは人間扱いされないという噂も聞くが、名古屋のNHKではちゃんと人間扱いされる。それどころか、案外と居心地が良い。
 しかも、時給が1000円だった。
 世はバブル景気の真っ盛り。人手不足でバイトの時給は高めになっていたが、1000円はなかなかもらえない。確かに仕事はきつめだが、TV業界でバイトが出来て、人間扱いされて、しかも時給が良い。どこかに落とし穴があるんじゃないかと疑ったほどだ。
 どうも、話を聞いていくと、ドラマ班に学生がバイトに来てもあまり居着かず、すぐに辞めてしまうんだそうだ。バイトをがんばって認められても、NHKに就職できるわけではないし、ドラマ班でのSDの仕事はひたすら地味なので、TVだっ!と入ってくると幻想と現実のギャップに落ち込むらしい。
 そして、そもそも東京などと比べて、バリバリやって業界に進もうと考える学生が少ないんじゃないか。みんな結局は普通に就職していくよね、とのことだった。
 確かに名古屋だからね?、野心家な学生は少なそうで、全体的に保守的な傾向はあるかも。

 オレはシネ研での学生映画とはいえ映画製作の現場での経験があり、現場とはひたすら地味で忙しくて、下っ端スタッフには細かいことは知らされないのが当たり前だったので、意外と上手くやっていた。自分で言うのも何だが、割と細かいところに気がつく方だ。演出のディレクターなどには可愛がってもらえた方だと思う。
 美術などの職人肌、芸術家肌の人たちとは、最初は取っつきが悪かったが、次第に打ち解けていった。衣装の人とは軽口を叩くぐらいになった。

 テレビ局というのはクーデターなどに備えて、内部が複雑に入り組んで分かりにくくなっているという噂があるが、当時のNHK名古屋はまだ現在とは違い古い建物で、確かにややこしかった。大きなL字型と言えばいいのだろうか、奥まった廊下をどんどん進んでいって、ようやく現れた角を右に曲がりまた進む。そうしてそれなりの距離を歩いてようやく最大のスタジオ「第一スタジオ」に到着する。
 ドラマのスタジオ撮影は主にこの第一スタジオが使われた。
(古い記憶なので詳細が違っていたら申し訳ない)
 在名古屋のTV局でその規模のスタジオを持っている局はないんじゃないかだそうで、家一軒のセットを中に組んで、それでも余裕がある大きさだった。
 スタジオのセットは、例えばそれが家ならばある方向の壁をすべて引っぺがしたような作りになっている。50センチほどの木の台の上に作られていて、軽く見上げる感じになる。
 壁のない側はカメラが動き回れるスペースが設けてあって、そちら側から撮影を行う。だから構図としてはある程度制限されてしまうのだが、そこを上手く撮るのがカメラの腕、編集で上手く使うのが演出の腕だ。
 準備段階ではあれこれと忙しいが、いったんカメラが回り始めると、そこからは技術を持つ者の世界となり、SDは邪魔にならないように隅に行って、じーっと立っていることしかできなかった。カメラに繋がるケーブル捌きはカメラマンを志すカメラ助手の人がやるし、照明もまたしかり。
 ちょっとだけぼーっとしていたら手に持った台本を落としてしまった。本番中のスタジオは意外なほどに静まりかえっている。そこにバサッっと音が響き渡った。
 てっきり怒鳴られるものと覚悟したが、そのままちゃっちゃと進んで撮り直し。あの時は寿命が縮まった。

 ロケが終了し、名古屋へと戻った。1週間ほど間をおき、ここからスタジオ撮影の開始である。
 屋内シーンはごく一部を除きすべてスタジオ撮影。スタジオ撮影こそテレビドラマ制作のメイン部分だ。
 カメラが一台で、1カット1カット毎に撮影していったロケに対して、スタジオでは1シーンを通しでほぼ1回で撮る。マルチ・カメラ方式というやつだ。
 カメラは3台か4台ほど。引きの絵を撮るカメラから、役者のアップを撮るカメラと役割が決まっていて、自分が映すものだけを追い続ける。
「はい、本番いきます。5、4、3、」、2と1は口に出さず、指だけで合図する。
 役者が芝居を始め、それをカメラが前後左右に動きながら撮り続ける。シーンの変わり目にきたら「カット」の声で終了。
 自主映画では1カット毎の撮影しか知らなかったので、この通しで撮る撮影シーンは新鮮だった。NGが出なければ数分のシーンが1回の撮影で撮れるので効率も良い。
 なにより、役者というのはなるほど芝居が出来るから役者なのだと分かった。全体として一つの芝居を数人の役者で作り上げなければならない。自分のセリフと芝居だけではなくて、他人のセリフをちゃんと聞いて間合いを掴んでの共同作業だ。さすがプロである。

 ロケの時には高校や道路上などロケ先から許可を取っている時間が決まっているので、スケジュールがつまると大変なのだ。あっちに電話を掛けて頭を下げ、こっちに電話を掛けて頭を下げ、頭を下げるのもSD(サブ・ディレクター)の仕事の一つだ。
 その点、スタジオはロケ地間を移動する必要がないのが楽だった。
 弁当も相手も勝手知ったる仕出し屋なので、発注した分をまとめて食堂なりに置いておいてくれる。お茶だって給湯施設があるので、魔法瓶を抱えて走り回るロケとは違う。
 その日の撮影が終わると自宅に帰れるのも嬉しかった。ロケだと、そのまま宿に泊まり込みなので自分の時間がなかなか持てなかった。撮影が遅くまでかかって終電が無くなっていることもあったが、タクシーチケットをもらえたのでそれで原まで帰った。まともに払ったら深夜割り増しも加えていくらかかったことやら。

 そんなこんなをしている内に、制作部で休憩しながらテレビのニュースを見ていたら、「連続幼女誘拐殺人事件」の犯人が捕まったとの報が流れた。犯人は宮崎勤という奴だった。
 ようやく捕まったかとほっと安心したが、まさか今になっても最終判決が出ないままとは思いもしなかった。

 ロケの日程は10日ほどだったろうか。スタッフキャストともに同じ宿に泊まり込み、常在戦場で気の抜けない毎日だった。
 この忙しさが楽しかった。毎日、新しい事態に出くわしては一つ一つ憶えていく。短時間の間に自分の経験値が上がっていくのが肌で理解できた。
 そしてロケも後半に入った頃、朝起きるとグルグルと視界が回転していた。思わず布団に座り込む。熱が出ていた。39度を超える高熱。視界はグルグルと回転し続けた。
 オレを置いてロケ隊は出発していった。しばらく部屋で休み、ある程度落ち着いてきたのでタクシーで近くの医者まで行った。保険証を持ってきて正解だった。
 医者は「ちょっと脱水症状が出てるね」といいながら注射をし、熱が下がるまでは大人しくしているようにと指示を出した。

 しかし、SDの仕事は大人しくしていることではない。もう少しすると昼食の時間だ。弁当の受け取りと配る仕事が待っている。しかも、今日は試合のシーンの撮影で、参加する人数も多く、仕事も多い。
 タクシーを宿ではなくロケ先のグランドに行ってもらう。注射が効いたのか、目をつぶっても世界はグルグル回らなかった。

 入ったばかりのバイトだというのに、カチンコを何度か打たせてもらった。あれは「拍子木みたいにカチンと鳴らすだけでしょ」と簡単に思われるかも知れないが、実は意外に難しい。
 「シーン11、カット3」などと白いチョークで書かれたあのカチンコは、単に撮影スタートの合図ではない。映像と音声をそれぞれ別に撮っているので、それを同期させる合図でもあるのだ。
 映像でカチンコの棒がぶつかっている瞬間と、DATに録音された音声の「カチン」を同期させることでそれぞれの頭を揃える。
 そのためには、カチンコの棒は下に下ろしたらそのままではなく、コンッと跳ね返えらせて、上に上がった棒とカチンコ本体の間に人差し指を差し入れる。こうして、カチンコの棒を一瞬だけぶつけさせることで、同期の頭出しをやり易くするのだ。
 この、コンッと跳ね返らせるのが意外に難しい。「S-32 C-1」などとシーンとカットナンバーが書かれたカチンコの文面をはっきりとカメラに写した上で、軽く跳ね上げたカチンコの棒と本体の間から人差し指を抜く。そして棒が落ちてきて「コンッ」と鳴らす。
 この時に動きが大きすぎてカチンコの映像がぶれてしまうと頭出しに使えないし、勢いが弱くて音が小さいとこれまた使えない。意外に微妙なテクニックが必要なのだ。これはオレの文章ではピンとこないだろうが、映画やテレビドラマにカチンコを鳴らすシーンが時折登場するが、それだとカチンと鳴らして板と棒がくっついたままのがほとんどだが、アレだと「下手くそっ!」と確実に怒られる。

 そして手のテクニック以上に重要なのが、その鳴らすタイミング。
 カメラを始めとしたスタッフの準備は揃っているか。役者さんの演技への入れ込みは充分か。撮影現場にいる全員の用意が揃い、モチベーションが高まった瞬間を上手く把握して、「よーいスタート。カチン」とカチンコを鳴らさねばならない。
 これがえらく難しい。ちょっとタイミングがずれただけで高まった気分が過ぎ去ってしまってカックンとくるし、早すぎると準備に一瞬足りない。全員にとってベストな瞬間を見つけ出すのは難しい。失敗が続くと現場の雰囲気は悪くなり、ジロリと睨まれる。
 結局、半日カチンコを任されただけで、「お前にはまだ無理だな」と取り上げられてしまった。悔しかったが、事実まだ無理だなというのははっきりと分かったので、別段腹も立たず、これから修行だなと思った。
 そしてカチンコを持たなくなったオレは、弁当の準備をし、野次馬の整理をし、ロケ地の移動で機材を車両に積み込み、忙しく走り回るのであった。

 名古屋の映画研究会の集まりでナックというのがあった。そこ経由で、名古屋のNHKが高校野球を題材にしたドラマを作っているのだが、坊主頭にしてくれるエキストラを探しているという話が来た。
 ここまでならそれほど食指が動く内容ではなかったが、ついでといっては何だが、アシスタント・ディレクターも探しているというではないか。オレはその場でNHKの担当者に電話を入れると、床屋に行って五分刈りにしてもらって坊主頭で栄にあるNHKに面接に行った。坊主頭にするのが嫌さに越境入学でN中学ではなく半田中学に入ったオレが、自らの意志で20過ぎになってから坊主にするとは思わなんだ。
 面接の相手はディレクターのM本さんという人だった。
 とにかくやる気をプッシュプッシュプッシュ、アピールアピール。アシスタント・ディレクター、NHKではサブ・ディレクターと呼んでいたが、そのSDだけじゃなくて坊主にもします。エキストラとしても働きます。だから使ってくださいくださいください。
 端っから坊主頭にしてきた熱意が通じたのか、他に人がいなかったのか、オレは採用されてSDとして名古屋のNHK制作部ドラマ班で働くことになった。しかし、SDというとどうもSDガンダム風というか、2等身キャラになった感じだ。

 オレが初めて現場に入ったドラマは『熱きまなざし』(1990年放映)という富山の砺波市を舞台とした高校野球を題材にしたドラマだった。主演は村上弘明さんで、他に高村高廣さん、野際陽子さんなどが出演していた。
 1989年の6月から7月。仕事は富山ロケから始まった。
 名古屋から富山まで通いで行くわけにもいかず、当然泊まり込み。スタジオからではなく、いきなりロケから現場を経験したのは正直過酷だった。
 SDの仕事は誰よりも早く始まり、終わるのは誰よりも遅い。朝は6時頃には起床、夜は仕事が終わるまで。ロケなのでそうそう遅くまでは撮影はないが、何日かは夜景の撮影があって、終わってすべて片付いて宿に戻ってきたときにはすでに翌日だ。
 時には弁当を抱えて走り、時にはエキストラとして画面の片隅に映り込む。とにかく駆けずり回った。忙しかったが実に充実して楽しかった。映画じゃなくてテレビだが、これがプロの現場なんだっ!

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