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2006年10月 アーカイブ

2006年10月01日

映画バカ青春記 第80章 NHK名古屋制作部ドラマ班でバイトを始める

 名古屋の映画研究会の集まりでナックというのがあった。そこ経由で、名古屋のNHKが高校野球を題材にしたドラマを作っているのだが、坊主頭にしてくれるエキストラを探しているという話が来た。
 ここまでならそれほど食指が動く内容ではなかったが、ついでといっては何だが、アシスタント・ディレクターも探しているというではないか。オレはその場でNHKの担当者に電話を入れると、床屋に行って五分刈りにしてもらって坊主頭で栄にあるNHKに面接に行った。坊主頭にするのが嫌さに越境入学でN中学ではなく半田中学に入ったオレが、自らの意志で20過ぎになってから坊主にするとは思わなんだ。
 面接の相手はディレクターのM本さんという人だった。
 とにかくやる気をプッシュプッシュプッシュ、アピールアピール。アシスタント・ディレクター、NHKではサブ・ディレクターと呼んでいたが、そのSDだけじゃなくて坊主にもします。エキストラとしても働きます。だから使ってくださいくださいください。
 端っから坊主頭にしてきた熱意が通じたのか、他に人がいなかったのか、オレは採用されてSDとして名古屋のNHK制作部ドラマ班で働くことになった。しかし、SDというとどうもSDガンダム風というか、2等身キャラになった感じだ。

 オレが初めて現場に入ったドラマは『熱きまなざし』(1990年放映)という富山の砺波市を舞台とした高校野球を題材にしたドラマだった。主演は村上弘明さんで、他に高村高廣さん、野際陽子さんなどが出演していた。
 1989年の6月から7月。仕事は富山ロケから始まった。
 名古屋から富山まで通いで行くわけにもいかず、当然泊まり込み。スタジオからではなく、いきなりロケから現場を経験したのは正直過酷だった。
 SDの仕事は誰よりも早く始まり、終わるのは誰よりも遅い。朝は6時頃には起床、夜は仕事が終わるまで。ロケなのでそうそう遅くまでは撮影はないが、何日かは夜景の撮影があって、終わってすべて片付いて宿に戻ってきたときにはすでに翌日だ。
 時には弁当を抱えて走り、時にはエキストラとして画面の片隅に映り込む。とにかく駆けずり回った。忙しかったが実に充実して楽しかった。映画じゃなくてテレビだが、これがプロの現場なんだっ!

2006年10月02日

映画バカ青春記 第81章 カチンコを高らかに鳴らせ

 入ったばかりのバイトだというのに、カチンコを何度か打たせてもらった。あれは「拍子木みたいにカチンと鳴らすだけでしょ」と簡単に思われるかも知れないが、実は意外に難しい。
 「シーン11、カット3」などと白いチョークで書かれたあのカチンコは、単に撮影スタートの合図ではない。映像と音声をそれぞれ別に撮っているので、それを同期させる合図でもあるのだ。
 映像でカチンコの棒がぶつかっている瞬間と、DATに録音された音声の「カチン」を同期させることでそれぞれの頭を揃える。
 そのためには、カチンコの棒は下に下ろしたらそのままではなく、コンッと跳ね返えらせて、上に上がった棒とカチンコ本体の間に人差し指を差し入れる。こうして、カチンコの棒を一瞬だけぶつけさせることで、同期の頭出しをやり易くするのだ。
 この、コンッと跳ね返らせるのが意外に難しい。「S-32 C-1」などとシーンとカットナンバーが書かれたカチンコの文面をはっきりとカメラに写した上で、軽く跳ね上げたカチンコの棒と本体の間から人差し指を抜く。そして棒が落ちてきて「コンッ」と鳴らす。
 この時に動きが大きすぎてカチンコの映像がぶれてしまうと頭出しに使えないし、勢いが弱くて音が小さいとこれまた使えない。意外に微妙なテクニックが必要なのだ。これはオレの文章ではピンとこないだろうが、映画やテレビドラマにカチンコを鳴らすシーンが時折登場するが、それだとカチンと鳴らして板と棒がくっついたままのがほとんどだが、アレだと「下手くそっ!」と確実に怒られる。

 そして手のテクニック以上に重要なのが、その鳴らすタイミング。
 カメラを始めとしたスタッフの準備は揃っているか。役者さんの演技への入れ込みは充分か。撮影現場にいる全員の用意が揃い、モチベーションが高まった瞬間を上手く把握して、「よーいスタート。カチン」とカチンコを鳴らさねばならない。
 これがえらく難しい。ちょっとタイミングがずれただけで高まった気分が過ぎ去ってしまってカックンとくるし、早すぎると準備に一瞬足りない。全員にとってベストな瞬間を見つけ出すのは難しい。失敗が続くと現場の雰囲気は悪くなり、ジロリと睨まれる。
 結局、半日カチンコを任されただけで、「お前にはまだ無理だな」と取り上げられてしまった。悔しかったが、事実まだ無理だなというのははっきりと分かったので、別段腹も立たず、これから修行だなと思った。
 そしてカチンコを持たなくなったオレは、弁当の準備をし、野次馬の整理をし、ロケ地の移動で機材を車両に積み込み、忙しく走り回るのであった。

2006年10月03日

映画バカ青春記 第82章 倒れる

 ロケの日程は10日ほどだったろうか。スタッフキャストともに同じ宿に泊まり込み、常在戦場で気の抜けない毎日だった。
 この忙しさが楽しかった。毎日、新しい事態に出くわしては一つ一つ憶えていく。短時間の間に自分の経験値が上がっていくのが肌で理解できた。
 そしてロケも後半に入った頃、朝起きるとグルグルと視界が回転していた。思わず布団に座り込む。熱が出ていた。39度を超える高熱。視界はグルグルと回転し続けた。
 オレを置いてロケ隊は出発していった。しばらく部屋で休み、ある程度落ち着いてきたのでタクシーで近くの医者まで行った。保険証を持ってきて正解だった。
 医者は「ちょっと脱水症状が出てるね」といいながら注射をし、熱が下がるまでは大人しくしているようにと指示を出した。

 しかし、SDの仕事は大人しくしていることではない。もう少しすると昼食の時間だ。弁当の受け取りと配る仕事が待っている。しかも、今日は試合のシーンの撮影で、参加する人数も多く、仕事も多い。
 タクシーを宿ではなくロケ先のグランドに行ってもらう。注射が効いたのか、目をつぶっても世界はグルグル回らなかった。

2006年10月04日

映画バカ青春記 第83章 スタジオ撮影開始

 ロケが終了し、名古屋へと戻った。1週間ほど間をおき、ここからスタジオ撮影の開始である。
 屋内シーンはごく一部を除きすべてスタジオ撮影。スタジオ撮影こそテレビドラマ制作のメイン部分だ。
 カメラが一台で、1カット1カット毎に撮影していったロケに対して、スタジオでは1シーンを通しでほぼ1回で撮る。マルチ・カメラ方式というやつだ。
 カメラは3台か4台ほど。引きの絵を撮るカメラから、役者のアップを撮るカメラと役割が決まっていて、自分が映すものだけを追い続ける。
「はい、本番いきます。5、4、3、」、2と1は口に出さず、指だけで合図する。
 役者が芝居を始め、それをカメラが前後左右に動きながら撮り続ける。シーンの変わり目にきたら「カット」の声で終了。
 自主映画では1カット毎の撮影しか知らなかったので、この通しで撮る撮影シーンは新鮮だった。NGが出なければ数分のシーンが1回の撮影で撮れるので効率も良い。
 なにより、役者というのはなるほど芝居が出来るから役者なのだと分かった。全体として一つの芝居を数人の役者で作り上げなければならない。自分のセリフと芝居だけではなくて、他人のセリフをちゃんと聞いて間合いを掴んでの共同作業だ。さすがプロである。

 ロケの時には高校や道路上などロケ先から許可を取っている時間が決まっているので、スケジュールがつまると大変なのだ。あっちに電話を掛けて頭を下げ、こっちに電話を掛けて頭を下げ、頭を下げるのもSD(サブ・ディレクター)の仕事の一つだ。
 その点、スタジオはロケ地間を移動する必要がないのが楽だった。
 弁当も相手も勝手知ったる仕出し屋なので、発注した分をまとめて食堂なりに置いておいてくれる。お茶だって給湯施設があるので、魔法瓶を抱えて走り回るロケとは違う。
 その日の撮影が終わると自宅に帰れるのも嬉しかった。ロケだと、そのまま宿に泊まり込みなので自分の時間がなかなか持てなかった。撮影が遅くまでかかって終電が無くなっていることもあったが、タクシーチケットをもらえたのでそれで原まで帰った。まともに払ったら深夜割り増しも加えていくらかかったことやら。

 そんなこんなをしている内に、制作部で休憩しながらテレビのニュースを見ていたら、「連続幼女誘拐殺人事件」の犯人が捕まったとの報が流れた。犯人は宮崎勤という奴だった。
 ようやく捕まったかとほっと安心したが、まさか今になっても最終判決が出ないままとは思いもしなかった。

2006年10月05日

映画バカ青春記 第84章 時給は1000円だった

 NHK名古屋制作のTVドラマ『熱きまなざし』の撮影も終盤に突入した。
 それにしてもTVドラマというのは人と時間と金がかかる。演出や音声などはNHK社員だが、大道具小道具などの美術関係は下請けの会社が入ってやっていた。
 他には衣装にメイクにロケでは運転手。延べ人数だと1時間×4回のこのドラマの製作関係者は100人を下らないだろう。その100人の中で最下層なのがオレらSD(サブ・ディレクター=民放でのAD)だ。
 民放のADは人間扱いされないという噂も聞くが、名古屋のNHKではちゃんと人間扱いされる。それどころか、案外と居心地が良い。
 しかも、時給が1000円だった。
 世はバブル景気の真っ盛り。人手不足でバイトの時給は高めになっていたが、1000円はなかなかもらえない。確かに仕事はきつめだが、TV業界でバイトが出来て、人間扱いされて、しかも時給が良い。どこかに落とし穴があるんじゃないかと疑ったほどだ。
 どうも、話を聞いていくと、ドラマ班に学生がバイトに来てもあまり居着かず、すぐに辞めてしまうんだそうだ。バイトをがんばって認められても、NHKに就職できるわけではないし、ドラマ班でのSDの仕事はひたすら地味なので、TVだっ!と入ってくると幻想と現実のギャップに落ち込むらしい。
 そして、そもそも東京などと比べて、バリバリやって業界に進もうと考える学生が少ないんじゃないか。みんな結局は普通に就職していくよね、とのことだった。
 確かに名古屋だからね~、野心家な学生は少なそうで、全体的に保守的な傾向はあるかも。

 オレはシネ研での学生映画とはいえ映画製作の現場での経験があり、現場とはひたすら地味で忙しくて、下っ端スタッフには細かいことは知らされないのが当たり前だったので、意外と上手くやっていた。自分で言うのも何だが、割と細かいところに気がつく方だ。演出のディレクターなどには可愛がってもらえた方だと思う。
 美術などの職人肌、芸術家肌の人たちとは、最初は取っつきが悪かったが、次第に打ち解けていった。衣装の人とは軽口を叩くぐらいになった。

 テレビ局というのはクーデターなどに備えて、内部が複雑に入り組んで分かりにくくなっているという噂があるが、当時のNHK名古屋はまだ現在とは違い古い建物で、確かにややこしかった。大きなL字型と言えばいいのだろうか、奥まった廊下をどんどん進んでいって、ようやく現れた角を右に曲がりまた進む。そうしてそれなりの距離を歩いてようやく最大のスタジオ「第一スタジオ」に到着する。
 ドラマのスタジオ撮影は主にこの第一スタジオが使われた。
(古い記憶なので詳細が違っていたら申し訳ない)
 在名古屋のTV局でその規模のスタジオを持っている局はないんじゃないかだそうで、家一軒のセットを中に組んで、それでも余裕がある大きさだった。
 スタジオのセットは、例えばそれが家ならばある方向の壁をすべて引っぺがしたような作りになっている。50センチほどの木の台の上に作られていて、軽く見上げる感じになる。
 壁のない側はカメラが動き回れるスペースが設けてあって、そちら側から撮影を行う。だから構図としてはある程度制限されてしまうのだが、そこを上手く撮るのがカメラの腕、編集で上手く使うのが演出の腕だ。
 準備段階ではあれこれと忙しいが、いったんカメラが回り始めると、そこからは技術を持つ者の世界となり、SDは邪魔にならないように隅に行って、じーっと立っていることしかできなかった。カメラに繋がるケーブル捌きはカメラマンを志すカメラ助手の人がやるし、照明もまたしかり。
 ちょっとだけぼーっとしていたら手に持った台本を落としてしまった。本番中のスタジオは意外なほどに静まりかえっている。そこにバサッっと音が響き渡った。
 てっきり怒鳴られるものと覚悟したが、そのままちゃっちゃと進んで撮り直し。あの時は寿命が縮まった。

2006年10月06日

映画バカ青春記 第85章 『熱きまなざし』撮影完了

 ロケ・スタジオと撮影が続いた『熱きまなざし』もついに撮影が完了となった。
 打ち上げの宴会が開かれ、ちょっと調子に乗りすぎてはしゃいでしまった記憶があるが、まぁ学生バイトの愛嬌だ。村上弘明さんはほんといい人でした。砺波ロケでは一緒に風呂に入った仲!

 SD(サブ・ディレクター)の仕事は後は残務処理だけ。ようは後片付けだ。
 撮影の最中に取りあえず積み重ねられた資料を整理し、まとめ、返すものは資料室に返し、取っておく物は段ボールにまとめて倉庫にしまう。そして捨てるものは捨てる。
 ロケの撮影はベータカム、通称ベーカムというカメラで撮影された。これはソニーのベータ方式を業務用に改良したもので、基本はベータだが、民生用だと2時間録画分の長さのテープで、それを高速でぶん回すことで、確か30分ほどしか録画できない。テープの素材自体もより高精度のものを使っているが、見た目はベータのカセット。それが廃棄処分の山に10本ほど積まれていたので、何本かもらってかえった。
 第17章にも書いたが、家が初めて買ったビデオはベータで、大学に入ってからバイト料でVHSのデッキを買ったが、それまでに集めたソフト資産の問題で(まぁ、そんなに本数があるわけではないが)ベータのビデオも相変わらず使っていた。
 そのベータのデッキでベーカムのテープが使えるんじゃないか。ほら、形同じだしと、半ば冗談で使ってみたらちゃんと録画再生が出来た。ベータのテープをベーカムで使うことはできないだろうが、なるほど基本の技術は同じなんだ。

 撮影が終わってからが編集や音入れの勝負が始まるのは、TVドラマも自主映画も同じ。
 ただ、そちらに関してはオレはほとんど仕事がなかった。専門の仕事でSDの出る幕ではない。だが、ちょっと無理をお願いして1時間ほど同席させてもらって勉強までに作業を見ていた。まだノンリニア編集の時代ではなく、ビデオテープを早送りだ巻き戻しだしてやるのだが、オリジナルのテープではなく編集用のコピーで、それを使ってどのテープのどのタイミングで始まってどこまでを使うというタイムレコードを記録していく。
 そして最終的にそのタイムレコードでオリジナルのテープからオンエア版を作り出すのだ。
 8ミリフィルムの編集は、山のような8ミリフィルムの山との格闘だったが、TVドラマの編集は清潔な部屋で、演出のディレクターと記録係の女性がてきぱきと進めていくより進歩的なものだった。

 この頃ですでに8月に入り、シネ研の方にいっても夏休み中なので人がおらず、予定としてあるのは夏合宿だけだ。
 他にやることもないので、毎日のようにNHKに出勤していた。次のドラマ製作開始までまだ間があるため雑用が主だったが、他部門の公開ロケや公開スタジオ生放送などのスタッフとして貸し出された。

2006年10月07日

映画バカ青春記 第86章 東森時音貸します

 オレの所属は制作部のドラマ班。名前の通りTVドラマを作る職場だ。
 名古屋のNHKでは『中学生日記』も作っているが、あれは教育班の仕事なので隣の部署となる。あくまでもドラマではなく教育番組なのだ、実は。

 撮影と撮影の合間で、暇とまでは行かないがちょっと手持ちぶさただったオレに、良い経験だしちょっと他部門の仕事を手伝ってこい。との命令が下った。
 まずはBSの公開ロケだった。場所は名古屋市内の大型量販店。そこに椅子が並べられて、主に子供が座った。
 出演者はアナウンサーとゲストの二人。ゲストは江口洋介。
 なんで江口洋介やねんと思ったが、当時放映されていた大河ドラマ『春日局』(1989)に若き将軍役か何かで出演していたのだ。オレにはちょっと前の『湘南爆走族』が思い出されて、目を合わせることが出来なかった。吹き出すよ。
 BSの本番組前にあるミニコーナーらしく、江口洋介へのインタビューや、これから始まる『アルフ』という子供向け番組へと話が続く。
 司会者のお姉さんがガキにマイクを向ける。

「君の家ではBSが映るかな」
「うん、映るよ」
「好きな番組とかある?」
「『アルフ』が好き」
「うわぁ、すごい偶然ですね」

 おお、なんという偶然。これから始まるのがその『アルフ』ではないか。
 ・・・偶然ちゃうちゃう。あらかじめ『家にBSを引いてる子』、『アルフを見てる子』を探して、最前席に座らせてたよ。というか、オレがやったよ。
 まぁ、実際に『アルフ』が好きな子だからやらせではないんだけどね。

 『アルフ』が始まったら、みんなで見る、わけではなくとっとと撤収。
 ドラマのロケとは違って、これまた勉強だった。

2006年10月08日

映画バカ青春記 第87章 続東森時音貸します・『ミクロの決死圏』

 スタジオでの公開放送のヘルプに入ったこともある。
 これまたBS番組で、「SFX映画」を主題にした特別番組だった。生放送である。
 時期は11月の祝日だった。3日の文化の日は学祭に参加してバイトは休んでいたから、おそらく23日の勤労感謝の日だと思う。

 『バットマン』(1989)の公開が翌12月に控えていて、その特典映像というのが一つの目玉だった。結局は予告編にはないがほんの1、2分の映像が流れただけだったが。
 そして一人目のゲストが登場。映画評論家の水野晴郎氏である。
 水野晴郎氏はこの日、名古屋で開かれた講演会の仕事あって、そちらが終わってからNHKに来ることになっていた。ところがその講演会が長引いて、会場を出るときに「大至急そちらに行きますから」と電話が入ってきた。
 水野晴郎氏を出迎えて案内するのがオレの役だった。玄関で車が到着するのを待つ。なにせ録画じゃなくて生放送。タイムテーブルはしっかり組まれていて、狂いはわずかしか許されない。じりじりとしつつ待つ。
 かなりギリギリになってようやくと水野晴郎氏が乗った車が到着。出番までの残り時間を伝えると、水野晴郎氏は
「じゃ、急がないとね」
 と応えてくれた。
 衣装はそのままだが、テレビ用にメイクをしなければならない。メイク室にオレが案内する。普通に歩くオレの後を水野晴郎氏が走って追いかける。でも両者の距離は開かず縮まらず。
「先生、歩いてで良いですから」と言おうとしたが、それもかえって失礼かなと思い直してそのまま。
「ガキの頃から、先生の解説で何本も映画を観てきましたよ」と感謝の言葉を伝えたかったがその暇も無し。
 メイクを終えた水野晴郎氏の案内をスタジオのスタッフに引き継いで、また雑用仕事に戻る。
 SFX映画について水野晴郎氏とアナウンサーが話を繰り広げる。
 そしてこれから放送される『ミクロの決死圏』(1966)の解説を水野晴郎氏が行う。
 水野晴郎氏の解説を生で聞くことが出来たのはかなり興奮した。
 「映画って本当にいいものですね」で締めてくれて、お約束だが嬉しかった。
 そして映画がスタート。スタジオの仕事は一段落するので、その間に地下にある(だったかな)社員食堂に飯を食いに行く。味はまぁ普通で学食ほどではないが安い。
 ちょっと混んでいて、視聴者センターの人と相席になった。現在放送中のBS特番の話になった。
「番組予告で『バットマン』の映像を使っていたでしょ。だから『バットマン』全編が放送されると思っていたのに、ちょっとしかやらないじゃないか!ってクレームの電話が何本かかかってきたのよ」
「うわぁ、ご苦労様です」という話になった。
 劇場公開すら来月の映画を丸々とテレビで放映するはずがないぐらいちょっと考えれば分かりそうなものだが、その「ちょっと考える」をしないのだろう。しかも、そこで納得せずにクレームの電話を掛けてくると言う思考が分からない。
 この人とは顔なじみになって、何度か食堂で一緒になった。
「登場人物がタクシーに乗ったシーンと降りたシーンでタクシーのナンバーが違うってクレームの電話を入れてくる人がいるのよ。その人は常連でそんな電話ばっかりしてくるの」
 などといろんな話を教えてもらった。世の中、困った人はいるものだ。

2006年10月09日

映画バカ青春記 第88章 続々東森時音貸します・SFX映画の世界

『ミクロの決死圏』が終わって番組も後半に突入。
 そして2人目のゲストが登場。中子真治氏である。
 一般の知名度はちょっと低めかもしれないが、1980年代後半にSFX映画のファンだった人にはお馴染みだろう。氏の著書『SFX映画の世界』シリーズはSFX映画少年だったオレにはバイブル的存在だった。その中子真治氏である。
 中子氏と一緒に特殊メイクアップアーティストが登場した。アメリカで活躍している特殊メイクマンで、『ゴースト・ハンターズ』(1986)などにも参加していたはず。中子氏が著作の中で“少年”と呼んでいる人物だ。たまに勘違いされているが、スクリーミング・マッド・ジョージではないので念のため。
『ミクロの決死圏』上映中に中子氏はすでにスタジオ入りしていた。ちょっと手持ちぶさたな感じだった中子氏に、雑用が一段落していたオレは恐る恐る話しかけた。なにしろ『SFX映画の世界』文庫版全4巻をすり切れるほど読んだ身だ。柄にもなくあがっていた。
 おかげでスタジオで何を話したかあまり憶えていないが、
「最近はSFXよりもアールデコに興味があって、そちら方面の本を書いているんだ」
 というのは「ふむむそうなんだ」とはっきりと記憶している。
 アールデコが美術様式の一つだと言うことは知っていたが、それ以上のことはR・田中一郎の妹がアールデコだったよな、という知識しかなかったが、さすがにそのネタは言えなかった。

 スタジオからの中継が始まり、アナウンサーが中子氏や少年にあれこれとインタビューをした。正直、「SFX映画に関してはこの人を置いてないという人物相手に何を聞いとんじゃ」という内容だった。
 二人はそのまま番組の最後までゲストとして出演した。
 番組終了後に後片付けで走り回っているオレに中子氏が声を掛けてくれた。
「これから少年と一緒に飲みに行くんだけど、良かったら一緒に来ない?」
 行きます、行きます、行きます。
 もちろん行かせていただきますと返事をした。
 メインのスタッフは簡単な反省会をやるようだったが、オレはヘルプのスタッフなのでそちらに参加する必要はない。反省会の代わりに、中子氏と少年、そして名古屋の映画関係者1人を含む、合計4人での打ち上げとなった。

 中子氏が馴染みにしているという店に行った。
 オレたちがいつも飲み会をやっている居酒屋とは違い、おしゃれな感じのバーだった。
 面子にもそうだが、慣れない雰囲気の店にも緊張した。
 緊張の余り、カクテルをジュースのようにカパカパと飲んだ。
 すっかり出来上がってしまって、少年さんに「オレはそのうち映画監督として商業映画を撮りますから、その時は特殊メイクをお願いしますね~」と無理矢理約束を申し込んだ記憶がある。恥ずかしい記憶だ。
 1980年代末、日本映画にもSFX映画はいくつもあったが、正直作り手がその技術を生かし切れているとは思えなかった。そういったことについても話した。
 監督とSFXマンの間に入り、コーディネートする人が必要じゃないのか、などなど。
 その後、中子氏は『学校の怪談』(1995~)シリーズでSFXスーパーバイザーを勤めた。『学校の怪談2』は岐阜の山中でロケが行われたが、中子真治氏が岐阜出身であることも関係あるのだろう。
『学校の怪談』シリーズでは、要所要所にベストなSFXテクニックが効果的に使われ、おそらく使われているだろうと予想される資金以上の物を作り出していた。

映画バカ青春記 第89章 第三の男

 ドラマの仕事ももちろんやっていた。
 これは確か1989年9月を中心に撮影が行われたと思うのだが、『家族の値段』(全二回・1990年1月放送)という作品があった。
 佐久間良子・織本順吉・川野太郎・三田寛子・山田昌さんらが主演の花火師一家を舞台に家族の絆についてがテーマのドラマ。
 この場合の花火師は花火を作る職人の方で、愛知県の岡崎市・蒲郡市には数は少ないが花火職人がいるのだとか。これは知らなかった。
 何故だか分からないが一家の主である夫が失踪してしまって、それに振り回されながらも仕事の納期も遅らせちゃいけないと、悩みながら踏ん張るのが主人公の佐久間良子さん。息子夫婦が川野太郎さんと三田寛子さん。失踪した夫の母親でこてこての名古屋弁のおばちゃんが山田昌さん。
 全4話で富山は砺波市でのロケもあった『熱きまなざし』と比べると、話数は半分だし、ロケも名古屋から車で1時間ほどの岡崎が中心だったので、多少楽でした。
 それでも、SD(サブ・ディレクター)がもう一人欲しいなぁというので、心当たりを当たってみた。
 その人物とは大学のシネ研で先輩当たるU場氏。U場氏は3学年上になるので、この当時はすでに卒業して2年目になっていたが、特に就職をせず所謂フリーター生活をしていた。プロ志向のある人だったので、NHKでのバイトの話は「うん、やるよ」と即答で、面接での評価も高かったようで、すんなり採用になった。

 これでSDは三人になった。全員とも名城大学の学生ならびにOB。このままいくと、数年後にはNHK名古屋は名城大学で埋め尽くされてしまうような、まぁそんなこたぁありえないわけですが。

 普通ならば決して入ることの出来ない花火工場の現場をロケで見学できたのは経験だった。
 回りに何もない山の中にあって、ところどころに万が一爆発事故が起きたときに隠れるコンクリートの遮蔽物がシェルターとしておいてある。
 線香花火や手持ち花火ではなく、花火大会で使われる尺玉など打ち上げ花火を作っているから、万が一事故が起きたら空爆状態だと推測される。考えようによっては命がけの仕事だ。

 U場氏はひょうひょうとしているが、頭が切れテキパキと仕事をこなしていくタイプ。
 サークルでは先輩だが、仕事場ではオレが先輩だぁと張り合ったりしながら撮影は進む。

映画バカ青春記 第90章 体力ないね

 『家族の値段』(1989年9月撮影)の制作中に、二度ほど体調を崩した。
 一度は岡崎の旧市街地でのロケの最中で、唐突に気持ちが悪くなって、現場を離れて側溝に向かって吐いた。吐いても吐いても吐き気が止まらず、黄色い胃液まで出てきた。
 近くの自販機でアップルジュースを買って飲み、一息入れるが、すぐまたそれも吐いてしまった。
 しばらくうずくまって、落ち着いたので現場復帰。「どこ行ってたんだ」と怒られたので「すみません、トイレです」とあやまる。

 次いで、スタジオ撮影。
 なんか身体が痒いなとボリボリやっていると、ディレクターが「お前、それどうしたんだ」と言ってくる。
 鏡を見ると、顔面がじんま疹でボツボツに腫れていた。上着をめくってみると上半身もボツボツだらけで赤く腫れ上がっている。
「いや、大丈夫です。痒いだけですから」と答えたが、「今日はU場に任せて帰れ」と帰宅を許された。
 家に帰って熱を測ると、確か39度近くあった。医者に行って点滴を打ってもらったら、じんま疹はすーっと嘘のように引いたが、熱は下がらず、結局翌日も休んでしまった。

 撮影が入ると仕事は一気に忙しくなる。
 SDの仕事は雑用が中心で、誰よりも早く仕事を始め、誰よりも遅く終わる。
 それは覚悟の上だし、そんなに不満とかはなく、楽しくやり甲斐があった。
 だが、どうもその気持ちに対して、身体が追いついていないのだ。自分ではまだまだやれると思っていても、身体が先に降参してしまう。
 体力無いなぁ。体力付けなきゃなぁと、とりあえず飯を食った。

映画バカ青春記 第91章 第二回監督作品『茶の間の生活』製作開始

 NHKドラマ『家族の値段』の撮影後、しばらくして名城大学は学祭に突入。その最中は撮影もなかったので、バイトを休んで天白祭に参加。学祭やらないでなにが学生か。
 OBのE谷氏がエアガンを持って遊びに来たので、オレはNEWMGCだかのガスガンM93Rで対抗。シネ研が使っている店の裏は中庭になっていて学祭中は人が入ってこないので、そこでサバイバルゲームに興じていた。3年ともなると、威張ってばかりで仕事はしないのだ。いや、本当はするけど。

 そして、スタジオ放送のヘルプなどの仕事はあったが、ドラマの撮影はなかったので、バイトは方は比較的自由が利いた。
 その期間を利用して、ようやくと第2作目の製作に取りかかることにした。

 この1年半、散々悩み、書いてはボツ、書いてはボツだった。
 他人の監督作を観てはその才能に妬み、自分の作品を観直してはいたらなさに頭を抱えた。
 さあ、2作目はどうする。

1.他人の優れた作品に近づき、追い越すべく努力する
2.あきらめる
3.同じ道ではかなわないのならば、別の道を進む

 またこの命題だ。
 これまでは3を選んで生きてきたオレ。
 だが、今度は譲れない。映画の本道を突き進みたい。これぞ映画という作品を作りたい。
 1作目以上に本気で作る道を選んだ。


 ジャンルはコメディ。これは譲れない。

 そしてあれこれ盛り込みすぎずにシンプルに。これは1作目の反省である。ギャグまたギャグの攻勢が充分に機能していなかったからだ。

 セリフは極端に削る。出演者は部員で演技の専門家ではないから、セリフと細かい動きの両方を同時にやるのは難しいだろう。それならばしゃべるシーンはほとんどなしで行こう。そして、実際にはほとんどないどころか主人公3人は一言もしゃべらない映画になった。

 学校でのロケは止めよう。都合上学校近くでのロケが多いが、これはやはり目新しさがない。せっかく学校から二駅の所に下宿したのだから、その近辺で撮ろう。ロケハンでうろうろして面白い光景を探そう。

 音楽無しはまだ怖いから、1シーンで使う音楽は1つまでとしよう。

 キャストの演技ではなく、その人が持つ雰囲気や魅力に頼ろう。味のある人がいるので、その人たちに主演をやってもらおう。

 その路線で調べ物をし、脚本を書いた。
 NHKでのバイトも何だかんだで役に立った気はする。
 前作から1年半、さんざ悩んだのが嘘のように脚本は組み上がっていった。

映画バカ青春記 第92章 第二回監督作品『茶の間の生活』脚本要約版

茶の間
―――――――――――――――
  眼鏡がコタツに入って、原稿用紙になにやら文章を書いている。
  あまり順調な様子ではなく、しばらく考え込み悩んだ後で、
  消しゴムと小さな鉛筆削りを車に見立てて、正面衝突させて遊ぶ

暗転 キキキーッ、ドッカーン!と自動車事故の音


空き地
―――――――――――――――
  トランザムとBMWの車が事故で大破している。
  BMWに乗っていた帽子を被ったチビはストロベリージャムをビンに直接指を
  突っ込んで舐めている。
  トランザムに乗っていたノッポにジャムを勧めるが、ウゲッという顔で断られる。
  二人は車はそのままに歩き出す。
  路上で男(東森時音)とすれ違う。チビは男にジャムを勧めるが、男は首を振って断る。


自販機
―――――――――――――――
  ジュースの自動販売機の前を通りかかるチビとノッポ。
  二人は缶コーヒー(ホット)を買う。
  同時に硬貨を投入しようとし、手がぶつかる。
  ジャンケンで順番を決め、まずはノッポが買う。
  ピロピロピロとルーレットが回り、外れる。
  次いでチビが買う。
  ピロピロピロとルーレットが回り、当たりのチャイムが鳴る。
  二人は缶コーヒーをカンと打ち鳴らして乾杯する。


茶の間
―――――――――――――――
  眼鏡が原稿を書いているところにノッポとチビが入ってくる。
  どうやら3人は友人同士のようだ。
  当たった缶コーヒーを眼鏡に渡し、三人は缶コーヒーで乾杯する。

茶の間
―――――――――――――――
  いがらしみきおの『さばおり劇場』を読んでいるノッポ。
  ジャムの瓶に指を突っ込んで舐めているチビ。
  チビは腕まくりをすると、ノッポに腕相撲を挑む。
  よーしとノッポは手を組むが、ジャムのベタベタにウエッという顔になる。
  ティッシュで自分とチビの手を拭くノッポ。
  そして、腕相撲が始まる。白熱した試合の後、チビが勝つ。
  その時の勢いで、眼鏡が書いていた原稿をなぎ払ってしまう。
  じろっと二人を睨む眼鏡。
  チビとノッポはジャンケンホイあっち向いてホイを始め、延々と繰り返す。

茶の間
―――――――――――――――
  トランプでババ抜きをしているチビとノッポ。
  パサリパサリと捨てられるカードの音が眼鏡は気に触ってしょうがない。
  眼鏡は突然すっくと立ち上がると、二人からトランプを奪い、バラバラとぶちまける。
  怒った二人は、これまた立ち上がると眼鏡を追い始める。
  グルグルとコタツの回りを走り続ける3人。

茶の間
―――――――――――――――
  再び原稿を書き始める眼鏡。
  と、部屋の中が暗くなる。
  電気のスイッチをカチカチやっても変化がない。どうやら停電らしい。
  眼鏡は戸棚からロウソクとマッチを取り出すと、コタツの上にロウソクを立て灯りを付ける。
  よしよしと微笑む眼鏡。
  だが、チビのくしゃみで灯りは吹き消される。

茶の間
―――――――――――――――
  もう一度ロウソクにマッチで火を付ける眼鏡。
  すると今度はどこからか風が吹いてきて火が消える。
  ノッポが扇風機の風で涼んでいたのだ。


茶の間
―――――――――――――――
  三度火を灯そうとする眼鏡。
  チビの方をジロリと睨むと、慌てて手で口元を覆うチビ。
  ノッポは物寂しげに扇風機を手放す。
  安心してロウソクに火を付ける。
  すると突然「ハッピーバースデー」の曲がかかり、二つのドアから4人組の男女が乱入してくる。
  クラッカーを鳴らし「誕生日おめでとう」「誕生日おめでとう」と中心の一人の男が祝福されている。
  フッと誕生日男がロウソクの火を吹き消して暗転。

茶の間
―――――――――――――――
  冷蔵庫から勝手に瓶ビールを取り出すノッポ。
  ジョッキを二つ用意すると、コンコンッと王冠を二度叩いてから空ける。
  ジョッキに溢れんばかりの勢いでビールを注ぎ、ノッポーとチビは腕を組んでビールを呷る。

  そしてそのまま立ち上がると、にぎやかに踊り始める。
  チャック・ベリーのロックンロールが流れ始める。
  しばらくは我慢して原稿を書き続けていた眼鏡だが、立ち上がると冷蔵庫の上にあった
  ラジカセのスイッチを切る。チャック・ベリーが止まる。
  画面左側に姿を消す眼鏡、右側からノッポとチビが登場してラジカセを鳴らす。
  そして踊りながら画面右に姿を消す。
  ラジカセのスイッチを切る。チャック・ベリーが止まる。
  画面左側に姿を消す眼鏡、右側からノッポとチビが登場してラジカセを鳴らす。
  そして踊りながら画面右に姿を消す。
  ラジカセのスイッチを切る。チャック・ベリーが止まる。
  そしておもむろにラジカセを掴み上げると、そのままベランダへと出て、ラジカセを遠投で放り投げる。
  空を舞うラジカセ


空き地
―――――――――――――――
  何時の間に先回りしていたのか、ラジカセの落下地点にはすでにノッポとチビがいて
  ラジカセをキャッチする。
  そして、またチャック・ベリーを流すと空き地でいかれたように踊り続ける。


茶の間
―――――――――――――――
  ようやくと原稿を書き終えた眼鏡。
  原稿を読み返してみる。
  そして、ふうっと原稿を放り投げると、ドアから外へ出て行く。
  「ハッピーバースデー」の曲が流れ始める。
  (ひょっとしたら今日は眼鏡の誕生日で、ノッポとチビはそれを祝いに来たのかも知れないが、劇中で明言はされていない)

映画バカ青春記 第93章 第二回監督作品『茶の間の生活』撮影開始

 撮影をいつ行ったかははっきりとした記録がない。
 1989年の後半か1990年の初頭だと考えられる。
 メインキャストの眼鏡、ノッポ、チビは全員1年上の先輩で、撮影時に4年生だった。
 全員4年生というのにさほど大きな理由はない。それよりも、それぞれのイメージ優先のキャスティングだった。全員がスクリーンに映し出されただけで人目を引く印象の持ち主だったのだ。
 さらに印象を強めるために主人公には眼鏡、チビにはアポロキャップをかぶってもらい、さらには常に瓶に入ったジャムを舐めているという設定にした。ジャムを舐めているというのはゴダール作品のどれかのパクリだ、すまん。
 ノッポはその風体だけで充分なので、それ以上は小道具は使わなかった。

 冬で日差しが差す時間が短いので、まずは屋外シーンをまとめて撮影した。
 ロケ地はオレの下宿先近く。
 空き地にBMWとトランザムの事故車がずっと放置されていて、絵として面白いのでこれはいつか使おうと思っていた。導入部として面白いシーンになったと思う。
 続いて自販機のシーン。
 コカコーラ自販機の鮮やかな赤と、隣に積まれた赤と黄色のビールケース、そしてちらりと映る青い空が気に入ってこのシーンを入れた。
 自販機のアップも映るが、大瓶がペットボトルではなくガラス瓶なのが時代を感じさせる。
 ルーレットが当たったときのチャイムは自転車のベルを連続で鳴らした音源を早送りして高音にしたもの。
「あの音を録音するまで何本ジュースを買ったんですか」とバカな後輩が聞いてきた。するか、そんなこと。

 そして、順番は飛ぶが、ラスト間際の空き地で踊るノッポとチビのシーンを撮って屋外シーンは終了。
 キャストが現場慣れしているので短時間で撮影が進んだ。

 オレの下宿に入って、ちょっと一息。
 茶の間と言っているが、ロケはダイニングキッチンだ。本来のイメージとしては6畳一間の畳敷き木造アパートなのだが、オレの下宿アパートだと年季を感じさせてくれない。まぁ、仕方ない。
 代わりに、普段は台所としてだけ使っている部屋で、余分な物とかポスターなどが無く、生活感の無さがちょっと面白い効果になったと思う。

映画バカ青春記 第94章 第二回監督作品『茶の間の生活』撮影快調

 さて、いつまでも一息入れていると、この人らはずーっと一息しっぱなしなので、適当なところで撮影再開。
 眼鏡がラジカセを投げるシーンを先に撮る。このラジカセは中古だが本物。
 後は素直に脚本の順番に撮っていく。
 6畳ほどの部屋なので、カメラポジションも限られる。普通に撮っていればまぁ普通な映像が撮れるので、構図やらが苦手なオレにもなんとかなる。
 もちろん、すごいヤツはその限られて状況で普通なら考えつかない映像を創り上げてくるが、あれはもう天性のようなものかもしれない。
 セットは姉が使っていたガラス天板のコタツ。その上に、ミカンを積んだ器を置く。様式美だ。本当はガラス天板ではなく、裏に緑の布が張られたような古いオーソドックスなコタツが良かったのだが、用意できなかったので妥協。
 代わりと言ってはなんだが、ノッポとチビがババ抜きをやるシーンでは、ガラス越しに下から撮った絵を入れた。いかにもであまり気に入ってないが。

 誕生日の集団が乱入してくるシーンのみキャストを揃えて別の日に撮影。ただ、その日はノッポ役の先輩が都合が付かなかったので、カメラ向きで上手くごまかした。そう、言われないといないのに気づかないと思う。
 ちなみにこの「停電になって、散々苦労してロウソクを点けたら、ハッピーバースデーを歌う連中が登場してロウソクを吹き消してしまう」というギャグは、クレイジー・キャッツの『シャボン玉ホリデー』で使われた物。さすがに放送では観ていないが、小林信彦のコラムで読んで、「よし、いつかオマージュしてやろう」と思っていた物。ある先輩にだけ理解してもらえた。

 ビールを飲むシーンではまだノンアルコールビールが一般的に売られていなかったので、本物のビールを使った。
 ゴクゴクと飲んで部屋の中を踊り回ってもらう。にぎやかさが感じられて上手い演技だ・・・違う、演技じゃない。この人ら本当に酔っぱらっている。
 一気のみの後ですぐ身体を動かしたのだからアルコールも回るという物だが、酔っぱらうともう言うことを聞いてくれない。
 勝手にオレのメガドライブを引っ張り出してゴルフゲームを始めたりと手に負えない。
 酔いが治まるまでしばし休憩に入る。

 ようやくまともになったので、ラジカセを巡って入れたり切ったりのシーンを撮る。
 そして、ラストの眼鏡が部屋を出て行くシーンを撮って、撮影終了。
 先ほど言ったように、ロウソクを吹き消すシーンだけ残っているが、ほとんど全てを一日で撮影終了した手際の良さは、NHKでのバイトの成果でもあるだろう。
 セリフ無しなのでNGも少なかった。ちなみに、誕生日集団は「おめでとう」とかしゃべっているし、物音はする所から分かるように、この映画はサイレントではなく、単に主人公たち三人がしゃべらないだけ。
 何故しゃべらないかを聞いてきた人がいるが、そんなのはどうでもいいの。単にオレがしゃべらせたくなかっただけ。
 納得がいかないのならば、三人とも聾唖者だとか、揃って風邪を引いていて喉が痛いとか(だからチビはジャムを舐めていたのだ)、テレパシーの使い手だとか理由はなんでもいいのだ。
 重要なのはしゃべらない理由ではなく、何故オレがしゃべらせなかったかという部分。理由はセリフを削って、言葉に頼らない映画を作ってみたかったから。
 その点については案外と成功していたと思う。

 編集には1作目の『ダイヤモンド・ゲーム』以上に気を遣った。
 カットが始まるカット頭と、そこで映像が終わるカット尻の両方が、普通のテンポよりも気持ち長くしてある。
 微妙に居心地が悪いかもしれないが、どうもオレはそのテンポが好きなのだ。
 二本目という事で慣れもあるし、NGが少ないので無駄なフィルムがないこともあって編集作業はテッテケテッテケとスムーズに進んだ。
 音楽には頭を悩まされた。いっそのこと音楽も無しにしようかと思ったが、上映してみるとやはり寂しい。
 眼鏡にはクラッシック、ノッポとチビにはジャズと時折ロックンロールに絞り、コロコロ音楽が変わらないように長目長目で使う。あまり上手いとはいえないが、前作よりは上達している。うん、これでよし。

 オープニングとエンディングのクレジットは、眼鏡が原稿用紙に文章を書いていたことをヒントに、原稿用紙に書く。画面の切替は一枚一枚手がめくっていく方式。

 最後に通しで上映してみて、うん完成だ。

2006年10月10日

映画バカ青春記 第95章 停滞からの発進

 94章の書き方だとスムーズに完成まで行き着いたように思えるが、実際はそう簡単にはいかなかった。
 現像からあがってきたラッシュフィルムを観て、「あーダメだダメだ、才能ない、下手だ下手」と頭を抱え込み、編集に取りかからずにそのまましまい込んでしまった。
 そしてそこへ年度末試験の襲来。
 3度目の年度末試験ともなると慣れてきて簡単簡単・・・というワケにはいかない。
 単位が取りやすい講義から受講していったので、そろそろ手応えのある試験が増えてきたのだ。
 しかも、バイトバイトで講義への出席率はおろか、学校への登校日数も少ない。
 ツテとコネを利用して、可能な限りノートのコピーと予想問題集を集めた。細かく勉強している時間はない、短期決戦である。
 普通にやっていれば2年生で終わっている外国語だが、オレはまだ英語を2単位、ドイツ語を1単位残していた。これが一番の強敵だ。
 ドイツ語のテストは辞書持ち込み可だった。そこで、辞書に例文を小さな文字で余白に書き込んで試験に挑んだ。チラチラと辞書を除いていたら、担当講師がオレの辞書をバタンと閉じ持って行ってしまった。カンニングがばれたのだ。しょうがないので自力で挑んだ。
 大学の試験はカンニングが発覚すると全科目の単位が不可となる。辞書を取り上げるだけで済ませてくれたのは、温情ある行為だったのだ。あー、やばかった。
 自力で挑んだドイツ語はなんとか可を取った。英語は2単位のうち取れたのは1単位で、4年に1単位残した。
 まぁボチボチの成績だった。これなら4年で必要単位を取得するのは大して難しくないだろう。

 そして春休みが過ぎ、1990年度が始まった。
 次回作をどうしようかな、まずは2、3ヶ月ほったらかしと未完成で終わった『茶の間の生活』のフィルムをもう一度観直して、どこがダメだったか反省点を洗い出すところから始めよう。
 そして部室でラッシュフィルムを上映してみると、あれ?面白いぞ、これ。
 勘違いかなと思ってもう一度観直すと、やはり面白い。
 大雑把に1本のフィルムに編集してみる。やっぱ面白い。
 これはお蔵入りはもったいないと、本気で編集作業に取りかかった。
 2作目ということもあって段取りは分かっている。相変わらずバイトが忙しいが、その合間を縫って作業を進める。
 編集は相変わらず楽しい。これぞ映画作りだ。
 そして音入れをして完成。一度は見捨てようと思った作品とは思えない面白さ(自画自賛)

2006年10月11日

映画バカ青春記 第96章 『茶の間の生活』公開

 冬に撮影された『茶の間の生活』だが、ラッシュを観て駄作だと放り出したため、1989年度の後期上映会には間に合わなかった。結局、1990年度前期上映会にての公開となった。その分、時間をかけてじっくり編集作業が行えたというのはある。
 上映会は初夏なのに、映画内の登場人物はセーターやコートなどの冬服姿。ちょっと違和感があるが、まあこれはしょうがない。
 ちなみに『茶の間の生活』というタイトルにあまり意味はない。1作目の『ダイヤモンド・ゲーム』がカタカナだったので、日本語タイトルにしようという意図で付けられた物。

 上映後のアンケートや機関誌の『ル・シネマ』での評は大きく二つに分かれた。
 新入生などからはどちらかというと評判が悪く、上級生やOBのウケは良かった。
 ゴダールなどのヌーベルバーグやジム・ジャームッシュのニューヨーク・インディペンデンス映画などに影響を受けまくっていた時期なので、観客に対してある程度映画を観ていることを求める作品ではある。シーンとシーンが黒味フィルムで繋がっている所など、もろ『ストレンジャー・パラダイス』。

 感想としては、「ストーリーがよく分からない」というのが多かった。
 これについては、確かにその通りだとは思う。場面場面、シーンシーンを描くのがメインで、ストーリーを描くのが目的ではないので、分からないで正解なのだ。
 主人公たち三人の関係も、まぁ友人だろうとしか判断するしかないし、眼鏡が書いている文章も何なのか分からない。作家なのか、ゼミの論文でも書いているのか。
 映画を観ている限りでは推測するしかないが、一応脚本家の考える設定としては、
眼鏡は締め切りを控えた作家で、その日は誕生日。ノッポとチビはその誕生日を祝いに来た。結果、執筆を邪魔する形になる。
 ついにはノッポとチビは部屋から追い出されてしまうが、原稿を書き終えた眼鏡は一緒に遊ぶため外へ出て行く。ということになっている。

 前半は映像的にも面白いが、室内に入ってしまうと、これという冴えたカットがない。
 これは自分でも感じていた弱点だ。もともと映像的なことは弱点だと思っているので、放置された事故車や赤と黄色、青のコントラストが鮮やかな自販機など、どうとってもそれなりに絵になるロケ地を探してきたが、部屋の中に入ってしまうとくすんだ印象になってしまっている。
 もう少し小道具や意外な構図で盛り上げたかった。

 爆笑はなかったが、クスクス笑いは全編を持続していたので満足。
 オレにとって映画の師である(といっても、何人も師はいるのだが)U谷さんが、アンケートでかなり褒めてくれたので、これまた満足。
 前作はやりたいことと出来ることの差が大きかった。私立探偵やアルセーヌ・ルパンという登場人物もコメディとはいえ無理があった。今回は、自分の出来ることを無理なく自然体で作れたと思う。

2006年10月12日

映画バカ青春記 第97章 子供向けドラマミニシリーズ『キッズストリート』

 『熱きまなざし』、『家族の値段』と大人向けドラマが続いたNHKでのバイトだが、今度は子供向けのミニドラマシリーズだ。番組名を『子どもパビリオン・キッズストリート』という。1990年撮影、1990年放映作品。
 『子どもパビリオン』が帯番組の名前で、その中でNHK名古屋が担当したのが『キッズストリート』。
 アクションあり、SFあり、スポ根ドラマあり、恋愛ありの、何でもありの面白楽しいドラマが1話完結で全5回。
 主人公は少年少女たち。全員ともオーディションで選ばれた。オーディション形式で配役を決めるのはオレにとって初めてのことで、おおっ芸能界してるって感じだった。
 そして選ばれたのは合計5人。一番のメインである年長の少年は飯泉征貴。その妹役が飯塚雅弓。友人のデブは東映の戦隊物にも出演していた少年。この3人は東京から来た子供たちで、全国レベルで活躍している実力派だ。
 名古屋からは2人。一番の年長で飯泉征貴が内心好きという設定の女の子と、ちょっといじめられっ子の男の子。その子たちだけを観ているとそんなに悪くないじゃないかと思えるのだが、東京組と一緒のシーンになるとオレが見てもその差が歴然としている。やはり、東京で活躍しているからには実力があるのだ。
 そして飯泉征貴の父親役がたしか村野武範。年長の女の子の姉でお華の師匠(そのくせ武闘派)はキューティー鈴木。
 駄菓子屋のおばあちゃんが名古屋人にはお馴染みの山田昌。第一話のゲストにはこれまた名古屋出身の三遊亭円丈。

『熱きまなざし』は既に撮影に入っているところへの参加だったし、『家族の値段』もオレがバイトを始める前には企画が出来上がっていた。
 一からの参加はこの『キッズストリート』が初めてだ。
 企画会議からオーディション、脚本家のところまで地下鉄に乗って原稿を取りに行ったり、ドラマが撮影にはいるまでに実に色々なことを決めて準備しなければならないのだなと勉強になった。撮影時ほどではないが、あれこれと飛び回って忙しかった。

2006年10月13日

映画バカ青春記 第98章 バイトでゲーセン通い

 『子供パビリオン』や『キッズストリート』に関してはネットで検索してもほとんど情報がない。ソフト化もされていないようだが、せめて簡単な情報だけでもNHKはまとめておいてくれないだろうか。
 第1話は『危機一髪!!美少女博士』というタイトルだ。どういうわけだか『美少女戦士』と記載されているサイトがいくつか見受けられた。まぁ一文字しか違わないと言えば違わないが・・・博士と戦士じゃ大違いだ。

 簡単にストーリーを要約すると、主人公は5人組の子供。女の子2人に男の子3人。なんか戦隊物の人数と比率だ。
 彼らが暮らす街、名古屋にアメリカから美少女博士がやってくる。アメリカ人のその少女は10歳でMIT(マサチューセッツ工科大学)を卒業した・・・のかどうかはしらないが、まだ小学生高学年の年頃なのに博士号を持つ天才だ。
 その美少女博士が警護のSPの隙を突いて逃げ出し、主人公たちと知り合ってつかの間の休日を楽しむ。
 しかし、彼女の天才的頭脳を狙う悪の組織の魔の手が伸びてくるのであった。

 ぶっちゃけ言ってしまうと『ローマの休日』の子供バージョンだ。年長の男の子との淡い恋心のシーンもあるし。
 この美少女博士はオーディションで選ばれたお父さんがアメリカ人、お母さんが日本人(だったかな)のハーフの女の子。演劇経験はほとんど無しの素人さんだった。可愛らしい子ではあったが、度の強い眼鏡をかけていて、美少女?ではあった。さすがにラストシーンの決めぜりふ「Someday,Somewhere,we will meet again」をしゃべるシーンの発音が上手い。当たり前と言えば当たり前だが。

 主人公の子供たちが博士の天才ぶりを知るシーンはゲームセンターだった。
 難易度の高いゲームを、初プレイの博士が簡単にクリアしてエンディングまで行ってしまう。
 このシーンの撮影にはゲームをクリアできる人間が必要だ。
 そこでオレに命令が下った。
「そのゲームをクリヤしろ」
 なんかクライブ・カッスラー作品のタイトルのようだ。
 その回のディレクターと一緒にロケ地となるゲームセンターに行った。
 オレはR-TYPEや雷電などシューティングは多少やり込んだので、できればその手のゲームを選んで欲しかったのだが、ディレクターが「これが良いだろ」と示したのは兵士が武器を使って面クリしていく横スクロールのアクションゲームだった。
「アクションゲームはあまりやったことないんですけど」
「とやかく言わずこいつをクリアできるように特訓をしろ。ゲーム代と時給は出すから」
「はぁ・・・」
 こうしてオレは職場公認で仕事としてゲームセンターに行き、ゲーム代はNHK持ち、しかも時給1000円という、ゲーム好きならば嬉しくて仕方ない状況に身を置くことになった。
 だが、友達と週に1、2回ゲーセンに行って2、3プレイするだけのオレには、「クリヤしなければならない」というのはかなりの重圧だった。
 それまでにゲーセンでクリアしたゲームはR-TYPEぐらい。シューティングと横スクロールアクションではまるで勝手が違う。
 ゲームのタイトルは忘れてしまったが、近未来が舞台でプレイヤーは主人公の兵士を操り、様々な武器や乗り物を駆使して敵を倒していく。確かSNKのタイトルだったと思う。
 毎日仕事帰りにゲーセンに通った。積んだコインがどんどん減っていく。
 それでも、毎日毎日金をつぎ込めば、敵が出現するパターンやタイミングも身についてきて、飛び交う銃弾をドット単位で避けるテクニックを習得した。

 そしてついにゲーセンでのロケ。
 博士がゲームをスタートするところまでやって、そこからはオレが引き継ぐ。
 子供たちやスタッフが見守るなか、多少緊張していたが意外と本番は強いのでバリバリザッザッと兵士を操っていく。2度ほどコンティニューをしながらプレイを進め、ついには巨大ラスボスのと対決。こいつを
「一撃でクリアー!」
 こうしてゲームはエンディングを迎え、スタッフクレジットが流れ始めた。

 ふっ
 そんなオレの耳に子供が「あの人何者ですか」とスタッフに尋ねる声が聞こえる。
 ゲーム名人でも連れてきたのかと思ったのかも知れないが、その正体は単なるSD(サブディレクター)だ。

 後日、編集段階のビデオを見せてもらったら、ラスボスとの戦いやエンディングは使われてなかった。使われていたのは、途中の四方八方から弾が飛んでくるのをすり抜けながら進むところ。
 確かに派手だしテクニックが必要そうに見えるシーンなのだが、じゃあクリアするまで特訓したオレの立場は?
 しかし、NHKでバイトを始めていろんな仕事をやったが、ゲーセンでゲームをやるというこの仕事が一番妙だった。

2006年10月14日

映画バカ青春記 第99章 シークレット・サービスは山本小鉄

 『子どもパビリオン・キッズストリート』第一話に登場する美少女博士には身辺警護のSPが数人付いている。
 そのSPのボス役が決まるまでにちょっとゴタゴタした。
 最初に候補に挙がったのはサンダー杉山。ハゲ頭がトレードマークのプロレスラーだ。
 だが、出演料交渉でかなり高額を吹っかけてきたらしく、予算不足で×。
 続いて、体格の良さから元ビジー・フォーのウガンダの名前が挙がったが、「この人は音楽関係だろ。放送前に薬で逮捕されたりすると困るからな」という理由で×。
 ウガンダ氏の名誉のために言っておくと、ディレクターの発言はまったく意味のない偏見による物で、ウガンダ氏が薬物をやっているとかそういう確証も何もない単なる放言。最近ではウガンダ氏はNHK教育に出演したこともあるようで、何ら問題のない方である。

 ここで、ディレクターとしても特に期待して聞いたわけではないだろうが、オレとU場さんに「誰か良さそうな人がいないかね」と話を振ってきた。
 サンダー杉山の流れからなんとなく「山本小鉄はどうですかね。プロレスのレフリーや解説をやってるスキンヘッドの人なんですが。元プロレスラーなんで体格も良いし迫力ありますよ」
 本当に思いつきだけで言ったのだが、ディレクターが「ふむむ」と何やら考え込んでしまった。
「よし、その山本小鉄に関する資料を明日までに揃えておけ」
 そう命令された俺とU場さんであった。
 ただ、このエピソードは記憶があやふやなのでU場さんが言い出したのを勘違いしている可能性もある。とりあえずオレたち二人のうち、どちらかなのは確か。

 資料と言われても今のようにネットで情報収集が出来るわけでもなく、NHKの資料室にもあまり詳しい文献はない。マイクロフィルム化された新聞はあるが、一般新聞なのでプロレスの記事はほとんどないのだ。
 ところが、U場さんの弟がプロレスファンで、プロレス雑誌をずっと買っていることが判明。何冊か見繕って持ってきてもらうこととなった。
 山本小鉄さんの写真が載ったプロレス雑誌数冊と、オレが調べてきた山本さんの身長体重などの基礎データをディレクターに提出。
 そしてあれよあれよと話が進んで、SPのボス役は山本小鉄さんが演ずることになった。

 ロケバスでの移動中に近くに座る機会があって、ちょっとばかりお話をさせていただいた。身長は170cmのオレとほとんど変わらないが、丸太のようにがっしりとしていて、さすが元プロレスラー。実に強そうで迫力がある。
「出演依頼が来るのはほとんどが悪役で、今回みたいに正義の味方ってのは珍しいからね。それだから引き受けたんだ」
 確かに美少女博士を守るSPだから正義の味方とも言える。終盤には悪人との対決もあるし。
 話の折に奥さんのことが出てきたが、あの厳つい顔がとろけるように変わる。どうもすごい愛妻家の様子である。
 他にも、オレのような下っ端スタッフにも言葉が丁寧だし、ちゃんと対応してくれる。実に素晴らしい人であった。芸能人専門の人だと、SD(AD)など人間扱いしない人もいる。オレはヒエラルキーの最底辺の存在なのだ。

 この回には、年長の女の子の姉役としてキューティー鈴木も出演しており、ちょっとしたアクションシーンもある。
 山本小鉄さんとキューティー鈴木共演ということで、プロレス雑誌の記事にもなったと聞く。

2006年10月15日

映画バカ青春記 第100章 オフの日はガキどもと動物園へ

 撮影は集中して行われるが、毎日あるわけじゃなくてたまには撮影のないオフの日もある。
 主人公の子供たち5人の内3人は東京から来てホテルに滞在している。
 撮影が休みだからと言って、じゃあ休んでてね、とほったらかすわけにも行かない。
 ホテルにこもり切りじゃ退屈だろうし、ホテルのある栄は大人向けの繁華街で、小学生にはあまり遊ぶところがないだろう。
 そこで上の方から、オレがその3人を動物園にでも遊びに連れて行けとの命令が下った。
 オレは保父じゃねーっつーの。

 行き先は名古屋人なら誰でも知っている東山動物園。1990年前半のある日だった。
「遊園地はどうですか」とスタッフに言ったら、「そういうところは怪我をする可能性があるから」という返答だった。
 二十歳過ぎの好青年と女の子一人、男の子二人。学童保育の引率といったところか。
 同行した子供たちは、主人公の飯泉征貴、その妹役の飯塚雅弓、そして主人公の友人役のふとっちょ。
 象を見たりライオンを見たり。1984年に東山動物園に来たコアラを見たり。まさに遠足だ。
 でも、さすがに東京で活躍している子役だけあって発言もしっかりして頭もよかった。オレのガキ時代とは大違いだ。
 とはいえ、やはりガキはガキで、オレが飯塚に「ブスが転んでコロンブス」とか言ったら妙に男二人に受けて、「コロンブス」「コロンブス」とはやしてからからかっていた。
 イジメんなよ、お前ら。あっ、言い出したのはオレか。

 その後、飯泉征貴はドラマや映画に出演し、現在でも俳優・声優として活躍している様子。
 飯塚雅弓は『おもひでぽろぽろ』(1991)のキャスト欄に名前があった。判別できなかったが、主人公の少女時代のクラスメイトの一人だろう。
「そうか、飯塚は声の仕事もやるのか」と思った。
 その後、オレはTVドラマは観ないが、とりあえず映画には出ていないので、ひょっとしたら引退したのかなぁと思っていた。
 と、1990年代後半、久しぶりに会った大学の同期で一緒にNHKでバイトをしていたYが「飯塚、すげぇなぁ」と言ってきた。
 最初は「飯塚?誰それ」だったが、「ほら、『キッズストリート』の女の子だよ」で思い出した。
「ふーん、ドラマかなんか出てるの」
「バカ、お前知らないのかよ。ポケモンだよポケモン。ポケモンのアニメで主役キャラの一人をやってるんだよ」
 これにはさすがに驚いた。ポケモンと言えば当時人気絶頂、今でも人気絶頂のゲーム&アニメではないか。
 さっそくその週の放送日放送時間にチャンネルをテレビ愛知に合わせた。
 番組が始まる。主人公は男の子2人、女の子1人。男のうち一人は男性が声を担当しているのでこれは除く。主人公のサトシは松本梨香。松本梨香は女性だが、これは当時アニメを観ていなかったオレでもさすがに違うと分かる。となると、残ったのは女の子キャラ、カスミだ。んー、ということはこれが飯塚か?こんな声だったような、違ったような。
 エンディングでキャストが表示され、ようやくカスミ=飯塚雅弓だと判明した。
 そっかー、国民的アニメの主役キャラの一人にまでなったのか。あのチビ助がねぇ・・・ちょっと感慨にふける。

2006年10月16日

映画バカ青春記 第101章 ロケハンだ・瑞浪市地下軍需工場

『キッズストリート 第一話危機一髪!美少女博士』の撮影は終わったが、全5話のミニシリーズなので、次の話の準備をしなければならない。
 このシリーズの中で、バイト採用時にオレの面接をしてくれたり、他にはいろいろ面倒を見てくれたり、仕事帰りにビリヤード練習場へ連れて行ってくれたM本さんが、初のTVドラマでのディレクター(監督)をやることになった。
 それまでにラジオドラマのディレクターをやったことはあるが、TVドラマとなると関わる人数、ロケやスタジオなど規模が全然違う。
 M本さんが担当する話はSF仕立てで、地下迷宮に潜り込んだり、名古屋のテレビ塔が宇宙船になって飛んでいったりとにぎやかな内容だった。
 そのロケハンの多くにオレはM本さんに同行することとなった。
 ロケハンとはロケーション・ハンティングの略。ロケ地を探し歩くことだが、実際には資料で下調べをした上で、使えそうだと思える場所を訪れる、いわば下見の様なものだ。
 オレはM本さんの指示で資料を調べたり、訪問の予約を取ったりした。NHKの名前はやはり強くて、役場や企業に電話をしてもきちんと対応してくれ、断ってくるところはほとんどなかった。

 劇中で名古屋城の城壁にある秘密の扉から地下迷宮に入る。
 その地下迷宮のロケ地候補となったのが瑞浪市の三菱航空機瑞浪地下軍需工場跡地だ。
 オレの育った愛知県半田市には第二次戦時中、中島飛行機の軍需工場があった。そして、そのため半田市は空襲を受け、学徒動員などの学生を含む一般市民も死亡した。名古屋の空襲も軍需工場が標的だった。
 軍部は空襲で被害を受けないように地下に穴を掘って空洞を作り、そこに軍需工場を造ろうとしたのだ。長野の地下大本営みたいな物か。無茶な話だ。
 実際には掘っている最中に戦争が終わってしまい、瑞浪市にあるのは碁盤の目状に張り巡らされた地下通路が残っただけ。
 だが、その掘っていった地下通路から幾種もの化石が見つかり、今でのこの軍需工場跡地横に化石博物館が建っていて、今では子供たちなどに人気のスポットとなっている。皮肉と言えば皮肉な話だ。

 固い地盤に穴を掘っただけで、柱や板などで補強もされておらず岩盤が剥き出しで危険なため、一般向けには入り口部分しか公開されていない。
 そこへ、ロケハンということで特別に中の方も見せてもらった。
 地下トンネルというと狭く息苦しい物を思い浮かべるだろうが、ここは通路ではなく工場にするために掘った物なので横幅も高さもあり広い。はっきりとは憶えていないが、横幅が3~4メートル、高さが3メートルはあったのではないだろうか。
 そのトンネルが碁盤の目状に交差しながら延々と続く。
 ところどころに水たまりはあるが、足元はしっかりしている。
 カメラ担当のオレは、M本さんに指示されたところをパシャパシャと撮っていく。
 映画で色々な光景を観てきたオレだが、現実の目の前に広がる非日常的風景にはさすがに言葉を失って、「うわー、すごいですね。ここ天井高いですね」と騒いでいた。って、言葉失ってねーじゃん。

 案内していただいた係の方に丁寧に頭を下げた後、午後に向けて昼食タイム。
 M本さんが調べてきた、チャーシューメンで有名というラーメン屋に行った。
 当然、二人ともチャーシューメンを頼む。
 出てきたチャーシューメンには言葉を失った。
 厚さ1cmぐらいはあるチャーシューが何枚ものっていてスープの上を埋め尽くしている!
 ちなみに言葉を失った理由は、必死で食べていたからだ。物を口に入れてしゃべっちゃダメだぞ。
 チャーシューの厚さと量にはさすがに驚いたが、味は普通のラーメンだった。<