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映画バカ青春記 第63章 天白祭への脅迫状

 当時、名城大学の大学祭は、サークルの派閥により内部でいくつかに分かれていた。
 シネマ研究会が属していたのは天白文化サークル連合という団体で、どうやら過去に中核派やら革マル派など、過激派の流れをくんでいるらしい。
 文化系サークル団体としては、他にオール名城文化局というのがあった。こちらは、学生主体のサークル運営に危機感を抱いた大学側が、生徒を抱き込んで作り出した大学寄りのサークル連合だ。
 その他にも、体育会系、農学部系などいくつかのサークル連合があった。

 とはいってみたものの、1987年当時、すでに学生運動など過去のことで、サークル連合間の争いも、政治云々ではなく、学祭どちらが目立つ良い場所を取れるかといったようなものだった。
 天白文化サークル連合、通称天白文サ連(この略し方が学生運動っぽいと言えなくもない)、もっと略すと単に“天白”は学内のサークル連合の中でも活動が盛んで、活気があった。
 名城大学文化祭の中で天白が開催する天白祭は、名城の学祭の代名詞といって良かった。
 場所も1号館というメインの校舎を丸々独占し、コンサートなどをやる体育館がなかったので、駐車場とロータリーにステージを組んで、名古屋のインディーズバンドを主体とした野外の無料ライブを開催して、好評だった。オレはインディーズのことはさっぱりなのでよく分からんが、そっち方面が好きな連中が興奮していたからそれなりのメンツが揃っていたのだろう。

 そして、11月上旬の文化の日の連休を中心として開催される天白祭の準備は、着々と進みつつあった。
 その手紙が届くまでは。

 ここから先は、天白祭実行委員だったTROに、ついこの間飲み会で会ったときに聞いたことで、時も経っているので不明確な点も多いことをあらかじめ言っておく。

 手紙には
「天白祭を中止しないと、危険なことが起きる」
 といったようなことが書いてあったそうだ。
 具体的に、例えば爆破宣言があったのか、たんにほのめかすだけだったのかは分からない。
 通常ならば、ただの悪戯だろうとやり過ごすところだ。
 しかし、その頃、天白は緊張していた。どうも、脅迫状が来て、それを無視する状況ではなかったようだ。
 まずは警察に連絡した。現在ならば、ネット上で悪ふざけな殺人予告をやっても逮捕される可能性が高いが、当時の天白警察署は「あっそっ」といった態度だったようだ。
 ここら辺は、過去の学生運動が盛んだった頃からの確執もあるのだろう。

 警察もあまりあてには出来ない。
 天白祭実行委員会は、協議による協議の結果、1987年度の天白祭中止を決定する。
 翌日の、新聞の名古屋欄には、天白祭への脅迫状と中止の記事が載った。

 この脅迫状を誰が送ってきたのかは定かではない。
 天白に敵対するグループ、つまりどこぞの過激派が送ってきたという説。
 天白の内部抗争で、サークル間の主導権を握ろうとする天白に所属する某人物が送ったという説もある。

 ともあれ、1987年の学祭は中止になった。
 オレの第一回学祭は無くなってしまったのだ。
 中止になったのは、天白祭だけで、他のサークル連合の行う名城大学の学祭は開催されたが、目玉の天白が抜けたのは大きく、盛り上がりに欠けるものだったとも聞く。

 オレたち天白にとって痛かったのは、1年といえど天白祭の伝統がとぎれたことだ。面子云々ではない、それもあるが、天白祭を経験しなかった1年生は、天白祭を経験しなかった2年生となる。
 運営に関する技術や、人の集め方。そういったノウハウが1年分途切れると言うことだ。

 あれこれ準備を進めてたオレたちシネ研も、突然の決定に呆然とするしかなかった。
 比較的早い段階での決定だったので、材料や機材を仕込んでからでなかったのはまだ良かったかもしれない。

 結局、よく分からない流れと、よく分からない理由で天白祭は中止になった。
 当時も学祭中止にまつわる騒動が、よく理解できなかったし、飲み会の席でTROに改めて聞いてもやはりよく分からない。読んでいるあなたもよく分からないだろう。
 脅迫状を出した誰かが悪いだけでなく、一通の脅迫状で天白祭が中止になるというのは、どこか異常だ。強行して学祭を行えば、何かが起きるという確信があったということだろうか。
 誰が?何で?
 1987年の名城大学は、学生運動という大昔のしがらみが、まだ残滓となってこびりついている、そんなあいまいな時代だったのだ。

 2,3年ほど前に、たまたま学祭期間中の名城大学の近くまで来たので、どんな様子かなと顔を出してみた。
 サークル連合別ではなく、全体で一つの学祭となっていた。
 まぁ当たり前よなと思いつつも、以前は一番目立つ1号館の入ってすぐの場所に店を構え、上映会場はそのまま階段を上って3階の中教室という目立つ場所を使っていたシネ研が、どっか隅の方に追いやられていたのがちとショックだった。

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