別に規則があったわけではないが、監督作品を作るのは2年生になってからというのが普通だった。
入部当時に映画の作り方として、8ミリフィルムカメラや編集機、サウンドエディターなどの使い方は教わっていた。だが、この講義は、機材を使っていかに映画を作るかというよりも、機材を使っても壊さないで済むようにということに主眼が置かれていた。
当時、既に8ミリフィルムの機材はほぼ生産を止め、市場に流れる中古も減りつつある。今持っている機材を如何に壊さずに大事に使うかは重大事項だったのだ。
映画の作り方のノウハウ面については教えてもらえなかった。というよりも、自主映画・学生映画にはっきりとした作り方はない。
大型書店に行くと、映画の製作に関する本が数少ないながらあったりもするが、これはプロの商業作品か、かなり大規模な自主映画用の内容だった。これから草野球をやろうというのに、プロ野球の練習内容を持ってこられても困る。
個人製作のシネ研において、決まった映画の作り方はなかった。
新人は、上級生の映画製作現場を手伝って、「うむむ、なるほど」とか「こう撮るのか」などして、映画の作り方を盗んで、自分なりの映画製作のやり方を作り出すしかなかった。
なにやら、職人の世界みたいだが、職人の場合は手本となる師匠がその仕事では一人前である。それに対し、シネ研の場合は上級生も、オレたち1年生よりかは知識も経験もあるが、つまるところ大差ないという点が大きく違う。
これが映画の専門学校だったら、きちんとカリキュラムを組んで、演出の方法の基礎から学んでいくのだろうが、シネ研にはその絶対的な教師役がいない。
脚本の書き方一つにしても、先輩はそれぞれ自分にやりやすいように、書式についてはかなりいい加減にやっていたので、これも自分なりの脚本の書きかたを見つけ出さなければならない。
結局、シナリオの描き方も、撮影の仕方も、編集の仕方も、先輩が撮っている現場にスタッフなどで参加して、実地で学ぶしかなかった。
つまり、一言で監督をやるといっても、これがなかなか大変なのだ。
監督は2年生からというのは、しきたりではなく、なんとか映画を作ることが出来るようになるには、1年は経験を積まないと難しいということだったのだ。
そこにTROさんの登場である。
このTROという男は、この1年生の時点では映画に関して深い知識を持っていなかったが、とにかく行動力があった。
自分一人だけではなく、回りを自然に巻き込んでいく才能を持っており、天性のリーダーの資質を持っていたように思う。
しかも、バカだった。
このTROが後期の上映会に作品を出すと宣言した。1年生監督である。
大学に入ってくるまでは空手をやっていたTROだけあって、アクション映画。
ストーリーは
・なんか、悪の組織がいる。
・組織は戦闘力の高い主人公を仲間に引き入れようとしている。
・主人公がそれを拒むので、組織は主人公の恋人を誘拐する。
・主人公は恋人を取り戻すため、組織に乗り込む。
・次から次へと現れる敵を倒しながら先へ進む。
・ついにはボスを倒して恋人を奪還する。
はっ、ファミコン版『スパルタンX』のシナリオがなぜここにっ?!
正直、勢いは感じるが、映画としてはまだまだな作品だった。
シナリオの単調さは今さら書く必要もないだろう。
見せ場の格闘シーンも、あまりカットを割らず、素人の格闘が丸分かりで迫力に欠ける。
そして、なにより、やっとの思いで助け出した恋人が・・・恋人が・・・なんでセーラー服で女装した3年生なんだよ!
ギャグか、これはっ!
なんでも、ラストの再会シーンで主人公(男)と抱き合う必要があったため女優が見つからず、そこで考え抜いたあげくに映画のシーンとなったそうだ。
でもね、でも軽く抱き合ってくれる女優を捜す方が、3年生の先輩(男)を説得してセーラー服を着せるよりも簡単なんじゃないか?
確かに、自主映画に出てくれる女優を捜すのは大変ではある。
「えー、映画?出る出る」と気楽に応じてくれる人は多いが、映画の撮影現場というのは映画作りを分かっている人じゃないと退屈だ。
女優のご機嫌を取る人員がいるわけでもなく、途中で飽きて逃げられることも多い。そうなると、他の人にキャストを変えて撮り直しですめばいいが、下手をすると映画が制作中止になることもある。
初めて撮った映画はまずそのほとんどが駄作だ。
映画作りを初めてやる、しかも手取り足取り教えてくれる人がいるわけでもなく、独力で撮る。駄作が普通だ。駄作であったとしても、完成させるにはかなり努力があったことだろう。
だが、シネ研は「○○さんは1年生なのに映画を完成させました、スゴいですね」「パチパチパチ(拍手)」のHRでもなければ、「○○さんは初めて映画を完成させました。これも神の御心、神の助けがあってこと」「パチパチパチ」の宗教団体でもない。
シネ研は映画のサークルだ。撮った映画の出来がすべて。結果がすべて。実際はそこまで殺伐としているわけではないが、そんな雰囲気はある。
上映会後に『ル・シネマ』の上映会特集号が出される。新人だろうが出来が悪いところはきっちり指摘され、酷評もされる。
少数ではあるが、人によっては、ここでもう映画を撮らなくなってしまう。
だが、大半は「自分の欠点は。次は何を直せば良いか」と考えて、次回作に活かす。
この映画も、どちらかというと不評だったが、このTROという男は前向きで必要とあらば努力を惜しまない。
それまではあまり映画を観ない男だったが、観る本数も増え、そこからどん欲に吸収していった。
そして、後にリメイク版を撮る。
基本ストーリーは同じながらも、主要登場人物も増え、それぞれのやり取りや苦悩、野望なども描かれている。
そしてなによりアクションシーン。極限まで細かくカット割りされたアクションシーンは、TROが映画を観て学習してきた成果だ。
異なる二つの場所で行われる格闘シーンを、カットバックで描くなど技術的にも上達している。
オレも脚本は書きためてはいたが、映画を撮るという行動にはまだ出られなかった。
この一点だけでもTROに負けている。
100本の脚本よりも1本の映画。
これがシネ研の価値観だ。