« 映画バカ青春記 第58章 前期上映会と自主映画はつまらない? | メイン | 映画バカ青春記 第60章 夏合宿と総括 »

映画バカ青春記 第59章 シネ研の月刊機関誌『ル・シネマ』、映画について語らおう

 シネ研では月に一度、『ル・シネマ』という機関誌を作っていた。機関誌といっても、部員の数+保存分の全40部ほどで、印刷所に出すわけでもないコピー誌だ。
 大学は休みが多いので、上映会などの特別号を除くと年間で8冊ほどだっただろうか。
 しかし、なんで名城大学はシネマ研究会に『ル・シネマ』なんだろうか。今でこそさすがに慣れたが、入部当時は『シネマ研究会』やら『ル・シネマ』といったおフランスざんスな単語はどうもこそばよかった。
 設立当時に、部内で勢力争いがあって、最終的にフランスヌーベルバーグ派が勝ったという説もあるが、そもそも映画研究会というサークルがすでにあって、学生運動の中核だ革マルだの対立から、分裂あるいは新設しシネ研が生き残ったなどの説もある。さすがに古い話なので、オレの知っている年代の中ではうわさ話レベルしか知識がなく、答えは歴史の彼方、闇の中だ。

『ル・シネマ』は一人最低1ページ、人によっては3ページも4ページも書く。過去の作品について書いても良いが、基本的にはその月に観た映画について書くことになっていた。
 それまでは、ノートに日記めいた物をつけているだけだったので、学生なりに評論っぽい文章を書けることが嬉しかった。それに、日記だと自分が読んで終わりだが、『ル・シネマ』だと部員全員が読んでくれる。
 そこで書いて書いて、かなり書いた。1作品を2ページにまとめ、こりゃ書く意味がないなという作品以外は書いたので、月に20評論近くは書いていたことになる。
 これを全部掲載しては、『ル・シネマ 東森時音特集号』になってしまうので、1作品を選んで提出。

 最初は手書きで書いていたが、後に父親が買った東芝のワープロ“Rupo”を奪い、ほぼオレ専用にして、キーボードに移行。この1987年以降、オレが書いた文章はほとんどがキーボード入力で、手書きで書いたのはごく短文や履歴書などだけ。
 そのRupoは20文字5行表示(ぐらい)で、まとまった文章を書くと推敲が面倒だったので、1988年にはパソコンで書くようになり、以後は基本的に変化無し。パソコンというより、身も心もATOKだ。

 そして『ル・シネマ』の今月号が出来上がると、部室棟の会議室を借りて“読み合わせ”というのを行う。
 各自、自分が書いてきた評論を読んでいって、読み終わった後で討論に入る。
 書いて終わりではなく、この討論の部分が重要であったと今では分かる。オレも映画バカ黙示録という場で批評もどきを書きつづってはいる。だが、一人では討論は出来ない。やってもいいが、きっと単に変な人だ。

 “読み合わせ”は勝ち負けではない。理路整然として言葉の表現に長けている者が打ち負かす形になることはあるが、打ち負かすのが目的ではない。
 ある映画を観て、自分がどう感じたか、どう思ったか。その映画とは何なのかについてガンガンしゃべり、言い合う。
 一心同体どころか、それぞれ自分勝手でまとまりのない集団だ。だが、白熱した討論が終わると、そこで全部終わり。ひょっとしたら目に見えないところで引きずっているかも知れないが、基本的にはすぱっと終わって遺恨無し。
 気の良い連中が集まっていたのだろうか。それともやはりみんな映画好きだからか?

 その後社会に出て、回りに映画についてちゃんと語れる人があまりいなくなってからは、ネット上での映画討論の場にも参加してみたことがある。
 ニフティ・サーブなどのパソコン通信の時代は割と面白かった記憶があるが、インターネットに移行して以来、あまり楽しくはない。
 現在だと、2ちゃんねるなどの匿名掲示板、mixiなどのソーシャルネットワーキングサービス、そしてブログの3つに取りあえず分けてしまおう。

 まず、2ちゃんねるは匿名の悪い部分が前面に押し出されて、殺伐としすぎで面白くない。たまに、「おっ、これは」という意見が出てきても、意味のないあおりや品格のない文の方が圧倒的に多すぎる。
 ある批評が気に入らない場合は、それへの反論よりも、会ったこともない投稿者への憶測(というか、むしろ妄想)による人格攻撃に終始する。議論に発展性がほとんどない。
「お前ら、騒ぎたいなら他所行って騒げ。映画について語りたいんなら語れ。はっきりしろ」
 荒らしやあおりにはなにも言わない。スルーすることとなっているようだし、スルーというか無視ね無視。

 mixiも「流行っているようだが、取りあえずどんなもんかな」と、邪道斎氏から招待してもらって参加してみた。
 mixiは実名までは分からないが(まれに実名を使っている怖い者知らずもいると聞くが)、誰がその発言をしたかというのは分かる。その点、匿名とは違い、責任がはっきりしている。
 そこまではいいのだが、論争になるのを怖れてか、反論した相手に嫌われるのが嫌なのか、人格攻撃と勘違いされるのを怖れて幾重にもオブラートくるんだ発言ばかり。これでは討論らしい討論にならない。単に雑談場。
 そういう、のんびりとした雰囲気が良いという人もいるのかも知れないが、言いたいことをすぱっと言えないってのはどうも気が詰まる。

 ある映画があって、それを観た人が複数いれば、複数の感想があって当たり前。
 その映画を好きな人もいれば、嫌いな人もいるのが当たり前。
 で、単に不毛な言い争いをして荒れ果てた大地を作るだけなのが2ちゃんねる。
 お花畑に集まって、みんなで仲良く(腹の中までは知らんが)ダベっているのだmixi。

 オレとしてはどっちもイヤ。
 思ってることや考えはガンガン言って、相手の発言もちゃんと聞いて、作品に対する理解を深めるための激戦化した討論。それがやりたい。
 でも、戦争が終わってふと見ると、爆発や銃弾で荒れ果てた大地に、一輪の花が力強く咲いている。そんな一輪の花を大切にしてこその討論じゃないんだろうか。
 相手を徹底的に言い負かすこと、罵倒することだけを目的として、結果、10000年は雑草も生えない焦土とすることに何の意味があるだろうか。

 で、ブログなんだが。
 この映画バカ黙示録はブログツールとして有名なMovable Typeを使っているが、自分ではブログだと思っていない。
 世の中には親切というか、イヤなヤツがいるもので、「あなたのサイトはブログではないですね。そもそもブログとは様々なサイトを巡っている最中に目に付いたいくつもことをまとめて、そこへのリンクと共に掲載するものです。あなたのは自分の文章を単に載せているだけの自己満足です。文も長すぎです。これなら日記cgiで充分でしょう」と匿名で指摘してきた。
 アホくさいので無視して、コメント削除した。
 ブログの定義付けのためにMovable Typeを選んだんじゃなくて、単純に使いやすいから。以前はhtml記述ソフトを使っていたが、Movable Typeにしてから毎日の更新にかかる時間が半分以下になった。
 秀丸エディタで文章をガガガッと書いて、読み直しもせずにアップロードして保存で完了。楽なもんだ。

 ブログには、プライバシーは保たれつつも、発言への責任も持たされる場と成りうる可能性が高いだろう。
 mixiなどSNSは与えられた遊び場だが、ブログは自分で作った遊び場だ。設備の整い綺麗に清掃された公園でお行儀良く遊ぶより、横町の空き地の草っぱらで好き勝手に遊ぶ方が楽しいんじゃないかなぁ。

 つまるところ、映画バカ黙示録は、オレにとって『ル・シネマ』の延長なのだ。
 そして、『ル・シネマ』であるからには、“読み合わせ”という討論の場が必要なのだが、それがない。
 今になって思うと、世の中バブルだというのに金はなかったが、時間は山ほどあったし、映画を色々観て、シネ研の仲間とそれについてガーガー言う。話し合っても、別段これという結論が出るわけじゃないが、それでいい。そんな学生時代ってのは貴重だったんだなと。
 社会人になると、趣味についてあれこれ本気で話せる相手を見つけるのは、これでなかなか難しい。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.jion-net.com/mt/mt-tb.cgi/4923

コメントを投稿