新入部員としてシネマ研究会に入部したオレ。しかし、何で研究会なのに入会や会員と呼ばなかったのだろうか。
高校時代では、周りに自分より映画を観ているヤツはいなくて、いっぱしの映画通気取りだった。そんな自分が数多い映画のほんの一部分しか観ていなくて、面白い映画はもっともっとたくさんあって、そして大劇場で公開している現在の娯楽作だけではなく、色々な映画とその楽しみを教えてくれたのがU谷先輩だった。
U谷先輩は学年が2つ上で、おしゃれ系インテリっぽい雰囲気だった。
映画の路線としては、リュミエール派ないし蓮實重彦派。リュミエールとは映画の発明者リュミエール兄弟の名前を取った映画雑誌のこと。やたらと難解な言葉が飛び交う。蓮實重彦は、フランス文学者で東大の教授。後に東大の総長をやったこともある。ごちゃごちゃっとした難解な文を書く。渋谷の映画館で一度見かけたことがある。ひょろっとした体型だが背が高く、遠くからでも一目で「あっ、蓮實だ」と分かった。
自主映画には蓮實重彦の影響を受けた人も多い。立教大学で講義を行っていたときの教え子である黒沢清や周防正行は、蓮實の直弟子あるいは息子といっても良いのではないだろうか。
リュミエールや蓮見重彦などについてはまたのちのち書いていくことにするが、おおざっぱに言うと、映画至上主義、映画とはなんぞやと感じそして思考する一派。・・・かな。
念のために言っておくと、蓮實が観る映画ってのはやたらと幅広いので誤解されているが、彼の基本はハリウッド映画、それも1940年代あたりの黄金期のハリウッド映画だ。
文章が難解っぽいので誤解されているが、映画って最高!なオヤジだ。
不当に低く評価されているトニー・スコットについて、『マイ・ボディーガード』の活劇ぶりを絶賛した文章を読んだことがある。
それ以外にも、他の映画評論家が語るに値せずと無視した『ハリウッド映画』にも語っていて、あなどれん。
ちなみに、トニー・スコットの兄であるリドリー・スコットは退屈なので嫌いだそうだ。
そのU谷先輩が、新入部員相手に学習会を開いた。
会場は図書館の視聴覚室。そこのビデオプロジェクターで映画を観て、学習されられた。
自由参加ではあったが、こういうのはなかなか欠席しにくい。
第一回目の作品は『夜の人々』とかいう、タイトルも知らないし、監督のニコラス・レイも聞いたことがないモノクロ映画で、こりゃ退屈な芸術作品でも観させられるのかな、と少々うんざりした気分で参加した。
そして96分後、オレは自分が映画のことなんか、まだなーんも分かっちゃいなかったことを思い知らされたのだ。
『夜の人々』はボニーとクライド事件を題材にした初めての映画である。
モノクロの画面、大恐慌時代のアメリカ南部。貧しい生まれの青年が犯罪に走り、ついには刑務所に収容される。
しかしそこを脱獄した彼は、仲間とともにさらに凶悪犯罪を続ける。しかし、一人の娘と出会い彼は恋に落ちる。
彼は更生し真面目に働こうとするが、犯罪者としての過去が彼につきまとう。
各地を転々としているうちに、ついには娘まで巻き込んで再び犯罪に手を染めてしまう。
警察に追われながら彼らは逃避行を続けるが、ついには追い詰められ・・・
美しい。圧倒的なまでに美しい。結局はこれまでほとんど娯楽映画しか観てこなかったオレには、味わったことのない感動だった。
監督のニコラス・レイは驚くことにこれが初監督作品。
この『夜の人々』を観てしまうと、同じ題材だという理由で比較するのも本来はおかしいのだが、アーサー・ペンの『俺たちに明日はない』(1967)がなんと下劣で下品で面白味に欠けることか。
それまでは、世間の評判も良いからやはり傑作なんだろうと思っていた『俺たちに明日はない』は、一瞬にして駄作へと成り下がった。そんなコペルニクス的転回を、U谷先輩は『夜の人々』一本でオレに対してやってのけたのだ。
ボニーとクライド系というか『夜の人々』に近い若い男女の逃避行物だと、テレンス・マリック監督、マーティン・シーン主演の『地獄の逃避行』(1973)や、マーチン・シーンの息子エミリオ・エステヴェスが父に捧げるかごとく初監督・主演した『ウィズダム/夢のかけら』(1986)がお薦めだ。
『テルマ&ルイーズ』(1991)も逃避行物だが、これまでのように男女ではなく、女性二人になっていたので、どうなるのかと期待して観に行ったら、中身はこれまで通りの平凡な逃避行物なのでがっかりした覚えがある。
U谷先輩が観せてくれたのは他に、
『見知らぬ乗客』(1951)/アルフレッド・ヒッチコック
『最前線物語』(1980)/サミュエル・フラー
『特攻大作戦』(1967)/ロバート・アルドリッチ
『ドノバン珊瑚礁』(1963)/ジョン・フォード
『赤ちゃん教育』(1964)/ハワード・ホークス
『カルメンという名の女』(1983)/ジャン=リュック・ゴダール
『ウィンチェスター銃'73』(1950)/アンソニー・マン
などがある。
モノクロ時代のヒッチコックや、サミュエル・フラー、ロバート・アルドリッチにジャン=リュック・ゴダール 、そしてもちろんハワード・ホークスとジョン・フォード。
実に豪華なラインナップだ。そのまんまといえばそのまんまな定番ではあるが。
ある程度映画に詳しい人なら分かるだろうが、入門者用に比較的取っつきやすい作品を選んである。
難解な映画を作るとされているジャン=リュック・ゴダール作品の中で、ストーリーが初心者にもはっきり把握できる『カルメンという名の女』を持ってくるところなどさすがだ。
『東風』(1969)辺りを持ってこられたら、大爆睡大会になっていたことだろう。
これまでの自分が映画のほんの一部にしか触れていなかったことをこの学習会によって気づいたオレは、古い映画やハリウッド映画以外の作品にも興味を持っていった。
しかし、当時の名古屋はすでに名画座が壊滅していたので、リバイバル上映はシネマテークやシネマスコーレなどの単館がやるのを観に行くしかなく、映画に関する本を読んで、「あっ、これ観たいな」と思ってもなかなか観る機会がなかった。
レンタルビデオもまだ黎明期を過ぎたあたりで、タイトル数も少なく新作中心で旧作は少なかった。テレビの洋画劇場は近作中心なので、NHK教育が時々やる名画がありがたかった。
今ならばレンタルビデオ・DVDのやセルDVDのタイトルは圧倒的に増えたし、wowowやスカパー!の映画専門チャンネルなどもある。個性的な作品を上映するミニシアターも増え、旧作やマイナーな作品を観ることの出来る機会が圧倒的に増えた。
そう考えると、オレたち1980年代後半から1990年代初頭にかけて地方都市で映画を熱心に観ていたファンというのは、映画を観るという環境にはあまり恵まれていなかったのかもしれない。
しかし、ネット上での映画評などを読んでいると、オレよりも圧倒的に映画を観ることについて有利な10代、20代の人が、基本とも言える作品を観ていなかったり、明らかに無知なのを見かけたりする。もちろん、古い作品から新作までしっかりと観て、映画についてちゃんと考えている人のたくさんいる。
結局は、環境ではなくて本人の映画を観たいという欲望だろう。
それから、それを導いてくる先達者か。
もしもオレが、あの年のあの名城大学のあのシネマ研究会に入部していなかったとしたら、今のオレは全然違ったオレになっていただろう。