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映画バカ青春記 第35章 『スター・ファーター』と「そうか、オレはSF映画ではなく映画が好きなんだ」

 ミニチュアは使わず宇宙船などを全てCGで作り上げた『スター・ファイター』(1984)を観た。
 トレーラーハウスばかりが集まった集落で育った少年が主人公だ。
 トレーラーハウスとは『リーサルウェポン』でメル・ギブソンが住んでいたヤツだが、価格が安く固定資産税が安いとかで、一般的には貧困層が住む物である。
 お使いの最中に鬱憤晴らしに大虐殺を繰り広げる無茶なアメリカのPCゲーム『ポスタル2』の主人公は冒頭で失業してしまうプアホワイトだが、彼もトレーラーハウスに住んでいる。そんな扱いだと思ってもらえばいい。
 『スター・ファイター』のトレーラーハウスは古い言葉で言えば貧乏長屋だろうか。
 そこに住んでいる人は貧乏だが善良ではある。

 その集落から主人公は抜け出して都会に行こうと考えている。
 母親だけの母子家庭で、まだ小学校ぐらいの弟との三人暮らし。
 集落を出て行くときには一緒に来てくれないかとプロポーズをしている恋人もいる。
 そんな彼が大学進学への奨学金試験に落ちてしまう。少年にとってはそれが唯一の頼みの綱だった。
 母親は「大学の学費は私がなんとかするから、心配しないで」とは言ってくれるが、それはかなり難しいことも、またそこまで母親に負担をかけられないことを少年は知っている。
 「ああ、俺はこのままこの集落で一生を終えるのだな」などと夜空を見上げる。そこには星が光り、広大な宇宙が広がっていた。

 集落には“スターライト、スターブライト”という雑貨屋・軽食堂があった。
 その店先に見たこともないビデオゲームが設置されていた。
 少年は、気持ちを切り替えるためにゲームをやる。戦闘宇宙艇を操作して敵と戦うそのそのゲームは非常に難易度が高く、なかなかクリアできない。しかしゲームが得意な少年は挑戦を続け、ついには世界ナンバーワンのスコアをたたき出してクリヤする。
 見学に詰めかけていた近所の住民たちは自分のことのように喜んでくれる。

 その夜、少年の元に近未来的な車に乗った老人が現れる。
「君に絶対損はさせない。素晴らしい将来を約束しよう」と車に乗せられる。
 猛スピードで突っ走った車は、おもむろに変形すると宇宙艇となり宇宙へと飛び立った。
 少年が連れて行かれたのは、現在敵と交戦中の銀河連邦だった。
 あのビデオゲームの正体は、戦闘宇宙艇のパイロット“スター・ファイター”の適格者を見つけ出すための道具だったのだ。
 銀河連邦においてスター・ファイターに選ばれるのは非常に光栄なこと。しかし、本当の戦争をする気はまるでない少年は、多額な報酬にも心を奪われることなく、地球に帰ることを希望する。
 そして、地球に戻ってきた少年だが、敵宇宙軍が彼の存在を知ってしまい、暗殺宇宙人の刺客を送ってきて、それに殺されそうになる。
 もはや、戦うしか道がない少年は銀河連邦軍へと戻るが、敵の策略によって基地が破壊され彼以外のスター・ファイターは全て死んでしまっていた。彼は最後にして最高の宇宙戦士『The Last Starfighter』(原題)となったのだ。
 トカゲ系宇宙人のナビゲーターと一緒に、ただ一隻の戦闘宇宙艇で敵軍に乗り込む。
 そこでその腕前を、まだテストすらしたことのない最終兵器でなんとか敵を退け、一時的ではあろうが宇宙に平和を取り戻す。

 戦争によって荒廃してしまった銀河連邦。その立て直しのために、戦士としてだけではなく指導者の一人として残ってほしいと請われる少年。
 そして、少年は宇宙に残ることを選ぶ。

 家族にお別れを告げるため、そして恋人を迎えに来るため、少年はトレーラーハウス集落へと戻ってくる。今度はいつ帰ってこられるか分からない。
「いつかはここを出て行くことになるとは思っていたけど、まさかこんな形とはね」と涙しながら少年を祝福して送り出す母親。
 だが、恋人は「都会に一緒に行くとは約束していたけど、宇宙だなんて・・・」と思い切れない。しかも、恋人は老いた祖母との二人暮らしなので、その祖母を置いていくことに罪悪感を感じている。そして、あまりの展開に一歩を踏み出せないでいるのだ。
 そんな彼女に祖母は笑いながら言う「宇宙に行っても、どんな様子か手紙を頂戴ね」と。
 これは「私のことは心配しないで、あなたはあなたの未来を選びなさい」という意志がその裏に流れている。
 彼女はついに一歩を踏み出す。二人を乗せた宇宙艇は宇宙へと飛び去っていく。
 そのロケット噴射の風が吹き荒れる中、少年の弟は踏み台を持ってくると、ビデオゲームをプレイし始める。
 弟もまた宇宙を目指すことにしたのだ。
 “スターライト・スターブライト』のネオン越しに広がる宇宙。そしてエンディングクレジットが流れ始める。

 この映画が無茶苦茶面白かったオレは、『スター・ファイター』を観た他の友人たちと話をした。
オレ「主人公が宇宙に出て行く理由が、ビデオゲームが得意だったってのは面白いよね」
友人「あのCGはすごかったね。ここまで技術が進んでるんだ」
オレ「まぁ確かにCGはすごいね。でさ、ラストに恋人の背中を押してやる祖母の台詞は良いよね」
友人「宇宙人の特殊メイクもなかなかだったね。出番が少ない他のスター・ファイターは多少手抜きなのもいたけど」
オレ「うんうん。でさ、結局は宇宙という場所が舞台だけど、特技ひとつでより広い世界に飛び出していく青年という普遍的な作品なんだよね」
友人「そのうちには、全編CGの映画なんてのも出てくるのかね」

 こんな感じで全然話が合わなかった。
 それまではちゃんと話が合って面白い会話だったのにどうしたのだろう?
 最初は「オレの感性が間違っているのかなぁ」とちょっと不安だったが、すぐに
「そうか、オレはSF映画ファンから映画ファンへと立場が変わったのかな。これまでとは同じ映画を観ても、注目する部分や感想が変わってきたのだろう」と気がついた。
 言いようによってはこれは進化だ。
 その進化を助けてくれたのが、当時の名古屋では当たり前だった二本立て上映。
 SF映画の場合、同時上映はアクションやホラーが多かったが、何を考えてかロマンス映画の場合もあった。
 なんにせよ、それによって観る気のないジャンルの作品やまったく興味のない作品も数多く見ることになり、そして映画を観る力が強くなったのだ。
 この高校2年生の頃から、オレはより映画ファンになっていったのだろう。

 だから思う。映画が好きになったらとりあえず細かいえり好みをせずに何でも観ろと。
 SF映画が好きだからとSF映画ばかり観ていたり、ホラー映画が好きだからとホラー映画ばかり観ていたら、SF映画オタクやホラー映画オタクにはなれても、映画バカにはなれない。
 映画バカになって得することはこれっぽっちもないが、とりあえず映画を観ると楽しくてしょうがなくはなれるぞ。

 小さな田舎町で育った人が、たった一つの特技だけで宇宙や都会などの大きな世界に飛び出していき、そこで苦労したりスランプになったり、時には落ち込んだりしながらもなんとかやっていけるようになる。
 そのテーマから考えると、『スター・ファイター』は、少年版『魔女の宅急便』である。
 SFかファンタジーか。そんなのは些末な違いでしかない。本質的には両者とも、「少年少女や若者よ、とにかくがんばれ」、という映画なのだ。
 映画にはテーマやメッセージがあるんだな、そんなことを気づき始めた17歳だった。

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