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映画バカ青春記 第33章 集団就職とはちょっと違うが

 1985年当時の半田高校は、全日制普通科と昼間定時制の二つによって成り立っていた。
 同一敷地内にあり、フェンスや壁で仕切られていたわけでもないのに、全日制と定時制にはまったく交流がなかった。

 愛知県半田市近隣には紡績工場が数多くあった。昼間定時制はそこで働く女子工員のための学校だった。
 地方から紡績会社に就職し、仕事をしながら高校に通っていたのである。
 通学は寮、あるいは工場からバスによって集団で登校してきて、そしてバスで下校していった。
 そのバスが出入りするのも正門ではなく、裏門からなので、オレたち全日制の生徒は定時制の女生徒の姿すらほとんど見たことがなかった。

 どことなく集団就職のようだが、1985年の半田市と、ほんの20年ほど前のことだ。
 もちろん、『女工哀史』で語られるような過酷で悲惨なものではない。

 高校2年生で柊祭実行委員として飛び回っていたオレは、せっかく同じ半田高校の生徒同士なのだから、文化祭の時ぐらい交流があっても良いのではないかと考えた。
 そして委員会の会議で、「昼間定時制の生徒を招待してはどうか?」と提案した。

 会議には委員会の顧問である先生が出席していた。だが、名目上出席しているだけであって、生徒の自主性を尊重する学校だったのでほとんど発言することもなくただ座っているだけだった。
 その顧問が唐突にオレを睨み付けた。
「それは許さん。許可できない」
 理由を聞いても「駄目だ駄目だ」と言うだけで、何も教えてくれなかった。

 そして会議は終わり、オレは駄目ならしょうがないかと、定時制の生徒を招待するという案をすっかり忘れてしまった。
 今になってそれを後悔している。
 駄目だという理由を何故とことん追及しなかったのか。どこかタブー的存在だというのを感じたのに、何故それをそのまま食い下がることなく、理不尽だと感じたことに立ち向かえなかったのか。
 自分が納得しなければやらない。違うと思うこととは徹底して戦う。それがオレの理想ではなかったのか。
 いまさらこんなことを言っても、ただの後悔とグチにすぎないのが悔しい。

 1990年代後半から紡績工場は次々と閉鎖されていき、現在ではオレが知る限りごく小さな工場しか存在していないようだ。
 それにより昼間定時制は廃止になり、現在はその校舎はひいらぎ養護学校となっているそうだ。
 普通高校と養護学校が併設されているのは全国でもめずらしいとのこと。
 そして半田高校とひいらぎ養護学校との間では各種交流が行われていると聞く。
 オレがそのまま通り過ぎてしまったことを、遠い後輩たちがちゃんとやっていてくれることが嬉しいし、それが出来なかった自分のふがいなさが悔しい。

2006年8月19日 9:00追記
便宜上、8月18日23:57分のエントリとなっているが、実際には1次会、2次会、カラオケの後に、終電を逃してもう一人の友人と一緒にインターネット漫画喫茶で始発を待った。
 その漫画喫茶で朝の4時頃に書いたのが上記の文章だ。
 深夜に書いたラブレターを朝になってから読み返すと、何でこんな事を書いたんだろうとやたらこっぱずかしいとかいう話は聞くが、この文章も家に帰って一風呂浴びてから、さて眠ろうかという前に念のためにチェックしてみたら、青臭くてやたらこっぱずかしい。
 だが、自分の中で整理も消化も出来ず、かといって忘れることも出来ない事で、今後も心のどこかで引きずっていくだろう。
 だから、削除も訂正もせずにこのままにしておく。
 違うと思ったことに「それ違うでしょ」と言ったり、嫌いなことには嫌いと言う。それはオレの存在証明であるからでもある。かつ根がいい加減。どっちもオレだ。

2006年8月25日 0:10追記
同じ半田高校という名前にはなっていたが、実際としては2つの学校が同じ敷地にあったようなものだったそうだ。
組織としても全くの別物で、それぞれが独立して運円されている。
特にタブーや交流してはならないというわけではなく、言うならばまぁなんとなく、だったとか。

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